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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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令和1年7月23日(火)

 最近、体調があまりよくない。私はどこでもよく眠るタイプで、不眠に悩んだことは皆無と言っていい。ところが、この頃5時間ぐらいで目が覚めてしまう。昼に診察室のベッドで20分ほど寝たら、いつもなら改善する。ところが、いつまでたってもやる気が起こらず、気分もうっとうしい。アダルト・ビデオでさえ、見る気にならない。身体の検査は一通りやったので、身体の病気ではないだろう。
 盆休みはまたブラジルに行く。ホテルの予約などはやっと終えた。野生動物が生息するパンタナールの有名なホテルは、どうやっても予約できなかった。仕方ないので、別のホテルを予約した。ホテルは空港から100km離れており、バスやタクシーなどの公共の交通手段は何もない。空港でレンタカーを借りて行くしかない。ちゃんとホテルにたどり着けるか今から心配である。
 ネットで調べてみても、日本語での情報はほとんどない。まだ、英語での検索はしていない。少し前に、女性のエコロジストがアマゾン川をカヌーか何かで旅行していた。中州みたいな所で簡易テント張って泊まっていたら、現地の人に襲われて殺されている。この時に、スマホやパソコンなどを盗まれている。都会の強盗もこわいが、こういう自然に囲まれた場所もどんな所かよくわからない。車が故障したらどうしようかとか、今からいろいろ考えている。
 前から、元気なうちに行ける所は行こうと思っている。私より年齢の行っている患者さんの話を聞くと、夫婦でもなかなか一緒に行くのは難しいようである。女の人は、年をとったら旅行に行く相手は、同じ女性の友達か夫である。女性の友達も病気をしたりしたら、もう一緒にはいけなくなる。自分は夫と行きたい所があるのに、夫の方が年をとって出不精になっていると無理である。反対の場合もある。夫が妻と旅行したいのに、今度は妻の方が出不精になっている。私が盆休みに旅行に出ると話すと、みんなうらやましそうな顔をする。

今週のトピックス 81 (190723)

猫組長(菅原潮)「暴力が支配する一触即発の世界経済」 (ビジネス社)
猫組長(菅原潮)「暴力が支配する一触即発の世界経済」 (ビジネス社)

 さて、日曜日に読み終えた本である。著者の猫組長(菅原潮)は、週刊スパで、西原理恵子と「ネコノミクス宣言」〜教科書に載らない経済と犯罪の危ない話〜を連載している。実は、この連載をまとめた「猫組長と西原理恵子のネコノミクス宣言」(扶桑社)の本も持っている。前から書いているように、私が毎週読んでいるのは「週刊スパ」と「週刊ダイヤモンド」である。「ネコノミクス宣言」の方は、1度読んだ記事なので、ほとんど読んでいない。この本を買ったのは、うろ覚えである記事の詳細を確認したかったからである。今回も調べてみたが、この本には収録されていないようである。どんな記事だったのかというと、メルケル首相と天皇が面談したときに、メルケル首相が天皇から記念品を受け取り、それを所定のどこかに持って行くと現金で買い取ってくれるという内容であった。世の中には、私たちの知らない裏の世界があるようである。
 さて、猫組長(菅原潮)である。元山口系組長で、現在は評論家である。本の最後に、著者の簡単なプロフィールが載っている。本文の中での紹介では、中学の時から株に興味を持ち、高校から始め、19歳で大学をやめ、不動産の世界に進む。3億円のお金を手にして、先輩が興した投資顧問会社に就職。バブル景気の時に、4人の小さな組織で、120〜130億の運用資産を使い、著者は「仕手」に夢中になった。1989年12月29日の大納会で日経平均は市場最高値の3万8957円をつけた。そしてバブルが弾け、最終的に20〜30億が借金として残った。著者が背負ったのは、約3〜4億円である。
 ヤクザに連日追い込みをかけられ、死ぬことも考える。この時に、小さな借金は人を殺すが、大きな借金は次の金を生むと悟っている。どういうことかというと、小さな額の借金は貸した側にも相手を恨む余裕が埋まれるが、あまりにも大きな額だと貸した側と一緒に対策を練ることに尽力しなければならなくなるからである。山口系組織のフロントと話し合ったときに、「自分にはスキルがあるので、証券業をやらせてくれたらすぐに取り返す」と答えた。親分は5代目山口組の直参で、「金を出したるから、いい話を持ってこいよ」と言われ、著者は「これでまた勝負ができる。ヤクザだから審査もない」と小躍りする。当時、上場企業に10億円貸して譲り受ける株券は、市場価格より安い。1000円で売買されている株券を800円で手に入れたら、簡単に200円手に入るのが暴力経済のスキームである。企業側からは、どういう方法で株価を上げるので、こうやって下さいというレクチャーまで受けるおまけ付きである。
 しかし、黒い経済人たちはしだいに追い詰められていく。1988年にインサイダー規制ができ、92年にはいわゆる「暴力団対策法(暴対法)」が施行される。ある第三者割当の経済事件で、著者の名前が報じられ、匿名性という生命線を失い、国際金融に目を向けるようになる。知人の経済ヤクザから、石油取引のことを聞き、徹底的に研究した。石油ビジネスで黒い経済人が向かったのは、中国を相手にしたバイヤーサイド(買い手側)であった。欲しがっている相手から注文を取り、業者から買って渡す。著者はセラーサイド(売り手側)に向かった。安い原油を現地に買いに行って、欲しがっている国に売る。
 マレーシアの国営石油会社からは個人ブローカーとの取引は断られ、ブルネイ、サウジアラビアを経てたどり着いたのは、イエメンである。サウジアラビアは、油田という形でイエメン内の反フーシ派を間接支援し、部族長は反フーシ派闘争のための戦費を稼いでいた。著者は、1度だけゲリラの襲撃に遭い、足に銃創を負っている。イエメンの部族長との契約によって、石油ビジネスを一気に拡大し、税金対策のために証券と資金移転のスキルを覚えていく。石油は戦略物資で、石油取引は基軸通貨「ドル」に支配されている。ドル支配を逃れようとしたものはどうなるかである。経済制裁に苦しんだイラクのフセイン大統領が、フランスの誘惑で石油のユーロ決済を模索したことが、イラク戦争の原因の1つとされている。
 月に2〜3億、多い時には10何億が入金されるようになった。ある時に、イギリスの銀行からキャパが超えていると連絡を受け、オフショア(租税回避地)のバハマに銀行口座を移した。人の紹介で、手数料を払うからと他人の口座分もはいるようになり、口座残高が250億円を超えたときである。代理で引き受けていた人物に、アラビア半島のアルカイーダの関係者がいたので、アメリカ政府ごとに口座が凍結されてしまった。お金はすべてパーになり、「監視対象者」となり、海外での拘束は6回にも及ぶ。トランプ大統領とマフィアの関係も書いている。
 この本では、米中貿易戦争のことも詳しく解説している。貿易戦争開戦直前の7月3日に中国の大手航空会社海南航空集団の会長である王権氏が、出張先のフランスで転落死した。海南航空集団は航空事業に留まらず、ヒルトンの筆頭株主で、ドイツ銀行も手中に収めていた。国際社会、中でも黒い世界に生きる誰もが転落死ではなく、暗殺だと認めているという。その詳しい解説もしている。「パンダハガー」という言葉も出てくる。パンダをハグするということで、親中派のことである。アメリカで対中規制が強まっているのは、共和党だけでなく、民主党も賛成しているからである。下院議長である民主党のナンシー・ペロシは対中強硬派の「鉄の女」である。
 アメリカの二院制についても説明している。大きく分ければ、上院が外交や安全保障を、下院が内政という役割である。予算は下院の仕事だが、大統領は拒否権を持っている。トランプ大統領にとって重要なのは、上院の持つ人事権で、最高裁判事を指名できることである。最高判事は引退するか死亡しないと交代できない。現在のギンズバーグは1933年生まれの民主党の女性リベラル派である。近い将来の交代は確実で、トランプ大統領は中間選挙によって司法の保守化という絶大な権利を手に入れたことになる。
 ファーウェイ事件の真相は、中国を対称の戦場に引き出すことだという。例えば、米海軍は空母群を中心に展開する。空母は建造費だけで1隻約5600億円で、戦闘機は約90億円で70機搭載したら、6300億円である。対して、中国はより高性能の対艦ミサイル開発に向かっている。約1億円の対艦ミサイルで、戦闘機を積んだ空母を沈めることができるのである。経済でも非対称戦略が機能し、アメリカと比べて中国製の原価は非対称になり、開発のノウハウや設計図など盗み放題となっている。
 冷戦構造化でソ連は、アメリカの軍事力と対象で張り合ったため、予算の多くを軍事費に投下した。とどめを刺したのは、レーガン政権下で提案された「スターウォーズ計画」である。対抗するために、国内投資用の資金さえ軍事費に投入して、ソ連は崩壊した。中国が「非対象」を選ぶ大きな教材が、軍拡という「対象」の勝負に引き込まれ、ついに崩壊に導かれたソ連である。著者によると、80年代からアメリカが貿易戦争で日本に対してやってきたことを、中国が研究していないはずがないという。
 この本では、一帯一路と国家ヤミ金「AIIB(アジアインフラ投資銀行)」についても詳しい解説をしている。中国は世界第2位の石油消費国であり、世界第1位の石油輸入国である。そして、8割以上がマラッカ海峡を通過している。この要所の安全保障を担っているのはアメリカである。マラッカ海峡への脆弱性は「マラッカ・ジレンマ」と呼ばれ、中国の悩みの種であった。マレーシアには、「東海岸鉄道計画」を持ちかけたが、マハティール首相はこの計画の中止を電撃的に表明した。人民元は、基軸通貨であるドルと連動させている、ドルペッグ制となっている。人民元のドル支配からの脱出を目指して、金(ゴールド)を買い漁っているという。16年に中国政府は中国人富裕層の外貨持ち出しに上限規制を設け、18年にはビットコインを禁止にした。現在は海外で現金を引き出せる「VISAデビット」が資産逃避のツールとして愛用されているという。
 この本は、本当に興味深いことばかり書かれていて、その内容を紹介していたらきりがない。是非とも、1度読んでみて下さい。ミサイルと核開発の歴史も本当に面白い。イスラエルが核を保有しているとの情報を得たイラクは、対抗策として70年代に核開発を行った。そのイラクに原子炉を提供したのがフランスである。イスラエルからの流血の妨害工作があったにもかかわらず、イラク原子炉が完成に近づいた81年に、イスラエルは「バビロン作戦」で施設ごと空爆によって破壊した。
 最後に、この本で書かれている北朝鮮についても触れておく。まず、北朝鮮は地上に唯一残った「核開発」の楽園である。環境問題が大きな課題となっているので、アメリカでさえ臨界核実験に切り替えて、爆発させずに核兵器の品質を維持しているぐらいである。中距離弾道ミサイル「火星12号」は5000kmの射程距離を持つと言われている。北朝鮮のミサイルと核兵器を欲しがっているのは、イスラエルが射程距離にはいるイランである。新たに開発した火星15はアメリカ全土に届き、爆弾として機能する能力を持つ。「脱属国論」でも書いてあったように、北商戦は「ミサイル開発技術を大三国に流出する」というカードを持ったのである。
 2018年6月の史上初米朝会談での共同宣言の合意を見ると、現実的に考えられるのは「日本型統治モデル」だという。戦前の統治者である天皇を象徴にして、議会制を頂点にした民主主義の導入で、金正恩の象徴化する。アメリカ企業が北朝鮮にカジノ建設をする計画も、すでに動き始めているという。金正恩が核を手放さない理由も挙げている。日本からは将来戦後補償など手に入れなければならないので、日本に対する使用はありえない。韓国に対しても、大砲でソウルを火の海にすることができる。中国については論外である。
 核を手放ない理由は、北朝鮮人民軍である。金正恩の母は金正日が愛人にした大阪出身の在日朝鮮人である。「血」の根拠の薄い金正恩がトップに立っているためには、圧倒的な暴力が必要になる。それが、核である。核のボタンを握ることで、「北朝鮮人民軍」という「暴力装置」の反乱を抑制しているのである。

 

令和1年7月16日(火)

 この前の土曜日は、年に2回ある大学の医局の同門会(叡修会)が午後4時からあった。私がお世話になっていた80歳を超える元教授が去年から体調を壊して、医院も閉じ、この会にも参加できないと連絡があったという。講演会では、毎回元気に質問などをしていた。つくづく、健康は大事だと思った。7月11日(木)に、4日に受けた胃カメラなどの検査結果を聞きに行った。もう、2年以上検査は何も受けていない。便検査もどうもなかった。腹部エコーは受けるのを忘れてしまった。心臓関係は何もしていない。胸のレントゲンも大丈夫であった。
 講演会は3題あった。私が昔お世話になった先生が最後に「予測符号化モデルとはどのようなものか」を講演した。階層ベイズモデルなどを引き合いにだして、現在の学習理論を批判している。認知行動療法も間違った理論に基づいて作られているという。カルバック・ライブラー情報量のことも出てきて、私にはごく一部が一瞬わかったような気がしただけである。この先生は何冊もの本を原文(英語)で読んでおり、(どこまで正しいのかよくわからないが) とにかくすごいと思った。
 講演会の後は、懇親会である。ここ数年の間に開業した後輩の先生とも話ができた。山科で開業した先生は、毎晩夜10時過ぎまで診察をしているという。新しい患者さんは毎日1人しか予約しないので、9月にならないと予約が取れないという。ストレスは感じていないという。烏丸五条で開業した思春期や発達障害などを専門とする先生も、新患予約は2ヶ月先だという。2人とも遅い開業だったので、1人の先生は私より2歳若いだけで、もう1人の先生も60歳を超えていると思う。みんな信じられないほど頑張っている。私には無理である。今は昔と違って、とんでもない患者さんも大勢いる。無理な要求をしてくる患者さんや薬物依存みたいな患者さんには、本当にストレスがたまる。  

今週のトピックス 80 (190716)

望月衣塑子&特別取材班「『安倍晋三』大研究」 (KKベストセラーズ)
望月衣塑子&特別取材班「『安倍晋三』大研究」 (KKベストセラーズ)

 さて、きょう読み終えた本である。著者の望月衣塑子は、官邸記者会見で管官房長官と何かとバトルを繰り広げている東京新聞記者である。この本は、最初に漫画でこれまでの安倍首相の生い立ちから現在までの経歴を書いている。父は当時、毎日新聞政治部記者であった安倍晋太郎(元外相)で母は岸信介の娘である洋子である。叔父に佐藤栄作がいる。家庭教師として有名なのは、平沢勝栄衆議院議員である。平沢は、「安倍さんは、私が教えてから頭が悪くなったと言うが、晋三さんがしっかりしているのは私が教えたからで、私が教えていなかったら今頃は網走の刑務所にはいっていたかもしれないよ」と発言している。私から言わせたら、普通の家庭で育っていたら、一歩間違えたら、今頃は派遣社員でも勤まらなかっただろうと思っている。(派遣社員の人を蔑視しているわけでなく、もともとこんな程度の能力で、総理大臣にはふさわしくないという意味である) 首相の育ての親、乳母の久保ウメさんのことも出てくる。夏休みの宿題もしないので、ウメさんが左手で書き、疲れると母親がバトンタッチしていたという。
 世界一尊敬するのは、祖父の岸信介とその娘である母である。中学生になって父晋太郎には反抗した。父親は「東大に行け」と分厚い漢和辞典で頭を叩いて、勉強を強いるようになった。ここでは、母親に聞いた興味深いことが書かれている。岸信介がA級戦犯被疑者になっても、死刑を免れて巣鴨プリズンから出所できたのは、天皇に開戦方針を報告することを最終決定した「政府大本営連絡会議」にたまたま欠席したからである。私がいつもこの日記で書いている学歴詐称のことも詳しく解説している。まず、アメリカで最初に行ったのは、語学学校であった。1978年に南カルフォルニア大学に留学したが、政治学の単位を取得できないまま、実質的には1年3ヶ月で退学した。留学ではなく、遊学であった。この時に、カルフォルニア州立大学に留学していた、加計学園理事長の加計孝太郎と出会っている。
 1993年に父の地盤、看板、かばんを引き継いで、初当選した。私は世襲議員については、ずっと反対してきた。しかし、これまで読んできた本の中で、右も左も誰も国会議員における世襲議員の多さに、まともな批判をしている文章に出会ったことがない。医者の子どもが医者になっているのと同じだという人もいる。しかし、政治家と民間企業の世襲はまったく別である。いくら探しても、国会に占める世襲議員の正確な比率がどのくらいなのかよくわからない。(古い資料で3分の1) 世襲の範囲をどこまでとるかによっても異なるだろう。ただ、言えることは、自由選挙制が確立した国で、これほど世襲議員の多い国はない。後の方で、著者の望月衣塑子と内田樹との対談でも出てくるが、今は政党が自前の「養殖場」で政治家を純粋培養しているという。私は海外の事情については詳しくない。政治家を志す者がその能力で目指せるような別のシステムが必要だと思う。
 2000年に安倍邸放火未遂事件が起きる。安倍事務所や地元有力企業に幅広い人脈を持ち、市内の再開発事業にからむ土地買い占めなどに暗躍していた小山佐市が、1999年4月の下関市長選で、安倍陣営が推す現職市長の選挙協力をしたにもかかわらず、安倍サイドから約束の報酬を得られなかったとして反発し、暴力団工藤会系高野組に依頼して火焔瓶を投げさせた事件である。2003年に小山と組員は逮捕された。対立相手の選挙妨害を、安倍事務所の秘書から依頼を受けて実行したとされ、証拠となる3つの文書も存在したとされる。共同通信がこの「大スクープ」を「出稿見送り」し、3年後にジャーナリストの魚住昭と青木理に、「報道機関の自殺である!」等糾弾されている。この件を初めて報道したのは、月刊誌「噂の真相」であった。当時の原稿を執筆していた山岡俊介も望月との対談に出てくる。興味のある人は是非とも読んで下さい。
 安倍首相や彼に忖度する大臣や官僚たちが使う、もっともな特徴的話法に、「ご飯論法」がある。答えたくないときには、論点をずらす。例えば、Q「朝ごはんは食べなかったのですか?」 A「ご飯は食べませんでした(パンは食べたが、それは黙っている)」 Q「何も食べなかったんですね?」 A「何も、と聞かれましても、どこまで食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので‥‥」 質問の趣旨を曖昧にして煙に巻く方法についても、これまでの答弁から具体例を挙げて詳しく解説している。根拠なき事実ほど強調して言い切ったり、「一度も〜ない」と全否定で疑いを晴らす。YES、Noで答えず、まったく関係ないことをダラダラと話し始める。(ダラダラ話法)
 2019年1月のNHK「日曜討論」で、辺野古沖の土砂投入について、司会者から「環境への配慮しているのか」と聞かれ、「あそこのサンゴはすべて移していますから‥‥」と答えている。実際には、埋め立ての海域全体で、7万4千群体のサンゴ移植が最低限必要とされていたが、防衛局が移植を終えていたのはわずか9群体であった。望月がこの件について、官邸記者会見で管官房長官に質問をぶつけた。この時に、「報道によれば」に答えることは政府としてはしませんと答えている。「一部報道が報じていますが」と他の記者が質問しても、こんないい加減な対応をすることはほとんどないという。
 第三章で、内田樹との対談がかなりの枚数を使って書かれている。安倍首相について、内田は「とにかく非を認めるのが嫌だ」という頑なさは常道を逸しているという。(それなりの地位に就いて、学歴コンプレックスを持っている人にはよくあることである) 失敗を認めないので、誤りの修正ができない。望月によると、安倍首相は、政治家も記者も、いいなと思った人には、とことん大切にするという。しかし、官僚についても知識人についても、官邸の敵か味方かで、シビアに査定する。信賞必罰である。ジャーナリストも、官邸の味方だと思われれば、直ちに特典が与えられる。やがて、政権の機嫌を損ねそうな記事は書かないようになる。ジャーナリストは程度の差があれ、「知ること」と「伝えること」の間の矛盾を抱えている。「伝える」ことで、ニュースソースのパイプが途絶してしまうリスクがある。しかし、今のトップジャーナリストは「知ること」を優先して、「伝えること」をほとんどしていない。政権に対する批判を放棄したら、大本営発表のみが真実となる。
 今の官邸は、官僚に対しても、私たちが想像する以上に信賞必罰が徹底している。内田は、「安倍マイレージ・システム」と呼んでいる。首相におもねった役人には必ず報償が与えられ、首相に逆らった役人には罰が与えられる。首相に対する忠誠心だけで職位が決まる。「このボタンを押せば出世できる」とわかっているときに、「ボタンを押さない」という選択肢は官僚にはない。官僚たちでさえ絶句するほど不出来な政策を支持するほど与えられるポイントは高くなる。だから、高いポイントをゲットしようとすれば、官僚たちは「できるだけ不出来な政策を、できるだけ無理筋の手段で」実現することを争うようになる。森友・加計問題で露呈したのは、まさに官僚たちの「ポイント集め」の実相だったのである。NHKでも政府批判的な論調の番組を作ったディレクターはすぐに左遷されている。マスコミや官僚だけではなく、同じ自民党議員の誰もが安倍首相に逆らえないのは、よく理解できると思う。
 最後の方で書かれている平和憲法についての歴史的功績については、私は内田の意見には必ずしも賛成ではない。私はここでも何回も書いているように、改憲派である。内田が述べているように、日本を実質的に支配しているのは、アメリカというより、端的に米軍と連なる軍産複合体である。ライス米国務長官さえ、来日するまで日本の現状を知らなかったぐらいである。実は、安倍首相の改憲論については、日本会議に配慮して言っているだけで本気で改憲する気がないと、「脱属国論」で田原総一郎が発言していた。この本でも、そのことが書かれている。最後に、森友学園の籠池泰典元理事長がインタビューに出てくる。安倍首相の心の中に憲法改正はたぶんないと思うと発言している。日本会議が喜ぶように言っているだけですと述べている。
 安倍政権を支えている人たちには、日本会議や対米従属マシーンを利用して出世しようとしている人もいれば、官製相場で個人資産を増やしている投資家などもいる。内田によると、「同床異夢」で「呉越同舟」で「期間限定」だという。安倍首相は、本来なら政治的クラスターを形成するはずのない、相互に利害や思想の反する人たちを、ある人たちには幻想をばらまくことで、ある人たちには実利で釣ることで、とりまとめている。経済学者の金子勝は、アベノミクスのことを「シャブ漬け」と呼んでいる。2017年の「報道の自由度ランキング」では、日本は71位であった。韓国より低いのである。この本を読めば読むほど、その意味がよくわかる。

 

令和1年7月9日(火)

 今はもう午後11時半である。今週は毎年提出する労働保険の申告書を作成し、きのうは労働基準局に提出してきた。19年目にして、やっと手間暇かけず、スラスラと書けるようになった。7月4日(木)にNHKEテレで、バリバラ「教えて! マーシー先生 1限目」を放送していた。私は録画して、後から見た。元タレントの田代まさしが出ていた。覚醒剤で2001年と、2004年、2010年と3回逮捕され、後の2回は3年半服役していた。私は薬物依存の専門家なので、詳しい解説をしたかったが、もう時間がない。別の機会に書こうと思う。

リベラリズム ・前回約束していた本はそのまま読まず、この本に浮気していた。土曜日は本屋で2冊新しい本を買った。来週は、この中の1冊を読み終えて、「今週のトピックス」で紹介しようと思う。どうしてこの本を「今週のトピックス」で取り上げなかったかというと、最後まで読み切れなかったからである。きのうは一気に読み切ろうと思った。ところが、途中からあまりにも専門的になり、あきらめてしまった。例えば、「ポバーは、このような徹底的な批判的討議により、理性の独断化を克服する自分の立場を批判的合理主義と呼び、カントが信じたアプリオリな総合判断の可能性も否定し、理性批判をカントが立ち止まった地点を越えて貫徹しようとしました」とか、「分配的正義の問題を重視するノーベル賞経済学者のアマルティア・センもその正義論の主著『正義の理念』において、この点でロールズの立場を『超越的制度主義』と呼んで批判している」等である。
 この本は、井上達夫「リベラルことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)である。トピックス78で取り上げた田原総一郎 井上達夫 伊勢崎賢治「脱属国論」 (毎日新聞出版)で出てきた東京大学教授で、法哲学を専門にしている。この本は2015年6月に出版され、私は2016年の第5版を持っている。しかし、買ったままほとんど読んでいなかった。東京大学生協のベストセラーになっていた。現在リベラルは人気がなく、保守派の本や雑誌がよく売れている。今やリベラルのエリート主義と偽善性、欺瞞性ばかりが目立つようになっている。しかし、社会経済政策については、自由市場経済中心主義と小さな政府を提唱する立場は「リバタリアン」と呼ばれ、保守がリバタリアンで、リベラルはむしろ福祉国家擁護論とみなされている。井上によると、リベラルの基本的な価値は自由ではなく、正義だという。
 リベラリズムには2つの歴史的起源があり、それは「啓蒙」と「寛容」である。啓蒙主義というのは、因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動である。すさまじい宗教戦争の時代を経て出てきたのが、宗教の違い、価値観が違っても、共存しましょうという寛容の伝統である。しかし、この啓蒙と寛容にもポジとネガがある。例えば、寛容のネガとしては、互いに棲み分けて互いに批判をしないという自閉的態度。その結果として、お互いの国がお互いの政治的抑圧を許し合う。寛容のあるべきポジは、自分自身が他者からの批判を通じて変容していくことである。保守主義は、理性への懐疑があり、理性が頼りないからこそ、人々が脈々と築き上げてきた伝統のほうを重視する。しかし、カースト制など、歴史や伝統というものに無批判な信頼を置くのも問題がある。
 法哲学者の立場から、井上は現在日本が抱えている問題について取り上げている。トピックスで紹介した「脱属国論」 で出てきた9条の削除の提言や護憲派の欺瞞についても、これでもかと容赦なく批判している。まず、国歌・国旗問題である。愛国心を強制していいのかである。国を愛するというのは、国が道を誤ろうとしているときには、それを批判して正す努力をすることも含む。愛国心の強制に反対することは、愛国心に反対することではない。批判する人はそこを混同しているという。
 慰安婦問題については、アジア女性基金のことを書いている。私は詳しくなかったが、道義的責任として、戦争責任問題にここまで踏み込んで、他国民に賠償・謝罪した例はないはずで、日本としては誇るべきだという。ところが、韓国や日本の支援団体や人権団体の一部が、「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔的手段だ」と批判した。こういう人たちがいるので、リベラルといえば、何が何でも自己否定の土下座外交をいうイメージを生んでしまったという。過度の自己否定も過度の自己肯定も間違っている。自己否定をやりすぎたことが、過度の手前勝手な自己肯定を生む。
 ドイツと日本の戦争責任の取り方である。ドイツが自分たちの戦争責任の追及を、日本よりずっと立派に行ったというのは、「神話」だという。ドイツは、自分たちの戦争責任というものを、二重の意味で限定している。まず、責任の主体は、ドイツ国民ではなく、ナチである。そして、責任の対象は、ドイツがやった侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人である。ドイツ国防軍は、SS(親衛隊)やゲシュタポ(国家秘密警察)のようなナチスの軍事・警察組織ではなく、ヒトラーに対して一定の距離を置き、ヒトラーの暗殺計画を何度も企てている。しかし、戦争政策は国防軍もナチと一緒にやっていた。ドイツ人の多くは、自分たちはナチの犠牲者で、国防軍は別だと思っている。「ドイツ国防軍の犯罪展」で侵略責任を示す展示会をしたら、世論の総攻撃を受けたのである。
 天皇制については、主語は天皇ではなく国民だという。国民は、天皇・皇族を自己のアイデンティティのために使っている。天皇・皇族には職業的選択や政治的言動、表現の自由もなく、主権者国民が奴隷化することになるので、天皇制は廃止せよというのが井上の自説である。言い換えると、天皇制の問題点は、国民のアイデンティティを確保するために天皇・皇族から人権を剥奪して記号的存在にすること、すなわち皇室を「最後の奴隷」にすることにあるのである。

連合赤軍 ・この番組は、NHKEテレで6月1日(土)の午後11時から放送していた、ETV特集 アンコール「連合赤軍 終わりなき旅」である。私は録画したまま、そのまま放置していた。きのうの夜10時頃から、あまり期待せずに見だしたら、本当に面白かった。この日記で取り上げるつもりで、きょうは午後9時ぐらいからメモ用紙を用意して、もう1度見た。まず、「連合赤軍事件の全体像を残す会」である。元連合赤軍のメンバーが集まり、証言を記録に残している。現在は、新聞記者や若い人たちも参加している。
 私は同じ長野県の山奥に住んでいたので、1972年2月のあさま山荘事件のことはよく覚えている。仲間内のリンチ殺人事件が次第に明らかになってきた時に、1浪して府立医大に合格した。先ほどの井上達夫は、私より1歳年下である。(安倍首相も同じ) 井上はこの年に東大法学部に合格している。昔の東大法学部は、私なんか10浪しても入れないぐらい超難関であった。先ほどの著書にも出てきたように、ポスト団塊世代でしらけ世代である。私はずっとノンポリで、ロックに夢中になっていた。この事件では、2人の警察官と1人の民間人が犠牲となった。
 学生運動である全共闘(1968-69年)が全国160の高校や大学に拡大した。1968年にフランスで5月革命が起こり、社会変革を求める学生運動は世界に広がっていた。全人類が連携して、平等で豊かな世界を作ろうとしていた。しかし、1969年の東京大学の安田講堂事件で逮捕者が出て、全共闘運動は衰退していく。代わりに、過激な武装闘争を目指す赤軍派革命左派が、後に一緒になって連合赤軍となる。1969年に赤軍派は首相官邸を襲撃する作戦を立てていたが、警察に筒抜けになっていた。53名のメンバーが逮捕された。(大菩薩事件) 1971年に革命左派が銃砲店を襲い、ライフル銃などを奪った。2つの組織が多くの幹部やメンバーを失い、弱体化していた。
 1971年12月に森恒夫が率いる赤軍派と永田洋子が率いる革命左派が榛名ベースに連合赤軍として29名が集まった。この時に、総括により12人のメンバーがリンチで殺された。自分たちの弱さを克服しないと革命戦争、革命の足をひっぱることになる。そして、最終的に離脱につながる。仲間を殴ることで自分の弱さを克服できると説得された。
 この番組では、何人かの元連合赤軍メンバーが出てきて、証言をしている。まず、浅間山荘事件の時に19歳であった加藤倫教(66歳)である。兄は総括で死亡している。最初に直面したのは、沖縄の米軍基地問題である。アメリカがアジアの小国(ベトナム)に対して爆撃を行って何十万人の人々を殺している。その爆撃機が沖縄の米軍基地から飛び立って、補給までしている。いくら抗議集会をしても、街頭でデモをしても現実は変わらない。合法的なことをしていても、今の社会は何も変えられない。変えるには、変えられることを少しでもすべきである。自分たちはこの現状に反対するために、武器を取った。総括など誤りを批判されることは仕方ない。しかし、沖縄の米軍基地が爆撃に使われている時に、何も反対しなかった人々は正しかったのかと、疑問を呈している。
 29人のメンバーは、総括、逮捕、脱走で5人になった。そして、あさま山荘事件を起こす。現在故郷の静岡でスナックをしている植垣康博も出てくる。リンチで8人を殺害し、懲役20年を受けている。結婚を考えていた女性兵士の大槻節子が総括にかけられ、氷点下で縛られ、食事も与えられず亡くなっている。無反省、無反省と言われているという。リンチ殺人の被害者の父親から「下手な反省はやめてくれ」と言われたという。浅間山荘事件の1年後に、森恒夫は28歳で拘置所で首を吊って自殺した。永田洋子は65歳で刑務所で病死した。
 現在、安倍政権が長期続いている。現在野党が壊滅状態なので、対抗勢力にもならない。これだけ不祥事が続いていても、何も変えることができない。安倍首相の能力が秀でているからではなく、自民党の党公認権を安倍首相が握り、官僚の人事権もこれまでの各省庁の事務次官から官邸が握ったからである。誰も安倍首相に意見することも、逆らうこともできない。まさに、独裁政治なのである。番組にも出てきたように、革命左派は日本を正すことはお国のためで、国をよくしたいから愛国と主張していた。誰かが万が一安倍首相の暗殺に成功しても、世の中は何も変わらないだろう。しかし、民主主義が機能しない時には、権力を奢る者はこういう運命を辿ることになると、将来の権力の暴走の抑止力にはなるかもしれない。

令和1年7月2日(火)

 蒸し暑い日が続いている。ほとんど運動をしていないので、体重も増えてきた。今週の木曜日は、数年ぶりに胃カメラを飲み、血液検査や便検査、胸のレントゲンをしてもらう。去年の5月までは、月〜土まで外来をしていたので、行きにくかったのは確かである。しかし、6月から木曜は休診にしたにもかかわらず、1年以上放置していた。運動も本格的にしたいと思っている。スポーツジムも考えている。腹をへこますことより、とにかく基礎体力と持久力をつけたい。平地だといくら歩いても大丈夫である。アマゾンのジャングルトレッキングに参加した時には、坂道ですぐに息切れがして、ついていくのがやっとであった。夏休みは、ブラジルのパンタナールに行く予定である。ギマランエス高原も訪れたい。ランニング・マシーンを中心に足腰を鍛えたい。
 6月27日(木)に関西TVで放送された、直撃!シンソウ坂上【芸能人移住に密着!オーストラリア…夫は無職!日本出稼ぎ妻】を録画して見た。内容としては、本当に面白かった。私の関心を引いたのは、1人で1家の生活を支える苦労と、もう1つは海外での子どもの教育である。最初はこの日記で取り上げるつもりはなかったので、1度見てそのまま削除してしまった。しかし、今週のトピックスで教育に関する本を取り上げた。うろ覚えの部分はネットで調べて、この問題についても考えてみた。
 出演者は、元TBSアナウンサーの小島慶子である。現在46歳である。2010年に退職して、生まれ故郷であるオーストラリアのパースに元TVディレクターの夫と子ども2人を連れて移住している。1ヶ月のうち3週間ほどは日本に出稼ぎに来て、タレントやラジオのパーソナリティなどとして活躍している。夫は無職で、パースで2人の高校生と中学生になる息子の面倒を見ている。パースは昔NHKTVの英会話講座で、挨拶言葉として「How about beer?」が使われていると紹介されていたので、何と素晴らしい所だと思ったことがある。アデレートではなかったと思う。移民の人口が40%(?もう忘れた)と多い。この夫は英語が嫌いでこれまでずっと逃げ続けてきている。学校からのメールも半分も理解できなかったという。
 まず、1家の生活を1人で支えている小島である。言葉の端々に「もうしんどい」という思いが伝わってくる。パースで子どもたちと過ごせるのは、1週間ほどである。無職といえども、夫が子どもたちの面倒を見てくれている。番組では、パースで小島が唯一本音が話せる日本人女性彫刻家も出てきた。今は男性でも1人で1家の面倒をすべてみるのは当然というのは、時代遅れである。小島のしんどさは男の私でもよくわかる。
 前から書いているように、私は晩婚だったので、下の息子はまだ医学部6回生である。西日本では1番授業料の安い私立医学部に通っている。しかし、運動クラブをやりたいために、自宅から特急で20分ちょっとで行ける距離なのに、大学のそばに部屋を借りている。当初成績は上位2割ぐらいであったのが、今は下位に落ちている。息子に対してはいろいろ言いたいことがある。しかし、下手なことを言って留年されたり、国家試験に落ちたりされたら困るので、今は卒業するまで忍の一字である。来年3月に卒業したら、私が5月で67歳になる少し手前になる。晩婚の人も再婚してまだ子どもが小さい人も、年をとったら小島以上に大変である。
 さて、海外での子どもの教育である。昔は、思春期を海外で過ごすと、日本人としてのアイデンティティが失われると否定的に言われていた。帰国子女の場合でも、ほとんど日本に住んだことがなければ、日本の生活習慣に慣れるのは大変だと思う。これからは国際人になって欲しいと、いきなり小さなうちから海外に出るのも考えものである。きちんと海外での生活基盤(その国で必要な生活費を稼ぐ)がないと、どうしても小島のように無理が来る。小島の子どもたちは現地の学校にすっかり溶け込んでいるようである。長男は将来は理学療法士になりたいと話していた。今から日本に戻っても、今度は子どもたちの教育が中途半端になる。お金持ちは、スイスなどの全寮制の国際学校に入れてしまうのもいいのかもしれない。(実態はよくわからないが、ピンからキリまであるのだろう) しかし、それ以外は、高校までは日本で学び、それから国際人を目指すのが無難だろう。

今週のトピックス 79 (190702)

池上彰 佐藤優「教育激変」 (中央新書ラクレ)
池上彰 佐藤優「教育激変」 (中央新書ラクレ)

