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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成30年12月11日(火)

 前回の日記で、中国の監視社会について書いた。この日記は毎週火曜日に更新している。しかし、その週内では誤字だけではなく、文章を訂正したり追加したりしている。先週も更新した後、ベトナムのことを思い出して追加した。何かと言うと、数年前にベトナムに行った時に、現地の英語ガイドから聞き出したことである。ご存じのように、ベトナムも中国と同じ共産党の一党独裁である。ガイドに政治的な自由があるのかと聞いたら、政権批判は禁じられていると教えてもらった。どの程度のことか、その後そのままになっていた。
 前回の日記で、中国のことを書いている時にこのガイドの言葉を思い出した。ネットで調べてみたら、中国以上に厳しいことが書いてあった。ネットの情報といっても、現地のベトナム人なら誰もが知っていることである。公の場で政府を批判したら、「国家転覆罪」に問われるのである。フェイスブックや個人のホームページなどで批判することもできない。懲役何年〜何十年という思い罪が課せられる。これは、旅行者といえども容赦ないという。
 自由主義経済を取り入れた「ドイモイ政策」で、現在は期限付き(50年)で、土地やマンションなどの不動産を持つことができるようになった。美しいビーチを求めて、大勢の外国人観光客が訪れている。中国と比べたら一見自由そうに見える。しかし、国民は、政治に関しては誰も何も批判できない。ベトナムも政府職員による汚職は蔓延っている。むしろ、中国では習近平の「反腐敗運動」が広まっている。末端の役人でも、役所の手続きのために北海道の「白い恋人」をみんなの前で渡すと、これまでと違って受け取るのをいやがるという。
 中国はチベット族やウィグル族など少数民族を弾圧していると批判されている。現在は、弾圧ばかりではなく、懐柔策もいろいろとしているようである。中国がチベット族などを弾圧したことについて、私も擁護する気はない。ただ、世界がこれだけグローバル化されると、それぞれの民族が伝統的に守ってきた宗教的儀式などがどこまで許されるのか、疑問に思ってきた。
 私はここでも何回も書いているように、若い時には、ラジニーシからグルジェフサイババに始まって、山岸会オーム真理教などの本を山ほど読んできた。イスラム教神秘主義のスーフィズムの本も読み漁った。それだけ、人生に救いを求めていたことになる。若い時に、こういう本を読んで鍛えられてきたので、1人の人物に救いを求めるということはなくなった。世の中には、有能で魅力的な人はたくさんいる。しかし、どこか醒めた目を持つようになった。どんな人物に対しても信者のように全面的に心酔することはない。宗教的な本をたくさん読んできたので、ネパールのクマリなどについても、よく知っている。何十年も前に読んだ本の中に出てきたこのクマリという言葉を何とか思い出すことができた。
 クマリとは、ネパールの生き女神である。(この単語を思い出すことができたので、ネットで検索することができた) 細部についてはあまり覚えていない。ウィキペディアの情報では、クマリとはサンスクリット語で「少女」、「処女」と意味する。3〜4歳の時に厳しい審査を経て、クマリに選ばれると、両親から引き離されて宮殿に住む。教育、食事、行動の自由が奪われ、外出も制限される。児童虐待ではないかと言われている。私も当時そう思った。
 実は、チベットのダライ・ラマも同じような選ばれ方をする。正確を期すために、ウィキペディアの情報を引用する。ダライ・ラマが没すると、僧たちによって夢占いや何らかの奇蹟などによって、次のダライ・ラマが生まれる地方やいくつかの特徴が予言される。そして、その地に行って、その候補者が本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。転生者として認定されると、幼児期にして直ちに法王継承の儀式を受ける。それぞれの民族の伝統的宗教行事を批判するつもりはない。しかし、1歩間違えると、現在では世界で通用しない幼児虐待になってしまう。余談である。昔はチベットの僧は尊敬されていた。女性に関しては、セックスはやりたい放題であったと何かの本で読んだことがある。(何かご利益があると、信じられていたのかもしれない)
 たまたま車に乗っている時に、FM放送で面白いインタビューがあった。以前にも書いたが、私は来年のゴールデンウィークは、ブラジルに1人で行きたいと思っている。インタビューで、強烈な個性の女性が出ていた。私はまったく知らない人であった。ネットで調べてみたら、大宮エリーであった。もっと若いかと思ったら、もう43歳であった。東大薬学部を卒業し、電通を経て、現在は自分の事務所を持っている。CMディレクター、映画監督、作家、エッセイスト、コピーライターなどとなっていた。写真では、あまり私好みではない。
 何が強烈だったかというと、薬剤師の国家試験があった時に、試験を受けたくなくて、たまたまその日がリオのカーニバルということで、それに参加するという理由をつけて、1人で行ってしまったことである。だから、薬剤師の免許は今でも持っていない。旅行代理店にリオまで1人で行くと申し込んだら、危険だからと言って、当時受け付けてくれなかったという。
 結局、リオのカーニバルに行き、街中でも水着姿で過ごしている。水着のブラにお金を隠していたら、何も取られるものがないので、安全だったという。スーパーに水着で買い物に行っても、地元の中華系レストランの中国人の従業員と間違えられたぐらいである。私も、何も取られるものがないと、ふんどし1枚で街中をうろうろしていたら、逮捕されるかもしれない。ラジオでこの事を聞いて、私ももうちょっとぶっ飛んだ生き方をしてもよかったと思った。医学部は伝統的に学術論文など業績重視なので、ぶっ飛んだ生き方をしたら、評価の高い一流病院の部長にはなれない。とにかく、この放送を聞いて、ブラジル行きの決意を新たにした。
 この前の土曜日は、毎年やっている医局の同門会があった。同じ医局の先輩や若い先生が最初に演題を発表していた。特別講演は、慶應義塾大学教授の「ポジティブ心理学を精神科診療に活かす」であった。ポジティブ心理学が現在大流行しているという。まず、最初に「幸福とは何か」である。アリストテレス、仏教、エピクロス、ストア派などの解釈が述べられていた。
 主観的幸福度ランキングも紹介されていた。調査の仕方も異なり、必ずしも実態を反映しているわけではない。それでも、1位はフィンランドで、2位はノルウェーである。アメリカは18位で、日本は54位、中国は86位であった。サクセスフル・エイジングのことも解説されていた。にわかには信じがたいことであるが、日本でも海外でも90歳を超えると、幸福度は上がって来るという。呆けて、ただエクスタシーになっているだけではないかと思った。内容は、それほど新しいことを言っているわけでない。手を変え品を変え、これまで出てきた内容を言い換えているだけのような印象も受けた。
 懇親会では、先輩の先生や後輩の先生と話ができてよかった。段々と年をとってくると、こんな時ぐらいしか、話す機会はない。今度新しく京都府精神保健総合センターの所長になった女医さんとも話ができた。私は、彼女のお父さんには、院長をしていた社会保険神戸中央病院でお世話になっていた。今は87歳(だったと思う)を超え、あまり容態はよくないようであった。京都府の施設でも、京都市内の患者さんでもデイ・ケアなどは受け入れてくれる。私の医院からは比較的近い。これまでにも何人かの患者さんがお世話になっていた。
 80歳を超えた先輩が集まっていたテーブルにも、挨拶に行った。私は「ジジイ殺し」みたいな所もあり、昔お世話になった先生とは冗談も言って、リラックスして話ができる。私も後を追っているので、老後の生き方は参考になる。他にも、今話題のクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を見て感動したという女医さんもいた。患者さんの中にも、同じようなことを言っていた人もいた。私が昔フレディー・マーキュリーがガキデカの「こまわり君」に似ていると言われていたと話しても、誰も覚えていなかった。私の記憶違いではないと思う。私の後を引き継いだ京都第一赤十字病院の部長とも話すことができた。今度の同門会では、ふだん以上にいろいろな人と言葉を交わすことができてよかった。

 

平成30年12月4日(火)

 年末になると、ややこしい書類が増えてくる。年とともに書くのが面倒臭くなってくる。時間があっても、うんざりである。私はどんなにストレスが溜まっても、人にあたることはない。家族に対しても同じである。その分、我慢大会になりやすい。最近は、アルコールを飲んでいると、怒りがどうしようもなく沸いてくる。大した量ではないが、控えようと思っている。しかし、ついつい飲んでしまって悪循環である。
 さて、11月22日〜25日まで3泊4日で行っていた桂林の続きである。中国は監視社会と言われている。中国で生産して販売されている車では所有者には知らされず、GPSで政府機関に情報が送られていると、最近伝えられていた。スマホを含む中国での通信は周知の通り中国政府に監視されている。これは、ある意味でアメリカも同様である。スノーデンの暴露については、この日記でも何回も取り上げている。私のスマホは、中国製のファーウェイである。私はマイクロソフトやグーグルもヤフーもあまり信用していない。日本で流行のソフトやアプリも同じである。個人情報が漏れたり収集されていないという証拠はどこにもない。
 トランプ大統領が安全保障のために欧米でファーウェイを閉め出そうとしていることもニュースになっていた。私は欧州で中国製品であるファーウェイの大規模通信機器を使ったら、米国が思うように、スパイウェアなどを通信機器に組み込むことができなくからではないかと、勝手に想像している。私は中国だけではなく、他の国でもホテルの無料WiFi以外使ったことがない。こういうことについては、ものすごく神経質になる。別に、麻薬を運んでいるわけではない。
 これだけ人口が多いので、中国政府も国民のすべてを監視できるわけがない。中国では外国人観光客はまだあまり多くない。特に、私のようにどこにも1人で行ってしまう人物は充分に怪しい。私の被害妄想かもしれない。ピンポイントで監視されているのではないかという懸念はまったくないわけではない。(最初だけかもしれない)
  考えてみたら、中央政府の批判者や地方の要人、大企業主など監視対象は無数にいる。いつまでも監視対象者にしていたら、きりがない。国民に対して常に監視しているという政府のメッセージは、その実態はともかく、一党独裁への批判を抑えたり、犯罪を抑制していることは間違いない。ベトナムも一見自由そうに見えるが、体制批判はタブーである。一般の旅行客はあまり気にすることではないかもしれない。
 桂林については、絵にも描けない美しさかと言われると、そこまではいっていなかった。やはり、大震災があった九寨溝が最高であった。被害が大きかったというので、私が見た九寨溝は破壊されて、もう2度と同じ風景を見ることはできないかもしれない。3年前にYouTubeにアップロードした動画の視聴数が全く上がっていない。ここで再び中国・九寨溝の1人旅を紹介する。(興味のある人はクリックして下さい)
 次に中国で行きたい最優先の場所は、張家界である。以前にも書いたように、このツアーを申し込んでいた。ところが、上海に行く飛行機がキャンセルとなった。関西国際空港で何時間も待たされ、ツアーは取り消しである。張家界もツアーの出発日が合わないと行けない。今回の桂林の旅で、中国で飛行機の乗り継ぎがあっても、ほぼ大丈夫だと確信できた。1人旅の場合は言葉の通じない現地でトラブルがあると、対処に苦労する。

陽朔 ・この前の続きである。ここは桂林から川下りをしてきた陽朔の市内である。町のあちこちからこんな奇岩が見える。市内では、タイから輸入したドリアンを売っている店がいくつもあった。

人形 ・観光客が集まるエリアに蝋人形館みたいな店がある。もしかしたら、シリコンでできているのかもしれない。きちんとお辞儀をする。受付けの人にチップを渡して、実際に胸を触らせてもらったらよかったかもしれない。強制わいせつ罪や器物損壊罪には該当しないだろう。
 少し前の「週刊スパ」のネコノミクス宣言で、BBC放送の「Sex Robots And Us」のことが紹介されていた。早速YouTubeで見た。アンドロイドで有名な大阪大学の石黒浩教授が黒いポルシェに乗って出てきた。日本のラブラドールも紹介されていた。昔は女性器そっくりに作るのは違法だと聞いた事がある。今はどうなっているのだろうか? 私の時代はまだ無理である。将来技術が発達したら、医院の受付けは兼用で、これでいいと思う。アンドロイドなら、たとえセックスをしても浮気にはならないだろう。
 いろいろ考え出すときりがない。夫婦がセックスレスでも、お互いに愛用のアンドロイドがいたら結婚生活はうまくいくのか? ロリータのアンドロイドでも楽しめるようになるのか? 18歳未満の未成年に性的なイタズラをしたら、被害者は心に深い傷を負う。アンドロイドなら、法的に許されるのか? 実際の性犯罪は今より減る可能性が高い。違法にしても、裏製品が出回るだろう。現在深刻なのは、障害者の性である。表に決して出て来ないが、息子の性処理を母親がしていることもある。飽きてしまったら、車のようにアンドロイドの中古市場も発展するだろう。

歩道橋 ・ここは町の中心地の歩道橋から見た風景である。中国と言うと、ゴミだらけの汚いイメージがあるかもしれない。翌朝の半日ツアーでバスでここを通った時に、大勢の人が出て道路や中央の分離帯フェンスを洗剤をつけてきれいに洗っていた。いくら観光地でも、日本ではここまでやらないと思った。

パフォーマンス ・ここも観光客が集まるエリアである。人民兵の服装をして、パフォーマンスをしていた。

レストラン ・先ほどの中心街からホテルまでは歩いて帰れる。夜はホテルの近くの川魚料理の店にはいった。現地の料理店は、肉料理も多かった。段々年をとってきて、油っこそうな現地の料理に挑戦する元気はなくなってきた。今回は肉料理は避けた。この料理店でも英語はまったく通じなかった。前回紹介したポケトークの出番である。店のおばちゃんにはけっこう受けた。「あなたは大変きれいです」と翻訳したら、もっと受けただろう。
 メニューを見たら、鍋物の鯉が500gで49元(828円)であった。私は贅沢をしたかったので、Sesame Swordという魚を注文した。500g129元であった。他にビールとライスを注文した。ところが、ここの会計係がいい加減で、合計256元(4326円)も取られてしまった。酔っていたので、一旦お金を払い、店を出て領収書を見たら、2名様になっていた。ビールの値段も違っていた。一旦支払いしてから抗議しても、後の祭りである。10元だけ返ってきた。少し前まで、欧米人は日本のレストランなどでは、必ず会計をチェックして支払いをすると言われた。私も、ついつい油断をしてしまった。

観光街1 ・食事をしてから、再び先ほどの観光エリアに行った。前回も書いたように、モダンな建物と古いたたずまいが残っており、雰囲気は本当によかった。ここでは池で噴水ショーをしていた。

観光街2 ・ここは先ほどの歩道橋から見た観光街である。まだ、金曜日の夜の8時過ぎである。これだけの観光客で溢れている。前回、日本人観光客が必要ないと書いた意味がよく理解できると思う。日中はそれほど混んでいない。あちこちに風光明媚な名所があるので、観光客はそちらに行っている。

イカダ乗り1 ・翌日の11月24日には桂林に戻らなければならないので、ホテルで半日のツアーを予約した。ホテルまで迎えに来て、ホテルまで送ってくれる。4時間のツアーで260元(約4,400円)であった。ところが、高級ホテルで頼んだので、こんな値段になってしまった。英語の案内はなく、中国人しか参加していなかったので、現地の旅行代理店で申し込んでもよかった。先ほどのポケトークがあれば充分である。
 天候は雨は降らなかったが、曇り空であった。バンブーイカダ乗りであった。私は1人で参加であった。2人ペアで乗る。若い夫婦と妻の母親3人で参加している人がいた。私はその夫と一緒に乗ることになった。この若い夫婦が声をかけてくれ、どうしたらいいのか英語で教えてくれた。

イカダ乗り2 ・こんな風景がずっと続く。私は去年結婚したばかりの夫と英語でずっと話をしていた。タイなどに奥さんと行っているが、日本はまだ訪れていないという。中国の女性は強いので、けっこう尻に敷かれているという印象であった。
 大学では、日本語も習ったという。中国の大学卒業生はびっくりするほど英語を話す。前にも書いたように、日本人は中学生(今は小学生)から10年間英語を習っているのに、ここまで話せる人はほとんどいない。医者でも英語の文献は読めても、話すのは別である。翻訳家の常盤新平がニューヨークに行った時に、編集者から「本当に話せないんですね」と妙な感心をされている。
 他の観光客を見ていたら、景色は見ておらず、スマホをずっと見ている人も多かった。1時間以上乗っているので、少し飽きてくる。私はツアーの内容まで確認できなかった。半日ツアーというと、どうしても限定されてしまう。

記念写真 ・私は旅行に出かけても、皆無に近いほど自撮りはしない。むしろ、避けているぐらいである。知らなかったが、途中記念撮影をしていた。船を下りてから、好きな写真を選んで買える。もちろん、強制ではない。写真をラミネートをして、1枚20元(338円)であった。今回は、この日記のために買った。私は漕いでいる人ではない。カメラを構えている方である。髪はカツラではない。

船着き場 ・ここは終点の船着き場である。ここまで バスが迎えに来てくれる。左端にいるのが、声をかけてくれた夫婦である。帰りの道は細く、車がすれ違うのも一苦労であった。

桂林1 ・桂林には、バスで帰った。チェックアウト時間は正午である。ホテルと交渉して、午後2時まで無料で延長してもらった。バス停はホテルから比較的近かった。そこらへんのバイクの運転手に声をかけて、6元(約100円)で行ってもらった。
 バスは直通で陽朔から桂林まで行く。値段は27元(約450円)であった。バス停を午後1時40分に出て、鉄道の桂林駅には午後1時50分に着いた。ここからホテルまでのバイクやタクシーが値段をふっかけてきた。ホテルでもらった地図では、私のホテルがある植物園は桂林駅から近い。少し離れた所で、タクシーを捕まえたらよかったかもしれない。随分と遠回りして、40元(約670円)であった。
 ここは桂林の観光地エリアである。ホテルで場所を中国語で書いてもらった。あまりにも都会化して整備されすぎていて、私には面白くない。比較的ましな所で写真を撮った。今の季節は牡蠣のシーズンである。あちこちの屋台で美味しそうな牡蠣が焼かれていた。
 私は日本料理店がしまっていたので、近くの日式ラーメン店にはいり、夕食をとった。日本に滞在していた女性が経営していた。ラーメンが26元(約440円)で、餃子が13元(約220円)であった。大勢の中国人でにぎわっていた。ビールを注文したら、隣の小売店を紹介してくれた。350ccの缶が、1本3元(約50円)であった。いつも小売店で、ぼられているのではないかと思った。このビールは美味しかった。2本買いに行った。北京では、今は日本の吉野屋より北京の吉野屋の方が値段が高くなっている。
 帰りは。少し歩いてタクシーで帰ってきた。ホテルからこの観光エリアはそこそこ離れていた。タクシー代はメーターを使って13元(約200円)であった。鉄道の桂林駅からホテルまでいかにぼられたか、よくわかった。   

桂林2 ・私のホテルの近くにも、ちょっとした繁華街がある。土曜日であったので、大勢の人が出ていた。たまたま見つけた店の看板である。最近は、このレトロ調のデザインが気に入っている。
 翌日の25日(日)は、また上海経由で関西空港に戻ってきた。今度は、飛行機が時間通りに飛び立ち、上海の到着時間も早かった。それでも、朝8時にホテルをチェックアウトして、京都駅に着いたのは午後8時4分であった。時差があるので、計11時間かかったことになる。
 桂林に行くには、4泊5日がいい。陽朔に2泊するのが理想的である。実は先ほどの陽朔の観光地エリアで、滅多に買わないお土産を他にも買った。通りで桂林の写真集を売っていた。最初は40元と行ってきた。前回書いたように、人形が半額になったので、20元(338円)と言った。結局その値段で手に入れた。中の写真を見ると、あちこちに美しい場所がある。

平成30年11月27日(火)

 きのうの京都新聞を読んでいたら、少し前にこの日記で紹介した福知山市のもみじヶ丘病院の院長が、「暖流」に文章を書いていた。理事長などは府立医大系である。院長は京大系である。以前に書いていた同じ京大系のたかぎクリニック院長から引き継いだのかもしれない。もみじヶ丘病院の院長とは、以前に勉強会で話すことはあった。ふだんこの院長の文章には触れることはなかった。本格的な精神病理学を実際の臨床に還元しながら(その反対も)やってきた先生なので、内容は濃い。これから連載されるなら、読み応えがあって楽しみである。
 実は、11月22日(木)〜25日(土)まで、また中国に行ってきた。先月は3日半で北京に行ってきたばかりである。毎週木曜日は休診にしたので、24日(土)だけ外来は休んだ。行ける時に、行っておこうと思った。どこに行ったのかというと、桂林である。少し前は、日本から中国への旅行と行ったら、桂林であった。各旅行会社から、パックツアーが山ほど出ていた。最近は、中国に対する反感もあり、日本人観光客は激減している。
 しかし、実際に行ってきた印象は、中国各地から観光客が殺到していた。日本人観光客はいなくなろうと、全く関係ない。(このことは、サイパンにも言える) ところが、日本を訪れる観光客の第1位は中国人で、第2位は韓国人である。中国人観光客が日本を訪れなくなったら、日本の観光業は大打撃である。ついでに、日本の対中貿易では、2017年下半期から2半期連続で黒字となっている。(輸入額より輸出額が上回っている) ちなみに、輸出相手国としては、2009年より中国がアメリカを抜いてトップになり、2013年から再びアメリカがトップとなっている。櫻井よしこなどが、あちこちで中国の悪口を書いている。(なぜか、ロシアの悪口は書かない) しかし、経済的には日本はこれだけ中国との関係が深いのである。
 今でも桂林へのパックツアーは出ている。問題は、自分の行きたい出発日と合わないことである。ほとんどが格安ツアーになるので、祝日と重なるツアーはない。北京から帰ってきた同じ週に、桂林行きの飛行機を予約した。(10月13日) 関西国際空港から上海まで行き、上海から乗り継いで桂林まで行く。往復チケットは54,320円であった。桂林に着いた日と最後の日に同じホテルに泊まり、船に乗って陽朔まで行き、ここで1泊した。ホテル代は、桂林でも陽朔でも、税・サービス料込みで1泊1万1千円ちょっとであった。(2人でも泊まっても値段は同じである) 私は中国語がまったくしゃべれず、タイトなスケジュールであったので少し心配であった。(青島や北朝鮮に接する丹東などに1人で行っているが) 今回は、役にたったものがある。後で、写真付きで解説する。
 出発は関西国際空港発が午後1時10分であった。上海には現地時間(日本より1時間遅い)の午後3時前で、午後4時45分発の桂林行きに乗り換える。ところが、一旦入国手続きをして、国内線に乗り換えるのがけっこう時間がかかってしまった。飛行機に預けた荷物はそのままで大丈夫である。しかし、手荷物検査が厳密で、けっこう時間がかかった。桂林は広西チワン族自治区に属している。このことが関係しているのか、よくわからなかった。ゲートの場所もわかりにくく、ぎりぎり搭乗時間に間に合った。ところが、飛行機の中で1時間以上待たされ、出発時間が遅れた。桂林の空港に着いたのは、夜8時半ごろであった。(予定では3時間となっていたが、2時間ちょっとで着いた)
 空港からホテルまでは、タクシーである。中国でタクシーに乗るときには、紙に大きな字で中国語のホテル名を書いておくのがいい。電話番号もあったら、ドライバーが場所を聞いてくれる。英語はまったく通じない。私もこのことはよくわかっていた。ところが、日本でいくら調べても、ホテルの中国名が出てこなかった。ホテルの予約票でも英語名だけである。中国語の表記が難しくて、表示されなかっただけかもしれない。案の定、ドライバーがホテルがどこにあるのかわからなかった。スマホで英語のできる人を呼び出して、やっとたどり着くことができた。
 後でわかったことであるが、植物園の中にあるホテルであった。ネットで知らない都市のホテルを予約するのは、けっこう大変である。場所がどの辺にあるのか、いちいち調べなければならない。いくらいいホテルでも、中心地からあまり離れるのもよくない。私は調べるのが面倒臭くて、予約したのは出発3日前の19日であった。入口にある電話で呼び出すと、カートが迎えに来てくれる。ホテルには、夜10時頃に着いた。この後のことは、写真付きで解説する。

ホテル ・植物園の中にある中国では高級ホテルである。22日と24日に泊まった。着いた日は、夜10時にチェックインした。真っ暗で、カートの運転手と1人の受付しかいなかった。英語もまったく通じなかった。これは後でわかったことであるが、日中は英語のわかるスタッフもいた。
 翌日の川下り(漓江下り)は、早朝出発である。ホテルにパンフレットがあったので、翌日のツアーを申し込んだ。朝7時半に迎えに来て、船の中でのランチがついて、4時間のツアーである。値段は400元(6760円)であった。(ホテルでの両替は、1元は約16.9円)
 中国語がまったくしゃべられないので、この時に威力を発揮したのは、声で翻訳できる新型のポケトークであった。北京に行く前に買った。北京では交通網も発達しているので、使う機会もなかった。ところが、このホテルでのツアーの予約や、遅い夕食をどこでとったらいいのか中国語で聞くには、本当に便利で役だった。衛星通信を使っているようなので、どこでもすぐに繋がる。74言語に対応しているので、ブラジルにも1人で行けそうである。私はTOEICで860点を取り、CNNもよく見ているので、英語にはほとんど不自由しない。留学したことがないので、英字新聞などは、まだスラスラとまではいかない。英語とこのポケトークで、世界中どこでも不自由なく行けそうである。
 広いホテルの敷地内に、いくつかの建物が建っていた。自分の部屋を探すのに、何回も道を迷った。池には、錦鯉も泳いでいた。このホテルの正確な値段は、朝食付きで11,059円であった。これまでどこのホテルでも見たことのないシャワートイレが付いていた。それも、乾燥機能まで付いていた。

船乗り場 ・朝7時半の出発であった。また翌日に泊まるので、大きな荷物は預かってくれた。途中、バスが迎えにくるまで、ドライバーと英語で話をしていた。日本人観光客はほとんどいないと言っていた。バスでけっこう市内を走った。私が参加したツアーには、大勢の中国人が参加していた。それでも、ドイツ人などの外国人も6〜7人いた。

船1 ・これだけ大きな船に乗っていく。いくつものツアー客が乗っている。

風景1 ・写真などでよく見る風景である。この日は天気がよくて、よかった。4日間とも雨は降らなかった。中国の20元の紙幣には、この桂林の風景が描かれている。その場所にかかると、ガイドが教えてくれる。

船2 ・1階と2階がテーブルの付いた客席となっている。ここで昼食をとる。ほとんどの客はデッキに出て、景色を楽しんだり、写真を撮ったりしている。持っているカメラは、すべて日本製である。外はそれほど寒くはなかった。乗船券にテーブルの指定席が書いてある。私の隣には、同じツアーの40代ぐらいのイタリア人女性が1人で座っていた。ミラノの近くのホテルで働いていて、今回は3週間の旅行だと英語で話していた。

風景2 ・途中、川の景色も変わる。

風景3 ・ここが、20元の紙幣の風景になった所か、しっかりと覚えていない。モデルとなった場所では、20元の紙幣を持って、記念撮影している人が多かった。

風景4 ・こんな季節でも、まだ緑がきれいであった。今の時期は乾期になる。春から夏にかけて、降水量が多くなる。花が咲き乱れるシーズンがベストのように思える。しかし、雨が多いのもどうかと思う。

船着き場 ・ここは陽朔の船着き場である。大勢の観光客が次から次へと到着する船から下りていた。

通路 ・船から下りて、こんな所を通って、船着き場の外に出る。

ホテル2 ・ここは陽朔のホテルである。ここも、中国では高級ホテルになる。税・サービス料を含め、650元(11,059円)であった。ネットでの予約では、1元16.3円になっていた。朝食は別に80元(1500円ちょっと)取られる。実は、このホテルの場所は調べている時間がなかった。川沿いということはわかっていた。窓の向こうに川が見える。最初は、船着き場から歩いて行けると思った。けっこう距離があった。バイクで20元で送ってもらった。

繁華街1 ・ホテルから歩いて繁華街まで出た。観光客用のレストランやお土産やさんが並んでいる。ここの雰囲気はよかった。こんな店も出ていて、変な風に観光地化、都会化されていない所もたくさん残されていた。

繁華街2 ・建物も近代的な物もたくさん建っている。しかし、古びた建物も残っていて、よかった。

繁華街3 ・お土産やさんの中には、英語版の毛沢東語録の引用本も売っていた。左ページに中国語で書かれ、右ページには英語で書かれていた。

お土産 ・私は海外でも滅多にお土産は買わない。今回買ってきたお土産である。両方にあるのは、プリントされた布で、高さ38cmある。1枚50元(役840円)であった。もっとデザインの気に入ったものが額縁に入れられていた。これは最後の1枚ということで、100元出すと言っても売ってはくれなかった。
 さて、真ん中の人形である。高さは43cmもある。手に棒をつけて、人形劇などに使われる。店頭に他の人形と一緒にぶら下げられていた。見た瞬間、この顔に一目惚れしてしまった。こういう風に座らせて飾っておくのもいい。
 値段である。最初、店の人は480元と言ってきた。いくらぐらいに値切ったらいいのか、まったく見当がつかなかった。300元と言ったら、350元と計算機で示してきた。無理に買うこともないかと思ったら、300元にしてきた。それでも、持ち帰るのが面倒だと思って出ようとしたら、引きとめるので、250元(約4200円)と言ってみた。これで決着である。こんな人形を売っているのを見たことがない。観光客が手に入れるのはなかなか難しいと思う。

平成30年11月20日(火)

