トップページ心の健康相談もんもん質問箱 もんもん読書録もんもん日記もんもん写真館もんもん博士紹介

もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
平成29年
NEW7月〜12月の日記NEW
1月〜6月の日記
平成28年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成27年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成26年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成25年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成24年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成23年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成22年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成21年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成20年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成19年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成18年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成17年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成16年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成15年
7月〜12月の日記
6月までの日記

平成29年11月14日(火)

 お寺関係の患者さんと話をしていたら、今年は紅葉がいいという。土日は雨ばかり降っていた。この雨は木や葉にはいいらしい。紅葉も、例年より少し早めになるようである。数年前に、京都の紅葉がまったくだめな時があった。地球の温暖化で、もう目覚めるような紅葉は見れないのではないかと思った。去年でも持ち直し、今年は本当に当たり年になりそうである。最近は、東福寺も清水も嵐山にも行っていない。もう見飽きたと言いながら、久しぶりに訪れると、その美しさに感動する。またカメラを持って、ウィーク・デイに訪れてみようと思う。
 最近、便利さについていろいろ考えるようになった。先週紹介したパタヤの写真でも、写り込んだ障害物をソフトを使って消した。昔は、名機のカメラでも、そのカメラ独自の癖やレンズなどを使いこなすことに喜びを感じた。鉄道と同じで、早くて便利ばかりがいいわけではない。のんびりとしたローカル線に楽しみを見いだす人もいる。
 しかし、私はついつい便利さを優先してしまう 。旅行には、重くて高価なカメラやレンズを持って行く気がしない。それこそ、コンパクトデジカメの写真で充分である。ソフトを使って修正してしまったら、写真の出来映えは、高級カメラで撮ったのか、よくわからなくなってしまう。写真ファンには、邪道といわれても仕方ない。それでも、カメラにはこだわりがあるので、高級コンデジを使うようにはしている。凝った修正もしない。せいぜい、自動補正ぐらいである。最近は、切り取りはよくするようになった。
 新幹線「のぞみ」を使うと、京都から東京までわずか2時間ちょっとである。いつも仕事で追われているので、以前は「ひかり」でグリーン車を使ったら、のんびりとした時間を味わえた。しかし、今はあっと言う間に東京に着いてしまう。せっかくのグリーン車の価値もあまりなくなった。それなら、「ひかり」に乗ったらいいかというと、そうでもない。もっと早い「のぞみ」があるので、わざわざ「ひかり」に乗る気にもなれない。飛行機もあまりにも長いと疲れる。せいぜい4〜5時間がいい。
 実は、患者さんと話していると、娘が自宅から仕事に通っている人が多い。母親にとって、夫婦2人分の食事を作るのも、3人分を作るのも同じである。洗濯もそうである。わざわざ別に洗濯したら、洗剤や水道代が余計にかかる。娘にとって、家事はいっさいせず、家賃代もかからない。土日は自由に過ごすことができる。ついつい便利さを優先してしまう。
 しかし、30歳半ばを過ぎてあわてて婚活をしても、なかなか理想の男性は見つからない。男前で、性格がよく、高給で、悠々自適の生活が遅れる理想の男性は永遠に見つからない。わざわざ結婚して、仕事もしながら家事もしなければならないとなると、リスクが大きすぎるのである。結婚して苦労するぐらいなら、今の生活の方がよほど自由で気楽である。結婚のために、家を出て生活したらいいのかというと、そう単純な話ではない。わざわざそんなことをする人もいない。単身赴任なり、やむを得ない事情がない限り無理である。私の娘も婚期を逃すのではないかと、今から心配している。
 さて、この前のパタヤの続きである。4日(土)の朝のモーニングは10時半までなので、間に合わないのは仕方ないと思った。ところが、朝5時に寝て、9時に起きてしまった。それほど、眠くはなかった。この日は、ラン島に行く予定であった。フェリーの出ているバリハイ桟橋まで、バイクタクシーで行った。50バーツ(175円)ぐらいだったと思う。ラン島は30年以上前に、2回ほど行ったことがある。この時には、小さなボートを使って行った。今は、フェリーである。大型の港も出来ていた。
 私はこの日記でも書いたように、フィリピンのフォーチュン島に行ったことがある。ここは小型ボートで1時間ほどかかった。快晴でも、波しぶきが強かった。この島には、かってはリゾートホテルがあった。しかし、現在は経営的に破綻して、吹きさらしになっていた。昔のイメージで、ラン島は小さな島だと思っていた。しかし、あちこちにビーチがあり、見所も多かった、フォーチュン島は島が小さく、わざわざフェリー乗り場を作るほどのこともない。なぜ、経営破綻したのかよく理解できた。
 11月4日(土)もパタヤに泊まり、早朝のバンコク出発の飛行機に乗る予定であった。関西空港行きの飛行機は、朝8時15分の出発である。早朝なので、渋滞に巻き込まれる心配はない。それでも、パタヤから空港まではタクシーで1時間半ほどかかる。ホテルは朝5時の出発である。それなりの高級ホテルに泊まっていたので、ホテルでタクシーを頼んだら高そうである。たまたま、近くでタクシーの手配をしている旅行代理店を見つけた。料金は1200バーツ(4200円)であった。「地球の歩き方」には1500バーツと書いてあった。
 前日の夜は、朝が早かったので、10時過ぎには寝た。タクシーの運転手は、みんなそこそこ英語は話す。タイの東芝で働いていたことがあるという。日本の工場のことは誉めていた。こういう旅行をしていると、常に英語で何と言うか考える。日本にいて、英語で考えるというのはなかなかできない。先ほどの、便利さと同じである。いくら英語の勉強になると言われても、必要に迫られないと英語では考えない。海外旅行も4日目となると、英語脳になる。日本の海外企業の欠点はわかっている。そのことを英語で何と言うか、いやでも考えざるをえない。現地で重要な決断ができないことである。本社に聞いてみないとわからないと、いつまでも返事を待たされる。スピードが1番の現在社会で、ビジネスチャンスを失うのである。
 少し前に、NHKスペシャルで「巨龍中国 一帯一路〜”西へ”14億人の奔流〜」を放送していた。カザフスタンなどで企業している中国の若者が紹介されていた。まだ、20代、30代である。中国から送られてきた責任者もいる。この人たちのとんでもないバイタリティを見ていると、日本は近い将来中国にぼろ負けし、アジアでも二流国家に転落するのではないかと心配になる。もちろん、中国人の中には失敗する人も大勢いる。しかし、こういう人の中から、とんでもない企業家が生まれてくる。最近、安倍首相がみっともなく中国にすり寄っている。最初から上手なけんかができず、将来のことが見通せない政治家は失格だと思っている。アパホテルが韓国などに将来進出するという。散々、不正確な知識で中国や韓国の批判をしてきた創業者のホテルが、本当に成功するかどうか見物である。
 パタヤのホテルを朝5時に出て、京都駅に着いたのは夕方6時半頃である。アユタヤで、交通事故で日本人4人が死亡したことが報じられていた。本当にお気の毒で、ご冥福をお祈りします。2人ともドクターであった。私も早朝のタクシーに乗った。運転手と話をしていたら居眠り運転は起こりにくい。昔と違って、日本の若者は内向き志向で、海外旅行もしなくなってきた。最初に書いたように、日本の便利さを優先して、中国の若者のように海外に飛び出るリスクも冒さない。私は今回は女遊びに行ったわけではない。海外に出ないと、世界がどうなっているのかなかなか理解できない。いろいろな刺激を受けて、見も心もリフレッシュして帰国した。

ホテル  最上階の7階のフロアから見たホテルのプール。朝食は、ここでとる。時期的なものなのか、それほど混んではいなかった。子ども連れの家族が泳いでいた。

桟橋  ここは、ラン島に行くフェリーなどが出ているバリハイ桟橋である。チケット売り場がどこにあるのかわからなかった。テーブルを出して、往復150バーツ(525円)で売っていた。他の人に聞いたら、乗船前に30バーツ(105円)払ったらいいだけであった。

港1  40分ぐらいで、ラン島の港に着く。フェリーは1時間に1本ぐらい出ている。帰りの時刻表も出ているので、何時の船に乗るか決めて、島で過ごしたらいい。帰りも、同じ30バーツである。

フェリー  私の乗ってきたフェリーである。1階と2階に席が分かれていて、どちらも満席であった。地元の人や中国人の他に、欧米人もそこそこ乗っていた。ビーチや南の島関係では、タイの方がフィリピンより欧米人が多い。

ビーチ1  ラン島の港の近くの通りでは、大勢の観光客であふれていた。人が多すぎて、のんびりという雰囲気はなかった。通りをしばらく歩いていたら、あちこちのビーチに行くソンテウ乗り場があった。ここは、30バーツ(105円)で来たサマエ・ビーチである。

ビーチ2  ベトナムのビーチと同じように、ロシア人観光客が多かった。太陽を求めて、南の島やビーチを訪れるロシア人観光客をあちこちで見かける。ずっとビーチで寝転んで、日焼けをしている。彼らにとって、最高の贅沢なのである。

港2  大勢の観光客が押し寄せるラン島は内心ばかにしていた。しかし、島の中には、いくつものビーチが点在していて、本当によかった。バイクをレンタルして、島巡りもできる。レンタル料は1日300バーツ(1050円)であった。3人乗りしていた人もいたぐらいである。

中国人  ここは先ほどの桟橋に戻った所である。どこに行っても、大勢の中国人観光客がいる。フェリーの中で、垢抜けない雰囲気の中国人の若者と話した。英語が上手で誉めると、大学で勉強したからという。日本人は10年以上英語の勉強をしているのに、全く足下にも及ばない。

平成29年11月7日(火)

 京都新聞を読んでいたら、子育ての記事が載っていた。その内容は、母親にとって男の子は永遠に理解できないである。私は、この日記でも精神科医として男女の違いを論じてきた。子育てをしていても、男女の違いがあることに、今までまったく気がつかなかった。よく考えたら、男性である夫のことも充分に理解できていないのである。同じ男である息子のこともそう簡単に理解できるはずがない。それだけ、生まれ持っている男女の考え方や感じ方に違いがある。
 たまたまめったに見ないTVを見ていたら、「スーパー3助とアンゴラ女王」のコンビが出ていた。このコンビについては、この番組で初めて知った。縄跳びを使ったコントで爆発的に売れているという。子ども受けしそうなコントで、それなりに面白かった。番組では、このコンビが交際中とも報じていた。この中で、急に売れ出したスーパー3助が、アンゴラ女王の前で憧れの女子アナとご対面する場面が出てきた。すると、交際中のアンゴラ女王が嫉妬する場面がいくつも出てきた。
 以前にも書いたことである。結婚したばかりの後輩の先生が、誰だったか忘れたが、タレントの水着写真のポスターを自分の部屋に貼っていた。すると、早速奥さんからしつこく文句を言われたという。恐らく、「私という愛する者がいながら、自分の部屋にこんな汚らわしい写真を貼っているなんて、信じられない」である。奥さんのポスターを貼っていたら、満足したかもしれない。男性にとっては、部屋中ポルノ写真を貼っているわけでもないので、どうしてこんなに女性が怒り狂うのかなかなか理解できない。
 これも前にも書いたことである。私は男女の違いは、それこそ発達障害の人を理解しにくいのと同じではないかと思っている。例えば、これから紅葉の季節である。私たちは紅葉を見たら、きれいだと思う。ところが、発達障害の人たちは、何がきれいなのかよくわからない。ただ、色づいた葉っぱが見えているだけである。どういうことかというと、机の上の電話機を見て美しいと思わないのと同じである。私たちは、視覚で見えるもの以外に、風光明媚な山や海に何か+αの思いを感じているのである。発達障害の人の言葉の特徴として、1対1の関係がある。この花が美しいと言うと、花と美しいが1対1の関係になる。あのタレントが美しいと言うと、混乱する。花とタレントは何も関係ないからである。
 女性は、恋人や夫に、この言葉の関係のように、愛=永遠の独占の1対1の関係を求める。恋人や妻を愛しているが、好きなタレントもいれば、AVも見たりするという男性の心理が理解できない。多くの男性は、一生妻だけ愛して、他の女性には何の興味もわかないという男性がこの世に存在するとは思っていない。男女の考え方や感じ方に違いがあるのは、もともとの身体の仕組みの違いもあるからである。個人差はあるが、女性が生理前に情緒不安定になるのと同じである。人格が変わるほど怒りを抑えられなくなる人もいる。
 この日記でも何回も書いている。芥川賞を獲った庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」である。主人公は、東大紛争で東大入試が中止になった日比谷高校(当時の東大合格者1番の進学校)の僕である。この小説の中で、「3日に1度、女の人をレイプしたくなる」という告白が当時話題になった。私が社会保険神戸中央病院の部長をしている時に、看護学校の授業で、精神科ばかりではなく、精神保健の科目が新たに加わった。精神科以上の分厚い教科書で、毎回授業の準備が大変であった。この中に、「中学生の男子の性欲を抑えるのは困難である」と書いてあった。当時、妙に納得したことを覚えている。男性は、3日に1度とは言わないが、生理的に定期的な射精が必要である。
 その時に、浮気をするのは、私は賛成しない。実際に、妻に失礼だと思っているので、私は本当に浮気はしたことはない。この時の、浮気の定義が難しい。若い時には、風俗ぐらいに行ったかもしれない。セックスをしなければ、浮気ではないかという問題もある。中には、他の女性のことを思っただけでも浮気だという女性もいる。今はSNSが発達しているので、素人とプロの区別がつきにくくなっている。風俗は嫌いで、素人にしか手を出さないという人もいる。私の中では、結婚しているのに素人に手を出すのはアウトだと思っている。性処理のために風俗を利用するのは、まだ許される。
 仕事柄、素人に手を出して泥沼にはまっている人を山ほど見てきた。やはり、タダより高い物はない。お金持ちや肩書のある人ほど気をつけなければならない。今はみんな経済的に苦しいので、忘れた頃に金銭的援助を求めてくる。お金は求めて来なくても、何十年も経って、セクハラされていたとか、愛人であったとか好き放題言われる。お金で1回1回その場で解決することが、1番安心である。それでも、風俗嬢に対して、+αの思いを持ってしまうかも知れない。
 さて、いろいろくどくど書いたのは、この連休はタイのパタヤに行ってきたからである。以前の日記で、性欲が衰えたと書いた。パタヤにはゴーゴーバーや女性連れ出しのバーが山ほどある。私は30年以上前に行ったことがあるぐらいである。当時は、置屋も多かった。私はこういう歓楽街がある所は、擦れた女性ばかりが多いので、基本的には嫌いである。今回、どこまで性欲が蘇ったのか、久しぶりに見学も兼ねて訪れてみた。
 11月2日(木)の外来は午前中だけである。4日の土曜日を休診にして、木曜の夜から3泊4日の旅に出た。ところが、関西空港の出発が3時間ほど遅れた。この遅れについては、前日にパソコンのメールで届いていた。私は忙しい時には、2、3日メールをチェックしない時もある。危ない所であった。この直前の飛行時間の変更は時々ある。フィリピンの国内線で、出発時刻が変わっていることを現地の空港で知ったこともある。結局、ホテルに着いたのは、夜中の1時であった。ビールを飲みたいと思っても、スーパーでもコンビニでも夜10時過ぎにはビールを売ってくれない。
 仕方ないので、援交バーで有名なテルメまで行った。私の泊まるホテルはナナの近くなので、歩いて行ける。円安で、1バーツは3.5円である。ビール1本が110バーツ(385円)である。時間制限はなく、いつまでもいれる。うるさいことも言われることはない。私はとにかくビールを飲みたかったので、2本頼んだ。さすがに、夜中2時近くになると、女性も少ない。この店は、夜中の2時20分に閉店となった。その足で、ナナのゴーゴーバーはどうなっているのか見に行った。閉じている店もあれば、まだ開いている店もあった。ここも踊っている女の子は少なかった。バンコクに寄るのは、いつも翌日に南の島に行くためである。翌日の飛行機が早いので、早寝早起きである。こんなに遅くまで起きていたのは、本当に久しぶりである。
 翌日は、朝10時までのモーニングに間に合うように起きた。エカマイからパタヤまで、乗り合いバンで130バーツ(455円)であった。ところが、途中道路が渋滞しており、片道2時間半以上かかった。パタヤに着いてからは、1人60バーツ(210円)で各ホテルに連れて行ってくれるという。自分で探すのも面倒臭いので、ホテルまで送ってもらった。ホテルに着くまで、トータルで3時間ほどかかった。後で、解説付きの写真で解説するが、ここのホテルは値段の割に本当によかった。前から書いているように、1人出泊まっても、2人で泊まっても、基本料金は変わらない。こんな一流ホテルでも、女性の連れ込みはアイデンティティ・カードさえあれば可能である。
 この日は、パタヤの歓楽街の主立った所には、顔を出した。海岸沿いのフーターにも寄った。ここは健全なバーで、シンハでもアサヒでもタイガーでも、小瓶のビールが120バーツ(420円)であった。ロシアン・バーにもはいった。明朗会計で、女の子におごらなければショーを見て、飲み代だけで済む。タイ人のウェイトレスのおばさんに聞いたら、ロシア人の女の子の連れだし料(ショートでセックス代も含む)は、1時間5千バーツ(1万7500円)と教えてくれた。最後は、ディスコのハリウッドに行った。ここは2時過ぎにはいったが、広い店内は大勢の人で埋まっていた。実は、ここにいる女の子は、ほとんど援交目当てだという。アルコールが2杯分付いて、500バーツ(1750円)であった。この日は浴びるほどビールを飲んだ。ホテルで床に就いたのは、朝の5時過ぎである。

ホテル  ここは、エクスペディアで見つけたホテルである。1泊朝食付きで、7786円であった。2泊目は朝早かったので、朝食なしで6981円であった。向こう側に広いベッドルームがあり、手前には大きなキッチンが付いていた。最上階の7階であった。

ビーチ1  夕暮れのパタヤビーチである。1番の繁華街であるウォーキング・ストリートに近い。このあたりの海は、あまりきれいではない。泳ぎには適していない。大勢の観光客でにぎわっていた。

ビーチ2  フォトショップの自動スマート補正を使ったので、少し明るくなった。実は、右下に木の台が写りこんでしまった。フォトショップで消すのは面倒くさそうである。今回初めてフォト消しゴム2を使った。簡単操作とその技術にびっくりした。こういう写真はなかなか撮れない。(一瞬の波の形や人の配置など)

屋台  ホテルからビーチまでは、そこそこ距離がある。15分ぐら歩いて、先ほどのウォーキング・ストリートに着く。途中、こんな屋台がたくさん出ている。反対側の道路沿いには、寺院がある。この中でも、びっしりと屋台が並び、大勢の人であふれていた。

バー  ここはあまり日本人の行かない通りである。外国の長期滞在者などが多い。あちこちに、こんな店があふれている。この近くにもゴーゴーバーの通りがある。日本人好みの女の子が多いのが、先ほどのウォーキング・ストリートである。

ウォーキング・ストリート1  ゴーゴーバーなどが並んでいるパタヤ1の繁華街であるウォーキング・ストリートである。先ほどのような「Bar Beer」の店も通りにはたくさん並んでいる。ふつうの観光客も大勢来ている。みんなスマホで写真を撮っているので、カメラも向けやすい。

ウォーキング・ストリート2  ここは、ロシアン・バーのある2階である。通りから、この宣伝用のショーが見える。私はここでビールを2本頼んだ。小瓶が1本280バーツ(980円)である。上半身は脱いで、ポールダンスみたいなことをしていた。暗くて、もう1つよく見えなかった。

平成29年10月31日(火)