 1階から2階へカルテを上げるダムウェイーターの取り替え工事の時に、ついでに本や資料などの整理をしていた。たまたま、ふだん手の届かない所に置いておいた紙袋に、以前に買った本が入っていた。ちょうど、2年前に発売された本である。自分ではこんな題名の本をいつ買ったのか、まったく覚えていない。手に取って読んで見たら、面白そうな内容であった。途中まで読みかけたが、簡単には読み終えそうにもなかった。今回は、途中まで読みかけていたこの本を選んで、最後まで読んだ。
 まず、はじめにである。池上は、当時も今も政治家たちは、教育現場のエビデンス(証拠)にもとづかない議論をしているという。昔は「教育勅語があったから道徳が行き届いていた」と主張する政治家は、この時代、いかに親殺し、子殺しが横行していたかという事実も知らない。戦後、少年による凶悪犯罪が減り続けているのに、少年法の厳罰化を進めようとする。「ゆとり教育」についても、その功罪を検証することもなく、「失敗だった」という主張が横行している。池上は8つの大学に籍を置き、6つの大学で講義などをして、自分が出題した記述式の答案用紙を毎年1000枚採点している。佐藤も同志社大学神学部などで教えている。
 佐藤によると、偏差値至上主義の蔓延が、中高生から学ぶ喜びを奪い、学年が上がるにつれて、勉強嫌いが増える状況を生んでいるという。東大や医学部の合格者を急速に伸ばしたようなところでは、受験刑務所化し、合格したとたんに、学生は「刑期明け」みたいな感じになっているという。そして、際限なき「コンプレックスのピラミッド」がある。池上が東工大の学生を見ていると、気になるのは学生の「均質化」だけではなく、「東大に入れなかった」というコンプレックスに苛まされている学生が少なからずいることだという。同じ東大でも、「文Tに入れなかった」という際限のないコンプレックスが生まれる。
 AI時代に必要な能力とは何かも論じられている。佐藤は、政府の無為無策により構造的に生じてくるであろう大量の失業者の発生の言い訳に、AIが使われるのではないかと勘ぐっている。大量失業は政府のせいではなく、AIのせいだというわけである。2045年に人工知能は人間の脳を超えるというシンギュラリティ(技術的特異点)のことも触れられている。国立情報学研究所で数学者の新井紀子は、このシンギュラリティ論を退けている。その論理は、「AIは計算機だから数式に置き換えることのできない計算はできない」「人間の知能の営みを数式に置き換えるのは無理」である。非常に大事なのは読解力である。ところが、中高生対象のテストでは、あまりにもこの読解力が低かった。
 日本では今から戦後最大とも称される「教育改革」が実行されようとしている。その1つが、2021年1月からスタートする「大学入学共通試験」いわゆる「新テスト」に他ならない。「共通一次試験」が導入されたのが、1979年である。実は、連合赤軍事件が導入の1つのきっかけとなっている。連合赤軍事件の犯人たちがその当時の二期校の学生ばかりであった。(一期校は東大などの旧帝大で、本命を落ちた人が後の試験で滑り止めとして二期校を受けた) 横浜国立大の学長が国会に呼び出され、「当校には、さまざまなコンプレックスを抱えている学生も多く、それがこういう過激な行動に結びついた可能性もあります」と発言している。そこで、一期、二期の序列をなくそうということで、「共通一次試験」が導入された。しかし、偏差値という物差しで、より厳しく序列化されようになった。偏差値で輪切りされたので、学生は均質化され、「自分はここにしか来れなかった」というコンプレックスをより強く抱える環境になってしまった。
 新テストと現行のセンター試験との大きな違いは、国語と数学に記述式の問題を取り入れることと、英語で今の「聞く、読む」に加えて「話す、書く」力も試すことである。池上も佐藤も、新テストのプレテスト(高2を対象に2回実施)はいい問題だと高く評価している。実際に出題された問題について、詳しく解説している。さて、アクティブ・ラーニングである。新たな学習指導要綱が2020年度から順次適用されていく。文科省は、アクティブ・ラーニングを「主体的・対話的で深い学び」と改題している。ただ、学生も一定の知識があって、そこで有意義な議論になる。座学も必要で、教える側もアクティブでなかったら、「対話的学び」にならない。佐藤は、アクティブ・ラーニングは基本的にエリート教育で、新しい学びの現場でも「落ちこぼれ」が生まれてくることを懸念している。
 この本では、オウム真理教のことも詳しく取り上げている。オウム真理教幹部は高学歴だったことはよく知られている。ここでの議論については省略する。興味のある人は読んで下さい。私が面白いと思ったのは、マルチン・ルターのことである。ルターは1524年に始まった農民たちの封建諸侯に対する反乱「ドイツ農民戦争」の際に、「反乱農民を殺せ」と主張した。これ以上、権力に逆らうという罪を犯せば、農民たちの魂は汚れ、世界の終わりの日に復活できなくなる。今、いったん魂を消してしまうならば、復活は叶うだろう。これは、愛の救済事業であると。
 オウム真理教の「ポア」と同じである。殺人を「魂を救済する」=ポアすると正当化していた。ヒトラーはルターを尊敬していて、彼の反ユダヤ主義はルターに起因するところが大と言われている。今の中高生は、受験やスクールカーストで思い切りストレスを増幅させている。大学に行って解消できるかというと、知識の伝授はしてくれるが、心の空白を埋めてくれる仕組みはない。そこに、いろいろな邪悪なものの入り込む余地が生まれる。この本では、佐藤が同志社大学神学部で実践しているアクティブ・ラーニングのことも書いている。内容は、本当に興味深い。
 最後に、大学入試センター理事長が出てきて、池上、佐藤と対談している。この山本寛基理事長にも感動した。島根大学学長を経て、専門は農業環境科学である。池上も佐藤も。センター試験は高く評価している。ここでは、センター試験の倫理の問題を分析したら、そこに西洋哲学史の基本が織り込まれていたという本も紹介している。選択式の問題は、「ただ選ぶだけで、本当の学力が分かるのか?」と批判されやすい。しかし、山本は、どの問題も練りに練られていて、問題作成者が1番悩みぬくのは、考えさせるための「誤答の選択肢」づくりだという。高校で早い段階から文系・理系をはっきり分けてしまう弊害も指摘している。
 センター試験受験生は約55万人いる。だいたい4分の1ずつ、4つのグループに分類できる。国公立専願、国公立・私立併願、私立専願、そして残りの4文の1は、すでに推薦やAO入試で合格しているけれど、一応受けておこうという人たちである。その層が平均点を下げるので、平均点を60点にしようと思ったら、共通一次時代より、問題をかなり易しくせざるを得ない。また、山本は、入学選抜においては、共通試験と大学の個別試験が「両輪」であるべきだという。共通試験になんでも盛り込もうというのは無理がある。英語の話す力についても、ここで取り上げられている。佐藤の言う「読む力が天井」というのもわかるし、池上の言う英語がいくら話せても「話す内容(教養)」がなければ話せないというのもよくわかる。
 センター試験の作問には、2年近くかかっている。最終稿を仕上げるまでの間、すべての教科書や過去に出題された問題もチェックする。問題づくりに来てもらう先生の苦労も並大抵ではない。年間40〜50日、センターに足を運んでもらう。どの科目の問題も非常に深い。山本も、決して「クイズ」ではなく、思考力が問われているのが実感できるという。真の改革のためには、「そもそもテストは何か。どうあるべきか」という検討も必要である。
 中教審(中央教育審議会)の答申を受けて設置された高大接続システム改革会議に、山本が委員として名を連らねた時である。20名の委員の中でテストの専門家と言えるのが、3人しかいなかった。精緻な議論が必要であるのに、会議には各界から識者と呼ばれる人が参加していて、それぞれの立場からいろいろなことを言う。会議では、資格試験(例えば、運転免許。毎年やっている小6と中3の全国学力テストは広い意味での資格試験)と選抜試験の区別もわからず、一括りにされて語られたのである。教育再生会議のメンバーに大学センターを視察してもらった時である。過去の問題を冊子にして机の上に置いたが、説明する間、誰もそれを開こうとしなかった。
 山本は、後2年の任期のうちに、大学入試センターの試験が、日本の教育にどのような影響を与えてきたのかという事実をきちんと整理したいと述べている。40年間の「共通テスト」というのは、公共財産だという。大学入試センター理事長といっても、単なる腰掛けの名誉職ではない。佐藤が述べるように、こういう人が想像していたより遙かに熱意を持って今の仕事に取り組んでいるのがよくわかった。

 

令和1年6月25日(火)

 先週の土曜日は、草津イオンモールまで、映画「スノー・ロワイヤル」を見に行った。夜7時10分の1回しか上映していなかった。たまたま滋賀県の映画館を調べていて、発作的に決めた。宅配DVDで見た「ウィンド・リバー」と同じように、雪に閉ざされた町と先住民が出てくる。京都や滋賀の映画館では、この時にはここでしか上映されていなかったようである。内容は、息子を殺された父親がマフィアに復讐をしていくアクション映画である。私には、「ウィンド・リバー」より遙かに面白かった。後から気がついたが、宅配DVDで見たばかりの「トレイン・ミッション」と同じ主演男優であった。それでも、観客は少なかった。最近新聞で、原一男監督のことが出ていた。私は昔大阪まで「ゆきゆきて神軍」を見に行った。この時は、観客がほとんどいなかったことを思い出した。
 イオンシネマ草津で映画を見るのは初めてであった。以前に見たい映画があってここまで来たが、時間がぎりぎりであった。イオンシネマがどこにあるのかわからず、見るのをあきらめてしまった。今回はネットで調べて行った。3階から入るのがやっとわかった。大津京にマンションを買ってから、北は堅田まで南は草津まで行っている。琵琶湖大橋を渡って守山まではまだ行っていない。堅田には大きなショッピングセンターとしては平和堂とイズミ屋がある。大津京にもイオンがある。ここは食品などを買う時には草津より気に入っている。しかし、京都のイオンと比べても、イオンモール草津は座る場所も多く、広くて居心地がいい。ついでに食事するのも便利である。どこのショッピング・センターも日曜日は混むので行くのは避けている。
 毎週この日記を書いていて、ネタ切れになりそうである。書かない理由ややらない理由は山ほど作れる。毎週、追い詰められながらも、何とか書いている。継続は力なりである。何があっても書き続けることは、私の仕事や生き方に対する態度の一種の証明書だと思っている。どういうことかというと、日記だけではないということである。

9条入門 ・日曜日の新聞を読んでいたら、加藤典洋「9条入門」(創元社)の書評が載っていた。私はもちろん読んでいない。批評家の綿野恵太によると、国際連合の「集団保障体制」が実現されなかったことで、9条をめぐる理想(一切の戦力を放棄する平和主義)と現実(自衛の戦力を保持し、米軍駐留を求める現実主義)の対立が生まれたというのが、加藤の見立てだという。そして、今年5月に著者が亡くなり、これまでの著作から推測すると、9条の理想と現実をつなぐ階段としての具体的な提言は、国連軍の創設などを盛り込んだ9条改正案だったはずだと述べている。
 前回のトピックスで田原総一郎 井上達夫 伊勢崎賢治「脱属国論」 (毎日新聞出版)を紹介した。この前に書けなかったこともここで取り上げていく。井上は、まず9条の問題を2つ挙げている。ひとつは安全保障政策についての実質的議論が棚上げされ、9条解釈の「神学論争」にすり替えられてきたという問題。もうひとつは、9条があるせいで、「戦力統制規範」、具体的には、武力行使の国会事前承認、文民統制、軍事司法制度などの規定が憲法に盛り込めないという問題がある。9条2項で「戦力を持たない」と書いているので、ミニマムな戦力統制規範さえ、いまの憲法に定められない。
 自衛隊は、2018年の世界の軍事ランキングは8位である。非核保有国の中では、最強クラスの軍隊と言われている。しかし、法的な統制ができていないため、世界有数の武装組織なのに、平和維持活動のお荷物でしかない。サマワに派遣された自衛隊は、はじめはオランダ軍に、その撤退後はオーストラリア軍に守ってもらい、国際貢献どころでないと井上は述べている。この本では、アメリカのことも批判している。田原も井上も、広島と長崎の原爆投下は対日戦争終結のためでないという。被害規模だけでいうと、1945年3月10日の東京大空襲で、一夜にして10万人以上が殺され、罹災者は100万人以上だった。犠牲者数は広島原爆に匹敵し、長崎原爆より多かった。ソ連が参戦したことで、日本はポツダム宣言を受託した。アメリカは議会対策として、武器の効果を実証するために、広島のウラン型原爆と長崎のプルトニウム型原爆を落とした。
 井上は、そもそも自民党も野党も、アメリカと対等な関係にはなりたくない、属国でいる方が楽なんだという本音が透けて見えるという。この意見には、田原も賛成している。日本にはアメリカは困った時には助けてくれるという甘え(米国信仰)がある。しかし、アメリカは自分たちの戦略的利益を犠牲にしてまで日本を守ってくれるほど「優しく」もない。保守は、責任を持って自前の戦力を使うことができないという無意識の不安を持ち、まだアメリカに頼る方が安全だと考えている節がある。これは自分たちで日本の国を守っていくという能力も気概もないということである。今、日本では韓国の文在寅大統領が批判されている。しかし、北朝鮮と常に対峙して、軍を抱えながら国民の安全を守っている文在寅大統領の方が、トップとして安倍首相よりよほど責任と覚悟ができていると言わざるを得ない。
 伊勢崎は、現在の国連のPKO(平和維持活動)について、詳しく解説している。いまのPKOは3Kで、嫌われる、殺される、金がないである。国連PKOはその派遣された国にとっては、招かざる占領軍になる。誰が敵で誰が無辜の民か区別できないので、住民に銃口を向けなければならない。そして、PKOは襲われて、殺される。国連から支払われる外貨を目当てに、どうしても発展途上国や周辺の貧しい国が主体となってしまう。
 PKOに派兵する国連加盟国は、それぞれの事情があり、国連に特別待遇を要求する。あれはできない、これはできないというわがままは駄目ということになっているのが、現在のPKO改革だという。そんな中、わがままの最たるものが、日本の自衛隊である。1番安全な時期に、1番安全な場所で、1番安全な任務しかできない。伊勢崎は、国連PKOのハイレベル実務者会議で、日本は戦争犯罪を起訴する法体系も、自衛隊員個人の海外での過失を起訴する法体系も持ち合わせていないと言った時に、20ヶ国政府代表団は凍りついたという。これまで日本政府および一部の憲法学者は「自衛隊は戦力以下の実力組織だから9条2項に抵触しない」という「解釈改憲」で、「戦力の不保持」との矛盾をなんとか回避してきたのである。
 日本人は平和憲法でどこの国より平和を愛する国民だと思っている。何も日本に限らず、どこの国民だって平和を望んでいる。イラクやシリアの人々が殺され慣れていると思ったら、大間違いである。現実から目をそらして、アメリカに不平等な地位協定で日本の基地を提供し、アメリカの他国への攻撃に加担しているのである。アメリカは国際法を無視したシリア攻撃を2回している。アメリカは国連が有利に使える時には利用するが、使えない時には無視する。2003年のイラク戦争は、「大量破壊兵器開発保有の疑い」という嘘の口実をでっちあげ、フセインを処分するために、一方的にイラクに侵略した。イラクはこの時には他国を一切攻撃していない。この戦争は、国連安保理の承認がないどころか、フランスやドイツまでアメリカのイラク侵攻に反対した。日本の小泉政権は支持したのである。何でもアメリカの言う通り、へりくだって従っていたら、世界から尊敬はされないが、日本本土を他国が攻撃する抑止力にはなるかもしれない。
 さて、最初の国連の集団的安全保障である。井上は、冷戦崩壊により国連を中心とした集団安全保障と平和維持機能が強化されるという見方は幻想に終わったという。しかし、国連中心主義者で、「たかが国連、されど国連」である。国連もひどいが、それを無視するやり方はもっとひどいので、国連改革を地道に積み上げようという立場である。

ブランチ大津京 ・ここはびわこ競輪場跡地である。この11月に公園と大型商業施設であるブランチ大津京ができる。私のマンションから見た全景である。これから急ピッチで建物が建っていく。5月の写真と見比べたら、びっくりするほどいろいろな物ができている。ここのホームページでは完成予想図も出ていた。
 私のマンションからは隣のマンションが邪魔になって、びわ湖花火大会は見れない。今年は8月8日の木曜日である。休診日になるので、1度は見ておこうと思う。柳が崎公園は歩いて数分もかからない。有料観覧席もできるようである。

令和1年6月18日(火)

 きのうは1日だけ断酒をした。前は、月、水、金と酒は飲まなかった。最近は毎日である。ビールより、缶チューハイもよく飲むようになった。ビールを飲むと、すぐに眠たくなってしまう。3%のほろよいぐらいがいい。きょうも、この日記はほとんど缶チューハイを飲みながら書いている。久しぶりにCNNを見たが、ニュースは思ったよりよく聞き取れた。月、水、金は断酒にして、CNNは毎日30分は見ようと思っている。簡単なブラジル語も頑張ろうと思う。  

旧リフト ・これは18年間使っていたダムウェーターである。カルテを1階から2階に上げるために、医院を建てた時に取り付けた。4月に故障してから、カルテは患者さんに持ってきてもらった。高齢の患者さんは受付の人が持ってきた。

取り壊し1 ・休診日である6月6日(木)に旧ダムウェーターの取り外しをした。電源がややこしく、ALSOKの電線を間違えて切ってしまった。

取り壊し2 ・すべて取り除いてから、1階の基礎工事をした。丸1日かかった。この日はほとんど医院にいた。ふだん整理できていなかった書類の整理もしていた。この機会に必要のない資料や本の処分もした。

新リフト ・新しいダムウェイターの取り付けは1週間経った6月13日(木)にした。この日も丸1日かかった。次の日に、東山区役所で介護認定の審査会があった。合議体長が休むので、私が副合議体長として司会をしなければならなかった。長いブランクがあったので、まだ審査のやり方がよくわからない。この日は時間があったので、30例を詳しく読んだ。
 6月15日(土)は午前の外来が終わってから、壁の修復をした。夜遅く、やっと完成である。値段は追加の電気工事費も含め、計241万円である。銀行強盗を2回ぐらいしないといけない値段である。新しいダムウェーターにはいろいろな機能が付いている。調理場から料理を上げるときに、使われているという。売りは、振動がないことである。なみなみと注いだジョッキのビールがこぼれないぐらいなのだろう。カルテを立てて送っても、倒れなさそうである。こちらとしては、カルテを上げるだけなので、もっとシンプルで安いのがよかった。

今週のトピックス 78 (190618)

田原総一郎 井上達夫 伊勢崎賢治「脱属国論」 (毎日新聞出版)
田原総一郎 井上達夫 伊勢崎賢治「脱属国論」 (毎日新聞出版)

 この本は草津のイオンモールで買った。昔は時間さえあればいつも本屋に寄っていた。もっと若い時には、輸入レコード屋である。今は滅多には本屋には寄らない。しかし、書評や広告からではなく、実際に手に取って、こういう本に巡り会える。この本は本当に面白かった。私は前から書いているように、改憲論者である。どこの国でも独立した国家として、国の防衛のための軍隊は必要だからである。日米地位協定についても、日本がこんな屈辱的な立場に置かれ、我慢ならないと思ってきた。ただ、憲法9条や日米地位協定をどうしたらいいのか、よくわからなかった。この本は、そのすべてに明快に答えを出してくれている。対談形式で、わかりやすい。自民党議員や護憲派の野党議員も、憲法について論じるならこの程度の知識は必要である。
 対談者の井上達夫は、東大教授で安倍首相と同い年である。私より1歳年下である。本に書いてある略歴を読んでいたら、「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないで下さい」(毎日新聞出版社)の著者であった。この本は話題になっていたので、私は今でも持っている。しかし、次から次へと出てくる本に浮気して、まだ読んでいない。対談では、けっこうアグレッシブな発言をしている。しかし、説得力があって納得がいく。この著者の放置したままになっていた本を読んでみようと思った。伊勢崎賢治は現在東京外国語大学教授である。日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当した。
 まえがきで、田原は自民党の議員が憲法から逃げていて、国民が改憲に賛成するわけがないと述べている。本当に改憲する気があるなら、地元の有権者に対して、なぜ憲法改正が必要か、具体的に説明して説得すべきだという。対談者の井上と伊勢崎は、憲法を改正して対米従属から脱却すべきだと強く訴えている。まさに、私の考えと同じである。歴代自民党(鳩山一郎、岸信介)は、当初は「自衛隊は違憲」で、憲法改正が必要だと思っていた。ところが、池田勇人が首相になって以降、憲法改正は表だって言わなくなった。「押しつけ憲法」を逆手にとって、アメリカが日本に要求する軍事的行動の拡大に抵抗してきた。佐藤栄作内閣のときに、アメリカは日本もベトナム戦争を手伝えとオファーしてきた。しかし、9条を楯に断っている。誰も指摘しないが、私はこの時に韓国が日本の分まで引き受けて、ベトナム戦争でたくさんの犠牲者を出したと思っている。
 実際にこれまで専守防衛・個別的自衛権の範囲内なら戦力ではないというこじつけの憲法解釈をしてきた。(長谷部説のような修正主義的護憲派) ところが、安倍政権は、憲法解釈を拡大して、集団的自衛権行使を一部解禁する安保法制制定に踏み切ってしまった。これまで保守本流が守り続けてきた「9条カード」を捨てたのである。井上によると、「朝まで生テレビ!」で百田尚樹が「日本は60年間、日米安保にただ乗りしてきた」と発言した時に、「それでも右翼か!」と叱責したという。ここでも何回も書いているように、百田のようなオツムの足りない人を相手にしても仕方ない。
 在日米軍駐留経費の約86%を日本が払い、アメリカにとっての日米安保は、海外における最大にして代替不能な自己の世界戦略拠点を守るためのものだという。中曽根首相の時には、不沈空母という言葉も使われた。ベトナム戦争でも、イラク戦争でも在日米軍基地を活用して遂行された。尖閣諸島が中国に侵略された場合には、日米安保条約の適用対象になる。しかし、議会が反対すれば米軍は出動できない。米軍の機関紙では、「無人の岩を守るために、俺たちを巻き込むな」と書かれている。
 田原は、憲法の専門家といえば護憲派の学者ばかりで、自民党に教えられそうな人間がほとんどいなく、「朝まで生テレビ!」で討論しようと思っても、井上ぐらいしか出てくれないという。ここでは井上の授業を聞いていた木村章太(首都東京大学教授)のことが批判されている。木村は9条2項の戦力の保有と行使を禁止していることは認めている。しかし、13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が保障されていることを理由に、自衛のための戦力保有と行使は合憲だと主張している。井上はこれは無理筋の解釈だと詳しく解説している。
 さて、9条2項の「陸海軍その他の戦力は、これは保持しない」である。原文は「war potential」で、潜在的な戦力についても保有しないとはっきりと書いてある。もともとマッカーサーとGHQが日本に軍隊を持たせないために作ったものである。井上も伊勢崎も、9条2項は国際法が主権国家の義務として国家に要求する要件と、明確に抵触すると述べている。9条2項は単なる欠陥条項なのである。国際人道法違反になる。どういうことかというと、「交戦権を行使しない」と明記している以上、自衛隊は交戦行動をしないという建前なので、交戦法規違反の行為を罰する規定など憲法上作れないのである。国際法に則り、戦争犯罪を裁く法体系を設置できないということは、「法の空白」を生むことになり、前代未聞の外交問題になる。「誤射」や「誤爆」などの戦争のルール違反を裁く法を持たない日本に、「法治国家」と名乗る資格はないのである。自衛隊については、「撃ったら自己責任」になっている。自衛隊が使えないことは、アメリカも承知だという。
 また、戦場における医療の問題もある。戦場での負傷の治療には、特別の医療チームが必要である。ところが、戦傷医療チームは戦争をすることが前提になっているので、チームを用意することができない。現在の自衛隊は、戦傷チームもなく、攻撃される危険がある地域にずっと派遣されているのである。国連部隊が違反行為をしたら、裁判権を現地政府に放棄させる代わりに、派兵国政府が責任を持って国内法廷で起訴することを約束するとなっている。日本のような国内法廷を持っていない国は、そもそも部隊を派遣できないのである。
 井上は徴兵制の導入も提案している。民主主義においてもっとも危険なのは、志願兵制だという。いわゆる経済的徴兵である。大多数の国民が兵役につかず、安全地帯に身を置くと、好戦的なムードにあおられ、歯止めがきかなくなる。徴兵制のもとでは、国民の血が平等に流されるので、無責任な好戦感情や軍事政策に対する無関心の歯止めになる。徴兵制は、単なる人材確保のためではなく、軍事力の無責任な行使を国民が統制するための政治的制度なのである。
 ドイツは「徴兵制」を「廃止」したのではなく、暫定的に執行を「停止」しただけである。護憲派はコスタリカを軍隊を持たない日本の9条を体現した国であるかのように語っている。しかし、常備軍がないというだけで、必要に応じて軍隊を組織し、国民を徴兵できることが憲法で定められている。韓国は徴兵制であるが、原則的には良心的兵役拒否を認めてはいない。ノルウェーやスウェーデンでは、最近女性にも徴兵制を適用するようになった。
 核保有国についても興味深いことが書いてある。アメリカはパキスタンの核保有を不安視して、インドの核保有も不安視している。北朝鮮の核放棄も、経済制裁をかけ続ける方が、闇の核兵器セールによる資金稼ぎの動機を北朝鮮に与えることになる。だから、北朝鮮は、核保有国として認知してもらい、核不拡散体制に協力する方が、自国の利益になるとわかっているはずだという。実際に、北朝鮮に核放棄は強いることは不可能なので、核不拡散体制に組み込む方が安全だと考えるのが、核保有国の戦略的な本音だという。
 他にも、ここでは紹介できないほど勉強になることがたくさん書かれている。原発事故を起こした福島では避難訓練をやっていなかった。避難訓練をすると、事故があることを認めることになって、原発反対運動を盛り上げてしまうからだという。憲法改正については、井上は立憲民主党の山志桜里の立憲的改憲を支持している。井上は内田樹のことは、修正主義的護憲派と言っている。戦後レジームとは、要するに対米従属構造である。安倍首相は戦後レジームからの脱却と言っているが、やっていることは対米従属構造の強化である。伊勢崎は、9条2項の改正と日米地位協定への互恵性の導入は、アメリカと日本の主従関係を一瞬にして消滅させると述べている。

 

令和1年6月11日(火)

 先週は、楽天カードから電話がかかってきた。私がブラジルで使った楽天カードが偽造され、最近ブラジルでATMから現金が引き出されたという。3万円近くが3回で、約9万円である。この被害は、保険で補填されるという。それにしても、暗証番号は簡単にはわからない。マクドナルドでもクレジットカードが使われるぐらいである。たまたまネットで読んだ記事で、どこまで本当なのか、空港のATMでもスキミングされると書いてあった。なるべく大金は持ち歩かないようにしていた。市内の大きな銀行のATMでキャッシングして、こまめに現金で支払った方がいいかもしれない。
 ダムウェーターの工事は、休診日の木曜日に古い機械を取り除き、基礎工事までした。今週の木曜日に新しい機械を入れ、土曜日の午後から壁を修復する。工事が遅れたら、日曜日にかかる。古いダムウェーターを取り除くときに、職人がALSOKの電線を切ってしまった。配線が複雑になっていたようである。ALSOKの職員が出てきて、復旧後の点検をしていた。
実は、診察室の冷蔵庫も18年間使っている。最近、中が冷えなくなってきた。私は仕事が終わってから、冷たいビールを飲みたいのに、ぜんぜん冷えなくなった。これも買い換えた。5万円ちょっとぐらいなので、それほど費用はかかっていない。1階のエアコンは2台ある。受付側のエアコンは冷えているが、水が漏れたりしている。これも18年目である。待合室のエアコンは1度モーターを換えている。いずれにしても、近いうちに買い換えが必要である。
 日曜日から読んでいた本を、きのうは読み終えるつもりであった。振り込みに行ったり、細々とした書類を書いていたら、1ページも読めなかった。今週中には読み終えて、来週の日記で紹介するつもりである。きのうは夜中の12時近くまで診察室にいた。何をしていたかというと、盆休みに行くブラジルのパンタナールの飛行機やホテルの予約をしていた。ベストシーズンにはいるので、早くしないと飛行機などは予約でつまってしまうようである。
 パンタナールは北パンタナールと南パンタナールに分かれている。私が行こうとしているのは、まだそれほど開発されていない北パンタナールである。飛行機が着くクイアバからホテルまで165kmほど離れている。ツアーで行くわけでない。交通機関がないので、どうやってここまでたどり着くかである。結局、1人でレンタカーを借りて行くしかない。ネットで調べたら、ブラジルでの車の運転についてはいろいろ書いてあった。日本の免許証とパスポートで、なんとかレンタルできそうである。広大な農場みたいな所にホテルが立っているので、たどりつけるのか今から心配である。途中迷子になったら、命に関わる。電話は通じないので、車のパンクや故障も不安である。強盗より、果てしない大自然の方がこわい。

百田尚樹 ・たまたまアマゾンで本を調べていたら、ニュースウィーク日本版で「百田尚樹現象」を特集していた。私は定期購読しているのは、週刊ダイヤモンド週刊スパ!である。他の雑誌は滅多に買うことはない。今週の週刊ダイヤモンドは「保険」を特集していた。興味のないこともあり、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。飛ばし読みもせず、パスである。わかる人にはわかるのだろう。この日記では、自分の不得意なことは触れないようにしている。
 さて、以前から私が批判している百田尚樹である。序章では、ヒーローかペテン師かとある。本人は、「極右」と言われるのは抵抗があり、ちょっと右寄りと述べている。百田は右派論壇デビューを飾ってから、その作品についても多くの批判が出るようになった。特に集中砲火を浴びたのが、「殉愛」「日本書記」である。「殉愛」はプロのノンフィクション作家から、「日本書記」は歴史学者からである。版元の幻冬舎は、角川書店の名物編集者として名をはせた見城徹が1993年に設立した。右派の本が売れているから、ビジネス戦略として「日本書記」を出したのかという石戸諭(ノンフィクションライター)の質問に対して、見城は否定している。65万部ではまだ足りないという。この本は、初版から指摘を受けるたびに、明示することなく修正していることが問題視されているという。ウィキペディアからのコピペ、他文献からの盗用疑惑についても、「やましいことは一切ない」と述べている。
 ここでは、百田の歴史観が書いてある。「南京大虐殺はなかった」と考えるのは極めて自然と主張している。百田史観の中でも、百田が繰り返し強調し、見城が「日本書紀」のハイライトと豪語したのは、WGIPをめぐる記述だという。War Guilt Imformation Programとは、右派論壇の中ではGHQの「第二次世界大戦について、日本人が罪悪感を持たせるための洗脳工作」という趣旨で使われる。このウォー・ギルト・プログラムについては、2018年に名古屋大学特任講師の賀茂美智子が5年半に渡って調べ上げた労作を発表している。右派が「洗脳説」の根拠とする文書は、1948年2月に出されたもので、日本人に東条英機を賛美する動きがあることを理由に、「新たな施策を行うべきだ」という勧告に過ぎなかった。ポイントは「勧告に沿った施策は大半は実行されなかった」ことである。
 ここでは、百田のインタビューも載っている。「日本書記」については、間違いはいくつかあったが、自分で裏取りし、調べて書いていると述べている。前から書いているように、歴史については素人の百田が10年間資料を調べても、書くのは無理である。安倍首相もそうであるが、まったく学問の世界を知らない。百田は、南京大虐殺があった、日本軍の強制による従軍慰安婦がいた、というほうが「歴史修正」だと思いますと述べている。日中の歴史研究者による「日中歴史共同研究」報告書では、南京事件はあったと記述されている。しかし、百田はここに記述されている数字には根拠がないと述べている。
 韓国の文在寅大統領についても、めちゃくちゃなことを言っていると批判している。私は徴用工問題について批判するのは批判したらいいと思っている。百田はこの政権は韓国の国民が正当な選挙を持って選んでいるので、政権を選んだ国民もクズだという。安倍首相のことも、これほど勉強している政治家はいないと述べている。安倍首相も百田も知的エリートの中でもまれたことはない。私は、世の中には私が足下にも及ばないとんでもない優秀な人が掃いて捨てるほどいるとわかっているので、自分の分をわきまえてこの日記は書いている。
 さて、いつも書いている百田尚樹「今こそ、韓国に謝ろう」(飛鳥新書)である。私の持っている本は、2017年6月に第1刷が出て、翌月の第4刷である。買ったまま、長いこと読んでいなかった。この本は、いかに朝鮮民族が劣っているか、これでもかと書いたヘイト本である。在日特権を許さない市民の会(在特会)のヘイトスピーチはあちこちで非難されている。しかし、このヘイト本は放置されたままである。増補版の文庫本や表紙の変わった普通サイズの本も出ていた。もしかしたら、見城が勝手に(読者にわからないように)訂正しているのかよくわからない。
 安倍首相はこのヘイト本を書いた作者の間違いだらけの「日本書記」を絶賛しているのである。日本ではまだ政治的問題にはなっていない。安倍首相は、恵まれた環境にあったにも関わらず、日本のトップとして国をリードするだけの学歴を有していない。前にも書いたように、「南カルフォルニア大学に2年間留学」と学歴詐称までしている。こんな首相が歴代3位の長期政権となっている日本は、一体何なのかと思う。外交の安倍と言われている。政治は努力ではなく、結果がすべてである。外交成果が得られなければ、これだけ経費をかけてこれまで何をしていたのかということになる。それぞれの国の代表は国益のために働いている。自分勝手な「誠意」で他国を動かせると思ったら、大間違いである。

タクシー運転手 ・最近はほとんどTVは見ていない。宅配レンタルで、DVDを見たりしている。この作品は「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」である。韓国映画である。評価が高かったので、準新作になってから借りた。私は映画を見るときには、前もってストーリーは読まない。1980年5月に起きた光州事件を扱った映画だとは知っていた。タクシー運転手が、民主化運動をした人を光州から逃がす話かと勝手に想像していた。
 時代的背景は、朴大統領が暗殺された後、全斗煥大統領になり、各地で戒厳令を発令をしていた。光州でも学生を中心に大規模な民主化運動が起きた。この時に戒厳令が発令され、軍と民衆が衝突した。そして、この抗議運動に軍が無差別に群衆に発砲した。
 光州で何か起きているということを、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターが伝え聞く。そして、ソウルまで行って、タクシーで光州に向かう。何とか、検問所を突破して、光州市内に入りこむことができる。学生たちの運動に加わった一般大衆に向けて発砲する軍の姿をカメラに収めることができた。外国人特派員が入り込んでいるということが当局にも知られたので、光州からソウルに帰るのも困難を極める。この話は実話に基づいて作られ、実際にこの光州事件はこのドイツ人記者による映像によって世界に知られることになる。
 映画の最後に、実在のユルゲン・ヒンツペーター出てくる。この時に助けてもらったタクシー運転手に会いたいと何回もソウルを訪れた。しかし、再会がかなわず亡くなっている。このタクシー運転手は名乗りあげることなく、今でも行方知れずである。ウィキペディアによると、当時、事件は「北朝鮮のスパイに扇動された暴動」とされていた。しかし、機密解除されたCIAの文書では、否定されている。南北が対立している時には、軍事独裁政権に反対して大衆が蜂起して民主化運動をしただけでも、共産主義の手下として殺されてしまう。

焼肉ドラゴン ・この映画は、映画好きの患者さんから教えてもらった。これも宅配ビデオを借りて見た。1970年代の空港の近くの在日朝鮮人を扱った映画である。国有地に住んでいた家族が立ち退くまでの姿を描いている。焼肉ドラゴンとは、日本の戦争に駆り出されて、片腕を失った一家の大黒柱が開いた店の名前である。この息子は高校で、「朝鮮人帰れ」といじめられて、自殺する。日本社会で差別されてきたこの時代の在日朝鮮人の姿がよく描かれていた。この息子の声で、映画の初めと終わりに語りがはいる。大した内容でもないのに、ちょっとしつい感じがした。ほとんど日本の俳優が演じている。演技が、臭く感じる部分もあった。
 大阪万博が1970年である。私は長野県の山奥から、高校の友人と3人で大阪まで出てきた。当時出かけた万博のことは、あまり記憶にない。最後に、再婚同士の腹違いの娘のうち、2人が「帰国事業」で北朝鮮に渡ることになった。この再婚同士の夫婦は、いろいろな事情があり、韓国にも帰れなかった。いくら日本で差別されても、日本で生きていくしかなかった。
 今回は百田尚樹のことを書いたので、2本とも韓国の映画になってしまった。他にも、いろいろと宅配ビデオで見ている。スパイ物yやサスペンス物は、めぼしい作品は次から次へと借りている。「ウィンド・リバー」は面白かった。最近の好みは、「セイフ ヘイヴン」である。まったく期待していなかったのに、本当によかった。「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」もそれなりに面白かった。「ナンシー・ケリガン襲撃事件」を引き起こしたフィギア・スケーターのトーニャ・ハーディングの半生を描いている。選手生命を奪われただけではなく、地方の年少クラスのコーチにもなることも許されず、フィギア・スケート界から追放されている。

令和1年6月4日(火)

