トップページ心の健康相談もんもん質問箱 もんもん読書録もんもん日記もんもん写真館もんもん博士紹介

もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
平成29年
NEW1月〜6月の日記NEW
 
平成28年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成27年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成26年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成25年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成24年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成23年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成22年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成21年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成20年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成19年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成18年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成17年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成16年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成15年
7月〜12月の日記
6月までの日記

平成29年6月20日(火)

 きょうは外来の患者さんが久しぶりに多かった。明日は雨が降るという天気予報なので、明日予約の患者さんも大勢きょう来ていた。私の医院は、会社を休養中の患者さん以外は、予約の管理を厳密にしていない。最近は予約をする患者さんも少なくなった。その日の、その時間帯にならなければ、多いのか少ないのか予想がつかない。朝方は少なくても、11時過ぎに患者さんが多くなる時もある。患者さんの総数は、ピーク時に比べるとだいぶ減った。しかし、1ヶ月の患者さんの実数はそれほど減っているわけではない。
 以前は、睡眠導入薬の処方は、1回の診察で出せるのが2週間が限度であった。その分、患者さんによっては倍量処方や頓服などを使って多めに出していた。だから、1人の患者さんが月に受診する回数は今より多かった。今は、1回の診察で睡眠導入薬や精神安定剤を30日処方できる。1人の患者さんが月に受診する回数もだいぶ減った。1ヶ月分の処方を自分で調整して、2〜3ヶ月に1回受診する患者さんも多くなった。中には、年に数回程度の人もいる。統合失調症や双極性感情障害の患者さん以外は、ある程度薬の調整は可能である。
 私の開業している東山区は京都市内で1番高齢化が進んでいる。私が開業した時よりも、今はあちこちの区で精神科・心療内科の診療所が増えた。つい最近送られて来た京都精神神経科診療所協会名簿を見ると、精神病院のサテライト・クリニックを含め、京都府内ではクリニックとして82施設ある。大半が、京都市とその周辺である。その分、私の医院の新患は少なくなってきている。私は開業して資産を築いたとこの日記でも何回も書いた。後輩の先生でも、なかなかみんな自分のクリニックの保険収入は教えてくれない。先輩の先生だと中には気軽に教えてくれる先生もいる。
 精神科・心療内科での1つの目安は、年間の保険収入が5千万円である。5千万円までは、優遇税制が利用できる。中途半端に5千万円を超えるぐらいなら、5千万円までに抑えておく方が税金が遥かに少なくて済む。私は、今は到底5千万円には達していない。そのうち、4千万円も切るのではないかと思っている。精神科・心療内科では、血液検査などはあまりしない。院外処方にした場合には、保険収入のほぼ全額が純利益になる。家賃代はどこでも同じである。スタッフも、自分で採血したら、看護師さんもいらない。受付の人は必要である。その内自動受付も可能になるだろうと思っている。
 私はとんでもないお金持ちではないが、どこにでもいる小金持ちにはなった。ここでもうんざりするほど書いているが、バブルの時に買った家を売って、43歳で一文無し(実際には、親から借りたお金の500万円が赤字)になっている。後輩などの話を聞いていると、今の私の保険収入は82施設の真ん中ぐらいかと思っている。実際の手取り額としては、借金もなく家賃代もかからないので、もう少しいいかもしれない。
 あまりお金のことを書くと、患者さんはいやがるかもしれない。きょう遠くの区から来た新患の人から聞いた話である。認知症でもないのに、内科の診療所から認知症などの薬が山ほど出され、飲んでいないという。福祉の患者さんは医療費がかからないので、入院したらあちこち必要のない検査をされるとも言われている。それこそ、医は算術である。こんなことを書くと、医者仲間から袋叩きになるかもしれない。私は、特に高齢者のムダな検査や治療は削減すべきだと思っている。それほど必要がなく、患者さんがどうしても受けたい検査があるなら、自己負担を増やすべきである。お年寄りに、それほど意味のない高額な医療費をかけるぐらいなら、もっと子育て世代に予算を廻すべきである。それこそ巨額な医療費を削ったら、年金ももっと増えるだろう。
 私は5月に誕生日が来て、64歳になったばかりである。精神科医をして、38年目になる。自分が40代の時には、社会保険病院や日赤病院の精神科部長として、最先端を走っていると思っていた。実際にあちこちの講演会に呼ばれ、講師として話をしていた。先輩の先生などには今から考えると失礼であったが、当時は内心時代遅れぐらいしか考えていなかった。しかし、この年になると、臨床経験もあなどれない。1回患者さんの話を聞いたら、かなり正確に予後が予測できるようになった。患者さんには露骨には言わないが、治りにくい人は治りにくい。
 ここでもしつこく書いているが、最先端の薬が必ずしもよく効くわけではない。精神安定剤や三環系抗うつ薬などの悪口(副作用の強調)などは、製薬会社から頼まれた巨大広告会社がやっていることもわかってきた。うつ病のセロトニン説も怪しいものである。若い世代の医者と、私のようなベテランとどちらがいいのかというと難しい。私もそうであったが、若い時には先輩からよくならないと言われても、反発して何とか治そうと努力した。中には、稀によくなる患者さんもいた。年をとって経験が豊富になると、簡単に予測がつくようになる。薬に関しても、古い薬も新しい薬も上手にこなせる。若い時には、何が難しい患者さんかもわからなかったので、必死で治そうとした。今では、難しい患者さんにチャレンジする情熱が薄れたのは確かである。
 きょうは書くことがなかった。以前に買った森功「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)がまだ読み切れなかった。最近になって、官邸一強の弊害が明らかになってきた。ここでも何回も書いているように、小選挙区制になって、自民党の公認を得るには、官邸の承認が必要になった。官邸の意向に下手に逆らったら、次回の選挙で公認が得られなくなってしまう。だから、ほとんどの自民党員は安倍首相のイエスマンになっている。誰も反対意見を言えないのである。もう一つは、平成26年(2014年)5月に設定された内閣人事局である。同局の主要な仕事の一つは、官僚の幹部人事の一元管理である。官邸の意向通りに、官僚の人事を決めることができるのである。
 官僚主導ではなく、政治主導になっていいという人もいるかもしれない。しかし、今の政治家は公正な選挙で選ばれたというより、どこまで能力があるのかわからない政治家の2世、3世が多い。官僚に関しては、少し前までは、試験で選ばれた日本のトップクラスの有能な人材が集まっていた。官僚から政治家になる人も大勢いた。前川前次官は、キャリア試験で第4位だったという。安倍首相や管官房長官が逆立ちしても、足元にも及ばない。先進国で、こんな程度の学歴の首相を選んでいる国はない。日本にも頭脳が優れて、人格的にも申し分のない人は、掃いて捨てるほどいる。叩き上げは、叩き上げ程度の能力である。日本をリードしていく能力がない分、権力を握ると始末が悪い。
 オバマ大統領は、ハーバードのロースクールで、トップクラスの成績を修めている。ここで何回も書いているように、日本の国をリードする人は、真の知的エリートでなければいけない。そうでなければ、それこそ世界のリーダーから内心バカにされる。知的エリートの中で競争したことのない人は、知的エリートの本当のこわさを知らない。権力を握ってしまうと、自分の能力のなさにも気がつかなくなる。先週の週刊スパの匿名記者座談会を読んでいたら、「首相秘書官や首相補佐官が各省の大臣より偉くなった」と書いてあった。読売新聞も大本営発表をするだけの御用新聞に成り下がってしまった。「ゴキブリを一匹見たら、百匹はいると思え」と言われる。加計学園の獣医学部の新設問題だけではなく、表に出てこない同じような各省庁の問題が山ほど隠されていると思って間違いない。

 

平成29年6月13日(火)

 この前の日曜日は、午後から溜まっていた書類を書いていた。まず、今月中に書かなければならない更新の自立支援医療や障害者福祉手帳用の診断書である。他にも、新規の申請や、障害者年金の診断書もあった。油断していると、どんどんと溜まっていく。整形外科の先生に聞いたら、整形外科も書かなければならない書類が多いという。それにしても、精神科は書かなければならない書類がうんざりするほどある。医院のスタッフも少ないので、すべて私がやらなければならない。
 先週は、これも溜まってしまった会計事務所に送る4月の資料を整理していた。5月分も早く送らなければならない。去年の労働保険料の申告書も来ていた。レセプト以外は、すべて私がやらなければならないので、逃げ出したくなることもある。障害年金の診断書も5月が締め切りなのに、6月になって持ってくる患者さんもいる。刑務所に収監された近くの診療所の医師からの紹介状には、処方内容しか書いていなかった。年金や障害者福祉手帳用の診断書のコピーが付いてなかった。改めて、あちこちの医療機関に問い合わせて、調べ直さないといけない。締め切り間近の診断書も多く、本当に困っている。
 この前に日曜日に、またNHKで、「ニッポンの家族の非常事態 第2章〜妻が夫にキレるワケ〜」を放映していた。私は、録画した番組をきのう見た。内容は、この日記でも何冊も取りあげた男女の違いの本と同じである。女性は共感を求め、男性は問題解決を求めているである。今や、1人で住んでいた方が楽と言って、毎年21万組が離婚している。7割の妻が、夫が自分の気持ちを理解してくれないと訴えている。「夫にストレスを感じる」は85%である。  番組では、男女の考え方の違いについて、脳内の情報伝達の仕組みに違いがあると説明していた。怒りや悲しみを感知する扁桃体から、感情が海馬に伝わり、女性はネガティブな記憶が残りやすい。番組では、オキシトシンの役割も話していた。専門家でないのではっきりと断定はできない。しかし、ここまでクリアカットに割り切れるのか、疑問に思った。
 妻からの転職についての相談も、夫はついつい「したければそれでいいんじゃない」と答えてしまう。妻は転職をしたいのではなく、仕事や家事、子育ての大変さに共感して欲しいのである。夫は、問題解決型の答えしかしない。「そんなこと言っても、仕方ないだろう」ぐらいが関の山である。男は、問題が解決しなくても、話を聞いて共感だけして欲しいというのが、なかなか理解できない。
 この日記でも何回も書いているように、遠藤周作は「女は牛である」と言った。どういう意味かというと、何回でも過去を反芻するである。番組でも出てきたように、それこそ何月何日に「あなたはこう言った」と過去を蒸し返される、ほとんどの男は覚えていない。実は、定年退職して、夫婦関係がギクシャクしている患者さんが言っていたことである。「あなたの実家に行った時に、あなたのお母さんにこう言われた」と何年も前に亡くなった母親のことを責められているという。
 私の時代は、専業主婦できた人が多い。男として、旦那さんの苦労もわかる。そのことを言うと、「私は働いたことがないのでわからない」と私の上の年代の女性も含め、ピシャリと切り捨てられていた。精神科医をしていても、いつもこの部分についてはもやもやしていた。子育ての時には、女性は本当に大変だと思う。しかし、家計を支える夫の仕事のように、いつまでも続くわけではない。妻の言い分はいつも同じで、私が家庭を守ってきたである。夫が管理職になって大変な時には、専業主婦の妻はどうしても暇そうに見えてしまう。今の時代になって、夫が当然妻を一生面倒をみなければならないというのも、疑問が沸いてくる。
 長いこと夫に対して不満を持っていた女性の患者さんがいる。息子は自宅から一流会社に通っている。朝から晩まで忙しく、海外出張も時々はいる。息子はアラフォーなのに、まだ独身である。忙しすぎて、結婚なんて無理だと言っている。かわいい息子の姿を見て、最近やっと夫が働いていた時の大変さがわかるようになってきた。
 男女の違いで、最近面白い新聞の投稿を見た。うろ覚えであるが、78歳ぐらいの女性だったと思う。韓国の従軍慰安婦問題である。男性の発想だと、10億円(?)で合意したばかりなのに、今さら何を見直そうというのかである。それこそ、金目当てでいつまでも長引かせるのかである。中には、当時の慰安婦は高給取りであったと主張する人もいる。ところが、この女性によると、韓国の元従軍慰安婦が求めているのは、お金ではないという。本当にひどいことをしたというこころからの謝罪なのである。それこそ、彼女たちが味わった苦しみに対する共感を求めているのである。金目当てとか高給取りだったという日本人は、絶対に許せないのである。

今週のトピックス 36  (170613)

 YouTube「フィリピン・ボホール島の1人旅」
YouTube「フィリピン・フォーチュン島の1人旅」

 この前の土曜日に、「新・情報7days ニュースキャスター」を見ていたら、パラワンの保険金殺人事件のことが報道されていた。観光客が殺されたかと思っていたら、現地の日本人社長に新しく日本から雇われた人たちであった。この新しく雇った日本人に2億円の保険が掛けられていたという。海外での求人には気を付けなければならない。
 観光で訪れて、そのまま殺されて海に捨てられたら、誰も訪れなくなる。ひとまず、安心である。私は、あちこちで、現地の人と交渉してボートを船頭付きで一人で借りる。それほど安全でなかったカンボジアでも、料金を払って一人で島まで渡っている。
 今回YouTube用に作った動画は、3月に行ったフィリピン・フォーチュン島である。ここでは、フォーチュン島に行くときも、マヤマヤビーチに行くときも、一人でボートを借りた。ボートを借りると、ふつうの団体旅行では撮れない被写体を見つけることができる。私は写真も動画も、高級コンデジと言われているカメラを使っている。この時には、ソニーのサイバーショットRX100vを持って行った。前回のボホール島は、パナソニックのDMC-TX1を使った。こんなコンデジでも、動画を含めここまで撮れる。(私の勘違いで、両方ともパナソニックでした。)
 動画ソフトは、前回と同じようにパワー・ディレクターを用いた。それほど日にちが経っていないので、スムーズにソフトを使いこなせた。それでも、1本の動画を完成させるのに、手間暇がかかる。今回は3分ちょっとで、すっきりとまとめた。すべて私が撮ってきた写真と動画である。フィリピン・フォーチュン島の1人旅で見ることができる。(クリックして下さい)

 

平成29年6月6日(火)

 先週の木曜日に、16年乗っている車が故障した。琵琶湖のマンションに行く途中であった。ふだんは滅多に買わない「週刊新潮」を買うために、名神(京都東インター)にはいる手前のコンビニに寄った。週刊誌を買って、車のエンジンをかけたら、うんともすんとも言わなかった。これまで、何回かバッテリー切れになったことはある。今回もそうだと思って、JAFを呼んだ。
 ところが、JAFの人に故障箇所を調べてもらったら、ラジエターのファンのフィンとカバーが割れていた。割れた部品がファンに接触して回らなくなっていた。トヨタで修理してもらうため、レッカー車を呼んでもらった。最初は前の部分だけを上に持ち上げ、後輪はそのまま走らせるのかと思った。本格的なレッカー車が来て、車全体を載せた。走行距離が15kmを超えると、別料金がかかる。JAFに頼んで、すべて無料であった。最近は車の対人・対物保険にも、ロードサービスが付くようになった。JAFはもう必要ないかと思っていた。今回思わぬ所で役に立った。コンビニでエンストになったのはラッキーであった。道路のど真ん中で動かなくなったら、大変なことになっていた。
 結局、部品を取り寄せて修理するのに、1週間ほどかかる。車を取りに行くのは今週の土曜日である。代車がつまっており、トヨタのレンタカーを借りた。ヴィッツで1日5400円である。今週の木曜日も借りるので、全部で3日借りることになる。きょうは往診があった。1件目は市バスを使って行き、2件目はけっこう長い距離を歩いて行った。帰りは、九条車庫まで出て、また市バスで帰ってきた。市バスは回数券を使うと、1回200円ぐらいである。
 きょうはこれですんだが、明日も往診がある。同じ日にまとめて往診できないのは、リハビリやデイ・サービスに行って、不在になるからである。タクシーを使ったら、往復3千円ぐらいかかる。レンタカーを借りに行く時も、返してからも、タクシーを使ったら、片道1100円以上である。日曜日はバスを使って医院まで帰った。24号線を大石橋まで行き、九条通りで乗り換えて帰ってくる。明日もバスを使って行こうと思う。81番はバスの本数が少ない。しかし、バスを使ったら往復800円である。(よく考えたら、1日乗車券は500円であった。)
 今回はラジエターや傷ついたパンパーも交換し、修理代は12〜3万円ぐらいである。新しい車も考えたが、もう少し乗ることにした。ネットで調べてみたら、ドアについた小さな傷は目立たないように修理できるようである。6気筒のエンジンを載せているので、市内はハイオクでリッター6kmぐらいしか走らない。琵琶湖のマンションに週2回行っても、月400kmを切る。月に1回満タンにして、少し足りないぐらいである。新車を買うより断然安い。
 ぱっと見には、16年前の車には見えない。(話は変わるが、私も髪の毛を染めたりしているので、ぱっと見には、64歳に見えない。) 最近は、あまり走っている車を見ないので、余計に愛着も湧いてきた。買った時には、500万円ぐらいした。カーステレオには、CDプレイヤーとカセットプレイヤーがついている。唯一の欠点は、最新のカーナビのDVDが更新して作られなくなったことである。後2年もしたらあまり使い物にならなくなる。回転式で、カーナビが出てくる。車に組み込まれた純正品なので、カーナビそのものがもう交換できない可能性が高い。
 先週の土曜日は、午前中の外来が終わった後で、患者さんの家族と面談した。患者さんは私の所に通院していて、最近自宅で急死した。自殺ではない。関東に住んでいる家族から、話を聞きたいと連絡があった。面会の予約をする時にも、私の医療に対して不信感ありありの感じであった。この家族は、まだ30代半ばの人である。京都で生まれ育っている。カルテを出して、一通り説明した。その後で、会社の弁護士と話をしてくれとスマホを差し出した。本当に弁護士かどうかわからない人が出てきた。カルテをすべてコピーして渡してくれという。カルテの開示は簡単にはできないと答えた。この人も口の利き方を知らない人で、失礼な言い方をしてくる。
 家族の人には、医療機関に紹介する情報提供程度のカルテのコピーと最近の投薬内容を渡した。この家族の人も、私より30歳近く若いのに、最初から横柄な口の利き方をしてきた。表の世界で生きている人の話し方ではない。人の話の言葉尻を捉えては、一気に大声を出して威圧的に責めてくるしゃべり方である。どうして私が、こんな世間知らずのひよっこに脅されなければならないのかと、怒りを抑えるのに必死であった。
 私は京都府警に協力して、逮捕されて留置された人の精神科関係の薬はよく出している。覚醒剤などの薬物関係の人が多い。最近は、診察室であまり横柄な口の利き方をする人はいなくなった。ただ、この薬がいやでこの薬を出せと好き放題言う人は多い。土曜日に面談した家族については、この日の夜が眠れないほど、腹がたって仕方なかった。脅してすむ人は勝手に脅したらいい。中には、逆効果になる人もいる。そのうち、しっぺ返しをくらう日が来るだろう。カルテの開示も、個人情報と深く関わってくる。中には、女性でも不倫しているとか、風俗でアルバイトしているという人もいる。いくら家族でも、すべて開示するわけにはいかない。事件性が高いと思ったら、裁判所に訴えて開示命令を出したらいい。
 京都新聞を読んでいたら、フィリピンのパラワンで日本人観光客が2人殺されていた。パラワンとは、私が年末の旅行を検討しているエルニドがある場所である。この2人組は、島巡りに出発した後に行方が分からなくなた。現地の日本人と通訳が関与し、3人のフィリピン人の殺し屋を雇って射殺し、切断して海に捨てたという。保険金目当てらしい。私は、あちこち危険な場所にも行っている。この日記でも書いているように、カンボジアの内戦が終わった時には、プノンペンの町中には銃があふれていた。ここで2回強盗に遭っている。1回は、バイクの後ろに乗っていた時に停車され、頭に銃を突きつけられている。20年ぐらい前の話で、今は安全である。
 今回、フィリピンの事件を知って自分ならどうするか考えてみた。私は南の島に行くので、ボートを1人で借りることも多い。観光で生活をしている人は、こんなことは決してしない。せいぜいぼるぐらいである。私は英語には不自由しないので、こういう場面に遭遇したら、交渉すると思う。殺し屋として雇われた値段の数倍を払ってもいい。お金には不自由していないので、もしかしたら、10倍ぐらいの報酬で雇い直し、この通訳と日本人に仕返しをしてしまうかもしれない。
 きのうは、日曜日の夜の放映されたNHKの録画を見ていた.番組名は、私たちのこれから「#子どもたちの未来」である。子どもの貧困は6人に1人である。1人親は約55%が貧困である。日本の子どもたちの38.4%が「自分の将来に希望が持てない」と言っている。ここでは、いろいろな議論が出てきた。ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンの言葉が1番興味深かった。貧困の連鎖を止めるには、就学前の教育が最も重要であるという。精神科というのは、他の科より貧困の人を数多く診ている。この番組に出てきた子どものように、母子家庭で運動靴も買えず、クラブも続けられないというのは、本当に気の毒である。
 子どもの貧困が難しいのは、この番組に出てくるような、必死で子育てのために頑張っているお母さんばかりでないことである。親として、どうかと思う人も中にはいる。最近は、親に虐待されている子どものニュースがよく報道されるようになった。もちろん、虐待される子どもに罪はない。
 実は、覚醒剤など薬物中毒になる人は、とんでもない貧困家庭の出の人も少なくない。幼い子どもの時には、こころから同情できるかもしれない。しかし、大人になって、箸にも棒にもかからない社会の迷惑しかならないような人物になると、いくら家庭環境が悪かったと言っても、なかなか共感できない。初めの方で書いたように、私の医院でうなった人も、幼少時に過酷な家庭環境で育ったのかもしれない。

 

平成29年5月30日(火)

