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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成30年6月26日(火)

 今週のトピックスを書いていたら、もう夜の10時過ぎである。この日記も、私の強迫性格から毎週欠かさず書いている。(平成15年3月17日から) 本を読んでから、あちこちひっくり返しながら、書いてある内容をまとめていく。簡単に書いているようで、ものすごく手間暇がかかっている。それでも、書き終えると、小さな達成感は味わえる。こんなことを何百回と続けていたら、いやでもそれなりの知識は蓄えられる。
 この前の木、金は神戸で日本精神医学会総会があった。専門医などの更新をするには、学会に参加して所定の単位を集めなければならない。去年は参加できなかったので、今年は丸2日参加して20単位を獲得した。5年間で40単位が必要である。開業している場合は、2日休診にして、最低2回参加が必要である。病院勤務の場合は、全員参加するわけにはいかないので、半々で交代で参加することになる。今年の総会参加予定者は6千人ぐらいと見積もられていた。比較的小さな学会と言われる精神神経学会でさえ、これだけの人数が集まるのである。会場の確保が大変である。同じ時間にシンポジウムや教育講演が16会場に分かれて開催された。
 学会に参加しているかどうかは、会員証で入場時と退場時のチェックをする。以前は、1つのシンポジウムごとにチェックをしていたが、大混乱となり現在のチェック方法になった。中抜けしても、わからない。私は取得単位の部分については、よく読んでいなかった。朝から5時半ぐらいまでいたら、1日で取れる10単位に達するだろうぐらいでいた。だから、1日目は朝8時半から午後5時半までいた。2日目もそうしようと思っていた。午後4時半ぐらいになって、取得単位の所を詳しく読んでいたら、何と1日7時間滞在したらいいだけであった。前日は2時間も超過していた。2日目は4時半でも1時間超過である。時々、どこかぬけたミスをしてしまう。
 それでも、シンポジウムなどは興味深い内容で、本当に勉強になった。「インターネット依存の現状と課題」では今話題のゲーム障害などのことも詳しく紹介していた。「多剤併用を防ぐために考えなくてはいけないこと」でも、明日の診療にもすぐに役立つことが討論され、興味深かった。ただ、以前にも書いたネットでの「精神科薬物療法」の研修では、単剤使用が強調されすぎで、若いドクターは誤解してしまうのではないかと思った。抗パーキンソン剤の使用についても、認知機能の低下をあまりにも強調しすぎであった。「大人の自閉スペクトラム症臨床における精神科医と心理職の協働」も本当に面白かった。その内容について詳しく紹介したいが、きょうはもう疲れてきたので、この辺で終わりにする。

今週のトピックス 53 (180626)

山田朗「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」(新日本出版社)
山田朗「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」(新日本出版社)

 この本は前回の「今週のトピックス52」で、南京事件の部分だけ読んで、詳しく紹介した。今回は、最初から最後まで読んでみた。著者は、本の紹介では明治大学文学部教授となっていた。専門は何かわからなかった。本の中で学生に日本史学を教えていると書いていた。ウィキペディアでは、歴史学者で専攻は日本近代史・日本軍事史・天皇制論となっていた。やはり、プロの歴史学者の書くことは、具体的な資料を読みあさっているので、説得力がある。小説家の百田尚樹や憲法学者の竹田恒泰や弁護士の稲田元防衛大臣などは、歴史学のプロではない。ちょっとかじったぐらいで、「南京大虐殺はなかった」、「アジアの独立に役だった」など、安倍首相を始めとする歴史修正主義者の味方となっている。
 私は1979年に医学部を卒業し、精神科を39年やっている。精神科病院にも総合病院の精神科にも勤めている。京都第一赤十字病院の部長をしている時には、1日で最高103人の患者さんを診察している。いざとなったら、それぐらい処理できるということである。その後で、病棟の入院患者さんの診察もしていた。精神医学といっても範囲が広く、不得意な分野はもちろんある。私も何もかも知っているわけでない。それでも、専門書は死ぬほど読んできている。
 何が言いたいのかというと、素人が精神科関係の本をちょっとかじったぐらいで、わかったようなことを言うのはちゃんちゃらおかしいということである。歴史学については残された資料や文献から事実は同じでも、その解釈はプロによって異なるかもしれない。素人は解釈どころか、膨大な資料や文献を読み込んでおらず、その歴史的事実さえわかっていない。歴史学者からみたら、百田も竹田も稲田も素人のバカ丸出しとしか言いようがない。
 まず、日露戦争である。私はNHKの大河ドラマを見ないので、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が日露戦争を扱った小説だとは知らなかった。司馬史観の歴史認識については、あちこちで批判されているのは以前から知っている。あくまでも小説で、すべてが歴史的事実ではない。映画や小説でも、ついつい見たり読んだりしていると、そのまま歴史的事実だと信じてしまいやすい。フィクションと事実の区別をしなければならない。しかし、どこまで歴史的事実でどこまでフィクションなのかわからないのが、素人の悲しさである。
 幕末以来、薩長勢力や明治維新政府は、基本的にイギリスからの情報で世界を見ていた。イギリスとロシアは、当時バルカン半島、アフガニスタンで激しく衝突していた。朝鮮半島を巡っても、ロシアとイギリスはお互いに牽制し合っていた。日本はイギリスに影響された「ロシア脅威論」で、日本の国境線(主権線)を守るために、その外側に朝鮮半島という利益線を引いた。そして、日本は朝鮮半島への影響力を強め、清国と衝突して、日清戦争が始まった。日露戦争でも、ロシアを満州に進出させないため、イギリスは日本を支援した。アメリカが日露の講話を斡旋したが、ロシアの中国・満州に進出することを防ぎ、日本の勝ちすぎも防止したかったからである。日露戦争が終わって、日本はアメリカの鉄道王と満州における鉄道共同経営に1度合意しながら、反故にしてしまった。そして、ロシアと日露協定を結び、南部「満州」を日本、北部「満州」をロシアという具合に分割してしまった。アメリカが参入できなくしてしまったことにより、その後日本とアメリカの関係が悪くなっていった。
 日露戦争での成功した戦略は、部隊間の情報コミュニケーションとして、司令部と各部隊間の間に電柱を立て、電信線を引いたことである。ロシア軍はバラバラで、部隊間の相互連携がなかった。このことが日本陸軍成功の最大の要因である。司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではこの肝心な部分がカットされているという。日本陸軍の戦略の失敗も書いている。旅順戦で多数の犠牲者を出したことや、日本軍の鉄砲弾不足のことも指摘している。同じように、日本海軍のことも書いている。当時の明治の国家主導者は、欧米列強のアジア支配を容認することを前提にして、列強とのいろいろな利害調整をおこなっていた。ところが、アジア太平洋戦争が近づけば近づくほど、日露戦争は欧米のアジア支配を打ち破るための戦争だったという位置づけがなされてしまう。
 第2章では、満州事変と「満州国」の実態について書いている。当時、「満州」は吉林省など東三省から構成されていた。自治独立運動の結果「満州国」が建国されたようにするため、関東軍は、いったん各省が中華民国国民政府(蒋介石政権)から独立するという形をとり、その後「満州国」として結集するという形式がとられた。どうしても、各省の独立宣言が必要になった。吉林省では、関東軍参謀のピストルで脅かされながら、省政府首脳が独立宣言をしたのである。「満州国」において「王道楽土」と「五族協和」の理念を実現するために結成されたのが満州国協和会である。ところが、多くの日本人自身による他民族蔑視があった。開拓移民による満人既耕地の奪取、商店での押し売り・押し買い、気にくわない商店・食堂の破壊、輪タクなどの無賃乗車などをはじめ日本人の他民族への横暴、暴力、理不尽な行為は枚挙にいとまがなかった。満州国警察隊は捕虜にした抗日ゲリラを即座に殺害することができる権限が与えられていた。(臨陣格殺)
 この本では慰安婦の問題も書いている。1999年に慰安婦の強制連行を否定する秦郁彦「慰安婦と職場の性」(新潮社)が出版された。しかし、学術レベルで強制連行がなかったと決着がついたわけではなかった。しかし、秦郁彦説→読売新聞社説→07年政府答弁書とつながる強制連行否定の流れができた。07年の政府答弁書や安倍首相の発言の言う慰安婦の強制連行とは、人さらいのような暴力的な拉致という狭義の意味での強制連行を指しているものと思われる。著者は、いくら何でもそんな官憲資料が作成されるはずもなく、存在したとしても敗戦時に焼却されただろうと述べている。
 1944年に、インドネシア・ジャワ島で、民間人収容施設にいたオランダ人女性36人を日本の軍人たちがスマランにあった4ヶ所の慰安所に強制連行して慰安婦にした。(スマラン事件) 07年政府答弁書では、このことには全く触れず、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と公表した。この一節は、歴史修正主義者の中で「慰安婦の強制連行はなかった」という政府見解が示されたと解釈された。さらに「慰安婦は強制されたものでなく自由意志だ」、「合法的なものだった」、さらに「売春一般と同じだ」と連鎖的に曲解された。そして、この慰安婦の強制連行否定の連鎖は、朝鮮労働者の強制連行否定へと燃え広がった。政界に蔓延した歴史修正主義的な言説は、政府答弁書や首相の発言という形で発出されたことで、権威化された言説としてネット上で猛威を振るった。
 河野談話では、慰安婦の募集において「本人たちの意思に反して集められた事例が数多く」あること、慰安所における生活についても「強制的な状況の下での痛ましいもの」であることを表明した。これは、慰安婦制度に関する研究者の見解と体験者からの聞き取り調査に基づいたもので、今日でも事実認識においてその妥当性を失っていないという。「慰安婦は合法」という見解は、慰安婦が当時の公娼制度の基づくものであるという誤解が基礎になっている。1900年に制定された「娼妓取締規則」では、制度上は、公娼制度のもとにおいても自分の意志に反してだまされて娼妓になることは違法とされていた。
 戦地にある慰安所は民営のもの、軍が直接管理・運営するものがあった。そこで働かされている慰安婦の多くが詐欺的手段(誘惑・誘拐)で連れて来られたことには、数え切れないほどの証言がある。慰安所の管理にあたっていた憲兵さえ、「これだけ多数の女性だから、なかには強制的に連れて来られた者も少なくないだろう」、「つぎつぎと開設される施設に、この種の女性が容易に補充されることも、まことに不思議である」と回想しているぐらいである。慰安所や慰安婦の話は、厳然たる歴史的事実である。
 この本では、歴史修正主義者たちが主張する説についても、きちんとした学術的な反論をしている。@侵略したり、植民地支配をしたのは「日本だけではない」という論、A植民地支配は「良いことをした面もある」という論、B「大東亜戦争」は「アジアの独立に役だった」という論、C戦争をおこなったけれど、「領土的野心はなかった」という論。段々と書いてきて疲れてきたので、ここでは詳しいことは書かない。歴史修正主義者たちの本しか読んでいない人は、是非ともこの本を読んで勉強してください。
 他にも、靖国神社や日本会議のことも書いてある。東京裁判でA級戦犯で処刑された人は7人である。半分以上の人が中国がらみである。日本に対する占領政策の一環としての裁判であったことは間違いない。当時アメリカは中国(蒋介石政権)の取り込みをはかっていたので、中国の意向を無視して裁判はできなかったという。アメリカに向けて戦争をしかけたということとほぼ同格に中国での戦争が重視された。BC級戦犯は、1000人近い人が処刑された。多くは憲兵で、占領地での抗日運動を取締り、その土地の人を処刑した人たちである。

 

平成30年6月19日(火)

 小池東京都知事の経歴詐称が話題となっていた。その後、この問題はそれほど騒がれていないようである。自民党が叩けば叩くほど、安倍首相麻生財務大臣に飛び火が降りかかってくる。どういうことかというと、この日記でも書いたように、安倍首相は「南カリフォルニア大学政治科に2年留学」と、かっては学歴に入れていた。ところが、現在はプロフィールから削除している。前回の日記では、麻生財務大臣の経歴には触れなかった。麻生大臣も、「スタンフォード大学大学院留学」、「ロンドン大学留学」と学歴に公表していた。ところが、今では同じようにプロフィールから削除している。政治家にとって、虚偽の略歴は公職選挙法違反となる。こんな程度の人がわが国の首相をしているのである。世界の知的エリートに、勝てるわけがない。
 先週の金曜日(15日)の夜に、NHKでドキュメント72時間 「百貨店 化粧品売り場の女たち」を放映していた。私は録画して、日曜日に見ていた。たった30分の番組でも、よく出来ていた。舞台は名古屋の松坂屋である。デパコスというのは、デパートコスメの略である。ここを訪れた人をインタビューして作った番組である。若い人からお年寄りまで、それぞれの人の人生の断面を化粧を通じて垣間見ることができた。男性側からはなかなかわからなかった化粧の効用(ちょっとした人生のリセットなど)もよく理解できた。デパートは不況であるが、化粧品売り場だけは別である。ここでは美容部員が350人働いていて、3日間の売り上げは5900万円であった。
 実は、先週の土曜日(16日)の午後3時からMBS毎日放送で、ギャラクシー賞大賞を受賞した「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」を放映していた。私はこの番組も録画して、日曜日に見ていた。少し見て、以前に見た番組だと気がついた。今回再放送であった。初めの放送は、平成29年7月30日であった。この直後の日記を調べてみたら、今週のトピックス38(平成29年8月1日)ですでに取り上げていた。この日記の最後に、再掲する。愛国と言ったら、「こんな経歴詐称をして、森友学園問題などで独裁者となっている安倍首相はすぐやめろ。日本の恥だ」というのも、愛国である。ついでに、官邸は「嘘は泥棒の始まり」という道徳の教えも、小学校の授業で受け直したらいい。

ベランダ ・5月頃に撮った写真である。私の琵琶湖のマンションから見た風景である。今は朝4時半ぐらいに起きないと、きれいな朝日は撮れない。今頃は、早朝から右側の突き出た陸地部分で、釣りをしている人が多い。

水着1 ・この写真は、この前の日曜日(17日)に撮った。先ほどの突き出た陸地部分である。私はふだん半径2mぐらいしかよく見えないコンタクトレンズを付けている。遠くは見えないが、その分、どんなに小さな文字でも不自由なく読める。この日は晴天だったので、マンショのベランダからたくさんの釣り人や緑の芝生でくつろいでいる人が見えた。滅多に使わない双眼鏡をのぞいていたら、3人の水着姿の女性が見えた。こんな所で、水着姿の女性は初めて見た。

水着2 ・何と大胆な若い女性だと思った。釣り人も目のやり場に困っている。さすがに、ベランダから身体を乗り出して写真を撮るのはためらわれた。買ったばかりのルミックスTX2で、室内から撮った。医院に帰ってきてパソコンで見てみたら、日本人ではなく、ロシア人みたいな外国人であった。ファインダーでは、真ん中の女性が、男性のようにも見えた。思わぬ所に迷い込んだイルカみたいなものか。

びわこ競輪場跡地1 ・ここはどこかわかる人は少ないだろう。敷地には囲いがしてあるので、左下の道路沿いの歩道からは何も見えない。解体をしている現場の人も、部分的な写真しか撮れない。私の琵琶湖のマンションから撮った写真である。大津びわこ競輪場跡地である。私には記録に残せる物は残しておこうという一種の強迫観念がある。だから、まだビデオカメラが珍しかった時でも、海外の街角などの姿を記録に残している。今は、スマホで何でも残せる。しかし、この光景はなかなか撮れない。この写真は5月20日に撮った。

びわこ競輪場跡地2 ・この写真は6月14日に撮った。それこそ、定点観測である。この跡地に何ができるかというと、ネットで調べてみたら、商業施設と公園である。来年の11月頃にオープン予定である。飲食店もできる。なかなか便利になりそうである。TVでハワイでの老後を特集していた。マンションとなる別荘が2億円以上もして、物価も高かった。北海道に別荘を持って、春から秋にかけて現地で過ごしている人もいる。私はまだ完全引退はできそうもない。畑付きの一戸建ては管理が大変そうである。医院からは車で30分なので、いい買い物をしたと思っている。

今週のトピックス 52 (180619)

百田尚樹「戦争と平和」(新潮新書)
百田尚樹「戦争と平和」(新潮新書)

 この本は去年の8月に出版されている。私は途中まで読んで、他の本に浮気していた。今回本の整理をしていて、たまたま手にとってみた。読み出したら面白かったので、最後まで読んでしまった。この本を読み出した時にも、第1章のゼロ戦とグラマンの内容については感心した。「戦争という極限状況下においては、その民族あるいは国家の持つ長所と短所が最も極端な形で現れる」という指摘は、まったくその通りだと思った。日米の海軍の主力戦闘機がゼロ戦とグラマンF4Fである。この2つの戦闘機を比較検討して、日米の文化に由来する考え方の違いを明らかにしている。
 ゼロ戦は極限まで職人技が極められた芸術品と言っていいほどの高性能の戦闘機であった。当時、連合軍にも恐れられていた。一方のグラマンF4Fが唯一優れた点は、防御力である。パイロットを守る背中の鉄板の頑丈さは、ゼロ戦の7.7ミリ機銃を何十発打ち込まれても、貫通しなかった。ゼロ戦の弱点は撃たれ弱いことである。搭乗員から防弾の工夫をして欲しいと要求されていた。しかし、鉄板を厚くしたら重量が増え、攻撃能力が落ちる。結局どうなったのかというと、「要するに、撃たれなければいいのだ」ということで、撃たれることを想定しなかった。
 同様な例は、空母でも見られた。飛行機が発着できる甲板の下は、戦闘機などの格納庫になっている。日本海軍の格納庫は閉鎖式格納庫で、アメリカの空母の格納庫は途中から開放式格納庫に変更された。その理由は、攻撃を受けた際のダメージが少ないからである。攻撃されて火災などが起きた場合、開放式では近くの扉を開けて燃えている飛行機を海に捨ててしまうだけですむ。閉鎖式では、エレベーターを使って、消火できない燃えている飛行機を格納庫から出さなくてはいけない。エレベーターの位置も日本は甲板のど真ん中に設置した。
 日本は攻撃重視で、アメリカは防御重視であった。アメリカは、原爆並みの開発費を投じて、VT信管をを開発している。爆撃機や攻撃機がやってきた時に、迎え撃つ空母側はまず高射砲を撃つ。この時に、時限式(3秒後とか)爆発する弾を使っていた。しかし、飛行機とすれ違う場合が多く、命中率は低かった。ところが、このVT信管を使った高射砲では、高周波を使って爆撃機との反射で反応し、15〜25m範囲内にはいると自動的に爆発した。爆弾一発一発に最新の電子機器を備え、何百発と撃った。アメリカは自国の艦やアメリカ軍兵士の命を守るためであった。日本軍はそこまでして、兵士の命を守ろうとは考えていなかった。
 米軍に奪われたガダルカナル島の飛行場の奪還についても書いている。ラバウルからガダルカナルまでの距離は約1000kmもあった。陸上攻撃機の一式陸攻とその護衛のゼロ戦は、往復2000kmがギリギリであった。ガダルカナルで敵戦闘機との空中戦は、10分以上続けると帰りの燃料がなくなる。生き残ったパイロットが、「おそらく撃墜された搭乗員より、燃料切れて墜落した搭乗員や疲労困憊で墜落した搭乗員の方が圧倒的多いでしょう」と述べている。熟練パイロットは、週5回とか6回出撃し、使い捨てにされた。日本軍の場合は、遠方に出撃する搭乗員は落下傘すら持たずに出撃していた。
 アメリカ軍がパイロットの命を大切したのは、単なるヒューマニズムだけではなく、パイロットの育成にかかったコストなどを総合的に考えた合理主義だという。人命救助は徹底していて、B29の出撃では、不時着したらすぐに救助できるように、何十隻という潜水艦が配備されていた。撃墜されたパイロットからその時の状況を聞き出し、その教訓を防御に反映させていた。日本では、海軍も陸軍も、武力の不足は精神力で補えるという精神論が幅をきかせるようになっていた。
 ゼロ戦を作っていた名古屋の工場には飛行場がなかった。一旦バラバラにして、一昼夜かけて、岐阜県にある飛行場まで、牛三頭で運んだという話は、この日記でも書いた。本の題名は忘れてしまったが、田原総一郎と著者の対談で知った。他にも、日本軍のだめな所は書いている。インパール作戦やガダルカナルの戦いにおける補給の不備である。米国による禁輸措置で、インドネシアの石油施設を手に入れるようになった。しかし、日本には石油はほとんど入ってこなかった。インドネシアから日本に石油を運ぶ油槽船はアメリカの潜水艦に大量に撃沈されたからである。民間の船も徴用されたが、次々に沈められた。どうしてかというと、護衛の軍艦がついていなかったからである。
 この本の帯には、著者の「永遠の0」は累計450万部突破と書いてある。私は映画しか見ていない。りっぱな反戦映画だと思った。一部の左翼系の人々から「戦争賛美」の小説と言われたという。先に紹介した内容も、日本軍の賞賛ではなく、日本軍の非難である。しかし、日本軍が中国や韓国、フィリピンなどの国にしたについては、何も非難していない。第3章の護憲派に告ぐについては、私はもともと改憲派なので、独立した国家としては軍隊は必要だと思っている。しかし、安倍首相のもとでの改憲は危険である。安倍首相はこれからどうなるかわからないアベノミクスの成功では名を残さず、世界各国に慰安婦像を建てさせた首相として、歴史に名を残すであろう。憲法改正には、日本国憲法より上にあると言われている日米地位協定の見直しも必要である。
 さて、この本の中でも、アメリカの日本本土の無差別空襲や原爆投下を非難している。それだけではなく、「南京大虐殺」はまったくの事実ではありません。気になる方は、「大方言」の中で語っているので、そちらを読んでくださいと書いてあった。仕方ないので、金曜日(15日)の夜に大型書店までこの本を探しに行った。ところが、2015年8月出版のこの本は置いていなかった。アマゾンで注文して、きのう届いたので、「南京大虐殺」の部分だけ引用する。実は、2017年12月に出版され、買ったまま読んでいなかった本の「南京大虐殺」に関する部分を日曜日に読んでいた。山田朗「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」(新日本出版社)である。
 まず、百田尚樹「大方言」(新潮新書)である。せっかく買ったのに、最後の方に、ちょこちょこと書いているだけである。内容を要約すると、南京大虐殺は蒋介石が子飼いのアメリカ人ジャーナリストたちを使って盛んに宣伝した。占領される南京市民は公式記録として20万人だった。日本軍が占領してから1ヶ月後に、南京市民は25万人に増えている。物的証拠がなく、伝聞証拠だけである。日中戦争は14年間も行われていたのに、南京以外での大虐殺の話はないと主張している。
 南京大虐殺の証拠は、これまでいくつもこの日記で書いてきた。私より3歳年下である百田の本では、「永遠の0」を書き始めたのは、50歳前と書いている。ネットの記事では、稲田元防衛大臣が日本の歴史に目覚めたのは、30歳だという。私もそうであったが、年齢がいってから日本の近代史に目覚めると、どうしても自虐史観を非難する言説に傾きやすい。しかし、いろいろな立場の本を読んでいると、そうではないことがわかってくる。百田はゼロ戦に関しては勉強したかもしれない。しかし、日本軍がアジアでしてきた事については、あまりにも知識が雑すぎる。
 さて、「日本の戦争 歴史認識と戦争責任」である 著者の山田朗は、明治大学文学部教授である。犠牲者の数には諸説あり、十数万人から20万人と推定している歴史学者が多いという。南京市というのは、非常に広い領域で、その中に城壁で囲まれた南京城区といわれる部分がある。その中に、国際安全区と呼ばれる難民避難地区が設定されていた。事件後人口が増えたと記録されているのは、この国際安全区の人口である。南京市内外から多くの人が、日本軍の暴虐と戦闘への巻き込みを恐れて避難してきた。だから、人口が増えただけである。
 他にも、大勢の中国人を虐殺したことについては、当時の兵士の日記にも詳しく書かれている。ここでは、第16師団と第13師団の2つの記録が詳しく紹介されている。当時の南京攻略戦には7個師団の部隊が参加していた。すべての捕虜を殺したわけではなく、中には部隊長の判断で、荷物持ち(クーリー)として使っていた部隊もあったという。南京事件では、日本軍の掠奪や性暴力も横行した。あまりにも無秩序の状態のため、憲兵も取り締まれなかった。憲兵が捕まえても、俺たちだけじゃないと言われる。日本軍の威信を低下させるということで、南京陥落後に中国の戦地には非常に多くの慰安所が置かれることになった。陸軍による最初の慰安所の設置は1932年である。南京事件(1937年)以降、慰安所は爆発的に拡大したのである。慰安婦をどこから補給したかというと、主として朝鮮からであった。南京事件は、慰安婦問題の原点であると著者は書いている。

 

今週のトピックス 38 (170801)

 МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」
МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」

 きょう紹介するのは、МBSテレビで月曜日の0時50分から放送していた番組である。月曜日というより、日曜日の夜中遅くからという感覚である。私は録画して、きのう見た。私は、この日記の中で、2006年10月に発刊された辻井 喬、喜多 明人 、藤田 英典「なぜ変える?教育基本法」(岩波書店)を取りあげた。今回、この本を探したが、最近処分したようである。どんどんと本が溜まっていくので、この日記で取りあげた本は、処分していく。日本会議のことを警戒している文章もはいっていた。あれから11年経って、教育現場では何が起こっているかである。ほとんどの国民は目の前のことで忙殺され、教育基本法のことなんて興味もない。しかし、無関心の中で国会で決議されたことが、10年後、20年後にとんでもないことになっている。
 来年度から、小学校に道徳の科が72年ぶりに復活する。戦争と結びついた「忠君愛国」の戦前教育の反省から、戦後は道徳心をつちかう教育には、政治を介入させないという理念があった。学習指導要領に従って、教科書検定が行われている。ある教科書で、おじいさんと男の子が散歩に出て、パン屋に寄る話が出てくる。自分の町に愛着を持つ話である。ところが、教科書検定で、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして、不適切とされ、パン屋から和菓子屋に変更となった。全日本パン共同組合連合会では、これまで学校のパン給食に協力してきたのに、パン屋は愛国心がないということになるのかと抗議を表明していた。
 教科書は完成に4年かかる。製作費用に数千万円かかると言われている。その間、検定調査審議会で、著者と編集者と調査菅の間ですりあわせが行われる。文科省の職員は、こう変えなさいとは決して言わない。この部分が学習指導要領に合わないなど意見を出し、編集者の自主的な変更を待ち、検定していく。それこそ忖度が行われている。日本書籍という老舗の教科書の出版社がある。2001年の教科書で、専門家の間でも認められていた「朝鮮の人々が慰安婦として戦場に送られた」と記載した。すると、それまで採用されていた東京都内23区の20区で採用がなくなった。そして、倒産に追い込まれる。石原慎太郎都知事の時代である。この部分を書いた一橋大学教授は、教科書会社を倒産に追い込み、もう教科書には関わらないと述べていた。結果的に、安倍首相の属する日本会議の主張に逆らわない流れが出てきてしまった。
 1997年に「新しい教科書を作る会」ができた。その後、この会は2つに分かれ、別々の教科書を出している。神々の系図を書き、南京事件のことにはふれていなかったりする。私の両親は、戦前は歴代の天皇の名前を強制的に丸暗記させられたという。この番組では育鵬社の中学社会が取りあげられていた。現在、この教科書は全国で6%採用されている。番組では、広島の原爆投下などの被害のことばかりではなく、加害のことも書かなければならないと述べていた。
 この番組では、沖縄の集団自決のことも取りあげていた。戦後、何度も教科書が書き換えられてきた。ある教科書では、「日本軍は県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ、800人以上の被害者を出した(渡嘉敷村では330人)」と記載されていた。教科書検定で「誤解を招く」とされた。2006年の高校日本史の検定では、軍の命令や関与が削除された。2007年には、教科書検定撤回を求める県民大会が開かれた。この時に、当時の伊吹文明文科大臣が、「教育に介入してはいけない。」と釈明した。「教科書の内容を政治家が変えたら日本はこわい国になる」と原則的な立場を強調した。私もまったくその通りだと思う。しかし、今は安倍政権によって、すでにこわい国になっている。その後、日本軍の関与の部分が一部復活した。今年3月刊行の沖縄県民史では、「日本政府の政治的意図、解釈によって教科書記述のあり方が左右された。」と記述されている。前回書いたように、日本軍を美化する日本会議に属する管官房長官が、沖縄県民の苦しみを理解できるわけがない。
 最後に、「学び舎」の教科書が取りあげられていた。「ともに学ぶ人間の歴史」である。十数年ぶりに、中学校の歴史から消えた従軍慰安婦の問題が取りあげられた。内容は、政府見解に沿った「強制連行を直接示すような資料は発見されていない」である。歴史を自ら考え議論する内容になっている。有名私立中学などで採用されている。ところが、この教科書を採用した中学校に、抗議のハガキが山ほど送られている。だから、どこの中学校もTV局の取材には応じてはくれなかった。この教科書は反日極左の教科書であるという。ハガキの内容は、反日教育をやめろ、将来性のある若者に反日教育をする目的は何なんでしょうと書いてある。ハガキの送り主の大部分は、同じ中学のOBと称する匿名である。中には、日本会議の大阪支部の幹部であった籠池理事長の名前がある。送られた中学校では、政治的圧力を感じざるをえないと述べている。
 さて、現在は安倍首相(日本会議)の考え方に反対する人はみんな反日にされてしまう。私は以前から、日本会議はいつまでも負け惜しみを言い続けている女の腐ったような人たちだと言い続けている。日本人だけがタブーとしている昭和天皇の戦争責任はどう説明するかである。東京裁判や日中共同声明で戦勝国である米国や中国は天皇の戦争責任は不問にして、A級戦犯などが悪かったとした。私は何でも中国の言うとおりにしろと言っているわけではない。国際的に勝てない部分は、主張するなと言っているだけである。前から書いているように、私は改憲派である。安倍首相のような明治憲法の復活なんか求めていない。アメリカの言いなりにならないために、独立国として、どこの国でも持っている制限のない軍隊は必要だと思っている。(戦争に参加するかどうかは、別の問題である。)
 ここでも何回も書いているように、私は左翼の人とけんかしたこともある。京都第一赤十字病院の部長をしていた時に、泣く子も黙る京大の評議会で発言させてくれと要求したこともある。当時、京大系の府立洛南病院に、府立医大から副院長を送ろうとした時がある。その時に、この先生の自宅に、「もし赴任したらどうなるかわからない」という脅しの電話が山ほどかかってきたという。本人だけではなく、奥さんも脅しを受けている。私は別の件で抗議をしたかった。しかし、何をされるかわからないぞと医局の人から警告を受けていた。
 当時の評議会では、三大拠点病院の1つに長期入院していた精神障害の患者さんの名前を使って、偽造バスポートを作り、日本赤軍の元最高幹部であった重房信子を不法入国させていた。私は、風俗に行ったり、裏のアダルトビデオは見たことはあったかもしれない。しかし、浮気をしたことはない。(今でもそうである) 日赤の忘年会などでも、当時は製薬会社が費用を持つのが当たり前であった。しかし、そういうことは嫌いなので、すべて断って自腹で払っていた。当時は、この左翼の人たちは私を調べるために、尾行もしているのではないかと警戒していた。それこそ、私のスキャンダルを暴くため、自宅の不法侵入もしかねないと思っていた。
 さて、今回の日本会議である。教科書を採択しただけで、中学校に組織的に抗議のハガキが山ほど送られてくるほどである。こんな日記を書いている私も、影で何をされているのかわからない。これから、中国が力をつけてくる。それほど遠くない将来、単なる数字だけではなく、実質的にも日本を追い抜いていくことは確実である。上手なけんかをしないとどうなるか書いておく。アパホテルは中国だけではなく、東南アジアでの大々的な展開は難しくなるだろう。東横インのようにはいかない。反中や反韓を全面的に押し出している安倍政権や日本会議を支えている企業も、市場として爆発的に伸びていく中国での販路の拡大は難しくなる。これぐらい書かないと、日本会議が日本の教育からすべてのことに支配する恐ろしさを理解してもらえないだろう。自分たちに逆らう人たちはすべて反日や極左とする単細胞的な発想に、国民は早く気づくべきである。