 先週の水曜日は、夜診が終わってから、車で琵琶湖のマンションに行った。途中、大津京のイオンで買い物をした。夜8時半過ぎなので、夕食になるような物が残っている時には、そのまま夕食分を買ってくる。もう売り切れの時には、買い物をした後で近くのファミリーレストランに寄る。朝食分とビールなどは必ず買う。買い物をして、駐車場から車を出そうとした時である。何回やっても車のエンジンがかからなかった。少し前に、車の一部の塗装も含め、点検をしてもらったばかりである。エンジンは最近かかりにくかった。しかし、バッテリーは交換したばかりなので、それほど気にしてもいなかった。
 結局、どうやってもエンジンがかからなかったので、スマホでJAFを呼んだ。ふだんスマホで電話を使うことはない。電話の切り方がよくわからなかった。そもそも、スマホそのものも持ち歩かない。滅多にない子どもとメールに使うぐらいである。40分ぐらい待って、JAFの車が来た。バッテリーが上がったわけでなく、セルエンジン、スターターの故障だという。その場では修理できず、トヨタの工場で交換しなければならない。夜も遅いので、翌日にまたJAFを呼んで、トヨタの工場まで運んでもらった。15kmまでは無料であった。修理工場までは18kmあったので、残りの3kmは2160円を支払った。JAFの年会費は4千円なので、もとは取ったかもしれない。
 前から書いているように、私の車は今年の9月で19年目になる。ハイオク仕様で燃費は悪い。気に入っているのでこのまま乗り続けるつもりである。今はスターターも交換し、順調に走っている。現在のトヨタのマークはこの車を買った18年前にはできていたようである。しかし、すべての車に使われるようになったのは、だいぶ後からである。だから、私の車にはトヨタのマークが付いていない。車名は書いてあるが、詳しい人でなければわからない。自己満足であるが、どこの車かわからない所も気に入っている。それでも、少し前に出ていた中古車は、30〜40万円ぐらいであった。
 きょうの午後からカルテを1階と2階で上げ下げしているダムウェーター修理工事に取り掛かった。きょうは全面の壁の取り壊しである。思ったより、早く終わった。明日は午前の外来が終わった後に、電源工事をする。夕診の始まる4時までには終えなければならない。外来は休まず、基礎工事もダムウェーターの取り換えもする。知っている人に頼んでいるので、こちらの都合に合わせてやってもらえる。
 木曜の休診日に大々的な工事をする。きょうは、この日記を書いている途中からキーボードの調子が悪くなった。日本語入力で、「と」と入力しても「ちえ」と入力されてしまう。今週のトピックスで、帰国者と何回も入力したが、入力できなくなってしまった。電源を切ったり、キーボードをはずしてみたり、いろいろやっても戻らなかった。とりあえず、この日記は今日中に書かなければならない。急遽、別のノートパソコンで書いている。アップロードは、いつものパソコンである。今週のトピックスは後半から十分に書けなかった。メインのデスクトップが使えなかったら、明日からの仕事にも支障が出る。いろいろな事が重なると、本当にうんざりする。

今週のトピックス 77 (190604)

ETV特集「北朝鮮
ETV特集「北朝鮮 "帰国事業" 60年後の証言

 この番組は5月25日(土)にNHKEテレで午後11時から放送していた。私は録画して、後から見た。今、60年前に北朝鮮に渡った人の聞き取り調査をジャーナリストや研究者が行っている。在日コリアンとその家族が日本から北朝鮮へ渡った帰国事業は、1959年〜84年まで続けられた。総勢93,340人で、その中には約6,800人の日本人が含まれていた。前にも書いたように、当時、北朝鮮は地上の楽園と信じられていた。社会主義国家というと、今では旧ソビエト連邦や中国など一党独裁の国をイメージする。しかし、本来は皇帝などの独裁者に虐げられていた貧しい人々が、差別のない平等な社会を目指して立ち上がり、理想の社会の実現を目指していた。(ここでは、共産主義と社会主義との違いなど細かいことは述べない)
 韓国では、1961年に軍事クーデターを起こし、1963年から朴大統領が軍事独裁政権を強いた。「漢江の奇跡」と言われる高度経済成長を成し遂げた一方で、民主化運動をスパイ捜査・司法殺人などで弾圧した。(正確を期すために、ウィキペディアも参照した) 日本が多大な経済支援をして、この時に高度経済成を成し遂げたのは間違いない。きょうの新聞を読んでいたら、中国共産党・政府が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から30年を迎えたと書いてあった。朴大統領の時に高度成長を成し遂げたが、一方ではKCIA(韓国版CIA)を作り、日本に滞在していた民主活動家の金大中を拉致までしている。当時日本は軍事独裁政権の朴大統領を批判することはなく、積極的に支持していたのである。
 ネットのニュースなどを見ていると、現在の文大統領は日本では極めて評判が悪いようである。しかし、朴大統領も決して褒められたものではない。民族のアイデンティティを確立するには、日本の植民地時代に日本に協力していた人物は一旦否定される運命にある。そういう意味では、文大統領を日本の思い通りにならないからと言って、批判するのは筋違いである。前にも書いたように、台湾では戦時中は中国大陸で日本と戦い、戦後に台湾を統治した国民党が、日本統治時代に育った台湾の人々を徹底的に弾圧し、万単位の人たちを虐殺したのである。そのことで、日本から批判が出たという話は聞いたことがない。
 さて、地上の楽園である。終戦後に日本にいた在日コリアンは60万人である。日本では、貧しさと差別で苦しんでいた。当時は、北朝鮮で理想の社会が実現していると信じた人が大勢いた。この番組に出てきた78歳の日本人女性は、在日朝鮮人の夫と帰国し、40年間北朝鮮にいた。2001年に1人で脱北してきている。夫は亡くなり、娘とその孫は北朝鮮に残されたままである。当初は、日本から帰国した人々は港で歓迎する人々があまりにもみすぼらしくて驚き、歓迎する北朝鮮の人々は人々は帰国者の服装などが豊かで驚いた。自分たちよりもっと貧しい生活をしていると思っていたのである。住んだアパートに水道もトイレもなかった。
 やがて、帰国者ばかり数千人が政治犯として収容所に入れられるようになった。北朝鮮では、日本からの帰国者は動揺階層になり、監視対象になった。ちなみに、上に核心階層がいて、下に敵対階層がいた。1990年代には未曽有の大飢饉が襲い、多数の人々が餓死した。先ほどの日本人妻は、北朝鮮の人々は優しかったという。食べる物がなかった時には、近所の人が食べる物を持ってきたという。お互いに助け合いをしていた。そのうち、北朝鮮の事情が日本にも伝わるようになり、帰国事業は1967年に一旦中止になった。ところが、1971年から帰国事業が再開されるようになった。
 日本では朝鮮半島が北朝鮮と韓国に分断されてからは、それぞれの国を支持する朝鮮総連民団ができた。今度の対象は、朝鮮総連幹部の子弟であった。日本の技術や外貨を得るために、金日成が幹部の子供たちを祖国で預かると言い出したのである。いわゆる人質として、自分の子供たちを祖国に帰国させなければならなかった。日本語の歌を歌っただけで、資本主義社会を持ち込んだと監視対象になった。ここに出てきた家族は長男だけでも日本に置いておきたいと願ったが、受け入れてもらえなかった。その長男は日本のレコードを持ち込んだだけで、収容所送りになっている。
 少し前に、映画「かぞくのくに」について書いた。今回調べてみたが、どこで書いたのか見つけることができなかった。この映画は、病気治療のために3ヶ月間だけ北朝鮮から日本の家族の元に帰国を許された青年が主人公である。父親が、帰国事業で北朝鮮に渡っていた。監視役付きの帰国である。日本でスパイになるような話も出てくる。3ヶ月では治療が無理であったが、本国から突然帰国するように電話がかかってくる。家族を人質にとられている人たちは、北朝鮮の体制批判なんてできないだろう。自業自得だとか自己責任だと切り捨てる人は、やがて自分たちも将来経済的困窮に陥っても、同じように切り捨てられることを覚悟しなければならない。
 私は、核放棄のために、見返りに北朝鮮の体制を維持させることについては反対である。北朝鮮の人々には罪はないので、食料などの人道的支援は必要だと思っている。

 

令和1年5月28日(火)

 きょうはいつものように午後から往診があった。1件はいつも駐車場が空いていなくて、困っている。以前に、道路に停めていたら、駐車違反で罰金を払った。駐車場を探すだけで、毎回大変である。一方通行の所なので、いくつかの駐車場が満車になっていると、ぐるぐると周辺を何回も廻らなければならない。それでも見つからないと、京都駅の裏側まで行かないといけない。往診と言っても、交通費は請求していない。特に、きょうは雨だったので、何冊ものカルテを入れたカバンを持って、遠くの駐車場から歩いて行くのは大変である。これから、あまりにも駐車場が見つからない時には、少し離れた所に住んでいる娘さんに薬を医院に取りに来てもらおうかと考えている。他の患者さんについては、今のところ大丈夫である。
 先週の日曜日には、琵琶湖の柳が崎湖畔公園の庭園に行ってきた。私のマンションから歩いて5分もかからない。ここは、年に1回ぐらいしかはいっていない。それでも、バラが咲いていて、きれいであった。入園券は320円であった。65歳以上だと半額になる。カメラぐらいしか持って行かなかったので、年齢を証明するものはなかった。カメラで写真を撮っている人は大勢いた。ありふれた景色で、いかに印象的な写真を撮るかは難しい。段々と他人が撮ったことのない写真を撮りたくなってくる。それが、今ではブラジルである。
 今回は、今度の旅行で最後に過ごしたサンパウロである。4泊5日いた。写真では、解説できなかったことを先に書いておく。この日記では、しつこいほど書いているように、私の旅は何でも見てやろうである。嵐よういち「ブラジルの裏の歩き方」(彩図社)にも出てきた「ボアッチ」にも行ってきた。ブラジル特有のナイトクラブである。女性を連れ出すことができる。実は、マナウスのセントロにもあった。オープンバー形式であった。ただ、行った時間が早かったので、あまり女性はいなかった。マナウスでは別の日に、郊外の本格的なボアッチにタクシーで連れて行ってもらった。まだ、午後9時前であった。入場料は30レアル(約900円)で、ハイネッケンの小瓶が20レアル(約600円)であった。
 客も女性も少なかった。マナウスではほとんど英語は通じない。たまたま私の席に寄ってきた女性が日本語で話しかけてきた。どこだったか忘れたが、関東圏に住んでいたことがあるという。日本人の客は、みんな早めに来るという。客も女性も増えるのは、真夜中である。まずはどんな所か、見学である。
 世界三大風俗の国は、タイ、エチオピア、ブラジルである。ちなみに、中南米の美人国は3Cと言われている。コスタリカ、コロンビア、チリである。こんなことを書くと、風俗目的で行っているように勘違いされるかもしれない。私は病気がこわいので、セックスはしない。口の奉仕でも危ない。現在日本では梅毒が大流行している。ほとんどの人が風俗(口からの奉仕)から感染している。そして、今度は風俗とは関係のない他の女性に感染させている。
 私はバタバタしていたので、嵐よういちの本は1回読んだだけである。このボアッチという言葉も思い出せなかったぐらいである。サンパウロのホテルでは、WiFiはつなぎ放題であった。どこに行ったらいいのか、考えていた。たまたま、ボアッチと言う言葉を思い出して、検索した。サンパウロのボアッチやディスコは、午後11時頃から開いて、朝方5〜6時ぐらいまでやっている。私は早寝早起きなので、一旦仮眠を取って出かけた。住所を書いた行き先を見せたら、タクシーはどこにでも行ってくれる。真夜中に1人で乗車しても、タクシーは安全である。
 評判のよさそうなボアッチに夜中1時頃に行ってみた。私は荷物はなるべく持たずに行った。中級ボアッチになるようである。入場するのに、パスポートのコピーが必要であった。私は忘れて行ってしまった。ここでも、英語のできるスタッフをわざわざ呼んできたぐらいである、入場は何とかできた。エレベーターで日本人に出会った。会社の接待で来ているということであった。入場料は260レアル(7200円)であった。私はハイネッケンの小瓶を4本飲んだが、入場料に含まれていた。生のバンドが入っていて、本当に高級クラブであった。
 女性は大勢いた。モデル級クラスの女性が大半であった。私は女性を買うつもりはなかったので、適当にあしらっていた。1人私好みの女性がいた。いろいろと視線を送ってくるが、無視していた。そうしたら、ソファに座っていた小太りの中年男性に声をかけ、すぐに2人はそのまま店を出てしまった。英語で話しかけてくる女性もいた。ホテルに帰ってきたのは、朝方4時ぐらいであった。
 別の日に、老舗というボアッチに行った。少し廃れた雰囲気であった。ここはパスポートの提示はいらない。女性の方ももうひとつであった。早々と退散して、そのままディスコに行った。どの店でも、タクシーが待っている。このディスコではパスポートのコピーが求められた。私はパスポートのコピーを日本から持ってくるのを忘れたので、印刷したビザの用紙を見せた。パスポートの情報はすべてここに載っている。しかし、スタッフはNameとか簡単な英語が読めないので、なかなか手続きができなかった。中級ボアッチでも、入場するときには名前からパスポート番号まですべてコンピューターに登録する。
 中では、バンドが演奏していた。写真は厳禁かと思ったら、けっこうスマホで撮影している人が多かった。ただ、音楽は私好みでなかった。音も少しキンキンとして、大音量で音響設備もよくなかった。どんな所か見学できたので、これはこれでよかった。なお、日曜日はボアッチもディスコも閉まっている。
 野生動物の宝庫であるパンタナールは夏がベストシーズンである。夏休みにパンタナールと今回行けなかったリオデジャネイロに行こうと考えている。本当は、中南米で半年ぐらい過ごしたい。来年の3月はコロンビアのベストシーズンである。ここにも行ってみたい。コロンビアはギアナ高地のエンジェル・フォールが有名である。ここには行かず、スロベニアのジャーナリストが話していたカルタヘナとメデインに行こうと思っている。身体が元気なうちに、行ける所は行かないと、年をとってから後悔する。

大聖堂 ・5月2日(日)はマナウスを午後2時45分の飛行機に乗り、サンパウロのグアルーリョス国際空港に着いたのは、午後6時前であった。空港に預けていた荷物を取り出し、予約していたホテルに空港タクシーを使って行った。時間は40分弱で150レアル(約4500円)もかかった。
 ホテルはバウリスタ大通りに面していた。歩いてすぐに地下鉄があり、サンパウロ美術館の近くであった。ここで4泊した。部屋の値段は日によって違い、朝食付きで約9千円であった。部屋はそれほど広くなかった。ビジネスホテルなので、机もあって快適に過ごせた。
 治安が悪いと聞いていたので、おっかなびっくりで夜11時頃に夕食を取りに出た。店が閉まっていて、マクドナルドにはいった。よくあるセットにサラダが付いて、36レアル(約1080円)であった。ふつうのクレジットカードで、チケットを買えた。
 ここは翌日の3日(金)に地下鉄で行ったセントロ(旧市街)にある大聖堂のカテドラル・メトロポリターナである。こんな所でも、浮浪者がうろうろしていた。

道路 ・大聖堂の近くの道路である。

東洋人街 ・そのまま歩いいくと、リベルタージ地区の東洋人街に出る。日本人、中国人、韓国人などが経営する店や企業がたくさんある。ここは大阪橋である。日曜の市が立つ日は、びっしりと大勢の人が集まってくる。私はここの日本食レストランで昼食をとった。東南アジアでも日本食レストランにはよくはいる。サンパウロの店が1番美味しかった。弁当が35レアル(約1050円)で、ハイネッケンの小瓶は9レアル(約270円)であった。

アコーディオン ・東洋人街で演奏していた。これはバンドネオンではなく、アコーディオンである。

落書き ・先ほどの大阪橋を渡っていくと、こういう光景が見られる。日中は人が多いので、安全である。しかし、夜間は治安が悪くなるようである。

サンパウロ美術館 ・ここはサンパウロ美術館の広場である。サンパウロは治安が悪いと聞いていた。あちこちの観光地を訪れてみた。どこでも、何台ものパトカーが待機していたり、たくさんの警察官が出ていた。よく考えてみたら、観光客がよく強盗に襲われたり、安心して歩けなかったら、誰も行かなくなってしまう。どこの国でも観光には力を入れている。治安の悪い所や夜間人通りの少ない所に行くのでなければ、びっくりするほど安全である。
 ただ、人通りの多いところなどでは、スリなどに気をつけなければならない。地下鉄も安全である。夜間、周辺に人がいなくなる駅は、駅を出てからが危いと思う。

公園 ・私の泊まったバウリスタ大通りは夜間でも安全である。ここは近くの公園である。日中は何台ものパトカーが通りに並んでいた。夜間は警察もいないので、近づかない方がいいかもしれない。

動物園1 ・4日(土)は、動物園に行った。南米の珍しい動物や植物が見られると思ったからである。地下鉄駅からバスの往復券と入場料がセットになっていて、41レアル(約1230円)であった。結局、日本の動物園でも見れるような動物がたくさんいて、南米独特の動物はよくわからなかった。
 昼食は園内のレストランで食べた。ランチセットは46レアル(1380円)で、ホットドッグとコーラ、ポテトチップスで、16レアル(480円)であった。

動物園2 ・動物園では、ズーサファリにも行った。値段は30レアル(約900円)である。動物が放し飼いになっている所を車に乗って行く。もっと迫力があるのかと思ったら、そうでもなかった。放し飼いになっている動物も少なかった。キリンやライオンの写真を載せても面白くないので、今回はこの写真を選んだ。

バットマン路地1 ・ここはバッドマン路地である。一帯の壁には、さまざまなアートが描かれている。インスタ映えするということで、大勢の観光客でにぎわっていた。アクセサリーなども売っていた。

バットマン路地2 ・こんな感じで、大勢の人が写真を撮っていた。サンパウロ市内では、日本と同じように地下鉄でもスマホを見ている人が多かった。スマホ目当ての強盗が出ると書いてあったが、まったく心配はない。ここでも、スマホで写真を撮っている人がほとんどであった。

バットマン路地3 ・ここの雰囲気はよかった。1度訪れてみる価値はある。ビールの小瓶を持ちながら、歩いている人も多かった。ちなみに、ビールの小瓶は7レアル(約210円)であった。アルコールに関しては、タイやフィリピンの方が規制が強い。タイのスーパーやコンビニでは夜の10時以降には、アルコールは買えない。フィリピンでも、コンビニでビールを買っても、店を出て路上のベンチで飲むことはできない。(ホテルの自室ではもちろん可) シキホールに行った時でも、レストランの中でビールを飲むことはできた。しかし、ビーチに持ち出して飲むことはできなかった。
 この日は、サンパウロで最先端のオスカー・フレイリー通りにも行ってみた。ホテルから歩いて行けた。坂道を下って行った。言うほど、大したことはないという印象であった。帰りは上り道になって、歩いて帰るのは大変であった。

バンド1 ・5月5日(日)である。サンパウロで過ごすなら、日曜日を入れておいた方がいい。どうしてかというと、あちこちで露天市が立っているからである。この日は、リベルタージの東洋市にも行ってみた。とんでもない人出であった。近くのヘプリカ広場ののみの市にも行くつもりであった。ところが、人に聞いても、結局たどり着けなかった。
 ここはホテルのあるバウリスタ大通りである。日曜日は車は閉め出され、大通りがすべて歩行者や自転車に解放される。サンパウロ美術館のアンティーク市だけでなく、あちこちで出店が出ている。東洋市は狭い通りに人が溢れすぎている。ここは道路が広いので、開放感がある。ビールを飲みながら、歩いている人もいる。いろいろなバンドが通りで演奏したり、人それぞれ思い思いのパフォーマンスをしたりしていた。ここも、本当によかった。このバンドは、私好みのロックを演奏していた。  

パフォーマンス1 ・この人はすごかった。一見、銅像のように見える。下の箱にお金を入れると、持っている箱を開けて、おみくじ(?)みたいな紙切れを取らせてくれる。

バンド2 ・私が1番気に入ったバンドである。エクアドルのバンドのようである。私は筋金入りのプログレファンなので、ロックに民族音楽がはいった曲は大好きである。中南米の曲といったら、「コンドルが飛んでいく」(El condor pasa)が有名である。CDを1枚10レアル(約300円)で売っていた。思わず、2枚買ってしまった。バックの電光掲示板に27℃と出ている。それほど暑くもなく、快適であった。

パフォーマンス2 ・通りでは、バレーもしていた。

パフォーマンス3 ・こんな格好をしている人もいる。他にも、ラスベガスという旗を立てて、エルビス・プレスリーの物まねをしている人もいた。

バンド3 ・このバンドの周りには、これだけの人が集まっていた。スラッシュメタル系のバンドである。大勢の人が手を挙げて、盛り上がっていた。私もスラッシュメタルは嫌いではない。

パフォーマンス4 ・こんな所で、縄を張って綱渡りをしている人がいる。日本だったら、危険だからと言って、絶対に許されないだろう。下にいるのは、ゴスロリの集団である。地下鉄の列車の中で、楽器を演奏してお金を集めている人や、車の停車中に窓ガラスを洗って、チップをもらっている人もいる。別の日である。上半身裸の男性が、それこそ陰毛がぎりぎり見えないぐらいのつりズボンをはいて、道を歩いていた、がんじがらめの日本から脱出するには、最適の場所である。

令和1年5月21日(火)

 以前にカルテを1階から2階に上げるリフト(ダムウェイダー)が壊れたと書いた。廃業した会社のリフトなので、どこも修理はしてくれない。今は大手の会社しか残っていない。18年間、患者さんも多かったので、元は取れている。しかし、これから壁を取り壊し、古いリフトを外し、1階の床下の基礎工事をして、新しいリフトを取り付け、また壁を修復したら、230万円もかかる。実は、最近私は66歳になったところである。これから引退するまで、後何人の患者さんを診察できるかである。2万3千人を診察したら、カルテの上げ下げで1人当たり100円かかることになる。倍の4万6千人で、50円である。大きな病気をしなければ、80歳を過ぎても患者さんの診察はできるだろう。この時には、せいぜい診察日は週3〜4日ぐらいになる。
 しかし、先輩の先生を見ていても、中には脳梗塞やガンなどの病気で、倒れる人もいる。せっかく取り替えても、すぐに病に倒れたら、とんでもない経費がかかることになる。230万円も費用をかけたら、好きな時に引退ができにくくなる。1階から2階までカルテを患者さんに持ち運ばせたらいいと言う人も大勢いる。階段を上るのもやっとのお年寄りの人は、受付の人が持って上がったらいいだけである。カルテが先に上がってこないと、何人の患者さんが待っているのかさっぱりわからない。待合室にカメラをつけたらいいだけであるが、受付の人はいやがるだろう。
 将来、子どもが引き継いだらいいという考え方もある。しかし、ここでも書いているように、今は東山区で開業する人は誰もいない。京都市の中で断トツの少子高齢化が進んでいるからである。患者さんを集めるのは至難の技である。私の医院の近くの今熊野の商店街はシャッター街となっている。どうしてかというと、ここで店を開いても、サイフの紐が堅いお年寄りばかりで、商品が売れないからである。どうせ店を開くなら、もっと人が大勢いる所がいい。開業も同じである。ここで開業して、わざわざ他の区からの患者さんを集めようとするなら、最初からもっと人口の多い山科区や伏見区で開業したらいい。観光に関係する事業なら、ひょっとしたら成功するかもしれない。ただ、京都駅や四条などにも近く、生活をするには便利である。20〜30年もしたら、事情はまた変わってくるだろう。
 今回も写真付きで、マナウスの旅について解説する。ネットの記事などでは、単位人口あたりの殺人などの犯罪件数は、リオデジャネイロやサンパウロより高いとなっていた。ただ、日中の観光地は安全である。市の中心部であるセントロでは、夜遅くでも、それほど危険を感じなかった。サンパウロでもマナウスでも、タクシーは安全である。多少ぼられたり、遠回りをされるかもしれない。しかし、深夜でも安心して乗れる。タクシー運転手が強盗に変身することはない。
 今回アマゾン・ツアーに参加して感じたことである。雄大なアマゾンを感じるには、大きな客船でアマゾン河を下るしかない。マナウスだけではなく、もっと奥地のテフェまで行ったらよかった。たとえ観光地化されていても、インディオの村は訪れて見たかった。ただ、これだけのことをやろうと思ったら、もっと日数が必要である。  

ホテル ・4月28日(日)はイグアスの滝からサンパウロまで戻った。空港に着いたのは、午後2時頃である。ここで、空港の荷物預かり所に行き、マナウスに行くための必要な着替えや荷物などを取り出し、再び預けた。1日30レアル(約900円)である。マナウス行きは、午後9時10分である。出発まで空港で過ごした。
 マナウスに着いたのは、夜中の0時10分である。マナウスの治安は悪いと言われている。仕方ないので、ホテルまで空港タクシーを頼んだ。75レアル(約2250円)だったと思う。ここのホテルは朝食付きで1泊6500円ぐらいであった。アマゾナス劇場のあるセントロ(市の中心)まで、タクシーで15分弱である。周囲には何もない所であった。しかし、部屋は広くて居心地がよかった。

市街 ・29日(月)の朝に撮ったホテルからの市内である。

セントロ ・この日は、タクシーで市の中心地(セントロ)にあるアマゾナス劇場に行った。値段は25レアル(約750円)であった。20レアルぐらいが、適正価格のようである。ところが、月曜日ということで、休館であった。旅行の予定では、曜日も気をつけなければならない。仕方ないので、アマゾン河を目指して南を目指して歩くことにした。ここは何の建物だったのか、よく覚えていない。

アマゾン河1 ・そこそこ歩くと、アマゾン川にたどり着いた。私はもともと方向オンチなので(磁石は持っている)、最初はどの辺りにいるのか、地図を見てもわからなかった。現地のSIMカードはスマホに入れていない。橋がかかっており、煙突美術館(ここも休館)のそばのようである。

アマゾン河2 ・河に沿って歩いて行った。船がたくさん繋がれていた。こんな船着き場があちこちにあった。

ツアー ・河沿いにはこんな垂れ幕を貼った、アマゾンツアーの募集をあちこちで見かけた。吹きさらしの汚いデスクとイスが並べられていた。ここにある滝やインディオの村を訪れたかった。

桟橋 ・桟橋から撮った、対岸の風景である。

市場 ・歩いていると、やがてアドウフォ・リスボア市場にたどり着いた。右側の建物である。

食堂1 ・市場の中では、ありとあらゆる物が売られていた。食事をする所もいくつかあった。私はここで昼食を注文した。

食堂2 ・アマゾンで獲れた淡水魚の唐揚げとハイネッケンの小瓶を頼んで、全部で29レアル(約870円)であった。米はインディカ米である。上の赤いお椀に入ったのは、甘みを抜いたお汁粉のような味で、豆がはいっていた。左上の鳥のエサみたいなのは、よくわからなかった。魚の唐揚げは、本当に美味しかった。魚料理以外のメニューは、アマゾンツアーでも出てきたので、地元でよく食べられているようである。

港 ・ここはマナウスの港である。「PORT DE MANAUS」と書いてある。

市内1 ・市場から歩いて行くと、カバンなどを売っている商店街を抜け、こんな屋台などがでている所にたどり着く。建物の色合いなどは、カラフルである。

市内2 ・こんな所はいくら日中でも、こわくて歩けないという人もいるかもしれない。私は短パンにTシャツをはき、スポーツサンダルを履いている。カメラはたすき掛けした小さなショルダーバッグに入れていた。しかし、いちいちカメラを取り出すのも面倒なので、そのまま取っ手をつけて持ち歩いていた。高級コンデジなので、手をぶら下げていたら、バッグもあるので目立たない。ミラーレスカメラでも、首や肩から提げていたら大きいので目立つ。写真を撮る時以外は、バッグの中に隠しておいた方がいい。

市内3 ・庶民が買い物をする店が建ち並んでいる。

市内4 ・私はこういう雰囲気が好きである。

市内5 ・東南アジアでは見られない雰囲気である。とにかく、建物がカラフルである。

市内6 ・市内のあちこちに、絵になる建物がたくさん建っていた。カメラを片手に散歩していても、わくわくして楽しかった。私は何でも見てやろうだけではなく、危ないものでも、何でも撮ってやろうである。

市内7 ・ここはバス停の近くである。大勢の人が待っていた。

ボート乗り場1 ・30日(火)は1泊2日のアマゾンツアーに参加した。ホテルまでの送迎とロッジの宿泊代、食事、英語のガイド料が着いて、25,900円であった。途中、2人のツアー参加者を乗せていった。1人は25歳の日本人女性であった。1人で、ニューヨーク経由できたという。少し前には、ボリビアに1人で行ったという。ここから船に乗って、アマゾン・ロッジに行く。

ボート乗り場2 ・ボートの発着場の風景である。

ロッジ1 ・ここがロッジの船着き場である。同じツアーのイタリア人と日本人が降りてくる。

ロッジ2 ・ここはロッジの食堂とバーを兼ねている。私たち以外、いないようであった。次の日には、フランス人などの団体客が来ていた。

ロッジ3 ・プールも付いている。

ロッジ4 ・ここが泊まるロッジである。私は右側の部屋に泊まった。

ロッジ5 ・ここが部屋の中である。自家発電のようで、夜に扇風機が廻る。奥にトイレとシャワーがある。水はいつでも出る。シーツは交換してあった。しかし、ベッドが少し臭った。最初は自分の汗の臭いかと思ったが、ベッドの臭いであった。

ロッジ6 ・実は、私たちのツアーにもう1人の25歳の日本人女性が加わった。2泊3日のトレッキングツアーに参加していた。夜にはキャンプファイヤーをして、テントの中でハンモックを吊り下げて寝たらしい。歩くのが、けっこう大変だったようである。
 私の娘は26歳で、息子は24歳である。2人の女性は25歳で、同じ世代である。ボリビアに行った女性は広島から参加し、もう1人は神戸からである。神戸からの人はマイアミ経由である。こんな所で日本人旅行者に会うとは想像もしていなかった。私も含め、3人とも国際的な日本語の旅行サイトから申し込んでいた。2人とも、このアマゾンツアーだけに参加して、マナウスなどの観光はせずにそのまま帰るようである。安全と言えば安全である。しかし、せっかくここまで来ているのにもったいないと思った。
 最近は、刀剣女子など、若い女性がいろいろな分野に進出している。こんな所にくる女子は、秘境女子と言うらしい。製薬会社の人に聞いたら、チリなどに1人で行っている女性もいるようである。それにしても、わざわざこんな所まで1人旅で来るのは、自分探しなのか、ワケありなのか、よくわからない。

ピラニア釣り1 ・最初のツアーは、ピラニア釣りである。アマゾン河の色は黒い。だから、鏡のように河に風景が写り込み、どこが水平線なのかわかりにくい。

ピラニア釣り2 ・ピラニア釣りはこんな所をボートで入って行く。

ピラニア釣り3 ・これがピラニアである。イタリア人と2人の日本人女性はピラニアを釣り上げていた。私だけは、手応えがあっても釣り損ねていた。アマゾンの雨期は12月から5月下旬である。水量が多いと、エサも豊富で、ピラニアも分散する。今回は雨期の最後に当たる。それでも、まだ釣れた方である。

夕日1 ・私はピンクイルカと泳ぐツアーには参加しなかった。(別料金) ツアーに参加したイタリア人の写真を見せてもらったら、本当にピンク色していて、絵になっていた。このイタリア人は建築家で、大阪万博にも参加すると話していた。全身タトゥーだらけである。私と同じ1泊2日のツアーで、リオデジャネイロのイパネマがお気に入りで、ツアーの後にそのまま空港に送ってもらって戻るという。
 これはサンセットツアーである。日中3時頃には激しい雨が降るなど、天候は不順であった。雲が多くて、きれいな夕日は見ることができなかった。

夕日2 ・鳥がたくさん飛んでいた。これはこれで、なかなかよかった。

ワニツアー ・水位が高いと、大きなワニは見つけづらいようである。これは、子ワニである。

ジャングル・トレッキング ・5月1日(水)の午前中は、ジャングルトレッキングに行った。珍しい花や鳥などを期待したが、ジャングルの中をうろうろするだけで、それほど興味のあるものはなかった。ゴムの木や、マホガニーの木などを見ても、マニアでないので、あまり感動しなかった。坂道を上がっていくのは、ふだん運動をしていないので、さすが息切れがした。

タランチュラ ・これはタランチュラである。よく見ると、足がある。

広場 ・午後からまたボートと車で、ホテルまで送ってもらった。イタリア人は大きな荷物を抱え、そのまま空港までである。ホテルに着いたのは夕方で、アマゾネス劇場には間に合わなかった。是非とも、見たいと思ったので、翌日の5月2日(木)に行った。これは、アマゾネス劇場の前の広場に建っている。
 実はこの日は、国立アマゾン研究所にも行った。ここでも珍しい花や動物が見れるかと思ったが、あまり大したこともなかった。中が広いので、迷子になってしまった。

劇場1 ・ここがアマゾネス劇場である。簡単に入れるかと思ったら、ツアーに参加しないと中まで入れない。英語ツアーの時間も決まっていた。値段は10レアル(約300円)であった。結局、ホテルをチェックアウトし、荷物だけ預けて、12時15分のツアーに参加することにした。午後2時45分の飛行機に乗って、サンパウロに戻らなければならない。時間的に余裕がなかった。それでも、参加できて本当に感動した。アマゾンツアーより、よかったぐらいである。

劇場2 ・どこを調べても同じようなことが書いてある。ここでは、「地球の歩き方」から引用する。19世紀後半、アマゾンの一大ゴムブーム(タイヤなどに使われた)で、ヨーロッパからの移住者はあり余る財を手にした。その中心地となったマナウスでは、1896年に贅を尽くしたイタリア・ルネッサンス様式のオペラハウスが建てられた。これがアマゾネス劇場である。
 ところが、1915年にイギリス人がゴムの苗を東南アジアに移植した。5年後には、東南アジアでゴムが生産されるようになり、地理的に不便なマナウスは廃れていくことになる。しかし、今でも定期的にオペラが上演されている。

劇場3 ・ツアーでは、上の階に上がっていく。

劇場4 ・ここは衣装室である。昔は冷房がなかったので、暑かったと思う。

劇場5 ・ここは貴族のサロンである。

劇場6 ・下を覗いた風景である。

劇場7 ・これは天井に描かれていた絵である。見上げて写真に撮った。

劇場8 ・最上階から撮った写真である。スモーク(水蒸気?)みたいなものがたかれており、下から見上げると上の方は少し曇って見える。スマホで写真を撮っていた人は、暗いので撮るのはあきらめていた。

令和1年5月14日(火)

 きょうは午後から往診に行き、その後で歯科でインプラントを入れてもらった。夕食の食材を買って帰ってきたら、もう午後5時半であった。とりあえず、ブラジルの旅の紹介の写真を選び、このホームページ用にリサイズしたりしていた。その後、夕食を自炊して食べたら、もう午後9時である。まだ写真の解説は書いていない。
 今回のブラジルの旅は、4月25日(木)に伊丹から羽田空港まで行き、午前11時発のルフトハンザ航空に乗って、フランクフルトまで行った。(11時間40分) 3時間20分の待ち合わせで、同じルフトハンザ航空に乗って、北大西洋を渡ってサンパウロに着いた。(11時間50分) 合計で29時間55分である。おそらく、待ち合わせ時間も入れたら、大阪からサンパウロまでの最短時間である。今回はビジネスクラスを使った。座席はフルフラットになった。長旅でもあまり疲れなかった。しかし、値段はエコノミークラスの3倍ぐらいした。私はふだんは質素な生活をしている。しかし、残り少ない人生なので、使う時には使おうと思っている。
 帰りは、5月6日(月)のサンパウロを午後6時15分発の飛行機に乗り、8日(水)の朝9時5分に伊丹空港に着いた。(26時間50分)

地図 ・今回のブラジルの旅は、最初にイグアスの滝に行き、次にマナウスに行き、最後はサンパウロに行った。リオデジャネイロには行けなかった。地図では、下の方にサンパウロがある。イグアスの滝は、パラグアイの下がアルゼンチンで、ブラジル側とアルゼンチン側から見れる。

ポケトークW ・ブラジルではほとんど英語が通じない。どうしてかというと、アメリカ人観光客が少ないからである。ブラジルで使われているのはポルトガル語である。スペイン語もよく通じるようである。ヨーロッパからの観光客は多い。
 このポケトークWはSIM付きの翻訳機である。WiFiにつなげる必要はなく、アマゾンでも簡単に翻訳できた。東南アジアでは、なんとか英語が通じるので、この翻訳機の出番は少ない。近場で使う機会があるのは、中国と韓国ぐらいである。それにしても、この翻訳機には随分と助けられた。日本でも外国人観光客を相手にしている人には、便利で役に立つ。

空港 ・サンパウロのグアルーリョス空港に着いたのは、現地時間で、4月26日(金)の午前4時55分である。イグアス行きの飛行機は、朝10時頃に出発である。大きな荷物は空港に預けて、必要な分だけ持って行くつもりであった。ネットで調べても、この荷物預かり所がどこにあるのかわからなかった。空港職員らしき人に英語で聞いても通じなかった。わざわざ、英語が話せるスタッフを呼んでくれた。
 ここは第3ターミナルを出た所である。この突きあたりのビルに、荷物預かり所があった。値段は1日当たり30レアルであった。(1レアルは約30円) 各ターミナルにもあるのか、よくわからない。