 最近、突然浦島太郎の童謡を思い出した。助けたカメに連れられて竜宮城に行った話である。玉手箱の蓋を取ったら、白煙があがり、たちまちお爺さんである。年をとると、自分はいつ玉手箱の蓋を開けたのだろうと思う。過去を思うと、本質的に浦島太郎と変わりない。あっという間にお爺さんである。タイやヒラメの舞い踊りはまだ見ていない。限られた残りの人生は、本当に自分の好きなことをしようと思う。
 いつも書いている男性と女性の違いである。私の所に通院している女性の患者さんが、夫のことで思い出したように怒っていた。今は50代である。その内容というのは、「小さな子どもを2人抱えている時に、夫は会社の出張ばかりで、何も手伝ってくれなかった」である。小さな子どもを抱えて大変な時に、夫がいつも競輪や競馬、パチンコに行っていたわけでない。夫が仕事で苦労していても、家事などを手伝ってくれないと、女性にとっては許せないことのようである。(正確に言うと、子育てのねぎらいの言葉や感謝の気持ちが全くなかった) 当時は、専業主婦である。何十年も前のことでも、きのうのことのようにありありと覚えている。遠藤周作が「女は牛だ」と言ったことを思い出した。過去の出来事を何回でも反芻するからである。慰安婦問題でも、被害者が女性であったことが、余計に問題をこじらせている。もちろん、慰安婦問題は存在しないと、事実を否定する側に根本的原因がある。
 もう1人の患者さんは、70代の女性である。時代的には、最後まで専業主婦で、夫が定年退職を迎えた世代である。夫についての不満は、外来で長いこと続いていた。ほとんどのサラリーマンの妻は、専業主婦が当たり前の時代に生きてきた。どうしても仕事中心の夫に対して不満が溜まるのは仕方ない。私は40年近く精神科医をしてきたので、常に患者さんの訴えから時代の流れを感じてきた。昔は、夫に対する妻の不満が爆発する時には、「夫も仕事でストレスが溜まっていると思う」と慰めると、「私は仕事をしたことがないので、わかりません」とほぼ全員が答えていた。
 さて、この息子さんが京都の一流企業に勤めている。海外への出張も多い。パリへの出張でもエコノミーで、帰ってきたらすぐまた仕事である。40代でまだ独身である。自宅から通勤している。母親が食事の用意などをしている。身近に、息子の企業戦士の姿を見て、男性はいかに忙しいか身にしみて感じるようになった。自分をおろそかにしてきた夫に対しても、以前ほど拒絶反応を示さなくなってきた。私が、「こんなに忙しかったら、結婚しても奥さんを放ったらかしにすることになる」と言ったら、「結婚は無理」と答えていた。
 精神科医として、男女の違いはわかっているつもりである。男性は問題解決思考で、過去のことは「済んだことだ」で済ましてしまう。女性は、問題が解決しなくてもいい。とにかく男性に話を聞いて欲しい。現在は、女性も第一線で活躍している。女性も仕事をするようになって、多少男性的思考法に近づいているのか、よくわからない。身近では、女医さんがいる。しかし、若い女医さんとはプライベートな話をする機会がない。ある程度、男性的思考法が身につかないと、次から次へとやってくる難題をテキパキ処理していくことはできない。女性的な細やかさを生かして、中には成功する事業もあるかもしれない。
 今回、たまたま患者さんの母親が心臓ペースメーカーを入れることになった。昔はペースメーカーを入れると、障害年金が1級になると聞いていた。今回もまだ1級であった。医学が発達し、ペースメーカーも小型になり、バッテリーも長持ちし、安全性も飛躍的に伸びている。どこまで本当なのかわからない。昔はペースメーカーを入れた方がふつうの人より長生きすると言われていた。結局、一旦障害等級が1級と決まったら、医学がどんどんと発展していても、厚労省も変更できないのだろう。なぜかと言うと、障害等級を2級に下げたら、支払われる給付金が下がり、これまで1級の年金を受け取っていた障害者から不満が出て混乱が生じるからである。
 私の手元に、椎野登喜子編集「障害年金相談対応マニュアル」(新日本法規)がある。社会保険労務士や弁護士6人が分担して書いている。ちなみに、身体の障害を見てみると、1級は、両眼を失明したもの、両上肢を肘関節以上で欠くもの、両下肢を膝関節以上欠くものなどとなっている。心臓ペースメーカーと比べると、著しくバランスを欠いている。他の合併症がない限り、心臓ペースメーカーを入れたら、日常生活に大きな支障はない。ここでは何回も書いている。和歌山のカレーヒ素事件では、林眞須美死刑囚の夫が、足が悪くて障害年金1級をもらっていた。しかし、たびたびマスコミの前で杖を使って歩いている姿がTVで放映されていた。この時に、障害年金1級をもらっていたがわかり、大問題となった。結局最後は、虚偽の診断書、実際の症状より重く書いた整形外科医に、これまで支払われた年金の返還命令が出た。
 精神の障害年金はいい加減な診断書が多いことはここでも何回も書いている。最近、障害年金が取り下げになった患者さんの新たな障害者保健福祉手帳用の診断書を書いていた。障害年金をもらっている人は、障害者手帳の診断書は必要ない。この診断書を書いていて、新たに怒りがわいてきた。どういうことかというと、生活保護の患者さんで、他院で障害年金の診断書を書いてもらっていた。ところが、1年半ほどそこの医療機関には通院せず、近くの内科で安定剤や睡眠導入薬をもらっていた。そして、継続の年金の診断書が送られてきたので、この医療機関を訪れ、継続の診断書を要請した。当然、通院もしていない患者さんの診断書を書くわけにいかない。断られて、私の医院に来た。もちろん、診察もしていない患者さんの年金の診断書を書くわけにいかない。
 ところが、「年金課に聞いたら、私の医院でいいから、書いてもらえと言われた」と診断書を持ってきた。私は京都にある日本年金機構の事務所に問い合わせをしようとした、ところが、何回電話しても電話がつながらなかった。国民年金の場合は、各区役所に年金課があることはこの時は知らなかった。患者さんは、ここから診断書を書いてもらえと言われている。私はどこにも問い合わせができず、締め切りが迫ってきたので、理不尽ながらも診断書を書いた。病名は双極性感情障害となっていた。しかし、パニック障害に近く、外出が困難になっていた。ちなみに、パニック障害は障害年金の対象とはならない。
 各区役所は、生活保護の患者さんの医療費や生活保護費を削減したいと思っている。精神科については、何でもかんでも自立支援医療にして(医療費は国が払ってくれる)、精神障害者手帳や障害年金の診断書を書かせようとしている。こんなでっちあげ見たいな診断書を書かされて、今でも怒り心頭である。何と、こんな診断書でも、継続して受給できていた。ここまで極端ではなくても、あまりにもひどすぎるケースが多い。生活保護の担当者は、障害者手帳2級は障害年金2級に該当すると思っている。「障害の状態」の項目が全く違っていることも知らない。何も知らないド素人が、前には保険請求の内容についてまで直接私の所まで問い合わせみたいなことをしてきた。(通院精神療法を請求しているなら、自立支援医療の診断書を書けということか) 企業の健康保険組合が、保険請求の内容についてしかるべき手続きを踏まず、直接医療機関に問い合わせしてくることはない。発達障害の患者さんを除いて、入院治療もせず(充分な治療も尽くさず)に患者さんの言うままに固定した障害として手帳や年金の診断書を書くのは、完全なルール違反である。
 少し前まで、障害者雇用のことが問題となっていた。精神科は、うつ病関係の患者さんでは自立支援医療以上、精神障害者保健福祉手帳以下の患者さんが多い。問題となってからは、企業も障害者雇用としては手帳を持っていない人は雇ってくれない。ここで問題になるのは、こういう患者さんが手帳用の診断書を書いてくれとしつこく要求してくることである。私も丁寧に該当しないと説明しているのに、診察で30分以上押し問答で費やされることも珍しくない。そもそも、精神の手帳を持っている人が、障害者雇用で企業に勤めることができるか疑問である、本来精神の障害者手帳の対象は、仕事ができないだけではなく、日常生活に支障を来している人である。作業所やA型やB型の就労支援施設を利用するのはわかる。しかし、日常生活に支障をきたすほど、抑うつ気分や気力低下が長期的に持続している人が、障害者雇用で一般企業に勤めることができるわけがない。一般企業で、作業所みたいな仕事をさせろということなのか? もし勤めることができるなら、今度は障害者手帳の対象ではなくなる。
 該当しないのに、障害者雇用のためにでっちあげの診断書を書くのは、本末転倒である。実際に年金診断書も含め安易に書き出したら、すぐに不正に慣れてしまって、本来該当しない患者さんの診断書を何でもかんでも書くようになる。障害年金の場合は、年間80〜90万円ぐらい支給される。表に出てきにくい不正ほど、歯止めがかからなくなる。今耐震問題など、大企業の不正や劣化が次々と指摘されている。経済的に患者さんが困っていると言っても、症状を強めに、虚偽の診断書を大量生産していたら、どこかで医者も摘発されるようになる。

 

平成30年11月13日(火)

 この前の土曜日は、午後から本や書類の整理をしていた。あちこちの病院からパンフレットや年報などが送られてくる。中には分厚い本もある。厚労省などから送られてくるややこしいアンケート調査も多い。いつもお世話になっている病院の会誌などは、一応目を通している。医師会の雑誌や日本精神神経学会、3月にやめそこねた日本心身医学会の雑誌もすぐ溜まる。たまたま処分する前に、10月分の府立医大雑誌をチェックしていた。毎号、府立医大の関連病院が紹介されている。今回の<病院便り>は、私が以前にお世話になっていた福知山にあるもみじヶ丘病院であった。理事長、副理事長、院長、副院長の4人が、それぞれ精神病理学について書いていた。
 私は、当時の国立福知山病院(現福知山市民病院)に勤めている時に、精神病理学の勉強会にも参加させていただいた。それ以降も、病院での講演会や土日の当直にも行かせてもらっていた。今回執筆者の4人はよく知っていた。ラカンなどの本を書いている京大の新宮一成教授の講義もよく聴いた。ユング心理学で有名な、故安渓真一先生の話も聞かせてもらった。木村敏先生や笠原嘉先生と同じ世代である大谷亙先生が会を主催していた。今回病院の紹介文を読んでいたら、故大谷となっていた。いつ亡くなったのか、まったく知らなかった。去年の医局の名簿には、名前が載っていた。大谷先生にも、大変お世話になった。ご冥福をお祈りします。
 精神病理学と言っても、今の若い人には何のことかさっぱりわからないだろう。私は日本語で読んでも理解しがたい難解な文章を、ドイツ語の原文の翻訳につきあわせられ、正直言ってついていけなかった。しかし、ここにも書いてあるような、現在のDSM−5(米国の精神疾患の診断と分類)のような操作的な診断法についても疑問を持っている。生物学的精神医学についても、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンで何でも説明できるような錯覚には批判的である。実際に個々の患者さんを治療していると、理論通りには改善しない。
 副理事長はフランスに留学し、副院長はドイツに留学している。ジャネからフロイト、クライン、ラカンの名前が出てきて、懐かしく思った。4人とも骨のある文章を書いていて、読み応えがあった。理事長を除いて、1人は京大出身で、後輩にあたる2人は医局と少し距離をとっている。同門会の集まりでも、長いこと会っていない。私は滋賀医大で、高橋三郎教授の元でDSM−3の翻訳にも少しだけ関わった。この時代は私の未熟さもあり、何の意味もわからず動物実験に夜遅くまでつきあわされ、苦痛以外の何ものでもなかった。今から考えると、DSMの日本で初めての出版に関わることができて、貴重な体験をした。当時は、臨床よりも研究至上主義者であった。しかし、私がどさ回り(関連病院の先生にはすみません)をしている時に、こつこつと論文を書けたのはこの先生のおかげである。
 実は、この土曜日には、午後6時から京都精神神経科診療所協会学術講演会があった。京都で開業している精神科医の集まりである。自分が住んでいる近くの心療内科を含めた精神科診療所を調べたかったら、この京都精神神経科診療所協会のホームページが便利である。(クリックして下さい) 今回の演題は「抗うつ薬開発の歴史的展開から考える今日のうつ病治療」である。講師の先生は、CNS薬理研究所所長・北里大学名誉教授であった。今年83歳である。著名な精神薬理学の先生で、抗うつ薬であるSNRI・サインバルタの育ての親になる。抗うつ薬であるSSRIが出てきた時にも、精力的に講演活動をしていた。
 当時は、SSRIの効果はよくわからず、治療薬として使用することに途惑った。今回の講演では、パキシルなどのSSRIの抗うつ薬としての反応率の低さや寛解率の低さ、効果発現期間が3〜6週かかることについてもはっきりと述べた。安全性については、性機能障害、賦活症候群、離脱症状・中断症状のことも話していた。1955年にクロルプロマジンが発売され、1957年にメチルフェニデート(リタリン)が発売されている。講演会では、三環系抗うつ薬のアモキサンも評価していた。今回ホームページで調べてみると、デパスやハルシオンについても評価しているようである。
 私はここでも書いているように、現在はベンゾジアゼピン系の安定剤や睡眠導入薬が悪者扱いになっている。しかし、大量服薬するような人たちはごく一部で、ほとんどの患者さんが上手に利用している。現在の日本社会は、老若男女とも常に「生かさず殺さず」の社会的ストレスにさらされている。何とか生きながらえるためのつじつま合わせに、安定剤や睡眠導入薬を利用するのが、どうしてこれほど非難されるのかよくわからない。DSM−5を作成しているAPA(米国精神医学会)でも、長いことベンゾジアゼピン系薬物は安全であると推奨していた。実際に安全性が高く、大量服薬しても自殺はできず、妊娠期間中に妊婦が10ヶ月服用しても生まれてくる赤ちゃんにはほぼ何の影響もない。薬物依存など問題のある人たちがこの薬だけを大量服薬するより、アルコールを日中から大量摂取する方が遙かに問題行動を起こしやすい。
 風向きが変わったのは、SSRIができてからである。SSRIは脳内のセロトニンを上昇させ、不安やいらいらなどを抑える。抗うつ作用は弱い。パキシルなどは確かにパニック障害などによく効く。欧米の巨大製薬会社は戦略的に新薬のプロモーションを考えだす。この時にライバルとなる安価なベンゾジアゼピン系薬物の副作用などを徹底的に調べ、依存性などを強調したと思う。
 このことについては、誰も主張しておらず、あくまでも私の推測である。しかし、私の推測が当てずっぽうでないことは、以前に紹介したイーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)読んだらよくわかる。この本の内容については、この日記の平成25年(2013年)11月19日と26日に書いている。私は興味のある本は手当たり次第読んでいる。たまたま読んだこの本で思わぬ事実に遭遇する。
 大半の精神科医はこの事実を知らないだろう。現在は利益相反などで、製薬会社の接待などは厳しく禁じられている。しかし、前にも書いたように、リリカが本来の適応範囲を越えて、「神経障害性疼痛」という意味不明な病名の適応になり、腰痛でも安易に用いられるようになった。リリカの副作用欄を見てみると、ベンゾジアゼピン系薬物より遙かに多いぐらいである。こういう事実を見ると、まだまだ欧米の製薬会社の力は強く、表に出てこないメリットを享受するその道の大家がいることがわかる。この日記の最後で、この本の内容を再掲載する。
 講演会の後に、懇親会があった。私の先輩の先生もお年をとられた印象であった。先ほどの、もみじヶ丘病院の大谷先生が亡くなったことは個人的にちらった聞いたようである。亡くなったのは、7月だという。78歳の先生は、家にずっといても奥さんがうるさいので、まだ診療を続けているという。今さらお金には関心がないようである。この年代になったら、私も孤立しないように、無理のない診療を続けてもいいと思う。しかし、元気なうちに好きなことをしたいのも事実である。半年も海外に住んで再び医院を開いても、誰も受診してくれないだろう。このあたりが難しい。外来の数を減らしても、長期旅行はできない。
 日曜日の毎週午前0時から放送している「7つの海を楽しもう! 世界さまぁーリゾート」を、いつも録画して見ている。この前の日曜日は、ベトナムのニャチャンを紹介していた。番組では、プール付きでオーシャンビューの格安ホテルを探していた。6000円から始まって、最終的には2500円のホテルを見つけていた。私はこの日記でも紹介しているように、平成28年のゴールデン・ウィークに行った時には、2泊で22,700円であった。何人でも泊まっても、値段は同じである。この時の旅行については、YouTubeで紹介している。視聴者数は1万人を超えている。ベトナム・ニャチャンの1人旅で見ることができる。  最後に、紹介すると書いた日記である。
 平成25年11月29日分
 さて、きょう読み終えた本である。正確にいうと、すべて読み終えたわけでない。早くこの本とはおさらばして次の本に進みたいので、読み終えた部分だけ紹介する。イーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)である。この本は全部で4章ある。第1章の「香港で大流行する拒食症」から読み始めたが、あまり面白くない。第2章は「スリランカを襲った津波とPTSD」で、第3章は「変わりゆくザンジバルの統合失調症」である。この部分ははしょったので、第4章の「メガマーケット化する日本のうつ病」について紹介する。
 まず、最初に、カナダの比較文化精神医学の教授が登場する。新しい抗うつ薬であるSSRIを日本で売り込もうとしていたある製薬会社から京都で開かれた会議に招待されたのである。飛行機はファースト・クラスで、最上のもてなしがされた。他にも日本の学者も招待されていた。当時、日本ではうつ病に対する一般の態度は否定的だったので、この種の薬がどこまで受けいられるか製薬会社の研究者が調査するためであった。確かに、一昔前は精神科に通院することははばかれる時代であった。この製薬会社は日本でのうつ病概念を変えるために、著名な学者を呼んで話を聞き、日本の国民性に合わせた綿密なマーケティング戦略を考えたのである。
 この本では、精神科の専門医である私でも知らない日本の精神医療の歴史についても書かれている。「養生」をめぐる伝統的な考え方が、「衛生」という概念に取って代わられたとか、柳田國男が、20世紀初頭に述べたことについても触れている。まるで、現在の拡散したうつ病概念と同じである。見過ごされてきた多くの病気が、最新の医学的知見によって浮かび上がったことで、「急に人間が病に弱くなり」、「健康の僅かな変調を終始気にかけて居なければならぬことになった」である。
 日本で新しい抗うつ薬の市場を作り出す最善の方法は競合他社が力をあわせることである。立役者となったのは業界団体の米国研究製薬工業協会である。当初、日本人だけを使っての再試験(治験)では好ましい結果が出なかった。製薬会社のマーケッティング担当者は被験者募集に見せかけて、新聞に何度も全面広告を出したり、うつ病を「心の風邪」と表現し、どこでも起こりうるあふれた病気であるという印象を効果的に与えた。患者向けのUTU- NETも製薬会社がわからないように資金援助をしていた。マーケッティング用語として、「心の風邪」という言い回しには問題が1つあった。緊急性が感じられず、風邪で医者に行く人はほとんどおらず、薬を飲まなくても自然に治るからである。そこで、うつ病と自殺の関連性を証明するための研究に資金を出すようになった。ここまではいい。
 そのうち、製薬会社は自社の薬を擁護する研究に助成金を出すようになった。研究者は顧問料ももらえることも多かった。製薬会社の役員は、強引なマーケッティングをしていても、自らを利益だけでは動いている人間ではなく、科学的進歩のために誠心誠意努力していると信じ込んでいるという。最初に出てきたカナダの比較文化精神医学のカーマイヤーは、世界最高峰の大学に属する学者たちが、製薬会社が主催する会議で、PTSDやパニック障害、全般性不安障害などすべてにSSRIを推奨しているのを目にした。ある学者に、これはある種の利益相反ではないかと質問すると、「製薬会社はいずれにせよ薬を売り込み、ガイドラインを作成しようとしている」と認めている。その後、もっとも影響力のある研究論文の多くが、著名な研究者が書いたようにみせかけて、実際は製薬会社の雇った民間会社のゴーストライターの手によるものであることが発覚するようになった。日本の降圧剤のバルサルタンと同じ問題どころではない。多くの研究者が何十万ドルもの顧問料や講演料を受け取る代わりに、否定的なデータを隠したり、捏造したりしていることが知られるようになった。
 ここでは以前に書いたように、アメリカ精神医学協会が出した「追加検証により、モノアミン仮説は裏付けられていない」ということも書かれている。イギリスの精神医学教授であるヒーリーの発言も出てくる。ゴーストライターによる著作は学術界のドーピング問題と言えると述べている。90年代半ばには超一流雑誌の研究の半分は製薬会社が雇った代筆会社によるものだという。高名な「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の編集部で20年働いたマーシャ・エンジェルは、「公表された臨床研究の多くがまるで信用ならないうえに、医師や医学的ガイドラインに頼ることもできない」と述べている.特にSSRIの研究に顕著であるとも付け加えている。否定的なことばかり紹介したが、SSRIがよく効く患者さんも大勢いる。しかし、日本でも三環系抗うつ薬やドグマチールを無視する学者は、研究者というより製薬会社から顧問料をもらっている単なる提灯持ちに過ぎない。今でも三環系抗うつ薬やドグマチールを使っている私などは時代遅れの医者だと思っている若いドクターもいるかもしれない。自分の経験不足と無知をもっと自覚すべきである。もっとも、私も70歳や80歳になったら、正真正銘の時代遅れの医者になるかもしれない。
 平成25年11月26日分
 前回紹介したイーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)の第4章の「メガマーケット化する日本のうつ病」を読み終えて、今まで疑問に思っていたことが、パズルをつなぎ合わせるように、理解できるようになった。私は新しい抗うつ薬であるSSRIやSNRI、NaSSAがガイドラインで第一選択薬に選ばれていることはあえて反対していない。前にも書いたように、新薬の開発には莫大なお金がかかるからである。今は効果不十分な薬であっても、新薬を開発していたらそのうち患者さんに恩恵をもたらす画期的な薬が出てくると信じているからである。強引なマーケッティング手法にもある程度目をつむっていた。しかし、この本を読んで、競争相手となる従来使われていた薬まで抹殺しようとする手法には我慢ならなくなった。
 前にも書いたように、公的な総合病院で3年間SSRIなどの新しい抗うつ薬で改善しなかった患者さんが私の医院にやってきた。三環系抗うつ薬を投与したら、1週間服用しただけで見違えるようによくなった。今でも効果は持続している。他にも、SSRIなどの新しい抗うつ薬では治らず、三環系抗うつ薬でよくなった人は大勢いる。大手製薬会社の提灯持ちになって、三環系抗うつ薬の副作用ばかり強調してきた人たちは、患者さんの不利益になることに積極的加担している。セルシンやデパスなどのベンゾジアゼピン系やチエノジアゼピン系の薬が急に悪者扱いされたのも、これらの製薬会社が関係しているのは間違いない。少し前には、新聞やTVでベンゾジアゼピン系薬物などは危険な依存性があると何回も取り上げられた。セルシンが日本で発売されたのは1964年で、もう50年近く経っているのである。上手に服用してQOL(生活の質)が改善している患者さんを中毒者呼ばわりして、患者さんの不安を必要以上にあおったのである。前にも書いたように、毎晩気分よくビールを飲んでいる人をいきなりアル中呼ばわりして、大々的に反アルコールキャンペーンをはるようなものである。(嗜好品と医薬品の違いについてはまた別の機会に書く)
 どうしてこんなことが起こったのかというと、新しい抗うつ薬であるSSRIなどは従来の三環系抗うつ薬より抗うつ作用(うつを治す作用)が弱く、抗不安作用(不安をとる作用)が強かったからである。ここでも、また製薬会社の提灯持ちが登場しているのは間違いない。私もSSRIなどがよく効いたら何も文句は言わない。しかし、抗うつ薬の時と同じで、SSRIでは不安障害が改善しない患者さんも大勢いる。今の医学教育は徹底していて、ベンゾジアゼピン系の薬を使う医者は患者さんを中毒者にしているといわんばかりである。新聞で誰が何を言っていたかは調べたらすぐわかる。私の所属している日本精神神経学会は本来は患者さんの人権には厳しい学会であった。私は製薬会社からの利益供与がなかったかどうか、これらの発言を積極的にしている学者については、学会でも徹底的に追求すべきだと思う。利益相反(ここでは製薬会社から何らかの利益を受け、薬に対して公正かつ適正な判断を損なうこと)は割に合わないことだと思い知らせるには、この方法しかないと思う。
 私は何も製薬会社の主催や共催する講演会の講師になって、対価となる講演料を受け取っていることに目くじらをたてているわけでない。今までは、何百人と招待されている製薬会社の特別記念講演会には、新幹線代とホテル代まで出してもらって、東京まで参加していた。問題にしているのは、もっと悪質で、患者さんの不利益になることでも平気でやり、製薬会社から不当な利益を受けている人たちである。最後に、「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」に書いてある杏林大学の田島教授の言葉を引用しておく。「日本のみならず、アメリカや他の国でも現状をかえる必要があります。製薬会社の圧倒的な力によって、業界のオピニオンリーダーが娼婦に成り下がり、医学が疑似科学へと転じてしまう危険があるのですから」

 

平成30年11月6日(火)

 きょうは歯科に行って、買い物をして帰ってきたらもう午後の5時である。それからご飯を炊いて、いつもように料理を作って食べた。毎度のことながら、「今週のトピックス」を書き終えたら、もう夜の10時である。今週紹介する本についての部分は読み応えがあるので、この日記は簡単に終える。
 先週の水曜日は、久しぶりに娘と昼食をとった。娘は母親の専業主婦感覚が染みついているので、結婚してもこれから一生働かないといけないということが、まだよく理解できていないようである。京女時代の同級生や慶応時代の同級生も、みんな仕事は大変なようである。一流企業に就職した同級生は、その大変さに泣いている。娘は今の仕事以外に、やりたいこともあるようである。卒業後3年以内は、新卒扱いである。しかし、一歩間違えると、転職貧乏になってしまう。最後は、母1人娘1人で、派遣社員や契約社員の人が多いことも伝えた。現実は娘だけではなく、誰にも厳しい。
 商社などに就職した女性の同級生などは、とんでもないハードな仕事をこなしているようである。しかし、今はどんな仕事についても、大変である。現在泣き言を言っている同級生でも、仕事を覚えていったら、それなりの経験を積み、成長していく。いくら忙しくても、一流企業なので、福利厚生面はしっかりしている。私は以前から言っているように、人間は苦労すればするほど、丸くはならない。表面的には丸く接触していても、本音は別である。「私の苦労から比べたら、あなたの苦労は苦労ではない」になる。娘が好きなようにして、後で苦労しても、誰も同情してくれない。
 今は、自分でそれなりの給与を稼いでいる女性は、結婚願望はあまりないようである。中堅の看護師さんに聞いても、娘ぐらいの年齢の看護師さんは幸せな結婚を夢見ることは少なくなっている。1人で好きなように生きていくのが気楽なようである。ますます、少子化が進行していく。反対に、基本的な生活基盤が成り立っていないのに、次から次へと子どもを産む人も理解しがたい。偏見で言っているのではない。にっちもさっちも行かなくなって、結果的に何の罪のない子どもたちが虐待に等しい環境に置かれるのを見るのは忍びない。いずれにしても、若い人たちが「生かさず、殺さず」の生活を強いられているのは間違いない。

今週のトピックス 67 (181106)

嶋政宏「変態紳士」 (ぶんか社)
嶋政宏「変態紳士」 (ぶんか社)