 

平成30年6月12日(火)

 きょうは午後から往診があった。ところが、いつも停めている駐車場が満杯であった。近くの駐車場を5ヶ所ほど廻ったがだめであった。こんなことは滅多にない。仕方ないので、遠く離れた駐車場に車を置いた。駐車料金は400円であった。往診の後は、この日記を書かなければならないので、少しいらいらした。ついでに、ホームセンターに寄って、医院の修理用壁紙や切れた電球などを買ってきた。
 先々週の土曜日は、診察室用のエアコンを交換した。私が開業したのは、平成13年5月である。今は18年目に入っている。実は、前から書いているように、この診察室用のエアコンは1度も交換していなかった。丸17年間使い続けたことになる。去年当たりから、冷房が効きにくく、買い換えようと思うと、また正常に動き出し、買うタイミングを失っていた。今年も調子が悪かったので、暑くなる前に買い換えた。ついでに、診察室の机の下のカーペットも交換した。
 後は、車である。確か平成13年9月頃に買ったので、もうすぐ18年目にはいる。ハイオク使用で、京都市内はリッター6kmぐらいしか走らない。前から買い換えてもいいと思っていた。しかし、本当に気に入った車がない。特に最近のトヨタ車のフロントのデザインは、もう1つである。私がこんなに長く乗り続けているのは、今の車に愛着があるからである。一見、17年目に見えない。当時、500万円近くした。クラウンより内装がいいと言われていた。最近の車を見ると、ハンドルや内装にウォールナット(木材)はあまり使われていない。適度な大きさで、乗り心地もいい。最近は街中であまり見かけないので、これはこれで希少価値があると思っている。
 この前の土日は、いろいろとやることがあった。まず、労働保険の申告書である。少しややこしい書類が届くと、本当にうんざりする。まだ、締め切りまで余裕があった。しかし、やるときにやっておかないと、どんどんと書類は溜まっていく。いざ、手を付けると、それほど時間はかからない。それでも、なかなかやる気が起こらず、必要以上にプレッシャーがかかっていた。
 日曜日は、これも同じようにプレッシャーがかかり、なかなか手をつけられなかったことである。何かと言うと、日本精神神経学会がネットでやっているeラーニングである。精神科薬物療法研修終了証の有効期限がこの6月で切れる。新しく2年間更新するために、2016年度、2017年度の研修をネットで受け、それぞれ5問に正解しなければならない。パソコンを使って、自分の学会用IDでログインする。1研修は30分ほどである。研修前に、それぞれの年の6月に処方した抗不安薬や睡眠薬、抗うつ薬、抗精神病薬の患者数などを申告しなければならない。私のレセコンは簡単にこの統計が出ないので、この数を調べるだけでも大変であった。2年後もこの数字は必要なので、この6月分は今から調べておかないといけない。
 きょうはあまり書くことがない。実は、二松啓紀「移民たちの『満州』」(平凡新書)を読み終えるつもりであった。著者は、京都新聞文化部記者である。ところが、本の4分の1も行かない所で、挫折してしまった。満州移民の分村移民、三つのモデルとか、模範村「大日向村」の誕生などは、読んでいても専門的になりすぎて、あまり面白くなかった。その後の章は興味深そうな内容である。満州に関する本は、買ってそのままにしているもう1冊(今手元にないので、正確な書名がわからない)がある。満州でのケシ栽培やアヘン取引のことも書かれている。先にこの本を読んで、興味深い所はまた拾い読みしようと思う。
 私は北朝鮮と中国が川を隔てて接する丹東に、中国語もまったくわからず、夏休みに1人で行ったことはこの日記でも書いた。英語もまったく通じない。瀋陽でも丹東でも、中国系ホテルで宿泊は拒否された。どうしてかというと、柳条湖事件があった9月18日(1931年)が近づいていたからである。中国政府は、日本人が宿泊して、中国人とトラブルが生じるのを嫌ったのである。私としては、青島など他の都市ではどこでも泊めてくれたビジネスホテルに宿泊を拒否され、理由がわからず途方にくれた。瀋陽にある九・一八記念館も訪れた。この時には、あまり歴史的知識もなかった。柳条湖事件と言っても、ほとんどの日本人は正確な知識はないだろう。関東軍参謀の石原莞爾などが、満州を支配する大義名分を作るために、自作自演で満州鉄道を爆破した。実際には、線路はほぼ無傷で残り、何事もなく急行列車は通過したのである。
 4分の1しか読んでいなくても、この本は勉強になった。当時、南米ブラジルが日本人移民の大きな受け入れ先となっていた。当初、寒冷地の満州は日本人の移民先とは不向きとされた。大蔵大臣であった高橋是清は満州移民には大反対であった。ところが、二・二六事件で暗殺されると、風向きが大きく変わった。しかし、満州にも先住の中国人や朝鮮人が開墾した既耕地が多くを占めていた。満州の匪賊は、盗賊とは異なった。いわば、私設の用心棒だった。しかし、満州事変以降、土地を奪われた中国人農民が匪賊化したほか、日本人に反抗しただけで中国人農民を匪賊と断定した。ここでは、もともと満州に住んでいた人々による「東北民衆自衛軍」のことも書いている。関東軍は報復攻撃を続け、5千人以上を殺害した。「我々が闘った匪賊は、我々と同じ素朴な農民だった」とこの事変を経験した者が戦後語っている。
 戦時中、日本軍は中国では何も悪いことをしていないと主張する人は、これまで紹介してきた本の1冊でも読んだらいい。実際に起こった事実を知ることが大事である。日本会議や日本会議を支援する人たちは、自分たちの都合のいいことしか主張しないので、鵜呑みにしてはいけない。わかっていて、ネトウヨなどを通じて嘘を主張するのは卑怯者である。これまで紹介してきた歴史の事実を本当に知らなければ、単なるオツムの弱い集団にすぎない。米朝会談がどうなったのか、TVで見てみたいので、きょうはこの辺で終わりにする。

 

平成30年6月5日(火)

 きょうも最初に「トピックス51」を先に書いていた。けっこう時間がかかり、今は午後10時過ぎである。いろいろと書きたかったことがある。しかし、まだやりたいことがあるので、はしょって書く。まず、現在話題になっている紀州のドン・ファンと言われた野崎幸助の不審死である。3ヶ月前に22歳のモデルと結婚している。報道によると、資産は50億あるという。妻には3/4の遺産相続権がある。実は「今週のトピックス33」で、この人の本を紹介している。6千万円相当を当時の交際クラブの女性に奪われたのに、結婚したかったと書いていた。この時に、無防備な印象を受けた。この日記の最後に、野崎幸助「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫)を再掲する。
 今週の「週刊ダイアモンド」で「最凶官庁 財務省の末路」が特集されていた。私の時代とは違って、東大のトップクラスが財務省に行く時代は終わったようである。本当に優秀な人は、外資系などの会社に行く。薄給で滅私奉公の仕事は若い人たちには人気がないようである。財務省について弁護すると、政治家は政権を維持したり、国民の受けをよくするために、無理な予算を請求しがちである。国が赤字になろうと、そのうちに返したらいいと、大盤振る舞いをしようとする。財務省の役割は、国民の憎まれ役になっても、健全財政を守ることである。消費税を上げるために、あの手この手を使って政治家に取り入る。しかし、政治家は、国民にとって不人気なことはなかなか手をつけようとはしない。
 6月12日に米朝会談が開催されるという。トランプ大統領が北朝鮮が核を放棄をしたら、金正恩体制の維持を保証すると述べている。少し深く考えると、そんなことができるのかと思う。私がすぐ思い出したのは、ルーマニア革命で銃殺された共産党独裁者チャウシェスクである。北朝鮮に経済的援助をしたら、少しずつ海外との交流が盛んになる。大衆も目覚めて、独裁政権に不満を持つようになる。それこそ、人々が声を上げて、民主化運動が激しくなる。当時のソ連のゴルバチョフは、ルーマニへの軍事介入を拒否した。体制維持の保証とは、まさか大衆の民主化運動を抑圧するということではないだろう。
 私がこのことを考え出したのは、今週のトピックスで紹介する本と関係してくる。北朝鮮と米国が互いに交戦して血を流した後で、米国が体制の維持を保証したわけではない。あくまでも、目的は核放棄である。戦前の日本に対する連合国側の戦後処理については、最終的にポツダム会談で話し合われ、ポツダム宣言で無条件降伏を日本側に求めた。戦力が拮抗していたわけでもない。常識的に考えて、連合国側が国体の維持を保証する必要は何もない。  

今週のトピックス 51 (180605)

竹田恒泰「アメリカの戦争責任」(PHP新書)
竹田恒泰「アメリカの戦争責任」(PHP新書)

 この本は、2015年9月に発刊されている。この表紙の下に、アマゾンに載っている通常の茶色のカバーが付いている。仕方ないので、この写真は私がデジカメで撮った。いつ頃買ったのか、よく覚えていない。買ったまま読んでいない本や、読みかけの本が山ほどある。ストレスが溜まると、ついつい本を衝動買いしてしまう。竹田恒泰は明治天皇の玄孫に当たる。慶應義塾大学法学部を卒業し、専門は憲法法学・史学で、タレント活動もしている。旧皇族という自称は詐称であるとウィキペディアには載っていた。私にはそれほど頭のよくない、チャラ男にしか見えない。今週のトピックス34で取り上げた藤誠志「〔増補版〕理論近現代史学」(扶桑社)の本の帯で写真付きで推薦文を書いていた。藤誠志とはアパグループ代表元谷外志雄のペンネームである。増補版以前の本を英訳して、アパホテルに備え付けた。南京事件はなかったと主張し、物議を醸している。
 この本では、一般人を対象とした原爆投下や東京大空襲について、国際法違反で戦争犯罪であるとアメリカの戦争責任を問うている。「永遠の0」や「海賊とよばれた男」などの作者である百田尚樹が日本会議などで主張していることと同じである。最後の方で、ドイツ軍がロンドンを空爆すると、その報復として英米軍がハンブルグ、ドレスデンなどへの空爆で市街地への無差別爆撃を実行するようになり、東京大空襲をはじめとする日本中の都市空爆に発展することになったと書いている。「おわりに」では、日本とて戦時国際法に違反することもあったので、日米の戦争犯罪を等しく論じるべきであったがと、言い訳みたいなこともを書いている。アメリカ人が戦争に勝ったことをもって正義だと思っていたら大間違いであるし、日本人も戦争に負けたからといって卑屈になってはいけない。日本には日本なりの正義があるとも書いている。誰も卑屈になってはいない。反省すべきことも反省しろと言っているだけである。
 私はこの本を読んでいて、著者の甘さ加減にあきれた。戦争とは人と人との殺し合いである。ここでも何回も書いているように、古代から歴史とは勝者の歴史である。敗戦後、日本が分割されなかっただけも、幸運だと思っている。日本はサイパン、テニアン、硫黄島を失ったにもかかわらず、いつまでも降伏をせず、本土決戦も考えていたのである。「鬼畜米英」、「勝つまでは欲しがりません」などと国民を散々煽っておいて、戦況が悪くなったので降伏しますと一体誰が言い出すことができるのであろうか。
 沖縄線では、3ヶ月にも及び米兵が1万2千5百人戦死している。散々アジアや太平洋地域で暴れるだけ暴れまくって、敗戦の色が濃くなって、自分たちの都合のいいように敗戦処理をしようなんて誰が考えても無理である。ポツダム宣言の無条件降伏を受け入れられなかったのは、天皇の地位の保証が盛り込まれていなかったからだという。この本にも書いているように、アメリカの世論調査では、約9対1の割合で「条件付き降伏」より「無条件降伏」が支持されていた。サイパンでも、沖縄戦でも、みんな「天皇万歳」と言って、米軍が引き留めるのもかまわず、投身自殺したり、集団自決をしている。米軍にとっては、「天皇は神格化された独裁者」としか考えられなかったのは無理もない。
 前回今週のトピックス 50で鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(basilico)を紹介した。この本の中でも、終戦直前に実施された米国の世論調査では、天皇に対して処刑や終身刑を含む厳しい処罰を望む意見が6割に上っていたと書いている。イギリス、オーストラリア、オランダ、中国(中華民国)の政府は、天皇の処罰と天皇制の廃止を強く主張していた。竹田は、日本における戦後最大のタブーが、アメリカの原爆投下だという。私から言わせたら、日本における戦後最大のタブーは、天皇の戦争責任である。
 私は鈴木の本を読んで、天皇が独裁的に戦争を進めていたのではないことはよく理解できた。前回も書いたように、三国同盟に強く反対し、欧州で英仏がドイツに苦しめられている間に、彼らの植民地を奪おうという軍部の方針に対して、「火事場泥棒式のことは好まない」と批判されている。しかし、多数の犠牲者を出していた連合国側が最高責任者である天皇に厳しい処罰を求めていたこともよく理解できる。その分、昭和天皇は先の戦争については、日本人の誰よりご自身に厳しく総括をしたのではないかと思う。
 前回書けなかった鈴木の著書の興味深い部分についても書いておく。まず、「君側の奸」である。天皇の悪い側近という意味で、天皇を直接非難するわけにいかないので、すべて側近が悪いという理屈である。軍部や軍部に融和的な政治家たちは、自分たちの意に反し天皇の考え同調する側近を目の敵にするようになった。保守という名の反天皇主義では、「権力保守」「妄想保守」に分けて説明している。戦前の軍事政権や現在の安倍政権が最たるものだという。かれらは、天皇の権威を利用して自らの権力基盤を構築したいだけで、天皇の意思なんかどうでもいいと考えている。天皇を直接批判することはなく、今上天皇の「憲法を遵守する」では、安倍ブレインを使って発言させたり、宮内庁を批判したりする。もうひとつの「妄想保守」は、自分で勝手にあるべき天皇像を脳内に作り上げ、それと異なる天皇論、あるいは天皇や皇太子も認めないという保守である。実際に皇太子夫妻を非難している。代表例が、保守派の論客とされた西尾幹二である。
 さて、この本の要旨を書く。私は知らなかったが、原爆を積んだエノラ・ゲイは、テニアンから飛び立っている。サイパンが陥落した時に、その責任をとって、東条内閣が総辞職している。どうしてかというと、アメリカがマリアナ諸島を手に入れてから、日本列島全土に対して大規模で継続的な空爆が可能になったからである。竹田の主張は、ポツダム宣言に天皇の地位が保証されていたら、原爆投下をする必要もなかったのに、わざと日本が受諾できない無条件降伏を要求し、必要もない原爆投下をしたという。
 そして、原爆投下は日本を終戦に導いていないと言う。ソ連の参戦が日本を降伏に導いたことは間違いない。しかし、原爆投下が降伏を早めていないというのはこの本を読んでもよく理解できなかった。原爆投下の被害の大きさはすぐにはわからない。私は神戸にいた時の阪神大震災を知っている。この時でさえ、すぐに被害の大きさがわかったわけでなく、段々と深刻な状況が明らかになってきた。私から言わせたら、原爆が投下される前に、降伏したらよかっただけである。しかし、この本にも書いてあるように、8月15日の早朝に、戦争継続を訴える陸軍の青年将校たちが反乱を起こして、一時皇居を占拠している。鈴木の本にも出てくるが、8月13日の最高戦争指導者会議でも、戦争継続派と戦争終結派で議論が紛争していたのである。戦争継続派は、本土決戦、一億総玉砕を考えていたのである。

 

今週のトピックス 33  (170418)

 野崎幸助「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫)
野崎幸助「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫)

 さて、きょう読み終えた本である。副題には、美女4000人に30億円を貢いだ男と出ている。この本の中で、4千人という数字は、本文の中で1ヶ所だけ出てきた。30億円という数字は、前書きの「はじめに」で書いてあった。まず、去年の2月に50歳年下の愛人に6000万円相当の金品が盗まれ、テレビのワイドショーや週刊誌で取り上げられた。私はこの事件についてはまったく知らなかった。
 著者は75歳で、愛人はノルウェー人とのハーフで、27歳の自称モデルであった。著者の自宅は和歌山県田辺市にあり、仕事の関係で東京を行き来していた。都内の交際クラブで知り合い、6度ほど和歌山に来てもらっていた。1回会うたびに、30〜40万円を渡していたという。この本の中で何回も書いているように、著者はいい女を抱くためだけに、大金持ちになっている。現在でも、1日3回のエッチも普通のことである。2回結婚して2回離婚している著者は、この愛人との結婚も考えていたという。ちなみに、2回の離婚では、子どももいなかったので、それぞれ5千万円を渡して別れたと最後の方に書いてあった。1億円なんて紙屑という著者が、今いくらぐらい持っているのかは想像するしかない。他人事ながら、あの世にお金は持っていけないので、どうするのだろうと思う。みんな考えることは同じである。1億円ぐらいこちらに回してもらえないものかと思う。
 この本には著者の生い立ちが書いてある。1941年4月生まれなので、もう76歳である。いくら元気でも、せいぜい後10年だろう。中卒後、名古屋での酒造メーカーの仕事が肌に合わず、1年ちょっとで故郷の田辺に戻っている。家業を手伝いながら鉄屑拾いの仕事を始めた。鉄屑については、爆弾の破片を畑で探し回っていた。ある日、肥溜めの中のコンドームを見て、コンドームを持って訪問販売すれば、女性でも購入してくれるのではないかと思いついた。当時は、コンドームを手に入れるのが難しい時代であった。最初は漁村に目を付けたが、まったく売れなかった。農家を訪れるようになってから、次第に売れるようになった。仕入れが280円で、売値が1200円である。大卒の初任給が1万5千円の時に、多い時で月に20万円ほど利益が出た。70年代には、アメリカからヒッピー文化とフリーセックスがはいり、商売にとって追い風になった。実際に農家のおかみさんを相手に、実演販売(セックス)する機会も増えたという。
 当時、和歌山や三重県そして奈良で金持ちと言われていたのが、山持ちであった。ところが、輸入自由化で外国産の安い材木がはいり、軽鉄骨で住宅が建築されるようになると、木材の需要が極端に減ってしまった。コンドームの販売もいつまでも安泰というわけではなかった。先輩のアドバイスを受け、信用できる仲間の金貸しに融資して利益を受け取る金主になるようになった。著者は、そのうち大阪の新地で高級クラブにはまるようになる。惚れた女に騙されたことも書いてある。70年半ばには、コンドームの販売も年々右肩下がりとなってきた。地元田辺市で貸金業をすることになった。しかし、大手の金融会社も出てきて、ジリ貧になってきた。
 そして90年代になって、東京の有楽町に小さな事務所を構えた。金貸しの対象は、霞が関の官庁の職員か丸の内界隈に本社のある一流企業の社員である。女子大生や著者自ら、朝夕の通勤時間帯は丸の内、霞が関周辺でティッシュを配り、それ以外の時間帯には有楽町や新橋でも配っていた。商売はうまくいき、月の儲けが1千万円以上という時もあった。銀座の高級クラブにも連夜のように足を運んでいた。ここでは、関西の料理でも、うなぎと天ぷらは東京にはかなわないと書いてあった。
 著者は75歳の今でも、日々ナンパに励んでいるという。50歳頃の時には、特注名刺に1万円札をはさみ、CA(キャビン・アテンダント)に渡していたという。電話がかかってきたら、食事に誘う。そのお礼に、バッグでもと言って、30万円ほど渡す。著者は、こんな手練手管を駆使して、相当数のCAと仲良くなった(エッチした)という。(1回ぐらいなら、減るものでもないかもしれない) 高級クラブに3回通って合意したと考えれば、30〜40万円は適正価格だという。私も、水商売で擦れた女性よりも、こちらの方が魅力的だと思う。
 この本では面白いエピソードもたくさん書かれている。銀行の支店長に300万円貸して、2日後に逃げられている。当の銀行は知らぬ存ぜぬであった。しかし、刑事告訴され、金融監督庁の査察などがはいることを恐れ、最後は貸付金を無事に払ってくれたという。他にも、開業医が担保なしに3千万円を借りに来たという。医学部に2浪して合格した次男の入学金が必要だという。担保になるものは銀行が抑えていた。著者は、担保なしで3千万円を貸すことを決断する。今では、すべて返済してくれている。「社長のお陰です。息子も医者になって頑張っています」と、現在でもこの開業医と交流が続いているという。
 他にも、94年に銀座付近でティッシュ配りをしていたときに、タクシーの下敷きになり、全治3ヶ月の重傷を負っている。マルサにも入られ、2億円弱の脱税を認定された。6千万円ほどの罰金を納め、執行猶予処分となっている。97年には、自宅近くで強盗に襲われた。左足付け根をナイフで刺され、850万円がはいったバッグが奪われている。犯人は山口系暴力団員で、雇っていた女性従業員のヒモであった。脳梗塞にもなっている。
 著者は、現在は金融業はやめ、酒類販売業や梅干しの販売、不動産で生計を立てている。お金はエッチのために率先して使うため、ふだんの生活は質素である。毎朝3時に起き、欧米の株価をチェックしたり、書類をチェックしている。誰もいない早朝の会社で、トイレや事務所の掃除をしている。ふだんは、吉野屋の朝定食を食べている。本の帯には、わが人生に悔いなしと書いてある。私は著者より10歳以上若い。最近は性欲が衰えてきて、女性の方はもうひとつである。残りの人生を悔いなきものにするためにはどうしたらいいのか、いろいろ考えさせてくれる。研究一筋で、それほどお金には恵まれず、それなりの業績を残すのも1つの人生かもしれない。それにしても、財産を相続する人がいないようである。本を読み終えた後でも、著者の貯えた資産はどこに行くのか気になって仕方ない。

 

平成30年5月29日(火)

 65歳になると、人生が段々と消化試合をやっているような気分になる。若い頃のような新たなチャレンジや生きがいを見つけるのは難しい。特に定年退職した男性は、自分から常に社会に働きかけていないと、どんどんとその存在さえ忘れ去られていく。年をとると、あまり出かける所もなくなってくる。引きこもりの生活にならないように、気をつけなければならない。6月からの外来を木曜休診にして、何にチャレンジするか考えている。小型船舶2級の免許を持っている。試験に合格してから、まだ1度も運転していない。琵琶湖で練習したら、各地にある港で船を借りることができる。それこそ、海外で小型船舶を運転できるかもしれない。
 もう一つ考えていることは語学である。かけ声ばかりの中国語にも再チャレンジしたい。最近は、ハングルでもいいと思う。日本では台湾好きの人が多い。しかし、どちらかというと、私は釜山や済州島が好みである。ソウルみたいな大都会は興味ない。LCCを使ったら、2泊3日の旅でも楽しめる。とにかく今までは、月曜から土曜日まで外来をして、日曜日は書類書きに追われていた。外来のない午後でも、往診に行ったりしている。
 きょうネットを見ていたら、日本年金機構が障害基礎年金の受給者約1000人の支給打ち切りを検討していると載っていた。現在は、障害年金センター(東京)が一元的に審査・決定している。これだけ見ると、冷たい仕打ちのように受け取れる。おそらくほとんど精神障害の人たちのことを言っているのだろう。少し前までは、各都道府県の年金機構の事務所が審査をして、障害年金に該当するか、該当するなら等級は何級かを判定していた。ところが、以前の新聞にも出ていたように、この認定が都道府県によって4倍(だったと思う)の差があった。(ネットでは、6倍という書き込みもあるが、正確な数値は私はまだ確認できていない) 判定基準の甘い都道府県では、厳しい所の数倍も数多く認定していたことになる。
 この日記でも書いているように、精神科ではいい加減な障害年金の診断書が多い。特に、うつ病関係である。うつ病が日常生活ができないほど長期的に持続することはほとんどない。統合失調症のような一生の病ではない。現在の厳しい雇用条件で、なかなか仕事が続かない患者さんは大勢いる。しかし、障害年金の対象は仕事ができないではなく、日常生活ができないである。
 1度安易に書いてしまうと、次の継続の診断書を書くときが困る。障害基礎年金では、年間支給額が1級で約97万円で、2級が約78万円である。子どもがいると、人数に応じた加算額がある。仕事はできなくても、症状が改善している人も多い。しかし、これだけの額が支給されると、更新の時に患者さんはいろいろ言い出す。どうしてこんなことが起こるのかというと、精神では、身体のように客観的な検査結果で判定されるわけではないからである。主に患者さんの自己申告だけで診断書が書かれる。
 入院治療もせず、患者さんの言うままにいきなり年金の診断書を書くのもルール違反である。「精神の障害に係わる等級判定ガイドライン」をきちんと読まずに書いている精神科医も多い。特に、福祉関係の患者さんの中には、症状はよくなっているのに、漫然と障害年金をもらっている患者さんも少なくない。生活保護費が減らせるからと言って、医者が虚偽の診断書を継続して書く必要はない。そのうち、実態とかけ離れた診断書を書いている精神科医は摘発されるだろう。このことについては、申請する患者さんにも言える。申請の時には、患者さん自身も現在の状態を詳しく書かなければならない。虚偽の申請をしたら、罪に問われるだけではなく、これまで支給された障害年金の返還命令もあり得ることも自覚しなければならない。

今週のトピックス 50 (180529)

鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(basilico)
鈴木邦男「天皇陛下の味方です」(basilico)

 この本は、ゴールデンウィークのサイパン・ロタの旅に持って行った。しかし、あまり読むことはできなかった。実は、関西空港の書店で、中国近現代研究会「マンガでわかる裏切りと粛正の中国近現代史」(じっぴコンパクト新書)を買ってしまったからである。2014年の発刊であった。マンガと言っても、本のすべてではない。例えば、「第2章 大躍進政策と文化大革命」では、最初にマンガが出てきて、その後のもっと知りたいで、要領よく文章でまとめている。
 毛沢東や文化大革命から習近平のことまで、その時その時で、詳しく書いた本などを読んでいる。しかし、中国の近現代史については、ややもするとぶつ切れ的な知識だけになりがちであった。マンガと言ってもバカにできず、全体の流れがよくわかり、知識の整理に役立った。この本の書評を読むと、毛沢東に対するソ連の軍事支援のことなど、誤ったことも書かれているようである。
 旅行中にこの本を読み終えた。この本の中で1番印象に残った人物は、劉少奇であった。中国共産党での序列は毛沢東に次ぐ第2位であった。毛沢東の大躍進政策の失敗で広がった飢餓を改善したが、文化大革命により失脚した。やがて病の床につくが、散髪、入浴も許されず、警備員や医師からも執拗な暴行や暴言を受けた。河南省に移送され、寝台にしばりつけられて身動きができぬまま、暖房もないコンクリートむき出しの倉庫部屋に幽閉された。治療も許されず、そのまま放置されて亡くなっている。
 前置きが長くなってしまった。この本は最後の章はまだ読んでいなかった。とりあえず、最後まであわてて読み終えた。もう夕方6時になってしまったので、書ける所まで書こうと思う。鈴木邦男は民族派運動グループ「一水会」を設立し、野村秋介とともに「新右翼」と称された。現在は一水会顧問も辞任している。まず出てくるのは、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の批判である。ネトウヨの批判も書いている。著者はイルカ漁を批判する「ザ・コーヴ」の映画を渋谷に見に行った。この時に、主権会の40人ぐらいのグループが拡声器で「虐日映画はやめろ!」と叫んでいた。「鈴木邦男は朝鮮半島に帰れ」と大合唱もされている。この時に、「ゴキブリ!」と怒鳴っていた男がハンドマイクで著者に殴りかかってきた。血が出ていたのに、警察は逮捕もしなかったという。
 この本では、安倍政権に対する批判もてんこ盛りである。私がこの日記で指摘しているようなこともたくさん書かれている。日本がアメリカにいくら尽くそうが、アメリカは徹頭徹尾、国益によって動いている。日本が核攻撃を受けたとしても、わずかなりともアメリカ領土の核攻撃のリスクを冒してまで日本のために核による報復などありえないという。
 愛国についても書いている。私は国歌斉唱や国旗掲揚のことはあまり深く考えていなかった。2012年の憲法改正の自民党案では、日章旗を国旗、君が代を国歌と制定し、国民はこれを尊重しなければならないとなっていた。鈴木は、国歌斉唱の時に起立しないだけで、憲法違反になると反対している。教育基本法では強制となっている。2004年秋の園遊会で、当時東京都教育委員会委員を務めていたプロ将棋の米朝名人が、「日本中の学校に、国旗を挙げて国家を斉唱させるのが私の仕事です」と今上天皇に話すと、「強制になるというようなことでない方がね、望ましい」と答えられている。この年の都立校の卒業式で、起立しなかった教職員が250人処分をされている。愛国は強制されるべきものではない。
 私は大学受験の時に世界史を選んだ。日本史を選ばなかったのは、古文が嫌いだったからである。だから、高3の時の日本史は、大学受験の準備とも重なり、明治以降のことはあまり勉強しなかった。この本を読んで、明治、大正、昭和のことがよく理解できた。最初に中国近現代史で書いたように、所々断片的な知識は山ほど持っている。軍部の暴走や天皇の役割なども、時系列で具体的に書いてあり、本当に勉強になった。明治天皇は、日清、日露戦争に反対であった。韓国併合は、実際に併合されるまで知らされていなかった。徹底した平和主義者であったという。
 裕仁親王(昭和天皇)の帝王学についても詳しく書かれている。学習院院長の乃木陸軍大将による「質素倹約」と「質実剛健」など、私が今読んでいても身が引き締まる思いがする。他にも、御学問所の優れた教育者によって帝王教育を受けている。1921年(大正10年)にイギリスを含めたヨーロッパを半年外遊している。イギリスで国王ジョージ5世から立憲君主制について学び、「終生私の考えの根本となった」と断言されている。
 1番興味深かったのは、「第4章 戦争と昭和天皇」であった。昭和天皇は、「君臨すれど統治せず」というイギリス型の君主の在り方を選択し、「二・二六事件」と終戦の聖断以外で、自分の考えを強制されたことはなかったという。この頃の国内でのテロとクーデターもすさまじい。「血盟団事件」「五・一五事件」のことも詳しく書いている。「五・一五事件」では、政党を排除し、天皇を戴いた軍事政権を打ち立てるという大義で、当時の犬飼首相が殺害されている。前日来日していたチャップリンも「日本に退廃文化を流した元凶」ということで暗殺対象となっていた。この日、犬飼首相と面会する予定であったが、たまたま相撲見物に出かけていて、難を逃れている。「二・二六事件」については、著者を含め戦後の民族派活動家が二・二六将校たちに引き寄せられたのは、彼らが尊皇、社会正義の追求、直接行動というシンプルなテーマを体現したからだという。三島由紀夫野村秋介のことも詳しく解説している。
 中国大陸では日本軍は数多の蛮行を働いている。特に、上海と南京はひどい有様であった。上海総領事の外務省の報告には、「掠奪、強姦、目にもあてられぬ惨状」、「ああ、これが皇軍か。日本国民民心の退廃であろう」とあり、南京領事からは入城後兵士たちの「掠奪、強姦、放火、虐殺」が数多くあったと報告されている。南京攻略時の司令官だった松井石根大将は、軍規厳守を申し渡していた。しかし、陸軍省は梅津陸軍次官名で、捕虜の虐待を禁じたハーグ陸戦条約の「厳密遵守の必要なし」、「捕虜という名称もなるべく使わないように」と現地軍に通達していた。
 戦後、戦犯として処刑された松井に巣鴨プリズンで面談した戦犯教誨師花山信勝によると、松井は南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に批判していたという。「私は日ロ戦争の時に大尉として従軍したが、その当時の師団長と今度の師団長などを比べると問題にならんほど質が悪い。(略)慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った。(皇軍は)皇威を輝かしていたのに兵士たちの暴行によって一挙にそれを落としてしまったと。ところが、この後で、皆が笑った。ある師団長などは『それくらい、当たり前ですよ』と言った。私だけでもこういう結果になる(処刑される)ということは、当時の軍人たちに1人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい」と述べていた。松井の死刑判決には、主席検事ジョセフ・キーナンでさえ「馬鹿げた判決だ。松井の罪は部下の罪だ。終身刑で充分ではないか」と批判している。
 昭和天皇が三国同盟に反対していたことや、御前会議は形式的なもので、天皇には会議の空気を支配する決定権もなかったという。この本に書かれている鈴木の意見にすべて賛成ではない。しかし、内容としては本当に面白かった。それにしても、日本会議などの人たちはここに書かれている程度の知識もないのかと思うと、あまりの無知さ加減に驚きである。