ホテル ・イグアスでは、ホテルを予約していた。値段は朝食付きで、2泊3日で計8420円であった。3人部屋に1人で泊まった。プールも付いていた。近くにスーパーやバス乗り場もあり、便利であった。治安は悪くないということであった。

滝1 ・イグアスの滝は、ブラジル側とアルゼンチン側の両方から見ることができる。丸2日間も取れないので、迫力のあるアルゼンチン側に行くことにした。空港の旅行代理店で申し込みをした。最初は私1人だったみたいで、400レアルと言われた。しかし、アルゼンチン側のホテルに泊まっている3人含めての英語ツアーに、105レアル(3150円)で参加できた。
 簡単にアルゼンチン側に行けるかと思ったら、アルゼンチンの入国手続きをして、ブラジルに戻る時には再入国手続きが必要であった。全部、ツアーガイドが連れ行ってくれたので、楽ちんであった。ただ、イグアスの滝の公園入場料は700アルゼンチンペソ(約1800円)が必要である。これは、前日に両替所で換金していた。
 滝の途中まで、トロッコ列車に乗って行く。隣に日本人ツアーの女の子がいたので、声をかけた。関西のH交通社のツアーで、ペルーのマチュピチュに行って、イグアスの滝に来たと言う。7泊11日の旅でる。サンフランシスコからペルー行きの飛行機が大幅に遅れ(あまり評判のよくないラタム航空)、列車とバスとトレッキングで、やっとマチュピチュにたどり着いた時には、疲れ果て、景色を楽しむどころでなかったという。

悪魔ののどぶえ1 ・ここはアルゼンチン側でしか見れない「悪魔ののどぶえ」である。この写真は、今回買ったGoProで撮った。他に、ソニーのRX100VIを持って行った。しかし、ここでは水しぶきが激しく、ふつうのカメラは使えなかった。

悪魔ののどぶえ2 ・どんないいカメラを持って行っても、役に立たない。水しぶきを浴びたら、カメラが壊れてしまう。レンズに水滴が付くので、ハレーションを起こしてしまい、いい写真が撮れない。ここには、日本人らしき観光客がけっこう来ていた。

休憩所1 ・ここは休憩所である。ハナグマがいる。

休憩所2 ・ランチは、ブラジル通貨もアルゼンチン通貨も使える。

滝2 ・遊歩道からは、たくさんの滝を見ることができる。私は申し込まなかったが、スピードボートで滝つぼに行くツアーもある。当然びしょ濡れになるので、雨具がいる。

滝3 ・ボートがかすかに見える。ここまで滝つぼに近づく。

遊歩道 ・こんな遊歩道が続いている。私の参加したツアーは、フランス人老夫婦とまだ28歳のスロベニアのジャーナリストであった。フランス人夫婦は京都に行って、素晴らしかったと話していた。スロベニアのジャーナリストは、現在混乱しているベネズエラに取材に行っているという。中南米では、コロンビアがお薦めだという。メデインとカルタヘナで、今は治安もよくなり、物価もブラジルより安いという。他にも、エチオピアの北部も推薦していた。

滝3 ・ここでも、滝つぼに向かうスピードボートが見える。

滝4 ・滝のすぐそばに、展望台がある。

休憩所3 ・休憩所には、いくつかのレストランがある。

バス乗り場 ・ホテルの近くのバス停から空港までバスが出ていた。みんな前から乗らず、出口から乗る。見ていたら、誰も料金を払っていない。私は空港で降りるつもりであった。ところが、おばさんに聞いたら、次で降りろと言われた。出発入口と到着出口が違うのかと思ったら、そのまま通り過ぎてしまった。慌てて次のバス停で降りた。たまたま出店が出て人が大勢いたので、タクシーが停まっていた。何とか引き返すことができて、サンパウロに戻る飛行機に間に合った。

令和1年5月7日(火)

 この日はサンパウロからの帰国で、飛行機の乗り継ぎでドイツのフランクフルトにいます。

 

 

平成31年4月30日(火)

 この日は、アマゾンツアーに参加しています。

 

平成31年4月23日(火)

 不幸は突然やってくる。カルテを1階から2階にあげるリフト(ダムウェーター)の見積もりがまだできていない。前日まで正常に動いていたのに、いきなり車1台分(軽からプリウスまで?)の費用がかかる。これから年を取ってくると、1番の突然の不幸は、いきなりガンが見つかって、全身転移している場合である。前日まで元気にしていたと思ったら、余命幾ばくもない。それほど生に対する執着はないが、いきなり言われたら、ちょっと待ってよと言いたくなる。実際に、体調はあまりよくない。
 実は、別の小さな不幸がまたやってきた。4月20日(土)にメールを開けたら、大分前に予約していたサンパウロからイグアスまでの往復航空チケットがキャンセルとなっていた。別の国際的な大手の旅行サイトで予約していた。料金は全部返すということで、キャンセルの理由はわからないということであった。イグアズではホテルもすでに予約していた。慌てて、前にも書いた変更方法がわからなかった旅行サイトで調べた。別の航空会社で料金は当初の2倍ぐらいした。それでも、何とか予約が間に合ってよかった。今回旅程を印刷していたら、前回わからなかった変更というクリックを押す場所を見つけた。これで実際に変更できるのかまだ試してはいない。
 2週間ほどゴールデンウィークを休むので、雑用がうんざりとするほどある。きのうは外来が終わってから夕食をとり、障害年金の診断書などを夜11時過ぎまで書いていた。旅行の準備も大変である。大きな荷物を持って、イグアスの滝やアマゾンに行くのがいいのか迷っている。今考えているのは、サンパウロの空港で荷物を預けることである。泊まりがけのアマゾンツアーでは、荷物をどうしたらいいのかわからない。アマゾンで泊まる時に、わざわざホテルも予約しないだろう。アマゾンツアーでは、長袖、長ズボン、スニーカーが必要である。最初からスポーツサンダルを履いて、スニーカーは持って行くつもりである。雨期の最後にあたるが、蚊が多く、虫除けスプレーも現地の物でないと効かないようである。
 ふだんは京都府医師会雑誌(京都医報)はあまり読まない。「府医第201回臨時代議員会を開催」と書いてあっても、内容が堅苦しそうでいつもなら読み飛ばしている。たまたま知っている先生の発言を読んでいたら、興味深いことが書いてあった。増え続けている医療費が、保険医療制度の存続を脅かしているという。保険医療制度において自助の窓口負担の占める割合が11.5%と低いまま、保険料と公費の支出が増えている。現役世代は3割負担である。また、服用されない薬は日本薬剤師会の試算では、年間500億円超えになっている。ここでは述べられていないが、過剰検査もある。精神科関係では、障害者の支援を充実させるのはいいことである。しかし、中にはここまでするのかというほど過剰な手厚いサポートを受けている人もいる。一歩間違えたら、貧困ビジネスである。どこまで医療費として計算されるのかよくわからない。とにかく、無駄な医療費の削減は必要である。

今週のトピックス 76 (190423)

池上彰「池上彰が聞く韓国のホンネ」 (朝日新聞出版)
池上彰「池上彰が聞く韓国のホンネ」 (朝日新聞出版)

 この本はブラジルに持って行く本を書店で探していた時に、ついでに買った。まだ発売間もない。本の内容としては、これまで朝日新聞などで掲載した記事が多い。しかし、戦後の韓国のことについては断片的な知識しか持たない人には、一通りの歴史的な出来事について整理ができ、勉強になる。まず、文在寅大統領である。両親は朝鮮戦争の際、北朝鮮から逃れてきた避難民だった。学生時代には朴正煕大統領の軍事独裁政権に反対する民主化運動に身を投じていた。1980年代の韓国の民主化運動には、北朝鮮の金日成の主体(チュチェ)思想を支持する学生もいた。「人間がすべて主体」という言い方に感化されたのである。だから、文在寅大統領に北朝鮮のシンパシーが感じられるのは、この時の民主化運動が背景にあるという。
 今でこそ、共産主義独裁の悪の部分が明らかになっている。しかし、当時は理想の社会を目指してマルクス主義が信奉されていた。前にも書いたように、理想の国家と信じられていた共産主義国家のベールが次第に剥がされていくと、当時はまだ秘密に包まれていた北朝鮮とアルバニア(だったと思う)が最後の楽園と言われていた。韓国の軍事独裁政権より、北朝鮮が民主的に理想の平等社会を築いていると信じられたのは無理もない。北朝鮮への帰還事業でも、理想の国の建設を信じて日本にいた大勢の在日朝鮮人が帰国したのである。うろ覚えであるが、昔読んだ本で、帰還した東北大グループの行方がわからないと書いてあった。
 1945年8月9日に、ソ連は日ソ不可侵条約を破って、満州に侵攻した。ソ連は社会主義圏の拡大を図っていたので、アメリカは朝鮮半島全体にソ連寄りの国ができることを防ぐために軍を派遣した。そして、ほぼ同じ面積で分ける北緯38度線での分断に合意した。ソ連は北海道も南北に分断しようと、アメリカに提案した。しかし、この提案はアメリカが拒否した。ソ連は満州や朝鮮半島だけではなく、北海道を目指して南樺太から千島列島へと攻めてきた。ところが、千島列島の占守島で、日本軍の頑強な抵抗にあい、一気に北海道には来れなかった。結局、9月2日に日本軍が降伏文書に正式に調印して時間切れになった。朝鮮半島は日本に統治されていた結果、南北に分断された。朝鮮半島の人たちには何の責任もなく、自分たちの意思とは関係なく分断されたのである。
 さて、金日成である。日本の統治時代は、満州で中国共産党に入って抗日運動をしていた。日本軍の討伐が激しくなると、中朝国境からソ連に逃げ込んだ。ソ連は日本が統治する朝鮮半島に攻め込むことを想定し、軍の内部に朝鮮人部隊を組織した。その中で金日成もソ連の大尉になる。終戦後にソ連が朝鮮半島の北側を占領することになったときに、「言うことを聞く朝鮮人」としてソ連が選んで金日成をトップに据えた。日本に対する戦闘などを通じてトップになったわけでない。
 そうしたコンプレックスを払拭しようと、金日成は自分の力で軍事的に統一しようと、南への攻撃を企てた。当時アメリカ軍は朝鮮半島から撤退していた。ソ連に2度訪問し、スターリンに攻撃の許可を求めた。スターリンはアメリカの介入を懸念し、当初は同意を渋っていた。アメリカの国務長官アチソンの演説のことも書かれている。歴史とは本当に面白い。興味のある人は是非ともこの本を読んで下さい。
 韓国には同じ民族だからという統一論が多くあった。ところが、統一の熱意が急激に醒めたのは、1990年に東西ドイツが統一されてからである。北朝鮮は社会主義国の中の最貧国である。韓国と北朝鮮が統一すると人口は約7500万人になる。「強い朝鮮」への願望はあるが、自分の暮らしにとって負担になるのはいやだというのが本音のようである。朝鮮戦争が休戦になっても、北朝鮮は軍事境界線と非武装地帯の地下にトンネルを掘り、1974年から1990年にかけて4本見つかっている。戦争はまだ続いているのである。ソウルと板門店の間にわざと人工的なトンネルをつくり、爆破して戦車を止める仕組みになっている。また「避難所」と呼ばれるミサイルが飛んできた時に避難するシェルターが、地下鉄の駅など韓国全土に約1万8千ヵ所ある。
 興味深いことはたくさん書かれている。第5章の「日本と韓国はなぜ仲が悪いか?」である。2015年12月の慰安婦を巡る日韓合意についても詳しく解説している。著者は、2017年にソウルの日本大使館前で少女像を守っている団体のメンバーに話を聞いている。この日韓合意については、「大統領が国民を無視して結んだこと」だという。その一方で日本は好きだという。元慰安婦の「おばあさん」への純粋な思いが原動力となっているようであると書いている。韓国労働組合総連盟対外協力本部長にもインタビューしている。池上が国と国が約束したらそれを守らなければならないのではと言うと、「慰安婦問題は事実ではない(略)などという人が日本の政界に出てこなければ、状況はここまでにならなかったでしょう」と答えている。徴用工像が立てられているソウル市内の駅前で71歳の女性にも話を聞いている。「(日帝時代)汽車もつくり、韓国を発展させました。いい部分もありますし、感謝もしていますが、最後に正しく締めてくれればいい」と発言している。韓国の新聞2紙も、「感情的に葛藤を深めることを自制しなければいけない」等、呼びかけていた。
 この本では面白いことを指摘している。日本は加害の場が朝鮮半島や中国大陸、東南アジアであった。日本軍はひどいことをしてきたが、海の向こうの出来事で、多くは沈黙し、加害の歴史は継承されなかった。日本国内にあるのは被害の歴史である。原爆の被害であったり、東京大空襲であったり、「我々は戦争の被害者」という意識がどこかにある。加害に歴史に対する問題意識が薄い。1993年の河野談話で、朝鮮半島出身の慰安婦に対して、公式に謝罪した。ところが、強制連行を証明する資料が見つかっておらず、日本軍が関与したという直接の証拠はないということで、批判がくすぶっていた。実際に、安倍首相は「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」などと発言し、河野談話で示した強制性を否定した。後は、私がいつも指摘していることが書いてある。敗戦を知った軍部などの上から下までの人々は、戦争犯罪に繋がる資料などはほとんど焼却したのである。この中に慰安婦の強制連行に関する資料がどこまであったのかはわからない。(証言はある) しかし、自分たちで勝手に不都合な資料は焼き払っていて、証拠がないと言い張るのは一体どういう神経をしているのかと思う。安倍首相はよほどの厚顔無恥なのか、それとも想像以上にオツムが弱いのかよくわからない。
 1995年にアジア女性基金という財団法人がつくられ、元慰安婦1人当たり200万円が渡された(61人)。日本の総理大臣が謝罪の手紙を渡している。著者は、手紙を渡すという中途半端な方法ではなく、元慰安婦の元に出向いて謝罪するという方法もあったという。法的な解決がされているととらえる日本と、感情的に癒やされていないと感じる韓国の差を指摘している。
 最後に、韓国の厳しい格差社会である。安全志向から公務員希望者が増加しているという。就職のために大学を休学し、就職予備校に通う。警察官採用試験の勉強をしている女性は、女子の倍率は100倍で、1日15時間勉強しているという。若者は、「ヘル朝鮮」(地獄の朝鮮)という話をする。韓国社会が地獄のようで、使い捨てられる束縛感がある。韓国には徴兵制があるので、読書の習慣は軍隊で身につくようである。酒が飲めず、規則正しい生活をするので時間がたくさんあり、本を読むようになる。
 他にも、李承晩などのことも書かれている。アメリカ側から都合のいい人物として位置づけられ、間接選挙で大統領に選ばれたという。よく台湾は親日的で、韓国は反日的だと言われる。戦時中は中国大陸で日本と戦い、戦後に台湾を統治した国民党が、日本統治時代に育った台湾の人々を徹底的に弾圧し、万単位の人たちが虐殺された。だから、台湾では相対的に「日本の方が良かった」と親日的になる。ところが、韓国では徹底的な反日教育がなされたのである。韓国の独立は日本の敗戦で棚ぼた式に手に入った。どこの国でも、民族のアイデンティティを確立するのは重要である。日本でも、元号を決める時に、わざわざ(中国ではなく)日本の古典から選んだと強調しているぐらいである。(個人的には、強調すればするほど、コンプレックスの裏返しみたいでみっともない)

 

平成31年4月16日(火)

 相変わらず、体調はよくない。身体がだるくて、疲れやすい。1度、人間ドッグで検査を受けた方がいいぐらい、調子が悪い。まず、カルテを1階から2階に上げるリフト(ダムウェーター)の故障である。飲食店などで調理場から上の階に上げる時によく使われている。開業してから18年目の故障である。きょうは、午後から以前にお世話になった建築関係の人とリフトの専門業者の人に来てもらった。結局、取り替えなければならないという。前面の壁を取り壊し、床下の基礎工事も必要だという。けっこう手間暇がかかり、費用もかかりそうである。4月は子どもの私立医学部の授業料を振り込んだばかりである。新車を買うなんて、夢のまた夢である。今度ばかりは、貯金を崩さないといけない。
 先週の金曜日(12日)は、京都市東山区の介護認定審査会があった。月に2回あり、任期は2年である。長いこと審査会から離れていたので、送られてきた資料を読んでいても、ポイントがなかなかつかめなかった。30名分である。司会(合議体長)の先生は慣れているので、どんどんと進行していく。順番に当てられるが、最初はどこをチェックしたらいいのかわからず、ドキドキした。後半になってきて、段々と要領がつかめてきた。
 前にも書いたように、東山区で新たに開業する人はおらず、開業医の人数は減っている。最近、代々高台寺近くで開業していた先生が、いろいろな事情でやめた。私より若い先生である。少し前の京都府医師会雑誌(京都医報)で、東山医師会のことを広報担当理事の先生が紹介していた。東山区は清水寺や東福寺、祇園などを含む京都の有数な観光地である。しかし、高齢化が進み、65歳以上の人は33.5%を占め、京都市全体の27.8%を遙かに凌いでいる。人口も3万7千人ほどで、伏見区の7分の1ほどである。
 総会員数のほぼ半数を京都第一赤十字病院の先生が占めている。A会員はわずか47名で、約半数近くが65歳以上である。だから、今回のような京都市の介護認定審査会などの仕事は会長から頼まれたら断りづらい。私は、もっと若い時には措置入院のための鑑定でも、京都市から依頼されたら断ることがなかった。午前診と午後診の合間でも、自分で車を運転して、数え切れないほど府立洛南病院まで緊急入院となった患者さんの診察に行った。しかし、私も年をとったので、今も続けているのは労災判定の仕事だけである。(近畿圏では、おそらく私が最初の精神科関係の労働局地方労災医員となった) 介護認定審査会の仕事は、若い人がいないので、2年間では終わりそうもない。永遠に続きそうである。
 さて、ゴールデンウィークのブラジル旅行である。観光ビザは何とかネットで取れた。6月からは、ブラジルも他の中南米の国のようにビザはいらなくなる。先々週に放送していたTVの録画を見ていたら(番組名は忘れた)、元TBS人気アナウンサーが出てきた。私はふだんTVは見ないので、誰なのかまったくわからない。この人がアナウンサーをやめて夫の仕事でブラジルで住んでいた時である。ある評判のいい中華レストランに行って食事をしていたら、ピストルを持った強盗に襲われ、他の客もみんなお金などを盗られたという。こういう場合には、強盗と目を合わせず(顔を見ず)、ゆっくりと動作することと話していた。前に紹介した嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」(彩図社)に書いてあったことと同じであった。ネットで調べてみると、アマゾンのマナウスでも大都会並みに治安は悪化しているようである。
 スリやひったくりは日常茶飯事のことのようである。「地球の歩き方」にも、スリにあった体験談が書いてあった。私は写真を撮るのが趣味である。大きなカメラは目立つので、高級コンパクトデジカメを持って行く。ソニーのマークは黒いテープで隠そうかと思っている。あまり治安のよくない場所では、カメラを出すこともできないかもしれない。それでも、私は何でも撮ってやろうなので、危ない場所でもカメラは持って行くつもりである。
 ここでも何回も書いているように、カンボジアでは現在の首相であるフンセンにポルポトが追われて、内戦が終決した。この時にプノンペンを訪れている。市中には、それまで使っていた武器などが溢れていた。私は2回強盗に襲われている。1回は頭に銃を突きつけられ、1回はホテルの鍵や現金が入った小さなバッグを奪われた。夜中に、無法地帯のようなナイトクラブに通い続けた私も悪かった。住民は原始共産主義を目指したポルポト政権から解放されて、町全体が異様な高揚感に包まれていた。ホテルのディスコでも、銃などを持ち込めないように荷物は入口で預かっていた。交通手段は、バイクタクシーである。外で待ち伏せしていて、この行き帰りに襲われる。恐らくブラジルでは、抵抗したら脅しではなく、本気で銃を撃ってくるだろう。
 この前の日曜日には、ネットで予約したホテルやブラジル国内の航空券の予約をプリントアウトして、確認をしていった。サンパウロのホテルだけはまだ予約していなかった。14日間も行くとなると、予定を立てるのが大変である。プリントアウトして、14日間のスケジュールを一つ一つチェックしていった。ところが、サンパウロからマナウスまでの航空券の往復チケットの予約が1日間違っていた。帰りはよかったが、行きはもう1日早く行かなければならなかった。すでに予約したアマゾンツアーに間に合わない。日本では有名な国際的な旅行サイトで予約した。ところが、この飛行機の変更の仕方がいくらネットで調べてもわからなかった。記載している所に電話しても通じなかった。メールでの問い合わせにも、応じていないようであった。よく考えてみたら、ホテルや航空券などの変更は数が多すぎて、十分に対応できていないのかもしれない。
 それぞれの航空会社によっても変更が可なのか別料金がいるのかそう簡単にはわからない。ネットでも、この国際的な旅行サイトの変更手続きには、不満が溢れていた。HISなど日本の旅行サイトなら、問い合わせをしたら、それなりに対応してくれるだろう。結局、ネットで調べて、変更手続きの体験談に出ていた電話番号に電話してみた。夜の11時過ぎである。結論として、変更手続きに4万円ほどかかると言われた。ネットで購入したときには、まだ早かったので往復2万9千円弱であった。現在予約したら往復で5万円以上である。片道は、2万4千円である。しかし、行きをキャンセルしたら帰りの分もキャンセルになりそうである。
 夜中の12時前ぐらいに手続きが終わった。1日ぐらい手続きがかかると言われた。ところが、1日経っても受信箱には何も返事が来ていなかった。この時に、もしかしたら詐欺サイトに誘導されたのではないかと心配になった。どうしてかというと、いくらこの国際的な旅行サイトを調べても、電話の問い合わせ番号が出ておらず、表示された電話番号では通じないからである。ある意味で詐欺サイトを作りやすいのである。結局、もう1度ここに電話した。すると、別の係の人がすぐにeチケットをメールで送ってくれた。このeチケットも本物なのかよくわからない。楽天のクレジットカードサービスに電話したら、クレジットカードの番号と名義と有効期限だけではネットでは使えないという。裏に書いてある3桁の番号が必要である。この3桁の番号は言ってはいない。カード枠が200万円ぐらいあるので、悪用されたら大変である。この海外に拠点のある旅行サイトが委託している会社なのか、これもよくわからない。実店舗を持たない国際的な大型旅行サイトは大変便利でお得である。しかし、利用する時には最初から変更不可ぐらいで考えた方がいい。

 

平成31年4月9日(火)

 少し前に、歯茎の中で歯が折れて抜いたと書いた。実は、金曜日の夜から、今度は反対側の歯茎が腫れ、痛くて食事もできにくくなった。仕方ないので、通院している歯科に電話した。いつも混んでいて、私の都合もあるので、きょう予約が取れた。抜いた歯のインプラントはゴールデンウィーク明けである。1本抜いただけで、噛み合わせが悪い。また1本抜いたら、ゴールデンウィークのブラジルの旅行に支障を来しそうであった。これまで、10年以上何ともなかった。診察してもらったら、今すぐに抜く必要はなかった。しかし、今後どうするかは難しいようである。
 きょう医院で使っているカルテの昇降機(1階の外来の受付から診察室のある2階まで)が初めて故障した。スイッチを入れ直しても、うんともすんとも言わない。王将などの飲食店で使っているダムウェーターである。開閉扉の上には連絡先が書いてあった。しかし、18年前に開業したときに取り付けたので、とっくに廃業しているのか、電話番号は通じなかった。ゴールデンウィーク前は混むので、何とかしなければならない。ネットで調べて聞いても、故障の原因より新しい設備を取り付けたがっているのが見え見えであった。どうしたらいいのか、いろいろ相談している。飲食店で使っている店はたくさんあるので、こんなトラブルは珍しくないだろう。とりあえず、しばらくは患者さんにカルテを持って上り下りをしてもらう。
 これまでなかった歯のトラブルや昇降機のトラブルなどが重なると、精神的にはまいる。今週は、歯も痛く、体調も悪かった。やらなければならないことは山ほどあった。どうしてこんな不幸なことが連続して起こるのかと、うつ状態に陥る。こんな状態の時に、続けて大事なペットを亡くし、息子の医学部の留年が決まったら、再起不能になって、人生なんかどうでもよくなる。最悪の時に、和田秀樹の「感情的にならない本」とか「自分をどう元気づけるか」を読んでも、あまり役に立たない。
 私は訓練されているので、自分の感情を切り離して、とりあえず今何が必要か考えてすぐにそのことに取りかかる。それでも、なかなかうまくいかない。ただ、不幸の相対化は大事である。自分の不幸を絶対化してしまうと、自責感や希死念慮などが生じて、底なしの無力感に襲われる。相対化というのは、大変なことが起きているけれども、長い人生にはこういうこともあるとか、身近な人の不幸な出来事を思い出して、まだ自分の方がましだと考えたりすることである。精神科医の役割は、患者さんの不幸をいかに相対するかである。持続的な効果は乏しいが、わずかな時間でも、それでもまだましかと思わせることが大事である。
 最近は、前にも書いたように、TVはあまり見ない。面白そうな番組があると、録画して後から見る。4月6日(土)の夜11時過ぎから放送された「出川とWHYガール」はその内容に驚いた。緊縛にはまる女子やSNSで体を見せたい女子、私の知らなかったうしじまいい肉が出てきたりした。うしじまいい肉はかなり有名な人のようである。開脚した時に大陰唇が見えないような下着を作ったり、Tバックを長いことはいていると肛門が痛くなるので、痛くならない下着を作ったりしている。1番売れているのは、超ローライズシフォン玉パンツだという。真珠のネックレスみたいなのが、股間に使われている。うまく隠れて見えないという。この下着を着て、ツイッターなどに画像をアップロードしている女性が大勢いるようである。いじめられてるとか、アニメ好きなどのクラスの弱者がアイドルになっていいんだとか、病んでいるけどカッコイイという。自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきたが、こんな若い人たちがたくさん出てきて、日本の未来は明るいと思った。

今週のトピックス 75 (190409)

古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)
古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版) パート2

 さて、この前の続きである。主人公である昇一がTV出演の2回目に、早くも「よもぎチャンネル(チャンネル桜)大討論会」に招聘されたのである。この時のテーマは「ネットと若者の愛国心」であった。討論会のメンバーは、若者やインターネットの構造など何も知らない老兵たちで、番組の約6割を老兵たちの無知を補うべく、昇一ひとりがしゃべりまくることになった。「よもぎチャンネル」に出演してから、4ヶ月経った2010年10月には、大討論会への参加は8回を重ね、右派・保守界隈ではちょっとした有名人になりつつあった。
 昇一が度肝を抜かれたのは、「日韓関係」の討論会に出てきた殖産(拓殖?)大学客員研究員・津島浩司(実在の人物は誰なのかわかる人にはわかるのだろう)と「日韓断行市民協議会」の実質的主催者であった十川稼頭央の異様さであった。昇一は、竹島が不当に占領されたことを舌鋒鋭く糾弾するのは歴史的事実だからいいものの、その憤怒の矛先が韓国人の遺伝的劣等生に及ぶのは、筋違いで明確な人種差別だと断言している。具体的には、「朝鮮人の遺伝子には下品が打刻されている」という人種論にまで発展し、「朝鮮人は人糞を酒にして飲んでいるような国民総反日民族」と顔を真っ赤に紅潮させて絶叫するのである。ここまで読んできて、明らかなヘイト本である百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)にも同じような内容が書かれていたことを思い出した。
 この発言に大いに同調した十川は、「日本における犯罪の半分は朝鮮人によるもの」など、得意満面の笑みで流布しだした。津島に関しては、保守論壇のデビューとなった首都警備保障(アパグループ)懸賞論文の推薦人であったので、昇一は津島・十川の嫌韓の絶叫に沈黙せざるを得なかった。異議を唱えることより、保守界隈からの急速な自身への注目への高揚感、承認の充足の方に満足を覚えていた。「よもぎチャンネル」の視聴者はおおむねネット右翼であり、その知的水準はすこぶる低い。出演者のレベルも、想定以上に差別的かつトンデモ的で低い。この程度なら、亜インテリの昇一の教養水準でも、この界隈では十分に通用すると思った。昇一は、相手が勝手に仲間意識を抱いてくれることをいいことに、小遣い稼ぎを優先させる。
 私はここに出てくる仮名の登場人物は一体誰のことなのかさっぱりわからなない。わかったとしても、知らない人ばかりであろう。ここでは、私塾「波多野譲研究室」通称「ハタ研」が出てくる。大学の非常勤講師に過ぎなかった波多野が立ち上げた会員サークルは500名ほどいて、月の会費が2千円で100万円にもなる。波多野は36歳の時に、半自費出版として「日本陸軍軍閥入門」を1200部印刷したが、実売はわずか78冊であった。波多野はこの失敗から、真面目な学究向けの研究から、過激な世論が好む陰謀論的色彩の濃いものへと大転向を行った。よもぎチャンネルに出演していた人たちが亡くなるなどしていた時に、無名の非常勤講師が自分を売り込み、2007年暮れには30分枠のレギュラー番組を手にいれるまでになっていた。ネット上で有名になっていた波多野は2008年に「国民の知らないマスコミの陰謀」を出版し、累計4万7千部というヒットを生み出した。前回書いたように、よもぎチャンネルの番組の最後に、勉強会の会員を募集していた。
 月に1回の勉強会のことも書いている。「公共放送JHK(NHK)はいかにコミンテルンに侵略されたのか」では、全国に1万数千人いる社員のうち、実に20%がコミンテルンの工作員として働いており、日々反日偏向報道を行っている等である。もうひとつの目玉は「反日憎悪」の時間である。照明が暗くなり、プロジェクターから人物写真が映しだされる。何の根拠もなく「反日分子」、「在日コリアン」、「韓国からの帰化人」と勝手に認定されている政官財の要人らの顔が次々と表示されると、会員たちは喉が張り裂けんばかりに罵声を浴びせ、2千個のピンポン球をスクリーンに向かって投げつけるのである。(過去にビンを投げつけた会員がいてスクリーンが破損して弁償金が生じたため) 最後に、「天皇陛下万歳!」と歓呼三声して、「ハタ研」の定例会は終わる。
 もう1人は、波多野と同じようにレギュラー「土井賢治の護るべき日本」を持つ保守系論客の土井である。波多野が歴史と政治、土井が経済と棲み分けていた。ところが、波多野の重鎮三巨頭の1人が、ある時によもぎチャンネルの30分番組で土井よりも5分短いことに異議を唱えだした。この5分は、首都警部保障(アパグループ)のCM枠であった。そこから、それぞれの弟子たちに争いが、よもぎチャンネルを巻き込んで起こる。そして、最後は刑事事件にまで発展する。このあたりのことも興味深い。ネット右翼の人たちも決して1枚岩ではなく、互いに罵りあっている。興味のある人は、是非ともこの本を読んで下さい。
 さて、主人公の昇一は、保守系論壇誌「STAND」から原稿依頼があり、2010年12月号に初めて原稿が掲載された。昇一は反米・自主独立を高らかに謳いあげるものこそが普通の右翼・保守だと認識していた、ところが、憎悪の方向が皆、国内の在日コリアンとか韓国政府や韓国民族に向けられ、それが差別と憎悪と無根拠のトンデモにまみれていることに、唖然とした。最初に入会した小西鉄山の「公論の会」こそ、中国や韓国政府を批判はすれど、押しつけ憲法を改正し、自衛隊を国軍にして対米自立を説くという戦後新右翼のマインドを兼ね備えており、反米・自主独立の気風が確固に存在した。しかし、よもぎチャンネルでは、「アメリカがいかに日本に貢献しているか」という、属国根性丸出しの者たちが、存外に多かった。昇一は、だんだんとこの右派・保守界隈の空気が、「対米自立・反米自主独立」路線と大きく変質した、ネット馬鹿を相手に商売をする空間に過ぎないことを痛感し始めていた。
 2011年の正月には、埼玉のある会を主催している北見から、昇一に講演会の依頼があった。この会には、都合19名の聴衆が詰めかけていた。どこかうらぶれた場末感か漂う「青年」ばかりであった。講演会が終わった後に、質疑応答タイムがあった。コミンテルンとは第三インターナショナルを意味する、ソ連共産党の国際組織である。質問にたった男は、そのコミンテルンがルーズベルトや蒋介石を操って日本に戦争をさせるように仕向けたが、昇一がどう考えてるか質問してきた。昇一は、「そのコミンテルン陰謀説は、オカルト、トンデモの類いで、歴史学者でまともに相手する研究者はひとりもいませんよ」と答えると、「ネットで書いていることを真実の歴史だと思っているだけです」と言う。本はまったく読んでいない。
 他にも、「自分は、日本を破壊しているのが、反日メディアの偏向報道であり、その原因は日本のテレビ局や新聞社の中に、中国人や朝鮮人などの反日工作員が入り込んでいるためだと確信しているのです」と主張してくる者もいて、昇一はゲンナリとした。「ネットに書いてあることは、全部でないにせよ大半は真実のことだと思います」と述べる。「戦後の知識人や文化人が中国や韓国の工作員とでもいうのですか」と質問すると、丸山眞男や吉本隆明や大江健三郎のことを、「その丸山マサオって誰ですか、吉本たか、大江けんしろう? すいません誰ですか」と聞いてくる。
 中には、「在日特権をどう思うか」と質問してくる者もいる。「在日特権はタブーで、世の中から隠されてるっていってるだろう。在日朝鮮人が犯罪をやっても、好き放題脱法行為をやっても、報道もされないし、公表もされないの。だって在日特権があるから。わかる?マスコミも警察も全部パヨクと朝鮮人に支配されているからなんだわ。こんなの、インターネットをやってれば誰だって常識なんだよ。南部(昇一)さん、あんたは勉強不足なんだよ」と言われる始末である。昇一が怒って反論すると、「お前は朝鮮人なんじゃねーか」と反論される。
 先ほどの波多野は東日本大震災を受けて、自身のブログに「これは日本壊滅を目論む反日勢力の地震兵器である」と掲載する。一方の土井賢治は、「韓国人略奪犯に注意」というトンデモ差別記事を投稿した。この波多野は毎週連載のコラムを「週刊実相」に持っている。この波多野の部下がよもぎチャンネルと土井事務所に消化器による同時攻撃をして、警察に逮捕されている。波多野はよもぎチャンネルから全局あげての糾弾にあった。しかし、2011年7月に波多野が自動車に跳ねられ半死半生の深手を負ったことで、急速にしぼんでいった。土井はその後、「盗作ネトウヨ作家」と烙印を押されて仕事が激減した。
 さて、先ほどの百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)である。この本は世に溢れている嫌韓本でも反韓本でもなく、明らかにヘイト本である。前回の日記でも書いたように、同じ著者の「日本国紀」(幻冬舎)を安倍首相は絶賛しているのである。この本は、一説によるとウィキペディアも引用して書いたようである。安倍首相もどの程度の頭脳の持ち主がよくわかる出来事である。私が安倍首相をいくら批判しても、どこの馬の骨が言っていることかと誰も相手をしてくれない。このホームページいっぱいに、大きな字で「安倍政権打倒」と書いても、誰も見向きもしてくれない。暴動を起こすのも面倒臭そうである。
 私は前にも書いたように、学生運動の名残が残っていた当時過激派の拠点であった京大精神科の評議会に、部外者の私に出席して発言させてくれと申し込んだことがある。周りからは、何をされるかわからないぞと脅されていた。私は当然反撃も予想した。しかし、私のことをいくら調べても、浮気をしているわけでも、愛人がいるわけでもなく、製薬会社の接待も嫌っていたので、何もスキャンダルは出てこないと自信があった。ただ、被害妄想かもしれないが、尾行されたり、もしかしたら合い鍵を使って自宅に侵入されるのではないかと警戒した。私は直接何もされなかった(と思う)。しかし、これも被害妄想かもしれないが、私の周辺でこの人たちが仕掛けたことではないかと疑うような出来事(ここでは書けない)があった。このあたりのことは、過去の日記にも詳しく書いた。結局、考えに考え抜いて、同じ京大系の笠原嘉先生に、どこの馬の骨かわからない私が抱えていた問題を解決をしてもらった。
 前に戻って、どうしたら教養のない百田尚樹や安倍首相に反撃できるかである。百田の本を全部韓国語に翻訳したら、著作権法違反になる。しかし、ヘイト部分の一部を韓国語に翻訳して、韓国の人に紹介したらどうなるであろうか。韓国語に翻訳するのは、スワヒリ語に翻訳するのとは違って、まだプロなどにも頼みやすい。ヘイト本を書くのは、言論の自由で法律的には取り締まれない。しかし、誰が読んでもアウトのヘイト本を書いた著者の別の本を総理大臣が絶賛したらどうなるであろうか。このヘイト本の中身を知った韓国人は、同じ著者の本を絶賛する安倍首相にも怒り狂うであろう。2人とも、基本的には同じ穴のムジナである。韓国は日本以上に、ネットが発達している。戦略としては、いろいろなやり方が考えられる。この日記を読んだ人は、決してまねをしないで下さい。安倍政権の本質とネトウヨたちのことを知るために、平成29年8月1日に書いた「トピックス38」を再掲載する。ここでも京大とのことは書いているが、この部分は省略する。1つ、誤解を招かないように、皇室に対する私の態度を書いておく。鈴木邦男と同じで、天皇陛下の味方です。ただ、特別な思い入れもないので、元号を使わない人の考えもよく理解している。

