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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成30年10月9日(火)

 この日記は10月11日(木)に更新している。10月6日(土)〜10月9日(火)まで北京に行っていた。たまたま、死ぬまでに「万里の長城」を見ておかなければと思った。マレーシアのコタキナバルから帰ってきた後で、8月中に飛行機の予約だけはしておいた。死ぬまでに行きたい所は、前から書いているようにアマゾンと最近行きたくなった「Arbeit Macht Frei」(働けば自由になる)で有名なポーランドのアウシュビッツである。エジプトのピラミッドやオーロラを死ぬまでに見たいという人もいる。私は65歳になったので、行ける時に行かなければ永遠に行くことができなくなる。
 今年20歳になった人も、50歳になった人も、80歳になった人もみんな年をとったと思うだろう。私も同じである。でも、よく考えてみたら、今がその人にとって1番若い。現在は、70歳定年がささやかれている。私は65歳になってから、外来を週6日から週5日にした。木曜日は休診である。今は定年60歳の所が多く、65歳までの再雇用が可能である。定年になる60歳までは全力疾走させられる。いくら元気でも、70歳までの全力疾走は無理である。定年が延びても、給与体系は再雇用と同じような形態になるのだろう。
 今回も中国語の勉強はほとんどできなかった。それでも、簡単な旅行会話ぐらいは覚えようと思っている。中国で今1番行きたい所は、武陵源がある張家界である。この日記にも書いたが、1度ツアーに申し込んでいる。ところが、関西空港出発の飛行機がキャンセルになって、行くことができなくなった。盆、正月、ゴールデンウィークを除いて行くことができるのは、せいぜい連休と合わせて午前診を1回休むぐらいである。
 今回も6日(土)の外来を終えてから、関空発19:20の便に乗るつもりであった。台風25号が来ていたので、直前まで実際に飛び立つのか心配であった。関空までの特急はるかも、ちょっとした突風で止まる。私は往復の飛行機は8月20日に発作的に予約した。この時期が、国慶節にかかることもまったく知らなかった。旅行の直前に知って、失敗したと思った。以前は、中国に行った時にはホテルは予約せず、現地で見つけていた。しかし、今回はタイトなスケジュールで、いろいろと手続きがうるさくなったみたいなので、4星のホテルを予約した。朝食付きで、3泊で42,800円であった。(1泊14,300円) 場所は便利な所であった。
 土曜日は外来が終わってから、書いておかなければならない書類を書いていた。住宅・土地統計調査の書類は、それぞれの階の広さを何畳あるかとか、床面積はどのくらいとかややこしい項目ばかりである。最初はネットで書き込んでいた。手元に謄本がないと書けず、途中であきらめた。何とか、関空にたどり着いたが、出発時刻は1時間ほど遅れた。乗客はほとんど中国人であった。北京空港からは地下鉄でホテルまで行くつもりであった。結局ホテルまでタクシーで行き、ホテルについたのは夜中の12時を少しまわっていた。タクシー代は100元(1,700円)ほどであった。(翌日ホテルで両替して、1元は約17円であった)

ホテル ・この写真は、ホテルの窓から撮った。ホテルには夜中に着いたので、10月7日(日)の朝である。北京の大気汚染は有名である。私が北京に滞在していた3日間は青空が出て、快晴であった。政府の対策も進み、季節的なこともあるのかと思った。たまたま中国の滞在が長かった患者さんに聞いたら、国慶節で工場も長いこと休みになっているからと教えてもらった。

国慶節 ・国慶節というのは、10月1日の中華人民共和国の建国記念日になる。1949年10月1日に毛沢東を主席として北京を首都に定め、天安門広場で正式に建国式典が行われた。今年の休暇は1日(月)〜7日(日)までである。この日は最後の休日であった。大勢の人が天安門に向かって歩いていた。

天安門 ・ここが天安門である。これでも気を使って、毛沢東の肖像の両側の文字が切れないように撮った写真を載せた。ここを通り過ぎて行くと、故宮にはいる。反対側(南側)は天安門広場になる。 /p>

故宮1 ・故宮の入場料は30元(510円)であった。チケット売り場は外国人専用だったので、中国人はもっと安いかもしれない。北京では何でも身分証明書が必要である。外国人専用のチケット売り場にはいるにも、パスポートが必要である。「地球の歩き方」によると、辛亥革命後、溥儀が退位し、その後皇帝一家が紫禁城から追放された。中華民国政府が1925年から故宮博物院として一般に公開した。

故宮2 ・この日記を書くために「地球の歩き方」を詳しく読んでいたら、この門の写真もに出ていた。現地にいる時には、地下鉄でどこにあるのか地図を見るぐらいであった。清は満州族の王朝なので、右側に書いてあるのが満州文字になる。

故宮3 ・故宮の中はとにかく広い。いろいろな門を抜けると、同じような建物がいくつも建っていた。歴史マニアでない限り、少し飽きてくる。どの建物などにも、中国語と英語で解説が書いてあった。中和殿など、消失してまた建てられた物も少なくない。

故宮4 ・この写真も今調べたら、交秦殿の宝座になる。上の「無為」は康熙帝の御筆となっている。

景山公園 ・故宮の北に位置する神武門抜けると、道路を挟んで景山公園に行ける。ここの入場料は5元(85円)であった。ここの高台に上ると、故宮が見渡せる。

天地宝蔵1 ・実は、この後「八代胡同」に行くつもりであった。清末から1949年まで遊郭であった所である。ところが、故宮があまりにも広く時間がかかってしまったので、一旦ホテルに戻った。
 ネットで予約した雑伎(アクロバットショー)を見るためであった。ショーは1時間で、劇場までの送り迎えが付いている。値段は4263円である。私のホテルからけっこう距離があった。参加者は私1人であった。1時間のショーが終わると、また迎えに来てくれてホテルまで送ってくれる。劇場は古めかしく、少し寂れた雰囲気であった。撮影は禁止である。右側に棒のような物が立っており、綱渡りの綱も見える。 /p>

天地宝蔵2 ・この雑伎団のことは、「地球の歩き方」には載っていなかった。実は、翌日の夜もアクロバットショーで有名な朝陽劇場をネットで予約していた。少し前に見たシルク・ドゥ・ソレイユと違って、劇場は狭い。
 雑伎の定番は、綱渡りや皿回し、自転車ショー、丸い金属の輪をいくつも高くつなぎ合わせ、その中をくぐり抜けたりすることである。席は前から4番目であった。綱渡りと身体の柔らかな少女の軟体ショー(?)がよかった。国慶節最後の夜ということもあったのか、客席は劇場の3分の1ぐらいしか埋まっていなかった。出し物の間のピエロのような人の小技が意外によかった。

八代胡同 ・ショーの後は、昼に行けなかった「八代胡同」に地下鉄で行った。1番行きたかった上林青年旅舎は途中行く気がしなくなった。もしかしたら、古びた通りにあるのかもしれない。こういう夜景はきれいであるが、あまりにも観光地化された風景であった。台湾の九フンも観光地化されすぎて、個人的にはあまり好きではない。

 

平成30年10月2日(火)

 先週の火曜日は、「ダイハツ キュリオス 大阪公演」を中之島ビッグトップまで見に行っていた。シルク・ドゥ・ソレイユの公演はこの日記でも書いているように、何回も見てきた。年齢とともに、最近はあまり感動しなくなっていた。たまたま旅行会社から送られてきた広告のメールを見ていたら、ホテルでのバイキングとS席指定のセットが売り出されていた。その時の気分で、発作的に申し込んでしまった。ところが、前日に案内を見てみたら、公園は午後4時からだというのに、ホテルでの集合時間が午後1時15分になっていた。京都駅から大阪駅まで30分かかる。外来が終わってから、あわててタクシーで行って、12時半の特急に乗るつもりであった。ところが、遅れてしまって12時45分になってしまった。ホテルも梅田の近くかと思ったら、環状線で福島まで行かなければならなかった。それでも、何とか6〜7分遅れて着いた。
 S席と言っても、後ろの方であまりいい席でなかった。ただ、前に座っていた人が横の空いている席に移ってくれたので、よく見えた。上から見下ろす形になるので、前の人の頭などで視界が遮られやすい。おばちゃんみたいな人たちが素直に感動していたので、これはこれでよかった。シルク・ドゥ・ソレイユは、息子と一緒に見た東京ディズニーランドの常設でやっていた「ZED」が1番印象に残っている。ステージに近い前の席で、空中ブランコを見上げるように見て、その迫力に大感動した。
 前にも書いたように、最近は宅配レンタルで、1枚50円の旧作DVDを見ている。何枚も見ていても、感動する映画になかなか出会わない。映画を選ぶ時は、DVDの本編前にはいっている他の作品の紹介を参考にする。よさそうだと思っても、あまり評価が低いとパスする。中には、過去に見たような、見ていないような記憶が曖昧な作品もある。ほとんど内容を忘れてしまっていた2007年の作品の「ミスト」がよかった。DVDを見ていても、白い霧とスーパーのガラスが本のわずかに記憶にあるぐらいであった。2010年の「ザ・ウォーカー」も、題名は何となく覚えているぐらいであった。1度は見ているかもしれない。しかし、内容はまったく記憶になかった。この作品もよかった。
 記憶は曖昧である。昔は、ラジニーシから始まって、グルジェフサイババオウム真理教などの本を読んでいた。しかし、今はほとんど記憶にない。読書会で、クルト・シュナイダーなどのドイツ語の原文を翻訳させられたりもした。精神分析の本も山ほど読んだ。しかし、精神分析も各派によって解釈が異なり、その違いもあまりよく覚えていない。ミルトン・エリクソンの本も山ほど読んで、今でもそれなりに記憶に残っている。しかし、実際の臨床現場ではあまり役に立っていない。きょうも、トピックス64に時間をかけたので、この辺で終わりにする。

今週のトピックス 64 (181002)

水野直樹、文京洙「在日朝鮮人 歴史と現在」 (岩波新書)
水野直樹、文京洙「在日朝鮮人 歴史と現在」 (岩波新書)

 この本は2015年1月に出版されている。実は、百田尚樹「今こそ、韓国に謝ろう」(飛鳥新書)を買って、まだ読んでいない。戦前の日本と中国に関する本は、この日記でも書いた。前にも書いたように、私は左翼嫌いだったので、昔は自虐史観を否定する渡辺昇一の本などを夢中になって読んでいた。しかし、いろいろな本を読めば読むほど、まったくのデタラメだったことに気づくようになった。渡辺も百田尚樹も櫻井よしこも、ちょっと勉強したらわかるようなことでも、事実を無視して都合のいいように書いている。一体どういう神経の持ち主なのか、私には理解できない。金が見当てなのか、弱みを握られているのかよくわからない。「今こそ、韓国に謝ろう」を読む前に、断片的になっている知識の整理としてこの本を買った。
 実は、まだ最後までは読んでいない。著者の水野直樹は、京大名誉教授である。明治からアジア太平洋戦争が終わるまでのことを、第1章、第2章で書いている。文京洙は立命館大学教授である。第3章、第4章で戦後の在日朝鮮人社会のことを書いている。今回は、日本が朝鮮半島を植民地支配をしていた時代に焦点を合わせて書く。ネトウヨだけではなく、百田や櫻井などが垂れ流す情報をそのまま信じるのは危険である。ほとんどの日本人は、敗戦国の重みを自覚していない。一昔前なら、国が解体されても誰も文句が言えないぐらいのことである。同じ植民地でも、戦勝国と敗戦国の植民地では立場がまったく違う。
 この本では、「在日朝鮮人」とは、明治時代以降に朝鮮半島から日本に渡ってきて、一定期間在住するようになった人々と定義している。1882年(明治15年)には朝鮮人在留者は15名で、明治29年までは二桁に留まっている。1897年(明治30年)に、朝鮮人労働者がはじめて日本に渡ってきた。九州の炭鉱で、230名ほどの朝鮮人労働者が働いた。しかし、賃金が支払われなかったりなどしたため、相当数の労働者が逃亡してしまった。中国人の労働者は入国を禁止・制限されたが、朝鮮労働者は日本への入国を認められていた。日露戦争後の1907年(明治40年)には、鹿児島線鉄道の工事に500人ほど働くようになり、その後、山陰本線の鉄道工事でも朝鮮人労働者が使われるようになった。発電所工事などの土木工事にも従事するようになった。
 1910年(明治43年)の韓国併合によって、朝鮮人は自らの意志とは関係なく、日本国籍を持つ「帝国臣民」として扱われることになった。しかし、日本人(当時は内地人と呼ばれた)と朝鮮人とは戸籍で区別され、法律的にも異なる扱いを受けることになった。日本内地の警察は、併合前から居留朝鮮人名簿を作成して、監視・警戒の対象としていた。特高警察が発足した1911年(明治44年)には、「朝鮮人にして排日思想を有する者」を特別要視察人とした。併合後では、現地で集団募集され、関西地方の紡績工場で働く朝鮮人女子労働者が多く見られた。1915年(大正4年)には在留朝鮮人は4千人弱であった。その5年後の大正9年には、4万人に達した。
 朝鮮総督府は大正2年に、労働者募集を認可制とした。大正7年になると、内地(日本)に連れて行くには警察の許可が必要となり、罰金を課す処罰規定もできた。これは、朝鮮人の内地渡航をコントロールするためであった。朝鮮では、1919年(大正8年)に三一独立運動と呼ばれる全民族的な反日運動が起こった。日本に留学した朝鮮人学生が、日本による朝鮮侵略に抗議し、それを阻止するための活動も展開した。日本当局は中心となった学生を検挙した。しかし、日本留学生が始めた独立運動が朝鮮や中国にも波及するようになった。朝鮮総督府は朝鮮人の移動を統制するため、警察で発給される旅行証明書が必要とされた。20年代後半に実施される渡航証明制度の先駆けとなった。
 在日朝鮮人の人口の推移を見ると、1925年(大正14年)には21万人を超え、1940年(昭和15年)には124万人を超えている。終戦直後は210万人であった。さて、関東大震災と朝鮮人虐殺である。日本社会の都市化とともに、渡航労働者の数は増え続けた。土木工事だけではなく、大阪でも東京でも小さな工場に朝鮮人労働者が雇われるようになった。内務省の調査では、朝鮮人労働者と日本人労働者の賃金格差は平均2割程度とされ、地方・職種によって6割以上の格差があることも認めている。関東大震災が起こった1923年(大正12年)頃には、在日朝鮮人の人口は10万人に達する勢いであった。
 関東大震災が起こった時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの根拠のないデマが流れ、自警団が避難する朝鮮人を捕まえて殺害したり、警察が保護を名目に朝鮮人を収容しながら、警察署の中で殺害したりする事件が関東地方各地で起こった。殺された朝鮮人の数は司法省の発表では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造の調査では2711名とされる。朝鮮人留学生らが行った調査では、6415名という数字があげられている。日本政府が調査を妨害したので、正確な死者数は不明である。しかし、千名単位の死者があったことは否定できない。
 根本にあるのは、朝鮮を植民地として支配する中で、朝鮮人を劣った存在と見下しながら、三一独立運動とその後の独立運動が展開されると、日本に抵抗する「恐ろしい存在」でもあるとみなされたからである。当時の新聞などでは、「不逞鮮人」という言葉が用いられた。日本(天皇)から恩恵を施されているにもかかわらず、反抗する怪しからぬ奴らという意味が込められている。1921年(大正10年)に東京駅で原敬首相が殺された時に、実際は日本人青年による犯行であった。しかし、犯人を捕まえた刑事が発した言葉は「お前が朝鮮人じゃないか」であった。当時の新聞の号外でも、朝鮮人風の1青年と書かれた。関東大震災では、内務省が各地に送った電報で「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし」ていると、デマを裏書きしていた。その後、「朝鮮人暴動」のデマは誤りであったことも明言しなかった。
 その一方で、朴烈とその妻金子文子を皇太子暗殺を計画していたと検挙し、大逆罪を適用して裁判にかけた。震災時に広まった「朝鮮人暴動」のデマに根拠を与えようとした当局のでっち上げの事件であった。裁判で2人に死刑が言い渡された後、恩赦によって無期懲役に減刑された。しかし、金子は天皇の恩赦を拒否して獄中で自死し、朴烈は日本の敗戦まで服役することになった。三一独立運動後に中国などで展開された朝鮮人の独立運動を弾圧するため、1920年(大正9年)に独立軍の拠点となっていた間島(現中国吉林省の朝鮮族自治州)に日本軍を出兵して朝鮮人の集落を襲い、数千名を虐殺した。
 1920年代からは仕事を求めて日本に渡るケースも多かった。しかし、1939年(昭和14年)から、日本の戦争遂行を目的として、朝鮮人強制連行・強制労働が始まった。日中戦争期に日本男子が兵士に動員されたため、労働力が不足するようになった。政府当局が当時、「集団移入」と呼んでいた朝鮮人強制連行は、1939年(昭和14年)からの募集、昭和17年からの官斡旋、昭和19年からの徴用の三方式で行われた。労働条件の悪さが伝わり、募集に応じる者が減少し、暴力による強制的な動員がなされるようになった。内務省職員による朝鮮視察報告書では、「徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動(動員)は全く拉致同様な状態である」と記されている。朝鮮人の場合は、日本人の労務動員とは異なって、劣悪な炭鉱・鉱山・土建が4分の3を占めていた。戦後外務省が発表した「戦時中に徴用労働者としてきたものは245人にすぎない」というカラクリについても解説している。
 1930年代末には、司法当局が植民地独立を図る活動を「国体変革」(天皇統治権の否定・改変)を目的とするものとみなすと解釈をとり、朝鮮語や朝鮮文化を守るべきだと唱えるだけで、独立を図ったとして検挙される者が続出した。戦時期の内地での朝鮮人の人口比率は3%弱であった。しかし、治安維持法によって検挙された者の3割近くは朝鮮人であったと推定される。
 ここには、戦時中の朝鮮人に対する差別がこれでもかと書かれている。戦後についても同じである。樺太に送られた朝鮮人は、日本人の引き揚げ協定の対象にならなかった。サハリンに取り残され、家族との連絡も取れないまま、ソ連崩壊後にやっと韓国に帰国できている。こういう本を読まずに、ネトウヨなどの言説を頭から信じる者は、教養のない単なるバカに過ぎない。私は中国人や在日朝鮮人の言うことは何でも認めろと主張しているわけではない。敗戦国日本の国民がまず歴史的事実を認めることから始めなければ、そのことによってずっと両国に揚げ足を取られ続け、いつまでも国益を損なうことになるからである。

 

平成30年9月25日(火)