 この本は先週の「週刊スパ」で紹介されていた。早速アマゾンで注文し、読んでしまった。読みかけの本は何冊もある。しかし、面白そうだと思った本が最優先である。内容はどうかというと、少し軽すぎて、あまり考えさせられる部分もなかった。少しはとんでいる。しかし、飛び方が中途半端で、ずれている。以前にも紹介した団鬼六「快楽なくして何が人生」(幻冬舎新書)のような人間の業や深みがあまり感じられない。文章全体からは、変な軽躁状態みたいなものを感じた。
 「快楽なくして何が人生」の発刊は、平成18年(2006年)である。これ以降に、この日記で取り上げているはずである。今回、ざっとすべての日記をチェックしてみた。しかし、見つけることができなかった。平成25年1月22日からの日記では、本の紹介の時には、題名を太字で書いていた。それ以降の本のチェックはまだ楽である。しかし、それ以前に日記の中で取り上げた本を見つけるのは、至難の業である。1回チェックして見つからなかったので、もう一度チェックしてみた。しかし、途中で疲れてしまったので、今回はあきらめた。どうしてこんなにしつこく探したのかというと、この本の内容がもう1つだったからである。
 この本の著者は、芸能人として有名な高嶋夫妻の長男である。現在TV、映画、舞台と活躍している。私は芸能界の事には疎い。著者は、2000年にスタートした東宝ミュージカル「エリザベート」に出演している時に、ふと座席のお客さんを見たら、ほぼみんな主役のエリザベートとトートを見ていた。この時に「僕のこと、誰もみていないんじゃないか」と強烈に思ったという。誰も見ていないんだったら、カッコつける必要もない。もういろいろ好きにさせてもらおうと、一気にフっきれている。そして、この日に変態になったと書いている。
 10年ほど前に、映画「スマグラー」の出演が決まった。この時に、役作りのためにSMショーを見に行ったという。この時に、「これだ!」と完全にキタという。これが40代前半のことである。SMとは運命の出会いで、もう1つ運命の出会いを小学生の時にしている。何かというと、プログレッシブ・ロックである。プログレについては、私もマニアだったので、この日記でも紹介している。先ほどのチェックで確認できたことである。「今週の愛聴盤」で平成24年8月7日〜平成28年5月31日まで、200回に渡って私の持っているプログレのアルバムを紹介している。興味のある人は見て下さい。筋金入りのマニアだったので、誰も持っていない希少価値のあるレコードを今でもたくさん残している。
 この部分だけは、このもんもん日記から独立させて、プログレの紹介ホームページを新たに作ろうかと思っている。この日記で取り上げた本の書評についても、同じである。私は最近は、プログレからは離れている。しかし、この前に北京空港からタクシーでホテルまで行った時に、タクシーの中で聞いた音楽がよかった。中国の民族音楽に現代音楽が混じったような曲であった。世界には、私の知らない魅力的な曲がたくさんある。ただ、なかなかはまる曲に出会うのは手間暇がかかる。私は中国をしゃべれないので、降りる時に「好」と言った。ドライバーはこの曲のよさがわかるのかと、驚いたような顔をしていた。
 著者は、バラエティ番組でも、「SM好きだ」と公言している。「緊縛初級講座」にも入会している。妻のシルビア・グラブを、SMの店に連れて行った時には、「吐き気がする。あなた1人で行って」と言われている。妻は「ダンナさんにそういう趣味があると大変だね」とよく言われていわれているそうである。しかし、SMプレイをすることはない。緊縛講座のDVDセットを買っても、SMを毛嫌いしている妻は、「絶対に嫌!」と言って緊縛モデルになってはくれない。
 著者がSMバーで1番興奮して好きなのは、女王様にM女が凌辱されているのを見ながら、ちびちびお酒を飲むことである。女王様が好きなわけでなく、凌辱をしている光景をみるのが好きだという。他人に征服されるのが嫌なので、ホンモンの女王様の中には、処女の人もいる。ここでは、具体的なSMバーの名前を挙げ、詳しい内容も紹介している。最近行った歌舞伎町のSMバーでは、頭に大量の爪楊枝が刺さっているおっさんがいた。どんなものかと思って、著者も1回やってもらったという。とにかく何でもやってみる。爪楊枝の行為自体には興奮していない。こういう所に通っていると、男性の俳優仲間からは羨ましがられる。みんな「週刊誌に写真撮られたり、お店からネタをリークされたら困ります」と言う。基本的には、医者も同じである。
 著者は、小学6年生から高校2年生までは、デブでいじめられっ子であった。体重は110kgあった。ハードロックバンド「KISS」と出会い、小学6年生の時に、キングクリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」と「レッド」のアルバムに出会う。今でも、DJやロック系の音楽の仕事がはいると、「スターレス高嶋」を名乗っているという。「スターレス」の曲の良さは、普通のロックファンではなかなかわからない。最後の方で、あまり知られていない「ザ・レジデンツ」のことも書いている。高校生になると、プログレばかりではなく、ディスコ・ナンバーも好きになっている。マニアックなプログレ・ファンは、変なこだわりがある。ディスコ音楽はバカにする。ダイエットに成功してから、社会人もいるアメリカン・フットボールのクラブチームに入る。しかし、中身はデブの高嶋のままで、シャイで自信が持てない内向的な性格であった。
 この本では、年に1〜2回楽しみにしている「サディスティックサーカス」というイベントのことも紹介している。世界中の変態さんが大集合する。人間の皮膚に直接フックをつけて吊すサスペンションなど強烈なショーが繰り広げられる。著者がくぎづけになったのは、切腹パフォーマンスで、女性が短刀で切腹する。精神科医は切腹ではないけど、リスカ(リストカット)の女性はうんざりとするほど診ている。私の趣味とは、まったく違う世界が語られる。私は何でも見てやろうであるが、あまり興味がわかない。著者は、最近「SMとプログレッシブ・ロックの伝道師」と言われることに喜びを感じている。
 フェチのことも書いてある。昔は、女の子のマスカラを舐めとるのが好きだったという。胸やお尻も好きではなく、胸も3回ぐらい揉んだら飽きてしまうし、乳首にも興味がない。しかし、唾液フェチかもしれないという。ある飲み会で、アイドルの女の子をジワジワと詰めていって、テーブルの上に唾液をたらさせたときには大興奮している。レスビアンのAVで、女の子同士がずっと濃厚なディープキスをしているDVDも好きであった。喉の奥でオェっとさせるのがいいという。口の中を見るのが好きである。普通の挿入も今は興味がなく、アナルフェチである。SMバーでただ1つ興味があるのは、クスコ(膣鏡)を肛門や膣に差し入れて、開いて中を見ることである。中に興味がある。たまに共演女優に、「今度クスコを持ってくるから、中を見せてよ」と言って、死ぬほど引かれている。私が患者さんに、「お金を払うから、肛門の中をクスコで見せてよ」と言ったら、すぐに訴えられ、医院は即廃院である。
 私も、挿入にはあまり興味がない。この日記で何回も書いているように、海外に出かけても、病気がこわいだけではなく、基本的に挿入にはあまり興味がない。年をとってからは、その時の気分によって簡単に挿入できないこともある。なかなか信用してくれないが、フィリピンやタイ、カンボジアに行っても、性交なんかしていない。もともとの嗜好もあるが、ふだんのマゾヒスティックに患者さんの話をずっと聞き続けているので、反動で性的にはSになる。しかし、これもこだわりがあって、ムチ、ロウソク、浣腸、縛りなどには何の性的興奮も感じない。顔の変形や鼻輪で引っ張るのが、何が面白いのかさっぱりわからない。目隠しも、顔の表情がわからなくなるのでやめて欲しい。精液のぶっかけや中出しの映像を見るのも、気持ち悪い。
 どちらかというと、羞恥責めが好みである。ネット上の無修正動画では、「TOKYO-HOT」がある。昔は「アナキー」で裏DVDを出していた。あまりマニアックでない内容とモデルがいいので、ぶっかけを除いて私好みである。この中でクスコを使った場面が必ず出てくる。何が面白いのか、ラカンの本を読み解くよりも理解が難しい。世間には時々隠れロリコンがいる。私はロリコン趣味はない。先ほどの団鬼六の本にも書いていたが、昔は女子学生などに興味があったという。通過儀礼みたいなもので、若い頃には私も興味があった。しかし、今は成熟した女性である。
 実は、この書評を書くために、京都駅近くのマンションからから団鬼六の本以外に持ってきた本がある。これでも気を使っていて、風俗関係などの人が書いた本ではない。セックスのことを書くときにいつも引用している本である。鹿島茂「オン・セックス」(飛鳥新社)である。平成18年(2001年)6月27日の発売である。著者の鹿島茂は現在誕生日手前の69歳で、東京大学文学部を卒業をした日本の仏文学者、評論家である。ウィキペディアでは、明治大学国際日本学部教授となっていた。対話集となっているように、15人の著名人が出てくる。この本の中で、唾液フェチのことが出てくる。当時、この本を読んだ時には理解できず、今はそれそれの嗜好だと思うようになっている。
 著者は、ネットでは「XVideo」で熟女系ばかり集中的に見ているという。脂ぎった意外性がいいという。私は写真をやっているので、造形美にこだわる。あまりくずれた体型はもう1つである。著者は若いとか、きれいとかかわいいとかは全然関係なく、その子が変態プレイを見せてくれるかどうかが重要であるという。こだわりは、女の子のタイプは「変態かどうか」の1点のみである。残念ながら、今のところ女優には変態がいないという。高嶋は結婚前はきれいなモデルなどと散々セックスをしまくっていた。私とはベースがまったく違う。
 妻のシルビアについても、詳しく書いている。結婚当時は、本人も認めているようにパワハラ男であった。シルビアは毎日泣いていた。今は、愛妻家である。洗濯も料理も高嶋自身がしている。私も強迫性格であるが、著者とはずれている。高嶋は洗濯機を使ったら、毎回中を掃除して乾燥させたいというこだわりがある。料理についても書いているが、これもこだわりが強い。昔の映画界は、「俳優たるもの黙して語らず」が美徳とされていた。しかし、シルビアという運命の人に出会い、シルビア意外にモテる必要もなくなり、かっこをつけるのはやめようと思うようになったという。「人にどう思われてもいい」というのは、自暴自棄になったのではなく、もっと自分本位で生きていこうということだと著者は主張する。
 私の性的嗜好も難しいと思う。いくらお金には不自由していないと言っても、性的満足を得るのは困難である。人生の最後に来ているので、満足できるならお金にはこだわらない。年齢とともに嗜好は変遷している。今はどちらかというと、女性の「いく」姿を見るのが好きである。いわゆるアクメである。しかし、これも何でもいいかというと、いろいろ好みがうるさい。あえぎ声にも好みがある。女性がオナニーで行くのを見ても、あまり興奮しない。風俗に行って、私好みでいかせたいと言っても、なかなか実現は困難であろう。造形美というか、映像美にこだわるので、誰でもいいというわけではない。年をとってきて段々とインポデンス気味になっている。しかし、性的嗜好はますます奥の細道にはいってきている。食欲と一緒で、1回満足したらそれでおしまいということでもない。
 実は、きょうは前にも書いたように、セラミックの歯が欠けたので、歯科に行っていた。型をとったり、いろいろと時間がかかった。この時にふと思ったのは、歯科というのは唾液と深く関係している。治療の時には、口を変形させる。これは、好きな人にとっては極上の性的興奮をもたらすのではないかと思った。(私みたいな男の年寄りではなく、若い女性などに対して) お世話になっている歯科の先生には、こんなことを書くのは本当に失礼である。前回、歯科の駐車場が空いていたので、きょうは車で行った。最近のFM放送のCMは、健康食品と法律事務所などの過払いローンの返還の宣伝ばかりである。歯科からの帰りの車の中で、「現在返済中の方でもかまいません」という放送が、「現在変態中の方でもかまいません」と聞こえてしまった。

 

平成30年10月30日(火)

 いい天気が続いている。木曜日を休診にして、余裕ができたかというと、あまり余裕がない。私の性格的なものもある。いつもあれもこれもしなければならないと、常に追われている感じがする。現在、阿部彩、鈴木大介「貧困を救えない国日本」(PHP新書)を読んでいる。今日中には読み終えそうもないので、そのうち「今週のトピックス」で詳しく紹介しようと思う。年収1000万円なら所得分布のトップ12%にはいり、1500万円ならトップ3%になる。ところが、日本人は高所得者でも、変な平等意識が働いて、自分は中流だと思っている。年収1千万以上の人でも、ユニクロの服も着るし、階層が違っても、それほど生活様式が違っているわけでない。
 医者向けのホームページを見ていると、世間から見ると高給取りである勤務医も、常に給料が安いと嘆いている。看護師も同じである。本に書いてあるように、現代の20代、30代前半のほとんどの業種や立場を問わず、頑張ってギリギリの今の状況を勝ち取っているという感覚がある。「僕らは頑張ってブラックな仕事にでもしがみついているのに、頑張らないで社会に頼ろうとする人はズルい」という感覚がある。「私だって奨学金を受けている」、「私だって大変だったのに、なんで他の子の支援が必要なんだ」と貧困に対する厳しい意見も多い。精神科医はすさまじい家庭環境で育った人を大勢診ているので、貧困の実情はよくわかっている。みんな生活に余裕がないので、貧困を理解する余裕もない。
 こんなことを書くと、世の中の反発を受けるかもしれない。統学計的には、今は私は富裕層に属することになる。しかし、前回の日記でも書いたように、生活感覚としては一般庶民とあまり変わりない。海外旅行も家族4人で行くわけでもない。1人で行く場合は、費用はしれている。ここでも何回も書いているように、私はバブルの時に買った京都の家を、神戸にいた時に売った。手元には1千万円残ったが、頭金として1500万円親から借りていた。43歳で一文無しではなく、借金500万円を抱えていた。当時、住宅ローンの金利は高く、最初は元金が減らず、ほとんど利子の返済であった。売り買いの手数料も含め、4千万円ぐらい損をしたと思う。そして、翌年に京都に戻ってきた。
 長い人生の間には、時代の流れとともに浮き沈みがある。就職超氷河期に、正社員になれなかった人は本当に気の毒だと思う。最初から人生につまずくと、日本社会の中では再起がなかなか難しい。私が学生時代を終えるまでは、両親の生活は苦しかった。それでも、その後、両親が金銭的に成功した時期が長く続いた。私が48歳になる手前に、両親から開業資金の半分を借りることができた。私は残業手当は請求しておらず、当直もしていなかったので、京都第一赤十字病院の部長と言っても、税込みで1300万円ぐらいであった。
 48歳になる手前で開業し、当初12年間ぐらいが黄金時代であった。信じられないほど収入が増えた。ピーク時には、手取りで日赤時代の3倍以上はあった。今は東山区はどんどんと高齢化が進み、心療内科のクリニックも周りにたくさんできた。患者さんの数はだいぶ減ってきている。私立医学部に通っている息子がまだ5回生なので、早く卒業して欲しいと思う。現在は、どれほど富裕層に所属していても、子どもは受験勉強で苦労する。娘も息子も、金銭的にはまったく苦労させていないので、もうちょっと感謝して欲しいと思う。
 きょうはあまり書くことがないので、10月27日の京都新聞に載っていた土曜評論について書こうと思う。内田雅敏弁護士が書いていることである。私の世代は、朝新聞を読まないと気分が落ち着かない。しかし、私の子どもは新聞を読んでいない。スマホのニュースぐらいである。もっと上の世代でも、読んでいない人が多いと思う。こんなことも知らずに、ネトウヨになることはやめて欲しいと思う。
 内容は、靖国神社宮司辞任についてである。ちらっと、ニュースでは知っていた。小堀宮司が職員研修会で、戦没者慰霊の旅を続ける天皇は靖国神社をつぶそうとしていると発言したことである。天皇の慰霊の先には、遺骨は有るかもしれないが、御霊はないとも語った。靖国神社が先の戦争は正しい戦争であったとする聖戦史観に立つのは、追悼施設ではなく、顕彰施設だからである。靖国神社は、戦死者、遺族の意向はお構いなく「護国の英霊」として祭祀する。家族からの合祀取り下げ要求にも絶対に応じない。どうしてかというと、生命線である戦死者の魂独占の虚構が崩れるからである。もうひとつの生命線である天皇参拝は、A級戦犯の合祀から取りやめとなっている。私も前から書いているように、論者が主張しているような誰もが参拝できる国立追悼施設の建設が必要だと思う。

今週のトピックス 66 (181030)

ETV特集 アンコール「自由はこうして奪われた〜 治安維持法10万人の記録〜」
ETV特集 アンコール「自由はこうして奪われた〜 治安維持法10万人の記録〜」

 この番組は、10月20日(土)の夜11時からNHKEテレで放送していたものである。私は録画したまま、見ていなかった。きょうはあまり書くことがなかったので、往診から帰ってきた後で見た。今週のトピックスで取り上げる時には、メモを持ってその内容を書いている。1時間番組でも、殴り書きでA5ノートに12枚になる。数値がたくさん出てくると、書いている時間がない。また録画を止めて、逆戻りして確認をする。そして、メモを整理しながら、この文章を書いている。自分で書いたメモでも字が汚くて読み取れない部分もある。どうするかというと、また自分の部屋に戻って録画を見直す。その作業の繰り返しである。
 今は夜の8時過ぎである。夕食は自炊ですでにとった。ビールを飲みながら書いているので、もうすでにやる気が萎えている。最近は、ちょっと飲んだだけですぐに酔ってしまう。途中まで書き始めたが、やはり最後までは書き終えそうもない。この続きは、何とか11月1日(木)にしようと思う。
 ここからは、11月1日に書いている。 治安維持法は1925年(大正14年)に作られ、1945年にGHQによって廃止された。当初は、共産党員を想定した取り締まりが目的であった。@国体の変革、A私有財産制度の否認である。時代的背景として、8年前の1917年にロシア革命が起こり、大正デモクラシーで共産主義思想が広がった。同じ1925年には普通選挙法も成立した。ところが、共産党員ばかりではなく、次第に一般市民も対象になっていった。番組では103歳の男性が出てきた。28歳の時に、印刷工場で臨時工をしていた。ある時、親睦会活動全体が犯罪行為ということで、3年服役した。皇室の尊厳を損なうという理由であった。
 この番組のもう一つのタイトルが、「データで読み解く戦争時代 第1回」である。実際の実態は明らかとなっていない。番組では現在残されている「特高日報」のデータを一つ一つ集計し、20年間の取り締まり人数は、6万8332人と出している。特高とは特別高等警察のことで、共産主義者を監視対象としていた。特別要視察人名簿を作り、予防警察としての性格を持っていた。労働運動、農民運動の中心的な指導者の中にいるだろうと、芋づる式に検挙していった。
 1928年には三・一五事件で、それまでほとんどいなかった検挙者が一気に3428人となった。これは、同年に出された改正法案で、目的遂行罪(目的のためにする行為)が提出されたからである。友人との読書会も、将来の共産主義社会を作るための行為として検挙される。この法案は廃案になったが、ふつうは災害時などに用いる天皇の緊急勅令が使われ、目的遂行罪は施行された。
 検挙者数は1929年から1933年の5年間で再び急増し、1933年には1万6422人のピークに達した。この5年間に検挙された人の中で、共産党員は3.4%に過ぎなかった。ニ・四事件では、長野県の小学校教員が600人余り検挙された。しかし、共産党員は一人もいなかった。1933年には、被告の共産党員を弁護しただけで、目的遂行罪で有罪となり、弁護士資格を剥奪された。しかし、1934年に検挙者は急激に減少した。転向政策で、治安維持法違反者の約8割が転向したからである。
 植民地で治安維持法で検挙された人は、3万3332人であった。その8割近くが朝鮮であった。朝鮮語の使用は禁止され、愛国歌でさえ母国語で歌うことは禁止されていた。三・一独立運動が1919年(大正8年)に起こり、地下に潜る運動家もいた。日本の植民地支配に対する抵抗運動の取り締まりにも、治安維持法が用いられた。何らかの形での独立運動は、朝鮮を陛下の統治権から離してしまうので、国体の変革につながるという論理である。日本では、小林多喜二など、特高の拷問で亡くなった人はいる。しかし、治安維持法違反で死刑になった人はいない。朝鮮では、59人に死刑が課せられた。

 

平成30年10月23日(火)

 ちょっと油断をしていると、書類がどんどんと溜まっていく。若い頃と違って、やる気満々の状態は少しずつ減っている。会計事務所に送る書類も2ヶ月分溜まってしまった。もたもたしていると、月が変わってしまう。前から書いているように、外来の医療事務は受付の人に任せている。しかし、それ以外の雑用は郵便のチェックから両替などすべて私がしている。内科の先輩の先生など、外来のコマ数を減らさず、毎日患者さんを診察している。70歳を過ぎて、ずっとペースを落とさず外来をしている先生を見ると、尊敬に値する。
 昔から締め切りぎりぎりにならないと、やる気が出ない。しかし、年をとると、締め切りぎりぎりに処理するのが苦痛になってきた。時々、患者さんから、医者ならいつもタクシーを利用していると思われている。しかし、勤務医を含め、ほとんどの医者は急いでいなければ、公共交通機関を利用している。(自分の車は別) 北京に行った時も、京都駅までの行き帰りは荷物を持って市バスで往復である。昼食もほとんど自炊である。医院に泊まる時も、同じである。自炊をするのは、特に苦痛ではない。きょうもご飯を炊いて、自分で簡単な料理を作って夕食をとっている。前から書いているように、車も18年目である。本はよく買うが、金額としては知れている。私は「中の下」の家庭で育っているので、ふだんの生活は質素である。琵琶湖のマンションでも、イオンや平和堂で夕食を買って簡単な調理をすることが多い。
 唯一の贅沢は、海外旅行である。どうしても連休に休まないといけないので、飛行機代などは高くつく時もある。それでも、現地のバスなどを使って、自分の足で歩くようにしている。大名旅行をしているわけではない。今は、70歳ぐらいになったら、社会との繋がりが薄れていくことを恐れている。それを考えると、年をとっても細々と外来を続けるのがいいのかと思う。この日記も負担に思うこともある。自分に鞭打つものがなければ、すぐに楽な方に流されてしまう。もうどうでもよくなるのが、よくない。何とか、この日記も続けていこうと思う。

今週のトピックス 65 (181023)

近藤大介「未来の中国年表 超高齢大国でこれから起こること」 (講談社現代新書)
近藤大介「未来の中国年表 超高齢大国でこれから起こること」 (講談社現代新書)

 この本は北京に行った時に、関西国際空港で買った。3階の本屋はなくなり、2階の国内線出発ロビーにあるツタヤで買った。著者は講談社に入社し、中国、朝鮮半島を中心とする東アジア取材をライフワークとしている。現在、「週刊現代」編集次長である。中国通のプロの書く内容は説得力があり、本当に面白かった。
 まず、「一人っ子政策」である。農耕社会の中国では、古代から「人口はまさに財富」で、歴代の王朝は人口増加策を国是としてきた。1949年に毛沢東が率いる中国共産党が中華人民共和国を建国した時の総人口は約5億4000万人であった。その後、「毎年1500万人も人口が増加している」ということで、ケ小平は実権を掌握した後、1982年に「一人っ子政策」を国策とした。その結果、1980年代以降に生まれた人々が、基本的に一人っ子世代となった。現在、だいたい30代から年齢が下の人たちになる。この時の流行語になったのは、「四二一家庭」である。両親の祖父母4人と両親2人から甘やかされて育てられ、男の子は「小皇帝」、女の子は「小公主」(皇帝の娘)と呼ばれた。当時幼稚園で問題になっていたことは、「幼児太り」であった。
 中国が日本を反面教師としている事柄は2つあると言われている。1つは日本のバブル崩壊で、もう1つが少子高齢化である。中国の人口は日本の11倍ある。将来人類が経験したことのない少子高齢化の巨大津波が襲ってくるリスクがあった。習近平は2013年に「二人っ子政策」を容認し、2015年に開いた「5中全会」で全面的な「二人っ子政策」に舵を切った。ところが、中国の若者は子どもを産まなくなった。その理由として、子育てコストの上昇や、子育ての公共サービスの欠如や「子供は1人」という概念が定着し、DINKS(共稼ぎで子どもを持たない)家庭も増えている。著者によると、今の中国の若者は明らかに「スマホ中毒」だという。休日には、朝から晩まで自宅でスマホをいじっている「空巣青年」と呼ばれる青年も急増している。「空巣青年」とは、親元を離れて大都市で1人暮らししている青年のことである。
 次に、中国特有の戸籍制度についてである。建国間もない1950年代に、全国民を「都市戸籍」保有者と「農村戸籍」保有者に二分した。公的機関からの許可証がなければ、都市に向かう電車にも乗れなかった。都市部に出てきても、「招待所」(ホテルに相当)に宿泊を拒絶され、都市戸籍の住民に提供される「糧票」(食料引換券)を持っていなければ食事もままならなかった。1978年の改革開放政策によって、都市部は急速に発展していった。「農耕民」と呼ばれる農村から都市への出稼ぎ労働者たちも黙認されるようになった。しかし、「都市戸籍」が与えられなかったので、悲惨な状況が続いた。そこで対策も講じられ、北京市では市の戸籍がない児童でも、公立の小中は入学を受け入れるようにした。しかし、高校からは門戸を閉ざしている。中国の戸籍制度は、北朝鮮とともに「現代版アパルトヘイト」と揶揄されている。
 習近平政権による戸籍改革も行われている。将来的には、各地方は都市戸籍と農村戸籍の区別を段階的になくしていく。その分、人口500万人以上の「特大都市」や1000万人以上の「超大都市」への移転はより厳しくしていく。「積分落戸」と呼ばれる新制度の導入もされてきている。南京市では、新たに市の戸籍を取得したい外部の中国人に対して、全15項目に照らして、合計100点以上なければ戸籍の申請を認めない。そこからふるいをかけて、ごく少数のエリートだけを新たな南京市民として受け入れようとしている。
 現在、北京市では大胆な試みがすでに2つ始まっている。1つめは「第二首都」の建設である。習近平は、北京から南に125km離れてた雄安に、ケ小平時代の深セン経済特区と江沢民時代の上海浦東新区に次ぐ第三の国家プロジェクトして新区を設立しようとしている。もともと荒れ果てた農村である。この時に「雄安に行かされるのは、習近平が嫌いなインテリと金持ちらしい。つまり、北京の名門大学と国有企業だ」と噂された。著者は、毛沢東が文化大革命で、北京のインテリや地主出身らを根こそぎ農村に「下放」した歴史を思い起こしている。2018年初夏、雄安では5000千人以上の労働者が「第2都市」の建設に邁進している。
 2つめの大胆な措置は、「低端人口」の追放である。北京市民2200万人は、うち約6割が「本地人」(北京戸籍保有者)で、約4割が「外地人」(非北京戸籍保有者)である。さらに、外地人は、「本地人」と結婚するなど、北京の「単位」(職場・学校など)に帰属している人と、そうでない出稼ぎ労働者などに分かれる。「低端人口」は北京市内に数百万人から1000万人近くいると言われている。習近平は、2017年11月に「低端人口」の一斉追放に動いた。スラム街などを片っ端から粉砕していった。景観を損ねるという理由で、カフェバーの多くも撤去された。ところが、低端人口がいないと、ゴミの回収から宅配便の配達まで何もできなくなってしまうことがわかった。そして、今年の旧正月の頃から、また彼らを黙認するようになった。
 さて、一人っ子政策の最大の副作用である。どうせ1人しか産めないなら、男の子を産もうということになった。中国の農村では、女児が生まれた場合、役場に出生届を出さなかったり、間引いてしまったり、業者に売りつけてしまうことが横行した。中国は2020年には、結婚適齢期とされる20歳から45歳までの人口で見ると、男性の数が女性の数よりも、3000万人も多い社会となってしまう。北京や上海で大学卒の初任給は6000元程度(約10万円)に過ぎない。マンションも買えず、結婚できない男性が続出している。そんな彼らは「剰男」(余った男)と呼ばれている。アリババは、2009年の11月11日に、「お一人様の日」と定めて、24時間限定の大規模な割引セールを行った。
 中国人とは、約91.5%の漢民族と約8.5%の55の少数民族で成り立っている。中国の農村部では、すでに国際結婚ラッシュが始まっている。特に、ケニア人女性、タンザニア人女性など、農村の中国人男性がアフリカ人女性と結婚するケースが急増している。また、著者によると、男性の同性愛者も増加しているという。また、先ほどの「空巣青年」の増加である。この「空巣青年」たちの消費のことを指す「孤独経済」という新語まで生まれている。
 この本は後半より、前半が面白い。2022年には、大卒が年間900万人を超え、大失業時代の到来を予測している。日本の大学生の14倍もの大学生が卒業していくので、中卒や高卒を含めれば、毎年1500万人規模の職場が必要となる。中国では、経団連が決めた「就職活動の日程表」はない。「国考」と呼ばれる国家公務員試験の日程を中心に就職活動が展開される。エリートは国家公務員を目指している。国有企業以上に安定性があり、多額の「給与外所得」が見込めるからである。日本では、かっては東大法学部のトップクラスがこぞって旧大蔵省(財務省)などに入省していた。滅私奉公で、給与は安くても名誉を重んじていた。
 最近の「週刊スパ」に佐藤優が書いていたように、国家を動かす仕事をしていても、国家公務員の給与は決して高くなく、家計は一杯のコーヒーも節約する庶民の生活である。官僚を非難ばかりしていると、どうなるかである。優秀なトップクラスの人たちは誰も官僚にはならず、国際社会で活躍できて、能力に応じて高給が取れる外資系企業に就職してしまう。たとえ入省したとしても、いつまでも続けるわけではなく、単なるキャリア作りでしかない。そして、大した能力もない2世、3世が国会議員を世襲している。先進国の中で、これだけ突出して世襲議員が多いのは日本だけである。
 話がそれてしまった。「2012年国考」で1位の倍率が3619倍であった。3位でも3042倍であった。人気の職場ほど、給与外所得が多いという。胡錦濤時代は、「全民腐敗」と言われた時代で、汚職がひどかった。2012年11月に習近平総書記が選出されると、いわゆる贅沢禁止令が発表され、過去に例を見ない「反腐敗闘争」が始まった。本の帯にもあるように、2049年に建国100周年を祝う60歳以上の老人は5億人である。(人口の36.5%) 日本では、去年60歳以上の老人人口は33.9%占めていた。(65歳以上しかわからなかったので、私が計算した) 中国の少子高齢化は日本より30年遅れているという。日本はこれからどんどんと高齢化していくので、社会制度は整っていても、いつまでも現在の制度が維持できるかわからない。医療でも、無駄な検査や治療が山ほどある。もうちょっと、若い世代に予算をまわしたらいいと思う。この本はダイナミックに変化していく現在の中国を知りたい人には、大推薦の本である。

 

平成30年10月16日(火)

 最近、これからの自分の人生で、「死ぬ前に」枕言葉になると思うようになった。北京で万里の長城を見てきた。枕言葉として「死ぬ前に」がある。何も海外旅行ばかりだけではない。お酒好きの人は、幻のお酒を「死ぬ前に」飲んでみたいと思うだろう。お金だけで解決しないこともある。合法、非合法を含めて、いろいろある。「死ぬ前に」ヘロインをやってみたいとか、「死ぬ前に」18歳未満の少女に触れてみたいとかは、死ぬ覚悟でも犯罪になる。運命的なでき事も、実現は難しい。阪神タイガースが優勝するのを「死ぬ前に」もう一度見たいという願望もある。私の世代だけではなく、50代でも無理かもしれない。私は晩婚だったので、子どもは2人ともまだ未婚である。この頃は、「死ぬ前に」自分の孫を抱いてみたいと思うようになった。
 来年のゴールデンウィークは10連休になるという。この時にしか、ブラジルには行けない。私は2週間を予定している。関西国際空港からサンパウロまで、1回乗り継いで早くても25〜30時間かかる。出発日が合わなくても、各旅行会社のツアー内容を見ると、どこをどう廻ったらいいのか参考になる。ツアーだと、ここでもう少し滞在したいと思っても無理である。私は1人で行こうと思っている。飛行機はフルフラットになるビジネスクラスである。ちょっと調べてみたら、往復で80万円以上である。アマゾンのマナウスイグアスの滝はエコノミーでいい。私の旅行は、どちらかというと、行き当たりばったりである。しかし、ブラジルは治安は悪化しているようである。まだ半年以上あるので、行く前に徹底的に調べていこうと思う。この旅行も枕言葉がついて「死ぬ前に」である。
 14日(日)は午後6時から東山医師会の「秋の集い」があった。今回はいつもより参加者は少なかった。最初に、医学とは関係ない講演会がある。今回の講演者は、東山医師会会長の洛星時代の同級生で、阪急電鉄の常務取締役であった。もちろん、私より若い。演題は、「小林一三のまちづくりと宝塚歌劇」であった。小林一三は阪急東宝グループの創始者である。やはり、創始者としての魅力が語られ、講演者の愛社精神が伝わってよかった。医者の場合は、医局からあちこちに病院に派遣されるので、病院そのものに対して、ここまで愛社精神があるかといわれると微妙である。医局に対しては、誰でも多かれ少なかれ愛憎半ばの感情があるだろう。それでも、年をとって、互いに利害関係がなくなると、昔先輩が話していたように、医局はこころのHeimat(生まれ故郷、ふるさと)になる。
 ふだん知ることのない宝塚歌劇団の話も面白かった。もう100年以上続いている。宝塚音楽学校の受験資格は、中卒から高卒までの最大4回である。合格者数は毎年40名程度で、倍率は20倍以上である。脚本家、演出家、楽団などのスタッフも自前で持っている。現在の宝塚ファンは9割以上が女性である。40代、50代の人たちで、半数以上占めている。宝塚を愛する人たちが、公私にわたって、惜しみなく、タカラジェンヌへのサポートを続けている。母親が娘を連れてきて新たなファンを生み出している。ただ、少子高齢化はどの鉄道会社にとっても、死活問題である。インバウンドの取り込みなどで、空港アクセスの改善などを計画しているようである。
 講演会の後は、懇親会である。私より1歳上で、何年か前から開業をやめて完全引退している先生がいる。その先生が、京都を離れて長野県の黒姫に移住するという。土地を買って、家を建てているという。私は長野県飯山市で育ったので、黒姫の近くの野尻湖も近い。この辺りも、豪雪地帯だと思う。それこそ、20年以上住むつもりのようである。終の棲家である。京都に娘さんが2人いるようである。もう1人の先生は、物価の安いマレーシアがいいと言っていた。私もパンツ1枚で過ごせる南の島がいい。畑をやるわけでもないようである。すごい決断だと思った。
 最後に、英語の万里の長城ツアーである。以下に、写真付きで解説する。昼食は帰りのバスの途中で、中華料理店に寄った。これがよかった。南の島巡りのツアーもすべて英語である。昼食は船の中でとることが多い。中で、火を使って海鮮料理を作ったりする。ビーチでは、環境保護の問題があるのかもしれない。島によっては、レストランが付いている所もある。船の上だと、どうしても話すのは隣同士になってしまう。それ意外の他のツアー客とは、あまり話す機会もない。
 ところが、中華料理店で円形テーブルに座って、各料理を回しながら話すのは本当に楽しかった。それぞれ、大瓶のビール(20元340円)を注文し、いろいろな国の人と話すことができた。1人旅で参加していたのは、私を含め3人であった。1人はスイスから来た青年で、この後北朝鮮に行くという。スイスと北朝鮮に特別な関係があるわけでなく、ビザを取ったら誰でも行けるという。もう1人は30歳ぐらいのイギリス人の女性であった。きれいな人で、東京には仕事で8回ぐらい来ているという。京都も含め観光地はどこも訪れていないようである。エリートビジネスパーソンみたいで、現在は仕事でオーストラリアに住んでいる。この後、チベットに行くと話していた。
 他にも、50代、60代の夫婦が参加していた。イギリス、アメリカ、ニュージーランドである。2週間の休暇という人が多かった。丸い中華テーブルというのは正解であった。いろいろな国の人の話ができて、いい思い出になった。