 以前にも書いたことがある。私の医院の3階にはヤマハの防音室が置いてある。本来は楽器の演奏用である。だから、壁は音を吸収するようにできている。オーディオ・ビデオ用の鑑賞室には向かない。しかし、壁に反射板を置き、後ろにもスピーカーを置き、5チャンネルのサラウンドにしている。最近はほとんど使っていなかった。今回思い切って、この中のTVを55インチの液晶に換えることにした。部屋の中はリクライニング・チェアを置いて、1人で足を伸ばして、ゆったりと座れるぐらいである。本来は、グランドピアノがはいる大きさである。55インチのTVを置いて、両脇にトール・スピーカーを置ける。センタースピーカーは縦しか無理である。
 レンタルビデオをこの中で見たら、迫力があった。最近は映画館に足を運ばなくなった。出かけるのが億劫になったこともある。新作もすぐにレンタルで見られるので、この防音室を有効利用しようと思う。アダルトの声も、心置きなく大音量で聞ける。防音室はかなり重いので、大きな地震がきたら、その下の診察室はすぐにおしゃかになる。
 突然の思いつきで、琵琶湖のマンションにもこの防音室を入れようかと考えている。京都駅のマンションにも入れようと思った時もあった。しかし、部屋の構造が悪く、ムダなスペースが多く、うまく収まりそうもなかった。ネットのカタログを見てみたら、ちょうど1つ空いている狭い部屋にピッタリと入りそうである。資材はエレベーターで上げ、中で組み立ててもらうことになる。私の医院の防音室は、外から3階の窓を外して直接入れている。値段は200万円以上するので、単なる気まぐれで買うわけにはいかない。1度係の人に調査に来てもらおうと思っている。最近、このマンションでちょっとした工事をしてもらった。資材がエレベーターに入らず、最上階まで階段を使って上げてもらった。京都駅のマンションはそのうち子どもが使うかも知れない。琵琶湖のマンションは私の老後の住処である。
 最近、後輩の先生からハガキが来ていた。6月からの開業のお知らせである。昭和60年(1985年)卒なので、卒業年度は私より6年若い。最近は、京都府立発達支援センターで頑張っていた。子どもさんがまだ若かったように思う。大学などずっと研究を兼ねた公的な病院で勤めてきている。それこそお金より名誉である。私はバブルの時に買った家を売って、ほぼ43歳の時に一文無しになった。ほぼ48歳の時に開業して、現在はそれなりの資産を蓄えた。眼科の女医さんなどが若い時に開業して、自社ビルなどを建てたりすると、ちょっとおかしいと思う。コツコツと安月給で、名誉だけで公的病院で頑張ってきた人たちには、本当に頭が下がる。場所は烏丸五条である。信頼できる先生で、小児には強いので、問題を抱えている人には大推薦である。年齢がいってからの開業なので、心から応援したい。
 今はあちこちの病院から、毎回病院報みたいな小冊子が送られてくる。たまたま目を通していたら、ある民間病院に、この3月に退職した京都第一赤十字病院院長が、老健施設長として再就職していた。今は70歳である。公的病院は院長を除き、原則的には65歳が定年である。大学教授も同じである。民間の勤務医でも、60歳を超えると、自分の将来の身の振り方を考えるようになる。その点、借金を返した開業医は、余裕である。家賃代がかからないのもいい。若い頃と違い、子どもたちにもお金がかからない。それほど、あせくせ働く必要もなくなる。
 最初に防音室のことを書いた.。今は本当に欲しいものがなくなった。車は16年目である。新車が欲しいとも思わない。お金を使うのは、せいぜい海外旅行ぐらいである。海外旅行も、現地の値段に近い旅行をするのが趣味になっている。ふだんの生活は本当に質素である。前から書いているように、お金を持ってあの世には行けない。つくづく元気なうちに、人生でやり残したことをやっていこうと思う。

今週のトピックス 35  (170530)

 YouTube「フィリピン・ボホール島の1人旅」
YouTube「フィリピン・ボホール島の1人旅」

 今回紹介するのは、YouTube用に私が作った動画である。ゴールデン・ウィークに行ったボホール島の案内である。すべて、私が撮ってきた写真と動画である。動画のソフトは、サイバーリンクのパワーディレクターを使った。ソニーのムービースタジオを使う時もある。説明書を読んでもよくわからないので、やり方はあちこちのボタンを押しながら、ほとんど直観でやっている。久しぶりの動画作品である。
 長いこと動画ソフトを使っていないと、すぐにやり方がわからなくなる。すべて手作業なので、とんでもない時間がかかる。作品に使う写真と動画をまず最初に選ぶ。写真も修正が必要である。動画は1つ1つ気に入った部分だけを切り抜いていかなければならない。解説のナレーションも、テキストを打ち込み、ソフトを使って作っていく。そのままでは、まだ不自然な合成声になってしまう。今度は、音楽ソフトを使って、人の声に近づける。動画の音もそのままでは使えない。音と映像を分離し、一旦ノイズクリーナーをかけ、また映像と合わせる。ネットの地図は小さいので、今回初めてフォトズームを使って拡大した。とにかく、うんざりするほど手間暇がかかった。
 私はかっては覚醒剤の専門家だったので、これも新しいYouTube用の動画を作ってみたい。2年前に作ったゴールデン・トライアングルとヘロインは、視聴者数がやっと1500を超えたところである。専門的な内容がわかりやすく解説されている。覚醒剤についても、私にしか作れない啓蒙的な動画を作ってみたい。去年のゴールデン・ウィークに行ったベトナム・ニャチャンの動画は、視聴者数が9千を超えたところである。前にも紹介したベトナム・ニャチャンの1人旅である。今回のボホール島については、要領よくまとめたつもりである。フィリピン・ボホール島の1人旅で見ることができる。(クリックして下さい)

 

平成29年5月23日(火)

 先週は私の誕生日が来た。何歳になったのかというと、64歳である。後1年で、大多数の人が仕事をやめる65歳になる。娘は仕事に行きだして2年目になり、息子はまだ医学部4回生である。来年になったら、外来を一コマ減らそうかと考えている。月曜から土曜まで毎日外来をするのはしんどくなってきた。元気なうちにもっと自分の好きなことをしたい。
 最近、Huaweiのスマホを買い、格安の通信SIMを入れて使っている。私はこれまで電化製品は日本製をずっと愛用していた。今回Huaweiを使ってみたら、快適で使い心地がよかった。ふだんは医院にずっといるので、あまりスマホは使っていない。子どもとたまにメールのやり取りをするぐらいである。それでも、ドコモで機種代を含め、毎月1万円近くかかっていた。格安SIMでも今のところ何の支障もない。通信費は通話もできて、毎月2千円を切っている。
 たまたまCNNを見ていたら、フィリピンの観光の宣伝をしていた。「Destination Philippines」である。短かなCMの中に、私が行ってきたボホール島のチョレート・ヒルズと世界最小のメガネザルである「ターシャ」が出てきた。動画をたくさん撮ってきたので、近いうちにまとめて、YouTubeにアップロードしようと思っている。先週発刊の「週刊スパ!」を読んでいたら、「今週のトピックス33」で取りあげた野崎幸助のインタビューが載っていた。「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫) の著者である。
 先週の土曜日は、外来が終わってから根性を出し、今月分の自立支援医療や障害者福祉手帳用の診断書を書いていた。新規の人も含め、全部で20枚ほどあった。レンタルビデオも借りて見ている。「エスコバル 楽園の掟」もやっと借りて見ることができた。韓国映画の「監視者たち」も面白かった。きょうは午後の往診の後、用事があるので、この辺でやめておく。

今週のトピックス 34  (170523)

 藤誠志「〔増補版〕理論近現代史学」(扶桑社)
藤誠志「〔増補版〕理論近現代史学」(扶桑社)

 先週と今週の火曜日は午後からどうしても用事があるので、このトピックスは月曜日の午後9時半から書いている。何とかこの本は夜8時ぐらいまでには読み終えていた。どうしてこんなに書き出すのが遅れたのかというと、夜診が終わった後で、京都駅裏のイオンモールのフードコートで簡単な夕食をとり、延びた髪の10分カットをしていた。テナントの薬局で白髪染めを買い、医院に戻って髪を染め、風呂にはいっていた。
 藤誠志というペンネームは、アパグループ代表元谷外志雄のペンネームである。ウィキペディアによると、月刊誌『アップルタウン』の編集長であり、安倍首相の後援会「安晋会」の副会長である。日本会議のメンバーとは書かれていなかった。私の持っている京都駅前のキャンパスプラザ前にあるマンションは、アパホテルの隣にある。マンション名にはアパがついている。以前には、時々郵便受けにこの『アップルタウン』がはいっていた。当時は、この藤誠志と元谷外志雄が同一人物だとはわからなかった。この本の「はじめに」で、今年1月にアメリカの女子学生と中国の若い男性がアパホテルに宿泊して、客室の置いてあったこの本(増補版の前)を読んで、南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行を否定する内容を中国の微博(ウェイポー)に投稿し、大炎上したことを取り上げていた。
 著者は私より10歳年上である。私はこの日記でも何回も書いているように、ポスト団塊世代である。学生運動が荒れた後の世代で、当時「しらけ世代」と呼ばれていた。安倍首相は私より1歳年下である。私の世代は左翼嫌いの人が多い。過激派も大勢見てきた。中学時代の東大の安田講堂の立てこもりや同じ長野県のあさま山荘事件もよく覚えている。学生時代はノンポリで、ロックに夢中になっていた。左翼の言動については、何かと内心反発をしていた。自虐史観を非難していた渡部昇一の本にも共感していた。
 そんな私が180度考えを変えたのは、神保哲生、宮台 真司「中国―隣りの大国とのつきあいかた」(春秋社)を読んでからである。この本は2007年6月に出版されている。ちょうど10年前である。 この本の中で、東京裁判はヤクザの手打ち式と同じだと書いてあった。どういうことかというと、天皇の戦争責任を回避するために、天皇にも国民にも戦争責任はなく、A級戦犯などが悪かったとした裁判なのである。東京裁判を連合国側の八百長裁判だと言うなら、最初から天皇の戦争責任を問われなかったこの裁判は、連合国側の人々にとってもやはり八百長裁判になるのである。この本でも強調しているように、日本は敗戦国である。決して、戦勝国と同じ立場ではない。
 昭和天皇が戦後26年経った1971年に欧州訪問をした。この時に、御一行の車にビンが投げつけられ、フロントガラスが割れたり、記念植樹が引き抜かれ、激しい抗議行動が起きた。中国が靖国神社参拝に反対するのは、単なる政治的利用ではない。毛沢東と田中角栄の日中共同声明の時に、周恩来は中国国民に対して、日本国民にも天皇にも戦争責任はなく、一部の軍部の人間が悪かったと説得したのである。だから、安倍首相がA級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝するのは、完全なルール違反なのである。靖国神社にA級戦犯が祀られてからは、昭和天皇も平成天皇も御親拝されていない。私は戦争で犠牲になった人々を祀るには国立追悼施設を作ったらいいと思っている。日本会議などの人たちは、靖国神社は明治天皇がお作りになったと、国立追悼施設の設置については反対である。
 この本では、戦後、GHQが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)によって、日本人に植え付けた東京裁判史観に歴史学者が固執し続けていることを非難している。WGIPとは、日本人に戦争への罪悪感を植え付けるための宣伝計画である。日本占領管理作戦の一つであるメディアに対するプレスコードのことも書かれている。いくら戦争への罪悪感を植え付けようとしても、それだけでは無理である。実際に、残虐な行為をしてきた人たちがいたのである。1960年代後半から 70年代にかけての東南アジアにおける激しい反日運動は、日本の急激な経済進出だけではなく、第2次世界大戦時における日本軍の蛮行の記憶もあったことを忘れてはならない。
 さて、朝日新聞の慰安婦捏造問題である。著者は、これは誤報ではなく、反日メディアである朝日が捏造した「戦後最大のメディア犯罪」であると断定している。私は、軍が大々的に直接組織的に慰安婦を強制連行したとは思っていない。しかし、間接的に関与していたことは間違いない。中には、直接関与した人たちもいたと思う。強制連行がまったくなかったという根拠になっているのが、証拠資料がないということである。しかし、日本が無条件降伏をした時に、軍は自分たちにとって都合の悪い資料は焼き払っている。数多くの元慰安婦たちの証言もある。吉田清治の証言とは関係なく、まったくなかったとは言い切れないのである。
 日本会議などがよく問題にする南京大虐殺のことについても書いてある。他のトピックスでも取り上げているので、ここでは詳しく書かない。これもよく言われることである。南京の人口が20万人なのに、どうして30万人も殺せたかである。私も30万人という数は誇張されていると思う。しかし、日本軍は功を焦って南京まで一気に攻め入っている。この本でも、兵站が整わない、多分無理のある進撃であったと書いている。南京にたどり着くまでの過程で、農民の食料を奪い、農民を殺したという証言も出ている。それにしても、どうして数万人規模の南京大虐殺がまったくなかったと断言できるのかよくわからない。著者は完全否定である。
 他にも、真珠湾攻撃などのこともいろいろ書かれている。戦争とはそれぞれの国民の殺し合いなので、それこそ謀略がつきまとうのは当たり前である。日本は運動会の綱引きで米国に負けたのではない。戦争という殺し合いで負けたのである。いつまでも負け惜しみを言い続ける人は、私には女の腐ったような人たちにしか見えない。この本では、ベトナム戦争時の韓国軍のベトナム人虐殺のことも書かれている。著者はベトナムを訪れて、韓国軍のレイプなども聞いている。
 以前にも書いたように、韓国はベトナム戦争の時に、5万人の兵士を参戦させ、約5千人の戦死者と8千人の負傷者を出している。これだけ犠牲者が多いというのは、それだけ戦闘が激しかったことになる。戦後日本が再び軍事大国になることを防ぐため、米国は平和憲法を押しつけた。その後アジアの共産化を恐れ、自衛隊を作らせて再軍備化させた。しかし、日本をベトナム戦争に参戦させることはできなかった。何が言いたいのかというと、考えようによっては、ベトナム戦争では、韓国が日本の分も引き受けて参戦し、多数の犠牲者を出したことになる。日本は平和を愛する国だと自慢をする人がいる。毎日多数の犠牲者を出しているモスルの人だって、平和を求めているのは同じである。この著者のオツムの弱さの証明で、ベトナム戦争時の韓国軍の蛮行を書き立てることで、従軍慰安婦問題が相殺されるわけではない。

 

平成29年5月16日(火)

 最近、ベトナムやフィリピンを旅行していて、「おもてなし」とは何なんだろうかと考えるようになった。日本の高級ホテルなどでは、洗練された「おおてなし」が売り物である。お客様の要望をいち早く気づき、いかに快適に過ごしていただくか、プロフェッショナルとしてこころを砕いている。私自身が、開業医としてある意味で接客業をしている。医者と言えども、今は殿様商売では成り立たない。クレーマーみたいな患者さんにも、丁寧に対応しなければならない。
 これでも、ふだん朝から晩まで患者さんには気を使っている。だから、反対に必要以上に気遣いされるのももういいという感じである。人によっては、日頃の反動で、自分が客の立場になったら、ここぞとばかりに態度が大きくなる人もいる。プロの「おもてなし」が居心地がいいのか、段々わからなくなってきた。高級ホテルや高級旅館に泊まったことはあまりないので、こんなことを考えるのかもしれない。どうしても、プロの「おもてなし」に、どこか計算された人工的な物を感じてしまう。
 何が言いたいのかというと、東南アジアのホテル(現地での中級が多い)などに泊まっていると、最低限のことが満たされたら充分である。ホテルの人も、現地の人も、もうちょっとストレートな飾りのない対応をしてくれる。こちらの方が、私にとっては居心地がよく、こころも解放される。現地の人たちには「おもてなし」という概念はない。その分、ちょっとした親切も、その場で自然に出てきたものであることが実感できる。日本のように、互いに気を使うコミュニケーションも必要ない。私にとっては、日本の高級リゾートで過ごすより、海外に出る方が日頃のストレスの解消になる。
 さて、ゴールデンウィークのボホール島の旅の続きである。前回の日記で書いたように、5月5日の午前中は、チョコレート・ヒルズに行っていた。ここの土産店に、世界で1番小さなメガネザルである「ターシャ」のシャツなどが売っていた。ここまで来て、この「ターシャ」を見ずに帰るわけにはいかない。どこで見れるのか聞いてみたら、川下りをしたロボックに飼育所みたいな所があるという。バスでロボックまで戻った。運賃は30ペソで(68円)で、1時間ほどかかった。乗客はいっぱいで、最初はバスの乗降口の所にしがみついて乗った。しばらくして、席に座ることができた。
 前日に待っていたバス乗り場で、再び「ターシャ」が見られる場所を聞いた。最後は、タオ・バスターミナルに帰りたいと伝えた。すると、友人だというトライシクルのドライバーを呼んでくれた。何と、前日にセビリャの竹の吊り橋まで行ってくれた同じドライバーであった。「ターシャ」の見られる所に寄って、そのままバスターミナルまで送り届けてくれるという。値段は言われるまま、600ペソ(1356円)で手を打った。前回書いたように、バスを使ったらバスターミナルまで50分ほどで、25ペソ(57円)である。トライシクルの料金としては、1時間以上かかっても高いような気もした。しかし、ショッピング・モールなどで食事をすると、びっくりするほど値段が高い。ショッピング・モールではないが、マニラのエルミタで日本式の焼肉の夕食をとったら、1500ペソ(3390円)以上かかる。
 6日は朝から、パングラオ島のアロナ・ビーチに行った。広いダオ・バスターミナルのどこからジプニーが出ているのか、前日に現地の人に確認していた。時間は1時間10分ほどかかった。ジプニーの料金は25ペソ(57円)であった。ローカルの交通手段なので、途中で大勢の人の乗り降りがあった。アロナ・ビーチについては写真付きで解説する。実は、この日は午後4時45分発の飛行機でマニラに帰らなければならなかった。午後3時にホテルから空港までの無料バスが出ていた。シャワーも浴びたかったので、それまでに戻らなければならなかった。帰りのジプニーは反対側から乗るものだと思った。同じ降りた側でまた乗り、島を廻ってそのままダオ・バスターミナルまで帰った。
 ボラカイ島は天気に恵まれなかったので、もうひとつであった。しかし、今回のボホール島は本当によかった。次に狙うのは、当然乾期のパラワンである。ちょっと調べてみたら、エルニドへの行き方は少しややこしそうである。行けるとしたら、年末年始である。他にも行きたい所があるので、候補の1つとして考えている。

地図  ボホール島の地図である。西側(左)にセブ島がある。チョコレート・ヒルズ、ロボック、アロナ・ビーチと黄緑で色づけした。左下にあるのが、ボホール島と橋でつながっているパングラオ島である。

ターシャ1  「地球の歩き方」には、「ターシャ」の見られる所が紹介してあった。私の行った所は全部で7匹おり、係の人が広い敷地内を一匹一匹案内してくれた。自分で見つけるのは無理である。

ターシャ2  今回は10倍レンズ付きコンデジのルミックスを持って行った。ズームしてここまで撮れた。じっとしてなかなか動いてくれない。首をキョロキョロとしている所を偶然にも動画で撮れた。

バスターミナル  ダオ・バスターミナルにあるアロナ・ビーチ行きのジプニーである。乗り場はわかりづらい。それほど待たずに2台目も来た。途中、屋根の上に米か何かの袋を山ほど載せていた。

アロナ・ビーチ1  ここがアロナ・ビーチである。南国の島そのものである。天気もよくて、海も透明できれいであった。ボラカイ島のように、大勢の観光客はいなかった。

アロナ・ビーチ2  ちょうど昼食時で、こんなレストランが海沿いに並んでいる。のんびりとした雰囲気である。

アロナ・ビーチ3  ここから島巡りのボートが出ている。私はこの日にマニラに帰らなければならなかったので、ゆっくりとはできなかった。

アロナ・ビーチ4  ダイビング・ツアーも出ている。向こう側に練習用のプールも備えていた。私はPADIの免許は持っている。しかし、長いことスキューバ・ダイビングはしていない。

アロナ・ビーチ5  ボホール島のカルメンから泳ぎに来ていた大家族がいた。私が写真を撮っていたら、スイカをたべませんかと声をかけてもらった。欧米人も少なからずいた。

ショッピング・モール  ダオ・バスターミナルにあるショッピング・モールである。ここで本格的な醤油ラーメンを食べたら、サービス料を含め1杯400ペソ(904円)もした。マニラのロビンソンでは、ココイチのカレーが約1000円である。

平成29年5月9日(火)

