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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成30年2月20日(火)

 先週の金曜日は、外来でちょっとしたトラブルがあった。精神科医の仕事を知るにはいい例なので、個人が特定されない程度に書いてみようと思う。生活保護の患者さんなので、どこまで精神科医が対応し、どこまで生活保護の担当者が対応したらいいのか考えてみるにはいいケースである。覚醒剤で服役したことのある夫婦である。最近は出所すると、生活保護を受ける人が多い。妻は少し前から私の医院に通院し、夫は出所してから同じように通うようになった。夫は、服役前にも私の医院に通院していた。
 午前中の外来の時に、夫から妻のことで何回も電話がかかってきた。薬を大量服用し、これまでの夫に対する不満をわめき散らし、夫を殴ったり暴れたりしているという。相手をせず、しばらく様子を見るように伝えた。私の医院まで連れて来れるなら、診察はいつでもすると伝えた。しばらくして、2人でタクシーを使って私の医院にやって来た。妻はふらふらで、夫も興奮している。妻は診察の時にも大声を上げて、夫を罵ったりしていた。しかし、呂律もまわっておらず、それこそ酔っ払いが興奮しているのと同じである。夫は入院を依頼してきた。大量服薬して夫婦喧嘩をしているような覚醒剤の患者さんを入院させてくれるような精神科病院なんてない。翌日薬が覚めたら、この患者さんは私の医院に来たことすら覚えていない。ケロッとして、何事もなかったように目覚めることも多い。
 外来が終わるまで、待合室までいたので、受付の人が帰りのタクシーを呼んでいた。ところが、この夫も入院できなかったことに対して不満があるのか、なかなか帰ろうとしない。タクシーを呼んで寝ている妻を乗せようとしたら、いつの間にかタクシーはいなくなっていた。その後、この夫はあちこちのタクシー会社に電話して、大声を出してしゃべっている。その内容もけんか腰で、要領も得ない。そのうち介護タクシーにも電話し、すぐに行けないと相手側が伝えているのに、わけのわからないことを大声で話している。
 いつまで経っても埒が明かない。こういう場合はどうするかである。タクシーを呼んで無理やり乗せても、夫もヤケクソ気味なので、タクシーの中でトラブルを起こす可能性がある。運転手にも迷惑がかかる。警察が出てきても、結局私の所に問い合わせが来て、元の木阿弥である。仕方ないので、私の車で伏見区の市営住宅まで送ることにした。途中、わからないと言い出す可能性もあったので、グーグルで場所は調べてプリントアウトした。結局、市営住宅の前まで送り届けた。妻は夫に起こされて、車から出て、ふらふらしながら自宅に帰って行った。
 これで一件落着かと思ったら、翌日もまた夫から電話がかかってきた。妻が暴れるので、救急車を呼んだという。救急隊の人に夫が興奮した状態でわけのわからないことを言っていた。こんな人を相手に、救急隊の人も大変である。警察も呼んだらしく、警察の人とこれまでの経過を話した。その後、妻は警察に連れられて、尿検査を受けたが、覚醒剤反応は陰性であった。そして、きのう夫婦で私の外来を受診した。2人ともすっかり大人しくなっていた。夫の変な興奮状態も収まっていた。私はいつものように、自分の受けた迷惑のことは素知らぬ顔で、診察をしていた。
 精神科をしていると、こんな患者さんは日常茶飯事である。特に、薬物関係の患者さんは、2週間分の睡眠薬を4〜5日で飲んだり、いくら注意しても期間を守れない人もいる。特定の安定剤や睡眠薬を出せと、しつこくてうるさい患者さんもいる。こういう患者さんを診察するときには、一種の諦観が必要である。いちいち腹を立てていたら、精神科医なんかやっていられない。心情的には、患者さんと付かず離れずである。あまり親身になりすぎるのも良くない。淡々とやっている方が長持ちする。私は警察から依頼された拘留された人の診察も断ったことがない。こんな患者さんを診ることで、必要以上に社会に迷惑をかけないように役立っているのだろうと考えるようにしている。
 私は医院で患者さんが暴れたりしても、次の診察を断ることはない。以前にも書いたように、トイレで何回もリストカットをして血だらけになっている患者さんもいる。来る者は拒まずで、前回の診察でどんなに迷惑がかかっていたとしても、来院してくる患者さんには素知らぬ顔で診察をしている。私がこれまで診察を断った患者さんは、2人ぐらいである。実は、2〜3ヶ月前に、1人の患者さんの診察を断っている。この女の患者さんも、たまたま生活保護の患者さんであった。最初は軽いうつ病かと思っていたら、クレプトマニア(窃盗症)の患者さんであった。万引きで服役していた。出所後に再び当院に通院しだした。
 午後の診察をしているときである。最後の女性の患者さんが、帰るときに靴がないと言い出した。最後にいたのは、靴がなくなった患者さんを含め3人だけである。1人はずっと長いこと通院している身体の大きな男性の患者さんである。残りの患者さんはまだ出所してきたばかりの患者さんであった。履き間違えて帰っているなら、靴がもう1つ残されているはずである。私の医院のドアは自動ドアなので、手で開くことはできない。受付の人もいるので、外部から誰か入ってきて盗んだと可能性はゼロである。院外薬局に電話して確認してもらったが、知らないと言う。中には、女性の靴の匂いに異常に性的興奮を覚える男性もいる。しかし、こんな見え見えの状況で盗むような人ではない。
 結局、この患者さんには病院のスリッパで帰ってもらうことにした。旦那さんが車で送り迎えをしてくれていた。盗まれたのは、ナイキの女性用運動靴であった。外反母趾があるので、この靴しか合わないということであった。仕方ないので、新しい靴を買ってもらって、その領収書を持ってきてもらい、その代金を医院で払うことにした。8千円ぐらいであったと思う。出所したばかりの患者さんは、次の診察で靴のことは知らぬ存ぜぬであった。手品ではないので、そこにあった靴が魔法のように消えることはない。私の医院ではこれ以上診察できないので、他の医院で診察してもらうように伝えた、この時に、京都精神神経科診療所協会の出している「きょうとこころのケアガイドマップ」を渡した。
 さて、最初の患者さんである。いくら精神科医でも、患者さんを自宅まで送り届ける義務はないだろう。こういう場合は、福祉のケースワーカーを呼び出して、送り届けてもらってもいいのだろう。どこまで患者さんのトラブルについて精神科医が対応し、どこまでは福祉のケースワーカーにやってもらったらいいのかは難しい。1人暮らしの統合失調症の患者さんを、岩倉にある精神科病院に自分の車で運んだこともある。入院に必要な物を用意して、1人でタクシーで行くのも無理だったからである。精神状態の悪い患者さんからはよく電話がかかってくる。各区の保健センターでは、何回も電話してくる患者さんの対応が大変だと思う。しかし、平日の午後5時までである。私はほとんどの日曜日にも医院に出てきて書類を書いている。以前より少なくなったが、しつこく電話してくる患者さんもいる。これまで電話再診の請求をしたことはない。取り出したらきりがないし、短い電話で、何回もかけてきたりする患者さんも多い。
 さて、他府県の労災裁判の医学的意見書である。11日、12日と連休2日を費やしても、思うように原稿が書けなかった。下手をしたら、2月中に書き上げることができないと思って、17日(土)は外来が終わってから、この意見書を書いていた。何回も裁判資料を読んでいると、段々と何を書いたらいいのかわかってくる。結局、この土曜日は夜の11時過ぎまでかかって、何とかおよその意見書を書き上げることができた。これだけで、精神的なプレッシャーは嘘のように取れ、憂うつな気分も晴れた。ふだん負担に思っていた自立支援医療や精神保健福祉手帳、障害年金の診断書などがお茶の子さいさいのように思えた。
 日曜日は、夜6時半から東山医師会第4班の遅い新年会があった。場所は高台寺近くの有名な日本料理店である。会費は5千円であった。幹事に聞いたら、後から注文したアルコール類を除いて、1人2万円ぐらいの予算であった。私は正直言って、懐石などの日本料理の味はよくわからない。隣に座っていた若い勤務医のドクターは美味しい、美味しいと言っていた。この会には、引退した三聖病院の院長も参加していた。森田療法で有名な先生で、強迫的なところもある私は、この先生の著書で随分と救われた。もう92歳になるという。他にも、91歳の先生も参加していた。隣の整形外科の若いドクターは同じ府立医大の出身で、同じ科の私の同級生のこともよく知っていた。今の若いドクターの事情も聞かせてもらって、楽しく過ごすことができた。