ツアー ・10月8日(月)は、日本でネットで申し込んでいた「万里の長城体験ツアー」に参加した。JTBなど日本の旅行代理店でも、現地の1日ツアーなどを企画している。今回は、国慶節の時期と重なったため、気軽に1人で参加できるようなツアーが見つからなかった。
 エクスペディアで、朝7時から午後3時までの昼食付きのツアーを見つけた。英語ツアーである。これは日本語表示で出ていた。英語表示にすると、現地での英語ツアーは他にもいろいろ出てくる。値段は、12,506円であった。集合場所は、私のホテルから少し離れていた。ホテルのロビーで待っていたら、欧米人などが多く泊まるホテルのようであった。参加者は10名であった。私以外はすべて欧米人とニュージーランド人であった。ガイドの中国人に日本人の参加は初めてだと言われた。
 ここからバスで2時間ほどかけて、慕田峪長城の入り口まで行った。万里の長城に行くには、いくつかの場所がある。八達嶺長城は有名で、「地球の歩き方」によると、中国人観光客で大混雑しているようである。ここは、外国人観光客が多く、ゆっくりとできた。写真のように、中国人ガイドに案内された少人数のツアー客訪れていた。

入口 ・歩いて、長城のある所まで行くこともできる。私はここからリフトに乗って、長城まで行った。往復120元(2,040円)であった。帰りは、トボガンという乗り物(スライダー)に乗って坂を下ってくる。

リフト ・逆光になって見えにくいが、左上に長城の壁が見えている。 /p>

長城1 ・リフトを降りて坂道を上っていくと、長城にたどり着く、城壁の途中から入るので、左右に分かれている。右側はとんでもない急斜面になっていた。こちら側はあきらめ、左側に行った。坂道になると、階段になっていたりする。

長城2 ・途中、建物みたいな所を通っていく。

長城3 ・この建物は、城壁の外側に建っている。

長城4 ・城壁から見ると、こんな感じになる。

長城5 ・この日も快晴で、こんな青空が広がっていた。私はこの先の頂上まで行くのはあきらめた。階段がずっと続いていた。それでも、無理して上ったら、上れないこともない。同じ道を引き返してくるのが面倒だと思った。先ほどの城壁に入った反対側の道は、とんでもない急斜面が一直線にずっと続いていた。

トボガン ・英語の案内ではトボガンとなっていた。帰りはスライダーで長い斜面を下ってくる。これはこれで面白かった。

大通り ・万里の長城を見学した後は、バスでみんなで中華料理店に行き、昼食をとった。これがよかった。詳しい内容については日記の本文に書いた。この中華料理店の写真だけでも撮っておいたらよかった。ここは、最初の集合場所のホテルで解散した後、地下鉄まで歩いた大通りである。前から書いているように、大都会そのものにはあまり興味がない。

朝陽劇場1 ・ここは各国の大統領や首脳が訪れたという北京随一の雑伎劇場である朝陽劇場である。エクスペディアでVIP席を予約していた。値段は9,663円であった。時間は午後7時からであった。ここは、私の泊まっていたホテルから地下鉄で2駅目であった。天安門東の駅も別の地下鉄で4駅目で、泊まったホテルは便利な場所にあった。

朝陽劇場2 ・ここもショーは撮影禁止である。実は、国慶節が終わった後で、客はほとんどはいっていなかった。VIP席は前から6番目で、中央の席であった。私の前に外国人が何人か座っていた。中央の席は後ろは誰もいなかったぐらいである。どういうことかと言うと、恐らく国慶節では大勢の観客が押し寄せていたのだろう。日本でも正月やゴールデンウィークの混雑が終わった後、閑散とするのと同じである。店員なども疲れている。
 実は、ショーもたった1時間で終わった。演目の数を端折ったのではないかと思うぐらいであった。前日のアクロバットショーの方が、送り迎えまでついて、値段もリーズナブルであった。演目としては、高い天井まで届くぐらい椅子を重ねて行って、その上で逆立ちをしたりするのが見応えがあった。椅子が崩れたら、私のいる客席に落ちてくると思った。もう1つは、円形の金網のような所にバイクがはいってぐるぐる廻るショーである。最後は8台はいって、お互いにぶつからないように、走り廻った。これも迫力があってなかなか見れないと思った。それでも、全体的には手をぬいた印象で、9千6百円はぼったくりだと思った。客もほとんどはいっておらず、見に行った時期が悪かったかもしれない。

 

平成30年10月9日(火)

 この日記は10月11日(木)に更新している。10月6日(土)〜10月9日(火)まで北京に行っていた。たまたま、死ぬまでに「万里の長城」を見ておかなければと思った。マレーシアのコタキナバルから帰ってきた後で、8月中に飛行機の予約だけはしておいた。死ぬまでに行きたい所は、前から書いているようにアマゾンと最近行きたくなった「Arbeit Macht Frei」(働けば自由になる)で有名なポーランドのアウシュビッツである。エジプトのピラミッドやオーロラを死ぬまでに見たいという人もいる。私は65歳になったので、行ける時に行かなければ永遠に行くことができなくなる。
 今年20歳になった人も、50歳になった人も、80歳になった人もみんな年をとったと思うだろう。私も同じである。でも、よく考えてみたら、今がその人にとって1番若い。現在は、70歳定年がささやかれている。私は65歳になってから、外来を週6日から週5日にした。木曜日は休診である。今は定年60歳の所が多く、65歳までの再雇用が可能である。定年になる60歳までは全力疾走させられる。いくら元気でも、70歳までの全力疾走は無理である。定年が延びても、給与体系は再雇用と同じような形態になるのだろう。
 今回も中国語の勉強はほとんどできなかった。それでも、簡単な旅行会話ぐらいは覚えようと思っている。中国で今1番行きたい所は、武陵源がある張家界である。この日記にも書いたが、1度ツアーに申し込んでいる。ところが、関西空港出発の飛行機がキャンセルになって、行くことができなくなった。盆、正月、ゴールデンウィークを除いて行くことができるのは、せいぜい連休と合わせて午前診を1回休むぐらいである。
 今回も6日(土)の外来を終えてから、関空発19:20の便に乗るつもりであった。台風25号が来ていたので、直前まで実際に飛び立つのか心配であった。関空までの特急はるかも、ちょっとした突風で止まる。私は往復の飛行機は8月20日に発作的に予約した。この時期が、国慶節にかかることもまったく知らなかった。旅行の直前に知って、失敗したと思った。以前は、中国に行った時にはホテルは予約せず、現地で見つけていた。しかし、今回はタイトなスケジュールで、いろいろと手続きがうるさくなったみたいなので、4星のホテルを予約した。朝食付きで、3泊で42,800円であった。(1泊14,300円) 場所は便利な所であった。
 土曜日は外来が終わってから、書いておかなければならない書類を書いていた。住宅・土地統計調査の書類は、それぞれの階の広さを何畳あるかとか、床面積はどのくらいとかややこしい項目ばかりである。最初はネットで書き込んでいた。手元に謄本がないと書けず、途中であきらめた。何とか、関空にたどり着いたが、出発時刻は1時間ほど遅れた。乗客はほとんど中国人であった。北京空港からは地下鉄でホテルまで行くつもりであった。結局ホテルまでタクシーで行き、ホテルについたのは夜中の12時を少しまわっていた。タクシー代は100元(1,700円)ほどであった。(翌日ホテルで両替して、1元は約17円であった)

ホテル ・この写真は、ホテルの窓から撮った。ホテルには夜中に着いたので、10月7日(日)の朝である。北京の大気汚染は有名である。私が北京に滞在していた3日間は青空が出て、快晴であった。政府の対策も進み、季節的なこともあるのかと思った。たまたま中国の滞在が長かった患者さんに聞いたら、国慶節で工場も長いこと休みになっているからと教えてもらった。

国慶節 ・国慶節というのは、10月1日の中華人民共和国の建国記念日になる。1949年10月1日に毛沢東を主席として北京を首都に定め、天安門広場で正式に建国式典が行われた。今年の休暇は1日(月)〜7日(日)までである。この日は最後の休日であった。大勢の人が天安門に向かって歩いていた。

天安門 ・ここが天安門である。これでも気を使って、毛沢東の肖像の両側の文字が切れないように撮った写真を載せた。ここを通り過ぎて行くと、故宮にはいる。反対側(南側)は天安門広場になる。 /p>

故宮1 ・故宮の入場料は30元(510円)であった。チケット売り場は外国人専用だったので、中国人はもっと安いかもしれない。北京では何でも身分証明書が必要である。外国人専用のチケット売り場にはいるにも、パスポートが必要である。「地球の歩き方」によると、辛亥革命後、溥儀が退位し、その後皇帝一家が紫禁城から追放された。中華民国政府が1925年から故宮博物院として一般に公開した。

故宮2 ・この日記を書くために「地球の歩き方」を詳しく読んでいたら、この門の写真もに出ていた。現地にいる時には、地下鉄でどこにあるのか地図を見るぐらいであった。清は満州族の王朝なので、右側に書いてあるのが満州文字になる。

故宮3 ・故宮の中はとにかく広い。いろいろな門を抜けると、同じような建物がいくつも建っていた。歴史マニアでない限り、少し飽きてくる。どの建物などにも、中国語と英語で解説が書いてあった。中和殿など、消失してまた建てられた物も少なくない。

故宮4 ・この写真も今調べたら、交秦殿の宝座になる。上の「無為」は康熙帝の御筆となっている。

景山公園 ・故宮の北に位置する神武門抜けると、道路を挟んで景山公園に行ける。ここの入場料は5元(85円)であった。ここの高台に上ると、故宮が見渡せる。

天地宝蔵1 ・実は、この後「八代胡同」に行くつもりであった。清末から1949年まで遊郭であった所である。ところが、故宮があまりにも広く時間がかかってしまったので、一旦ホテルに戻った。
 ネットで予約した雑伎(アクロバットショー)を見るためであった。ショーは1時間で、劇場までの送り迎えが付いている。値段は4263円である。私のホテルからけっこう距離があった。参加者は私1人であった。1時間のショーが終わると、また迎えに来てくれてホテルまで送ってくれる。劇場は古めかしく、少し寂れた雰囲気であった。撮影は禁止である。右側に棒のような物が立っており、綱渡りの綱も見える。 /p>

天地宝蔵2 ・この雑伎団のことは、「地球の歩き方」には載っていなかった。実は、翌日の夜もアクロバットショーで有名な朝陽劇場をネットで予約していた。少し前に見たシルク・ドゥ・ソレイユと違って、劇場は狭い。
 雑伎の定番は、綱渡りや皿回し、自転車ショー、丸い金属の輪をいくつも高くつなぎ合わせ、その中をくぐり抜けたりすることである。席は前から4番目であった。綱渡りと身体の柔らかな少女の軟体ショー(?)がよかった。国慶節最後の夜ということもあったのか、客席は劇場の3分の1ぐらいしか埋まっていなかった。出し物の間のピエロのような人の小技が意外によかった。

八代胡同 ・ショーの後は、昼に行けなかった「八代胡同」に地下鉄で行った。1番行きたかった上林青年旅舎は途中行く気がしなくなった。もしかしたら、古びた通りにあるのかもしれない。こういう夜景はきれいであるが、あまりにも観光地化された風景であった。台湾の九フンも観光地化されすぎて、個人的にはあまり好きではない。

 

平成30年10月2日(火)

 先週の火曜日は、「ダイハツ キュリオス 大阪公演」を中之島ビッグトップまで見に行っていた。シルク・ドゥ・ソレイユの公演はこの日記でも書いているように、何回も見てきた。年齢とともに、最近はあまり感動しなくなっていた。たまたま旅行会社から送られてきた広告のメールを見ていたら、ホテルでのバイキングとS席指定のセットが売り出されていた。その時の気分で、発作的に申し込んでしまった。ところが、前日に案内を見てみたら、公園は午後4時からだというのに、ホテルでの集合時間が午後1時15分になっていた。京都駅から大阪駅まで30分かかる。外来が終わってから、あわててタクシーで行って、12時半の特急に乗るつもりであった。ところが、遅れてしまって12時45分になってしまった。ホテルも梅田の近くかと思ったら、環状線で福島まで行かなければならなかった。それでも、何とか6〜7分遅れて着いた。
 S席と言っても、後ろの方であまりいい席でなかった。ただ、前に座っていた人が横の空いている席に移ってくれたので、よく見えた。上から見下ろす形になるので、前の人の頭などで視界が遮られやすい。おばちゃんみたいな人たちが素直に感動していたので、これはこれでよかった。シルク・ドゥ・ソレイユは、息子と一緒に見た東京ディズニーランドの常設でやっていた「ZED」が1番印象に残っている。ステージに近い前の席で、空中ブランコを見上げるように見て、その迫力に大感動した。
 前にも書いたように、最近は宅配レンタルで、1枚50円の旧作DVDを見ている。何枚も見ていても、感動する映画になかなか出会わない。映画を選ぶ時は、DVDの本編前にはいっている他の作品の紹介を参考にする。よさそうだと思っても、あまり評価が低いとパスする。中には、過去に見たような、見ていないような記憶が曖昧な作品もある。ほとんど内容を忘れてしまっていた2007年の作品の「ミスト」がよかった。DVDを見ていても、白い霧とスーパーのガラスが本のわずかに記憶にあるぐらいであった。2010年の「ザ・ウォーカー」も、題名は何となく覚えているぐらいであった。1度は見ているかもしれない。しかし、内容はまったく記憶になかった。この作品もよかった。
 記憶は曖昧である。昔は、ラジニーシから始まって、グルジェフサイババオウム真理教などの本を読んでいた。しかし、今はほとんど記憶にない。読書会で、クルト・シュナイダーなどのドイツ語の原文を翻訳させられたりもした。精神分析の本も山ほど読んだ。しかし、精神分析も各派によって解釈が異なり、その違いもあまりよく覚えていない。ミルトン・エリクソンの本も山ほど読んで、今でもそれなりに記憶に残っている。しかし、実際の臨床現場ではあまり役に立っていない。きょうも、トピックス64に時間をかけたので、この辺で終わりにする。

今週のトピックス 64 (181002)

水野直樹、文京洙「在日朝鮮人 歴史と現在」 (岩波新書)
水野直樹、文京洙「在日朝鮮人 歴史と現在」 (岩波新書)

 この本は2015年1月に出版されている。実は、百田尚樹「今こそ、韓国に謝ろう」(飛鳥新書)を買って、まだ読んでいない。戦前の日本と中国に関する本は、この日記でも書いた。前にも書いたように、私は左翼嫌いだったので、昔は自虐史観を否定する渡辺昇一の本などを夢中になって読んでいた。しかし、いろいろな本を読めば読むほど、まったくのデタラメだったことに気づくようになった。渡辺も百田尚樹も櫻井よしこも、ちょっと勉強したらわかるようなことでも、事実を無視して都合のいいように書いている。一体どういう神経の持ち主なのか、私には理解できない。金が見当てなのか、弱みを握られているのかよくわからない。「今こそ、韓国に謝ろう」を読む前に、断片的になっている知識の整理としてこの本を買った。
 実は、まだ最後までは読んでいない。著者の水野直樹は、京大名誉教授である。明治からアジア太平洋戦争が終わるまでのことを、第1章、第2章で書いている。文京洙は立命館大学教授である。第3章、第4章で戦後の在日朝鮮人社会のことを書いている。今回は、日本が朝鮮半島を植民地支配をしていた時代に焦点を合わせて書く。ネトウヨだけではなく、百田や櫻井などが垂れ流す情報をそのまま信じるのは危険である。ほとんどの日本人は、敗戦国の重みを自覚していない。一昔前なら、国が解体されても誰も文句が言えないぐらいのことである。同じ植民地でも、戦勝国と敗戦国の植民地では立場がまったく違う。
 この本では、「在日朝鮮人」とは、明治時代以降に朝鮮半島から日本に渡ってきて、一定期間在住するようになった人々と定義している。1882年(明治15年)には朝鮮人在留者は15名で、明治29年までは二桁に留まっている。1897年(明治30年)に、朝鮮人労働者がはじめて日本に渡ってきた。九州の炭鉱で、230名ほどの朝鮮人労働者が働いた。しかし、賃金が支払われなかったりなどしたため、相当数の労働者が逃亡してしまった。中国人の労働者は入国を禁止・制限されたが、朝鮮労働者は日本への入国を認められていた。日露戦争後の1907年(明治40年)には、鹿児島線鉄道の工事に500人ほど働くようになり、その後、山陰本線の鉄道工事でも朝鮮人労働者が使われるようになった。発電所工事などの土木工事にも従事するようになった。
 1910年(明治43年)の韓国併合によって、朝鮮人は自らの意志とは関係なく、日本国籍を持つ「帝国臣民」として扱われることになった。しかし、日本人(当時は内地人と呼ばれた)と朝鮮人とは戸籍で区別され、法律的にも異なる扱いを受けることになった。日本内地の警察は、併合前から居留朝鮮人名簿を作成して、監視・警戒の対象としていた。特高警察が発足した1911年(明治44年)には、「朝鮮人にして排日思想を有する者」を特別要視察人とした。併合後では、現地で集団募集され、関西地方の紡績工場で働く朝鮮人女子労働者が多く見られた。1915年(大正4年)には在留朝鮮人は4千人弱であった。その5年後の大正9年には、4万人に達した。
 朝鮮総督府は大正2年に、労働者募集を認可制とした。大正7年になると、内地(日本)に連れて行くには警察の許可が必要となり、罰金を課す処罰規定もできた。これは、朝鮮人の内地渡航をコントロールするためであった。朝鮮では、1919年(大正8年)に三一独立運動と呼ばれる全民族的な反日運動が起こった。日本に留学した朝鮮人学生が、日本による朝鮮侵略に抗議し、それを阻止するための活動も展開した。日本当局は中心となった学生を検挙した。しかし、日本留学生が始めた独立運動が朝鮮や中国にも波及するようになった。朝鮮総督府は朝鮮人の移動を統制するため、警察で発給される旅行証明書が必要とされた。20年代後半に実施される渡航証明制度の先駆けとなった。
 在日朝鮮人の人口の推移を見ると、1925年(大正14年)には21万人を超え、1940年(昭和15年)には124万人を超えている。終戦直後は210万人であった。さて、関東大震災と朝鮮人虐殺である。日本社会の都市化とともに、渡航労働者の数は増え続けた。土木工事だけではなく、大阪でも東京でも小さな工場に朝鮮人労働者が雇われるようになった。内務省の調査では、朝鮮人労働者と日本人労働者の賃金格差は平均2割程度とされ、地方・職種によって6割以上の格差があることも認めている。関東大震災が起こった1923年(大正12年)頃には、在日朝鮮人の人口は10万人に達する勢いであった。
 関東大震災が起こった時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの根拠のないデマが流れ、自警団が避難する朝鮮人を捕まえて殺害したり、警察が保護を名目に朝鮮人を収容しながら、警察署の中で殺害したりする事件が関東地方各地で起こった。殺された朝鮮人の数は司法省の発表では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造の調査では2711名とされる。朝鮮人留学生らが行った調査では、6415名という数字があげられている。日本政府が調査を妨害したので、正確な死者数は不明である。しかし、千名単位の死者があったことは否定できない。
 根本にあるのは、朝鮮を植民地として支配する中で、朝鮮人を劣った存在と見下しながら、三一独立運動とその後の独立運動が展開されると、日本に抵抗する「恐ろしい存在」でもあるとみなされたからである。当時の新聞などでは、「不逞鮮人」という言葉が用いられた。日本(天皇)から恩恵を施されているにもかかわらず、反抗する怪しからぬ奴らという意味が込められている。1921年(大正10年)に東京駅で原敬首相が殺された時に、実際は日本人青年による犯行であった。しかし、犯人を捕まえた刑事が発した言葉は「お前が朝鮮人じゃないか」であった。当時の新聞の号外でも、朝鮮人風の1青年と書かれた。関東大震災では、内務省が各地に送った電報で「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし」ていると、デマを裏書きしていた。その後、「朝鮮人暴動」のデマは誤りであったことも明言しなかった。
 その一方で、朴烈とその妻金子文子を皇太子暗殺を計画していたと検挙し、大逆罪を適用して裁判にかけた。震災時に広まった「朝鮮人暴動」のデマに根拠を与えようとした当局のでっち上げの事件であった。裁判で2人に死刑が言い渡された後、恩赦によって無期懲役に減刑された。しかし、金子は天皇の恩赦を拒否して獄中で自死し、朴烈は日本の敗戦まで服役することになった。三一独立運動後に中国などで展開された朝鮮人の独立運動を弾圧するため、1920年(大正9年)に独立軍の拠点となっていた間島(現中国吉林省の朝鮮族自治州)に日本軍を出兵して朝鮮人の集落を襲い、数千名を虐殺した。
 1920年代からは仕事を求めて日本に渡るケースも多かった。しかし、1939年(昭和14年)から、日本の戦争遂行を目的として、朝鮮人強制連行・強制労働が始まった。日中戦争期に日本男子が兵士に動員されたため、労働力が不足するようになった。政府当局が当時、「集団移入」と呼んでいた朝鮮人強制連行は、1939年(昭和14年)からの募集、昭和17年からの官斡旋、昭和19年からの徴用の三方式で行われた。労働条件の悪さが伝わり、募集に応じる者が減少し、暴力による強制的な動員がなされるようになった。内務省職員による朝鮮視察報告書では、「徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動(動員)は全く拉致同様な状態である」と記されている。朝鮮人の場合は、日本人の労務動員とは異なって、劣悪な炭鉱・鉱山・土建が4分の3を占めていた。戦後外務省が発表した「戦時中に徴用労働者としてきたものは245人にすぎない」というカラクリについても解説している。
 1930年代末には、司法当局が植民地独立を図る活動を「国体変革」(天皇統治権の否定・改変)を目的とするものとみなすと解釈をとり、朝鮮語や朝鮮文化を守るべきだと唱えるだけで、独立を図ったとして検挙される者が続出した。戦時期の内地での朝鮮人の人口比率は3%弱であった。しかし、治安維持法によって検挙された者の3割近くは朝鮮人であったと推定される。
 ここには、戦時中の朝鮮人に対する差別がこれでもかと書かれている。戦後についても同じである。樺太に送られた朝鮮人は、日本人の引き揚げ協定の対象にならなかった。サハリンに取り残され、家族との連絡も取れないまま、ソ連崩壊後にやっと韓国に帰国できている。こういう本を読まずに、ネトウヨなどの言説を頭から信じる者は、教養のない単なるバカに過ぎない。私は中国人や在日朝鮮人の言うことは何でも認めろと主張しているわけではない。敗戦国日本の国民がまず歴史的事実を認めることから始めなければ、そのことによってずっと両国に揚げ足を取られ続け、いつまでも国益を損なうことになるからである。

 

平成30年9月25日(火)

 きょうはあまり書くことがないので、安倍首相の3選について思いついたことを書いてみる。よく言われていることである。これまで国民に不人気な消費税増税を先延ばし、アベノミクスも漫然と続け、いいとこ取りで、将来のつけを先延ばししてきた。次になる首相の時には、溜まり溜まった負の遺産の問題が噴出してくる。その時に、安倍首相の時はよかったと思う人がいたら、間違いである。ただ単に、政権維持のためにやるべきことをやらず先延ばししてきただけである。
 9月12日にウラジオストクで、プーチン大統領から「平和条約締結案」が出された。この発言については、北方領土問題と絡めていろいろ言われている。私は、以前から疑問に思っていたことを書く。安倍首相を支持する人は、安倍首相の外交力を高く評価する。トランプ大統領とゴルフをしたり、プーチン大統領との親密さをアピールしたりする。素人の私でさえ、疑問が生じるほど、海外のあちこちに出かけている。
 各国首脳との緊密さ(これも単なる外交辞令?)と外交力がどこまで関係するのか、疑問である。各国首脳は各国の利益代表者として国際会議などに参加している。個人的関係は外交とはまったく関係ない。(もちろん、あいつだけは絶対許さないという関係だけは避けなければならない) どういう事かというと、安倍首相と仲がいいので、北方領土を返還しますとか、トランプ大統領とゴルフ仲間なので輸入関税を下げますなんて、あり得ない。どうでもいいようなことは、多少妥協してくれるかもしれない。一旦歴史修正主義者のレッテルを貼られた首相は、各国首脳からは評価されない。日本では、世界各地に慰安婦像を建てさせた首相として歴史に名が残るであろう。
 前回、カンボジアのポル・ポトの事を書いた。どこの国でも、国内問題から国民の目をそらすために、外部の敵を作る。ポル・ポトの場合はベトナムであった。最近、私が考えるようになったのが、安倍首相の外部の敵である。最初からどこまで意図していたのかわからない。結果的には、中国や韓国を外部の敵として攻撃し、国民の目を国内問題からそらしたのではないか。戦後の自虐史観からの脱却は、愛国心とも結びつきやすく国民からの支持も得やすかった。中国などへの侵略や南京大虐殺の否定、慰安婦問題の批判という形で、国民を右傾化させ、これほど嫌中、嫌韓が蔓延った時代はなかったのではないかと思う。これも、いづれつけがまわってくる。

今週のトピックス 63 (180925)

阿久真子「裸の巨人 宇宙企画とデラべっぴんを創った男 山崎紀雄」 (双葉社)
阿久真子「裸の巨人 宇宙企画とデラべっぴんを創った男 山崎紀雄」 (双葉社)

 この本は昨年の8月に出版されている。この類いの本としては、2016年8月に出版された本橋信宏「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)がある。どちらも以前に買った本を持っている。この連休の時には、どちらを読もうかと思った。「全裸監督 村西とおる伝」の方が分厚く、字数としては倍以上ある。とりあえず、今回はこちらの方を読み終えた。毎週この日記を更新している火曜日は、いつも予定は入れないようにしている。しかし、今回は連休となっていたので、25日は午後から予定を入れた。その分、24日(月)までにこの今週のトピックスと日記を書き上げなければならない。
 この本は日曜日に読み終え、振替休日の24日は朝5時から起きてこの原稿を書いている。22日(土)の午後から障害者手帳などの診断書や書類を書いていた。簡単には書けそうもないややこしい書類がまだけっこう残っている。他にもやりたいことがあるので、午前中には書き終えたいと思っている。
 山崎紀雄は、80年代の日本がバブル景気で浮かれていた時に、AVメーカー・宇宙企画と英知出版という会社で、天文学的数字を売り上げた男である。長い間、王座に君臨し、日本のヒュー・ヘフナー(プレイボーイの創刊者)と呼ばれた。エロによって莫大な資産を築き、豪邸を建て、小切手をゴミのように床に散らかし、ホテルのスイートに10年近く滞在し、贅を尽くして破滅に向かった。1949年生まれの団塊世代である。私より5歳年上である。山崎についてはその私生活も含め、謎に包まれていた。著者は2015年の夏に山崎の住んでいる所を訪れている。部屋には8千円で買った中古の冷蔵庫とTVが一台。丸いテーブルとその横に鉄パイプでできた1万円のシングルベッドがあった。古着屋で買った洋服だけが50着以上あり、部屋の大半を占めていた。その後のインタビューでも、所持金が2千円という時もあった。
 山崎は1981年に宇宙企画を設立した。早川愛美、かわいさとみなど蒼蒼たる美少女を輩出し、脱がせている。この1981年は「なめネコ」ブームが起き、風俗面では、京都発祥のノーパン喫茶が全国的に発展した年でもあった。翌年の1982年に英知出版を買い取った。英知出版では、雑誌「すッぴん」、「Beppin」、「デラべっぴん」など発行していた。高校時代は美術部に入部し、ひたすら絵を描いていた。1969年9月の全国全共闘結成大会が日比谷公園で開かれた時に、死闘の1番近いイチョウの木の上から見ていた。
 19歳になった山崎は、新宿にあった実験劇場「モダンアート」で、演出助手の仕事を始める。そのときに、樋口四郎に出会っている。樋口は浅草のフランス座やモダンアートで、主にストリップの振り付けをしていた。萩本欽一や渥美清など多くの著名人からも慕われていた。坂口安吾とも仲がよく、永井荷風とも同居していた頃もあった。この樋口から本当の自由を教えてもらったという。別の箇所に、菊池寛の弟子だったとも書いてあった。
 大学卒業後は、日本文華社に入社したが、極度の気疲れで1年8ヶ月で退社した。その後、団鬼六の鬼プロなどに挿絵を描き、団の好みそうな女の子を見つけては、2万円の小遣いをもらっていた。鬼プロでは、緊縛写真家の杉浦則夫と知り合う。鬼プロには立川談志のような時の人も多く出入りしていた。鬼プロは、エロスというよりカオスの場であった。24歳の山崎と31歳の杉浦はたった2人でビニ本を制作した。この頃に、現在株式会社コアマガジンの代表取締役となっている中沢慎一と知り合う。中沢も鬼プロに出入りする若者の1人であった。
 中沢は当時「アップルハウス」というモデル事務所を経営していた。都内では、ヌードモデルを斡旋できる人間は、まだ3人ぐらいしかいなかった。その中の1人が中沢であった。ビニ本の黎明期である。山崎と杉浦に、モデルが調達できる中沢が加わった。「女性自身」や「ヤングレディ」にもモデル募集の公告を載せるようになった。意外とSMのモデルを希望する子が多かった。SM雑誌はあまり流通にのらないので、顔ばれしにくく、ギャラも1万円ぐらい高かったからである。山崎の懐には、金がどんどんと貯まった。25歳の1974年に北海道に別荘を買い、茨城にも1戸建てを建てる。しかし、フィリピンに行って女の子を連れてくるという話に全財産の500万円を投資し、すべて失っている。
 1978年(29歳)でグリーン企画を退社し、フリーの身となった。30歳〜31歳の時に、自販機用のエロ本を制作する共同出版や、ビニ本を制作・販売する会社を次々と設立した。月に25〜30冊作って、1年で5億ほど荒稼ぎしたという。この時期、警察の摘発で潰れる会社が増えていた。直接流通を主とする自販機本の最大手だった千日堂が倒産し、日本雑誌も倒産した。山崎が納入していた本が2つ合わせて6000万円分がパーとなった。
 一時代を築いたビニ本、自販機ブームは、警察の摘発による大手流通会社の相次ぐ倒産と裏本の登場で陰りを見せていた。裏本の多くは北大神田書店グループで製作、販売され、瞬く間に全国区となった。代表は草野博美という男であった。山崎と同年代で、後に村西とおるという名で、アダルト業界に旋風を起こすことになる。80年代に40万円だったビデオデッキは、82年には15万円に下がっていた。しかし、まだ普及率は10%であった。定価1万2千円のビデオを持って営業に行っても、門前払い続きであった。「デッキ本体が売れねぇのに、ソフトなんか売れるわけがねぇだろう」とけんもほろほろであった。
 ところが、東スポに、水沢聖子が松田聖子のそっくりさんだということで「私の放課後」が紹介された。その日を境に、会社に注文の電話がかかり始めた。月数十万円だった売り上げが、一気に9千万円になった。1本の制作費は80万円足らずであった。新しく移ったビルでは、山崎は34歳にしてアップライトのピアノを運び込み、来る日も来る日もピアノを弾き始めた。小学館の「写楽」で連載していた村上龍も対談に訪れていた。84年に会社は再度引っ越しし、その時に国税調査が入り、追徴課税が差し引かれた。
 この本で山崎は、「結局、女。女がすべてなんです。技術も風景も大事だけど、最後は男は、女しか目に入らなくなる」と述べている。アイドルとなんら遜色のない美少女が裸になったら売れると、モデル探しの苦労も書いている。最初の美少女は、1983年に発売された田所由美であった。2万本も売れた。予算はビデオ1本、400〜500万円で、月4〜8本のとき、売り上げは2億から2億5千万円だったという。86年から91年までバブル景気が続いた。山崎は「増刷するたびに、紙幣を刷っているみたいで頭がおかしくなりそうであった。使っても使ってもお金がある」と述べている。当時、大金を手にした男の多くは美しい愛人を持ち、パトロンが変わる度に家具をすべて買い換えたので、六本木のゴミ置き場はいつも、まだ新しい高級家具で溢れていた。
 日本で出版物を流通させるには、出版コードが必要になる。山崎は売りに出されていた出版社を相場より高く買い取った。英知出版では、最盛期に「ビデオボーイ」15万部、「Beppin」28万部、「デラばっぴん」39万部など、毎月粗利益は1億5千万円にも達したという。宇宙医企画で1番売れたのだ、かわいさとみである。1本のビデオの値段が1万円以上で、トータルで5万本に達した。会社の最高年商は150億にも達した。85年(36歳)には、建築家黒川紀章に頼んで、西萩窪に1億9千万円の家を建てた。
 この本では、オノ・ヨーコの事も書いてある。ジョン・レノンがオノ・ヨーコの個展で、天井に書かれたYESという文字を階段を上って虫眼鏡で覗いて感動したというエピソードが伝わっている。山崎は、あれで感動したわけでないと否定している。オノ・ヨーコの内股に羽をむしって飛べなくなった蠅をはわせて、6時間ぐらい撮影している。それを見て、ジョン・レノンがびっくりしたという。山崎もこの個展を見に行ったという。
 91年(43歳)になった山崎は、新宿・京王プラザのスイート・ルームに住み始めた。会社が傾き始めた頃から、前にも増して絵に対する執着はひどくなった。シャガール、ピカゾ、ルノアール、バスキア、ビュッフェ、ルオーなど次から次へと気に入った絵を手元に置いた。94年に「Beppin」の発禁処分を受ける。スコラは発禁3、4年後に倒産した。通達で、コンビニのレジから見えない所に置き、雑誌の中が見えないようにテープを貼らされた。英知出版は売り場の6割を失い、毎月1億5千万円ほどの黒字から、1億前後の赤字に一気に転落した。神楽坂に建つ7階建て新社屋着工の矢先であった。「デラべっぴん」は30万部で、15万部の行き場がなくなった。
 96年(48歳)に社屋が完成。社員の多くは、英知出版の傾きを知らなかった。山崎は個人資産の絵画や不動産などを売って凌いだ。社屋の完成後、脱税で摘発され、4年間で11億円の申告漏れを修正申告した。98年(50歳)には、新宿京王プラザホテルのスイートルームを解約した。業務を縮小しはじめたのは、2000年(52歳)になってからである。会社建て直しのために、まず英知出版などを手放し、02年(54歳)に宇宙企画を売りにだす。出会い系サイトの会社が5億円で買った。しかし、月の赤字が5千万円を下ることはなかった。その後、再起の切り札としたのが、熟女の写真集であった。松坂慶子、小柳ルミ子、秋吉久美子、叶姉妹などである。山崎は毎月の支払いと格闘しながら、写真集を作り続けていた。07年(59歳)で、最後に残った八千代出版興業も倒産した。
 2017年夏に、山崎は大腸がんであることがわかった。手術するためには、心臓の手術も必要であった。最後の対談で、白夜書房で「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」を創刊し、大ヒットを連発した末井昭が出てくる。私自身は、宇宙企画にはあまり縁がなく、「写真時代」は愛読していた。本の中でも所々に出てくる末井昭の名前はどこかで見た名前だと思っていた。買ったまままだ読んでいない「自殺」(朝日出版社)の著者であった。末井が7歳の時に、母親がダイナマイト心中をしている。この本を読みながら、私も段々年を取ってきて、別の生き方もあったのではないかと思ったりする。