 きょうはあまり書くことがないので、安倍首相の3選について思いついたことを書いてみる。よく言われていることである。これまで国民に不人気な消費税増税を先延ばし、アベノミクスも漫然と続け、いいとこ取りで、将来のつけを先延ばししてきた。次になる首相の時には、溜まり溜まった負の遺産の問題が噴出してくる。その時に、安倍首相の時はよかったと思う人がいたら、間違いである。ただ単に、政権維持のためにやるべきことをやらず先延ばししてきただけである。
 9月12日にウラジオストクで、プーチン大統領から「平和条約締結案」が出された。この発言については、北方領土問題と絡めていろいろ言われている。私は、以前から疑問に思っていたことを書く。安倍首相を支持する人は、安倍首相の外交力を高く評価する。トランプ大統領とゴルフをしたり、プーチン大統領との親密さをアピールしたりする。素人の私でさえ、疑問が生じるほど、海外のあちこちに出かけている。
 各国首脳との緊密さ(これも単なる外交辞令?)と外交力がどこまで関係するのか、疑問である。各国首脳は各国の利益代表者として国際会議などに参加している。個人的関係は外交とはまったく関係ない。(もちろん、あいつだけは絶対許さないという関係だけは避けなければならない) どういう事かというと、安倍首相と仲がいいので、北方領土を返還しますとか、トランプ大統領とゴルフ仲間なので輸入関税を下げますなんて、あり得ない。どうでもいいようなことは、多少妥協してくれるかもしれない。一旦歴史修正主義者のレッテルを貼られた首相は、各国首脳からは評価されない。日本では、世界各地に慰安婦像を建てさせた首相として歴史に名が残るであろう。
 前回、カンボジアのポル・ポトの事を書いた。どこの国でも、国内問題から国民の目をそらすために、外部の敵を作る。ポル・ポトの場合はベトナムであった。最近、私が考えるようになったのが、安倍首相の外部の敵である。最初からどこまで意図していたのかわからない。結果的には、中国や韓国を外部の敵として攻撃し、国民の目を国内問題からそらしたのではないか。戦後の自虐史観からの脱却は、愛国心とも結びつきやすく国民からの支持も得やすかった。中国などへの侵略や南京大虐殺の否定、慰安婦問題の批判という形で、国民を右傾化させ、これほど嫌中、嫌韓が蔓延った時代はなかったのではないかと思う。これも、いづれつけがまわってくる。

今週のトピックス 63 (180925)

阿久真子「裸の巨人 宇宙企画とデラべっぴんを創った男 山崎紀雄」 (双葉社)
阿久真子「裸の巨人 宇宙企画とデラべっぴんを創った男 山崎紀雄」 (双葉社)

 この本は昨年の8月に出版されている。この類いの本としては、2016年8月に出版された本橋信宏「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)がある。どちらも以前に買った本を持っている。この連休の時には、どちらを読もうかと思った。「全裸監督 村西とおる伝」の方が分厚く、字数としては倍以上ある。とりあえず、今回はこちらの方を読み終えた。毎週この日記を更新している火曜日は、いつも予定は入れないようにしている。しかし、今回は連休となっていたので、25日は午後から予定を入れた。その分、24日(月)までにこの今週のトピックスと日記を書き上げなければならない。
 この本は日曜日に読み終え、振替休日の24日は朝5時から起きてこの原稿を書いている。22日(土)の午後から障害者手帳などの診断書や書類を書いていた。簡単には書けそうもないややこしい書類がまだけっこう残っている。他にもやりたいことがあるので、午前中には書き終えたいと思っている。
 山崎紀雄は、80年代の日本がバブル景気で浮かれていた時に、AVメーカー・宇宙企画と英知出版という会社で、天文学的数字を売り上げた男である。長い間、王座に君臨し、日本のヒュー・ヘフナー(プレイボーイの創刊者)と呼ばれた。エロによって莫大な資産を築き、豪邸を建て、小切手をゴミのように床に散らかし、ホテルのスイートに10年近く滞在し、贅を尽くして破滅に向かった。1949年生まれの団塊世代である。私より5歳年上である。山崎についてはその私生活も含め、謎に包まれていた。著者は2015年の夏に山崎の住んでいる所を訪れている。部屋には8千円で買った中古の冷蔵庫とTVが一台。丸いテーブルとその横に鉄パイプでできた1万円のシングルベッドがあった。古着屋で買った洋服だけが50着以上あり、部屋の大半を占めていた。その後のインタビューでも、所持金が2千円という時もあった。
 山崎は1981年に宇宙企画を設立した。早川愛美、かわいさとみなど蒼蒼たる美少女を輩出し、脱がせている。この1981年は「なめネコ」ブームが起き、風俗面では、京都発祥のノーパン喫茶が全国的に発展した年でもあった。翌年の1982年に英知出版を買い取った。英知出版では、雑誌「すッぴん」、「Beppin」、「デラべっぴん」など発行していた。高校時代は美術部に入部し、ひたすら絵を描いていた。1969年9月の全国全共闘結成大会が日比谷公園で開かれた時に、死闘の1番近いイチョウの木の上から見ていた。
 19歳になった山崎は、新宿にあった実験劇場「モダンアート」で、演出助手の仕事を始める。そのときに、樋口四郎に出会っている。樋口は浅草のフランス座やモダンアートで、主にストリップの振り付けをしていた。萩本欽一や渥美清など多くの著名人からも慕われていた。坂口安吾とも仲がよく、永井荷風とも同居していた頃もあった。この樋口から本当の自由を教えてもらったという。別の箇所に、菊池寛の弟子だったとも書いてあった。
 大学卒業後は、日本文華社に入社したが、極度の気疲れで1年8ヶ月で退社した。その後、団鬼六の鬼プロなどに挿絵を描き、団の好みそうな女の子を見つけては、2万円の小遣いをもらっていた。鬼プロでは、緊縛写真家の杉浦則夫と知り合う。鬼プロには立川談志のような時の人も多く出入りしていた。鬼プロは、エロスというよりカオスの場であった。24歳の山崎と31歳の杉浦はたった2人でビニ本を制作した。この頃に、現在株式会社コアマガジンの代表取締役となっている中沢慎一と知り合う。中沢も鬼プロに出入りする若者の1人であった。
 中沢は当時「アップルハウス」というモデル事務所を経営していた。都内では、ヌードモデルを斡旋できる人間は、まだ3人ぐらいしかいなかった。その中の1人が中沢であった。ビニ本の黎明期である。山崎と杉浦に、モデルが調達できる中沢が加わった。「女性自身」や「ヤングレディ」にもモデル募集の公告を載せるようになった。意外とSMのモデルを希望する子が多かった。SM雑誌はあまり流通にのらないので、顔ばれしにくく、ギャラも1万円ぐらい高かったからである。山崎の懐には、金がどんどんと貯まった。25歳の1974年に北海道に別荘を買い、茨城にも1戸建てを建てる。しかし、フィリピンに行って女の子を連れてくるという話に全財産の500万円を投資し、すべて失っている。
 1978年(29歳)でグリーン企画を退社し、フリーの身となった。30歳〜31歳の時に、自販機用のエロ本を制作する共同出版や、ビニ本を制作・販売する会社を次々と設立した。月に25〜30冊作って、1年で5億ほど荒稼ぎしたという。この時期、警察の摘発で潰れる会社が増えていた。直接流通を主とする自販機本の最大手だった千日堂が倒産し、日本雑誌も倒産した。山崎が納入していた本が2つ合わせて6000万円分がパーとなった。
 一時代を築いたビニ本、自販機ブームは、警察の摘発による大手流通会社の相次ぐ倒産と裏本の登場で陰りを見せていた。裏本の多くは北大神田書店グループで製作、販売され、瞬く間に全国区となった。代表は草野博美という男であった。山崎と同年代で、後に村西とおるという名で、アダルト業界に旋風を起こすことになる。80年代に40万円だったビデオデッキは、82年には15万円に下がっていた。しかし、まだ普及率は10%であった。定価1万2千円のビデオを持って営業に行っても、門前払い続きであった。「デッキ本体が売れねぇのに、ソフトなんか売れるわけがねぇだろう」とけんもほろほろであった。
 ところが、東スポに、水沢聖子が松田聖子のそっくりさんだということで「私の放課後」が紹介された。その日を境に、会社に注文の電話がかかり始めた。月数十万円だった売り上げが、一気に9千万円になった。1本の制作費は80万円足らずであった。新しく移ったビルでは、山崎は34歳にしてアップライトのピアノを運び込み、来る日も来る日もピアノを弾き始めた。小学館の「写楽」で連載していた村上龍も対談に訪れていた。84年に会社は再度引っ越しし、その時に国税調査が入り、追徴課税が差し引かれた。
 この本で山崎は、「結局、女。女がすべてなんです。技術も風景も大事だけど、最後は男は、女しか目に入らなくなる」と述べている。アイドルとなんら遜色のない美少女が裸になったら売れると、モデル探しの苦労も書いている。最初の美少女は、1983年に発売された田所由美であった。2万本も売れた。予算はビデオ1本、400〜500万円で、月4〜8本のとき、売り上げは2億から2億5千万円だったという。86年から91年までバブル景気が続いた。山崎は「増刷するたびに、紙幣を刷っているみたいで頭がおかしくなりそうであった。使っても使ってもお金がある」と述べている。当時、大金を手にした男の多くは美しい愛人を持ち、パトロンが変わる度に家具をすべて買い換えたので、六本木のゴミ置き場はいつも、まだ新しい高級家具で溢れていた。
 日本で出版物を流通させるには、出版コードが必要になる。山崎は売りに出されていた出版社を相場より高く買い取った。英知出版では、最盛期に「ビデオボーイ」15万部、「Beppin」28万部、「デラばっぴん」39万部など、毎月粗利益は1億5千万円にも達したという。宇宙医企画で1番売れたのだ、かわいさとみである。1本のビデオの値段が1万円以上で、トータルで5万本に達した。会社の最高年商は150億にも達した。85年(36歳)には、建築家黒川紀章に頼んで、西萩窪に1億9千万円の家を建てた。
 この本では、オノ・ヨーコの事も書いてある。ジョン・レノンがオノ・ヨーコの個展で、天井に書かれたYESという文字を階段を上って虫眼鏡で覗いて感動したというエピソードが伝わっている。山崎は、あれで感動したわけでないと否定している。オノ・ヨーコの内股に羽をむしって飛べなくなった蠅をはわせて、6時間ぐらい撮影している。それを見て、ジョン・レノンがびっくりしたという。山崎もこの個展を見に行ったという。
 91年(43歳)になった山崎は、新宿・京王プラザのスイート・ルームに住み始めた。会社が傾き始めた頃から、前にも増して絵に対する執着はひどくなった。シャガール、ピカゾ、ルノアール、バスキア、ビュッフェ、ルオーなど次から次へと気に入った絵を手元に置いた。94年に「Beppin」の発禁処分を受ける。スコラは発禁3、4年後に倒産した。通達で、コンビニのレジから見えない所に置き、雑誌の中が見えないようにテープを貼らされた。英知出版は売り場の6割を失い、毎月1億5千万円ほどの黒字から、1億前後の赤字に一気に転落した。神楽坂に建つ7階建て新社屋着工の矢先であった。「デラべっぴん」は30万部で、15万部の行き場がなくなった。
 96年(48歳)に社屋が完成。社員の多くは、英知出版の傾きを知らなかった。山崎は個人資産の絵画や不動産などを売って凌いだ。社屋の完成後、脱税で摘発され、4年間で11億円の申告漏れを修正申告した。98年(50歳)には、新宿京王プラザホテルのスイートルームを解約した。業務を縮小しはじめたのは、2000年(52歳)になってからである。会社建て直しのために、まず英知出版などを手放し、02年(54歳)に宇宙企画を売りにだす。出会い系サイトの会社が5億円で買った。しかし、月の赤字が5千万円を下ることはなかった。その後、再起の切り札としたのが、熟女の写真集であった。松坂慶子、小柳ルミ子、秋吉久美子、叶姉妹などである。山崎は毎月の支払いと格闘しながら、写真集を作り続けていた。07年(59歳)で、最後に残った八千代出版興業も倒産した。
 2017年夏に、山崎は大腸がんであることがわかった。手術するためには、心臓の手術も必要であった。最後の対談で、白夜書房で「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」を創刊し、大ヒットを連発した末井昭が出てくる。私自身は、宇宙企画にはあまり縁がなく、「写真時代」は愛読していた。本の中でも所々に出てくる末井昭の名前はどこかで見た名前だと思っていた。買ったまままだ読んでいない「自殺」(朝日出版社)の著者であった。末井が7歳の時に、母親がダイナマイト心中をしている。この本を読みながら、私も段々年を取ってきて、別の生き方もあったのではないかと思ったりする。

 

平成30年9月18日(火)

 最近は時間があっても、なかなかやる気が出てこない。いろいろとやらなければならないことがあっても、ついつい先延ばししてしまう。このホームページもスマホ対応にするため、一部変更をしようと思っている。6月から木曜日は休診にしたので、それまでに間に合うように変更の原稿を書くつもりであった。最近また、ホームページを頼んでいる会社からまだかと問い合わせの連絡が来ていた。何とか今月中には書き上げるつもりである。
 実は、最近中国語の勉強を少しやり始めた。旅行を計画しているからである。これもなかなかやる気が起こらなくて、まだ数回勉強しただけである。今回は簡単な旅行会話だけでもと思った。本格的な発音から勉強していたら、すぐに挫折してしまう。中国語の本は山ほど持っている。1冊にしぼって手をつけたが、途中何冊か変えている。超入門書である川原史「ひとりで学べる中国語会話」(高橋書店)が中国語の全体像がわかりやすく書いてあった。何とか最後まで読めそうである。車に乗ってFM放送を聞いていると、スピードラーニングの宣伝をしている。「ただ耳から聞くだけ」と言っている。中国語もとにかく聞いて慣れることだと思ってる。昔の1番小さなiPodにイヤホンをつなげて、いつでも聞けるようにしている。それでも、聞き出すまでに時間がかかる。
 前にも書いたスカパーの故障は、長いこと契約をしているので、係の人が無料でチューナーを交換してくれた。またきれいにTVに映るようになった。目的はCNNjを見るためである。英語力も中途半端で、討論になると何を言っているのかよくわからなくなる。ニュースなどを司会が読み上げるのは、聞き取りやすい。これも毎日30分聞いたら、英語力も上達すると思う。しかし、毎日録画してもなかなか見る気になれない。時間があっても、何もせずにもんもんと過ごすのは、焦りばかりが空回りするので精神的にもよくない。もともと強迫性格で「All or Nothing」(全か無か)思考があるので、気をつけなければならない。
 この連休の16日(日)には、久しぶりに大阪の池田の母親の所に行っていた。今は86歳で、元気であった。耳だけは遠い。妹の娘夫婦と妹の旦那と一緒に、お昼に近くのうなぎ屋に行った。妹の娘夫婦は2人とも医者である。循環器科と産婦人科で、2人とも忙しいようである。お互いに当直にはいったりするので、すれ違いの生活になることもある。ここのうなぎ屋は料理をする前に、わざわざ生きたうなぎをビニール袋に入れて見せてくれる。休みの日だったので、次から次へとお客さんが入ってきた。1人5千円で、ボリュームがあり、それなりに美味しかった。母親は相変わらず帰りに、自分で作った料理を持たせてくれた。妹が近くにいるので、ついつい任せてしまう。ふだんはみんな忙しいので、なかなか母親の相手をしている暇がない。
 16日の夜は、テレビ大阪で「池上彰の世界を歩く カンボジア秘境&謎の独裁者」をやっていた。母親の所で新聞のテレビ欄を見ていたら、内容まで書いてあった。京都新聞では、テレビ大阪が映らない所もあり、内容までは出ていなかった。早速録画して見た。実は、この日記の上の見出しにある読書録をクリックすると、List1に井上恭介 藤下越「なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト−堕ちたユートピアの夢 」(NHK出版)を紹介している。他にも、この日記の中で、ポル・ポトやクメール・ルージュの事を書いた本も書いている。そちらの方が面白い内容である。しかし、どの日の日記に書いたか探すことはできなかった。興味のある人は、同じ上の見出しのもんもん写真館をクリックすると、実際に私が撮ってきたカンボジアの写真が見れる。(写真の右上にNextが出て、次の写真に移動できる)
 この番組の内容については、ほとんど知っていることばかりであった。しかし、忘れてしまっていたこともあった。ポル・ポトがフランスの留学からカンボジアに帰国した年はよく覚えている。1953年で、私が生まれた年と同じだからである。番組では、ポル・ポトが目指していた原始共産主義について解説していた。@貨幣の廃止 A宗教の禁止 B学校・病院の廃止 C家族の解体 である。この番組で、印象に残ったことは、当時の北朝鮮と友好関係を結んでいて、北朝鮮軍人がポル・ポトの護衛をしていたという。前にも書いたように、私は今はなくなったと聞いているプノンペンの北朝鮮レストランに行ったこともある。

今週のトピックス 62 (180918)

細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 後半」 (新潮選書)
細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 後半」 (新潮選書)