 

平成30年2月13日(火)

 この連休はゆっくりと過ごしたいと思ったが、あきらめた。どうしてかというと、以前から書いているように、他府県から頼まれていた労災裁判の医学的意見書の締め切りが迫ってきたからである。先週に、以前に送られたきた資料に初めて目を通した。難しい労災裁判ではなく、誰が見ても勝負がついたケースである。労災裁判(訴訟)とは、労災医員協議会で「精神障害の業務起因性に係る医学的見解」で労災とは認められないと出した結論に、被災労働者や家族が納得せず、労災として認めるべきであると裁判所に訴えた訴訟である。
 今回資料を詳しく見てみたら、去年の4月に資料が送られてきていた。裁判の行方で、まだ私が意見書を書くかどうかはっきりしなかった。秋頃になるというのが、何も連絡はなかったので、もう必要ないのかと勝手に思っていた。年末頃に連絡があり、私のパソコンが壊れた1月に、具体的な追加資料がメールで送られてきた。当初は、3月末までに書いてほしいということであった。しかし、その後法務局の要請で、1週間ほど早くなった。私としては、原稿の訂正などもあるので、最初の意見書は2月中には書き上げるつもりであった。
 この連休は、その後送られてきた分厚い裁判資料を見ながら、できるだけ早く書き上げるつもりであった。ふだん労災医員として私の名前で出している京都労働局の「精神障害の業務起因性に係る医学的見解」は、下書きを労災補償課の人が書いてくる。私は、資料を読み、医学的な間違いがないか係の人と検討する。その後で、メールで送られてきた最終原稿の校正をする。この作業そのものはそれほど難しいものではない。それでも、10数枚の原稿をプリントアウトし、誤字や内容の間違いがないか集中して読まなければならない。時々、精神科医でないと気がつかない、微妙な表現の間違いがある。腑に落ちない部分があると、資料の原文で確認したりする。
 さて、労災裁判の意見書である。これは、最初から最後まで自分で原稿を書き上げなければならない。それこそガチ勝負である。前にも書いたように、医学的意見書を書いてくれと頼まれるだけである。実際に裁判がどこまで進行し、何を争っているのか、さっぱりわからない。特に、被災労働者が自殺している場合は、その業界の労働組合などが支援し、人権派と言われている精神科医が反論の意見書を書いてくる。私はこれまで、国側に立って「医学的見解」で出された業務外(労災ではない)の判断に間違いはないという意見書を何件も書いてきた。(ほとんど他府県)
 どこの医療機関にも通院していなくて、突然自殺した場合は、精神障害の病名、発病日の特定や、業務に起因するかどうか判定するのは難しい。たとえ、業務が被災労働者にとって負担になっていたとしても、心理的負荷の強度が「強」と判定されないと労災認定とはならない。自殺された遺族の方は本当にお気の毒だと思う。しかし、何でもかんでも労災として認めるわけにはいかない。特に上司のパワハラで自殺したと安易に判定してしまうと、上司そのものが人殺しのようになってしまう。この意見書を書くときに、山のような裁判資料が送られてくる。この資料を何回も見ながら、原告の主張や原告側についた精神科医の意見書を読んで、何が裁判で争点になって、どんな内容の意見書を書いたらいいのか自分で考えなければならない。しかし、これがけっこう手間暇がかかる。
 職場の何人もの同僚の証言も詳しく読まなければならない。原告についた精神科医が過去の裁判例を出してくるときには、この裁判事例についても詳しく調べる。裁判で争っている事例とはどこが違うのか、反論を書かなければならない。それこそ、精神科医としての限界の能力が試される。実は、現在頼まれている他府県の労働局からは、平成24年7月に依頼された労災訴訟事件の医学的意見書を書いている。今回、この時の私の医学的意見書のコピーも送られてきた。このケースも自殺事例であった。ワードでA4用紙16枚も書いていた。私は、最近は労災訴訟事件の意見書は断っている。今回はたまたま断り切れず、引き受けてしまった。実際に、どの精神科医も忙しいので、今でも引き受けてくれる精神科医がいるのかと思うほど、大変な仕事である。
 前にも書いたように、私はおそらく近畿圏では精神科医として最初の地方労災医員になったと思う。京都第一赤十字病院の部長をしていた時に、労災医員をしていた当時の脳神経外科部長を通じて京都労働局から頼まれた。まだ労災判定基準ができていない時に、年に1件あるかどうかの近畿圏の精神科事例の意見書を書いていた。最初に引き受けた労災裁判の意見書は、これも自殺事例である。自分では、苦労して書いた意見書であった。書き上げた時には、誰にも書けない最強の意見書だと自負していた。とこらが、裁判では負けている。この自殺事例は労災認定のケースを解説した本にも載っていた。前回同じ他府県から頼まれた労災裁判の意見書は、これも苦労して書き上げた自信作であった。しかし、これも裁判で負けている。今回も自殺事例であるが、このケースだけは勝負がついている。
 この連休は覚悟を決めて、2日間裁判資料を見ながら意見書を書いていた。ところが、久しぶりに裁判所に提出する意見書を書くのはやはり大変であった。これまでと違って、ややこしいケースではない。裁判資料も少ない。建国記念日の11日はなかなかやる気になれなかった。振替休日の12日も同じである。部屋の片付けをしたり、録り溜めていたTV番組などをついつい見てしまった。ふだん、私がゆっくりとできるのは、土曜の夕方から日曜日の午前だけである。この間だけは、琵琶湖のマンションで過ごす。日曜日の午後に医院に帰ってきたら、溜まった診断書や雑用の処理である。今回はずっと2日間医院にこもって意見書を書いていた。なかなか思うように簡単に書けなかった。2月の残りの日曜日は2回とも朝早くから書き始めなければならない。
 労災裁判については、今回を最後にしようと思う。いろいろと勉強させてもらったことについては感謝している。労災医員も今月の5月に65歳になるので、早く引退したいと思っている。しかし、なかなかやめさせてもらえそうにない。今週の金曜日にも、私の医院で2件の労災判定の検討をする。最後に、表彰状みたいなものはもらえるかもしれないが(1回もらっている)、正直言ってあまり興味がない。