 

今週のトピックス 38 (170801)

 МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」
МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」

 きょう紹介するのは、МBSテレビで月曜日の0時50分から放送していた番組である。月曜日というより、日曜日の夜中遅くからという感覚である。私は録画して、きのう見た。私は、この日記の中で、2006年10月に発刊された辻井 喬、喜多 明人 、藤田 英典「なぜ変える?教育基本法」(岩波書店)を取りあげた。今回、この本を探したが、最近処分したようである。どんどんと本が溜まっていくので、この日記で取りあげた本は、処分していく。日本会議のことを警戒している文章もはいっていた。あれから11年経って、教育現場では何が起こっているかである。ほとんどの国民は目の前のことで忙殺され、教育基本法のことなんて興味もない。しかし、無関心の中で国会で決議されたことが、10年後、20年後にとんでもないことになっている。
 来年度から、小学校に道徳の科が72年ぶりに復活する。戦争と結びついた「忠君愛国」の戦前教育の反省から、戦後は道徳心をつちかう教育には、政治を介入させないという理念があった。学習指導要領に従って、教科書検定が行われている。ある教科書で、おじいさんと男の子が散歩に出て、パン屋に寄る話が出てくる。自分の町に愛着を持つ話である。ところが、教科書検定で、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして、不適切とされ、パン屋から和菓子屋に変更となった。全日本パン共同組合連合会では、これまで学校のパン給食に協力してきたのに、パン屋は愛国心がないということになるのかと抗議を表明していた。
 教科書は完成に4年かかる。製作費用に数千万円かかると言われている。その間、検定調査審議会で、著者と編集者と調査菅の間ですりあわせが行われる。文科省の職員は、こう変えなさいとは決して言わない。この部分が学習指導要領に合わないなど意見を出し、編集者の自主的な変更を待ち、検定していく。それこそ忖度が行われている。日本書籍という老舗の教科書の出版社がある。2001年の教科書で、専門家の間でも認められていた「朝鮮の人々が慰安婦として戦場に送られた」と記載した。すると、それまで採用されていた東京都内23区の20区で採用がなくなった。そして、倒産に追い込まれる。石原慎太郎都知事の時代である。この部分を書いた一橋大学教授は、教科書会社を倒産に追い込み、もう教科書には関わらないと述べていた。結果的に、安倍首相の属する日本会議の主張に逆らわない流れが出てきてしまった。
 1997年に「新しい教科書を作る会」ができた。その後、この会は2つに分かれ、別々の教科書を出している。神々の系図を書き、南京事件のことにはふれていなかったりする。私の両親は、戦前は歴代の天皇の名前を強制的に丸暗記させられたという。この番組では育鵬社の中学社会が取りあげられていた。現在、この教科書は全国で6%採用されている。番組では、広島の原爆投下などの被害のことばかりではなく、加害のことも書かなければならないと述べていた。
 この番組では、沖縄の集団自決のことも取りあげていた。戦後、何度も教科書が書き換えられてきた。ある教科書では、「日本軍は県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ、800人以上の被害者を出した(渡嘉敷村では330人)」と記載されていた。教科書検定で「誤解を招く」とされた。2006年の高校日本史の検定では、軍の命令や関与が削除された。2007年には、教科書検定撤回を求める県民大会が開かれた。この時に、当時の伊吹文明文科大臣が、「教育に介入してはいけない。」と釈明した。「教科書の内容を政治家が変えたら日本はこわい国になる」と原則的な立場を強調した。私もまったくその通りだと思う。しかし、今は安倍政権によって、すでにこわい国になっている。その後、日本軍の関与の部分が一部復活した。今年3月刊行の沖縄県民史では、「日本政府の政治的意図、解釈によって教科書記述のあり方が左右された。」と記述されている。前回書いたように、日本軍を美化する日本会議に属する管官房長官が、沖縄県民の苦しみを理解できるわけがない。
 最後に、「学び舎」の教科書が取りあげられていた。「ともに学ぶ人間の歴史」である。十数年ぶりに、中学校の歴史から消えた従軍慰安婦の問題が取りあげられた。内容は、政府見解に沿った「強制連行を直接示すような資料は発見されていない」である。歴史を自ら考え議論する内容になっている。有名私立中学などで採用されている。ところが、この教科書を採用した中学校に、抗議のハガキが山ほど送られている。だから、どこの中学校もTV局の取材には応じてはくれなかった。この教科書は反日極左の教科書であるという。ハガキの内容は、反日教育をやめろ、将来性のある若者に反日教育をする目的は何なんでしょうと書いてある。ハガキの送り主の大部分は、同じ中学のOBと称する匿名である。中には、日本会議の大阪支部の幹部であった籠池理事長の名前がある。送られた中学校では、政治的圧力を感じざるをえないと述べている。
 さて、現在は安倍首相(日本会議)の考え方に反対する人はみんな反日にされてしまう。私は以前から、日本会議はいつまでも負け惜しみを言い続けている女の腐ったような人たちだと言い続けている。日本人だけがタブーとしている昭和天皇の戦争責任はどう説明するかである。東京裁判や日中共同声明で戦勝国である米国や中国は天皇の戦争責任は不問にして、A級戦犯などが悪かったとした。私は何でも中国の言うとおりにしろと言っているわけではない。国際的に勝てない部分は、主張するなと言っているだけである。前から書いているように、私は改憲派である。安倍首相のような明治憲法の復活なんか求めていない。アメリカの言いなりにならないために、独立国として、どこの国でも持っている制限のない軍隊は必要だと思っている。(戦争に参加するかどうかは、別の問題である。)
 さて、今回の日本会議である。教科書を採択しただけで、中学校に組織的に抗議のハガキが山ほど送られてくるほどである。こんな日記を書いている私も、影で何をされているのかわからない。これから、中国が力をつけてくる。それほど遠くない将来、単なる数字だけではなく、実質的にも日本を追い抜いていくことは確実である。上手なけんかをしないとどうなるか書いておく。アパホテルは中国だけではなく、東南アジアでの大々的な展開は難しくなるだろう。東横インのようにはいかない。反中や反韓を全面的に押し出している安倍政権や日本会議を支えている企業も、市場として爆発的に伸びていく中国での販路の拡大は難しくなる。これぐらい書かないと、日本会議が日本の教育からすべてのことに支配する恐ろしさを理解してもらえないだろう。自分たちに逆らう人たちはすべて反日や極左とする単細胞的な発想に、国民は早く気づくべきである。

 

平成31年4月2日

 毎日毎日うんざりするほど郵便物が届く。ややこしい書類や診断書をやっと書き終えたと思っても、油断しているとあっという間に貯まってしまう。きょうも往診から帰って郵便受けを見たら、山ほど郵便物がはいっていた。開封するだけでも大変である。たまたま自立支援医療の更新の診断書に不備があって、別の区の保健センターから電話があった。私は自分で書き込めるように作ったPDFの自立支援医療の診断書を使っている。今回一部の字が少しずれていた。ここだけ訂正してほしいということであった。送り返された診断書に訂正印を押してまた送り返すのは面倒臭いので、このズレを直して新たに診断書を送った。
 前回の日記では、障害者(保健福祉)手帳でも障害年金でも、病識のない患者さんが診断書の内容を見て、トラブルになることがあると書いた。実は、最近この診断書について、もうひとつ疑問に思ったことがある。障害年金の診断書では、初診日がわからないと障害年金を受け取ることができない。だから、診断書を書くことを断ることができる。ところが、障害者手帳はそこまで厳密ではない。障害者手帳をもらうと、税金面などで優遇される。最近出会った2つのケースでは、2人とも長いこと精神科には通院せず、統合失調症で精神科病院を退院してきたばかりであった。ところが、1つのケースでは、母親が認知症になって、通っていた病院も閉院になったので、いつ頃からいつ頃まで通院したり、入院していたのかさっぱりわからなかった。現在の症状は障害者手帳には該当する。
 患者さんから頼まれたので、京都市の「こころの健康増進センター」に電話で訪ねてみた。ところが、明快な回答が得られなかった。審査員の先生がどう判断するかわからないである。ただ、京都市から送られてくる文書には、いつからいつまで通院したり、入院したか書くようにとなっている。正確でなくても、大体で書いたらたいてい審査は通る。ところが、大体もわからない時はどうするかである。もう1人の患者さんも同じケースである。この患者さんの家族は直接「こころの健康増進センター」に電話したら、「とにかく主治医に書いてもらって提出したらいい」と言われたそうである。この手帳用の診断書を書くのは、けっこう手間暇がかかる。ダメもとで出すような診断書ではない。
 以前にも書いたように、京都市の障害者手帳用の診断書は、障害年金の診断書と変わりないぐらい厳密な内容を求めてくる。大阪市や滋賀県、京都府の診断書は厳密な治療歴の欄さえないぐらいである。以前にセンターの所長と直接電話で話した時には、自立支援医療用診断書の投薬内容は、一般名ですべての薬を書くように言われた。こんな小さな欄にすべての投薬内容は書けないので、今はそれまで付けていた「他」を取り除いて書いている。とにかく、他の自治体よりうるさいのである。京都市の方針としてこれはこれでかまわない。若い時には私も京都市の審査員はしていた。しかし、大体の治療歴さえわからない手帳用の診断書がどこまで通るのか、誰か教えて欲しい。
 いつの間にか、夜中の12時が近づいているので、きょうの日記はここで終わりにする。

今週のトピックス 74 (190402)

古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)
古谷経衡「愛国奴」 (駒草出版)

 本屋に行くと、本棚にこの人の本が何冊か並んでいた。最近は若手の評論家みたいな人物がたくさん出ている。そのうちの1人ぐらいかと思っていた。たまたま、雑誌に出ていた書評を見てこの本をアマゾンで注文した。昨年6月の発行である。最初の部分だけ読みかけで、いつものように他の本に浮気していた。前回ヘイト本である百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)のことについて少し書いた。きょうの朝刊を読んでいたら、新元号の「令和」に絡んで、安倍首相が年末に読んだ本のことが書かれていた。前回の日記でも少しふれた同じ百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)である。誰が何を読んでいるかで、その人の知能程度がよくわかる。私はまだ読んでいない。しかし、歴史には専門外の素人が書いた本に感激しているのである。
 前から書いているように、日本の代表になるような人は知的エリートでなければいけない。いつも学歴のことを書いて申し訳ない。世の中には、とんでもない才能があっても、家庭的、経済的理由があって、教育に恵まれない人も大勢いる。しかし、家庭的にも恵まれて、大した大学にも進学できなかった人を首相に選ぶ理由はない。複雑な国際社会で、大器晩成のリスクを犯す必要はない。1億を超える国民がいて、こんな程度の人しか首相に選べない日本とは何なのかと思う。知的エリートの中で揉まれたこともなく、専門分野について研究したこともなく、ただ耳学問だけで自分は優秀な日本のリーダーと勘違いしている。特に現在のように官邸に権力が集中している時には、バランス感覚の優れた知的エリートが日本の首相にならなければならない。管官房長官はたたき上げかもしれない。しかし、所詮狭い日本の政界の中での話である。それだけでは、国家として国際社会を生き抜いていけない。
 企業などの社長を、息子が世襲することについては私はそれほど目くじらを立てていない。民間だからである。しかし、大して能力もない人が国会議員を世襲するのは大反対である。先進国の中で、日本ほど世襲議員が多い国はない。競争原理の働かない参入障壁の高い小さな村で、国益のことより利権争いをしているようにしか見えない。知的エリートを国会議員などに育てていくシステムを作っていかないと、日本はまずます衰えるばかりである。以前は、優秀な人たちが官僚になって、国のために働いていた。今は官僚の人事権は官邸にあるので、自分たちより明らかに能力的に劣っている官邸の言いなりである。あまりに官邸に権力が集中しすぎて、国会は議論する場ではなく、単なる官邸の承認機関になり下がっている。官僚も官邸に忖度するばかりである。
 NHKの番組を見ていたら、国家公務員第一種に1位で合格した人が出てきた。この人は官僚にはならず、自分のやりたいことに挑戦すると述べていた。一昔前なら、大蔵省(現財務省)に入省し、事務次官を目指しただろう。優秀な人が官僚にならず、大した能力もない世襲議員が人事権を握ったら、日本の将来はどうなるのだろう。トランプ大統領は別にして、先進国の大統領や首相は、知的エリートが多い。どうしてかというと、不得意分野の耳学問でも、1聞いたら100わかるからである。バカは100聞いても、10も理解できない。保守というより、右翼まがいの首相をどうしてここまで選び続けるか私には理解できない。
 さて、今回紹介する本の帯には、「知的下流社会に響くネトウヨ狂奏曲 あなたの知らない『保守』の世界 内紛、嫉妬、裏切り、報復、破門、守銭奴・・・」である。著者は立命館大学文学部史学科卒である。先ほどの百田尚樹は同志社大学中退である。ちなみに、佐藤優は同志社大学神学部卒である。けっこう京都の大学に在籍した人が多いのに驚く。この本は著者の体験に基づいた小説の形を取っている。ただ、どこまで事実でどこまで小説なのか私には判断能力はない。産経新聞らしき新聞を経産新聞と書き、朝日新聞を朝陽新聞と書いている。雑誌「日本」は「正論」のことか。NHKをJHKとしている。チャンネル桜を「よもぎチャンネル」としている。
 この本の中では、南部照一が主人公である。茨城県取手市の自宅マンションで私設私書箱サービスをしている。たまたま、SNSで交流のあった岩尾から勉強会の誘いがあった。2009年の夏のことである。それから、照一は未知なるネット右翼、右派・保守の世界と邂逅することになる。2012年2月によもぎチャンネル代表取締が亡くなるまでの出来事を書いている。だいぶ前から「チャンネル桜」の代表は水島総となっているので、小説としての設定なのかよくわからない。
 「公論の会」という勉強会を催しているのは、小西鉄山という保守系言論人であった。(いったい誰のことなのか、さっぱりわからない) 当時、保守系の独立CS放送局「よもぎ舎」の運営する番組群「よもぎチャンネル」に毎週1回のレギュラー枠を持っていた。時折、経産新聞にコメントを取り上げられ、保守系月刊論壇誌「日本」の常連執筆者であった。勉強会の第一部は小西による一方的な時局解説と質疑応答で、二部は飲み会である。実質的に小西の裏方として仕切っていた蔵本を、この会に誘った岩尾は、嫉妬から照一に、「高卒のくせに」と罵詈雑言を並べ立てている。
 昇一は、2010年の第2回首都警備懸賞論文に応募することを決めた。第1回大賞受賞者は、当時航空自衛隊のトップを勤めていた福島忠夫であった。内容は、「大東亜戦争は正義の聖戦であった」である。この部分は、アパグループの懸賞論文で、受賞者は田母神俊雄であることがわかる。賞金は300万円である。昇一は、入選作の全部に目を通した。原稿の長さは卒論の4分の1にも至らないぐらいで、内容も引用箇所を明示しないなど、論文の体すら到達していない作文調のモノが大半であった。そして、応募した小論文が、審査員特別賞に入賞した。賞金は5万円である。
 入賞した後に参加した「公論の会」では、20数名に拍手喝采で出迎えられた。ホワイトボードの上には「祝 南部照一君 首都警備懸賞論文入選」という横断幕が掲げられていた。会の主催者である小西からは、「もはや期待の若手論客と言っても過言でない南部君です」と紹介される。4歳年上の舎弟格の蔵本も、初めて「南部さん」と呼称した。
 この授賞式には、200名近くの人が参加していた。来賓挨拶では、「朝陽新聞の反日的策動」、「南京大虐殺はなかった」など延々と演説が続いた。この授賞式で、照一は小西に「よもぎチャンネル」の代表を勤める杉坂に、「僕の弟子です」と紹介される。当時、「よもぎチャンネル」は無料で視聴できる通販チャンネルの月曜日から金曜日の夜7時から9時まで買い取るという形で独自のチャンネルを形成していた。「よもぎチャンネル」は右派・保守界隈を放射線状に結びつけるハブ空港的な存在であった。10万人から15万人と推定される強固な総視聴者数は狭い右派・保守界隈の動向に多大な影響力を及ぼす。この本では、杉坂のことを、80年代には金融業、90年代にはフィリピンパブ経営、アダルトビデオ店経営、右派機関誌発行、ゼロ年代にはハプニングバー経営でひと財産を築き上げた事件師的性格の自営業者であると紹介している。
 「経産新聞」や保守系雑誌「日本」には登場できるものの、その極端に右傾化した言論が災いして全国メディアに一切露出できず、悶々としている言論人には、たとえCS放送であろうと、肩書きや名刺に「テレビコメンテーター」と表記できる立場はのどから手がでるほど欲しかった。だから、「協力金」の名目で出演者からも寄付を半ば強制的に募っていた。コメンテーターやゲストの対価は、自著の宣伝である。私的勉強会などの参加者を募ることもできた。「よもぎチャンネル」は2007年の夏からCS放送で放送した番組をそのまま「Uチューブ」に転載するようになった。照一が初めて出演した小西鉄山の30分番組では、公開1週間で再生回数は3万回に達したという。大人気は「よもぎチャンネル大討論会」で、公開1週間で10万回、15万回という数字をはじき出すことも珍しくはなかった。
 ここまで書いてきて、今は午後10時半である。前回の日記は午後11時半までかかったので、ふだんよりアクセス数が多かった。いつまでも更新されなかったので、何回も確認した人が多かったのだろう。少し前半部分を詳しく書きすぎたことを後悔し始めている。この本を本格的に読み始めたのはきのうである。きょうは午後の往診が終わってから、最後まで読んでいた。このトピックスを書き始めたのは、午後5時過ぎである。
 登場人物は誰に当たるのか、ネットで確認していたら時間がかかってしまった。ここに書かれている事件も事実なのかフィクションなのか、調べていた。結局、ほとんど何も詳しいことはわからなかった。著者のことについては、ウィキペディアでは高1の時にパニック障害になり、障害者手帳3級を持っていると書かれていた。今は克服している。私は遅筆なので、ずっと書き詰めである。途中、夕食だけ自炊して食べた。このトピックスを書いてから、本来の日記部分を書く。この本は面白かったので、はしょりすぎるのもよくない。きょうはこの辺りで終わりにして、来週に続きを書こうと思う。ネトウヨの実態がわかって、本当に勉強になった。

 

平成31年3月26日(火)

 この前の木曜日は、琵琶湖のマンションから車で帰る時に、思わぬ出来事にあった。トンネルを抜けて五条通に行く道をすぐに左折して馬町の方向に行く。京女(京都女子学園)の近くを通って東大路七条に出る近道である。実は、いつものようにトンネルを出てから左折して走っていたら、警察がスピード違反の取り締まりをやっていた。この道はいつもスピードを出す。しかし、左折する車も多く1車線なので、結果的にそれほどスピードが出ないことも多い。
 この日は違った。前の車がスピードを出して走っていたので、私も同じようにスピードを出していた。結局、前の車も私の車も捕まった。21kmのスピードオーバーである。点数は2点で、罰金は1万5千円であった。免停に即ならなかっただけでもよかった。私は若い頃と違って、大阪の池田の母親の所に行くときでも、今は安全運転である。現在はゴールドの免許を持っている。数年前にも思わぬ所で、これもスピード違反で捕まっている。今回はいつもスピードを出している所だったので、仕方ないと思った。こんな所で取り締まりをしているとはまったく知らなかった。反対車線のトンネルにはいる手前の所で取り締まりをしているのはよく見かけていた。
 この日の夕方に、車の修理に行った。事故で傷がついた所の修理だけではなく、少し傷がついているドアの部分の塗装も頼んだ。全部で修理代の見積もりは、32万円近くであった。前回の定期点検の時のギアの修理代などを合わせたら、50万近くかかることになる。今年の9月で,19年目にはいる。最低20年は乗るつもりである。
 それにしても、日本の車は大した故障もなくよく走ると思う。ふだんは京都駅のマンションと往診に行く時ぐらいしか使わない。ハイオク仕様でもあまりガソリン代は気にならなかった。しかし、最近は、休診である木曜と日曜に医院まで出てきて、2〜3時間仕事をしたら、また琵琶湖のマンションに戻ることも多くなった。そうすると、リッター6kmぐらいしか走らないので、早くガソリンがなくなる。それでも、ガソリン代は月1万5千円ぐらいなので、クラシックカーになるぐらい乗り続けてもいい。修理が終わる4月の始めまでは、車なしの生活である。交通機関を使ったり、歩いたりしていると、今まで見えてこなかった風景も見えてくる。これはこれでよかった。
 ゴールデンウィークは長い休暇を取るので、患者さんにはブラジルに行くと話している。前にも書いているように、65歳にもなると、すべてのことに枕言葉がつく。何かと言うと、「死ぬ前に」である。75歳を超えた患者さんは、1人だけではなく、「もう無理だけど」と前置きして、「私も死ぬ前に、行きたかった所がある」と言ってくれる。80歳を超えて、車イスに乗ってピラミッドを見に行っても仕方ない。50代ぐらいの人は、わざわざ「死ぬ前に」という枕言葉をつけなくても、まだまだいくらでもチャンスはある。海外旅行には興味がないと言う人もいる。人それぞれ趣味は異なるので、みんなにあてはまるわけではない。韓国や台湾、ハワイぐらいならまだ70歳を超えても行けるかもしれない。しかし、年齢的にリミットとなる国もある。
 私は団体旅行が嫌いなので、1人で行くことになる。ますます年齢制限が加わることになる。実は、まだブラジルの電子観光ビザが取れていない。用意するのは、写真とパスポートのコピーぐらいである。ところが、写真の背景は白色でないといけない。パスポートの写真の背景はうす青色であった。以前に医院で撮った写真を使うつもりであった。背景は白っぽいが白色とはいかない。昔はカンボジアのビザを取るときには、プリクラの写真でもよかった。しかし、ブラジルは写真については事細かく指定している。アゴから髪の上まで、写真の50〜69%に収まるようにして、目から下までは50〜69%以内である。画像の大きさもうるさい。
 背景の白は、ソフトを使って自動で切り抜いて作るつもりであった。ところが、フリーソフトを調べても、ふだん使っていないので、面倒臭そうである。仕方ないので、ペイントを使って、背景を白色で塗りつぶしていった。マウスを使っての作業なので、髪の毛と接する部分の塗りつぶしが難しい。拡大して作業しても、少し不自然な部分が残る。とりあえず、今回はこれで申請してみようと思う。もう1ヶ月前なので、明日には何とかやっておこうと思う。今年の6月からは観光ビザはいらなくなるようである。入国ビザだけは取らないと、ホテルの予約や現地ツアーも予約しにくい。治安はあまりよくないので、患者さんには連休明けに、「現在人質中で、休診」という張り紙を出しているかもしれないと冗談半分で言っている。
 相変わらず、診断書などの書類を書く仕事が多い。たまたま障害者手帳の診断書を新規に書いた患者さんの保護者から何回もしつこく抗議の電話があった。私が書いた内容に、不満があったようである。あちこち行政機関を巻き込んで、書き直せと言ってくる。ある程度予測していたことである。今回のことは、実は障害者手帳の診断書でも、障害年金の診断書でも、本質的に重大な問題が隠されていることを明らかにしてくれる。
 少し前に、ある統合失調症の患者さんの障害年金の診断書を新規で書いた。この患者さんはあまり病識がなく、両親に暴力を振るったりしていた。大きな音で音楽を鳴らしたり、近所迷惑にもなっていた。私の医院には毎回1人で受診していた。どうもないですと言い、薬を減らして欲しいといつも訴えていた。こういう場合は、医者としての対応は難しい。説得して言うことをきく患者さんならいい。ある程度患者さんの要求に応じないと、それこそ薬を勝手に調整して飲まなくなる。
 障害年金の診断書に、家族に暴力をふるっていることなどは書かなければならない。しかし、家族ではなく、その診断書を患者さんが年金事務所に持って行くとなった場合は大変なことになる。診断書の内容を読んで、「先生にこんなことを言っているのか」と、また暴力をふるう可能性も大である。幸い、この時には内容を読まずに、そのまま提出したようである。骨折や事故などの診断書とは違い、精神科の診断書は患者さんや家族にとって不都合な内容も書かなければならない。そこを隠して書いたら、本来の障害の重さや背景が診断書に反映しないことになる。
 実は、前から書きたいことが山ほどあったことを少し書く。最近になって日米地位協定が新聞でも取り上げられるようになった。少し前の池上彰のTVでも、「富士山の上は誰のもの?」と放送していた。私は前から書いているように、憲法改正派である。ただ、安倍首相が唱えていたような、教育勅語の復活みたいなことは大反対である。日本会議のような右翼と深く結びついた安倍首相のもとでの改憲は危険である。沖縄の基地問題や、北方領土返還の妨げとなっている日米地位協定については、まだ国民の前には明らかにされていない。どこまでどういう風になっているのかわからないと、安易に改憲賛成とは言えなくなる。ただ、現在の屈辱的な日米関係については、腹が立って我慢ならない。
 実は、百田尚樹「今こそ、韓国に誤ろう」(飛鳥新社)を今週読んだところである。中身があまりないので、あっという間に読み終えてしまった。書店に行くと、この本に新しい内容を追加をした文庫本が並んでいる。また、別の機会に詳しく紹介しようと思う。読んだ印象は、こんなヘイト本が出版されていいのかである。別に韓国だけではなく、他国の悪口をヘイト以上の侮辱した書き方をしたら、どの国民も怒るだろう。前回の日記で黒人差別のことを書いた。黒人は汚らしく不潔で、残飯のようなものを食べ、能力も劣り、家畜同然であったなどといかに民族的に劣っているか、延々と書いているような内容である。今は、百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)もベストセラーになっているようである。
 たまたま新聞を読んでいたら、直樹孝次郎のことが出ていた。私はこの記事を読むまでまったく知らなかった。この中で、「天皇の地位は違う豪族が何度も交代で取得した。万世一系は事実ではない」と主張していた。ところが、87年1月には皇居の「歌会始の議」で、天皇陛下に特別に招かれて歌を披露する召人に選ばれた。この人の「日本神話と古代国家」(講談社学術文庫)をアマゾンで早速注文して読み出した。本の出版は1990年である。私は天皇の名前はあまり知らないので、専門的になりすぎるとついていけなくなる。
 それでも、最初から説得力のある内容が書かれている。天武天皇は、天皇による国家統治に役立つものとして歴史書(古事記や日本書紀)を作ろうとしたのである。天皇には日本を支配する正当な理由があるということの説明が、帝紀・旧辞編集の目的であり、自分たちの都合のいいように書き改められた。「記・紀」が信用ができないなら、何によって古代の歴史を考えるかである。このあたりのことも、興味深い。大和朝廷の最初に実在したと思われる崇神天皇の前に、神武天皇をはじめとする9人の天皇がいたという「記・紀」が信用できない理由も具体的に実証的に説明している。他にも、興味深いことがたくさん書いてある。現在の神武稜は、中世期以来所在不明になっていたものを、幕末に幕府と朝廷が定めたものがもとになっているという。まだ、最初の2章ぐらいしか読んでいないが、本の内容は濃い。
 別の日に新聞に出ていた記事である。京都大学人文科学研究所の共同研究である。論集「近代天皇制と社会」(思文閣出版)として出版された。7884円もする。その内容の一部が紹介されていた。その中で、皇族で歴史学者の三笠宮崇人親王の「史学会発言」が取り上げられている。古事記、日本書紀は神話であり、皇室の信仰に過ぎず事実ではないとして紀元節復興反対の運動を呼びかけた。他にも、「倭の五王の1つの王墓でしかない大山古墳を『仁徳天皇陵古墳』として世界遺産登録を目指したり、神武東征のルートを日本遺産に登録しようとしたりする動きがひろまっていること」について危険だと批判している。私の手元には、2007年に発売された中野生志「万世一系のまぼろし」(朝日新書)がある。今回は読んでいる暇がなかった。
 さて、百田尚樹「日本国紀」(幻冬舎)はまだ読んでいないが、その内容はおよそ想像がつく。百田は大学を5年生まで留年して卒業できなかたので、学問の世界をまったく知らない。よくこんな無知で恥知らずの本を書けると思う。私は学歴偏重主義ではない。東大、京大を卒業したからと言って、必ずしもみんな優秀なわけではない。しかし、東大、京大の上澄み部分は私なんて足下にも及ばないぐらいとんでもない人たちが集まっている。そういう人たちが、超人的な努力で何十年と各分野の研究をしているのである。素人がこんな本を書く前に、日本書紀の一流研究者の所に行って、教えを請うたらいい。「宋書倭国伝」「上宮聖徳法王帝説」などを時代的背景を知って原文で読めなかったら、誰も相手にしてくれない。学者と呼べない右翼の人たちの話を聞いて、一体何が書けるというのか。三流の人は三流の人に教えを請う。一流の学者は、百田の著書をトイレの落書き以下ぐらいしか思っていない。見向きもしてくれない。私ぐらいの人間が、実際に読んで批判をするぐらいである。たまたま、小和田哲男「見るだけ日本史年表」(宝島社)を読んでいたら、最近の研究では聖徳太子も実際には存在しなかったようである。

ベランダ ・この写真は、私のマンションのベランダから、24日(日)に撮った。前日の土曜日は、車を修理に出しているので、初めてJRを使った。日曜日に、4年に1度のガスの点検があったからである。私の医院から京阪・JR東福寺駅は歩いて8分ぐらいである。JRおでかけネットで検索したみたら、東福寺駅から京都駅まで行き、湖西線に乗り換えて全部で20分で大津京駅に着く。車では、よほど混んでいない限り、ドア・トゥ・ドアで30分である。帰りの時間を調べたら、大津京駅から東福寺駅まで最短時間は17分であった。湖西線から奈良線への乗り換え時間は5分で、ちょうどいい。
 大津京駅から私のマンションまでは歩いて18分かかる。途中イオンに寄って買い物をしたりしていたら、それほど遠く感じない。もう少し年を取って、雨が降っていたら重い買い物袋を下げて歩くのは辛い。しかし、買い物だけだったら、マンションの近くにフレンドマートがある。
 このマンションは老後を過ごすために買った。高いお金を出して有料老人ホームにはいるぐらいなら、ここでヘルパーさんを頼んだらいい。どうしようもなくなったら、その時はその時である。ベランダから目の前に琵琶湖が見える。琵琶湖もその日、その時によって刻々と表情が変わる。1番きれいなのは、日の出時間である。今は朝6時前ぐらいだと思う。ただ、最近は仕事がない日は遅くまで寝て、仕事がある時には早く出てくるので、日の出は見れていない。

競輪場跡地 ・今年の11月に大津びわこ競輪場跡地に、ブランチ大津京という大型複合施設ができる。私のマンションから161号線を隔ててである。大きな公園も設置される。今は女性はほとんど働きに出ているので、大津の商業地域でもウィークデイは、それほどにぎわっていない。ここも土日は混むだろうと思う。近くにイングリッシュ・ガーデンがある。新たに公園ができることは、老後の生活にとってはいいことである。

平成31年3月19日(火)

 きのうは午後2時から年に1回ある「こころのふれあいネットワーク」の総会が東山区役所であった。久しぶりに、バスに乗って区役所まで行った。私の医院から区役所まで、停留所の待ち時間も含め、ドア・ツー・ドアで20分ぐらいであった。この日は天気がよかったので、大勢の観光客が歩いていた。前から書いているように、私はあちこち海外に出かけている。せっかく京都に来てもらっているので、本当に心からみんな楽しんで帰ってくれたらと思っている。
 この「こころのふれあいネットワーク」ができたのは、平成13年9月(?)だというので、私が開業した時である。まだ若かったので、当時はいろいろとお手伝いはした。私は年を取ったといつも言っているが、会長さんなどはずっと長いことやっている。本当にご苦労様である。今回は、東山医師会の会長も出席していた。前から書いているように、東山医師会は人数の少ない小さな医師会である。子育て中の女医さんには頼みにくようである。その分、医師会の仕事は年を取っても逃げられない。4月からは月に2回介護の審査会がある。帰りもバスに乗って帰ってきた。これから審査会もあるので、どのくらい時間がかかるか知りたかった。まだ本格的な観光シーズンではないので、15分ぐらいで帰れた。紅葉などの観光シーズンになったら、五条坂を通り過ぎるだけでも大変である。
 土曜日は、久しぶりに映画を見に行った。今話題の「グリーンブック」である。1960年代の人種差別が特に強かったディープサウスへの興業に出た黒人ピアニストにイタリア人運転手が付いていく物語である。グリーンブックとは、まだ知らない人のために説明すると、黒人でも宿泊できるホテルの案内である。イタリア人家族のこともよく描かれていた。単純なストーリーもひねりが効いていて、本当によかった。私が小学生の時には、暑い夏になるとシカゴなどの黒人暴動がTVのニュースでよく流されていた。ここでも何回も書いているが、黒人差別について「あの時は仕方なかった」と言い訳する人はいない。
 何が言いたいかというと、日本人による戦前、戦後の朝鮮人差別である。今ヘイトスピーチなどを叫ぶのは、少しオツムの足りないネトウヨぐらいである。しかし、徴用工問題などもあり、嫌韓ムードは収まりそうにない。ベースにあるのは、白人による黒人差別と何ら変わりない。戦後は、在日の人にとって就職差別が長いこと続いていた。東大や京大を卒業しても、どこの大手企業にも就職できなかった。商売も、日本人の仕事を邪魔していけないということで、パチンコ屋や焼き肉屋、廃品回収などが多かった。「朝鮮人、出て行け」と扉に落書きされることも多かった。今でも、長いこと日本に住んでいて、帰化しない人は多い。ここでも紹介した鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(バジリコ)に書いてあったように、長いこと差別されてきたからである。まともな就職先がなくて、芸能界に進出したのは、同和関係の人も同じである。暴力団関係も受け入れ先となっていた。
 宅配ビデオは前にも書いたように、けっこう見ている。最近見たのは以前に話題になっていた「スリー・ビルボード」である。映画を毎年100本映画館で見るという患者さんからは、高い評価を得ていた。映画評も悪くなかった。物語はけっこう複雑であった。最初は退屈であったが、段々と話が思わぬ所に展開していく。2時間ぐらいの映画だとわかっていたので、最後の場面ではこのまま終わるなと思った。よくできた映画だとは思うが、もう1つ私のストライク・ゾーンにははいらなかった。バックミュージックのアシド・フォークみたいな曲はよかった。
 さて、この前の続きのカーナビである。写真のようにうまいこと設置できたので、この車は20年は乗ろうと思う。

ホルダー ・これが注文した車に取り付けるタブレットホルダーと吸着ゲルである。カーナビは軽いので、これで応用できそうである。セットで1180円であった。

取り付け ・吸着ゲルマットは強力で、故障したカーナビの液晶の上からぴったりとくっつく。古いカーナビの電源は切ってもらって、このままシガーソケットから電源を取ろうと思う。カーナビの精度は悪くない。しかし、本町通りで一方通行の道を逆走するように表示されたりもした。とりあえず、大体わかったらいいので、しばらく使って行こうと思う。

今週のトピックス 73 (190319)

岩波明「発達障害」 (文春新書)
岩波明「発達障害」 (文春新書)