 さて、前回の続きである。ついつい詳しく書いてしまうと、最後までたどり着けず、全体のポイントが曖昧になってしまう。しかし、複雑な出来事をはしょりすぎても、何のことかさっぱりわからなくなる。1919年のパリ講和会議で、日本が提案した人種差別撤廃条項の挿入が挫折したことによって、英米両国が掲げる正義が実際に虚偽に過ぎないことが日本国内で糾弾された。しかし、日本人が求めていたのは、あくまでも欧米諸国の白人に対する日本人の対等な権利と名誉ある扱いであった。かたや1895年に領有した台湾や1910年に合併した朝鮮半島において民族自決を認めず、植民地を有しておきながら、欧米諸国には人種平等を強く要求するという政府のダブルスタンダードがあった。東洋経済新聞新報の評論家の石橋湛山も日本政府の不誠実な態度を批判していた。日本は1915年に中国政府に対して帝国主義的な11ヵ条の要求を突きつけて、その手法が国際的に大きな批判を集めていた。
 パリ講和会議では、恒久的な平和を確立することが大きな目標であった。国際連盟規約では、「戦争に訴えないという義務」が調印国によって確認された。また、戦争を世界からなくすために軍縮義務が課せられた。そして、英仏両国が軍備を縮小し続けることで生まれたのが、世界平和ではなく、「力の真空」とそれに伴う勢力拡大への誘惑であった。1930年代になると、日本、イタリア、ドイツが隣国への侵略を行う上での大きな契機となった。
 国際連盟は、経済制裁と国際世論で、侵略を排除し、平和を維持できると考えていた。集団安全保障とは、ある加盟国に対する侵略を全加盟国に対する侵略と見なして、全加盟国が侵略を排除するための制裁を行うような、国際安全保障体制である。ここで重要になるのが、自国がたとえ侵略されていなかったとしても、遠方にあるあまり関係の深くない加盟国が侵略された場合であっても、自らが攻撃されたとみなしてそれに対抗する制裁措置を執らなければならないことであった。このような人間の理性や善意を前提にした平和はほどなくして脆くも崩れていくことになる。
 ヨーロッパでは騎士道の精神から負傷者や捕虜に対しては人道的な扱いをすることが求められた。しかし、日本では捕虜となることは恥辱であると強く認識されていた。1929年にジュネーヴに集まって締結した「捕虜に関する条約」に日本は調印しながら、軍部の反対により批准が実現しなかった。1932年には、陸軍師範学校の教程から戦時国際法の科目を除外した。そして、国際法学者の喜多義人が批判するように、中国蔑視に起因する捕虜虐待等の国際法違反事件が多発した。国際法を軽視する日本軍は、続く第二次世界大戦でも欧米人捕虜に対して違法行為を繰り返すのである。日露戦争後40年にして、日本は捕虜厚遇の「文明国」から捕虜の非人道的待遇に象徴される「戦争犯罪国家」へと転落する。
 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約とロカルノ条約で、フランスは独仏国境地帯にあるラインラントの非武装化を約束していた。しかし、フランス軍が撤退したら、ドイツ軍の動きを監視することができず、侵略を防ぐことができない。フランスは安全保障についてアメリカに対して外交努力をした結果、1928年8月にパリで日本を含む15カ国でパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)が結ばれた。この条約で、歴史上はじめて戦争が違法化され、戦争放棄が明確化された。
 ところが、その少し前の1928年4月に地球の反対側の満州では、関東軍が独断で満州軍閥の張作霖を奉天で爆殺した。この時に昭和天皇は即位して1年半の27歳であった。軍部における規律が乱れることを恐れた天皇は、当時の田中義一首相に厳しく処分することを求めた。ところが、田中首相は犯人を軍法会議にかけることへの陸軍の強い反対に直面し、方針を転換した。天皇の叱責を受けて、その5日後に内閣総辞職を決めた。歴史家伊藤之雄によると、田中の問責で天皇は陸軍や右翼・保守派から不信感を持たれるようになった。まだ若かったこともあり、その後、政治への自らの関与を自制するようになり、軍部の強硬派の意見に抵抗することを遠慮するようになっていく。
 1931年9月に、国際連盟の総会で設立に尽力したイギリスのセシル卿が「現在ほど戦争が起こりそうにない時代は、世界史の中でも稀である」と述べたわずか1週間ほどの後に、平和主義の積み木をなぎ倒すような事態が勃発する。満州事件である。関東軍が自らの支配地域の拡大のための自作自演で行った鉄道爆破事件である。満州事件がいかに巨大な衝撃を国際社会に与えたか、当時の日本人は知るよしもなかった。
 国際連盟で、政府代表の吉沢謙吉は日本軍の撤兵と居留民の安全確保、そして鉄道保護を目的とした行動にとどめることを約束した。ところが、満州の関東軍は事態収拾を求める合意を受け入れるつもりはなかった。関東軍司令官の本庄繁は、朝鮮に駐屯する朝鮮軍の援軍を要求した。朝鮮軍が外国である満州に出動するには天皇の許可が必要であった。ところが、林朝鮮軍司令官の命令により、奉勅命令がないまま満州に入った。明白な違法行為であった。ところが、天皇と牧野内大臣は陸軍に抵抗することに弱気となり、これに事後承諾を与えてしまう。この時に、連盟理事会の諸大国は日本と対決する意図はなかった。日本政府がうまくこの危機を処理してくれると期待した。
 1931年10月には、関東軍は偵察機など11機による錦州への爆撃を行った。無防備都市への無警告の爆撃であり、そこを拠点としていた張学良勢力を壊滅させるための攻撃であった。錦州は満鉄所在地から150キロも離れており、満鉄の保護という目的を逸脱した軍事行動であった。すなわち、正当防衛としての自衛戦争とはいえず、他国領土に対する侵略行動であった。新聞や世論の強烈な支持を目にして、政府もまたこのような軍事行動を追認せざるを得なかった。日本は北京に近い錦州を支配下に置くことになった。これをアメリカは激しく批判した。
 1933年3月に日本は国際連盟からの脱退を通告した。連盟から脱退すれば、軍縮義務を遵守する必要もなく、平和的手段による解決という規範に従う必要もなくなる。日本は満州事変において大規模な軍事行動を起こしながらも、それは「戦争」ではないという論理を用いてパリ不戦条約を無力化すると同時に、戦略爆撃の実施により非戦闘員の殺戮を禁じたハーグ陸戦規則をも無力化した。1936年3月には、ムッソリーニのイタリア空軍はエチオピアのハラールで戦略爆撃を行った。1937年4月には、ドイツ空軍がスペインのゲルニカで戦略爆撃を行った。日本は、錦州への爆撃の後に、上海、南京、そして重慶へと爆撃都市を拡大すると同時に、戦略爆撃の規模も大きくなり、中国人の死傷者数の数は積み上げられていった。軍部が教育課程で軍事作戦の教育ばかり偏重し、国際法教育を十分に行わなくなった必然的帰結でもあった。国際社会における日本の地位は失墜した。
 1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発する。1940年9月27日に、日独伊三国同盟が締結された。1940年夏から1年ほど、近衛文麿首相の下で日本政府は、戦争におけるイギリスの敗北と、ドイツの勝利を前提として、政府の基本方針を考えるようになった。東南アジアの巨大なイギリスの植民地や、フランスの支配している仏印(現在のベトナム)、そしてナチス・ドイツの占領下にあるオランダの植民地の蘭印が「力の真空」になることを期待した。1941年にアメリカ政府は暗号解読によって、日本軍の南部仏印進駐の最後通牒を事前に知った。7月25日に在米資産を凍結しており、8月1日には石油全面禁輸措置を決定した。
 興味深いのは、「対英米戦」を研究するための総力戦研究所が内閣直属の組織として設置されていた。1941年夏に、日本は開戦後2年程度は戦えるが、4年後に国力を使い果たし、最後はソ連の日ソ中立条約破棄による満州侵入で敗北するというシナリオを提示していた。陸軍省軍務科の戦争経済研究班の分析結果も、開戦後2年間は抗戦も可能だが、それ以降は限界に直面するというものであった。この陸軍省の報告書は、杉山元参謀総長によって、国策に反すると言って、焼却が命じられた。
 天皇は開戦に反対であった。歴史家の森山優は「日本はなぜ開戦にふみきったか」の中で、陸軍にとって、対米戦は海軍がやってくれる戦争であった。海軍は対米戦に自信がないと公式に言うことができなかった。それまで、対米戦を名目に多くの予算と物資を獲得してきたからである。組織的利害を国家的利害に優先させ、国家的な立場から利害損得を計算することができない体制が、対米戦という危険な選択肢を浮上させたのである。その後の経過も興味深い。
 最後に、民族自決と「アジア解放」についてである。前回のトピックスにも書いたように、「植民地解放のための正しい戦争であった」とおとぎ話みたいなことを信じている右翼や国会議員のために記しておく。私はきのうの敬老の日は朝から晩まで、この本を最後まで読んでこのトピックスを書いていた。経済のことはよくわからないので、アベノミクスなど疑問は呈しても、断定的に書くことはしない。しかし、「先の大戦は植民地解放のための戦争」と声高に主張する人は、1度この著者の本を読んだらいい。著者はあとがきで、戦後70年談話(安倍談話)に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の座長代理をした北岡伸一の指導の下で勉強したと書いている。ろくに本も読まず、自分の頭で考えもせず、右翼的な言説に賛同するのはバカ以外の何者でもない。反論するなら、せめてこの本を1冊読んでからにしたらいい。
 1941年に日本が開戦の準備をする課程で、プロパガンダとして「アジア解放」に言及することはあっても、実質的な作戦計画としてはあくまでも石油資源確保とそれによる「自存自衛」体制の確立が戦争目的であったことは、今や歴史学的に明らかになっている。「アジア解放」を説くのであれば、まずは自らが朝鮮半島や台湾の植民地を解放する必要があったし、蘭印の石油資源も日本の軍事目的ではなくインドネシアの人々の生活の向上に用いる必要があった。他方で、アメリカ政府は、イギリスに対して戦後の植民地独立につながるような民族自決の理念を大西洋憲章に含めることを強く要求して、それを実現していた。あくまでも、日本の戦争目的は、東南アジアにおける石油資源の確保であり、それを正当化するための論理として「アジア解放」を唱えたに過ぎなかった。

 

平成30年9月11日(火)

 きょうは今週のトピックスを書き出したら、詳しく書きすぎて書きたい所までたどり着けなかった。今回はここで中断しようか迷っている。本気で最後まで書こうと思ったら、夜中の12時を過ぎてしまう。とりあえず、この日記を先に書いてから考えようと思う。
 この前は、精神科に関する年金の診断書のことを書いた。たまたま読みかけている富岡等×内山登紀夫「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(医学書院)の中にも同じようなことが書いてあった。前にも書いたように、今年の日本精神神経学会では、この発達障害についてのシンポジウムがあった。録音禁止だったので、内容は今となってはうろ覚えである。本当に面白くて、勉強になった。専門家でない精神科医では、成人になるまで気づかれなかった発達障害は、簡単に診断はできないと改めて確認できた。
 2人とも発達障害の専門家である。しかし、対談形式で内容は過激である。「子どものデイサービスとか成人の就労支援機関では営利追求の業者がすごく多いですね」とか、「就労支援機関に、発達障害の人をどんどんと入れて適当なことをやらせてお金儲けをしている」という発言もしている。発達障害で年金をもらっているという人が転院してきて、どう考えてもASD(自閉症スペクトラム障害)でない人に診断がついている時もあるという。年金が出るとなんとなく仕事をあまりせず、むしろ疾病利得みたいになっていて、そういう人にどうしたものかと悩んでいると吐露している。発達障害の患者さんをたくさん診察している大学教授でさえこう発言しているのである。前回の日記はこれでも患者さんに気を遣いながら、抑制的に書いた。もうちょっと好き放題書いたらよかったと思った。
 年を取ると、段々と生きがいがなくなってくる。少し前に、滅多に食べないお菓子を食べていたら、固い不良品が混じっていて、セラミックの奥の歯が少し欠けてしまった。琵琶湖のマンションのエレベーターに乗ると、しばらく始めは正面の液晶画面に天井のカメラで見たエレベーター内が映る。頭頂部の髪が段々と薄くなってきて、禿げかかっていた。どこでどうしたのかわからないが、右足首が痛く、歩行していても少し足を引きずってしまう。生きがいはあまりなくても、まだ達成感だけは味わえる。しかし、あまり簡単なことでは達成感は味わえない。私の達成感は、本を読み終えてその内容をまとめたり、1人で何から何まで準備して海外旅行をすることである。また気を取り直して、今週のトピックスを書ける所まで書こうと思う。

今週のトピックス 61 (180911)

細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 前半」 (新潮選書)
細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 前半」 (新潮選書)

 安倍首相になってから、日本会議などを後ろ盾とした右翼そのものの言説が正論のように日本を覆っている。ネトウヨも勢いづいて、中韓に対するヘイトスピーチまがいの書き込みがあふれている。今週のトピックス54で紹介した水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)みたいなトンデモ本もこれでもかと出版されている。最近、たまたま新聞で「月刊Hanada」の広告を見た。安倍首相絶賛の記事はいつものことで、杉田水脈議員を擁護する見出しも出ていた。
 杉田水脈議員はLGBTの人々について生産性がないなどと雑誌に投稿し、海外からも批判を浴びていた。私はこのことより、7月24日の日記にも書いたことの方が深刻な問題だと思っている。今年2月の国会質問で、産経新聞の記事を配布して、日本によるアジア諸国の植民地支配に関した研究をしている研究者を名指しし、講演や論文で反日的主張や研究成果を世界に向けて発表するような研究者に多額の研究費が出ているのは「非常に由々しき問題だと思う」がどうか、科研費の偏向ではないかと文部科学大臣にただしていた。「月刊Hanada」の最新号では、こんな人の辞職は暴言とか、メディア・リンチと擁護しているのである。
 著者は慶応義塾大学法学部教授である。誕生日が来ていても、まだ47歳である。学者が当時の歴史的事実を書くことは、それこそ杉田の言う反日学者になるのであろうか。本の裏には、「軍国主義」より致命的であった「国際主義」の欠如とは?と書いている。この本は第1章と第2章に分かれている。まだ最後まですべて読んだわけではない。本の内容が濃いので、きょうは第1章について書く。百田尚樹のような素人が書いた本は、大した知識もない所詮素人の本である。右翼が主張していることは、歴史的事実というよりこうあって欲しいという宗教に近いうわべだけの内容である。
 この本のはじめにで、現代史についてわれわれが深く学ぶ機会が限られており、わが国の外交の経験や理解が圧倒的に国際社会のそれからずれていることがしばしばあると指摘している。高坂正堯の「国際政治」の内容にふれ、国際社会における潮流を的確に理解することができずに、自己の利益や正義を独善的に追求して、国際社会からの孤立を深めることで、日本はしばしば進路を誤ってきたと述べている。
 まず、最初に出てくるのは村山談話である。この談話の中で、「植民地支配と侵略」によって多くの悲劇をもたらしたことへの「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉がはいっていた。しかし、「戦争に対する反省」を示す決議に反対する議員は多く、与党と野党を合わせた欠席者数は、賛成者数を上回るほどであった。日本国内で統一的な歴史認識をつくりだすことがいかに難しいか端的に示された。村山は回顧録の中で、「自民党内には『あの戦争は決して間違っていなかった』『植民地解放のための正しい戦争だった』と正当化している議員が少なくないわけだ」と述べている。村山は「自分たちがよその国より優れていると思い上がって他国に迷惑をかけるような独善的ナショナリズムは絶対にだめだ。」と述べ、「そういう考えを持っている人が総理大臣など責任のある立場につけば、国の政策が独善的ナショナリズムに陥りかねない」とも主張していた。
 少し前に、昭和天皇について、小林侍従日記の内容が一部公開されていた。戦争責任については昭和天皇自身が1番痛切に感じていたことが明らかとなった。1980年(昭和55年)5月に中国首相との面会にあたり、天皇陛下は日中戦争は遺憾であった旨おっしゃりたいが、(略)右翼が反対しているから、やめた方がよいというのでは余りになさけないとも記してあった。
 しかし、この村山談話が外交問題化し、関係悪化の道を開いてしまったという。歴史認識問題という「パンドラの箱」を開けた結果、むしろ中国でも韓国でも歴史認識問題を封印して凍結しておくことがもはや不可能となってしまった。戦後70周年となる2015年になっても、国民の間で歴史認識を共有することは難しい。(この本は2015年に発刊されている) 日本は、敗戦をどのように受け止めて、戦勝国が唱える正義にどのようにむきあうかという難しい問題を抱えている。戦争に勝利を収めた連合国は、歴史の正義をも手に入れることができた。(前から書いているように、歴史とは勝者の歴史である) この本では、国民の間で歴史認識を共有することが難しかった例として、第一次世界大戦後のドイツを挙げている。ドイツはロシア軍に対して勝利を得ており、そもそもドイツは連合軍に降伏したわけではなく、休戦協定を結んだに過ぎなかった。
 歴史理論の事も詳しく解説している。19世紀ドイツの偉大な歴史家であるレオポルド・フォン・ランケのことや新しい歴史理論を提示したE・H・カーである。マルクス主義的歴史学やこのランケ的実証主義歴史学に変わって、「歴史的事実」は軽視され、むしろどのように世界をみるかという「世界観」が問われるようになったという。しかし、ポストモダニズムの潮流を批判して、リチャード・エバンズは、アメリカのイスラエル寄りの中東政策を批判したり、フェミニストは女性の権利拡大のために、過去に関する知識(歴史)を自分たちの現在の目的のために利用していると指摘している。
 従軍慰安婦問題についても、自らの運動を実践するための手段として「歴史」が用いられている。日本では、左派、右派ともに、歴史が運動とあまりにも深く結びついてしまった。戦後の日本の歴史教育においては、あまりにも色濃くマルクス主義史学をはじめとする歴史理論の影響が浸透し、近代史全般をどのように認識するかで、激しい対立が生じた。他方で、現代では右派のナショナリストたちが、日本の歴史的な正義や国民的なプライドを回復する手段として、歴史を利用しようとする。イデオロギー的な束縛もある。「親米」か「反米」である。ここでは孫崎享「戦後史の正体」が批判されている。反米史観と陰謀史観である。私も陰謀のみで歴史が動かされているとは思わない。陰謀とインテリジェンス活動が違うのもわかる。それでも、英米のインテリジェンス活動の一端を知る意味では意義があったと思う。
 長くなってしまったが、ここまでが序章でこれから第1章にはいる。まず大量虐殺である。戦争が起因となって1936年から1945年の間に死亡したヨーロッパ人の数は、およそ3650万人と見積もられている。死者の半数以上が非戦闘員であった。平和は近代の発明である。近代ヨーロッパの歴史で国家間の問題を解決するための諸提案がすべてに優先して平和の維持そのものに向けられるは18世紀になってからである。ナポレオン戦争後に、それまで貴族階級が行ってきた戦争が、国民の戦争へと変質したことによって、惨状は拡大した。ウィーン会議では平和の回復こそが最大の目的とみなされた。
 1899年にはオランダのハーグで万国平和会議が開かれた。1904年に始まった日露戦争においては、日本は「文明国」として国際法を遵守して闘った。日本は世界に先駆けて戦時国際法を遵守する重要性を示し、国際的な地位を高めた。この頃の日本軍部では、下士官兵もハーグ陸戦規則やジュネーヴ条約の知識を得ていたという。第1次世界大戦では、連合国側と同盟国側を合わせて軍人だけでも1000万人以上が戦死した。日本は日英同盟に依拠してドイツに宣戦布告した。日本政府の関心は、アジア太平洋地域におけるドイツの権益を奪い取ることであった。甚大な人的被害と国土の荒廃を経験したヨーロッパ諸国が戦争を防ぐことに政治的な情熱を注ぐ一方で、日本政府は依然として戦争を国力増強のための好機とみなしていたのである。
 しかし、吉野作造は国際社会における新しい動向に関心を示していた。中国で排日思想が高まっているのは日本人にも問題があり、(略)常に支那人を自分より幾分劣等の人種なるか如き取り扱いをして居ると述べている。原敬も、政府の対中外交があまりにも強圧的で、国際社会から非難を受けていることについて批判している。時代の変化を敏感に感じて、日本は国際協調を基礎としてそのような新しい潮流に積極的に加わるべきだと考えていた。第1次大戦後のパリ講和会議の全権代表となった牧野伸顕は、これからは中国に対し、強圧的、利己的、または陰謀的政策ないし手段を改めることを主張している。しかし、天皇直属の外交調査会では英米批判の強硬論が大勢となった。英米が語る正義を偽善ととらえる英米批判の思想は、次第にアジア主義の主張と融合して、アジアにおける新秩序を求める思想や運動へと帰結する。
 ここからが面白くなるが、やはりきょうは書いていて疲れてしまった。この辺で終わりにする。次回に続くである。きょうは書きたいことが最後まで書けなかったので、中途半端な達成感である。

 

平成30年9月4日(火)