 

平成30年2月6日(火)

 先週の木曜日は東京に行っていた。精神保健指定医の研修会があったからである。木曜の朝1番の新幹線では、8時20分過ぎに東京駅に着く。もたもたしていたら、9時からの研修会に間に合いそうにもなかった。仕方ないので、前日の夜8時過ぎの新幹線に乗って、東京駅の近くのホテルに泊まった。外来が終わってから、あわてて荷物の用意をしたので、忘れ物も多かった。幸いタブレットを持って行ったので、会場がどこにあるのか調べることができた。
 実は、だいぶ前に日曜日に大阪で研修会があった。ところが、油断して申し込みが少し遅れたら、すでに満杯であった。会場が、ここしか残っていなかった。朝9時から夕方5時半までの講義である。5年に1度の更新で、今回は5月に65歳になる手間の研修会であった。座る場所は決まっていて、机の上に都道府県名と名前、精神保険指定医番号が書いた紙が貼られていた。私の番号は5千台前半である。隣の席に座っていた30台半ばぐらいの女性の指定医番号は1万7千台であった。次の更新は、70歳手前の研修会になる。昼休みが1時間あり、途中休憩もある。しかし、合計8時間半拘束されるのは、けっこう疲れる。ふと、年末年始に行ったエルニドのことを思い出した。この日記でも書いたように、エルニド・タウンから空港のあるプエルト・プリンセサまで、バスで7時間半である。最近は、長いこと拘束されるのは本当に苦痛となってきた。
 精神医療の歴史については、今週のトピックスで取り上げるので、講義内容に出てきたことについてはここでは触れない。他科の先生には理解しにくいことである。精神障害の患者さんを拘束したり、強制入院させたりすることについては、常に患者さんの法的な人権問題がかかわってくる。難しいケースでは、精神保健福祉法だけでは解決しない。ここでは、弁護士の先生も交え、法的な立場からも事例を検討していた。現在は、認知症施設などで患者さんの拘束などが気楽に行われている所もあるようである。精神科病院では、厳密な要件の下で、精神保健指定医などの指示できめ細やかに行われている。現場では、とんでもない患者さんを抱えて対応に苦慮していることがよく理解できた。
 2月4日(日)は、5時間近く、今月中に書かなければならない継続や新規の自立支援医療や精神保健福祉手帳、障害年金などの診断書や書類を書いていた。3人の生活保護の患者さんの継続の精神保健福祉手帳用の診断書が書けなかった。3人とも覚醒剤中毒の患者さんである。どうして継続の診断書が書けなかったかというと、3人とも去年の9月、10月、今年の1月の初診の患者さんであったからである。いきなり受診して、すぐに継続の診断書を書いてくれといわれても困る。特に、1月に受診した患者さんは何の情報もなく受診し、すぐに福祉事務所から手帳用の診断書が送られてきた。この患者さんは薬だけもらったらいいという態度で、問診にも非協力的であった。精神科も長いことかかっていなかったという。やっと患者さんから聞き出して、あちこちの病院に問い合わせ、前回の診断書のコピーを手に入れた。
 障害年金の場合は、患者さん自らがこれまで通院していた医療機関を調べてくる。どうして、私があちこちの医療機関に問い合わせして、精神保健福祉手帳用の診断書を書かなければならないのかと思う。実は、京都市の精神障害保健福祉手帳用の診断書は京都府や大阪、滋賀などの診断書と比べ、厳密な記載を求められる。それこそ、障害年金用の診断書なみである。どういうことかというと、治療歴の欄があり、これまでにかかっていた医療機関名と治療期間(何年何月から何年何月まで)とすべて記載しなければならない。障害年金のように必ずしも正確でなくてもいい。しかし、大体でもある程度は書かないといけない。
 苦労して前回の診断書を取り寄せても、京都府の診断書ではこの治療歴の欄がない。滋賀県の精神保健福祉センター(病院併設)から取り寄せた診断書でも、この治療歴の欄がなかった。最近通院したばかりの患者さんの診断書を私にどう書けというのか? 福祉の担当の人が患者さんに代わって、これまでの治療歴を調べてくれたらいいと思う。なお、覚醒剤で服役した人は、その時点で手帳は取り消しになり、出所後6ヶ月経たないと新たに申請できない。このことも、福祉の担当者は知っておくべきである。前にも書いたように(平成29年12月19日)、福祉関係の年金の診断書はでっち上げみたいな診断書が多い。そんな診断書を書かされる精神科医の身にもなって欲しい。(特に、転院してきた患者さん) プロの社労士を雇っているというが、以前の日記にも書いたように、実際のガイドラインを読ませたらいい。専門家でなくても、社労士でも福祉の担当者でも簡単に理解できるぐらいのことしか書いていない。勝手に拡大解釈ができないほど、具体的に1つ1つ書いてある。
 ついでに、福祉事務所についての苦情を書く。福祉事務所から患者さんのことで、症状把握調査票が送られてくる。このこと自体は特に問題ない。自立支援医療や精神保健福祉手帳、年金受給の可能性について聞いてくることについても同じである。ただ、就労の可能性については、どうして精神科医が答えなければならないのか疑問である。就労可能の場合は、重労働、中等度、軽作業可能かどうかチェックを入れなければならない。現状では就労困難であるが、あと何ヶ月で就労できる見込みとか、就労困難な場合はその理由も書かなければならない。就労できるかどうかという判断は、精神科医には基本的には関係ない。症状をよくするために、治療しているだけである。
 私が今回1番問題にしたいことはこんなことではない。実は、この症状把握等調査票に、患者さんのレセプトのコピーが添付されていたからである。通院精神療法の所にわざわざ赤マーカーで印がされていた。どう考えても、通常の精神科医療についてケチをつけているとしか受け取れない。精神療法を請求しているなら、自立支援医療の診断書を書けということなのか? 前から書いているように、自立支援医療にすると、京都市は医療費を払わず、国が払ってくれる。
 実は、きょう医師会の保険医療課にこのことで問い合わせをしてみた。保険請求の医療内容については、保険審査会が審査している。その内容に不服があるなら、審査会に再請求したらいいだけである。通常の医療行為について、福祉事務所がわざわざレセプトのコピーを添付して異議を唱えることができるかである。他の科では、福祉事務所がわざわざレセプトを送りつけるようなことはしないと思う。どう考えても、保険請求や医療制度について何も知らない福祉事務所の担当者の越権行為である。どこまで、上の人間が関わっているのかわからない。京都市の福祉事務所が通常の医療行為である通院精神療法についてケチをつけるなら、日本全国の精神科医から抗議の声が殺到するだろう。そうなったら、福祉関係のトップが辞任したぐらいでは収まらないことを肝に銘じておくべきである。