 今年のゴールデンウィークは、5月6日(土)の外来を1日休み、3日から7日まで5日間休みを取った。私は大体、1年間の休みの予定を決めている。盆休みの分は、すでに飛行機の予約はしている。さて、今回出かけたのも、フィリピンである。南の島が多く、今がベストシーズンである。これからは、雨期にはいり、台風も多くなる。11月ぐらいにならないと、安心して旅行できない。
 さて、今回行ったのは、ボホール島である。フィリピンは島が多いので、地図で場所を見ても、もうひとつピンとこない。わかりやすく言うと、セブ島の隣りの島である。私はマニラからボホール島のタグビラランまで飛行機で行った。セブ・シティから船で渡るのが、一般的な行き方のようである。セブ島からボホール島への日帰りツアーもたくさん出ている。私は2泊3日の滞在であった。天候にも恵まれ、本当によかった。ロボック川の川下り、独特の風景が見れるチョコレート・ヒルズ、世界最小のメガネザル「ターシャ」、橋でつながっているパングラオ島のアロナ・ビーチと、主立ったものはすべて見てきた。
 3日はマニラのエルミタで泊まった。翌日のボホール島への出発時刻は、朝の8時55分であった。私は最初は朝の7時にホテルを出たらいいと思っていた。ところが、タクシーの運転手に聞いても、ホテルの受付に聞いても、朝6時にホテルを出ろとアドバイスされた。4日は木曜日である。通勤時間と重なるととんでもない渋滞に巻き込まれしまうようである。結局、朝5時過ぎに起き、6時にホテルを出た。空港には25分ぐらいで着き、タクシーの値段は200ペソ(1ペソが2.26円だったので、452円)もかからなかった。空港からのクーポン・タクシーが530ペソである。空港までのメーター・タクシーがこんなにも安いとは思わなかった。ただ、空港から市内に行くメーター・タクシーは今回は山ほど人が並んでいた。
 飛行時間は、1時間10分である。ほぼ満席で、日本人観光客は10人ぐらい乗っていた。飛行場からホテルまではそれほど遠くはなかった。私はいつもネットで予約していく。今回はエクスペディアを利用した。アゴダを利用する時もある。2泊で10,532円である。1人で泊まろうと、2人で泊まろうと値段は同じである。朝食のクーポンも2人分ついている。私は知らなかったが、IDカードを見せたら、現地の女性もホテルに泊まることができるようである。私は夜は1人で好きなように過ごしたい。たとえ海外でも、記録に残るようなことはあまりしたくない。
 いつもホテルを選ぶのは、いい加減である。時間があったら、「地球の歩き方」やネットでじっくりと調べたらいい。バタバタしているので、地図を見ながら適当に選んでいる。現地のことは、切り取った「地球の歩き方」を、空港での待ち時間などに読んでいる。今回は市内の繁華街から離れていた。しかし、幸い歩いて5〜6分の所に、ダオ・バスターミナルがあった。ここからは、バスでロボックにもチョコレート・ヒルズにも行けた。パングラオ島のアロナ・ビーチに行くジプニーも出ていた。すぐそばに、アイランド・シティ・モールがあった。スーパーからレストランまで、巨大ショッピング・センターとなっていた。このモールの前からジプニーが出ていて、8ペソ(18円)で市内の繁華街に出れる。
 チェックインの時間は午後2時からである。チェックアウトの時間は正午である。今回は早く着いたので、別料金を250ペソ(565円)払った。帰りも、午後2時半にチェックアウトした。early check-inとlate check-outの単語は覚えておくと便利である。この日は、午後からロボック川の川下りに行くことにした。バスで片道50分ぐらいである。バスの料金は、エアコンなしの窓やドアの開けっ放しで、25ペソ(約57円)であった。この日のバスは混んでいなくて、快適であった。
 ロボック川のクルージング・ツアーは昼食付きで、450ペソ(1017円)であった。ランチはバイキングで、席も決まっていた。私は1人で参加していたが、フィリピン女性といた白人のカップルと同じテーブルになった。私は欧米人だと思ったら、香港で生まれ育ったビジネスマンであった。今はあまり景気がよくないようである。日本には、白馬までスキーに行ったり、何回も訪れていた。日本のことについてもかなり詳しかった。安倍首相のことは非難していた。もちろん、香港に対する中国の政策についてもである。グローバル化などの現在の世界情勢や政治について、かなりつっこんだ話ができた。ふだん英語を使うことはない。今はCNNもあまり見ていない。しかし、こういう時には自分の意見は不自由なく話せる。
 クルージングの後は、トライシクルを頼んで、セビリャまで行った。ここには竹の吊り橋がある。トライシクルの値段は200ペソ(452円)であった。ぼられているのか、よくわからなかった。それでも、行ってよかった。この日は、ロボックで帰りのバスを待っていた。ジプニーが来て、現地の人がこれに乗れという。最初は混んでいなかったが、段々と混んできてギュウギュウ詰めであった。仕事場からの帰宅時間と重なったのかもしれない。途中で、少しすいた。ダオ・バスターミナルまでは、バスと同じ25ペソ(57円)であった。この日の夜は、「地球の歩き方」に書いてあった桟橋近くの海鮮料理店に行こうとした。ところが、トライシクルのドライバーに聞いても、よくわからず、たどり着けなかった。
 翌日は、同じダオ・バスターミナルから、チョレート・ヒルズ行きのバスに乗った。実は、カルメン行きのバスは、きのう行ったロボックにもチョコレート・ヒルズにも行く。バス料金は、55ペソ(113円)であった。時間は1時間50分ほどで着いた。このバスも、座ることはできたが、途中から混み出し、ギュウギュウ詰めであった。以下に、写真付きで解説する。

空港  ボホール島の玄関先であるタグビララン空港である。向こうに見えるのが空港建物である。建物は小さく、荷物取りのレーンも短かった。

ホテル  ここが予約したホテルである。場所的には、最初は不便のような気がした。しかし、ダオ・バスターミナルに近く、正解であった。今は、WiFiも使えて便利である。バスタブはなく、シャワーのみである。

バス・ターミナル  ここはダオ・バスターミナルである。広くて大きいので、どこからどこ行きのバスが出ているのかよくわからない。タリボン経由カルメン行きのバス乗り場は1番奥にある。バスはどこでも好きな所で降りられる。

ロボック川1  ボロック川下りの船の上から撮った。緑がきれいで、本当に気持ちがよかった。時間は、1時間ちょっとぐらいである。だらだらと乗るより、これぐらいが丁度いい。

ロボック川2  最初に、テーブルを囲んで、バイキングの昼食をとる。船の上では、ビートルズの曲などを生演奏していた。

ロボック川3  船全体はこんな感じである。右側のステージでは、地元の子どもが、歌や踊りを披露してくれる。

吊り橋1  先ほどのロボックから12kmぐらいの所にあるセビリャの竹の吊り橋である。ここを渡るには、60ペソ(135円)の入場料(メモをし忘れたので、もしかしたら30ペソ?)が必要である。

吊り橋2  吊り橋の上から見た景色。川と緑が美しかった。なかなかこういう風景は撮れない。

吊り橋3  トライシクルのドライバーに聞いたら、韓国人と中国人の観光客が多いという。日本人観光客は、あまり訪れないようである。幹線道路から途中山道を入っていくので、バスから降りて歩いていくのは無理である。

ロボック  現地の人に教えてもらい、ダオ・バスターミナル行きのバスを待っていた。左側の乗り物が、ジプニーである。帰りはジプニーが先に来たので、これに乗った。

ジプニー  ジプニーの中である。これでもすいてきたので、カメラで撮ることができた。座る席がなくても、どんどんと乗せていく。天井は低い。もう無理だろうと思っても、中央に木の椅子を出して、限界まで押し込める。

チョコレート・ヒルズ1  バス停から坂道を上っていく。どれぐらいの距離かわからなかった。トライシクルのドライバーが40ペソ(90円)という。またぼられているのではと思ったが、これしか手段はなかった。大勢の観光客が訪れていた。

チョコレート・ヒルズ2  これがボホール島で有名なチョコレート・ヒルズである。期待が大きかっただけに、それほど感動するほどでもなかった。帰りは、下り坂だったので、歩いて帰った。

平成29年5月2日(火)

 風邪がなかなか治らない。明日からは、5日間ゆっくりとさせてもらう。書類がまた山ほど溜まってしまった。すべてゴールデンウィーク明けである。今は、午後6時過ぎである。「今週のトピックス」を先に書いていたら、こんな時間になってしまった。いろいろと書きたいことがあった。まだ風邪が治っていないので、きょうはこの日記の部分は手を抜く。
 29日(土)、30日(日)と琵琶湖のマンションで過ごした。29日は、用事があったので、医院に1度寄っている。先週の日記では書かなかったが、医院の余計な荷物をすべて整理した。いらない物は、廃品回収の人に頼んで持って行ってもらった。この中には、患者さんが忘れた傘がある。医院で保管しているが、もう何年も経っている。数十本あった。壊れたスチールのロッカーや使っていない自転車や椅子など、まとめてすべて整理した。ただ、細々とした書類の整理はまだできていない。今はすっきりとして気持ちがいい。
 29日は当初は快晴であった。琵琶湖に面したマンションからは、釣り船もたくさん見えていた。ところが、急に天候が変わり、突風が吹き、曇り空が覆ってきた。翌日の朝刊を見ていたら、舟が転覆したりしたようである。春になると魚の食いがよくなるのか、湖岸でも大勢の釣り人が出ていた。仕事が忙しいと、滋賀県のことなんか気にもならない。しかし、琵琶湖は滋賀県の財産だと思う。30日は午後11時頃から、マンションを出た。詳しいことについては、写真付きで以下に書く。

菜の花  草津市立水生植物公園みずの森は、大津京のマンションから車で40分近くかかった。この日は快晴に恵まれた。駐車場に行くまでの琵琶湖沿いの景色も素晴らしかった。途中で車を降りて、菜の花を撮った。

チューリップ  みずの森の駐車場は無料で、入園料は300円であった。今の時期はどこの植物園に行っても、花が咲き乱れている。花はきれいであるが、いざ写真に撮ると平凡になってしまう。このあたりは、ふつうの植物園と変わりない。

庭園  水生植物公園となっており、池などはきれいである。公園内からも琵琶湖が望める。府立植物園とはまた違った趣がある。いいカメラを持っていても、街中でのスナップは撮りづらい。カメラの試し撮りにはいいかもしれない。

ハス  室内の温室みたいな所である。10倍レンズ付きのLumixを持って行った。以前に、柳が崎湖畔公園で撮った蓮の花はここで紹介した。こういう場合の切り取り方が難しい。それなりに花の位置を考えて撮った。

緑  公園内は広くて、緑が気持ちよかった。小さな子ども連れでも充分に楽しめる。子どもがまだ小さかった頃に、神戸の森林公園によく行っていたことを思い出した。

今週のトピックス 33  (170418)

 野崎幸助「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫)
野崎幸助「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 」(講談社+α文庫)

 さて、きょう読み終えた本である。副題には、美女4000人に30億円を貢いだ男と出ている。この本の中で、4千人という数字は、本文の中で1ヶ所だけ出てきた。30億円という数字は、前書きの「はじめに」で書いてあった。まず、去年の2月に50歳年下の愛人に6000万円相当の金品が盗まれ、テレビのワイドショーや週刊誌で取り上げられた。私はこの事件についてはまったく知らなかった。
 著者は75歳で、愛人はノルウェー人とのハーフで、27歳の自称モデルであった。著者の自宅は和歌山県田辺市にあり、仕事の関係で東京を行き来していた。都内の交際クラブで知り合い、6度ほど和歌山に来てもらっていた。1回会うたびに、30〜40万円を渡していたという。この本の中で何回も書いているように、著者はいい女を抱くためだけに、大金持ちになっている。現在でも、1日3回のエッチも普通のことである。2回結婚して2回離婚している著者は、この愛人との結婚も考えていたという。ちなみに、2回の離婚では、子どももいなかったので、それぞれ5千万円を渡して別れたと最後の方に書いてあった。1億円なんて紙屑という著者が、今いくらぐらい持っているのかは想像するしかない。他人事ながら、あの世にお金は持っていけないので、どうするのだろうと思う。みんな考えることは同じである。1億円ぐらいこちらに回してもらえないものかと思う。
 この本には著者の生い立ちが書いてある。1941年4月生まれなので、もう76歳である。いくら元気でも、せいぜい後10年だろう。中卒後、名古屋での酒造メーカーの仕事が肌に合わず、1年ちょっとで故郷の田辺に戻っている。家業を手伝いながら鉄屑拾いの仕事を始めた。鉄屑については、爆弾の破片を畑で探し回っていた。ある日、肥溜めの中のコンドームを見て、コンドームを持って訪問販売すれば、女性でも購入してくれるのではないかと思いついた。当時は、コンドームを手に入れるのが難しい時代であった。最初は漁村に目を付けたが、まったく売れなかった。農家を訪れるようになってから、次第に売れるようになった。仕入れが280円で、売値が1200円である。大卒の初任給が1万5千円の時に、多い時で月に20万円ほど利益が出た。70年代には、アメリカからヒッピー文化とフリーセックスがはいり、商売にとって追い風になった。実際に農家のおかみさんを相手に、実演販売(セックス)する機会も増えたという。
 当時、和歌山や三重県そして奈良で金持ちと言われていたのが、山持ちであった。ところが、輸入自由化で外国産の安い材木がはいり、軽鉄骨で住宅が建築されるようになると、木材の需要が極端に減ってしまった。コンドームの販売もいつまでも安泰というわけではなかった。先輩のアドバイスを受け、信用できる仲間の金貸しに融資して利益を受け取る金主になるようになった。著者は、そのうち大阪の新地で高級クラブにはまるようになる。惚れた女に騙されたことも書いてある。70年半ばには、コンドームの販売も年々右肩下がりとなってきた。地元田辺市で貸金業をすることになった。しかし、大手の金融会社も出てきて、ジリ貧になってきた。
 そして90年代になって、東京の有楽町に小さな事務所を構えた。金貸しの対象は、霞が関の官庁の職員か丸の内界隈に本社のある一流企業の社員である。女子大生や著者自ら、朝夕の通勤時間帯は丸の内、霞が関周辺でティッシュを配り、それ以外の時間帯には有楽町や新橋でも配っていた。商売はうまくいき、月の儲けが1千万円以上という時もあった。銀座の高級クラブにも連夜のように足を運んでいた。ここでは、関西の料理でも、うなぎと天ぷらは東京にはかなわないと書いてあった。
 著者は75歳の今でも、日々ナンパに励んでいるという。50歳頃の時には、特注名刺に1万円札をはさみ、CA(キャビン・アテンダント)に渡していたという。電話がかかってきたら、食事に誘う。そのお礼に、バッグでもと言って、30万円ほど渡す。著者は、こんな手練手管を駆使して、相当数のCAと仲良くなった(エッチした)という。(1回ぐらいなら、減るものでもないかもしれない) 高級クラブに3回通って合意したと考えれば、30〜40万円は適正価格だという。私も、水商売で擦れた女性よりも、こちらの方が魅力的だと思う。
 この本では面白いエピソードもたくさん書かれている。銀行の支店長に300万円貸して、2日後に逃げられている。当の銀行は知らぬ存ぜぬであった。しかし、刑事告訴され、金融監督庁の査察などがはいることを恐れ、最後は貸付金を無事に払ってくれたという。他にも、開業医が担保なしに3千万円を借りに来たという。医学部に2浪して合格した次男の入学金が必要だという。担保になるものは銀行が抑えていた。著者は、担保なしで3千万円を貸すことを決断する。今では、すべて返済してくれている。「社長のお陰です。息子も医者になって頑張っています」と、現在でもこの開業医と交流が続いているという。
 他にも、94年に銀座付近でティッシュ配りをしていたときに、タクシーの下敷きになり、全治3ヶ月の重傷を負っている。マルサにも入られ、2億円弱の脱税を認定された。6千万円ほどの罰金を納め、執行猶予処分となっている。97年には、自宅近くで強盗に襲われた。左足付け根をナイフで刺され、850万円がはいったバッグが奪われている。犯人は山口系暴力団員で、雇っていた女性従業員のヒモであった。脳梗塞にもなっている。
 著者は、現在は金融業はやめ、酒類販売業や梅干しの販売、不動産で生計を立てている。お金はエッチのために率先して使うため、ふだんの生活は質素である。毎朝3時に起き、欧米の株価をチェックしたり、書類をチェックしている。誰もいない早朝の会社で、トイレや事務所の掃除をしている。ふだんは、吉野屋の朝定食を食べている。本の帯には、わが人生に悔いなしと書いてある。私は著者より10歳以上若い。最近は性欲が衰えてきて、女性の方はもうひとつである。残りの人生を悔いなきものにするためにはどうしたらいいのか、いろいろ考えさせてくれる。研究一筋で、それほどお金には恵まれず、それなりの業績を残すのも1つの人生かもしれない。それにしても、財産を相続する人がいないようである。本を読み終えた後でも、著者の貯えた資産はどこに行くのか気になって仕方ない。

 

平成29年4月25日(火)

 風邪でダウンである。ピークはきのうぐらいで、きょうは何とか食欲が出てきた。それでも、激しく咳き込む時がある。私は風邪をひくと、それこそ1ヶ月ぐらい治らない。自分でもインフルエンザと区別がつかないぐらいである。高熱が出ないので、インフルエンザではなく、重い風邪になるのだろう。きのうまでは、指の関節を曲げても痛いぐらいであった。後半のゴールデン・ウィークが5月3日から始まる。それまでには、何とか治って欲しいと思う。
 そんなわけで、マスクをして息も絶え絶え、外来をしていた。私は医者になって38年間、1度も風邪で仕事を休んだことはない。昔はわからなかったので、もしかしたら、インフルエンザにかかっていたかもしれない。意識がある間は、這ってでも仕事には出ていた。開業して、大きな病気もせずにこれまで続けてこられたのは、幸せだと思う。これから大病を患っても、経済的な心配がなくなった。人はいつか死ぬので、運命は素直に受け容れようと思う。
 そんなわけで、この1週間は闘病生活を送っていた。朝目覚めても、なかなか起き上がれなかった。日曜日は、10時間寝ても、ふとんから抜け出せなかった。その分、きょうはあまり書くことがない。きのうの夜に、NHKの「クローズアップ現代+」を録画し、きょう見ていた。題名は、「アメリカに監視される日本 〜スノーデン“未公開ファイル”の衝撃〜」であった。私は安倍政権がNHKの放送内容に口出しするようになってからは、大本営発表を聴くようで、NHKのニュースはあまり見なくなってしまった。
 今回のゲストには、池上彰が出ていた。内容としては、私にとってはそれほど衝撃的なことではなかった。在日米軍駐留費用(日本の税金)の中から、NSA(アメリカ国家安全保障局)の防諜活動費が出ていたとか、日本はアメリカにとってサード・パーティに属し、監視対象となっているなどである。NSAによって、ドイツのメルケル首相の電話が盗聴されていたことは有名である。テロ対策や安全保障以外の目的で、諜報活動がなされているのである。今度の木曜日の番組では、スノーデンのインタビューも出るようである。
 スノーデンの詳しいことについては、この日記でも紹介している。グレン・グリーンウォルド「曝露 スノーデンが私に託したファイル」(新潮社)である。日本で出版されたのは、平成26年5月である。私がこの日記で紹介したのは、平成26年6月10日と6月17日である。この時には、「今週の愛聴盤」を紹介していたので、本文の中に書いている。実は、どの本の書評をいつの日記に書き込んでいるのか、私もよくわからない。大抵の大事な本は発売日のすぐ後に読んでいる。日本での発刊日を調べて、この日記を書いた日を見つけた。3年前近くの日記を読み直していて、自分でも毎週よく頑張ってここまで書いていたと思う。
 海外のプログレを中心に紹介した「私の愛聴盤」は200回まで書いた。今は「今週のトピックス」で読んだ本を紹介している。しかし、過去にこの日記で紹介した本は数知れない。本を読むことは大事であるが、その内容を自分なりにまとめておくことも大切である。どうしても、過去に読んだ本の内容は忘れてしまう。私が今考えていることは、「私の愛聴盤」の部分をまとめて、独立したホームページを作ることである。そして、その後に、この日記で書いた読書録をまとめて、これも別のホームページを作ることである。基本的な部分は業者に頼み、原稿のチェックは自分でしようと思っている。利益が目的ではなく、一種の自己満足である。
 私がmonmonHakaseでアップロードしたYouTubeの動画も、視聴者数が延びていくのは楽しい。今1番が2万4千回を超え、2番が7千回を超え、3番が5千回に迫っている。ほとんどの動画は千回を超えている。アップロードして、まだ1〜2年である。海外旅行の動画もまた近いうちにアップロードしようと思っている。

 

平成29年4月18日(火)

 いらなくなった書類が山ほど溜まっていく。いつも整理しなければと思っているが、延び延びである。高齢の患者さんもいつも同じことを言っている、旦那さんが亡くなって何年も経っているのに、荷物はそのままという人も少なくない。今回、書類の整理棚を新たに買うことにした。そのためには、古い書類や書籍などを処分しなければならない。きのうは夜中の12時近くまで、整理をしていた。それでも、まだ山ほど残っている。
 前にも書いたように、今でも京都労働局の労災の仕事を手伝っている。今は労働局には行かず、予め送られて来た資料を見て、私の医院で労働基準監督署の人と簡単な協議をしている。年度末のせいかふだんより多く、3月と4月は毎週あり、今回は1回2件が続いた。この送られてくる資料がぶ厚く、厚さが5cmぐらいある。10件ぐらいあると、かなりのボリュームである。半年以上処分していなかったので、今は山積みである。個人情報がはいっているので、そのまま捨てるわけにもいかない。一時に80枚処分できるシュレッダーを買ったが、けっこう時間がかかる。裁断機もあるので、いろいろ工夫して処分している。
 今年は琵琶湖の桜を撮りに行きたかったが、なかなか時間がなく、あっと言う間に散ってしまった。また、来年である。最近は、ネットのレンタルビデオを借りて、ビデオをまた見出した。アダルトは年のせいかもうひとつ興奮しない。最近見たビデオは、「クリーピー偽りの隣人」、「予告犯」、「サバイバー」、「ロスト・バケーション」、「ボーダーライン」などである。どの映画も面白かったが、あまり知られていない映画では、「ボーダーライン」が推薦である。メキシコの麻薬組織を取り上げた映画である。私の専門の1つに薬物依存がある。最初から最後まで目が離せないほど、よくできた映画であった。「エスコバル 楽園の掟」はいつも貸出中でまだ見ていない。おそらく、「ボーダーライン」の方が傑作だろう。
 さて、きょう紹介するのは、「ボリショイ・バビロン」である。芸術監督のセルゲイ・フィーリンが覆面の男に顔面に硫酸をかけられた事件を扱っている。私はそのことを俳優を使って、映画作品にしているものだと思っていた。ところが、すべて実在の人物が出てくるドキュメンタリーであった。私がこの映画を見て驚いたのは、現役のダンサーやフィーリン、劇場の総裁などが率直な意見を述べていることである。ラジオ放送で総裁がインタビューに答えて、プーチンと面会した時に、「政府が介入したら総裁を降りる」と言ったと述べている。この総裁は、「我々は腐敗がまん延する国家に生きている。賄賂がはびこり、いたる所で札束が飛び交っている。ロシアの最も深刻な問題である」とインタビューにも答えている。現役のダンサーも自分の意見を率直に話し、遠慮なくボリショイ劇団についての批判も述べている。
 ロシアと言うと、言論の自由が奪われ、抑圧されているものだと思っていた。日本では、自分の会社や組織のことについて、カメラの前で自分の意見を述べたり、批判する人はいない。当たり障りのないことを言うだけである。小選挙区制になってからは、官邸に自民党公認のお墨付きをもらわないと選挙に出れない。また、官邸主導で、官僚の人事権も握っている。誰も、安倍政権に逆らうことはできないのである。マスコミも、森友学園の籠池泰典が日本会議の幹部であることさえ国民に伝えていない。日本全体が、「触らぬ神に祟り無し」で、それこそ現政権に忖度している。保守ではなく、右翼である日本会議と結びついている安倍政権は国を危うくすると、誰も批判しようとしないのである。バランス感覚に欠けた独裁者ほど危険なものはない。