 きょうはいつものように午後から往診があった。ふだんより早めに出たが、大雨と風が吹き荒れていた。1人の患者さんは伏見区深草に住んでいる。いつもは龍谷大学の学生が大勢歩いている。きょうはほとんど誰もいなかった。傘を差しても、横殴りの雨でびしょ濡れであった。毎回この近くのスーパーに寄って、今晩自炊する食材を買ってくる。ところが、きょうは店は閉まっていた。帰ってきてから、この日記を書いている。段々と雨と風が強くなってきた。突風が吹くと、医院全体が揺れる。
 実は、少し前に来た台風で、京都駅近くのマンションのベランダにある隔壁が両隣とも粉々に砕けていた。どこの植木鉢かわからない。風に吹く飛ばされたのである。以前にも、地震か何かで両隣を隔てている壁が割れた。ベランダが避難路になっていて、簡単に蹴破れるように作られている。京都駅近くのマンションは中古で買ったので、どこの部屋のベランダに避難はしごが設置されている脱出口があるのかよくわからなかった。今回、たまたま隣にあるのがわかった。琵琶湖のマンションの部屋は角部屋になる。私の所は、部屋を囲むようにベランダが正面と側面についている。ベランダが広い分、この脱出口がある。この脱出口は年に2回ぐらい(だったと思う)の点検があり、その時には立ち会いが必要である。けっこう面倒くさいので、新しくマンションを購入する時には、この脱出口のことも確認しておいた方がいい。
 少し前に、中央省庁が障害者の雇用数を水増ししていたことが話題となっていた。この時に、障害者(保健福祉)手帳を持っているかどうか確認されていなかったことが問題となっていた。今回障害者雇用促進法を調べてみたら、2018年4月からは精神障害者も加えられ、すべての障害者の雇用が義務づけられていた。前から書いているように、うつ病関係の患者さんの障害者保健福祉手帳や障害年金の診断書の発行については慎重にすべきである。どうしてかというと、でっち上げみたいな診断書が横行しているからである。対象となる患者さんは仕事ができないではなく、日常生活ができないである。特に、生活保護の患者さんは症状がよくなっていても、当たり前のように継続の診断書を求められる。中には、福祉の担当者から、障害者手帳をもらえないなら働けと言われた患者さんもいる。
 抗うつ薬を使用した場合には、保険病名としてうつ病またはうつ状態という病名が必要である。上司に怒鳴られて会社に行けなくなるのは、適応障害になる。夫の浮気がばれて、奥さんが夜が眠れなくなり、食欲もなくなり、何もやる気がしなくなるのも適応障害である。(うつ病の診断基準を満たしたら、うつ病になる) しかし、適応障害という病名では、保険適応になる薬は何もない。(適応障害にうつ状態という病名を付け加えたら抗うつ薬の使用はできる。) 国際統計分類であるICD−10では、この病名が使えるのは最大2年で、それ以上になる場合は他の病名に変更しなければならない。うつ病の患者さんでも、当初は何もできなくても、安静と治療で日常生活に大きな支障はなくなる。仕事に関しては、昨今はふつうの人でも続けるのが厳しい内容が多いので、別である。実際にいつも求人広告に出ているのは、長続きしない仕事ばかりである。
 引きこもりの患者さんは障害者手帳をもらうほどの障害者なのかとか、中には買い物依存みたいな患者さんもいて、借金を積み重ね慢性的なうつ状態となっている人もいる。パチンコ依存で、負けてはいらいらして何もやる気がしないという患者さんは、障害者なのかという問題もある。アルコール依存の人は、どんなに生活が破綻していても、飲酒し続けている時には障害者手帳の対象とはならない。今回、障害者の雇用数の水増しが問題となっていた。私が恐れるのは、今度は役所が精神科に通院しているだけで、安易に障害者手帳をもらってこいと指導しないかである。今でも、生活に困って福祉に申請に行った患者さんが、精神科にかかっているなら障害年金の診断書を書いてもらえと門前払いされているぐらいである。
 生活保護の担当者は、どんな患者さんが障害者手帳や障害年金の対象になるかわからず、安易に診断書を書いてもらえと指導する。医院には、いつも症状把握調査票を送られてきて、就労の可能性や障害者手帳などの該当・非該当の問い合わせが来る。プロとして精神科医の仕事をしている者にとっては、でっち上げみたいな診断書を書くの耐えがたいほどプライドを傷つける。
 私がここで主張していることは、ベテランの精神科医でも福祉の専門家でも弁護士でも、誰も反論できない。入院治療もしていない患者さんの診断書を書くのは、まだ治療を充分に尽くしてもいないのに、固定した障害のように虚偽の診断書を書くことと同じである。罪にも問われる。それと、厚労省が出している障害年金の診断書(精神の障害用)記載要領(クリックして下さい)である。特に、10ページ目の「日常生活能力の判定」をみたら、障害年金でも不正受給をしているうつ病関係の患者さんがいかに多いかわかるであろう。経済的に困っている人を何でも精神障害にして救済するのではなく、本来の福祉政策で救済すべきである。
 最近、宅配レンタルビデオで、沢山の映画を見ている。見れば見るほど、面白い作品に出会わない。2017年キネマ旬報べストテンに入っていた「彼女がその名を知らない鳥たち」を最近見た。それほど感動的でもなく、最後の部分が少しくどすぎる感じがした。他にも、「かぞくのくに」も見た。2012年の作品で、この年のキネマ旬報べストテンで第1位に選ばれていた。今回ウィキペディアで調べてみたら、監督は在日二世であった。内容は、1997年当時のことで、帰国事業で北朝鮮に渡った子どもが、悪性の脳腫瘍の手術のために、一時帰国する。北朝鮮の監視員付きである。父親は総連(北朝鮮を支持する在日朝鮮人の団体)の幹部である。しかし、突然北朝鮮への帰国命令が出て、手術も受けずに帰って行く。
 北朝鮮への帰国事業については、日本政府を非難する人もいる。しかし、当時は「地上の楽園」として、社会主義を信奉する左翼系の人々には信じられていた。ソ連などの社会主義国の実態が明らかになってきた時でさえ、最後の楽園は北朝鮮とアルバニア(だったと思う)ぐらいだと言われていた。私はポルポトが支配していたカンボジアにも詳しい。今でも、ポルポトやクメール・ルージュについて書いた英語の本を何冊も持っている。大勢の人を集め、この国の再建を手伝ってくれる教師などの人は手を挙げて下さいと言って別の所に集め、知識人はみんな虐殺された。帰国事業で北朝鮮に渡った人たちの中で、東北大グループ(だったと思う)の行方がわからないと、何かの本で読んだことがある。
 アメリカのトランプ大統領は、北朝鮮が核放棄したら体制維持の保証をすると約束しているようである。この映画を見て、核放棄と家族を人質に取られている在日朝鮮人や常に監視され、処刑されている北朝鮮の人々のことを考えた。ポルポトは、いろいろ言われているが、最後までほぼ生き延びた。金正恩に関しては、やはりいつまでも生かしておいてはいけないと思った。

今週のトピックス 60 (180904)

谷本真由美「世界でバカにされる日本人」(ワニブックスPLUS新書)
谷本真由美「世界でバカにされる日本人」(ワニブックスPLUS新書)

 この本を買ってから、著者の紹介を見ていたら、以前に読んだことのある「キャリアポルノは人生の無駄だ」(朝日新聞出版)と同じ著者であった。この本の書評については、この日記でも書いている。今週のトピックスのように書いてあったら、それだけ調べたらいい。文章の中で書いていると、膨大な日記のどこに書いたのか、探し出すのがほぼ不可能である。ただ、私がこの日記に取り上げる本は、発売からそれほど日が経っていないことが多い。「キャリアポルノは人生の無駄だ」が出版されたのは、アマゾンで調べたら平成25年(2013年)6月13日であった。その後の日記を調べてみたら、同じ年の7月23日に書いていた。ついでに、この本の書評も最後に載せる。
 著者は、国連専門機関や外資系金融会社を経て、現在ロンドンに住んでいる。アメリカ、イタリア、イギリスで働いてきている。著者によると、最近日本のテレビや雑誌などで、「日本スゴイ」と持ち上げる番組や記事について、「まゆつばモノ」なネタも多いという。まず、異様に形式的な礼儀を重視する。外国語で書くメールにも、「お世話になっております」などと翻訳して書いたり、贈答品に丁寧な梱包をする。仕事でも、先進国と比べ無駄な作業が多すぎる。日本では、「引き出しに鍵がかかっているかどうか」とか「パソコンの中のファイルを削除したかどうか」などのチェック項目をいちいちペンでして、全員の印鑑をもらい、その後も延々と無駄な作業が続く。そのため、労働生産性は低くなり、ハンガリーとかチェコの給料に近くなってきている。
 私が前から批判していることも書いている。欧米のマスコミは「権力の監視機関」である。経済活動や社会生活が円滑に動くように政府を監視すること、そして国民から徴収した税金が適切に使われるのを厳しく見届けることなどである。実績がすべてなので、批判的精神も旺盛である。それに比べ、日本のマスコミは身分も安定したサラリーマンなので、護送船団方式で、独自の批判精神もない。日本は縦社会で、会議での議論も活発化しない。若手が自分の意見を積極的に上司に述べるのは、和を乱すことになるからである。男女差別がここまで厳しいのは、日本だけとも批判している。クールジャパンについても、能力不足や競争心不足で、自国では稼げないために日本へ出稼ぎにきているお雇い外国人のヨイショなどで、日本人は勘違いしているとかなり厳しい。
 身内だけを大切にする日本人は、周りが知らない人だらけになると、とたんに無礼な人になってしまう。日本人は「自分の村の中」ではない人間はどうでもいいという態度を取るのが当たり前になっている。諸外国の場合は、派遣社員や契約社員などに対しても、仕事上のパートナーなので、態度がものすごく変わるわけではない。海外の先進国でとりわけ英語圏だと、社会的に弱い立場に人には多めにチップを払うなど、気を遣うことの方が多い。
 この本では、それこそ日本の悪口をこれでもかと書いている。文化の違いもあって、そこまで書かなくてもいいのではないかと思う部分もある。途中、コラム欄がはさまれていて、世界からみて「ここがすごいよ日本人!」とある。悪口ばかりでは、いいところも気づかない。このコラムは、編集者の意向で後から挿入された可能性もある。まず、個々の働く人におけるモラルの高さである。低賃金であっても、比較的学習意欲が高い。教育レベルも高い。家庭科や音楽、美術といった授業が公立学校でもきちんと提供されている。そして、治安のよさである。
 最後に、著者の意見に強く共感したことも書いておく。日本は先進国としては異様に投票率が低い。ところが、匿名の掲示板やSNSでは、政治的なネタが山盛りである。選挙に行かないのに、ネット上で暴れまくっているのである。不満があっても日本人は行動を起こさない。ヨーロッパ北部の人たちは即刻抗議行動を起こしたり、地元の政治家に陳情するのが当たり前である。日本ではネット上で愚痴をこぼすばかりで、説明責任を厳しく追及するような人は多くない。
   谷本真由美「キャリアポルノは人生の無駄だ」(朝日新書)平成25年7月25日の日記より。
 帯には、「自己啓発書を何冊も読んでいるのに、なぜスゴい人になっていないの?」と至極もっともなことが書かれている。著者はコンサルティングファーム、国連食糧農業機関などを経て、現在はロンドンの金融機関で勤めている。この言葉の中のポルノというのは、ポルノ写真やビデオの鑑賞で満足してしまい、実際の性行為をとるわけではないことを意味する。フードポルノという言葉もあり、読んだり眺めたりして楽しんで欲望を満足させる。しかし、自分で料理したり何かを食べるわけではない。
キャリアポルノという言葉は、自己啓発書を読むだけで、何の努力や勉強もせず、かわいい彼女、すてきな家、もっとやりがいのある仕事、高い給料、楽しい友だちなどを想像し、自分の求めている欲望を満たすだけの娯楽をさす。本屋に行くと、今や自己啓発書が山と積まれている。出版不況の現在では、唯一売れ筋のジャンルである。ここでは最初に、自己啓発書の分類をしている。@説教系、A俺自慢系、B変われる系、Cやればできる系、D儲かる系、E信じれば救われる系など8種類に分けている。例えば、Cやればできる系では、「全地球規模で考えろ」など、スーパーサラリーマンでも不可能で理解不能なノウハウが並んでいる。また、「交渉する時は相手から絶対に目をそらすな」等、日本でこれをやったら明らかに浮くからやめた方がいいだろうと思われる外国式のノウハウが、しらす干しのように散らしてあるという。
 キャリアポルノはドラッグのようなもので、本を読んでいる間は「何とかなるさ」という何の裏付けもない一時的な高揚感は得られる。しかし、問題の本質は何も解決されていない。自己啓発書を手に取る人は「人生の負け組」とも指摘している。恋愛指南書の熱心な読者が恋愛の敗者であるのと同じである。読者は読めば読むほど自分が向上するような気がして、繰り返し自己啓発書を買ってくれる。ここではアメリカで成功した自己啓発グルの破綻した私生活が、これでもかと紹介されている。現在は非正規雇用が増え、経済的な不安が強いので、日本では自己啓発にすがる20〜30代の若者が増えている。「ダメな自分を変えたい。人生を変えたい。」という一種のコンプレックスの克服である。
 このような自己啓発書が売れているのは、アメリカと日本だけでイギリスと欧州では本屋で見かけるのも難しい。アメリカでもっとも有名な自己啓発グルは、人気司会者のオブラ・ウィンフリーだという。カルバン主義(個人は神との契約のもとで努力すべき)を掲げる人々が国の根幹をつくってきたアメリカには、「頑張れば誰もが今よりよい生活を享受することができる」という「信仰」がある。しかし、イギリスや欧州は現実主義で、変わることは無理だという意識が強い。アメリカほど競争が激しくないので、自己啓発書には頼らず、地縁・血縁などを重視し、家族や友人に話を聞いてもらって心の安定を図ろうとする。欧州では、何か不満がある場合は、日本人のように怒りを自分の内側に向けず、デモや抗議活動を起こす。
 日本では自己実現が働くことに限定されてしまっている。働くことで自己承認欲求を満たそうとする人が少なくない。「成功事例の真似をしなければならない」という思い込みも強い。しかし、成功者として取りあげられる人々は、海外で育っていたり、特出した才能のある「普通ではない人々」である。自己啓発書をいくら読んでも成功者になれないのは、ケン玉チャンピオンがケン玉のノウハウをいくら披露しても、常人にはそれができないのと同じである。キャッチボールの練習をいくらしても、イチローにはなれないのと変わりない。
以前にも紹介した、入章栄山「世界の経営学者は今何を考えているのか」(英治出版)の中でも書いてあったように、経営学者はドラッカーについては誰も研究していない。「ドラッカーの言葉は名言であったも、科学ではない」からである。その時代やその人の能力があるので、いくらドラッカーの著書を読んでも、ヘレンケラーの伝記を読むのとあまり変わりない。そんなことより、国際会計学などの勉強を地道にこつこつとする方がはるかに実用的である。私もそうであったが、英語が上手になれる本を山ほど読むより、実際の英語の勉強を山ほどする方が上達する。本の最後に、「人生を楽しむための具体的な方法」が書いてある。しかし、著者の住んでいる海外ではないこの日本で実現するのは、なかなか厳しいと思う。

 

平成30年8月28日(火)

 暑い日が続いている。その割には、京都は相変わらず冬は底冷えする。毎年心配するのは紅葉である。去年の紅葉はきれいであった。地球の温暖化で、秋にぐっと冷えてくれないと、きれいに色づかない。葵祭も時代祭も、ただ行列するだけではなく、もうちょっと工夫したらいいと思う。何回も見たくなるものでもない。しかし、秋の紅葉は別である。たくさんの寺院があるので、京都でしか見ることのできない紅葉がそれぞれ楽しめる。私は夏休みにコタ・キナバルに行ったように、あちこち海外に出かけている。その分、反対に京都を訪れる人には、最高の秋を楽しんで欲しいと、同じ旅人として思っている。
 最近患者さんと話をしていると、つくづく大多数の人は、「生かさず、殺さず」の生活をしていると思う。正規であろうと、非正規であろうと、誰もが生活に余裕がなく、ぎりぎりの生活を送っている。かといって、暴動を起こすほどでもない。まだ、そこまでは行っていない。わざわざ暴動を起こすのも面倒である。しかし、今の生活レベルの半分ぐらいになったら、ほとんどの人が暴動を起こしてもかまわないと思うだろう。京都の大企業は、円安もあって最高益を更新している。患者さんに聞くと、ボーナスが年7ヶ月とか9ヶ月という人もいる。基本給はそれほど上がっていないようである。しかし、こんな人はごく一部で、正社員で管理職についている人でも金銭的にも精神的にもまったく余裕がない。
 日本の景気がいいと言っても、実態はこんなものである。京都は観光客が多いので、インバウンド関係はいい。しかし、財布の紐が固い日本人相手の商売は苦しい。私は株などはまったくやらないので、株高などとはまったく無縁である。大半の人が、景気が良くなっているという実感はない。1度停滞した賃金は長期になればなるほど、そう簡単に上がっていくとは思えない。まだ若い人が、40年後の年金のことを心配するのも異常である。ぎりぎりの生活をしている患者さんに暴動になったらどこを襲うかと冗談半分に聞いたら、コンビニのATMと答えていた。私が襲うとしたら別の所である。物議を醸すので、ここでは書かない。

今週のトピックス 59 (180828)