 

平成30年9月18日(火)

 最近は時間があっても、なかなかやる気が出てこない。いろいろとやらなければならないことがあっても、ついつい先延ばししてしまう。このホームページもスマホ対応にするため、一部変更をしようと思っている。6月から木曜日は休診にしたので、それまでに間に合うように変更の原稿を書くつもりであった。最近また、ホームページを頼んでいる会社からまだかと問い合わせの連絡が来ていた。何とか今月中には書き上げるつもりである。
 実は、最近中国語の勉強を少しやり始めた。旅行を計画しているからである。これもなかなかやる気が起こらなくて、まだ数回勉強しただけである。今回は簡単な旅行会話だけでもと思った。本格的な発音から勉強していたら、すぐに挫折してしまう。中国語の本は山ほど持っている。1冊にしぼって手をつけたが、途中何冊か変えている。超入門書である川原史「ひとりで学べる中国語会話」(高橋書店)が中国語の全体像がわかりやすく書いてあった。何とか最後まで読めそうである。車に乗ってFM放送を聞いていると、スピードラーニングの宣伝をしている。「ただ耳から聞くだけ」と言っている。中国語もとにかく聞いて慣れることだと思ってる。昔の1番小さなiPodにイヤホンをつなげて、いつでも聞けるようにしている。それでも、聞き出すまでに時間がかかる。
 前にも書いたスカパーの故障は、長いこと契約をしているので、係の人が無料でチューナーを交換してくれた。またきれいにTVに映るようになった。目的はCNNjを見るためである。英語力も中途半端で、討論になると何を言っているのかよくわからなくなる。ニュースなどを司会が読み上げるのは、聞き取りやすい。これも毎日30分聞いたら、英語力も上達すると思う。しかし、毎日録画してもなかなか見る気になれない。時間があっても、何もせずにもんもんと過ごすのは、焦りばかりが空回りするので精神的にもよくない。もともと強迫性格で「All or Nothing」(全か無か)思考があるので、気をつけなければならない。
 この連休の16日(日)には、久しぶりに大阪の池田の母親の所に行っていた。今は86歳で、元気であった。耳だけは遠い。妹の娘夫婦と妹の旦那と一緒に、お昼に近くのうなぎ屋に行った。妹の娘夫婦は2人とも医者である。循環器科と産婦人科で、2人とも忙しいようである。お互いに当直にはいったりするので、すれ違いの生活になることもある。ここのうなぎ屋は料理をする前に、わざわざ生きたうなぎをビニール袋に入れて見せてくれる。休みの日だったので、次から次へとお客さんが入ってきた。1人5千円で、ボリュームがあり、それなりに美味しかった。母親は相変わらず帰りに、自分で作った料理を持たせてくれた。妹が近くにいるので、ついつい任せてしまう。ふだんはみんな忙しいので、なかなか母親の相手をしている暇がない。
 16日の夜は、テレビ大阪で「池上彰の世界を歩く カンボジア秘境&謎の独裁者」をやっていた。母親の所で新聞のテレビ欄を見ていたら、内容まで書いてあった。京都新聞では、テレビ大阪が映らない所もあり、内容までは出ていなかった。早速録画して見た。実は、この日記の上の見出しにある読書録をクリックすると、List1に井上恭介 藤下越「なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト−堕ちたユートピアの夢 」(NHK出版)を紹介している。他にも、この日記の中で、ポル・ポトやクメール・ルージュの事を書いた本も書いている。そちらの方が面白い内容である。しかし、どの日の日記に書いたか探すことはできなかった。興味のある人は、同じ上の見出しのもんもん写真館をクリックすると、実際に私が撮ってきたカンボジアの写真が見れる。(写真の右上にNextが出て、次の写真に移動できる)
 この番組の内容については、ほとんど知っていることばかりであった。しかし、忘れてしまっていたこともあった。ポル・ポトがフランスの留学からカンボジアに帰国した年はよく覚えている。1953年で、私が生まれた年と同じだからである。番組では、ポル・ポトが目指していた原始共産主義について解説していた。@貨幣の廃止 A宗教の禁止 B学校・病院の廃止 C家族の解体 である。この番組で、印象に残ったことは、当時の北朝鮮と友好関係を結んでいて、北朝鮮軍人がポル・ポトの護衛をしていたという。前にも書いたように、私は今はなくなったと聞いているプノンペンの北朝鮮レストランに行ったこともある。

今週のトピックス 62 (180918)

細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 後半」 (新潮選書)
細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 後半」 (新潮選書)

 さて、前回の続きである。ついつい詳しく書いてしまうと、最後までたどり着けず、全体のポイントが曖昧になってしまう。しかし、複雑な出来事をはしょりすぎても、何のことかさっぱりわからなくなる。1919年のパリ講和会議で、日本が提案した人種差別撤廃条項の挿入が挫折したことによって、英米両国が掲げる正義が実際に虚偽に過ぎないことが日本国内で糾弾された。しかし、日本人が求めていたのは、あくまでも欧米諸国の白人に対する日本人の対等な権利と名誉ある扱いであった。かたや1895年に領有した台湾や1910年に合併した朝鮮半島において民族自決を認めず、植民地を有しておきながら、欧米諸国には人種平等を強く要求するという政府のダブルスタンダードがあった。東洋経済新聞新報の評論家の石橋湛山も日本政府の不誠実な態度を批判していた。日本は1915年に中国政府に対して帝国主義的な11ヵ条の要求を突きつけて、その手法が国際的に大きな批判を集めていた。
 パリ講和会議では、恒久的な平和を確立することが大きな目標であった。国際連盟規約では、「戦争に訴えないという義務」が調印国によって確認された。また、戦争を世界からなくすために軍縮義務が課せられた。そして、英仏両国が軍備を縮小し続けることで生まれたのが、世界平和ではなく、「力の真空」とそれに伴う勢力拡大への誘惑であった。1930年代になると、日本、イタリア、ドイツが隣国への侵略を行う上での大きな契機となった。
 国際連盟は、経済制裁と国際世論で、侵略を排除し、平和を維持できると考えていた。集団安全保障とは、ある加盟国に対する侵略を全加盟国に対する侵略と見なして、全加盟国が侵略を排除するための制裁を行うような、国際安全保障体制である。ここで重要になるのが、自国がたとえ侵略されていなかったとしても、遠方にあるあまり関係の深くない加盟国が侵略された場合であっても、自らが攻撃されたとみなしてそれに対抗する制裁措置を執らなければならないことであった。このような人間の理性や善意を前提にした平和はほどなくして脆くも崩れていくことになる。
 ヨーロッパでは騎士道の精神から負傷者や捕虜に対しては人道的な扱いをすることが求められた。しかし、日本では捕虜となることは恥辱であると強く認識されていた。1929年にジュネーヴに集まって締結した「捕虜に関する条約」に日本は調印しながら、軍部の反対により批准が実現しなかった。1932年には、陸軍師範学校の教程から戦時国際法の科目を除外した。そして、国際法学者の喜多義人が批判するように、中国蔑視に起因する捕虜虐待等の国際法違反事件が多発した。国際法を軽視する日本軍は、続く第二次世界大戦でも欧米人捕虜に対して違法行為を繰り返すのである。日露戦争後40年にして、日本は捕虜厚遇の「文明国」から捕虜の非人道的待遇に象徴される「戦争犯罪国家」へと転落する。
 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約とロカルノ条約で、フランスは独仏国境地帯にあるラインラントの非武装化を約束していた。しかし、フランス軍が撤退したら、ドイツ軍の動きを監視することができず、侵略を防ぐことができない。フランスは安全保障についてアメリカに対して外交努力をした結果、1928年8月にパリで日本を含む15カ国でパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)が結ばれた。この条約で、歴史上はじめて戦争が違法化され、戦争放棄が明確化された。
 ところが、その少し前の1928年4月に地球の反対側の満州では、関東軍が独断で満州軍閥の張作霖を奉天で爆殺した。この時に昭和天皇は即位して1年半の27歳であった。軍部における規律が乱れることを恐れた天皇は、当時の田中義一首相に厳しく処分することを求めた。ところが、田中首相は犯人を軍法会議にかけることへの陸軍の強い反対に直面し、方針を転換した。天皇の叱責を受けて、その5日後に内閣総辞職を決めた。歴史家伊藤之雄によると、田中の問責で天皇は陸軍や右翼・保守派から不信感を持たれるようになった。まだ若かったこともあり、その後、政治への自らの関与を自制するようになり、軍部の強硬派の意見に抵抗することを遠慮するようになっていく。
 1931年9月に、国際連盟の総会で設立に尽力したイギリスのセシル卿が「現在ほど戦争が起こりそうにない時代は、世界史の中でも稀である」と述べたわずか1週間ほどの後に、平和主義の積み木をなぎ倒すような事態が勃発する。満州事件である。関東軍が自らの支配地域の拡大のための自作自演で行った鉄道爆破事件である。満州事件がいかに巨大な衝撃を国際社会に与えたか、当時の日本人は知るよしもなかった。
 国際連盟で、政府代表の吉沢謙吉は日本軍の撤兵と居留民の安全確保、そして鉄道保護を目的とした行動にとどめることを約束した。ところが、満州の関東軍は事態収拾を求める合意を受け入れるつもりはなかった。関東軍司令官の本庄繁は、朝鮮に駐屯する朝鮮軍の援軍を要求した。朝鮮軍が外国である満州に出動するには天皇の許可が必要であった。ところが、林朝鮮軍司令官の命令により、奉勅命令がないまま満州に入った。明白な違法行為であった。ところが、天皇と牧野内大臣は陸軍に抵抗することに弱気となり、これに事後承諾を与えてしまう。この時に、連盟理事会の諸大国は日本と対決する意図はなかった。日本政府がうまくこの危機を処理してくれると期待した。
 1931年10月には、関東軍は偵察機など11機による錦州への爆撃を行った。無防備都市への無警告の爆撃であり、そこを拠点としていた張学良勢力を壊滅させるための攻撃であった。錦州は満鉄所在地から150キロも離れており、満鉄の保護という目的を逸脱した軍事行動であった。すなわち、正当防衛としての自衛戦争とはいえず、他国領土に対する侵略行動であった。新聞や世論の強烈な支持を目にして、政府もまたこのような軍事行動を追認せざるを得なかった。日本は北京に近い錦州を支配下に置くことになった。これをアメリカは激しく批判した。
 1933年3月に日本は国際連盟からの脱退を通告した。連盟から脱退すれば、軍縮義務を遵守する必要もなく、平和的手段による解決という規範に従う必要もなくなる。日本は満州事変において大規模な軍事行動を起こしながらも、それは「戦争」ではないという論理を用いてパリ不戦条約を無力化すると同時に、戦略爆撃の実施により非戦闘員の殺戮を禁じたハーグ陸戦規則をも無力化した。1936年3月には、ムッソリーニのイタリア空軍はエチオピアのハラールで戦略爆撃を行った。1937年4月には、ドイツ空軍がスペインのゲルニカで戦略爆撃を行った。日本は、錦州への爆撃の後に、上海、南京、そして重慶へと爆撃都市を拡大すると同時に、戦略爆撃の規模も大きくなり、中国人の死傷者数の数は積み上げられていった。軍部が教育課程で軍事作戦の教育ばかり偏重し、国際法教育を十分に行わなくなった必然的帰結でもあった。国際社会における日本の地位は失墜した。
 1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発する。1940年9月27日に、日独伊三国同盟が締結された。1940年夏から1年ほど、近衛文麿首相の下で日本政府は、戦争におけるイギリスの敗北と、ドイツの勝利を前提として、政府の基本方針を考えるようになった。東南アジアの巨大なイギリスの植民地や、フランスの支配している仏印(現在のベトナム)、そしてナチス・ドイツの占領下にあるオランダの植民地の蘭印が「力の真空」になることを期待した。1941年にアメリカ政府は暗号解読によって、日本軍の南部仏印進駐の最後通牒を事前に知った。7月25日に在米資産を凍結しており、8月1日には石油全面禁輸措置を決定した。
 興味深いのは、「対英米戦」を研究するための総力戦研究所が内閣直属の組織として設置されていた。1941年夏に、日本は開戦後2年程度は戦えるが、4年後に国力を使い果たし、最後はソ連の日ソ中立条約破棄による満州侵入で敗北するというシナリオを提示していた。陸軍省軍務科の戦争経済研究班の分析結果も、開戦後2年間は抗戦も可能だが、それ以降は限界に直面するというものであった。この陸軍省の報告書は、杉山元参謀総長によって、国策に反すると言って、焼却が命じられた。
 天皇は開戦に反対であった。歴史家の森山優は「日本はなぜ開戦にふみきったか」の中で、陸軍にとって、対米戦は海軍がやってくれる戦争であった。海軍は対米戦に自信がないと公式に言うことができなかった。それまで、対米戦を名目に多くの予算と物資を獲得してきたからである。組織的利害を国家的利害に優先させ、国家的な立場から利害損得を計算することができない体制が、対米戦という危険な選択肢を浮上させたのである。その後の経過も興味深い。
 最後に、民族自決と「アジア解放」についてである。前回のトピックスにも書いたように、「植民地解放のための正しい戦争であった」とおとぎ話みたいなことを信じている右翼や国会議員のために記しておく。私はきのうの敬老の日は朝から晩まで、この本を最後まで読んでこのトピックスを書いていた。経済のことはよくわからないので、アベノミクスなど疑問は呈しても、断定的に書くことはしない。しかし、「先の大戦は植民地解放のための戦争」と声高に主張する人は、1度この著者の本を読んだらいい。著者はあとがきで、戦後70年談話(安倍談話)に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の座長代理をした北岡伸一の指導の下で勉強したと書いている。ろくに本も読まず、自分の頭で考えもせず、右翼的な言説に賛同するのはバカ以外の何者でもない。反論するなら、せめてこの本を1冊読んでからにしたらいい。
 1941年に日本が開戦の準備をする課程で、プロパガンダとして「アジア解放」に言及することはあっても、実質的な作戦計画としてはあくまでも石油資源確保とそれによる「自存自衛」体制の確立が戦争目的であったことは、今や歴史学的に明らかになっている。「アジア解放」を説くのであれば、まずは自らが朝鮮半島や台湾の植民地を解放する必要があったし、蘭印の石油資源も日本の軍事目的ではなくインドネシアの人々の生活の向上に用いる必要があった。他方で、アメリカ政府は、イギリスに対して戦後の植民地独立につながるような民族自決の理念を大西洋憲章に含めることを強く要求して、それを実現していた。あくまでも、日本の戦争目的は、東南アジアにおける石油資源の確保であり、それを正当化するための論理として「アジア解放」を唱えたに過ぎなかった。

 

平成30年9月11日(火)

 きょうは今週のトピックスを書き出したら、詳しく書きすぎて書きたい所までたどり着けなかった。今回はここで中断しようか迷っている。本気で最後まで書こうと思ったら、夜中の12時を過ぎてしまう。とりあえず、この日記を先に書いてから考えようと思う。
 この前は、精神科に関する年金の診断書のことを書いた。たまたま読みかけている富岡等×内山登紀夫「大人の発達障害ってそういうことだったのか その後」(医学書院)の中にも同じようなことが書いてあった。前にも書いたように、今年の日本精神神経学会では、この発達障害についてのシンポジウムがあった。録音禁止だったので、内容は今となってはうろ覚えである。本当に面白くて、勉強になった。専門家でない精神科医では、成人になるまで気づかれなかった発達障害は、簡単に診断はできないと改めて確認できた。
 2人とも発達障害の専門家である。しかし、対談形式で内容は過激である。「子どものデイサービスとか成人の就労支援機関では営利追求の業者がすごく多いですね」とか、「就労支援機関に、発達障害の人をどんどんと入れて適当なことをやらせてお金儲けをしている」という発言もしている。発達障害で年金をもらっているという人が転院してきて、どう考えてもASD(自閉症スペクトラム障害)でない人に診断がついている時もあるという。年金が出るとなんとなく仕事をあまりせず、むしろ疾病利得みたいになっていて、そういう人にどうしたものかと悩んでいると吐露している。発達障害の患者さんをたくさん診察している大学教授でさえこう発言しているのである。前回の日記はこれでも患者さんに気を遣いながら、抑制的に書いた。もうちょっと好き放題書いたらよかったと思った。
 年を取ると、段々と生きがいがなくなってくる。少し前に、滅多に食べないお菓子を食べていたら、固い不良品が混じっていて、セラミックの奥の歯が少し欠けてしまった。琵琶湖のマンションのエレベーターに乗ると、しばらく始めは正面の液晶画面に天井のカメラで見たエレベーター内が映る。頭頂部の髪が段々と薄くなってきて、禿げかかっていた。どこでどうしたのかわからないが、右足首が痛く、歩行していても少し足を引きずってしまう。生きがいはあまりなくても、まだ達成感だけは味わえる。しかし、あまり簡単なことでは達成感は味わえない。私の達成感は、本を読み終えてその内容をまとめたり、1人で何から何まで準備して海外旅行をすることである。また気を取り直して、今週のトピックスを書ける所まで書こうと思う。

今週のトピックス 61 (180911)

細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 前半」 (新潮選書)
細谷雄一「戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで 前半」 (新潮選書)

 安倍首相になってから、日本会議などを後ろ盾とした右翼そのものの言説が正論のように日本を覆っている。ネトウヨも勢いづいて、中韓に対するヘイトスピーチまがいの書き込みがあふれている。今週のトピックス54で紹介した水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)みたいなトンデモ本もこれでもかと出版されている。最近、たまたま新聞で「月刊Hanada」の広告を見た。安倍首相絶賛の記事はいつものことで、杉田水脈議員を擁護する見出しも出ていた。
 杉田水脈議員はLGBTの人々について生産性がないなどと雑誌に投稿し、海外からも批判を浴びていた。私はこのことより、7月24日の日記にも書いたことの方が深刻な問題だと思っている。今年2月の国会質問で、産経新聞の記事を配布して、日本によるアジア諸国の植民地支配に関した研究をしている研究者を名指しし、講演や論文で反日的主張や研究成果を世界に向けて発表するような研究者に多額の研究費が出ているのは「非常に由々しき問題だと思う」がどうか、科研費の偏向ではないかと文部科学大臣にただしていた。「月刊Hanada」の最新号では、こんな人の辞職は暴言とか、メディア・リンチと擁護しているのである。
 著者は慶応義塾大学法学部教授である。誕生日が来ていても、まだ47歳である。学者が当時の歴史的事実を書くことは、それこそ杉田の言う反日学者になるのであろうか。本の裏には、「軍国主義」より致命的であった「国際主義」の欠如とは?と書いている。この本は第1章と第2章に分かれている。まだ最後まですべて読んだわけではない。本の内容が濃いので、きょうは第1章について書く。百田尚樹のような素人が書いた本は、大した知識もない所詮素人の本である。右翼が主張していることは、歴史的事実というよりこうあって欲しいという宗教に近いうわべだけの内容である。
 この本のはじめにで、現代史についてわれわれが深く学ぶ機会が限られており、わが国の外交の経験や理解が圧倒的に国際社会のそれからずれていることがしばしばあると指摘している。高坂正堯の「国際政治」の内容にふれ、国際社会における潮流を的確に理解することができずに、自己の利益や正義を独善的に追求して、国際社会からの孤立を深めることで、日本はしばしば進路を誤ってきたと述べている。
 まず、最初に出てくるのは村山談話である。この談話の中で、「植民地支配と侵略」によって多くの悲劇をもたらしたことへの「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉がはいっていた。しかし、「戦争に対する反省」を示す決議に反対する議員は多く、与党と野党を合わせた欠席者数は、賛成者数を上回るほどであった。日本国内で統一的な歴史認識をつくりだすことがいかに難しいか端的に示された。村山は回顧録の中で、「自民党内には『あの戦争は決して間違っていなかった』『植民地解放のための正しい戦争だった』と正当化している議員が少なくないわけだ」と述べている。村山は「自分たちがよその国より優れていると思い上がって他国に迷惑をかけるような独善的ナショナリズムは絶対にだめだ。」と述べ、「そういう考えを持っている人が総理大臣など責任のある立場につけば、国の政策が独善的ナショナリズムに陥りかねない」とも主張していた。
 少し前に、昭和天皇について、小林侍従日記の内容が一部公開されていた。戦争責任については昭和天皇自身が1番痛切に感じていたことが明らかとなった。1980年(昭和55年)5月に中国首相との面会にあたり、天皇陛下は日中戦争は遺憾であった旨おっしゃりたいが、(略)右翼が反対しているから、やめた方がよいというのでは余りになさけないとも記してあった。
 しかし、この村山談話が外交問題化し、関係悪化の道を開いてしまったという。歴史認識問題という「パンドラの箱」を開けた結果、むしろ中国でも韓国でも歴史認識問題を封印して凍結しておくことがもはや不可能となってしまった。戦後70周年となる2015年になっても、国民の間で歴史認識を共有することは難しい。(この本は2015年に発刊されている) 日本は、敗戦をどのように受け止めて、戦勝国が唱える正義にどのようにむきあうかという難しい問題を抱えている。戦争に勝利を収めた連合国は、歴史の正義をも手に入れることができた。(前から書いているように、歴史とは勝者の歴史である) この本では、国民の間で歴史認識を共有することが難しかった例として、第一次世界大戦後のドイツを挙げている。ドイツはロシア軍に対して勝利を得ており、そもそもドイツは連合軍に降伏したわけではなく、休戦協定を結んだに過ぎなかった。
 歴史理論の事も詳しく解説している。19世紀ドイツの偉大な歴史家であるレオポルド・フォン・ランケのことや新しい歴史理論を提示したE・H・カーである。マルクス主義的歴史学やこのランケ的実証主義歴史学に変わって、「歴史的事実」は軽視され、むしろどのように世界をみるかという「世界観」が問われるようになったという。しかし、ポストモダニズムの潮流を批判して、リチャード・エバンズは、アメリカのイスラエル寄りの中東政策を批判したり、フェミニストは女性の権利拡大のために、過去に関する知識(歴史)を自分たちの現在の目的のために利用していると指摘している。
 従軍慰安婦問題についても、自らの運動を実践するための手段として「歴史」が用いられている。日本では、左派、右派ともに、歴史が運動とあまりにも深く結びついてしまった。戦後の日本の歴史教育においては、あまりにも色濃くマルクス主義史学をはじめとする歴史理論の影響が浸透し、近代史全般をどのように認識するかで、激しい対立が生じた。他方で、現代では右派のナショナリストたちが、日本の歴史的な正義や国民的なプライドを回復する手段として、歴史を利用しようとする。イデオロギー的な束縛もある。「親米」か「反米」である。ここでは孫崎享「戦後史の正体」が批判されている。反米史観と陰謀史観である。私も陰謀のみで歴史が動かされているとは思わない。陰謀とインテリジェンス活動が違うのもわかる。それでも、英米のインテリジェンス活動の一端を知る意味では意義があったと思う。
 長くなってしまったが、ここまでが序章でこれから第1章にはいる。まず大量虐殺である。戦争が起因となって1936年から1945年の間に死亡したヨーロッパ人の数は、およそ3650万人と見積もられている。死者の半数以上が非戦闘員であった。平和は近代の発明である。近代ヨーロッパの歴史で国家間の問題を解決するための諸提案がすべてに優先して平和の維持そのものに向けられるは18世紀になってからである。ナポレオン戦争後に、それまで貴族階級が行ってきた戦争が、国民の戦争へと変質したことによって、惨状は拡大した。ウィーン会議では平和の回復こそが最大の目的とみなされた。
 1899年にはオランダのハーグで万国平和会議が開かれた。1904年に始まった日露戦争においては、日本は「文明国」として国際法を遵守して闘った。日本は世界に先駆けて戦時国際法を遵守する重要性を示し、国際的な地位を高めた。この頃の日本軍部では、下士官兵もハーグ陸戦規則やジュネーヴ条約の知識を得ていたという。第1次世界大戦では、連合国側と同盟国側を合わせて軍人だけでも1000万人以上が戦死した。日本は日英同盟に依拠してドイツに宣戦布告した。日本政府の関心は、アジア太平洋地域におけるドイツの権益を奪い取ることであった。甚大な人的被害と国土の荒廃を経験したヨーロッパ諸国が戦争を防ぐことに政治的な情熱を注ぐ一方で、日本政府は依然として戦争を国力増強のための好機とみなしていたのである。
 しかし、吉野作造は国際社会における新しい動向に関心を示していた。中国で排日思想が高まっているのは日本人にも問題があり、(略)常に支那人を自分より幾分劣等の人種なるか如き取り扱いをして居ると述べている。原敬も、政府の対中外交があまりにも強圧的で、国際社会から非難を受けていることについて批判している。時代の変化を敏感に感じて、日本は国際協調を基礎としてそのような新しい潮流に積極的に加わるべきだと考えていた。第1次大戦後のパリ講和会議の全権代表となった牧野伸顕は、これからは中国に対し、強圧的、利己的、または陰謀的政策ないし手段を改めることを主張している。しかし、天皇直属の外交調査会では英米批判の強硬論が大勢となった。英米が語る正義を偽善ととらえる英米批判の思想は、次第にアジア主義の主張と融合して、アジアにおける新秩序を求める思想や運動へと帰結する。
 ここからが面白くなるが、やはりきょうは書いていて疲れてしまった。この辺で終わりにする。次回に続くである。きょうは書きたいことが最後まで書けなかったので、中途半端な達成感である。

 

平成30年9月4日(火)

