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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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令和1年5月21日(火)

 以前にカルテを1階から2階に上げるリフト(ダムウェイダー)が壊れたと書いた。廃業した会社のリフトなので、どこも修理はしてくれない。今は大手の会社しか残っていない。18年間、患者さんも多かったので、元は取れている。しかし、これから壁を取り壊し、古いリフトを外し、1階の床下の基礎工事をして、新しいリフトを取り付け、また壁を修復したら、230万円もかかる。実は、最近私は66歳になったところである。これから引退するまで、後何人の患者さんを診察できるかである。2万3千人を診察したら、カルテの上げ下げで1人当たり100円かかることになる。倍の4万6千人で、50円である。大きな病気をしなければ、80歳を過ぎても患者さんの診察はできるだろう。この時には、せいぜい週3〜4日ぐらいになる。
 しかし、先輩の先生を見ていても、中には脳梗塞やガンなどの病気で、倒れる人もいる。せっかく取り替えても、すぐに病に倒れたら、とんでもない経費がかかることになる。230万円も費用をかけたら、好きな時に引退ができにくくなる。1階から2階までカルテを患者さんに持ち運ばせたらいいと言う人もいる。階段を上るのもやっとのお年寄りの人は、受付の人が持って上がったらいいだけである。カルテが先に上がってこないと、何人の患者さんが待っているのかさっぱりわからない。待合室にカメラをつけたらいいだけであるが、受付の人はいやがるだろう。
 将来、子どもが引き継いだらいいという考え方もある。しかし、ここでも書いているように、今は東山区で開業する人は誰もいない。京都市の中で断トツの少子高齢化で、患者さんを集めるのは至難の技だからである。私の医院の近くの今熊野の商店街はシャッター街となっている。どうしてかというと、ここで店を開いても、サイフの紐が堅いお年寄りばかりで、商品が売れないからである。どうせ店を開くなら、もっと人が大勢いる所がいい。開業も同じである。ここで開業して、他の区から患者さんを集めるなら、最初からもっと人口の多い山科区や伏見区で開業したらいい。ただ、京都駅や四条などにも近く、生活をするには便利である。20〜30年もしたら、事情はまた変わるかもしれない。
 今回も写真付きで、マナウスの旅について解説する。ネットの記事などでは、単位人口あたりの殺人などの犯罪件数は、リオデジャネイロやサンパウロより高いとなっていた。ただ、日中の観光地は安全である。市の中心部であるセントロでは、夜遅くでも、それほど危険を感じなかった。サンパウロでもマナウスでも、タクシーは安全である。多少ぼられたり、遠回りをされるかもしれない。しかし、深夜でも安心して乗れる。タクシー運転手が強盗に変身することはない。  

ホテル ・4月28日(日)はイグアスの滝からサンパウロまで戻った。空港に着いたのは、午後2時頃である。ここで、空港の荷物預かり所に行き、マナウスに行くための必要な着替えや荷物などを取り出し、再び預けた。1日30レアル(約900円)である。マナウス行きは、午後9時10分である。出発まで空港で過ごした。
 マナウスに着いたのは、夜中の0時10分である。マナウスの治安は悪いと言われている。仕方ないので、ホテルまで空港タクシーを頼んだ。75レアル(約2250円)だったと思う。ここのホテルは朝食付きで1泊6500円ぐらいであった。アマゾナス劇場のあるセントロ(市の中心)まで、タクシーで15分弱である。周囲には何もない所であった。しかし、部屋は広くて居心地がよかった。

市街 ・29日(月)の朝に撮ったホテルからの市内である。

セントロ ・この日は、タクシーで市の中心地(セントロ)にあるアマゾナス劇場に行った。値段は25レアル(約750円)であった。20レアルぐらいが、適正価格のようである。ところが、月曜日ということで、休館であった。旅行の予定では、曜日も気をつけなければならない。仕方ないので、アマゾン河を目指して南を目指して歩くことにした。ここは何の建物だったのか、よく覚えていない。

アマゾン河1 ・そこそこ歩くと、アマゾン川にたどり着いた。私はもともと方向オンチなので(磁石は持っている)、最初はどの辺りにいるのか、地図を見てもわからなかった。現地のSIMカードはスマホに入れていない。橋がかかっており、煙突美術館(ここも休館)のそばのようである。

アマゾン河2 ・河に沿って歩いて行った。船がたくさん繋がれていた。こんな船着き場があちこちにあった。

ツアー ・河沿いにはこんな垂れ幕を貼った、アマゾンツアーの募集をあちこちで見かけた。吹きさらしの汚いデスクとイスが並べられていた。私は今度のツアーで行けなかったが、ここにある滝やインディオの村を訪れたかった。

桟橋 ・桟橋から撮った、対岸の風景である。

市場 ・歩いていると、やがてアドウフォ・リスボア市場にたどり着いた。右側の建物である。

食堂1 ・市場の中では、ありとあらゆる物が売られていた。食事をする所もいくつかあった。私はここで昼食を注文した。

食堂2 ・アマゾンで獲れた淡水魚の唐揚げとハイネッケンの小瓶を頼んで、全部で29レアル(約870円)であった。米はインディカ米である。上の赤いお椀に入ったのは、甘みを抜いたお汁粉のような味で、豆がはいっていた。左上の鳥のエサみたいなのは、よくわからなかった。魚の唐揚げは、本当に美味しかった。魚料理以外のメニューは、アマゾンツアーでも出てきたので、地元でよく食べられているようである。

港 ・ここはマナウスの港である。「PORT DE MANAUS」と書いてある。

市内1 ・市場から歩いて行くと、カバンなどを売っている商店街を抜け、こんな屋台などがでている所にたどり着く。建物の色合いなどは、カラフルである。

市内2 ・こんな所はいくら日中でも、こわくて歩けないという人もいるかもしれない。私は短パンにTシャツをはき、スポーツサンダルを履いている。カメラはたすき掛けした小さなショルダーバッグに入れていた。しかし、いちいちカメラを取り出すのも面倒なので、そのまま取っ手をつけて持ち歩いていた。高級コンデジなので、手をぶら下げていたら、バッグもあるので目立たない。ミラーレスカメラでも、首や肩から提げていたら大きいので目立つ。写真を撮る時以外は、バッグの中に隠しておいた方がいい。

市内3 ・庶民が買い物をする店が建ち並んでいる。

市内4 ・私はこういう雰囲気が好きである。

市内5 ・東南アジアでは見られない雰囲気である。とにかく、建物がカラフルである。

市内6 ・市内のあちこちに、絵になる建物がたくさん建っていた。カメラを片手に散歩していても、わくわくして楽しかった。私は何でも見てやろうだけではなく、危ないものでも、何でも撮ってやろうである。

市内7 ・ここはバス停の近くである。大勢の人が待っていた。

ボート乗り場1 ・30日(火)は1泊2日のアマゾンツアーに参加した。ホテルまでの送迎とロッジの宿泊代、食事、英語のガイド料が着いて、25,900円であった。途中、2人のツアー参加者を乗せていった。1人は25歳の日本人女性であった。1人で、ニューヨーク経由できたという。少し前には、ボリビアに1人で行ったという。ここから船に乗って、アマゾン・ロッジに行く。

ボート乗り場2 ・ボートの発着場の風景である。

ロッジ1 ・ここがロッジの船着き場である。同じツアーのイタリア人と日本人が降りてくる。

ロッジ2 ・ここはロッジの食堂とバーを兼ねている。私たち以外、いないようであった。

ロッジ3 ・プールも付いている。

ロッジ4 ・ここが泊まるロッジである。私は右側の部屋に泊まった。

ロッジ5 ・ここが部屋の中である。自家発電のようで、夜に扇風機が廻る。奥にトイレとシャワーがある。水はいつでも出る。シーツは交換してあった。しかし、ベッドが少し臭った。最初は自分の汗の臭いかと思ったが、ベッドの臭いであった。

ロッジ6 ・実は、私たちのツアーにもう1人の25歳の日本人女性が加わった。2泊3日のトレッキングツアーに参加していた。夜にはキャンプファイヤーをして、テントの中でハンモックを吊り下げて寝たらしい。歩くのが、けっこう大変だったようである。
 私の娘は26歳で、息子は24歳である。2人の女性は25歳で、同じ世代である。ボリビアに行った女性は広島から参加し、もう1人は神戸からである。神戸からの人はマイアミ経由である。こんな所で日本人旅行者に会うとは想像もしていなかった。私も含め、3人とも国際的な日本語の旅行サイトから申し込んでいた。2人とも、このアマゾンツアーだけに参加して、マナウスなどの観光はせずにそのまま帰るようである。安全と言えば安全である。しかし、せっかくここまで来ているのにもったいないと思った。
 最近は、刀剣女子など、若い女性がいろいろな分野に進出している。こんな所にくる女子は、秘境女子と言うらしい。製薬会社の人に聞いたら、チリなどに1人で行っている女性もいるようである。それにしても、わざわざこんな所まで1人旅で来るのは、自分探しなのか、ワケありなのか、よくわからない。

ピラニア釣り1 ・最初のツアーは、ピラニア釣りである。アマゾン河の色は黒い。だから、鏡のように河に風景が写り込み、どこが水平線なのかわかりにくい。

ピラニア釣り2 ・ピラニア釣りはこんな所をボートで入って行く。

ピラニア釣り3 ・これがピラニアである。イタリア人と2人の日本人女性はピラニアを釣り上げていた。私だけは、手応えがあっても釣り損ねていた。アマゾンの雨期は12月から5月下旬である。水量が多いと、エサも豊富で、ピラニアも分散する。今回は雨期の最後に当たる。それでも、まだ釣れた方である。

夕日1 ・私はピンクイルカと泳ぐツアーには参加しなかった。(別料金) ツアーに参加したイタリア人の写真を見せてもらったら、本当にピンク色していて、絵になっていた。このイタリア人は建築家で、大阪万博にも参加すると話していた。全身タトゥーだらけである。私と同じ1泊2日のツアーで、リオデジャネイロのイパネマがお気に入りで、ツアーの後にそのまま空港に送ってもらって戻るという。
 これはサンセットツアーである。日中3時頃には激しい雨が降るなど、天候は不順であった。雲が多くて、きれいな夕日は見ることができなかった。

夕日2 ・鳥がたくさん飛んでいた。これはこれで、なかなかよかった。

ワニツアー ・水位が高いと、大きなワニは見つけづらいようである。これは、子ワニである。

ジャングル・トレッキング ・5月1日(水)の午前中は、ジャングルトレッキングに行った。珍しい花や鳥などを期待したが、ジャングルの中をうろうろするだけで、それほど興味のあるものはなかった。ゴムの木や、マホガニーの木などを見ても、マニアでないので、あまり感動しなかった。坂道を上がっていくのは、ふだん運動をしていないので、さすが息切れがした。

タランチュラ ・これはタランチュラである。よく見ると、足がある。

広場 ・午後からまたボートと車で、ホテルまで送ってもらった。イタリア人は大きな荷物を抱え、そのまま空港までである。ホテルに着いたのは夕方で、アマゾネス劇場には間に合わなかった。是非とも、見たいと思ったので、翌日の5月2日(木)に行った。これは、アマゾネス劇場の前の広場に建っている。
 実はこの日は、国立アマゾン研究所にも行った。ここでも珍しい花や動物が見れるかと思ったが、あまり大したこともなかった。中が広いので、迷子になってしまった。

劇場1 ・ここがアマゾネス劇場である。簡単に入れるかと思ったら、ツアーに参加しないと中まで入れない。英語ツアーの時間も決まっていた。値段は10レアル(約300円)であった。結局、ホテルをチェックアウトし、荷物だけ預けて、12時15分のツアーに参加することにした。午後2時45分の飛行機に乗って、サンパウロに戻らなければならない。時間的に余裕がなかった。それでも、参加できて本当に感動した。アマゾンツアーより、よかったぐらいである。

劇場2 ・どこを調べても同じようなことが書いてある。ここでは、「地球の歩き方」から引用する。19世紀後半、一大ゴムブーム(タイやなどに使われた)で、ヨーロッパからの移住者はあり余る財を手にした。1896年に建てられた贅を尽くしたイタリア・ルネッサンス様式のオペラハウスがアマゾネス劇場である。
 ところが、1915年にイギリス人がゴムの苗を東南アジアに移植した。5年後には、東南アジアでゴムが生産されるようになり、地理的に不便なマナウスは廃れていくことになる。しかし、今でも定期的にオペラが上演されている。

劇場3 ・ツアーでは、上の階に上がっていく。

劇場4 ・ここは衣装室である。昔は冷房がなかったので、暑かったと思う。

劇場5 ・ここは貴族のサロンである。

劇場6 ・下を覗いた風景である。

劇場7 ・これは天井に描かれていた絵である。見上げて写真に撮った。

劇場8 ・最上階から撮った写真である。スモーク(水蒸気?)みたいなものがたかれており、下から見上げると上の方は少し曇って見える。スマホで写真を撮っていた人は、暗いので撮るのはあきらめていた。

令和1年5月14日(火)

 きょうは午後から往診に行き、その後で歯科でインプラントを入れてもらった。夕食の食材を買って帰ってきたら、もう午後5時半であった。とりあえず、ブラジルの旅の紹介の写真を選び、このホームページ用にリサイズしたりしていた。その後、夕食を自炊して食べたら、もう午後9時である。まだ写真の解説は書いていない。
 今回のブラジルの旅は、4月25日(木)に伊丹から羽田空港まで行き、午前11時発のルフトハンザ航空に乗って、フランクフルトまで行った。(11時間40分) 3時間20分の待ち合わせで、同じルフトハンザ航空に乗って、北大西洋を渡ってサンパウロに着いた。(11時間50分) 合計で29時間55分である。おそらく、待ち合わせ時間も入れたら、大阪からサンパウロまでの最短時間である。今回はビジネスクラスを使った。座席はフルフラットになった。長旅でもあまり疲れなかった。しかし、値段はエコノミークラスの3倍ぐらいした。私はふだんは質素な生活をしている。しかし、残り少ない人生なので、使う時には使おうと思っている。
 帰りは、5月6日(月)のサンパウロを午後6時15分発の飛行機に乗り、8日(水)の朝9時5分に伊丹空港に着いた。

地図 ・今回のブラジルの旅は、最初にイグアスの滝に行き、次にマナウスに行き、最後はサンパウロに行った。リオデジャネイロには行けなかった。地図では、下の方にサンパウロがある。イグアスの滝は、パラグアイの下がアルゼンチンで、ブラジル側とアルゼンチン側から見れる。

ポケトークW ・ブラジルではほとんど英語が通じない。どうしてかというと、アメリカ人観光客が少ないからである。ブラジルで使われているのはポルトガル語である。スペイン語もよく通じるようである。ヨーロッパからの観光客は多い。
 このポケトークWはSIM付きの翻訳機である。WiFiにつなげる必要はなく、アマゾンでも簡単に翻訳できた。東南アジアでは、なんとか英語が通じるので、この翻訳機の出番は少ない。近場で使う機会があるのは、中国と韓国ぐらいである。それにしても、この翻訳機には随分と助けられた。日本でも外国人観光客を相手にしている人には、便利で役に立つ。

空港 ・サンパウロのグアルーリョス空港に着いたのは、現地時間で、4月26日(金)の午前4時55分である。イグアス行きの飛行機は、朝10時頃に出発である。大きな荷物は空港に預けて、必要な分だけ持って行くつもりであった。ネットで調べても、この荷物預かり所がどこにあるのかわからなかった。空港職員らしき人に英語で聞いても通じなかった。わざわざ、英語が話せるスタッフを呼んでくれた。
 ここは第3ターミナルを出た所である。この突きあたりのビルに、荷物預かり所があった。値段は1日当たり30レアルであった。(1レアルは約30円) 各ターミナルにもあるのか、よくわからない。

ホテル ・イグアスでは、ホテルを予約していた。値段は朝食付きで、2泊3日で計8420円であった。3人部屋に1人で泊まった。プールも付いていた。近くにスーパーやバス乗り場もあり、便利であった。治安は悪くないということであった。

滝1 ・イグアスの滝は、ブラジル側とアルゼンチン側の両方から見ることができる。丸2日間も取れないので、迫力のあるアルゼンチン側に行くことにした。空港の旅行代理店で申し込みをした。最初は私1人だったみたいで、400レアルと言われた。しかし、アルゼンチン側のホテルに泊まっている3人含めての英語ツアーに、105レアル(3150円)で参加できた。
 簡単にアルゼンチン側に行けるかと思ったら、アルゼンチンの入国手続きをして、ブラジルに戻る時には再入国手続きが必要であった。全部、ツアーガイドが連れ行ってくれたので、楽ちんであった。ただ、イグアスの滝の公園入場料は700アルゼンチンペソ(約1800円)が必要である。これは、前日に両替所で換金していた。
 滝の途中まで、トロッコ列車に乗って行く。隣に日本人ツアーの女の子がいたので、声をかけた。関西のH交通社のツアーで、ペルーのマチュピチュに行って、イグアスの滝に来たと言う。7泊11日の旅でる。サンフランシスコからペルー行きの飛行機が大幅に遅れ(あまり評判のよくないラタム航空)、列車とバスとトレッキングで、やっとマチュピチュにたどり着いた時には、疲れ果て、景色を楽しむどころでなかったという。

悪魔ののどぶえ1 ・ここはアルゼンチン側でしか見れない「悪魔ののどぶえ」である。この写真は、今回買ったGoProで撮った。他に、ソニーのRX100VIを持って行った。しかし、ここでは水しぶきが激しく、ふつうのカメラは使えなかった。

悪魔ののどぶえ2 ・どんないいカメラを持って行っても、役に立たない。水しぶきを浴びたら、カメラが壊れてしまう。レンズに水滴が付くので、ハレーションを起こしてしまい、いい写真が撮れない。ここには、日本人らしき観光客がけっこう来ていた。

休憩所1 ・ここは休憩所である。ハナグマがいる。

休憩所2 ・ランチは、ブラジル通貨もアルゼンチン通貨も使える。

滝2 ・遊歩道からは、たくさんの滝を見ることができる。私は申し込まなかったが、スピードボートで滝つぼに行くツアーもある。当然びしょ濡れになるので、雨具がいる。

滝3 ・ボートがかすかに見える。ここまで滝つぼに近づく。

遊歩道 ・こんな遊歩道が続いている。私の参加したツアーは、フランス人老夫婦とまだ28歳のスロベニアのジャーナリストであった。フランス人夫婦は京都に行って、素晴らしかったと話していた。スロベニアのジャーナリストは、現在混乱しているベネズエラに取材に行っているという。中南米では、コロンビアがお薦めだという。メデインとカルタヘナで、今は治安もよくなり、物価もブラジルより安いという。他にも、エチオピアの北部も推薦していた。

滝3 ・ここでも、滝つぼに向かうスピードボートが見える。

滝4 ・滝のすぐそばに、展望台がある。

休憩所3 ・休憩所には、いくつかのレストランがある。

バス乗り場 ・ホテルの近くのバス停から空港までバスが出ていた。みんな前から乗らず、出口から乗る。見ていたら、誰も料金を払っていない。私は空港で降りるつもりであった。ところが、おばさんに聞いたら、次で降りろと言われた。出発入口と到着出口が違うのかと思ったら、そのまま通り過ぎてしまった。慌てて次のバス停で降りた。たまたま出店が出て人が大勢いたので、タクシーが停まっていた。何とか引き返すことができて、サンパウロに戻る飛行機に間に合った。

令和1年5月7日(火)

 この日はサンパウロからの帰国で、飛行機の乗り継ぎでドイツのフランクフルトにいます。

 

 

平成31年4月30日(火)

 この日は、アマゾンツアーに参加しています。

 

平成31年4月23日(火)

 不幸は突然やってくる。カルテを1階から2階にあげるリフト(ダムウェーター)の見積もりがまだできていない。前日まで正常に動いていたのに、いきなり車1台分(軽からプリウスまで?)の費用がかかる。これから年を取ってくると、1番の突然の不幸は、いきなりガンが見つかって、全身転移している場合である。前日まで元気にしていたと思ったら、余命幾ばくもない。それほど生に対する執着はないが、いきなり言われたら、ちょっと待ってよと言いたくなる。実際に、体調はあまりよくない。
 実は、別の小さな不幸がまたやってきた。4月20日(土)にメールを開けたら、大分前に予約していたサンパウロからイグアスまでの往復航空チケットがキャンセルとなっていた。別の国際的な大手の旅行サイトで予約していた。料金は全部返すということで、キャンセルの理由はわからないということであった。イグアズではホテルもすでに予約していた。慌てて、前にも書いた変更方法がわからなかった旅行サイトで調べた。別の航空会社で料金は当初の2倍ぐらいした。それでも、何とか予約が間に合ってよかった。今回旅程を印刷していたら、前回わからなかった変更というクリックを押す場所を見つけた。これで実際に変更できるのかまだ試してはいない。
 2週間ほどゴールデンウィークを休むので、雑用がうんざりとするほどある。きのうは外来が終わってから夕食をとり、障害年金の診断書などを夜11時過ぎまで書いていた。旅行の準備も大変である。大きな荷物を持って、イグアスの滝やアマゾンに行くのがいいのか迷っている。今考えているのは、サンパウロの空港で荷物を預けることである。泊まりがけのアマゾンツアーでは、荷物をどうしたらいいのかわからない。アマゾンで泊まる時に、わざわざホテルも予約しないだろう。アマゾンツアーでは、長袖、長ズボン、スニーカーが必要である。最初からスポーツサンダルを履いて、スニーカーは持って行くつもりである。雨期の最後にあたるが、蚊が多く、虫除けスプレーも現地の物でないと効かないようである。
 ふだんは京都府医師会雑誌(京都医報)はあまり読まない。「府医第201回臨時代議員会を開催」と書いてあっても、内容が堅苦しそうでいつもなら読み飛ばしている。たまたま知っている先生の発言を読んでいたら、興味深いことが書いてあった。増え続けている医療費が、保険医療制度の存続を脅かしているという。保険医療制度において自助の窓口負担の占める割合が11.5%と低いまま、保険料と公費の支出が増えている。現役世代は3割負担である。また、服用されない薬は日本薬剤師会の試算では、年間500億円超えになっている。ここでは述べられていないが、過剰検査もある。精神科関係では、障害者の支援を充実させるのはいいことである。しかし、中にはここまでするのかというほど過剰な手厚いサポートを受けている人もいる。一歩間違えたら、貧困ビジネスである。どこまで医療費として計算されるのかよくわからない。とにかく、無駄な医療費の削減は必要である。

今週のトピックス 76 (190423)

池上彰「池上彰が聞く韓国のホンネ」 (朝日新聞出版)
池上彰「池上彰が聞く韓国のホンネ」 (朝日新聞出版)