池上彰の戦争を考えるSP第10弾「日本のいちばん長い日」が始まった
池上彰の戦争を考えるSP第10弾「日本のいちばん長い日」が始まった

 この番組は、8月19日(日)の夜8時から放映されていたものである。2時間番組であった。私は、録画していたものを23日(木)に琵琶湖のマンションで見た。BBC琵琶湖放送でやっていたので、たぶん京都ではテレビ大阪で見れたと思う。「日本のいちばん長い日」のノンフィクションを書いた半藤一利が監修をしていた。「日本のいちばん長い日」とは、8月15日の終戦の日である。池上彰がベルリン近郊のポツダムを実際に訪れていた。
 この番組は本当に面白かった。私は、鈴木貫太郎の名前は聞いたことがあるぐらいであった。しかし、この番組でその人物像を知ると、日本にはとんでもない骨のある人たちがいたのだと感動した。歴史を知らない薄っぺらな今の首相とは対極の人物である。鈴木貫太郎は、戦争を終わらせた首相である。侍従長をしていて、二・二六事件の時に銃弾4発を受けている。この時には妻の機転で、何とか一命を取り留めている。1945年4月7日に昭和天皇に請われて、77歳で首相に就任した。この日に戦艦大和が沈んでいる。6月23日には沖縄守備軍が全滅している。
 1945年7月15日にアメリカ、ソ連、イギリスの3カ国でポツダム会談が開かれた。ドイツは5月8日に無条件降伏をしていた。会談は、ヨーロッパの戦後の処理の話がほとんどであった。ポツダム会談とポツダム宣言は別で、ポツダム宣言はアメリカ主導で決められた。ポツダム宣言には、アメリカ、イギリス、中国が署名した。ソ連は日ソ中立条約があったので、署名しなかった。蒋介石は電話で承認した。その内容は、@戦争を起こした権力の永久除去 A日本本土の軍事占領 B日本軍隊の武装解除 C戦争犯罪人の厳罰 D日本軍隊の無条件降伏であった。
 このポルダム宣言は7月26日に日本に伝えられた。天皇の地位については触れられていなかった。日本はソ連の仲介を期待していた。そして、ポツダム宣言については静観していた。ところが、ヤルタ会談(1945年2月4日)で、ドイツの降伏3ヶ月後にソ連が対日参戦することが決められた。日露戦争後の領土、権益を奪還することが含まれていた。ポツダム会談中に、原爆が完成したことがトルーマンに伝えられた。ソ連のスターリンにもそのことが伝えられた。ポツダム宣言の通達1日前の7月25日に原爆投下が決められた。
 8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下された。ソ連が満州に侵攻した。8月9日に最高戦争会議が開かれた。天皇の地位の保証が絶対条件であった。阿南陸軍大臣が主張する4条件(国体護持)は、@天皇の地位の保証 A占領は小範囲・短期間 B日本側で武装解除 C日本側で戦犯処理 であった。徹底抗戦を主張する軍部でクーデターが起こる可能性もあった。8月9日に御前会議が開かれ、14日にも開かれた。天皇は2度目の御聖断をされる。ポツダム宣言の無条件降伏である。この時に、徹底抗戦を叫ぶ暴徒が鈴木貫太郎の自宅を襲って火をつけた。
 15日には阿南陸軍大臣が自刃。軍部のクーデターは起こらなかった。しかし、鈴木貫太郎は終戦に反対する一派から「国賊」呼ばわりされ、命を狙われ続けた。7回も引っ越しをしている。昭和23年に81歳で死去した。何でも、始めるのは簡単であるが、終えるのは大変である。日本会議や百田尚樹、櫻井よしこなどは、原爆なんて落とさなくてもいずれ日本は敗戦を迎えたと主張する。しかし、原爆を落とされて、天皇の御聖断があったとも言える。もたもたしていたら、北海道までソ連軍が侵攻してくる可能性も大であった。
 この番組はネトウヨの人も左翼の人も見たらいい。きょう調べてみたら、YouTubeにアップロードされていた。興味のある人は池上彰の戦争を考える 2018年8月19日 【SP第10弾〜「日本のいちばん長い日」がはじまった〜】をクリックして下さい。こんな程度の歴史認識もなく、寝ぼけたことを主張している人が現在の日本を牛耳っているのである。前から書いているように、中国が台頭していく中で、歴史修正主義者の末路がどうなるか見届けようと思っている。こんな人を日本のトップにしたら、将来日本の国益が必ず損なわれる。ナチスドイツを世界が許してくれないように、中国などに侵略した敗戦国日本をどこも許してくれない。敗戦国日本はアジア太平洋戦争の歴史はどうやっても変えることはできない。

 

平成30年8月21日(火)

 きょうはいつものように午後から往診に行ってきた。1人の患者さんは、きのう面倒を見ている人から、夜が眠れないので何とかしてほしいと電話があった。睡眠導入薬などが多かったので、1度減量したら眠れなくなり、大騒ぎとなっていた。元の薬に戻してみたら、またぐっすりと眠れ、ここ2ヶ月近くは安定していた。今回は減量もしていないのに、眠れないという。仕方ないので、追加の薬を用意して往診に行った。
 患者さんは興奮状態で、面倒を見ている人の悪口をいろいろいう。睡眠導入薬などがここ2日ほど切れていたという。日によって、飲み過ぎたからである。薬の離脱症状も加わっていた。一緒にいた訪問看護の人によると、あちこちの医療機関や行政機関、警察、訪問看護ステーションなどに電話をかけまくっているという。酒を飲みに出て、そこでもトラブルを起こしたという。この患者さんはふだんはおとなしい。しかし、今回のようなことになると手がつけられない。京都第一日赤の時から診ている患者さんである。
 薬を飲んだら、少しは落ち着きそうである。今から入院を頼んだらいいのか、迷った。診察をしている時にも、今から飲みに行くという。止めようとするが、出て行こうとする。どこかに電話をかけようともする。こんなに悪い状態になっているとは思わなかった。結局、もう1度医院に戻って、セレネースとホリゾンの注射液を取ってきた。非常事態で、薬を筋肉注射した。後は、夜に民前薬を飲んでもらい、この日は様子をみることにした。ふだんはデイ・サービスに行ったりしているので、1ヶ月に1回しか往診していない患者さんである。もうちょっと早めにファックスなどで連絡していてくれたらと思った。
 きのうの夜の外来でも、ややこしいトラブルがあった。ある患者さんがいきなり障害年金の診断書を持ってきて、書いてくれと頼んできた。この患者さんは傷病手当を1年半書いた。ところが、診察の時は、診断書さえもらえればいいという態度で、何を聞いてもあまり答えてくれなかった。いろいろとアドバイスしても、「いいです」とそっけなかった。京都で1人で療養するのは無理があったので、実家に戻ることを長いこと説得していた。最近は実家から当院に通院しているということであった。
 ところが、診断書に書く内容について聞いたら、実家には帰っていないと言い出した。この患者さんについては、最初から傷病手当も含め、どこまで本当のことを言っているのかよくわからなかった。精神科は患者さんの言葉を信じて、治療している。他科のように、医療検査で病状がわかるわけでない。疑わしい人のお金が絡む診断書を書くのは、本当にストレスである。この患者さんについては、障害年金の診断書を書く前に、日常生活ができないほど障害があるなら、1度入院治療をすべきである。障害年金のガイドラインを見せて説明したら、大人しく引き下がった。
 さて、盆に行ったマレーシアである。8月7日(火)にこの日記を書き終えた後で、たまたまふだん見ないTV番組をちらっと見た。「幸せ! ボンビーガール」である。クアラルンプールではなかったが、マレーシアに出店している日本の飲食店などで働いているボンビーガールを紹介していた。りっぱなマンションのような部屋が5万(?)ほどで借りられる。物価も安かった。クアラルンプールやコタ・キナバルでは、観光地のせいかあまり安いという印象はなかった。それにしても、中国人の観光客はどこに行っても多い。特にコタ・キナバルでは、そこに韓国人観光客が混じっているという感じであった。日本人観光客は本のわずかである。屋台でも中国人か韓国人か聞かれる。
 帰国は8月15日(木)であった。現地時間が午後2時出発だったので、特急はるかの最終には間に合わず、空港バスで京都駅八条口に帰ってきた。着いたのは、夜中の12時過ぎであった。若い人は、若いうちに海外に行くべきである。英語だけはやっておいた方がいい。マレーシアでは日本以上に英語はよく通じる。

セパンガール島 ・前回の続きのセパンガール島である。向こうに見えているのが、コタ・キナバルである。ボートでも30分ぐらいの距離である。マリンスポーツは一応何でも楽しめる。

夜景 ・私の泊まったホテルは、繁華街の南に位置する。マレーシア観光局にも比較的近い。今回ホテルの値段を確認したら、2泊でサービス料も含め全額で15,782円であった。前から書いているように、海外のホテルは1人で泊まっても2人で泊まっても、値段は同じである。朝食券も2枚付いている。ここは、海岸沿いのマーケットの近くである。

マーケット1 ・海岸沿いには、果物を売っているマーケットや海産物などを売っているマーケットなどがある。私はもっと明るい時に、果物を売っているマーケットで、久しぶりにドリアンを買って食べた。小さく切って、発泡スチロールの入れ物で売っていた。値段は10リンギット[RM](280円)であった。久しぶりに食べたら、こんなにも種が大きかったのかと思った。ここでは焼き魚などを売っていた。

マーケット2 ・私は12日(日)と13日(月)の夕食は、ウェットマーケットで好きな食材を選んで、料理してもらった。12日はエビとカニ、魚を選んだ。ライスとタイガービールを1缶頼んで、全部で51リンギット(1,428円)であった。13日はエビとウニなどを選び、ライスとタイガービール2缶を頼んで、全部で78RM(2184円)であった。
 エビは手前の大きいのを3尾選んだ。前の晩に、選ぶなら大きいのが食べ甲斐があると学習した。1尾10RM(280円)であった。バター揚げだったと思うが、絶品であった。自分で選んだ料理法をしてくれる。わからなかったら、どの料理法が美味しいか聞いたらいいだけである。

マーケット3 ・ここが選んだ海鮮を料理してもらって食べる屋台街である。私は海辺の席を選んだ。12日の夜は、本のわずかに暑いぐらいであった。13日の夜は前日より涼しかった。選んだ食材だけの値段で、明朗会計である。遠慮なく、食材を選ぶときに、「ハウ・マッチ」と聞いたらいいだけである。ロブスターなども選べた。

夕日1 ・14日(火)は、1人でジェッセルトン・ポイントからサビ島に行くか迷った。クアラルンプールまでの飛行機の出発時刻は午後1時50分であった。もし、帰ってこれなかったら困ると思って、朝はゆっくりとして、とりあえずタクシーでジェッセルトン・ポイントまで行った。思ったより近かった。それでも、15RM(420円)も取られた。
 クアラルンプールは大都会で、フィリピンやタイのようにバイクタクシーなどがないのは理解できた。しかし、このコタ・キナバルで、利用できる交通機関がタクシーぐらいしかないのは不便であった。タクシーも通りにはほとんど走っていないので、停車している所を見つけるにはコツがいる。ショッピングセンター前でも、停まっていないこともある。バスはいつ来るのかもわからない。
 実は、私の泊まったホテルの近くでは、他の観光地のように簡単に旅行代理店を見つけるのができなかった。行けなかったマンタナニ島ツアーもたまたま夜歩いていて見つけたものである。ここはジェッセルトン・ポイントの待合室にある島巡りのツアーデスクである。ここで、好きなツアーを選べる。

市内1 ・結局、14日は島に行くのはやめて、ここから海岸沿いにホテルまで散歩することにした。私のホテルからジェッセルトン・ポイントまでは約2qある。ここはどんな所かよくわからない。たまたま私がここを通った時に、ガイドに案内された6〜7人の多国籍の観光客がここを訪れていた。

市内2 ・先ほどの場所から海岸に出るときに見えた建物である。「地球の歩き方」では、ここに入っている旅行代理店を推薦していた。2階に行かなくても、ここの1階には、たくさんの旅行代理店がはいっていた。私は時間がなくて、海にしか行けなかった。ここには、キナバル山もあり、ツアーで高原のトレッキングも楽しめる。
 クアラルンプールのコンビニでは、イスラム教徒の国でもビールは置いてあった。コタ・キナバルのコンビニでは、ビールを置いているコンビニはセブン・イレブンだけであった。先ほどの屋台でも、ビールを頼んだら持ってきてくれる。

飛行機 ・この写真は、動画から切り抜いたものである。コタ・キナバルの空港を飛び立って間もなくである。この日も天気がよかったので、きれいな海の動画が撮れた。

ツイン・タワー / ・14日にクアラルンプールに戻り、まず行ったのが、このマレーシアで1番有名なベトロナス・ツイン・タワーである。最初に泊まったブキッ・ビンタンのホテルからは、モノレールを使って行った。「地球の歩き方」では駅から10分もかからないぐらいの距離であった。大きな建物なので、すぐ見えるだろうと思って歩いたら、まったく別の方向であった。近くにいた人に聞いたら、今度は反対方向を示され、なかなかこのタワーが見えて来なかった。また、別の人に聞いたら、今度はスマホで調べてくれ、駅を出た反対方向だと教えてもらった。
 大都会のこういう写真はあまり興味ない。今回は自分が行ってきたというアリバイである。大勢の観光客が訪れていた。物売りの人が声をかけてきた。最初は暗くて、何を売っているのかわからなかった。なんと、スマホ用の広角レンズである。建物が大きすぎて、スマホでは全景がはいらないのである。みんな記念撮影をしていた。

チャイナタウン ・先ほどのツイン・タワーから地下鉄に乗ってこのチャイナタウンに行った。ブタリン通りのナイト・マーケットである。ツイン・タワーの地下鉄のある場所がわかりにくかった。暗かったので、案内表示を見落としたのかわからない。地下鉄を降りてから、ナイト・マーケットに行くのも少し迷った。
 正直言って、あちこちのマーケットを見慣れている私には、それほど大したことはなかった。日本でも欲しいものがないぐらいなので、今はアジアのマーケットそのものにも興味は失せている。男性でも、手作りの指輪や腕輪など手作りのアクセサリーなどに興味のある人には、面白いかもしれない。

屋台 ・チャイナタウンで夕食を取ろうと思っていたら、適当な店が見つからなかった。ホテルのあるブキッ・ビンタンに戻り、前回紹介したすぐ近くの屋台街で夕食を取った。この日もエビなどを注文し、ライスとタイガービール2缶で、64RM(1,792円)であった。ここは夜12時を過ぎてもまだ開いていた。

平成30年8月14日(火)

 この日記は16日(木)に書いている。医院に不在の時には、予め14日(火)には更新できないと毎回断りのコメントは入れていた。8月10日(金)に、このことはすっかり忘れてしまっていた。バタバタしていると、新聞の配達止めの連絡を忘れることもある。これはこの日の昼に電話していた。実は、夜の医院の外来が終わってから玄関を見たら、外の電灯が点いたり消えたりしていた。このまま5日間も放置するわけにはいかない。電球の予備はなかった。別の電球が使えるか試してみるつもりであった。外の玄関の電球の交換は、高い脚立の上に上らないといけない。差し込み式だけでなく、落下を防ぐための金具を4個のネジで止めている。暗い中でネジを落としたり、うまく電灯の蓋が開かず、この日の交換はあきらめた。玄関の電灯を消したままでは、不用心である。玄関の中の電灯をつけた。そして、旅行カバンを持ち、京都駅のマンションにバスで行った。
 さて、この日はマンションに泊まり、翌日の11日(土)に朝7時44分の特急はるかに乗った。今回の目的地はボルネオ島のコタ・キナバルである。成田空港からは直通が出ている。関西空港からは、マレーシアのクアラルンプール経由である。とりあえず、航空券だけは確保しなけれならないので、4月16日にAirAsiaで予約した。ところが、この後すぐに、HISで関空からコタ・キナバルまでの直通のツアーが出ていた。(出発日は確認していない) LCCなので、盆シーズンでも高くなかった。ちなみに、関空ークアラルンプールの往復チケットは全部で94,610円であった。私はプレミアムフレックスを使ったので、座席は快適であった。搭乗時間は6時間半〜7時間である。ふだん見れないYouTubeや映画の動画をスマホに入れて、ノイズキャンセルのイヤホンで見ていた。
 クアラルンプールには夕方5時過ぎに着いた。空港でマレーシアの通貨であるリンギット(RM)に両替した。街中では1万円が360RMが、330RMにしかならなかった。1RMは約28円である。空港からKLセントラルまでエクスプレスを使って55RM(1540円)もかかった。予約したホテルは、ブキッ・ビンタンにある。ここで乗り換え、モノレールを使って5つめの駅である。料金は2.5RG(70円)で、その差にびっくりした。予約したホテルは駅のすぐそばであった。以下に、写真付きで解説する。

ホテル ・この写真は、ホテルの窓から撮った。着いた日ではなく、翌朝である。14日にも同じホテルを予約した。少しモダン過ぎて、使い勝手はあまりよくなかった。

屋台 ・初めての都市に来ると、どこに何があるのかさっぱりわからない。ホテルの予約もこの辺でいいだろうと適当に選んだ。場所は便利な所にあり、正解であった。今「地球の歩き方」を見ている。ここは屋台の並ぶアロー通りだと思う。この奥に、通りにテーブルを出した食堂がびっしりと並んでいる。今の時期はドリアンが屋台でも売られている。

バー街1 ・この辺りの通りを行くと、バー街が並んでいる。

バー街2 ・屋台とは違って、雰囲気のある店が並んでいる。

海岸 ・12日(日)は11時15分発の同じAirAsiaでコタ・キナバルまで行った。時間は2時間半ちょっとである。国内線で、料金は往復で10,044円であった。ホテルの窓からは海が望めた。ここはホテル近くの海岸に面したバーやレストラン街である。

夕日1 ・この夕日はバー街の反対方向の海岸沿いから撮った。もちろん、先ほどの所からもきれいな夕日が見れる。翌日は雲が出ていて、水平線に沈む夕日は見ることができなかった。

夕日2 ・日が沈んでからの風景である。

波止場 ・ここはジェッセルトン・ポイントである。ここからあちこちの島にボートが出ている。実は、12日(日)の夜にマンタナニ島の1日ツアーを申し込んでいた。13日は朝7時からホテルのロビーで迎えの車を待っていた。ところが、いつまで経っても、迎えの車が来なかった。まだ早いので、事務所にも電話がつながらなかった。
 8時半前に自分の部屋に戻って、どうしようかと考えていた。近くの島なら簡単に行くことができる。しばらくすると、電話がかかってきた。ロビーに行くと、ガイドの人が来て、7時過ぎに迎えに来た時に、私がいなかったという。キナバル公園などいろいろなツアーに参加する人が、ロビーで待っていた。声をかけられた覚えはない。
 結局、このツアーに参加できないので、セパンガール島に案内するという。288RM(8,064円)が180RM(5,040)円になった。送り迎えと昼食付きである。当初のマンタナニ島は快晴に恵まれないと行くことができない。波が高くても、キャンセルになる。行けなくて、本当に残念であった。

船着き場 ・ここはセパンガール島の船着き場である。「地球の歩き方」では1日40人に制限しており、ツアーででしか訪れることはできない。大勢の中国人と韓国人がちらほら参加していた。40人どころか、もっとはるかに沢山来ていたと思う。

セパンガール島1 ・実は、最初のツアーに参加できなかったということで、ガイド1人が私につきっきりで付いていた。まだ21歳の女性で、日本人受けのするかわいい子であった。(私のタイプとは違う) ボランティアか何かで知り合った東京の日本人学生が9月に会いにくるという。彼女は、来年東京に行く。小さな島なので、昼食の時とか帰りにいろいろ話した。
                                          マレーシアでは、国内だけではなく、インドのメディカル・スクールに行って医師免許を取るようである。

セパンガール島2 ・一見、きれいな海のように見える。しかし、水はそれほど澄んでいなかった。スノーケリングもしたが、魚は小さかった。マンタナニ島に行けなかったことは、大後悔であった。

セパンガール島3 ・中国人は、スイミング・スーツを着て泳いでいる人が多い。欧米人のような大胆な水着を着ている人は見たことがない。

平成30年8月7日(火)