 精神科医をしていて、発達障害の患者さんについては専門家ではないので、なるべく診察しないようにしてきた。どうしてかというと、将来、障害者手帳や障害年金などの診断書を患者さんから求められたときに、きちんと対応できないからである。他の専門外来できちんと診断がついた患者さんは別である。それぐらい、専門家でないと、確定診断をするのは難しい。特に、成人してからの「自分は発達障害ではないか」という人の診断はよくわからない。最近は、烏丸五条で開業した大学の後輩の先生にお願いするようにしている。
 著者は昭和大学医学部教授である。この本は専門書ではなく、一般向けに書いている。しかし、この程度の知識もない精神科医も多いと思う。この本を読めば読むほど自分は発達障害ではないかと思えてくる。ADHD(注意欠如多動性障害)の知識は一通り持っているつもりであった。あまり関心もなかったので、それほど深い知識もなかった。もともと強迫性格があったので、自閉症スペクトラム障害に近いのかと思っていた。ところが、この本を読んで、幼少期のことなどを思い出すと、むしろ部分的にはADHDの方に近いのではないかと思ったりした。このように、自分のことでさえなかなか診断がつかないのである。
 発達障害ではなく、単なる恐怖症や強迫性障害であったのかもしれない。小学6年生までは、学校の成績が悪ければ父親にぶん殴られて育てられた。家庭環境の影響も大きかったと思う。以前にも書いたように、私の成績が悪いと、父親は殴るだけではなく、自分の感情を抑えきれず、裏庭に咲いていたひまわりを日本刀でバサバサと切り倒して行ったぐらいである。虐待というより、溺愛と過干渉と暴力であった。
 まず、発達障害の定義である。ASD(アスペルガー障害を中心とする自閉症スペクトラム障害)、ADHDなどを漠然と示すことが多い。生まれつきの障害である。ASDは1000人に5人程度で男子に多く、1%弱の出現頻度という最近の報告もある。対人的な相互関係の障害に加え、常道的反復的行動パターンを認める。
 まず、ASDの行動特性を示す仮説である「心の理論」(他人の考えを推察する能力)の障害である。よく用いられるのが、「サリー・アン課題」である。「サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる」、「サリーはビー玉をカゴの中に入れて出ていく」、「サリーがいない間に、アンがビー玉を自分の箱の中に移す」、「サリーが部屋に戻ってくる」 この時に、「サリーはビー玉を取り出そうと、最初にどこを探しますか?」と質問すると、幼児期や児童期のASDの当事者は「箱」と答える頻度が高い。知的な遅れがないASD患者、思春期以降のASD患者は、この課題をクリアすることも多い。これだけで、自分はASDではないと思った人も多いだろう。
 「自閉」や「引きこもり」は不安や恐怖が原因となっておらず、他者への関心が薄く周囲に対する社会的配慮が足りなく、自分の思ったことをそのまま口にする。特定の事柄に対してこだわりが起こりやすい。「外出の道順」、「物の位置」などで、数字にも固執しやすい。相手の表情や仕草などの非言語的なメッセージを感じとれないことがしばしばある。成人期の発達障害では、性同一性障害などの性別違和を示すケースも珍しくないという。この本に出てきた性別違和の症例では、他にもリストカットや幻聴が生じている。私にはASDと診断するのは無理である。統合失調症としてしまうだろう。実際に診察をしている患者さんの中には、ASDが強く疑われるが、幻聴が生じたので、統合失調症として治療している人も数人いる。
 一般の人は「対人関係が下手で、周囲とうまくいかない人」とか、「空気が読めない」、「人の気持ちがわからない」というだけで、ASDを疑い、病院を受診したりする。著者の所にも、同じ理由で産業医などから紹介されて受診してくる。しかし、診断には必ず「同一性へのこだわり」症状を伴う必要がある。
 この本を読んでいて、これまであまり関心のなかったADHDの方が、勉強になった。小児期においては総人口の5〜10%程度という報告もみられる。成人になると、約3〜5%である。小児期の「多動・衝動性」は大人になると一見改善しているように見えることが多い。しかし、内面の「多動・衝動性」は持続している場合が多いという。特に衝動性は、周囲への攻撃的な言動などで何らかの問題行動を起こすことがある。一般的にADHDの人は人当たりがよく、集団への仲間入りはスムーズなことが多い。しかし、同じ間違いを何回も繰り返し、マルチタスク的な状況でパニックに陥ったり、混乱しやすい。成人において、うつ病、躁うつ病など他の精神疾患が合併することが多い。
 小さな頃は忘れ物が多かったり、迷子になりやすいことはよく知られている。不注意には、「持続性」、周囲の様々な事柄に注意を配分する「分配性」、必要に応じて注意の対象を切り替える「転換性」に問題があることが多い。わかりにくいのは、興味を感じる特定の対象に対しては、むしろ過剰な注意、集中力が向けられることもあることである。好きな事柄には、徹夜しても取り組むケースも多い。デザイナーやイラストレーター、小説家などの仕事において優れた結果を示すことも多いという。
 ここでは「うつ病として治療されていた症例」が載っている。私も、ADHDと診断できないと思う。中には、主診断はADHDと考えられるが、ASD特性もあり、一過性にうつ病が発症したと考えられる症例もある。(とにかくややこしい) この本では、ASDとADHDの共通点と相違点も述べている。「対人関係が苦手な人」や「少し変わったところがあり、周囲から浮いた人」をASDと決めつけやすいが、世の中でASDと言われているケースは、「対人関係が不得手な」ADHDであることが多いという。ASDにみられる社会性の障害を、ADHDの不注意による障害と見なしている場合や、ADHDの衝動性をASDの社会性の未熟さと誤解している場合も多いという。ADHDの他の症例を読んでいても、学業が優秀な人も多い。これも、不注意と相反して理解しにくい。
 ここでは、アスペルガー障害として精神鑑定が出された殺人事件のことも書いている。まず、豊川主婦殺人事件である。事件が起きたのは2000年1月である。17歳の高校生が、近所の住宅街で見知らぬ家にはいり、台所の老女の頭をめがけて、ゲンノウを振り下ろした。殺すことができなかったので、台所の包丁で被害者をメッタ刺しにしている。1回目の精神鑑定で小田晋は人格障害として、完全責任能力があるとした。ところが、弁護側がこの鑑定に反発し、再鑑定を要求した。そして、アルペルガー症候群と結論づけた。本人や友人などの証言から、幼少時から何の兆候も見られず、反復的、常同的行動パターンがまったくみられなかったにもかかわらずである。
 もう1件は、私もよく覚えている佐世保小6殺人事件である。佐世保の公立小学校で、6年生の女子児童が同級生の少女にカッターナイフで切りつけられて殺害された。詳しいことについては、この本を読んでもらうことにする。精神医学的には、広汎性発達障害の可能性が指摘されたが、診断基準を満たすまでの顕著な症状はないと認定された。この事件をきっかけに、「不可解な少年犯罪=アスペルガー症候群によるもの」という見解が広まった。著者によると、この症例もアスペルガー障害ではないという。
 この本で興味深かったのは、ADHD患者の思春期以降の問題として、アルコール・薬物依存の比率が高いことであった。「深川の通り魔事件」では、覚醒剤中毒により幻覚妄想状態になっていた川俣軍司が、近くの主婦とその1歳の長男と3歳の長女を柳刃包丁で刺し殺し、通りがかりの別の女性を刺し殺し、もう1人の通行人の腹部を突き刺し、重傷を負わせた。この川俣軍司がADHDであったという。私も、これからはADHDを頭に置いて、薬物依存の患者さんを診察しなければならない。過剰集中から不適応を起こすADHDの人もよくみられるという。この本の最後には、発達障害を見逃されて、効果のない精神分析を続けてさせられてきた患者さんのことも出てくる。私も気をつけなければならないと思った。

 

平成31年3月12日(火)

 きょうは午後から歯科に行ってきた。歯が中で割れて炎症を起こしていた。この歯は救いようがないので、抜歯してもらった。この後は、インプラントを入れてもらう。入れるのは、5月である。私は目と歯が悪い。髪の毛も薄くなってきた。歯はインプラントの技術ができて、本当に助かっている。目はド近眼で、半径2mぐらいがよく見えるようにコンタクトレンズを調整している。細かい字も大丈夫である。夜間、車を運転するときにはメガネをかける。ふだんはメガネをかけないので、遠くは見えない。もし患者さんなどが私を見かけても、よく見えていないので、気を悪くしないで下さい。
 たまたま、以前他の所で診ていた患者さんからお手紙をいただいた。前回の日記で、厚生年金は23年ぐらいしかかけていないので、ベースは国民年金+αを書いた。この部分が間違いであると、ご指摘をいただいた。私は厚生年金がもらえるのは25年からと勘違いしていた。20年から出るようである。国民年金は以前は25年かけないと、1銭も出なかったのが、改正により10年以上に変わったということである。ご指摘いただいて、本当にありがとうございます。
 実は、私は65歳を超えたのに、びっくりするほど年金は少ない。年収も関係するのか、よくわからない。確か、国立福知山病院と滋賀医大の計4年半分の厚生年金がまだ請求できていない。国立病院などは、途中から母体が変わり、最初はどこに請求したらいいのかわからなかった。なかなか電話が通じず、書類をそろえるのも大変で、結局そのままになっている。今から請求しても手遅れなのか、これもよくわからない。
 年金事務所では、厚生年金のことも相談に乗ってくれるのかもわからないぐらいである。1度、社労士にお金を払って詳しい説明を受けてもいい。ただ、ふだん雑用に追われ、これも延び延びになっている。ちなみに、ここでも何回も書いているように、勤務医の退職金は、勤務先が変わるとぶつ切れになる。同じ国立病院や公的病院に勤務していたら、連続してつながる。神戸の社会保険病院に勤めていたときには、5年分の退職金が支払われた。その後に京都第一赤十字病院ではやめる時に、4年分の退職金が支払われた。日赤では、10年勤めると11ヶ月分の退職金がもらえ、最高は25年勤めて50ヶ月分であった。それ以降は、何年勤めても50ヶ月である。
 ゴールデンウィークの休診については、2ヶ月前に医院に張り出した。2〜3ヶ月に1回ぐらいしか受診しない患者さんもいる。私の医院は最近は新患の人は多くないので、患者さんに迷惑をかけないように、早め早めに対応をするつもりである。ゴールデンウィークはブラジルに1人で行くことは、この日記でも書いた。「地球の歩き方」やネットの案内を見ていたら、観光ビザを取るのが大変である。以前に、ベトナム(だったと思う)の国境を越えて戻るために、大阪の領事館までビザを取りに行ったことがある。
 ブラジル領事館は、近くでは名古屋にしかない。貯金残高証明書などそろえる書類も多い。受付は、朝の9時〜12時までである。その日にビザはもらえず、5日ぐらいしてまた取りに行かなければならない。南米でビザがいるのは、ブラジルぐらいである。木曜日を休診にしているので、なるべく早く書類を整え、名古屋まで行くつもりである。書類に不備があると、また別の日に再申請に行かなければならない。サンパウロまで飛行機を乗り継いで、東京から片道30時間である。郵便では受け付けていないようである。日本からの観光客なんてまったく相手にしていないような対応である。(その後確認したら、去年の1月から電子ビザで取得できるということでした)
 私は、ほとんどTVは見ない。毎週見ているのは、土曜の夜の「新・情報7days」と同じ土曜の夜中に始まる「7つの海を楽しもう!世界サマ〜リゾート」である。すべて録画して、日曜日に見る。世界サマ〜リゾートでは、南アフリカのビーチを紹介していた。治安は悪くはないが、1人歩きは避けるようにと言っていた。最近は、宅配ビデオを借りて、よく見ている。「イコライザー2」は面白かった。この中で、ベルギーではホテルの中までついてきて、部屋を開ける時に襲われる事件が多いと話していた。ブラジルは治安が悪いので、1人歩きは数人の時よりも何十倍も危険度が高くなる。身ぐるみ剥がされて、泣きながら帰ってこないとも限らない。生きて帰れたらいいぐらいのつもりで、楽しんでくるつもりである。
 この前の新・情報7daysでは、厚生労働省などが開いた薬物などの依存症についての啓発イベントに清原和博が出ていた。3年前に覚醒剤で逮捕されている。この時の映像で、司会者がちらっと出てきた。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の松本俊彦薬物依存研究部部長である。ここでも何回も書いているように、私が日本で初めて報告した覚醒剤のあぶり症例をその後たくさん集めて、博士号を取得している。以前の講演会では、タバコがやめられないと話していた。京都新聞を読んでいたら、岩倉にある精神科病院が断酒会の40周年記念をやると書いてあった。覚醒剤やアル中の患者さんを診るのは、本当に大変である。私は年のせいにして、今はアルコールや薬物依存の患者さんの本格的な治療からは逃げている。
 最近、覚醒剤を長いことやっていて、激しい幻聴が治らないと訴えていた患者さんが別の件で警察に逮捕された。留置されて取り調べを受けている時には、警察署に薬は持ち込めない。新たに、国費で医療機関に出してもらうことになる。当初、同じ薬を1ヶ月出した。ところが、2回目に警察が薬を取りに来たときに、1日3回の薬は夜しか飲んでいないので、余っていると言われた。どう言うことかというと、毎回診察で、幻聴が止まらなくて苦しいと訴え、何とか治そうとあれこれ薬を調整していた。しかし、実際にはきちんと飲んでいなかったことになる。私はいつも合わない薬は無理に飲むことないと言っている。いつでも、薬を変更している。こうなると、患者さんの訴えそのものが怪しくなる。この患者さんは障害者手帳までもらっている。
 正直言って、アルコールや薬物依存の患者さんの中には、箸にも棒にもかからない患者さんが多い。あちこちでトラブルを起こしやすく、うんざりするほど警察や病院からの問い合わせの電話がかかってくる。だから、松本先生をはじめ、第一線で頑張っている先生方には本当に頭が下がる。私の医院には、ダルクや断酒会、AA、NAなどの自助組織にも参加する気のない(過去に参加して挫折した)中途半端な患者さんが多い。こちらが切れそうになることもよくある。現在、児童虐待が問題になっている。すさまじい家庭環境から、男は薬物依存、女は風俗に行く人が多い。児童虐待のなれの果てが、現在の姿なのである。もちろん、例外の人も大勢いる。
 依存とか中毒を考えると、パチンコ依存とかギャンブル依存、ゲーム依存もある。セックス中毒は、男性には無理である。映画「カリギュラ」に出てきたような、美女を大勢も侍らせても、何人とも連続してセックスができるわけではない。若かったら、連続2回ぐらいはできるかもしれない。男性は1回射精したら、しばらくはセックスをする気になれない。勃起もしにくい。その点、女性は違う。男性とは違って、何回でも連続してオーガズム(いわゆるアクメ)を味わうことができる。
 薬物依存もギャンブル依存もゲーム依存も連続して際限のないエクスタシーが味わえる。寝ずにやっていたら、そのうちに体力的な限界がくるだけである。最近は、株や資産運用なども一種のギャンブル依存ではないかと思うようになってきた。一見理論的に資産を増やすことができるようでいて、予測不能なちょっとした出来事で莫大な利益を得たり、損失を被る。特に現在は、先が読めない。ゴーン元会長が逮捕され、莫大な資産が明らかとなった。お金はあの世までは持っていけない。しかし、お金に関しては、灼熱の砂漠で水を求めるように、いくら飲み干しても飲み足らない。これも、一種の依存でお金中毒だと思っている。

事故 ・この車の傷は6日(水)の夜につけた。普通はバンパーなどに傷がつくことが多い。こんな高い位置でえぐられることは滅多にない。どうしたのかというと、スーパーの駐車場に車を停める時に、左に寄りすぎて、隣のユニットと分けている鉄柵にぶつけたのである。翌日はトヨタで、ギヤの取り替えの予定がはいっていた。この料金は13万1千円ぐらいであった。
 車を買い換えるかどうか迷っていた所である。前にも書いたように、目標額に達するまで、定期貯金は崩したくない。小規模企業共済の積立退職金は、もうすぐ950万円に達する。この積立金と定期貯金を合わせたら、後1〜2ヶ月で目標額に達する。しかし、定期貯金だけで目標額に達するにはまだ時間がかかる。新車を買うには、定期貯金の目標額+新車代まで貯まらないと、買えないことになる。
 結局どうしたかというと、この傷は修理してもらい、傷ついたパンパーも取り替えてもらうことにした。修理代は23万1千円である。色はブラックに見えるが、正確にはグリーンブラックである。時間はかかるが、その気になったら、すべての塗装もやり直してもらえるようである。この修理にも1週間ぐらい車を預けなければならない。今では希少価値があるので、修理する以上は20年乗るつもりである。

カーナビ1 ・さて、18年目の車を使い続けるとなったら、カーナビである。もう、更新のDVDは発売されておらず、2年以上前のものである。それだけではなく、カーナビも故障して、点検に出さないと修理の見積もりができないという。点検だけでも、お金がかかる。純正品で、時計の上が開く。
 どうしてここまでこの車にこだわるのかというと、基本的に気に入っているからである。ハンドルも内装もウォールナットが使われている。最近の車では、こういう仕様はほとんどない。1番下にカセットテープのプレイヤーが付いている。収納したカーナビの上に、別のカーナビを取り付けるのは難しそうである。

カーナビ2 ・実はトヨタに相談したら、けんもほろろであった。新しい車に買い換えて欲しいのはわかる。この写真はカーナビを開いた所である。ここに新しいカーナビを取り付けることはできないかと思った。オートバックスに行って相談したら、前の部分の幅が狭いので、この純正品の前に新しいカーナビを置くのは無理だと言われた。
 仕方ないので、アマゾンで調べて、7インチの安いポータブル・カーナビを注文した。中国製かもしれない。12,799円が1,000円の割引クーポンがついて、11,799円であった。取り付け器具も付いていた。電源はシガーソケットからである。

カーナビ3 ・まず、液晶に取り付け器具を貼る。ぴったりとくっつき、かなり強固である。

カーナビ4 ・そして、ポータブル・カーナビを取り付ける。純正品より見やすく、実際に使ってみても、何ひとつ不自由なかった。アマゾンの評価では、星4つであった。
 しかし、私としては、このカーナビをもう使わない純正品の上に直接取り付けたい。液晶の電源は切り、開いたままにしておく。3つめの写真を見たらわかるように、液晶部分は少し窪んでいる。上の両隅にネジみたいに飛び出ている部分もある。当初、マジックテープを使って固定しようかと思った。このネジみたいな部分はヤスリでもかけて平らにしたらいい。窪んだ液晶部分は何か貼ることもできる。もし中で電源が取れるなら、液晶前の樹脂の部分に穴を開けてもらって、コードを出してもらうつもりである。
 いろいろと直接取り付ける方法を考えていたら、たまたまタブレットを取り付ける製品を見つけた。吸着ジェルマットを使う方法で、タブレットを取り付ける器具とジェルがセットになっていて1180円であった。早速楽天で注文した。きょうは間に合わなかった。カーナビも軽いので、たぶん簡単に取り付けることができると思う。飛び出た部分をヤスリで削ったり、窪んだ液晶部分を前に出す必要もなさそうである。

平成31年3月5日(火)

 最近、車のナビの調子が悪い。まったくGPS機能が効かない。ふだんはナビに頼ることはない。池田の母親の所は、何とかナビなしでも行けるようになった。ところが、草津のイオンに行くのは、ナビを使わないと行けない。ナビを見ていても、下の道路に行かず、そのまま間違えて1号線をまっすぐ行ってしまうこともある。行き過ぎて戻るのも大変である。1度、信号を間違えて一車線の陸橋みたいな所を行ってしまった。対向車とすれ違うことができない。車を降りて、一台一台頭を下げて何台もバックしてもらったこともある。土曜日など琵琶湖のマンションに行くときに、たまに気分転換で草津のイオンに寄ることもある。ここにはいっている本屋はそこそこ大きい。シネマやショッピングセンターがあり、いつも混んでいる。
 先週の木曜日は、車の定期検査があった。私の車は去年の9月で18年目にはいっている。ナビのDVDは2年以上前の物で、もう新しい更新のDVDが出ていない。だから、湖西道路を走っていても、地図に載っていない道路を走っている時もある。ナビについては、液晶が壊れているので、修理に出して見積もりを出してもらわないといけないという。また、点検でギヤの取り替えなどが必要ということであった。この取り替えは13万円ちょっとである。そろそろ買い換えてもいい時期である。私の車は18年前に買ったので、カセットテープ用のステレオデッキが付いている。ガソリンもハイオク仕様で、1リットル6kmぐらいしか走らない。
 何のメリットもないようである。しかし、乗り心地がよく、スタイルも好みで、私は気に入っている。最近は、走っている車をあまり見かけることもなくなってきた。希少価値があるかと、自分では勝手に思っている。レクサスISの新車が今年出る予定であった。たまたま本屋でカー雑誌を読んでいたら、レクサスの新車が出たばかりなので、2年ぐらい先になるようである。もっと安い車で、候補の車もある。しかし、なかなか買い換える気になれない。お金はあっても、貯金を崩すことに何となく抵抗があるからである。アマゾンでカーナビを見てみたら、けっこう安くて高性能な製品がたくさん出ていた。オートバックスなどで、余計な配線が目立たないように、新しいカーナビを買って取り付けてもらおうと思っている。最近は、車の小さな傷などもトヨタで直してくれるようである。
 さて、京都駅のキャンパスプラザ前のマンションにはいっていたチラシである。同じマンションの10階の物件が売りに出されていた。値段は6000万円であった。私のマンションは最上階の11階である。実際にこの値段で売れるかどうかは別にして、もっと高い値段になるだろう。この中古のマンションを買った時には、マンション不況の時で、3千300万か400万円であった。不動産をやっている患者さんに聞いたら、買った時の値段と売った時の値段の差額の2割が税金として取られるという。私が死んで、子どもが相続する時の評価額はびっくりするほど安くなる。この部屋はふだんはほとんど使っていない。昔は、京都駅裏のイオンモールに夜遅く映画を見に行くのには便利であった。最近は子どもがごくまれに使うぐらいである。本やLPレコードなどが置いてある。今が売り時かもしれない。しかし、将来子どもが使うかもしれないので、そのまま置いてある。
 気に入っているのは、琵琶湖のマンションである。最上階の角部屋を現金で買った。土日は、自立支援医療用の診断書などもここで書いている。医院から車で30分で行ける。目の前に琵琶湖が広がっているので、気持ちがいい。今年の11月には、すぐそばの161号線向かいの琵琶湖競輪場跡に、ブランチ大津京ができる。大型商業施設と公園である。すぐ近くの柳が崎にも、もうすぐ新しいマンションが建つ。最上階は私と同じ階である。しかし、値段は1千万円以上も高い。老後は、ここですごそうと思っている。自宅で開業している人の中には、ふだん近所の患者さんに気を遣ってリラックスできないという人もいる。誰も知らない所でゆっくりするのは、ストレスの解消になる。
 マンションを2つ持っていると、女性でも囲っているのではないかと疑われる。しかし、私は40年近く精神科医をしているので、男女のトラブルはうんざりするほど見てきている。関係がこじれた時に、マンションを持って逃げるわけにはいかない。だから、女性は入れない。今はお金で解決することはお金で解決したらいいと思っている。男女関係においては、ただより高いものはない。しかし、風俗嬢などを部屋に呼び込んで、変な噂が立つのもいやである。「あなたのお父さん、とっかえひっかえ女の人を連れ込んでいた」と言われたら、子どもたちも使うのをためらうだろう。もちろん、そんなことは気にしないという人もいる。私は、せいぜい宅配便のアダルト・ビデオを見るぐらいである。
 ふだん食事は外食することもあるが、自炊することも多い。特に昼食は、ほとんど簡単な自炊である。冬は寒いので、医院に泊まる時には1歩も外に出ないこともある。ふだんの生活は海外旅行を除いたら、質素である。もともと飲みにも出ないので、普通のサラリーマンが飲みに出て4〜5千円使うというと、びっくりする。何件かハシゴをして、1万円を超えるのも信じられない。ケチとは違って、普通の人と同じように無駄な物にはお金を使わず、節約する癖がついてしまった。しかし、使う時には使う。
 私は48歳の誕生日前に開業した。だから、厚生年金は23年ぐらいしかかけていない。厚生年金がもらえるのは25年からである。だから、ベースは厚生年金ではなく、国民年金+アルファである。年金の額はびっくりするほど安い。(この部分はまちがっていました。12日の日記で訂正しています) ここでも何回も書いているが、バブルの時に買った家を43歳の時に売り、4千万以上損をしている。手元に残ったのは、親から借りていた頭金のマイナス500万円であった。すなわち43歳で一文無しではなく、借金が500万円残ったのである。そこから出発して、現在の財産となっている。あのまま京都第一赤十字病院の部長を続けていたら、私立医学部に行っている息子の授業料も出せなかっただろう。私の場合は、開業して多額の報酬がはいった。他の先生たちがどのくらい稼いでいるのかよくわからない。中には、大きなビルを建てている人もいる。
 70歳を超えたら、相手してくれる人も少なくなってくる。だから、70歳を超えて、80歳過ぎまで開業を続けることはいいことだと思う。そのときの体力に応じて、週3回でも4回でも診察日数を調整することができる。しかし、年齢がきたら、診察室で診察ぐらいはできても、あちこち世界を飛び回るのは困難となってくる。だから、個人的には元気な今の内に海外で1年でも2年でも住んでみたいと思う。もちろん、そんなことをしたら、医院を再開しても誰も来てくれなくなる。夢のまた夢であるが、息子が大学を卒業したら、海の見える物価の安い国で、昼間からビールを飲み、のんびりと過ごしたい。まだ行ったことはないが、狙いは南米である。

 

平成31年2月26日(火)

 この前の土曜日は、毎年恒例の医療法人が開催している懇話会に出席した。いつもここの病院には、外来患者さんの入院についてお世話になっている。最初に、去年京都府精神保健福祉総合センター所長になった女医先生が、センターのデイ・ケアで取り組んでいる「発達障害専門プログラム」について講演をしてくれた。話を聞いていて、けっこう大変だと思った。対象は、主に自閉症スペクトラム障害(ASD)である。病気の判定はしていないということであった。大人になってからASDではないかという患者さんの判定は、本当に難しい。私が専門的な教育を受けてこなかったこともある。ただ、40年近く精神科の臨床をやってきている。きちんと両親から幼少期のことを詳しく聞かず、心理検査だけでどうして判定できるのかと思う。
 講演の後はテーブルを囲んで、懇親会である。今年のゴールデンウィークの過ごし方などを聞いたりした。ネットを見ると、海外旅行のツアーがもう売れ切れ続出だという。私は前にも書いたように、1人でブラジルに行く。今回はいつもの旅行と違って、4、5日前に慌ててホテルを予約したりはしない。万全の準備をしていく。たまたま同じテーブルに座っていた女医さん2人と話もできた。2人とも、海外旅行は好きなようである。平成10年卒だったので、まだまだいろいろな所に行けるチャンスはある。私はもう年なので、行ける時に行っておかないと、もう一生行けない。
 日曜日には久しぶりに息子と会った。スマホが壊れたので、買い換えるのに私が一緒について行かなければならなかった。スマホ代は私が出している。2人とも名義は私になっていると思っていた。ヨドバシカメラで待ち合わせをした。ところが、スマホコーナーでいろいろ調べてもらったら、スマホの名義は息子になっていた。係の人がいろいろと説明して、手続きをしてくれた。スマホを買い換えるのに1時間もかかった。
 息子は今年の4月から6回生である。卒業したら、京都の病院で初期研修を受けるという。自宅には帰ってくる。卒業したらスマホ代も含め、全部自分でやれと言っている。ただ、贈与税のかからない年間110万円の生前贈与は卒業したらやろうと思っている。一足先に社会人になっている娘には同じことをしている。卒業したら、これまでの授業料や家賃などがかからなくなる。これだけでも、とんでもない額が余ることになる。先ほどの懇話会でも、他の先生と話をしていたら、結婚年齢の遅い先生もいた。私は当時は超晩婚の38歳で結婚した。息子は1浪しかしていないのに、5月の67歳の誕生日前にやっと卒業である。若い内は子どもも可愛く、イケイケ気分である。しかし、年をとってからが大変である。再婚した人も、年齢の割にまだ子どもさんは幼い。晩婚で私の年齢に達した人は少ないので、実感として今の正直な気持ちを伝えておく。後1年でも、息も絶え絶えである。
 日曜日ときのうは、YouTubeにアップロードする動画を作っていた。テーマは、2月に行ったシキホール島である。まず、この日記で書いたことを印刷した。次に、写真と動画を選び出した。音声の解説は一つ一つテキストで書き、ソフトの合成音で読み上げる。これだけでは、音が不自然となるので、一旦別のソフトでMP3に変換し、また別のソフトでノイズ除去をかける。動画ソフトで、これも一つ一つ動画のカットをしていく。写真や動画に合わせて、音声を乗せていく。けっこう手間暇がかかった。
 前から書いているように、私は昔のプログレのレコードと旅行の動画をYouTubeにアップロードしている。最高はプログレの動画で、視聴者数は4万3千である。次のプログレの動画は2万である。旅行用の動画は、最高がベトナムのニャチャンで1万1千で、同じベトナムのフーコック島が5千近くである。フィリピンのボホール島は最近伸びてきて、2200である。中には、200にも達していない動画もある。今回のシキホール島の動画は、以前と違って高画質でもアップロードできるようになった。興味のある人はフィリピン・シキホール島の1人旅をクリックして下さい。

今週のトピックス 72 (190226)

安田峰俊「さいはての中国」 (小学館新書)
安田峰俊「さいはての中国」 (小学館新書)

 この本はちょこちょこ読んでは、他の本に浮気していた。フィリピンのシキホール島にも持って行ったが、あまり読めなかった。最初は、中国の穴場的な珍しい場所を紹介する本かと思っていた。あちこちの場所のルポになってはいる。しかし、全体を読み通すと、これまでの中国の歴史や現在抱えている問題が浮かび上がってくる。著者は、滋賀県生まれで、現在は立命館大学の客員研究員をしている。中国をメインに取材をおこなっているルポライターである。
 周りからは、日本での中国のイメージが悪いので、中国に取材に行くというと同情されるという。しかし、著者は自分が面白いから、望んで中国に行っていると述べている。私も、中国語ができたら、もっといろいろな所に行きたい。明日から米朝会談がベトナムで行われる。中朝国境の中国側の丹東市が最近よく出てくる。この日記でも何回も書いているように、私は中国語がまったく話せないのに、数年前に1人で行った。もちろん、英語もまったく通じなかった。売春宿やスラムだけではない。盆休みにわざわざこんな所を訪れたのも、何でも見てやろうと思ったからである。
 まず、広東省深セン市の三和地区のネトゲ廃人を紹介している。三和には、製造ラインの短期雇用の単純労働者を常に求めている職業斡旋所がある。消費の実態を伴わないままネット上の娯楽に散在し、破産する若者が後を絶たない。ネトゲ廃人の1日も紹介している。著者は、絶望の中で欲望に負け続ける人々と述べている。出稼ぎ農民の子弟が圧倒的に多く、多くの人が幼少期から親不在の崩壊状態の家庭で育っている。ある若者は「親がおらず、子どもの頃から他人に見下されてきた。でも、ゲームの世界は違う。ちゃんと認められるんだ」と述べている。
 次に広東省広州市である。アフリカ系外国人が極めて多い。国によって住む場所も違ってくる。1番人数が多いのはナイジェリア人である。中国で大量に買い付けた中古衣料品などを本国やガーナなどで売る。最近は物価が高騰し、貿易の利幅も減り、ナイジェリア人の渡航も以前ほど活発ではないという。ナイジェリアでは職がなく、大学を出ても無職で路上暮らしを余儀なくされる若者もいる。そんなナイジェリアにとって中国の広州は手軽に行ける「先進国」である。ナイジェリア国民の83%が中国に好意を示している。
 貿易業などをしているタンザニア人は、アフリカが欧州により植民地化されたことと、過去に同じく欧州の侵略を受けた中国を重ね合わせ、ここまで強く豊かになった中国からアフリカ人が学び取れる部分は多いと述べている。中国は毛沢東体制下で、1950年代〜60年代にアフリカ諸国が次々と独立を果たした際には、いち早く国家承認してきた。中国自身がまだ貧しかった1967年から、アフリカ諸国に巨額の無償借款や国家建設のための資材を提供している。
 タンザニアでは、隣国ザンビアとの間をつなぐタンザン鉄道が建設されている。「中国は過去にアフリカを侵略したことがなく、ただ助けてくれる」と、中国の国家イメージは日本とは違ってすこぶるいい。しかし、アフリカ人コミュニティと中国人社会との摩擦も問題化している。アフリカ人に対する中国人の苦情も書いている。日本人が中国人に対する苦情を言っているのと、あまり変わりない。もちろん、アフリカ人とのカルチャーギャップの方が大きい。少し前までは、路上でマリファナを吸ったり、酔っ払って大騒ぎをしていた。
 著者は陝西省の習近平の父親を讃えた習仲勲陵園も訪れている。習近平へのゴマスリ公園と書かれている。習近平に対する個人崇拝は、地方官僚が政権の意向を過剰に忖度して引き起こした可能性もあると、亡命中の民主活動家が述べている。2015年に人権派弁護士が100人単位で拘束された。習近平自身の意向は「少し脅しておけ」程度だったかもしれない。しかし、末端の幹部は出世の点数稼ぎを目的に、目立った成果を上げようとする。過剰なプロパガンダの蔓延にも、同様の構図がある」という。別の要因としては、社会の決定権を握る人間の多くが文革の主人公だった紅衛兵世代に代替わりした。毛沢東が発明した「文革式」の政治は、中国人民をまとめる上では意外と有用な手法であるという。
 副都心のことについては、平成30年10月23日の今週のトピックスで、近藤大介「未来の中国年表 超高齢大国でこれから起こること」 (講談社現代新書)の中で紹介した。このことについても書いている。よく雑誌などに載っているゴーストタウン(鬼城)のことも書いている。外モンゴルはソ連の衛星国になり、内モンゴルは中国に組み込まれている。内モンゴル自治区は、誰も住んでいない分譲マンションや利用者が誰もいないハコモノが林立する「鬼城」が特に多い地域として知られている。
 中国の歴史は、北方の草原地帯に住む遊牧民族と、南の農耕地帯の漢民族との闘争と同化の歴史であった。この本に出てくるモンゴル人は、民族への帰属意識は持っているが、中国国家の主役(漢人と満州人とモンゴル人が作った)としての自己認識も持っているという。そこが、チベット族やウィグル族との違いとなっている。胡錦濤政権の時代まで、地方官僚はとにかく赴任地を経済発展させたら高く評価された。汚職が蔓延し、野放図な都市開発によって地方官僚に多額のカネが転がり込んだ。内モンゴルは辺境の地だったので、中央の目が届きにくかった。中国1のゴーストタウン・オルドスのことも詳しく書かれている。歴史的には、関東軍は満州国を作り、内モンゴル東部では徳王に傀儡政権の蒙古総合自治政府を作らせた。実権は日本人に握られ、大戦中は日本の政府機関である興亜院の指示のもとで、アヘンばかり作らされていた。
 他にも、大連市にある世界一のラブドール工場やカンボジアへの中国進出、戦時中の中国人慰安婦のことも書いている。最後の章で、著者はカナダのトロントまで行って、香港系カナダ人のジョセフ・ウォンに会っている。ジョセフはトロントで、日本の第二次世界大戦中の戦争犯罪を告発するAE(ALPHAEducation)という組織を結成している。この組織の前身は、尖閣抗議運動団体である。世界的なベストセラーとなった書籍「ザ・レイプ・オブ・南京」の仕掛け人の1人としても知られている。この本の内容については、いろいろと問題のあることはよく知られている。ジョセフの本業は医師である。複数の社会福祉団体の代表を務め、カナダ社会のリーダーの1人となっている。高齢者福祉施設であるイーホン・センターは4000人以上の利用者を擁している。
 ジョセフは「中国であれ韓国であれ日本であれ、ナショナリズムは不幸な結果を招く」と述べ、中国政府からの援助は受けていないという。AEがオンタリオ州の教育行政に食い込み、州議会で南京大虐殺記念日の動議可決を勝ち取ったのも、その「普遍性」が中国系以外のカナダ人からも評価されたことが一因だという。著者は、「南京大虐殺について、被害を大きく見積もった情報ばかり教えるのは問題では?」と質問している。AEが認可したティーチング資料では、東京裁判で認定された、「20万人以上」と書いている。天安門事件の生き残りである中国民主化運動のリーダーも出てくる。過去の日本の中国侵略よりも、現在の中国共産党の人権弾圧をより憂慮する立場である。
 日系人の住民も2つに分かれている。インターネットTVで保守系(ネット右翼系)のチャンネル桜を見ている人もいる。そういう人が慰安婦の連行も南京大虐殺もでっち上げだとカナダで主張すると、歴史修正主義者だと批判されるという。2015年9月にアメリカのサンフランシスコ市議会で開かれた、慰安婦像設置をめぐる公聴会では、こうした右派活動家の日本人が出席者の韓国人元慰安婦に直接「証言は信頼できない」と発言した。どうなったかというと、議場の怒りを買い、逆に満場一致で議決案が採択された事件が起こっている。
 トロントではAEは、普遍的な人道主義の看板を揚げ、クリーンでインテリ受けのいい社会運動を展開している。著者は日本国内でしか通用しないネット右翼やチャンネル桜的な論理をぶつけても、むしろ日本への悪印象を強める結果をもたらしかねないと心配している。AEやトロントの州議には、日本の右翼から大量の抗議メールが届いている。ネトウヨが考えなしに行うメールボム攻撃が、日本の現実の傍証になっているのである。日本の右翼と強く結びついた安倍首相(侵略という定義は定まっていないとか、東京裁判は勝者の裁きなどと国会で発言したり、靖国神社を参拝している)が、実のところ、歴史修正主義者として世界であまり相手にされていないことは推して知るべしである。こんな無能な発言や行動は、国と国との交渉で揚げ足を取られ、ひいては日本の国益を損なうことになる。

 

平成31年2月19日(火)

 最近、土曜日の夜でも日曜日でも、知らない患者さんから問い合わせがある。長いこと通院しているある患者さんから、診療時間が間違って出ていると聞いていた。医療機関を紹介するサイトは山ほどある。そのうちの1つで間違った掲載があったのだろうぐらいで気にもしていなかった。ところが、最近受診した別の患者さんから、グーグルの地図で、間違った診療時間が表示がされていると聞いた。
 早速マップを開いてみると、診療時間が月曜日から日曜日まで10:00〜20:00になっていた。グーグルの案内を見て、土曜の夜や日曜日でも診察していると、勘違いして問い合わせがあるのである。私はグーグルのアカウントは持っている。訂正を試みたが、無理であった。ビジネスオーナーですかという所があり、ここでいろいろ手続きをしなければならないようである。グーグルの地図の掲載は、私の医院が頼んだわけではない。グーグルが勝手に載せているだけである。選択して掲載していたら、マップの意味がなくなる。しかし、私が気づかない間、長期にわたって診療時間の誤掲載を続けていたのである。これは一種の営業妨害ではないかと思う。開業している先生は、1度自分の医院の情報が正しいか、チェックしてみる必要がある。
 確定申告の時期が近づいてきて、いろいろ雑用が多くなっている。まだ、このグーグルの訂正の仕方をしっかりと読んでいない。実は、訂正前にやらなければならない事はまだ山ほどある。去年の6月までにこのホームページで医院の案内をわかりやすく整理するというのも、放置したままである。とりあえず、締め切りのあるものから処理していくだけで精一杯である。この日記も同じである。毎週火曜日に更新しているので、とりあえず今はこの日記を仕上げることが最優先である。木曜日を休診にしたが、結局新しいことは何もできていない。なかなかワンパターン化した人生を変えることは難しい。