今週のトピックス 32  (170418)

金成隆一「ルポ トランプ王国」(岩波新書)
金成隆一「ルポ トランプ王国」(岩波新書)

 ここに紹介する本は、私が最初から最後まで読んだ本である。途中読み終えることができなかった本については、必ずその旨を書く。トランプが大統領選に勝利した時に、大半の日本人は信じられなかった。専門家でも、このトピックスでも紹介した副島隆彦が予測したぐらいである。どうしてこんな人が選ばれたのか、なかなか理解できなかった。この本の副題は「もう一つのアメリカを行く」である。この本を読むと、アメリカとは、カリフォルニアやワシントン、ニューヨークばかりでないことがわかる。
 著者は、朝日新聞のニューヨーク特派員である。選挙期間中の1年間、14州で約150人のトランプ支持者にインタビューしている。メインの取材先は、五大湖周辺のラストベルト(さびついた工業地帯)とケンタッキー州があるアパラチア地方である。ラストベルトはオハイオ州やペンシルベニア州にあり、かっては製鉄所が集まり、自動車関連の工場も多かった。しかし、今では主要産業は衰退している。アパラチア地方も、主要な雇用の場は石炭産業であった。なぜ、トランプは彼らから熱狂的な支持を得たのかである。
 トランプの受託演説である。「毎朝、私は全米で出会った、これまでなおざりにされ、無視され、見捨てられてきた人々の声を届けようと決心している。私はリストラされた工場労働者や最悪で不公平な自由貿易で破壊された街々を訪問してきた。彼らはみな『忘れられた人々』です。必死に働いているのに、その声は誰にも聞いてもらえない人々です。わたしはあなたたちの声です」
 まず、ラストベルトの共和党委員長のインタビューである。もともと民主党の労働組合が強く、ブルーカウンティ(民主党のカラーがブルー)と呼ばれていた。労働組合の活動に熱心だった人も共和党にクロス・オーバー(寝返り)しているという。委員長に紹介された62歳になるジョーは、溶鉱炉で働き、仲間と汗だくになって作った鉄が、ニューヨークの摩天楼やブルックリン橋にも使われた。自分たちがアメリカの屋台骨を支えていたという誇りがある。「アメリカは自由貿易で負け続け、製造業はメキシコに出て行ってしまった。強いアメリカの再建にはトランプのような実業家が必要だ」と述べている。オハイオ州の製造業の雇用は、1990年の104万人から2016年の69万人に減った。全米でも、同時期に、約3割減っている。他にも、ジョンが「メキシコ人が薬物と犯罪を持ち込んでいる」と述べている。指導者に求めていることは、「まじめに働き、ルールを守って暮らし、他人に尊敬の念を持って接する。そうすれば、誰もが公正な賃金を得られて公正な暮らしが実現できる社会です」と答え、トランプに期待していた。
 かっての製鉄所や製造業が廃れ、失業率が高く、若者の人口流出が激しい同じオハイオ州のヤングスタウンにも著者は訪れている。ブルース・スプリングスティーンが「今では鉄くずとがれきが残るだけ」と歌った街である。ここに出てくるトランプの支持者も、「多くのミドルクラスが、不法移民や働かない連中の生活費の勘定まで払えないと訴えるようになっている」、「トランプは自分の金で選挙運動している。選挙資金を出してもらって、特定業界の言いなりになるような政治家とわけが違う」と述べている。
 トランプ現象の背景には、地域格差がある。経済だけではなく、希望の格差である。製鉄や炭鉱などの主要産業が廃れた地域では、自殺や薬物乱用に起因する死亡率の上昇が見られるという。ヒラリーに関しては、「業界から献金をもらっていて、庶民より業界の利益を優先させる」とか、「庶民を見下す『エスタブリッシュメント』(既得権層)の候補者」、「エリート」、「傲慢」、「金に汚い」などである。人々の中には、まじめに働いているのに、ミドルクラスから滑り落ちていくという怒りがある。トランプに具体的な再建策があるわけではないのに、「製造業の復活」を掲げるトランプを支持してしまう。従来の政治家と違って、大部分の選挙資金を自己資金で賄っていることも多くの人々にとって魅力的である。
 トランプは、ニューハンプシャーの州立大学で集会を開いた。ここで演説を聴いた学生のインタービューもしている。「トランプは、アメリカの刑務所に100万人以上の不法移民がいると言っていました。この国で罪を犯し、彼らを出身国に送還することもせず、アメリカが世話をしていると」、「アメリカには今、外の人を助ける余裕がない。退役軍人の医療費も払えていない」 メキシコ沿いに壁を建設することについても、「不法移民が私たちの仕事を奪いにくるんです。私のパパと同僚の仕事を奪ったのです」と述べ、トランプを支持している。
 トランプ王国の支持者の間では、明らかなアメリカンドリームは死んでいた。ラストベルトでは、両親の時代とか、祖父母の時代となっていた。トランプは2つの標的を示した。まず、自由貿易である。全体としては支持している人が多いにもかかわらずである。もう1つの標的が、不法移民である。トランプ勝利が突き付けたものは、1つ目は、トランプの勝利は民主主義の失敗なのかという問い。2つ目は、グローバル化が進む中で先進国のミドルクラスの暮らしが今後どうなるかである。このあたりのことについては、この本を読んで下さい。なかなかクリアカットには、結論は出ていない。
 膨らんだ期待は容易に失望につながる。その時に、意図的に前代未聞の外交政策をぶちあげ、世間の関心や不満をそらそうとするのではないかとも書いている。米通商代表の言葉も紹介しておく。「雇用減少や賃金の伸びの停滞はグローバル化というより、オートメーション化(自動化・機械化)の産物だ」 最後に、インタビューに応じてくれた人々のことである。自分の声など誰も聞いてくれない。自分の暮らしぶりに誰も感心がない。あきらめに近い思いを持っている人たちが大勢喜んでインタビューに応じてくれたと書いてある。

 

平成29年4月11日(火)

 せっかく桜が満開になったと思ったら、天候は最悪である。忙しかった時には、いつ桜が咲いていつ散ったのかもわからなかった。段々年を取ってくると、月曜日から土曜日まで外来をするのもしんどくなってきた。65歳になったら、木曜日は休診にしようと思っている。私より年上の先生でも、外来のコマを減らさずやっている人は少なくない。今週中のウィークデイに頑張ったら、土日はゆっくりできそうである。
 なかなか書いている暇がなかったことである。以前にも書いた、私の近くの警察に逮捕された精神科医のことである。詐欺や有印私文書偽造・同行使などの罪で、3月7日に懲役3年の判決が下った。私はまったく知らなかったが、裁判結果が出るまでの仮釈放の時に、医院を開いていたのである。そんなことができるのかと、びっくりした。少ない人数の患者さんはまだ通院していたようである。収監された後で、何人かの患者さんが私の医院に来た。詳しいことはわからないが、執行猶予が付かずに実刑になると、医師免許は停止ではなく、取り消しとなるようである。出所しても、もう医者の仕事はできない。医院のあったビルのテナントも今回は完全撤退したようである。

今週のトピックス 31  (170411)

岡部佳子「中国人観光客の財布を開く80の方法」(新潮新書)
岡部佳子「中国人観光客の財布を開く80の方法」(新潮新書)

 昨晩は京都駅近くのマンションに泊まった。車は京都駅の裏側(南側)に停めた。駐車場代は、夜6時から朝8時まで500円である。夕食は近くの外食チェーン店でとった。値段は、いつも千円ぐらいである。月、水、金はビールを飲まない。イオンモール近くの道路で、中国人らしき人に道を聞かれた。英語である。伊勢丹にはどう行ったらいいかである。私はこの辺はよく通るが、道を聞かれたのは初めてである。とっさに英語で話しかけられると、なかなかうまいこと英語が出てこない。何とか、伝えて、また信号を渡って歩いていた。頭の中で、こう言ったらよかったと考えていたら、今度はまた中国人らしき母娘に声をかけられた。バス停に行くには、どうしたらいいかである。五条の方に行きたいというので、京都駅の正面を教えた。地下鉄を利用したら早いとアドバイスをしたら、バスの1日乗車券を見せてくれた。こんな簡単な道案内でも、すぐに英語が出てこない。
 実は、4月1日(土)に久しぶりに梅田に行った。JRの新快速に乗った時に、4人席に座った。この席とその横に、中国人らしき若いカップル2組と生後6ヶ月の赤ん坊がいた。英語はネイティブそのものであった。どこから来たのだろうと思った。話しかけてみると、1組のカップルはカナダのカルガリーで、1組のカップルは香港であった。2週間ほど日本を巡り、そのまま関西空港から帰るということであった。日本が気に入ったようで、1人の女性は日本で英語の教師でもしたいと言っていた。桜の花が咲く前だったので、残念がっていた。外国人は別れる時に、「貴方とお話しできて楽しかったです」と必ず言う。中国人か、香港人か、台湾人かなかなか区別はつかない。少人数で旅行している人は、上手な英語を話す。
 海外旅行者にとって、日本人は礼儀正しく、親切である。しかし、どこまで日本人と接しているのかは疑問である。下手をすると、ホテルやレストラン、お土産やさんぐらいである。日本人の国民性で、あまり外国人に話しかけるということはない。今年2月の訪日外国人の統計を見ると、全体で203万人である。このうち、韓国が60万人、中国が51万人弱が訪れている。半分以上を占めているのである。私は最近の反韓や反中の高まりには、危機感を抱いている。将来の夢は「正社員になること」と言っている内向き志向の日本の若者と、徴兵制(称賛しているわけではない)で鍛えられている韓国の若者や世界が舞台だと考えている中国人の若者を比較すると、本当に心配である。日本では今後50年以上は少子高齢化が進む。外国人の訪日客数を伸ばすことだけではなく、中国の巨大市場がますます重要になってくる。現在の安倍政権の中国に対する政策は、将来に渡って日本に決して利益をもたらさない。そのうち米国と中国が手を結んで、日本は置いてきぼりである。
 4月1日に載っていたMSNニュースである。ダイヤモンド・オンラインからの配信である。「中国人が辛辣指摘『日本企業9つの問題点』に知日派も喝采」が面白かった。日本人がなかなか気づかない問題点をずばり指摘している。ここでも何回も書いているように、日本人にとって人気TVドラマであった「水戸黄門」は、欧米人にとっては吐き気を催すドラマなのである。99%以上の日本人はどうしてなのか理解できない。自由を自分たちで手に入れた国民とお上から与えられた国民の違いである。
 ここでは、9つをすべて紹介するわけにはいかない。たとえば、技術への過度な依存と自信が、ユーザーの立場に立って物事を考える意識や販売を促進しようとする意欲を薄くしている。技術に対して病的な完全主義者で、性能を1%向上させるために、惜しみなく30%のコストを注ぎ込む。そのため、価格面で国際競争力を失ってしまう。終身雇用制が日本企業にとって耐えがたい負担となりつつある。上司の言いなりに行動する、自分で物事は考えず、積極的に行動しない。上層部が無能で、部下は無原則に従うのである。日本の家電メーカーは中国企業との合弁を嫌ったため、ハイアールなどの家電産業の勃興を許し、中国企業とともに成長していく機会を失ってしまった。2000年までは、中国の市場としての消費力を低く見過ぎたが、2000年以降は、中国市場のリスクを誇張しすぎた。そのため、日本の家電メーカーは中国での存在感をますます低下させたのである。
 前置きが長くなってしまった。この本は、フィリピンのフォーチュン島に行った時に、関西空港で買った。旅行中は、前回紹介したアエラ(17.3.27号)特集「東大法学部は『砂漠』だ」を読んでいた。帰国してから、すべて読み終えた。著者は、日本旅行、ホテルオークラ東京勤務を経て、上海大学に語学留学している。現在は国内で中国ビジネスのサポートや留学生教育に従事している。私は中国に関する本は山ほど読んでいる。しかし、ここに出てくるような中国人にとって当たり前の習慣については、ほとんど知らなかった。中国人インバウンドビジネスを考えている人にとっては、ぜひとも読んでおくべき最良の本である。爆買いの再来は望めなくても、まだまだ工夫したら中国人観光客を呼び寄せる。日本のおもてなしを基準にいくら考えても、文化も違うので、的外れになったりしていることも多い。
 例えば、贈答品のNGリストである。財布や時計、靴、傘、刃物類などである。発音が同じになる不吉な物は避けられている。日本の4が死と重なり、縁起の悪い数字となるのと同じである。(中国でも4に関しては同じである) ラッキーカラーは赤だということも知らなかった。8という数字も、お金持ちになるという意味の発音と似ているので、好まれる。結婚式のお祝いも、888元包むと喜ばれる(最近は800元)。奇数は避ける傾向にあるが、日本料理の盛りつけなどは奇数が多い。中国人にとってお子様は神様である。日本以上に教育熱心である。中国の飲食店では子ども用椅子は見かけない。お子様ランチもない。だから、子連れ客に速やかに子ども椅子を提供してあげると、感激されるという。
 中国人団体客を見て、目をしかめる日本人も多い。しかし、日本の農協団体の海外旅行が流行った時には、ホテルの部屋の外に出るときには、浴衣で出るなとTVでもいつも注意が喚起されていたぐらいである。パリなどで日本人がブランド物を買い漁った時にも、欧州の人々から非難が出た。当時、日本人はメガネをかけてカメラを持ったエコノミック・アニマルと呼ばれていた。
 アメリカの大統領選では、黒人であるオバマ大統領が誕生した。そのうち、女性大統領、ヒスパニック系大統領が誕生すると言われている。私は、何十年後には、中国系のアメリカ大統領が生まれるのではないかと思っている。日系のアメリカ大統領は永遠にありえない。安倍首相の靖国神社参拝は、国際社会の中ではどうやっても言い訳ができない愚行であった。天皇でさえ御親拝されていないのに、何様だと思っているのであろうか。それどころか、日本会議と一緒に、中国に対して必要以上に敵対政策を取っている。そのうち、必ずしっぺ返しが来る。その時には、今の石原慎太郎以上に、徹底的にその責任を追求したらいい。

 

平成29年4月4日(火)

 業者にサーバーの移動をしてもらった。どうして、一部の画像が出てこないのか、よくわからない。きのう、そのことを伝えたが、返事はまだ返ってこない。私が新たに更新したら戻るのか、よくわからない。
 相変わらず、雑用が多くて、うんざりである。まだ書かなければならない診断書が山ほどたまっている。先週の金曜日は、外来が終わってから、会計事務所に送らなければならない2月分の資料を整えていた。雨が降っていたので、夕食はありあわせの物ですませた。夜10時ぐらい前に終わった。この年になって、自分は何をしているのだろうかと思った。土曜日も日曜日も、なかなか診断書を書いている暇がなかった。郵便物もちょっと油断をしていると、20通ぐらいすぐに溜まってしまう。開封しながら、すぐに処分できる書類は書いていた。開業してから、医療事務以外のことはすべて私がやっている。
 きょうは新しいサーバーに変わったので、うまいことアップロードできるか、心配である。とりあえず、きょうの日記はこの辺で終わりにしておく。(結局、実際にアップロードができたのは、6日(木)となりました。写真の一部が出てこないのは、新しいサーバーが画像の拡張子はjpgのみで、JPGでは認識しないということであった。修正するのに、もう少し時間がかかります)

今週のトピックス 30  (170404)

副島隆彦「税金恐怖政治(タックス・テロリズム)が資産家層を追い詰める」(幻冬舎)
副島隆彦「税金恐怖政治(タックス・テロリズム)が資産家層を追い詰める」(幻冬舎)

 この本がベストセラーになっていると書いてあったので、手にとって読んでみた。著者は、私と同じ年に生まれている。この日記でも紹介したように、著者は以前に、日銀の異次元の金融緩和は、米国債を大量に買うことで、米国の容認を得ていたと曝露していた。現在の国際社会の中で、輸出を増やすために、自国の通貨安誘導を簡単に認めるわけがない。平成25年に出版した「税金官僚から逃がせ隠せ個人資産」(幻冬舎)では、佐藤優が自分のメールマガジンでも、この本のことを宣伝してくれたという。
 この本は、国内で身動きのとれない資産5億円以下の人たちのために書いている。著者は、日本の小資産家たちを守るために、国税庁や金融庁を敵に回して、私は戦い続けるしかないと書いている。著者自身も、過去に税務調査をくらって2500万円取られている。2015年12月には、自宅のベランダの窓から泥棒に侵入され、1200万円の現金と金の延べ棒など400万円、計1600万円が金庫ごと盗まれている。著者の恨み、辛みが重なって、あまり上品な内容となっていない。税務官僚については、それこそボロクソである。反権力側に立って、冷静に非難しているというより、どうしても感情の方が先立ってしまう。内容は、小資産家のための逃がせ隠せ個人資産である。
 著者は、徴税というのは、どこからどう考えても国家が行う悪であると書いている。パナマ文書で出てきたセコムの創業者は、個人分だけで(他にもある)350億円隠していた。日本国内に置いていたら、その半分の180億円ぐらい税金で持って行かれるという。著者は、この創業者の味方をしている。消費者金融プロミスの元会長は、長男が先に死んでしまったので、500億円の相続税を取られたという。国からは、たった1枚のハガキの感謝状やお礼状も来なかったという。
 100億円ぐらいの資産を持っている人は、海外に工場を作ったときにノウハウを知り、20年ぐらい前から個人資産を海外に逃がしている。10億円以上の人も、ほぼ同じである。これからは、5億円以下の小資産家が国税庁のターゲットである。相続税の基準が、1億円から5千万円まで下がり、マイナンバー制が導入され、海外に5千万円以上の国外財産のある人は国外財産調書を税務署に提出しなければいけない。年間所得が2千万円超えの人は、この10年間、毎年財産債務明細書(ザイメイ)を書かされていた。2016年からは、年間所得2千万円超えに、合計額が3億円以上の財産などが付け加えられることになった。
 相続税対策のアパート経営での節税は、部屋の急増で借り手がいなくなってきているという。田舎の土地は、父母が生きているうちに売るべきだとも主張している。資産家の中の鋭い人たちは、この先ハイパーインフレが来て、貯金封鎖が起きることを薄々感づいているという。ハイパーインフレが来ると、「通貨単位」の切り替えによる新札の切り替えが起こる。日本では、1万円札を新しい千円札にするということである。だから、貯金ではなく、実物物産(tangible assets)に換えておくべきだという。著者は、根拠のない危険なことを言っているわけでなく、5年後にはっきりすると断言している。そのためには、どうするかというと、現金は金に替えるのが基本だという。この本では、ドル紙幣を守るための金殺しのことも書いている。これまで、卸価格が1g4200円を割ったら買いなさいと言い続けてきたという。
 資産を逃がすための海外での生活も詳しく紹介している。国籍は日本のままにして、日本の住民票を捨てて、海外に移してしまう。日本の会社はそのままにする。個人と法人の扱いは別である。年金も海外で受け取れ、無税である。アジアには、タックス・フリーと準タックスフリーの国が3ヶ国ある。完全フリーはシンガポールと香港。マレーシアが準タックスフリーである。今や、シンガポールの永住権を求めて、20〜30万人の富裕層が待機しているという。条件の貯金と不動産購入で3億6千万円が、さらに厳しくなっているという。2015年7月からは、国外転出時課税制度(1億円以上の有価証券等を所有等している場合は、所得税の確定申告が必要)ができて、今では住民票を移してもこの分については逃れられない。
 私は開業してお金を蓄えたとこの日記でも書いている。しかし、あくまでも勤務医として勤めていた時と比べての話である。私が実際に開業したのは、48歳になる誕生日前である。ここでも何回も書いているように、正確に言うと、42歳の時に、バブルの時に買った家を売って、一文無しになった。長いこと1文無しになったと思っていたら、親から借りたお金の500万円分が赤字であった。この時の住宅ローンの金利が6〜7%あり、最初は元金は減らず、金利ばかり返済していたのである。家賃分を引いても、4千万円ぐらいの損をしていた。家を買っていなければ、4千万円ぐらいの貯金があったということである。
 私は京都第一赤十字病院の部長をしていた時には、残業手当は申請せす、当直もしていなかったので、年収が税込みで1200万円ちょっとぐらいであった。退職金も、大学病院、国立病院、民間病院、社会保険病院、日赤病院と変わっているので、退職するたびにぶつ切れである。だから、開業してこんなにも収入が増えるのかと驚いた。借金500万円を抱えてから、まだ20年ちょっとしか経っていない。この本に書いてあるような小金持ちには、とうていなれそうもない。勤務医の時と比べたら、格段に収入は増えた。だから、まわりの人には正直にそのまま伝えた。それが、いつの間にか私が大金持ちだと信じる人が増えてしまった。  雇われ院長で、税込みで年収2千〜3千万円の人よりは、まだ手取りではいいと思う。(高収入でも、所得税が高い) しかし、みんな言わないだけで、私より遥かに稼いでいる開業医は掃いて捨てるほどいる。開業医の場合は、美容整形などのように自由診療をしていなければ、収入源は保険収入のみである。他の自営業と違って、収入はごまかしのきかないガラス張りである。
 私は人生の最後で、何とかバブルで失った4千万円を取り戻した。医院と1件の中古マンションと1件の新築マンションも買った。資産価値としては、3件合わせたら、もっと値が下がっても1億円以上はあると思う。貯金額は秘密である。株や金融商品に手を出したことはない。これぐらいなら、無理に資産隠しをする必要もない。前にも書いたように、子孫に美田を残さずである。あまり年を取ってしまうと、高級電動車椅子とか、高級補聴器ぐらいしかお金を使う所がなくなる。元気なうちに好きなことをしてお金を使わなければと思っている。しかし、節約術が身についてしまって、値段の高い物が特別欲しいとも思わない。海外旅行でも、いかに安く楽しむかが、趣味のようになってしまっている。口の中にはいられたら困るが、ゴキブリが這い回っている安宿に泊まるのも平気である。
 最後に、この本では官僚のことがボロクソに書かれている。私は官僚バッシングの時から、官僚を擁護してきた。私の時代は、東大の法学部のトップクラスは、雲上の人であった。フィリピンのフォーチュン島に行ったときに、滅多に読まないアエラ(17.3.27号)を買った。特集は、「東大法学部は『砂漠』だ」である。東大法学部の凋落が書かれていた。就活で、学生が省庁を訪問した時に、エレベーターの中で寝ている人がおり、こんなにも仕事がハードなのかと書かれていた。たまたま4月1日のMSNニュースを見ていたら、Nikkei Styleの記事が載っていた。「東大法学部に異変、定員割れも! 「首席女子」も悩むキャリア形成、文系は‥」となっていた。何と、2016年では、東大文1から法学部に進学する者が減り、定員割れを起こしたのである。
 ここでは2006年に東大法学部に首席で卒業した山口由美が出てくる。この人の本は、この日記でも紹介している。当時、財務省にはいった時には、月300時間の残業が当たり前だったという。これから、こんな生活が40年間(事務次官になれて)も続くのかと思って、弁護士に転じている。(東大時代に1日19時間半勉強して、司法試験に合格している) 本人は、「ほかの先輩たちのように自分は国家のために奉仕するという意識をしっかり持てなかった」と述べている。
 私は、ここでも何回も書いているように、総理大臣になる人は真の知的エリートでなければといけないと思っている。オバマ前大統領は、ハーバードのロースクールでトップクラスとなっている。日本でも、頭脳が優れて、人格的にも申し分のない人は掃いて捨てるほどいる。しかし、国会議員の大半はそれほど能力があると思われない2世、3世が支配している。今は官邸主導で、官僚も官邸の言いなりである。優秀な官僚ほど見切りをつけて、どんどんとやめている。先進国のリーダーは、みんな知的エリートである。現在は、本当の知的エリートを知らない首相と官房長官が、官僚を恫喝して日本をリードしている。官僚は国益より省益のことしか考えていないと言われる。そんな批判をするなら、政治家は自分の選挙区と支援されている業界団体のことしか考えていない。