 今年の盆休みは、インドネシアのギリ島に行く予定であった。バリ島はタイやベトナム、フィリピンと違って、この時期に雨期には入らない。今回はバリ島までの飛行機が取れなくて、ギリ島に行くのはあきらめた。ギリ島というのは、最近地震があったロンボク島にある3つの島のことである。人生何があるかわからない。そのうち、海外旅行で大きな事故に遭遇するのではないかと思っている。今年の盆休みは、5日間の予定で、今まで行ったことのない国に行く。飛行機はLCCである。無事に帰ってきたら、この日記でまた紹介しようと思う。
 定年後、何か趣味でも作ろうと思っても、なかなか作れない。私も、この年になって新しいことをするのは面倒である。どうしても、これまでの趣味に固執してしまう。しかし、若い時ほど夢中になれない。この前の日曜日は、久しぶりに琵琶湖のマンションでLPレコードを聴いた。CDも持って行ったが、やはりLPレコードの方が音がいい。防音室を入れているので、大きな音で聴いても大丈夫だと思っていた。ネットでたまたま調べてみたら、ピアノなどの楽器演奏ではどうしても階下に漏れてしまうようである。少しぐらい大音響で響かせても大丈夫だと思っていた。マンションの防音は専門業者に工事をしてもらっても難しいようである。
 昔から私はレコード・プレイヤーはMCカートリッジである。MMカートリッジより、私好みの音を出すからである。新しいレコード・プレイヤーを買って、医院にあるAVアンプにつなげようかと思った。ところが、MMカートリッジしか直接つながらなかった。フォノ・イコライザーを付けたらMCカートリッジでもいけるようである。AVアンプにCDプレイヤーをつないで聴いてみたら、少し物足りない音が出た。せっかくレコード・プレイヤーを買っても、思った音が出なかったらどうしようかと買うのをためらっている。
 今欲しいのは、6月に発売になったばかりのソニーの高級コンパクトデジカメのRX100M6である。実は、RX100M5はソフマップで下取りに出した。今回の盆旅行のために買うつもりであった。しかし、在庫がなかった。値段は14万円ぐらいである。私のポイントは21万円分ぐらい溜まっているので、このポイントを使うつもりであった。9月ぐらいになったら、また買おうと思っている。
 前から書いているように、車はこの秋で18年目にはいる。魅力的な新車もないので、このまま乗り続けるつもりである。残りの人生が少なくなってきたので、半年でも1年でも物価の安い海外で住みたいと思う。しかし、外来があると長期の休暇は取れない。欲しいものもないので、お金を使うとしたら、海外旅行や海外生活ぐらいである。なかなか人生は思うようにいかない。元気なうちに南米に行きたいと思っているが、夢のまた夢である。
 きょうはあまり書くことがないので、8月5日(日)の京都新聞の書評に載っていた本の内容について書く。五味渕典嗣「プロパガンダの文学」(共和国)である。石川達三の小説「生きている兵隊」が取り上げられている。後に「南京事件」と呼ばれる戦いを取材し小説化したものである。「皇軍兵士ノ非戦闘員の殺戮、掠奪、軍規弛緩ノ状況ヲ記述シタル安寧秩序ヲ○(旧字体で読めず)乱スル事項」を含むとされて有罪判決を受けた。仮に事実を書いていても、取り締まりの対象になりかねなかったという。これでも、南京大虐殺はなかったと主張するのは、事実をねじ負けて大本営発表をするのと何ら変わりない。本当になかったと信じるのであれば、自分の無知を恥ずべきである。

今週のトピックス 58 (180807)

矢部武「大麻解禁の真実」(宝島社)
矢部武「大麻解禁の真実」(宝島社)

 7月30日(月)の新聞に、英国で医療用大麻を合法化する記事が載っていた。嗜好品としての使用は従来通り禁止するとなっていた。医療用大麻については、少し前の週刊スパで取り上げられていた。この時に、この本を購入した。発刊されたのは、2016年3月なので、2年以上前になる。だから、内容はオバマ大統領の時までである。この本には米国で大麻が合法化された州として、まだカリフォルニア州は載っていない。医療用大麻については、最後の方の章で詳しく書かれている。大半は、米国での麻薬大国の実態について書かれている。著者は私より1歳年下である。70年代に渡米し、修士号を取得。帰国してロサンゼルス・タイムズ東京支局記者等を経て、現在はフリー・ジャーナリストである。
 米国では麻薬を含めた「薬物」の過剰摂取が原因で亡くなる人間が年間4万人を超え、殺人や交通事故を上回り、死因の第1位になっている。わが国では2011年半ばから脱法(危険)ドラッグをめぐる事件・事故が多発した。厳しい取り締まりにより、2014年4月に全国で215店あった販売店は、12月で5店まで減少した。米国では、危険ドラッグは、「デザイナー・ドラッグ」「合成ドラッグ」「リーガル・ハイ」などと呼ばれ、大麻や覚醒剤などの成分の化学構造を少し変えることで規制逃れをしている。しかし、フラッカと呼ばれる合成ドラッグ合成カンナビノイド(合成大麻)は、非常に危険である。コカインに似せて作った2C-Eなども深刻な健康被害をもたらす。そこで、連邦麻薬取締局(DEA)は、物質の化学構造で規制していた合成ドラッグを、薬理作用や人体などの影響でも規制できるようにした。(規制薬物アナログ執行法)
 この本では、麻薬について興奮系(アッパー)、抑制系(ダウナー)、幻覚系(サイケデリック)と3つに分類している。アッパー系は覚醒剤、コカインなどである。ダウナー系はヘロイン、モルヒネ、アルコールなどである。サイケデリック系はLSD、マリファナ(大麻)、マジックマッシュルームである。大麻は昔からアルコールやタバコより害がないと言われてきた。この本によると、最近はLSDも使い方によっては、それほど危険でないという研究結果も報告されるようになったという。
 米国では、1970年に制定された「薬物規制法」で規制レベルの高い順に「スケジュールT」〜「スケジュールX」に分類している。「スケジュールT」では、乱用の危険性が高く、強い精神依存または身体依存の可能性があり、医療的用途はないである。ヘロイン、LSD、MDMA(エクスタシー)、大麻などとなっている。大麻は「スケジュールU」のコカインや覚醒剤などより、危険度が高いことになっており、多くの専門家が疑問を呈している。ニクソン政権は、1970年に「マリファナおよび薬物乱用に関する全米委員会」に大麻の有害性を調査するように命じた。1972年にできた報告書「マリファナ:誤解の兆候」では、大麻は依存性は弱く、使用による脳の障害は実証されず、大麻使用だけに起因する死亡事件は米国では1件もなく、他の薬物への移行する傾向もみられないという内容であった。
 コロラド州では、2012年11月に嗜好用大麻の合法化案が住民投票で可決され、2014年1月から大麻が店頭で販売されるようになった。大麻解禁で、州の税収が伸び、雇用も増え、観光客も増加した。コロラド州政府は、大麻ビジネスがきちんと機能するように、栽培・流通・販売などを厳しく管理している。2000年には医療用大麻を合法化していた。ところが、連邦法では大麻は医療用・嗜好用とも禁止されている。オバマ大統領は、嗜好用大麻を合法化したコロラド州とワシントン州の決定を尊重し、2013年に連邦法を適用して取り締まることはしないとの声明を発表した。オバマ大統領自身が大麻使用経験についても明らかにし、「タバコと大差ない。アルコールより危険だと思わない」と発言している。医療用大麻は、2015年2月の時点で、23州とワシントンDCで認められている。
 「ニューヨーク・タイムズ」誌が、2014年7月に連邦大麻禁止法の廃止を求めた。この時点で、18州が非犯罪化している。非犯罪化とは、少量の大麻所持使用などは逮捕・起訴せず、軽い罰金程度で済ますことである。FBIの統計では、2012年に大麻所持で逮捕された人は約65万8千人である。ほとんど罰金か執行猶予程度である。しかし、逮捕歴が残ると、就職、ローンの借り入れ、保険加入など不利益を被る可能性がある。
 大麻の個人使用の容認は、世界的な傾向になっている。オランダでは、正確には大麻の合法化ではなく、非犯罪化である。(罰金は科せられない) 大麻カフェはアムステルダムに約400ヶ所、オランダ全体に700ヶ所ある。今やイタリア、スイス、ベルギー、スペインなどが嗜好用大麻を非犯罪化している。オランダでは、大麻とハードドラッグを分けて対応している。政府が大麻市場をコントロールしているので、大麻使用者が闇市場の売人と接触しなくていい。オランダは重度の薬物依存者の割合がEU諸国の中でもっとも低く、薬物の過剰摂取による中毒死の割合も2番目に低くなっている。
 現在の大麻取締法は、終戦後の1948年に占領軍GHQの指示で制定された。日本では戦前までは、大麻は神社、仏閣のお鈴さんに使われたり、注連縄に使われたりして、神事的に何かを結びつけるには、必ず大麻の繊維が使われていた。大東亜戦争が天皇の名のもとに行われ、神道と軍国化が結びついていると考えていたGHQは国家神道の破壊を画策し、その一環が、神道にとってなくてはならない大麻を使わせないことだったという。
 米国では、10年程前から「処方薬」や「市販薬」などの過剰摂取で死亡する人が激増している。2012年に薬物の過剰摂取で亡くなった4万1千人のうち、約1万6千人がオピオイド系鎮痛薬などの処方薬が原因である。米国の受刑者の約半数は薬物関連で収監されている。米国司法省によれば、米国の受刑者の総収監費用は800億ドル(約9兆6千万円)でその約半分が薬物乱用によるものとなる。米国の薬物専門のドラッグコートとは、薬物事犯者が刑罰か治療を選択できる裁判制度である。治療期間は通常社会復帰を含めて1〜2年である。全米50州約3千ヵ所の裁判所で実施されている。この本では、米国の薬物乱用の治療施設のことも詳しく紹介している。
 日本では薬物依存患者の民間リハビリ施設であるダルクが有名である。この本の最後では、田代まさしがダルクに出会って、自助組織であるNAのミーティングに通って、覚醒剤を断っていることが紹介されている。とにかく、日本では、薬物依存症の治療施設がほとんどないことを非難している。専門家としても、実際にそうだと思っている。
 最後に、医療用大麻についてである。CNNが医療用大麻をテーマにしたドキュメントを作り、2013年8月に放送している。「Weed」というタイトルで、YouTubeでも見ることができるという。医療用大麻にはがん患者の痛みと抗がん剤の副作用を緩和し、緑内障患者の眼圧を下げ、喘息患者の発作を抑え、うつ病患者の不安や落ち込みを和らげるなどの効果がある。医療用大麻の研究では、イスラエルが先端を行く。しかし、イスラエルでは嗜好用大麻は違法である。大麻に含まれる60種以上の成分の中に、精神活性作用のあるTHC(テトラヒドロカンナビノール)と抗炎症や抗不安作用のあるCBG(カンナビジオール)がある。医療用大麻の多くは、THCの含有量が低く、CBGの含有量が多いものだという。
 イギリスのGW製薬は、大麻の抽出物から、多発性硬化症の治療薬「サティペックス」を開発している。大麻は難治性のてんかん発作にも有用であった。老人ホームでも、高齢者に起こりやすい身体の痛みやけいれん、不眠、食欲不振などを改善し、処方薬の使用量を減らすのに役だったという。大麻による健康リスクは、WHOでも1995年に現在起きているタバコやアルコールによる健康被害よりも少ないと報告している。(1995年) アメリカ医師会ジャーナル(JAMA)では、「7年間にわたり。毎日ジョイントを1本吸い続けても肺機能への悪影響はみられない」という調査結果を発表している。(2012年) しかし、未発達の脳の未成年者の使用については、脳に損傷を与える恐れがあるとしている。
 私はアンチ・ドラッグ派なので、無理に日本で大麻を解禁する必要はないと思っている。前から書いているように、ポルノ解禁派である。それでも、高齢で性欲もなくなり、癌や脳卒中などになった時には、医療用大麻を使いたいと思う。この分野で研究している日本人はいないと思う。医療用大麻についてイスラエルなどに留学して学んできたら、将来は医療用大麻の大家として日本で成功するかもしれない。

 

平成30年7月31日(火)

 せっかく木曜日が休診になったのに、まだ新しいことは何も始めていない。琵琶湖のマンションで過ごす時間が長くなったぐらいである。障害者手帳用の診断書などは、ここに置いてあるパソコンで書いたりしている。食事もあまり外食に出かけることもない。イオンや平和堂などのスーパーで買った物で、簡単な自炊をしている。中国語は、いつでも習いに行けるのに、腰が重い。その前に、長いこと受けていない人間ドッグにも行かなければならない。
 先週の日曜日は、たまたま夜に放送していた大阪TVの「池上彰の世界を歩く」を途中から見た。録画しておけばよかったと思った。どこかというと、ベトナムである。ベトナム戦争の当時の映像も放映していた。私は学生時代はノンポリで、ロックに凝っていた。最終的にはプログレにたどり着いた。この日記の「今週の愛聴盤」でも書いているように、ヨーロッパを含めた希少価値のあるLPレコードを山ほど持っている。ノンポリでも、ベトナム戦争はロックと結びついている。この番組は本当に面白かった。
 私はここでも書いているように、薬物依存の研究をしていた。以前にも紹介したように、YouTubeでは「ゴールデン・トライアングルとヘロイン」の動画をアップロードしている。このヘロインもベトナム戦争と深く関係してくる。私の動画の中で紹介している本は、すべて読んでいる。当時の映像も使っている。番組で出てきた映像と一致する映像が多く、自分でも驚いた。きょうも今週のトピックスで時間をかけたので、この辺で終わりにする。ベトナム戦争とヘロインのことについては、自分でもよくまとめたと思っている。興味のある人はゴールデン・トライアングルとヘロインをクリックして下さい。

今週のトピックス 57 (180731)

佐藤弘幸「富裕層のバレない脱税」(NHK出版新書)
佐藤弘幸「富裕層のバレない脱税」(NHK出版新書)

 この本は途中まで読んで、しばらく放っておいた。去年の9月に発刊された本である。毎週日曜日になると、次の火曜日に何を書こうかと考え出す。テーマが決まっている時には、楽である。今回のように、この本について書こうと思うと、日曜日には最低半分ぐらいは読み終えないと、間に合わない。前日の月曜日にも、かなり集中して読まなければならない。しかし、いつもいつもその気になれるわけではない。他に用事もある。実は日曜日は別の本を読んでいた。きょうは間に合わないと思ったので、半分ぐらい読んでいたこの本に変えた。
 実は、きのうもこの本はあまり読めなかった。私は昔からよく眠れるタイプで、不眠に悩んだことはない。しかし、ごくまれに朝早く目覚めたりする。実はきょうの朝3時半頃に目覚めた。トイレに行って、そのまま眠ることもある。きょうは眠れそうになかったので、ずっとこの本を読んでいた。この本は3章に分かれていて、第2章から少し専門的になる。少し気合いを入れて読まないと、第1章で中断してしまう。(実際に、私もそうであった。)
 富裕層の定義である。野村総合研究所では純金融資産(金融資産から借金を差し引いた額)が1億円以上5億未満を富裕層、5億円以上を超富裕層と呼んでいる。私は、医院と京都駅のマンション、琵琶湖のマンションを合わせたら、今は実質1億円以上の価値のある不動産を持っていることになる。しかし、貯蓄に関しては1億円には達していない。株なども持ち合わせていない。開業した場合には、美容外科のような自費診療をしていない限り、脱税はほとんど不可能である。どうしてかというと、収入はすべて保険収入で、ガラス張りとなるからである。診断書や意見書などは自費である。しかし、収入としてはたかがしれている。
 著者は東京国税局課税部資料調査課などに勤務して、主として大口、悪質、困難、海外、宗教、電子商取引事案の税務調査を担当し、東京国税局主査で退官している。国税局資料調査課は通称「リョウチョウ」と呼ばれており、「政治家」「国際取引」「富裕層」など調査するのが困難な案件が並ぶ。よく知られている「マルサ」というのは、国税局査察部のことである。「リョウチョウ」では「マルサ」が手を出せない案件まで扱っている。
脱税する4つの理由は、@個人的理由で消費するため A事業に必要な金を作る(景気がいいときに裏金を捻出してプールし、不況になった時に軍資金を活用) Bバランスシートの改善(社長が会社から金銭借入して、返済資金がない場合、脱税した裏金をあたかも会社に返済したように見せる) Cイデオロギー(日本が嫌い、保守政党が嫌い)である。
 ここでは、「トーゴサンピン」という所得捕捉率を紹介している。サラリーマンなどの給与所得者10割、自営業者5割、農林水産業者3割、これに政治家1割を加えた表現である。サラリーマンは100%の所得に対して税金をかけられているのに、政治家の所得は実際の1割ぐらいにしか税金がかけられていないのである。どうしてかというと、政治家は政治資金として認められる金銭については課税対象にはならないからである。政治資金とそれ以外の資金の「人」と「出」は、外見から判断するのは困難である。
 政治資金のチェックに関して、「登録政治資金監査人(総務省所轄)」というあたかも「監査機関」のような制度がある。しかし、全くの「ザル制度」である。著者はある衆議院議員の政治資金収支報告書を見たことがある。あまりにもずさんでお粗末な内容であったという。もちろん、登録政治資金監査人が監査したものであった。現在のわが国の大くの国会議員は、大した能力もないのに二世、三世が世襲制で引き継いでいる。同じ世襲でも政治家は芸能界や一般企業とは全く違う。一見民主的な選挙で選ばれたように見える。しかし、これほど世襲議員の多い国はない。自分たちで利権を独占し、おまけに好き放題脱税しているのである。私は自民党が安倍政権に対して何も言えないのは、お金のことも関係しているのではないかと思っている。
 税金関係の本については、この日記でも大村大次郎の本を何冊か紹介した。だから、第1章の税金から逃れる「庶民」たちについては、ある程度知識があった。最も捕捉困難な業種は、現金商売である。1件当たりの申告漏れ所得額金額がダントツ多いのが、「キャバレー」「風俗業」で、平均で2000万円を超える申告漏れが摘発されている。税務調査は「フナ釣りに始まり、フナ釣りに終わる」をもじって、「現金商売に始まり、現金商売に終わる」と表現される。バー・クラブ、大衆酒場・小料理、パチンコなどが不正発見の割合が高い業種で、売り上げ除外が圧倒的に多い。内観調査では、実際に店に行って客単価や回転数の把握をする。デリヘルに対しては、ホームページを閲覧し、毎日の出勤状況をデリヘル嬢別に時間帯でトレースしておく。サクラであることも少なくない。予約時に必ず「指名」し、「有料オプション」も申し込む。
 宗教法人のことも書いてある。物品販売などは、収益事業として課税対象となっている。しかし、信者が宗教法人を支えるために拠出するお布施、玉串料、寄付金などは収益事業から除かれ非課税である。お守りやおみくじには課税できない。原価1万円の壺を教祖の波動を注入してお守りとして2000万円で売る場合は、信者から見ればお布施や喜捨以外の何物でもないので、収益事業に該当しないという。しかし、法人税は非課税でも、お布施を住職や使用人が費消した場合には、所得税課税が行われる。だから、お布施を裏金にして遊興費に使う。中には、休眠状態の宗教法人を買って、脱税を試みる輩もいる。
 第2章は、富裕層のバレない脱税である。平成9年に山一証券が破綻し、平成10年に海外口座の開設が個人でできるようになった。この年から、キャピタルフライトが始まった。国には頼らず、自分の財産は自分で守る「自己資産防衛」という考え方が注目され、海外投資が急速に増加した。この海外投資というのは、外国の資産運用会社などが扱う日本の法律の規制を受けない外国投資商品のことである。利子所得については、「源泉分離課税」で復興特別所得税分を含め20%ちょっとの所得税が源泉徴収される。日本の所得税や法人税は、海外の所得についても日本で課税するという「全世界所得税」を採用している。現地での二重課税の防止に、「外国税額控除」を採用している。さて、租税回避法である。内容は専門的になりすぎて、一般の人にはわかりにくく、興味があまりわかないかもしれない。マザーファンドとか共同名義の口座とか出てくる。
 私募のファンドを悪用した隠蔽スキーム、無分配型ファンドの隠蔽スキーム、匿名組合を悪用したスキーム、V国(ベトナム?)の「不動産投資」、C国(カンボジア?)での「借地権売買」など、ここでは簡単には説明できないことがたくさん書いてある。興味のある人はこの本を読んでください。カンボジアとは租税条約を締結していないので、投資家がたくさん押し寄せているという。海外送金には、100万円相当額越えの海外送金(受金も)では、金融機関などから税務署に「送金調書」が提出される。ここでも、投資家はオーバーバリューを使う。(これも簡単には説明しにくい) 実は、最近借りたDVDで、メキシコの麻薬組織が大型トラックを使って米国との国境を行き来する物語を見た。コカインを米国に密輸するためではない。米国で稼いだ米ドル札をメキシコに運ぶためである。現在は、当局の監視が厳しくなり、金融機関を使って米国から大金を送金できなくなったようである。
 この本では、パナマ文書で有名になったタックスヘイブンのことも詳しく解説している。賢い人たちはタックスヘイブンを租税回避スキームの一部として複雑かつ巧妙に仕組んでいる。現在の知らざるタックスヘイブンはマレーシアの「ラブアン島」だという。最後に、国税庁が公開している「国際戦略トータルプラン」である。租税回避の封じ込め策である。よく知られているのは、海外財産が5000万円超えの者は、平成26年から調書を提出しなければならない。平成27年に新設された「財産債務調書制度」では、所得金額2000万円超えでかつ3億円以上の財産、または1億円以上の有価証券を有する者は、財産の種類及び価額を記載した調書の提出が義務づけられた。マイナンバーももうすぐ銀行口座と結びつけられる。
 この本では、世界をまたにかけて脱税を支援するプロモーターのことも書いている。まともなプロモーターもいるが、日本人が日本人をだますといった詐欺集団も少なくないという。プロモーターにはファンドハウス(資産運用会社)やプライベートバンク、投資銀行、海外不動産ブローカーなどである。かなりリスクが伴うようである。何十億という資産を持っている人は、相続税対策は必要だろうと思う。以前に読んだ大村大次郎の本では、財団法人を作るのも1つの手のようである。
 ただ、プチ富裕層(小金持ち)に近づいている私としては、あの世までお金は持っていけないと思っている。元気なうちにある程度使おうと思っている。しかし、年を取ると、本当に欲しいものがなくなる。だから、ふだんは質素な生活を送っている。マンションに女でも連れ込んでいるのではないかと疑われそうである。しかし、関係がこじれた時に、マンションを持って逃げられないので、私はそういうことはしない。