 きょうはいつものように午後から往診があった。ふだんより早めに出たが、大雨と風が吹き荒れていた。1人の患者さんは伏見区深草に住んでいる。いつもは龍谷大学の学生が大勢歩いている。きょうはほとんど誰もいなかった。傘を差しても、横殴りの雨でびしょ濡れであった。毎回この近くのスーパーに寄って、今晩自炊する食材を買ってくる。ところが、きょうは店は閉まっていた。帰ってきてから、この日記を書いている。段々と雨と風が強くなってきた。突風が吹くと、医院全体が揺れる。
 実は、少し前に来た台風で、京都駅近くのマンションのベランダにある隔壁が両隣とも粉々に砕けていた。どこの植木鉢かわからない。風に吹く飛ばされたのである。以前にも、地震か何かで両隣を隔てている壁が割れた。ベランダが避難路になっていて、簡単に蹴破れるように作られている。京都駅近くのマンションは中古で買ったので、どこの部屋のベランダに避難はしごが設置されている脱出口があるのかよくわからなかった。今回、たまたま隣にあるのがわかった。琵琶湖のマンションの部屋は角部屋になる。私の所は、部屋を囲むようにベランダが正面と側面についている。ベランダが広い分、この脱出口がある。この脱出口は年に2回ぐらい(だったと思う)の点検があり、その時には立ち会いが必要である。けっこう面倒くさいので、新しくマンションを購入する時には、この脱出口のことも確認しておいた方がいい。
 少し前に、中央省庁が障害者の雇用数を水増ししていたことが話題となっていた。この時に、障害者(保健福祉)手帳を持っているかどうか確認されていなかったことが問題となっていた。今回障害者雇用促進法を調べてみたら、2018年4月からは精神障害者も加えられ、すべての障害者の雇用が義務づけられていた。前から書いているように、うつ病関係の患者さんの障害者保健福祉手帳や障害年金の診断書の発行については慎重にすべきである。どうしてかというと、でっち上げみたいな診断書が横行しているからである。対象となる患者さんは仕事ができないではなく、日常生活ができないである。特に、生活保護の患者さんは症状がよくなっていても、当たり前のように継続の診断書を求められる。中には、福祉の担当者から、障害者手帳をもらえないなら働けと言われた患者さんもいる。
 抗うつ薬を使用した場合には、保険病名としてうつ病またはうつ状態という病名が必要である。上司に怒鳴られて会社に行けなくなるのは、適応障害になる。夫の浮気がばれて、奥さんが夜が眠れなくなり、食欲もなくなり、何もやる気がしなくなるのも適応障害である。(うつ病の診断基準を満たしたら、うつ病になる) しかし、適応障害という病名では、保険適応になる薬は何もない。(適応障害にうつ状態という病名を付け加えたら抗うつ薬の使用はできる。) 国際統計分類であるICD−10では、この病名が使えるのは最大2年で、それ以上になる場合は他の病名に変更しなければならない。うつ病の患者さんでも、当初は何もできなくても、安静と治療で日常生活に大きな支障はなくなる。仕事に関しては、昨今はふつうの人でも続けるのが厳しい内容が多いので、別である。実際にいつも求人広告に出ているのは、長続きしない仕事ばかりである。
 引きこもりの患者さんは障害者手帳をもらうほどの障害者なのかとか、中には買い物依存みたいな患者さんもいて、借金を積み重ね慢性的なうつ状態となっている人もいる。パチンコ依存で、負けてはいらいらして何もやる気がしないという患者さんは、障害者なのかという問題もある。アルコール依存の人は、どんなに生活が破綻していても、飲酒し続けている時には障害者手帳の対象とはならない。今回、障害者の雇用数の水増しが問題となっていた。私が恐れるのは、今度は役所が精神科に通院しているだけで、安易に障害者手帳をもらってこいと指導しないかである。今でも、生活に困って福祉に申請に行った患者さんが、精神科にかかっているなら障害年金の診断書を書いてもらえと門前払いされているぐらいである。
 生活保護の担当者は、どんな患者さんが障害者手帳や障害年金の対象になるかわからず、安易に診断書を書いてもらえと指導する。医院には、いつも症状把握調査票を送られてきて、就労の可能性や障害者手帳などの該当・非該当の問い合わせが来る。プロとして精神科医の仕事をしている者にとっては、でっち上げみたいな診断書を書くの耐えがたいほどプライドを傷つける。
 私がここで主張していることは、ベテランの精神科医でも福祉の専門家でも弁護士でも、誰も反論できない。入院治療もしていない患者さんの診断書を書くのは、まだ治療を充分に尽くしてもいないのに、固定した障害のように虚偽の診断書を書くことと同じである。罪にも問われる。それと、厚労省が出している障害年金の診断書(精神の障害用)記載要領(クリックして下さい)である。特に、10ページ目の「日常生活能力の判定」をみたら、障害年金でも不正受給をしているうつ病関係の患者さんがいかに多いかわかるであろう。経済的に困っている人を何でも精神障害にして救済するのではなく、本来の福祉政策で救済すべきである。
 最近、宅配レンタルビデオで、沢山の映画を見ている。見れば見るほど、面白い作品に出会わない。2017年キネマ旬報べストテンに入っていた「彼女がその名を知らない鳥たち」を最近見た。それほど感動的でもなく、最後の部分が少しくどすぎる感じがした。他にも、「かぞくのくに」も見た。2012年の作品で、この年のキネマ旬報べストテンで第1位に選ばれていた。今回ウィキペディアで調べてみたら、監督は在日二世であった。内容は、1997年当時のことで、帰国事業で北朝鮮に渡った子どもが、悪性の脳腫瘍の手術のために、一時帰国する。北朝鮮の監視員付きである。父親は総連(北朝鮮を支持する在日朝鮮人の団体)の幹部である。しかし、突然北朝鮮への帰国命令が出て、手術も受けずに帰って行く。
 北朝鮮への帰国事業については、日本政府を非難する人もいる。しかし、当時は「地上の楽園」として、社会主義を信奉する左翼系の人々には信じられていた。ソ連などの社会主義国の実態が明らかになってきた時でさえ、最後の楽園は北朝鮮とアルバニア(だったと思う)ぐらいだと言われていた。私はポルポトが支配していたカンボジアにも詳しい。今でも、ポルポトやクメール・ルージュについて書いた英語の本を何冊も持っている。大勢の人を集め、この国の再建を手伝ってくれる教師などの人は手を挙げて下さいと言って別の所に集め、知識人はみんな虐殺された。帰国事業で北朝鮮に渡った人たちの中で、東北大グループ(だったと思う)の行方がわからないと、何かの本で読んだことがある。
 アメリカのトランプ大統領は、北朝鮮が核放棄したら体制維持の保証をすると約束しているようである。この映画を見て、核放棄と家族を人質に取られている在日朝鮮人や常に監視され、処刑されている北朝鮮の人々のことを考えた。ポルポトは、いろいろ言われているが、最後までほぼ生き延びた。金正恩に関しては、やはりいつまでも生かしておいてはいけないと思った。

今週のトピックス 60 (180904)

谷本真由美「世界でバカにされる日本人」(ワニブックスPLUS新書)
谷本真由美「世界でバカにされる日本人」(ワニブックスPLUS新書)

 この本を買ってから、著者の紹介を見ていたら、以前に読んだことのある「キャリアポルノは人生の無駄だ」(朝日新聞出版)と同じ著者であった。この本の書評については、この日記でも書いている。今週のトピックスのように書いてあったら、それだけ調べたらいい。文章の中で書いていると、膨大な日記のどこに書いたのか、探し出すのがほぼ不可能である。ただ、私がこの日記に取り上げる本は、発売からそれほど日が経っていないことが多い。「キャリアポルノは人生の無駄だ」が出版されたのは、アマゾンで調べたら平成25年(2013年)6月13日であった。その後の日記を調べてみたら、同じ年の7月23日に書いていた。ついでに、この本の書評も最後に載せる。
 著者は、国連専門機関や外資系金融会社を経て、現在ロンドンに住んでいる。アメリカ、イタリア、イギリスで働いてきている。著者によると、最近日本のテレビや雑誌などで、「日本スゴイ」と持ち上げる番組や記事について、「まゆつばモノ」なネタも多いという。まず、異様に形式的な礼儀を重視する。外国語で書くメールにも、「お世話になっております」などと翻訳して書いたり、贈答品に丁寧な梱包をする。仕事でも、先進国と比べ無駄な作業が多すぎる。日本では、「引き出しに鍵がかかっているかどうか」とか「パソコンの中のファイルを削除したかどうか」などのチェック項目をいちいちペンでして、全員の印鑑をもらい、その後も延々と無駄な作業が続く。そのため、労働生産性は低くなり、ハンガリーとかチェコの給料に近くなってきている。
 私が前から批判していることも書いている。欧米のマスコミは「権力の監視機関」である。経済活動や社会生活が円滑に動くように政府を監視すること、そして国民から徴収した税金が適切に使われるのを厳しく見届けることなどである。実績がすべてなので、批判的精神も旺盛である。それに比べ、日本のマスコミは身分も安定したサラリーマンなので、護送船団方式で、独自の批判精神もない。日本は縦社会で、会議での議論も活発化しない。若手が自分の意見を積極的に上司に述べるのは、和を乱すことになるからである。男女差別がここまで厳しいのは、日本だけとも批判している。クールジャパンについても、能力不足や競争心不足で、自国では稼げないために日本へ出稼ぎにきているお雇い外国人のヨイショなどで、日本人は勘違いしているとかなり厳しい。
 身内だけを大切にする日本人は、周りが知らない人だらけになると、とたんに無礼な人になってしまう。日本人は「自分の村の中」ではない人間はどうでもいいという態度を取るのが当たり前になっている。諸外国の場合は、派遣社員や契約社員などに対しても、仕事上のパートナーなので、態度がものすごく変わるわけではない。海外の先進国でとりわけ英語圏だと、社会的に弱い立場に人には多めにチップを払うなど、気を遣うことの方が多い。
 この本では、それこそ日本の悪口をこれでもかと書いている。文化の違いもあって、そこまで書かなくてもいいのではないかと思う部分もある。途中、コラム欄がはさまれていて、世界からみて「ここがすごいよ日本人!」とある。悪口ばかりでは、いいところも気づかない。このコラムは、編集者の意向で後から挿入された可能性もある。まず、個々の働く人におけるモラルの高さである。低賃金であっても、比較的学習意欲が高い。教育レベルも高い。家庭科や音楽、美術といった授業が公立学校でもきちんと提供されている。そして、治安のよさである。
 最後に、著者の意見に強く共感したことも書いておく。日本は先進国としては異様に投票率が低い。ところが、匿名の掲示板やSNSでは、政治的なネタが山盛りである。選挙に行かないのに、ネット上で暴れまくっているのである。不満があっても日本人は行動を起こさない。ヨーロッパ北部の人たちは即刻抗議行動を起こしたり、地元の政治家に陳情するのが当たり前である。日本ではネット上で愚痴をこぼすばかりで、説明責任を厳しく追及するような人は多くない。
   谷本真由美「キャリアポルノは人生の無駄だ」(朝日新書)平成25年7月25日の日記より。
 帯には、「自己啓発書を何冊も読んでいるのに、なぜスゴい人になっていないの?」と至極もっともなことが書かれている。著者はコンサルティングファーム、国連食糧農業機関などを経て、現在はロンドンの金融機関で勤めている。この言葉の中のポルノというのは、ポルノ写真やビデオの鑑賞で満足してしまい、実際の性行為をとるわけではないことを意味する。フードポルノという言葉もあり、読んだり眺めたりして楽しんで欲望を満足させる。しかし、自分で料理したり何かを食べるわけではない。
キャリアポルノという言葉は、自己啓発書を読むだけで、何の努力や勉強もせず、かわいい彼女、すてきな家、もっとやりがいのある仕事、高い給料、楽しい友だちなどを想像し、自分の求めている欲望を満たすだけの娯楽をさす。本屋に行くと、今や自己啓発書が山と積まれている。出版不況の現在では、唯一売れ筋のジャンルである。ここでは最初に、自己啓発書の分類をしている。@説教系、A俺自慢系、B変われる系、Cやればできる系、D儲かる系、E信じれば救われる系など8種類に分けている。例えば、Cやればできる系では、「全地球規模で考えろ」など、スーパーサラリーマンでも不可能で理解不能なノウハウが並んでいる。また、「交渉する時は相手から絶対に目をそらすな」等、日本でこれをやったら明らかに浮くからやめた方がいいだろうと思われる外国式のノウハウが、しらす干しのように散らしてあるという。
 キャリアポルノはドラッグのようなもので、本を読んでいる間は「何とかなるさ」という何の裏付けもない一時的な高揚感は得られる。しかし、問題の本質は何も解決されていない。自己啓発書を手に取る人は「人生の負け組」とも指摘している。恋愛指南書の熱心な読者が恋愛の敗者であるのと同じである。読者は読めば読むほど自分が向上するような気がして、繰り返し自己啓発書を買ってくれる。ここではアメリカで成功した自己啓発グルの破綻した私生活が、これでもかと紹介されている。現在は非正規雇用が増え、経済的な不安が強いので、日本では自己啓発にすがる20〜30代の若者が増えている。「ダメな自分を変えたい。人生を変えたい。」という一種のコンプレックスの克服である。
 このような自己啓発書が売れているのは、アメリカと日本だけでイギリスと欧州では本屋で見かけるのも難しい。アメリカでもっとも有名な自己啓発グルは、人気司会者のオブラ・ウィンフリーだという。カルバン主義(個人は神との契約のもとで努力すべき)を掲げる人々が国の根幹をつくってきたアメリカには、「頑張れば誰もが今よりよい生活を享受することができる」という「信仰」がある。しかし、イギリスや欧州は現実主義で、変わることは無理だという意識が強い。アメリカほど競争が激しくないので、自己啓発書には頼らず、地縁・血縁などを重視し、家族や友人に話を聞いてもらって心の安定を図ろうとする。欧州では、何か不満がある場合は、日本人のように怒りを自分の内側に向けず、デモや抗議活動を起こす。
 日本では自己実現が働くことに限定されてしまっている。働くことで自己承認欲求を満たそうとする人が少なくない。「成功事例の真似をしなければならない」という思い込みも強い。しかし、成功者として取りあげられる人々は、海外で育っていたり、特出した才能のある「普通ではない人々」である。自己啓発書をいくら読んでも成功者になれないのは、ケン玉チャンピオンがケン玉のノウハウをいくら披露しても、常人にはそれができないのと同じである。キャッチボールの練習をいくらしても、イチローにはなれないのと変わりない。
以前にも紹介した、入章栄山「世界の経営学者は今何を考えているのか」(英治出版)の中でも書いてあったように、経営学者はドラッカーについては誰も研究していない。「ドラッカーの言葉は名言であったも、科学ではない」からである。その時代やその人の能力があるので、いくらドラッカーの著書を読んでも、ヘレンケラーの伝記を読むのとあまり変わりない。そんなことより、国際会計学などの勉強を地道にこつこつとする方がはるかに実用的である。私もそうであったが、英語が上手になれる本を山ほど読むより、実際の英語の勉強を山ほどする方が上達する。本の最後に、「人生を楽しむための具体的な方法」が書いてある。しかし、著者の住んでいる海外ではないこの日本で実現するのは、なかなか厳しいと思う。

 

平成30年8月28日(火)

 暑い日が続いている。その割には、京都は相変わらず冬は底冷えする。毎年心配するのは紅葉である。去年の紅葉はきれいであった。地球の温暖化で、秋にぐっと冷えてくれないと、きれいに色づかない。葵祭も時代祭も、ただ行列するだけではなく、もうちょっと工夫したらいいと思う。何回も見たくなるものでもない。しかし、秋の紅葉は別である。たくさんの寺院があるので、京都でしか見ることのできない紅葉がそれぞれ楽しめる。私は夏休みにコタ・キナバルに行ったように、あちこち海外に出かけている。その分、反対に京都を訪れる人には、最高の秋を楽しんで欲しいと、同じ旅人として思っている。
 最近患者さんと話をしていると、つくづく大多数の人は、「生かさず、殺さず」の生活をしていると思う。正規であろうと、非正規であろうと、誰もが生活に余裕がなく、ぎりぎりの生活を送っている。かといって、暴動を起こすほどでもない。まだ、そこまでは行っていない。わざわざ暴動を起こすのも面倒である。しかし、今の生活レベルの半分ぐらいになったら、ほとんどの人が暴動を起こしてもかまわないと思うだろう。京都の大企業は、円安もあって最高益を更新している。患者さんに聞くと、ボーナスが年7ヶ月とか9ヶ月という人もいる。基本給はそれほど上がっていないようである。しかし、こんな人はごく一部で、正社員で管理職についている人でも金銭的にも精神的にもまったく余裕がない。
 日本の景気がいいと言っても、実態はこんなものである。京都は観光客が多いので、インバウンド関係はいい。しかし、財布の紐が固い日本人相手の商売は苦しい。私は株などはまったくやらないので、株高などとはまったく無縁である。大半の人が、景気が良くなっているという実感はない。1度停滞した賃金は長期になればなるほど、そう簡単に上がっていくとは思えない。まだ若い人が、40年後の年金のことを心配するのも異常である。ぎりぎりの生活をしている患者さんに暴動になったらどこを襲うかと冗談半分に聞いたら、コンビニのATMと答えていた。私が襲うとしたら別の所である。物議を醸すので、ここでは書かない。

今週のトピックス 59 (180828)

池上彰の戦争を考えるSP第10弾「日本のいちばん長い日」が始まった
池上彰の戦争を考えるSP第10弾「日本のいちばん長い日」が始まった

 この番組は、8月19日(日)の夜8時から放映されていたものである。2時間番組であった。私は、録画していたものを23日(木)に琵琶湖のマンションで見た。BBC琵琶湖放送でやっていたので、たぶん京都ではテレビ大阪で見れたと思う。「日本のいちばん長い日」のノンフィクションを書いた半藤一利が監修をしていた。「日本のいちばん長い日」とは、8月15日の終戦の日である。池上彰がベルリン近郊のポツダムを実際に訪れていた。
 この番組は本当に面白かった。私は、鈴木貫太郎の名前は聞いたことがあるぐらいであった。しかし、この番組でその人物像を知ると、日本にはとんでもない骨のある人たちがいたのだと感動した。歴史を知らない薄っぺらな今の首相とは対極の人物である。鈴木貫太郎は、戦争を終わらせた首相である。侍従長をしていて、二・二六事件の時に銃弾4発を受けている。この時には妻の機転で、何とか一命を取り留めている。1945年4月7日に昭和天皇に請われて、77歳で首相に就任した。この日に戦艦大和が沈んでいる。6月23日には沖縄守備軍が全滅している。
 1945年7月15日にアメリカ、ソ連、イギリスの3カ国でポツダム会談が開かれた。ドイツは5月8日に無条件降伏をしていた。会談は、ヨーロッパの戦後の処理の話がほとんどであった。ポツダム会談とポツダム宣言は別で、ポツダム宣言はアメリカ主導で決められた。ポツダム宣言には、アメリカ、イギリス、中国が署名した。ソ連は日ソ中立条約があったので、署名しなかった。蒋介石は電話で承認した。その内容は、@戦争を起こした権力の永久除去 A日本本土の軍事占領 B日本軍隊の武装解除 C戦争犯罪人の厳罰 D日本軍隊の無条件降伏であった。
 このポルダム宣言は7月26日に日本に伝えられた。天皇の地位については触れられていなかった。日本はソ連の仲介を期待していた。そして、ポツダム宣言については静観していた。ところが、ヤルタ会談(1945年2月4日)で、ドイツの降伏3ヶ月後にソ連が対日参戦することが決められた。日露戦争後の領土、権益を奪還することが含まれていた。ポツダム会談中に、原爆が完成したことがトルーマンに伝えられた。ソ連のスターリンにもそのことが伝えられた。ポツダム宣言の通達1日前の7月25日に原爆投下が決められた。
 8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下された。ソ連が満州に侵攻した。8月9日に最高戦争会議が開かれた。天皇の地位の保証が絶対条件であった。阿南陸軍大臣が主張する4条件(国体護持)は、@天皇の地位の保証 A占領は小範囲・短期間 B日本側で武装解除 C日本側で戦犯処理 であった。徹底抗戦を主張する軍部でクーデターが起こる可能性もあった。8月9日に御前会議が開かれ、14日にも開かれた。天皇は2度目の御聖断をされる。ポツダム宣言の無条件降伏である。この時に、徹底抗戦を叫ぶ暴徒が鈴木貫太郎の自宅を襲って火をつけた。
 15日には阿南陸軍大臣が自刃。軍部のクーデターは起こらなかった。しかし、鈴木貫太郎は終戦に反対する一派から「国賊」呼ばわりされ、命を狙われ続けた。7回も引っ越しをしている。昭和23年に81歳で死去した。何でも、始めるのは簡単であるが、終えるのは大変である。日本会議や百田尚樹、櫻井よしこなどは、原爆なんて落とさなくてもいずれ日本は敗戦を迎えたと主張する。しかし、原爆を落とされて、天皇の御聖断があったとも言える。もたもたしていたら、北海道までソ連軍が侵攻してくる可能性も大であった。
 この番組はネトウヨの人も左翼の人も見たらいい。きょう調べてみたら、YouTubeにアップロードされていた。興味のある人は池上彰の戦争を考える 2018年8月19日 【SP第10弾〜「日本のいちばん長い日」がはじまった〜】をクリックして下さい。こんな程度の歴史認識もなく、寝ぼけたことを主張している人が現在の日本を牛耳っているのである。前から書いているように、中国が台頭していく中で、歴史修正主義者の末路がどうなるか見届けようと思っている。こんな人を日本のトップにしたら、将来日本の国益が必ず損なわれる。ナチスドイツを世界が許してくれないように、中国などに侵略した敗戦国日本をどこも許してくれない。敗戦国日本はアジア太平洋戦争の歴史はどうやっても変えることはできない。

 

平成30年8月21日(火)

 きょうはいつものように午後から往診に行ってきた。1人の患者さんは、きのう面倒を見ている人から、夜が眠れないので何とかしてほしいと電話があった。睡眠導入薬などが多かったので、1度減量したら眠れなくなり、大騒ぎとなっていた。元の薬に戻してみたら、またぐっすりと眠れ、ここ2ヶ月近くは安定していた。今回は減量もしていないのに、眠れないという。仕方ないので、追加の薬を用意して往診に行った。
 患者さんは興奮状態で、面倒を見ている人の悪口をいろいろいう。睡眠導入薬などがここ2日ほど切れていたという。日によって、飲み過ぎたからである。薬の離脱症状も加わっていた。一緒にいた訪問看護の人によると、あちこちの医療機関や行政機関、警察、訪問看護ステーションなどに電話をかけまくっているという。酒を飲みに出て、そこでもトラブルを起こしたという。この患者さんはふだんはおとなしい。しかし、今回のようなことになると手がつけられない。京都第一日赤の時から診ている患者さんである。
 薬を飲んだら、少しは落ち着きそうである。今から入院を頼んだらいいのか、迷った。診察をしている時にも、今から飲みに行くという。止めようとするが、出て行こうとする。どこかに電話をかけようともする。こんなに悪い状態になっているとは思わなかった。結局、もう1度医院に戻って、セレネースとホリゾンの注射液を取ってきた。非常事態で、薬を筋肉注射した。後は、夜に民前薬を飲んでもらい、この日は様子をみることにした。ふだんはデイ・サービスに行ったりしているので、1ヶ月に1回しか往診していない患者さんである。もうちょっと早めにファックスなどで連絡していてくれたらと思った。
 きのうの夜の外来でも、ややこしいトラブルがあった。ある患者さんがいきなり障害年金の診断書を持ってきて、書いてくれと頼んできた。この患者さんは傷病手当を1年半書いた。ところが、診察の時は、診断書さえもらえればいいという態度で、何を聞いてもあまり答えてくれなかった。いろいろとアドバイスしても、「いいです」とそっけなかった。京都で1人で療養するのは無理があったので、実家に戻ることを長いこと説得していた。最近は実家から当院に通院しているということであった。
 ところが、診断書に書く内容について聞いたら、実家には帰っていないと言い出した。この患者さんについては、最初から傷病手当も含め、どこまで本当のことを言っているのかよくわからなかった。精神科は患者さんの言葉を信じて、治療している。他科のように、医療検査で病状がわかるわけでない。疑わしい人のお金が絡む診断書を書くのは、本当にストレスである。この患者さんについては、障害年金の診断書を書く前に、日常生活ができないほど障害があるなら、1度入院治療をすべきである。障害年金のガイドラインを見せて説明したら、大人しく引き下がった。
 さて、盆に行ったマレーシアである。8月7日(火)にこの日記を書き終えた後で、たまたまふだん見ないTV番組をちらっと見た。「幸せ! ボンビーガール」である。クアラルンプールではなかったが、マレーシアに出店している日本の飲食店などで働いているボンビーガールを紹介していた。りっぱなマンションのような部屋が5万(?)ほどで借りられる。物価も安かった。クアラルンプールやコタ・キナバルでは、観光地のせいかあまり安いという印象はなかった。それにしても、中国人の観光客はどこに行っても多い。特にコタ・キナバルでは、そこに韓国人観光客が混じっているという感じであった。日本人観光客は本のわずかである。屋台でも中国人か韓国人か聞かれる。
 帰国は8月15日(木)であった。現地時間が午後2時出発だったので、特急はるかの最終には間に合わず、空港バスで京都駅八条口に帰ってきた。着いたのは、夜中の12時過ぎであった。若い人は、若いうちに海外に行くべきである。英語だけはやっておいた方がいい。マレーシアでは日本以上に英語はよく通じる。

セパンガール島 ・前回の続きのセパンガール島である。向こうに見えているのが、コタ・キナバルである。ボートでも30分ぐらいの距離である。マリンスポーツは一応何でも楽しめる。

夜景 ・私の泊まったホテルは、繁華街の南に位置する。マレーシア観光局にも比較的近い。今回ホテルの値段を確認したら、2泊でサービス料も含め全額で15,782円であった。前から書いているように、海外のホテルは1人で泊まっても2人で泊まっても、値段は同じである。朝食券も2枚付いている。ここは、海岸沿いのマーケットの近くである。

マーケット1 ・海岸沿いには、果物を売っているマーケットや海産物などを売っているマーケットなどがある。私はもっと明るい時に、果物を売っているマーケットで、久しぶりにドリアンを買って食べた。小さく切って、発泡スチロールの入れ物で売っていた。値段は10リンギット[RM](280円)であった。久しぶりに食べたら、こんなにも種が大きかったのかと思った。ここでは焼き魚などを売っていた。

マーケット2 ・私は12日(日)と13日(月)の夕食は、ウェットマーケットで好きな食材を選んで、料理してもらった。12日はエビとカニ、魚を選んだ。ライスとタイガービールを1缶頼んで、全部で51リンギット(1,428円)であった。13日はエビとウニなどを選び、ライスとタイガービール2缶を頼んで、全部で78RM(2184円)であった。
 エビは手前の大きいのを3尾選んだ。前の晩に、選ぶなら大きいのが食べ甲斐があると学習した。1尾10RM(280円)であった。バター揚げだったと思うが、絶品であった。自分で選んだ料理法をしてくれる。わからなかったら、どの料理法が美味しいか聞いたらいいだけである。

マーケット3 ・ここが選んだ海鮮を料理してもらって食べる屋台街である。私は海辺の席を選んだ。12日の夜は、本のわずかに暑いぐらいであった。13日の夜は前日より涼しかった。選んだ食材だけの値段で、明朗会計である。遠慮なく、食材を選ぶときに、「ハウ・マッチ」と聞いたらいいだけである。ロブスターなども選べた。

夕日1 ・14日(火)は、1人でジェッセルトン・ポイントからサビ島に行くか迷った。クアラルンプールまでの飛行機の出発時刻は午後1時50分であった。もし、帰ってこれなかったら困ると思って、朝はゆっくりとして、とりあえずタクシーでジェッセルトン・ポイントまで行った。思ったより近かった。それでも、15RM(420円)も取られた。
 クアラルンプールは大都会で、フィリピンやタイのようにバイクタクシーなどがないのは理解できた。しかし、このコタ・キナバルで、利用できる交通機関がタクシーぐらいしかないのは不便であった。タクシーも通りにはほとんど走っていないので、停車している所を見つけるにはコツがいる。ショッピングセンター前でも、停まっていないこともある。バスはいつ来るのかもわからない。
 実は、私の泊まったホテルの近くでは、他の観光地のように簡単に旅行代理店を見つけるのができなかった。行けなかったマンタナニ島ツアーもたまたま夜歩いていて見つけたものである。ここはジェッセルトン・ポイントの待合室にある島巡りのツアーデスクである。ここで、好きなツアーを選べる。

市内1 ・結局、14日は島に行くのはやめて、ここから海岸沿いにホテルまで散歩することにした。私のホテルからジェッセルトン・ポイントまでは約2qある。ここはどんな所かよくわからない。たまたま私がここを通った時に、ガイドに案内された6〜7人の多国籍の観光客がここを訪れていた。

市内2 ・先ほどの場所から海岸に出るときに見えた建物である。「地球の歩き方」では、ここに入っている旅行代理店を推薦していた。2階に行かなくても、ここの1階には、たくさんの旅行代理店がはいっていた。私は時間がなくて、海にしか行けなかった。ここには、キナバル山もあり、ツアーで高原のトレッキングも楽しめる。
 クアラルンプールのコンビニでは、イスラム教徒の国でもビールは置いてあった。コタ・キナバルのコンビニでは、ビールを置いているコンビニはセブン・イレブンだけであった。先ほどの屋台でも、ビールを頼んだら持ってきてくれる。

飛行機 ・この写真は、動画から切り抜いたものである。コタ・キナバルの空港を飛び立って間もなくである。この日も天気がよかったので、きれいな海の動画が撮れた。

ツイン・タワー / ・14日にクアラルンプールに戻り、まず行ったのが、このマレーシアで1番有名なベトロナス・ツイン・タワーである。最初に泊まったブキッ・ビンタンのホテルからは、モノレールを使って行った。「地球の歩き方」では駅から10分もかからないぐらいの距離であった。大きな建物なので、すぐ見えるだろうと思って歩いたら、まったく別の方向であった。近くにいた人に聞いたら、今度は反対方向を示され、なかなかこのタワーが見えて来なかった。また、別の人に聞いたら、今度はスマホで調べてくれ、駅を出た反対方向だと教えてもらった。
 大都会のこういう写真はあまり興味ない。今回は自分が行ってきたというアリバイである。大勢の観光客が訪れていた。物売りの人が声をかけてきた。最初は暗くて、何を売っているのかわからなかった。なんと、スマホ用の広角レンズである。建物が大きすぎて、スマホでは全景がはいらないのである。みんな記念撮影をしていた。

チャイナタウン ・先ほどのツイン・タワーから地下鉄に乗ってこのチャイナタウンに行った。ブタリン通りのナイト・マーケットである。ツイン・タワーの地下鉄のある場所がわかりにくかった。暗かったので、案内表示を見落としたのかわからない。地下鉄を降りてから、ナイト・マーケットに行くのも少し迷った。
 正直言って、あちこちのマーケットを見慣れている私には、それほど大したことはなかった。日本でも欲しいものがないぐらいなので、今はアジアのマーケットそのものにも興味は失せている。男性でも、手作りの指輪や腕輪など手作りのアクセサリーなどに興味のある人には、面白いかもしれない。

屋台 ・チャイナタウンで夕食を取ろうと思っていたら、適当な店が見つからなかった。ホテルのあるブキッ・ビンタンに戻り、前回紹介したすぐ近くの屋台街で夕食を取った。この日もエビなどを注文し、ライスとタイガービール2缶で、64RM(1,792円)であった。ここは夜12時を過ぎてもまだ開いていた。

平成30年8月14日(火)