 この本はブラジルに持って行く本を書店で探していた時に、ついでに買った。まだ発売間もない。本の内容としては、これまで朝日新聞などで掲載した記事が多い。しかし、戦後の韓国のことについては断片的な知識しか持たない人には、一通りの歴史的な出来事について整理ができ、勉強になる。まず、文在寅大統領である。両親は朝鮮戦争の際、北朝鮮から逃れてきた避難民だった。学生時代には朴正煕大統領の軍事独裁政権に反対する民主化運動に身を投じていた。1980年代の韓国の民主化運動には、北朝鮮の金日成の主体(チュチェ)思想を支持する学生もいた。「人間がすべて主体」という言い方に感化されたのである。だから、文在寅大統領に北朝鮮のシンパシーが感じられるのは、この時の民主化運動が背景にあるという。
 今でこそ、共産主義独裁の悪の部分が明らかになっている。しかし、当時は理想の社会を目指してマルクス主義が信奉されていた。前にも書いたように、理想の国家と信じられていた共産主義国家のベールが次第に剥がされていくと、当時はまだ秘密に包まれていた北朝鮮とアルバニア(だったと思う)が最後の楽園と言われていた。韓国の軍事独裁政権より、北朝鮮が民主的に理想の平等社会を築いていると信じられたのは無理もない。北朝鮮への帰還事業でも、理想の国の建設を信じて日本にいた大勢の在日朝鮮人が帰国したのである。うろ覚えであるが、昔読んだ本で、帰還した東北大グループの行方がわからないと書いてあった。
 1945年8月9日に、ソ連は日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻した。ソ連は社会主義圏の拡大を図っていたので、アメリカは朝鮮半島全体にソ連寄りの国ができることを防ぐために軍を派遣した。そして、ほぼ同じ面積で分ける北緯38度線での分断に合意した。ソ連は北海道も南北に分断しようと、アメリカに提案した。しかし、この提案はアメリカが拒否した。ソ連は満州や朝鮮半島だけではなく、北海道を目指して南樺太から千島列島へと攻めてきた。ところが、千島列島の占守島で、日本軍の頑強な抵抗にあい、一気に北海道には来れなかった。結局、9月2日に日本軍が降伏文書に正式に調印して時間切れになった。朝鮮半島は日本に統治されていた結果、南北に分断された。朝鮮半島の人たちには何の責任もなく、自分たちの意思とは関係なく分断されたのである。
 さて、金日成である。日本の統治時代は、満州で中国共産党に入って抗日運動をしていた。日本軍の討伐が激しくなると、中朝国境からソ連に逃げ込んだ。ソ連は日本が統治する朝鮮半島に攻め込むことを想定し、軍の内部に朝鮮人部隊を組織した。その中で金日成もソ連の大尉になる。終戦後にソ連が朝鮮半島の北側を占領することになったときに、「言うことを聞く朝鮮人」としてソ連が選んで金日成をトップに据えた。日本に対する戦闘などを通じてトップになったわけでない。
 そうしたコンプレックスを払拭しようと、金日成は自分の力で軍事的に統一しようと、南への攻撃を企てた。当時アメリカ軍は朝鮮半島から撤退していた。ソ連に2度訪問し、スターリンに攻撃の許可を求めた。スターリンはアメリカの介入を懸念し、当初は同意を渋っていた。アメリカの国務長官アチソンの演説のことも書かれている。歴史とは本当に面白い。興味のある人は是非ともこの本を読んで下さい。
 韓国には同じ民族だからという統一論が多くあった。ところが、統一の熱意が急激に醒めたのは、1990年に東西ドイツが統一されてからである。北朝鮮は社会主義国の中の最貧国である。韓国と北朝鮮が統一すると人口は約7500万人になる。「強い朝鮮」への願望はあるが、自分の暮らしにとって負担になるのはいやだというのが本音のようである。朝鮮戦争が休戦になっても、北朝鮮は軍事境界線と非武装地帯の地下にトンネルを掘り、1974年から1990年にかけて4本見つかっている。戦争はまだ続いているのである。ソウルと板門店の間にわざと人工的なトンネルをつくり、爆破して戦車を止める仕組みになっている。また「避難所」と呼ばれるミサイルが飛んできた時に避難するシェルターが、地下鉄の駅など韓国全土に約1万8千ヵ所ある。
 興味深いことはたくさん書かれている。第5章の「日本と韓国はなぜ仲が悪いか?」である。2015年12月の慰安婦を巡る日韓合意についても詳しく解説している。著者は、2017年にソウルの日本大使館前で少女像を守っている団体のメンバーに話を聞いている。この日韓合意については、「大統領が国民を無視して結んだこと」だという。その一方で日本は好きだという。元慰安婦の「おばあさん」への純粋な思いが原動力となっているようであると書いている。韓国労働組合総連盟対外協力本部長にもインタビューしている。池上が国と国が約束したらそれを守らなければならないのではと言うと、「慰安婦問題は事実ではない(略)などという人が日本の政界に出てこなければ、状況はここまでにならなかったでしょう」と答えている。徴用工像が立てられているソウル市内の駅前で71歳の女性にも話を聞いている。「(日帝時代)汽車もつくり、韓国を発展させました。いい部分もありますし、感謝もしていますが、最後に正しく締めてくれればいい」と発言している。韓国の新聞2紙も、「感情的に葛藤を深めることを自制しなければいけない」等、呼びかけていた。
 この本では面白いことを指摘している。日本は加害の場が朝鮮半島や中国大陸、東南アジアであった。日本軍はひどいことをしてきたが、海の向こうの出来事で、多くは沈黙し、加害の歴史は継承されなかった。日本国内にあるのは被害の歴史である。原爆の被害であったり、東京大空襲であったり、「我々は戦争の被害者」という意識がどこかにある。加害に歴史に対する問題意識が薄い。1993年の河野談話で、朝鮮半島出身の慰安婦に対して、公式に謝罪した。ところが、強制連行を証明する資料が見つかっておらず、日本軍が関与したという直接の証拠はないということで、批判がくすぶっていた。実際に、安倍首相は「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」などと発言し、河野談話で示した強制性を否定した。後は、私がいつも指摘していることが書いてある。敗戦を知った軍部などの上から下までの人々は、戦争犯罪に繋がる資料などはほとんど焼却したのである。この中に慰安婦の強制連行に関する資料がどこまであったのかはわからない。(証言はある) しかし、自分たちで勝手に不都合な資料は焼き払っていて、証拠がないと言い張るのは一体どういう神経をしているのかと思う。安倍首相はよほどの厚顔無恥なのか、それとも想像以上にオツムが弱いのかよくわからない。
 1995年にアジア女性基金という財団法人がつくられ、元慰安婦1人当たり200万円が渡された(61人)。日本の総理大臣が謝罪の手紙を渡している。著者は、手紙を渡すという中途半端な方法ではなく、元慰安婦の元に出向いて謝罪するという方法もあったという。法的な解決がされているととらえる日本と、感情的に癒やされていないと感じる韓国の差を指摘している。
 最後に、韓国の厳しい格差社会である。安全志向から公務員希望者が増加しているという。就職のために大学を休学し、就職予備校に通う。警察官採用試験の勉強をしている女性は、女子の倍率は100倍で、1日15時間勉強しているという。若者は、「ヘル朝鮮」(地獄の朝鮮)という話をする。韓国社会が地獄のようで、使い捨てられる束縛感がある。韓国には徴兵制があるので、読書の習慣は軍隊で身につくようである。酒が飲めず、規則正しい生活をするので時間がたくさんあり、本を読むようになる。
 他にも、李承晩などのことも書かれている。アメリカ側から都合のいい人物として位置づけられ、間接選挙で大統領に選ばれたという。よく台湾は親日的で、韓国は反日的だと言われる。戦時中は中国大陸で日本と戦い、戦後に台湾を統治した国民党が、日本統治時代に育った台湾の人々を徹底的に弾圧し、万単位の人たちが虐殺された。だから、台湾では相対的に「日本の方が良かった」と親日的になる。ところが、韓国では徹底的な反日教育がなされたのである。韓国の独立は日本の敗戦で棚ぼた式に手に入った。どこの国でも、民族のアイデンティティを確立するのは重要である。日本でも、元号を決める時に、わざわざ(中国ではなく)日本の古典から選んだと強調しているぐらいである。(個人的には、強調すればするほど、コンプレックスの裏返しみたいでみっともない)

 

平成31年4月16日(火)

 相変わらず、体調はよくない。身体がだるくて、疲れやすい。1度、人間ドッグで検査を受けた方がいいぐらい、調子が悪い。まず、カルテを1階から2階に上げるリフト(ダムウェーター)の故障である。飲食店などで調理場から上の階に上げる時によく使われている。開業してから18年目の故障である。きょうは、午後から以前にお世話になった建築関係の人とリフトの専門業者の人に来てもらった。結局、取り替えなければならないという。前面の壁を取り壊し、床下の基礎工事も必要だという。けっこう手間暇がかかり、費用もかかりそうである。4月は子どもの私立医学部の授業料を振り込んだばかりである。新車を買うなんて、夢のまた夢である。今度ばかりは、貯金を崩さないといけない。
 先週の金曜日(12日)は、京都市東山区の介護認定審査会があった。月に2回あり、任期は2年である。長いこと審査会から離れていたので、送られてきた資料を読んでいても、ポイントがなかなかつかめなかった。30名分である。司会(合議体長)の先生は慣れているので、どんどんと進行していく。順番に当てられるが、最初はどこをチェックしたらいいのかわからず、ドキドキした。後半になってきて、段々と要領がつかめてきた。
 前にも書いたように、東山区で新たに開業する人はおらず、開業医の人数は減っている。最近、代々高台寺近くで開業していた先生が、いろいろな事情でやめた。私より若い先生である。少し前の京都府医師会雑誌(京都医報)で、東山医師会のことを広報担当理事の先生が紹介していた。東山区は清水寺や東福寺、祇園などを含む京都の有数な観光地である。しかし、高齢化が進み、65歳以上の人は33.5%を占め、京都市全体の27.8%を遙かに凌いでいる。人口も3万7千人ほどで、伏見区の7分の1ほどである。
 総会員数のほぼ半数を京都第一赤十字病院の先生が占めている。A会員はわずか47名で、約半数近くが65歳以上である。だから、今回のような京都市の介護認定審査会などの仕事は会長から頼まれたら断りづらい。私は、もっと若い時には措置入院のための鑑定でも、京都市から依頼されたら断ることがなかった。午前診と午後診の合間でも、自分で車を運転して、数え切れないほど府立洛南病院まで緊急入院となった患者さんの診察に行った。しかし、私も年をとったので、今も続けているのは労災判定の仕事だけである。(近畿圏では、おそらく私が最初の精神科関係の労働局地方労災医員となった) 介護認定審査会の仕事は、若い人がいないので、2年間では終わりそうもない。永遠に続きそうである。
 さて、ゴールデンウィークのブラジル旅行である。観光ビザは何とかネットで取れた。6月からは、ブラジルも他の中南米の国のようにビザはいらなくなる。先々週に放送していたTVの録画を見ていたら(番組名は忘れた)、元TBS人気アナウンサーが出てきた。私はふだんTVは見ないので、誰なのかまったくわからない。この人がアナウンサーをやめて夫の仕事でブラジルで住んでいた時である。ある評判のいい中華レストランに行って食事をしていたら、ピストルを持った強盗に襲われ、他の客もみんなお金などを盗られたという。こういう場合には、強盗と目を合わせず(顔を見ず)、ゆっくりと動作することと話していた。前に紹介した嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」(彩図社)に書いてあったことと同じであった。ネットで調べてみると、アマゾンのマナウスでも大都会並みに治安は悪化しているようである。
 スリやひったくりは日常茶飯事のことのようである。「地球の歩き方」にも、スリにあった体験談が書いてあった。私は写真を撮るのが趣味である。大きなカメラは目立つので、高級コンパクトデジカメを持って行く。ソニーのマークは黒いテープで隠そうかと思っている。あまり治安のよくない場所では、カメラを出すこともできないかもしれない。それでも、私は何でも撮ってやろうなので、危ない場所でもカメラは持って行くつもりである。
 ここでも何回も書いているように、カンボジアでは現在の首相であるフンセンにポルポトが追われて、内戦が終決した。この時にプノンペンを訪れている。市中には、それまで使っていた武器などが溢れていた。私は2回強盗に襲われている。1回は頭に銃を突きつけられ、1回はホテルの鍵や現金が入った小さなバッグを奪われた。夜中に、無法地帯のようなナイトクラブに通い続けた私も悪かった。住民は原始共産主義を目指したポルポト政権から解放されて、町全体が異様な高揚感に包まれていた。ホテルのディスコでも、銃などを持ち込めないように荷物は入口で預かっていた。交通手段は、バイクタクシーである。外で待ち伏せしていて、この行き帰りに襲われる。恐らくブラジルでは、抵抗したら脅しではなく、本気で銃を撃ってくるだろう。
 この前の日曜日には、ネットで予約したホテルやブラジル国内の航空券の予約をプリントアウトして、確認をしていった。サンパウロのホテルだけはまだ予約していなかった。14日間も行くとなると、予定を立てるのが大変である。プリントアウトして、14日間のスケジュールを一つ一つチェックしていった。ところが、サンパウロからマナウスまでの航空券の往復チケットの予約が1日間違っていた。帰りはよかったが、行きはもう1日早く行かなければならなかった。すでに予約したアマゾンツアーに間に合わない。日本では有名な国際的な旅行サイトで予約した。ところが、この飛行機の変更の仕方がいくらネットで調べてもわからなかった。記載している所に電話しても通じなかった。メールでの問い合わせにも、応じていないようであった。よく考えてみたら、ホテルや航空券などの変更は数が多すぎて、十分に対応できていないのかもしれない。
 それぞれの航空会社によっても変更が可なのか別料金がいるのかそう簡単にはわからない。ネットでも、この国際的な旅行サイトの変更手続きには、不満が溢れていた。HISなど日本の旅行サイトなら、問い合わせをしたら、それなりに対応してくれるだろう。結局、ネットで調べて、変更手続きの体験談に出ていた電話番号に電話してみた。夜の11時過ぎである。結論として、変更手続きに4万円ほどかかると言われた。ネットで購入したときには、まだ早かったので往復2万9千円弱であった。現在予約したら往復で5万円以上である。片道は、2万4千円である。しかし、行きをキャンセルしたら帰りの分もキャンセルになりそうである。
 夜中の12時前ぐらいに手続きが終わった。1日ぐらい手続きがかかると言われた。ところが、1日経っても受信箱には何も返事が来ていなかった。この時に、もしかしたら詐欺サイトに誘導されたのではないかと心配になった。どうしてかというと、いくらこの国際的な旅行サイトを調べても、電話の問い合わせ番号が出ておらず、表示された電話番号では通じないからである。ある意味で詐欺サイトを作りやすいのである。結局、もう1度ここに電話した。すると、別の係の人がすぐにeチケットをメールで送ってくれた。このeチケットも本物なのかよくわからない。楽天のクレジットカードサービスに電話したら、クレジットカードの番号と名義と有効期限だけではネットでは使えないという。裏に書いてある3桁の番号が必要である。この3桁の番号は言ってはいない。カード枠が200万円ぐらいあるので、悪用されたら大変である。この海外に拠点のある旅行サイトが委託している会社なのか、これもよくわからない。実店舗を持たない国際的な大型旅行サイトは大変便利でお得である。しかし、利用する時には最初から変更不可ぐらいで考えた方がいい。

 

平成31年4月9日(火)

 少し前に、歯茎の中で歯が折れて抜いたと書いた。実は、金曜日の夜から、今度は反対側の歯茎が腫れ、痛くて食事もできにくくなった。仕方ないので、通院している歯科に電話した。いつも混んでいて、私の都合もあるので、きょう予約が取れた。抜いた歯のインプラントはゴールデンウィーク明けである。1本抜いただけで、噛み合わせが悪い。また1本抜いたら、ゴールデンウィークのブラジルの旅行に支障を来しそうであった。これまで、10年以上何ともなかった。診察してもらったら、今すぐに抜く必要はなかった。しかし、今後どうするかは難しいようである。
 きょう医院で使っているカルテの昇降機(1階の外来の受付から診察室のある2階まで)が初めて故障した。スイッチを入れ直しても、うんともすんとも言わない。王将などの飲食店で使っているダムウェーターである。開閉扉の上には連絡先が書いてあった。しかし、18年前に開業したときに取り付けたので、とっくに廃業しているのか、電話番号は通じなかった。ゴールデンウィーク前は混むので、何とかしなければならない。ネットで調べて聞いても、故障の原因より新しい設備を取り付けたがっているのが見え見えであった。どうしたらいいのか、いろいろ相談している。飲食店で使っている店はたくさんあるので、こんなトラブルは珍しくないだろう。とりあえず、しばらくは患者さんにカルテを持って上り下りをしてもらう。
 これまでなかった歯のトラブルや昇降機のトラブルなどが重なると、精神的にはまいる。今週は、歯も痛く、体調も悪かった。やらなければならないことは山ほどあった。どうしてこんな不幸なことが連続して起こるのかと、うつ状態に陥る。こんな状態の時に、続けて大事なペットを亡くし、息子の医学部の留年が決まったら、再起不能になって、人生なんかどうでもよくなる。最悪の時に、和田秀樹の「感情的にならない本」とか「自分をどう元気づけるか」を読んでも、あまり役に立たない。
 私は訓練されているので、自分の感情を切り離して、とりあえず今何が必要か考えてすぐにそのことに取りかかる。それでも、なかなかうまくいかない。ただ、不幸の相対化は大事である。自分の不幸を絶対化してしまうと、自責感や希死念慮などが生じて、底なしの無力感に襲われる。相対化というのは、大変なことが起きているけれども、長い人生にはこういうこともあるとか、身近な人の不幸な出来事を思い出して、まだ自分の方がましだと考えたりすることである。精神科医の役割は、患者さんの不幸をいかに相対するかである。持続的な効果は乏しいが、わずかな時間でも、それでもまだましかと思わせることが大事である。
 最近は、前にも書いたように、TVはあまり見ない。面白そうな番組があると、録画して後から見る。4月6日(土)の夜11時過ぎから放送された「出川とWHYガール」はその内容に驚いた。緊縛にはまる女子やSNSで体を見せたい女子、私の知らなかったうしじまいい肉が出てきたりした。うしじまいい肉はかなり有名な人のようである。開脚した時に大陰唇が見えないような下着を作ったり、Tバックを長いことはいていると肛門が痛くなるので、痛くならない下着を作ったりしている。1番売れているのは、超ローライズシフォン玉パンツだという。真珠のネックレスみたいなのが、股間に使われている。うまく隠れて見えないという。この下着を着て、ツイッターなどに画像をアップロードしている女性が大勢いるようである。いじめられてるとか、アニメ好きなどのクラスの弱者がアイドルになっていいんだとか、病んでいるけどカッコイイという。自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきたが、こんな若い人たちがたくさん出てきて、日本の未来は明るいと思った。

今週のトピックス 75 (190409)

古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)
古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版) パート2

 さて、この前の続きである。主人公である昇一がTV出演の2回目に、早くも「よもぎチャンネル(チャンネル桜)大討論会」に招聘されたのである。この時のテーマは「ネットと若者の愛国心」であった。討論会のメンバーは、若者やインターネットの構造など何も知らない老兵たちで、番組の約6割を老兵たちの無知を補うべく、昇一ひとりがしゃべりまくることになった。「よもぎチャンネル」に出演してから、4ヶ月経った2010年10月には、大討論会への参加は8回を重ね、右派・保守界隈ではちょっとした有名人になりつつあった。
 昇一が度肝を抜かれたのは、「日韓関係」の討論会に出てきた殖産(拓殖?)大学客員研究員・津島浩司(実在の人物は誰なのかわかる人にはわかるのだろう)と「日韓断行市民協議会」の実質的主催者であった十川稼頭央の異様さであった。昇一は、竹島が不当に占領されたことを舌鋒鋭く糾弾するのは歴史的事実だからいいものの、その憤怒の矛先が韓国人の遺伝的劣等生に及ぶのは、筋違いで明確な人種差別だと断言している。具体的には、「朝鮮人の遺伝子には下品が打刻されている」という人種論にまで発展し、「朝鮮人は人糞を酒にして飲んでいるような国民総反日民族」と顔を真っ赤に紅潮させて絶叫するのである。ここまで読んできて、明らかなヘイト本である百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)にも同じような内容が書かれていたことを思い出した。
 この発言に大いに同調した十川は、「日本における犯罪の半分は朝鮮人によるもの」など、得意満面の笑みで流布しだした。津島に関しては、保守論壇のデビューとなった首都警備保障(アパグループ)懸賞論文の推薦人であったので、昇一は津島・十川の嫌韓の絶叫に沈黙せざるを得なかった。異議を唱えることより、保守界隈からの急速な自身への注目への高揚感、承認の充足の方に満足を覚えていた。「よもぎチャンネル」の視聴者はおおむねネット右翼であり、その知的水準はすこぶる低い。出演者のレベルも、想定以上に差別的かつトンデモ的で低い。この程度なら、亜インテリの昇一の教養水準でも、この界隈では十分に通用すると思った。昇一は、相手が勝手に仲間意識を抱いてくれることをいいことに、小遣い稼ぎを優先させる。
 私はここに出てくる仮名の登場人物は一体誰のことなのかさっぱりわからなない。わかったとしても、知らない人ばかりであろう。ここでは、私塾「波多野譲研究室」通称「ハタ研」が出てくる。大学の非常勤講師に過ぎなかった波多野が立ち上げた会員サークルは500名ほどいて、月の会費が2千円で100万円にもなる。波多野は36歳の時に、半自費出版として「日本陸軍軍閥入門」を1200部印刷したが、実売はわずか78冊であった。波多野はこの失敗から、真面目な学究向けの研究から、過激な世論が好む陰謀論的色彩の濃いものへと大転向を行った。よもぎチャンネルに出演していた人たちが亡くなるなどしていた時に、無名の非常勤講師が自分を売り込み、2007年暮れには30分枠のレギュラー番組を手にいれるまでになっていた。ネット上で有名になっていた波多野は2008年に「国民の知らないマスコミの陰謀」を出版し、累計4万7千部というヒットを生み出した。前回書いたように、よもぎチャンネルの番組の最後に、勉強会の会員を募集していた。
 月に1回の勉強会のことも書いている。「公共放送JHK(NHK)はいかにコミンテルンに侵略されたのか」では、全国に1万数千人いる社員のうち、実に20%がコミンテルンの工作員として働いており、日々反日偏向報道を行っている等である。もうひとつの目玉は「反日憎悪」の時間である。照明が暗くなり、プロジェクターから人物写真が映しだされる。何の根拠もなく「反日分子」、「在日コリアン」、「韓国からの帰化人」と勝手に認定されている政官財の要人らの顔が次々と表示されると、会員たちは喉が張り裂けんばかりに罵声を浴びせ、2千個のピンポン球をスクリーンに向かって投げつけるのである。(過去にビンを投げつけた会員がいてスクリーンが破損して弁償金が生じたため) 最後に、「天皇陛下万歳!」と歓呼三声して、「ハタ研」の定例会は終わる。
 もう1人は、波多野と同じようにレギュラー「土井賢治の護るべき日本」を持つ保守系論客の土井である。波多野が歴史と政治、土井が経済と棲み分けていた。ところが、波多野の重鎮三巨頭の1人が、ある時によもぎチャンネルの30分番組で土井よりも5分短いことに異議を唱えだした。この5分は、首都警部保障(アパグループ)のCM枠であった。そこから、それぞれの弟子たちに争いが、よもぎチャンネルを巻き込んで起こる。そして、最後は刑事事件にまで発展する。このあたりのことも興味深い。ネット右翼の人たちも決して1枚岩ではなく、互いに罵りあっている。興味のある人は、是非ともこの本を読んで下さい。
 さて、主人公の昇一は、保守系論壇誌「STAND」から原稿依頼があり、2010年12月号に初めて原稿が掲載された。昇一は反米・自主独立を高らかに謳いあげるものこそが普通の右翼・保守だと認識していた、ところが、憎悪の方向が皆、国内の在日コリアンとか韓国政府や韓国民族に向けられ、それが差別と憎悪と無根拠のトンデモにまみれていることに、唖然とした。最初に入会した小西鉄山の「公論の会」こそ、中国や韓国政府を批判はすれど、押しつけ憲法を改正し、自衛隊を国軍にして対米自立を説くという戦後新右翼のマインドを兼ね備えており、反米・自主独立の気風が確固に存在した。しかし、よもぎチャンネルでは、「アメリカがいかに日本に貢献しているか」という、属国根性丸出しの者たちが、存外に多かった。昇一は、だんだんとこの右派・保守界隈の空気が、「対米自立・反米自主独立」路線と大きく変質した、ネット馬鹿を相手に商売をする空間に過ぎないことを痛感し始めていた。
 2011年の正月には、埼玉のある会を主催している北見から、昇一に講演会の依頼があった。この会には、都合19名の聴衆が詰めかけていた。どこかうらぶれた場末感か漂う「青年」ばかりであった。講演会が終わった後に、質疑応答タイムがあった。コミンテルンとは第三インターナショナルを意味する、ソ連共産党の国際組織である。質問にたった男は、そのコミンテルンがルーズベルトや蒋介石を操って日本に戦争をさせるように仕向けたが、昇一がどう考えてるか質問してきた。昇一は、「そのコミンテルン陰謀説は、オカルト、トンデモの類いで、歴史学者でまともに相手する研究者はひとりもいませんよ」と答えると、「ネットで書いていることを真実の歴史だと思っているだけです」と言う。本はまったく読んでいない。
 他にも、「自分は、日本を破壊しているのが、反日メディアの偏向報道であり、その原因は日本のテレビ局や新聞社の中に、中国人や朝鮮人などの反日工作員が入り込んでいるためだと確信しているのです」と主張してくる者もいて、昇一はゲンナリとした。「ネットに書いてあることは、全部でないにせよ大半は真実のことだと思います」と述べる。「戦後の知識人や文化人が中国や韓国の工作員とでもいうのですか」と質問すると、丸山眞男や吉本隆明や大江健三郎のことを、「その丸山マサオって誰ですか、吉本たか、大江けんしろう? すいません誰ですか」と聞いてくる。
 中には、「在日特権をどう思うか」と質問してくる者もいる。「在日特権はタブーで、世の中から隠されてるっていってるだろう。在日朝鮮人が犯罪をやっても、好き放題脱法行為をやっても、報道もされないし、公表もされないの。だって在日特権があるから。わかる?マスコミも警察も全部パヨクと朝鮮人に支配されているからなんだわ。こんなの、インターネットをやってれば誰だって常識なんだよ。南部(昇一)さん、あんたは勉強不足なんだよ」と言われる始末である。昇一が怒って反論すると、「お前は朝鮮人なんじゃねーか」と反論される。
 先ほどの波多野は東日本大震災を受けて、自身のブログに「これは日本壊滅を目論む反日勢力の地震兵器である」と掲載する。一方の土井賢治は、「韓国人略奪犯に注意」というトンデモ差別記事を投稿した。この波多野は毎週連載のコラムを「週刊実相」に持っている。この波多野の部下がよもぎチャンネルと土井事務所に消化器による同時攻撃をして、警察に逮捕されている。波多野はよもぎチャンネルから全局あげての糾弾にあった。しかし、2011年7月に波多野が自動車に跳ねられ半死半生の深手を負ったことで、急速にしぼんでいった。土井はその後、「盗作ネトウヨ作家」と烙印を押されて仕事が激減した。
 さて、先ほどの百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)である。この本は世に溢れている嫌韓本でも反韓本でもなく、明らかにヘイト本である。前回の日記でも書いたように、同じ著者の「日本国紀」(幻冬舎)を安倍首相は絶賛しているのである。この本は、一説によるとウィキペディアも引用して書いたようである。安倍首相もどの程度の頭脳の持ち主がよくわかる出来事である。私が安倍首相をいくら批判しても、どこの馬の骨が言っていることかと誰も相手をしてくれない。このホームページいっぱいに、大きな字で「安倍政権打倒」と書いても、誰も見向きもしてくれない。暴動を起こすのも面倒臭そうである。
 私は前にも書いたように、学生運動の名残が残っていた当時過激派の拠点であった京大精神科の評議会に、部外者の私に出席して発言させてくれと申し込んだことがある。周りからは、何をされるかわからないぞと脅されていた。私は当然反撃も予想した。しかし、私のことをいくら調べても、浮気をしているわけでも、愛人がいるわけでもなく、製薬会社の接待も嫌っていたので、何もスキャンダルは出てこないと自信があった。ただ、被害妄想かもしれないが、尾行されたり、もしかしたら合い鍵を使って自宅に侵入されるのではないかと警戒した。私は直接何もされなかった(と思う)。しかし、これも被害妄想かもしれないが、私の周辺でこの人たちが仕掛けたことではないかと疑うような出来事(ここでは書けない)があった。このあたりのことは、過去の日記にも詳しく書いた。結局、考えに考え抜いて、同じ京大系の笠原嘉先生に、どこの馬の骨かわからない私が抱えていた問題を解決をしてもらった。
 前に戻って、どうしたら教養のない百田尚樹や安倍首相に反撃できるかである。百田の本を全部韓国語に翻訳したら、著作権法違反になる。しかし、ヘイト部分の一部を韓国語に翻訳して、韓国の人に紹介したらどうなるであろうか。韓国語に翻訳するのは、スワヒリ語に翻訳するのとは違って、まだプロなどにも頼みやすい。ヘイト本を書くのは、言論の自由で法律的には取り締まれない。しかし、誰が読んでもアウトのヘイト本を書いた著者の別の本を総理大臣が絶賛したらどうなるであろうか。このヘイト本の中身を知った韓国人は、同じ著者の本を絶賛する安倍首相にも怒り狂うであろう。2人とも、基本的には同じ穴のムジナである。韓国は日本以上に、ネットが発達している。戦略としては、いろいろなやり方が考えられる。この日記を読んだ人は、決してまねをしないで下さい。安倍政権の本質とネトウヨたちのことを知るために、平成29年8月1日に書いた「トピックス38」を再掲載する。ここでも京大とのことは書いているが、この部分は省略する。1つ、誤解を招かないように、皇室に対する私の態度を書いておく。鈴木邦男と同じで、天皇陛下の味方です。ただ、特別な思い入れもないので、元号を使わない人の考えもよく理解している。