 

平成30年7月24日(火)

 暑い日が続いている。これまでビールなどのアルコール類は、月、水、金と週3回断っていた。ところが、6月から木曜日を休診にしたので、ついつい水曜日の夜も飲むようになった。そしてこの暑さである。いつの間にか、月曜日も飲み、金曜日も飲むようになってしまった。毎日である。これではいけないと、きのうから酒を断っている。以前のように、月、水、金と断酒日にしようと思っている。きょうは火曜日なので、この日記はビールを飲みながら書いている。
 きょうネットに載っていた朝日新聞の記事に、「自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(比例中国ブロック)が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視したとあった。京都新聞にも、危害を加える内容のメールが届いていたと書いてあった。
 実は、先週は書く時間がなくて書けなかったことである。ちょうど1週間前の火曜日の京都新聞に載っていた国立天文台名誉教授の「現論」である。今年2月に、同じ自民党の杉田議員が国会質問で、産経新聞の記事を配布して、日本によるアジア諸国の植民地支配に関した研究をしている研究者を名指しし、講演や論文で反日的主張や研究成果を世界に向けて発表するような研究者に多額の研究費が出ているのは「非常に由々しき問題だと思う」がどうか、科研費の偏向ではないかと文部科学大臣にただしていた。この人はネットやテレビや新聞でさらなる「反日研究者」攻撃を繰り返した。5月には八重山日報に「税金で『琉球独立』主張」という記事を寄稿した。この記事にも多くの間違いが指摘されていた。
 ここでは「政権は国そのものでない」と批判している。時々の政権は一時のものでしかない。政権の批判が保証され民意による政権交代が可能なことが、民主主義の基本要件である。政権批判は反日ではない。安倍首相になってから、こんなことも理解できない国会議員が大量生産されている。杉田は政党を転々として、櫻井よしこによれば、安倍首相が「杉田さんは素晴らしい」と絶賛し、自民党から出馬することが決まったという。バカはバカがお好きなようである。櫻井よしこは、天皇がA級戦犯が合祀されてから靖国神社の御親拝をやめたという富田メモを最後まで否定していた。まったく歴史を理解していない。東京裁判で、戦勝国アメリカと敗戦国日本は手打ち式を行ったのである。天皇にも国民にも戦争責任はなく、A級戦犯などが悪かったとしたのである。天皇がA級戦犯が合祀されている靖国神社を御親拝できるわけがない。
 歴史修正主義者は、やがて消えていく。どうしてかというと、世界が許してくれないからである。米国民に言わせたら、日本が真珠湾攻撃を勝手にしかけてきて、その後多数のアメリカ兵の犠牲者を出した。自分たちに勝ち目がないとわかって無条件降伏をすると言ってきたので、許してやった、感謝しろぐらいの感覚である。戦勝国となった当時の連合国や中国も歴史修正主義者は許さない。植民地に対しても、戦勝国と敗戦国ではその立場が違う。どうして歴史研究が必要なのかというと、過去に日本がしてきた過ちを総括し、2度と同じ過ちを繰り返さないためである。歴史からそのことを学ばないと、また同じ過ちを繰り返す。
 実は、先週の火曜日に京都新聞の「現論」を読んでから、以前に買っていた『週刊金曜日』編「検証 産経新聞報道」(金曜日)を読み出している。本の帯に、「安倍政権の応援団(メディア)の正体」と書いてある。実は、すでに買ってまったく読んでいない安倍首相の批判本が何冊も溜まっている。とりあえず、この本から手を付けようと思っている。ここでは、産経新聞の記事内容について、歴史修正主義どころか、歴史歪曲主義と批判している。この本にも書いてあるように、ジャーナリズムの最大の責務は、「権力の監視・批判」である。小泉進次郎が発言しているように、強すぎる官邸(実力ではなく、制度上権力が集中し過ぎている)を何とかしなければ、いつまでたっても自民党は安倍首相の言いなりである。

今週のトピックス 56 (180724)

クローズアップ現代+「セックス・若者たちの本音〜ミレニアル世代の調査から〜」
クローズアップ現代+「セックス・若者たちの本音〜ミレニアル世代の調査から〜」

 この番組は、先週の火曜日の夜10時からNHKで放映されていたものである。きょうは書評が間に合いそうになかったので、急遽録画していたビデオを見た。タイトルのミレニアル世代の調査とは、18歳〜30歳の若者を対象としたウェブアンケート調査である。世界でおよそ100万人が回答している。「GENERATION WHAT?」(何ジェネ?)とコラボしている。働き方や恋愛、政治、社会などさまざまなテーマの中で、7千人ほどがセックスについて赤裸々な声をあげている。
 セックスの知識はどこで覚えた(複数回答)では、日本では友人・先輩が58.5%で、アダルト・ビデオが53.6%である。学校は43%である。海外では、親からは28.1%で、日本では4.8%と少ない。学校からも海外の方が圧倒的に多い。この番組では、日本の若者が出てきてセックスについて語っている。22歳の男性は、「セックスについて何が正確で何が不正確なのか考えてもよくわからない」と言い、22歳の女性は、「性=悪という環境で育ってきた」と言う。30歳の男性は、「どんなセックスがいいのか言われたら、DVDを見ることでしか学べない」とも告白している。
 顔出ししている女性も多い。案外しっかりと自分の意見を述べている。31歳の女性は、「今のAVは男性が出して終わりみたいなところが少し強い」と述べ、ホワイト・ボードに「ポルノは教科書じゃない」と書き込んでいる。26歳の女性は、「すごくしたいという気持ちは分かるんですけど、相手の気持ちを考えずに自分の欲求だけで動いているのはすごく怖い」と述べ、相手のプライドを傷つけるので、基本的には嫌だとは言えないという。26歳の女性は、「嫌われてしまうんじゃないかと思って、声を演技として出していることに罪悪感を感じ、性行為に対して苦手意識がある」という。中には、AVを見てこれがいいんだろうというのをやっていて、怖かったという女性も出てきた。アナルに指を入れられ、どんどんとオモチャを入れられたという。「これが気持ちがいいはずだと決めつけないで」と男性へのメッセージを送っている。
 番組では、ゲストとして「何ジェネ?」の質問を作ったメンバーの1人として社会学者の古市憲寿と、セックスについて著書が多数の産婦人科医の宋美玄が出演していた。この人の本は本屋などあちこちで見かけた。阪大の医学部を出ているとは知らなかった。海外でも、アダルト・ビデオからセックスの知識を得ている人が多い。ノルウェーでは、公共放送でセックスについての知識などを放送している。古市が留学したことのあるスウェーデンでは、行政によってユースクリニックでセックスについてカップルでも1人でも相談を受けることができる。スウェーデンの留学生と日本の若者が、セックスをタブー視せず、不安や悩みを安心して語れる社会にしたいと講演会などを開いている。
 あるアダルトグッズメーカーに就職した24歳の女性は、「女性は性に対して受け身であるべきみたいな規範がある」、「私がそれを変えてやる」と述べていた。この会社の社員の40%は女性である。女性が手に取りやすい商品開発に力を入れている。この女性もいいことを言っている。「男らしく、女らしく」よりも「自分らしく生きられる社会に」とホワイト・ボードに書き込んでいる。ゲストの宋は、自分の身体を知って、パートナーとオープンに話をして、フィードバックしあうと発言していた。魔法のような方法はなく、結局こんな所に落ち着くのかと思った。
 ただ、この番組を見ていて、性欲の解消とラジオ体操のような健全なセックスはまた違うと思った。本来の性的な欲望や妄想は、パートナーや配偶者などで必ずしも満たされるわけではない。臭いフェチなど、性癖にはいろいろある。例えば、田代まさしの盗撮癖などは、素人、覗き、日常生活などのいろいろな要素が絡まって、何とも得がたい性的興奮をもたらすのだろう。こうしてみたいという欲望でも、相手が未成年では犯罪につながる。その人にとって最高の性的快楽がパートナーや配偶者から必ずしも得られるわけでない。このことが、2人の関係に混乱をもたらし、問題をより難しくしている。男性にとって、無差別的なはみ出た性欲の処理は、いくつになってもやっかいなことである。

 

平成30年7月17日(火)

 暑い日が続いている。こんなに暑いと外に出る気にもなれない。この連休は、医院にある荷物の整理やスカパーの点検をしていた。開業以来、CNNを見るために、アンテナを立ててスカパーを見ていた。これまでにも、放送が見れなくなることもあった。チューナーの電源を切ったり、リセットボタンを押したりして何とか見れるようになっていた。しかし、今回はベランダにあるアンテナまで調べたが、原因がわからなかった。どこにアンテナを立ててもらったかも忘れてしまった。映画やアダルト・ビデオもそうであるが、パソコンではなく、TVで見たい。たまにCNNを見ないと、英語力が衰えそうである。どこに頼んだらいいのか今は検索中である。
 14日の土曜日は、年に2回ある母校の精神科医局の同門会に出た。講演は、4題の関連病院の人たちの研究発表である。今年から会場が変わって、ホテルグランヴィアになった。これまでと違って、わざわざ二条城の近くまで行く必要がなくなった。連休の前だったので、いつもより参加者は少なかった。それでも、懇親会でいろいろな先生と話ができてよかった。たまたま、以前から知っている年配の女医さんに挨拶した。ある精神科病院のサテライト・クリニックで所長をしていた。この年代の先生は、所長は退いて週何回かパートに出ているぐらいである。何と、まだ所長を続け、週5日働いているという。
 医局の名簿には卒業年度順に会員名が載っている。生存者だけである。私の名前は、31ページの6ページ目にある。この先生は昭和31年卒で、上から5番目である。現役で入学していても、87歳である。昔とあまり変わらない印象でびっくりした。中には、69歳ですでに引退している先生もいる。若い先生はほとんど知らない。たまたま、京都駅近くのアルコール専門クリニックを引き継いだ息子さんがこの同門会に入会したということで紹介されていた。同じ府立医大出身である。医局の人事とは別に勤めていたので、まったく知らなかった。お父さんには、時々患者さんがお世話になっていたので、挨拶だけはしておいた。
 他にも、ここでは書けない過去にあった医局員の話も聞いた。思わぬ先生が、外部の研究室で一緒だったとか、その頃の私の先輩にあたる先生の話も聞いた。きょうは、他にも書きたいことがあった。段々と疲れてきたので、この辺で終わりにする。

今週のトピックス 55 (180717)

アケミン「うちの娘はAV女優です」(幻冬舎)
アケミン「うちの娘はAV女優です」(幻冬舎)

 この本はきょう読み終えた。読み終えたのは、午後6時である。この日記も書き出したのは、それからである。夕食のごはんを今炊いている。少し大きめの茶碗で2杯分の1.25合である。後の1杯は冷蔵庫に入れて、別の自炊の時に使う。きょうの昼は夕食の買い物ついでに、吉野家で670円の牛カルビ黒カレーを食べた。たまに食べると、美味しく感じる。これだけ暑いと、昼食は自分で麺類を作って食べることが多い。ゆで卵も作っておく。冬の寒い時も同じである。ごはんが炊きあがったら、きょうのおかずはニラ豚キムチ炒めである。これもニラを買ってきたので、自分で料理する。7時ぐらいには、夕食をとろうと思っている。夕食を食べた後は、書く気がしなくなる時もある。私は遅筆なので、何とか書ける所まで書こうと思う。
 実は、当初は他の本を読み終えるつもりであった。しかし、きょうの日記では間に合わないと思った。急遽、きのうの夜9時頃からこの本は読み出した。きのうは琵琶湖のマンションに泊まったので、きょうはいつものように朝5時起きである。医院には、6時10分前には着いた。238ページの本で、これまで紹介してきた本よりは内容は軽い。政治や昭和の歴史とは関係ないので、ここで紹介するのも気が楽である。
 精神科医をやっていると、女性の不倫だけではなく、キャバクラや風俗などに務めている人にも少なからず接する。だから、ここに書いてあるようなAV嬢の生い立ちなどはそれほど珍しくはない。しかし、この職業の親バレについてはあまり深く考えてはいなかった。現在、ネットのない時代とは違い、事務所やメーカー側もAV女優にアイドル活動などをさせて知名度を上げようとしている。雑誌やネットで、どうしても露出度は高くなる。親バレしてAVをやめる子は、7〜8割はいるという。「親公認」は売れるAV女優の必須条件とも書いている。
 この本の著者は、AVメーカーに勤め、現在女性フリーライターとして、AV関係のことをスポーツ新聞などに書いている。老舗プロダクションのマネージャーよると、精神的に不安定な子もいるという。中には、何もしないで自宅に引きこもるよりマシと考える親もいるという。親バレで引退になって、商品の回収騒ぎになることも増えたという。この本では、親公認AV女優が10人紹介されている。私は、10人のAV女優の名前はまったく知らない。宅配レンタルで1本50円で適当に借りているので、もしかしたら中にはいたかもしれない。
 まず、AV女優のヒエラルキーである。AV女優になる人は、貧困や借金で足を踏み入れる人が多い。一見すると、風俗の方が手っ取り早くお金が稼げそうである。なぜAV女優を選択したかというと、多数の不特定多数の素人男性を相手にする抵抗感や性病の心配、元来持ち合わせた有名願望や芸能界への憧れもある。「単体」「企画単体」「企画」と3つの階層がある。「単体」とは、主役として1本のAV作品に出演できる「単体女優」を指す。いわゆるアイドル女優で、特定メーカーと契約を交わすことで「専属女優」となる。「企画単体」とはメーカーと専属契約は結んでいないものの、1人でAV作品の主役となれる女優である。「企画」は女優の名前を必要としない企画作品に出演する女優である。
 メーカーからプロダクションに支払われる出演料(総ギャラ)は企画女優の場合で、日当で15万円から30万円が現在の相場と言われている。2回のセックスシーンとオナニーやフェラを入れた1日拘束の場合、平均が20万円である。事務所から女優に渡される出演料はこの4、5割である。10%の源泉税が引かれるので、30万円がメーカーから支払われても、女優が手にするのはせいぜい13万5千円である。平均の20万円でも9万円である。メーカーを一巡すると、出演料は下げられていく。中には、2割しか支払わない悪徳プロダクションもある。単体女優では、大手メーカーと3本契約で120万円が相場と言われている。
 ここでは、印象に残った女優のことを紹介する。いつも親同士がお金のことで喧嘩していた沖田夏海である。悪者になるのは、母親と姉で、よく叩かれていたという。この母親は不思議になるほどポジティブな人だという。「あの人、キモい!」と言ったら、「あの人は近寄りがたいオーラがあってカッコいいって言いなさい」とたしなめてくれる。「離婚できればいいけど、お金がないから離婚できない」と何度も謝られたという。だから、貯金することは、使うのと同じぐらい楽しいことで、何よりの安定剤と答えている。
 かなで自由(みゆ)は父親にネットに上がっている撮影会の写真を問い詰められ、AV撮影をしていると逆ギレしている。辞めるつもりはないと言った時に、両親は泣いたという。JKものの撮影で制服を着て他の女の子とワイワイするシーンを撮るときには、「あー今、やっと青春しているだな」と思うという。どうしてかというと、高校時代はイジメられていて、学校が終わってからはすぐバイトで、そんなことができなかったからである。5人家族のさとう心愛(ここあ)は、電話で母親に「AVに出ます」と言ったら、「娘はいなかったことにさせてください」とだけ言われ、電話を切られた。父親も兄も特に反対はしなかった。AVデビューしてからまだ母親とは顔を合わせていない。
 成宮リリは父は教師で、母親は看護師である。小学6年生の時に、寝ている間に父親に中出しされている。このことは、あっけカランと公表している。おじいちゃんも、「こういう場面では表情をもっとこうしたほうがいい」とか「あの作品の演技はダメだった」とか言ってくるという。親に仕送りしているAV女優は想像以上に多いという。桜井あゆは、18歳のころから6年間、毎月80万円から100万円現金を母親に送っている。出演本数は700本以上である。この人の21歳の時に企画単体のAV女優とデビューするまでの経歴もすさまじい。飛鳥田新地で風俗嬢になり、1日20人から30人を相手し、月収は月400〜500万円になったという。経験人数は2万人を超えた。最後に、48歳でAVデビューした一条綺美香である。大手通販サイトでDMM、R18で2015年3月に発売されたAVは2087タイトルである。この3割以上が、熟女・人妻をテーマにした作品である。興味のある人は、AV鑑賞ばかりではなく、たまにはこういう本も読んでみたらいいと思う。