今週のトピックス 45 (180206)

ETV特集「長すぎた入院」
NHKEテレ「ETV特集『長すぎた入院』」

 2月3日(土)の夜に、NHKEテレで放送していた番組である。副題は、「精神病院 知らざる実態」である。私は録画していたビデオをきょう見た。福島原発事故が起こったのは、2011年(平成23年)である。原発の近くには5つの精神病院があった。1000人近くの患者さんが県外の病院に転院した。この時に、避難先で、入院する必要がないと診断された人が数多くいた。福島県立矢吹病院に県外からも再び転院してきた患者さんは52人であった。半数以上が、25年以上入院していた。実際に継続の入院が必要な人は、5%ぐらいであった。
 この原発事故で、入院する必要のない患者さんが、30年も40年も精神科病院に入院させられていた実態が明らかとなったのである。番組では、39年間も入院していた66歳の統合失調症の患者さんが出てきた。どこが悪いのかと思うほど人当たりもよく、率直に自分のことを語っていた。この患者さんを中心に番組が進行していく。この患者さんは長いこと退院を希望していたが、原発事故まで実現しなかった。現在は自由を得て、1人暮らしを楽しんでいる。しかし、失われた40年近くの歳月はもう戻らない。
 番組の中で、日本の精神科病床は、世界の2割を占めていると紹介されていた。ここでは、簡単な我が国での精神医療についての歴史を解説していた。1951年に隔離収容政策が取られた。1964年にライシャワー米駐日大使が精神障害者に刺されてから、国の政策もあり、数多くの精神科病院が建てられた。国際的に、精神障害者に対する人権侵害が批判されるようになると、1987年に精神保健法が制定された。隔離収容政策から入院患者さんの退院促進が図られた。しかし、グループホームなどの施設の建設については、住民の反対運動が起こり、遅々として進まなかった。
 この番組の中で、懐かしい先生が出てきた。石川信義先生である。私が精神科医になったのは、1979年である。当時の武見日本医師会会長が、精神病院は牧畜業だと揶揄していた時代である。患者さんが病棟から自由に外に出られない閉鎖病棟がほとんどであった。この時に、石川信義先生の「開かれている病棟―三枚橋病院でのこころみ」(1979年刊)の本を読んで、随分と勇気づけられた。まだお元気にされており、その姿を見ることができただけでも、この番組を見る価値があった。
 先ほどの40年近く精神科病院に入院させられていた患者さんは、当時の院長や婦長、弟に会いに行く。他にも、50年も入院させられていた患者さんも出てくる。昔は、親も高齢化して引き取れず、社会的入院と言われる患者さんは大勢いた。しかし、現在もこれほど多くの患者さんがいるとは知らなかった。番組の最後で、現在も1年以上入院している患者さんは18万人で、5年以上がおよそ10万人と紹介されていた。取材協力者に京大系の先生の名前も出ていた。

 

平成30年1月30日(火)

 あっという間に、1月が終わる。何とか、壊れたパソコンのデータも新しいパソコンに入れ直した。今回、以前に急に作動しなくなったパソコンも修理した。これまでも、パソコンは仕事用1台とプライベート用1台と使い分けていた。キーボード、マウス、ディスプレイ、プリンターは共通である。仕事用には、アダルト関係などのデータは全く入っていない。だから、データ救出もなんのためらいもなかった。プライベート用でも、私はパソコンを使って、アダルト関係の写真や動画を保存することはほとんどない。昔のデータは外付けのハードディスクに入れている。ネットのアダルトサイトだけはお気に入りに入れていた。作動しなくなったパソコンにもまったくといいほどアダルト関係のデータは入っていなかった。それでも、修理に出すのはためらっていた。
 今回修理して問題なく動くようになったので、またプライベート用に使うことにした。私は写真や動画を趣味としている。2台とも高画質の動画の編集が簡単にできるぐらい、高スペックである。もともとゲーム用パソコンである。前から、動画編集の勉強をもっとしたいと思っていた。人生最後に勉強したいことは、中国語とこの動画編集である。年末年始に行ったエルニドの動画をパソコンで確認したら、感動的に美しかった。南の島には、きれいなビーチは山ほどある。しかし、この独特の雰囲気はここでしか味わえない。早く編集して、YouTubeにアップロードしようと思っている。
 ちなみに、私がmonmonHakaseYouTubeにアップロードしている動画で、現在の最高視聴回数は2万8千回を超えている。次に1万ちょっとの動画が2本ある。今回のような1人旅の動画では、「ベトナム・ニャチャンの1人旅」が1万回を超えている。ここでは、まだ視聴回数は少ないが、自分では撮ってきた動画の編集では傑作だと思っている作品を紹介する。5分10秒から始まるわずか40秒ぐらいの部分である。ベトナム・フーコック島の1人旅である。(興味のある人はクリックして、この部分まで早送りして下さい)
 相変わらず、バタバタとしている。この前の日曜日も雑用があって、ゆっくりとしている暇はなかった。先週は、大阪の池田に住んでいる母親のところに久しぶりに電話してみた。近くに住んでいる妹との関係がこじれたままになっていた。いつもは、年末年始は妹家族と食事したりする。ところが、今年は1人で過ごしたという。まだ、お互いにいろいろなわだかまりがあるようである。私も近いうちにまた顔を出そうと思っている。私の娘がごくたまに顔を出してくれるようになった。娘にも、時間があったら顔を出すように伝えた。妹家族も私も娘も息子も忙しい。年寄りだけが時間を持て余し、このギャップを埋めるのは難しい。
 前にも書いたことのある生活保護の患者さんである。いよいよおばさんから財産分与をこの3月までに受けるようである。税理士が手元に5千万円ぐらい残るように、計算して渡すという。どのくらいの税金がかかってくるのか、興味深い。ビットコインなどの収益は、雑所得となって税金が分離課税にならない。現在は大金を得ても、税金だけは簡単にごまかせない。富裕層でも、昔と違って大変だと思う。安月給で働いている人は、収入が今の倍になったら、手取りも倍近くなると思っている。実際には、税金もびっくりするほど増える。
 60歳を超える女性の生活保護の患者さんから聞いた話である。知り合いの女の人が70歳ぐらいの男性と再婚した。すると、すぐにこの男性が入院となり、あっという間に亡くなってしまった。1億円ぐらいの家と財産がこの女性の物となったという。噂ではなく、実際に身近で起こった話である。羨ましいというが、こんなことは滅多にない。人生最後のシンデレラ物語になるのかもしれない。ちなみに、この患者さんは75歳の社長と付き合っているという。月に2回会って、3万円のお小遣いをもらっている。こういう収入は、決して表には出てこない。1回3時間である。3万円では安いと言うと、この社長は取引先などからもらったお歳暮などを持ってくるという。
 今は、一昔前と違って、愛人として一生面倒を見てくれる人は少なくなった。私の患者さんで、そこそこ名の知れた人の愛人であったという人は何人もいる。今でも、東京の大手の社長の愛人をしている患者さんは1人だけである。50歳を過ぎていても、このまま一生面倒を見てもらうようである。どのくらいのお手当をもらっているのか、なかなか教えてくれない。実は、高スペックの男性と結婚するか、付き合うだけかでは、正社員になるか非正規社員になるかぐらいの格差が生じる。正社員になったら、労働基準法で労働者は手厚く保護される。
結婚も同じである。高収入の男性と結婚したら、専業主婦でも原則として婚姻期間に築いた財産の半分は離婚時に財産分与としてもらえる。それこそ、結婚は永久就職となる。愛人ではなくても、どうして1銭も稼いでいない専業主婦の妻を一生面倒を見なければならないのかと、疑問に思う男性も中にはいると思う。高収入の男性ほどいつも仕事で忙殺されている。子どもが幼い時には子育ては大変である。しかし、専業主婦の場合は、仕事を持っている女性と比べたら、まだましである。おまけに、仕事をしている男性とは違って、65歳まで子育てが続くわけではない。
 これも患者さんから聞いた話である。今でも、何人か風俗に努めている患者さんはいる。昨年、梅毒が戦後最高数を記録したことは、新聞にも載っていた。雄琴のソープなどの店舗型に勤めている患者さんの話では、1ヶ月に1回提携している医療機関で診断書をもらってこないと、出勤させてくれないという。ところが、派遣型の風俗はいい加減で、そんな証明書はいらない。検査をしていても、次の1ヶ月の間は未知である。店舗型に勤めている1人は、これまで1回も性病にはかかったことがないと話していた。
 最後に、YouTubeにアップロードしようとしている動画から切り抜いた写真を紹介する。パソコンを使った動画からの写真の切り抜きは、動きがあるとぶれてしまって使い物にならなかった。結局どうしたかというと、液晶TVにつないだブルーレイ録画機を一時停止し、カメラで撮った写真を使った。