 

平成30年5月22日(火)

 先週は私の誕生日であった。この日記でも書いているように、生まれたのは亡くなった北の湖と3日違いである。正直言って、大相撲にはあまり関心はない。当時は、花のニッパチ組と呼ばれていた。昭和28年生まれである。いつの間にか、65歳になってしまった。私より年上の患者さんに言うと、みんなまだ若いという。10歳年下の55歳は、私でも若いと思う。実際に、私が55歳になった時には、もうすぐ60歳かと年齢を感じたものである。
 娘は大学を出て、働いている。1浪して医学部に行っている息子はまだ5回生である。自宅から通えないこともない。特急を使ったら、電車で20分ぐらいである。しかし、大学の近くで1人住まいをしている。運動部に入っているので、土日はほとんど練習試合である。ふだんの日でも授業の後は、練習である。大学を卒業するまでに、後2年かかる。私が67歳になる手前の3月である。
 何が言いたいのかと言うと、晩婚は大変である。まだ子どもが小さい再婚も同じである。40〜50代の時には、まだバリバリと働ける。イケイケ気分で何とか乗り切れる。私に関しては、60歳を過ぎても、経済的な負担は開業しているので何とかなる。しかし、卒業するまでの精神的負担は重い。まだ子育てが終わらないので、なかなか開放感を味わえない。(万が一、病気になったりしたらとか) 考えようによっては、独身時代に開放感を長く味わったので、仕方ないか。現在は晩婚化が進んでいる。アラフォーで子どもを産むなんて、本当に無謀である。これからは、女性も65歳まで働く覚悟が必要である。
 私はここでも書いているように、38歳で結婚した。妻は33歳である。当時としては、超晩婚であった。その私が65歳になって、いくら経済的に恵まれていても、大変だと言っているのである。経済的に余裕がなかったら、もっと大変である。娘は今年の7月で26歳になる。今はそれなりに人生を楽しんでいるようである。しかし、子育てがしやすい環境にならなければ、同じように晩婚になるか、一生シングルで過ごすしかない。昔と違って、離婚のリスクも高まっている。本当に大変な世の中になったと思う。
 高齢の人から見たら、65歳なんてまだ若いかもしれない。しかし、大きな病気をしたら、めっきり老ける。前から書いているように、6月からは毎週木曜日は休診にする。17年間、月曜から土曜まで外来をしていたので、少し休ませてもらう。残りの人生で、元気なうちにやりたいことはやっておこうと思う。人それぞれ考え方がある。私は、仕事だけで人生を終えたくないと思っている。実は、日本心身医学会の専門医が今年3月で切れることになっていた。この5年間でなかなか学会に参加して、点数を集めることができなかった。日本精神神経学会の専門医を更新するだけでやっとである。日本心身医学会については、今回専門医だけでなく、学会も退会した。
 前回書けなかった、ゴールデン・ウィークに行ったサイパン・ロタの続きは、写真付きで解説する。

スーサイド・クリフ ・前回、バンザイ・クリフの写真を載せた。ここは、スーサイド・クリフ(自殺の崖)である。サイパン北部には、あちこちに慰霊碑が建っている。ここは海には面していない。ここからも大勢の日本人(婦女子や老人)が身投げをしている。

飛行場 ・ここはサイパンの空港である。5月3日(木)にここからロタまで飛行機で行った。飛行時間は35分である。空港でも、イスラム教徒の人が何人もいた。こんなに暑いのに、女性は真っ黒な衣装を全身にまとい、わずかに目だけを出していた。

ホテル1 ・ロタでは、タクシーもバスも走っていない。ネットでホテルを申し込んだ時にも、1件しかヒットしなかった。車がないと、まったく身動きが取れない。空港でレンタカーを借りることにした。普通乗用車で、24時間で71ドル(7810円)であった。地図をもらい、自分で運転してホテルまで行った。空港では、日本人家族を見かけた。帰りも別の家族連れを見た。空港にもタクシーはないので、ホテルに連絡して迎えに来てもらうようである。
 ここはネットで申し込んだホテルである。ゴルフ場もある広大な敷地の大型リゾートホテルである。何となく閑散とした雰囲気であった。ネットでは、1泊1万7千円弱であった。左側に大きなベッドが見えている。手前側にもベッドルームがあり、2つのシングルベッドが置いてある。4人で泊まることができる。何人で泊まっても料金は同じである。朝食は別料金であった。  

ホテル2 ・今回の旅行では、サイパンのマニャガハ島で胸ポケットに入れたメガネを落としてしまった。私はド近眼で、ふだんはコンタクトレンズをつけて半径2m以内がよく見えるようにしている。遠くが見えるように調整したら、今度は診察の時に小さな文字を読み取ることができなくなる。夜に車を運転する時だけ、軽い度数のメガネをかけている。
 前日の夜は、車を運転してソンソン村の食堂まで行こうとした。ところが、メガネがないので、真っ暗で道もよくわからなかった。行くのはあきらめて、夕食と朝食はホテルのレストランで取った。ここは、レストランの外にあるテラスである。ホテルは高台にあり、向こう側に海が見える。

車道 ・海沿いの道路はこんな感じである。島の北側の道を西に向かうと、途中舗装された道路となる。

アスマンモス1 ・海沿いの島北側の道路は、まったく車は通っていなかった。木の枝が垂れ下がって、道路も狭いので、走っていると車にパサパサと当たってくる。ここは島の北東にあるアスマンモスである。地図には、年に1回釣り大会が催されると書いてあった。

アスマンモス2 ・しぶきが上がって、すごい迫力である。大物の魚が釣れたら、そのまま引きずり込まれてしまいそうである。実は、この崖を遙かに超すほどの高さのしぶきの写真も撮った。ほどんど画面が真っ白になったので、この写真にした。

スイミング・ホール1 ・ここがロタで有名なスイミング・ホールである。私がロタに行きたかったのは、ここの写真を見たからである。以前から、一生に一度、訪れてみたいと思っていた。ホテルから車で5分の所にあるので、前日に訪れていた。この時には、ロタ・ブルーと言われるほど、海は澄んでいなかった。それこそ、期待外れであった。

スイミング・ホール2 ・5月4日(金)は天気がよかった。やっとロタ・ブルーの海が拝めた。車で島のあちこちに行ったが、ほとんど観光客を見ることがなかった。このスイミング・ホールでは、2組の韓国人カップルを見たぐらいである。韓国も日本と同じように5月にゴールデンウィークがある。ロタでは中国人はまったく見なかった。

海岸 ・昼食は、島の北西にあるソンソン村でとった。冷麺があり、12ドル(1320円)であった。舗装された道路を海沿いに走って行った。こんな海岸があちこちに見える。写真より、動画をたくさん撮ってきた。この日は、午後2時半過ぎの飛行機に乗って、サイパンに帰ってきた。直通ではなく、グアム経由である。

テニアン ・サイパンの空港は島の南側にある。5月5日(土)はグアム経由で、関西空港に帰ってきた。サイパンのホテルから空港まではタクシーで20ドル(2200円)である。ついでに、南側のビーチをガイド料20ドル追加して、案内してもらった。向こうに見えるのは、テニアンである。ラッダー・ビーチなどにも行ったが、この時にはそれほど海はきれいでなかった。マニャガハ島も雨期になると、閉鎖されることもあるとタクシーの運転手が話していた。

平成30年5月15日(火)

 きょうはサイパン・ロタのことを書くつもりであった。しかし、たまたま読売TVで放映していた番組のことを書いていたら、書く時間がなくなってしまった。正確を期すために、何回もメモを撮りながら確認作業をしていた。もしかしたら、内容に不正確な部分があるかもしれない。(例えば、メモと同じ字体など) 今は夜の11時半を過ぎた所である。サイパン・ロタのことは来週にまた書こうと思う。
 先週の金曜日は調子が悪かった。また風邪を引いたのかと思った。全身が筋肉痛で、土曜日の外来は必死でやり過ごした。日曜日も最悪で、何とか月曜日には体調が戻ってきた。一体何だったのかと思う。

今週のトピックス 49 (180206)

NNNドキュメント 南京事件Uー歴史修正を検証せよー
NNNドキュメント 南京事件Uー歴史修正を検証せよー

 この番組は、この前の日曜日の夜中(正確には5月14日[月]の0:55分)から読売TVで放映されていた。私は早寝早起きなので、録画してきのう見た。今週のトピックス13では、清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)を取り上げた。この内容も、最後に再掲載する。この続編といえるドキュメンタリー番組である。ここでは、内容があまりダブらないように書く。当初、私も自虐史観については反感を持っていた。渡部昇一「渡部昇一の昭和史」(WAC BUNKO)などは何回も読んで愛読していた。
 渡部昇一は、日本会議などに担ぎ出され、さかんに南京大虐殺はなかったと主張していた。しかし、渡辺もバカではないので、途中からおかしいと気づきだしたのではないかと思う。だから、日本会議の講演会(YouTubeなどで見ることができる)などでは、「私は専門家ではないので」と言い訳みたいな断り書きを言っている。桜井よしこなども、南京大虐殺は本当になかったと信じているだろうか? 日本会議みたいな所と関わりを持つと、引くに引けぬ怖さみたいなものがあるかもしれない。日本会議は関係ないと主張するかもしれないが、その周辺の過激なネトウヨなどもいる。もしかしたら、一昔前の左翼もそうだったかもしれない。私のような素人でさえ、少し調べたらわかることである。
 現在の強権的な中国に対して批判することはかまわない。チベットやウィグルに対する弾圧に対して抗議してもいい。しかし、戦時中に中国でやってきた日本軍の暴虐についてまで、でっち上げみたいなことを主張するのは日本の恥である。30万人を肯定しているわけではない。まったくなかったと否定していることについて異議を唱えているのである。
 現在の中国について批判するなら、ロシアのプーチンについても批判して欲しいと思う。いくらロシアの機嫌をとっても、日本の憲法より上にある米国との地位協定(米軍は、日本領土のどこにも米軍基地を作ることができる)がある限り、北方領土なんて永遠に返ってこない。大量破壊兵器が見つからなかった米国主体のイラクの侵攻と、その後の混乱についてはどう評価するのだろう? 国益のためと言うなら、いやでも今後大国となる中国との関係を修復するしかない。さんざん中国の悪口を言ってきた安倍首相では無理である。
 前置きが長くなってしまった。しつこく書くが、慰安婦問題でも、資料がないからなかったと断言できるわけではない。日本が降伏した後に、戦争責任を問われることを恐れ、連合軍が来る前に自分たちにとって不都合な公式記録はみんな焼却したからである。この番組でも出てきたが、1996年に防衛省敷地内から当時の大量の灰や焼け残りの資料が出てきた。また、新聞社などが持っていた戦時中の写真やフィルムも焼却させられた。
 南京を侵攻した兵士たちはみんな亡くなっている。どうやって、検証すべきかである。今回も前回と同じように、福島県出身の小野賢二氏の持っている資料を調べている。小野氏の持っている資料とは、南京攻略戦に参加した福島県会津若松にあった歩兵第65聯隊元兵士の証言や陣中日記である。約200人の兵士の聞き取り調査をして、その内容をテープやビデオで残している。一次資料である陣中日記も、コピーも含め30冊以上確認されている。当時は問題になることもなかったので、少尉や上等兵など何人もの人がビデオの前でありのままに答えている。(TVではプライバシー保護のために顔はぼかしていた) 朝日新聞での慰安婦問題の報道のように、ただ1人だけ(吉田清治)の証言に基づいているわけではない。
 取材班は、残されているすべての証言と陣中日記の検証を重ねている。実際にまた現地に赴き、その場所を突き止めている。1937年12月16日、17日の虐殺のことが元兵士たちによって詳しく明かされている。17日が南京入城式があったので、現場の責任者は田山大隊長であった。田山大隊長には、護衛の上等兵が何人か付いていた。その中の1人が、陣中日記の中で、「17日に2500名殺す、18日に1万5千名」と書き残していた。田山大隊長からは、戦犯になるのを恐れ、箝口令が敷かれたという。実際の兵士たちの証言によると、揚子江沿いに捕虜を集め、取り囲むようにいくつもの機関銃で掃射した。その後で生きている者も死んでいる者も銃剣で刺したという。みんな逃げようと、人垣が丈余(3m以上)となり、重なって崩れたという。中には、銃剣を奪われ、刺されて亡くなった兵士もいたと証言している。
 この番組では、ちまたに出ている南京事件のことについて書かれている否定説の根拠も検証している。よく出てくるのが、市民に紛れた便衣兵(平服を着たまま戦闘行動を行うゲリラ兵)を殺したという説と自衛発砲説である。揚子江から船に乗せて解放しようとしたら、中国兵が暴れたのでやむをえず発砲したという説である。このことを最初に言い出したのが、両角連隊長である。地元福島の新聞に連載記事を載せている。発表後の翌年1963年に亡くなっている。ところが、この両角連隊長は、17日には南京入城式に参加していて現場にはいなかった。多くの兵士が、解放するつもりは全くなかったと証言している。船もなかった。YouTubeでは、虐殺を見なかったと証言する別の部隊の元兵士の動画も載っている。しかし、実際に機関銃で掃射したという元兵士の証言の方が遙かに重い。
 私も中国が南京で30万人も虐殺されたと主張するのは無理があると思う。しかし、こんな事件でさえ、まったくなかったことにしようと日本軍はしたのである。証言をする兵士たちも、上から命令されて機関銃で中国兵を掃射したことについては、当時は戦争中なので仕方ないという感じである。恐らく、中国全土で似たようなことが繰り広げられていたことは間違いない。だから、戦闘員でない農民も、食料調達のため数えられないほど殺されている。別の聯隊の陣中日記の中には、「年寄りもいれば、子どももいる」と書き残されていた。各地で日本軍の蛮行で亡くなった人たちに対しては、いちいちその統計が取られたり、慰霊碑が建てられているわけでもない。南京だけではなく、日本軍の各地での蛮行の象徴としての30万人というのは、まだ少ないかもしれない。
 今回この番組を見て、アパグループ代表元谷外志雄はどう思うのだろうか? アパホテルに置いてある南京大虐殺を否定する本については、この日記の今週のトピックス34(平成29年4月13日の日記)で取り上げた。ベトナムまで行って、ベトナム戦争時の韓国兵のレイプ事件を調べに行っている。そんな余裕があるなら、この資料を持っている小野氏の所に行って、証言ビデオを見せてもらったらいいと思う。それができないなら、自分の都合の悪い情報はなかったことにする卑怯者である。そのうち、宿泊者に対して、お詫びと訂正が必要になる時が必ず来る。中国国内の内戦やアヘン戦争を起こした英国などのことは、敗戦国の日本には全く関係ない。アヘン戦争のことは中国と英国間で解決したらいいことである。文化大革命のことも中国国内の問題である。(もちろん非難してもいい) 当時のことを戦争だから仕方ないと、正当化する人もいる。しかし、日本で起きたことではなく、すべて中国の人々の土地で起きたことである。敗戦国日本が、戦時中に中国にしたことについては、何を言っても言い訳できない。

 

今週のトピックス 13  (160927)

清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)
清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)

 さて、今週読み終えた本である。私はここでも書いているように、もともと左翼嫌いである。だから、自分が読む本は自分が選んで読んでいる。ふだんの生活では、医者同士で政治の話をすることはない。せいぜい、保険改定の話ぐらいである。仲間同士で話す話題は、精神科に関することが多い。これまで、自分の専門領域である精神科の本以外に、この本を読んだらいいとアドバイスを受けたことは1度もない。新聞や雑誌の広告、ネットの記事、書評などで選ぶことが多い。この本もたまたま雑誌の広告で知った。読書に関しては唯我独尊で、誰の影響も受けていない。
 この本も本当に面白かった。本の帯に、「南京事件」は本当にあったのか? なかったのか?、と書いてある。私は日本人の長所は、誠実で約束を守り、嘘をつかないことだと思っている。幼い頃は、悪いことをしたら、お天道様が見ていると、徹底的に教え込まれて育った。私は知らなかったが、去年の10月に日本テレビの戦後70周年企画として、「南京事件 兵士たちの遺言」というドキュメンタリーが放送されていた。この時のTV報道記者が、この本の著者である。私より5歳若い。
 さて、いつも引用している2003年に出版された渡部昇一「渡部昇一の昭和史」(WAC BUNKO)である。この本に書いてあることを引用する。ある推定によれば(板倉由明氏)、南京での軍規違反によって起きた市民の殺傷は49件、傷害は44名であったとされるが、せいぜいこれが「南京大虐殺」の実態ではないか、と書いている。引用の本が古すぎるという人がいるかもしれない。しかし、現在も基本的には変わりなく、「南京大虐殺はなかった」と主張している。
 渡部の主張が正しいのか、この本を読みながら検討していく。もし、嘘であったなら、黒を白と言いくるめる日本の恥さらしである。このことは、前から書いている日本会議についても言える。私は自分の利害のためにこのトピックスを書いているわけではない。右からも左からもお金をもらったり、便宜を図ってもらっているわけではない。自分の信念に基づいて書いている。この日記でも書いているように、「何をされるかわからないぞ」とアドバイスを受けても、京都で過激派の左翼集団にケンカを売ったこともある。この年になったら、自分の信念に生きられたら、命も惜しくない。日本会議については、いつまでも敗戦の言い訳を言い続けている、日本男子の風上にも置けない、女の腐ったような集団だと思っている。
 まず、外務省のホームページにかって記されていた内容である。1.日本政府としては、日本の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。2.しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてはどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。3.日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたことを素直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。かってこう記されていたというのは、戦後70年の外務省のサイトが更新された時に、安倍政権のもとで最後の3が消されたからである。
 ここでは、南京事件を否定する側のロジックを明らかにしている。大事なことは、被害者人数論争と虐殺の有無は別問題だということである。一点突破型では、虐殺を伝える本や記事の中から何かのミスを見つけ出し、「だから全部嘘だ」と結論づける。司会者が南京の地名を読み間違えただけで、「いかにいい加減かわかります」になり、「全部でたらめ」になったりする。週刊新潮の記事でも、本多勝一が認めた写真の誤用が「捏造」になり、「南京大虐殺はなかった」になっていた。他にも、虐殺を見なかったからなかったという主張である。
 今から77年前の出来事である。調査するといっても、当時の人たちはみんな亡くなっている。最初に著者が頼ったのは、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)である。内容は、南京戦に参加した日本軍の兵士の日記である。著者は、筆頭編集者である小野賢治に福島まで会いに行く。小野は、地元福島から徴兵された元兵士を探しては、南京での出来事を聞き取り続けていた。断続的に、27年になる。実際の兵士の証言テープや聞き取り映像も残されていた。著者は小野が所有している日記を手に取り、実際に真実のことが書かれているかどうか調査していく。小野からは「取材協力しますが、本当に放送できるんですかね。NHKなどの放送局から何度も来ましたけど、みな一度きりでした。これを報じようとして、新聞社で飛ばされた記者も知っています」と言われている。
 ここでは、黒須上等兵の日記の内容が中心に検討されている。著者は防衛省防衛研究所資料閲覧室に行って、黒須上等兵が所属していた連隊の戦闘詳報と日記が一致するか確認している。ところが、他の連隊を含め、南京に近づくに連れて、12月以降の記録がほとんどなくなっていた。連合軍が進駐してくる前に、戦争責任の追及を恐れた陸軍は、問題となりそうな資料を連日焼却し続けたのである。別資料の海軍の「戦闘詳報」は結構残されていた。駆逐艦の上から銃殺を目撃した元海軍兵士の証言と内容は一致していた。日記で書かれている神戸から上海まで白山丸で到着した日も、当時上海に入港していた軍艦「出雲」の船長が記録していた「航海日誌」で確認された。77年前のこんな記録がまだ残されているなんて、日本は本当にすごい国だと思う。
 先ほどの、渡部の主張に戻る。「仮に南京大虐殺があったとしても、なぜ日本人は戦後まで誰も知らなかったか」で、報道規制の可能性は限りなくゼロに近いと否定している。なぜなら、報道規制が行われるようになったのはもっと後になってからであると書いている。この本でも、南京戦では、100名以上の従軍記者やカメラマンが取材していたが、当時の新聞には虐殺を伝える記事はないとしている。どうしてかというと、1909年に成立した「新聞紙法」で、検閲を受けなければ発刊できなくなっていたからである。
 渡部は、当時の国際社会で、「南京の暴虐」ということを正式ルートで非難する声は上がっていない。「ニューヨーク・タイムズ」やアメリカの地方紙の中には「大虐殺があった」と伝える記事もあるが、その内容は逆立ちしても何十万という数になるものでないと書いている。このごまかしやすり替えの表現には気をつけなければならない。さて、この本に書いてある実際のニューヨーク・タイムズの記事である。無差別に略奪し、女性を陵辱し、市民を殺戮し、中国人市民を家から立ち退かせ、戦争捕虜を大量処刑し、成年男子を強制連行した。多くの中国人は妻や娘が誘拐され、強姦されたと外国人に訴えた。別の日の新聞では、中国人死者33,000人になどと特集されていた。三流以下の学者とも呼べない渡部昇一については、日本人が1番嫌う事実を嘘で塗り固めることを何とも思わない国辱者としか言いようがない。
 さて、実際に日本兵がしたことである。最前線では武器、弾薬が不足し食料は途絶した。兵士達は、「徴発」という名による現地調達を行う。建前は軍票による支払いだが、住民側から見れば「略奪を繰り返しながらの侵略 」ということになる。先ほどの黒須上等兵の日記では、二、三日前捕虜せし支邦兵の一部5,000千名を揚子江の沿岸に連れだし機関銃を以て射殺す、其の後、銃剣にて思う存分に突刺す、(省略)年寄りも居れば子供も居ると書いてある。別の少尉の陣中日記では、捕虜数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を引き出し、射殺す。とある。なぜ、無抵抗の捕虜を撃ったかについては、機関銃隊員は、「水と食料を与えられなかったから処分したと、私はそう考えています。捕虜を生かして帰したら必ずスパイになる。日本軍の情報が漏れてしまうとも言われてました」と証言している。渡部がどんなに恥知らずの人間か、渡部の書いた文章をまた引用する。ほとんどの場合、彼ら(投降した中国兵)を武装解除したのち、「お構いなし」ということで釈放した、である。
 ここまでは、27日(火)に書き終えた。夜中の12時近くになったので、一旦アップロードした。この続きは28日(水)に書いている。大東亜共栄圏という言葉がある。昭和15年ぐらいから日本が唱えたスローガンである。昭和17年の標語には「侵略の地に、共栄の日章旗」というものもある。当時、南京市街では20万人しか住んでいないのに、どうやって30万人もの人を殺せるかという反論はある。しかし、この時、日本軍の各部隊は南京城への1番乗りを目指していた。捕虜や民間人の虐殺、強姦、放火や略奪の現場は、南京場内や中心部だけでない。南京周辺の広範囲の地域で起こったとされている。当時の南京周辺の人口は100万人である。時期も六週間から数ヶ月という期間である。実際に、この本では南京から45km離れた村で起こった日本兵の虐殺や強姦などの証言を紹介している。村人は日本兵を歓迎したが、子どもを除いて、暴虐の限りをつくしていた。中国人の証言は信用できないという人もいるかもしれない。現地での裏付け調査は難しい。しかし、私はこれまでの経過から事実だと思っている。
 実は、著者が報道記者として作った番組が、YouTubeにアップロードされていた。南京事件 兵士たちの遺言である。この番組が去年の10月に放送されてから、いろいろな意見がTV局に寄せられた。この本では、従来から否定派が主張している「自衛発砲説」や「暴動鎮圧説」などについても1つ1つ説得力のある反論をしている。中国人が日本人を虐殺した「通州事件」のことも書いてある。1番印象に残ったのは、1944年に起きた「ビハール号事件」である。重巡洋艦「利根」が捕虜にしていたイギリス商船の乗員・乗客(民間人)65人を殺害し、死体を海に投棄した事件である。著者は、先ほどの防衛省防衛研究所で「利根」の航海日誌を調べた。ところが、捕虜を処刑したはずの18〜19日の出来事が記載されていなかった。なんと、公文書の原版の部分が、切り取られていたのである。日本に残されている都合の悪い公文書というのは、こんな程度のものなのである。当然、韓国の慰安婦問題についても、疑問が沸いてくる。
 27日(火)の京都新聞に、中国に対して良くない印象を持っている日本人は、昨年と比べて91.6%に増えていると出ていた。東シナ海問題などが影響している。現在の中国を非難するのはかまわない。しかし、現在の中国がこうだから、南京大虐殺もなかったという論法には気をつけなければならない。それにしても、戦後70年間日本がアジア諸国に対して行っていた反省とお詫びが安倍政権になって消されていたことは知らなかった。アジア諸国の首脳は、日本からの経済支援を得るために、表面上は日本に合わせるかもしれない。どこの国も自分の国の国益が最優先である。しかし、歴史修正主義の安倍政権は信用されることはなく、いつでも簡単に中国側に寝返りされるだろう。

 

平成30年5月8日(火)

 今年のゴールデンウィークは4月29日(日)から5月6日(日)の8日間であった。このうち、4月30日(月)から5月5日(土)の土曜日まで、サイパン・ロタの旅に出ていた。サイパンで4泊、ロタで1泊である。この時には、成田から直通便は出ていた。私は関西空港からである。けっこう時間がかかり、飛行機代も高かった。すべて、ネットで予約して行った。
 私は南の島マニアなので、サイパンとロタは1度は行っておかなければと思っていた。南の島は行くシーズンが大事である。グアムは前に1度行ったことがる。夏休みは雨期にはいる。海は本当にきれいで、行った価値はあった。しかし、物価が高いのには閉口した。餃子が6ドル(660円)で、ここに10%のサービス料がはいると、700円を超えてしまう。ふつうのラーメンも12ドル(1320円)で、同じように別にサービス料がかかる。マニアでない限り、グアム島で十分である。物価のことを考えたら、タイやベトナム、フィリピンの方がお得である。
 それにしても、前から書いているように、日本はバブルが弾けてから、ずっとデフレである。中国人や韓国人、アジアの人々にとっては、日本は手頃な値段で充分に観光が楽しめる国である。知らない間に、アメリカやオーストラリア、欧州の国々の物価が上がっている。サイパンの物価は、日本の倍以上する。老後はハワイなんて、夢のまた夢である。現地で高給を得ていたら別である。老後のお金で、餃子を食べるのに毎回700円も払っていたら、精神的にもよくない。京都の有名企業などは、最高益を更新したりしている。円安も貢献しているのが、よくわかる。いつまでも労働者の給与が上がらないのは、大問題だと再認識してきた旅である。
 今回の旅行については、写真付きで以下に解説する。

空港 ・ここはサイパンの空港である。4月30日(月)の朝11時45分の関空発グアム行きの飛行機に乗った。グアムでサイパン行きに乗り換え、空港に着いたのは現地時間の午後5時35分である。(日本より1時間早い) 小型飛行機で、乗客もそれほど多くなかった。空港を出たら、タクシーが1台もなかった。写真の左側に大きな駐車場がある。空港警備の人がいて、タクシーを呼んでくれた。1番の繁華街であるガラパンまで、メーターを使って20米ドルであった。ドライバーはバングラデッシュ人であった。
 ホテルは、「アイ・ラブ・サイパン」(ショッピング・センター)の真ん前であった。このホテルは全部で4泊した。1泊の値段は、食事なしで1万1千円ぐらいであった。この日は、翌日のツアーを申し込んだりしていたので、大通りしか歩かなかった。韓国料理の店で夕食をとったら、アサヒの中瓶が9ドルもした。家で米ドルは少し持っていた。足りないと思ったので、関空で両替をした。1ドル110円ぐらいであった。サービス料を10%加えたら、千円を超える。とにかく、物価が高かった。

マニャガハ島1 ・サイパンの沖合にあるマニャガハ島である。近くの大きなホテルまでの送迎と入島料、フェリー代を入れて29ドル(3190円)であった。私はフェリーが午前11時発のツアーに参加した。帰りのフェリーは自由に選べる。中国人観光客が多かった。子ども連れの人も安心して楽しめる。

マニャガハ島2 ・この日は天候に恵まれた。時々、雨がぱらつく時もあったが、すぐに晴れた。太陽が雲に隠れている時には、海の色ももう一つである。しかし、太陽が照りつけると、こんなにもきれいである。

マニャガハ島3 ・今回は買ったばかりのパナソニックの高級コンパクト・デジタルカメラを持って行った。15倍レンズ付きのDC-TX2ある。10倍ぐらいで撮っていると思う。天気がいいとシャッター速度も速くなるので、手ぶれも起こりにくい。ここでは、いろいろなマリン・スポーツが楽しめる。

マニャガハ島4 ・スノーケリングにも最適である。島は簡単に1周できる。昼食は島内のレストランで食べることができる。イカの炒め料理とライスなどが付いて、9ドル(990円)であった。料理は美味しかった。マンゴージュースが4ドル(440円)であった。

マニャガハ島5 ・今回は小型三脚も持って行った。動画はやはり高倍率になると、手ぶれしやすい。しかし、カメラをいちいち小型三脚に取り付けるのも面倒である。今回の旅行では、マニャガハ島で1回使ったぐらいである。ロタで撮った動画は、手撮りであったので、わずかに揺れていた。三脚はやはり大げさになる。次回からは、高倍率で動画を撮るために、もっと扱いやすい小型の一脚を持って行こうかと思った。

マニャガハ島6 ・太陽が直接照りつけると、ここまで海は透明なブルーになる。旅行ガイドを見ていたら、マニャガハ島は女子どもの行くところというイメージがあった。しかし、あちこちの南の島に行っている人でも充分に楽しめる。

マイクロビーチ ・ハイアット・リージェンシーやフィエスタなどの大型ホテルが並んでいるビーチがマイクロビーチになる。プライベート・ビーチみたいになっているので、私はアメリカン・メモリアル・パークの方を抜けて、はいった。「地球の歩き方」には、フィエスタのビーチ・バーが紹介されていた。ここでバドワイザー・ライトの缶ビールが5ドル(550円)であった。ここから、望遠レンズを使って撮った。マイクロビーチに行くには、このホテルの正面玄関からでも簡単に入れた。

レストラン ・ここはフィエスタのホテル前にあるレストランである。ローマ字で「村1番」と書いてある。サイパンはどこに行っても、日本語が通じる。ネットで調べてみたら、サイパン、テニアン、ロタの北マリアナ諸島の観光客のピーク時は1997年で年間73万人が訪れていた。日本からは格安旅行で45万人が占めていた。2016年には減少していた観光客が53万人に回復した。中国人、韓国人の観光客が大部分を占め、日本人観光客は6万人に減少している。日本からサイパンへの直通便は成田から出ていたが、今年の5月からは廃止になっているという。
 ここの経営者は中国人だという。フィリピン人の従業員の人に聞いたら、中国人の客はサービス料は払わないと言う。私は早めにはいったので、客はまだ少なかった。しかし、しばらくすると、すぐに満席になった。従業員の人に「Successful?」と聞いたら、オーナーに関しては「Very successful」と答えていた。料金は良心的で、青島ビールの小瓶が3ドル(330円)であった。料理も美味しかった。日系の居酒屋みたいな所では、バドワイザーの小瓶は5ドル(550円)で、請求書には10%のサービス料が予め入っている。