 いよいよきょうは書くことがなくなった。どうしてこんなことになるのかというと、平凡な日常的なことを書き綴っても、あまり意味がないと思ってしまうからである。私はフェイスブックやラインなどのSNSはやったことはない。身近の人たちには、日常会話のような交流は楽しいかもしれない。実は、最近気付いたことである。大前研一などが書いていることは、いつも興味を持って読んでいた。しかし、ここに書かれていることは、専門家ならある程度わかっていることなのか、独自の見解なのか疑問を持つようになってきた。
 専門家が、素人向けにわかりやすく解説しているだけでも、門外漢の人には面白い。しかし、文章の内容が単なるそれだけなのか、その人独自の見解も入れて書いているのか、よくわからない。この独自の見解というのもくせ者である。いろいろな根拠を示し、私だけがわかっていると言われても、将来のことはどこまで真実性があるのかわからない。そう思って、雑誌や本などに書いてある専門家の文章を読んでいると、案外、独自性を出して書くのは難しいと思うようになってきた。
 日本の経済のことを、中国や韓国、東南アジアを30年以上旅行してきた私の実感として書いておきたい。実は、日本はバブルが弾けてから、物価はほとんど上がっていない。バブルの崩壊が終わったのは、1993年(平成5年)10月と言われている。もう25年以上経っているのに、物価はむしろ安くなっているぐらいである。給与も、下手をしたら下がっている。
 どういうことかというと、この間、アジア諸国の給与も物価も上がっている。だから、中国や韓国だけではなく、東南アジアの観光客も増えているのである。前にも書いたように、バンコクやマニラのショッピング・センターで日本食を食べたら、日本より高いぐらいである。それでも、現地の人でにぎわっている。確かに、まだバス代などの公共料金は安いし、貧しい人も多い。しかし、経済的に余裕のある人も増えたのである。オーストラリアでは物価が高い。私はまだケアンズにしか行ったことがない。ちょっとした食事でも、とんでもなく値がはる。あまりにも物価が高いと、何回も訪れたいと思わない。すべての自動車工場が撤退したというのも理解できる。
 日本の輸出産業が好調なのも、これだけのインバウンドが多いのも、円安のおかげである。しかし、他の国がどんどんと成長して、物価が高くなっているのに、日本がこのままでいいのか疑問である。経済学者でないので、偉そうなことは言えない。以前に、週刊スパを読んでいたら、銀座の一等地のビルの持ち主の名義が、有名なイタリアン・マフィアの孫と書いてあった。法的に国外の人間がどこまで日本の物件を買い占めることができるか詳しくはない。しかし、このままデフレが続くのは心配である。アジアの国々のホテル代は日本と比べると、まだまだ安い。しかし、このまま日本の実情の経済が停滞していたら、将来どうなるかわからない。
 きょう送られて来た今月の学会誌「精神神経学雑誌」である。特集で、「自閉症スペクトラム症の臨床実践ー過剰診断と診断見逃しのジレンマのなかでー」が取りあげられていた。外来をやっていると、「自分は発達障害ではないか」という患者さんも多くなってきた。勝間和代などは、自分は発達障害ではないかと述べている。それなりにこれまで社会に適応してきた人が、何らかの理由で一旦仕事をやめ、厳しい雇用環境の中での再就職で不適応反応を起こす。そして、職場の人間関係などで悩み出すと、「自分はアスペルガーではないか」と疑うようになる。この特集の最後に出てきた、思春期以降の症例では、発達障害とふつうの発達とのグレーゾーン群を提唱していた。私は発達障害に関しては専門家ではない。この症例を読んでいて、何が発達障害なのかますますわからなくなってきた。
 最近は、お金を使う所がないので、発作的に5.9インチのスマホを買った。HUAWEI Mate 9である。買って間もないHUAWEI P9は下取りに出した。引き取り額は2万2千円だった。新しい方は、アマゾンで4万8千円ちょっとだったと思う。きょう見たら、値段が上がっていた。SimカードはIIJmioを使っている。2Gの通信料と音声通話機能がついて月額1600円である。スマホではほとんど通話しないので、緊急用である。
 いつも医院にいるので、データ通信もあまり必要ない。スマホでYouTubeなどは見ない。その分、パソコンでYouTubeからダウンロードしたロック関係の動画を450本ほどスマホに入れた。録画した映画も、パソコンでスマホ用に変換した。内蔵メモリーが65Gあり、32Gの外部メモリーを入れたら最強である。何に使うかというと、やはり旅行用である。タブレットも持っているが、持ち運びが面倒である。薄いノート型のケースに入れたら、使いやすくなった。それにしても、スマホに関しては中国製でもある意味で日本製を上まわっている。ハイレゾプレイヤーでも、韓国のアイリバー製品の方が高い評価を得ているぐらいである。
 先週は、私の持っているカメラとレンズを中古としてソフマップに買い取ってもらった。先ほどのスマホでも(別の所であるが)、あまり古くなると高くは買ってもらえない。あちこち海外を旅行していても、もう大きな一眼レフカメラは使わないと思った。これから紅葉の季節である。近場でも、最近はなかなか持って行く気になれない。実は、11月末に発売されるキャノンのコンパクトカメラが気になっている。使わないカメラは早く売って、ポイントを貯めておこうと思った。
 25日の中古の日にソフマップに行った。ポイントでもらったので、15%のプレミアムが付き、8万8千ポイントにもなった。今まで貯めたポイントが10万ポイントちょっとある。合計したら、19万ポイントである。このポイントは、今では同じグループのコジマ電気やビックカメラでも使える。先ほどのキヤノンのコンパクトカメラの重量は400gを切る。ところが、なんとヨドバシカメラの予約価格は13万7千円となっていた。ポイントは充分に溜まっている。現物をみてから、買うかどうか決めようと思う。年末のセールでは少しは安くなるだろう。
 さて、ホームページの作りを変えようと思っている。先週は、たまたまNTTのタウンページの係の人が訪問した。電話帳に載せると、NTTのホームページでも見れる。私の娘も息子も新聞を読まない。パソコンもほとんど使わない。すべて、スマホである。スマホで私のホームページを見ると、わかりにくい。17年もほったらかしなので、最初のページなどもっとわかりやすくしようと思っている。

 

平成29年10月24日(火)

 この日記は、いつも前日まで何を書こうかと迷っている。今回は本当に書くことがないと思った。読みかけの本もまだ読み終えていなかった。次の火曜日までに読み終えようと、常に自分にプレッシャーをかけるのは、けっこう重荷になる。しかし、それぐらいしないと、忙しいと言い訳して、なかなか読み終えない。何を書くかはその時によって変わる。きのうの夜に、どんな内容を書くか決めた。必要な材料もそろえた。毎週、この日記を書き終えると、ほっとする。
 最近、患者さんを診察していて気づいたことである。自分の感情をどうコントロールしたらいいのか、たくさんの本が出ている。実際には、そんな魔法のような方法があるわけでない。ベテランの精神科医の私でも難しい。感情をコントロールするのが難しい状況の1つに、「自分が忙しくて、他人が暇そうにしている」がある。この暇そうにしている人が身近であればあるほど、忙しい人は腹が立つ。会社の同僚でも、同じことがあるかもしれない。しかし、1番多いのが、夫婦、親子、兄弟である。遠く離れて住んでいると、よくわからない部分もある。ところが、同居していると、誰もが我慢できず爆発する。
 ある50代の患者さんは、正社員をやめて、1人暮らしでパートの仕事をしていた。なかなか、仕事が長続きしなかった。家賃が払えなくなったので、1人暮らしの母親と同居するようになった。母親は70歳を越えているのに、まだ週5日、毎日5時間ほど働いている。最近細かいことを、以前に増していろいろ言われるようになったという。60歳を越えて、定年退職した夫がいる。今は毎日スポーツクラブに通っている。ところが、専業主婦の妻がいろいろと文句ばかり言うようになったと言う。妻は自分の親の介護で毎日忙しい。夫の親の面倒を見させているわけではない。男は、それこそ65歳まで働き詰めである。年をとってくると、専業主婦の妻が暇そうにしているのを見ると、どうしても腹が立つ。子育ては本当に大変である。しかし、65歳まで子育てが続くわけではない。(中には、夫が子供みたいなものだと言う人もいるかもしれない)
 さて、10月20日(金)の夕刊(京都新聞)を見ていたら、「北朝鮮国境観光が人気 中国」と何枚もの大きな写真付きで紹介されていた。中国遼寧省丹東市である。北朝鮮のミサイル問題がクローズアップされ、今は人気の観光地になっているという。実は、私はこの日記でも紹介したように、平成25年(2013年)8月の夏休みに、ここを訪れている。もんもん写真館にも写真を載せているし、8月13日(火)以降の日記にも詳しく書いている。私はまったく中国語は話せず、読み書きもできない。英語はまったく通じず、よく1人で行ってきたものだと自分でも感心する。こんな北に位置しているのに、死ぬほど暑かった。国際大酒店(インターナショナル・ホテル)以外のホテルは、瀋陽でも丹東でも宿泊拒否にあった。満州事変が起こった9月18日に近かったので、当局がトラブルを避けるために地元のホテルに通達を出したものと思われる。
 実は、10月16日(月)にテレビ大阪で、「池上彰の世界激変!世界を分断する新たな"壁"」を放送していた。私は録画して、今週興味のある所だけ見た。北朝鮮が取りあげられ、脱北ルートのことなどが紹介されていた。大使館などの駆け込みやモンゴルルートは現在は使われておらず、鉄道で昆明まで行き、ラオスを通って、タイに行くタイルートのことが、取材されていた。この番組では紹介されなかったが、瀋陽での日本領事館などへの集団駆け込みは事件は「企画亡命」と言われ、NGOが主導し、メディアの眼前で行われる。
 この番組に出てきたことについては、李学俊「天国の国境を越える 命懸けで脱北者を追い続けた1700日」(東洋経済)にも詳しく書かれている。私は、瀋陽・丹東に行って帰ってきてから、この本を読み終えた。平成25年9月3日(火)の日記にもその内容を紹介している。この日記を今回読み直してみたが、我ながらわかりやすく解説していると思った。先ほどの私の旅行記より、こちらの方が勉強になる。今、手元にこの本がある。この時に書けなかったことである。人身売買や北朝鮮製の覚醒剤取引きのことも書かれている。
 10月17日(火)には、MBS毎日放送で「教えてもらう前と後 池上彰の日本のタブー 皇室・北朝鮮・お金」を放送していた。これも録画して、今週部分的に見た。ここでは、最初に「富士山の上空は誰のもの?」と出てきた。今週のトピックス44(平成29年10月3日)で紹介した矢部宏治「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)のごく一部のことが放送されていた。TVではアメリカ軍の管轄エリアで、横田空域のことだけ紹介されていた。この本は保守も革新も読まなければならないマストの本である。右翼であろうと、左翼であろうと、改憲派でも護憲派でも、この本を読まずに議論しても意味がない。よく売れているらしく、きょう見たら、アマゾンでは11月14日に入荷予定となっていた。この番組では、北朝鮮の歴史も詳しく紹介していた。
 以下に、私が丹東で撮ってきた写真を紹介する。興味のある人は、もんもん写真館の写真も見て下さい。

食堂  丹東にはバスで夜8時頃に着き、どこのホテルでも宿泊を断られた。やっと鉄道駅のホテルに泊まることができた。夜遅くなって、地元の開いている食堂にはいった。値段はいくらだったのか、よく覚えていない。

果物屋  あちこちに商店が並んでいた。ここは果物屋である。客はあまりはいっていなかった。

鴨緑江断橋  北朝鮮と中国に架けられている橋である。朝鮮戦争の時に、米軍の空爆で途中で途切れている。鴨緑江断橋である。大勢の観光客が来ていた。対岸の北朝鮮を見るための遊覧フェリーもたくさん出ている。

土産店  岸辺では、北朝鮮の紙幣やコインなどを売る売店がいくつも出ていた。タバコもハングル文字が書いてある。すべて北朝鮮製なのか、よくわからない。

遊覧フェリー  この写真は、この日記にも載せている。平成25年8月27日(火)である。この時には、写真が小さかった。もんもん写真館に大きな写真を載せていたからである。向こう岸が北朝鮮である。

丹東高麗館  この写真も同じ日付の日記の中で紹介している。丹東高麗館と書かれている。世界最大の北朝鮮レストランである。私はプノンペンの北朝鮮レストラン(今は閉鎖?)にはいったことがある。ここは、なかなか1人ではいる勇気がなかった。

鴨緑江  中国側の鴨緑江の岸辺には、観光用のレストランなどが並んでいる。もんもん写真館にも載せているが、夜になると、橋がきらびやかなネオンに包まれる。

バス乗り場  ここは丹東の鉄道駅に近いバス乗り場である。この時の1元は16.3円で、現在の17円とあまり変わりない。この時の瀋陽までのバス代は、84元(1400円)であった。片道4時間ぐらいである。

平成29年10月17日(火)

 この前の日曜日は、毎年恒例の東山医師会の「秋の集い」があった。会費は3千円である。毎年、医者以外のそれぞれの分野の専門家を呼んで、講演会を開いている。いつも格調が高く、正直言ってあまり興味のない分野の話も聞いていた。今年は私より若い東山医師会の会長が、正式な演題名を忘れてしまったが、「ジャズの聴き方」について講師を依頼していた。
 会長とは、以前に京都市の介護認定審査会で一緒になったことがある。この時に、サックスの練習をしていると聞いた。私は、医院の3階にも琵琶湖のマンションにも200万円以上したヤマハの防音室を入れている。映画の視聴やLPレコードを聴くためである。この先生が、もっと狭い防音室を買っていた。あまりにも狭くて、サックスの練習をしていると息苦しくなると話していた。その時は、単なる趣味の楽器の練習だと思っていた。ジャズにこんなに凝っているとはまったく知らなかった。
 講師の先生は、同じ神戸大学医学部の同窓生で、西宮で開業している有名な皮膚科の先生であった。毎年、年末年始の休みには、2人でヴィレッジ・ヴァンガードなどアメリカの有名なジャズクラブに行っていたという。講師の先生は京大の工学部を卒業し、その後医学部に再入学していた。ジャズの歴史から聴き方、ライブハウスのことまで紹介してもらった。シアンクレールは、府立医大に近かったので、私も覚えている。私はプログレに凝っていたので、やはりフリージャズが面白かった。プロの演奏家が2人来ていて、実際に演奏もしてくれた。後半には、会長がサックスを吹いて、この演奏に加わっていた。
 最後は、懇親会である。私が開業する前に在籍していた京都第一赤十字病院の先生も参加していた。乳腺外科の部長も同じテーブルであった。この先生は、私が日赤の部長をしている時に、再発した乳ガンの患者さんを山ほど紹介してきた。当時は、こんな末期の患者さんにどう対応したらいいのか本当に困った。今から考えると、緩和ケアの勉強をさせてもらって、本当に感謝している。乳腺外科は、現在は女医さんに人気がある。志望者が多いので、研修も断ったりしているという。人数が増えた分、今はそれほど忙しくはないという。61歳になったというので、少しは楽をしてもいいと思う。
 今回、この会に参加して思ったことは、老後の生き方である。講師の先生も、ジャズピアノを習って、発表会で演奏している。実は、会社を退職してから、やることがないという患者さんも多い。それまで、会社の第一線で活躍してきた人も、関係ない。昔の仲間も、退職して老後を楽しんでいるのだろうぐらいで、連絡もしてくれない。かと言って、老人会みたいな所は、70代や80代の人ばかりで、まだ参加する気にもなれない。退職したら、自分から常に動かないと、誰も相手にしてくれないし、心配もしてくれない。医者でも、仕事をやめてしまったら同じである。宗教が廃れてきているが、案外、教会などが引退した人たちのコミュニティの場となっている。
 そして、この前の続きである。私の現在の趣味は、海外の1人旅である。それも、誰も撮ったことのない写真を撮ることである。カメラには、あまりこだわらない。以前にも書いたように、山登りから鉄道マニアまで、写真に凝る人は多い。プログレについては、昔のLPレコードを聴くと、本当によかったと思う。CDはあまり買わない。最近買ったCDはドイツの「Faun」のアルバムである。以前に、手に入れようと思ったが、入手できなかった。今は、アマゾンで簡単に手に入る。代表的な曲を紹介すると、Faun - Egil Sagaで視聴できる。(クリックして下さい) 興味のある人は、Faun - Tinta (live 2007)も聴きやすい。(自分で検索してください)
 さて、前回の旅行の続きである。9日(月)は、ケソン市のクバオに泊まった。タガイタイから、パサイ市行きのバスに乗った。2時間ちょっとで着き、大きな通りで全員降ろされた。ここがどこなのか、さっぱりわからなかった。近くに、ヘリテッジ・ホテルと書いてある建物があった。「地球の歩き方」のメトロ・マニラの大きな地図を見ると、載っていた。ここから歩いて、高架鉄道(MRT)のタフト・アベニュー駅まで歩いて行った。けっこう混んでいて、クバオまで30分で着いた。料金は、24ペソ(53円)であった。タクシーを使わなかったのは、単なる節約だけではない。車が渋滞している所も多く、どれだけ時間がかかるかわからなかったからである。
 この日は、雨が降っていた。小雨で、傘をさすほどでもなかった。クバオ駅の近くは、とんでもない人で混んでいた。なかなかホテルにたどりつけなく、チェックインしたのが、午後3時近くであった。天候も悪かったので、本来行きたかった所に行くのはあきらめた。翌日に行こうと思った。しかし、日本に帰国する時間もあった。空港には、正午ぐらいには着きたかった。空港は、最初に乗ってきたパサイ市のタフト・アベニュー駅からは比較的近い。クバオ駅の近くにショッピング・センターみたいな所がいくつもあり、大勢の人でにぎわっていた。若い人も多かった。私は、夕食はシーフードの店で食べた。サンミュゲールのビール(小瓶で1本55ペソ・122円)を2本頼み、全部で1100ペソ(2,444円)であった。今回の旅行で1番使ったのは、この夕食ぐらいであった。
 翌日は、本来の目的であるマニラのスラムであるパヤタスに行くつもりであった。ところが、トイレが詰まって遅れてしまった。東南アジアのホテルでは、トイレットペーパーはトイレに流さないで下さいという所も多い。紙の質が悪く、詰まりやすいからである。私は、そのままお尻を拭いた紙をそばの屑籠に入れるのは抵抗がある。今まで流していて、何のトラブルもなかった。昔読んだ「新東洋事情」などの本で有名な直木賞作家の深田祐介が書いていたことである。ヨーロッパの一流ホテルは、このお尻を拭いた紙を屑箱に捨てていたので、ウンコ臭い匂いがほんのり漂っていたという。
 さて、マニラで有名なスラム街は、昔はトンドであった。30年以上前に行きたいと思っていたが、行けなかった。当時は、危険地帯であった。小神野弘「SLUM 世界のスラム街探訪」(彩図社)を読むと、このパヤタスとトンドの最近の写真が解説付きで載っている。私はホテルの前で、タクシーをつかまえた。時間は行き帰りも含めて2時間である。パヤタスまでは片道40分である。交渉して、2時間で1000ペソ(2,222円)で行ってもらった。パヤタスは1人で歩くのは危険か、予め聞いておいた。詳しいことについては、写真付きで解説する。

ホテル  このホテルはネットで予約した。グーグルの地図を間違えて印刷してきたので、場所がよくわからなかった。MRTのクバオ駅の近くであった。道行く人に尋ねて何とかたどり着いた。値段は朝食付きで4千円ちょっとであった。2人でも同じ値段である。

パヤタス1  この日は朝から晴れていた。上の写真のトイレが詰まってしまって、予定通りに朝早く出かけることができなかった。ここはパヤタスの入り口である。タクシーでそのまま山に上って行こうとしたら、途中鉄条柵の扉があり、警備員が中に入れてくれなかった。

パヤタス2  仕方ないので、1人で歩いてごみ山を見に行くことにした。途中こんな所もあった。左手が山になっている。ごみ山はよく見えなかった。先の細い道路にトラックが停まっていたので、前の車も立ち往生していた。 /p>

パヤタス3  だいぶ先まで歩いて行ったが、なかなかごみ山にたどり着けなかった。道を聞くと住民は親切に教えてくれた。けっこう奥が深く、帰りの飛行機の時間が気になった。途中であきらめて、また引き返した。ここの住民は、ごみで生計を立てている。

パヤタス4  こんな所でも、子供たちは元気である。「地球の歩き方」では、貧しい人々を助けるためのNPOのことも書かれていた。興味本位で行くべきでないという人もいるかもしれない。私の旅は、小田実の「何でも見てやろう」である。

パヤタス5  ここはペットボトルがまだ整然と並んでいた。もうちょっと時間があったら、本に載っていたようなごみ山を見ることができたかもしれない。こういう所でもたくましく生きている人を見ると、自分は何を甘えて生きているのかと、少し勇気をもらえる。

平成29年10月10日(火)