 この日記は16日(木)に書いている。医院に不在の時には、予め14日(火)には更新できないと毎回断りのコメントは入れていた。8月10日(金)に、このことはすっかり忘れてしまっていた。バタバタしていると、新聞の配達止めの連絡を忘れることもある。これはこの日の昼に電話していた。実は、夜の医院の外来が終わってから玄関を見たら、外の電灯が点いたり消えたりしていた。このまま5日間も放置するわけにはいかない。電球の予備はなかった。別の電球が使えるか試してみるつもりであった。外の玄関の電球の交換は、高い脚立の上に上らないといけない。差し込み式だけでなく、落下を防ぐための金具を4個のネジで止めている。暗い中でネジを落としたり、うまく電灯の蓋が開かず、この日の交換はあきらめた。玄関の電灯を消したままでは、不用心である。玄関の中の電灯をつけた。そして、旅行カバンを持ち、京都駅のマンションにバスで行った。
 さて、この日はマンションに泊まり、翌日の11日(土)に朝7時44分の特急はるかに乗った。今回の目的地はボルネオ島のコタ・キナバルである。成田空港からは直通が出ている。関西空港からは、マレーシアのクアラルンプール経由である。とりあえず、航空券だけは確保しなけれならないので、4月16日にAirAsiaで予約した。ところが、この後すぐに、HISで関空からコタ・キナバルまでの直通のツアーが出ていた。(出発日は確認していない) LCCなので、盆シーズンでも高くなかった。ちなみに、関空ークアラルンプールの往復チケットは全部で94,610円であった。私はプレミアムフレックスを使ったので、座席は快適であった。搭乗時間は6時間半〜7時間である。ふだん見れないYouTubeや映画の動画をスマホに入れて、ノイズキャンセルのイヤホンで見ていた。
 クアラルンプールには夕方5時過ぎに着いた。空港でマレーシアの通貨であるリンギット(RM)に両替した。街中では1万円が360RMが、330RMにしかならなかった。1RMは約28円である。空港からKLセントラルまでエクスプレスを使って55RM(1540円)もかかった。予約したホテルは、ブキッ・ビンタンにある。ここで乗り換え、モノレールを使って5つめの駅である。料金は2.5RG(70円)で、その差にびっくりした。予約したホテルは駅のすぐそばであった。以下に、写真付きで解説する。

ホテル ・この写真は、ホテルの窓から撮った。着いた日ではなく、翌朝である。14日にも同じホテルを予約した。少しモダン過ぎて、使い勝手はあまりよくなかった。

屋台 ・初めての都市に来ると、どこに何があるのかさっぱりわからない。ホテルの予約もこの辺でいいだろうと適当に選んだ。場所は便利な所にあり、正解であった。今「地球の歩き方」を見ている。ここは屋台の並ぶアロー通りだと思う。この奥に、通りにテーブルを出した食堂がびっしりと並んでいる。今の時期はドリアンが屋台でも売られている。

バー街1 ・この辺りの通りを行くと、バー街が並んでいる。

バー街2 ・屋台とは違って、雰囲気のある店が並んでいる。

海岸 ・12日(日)は11時15分発の同じAirAsiaでコタ・キナバルまで行った。時間は2時間半ちょっとである。国内線で、料金は往復で10,044円であった。ホテルの窓からは海が望めた。ここはホテル近くの海岸に面したバーやレストラン街である。

夕日1 ・この夕日はバー街の反対方向の海岸沿いから撮った。もちろん、先ほどの所からもきれいな夕日が見れる。翌日は雲が出ていて、水平線に沈む夕日は見ることができなかった。

夕日2 ・日が沈んでからの風景である。

波止場 ・ここはジェッセルトン・ポイントである。ここからあちこちの島にボートが出ている。実は、12日(日)の夜にマンタナニ島の1日ツアーを申し込んでいた。13日は朝7時からホテルのロビーで迎えの車を待っていた。ところが、いつまで経っても、迎えの車が来なかった。まだ早いので、事務所にも電話がつながらなかった。
 8時半前に自分の部屋に戻って、どうしようかと考えていた。近くの島なら簡単に行くことができる。しばらくすると、電話がかかってきた。ロビーに行くと、ガイドの人が来て、7時過ぎに迎えに来た時に、私がいなかったという。キナバル公園などいろいろなツアーに参加する人が、ロビーで待っていた。声をかけられた覚えはない。
 結局、このツアーに参加できないので、セパンガール島に案内するという。288RM(8,064円)が180RM(5,040)円になった。送り迎えと昼食付きである。当初のマンタナニ島は快晴に恵まれないと行くことができない。波が高くても、キャンセルになる。行けなくて、本当に残念であった。

船着き場 ・ここはセパンガール島の船着き場である。「地球の歩き方」では1日40人に制限しており、ツアーででしか訪れることはできない。大勢の中国人と韓国人がちらほら参加していた。40人どころか、もっとはるかに沢山来ていたと思う。

セパンガール島1 ・実は、最初のツアーに参加できなかったということで、ガイド1人が私につきっきりで付いていた。まだ21歳の女性で、日本人受けのするかわいい子であった。(私のタイプとは違う) ボランティアか何かで知り合った東京の日本人学生が9月に会いにくるという。彼女は、来年東京に行く。小さな島なので、昼食の時とか帰りにいろいろ話した。
                                          マレーシアでは、国内だけではなく、インドのメディカル・スクールに行って医師免許を取るようである。

セパンガール島2 ・一見、きれいな海のように見える。しかし、水はそれほど澄んでいなかった。スノーケリングもしたが、魚は小さかった。マンタナニ島に行けなかったことは、大後悔であった。

セパンガール島3 ・中国人は、スイミング・スーツを着て泳いでいる人が多い。欧米人のような大胆な水着を着ている人は見たことがない。

平成30年8月7日(火)

 今年の盆休みは、インドネシアのギリ島に行く予定であった。バリ島はタイやベトナム、フィリピンと違って、この時期に雨期には入らない。今回はバリ島までの飛行機が取れなくて、ギリ島に行くのはあきらめた。ギリ島というのは、最近地震があったロンボク島にある3つの島のことである。人生何があるかわからない。そのうち、海外旅行で大きな事故に遭遇するのではないかと思っている。今年の盆休みは、5日間の予定で、今まで行ったことのない国に行く。飛行機はLCCである。無事に帰ってきたら、この日記でまた紹介しようと思う。
 定年後、何か趣味でも作ろうと思っても、なかなか作れない。私も、この年になって新しいことをするのは面倒である。どうしても、これまでの趣味に固執してしまう。しかし、若い時ほど夢中になれない。この前の日曜日は、久しぶりに琵琶湖のマンションでLPレコードを聴いた。CDも持って行ったが、やはりLPレコードの方が音がいい。防音室を入れているので、大きな音で聴いても大丈夫だと思っていた。ネットでたまたま調べてみたら、ピアノなどの楽器演奏ではどうしても階下に漏れてしまうようである。少しぐらい大音響で響かせても大丈夫だと思っていた。マンションの防音は専門業者に工事をしてもらっても難しいようである。
 昔から私はレコード・プレイヤーはMCカートリッジである。MMカートリッジより、私好みの音を出すからである。新しいレコード・プレイヤーを買って、医院にあるAVアンプにつなげようかと思った。ところが、MMカートリッジしか直接つながらなかった。フォノ・イコライザーを付けたらMCカートリッジでもいけるようである。AVアンプにCDプレイヤーをつないで聴いてみたら、少し物足りない音が出た。せっかくレコード・プレイヤーを買っても、思った音が出なかったらどうしようかと買うのをためらっている。
 今欲しいのは、6月に発売になったばかりのソニーの高級コンパクトデジカメのRX100M6である。実は、RX100M5はソフマップで下取りに出した。今回の盆旅行のために買うつもりであった。しかし、在庫がなかった。値段は14万円ぐらいである。私のポイントは21万円分ぐらい溜まっているので、このポイントを使うつもりであった。9月ぐらいになったら、また買おうと思っている。
 前から書いているように、車はこの秋で18年目にはいる。魅力的な新車もないので、このまま乗り続けるつもりである。残りの人生が少なくなってきたので、半年でも1年でも物価の安い海外で住みたいと思う。しかし、外来があると長期の休暇は取れない。欲しいものもないので、お金を使うとしたら、海外旅行や海外生活ぐらいである。なかなか人生は思うようにいかない。元気なうちに南米に行きたいと思っているが、夢のまた夢である。
 きょうはあまり書くことがないので、8月5日(日)の京都新聞の書評に載っていた本の内容について書く。五味渕典嗣「プロパガンダの文学」(共和国)である。石川達三の小説「生きている兵隊」が取り上げられている。後に「南京事件」と呼ばれる戦いを取材し小説化したものである。「皇軍兵士ノ非戦闘員の殺戮、掠奪、軍規弛緩ノ状況ヲ記述シタル安寧秩序ヲ○(旧字体で読めず)乱スル事項」を含むとされて有罪判決を受けた。仮に事実を書いていても、取り締まりの対象になりかねなかったという。これでも、南京大虐殺はなかったと主張するのは、事実をねじ負けて大本営発表をするのと何ら変わりない。本当になかったと信じるのであれば、自分の無知を恥ずべきである。

今週のトピックス 58 (180807)

矢部武「大麻解禁の真実」(宝島社)
矢部武「大麻解禁の真実」(宝島社)

 7月30日(月)の新聞に、英国で医療用大麻を合法化する記事が載っていた。嗜好品としての使用は従来通り禁止するとなっていた。医療用大麻については、少し前の週刊スパで取り上げられていた。この時に、この本を購入した。発刊されたのは、2016年3月なので、2年以上前になる。だから、内容はオバマ大統領の時までである。この本には米国で大麻が合法化された州として、まだカリフォルニア州は載っていない。医療用大麻については、最後の方の章で詳しく書かれている。大半は、米国での麻薬大国の実態について書かれている。著者は私より1歳年下である。70年代に渡米し、修士号を取得。帰国してロサンゼルス・タイムズ東京支局記者等を経て、現在はフリー・ジャーナリストである。
 米国では麻薬を含めた「薬物」の過剰摂取が原因で亡くなる人間が年間4万人を超え、殺人や交通事故を上回り、死因の第1位になっている。わが国では2011年半ばから脱法(危険)ドラッグをめぐる事件・事故が多発した。厳しい取り締まりにより、2014年4月に全国で215店あった販売店は、12月で5店まで減少した。米国では、危険ドラッグは、「デザイナー・ドラッグ」「合成ドラッグ」「リーガル・ハイ」などと呼ばれ、大麻や覚醒剤などの成分の化学構造を少し変えることで規制逃れをしている。しかし、フラッカと呼ばれる合成ドラッグ合成カンナビノイド(合成大麻)は、非常に危険である。コカインに似せて作った2C-Eなども深刻な健康被害をもたらす。そこで、連邦麻薬取締局(DEA)は、物質の化学構造で規制していた合成ドラッグを、薬理作用や人体などの影響でも規制できるようにした。(規制薬物アナログ執行法)
 この本では、麻薬について興奮系(アッパー)、抑制系(ダウナー)、幻覚系(サイケデリック)と3つに分類している。アッパー系は覚醒剤、コカインなどである。ダウナー系はヘロイン、モルヒネ、アルコールなどである。サイケデリック系はLSD、マリファナ(大麻)、マジックマッシュルームである。大麻は昔からアルコールやタバコより害がないと言われてきた。この本によると、最近はLSDも使い方によっては、それほど危険でないという研究結果も報告されるようになったという。
 米国では、1970年に制定された「薬物規制法」で規制レベルの高い順に「スケジュールT」〜「スケジュールX」に分類している。「スケジュールT」では、乱用の危険性が高く、強い精神依存または身体依存の可能性があり、医療的用途はないである。ヘロイン、LSD、MDMA(エクスタシー)、大麻などとなっている。大麻は「スケジュールU」のコカインや覚醒剤などより、危険度が高いことになっており、多くの専門家が疑問を呈している。ニクソン政権は、1970年に「マリファナおよび薬物乱用に関する全米委員会」に大麻の有害性を調査するように命じた。1972年にできた報告書「マリファナ:誤解の兆候」では、大麻は依存性は弱く、使用による脳の障害は実証されず、大麻使用だけに起因する死亡事件は米国では1件もなく、他の薬物への移行する傾向もみられないという内容であった。
 コロラド州では、2012年11月に嗜好用大麻の合法化案が住民投票で可決され、2014年1月から大麻が店頭で販売されるようになった。大麻解禁で、州の税収が伸び、雇用も増え、観光客も増加した。コロラド州政府は、大麻ビジネスがきちんと機能するように、栽培・流通・販売などを厳しく管理している。2000年には医療用大麻を合法化していた。ところが、連邦法では大麻は医療用・嗜好用とも禁止されている。オバマ大統領は、嗜好用大麻を合法化したコロラド州とワシントン州の決定を尊重し、2013年に連邦法を適用して取り締まることはしないとの声明を発表した。オバマ大統領自身が大麻使用経験についても明らかにし、「タバコと大差ない。アルコールより危険だと思わない」と発言している。医療用大麻は、2015年2月の時点で、23州とワシントンDCで認められている。
 「ニューヨーク・タイムズ」誌が、2014年7月に連邦大麻禁止法の廃止を求めた。この時点で、18州が非犯罪化している。非犯罪化とは、少量の大麻所持使用などは逮捕・起訴せず、軽い罰金程度で済ますことである。FBIの統計では、2012年に大麻所持で逮捕された人は約65万8千人である。ほとんど罰金か執行猶予程度である。しかし、逮捕歴が残ると、就職、ローンの借り入れ、保険加入など不利益を被る可能性がある。
 大麻の個人使用の容認は、世界的な傾向になっている。オランダでは、正確には大麻の合法化ではなく、非犯罪化である。(罰金は科せられない) 大麻カフェはアムステルダムに約400ヶ所、オランダ全体に700ヶ所ある。今やイタリア、スイス、ベルギー、スペインなどが嗜好用大麻を非犯罪化している。オランダでは、大麻とハードドラッグを分けて対応している。政府が大麻市場をコントロールしているので、大麻使用者が闇市場の売人と接触しなくていい。オランダは重度の薬物依存者の割合がEU諸国の中でもっとも低く、薬物の過剰摂取による中毒死の割合も2番目に低くなっている。
 現在の大麻取締法は、終戦後の1948年に占領軍GHQの指示で制定された。日本では戦前までは、大麻は神社、仏閣のお鈴さんに使われたり、注連縄に使われたりして、神事的に何かを結びつけるには、必ず大麻の繊維が使われていた。大東亜戦争が天皇の名のもとに行われ、神道と軍国化が結びついていると考えていたGHQは国家神道の破壊を画策し、その一環が、神道にとってなくてはならない大麻を使わせないことだったという。
 米国では、10年程前から「処方薬」や「市販薬」などの過剰摂取で死亡する人が激増している。2012年に薬物の過剰摂取で亡くなった4万1千人のうち、約1万6千人がオピオイド系鎮痛薬などの処方薬が原因である。米国の受刑者の約半数は薬物関連で収監されている。米国司法省によれば、米国の受刑者の総収監費用は800億ドル(約9兆6千万円)でその約半分が薬物乱用によるものとなる。米国の薬物専門のドラッグコートとは、薬物事犯者が刑罰か治療を選択できる裁判制度である。治療期間は通常社会復帰を含めて1〜2年である。全米50州約3千ヵ所の裁判所で実施されている。この本では、米国の薬物乱用の治療施設のことも詳しく紹介している。
 日本では薬物依存患者の民間リハビリ施設であるダルクが有名である。この本の最後では、田代まさしがダルクに出会って、自助組織であるNAのミーティングに通って、覚醒剤を断っていることが紹介されている。とにかく、日本では、薬物依存症の治療施設がほとんどないことを非難している。専門家としても、実際にそうだと思っている。
 最後に、医療用大麻についてである。CNNが医療用大麻をテーマにしたドキュメントを作り、2013年8月に放送している。「Weed」というタイトルで、YouTubeでも見ることができるという。医療用大麻にはがん患者の痛みと抗がん剤の副作用を緩和し、緑内障患者の眼圧を下げ、喘息患者の発作を抑え、うつ病患者の不安や落ち込みを和らげるなどの効果がある。医療用大麻の研究では、イスラエルが先端を行く。しかし、イスラエルでは嗜好用大麻は違法である。大麻に含まれる60種以上の成分の中に、精神活性作用のあるTHC(テトラヒドロカンナビノール)と抗炎症や抗不安作用のあるCBG(カンナビジオール)がある。医療用大麻の多くは、THCの含有量が低く、CBGの含有量が多いものだという。
 イギリスのGW製薬は、大麻の抽出物から、多発性硬化症の治療薬「サティペックス」を開発している。大麻は難治性のてんかん発作にも有用であった。老人ホームでも、高齢者に起こりやすい身体の痛みやけいれん、不眠、食欲不振などを改善し、処方薬の使用量を減らすのに役だったという。大麻による健康リスクは、WHOでも1995年に現在起きているタバコやアルコールによる健康被害よりも少ないと報告している。(1995年) アメリカ医師会ジャーナル(JAMA)では、「7年間にわたり。毎日ジョイントを1本吸い続けても肺機能への悪影響はみられない」という調査結果を発表している。(2012年) しかし、未発達の脳の未成年者の使用については、脳に損傷を与える恐れがあるとしている。
 私はアンチ・ドラッグ派なので、無理に日本で大麻を解禁する必要はないと思っている。前から書いているように、ポルノ解禁派である。それでも、高齢で性欲もなくなり、癌や脳卒中などになった時には、医療用大麻を使いたいと思う。この分野で研究している日本人はいないと思う。医療用大麻についてイスラエルなどに留学して学んできたら、将来は医療用大麻の大家として日本で成功するかもしれない。

 

平成30年7月31日(火)

 せっかく木曜日が休診になったのに、まだ新しいことは何も始めていない。琵琶湖のマンションで過ごす時間が長くなったぐらいである。障害者手帳用の診断書などは、ここに置いてあるパソコンで書いたりしている。食事もあまり外食に出かけることもない。イオンや平和堂などのスーパーで買った物で、簡単な自炊をしている。中国語は、いつでも習いに行けるのに、腰が重い。その前に、長いこと受けていない人間ドッグにも行かなければならない。
 先週の日曜日は、たまたま夜に放送していた大阪TVの「池上彰の世界を歩く」を途中から見た。録画しておけばよかったと思った。どこかというと、ベトナムである。ベトナム戦争の当時の映像も放映していた。私は学生時代はノンポリで、ロックに凝っていた。最終的にはプログレにたどり着いた。この日記の「今週の愛聴盤」でも書いているように、ヨーロッパを含めた希少価値のあるLPレコードを山ほど持っている。ノンポリでも、ベトナム戦争はロックと結びついている。この番組は本当に面白かった。
 私はここでも書いているように、薬物依存の研究をしていた。以前にも紹介したように、YouTubeでは「ゴールデン・トライアングルとヘロイン」の動画をアップロードしている。このヘロインもベトナム戦争と深く関係してくる。私の動画の中で紹介している本は、すべて読んでいる。当時の映像も使っている。番組で出てきた映像と一致する映像が多く、自分でも驚いた。きょうも今週のトピックスで時間をかけたので、この辺で終わりにする。ベトナム戦争とヘロインのことについては、自分でもよくまとめたと思っている。興味のある人はゴールデン・トライアングルとヘロインをクリックして下さい。

今週のトピックス 57 (180731)

佐藤弘幸「富裕層のバレない脱税」(NHK出版新書)
佐藤弘幸「富裕層のバレない脱税」(NHK出版新書)

 この本は途中まで読んで、しばらく放っておいた。去年の9月に発刊された本である。毎週日曜日になると、次の火曜日に何を書こうかと考え出す。テーマが決まっている時には、楽である。今回のように、この本について書こうと思うと、日曜日には最低半分ぐらいは読み終えないと、間に合わない。前日の月曜日にも、かなり集中して読まなければならない。しかし、いつもいつもその気になれるわけではない。他に用事もある。実は日曜日は別の本を読んでいた。きょうは間に合わないと思ったので、半分ぐらい読んでいたこの本に変えた。
 実は、きのうもこの本はあまり読めなかった。私は昔からよく眠れるタイプで、不眠に悩んだことはない。しかし、ごくまれに朝早く目覚めたりする。実はきょうの朝3時半頃に目覚めた。トイレに行って、そのまま眠ることもある。きょうは眠れそうになかったので、ずっとこの本を読んでいた。この本は3章に分かれていて、第2章から少し専門的になる。少し気合いを入れて読まないと、第1章で中断してしまう。(実際に、私もそうであった。)
 富裕層の定義である。野村総合研究所では純金融資産(金融資産から借金を差し引いた額)が1億円以上5億未満を富裕層、5億円以上を超富裕層と呼んでいる。私は、医院と京都駅のマンション、琵琶湖のマンションを合わせたら、今は実質1億円以上の価値のある不動産を持っていることになる。しかし、貯蓄に関しては1億円には達していない。株なども持ち合わせていない。開業した場合には、美容外科のような自費診療をしていない限り、脱税はほとんど不可能である。どうしてかというと、収入はすべて保険収入で、ガラス張りとなるからである。診断書や意見書などは自費である。しかし、収入としてはたかがしれている。
 著者は東京国税局課税部資料調査課などに勤務して、主として大口、悪質、困難、海外、宗教、電子商取引事案の税務調査を担当し、東京国税局主査で退官している。国税局資料調査課は通称「リョウチョウ」と呼ばれており、「政治家」「国際取引」「富裕層」など調査するのが困難な案件が並ぶ。よく知られている「マルサ」というのは、国税局査察部のことである。「リョウチョウ」では「マルサ」が手を出せない案件まで扱っている。
脱税する4つの理由は、@個人的理由で消費するため A事業に必要な金を作る(景気がいいときに裏金を捻出してプールし、不況になった時に軍資金を活用) Bバランスシートの改善(社長が会社から金銭借入して、返済資金がない場合、脱税した裏金をあたかも会社に返済したように見せる) Cイデオロギー(日本が嫌い、保守政党が嫌い)である。
 ここでは、「トーゴサンピン」という所得捕捉率を紹介している。サラリーマンなどの給与所得者10割、自営業者5割、農林水産業者3割、これに政治家1割を加えた表現である。サラリーマンは100%の所得に対して税金をかけられているのに、政治家の所得は実際の1割ぐらいにしか税金がかけられていないのである。どうしてかというと、政治家は政治資金として認められる金銭については課税対象にはならないからである。政治資金とそれ以外の資金の「人」と「出」は、外見から判断するのは困難である。
 政治資金のチェックに関して、「登録政治資金監査人(総務省所轄)」というあたかも「監査機関」のような制度がある。しかし、全くの「ザル制度」である。著者はある衆議院議員の政治資金収支報告書を見たことがある。あまりにもずさんでお粗末な内容であったという。もちろん、登録政治資金監査人が監査したものであった。現在のわが国の大くの国会議員は、大した能力もないのに二世、三世が世襲制で引き継いでいる。同じ世襲でも政治家は芸能界や一般企業とは全く違う。一見民主的な選挙で選ばれたように見える。しかし、これほど世襲議員の多い国はない。自分たちで利権を独占し、おまけに好き放題脱税しているのである。私は自民党が安倍政権に対して何も言えないのは、お金のことも関係しているのではないかと思っている。
 税金関係の本については、この日記でも大村大次郎の本を何冊か紹介した。だから、第1章の税金から逃れる「庶民」たちについては、ある程度知識があった。最も捕捉困難な業種は、現金商売である。1件当たりの申告漏れ所得額金額がダントツ多いのが、「キャバレー」「風俗業」で、平均で2000万円を超える申告漏れが摘発されている。税務調査は「フナ釣りに始まり、フナ釣りに終わる」をもじって、「現金商売に始まり、現金商売に終わる」と表現される。バー・クラブ、大衆酒場・小料理、パチンコなどが不正発見の割合が高い業種で、売り上げ除外が圧倒的に多い。内観調査では、実際に店に行って客単価や回転数の把握をする。デリヘルに対しては、ホームページを閲覧し、毎日の出勤状況をデリヘル嬢別に時間帯でトレースしておく。サクラであることも少なくない。予約時に必ず「指名」し、「有料オプション」も申し込む。
 宗教法人のことも書いてある。物品販売などは、収益事業として課税対象となっている。しかし、信者が宗教法人を支えるために拠出するお布施、玉串料、寄付金などは収益事業から除かれ非課税である。お守りやおみくじには課税できない。原価1万円の壺を教祖の波動を注入してお守りとして2000万円で売る場合は、信者から見ればお布施や喜捨以外の何物でもないので、収益事業に該当しないという。しかし、法人税は非課税でも、お布施を住職や使用人が費消した場合には、所得税課税が行われる。だから、お布施を裏金にして遊興費に使う。中には、休眠状態の宗教法人を買って、脱税を試みる輩もいる。
 第2章は、富裕層のバレない脱税である。平成9年に山一証券が破綻し、平成10年に海外口座の開設が個人でできるようになった。この年から、キャピタルフライトが始まった。国には頼らず、自分の財産は自分で守る「自己資産防衛」という考え方が注目され、海外投資が急速に増加した。この海外投資というのは、外国の資産運用会社などが扱う日本の法律の規制を受けない外国投資商品のことである。利子所得については、「源泉分離課税」で復興特別所得税分を含め20%ちょっとの所得税が源泉徴収される。日本の所得税や法人税は、海外の所得についても日本で課税するという「全世界所得税」を採用している。現地での二重課税の防止に、「外国税額控除」を採用している。さて、租税回避法である。内容は専門的になりすぎて、一般の人にはわかりにくく、興味があまりわかないかもしれない。マザーファンドとか共同名義の口座とか出てくる。
 私募のファンドを悪用した隠蔽スキーム、無分配型ファンドの隠蔽スキーム、匿名組合を悪用したスキーム、V国(ベトナム?)の「不動産投資」、C国(カンボジア?)での「借地権売買」など、ここでは簡単には説明できないことがたくさん書いてある。興味のある人はこの本を読んでください。カンボジアとは租税条約を締結していないので、投資家がたくさん押し寄せているという。海外送金には、100万円相当額越えの海外送金(受金も)では、金融機関などから税務署に「送金調書」が提出される。ここでも、投資家はオーバーバリューを使う。(これも簡単には説明しにくい) 実は、最近借りたDVDで、メキシコの麻薬組織が大型トラックを使って米国との国境を行き来する物語を見た。コカインを米国に密輸するためではない。米国で稼いだ米ドル札をメキシコに運ぶためである。現在は、当局の監視が厳しくなり、金融機関を使って米国から大金を送金できなくなったようである。
 この本では、パナマ文書で有名になったタックスヘイブンのことも詳しく解説している。賢い人たちはタックスヘイブンを租税回避スキームの一部として複雑かつ巧妙に仕組んでいる。現在の知らざるタックスヘイブンはマレーシアの「ラブアン島」だという。最後に、国税庁が公開している「国際戦略トータルプラン」である。租税回避の封じ込め策である。よく知られているのは、海外財産が5000万円超えの者は、平成26年から調書を提出しなければならない。平成27年に新設された「財産債務調書制度」では、所得金額2000万円超えでかつ3億円以上の財産、または1億円以上の有価証券を有する者は、財産の種類及び価額を記載した調書の提出が義務づけられた。マイナンバーももうすぐ銀行口座と結びつけられる。
 この本では、世界をまたにかけて脱税を支援するプロモーターのことも書いている。まともなプロモーターもいるが、日本人が日本人をだますといった詐欺集団も少なくないという。プロモーターにはファンドハウス(資産運用会社)やプライベートバンク、投資銀行、海外不動産ブローカーなどである。かなりリスクが伴うようである。何十億という資産を持っている人は、相続税対策は必要だろうと思う。以前に読んだ大村大次郎の本では、財団法人を作るのも1つの手のようである。
 ただ、プチ富裕層(小金持ち)に近づいている私としては、あの世までお金は持っていけないと思っている。元気なうちにある程度使おうと思っている。しかし、年を取ると、本当に欲しいものがなくなる。だから、ふだんは質素な生活を送っている。マンションに女でも連れ込んでいるのではないかと疑われそうである。しかし、関係がこじれた時に、マンションを持って逃げられないので、私はそういうことはしない。

 

平成30年7月24日(火)

 暑い日が続いている。これまでビールなどのアルコール類は、月、水、金と週3回断っていた。ところが、6月から木曜日を休診にしたので、ついつい水曜日の夜も飲むようになった。そしてこの暑さである。いつの間にか、月曜日も飲み、金曜日も飲むようになってしまった。毎日である。これではいけないと、きのうから酒を断っている。以前のように、月、水、金と断酒日にしようと思っている。きょうは火曜日なので、この日記はビールを飲みながら書いている。
 きょうネットに載っていた朝日新聞の記事に、「自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(比例中国ブロック)が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視したとあった。京都新聞にも、危害を加える内容のメールが届いていたと書いてあった。
 実は、先週は書く時間がなくて書けなかったことである。ちょうど1週間前の火曜日の京都新聞に載っていた国立天文台名誉教授の「現論」である。今年2月に、同じ自民党の杉田議員が国会質問で、産経新聞の記事を配布して、日本によるアジア諸国の植民地支配に関した研究をしている研究者を名指しし、講演や論文で反日的主張や研究成果を世界に向けて発表するような研究者に多額の研究費が出ているのは「非常に由々しき問題だと思う」がどうか、科研費の偏向ではないかと文部科学大臣にただしていた。この人はネットやテレビや新聞でさらなる「反日研究者」攻撃を繰り返した。5月には八重山日報に「税金で『琉球独立』主張」という記事を寄稿した。この記事にも多くの間違いが指摘されていた。
 ここでは「政権は国そのものでない」と批判している。時々の政権は一時のものでしかない。政権の批判が保証され民意による政権交代が可能なことが、民主主義の基本要件である。政権批判は反日ではない。安倍首相になってから、こんなことも理解できない国会議員が大量生産されている。杉田は政党を転々として、櫻井よしこによれば、安倍首相が「杉田さんは素晴らしい」と絶賛し、自民党から出馬することが決まったという。バカはバカがお好きなようである。櫻井よしこは、天皇がA級戦犯が合祀されてから靖国神社の御親拝をやめたという富田メモを最後まで否定していた。まったく歴史を理解していない。東京裁判で、戦勝国アメリカと敗戦国日本は手打ち式を行ったのである。天皇にも国民にも戦争責任はなく、A級戦犯などが悪かったとしたのである。天皇がA級戦犯が合祀されている靖国神社を御親拝できるわけがない。
 歴史修正主義者は、やがて消えていく。どうしてかというと、世界が許してくれないからである。米国民に言わせたら、日本が真珠湾攻撃を勝手にしかけてきて、その後多数のアメリカ兵の犠牲者を出した。自分たちに勝ち目がないとわかって無条件降伏をすると言ってきたので、許してやった、感謝しろぐらいの感覚である。戦勝国となった当時の連合国や中国も歴史修正主義者は許さない。植民地に対しても、戦勝国と敗戦国ではその立場が違う。どうして歴史研究が必要なのかというと、過去に日本がしてきた過ちを総括し、2度と同じ過ちを繰り返さないためである。歴史からそのことを学ばないと、また同じ過ちを繰り返す。
 実は、先週の火曜日に京都新聞の「現論」を読んでから、以前に買っていた『週刊金曜日』編「検証 産経新聞報道」(金曜日)を読み出している。本の帯に、「安倍政権の応援団(メディア)の正体」と書いてある。実は、すでに買ってまったく読んでいない安倍首相の批判本が何冊も溜まっている。とりあえず、この本から手を付けようと思っている。ここでは、産経新聞の記事内容について、歴史修正主義どころか、歴史歪曲主義と批判している。この本にも書いてあるように、ジャーナリズムの最大の責務は、「権力の監視・批判」である。小泉進次郎が発言しているように、強すぎる官邸(実力ではなく、制度上権力が集中し過ぎている)を何とかしなければ、いつまでたっても自民党は安倍首相の言いなりである。

今週のトピックス 56 (180724)