スモール・ラグーン1  ここはスモール・ラグーンである。一瞬、人魚姫かと思った。

スモール・ラグーン2  ここもスモール・ラグーンである。カヤックでもやっと通り抜けれるぐらいの狭い岩の合間に入っていく。こういう景色がずっと続いている。

ビッグ・ラグーン1  ここはビッグ・ラグーンである。

ビッグ・ラグーン2  ビッグ・ラグーンを出る所である。

平成30年1月23日(火)

 この日記は、また業者にアップロードしてもらっている。その分、どうしても1日遅れてしまう。壊れたパソコンはデータだけ取り出してもらい、使っていなかった新しいパソコンに入れ直している。Outlookのメールもすべて取り出すことができた。実は、海外旅行の予約をしていて、飛行機のフライト時間をプリントアウトしていなかった。会員になっている所は、ホームページからでも確認できる。海外での国内線では、小さな航空会社が多いので、メールでしか確認できない。ふだん使っていないので、自分でもどこの航空会社で予約したのかもわからないぐらいである。予約したホテルも、ホームページで確認できた。メールの確認でソフトのパスワードもわかったので、もう1度入れなおすことができた。
 自立支援医療や精神障害者保健福祉手帳用の診断書のデータもすべて無事であった。ただ、この日記はFFFTPを使ってアップロードしている。自分で何とか設定しようとしたが、うまいこといかなかった。比較的最近に、パスワードが変更になっていた。自分ではメモをしていたつもりである。ところが、いろいろ試してみたがだめであった。業者に聞いて、また設定し直そうと思っている。来週の日記は、何とかいつも通り自分でアップロードできると思う。
 相変わらず、今週も忙しかった。障害年金の継続の診断書を締め切りの10日ほど前ほどに持ってくる患者さんもいる。こんな患者さんが数人いると、どうしてもっと早く持って来ないのかと思う。締め切りは誕生月の月末が多い。今月は1月31日である。早く診断書を書き上げないと、この日までに患者さんが申請できない。書かなければならない書類が山ほどあるので、あれもこれもやらなければならず、本当にこんな生活はこりごりである。今回は、壊れたパソコンのデータの入れ替えもあったので、時間を取られた。
 実は、会計事務所に送る11月分と12月分の書類の整理もできていなかった。ところが、11月分の出入金が書いてある貯金通帳がいくら探しても見つからなかった。仕方ないので、銀行まで行って、11月分のデータを印刷してもらった。何とか、ぎりぎり送ることができた。去年はいろいろとあったので、確定申告の申請がややこしい。この必要な資料も、集めなければならない。
 今週は、月(きのう)、水、金と労災補償課の人が私の医院を訪れてくる。労災申請の出ている3名の「精神障害に係る業務起因性の医学的見解」を検討するためである。私の所に回ってくる労災申請の判定は簡単なケースばかりである。それでも資料を見て、係の人が書いてきた原稿の下書きの校正もしなければならない。今週は医学的見解とは別にもう1件あり、こちらの方の締め切りも迫っている。時間がなくて、まだ何も読んでいない。資料を詳しく読んで、明日あさってまでに返事を書かなければならない。
 他にも、国が争っている他府県の労災の裁判事例がある。断り切れず、去年の春頃に引き受けてしまった。裁判の進行によって、どうなるかわからなかった。秋ぐらいに意見書を書いてもらうと言っていたのが、何の連絡もなかった。もう書かないでいいのかと思ったら、年末ぐらいに連絡があり、締め切りは3月末である。国が争っている裁判事例なので、裁判所に提出する意見書になる。この意見書はすべて私が書かなければならない。実は、この資料もまったく読んでいない。いろいろ考えると、気が遠くなってくる。先週は娘から夕食の誘いがあった。しかし、忙しくてこれも断っている。今月は、最後の日曜日ぐらいゆっくりしたい。
 他人の忙しさを聞いても、何も面白くない。私は開業して、息子が大学に合格するまではと覚悟して、外来のある月曜日から土曜日まで、毎朝5時に起きて、医院には6時までには出てきた。単純計算でも、13年間続けたことになる。息子が医学部に合格したからと言って、いきなり朝6時に起きたりするわけではない。その後も、かなり続いたと思う。ここ1、2年は朝5時に起きることは少なくなってきた。先ほどの13年間でも、朝5時起き、医院に6時に遅れたのは、数日ぐらいだと思う。朝6時に医院に着いたからと言って、いつもいつも勉強していたわけではない。
 仕事ばかりで人生が終わるのもむなしいと思う。今の生活を続けていたら、いつもバタバタ仕事に追われ、年を取っていくばかりである。私は今年の5月で65歳になる。誕生日を迎えた後で、木曜日を休診にしようと思っている。たまたま、年明けに大学の同級生と話をした。正月は、スペインに1人で行っていたという。団体旅行である。私が英語ができたら、どこでも1人旅ができると伝えたら、今から本気で勉強すると言っていた。海外旅行をしていて、つくづく芸は身を助けると思う。私は平成16年5月のTOEICで865点を取っている。最近はCNNを見ている暇はない。しかし、当時より英語力は確実に上がっていると思う。いつも掛け声ばかりの中国語である。木曜日を休診にしたら、また中国語に挑戦したいと思う。