 

今週のトピックス 38 (170801)

 МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」
МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」

 きょう紹介するのは、МBSテレビで月曜日の0時50分から放送していた番組である。月曜日というより、日曜日の夜中遅くからという感覚である。私は録画して、きのう見た。私は、この日記の中で、2006年10月に発刊された辻井 喬、喜多 明人 、藤田 英典「なぜ変える?教育基本法」(岩波書店)を取りあげた。今回、この本を探したが、最近処分したようである。どんどんと本が溜まっていくので、この日記で取りあげた本は、処分していく。日本会議のことを警戒している文章もはいっていた。あれから11年経って、教育現場では何が起こっているかである。ほとんどの国民は目の前のことで忙殺され、教育基本法のことなんて興味もない。しかし、無関心の中で国会で決議されたことが、10年後、20年後にとんでもないことになっている。
 来年度から、小学校に道徳の科が72年ぶりに復活する。戦争と結びついた「忠君愛国」の戦前教育の反省から、戦後は道徳心をつちかう教育には、政治を介入させないという理念があった。学習指導要領に従って、教科書検定が行われている。ある教科書で、おじいさんと男の子が散歩に出て、パン屋に寄る話が出てくる。自分の町に愛着を持つ話である。ところが、教科書検定で、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして、不適切とされ、パン屋から和菓子屋に変更となった。全日本パン共同組合連合会では、これまで学校のパン給食に協力してきたのに、パン屋は愛国心がないということになるのかと抗議を表明していた。
 教科書は完成に4年かかる。製作費用に数千万円かかると言われている。その間、検定調査審議会で、著者と編集者と調査菅の間ですりあわせが行われる。文科省の職員は、こう変えなさいとは決して言わない。この部分が学習指導要領に合わないなど意見を出し、編集者の自主的な変更を待ち、検定していく。それこそ忖度が行われている。日本書籍という老舗の教科書の出版社がある。2001年の教科書で、専門家の間でも認められていた「朝鮮の人々が慰安婦として戦場に送られた」と記載した。すると、それまで採用されていた東京都内23区の20区で採用がなくなった。そして、倒産に追い込まれる。石原慎太郎都知事の時代である。この部分を書いた一橋大学教授は、教科書会社を倒産に追い込み、もう教科書には関わらないと述べていた。結果的に、安倍首相の属する日本会議の主張に逆らわない流れが出てきてしまった。
 1997年に「新しい教科書を作る会」ができた。その後、この会は2つに分かれ、別々の教科書を出している。神々の系図を書き、南京事件のことにはふれていなかったりする。私の両親は、戦前は歴代の天皇の名前を強制的に丸暗記させられたという。この番組では育鵬社の中学社会が取りあげられていた。現在、この教科書は全国で6%採用されている。番組では、広島の原爆投下などの被害のことばかりではなく、加害のことも書かなければならないと述べていた。
 この番組では、沖縄の集団自決のことも取りあげていた。戦後、何度も教科書が書き換えられてきた。ある教科書では、「日本軍は県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ、800人以上の被害者を出した(渡嘉敷村では330人)」と記載されていた。教科書検定で「誤解を招く」とされた。2006年の高校日本史の検定では、軍の命令や関与が削除された。2007年には、教科書検定撤回を求める県民大会が開かれた。この時に、当時の伊吹文明文科大臣が、「教育に介入してはいけない。」と釈明した。「教科書の内容を政治家が変えたら日本はこわい国になる」と原則的な立場を強調した。私もまったくその通りだと思う。しかし、今は安倍政権によって、すでにこわい国になっている。その後、日本軍の関与の部分が一部復活した。今年3月刊行の沖縄県民史では、「日本政府の政治的意図、解釈によって教科書記述のあり方が左右された。」と記述されている。前回書いたように、日本軍を美化する日本会議に属する管官房長官が、沖縄県民の苦しみを理解できるわけがない。
 最後に、「学び舎」の教科書が取りあげられていた。「ともに学ぶ人間の歴史」である。十数年ぶりに、中学校の歴史から消えた従軍慰安婦の問題が取りあげられた。内容は、政府見解に沿った「強制連行を直接示すような資料は発見されていない」である。歴史を自ら考え議論する内容になっている。有名私立中学などで採用されている。ところが、この教科書を採用した中学校に、抗議のハガキが山ほど送られている。だから、どこの中学校もTV局の取材には応じてはくれなかった。この教科書は反日極左の教科書であるという。ハガキの内容は、反日教育をやめろ、将来性のある若者に反日教育をする目的は何なんでしょうと書いてある。ハガキの送り主の大部分は、同じ中学のOBと称する匿名である。中には、日本会議の大阪支部の幹部であった籠池理事長の名前がある。送られた中学校では、政治的圧力を感じざるをえないと述べている。
 さて、現在は安倍首相(日本会議)の考え方に反対する人はみんな反日にされてしまう。私は以前から、日本会議はいつまでも負け惜しみを言い続けている女の腐ったような人たちだと言い続けている。日本人だけがタブーとしている昭和天皇の戦争責任はどう説明するかである。東京裁判や日中共同声明で戦勝国である米国や中国は天皇の戦争責任は不問にして、A級戦犯などが悪かったとした。私は何でも中国の言うとおりにしろと言っているわけではない。国際的に勝てない部分は、主張するなと言っているだけである。前から書いているように、私は改憲派である。安倍首相のような明治憲法の復活なんか求めていない。アメリカの言いなりにならないために、独立国として、どこの国でも持っている制限のない軍隊は必要だと思っている。(戦争に参加するかどうかは、別の問題である。)
 さて、今回の日本会議である。教科書を採択しただけで、中学校に組織的に抗議のハガキが山ほど送られてくるほどである。こんな日記を書いている私も、影で何をされているのかわからない。これから、中国が力をつけてくる。それほど遠くない将来、単なる数字だけではなく、実質的にも日本を追い抜いていくことは確実である。上手なけんかをしないとどうなるか書いておく。アパホテルは中国だけではなく、東南アジアでの大々的な展開は難しくなるだろう。東横インのようにはいかない。反中や反韓を全面的に押し出している安倍政権や日本会議を支えている企業も、市場として爆発的に伸びていく中国での販路の拡大は難しくなる。これぐらい書かないと、日本会議が日本の教育からすべてのことに支配する恐ろしさを理解してもらえないだろう。自分たちに逆らう人たちはすべて反日や極左とする単細胞的な発想に、国民は早く気づくべきである。

 

平成31年4月2日

 毎日毎日うんざりするほど郵便物が届く。ややこしい書類や診断書をやっと書き終えたと思っても、油断しているとあっという間に貯まってしまう。きょうも往診から帰って郵便受けを見たら、山ほど郵便物がはいっていた。開封するだけでも大変である。たまたま自立支援医療の更新の診断書に不備があって、別の区の保健センターから電話があった。私は自分で書き込めるように作ったPDFの自立支援医療の診断書を使っている。今回一部の字が少しずれていた。ここだけ訂正してほしいということであった。送り返された診断書に訂正印を押してまた送り返すのは面倒臭いので、このズレを直して新たに診断書を送った。
 前回の日記では、障害者(保健福祉)手帳でも障害年金でも、病識のない患者さんが診断書の内容を見て、トラブルになることがあると書いた。実は、最近この診断書について、もうひとつ疑問に思ったことがある。障害年金の診断書では、初診日がわからないと障害年金を受け取ることができない。だから、診断書を書くことを断ることができる。ところが、障害者手帳はそこまで厳密ではない。障害者手帳をもらうと、税金面などで優遇される。最近出会った2つのケースでは、2人とも長いこと精神科には通院せず、統合失調症で精神科病院を退院してきたばかりであった。ところが、1つのケースでは、母親が認知症になって、通っていた病院も閉院になったので、いつ頃からいつ頃まで通院したり、入院していたのかさっぱりわからなかった。現在の症状は障害者手帳には該当する。
 患者さんから頼まれたので、京都市の「こころの健康増進センター」に電話で訪ねてみた。ところが、明快な回答が得られなかった。審査員の先生がどう判断するかわからないである。ただ、京都市から送られてくる文書には、いつからいつまで通院したり、入院したか書くようにとなっている。正確でなくても、大体で書いたらたいてい審査は通る。ところが、大体もわからない時はどうするかである。もう1人の患者さんも同じケースである。この患者さんの家族は直接「こころの健康増進センター」に電話したら、「とにかく主治医に書いてもらって提出したらいい」と言われたそうである。この手帳用の診断書を書くのは、けっこう手間暇がかかる。ダメもとで出すような診断書ではない。
 以前にも書いたように、京都市の障害者手帳用の診断書は、障害年金の診断書と変わりないぐらい厳密な内容を求めてくる。大阪市や滋賀県、京都府の診断書は厳密な治療歴の欄さえないぐらいである。以前にセンターの所長と直接電話で話した時には、自立支援医療用診断書の投薬内容は、一般名ですべての薬を書くように言われた。こんな小さな欄にすべての投薬内容は書けないので、今はそれまで付けていた「他」を取り除いて書いている。とにかく、他の自治体よりうるさいのである。京都市の方針としてこれはこれでかまわない。若い時には私も京都市の審査員はしていた。しかし、大体の治療歴さえわからない手帳用の診断書がどこまで通るのか、誰か教えて欲しい。
 いつの間にか、夜中の12時が近づいているので、きょうの日記はここで終わりにする。

今週のトピックス 74 (190402)

古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)
古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)

 本屋に行くと、本棚にこの人の本が何冊か並んでいた。最近は若手の評論家みたいな人物がたくさん出ている。そのうちの1人ぐらいかと思っていた。たまたま、雑誌に出ていた書評を見てこの本をアマゾンで注文した。昨年6月の発行である。最初の部分だけ読みかけで、いつものように他の本に浮気していた。前回ヘイト本である百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)のことについて少し書いた。きょうの朝刊を読んでいたら、新元号の「令和」に絡んで、安倍首相が年末に読んだ本のことが書かれていた。前回の日記でも少しふれた同じ百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)である。誰が何を読んでいるかで、その人の知能程度がよくわかる。私はまだ読んでいない。しかし、歴史には専門外の素人が書いた本に感激しているのである。
 前から書いているように、日本の代表になるような人は知的エリートでなければいけない。いつも学歴のことを書いて申し訳ない。世の中には、とんでもない才能があっても、家庭的、経済的理由があって、教育に恵まれない人も大勢いる。しかし、家庭的にも恵まれて、大した大学にも進学できなかった人を首相に選ぶ理由はない。複雑な国際社会で、大器晩成のリスクを犯す必要はない。1億を超える国民がいて、こんな程度の人しか首相に選べない日本とは何なのかと思う。知的エリートの中で揉まれたこともなく、専門分野について研究したこともなく、ただ耳学問だけで自分は優秀な日本のリーダーと勘違いしている。特に現在のように官邸に権力が集中している時には、バランス感覚の優れた知的エリートが日本の首相にならなければならない。管官房長官はたたき上げかもしれない。しかし、所詮狭い日本の政界の中での話である。それだけでは、国家として国際社会を生き抜いていけない。
 企業などの社長を、息子が世襲することについては私はそれほど目くじらを立てていない。民間だからである。しかし、大して能力もない人が国会議員を世襲するのは大反対である。先進国の中で、日本ほど世襲議員が多い国はない。競争原理の働かない参入障壁の高い小さな村で、国益のことより利権争いをしているようにしか見えない。知的エリートを国会議員などに育てていくシステムを作っていかないと、日本はまずます衰えるばかりである。以前は、優秀な人たちが官僚になって、国のために働いていた。今は官僚の人事権は官邸にあるので、自分たちより明らかに能力的に劣っている官邸の言いなりである。あまりに官邸に権力が集中しすぎて、国会は議論する場ではなく、単なる官邸の承認機関になり下がっている。官僚も官邸に忖度するばかりである。
 NHKの番組を見ていたら、国家公務員第一種に1位で合格した人が出てきた。この人は官僚にはならず、自分のやりたいことに挑戦すると述べていた。一昔前なら、大蔵省(現財務省)に入省し、事務次官を目指しただろう。優秀な人が官僚にならず、大した能力もない世襲議員が人事権を握ったら、日本の将来はどうなるのだろう。トランプ大統領は別にして、先進国の大統領や首相は、知的エリートが多い。どうしてかというと、不得意分野の耳学問でも、1聞いたら100わかるからである。バカは100聞いても、10も理解できない。保守というより、右翼まがいの首相をどうしてここまで選び続けるか私には理解できない。
 さて、今回紹介する本の帯には、「知的下流社会に響くネトウヨ狂奏曲 あなたの知らない『保守』の世界 内紛、嫉妬、裏切り、報復、破門、守銭奴・・・」である。著者は立命館大学文学部史学科卒である。先ほどの百田尚樹は同志社大学中退である。ちなみに、佐藤優は同志社大学神学部卒である。けっこう京都の大学に在籍した人が多いのに驚く。この本は著者の体験に基づいた小説の形を取っている。ただ、どこまで事実でどこまで小説なのか私には判断能力はない。産経新聞らしき新聞を経産新聞と書き、朝日新聞を朝陽新聞と書いている。雑誌「日本」は「正論」のことか。NHKをJHKとしている。チャンネル桜を「よもぎチャンネル」としている。
 この本の中では、南部照一が主人公である。茨城県取手市の自宅マンションで私設私書箱サービスをしている。たまたま、SNSで交流のあった岩尾から勉強会の誘いがあった。2009年の夏のことである。それから、照一は未知なるネット右翼、右派・保守の世界と邂逅することになる。2012年2月によもぎチャンネル代表取締が亡くなるまでの出来事を書いている。だいぶ前から「チャンネル桜」の代表は水島総となっているので、小説としての設定なのかよくわからない。
 「公論の会」という勉強会を催しているのは、小西鉄山という保守系言論人であった。(いったい誰のことなのか、さっぱりわからない) 当時、保守系の独立CS放送局「よもぎ舎」の運営する番組群「よもぎチャンネル」に毎週1回のレギュラー枠を持っていた。時折、経産新聞にコメントを取り上げられ、保守系月刊論壇誌「日本」の常連執筆者であった。勉強会の第一部は小西による一方的な時局解説と質疑応答で、二部は飲み会である。実質的に小西の裏方として仕切っていた蔵本を、この会に誘った岩尾は、嫉妬から照一に、「高卒のくせに」と罵詈雑言を並べ立てている。
 昇一は、2010年の第2回首都警備懸賞論文に応募することを決めた。第1回大賞受賞者は、当時航空自衛隊のトップを勤めていた福島忠夫であった。内容は、「大東亜戦争は正義の聖戦であった」である。この部分は、アパグループの懸賞論文で、受賞者は田母神俊雄であることがわかる。賞金は300万円である。昇一は、入選作の全部に目を通した。原稿の長さは卒論の4分の1にも至らないぐらいで、内容も引用箇所を明示しないなど、論文の体すら到達していない作文調のモノが大半であった。そして、応募した小論文が、審査員特別賞に入賞した。賞金は5万円である。
 入賞した後に参加した「公論の会」では、20数名に拍手喝采で出迎えられた。ホワイトボードの上には「祝 南部照一君 首都警備懸賞論文入選」という横断幕が掲げられていた。会の主催者である小西からは、「もはや期待の若手論客と言っても過言でない南部君です」と紹介される。4歳年上の舎弟格の蔵本も、初めて「南部さん」と呼称した。
 この授賞式には、200名近くの人が参加していた。来賓挨拶では、「朝陽新聞の反日的策動」、「南京大虐殺はなかった」など延々と演説が続いた。この授賞式で、照一は小西に「よもぎチャンネル」の代表を勤める杉坂に、「僕の弟子です」と紹介される。当時、「よもぎチャンネル」は無料で視聴できる通販チャンネルの月曜日から金曜日の夜7時から9時まで買い取るという形で独自のチャンネルを形成していた。「よもぎチャンネル」は右派・保守界隈を放射線状に結びつけるハブ空港的な存在であった。10万人から15万人と推定される強固な総視聴者数は狭い右派・保守界隈の動向に多大な影響力を及ぼす。この本では、杉坂のことを、80年代には金融業、90年代にはフィリピンパブ経営、アダルトビデオ店経営、右派機関誌発行、ゼロ年代にはハプニングバー経営でひと財産を築き上げた事件師的性格の自営業者であると紹介している。
 「経産新聞」や保守系雑誌「日本」には登場できるものの、その極端に右傾化した言論が災いして全国メディアに一切露出できず、悶々としている言論人には、たとえCS放送であろうと、肩書きや名刺に「テレビコメンテーター」と表記できる立場はのどから手がでるほど欲しかった。だから、「協力金」の名目で出演者からも寄付を半ば強制的に募っていた。コメンテーターやゲストの対価は、自著の宣伝である。私的勉強会などの参加者を募ることもできた。「よもぎチャンネル」は2007年の夏からCS放送で放送した番組をそのまま「Uチューブ」に転載するようになった。照一が初めて出演した小西鉄山の30分番組では、公開1週間で再生回数は3万回に達したという。大人気は「よもぎチャンネル大討論会」で、公開1週間で10万回、15万回という数字をはじき出すことも珍しくはなかった。
 ここまで書いてきて、今は午後10時半である。前回の日記は午後11時半までかかったので、ふだんよりアクセス数が多かった。いつまでも更新されなかったので、何回も確認した人が多かったのだろう。少し前半部分を詳しく書きすぎたことを後悔し始めている。この本を本格的に読み始めたのはきのうである。きょうは午後の往診が終わってから、最後まで読んでいた。このトピックスを書き始めたのは、午後5時過ぎである。
 登場人物は誰に当たるのか、ネットで確認していたら時間がかかってしまった。ここに書かれている事件も事実なのかフィクションなのか、調べていた。結局、ほとんど何も詳しいことはわからなかった。著者のことについては、ウィキペディアでは高1の時にパニック障害になり、障害者手帳3級を持っていると書かれていた。今は克服している。私は遅筆なので、ずっと書き詰めである。途中、夕食だけ自炊して食べた。このトピックスを書いてから、本来の日記部分を書く。この本は面白かったので、はしょりすぎるのもよくない。きょうはこの辺りで終わりにして、来週に続きを書こうと思う。ネトウヨの実態がわかって、本当に勉強になった。

 

平成31年3月26日(火)