グロット1 ・5月2日(水)は、「グロッット・スノーケリング」のツアーに参加した。料金は、割引クーポンを使って45ドル(4950円)であった。私はスパの入場料付きであった。近くの大きなホテルまでの送迎が付いている。今回もペンタックスの防水カメラを持って行った。写真はもう一つで、動画はきれいに撮れていた。ここから海にはいる。ツアーの参加者は日本人が7人で、男女の韓国人カップルが2組であった。日本人の女性カップルが2組参加していた。誤解を招きやすい表現かもしれない。4人とも晩婚化しているという印象であった。

グロット2 ・この写真は付き添いのカメラマンが撮ってくれた。カメラマンが深く潜って、空気をはき出すと、リング状になってこういう写真が撮れる。私はふだんはほとんど診察室に籠もっている。腹も出てきて、体重も増えてきた。今はまたダイエットを始めている。いつも次の旅行までに、引き締まった身体になろうと思ってはいる。

バードアイランド ・スノーケリングの後は、バードアイランドに寄った。ほとんどの人は最初に寄った旅行代理店のオフィスに荷物を置いていた。私はカメラを持って行ったので、この写真が撮れた。実は翌日の午前中にレンタカーを借りて、再び写真を撮るためにここを訪れた。快晴であったが午前と午後の太陽の位置の違いで、この日の写真の方がきれいに撮れていた。ここでも、カメラマンが参加メンバーをグループごとに記念写真を撮った。オフィスに戻ってから、動画を含めたCD−Rが30ドル(3300円)で、写真が15ドル(1650円)であった。30ドルは高いと思ったが、メンバー全員の写真や動画がはいっていて、それほど悪くはなかった。

スパ ・1組の女性カップルと私は同じ敷地内にあるリゾート・ホテル内のスパに案内された。ここには、眺めのいい小さなプールや温水プール、ウェットサウナやふつうのサウナが付いていた。海水で濡れた髪や身体を洗うこともできて、これはこれでよかった。

レンタカー ・午後3時半ごろにホテルに戻り、この日は近くでレンタカーを借りた。1人なので、安い小型車でいいと思った。ヤリスとなっていたので、トヨタのヴィッツだと思う。24時間で60ドル(6600円)であった。車はホテルの駐車場に停めることができる。ただ、ナビが付いていない。私は方向音痴なので、磁石がないとどっちが北でどっちが南かすぐわからなくなる。スーパーマーケットなどで、磁石を探したが、どこにも売っていなかった。
 ここは、南の方向に走った時に、車を停めて撮った写真である。漁をしているのか、よくわからなかった。この写真も望遠がなかったら、撮れなかった。

バンザイクリフ1 ・5月3日(木)は、午後からロタに行く予定であった。そのため、朝方早くからレンタカーでサイパン島の北側をまわった。バンザイクリフはどこにあるのか、最初はよくわからなかった。シュイサイド(自殺)・クリフも別にある。何人かの観光客が訪れていた。

バンザイクリフ2 ・「地球の歩き方」に書かれていることである。1944年7月7日に旧日本軍最後の玉砕突撃が決行された。翌日に、アメリカ兵の制止にもかかわらず、婦女子や老人などが高さ80mのこの断崖から身を投げている。どうしてここが選ばれたのかというと、サイパンで日本に1番近い所であったからである。その数は、1000人から1300人と言われている。
 ネットで調べてみると、アメリカ軍は島内の民間人を保護する旨の放送を繰り返していたが、ほとんど効果がなかった。万歳とは、「天皇万歳」と「大日本帝国万歳」である。2005年(平成17年)に今上天皇・皇后が慰霊のためにここを訪問している。旧日本軍が素晴らしかったと、一体どこのバカが言っているのかと思う。

平成30年5月1日(火)

 この日記は、この日に不在となるので、4月29日(日)に書いている。毎週土曜日の深夜に「7つの海を楽しもう! 世界さまぁ〜リゾート」を放映している。今週は、フィリピンのボラカイ島を特集していた。天候に恵まれたら、こんなに海はきれいである。私が行った時には、あまり天気はよくなかった。先週はフィリピンのエルニドを紹介していた。来週は、タイのサムイ島である。番組では、私が行ったアジアの島が続いている。ハワイやグアムだけが世界のビーチではない。ここで何回も紹介しているブスアンガ島がお薦めである。これからは雨期になるので、乾期に行った方がいい。このゴールデンウィークはまた南の島に行くつもりである。

今週のトピックス 48 (180501)

東海テレビ取材班「戸塚ヨットスクールは、いま」(岩波書店)
東海テレビ取材班「戸塚ヨットスクールは、いま」(岩波書店)

 この本が出版されたのは2011年2月である。帯には、「戸塚ヨットスクール事件」から30年と書いてある。本の中で、戸塚校長は今年70歳と書いてあった。買ったままほとんど読んでいなかった。今回この本を取り出して、最後まで読んだ。どうしてかというと、4月26日(木)のTV番組、直撃シンソウ坂上「体罰は教育なのか 戸塚ヨットスクール校長VS坂上忍」で、戸塚ヨットスクールを取り上げていたからである。この番組は録画していた。土曜日に見て、日曜日に本を読み終えた。実は、書いているのも日曜日である。
 TV番組では、戸塚校長が出演していた。今年78歳になる。戸塚ヨットスクールが出来たのは、戸塚が太平洋横断レースで優勝した2年後の1976年である。たまたま登校拒否の子を入れたら、学校に行くようになった。このことが口コミで広がり、スクールには家庭内暴力や非行の子どもたちが続々と入校してきた。番組では、最盛期に80人と放送していた。この本では約100人と書いてあった。当時3ヶ月の訓練にかかる費用は約150万円であった。スクール生の親は、一流企業の会社員や弁護士、医者などの高所得者が多かった。子どもが寝た深夜にコーチがたたき起こし、強引にスクールに連れて行った。
 番組でも紹介していたように、スクール特製ヨットは1人乗りで、わざと転覆しやすいように設計されていた。コーチからの細かい指導はない。転覆したりすると、コーチから叱られ、時には平手打ちが飛ぶ。海の中で。生きるか死ぬかの状況を作り、自分で何とかする力を身につけさせるのが目的であった。実際に、立ち直って学校に行けるようになったり、家庭内暴力がなくなった訓練生も多かった。ところが、開校して4年後、事件が起きた。1980年11月に21歳の大学浪人生が、訓練中に冷たい海に放り込まれるなど暴行を受け死亡した。1982年12月にも、13歳の中学生が訓練中に竹刀などで殴られるなどして死亡した。1982年8月には、15歳の高校生2人が夏合宿から帰るフェリーから飛び降りて行方不明になった。
 1983年3月に戸塚校長と12人のコーチが傷害致死や監禁致死などの容疑で逮捕された。戸塚校長は、傷害致死ではなく、業務上過失致死なら認めたという。このことについては、番組でも述べていた。一審は執行猶予の判決であった。しかし、二審の名古屋高裁では懲役6年の実刑が下った。TVでははっきりと伝えていなかったが、ヨットスクール側は刑事的責任とは別に、民事的な損害賠償責任はあるとして、刑事責任の問われなかった死亡事故1件を含めて5人の訓練生の親と和解した。賠償金は総額およそ1億1500万円である。番組でも出てきたが、学校教育法では。生徒及び児童に懲戒を加えることはできるが、学校での体罰は禁止している。正座は体罰にあたるという。
 2009年7月に取材に訪れたときには、体罰抜きの訓練が行われていた。懲役2年6ヶ月の刑を服役したあるコーチが今も続けている理由を話している。「ここにいる子は、学校や病院に見捨てられて、その結果、自暴自棄になり、家庭で暴れ、ある子は窃盗犯や薬物などの犯罪に手を染めた子どもたちです。親は手に負えず、時には子どもを殺して無理心中を考えるほど悩み抜き、最後にヨットスクールに駆け込んできたのです。子どもが良くなった場合、家族まで幸せになることにやりがいがある。」と述べている。この時のヨットスクールの訓練生は10人。訓練期間は1年で、入学金は315万円である。月々の生活費は11万円である。事件後訓練生が減り、赤字経営が続いている。番組では、訓練生は4人だけであった。
 この本では、戸塚が独自に考えついた「脳幹論」が出てくる。この理論をあまり全面に出して主張すると、ついていけない人も多くなる。「より質の高い不快感を常に発生させて、脳にそれを乗り越えられる耐性をつけさせることだ」とか、TVでも発言していた「体罰とは、相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使である」と述べ、その後に体罰を受けた子は先生の言うことを聞く。言うこと聞いた結果、成長すると続いている。この時にも続けていた何人かのコーチのインタビューも載せている。亡くなった訓練生については、2人の身体の変調にもっと気づいたら助かったのではないかという思いがあるとか、やり過ぎた面もあったと述べている。
 ここでは訓練生のことが紹介されている。印象に残ったのは、2009年10月に入校した18歳の女子高生である。中学生から不登校になり、最近はリストカットを繰り返すようになっていた。戸塚ヨットスクールでは、自傷行為をする訓練生の受け入れはしていなかった。ところが、高校で自殺騒ぎを起こす。母親は借金をして入学金を工面し、戸塚校長に入学を願いでた。「学校がダメ、病院もダメ、彼女の母親は追い込まれていた。それならば、うちで受け入れるしかないでしょう」と受け入れた。ところが、入校して3日目にスクールの屋上から飛び降りて、死亡が確認された。
 彼女の葬式が終わった後に、取材班が訪ねている。「彼女のような子どもをためらうことなく受け入れることができますか」「ためらう。いままでだってためらっていたのに。なにか他の方法はなかっただろうか、と考えるね」と戸塚校長は消沈して答えている。「預けた母親が悪い」、「能力を超えたことに手を出した戸塚ヨットスクールの責任だ」と様々な批判が出た。この本でも指摘しているように、その批判は、どこか安全圏から投げつけている他人事でしかない。
 番組では、戸塚校長の暴力肯定みたいな議論になってしまっていた。ここでは、睡眠薬や他の薬物に手を出して家で暴れているすさまじい人が大勢出てくる。親が病院や警察、保健所、児童相談所などに相談しても、「もう少し様子をみましょう」と言われるだけである。このことは、精神科医である私自身がよくわかっている。現在は、スクールを卒業しても、社会に適応できず、挫折するケースが多々あるという。8年前でも、不況で高齢化したニートが就職するのは至難の業であった。この時に、ニートが半数を超え、スクールが卒業生の就職先まで探すような役割を担わざるをえなくなったという。脱走も多い。私はもちろん暴力否定派である。体罰と暴力は別だと考えているが、戸塚校長はあまり区別していないようである。時代が変わって、もしかしたら現在は体罰を使っても、40年ほど前ほど立ち直る人はいないかもしれない。

 

平成30年4月24日(火)

 きょうはあまり書くことがない。毎日が平凡な日々である。年を取ると、欲しいものがなくなる。買い物にも出かけなくなる。レンタルDVDを借りているので、映画も見に行かなくなった。ついつい出かけるのがおっくになる。ゴールデンウィークは、一応海外には出る。今年は29日(日)から5月6日(日)までの8日間が休みである。この機会にブラジルに行こうかと思った。ところが、日本からの直通便がない。アメリカ経由だと、トランジットでもまた荷物を取り出して、手間暇のかかる検査を受けなければならない。その煩わしさを逃れる次のルートは、パリ経由である。ブラジルに行くのに、どうしてパリまで行かなければならないのかと、今回はあきらめた。
 近場に行くのに、8日間も必要ない。前から行きたかったビーチに5泊6日で行くつもりである。ツアーで行くのは嫌いなので、航空券からホテルまでネットで申し込んだ。どっちにしろ、ゴールデンウィークは値段が高い。今年の盆休みは8月11日(土)が海の日である。6月から木曜日は休診にするので、16日(木)までが盆休みになる。タイやフィリピンなどのビーチはどこも雨期になる。ベストシーズンになるのは、バリ島ぐらいである。
 バリ島は30年ほど前に2回ほど行ったことがある。興味のあるのは、バリ島近くのロンボク島である。ところが、バリ島は火山噴火の恐れがまだあるというのに、8月11日発の飛行機はビジネスクラスも含めて満杯であった。帰りは夜行便になるので、フルフラットになるビジネスクラスでもよかった。8月12日発の飛行機では、ビジネスクラスは25万円を超えていた。今は調べていないが、日が近づいてきたらもっと安くなるのかよくわからない。結局日にちが短くなるので、バリ島に行くのはあきらめた。他でも、雨期の影響の少ない所はあまりなかった。それでも、まだ行ったことのない所に決めた。こちらはLCCを使うので、それほど高くない。往復チケットだけはネットで手に入れた。
 現在、財務次官と新潟県知事のスキャンダルが話題となっている。結局、このことは男性の性欲の問題に行き着く。実は、精神科の外来をやっていると、高齢者からセクハラまがいのことをされると訴える女性も多い。90歳近い地域の名士みたいな人から手を握られたり、卑猥な言葉をかけられるという女性もいる。呆けているわけではない。人生の最後で、抑止力がなくなっているのかもしれない。年をとっても、男の性欲は枯れないようである。もちろん、中にはもういいと言う男性もいる。今回の財務次官のセクハラは誰がみてもアウトである。私も擁護するつもりはない。TVでちらっと聞いた録音テープではその人の性的嗜好が現れる。「縛ってもいいか」という部分もあった。
 さて、元新潟県知事である。私は個人的にはそれほどアウトだと思っていない。本人は独身で、料金を踏み倒したわけでもない。2人とも同意のもとである。風俗ならよかったのかとか、本番をしなければよかったのかとか突っ込みどころ満載である。こんなことが、本当に買春になるのであろうか? きょう発売された「週刊スパ」に出ていた「週刊・匿名記者座談会」では、どうして週刊文春がこんな出会い系サイトで出会った別々の2人の女性にたどり着いたのか疑問を呈していた。
 私は必ずしも反原発派ではない。(実はあまり関心がなく、納得のいくほど調べていないのでよくわからない) 2人とも不倫をしていたわけでもない。これからは、こういう記事を書く記者のスキャンダルも徹底的に調べたらいいと思う。政治家だけではなく、記事を書いた記者が風俗に通ったり、不倫をしていないか、編集長やもっと上の幹部も含め監視の対象にしたらいい。読売新聞が特報で前文科事務次官の前川氏の「出会い系バー」のことを報道した。この情報源も問題になったことは記憶に新しい。
 私が20代の時に高知の精神病院に勤めていた時には、病院の職員の人には随分と親切にしてもらった。今はもう亡くなった年配の男性看護師の人が、奥さんを亡くして、月に1回ソープランドに行くことが楽しみだと話していた。風俗でも、こんな所で役立っていたのである。私は政治家だけではなくふつうの人でも、結婚生活での不倫はアウトだと本当に思っている。セクハラにも気をつけている。受付事務などの女性を選ぶ時には、自分にとって性的に魅力的な人は避けている。(もしかしたら、逆差別になるのかもしれない) そんな人を選んだら、ふだん仕事をしていても気になって仕方ない。それこそ、何かの拍子で自分を抑えきれず、セクハラまがいのことをしかねない。それぐらい、男性の性欲の扱いは難しい。

琵琶湖 ・先週の木曜日(19日)は、午前中の外来が終わってから、草津市立水生植物公園みずの森に写真を撮りに行った。私の医院からは車で1時間ぐらいである。天気はよかった。いろいろと書かなければならない書類もあった。しかし、快晴でこの日を逃したら、もう花のベストショットは撮れない。夜は琵琶湖のマンションに泊まる。私はウィークデイに泊まる時には、遅くとも朝5時前に起きて、5時半にはマンションを出る。朝は道路が空いているので、20分ぐらいで医院に着く。それから外来が始まるまで、書類書きをしたりしている。
 前にも、このみずの森の写真をこの日記でも載せた。南草津駅からもバスが出ている。何もない広い畑の中を長いこと走って行く。車がないと不便である。園内はほとんどお年寄りばかりで、入園者も少なかった。しかし、琵琶湖の景色や公園内の美しさは魅力的である。もう少し工夫したら、外国人客が来ても充分に楽しめる。今回持って行ったカメラはパナソニックのGM5である。この写真は公園内から撮った。

チューリップ ・園内には、チューリップが咲き乱れていた。もうちょっと早く行っていたら、もっとみずみずしい花が咲いていた。チューリップの写真の撮り方は難しい。誰が撮ってもそこそこきれいである。しかし、平凡な写真となりやすい。今回撮ってきた中では、この写真が1番よかった。

池 ・園内の池である。緑がきれいで、絵になる風景である。滋賀県は琵琶湖沿いにきれいな風景が広がっている。前からびわ湖バレイのびわ湖テラスには1度行ってみたいと思っていた。これからは混みそうである。空いている時を探して、是非ともベストショットを撮ってきたい。

平成30年4月17日(火)

 あっという間に、ゴールデンウィークが近づいてきた。6月からは、木曜日の診察は休診にしようと思っている。きょうは、医院の掲示板にその旨を書いた紙を張り出した。京阪東福寺に出している看板も書き換えなければならない。医院の玄関に出している表示板も訂正がいる。このホームページの書き換えもしなければならない。私の医院のホームページは平成13年に作ったので、スマホ用には対応していない。スマホでも簡単に見れるように、作り直そうと思っている。その原稿が、先延ばしでできていない。
 他の医院のホームページを見ると、精神科のことは一般的なことしか書いていない。パニック障害についても、なかなか改善しない人もいる。このあたりのことも、具体的にどうしたらいいのか、教科書にもあまり書いていないことを書こうと思っている。この日記にも書いていることを、上手にまとめようと考えている。ただ、なかなかやる気になれない。何とか5月中には、書き直そうと思っている。
 今回はあまり大したこともない1週間であった。きょうは今週のトッピクスに時間を割いたので、そちらの方を読んで下さい。  

今週のトピックス 47 (180417)

高橋洋一「大手新聞・テレビが報道できない『官僚』の真実」(SB新書)
高橋洋一「大手新聞・テレビが報道できない『官僚』の真実」(SB新書)

 この本は去年の7月に発刊されている。まだ、今ほど森友学園問題や加計学園問題が騒がれていない時に書かれていた。私は途中まで読んで、そのまま別の本に浮気して読んでいなかった。途中まで読みかけた本は山ほどある。きょうは日記にあまり書くこともなかったので、急遽最後まで読んだ。この本が1番早く読み終えそうであったからである。帯には、「官僚が必死に隠す不都合な真実を暴く」となっていた。著者は、旧大蔵省に入省したキャリア官僚で、小泉内閣、第一次安倍内閣ではブレーンとして活躍した。私より2歳若く、安倍首相より1歳若い。当時のことはよく覚えている。東大法学部に入学するのは雲上の難しさであった。当時は、全国の秀才が集まっていた。私が逆立ちしても永遠に入学できなかった。大蔵省には、その法学部のトップクラスが入省していたのである。
 私はこの日記でも書いているように、官僚擁護派である。どうしてかというと、日本の政治家は民主的に選挙で選ばれたと言っても、どこまで能力があるかわからない2世、3世が家業のように引き継いでいるからである。世界の先進国でこれほど多くの議員が世襲をしている国はない。ここに書いてある官僚の批判は一面では正しいかもしれない。しかし、政治家の無能ぶりも目に余る。よく引き合いに出されることである。官僚は国益より省益しか考えていないという。そのことを言うなら、政治家も国益より、自分の支持基盤である業界のことや選挙区のことしか考えていない。どっちもどっちである。まだ、その能力が裏付けされ保証された官僚の方に軍配があがる。この本に書いてあるような「脱・官僚主導」で、政治主導ができるとはとうてい思えない。
 まず、官僚の定義である。現在60万人の国家公務員と280万人の地方公務員がいる。最広義の意味での官僚は約340万人いることになる。キャリア官僚とは、国家公務員採用試験の「総合職試験」に合格して、中央省庁の本庁に採用された人を指す。「総合職試験」に合格しても、本省勤務にならなければキャリア官僚とはいわない。この「総合職試験」に合格するのは、毎年700人である。財務省の場合、上位30位くらいの合格者が入省するケースが多いという。財務省では、30代前半で課長補佐になる。実質的に法案を作成しているのは、30代の課長補佐である。キャリア(官僚)は課長までは横並びで昇進する。課長以降は、局長、財務官、そして事務次官というポストが待っている。財務省内には、局が6つしかない。6人しか局長になれず、その後の財務官、事務次官は1人である。40代、50代で半ば強制退職させる。「天下り」とは、出身省庁の外郭団体や、独立行政法人および特殊法人、民間企業に再就職することである。
 この日記でも書いたが、各省庁のトップクラスには、優秀な人だけ残すシステムとなっている。天下りのイメージは、朝遅く出勤して、新聞などを読んで、暇そうにして法外な退職金をもらっているである。しかし、退官したばかりのキャリアには、それなりのやりがいと忙しさのある部署に配属するという。それまで、第一線でバリバリと働いてきた50歳前後の元キャリア官僚に、左団扇で、ソファに座ってるだけの仕事を与えたら、ノイローゼになってしまう。著者は天下りの問題点を、天下り先と斡旋をする省庁が予算か許認可で密接な関係になるからと指摘している。著者らが、第一次安倍政権のときに、天下りの規制を企画立案して法律を成立させている。
 この法案にも抜け道があると具体的に解説している。2017年1月に、文科省の斡旋で、官僚OBである元高等教育局長を早稲田大学に天下りさせたという問題が、この規制に引っかかった。監視委員会が、国家公務員法違反と認定したのである。この文科省の天下り問題では、トップである事務次官が引責辞任する事態まで発展した。この辞任した事務次官が、「加計学園問題」を暴露した前川喜平氏である。私は、天下りの規制に関しては、強制退官させたキャリア官僚の受け皿を充分に考慮せず、一方的に規制するのは問題だと思っている。この監視委員会(ネットで調べてみたら、正式には再就職等監視委員会)も、内閣府に属していた。どこまで公平に機能しているのか疑問である。
 この本では、筆者が属していた財務省のことが書かれている。まず絶大なパワーを持っている主計局である。省庁や政治家が政策を立案して実行に移すには、必ず予算が必要となる。省庁が概算要求を財務省に出しても、予算化が認められなければ、その政策が日の目をみることはない。各省庁は、さまざまな形で「お願い」することになる。アメリカを除いて、予算を握っている省庁は海外でも強い。徴税権でにらみをきかす主税局など、6つの局について詳しく解説している。財務省の権力の源泉は予算編成と徴税権である。もう一つは、人事権である。給与や国家公務員の数などを3つの組織が管理している。すべての課長職のポストは財務省が押さえている。
 財務官僚のメンタリティでは、先ほど書いた「省益第一主義」に集約できるという。財務官僚には、これに加えて「財政(再建)至上主義」という原理が加わる。なるべく歳出を減らして、歳入を増やす。著者によると、自分たちのことを国士(身命をなげうって国家を支える憂国の士)だと思っているフシがあるという。今週の「週刊スパ」を読んでいたら、他の省庁の官僚も、自分たちが国を支えているという自負がある。だから、残業は最大で月260時間で、残業手当がほとんど出なくても、激務に耐えている。財務官僚も、悪者になっていもいいから、あえて国のためになる国民に不人気な増税をするのだという雰囲気に満ちていたと述べている。
 著者は政策決定のメカニズムを、官僚主導から政治主導に転換しなければならないと主張する。しかし、大した能力のない世襲議員が、どこまで自分たちで政治主導できるかである。それこそ、自分たちの都合のいいように恣意的に主導されかねない。著者によると、借金1000兆円は事実である。しかし、日本政府はおよそ600兆円以上の資産を持ち、換金可能な金融資産の割合が極めて高いという。それでも、少子高齢化が急速に進行しているのも事実である。本来年金保険料はすべて国民から強制徴収する税金と本質的には変わりないという。だから、国税庁と日本年金機構の徴収部門を統合した歳入庁を作れば、人件費を大幅に減らすことができると述べている。
 官僚主導とは「中央集権体制」と言い換えることができるので、道州制にして「地方分権」にすることを著者は提唱している。新たな利権構造ができる可能性のことは言及している。私は、著者の提唱する完全道州制にしたら、こちらの方の腐敗構造の方が深刻になると思っている。最近になって、やっと地方議員の政務活動費の悪用などが摘発されるようになったぐらいである。これまで、ずっと放置されていた。限られた予算の分配は、誰がやっても公平性は保たれない。いっそのこと、全国の総合職試験でトップの成績を取った人たちに任せる方がまだましだと思っている。短い時間の面接などでその人の人格などがわかるはずがない。面接重視とは、権力者が自分たちの都合のいいように恣意的に利用するための方便に過ぎない。
 税金の無駄遣いのこともいろいろと指摘している。私は医療業界に所属している。なかなか表に出てこない税金の無駄遣いも多い。これは、どこの業界でも同じようにあると思う。しかし、その規模は桁違いである。官僚の天下りは税金の無駄遣いというより、能力のある人たちを滅私奉公させるための必要経費だと考えたらいい。具体的なことはここでは書かない。医療従事者を削減しようと思ったらいくらでも削減できる。しかし、効率だけですべてが解決するわけではない。その仕事で家族を養っている者が大勢いるのも事実である。

 

平成30年4月10日(火)

 先週の金曜日は、三才ブックスから2月に出た「裏マニアックス-極太裏事典-DX」を読んでいた。犯罪の手口など裏技を紹介している本である。ヤジウマ的な記事から、防犯に役立つ記事も載っている。政治とはまったく関係ない。この中に、「学歴・職歴詐称のリスクを考察する」という記事が載っていた。安倍首相がアメリカの大学に留学していたというのは、昔どこかで読んだことはある。この記事の中で、安倍首相の学歴詐称のことが載っていた。前回の日記は、第7章目(最後から2章目)をこの記事を読んで書き直した。しかし、他人の日記なんか2度も読み直している人はいないと思う。ここで改めて書く。
 「南カリフォルニア大学政治学科に2年留学」というプロフィルが、いつの間にか削除されていたのである。いくら過去のことと言っても、現在日本を代表する内閣総理大臣である。こんな経歴詐称をしていた人を国の指導者として仰いでいる国民は、海外からバカにされても仕方ない。アベチルドレンである自民党文化部会長の赤池参議員や稲田前防衛大臣はこの事実をどう説明するのであろうか。これだけでも、とっとと総理大臣を辞めるべきである。私はここでも書いているように、もともと自民党支持である。昔は、自民党の中でもいろいろな立場の人がいろいろな議論を交わしていた。今は、こんな右翼政治家に言論を封殺され、長老も含めて何も言わないのである。絶対に、3選は阻止すべきである。
 安倍首相が目指す「戦後レジームからの脱却」とは、自虐史観の脱却を目指しているようである。ここでも何回も書いているように、米国支配からの脱却が最優先であろう。この日記の最後に、平成29年10月3日に書いた今週のトピックスを再掲している。まだ読んでいない人は、現在の日本の支配構造をきちんと知っておくべきである。このことを知らずに、平和日本を唱えても何の意味もない。
 フィリピンのブスアンガ島に行った時に、レンタルビデオからスマホ用に動画を変換した映画を見ていた。先ほどの三才ブックスの本では、プロテクトを解除できるリッピング・ツールをネットで手に入れることは合法である。しかし、市販DVDソフトのプロテクトを解除してスマホ用に変換するのは違法となっていた。私はリッピング・ツールは使っていない。1回見たらいいだけで、保存もしていない。しかし、厳密に言うと、これだけでも違法になるようである。
 見た映画は「そこのみにて光輝く」である。映画評では、そこそこの評価を得ていた。映画.comの紹介では、芥川賞候補に幾度も名を連ねながら受賞がかなわず、41歳で自ら命を絶った不遇の作家の作品の映画化となっていた。映画より、こちらの紹介文の方が印象に残ったぐらいである。脳梗塞(だった?)で倒れた父親が異常な性欲を示し、その対処に家族が困り果てている。その娘は、経済的に困窮し、客に身体を売っている。事故で知り合いを死なせ、仕事をやめていた青年がこの女性と知り合う。どうしようもない絶望を描いた映画である。今でこそ、偉そうに政権を批判している私である。小さな頃だけでなく、大分経ってからも、出口のない絶望を同じように味わっていたことを思い出した。
 その後に見た映画は、「台風一家」である。ここでは、重度の障害を持つ娘が出てくる。受験を控えた息子は優秀である。母親にとって「初めて、一族で東大にはいることができる」子どもであった。この息子も受験前にベランダから落ちて重度の障害者となってしまう。弟による姉に対する性的イタズラがあった。重度の障害を持つ娘も障害者雇用で働きに出る。しかし、障害者を好む客対象に、デリへリ嬢として雇用主から提供されていた。正直言って、こちらの映画の方がだらだら進行し、最後まで見るのに苦労した。「そこのみにて光輝く」も個人的には、あまり面白くなかった。前にも紹介したように、この種の映画では「獣道」がよかった。
 ついでに、最近レンタルDVDで見た映画のことを書く。あまり期待していなかった映画である。「スーサイド・ライブ」である。現在、西部邁の自殺幇助のことが話題になっている。米国では、州で法律が変わる。TVで自殺の場面を放送することは違法とならない州もある。絶望した人の自殺をライブで放送する番組を作り、出演者の家族に、寄付金や賞金を出す。当然番組に対する反対運動も起こる。しかし、全米で視聴率が1位になる。一見、奇をてらった映画のように見える。しかし、よくできていて、テンポよく話は展開していく。傑作とまではいかないが、1度は見てみる価値はある。
 最後に、日曜日に行ったマキノの海津大崎のことについて、写真付きで解説する。

海津大崎1 ・マキノにある海津大崎の桜を見に行った。4月8日(日)は1番混む日で、湖岸道路は乗り入れ禁止になっていた。161号線は一車線なので、ふつうに行ったらまともにたどり着けるかわからない。結局どうしたかというと、朝5時過ぎに起きて、大津京のマンションから5時45分ぐらいに出発した。駐車場のあるマキノ駅に着いたのは、6時40分ぐらいであった。駐車場には数台車が停めてあったぐらいである。駐車料は無料である。
 ここから海津大崎まで歩いて30分ぐらいである。バスも出ている。しかし、こんな時間には走っていない。どうしたかというと、タクシーが1台待っていた。これに乗って、海津大崎の1番奥まで行って、帰りは歩いて帰ることにした。タクシー代は1570円であった。運転手さんに聞くと、前日は台湾の観光客が大勢来ていたという。こんな所でも、外国人観光客が押し寄せている。ここは、タクシーで降りたトンネル前の場所である。

海津大崎2 ・この日の天気は、雲が多く青空が出る時もあった。帰る時には、雨がぱらつくこともあった。私の琵琶湖のマンションからは朝日が見える。ここも朝日が上がって来るので、夜明け前から写真を撮りに来る人もいるという。もうちょっと早く出たらよかった。朝日、桜、湖と貴重な写真が撮れた。

海津大崎3 ・カヤックをやっている人もいた。私は海や湖が好きなので、こんな写真が撮れると幸せである。京都に住んでいるとなかなか琵琶湖に出て来る機会がない。朝、湖西道路を通ってきた。朝日がとてもきれいであった。琵琶湖沿いに、美しい風景があちこちに広がっている。

海津大崎4 ・船からもお花見ができる。先ほどのカヤックも、湖からお花見ができる。帰りは、マキノ駅まで歩いた。雨はちょっとぱらついたぐらいで、びしょ濡れになるほどではなかった。お花見の船の乗り場はあちこちにあった。この日も、台湾人らしき観光客が大勢来ていた。サイクリングをしている人もいた。わざわざこんな所まで来てくれて、もう少し天候がよかったらと思った。私も海外はあちこち行って、現地の人には親切にしてもらっている。日本に来てくれた観光客の人には、充分に楽しんで行って欲しいと心から願っている。