本  旅行中読む本は新書で持って行った。この本は関西空港で買った。「西岡研介ほか『言ってはならない日本タブー100』(宝島社)」である。テーマは、皇室、警察、部落解放同盟、創価学会、山口組など、100のテーマが書かれている。すべて読んだわけではない。よく知っているテーマもあった。ここで取り上げたのは、私の知らない皇室のことが書かれていたからである。「革命的祖国敗北主義」という言葉は初めて知った。どういうことかというと、帝国主義に陥った祖国を他国に敗北させ、終戦後のドタバタに乗じて共産主義革命を成し遂げようというものである。
 もし天皇を死刑にしたら、共産主義者が一気に活気づく恐れがあった。「菊タブー」は軍国主義に利用され、戦後はマッカーサー側に共産主義勢力を抑えるために利用された。 

映画  エルニドの行っていた時に、タブレットに入れて見ていた映画である。もう1本見たが、この映画には感動した。「罪の手ざわり」である。2013年の日中合同作品である。日本では北野オフィスが配給している。私は最近の中国の監督はあまりよく知らない。前から書いているように、私は何十年も写真もビデオも撮っている。なかなかお目にかからない印象的な映像美である。現代の中国を表現していて、内容も面白かった。中国の悪口(政府だけではなく、国民も)ばかり言っている人は是非とも見て欲しいと思う。みんなそれぞれ必死で生きていることがよくわかる。

平成30年1月16日(火)

 14日(日)の夜遅くに、医院のパソコンでメールをチェックしていた。医療ニュースを見ているときに、いきなりパソコンがフリーズした。こういう場合は、パソコンの電源を押して消し、もう一度入れる。これまでこれで支障を来したことは1度もなかった。ところが、途中まで再起動できても、パスワードを入れる手前で止まってしまう。何回やってもだめであった。この仕事用のパソコンの中には、自立支援医療や障害者手帳用の診断書など山ほど大事な書類がはいっていた。
 以前から、新しいパソコンに代えようといつも思っていた。しかし、ソフトもたくさん入っている。パスワードなどをいちいち探すのも面倒で、そのままになっていた。この日記もこのパソコンからアップロードしていた。今回は自分のパソコンからアップロードできないので、ホームページを作ってもらった業者に頼んでアップロードしてもらっている。もしかしたら、本日中には間に合わないかもしれない。別の外付けハードディスクに手動で、一部のデータは保存していた。
 結局、きのうパソコンの修理業者に故障したデスクトップパソコンを持ち込んだ。医院まで来てもらって、データだけ救出するサービスもある。前回頼んだ時には、とんでもない値段がかかった。使っていなかった新しいパソコンはあるので、そちらに必要なデータは入れようと思う。古いパソコンなので、修理ではなく、データ救出である。それでも、1週間ぐらい時間はかかるようである。自立支援医療などの診断書をまた1から書き直すぐらいなら、多少お金がかかってもいい。データを入れる外付けハードディスク代は別にして、データ救出だけでは、2万円(税別)であった。もしかしたら、来週の火曜日も新しいパソコンからこの日記を更新するのは無理かもしれない。
 14日(日)は、午後1時半から、京都アバンティで、報道の自由と民主主義のあり方について考えるシンポジウムが開かれていた。「強まるメディア統制 乗り越えるには‥」である。私は最近はいろいろな催しものがあっても、めったに出かけることはない。たまたま新聞の記事で知って、医院から近いこともあって参加してきた。300人のホールが満杯であった。きのうの京都新聞にも記事が出ていたので、ここではあまり詳しいことは書かない。第1部は、加計学園問題で管官房長官を追求した東京新聞の望月衣朔子記者と特定秘密法の危険性を国連に通報した英エセックス大人権センターフェローの藤田早苗のパネルディスカッションであった。
 私は現在の安倍政権については、ずっと批判してきている。小選挙区制になってから、党の公認権を握り、官邸が官僚の人事権まで握るようになった。それこそ、首相には独裁者に近いほど権力が集中した。いくら権力を握っても、権力の行使に抑制的でバランス感覚の優れている人ならいい。しかし、安倍首相の思想も、保守本流というより、日本会議などを後ろ盾とした右翼とまったく変わりなく、強権的である。
 このシンポジウムでも出てきたことである。在釜山日本総領事館前に慰安婦を象徴する「少女像」が設置されたことへの対抗措置として、駐韓大使や釜山総領事長を一時帰国させていた。この時に、釜山総領事が私的な会食の場で安倍政権の対応を批判したところ、通常2〜3年までの任期が、1年で解任されてしまったという。こういうことがあると、誰も安倍政権を批判できない。公の発言でも一時帰国を拒否したわけでもない。政府内に多様な意見があってもいいと思う。たとえ私的な発言でも、容赦しないということである。そうすると、政権の中枢部にはイエスマンしか集まらず、いくらでも忖度が起こる。
 私は日本の首相になるような人は、本来知的エリートでなければならないと思う。まだ知的エリートの方がバランス感覚に優れ、国際感覚も身に備わる。もちろん、国益のための国際感覚である。大した大学を出ていなくても優秀な人はいると思う。しかし、日本のトップになる人に、そんなリスクを冒す必要もない。日本には、トップクラスの大学の卒業生は山ほどいる。毎年東大、京大を合わせても、計6千人ぐらいいる。医学部でも、毎年1万人である。とんでもない優秀な人の間で揉まれたこともないような人が首相になるなんて、私には信じられない。1聞いて10理解する能力も当然持ち合わせていない。管官房長官もそうである。権謀術数だけで這い上がってきた人は、私は信用しない。2世、3世議員ばかりの日本の政治システムを変えないと、日本は本当に滅びる。
 ここでは、望月記者の憲法改正の批判も出てきた。私は前から書いているように、改憲派である。しかし、安倍政権下での改憲は危険過ぎて反対である。この中で、憲法9条の改憲について反対の意見を国連に訴える団体のことも述べていた。この時に、英エセックス大人権センターフェローの藤田早苗は、交際的には理解が得られにくいと述べていた。当然のことである。自分の国の防衛を米国に丸投げして、平和憲法を念仏のように唱えている国なんて誰も相手にしてくれない。どこの国でも持っている軍事力はきちんと憲法で定めるべきである。私が憲法改正に賛成なのは、米国の言いなりになるためではない。きちんとした国家として独立するためである。
 さて、年末年始の旅の続きである。島巡りツアーが終わってから、翌日の空港のあるプエルト・プリンセサまでのバンかバスの予約が必要であった。「地球の歩き方」に出てくる「エルニド・ブティック&アート・ショップ」は私のホテルから歩いて5分ぐらいの場所にあった。ここは食事もとれ、ツアーデスクもあった。1月1日はここで予約できるバンは出ておらず、バスも朝9時と夜9時の2本だけであった。昼の2本は正月で運行していなかった。とりあえず、朝9時発のバスを予約した。前日に夜11時に到着して、丸1日過ごして、翌日は朝9時の出発である。
その後のことについては、また写真付きで解説する。