 この前の木曜日は、琵琶湖のマンションから車で帰る時に、思わぬ出来事にあった。トンネルを抜けて五条通に行く道をすぐに左折して馬町の方向に行く。京女(京都女子学園)の近くを通って東大路七条に出る近道である。実は、いつものようにトンネルを出てから左折して走っていたら、警察がスピード違反の取り締まりをやっていた。この道はいつもスピードを出す。しかし、左折する車も多く1車線なので、結果的にそれほどスピードが出ないことも多い。
 この日は違った。前の車がスピードを出して走っていたので、私も同じようにスピードを出していた。結局、前の車も私の車も捕まった。21kmのスピードオーバーである。点数は2点で、罰金は1万5千円であった。免停に即ならなかっただけでもよかった。私は若い頃と違って、大阪の池田の母親の所に行くときでも、今は安全運転である。現在はゴールドの免許を持っている。数年前にも思わぬ所で、これもスピード違反で捕まっている。今回はいつもスピードを出している所だったので、仕方ないと思った。こんな所で取り締まりをしているとはまったく知らなかった。反対車線のトンネルにはいる手前の所で取り締まりをしているのはよく見かけていた。
 この日の夕方に、車の修理に行った。事故で傷がついた所の修理だけではなく、少し傷がついているドアの部分の塗装も頼んだ。全部で修理代の見積もりは、32万円近くであった。前回の定期点検の時のギアの修理代などを合わせたら、50万近くかかることになる。今年の9月で,19年目にはいる。最低20年は乗るつもりである。
 それにしても、日本の車は大した故障もなくよく走ると思う。ふだんは京都駅のマンションと往診に行く時ぐらいしか使わない。ハイオク仕様でもあまりガソリン代は気にならなかった。しかし、最近は、休診である木曜と日曜に医院まで出てきて、2〜3時間仕事をしたら、また琵琶湖のマンションに戻ることも多くなった。そうすると、リッター6kmぐらいしか走らないので、早くガソリンがなくなる。それでも、ガソリン代は月1万5千円ぐらいなので、クラシックカーになるぐらい乗り続けてもいい。修理が終わる4月の始めまでは、車なしの生活である。交通機関を使ったり、歩いたりしていると、今まで見えてこなかった風景も見えてくる。これはこれでよかった。
 ゴールデンウィークは長い休暇を取るので、患者さんにはブラジルに行くと話している。前にも書いているように、65歳にもなると、すべてのことに枕言葉がつく。何かと言うと、「死ぬ前に」である。75歳を超えた患者さんは、1人だけではなく、「もう無理だけど」と前置きして、「私も死ぬ前に、行きたかった所がある」と言ってくれる。80歳を超えて、車イスに乗ってピラミッドを見に行っても仕方ない。50代ぐらいの人は、わざわざ「死ぬ前に」という枕言葉をつけなくても、まだまだいくらでもチャンスはある。海外旅行には興味がないと言う人もいる。人それぞれ趣味は異なるので、みんなにあてはまるわけではない。韓国や台湾、ハワイぐらいならまだ70歳を超えても行けるかもしれない。しかし、年齢的にリミットとなる国もある。
 私は団体旅行が嫌いなので、1人で行くことになる。ますます年齢制限が加わることになる。実は、まだブラジルの電子観光ビザが取れていない。用意するのは、写真とパスポートのコピーぐらいである。ところが、写真の背景は白色でないといけない。パスポートの写真の背景はうす青色であった。以前に医院で撮った写真を使うつもりであった。背景は白っぽいが白色とはいかない。昔はカンボジアのビザを取るときには、プリクラの写真でもよかった。しかし、ブラジルは写真については事細かく指定している。アゴから髪の上まで、写真の50〜69%に収まるようにして、目から下までは50〜69%以内である。画像の大きさもうるさい。
 背景の白は、ソフトを使って自動で切り抜いて作るつもりであった。ところが、フリーソフトを調べても、ふだん使っていないので、面倒臭そうである。仕方ないので、ペイントを使って、背景を白色で塗りつぶしていった。マウスを使っての作業なので、髪の毛と接する部分の塗りつぶしが難しい。拡大して作業しても、少し不自然な部分が残る。とりあえず、今回はこれで申請してみようと思う。もう1ヶ月前なので、明日には何とかやっておこうと思う。今年の6月からは観光ビザはいらなくなるようである。入国ビザだけは取らないと、ホテルの予約や現地ツアーも予約しにくい。治安はあまりよくないので、患者さんには連休明けに、「現在人質中で、休診」という張り紙を出しているかもしれないと冗談半分で言っている。
 相変わらず、診断書などの書類を書く仕事が多い。たまたま障害者手帳の診断書を新規に書いた患者さんの保護者から何回もしつこく抗議の電話があった。私が書いた内容に、不満があったようである。あちこち行政機関を巻き込んで、書き直せと言ってくる。ある程度予測していたことである。今回のことは、実は障害者手帳の診断書でも、障害年金の診断書でも、本質的に重大な問題が隠されていることを明らかにしてくれる。
 少し前に、ある統合失調症の患者さんの障害年金の診断書を新規で書いた。この患者さんはあまり病識がなく、両親に暴力を振るったりしていた。大きな音で音楽を鳴らしたり、近所迷惑にもなっていた。私の医院には毎回1人で受診していた。どうもないですと言い、薬を減らして欲しいといつも訴えていた。こういう場合は、医者としての対応は難しい。説得して言うことをきく患者さんならいい。ある程度患者さんの要求に応じないと、それこそ薬を勝手に調整して飲まなくなる。
 障害年金の診断書に、家族に暴力をふるっていることなどは書かなければならない。しかし、家族ではなく、その診断書を患者さんが年金事務所に持って行くとなった場合は大変なことになる。診断書の内容を読んで、「先生にこんなことを言っているのか」と、また暴力をふるう可能性も大である。幸い、この時には内容を読まずに、そのまま提出したようである。骨折や事故などの診断書とは違い、精神科の診断書は患者さんや家族にとって不都合な内容も書かなければならない。そこを隠して書いたら、本来の障害の重さや背景が診断書に反映しないことになる。
 実は、前から書きたいことが山ほどあったことを少し書く。最近になって日米地位協定が新聞でも取り上げられるようになった。少し前の池上彰のTVでも、「富士山の上は誰のもの?」と放送していた。私は前から書いているように、憲法改正派である。ただ、安倍首相が唱えていたような、教育勅語の復活みたいなことは大反対である。日本会議のような右翼と深く結びついた安倍首相のもとでの改憲は危険である。沖縄の基地問題や、北方領土返還の妨げとなっている日米地位協定については、まだ国民の前には明らかにされていない。どこまでどういう風になっているのかわからないと、安易に改憲賛成とは言えなくなる。ただ、現在の屈辱的な日米関係については、腹が立って我慢ならない。
 実は、百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)を今週読んだところである。中身があまりないので、あっという間に読み終えてしまった。書店に行くと、この本に新しい内容を追加をした文庫本が並んでいる。また、別の機会に詳しく紹介しようと思う。読んだ印象は、こんなヘイト本が出版されていいのかである。別に韓国だけではなく、他国の悪口をヘイト以上の侮辱した書き方をしたら、どの国民も怒るだろう。前回の日記で黒人差別のことを書いた。黒人は汚らしく不潔で、残飯のようなものを食べ、能力も劣り、家畜同然であったなどといかに民族的に劣っているか、延々と書いているような内容である。今は、百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)もベストセラーになっているようである。
 たまたま新聞を読んでいたら、直樹孝次郎のことが出ていた。私はこの記事を読むまでまったく知らなかった。この中で、「天皇の地位は違う豪族が何度も交代で取得した。万世一系は事実ではない」と主張していた。ところが、87年1月には皇居の「歌会始の議」で、天皇陛下に特別に招かれて歌を披露する召人に選ばれた。この人の「日本神話と古代国家」(講談社学術文庫)をアマゾンで早速注文して読み出した。本の出版は1990年である。私は天皇の名前はあまり知らないので、専門的になりすぎるとついていけなくなる。
 それでも、最初から説得力のある内容が書かれている。天武天皇は、天皇による国家統治に役立つものとして歴史書(古事記や日本書紀)を作ろうとしたのである。天皇には日本を支配する正当な理由があるということの説明が、帝紀・旧辞編集の目的であり、自分たちの都合のいいように書き改められた。「記・紀」が信用ができないなら、何によって古代の歴史を考えるかである。このあたりのことも、興味深い。大和朝廷の最初に実在したと思われる崇神天皇の前に、神武天皇をはじめとする9人の天皇がいたという「記・紀」が信用できない理由も具体的に実証的に説明している。他にも、興味深いことがたくさん書いてある。現在の神武稜は、中世期以来所在不明になっていたものを、幕末に幕府と朝廷が定めたものがもとになっているという。まだ、最初の2章ぐらいしか読んでいないが、本の内容は濃い。
 別の日に新聞に出ていた記事である。京都大学人文科学研究所の共同研究である。論集「近代天皇制と社会」(思文閣出版)として出版された。7884円もする。その内容の一部が紹介されていた。その中で、皇族で歴史学者の三笠宮崇人親王の「史学会発言」が取り上げられている。古事記、日本書紀は神話であり、皇室の信仰に過ぎず事実ではないとして紀元節復興反対の運動を呼びかけた。他にも、「倭の五王の1つの王墓でしかない大山古墳を『仁徳天皇陵古墳』として世界遺産登録を目指したり、神武東征のルートを日本遺産に登録しようとしたりする動きがひろまっていること」について危険だと批判している。私の手元には、2007年に発売された中野生志「万世一系のまぼろし」(朝日新書)がある。今回は読んでいる暇がなかった。
 さて、百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)はまだ読んでいないが、その内容はおよそ想像がつく。百田は大学を5年生まで留年して卒業できなかたので、学問の世界をまったく知らない。よくこんな無知で恥知らずの本を書けると思う。私は学歴偏重主義ではない。東大、京大を卒業したからと言って、必ずしもみんな優秀なわけではない。しかし、東大、京大の上澄み部分は私なんて足下にも及ばないぐらいとんでもない人たちが集まっている。そういう人たちが、超人的な努力で何十年と各分野の研究をしているのである。素人がこんな本を書く前に、日本書紀の一流研究者の所に行って、教えを請うたらいい。「宋書倭国伝」「上宮聖徳法王帝説」などを時代的背景を知って原文で読めなかったら、誰も相手にしてくれない。学者と呼べない右翼の人たちの話を聞いて、一体何が書けるというのか。三流の人は三流の人に教えを請う。一流の学者は、百田の著書をトイレの落書き以下ぐらいしか思っていない。見向きもしてくれない。私ぐらいの人間が、実際に読んで批判をするぐらいである。たまたま、小和田哲男「見るだけ日本史年表」(宝島社)を読んでいたら、最近の研究では聖徳太子も実際には存在しなかったようである。

ベランダ ・この写真は、私のマンションのベランダから、24日(日)に撮った。前日の土曜日は、車を修理に出しているので、初めてJRを使った。日曜日に、4年に1度のガスの点検があったからである。私の医院から京阪・JR東福寺駅は歩いて8分ぐらいである。JRおでかけネットで検索したみたら、東福寺駅から京都駅まで行き、湖西線に乗り換えて全部で20分で大津京駅に着く。車では、よほど混んでいない限り、ドア・トゥ・ドアで30分である。帰りの時間を調べたら、大津京駅から東福寺駅まで最短時間は17分であった。湖西線から奈良線への乗り換え時間は5分で、ちょうどいい。
 大津京駅から私のマンションまでは歩いて18分かかる。途中イオンに寄って買い物をしたりしていたら、それほど遠く感じない。もう少し年を取って、雨が降っていたら重い買い物袋を下げて歩くのは辛い。しかし、買い物だけだったら、マンションの近くにフレンドマートがある。
 このマンションは老後を過ごすために買った。高いお金を出して有料老人ホームにはいるぐらいなら、ここでヘルパーさんを頼んだらいい。どうしようもなくなったら、その時はその時である。ベランダから目の前に琵琶湖が見える。琵琶湖もその日、その時によって刻々と表情が変わる。1番きれいなのは、日の出時間である。今は朝6時前ぐらいだと思う。ただ、最近は仕事がない日は遅くまで寝て、仕事がある時には早く出てくるので、日の出は見れていない。

競輪場跡地 ・今年の11月に大津びわこ競輪場跡地に、ブランチ大津京という大型複合施設ができる。私のマンションから161号線を隔ててである。大きな公園も設置される。今は女性はほとんど働きに出ているので、大津の商業地域でもウィークデイは、それほどにぎわっていない。ここも土日は混むだろうと思う。近くにイングリッシュ・ガーデンがある。新たに公園ができることは、老後の生活にとってはいいことである。

平成31年3月19日(火)

 きのうは午後2時から年に1回ある「こころのふれあいネットワーク」の総会が東山区役所であった。久しぶりに、バスに乗って区役所まで行った。私の医院から区役所まで、停留所の待ち時間も含め、ドア・ツー・ドアで20分ぐらいであった。この日は天気がよかったので、大勢の観光客が歩いていた。前から書いているように、私はあちこち海外に出かけている。せっかく京都に来てもらっているので、本当に心からみんな楽しんで帰ってくれたらと思っている。
 この「こころのふれあいネットワーク」ができたのは、平成13年9月(?)だというので、私が開業した時である。まだ若かったので、当時はいろいろとお手伝いはした。私は年を取ったといつも言っているが、会長さんなどはずっと長いことやっている。本当にご苦労様である。今回は、東山医師会の会長も出席していた。前から書いているように、東山医師会は人数の少ない小さな医師会である。子育て中の女医さんには頼みにくようである。その分、医師会の仕事は年を取っても逃げられない。4月からは月に2回介護の審査会がある。帰りもバスに乗って帰ってきた。これから審査会もあるので、どのくらい時間がかかるか知りたかった。まだ本格的な観光シーズンではないので、15分ぐらいで帰れた。紅葉などの観光シーズンになったら、五条坂を通り過ぎるだけでも大変である。
 土曜日は、久しぶりに映画を見に行った。今話題の「グリーンブック」である。1960年代の人種差別が特に強かったディープサウスへの興業に出た黒人ピアニストにイタリア人運転手が付いていく物語である。グリーンブックとは、まだ知らない人のために説明すると、黒人でも宿泊できるホテルの案内である。イタリア人家族のこともよく描かれていた。単純なストーリーもひねりが効いていて、本当によかった。私が小学生の時には、暑い夏になるとシカゴなどの黒人暴動がTVのニュースでよく流されていた。ここでも何回も書いているが、黒人差別について「あの時は仕方なかった」と言い訳する人はいない。
 何が言いたいかというと、日本人による戦前、戦後の朝鮮人差別である。今ヘイトスピーチなどを叫ぶのは、少しオツムの足りないネトウヨぐらいである。しかし、徴用工問題などもあり、嫌韓ムードは収まりそうにない。ベースにあるのは、白人による黒人差別と何ら変わりない。戦後は、在日の人にとって就職差別が長いこと続いていた。東大や京大を卒業しても、どこの大手企業にも就職できなかった。商売も、日本人の仕事を邪魔していけないということで、パチンコ屋や焼き肉屋、廃品回収などが多かった。「朝鮮人、出て行け」と扉に落書きされることも多かった。今でも、長いこと日本に住んでいて、帰化しない人は多い。ここでも紹介した鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(バジリコ)に書いてあったように、長いこと差別されてきたからである。まともな就職先がなくて、芸能界に進出したのは、同和関係の人も同じである。暴力団関係も受け入れ先となっていた。
 宅配ビデオは前にも書いたように、けっこう見ている。最近見たのは以前に話題になっていた「スリー・ビルボード」である。映画を毎年100本映画館で見るという患者さんからは、高い評価を得ていた。映画評も悪くなかった。物語はけっこう複雑であった。最初は退屈であったが、段々と話が思わぬ所に展開していく。2時間ぐらいの映画だとわかっていたので、最後の場面ではこのまま終わるなと思った。よくできた映画だとは思うが、もう1つ私のストライク・ゾーンにははいらなかった。バックミュージックのアシド・フォークみたいな曲はよかった。
 さて、この前の続きのカーナビである。写真のようにうまいこと設置できたので、この車は20年は乗ろうと思う。

ホルダー ・これが注文した車に取り付けるタブレットホルダーと吸着ゲルである。カーナビは軽いので、これで応用できそうである。セットで1180円であった。

取り付け ・吸着ゲルマットは強力で、故障したカーナビの液晶の上からぴったりとくっつく。古いカーナビの電源は切ってもらって、このままシガーソケットから電源を取ろうと思う。カーナビの精度は悪くない。しかし、本町通りで一方通行の道を逆走するように表示されたりもした。とりあえず、大体わかったらいいので、しばらく使って行こうと思う。

今週のトピックス 73 (190319)

岩波明「発達障害」 (文春新書)
岩波明「発達障害」 (文春新書)

 精神科医をしていて、発達障害の患者さんについては専門家ではないので、なるべく診察しないようにしてきた。どうしてかというと、将来、障害者手帳や障害年金などの診断書を患者さんから求められたときに、きちんと対応できないからである。他の専門外来できちんと診断がついた患者さんは別である。それぐらい、専門家でないと、確定診断をするのは難しい。特に、成人してからの「自分は発達障害ではないか」という人の診断はよくわからない。最近は、烏丸五条で開業した大学の後輩の先生にお願いするようにしている。
 著者は昭和大学医学部教授である。この本は専門書ではなく、一般向けに書いている。しかし、この程度の知識もない精神科医も多いと思う。この本を読めば読むほど自分は発達障害ではないかと思えてくる。ADHD(注意欠如多動性障害)の知識は一通り持っているつもりであった。あまり関心もなかったので、それほど深い知識もなかった。もともと強迫性格があったので、自閉症スペクトラム障害に近いのかと思っていた。ところが、この本を読んで、幼少期のことなどを思い出すと、むしろ部分的にはADHDの方に近いのではないかと思ったりした。このように、自分のことでさえなかなか診断がつかないのである。
 発達障害ではなく、単なる恐怖症や強迫性障害であったのかもしれない。小学6年生までは、学校の成績が悪ければ父親にぶん殴られて育てられた。家庭環境の影響も大きかったと思う。以前にも書いたように、私の成績が悪いと、父親は殴るだけではなく、自分の感情を抑えきれず、裏庭に咲いていたひまわりを日本刀でバサバサと切り倒して行ったぐらいである。虐待というより、溺愛と過干渉と暴力であった。
 まず、発達障害の定義である。ASD(アスペルガー障害を中心とする自閉症スペクトラム障害)、ADHDなどを漠然と示すことが多い。生まれつきの障害である。ASDは1000人に5人程度で男子に多く、1%弱の出現頻度という最近の報告もある。対人的な相互関係の障害に加え、常道的反復的行動パターンを認める。
 まず、ASDの行動特性を示す仮説である「心の理論」(他人の考えを推察する能力)の障害である。よく用いられるのが、「サリー・アン課題」である。「サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる」、「サリーはビー玉をカゴの中に入れて出ていく」、「サリーがいない間に、アンがビー玉を自分の箱の中に移す」、「サリーが部屋に戻ってくる」 この時に、「サリーはビー玉を取り出そうと、最初にどこを探しますか?」と質問すると、幼児期や児童期のASDの当事者は「箱」と答える頻度が高い。知的な遅れがないASD患者、思春期以降のASD患者は、この課題をクリアすることも多い。これだけで、自分はASDではないと思った人も多いだろう。
 「自閉」や「引きこもり」は不安や恐怖が原因となっておらず、他者への関心が薄く周囲に対する社会的配慮が足りなく、自分の思ったことをそのまま口にする。特定の事柄に対してこだわりが起こりやすい。「外出の道順」、「物の位置」などで、数字にも固執しやすい。相手の表情や仕草などの非言語的なメッセージを感じとれないことがしばしばある。成人期の発達障害では、性同一性障害などの性別違和を示すケースも珍しくないという。この本に出てきた性別違和の症例では、他にもリストカットや幻聴が生じている。私にはASDと診断するのは無理である。統合失調症としてしまうだろう。実際に診察をしている患者さんの中には、ASDが強く疑われるが、幻聴が生じたので、統合失調症として治療している人も数人いる。
 一般の人は「対人関係が下手で、周囲とうまくいかない人」とか、「空気が読めない」、「人の気持ちがわからない」というだけで、ASDを疑い、病院を受診したりする。著者の所にも、同じ理由で産業医などから紹介されて受診してくる。しかし、診断には必ず「同一性へのこだわり」症状を伴う必要がある。
 この本を読んでいて、これまであまり関心のなかったADHDの方が、勉強になった。小児期においては総人口の5〜10%程度という報告もみられる。成人になると、約3〜5%である。小児期の「多動・衝動性」は大人になると一見改善しているように見えることが多い。しかし、内面の「多動・衝動性」は持続している場合が多いという。特に衝動性は、周囲への攻撃的な言動などで何らかの問題行動を起こすことがある。一般的にADHDの人は人当たりがよく、集団への仲間入りはスムーズなことが多い。しかし、同じ間違いを何回も繰り返し、マルチタスク的な状況でパニックに陥ったり、混乱しやすい。成人において、うつ病、躁うつ病など他の精神疾患が合併することが多い。
 小さな頃は忘れ物が多かったり、迷子になりやすいことはよく知られている。不注意には、「持続性」、周囲の様々な事柄に注意を配分する「分配性」、必要に応じて注意の対象を切り替える「転換性」に問題があることが多い。わかりにくいのは、興味を感じる特定の対象に対しては、むしろ過剰な注意、集中力が向けられることもあることである。好きな事柄には、徹夜しても取り組むケースも多い。デザイナーやイラストレーター、小説家などの仕事において優れた結果を示すことも多いという。
 ここでは「うつ病として治療されていた症例」が載っている。私も、ADHDと診断できないと思う。中には、主診断はADHDと考えられるが、ASD特性もあり、一過性にうつ病が発症したと考えられる症例もある。(とにかくややこしい) この本では、ASDとADHDの共通点と相違点も述べている。「対人関係が苦手な人」や「少し変わったところがあり、周囲から浮いた人」をASDと決めつけやすいが、世の中でASDと言われているケースは、「対人関係が不得手な」ADHDであることが多いという。ASDにみられる社会性の障害を、ADHDの不注意による障害と見なしている場合や、ADHDの衝動性をASDの社会性の未熟さと誤解している場合も多いという。ADHDの他の症例を読んでいても、学業が優秀な人も多い。これも、不注意と相反して理解しにくい。
 ここでは、アスペルガー障害として精神鑑定が出された殺人事件のことも書いている。まず、豊川主婦殺人事件である。事件が起きたのは2000年1月である。17歳の高校生が、近所の住宅街で見知らぬ家にはいり、台所の老女の頭をめがけて、ゲンノウを振り下ろした。殺すことができなかったので、台所の包丁で被害者をメッタ刺しにしている。1回目の精神鑑定で小田晋は人格障害として、完全責任能力があるとした。ところが、弁護側がこの鑑定に反発し、再鑑定を要求した。そして、アルペルガー症候群と結論づけた。本人や友人などの証言から、幼少時から何の兆候も見られず、反復的、常同的行動パターンがまったくみられなかったにもかかわらずである。
 もう1件は、私もよく覚えている佐世保小6殺人事件である。佐世保の公立小学校で、6年生の女子児童が同級生の少女にカッターナイフで切りつけられて殺害された。詳しいことについては、この本を読んでもらうことにする。精神医学的には、広汎性発達障害の可能性が指摘されたが、診断基準を満たすまでの顕著な症状はないと認定された。この事件をきっかけに、「不可解な少年犯罪=アスペルガー症候群によるもの」という見解が広まった。著者によると、この症例もアスペルガー障害ではないという。
 この本で興味深かったのは、ADHD患者の思春期以降の問題として、アルコール・薬物依存の比率が高いことであった。「深川の通り魔事件」では、覚醒剤中毒により幻覚妄想状態になっていた川俣軍司が、近くの主婦とその1歳の長男と3歳の長女を柳刃包丁で刺し殺し、通りがかりの別の女性を刺し殺し、もう1人の通行人の腹部を突き刺し、重傷を負わせた。この川俣軍司がADHDであったという。私も、これからはADHDを頭に置いて、薬物依存の患者さんを診察しなければならない。過剰集中から不適応を起こすADHDの人もよくみられるという。この本の最後には、発達障害を見逃されて、効果のない精神分析を続けてさせられてきた患者さんのことも出てくる。私も気をつけなければならないと思った。

 

平成31年3月12日(火)

 きょうは午後から歯科に行ってきた。歯が中で割れて炎症を起こしていた。この歯は救いようがないので、抜歯してもらった。この後は、インプラントを入れてもらう。入れるのは、5月である。私は目と歯が悪い。髪の毛も薄くなってきた。歯はインプラントの技術ができて、本当に助かっている。目はド近眼で、半径2mぐらいがよく見えるようにコンタクトレンズを調整している。細かい字も大丈夫である。夜間、車を運転するときにはメガネをかける。ふだんはメガネをかけないので、遠くは見えない。もし患者さんなどが私を見かけても、よく見えていないので、気を悪くしないで下さい。
 たまたま、以前他の所で診ていた患者さんからお手紙をいただいた。前回の日記で、厚生年金は23年ぐらいしかかけていないので、ベースは国民年金+αを書いた。この部分が間違いであると、ご指摘をいただいた。私は厚生年金がもらえるのは25年からと勘違いしていた。20年から出るようである。国民年金は以前は25年かけないと、1銭も出なかったのが、改正により10年以上に変わったということである。ご指摘いただいて、本当にありがとうございます。
 実は、私は65歳を超えたのに、びっくりするほど年金は少ない。年収も関係するのか、よくわからない。確か、国立福知山病院と滋賀医大の計4年半分の厚生年金がまだ請求できていない。国立病院などは、途中から母体が変わり、最初はどこに請求したらいいのかわからなかった。なかなか電話が通じず、書類をそろえるのも大変で、結局そのままになっている。今から請求しても手遅れなのか、これもよくわからない。
 年金事務所では、厚生年金のことも相談に乗ってくれるのかもわからないぐらいである。1度、社労士にお金を払って詳しい説明を受けてもいい。ただ、ふだん雑用に追われ、これも延び延びになっている。ちなみに、ここでも何回も書いているように、勤務医の退職金は、勤務先が変わるとぶつ切れになる。同じ国立病院や公的病院に勤務していたら、連続してつながる。神戸の社会保険病院に勤めていたときには、5年分の退職金が支払われた。その後に京都第一赤十字病院ではやめる時に、4年分の退職金が支払われた。日赤では、10年勤めると11ヶ月分の退職金がもらえ、最高は25年勤めて50ヶ月分であった。それ以降は、何年勤めても50ヶ月である。
 ゴールデンウィークの休診については、2ヶ月前に医院に張り出した。2〜3ヶ月に1回ぐらいしか受診しない患者さんもいる。私の医院は最近は新患の人は多くないので、患者さんに迷惑をかけないように、早め早めに対応をするつもりである。ゴールデンウィークはブラジルに1人で行くことは、この日記でも書いた。「地球の歩き方」やネットの案内を見ていたら、観光ビザを取るのが大変である。以前に、ベトナム(だったと思う)の国境を越えて戻るために、大阪の領事館までビザを取りに行ったことがある。
 ブラジル領事館は、近くでは名古屋にしかない。貯金残高証明書などそろえる書類も多い。受付は、朝の9時〜12時までである。その日にビザはもらえず、5日ぐらいしてまた取りに行かなければならない。南米でビザがいるのは、ブラジルぐらいである。木曜日を休診にしているので、なるべく早く書類を整え、名古屋まで行くつもりである。書類に不備があると、また別の日に再申請に行かなければならない。サンパウロまで飛行機を乗り継いで、東京から片道30時間である。郵便では受け付けていないようである。日本からの観光客なんてまったく相手にしていないような対応である。(その後確認したら、去年の1月から電子ビザで取得できるということでした)
 私は、ほとんどTVは見ない。毎週見ているのは、土曜の夜の「新・情報7days」と同じ土曜の夜中に始まる「7つの海を楽しもう!世界サマ〜リゾート」である。すべて録画して、日曜日に見る。世界サマ〜リゾートでは、南アフリカのビーチを紹介していた。治安は悪くはないが、1人歩きは避けるようにと言っていた。最近は、宅配ビデオを借りて、よく見ている。「イコライザー2」は面白かった。この中で、ベルギーではホテルの中までついてきて、部屋を開ける時に襲われる事件が多いと話していた。ブラジルは治安が悪いので、1人歩きは数人の時よりも何十倍も危険度が高くなる。身ぐるみ剥がされて、泣きながら帰ってこないとも限らない。生きて帰れたらいいぐらいのつもりで、楽しんでくるつもりである。
 この前の新・情報7daysでは、厚生労働省などが開いた薬物などの依存症についての啓発イベントに清原和博が出ていた。3年前に覚醒剤で逮捕されている。この時の映像で、司会者がちらっと出てきた。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の松本俊彦薬物依存研究部部長である。ここでも何回も書いているように、私が日本で初めて報告した覚醒剤のあぶり症例をその後たくさん集めて、博士号を取得している。以前の講演会では、タバコがやめられないと話していた。京都新聞を読んでいたら、岩倉にある精神科病院が断酒会の40周年記念をやると書いてあった。覚醒剤やアル中の患者さんを診るのは、本当に大変である。私は年のせいにして、今はアルコールや薬物依存の患者さんの本格的な治療からは逃げている。
 最近、覚醒剤を長いことやっていて、激しい幻聴が治らないと訴えていた患者さんが別の件で警察に逮捕された。留置されて取り調べを受けている時には、警察署に薬は持ち込めない。新たに、国費で医療機関に出してもらうことになる。当初、同じ薬を1ヶ月出した。ところが、2回目に警察が薬を取りに来たときに、1日3回の薬は夜しか飲んでいないので、余っていると言われた。どう言うことかというと、毎回診察で、幻聴が止まらなくて苦しいと訴え、何とか治そうとあれこれ薬を調整していた。しかし、実際にはきちんと飲んでいなかったことになる。私はいつも合わない薬は無理に飲むことないと言っている。いつでも、薬を変更している。こうなると、患者さんの訴えそのものが怪しくなる。この患者さんは障害者手帳までもらっている。
 正直言って、アルコールや薬物依存の患者さんの中には、箸にも棒にもかからない患者さんが多い。あちこちでトラブルを起こしやすく、うんざりするほど警察や病院からの問い合わせの電話がかかってくる。だから、松本先生をはじめ、第一線で頑張っている先生方には本当に頭が下がる。私の医院には、ダルクや断酒会、AA、NAなどの自助組織にも参加する気のない(過去に参加して挫折した)中途半端な患者さんが多い。こちらが切れそうになることもよくある。現在、児童虐待が問題になっている。すさまじい家庭環境から、男は薬物依存、女は風俗に行く人が多い。児童虐待のなれの果てが、現在の姿なのである。もちろん、例外の人も大勢いる。
 依存とか中毒を考えると、パチンコ依存とかギャンブル依存、ゲーム依存もある。セックス中毒は、男性には無理である。映画「カリギュラ」に出てきたような、美女を大勢も侍らせても、何人とも連続してセックスができるわけではない。若かったら、連続2回ぐらいはできるかもしれない。男性は1回射精したら、しばらくはセックスをする気になれない。勃起もしにくい。その点、女性は違う。男性とは違って、何回でも連続してオーガズム(いわゆるアクメ)を味わうことができる。
 薬物依存もギャンブル依存もゲーム依存も連続して際限のないエクスタシーが味わえる。寝ずにやっていたら、そのうちに体力的な限界がくるだけである。最近は、株や資産運用なども一種のギャンブル依存ではないかと思うようになってきた。一見理論的に資産を増やすことができるようでいて、予測不能なちょっとした出来事で莫大な利益を得たり、損失を被る。特に現在は、先が読めない。ゴーン元会長が逮捕され、莫大な資産が明らかとなった。お金はあの世までは持っていけない。しかし、お金に関しては、灼熱の砂漠で水を求めるように、いくら飲み干しても飲み足らない。これも、一種の依存でお金中毒だと思っている。