 

平成29年3月28日(火)

 相変わらず、バタバタしている。最近は、啓蒙書ブームである。人生で成功するにはどうしたらいいのかと、いろいろとノウハウが書かれている。しかし、こういう本を読めば読むほど、決して楽して成功している人はいないことがわかる。ここまでしなければいけないのかと、思うことばかり書いてある。成功している人ほど、禁欲的で、真面目で、寸暇を惜しんで勉強をしている。何を言いたいのかというと、わたしもいつもバタバタしているのは、それなりの人生の成功の代償なのかもしれない。人生の成功という定義は難しい。しかし、啓蒙書などでは、やはり経済的成功が大きく占めている。お金がないのも困る。しかし、段々年を取ってくると、経済的成功=人生の幸せでないこともわかってくる。
 前から書いているこのホームページのサーバーのデータ移行である。別のGMOクラウドの説明書を読んでもさっぱりわからなかった。私のホームページを作ってもらった業者からは、不明となっているアカウントのパスワードを問い合わせてくれと言われていた。しかし、この問い合わせ方も説明書を読んでもわからなかった。仕方ないので、きのう電話で問い合わせすることにした。
 前にも電話で問い合わせしたが、電話が殺到しているのか永遠に出てくれそうもなかった。今回はそれほど待たず、すぐに出てくれた。こちらで、ホームページのデータを新しいサーバーに移行しないといけないのかと思ったら、すでにGMOの方で新しいサーバーにデータは移動しているということであった。こちらのやることはDNSの切り替えと、1月からのデータを付け加えなければならないということであった。現在の旧サーバーは3月31日で完全中止となる。業者の人に今度の木曜日に来てもらって、移行の手続きをしてもらうことにした。毎回、ギリギリでセーフである。
 それにしても、雑用が多い。私の医院は、事務員は正社員1名、パート1名でやっていた。臨床心理士の人を雇っていた時もある。しかし、当時はあまり需要はなかった。精神科は検査がないので、看護師さんはいらない。採血は私がやる。私は総合病院での経験が長いので、採血については訓練されている。社会保険神戸中央病院には5年間いた。土日の当直では、精神科でも内科系の当直を任され、内科の点滴はすべてやっていた。癌の末期の患者さんなど、血管がほとんどつぶれていて、どうやって点滴したらいいのかわからない患者さんも少なくなかった。
 去年パートの人を2回募集して採用しても、なかなか長続きしなかった。それほど新患の患者さんが多いわけでない。派遣の人を頼むという方法もあった。結局、今は正社員の給与を上げ、1人でやってもらっている。それでも、労働時間は週40時間は越えないし、いつもいつも忙しいわけでもない。精神科は診断書や書類が多く、油断しているとあっという間に溜まってしまう。土日にやったらいいと先延ばしする私も悪い。結局、日曜日でも、ゆっくりと休める日は月に1度もない。大きなクリニックでは、最終的なチェックは医者がしていると思うが、診断書などはベテランの事務員などに任せている所も多い。今は、パソコンのソフトなどを使って、直接医者が書かなくてもいい。
 京都府立医大の学長選で、新しい学長が決まった。府立医大からは、私の同級生が出ていた。学生時代から真面目で温厚で、それこそ学者肌の人である。基礎の教授で、政治的な力とはまったく無縁であったと思う。私は、元大阪医大学長の方が当て馬かと思っていた。医者向けのホームページであるm3comの掲示板では、いろいろと書かれていた。誰がなっても、母校の信頼が取り戻せたらと思う。
 この前の日曜日は、東山医師会定時総会があった。毎年1回あり、内容としては堅苦しい庶務事業報告や会計中間報告などがある。私は、今はあまり大した東山医師会の仕事はしていない。会長を含め、本当にご苦労様である。この会には、すでに閉鎖になった森田療法で有名な三聖病院の院長が参加されていた。90歳を過ぎて、電動椅子で来られていた。最近の東山医師会の会報では、ネットでは自分が死んだという噂が出ていると書かれていた。しっかりとした内容の深い文章で、頭はしっかりとしておられた。
 この会には、3月で引退する京都第一赤十字病院院長と新しい院長が参加していた。2人とも、私が心療内科の部長をしている時にお世話になった先生である。京都第一赤十字病院は府立医大の関連病院の中では、一応第1番となっている。ふつうは、大学の教授が定年前や定年後に院長としてくる。今の院長も今度の院長もそのまま副院長が引き継いでいる。2人とも額に汗して頑張っていたのは、よく知っている。新しい院長は府立医大には現役で入学しているので、年齢的には1浪の私と同じである。こちらは気分的にはすでに引退モードにはいっている。これではいけないと改めて思った。
 懇親会では、ふだんあまり話さない先生とも話をすることができた。以前は、テーブルは各斑の先生で分かれていた。最近は、1つのテーブルにいろいろな斑の先生が混じるようになった。たまたま府立医大の後輩が何人も座っていた。この年になると、科は違っても、一応は卒業年度が上の私には気を使ってくれる。若い頃は、総合病院の当直をしていると、精神科は何も役に立たないと、卒業年度の低いメジャーの科の先生から露骨に言われたこともある。同じ大学の卒業なので、共通の話題はいくらでもある。年をとってよかったことといったら、こんなことぐらいかもしれない。
 さて、この前のフォーチュン島があるナスブの旅行の続きである。海辺のホテルで泊まったら、海鮮料理などを楽しめたかもしれない。夜は、トライシクルのドライバーに頼んで、地元のマッサージ屋に連れて行ってもらった。幹線道路沿いで、中心部からけっこう離れていた。料金は2時間で300ペソ(681円)であった。真面目なマッサージである。本当に上手な人であった。  翌日は、朝から天気がよかった。どこに行くか迷って、「地球の歩き方」を見ていた。いつも旅行の準備をするのにせいいっぱいで、事前にネットで調べている暇もない。ボートで10分ほどの所にマヤマヤビーチがあるのを知った。この日はここに行くことにした。トライシクルのドライバーに頼んだら、ナスブの海岸沿いのホテル通りを抜け、小さな漁村みたいな所に連れて行かれた。昨日と同じ大きな10人乗りバンカーボートで、3人付いて1500ペソ(3405円)と言われた。1人なので、そんな大げさなボートはいらない。小さなボートでいいから、1000ペソ(2270円)と言った。あちこちに電話してくれ、結局1000ペソで商談は成立した。この小さなボートもよかった。
 ナスブで過ごしたのは1泊2日だけであった。しかし、本当に貴重な体験ができて、大満足であった。帰りのマニラまでのバスでは、タガイタイを通って行った。窓からは、遠くの風景がちらっと見えた。ここもよさそうであった。以下に、写真付きで解説する。

市内1  ここはナスブの市内である。ここを通って海辺の方へ行く。歩いて行けないこともないが、遠い。タクシーは走っておらず、市内の移動はトライシクルを使う。マニラから離れているので、市内は安全である。

市内2  ここは交通量の1番多い所である。信号はないので、交通係の人が出て、交通整理している。この乗り物がトライシクルである。風が強いと、目にほこりがはいる。町中は安全であるが、トライシクルやボートの値段は、旅行者はぼられやすい。

漁港1  前日とは別の地元の漁港から、小さなボートに乗った。この漁港からは直接観光客は乗り降りしないのだろう。家の奥にいた子どもたちが珍しそうに出てきて、カメラを向けると、あわてて隠れたりしていた。この写真は切り取りしていない。

船頭  私の乗っていたボートの船頭である。これだけ船は小さい。けっこう沖に出て、このマヤマヤのビーチにたどり着いた。前日みたいに海が荒れたら、危険である。ここは浅瀬なので、手で舵をとっている。もちろんエンジン付きである。

ビーチ1  マヤマヤのビーチはいくつかあった。中にはリゾートホテルのプライベートビーチもあったのかもしれない。このビーチは先ほどのビーチとは別のビーチである。この日は波も穏やかで、天候にも恵まれた。

ビーチ2  ここも別のビーチである。海辺にこんなビーチがいくつか見えてくる。それほど大勢の観光客がいたわけでない。のんびりと過ごすにはいいかもしれない。

ビーチ3  ここもまた別のビーチである。ここには上陸した。管理人はいたが、閉鎖していると思われるホテルもあった。海辺のフェンスなどは壊れて、立ち入り禁止になっていた。ここで泊まる価値があるかと言われると、難しい。

ビーチ4  同じビーチである。飲み物などを売っている売店もあり、マリンスポーツなども楽しめるようになっている。このビーチでも、欧米人は見かけなかった。フィリピン人と韓国人ぐらいである。

漁港2  最初に出発した漁港である。たくさんのバンカーボートが並んでいる。右側が私の乗っていたボートである。ボートは子どもたちの通学用にも使われているようである。こんな写真は、普通に旅行していたら、なかなか撮れない。

市場  着いた日に撮ったナスブのマーケット付近の写真である。こういう雰囲気に慣れていない人は、夜など1人で歩くのはこわいかもしれない。マニラと違って、地方都市はまだ安全である。

平成29年3月21日(火)

 この日記は3月23日(木)に書いています。18日(土)から21日(火)までは、また海外へ自分探しの旅に出ていた。もう少ししたら、自分探しの旅に、月や火星に行けるようになるかもしれない。3泊4日の旅なので、行ける所は限られる。年末年始は、フィリピンのボラカイ島に行ってきた。「地球の歩き方」で調べてみたら、フィリピンのあちこちに南の島がある。今回は、マニラからバスに乗ってナスブに行き、ここからフォーチュン島に行ってきた。
 両替をしたら、1ペソが2.27円であった。1万円が4400ペソになる。マニラ空港に着いたのは、現地時間で午後1時半である。私は着いた日と帰りの前日にマニラで宿泊した。フィリピンの長距離バスは深夜でも走っている。帰りの飛行機に遅れたらいけないので、前日にマニラで泊まるのは仕方ない。しかし、到着した日はそのままバスターミナルに行って、ナスブ行きのバスに乗ってもよかった。現地には、午後6時には着く。
 フィリピンのバスの旅はいい。鉄道マニアがローカル線に乗って楽しむのと同じである。7時間も8時間も乗るのは苦痛である。3〜4時間ぐらいなら、日本とは違った田舎の風景が楽しめる。パサイのバスターミナルからバスが出て、途中ローカルバスのようにあちことで停まり、乗客を乗せたり降ろしたりする。最後のナスブまで乗っていたのは、私を含め2人だけであった。冷房は適度に効いている。それでも、短パンとTシャツ1枚では、少し冷えた。約3時間の旅で、トイレ休憩は1度もなかった。何とか我慢できた程度である。帰りは、ランニングシャツを1枚着ただけで、それほど冷えなかった。
 気楽に旅行に行っているように見えるかもしれない。それでも、旅行の前も帰ってきてからも、うんざりするほど忙しい。バタバタと夜遅く、旅行の準備をしたので、目覚まし時計などいろいろ持って行く物を忘れてしまった。このホームページのデータ移行も、アカウントのパスワードがわからず、間に合わなかった。このホームページは消えているものと思ったら、なぜかまだ残っていた。21日(火)で終了となっていたが、22日(水)も見ることができた。まさか、私のパソコンだけしか見れないわけではないだろう。
 ややこしい書類がまたたくさん溜まってしまった。今回の旅行については、写真付きで以下に解説します。

エルミタ  今回もマニラのエルミタに泊まった。日本人向けのカラオケバー(KTV)があふれている。相変わらず、フィリピン女性を連れた中高年の日本人男性が多い。あまり、はっとする女性はいない。韓国人観光客が多いので、韓国料理の店も多い。

バス乗り場  「地球の歩き方」に載っている高架鉄道の「エドゥサ駅」まで行かなくても、手前の「ヒル・プヤット駅」に大きなバスターミナルがある。手前のバスが「バタンガス」行きで、右側のバスが今回行った「ナスブ」行きである。片道3時間で、料金は160ペソ(363円)である。

ホテル  ナスブの中心部のホテルである。海岸沿いのホテルに泊まるか、町中で泊まるか迷った。ここは、1泊1800ペソ(4086円)の部屋である。朝食は付いていない。部屋に窓はない。温水シャワーは付いていた。夜は近くにバーみたいな所がなかった。

ボート乗り場  フォーチュン島に行くのは、着いた日の午後に行くのか、翌日の午前中に行くのか迷った。青空が出てきたので、この日に行くことにした。翌日快晴になる保障はない。フォーチュン・アイランド・リゾート・ホテルからバンカーボードが出ていた。向こう側に見えるのがフォーチュン島である。

漁港  10人乗りのバンカーボートは、この人数で島で1日過ごしても2500(5675円)ペソである。入島料は1人300ペソ(681円)かかる。船の船長を含め、乗組員は3人いる。私は1人でボートを貸し切った。昼食を取らせて欲しいというので、近くの漁村に寄った。

フォーチュン島1  ナスブの海岸から島が見えているので近いように見える。しかし、バンカーボートでは、なかなか島が近づいて来ない。「地球の歩き方」には、1時間半と書いてあった。実際には1時間ぐらいで着く。それでも、遠い。島全体はこんな感じである。

フォーチュン島2  海の青さは、南の島そのものである。観光客としては、フィリピン人が多かった。韓国人観光客も少しいた。テントを張っている人もいた。欧米人は見かけなかった。それほど、大勢の観光客がいたわけではない。島には、飲み物を買う売店もなかった。

フォーチュン島3  現地の人に聞くと、以前、ここに観光用ホテルが建っていたという。財政的に破綻して、半分朽ちた建物が海岸沿いにも残っていた。教会も建てられていたようである。

フォーチュン島4  高台から撮った写真である。海は透き通っている。ダイビングもできる。バンカーボードはこんな感じである。私は、カメラはファインダー派である。夢中になって写真を撮っていると、崖から落ちそうになる。

フォーチュン島5  あまり日本人が訪れない島なので、天候にも恵まれ、大満足であった。帰りはフィリピン人グループ5人と一緒であった。私は後方の少し高い所に座っていた。それでも、波が荒れ、座っていても、水しぶきがかかってきた。前に座っていたフィリピン人は全員びしょ濡れであった。

ビーチ  帰りのボートは1時間以上かかった。ボートを下りて、先ほどのフォーチュン・アイランド・リゾート・ホテル前である。ここで、シャワーを浴びることもできる。年を取ってきてたので、海が荒れたボートに乗るのは、段々と苦痛になってきた。

平成29年3月14日(火)

 きょうはまず大事なことを書いておく。実はこのホームページはGMOクラウドサービスを利用している。今年の1月20日から、60日以内にサーバーの移行をするので、お客様が自分で切り替え作業をして欲しいということであった。私はいつも雑用で追われているので、締め切りぎりぎりにやることにしている。3月20日でこれまでのクラウドサービスは廃止になる。3月11日(土)に外来が終わってから、時間をかけて自分で作業をするつもりであった。ところが、サーバー移行ガイドを開いてみたら、A4用紙で89枚もあった。すべて印刷して読んでみたが、素人の私では何のことがさっぱり理解できなかった。
 土曜日の午後なので、ホームページの作成をして、このクラウドサービスの設定をしてくれた会社に電話することもできなかった。この日はあきらめて、障害者手帳などの診断書を書いていた。土曜日の午後2時から始めて、終わったのは夜の7時である。この日頑張った分、翌日の日曜日は本当に久しぶりにゆっくりとできた。
 きのうの月曜日に、サーバーの移行について担当者の人に聞いたら、委託している会社に問い合わせしてみるということであった。もう時間がないので、私の医院に来てもらうしかない。もしかしたら、この作業が間に合わないかもしれない。その時には、このホームページは一時的に消えてしまうことになる。再開は移行ができてからである。来週の火曜日(3月21日)は休診にしている。どっちにしろ、更新は23日(木)になる。もっと早く手を打っておくべきであった。これまでは、どんなことがあっても、やらなければならないことは、締め切り直前には徹夜してでも仕上げていた。
 きのうは確定申告の届けに行っていた。実質、いくら稼いでいるのか、自分でもよくわからない。会計事務所の話では、去年とあまり変わりないということであった。昨年は駐車場は混まなかったので、車で行った。ところが、数少ない駐車場は満車で、なかなか空かなかった。一旦並んでしまうと、途中であきらめて列から抜け出すことができない。40分近くも待たされた。どうしてこんなに駐車場が空かないのかと思ったら、届け出をするのにも混んでいて、けっこう時間がかかった。この日は、午後3時から私の医院で、労働基準監督署の人と労災のことで会う約束していた。遅れるのではないかと、本当に心配であった。
先週の金曜日は、東山保健センターで、年に1回ある「東山区こころのふれあいネットワーク」総会があった。東山区で精神科を閉じた医療機関が2つある。今残っているのは京都第一赤十字病院を除いて、私の医院を含め3つである。各代表の人の話を聞いていると、東山区はますます高齢化が進んでいるようである。  

今週のトピックス 29  (170314)

朴一「僕たちのヒーローはみんな在日だった」(講談社)
朴一「僕たちのヒーローはみんな在日だった」(講談社)