クローズアップ現代+「セックス・若者たちの本音〜ミレニアル世代の調査から〜」
クローズアップ現代+「セックス・若者たちの本音〜ミレニアル世代の調査から〜」

 この番組は、先週の火曜日の夜10時からNHKで放映されていたものである。きょうは書評が間に合いそうになかったので、急遽録画していたビデオを見た。タイトルのミレニアル世代の調査とは、18歳〜30歳の若者を対象としたウェブアンケート調査である。世界でおよそ100万人が回答している。「GENERATION WHAT?」(何ジェネ?)とコラボしている。働き方や恋愛、政治、社会などさまざまなテーマの中で、7千人ほどがセックスについて赤裸々な声をあげている。
 セックスの知識はどこで覚えた(複数回答)では、日本では友人・先輩が58.5%で、アダルト・ビデオが53.6%である。学校は43%である。海外では、親からは28.1%で、日本では4.8%と少ない。学校からも海外の方が圧倒的に多い。この番組では、日本の若者が出てきてセックスについて語っている。22歳の男性は、「セックスについて何が正確で何が不正確なのか考えてもよくわからない」と言い、22歳の女性は、「性=悪という環境で育ってきた」と言う。30歳の男性は、「どんなセックスがいいのか言われたら、DVDを見ることでしか学べない」とも告白している。
 顔出ししている女性も多い。案外しっかりと自分の意見を述べている。31歳の女性は、「今のAVは男性が出して終わりみたいなところが少し強い」と述べ、ホワイト・ボードに「ポルノは教科書じゃない」と書き込んでいる。26歳の女性は、「すごくしたいという気持ちは分かるんですけど、相手の気持ちを考えずに自分の欲求だけで動いているのはすごく怖い」と述べ、相手のプライドを傷つけるので、基本的には嫌だとは言えないという。26歳の女性は、「嫌われてしまうんじゃないかと思って、声を演技として出していることに罪悪感を感じ、性行為に対して苦手意識がある」という。中には、AVを見てこれがいいんだろうというのをやっていて、怖かったという女性も出てきた。アナルに指を入れられ、どんどんとオモチャを入れられたという。「これが気持ちがいいはずだと決めつけないで」と男性へのメッセージを送っている。
 番組では、ゲストとして「何ジェネ?」の質問を作ったメンバーの1人として社会学者の古市憲寿と、セックスについて著書が多数の産婦人科医の宋美玄が出演していた。この人の本は本屋などあちこちで見かけた。阪大の医学部を出ているとは知らなかった。海外でも、アダルト・ビデオからセックスの知識を得ている人が多い。ノルウェーでは、公共放送でセックスについての知識などを放送している。古市が留学したことのあるスウェーデンでは、行政によってユースクリニックでセックスについてカップルでも1人でも相談を受けることができる。スウェーデンの留学生と日本の若者が、セックスをタブー視せず、不安や悩みを安心して語れる社会にしたいと講演会などを開いている。
 あるアダルトグッズメーカーに就職した24歳の女性は、「女性は性に対して受け身であるべきみたいな規範がある」、「私がそれを変えてやる」と述べていた。この会社の社員の40%は女性である。女性が手に取りやすい商品開発に力を入れている。この女性もいいことを言っている。「男らしく、女らしく」よりも「自分らしく生きられる社会に」とホワイト・ボードに書き込んでいる。ゲストの宋は、自分の身体を知って、パートナーとオープンに話をして、フィードバックしあうと発言していた。魔法のような方法はなく、結局こんな所に落ち着くのかと思った。
 ただ、この番組を見ていて、性欲の解消とラジオ体操のような健全なセックスはまた違うと思った。本来の性的な欲望や妄想は、パートナーや配偶者などで必ずしも満たされるわけではない。臭いフェチなど、性癖にはいろいろある。例えば、田代まさしの盗撮癖などは、素人、覗き、日常生活などのいろいろな要素が絡まって、何とも得がたい性的興奮をもたらすのだろう。こうしてみたいという欲望でも、相手が未成年では犯罪につながる。その人にとって最高の性的快楽がパートナーや配偶者から必ずしも得られるわけでない。このことが、2人の関係に混乱をもたらし、問題をより難しくしている。男性にとって、無差別的なはみ出た性欲の処理は、いくつになってもやっかいなことである。

 

平成30年7月17日(火)

 暑い日が続いている。こんなに暑いと外に出る気にもなれない。この連休は、医院にある荷物の整理やスカパーの点検をしていた。開業以来、CNNを見るために、アンテナを立ててスカパーを見ていた。これまでにも、放送が見れなくなることもあった。チューナーの電源を切ったり、リセットボタンを押したりして何とか見れるようになっていた。しかし、今回はベランダにあるアンテナまで調べたが、原因がわからなかった。どこにアンテナを立ててもらったかも忘れてしまった。映画やアダルト・ビデオもそうであるが、パソコンではなく、TVで見たい。たまにCNNを見ないと、英語力が衰えそうである。どこに頼んだらいいのか今は検索中である。
 14日の土曜日は、年に2回ある母校の精神科医局の同門会に出た。講演は、4題の関連病院の人たちの研究発表である。今年から会場が変わって、ホテルグランヴィアになった。これまでと違って、わざわざ二条城の近くまで行く必要がなくなった。連休の前だったので、いつもより参加者は少なかった。それでも、懇親会でいろいろな先生と話ができてよかった。たまたま、以前から知っている年配の女医さんに挨拶した。ある精神科病院のサテライト・クリニックで所長をしていた。この年代の先生は、所長は退いて週何回かパートに出ているぐらいである。何と、まだ所長を続け、週5日働いているという。
 医局の名簿には卒業年度順に会員名が載っている。生存者だけである。私の名前は、31ページの6ページ目にある。この先生は昭和31年卒で、上から5番目である。現役で入学していても、87歳である。昔とあまり変わらない印象でびっくりした。中には、69歳ですでに引退している先生もいる。若い先生はほとんど知らない。たまたま、京都駅近くのアルコール専門クリニックを引き継いだ息子さんがこの同門会に入会したということで紹介されていた。同じ府立医大出身である。医局の人事とは別に勤めていたので、まったく知らなかった。お父さんには、時々患者さんがお世話になっていたので、挨拶だけはしておいた。
 他にも、ここでは書けない過去にあった医局員の話も聞いた。思わぬ先生が、外部の研究室で一緒だったとか、その頃の私の先輩にあたる先生の話も聞いた。きょうは、他にも書きたいことがあった。段々と疲れてきたので、この辺で終わりにする。

今週のトピックス 55 (180717)

アケミン「うちの娘はAV女優です」(幻冬舎)
アケミン「うちの娘はAV女優です」(幻冬舎)

 この本はきょう読み終えた。読み終えたのは、午後6時である。この日記も書き出したのは、それからである。夕食のごはんを今炊いている。少し大きめの茶碗で2杯分の1.25合である。後の1杯は冷蔵庫に入れて、別の自炊の時に使う。きょうの昼は夕食の買い物ついでに、吉野家で670円の牛カルビ黒カレーを食べた。たまに食べると、美味しく感じる。これだけ暑いと、昼食は自分で麺類を作って食べることが多い。ゆで卵も作っておく。冬の寒い時も同じである。ごはんが炊きあがったら、きょうのおかずはニラ豚キムチ炒めである。これもニラを買ってきたので、自分で料理する。7時ぐらいには、夕食をとろうと思っている。夕食を食べた後は、書く気がしなくなる時もある。私は遅筆なので、何とか書ける所まで書こうと思う。
 実は、当初は他の本を読み終えるつもりであった。しかし、きょうの日記では間に合わないと思った。急遽、きのうの夜9時頃からこの本は読み出した。きのうは琵琶湖のマンションに泊まったので、きょうはいつものように朝5時起きである。医院には、6時10分前には着いた。238ページの本で、これまで紹介してきた本よりは内容は軽い。政治や昭和の歴史とは関係ないので、ここで紹介するのも気が楽である。
 精神科医をやっていると、女性の不倫だけではなく、キャバクラや風俗などに務めている人にも少なからず接する。だから、ここに書いてあるようなAV嬢の生い立ちなどはそれほど珍しくはない。しかし、この職業の親バレについてはあまり深く考えてはいなかった。現在、ネットのない時代とは違い、事務所やメーカー側もAV女優にアイドル活動などをさせて知名度を上げようとしている。雑誌やネットで、どうしても露出度は高くなる。親バレしてAVをやめる子は、7〜8割はいるという。「親公認」は売れるAV女優の必須条件とも書いている。
 この本の著者は、AVメーカーに勤め、現在女性フリーライターとして、AV関係のことをスポーツ新聞などに書いている。老舗プロダクションのマネージャーよると、精神的に不安定な子もいるという。中には、何もしないで自宅に引きこもるよりマシと考える親もいるという。親バレで引退になって、商品の回収騒ぎになることも増えたという。この本では、親公認AV女優が10人紹介されている。私は、10人のAV女優の名前はまったく知らない。宅配レンタルで1本50円で適当に借りているので、もしかしたら中にはいたかもしれない。
 まず、AV女優のヒエラルキーである。AV女優になる人は、貧困や借金で足を踏み入れる人が多い。一見すると、風俗の方が手っ取り早くお金が稼げそうである。なぜAV女優を選択したかというと、多数の不特定多数の素人男性を相手にする抵抗感や性病の心配、元来持ち合わせた有名願望や芸能界への憧れもある。「単体」「企画単体」「企画」と3つの階層がある。「単体」とは、主役として1本のAV作品に出演できる「単体女優」を指す。いわゆるアイドル女優で、特定メーカーと契約を交わすことで「専属女優」となる。「企画単体」とはメーカーと専属契約は結んでいないものの、1人でAV作品の主役となれる女優である。「企画」は女優の名前を必要としない企画作品に出演する女優である。
 メーカーからプロダクションに支払われる出演料(総ギャラ)は企画女優の場合で、日当で15万円から30万円が現在の相場と言われている。2回のセックスシーンとオナニーやフェラを入れた1日拘束の場合、平均が20万円である。事務所から女優に渡される出演料はこの4、5割である。10%の源泉税が引かれるので、30万円がメーカーから支払われても、女優が手にするのはせいぜい13万5千円である。平均の20万円でも9万円である。メーカーを一巡すると、出演料は下げられていく。中には、2割しか支払わない悪徳プロダクションもある。単体女優では、大手メーカーと3本契約で120万円が相場と言われている。
 ここでは、印象に残った女優のことを紹介する。いつも親同士がお金のことで喧嘩していた沖田夏海である。悪者になるのは、母親と姉で、よく叩かれていたという。この母親は不思議になるほどポジティブな人だという。「あの人、キモい!」と言ったら、「あの人は近寄りがたいオーラがあってカッコいいって言いなさい」とたしなめてくれる。「離婚できればいいけど、お金がないから離婚できない」と何度も謝られたという。だから、貯金することは、使うのと同じぐらい楽しいことで、何よりの安定剤と答えている。
 かなで自由(みゆ)は父親にネットに上がっている撮影会の写真を問い詰められ、AV撮影をしていると逆ギレしている。辞めるつもりはないと言った時に、両親は泣いたという。JKものの撮影で制服を着て他の女の子とワイワイするシーンを撮るときには、「あー今、やっと青春しているだな」と思うという。どうしてかというと、高校時代はイジメられていて、学校が終わってからはすぐバイトで、そんなことができなかったからである。5人家族のさとう心愛(ここあ)は、電話で母親に「AVに出ます」と言ったら、「娘はいなかったことにさせてください」とだけ言われ、電話を切られた。父親も兄も特に反対はしなかった。AVデビューしてからまだ母親とは顔を合わせていない。
 成宮リリは父は教師で、母親は看護師である。小学6年生の時に、寝ている間に父親に中出しされている。このことは、あっけカランと公表している。おじいちゃんも、「こういう場面では表情をもっとこうしたほうがいい」とか「あの作品の演技はダメだった」とか言ってくるという。親に仕送りしているAV女優は想像以上に多いという。桜井あゆは、18歳のころから6年間、毎月80万円から100万円現金を母親に送っている。出演本数は700本以上である。この人の21歳の時に企画単体のAV女優とデビューするまでの経歴もすさまじい。飛鳥田新地で風俗嬢になり、1日20人から30人を相手し、月収は月400〜500万円になったという。経験人数は2万人を超えた。最後に、48歳でAVデビューした一条綺美香である。大手通販サイトでDMM、R18で2015年3月に発売されたAVは2087タイトルである。この3割以上が、熟女・人妻をテーマにした作品である。興味のある人は、AV鑑賞ばかりではなく、たまにはこういう本も読んでみたらいいと思う。

 

平成30年7月10日(火)

 きょうも「トピックス54」を書いていたら、もう午後9時半である。きょうは、これまで読んだ本も含め、4冊の本をとっかえひっかえしながら書いていた。今回も書き終えて、久しぶりの達成感を味わえた。夕食は、自炊をしていた。この日記はビールを飲みながら書いている。最近はすっかりアルコールに弱くなっている。350ccの缶を3本も飲めなくなった。きょうは250ccの缶を3本である。昔はラム酒に凝っていた。今は、ストレートで飲むなんてとってもでないができない。
 この頃は宅配ビデオを借りている。もともとTVはあまり見ないので、ビデオで映画を見ている。私の医院にも琵琶湖のマンションにも4.5畳ぐらいの防音室を備えている。琵琶湖のマンションは、昔のLPレコードを聴きたかったので、2チャンネルのオーディオアンプにした。医院のは、大きな液晶TVと6本のスピーカーを備えたサラウンドのAVアンプである。これまで医院の防音室はあまり使ってなかった。しかし、AVアンプを買い換え、サラウンドのスピーカーの調整をしたら、びっくりするほど迫力のある劇場に変わった。1本2時間ぐらいなので、夜9時頃から見ることもある。
 最近見たばかりの映画は、「女神の見えざる手」、「アメリカン・バーニング」、「セブン・シスターズ」、「マリアンヌ」などである。韓国映画もたくさん見た。「女神の見えざる手」はやり手の女性ロビイストの物語である。銃規制派の事務所に移籍し、政治家を動かしていく。最後のどんでん返しは見事であった。この女性ロビイストは自分の時間がないくらい、毎日多忙な生活を送っている。興味深かったのは、エスコートクラブで筋肉ムキムキの男性を買って、短時間でストレスを発散することである。もちろんセックスをする。こういう生き方はよくわかる。私は高級交際クラブまで行くのも面倒なので、アダルト・ビデオを短時間見て、すぐに他の仕事に取りかかる。
 「アメリカン・バーニング」は、ベトナム戦争の反戦運動が盛んな時に、娘が過激派団体に入り、爆弾で一般市民を計4人殺す。最近、オーム真理教の教主と信者の死刑執行があったので、親としての苦悩もよく理解できた。映画として面白かったのは、「セブン・シスターズ」である。近未来を描いた映画である。この映画は万人受けする。レンタル料金も、すぐに新作から準新作料金になる。少し前に見た「帰ってきたヒトラー」もよかった。一見パロディ風の始まりであったが、内容は深かった。熱狂的にヒトラーを支えたのが、当時の国民であったことがよく確認することができた。
 前回の日記で、開業して金銭的に恵まれたことは書いた。誤解を招くと行けないので書いておく。勤務医と比べたら、収入は遙かに多い。しかし、私より稼いでいる開業医は掃いて捨てるほどいる。精神科医だけではなく、他科の先生も同じである。現在は予約の取れない精神科クリニックも多いようである。黄金時代を過ぎた私なんて、たかがしれている。

今週のトピックス 54 (180710)

水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)
水間政憲「完結『南京事件』」(ビジネス社)

 この著者は、本の最後で、自称近現代史研究家と紹介していた。著者紹介には、兼ジャーナリストと付いていた。2017年9月1日に発刊されたものである。この本も、南京大虐殺はなかったという内容である。スクープ連発の著者が繰り出す決定的証拠と書いた帯が付いている。この本は今日読み終えたので、何が決定的証拠なのか、検討していこうと思う。
 まず、この本には当時のアサヒグラフなどの写真が多用されている。そのキャプションに、「支那の子供と共にお正月を待ち遠しがる兵隊さん達」とか「場内の支那市民は手製の日の丸を振りかざして、心から日本軍の入場を喜び迎えた」などと書かれている。著者は、小中学生の知力があれば、1枚の写真だけで「南京大虐殺」などあり得ないと解釈できるのですと主張している。
 本の最後の方でも、南京教略当時、言論検閲されていたと「南京大虐殺派」は喧伝していますが、当時朝日新聞取材陣80余名を指揮していた上海支局次長が報道規制がなかったと証言している等、述べている。厳しい報道規制が行われていたことは、少し調べたらすぐわかることである。今年3月に、東京都目黒区で両親から虐待を受けていた船戸結愛ちゃん(5)が死亡した事件がある。「あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね」とノートに書き残した女の子である。笑顔の写真も公開されていた。この著者は、こんな笑顔の写真があるなら、両親から虐待されていたわけがないと結論を出す、小学生以下の頭の構造の持ち主だとわかる。
 まず、この類いの本を読む時に、大前提となることを書いておく。前回の「今週のトピックス53」(平成30年6月26日)で紹介した山田朗「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」(新日本出版社)に書いてあったことである。日本の戦争は他国に攻撃されたり、他国に強いられたりして引き起こされたのではなく、自らが勢力の膨張をめざした、侵略戦争だったのである。著者は、朝日新聞の本田勝一記者の「中国の旅」と同列に、「今週のトピックス13」(平成28年9月27日)で紹介した清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文芸春秋)を論じ、特定の「イデオロギー」に誘導する印象操作が行われていますと主張している。「中国の旅」の写真の誤用については、この本では何回も非難している。しかし、「『南京事件』を調査せよ」については、具体的な非難は何も書いていない。
 歴史修正主義者がよく取り上げる「通州邦人大虐殺事件」についても書いている。3千人の中国保安隊に対して、日本軍は110人。1937年に居留民を保護することもできず、385名の邦人のうち、223名が虐殺された事件である。実は、著者が印象操作をしていると非難している「『南京事件』を調査せよ」は、この通州事件のことも取り上げている。この時に、命からがら助かった同盟通信社の安藤記者が1955年8月発刊の文藝春秋で書いていたことである。「通州事件の原因、真相とは何であろう。友軍の間柄だった冀東保安隊が一夜にして寝返り、(略)1番安全地帯だと信じられた通州に、日本人虐殺事件を起こしたのだ」と綴り、事件の2日前の日本軍の飛行機が冀東保安隊の兵営を爆撃して、死傷者出たことが直接の原因で、この爆破事件がなかったら通州事件の惨劇はなかったと述べている。水間はこういう事情はまったく書かず、大虐殺のことだけ取り上げている。印象操作をしているのは、どこのどいつだと言いたい。
 この本では、第3章で、「南京大虐殺」は米国(GHQ)が創作した日本人洗脳ラジオ放送からスタートしていたと書いている。太平洋戦争に関した質問に答えるために、日本放送協会がラジオ番組で毎回30分全20回放送していた「眞真相」という番組を非難している。GHQ作戦の情報操作というのは、ある程度そうだったのは理解できる。戦勝国のアメリが敗戦国の日本の戦後処理を滞りなくやるために情報操作をするのは、当たり前のことである。この本では、放送されていた内容を取り上げ、一つ一つ批判している。批判が当たっている部分もあれば、そうでない部分もあるのだろう。これだけで、南京大虐殺がなかったという証拠にはならない。
 「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」で紹介しきれなかったことをここで追加する。対米英戦争は真珠湾攻撃より70分前に、マレー半島コタバル(英領)への日本陸軍の上陸作戦から、英国への通告もなく始まっている。歴史修正主義者がよく出す「日本だけではない」という言説である。日本は、欧米の「白人帝国主義」を批判しながら結局自ら、欧米帝国主義の支配とは異なった「皇民化」、同化主義という形で異民族支配をしていく。「植民地支配では良いこともした」という言説についても非難している。学校を建てたり、道路や橋を作ったのは、あくまでも植民地支配で必要だったからである。本国の利益のため、統治を円滑におこなうためであった。単なる弾圧と搾取だけでは、統治・支配が成り立たないからである。水間の著書では、日本は、日清戦争以降、官民をあげて莫大な資金を中国に投入して、中国の近代化を手伝ったと書いている。
 「アジアの独立に役だった」という言説の問題点も指摘している。戦争遂行の大前提とされたのが、南方資源地帯の占領と開発、自給自足経済圏の建設であった。「南方占領地行政実施要領」では、占領軍が現地で消費する以外のものは、すべて日本に輸送するとしていた。また、独立運動が自発的に高揚してくることを抑制していた。これは、華僑勢力への武力弾圧、独立運動の管理統制・抑圧とつながっていった。日本側に植民地を解放しようなどという考えはなかったことは、台湾や朝鮮などの古くからの植民地を独立させようと日本政府が1度も考えなかったことから明らかである。
 「日本に領土的野心なし」という言説は、歴史的にはまったく破綻した議論である。「大東亜戦略指導大綱」では、ビルマとフィリピンの独立を容認している。ビルマについては、独立運動(反イギリス運動)を高揚させる戦略の一環であった。フィリピンの独立は1945年にさせることをアメリカ議会で成立させていたので、それより早い時期に独立させるしかなかったのである。同時に、この指導大綱では、「マライ」(現マレーシア・シンガポール)と「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」を「帝国領土」すなわち日本領にすると決定したのである。
 著者である水間は、最後の方で、これまで、自著や企画等「南京関連本」は9冊ありますが、この著書が10冊目になり、これで「南京虐殺事件」問題を完結できるということで本書を上梓した次第ですと書いている。この本では、南京研究者で、紅卍会の埋葬死体統計数統計表の「図表」を知らない者はおりませんとなっている。そして、くどくどと当時の資料を検討し、南京城内で民間人と特定できる死者は34人であったと書いている。著者は、この本では当時親中派であった松井石根総司令官を高く評価している。松井総司令官は戦時国際法を徹底するために「南京城攻略要項」を作成して発令した。この「南京城攻略要項」が訓令され、各部隊に徹底され遵守されたことは、これまでの南京城内を写し出した写真が物語っていますと書いている。
 さて、今週の「トピックス50」(平成30年5月29日)で取り上げた、鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(basillico)である。もう一度、松井総司令官について書いた部分を紹介する。戦後、戦犯として処刑された松井に巣鴨プリズンで面談した戦犯教誨師花山信勝によると、松井は南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に批判していたという。「私は日ロ戦争の時に大尉として従軍したが、その当時の師団長と今度の師団長などを比べると問題にならんほど質が悪い。(略)慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った。(皇軍は)皇威を輝かしていたのに兵士たちの暴行によって一挙にそれを落としてしまったと。ところが、この後で、皆が笑った。ある師団長などは『それくらい、当たり前ですよ』と言った。私だけでもこういう結果になる(処刑される)ということは、当時の軍人たちに1人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい」と述べていた。松井の死刑判決には、主席検事ジョセフ・キーナンでさえ「馬鹿げた判決だ。松井の罪は部下の罪だ。終身刑で充分ではないか」と批判している。
 私は、中国が南京大虐殺を政治的に利用しようとしていることについては、頭から否定してはいない。どこの国でも自国に有利になることは、徹底的に利用しようとする。しかし、日本が戦前に中国でしたことについては、素直に認めるべきである。歴史的事実を否定して、中国に揚げ足をとられるなと言っているのである。私から見たら、水間政憲は金目当ての薄汚い売国奴である。事実を嘘で塗り固める日本の恥さらしである。私の主張することに異議を唱えるなら、「トピックス49」(平成30年5月15日)で取り上げた「NNNドキュメント 南京事件Uー歴史修正を検証せよー」を読んで下さい。実は、この番組については、YouTubeで簡単に見ることができる。番組を見てから、自分で判断することが大事である。NNNドキュメント 南京事件Uをクリックしてください。

 

平成30年7月3日(火)

 6月から木曜日は休診にしている。その分、少し精神的余裕はできてきた。先週はこの日記で書けなかったことを書いておく。まず、医局の同級生から、開業のお知らせのハガキが届いていた。昭和54年(1979年)卒で、当時府立医大の精神科に入局したのは、私を含め2名だけであった。私の同級生も同じ1浪である。私は5月に65歳になった。今年勤務先の公立病院を定年退職になるので、どうするのかと思っていた。65歳では、精神科病院の院長にはなれない。非常勤で同じ病院に勤めるのかと思っていたら、何と、65歳で開業であった。
 実は、神戸の学会の時に、以前に住んでいた鈴蘭台まで行ってみた。私は医局の派遣で、あちこちの病院を2、3年ごとに替わっている。社会保険神戸中央病院の部長をしていた時が1番長く、平成4年(1992年)4月から平成9年(1996年)3月までの5年間であった。この間に長男が生まれている。阪神大震災(1995年)も経験している。長い人生の中で、この時が1番幸せだったと思う。この5年間の間、鈴蘭台の小さなマンションに住んでいた。
 学会の時に、中抜けして神戸電鉄で行ってみた。(前回の日記でも書いているように、所定時間より3時間もオーバーしていたので、必要な時間はクリアしている。) 駅に着いても、20年以上前のことなので、どちらに行っていいのかわからなかった。こんな所にダイエーが建っていたことさえ、思い出せなかった。何とか、以前に住んでいたマンションにたどり着いた。スマホで写真を撮って娘に送ったら、ほとんど覚えていないようであった。私は昼食時に会場を出たので、鈴蘭台で遅い昼食をとった。ウィークデイの午後だったので、閑散とした印象であった。商店街もほとんど人がおらず、ここも高齢化が進んでいる印象であった。
 兵庫県には、府立医大系統の大きな病院として、私が勤務していた社会保険神戸中央病院と明石市立市民病院がある。同級生は、明石市立市民病院をこの6月でやめ、7月からJR明石駅の近くで開業した。きょうホームページで確認してみたら、明石市立市民病院の心療内科は代わりの常勤医はおらず、通常の外来は週1回となっていた。どういうことかと言うと、自分が診察していた患者さんをほとんど引き連れて、開業したことになる。これなら、テナントを借りても大繁盛である。
私はこの日記でも何回も書いているように、神戸にいた時にバブルの時に買った京都の家を売った。どうしてかというと、当時の医局の人生双六で部長で上がりになったからである。そのまま定年まで勤めるか、後は、どこかの精神科病院の副院長や院長の声がかかるか、開業するかぐらいしかなかったからである。家を売って、42歳で一文無しではなく500万円の借金が残った。高い金利の住宅ローン分や売り買いの手数料を含め、4千万円ぐらい損をした。
 家を売り払って間もなく、教授から京都第一赤十字病院の部長の話があった。それまで、精神科は代々京大系の先生が引き継いでいた。府立医大の関連病院としては、社会保険神戸中央病院より格上であった。喜んで引き受けることにした。しかし、私より年上で卒業年度は私より若い京大系の先生が残っていた。いろいろとあったことはこの日記にも書いた。一時は体調を壊し、いつ教授にやめたいと言いに行くか限界まで追い詰められていた。最終的には、この先生とは生きるか死ぬかの死闘をして、同じ京大系の笠原嘉先生に引き取ってもらった。すべて私1人でやったことである。医局の教授からは、裏で私を操って追い出したように誤解されると、怒られてしまった。笠原嘉先生に対する遠慮だけではなく、革マル派の拠点であった京大精神科を恐れていたからである。私は当時、泣く子も黙る京大精神科の評議会で発言させてくれと申し込んだぐらいである。例えは悪いが、暴力団組事務所に1人でのりこむようなものである。教授が指示するわけがない。
 さて、私は京都第一赤十字病院を退職したのは、48歳になる手前である。当直はしておらず、残業手当も請求していなかったので、やめた時の年収は確か税込みで1260万円ぐらいであったと思う。開業してから、10年以上は金銭的な黄金時代を味わった。自宅を売った時の4千万円ぐらいの損も取り戻した。自宅、医院、京都駅のマンション(中古)、琵琶湖のマンションと買い、借金はない。いろいろな事情で、自宅と貯金の一部は手放した。それでも、貯金は1年以内には大台には達する。明石市立市民病院の部長と言っても、税込みで1500万円は超えていても、2千万円には達していないと思う。しかし、たくさんの患者さんを抱え開業したら別である。私の黄金時代以上の収入が得られると思う。私は紀州のドン・ファンの50分の1ぐらいの規模である。お手当が月100万円なら、私の規模で2万円になる。京都は金持ちが多いので、これからは琵琶湖のドン・ファンを目指そうかと思ったりしている。
 先週の木曜日は、久しぶりに大阪の池田に住んでいる母親の所に行った。近くに住んでいる妹と一時大げんかをしていた。今は関係は修復しているようである。信田さよ子「母・娘・祖母が共存するために」(朝日新聞出版)を途中まで読んでいた。著者は臨床心理士で、私は薬物依存の研究もしていたので、著者の書いた文章はよく読んでいる。この本の内容については、読み終えてからまたこの日記で紹介したいと思う。帯には、「それでも母が重たい娘たち、団塊女性の母であることの困難、存在感を示す祖母」と書いてある。私の妹は、私立大学経営学部の教授をしている。定年退職が近づいてきて、次の目標(生きがい)は産婦人科医をしている娘の子どもの面倒である。
 よくある母娘のパターンに、一種の母子一体がある。母親は娘である自分のことを心から愛してくれてきたので、何の疑問も持たず感謝して、一生懸命母親が喜ぶように尽くして満足してきた。ところが、ある日、自分は母親に愛されていたのではなく、母親の好きなように支配され、利用されていただだけではないかと目覚める。事はそう単純ではないが、母親と妹の大げんかはそのことも関係していた。母親は今年86歳になる。耳が遠いが、思ったより元気であった。近所には、挨拶程度ぐらいの知り合いしかいない。デイ・サービスを利用したらいいと思っていた。しかし、元気すぎてまだ対象にはならない。面倒を見てきた妹の子どもも、忙しくてなかなか顔を出してくれない。
 昼食はいつものそば屋に行くのかと思ったら、母親が作ってくれた。私のふだんの生活は本当に質素で、自炊することも多い。外食しても、せいぜいファミリーレストランみたいな所である。私に料理を作る時には、母親はうれしそうに生き生きとしていた。私は長男なので、母親にとっては妹とは違った思い入れがあるかもしれない。食べきれないほど、いろいろと作ってくれた。帰る時には、作り貯めた料理まで持たされた。孫の面倒を見てからの後の高齢者の生きがいも難しいと思った。
 久しぶりに、宅配ビデオでAVを借りた。新作を見てみたら、モザイクが以前より濃くなっていた。今年の3月ぐらいからAV出演強要問題が出て、AV業界が自主規制をしだしたからである。取り締まるべきことは、強要や未成年の出演である。昔は、ズームをすると画面一面がモザイクでいっぱいになり、何を見ているのかさっぱりわからなかった。それが、段々と超薄消しモザイクとなっていき、うっすらと見えるようになっていた。それが、また逆戻りである。ネットでは、無修正のAVも見れる。段々年をとってきたので、日本も早く解禁して欲しい。ただでさえ、興奮しにくくなっているのに、何も感じなくなってからでは遅すぎる。

 


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