事故 ・この車の傷は6日(水)の夜につけた。普通はバンパーなどに傷がつくことが多い。こんな高い位置でえぐられることは滅多にない。どうしたのかというと、スーパーの駐車場に車を停める時に、左に寄りすぎて、隣のユニットと分けている鉄柵にぶつけたのである。翌日はトヨタで、ギヤの取り替えの予定がはいっていた。この料金は13万1千円ぐらいであった。
 車を買い換えるかどうか迷っていた所である。前にも書いたように、目標額に達するまで、定期貯金は崩したくない。小規模企業共済の積立退職金は、もうすぐ950万円に達する。この積立金と定期貯金を合わせたら、後1〜2ヶ月で目標額に達する。しかし、定期貯金だけで目標額に達するにはまだ時間がかかる。新車を買うには、定期貯金の目標額+新車代まで貯まらないと、買えないことになる。
 結局どうしたかというと、この傷は修理してもらい、傷ついたパンパーも取り替えてもらうことにした。修理代は23万1千円である。色はブラックに見えるが、正確にはグリーンブラックである。時間はかかるが、その気になったら、すべての塗装もやり直してもらえるようである。この修理にも1週間ぐらい車を預けなければならない。今では希少価値があるので、修理する以上は20年乗るつもりである。

カーナビ1 ・さて、18年目の車を使い続けるとなったら、カーナビである。もう、更新のDVDは発売されておらず、2年以上前のものである。それだけではなく、カーナビも故障して、点検に出さないと修理の見積もりができないという。点検だけでも、お金がかかる。純正品で、時計の上が開く。
 どうしてここまでこの車にこだわるのかというと、基本的に気に入っているからである。ハンドルも内装もウォールナットが使われている。最近の車では、こういう仕様はほとんどない。1番下にカセットテープのプレイヤーが付いている。収納したカーナビの上に、別のカーナビを取り付けるのは難しそうである。

カーナビ2 ・実はトヨタに相談したら、けんもほろろであった。新しい車に買い換えて欲しいのはわかる。この写真はカーナビを開いた所である。ここに新しいカーナビを取り付けることはできないかと思った。オートバックスに行って相談したら、前の部分の幅が狭いので、この純正品の前に新しいカーナビを置くのは無理だと言われた。
 仕方ないので、アマゾンで調べて、7インチの安いポータブル・カーナビを注文した。中国製かもしれない。12,799円が1,000円の割引クーポンがついて、11,799円であった。取り付け器具も付いていた。電源はシガーソケットからである。

カーナビ3 ・まず、液晶に取り付け器具を貼る。ぴったりとくっつき、かなり強固である。

カーナビ4 ・そして、ポータブル・カーナビを取り付ける。純正品より見やすく、実際に使ってみても、何ひとつ不自由なかった。アマゾンの評価では、星4つであった。
 しかし、私としては、このカーナビをもう使わない純正品の上に直接取り付けたい。液晶の電源は切り、開いたままにしておく。3つめの写真を見たらわかるように、液晶部分は少し窪んでいる。上の両隅にネジみたいに飛び出ている部分もある。当初、マジックテープを使って固定しようかと思った。このネジみたいな部分はヤスリでもかけて平らにしたらいい。窪んだ液晶部分は何か貼ることもできる。もし中で電源が取れるなら、液晶前の樹脂の部分に穴を開けてもらって、コードを出してもらうつもりである。
 いろいろと直接取り付ける方法を考えていたら、たまたまタブレットを取り付ける製品を見つけた。吸着ジェルマットを使う方法で、タブレットを取り付ける器具とジェルがセットになっていて1180円であった。早速楽天で注文した。きょうは間に合わなかった。カーナビも軽いので、たぶん簡単に取り付けることができると思う。飛び出た部分をヤスリで削ったり、窪んだ液晶部分を前に出す必要もなさそうである。

平成31年3月5日(火)

 最近、車のナビの調子が悪い。まったくGPS機能が効かない。ふだんはナビに頼ることはない。池田の母親の所は、何とかナビなしでも行けるようになった。ところが、草津のイオンに行くのは、ナビを使わないと行けない。ナビを見ていても、下の道路に行かず、そのまま間違えて1号線をまっすぐ行ってしまうこともある。行き過ぎて戻るのも大変である。1度、信号を間違えて一車線の陸橋みたいな所を行ってしまった。対向車とすれ違うことができない。車を降りて、一台一台頭を下げて何台もバックしてもらったこともある。土曜日など琵琶湖のマンションに行くときに、たまに気分転換で草津のイオンに寄ることもある。ここにはいっている本屋はそこそこ大きい。シネマやショッピングセンターがあり、いつも混んでいる。
 先週の木曜日は、車の定期検査があった。私の車は去年の9月で18年目にはいっている。ナビのDVDは2年以上前の物で、もう新しい更新のDVDが出ていない。だから、湖西道路を走っていても、地図に載っていない道路を走っている時もある。ナビについては、液晶が壊れているので、修理に出して見積もりを出してもらわないといけないという。また、点検でギヤの取り替えなどが必要ということであった。この取り替えは13万円ちょっとである。そろそろ買い換えてもいい時期である。私の車は18年前に買ったので、カセットテープ用のステレオデッキが付いている。ガソリンもハイオク仕様で、1リットル6kmぐらいしか走らない。
 何のメリットもないようである。しかし、乗り心地がよく、スタイルも好みで、私は気に入っている。最近は、走っている車をあまり見かけることもなくなってきた。希少価値があるかと、自分では勝手に思っている。レクサスISの新車が今年出る予定であった。たまたま本屋でカー雑誌を読んでいたら、レクサスの新車が出たばかりなので、2年ぐらい先になるようである。もっと安い車で、候補の車もある。しかし、なかなか買い換える気になれない。お金はあっても、貯金を崩すことに何となく抵抗があるからである。アマゾンでカーナビを見てみたら、けっこう安くて高性能な製品がたくさん出ていた。オートバックスなどで、余計な配線が目立たないように、新しいカーナビを買って取り付けてもらおうと思っている。最近は、車の小さな傷などもトヨタで直してくれるようである。
 さて、京都駅のキャンパスプラザ前のマンションにはいっていたチラシである。同じマンションの10階の物件が売りに出されていた。値段は6000万円であった。私のマンションは最上階の11階である。実際にこの値段で売れるかどうかは別にして、もっと高い値段になるだろう。この中古のマンションを買った時には、マンション不況の時で、3千300万か400万円であった。不動産をやっている患者さんに聞いたら、買った時の値段と売った時の値段の差額の2割が税金として取られるという。私が死んで、子どもが相続する時の評価額はびっくりするほど安くなる。この部屋はふだんはほとんど使っていない。昔は、京都駅裏のイオンモールに夜遅く映画を見に行くのには便利であった。最近は子どもがごくまれに使うぐらいである。本やLPレコードなどが置いてある。今が売り時かもしれない。しかし、将来子どもが使うかもしれないので、そのまま置いてある。
 気に入っているのは、琵琶湖のマンションである。最上階の角部屋を現金で買った。土日は、自立支援医療用の診断書などもここで書いている。医院から車で30分で行ける。目の前に琵琶湖が広がっているので、気持ちがいい。今年の11月には、すぐそばの161号線向かいの琵琶湖競輪場跡に、ブランチ大津京ができる。大型商業施設と公園である。すぐ近くの柳が崎にも、もうすぐ新しいマンションが建つ。最上階は私と同じ階である。しかし、値段は1千万円以上も高い。老後は、ここですごそうと思っている。自宅で開業している人の中には、ふだん近所の患者さんに気を遣ってリラックスできないという人もいる。誰も知らない所でゆっくりするのは、ストレスの解消になる。
 マンションを2つ持っていると、女性でも囲っているのではないかと疑われる。しかし、私は40年近く精神科医をしているので、男女のトラブルはうんざりするほど見てきている。関係がこじれた時に、マンションを持って逃げるわけにはいかない。だから、女性は入れない。今はお金で解決することはお金で解決したらいいと思っている。男女関係においては、ただより高いものはない。しかし、風俗嬢などを部屋に呼び込んで、変な噂が立つのもいやである。「あなたのお父さん、とっかえひっかえ女の人を連れ込んでいた」と言われたら、子どもたちも使うのをためらうだろう。もちろん、そんなことは気にしないという人もいる。私は、せいぜい宅配便のアダルト・ビデオを見るぐらいである。
 ふだん食事は外食することもあるが、自炊することも多い。特に昼食は、ほとんど簡単な自炊である。冬は寒いので、医院に泊まる時には1歩も外に出ないこともある。ふだんの生活は海外旅行を除いたら、質素である。もともと飲みにも出ないので、普通のサラリーマンが飲みに出て4〜5千円使うというと、びっくりする。何件かハシゴをして、1万円を超えるのも信じられない。ケチとは違って、普通の人と同じように無駄な物にはお金を使わず、節約する癖がついてしまった。しかし、使う時には使う。
 私は48歳の誕生日前に開業した。だから、厚生年金は23年ぐらいしかかけていない。厚生年金がもらえるのは25年からである。だから、ベースは厚生年金ではなく、国民年金+アルファである。年金の額はびっくりするほど安い。(この部分はまちがっていました。12日の日記で訂正しています) ここでも何回も書いているが、バブルの時に買った家を43歳の時に売り、4千万以上損をしている。手元に残ったのは、親から借りていた頭金のマイナス500万円であった。すなわち43歳で一文無しではなく、借金が500万円残ったのである。そこから出発して、現在の財産となっている。あのまま京都第一赤十字病院の部長を続けていたら、私立医学部に行っている息子の授業料も出せなかっただろう。私の場合は、開業して多額の報酬がはいった。他の先生たちがどのくらい稼いでいるのかよくわからない。中には、大きなビルを建てている人もいる。
 70歳を超えたら、相手してくれる人も少なくなってくる。だから、70歳を超えて、80歳過ぎまで開業を続けることはいいことだと思う。そのときの体力に応じて、週3回でも4回でも診察日数を調整することができる。しかし、年齢がきたら、診察室で診察ぐらいはできても、あちこち世界を飛び回るのは困難となってくる。だから、個人的には元気な今の内に海外で1年でも2年でも住んでみたいと思う。もちろん、そんなことをしたら、医院を再開しても誰も来てくれなくなる。夢のまた夢であるが、息子が大学を卒業したら、海の見える物価の安い国で、昼間からビールを飲み、のんびりと過ごしたい。まだ行ったことはないが、狙いは南米である。

 

平成31年2月26日(火)

 この前の土曜日は、毎年恒例の医療法人が開催している懇話会に出席した。いつもここの病院には、外来患者さんの入院についてお世話になっている。最初に、去年京都府精神保健福祉総合センター所長になった女医先生が、センターのデイ・ケアで取り組んでいる「発達障害専門プログラム」について講演をしてくれた。話を聞いていて、けっこう大変だと思った。対象は、主に自閉症スペクトラム障害(ASD)である。病気の判定はしていないということであった。大人になってからASDではないかという患者さんの判定は、本当に難しい。私が専門的な教育を受けてこなかったこともある。ただ、40年近く精神科の臨床をやってきている。きちんと両親から幼少期のことを詳しく聞かず、心理検査だけでどうして判定できるのかと思う。
 講演の後はテーブルを囲んで、懇親会である。今年のゴールデンウィークの過ごし方などを聞いたりした。ネットを見ると、海外旅行のツアーがもう売れ切れ続出だという。私は前にも書いたように、1人でブラジルに行く。今回はいつもの旅行と違って、4、5日前に慌ててホテルを予約したりはしない。万全の準備をしていく。たまたま同じテーブルに座っていた女医さん2人と話もできた。2人とも、海外旅行は好きなようである。平成10年卒だったので、まだまだいろいろな所に行けるチャンスはある。私はもう年なので、行ける時に行っておかないと、もう一生行けない。
 日曜日には久しぶりに息子と会った。スマホが壊れたので、買い換えるのに私が一緒について行かなければならなかった。スマホ代は私が出している。2人とも名義は私になっていると思っていた。ヨドバシカメラで待ち合わせをした。ところが、スマホコーナーでいろいろ調べてもらったら、スマホの名義は息子になっていた。係の人がいろいろと説明して、手続きをしてくれた。スマホを買い換えるのに1時間もかかった。
 息子は今年の4月から6回生である。卒業したら、京都の病院で初期研修を受けるという。自宅には帰ってくる。卒業したらスマホ代も含め、全部自分でやれと言っている。ただ、贈与税のかからない年間110万円の生前贈与は卒業したらやろうと思っている。一足先に社会人になっている娘には同じことをしている。卒業したら、これまでの授業料や家賃などがかからなくなる。これだけでも、とんでもない額が余ることになる。先ほどの懇話会でも、他の先生と話をしていたら、結婚年齢の遅い先生もいた。私は当時は超晩婚の38歳で結婚した。息子は1浪しかしていないのに、5月の67歳の誕生日前にやっと卒業である。若い内は子どもも可愛く、イケイケ気分である。しかし、年をとってからが大変である。再婚した人も、年齢の割にまだ子どもさんは幼い。晩婚で私の年齢に達した人は少ないので、実感として今の正直な気持ちを伝えておく。後1年でも、息も絶え絶えである。
 日曜日ときのうは、YouTubeにアップロードする動画を作っていた。テーマは、2月に行ったシキホール島である。まず、この日記で書いたことを印刷した。次に、写真と動画を選び出した。音声の解説は一つ一つテキストで書き、ソフトの合成音で読み上げる。これだけでは、音が不自然となるので、一旦別のソフトでMP3に変換し、また別のソフトでノイズ除去をかける。動画ソフトで、これも一つ一つ動画のカットをしていく。写真や動画に合わせて、音声を乗せていく。けっこう手間暇がかかった。
 前から書いているように、私は昔のプログレのレコードと旅行の動画をYouTubeにアップロードしている。最高はプログレの動画で、視聴者数は4万3千である。次のプログレの動画は2万である。旅行用の動画は、最高がベトナムのニャチャンで1万1千で、同じベトナムのフーコック島が5千近くである。フィリピンのボホール島は最近伸びてきて、2200である。中には、200にも達していない動画もある。今回のシキホール島の動画は、以前と違って高画質でもアップロードできるようになった。興味のある人はフィリピン・シキホール島の1人旅をクリックして下さい。

今週のトピックス 72 (190226)

安田峰俊「さいはての中国」 (小学館新書)
安田峰俊「さいはての中国」 (小学館新書)

 この本はちょこちょこ読んでは、他の本に浮気していた。フィリピンのシキホール島にも持って行ったが、あまり読めなかった。最初は、中国の穴場的な珍しい場所を紹介する本かと思っていた。あちこちの場所のルポになってはいる。しかし、全体を読み通すと、これまでの中国の歴史や現在抱えている問題が浮かび上がってくる。著者は、滋賀県生まれで、現在は立命館大学の客員研究員をしている。中国をメインに取材をおこなっているルポライターである。
 周りからは、日本での中国のイメージが悪いので、中国に取材に行くというと同情されるという。しかし、著者は自分が面白いから、望んで中国に行っていると述べている。私も、中国語ができたら、もっといろいろな所に行きたい。明日から米朝会談がベトナムで行われる。中朝国境の中国側の丹東市が最近よく出てくる。この日記でも何回も書いているように、私は中国語がまったく話せないのに、数年前に1人で行った。もちろん、英語もまったく通じなかった。売春宿やスラムだけではない。盆休みにわざわざこんな所を訪れたのも、何でも見てやろうと思ったからである。
 まず、広東省深セン市の三和地区のネトゲ廃人を紹介している。三和には、製造ラインの短期雇用の単純労働者を常に求めている職業斡旋所がある。消費の実態を伴わないままネット上の娯楽に散在し、破産する若者が後を絶たない。ネトゲ廃人の1日も紹介している。著者は、絶望の中で欲望に負け続ける人々と述べている。出稼ぎ農民の子弟が圧倒的に多く、多くの人が幼少期から親不在の崩壊状態の家庭で育っている。ある若者は「親がおらず、子どもの頃から他人に見下されてきた。でも、ゲームの世界は違う。ちゃんと認められるんだ」と述べている。
 次に広東省広州市である。アフリカ系外国人が極めて多い。国によって住む場所も違ってくる。1番人数が多いのはナイジェリア人である。中国で大量に買い付けた中古衣料品などを本国やガーナなどで売る。最近は物価が高騰し、貿易の利幅も減り、ナイジェリア人の渡航も以前ほど活発ではないという。ナイジェリアでは職がなく、大学を出ても無職で路上暮らしを余儀なくされる若者もいる。そんなナイジェリアにとって中国の広州は手軽に行ける「先進国」である。ナイジェリア国民の83%が中国に好意を示している。
 貿易業などをしているタンザニア人は、アフリカが欧州により植民地化されたことと、過去に同じく欧州の侵略を受けた中国を重ね合わせ、ここまで強く豊かになった中国からアフリカ人が学び取れる部分は多いと述べている。中国は毛沢東体制下で、1950年代〜60年代にアフリカ諸国が次々と独立を果たした際には、いち早く国家承認してきた。中国自身がまだ貧しかった1967年から、アフリカ諸国に巨額の無償借款や国家建設のための資材を提供している。
 タンザニアでは、隣国ザンビアとの間をつなぐタンザン鉄道が建設されている。「中国は過去にアフリカを侵略したことがなく、ただ助けてくれる」と、中国の国家イメージは日本とは違ってすこぶるいい。しかし、アフリカ人コミュニティと中国人社会との摩擦も問題化している。アフリカ人に対する中国人の苦情も書いている。日本人が中国人に対する苦情を言っているのと、あまり変わりない。もちろん、アフリカ人とのカルチャーギャップの方が大きい。少し前までは、路上でマリファナを吸ったり、酔っ払って大騒ぎをしていた。
 著者は陝西省の習近平の父親を讃えた習仲勲陵園も訪れている。習近平へのゴマスリ公園と書かれている。習近平に対する個人崇拝は、地方官僚が政権の意向を過剰に忖度して引き起こした可能性もあると、亡命中の民主活動家が述べている。2015年に人権派弁護士が100人単位で拘束された。習近平自身の意向は「少し脅しておけ」程度だったかもしれない。しかし、末端の幹部は出世の点数稼ぎを目的に、目立った成果を上げようとする。過剰なプロパガンダの蔓延にも、同様の構図がある」という。別の要因としては、社会の決定権を握る人間の多くが文革の主人公だった紅衛兵世代に代替わりした。毛沢東が発明した「文革式」の政治は、中国人民をまとめる上では意外と有用な手法であるという。
 副都心のことについては、平成30年10月23日の今週のトピックスで、近藤大介「未来の中国年表 超高齢大国でこれから起こること」 (講談社現代新書)の中で紹介した。このことについても書いている。よく雑誌などに載っているゴーストタウン(鬼城)のことも書いている。外モンゴルはソ連の衛星国になり、内モンゴルは中国に組み込まれている。内モンゴル自治区は、誰も住んでいない分譲マンションや利用者が誰もいないハコモノが林立する「鬼城」が特に多い地域として知られている。
 中国の歴史は、北方の草原地帯に住む遊牧民族と、南の農耕地帯の漢民族との闘争と同化の歴史であった。この本に出てくるモンゴル人は、民族への帰属意識は持っているが、中国国家の主役(漢人と満州人とモンゴル人が作った)としての自己認識も持っているという。そこが、チベット族やウィグル族との違いとなっている。胡錦濤政権の時代まで、地方官僚はとにかく赴任地を経済発展させたら高く評価された。汚職が蔓延し、野放図な都市開発によって地方官僚に多額のカネが転がり込んだ。内モンゴルは辺境の地だったので、中央の目が届きにくかった。中国1のゴーストタウン・オルドスのことも詳しく書かれている。歴史的には、関東軍は満州国を作り、内モンゴル東部では徳王に傀儡政権の蒙古総合自治政府を作らせた。実権は日本人に握られ、大戦中は日本の政府機関である興亜院の指示のもとで、アヘンばかり作らされていた。
 他にも、大連市にある世界一のラブドール工場やカンボジアへの中国進出、戦時中の中国人慰安婦のことも書いている。最後の章で、著者はカナダのトロントまで行って、香港系カナダ人のジョセフ・ウォンに会っている。ジョセフはトロントで、日本の第二次世界大戦中の戦争犯罪を告発するAE(ALPHAEducation)という組織を結成している。この組織の前身は、尖閣抗議運動団体である。世界的なベストセラーとなった書籍「ザ・レイプ・オブ・南京」の仕掛け人の1人としても知られている。この本の内容については、いろいろと問題のあることはよく知られている。ジョセフの本業は医師である。複数の社会福祉団体の代表を務め、カナダ社会のリーダーの1人となっている。高齢者福祉施設であるイーホン・センターは4000人以上の利用者を擁している。
 ジョセフは「中国であれ韓国であれ日本であれ、ナショナリズムは不幸な結果を招く」と述べ、中国政府からの援助は受けていないという。AEがオンタリオ州の教育行政に食い込み、州議会で南京大虐殺記念日の動議可決を勝ち取ったのも、その「普遍性」が中国系以外のカナダ人からも評価されたことが一因だという。著者は、「南京大虐殺について、被害を大きく見積もった情報ばかり教えるのは問題では?」と質問している。AEが認可したティーチング資料では、東京裁判で認定された、「20万人以上」と書いている。天安門事件の生き残りである中国民主化運動のリーダーも出てくる。過去の日本の中国侵略よりも、現在の中国共産党の人権弾圧をより憂慮する立場である。
 日系人の住民も2つに分かれている。インターネットTVで保守系(ネット右翼系)のチャンネル桜を見ている人もいる。そういう人が慰安婦の連行も南京大虐殺もでっち上げだとカナダで主張すると、歴史修正主義者だと批判されるという。2015年9月にアメリカのサンフランシスコ市議会で開かれた、慰安婦像設置をめぐる公聴会では、こうした右派活動家の日本人が出席者の韓国人元慰安婦に直接「証言は信頼できない」と発言した。どうなったかというと、議場の怒りを買い、逆に満場一致で議決案が採択された事件が起こっている。
 トロントではAEは、普遍的な人道主義の看板を揚げ、クリーンでインテリ受けのいい社会運動を展開している。著者は日本国内でしか通用しないネット右翼やチャンネル桜的な論理をぶつけても、むしろ日本への悪印象を強める結果をもたらしかねないと心配している。AEやトロントの州議には、日本の右翼から大量の抗議メールが届いている。ネトウヨが考えなしに行うメールボム攻撃が、日本の現実の傍証になっているのである。日本の右翼と強く結びついた安倍首相(侵略という定義は定まっていないとか、東京裁判は勝者の裁きなどと国会で発言したり、靖国神社を参拝している)が、実のところ、歴史修正主義者として世界であまり相手にされていないことは推して知るべしである。こんな無能な発言や行動は、国と国との交渉で揚げ足を取られ、ひいては日本の国益を損なうことになる。