 2月28日号の週刊スパを読んでいたら、学校法人森友学園の籠池理事長に関する緊急レポートが載っていた。レポーターは、今週のトピックス4(平成28年6月28日)で紹介した 「日本会議の研究」(扶桑社新書212)の菅野完である。日本会議についての本は、他にも2冊取りあげた。今週のトピックス12(平成28年9月20日) の俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)と今週のトピックス22(平成28年12月20日)の『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日) である。この3冊を読んだら、大体日本会議のことがわかる。興味のある人は、是非とも私の要約だけでも読んで下さい。
 前回のトピックスで紹介したように、日本会議の公式ホームページでは、過激な発言は抑えている。しかし、大阪府の日本会議の幹部であった籠池理事長の発言をみれば、その本質を知ることができる。日本会議を支持する国会議員の集まりである「日本会議連」の名簿は非公開である。しかし、『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日) よると、2016年2月現在で、280人の国会議員が名を連ねているという。どこの馬の骨かわからない人物に、国が国有地を格安で払い下げするわけがない。
 稲田朋美防衛相は、安倍首相のお気に入りであることは以前から知られている。国会答弁で、教育勅語のことについても、「教育勅語の精神である親孝行など、核の部分は取り戻すべきだと考えている」などと答えている。わざわざ教育勅語を引用しなくても、親孝行や友だちを大切にすることなどを教えてたらいいだけである。ナチスもユダヤ人の虐待ばかりしていたわけではない。いいこともたくさん発言したり、実行している。そうでなければ、あれだけ大勢のドイツ国民が熱狂して支持するわけがない。
 日本会議や稲田防衛相の発言を聞いていると、今の若者は愛国心もなく、親孝行もせず、利己的で自分の利益のことばかりしか考えず、道徳が乱れているとなる。そして、その解決方法として、教育勅語の復活を望んでいるようである。今の人たちは、軍国主義時代のことを何も知らない。今は80歳を越える大学の医局の先輩が、学生時代のこと(小学校?)を話してくれたことがある。夏の暑い日に、腕立て伏せを何回もさせられている。途中で腕が上がらなくなると、「根性が足りない」と教師に怒鳴られて竹刀で叩かれ、辛かったと述べていた。稲田防衛相にも腕立て伏せを千回やらせ、途中でダウンしたら、「そんな根性で祖国を守れるのか」と竹刀で徹底的に叩きのめしたらいい。安倍首相については、もともと頭が悪かったのか、勉強をする根性もなかったのかよくわからない。「お前の大和魂はどこに行ったのだ」と問いただしたい。私は国をリードする人は、バランス感覚に優れ、本当の知的エリートでなければいけないと思っている。
 時代も変わって、価値観も多様化し、これだけ社会は国際化が進んでいる。教育勅語の復活で、日本の抱えている問題が解決すると本気で考えているとしたら、日本会議は単細胞の集団としか考えられない。安倍首相を始め、現在の国会議員は2世、3世が多い。ここでも何回も書いているように、私の母校に自分の子どもを入学させることができた人は、100人中2〜3人である。もっと偏差値の高い大学に入学させることができた人でもせいぜい1〜2人である。医学部の偏差値が上がったせいもある。しかし、公平な競争をしたら、これが現実なのである。ところが、国を担う国会議員は2世、3世が大勢占めている。中国以上の世襲制である。日本会議や籠池理事長の話に、深く共感する程度の頭脳の持ち主が国を動かしているのである。
 しかし、絶望することはない。天皇が私たちの味方である。3月18日号の週刊ダイヤモンドでは、官邸と宮中の対立関係のことが書かれていた。陛下のご意向としては、安倍首相が進める、今の天皇に限り退位を認める特例法に反対であるのは公然の秘密だという。日本会議が望んでいる天皇の靖国神社の御親拝は、永遠に実現しない。なぜなら、天皇ご自身が、大事なことは時期天皇に言い聞かせて引き継がせるからである。日本会議は本音では女性蔑視である。だから、女性天皇の誕生には絶対に反対であり、ありとあらゆる手段を使って実現を阻止しようとする。私たち国民はどうしたらいいかというと、歴史修正主義者の安倍政権の言いなりになる必要はない。日本会議の考え方に反対している天皇を支持したらいいだけである。
 さて、前書きが長くなってしまった。TVでは、学校法人森友学園の籠池理事長のヘイト・スピーチも取りあげられていたようである。週刊スパでは、PTA会報の記事が載っていた。まず、韓国のことである。「この人たちの心を現代にひきついだ人たちが日本人の顔をしてわが国に存在することが問題。整形するわ、ルールを守らないわ、人の悪口をいうわ、得意なのは英語だけと言いたい。」とぼろくそである。中華人民共和国についても、「ウソを何十回と繰り返すから本当のように思われ、日本は東京裁判でえらい目にあいました。南京大虐殺もご存じの通りウソばかり。約束は守らない、人の物は自分のもの、子どもは他人にまかせ」とこれも悪口のオンパレードである。その一方で、「先進国を自由民主の気概で引っ張ってゆくのは安倍首相をおいて他になし」と持ち上げている。一体、どうやったらこんな考え方の人に深く共鳴できるのか、誰か教えて欲しいと思う。こんな程度の人を筋の通った人と評価するなら、本物の筋の通った人と今まで出会ったことがないのかと言いたい。
 さて、やっと今回紹介の本である。発刊は、2011年5月である。私は発売直後に最後まで読んでいる。アマゾンで調べてみたら、今は文庫本しか出ていない。それに、本のデザインも違う。仕方ないので、自分で写真を撮って、オリジナルの写真を載せた。今回久しぶりにこの本を手にとってみた。最近の読み方のようにマーカーで線を引いていなかった。だから、大事なポイントがなかなか簡単にはつかめなかった。
 著者は、大阪市立大学経済学部教授である。TVのワイドショーに出演しているのをたまに見る。あまり過激的なことを言わないことがいい。実は在日の人たちは、国籍の違う自分たちは、日本に住まわせてもらっているので、内政干渉になるような政治的発言をしてはいけないと大半の人は思っている。この本にも書いているように、日本で歴史的に差別されてきたのは、被差別地域出身者や在日コリアンである。同和関係の人は差別を解消するために、解放同盟などが糾弾と呼ばれる激しい運動を展開してきた。しかし、在日コリアンは特に抗議するわけでもなく、差別をそのまま受け入れてきょうに至っている。現在は、通称名ではなく、本名で日本に帰化している人もいる。
 私はこの5月で64歳になる。当時の学生時代のことを書く。これも、先輩の今度は他科の在日の先生に聞いた話である。開業した時に、「朝鮮人帰れ」と何回も貼り紙をされたという。私の時代は、東大を出ても、就職差別があり、一流企業に就職ができなかった。当時在日コリアンは、それこそ医者か手に技術を持てる大工しか職業の選択はなかった。まともな就職先はなかったのである。
 実は、植民地時代には、日本で国家公務員などとして働いていた朝鮮の人が多かった。ところが、戦後国が独立すると、長いこと日本を生活基盤として働いていた人たちはみんな職を失った。祖国に帰ったらいいという、そう単純な話ではない。国や地方の公務員として働いてきた人たちは、家族を養うために新たな仕事を見つけなければならなかった。しかし、民間の企業には就職できなかった。日本人の競争相手となる商売を始めることもできなかった。(当時は、国籍も違うので、日本人の商売の邪魔をしてはいけないという意識が強かった) だから、それまで優秀な日本の公務員として働いてきた人たちも、焼き肉屋とかパチンコ屋などを始めるしかなかった。他には、社会の底辺の仕事しかなかったのである。そういう人たちの子どもも、いくら努力して一流大学に入学しても、一般企業には就職できなかった。今とは違って帰化の要件も厳しかった。収入だけではなく、車の免停ひとつあるだけでも、それが消えるまでできなかったのである。
 東京都知事選に無所属で立候補した「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の前会長、桜井誠(45歳)のような世間知らずの小便臭い小僧は、こんなことも知らず、得意そうに在日特権のことを主張している。誰かに吹き込まれているのか、所詮、高卒程度の頭脳の持ち主である。今でも、80歳を超えた在日コリアンの人は大勢いる。そういう人たちの直接の声も聞かず、統計など自分たちにとって都合のいい数値を使って、ヘイトスピーチを繰り返している。人間のクズとしか、言いようがない。
 この本では、戦後日本の芸能界、スポーツ界で活躍していた在日コリアンのことが詳しく書かれている。同じように、この業界では被差別部落出身者も大勢いる。大元をたどれば、根強い就職差別があったからである。日本で有名な在日コリアンは、力道山である。空手チョップで米国人レスラーを叩きのめすことで、日本人の反米感情を刺激し、日本人のヒーローとなった。スポーツ界では、空手の故大山倍達、相撲の故玉の海、三重ノ海がいる。野球では、張本勲、金本知憲、桧山進次郎などである。ソフトバンクの孫正義も同じである。俳優では、松坂慶子や松田優作などが挙げられている。京都で有名なのは、都はるみである。劇作家のつかこうへいも有名である。美空ひばりについては、父方について諸説が入り乱れ、真相はわからないようである。
 私の医院は京都第一赤十字病院に近く、京都で在日コリアンが多い東九条にも近い。これまでいろいろな患者を診察してきた。在日の患者さんと同和関係の患者さんを診ていると、在日コリアンの方がもともと国籍が違うので、ある程度差別されるのは仕方ないという達観した印象がある。同和関係の患者さんは、同じ日本人でありながら、在日コリアンよりはるかに長く歴史的に差別されてきている。もともと同和関係の患者さんより、在日の患者さんの方が絶対数が少ないという事情もあるかもしれない。私の印象では、とんでもないすさまじい患者さんは在日コリアンより、同和関係の患者さんの方が多いような気がする。それだけ、まだ虐げられた生活を余儀なくされているということであろうか。

平成29年3月7日(火)

 相変わらず、ばたばたとしている。いつも中国語の勉強は掛け声だけで終わっている。きょうの新聞のチラシを見ていたら、韓国語入門講座の募集があった。月、水、金は午後診があるので行けない。午前中の講座も日曜日以外は無理である。幸い、木曜日の夜からであった。南米に行ってみたいので、スペイン語の勉強もしたい。しかし、現実的には、1回行けたらいいぐらいである。そのために、残り少ない人生をスペイン語に費やすのはもったいない。中国語は発音が難しい。勉強をあきらめたわけでないが、韓国語を勉強してみようと思う。近いので、2泊3日でも行ける。最近は、CNNを見るのもさぼっている。英語力の衰えも心配である。こんなことをしているうちに、どんどん年をとって、そのうちどうでもよくなっていくのかもしれない。
 患者さんを診察していると、現在の雇用状態の中でもだえ苦しんでいる人が多い。日本の社会は、正社員をやめてしまうと、一部の能力のある人以外、契約社員になってしまう。まだ20代の人でも、一旦契約社員になるとなかなか正社員に戻ることはできない。下手をすると、給料も上がらず、ボーナスなしで手取り14〜15万円が一生続いてしまう。いくら日本の経済が奇跡的によくなっても、雇用が優先されるのは若い人である。ある程度年齢が行った人は、いつまでも救われない。こういう場合に、患者さんをどう勇気づけたらいいのか、本当に困る。自分の将来を真面目に考える人ほど、事態は深刻になる。前から書いているように、何でも薬が解決してくれるわけではない。
 私は、いつも不幸の相対化を考えている。自分の不幸を絶対化したら、それこそ自殺しかなくなる。不幸の相対化というのは、自分の不幸は大変であるが、もっと不幸な人から比べたらまだましであるである。こんなことを書くと、身も蓋もない。しかし、こんな不幸を背負っているのは、自分だけではないと知ることも大事である。自己責任という、患者さんの罪責感を取り除くことも必要である。よくカウンセリングで、患者さんの身に寄り添うということが重要視される。私から言わせたら、それだけではなかなか解決しない。
 最近、私の医院に通い出した患者さんから、珍しそうに「カルテを書いている」と言われた。今は、病院だけではなく、クリニックでも電子カルテが使われるようになった。私のように、カルテの手書きは新鮮だったようである。年齢のいっている先生は、みんな手書きである。精神科は、電子カルテはあまりなじまないので、私は導入する気はない。息子については、自分の興味のある将来性のある科を選んだらいいと思っている。ところが、跡継ぎのいない先輩の先生に聞くと、自分がやめたら引き継ぎたいという先生もいるという。しかし、この場合、電子カルテを使っていないと、後を引き継ぐ人は、紙カルテを電子カルテに最初から入力しなければならない。電子カルテを使っている医院をそのまま継承するというわけにはいかないのである。繁盛している医院ほど、その作業は膨大なものになる。

今週のトピックス 28  (170307)

松竹伸幸「『日本会議』史観の乗り越え方」(かもがわ出版)
松竹伸幸「『日本会議』史観の乗り越え方」(かもがわ出版)

 きのうの夜は眠くて、午後10時前に床に就いた。朝目覚めて時計を見たら、4時前であった。まだ眠かったが、布団の中でいろいろ考えていたら頭が冴えてきた。とりあえず、4時前に起きて、顔を洗い、前から延び延びになっていたこの本を読むことにした。著者は、今週のトピックス26でとりあげた「対米従属の謎 どうしたら自立できいのか」(平凡社新書)と同じである。出版社は京都にあるかもがわ出版である。京都の同和問題については、この出版社の本を何冊も読んだ。195ページある本のまだ20ページぐらいしか読んでいなかった。
 私は寝る前に本を読むことが多い。気になった部分を蛍光マーカーでどんどんと線を引いていく。今は年をとってきたので、ほとんどの本は読み捨てである。この本については、線を引くことが多く、内容としては寝床で簡単に読む本ではなかった。朝4時過ぎから読み出し、午前の外来をし、午後の往診に1件行ってから、午後3時半ぐらいに最後まで読み終えた。大前研一は毎朝4時に起きているという。私は今でも週の半分は朝5時に起きている。それでも、朝4時から机に向かって本を読み出したのは今回初めてである。早く目が覚めてしまった時には、寝床でそのまま本を読み続け、眠くなったらまた寝ることはたまにある。
 前置きが長くなってしまった。きょうの往診は、お年寄りの夫婦である。ふだんはほとんど外出せず、TVを見ている。私が訪れた時に、ワイドショーで学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題が取りあげられていた。私は、最近はほとんどTVを見ていない。週末に1週間の出来事をまとめたニュースを見るぐらいである。この夫婦に、TVで日本会議のことが取りあげられているか、聞いてみた。ところが、まったく出てこないという。
 この本の「まえがき」に、日本会議のホームページのことが書いてある。内容は抑制的で、明治憲法の復活を1度も主張したことはないという。「序章」にも書いてあるように、日本におけるオランダ統治の良さを指摘する部分のほうが圧倒的に多いのは確かだが、「日本軍の問題点」についても書かれているという。「戦争遂行のため、石油資源ばかりではなく食料提出を強制したため、戦争末期には住民が飢え苦しんだ」などである。極右のように見えるのに、公式にはそれほど右に寄り切った発言をしていないのは、国民の合意を得て、実際に憲法を変えることを重視しているからである。YouTubeで日本会議の大会などを見ていると、まさに、右翼そのものである。
 私に言わせれば、アパホテルの会長が安倍首相の後援会の副会長で、今回のような教育勅語の復活を思い浮かばせる学園の方針と安倍首相との何らかの繋がりをみれば、「日本会議」の本質が伺いしれる。私はここでも書いているように、憲法改正派である。自衛隊の国軍としての位置づけを明確にすることは賛成である。いつまでも、わが国の国防をアメリカに任せて、アメリカの言いなりにならないためである。独立国家として、アメリカと対等の同盟関係を結ぶことはかまわない。しかし、櫻井よしこのように、天皇を国家元首にすることは反対である。
 著者は、この本の中で、「自虐史観」という言葉の代わりに「罪責史観」という言葉を用い、「歴史修正主義」の代わりに「栄光史観」、「日本会議史観」という言葉を用いている。これまで、罪責史観と栄光史観の争いの歴史があった。現在は、日本会議史観の安倍首相が選挙でも連戦連勝しているので、世論のレベルでは日本会議史観の圧勝となっている。
 戦後70年の安倍談話についても詳しく解説している。反省とお詫びの対象になっているのは「侵略」に限定されているという。朝鮮半島の植民地支配そのものは「反省とお詫び」の対象になっていないのである。東京裁判においても、違法行為として断罪されたのは侵略行為のみであった。韓国側の主張は、武力で押しつけられた条約は無効である。しかし、「条約法に関するウィーン条約」ができたのは1969年で、効力を持つのは1980年であった。だから、日本会議史観の人が主張する朝鮮半島の支配は当時合法だったという主張も理解できるという。  欧米が植民地支配を合法だとみなしたのは、相手が文明を持たない「遅れた」地域だったからである。しかし、別基準で、仲間内、ドイツのチェコスロバキア支配のようなことに対しては、仲間同士の侵略・併合ということで違法性を感じていた。朝鮮半島は日本と何千年と共存してきたような仲間である。相手が隣国であったため、遠い地域を支配した欧米とは異なり、戦後も領土問題など複雑な問題を生じさせた。
 日本会議は朝鮮半島の支配は法的に正当だったと主張している。その見解として、外務省が1951年に作成した文書を挙げている。「朝鮮半島の経済的、社会的、文化的の向上と近代化は専ら日本の貢献によるものであった」である。よく言われている日本の統治は「持ち出し」ということも書かれている。しかし、著者の脳裏に浮かぶことは、中国のチベット支配だという。毎年多額の国家予算を投入して、鉄道を敷設するなどインフラも整備している。チベット人の幸せを、支配する側が判断していいのかである。同じことが、朝鮮半島支配にも問われているという。
 日本が日露戦争に勝ったことは、アジア人の欧州人に対する最初の勝利で、戦場となった朝鮮半島の人々を除き、全アジアに影響を及ぼした。大きな希望を抱いたのは確かである。竹島問題のことも書いてある。明治政府は1877年に「本邦とは無関係」と述べたこともあったが、1905年に壱岐島の所轄とすることを閣議決定し、実際に海底ケーブルを敷設するなど実行支配した。韓国側の主張は、大韓帝国の皇帝が1900年の勅令で竹島を行政区域として認めたことである。当時、実効支配していた日本側が「先占」の要件を満たしていた。しかし、1910年に朝鮮半島を植民地にしたので、韓国ではその過程で奪った島となっている。1904年から日本に有利なように日韓議定書を結んでいる。
 この本では、侵略のことについても詳しく書いている。興味のある人は是非ともこの本を読んで下さい。段々と疲れてきたので、最後に印象に残ったことを書いておく。自虐史観派の「巣窟」とみなされている岩波書店から、ここ10年の間に、「講座アジア・太平洋戦争」(全8巻)、「戦争の経験を問う」(全13巻)が出され、多様な見方が提示されているという。「日本の占領が脱植民地化のひとつの重要な契機になったことは客観的事実として明らかである」などである。大東亜会議の「大東亜共同宣言」のことも書かれている。アジア解放という大義は、南進して自分で資源を確保する必要に迫られたので、自存自衛に従属したものならざるを得なかった。この本の最後に、連合国側の犯罪の追求や靖国神社問題についても書いている。しかし、この部分については、私は必ずしも著者の意見に賛成ではない。

 

平成29年2月28日(火)

 きょうは午後から車の部品交換と往診に行っていた。車は前から書いているように、16年目である。私の乗っている車は当時500万円近くした。あまり売れなかったようで、この車は数回モデルチェンジをして、廃車になってしまった。どうして、売れなかったかというと、みんな気に入って乗り換えなかったからである。係の人に聞いたら、そのまま乗り続けている人が多いという。同じ車種が今でもあったら、新車に乗り換えてもいいぐらいである。
 息子が中古車を買うと連絡してきた。去年の夏に試乗車として、使われていたようである。値段は200万円以上する。運動部の試合で、土日はほとんどつぶれている。部員の送り迎えもしないといけないようである。一瞬、親が16年目の車に乗っているのにと思った。それでも、クラブも勉強も頑張っているので、買ってやることにした。銀行から販売店の口座に全額振り込んだ。私は車にお金を使うより、海外旅行でお金を使いたい。車を使うのは、いつも京都市内である。そこそこ渋滞していることも多いので、車を買ってドライブを楽しむという気分にはなかなかなれない。琵琶湖のマンションに行くときでも、山科の名神東インターチェンジまでの1号線は、いつも大渋滞である。
 相変わらず、府立医大のスキャンダルが話題になっている。京都府警がここまでやるのは、よほどの証拠をつかんでいるからであろう。ふつう、家宅捜索までしない。あまり詳しいことは知らないので、これから書くことは不正確な情報に基づいているかもしれない。私は中学生になるまでは、父親にスパルタで育てられた。この時に、耳にタコができるほど「李下に冠を正さず」と説教された。どういうことかと言うと、自分の行動は常に用心深くし、疑われるようなことをしてはならないということである。
 今回、暴力団組長の収監見送りの診断書を書く前に、きちんと府警などに収監先の医療環境を聞くべきであった。収監見送りの診断書を書いた組長が、祇園の飲食店にたびたび出入りしていたら、飲み食いはできても、収監はできないのかと誤解を招きやすい。暴力団撲滅のために、これだけの大物組長を起訴して、有罪に持ち込んだ京都府警の苦労を想像すべきである。医者だけ苦労していると思ったら、大間違いである。安易な診断書は、絶対に書くべきでない。
 この前の土曜日は、久しぶりに横浜にカメラと映像の祭典であるCP+に行ってきた。東京の国立新美術館で「草間彌生 我が永遠の魂」の作品展もしていた。詳しいことについては、写真付きで解説する。

国立新美術館  ここは国立新美術館である。草間彌生の赤の水玉模様で木がデコレーションされていた。横浜駅から地下鉄千代田線の乃木坂まで思ったより早く行けた。帰りは、明治神宮前から横浜のみなとみらいまで直通で帰れた。

作品1  館内の中では、スマホのみで写真が撮れる場所が3箇所あった。カメラは禁止である。次の4枚の写真は、ソニーのスマホで撮った。広い会場には、大きなオブジェと壁一面に作品が並んでいた。

作品2  実は、他の部屋にもっと素晴らしい作品がたくさん飾ってあった。しかし、3箇所以外は撮影禁止である。印象に残ったのは、16mmカラーフィルムの上映であった。1967年の作品で、「草間の自己消滅」と題名がついていた。

作品3  立体の作品に赤の水玉模様が描かれている。会場で買ったカタログで調べてみると、2014年の作品である。他にも、ペニスのような多数の白い突起物で作られた家具も印象的であった。

作品4  同じようにカタログで調べてみたら、2016年の作品である。題名は「南瓜」である。意外にも、新しい作品が並んでいる。

お土産  記念グッズが売られていた。私の時には20分待ちで、買い終わって見たら40分待ちであった。左上のカタログ「草間彌生わが永遠の魂」は縦が30.5cmである。下の手ぬぐいは、2014年の「生命は限りもなく、宇宙に燃え上がっていく時」である。

CP+1  今回の目的は久しぶりにCP+に参加することであった。しかし、草間の作品に圧倒されてしまった。モデルの撮影は、以前と比べたら制限が多くなった。自社のカメラでないとだめとか、自由に撮らせてくれない。

CP+2  展示室にあった作品。今回の旅行では、ソニーのコンデジであるRX100M5を持って行った、3×2で撮った写真を切り抜きをしてスマホサイズに合わせた。都会では、興味のある被写体をなかなか見つけにくい。人にカメラも向けにくい。

今週のトピックス 27  (170228)

澁田見彰「草間彌生が生まれた理由」(市民タイムス編)
澁田見彰「草間彌生が生まれた理由」(市民タイムス編)

 この本は、東京新美術館で買ってきた本である。このトピックスで取りあげる本は、すべて最後まで読み終えた本である。今回は例外で、時間がなかったので、さっと目を通したぐらいである。著者は、松本市美術館学芸員である。市民タイムスに1年間載せた草間彌生の評伝をまとめたものである。写真も多く、興味深いことが書かれている。2014年の発刊である。
 私はそれほど草間彌生について関心があったわけではない。熱心な草間ファンの患者さんから話を聞くことはあった。たまたまTVのドキュメンタリーで、精神病院に入院しながら作品展を開催していると知って、興味を持った。
 松本市は草間の生まれ故郷である。私の生まれは愛知県である。しかし、1歳年下の、今はアメリカのサクラメントでカルフォルニア州の職員をしている妹は長野県で生まれている。私は高校を卒業するまで、北信濃と呼ばれる同じ長野県の豪雪地帯に住んでいた。草間は10歳の頃から、襲いかかる幻覚に悩まされていたという。初代信州大学精神科教授であった西丸四方が、統合失調症と診断をつけている。
 私は、西丸教授の本は精神科医になりたての頃には、たくさん読んでいた。うろ覚えであるが、日本アルコール医学会で私が発表したときに、お話したこともある。草間自身は、自分のことを強迫神経症と述べることもあるようである。10歳からの統合失調症の発症は、現在の診断学ではあまりなじまない。強迫的な水玉模様の反復などを見ていると、もしかしたら当時あまり解明されていなかった自閉症スペクトラムや発達障害になるのかもしれない。
 この本によると、草間は1948年に、19歳で当時の京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高校)の最終過程に編入学している。そして、1年で日本画と別れている。その後、ジョージア・オキーフの手紙によって、渡米を決意し、28歳で実現している。私はここでも何回も書いているように、筋金入りのプログレファンである。「今週のトピックス」を書く前には、「今週の愛聴盤」を毎週200回まで書き続けた。最初は、ビートルズからローリング・ストーンズまでほとんどの曲を聴いていた。当時は、キンクスの大ファンであった。ロックを聴いていると、前衛的な芸術にも関心を持つようになる。アンディ・ウォーホールとヴェルヴェット・アンダーグランドの関係も話題になっていた。ここでは、懐かしのハプニングなど多彩な芸術表現が出てくる。
 アメリカで16年間過ごした後で、1973年に精神と体調を壊して帰国する。帰国から数年間は、精神病院に入退院しながら、創作を続けた。1977年から生活の拠点を病院に置くようになる。日本を代表する作家として舞台に飛び立ったのは、意外にも遅く、1993年のヴェネチア・ビエンナーレである。
 この本の最後に、著者と草間の公開対談が載っている。私は現代アートには詳しくはない。しかし、理屈ではなく、私の感性に訴えてくるものがある。私はピアで、前売り券を1400円で手に入れた。5月22日までの開催である。国立新美術館開館10周年となっていた。ぶっとんだ芸術に触れたい人には、是非とも大推薦の作品展である。