ツアー  前回の島巡りツアーの写真である。どうしてこの写真を載せたかというと、プエルト・プリンセサできれいなビーチの写真が撮れなかったからである。詳しいことについては、後半の写真で説明する。

バス  このバスにエルニド・タウンから空港のあるプエルト・プリンセサまで乗った。途中、乗客を降ろしたり、乗せたりする。値段は片道500ペソ(1140円)である。隣に座っていたカナダ人に聞いたら、直接買ったら450ペソ(1025円)であった。朝9時出発であったが、早めに行った方がいい。30分までも、窓側の席は1つしか空いていなかった。シャトル・バンとは違って、1席はきちんと確保できる。途中からは、立っている人もいた。乗り降りする人も多く、地方のローカルバスの役目もしている。

休憩所  バスでプエルト・プリンセサまで、片道7時間半近くかかった。途中、大きな休憩所は2ヶ所ある。ここはその内の1つである。隣に座ったカナダ人は結構年齢がいっている印象であった。それでも50代後半ぐらいで、私より若いと思う。リタイアしていないのに、これからベトナムやカンボジアを回るという。フィリピンにも1ヶ月近くいると話していた。

食堂  休憩所にはトイレや食堂、売店などがある。昼食をとる人が大勢いた。座席がきちんと確保できていても、バスで7時間半は疲れる。特に、プエルト・プリンセサに近づいて来た時に、山道がくねくねと曲がり、身体に重力がかかり、段々と苦痛になってきた。この時にザ・ビートルズの曲を思い出した。「The Long and Winding Road」である。ビートルズが解散したのは、私が高校生の時である。

ホテル  ここはネットで予約しておいたプエルト・プリンセサのホテルである。朝食付きで2泊で13,834円であった。ジュニア・スイートで、部屋はごらんの通り広い。地図を見ながら適当に選んだ。中心部までは、歩いて15分近くかかった。旅行代理店で、翌日のホンダ・ベイ・ツアーを申し込んだ。朝9時から午後4時までのツアーで昼食付きである。ホテルまでの送迎がついて、値段は1450ペソ(3,300円)である。

ホテル近く  この日は8時半頃にツアーの迎えが来た。すでに2人のカップルが乗っていた。他のホテルに客を迎えに行っている時に、ガイドが盛んに電話でやりとりしていた。どうなったかというと、ツアーが中止になったのである。どうしてかというと、嵐(台風?)が近づいていて、海が荒れるという。仕方ないので、前日の代理店に行って、料金を返してもらうことにした。ホテルの近くでこの写真は撮った。

子ども  これもホテルの近くで撮った。どこの国でも子どもは無邪気である。ここでは要求されなかったが、マニラなどの通りでは、小さな子どもが「マネー、マネー」と手を出してくることがある。

繁華街  ここはプエルト・プリンセサの庶民の中心街である。チャイナ・タウンと書いたショッピング・センターもあった。私はここで、パラワンのTシャツを買った。ふだん私の土産物は撮ってきた動画や写真である。ほとんど何も買わない。しかし、今回だけは記念に買った。パラワンのビーチタオルがあるかと思ったら、見つけることはできなかった。

埠頭  雨が激しく降ってきて、やることがないので、埠頭まで歩いて行った。立ち入り禁止の倉庫などがあり、なかなか海の見える所までたどり着けなかった。私は必ず折りたたみ傘を持っていくので、久しぶりに役に立った。こんな日に訪れるのは私ぐらいである。

トライシクル  ホテルにはバスタブが付いていなかった。温水のシャワーは出る。やることがなかったので、午後4時ぐらいから「サンタ・ルシア・ホット・スプリング」に行くことにした。いわゆる温泉である。けっこう離れていて、トライシクルのドライバーと往復の値段を交渉した。温泉では、1時間ほど待ってもらって、ホテルまで送り届けてもらう。値段は500ペソ(1,140円)で交渉は成立した。ところが、途中で水泳パンツを忘れたことに気がついた。仕方ないので、ロビンソンに寄って、高い水泳パンツを買った。
 雨の中を走ったが、けっこう遠く、この写真は40分ぐらい走った所である。見ての通り、雨も激しく降ってきた。写真では、明るく写っているが、もっと暗かった。ここからでも、まだ20分ぐらいかかると言われた。しばらくして、いきなりトライシクルのエンジンが故障し、全く動かなくなった。運転手がバッテリーなどをいじっていたが、ウンともスンともいわない。ここで焦っても仕方ない。1人で旅行していたら、こんなことは日常茶飯事である。あたりは真っ暗闇であった。
 結局どうなったかというと、温泉に行くのはあきらめ、トライシクルはそこに置いて、乗り合いのジプニーに乗った。こんな所でも、地元の人が利用するジプニーは走っている。このまま市内まで行くのかと思ったら途中で降り、今度はバイクに荷台のついたものを借りた。屋根はついていない。バイクの後ろに座って、この荷物を運ぶ荷台に足を載せる。あたりは土砂降り雨である。傘をなんとか差しながら乗っていた。ホテルまで送ってもらったが、暖かい温泉が冷たい雨でずぶ濡れであった。それでも、心配していたのは、翌日の朝の飛行機がマニラまで飛ぶかであった。幸い、翌日は飛行機が飛んだので、一安心した。  

   

平成30年1月9日(火)