 この日記は12日(木)に書いている。連休の間はどうしていたかは、後の方で書く。きょうは久しぶりに、娘と京都駅近くで一緒に昼食をとった。就職して2年目である。ゆっくりと仕事の話も聞けた。それなりに頑張っているようである。ある資格試験を同期(受験者?)の中で40人受けたが、合格したのは娘1人だけであったという。私にはいつも反抗してばかりいたが、根は真面目で、こつこつと努力するタイプである。親として、この業界で何とか生き延びて欲しいと思う。ビリギャルの友人も時々遊びに来ているという。職場の人間関係も悪くないようである。将来はどうなるかわからないが、ひとまず安心である。
 きのう、久しぶりにCNNを見ていたら、ハリウッドの大物プロデューサーが女優たちにセクハラをしていたことが曝露されていた。アンジェリーナ・ジョリーもセクハラをされていたようである。番組では、このプロデューサーに性的関係を迫られた女優が録音していた音声が流されていた。民主党の大口献金者であった。ヒラリー・クリントンは早速非難声明を出していた。ネットで調べてみたら、「シカゴ」など、数多くのアカデミー賞作品を送り出してきたハーベイ・ワインスタイン(65)である。
 私より1歳年上である。セクハラについては非難されるべきことは言うまでもない。今回この話題を取り上げたのは、この年齢での性欲である。アルコールを大量に飲む人は若くてもインポテンスになりやすい。私の年代では個人差がある。私の外来で、勃起不全改善薬であるシアリスの処方を希望する人もいる。前にも書いたように、私は髪の毛を染めているので、年齢を10歳ぐらいサバを読んでもわからない。しかし、若い時と違って性欲は確実に衰えてきた。
 時々、昔見たスタンリー・キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」を思い出す。うろ覚えであるが、不良少年のアレックスが、行動療法の嫌悪刺激療法によって、裸の女性を見ても何も興奮しなくなった場面である。私も最近は何を見ても興奮しなくなった。長いこと血液検査をしていないので、もしかしたら糖尿病になっているのかもしれない。波があるので、そのうちまた改善すると思う。最近は長いこと、何を見てもダメである。そういえば、開口健がエッセイで同じようなことを言っていた。(この話とはまったく関係ないが、CNNを見ていたら、キッシンジャー元国務長官(94歳)がトランプ大統領と会っている姿が出ていた。)
 さて、連休の間は何をしていたかである。この年になると、本当に欲しい物がなくなる。きょう京都駅に娘に会いに行った時でも、タクシーなんか使わない。往復はバスである。唯一お金を使うとしたら、旅行である。娘にもきょう話していたことである。今年から財産分与として、税金のかからない年110万円を毎年やることにした。いくら稼いでも、あの世までお金は持っていけない。比較的裕福な患者さんや開業している同級生の中には、将来恵まれない人に寄付するという人もいる。これも1つの考え方である。
 身体の元気なうちに、海外に出ようと思っている。今回は10月10日(火)の外来(午前のみ)を休診した。土曜日は外来を終えた後に出国したら、3泊4日の旅になる。近場としては、中国や韓国がある。しかし、言葉が通じないので、1人旅はけっこう大変である。結局、今回もフィリピンに行くことにした。フィリピンに行くというと、女遊びと誤解されやすい。しかし、いつも清く正しい旅に近い。(清く正しい旅であると断定まではいかないが、病気がこわいのでセックスはしない) 今回は最初に書いたように、まったく欲望が湧かなかった。援交バーに顔を出すのは、安く飲めて英語で会話を楽しめるからである。タイでもカンボジアでもフィリピンでも、お持ち帰りをしたことは1度もない。
 今回は行きはジェットスターを使い、帰りはフィリピン航空を使った。どちらも、飛行時間は3時間半である。ジェットスターの出発は夜8時半で、到着は現地時間で午後11時40分である。料金は12,540円であった。しかし、荷物を預けると他に5千円かかった。食事は何もついておらず、機内で別料金で注文する。キリンの缶ビールが500円であった。帰りのフィリピン航空は、40,790円であった。この日は、いつものエルミタのホテルに泊まった。ホテルには、夜中の12時半頃に着いた。今回の旅行の目的は2つあった。タガイタイに行って1泊して来ることと、ケソン市のクバオに泊まり、ある場所に行くことである。ケソンのことは来週に詳しく紹介するつもりである。
 翌日は、パサイ市のバスターミナルまで、タクシーで行った。値段は、ちょうど100ペソであった。1万円を両替すると、4500ペソになる。1ペソは2.2222‥円になる。タガイタイ行きのバスの運賃は78ペソ(173円)であった。片道2時間半ほどかかり、帰りも2時間ちょっとぐらいであった。この日は天気が悪く、バスに乗っていたら、雨が降る時もあった。バスの中は、途中から混み出した。帰りのバスも、立っている人が大勢いたぐらいである。しかし、途中で乗ってきても、すぐ降りたりして、生活用のバスとしても使われていた。詳しいことについては、写真付きで解説する。

町中  ここは、タガイタイの1番の繁華街である。オリバレス・バスターミナルの近くである。バスの中の乗車券売りの人にどこで降りたらいいのか知らせてくれと頼んでいた。ところが、すっかり忘れており、近くに座っていた乗客が教えてくれた。

ホテル1  ホテルは街中を歩いて探した。最初のホテルは満杯であった。近くのホテルを教えてもらった。名前がよく聞き取れず、ウロウロして見つけた。小さなコテージのようになっている。値段は3千ペソで、6666円もした。霧で景色は何も見えなかった。

ピクニック・グローブ  近くのバスターミナルからジプニーに乗って行くと、10分ぐらいでタガイタイ・ピクニック・グローブに着く、料金は11ペソで、24円である。ここには展望台があり、タール湖とタール火山が眺められる。入場料は50ペソ、111円であった。

遊歩道  こんな遊歩道が続いている。緑がきれいで、歩いていても気持ちがいい。あちこちに、タール湖とタール火山のヴューポイントがある。

コスモス  コスモスも咲いていた。天候はあまりよくなかった。しかし、雨が降るほどでもなかった。時によって、霧が立ち込め、湖と火山は霞んで見えた。

休憩所  こんな休憩所もあった。日本人らしき観光客は見なかった。欧米人もいなかった。ほとんどフィリピンからの観光客のようであった。もしかしたら、インドネシアなどの観光客もいたかもしれない。

山  この山はタール火山ではない。遠く彼方に見えた。今回の旅行では、パナソニックのLUMIX DMC-TX1を持って行った。軽いミラーレス一眼を持って行くか迷った。こういう時には、10倍レンズが役に立つ。

ホテル2  泊まったホテルは朝食付きであった。ここは泊まったホテルのレストランである。前日は霧で気がつかなかった。タール湖が見えるのである。どうしてこんなにホテル代が高かったのか、やっと理解できた。

 

平成29年10月3日(火)

 きょうはあまり書くことがない。毎回、そう劇的な出来事が起こるわけではない。ふだんの生活は恐ろしく地味である。特に原因があるわけではない。今は少しうつ気味である。気分の浮き沈みは誰にでもある。まだそれほど強くないときには、苦しまぎれにいろいろなものに手を出す。成功しているものもあれば、失敗しているものもある。一見、多趣味のように見える。しかし、すべて苦しまぎれから生み出されたものである。
 現在は、京都市や京都府、医師会、精神科医会、精神科診療所協会などの仕事はしていない。他の人があまりやっていない、今でもしている公的な仕事は、労災関係と警察関係である。労災関係は、係の人が私の医院に来てくれる。それほど難しい仕事ではない。労災の件数が増えているので、私のような経験者が引き受けないといけない。
 もう1つは、警察関係である。他の医院でも引き受けているかもしれない。逮捕されて留置された人の処方である。留置場内には薬は持ち込めない。国費(府?)で、薬物依存などのややこしい人の処方を新たに頼んでくる。前日まで覚醒剤や大麻などを山ほどしていた人である。エリミンやイソミタール、ラボナ、ベゲタミンを出せと、好き放題言う。保険診療では、睡眠薬は2剤までしか出せない。
 ところが、デパスなどの安定剤も含め、次から次へと要求してくる。普通の診察では、こんな人は無視したらいい。ところが、逮捕者には取り調べがある。イライラして留置場内で暴れたら、他の留置人に迷惑がかかる。逮捕者の要求に応じて、私の医院まで何回も連れてくる警察官も大変である。精神科病院なら、必要に応じて保護室なども使用できる。しかし、警察署は薬物依存の治療の場ではない。
 刑務所では、たくさんの睡眠薬を服用していたら、今は禁断症状が出ようと命に別状はないので、簡単に中止してしまう。しかし、罪の確定していない被疑者は、必要以上に人権が守られている。私も、外来では絶対に出さない多剤投与をせざるを得なくなる。もちろん、すべて逮捕者の言いなりになるわけではない。しかし、この薬を出せ、出さないの交渉も大変である。こっちが切れそうになることも多々である。

今週のトピックス 44 (171003)

矢部宏治「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)
矢部宏治「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)

 京都新聞の日曜日版に本のベストセラーが載っている。京都と東京である。東京は三省堂書店神保町本店の調べである。最近、毎週東京で、この本がベスト10に入っていた。私は、この本は大分前から手に入れていた。早く読まなければと思っているうちに時間だけ過ぎ去り、きのうときょうですべて読み終えた。本当に面白かった。著者がこれまで書いたり企画編集した8冊の本を要領よくまとめている。本の帯には、この国を動かす「本当のルール」とは? と書いてあり、なぜ日本は米国の意向を「拒否」できないのか?とある。第1章は、日本の空は、すべて米軍に支配されているである。
 著者は1960年生まれで、博報堂マーケッティング部を経て、現在書籍情報社代表である。著者の日本政府と米軍との密約の調査は、鳩山政権の崩壊がきっかけとなっている。まだ、7年しか経っていない。先ほどの8冊の本の中で、徐々に明らかにしてゆき、この新書でその全貌を明らかにしている。恐らく、この本の中に書かれていることは政治家も知らないことばかりではないかと思う。ベストセラーになっていることは、いいことである。国民の誰もが知っておくべき大事なことがこれでもかと書かれている。
 まず、外務省が作った高級官僚向けの極秘マニュアルである。日米安全保障条約を結んでいる以上、アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求できる。だから、北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならないのである。日本の首都圏の上空は米軍に支配されていて、日本の航空機は米軍の許可がないとそこを飛ぶことができない。そこで、JALやANAはこの巨大な空域を避け、不自然なルートを飛ぶことを強いられている。沖縄でも同じである。米軍の軍用機が安全な角度で離着陸できるように、日本の旅客機は非常に危険な低空飛行を強いられている。沖縄と同じように、横田と岩国にある巨大な米軍の管理空域では、米軍はどんな軍事演習もすることもでき、日本政府から許可を得る必要もない。この米軍の管理空域については、国内法の根拠は何もない。
 同じように「ウラの掟」があり、日本の国土はすべて米軍の治外法権にある。「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」である。日本は、米軍に「国内に自由に基地を置く権利」と「そこから飛び立って、自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」を与えている。この本では、日米安保の本質が「日本防衛」ではなく、米軍による「日本の国土の軍事利用」であると述べている。
 次に、日米合同委員会のことも詳しく書かれている。その研究の第一人者の言葉を借りると、「米軍が『戦後日本』において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためにのリモコン装置」ということになる。この組織の日本側のメンバーは各省のエリート官僚で、アメリカ側のメンバーはたった1人を除いて全員が軍人である。米軍に関する問題は、まず日本の官僚とアメリカ大使館の外交官によって処理されなければならない(シヴィリアン・コントロール)。ところが、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接交渉して指示を与えるという極めて異常な関係が続いている。「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」、「軍事面での占領体制がそのまま継続した」、「半分主権国家」として国際社会に復帰したのである。日米合同委員会とは、占領時代から続く米軍が持つ巨大な特権を、どうすれば日本の国内法のもとでトラブルなく維持していくかの調整機関である。最終決定権は米軍側が握っている。
 ここでは、米軍との「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけのよい取り決め」+「密約」と書いている。安保を改定するときには、それを「地位協定」という名前に変えて、少し条文も変えているが、その内容は基本的には変更しない」という取り決めをしている。「地位協定」=「行政協定」+「密約」となる。どうしてこういうことがわかるかというと、機密解除されたアメリカ側の公文書によって明らかにされているからである。日本は占領がすでに終わり、独立を回復したのに、他国の軍隊(米軍)を自国のなかに自由に駐留させ、しかもそれに対して全面的な治外法権を与えているのである。在日米軍の違憲性が問われた砂川裁判のことも詳しく解説している。結局、安保条約は日本国憲法の上位にあることを判決して確定した裁判であった。
 憲法9条のルーツのことも書かれている。大西洋憲章が基になっており、日本国憲法は国連軍の存在を前提に、自国の武力も交戦権も放棄している。世界中で敗戦国はたくさんある。しかし、現在の日本ほど、他国との屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しない。戦後の米国と日本の間に、「裁判権密約」、「基地権密約」、そして「指揮権密約」がある。最後の「指揮権密約」とは、「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」である。ライス国務長官も、回顧録で「日本はアメリカ政府ではなく、軍部にずっと植民地支配されている」と述べているぐらいである。ダレスは、国連軍ができるまでの間、国連軍の代わりの米軍が日本全土に駐留するという法的トリックを考えついたのである。
 この本にも書いてあるように、ロシアや中国の方が、アメリカよりよほど自制的に振る舞っている。尖閣諸島問題や慰安婦問題を挙げて、中国や韓国を批判しない者は反日だと日本会議などはキャンペーンをはっている。しかし、現在の戦後日本の現状は、まだ米軍によって植民地支配され続けたままなのである。沖縄のことも詳しく書かれている。沖縄の人々を非難する桜井よしこなどは、私にはアメリカの言いなりになっている売国奴にしか見えない。これまでの密約を解消するには、米国との交渉しかない。しかし、この方法が難しい。日本ではオリンピック開催が近づいている。アメリカは、自国に不利になる交渉には簡単には応じない。私はテロの情報を握っていても、わざと日本には通告せず、米軍がいないとどうなるか、平気で日本に思い知らせかねない国だと思っている。
 この密約を解消しないと、憲法を改正をしても、日本の軍隊はただ単に米軍に利用されるだけである。日本の防衛のことも考えず、これまで平和憲法とバカの一つ覚えで唱えていた国民も反省しなければならない。ひとつ疑問に思ったことは、戦後の日本経済の発展である。日本にとっての不利な安保条約や密約によって、その代償として米国における経済的利益を享受できていたかである。もしかしたら、経済成長とセットになっていた可能性もある。この辺りのことは当てずっぽうなので、だれか詳しい人がいたら教えて下さい。

 

平成29年9月26日(火)

 この前の土曜日は秋分の日で、祝日であった。私の医院は月曜から土曜まで外来をやっている。週休2日がこんなにも楽だったのかと久しぶりに思った。今月中に書かなければならない更新用の自立支援医療や精神障害者保健福祉手帳用の診断書などが山ほど残っていた。それでも、丸1日、日曜日がつぶれるよりましである。金曜日の夜から琵琶湖のマンションに行き、翌日は昼から医院に出てきて雑用をこなした。土曜の夜も琵琶湖のマンションに泊まり、日曜日の午後からまた医院に出てきて、8月分の会計の書類などをまとめていた。日曜日の夜も琵琶湖のマンションに泊まった。月曜日の朝は5時起きで、5時半に出てきたら、医院まで車で20分ぐらいである。日曜日に医院での雑用が多いと、なかなか琵琶湖のマンションには戻れない。これからは、なるべくこのパターンで過ごそうと思う。
 18日の敬老の日にちなんで、総務省が前日に「統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)」を発表していた。私は来年の5月に65歳になる。統計によると、わが国での65歳以上の人は、現在3500万人を超えている。総人口の約28%を占めている。90歳以上は、200万人を超えている。これからどんどんと高齢化は進み、後6年で人口の30%を超える。私が80歳になる2035年では、人口の3分の1が65歳以上になると予想されている。日本は現在、世界で1番高齢化が進んでいる国なのである。誰がどう考えても、わが国の将来は明るくない。
 きのうは、久しぶりに、会計事務所の所長と担当の人が私の医院を訪れてくれた。大阪に事務所があり、私立大学経営学部教授をしている池田の妹が紹介してくれた。開業した当時に、1回挨拶に来た。それ以来のことなので、所長の顔はよく覚えていなかった。私の医院は開業して、この5月から17年目にはいっている。ピーク時と比べたら、患者さんの数は減っている。それでも、借金や家賃代がない分、収入としては充分である。所長の話によると、もうすぐ銀行の口座もマイナンバーがないと作れなくなるという。前から書いているように、いくらお金を貯めても、あの世までは持って行けない。子どもに残しても、高い相続税が待っているだけである。
 残りの人生が少なくなってきたので、元気なうちにお金を使わないといけない。ところが、本当に欲しい物がない。車もこの9月から17年目にはいった。きのうも買い替えたらと提案された。燃費は悪いが、今の車で充分である。診察室のエアコンも故障しないので、開業した当時のままである。きょうでも、夕食は自分で自炊してカレーを作るつもりである。ごはんは1.25合炊いて、2回分である。1食分は冷蔵庫に入れて、必要な時にチンするだけである。イオンで、タマネギ1個、ジャガイモ1個を買えるので、自分で皮をむいて1人分を作る。昼食は、今はダイエットクッキー6粒と90円もしないトップバリューのロイヤルゼリーだけで済ませている。
 私は料理や洗濯、掃除などをやることは、それほど苦痛とは思っていない。海外旅行もエコノミーの飛行機で行き、安宿に泊まって充分である。それでも、まだ行ったことのないヨーロッパや南米に行くときには、ビジネスクラスを使うかもしれない。後は、京都駅近くのマンションの改装ぐらいである。まず、ベランダの扉や窓をしっかりとした防音仕様にすることである。生活騒音を少なくするために、壁の簡単な防音工事も考えている。目覚まし時計を布団の中に入れたら、音が小さくなるのと同じである。その程度ぐらいでいい。こんなことをあれこれ考えているうちに、あっという間に年をとっていくのだろう。

今週のトピックス 43 (170926)

リトルファイター 少女たちの光と影
DVD「リトルファイター 少女たちの光と影」

 きょう紹介するのは、また宅配レンタルで借りたDVDである。2013年の作品なので、新作でも準新作でもない。このDVD1枚は80円で借りたと思う。タイでバッファロー(水牛)は、忍耐、勤労、闘争心の象徴である。また、貧しい労働者を軽侮した呼び名である。タイには、約3万人の児童ムエタイ選手がいる。このドキュメンタリーでは、8歳の少女が出てくる、彼女たちは「バッファロー・ガールズ」と呼ばれている。
 舞台はラノーン県である。私はこの日記でも書いているように、タイのラノーンからミャンマーのコータウンまでボートで渡っている。もんもん写真館には、この時の写真は載せていない。いつ行ったのかは、時間がなくて調べている暇がなかった。貧しい家庭で育った少女たちが、ムエタイ選手になって、賞金を稼ぐ。まだ、小学生である。試合には胴元がいて、大人達が大金を賭ける。女の子の試合は人気が高く、賭け金も上がる。賭け金は、5万〜10万バーツになる。試合は4ラウンドで、最終回ではみんな熱狂する。
 このドキュメンタリーでは、8歳のスタムとペットが出てくる。2人の両親も出てくる。他の少女たちも、「お金がもらえるから」、「パパとママはお金が必要だから」、「もっと上の学校に行きたいから」などと答えている。レフリー歴20年の人物は、子どもは骨折しやすいと言う。腕や足の骨を折る。安全のため、試合を中止させることもあるという。自分の子どもには危険だからさせないという。試合も、地元のレフリーがえこひいきする。
 最後の方で、体重別チャンピョンを決めるスタムのタイトル防衛戦が出てくる。挑戦者はペットである。他の試合で2回対戦し、互いに1勝1敗である。結局、スタムが防衛に成功する。スタムの稼いだ大金で、新しい家が完成した。「パパもママも一生懸命働いているけど、お金が足りないの」と無邪気にスタムは言う。敗れたペットはパタヤの歓楽街で、ショームエタイでリングに上がるようになった。試合の後は、客からチップをもらう。母親に、ここに置いていくよと言われ、本当に悲しそうに泣きじゃくっていた。
 このドキュメンタリーを見て思ったのは、貧しい人々のギャンブル熱と児童虐待とも言える激しい練習と試合である。厳しい言い方かもしれないが、一昔前の児童売春に通じるものを感じてしまった。こういう少女たちはいつ引退して、将来はどうなるのか気になって仕方なかった。
 実は、何人かの患者さんから小学校受験のことを聞いたことがある。まだ、幼稚園に通っているというのに、受験のために塾に行かされたりしていた。中には、遊びたい盛りなのに、無理やり通わされている子もいた。これも下手をしたら、児童虐待になるかもしれないと思った。しつけとは違う。よく言われていることであるが、子どもは無理に背伸びして成長する必要はない。たっぷり親の愛情を受けて、その年代の成長課題をクリアして行ったらいい。「この子はしっかりしている」と年相応以上のものを期待すると、子どもは充分に甘えることができず、子育ては失敗しやすい。