 

平成29年2月21日(火)

 確定申告の準備がまだできていない。次から次へと雑用が出てくるので、本当にうんざりする。外来の数を1コマ減らしたい。しかし、子どもが大学を卒業するのに、まだ3年も残っている。もう1年このまま頑張り、来年の4月から木曜日を休診にしたい。来年の5月からは65歳になる。最盛期の頃から比べたら、患者さんの数もだいぶ減ってきている。身体が元気なうちに、やりたいことをやっておこうと思う。
 日常生活を繰り返していると、信じられないちょっとしたミスを起こしたりする。こんなことはありえないと思うようなこともしてしまう。若い時には、そんなバカなことが起きるはずがないと頭から信じていた。しかし、60歳を越えてくると、誰にでも、思わぬミスが起こりうることがわかってきた。慎重に慎重を重ねても、いろいろな偶然が重なるとどうしようもない。つくづく人間は不完全な動物だと思う。大抵の場合は、大きな事故にはつながらない。日常繰り返していることほど、何十年も続くと、数回ぐらいミスをする。身近な例で言えば、コンタクト・レンズのはめ外しである。若い時には、なくしたりしたこともあった。最近は、なくすことはない。それでも、毎回同じことをしていても、どこかに落としてしまって、探し出すのに苦労することがある。
 この前は、丹波橋の自宅の駐車場に入れた時である。狭い道路に、車が停まっていたので、自宅の駐車場に前から入れた。荷物を取りに行っただけなので、そのままバックから出ようとした。ところが、狭い駐車場の横についている玄関までの階段で、車の前の部分を擦ってしまった。駐車している車にぶつけないように、ハンドルを早く切りすぎてしまった。車からはこの小さな階段は見えなかった。
 少し前の往診に行った時である。コインパーキングに入れるときに、車の後ろを鉄柱に当ててしまった。もともと段差のある駐車場で、最初のショックはこの段差だと思った。これまで、後ろの車止めのショックと間違えることがよくあった。車を降りてみると、まだ車止めまで達していなかった。この時には、思い切ってふかしたら、この車止めを乗り越えて鉄柱に当たってしまった。私の乗っている車は16年目である。最近は乗っている人も少なくなってきたので、ますます気に入っている。新車に買い替えるつもりはない。大事に乗っているつもりでも、この始末である。傷が目立たないように、自分で黒のペイントを塗った。
 スーパーなどに食品を運送している患者さんに聞いたら、けっこう車を擦ったり、ぶつけたりすることはあるようである。きょうは、今回初めてのミスをした。私の医院の横には表から裏の入り口に行く狭い通路がある。ここには、幅が1mもない鉄柵扉を付けている。医院を建てた時には、鍵を付けなかった。そのうち、夜間など防犯が心配になってきたので、勝手に裏にはいれないよう対策をした。扉をわざわざ鍵付きに買い換えるのも面倒である。どうしたかというと、自転車やバイク用の太いチェーン鍵をつけて、扉が開閉できないようにしたのである。きょうは、午前中の外来が終わってから、いつものように、このチェーン鍵を扉の柵に巻きつけた。ところが、この鍵を開閉する小さな鍵を中側に落としてしまった。外から取ろうと思っても、取れない。医院の中にはいって裏側から取ったらいいだけの話である。しかし、長い人生の間には、こんなありえないことも起こりうるのである。それが、人によっては、たまたまとんでもない出来事だったりする。
 さて、この前の日曜日は、東山医師会第4斑の新年会があった。会場は駅ビルの11階である。寿司屋など飲食店がたくさんはいっている。幹事さんに聞いたら、1万5千円ぐらいのコースだという。恐らくこの駅ビルの中では1番値段の高い所だと思う。祇園に料亭もあるようである。お客さんはたくさん来ていた。私は1万円を超える料理を食べるのは、この東山医師会の集まりぐらいである。講演会や医局の集まりでも、もっと安い立食パーティが多い。それでも、他の先生の話を聞いていると、個人的には高い料理店などに行っているようである。1本1万円のワインも注文していた。こういう会では、料理やワインの話で盛り上がる。特に京都は和食料理の有名店が多いので、「あそこは美味しい」とか「もうひとつ」とか本音で語られる。料理やワインの知識も1つの教養である。私は、この方面については本当に疎い。
 私が東山医師会に入会した時には、失礼であるが、会員の先生は年寄りばかりだと思った。もう開業して16年になる。今度は私自身が年寄りになっている。それでも、私より少し上の先生方はみんな若々しく見える。私はいつも同世代や上の世代の人の老後の過ごし方が気になる。前から書いているように、このまま仕事だけで人生を終えるのもいやである。私より上の先生でも、親の後を引き継いでいる。親御さんは現在、88歳とか92歳である。つい最近まで、患者さんの診察をしていた。もちろん、最後は週1、2回ぐらいである。
 東山区は京都でダントツに1番高齢化が進んでいる。新しく開業するのは難しい。今ある医院も、どこまで持ちこたえるのかわからない。私の医院の設備投資は血圧計ぐらいである。従業員も、今は受付け1人である。息子は好きな科を選んで、自分の好きなようにしたらいいと思っている。精神科については、年のせいばかりでなく、本当に大変な科になってきたと思う。若い先生の中には、薬ばかりいじっていたらいたらいいと考える人もいるかもしれない。実際に、ややこしいことには立ち入らないという精神科医もいる。しかし、それだけでは患者さんはよくなってくれない。人生経験が豊富な人の方がいいのは間違いない。ただ、これも年を取り過ぎると、昔の価値観にとらわれすぎて、単なる時代遅れになってしまう。
 この会では、府立医大の暴力団に対する診断書問題も話題になった。学長と親しい先輩の先生も出席していた。ここでは、詳しいことを書くことはできない。私の時代は、今ほど医学部は難しくはなかった。知らない間に、医学部の偏差値では、ベスト10にはいっていた。予備校などによって偏差値の違いはある。ベスト8にはいっていた時もあった。医療関係のホームページでは、府立医大の悪口がいろいろと書き込まれていた。不思議なことに、母校が危機的な状況になればなるほど、母校愛に目覚めてくる。しつこいようであるが、私は当時の医学部では全国で1番安い学費で卒業した。(年間の学費は、授業料1万2千円、実習費8千円の計2万円であった。昭和56年卒、1981年まで続いた)
 今週は、読みかけの本を最後まで読めなかったので、「今週のトピックス」は休止します。今の時間は午後6時過ぎである。「今週のトピックス」を書いている時には、夜の10時、11時過ぎになることも珍しくない。きょうはこのままゆっくりとさせてもらおうと思う。

 

平成29年2月14日(火)

 きょうの新聞を読んでいたら、また私の母校のスキャンダルが出ていた。私の息子が1浪して府立医大に不合格になってから、母校に対する愛校精神は少し薄れていた。しかし、バルサルタン問題、精神保険指定医問題と続き、今度は組幹部の虚偽診断問題である。最初は、病院長指示と出ていたので、腎移植をした当時の院長であった私の医局の教授のことかと思った。よく読んでみたら、現在の病院長のことであった。警察が強制捜査をするなんて、前代未聞のことである。三選されたばかりの学長の責任も問われるかもしれない。いくらなんでも、スキャンダル続きだと思う。
 ふだんはTVはほとんど見ない。たまたまこの前の日曜日に、前日録画した「新・情報7daysニュースキャスター」を見ていた。興味のないニュースはどんどんと早送りで飛ばしている。この中で、女性に乱暴した疑いなどで逮捕されたNHK記者のことが報道されていた。このニュースは新聞やネットのニュースでも知っていた。ここで気になったのは、この記者が鍵を複数持っていたことである。何と、今では鍵のメーカーと鍵についている番号がわかれば、簡単にインターネットで複製できてしまうのである。
 どんなに厳重に鍵をかけていても、この番号を知られてしまったらおしまいである。鍵の複製をしている業者も、身元確認などは厳重にしているという。番組では、クレジットカードの番号と同じように、知られないよう注意が必要と言っていた。しかし、クレジットカードの不正は見破りやすい。新築の家やマンションを買った時に、新しい鍵を渡される。この時には、施工主は鍵の番号を予め知ることができる。施行主がそんなことをするわけがないという人もいるだろう。しかし、大勢の業者が出入りしている。今の時代は、NHKの記者だけではなく、警察官が盗撮したり、教師が男児にイタズラをする時代である。事件になるのは、ほんの氷山の一角である。アパートやマンションを借りても、前の住人と同じ鍵なら、複製できてしまう。クレジットカードと違うのは、知らない間に部屋にはいられても、なかなか気づかないことである。いくら業者が、携帯電話の購入の時のように厳密に身元確認しても、鍵をなくしたと言われたらどうしようもない。
 最近、よく眠れていると思っても、5時間ぐらいしか眠れていなかった。特に、躁になっていたわけでもない。眠らない割には、日中はどうもなかった。こういう時には、朝4時ぐらいから起き出して、他のことをしていた。きのうは6時間半ぐらい眠れたので、また元に戻ってきたのかもしれない。私は多少の睡眠不足でも、昼休みにタイマーをかけて、ベッドで20分ぐらい眠る。そうすると、眠気は吹き飛ぶ。それにしても、この1週間は寝付きはよかったが、本当に長時間眠れなかった。

今週のトピックス 27  (170214)

中村淳彦、勅使河原守「職業としての風俗嬢」(宝島社新書)
中村淳彦、勅使河原守「職業としての風俗嬢」(宝島社新書)

 今週読み終えた本である。出版されたのは、2015年4月である。アマゾンのカスタマーレヴューは36件載っていた。前回紹介した松竹伸幸「対米従属の謎 どうしたら自立できいるのか」(平凡社新書)はまだ1件も出ていなかった。私はこのトピックスを書く時には、このカスタマーレヴューは読まない。書いた後でも、ほとんど読まないし、本を注文するときにも読まない。「日本会議」関連の本について書いた時だけ、一部読んだぐらいである。本は、雑誌や新聞の書評、広告などで選ぶことが多い。この本もだいぶ前に買ったまま、放っておいた。この日記でも「今週のトピックス」を始める前から、本文の中で風俗関係の本はたくさん紹介してきた。大体知りつくしていると思っていたら、最近の事情がまた変わってきていることに驚いた。
 最近は、以前と比べると少なくなったが、風俗に勤めている患者さんは時々受診してくる。私は最近ずっとネットのアダルト関係の動画は見ていなかった。久しぶりに見てみたら、サンプル動画が見れて、何でもありである。こちらの性的妄想を遥かに超えた内容となっていた。女優も若くてきれいな子ばかりである。無修正動画も見放題である。しかし、個人的に興奮するかは別である。モザイクがかかっていても、かえって市販されているAVの方が性的に刺激されたりする。それにしても、同じモザイクがかかっていても、男女では凹凸の差がある。男性のものは見やすいが、女性は目を凝らしてもわかりにくくて、いつも不公平だと思っている。私も年をとってきたので、性欲が衰えないうちに、ポルノは解禁してほしい。
 長いこと私の医院に通っているそれほど若くない患者さんに聞いたら、今の若い客はAVの見過ぎで、変態的な行為を要求してくるという。何が変態的行為なのか、詳しくは聞かなかった。他にも、患者さんはふつうの仕事をしていると言うが、家族によると風俗に勤めているという人もいる。こちらも、仕事の内容を詳しく聞くことができない。社会適応がまったくできず、地方から1人出てきて、山ほどの借金をかかえた患者さんもいる。お金を稼ぐために、風俗で隠れて本番をして、何とか借金を返している。
この本の白帯には、「なぜ風俗嬢は税金を納めなくてはいいのか?」と書いてある。風俗と貧困の関係は以前から指摘されている。現在の女性を取り囲んでいる社会的環境も深く影響しており、興味深いことがたくさん書かれていた。中村淳彦は昔から風俗関係の著書が多いフリーライターである。勅使河原守は1999年より派遣型風俗店(デリバリーヘルス)を始め、現在は都内や大阪なども含め24店舗の風俗チェーンを築きあげている。年商は10億円に達している。
 まず、風俗嬢の大半は税金を納めていないである。ここでは、50年以上前にできた売春防止法のことが詳しく書かれている。処罰対象になるのは、売春した当人ではない。売春女性当人は、救済や保護更正の対象になっている。処罰対象になっているのは、「管理売春」「斡旋」「場所提供」「資金提供」などである。だから、ソープランドでは、ソープ嬢が個人事業主で、店はあくまでも「風呂場を貸している」という立場である。入浴料はお店に払うお金で、サービス料はソープ嬢が受け取るお金である。だから、店側はタオル代などを雑貨代としてソープ嬢から別に取っている。解釈としては、個人事業主による自由恋愛のセックスを取り締まる法律はないである。風俗店も同じである。個人事業主である風俗嬢たちに仕事をする場所を貸しているということになる。だから、原則的には交通費は払わない。
 個人事業主と源泉徴収の関係をみると、雇用関係によって変わってくる。キャバクラ嬢もフリーライターも、個人事業主で、所得税分が源泉徴収されている。ところが、風俗業者は風俗嬢との間には雇用関係がないという立場をとっている。このあたりが曖昧で、どうして放置されているのかというと、国税局は最初から風俗嬢から税金を取る気がないからである。どうしてかというと、警察の管轄である売春防止法違反まで踏み込んで白黒をつけないと、税金が取れないからである。だから、この領域には国税局も税務署も踏み込めない。しかし、お金を稼いでいる風俗嬢ほど、源泉徴収が出ることを望んでいる。どうしてかというと、収入が確定していないとローンも組めず、クレジットカードを作ることも難しくなるからである。子どもを保育園に入れるのでさえ、所得証明が必要である。
 この本では、明治5年の「マリア・ルス」事件(イギリス人弁護士が、売春という名の人身売買が堂々と行われている日本に、ペルー人の奴隷契約を裁く資格などないと主張)から、GHQの「公娼制度」廃止の要求まで、歴史的な流れを詳しく解説している。当然、吉原や飛田の赤線、青線のことも書いてある。外国との文化の違いも指摘している。アメリカでは、「生殖を伴わない性交は罪悪」というキリスト教の影響が強く、売春はネバダ州のみで合法化されている。売春をないことにして禁止してしまおうと考える。ところが、日本では売春を風俗と言い換え、「手コキ」「ボディ洗い」「コスプレ」「オナクラ」など限りなく薄めていって、「あってもいい」ことにしようとする。この本では、1つの説として、西洋における売春は女性を「奴隷」として管理したことから始まり、日本では酒宴における「遊興」のひとつとして始まったことを挙げている。風俗店が外国人を拒否するのは、外国人には日本特有の「本番禁止」というルールがどうしても理解できず、トラブルが起きやすいからである。
 最近の風俗業に関する流れについても書いている。石原都知事時代の2005年に、都条例による「店舗型風俗店」の新規参入が禁止になり、翌年には、店で風俗嬢を選んでホテルに行く「待合型」が禁止になった。業界は破産して夜逃げする人が増え、「店舗型風俗店」の9割が消えた。そして、デリへりの新規参入が増えた。これも、9割が1年も持たず消えている。客が風俗サービスを求めてくる風俗街が消えると、風俗店は金を払ってくれる顧客の確保が必要になってくる。現在は新規開業ではネットなどの宣伝費が月に100万円、最低でも1年間は必要である。要は、リピーターのお客さんが増えるまで、どこまで宣伝費に耐えられるかである。だから、どの店でも新規のお客さんは大事にする。このあたりは、開業したばかりの医者と変わりない。その時の事情によって、朝からお客さんがついていない子をまわすこともある。これを避けるには「待ってもいいから、おススメの子はどのコですか?」と聞くことだという。ごく平均的な60分1万円では、店の取り分が5千円で、女の子の取り分が5千円である。4対6や6対4になる時もある。
 現在の風俗嬢はほとんどが慎ましい暮らしをしているという。現在の性風俗業界も過酷な競争社会である。かっての店舗型風俗であれば、有名店に入店すればそれだけで客はついた。しかし、無店舗型になった現在では、風俗嬢が自分で自分を宣伝する時代になった。ホームページやブログを立ち上げ、自画撮りや文章で個性をアピールする。ここでは、何人かの風俗嬢のインタービューも出てくる。週3日の出勤で、多い時で月130〜150万円稼いでいる出張風俗エステ嬢は、全国紙すべてに目を通し、客に合わせて政治の話もできるという。一昔前の銀座のホステスみたいである。人気風俗嬢になったら、出勤したら、リピーターですべて予約が埋まってしまう。
 平成24年度文科省の「学生生活調査」によると、学生生活の不安や悩みで「経済的問題」を挙げた学生は52%近くいた。慶應義塾大学を卒業して、現在大手1部上場企業の総合職に就職した人のインタビューも出てくる。ふつうのアルバイトをしても経済的に苦しかったので、吉原の高級ソープ店で就職活動が始まる3年生の終わりまで働いている。貯めた貯金は540万円である。店の料金は120分・6万5千円である。本人がもらえるのが3万円で、物品代が引かれて手取り2万8千円である。この人の証言によると、慶応でさえ、在学中の地方出身の女子の7、8人に1人は風俗をしている感覚だという。真面目に勉強したい、将来は就職したいという子ほど風俗を選択するという。なぜかというと、勉強に専念できないほど、生活のために安い時給でアルバイトをし続けたくないからである。私は娘には充分な仕送りをしたつもりである。この本を読んで、少し心配になってきた。スペックの高い一般女性の流入により、これまで風俗でしか生きられなかったような女性は、その居場所を失い、さらなる下位の風俗への転落を余儀なくされている。
 最後に、年収1千万円を越える出張SM嬢である。インターネットを通じて、海外からも顧客を募る。プレイ以外の時間は、ブログやツイッターで営業活動をしている。「社会的な地位のある人、あとはお医者さんがすごく多い」と証言している。私はいつもマゾヒスティックに患者さんの話を聞いているので、その反動としてソフトSになる。ムチやローソク、鼻輪などによる顔の変形などはどこがいいのかさっぱりわからない。目隠しも顔の表情がわからないので、やめて欲しい。私は最初に書いたように、AVはネットでは見ない。裏も表もTVである。他人の精液も気持ちが悪いので、超早送りである。こんなことを書くと、誤解を招きやすいかもしれない。しかし、風俗を通して性の問題を取りあげるのは、経済的なことばかりではなく、ストレスの解消と深く関係してくるからである。現在は独身の女医さんが増えている。仕事は男性と同じことを要求され、ストレスも溜まりやすい。中には結婚をあきらめ、女王様になって、イケメンを裸にして責めてみたいという人もいるかもしれない。

 

平成29年2月7日(火)

 まだ、年金の手続きができていない。早くしなければならないと思っていても、日々の雑用に追われて、やる気が起こらない。最近、ますます専業主婦の生き方は無理があると思うようになった。子どもが小さい時には、本当に大変なのは理解できる。しかし、子どもが大きくなったら、ある程度拘束から解放される。夫の方はどんなに職場で辛いことがあっても、家族を経済的に支えているので、簡単にやめることはできない。今では、夫が退職したら、退職金の3分の1から半分を要求する妻も少なくない。専業主婦として私が家庭を支えてきたという自負があるのだろう。しかし、現在は昔と違って、家族のためにお金を稼ぎ出すのは本当に至難の技である。
 他にも、進めたい手続きがある。これも余計な雑用が増えるので、延び延びになっている。とりあえず、毎日その日の分をやり終えたら、何もやる気がしない。きょうもこの日記を書いている間に、精神状態の不安定な患者さんから何回も執拗に電話がかかってきた。最近は年のせいか、こういう対応も段々とストレスとなってきた。きょうは、私の患者さんが大量服薬したと、救急病院から問い合わせもあった。前にも書いたように、精神病院に勤めている時に、妄想状態の患者さんから一晩中電話がかかってきたことがある。グルになていると、主治医が妄想体系の中に組み込まれてしまうと、どうしようもない。私は当直の受付を通さず、一晩中対応していた。他にも、医院の不要な物がたまってきた。不要品処理業者に頼むのも、延び延びになっている。
 それでも、今週の土曜日は祝日で外来が休みになるので、少しはゆっくりできそうである。お金は貯まっていくが、ストレスも溜まっていく。いくらお金を貯めても、あの世までは持っていけない。精神科医だから、魔法のような方法を知っているかと思ったら大間違いである。一般の人より、ストレス耐性はあるかもしれない。しかし、限度を超えたら同じである。きょうの京都新聞を読んでいたら、患者名義の住民台帳カードの悪用で、私の医院の近くで開業していた精神科医が懲役6年が求刑されていた。弁護側の情状酌量の求めでは、「精神科医としての激務をこなすうちに多量の抗うつ薬を服用するようになり、過剰摂取で自己抑制が効かなくなった」でなっていた。どこまで本当のことかわからない。
 しかし、精神科の仕事はけっこうストレスが溜まるのは間違いない。精神科医だけではなく、医者としては世間体もあり、表向きは常に清く正しくふるまわなければならない。私が海外に出るのは、世間体を気にせず、誰にも気を遣わず、好き放題したいからである。私の医院に家族の薬を取りにきている女の人がいる。商売をしていて、お客さんにはとても評判がいいようである。それでも、誰にも気を遣わずゆっくりしたいと、他府県のスーパー銭湯に時々行っている。きょうは会計事務所からファックスが届いた。次から次へと雑用が増え、確定申告のための添付資料も用意しなければならない。
 私の性格から、多分、年を取れば取るほど、現在の生活に満足できなくなると思う。外来のコマを今よりだいぶ減らしてでもである。患者さんを診ていると、年を取ること自身がストレスとなるようである。なかなかピンコロとはいかない。80歳を越える大先輩の先生が、ある会で「生きていても仕方ない」とポロッと私に漏らしたことがある。たまたま、この時にうつ気味であったのかも知れない。しかし、誰も言わないが、これが本音なのではないかと思ったりもした。  