 

平成31年2月19日(火)

 最近、土曜日の夜でも日曜日でも、知らない患者さんから問い合わせがある。長いこと通院しているある患者さんから、診療時間が間違って出ていると聞いていた。医療機関を紹介するサイトは山ほどある。そのうちの1つで間違った掲載があったのだろうぐらいで気にもしていなかった。ところが、最近受診した別の患者さんから、グーグルの地図で、間違った診療時間が表示がされていると聞いた。
 早速マップを開いてみると、診療時間が月曜日から日曜日まで10:00〜20:00になっていた。グーグルの案内を見て、土曜の夜や日曜日でも診察していると、勘違いして問い合わせがあるのである。私はグーグルのアカウントは持っている。訂正を試みたが、無理であった。ビジネスオーナーですかという所があり、ここでいろいろ手続きをしなければならないようである。グーグルの地図の掲載は、私の医院が頼んだわけではない。グーグルが勝手に載せているだけである。選択して掲載していたら、マップの意味がなくなる。しかし、私が気づかない間、長期にわたって診療時間の誤掲載を続けていたのである。これは一種の営業妨害ではないかと思う。開業している先生は、1度自分の医院の情報が正しいか、チェックしてみる必要がある。
 確定申告の時期が近づいてきて、いろいろ雑用が多くなっている。まだ、このグーグルの訂正の仕方をしっかりと読んでいない。実は、訂正前にやらなければならない事はまだ山ほどある。去年の6月までにこのホームページで医院の案内をわかりやすく整理するというのも、放置したままである。とりあえず、締め切りのあるものから処理していくだけで精一杯である。この日記も同じである。毎週火曜日に更新しているので、とりあえず今はこの日記を仕上げることが最優先である。木曜日を休診にしたが、結局新しいことは何もできていない。なかなかワンパターン化した人生を変えることは難しい。

ビーチ1 ・前回の続きである。2月9日(土)はガンブガハイ滝に行った後で、サラグドーン・ビーチに行った。トライシクルで案内してもらっている時には、島のどこにあるのかわからなかった。今「地球の歩き方リゾートスタイル」を見ていたら、島の東側にあった。これが私の乗っていたトライシクルである。幹線道路からビーチまではかなりの距離があった。この奥に入っていく。海岸近くにゲートがあり、入場料20ペソ、トライシクル30ペソ、計55ペソ(115円)が必要であった。

ビーチ2 ・ここのビーチは欧米人が比較的多かった。中国人とフィリピン人も同じぐらいいた。

ビーチ3 ・太陽が照らすと、海はブルーに輝いてきれいであった。

ビーチ4 ・大きな岩の上から見た景色である。

ビーチ5 ・このビーチの水はきれいであった。岩の上からの高飛び込み台もあった。

レストラン1 ・ここがビーチのレストランである。昼食時には座る席がないぐらい混んでいた。私は、料理は注文せず、サンミゲール(ビール)の小瓶1本と缶ジュース1本、バナナを2本を買い、全部で190ペソ(400円)であった。

マングローブ ・島のどこら辺になるのかよくわからない。この木みたいなのは、マングローブのようである。朝方は青空が出ていたが、午後からは雲が多くなってきた。他にも、リゾートホテルのビーチにも行ってみた。天気がよくないと、海の色ももうひとつであった。

夕日 ・ホテルには、午後3時半過ぎに戻った。トライシクルのドライバーには、6時間で1300ペソ(2730円)と約束していた。大した額でなかったので、チップを200ペソ加えて1500ペソ(3150円)渡した。前回書いたように、私の泊まったホテルから幹線道路に出るには、1km歩かなければならない。たとえ幹線道路に出ても、あたりには店らしきものは何もなかった。夕食は外で食べたかった。午後6時から3時間600ペソ(1260円)で、同じドライバーに案内してもらうことにした。
 ここはホテルのビーチから見た夕日である。一見きれいに見えるが、海岸は広くなく、日中の海もそれほど澄んではいなかった。

レストラン2 ・ホテルから港に向かって行く途中に、もっと大きなレストランみたい所が何ヶ所かあった。最初案内された時には、地元の人や中国人が多く、あまりこぎれいな感じがしなかった。照明も少し薄暗い感じであった。ここで、イカやエビ、魚、肉などを選んで、料理してもらった。

レストラン3 ・イカ1匹、エビ5尾、サンミゲールの小瓶1本を注文し、全部で300ペソ(630円)であった。地元の人で混んでいる店なので、料理は美味しかった。値段も安かった。もうちょっと、いろいろな物を頼んだらよかった。ドライバーは自分で何か注文して食べていた。
 この後で、港の近くのマッサージ屋に連れて行ってもらった。ふつうの真面目なマッサージである。1時間200ペソ(420円)であった。他にも、娼婦がいるカラオケバーみたいな所にも連れて行ってもらった。私は「何でも見てやろう」なので、スラムでもどこにでも行く。
 トライシクルのドライバーは英語もまともに通じないぐらいである。乗っているトライシクルもあまりきれいでなかった。1枚目の写真のトライシクルがやっと通れるぐらいの真っ暗闇の山道を走り続けた。途中、それこそ、藪の中の道らしき道のない所に入って行く。こんな先にカラオケバーがあるなんて考えられない。一瞬、仲間が待ち伏せしていて、襲われるのではないかと思ったぐらいである。それぐらい人家の明かりも何も見えないでこぼこの獣道みたいな所を長い時間走り続けた。
 やっと掘っ立て小屋みたいな所の明かりが見えた。オープンエアーのテーブルには地元の数人の男が座っていた。古い小さなブラウン管TVの歌詞を見ながら、マイクを使って大声で歌っていた。確かに、これぐらい山奥に入ったら、近所迷惑にはならないだろう。女の人が近づいてきて、どこのホテルに泊まっているか聞いてきた。もうちょっと魅力的な人だったら、ここでビールを飲みながら少し話をしてもよかった。
 何回も書いているように、私は病気嫌いなので、マニラのLAカフェでもバンコクのテルメでもお持ち帰りをしたことはない。女の子相手に安くビールを飲めるので、利用するぐらいである。正月にタイのクード島に行った時に、久しぶりにテルメに顔を出したら、女の人のレベルがびっくりするほど上がっていた。マニラのLAカフェがますますおばさん化しているのとは対照的である。それでも、昔と違って酒を飲みながら娼婦(セミプロ?)を相手に話をするのも飽きてしまった。
 結局、すぐにまた来た道を戻ってきた。ドライバーがダンスをする所があると言ってきたが、少し疲れたので行くのはやめた。結局、ホテルに戻ったのは、夜10時頃であった。チップを含め、700ペソ(1470円)渡した。

ホテル ・10日(日)の朝である。私の部屋の中から見た風景である。ガラス戸は、外からは鏡のように反射して中は見えない。この日の午後4時前の飛行機でドゥマゲッティの空港からマニラに帰る。最初の予定は、レンタルバイクを借りて午前中は島を巡ることであった。ところが、前回書いたように、運転免許がなければバイクは借りることができない。
 ホテルの受付けに船の出る時刻を聞いたら、午前10時発がいいと言われていた。前日のドライバーに8時半に迎えにくるように頼んでいたら、別の人が来た。この人は英語がペラペラであった。港まで来た時と同じ300バーツ(630円)で送ってもらった。途中、道端で手を挙げる人が何人かいた。トライシクルがジプニー代わりに、地元の人の交通手段として利用されていた。
 今回泊まったホテルを利用して思ったことは、もっと大きなリゾートホテルに泊まるか、港近くのホテルに泊まるのがいい。港近くは、トライシクルも多く、マッサージ店もあり、スーパーもあった。何かと便利である。

船 ・港には9時頃に着いた。チケットを買ったら、9時出発で140ペソ(295円)であった。来た時には200ペソだったので、船によって値段が違う。時間が間に合うのかと思ったら、15分ほど遅れて出発した。乗客はほとんど中国人観光客か地元の人であった。乗船時間は1時間15分ぐらいであった。来た時よりも15分ほど長く時間がかかった。

港 ・ここがドゥマゲッティの港である。出発時間まで長い時間があったので、海岸沿いに歩いてみた。

案内所 ・ここは港を出た所にあるパネルだけの案内所である。ネグロス島などの見所を紹介している。シキホールに渡らず、ここだけでも充分に楽しめそうである。

海岸1 ・海岸沿いを歩いていたら、ホテルもけっこうあった。日曜日だったので、フリスビーの大会みたいなものもしていた。海岸沿いの道に建っていた像である。道路を隔てて写真を撮ったので、解説は読んでいない。カトリックの布教に関係しているのだろう。おとなしく船に乗っておらず、シュールな手つきが気に入った。

海岸2 ・地元の漁師が海に潜って、網を引き揚げ、網に付いた魚を取っていた。中国人観光客の子どもが興味深そうに覗き込んでいた。どこの国でも、子どもは好奇心旺盛である。このスナップ写真は、撮れそうでいて撮れない。昼食はハンバーガーと缶ジュースを頼んで、220ペソ(462円)であった。別のスタバみたいな店で、カフェラテは130ペソ(273円)であった。
 マニラでは、エルミタに出てロビンソンの日本食レストランで夕食をとった。日曜日だったので、混んでいた。ビールやラーメン、餃子、おつまみなどいろいろ頼んで、925ペソ(1943円)であった。なかなか信じてもらえないかもしれないが、私の最近の旅は清く正しい旅である。もともとセックスをしないので、高級ソープには興味がない。スペシャル・マッサージも長いこと受けていないので(けっこう、見つけるのが難しい)、いつも両替したお金をたくさん余らせて、また旅行に来なければと思ってしまう。 

平成31年2月12日(火)

 この連休は、フィリピンのシキホール島に行っていた。2月7日(木)〜2月11日(月)である。8日(金)と9日(土)は休診にした。正月休みにタイのクード島から返ってきたばかりである。実は、毎年3月の春分の日に南の島に行く。ところが、今年は木曜の休診日に当たる。バリ島などを除いて、今が乾期でベストシーズンである。行ける時に行っておこうと思った。
 マニラで前後の7日と10日に1泊して、シキホール島には2泊した。私は寝泊まりさえできたら、ホテルは安宿でもいい。それでも、最近はあまりけちらず、今回は1万円前後の部屋を選んだ。マニラでは空港に近いエドゥサの老舗のホテルに泊まった。朝食付きで、1泊8500円であった。いつも書いているように、2人で泊まっても同じ値段である。朝食も2人分で、私は1人で泊まったので、2日連続の朝食券が付いていた。
 今回の旅行では、スマホに入れた映画を3本見た。「ユリゴコロ」と「ワンチャンス」と入れたまま長いことみていなかった韓国映画の「悪魔は誰だ」である。「ユリゴコロ」はいつも誰かが借りていて、長いこと見ることができなかった。久しぶりにエグい映画を見たと思った。発達障害と思われる女性の主人公が出てくる。ここまで極端でないにしても、本来の発達障害は生まれつきの脳の機能障害である。音に敏感になるとか、こだわりが強いとかで、簡単に自閉症スペクトル障害にしてしまう現在の精神科医にも疑問を持っている。
 リストカットの女性も出てくる。腕に刃物を当て、血だらけの場面も出てくる。昔は、精神科医としてリストカットをなかなか止めれない自分に対して、責めたり自信をなくしたこともある。しかし、段々とどんな名医でも簡単に治せないことがわかってきた。最近は私も開き直ってきて、なごみ系の一種の癖みたいなもので、少しでも減らせたらいいでしょうぐらいである。生活全体のことに焦点を合わせるようにしている。なかなか面白い映画であった。しかし、偶然の一致や自殺や殺人の手前でかろうじて止めることが多くなると、どうかなあという疑問も生じた。
 「ワンチャンス」はイギリスの労働者階級のことがよく描かれていた。オペラ好きの携帯ショップの店員が、コンクールでオペラを歌って優勝するという物語である。実話に基づいている。それなりに楽しめた。韓国映画は最近レンタルでよく見ている。この「悪魔は誰だ」も面白かった。
 海外に出てばかりいると、暇そうに見える。しかし、前後はけっこう忙しい。書かなければならない書類は、すべて旅行前に書き終えた。旅行前の6日は患者さんが多かった。労働基準監督署から頼まれていた労災の意見書をなかなか書いている暇がなかった。いつもの意見書とは別のものである。外来が終わってから、夜9時過ぎまでかかって、簡単な意見書を書いていた。この日は京都駅のマンションに泊まった。書いた書類は京都駅の郵便局に投函した。
 きのうは京都駅に着いたのは、夜の9時過ぎであった。マンションで着替えをして医院に帰ったのは、夜の10時過ぎである。私は冬でも靴下をはいてスポーツサンダルで出かける。上着の下のシャツも薄着である。上着は空港で預ける。書かなければならない書類が郵便受けに山ほど溜まっていた。シキホール島の1人旅については、以下に写真付きで解説する。

地図 ・フィリピンのシキホール島は赤いマークが付いた所である。上の右側(東側)からボホール島、セブ島、ネグロス島になる。マニラから午後2時前の飛行機に乗り、1時間10分ですぐ横のネグロス島のドゥマゲッティの空港に着く。セブ島からも行けるようである。

空港 ・ここはドゥマゲッティの空港である。ここからトライシクルを使って、港まで行く。最初は150ペソと言われた。マニラで両替して1ペソは約2.1円であった。何とか100ペソ(210円)に値切った。港まで20分弱ぐらいかかった。

港 ・ここからシキホール島行きの船に乗る。値段は200ペソ(420円)で、他に保険料みたいなものを14ペソ取られた。乗客は現地の人と中国人観光客が多かった。トライシクルの運転手に聞いたら、8割が中国人観光客だという。ドゥマゲッティから島を15km南に行くと、ダウィンがある。ここからアポ島に行く観光客が多いらしい。船は1〜2時間に1本ほどしか出ていなかった。ここで50分ぐらい待った。乗船時間は1時間ほどであった。シキホールの港に着いたのは午後6時頃で、あたりはもう薄暗くなっていた。

ホテル1 ・ホテルは島の高級ホテルを予約した。どの辺りが場所的にいいのかわかりにくかった。とりあえず、島の西側の南寄りにあるホテルを選んだ。港には、たくさんのトライシクルが並んでいた。ホテルの名前を言うと、400ペソ(840円)と言われた。こんな島で強気の値段である。ちなみに、マニラでジプニーに乗ると、1回9ペソ(19円)である。マニラでは比較的空港に近いエドゥサのホテルに泊まった。空港からホテルまでタクシーでぼられても120ペソ(252円)である。結局300ペソ(630円)に値切った。
 ホテルまでは、40分ぐらいかかった。島を1周する幹線道路は広かった。幹線道路から細い道に入って、海岸そばまで行く。着いた時は真っ暗だったので、この写真は翌朝撮った。私の泊まった部屋である。左側にもう一部屋ある。ガラス戸が鏡のようになって、部屋の前を写している。部屋の中から外はよく見える。食事なしで、2泊で2万7700円(1泊1万4千円弱)であった。2人で泊まっても、同じ値段である。

ホテル2 ・私の部屋の前の風景である。プールがあって、その向こうに海がある。右側にプールバーもある。海はそれほどきれいでなかった。ホテルの人に聞いたら、幹線道路まで1kmあると言う。途中、夜間は真っ暗な林みたいな所を通り抜けて行かなければならない。幹線道路に出ても、周囲には店らしきものは建っていなかった。港からの途中、所々で大きなレストランが建っていた。ここは独立したリゾートホテルで、食事もここでしなければならなかった。
 船での島巡りみたいなツアーがあるのか聞いてみたら、島巡りのツアーはないという。トライシクルを使った島内の観光はあった。仕方ないので、港からホテルまで案内してくれたトライシクルの運転手に案内を頼んだ。ホテルで頼んだら1500ペソ(3150円)である。300ペソぐらいはホテルの手数料になる。英語もろくにしゃべれないドライバーの方がこちらのペースで案内を頼める。午前9時〜午後3時までの6時間を1300ペソ(2730円)で交渉した。(ちなみに、「地球の歩き方リゾートスタイル」では1000ペソになっていた)

フットスパ1 ・レンタルバイクもあったが、運転免許証がいるという。たぶん、日本の免許証でいいと思う。コピーするのだろう。最初に行ったのは、センチュリー・オールド・バレテ・ツリーである。立派な木が立っている。池みたいな所でフットスパが楽しめる。無料である。

フットスパ2 ・この写真には写っていないが、けっこう大きな魚がやってきて、足をつつく。少し痛いぐらいである。

フットスパ3 ・ここではヤシの実を売っていた。カメラを向けると、人なつっこい笑顔を見せてくれる。ただ、フィリピン人の笑顔に油断していると、いろいろな場面で、ダメもとで法外な値段をふっかけられる時もある。

滝1 ・次に博物館に行ったが、興味がないと言って入館しなかった。教会も洞窟みたいな所ももう興味がない。途中、ガソリンを満タンにしたが、200ペソ(420円)要求された。ここはカンブガハイ滝である。ここでは、トライシクルの駐車場代が20ペソ(42円)取られた。駐車場から滝つぼまで急階段となっている。この滝のガイドが案内してくれると言っても、実際にしてもらったのはこの階段の上り下りに付いてきてもらったぐらいである。「地球の歩き方」には、チップとして100ペソ(210円)渡すように書かれていた。実際に請求されたので、仕方なく渡した。

滝2 ・ターザンロープを使って、ジャンプも楽しめる。(50ペソ) 右上に中国語で書かれた案内がある。私の印象では、シキホール島の観光客は8割が中国人で、1割が欧米人、日本人は皆無であった。

滝3 ・ここからターザンロープを使って、飛び降りる。 

滝4 ・こんな感じである。

滝5 ・ジャンプ台は3つ(4つ?)ぐらいあったと思う。

滝6 ・動画もたくさん撮ってきた。近いうちに、YouTubeにアップロードしようと思う。

滝7 ・私は南の島のいろいろな滝を見てきた。ここは水がきれいで、今まで行った中では1番のベストである。緑も美しかった。

平成31年2月5日(火)

 きょうはいつものように、午後から往診に行ってきた。最近は、これまであった駐車場が閉鎖して、車を止める場所がなくて困っている。土地の値段が高くなっているので、マンションやホテルなどの敷地として売り出されてしまっている。きょうも、かなり離れた場所で、やっと見つけた。いつもは1ヵ所で見つけるのが大変である。きょうは2ヵ所で同じように時間が取られた。
 最近、高齢患者さんの夫婦関係を聞いていて、難しいと思った。たいていの奥さんは、夫が1日中家にいるのを嫌がる。定年退職して、スポーツジムに通っていた夫が、70代半ばになってジムに行くのをやめた。1日中家にいだしたら、奥さんが切れるようになった。みんな言うことは共通している。「私はあなたの家政婦ではない」である。仲のよかった夫婦も難しい。夫はうるさくない。日中はTVを見て、夕食に焼酎を1杯飲んで機嫌良くしていた。ところが、80代も半ばを過ぎてくると、奥さんが買い物に行って毎回食事を作るのが大変になってきた。夫に食事の配食を提案したら、即座に断られたという。自分の身体が弱ってきて、家事を続けるのも辛いのに、(悪気があるわけでないが)理解しようとしない。
 時々、サラリーマンがTVで、嫁さんからもらう小遣いは3万円などと話している。子どもが小さい頃はこれでいいのかもしれない。しかし、これからはサイフも貯金もすべて奥さんに預けるのは危険である。時々、すべて奥さんに預けていたら、離婚の時に、お金は一銭も残っていなかったという夫もいる。理想的には、2人で共稼ぎして、それぞれが自分のサイフを握ることである。家賃や食費は分担し、誰がいくら出すと決めておくことである。ただ、それぞれが経済的に独立できると、必要以上に我慢することもないので、離婚の危機も高まる。
 子どもが欲しいということでなければ、お互いに会いたいときに会って、無理に結婚する必要もないかもしれない。若い男性の中には、どうして婚姻期間中に稼いだお金の半分を離婚する妻に与え、養育費も負担しなければならないのかと、結婚前から不満を言う人もいる。私の周りでも、小さな子どもを抱え、離婚した医師もそれなりにいる。やはり、結婚するならお金持ちである。みんなかなりの額の養育費を払っているようである。

今週のトピックス 71 (190205)

丹羽宇一郎「習近平の大問題」 (東洋経済)
丹羽宇一郎「習近平の大問題」 (東洋経済)

 この本は去年の12月に大阪の本屋で買った。最近は、大阪に出ることは滅多にない。特に欲しいものも興味のあるものもあまりないからである。本屋に寄ると、ついつい本を買ってしまう。アマゾンでもなるべく買いすぎないように気をつけている。時間的に、すべて読み切れるわけがないからである。この本も途中まで読みかけて、そのままになっていた。実はきのうの朝から本格的に読み出し、今日の午後5時前に読み終えた。読み終えた後で、アマゾンの書評を少し読んだら、著者を売国奴呼ばわりしているのもあった。
 著者は、伊藤忠商事の社長、会長を経て、2010年、民間出身での初の中国大使に就任した。今年80歳になる。まず、世界各国の中国に対する意識調査である。日本人の中国嫌いは、ベトナムに次ぐ。日本の中国人嫌いは5年にわたって80%以上を維持している。中国人の訪日旅行者は年間600万人を超えている。ところが、日本から中国を訪れる人は、ピーク時から100万人以上減っている。最近の若い中国人は「反日」ドラマは見ず、日本への印象は改善傾向にある。ところが、日本社会における「反中」の空気は依然高いままである。安倍首相の「嫌中」、「嫌韓」の影響も大きい。金になるからと、歴史修正主義に荷担するメディアも悪い。
 しかし、以前にも書いたように、日本からの輸出先としては、アメリカに次いで2位で、輸入先では第1位である。香港と中国の輸出額を合計すれば、輸出額でもアメリカを300億ドル以上上回る。日本の貿易は、中国なしではにっちもさっちも行かないのである。米中貿易戦争で、日本が計り知れないほど影響を受けるのは間違いない。インバウンドの観光客も1位が「嫌中」の中国で、2位が「嫌韓」の韓国である。欧米の観光客を増やそうと思っても限界がある。遠い分、途中で物価の安いタイやマレーシア、インドネシアなどに客を奪われる。距離が遠ければ遠いほと、観光客の規模も少なくなる。
 まず、人口の規模である。アメリカはせいぜい3億人である。EU(欧州連合)は5億人である。中国は14億人である。これだけの国民を統治しなければならない。習近平が追う「中華民族の夢」とは、19世紀から20世紀前半にかけて自分の国なのに主権がないという諸外国から屈辱を受けた中華民族の誇りと大国の地位を取り戻すことである。
 ケ小平が主席の任期を10年に制限するように定めたとされている。以後歴代主席は2期10年で退任している。しかし、退任しても、長老として隠然たる影響力を陰から行使していた。江沢民も、胡錦濤政権の手かせ足かせとなっていた。習近平が任期を撤廃したと言っても、陰で動いていた権力が、透明度の高いものとして、表に移っただけと考えることもできる。2017年10月に、5年に1度の中国共産党大会が開かれた、この時に習近平国家主席は3時間半の長い演説をした。この演説に関しては、長老の江沢民や胡錦濤には何も事前に相談しなかった。この長演説で、中国は、現在の指導部が権力を持ち、権力を行使するという意思表示を、長老および全国の代表者たちへ突きつけたのである。
 さて、先ほどの14億の人口である。全人代(全国人民代表大会)に所属する代表議員は3000人いる。著者は、国民の権利や自由を抑えつけたままでは、やがて国がたちいかなくなることは習近平も感じているはずだと述べている。民主的に議論すると言っても、3000人もいては限界がある。現状では、共産党独裁がベターな制度ではないかという中国政府幹部の言葉も紹介している。まだ、中国は民主主義的システムで国を運営できていない。著者は、中国は連邦制の民主国家に移行していくしかないと言う。6つのステイト(州)と中央政府で国をまとめて、運営する。共産党をホールディング・カンパニーとして、その下に事業会社である6つの州を作る。(詳細については、この本を読んで下さい。)
 統治者の第1の役割は飢えさせないことである。人々はパンを求めて毛沢東についたのであって、必ずしも思想的に共感したわけでない。パンを確保したことによって、ペン(自由と権利)も要求し始める。ペンを剣で抑えることはできない。著者は、急激な民主化を導入すれば、地域ごとに利害が対立し中国は大混乱に陥るだろうと述べている。いずれ民主化するが、それは30年以上先のことである。その前に、乗り越えないといけない山がいくつもある。改革は性急過ぎたら人は付いていかず、先送りすれば結局誰も何もしない。現在の組織を徐々に、しかし確実に改革することが中国の民主化の道のりだという。
 さて、日本の中国脅威論である。習近平は本気で覇権を求めているかである。まず、領土拡大は採算が合わないと書いてある。第2次大戦の戦勝国であるフランスは、植民地であるインドネシアやアルジェリアで起きた植民地の独立運動を押さえこもうとして、歳出の4割を植民地の戦費に投じるはめになった。イギリスもインドなどの植民地を放棄したが、その後始末に大変な出費を強いられた。敗戦で領土を失ったドイツや日本が戦勝国のイギリスやフランスより経済的に大きく成長した。植民地はいわば企業の不良資産と言える。国内にチベット問題や少数問題を現実に抱えている中国が、さらに面倒な事態を国外で抱え込むようなことはしないはずだという。
 1970年代末期からは、アメリカが中国に兵器や軍事技術を提供し、中国軍の近代化に協力した。アメリカと中国の戦略は、対ソ連という点で一致し、この時代の両国は「隠れた同盟国」だったという。この関係はソ連の崩壊まで続く。ソ連なき後のアメリカ軍が、予算獲得のため中国を仮想敵国にしようと図った気配があるという。中国の脅威を喧伝し、軍事予算を確保するねらいがあった。著者が中国の中枢の人物を話した時に、「中国が日本を取っても得るものは何もありません」と言われたという。日米安保条約があっても、アメリカが軍を出すとか出さないとかは、アメリカ政府と議会の判断で決まる。「尖閣問題」で中国と衝突しても、アメリカ参戦の可能性は極めて低い。日中問題は日中で解決するしかないのである。
 アメリカが超軍事大国で、中国の軍事費はアメリカの3分の1程度である。サイバー空間での戦争でも、世界第1はアメリカで、2位がロシアで、3位が中国である。中国の海軍は世界的に見ても遅れたままである。外洋に出て、自由に戦艦機を発着させる空母がないということは、陸上基地から飛び立つ航空戦力がカバーできる自国周辺しか行動範囲がないということである。習近平が提唱した「一帯一路」構想とは、陸のシルクロードである。もし、陸とシルクロードにある国々を支配下に置けば、現在の中国の数倍の地域、そして言語と文化の異なる民族を統治しなければならない。中国の一帯一路を中国の覇権主義を考える人は、「荷の大きさと重さ」を知らない人たちである。支配下に置くよりも、その地域の国々が平和になり経済発展するほうが、中国にとっては利益である。
 中国の南沙諸島の人口島の目的は、中国の潜水艦基地の防衛にあるという。現在、海南島の三亜に基地を移そうと建設を始めた。この三亜基地を防衛するためである。もうひとつの理由は、アメリカ海軍の偵察と情報収集に対するけん制である。自国の海軍基地の前で、アメリカ軍の海洋調査船や情報収集機が行動するのは、どこの海軍にとっても不愉快である。アメリカは「航行の自由作戦」と称して、当該海域での行動を続けている。もともとこの海域を船舶が通過するのは自由である。中国はこれまで他国の船舶に対し通行を妨害、威嚇するという示威行動に出たことはない。
 中国、日本でいう「王道」とは、王の徳によって国を治めるということである。「力」対「力」によって勝敗を決し、相手を征服する「覇道」は欧米の人々にはよくわかる。実力装置を持たない「徳の治政」を理解できる欧米人は少ない。力対力のアメリカのやり方では失敗例が多い。キューバ、ベトナム、イラクとみんな失敗している。数少ない成功例が日本だという。日本では、中国は北朝鮮の資源を狙っているという人がいる。中国は高い設備投資や人件費をかけて自分たちで採掘するより、現地の人から買えばよいので、現地を統治する必要はない。
 中国政府は2017年に統計法を法制化した。2019年以降は、統計数値はこの法制度によって厳密に取り締まられる。これまで、地方のトップである党幹部が、自分の評価を上げようと、実績の水増し、あるいは数字の操作をしているため、正確な数字が出てこないからである。反腐敗運動は、政敵を倒すために利用されている面も否定できない。しかし、今では、日本企業の接待ゴルフも断られるぐらいである。
 中国のような大国では、習近平のような独裁者によってしか国の改革ができないのも事実である。中国の発展には必要な、これまで誰も手をつけようとしなかったことをやろうとしているのである。これまでの国家主席は、汚職がはびこっていても、既得権者の権利は温存したままであった。単なる権力欲の塊であるなら、あえて危険な改革に挑む必要もない。アジアの歴史を見てみると、独裁体制の間に充分に経済発展を果たした国は比較的混乱なく民主化できている。韓国、台湾、マレーシアである。国が豊かにならないうちに民主化へ舵を切ったフィリピンやインドネシアは、いまだに混乱の余地を残しているという。
 中国については、いろいろな立場から書かれている。ある本では、「中国はかっての専制王朝の役割を中国共産党がそのまま継承している」と書かれている。この本に書かれていることを読めば読むほど、中国の民主化は将来どうなるのかと思う。一党独裁はいつまでも続くものではない。民主化も大事である。しかし、行き過ぎると、多数の意見が交錯し、何一つ決まらない国となってしまう危険性もある。