 

平成29年9月19日(火)

 きょうは午前中だけの外来であったが、久しぶりに患者さんの数が多かった。9月16日(土)の外来もそこそこ多かった。この土曜日は、1人の統合失調症の患者さんが警察に連れられて来た。東京から京都に出てきて、興奮状態になって保護された。数日間、行方不明となっていたようである。東京から家族が迎えに来ていて、最近はまったく薬は飲んでいなかったということである。新幹線の中で暴れないようにしたらいいだけである。久しぶりに、セレネースとアキネトンの筋肉注射をした。院外薬局でオランザピンの10mgを処方し、すぐに飲んでもらうことにした。
 この土曜日は、私の医院に通っていた患者さんが家族の人と受診していた。何年も通院しているのに、これまでにこんなことになったことはなかった。激しい興奮状態となっていた。夜中に、3箇所の交番で保護されたという。家に連れて帰っても、すぐに行方不明になっていた。診察中にも、大声をあげ、何回も医院を飛び出し、家族が追いかけて連れ戻していた。最近はこんなことはなかったので、待合室の患者さんも驚いていた。何とか精神科専門病院に頼んで、入院をお願いした。土曜日でも、すぐに入院することができ、本当に助かった。
 土曜日の午後は、予定していた旅行に出かけた。台風が来るというのに、今さら予約をキャンセルするわけにはいかなかった。どこかというと、長野県の私の故郷である。今は誰も住んでいない。しかし、数年に1回は帰りたくなる。場所は奥信濃の飯山である。野沢温泉湯田中温泉志賀高原が近くにある。現在は北陸新幹線の停車駅でもある。新幹線で名古屋まで行き、特急しなので長野まで行く。特急は3時間ほどである。私はグリーン車に乗り、ビールを飲みながらゆっくりと過ごした。台風が来るということで、グリーン車はガラガラであった。土曜日は長野駅近くのビジネスホテルに泊まった。
 翌日の日曜日は、飯山線で飯山駅まで行った。時間は45分である。この日は、駅の近くで24時間のレンタカーを借りた。値段は1万7百円であった。このレンタカーを借りて、北竜湖、野沢温泉、湯田中温泉の地獄谷などに行った。2日目の夜は、野沢温泉に泊まった。詳しいことは、写真付きで解説する。日曜日の朝方に雨がぱらついたぐらいで、天気は何とかもった。敬老の日の18日は晴れであった。唯一台風の影響があったのは、長野から名古屋までの特急しなのであった。車両を2両減らしての運行だったので、グリーン車には乗れなかった。

自宅  ここは私が育った飯山市内の自宅である。道路からの真正面の写真は以前に載せた。右側の燐家が買って、外側は修繕している。両親も池田の妹の近くに引き取り、父親は5年前に亡くなっている。私の本籍地はまだここである。

スキー場  飯山市内を見渡せるスキー場である。車で頂上への行き方がわからず、左側の階段を上ってきた。前日(16日)に長野で酒を飲みすぎたので、息も絶え絶えであった。もうちょっと上ると、千曲川が見える。今回は途中であきらめた。

飯山城跡  ここは飯山城跡である。ここには市民会館が建っていた。今は平地となっていた。私の家は飯山市役所に近い。しかし、旧市内はますます廃れている感じである。郊外の幹線道路沿いに大きなショッピング・センターなどが建っている。

リバーサイド  ここは野沢温泉に近い北竜湖である。スキー場もある。台風が近づいているということで、この日(17日)の天候はあまりよくなかった。訪れる人もほとんどいなかった。春には菜の花が咲き、紅葉の時期はきれいである。

旅館1  これまで温泉に1人で泊まるのは、無理だと思っていた。旅行好きの独身の患者さんに聞いたら、いくらでも泊まれるという。ここはネットで見つけた旅館である。レンタカーも無料で停めれる。昔でいうと、民宿に近い。(民泊ではない)

旅館2  部屋は4.5畳で、朝食付きで8千5百円ぐらいであった。温泉も付いていた。時期的には、スキーシーズンの繁忙期ではないので、気楽に泊まれた。朝食も昔ながらの和食で、それなりに美味しかった。

足湯  ここは足湯である。オフシーズンなのか、温泉街にはあまり観光客はいなかった。夕食は外で食べる。しかし、飲食店は閉じている所が多かった。地下の居酒屋みたいな所があり、ここは大勢の人で混んでいた。

大湯  温泉街には、外湯がいくつかある。ここは、大湯である。ソフトクリームを買ってお土産屋さんの主人と話をしていたら、冬はスキーにオーストラリア人が大勢来るという。昔と違って土産物が売れず、ここも不況である。

地獄谷1  レンタカーのカーナビに地獄谷を入れたら、1車線ぐらいしかない狭い山道を通って、駐車場に着いた。ここから、野猿のいる所まで歩いていく。野沢温泉でも酒を飲みすぎたので、山道を上って行くのも息切れがした。

地獄谷2  ここは、正式の名称は地獄谷野猿公苑である。時期的に山にえさが豊富にあり、交尾の時期なので、猿がいない時もあるという。帰ろうと思っていたら、猿の群れを見つけたので、40分ぐらいしたら来ると言う。とりあえず、待つことにした。

地獄谷3  餌付けをしている群れなのか、山から100匹以上の猿が一斉に下りてきた。外国人観光客も喜んでいた。こんな時期に風呂にはいる猿はいない。いつも行っている場所とは違い、これはこれでよかった。小猿が1番人気であった。

飯山線  飯山線の車窓から撮った。沿線沿いは木の枝や雑草が茂り、本の一瞬の景色である。千曲川が流れている。少子高齢化は都会より進んでいる印象である。飯山には新幹線が停まるようになった。それでも、地方の活性化の現実は厳しい。

平成29年9月12日(火)

 今月は外来の患者さんの数が減っている。1月〜8月までは、去年と比べ、少し減っているというぐらいであった。私が年をとっていくので、患者さんも高齢化していく。それこそ亡くなったり、施設などに入所したりする。患者さんが減った分、今では新患の人でカバーできるわけでもない。私の開業した当時は、睡眠導入剤は1回の診察で2週間しか処方できなかった。その分、倍量処方や頓服で長めに出したりしていた。現在は30日の処方が可能である。新患の人が来ても、落ち着いたら1ヶ月に1回の診察が埋まるだけである。
 きのうは息子の後期の授業料を払ってきた。222万5千円である。最近出た私立医学部学費一覧を見ると、関西医大は31校の8番目に安い授業料であった。6年間の総額は2770万円である。慶応は2138万円である。これでも、西日本では1番安い。まだ4回生なので、卒業までに2年半ある。運動クラブにはいり、平日の練習や土日の試合がある。今は家を出て、大学の近くに住んでいる。クラブと勉強で忙しいので、生活費も送らなければならない。授業料と合わせると、かなりの額になる。息子が大学を卒業するまでの間に医院の収入がかなり減っても、それほど焦る必要はない。どうしてかというと、息子が卒業したら、収入が500万円ぐらい減っても、むしろ金銭的には今よりかなりの余裕ができるからである。ついつい、永遠に一家の主として働き続け、収入を減らしてはいけないと思い込んでしまう。
 きょうは午後から往診に行っていた。雨が降ると、なかなか駐車場が空いていない。今回も遠く離れた京都駅裏の駐車場まで行かなければならないのかと思った。住宅街は一方通行の道が多い。うろうろしている間に、比較的近い場所で、知らなかった駐車場を見つけた。最近は、こんなことでもうれしい。
 先週は、最後の荷物の整理をしていた。いらない物はすべて片付けた。昔の写真アルバムや珍しいプログレのカセットテープなどが出てきた。仕事を引退する時には、みんな仕事で使っていた資料などを整理する。引退した学校の先生に聞いたら、生徒さんの資料などは簡単に廃棄できないという。患者さんのサマリーなどは大分前に処理した。1番困るのは、アダルト系の本や裏ビデオなどである。そのまま捨てるわけにもいかない。破ったり壊したりして、少しづつ、一般ゴミに紛らわせて捨てていくしかない。
 大半の人は、仕事に関する物は整理しても、これまでの生活用品などはそのままであろう。私は、今回仕事以外の物についても、すべて整理した。最終的な整理で出てきた人生の記念品について、簡単に解説を加えたい。

ニコニコ亭  これは、寺町今出川にあったロック喫茶の「ニコニコ亭」のマッチである。デザインは、もちろんキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」からである。私は専門課程の学生時代は、大学に近い寺町今出川のマンションに住んでいた。当時は、立命館大学の広小路キャンパスもあった。ロック喫茶と言ったら、千本中立売りの「ドラッグ・ストア」もいい思い出である。ジャーマン・ロックなど、プログレに目覚めた頃である。もう、40年以上前のことである。(2枚の写真を合成するやり方がわからず、時間がかかってしまった)

日赤京一ニュース  平成13年1月25日発行の「日赤京一ニュース」である。大きな医療機関は、職員のための院内誌を出している。これは、京都第一赤十字病院に勤めていた時の院内誌である。私は、自分の原稿が載っているものだけ保存していた。後は、読み捨てである。平成13年の年始ということで、「中年の干支を迎えて」という文章を書いている。私はヘビ年で、この年の5月に48歳になっている。この中に、自分では覚えていなかったことが書いてあった。
 京都市には、2つの大学病院を除いて、公的な大きな基幹病院として、京都第一、第二赤十字病院、京都市立病院、京都医療センターがある。精神科では、府立洛南病院を入れていいかもしれない。恐らく、精神科以外の科でも、もうこの記録は破れないだろう。1日で実際に私が患者さんを診察した数である。薬だけという患者さんはいない。カルテも私はマメに書く方である。年末ということもあった。1日の外来最高記録数が101人であった。
 この年の5月に今の医院を開業した。私の日赤での外来は、朝8時45分から始めて、午後5時頃に終わるのも珍しくなかった。この間、トイレに1回行くだけである。外来が終わった後は、病棟から診察の依頼が来ていた。7〜8冊のカルテを持って、各病棟を廻っていた。仕事量が多くて、開業したわけではない。この程度の仕事も、それほど苦痛だとは思っていなかった。
 むしろ、私が神戸から日赤に赴任してきた時の方が、大変であった。この日記でもすでに書いたように、日赤の部長という栄転にもかかわらず、本当に体調を壊した。毎日、いつ教授にやめさせて欲しいと言いに行くか悩んでいた。通勤電車に乗っていても、パニック発作を起こしそうであった。それぐらい、精神的に限界まで追い詰められていた。年をとると人生のやり直しがきかない。ある意味で、人生最大の危機であった。
 結局、何とかしのいで、原因となっていた京大系の先生を私1人の力で追い出した。追い出すのは100%不可能と言われていた。当時は、泣く子も黙る京大の評議会にもけんかを売った。大阪中津の済生会病院やポーアイの神戸中央市民病院は京大から人を送っていた。ところが、精神科だけはみんな怖がって、他大学の神戸大学から採用していた。当時沈静化していた学生運動の過激派の拠点でもあった。医局の教授もこの評議会を怖がり、関わることを極端に嫌がっていた。この先生を追い出してから、結局ケジメをつけるために、私もやめて開業することにした。開業して金銭的には恵まれたので、今から考えると悪い選択ではなかった。

娘  この写真は、私が社会保険神戸中央病院に勤めていた時である。フィルム写真に日付が付いており、この方が後から振り返ると、わかりやすい。1993年(平成5年)2月18日である。娘は生後7ヶ月弱の時である。2年後の1月17日に阪神大震災にあっている。この時は男前で、髪の毛もふさふさしていた。私と池田の妹の顔は、母親に似ている。娘も小さい頃は私に似ていた。私は写真を撮る方だったので、娘を抱いている写真はあまり残っていない。

今週のトピックス 42 (170912)

DVD「シチズンフォー スノーデンの暴露」
DVD「シチズンフォー スノーデンの暴露」

 きょう紹介するのは、宅配レンタルで借りたDVDである。スノーデンについては、この日記でもグレン・グリーンウォルド「曝露 スノーデンが私に託したファイル」(新潮社)を紹介している。本の発売日から間もなく読み切っているので、日記の日付もすぐ特定することができた。平成26年(2014年)6月10日と6月17日の日記の中で、詳しく紹介している。私はこのビデオを見てから、忘れかけていたこの日記を読み直した。やはり、1冊の本の内容を要約しているので、こちらの方が内容は濃い。ウィキペディにも書いていないことがたくさんあるので、興味のある人はこの要約だけでも読んでください。このDVDは、この本の内容を文章にした時の、スノーデンの実際の映像を記録している。一種のドキュメンタリーである。最初は、内容がもうひとつ堅苦しく、あまり面白くなかった。途中から、段々と面白くなってきた。
 私はこのトピックスで紹介する本や映画、TV番組、DVDはネットでの要約は見ず、自分でメモを取りながらまとめている。久しぶりにCNNを見たら、聞き取りは思ったより衰えていなかった。むしろ自分の頭が英語になじんで、頭にしっくりとくるぐらいである。字幕のついている映画を見ると、ついつい字幕を見て、英語の聴き取りは疎かになる。段々慣れてくると、英語を聞きながら、日本語でどう翻訳されているのか関心が向く。私は留学したことはないので、まだまだ中途半端な英語力である。メモを取りながら聞いたせいか、スノーデンの英語は聞き取りやすかった。
 このDVDでは、先ほどの本の著者であるグレン・グリーンウォルドが出てくる。本にも出てきた映画監督のローラが撮影している。何も知らない人のために、エドワード・スノーデンについて簡単に紹介する。当時29歳のハワイのNSA(国家安全保障局)のシステムアドバイザーであり、CIAのシニアアドバイザーでもあった。システム管理者には、トップシークレットに対する特権的アクセス権が与えられていた。スノーデンは、NSA(国家安全保障局)の機密文書を持ち出し、国家安全保障とは関係のない監視を全国民に対して行っていることを告発した。フェイスブック、ヤフー、アップル、グーグルなどとの間に秘密協定を結んで国民を監視し、当時世界中の10万台近くのコンピューターにマルウェアを混入し、監視下に置いて、経済外交スパイ活動などにも利用していた。
 このDVDでは、車イスのウィリアム・ビニーが何回も出てくる。37年間、米国のNSA(国家安全保障局)で大量データの分析をしてきた人物である。違法な監視活動に対して、強く非難してきた人物である。世界ハッカー会議にも証言者として参加しているし、メルケル首相の電話盗聴をNSA(国家安全保障局)がしていると明らかになった時にも、ドイツ連邦議会で証言している。この時に、CIAの二重スパイが潜り込んでいるということで、ビニーの証言は中断されている。
 このDVDでは、香港にいたスノーデンの法的立場を話し合った国際弁護団も出てくる。米国では、スパイ活動法が禁止しているのは、国防に関する情報の口外及び散布である。公益のためのメディアのリークと個人的利益のための敵国への情報供与は同格に扱われる。監視行為が違法か違憲と裁判所が判断しても、まったく関係ない。法律そのものが、スノーデンをスパイと同等とみなしてしまうのである。
 国連機関の亡命申請を使って、スノーデンは香港を脱出して、モスクワにたどり着く。ところが、米国がスノーデンのパスポートを無効にしてしまったので、正式に入国できなかった。この時に、ウィキリークス創設者のジュリアン・アサジンが出てきた。プライベート・ジェットを借りて、モスクワからエクアドル、ベネズエラ、アイスランドへの亡命も考えた。しかし、モスクワの空港ターミナルで40日間過ごしたのち、スノーデンは政治亡命者として1年間ロシアの滞在が認められた。
 2013年7月には、英国政府はスノーデンの告発を取り上げたガーディアン紙に圧力をかけ、GCHQ(Government Communications Headquarters) の資料を破壊させた。このDVDにも出てきたように、プライバシーがなければ、自由に議論はできない。国民は委縮するだけである。かっての自由をプライバシーと呼んでいるという発言も出てくる。以前にも紹介した月尾嘉男「誰も言わなかった! 本当は恐い ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」(田原総一朗責任編集 オフレコ! BOOKS) では、著者は総務省で、政府の使うコンピュータはオープンソースが望ましいと検討した。クローズド・ソースのウィンドウズでは、何を仕組まれても発見できにくい。この本の中で、著者は電話もパソコンも使用していないと述べていた。自分が米国の監視対象になっていることを想定していたからかもしれない。現在は技術がもっと発達しているので、ラインも含めて、プライバシーは存在しないものと覚悟して使わなければならない。最後に、このDVDで告発していたことである。ドイツ政府は認めないが、ドローン攻撃はすべてドイツの米軍基地からなされていた。

 

平成29年9月5日(火)

 最近、毎晩酒を飲んでいる。少し前までは、午後の外来がある月、水、金と断酒していた。ところが、この夏は毎晩ビールを飲むようになってしまった。やめようと思ってもなかなかやめられない。来年の5月には65歳になるので、もういいかと思ったりする。私の医院は平成13年5月に開業した。外来のある月〜土までは、毎朝5時に起きていた。これも最近はどうでもよくなってきた。CNNニュースも長いこと見ていない。しかし、腹が出てきたので、運動をして、酒を減らし、少しでもへこませようと思っている。目標は年末年始である。少し本格的に、スキンダイビングをしようと思っている。
 京都医報(京都府医師会)の9月1日号を読んでいたら、「平成29年度薬物乱用防止教室講習会のご案内」が載っていた。対象者は、学校医、警察職員、保健所職員、学校保健担当者、生徒指導担当者などである。午後1時半から5時ぐらいまでなので、夜診をしているドクターは参加できない。講師は、前回紹介した国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部部長 松本俊彦氏であった。演題名は、「薬物乱用防止教育に伝えたいこと〜『ダメ、ゼッタイ』だけではダメ」である。この先生は現場の声をいろいろと聞いて、実際に自分も参加している。京都精神科医会の学術講演会は本当に面白かったので、是非ともお薦めの講習会である。
 土曜日の夜は、琵琶湖のマンションに行っていた。私はふだんはほとんどTVを見ない。土曜の夜10時からの「新・情報7daysニュースキャスター」を録画して、翌日の日曜日にさっと見るぐらいである。この土曜日は、びわ湖テレビで、「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」のスペシャル番組を夜6時半から9時近くまで放送していた。テレビ大阪でも放映していない。(すみません。やっていました。) この番組は今まで見たことがなかった。ところが、夕刊を見ていたら、石垣島が特集されていた。これも録画して、夜遅くに見た。内容がすごくよくて、最初から最後まで見てしまった。出川哲朗のプロとしてのサービス精神にも感心した。「7つの海を楽しもう!世界さまぁ〜リゾート」は毎週録画している。しかし、まったくと言っていいほど、見ている暇がない。
 私は大昔に大学の同級生と石垣島に行ったことはある。川平湾や竹富島も薄ぼんやりと覚えている。実は、この日記でも書いているように、東南アジアのビーチはあちこち行っている。タイの南の島は天候に恵まれたら水が透き通って本当にきれいである。最近のベトナムのビーチやフィリピンのビーチでは、まだ感動的な青い透明な水には出会っていない。今回久しぶりに石垣島の海を見て、改めて沖縄のビーチは世界トップレベルだと思った。わざわざ東南アジアに出かける必要もないぐらいである。沖縄の唯一の欠点は、秋から冬にかけて泳げないことである。また、機会があったら是非とも訪れたい。

今週のトピックス 41 (170905)

「アジアの真相」(キョーハンブックス)
「アジアの真相」(キョーハンブックス)