 

平成30年7月10日(火)

 きょうも「トピックス54」を書いていたら、もう午後9時半である。きょうは、これまで読んだ本も含め、4冊の本をとっかえひっかえしながら書いていた。今回も書き終えて、久しぶりの達成感を味わえた。夕食は、自炊をしていた。この日記はビールを飲みながら書いている。最近はすっかりアルコールに弱くなっている。350ccの缶を3本も飲めなくなった。きょうは250ccの缶を3本である。昔はラム酒に凝っていた。今は、ストレートで飲むなんてとってもでないができない。
 この頃は宅配ビデオを借りている。もともとTVはあまり見ないので、ビデオで映画を見ている。私の医院にも琵琶湖のマンションにも4.5畳ぐらいの防音室を備えている。琵琶湖のマンションは、昔のLPレコードを聴きたかったので、2チャンネルのオーディオアンプにした。医院のは、大きな液晶TVと6本のスピーカーを備えたサラウンドのAVアンプである。これまで医院の防音室はあまり使ってなかった。しかし、AVアンプを買い換え、サラウンドのスピーカーの調整をしたら、びっくりするほど迫力のある劇場に変わった。1本2時間ぐらいなので、夜9時頃から見ることもある。
 最近見たばかりの映画は、「女神の見えざる手」、「アメリカン・バーニング」、「セブン・シスターズ」、「マリアンヌ」などである。韓国映画もたくさん見た。「女神の見えざる手」はやり手の女性ロビイストの物語である。銃規制派の事務所に移籍し、政治家を動かしていく。最後のどんでん返しは見事であった。この女性ロビイストは自分の時間がないくらい、毎日多忙な生活を送っている。興味深かったのは、エスコートクラブで筋肉ムキムキの男性を買って、短時間でストレスを発散することである。もちろんセックスをする。こういう生き方はよくわかる。私は高級交際クラブまで行くのも面倒なので、アダルト・ビデオを短時間見て、すぐに他の仕事に取りかかる。
 「アメリカン・バーニング」は、ベトナム戦争の反戦運動が盛んな時に、娘が過激派団体に入り、爆弾で一般市民を計4人殺す。最近、オーム真理教の教主と信者の死刑執行があったので、親としての苦悩もよく理解できた。映画として面白かったのは、「セブン・シスターズ」である。近未来を描いた映画である。この映画は万人受けする。レンタル料金も、すぐに新作から準新作料金になる。少し前に見た「帰ってきたヒトラー」もよかった。一見パロディ風の始まりであったが、内容は深かった。熱狂的にヒトラーを支えたのが、当時の国民であったことがよく確認することができた。
 前回の日記で、開業して金銭的に恵まれたことは書いた。誤解を招くと行けないので書いておく。勤務医と比べたら、収入は遙かに多い。しかし、私より稼いでいる開業医は掃いて捨てるほどいる。精神科医だけではなく、他科の先生も同じである。現在は予約の取れない精神科クリニックも多いようである。黄金時代を過ぎた私なんて、たかがしれている。

今週のトピックス 54 (180710)

水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)
水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)

 この著者は、本の最後で、自称近現代史研究家と紹介していた。著者紹介には、兼ジャーナリストと付いていた。2017年9月1日に発刊されたものである。この本も、南京大虐殺はなかったという内容である。スクープ連発の著者が繰り出す決定的証拠と書いた帯が付いている。この本は今日読み終えたので、何が決定的証拠なのか、検討していこうと思う。
 まず、この本には当時のアサヒグラフなどの写真が多用されている。そのキャプションに、「支那の子供と共にお正月を待ち遠しがる兵隊さん達」とか「場内の支那市民は手製の日の丸を振りかざして、心から日本軍の入場を喜び迎えた」などと書かれている。著者は、小中学生の知力があれば、1枚の写真だけで「南京大虐殺」などあり得ないと解釈できるのですと主張している。
 本の最後の方でも、南京教略当時、言論検閲されていたと「南京大虐殺派」は喧伝していますが、当時朝日新聞取材陣80余名を指揮していた上海支局次長が報道規制がなかったと証言している等、述べている。厳しい報道規制が行われていたことは、少し調べたらすぐわかることである。今年3月に、東京都目黒区で両親から虐待を受けていた船戸結愛ちゃん(5)が死亡した事件がある。「あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね」とノートに書き残した女の子である。笑顔の写真も公開されていた。この著者は、こんな笑顔の写真があるなら、両親から虐待されていたわけがないと結論を出す、小学生以下の頭の構造の持ち主だとわかる。
 まず、この類いの本を読む時に、大前提となることを書いておく。前回の「今週のトピックス53」(平成30年6月26日)で紹介した山田朗「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」(新日本出版社)に書いてあったことである。日本の戦争は他国に攻撃されたり、他国に強いられたりして引き起こされたのではなく、自らが勢力の膨張をめざした、侵略戦争だったのである。著者は、朝日新聞の本田勝一記者の「中国の旅」と同列に、「今週のトピックス13」(平成28年9月27日)で紹介した清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文芸春秋)を論じ、特定の「イデオロギー」に誘導する印象操作が行われていますと主張している。「中国の旅」の写真の誤用については、この本では何回も非難している。しかし、「『南京事件』を調査せよ」については、具体的な非難は何も書いていない。
 歴史修正主義者がよく取り上げる「通州邦人大虐殺事件」についても書いている。3千人の中国保安隊に対して、日本軍は110人。1937年に居留民を保護することもできず、385名の邦人のうち、223名が虐殺された事件である。実は、著者が印象操作をしていると非難している「『南京事件』を調査せよ」は、この通州事件のことも取り上げている。この時に、命からがら助かった同盟通信社の安藤記者が1955年8月発刊の文藝春秋で書いていたことである。「通州事件の原因、真相とは何であろう。友軍の間柄だった冀東保安隊が一夜にして寝返り、(略)1番安全地帯だと信じられた通州に、日本人虐殺事件を起こしたのだ」と綴り、事件の2日前の日本軍の飛行機が冀東保安隊の兵営を爆撃して、死傷者出たことが直接の原因で、この爆破事件がなかったら通州事件の惨劇はなかったと述べている。水間はこういう事情はまったく書かず、大虐殺のことだけ取り上げている。印象操作をしているのは、どこのどいつだと言いたい。
 この本では、第3章で、「南京大虐殺」は米国(GHQ)が創作した日本人洗脳ラジオ放送からスタートしていたと書いている。太平洋戦争に関した質問に答えるために、日本放送協会がラジオ番組で毎回30分全20回放送していた「眞真相」という番組を非難している。GHQ作戦の情報操作というのは、ある程度そうだったのは理解できる。戦勝国のアメリが敗戦国の日本の戦後処理を滞りなくやるために情報操作をするのは、当たり前のことである。この本では、放送されていた内容を取り上げ、一つ一つ批判している。批判が当たっている部分もあれば、そうでない部分もあるのだろう。これだけで、南京大虐殺がなかったという証拠にはならない。
 「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」で紹介しきれなかったことをここで追加する。対米英戦争は真珠湾攻撃より70分前に、マレー半島コタバル(英領)への日本陸軍の上陸作戦から、英国への通告もなく始まっている。歴史修正主義者がよく出す「日本だけではない」という言説である。日本は、欧米の「白人帝国主義」を批判しながら結局自ら、欧米帝国主義の支配とは異なった「皇民化」、同化主義という形で異民族支配をしていく。「植民地支配では良いこともした」という言説についても非難している。学校を建てたり、道路や橋を作ったのは、あくまでも植民地支配で必要だったからである。本国の利益のため、統治を円滑におこなうためであった。単なる弾圧と搾取だけでは、統治・支配が成り立たないからである。水間の著書では、日本は、日清戦争以降、官民をあげて莫大な資金を中国に投入して、中国の近代化を手伝ったと書いている。
 「アジアの独立に役だった」という言説の問題点も指摘している。戦争遂行の大前提とされたのが、南方資源地帯の占領と開発、自給自足経済圏の建設であった。「南方占領地行政実施要領」では、占領軍が現地で消費する以外のものは、すべて日本に輸送するとしていた。また、独立運動が自発的に高揚してくることを抑制していた。これは、華僑勢力への武力弾圧、独立運動の管理統制・抑圧とつながっていった。日本側に植民地を解放しようなどという考えはなかったことは、台湾や朝鮮などの古くからの植民地を独立させようと日本政府が1度も考えなかったことから明らかである。
 「日本に領土的野心なし」という言説は、歴史的にはまったく破綻した議論である。「大東亜戦略指導大綱」では、ビルマとフィリピンの独立を容認している。ビルマについては、独立運動(反イギリス運動)を高揚させる戦略の一環であった。フィリピンの独立は1945年にさせることをアメリカ議会で成立させていたので、それより早い時期に独立させるしかなかったのである。同時に、この指導大綱では、「マライ」(現マレーシア・シンガポール)と「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」を「帝国領土」すなわち日本領にすると決定したのである。
 著者である水間は、最後の方で、これまで、自著や企画等「南京関連本」は9冊ありますが、この著書が10冊目になり、これで「南京虐殺事件」問題を完結できるということで本書を上梓した次第ですと書いている。この本では、南京研究者で、紅卍会の埋葬死体統計数統計表の「図表」を知らない者はおりませんとなっている。そして、くどくどと当時の資料を検討し、南京城内で民間人と特定できる死者は34人であったと書いている。著者は、この本では当時親中派であった松井石根総司令官を高く評価している。松井総司令官は戦時国際法を徹底するために「南京城攻略要項」を作成して発令した。この「南京城攻略要項」が訓令され、各部隊に徹底され遵守されたことは、これまでの南京城内を写し出した写真が物語っていますと書いている。
 さて、今週の「トピックス50」(平成30年5月29日)で取り上げた、鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(basillico)である。もう一度、松井総司令官について書いた部分を紹介する。戦後、戦犯として処刑された松井に巣鴨プリズンで面談した戦犯教誨師花山信勝によると、松井は南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に批判していたという。「私は日ロ戦争の時に大尉として従軍したが、その当時の師団長と今度の師団長などを比べると問題にならんほど質が悪い。(略)慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った。(皇軍は)皇威を輝かしていたのに兵士たちの暴行によって一挙にそれを落としてしまったと。ところが、この後で、皆が笑った。ある師団長などは『それくらい、当たり前ですよ』と言った。私だけでもこういう結果になる(処刑される)ということは、当時の軍人たちに1人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい」と述べていた。松井の死刑判決には、主席検事ジョセフ・キーナンでさえ「馬鹿げた判決だ。松井の罪は部下の罪だ。終身刑で充分ではないか」と批判している。
 私は、中国が南京大虐殺を政治的に利用しようとしていることについては、頭から否定してはいない。どこの国でも自国に有利になることは、徹底的に利用しようとする。しかし、日本が戦前に中国でしたことについては、素直に認めるべきである。歴史的事実を否定して、中国に揚げ足をとられるなと言っているのである。私から見たら、水間政憲は金目当ての薄汚い売国奴である。事実を嘘で塗り固める日本の恥さらしである。私の主張することに異議を唱えるなら、「トピックス49」(平成30年5月15日)で取り上げた「NNNドキュメント 南京事件Uー歴史修正を検証せよー」を読んで下さい。実は、この番組については、YouTubeで簡単に見ることができる。番組を見てから、自分で判断することが大事である。NNNドキュメント 南京事件Uをクリックしてください。

 

平成30年7月3日(火)

 6月から木曜日は休診にしている。その分、少し精神的余裕はできてきた。先週はこの日記で書けなかったことを書いておく。まず、医局の同級生から、開業のお知らせのハガキが届いていた。昭和54年(1979年)卒で、当時府立医大の精神科に入局したのは、私を含め2名だけであった。私の同級生も同じ1浪である。私は5月に65歳になった。今年勤務先の公立病院を定年退職になるので、どうするのかと思っていた。65歳では、精神科病院の院長にはなれない。非常勤で同じ病院に勤めるのかと思っていたら、何と、65歳で開業であった。
 実は、神戸の学会の時に、以前に住んでいた鈴蘭台まで行ってみた。私は医局の派遣で、あちこちの病院を2、3年ごとに替わっている。社会保険神戸中央病院の部長をしていた時が1番長く、平成4年(1992年)4月から平成9年(1996年)3月までの5年間であった。この間に長男が生まれている。阪神大震災(1995年)も経験している。長い人生の中で、この時が1番幸せだったと思う。この5年間の間、鈴蘭台の小さなマンションに住んでいた。
 学会の時に、中抜けして神戸電鉄で行ってみた。(前回の日記でも書いているように、所定時間より3時間もオーバーしていたので、必要な時間はクリアしている。) 駅に着いても、20年以上前のことなので、どちらに行っていいのかわからなかった。こんな所にダイエーが建っていたことさえ、思い出せなかった。何とか、以前に住んでいたマンションにたどり着いた。スマホで写真を撮って娘に送ったら、ほとんど覚えていないようであった。私は昼食時に会場を出たので、鈴蘭台で遅い昼食をとった。ウィークデイの午後だったので、閑散とした印象であった。商店街もほとんど人がおらず、ここも高齢化が進んでいる印象であった。
 兵庫県には、府立医大系統の大きな病院として、私が勤務していた社会保険神戸中央病院と明石市立市民病院がある。同級生は、明石市立市民病院をこの6月でやめ、7月からJR明石駅の近くで開業した。きょうホームページで確認してみたら、明石市立市民病院の心療内科は代わりの常勤医はおらず、通常の外来は週1回となっていた。どういうことかと言うと、自分が診察していた患者さんをほとんど引き連れて、開業したことになる。これなら、テナントを借りても大繁盛である。
私はこの日記でも何回も書いているように、神戸にいた時にバブルの時に買った京都の家を売った。どうしてかというと、当時の医局の人生双六で部長で上がりになったからである。そのまま定年まで勤めるか、後は、どこかの精神科病院の副院長や院長の声がかかるか、開業するかぐらいしかなかったからである。家を売って、42歳で一文無しではなく500万円の借金が残った。高い金利の住宅ローン分や売り買いの手数料を含め、4千万円ぐらい損をした。
 家を売り払って間もなく、教授から京都第一赤十字病院の部長の話があった。それまで、精神科は代々京大系の先生が引き継いでいた。府立医大の関連病院としては、社会保険神戸中央病院より格上であった。喜んで引き受けることにした。しかし、私より年上で卒業年度は私より若い京大系の先生が残っていた。いろいろとあったことはこの日記にも書いた。一時は体調を壊し、いつ教授にやめたいと言いに行くか限界まで追い詰められていた。最終的には、この先生とは生きるか死ぬかの死闘をして、同じ京大系の笠原嘉先生に引き取ってもらった。すべて私1人でやったことである。医局の教授からは、裏で私を操って追い出したように誤解されると、怒られてしまった。笠原嘉先生に対する遠慮だけではなく、革マル派の拠点であった京大精神科を恐れていたからである。私は当時、泣く子も黙る京大精神科の評議会で発言させてくれと申し込んだぐらいである。例えは悪いが、暴力団組事務所に1人でのりこむようなものである。教授が指示するわけがない。
 さて、私は京都第一赤十字病院を退職したのは、48歳になる手前である。当直はしておらず、残業手当も請求していなかったので、やめた時の年収は確か税込みで1260万円ぐらいであったと思う。開業してから、10年以上は金銭的な黄金時代を味わった。自宅を売った時の4千万円ぐらいの損も取り戻した。自宅、医院、京都駅のマンション(中古)、琵琶湖のマンションと買い、借金はない。いろいろな事情で、自宅と貯金の一部は手放した。それでも、貯金は1年以内には大台には達する。明石市立市民病院の部長と言っても、税込みで1500万円は超えていても、2千万円には達していないと思う。しかし、たくさんの患者さんを抱え開業したら別である。私の黄金時代以上の収入が得られると思う。私は紀州のドン・ファンの50分の1ぐらいの規模である。お手当が月100万円なら、私の規模で2万円になる。京都は金持ちが多いので、これからは琵琶湖のドン・ファンを目指そうかと思ったりしている。
 先週の木曜日は、久しぶりに大阪の池田に住んでいる母親の所に行った。近くに住んでいる妹と一時大げんかをしていた。今は関係は修復しているようである。信田さよ子「母・娘・祖母が共存するために」(朝日新聞出版)を途中まで読んでいた。著者は臨床心理士で、私は薬物依存の研究もしていたので、著者の書いた文章はよく読んでいる。この本の内容については、読み終えてからまたこの日記で紹介したいと思う。帯には、「それでも母が重たい娘たち、団塊女性の母であることの困難、存在感を示す祖母」と書いてある。私の妹は、私立大学経営学部の教授をしている。定年退職が近づいてきて、次の目標(生きがい)は産婦人科医をしている娘の子どもの面倒である。
 よくある母娘のパターンに、一種の母子一体がある。母親は娘である自分のことを心から愛してくれてきたので、何の疑問も持たず感謝して、一生懸命母親が喜ぶように尽くして満足してきた。ところが、ある日、自分は母親に愛されていたのではなく、母親の好きなように支配され、利用されていただだけではないかと目覚める。事はそう単純ではないが、母親と妹の大げんかはそのことも関係していた。母親は今年86歳になる。耳が遠いが、思ったより元気であった。近所には、挨拶程度ぐらいの知り合いしかいない。デイ・サービスを利用したらいいと思っていた。しかし、元気すぎてまだ対象にはならない。面倒を見てきた妹の子どもも、忙しくてなかなか顔を出してくれない。
 昼食はいつものそば屋に行くのかと思ったら、母親が作ってくれた。私のふだんの生活は本当に質素で、自炊することも多い。外食しても、せいぜいファミリーレストランみたいな所である。私に料理を作る時には、母親はうれしそうに生き生きとしていた。私は長男なので、母親にとっては妹とは違った思い入れがあるかもしれない。食べきれないほど、いろいろと作ってくれた。帰る時には、作り貯めた料理まで持たされた。孫の面倒を見てからの後の高齢者の生きがいも難しいと思った。
 久しぶりに、宅配ビデオでAVを借りた。新作を見てみたら、モザイクが以前より濃くなっていた。今年の3月ぐらいからAV出演強要問題が出て、AV業界が自主規制をしだしたからである。取り締まるべきことは、強要や未成年の出演である。昔は、ズームをすると画面一面がモザイクでいっぱいになり、何を見ているのかさっぱりわからなかった。それが、段々と超薄消しモザイクとなっていき、うっすらと見えるようになっていた。それが、また逆戻りである。ネットでは、無修正のAVも見れる。段々年をとってきたので、日本も早く解禁して欲しい。ただでさえ、興奮しにくくなっているのに、何も感じなくなってからでは遅すぎる。

 


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