ビーチ1 ・前回の続きである。2月9日(土)はガンブガハイ滝に行った後で、サラグドーン・ビーチに行った。トライシクルで案内してもらっている時には、島のどこにあるのかわからなかった。今「地球の歩き方リゾートスタイル」を見ていたら、島の東側にあった。これが私の乗っていたトライシクルである。幹線道路からビーチまではかなりの距離があった。この奥に入っていく。海岸近くにゲートがあり、入場料20ペソ、トライシクル30ペソ、計55ペソ(115円)が必要であった。

ビーチ2 ・ここのビーチは欧米人が比較的多かった。中国人とフィリピン人も同じぐらいいた。

ビーチ3 ・太陽が照らすと、海はブルーに輝いてきれいであった。

ビーチ4 ・大きな岩の上から見た景色である。

ビーチ5 ・このビーチの水はきれいであった。岩の上からの高飛び込み台もあった。

レストラン1 ・ここがビーチのレストランである。昼食時には座る席がないぐらい混んでいた。私は、料理は注文せず、サンミゲール(ビール)の小瓶1本と缶ジュース1本、バナナを2本を買い、全部で190ペソ(400円)であった。

マングローブ ・島のどこら辺になるのかよくわからない。この木みたいなのは、マングローブのようである。朝方は青空が出ていたが、午後からは雲が多くなってきた。他にも、リゾートホテルのビーチにも行ってみた。天気がよくないと、海の色ももうひとつであった。

夕日 ・ホテルには、午後3時半過ぎに戻った。トライシクルのドライバーには、6時間で1300ペソ(2730円)と約束していた。大した額でなかったので、チップを200ペソ加えて1500ペソ(3150円)渡した。前回書いたように、私の泊まったホテルから幹線道路に出るには、1km歩かなければならない。たとえ幹線道路に出ても、あたりには店らしきものは何もなかった。夕食は外で食べたかった。午後6時から3時間600ペソ(1260円)で、同じドライバーに案内してもらうことにした。
 ここはホテルのビーチから見た夕日である。一見きれいに見えるが、海岸は広くなく、日中の海もそれほど澄んではいなかった。

レストラン2 ・ホテルから港に向かって行く途中に、もっと大きなレストランみたい所が何ヶ所かあった。最初案内された時には、地元の人や中国人が多く、あまりこぎれいな感じがしなかった。照明も少し薄暗い感じであった。ここで、イカやエビ、魚、肉などを選んで、料理してもらった。

レストラン3 ・イカ1匹、エビ5尾、サンミゲールの小瓶1本を注文し、全部で300ペソ(630円)であった。地元の人で混んでいる店なので、料理は美味しかった。値段も安かった。もうちょっと、いろいろな物を頼んだらよかった。ドライバーは自分で何か注文して食べていた。
 この後で、港の近くのマッサージ屋に連れて行ってもらった。ふつうの真面目なマッサージである。1時間200ペソ(420円)であった。他にも、娼婦がいるカラオケバーみたいな所にも連れて行ってもらった。私は「何でも見てやろう」なので、スラムでもどこにでも行く。
 トライシクルのドライバーは英語もまともに通じないぐらいである。乗っているトライシクルもあまりきれいでなかった。1枚目の写真のトライシクルがやっと通れるぐらいの真っ暗闇の山道を走り続けた。途中、それこそ、藪の中の道らしき道のない所に入って行く。こんな先にカラオケバーがあるなんて考えられない。一瞬、仲間が待ち伏せしていて、襲われるのではないかと思ったぐらいである。それぐらい人家の明かりも何も見えないでこぼこの獣道みたいな所を長い時間走り続けた。
 やっと掘っ立て小屋みたいな所の明かりが見えた。オープンエアーのテーブルには地元の数人の男が座っていた。古い小さなブラウン管TVの歌詞を見ながら、マイクを使って大声で歌っていた。確かに、これぐらい山奥に入ったら、近所迷惑にはならないだろう。女の人が近づいてきて、どこのホテルに泊まっているか聞いてきた。もうちょっと魅力的な人だったら、ここでビールを飲みながら少し話をしてもよかった。
 何回も書いているように、私は病気嫌いなので、マニラのLAカフェでもバンコクのテルメでもお持ち帰りをしたことはない。女の子相手に安くビールを飲めるので、利用するぐらいである。正月にタイのクード島に行った時に、久しぶりにテルメに顔を出したら、女の人のレベルがびっくりするほど上がっていた。マニラのLAカフェがますますおばさん化しているのとは対照的である。それでも、昔と違って酒を飲みながら娼婦(セミプロ?)を相手に話をするのも飽きてしまった。
 結局、すぐにまた来た道を戻ってきた。ドライバーがダンスをする所があると言ってきたが、少し疲れたので行くのはやめた。結局、ホテルに戻ったのは、夜10時頃であった。チップを含め、700ペソ(1470円)渡した。

ホテル ・10日(日)の朝である。私の部屋の中から見た風景である。ガラス戸は、外からは鏡のように反射して中は見えない。この日の午後4時前の飛行機でドゥマゲッティの空港からマニラに帰る。最初の予定は、レンタルバイクを借りて午前中は島を巡ることであった。ところが、前回書いたように、運転免許がなければバイクは借りることができない。
 ホテルの受付けに船の出る時刻を聞いたら、午前10時発がいいと言われていた。前日のドライバーに8時半に迎えにくるように頼んでいたら、別の人が来た。この人は英語がペラペラであった。港まで来た時と同じ300バーツ(630円)で送ってもらった。途中、道端で手を挙げる人が何人かいた。トライシクルがジプニー代わりに、地元の人の交通手段として利用されていた。
 今回泊まったホテルを利用して思ったことは、もっと大きなリゾートホテルに泊まるか、港近くのホテルに泊まるのがいい。港近くは、トライシクルも多く、マッサージ店もあり、スーパーもあった。何かと便利である。

船 ・港には9時頃に着いた。チケットを買ったら、9時出発で140ペソ(295円)であった。来た時には200ペソだったので、船によって値段が違う。時間が間に合うのかと思ったら、15分ほど遅れて出発した。乗客はほとんど中国人観光客か地元の人であった。乗船時間は1時間15分ぐらいであった。来た時よりも15分ほど長く時間がかかった。

港 ・ここがドゥマゲッティの港である。出発時間まで長い時間があったので、海岸沿いに歩いてみた。

案内所 ・ここは港を出た所にあるパネルだけの案内所である。ネグロス島などの見所を紹介している。シキホールに渡らず、ここだけでも充分に楽しめそうである。

海岸1 ・海岸沿いを歩いていたら、ホテルもけっこうあった。日曜日だったので、フリスビーの大会みたいなものもしていた。海岸沿いの道に建っていた像である。道路を隔てて写真を撮ったので、解説は読んでいない。カトリックの布教に関係しているのだろう。おとなしく船に乗っておらず、シュールな手つきが気に入った。

海岸2 ・地元の漁師が海に潜って、網を引き揚げ、網に付いた魚を取っていた。中国人観光客の子どもが興味深そうに覗き込んでいた。どこの国でも、子どもは好奇心旺盛である。このスナップ写真は、撮れそうでいて撮れない。昼食はハンバーガーと缶ジュースを頼んで、220ペソ(462円)であった。別のスタバみたいな店で、カフェラテは130ペソ(273円)であった。
 マニラでは、エルミタに出てロビンソンの日本食レストランで夕食をとった。日曜日だったので、混んでいた。ビールやラーメン、餃子、おつまみなどいろいろ頼んで、925ペソ(1943円)であった。なかなか信じてもらえないかもしれないが、私の最近の旅は清く正しい旅である。もともとセックスをしないので、高級ソープには興味がない。スペシャル・マッサージも長いこと受けていないので(けっこう、見つけるのが難しい)、いつも両替したお金をたくさん余らせて、また旅行に来なければと思ってしまう。 

平成31年2月12日(火)

 この連休は、フィリピンのシキホール島に行っていた。2月7日(木)〜2月11日(月)である。8日(金)と9日(土)は休診にした。正月休みにタイのクード島から返ってきたばかりである。実は、毎年3月の春分の日に南の島に行く。ところが、今年は木曜の休診日に当たる。バリ島などを除いて、今が乾期でベストシーズンである。行ける時に行っておこうと思った。
 マニラで前後の7日と10日に1泊して、シキホール島には2泊した。私は寝泊まりさえできたら、ホテルは安宿でもいい。それでも、最近はあまりけちらず、今回は1万円前後の部屋を選んだ。マニラでは空港に近いエドゥサの老舗のホテルに泊まった。朝食付きで、1泊8500円であった。いつも書いているように、2人で泊まっても同じ値段である。朝食も2人分で、私は1人で泊まったので、2日連続の朝食券が付いていた。
 今回の旅行では、スマホに入れた映画を3本見た。「ユリゴコロ」と「ワンチャンス」と入れたまま長いことみていなかった韓国映画の「悪魔は誰だ」である。「ユリゴコロ」はいつも誰かが借りていて、長いこと見ることができなかった。久しぶりにエグい映画を見たと思った。発達障害と思われる女性の主人公が出てくる。ここまで極端でないにしても、本来の発達障害は生まれつきの脳の機能障害である。音に敏感になるとか、こだわりが強いとかで、簡単に自閉症スペクトル障害にしてしまう現在の精神科医にも疑問を持っている。
 リストカットの女性も出てくる。腕に刃物を当て、血だらけの場面も出てくる。昔は、精神科医としてリストカットをなかなか止めれない自分に対して、責めたり自信をなくしたこともある。しかし、段々とどんな名医でも簡単に治せないことがわかってきた。最近は私も開き直ってきて、なごみ系の一種の癖みたいなもので、少しでも減らせたらいいでしょうぐらいである。生活全体のことに焦点を合わせるようにしている。なかなか面白い映画であった。しかし、偶然の一致や自殺や殺人の手前でかろうじて止めることが多くなると、どうかなあという疑問も生じた。
 「ワンチャンス」はイギリスの労働者階級のことがよく描かれていた。オペラ好きの携帯ショップの店員が、コンクールでオペラを歌って優勝するという物語である。実話に基づいている。それなりに楽しめた。韓国映画は最近レンタルでよく見ている。この「悪魔は誰だ」も面白かった。
 海外に出てばかりいると、暇そうに見える。しかし、前後はけっこう忙しい。書かなければならない書類は、すべて旅行前に書き終えた。旅行前の6日は患者さんが多かった。労働基準監督署から頼まれていた労災の意見書をなかなか書いている暇がなかった。いつもの意見書とは別のものである。外来が終わってから、夜9時過ぎまでかかって、簡単な意見書を書いていた。この日は京都駅のマンションに泊まった。書いた書類は京都駅の郵便局に投函した。
 きのうは京都駅に着いたのは、夜の9時過ぎであった。マンションで着替えをして医院に帰ったのは、夜の10時過ぎである。私は冬でも靴下をはいてスポーツサンダルで出かける。上着の下のシャツも薄着である。上着は空港で預ける。書かなければならない書類が郵便受けに山ほど溜まっていた。シキホール島の1人旅については、以下に写真付きで解説する。

地図 ・フィリピンのシキホール島は赤いマークが付いた所である。上の右側(東側)からボホール島、セブ島、ネグロス島になる。マニラから午後2時前の飛行機に乗り、1時間10分ですぐ横のネグロス島のドゥマゲッティの空港に着く。セブ島からも行けるようである。

空港 ・ここはドゥマゲッティの空港である。ここからトライシクルを使って、港まで行く。最初は150ペソと言われた。マニラで両替して1ペソは約2.1円であった。何とか100ペソ(210円)に値切った。港まで20分弱ぐらいかかった。

港 ・ここからシキホール島行きの船に乗る。値段は200ペソ(420円)で、他に保険料みたいなものを14ペソ取られた。乗客は現地の人と中国人観光客が多かった。トライシクルの運転手に聞いたら、8割が中国人観光客だという。ドゥマゲッティから島を15km南に行くと、ダウィンがある。ここからアポ島に行く観光客が多いらしい。船は1〜2時間に1本ほどしか出ていなかった。ここで50分ぐらい待った。乗船時間は1時間ほどであった。シキホールの港に着いたのは午後6時頃で、あたりはもう薄暗くなっていた。

ホテル1 ・ホテルは島の高級ホテルを予約した。どの辺りが場所的にいいのかわかりにくかった。とりあえず、島の西側の南寄りにあるホテルを選んだ。港には、たくさんのトライシクルが並んでいた。ホテルの名前を言うと、400ペソ(840円)と言われた。こんな島で強気の値段である。ちなみに、マニラでジプニーに乗ると、1回9ペソ(19円)である。マニラでは比較的空港に近いエドゥサのホテルに泊まった。空港からホテルまでタクシーでぼられても120ペソ(252円)である。結局300ペソ(630円)に値切った。
 ホテルまでは、40分ぐらいかかった。島を1周する幹線道路は広かった。幹線道路から細い道に入って、海岸そばまで行く。着いた時は真っ暗だったので、この写真は翌朝撮った。私の泊まった部屋である。左側にもう一部屋ある。ガラス戸が鏡のようになって、部屋の前を写している。部屋の中から外はよく見える。食事なしで、2泊で2万7700円(1泊1万4千円弱)であった。2人で泊まっても、同じ値段である。

ホテル2 ・私の部屋の前の風景である。プールがあって、その向こうに海がある。右側にプールバーもある。海はそれほどきれいでなかった。ホテルの人に聞いたら、幹線道路まで1kmあると言う。途中、夜間は真っ暗な林みたいな所を通り抜けて行かなければならない。幹線道路に出ても、周囲には店らしきものは建っていなかった。港からの途中、所々で大きなレストランが建っていた。ここは独立したリゾートホテルで、食事もここでしなければならなかった。
 船での島巡りみたいなツアーがあるのか聞いてみたら、島巡りのツアーはないという。トライシクルを使った島内の観光はあった。仕方ないので、港からホテルまで案内してくれたトライシクルの運転手に案内を頼んだ。ホテルで頼んだら1500ペソ(3150円)である。300ペソぐらいはホテルの手数料になる。英語もろくにしゃべれないドライバーの方がこちらのペースで案内を頼める。午前9時〜午後3時までの6時間を1300ペソ(2730円)で交渉した。(ちなみに、「地球の歩き方リゾートスタイル」では1000ペソになっていた)

フットスパ1 ・レンタルバイクもあったが、運転免許証がいるという。たぶん、日本の免許証でいいと思う。コピーするのだろう。最初に行ったのは、センチュリー・オールド・バレテ・ツリーである。立派な木が立っている。池みたいな所でフットスパが楽しめる。無料である。

フットスパ2 ・この写真には写っていないが、けっこう大きな魚がやってきて、足をつつく。少し痛いぐらいである。

フットスパ3 ・ここではヤシの実を売っていた。カメラを向けると、人なつっこい笑顔を見せてくれる。ただ、フィリピン人の笑顔に油断していると、いろいろな場面で、ダメもとで法外な値段をふっかけられる時もある。

滝1 ・次に博物館に行ったが、興味がないと言って入館しなかった。教会も洞窟みたいな所ももう興味がない。途中、ガソリンを満タンにしたが、200ペソ(420円)要求された。ここはカンブガハイ滝である。ここでは、トライシクルの駐車場代が20ペソ(42円)取られた。駐車場から滝つぼまで急階段となっている。この滝のガイドが案内してくれると言っても、実際にしてもらったのはこの階段の上り下りに付いてきてもらったぐらいである。「地球の歩き方」には、チップとして100ペソ(210円)渡すように書かれていた。実際に請求されたので、仕方なく渡した。

滝2 ・ターザンロープを使って、ジャンプも楽しめる。(50ペソ) 右上に中国語で書かれた案内がある。私の印象では、シキホール島の観光客は8割が中国人で、1割が欧米人、日本人は皆無であった。

滝3 ・ここからターザンロープを使って、飛び降りる。 

滝4 ・こんな感じである。

滝5 ・ジャンプ台は3つ(4つ?)ぐらいあったと思う。

滝6 ・動画もたくさん撮ってきた。近いうちに、YouTubeにアップロードしようと思う。

滝7 ・私は南の島のいろいろな滝を見てきた。ここは水がきれいで、今まで行った中では1番のベストである。緑も美しかった。

平成31年2月5日(火)

 きょうはいつものように、午後から往診に行ってきた。最近は、これまであった駐車場が閉鎖して、車を止める場所がなくて困っている。土地の値段が高くなっているので、マンションやホテルなどの敷地として売り出されてしまっている。きょうも、かなり離れた場所で、やっと見つけた。いつもは1ヵ所で見つけるのが大変である。きょうは2ヵ所で同じように時間が取られた。
 最近、高齢患者さんの夫婦関係を聞いていて、難しいと思った。たいていの奥さんは、夫が1日中家にいるのを嫌がる。定年退職して、スポーツジムに通っていた夫が、70代半ばになってジムに行くのをやめた。1日中家にいだしたら、奥さんが切れるようになった。みんな言うことは共通している。「私はあなたの家政婦ではない」である。仲のよかった夫婦も難しい。夫はうるさくない。日中はTVを見て、夕食に焼酎を1杯飲んで機嫌良くしていた。ところが、80代も半ばを過ぎてくると、奥さんが買い物に行って毎回食事を作るのが大変になってきた。夫に食事の配食を提案したら、即座に断られたという。自分の身体が弱ってきて、家事を続けるのも辛いのに、(悪気があるわけでないが)理解しようとしない。
 時々、サラリーマンがTVで、嫁さんからもらう小遣いは3万円などと話している。子どもが小さい頃はこれでいいのかもしれない。しかし、これからはサイフも貯金もすべて奥さんに預けるのは危険である。時々、すべて奥さんに預けていたら、離婚の時に、お金は一銭も残っていなかったという夫もいる。理想的には、2人で共稼ぎして、それぞれが自分のサイフを握ることである。家賃や食費は分担し、誰がいくら出すと決めておくことである。ただ、それぞれが経済的に独立できると、必要以上に我慢することもないので、離婚の危機も高まる。
 子どもが欲しいということでなければ、お互いに会いたいときに会って、無理に結婚する必要もないかもしれない。若い男性の中には、どうして婚姻期間中に稼いだお金の半分を離婚する妻に与え、養育費も負担しなければならないのかと、結婚前から不満を言う人もいる。私の周りでも、小さな子どもを抱え、離婚した医師もそれなりにいる。やはり、結婚するならお金持ちである。みんなかなりの額の養育費を払っているようである。

今週のトピックス 71 (190205)

丹羽宇一郎「習近平の大問題」 (東洋経済)
丹羽宇一郎「習近平の大問題」 (東洋経済)

 この本は去年の12月に大阪の本屋で買った。最近は、大阪に出ることは滅多にない。特に欲しいものも興味のあるものもあまりないからである。本屋に寄ると、ついつい本を買ってしまう。アマゾンでもなるべく買いすぎないように気をつけている。時間的に、すべて読み切れるわけがないからである。この本も途中まで読みかけて、そのままになっていた。実はきのうの朝から本格的に読み出し、今日の午後5時前に読み終えた。読み終えた後で、アマゾンの書評を少し読んだら、著者を売国奴呼ばわりしているのもあった。
 著者は、伊藤忠商事の社長、会長を経て、2010年、民間出身での初の中国大使に就任した。今年80歳になる。まず、世界各国の中国に対する意識調査である。日本人の中国嫌いは、ベトナムに次ぐ。日本の中国人嫌いは5年にわたって80%以上を維持している。中国人の訪日旅行者は年間600万人を超えている。ところが、日本から中国を訪れる人は、ピーク時から100万人以上減っている。最近の若い中国人は「反日」ドラマは見ず、日本への印象は改善傾向にある。ところが、日本社会における「反中」の空気は依然高いままである。安倍首相の「嫌中」、「嫌韓」の影響も大きい。金になるからと、歴史修正主義に荷担するメディアも悪い。
 しかし、以前にも書いたように、日本からの輸出先としては、アメリカに次いで2位で、輸入先では第1位である。香港と中国の輸出額を合計すれば、輸出額でもアメリカを300億ドル以上上回る。日本の貿易は、中国なしではにっちもさっちも行かないのである。米中貿易戦争で、日本が計り知れないほど影響を受けるのは間違いない。インバウンドの観光客も1位が「嫌中」の中国で、2位が「嫌韓」の韓国である。欧米の観光客を増やそうと思っても限界がある。遠い分、途中で物価の安いタイやマレーシア、インドネシアなどに客を奪われる。距離が遠ければ遠いほと、観光客の規模も少なくなる。
 まず、人口の規模である。アメリカはせいぜい3億人である。EU(欧州連合)は5億人である。中国は14億人である。これだけの国民を統治しなければならない。習近平が追う「中華民族の夢」とは、19世紀から20世紀前半にかけて自分の国なのに主権がないという諸外国から屈辱を受けた中華民族の誇りと大国の地位を取り戻すことである。
 ケ小平が主席の任期を10年に制限するように定めたとされている。以後歴代主席は2期10年で退任している。しかし、退任しても、長老として隠然たる影響力を陰から行使していた。江沢民も、胡錦濤政権の手かせ足かせとなっていた。習近平が任期を撤廃したと言っても、陰で動いていた権力が、透明度の高いものとして、表に移っただけと考えることもできる。2017年10月に、5年に1度の中国共産党大会が開かれた、この時に習近平国家主席は3時間半の長い演説をした。この演説に関しては、長老の江沢民や胡錦濤には何も事前に相談しなかった。この長演説で、中国は、現在の指導部が権力を持ち、権力を行使するという意思表示を、長老および全国の代表者たちへ突きつけたのである。
 さて、先ほどの14億の人口である。全人代(全国人民代表大会)に所属する代表議員は3000人いる。著者は、国民の権利や自由を抑えつけたままでは、やがて国がたちいかなくなることは習近平も感じているはずだと述べている。民主的に議論すると言っても、3000人もいては限界がある。現状では、共産党独裁がベターな制度ではないかという中国政府幹部の言葉も紹介している。まだ、中国は民主主義的システムで国を運営できていない。著者は、中国は連邦制の民主国家に移行していくしかないと言う。6つのステイト(州)と中央政府で国をまとめて、運営する。共産党をホールディング・カンパニーとして、その下に事業会社である6つの州を作る。(詳細については、この本を読んで下さい。)
 統治者の第1の役割は飢えさせないことである。人々はパンを求めて毛沢東についたのであって、必ずしも思想的に共感したわけでない。パンを確保したことによって、ペン(自由と権利)も要求し始める。ペンを剣で抑えることはできない。著者は、急激な民主化を導入すれば、地域ごとに利害が対立し中国は大混乱に陥るだろうと述べている。いずれ民主化するが、それは30年以上先のことである。その前に、乗り越えないといけない山がいくつもある。改革は性急過ぎたら人は付いていかず、先送りすれば結局誰も何もしない。現在の組織を徐々に、しかし確実に改革することが中国の民主化の道のりだという。
 さて、日本の中国脅威論である。習近平は本気で覇権を求めているかである。まず、領土拡大は採算が合わないと書いてある。第2次大戦の戦勝国であるフランスは、植民地であるインドネシアやアルジェリアで起きた植民地の独立運動を押さえこもうとして、歳出の4割を植民地の戦費に投じるはめになった。イギリスもインドなどの植民地を放棄したが、その後始末に大変な出費を強いられた。敗戦で領土を失ったドイツや日本が戦勝国のイギリスやフランスより経済的に大きく成長した。植民地はいわば企業の不良資産と言える。国内にチベット問題や少数問題を現実に抱えている中国が、さらに面倒な事態を国外で抱え込むようなことはしないはずだという。
 1970年代末期からは、アメリカが中国に兵器や軍事技術を提供し、中国軍の近代化に協力した。アメリカと中国の戦略は、対ソ連という点で一致し、この時代の両国は「隠れた同盟国」だったという。この関係はソ連の崩壊まで続く。ソ連なき後のアメリカ軍が、予算獲得のため中国を仮想敵国にしようと図った気配があるという。中国の脅威を喧伝し、軍事予算を確保するねらいがあった。著者が中国の中枢の人物を話した時に、「中国が日本を取っても得るものは何もありません」と言われたという。日米安保条約があっても、アメリカが軍を出すとか出さないとかは、アメリカ政府と議会の判断で決まる。「尖閣問題」で中国と衝突しても、アメリカ参戦の可能性は極めて低い。日中問題は日中で解決するしかないのである。
 アメリカが超軍事大国で、中国の軍事費はアメリカの3分の1程度である。サイバー空間での戦争でも、世界第1はアメリカで、2位がロシアで、3位が中国である。中国の海軍は世界的に見ても遅れたままである。外洋に出て、自由に戦艦機を発着させる空母がないということは、陸上基地から飛び立つ航空戦力がカバーできる自国周辺しか行動範囲がないということである。習近平が提唱した「一帯一路」構想とは、陸のシルクロードである。もし、陸とシルクロードにある国々を支配下に置けば、現在の中国の数倍の地域、そして言語と文化の異なる民族を統治しなければならない。中国の一帯一路を中国の覇権主義を考える人は、「荷の大きさと重さ」を知らない人たちである。支配下に置くよりも、その地域の国々が平和になり経済発展するほうが、中国にとっては利益である。
 中国の南沙諸島の人口島の目的は、中国の潜水艦基地の防衛にあるという。現在、海南島の三亜に基地を移そうと建設を始めた。この三亜基地を防衛するためである。もうひとつの理由は、アメリカ海軍の偵察と情報収集に対するけん制である。自国の海軍基地の前で、アメリカ軍の海洋調査船や情報収集機が行動するのは、どこの海軍にとっても不愉快である。アメリカは「航行の自由作戦」と称して、当該海域での行動を続けている。もともとこの海域を船舶が通過するのは自由である。中国はこれまで他国の船舶に対し通行を妨害、威嚇するという示威行動に出たことはない。
 中国、日本でいう「王道」とは、王の徳によって国を治めるということである。「力」対「力」によって勝敗を決し、相手を征服する「覇道」は欧米の人々にはよくわかる。実力装置を持たない「徳の治政」を理解できる欧米人は少ない。力対力のアメリカのやり方では失敗例が多い。キューバ、ベトナム、イラクとみんな失敗している。数少ない成功例が日本だという。日本では、中国は北朝鮮の資源を狙っているという人がいる。中国は高い設備投資や人件費をかけて自分たちで採掘するより、現地の人から買えばよいので、現地を統治する必要はない。
 中国政府は2017年に統計法を法制化した。2019年以降は、統計数値はこの法制度によって厳密に取り締まられる。これまで、地方のトップである党幹部が、自分の評価を上げようと、実績の水増し、あるいは数字の操作をしているため、正確な数字が出てこないからである。反腐敗運動は、政敵を倒すために利用されている面も否定できない。しかし、今では、日本企業の接待ゴルフも断られるぐらいである。
 中国のような大国では、習近平のような独裁者によってしか国の改革ができないのも事実である。中国の発展には必要な、これまで誰も手をつけようとしなかったことをやろうとしているのである。これまでの国家主席は、汚職がはびこっていても、既得権者の権利は温存したままであった。単なる権力欲の塊であるなら、あえて危険な改革に挑む必要もない。アジアの歴史を見てみると、独裁体制の間に充分に経済発展を果たした国は比較的混乱なく民主化できている。韓国、台湾、マレーシアである。国が豊かにならないうちに民主化へ舵を切ったフィリピンやインドネシアは、いまだに混乱の余地を残しているという。
 中国については、いろいろな立場から書かれている。ある本では、「中国はかっての専制王朝の役割を中国共産党がそのまま継承している」と書かれている。この本に書かれていることを読めば読むほど、中国の民主化は将来どうなるのかと思う。一党独裁はいつまでも続くものではない。民主化も大事である。しかし、行き過ぎると、多数の意見が交錯し、何一つ決まらない国となってしまう危険性もある。

 

平成31年1月29日(火)

 きょうは寒いせいもあって、患者さんの数は少なかった。きのうも少なかった。木曜日を休診にして、1日辺りの患者さんは増えた印象である。しかし、1ヶ月の総患者数はむしろ減っている。息子が卒業するまでの後1年ちょっとはそれなりに頑張ろうと思う。今は、以前からの患者さんで食べているようなものである。1年に数回の受診でも、そういう患者さんをどの位持っているかである。そういう患者さんが多ければ多いほど、新患の人が減っても、それほどダメージは大きくない。
 この前の日曜日は、また新年会があった。同じ東山医師会の新年会でも、今回は私が属している第4班の新年会である。京都では有名な中華料理店でした。たまには、中華料理もいい。しかし、最近はコースの料理が多くて、全部食べきれなくなった。14日の東山医師会全体の新年会でも同じであった。美味しい丼とちょこちょこっとしたあてがあったら充分である。たまたま医院を出ようとしたら、私の医院に通院している薬物依存の患者さんのことで警察から問い合わせがあった。逮捕されたので、薬の内容などを教えた。留置されると、警察には薬を持ち込めないので、新たに薬を処方しなければならない。どっちにしろ、日曜日の夜は無理である。
 なかなかタクシーも捕まらなかったので、4〜5分ほど遅れた。席は決まっていないので、年齢の行っている先生が座っているテーブルしか空いていなかった。それでも、いろいろと話すことはできた。閉院した三聖病院の院長は、お年は92歳である。森田療法の大家として有名である。私はもともと強迫症状や恐怖症状を山ほど持っていたので、この先生の著書には大変お世話になった。前にも書いたように、私は薬嫌いなので、薬を飲まずに何とか日常生活に支障がない程度に改善した。
 パニック障害でも何でも、1番苦手なことを避けてその恐怖を克服しようと思っても無理である。滝に打たれようと、山に籠もって修行しようと、座禅を1日組もうと、恐怖は克服できない。1番苦手なことを克服するには、1番苦手なことを少しずつやるしかない。克服というと、語弊があるかもしれない。不安があっても、不安を持ちながら本来のやるべきことをやっていく癖をつけることである。人生の苦しみも同じである。苦しみから逃れようと、何をやっても逃れられない。グルジェフの本を読んでいる時に気がついた。引き受けて、生きていくしかない。
 たまたま80歳を超える同じ大学の大先輩の先生と話していた。前回の「今週のトピックス」で近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)の本を紹介した。お年寄りの血圧を正常値に近づけると、脳の血流量が少なくなり、血管内で血が固まって脳梗塞になる人が何万人もいると推定されている。脳の重さは体全体のたった2%なのに、血液は全体の15%が行っている。血圧を上げて血流を保とうとしているのに、薬で血圧を下げたらどうなるかである。脳の働きが落ちて、記憶力や判断力、気力の低下に繋がり、ふらつきも生じやすい。和田誠は精神科医である。しかし、東大系の高齢者専門の浴風会に勤めていた。ここでは遺体の半数以上は解剖して、脳の標本だけでも7000以上あるという。この病院で薬を使って血圧を下げると、みんな調子が悪くなるという印象を持っていると述べている。
 さて、私の大先輩になる先生である。京都の有名病院の院長もされていた先生である。今は老人病棟の患者さんを大勢診察している。入院してきた患者さんの血圧の薬をやめたら、劇的に元気になる患者さんが少なくないという。中途半端に改善すると、要介護度が低くなってしまって、受けられるサービスも限られてしまう。これはこれでいろいろと問題も生じるようである。しかし、必要もない薬で、寝たきりの状態にすることは避けなければならない。このあたりのことが、どこまで一般の先生に伝わっているのか、疑問である。患者さんを薬漬けにして、金儲けをしていると誤解されても仕方ない。何の根拠もなく、低い基準値を作った学会の責任も重い。

今週のトピックス 70 (190129)

嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」 (彩図社)
嵐よういち「ブラジル 裏の歩き方」 (彩図社)

 今年のゴールデンウィークは10連休になる。前から書いていたように、この機会を逃さず、ブラジルに行こうと思っている。「地球の歩き方」は2018〜19年版が去年の3月に出ていた。何とか、最新の情報は手に入れることはできた。ところが、最近の社会事情を扱った本がまったく出版されていなかった。ブラジルが日本で盛り上がっていたのは、2014年のFIFAワールドカップと2016年のリオデジャネイロ・オリンピックであった。一時は、経済的発展がめざましいということで、BRICSがもてはやされていた。オリンピック後のブラジルは、経済的に不況に陥り、治安が悪化したと言われている。
 日本からブラジルに行くには、いろいろなルートがある。どのフライトも直通はない。関西空港発ドバイ経由もあるようである。しかし、ほとんどが成田空港発である。アメリカかヨーロッパを経由してサンパウロまで行く。片道30時間ぐらいかかる。京都から成田空港までは、新幹線を使っても飛行機を使っても時間がかかる。アメリカ経由だと、ESTAが必要で入国審査や荷物の再検査がある。ヨーロッパ経由だと多少時間がかかるが、その分ややこしい手続きはない。乗り継ぎも7〜8時間も空港で待つのは大変である。
 日本からもブラジルへの観光ツアーは出ている。ただ、こういうツアーは、正月やゴールデンウィーク、盆の時は催行していない。ネットでは、なかなか見つけることはできない。もしかしたら、旅行代理店に行ったらあるのかもしれない。誰がこんな時に行けるのかと思う時期でも、けっこう値段がする。チリなどと組み合わせるツアーも多く、2人1部屋でも70〜80万円もする。ビジネスを使ったら、軽く100万円を超える。
 結局、1人で行くことにした。期間は2週間である。たいていのツアーはせいぜい10日ちょっとである。行きたい所はサンパウロを除いて、3ヵ所である。イグアスの滝とアマゾン川の拠点となるマナウスとリオデジャネイロである。伊丹空港から羽田空港まで行き、ビジネスを使って羽田空港発のヨーロッパ経由だと、飛行機代だけでも90万円以上もする。この便は乗り継ぎ時間も少ない。もう少ししたら安くなるのかよくわからない。国内線はそれほど高くはないだろう。ホテルもまだ調べていない。現地の英語ツアーに参加しようと思っている。ブラジルでは、英語もあまり通じないようである。早速ポルトガル語会話の本を買った。中国語はいつもかけ声ばかりで、ほとんど勉強ができていなかった。今度の旅行は、命がかかっている。本気で簡単な会話だけは覚えていこうと思っている。
 さて、きょう取り上げる本である。この人の本は、詳しい題名を忘れたが、前にも紹介した。今でも、感動した部分は覚えている。メキシコのバーに入ったら、いきなり口を開けさせられ、口の中に酒を入れられたという。何かのサービスかと思ったら、この酒代も請求されたという。実は、この本が書かれたのは、平成24年(2012年)6月である。6年以上前の本で、情報が古すぎると思った。しかし、最初に書いたように、最新のリアルなブラジルを書いた本がないのである。さーとTouTubeで見ても、最近は日本人観光客も少ないのか、あまり参考になるような動画にも出会えなかった。(英語版はまだ見ていない) それでも、予備知識は大事である。特に1人旅の場合は、1番狙われやすい。団体ツアーとは違って、犯罪に巻き込まれる確率も高い。
 まず、第1章の夜遊びである。私が東南アジアに出かけると、夜遊び目的のように誤解されるかもしれない。しかし、ここでも何回も書いているように、私は病気嫌いである。日本でも梅毒が大流行しているぐらいである。触ったり、マッサージぐらいはOKでも、本当に口のサービスやセックスはしない。最近は、年をとったせいかインポテンス気味である。
 TVでビートたけしが女の人と一緒にいても浮気しないと告白していた。道徳的理由ではなく、機能的理由である。まず、ブラジルの代表的な夜遊びのボアッチである。ブラジル特有のナイトクラブで、店内にはプータと呼ばれる娼婦がいて、自由恋愛が楽しめる。援交ナイトクラブみたいなものか。小さな田舎にもあるという。最高級店では、8年ぐらい前であるが、モデル級の女性が入場料や飲食代も含め、4万6千円と書いてあった。私は小田実の「何でも見てやろう」なので、見学には訪れたいと思っている。もしかしたら、梅毒にかかろうともうどうでもいいと理性を失うかもしれない。目隠しはかかっていたが、私好みの美女の写真が載っていた。
 カラオケバーやディスコなども紹介されている。ディスコの1番の盛り上がりが夜中の3時だという。私は早寝早起きである。時差の関係で睡眠リズムが狂っていたら、行けるかもしれない。この本ではブラジルの男女の関係についても書いている。フィカンチとは恋人未満、友達以上の存在を示し、日本でいうセフレみたいな関係である。ブラジルの場合は、交際する前にデートをしてまずセックスをして、体の相性がよかったら本格的に付き合い始めるケースが多いという。この恋人関係になる前の期間をフィカンチという。
 第2章は、「ディープなブラジル体感ツアー」である。リオのカーニバルの時期は治安が悪くなるという。2014年のカーニバルで、著者が観光客からもらったメールのことも書いている。日本人女性が襲われ、抵抗して足をナイフで切られ、病院に運ばれている。最初の3日間で29人が襲われて死亡し、その内26人が観光客であった。リオを代表するコパカバーナ・ビーチも日中は安全であるが、夜や早朝は危ないという。サンパウロの東洋人街リベルダージのことなども書いてある。もともとは日本から来た移民の町である。マナウスの格安アマゾン・ジャングルツアーやサンパウロから快適なバスで15時間で行けるイグアスの滝のことも紹介している。どこの国にでもあるドロップアウトした旅行者が集まる悪名高き日本人宿「ペンション荒木」の体験談もある。
 第3章は、「危ないブラジル アンダーグラウンド」である。ブラジルの治安の悪さは、現地に何年も住み常に警戒している人でも、強盗に襲われたりする。サンパウロの国際空港に地下鉄などを利用して行こうとした日本人観光客が強盗団に襲われ、拉致された。すべて強奪されただけではなく、すぐに解放されず殺されそうになっている。他にも、犯人の顔を見た人が殺されたりするので、強盗に襲われても顔は見ないように下を向いているのがいいようである。ブラジルの殺し屋はわずか100ヘアイス(約4500円)で人を殺す。憎い相手がいたりすると、ブローカーに頼む。警察もまともに捜査しないので、殺し屋も捕まらない。そのため、ブラジル人は恨みや妬みを買うこと避ける傾向があるという。
 地方都市に住む大金持ちの友人の所には、近所の貧しい男たちがよく金を借りにくるという。返済される見込みもないのに、気前よく貸していたという。その理由は、金の無心を断ったために、逆恨みされて、強盗に入られたり殺されたりする事件が山ほど起こっているからである。ブラジルの刑務所は慢性的に定員超過で、凶悪犯罪者でもすぐに仮釈放になるという。警察の腐敗についても書いている。リオの貧民街であるファベイラは有名である。現在は、見学ツアーも出ている。少し前に、このツアーの車がギャング団のものと間違えられ、警察と銃撃戦になって観光客が死亡している。このツアーにも参加したい。サルバドールのカーニバルは、リオのカーニバルより危険である。実際の体験記も書いている。
 ブラジルを安全に旅する7つのポイントも書いてある。@高級時計は身につけない A携帯電話は常に注意 B夜は短い距離でもタクシー C華美な服装は避ける Dカメラは絶対にぶら下げない。 E荷物はなるべく持たない。F地元の人に危険な場所を聞いて、絶対に近づかない である。この程度のことは、マニラを歩くときにはしている。ここでも何回も書いているように、カンボジアの内戦が終了した時に、プノンペンで強盗に襲われ頭に銃を突きつけられている。どんなに注意していても、ヤラれる時にはヤラれると書いてある。もちろん、大半の観光客は無事に帰っている。著者は夜中のタクシーでも友人と2人で利用している。1人で乗っても、安全なのだろうか。週末はLCCで釜山の射撃場に通い、銃の扱い方も覚えておいた方がいいのかもしれない。