 この本はたまたまフィリピンのことを調べていて、偶然見つけた。早速アマゾンで注文した。シリーズで他にも本が出ているのかと思ったら、この本1冊だけであった。本の見出しに、オヤジも癒やされるタイ快楽ビーチと出ており、一見風俗案内の本のように見える。確かに、プエルトガレラ・サバンビーチのゴーゴーバーのことなども書かれている。しかし、内容は濃く、フィリピンを中心としたアジアの事情が詳しく書かれている。
 私は30年以上前に、プエルトガレラやハンドレッドアイランズに行っている。サバンビーチのことは、たまたまマニラのバーで一緒になった韓国人から最近聞いた。私が訪れたのは、今ほど観光地化されていない時である。もちろん、ゴーゴーバーなんてない。「もんもん写真館」にも当時の写真を載せている。マルコスがフィリピンを追われて(1986年)間もない頃の、選挙ポスターが写った写真も載せている。
 先週の金曜日は、年末年始に予定しているパラワンのエルニドに行く飛行機の申し込みをネットでしていた。パラワンは「フィリピン最後の秘境」と呼ばれ、海はタイのピーピー島より美しいと言われている。マニラとエルニドタウンを結ぶ飛行機は、高級リゾートホテルに泊まる人専用である。マニラからの飛行機では、エルニドタウンがある同じパラワン島のプエルト・プリンセサ空港に行くか、カラミアン諸島のコロンタウンまで行くしかない。プエルト・プリンセサからエルニド・タウンまでは、バスで7時間以上かかる。コロン・タウンからエルニドまでは、船で8時間である。本当は、プエルト・プリンセサから飛行機で入り、コロン・タウンからマニラに戻りたかった。しかし、もう1つ予約の仕方がよくわからなかった。今回はプエルト・プリンセサからの往復である。
 この本が発刊されたのは、去年の10月である。まず、注目の記事である。「男たちはなぜ殺されるのか フィリピン邦人殺害事件10年史」である。2005年から10年間の間で、フィリピン国内で殺された日本人は48人である。外務省が発表している2014年に全世界で殺害された日本人の事件は13件で、半数以上の7件がフィリピンが舞台であった。被害者の平均年齢は、50歳弱である。殺害された48人のうち、6割を占める28人が銃殺であった。フィリピンは東南アジアの中で、唯一銃社会である。私は見たことがないが、ショッピング・モールには拳銃販売店が軒を連ねているという。
 犯行時に使われる銃以外の凶器は、刃物やアイスピックで、刺殺の被害者は14人に及んでいる。こんなことを書くと、観光客も危ないと思いがちである。観光客はせいぜいぼられたり、宝くじを当てるぐらい運が悪くて、強盗に襲われるぐらいである。金さえ出したら、暴行を受けることもない。実際に、被害者はフィリピン人妻を持つ者、地方の長期滞在者が多い.多発する保険金殺人のことも書かれている。
 他にも、ダッカテロのことや日本で取りあげられることのないアジア最大の難民集団ロヒンギャのことも詳しく書かれている。日本では、ミャンマーのロヒンギャのことが、記事になるぐらいである。「北朝鮮・素顔の女たち」も写真入りで載っている。テロ拠点と化すマレーシアのことも書いてある。たまたま、きょうの京都新聞を読んでいたら、「旬鋭気鋭 ジャーナリスト丸山ゴンザレスさん」の記事が載っていた。危険地帯の潜入取材で注目を浴びているという。私は知らなかったが、きょうというか深夜MBSテレビで放送する「クレイジージャーニー」に出演して、知名度がアップしていた。たまたま、この本にも、同じ著者が「フィリピン『銃密造村』」取材『殺すよ』に『勃つ』」という文章が載っていた。記事の内容は、京都新聞とほぼ同じである。
 丸山ゴンザレスは社会の表層にはほとんど興味がないという。裏社会ばかりを見て回るのは、そこに本質が映し出されていると感じるからだという。精神科も基本的には同じである。いい家柄で、いい大学を卒業して有名企業に就職しているからと言って、幸せになれるわけではない。お金持ちでも同じである。場数を踏むと、どこまで安全なのか分かってくるというのも、同じ意見である。
 私は安宿にしか泊まらないので、昔は金銭管理には気を使った。ホテルの従業員も信用できない。私の自慢は、ここでも何回も書いているように、カンボジアのポルポト政権が崩壊し、街に銃があふれていた時に、強盗に襲われて頭に銃を突き付けられたことである。人は危険な目にあってサバイバルすると、その体験がその人の人生の勲章となる。横井英樹(火災にあったホテルニュージャパンの社長)が、襲われた時の銃弾が腹の中にはいっていると、いつも自慢していたこととあまり変わりない。先ほどの丸山ゴンザレスが「殺すよ」と言われたことも同じである。
 現地ではバイクタクシーで、あちこち行っている。中には、人気のいない所に連れて行くドライバーもいる。脅して、お金を奪おうとしているとわかる時がある。こういう時でも、私は落ち着いて明日も案内してくれという。世間話もしているので、ドライバーも脅すタイミングを失う。
 この本は、エルニド行きの飛行機の予約をした後に来た。先ほどの、「秘境・カラミアン諸島を旅する」の特集も載っていた。なかなかこんな詳しい記事は日本では手に入らない。次回は、ベストシーズンを調べて、エルニドとは関係無しに、ここだけに来てみたい。観光客がまだ多くないだけに、3月ぐらいには行けないかと思っている。いくら予約しても、悪天候で小型飛行機が飛ばないと無理である。

 

平成29年8月29日(火)

 きょうは午後から往診があった。早く昼食をとって、医院を出ようとしたら電話がかかってきた。患者さんの家族からの要請は、「調子が悪いので、注射を打ちにきてくれ」であった。長いこと前には、往診にも行っていた。ここ数年は行っていなかった。統合失調症の患者さんで、いつも家族が薬を取りにきていた。きょうは往診の後も、陸運局に行ったり、やらなければならない手続きが山ほどあった。
 仕方ないので、最初に、依頼のあった患者さんの家に行った。本人さんと会うのは久しぶりであった。ずっと引きこもりの状態で、一目見て症状が悪化していることがわかった。家からも長いこと出れていなかった。気休めであるが、患者さんの希望通り、セレネースとアキネトンの筋肉注射をした。これまで外来に薬を取りにきている家族には、入院治療も必要だと説明していた。しかし、本人がずっと拒否していた。現在の生活をリセットするために、本人にも入院が必要だと説得した。家族の話では、風呂にははいっているということであった。ところが、注射を打つために、アルコールで腕を拭いたら、ガーゼが黒くなった。家庭の事情もあり、ゴミも落ちたりしていた。家族から電話があった時には、明日にでも患者さんを連れてきてもらったらいいと思った。現状を見ることができて、これはこれでよかったと思う。
 現在は、プライベートな手続きが山ほどあり、そのために郵便局、銀行、区役所、法務局、陸運局に行き、車庫証明をとるために、警察署にも行かなければならない。最初から予想していたことなので、仕方ない。何が言いたいのかというと、きょうはこの日記も書き出すのが遅くなってしまった。その分、きょうは書ける所まで書こうと思う。京都の大企業は最高益を出すなど、景気がいい。ところが、きのう来た中小企業に勤めている患者さんの話を聞くと、最悪だという。建築関係の仕事をしていて、いくつかの支社の1つの長をしている。50代前半の人で、もう限界でやめたいと言う。もう1人は中小企業の雇われ社長である。部品の製造工場をしている。どんどんと受注が減っているという。この人は60代前半である。雇われ社長でも、会社の保証人になっているので、簡単にやめられないという。
 私の所に来る患者さんはこんな人ばかりである。会社の責任者でなくとも、不景気をもろに受けている患者さんも大勢いる。広告関係の仕事をしているベテランの人は、営業に出ても仕事が取れないと嘆いている。離婚をして、幼い子どもかかえている女性も、本当に安い時給で、朝から晩まで働いている。よく言われていることである。新卒の大学生の4〜5割が奨学金を受け、300万円以上の借金を抱えて卒業している。娘は、私の言うことなんかまったく聞かず、自分の好きな業界にはいった。誰がどう考えても、あまり将来性のある業界とは言えない。業界は違うが、例えば、ウェディング関係が将来どんどんと延びていくとは考えにくい。京都では、インバウンド関係の一部の業界だけは潤っている。ただ、これも円高になったら、どこまで続くかわからない。  

今週のトピックス 40 (170829)

  松本雅彦「精神科医が知っておくべき薬物依存臨床再考〜今何が起きており、何が問題か〜」
松本雅彦「精神科医が知っておくべき薬物依存臨床再考〜今何が起きており、何が問題か〜」

 今週のトピックスは、8月26日(土)の夕方から行われた京都精神科医会の学術講演会についてである。写真の本は、私の持っている演者の著書である。この著者の本は、他にも、松本俊彦+今村扶美「SMARPP−24 物質使用障害医療プログラム」(金剛出版)も持っている。著者は卒業年度も生まれも私より14歳若い、国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部の部長である。現在の日本の薬物依存研究の第一人者である。実際に話を聞くのは、今回が初めてである。
 前から書いているように、私の専門の1つは薬物依存であった。アル中も覚醒剤中毒の患者さんも、精神科医には不人気である。できたら、診察はしたくないという人も多い。どうしてかというと、すぐに酒は飲むし、覚醒剤は打つわで、一生懸命治療していても何回も裏切られる。それだけではすまず、あちこちでトラブルを起こされる。そのたびに、医療機関などから苦情が来たり、警察から情報提供を求められる。精神病院に入院させろと言われても、トラブルをしょっちゅう起こし、やっかいな人はどこの病院もとってくれない。
 私は断酒会にもかかわっていたこともある。医者が院内の断酒会に毎回参加するのは大変である。入院患者さんでも、外出を許可するとすぐに酒を飲んで帰ってくる。アルコールの臭いをプンプンさせているのに、酒は飲んでいないと言い張る。こういう人を保護室に入れるのは、至難の技である。あるヤクザ崩れの人を無理矢理入れようとしたら、木の椅子を振り上げられたこともある。婦長(師長)さんもこの患者さんの近所に住んでいて、何をされるのかわからないとこわがっていた。
 私は若かったこともあり、こんな人でも好き放題言いたいことはガンガン言っていた。社会保険神戸中央病院に勤めている時には、元ヤクザ者の薬物中毒の人が内科から紛れ込んで入院した。この人はとんでもない患者さんで、病院を抜け出し、他の医院で痛み止めを注射してもらったりしていた。「何をされるかわからないぞ」と脅されても、私は好き放題言った。その後、私が京都第一赤十字病院に移った時に、後輩の先生に聞いた話である。この患者さんが他で殺人事件を起こし、病院に警察が事情を聞きに来たという。こういう人を扱うにはいろいろなスタイルがあると思う。私は相手がいくら脅してきても、動じない。むしろ腹がたってきて、自分を抑えるのが精一杯である。
 この先生はけっこうざっくばらんに現状を話してくれて、本当に面白かった。私は今は積極的にはアル中も薬物依存の患者さんも診ていない。講演内容については、時間があったら別の日に簡単にまとめてみようと思う。この先生は、自分がニコチン中毒でタバコがやめれないと話していた。講演会の後で、質問時間があった。私は前から聞きたかったことがあった。どういうことかと言うと、覚醒剤依存の患者さんを外来で診察していると、時々「覚醒剤をやった」という人がいる。この場合、精神科医は警察に通報義務があるかである。救急病院では、覚醒剤を使用している疑いがあったら、すぐに警察に通報する。それこそ、今は児童などが虐待されている疑いがあったら、すぐに警察に通報するのと同じである。
 松本先生によると、「患者さんが覚醒剤をやっていても、重篤な結果(殺人や深刻な加害)が予想されることがない限り、治療をしている医者に通報義務はない」という。医者には守秘義務があるので、そちらの方が優先される。通報義務も法的根拠はないようである。今回ネットで調べてみたら、義務としてまでは強制されていないと書いてあった。もともと覚醒剤取締法には、届け出に関する規定はないのである。
 実は、私は1990年(平成2年)に、「加熱吸引による覚醒剤乱用」(アルコール研究と薬物依存)という論文を載せている。日本で初めての「覚醒剤のあぶり」の症例報告である。この時代は今ほど個人情報はうるさくなかったので、京都府警の協力を得て調査した。本当にお世話になったので、今でも京都府警には協力している。わが国初めての報告なので、3例もあったらいいだろうと思った。実は、松本先生が懇親会を出る時に、私の方からちょっと挨拶をした。私の質問の時にも、私のことはよく知っていてくれた。この時に、松本先生の博士号のテーマは、「覚醒剤のあぶり」だったことも教えてもらった。
 私は大学を離れてのどさ回り(毎回、お世話になった関連病院には申し訳ありません)の時には、臨床の論文をこつこつと書いていた。高知県で1番古い精神病院にいた時には、「高知市浦戸大橋における投身者の社会精神医学的研究」(京府医大誌)を書いている。この時も警察にお世話になり、68名の投身者を調べている。薬物依存関係では、日本で初めてという論文も少なくない。今の若い人は、専門医などを取るために勉強は熱心である。しかし、基礎的な研究でも、臨床的研究でもいいから、医学論文を自分で書くことも大切である。患者さんに貢献するのは医者として誰でも当然である。長い医者生活で、「あなたは何を研究してきましたか」と問われ、何も答えられないのは寂しい。
 今から考えると、私が滋賀医大にいた時に、米国の精神疾患の分類と診断の手引きであるDSM−V(現在はDSM−5)の監訳で有名な高橋三郎先生には本当にお世話になったと思う。当時、京都府立医大の助教授(准教授)から滋賀医大の教授になっていた。この先生は東大卒で、それこそ臨床より研究至上主義であった。私は府立医大から助手(助教)として送られた。助手は1年に2本論文を書けと言われていた。まったく興味のないマウスを使った基礎研究の手伝いをさせられ、それこそ地獄のような日々であった。しかし、これぐらい追い詰められないと、人は論文を書かない。臨床であるが、初めて論文を書いたのは、この滋賀医大である。(この論文は、日本で初めてアルコール・フラッシュバッグについて言及したものである) 誰でもそのうち書こうと思っても、永遠に書かない。私の未熟もあり、思い出したくもない辛い日々であった。しかし、論文を書く癖はここでつけてもらったと今でも感謝している。

 

平成29年8月22日(火)

 盆前のことである。私が行ったことのある中国・九寨溝の地震のことが報道されていた。私は2015年(平成27年)9月に訪れて、この日記でも書いている。中国嫌いの人でも、この九寨溝は1度は訪れてみる価値がある。私は日本にある中国系の旅行会社に頼んで、手配してもらった。すべて、日本語が話せる案内付きであった。九寨溝では、西安から来た日本語学科かどこかの女子大生が付き添ってくれた。旅行を申し込んだ時には、何人か仲間がいると思った。ところが、私1人であった。九寨溝の震災では、日本人観光客が30〜40人ぐらいと報道されていた。今はベストシーズンなのに、こんな程度の人数であった。そのせいか、私がYouTubeにアップロードし動画は、視聴者数がやっと200を超えたぐらいである。ここに出てくる滝も崩壊したのかと思うと、本当に残念である。自然の造形物は巨大で、修復は無理である。興味のある人は、早送りもできるので、中国・九寨溝の1人旅(クリック)で見て下さい。
 さて、盆明けの外来は8月17日(木)であった。さすがに、この時期は患者さんが多い。もうそれほどお金を稼ぐ必要はないと言っても、患者さんが多いと変な安心感はある。私は安倍政権に対しては批判ばかりしている。しかし、患者さんの話を聞いていると、京都の一流企業に勤めている人や株をやっている人の評価は別である。アベノミクス様々である。京都新聞を読んでいたら、京都の主立った企業は、四半期で最高益を出していた。それでも、患者さんに聞くと、基本給はあまり上がらず、ボーナスがよくなった程度だという。企業も安定的な高収益がいつまでも続くと思っていないということである。
 実は、今回のカンボジアのシアヌークビル行きの前日は京都駅近くのマンションに泊まった。さて、寝ようと思ってコンタクト・レンズをはずしたら、どこかに落としてしまった。こんなことはごくたまにあるぐらいである。服やカーペットの上に落ちたコンタクト・レンズは簡単に見つけることができる。ところが、今回はいくら探しても見つからなかった。実際にコンタクト・レンズをなくしたのは、30年以上前のことである。この時は、風呂場でなくし、見つけるのはあきらめた。仕方ないので、また医院まで戻った。もう1つ予備のコンタクト・レンズがあった。このレンズはふだん使っているレンズより度数が強く、近くの物が見えにくかった。ふだんは、半径2mがよく見えたらいい。夜、車に乗るときだけ、度数の低いメガネをかけていた。近くにある物(印刷物)が見えにくいので、虫眼鏡を持って行った。
 今回の旅行での失敗はもう1つある。前回も書いたように、前日の遅くから旅行の用意をした。7年ぶりのカンボジアなので、調べることも多かった。結局、時間が間に合わず、いい加減な準備となった。バンコクからプノンペン行きの飛行機に乗った時に、ビザ申請の用紙を渡された。カンボジアの入国には、ビザがいることをすっかり忘れていた。旅行を計画した時には、もしかしら、日本との友好関係でビザなしではいれるかと思っていた。30米ドルかかるので、貴重な収入源になるのだろう。このビザ申請の時に、写真がいる。もちろん、用意なんかしていない。係の人が3米ドルでパスポートの写真をコピーし、それでOKであった。
 カンボジアの旅の続きは、また写真付きで解説する。プノンペンの普通のマッサージ屋に行ったら、1時間5米ドルであった。チップも要求されなかった。プノンペンにできたイオンのショッピング・センターにも行ってきた。食事をするのも便利である。さて、日本からシアヌークビルがいかに遠いか書いた。昔は、車も少なかったので、3時間ぐらいで行けたと思う。帰りのバンコクから関西空港までの飛行時間は5時間半である。出発時刻は朝の8時25分である。この飛行機に乗るには、朝5時過ぎ、遅くとも5時半には起きなくてはならない。もちろん、朝食バイキングはとれない。京都の医院に帰ってきたら、もう夜の7時近くである。時差は2時間ある。バンコクと京都まででも、これぐらいの時間がかかるのである。

休憩所  ここはプノンペンとシアヌークビルとの間にあるバスの休憩所である。トイレや食堂があり、20分ぐらいは休める。帰りは、20米ドルで豪華バンに乗った。ほとんど1車線なので、のろのろと走っている車を追い抜いても追い抜いてもきりがない。結局、帰りも5時間ぐらいかかった。

黄金のライオン像  シアヌークビルのシンボルである黄金のライオン像である。十数年前の写真を、もんもん写真館にも載せている。このライオン像の周りはサークルとなっている。手前側に行くと、私の泊まったセレンディピティービーチに行く。

街角  ここも前のサークルから撮った。右側に行くと、セレンディピティービーチに行く。観光客としては、中国人も多い。カンボジアの人との区別もつきにくい。

リバーサイド  ここは船着き乗り場の近くのレストランである。8月13日の夜は、ここで私も食事をとった。オフシーズンでもいい雰囲気であった。私は通り道をはさんで、屋根付きのテーブルに座った。

レストラン  ここでは、タイガービール2本(5米ドル)、シーフードのチャーハン(3.75米ドル)、そしてこの写真の海鮮バーベキューセット〔鶏肉付き〕(8.50米ドル)を頼んだ。全部で17.25米ドルで、サービス料もとられなかった。1米ドル114円弱で両替したので、1950円ぐらいである。

セレンディピティービーチ通り  先ほどの黄金のライオン像のサークルからセレンディピティービーチ通りを行くと、船着き乗り場にたどり着く。この通りには、こんなレストランがたくさん並んでいる。年末年始になると、オンシーズンでどこも混むと思う。唯一1人勝ちはスポーツ・バーで、欧米人でにぎわっていた。

バー  私は3番目の写真の向こう側に行って、ビリヤードなどが置いてあるバー街に入った。1人の店主とその友だちが手伝っていた。メニューでは、シンガポール・スリングが4.5米ドルである。女の子たちにもおごり、地元の話なども英語で聞け、気持ちよく過ごした。私もけっこう飲み、全部で20米ドルであった。

ソカビーチ  8月14日の翌朝は、地元のバイク・タクシーの人に頼んで、ビーチ巡りを頼んだ。こういう時のドライバーは地元の年寄りがいい。広い通りで見つけて、英語の単語がやっと通じるぐらいの方が、ぼられることも少ない。3時間ほどの案内で8米ドルと言ってきたので、10米ドルやることにした。ここはソカビーチである。