海津大崎4 ・湖岸沿いにこんな風に桜が咲いている。マキノ駅に戻ったのは、10時前である。JRで来ている人も多かった。海津大崎行きのバスは、1台では乗り切れないほど大勢の人が並んでいた。駅の駐車場も満杯である。民間の駐車場は、1日千円であった。帰りも、1時間ぐらいで大津京のマンションに戻れた。途中、マキノ行きの反対車線はずっと混んでいた。朝早く行ったのが、正解であった。

今週のトピックス 44 (171003)

矢部宏治「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)
矢部宏治「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)

 京都新聞の日曜日版に本のベストセラーが載っている。京都と東京である。東京は三省堂書店神保町本店の調べである。最近、毎週東京で、この本がベスト10に入っていた。私は、この本は大分前から手に入れていた。早く読まなければと思っているうちに時間だけ過ぎ去り、きのうときょうですべて読み終えた。本当に面白かった。著者がこれまで書いたり企画編集した8冊の本を要領よくまとめている。本の帯には、この国を動かす「本当のルール」とは? と書いてあり、なぜ日本は米国の意向を「拒否」できないのか?とある。第1章は、日本の空は、すべて米軍に支配されているである。
 著者は1960年生まれで、博報堂マーケッティング部を経て、現在書籍情報社代表である。著者の日本政府と米軍との密約の調査は、鳩山政権の崩壊がきっかけとなっている。まだ、7年しか経っていない。先ほどの8冊の本の中で、徐々に明らかにしてゆき、この新書でその全貌を明らかにしている。恐らく、この本の中に書かれていることは政治家も知らないことばかりではないかと思う。ベストセラーになっていることは、いいことである。国民の誰もが知っておくべき大事なことがこれでもかと書かれている。
 まず、外務省が作った高級官僚向けの極秘マニュアルである。日米安全保障条約を結んでいる以上、アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求できる。だから、北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならないのである。日本の首都圏の上空は米軍に支配されていて、日本の航空機は米軍の許可がないとそこを飛ぶことができない。そこで、JALやANAはこの巨大な空域を避け、不自然なルートを飛ぶことを強いられている。沖縄でも同じである。米軍の軍用機が安全な角度で離着陸できるように、日本の旅客機は非常に危険な低空飛行を強いられている。沖縄と同じように、横田と岩国にある巨大な米軍の管理空域では、米軍はどんな軍事演習もすることもでき、日本政府から許可を得る必要もない。この米軍の管理空域については、国内法の根拠は何もない。
 同じように「ウラの掟」があり、日本の国土はすべて米軍の治外法権にある。「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」である。日本は、米軍に「国内に自由に基地を置く権利」と「そこから飛び立って、自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」を与えている。この本では、日米安保の本質が「日本防衛」ではなく、米軍による「日本の国土の軍事利用」であると述べている。
 次に、日米合同委員会のことも詳しく書かれている。その研究の第一人者の言葉を借りると、「米軍が『戦後日本』において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためにのリモコン装置」ということになる。この組織の日本側のメンバーは各省のエリート官僚で、アメリカ側のメンバーはたった1人を除いて全員が軍人である。米軍に関する問題は、まず日本の官僚とアメリカ大使館の外交官によって処理されなければならない(シヴィリアン・コントロール)。ところが、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接交渉して指示を与えるという極めて異常な関係が続いている。「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」、「軍事面での占領体制がそのまま継続した」、「半分主権国家」として国際社会に復帰したのである。日米合同委員会とは、占領時代から続く米軍が持つ巨大な特権を、どうすれば日本の国内法のもとでトラブルなく維持していくかの調整機関である。最終決定権は米軍側が握っている。
 ここでは、米軍との「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけのよい取り決め」+「密約」と書いている。安保を改定するときには、それを「地位協定」という名前に変えて、少し条文も変えているが、その内容は基本的には変更しない」という取り決めをしている。「地位協定」=「行政協定」+「密約」となる。どうしてこういうことがわかるかというと、機密解除されたアメリカ側の公文書によって明らかにされているからである。日本は占領がすでに終わり、独立を回復したのに、他国の軍隊(米軍)を自国のなかに自由に駐留させ、しかもそれに対して全面的な治外法権を与えているのである。在日米軍の違憲性が問われた砂川裁判のことも詳しく解説している。結局、安保条約は日本国憲法の上位にあることを判決して確定した裁判であった。
 憲法9条のルーツのことも書かれている。大西洋憲章が基になっており、日本国憲法は国連軍の存在を前提に、自国の武力も交戦権も放棄している。世界中で敗戦国はたくさんある。しかし、現在の日本ほど、他国との屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しない。戦後の米国と日本の間に、「裁判権密約」、「基地権密約」、そして「指揮権密約」がある。最後の「指揮権密約」とは、「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」である。ライス国務長官も、回顧録で「日本はアメリカ政府ではなく、軍部にずっと植民地支配されている」と述べているぐらいである。ダレスは、国連軍ができるまでの間、国連軍の代わりの米軍が日本全土に駐留するという法的トリックを考えついたのである。
 この本にも書いてあるように、ロシアや中国の方が、アメリカよりよほど自制的に振る舞っている。尖閣諸島問題や慰安婦問題を挙げて、中国や韓国を批判しない者は反日だと日本会議などはキャンペーンをはっている。しかし、現在の戦後日本の現状は、まだ米軍によって植民地支配され続けたままなのである。沖縄のことも詳しく書かれている。沖縄の人々を非難する桜井よしこなどは、私にはアメリカの言いなりになっている売国奴にしか見えない。これまでの密約を解消するには、米国との交渉しかない。しかし、この方法が難しい。日本ではオリンピック開催が近づいている。アメリカは、自国に不利になる交渉には簡単には応じない。私はテロの情報を握っていても、わざと日本には通告せず、米軍がいないとどうなるか、平気で日本に思い知らせかねない国だと思っている。
 この密約を解消しないと、憲法を改正をしても、日本の軍隊はただ単に米軍に利用されるだけである。日本の防衛のことも考えず、これまで平和憲法とバカの一つ覚えで唱えていた国民も反省しなければならない。ひとつ疑問に思ったことは、戦後の日本経済の発展である。日本にとっての不利な安保条約や密約によって、その代償として米国における経済的利益を享受できていたかである。もしかしたら、経済成長とセットになっていた可能性もある。この辺りのことは当てずっぽうなので、だれか詳しい人がいたら教えて下さい。

 

平成30年4月3日(火)

 いい天気が続いている。先週は、伏見稲荷神社、鴨川、柳が崎湖畔公園と桜を撮りに出た。詳しいことについては、日記の最後の方で紹介する。4月に入って、また書かなければならない書類が溜まってきた。それでも、3月の終わりはゆっくりとできた。年をとると、段々と出かける所が少なくなっていく。国内での写真撮影は、昔ほど感動的ではなくなってきた。いろいろと撮りつくしたこともある。それでも、こんなに青空が出ていると、カメラを持ってゆっくりと散歩にでも出かけたくなる。
 新聞を見ていたら、大阪市のマンション駐車場で、乗用車が爆発大破したことが載っていた。(3月30日) 車内からはライター用のガスボンベが多数発見されていた。この記事だけを見て、何が起こったのかわかる人はほぼいないと思う。今、ネットで調べてみたら、ガスを吸引していた(ガスパン遊び)可能性が高いと書いてあった。実は、私は1989年(平成元年12月)の「アルコール研究と薬物依存」に、日本で初めてライター用ガスボンベを使った乱用の臨床例を論文にしている。「ブタンガズ乱用の臨床的検討ーシンナー、マリファナとの比較を通じて」である。それまで、わが国では死亡例を法医学的に検討していただけである。臨床例は私が初めてである。
 前から書いているように、わが国での覚醒剤のあぶりの臨床例も私が初めて論文で報告している。この時には、今ほど個人情報についてうるさくなかったので、京都府警の協力を得て調査できた。随分とお世話になったので、今でも京都府警にはできるだけ協力している。同じ「アルコール研究と薬物依存」の1990年(平成2年)12月に、「加熱吸引による覚醒剤乱用」という論文を発表している。現在覚醒剤中毒などの薬物依存の治療で有名な、国立精神・神経医療研究センターで薬物依存研究部部長をしている松本俊彦先生は、この覚醒剤のあぶりをまとめて博士号論文にしている。ある講演会で直接本人から聞いたことである。
 さて、ブスアンガ島に行った時に、持って行った週刊誌である。定期購読している週刊ダイヤモンドである。3月17日の夜8時の出発だったので、その日の午後に届いたばかりの雑誌を持って行くことができた。ふだんは忙しいので、興味のある記事もゆっくりと読めない。今回は、飛行機の中や待ち時間などにじっくりと読むことができた。特集は、「劣化する伝統宗教 神社・仏教」である。週刊ダイヤモンドの記事は充実していて、今週号は「1億総転落 新階級社会」である。最新の情報が上手にまとめてあり、新書より読みごたえがある。
 「劣化する伝統宗教 神社・仏教」で興味深かったのは、右派団体「日本会議」を支える神社本庁の政治舞台である「神道政治連盟」である。この本によると、神政連自体の政治力は低下の一途だという。しかし、日本会議は安倍政権の元で、今も厳然と力を保持している。久しぶりに、4月5日号の「週刊文春」を買った。これまで、安倍政権をヨイショして、政権の言いなりであった。権力は必ず腐敗する。こんな原理原則も知らず安倍政権の提灯記事ばかり書いていた。マスコミは言いがかりでもいいから、政権を常に批判するのが使命である。そのことが、政権側にも緊張感をもたらす。
 今週号は、久しぶりの安倍政権に対する批判記事である。前川前文化事務次官の授業に対する調査を指示したのが、自民党文化部会長の赤池参議員である。ウィキペディアによると、日本会議国会議員懇談会(事務局次長)となっていた。それこそ、教育勅語の復活を目指すような人である。明治大学卒業である。前川前事務次官は東大法学部卒業である。明治大学でも、数多くの有名な企業家を輩出している。しかし、大学の偏差値では、東大には足下にも及ばない。
 私は学歴偏重主義者ではない。それでも、少しでもいい大学に入れようとお母さん方が、パートで必死で塾代などを捻出しているのも事実である。子どもも同じようにやりたいことを我慢して、少しでも上の大学を目指している。学歴がすべてではないが、厳然とした学歴社会が存在する。他人の学歴を見て、人それぞれ「大した大学を出ていない」とか、自分が出た大学を基準にして、無意識に判断している。偏差値が高い大学出身者ほど、受験戦争を勝ち抜いてきたという自負がある。当然その人のプライドの拠り所となっている。日本の教育制度のいいところは、どんなに家柄よくてもお金持ちでも、東大や、京大、医学部(最近は私立でも)などに、ズルして子どもを入学させることができないことである。
 こんな程度の人が、文科省を牛耳っているのである。はっきり言って、明治大学より偏差値上の大学を出ている人の中には、東大、京大を含め、快く思っていない人も大勢いる。みんな決して口に出しては言わないが、「こんなバカが何様だと思っているんだ」と怒る人も少なくない。このことについては安倍首相も同じである。恵まれた環境で育ったにも係わらず、大した大学も出ていない。かっては、「南カリフォルニア大学政治学科に2年留学」と偽の学歴を載せていたぐらいである。(現在は経歴詐称になるので、削除している) 一旦歴史修正主義のレッテルを貼られたら、知的エリート出身の各国首脳からは内心バカにされる。バカはバカがお好きなようである。歴史を修正しても、日本以外得になる国はない。戦前については、台湾の一部の人が評価しているぐらいである。各国の知的エリートは、トランプ米大統領を内心バカにしているのと同じである。
 日本会議については、この日記で取り上げた3冊の本を1番最後に再掲する。森友学園・籠池理事長も、日本会議の大阪支部長をしていた。日本会議を支持する神社本庁に属する神社は、昨年まで初詣で改憲の署名をしていた。今年はなかったようである。何回でも書く。右も左も関係ない。権力は必ず腐敗する。

伏見稲荷1 ・久しぶりに伏見稲荷神社に行った。Lumix GM5に10倍の交換レンズを付けての試し撮りである。3月28日(水)は、午前と午後の診察の合間に行った。京阪電車を使うと、東福寺駅から2駅目である。快晴に恵まれ、外国人客も多かった。ただ、人が多いと、なかなかいい写真が撮れない。着物姿の観光客も多い。タイミングさえ合えば、もっと雰囲気のある写真を撮れた。

伏見稲荷2 ・稲荷神社では、思ったより桜の木はなかった。桜の花の前で写真を撮る人は大勢いた。仕方ないので、横から一緒に写真を撮らせてもらった。目の部分は一応ぼかしは入れている。

鴨川1 ・私の医院から鴨川に出るのは、歩いて15分もかからない。3月29日(木)の午後から出かけた。塩小路通りの鴨川である。左下の向こうに、JRの橋が見える。

鴨川2 ・この写真は、鴨川の向こう岸である。10倍の交換レンズを使うと、ここまで寄れる。

カメラ ・今回使ったLumix GM5である。長いこと使っていなかった。GARIZのカメラケースを付けている。本体は211gで35mm判換算で、28-84mmの交換レンズ(95g)を付けている。右のレンズが今回使った35mm判換算で、28-280mm(265g)のレンズである。ふつうのミラーレス・カメラで10倍の交換レンズを付けたら、とんでもなく重く、大きくなる。こんな小型のカメラとレンズでも、旅行に持っていくのは無理だと思った。近場専用に使おうと思う。

柳が崎湖畔公園1 ・私の琵琶湖のマンションから5分もかからない所に、柳が崎湖畔公園のイングリッシュ・ガーデンがある。4月1日(日)の入園料は特別割引料金で、100円であった。やはり春になると、草花が咲き乱れてきれいである。使ったカメラは、ブスアンガ島に持って行ったCybershot RX100M5である。

柳が崎湖畔公園2 ・びわ湖大津館の前に立っていた桜の木である。実は、垣根の手前に、工事現場で使う三角コーンが並べられ、バーが掛けられていた。垣根の向こうには、青いビニールシートもあった。ソフトを使って、これらを消した。下のチューリップの部分をもっと入れたらよかった。久しぶりに海津大崎の桜の写真も撮りに行きたくなった。

今週のトピックス 4 (160628)

菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)
菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)

 前から約束していた本である。きょうの朝は4時に目覚め、その後1時間ぐらいかけて読み終えた。この本は、アマゾンで5月7日に注文した。どこまで正確なのかわからないが、発売日は5月1日である。いくらで手に入れたかというと、送料257円を含め、全部で2931円であった。定価は861円である。発売直後なのに、売り切れ寸前であった。普通、こういう場合には再入荷までお待ち下さいと書いてある。ところが、そのコメントもなかった。買っておかないと手に入らないと思い、この値段でも手に入れた。新聞に出ていた週刊誌の広告では、政府が出版社に圧力をかけたという。
 今は誰でも定価で手に入れることができる。新聞を読んでいると、ずっとベストセラーにはいっている。時間がなくて読んでいる暇のない人のために、書くべき事は書いておこうと思う。日本会議についてはネットなどで話題にはなっていた。著者は、自分を「右翼であり保守だ」と自認している。しかし、「日本会議」については「右翼」や「保守」も基本的素養に欠け、奇異だと断言している。私は自分のことは保守で、右翼だとは思っていない。政治についても、きれい事では済まず、「清濁合わせ飲む」とか「水清ければ魚住まず」も理解している。舛添前都知事のことについては国民には評判が悪い。しかし、私はそれほど目くじらを立ててはいない。地方議員や国会議員の中には、同じようなことをしている人が掃いて捨てるほどいるからである。一罰百戒的な意義はあるかもしれない。しかし、こんなことより、現在進行しているもっと巨悪を追求すべきである。不倫などについても、第三者が口を出すことではない。当事者間で解決したらいい。
 著者は私より21歳若い。私はポスト団塊世代である。学生運動が吹き荒れた後の世代で、白け世代とも呼ばれている。ずーとノンポリで、学生時代はロックに浸っていた。昔の社会党などの左翼は、今から考えてもひどかった。世間の自衛隊に対するイメージも、戦争と結びついて冷たかった。どこで、昔の左翼の主張がほころびたかというと、阪神大震災の時である。私はこの時に、神戸の社会保険病院にいた。あれだけの大災害の時に、自衛隊の船が神戸の港に寄港できなかった。どうしてかというと、神戸市が平和都市宣言をしていたからである。
 一刻も早くけが人を救わなければならないのに、自衛隊のヘリコプターは勝手に校庭に着陸することもできなかった。校長か誰かの許可が必要であった。元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が後に書いていたように、自衛隊と言っても、自国の防衛さえできないほどがんじがらめに縛られていた。左翼の主張は、自衛隊の暴走を許さないである。この時の新聞記事で覚えていることは、こういう時には自衛隊が1番頼りになるとしぶしぶ認めていたことである。当時の雰囲気としては、自衛隊の存在を認めること自体が、良識のある知識人には属さないと思われていた。
 さて、第三次安倍内閣である。日本会議国会議員懇談会に全閣僚19名に占める割合は8割を超えていた。日本会議を目指すものは、いろいろ書かれている。その1部を紹介すると、皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきであるが、改憲したうえで昭和憲法の行き過ぎた家族観や権利の主張を抑え、靖国神社参拝等で国家の名誉を最優先する政治を遂行し、となる。本音は、明治憲法復活である。日本会議は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」など分化会的な別動団体を多数擁している。成功事例としては、歴史教科書採択運動と男女共同参画バッシングである。
 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一も、政府が南京事件の記憶遺産登録を阻止すべく頼った高橋史郎も、全員が「成長の家」から出た人々である。「成長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。「成長の家」の創始者である谷口雅春の説くところによれば、「天之御中主神→天照大御神=天皇」という「中心」があり、そこに一切の真理がありその真理を信じることが「中心帰一」だという。「成長の家原理主義」運動の経典となっているのが、「生命の實相」だという。稲田朋美は、「谷口雅春先生を学ぶ会」で祖母から受け継いだというこの経典を振りかざしながら講演している。安倍首相のお気に入りの稲田は在特会と密接な関係があるという。
 当時の学生運動のことが書かれている部分も面白かった。1966年10月に早稲田大学で、左翼でない学生たちが一般学生の支持を取り付け、左翼学生たちのバリケードを撤去する成果を生んでいる、この運動を領導したのが、後の「一水会」の鈴木邦雄である。鈴木も当時熱心な成長の家信徒であった。この半年後に、国立大学唯一の長崎大学自治会を左翼から取り戻したのが、これも成長の家信徒の安東巌であった。この続きは、この本をとって是非とも読んで下さい。この決して表にでてこない安東巌の話も本当に面白い。
  信仰の自由は誰にでもあるので、とやかく言うつもりはない。しかし、小選挙区制になって公認権をはじめとする党内の人事権を執行部が独占してから、自民党内からは何も異論が出てこなくなった。官僚の人事も抑え、誰も逆らうことができない。これだけの権力を一手に握る者は、常に抑制的で謙虚でなければいけない。しかし、マスコミや世論を抑えつけるような暴言が政権内から相次いで出てきている。「ヘイトデモ」の原点になる西村修平が、2001年に女性国際戦犯法廷を取材したNHKに、放送前に抗議活動を開始した。一介の市民運動家でしかない西村が、どうして放送内容を事前に知っていたかである。情報を事前にリークしたのが、現在の安倍首相の筆頭ブレーンとされている人物と言われている。私は憲法改正派である。どこの国とも対等な関係になるためである。時代錯誤の明治憲法の復活なんか望んでいない。現在は安倍首相を始め、こんな人たちが日本を牛耳っているのである。この本の帯にも書いてあるように、(このまま放置したら)「一群の人々」によって日本の民主主義は殺されるだろう。

 

今週のトピックス 12  (160920)

俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)
俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)

 最近は、やたらと日本会議に関する本が出版されている。「今週のトピックス4」でも、菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)の本を紹介した。1冊だけでは物足りないので、改めてこの本を紹介する。副題には、安倍政権を支える極右組織となっている。本の内容としては、日本会議のこれまでの活動内容について時間的経過を追って解説し、資料的な参考文献となっている。著者は出版労連教科書部長などを経て、現在子どもと教科書全国ネット21事務局長をしている。
 安倍首相は私より1つ年下である。私の世代はポスト団塊世代で、シラケ世代とも呼ばれていた。団塊世代が学生運動で暴れていたので、過激派などをずっと醒めた目で見ていた。だから、私の世代では、左翼の発言について反発を覚える人も少なくなかった。そんな時代に育ったので、私も左翼が唱える自虐史観について、ずっと猛反発してきた。TVタックルに出演していた政治評論家の故三宅久之の発言についても、まったくその通りだと思っていた。
 私が考え方を180度変えたのは、神保哲生、宮台真司「中国―隣りの大国とのつきあいかた」(春秋社)を読んでからである。2007年の出版なので、もう9年になる。ここで指摘していたことは、大半の日本人が敗戦国であったことを忘れていることである。戦後、敗戦国である日本は、中国を含め戦勝国とは立場がまったく違った。ここでも何回も書いていることであるが、国連憲章の中に、日本に対する敵国条項がまだ残っているぐらいである。東京裁判を茶番劇だと得意げに非難する人がいる。この裁判は、一種の手打ち式なのである。細部にこだわると、本質を見失ってしまう。敗戦国日本に対して、戦争責任は天皇にも国民にもなく、A級戦犯などが悪かったとした裁判なのである。連合国側も、莫大な戦費を費やし、多大な死者を出している。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、天文学的な賠償金を課せられたことはよく知られている。敗戦とは、運動会の綱引きで負けたのとはわけが違う。
 最近、日本遺族会の古賀誠会長が、靖国参拝問題に関し「すべての国民、首相や天皇陛下も行けるような環境整備のため、私たち遺族が大きな決断をしなければならない」と述べ、靖国神社からA級戦犯を分祀すべきだと発言した。日本会議の主要メンバーである櫻井よしこは、富田メモを否定している。天皇がご親拝しないのは、A級戦犯が合祀されているからではないと発言している。しかし、東京裁判の本来の意味を考えたら、天皇がご親拝できるわけがない。靖国神社はA級戦犯が合祀されていることで、世界からはWar Shrineと呼ばれている。各国の首脳は、誰も参拝しない。
 少し前に、日本などの核保有容認論を展開していた共和党のドナルド・トランプに対して、アメリカのバイデン副大統領が「核保有国にならないと明示した、日本国憲法を我々が書いたということを学校で習わなかったのか」と発言していた。私は憲法改正論者である。しかし、安倍首相が勧める憲法の拡大解釈(憲法学者の90%が憲法違反と表明)については反対である。日本会議は下部組織にいろいろな会を発足させている。この本では、櫻井よしこなどが代表となっている「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会で、安倍首相がビデオメッセージを送っていることを伝えている。その内容の一部紹介すると、「また、現行憲法が、日本が占領されていた時代に占領軍の影響の下で原案が作成されたものであることも事実であります。憲法は国のかたち、未来を語るものです。その意味において、私たち自身の手で憲法をつくっていこうという精神こそが、新しい時代を切り開いていくことに繋がるものである。私はそう考えます」と述べている。
 この発言自体、私ももっともなことだと思う。宮台真司が述べているように、日本の左翼は平和憲法を唱えるだけで、国としての防衛をどうするか納得できる発言は何もしていない。日本の防衛は米国におんぶにだっこなのに、この事実についてはわざと無視している。これからの戦争は、局地的な紛争が起こっても、大部分はコンピューターを使ったハイテク戦になっていく。実際の戦闘でも、ロボット兵が活躍すると言われている。それでも、憲法では防衛力の保持を定めなければならない。私が憲法改正派であるのは、何でもハイハイとアメリカに協力するためではない。独立した国として判断できる国になるためである。防衛をすべてアメリカに頼っていたのでは、アメリカの言いなりになるしかない。
 さて、何が問題かである。日本会議の主張する憲法改正の内容である。日本は初代・神武天皇以来、万世一系の男系天皇によって皇統が続いてきた。これが日本の国体であり、天皇を中心とした国を作ることを基本方針としている。この本から引用すると、それだけではなく、歴史認識の問題でも、「南京虐殺はなかった」「慰安婦はでっち上げ」「中・韓の反日プロパガンダ」「東京裁判は誤り」「首相は靖国神社に参拝せよ」「植民地支配は良いことをした」「大東亜戦争は祖国防衛・アジア解放の戦争だった」と主張している。日本会議が改憲以外の「重点課題」としての国民運動は、元号法制化運動や国旗国歌法制化運動、教育基本法改正運動、皇室の伝統を守る運動で、女系天皇容認の反対、靖国神社20万人参拝運動での政府の国立追悼施設建設反対運動、家族を絆を守る夫婦別姓反対運動、外国人参政権反対運動などがある。参議院選挙で日本会議が推薦する2人の候補者の1人である有村治子はもっともふさわしくない女性活躍・男女共同参画担当大臣だった。
 私はまだほとんど読んでいない辻井喬、藤田秀典、喜多明人編「なぜ変える? 教育基本法」(岩波書店)を持っている。2006年10月6日に第1刷が発行された。今回、この本を手にとって調べてみたら、高橋哲哉と三宅昌子の対談「これは『国民精神改造運動』だ」に、日本会議の名前が出てくる。「歴史教科書問題で、『新しい歴史教科書をつくる会』が、日本会議のような復古的な団体を背後にしてメディアで活躍したように、『新しい教育基本法を求める会』というのができていて、これの役員、メンバーの名簿を見ると、『つくる会』の主要メンバーが軒並みはいっている」と指摘している。この本では、日本会議は、「国民の会」をはじめいくつもの「フロント組織」を保有し、日本の政治・経済・社会・教育・文化などあらゆる分野に浸透し、支配を進めようとしていると書いている。
 現在は、櫻井よしこなどが中国の南・東シナ海問題を取りあげ、さかんに「日本が危ない」と危機感を煽っている。TVタックルなどの番組では、日本が中国でしてきたことについては、戦争時にはどこでもあったような言い方をしてごまかす。前にも書いたように、南京で民間人を虐殺はしているし、満州ではアヘン取引もしている。無実の農民もたくさん殺している。南京や重慶などでは、民間人を含めた無差別爆撃もしている。現在の中国人の国民性を非難し、それこそ戦争時に日本は何も悪いことはしていないような主張をしている。私は国民会議については、日本が中国でやってきたことを素直に認めず、正直者の日本人なら誰もが嫌う恥知らずの卑怯者集団だと思っている。

今週のトピックス 22  (161220)

『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日)
『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日)

 またしても、日本会議について書いた本である。このトピックスで取りあげるのは、3回目である。この本も読み応えがあり、本当に面白かった。この本には8人の人が出てくる。元「一水会」顧問の鈴木邦男のインタビューも載っている。私が懐かしい名前を見つけたのは、宗教学者の島薗進である。私がグルジェフ、ラジニーシ、サイババ、オウム真理教などに興味を持っていた時に、島薗進「精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動」(東京堂出版)の本に出会った。その内容に舌を巻いた。宗教学者というのは、すべてお見通しで、こんなにも冷静に分析できるものかと、それこそひれ伏した。新霊性運動とは、New Spiritual Movementのことである。
 まず、この人のインタビューから、紹介していく。それぞれの著者で、重複した内容となっている部分も多い。まず、日本会議の主張する「伝統」である。日本の歴史上、ずっと国民と天皇が一体感を持っていたという。ところが、江戸時代の末期に至るまで、天皇の存在は多くの日本の住民には意識されていなかった。日本会議が「皇室と国民の強い絆」は「千古の昔から変わることはありません」と主張していることは、でっちあげなのである。1930年以降、天皇の犠牲になって死ぬことが、非常に高い価値を持つようになった。明治以降、権力側や権力を取りたい勢力が、天皇の権威を利用して、民衆に強制していたのである。
 「戦前の体制にこそ日本の伝統がある」という考えの人たちは、戦後一貫して神道指令(GHQが出したもので、神社神道と国家の分離、すなわち政教分離の基礎となった)を覆し、伊勢神宮の地位を高め、靖国神社を国家的施設にしたり、紀元節を復活させることに力を注いできた。日本の神道の歴史からみたら、「伊勢神宮こそが全国の神社の中心である」というのは、明治以降の話で、神道の歴史の中では1つの立場に過ぎない。靖国神社が世界の他の戦没者追悼施設とどう違うのかも書いている。天皇崇敬を鼓吹し、個々人の命を軽んじて自己犠牲させる、いわば殉教をあおるような施設になっている。それが、特攻にもつながり、捕虜になることも許さず、「玉砕」という殉教思想にもなってきた。島薗によると、靖国は、戦没者の慰霊ではなく、天皇崇敬が濃厚に組み込まれており、特定の宗教を国民に強いることになるという。この靖国神社については、他の章で、日本会議の三代目会長であった元最高裁判長官である三好達の発言を紹介している。「戦争犠牲者の追悼」を靖国神社ではなく、「国立追悼施設」で実施することに反対する理由として、「(靖国神社を創設した)明治天皇の大御心を踏みにじるもので、不遜極まりない。」と主張していた。
 神社宮司である三輪隆裕の発言も面白い。国家神道は、神道の歴史の中では極めて特殊だと同じことを述べている。天皇を頂点とした一種の家族主義的国家観、「国体」観が明治以降、国民の意識に植え付けられた。家族主義が通用するのは、せいぜい家庭内とか友人関係までである。民主主義には「人間を信用しない」という前提があり、契約と法に基づく法治社会となっている。家族主義を国家まで拡大すると権威主義や全体主義となる。良いリーダーの元に素直な人々が結集して良い社会を作るのが、1番危険なのである。こうした「国体」観を破壊した占領軍はけしからん。その占領軍が作った現行憲法も改憲しろというのが、日本会議と神社本庁なのである。私は知らなかったが、今年の正月には多くの神社で、日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲署名用紙が置かれていたという。ほとんどの場合、本庁から書類が来ているからというぐらいで、神社の人は自分の頭では何も考えていない。組織に引きずられて、主体性がないことが、全体主義の怖さなのである。
 「今週のトピックス 12」俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)で述べているように、私は改憲派である。しかし、日本会議や安倍首相の主張している明治憲法の復活を目指した改憲内容については断固として反対である。この中には、教育勅語の復活も含まれる。日本会議の歴史に簡単に触れると、明治神宮に事務局を置く右派宗教集団が集う「日本を守る会」は宗教人と文化人の集まりで、左翼との闘いで通じた大衆運動のノウハウと経験を有する一群の思想集団が事務局を担った。「日本を守る国民会議」は宗教会、財界、政界、学者などの各会の代表者の組織であった。1997年に両組織を統合して、日本会議が生まれた。元号法制化などのために、全国にキャラバン隊を派遣している。地方から中央へ、広汎で幅広い勢力の結集をし、これまで地道な国民運動を展開してきている。草の根運動と言われるゆえんである。「日本は侵略国家ではなかった」という主張を盛り込んだ「戦争謝罪の国会決議阻止」のため、全国26県議会90支障村議会で「阻止」を求める決議を可決させていた。
 この本にも書いてあるように、日本会議にとって過去の戦争は常に「聖戦」として疑問の余地なく固定化されている。「皇軍」の戦争や軍事行動が常に神聖不可侵の「現人神」で「大元帥」であった天皇の名において遂行されたということが前提となっている。それゆえに、戦死した「皇軍」の兵士は無条件に「神」、「英霊」として合祀されるべき存在となり、他国の被害などまるで顧みない自己中心主義的な「正当化の物語」に落ち着く。紀元節とは、神の子孫とされる初代「神武天皇」が奈良の橿原で即位した日であるとして、明治国家が架空の日付を創作して、初めて定めた祭日である。日本の伝統とは無縁の紀元節が、現在では建国記念日として1966年に復活して祝日となったのである。天皇の政治的発言は禁じられている。しかし、現在の安倍政権と日本会議に対しては、明らかに不快感と危機感を持っていることに間違いはない。靖国神社にA級戦犯が合祀されてからは、昭和天皇も今上天皇も御親拝されていない。
 日本会議を支持する国会議員の集まりである「日本会議連」の名簿は非公開である。しかし、この本によると、2016年2月現在で、280人いるという。これだけ加入する議員が増え続けるのは、「今週のトピックス 8」村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)で書いたように、小選挙区制度では官邸に公認されなければ当選できないからである。議連にはいれば公認されやすいし、日本会議には神社本庁をはじめ多くの宗教組織が参加しているので、その集票力も魅力である。日本会議が取り組んでいた「夫婦別姓に反対する運動」や「国旗・国歌・元号の法制化」に反対する国民はそれほど多くないかもしれない。「戦没者への追悼と感謝の表明」も特別目くじらをたてることではないかもしれない。しかし、最終目標は、明治憲法と教育勅語の復活であることは忘れてはならない。
 最後に、日本会議が「愛国者」ぶって、現行憲法を「占領憲法」と主張しながら、「日米安全条約」に反対しない大きな矛盾である。歴代自民党政権の対米従属政策に異議を唱えることもない。この本では、「自国の防衛を他国に委ねる」現実を法的に規定しているのは憲法ではなく、憲法上その存在を許すべからざるものであると東京地裁で指摘された、日米安全条約なのである。この条約の本質は、米国側が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利を持つという「全土基地方式」にある。戦後70年経っても、首都圏上空の管制権すら米国に握られ、国内での事故・事件を起こした米兵の「第一次裁判権」の確保も許さない日米地位協定がまだ存在しているのである。私は「愛国」とは戦前の復活ではなく、この問題を一刻も早く解決することだと思っている。