 きのうは東山医師会の新年会が午後5時半からあった。この日は朝9時過ぎから、書類書きをしていた。障害年金や自立支援医療、精神保健福祉手帳用の診断書ばかりではなく、介護保険の意見書など山ほどあった。更新の分は、それほど苦労しない。新規に書かなければならない書類は、けっこう手間暇がかかる。他にも、うんざりするほと溜まっていた郵便物は、前日の夜10時ぐらいまでにすべて開封して、すぐ必要な書類を書けるように準備していた。
 エルニドに行った時の衣服の洗濯や、トイレの掃除もしていた。今回の年末年始の休みは目一杯旅行に費やしてしまったので、雑用が山ほど溜まってしまった。今回の連休は、土曜日の夕方から日曜日の午前中だけゆっくりとできただけである。実は、今回のフィリピンの旅では、3日にマニラに着いてから体調を崩してしまった。最近はなったことのない下痢になって、身体もだるかった。一昔前は、タイなどで下痢になったことは何回かある。寄生虫や細菌性の下痢ならやっかいである。きのうぐらいから改善し、きょうはすっかり回復した。
 新年会では、最初に会員の先生が師匠と一緒に小唄を披露してくれた。その後で、宮川町の芸妓さんが日本舞踊を踊ってくれた。そして、懇親会である。東山医師会にはいっていると、東山区は超高齢化で、どんどんと廃れていくのではという懸念もある。久しぶりにこういう踊りを見て、花街の華やかさを思い起こした。会員の先生とは、楽しく話ができてよかった。この年になったら、みんなざっくばらんである。継承を除いて、純粋な新規開業の先生はいないようである。
 実は、医院に帰ってきたのは、夜8時半であった。この後で、続けて今月中に更新しなければならない自立支援医療と精神保健福祉手帳用の診断書を午後10時過ぎまで書いていた。きのう中に、すべて書き終えるつもりであった。ところが、コピー機のインクが薄くなって、コピーができなくなった。恐らく、インクが切れたのだろう。トナーの交換はふだん事務員に任せている。説明書を読んで交換するのも面倒なので、ここであきらめた。会計事務所に送る11月分と12月分がまだ残っている。年賀ハガキの内容もまだチェックできていない。私は海外で少し親しくなった人には、「I'm successful in Japan」と言う。そして、続けて「very stressful in Japan」と付け加える。
 フィリピンには12月29日〜1月4日まで行っていた。行き帰りの2日はマニラで滞在である。1ペソは2.28円であった。以下に、写真付きで解説する。

飛行機  マニラからパラワン島中央部にあるプエルト・プリンセサの空港までは、約1時間半の飛行時間である。12月30日の出発時間は2時間近く遅れた。空港に着いたのは、午後4時前ぐらいであった。

休憩所  空港からエルニドまでは、シャトル・バンを使った。料金は500ペソ(1140円)である。ところが、このバンは空港で2人の客を乗せると、市内かどこかの予約客を順番にピックアップして行った。私の座っていた後部座席では4人座らせられ、大男の間でまったく身動きが取れなかった。おまけに、薄着でエアコンが効きすぎ、凍え死ぬかと思うほど寒かった。ここは途中の休憩所である。午後4時半に空港を出て、エルニド・タウンに着いたのは午後11時である。もう死ぬかと思うほどの大苦行であった。

ホテル  忙しくて、12月27日の夜遅くにネットで予約したホテルである。まったく知らない所でホテルをとる時には、場所を調べなければならないので、手間暇がかかる。どこも満杯で、残っていたファミリータイプの部屋を借りた。年越しパーティ代と朝食付きで、2泊で19,800円ぐらいであった。見ての通り、部屋は狭く、あまり設備も整っていなかった。場所だけはよかった。

出発  12月31日の島巡りツアーである。朝9時出発で、午後4時過ぎに帰ってくる。昼食付で、1200ペソ(2740円)である。前日の夜中近くであったが、ホテルで予約した。ツアーが出ている海岸まで、ホテルから歩いて3分ぐらいであった。たくさんのバンカーボートが停泊している。自分のボートまで、腰まで水につかって行かなければならない。

島1  ここは最初に行った島である。名前はよくわからない。(もしかしたら、ミニロック島?) この海の色は感動的であった。

島2  島に上陸した。エルニドは欧米人や南米の人たちがびっくりする大勢来ていた。フィリピンのビーチでは、タイのビーチほど欧米人は見かけたことはない。しかし、ここは別世界である。あまり人の多くない少し外れたビーチバーでサンミゲールのペイル・ピルセンを飲んだ。1本90ペソ(205円)であった。

スモール・ラグーン  ここはスモール・ラグーンである。船を降りて、カヤックで行く。カヤック代は400ペソ(910円)である。私は写真を撮りたかったので、ボートの乗務員の人に漕いでもらった。ほとんど動画を撮っていたので、写真は少ない。動画は感動的である。本当に、ここまで来た甲斐があった。

仲間  同じツアーのメンバーである。1組の米国人のカップルを除いて、同じホテルに泊まっていた。みんな親切で、ビールを1缶いただいた。アメリカ人とフィリピン人の夫婦の親戚関係が集まっていた。若い人たちは、ベルギーに住んでいると話していた。別のフィリピンの若いカップルとも話しできて、本当に楽しかった。

ビッグ・ラグーン1  ここはビッグ・ラグーンである。船でそのまま入れる。ここも雄大な渓谷の中を行き、よかった。

ビッグ・ラグーン2  ここもビッグ・ラグーンである。昼食は、船の上で食べた。新鮮な魚やエビをその場で焼いて出してくれる。これも美味しかった。ビールなどは船上では売っておらず、自分で持ち込まなければならない。

ビッグ・ラグーン3  ビッグ・ラグーンは海が浅い所もある。深い所もあり、岩の上から飛び込んでいる人もいた。

島々  ビッグ・ラグーンを抜けた所である。タイなどの島と違って、それほど海も荒れていなかった。船着き乗り場から長時間船に乗り続けることもなかった。エルニドでは、日本人らしき人をまったく見かけなかった。ただ、苦行のバンの中では、日本人の25歳ぐらいの娘と夫婦の3人が前の座席に座っていた。1列3人ならまだ楽である。

 

平成30年1月2日(火)

 この日は不在となりますので、1月5日(金)に更新します。
 ここから、5日に書いている。年明けということで、患者さんも多かった。夜の外来が終わって、そのまま医院で夕食を作って食べ、今の時間は8時半過ぎである。年末は28日の夜9時過ぎまで、年賀状を書いたりしていた。書かなければならない書類も山ほどあって、途中で書くのはあきらめた。
 年末はどこに行っていたかというと、フィリピンのパラワン島にあるエルニドである。マニラに2泊、エルニドに2泊、プエルト・プリンセサに2泊の6泊7日の旅である。昨日の夜午後8時半過ぎに京都駅に着いた。エルニドのホテルは、12月27日に予約した。ところが、どこも満杯で、便利な場所らしき所の残っていたファミリー・タイプの部屋を予約した。マニラまでの帰りの飛行機の時間も、前日の26日に変更になっていた。パラワン島中央部にプエルト・プリンセサの空港がある。ここからパラワン島北部のエルニド・タウンまで、シャトル・バンを使って、6時間半かかった。帰りはバスを使ったが、片道7時間半である。
 それでも、苦労して行った価値があった。今まで訪れたビーチでは1番の美しさであった。日本からなかなか簡単に行けない所に希少価値がある。写真より、動画をたくさん撮ってきた。少し落ち着いたら、またYouTubeにアップロードしようと思う。詳しいことについては、来週の日記で紹介しようと思う。実際に行ってきたエルニドの写真を2枚だけ公開して、今回の日記はこれで終える。

スモール・ラグーン  ビッグ・ラグーン1

ビッグ・ラグーン  ビッグ・ラグーン2


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