ホテル  先ほどのソカビーチは、地元の人らしき人がわずかに泳いでいたぐらいである。ここは、大きなホテルの敷地内のビーチである。こんな所に勝手に入り込んでいいのかと思った。まったく、おとがめなしである。ここも、ホテルの宿泊客らしき人がわずかにいたぐらいである。

モラコット橋  他にも、いくつかのビーチに寄った。こんな交通の便の悪いシアヌークビルである。途中、カジノホテルが何軒も建設中であった。今はアンコールワットのあるシェムリアップからの飛行便はある。プノンペンからの高速道路は建設中である。ここは、コッ・ポー島に続くモラコット橋が見える海岸である。

港  ここは十数年前に訪れたことは覚えている。もんもん写真館にも写真を載せている。ここがどこの場所なのかよくわからない。中国人観光客を乗せたボートなどが着いていた。水は、以前に来た時と比べたら、汚かった。

オーチュラティルビーチ  最後に行ったオーチュラティルビーチである。ここは地元の人や中国人らしき人が多かった。免許がなくても、お金さえ払ったら、ジェットスキーには好き放題乗れるようである。セレンディピティービーチ以外は、まだそれほど観光地化されていない。

平成29年8月15日(火)

 この日記は8月17日(木)に書いている。15日は不在であった。いつも、この日記の更新が遅れる時には、断り書きを書いていた。今回は、前日に旅行の準備をするだけでも大変で、更新するのを忘れてしまった。私は、いつも前日に旅行の支度をする。ネットで予約したホテルがどこにあるのかわからない時もある。現地のホテルで、ここは市内の地図でどのあたりなのか聞くこともあるぐらいである。
 今回は8月11日(金)〜8月16日まで、カンボジアのシアヌークビルまで行っていた。相変わらず、自分探しの旅である。プノンペンまでは、関空からの直行便はないので、バンコク経由である。カンボジアは、2010年(平成22年)のゴールデン・ウィークにシェムリアップのアンコールワットに行って以来である。今のシーズンは、タイもフィリピンもカンボジアも雨期になる所が多い。どこに行こうかと迷って決めた。カンボジアでは現地の通貨はほとんど流通しておらず、米ドルが必要である。お釣りだけ、現地の通貨であるリエルで返ってくる。両替だけは、8月の始めにしておいた。私はバイク・タクシーを利用することが多いので、1ドル札は山ほど用意した。それでも、すぐ1〜2ドル要求されるので、足りないぐらいである。5ドル紙幣や10ドル紙幣で、ドルでのお釣りが返ってくることはあまり期待しない方がいい。
 最近は観光客が多いので、関西空港でもバンコクのスワンナプーム空港でも、2時間前には着くようにしている。特にスワンナプーム空港は混んでいた。航空券を手に入れるだけで長い列を待ち、出国手続きや荷物検査でも時間がかかり、2時間前でもあまり余裕がなかった。昔は、国際線でも1時間ぐらい前に行くのが、通のやり方であった。今は、アジア諸国の誰もが海外旅行する時代である。どこの空港も観光客であふれかえっている。セキュリティも一段と厳しかった。指紋を採られたり、全身をスキャンする丸いレントゲン室みたいな所に両手を挙げて入れられたりした。
 今回旅行していて、どんどんと時代が変わっていることを感じた。来年の5月に私は65歳になる。しかし、アジアの人には、50歳前後ぐらいにしか見えない。私が来年65歳になるというと、みんな驚く。髪を染め、薄くなった頭頂部を見せなければ、まだまだ大丈夫である。日本ではさすがに50歳前後は無理だと思う。それでも、10歳ぐらいサバを読んでも、誰にも疑われないだろう。わざわざ年齢のことを書いたのは、それだけ、35年ぐらい前のタイや内戦が終結したカンボジアのことを知っているからである。パッポンのゴーゴーバーも昔は全裸で踊っていた。カメラも撮り放題であった。「No Photo」の貼り紙がされるようになったのは、大分経ってからである。
 1995年5月にテレサ・テンが亡くなったのは、チェンマイのメーピン・ホテルである。このあたりは、昔は置屋街であった。私の1人旅は、基本的には小田実の「何でも見てやろう」である。売春窟でもスラムでも危険地帯でも、実際に行って写真を撮ったり、誰も経験したことのないことをしてみたい。それこそ、命さえあったらいい。戦場カメラマンみたいな仕事も魅力的である。来年の夏はブラジルのアマゾンに行くつもりである。いろいろ本を読むと、ファベーラ(スラム街)だけは興味本位で行くと、みんな身ぐるみはがされて帰ってくる。入り口で、おばさんにしつこく注意されてもである。
 実際の旅行記やエッセイでは、藤原新也開高健の本を読み尽くした。タイに関しては、下川裕治の本も山ほど読んだ。昔は世界一周の旅に出て、タイで沈没する人が多かった。ベトナム戦争時の、米兵の保養地としてゴーゴーバーなどが発展し、物価も安かった。経済が発達してくると、昔ながらの置屋はなくなる。代わりに、マッサージ屋や援交バーみたいなのが発展してくる。カンボジアでも同じである。昔は、ベトナム人の置屋があちこちにあった。今ではすっかりなくなり、同じようにマッサージ屋やリバーサイドのバーができていた。このリバーサイドには、立ちんぼさえいた。
 こんなことを書くと、海外の風俗ばかりに行っていると、誤解されるかもしれない。私は、病気がこわいので、本当に第一線は超えていない。コンドームを使っても、安心できない。こんな置屋のシーツなんて、いつ新しいのと交換したかわからず、本当に不潔である。性病ばかりではなく、疥癬などもうつされてしまう。知らないうちに家族にうつしてしまったら、大変なことになる。実際に、カンボジアの内戦が終了したときに、1992年(平成4年)から日本の自衛隊が国際連合平和維持活動(PKO)の一環として、派遣された。この時に、自衛隊員の何人かがAIDS(エイズ)に感染している。それだけ無法地帯で、何でもありの世界であった。
 よく考えてみたら、日本でもまだ貧しかった頃は、外国人観光客に、フジヤマ、ゲイシャは有名であった。ゲイシャ・ガールは、当時格安の値段で外国人に性的サービスを提供していた。昔は日本にも赤線、青線があった。古今亭志ん朝の落語などでは、よく出てくる。遊郭のあった吉原は、今は日本1のソープランド街として繁栄している。昔はそれなりの情緒みたいなのは、あったのだろう。実は、今の海外の風俗は、お金お金で全く情緒がない。日本の風俗も同じである。置屋は、庶民の生活と密着していた分、お金だけでない変な情緒があった。これは、男の勝手な幻想かもしれない。もちろん、少女売春の温床になっていたことは非難されるべきである。
 私は、ギャンブルもドラッグもしない。昔、海外に出てドラッグをやっていた人は、今は簡単に手に入らないと嘆いているかもしれない。警察に捕まった人が、きょうも私の医院に来た。今でも、エリミンを出してくれという人がいる。こういう人たちにとっても、昔はよかったになるのかもしれない。先ほどの置屋である。セックスばかりが、性的サービスではない。昔は千円もかからず、女性を選んでホテルに連れ込むこともできた。時代は変わるである。  

ホテル1  ここは以前によく使っていたセントラル・マーケット近くのホテルである。今回はネットで予約した。値段は朝食付きで、1泊3540円であった。7年ま前と比べると、大分変っていた。以前の従業員がまだ1人いた。中国人観光客が大勢泊まっていた。夜は隣の部屋がうるさかった。

ブッディン  私は知らなかったが、スラムの建物であるブッディン・タワーである。今回ぜひ訪れてみたいと思っていた。ところが、取り壊しの最中であった。同じスラムであった香港の九龍城も1度は訪れてみたいと思っていた。しかし、1994年に取り壊されてしまった。

ワット・プノン  欧米人観光客でにぎわっているリバーサイド近くのワット・プノンである。今回知ったのは、援交バーの(新)マティーニも閉鎖していた。私は昔(旧)マティーニに夜遅くバイク・タクシーで行った時に、2回強盗に襲われた。1回はバッグを奪われ、1回は頭に銃を突き付けられた。

リバーサイド  ここはトンレサップ川のリバーサイドである。昔のリバーサイドはもんもん写真館にも載せている。ほとんど欧米人を含む観光客はいなかった。現在は、サンセット・クルーズなど観光ボートがたくさん出ている。出発は夕方5時半である。私は遅くなって、乗れなかった。

街角  8月13日のセントラル・マーケットに続く通りである。この昔の建物ももんもん写真館に載せている。7年ぶりでも、あまり変わっていない所と、大分変わった所がある。今回泊まったホテルの前に常宿していたホテルは、場所も移動し、同じ名前で大きくなっていた。

セントラル・マーケット  正面に見えるのが、セントラル・マーケットである。きれいに塗り替えられていた。右側にバス・ターミナルがある。この日の朝に、シアヌーク・ビル行きのバスに乗った。値段は、8.5米ドルである。昔と比べ交通渋滞がひどかった。1回のトイレ休憩も含め、5時間半かかった。

海1  シアヌーク・ビルでもっともにぎわっているセレンディピティー・ビーチである。この写真は船着き乗り場から撮った写真である。陸に向かって左側の海岸である。右側の海岸にビーチが広がっている。

ホテル2  ここは、海岸がすぐ見えるホテルである。現在はオフシーズンなので、値段は安かった。1番高い部屋で、朝食はつかず、1泊25米ドルであった。今回の旅行では、運良く雨もほとんど降らず、快適であった。

カフェ  ホテルの隣のカフェである。欧米のバックパッカーが多かった。私は最近あまりバックパッカーは見たことがなかった。女性も、とんでもない大きなリュックを背負っていた。船着き乗り場の近くにラーメン屋があった。ラーメン、餃子、コーラで10米ドルであった。

船着き乗り場1  ここが先ほどのビーチを撮った船着き乗り場である。ここからロン島やロン・サムレン島行きのフェリーやボートが出ている。私はシアヌーク・ビルには1泊しかできなかったので、これらの島に行くことはできなかった。天候に恵まれたので、オフシーズンでも楽しめたと思う。

ビーチ2  夕暮れのビーチである。もんもん写真館には昔のビーチの写真も載せている。あれから比べたら、とんでもなく観光地化されている。しかし、今ぐらいがちょうどいい。プノンペンからは飛行機が出ておらず、バスで行くしかない。この雰囲気は、ボラカイ島などより本当によかった。

船着き乗り場2  日の暮れた先ほどの船着き乗り場である。この写真が撮れただけで、シアヌーク・ビルに行った価値がある。今回は5泊6日の旅である。バンコクに2泊し、プノンペンに2泊し、シアヌーク・ビルには1泊である。プノンペンに着いた日にすぐバスに乗ったら、2泊できた。

平成29年8月8日(火)

 きょうはびわ湖大花火大会がある。この日記を早く書いて、1度は見てみたかった。最近は、大勢の見物客がいる所には行きたいとは思わない。しかし、琵琶湖のマンションを買ったので、泊まる所には困らない。いつも通り、朝早く5時過ぎにマンションを出てきたらいいだけである。私の持っているマンションからは隣のマンションが邪魔して、花火は見れないと言われた。しかし、端のベランダからは何とか見れるようである。見れなかったら、湖岸に出たらいいだけの話である。いくら混んでいるといっても、帰りのことは心配しないでいいので、まだ余裕である。毎年8月8日と決まっているのかはわからない。来年は水曜日で、午後の診察がある。終わってから行っても、間に合いそうにない。さ来年の花火大会には、是非とも参加したい。
 息子となかなか会っている暇がない。所属している運動部が忙しく、枚方に下宿している。ネットで公開されている予定表を見たら、土日のほとんどが練習試合などでつぶれている。西医体が有り、現在は遠征中である。大阪の池田の妹近くに住んでいる母親は、孫に会えなくて寂しがっている。現在は85歳である。娘は、大阪に就職してからは、何回か1人で会いに行ってくれている。私も、子どもが一緒に行ってくれないと、なかなか会いに行きにくい。
 私立大学経営学部の教授をしている妹には、世話になりっぱなしである。弁護士をしている妹の旦那にも、出勤前に毎朝母親の所に顔を出してもらっている。娘も仕事の関係で、私の予定と合わない。こうなったら、母親の遺産は私が放棄して、カルフォニア州のサクラメントで州職員をしている上の妹と2人で分けたらいいと思う。将来の私の子どもの相続のことを調べていたら、相続税が高くなりそうであった。2人の子どもには父親として充分すぎるほどしている。
 息子はまだ大学を卒業していないが、娘の授業料と2人の卒業するまでの仕送りの額を合わせると、とんでもない額になる。息子は西日本で1番安い授業料の私立医学部に通い、娘はビリギャルの英文科を卒業した。ビリギャルの年間授業料は、108万7250円である。息子の前期と後期の授業料は同じで、半期分は223万1千円である。寄付金はいっさい払っていない。仕送りの分を含め、入学金を省いて合計しても、卒業するまでに5500万円は超える。他にも、遠征費や教科書代など細々としたお金を送っている。2人とも私立中学、高校と通い、1浪しているので、合計すると莫大な教育費になる。専業主婦が大変だと言っても、父親の苦労に比べたらたかが知れている。ここでも書いているように、私は当時超晩婚の38歳で結婚した。息子が医学部を卒業するのは、私が5月に67歳になる手前の3月である。38歳で結婚して、私の年になっている人はまだほとんどいない。アラフォーでの結婚なんて、現実を知らない人のとんでもない無謀なことである。
 この前の金曜日(8月4日)は午後8時前からのテレビを見ていた。金曜プレミアム・池上彰緊急スペシャル「せまる北朝鮮の脅威」である。自衛隊の歴史などわかりやすく解説してくれて、知識の整理に役だった。この番組では、最新鋭ステルス戦闘機F−35Aのことが出てきた。当初の値段は、1機140億円である。どこまで安くなるのかわからないが、日本では42機調達する予定だという。政治家の懐に入らないことを祈るだけである。私は自衛隊や警察に対しては、何も悪い感情は持っていない。本当にご苦労様だと思っている。時々、自衛官や警察官の事件が起きている。とんでもない人は、どこの業界でも一定数は紛れている。私の属している医学会でも同じである。
 最近は、宅配のレンタルビデオをたくさん見ている。最近見た作品で印象に残ったものを最後に紹介する。映画の題名は、「ヒトラーの忘れもの」である。内容としては、きれいな女の人が全然出てこず、男ばかりの地味な映画である。終戦直後のデンマークの海岸にドイツによって埋められた地雷の除去に、ナチスの少年兵が使われる。この映画を見ると、他国を侵略したナチスやドイツ国民がいかに欧州の人々から、憎み嫌われていたかがわかる。この映画の中では、2000名を超える独軍捕虜が、地雷撤去に駆り出されたという。その大部分が少年兵であった。半分は死亡したり重症を負ったりしている。ここでは、15名の少年兵のうち10名が爆死していた。敗戦国の重みを知るべきである。ナチスも悪いことばかりでなく、いいこともしたと言う人はいない。

今週のトピックス 39 (170808)

 ETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」
ETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」

 前回に続いて、きょうもTV番組である。きょう紹介する番組は、NHKEテレビで8月5日土曜日の夜11時から放送していた。この日はレンタルビデオを見て、その後で録画したこの番組を夜中まで見ていた。戦前の満州に関する本は何冊も持っている。しかし、なかなかじっくりと読んでいる暇がない。満州の開拓団のことについては、今週のトピックス37 森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)で最初に触れた。この番組でも述べていたように、1945年8月9日にソ連軍が満州に侵攻してきた時に、関東軍は開拓団の人を置き去りにして、いち早く逃げた。ソ連軍だけではなく、満人の反乱軍(満軍)が襲ってくるため、「集団自決」をした開拓団は、現在わかっているだけでも48に及ぶ。
 満州事変が起きたのは、1931年(昭和6年)である。私は平成25年(2013年)の夏休みに瀋陽に行ってきた。詳しいことについてはこの日記でも書いた。瀋陽には、満州事変が起きた日を命名した、九一八紀念館がある。ここでの写真はもんもん写真館の中国で見れる。今から考えると、中国語がまったく話せず、英語もまったく通じず、我ながらよく1人で行ってきたものだと思う。バスで丹東まで行き、川をはさんでの北朝鮮も見てきた。9月18日が近いということで、他の都市で泊まれた中国系のホテルはすべて宿泊拒否であった。中国人とのトラブルを恐れた当局の通達だと思う。こんな中国の東北部だというのに、死ぬほど暑かった。
 満州事変の翌年に満州国が建国された。この番組で出てきた岐阜県の黒川村からは、当時の満州の首都、新京近くに129世帯、650人が開拓団として入り込んだ。ところが、ソ連侵攻によって、関東軍が逃げ去ったため、強奪や強姦などが横行した、黒川開拓団の両隣の村も集団自決に追い込まれていた。実際にたくさんの中国人がこの村にも押し寄せてきた。いよいよこの村も集団自決を迫られたときに、近くの駅に駐留していたソ連軍に助けを求めることにした。そして、襲ってくる中国人を蹴散らかしてもらった。
 その見返りに、この村ではこのソ連兵(ザバイカル軍)を接待するための接待所が設けられた。15人の村の未婚女性(18歳〜20歳)が相手をした。ソ連兵に村を守ってもらうために、この女性たちは犠牲になった。当時の生存者は現在3人で、この番組の中で貴重な証言をしている。当時の日本軍は「生きて恥をさらすな」と、満州居留民も含めた国民に自決を強いていた。この15人のうち、4人が発疹チフスなどで亡くなっている。日本に帰国できたのは、黒川開拓団650人のうち、450人である。帰国途中で、内戦で橋が破壊されていた。この時に、舟で川を渡るために、またこの村の女性が接待をしている。
 実は、レンタル・ビデオで「さよなら、アドルフ」を見たばかりである。両親が連合軍に連行されたドイツのナチス高官一家の子どもたちが祖母の住んでいる遠く離れたハンブルグを目指す物語である。14歳になる少女は、妹や弟ばかりではなく、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて危険な旅に出る。この映画の中で、破壊された橋の川を渡って、向こう岸にある鉄道駅まで行かなければならないシーンが出てくる。この時に、この少女は舟を持っている老人を誘惑する。同行していて隠れていたユダヤ人が、この老人の頭を石で叩き割った。そして、舟を奪って向こう岸にたどり着き、何とか列車に乗ることができた。先ほどのもんもん写真館には、米軍によって破壊された北朝鮮と丹東を結ぶ橋の写真も載せている。
 さて、満蒙開拓団の女たちである。当時、帰国船が着く博多港の近くでは、中絶の手術が数多く行われたという。この開拓団が建てた日中友好の記念碑も尖閣諸島問題が出てきたときに、破壊されている。よく、日本会議の人たちなどは、日本は当時の国際法は犯していないと主張する。しかし、この国際法というのは曲者で、アメリカなんて現在でも平気で破っている。日本はその時に抗議するかというと、ほっかぶりである。日本には、戦後の米軍基地以外、他国の軍隊が駐留したことはない。どこの国民にとっても、他国の軍隊が自国を軍事支配するのは、屈辱以外何ものでもない。あの時は仕方なかったと言えるのは、敗戦国の日本ではなく、戦勝国だけである。
 この番組の中で、ソ連に抑留された日本人は57万人と出てきた。現在日本では人権がないとか、中国の悪口ばかり言っている。現在のロシアについて非難する人はほとんどいない。私は、北方領土は永遠に日本に返って来ないと思っている。米軍の原爆投下で亡くなった人は本当に気の毒である。しかし、米軍が早い日本の降伏を求めてきたのは、ソ連の介入を嫌ったからである。ソ連軍が北海道に侵攻してきたら、戦後日本を分割せざるを得なかった。そうなったら、北方領土どころか北海道も返してくれない。戦争に負けるということは、そういうことである。
 ロシアは日本に占領されたわけでも、日本軍によって多数の犠牲者を出したわけでもない。だから、対日感情は決して悪くない。日本の軍部の中枢は、原爆を落とされる前に降伏したらよかっただけである。しかし、国民を前に降伏を宣言することはできなかった。それこそ、それまで我慢を強いてきた国民の暴動で、自分たちの命さえ危なかった。軍部の中には、降伏に反対して玉砕を唱える人もいた。「はい、負けました」では、国民の誰もが納得しない。原爆投下が無条件降伏の大義名分になったことは確かである。歴史を何も知らない人は、自虐史観を非難する日本会議の主張に耳を傾けるかもしれない。しかし、いろいろな立場から書かれた本を読み、こういうドキュメンタリーを見て、自分で考えることが大事である。なお、この番組は、8月10日(木)午後0時から再放送される。