 

平成31年1月22日(火)

 寒いと外に出るのがおっくうになる。最低必要限のことでしか外出しない。若い頃と違って、あまり出かける所もない。欲しいものがないのも影響している。こうやって年をとっていくのかと思うと、少し焦る。年末年始に行ったチャーン島とクード島については、動画を作ってYouTubeにアップロードしようと思っている。まだ勢いがあるうちに作っておかないと、永遠に延びてしまう。
 きょうは今週のトピックを書いていたら、もう夜の9時40分である。夕食は自炊をして食べた。ビールを飲みながら書いていたので、段々と眠くなってきた。きょうは、このまま本を紹介する。

今週のトピックス 69 (190122)

近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)
近藤誠 和田秀樹「やってはいけない健康診断」 (SB新書)

 この本は2018年3月に発刊されている。買ったまま長いこと読んでいなかった。やっと、去年の12月に読み終えた。私の読書は同時並行読みで、読みかけては他の本に浮気している。今は昔ほど読んではいない。きょうは書くことがなかったので、とりあえずこの本を取り上げた。
 実は、私は開業してから17年になる。この間、胃カメラ3回(実際に、逆流性食道炎が見つかった)受けたぐらいで、血液検査も数回ぐらいしかしていなかった。去年の5月までは月曜日から土曜日まで外来をしていたので、検査を受けにいく時間もなかった。6月からは木曜日を休診にしたので、好きな時に行ける。ところが、もう半年も経ったのに、面倒臭くて人間ドックにも健康診断にも行っていない。患者さんが痔だと思ってそのまま放置していたら、直腸がんが発見され、人工肛門の手術をした。がんはやはり早期発見が大事だと思っていた。
 しかし、この本の帯には、欧米には職場検診も人間ドックも存在しないと書いてある。早期発見・早期治療の「罠」と副題がついている。著者は「がんもどき」理論で有名な近藤誠とベストセラー本を何冊も出している精神科医の和田秀樹である。対談形式で書かれている。近藤誠の「がん放置療法」などは、専門家から目の敵にされている。近藤医師の書いた本を読んで信じている患者を近藤教と言って、一般の医師が嫌っていることも書いてある。ウィキペディアでも、近藤の文献の誤用などを挙げて激しいバッシングとなっている。私は専門家ではないので、この領域については深く立ち入らない。手術をしたら治るがんを放置して悪化している人も大勢いると思う。この本の中で和田が、放置群と治療グループを長期追跡した大規模な比較調査がほとんどなされていないので、本当はわからないと述べている。
 この本のテーマは健康診断である。近藤の書いている内容はすべて間違いだと結論づけるのも暴論である。ややもすると、日本の医者すべてを敵に回しているような所もあるので、医者にとって不都合な部分も洗いざらい暴露してくれる。医者同士みんな内心わかっていても、口に出せないこともある。その部分も遠慮なく書いてくれる。近藤自身もこれだけ強い批判にさらされているので、中には文献の誤用はあるかもしれないが、徹底的に調べて書いていると思う。がんを放置して悪くなった人のことをいくら書いても、「がん放置療法」を否定したことにならない。「早期発見・早期治療」によるデメリットがまったく評価されていないからである。これはQOLの低下などだけではなく、医療経済のことまで含めてである。
 ただ、同じ精神科医である和田の発言を読んでいると、必ずしもすべて同意できる内容でもない。誤解を招きやすい表現で、この分野(精神科領域)も9割は悪徳医で、「抗うつ剤は一生飲まないとダメだ」とか言っている、と書いている。この本は職場健診や健康診断に否定的な内容となっている。私は専門外なの正しい評価はできない。しかし、一部誤った部分はあるかもしれないが、内容は説得力がある。私はここでも何回も批判しているように、精神科領域の診断基準や治療ガイドラインに及ぼすに巨大製薬会社の力は計り知れない。この本を読んで、同じようなことが、各学会でも起こっていることがよくわかった。
 まず、健診である。欧米では合計14件(総被験者数18万人)に健診の比較試験が行われた。健診群と放置群である。結果は無効であった。肺がんの検診でも、放置群より健診群では肺がんの発見は多かったが、死亡者数は健診群で多かった。他にも、いろいろなデータを紹介している。効果がないとわかったので、欧米では職場健診も人間ドックもしないという。ここではイギリスの権威ある医学雑誌「BMJ」に載った「なぜ、がん健診は『命を救う』ことを証明できていないのか」という論文のことについても紹介している。世界中のデータをまとめて分析したら、「総死亡数が明らかに減った」という論文はひとつもなかったのである。ただ、延命効果についてはどうなっているのかよくわからない。
 子宮頸がん健診でも、このがんで死ぬ数千倍もの女性に「異常」が見つかって精密検査をされ、切除手術などをされている。前立腺がんについても、以前から言われていることである。PSA健診が普及して発見数は増えているのに、死亡者数は減っていない。死体解剖をすると、50〜60歳の男性の半分、80歳になると9割に前立腺の「潜在がん」が発見されている。前立腺がん、乳がん、甲状腺がんの発見数は何倍も増えたのにがん死は減っていない。がん健診は無効だという証拠として、世界的権威のある「ニューイングランド・ジャーナル・メディスン」の論文が使われている。
 乳がんのマンモ健診も批判している。乳がんの発見数は80年代の3倍以上に増えているのに、死亡者数はまったく減っていない。欧米でも医者の金づるになっているので、マンモ健診をやめようとしない。しかし、「40歳未満は、マンモ健診に意味がない」などと認めている。北斗晶が乳がんを告白して、「乳がん検診、受けて!」と呼びかけたら、若い女性たちが健診に殺到した。実は、北斗はマンモと超音波検査を毎年受けていたのに、自分でしこりに気づいたのでる。健診の無意味さを身をもって証明したケースなのである。
 ここでは血圧や総コレステロールの基準値などについても批判している。2014年に日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が150万人の健診受験者の「ビッグデータ」を分析して、ゆるい「新基準値」を発表した。メタボ健診で、標準体型は25未満とされていたのが、男性では27.7まで上げられ、血圧も標準で上は147にした。ところが、日本高血圧学会や日本動脈硬化学会、日本医師会、日本医学会などが猛反発した。高血圧は、1987年に当時の厚生省が示した基準が180だったのが、根拠も示されないまま160、140と下がってきた。年と共に血管は硬くなって細くなっていく。血圧が年とともに少し上がらないと、脳にきちんと血液の中の酸素が届かない。血圧を下げると、脳の働きが落ちてしまう。
 2017年にアメリカ心臓協会とアメリカ心臓病学会が、高血圧の基準を10下げて130/80にした。あらたに、3000万人の高血圧患者が生まれたのである。これも、利害が一致する巨大製薬会社の働きかけと学会の結託が大きい。血圧が高いと血管が切れて脳出血になると恐れているが、現在は栄養が足りているので、滅多に切れることはない。脳出血は激減している。むしろ、血圧を下げ過ぎて脳の血流が減ると、血管が詰まりやすく脳梗塞になりやすい。日本高血圧学会で大規模な比較試験では、上の血圧が160以上ある4400人を2グループに分けた。一方は140未満まで下げる厳格な治療群、片方は140〜160のゆるい治療群である。結果は、血圧を厳しく下げた方が、死ぬ人が多くなっていた。
 他にも、糖尿病治療のことについても詳しく書いている。ヘモグロビンA1cを6.5以下にすると死亡率が急増するという。7〜9ぐらいのほうが、死亡率は低い。日本の国立国際医療研究センターでは、アメリカを含む世界の全9件の論文、27万人以上のデータを分析して、「糖質制限を長期間続けた人たちの全死亡リスクは明らかに高く、健康への効用は認められない」と発表している。
 1番長生きするのは、小太りの人とか、日本人の高血圧の98%は塩とは無関係とか興味深いことが書いてある。日本人の寿命が延びたのは、塩分を減らしたり、粗食をしたからではない。肉などの栄養を充分に摂るようになったからである。漫画「サザエさん」が始まったのは、終戦翌年の1946年である。磯野波平さんは54歳、フネさんは48歳のままである。閉経後のコレステロールが220に達する女性は5割もいて、治療は必要ないと言われている。コレステロールが高めの人の方が長生きをしている。最近は悪玉コレステロールも悪玉でないことがわかってきた。若い時に栄養をしっかり摂らないと、子宮や脳が充分に発達しない。不妊症に悩む女性の9割以上が、若い頃にダイエットしていた人という不妊外来の先生のコメントもある。
 和田は精神安定剤については非難する立場で書いている。ところが、薬好きで胃腸薬などいつも7〜8種類の薬を飲んでいる。その中に、頭痛を止めるために常用しているロキソニンがある。慢性の下痢もあるようである。近藤からストレスが溜まっているのではないかと指摘されている。私は、むしろその人のもともと持っている体質だと思う。私は薬嫌いで、今は血圧が高いので、ニフェンジピンCR40mgを飲んでいる。市販薬の総合ビタミン剤のポポンSはもう何十年と飲んでいて、サントリーのセサミンも習慣で飲んでいる。どこまで効いているのかよくわからない。安定剤も飲んだことがないぐらいである。睡眠導入薬はエコノミーで深夜便に乗る時だけ、エバミール1錠を飲んでいたぐらいである。
 開業する前には、一応簡単な健診は受けた。借金を抱えて、大きな病気が見つかったら困るからである。大腸の検診(内視鏡検査)はまだ受けたことはない。この本を読んで、特に不調もないので、あわてることもないと思った。それでも、春頃までには、簡単な検査を受けるつもりである。検査で何か見つかっても、どうするかはそれから考えたらいい。こんな本を紹介して、医者仲間から私までバッシングを受けるのではないかと思っている。前から書いているように、ますます増大する医療費は何とかしなければならない。予算の付け替えは簡単にいかないのはわかっている。それでも、無駄な医療費は削減して、もっと若い世代にお金を回すべきである。

 

平成31年1月15日(火)

 この連休はゆっくりできたかというと、きのうはほとんど書類書きで追われていた。実は6月から木曜日を休診にしていて、1つ困ったことがあった。何かと言うと、私の地区の京都市のゴミの収集日が月と木なのである。水曜日は午後の外来が終わってから、琵琶湖のマンションに行くことが多い。医院を出るのは夜8時ぐらいである。ゴミ収集のためには、朝8時ぐらいに来ないと行けない。面倒臭いので、今はゴミ収集は月曜日だけにしている。きのうのように、月曜日が休みになると、ゴミがどんどんと溜まってしまう。仕方ないので、13日は医院に泊まり、この夜も必要な書類を書いていた。
 きのうは朝のゴミ出しをしてから、溜まりに溜まった書類を書いていた。1月中に書かなければならない自立支援医療の診断書などや各種届け出の書類や会計事務所に送る資料などである。訪問看護指示書なども、何枚も溜まると、うんざりする。すべて書き終えたと思っても、すぐにちょこちょことした書類が溜まっていく。開業している他の精神科医も同じだと思う。デイ・ケアなどをやっている大きな医院は事務員にやらせている所もある。医療事務以外のことは、すべて私が対処しなければならない。
 私の日本で初めての覚醒剤のあぶりの症例報告は、京都府警に大変お世話になった。今は、個人情報がうるさいので、いくら学術研究のためと言ってもこんな協力は得られない。だから、今でも京都府警の依頼については、協力するようにしている。前にも書いたように、逮捕された人は薬を留置場に持ち込めない。自費診療で、それまで飲んでいた薬を医療機関で出してもらうことになる。覚醒剤で逮捕された人は、いらいらや不眠を訴え、山ほどの睡眠導入薬や精神安定剤を要求する。自費診療なので、保険診療のようにハルシオンなどの睡眠導入薬2種類、デパスなどの精神安定剤2種類、計3種類までという制限はない。中には、ヒルナミンやリスパダールなどは合わないと言って、いくら説得しても聞く耳をもたない人もいる。警察も取り調べがあるので、何とかして欲しいと頼んでくる。
 刑が確定して、刑務所にはいったら、容赦なく睡眠導入薬や精神安定剤は減量される。私はもっとこわかった時代の暴力団員でも覚醒剤中毒者でもビビることは全くない。しかし、説得するのは大変である。日曜日でも、警察から「睡眠薬を増やしてもいいか」と問い合わせが来る。それだけ、留置場で扱いが大変なのはわかる。どこにも医療機関にはかかっておらず、知り合いから手に入れていたという人も多い。ある患者さんから聞いた話である。乱用で発売が中止になった睡眠導入薬のエリミンが、裏でワンシート(10錠)2万円で売られているという。何回も警察から問い合わせがあると、こちらもうんざりすることがある。
 きのうは、毎年恒例の東山医師会の新年会が午後5時半からあった。今回は2人の女性が出てきて、1人はピアノを弾き、1人は歌を唄った。ボーカリストはバンドを解散後、活動を再開しているという。ユーミンの歌やビートルズの「オブラディ・オブラダ」などをやっていた。私は少し癖のあるボーカルでないと、あまり感動しない。ふだん車の中で、FM放送でロックなどを聞いていても、なかなかいい曲に出会わない。たまたま最近、フラワーカンパニーズの「大人の子守歌」がかかっていた。これはよかった。YouTubeなどで調べたら、著作権で堅く守られていた。1曲250円でダウンロードできる。他の曲も聴いてみたら、この曲が1番よかった。今回のチャーン島、クート島に行った時に、スマホに映画の動画を入れていった。夜寝ながら見るには、タブレットでは少し重すぎる。映画「暗黒女子」の最後に出てきた曲もよかった。
 テーブルでは、ふだん話す機会のない先生とも話ができた。子どもさんは西日本で1番偏差値の高いと言われている私学医学部に通っていた。私の息子はここは落ちている。やはり運動クラブにはいっていて、大学の近くで部屋を借りているという。ここは入学してから1度電話で寄付の依頼があったという。結局、任意の寄付は一銭も払っていないという。東山医師会も高齢化し、新年会の参加者も減ってきている。東山区の介護認定審査会の委員を会長から頼まれた。私より若い先生であるが、人手不足で頼まれると断りにくい。私よりもっと上の先生も引き受けるようである。

地図 ・1月2日はクート島に行った。地図では、チャーン島の南にある。途中の小さな島はマーク島である。12月31日に島巡りツアーを申し込んだ時に、チャーン島からクート島に行くチケットを申し込んだ。午後2時頃からの出発が満席で、正午出発に申し込んだ。今回も午後11時にホテルまで迎えに来て、港まで送ってくれる。クート島に着いたら、予約しているホテルまでまた送り届けてくれる。今回は値段が高く、900バーツ(3150円)であった。

ボート ・今回はフェリーではなく、こんなボートにぎゅうぎゅう詰めであった。私は運転席の横の席に座らせてもらった。

マーク島 ・ここはマーク島の港である。私はクート島と間違えて、上陸してしまった。足が中途半端に切れてしまって、もうちょっと下から撮ったらよかった。クート島に行く乗客がたくさん待っていた。

上陸 ・ここがクート島の船着場である。1番前に置いてあるのが、私の旅行カバンである。今回は6泊7日だったので、大きいカバンにした。いつも使っているのは、もっと小さなカバンである。できる限り荷物は少なくしている。

ホテル ・船を下りてから、荷台付きのトラックに乗る。荷台には、屋根と椅子が2列に並んでいる。大勢の乗客がいて、どの乗り合いトラックに乗ったらいいのかよくわからなかった。胸にシールを着けていたら、ドライバーが声をかけてくれた。
 降ろされた所は、あまり人家のない掘っ立て小屋よりは少しましという程度の所であった。家主かマネージャーが出てきて、少し待たされた。奥に、バンガローのような建物が建っている。食堂を兼ねた受付の横に、レンタルバイクが1日200バーツ(700円)と出ていた。
 部屋が空いていないと言われ、案内されたのがここである。ここのホテルで借りたレンタルバイクは、1日250バーツ(875円)であった。温水は出るが、冷蔵庫はついていなかった。女主人から聞いたら、ここは朝食付きで1500バーツ(5250円)だという。私の予約したホテルは1泊8250円ぐらいであった。最後の日に、このホテルに行って抗議したら、電話口のオーナーがもう1泊泊めると行った。しかし、そんな余裕はない。

川 ・島はレンタルバイクを借りないと、どこにも行けない。道路は舗装されている。メイン道路からビーチに出るまでは、デコボコ道である。ヘルメットは着けるように言われた。しかし、これは旅行者だけで、現地の人は誰もかぶっていなかった。
 免許の提示もいらず、多少酒を飲んで運転していても、事故でも起こさない限り何も言われない。ガソリンは、ペットボトルに入れて売っていた。1リットル以上入っているのか、1本40バーツ(140円)であった。クローン・チャオ滝に行く途中風景である。クート島の表記は、上の地図のような表記や現地では、KO KUTになっていた。

滝 ・ここはクローン・チャオ滝である。

橋 ・橋の上から撮った写真である。今回は、カメラを向けるとピースサインをする人が意外に多かった。

昼食 ・ここでは遅い昼食をとった。まだ繁華街みたいな所は作られていなかった。旅行代理店みたいな所もなかった。今「地球の歩き方」を見たら、「ツーリスト・インフォメーション」があったようである。林のおおわれた何もない舗装道路を走っていると、道路沿いに所々に木造立ての食堂や小さなコッテージみたいな所が見えたりする。
 ここで翌日のスノーケリングツアーと4日のクート島のホテルからトラート飛行場までのチケットを買った。スノーケリングツアーは昼食付きで1200バーツ(4200円)であった。トラート飛行場までは、800バーツ(2800円)であった。

夕日1 ・島の西側に舗装道路が整備され、南側の道路を使って、東側までは行ける。しかし、まだ道路が作られていないので、そのまま東側を北に行くことはできない。ビーチが西側なので、夕日がきれいである。ただ、この日は水平線の夕日は見れなかった。

リゾートホテル ・ビーチ沿いに大きなリゾートホテルが建っている。しかし、軒を連ねているわけではなく、あちこちのビーチに、かなり離れて、ポツン、ポツンと建っている。メイン道路を走っていると、こんな大きなリゾートホテルがあるなんてわからない。町のレストランもほとんどないので、たとえ小さなホテルでもほとんどそこで夕食をとることになる。
 私はこの日は船着き場の近くのレストランで夕食をとった。頼んだタイ料理の品がもうひとつ味があわなかった。ビールを飲んだりして、全部で420バーツ(1470円)であった。 

ツアー ・ここは別のリゾートホテルからのツアーのボート乗り場である。参加者はイタリア人家族4人とフランス人家族4人と私である。午前出発と午後出発があった。私は午後からバイクで島を巡りたかったので、午前出発にした。天候はあまりよくなかった。

ビーチ1 ・途中スノーケリングをしながら、ここの島にたどり着いた。ここは、本当にきれいなビーチであった。残念であったのは、空が厚い雲のおおわれ、太陽がほとんど差し込まなかったことである。

ビーチ2 ・綱にぶらさがって、海に飛び込む。太陽が出てくれたら、もっと水が透き通ってきれいであった。

ビーチ3 ・昼食は先ほどのボート乗り場に戻り、リゾートホテル内のレストランでした。ここで、ゆっくりと過ごすことができた。ただ、天候は回復しなかった。サムイ島に台風が近づいていることはまったく知らなかった。ここはホテルに戻って、バイクで行った別のリゾートホテルのプライベートビーチである。

アオヤイ1 ・島の1番南側を走って、東端にたどり着くと、アオヤイになる。このまま道路を走っていても何もないのではないかと心配になるほど、両側は林が続いている。何回も引き返そうと思ったぐらいである。ここに、海鮮料理の店が何軒か建っていた。

アオヤイ2 ・私はこういう雰囲気は好きである。まだ洗練されていない店が出ている。さすがに観光客もわずかで、ここまでは出てきていなかった。クード島は今注目の島なので、そのうちここもどんどんと開発されていくだろう。

レストラン1 ・メイン道路から1番近い海鮮レストランである。実は、偶然であったが、私が泊まっていたホテルの女主人がこの店を経営していた。チェックインする時に、このレストランの名刺みたいな物をもらった。10%割り引くと書いてあった。地図でわかるわけがないと思っていた。少し早い時間であったが、ここで夕食をとることにした。

レストラン2 ・この写真は少しピンぼけしていた。生け簀の中の物を選んで、料理してもらえる。生ウニは1匹100バーツ(350円)であった。ホタテが売り切れということで、ハマグリの料理も頼んだ。ビールの小瓶2本やライスも頼んだ。左側のカニの一品は絶品であった。生ウニはそこそこであった。他にも、何か頼んだが、すぐに思い出せない。全部で、780バーツ(2730円)であった。ちなみに、バンコクに到着した日に、ショッピング・センターにはいっている大戸屋でビールの中瓶(620ml)と1人用ビーフスキヤキを頼んだら、603バーツ(2110円)もした。

ビーチ4 ・1月4日は悪天候であった。バイクに乗っていても、ぽつぽつと小雨が降ったりしていた。ここも別のリゾートホテルのビーチである。波も荒れていた。この日は、前日のようなスノーケリングツアーは無理だと思った。

フェリー ・実は天候が悪かったので、タイ本土にあるトラートの港までたどり着けるのか心配であった。チャーン島からクード島に渡ってきたボートみたいなのでは危ないと思った。ところが、島の北側から大型のフェリーが出ていた。車は乗れない。ここがフェリー乗り場であった。大勢の人が乗っていた。

船着き場 ・フェリーはトラートの港(チャーン島行きとは別)まで1時間ほどかかった。港に着いてから、バスターミナルまでこの大型カートに乗っていく。特に案内があるわけでないので、また胸にシールを貼ってバスターミナルまで行った。ここからバンコクへのバスが出ていた。2階建ての大型バスで、快適そうであった。「地球の歩き方」には5〜6時間と書いてあったが、バンコク市内で渋滞に巻き込まれると、とんでもない時間がかかる。少し前に行ったパタヤはミニバンを使った。しかし、渋滞に巻き込まれ、びっくりするほど時間がかかった。
 待合室で待っていたが、誰からも声をかけられなかった。空港行きのバスは午後2時半出発で、トラート空港まで1時間かかるという。間に合うかどうか、気が気ではなかった。2時半少し前に、女性ドライバーが声をかけてきた。ミニバンで私を迎えに来たのである。他に乗客は誰もいなかった。空港まで50分かかった。他の乗客が空港までのタクシーを頼んでいたが、呼ぶのに時間がかかるという答えであった。最初は800バーツと聞いて、随分と高いと思った。しかし、これだけ時間がかかるなら無理ないと思った。

トラート空港 ・ここはトラート空港の待合室である。飛行機の出発は午後4時25分であった。小さな空港なので、30分ぐらい前に到着しても飛行機に乗れそうである。
 今回チャーン島とクート島に行って思ったのは、4泊5日ぐらいの旅行ならチャーン島で充分だと思った。クート島はマニアでない限り、もうちょっと開発されてからの方がいい。チャーン島でもレンタルバイクを借りることができる。ツアーもたくさん出ているので、クード島にも日帰りで行けるかも知れない。チャーン島で泊まるなら、前回書いたようにサイカオ・ビーチがお薦めである。ホテルも多い。夏は雨期にはいるので、ゴールデン・ウィークぐらいまでがベストシーズンである。

平成31年1月8日(火)

 明けましておめでとうございます。今年になってからこの日記が最初になる。年末年始はどこに行っていたかというと、タイのクート島である。たまたまネットの記事で、世界一美しいビーチ(だったと思う)に選ばれていた。こういうランキングは、発表している旅行予約サイトなどによってころころ変わる。それでも、年末に1度行ってみようと、発作的に航空券だけは予約した。
 今回の旅は12月30日〜1月5日までの6泊7日の旅であった。夜行便は使わず、行き帰りはバンコクに1泊する。結局、バンコクに2泊、チャーン島に2泊、クード島に2泊してきた。第一目的のクード島は、あまり天候はよくなかった。帰国してから新聞を見ていたら、タイ南部に4日に上陸した台風が5日に横断し、サムイ島などで被害が出ていた。チャーン島やクート島はカンボジア寄りにあるので、被害はなかった。しかし、天候に影響した。
 息子が高2の時だったと思う。年末年始に2人でサムイ島に行った。この時に、夜サムイ島からパンガン島に行こうとした。ところが、あまりにも大勢の人がいたので、行くのはやめた。実はこれが正解であった。どうしてかというと、翌日だったか、天候が悪くなって海が大荒れになった。バンコクに帰るために、サムイ島の空港で待っていたら、悪天候のためにバンコク行きの飛行機が中止となった。その日は、航空会社が用意したホテルに泊まって、帰国も1日遅れた。パンガン島に渡っていたら、サムイ島までボートで帰ることもできなかった。
 今回の旅については、以下に写真付きで解説する。

地図 ・チャーン島やクート島と言っても、どこにあるのかよくわからないだろう。私は以前にタイからカンボジアへ陸路(バス)を使って行ったことがある。この時に海がきれいだったことが印象に残っている。今回はバンコクからトラートまで飛行機で行った。バンコクからはバスを使って5〜6時間である。

飛行機 ・バンコクのスワンナプーム国際空港からトラートの空港までは、約1時間である。ここから港まで行って、船でチャーン島に渡る。チャーン島はタイで2番目に大きな島である。

フェリー1 ・「地球の歩き方」では、空港からどう行ったらいいのか案内がよく理解できなかった。何と、空港からミニバンが出ていて、そのまま港で車ごと船に乗って、チャーン島に着いてから泊まっているホテルまで送り届けてくれる。値段はすべて含めて550バーツ(1バーツが3.5円で、1925円)であった。この港でフェリーに乗り込んでいく。

フェリー2 ・ここがフェリーの中である。私の乗っていたバンには8人乗っていた。

フェリー3 ・ここは船尾である。

港 ・ここはチャーン島の港である。ここから車ごと上陸して、各ホテルまで案内してくれる。空港からホテルまで荷物の持ち運びもなく、快適である。

ホテル1 ・ホテルの予約が1週間前だったので、思うようなホテルが見つからなかった。島のどのあたりが繁華街になるのかもわからなかった。今回は、12月31日と1月1日に泊まるので、高くなるのを覚悟して高級ホテルに泊まることにした。大晦日の日は、夕食を兼ねてホテル主催のガラナパーティがある。この費用も含め、2泊で7万円であった。ガラナパーティ代を除いて、1人で泊まっても2人で泊まっても値段は変わらない。

ホテル2 ・ちなみに、きょう2月の土曜日の宿泊代を調べてみたら、1泊2万2千円であった。部屋のランキングも同じなのかよくわからない。私の泊まった部屋は海側に面していない。しかし、ガラナパーティがあるときには、道路を隔てた山側の方が静かでいい。ガラナパーティは午後6時から夜中2時まである。息子とサムイ島に行った時には、一晩中花火と音楽がうるさくて、ほとんど眠れなかった。

ビーチ1 ・チャーン島にはいくつもビーチがある。私の泊まったサイカオ・ビーチ(ホワイト・サンド・ビーチ)が島で1番賑わいのあるビーチのようであった。

ビーチ2 ・このビーチは欧米人が多かった。寒い日本で過ごすより、暑いビーチでビールを飲むのは最高である。

ガラナパーティ1 ・ホテル主催のガラナパーティである。私は6時から1人で出席した。ステージに近いいい席を用意してくれた。他にも、1人で参加している少し高齢の欧米人がいた。どうしてこんないい席に座れたのかよくわからなかった。最初は泊まった部屋が高かったのかもしれないと思った。もしかしたら、私の年齢を考慮して、高齢者を大事に扱ったのかもしれない。
 本格的なガラナパーティは、ベトナムのフーコック島などで参加した。ここは高級ホテルで、家族連れも多いこともあり、うるさくなくてよかった。タイの踊りや生演奏などお金がかかっていることがよくわかった。この写真の右側にステージがある。

ガラナパーティ2 ・ここはステージになる。ちょっとしたショーだけではなく、子どもの椅子取りゲームをしたり、男性や女性が参加してそれぞれゲームなどを競い合う。賞金は2000バーツ(7500円)相当のクーポン券などが用意されている。参加者は欧米人というより、ほとんどがヨーロッパ人であった。中には、ウクライナ人もいた。スウェーデン人も多かった。みんな賞金目当てに気楽に参加する。
 海沿いの敷地も広く、子ども用の遊び場も充実していた。プーケット島などに行くより、家族連れには充分に楽しめると思った。料理も充実していて、よかった。

船乗り場1 ・1月1日は、前日に申し込んだスノーケリングツアーに参加した。私が当初申し込んだツアーには、手違いで参加できなかったようである。代理店から似たようなツアーに参加させられた。スピードボートを使った朝10時から午後3時までのツアーである。値段は1200バーツ(4200円)であった。ここから、船が出る。

船乗り場2 ・ここでスピードボートが来るまで待った。向こう岸に見えたビーチである。

島巡り1 ・何カ所かでスノーケリングをした。スピードボートは早くていいが、波が強いとけっこう酔う。途中、かなり揺れる所もあった。

島巡り2 ・ここは途中で上陸したKO NGAMである。KOは島になるので、NGAM島である。けっこう晴れていたが、風が強かった。ここで昼食もとった。昼食はもうひとつであった。

島巡り3 ・この白い砂浜の向こうに見えているのが、前の写真である。

島巡り4 ・なかなかいい雰囲気の島であった。自然が残り、ほとんど開発されていない所がいい。

島巡り5 ・ここもスノーケリングをした別の島である。写真の女の人たちは、別のボートで来ていた。

町 ・ツアーが終わったのは、4時過ぎであった。先ほどの船の発着場から車で各ホテルまで送ってくれる。途中の町の風景である。

夕日 ・ホテルのあるサイカオ・ビーチである。島の西側の浜辺なので、夕日がきれいである。

ビッグ・ラグーン2 ・夕食はここで食べた。明朗会計で、支払いの時には印刷したレシートを渡してくれた。小瓶のシンハビールは1本70バーツ(240円)であった。2本飲んで、料理を2品頼んでも、合計420バーツ(1470円)であった。

平成31年1月1日(火)

 この日は不在なので、12月29日(土)に書いている。6泊7日の旅行に出るので、今回はいつものように後での追加はなしである。きょうは平成30年度のことについて、簡単に書いておく。去年と比べると、外来患者数はだいぶ減った。それでも、実質的な収入はほとんど変わらない。どういうことかというと、娘が東京の大学を卒業して2年になる。この支出がなくなったので、収入が減っても実質的には何も変わらない。
 息子は西日本で1番学費の安い私立医学部に通っている。最初の試験で合格しているので、任意の寄付金は一銭も払っていない。(もちろん、強制の寄付金もない) 息子が卒業したら自分で母校に寄付したらいい。来年は6回生である。自宅からそう遠くないのに、大学の近くに部屋を借りている。この費用がバカにならない。卒業したらこの分の支出が減るので、外来数が減っても実質的には収入は増えることになる。
 私の開業している東山区は京都市内でも高齢化が突出して進んでいる。周囲にも心療内科の医院がいくつも新しく開業した。最近の新患の人は、同じ東山区でも祇園より南である。後はバスで直通で来れる南区である。伏見区や山科区はまったくいないわけではないが、それほど多くない。最近、また南区に心療内科が新しくできたようである。
 たまたま年末に、NTTがタウンページの更新の契約に来た。私が開業した平成13年は、北部版と南部版に分かれていた。東山区は南部版に入っていた。開業したばかりだったので、高い広告料を払って両方に載せた。実際に北部版から来た新患の人は、1年間でたった2人だけであった。当時は京阪電車の看板も2つ掲示した。丹波橋と東福寺である。開業した当時は、大手筋も丹波橋も今ほど多く開業していなかった。多少の効果はあったかもしれない。今は東福寺だけである。
 さて、来年からのタウンページの広告である。電話帳とネットの広告になる。今はいくつかに分かれていて、私は東山区が入っている北中部版と南区や伏見区が入っている南部版の2冊に出していた。この広告料が、1ヶ月36,612円になる。年間44万円近くである。私が開業した当時とは違って、今は電話帳を使う人はほとんどいない。タウンページのネットはどのくらいの人がクリックするかというと、平均年に500ちょっとぐらいである。訪れる人は、1日1〜2件ぐらいである。私のタウンページのホームページ(全く別)は、この日記も書いていることもあり、年間千ちょっと程度である。年間44万円も払って、この程度である。来年のタウンページの更新はすべてやめた。電話帳なので、電話番号は載る。
 私はもう65歳なので、今さらあせくせ働く必要もない。実際に、こんな程度の患者数でいいと思っている。息子は自分の好きな科を選んだらいい。ただ、どんどんと激減するのもよくないので、対策も考えている。まず、このホームページのリニューアルである。まず、パソコン用だけではなく、スマホ用に対応することである。医院の紹介がわかりにくので、この部分も作り直さなければならない。実は、6月から木曜に休診することになった時に、すべてリニューアルするつもりであった。それが、延び延びになってまだできていない。裏を返せば、患者さんの数が減っても、それほど焦っていないからである。
 理想的には、年齢とともにゆっくりと患者さんの数が減っていくのがいい。医院の経営とは別に、YouTubeに精神科疾患の啓蒙ビデオを載せようと思っている。あまりにも杓子定規なうつ病や発達障害などの情報があふれているからである。経験の少ない精神科医でさえ(40〜50代でさえ)、精神科治療は不正確なガイドラインがすべてだと思っている。
 たまたま患者さんから聞いた話である。京都の大学に地方から来ている。授業料はすべて親に出してもらっている。しかし、生活費は自分で稼がないといけない。奨学金は6万円を借りている。4年間の大学生活の奨学金の平均額は約300万円である。月6万円借りると、大体この額になる。これでは生活できないので、後6万円をアルバイトで稼がなければならない。せいぜい時給千円ぐらいのアルバイトで、最低これぐらい月にしなければならない。体調を壊したり、サークル活動などで時間が取られると、直接生活に支障をきたす。上昇志向の強い人なら、アルバイトの60時間を授業や資格などの勉強に専念したい。高学歴の人でも、一歩間違えると、高給の風俗などに流れてしまう。平成30年度の私が考えた流行語大賞である。学生だけに限らない。独身の人もも家族を持っている人も同じである。「生かさず、殺さず」である。

 


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