 

平成30年3月27日(火)

 暖かい日が続き、鴨川の桜も一気に咲き出した。長いこと桜の写真は撮っていなかった。天気がよかったら、明日か明後日に、伏見稲荷に桜を撮りに行こうと思っている。今週末では桜が散ってしまいそうである。下取りに出していない古いミラーレスのカメラも持っている。ついつい発作的に、最近中古の軽い10倍の交換レンズを買ってしまった。この試し撮りに行こうと思っている。持っているカメラはルミックスのGM5である。発売は2014年11月である。後継機も出ているが、ファインダーがついていないのが気に入らない。10倍の交換レンズの重さは265gである。GM5の重さはバッテリーも入れて211gである。この程度なら、近くの撮影には気軽に持って行けそうである。
 この前の日曜日は、夕方4時から東山医師会定時総会があった。平成29年度の庶務・事業並びに会計中間報告など内容は堅い。1時間の討議の後で、保健医療懇談会がある。私は今は医師会の仕事は名義だけでほとんど何もしていない。毎回役員の先生方には、本当にご苦労様と頭が下がる思いである。みんな無報酬である。(京都市などの委託業務は別) 私は労災の仕事や各種診断書などで忙しいと言っている。しかし、報酬や診断書料などは出ている。東山の医師会長に聞いたら、東山医師会のA会員は現在48名である。人数が少なくて、京都府医師会の各委員会などにも人が出せないぐらいである。昔は山科医師会と一緒であったらしい。今度は再び他の医師会と合併したらいいと言う医師会長もいるらしい。それぐらい、東山区は高齢化が進み、医師会員も減ってる。
 懇親会では、テーブル席に別れて食事をした。今回は和食が中心であったので、美味しかった。フランス料理みたいなのは、正直言って私の口にはあまり合わない。ふだん接することのない先生とも話ができてよかった。京都第一赤十字病院の部長も、私が辞めてから大幅に変わっている。新しく来られた部長とは名前だけでほとんど話す機会がなかった。卒業年度は当然私より下である。科が違っても、同じ卒業年度の後輩はいるので、共通の話題はある。私の患者さんもお世話になっている。ゆっくりと話す機会はこんな時ぐらいしかない。両隣は70歳を超えて開業をしている年配の先生であった。私は今の所元気である。しかし、これから残りの人生をどうやって生きたらいいのか、いつも悩んでいる。みんな少しずつ、外来のコマ数を減らしているようである。
 さて、17日(土)から21日(水)まで行っていたブスアンガ島の続きである。今回も写真付きで解説する。20日(火)の日に、コロン・タウンからブスアンガ空港まで、ホテルで乗り合いバンを頼んだ。来たときと同じで、150ペソ(315円)であった。30分ちょっとで着く。私が最初の客で、それぞれのホテルやペンションに寄って、予約していた客をピックアップしていく。2番目の客は金髪の美女で1人であった。私の隣に座ったので、1人旅なのか声をかけた。1人旅だという。ニューヨークに住んでいて、6ヶ月かけて旅行しているという。話を聞いたら、タイのピピ島やサムイ島、同じフィリピンのエルニドなどあちこち行っている。私は天候が悪くて、パンガン島には行けていない。日本にも行き、広島や金沢、高山などあちこち巡っている。仕事は持っていないという。これからブスアンガ空港からセブ島まで行くという。1人旅の女性というのはあまり会っていない。男の私でさえ、1人旅は珍しがられるぐらいである。(特に、現地のツアーなどでは) もしかしたら、大金持ちの令嬢だったかもしれない。
 ブスアンガ島は、マニラから40分ちょっとで行ける穴場のリゾート地である。エルニドにも、高速ジェット・ボートで3時間で行ける。ボラカイ島のように、大勢の観光客もいない。素朴な田舎のよさが残り、物価も安く、とんでもなくぼる人もいない。町の雰囲気もエルニドよりいい。是非ともお勧めのリゾートである。

ラグーン   前回のツアーの続きである。ブスアンガ島はカラミアン諸島に属する。コロン島、クリオン島がすぐそばにある。こんな景色が続いている。

水中   少し前のペンタックスの防水カメラで撮った。4:3なので、3:2に切り抜きをしている。珊瑚がすぐ足下にある。この中国人の女性2人組のように、足に水中用のスリッパみたいな物(マリン・シューズ)を履いていた方が安全である。曇り止めを持って行くのを忘れたので、水中マスクがすぐ見えにくくなった。せっかく防水カメラを持って行ったのに、ふだん使い慣れていないこともあり、撮影はけっこう難しかった。動画はそこそこ撮れていた。

コロン島1   ここはツアーの最後に行った所である。あちこちのビーチに寄っている。どこがどのビーチなのかよくわからなかった。申し込んだツアーの場所やビーチの名前は、パンフレットに書いてあった。「地球の歩き方」で調べてみると、ここもコロン島の中のビーチである。

コロン島2   階段を上っていくと、こんな景色に出会える。こんな写真はなかなか撮れない。

コロン島3   同じ場所から、ズームして撮った。持って行ったカメラは、35mm換算で24-70mmしかない。しかし、全画素超解像スームを使うと、140mmまで寄ることができる。

コロン島4   ここは高台を超えて行った所にある湖である。カヤンガン・レイクである。パンフレットに書いてある名前で、ここはコロン島だとわかった。他にも、コロン島のツイン・ラグーンズなどにも寄っていた。

港   港からは歩いてホテルまで帰った。その途中で撮った写真である。こういう雰囲気は私は大好きである。

ホテル前   この写真はホテル前の海岸で撮った。ものすごいスピードで走って行ったので、多少ぶれている。向こう側の建物の向こうにいろいろなツアーの発着場所(港)がある。

ガソリンススタンド   20日(火)は、午後便でマニラに帰らなければならなかった。午前9時から午後12時前までの3時間近く、トライシクルをチャーターした。値段は交渉して、400ペソ(840円)であった。まず始めに、3km離れたマキニット温泉に行くことにした。途中、トライシクルのドライバーがガソリンを入れるために、スタンドに寄った。その時に撮った写真である。

洗い場   これも途中の寄り道で見つけた村の共同洗い場みたいな所である。自分で気になる物があったら、ドライバーに言って好きな所で停めてもらえる。こういう写真は、普通の観光をしていたら、なかなか撮れない。

温泉   ここがマキニット温泉である。入場料は200ペソ(420円)である。海が望める。しかし、日中は日差しが強いので、夕方ぐらいがいい。温度も日本の温泉と変わりない。全裸ではなく、男女とも水着をつけてはいる。夜8時までやっている。夜の帰り道は真っ暗になる場所もある。しかし、マニラと違って田舎は治安がいいので、安心してトライシクルを利用したらいい。

タブヤス山   ここは前回の4枚目の写真でも紹介したタブヤス山の頂上である。大きな十字架が立っていて、夜は照明でどこからでも見える。ただ、ここまで上る階段は結構ある。腰や膝が痛かったりしたら、頂上までは無理である。標高190mである。天気がよかったので、コロン・タウンが遠くまで見渡せた。それこそインスタ映えの景色が広がっている。

中国人  21日(水)は、朝6時55分出発のジェットスターでマニラから関西空港に帰ってきた。ところが、せっかく5時20分頃に空港に行ったのに、搭乗手続きがとんでもなく時間がかかった。6時20分ぐらいにやっと搭乗券をもらった。それでも、追い風のせいか関西空港の到着時間は早かった。
 関西空港で昼食をとり、12時44分の特急はるかで京都まで帰ってくるつもりであった。ところが、この日は12時31分に強風があって、阪和線の泉橋本で停車した。そのうち動き出すだろうと思っていたら、いつまで経っても動かない。乗客はみんなどんどんと降りて、南海電鉄貝塚駅まで歩いて向かっていた。新今宮まで行って環状線に乗り換える。25分ほど歩かなければならないと聞いたので、1時間半ほど待った。しかし、途中で私もあきらめて、中国人観光客の後について貝塚駅まで歩いた。今回の旅行はほぼ予定通りに進んだ。しかし、どんな旅行でも思わぬ所に落とし穴がある。  

カメラ  今回の旅行で持って行ったソニーのサイバーショットRX100M5である。レンズが明るいので、夜にも強い。私はこの写真にあるように小型三脚にもなる取っ手をつけて、ファイダーを出して撮っている。取っ手があると、手ぶれしにくいし、持ち運びしやすい。特に、動画を撮るときには便利である。全画素超解像スームを使うと、140mmまで寄ることができる。今回の旅行でも、倍率が足りなくて困ったのは、1回あったか、なかったぐらいである。カメラ本体はバッテリーも入れて299gである。
 パナソニックの15倍ズームのルッミクスTX2が必要かどうか迷いだした。写真より、動画もたくさん撮ってきた。動画も本当にきれいに撮れていた。右側にあるレンズは磁気でこのカメラに取り付けることができる。写真で、カメラに粘着テープでリングを付けていることがわかる。このレンズはPL(偏光)フィルターである。水の反射などを取り除くことができる。こんなカメラでも凝り出すと、(私は持っていないが)iPhone以上に楽しい。

平成30年3月20日(火)

 この日記は22日(木)に書いている。17日(土)の外来が終わってから、夜8時の関西空港発のジェットスターで、マニラに行った。今回は往復LCCのジャットスターを使い、値段は全部で2万7780円であった。ネットで予約だけしたので、手荷物料のことをしっかり読んでいなかった。事前申し込みをしておくと、4300円であった。空港で直接頼んだら5千円であった。帰りも、同じぐらいの料金がかかった。年末年始にエルニドに行った時に、フィリピンペソはたくさん両替をしていた。最後の日に両替をしたら、1ペソ2.1円弱であった。
 夜11時過ぎには、マニラの空港に着いた。しかし、入国審査(パスポート・コントロール)に50分ぐらいかかった。こんな遅い時間なのに、大勢の観光客が殺到していた。今回は、空港に近いパサイ市にホテルを予約した。ヘリテッジ・ホテルの近くであった。現地で地図を見ていて気がついたが、日本人がよく行くゴーゴーバー(エドゥサ・エンターテインメント・コンプレックス)の近くであった。私はここでも何回も書いているように、全く興味はない。ホテルに着いたのは、夜1時近くで、この日はそのまま寝た。ホテルはエクスペディアで予約した。朝食付きで、6605円である。格安ホテルではなく、そこそこのビジネス・ホテルに近い。1人で泊まっても、2人で泊まっても同じ値段である。朝食券も2枚付いていた。
 この後のことは、写真付きで解説する。気楽そうに、海外に行っているように見えるかもしれない。しかし、ほとんど休みもなく、書類書きや労災裁判の意見書や京都労働局の労災の医学的見解などの処理に直前まで追われていた。花も嵐も踏み越えて行かないと、海外旅行なんてできない。私は今年の5月で65歳になる。身体が動かなくなってから後悔しても仕方ない。元気なうちに行きたい所に行こうと思う。今回かかった旅費については、具体的に書いていく。豪華ホテルには興味がない。それほどお金もかかっていない。それでも、最高の旅を味わえて、本当によかった。

地図  今回行ったのは、パラワン島の北にあるブスアンガ島である。エルニドはパラワン島の北部にある。前にも書いたように、プエルトプリンセサの空港からエルニドまで、バスで7時間半、乗り合いバンでも6時間かかる。

空港  マニラからブスアンガ空港までは、40分ちょっとである。私の便は午後2時10分発である。国内便があちこち出ている。カチクランはボラカイ島で、タグビラランはボホール島である。エルニド行きもあるが、これは高級リゾートホテルに滞在する乗客用である。ブスアンガまでの飛行機代は、往復で8014ペソ(16,810円)であった。

ホテル1  ブスアンガ空港から島の中心部であるコロン・タウンまでは乗り合いバンを使う。30分ほどで、150ペソ(315円)である。ホテルの前まで運んでくれる。ここはネットで予約したホテルである。2泊朝食付きで、9428円であった。シングルベッドとダブルベッドが置いてあった。大人3人で泊まっても、同じ値段である。

ホテル2  ホテルを出て、山側を望んだ所である。20日(火)には向こうに見える高台に上った。ホテルは広い海岸沿いから2軒目にある。

夕日  ホテルから埠頭までは歩いて数分である。ちょうど夕日が落ちる時であった。こんな写真がいとも簡単に撮れる。「地球の歩き方」に出ていたルアルハティ公園のすぐそばである。

海岸  ホテル前の海岸である。トライシクルを頼んでも、値段は安い。

レストラン  町中は、エルニドより広い感じで、いい雰囲気であった。しっかりしたレストランもいくつもあった。この写真は、4階か5階にあったレストランから撮った。夜7時過ぎで、6時半ぐらいに行ったら、夕日がもっときれいであったと思う。あまり遅く行ったら、真っ暗で高層レストランの価値はあまりない。照り焼きチキンバーベキューとガーリック・ライス、ビール2本を頼んで、全部で440ペソ(924円)であった。

港  19日(月)は、前日にホテルで申し込んだツアーに参加した。8つのツアーがあった。1番高い1,500ペソのツアー(3,150円)を選んだ。1,200ペソのツアーが多かった。昼食付きで、朝8時過ぎに迎えに来て、夜5時半頃にホテルまで送り届けてくれる。ここからバンカー・ボートに乗る。

ボート  同じツアーのメンバーは18人いた。フランス人や中国人の2人連れの女性もいた。カップルや家族も多かった。私の隣には、セカンド・ハネムーンだというマニラから来たカップルが座っていた。フィリピン人はけっこう気さくで明るいので、お互いに冗談を言って、楽しく過ごすことができた。

島1  エルニドにも劣らない景色が続く。今回ブスアンガに行って思ったのは、エルニドの魅力はスモール・ラグーンだと改めて思った。それ以外は、エルニドには決して負けていない。

船内  みんな美しい景色にスマホやカメラを向けていた。右側にいるのが、フランス人の女性2人組であった。エルニドでも2人組の女性は多かった。最初は、みんな夜に同じ欧米人の男性グループとわいわい騒いでいるかと思っていた。そうでもない人たちもけっこういるようである。

ラグーン1  逆光になって、少し霞んで見える。こんなラグーンがあちこちにある。今回のツアーはシュノーケリングが中心であった。私は、水中マスクとシュノーケルを日本から持って行った。フィンはさすがに重く、持って行くのはあきらめた。

ラグーン2  こんな景色は沖縄でも見られないだろう。こんな写真が撮り放題である。

ラグーン3  ここでもシュノーケリングをした。

ラグーン4  こんな所で泳ぐことができたら、天国である。

島2  今回ブスアンガに行って思ったのは、タイのピピ島より魅力的だと思った。ピピ島に行くには、バンコクからけっこう手間暇がかかる。それから比べたら、安くて近くて海もきれいである。

島3  これだけ海が澄んでいる。私がどうしてゴールデン・ウィークではなく、3月にしたかというと、ベストシーズンが終わり、雨期にはいってくるからである。天候に恵まれなかったら、飛行機が飛ばないこともある。

島4  コロン・タウンからエルニドまで高速ジェット・ボートが出ている。3時間ほどで着くという。しかし、これも天候に恵まれなかったら、キャンセルになる。年末年始はベストシーズンなのに、プエルトプリンセサで台風に遭った。翌日の飛行機は何とか予定通り飛んだ。しかし、当日のホンダ・ベイ・ツアーがキャンセルになった。

島5  これだけ海がきれいであったら、何も言うことはない。

島6  この日のツアーはまだ続くが、きょうはこの辺で終わりにする。

平成30年3月13日(火)

 この前の金曜日は、東山こころのふれあいネットワーク総会があった。慌てて行ったので、名刺を持っていくのを忘れた。私はもともと名刺は持ち歩かない。これまでに、何回か作り替えている。今は肩書きもほとんどなくなった。意識的にシンプルな物にしている。医学博士も付けず、このホームページも載せていない。会長さんや隣に座っていた東山歯科医師会や東山薬剤師会の代表の人などから名刺をいただいたが、お返しができなかった。座長とかしていたら講師の先生と名刺交換ぐらいはするかもしれない。ふだんは医者同士でもあまりしない。
 資料を見ていて気づいたことである。東山区で精神科で開業している先生は、私を含め3人である。京都第一赤十字病院では、専攻医を含め3名いる。私は今年の5月で65歳になる。もっと若い人に頑張ってもらいたいと思っていた。このネットワークの副会長は、京阪三条で開業している先生である。私より大分若い先生かと思ったら、1歳しか違わなかった。開業しているもう1人の先生は年上である。日赤は日赤で忙しいので、若い人と言っても、誰もいないことに気がついた。
 この前の日曜日は、相変わらず書類書きなどの雑用に追われていた。外来のある日の隙間時間にやったらいいのかもしれない。しかし、パソコンのスイッチを押したらすぐ起動するように、いつでもすぐにやる気になれるわけではない。ついつい先延ばしして、溜まった書類を休みの日にしてしまう。たまたま他の医療機関に紹介する患者さんがいた。外来時間を調べるためにホームページを見たら、相変わらず4時間待ちも普通のようであった。以前は、この京大系の先生が外来を夜10時、11時までやっていると聞いたことがある。京都駅で開業している先生も、当時同じぐらい遅くまで診察していると聞いた。
 私が書類書きで日曜日がつぶれると言っているのは、まだ甘いのかもしれない。毎晩夜10時、11時まで診察している先生の方が遙かに大変である。今でも、続いているのかよくわからない。ストレスが溜まらないのかと思ったりした。昔、虐待されていた人たちの話を朝から晩まで聞いていた若い精神科の女医さんがいた。医学雑誌に、この女医さんがある日突然立てなくなったことが書いてあった。患者さんを助けることに、生きがいを見いだしている人もいるかもしれない。しかし、段々と年をとってくると、限度を超えて頑張り続け、それだけで人生が終わるのもどうかと思うようになってきた。ちなみに、精神科病院のサテライト・クリニックを除くと、京大系の診療所はデイ・ケアをやっている所が多く、府立医大系ではごくまれである。デイ・ケアをやっている所は規模が大きく、診察も遅くなりがちである。
 さて、日曜日である、先週の土日は横浜に行ってきたので、この日は覚悟を決めていた。新しい月になると、いつものように、自立支援医療や障害者保健福祉手帳用の更新の診断書がある。3月分の診断書類は外来の合間にやり終えていた。この日は、更新用の障害者年金の診断書2通、新規の自立支援医療の診断書や福祉関係の書類などを書いていた。前にも書いた他府県の労災裁判の意見書の訂正箇所などの返事も返ってきていた。
 先週は確定申告書を東山税務署に提出した。会計事務所にその控えを送らなければならなかった。ついでに、2月分の書類の整理も必要であった。いつも頼まれている京都労働局の2件の労災の医学的見解の校正もあった。他府県の労災裁判の意見書の一部書き直しだけはやっている時間がなかった。京都労働局からは明日と金曜日に計4件の労災事例を頼まれている。明日外来が終わってから資料を読み、私の医院で簡単な検討をする。年度末なので、職員の異動前に処理したいということであった。
 たまたま、溜まった書類の中に、ある区役所の保健福祉センターから「障害者総合支援法 医師意見書作成依頼書」が届いていた。精神科は書類が多い。京都市障害者支援区分判定用の意見書である。私は送られてくる書類は何でも書いている。しかし、何のための書類か詳しく知らなかった。たまたま、きのう障害福祉課の担当者に聞いてみた。訪問看護やヘルパー派遣に関係した書類ぐらいだとは思っていた。この書いた意見書の重症度によって、ヘルパーの派遣時間が決まるようである。実は、この患者さんは今年の2月に別の所に転院していた。だから、そのことを含め、担当者に連絡した。
 さて、ここからが本題である。転院した患者さんは私の医院に5年以上通院していた。最近は、1ヶ月に1回だけ受診していた。調子が悪いということで、ヘルパーが付き添いをしていた。ところが、2月の受診の時に、ふだんは待合室で待っているヘルパーと一緒に診察室にはいってきた。そして、いきなり訪問診療をメインにしているクリニックに変わるので、紹介状を書いて欲しいと言ってきた。ヘルパーが主治医に何の相談もせず、勝手に医療機関の変更を決めて、いきなりすぐ紹介状を書けと言ってきたのと変わりない。内科の先生にもわかりやすく説明すると、介護保険の主治医意見書を書いている医療機関に何の説明も相談もせず、訪問看護ステーションが勝手に医療機関の変更を決め、今すぐここに紹介状を書けというのと同じである。
 患者さんがたとえ転院を希望していたとしても、主治医に何の説明も相談もせず、勝手に次の医療機関を決めて、ここに紹介状を書けというのは、大変失礼なことである。医者同士でも、転院の時にはすごく気を使うぐらいである。患者さんの転院はよくあることである。出て行く人もいれば、入ってくる人もいる。ホストクラブで、自分の客を取られたと言って、怒っているわけではない。ヘルパーの方は形式上だけでいいから、「通院が困難となってきて」とか適当な理由を作ってでも、主治医に相談しなけれならない。
 どうしてかというと、先ほども書いたように、ヘルパーの派遣に対する意見書は主治医が書いているからである。一歩間違えると、ヘルパーや訪問看護ステーションが主治医を差し置いて、患者さんの医療を勝手に仕切っているようにしか見えない。私は必要な人は往診もしている。実際に、きょうも往診に行ってきた。患者さんが主治医を変わりたいと言っている時でも、誤解を招かないように、主治医に対してそれなりの配慮が必要である。2月の時には、大変不愉快な思いをした。しかし、黙って紹介状を書き、そのまま胸に納めていた。今回、障害者支援区分判定用の意見書の依頼があったので、改めてここで書いた。
 最近は、隙間時間にレンタルDVDを見るようになった。今回見終えたのは、患者さんから紹介してもらった「獣道」である。よくできた映画で、本当に面白かった。現在、児童虐待が問題になっている。新興宗教にはまった母親に育てられた少女の物語である。私は精神科をやっているので、ここに出てきたようなことについてはよく知っている。それでも、1つ1つのエピソードをよくここまで上手につなぎ合わせて破綻のない、それでいてぶっとんだ映画を作ったものだと感心した。
 最後は、アイドルAV女優になって、この映画は終わっている。さて、この先である。結婚しても長続きしなくて離婚したり、愛人になったりする。しかし、段々と年をとってきて、いつの間にか生活保護になる人も多い。時代も違い、ここまで極端ではないかもしれないが、同じような人生を歩んできた人のなれの果ての患者さんは大勢いる。軽蔑しているわけではない。幼い頃からきちんとした環境で育たなかった人たちの不幸のことを言っているのである。美貌に恵まれた少女は、風俗やAVで一時的に成功するかもしれない。不幸な環境で育った少年は、風俗や愛人で生き延びるわけにはいかない。ヤクザの世界も厳しい。今では箸にも棒にもかからない覚醒剤中毒の患者さんでも、物心がつく前からすさまじい虐待で育った人も少なくない。

花灯路1  3月17日(土)の夜から海外に出る。19日、20日は休診にした。21日(水)に帰ってくる。この時に持って行くソニーの「Cybershot RX100M5」の試し撮りがしたかった。ふだん使っていないと、撮りたい時に迷う。実際に、灯籠の光を弱めて撮りたいと思っても、すぐにやり方がわからなかった。暗い所に強いカメラだと思った。パソコンでチェックしたら、手ぶれもしていた。京都東山花灯路は3月18日(日)までやっている。私の医院からは、夜だとバスを使っても10分もかからない。きのう、外来が終わってから行った。人はまだそれほど多くなかった。それでも、人がいない景色を撮るのは難しい。

花灯路2  実は、平成27年3月10日の日記に、この花灯路の写真は載せている。今回はあくまでも試し撮りである。このあたりは、夜は暗くて、道が入り込んでいるので、自分がどこにいるのかわかりにくい。写真を撮っているうちにすぐに東大路通りに出てしまった。30分ぐらいで写真を撮るのはやめてしまった。3年前に撮った写真は、ベルギーのバンドの曲に合わせてYouTubeにアップロードした。この時には、自分でもいい写真が撮れたと思う。Cos - Nog verderで視聴することができる。(クリックしてください)

平成30年3月6日(火)

 先週の土曜日は、外来が終わってから、横浜に行っていた。もともと行く気はなかった。ずっと休みなしが続いていたので、気分転換に2月の中頃に決めた。どこに行っていたかというと、毎年恒例のカメラと写真映像の祭典であるCP+2018である。会場はいつものパシフィコ横浜である。実際に行ったのは、翌日の日曜日である。ソニーやキャノンなどで、新しいミラーレスカメラが新発売となっていた。どこの会場も大勢の人が詰めかけていた。今年は3日間で過去最高の6万8千人が来場したという。
 私は大きなカメラにはもう興味がない。旅用の高級コンパクト・デジカメ(コンデジ)で充分である。3月15日に発売となるパナソニックの「LUMIX TX2」を手にとってきた。前のモデルの「TX1」はすでにソフマップに中古で下取りしてもらった。下取り価格は2万2千円ぐらいで、現金でなく中古の日にポイントで受け取った。現金より15%増しで、2万6千ポイントぐらいになった。この日記でも書いているほとんどの海外旅行はこのカメラで撮った。倍率が10倍あると便利である。値段分は充分に使いきった。今度のカメラは15倍になり、倍率を上げるとかなりレンズは前に飛び出る。私はファインダー派なので、倍率よりファンダーをもっと大きくして欲しかった。値段も安くなるゴールデンウィーク前には買うつもりである。
 実はこのソフマップのポイントは、ビックカメラでも使える。私のポイントは22万ポイントを超えていた。電化製品を含め、何でも22万円分使える。どうしてこんなにポイントが貯まってしまったかというと、ミラーレスカメラの新製品が出ると、ついつい買ってしまっていたからである。結局、重くて大きいので、旅行には持って行かず、使う機会がほとんどなかった。値段が下がらないうちに、下取りに出していた。市内の桜も紅葉も、以前に撮りつくしていたので、被写体としてはあまり興味がなくなっていた。いいカメラを持っていても、何を撮るかである。子どもが小さな頃は、ビデオを含め、山ほど撮った。ネコでも犬でも、身近に興味のある被写体のある人はいい。
 私はこのCP+2018には、ソニーの「Cybershot RX100M5」を持って行った。倍率があまりないので、ふだんは持ち歩いていなかった。3月17日からの旅行にも、このカメラを持っていこうと思っている。会場や横浜港で写真を撮ってきた。しかし、あまり興味のある被写体には出会わなかった。写真の出来も平凡であった。長年趣味の写真を撮っていると、段々と誰も撮ったことのない写真を撮りたくなってくる。もともと南の島でビールを飲むのが好きである。珍しいきれいなビーチの写真を撮るのが趣味になってしまった。鉄道写真でも同じである。誰も撮ったことない写真を1枚撮れたら、幸せである。
 会場では、興味のある製品に出会った。LPLの水中用小型照明である。私はPADIのダイビング免許を持っている。しかし、この年になって本格的なダイビングを再開するつもりはない。海外でダイビングする人はゴルフと一緒で、スーツを含め自分用の道具一式を持って行く。こんな荷物を持って海外に出かけるなんて、私には想像もつかない。私はシュノーケリングで充分である。だいぶ前のPentaxの防水デジカメも残している。水中で使う分には、これでいい。小型照明があったら、本格的な水中写真や動画が撮れそうである。
 きょうはあまり書くことがないので、最近宅配レンタルで見た映画について書く。実は新幹線の中で、レンタルビデオからアンドロイド用に動画変換したものを、少し前のソニーの8インチ用タブレットで見ていた。大分前のタブレットであるが、何の支障もない。今はどうなっているのか知らないが、当時日本で発売されていた製品はWifiしか使えなかった。私は輸入品(台湾製?)を買ったので、格安simカードが使えて便利である。ソニーのノイズキャンセル用のヘッドフォンも使える。新幹線の中でも飛行機の中でも快適に音を聞くことができる。
 さて、今回の旅行で見た映画である。「海賊とよばれた男」である。戦前から戦後にかけて活躍した出光興産の創業者がモデルとなっているようである。(今、ネットで調べた) 同じ百田尚樹の原作なら、「永遠の0」の方が遙かに面白かった。ここで興味深かったのは、見合いで来た嫁が夫が仕事ばかりで相手にしてくれず、結婚半ばで里に帰ってしまうシーンであった。創作かもしれないが、この時代でも妻を相手にしなかったら、見限られてしまうのだと妙に納得した。
 実際にTVでみたレンタルDVDである。新作として借りたばかりである。題名は「アトミック・ブロンド」である。この作品は、封切りの時に見に行こうと思っていたぐらいである。内容は、ベルリンの壁が壊される前後の各国のスパイ合戦が描かれている。最初は、各国のスパイが入り乱れ、何が何だかわかりずらかった。後半になって、アクション・シーンがたくさん出てきた。個人的には、大感動とはいかなかった。ただ、使われている曲は私好みであった。クラッシュの「ロンドン・コーリング」も聞ける。最初に出てきた曲が、私の大好きな曲であった。しかし、誰の曲であったか思い出せなくて今でも気になっている。
 他にも、「ある優しき殺人者の記録」、「シンゴジラ」、「オオカミは嘘をつく」、「ダンケルク」、「サクラメント 死の楽園」、「パシフィック・ウォー」などを見た。「サクラメント 死の楽園」は「コロニア」がよかったと患者さんに話したら、教えてもらった映画である。ネットでまだ調べていないが、1978年のガイアナの人民寺院の集団自殺がモデルとなっているのだろう。映画の内容としては、この事件そのままで、当時のことをよく覚えている私には少し物足りなかった。これだけの映画を見ても、1月22日の日記で紹介した「罪の手ざわり」の方が遙かによかった。最近の映画では、「スリー・ビルボード」が飛び抜けてよかったようである。川崎ではまだ1日1回だけ上映されていた。しかし、時間が合わなかった。

CP+会場  ここはみなとみらい駅から歩いて行ったCP+2018の会場であるパシフィコ横浜である。青空が出ていて、好天気であった。何回も行っていると、段々とわくわく感がなくなってきた。

ブース  どこのブースか忘れてしまった。どこのブースも立ち見席が出るほど混んでいた。この前に椅子がたくさん並んでいる。プロのカメラマンが写真の撮り方などを大きなスクリーンを使って解説する。私は最近のカメラマンはあまり知らない。お目当てのカメラマンの話を聞きにくる人も多いのだろう。