 

平成29年8月1日(火)

 きょうはなかなか書くことがない。あまりプライベートなことも、この日記で書くわけにはいかない。琵琶湖のマンションの防音室に入れたアナログアンプを調べたら、驚くほど安かった。10万円ぐらいの最新のアンプに換えようかと、迷っている。アンプを換えたら、本格的にスピーカーも換えたくなる。レコードプレイヤーはDENONのDP−37Fであった。MCカートリッジに付け替えている。最新のレコードプレイヤーを調べてみたら、自動になっていなかった。レコードプレイヤーはこのまま使い使い続けるつもりである。
 いろいろな手続きで、忙しい。丹波橋の自宅の評価額が、土地評価で999万円である。広さは、82.16uである。家屋評価証明書では、274万円である。平成9年にローンを組んで取得した時には、4200万円であった。実際の売買の時には、もっと高いのは確かである。医者だからと言って、決して豪邸に住んでいるわけではない。ここでも何回も書いているように、バブルの時に買った家を売って、43歳で借金500万円を抱えている。

今週のトピックス 38 (170801)

 МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」
МBSドキュメンタリー「教育と愛国〜教科書で今何が起きているのか」

 きょう紹介するのは、МBSテレビで月曜日の0時50分から放送していた番組である。月曜日というより、日曜日の夜中遅くからという感覚である。私は録画して、きのう見た。私は、この日記の中で、2006年10月に発刊された辻井 喬、喜多 明人 、藤田 英典「なぜ変える?教育基本法」(岩波書店)を取りあげた。今回、この本を探したが、最近処分したようである。どんどんと本が溜まっていくので、この日記で取りあげた本は、処分していく。日本会議のことを警戒している文章もはいっていた。あれから11年経って、教育現場では何が起こっているかである。ほとんどの国民は目の前のことで忙殺され、教育基本法のことなんて興味もない。しかし、無関心の中で国会で決議されたことが、10年後、20年後にとんでもないことになっている。
 来年度から、小学校に道徳の科が72年ぶりに復活する。戦争と結びついた「忠君愛国」の戦前教育の反省から、戦後は道徳心をつちかう教育には、政治を介入させないという理念があった。学習指導要領に従って、教科書検定が行われている。ある教科書で、おじいさんと男の子が散歩に出て、パン屋に寄る話が出てくる。自分の町に愛着を持つ話である。ところが、教科書検定で、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして、不適切とされ、パン屋から和菓子屋に変更となった。全日本パン共同組合連合会では、これまで学校のパン給食に協力してきたのに、パン屋は愛国心がないということになるのかと抗議を表明していた。
 教科書は完成に4年かかる。製作費用に数千万円かかると言われている。その間、検定調査審議会で、著者と編集者と調査菅の間ですりあわせが行われる。文科省の職員は、こう変えなさいとは決して言わない。この部分が学習指導要領に合わないなど意見を出し、編集者の自主的な変更を待ち、検定していく。それこそ忖度が行われている。日本書籍という老舗の教科書の出版社がある。2001年の教科書で、専門家の間でも認められていた「朝鮮の人々が慰安婦として戦場に送られた」と記載した。すると、それまで採用されていた東京都内23区の20区で採用がなくなった。そして、倒産に追い込まれる。石原慎太郎都知事の時代である。この部分を書いた一橋大学教授は、教科書会社を倒産に追い込み、もう教科書には関わらないと述べていた。結果的に、安倍首相の属する日本会議の主張に逆らわない流れが出てきてしまった。
 1997年に「新しい教科書を作る会」ができた。その後、この会は2つに分かれ、別々の教科書を出している。神々の系図を書き、南京事件のことにはふれていなかったりする。私の両親は、戦前は歴代の天皇の名前を強制的に丸暗記させられたという。この番組では育鵬社の中学社会が取りあげられていた。現在、この教科書は全国で6%採用されている。番組では、広島の原爆投下などの被害のことばかりではなく、加害のことも書かなければならないと述べていた。
 この番組では、沖縄の集団自決のことも取りあげていた。戦後、何度も教科書が書き換えられてきた。ある教科書では、「日本軍は県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いをさせ、800人以上の被害者を出した(渡嘉敷村では330人)」と記載されていた。教科書検定で「誤解を招く」とされた。2006年の高校日本史の検定では、軍の命令や関与が削除された。2007年には、教科書検定撤回を求める県民大会が開かれた。この時に、当時の伊吹文明文科大臣が、「教育に介入してはいけない。」と釈明した。「教科書の内容を政治家が変えたら日本はこわい国になる」と原則的な立場を強調した。私もまったくその通りだと思う。しかし、今は安倍政権によって、すでにこわい国になっている。その後、日本軍の関与の部分が一部復活した。今年3月刊行の沖縄県民史では、「日本政府の政治的意図、解釈によって教科書記述のあり方が左右された。」と記述されている。前回書いたように、日本軍を美化する日本会議に属する管官房長官が、沖縄県民の苦しみを理解できるわけがない。
 最後に、「学び舎」の教科書が取りあげられていた。「ともに学ぶ人間の歴史」である。十数年ぶりに、中学校の歴史から消えた従軍慰安婦の問題が取りあげられた。内容は、政府見解に沿った「強制連行を直接示すような資料は発見されていない」である。歴史を自ら考え議論する内容になっている。有名私立中学などで採用されている。ところが、この教科書を採用した中学校に、抗議のハガキが山ほど送られている。だから、どこの中学校もTV局の取材には応じてはくれなかった。この教科書は反日極左の教科書であるという。ハガキの内容は、反日教育をやめろ、将来性のある若者に反日教育をする目的は何なんでしょうと書いてある。ハガキの送り主の大部分は、同じ中学のOBと称する匿名である。中には、日本会議の大阪支部の幹部であった籠池理事長の名前がある。送られた中学校では、政治的圧力を感じざるをえないと述べている。
 さて、現在は安倍首相(日本会議)の考え方に反対する人はみんな反日にされてしまう。私は以前から、日本会議はいつまでも負け惜しみを言い続けている女の腐ったような人たちだと言い続けている。日本人だけがタブーとしている昭和天皇の戦争責任はどう説明するかである。東京裁判や日中共同声明で戦勝国である米国や中国は天皇の戦争責任は不問にして、A級戦犯などが悪かったとした。私は何でも中国の言うとおりにしろと言っているわけではない。国際的に勝てない部分は、主張するなと言っているだけである。前から書いているように、私は改憲派である。安倍首相のような明治憲法の復活なんか求めていない。アメリカの言いなりにならないために、独立国として、どこの国でも持っている制限のない軍隊は必要だと思っている。(戦争に参加するかどうかは、別の問題である。)
 ここでも何回も書いているように、私は左翼の人とけんかしたこともある。京都第一赤十字病院の部長をしていた時に、泣く子も黙る京大の評議会で発言させてくれと要求したこともある。当時、京大系の府立洛南病院に、府立医大から副院長を送ろうとした時がある。その時に、この先生の自宅に、「もし赴任したらどうなるかわからない」という脅しの電話が山ほどかかってきたという。本人だけではなく、奥さんも脅しを受けている。私は別の件で抗議をしたかった。しかし、何をされるかわからないぞと医局の人から警告を受けていた。
 当時の評議会では、三大拠点病院の1つに長期入院していた精神障害の患者さんの名前を使って、偽造バスポートを作り、日本赤軍の元最高幹部であった重房信子を不法入国させていた。私は、風俗に行ったり、裏のアダルトビデオは見たことはあったかもしれない。しかし、浮気をしたことはない。(今でもそうである) 日赤の忘年会などでも、当時は製薬会社が費用を持つのが当たり前であった。しかし、そういうことは嫌いなので、すべて断って自腹で払っていた。当時は、この左翼の人たちは私を調べるために、尾行もしているのではないかと警戒していた。それこそ、私のスキャンダルを暴くため、自宅の不法侵入もしかねないと思っていた。
 さて、今回の日本会議である。教科書を採択しただけで、中学校に組織的に抗議のハガキが山ほど送られてくるほどである。こんな日記を書いている私も、影で何をされているのかわからない。これから、中国が力をつけてくる。それほど遠くない将来、単なる数字だけではなく、実質的にも日本を追い抜いていくことは確実である。上手なけんかをしないとどうなるか書いておく。アパホテルは中国だけではなく、東南アジアでの大々的な展開は難しくなるだろう。東横インのようにはいかない。反中や反韓を全面的に押し出している安倍政権や日本会議を支えている企業も、市場として爆発的に伸びていく中国での販路の拡大は難しくなる。これぐらい書かないと、日本会議が日本の教育からすべてのことに支配する恐ろしさを理解してもらえないだろう。自分たちに逆らう人たちはすべて反日や極左とする単細胞的な発想に、国民は早く気づくべきである。

 

平成29年7月25日(火)

 きょうは区役所や銀行に行っていろいろな手続きをしていた。手続きを終えてこれまでのことを考えていたら、この日記に手をつけるのが遅くなってしまった。我慢しきれず、ビールを先に飲んでしまったので、ますます書く気がしなくなった。この日記は雨の日も風の日も書き続けてきた。しかし、きょうは少し手をぬかせてもらう。まだ、他にも細かい手続きが山ほど残っている。そちらの方が気になって仕方ない。
 先週書いたアマゾンである。ベストシーズンを調べたら、年末より夏休みである。今年は間に合わないので、来年の夏に行くことにした。いろいろ調べてみると、大都市の物価は日本より高いぐらいである。前にも書いたように、フィリピンのショッピング・センターでも、マクドナルドのハンバーガーやココイチのカレー、ラーメンなどは日本より高いぐらいである。それでも、大勢の現地の人でにぎわっている。日本は円安で輸出が増え、海外からの観光客が増え、株高を保っていると言われる。しかし、海外に出ると、つくづく円の価値が下がっていることを実感する。国際社会の中で、本当に円安でいいのか疑問が湧いてくる。その内、海外資本によって日本のありとあらゆる物が買い占められてしまうのではないかと心配になる。
 私も段々と年をとり、患者さんも同じように年を取っていく。外来で私より年上の70代の患者さんと老後の過ごし方を話をすることも多くなった。お医者さんなら、老後は有料老人ホームにはいったらいいとよく言われる。しかし、よく考えてみたら、そんな高い所に入るより、住み慣れた自宅で介護サービスを受ける方がいい。受けられる介護サービスが足りなかったら、余計に料金を支払ったらいいだけである。いよいよ呆けてベッドで寝たきりになったら、有料老人ホームでも相部屋の老人ホームでも結局同じである。家族に迷惑をかけ、一般の老人ホームに空きがなかった場合は仕方ない。最近は、有料老人ホームの価値がよくわからなくなってきた。私は、老後は琵琶湖のマンションでできるだけ長く過ごそうと思っている。
 いつも忙しいと言っている。しかし、よく考えてみたら、なかなかやる気がせず、ぼーとしている時間も少なくない。このぼーとしている時間というのは、一見非生産的に見える。しかし、人間は機械のように、いつもいつも効率的に活動できるわけではない。1日や1週間の過ごし方としては、このぼーとしている時間が生活が破綻しないようにクッションの役割を担い、バランスを保っている可能性が高い。だから、今の生活に新しいことを無理やり入れても、なかなか長続きしない。新しいことに挑戦するには、今やっていることを少し削らないとだめである。
 きょうはあまり書くことがないので、前回今週のトピックスで取りあげた森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)の続きを書く。「第7章 出口の見えない沖縄」である。前にも書いたように、管官房長官は、沖縄基地負担軽減担当大臣も兼ねている。ここでは、普天間飛行場から辺野古移設やグアム移転のことが歴史的に詳しく書かれている。
 2013年に経産官僚であった中井知事と菅の間で、沖縄のカジノ構想と米軍基地移転、さらに空港の拡張という3点セットが、大幅な振興予算の引き上げで進められてきた。そこに相乗りしたのが、地元最大の建設会社である國場組である。ところが、2014年の選挙では、沖縄での新基地反対の翁長が知事に当選してしまった。グアムの移転計画は、現地住民の反対もあって米政府の予算が凍結された。そもそもグアムでは海兵隊の訓練はできず、テニアンなどの離島の訓練場が必要だという。ところが、テニアンには中国資本のカジノがあり、住民の反対も強い。
 これまで、自民党は米軍基地の沖縄返還というアメと、新基地の建設というムチの受け入れを飲ませてきた。現在は、カジノやUSJは立ち消えになり、普天間基地跡に誘致するというディズニーリゾートにも疑問符がついている。沖縄のある財界人の菅に対する評価は以下の通りである。「沖縄に対する思い入れとか、寄り添う気持ちだとか、そういう感情が感じられない。梶山さんや野中さん、さらに山中貞則さんなどは沖縄のために、少なくとも何度も足を運んでくれましたけど、管さんはいつも翁長さんを呼びつけるだけ」
 私はここでも書いているように、大した教養もなく、ただ時の権力者にすり寄って、権謀術数だけではい上がってきた人は信用しない。むしろ、危険だと思っている。恐らく、沖縄の歴史なんて、本気で1度も学んだこともない。そもそも、日本会議の主張に賛同しているような人たちは、戦時中にアジア諸国の人々を苦しめたことさえ否定している。同じように、沖縄の人々の苦しみもまったく理解しようとしない。それこそ韓国の慰安婦問題と同じで、金目当てぐらいにしか考えていない。
 この程度の頭脳で、複雑な経済問題を理解しているとも思えない。これは安倍首相にも言える。もちろん、専門外の私にもわからない。この本では、管については、国対族、運輸族と知られた小此木を引き継ぎ、特に鉄道関係には強いと書いてある。こうした企業との付き合いの中から、提案された立案も少なくない。しかし、いつも利権話と紙一重である。著者は、田中角栄には常に貧困や弱者の救済という視点があるが、菅にはそれを感じないとも書いている。

 

平成29年7月18日(火)

 久しぶりに、16日の日曜日はゆっくりとできた。ゆっくりとできたというのは、一切仕事をしなかったということである。前回の日記では書けなかったが、9日の日曜日は、労働保険料の申告書を書いたり、労災の資料を読んだりしていた。土曜日の夜は大学の同門会があったことは前回の日記で書いた。実はこの日は同門会が終わった後で、日曜日の負担を減らすため、夜中の2時ごろまで障害年金の診断書などを書いていた。きのうの月曜日も、今月中に書かなければならない自立支援医療や精神障害者保健福祉手帳の診断書などを新規も含め、書いていた。他にも、やることが山ほどあった。いらなくなった書類や物の整理もしていたので、朝10時頃から医院に出てきて、終わったのは昼食(自炊)も含め、夜7時過ぎである。会計事務所に6月分の資料などを早く送らなければならない。わかっていても、まったく書類を整理している時間がなかった。
 15日の土曜日から琵琶湖のマンションに泊まった。翌日の日曜日は朝9時からマンションの一室にヤマハの組み立て式防音室を入れてもらった。工事代も含め、全部で210万円である。この部屋を防音工事をしてもらったら、2週間ぐらいかかり、一戸建てと違って値段もかかる。組み立て工事は、4時間ほどで終わった。この間、広い居間で、録画していたTV便組を見ていた。ふだんはなかなか録画した番組を見ている暇はない。
 7月2日ABCテレビでの放送の「陸海空 こんな時間に地球征服するなんて 大アマゾンSP第2弾」である。2時間半近くの番組であった。前から、アマゾン川には行きたいとこの日記でも何回も書いている。アマゾン川奥地の少数民族を訪ねるドキュメンタリーである。ディレクターのキャラクターもあるが、本当に面白かった。ただ、猿の肉が食えるかというと、難しい。ここまで奥地に入らなくても、絶対に訪れたい。来年が65歳になるので、もたもたしていたら、一生行けない。日本からの団体旅行は避けたい。今からポルトガル語もスペイン語も無理なので、現地の英語ツアーに参加するつもりである。
 実は16日の日曜日は、防音室が完成したので、京都駅のマンションに置いてあるレコードプレイヤーとアナログアンプを取りに行った。このアンプが重く、台車に載せて運んだ。スピーカーは昔コンポで使っていたボーズである。レコードも2枚だけ持って行った。今週の愛聴盤でも紹介したELP「タルカス」ブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」である。この防音室で聴いたら、本当によかった。

部屋  防音室を組み立てる前の部屋である。左側に収納ロッカーがある。ここにカーペットや取り外した部屋のドアを収納した。隙間はほとんどなくなり、ロッカーは開かなくなる。

防音室  防音室を入れた部屋である。入り口付近は25cmの隙間がある。ここには隙間収納庫を置くつもりである。天井も25cmほど低くなっている。

レコード  今回持ってきたレコードプレイヤーとアンプである。今は、高性能のヘッドホンを使って音楽を楽しむことができる。しかし、音量を上げてスピーカーで聴くと、一昔前のツヤツヤとした音が蘇ってきた。これだけでも、防音室を入れた価値があった。

今週のトピックス 37 (170718)

 森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)
森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)