 

平成31年1月29日(火)

 きょうは寒いせいもあって、患者さんの数は少なかった。きのうも少なかった。木曜日を休診にして、1日辺りの患者さんは増えた印象である。しかし、1ヶ月の総患者数はむしろ減っている。息子が卒業するまでの後1年ちょっとはそれなりに頑張ろうと思う。今は、以前からの患者さんで食べているようなものである。1年に数回の受診でも、そういう患者さんをどの位持っているかである。そういう患者さんが多ければ多いほど、新患の人が減っても、それほどダメージは大きくない。
 この前の日曜日は、また新年会があった。同じ東山医師会の新年会でも、今回は私が属している第4班の新年会である。京都では有名な中華料理店でした。たまには、中華料理もいい。しかし、最近はコースの料理が多くて、全部食べきれなくなった。14日の東山医師会全体の新年会でも同じであった。美味しい丼とちょこちょこっとしたあてがあったら充分である。たまたま医院を出ようとしたら、私の医院に通院している薬物依存の患者さんのことで警察から問い合わせがあった。逮捕されたので、薬の内容などを教えた。留置されると、警察には薬を持ち込めないので、新たに薬を処方しなければならない。どっちにしろ、日曜日の夜は無理である。
 なかなかタクシーも捕まらなかったので、4〜5分ほど遅れた。席は決まっていないので、年齢の行っている先生が座っているテーブルしか空いていなかった。それでも、いろいろと話すことはできた。閉院した三聖病院の院長は、お年は92歳である。森田療法の大家として有名である。私はもともと強迫症状や恐怖症状を山ほど持っていたので、この先生の著書には大変お世話になった。前にも書いたように、私は薬嫌いなので、薬を飲まずに何とか日常生活に支障がない程度に改善した。
 パニック障害でも何でも、1番苦手なことを避けてその恐怖を克服しようと思っても無理である。滝に打たれようと、山に籠もって修行しようと、座禅を1日組もうと、恐怖は克服できない。1番苦手なことを克服するには、1番苦手なことを少しずつやるしかない。克服というと、語弊があるかもしれない。不安があっても、不安を持ちながら本来のやるべきことをやっていく癖をつけることである。人生の苦しみも同じである。苦しみから逃れようと、何をやっても逃れられない。グルジェフの本を読んでいる時に気がついた。引き受けて、生きていくしかない。
 たまたま80歳を超える同じ大学の大先輩の先生と話していた。前回の「今週のトピックス」で近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)の本を紹介した。お年寄りの血圧を正常値に近づけると、脳の血流量が少なくなり、血管内で血が固まって脳梗塞になる人が何万人もいると推定されている。脳の重さは体全体のたった2%なのに、血液は全体の15%が行っている。血圧を上げて血流を保とうとしているのに、薬で血圧を下げたらどうなるかである。脳の働きが落ちて、記憶力や判断力、気力の低下に繋がり、ふらつきも生じやすい。和田誠は精神科医である。しかし、東大系の高齢者専門の浴風会に勤めていた。ここでは遺体の半数以上は解剖して、脳の標本だけでも7000以上あるという。この病院で薬を使って血圧を下げると、みんな調子が悪くなるという印象を持っていると述べている。
 さて、私の大先輩になる先生である。京都の有名病院の院長もされていた先生である。今は老人病棟の患者さんを大勢診察している。入院してきた患者さんの血圧の薬をやめたら、劇的に元気になる患者さんが少なくないという。中途半端に改善すると、要介護度が低くなってしまって、受けられるサービスも限られてしまう。これはこれでいろいろと問題も生じるようである。しかし、必要もない薬で、寝たきりの状態にすることは避けなければならない。このあたりのことが、どこまで一般の先生に伝わっているのか、疑問である。患者さんを薬漬けにして、金儲けをしていると誤解されても仕方ない。何の根拠もなく、低い基準値を作った学会の責任も重い。

今週のトピックス 70 (190129)

嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」 (彩図社)
嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」 (彩図社)

 今年のゴールデンウィークは10連休になる。前から書いていたように、この機会を逃さず、ブラジルに行こうと思っている。「地球の歩き方」は2018〜19年版が去年の3月に出ていた。何とか、最新の情報は手に入れることはできた。ところが、最近の社会事情を扱った本がまったく出版されていなかった。ブラジルが日本で盛り上がっていたのは、2014年のFIFAワールドカップと2016年のリオデジャネイロ・オリンピックであった。一時は、経済的発展がめざましいということで、BRICSがもてはやされていた。オリンピック後のブラジルは、経済的に不況に陥り、治安が悪化したと言われている。
 日本からブラジルに行くには、いろいろなルートがある。どのフライトも直通はない。関西空港発ドバイ経由もあるようである。しかし、ほとんどが成田空港発である。アメリカかヨーロッパを経由してサンパウロまで行く。片道30時間ぐらいかかる。京都から成田空港までは、新幹線を使っても飛行機を使っても時間がかかる。アメリカ経由だと、ESTAが必要で入国審査や荷物の再検査がある。ヨーロッパ経由だと多少時間がかかるが、その分ややこしい手続きはない。乗り継ぎも7〜8時間も空港で待つのは大変である。
 日本からもブラジルへの観光ツアーは出ている。ただ、こういうツアーは、正月やゴールデンウィーク、盆の時は催行していない。ネットでは、なかなか見つけることはできない。もしかしたら、旅行代理店に行ったらあるのかもしれない。誰がこんな時に行けるのかと思う時期でも、けっこう値段がする。チリなどと組み合わせるツアーも多く、2人1部屋でも70〜80万円もする。ビジネスを使ったら、軽く100万円を超える。
 結局、1人で行くことにした。期間は2週間である。たいていのツアーはせいぜい10日ちょっとである。行きたい所はサンパウロを除いて、3ヵ所である。イグアスの滝とアマゾン川の拠点となるマナウスとリオデジャネイロである。伊丹空港から羽田空港まで行き、ビジネスを使って羽田空港発のヨーロッパ経由だと、飛行機代だけでも90万円以上もする。この便は乗り継ぎ時間も少ない。もう少ししたら安くなるのかよくわからない。国内線はそれほど高くはないだろう。ホテルもまだ調べていない。現地の英語ツアーに参加しようと思っている。ブラジルでは、英語もあまり通じないようである。早速ポルトガル語会話の本を買った。中国語はいつもかけ声ばかりで、ほとんど勉強ができていなかった。今度の旅行は、命がかかっている。本気で簡単な会話だけは覚えていこうと思っている。
 さて、きょう取り上げる本である。この人の本は、詳しい題名を忘れたが、前にも紹介した。今でも、感動した部分は覚えている。メキシコのバーに入ったら、いきなり口を開けさせられ、口の中に酒を入れられたという。何かのサービスかと思ったら、この酒代も請求されたという。実は、この本が書かれたのは、平成24年(2012年)6月である。6年以上前の本で、情報が古すぎると思った。しかし、最初に書いたように、最新のリアルなブラジルを書いた本がないのである。さーとTouTubeで見ても、最近は日本人観光客も少ないのか、あまり参考になるような動画にも出会えなかった。(英語版はまだ見ていない) それでも、予備知識は大事である。特に1人旅の場合は、1番狙われやすい。団体ツアーとは違って、犯罪に巻き込まれる確率も高い。
 まず、第1章の夜遊びである。私が東南アジアに出かけると、夜遊び目的のように誤解されるかもしれない。しかし、ここでも何回も書いているように、私は病気嫌いである。日本でも梅毒が大流行しているぐらいである。触ったり、マッサージぐらいはOKでも、本当に口のサービスやセックスはしない。最近は、年をとったせいかインポテンス気味である。
 TVでビートたけしが女の人と一緒にいても浮気しないと告白していた。道徳的理由ではなく、機能的理由である。まず、ブラジルの代表的な夜遊びのボアッチである。ブラジル特有のナイトクラブで、店内にはプータと呼ばれる娼婦がいて、自由恋愛が楽しめる。援交ナイトクラブみたいなものか。小さな田舎にもあるという。最高級店では、8年ぐらい前であるが、モデル級の女性が入場料や飲食代も含め、4万6千円と書いてあった。私は小田実の「何でも見てやろう」なので、見学には訪れたいと思っている。もしかしたら、梅毒にかかろうともうどうでもいいと理性を失うかもしれない。目隠しはかかっていたが、私好みの美女の写真が載っていた。
 カラオケバーやディスコなども紹介されている。ディスコの1番の盛り上がりが夜中の3時だという。私は早寝早起きである。時差の関係で睡眠リズムが狂っていたら、行けるかもしれない。この本ではブラジルの男女の関係についても書いている。フィカンチとは恋人未満、友達以上の存在を示し、日本でいうセフレみたいな関係である。ブラジルの場合は、交際する前にデートをしてまずセックスをして、体の相性がよかったら本格的に付き合い始めるケースが多いという。この恋人関係になる前の期間をフィカンチという。
 第2章は、「ディープなブラジル体感ツアー」である。リオのカーニバルの時期は治安が悪くなるという。2014年のカーニバルで、著者が観光客からもらったメールのことも書いている。日本人女性が襲われ、抵抗して足をナイフで切られ、病院に運ばれている。最初の3日間で29人が襲われて死亡し、その内26人が観光客であった。リオを代表するコパカバーナ・ビーチも日中は安全であるが、夜や早朝は危ないという。サンパウロの東洋人街リベルダージのことなども書いてある。もともとは日本から来た移民の町である。マナウスの格安アマゾン・ジャングルツアーやサンパウロから快適なバスで15時間で行けるイグアスの滝のことも紹介している。どこの国にでもあるドロップアウトした旅行者が集まる悪名高き日本人宿「ペンション荒木」の体験談もある。
 第3章は、「危ないブラジル アンダーグラウンド」である。ブラジルの治安の悪さは、現地に何年も住み常に警戒している人でも、強盗に襲われたりする。サンパウロの国際空港に地下鉄などを利用して行こうとした日本人観光客が強盗団に襲われ、拉致された。すべて強奪されただけではなく、すぐに解放されず殺されそうになっている。他にも、犯人の顔を見た人が殺されたりするので、強盗に襲われても顔は見ないように下を向いているのがいいようである。ブラジルの殺し屋はわずか100ヘアイス(約4500円)で人を殺す。憎い相手がいたりすると、ブローカーに頼む。警察もまともに捜査しないので、殺し屋も捕まらない。そのため、ブラジル人は恨みや妬みを買うこと避ける傾向があるという。
 地方都市に住む大金持ちの友人の所には、近所の貧しい男たちがよく金を借りにくるという。返済される見込みもないのに、気前よく貸していたという。その理由は、金の無心を断ったために、逆恨みされて、強盗に入られたり殺されたりする事件が山ほど起こっているからである。ブラジルの刑務所は慢性的に定員超過で、凶悪犯罪者でもすぐに仮釈放になるという。警察の腐敗についても書いている。リオの貧民街であるファベイラは有名である。現在は、見学ツアーも出ている。少し前に、このツアーの車がギャング団のものと間違えられ、警察と銃撃戦になって観光客が死亡している。このツアーにも参加したい。サルバドールのカーニバルは、リオのカーニバルより危険である。実際の体験記も書いている。
 ブラジルを安全に旅する7つのポイントも書いてある。@高級時計は身につけない A携帯電話は常に注意 B夜は短い距離でもタクシー C華美な服装は避ける Dカメラは絶対にぶら下げない。 E荷物はなるべく持たない。F地元の人に危険な場所を聞いて、絶対に近づかない である。この程度のことは、マニラを歩くときにはしている。ここでも何回も書いているように、カンボジアの内戦が終了した時に、プノンペンで強盗に襲われ頭に銃を突きつけられている。どんなに注意していても、ヤラれる時にはヤラれると書いてある。もちろん、大半の観光客は無事に帰っている。著者は夜中のタクシーでも友人と2人で利用している。1人で乗っても、安全なのだろうか。週末はLCCで釜山の射撃場に通い、銃の扱い方も覚えておいた方がいいのかもしれない。

 

平成31年1月22日(火)

 寒いと外に出るのがおっくうになる。最低必要限のことでしか外出しない。若い頃と違って、あまり出かける所もない。欲しいものがないのも影響している。こうやって年をとっていくのかと思うと、少し焦る。年末年始に行ったチャーン島とクード島については、動画を作ってYouTubeにアップロードしようと思っている。まだ勢いがあるうちに作っておかないと、永遠に延びてしまう。
 きょうは今週のトピックを書いていたら、もう夜の9時40分である。夕食は自炊をして食べた。ビールを飲みながら書いていたので、段々と眠くなってきた。きょうは、このまま本を紹介する。

今週のトピックス 69 (190122)

近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)
近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)

 この本は2018年3月に発刊されている。買ったまま長いこと読んでいなかった。やっと、去年の12月に読み終えた。私の読書は同時並行読みで、読みかけては他の本に浮気している。今は昔ほど読んではいない。きょうは書くことがなかったので、とりあえずこの本を取り上げた。
 実は、私は開業してから17年になる。この間、胃カメラ3回(実際に、逆流性食道炎が見つかった)受けたぐらいで、血液検査も数回ぐらいしかしていなかった。去年の5月までは月曜日から土曜日まで外来をしていたので、検査を受けにいく時間もなかった。6月からは木曜日を休診にしたので、好きな時に行ける。ところが、もう半年も経ったのに、面倒臭くて人間ドックにも健康診断にも行っていない。患者さんが痔だと思ってそのまま放置していたら、直腸がんが発見され、人工肛門の手術をした。がんはやはり早期発見が大事だと思っていた。
 しかし、この本の帯には、欧米には職場検診も人間ドックも存在しないと書いてある。早期発見・早期治療の「罠」と副題がついている。著者は「がんもどき」理論で有名な近藤誠とベストセラー本を何冊も出している精神科医の和田秀樹である。対談形式で書かれている。近藤誠の「がん放置療法」などは、専門家から目の敵にされている。近藤医師の書いた本を読んで信じている患者を近藤教と言って、一般の医師が嫌っていることも書いてある。ウィキペディアでも、近藤の文献の誤用などを挙げて激しいバッシングとなっている。私は専門家ではないので、この領域については深く立ち入らない。手術をしたら治るがんを放置して悪化している人も大勢いると思う。この本の中で和田が、放置群と治療グループを長期追跡した大規模な比較調査がほとんどなされていないので、本当はわからないと述べている。
 この本のテーマは健康診断である。近藤の書いている内容はすべて間違いだと結論づけるのも暴論である。ややもすると、日本の医者すべてを敵に回しているような所もあるので、医者にとって不都合な部分も洗いざらい暴露してくれる。医者同士みんな内心わかっていても、口に出せないこともある。その部分も遠慮なく書いてくれる。近藤自身もこれだけ強い批判にさらされているので、中には文献の誤用はあるかもしれないが、徹底的に調べて書いていると思う。がんを放置して悪くなった人のことをいくら書いても、「がん放置療法」を否定したことにならない。「早期発見・早期治療」によるデメリットがまったく評価されていないからである。これはQOLの低下などだけではなく、医療経済のことまで含めてである。
 ただ、同じ精神科医である和田の発言を読んでいると、必ずしもすべて同意できる内容でもない。誤解を招きやすい表現で、この分野(精神科領域)も9割は悪徳医で、「抗うつ剤は一生飲まないとダメだ」とか言っている、と書いている。この本は職場健診や健康診断に否定的な内容となっている。私は専門外なの正しい評価はできない。しかし、一部誤った部分はあるかもしれないが、内容は説得力がある。私はここでも何回も批判しているように、精神科領域の診断基準や治療ガイドラインに及ぼすに巨大製薬会社の力は計り知れない。この本を読んで、同じようなことが、各学会でも起こっていることがよくわかった。
 まず、健診である。欧米では合計14件(総被験者数18万人)に健診の比較試験が行われた。健診群と放置群である。結果は無効であった。肺がんの検診でも、放置群より健診群では肺がんの発見は多かったが、死亡者数は健診群で多かった。他にも、いろいろなデータを紹介している。効果がないとわかったので、欧米では職場健診も人間ドックもしないという。ここではイギリスの権威ある医学雑誌「BMJ」に載った「なぜ、がん健診は『命を救う』ことを証明できていないのか」という論文のことについても紹介している。世界中のデータをまとめて分析したら、「総死亡数が明らかに減った」という論文はひとつもなかったのである。ただ、延命効果についてはどうなっているのかよくわからない。
 子宮頸がん健診でも、このがんで死ぬ数千倍もの女性に「異常」が見つかって精密検査をされ、切除手術などをされている。前立腺がんについても、以前から言われていることである。PSA健診が普及して発見数は増えているのに、死亡者数は減っていない。死体解剖をすると、50〜60歳の男性の半分、80歳になると9割に前立腺の「潜在がん」が発見されている。前立腺がん、乳がん、甲状腺がんの発見数は何倍も増えたのにがん死は減っていない。がん健診は無効だという証拠として、世界的権威のある「ニューイングランド・ジャーナル・メディスン」の論文が使われている。
 乳がんのマンモ健診も批判している。乳がんの発見数は80年代の3倍以上に増えているのに、死亡者数はまったく減っていない。欧米でも医者の金づるになっているので、マンモ健診をやめようとしない。しかし、「40歳未満は、マンモ健診に意味がない」などと認めている。北斗晶が乳がんを告白して、「乳がん検診、受けて!」と呼びかけたら、若い女性たちが健診に殺到した。実は、北斗はマンモと超音波検査を毎年受けていたのに、自分でしこりに気づいたのでる。健診の無意味さを身をもって証明したケースなのである。
 ここでは血圧や総コレステロールの基準値などについても批判している。2014年に日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が150万人の健診受験者の「ビッグデータ」を分析して、ゆるい「新基準値」を発表した。メタボ健診で、標準体型は25未満とされていたのが、男性では27.7まで上げられ、血圧も標準で上は147にした。ところが、日本高血圧学会や日本動脈硬化学会、日本医師会、日本医学会などが猛反発した。高血圧は、1987年に当時の厚生省が示した基準が180だったのが、根拠も示されないまま160、140と下がってきた。年と共に血管は硬くなって細くなっていく。血圧が年とともに少し上がらないと、脳にきちんと血液の中の酸素が届かない。血圧を下げると、脳の働きが落ちてしまう。
 2017年にアメリカ心臓協会とアメリカ心臓病学会が、高血圧の基準を10下げて130/80にした。あらたに、3000万人の高血圧患者が生まれたのである。これも、利害が一致する巨大製薬会社の働きかけと学会の結託が大きい。血圧が高いと血管が切れて脳出血になると恐れているが、現在は栄養が足りているので、滅多に切れることはない。脳出血は激減している。むしろ、血圧を下げ過ぎて脳の血流が減ると、血管が詰まりやすく脳梗塞になりやすい。日本高血圧学会で大規模な比較試験では、上の血圧が160以上ある4400人を2グループに分けた。一方は140未満まで下げる厳格な治療群、片方は140〜160のゆるい治療群である。結果は、血圧を厳しく下げた方が、死ぬ人が多くなっていた。
 他にも、糖尿病治療のことについても詳しく書いている。ヘモグロビンA1cを6.5以下にすると死亡率が急増するという。7〜9ぐらいのほうが、死亡率は低い。日本の国立国際医療研究センターでは、アメリカを含む世界の全9件の論文、27万人以上のデータを分析して、「糖質制限を長期間続けた人たちの全死亡リスクは明らかに高く、健康への効用は認められない」と発表している。
 1番長生きするのは、小太りの人とか、日本人の高血圧の98%は塩とは無関係とか興味深いことが書いてある。日本人の寿命が延びたのは、塩分を減らしたり、粗食をしたからではない。肉などの栄養を充分に摂るようになったからである。漫画「サザエさん」が始まったのは、終戦翌年の1946年である。磯野波平さんは54歳、フネさんは48歳のままである。閉経後のコレステロールが220に達する女性は5割もいて、治療は必要ないと言われている。コレステロールが高めの人の方が長生きをしている。最近は悪玉コレステロールも悪玉でないことがわかってきた。若い時に栄養をしっかり摂らないと、子宮や脳が充分に発達しない。不妊症に悩む女性の9割以上が、若い頃にダイエットしていた人という不妊外来の先生のコメントもある。
 和田は精神安定剤については非難する立場で書いている。ところが、薬好きで胃腸薬などいつも7〜8種類の薬を飲んでいる。その中に、頭痛を止めるために常用しているロキソニンがある。慢性の下痢もあるようである。近藤からストレスが溜まっているのではないかと指摘されている。私は、むしろその人のもともと持っている体質だと思う。私は薬嫌いで、今は血圧が高いので、ニフェンジピンCR40mgを飲んでいる。市販薬の総合ビタミン剤のポポンSはもう何十年と飲んでいて、サントリーのセサミンも習慣で飲んでいる。どこまで効いているのかよくわからない。安定剤も飲んだことがないぐらいである。睡眠導入薬はエコノミーで深夜便に乗る時だけ、エバミール1錠を飲んでいたぐらいである。
 開業する前には、一応簡単な健診は受けた。借金を抱えて、大きな病気が見つかったら困るからである。大腸の検診(内視鏡検査)はまだ受けたことはない。この本を読んで、特に不調もないので、あわてることもないと思った。それでも、春頃までには、簡単な検査を受けるつもりである。検査で何か見つかっても、どうするかはそれから考えたらいい。こんな本を紹介して、医者仲間から私までバッシングを受けるのではないかと思っている。前から書いているように、ますます増大する医療費は何とかしなければならない。予算の付け替えは簡単にいかないのはわかっている。それでも、無駄な医療費は削減して、もっと若い世代にお金を回すべきである。