モデル  ここはキャノンのブースである。新製品のミラーレス・カメラを使って、モデルの写真を撮れる。他のブースでは、その社の新製品のカメラでしかモデルを撮ることはできない。ここではあまりうるさいことを言われなかった。昔は、自動車ショーでもカメラショーでもTバックの水着モデルが出てきて、写真は取り放題だったようである。(私は経験がない) ミニスカートのモデルもちらほらといた。

大さん橋ホール  今回は横浜港の写真を何枚も撮った。しかし、平凡な写真ばかりであった。この写真は、今回撮ってきた写真の中では1番気に入っている。とっさに撮ったので、最後の人の足底が切れてしまっている。ここはシャトルバスで行けるもう一つの会場である大さん橋ホールから海辺に抜ける通路である。大さん橋ホールでは、アマチュアやセミプロの写真展を開いていた。もっとぶっとんだ衝撃的な写真はないのかと思った。

平成30年2月27日(火)

 あっという間に2月も終わりである。最後の日曜日ぐらいゆっくりとしたいと思ったが、無理であった。毎月20日過ぎに、福祉事務所から医療要否意見書が送られてくる。生活保護の患者さんの病状などを書き、どのくらいの治療が必要であるか書く。いつも、今月はこれで書くべき書類はやっと終わったと思った頃に、この書類が来る。今月は9通であった。手書きで、全部書いても1時間もかからないが、それなりに時間はかかる。いつも福祉事務所から自立支援などの診断書を書くようにせかされている気分なので、この書類もその類いの書類のように思えてくる。
 たまたま生活保護の患者さんであったが、先週の金曜日に、窃盗で警察に捕まり、検察庁と警察署からこの患者さんについての照会依頼が来ていた。よくある万引きなら、こんなややこしい書類は来ない。本人が覚えていないというと、迷路に踏み込むことになる。時々、万引きして捕まって、頑固に覚えていないと主張する患者さんがいる。解離かと聞かれても、答えようがない。前にも書いたが、ドラッグストアで他人の小さな子どもを殴り、最後まで覚えていないと言い張った患者さんもいる。みんな女性である。
 この患者さんの通院歴は長いが、勝手気ままに来る患者さんで、私も充分に症状を把握していなかった。本人が外来で言っていることが、どこまで本当でどこまで嘘なのか、さっぱりわからなかった。今回は逮捕される前に家族と受診していた。この時には、家族の話では朝から晩まで酒を飲んでいるということであった。大量飲酒のことについては今回初めて知った。もしかしたら、これまでの不可解な言動は酒が関与していたのかもしれない。検察庁と警察署の問い合わせに、病名やこれまでの通院歴や経過、薬などを書いた。これだけで、1時間以上かかった。
 土曜日の外来が終わってからは、最初に書いたように、最後の日曜日ぐらいは1日休みたいと思った。福祉事務所から頼まれていた3名の覚醒剤中毒の患者さんの精神障害者保健福祉手帳用の診断書と他府県を含めた2名の新規の自立支援医療の診断書があった。まず、先ほどの検察庁と警察署の照会回答書を書き、最初に1番ややこしい手帳用の診断書に手をつけた。前にも書いたように、いくら継続用の手帳の診断書が必要と言われても、情報提供書もなく、いきなり書けと言われても困る。今年の1月に受診して、3月に有効期限が切れる。私は生活保護のケースワーカーの小間使いではない。手帳用の診断書を書いて欲しかったら、福祉事務所がきちんとこれまでの治療歴を調べてくるべきである。障害年金や障害者手帳の申請を希望する患者さんが、診断書用に調べてくるのと同じである。私があちこちの医療機関に問い合わせて、やっと前回の手帳用診断書のコピーを手に入れた。
 ところが、この診断書は京都府用であった。最近、京都市こころの健康増進センターから、自立支援と手帳の有効期限を一致させることができるお知らせが来ていた。この中に、手帳用の診断書の書き方が書いてある用紙が入っていた。今手元にないので、うろ覚えである。前にも書いたように、京都市用の診断書には、京都府や滋賀県、大阪市などの診断書にはない治療歴の欄がある。かかっていた医療機関名、何年何月から何年何月という治療期間、入院か外来かも書かなければならない。障害年金のように厳密でなくていいのかもしれない。しかし、同封されていたこの診断書の書き方の用紙には、「いつまでかかって、いつ中断したかわかるように」とこの治療歴の欄に注意書きが書いてあった。患者さんも覚えていないので、手帳用の診断書を書いて欲しかったら、これまで医療機関が善意でしていたことを、福祉事務所がきちんとすべきである。
 結局、この1番ややこしい診断書を書くのに、1時間かかった。私は京都市の診断書をPDFにコピーし、書き込めるように自分で作った様式を使っている。○をする位置合わせなども多少手間暇がかかる。今はもっと便利なソフトが出ているのかもしれない。これまで書き貯めた診断書は簡単には別のソフトに移行できない。他にも、締め切りの迫った確定申告の書類などの整理もあった。
 この日は、午後6時半から、私がいつもお世話になっている医療法人の懇親会があった。緊急の入院患者さんがいた場合でも、多少無理をしてでも部屋を開けてもらえる。医局の関連病院で、若い時には当直などにも行っていた。最近の若いドクターはあまり知らない。しかし、理事長や院長、上の先生などは昔からよく知っている先生ばかりである。
 私が若い頃にアルバイトに行っていた時には、今は80歳を超える理事長が院長をしていた。当時、精神病院の食事は不味かった。しかし、医局員も患者さんと同じ食事内容であった。院長も同じ昼食をとっていたことを思い出した。この日の講演会では、母校の教授が教室の研究などを話してくれた。テーブルを囲んでの食事会では、私の隣に10歳上の先輩と卒業年度が1年下の先生が座っていた。この10歳上の先輩は同じ東山区の京阪三条で開業していた先生である。脳梗塞をされてから、医院は閉じ、この医療法人がやっているクリニックで週2回働いていた。同じテーブルの後輩の先生とも話ができた。
 最後の締めの挨拶は、若い頃に医局でお世話になっていた院長であった。しばらく会っていなかったら、随分と老けこんだ印象であった。年末の同門会にも来ていなかった。隣のテーブルに座っていたので、挨拶が終わってから声をかけた。脊柱管の手術をして、死にかけていたという。あんなにも若々しかったのに、びっくりするほど弱々しくなっていた。10歳年上の先生が脳梗塞をして、5歳年上の先生が手術をして死線をさまよっていた。私も、今はまだ若々しいが、ある日突然病魔に襲われたり、急死したりするのではないかと思っている。身体が動くうちに、やりたいことはやっておこうと、新たに決心した。もたもたしていたら、あっという間に老けてしまう。
 さて、この懇親会が終わって医院に帰ったら、9時半であった。どうしても、日曜日はゆっくりとしたかったので、夜の10時頃からまた別の覚醒剤中毒の患者さんの手帳用の診断書を書き出した。この患者さんの診断書もややこしく、いろいろ調べてみたら、前回は滋賀県で書いてもらっていた。もちろん、この診断書に治療歴の欄はない。これまでの経過もたった3行しか書いていなかった。(書き込むスペースがない。) この診断書を書くために、患者さんから詳しく聞き、何とか辻褄を合わせて書いた。書きあげるのに、45分ほどかかった。夜中までかかっても、残りの診断書を書き上げるつもりであった。しかし、酒を飲み過ぎていた。この日は1通書いて、もう書くのはあきらめた。翌日は、琵琶湖のマンションの配水管洗浄があった。土曜日であったが、日曜日に変更してもらった。仕方ないので、残りのカルテを持ってマンションに行った。PDFに書き込むソフトはCDで持っている。マンションのパソコンに入れて、残りの診断書をすべて書いていた。
 福祉事務所は精神科に通院している患者さんは全員自立支援医療にしたがっているようである。ここでも何回も書いているように、自立支援医療にしたら、京都市から国に医療費が転換できるからである。どこまで自立支援医療の対象になるのか、厚労省のホームページを見ても曖昧である。私が20年ぐらい前に京都市の自立支援と手帳の審査員をしていた。この時に、「手引き」には不安神経症の患者さんの症例まで載っていた。この時に、当時の厚生省に京都市から問い合わせした。ところが、返事が返ってこなかった。
 この時の審査会では、軽症の患者さんまですべて自立支援医療にするのはおかしいということで、神経症は除外することにした。精神科の通院患者さんのすべてが自立支援医療の対象になるとしたら、こんな無茶苦茶な制度はない。他科のもっと重篤な病気で、何の支援もない患者さんは掃いて捨てるほどいる。たとえ対象になる患者さんでも、これまで何年間も通院していた医療機関(中には何十年も)で書いてもらわず、私の医院に転院してきたら、いきなり書け(直接は言ってこない)みたいなことを示唆してくるのもやめて欲しい。
 前から書いているように、うつ病の患者さんの扱いが難しい。新型うつみたいな患者さんもいれば、単なる引きこもりみたいな患者さんもいる。うつ病というより、適応障害の患者さんが多い。しかし、適応障害という病名で保険適応になっている薬はない。抗うつ薬を使うと、うつ病、またはうつ状態という病名を付けないといけない。今年の4月からの保険改正では、睡眠導入薬や精神安定剤などの使用がますます厳しくなっている。睡眠導入薬を投与しても、どうしても眠れないという患者さんもいる。そういう患者さんには、睡眠が持続するように抗うつ薬を付け加えたりする。この時にも、保険病名として、うつ病、またはうつ状態という病名がいる。カルテにうつ病という病名がついていても、必ずしもうつ病であるとは限らない。

 

平成30年2月20日(火)

 先週の金曜日は、外来でちょっとしたトラブルがあった。精神科医の仕事を知るにはいい例なので、個人が特定されない程度に書いてみようと思う。生活保護の患者さんなので、どこまで精神科医が対応し、どこまで生活保護の担当者が対応したらいいのか考えてみるにはいいケースである。覚醒剤で服役したことのある夫婦である。最近は出所すると、生活保護を受ける人が多い。妻は少し前から私の医院に通院し、夫は出所してから同じように通うようになった。夫は、服役前にも私の医院に通院していた。
 午前中の外来の時に、夫から妻のことで何回も電話がかかってきた。薬を大量服用し、これまでの夫に対する不満をわめき散らし、夫を殴ったり暴れたりしているという。相手をせず、しばらく様子を見るように伝えた。私の医院まで連れて来れるなら、診察はいつでもすると伝えた。しばらくして、2人でタクシーを使って私の医院にやって来た。妻はふらふらで、夫も興奮している。妻は診察の時にも大声を上げて、夫を罵ったりしていた。しかし、呂律もまわっておらず、それこそ酔っ払いが興奮しているのと同じである。夫は入院を依頼してきた。大量服薬して夫婦喧嘩をしているような覚醒剤の患者さんを入院させてくれるような精神科病院なんてない。翌日薬が覚めたら、この患者さんは私の医院に来たことすら覚えていない。ケロッとして、何事もなかったように目覚めることも多い。
 外来が終わるまで、待合室までいたので、受付の人が帰りのタクシーを呼んでいた。ところが、この夫も入院できなかったことに対して不満があるのか、なかなか帰ろうとしない。タクシーを呼んで寝ている妻を乗せようとしたら、いつの間にかタクシーはいなくなっていた。その後、この夫はあちこちのタクシー会社に電話して、大声を出して怒鳴っている。その内容もけんか腰で、要領も得ない。そのうち介護タクシー会社にも電話し、すぐに行けないと相手側が伝えているのに、わけのわからないことを大声で話している。
 いつまで経っても埒が明かない。こういう場合はどうするかである。タクシーを呼んで無理やり乗せても、夫もヤケクソ気味なので、タクシーの中でトラブルを起こす可能性がある。運転手にも迷惑がかかる。警察が出てきても、結局私の所に問い合わせが来て、元の木阿弥である。(また、私の医院に連れてくる) 仕方ないので、17年目の私の車で伏見区の市営住宅まで送ることにした。途中、わからないと言い出す可能性もあったので、グーグルで場所は調べてプリントアウトした。結局、市営住宅の前まで送り届けた。妻は夫に起こされて、車から出て、ふらふらしながら大人しく自宅に帰って行った。
 これで一件落着かと思ったら、翌日もまた夫から電話がかかってきた。妻が暴れるので、救急車を呼んだという。包丁を持ち出したらしい。救急隊の人に夫が興奮した状態でわけのわからないことを言っていた。こんな人を相手に、救急隊の人も大変である。警察も呼んだらしく、警察の人とこれまでの経過を話した。その後、妻は警察に連れられて、尿検査を受けたが、覚醒剤反応は陰性であった。そして、きのう夫婦で私の外来を受診した。2人ともすっかり大人しくなっていた。夫の変な興奮状態も収まっていた。私はいつものように、自分の受けた迷惑のことは素知らぬ顔で、診察をしていた。
 精神科をしていると、こんな患者さんは日常茶飯事である。特に、薬物関係の患者さんは、2週間分の睡眠薬を4〜5日で飲んだり、いくら注意しても期間を守れない人もいる。特定の安定剤や睡眠薬を出せと、しつこく要求してうんざりする患者さんもいる。こういう患者さんを診察するときには、一種の諦観が必要である。いちいち腹を立てていたら、精神科医なんかやっていられない。心情的には、患者さんと付かず離れずである。あまり親身になりすぎるのも良くない。淡々とやっている方が長持ちする。私は警察から依頼された拘留された人の診察も断ったことがない。こんな患者さんを診ることで、必要以上に社会に迷惑をかけないように役立っているのだろうと考えるようにしている。
 私は医院で患者さんが暴れたりしても、次の診察を断ることはない。以前にも書いたように、トイレで何回もリストカットをして血だらけになっている患者さんもいる。来る者は拒まずで、前回の診察でどんなに迷惑がかかっていたとしても、来院してくる患者さんには素知らぬ顔で診察をしている。私がこれまで診察を断った患者さんは、2人ぐらいである。実は、2〜3ヶ月前に、1人の患者さんの診察を断っている。この女の患者さんも、たまたま生活保護の患者さんであった。最初は軽いうつ病かと思っていたら、クレプトマニア(窃盗症)の患者さんであった。万引きで服役していた。出所後に再び当院に通院しだした。
 午後の診察をしているときである。最後の女性の患者さんが、帰るときに靴がないと言い出した。最後にいたのは、靴がなくなった患者さんを含め3人だけである。1人はずっと長いこと通院している身体の大きな男性の患者さんである。残りの患者さんはまだ出所してきたばかりの患者さんであった。履き間違えて帰っているなら、靴がもう1つ残されているはずである。私の医院のドアは自動ドアなので、手で開くことはできない。受付の人もいるので、外部から誰か入ってきて盗んだ可能性はゼロである。院外薬局に電話して確認してもらったが、知らないと言う。中には、女性の靴の匂いに異常に性的興奮を覚える男性もいる。しかし、こんな見え見えの状況で盗むような人ではない。(どんな性癖を持っているのかは、誰にもわからない。)
 結局、この患者さんには病院のスリッパで帰ってもらうことにした。旦那さんが車で送り迎えをしてくれていた。盗まれたのは、ナイキの女性用運動靴であった。外反母趾があるので、この靴しか合わないという。仕方ないので、この患者さんには新しい靴を買ってもらって、その領収書を持ってきてもらい、その代金を医院で払うことにした。8千円ぐらいであったと思う。出所したばかりの患者さんは、次の診察で靴のことは知らぬ存ぜぬであった。手品ではないので、そこにあった靴が魔法のように消えることはない。私の医院ではこれ以上診察できないので、他の医院で診察してもらうように伝えた、この時に、京都精神神経科診療所協会の出している「きょうとこころのケアガイドマップ」を渡した。
 さて、最初の患者さんである。いくら精神科医でも、患者さんを自宅まで送り届ける義務はないだろう。こういう場合は、福祉のケースワーカーを呼び出して、自宅まで送り届けてもらってもいいのだろう。どこまで患者さんのトラブルについて精神科医が対応し、どこまでは福祉のケースワーカーにやってもらったらいいのかは難しい。生活保護を受けていた1人暮らしの統合失調症の患者さんを、岩倉にある精神科病院に自分の車で運んだこともある。入院に必要な物を用意して、1人でタクシーで行くのも無理だったからである。精神状態の悪い患者さんからはよく電話がかかってくる。各区の保健センターでは、私の医院と同じように、何回も電話してくる患者さんの対応は大変だと思う。しかし、平日の午後5時までである。私はほとんどの日曜日にも医院に出てきて書類を書いている。以前と比べると少なくなったが、夜間であろうと、休日であろうとしつこく電話してくる患者さんもいる。これまで電話再診の請求をしたことはない。取り出したらきりがないし、短い電話で、何回もかけてきたりする患者さんも多い。
 さて、他府県の労災裁判の医学的意見書である。11日、12日と連休2日を費やしても、思うように原稿が書けなかった。下手をしたら、2月中に書き上げることができないと思って、17日(土)は外来が終わってから、この意見書を書いていた。何回も裁判資料を読んでいると、段々と何を書いたらいいのかわかってくる。結局、この土曜日は夜の11時過ぎまでかかって、何とかおよその意見書を書き上げることができた。これだけで、精神的なプレッシャーは嘘のように取れ、憂うつな気分も晴れた。ふだん負担に思っていた自立支援医療や精神保健福祉手帳、障害年金の診断書などがお茶の子さいさいのように思えた。
 日曜日は、夜6時半から東山医師会第4班の遅い新年会があった。場所は高台寺近くの有名な料亭である。会費は5千円であった。幹事に聞いたら、後から注文したアルコール類を除いて、1人2万円ぐらいの予算であった。私は正直言って、懐石などの日本料理の味はよくわからない。隣に座っていた若い勤務医のドクターは美味しい、美味しいと言っていた。この会には、引退した三聖病院の院長も参加していた。森田療法で有名な先生で、強迫的なところもある私は、この先生の著書で随分と救われた。もう92歳になるという。他にも、91歳の先生も参加していた。隣の整形外科の若いドクターは同じ府立医大の出身で、同じ科の私の同級生のこともよく知っていた。今の若いドクターの事情も聞かせてもらって、楽しく過ごすことができた。

 

平成30年2月13日(火)

 この連休はゆっくりと過ごしたいと思ったが、あきらめた。どうしてかというと、以前から書いているように、他府県から頼まれていた労災裁判の医学的意見書の締め切りが迫ってきたからである。先週に、以前に送られたきた資料に初めて目を通した。難しい労災裁判ではなく、誰が見ても勝負がついたケースである。労災裁判(訴訟)とは、労災医員協議会で「精神障害の業務起因性に係る医学的見解」で労災とは認められないと出した結論に、被災労働者や家族が納得せず、労災として認めるべきであると裁判所に訴えた訴訟である。
 今回資料を詳しく見てみたら、去年の4月に資料が送られてきていた。裁判の行方で、まだ私が意見書を書くかどうかはっきりしなかった。秋頃になるというのが、何も連絡はなかったので、もう必要ないのかと勝手に思っていた。年末頃に連絡があり、私のパソコンが壊れた1月に、具体的な追加資料がメールで送られてきた。当初は、3月末までに書いてほしいということであった。しかし、その後法務局の要請で、1週間ほど早くなった。私としては、原稿の訂正などもあるので、最初の意見書は2月中には書き上げるつもりであった。
 この連休は、その後送られてきた分厚い裁判資料を見ながら、できるだけ早く書き上げるつもりであった。ふだん労災医員として私の名前で出している京都労働局の「精神障害の業務起因性に係る医学的見解」は、下書きを労災補償課の人が書いてくる。私は、資料を読み、医学的な間違いがないか係の人と検討する。その後で、メールで送られてきた最終原稿の校正をする。この作業そのものはそれほど難しいものではない。それでも、10数枚の原稿をプリントアウトし、誤字や内容の間違いがないか集中して読まなければならない。時々、精神科医でないと気がつかない、微妙な表現の間違いがある。腑に落ちない部分があると、資料の原文で確認したりする。
 さて、労災裁判の意見書である。これは、最初から最後まで自分で原稿を書き上げなければならない。それこそガチ勝負である。前にも書いたように、医学的意見書を書いてくれと頼まれるだけである。実際に裁判がどこまで進行し、何を争っているのか、さっぱりわからない。特に、被災労働者が自殺している場合は、その業界の労働組合などが支援し、人権派と言われている精神科医が反論の意見書を書いてくる。私はこれまで、国側に立って「医学的見解」で出された業務外(労災ではない)の判断に間違いはないという意見書を何件も書いてきた。(ほとんど他府県)
 どこの医療機関にも通院していなくて、突然自殺した場合は、精神障害の病名、発病日の特定や、業務に起因するかどうか判定するのは難しい。たとえ、業務が被災労働者にとって負担になっていたとしても、心理的負荷の強度が「強」と判定されないと労災認定とはならない。自殺された遺族の方は本当にお気の毒だと思う。しかし、何でもかんでも労災として認めるわけにはいかない。特に上司のパワハラで自殺したと安易に判定してしまうと、上司そのものが人殺しのようになってしまう。この意見書を書くときに、山のような裁判資料が送られてくる。この資料を何回も見ながら、原告の主張や原告側についた精神科医の意見書を読んで、何が裁判で争点になって、どんな内容の意見書を書いたらいいのか自分で考えなければならない。しかし、これがけっこう手間暇がかかる。
 職場の何人もの同僚の証言も詳しく読まなければならない。原告についた精神科医が過去の裁判例を出してくるときには、この裁判事例についても詳しく調べる。裁判で争っている事例とはどこが違うのか、反論を書かなければならない。それこそ、精神科医としての限界の能力が試される。実は、現在頼まれている他府県の労働局からは、平成24年7月に依頼された労災訴訟事件の医学的意見書を書いている。今回、この時の私の医学的意見書のコピーも送られてきた。このケースも自殺事例であった。ワードでA4用紙16枚も書いていた。私は、最近は労災訴訟事件の意見書は断っている。今回はたまたま断り切れず、引き受けてしまった。実際に、どの精神科医も忙しいので、今でも引き受けてくれる精神科医がいるのかと思うほど、大変な仕事である。
 前にも書いたように、私はおそらく近畿圏では精神科医として最初の地方労災医員になったと思う。京都第一赤十字病院の部長をしていた時に、労災医員をしていた当時の脳神経外科部長を通じて京都労働局から頼まれた。まだ労災判定基準ができていない時に、年に1件あるかどうかの近畿圏の精神科事例の意見書を書いていた。最初に引き受けた労災裁判の意見書は、これも自殺事例である。自分では、苦労して書いた意見書であった。書き上げた時には、誰にも書けない最強の意見書だと自負していた。とこらが、裁判では負けている。この自殺事例は労災認定のケースを解説した本にも載っていた。前回同じ他府県から頼まれた労災裁判の意見書は、これも苦労して書き上げた自信作であった。しかし、これも裁判で負けている。今回も自殺事例であるが、このケースだけは勝負がついている。
 この連休は覚悟を決めて、2日間裁判資料を見ながら意見書を書いていた。ところが、久しぶりに裁判所に提出する意見書を書くのはやはり大変であった。これまでと違って、ややこしいケースではない。裁判資料も少ない。建国記念日の11日はなかなかやる気になれなかった。振替休日の12日も同じである。部屋の片付けをしたり、録り溜めていたTV番組などをついつい見てしまった。ふだん、私がゆっくりとできるのは、土曜の夕方から日曜日の午前だけである。この間だけは、琵琶湖のマンションで過ごす。日曜日の午後に医院に帰ってきたら、溜まった診断書や雑用の処理である。今回はずっと2日間医院にこもって意見書を書いていた。なかなか思うように簡単に書けなかった。2月の残りの日曜日は2回とも朝早くから書き始めなければならない。
 労災裁判については、今回を最後にしようと思う。いろいろと勉強させてもらったことについては感謝している。労災医員も今月の5月に65歳になるので、早く引退したいと思っている。しかし、なかなかやめさせてもらえそうにない。今週の金曜日にも、私の医院で2件の労災判定の検討をする。最後に、表彰状みたいなものはもらえるかもしれないが(1回もらっている)、正直言ってあまり興味がない。

 

平成30年2月6日(火)

 先週の木曜日は東京に行っていた。精神保健指定医の研修会があったからである。木曜の朝1番の新幹線では、8時20分過ぎに東京駅に着く。もたもたしていたら、9時からの研修会に間に合いそうにもなかった。仕方ないので、前日の夜8時過ぎの新幹線に乗って、東京駅の近くのホテルに泊まった。外来が終わってから、あわてて荷物の用意をしたので、忘れ物も多かった。幸いタブレットを持って行ったので、会場がどこにあるのか調べることができた。
 実は、だいぶ前に日曜日に大阪で研修会があった。ところが、油断して申し込みが少し遅れたら、すでに満杯であった。会場が、ここしか残っていなかった。朝9時から夕方5時半までの講義である。5年に1度の更新で、今回は5月に65歳になる手間の研修会であった。座る場所は決まっていて、机の上に都道府県名と名前、精神保険指定医番号が書いた紙が貼られていた。私の番号は5千台前半である。隣の席に座っていた30台半ばぐらいの女性の指定医番号は1万7千台であった。次の更新は、70歳手前の研修会になる。昼休みが1時間あり、途中休憩もある。しかし、合計8時間半拘束されるのは、けっこう疲れる。ふと、年末年始に行ったエルニドのことを思い出した。この日記でも書いたように、エルニド・タウンから空港のあるプエルト・プリンセサまで、バスで7時間半である。最近は、長いこと拘束されるのは本当に苦痛となってきた。
 精神医療の歴史については、今週のトピックスで取り上げるので、講義内容に出てきたことについてはここでは触れない。他科の先生には理解しにくいことである。精神障害の患者さんを拘束したり、強制入院させたりすることについては、常に患者さんの法的な人権問題がかかわってくる。難しいケースでは、精神保健福祉法だけでは解決しない。ここでは、弁護士の先生も交え、法的な立場からも事例を検討していた。現在は、認知症施設などで患者さんの拘束などが気楽に行われている所もあるようである。精神科病院では、厳密な要件の下で、精神保健指定医などの指示できめ細やかに行われている。現場では、とんでもない患者さんを抱えて対応に苦慮していることがよく理解できた。
 2月4日(日)は、5時間近く、今月中に書かなければならない継続や新規の自立支援医療や精神保健福祉手帳、障害年金などの診断書や書類を書いていた。3人の生活保護の患者さんの継続の精神保健福祉手帳用の診断書が書けなかった。3人とも覚醒剤中毒の患者さんである。どうして継続の診断書が書けなかったかというと、3人とも去年の9月、10月、今年の1月の初診の患者さんであったからである。いきなり受診して、すぐに継続の診断書を書いてくれといわれても困る。特に、1月に受診した患者さんは何の情報もなく受診し、すぐに福祉事務所から手帳用の診断書が送られてきた。この患者さんは薬だけもらったらいいという態度で、問診にも非協力的であった。精神科も長いことかかっていなかったという。やっと患者さんから聞き出して、あちこちの病院に問い合わせ、前回の診断書のコピーを手に入れた。
 障害年金の場合は、患者さん自らがこれまで通院していた医療機関を調べてくる。どうして、私があちこちの医療機関に問い合わせして、精神保健福祉手帳用の診断書を書かなければならないのかと思う。実は、京都市の精神障害保健福祉手帳用の診断書は京都府や大阪、滋賀などの診断書と比べ、厳密な記載を求められる。それこそ、障害年金用の診断書なみである。どういうことかというと、治療歴の欄があり、これまでにかかっていた医療機関名と治療期間(何年何月から何年何月まで)とすべて記載しなければならない。障害年金のように必ずしも正確でなくてもいい。しかし、大体でもある程度は書かないといけない。
 苦労して前回の診断書を取り寄せても、京都府の診断書ではこの治療歴の欄がない。滋賀県の精神保健福祉センター(病院併設)から取り寄せた診断書でも、この治療歴の欄がなかった。最近通院したばかりの患者さんの診断書を私にどう書けというのか? 福祉の担当の人が患者さんに代わって、これまでの治療歴を調べてくれたらいいと思う。なお、覚醒剤で服役した人は、その時点で手帳は取り消しになり、出所後6ヶ月経たないと新たに申請できない。このことも、福祉の担当者は知っておくべきである。前にも書いたように(平成29年12月19日)、福祉関係の年金の診断書はでっち上げみたいな診断書が多い。そんな診断書を書かされる精神科医の身にもなって欲しい。(特に、転院してきた患者さん) プロの社労士を雇っているというが、以前の日記にも書いたように、実際のガイドラインを読ませたらいい。専門家でなくても、社労士でも福祉の担当者でも簡単に理解できるぐらいのことしか書いていない。勝手に拡大解釈ができないほど、具体的に1つ1つ書いてある。
 ついでに、福祉事務所についての苦情を書く。福祉事務所から患者さんのことで、症状把握調査票が送られてくる。このこと自体は特に問題ない。自立支援医療や精神保健福祉手帳、年金受給の可能性について聞いてくることについても同じである。ただ、就労の可能性については、どうして精神科医が答えなければならないのか疑問である。就労可能の場合は、重労働、中等度、軽作業可能かどうかチェックを入れなければならない。現状では就労困難であるが、あと何ヶ月で就労できる見込みとか、就労困難な場合はその理由も書かなければならない。就労できるかどうかという判断は、精神科医には基本的には関係ない。症状をよくするために、治療しているだけである。
 私が今回1番問題にしたいことはこんなことではない。実は、この症状把握等調査票に、患者さんのレセプトのコピーが添付されていたからである。通院精神療法の所にわざわざ赤マーカーで印がされていた。どう考えても、通常の精神科医療についてケチをつけているとしか受け取れない。精神療法を請求しているなら、自立支援医療の診断書を書けということなのか? 前から書いているように、自立支援医療にすると、京都市は医療費を払わず、国が払ってくれる。
 実は、きょう医師会の保険医療課にこのことで問い合わせをしてみた。保険請求の医療内容については、保険審査会が審査している。その内容に不服があるなら、審査会に再請求したらいいだけである。通常の医療行為について、福祉事務所がわざわざレセプトのコピーを添付して異議を唱えることができるかである。他の科では、福祉事務所がわざわざレセプトを送りつけるようなことはしないと思う。どう考えても、保険請求や医療制度について何も知らない福祉事務所の担当者の越権行為である。どこまで、上の人間が関わっているのかわからない。京都市の福祉事務所が通常の医療行為である通院精神療法についてケチをつけるなら、日本全国の精神科医から抗議の声が殺到するだろう。そうなったら、福祉関係のトップが辞任したぐらいでは収まらないことを肝に銘じておくべきである。

今週のトピックス 45 (180206)

ETV特集「長すぎた入院」
NHKEテレ「ETV特集『長すぎた入院』」

 2月3日(土)の夜に、NHKEテレで放送していた番組である。副題は、「精神病院 知らざる実態」である。私は録画していたビデオをきょう見た。福島原発事故が起こったのは、2011年(平成23年)である。原発の近くには5つの精神病院があった。1000人近くの患者さんが県外の病院に転院した。この時に、避難先で、入院する必要がないと診断された人が数多くいた。福島県立矢吹病院に県外からも再び転院してきた患者さんは52人であった。半数以上が、25年以上入院していた。実際に継続の入院が必要な人は、5%ぐらいであった。
 この原発事故で、入院する必要のない患者さんが、30年も40年も精神科病院に入院させられていた実態が明らかとなったのである。番組では、39年間も入院していた66歳の統合失調症の患者さんが出てきた。どこが悪いのかと思うほど人当たりもよく、率直に自分のことを語っていた。この患者さんを中心に番組が進行していく。この患者さんは長いこと退院を希望していたが、原発事故まで実現しなかった。現在は自由を得て、1人暮らしを楽しんでいる。しかし、失われた40年近くの歳月はもう戻らない。
 番組の中で、日本の精神科病床は、世界の2割を占めていると紹介されていた。ここでは、簡単な我が国での精神医療についての歴史を解説していた。1951年に隔離収容政策が取られた。1964年にライシャワー米駐日大使が精神障害者に刺されてから、国の政策もあり、数多くの精神科病院が建てられた。国際的に、精神障害者に対する人権侵害が批判されるようになると、1987年に精神保健法が制定された。隔離収容政策から入院患者さんの退院促進が図られた。しかし、グループホームなどの施設の建設については、住民の反対運動が起こり、遅々として進まなかった。
 この番組の中で、懐かしい先生が出てきた。石川信義先生である。私が精神科医になったのは、1979年である。当時の武見日本医師会会長が、精神病院は牧畜業だと揶揄していた時代である。患者さんが病棟から自由に外に出られない閉鎖病棟がほとんどであった。この時に、石川信義先生の「開かれている病棟―三枚橋病院でのこころみ」(1979年刊)の本を読んで、随分と勇気づけられた。まだお元気にされており、その姿を見ることができただけでも、この番組を見る価値があった。
 先ほどの40年近く精神科病院に入院させられていた患者さんは、当時の院長や婦長、弟に会いに行く。他にも、50年も入院させられていた患者さんも出てくる。昔は、親も高齢化して引き取れず、社会的入院と言われる患者さんは大勢いた。しかし、現在もこれほど多くの患者さんがいるとは知らなかった。番組の最後で、現在も1年以上入院している患者さんは18万人で、5年以上がおよそ10万人と紹介されていた。取材協力者に京大系の先生の名前も出ていた。