 この本は2016年に出版されたものである。私は次から次へと出版される本を買うので、面白そうな本があるとすぐ浮気してしまう。最近、管官房長官のことが注目されるようになった。今回は覚悟を決めて最後まで読み終えた。まず、最初に、菅義偉が生まれた秋田県の秋ノ宮村のことが書いてある。戦中は大勢の人が新たな開墾地を求めて満州に渡った。管の故郷の開拓団は、ソ連が満州国境を超えて侵攻し、満人の反乱軍(満軍)が襲ってきたりするため、集団自決をしている。関東軍は逃げてしまって、開拓団の人は取り残されてしまったのである。逃げる途中で、幼い子どもを生きたまま川に投げ込む話も出てくる。父親は南満州鉄道(満鉄)に入社しており、運良く命が助かった。戦後秋田に戻り、品種改良したいちご栽培で成功している。
 長男である管は、故郷の名士であった父親に反発して東京に出てきた。決して、東北の貧しい農家の集団就職ではなかった。就職先も決まっていて、板橋区の段ボール会社に勤めた。当時の友人の証言では、北海道教育大学の受験に失敗し、父親に農業を継げと言われたようである。2人の姉は教師になっている。著者による実際の菅のインタビュー(2015年8月)では、大学受験のことは否定している。法政大学を卒業し、設備会社に就職した。政治家になるために、法政大学の就職課に相談したら、OB会を紹介してもらった。その事務局長から元衆議院議長の秘書(法政大学OB)を紹介してもらってそこで働き、次に紹介してもらった横浜選出の小此木衆議院議員の書生となった。
 最初は、7番手の秘書から出発した。支援者の戸別訪問を熱心にこなし、とにかくよく歩いたという。一時、小此木系である梅沢県会議員に預けられた。ここで、「町を歩いて、どこの人にどんな嫁さんがいて、子どもがどうしているか、全部覚えてこい」と訓練された。いろいろな人との接し方とか、一票のつくりかた、一宿一飯の義理と人情とやせ我慢を教えられた。若い頃から酒が飲めないが、人付き合いがよく、飲む席も最後まで残っていたという。小此木事務所に戻ると、並み居る先輩秘書をごぼう抜きし、大臣秘書官まで昇りつめることができた。
 私は知らなかったが、横浜市は日本最大の政令都市である。有権者数でいうと、大阪市の219万人を抜いて、296万人にもなる。(2015年) 菅は1987年に唐突に横浜市議選に出馬すると言い出した。すでに自民党の公認候補が決まっていた西区から強引に出馬して当選した。そのため、市会、県会が混乱したという。どうして西区かというと、横浜港の港湾荷役業者である藤木企業会長がいたからである。藤木会長は港湾都市横浜のキングメーカーと呼ばれていた。
 この本では、横浜港のことについても詳しく書いている。徳川幕府が江戸に米国の黒船を入れないようにするために、横浜港が開港された。日清戦争に勝ってからは、ますます貿易が盛んになった。明治政府は運送会社の下請け私設紹介所を容認した。荒っぽい荷役人足をまとめるために、暴力団関係者が幅をきかせた。人足請負業の組では、荷役労働者相手の賭博場を設けていた。最近のコンテナ輸送が主流になるまで、沖仲仕や沖人足などと呼ばれた港湾荷役労働者は海運会社にとって必要不可欠であった。
 1956年に、全国港湾荷役振協会を藤木会長の父親が会長となって設立した。この時に副会長となったのが、山口三代目の田岡組長である。1981年に田岡組長が亡くなった時に、藤木会長が全国船内荷役協会として葬儀を執り行った。この時に、芸能人だけではなく、元神戸市長も2人参列している。著者は86歳のこの藤木会長とのインタビューも書いている。ずっと、神奈川県知事と横浜市長の会の会長をやってきている。全国の陸運関係者に睨みを利かせてきた。それだけに、自民党運輸族議員たちや国交省の官僚も、一目を置かざるをえない。運輸族のドンと呼ばれる二階幹事長とも昵懇の仲である。菅は元運輸族のもう1人の巨頭であった古賀誠にもひいきにされていた。
 ここでは、管の政治歴についても詳しく書いている。96年には神奈川二区から出馬して、衆議院議員に初当選している。小此木は中曽根・渡部派であったが、管は小渕派の平成研究会に属していた。自民党総裁選では、梶山擁立に動いて小渕派を離れ、先ほどの古賀の所属する宏池会・加藤派に迎え入れられた。そして、2000年に「加藤の乱」に遭遇する。2005年に第三次小泉内閣で竹中が総務大臣ポストに就いたとき副大臣に就任した。郵政民営化は小泉が方向を決め、竹中が支持し、管が仕上げた。この経験が、政治家として管が飛躍した転機となった。そして、2006年に安倍を首相にした功労者の1人となる。安倍を担いだのは、「北朝鮮問題を真剣にやっていたからだ」という。
 この本では、「メディア支配」という章を設け、2014年にNHK会長になった籾井のことについても書いている。籾井会長は、「政府が右と言っているものを、左と言うわけにはいかない」と発言している。籾井の会長就任以来、NHK内部は、過去類を見ない政治介入を招いた、という危機感に満ちているという。今なお続く混乱の元凶が首相官邸人事で、管だともいえると書いている。
 NHK改革における管の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送である。義務化となれば、納税と同じなので国営放送になる。第一次安倍政権下でNHK経営委員長の椅子に座った富士フィルムの古森は、保守タカ派の論客として知られ、大の安倍シンパである。「もっと国威を発揚すべきだ」と主張し、安倍首相は局内にれっきとした法務部があるのに、自分の顧問弁護士を経営委員会に入れてきた。総務大臣として初入閣した管が、NHK短波ラジオ国際放送に対し、北朝鮮に関する放送命令を発し、逆に政治の横やりだと政権批判を浴びた。
 NHKは国営放送ではなく、あくまでも公平中立を旨とする公共放送である。それがゆえ、自民党も表向きには自由にしたいとも言えないし、言わない。先ほどの古森の盟友として知られるJR東海元会長の葛西は、安倍首相を支援する財界人の「四季の会」を結成している。鳩山内閣の時に、古森が葛西を通じてNHK会長に送ったのが、葛西の腹心中の腹心であるJR東副会長の松本であった。松本は公共放送のトップとしての覚悟を決め、葛西の言いなりにはならなかった。公共放送という本来の指名を重んじ、正確な人事評定も行った。しかし、官邸主導によるNHK経営委員会の人事によって、松本はNHK会長を下ろされてしまう。
 沖縄基地負担軽減担当大臣である菅のことも書いてある。複雑な沖縄の基地問題をわかりやすく解説してくれている。「消えたカジノとUSJ」という章もある。段々と疲れてきたので、今回はこの辺で終える。興味のある人は1度読んで見て下さい。著者が取材をしていて痛感した管の強みの1つに、マスコミ人脈があったという。新聞記者をはじめとするマスコミ関係者に管の信奉者が多い。政権中枢の秘密情報を教えてもらい、メディア操作という陥穽にはまっているのである。だから、決して管批判をしない。この本でも、国会議員を子どもが引き継ぐ話が何人も出てくる。競争原理が働かない狭い世界で、日本を動かす政治家が誕生している。このあたりのことは、別の機会にまた詳しく取りあげようと思う。

 

平成29年7月11日(火)

 暑い日が続いている。先週の金曜日は、診察室のエアコンが効かなくなってしまった。患者さんも「暑い、暑い」と言って、ハンカチで汗をぬぐっていた。実は、診察室のエアコンは、開業以来換えていない。今年は17年目の夏である。去年の夏も、何回も冷房が効かなくなった。しかし、また冷え出したりしたので、そのままにしていた。今回は、何が何でもすぐに新品と交換しなければと思った。ところが、夕方の診察からまたよく冷えだした。きょうでも、快適である。多少電気代は高くついているのかもしれない。完全に故障してくれないと、なかなか新品と交換する気になれない。ついつい先延ばししてしまう。
 前日の木曜日は、また丹波橋の家の荷物の整理をしていた。屋根裏部屋から荷物を降ろすだけでも、汗だくになった。使える物も使えない物もすべてゴミとして出した。この時に、昔の古いレコードが何枚か見つかった。カセットテープもあった。ここでも書いているように、昔はプログレに凝っていたので、珍しいものばかりである。カセットテープは1981年に世界で1500本限定で発売されたものである。私の持っているテープには0323と番号が付いていた。冊子には、MECANO / ROBERT WYATTと書いてあった。冊子はフランス語なので、何が書いてあるのかわからない。
 Mecanoの曲は、以前にYouTubeにアップロードしたことがある。この時に、アップロードした曲が厳しく著作権法で守られていた。YouTubeからきつい警告を受けた。3回同じような著作権法違反を犯したら、アップロードができなくなるというものであった。こちらとしては、30年以上の前の曲で、どの曲が著作権で守られているのかよくわからない。ロバート・ワイアットはソフト・マシーンのオリジナルメンバーで、事故で下半身不随となったキーボード奏者である。今回、調べてみたら、昨年9月にこのテープからロバート・ワイアットの曲が1曲アップロードされていた。視聴回数はまだ110回である。Mecanoの曲はこわくてアップロードできない。
 今回見つかったレコードは、すべて日本盤である。それも、シングルレコードやミニレコードばかりである。何か新しくアップロードする曲がないかYouTubeで調べてみた。ところが、ほとんどの曲がすでにアップロードされていた。たまたま新聞を読んでいたら、「キノコホテル」のことが出ていた。どんな曲かとYouTubeで聴いてみたら、もう1つであった。今回見つかったかげろうレコード0003のAfter Dinner「夜明けのシンバル」の方がまだよかった。
 他にも、Groopy「I Love You」などがあった。日本のプログレを集めた3枚のソノシート「PEOGRESSIVES'BATTLE from EAST/WEST」もあった。YouTubeでは6曲のうち1曲だけアップロードされていた。何かいい曲があったら、またアップロードしようと思う。私は何かぶっとんだ曲があったら、CDでも買うつもりである。ここでは、以前にも紹介したことのあるYouTubeにアップロードした曲を紹介する。これぐらいぶっとんでいないと、ダメである。先ほどの「キノコホテル」を検索したときにも、似たようなバンドがたくさん出てきた。しかし、どれを聴いてももう一つであった。 私のアップロードした曲は、ちょうど2年になる。視聴回数は、まだ1671回である。しかし、高い評価の人は33人である。この曲を聴いた視聴者の50人に1人が高い評価を押してくれている。わかる人にはわかる。TACO - 人捨て節で聴くことできる。
 日本うつ病学会「うつ病治療ガイドライン第2版」(医学書院)がこの6月15日に発売になった。まだ、内容をさっと見ただけである。私は、パキシルを始めとする新規の抗うつ薬であるSSRI、SNRI,NaSSAなどが古い三環系抗うつ薬より優れているとは限らないとずっと言い続けてきた。ベンゾジアゼピン系薬剤の副作用についても、抗不安作用を持っているSSRIを売るために、必要以上に副作用を強調してきたとも主張してきた。これまでは、どこのうつ病治療ガイドラインを見ても、新規抗うつ薬が第一選択薬となっていた。欧米の巨大製薬会社に頼まれた広告代理店が、日本を含め欧米の学会にも強い影響力を及ぼしていたからである。それこそゴーストライターを使って、自社に有利な論文を有名医学雑誌に載せていた。
 今回の「中等症・重症うつ病」の第一選択薬の所では、「総じて抗うつ薬の選択に関する研究は不足しており、今まであまり注目されてこなかった新規抗うつ薬の有害作用報告が改めて議論されつつある現在、抗うつ薬の選択は試行錯誤で行われている」と、やっとまともな治療ガイドラインとなっていた。副作用については、新薬を売るために製薬会社が隠していただけである。私の好きなドグマチール(スルピリド)が出てこないと思ったら、軽症うつ病の所に出てきた。副作用のことも書いてあった。しかし、どんな薬でも重篤で不可逆的な副作用が出ない限り、変更したらいいだけの話である。これまで新規抗うつ薬を売るために、従来の抗うつ薬の副作用ばかり強調されきた。ここでは、このガイドラインに書いてある新規抗うつ薬のことについても書いておく。24歳以下では、自殺関連行動増加の懸念がある。妊娠時の安全性については賛否両論がある。高齢者の有効性も賛否両論があるが、有害性が高まることが多いである。
 この前の土曜日は、夕方4時から大学の医局の同門会があった。最初に教室の研究発表があった。その後で、懇親会である。私が部長であった京都第一赤十字病院の精神科部長は私の後輩が引き継いでいる。時々、患者さんの診断書を書いていると、公的病院の診断書を求められることがある。その時に、部長の下についている先生にお世話になることがある。今は、府立医大出身の専攻医の先生と緩和ケア内科に属している先生がいる。後輩の部長に頼んで、挨拶をした。2人とも女医さんで、上の先生が平成20年卒であった。このあたりの先生になると、まったくわからない。
 最後の締めで、最近開業した後輩の先生が挨拶をした。この先生は、開業する前まで、京都府立こども発達支援センター所長であった。私より、6年後輩である。発達障害などを専門としている。私も最初に聞いたのは、採算が合うかである。小児や思春期の患者さんは、とんでもない時間がかかる。私の医院でも、患者さんから、カウンセリングをしているかとよく聞かれる。しかし、医者が30分のカウンセリングをしていたら、9時から12時までの診察時間で6人しか診察できない。心理カウンセラーを雇うことになるが、長い時間になると保険診療だけでは無理である。別料金を取る所もある。他の先生からも、同じことを聞かれたようである。京都には、児童専門で開業している精神科医はおらず、この先生が初めてだという。他府県ではいるようである。
 教授になるには、教室の先生に博士号を取らせるために、定年まで最低10年以上ないといけない。今は国公立の教授の定年は65歳である。大体、50歳前後になることが普通である。新しい教授が誕生すると、その後15年ぐらいの間は、どんなに優秀な人が出てきても教授にはなれない。この後輩の先生も優秀で、教授にはなれなかったクチである。履歴を見ると、ドサ周り(こんな表現をしてお世話になった病院にはすみません)ばかりしていた私なんかより遥かにりっぱである。
 今は精神保健指定医を取るために、民間の精神病院にお世話になることも多くなった。しかし、私の時代は、有名な公的病院ばかりに勤めることが、エリートの道であった。それこそ、民間病院に勤めたら、履歴書に傷がつくぐらいであった。私なんて、傷だらけの履歴書で、ホームページには詳しく載せていない。名誉ある公的病院は総じて給料が安い。ここでも書いているように、私が開業してお金を稼いでいるのは申し訳ないぐらいである。こういう先生こそ報われるべきだと思っている。
 ホームページを見ると、プレイセラピー室まで作っている。1ヶ月の家賃を聞いたら、30〜40万の間である。たまたまこの日に四条烏丸で開業している先生に聞いたら、デイケアをやっているわけでないのに、家賃は50万円以上と言っていた。烏丸五条になると、それなりに安くなるようである。まだ、開業したばかりなので、ここでホームページを紹介しておく。私の頃とは、時代がだいぶ変わっているかもしれない。院長紹介で書いてある履歴が、府立医大における真のエリートの履歴書である。子どもが5人いて、下の子はまだ高校2年生だという。心から、応援したい。からすま五条 やましたクリニックで見ることできる。
 さて、きょうは前から書いている森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)を読み切った。前回菅官房長官の批判の文章を書いたので、憶測ばかりで書くのはよくないと思った。しかし、私が書いたことは、概ね間違いはなかった。きょうはこの本について書きたいと思った。しかし、詳しく書いていたら今日中に終わりそうもない。私が以前から批判している、先進国では見られない国家議員の2世、3世の世襲制のことについても書きたかった。国と民間はまったく別である。安倍首相が大臣に指名した小渕優子を始め、こんな程度の人が日本を支配しているのである。社会はこんなもんであるとわけ知り顔に言う人は、、日本は全く民主化された国でないことに早く気づくべきである。「触らぬ神に祟りなし」、「長いものには巻かれろ」という日本人に深く染みついた体質が、この国を滅ぼす。このあたりのことは、来週の日記に詳しく書こうと思う。

 

平成29年7月4日(火)

 きょうは午後からいつものように、往診に行っていた。すっかり忘れていたが、2件目の患者さんの近くのコイン・パーキングが閉鎖になっていた。すでに、建物の土台みたいなのができていた。前回は、2番目の候補の駐車場が空いていたので、ここに停めた。ところが、今回は雨のせいか、どこの駐車場も空いていなかった。ぐるぐると、周辺の駐車場を5件ぐらい回った。どこも満車であった。仕方なく、京都駅裏側のイオンモール近くの駐車場に停めた。患者さんの家から、かなり離れていた。途中から、雨も強く降り出した。
 きょうはこの日記を書かなければならないので、スーパーに寄って夕食の材料も買ってきた。買い物をして医院に戻ったら、3時半である。とんでもないどしゃぶり雨で、傘をさしていてもずぶ濡れになった。この1週間相変わらず、雑用が多かった。この数日で、障害年金の更新用の診断書が5通も溜まってしまった。労働保険料の申告書も、締め切りが7日(月)である。毎月労働基準監督署から、労災の意見書もけっこう頼まれている。私の年金の申請は2件分の手続きはやっとできた。しかし、まだ1件分の手続きが残っている。月曜から土曜までは毎日外来がある。日曜日に1日ゆっくりするなんて、夢のまた夢である。
 先週の木曜日は、丹波橋の自宅の荷物の整理をしていた。1度、10年ほど前にいらない物を処分した。しかし、使っていない古い布団や電化製品などが山ほど溜まっていた。MDプレーヤーデッキやカセットテープデッキ、シェラフや椅子、ダイビング道具などがあった。古いレコード用端子がついたプリメインアンプなどはまだ使える。中古に出したら、値段は付くと思う。しかし、時間がないので、一括処分である。業者に頼んで、2トン車で来てもらった。屋根裏の荷物がまだ残っており、今週の木曜日に今度は1トン車で来てもらうことにした。
 荷物は玄関まで出しておかなければならない。別料金がかかるが、荷物運搬用の人を頼むこともできた。重い荷物を私1人で何回も2階から運び出し、本当に疲れた。一時に、すべての荷物を運び出すのは無理だとわかった。明日も外来の合間に丹波橋まで行って、整理するつもりである。忙しいと、自宅の細かい手続きができない。息子が見ていたサッカーのBS放送の契約がそのままだったりする。インターネット関連を含め、ムダな契約はすべて今月中に整理するつもりである。
 荷物の整理と言ったら、京都駅のキャンパスプラザ前のマンションがある。ここはマンション不況の時に、カルテ庫として中古で買った。平成17年2月に3400万円で手に入れた。記憶が曖昧で、ローンを組んでいたと思う。だいぶ前に完済している。琵琶湖のマンションは新築で4000万円以上した。買うときに、2番目に高い物件と言われた。現金で一括払いした。京都駅のマンションの住人に聞いたら、売り出しの時は、これも2番目に高い物件だったという。最上階の部屋であるが、角部屋ではない。京都タワーが見えるのは、私の部屋と角部屋の隣の部屋だけである。京都駅周辺の物件が少ないので、今は倍ぐらいの価値があるという人もいる。私は資産運用のために買ったわけでない。その証拠に、貸し出しはせず、今でも本やレコードを置いているぐらいである。
 琵琶湖のマンションも資産運用のためではない。自分の老後用である。このマンションを使うようになってから、京都駅のマンションはほとんど使わなくなった。琵琶湖のマンションをウィークデイに使う時は、翌日外来があるので、朝5時過ぎに出てくる。さすがに、この時間帯は道路は空いていて、医院まで車で20分ちょっとである。ふだんでもよほど混んでいなければ、30分ちょっとである。最近になって、京都駅近くのマンションを貸し出すことも考えるようになった。それこそ、資産運用である。これまで、資産運用なんて考えたこともない。かなりの額の貯金も定期貯金である。株も金融商品にもこれまで1度も手を出したことはない。
 レコードは琵琶湖のマンションに持って行って、防音室で聞こうかと思っている。お気に入りの本棚や蔵書を処分するのは忍びない。今は貸倉庫もあるので、ここを借りて入れようかと思っている。ところが、患者さんに聞いたら、東山区などの貸倉庫は、どこも満杯だという。人によっては、夫の遺品などを預けているようである。不便な場所の倉庫でも我慢しなければならない。机やソファなどはどうするかである。何でも捨てたらいいというわけではない。荷物の整理に、とんでもない労力がかかりそうである。
 今回も、管官房長官について書いた本を読むことができなかった。私はこの日記でも書いているように、何でもきれい事で解決するとは思っていない。「清濁合わせ飲む」とか「水清ければ魚棲まず」もよくわかっているつもりである。最近になって、やっと安倍政権が非難されるようになった。総理になる人は、学歴コンプレックスのない人がいい。前にも書いたように、知的エリートの中で徹底的に揉まれたことのない人は、自分の能力の限界を自覚できない。世の中には、とんでもない能力のある人が、掃いて捨てるほどいる。
 私自身は、一浪して運良く府立医大に合格したぐらいである。当時は、今と違って、東大の法学部に入学する人は雲上の人であった。安倍首相は、私より1歳年下である。環境にも恵まれこんな程度の大学しか卒業できなかったのは、よほど努力が足りなかったか、頭が悪かったかのどちらかである。私は決して学歴偏重主義者ではない。世の中には、高学歴でなくても社会的に大成功している人は沢山いるし、大企業のトップについている人も大勢いる。しかし、東大でも、毎年3千人が入学しているぐらいである。こんな程度の頭脳の人が、今や日本のトップリーダーとして君臨していることに疑問を持たざるをえない。
 官僚の非難をするときに、国益より省益のことしか考えていないとよく言われる。しかし、今回明らかになったのは、官邸も国益より自分たちの利益のことしか考えていないということである。今回の加計学園問題が明らかになった時に、安倍首相は全国で獣医学部を作ったらいいと発言している。そして、獣医学会から現状を理解していないと反対の声明を出されている。ここが、この人の頭の悪さである。知的エリートの首相なら、こんなことは決して言わない。
 この程度の頭脳の首相が、優秀な官僚をどこまで使いこなしているのか当然疑問がわく。学歴コンプレックスがあるだけに、自分のイエスマンしか徴用しなくなるのは目に見えている。日本人は自己主張をしないと言われている。しかし、何でも国連や他国に対して抗議したらいいというものでもない。この辺のことについても、首相は国際的な抗議の仕方が理解できていないようである。特に、靖国神社参拝後の中国に対する抗議(尖閣諸島のことではない)などは、本当にひどかったと思う。
 さて、まだ本を読み終えていない管官房長官である。ウィキペディアによると、高卒で、秋田県から集団就職で上京した。その後、法政大学に入学して卒業している。横浜市会議員に当選し、「影の横浜市長」と呼ばれるようになった。そして、衆議院議員に当選した。経歴を見ると、叩き上げの叩き上げである。それなりの能力があったことは否定しない。しかし、前にも書いたように、叩き上げは叩き上げの限界がある。
 知的エリートの本道を歩いてきた人のように、権力を握ったときのバランス感覚や倫理観は乏しいと言わざるをえない。権力のある人について這い上がってきたので、汚れ役も引き受けてきている。ある意味で、政治能力とは別に、権謀術数だけで上の権力を目指してきたとも言える。こういう人は、自分が権力を握ると、権力を守るために簡単に善悪を無視してしまう可能性が高い。国民のためにウソをつくのはまだ許されるが、自分自身のために平気でウソをつく。しかも、知的エリートではないので、複雑な問題を1聞いて瞬時に10わかるという能力はない。いずれにしても、こんな人たちにこれからの国政を任せたら、日本の将来はない。

 

 


前のページに戻る

www.monmonnet.com