 

平成31年1月15日(火)

 この連休はゆっくりできたかというと、きのうはほとんど書類書きで追われていた。実は6月から木曜日を休診にしていて、1つ困ったことがあった。何かと言うと、私の地区の京都市のゴミの収集日が月と木なのである。水曜日は午後の外来が終わってから、琵琶湖のマンションに行くことが多い。医院を出るのは夜8時ぐらいである。ゴミ収集のためには、朝8時ぐらいに来ないと行けない。面倒臭いので、今はゴミ収集は月曜日だけにしている。きのうのように、月曜日が休みになると、ゴミがどんどんと溜まってしまう。仕方ないので、13日は医院に泊まり、この夜も必要な書類を書いていた。
 きのうは朝のゴミ出しをしてから、溜まりに溜まった書類を書いていた。1月中に書かなければならない自立支援医療の診断書などや各種届け出の書類や会計事務所に送る資料などである。訪問看護指示書なども、何枚も溜まると、うんざりする。すべて書き終えたと思っても、すぐにちょこちょことした書類が溜まっていく。開業している他の精神科医も同じだと思う。デイ・ケアなどをやっている大きな医院は事務員にやらせている所もある。医療事務以外のことは、すべて私が対処しなければならない。
 私の日本で初めての覚醒剤のあぶりの症例報告は、京都府警に大変お世話になった。今は、個人情報がうるさいので、いくら学術研究のためと言ってもこんな協力は得られない。だから、今でも京都府警の依頼については、協力するようにしている。前にも書いたように、逮捕された人は薬を留置場に持ち込めない。自費診療で、それまで飲んでいた薬を医療機関で出してもらうことになる。覚醒剤で逮捕された人は、いらいらや不眠を訴え、山ほどの睡眠導入薬や精神安定剤を要求する。自費診療なので、保険診療のようにハルシオンなどの睡眠導入薬2種類、デパスなどの精神安定剤2種類、計3種類までという制限はない。中には、ヒルナミンやリスパダールなどは合わないと言って、いくら説得しても聞く耳をもたない人もいる。警察も取り調べがあるので、何とかして欲しいと頼んでくる。
 刑が確定して、刑務所にはいったら、容赦なく睡眠導入薬や精神安定剤は減量される。私はもっとこわかった時代の暴力団員でも覚醒剤中毒者でもビビることは全くない。しかし、説得するのは大変である。日曜日でも、警察から「睡眠薬を増やしてもいいか」と問い合わせが来る。それだけ、留置場で扱いが大変なのはわかる。どこにも医療機関にはかかっておらず、知り合いから手に入れていたという人も多い。ある患者さんから聞いた話である。乱用で発売が中止になった睡眠導入薬のエリミンが、裏でワンシート(10錠)2万円で売られているという。何回も警察から問い合わせがあると、こちらもうんざりすることがある。
 きのうは、毎年恒例の東山医師会の新年会が午後5時半からあった。今回は2人の女性が出てきて、1人はピアノを弾き、1人は歌を唄った。ボーカリストはバンドを解散後、活動を再開しているという。ユーミンの歌やビートルズの「オブラディ・オブラダ」などをやっていた。私は少し癖のあるボーカルでないと、あまり感動しない。ふだん車の中で、FM放送でロックなどを聞いていても、なかなかいい曲に出会わない。たまたま最近、フラワーカンパニーズの「大人の子守歌」がかかっていた。これはよかった。YouTubeなどで調べたら、著作権で堅く守られていた。1曲250円でダウンロードできる。他の曲も聴いてみたら、この曲が1番よかった。今回のチャーン島、クート島に行った時に、スマホに映画の動画を入れていった。夜寝ながら見るには、タブレットでは少し重すぎる。映画「暗黒女子」の最後に出てきた曲もよかった。
 テーブルでは、ふだん話す機会のない先生とも話ができた。子どもさんは西日本で1番偏差値の高いと言われている私学医学部に通っていた。私の息子はここは落ちている。やはり運動クラブにはいっていて、大学の近くで部屋を借りているという。ここは入学してから1度電話で寄付の依頼があったという。結局、任意の寄付は一銭も払っていないという。東山医師会も高齢化し、新年会の参加者も減ってきている。東山区の介護認定審査会の委員を会長から頼まれた。私より若い先生であるが、人手不足で頼まれると断りにくい。私よりもっと上の先生も引き受けるようである。

地図 ・1月2日はクート島に行った。地図では、チャーン島の南にある。途中の小さな島はマーク島である。12月31日に島巡りツアーを申し込んだ時に、チャーン島からクート島に行くチケットを申し込んだ。午後2時頃からの出発が満席で、正午出発に申し込んだ。今回も午後11時にホテルまで迎えに来て、港まで送ってくれる。クート島に着いたら、予約しているホテルまでまた送り届けてくれる。今回は値段が高く、900バーツ(3150円)であった。

ボート ・今回はフェリーではなく、こんなボートにぎゅうぎゅう詰めであった。私は運転席の横の席に座らせてもらった。

マーク島 ・ここはマーク島の港である。私はクート島と間違えて、上陸してしまった。足が中途半端に切れてしまって、もうちょっと下から撮ったらよかった。クート島に行く乗客がたくさん待っていた。

上陸 ・ここがクート島の船着場である。1番前に置いてあるのが、私の旅行カバンである。今回は6泊7日だったので、大きいカバンにした。いつも使っているのは、もっと小さなカバンである。できる限り荷物は少なくしている。

ホテル ・船を下りてから、荷台付きのトラックに乗る。荷台には、屋根と椅子が2列に並んでいる。大勢の乗客がいて、どの乗り合いトラックに乗ったらいいのかよくわからなかった。胸にシールを着けていたら、ドライバーが声をかけてくれた。
 降ろされた所は、あまり人家のない掘っ立て小屋よりは少しましという程度の所であった。家主かマネージャーが出てきて、少し待たされた。奥に、バンガローのような建物が建っている。食堂を兼ねた受付の横に、レンタルバイクが1日200バーツ(700円)と出ていた。
 部屋が空いていないと言われ、案内されたのがここである。ここのホテルで借りたレンタルバイクは、1日250バーツ(875円)であった。温水は出るが、冷蔵庫はついていなかった。女主人から聞いたら、ここは朝食付きで1500バーツ(5250円)だという。私の予約したホテルは1泊8250円ぐらいであった。最後の日に、このホテルに行って抗議したら、電話口のオーナーがもう1泊泊めると行った。しかし、そんな余裕はない。

川 ・島はレンタルバイクを借りないと、どこにも行けない。道路は舗装されている。メイン道路からビーチに出るまでは、デコボコ道である。ヘルメットは着けるように言われた。しかし、これは旅行者だけで、現地の人は誰もかぶっていなかった。
 免許の提示もいらず、多少酒を飲んで運転していても、事故でも起こさない限り何も言われない。ガソリンは、ペットボトルに入れて売っていた。1リットル以上入っているのか、1本40バーツ(140円)であった。クローン・チャオ滝に行く途中風景である。クート島の表記は、上の地図のような表記や現地では、KO KUTになっていた。

滝 ・ここはクローン・チャオ滝である。

橋 ・橋の上から撮った写真である。今回は、カメラを向けるとピースサインをする人が意外に多かった。

昼食 ・ここでは遅い昼食をとった。まだ繁華街みたいな所は作られていなかった。旅行代理店みたいな所もなかった。今「地球の歩き方」を見たら、「ツーリスト・インフォメーション」があったようである。林のおおわれた何もない舗装道路を走っていると、道路沿いに所々に木造立ての食堂や小さなコッテージみたいな所が見えたりする。
 ここで翌日のスノーケリングツアーと4日のクート島のホテルからトラート飛行場までのチケットを買った。スノーケリングツアーは昼食付きで1200バーツ(4200円)であった。トラート飛行場までは、800バーツ(2800円)であった。

夕日1 ・島の西側に舗装道路が整備され、南側の道路を使って、東側までは行ける。しかし、まだ道路が作られていないので、そのまま東側を北に行くことはできない。ビーチが西側なので、夕日がきれいである。ただ、この日は水平線の夕日は見れなかった。

リゾートホテル ・ビーチ沿いに大きなリゾートホテルが建っている。しかし、軒を連ねているわけではなく、あちこちのビーチに、かなり離れて、ポツン、ポツンと建っている。メイン道路を走っていると、こんな大きなリゾートホテルがあるなんてわからない。町のレストランもほとんどないので、たとえ小さなホテルでもほとんどそこで夕食をとることになる。
 私はこの日は船着き場の近くのレストランで夕食をとった。頼んだタイ料理の品がもうひとつ味があわなかった。ビールを飲んだりして、全部で420バーツ(1470円)であった。 

ツアー ・ここは別のリゾートホテルからのツアーのボート乗り場である。参加者はイタリア人家族4人とフランス人家族4人と私である。午前出発と午後出発があった。私は午後からバイクで島を巡りたかったので、午前出発にした。天候はあまりよくなかった。

ビーチ1 ・途中スノーケリングをしながら、ここの島にたどり着いた。ここは、本当にきれいなビーチであった。残念であったのは、空が厚い雲のおおわれ、太陽がほとんど差し込まなかったことである。

ビーチ2 ・綱にぶらさがって、海に飛び込む。太陽が出てくれたら、もっと水が透き通ってきれいであった。

ビーチ3 ・昼食は先ほどのボート乗り場に戻り、リゾートホテル内のレストランでした。ここで、ゆっくりと過ごすことができた。ただ、天候は回復しなかった。サムイ島に台風が近づいていることはまったく知らなかった。ここはホテルに戻って、バイクで行った別のリゾートホテルのプライベートビーチである。

アオヤイ1 ・島の1番南側を走って、東端にたどり着くと、アオヤイになる。このまま道路を走っていても何もないのではないかと心配になるほど、両側は林が続いている。何回も引き返そうと思ったぐらいである。ここに、海鮮料理の店が何軒か建っていた。

アオヤイ2 ・私はこういう雰囲気は好きである。まだ洗練されていない店が出ている。さすがに観光客もわずかで、ここまでは出てきていなかった。クード島は今注目の島なので、そのうちここもどんどんと開発されていくだろう。

レストラン1 ・メイン道路から1番近い海鮮レストランである。実は、偶然であったが、私が泊まっていたホテルの女主人がこの店を経営していた。チェックインする時に、このレストランの名刺みたいな物をもらった。10%割り引くと書いてあった。地図でわかるわけがないと思っていた。少し早い時間であったが、ここで夕食をとることにした。

レストラン2 ・この写真は少しピンぼけしていた。生け簀の中の物を選んで、料理してもらえる。生ウニは1匹100バーツ(350円)であった。ホタテが売り切れということで、ハマグリの料理も頼んだ。ビールの小瓶2本やライスも頼んだ。左側のカニの一品は絶品であった。生ウニはそこそこであった。他にも、何か頼んだが、すぐに思い出せない。全部で、780バーツ(2730円)であった。ちなみに、バンコクに到着した日に、ショッピング・センターにはいっている大戸屋でビールの中瓶(620ml)と1人用ビーフスキヤキを頼んだら、603バーツ(2110円)もした。

ビーチ4 ・1月4日は悪天候であった。バイクに乗っていても、ぽつぽつと小雨が降ったりしていた。ここも別のリゾートホテルのビーチである。波も荒れていた。この日は、前日のようなスノーケリングツアーは無理だと思った。

フェリー ・実は天候が悪かったので、タイ本土にあるトラートの港までたどり着けるのか心配であった。チャーン島からクード島に渡ってきたボートみたいなのでは危ないと思った。ところが、島の北側から大型のフェリーが出ていた。車は乗れない。ここがフェリー乗り場であった。大勢の人が乗っていた。

船着き場 ・フェリーはトラートの港(チャーン島行きとは別)まで1時間ほどかかった。港に着いてから、バスターミナルまでこの大型カートに乗っていく。特に案内があるわけでないので、また胸にシールを貼ってバスターミナルまで行った。ここからバンコクへのバスが出ていた。2階建ての大型バスで、快適そうであった。「地球の歩き方」には5〜6時間と書いてあったが、バンコク市内で渋滞に巻き込まれると、とんでもない時間がかかる。少し前に行ったパタヤはミニバンを使った。しかし、渋滞に巻き込まれ、びっくりするほど時間がかかった。
 待合室で待っていたが、誰からも声をかけられなかった。空港行きのバスは午後2時半出発で、トラート空港まで1時間かかるという。間に合うかどうか、気が気ではなかった。2時半少し前に、女性ドライバーが声をかけてきた。ミニバンで私を迎えに来たのである。他に乗客は誰もいなかった。空港まで50分かかった。他の乗客が空港までのタクシーを頼んでいたが、呼ぶのに時間がかかるという答えであった。最初は800バーツと聞いて、随分と高いと思った。しかし、これだけ時間がかかるなら無理ないと思った。

トラート空港 ・ここはトラート空港の待合室である。飛行機の出発は午後4時25分であった。小さな空港なので、30分ぐらい前に到着しても飛行機に乗れそうである。
 今回チャーン島とクート島に行って思ったのは、4泊5日ぐらいの旅行ならチャーン島で充分だと思った。クート島はマニアでない限り、もうちょっと開発されてからの方がいい。チャーン島でもレンタルバイクを借りることができる。ツアーもたくさん出ているので、クード島にも日帰りで行けるかも知れない。チャーン島で泊まるなら、前回書いたようにサイカオ・ビーチがお薦めである。ホテルも多い。夏は雨期にはいるので、ゴールデン・ウィークぐらいまでがベストシーズンである。

平成31年1月8日(火)

 明けましておめでとうございます。今年になってからこの日記が最初になる。年末年始はどこに行っていたかというと、タイのクート島である。たまたまネットの記事で、世界一美しいビーチ(だったと思う)に選ばれていた。こういうランキングは、発表している旅行予約サイトなどによってころころ変わる。それでも、年末に1度行ってみようと、発作的に航空券だけは予約した。
 今回の旅は12月30日〜1月5日までの6泊7日の旅であった。夜行便は使わず、行き帰りはバンコクに1泊する。結局、バンコクに2泊、チャーン島に2泊、クード島に2泊してきた。第一目的のクード島は、あまり天候はよくなかった。帰国してから新聞を見ていたら、タイ南部に4日に上陸した台風が5日に横断し、サムイ島などで被害が出ていた。チャーン島やクート島はカンボジア寄りにあるので、被害はなかった。しかし、天候に影響した。
 息子が高2の時だったと思う。年末年始に2人でサムイ島に行った。この時に、夜サムイ島からパンガン島に行こうとした。ところが、あまりにも大勢の人がいたので、行くのはやめた。実はこれが正解であった。どうしてかというと、翌日だったか、天候が悪くなって海が大荒れになった。バンコクに帰るために、サムイ島の空港で待っていたら、悪天候のためにバンコク行きの飛行機が中止となった。その日は、航空会社が用意したホテルに泊まって、帰国も1日遅れた。パンガン島に渡っていたら、サムイ島までボートで帰ることもできなかった。
 今回の旅については、以下に写真付きで解説する。

地図 ・チャーン島やクート島と言っても、どこにあるのかよくわからないだろう。私は以前にタイからカンボジアへ陸路(バス)を使って行ったことがある。この時に海がきれいだったことが印象に残っている。今回はバンコクからトラートまで飛行機で行った。バンコクからはバスを使って5〜6時間である。

飛行機 ・バンコクのスワンナプーム国際空港からトラートの空港までは、約1時間である。ここから港まで行って、船でチャーン島に渡る。チャーン島はタイで2番目に大きな島である。

フェリー1 ・「地球の歩き方」では、空港からどう行ったらいいのか案内がよく理解できなかった。何と、空港からミニバンが出ていて、そのまま港で車ごと船に乗って、チャーン島に着いてから泊まっているホテルまで送り届けてくれる。値段はすべて含めて550バーツ(1バーツが3.5円で、1925円)であった。この港でフェリーに乗り込んでいく。

フェリー2 ・ここがフェリーの中である。私の乗っていたバンには8人乗っていた。

フェリー3 ・ここは船尾である。

港 ・ここはチャーン島の港である。ここから車ごと上陸して、各ホテルまで案内してくれる。空港からホテルまで荷物の持ち運びもなく、快適である。

ホテル1 ・ホテルの予約が1週間前だったので、思うようなホテルが見つからなかった。島のどのあたりが繁華街になるのかもわからなかった。今回は、12月31日と1月1日に泊まるので、高くなるのを覚悟して高級ホテルに泊まることにした。大晦日の日は、夕食を兼ねてホテル主催のガラナパーティがある。この費用も含め、2泊で7万円であった。ガラナパーティ代を除いて、1人で泊まっても2人で泊まっても値段は変わらない。

ホテル2 ・ちなみに、きょう2月の土曜日の宿泊代を調べてみたら、1泊2万2千円であった。部屋のランキングも同じなのかよくわからない。私の泊まった部屋は海側に面していない。しかし、ガラナパーティがあるときには、道路を隔てた山側の方が静かでいい。ガラナパーティは午後6時から夜中2時まである。息子とサムイ島に行った時には、一晩中花火と音楽がうるさくて、ほとんど眠れなかった。

ビーチ1 ・チャーン島にはいくつもビーチがある。私の泊まったサイカオ・ビーチ(ホワイト・サンド・ビーチ)が島で1番賑わいのあるビーチのようであった。

ビーチ2 ・このビーチは欧米人が多かった。寒い日本で過ごすより、暑いビーチでビールを飲むのは最高である。

ガラナパーティ1 ・ホテル主催のガラナパーティである。私は6時から1人で出席した。ステージに近いいい席を用意してくれた。他にも、1人で参加している少し高齢の欧米人がいた。どうしてこんないい席に座れたのかよくわからなかった。最初は泊まった部屋が高かったのかもしれないと思った。もしかしたら、私の年齢を考慮して、高齢者を大事に扱ったのかもしれない。
 本格的なガラナパーティは、ベトナムのフーコック島などで参加した。ここは高級ホテルで、家族連れも多いこともあり、うるさくなくてよかった。タイの踊りや生演奏などお金がかかっていることがよくわかった。この写真の右側にステージがある。

ガラナパーティ2 ・ここはステージになる。ちょっとしたショーだけではなく、子どもの椅子取りゲームをしたり、男性や女性が参加してそれぞれゲームなどを競い合う。賞金は2000バーツ(7500円)相当のクーポン券などが用意されている。参加者は欧米人というより、ほとんどがヨーロッパ人であった。中には、ウクライナ人もいた。スウェーデン人も多かった。みんな賞金目当てに気楽に参加する。
 海沿いの敷地も広く、子ども用の遊び場も充実していた。プーケット島などに行くより、家族連れには充分に楽しめると思った。料理も充実していて、よかった。

船乗り場1 ・1月1日は、前日に申し込んだスノーケリングツアーに参加した。私が当初申し込んだツアーには、手違いで参加できなかったようである。代理店から似たようなツアーに参加させられた。スピードボートを使った朝10時から午後3時までのツアーである。値段は1200バーツ(4200円)であった。ここから、船が出る。

船乗り場2 ・ここでスピードボートが来るまで待った。向こう岸に見えたビーチである。

島巡り1 ・何カ所かでスノーケリングをした。スピードボートは早くていいが、波が強いとけっこう酔う。途中、かなり揺れる所もあった。

島巡り2 ・ここは途中で上陸したKO NGAMである。KOは島になるので、NGAM島である。けっこう晴れていたが、風が強かった。ここで昼食もとった。昼食はもうひとつであった。

島巡り3 ・この白い砂浜の向こうに見えているのが、前の写真である。

島巡り4 ・なかなかいい雰囲気の島であった。自然が残り、ほとんど開発されていない所がいい。

島巡り5 ・ここもスノーケリングをした別の島である。写真の女の人たちは、別のボートで来ていた。

町 ・ツアーが終わったのは、4時過ぎであった。先ほどの船の発着場から車で各ホテルまで送ってくれる。途中の町の風景である。

夕日 ・ホテルのあるサイカオ・ビーチである。島の西側の浜辺なので、夕日がきれいである。

ビッグ・ラグーン2 ・夕食はここで食べた。明朗会計で、支払いの時には印刷したレシートを渡してくれた。小瓶のシンハビールは1本70バーツ(240円)であった。2本飲んで、料理を2品頼んでも、合計420バーツ(1470円)であった。

平成31年1月1日(火)

 この日は不在なので、12月29日(土)に書いている。6泊7日の旅行に出るので、今回はいつものように後での追加はなしである。きょうは平成30年度のことについて、簡単に書いておく。去年と比べると、外来患者数はだいぶ減った。それでも、実質的な収入はほとんど変わらない。どういうことかというと、娘が東京の大学を卒業して2年になる。この支出がなくなったので、収入が減っても実質的には何も変わらない。
 息子は西日本で1番学費の安い私立医学部に通っている。最初の試験で合格しているので、任意の寄付金は一銭も払っていない。(もちろん、強制の寄付金もない) 息子が卒業したら自分で母校に寄付したらいい。来年は6回生である。自宅からそう遠くないのに、大学の近くに部屋を借りている。この費用がバカにならない。卒業したらこの分の支出が減るので、外来数が減っても実質的には収入は増えることになる。
 私の開業している東山区は京都市内でも高齢化が突出して進んでいる。周囲にも心療内科の医院がいくつも新しく開業した。最近の新患の人は、同じ東山区でも祇園より南である。後はバスで直通で来れる南区である。伏見区や山科区はまったくいないわけではないが、それほど多くない。最近、また南区に心療内科が新しくできたようである。
 たまたま年末に、NTTがタウンページの更新の契約に来た。私が開業した平成13年は、北部版と南部版に分かれていた。東山区は南部版に入っていた。開業したばかりだったので、高い広告料を払って両方に載せた。実際に北部版から来た新患の人は、1年間でたった2人だけであった。当時は京阪電車の看板も2つ掲示した。丹波橋と東福寺である。開業した当時は、大手筋も丹波橋も今ほど多く開業していなかった。多少の効果はあったかもしれない。今は東福寺だけである。
 さて、来年からのタウンページの広告である。電話帳とネットの広告になる。今はいくつかに分かれていて、私は東山区が入っている北中部版と南区や伏見区が入っている南部版の2冊に出していた。この広告料が、1ヶ月36,612円になる。年間44万円近くである。私が開業した当時とは違って、今は電話帳を使う人はほとんどいない。タウンページのネットはどのくらいの人がクリックするかというと、平均年に500ちょっとぐらいである。訪れる人は、1日1〜2件ぐらいである。私のタウンページのホームページ(全く別)は、この日記も書いていることもあり、年間千ちょっと程度である。年間44万円も払って、この程度である。来年のタウンページの更新はすべてやめた。電話帳なので、電話番号は載る。
 私はもう65歳なので、今さらあせくせ働く必要もない。実際に、こんな程度の患者数でいいと思っている。息子は自分の好きな科を選んだらいい。ただ、どんどんと激減するのもよくないので、対策も考えている。まず、このホームページのリニューアルである。まず、パソコン用だけではなく、スマホ用に対応することである。医院の紹介がわかりにくので、この部分も作り直さなければならない。実は、6月から木曜に休診することになった時に、すべてリニューアルするつもりであった。それが、延び延びになってまだできていない。裏を返せば、患者さんの数が減っても、それほど焦っていないからである。
 理想的には、年齢とともにゆっくりと患者さんの数が減っていくのがいい。医院の経営とは別に、YouTubeに精神科疾患の啓蒙ビデオを載せようと思っている。あまりにも杓子定規なうつ病や発達障害などの情報があふれているからである。経験の少ない精神科医でさえ(40〜50代でさえ)、精神科治療は不正確なガイドラインがすべてだと思っている。
 たまたま患者さんから聞いた話である。京都の大学に地方から来ている。授業料はすべて親に出してもらっている。しかし、生活費は自分で稼がないといけない。奨学金は6万円を借りている。4年間の大学生活の奨学金の平均額は約300万円である。月6万円借りると、大体この額になる。これでは生活できないので、後6万円をアルバイトで稼がなければならない。せいぜい時給千円ぐらいのアルバイトで、最低これぐらい月にしなければならない。体調を壊したり、サークル活動などで時間が取られると、直接生活に支障をきたす。上昇志向の強い人なら、アルバイトの60時間を授業や資格などの勉強に専念したい。高学歴の人でも、一歩間違えると、高給の風俗などに流れてしまう。平成30年度の私が考えた流行語大賞である。学生だけに限らない。独身の人もも家族を持っている人も同じである。「生かさず、殺さず」である。

 


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