 

平成30年1月30日(火)

 あっという間に、1月が終わる。何とか、壊れたパソコンのデータも新しいパソコンに入れ直した。今回、以前に急に作動しなくなったパソコンも修理した。これまでも、パソコンは仕事用1台とプライベート用1台と使い分けていた。キーボード、マウス、ディスプレイ、プリンターは共通である。仕事用には、アダルト関係などのデータは全く入っていない。だから、データ救出もなんのためらいもなかった。プライベート用でも、私はパソコンを使って、アダルト関係の写真や動画を保存することはほとんどない。昔のデータは外付けのハードディスクに入れている。ネットのアダルトサイトだけはお気に入りに入れていた。作動しなくなったパソコンにもまったくといいほどアダルト関係のデータは入っていなかった。それでも、修理に出すのはためらっていた。
 今回修理して問題なく動くようになったので、またプライベート用に使うことにした。私は写真や動画を趣味としている。2台とも高画質の動画の編集が簡単にできるぐらい、高スペックである。もともとゲーム用パソコンである。前から、動画編集の勉強をもっとしたいと思っていた。人生最後に勉強したいことは、中国語とこの動画編集である。年末年始に行ったエルニドの動画をパソコンで確認したら、感動的に美しかった。南の島には、きれいなビーチは山ほどある。しかし、この独特の雰囲気はここでしか味わえない。早く編集して、YouTubeにアップロードしようと思っている。
 ちなみに、私がmonmonHakaseYouTubeにアップロードしている動画で、現在の最高視聴回数は2万8千回を超えている。次に1万ちょっとの動画が2本ある。今回のような1人旅の動画では、「ベトナム・ニャチャンの1人旅」が1万回を超えている。ここでは、まだ視聴回数は少ないが、自分では撮ってきた動画の編集では傑作だと思っている作品を紹介する。5分10秒から始まるわずか40秒ぐらいの部分である。ベトナム・フーコック島の1人旅である。(興味のある人はクリックして、この部分まで早送りして下さい)
 相変わらず、バタバタとしている。この前の日曜日も雑用があって、ゆっくりとしている暇はなかった。先週は、大阪の池田に住んでいる母親のところに久しぶりに電話してみた。近くに住んでいる妹との関係がこじれたままになっていた。いつもは、年末年始は妹家族と食事したりする。ところが、今年は1人で過ごしたという。まだ、お互いにいろいろなわだかまりがあるようである。私も近いうちにまた顔を出そうと思っている。私の娘がごくたまに顔を出してくれるようになった。娘にも、時間があったら顔を出すように伝えた。妹家族も私も娘も息子も忙しい。年寄りだけが時間を持て余し、このギャップを埋めるのは難しい。
 前にも書いたことのある生活保護の患者さんである。いよいよおばさんから財産分与をこの3月までに受けるようである。税理士が手元に5千万円ぐらい残るように、計算して渡すという。どのくらいの税金がかかってくるのか、興味深い。ビットコインなどの収益は、雑所得となって税金が分離課税にならない。現在は大金を得ても、税金だけは簡単にごまかせない。富裕層でも、昔と違って大変だと思う。安月給で働いている人は、収入が今の倍になったら、手取りも倍近くなると思っている。実際には、税金もびっくりするほど増える。
 60歳を超える女性の生活保護の患者さんから聞いた話である。知り合いの女の人が70歳ぐらいの男性と再婚した。すると、すぐにこの男性が入院となり、あっという間に亡くなってしまった。1億円ぐらいの家と財産がこの女性の物となったという。噂ではなく、実際に身近で起こった話である。羨ましいというが、こんなことは滅多にない。人生最後のシンデレラ物語になるのかもしれない。ちなみに、この患者さんは75歳の社長と付き合っているという。月に2回会って、3万円のお小遣いをもらっている。こういう収入は、決して表には出てこない。1回3時間である。3万円では安いと言うと、この社長は取引先などからもらったお歳暮などを持ってくるという。
 今は、一昔前と違って、愛人として一生面倒を見てくれる人は少なくなった。私の患者さんで、そこそこ名の知れた人の愛人であったという人は何人もいる。今でも、東京の大手の社長の愛人をしている患者さんは1人だけである。50歳を過ぎていても、このまま一生面倒を見てもらうようである。どのくらいのお手当をもらっているのか、なかなか教えてくれない。実は、高スペックの男性と結婚するか、付き合うだけかでは、正社員になるか非正規社員になるかぐらいの格差が生じる。正社員になったら、労働基準法で労働者は手厚く保護される。
結婚も同じである。高収入の男性と結婚したら、専業主婦でも原則として婚姻期間に築いた財産の半分は離婚時に財産分与としてもらえる。それこそ、結婚は永久就職となる。愛人ではなくても、どうして1銭も稼いでいない専業主婦の妻を一生面倒を見なければならないのかと、疑問に思う男性も中にはいると思う。高収入の男性ほどいつも仕事で忙殺されている。子どもが幼い時には子育ては大変である。しかし、専業主婦の場合は、仕事を持っている女性と比べたら、まだましである。おまけに、仕事をしている男性とは違って、65歳まで子育てが続くわけではない。
 これも患者さんから聞いた話である。今でも、何人か風俗に努めている患者さんはいる。昨年、梅毒が戦後最高数を記録したことは、新聞にも載っていた。雄琴のソープなどの店舗型に勤めている患者さんの話では、1ヶ月に1回提携している医療機関で診断書をもらってこないと、出勤させてくれないという。ところが、派遣型の風俗はいい加減で、そんな証明書はいらない。検査をしていても、次の1ヶ月の間は未知である。店舗型に勤めている1人は、これまで1回も性病にはかかったことがないと話していた。
 最後に、YouTubeにアップロードしようとしている動画から切り抜いた写真を紹介する。パソコンを使った動画からの写真の切り抜きは、動きがあるとぶれてしまって使い物にならなかった。結局どうしたかというと、液晶TVにつないだブルーレイ録画機を一時停止し、カメラで撮った写真を使った。

スモール・ラグーン1  ここはスモール・ラグーンである。一瞬、人魚姫かと思った。

スモール・ラグーン2  ここもスモール・ラグーンである。カヤックでもやっと通り抜けれるぐらいの狭い岩の合間に入っていく。こういう景色がずっと続いている。

ビッグ・ラグーン1  ここはビッグ・ラグーンである。

ビッグ・ラグーン2  ビッグ・ラグーンを出る所である。

平成30年1月23日(火)

 この日記は、また業者にアップロードしてもらっている。その分、どうしても1日遅れてしまう。壊れたパソコンはデータだけ取り出してもらい、使っていなかった新しいパソコンに入れ直している。Outlookのメールもすべて取り出すことができた。実は、海外旅行の予約をしていて、飛行機のフライト時間をプリントアウトしていなかった。会員になっている所は、ホームページからでも確認できる。海外での国内線では、小さな航空会社が多いので、メールでしか確認できない。ふだん使っていないので、自分でもどこの航空会社で予約したのかもわからないぐらいである。予約したホテルも、ホームページで確認できた。メールの確認でソフトのパスワードもわかったので、もう1度入れなおすことができた。
 自立支援医療や精神障害者保健福祉手帳用の診断書のデータもすべて無事であった。ただ、この日記はFFFTPを使ってアップロードしている。自分で何とか設定しようとしたが、うまいこといかなかった。比較的最近に、パスワードが変更になっていた。自分ではメモをしていたつもりである。ところが、いろいろ試してみたがだめであった。業者に聞いて、また設定し直そうと思っている。来週の日記は、何とかいつも通り自分でアップロードできると思う。
 相変わらず、今週も忙しかった。障害年金の継続の診断書を締め切りの10日ほど前ほどに持ってくる患者さんもいる。こんな患者さんが数人いると、どうしてもっと早く持って来ないのかと思う。締め切りは誕生月の月末が多い。今月は1月31日である。早く診断書を書き上げないと、この日までに患者さんが申請できない。書かなければならない書類が山ほどあるので、あれもこれもやらなければならず、本当にこんな生活はこりごりである。今回は、壊れたパソコンのデータの入れ替えもあったので、時間を取られた。
 実は、会計事務所に送る11月分と12月分の書類の整理もできていなかった。ところが、11月分の出入金が書いてある貯金通帳がいくら探しても見つからなかった。仕方ないので、銀行まで行って、11月分のデータを印刷してもらった。何とか、ぎりぎり送ることができた。去年はいろいろとあったので、確定申告の申請がややこしい。この必要な資料も、集めなければならない。
 今週は、月(きのう)、水、金と労災補償課の人が私の医院を訪れてくる。労災申請の出ている3名の「精神障害に係る業務起因性の医学的見解」を検討するためである。私の所に回ってくる労災申請の判定は簡単なケースばかりである。それでも資料を見て、係の人が書いてきた原稿の下書きの校正もしなければならない。今週は医学的見解とは別にもう1件あり、こちらの方の締め切りも迫っている。時間がなくて、まだ何も読んでいない。資料を詳しく読んで、明日あさってまでに返事を書かなければならない。
 他にも、国が争っている他府県の労災の裁判事例がある。断り切れず、去年の春頃に引き受けてしまった。裁判の進行によって、どうなるかわからなかった。秋ぐらいに意見書を書いてもらうと言っていたのが、何の連絡もなかった。もう書かないでいいのかと思ったら、年末ぐらいに連絡があり、締め切りは3月末である。国が争っている裁判事例なので、裁判所に提出する意見書になる。この意見書はすべて私が書かなければならない。実は、この資料もまったく読んでいない。いろいろ考えると、気が遠くなってくる。先週は娘から夕食の誘いがあった。しかし、忙しくてこれも断っている。今月は、最後の日曜日ぐらいゆっくりしたい。
 他人の忙しさを聞いても、何も面白くない。私は開業して、息子が大学に合格するまではと覚悟して、外来のある月曜日から土曜日まで、毎朝5時に起きて、医院には6時までには出てきた。単純計算でも、13年間続けたことになる。息子が医学部に合格したからと言って、いきなり朝6時に起きたりするわけではない。その後も、かなり続いたと思う。ここ1、2年は朝5時に起きることは少なくなってきた。先ほどの13年間でも、朝5時起き、医院に6時に遅れたのは、数日ぐらいだと思う。朝6時に医院に着いたからと言って、いつもいつも勉強していたわけではない。
 仕事ばかりで人生が終わるのもむなしいと思う。今の生活を続けていたら、いつもバタバタ仕事に追われ、年を取っていくばかりである。私は今年の5月で65歳になる。誕生日を迎えた後で、木曜日を休診にしようと思っている。たまたま、年明けに大学の同級生と話をした。正月は、スペインに1人で行っていたという。団体旅行である。私が英語ができたら、どこでも1人旅ができると伝えたら、今から本気で勉強すると言っていた。海外旅行をしていて、つくづく芸は身を助けると思う。私は平成16年5月のTOEICで865点を取っている。最近はCNNを見ている暇はない。しかし、当時より英語力は確実に上がっていると思う。いつも掛け声ばかりの中国語である。木曜日を休診にしたら、また中国語に挑戦したいと思う。

本  旅行中読む本は新書で持って行った。この本は関西空港で買った。「西岡研介ほか『言ってはならない日本タブー100』(宝島社)」である。テーマは、皇室、警察、部落解放同盟、創価学会、山口組など、100のテーマが書かれている。すべて読んだわけではない。よく知っているテーマもあった。ここで取り上げたのは、私の知らない皇室のことが書かれていたからである。「革命的祖国敗北主義」という言葉は初めて知った。どういうことかというと、帝国主義に陥った祖国を他国に敗北させ、終戦後のドタバタに乗じて共産主義革命を成し遂げようというものである。
 もし天皇を死刑にしたら、共産主義者が一気に活気づく恐れがあった。「菊タブー」は軍国主義に利用され、戦後はマッカーサー側に共産主義勢力を抑えるために利用された。 

映画  エルニドの行っていた時に、タブレットに入れて見ていた映画である。もう1本見たが、この映画には感動した。「罪の手ざわり」である。2013年の日中合同作品である。日本では北野オフィスが配給している。私は最近の中国の監督はあまりよく知らない。前から書いているように、私は何十年も写真もビデオも撮っている。なかなかお目にかからない印象的な映像美である。現代の中国を表現していて、内容も面白かった。中国の悪口(政府だけではなく、国民も)ばかり言っている人は是非とも見て欲しいと思う。みんなそれぞれ必死で生きていることがよくわかる。

平成30年1月16日(火)

 14日(日)の夜遅くに、医院のパソコンでメールをチェックしていた。医療ニュースを見ているときに、いきなりパソコンがフリーズした。こういう場合は、パソコンの電源を押して消し、もう一度入れる。これまでこれで支障を来したことは1度もなかった。ところが、途中まで再起動できても、パスワードを入れる手前で止まってしまう。何回やってもだめであった。この仕事用のパソコンの中には、自立支援医療や障害者手帳用の診断書など山ほど大事な書類がはいっていた。
 以前から、新しいパソコンに代えようといつも思っていた。しかし、ソフトもたくさん入っている。パスワードなどをいちいち探すのも面倒で、そのままになっていた。この日記もこのパソコンからアップロードしていた。今回は自分のパソコンからアップロードできないので、ホームページを作ってもらった業者に頼んでアップロードしてもらっている。もしかしたら、本日中には間に合わないかもしれない。別の外付けハードディスクに手動で、一部のデータは保存していた。
 結局、きのうパソコンの修理業者に故障したデスクトップパソコンを持ち込んだ。医院まで来てもらって、データだけ救出するサービスもある。前回頼んだ時には、とんでもない値段がかかった。使っていなかった新しいパソコンはあるので、そちらに必要なデータは入れようと思う。古いパソコンなので、修理ではなく、データ救出である。それでも、1週間ぐらい時間はかかるようである。自立支援医療などの診断書をまた1から書き直すぐらいなら、多少お金がかかってもいい。データを入れる外付けハードディスク代は別にして、データ救出だけでは、2万円(税別)であった。もしかしたら、来週の火曜日も新しいパソコンからこの日記を更新するのは無理かもしれない。
 14日(日)は、午後1時半から、京都アバンティで、報道の自由と民主主義のあり方について考えるシンポジウムが開かれていた。「強まるメディア統制 乗り越えるには‥」である。私は最近はいろいろな催しものがあっても、めったに出かけることはない。たまたま新聞の記事で知って、医院から近いこともあって参加してきた。300人のホールが満杯であった。きのうの京都新聞にも記事が出ていたので、ここではあまり詳しいことは書かない。第1部は、加計学園問題で管官房長官を追求した東京新聞の望月衣朔子記者と特定秘密法の危険性を国連に通報した英エセックス大人権センターフェローの藤田早苗のパネルディスカッションであった。
 私は現在の安倍政権については、ずっと批判してきている。小選挙区制になってから、党の公認権を握り、官邸が官僚の人事権まで握るようになった。それこそ、首相には独裁者に近いほど権力が集中した。いくら権力を握っても、権力の行使に抑制的でバランス感覚の優れている人ならいい。しかし、安倍首相の思想も、保守本流というより、日本会議などを後ろ盾とした右翼とまったく変わりなく、強権的である。
 このシンポジウムでも出てきたことである。在釜山日本総領事館前に慰安婦を象徴する「少女像」が設置されたことへの対抗措置として、駐韓大使や釜山総領事長を一時帰国させていた。この時に、釜山総領事が私的な会食の場で安倍政権の対応を批判したところ、通常2〜3年までの任期が、1年で解任されてしまったという。こういうことがあると、誰も安倍政権を批判できない。公の発言でも一時帰国を拒否したわけでもない。政府内に多様な意見があってもいいと思う。たとえ私的な発言でも、容赦しないということである。そうすると、政権の中枢部にはイエスマンしか集まらず、いくらでも忖度が起こる。
 私は日本の首相になるような人は、本来知的エリートでなければならないと思う。まだ知的エリートの方がバランス感覚に優れ、国際感覚も身に備わる。もちろん、国益のための国際感覚である。大した大学を出ていなくても優秀な人はいると思う。しかし、日本のトップになる人に、そんなリスクを冒す必要もない。日本には、トップクラスの大学の卒業生は山ほどいる。毎年東大、京大を合わせても、計6千人ぐらいいる。医学部でも、毎年1万人である。とんでもない優秀な人の間で揉まれたこともないような人が首相になるなんて、私には信じられない。1聞いて10理解する能力も当然持ち合わせていない。管官房長官もそうである。権謀術数だけで這い上がってきた人は、私は信用しない。2世、3世議員ばかりの日本の政治システムを変えないと、日本は本当に滅びる。
 ここでは、望月記者の憲法改正の批判も出てきた。私は前から書いているように、改憲派である。しかし、安倍政権下での改憲は危険過ぎて反対である。この中で、憲法9条の改憲について反対の意見を国連に訴える団体のことも述べていた。この時に、英エセックス大人権センターフェローの藤田早苗は、交際的には理解が得られにくいと述べていた。当然のことである。自分の国の防衛を米国に丸投げして、平和憲法を念仏のように唱えている国なんて誰も相手にしてくれない。どこの国でも持っている軍事力はきちんと憲法で定めるべきである。私が憲法改正に賛成なのは、米国の言いなりになるためではない。きちんとした国家として独立するためである。
 さて、年末年始の旅の続きである。島巡りツアーが終わってから、翌日の空港のあるプエルト・プリンセサまでのバンかバスの予約が必要であった。「地球の歩き方」に出てくる「エルニド・ブティック&アート・ショップ」は私のホテルから歩いて5分ぐらいの場所にあった。ここは食事もとれ、ツアーデスクもあった。1月1日はここで予約できるバンは出ておらず、バスも朝9時と夜9時の2本だけであった。昼の2本は正月で運行していなかった。とりあえず、朝9時発のバスを予約した。前日に夜11時に到着して、丸1日過ごして、翌日は朝9時の出発である。
その後のことについては、また写真付きで解説する。

ツアー  前回の島巡りツアーの写真である。どうしてこの写真を載せたかというと、プエルト・プリンセサできれいなビーチの写真が撮れなかったからである。詳しいことについては、後半の写真で説明する。

バス  このバスにエルニド・タウンから空港のあるプエルト・プリンセサまで乗った。途中、乗客を降ろしたり、乗せたりする。値段は片道500ペソ(1140円)である。隣に座っていたカナダ人に聞いたら、直接買ったら450ペソ(1025円)であった。朝9時出発であったが、早めに行った方がいい。30分までも、窓側の席は1つしか空いていなかった。シャトル・バンとは違って、1席はきちんと確保できる。途中からは、立っている人もいた。乗り降りする人も多く、地方のローカルバスの役目もしている。

休憩所  バスでプエルト・プリンセサまで、片道7時間半近くかかった。途中、大きな休憩所は2ヶ所ある。ここはその内の1つである。隣に座ったカナダ人は結構年齢がいっている印象であった。それでも50代後半ぐらいで、私より若いと思う。リタイアしていないのに、これからベトナムやカンボジアを回るという。フィリピンにも1ヶ月近くいると話していた。

食堂  休憩所にはトイレや食堂、売店などがある。昼食をとる人が大勢いた。座席がきちんと確保できていても、バスで7時間半は疲れる。特に、プエルト・プリンセサに近づいて来た時に、山道がくねくねと曲がり、身体に重力がかかり、段々と苦痛になってきた。この時にザ・ビートルズの曲を思い出した。「The Long and Winding Road」である。ビートルズが解散したのは、私が高校生の時である。

ホテル  ここはネットで予約しておいたプエルト・プリンセサのホテルである。朝食付きで2泊で13,834円であった。ジュニア・スイートで、部屋はごらんの通り広い。地図を見ながら適当に選んだ。中心部までは、歩いて15分近くかかった。旅行代理店で、翌日のホンダ・ベイ・ツアーを申し込んだ。朝9時から午後4時までのツアーで昼食付きである。ホテルまでの送迎がついて、値段は1450ペソ(3,300円)である。

ホテル近く  この日は8時半頃にツアーの迎えが来た。すでに2人のカップルが乗っていた。他のホテルに客を迎えに行っている時に、ガイドが盛んに電話でやりとりしていた。どうなったかというと、ツアーが中止になったのである。どうしてかというと、嵐(台風?)が近づいていて、海が荒れるという。仕方ないので、前日の代理店に行って、料金を返してもらうことにした。ホテルの近くでこの写真は撮った。

子ども  これもホテルの近くで撮った。どこの国でも子どもは無邪気である。ここでは要求されなかったが、マニラなどの通りでは、小さな子どもが「マネー、マネー」と手を出してくることがある。

繁華街  ここはプエルト・プリンセサの庶民の中心街である。チャイナ・タウンと書いたショッピング・センターもあった。私はここで、パラワンのTシャツを買った。ふだん私の土産物は撮ってきた動画や写真である。ほとんど何も買わない。しかし、今回だけは記念に買った。パラワンのビーチタオルがあるかと思ったら、見つけることはできなかった。

埠頭  雨が激しく降ってきて、やることがないので、埠頭まで歩いて行った。立ち入り禁止の倉庫などがあり、なかなか海の見える所までたどり着けなかった。私は必ず折りたたみ傘を持っていくので、久しぶりに役に立った。こんな日に訪れるのは私ぐらいである。

トライシクル  ホテルにはバスタブが付いていなかった。温水のシャワーは出る。やることがなかったので、午後4時ぐらいから「サンタ・ルシア・ホット・スプリング」に行くことにした。いわゆる温泉である。けっこう離れていて、トライシクルのドライバーと往復の値段を交渉した。温泉では、1時間ほど待ってもらって、ホテルまで送り届けてもらう。値段は500ペソ(1,140円)で交渉は成立した。ところが、途中で水泳パンツを忘れたことに気がついた。仕方ないので、ロビンソンに寄って、高い水泳パンツを買った。
 雨の中を走ったが、けっこう遠く、この写真は40分ぐらい走った所である。見ての通り、雨も激しく降ってきた。写真では、明るく写っているが、もっと暗かった。ここからでも、まだ20分ぐらいかかると言われた。しばらくして、いきなりトライシクルのエンジンが故障し、全く動かなくなった。運転手がバッテリーなどをいじっていたが、ウンともスンともいわない。ここで焦っても仕方ない。1人で旅行していたら、こんなことは日常茶飯事である。あたりは真っ暗闇であった。
 結局どうなったかというと、温泉に行くのはあきらめ、トライシクルはそこに置いて、乗り合いのジプニーに乗った。こんな所でも、地元の人が利用するジプニーは走っている。このまま市内まで行くのかと思ったら途中で降り、今度はバイクに荷台のついたものを借りた。屋根はついていない。バイクの後ろに座って、この荷物を運ぶ荷台に足を載せる。あたりは土砂降り雨である。傘をなんとか差しながら乗っていた。ホテルまで送ってもらったが、暖かい温泉が冷たい雨でずぶ濡れであった。それでも、心配していたのは、翌日の朝の飛行機がマニラまで飛ぶかであった。幸い、翌日は飛行機が飛んだので、一安心した。  

   

平成30年1月9日(火)

 きのうは東山医師会の新年会が午後5時半からあった。この日は朝9時過ぎから、書類書きをしていた。障害年金や自立支援医療、精神保健福祉手帳用の診断書ばかりではなく、介護保険の意見書など山ほどあった。更新の分は、それほど苦労しない。新規に書かなければならない書類は、けっこう手間暇がかかる。他にも、うんざりするほと溜まっていた郵便物は、前日の夜10時ぐらいまでにすべて開封して、すぐ必要な書類を書けるように準備していた。
 エルニドに行った時の衣服の洗濯や、トイレの掃除もしていた。今回の年末年始の休みは目一杯旅行に費やしてしまったので、雑用が山ほど溜まってしまった。今回の連休は、土曜日の夕方から日曜日の午前中だけゆっくりとできただけである。実は、今回のフィリピンの旅では、3日にマニラに着いてから体調を崩してしまった。最近はなったことのない下痢になって、身体もだるかった。一昔前は、タイなどで下痢になったことは何回かある。寄生虫や細菌性の下痢ならやっかいである。きのうぐらいから改善し、きょうはすっかり回復した。
 新年会では、最初に会員の先生が師匠と一緒に小唄を披露してくれた。その後で、宮川町の芸妓さんが日本舞踊を踊ってくれた。そして、懇親会である。東山医師会にはいっていると、東山区は超高齢化で、どんどんと廃れていくのではという懸念もある。久しぶりにこういう踊りを見て、花街の華やかさを思い起こした。会員の先生とは、楽しく話ができてよかった。この年になったら、みんなざっくばらんである。継承を除いて、純粋な新規開業の先生はいないようである。
 実は、医院に帰ってきたのは、夜8時半であった。この後で、続けて今月中に更新しなければならない自立支援医療と精神保健福祉手帳用の診断書を午後10時過ぎまで書いていた。きのう中に、すべて書き終えるつもりであった。ところが、コピー機のインクが薄くなって、コピーができなくなった。恐らく、インクが切れたのだろう。トナーの交換はふだん事務員に任せている。説明書を読んで交換するのも面倒なので、ここであきらめた。会計事務所に送る11月分と12月分がまだ残っている。年賀ハガキの内容もまだチェックできていない。私は海外で少し親しくなった人には、「I'm successful in Japan」と言う。そして、続けて「very stressful in Japan」と付け加える。
 フィリピンには12月29日〜1月4日まで行っていた。行き帰りの2日はマニラで滞在である。1ペソは2.28円であった。以下に、写真付きで解説する。

飛行機  マニラからパラワン島中央部にあるプエルト・プリンセサの空港までは、約1時間半の飛行時間である。12月30日の出発時間は2時間近く遅れた。空港に着いたのは、午後4時前ぐらいであった。

休憩所  空港からエルニドまでは、シャトル・バンを使った。料金は500ペソ(1140円)である。ところが、このバンは空港で2人の客を乗せると、市内かどこかの予約客を順番にピックアップして行った。私の座っていた後部座席では4人座らせられ、大男の間でまったく身動きが取れなかった。おまけに、薄着でエアコンが効きすぎ、凍え死ぬかと思うほど寒かった。ここは途中の休憩所である。午後4時半に空港を出て、エルニド・タウンに着いたのは午後11時である。もう死ぬかと思うほどの大苦行であった。

ホテル  忙しくて、12月27日の夜遅くにネットで予約したホテルである。まったく知らない所でホテルをとる時には、場所を調べなければならないので、手間暇がかかる。どこも満杯で、残っていたファミリータイプの部屋を借りた。年越しパーティ代と朝食付きで、2泊で19,800円ぐらいであった。見ての通り、部屋は狭く、あまり設備も整っていなかった。場所だけはよかった。

出発  12月31日の島巡りツアーである。朝9時出発で、午後4時過ぎに帰ってくる。昼食付で、1200ペソ(2740円)である。前日の夜中近くであったが、ホテルで予約した。ツアーが出ている海岸まで、ホテルから歩いて3分ぐらいであった。たくさんのバンカーボートが停泊している。自分のボートまで、腰まで水につかって行かなければならない。

島1  ここは最初に行った島である。名前はよくわからない。(もしかしたら、ミニロック島?) この海の色は感動的であった。

島2  島に上陸した。エルニドは欧米人や南米の人たちがびっくりする大勢来ていた。フィリピンのビーチでは、タイのビーチほど欧米人は見かけたことはない。しかし、ここは別世界である。あまり人の多くない少し外れたビーチバーでサンミゲールのペイル・ピルセンを飲んだ。1本90ペソ(205円)であった。

スモール・ラグーン  ここはスモール・ラグーンである。船を降りて、カヤックで行く。カヤック代は400ペソ(910円)である。私は写真を撮りたかったので、ボートの乗務員の人に漕いでもらった。ほとんど動画を撮っていたので、写真は少ない。動画は感動的である。本当に、ここまで来た甲斐があった。

仲間  同じツアーのメンバーである。1組の米国人のカップルを除いて、同じホテルに泊まっていた。みんな親切で、ビールを1缶いただいた。アメリカ人とフィリピン人の夫婦の親戚関係が集まっていた。若い人たちは、ベルギーに住んでいると話していた。別のフィリピンの若いカップルとも話しできて、本当に楽しかった。

ビッグ・ラグーン1  ここはビッグ・ラグーンである。船でそのまま入れる。ここも雄大な渓谷の中を行き、よかった。

ビッグ・ラグーン2  ここもビッグ・ラグーンである。昼食は、船の上で食べた。新鮮な魚やエビをその場で焼いて出してくれる。これも美味しかった。ビールなどは船上では売っておらず、自分で持ち込まなければならない。

ビッグ・ラグーン3  ビッグ・ラグーンは海が浅い所もある。深い所もあり、岩の上から飛び込んでいる人もいた。

島々  ビッグ・ラグーンを抜けた所である。タイなどの島と違って、それほど海も荒れていなかった。船着き乗り場から長時間船に乗り続けることもなかった。エルニドでは、日本人らしき人をまったく見かけなかった。ただ、苦行のバンの中では、日本人の25歳ぐらいの娘と夫婦の3人が前の座席に座っていた。1列3人ならまだ楽である。

 

平成30年1月2日(火)

 この日は不在となりますので、1月5日(金)に更新します。
 ここから、5日に書いている。年明けということで、患者さんも多かった。夜の外来が終わって、そのまま医院で夕食を作って食べ、今の時間は8時半過ぎである。年末は28日の夜9時過ぎまで、年賀状を書いたりしていた。書かなければならない書類も山ほどあって、途中で書くのはあきらめた。
 年末はどこに行っていたかというと、フィリピンのパラワン島にあるエルニドである。マニラに2泊、エルニドに2泊、プエルト・プリンセサに2泊の6泊7日の旅である。昨日の夜午後8時半過ぎに京都駅に着いた。エルニドのホテルは、12月27日に予約した。ところが、どこも満杯で、便利な場所らしき所の残っていたファミリー・タイプの部屋を予約した。マニラまでの帰りの飛行機の時間も、前日の26日に変更になっていた。パラワン島中央部にプエルト・プリンセサの空港がある。ここからパラワン島北部のエルニド・タウンまで、シャトル・バンを使って、6時間半かかった。帰りはバスを使ったが、片道7時間半である。
 それでも、苦労して行った価値があった。今まで訪れたビーチでは1番の美しさであった。日本からなかなか簡単に行けない所に希少価値がある。写真より、動画をたくさん撮ってきた。少し落ち着いたら、またYouTubeにアップロードしようと思う。詳しいことについては、来週の日記で紹介しようと思う。実際に行ってきたエルニドの写真を2枚だけ公開して、今回の日記はこれで終える。

スモール・ラグーン  ビッグ・ラグーン1

ビッグ・ラグーン  ビッグ・ラグーン2


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