今週のトピックス 26  (170207)

松竹伸幸「対米従属の謎 どうしたら自立できるのか」(平凡社新書)
松竹伸幸「対米従属の謎 どうしたら自立できるのか」(平凡社新書)

 今週読み終えた本である。この日記でも紹介してきたように、どうしてこれほどまでにアメリカの言いなりにならなければならないのかと、長いこと疑問に思ってきた。いろいろな本の中で断片的に書かれている米軍基地問題などに接すると、日本は本当の独立国なのかと屈辱感さえ感じてきた。この本は、ほとんどの日本人が知らない日本の防衛のことが書かれている。これまで抱いていたもやもやが、この本を読んでやっと吹き飛んだ。同じ同盟国であるドイツやイタリア、フィリピンとも違う「日米関係の不平等さ」がこれでもかと書かれている。この本は本当に大推薦の本である。ここに書いてある事実を知らず、中途半端な知識で日本の防衛や平和憲法を論じても、あまり意味がない。
 「まえがき」で、戦後、イラク戦争を含めアメリカの戦争を常に支持してきたのは、世界中で日本だけと書いている。同じ敗戦国のドイツでも、イラク戦争には反対している。私は読んでいないが、孫崎享「戦後史の正体」(創元社)では、アメリカの言いなりにならない首相を排除するために、「システム」と言えるほどの仕組みが存在することや、在日米軍の特権を保障するための各種の密約が存在することが明らかにされたことも触れている。
 まず、従属の現実である。1977年に厚木基地を飛び立った海兵隊の飛行機が離陸直後にエンジン火災を起こし、横浜市の住宅に墜落した。この時に、9名の住民が重症を負い、翌日に3歳と1歳の子が亡くなった。日米地位協定では、基地の中ではアメリカ側が警察権を持つが、基地の外では日本側が持つことになっている。ところが、パイロットは日本の警察の取り調べも受けず、アメリカに帰国し、裁判も受けていなかった。この墜落事故から1995年に沖縄で少女暴行事件が起こるまでに公務中の事件、事故で裁かれた米兵は、政府の答弁ではゼロであった。
 1998年にイタリアで低空飛行訓練をしていた米軍機が、スキー場のロープウェイのケーブルを切断し、ゴンドラが地上に落下して20名の死者が出た。日本政府とは違い、アメリカ政府に対し、パイロットの裁判権をイタリアに引き渡すように強く要求した。NATO軍地位協定においても、公務中の事件の第一次裁判権はアメリカにある。日米地位協定でも、同じように裁判権の放棄を求めることができる。しかし、日本は1度も要請したことはない。米軍の調査委員会にもイタリア側の代表が加わり、事故原因の究明が行われた。そして、米軍機の乗員が軍法会議にかけられ、1人は懲役6ヶ月にかけられた。
 日米地位協定の実施に関わる問題を議論をし、遂行する組織として、秘密のベールに包まれた日米合同委員会がある。2016年5月の国会で、米軍機オスプレイ配備に関係した議事録が曝露された。オスプレイの墜落事故が本土やアフリカで連続して発生しているのに、日本側は何らかの対策を求めるのでなく、安全性を効果的にアピールすることをアメリカ側に求めていた。米軍機の低飛行訓練では、イタリアもアメリカもルートを公表し、統制している。日本側は、ルートを知る必要もなく、どこの空でも訓練してもいいという立場をとっているのである。
 米軍が駐留する多くの国で地位協定が改定され、受入国の主権が貫かれる仕組みが作られている。ドイツでも、統一後にドイツ補足協定が改定されている。基地の出入りや警察権でもドイツの主権を貫き、訓練、出入国、環境問題でもドイツ法を適応している。イタリアの地位協定も、NATO地位協定の「対等性」「互恵性」が基本となっている。駐留軍がやることは原則として受入国の許可が必要である。緊急時も含めて、すべての航空機の飛行や航空管制、物資の輸送などについても、イタリア当局の届け出や許可が必要である。フィリピンでも、92年にアメリカ軍が完全撤廃し、再び米軍基地を受け入れて、新たな地位協定を締結した。米軍が何をやるのか、何を持ち込むのかチェックする「検閲権」をフィリピン側が持ち、基地使用料も米軍が払っている。協定には、「核の持ち込みはしない」ということまで書いてある。
 この本では、本当に勉強になることがたくさん書いてある。連合軍による日本とドイツの占領形態の違いとして、日本が「間接占領」であったのに対し、ドイツでは「直接占領」であった。ドイツは4ヶ国による統治という方式をとったので、アメリカ1国だけが影響を及ぼすことができなかった。その反省から、日本をアメリカの意図通りにするために単独占領したのである。ドイツでは、中央政府が崩壊していたので、連合国軍隊が4年間直接統治をした。49年に政府ができたので、反ヒトラー派であったアデナウアーが初めてのドイツ人首相となった。ドイツでは「非ナチ化政策」と呼ばれている。日本でも沖縄だけが返還まで「直接占領」されている。
 日本では、戦後最初の首相になったのは、吉田茂である。公職追放の対象になってもおかしくない中国侵略を遂行した側の人間であった。しかし、アメリカとの戦争は避けようとした実績があった。鳩山一郎も公職追放を解除され、吉田の次の首相になり、その後もA級戦犯容疑者の岸信介が首相になっている。アメリカの唯一の基準は、共産主義との対決という目標を共有できるかどうかであった。政治家として復権するためには、アメリカに忠誠を誓うことが不可欠の条件であった。戦後の出発の原点として、日本には対米従属という構造が埋め込まれることになったのである。この本では、戦前の侵略への無反省と一体のものと書いている。
 従属の形成として、旧安保条約についても詳しく解説している。占領下の米軍基地を、独立してもそのまま受け継ぐものであった。日本人の多くは、独立したら米軍はいなくなるものと思っていた。平時に主権国家が外国軍隊を受け入れるなどということは、世界史に例のないことであった。駐留米軍を巡る裁判権も、「半植民地タイプ」であった。日本政府は独立の代償として、すべての裁判権を放棄したのである。旧安保条約は9年間続いた。
 新安保条約が結ばれ、自主性の回復が建前だったのに、日本は国家としての立場とけじめを徐々に失っていった。2004年に沖縄国際大学で米軍のヘリが墜落する重大事故が起こった。事故直後から米軍が現場を封鎖し、日本の警察は何もできないという事態が続いた。初めの方で書いたように、日米地位協定では、基地の中ではアメリカ側が警察権を持つが、基地の外では日本側が持つことになっているのにである。ところが、合意議事録が存在し、合衆国軍隊の財産を「捜索、差し押さえまたは検証」ができないことになっていた。実質、警察権が行使できないのである。
 旧安保条約下での米軍の特権に関する慣行が生まれ、日本も黙認したことにより、アメリカがその特権を当然視するというサイクルが生まれ、慣行として定着していったのである。この本では、核の持ち込みや沖縄の基地問題のことも詳しく解説している。日本が黙認するので、問題が起こってもアメリカが事前協議なしでどんどんとエスカレートさせていく。時間が経過すればするほど「従属」状態が継続する。どうしてこんなことになったのかというと、日本の平和にとって抑止力が決定的で、抑止力を高めるのはアメリカの意向次第で、沖縄に海兵隊は一体となって存在することが大事だと考えるからである。核兵器を運用するわけでもない沖縄の海兵隊の基地一つ撤去することさえ実現できないのである。日本型核抑止力依存政策が確立してから、もう半世紀が経っている。この政策が対米従属を生み出すなら、別の防衛政策がなければそこから抜け出せないと著者は指摘する。この抑止力の考え方や核兵器の先制使用についても、興味深いことが書かれている。私はここでも、日本人の悪い特徴が反映されていると思った。この日記でも何回も指摘しているように、「長いものには巻かれろ」、「触らぬ神に祟りなし」である。

 

平成29年1月31日(火)

 きょうで1月は終わりである。去年の1月の保険収入と比べたら、また少し下がっていた。年々と収入が減ってきている。私と同じぐらいの年代の勤務医は、税込みでせいぜい年収2千万円ぐらいだろう。手取額で言うと、私の方がまだはるかにましである。勤務医の場合は、65歳を越えても、右肩上がりで給与が増えていくわけでない。雇われ院長でも、70歳ぐらいまでである。ネットの医療ニュースを見ていたら、50歳以上の開業医の2割が、年収3千万円以上となっていた。お金のことはいろいろ考え出すと、私でさえ不安や葛藤が出てくる。ましてや、お金のことは考えず、清貧で名誉だけで生きてきた人は、私以上に心穏やかではないはずである。息子が大学を卒業するまでの後3年ちょっとは、どんどんと収入が下がりにならないことを祈るばかりである。
 たまたま今週の週刊ダイヤモンドを読んでいたら、マンション特集をしていた。京都の中古マンションは、場所のいい所は沸騰していると書いてあった。京都駅近くの「パンデシオン京都駅前」は2002年に発売された。現在は14年も経っているのに、新築時と比べて40%も値上がりしていた。これは、各部屋の平均の値段である。上層階の角部屋などはもっと値上がっているかもしれない。先週の日記にも書いたように、私の持っているキャンパスプラザ前のマンションは、「パンデシオン京都駅前」よりもっと京都駅に近い。そばに高層の武田病院が建っている。京都タワーが見える部屋は私の部屋を含め、2部屋しかない。最上階で付加価値も高い。マンション不況の時に、3400万円で買った。新築の時には、2番目に高い物件で5千万円以上したようである。
 今は賃貸に出しても、家賃は20万円も取れないないだろう。この部屋は、たまに私が使っているぐらいである。息子も大学が忙しいので、年末などに使うぐらいである。不動産関係の患者さんに聞くと、売却益の20%が税金となるようである。マンションの管理組合では、現在は民泊禁止である。しかし、今年中に民泊に関する法律ができるようである。いくら管理組合でも、法律が整備され、民泊の条件を満たしていたら、一方的に禁止することはできないだろう。部屋を改造して、民泊にでもしようかと考えたりしている。必要ならある程度の防音工事をしてもいい。広さは70平方メートル以上あるので、少し豪華な内装にして、4人1組で最低1泊6万円、強気で10万円ぐらい取れるのではないかと思っている。獲らぬ狸の皮算用である。駅前の京都中央郵便局が、近い将来に移転となるようである。代わりに、ホテルやマンションがはいるのかよくわからない。
 みんな生活が苦しい時にこんなことを書くと、特に清貧で生きてきた人でなくとも、心がかき乱されるだろう。ただ、ここでも何回も書いているように、私はバブルの時に家を買って、43歳の時にその自宅を売っている。この時に、本当に一文無しになった。それこそ、お金より、ずっと医師としての名誉だけを求めて生きてきた。(私の世代はみんな同じである) いろいろあったので、京都第一赤十字病院の部長をやめて、48歳になる前に開業した。今ある財産は、すべて開業してから築いた。
 私は子どもたちには充分な教育を受けさせたと思っている。基本的には、「子孫に美田を残さず」である。お金を貯えてばかりいても仕方ない。元気なうちに、最後の人生は楽しもうと思っている。海外旅行も近場に年に4〜5回は行っている。私はもともと中の下の家庭で育っている。ブランド物や高級ホテルや高級レストランにまったく興味がない。1番価値を置いているのが、知識と経験である。高級ホテルに泊まることも1つの経験である。しかし、1回で充分である。年末年始に行ったマニラでも、移動には1回10ペソ(24円)のジプニーを利用しているぐらいである。
 この前の土曜日は、先週の日記にも書いた精神科専門医更新申請をするつもりであった。ところが、会員情報管理を先週にしたつもりが、所属の部分が空白となっていた。所属なしとチェックを入れたつもりなのに、更新が反映されていなかった。この日はまた会員情報の更新をしたので、それ以上先に進めなかった。1日以上待たなければならない。それにしても、パソコンの調子が悪い。新しいパソコンを買って、ソフトなどを入れ替えようと思っている。実際にどこまでソフトが移動できるのか心配である。日曜日に、専門医更新申請のWEBを開いたら、そのまま更新ができるようになっていた。手続きを1つ1つクリアしていかないと、先に進めない。臨床経験レポートを1000〜1200字で2件書かなければならない。結局、申請するのに2時間ぐらいかかった。臨床経験レポートを含め、すべて順番に従ってWEBでやらなければならない。先に面倒なレポートを書いておくことができない。私より上の年代の先生にとってはかなりの負担になるだろう。
 さて、最後に、福祉事務所から頼まれている新規の障害年金申請の診断書である。35年ほど前の発病で、私の医院に通院してまだ3年ちょっとである。前の医療機関で障害年金の申請をして、却下されている。病名は「精神病質(自己顕示性)」で申請していた。今回福祉から届いた初診時の受診状況証明書では、境界性人格障害となっていた。今は、病名を付ける時に、使っている薬の病名が必要である。抗うつ薬を使っているときには、うつ病またはうつ状態とつけなければならない。現在睡眠導入薬は2種類しか使えない。どうしても眠れない人に、眠気のする抗うつ薬を使う時がある。この時も、保険病名として、うつ病またはうつ状態の病名が必要である。今回、保険病名として、うつ病とつけたら、しつこいほど障害年金の申請を言ってきた。病名としては、@境界性人格障害、Aうつ状態としたらよかったのであろう。最近はパニック障害みたいな人でも、障害年金の更新の診断書を持ってくる。私は境界性人格障害で診断書を書いたことがないので、障害年金が通るのかよくわからない。
 前から書いているように、京都市も財源がないのか、福祉で精神科にかかっている人は、国が医療費をもってくれる自立支援医療にしようとする。仕事ができなければ、何でも精神障害者保健福祉手帳を取らせようとする。区役所などに仕事ができずに生活ができないと相談に行くと、主治医に言って精神の障害年金の診断書を書いてもらえと安易に指導する。そういう人に該当しないと納得できるように説明するにのに、毎回苦労している。前から書いているように、仕事ができない=障害年金ではない。生活ができないが、障害年金の対象である。うつ病関係の人は、仕事はできなくても、日常生活には支障がない程度には回復する。現在は、うつ病関係の入院施設もたくさんある。外来治療で、日常生活に支障をきたすほど症状が改善しないなら、入院治療が必要である。充分な治療もせず、患者さんの言うままにいきなり障害年金の診断書を書くのは、それこそ診断書を偽造していると同じである。
 こんなことを書くと、どこの馬の骨がスットンキョーなことを言っているのか思われるかもしれない。私は前にも書いたように、京都の労災判定会議の長を長いことしてきた。他府県の労災裁判の意見書も何件も書いきた。山のような裁判資料を読みながら、どうしたら裁判に勝てるか、それこそ全知全能を絞った。国側に立って、労災裁判の意見書を書いてきた精神科医は、日本全国でも数えるほどしかいないと思う。労災の認定は厳密で厳しい。精神の障害年金の認定をここまで厳密にする必要はない。しかし、現在はあまりにもいい加減な障害年金の診断書があふれているのである。
 今回は「今週のトピックス」はお休みである。今読んでいる本は、カレー澤薫「ブスの本懐」(太田出版)である。まだ、半分も読めていない。詳しいことは読み終えたら、また紹介しようと思う。まえがきで、「ブスとは何か」という答えを出すのではなく、必要以上にブスという言葉を使って、さらに見失うという斬新なスタイルをとっているという。ブスは仕事で成功したときには説得力があり、まさに「女の武器無使用」と顔に書いてあるとか、同じブスでも、非処女は処女よりも自信を持っているように思えると、鋭いことが書いてある。
 この本を読んでいて、ブスは障害者なのかとふと思った。どういうことかというと、先ほどの自立支援医療と関係してくる。厚労省のホームページを見ると、「自立支援医療制度は、心身の障害を除去・軽減するための医療について、医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度です。」と書いてある。病気と障害は重なる部分もあるが、別である。コレステロールの高い人を障害者とは言わない。福祉事務所のように、軽いうつや抗うつ薬を使用している人に対して、何でもかんでも自立支援医療の診断書を書かせ、それこそ患者さんを障害者扱いにしていいのかと思った。軽症のうつの人が障害者扱いされるぐらいなら、ブスの方がそれこそりっぱな障害者ではないかと思った。
 実は他にも、読みかけの本が山ほどある。最近、手をつけたのは、カンブリア宮殿 村上龍×経済人「スゴい社長の金言」(日本経済新聞出版社)である。この本は半分ぐらい読んだ。要点だけまとめているので、それぞれの経営者についての文章が、少し短い気がした。他に、松田賢弥「陰の権力者 内閣官房長官官義偉」(講談社+α文庫)も4分の1ぐらい読んだ。世の中には、恵まれない環境から這い上った人は掃いて捨てるほどいる。他にも、読みたい本が山ほどあるので、ここに書いた本は途中で浮気しそうである。

 

平成29年1月24日(火)

 きょうも「今週のトピックス」を先に書いていたら、夜の9時になってしまった。いつものように、もう酔っぱらってしまったので、書ける所まで書こうと思う。きょうは、この日記を書いている時に、状態の悪い患者さんから何回も電話がかかってきた。私は、どんな電話でも医院にいるときには必ず出る。あまりのしつこさに、それこそきれそうになった。
 先週の土曜日は、京都精神科医会があった。特別講演の演題は、「睡眠の改善を意識した向精神薬使用法の考え方」であった。講師は、久留米大学医学部の講師であった。オレキシンのことなど、わかりやすく、本当に勉強になった。あまりにも専門的な内容になるので、ここでは講演内容を要約しない。(本当は、一般の人にも理解できるようにわかりやすく説明するのが、面倒くさいだけである) 講演会の後は、意見交換会(懇親会)があった。この会は私がお世話になった先輩の先生もかなり参加する。
 たまたま私のいた立ち席のテーブルでスーパー救急のことが話題になった。精神保健指定医の数も問題になる。舞鶴医療センターでは、他科を含め、専門医の数などを満たさないと、年収1億2千万円の減収になるという。京大系の先生とも話をした。先輩の先生からは、昔の話を聞くこともできた。年をとっても、とにかくみんな元気である。どういう老後の過ごし方がいいのか、いつもいろいろと考えさせられる。
 この前の日曜日は、今月末締め切りの精神科専門医のウェブ更新申請をしようと思った。ところが、学会のホームページにログインしても、どこに更新のやり方が書いてあるのかわかりにくかった。やっと見つけて、開いてみると、まず最初に私の医籍登録などこれまでになかった登録情報を更新しなければならなかった。前にも書いたように、2例の臨床レポートを書くカルテも用意していた。ところが、登録情報の更新後、数日経たないとこの専門医の更新申請ができないことがわかった。書面では受け付けていない。私はいつも締め切りぎりぎりで書くことが多い。それこそ、締め切りの当日に書くこともある。今回は、早めに見ておいて、本当によかったと思った。
 専門医の更新申請ができなかったので、延び延びになっていた成年後見用の鑑定書を書いていた。私が医院で鑑定をした後で転倒し、急性硬膜下血腫になった人である。救急病院から転院して、まだ入院中であった。先週の木曜日に、病院の許可を得て、この患者さんの再鑑定に行った。実際には、5〜6時間かけて鑑定書を書き終えた。鑑定書料は10万円である。介護支援事業所の介護福祉士の人が、丁寧な情報提供をしてくれたので、それほど苦労せすに書くことができた。鑑定料の半分やってもいいぐらい、助かった。それでも、こういうややこしい書類を書くのは、本当に大変である。

今週のトピックス 25  (170124)

倉山満「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」(自由社ブックレット4)
倉山満「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」(自由社ブックレット4)

 先週、アパホテルの客室に置いてある月刊誌(?)に南京大虐殺を否定する記事が載っていたことが明らかとなった。現在、中国で大問題となっているようである。アパグループの代表は、安倍首相の後援会副会長である。私の持っているキャンパスプラザ前のマンションは、このアパ系の売りマンションである。マンション不況の時に、カルテ庫用に中古で買った。新築の時には、最上階で2番目に高かった部屋である。現在は買った時よりだいぶ高騰しているようである。そのうちまた下がると思う。子どもたちが将来使うかもしれないので、残して置こうと思う。アパホテルの耐震構造が問題になった時がある。私は不良物件かと心配した。しかし、2度目の耐震検査もクリアしている。
 以前は、年に何回か郵便受けにこの雑誌(アップルタウン)が入っていた。このアパグループの代表がペンネームで、日本会議と同じような主張をずっと書いていた。中国人観光客が急激に増えだしてから、そのうち問題になるのではないかと内心思っていた。私の印象では、よくこれまで問題にならなかったと思う。遅きに失したぐらいである。南京大虐殺については、この「今週のトピックス」でも何回も取り上げた。今回紹介する著者は、時々雑誌などで見かけていた。TVはあまり見ないので、TVにも出ているのかよくわからない。中央大学を卒業し、国士館大学で日本国憲法を教えている。現在は希望日本研究所所長を務めている。今週の「週刊スパ!」では、憲政史研究家となっていた。
 私は国際法についてはほとんど何の知識もない。ただ、国際法もいい加減であるという印象は持っている。どういうことかと言うと、身近な例ではパキスタンでアメリカ軍の作戦によりビン・ラディーンが殺害されたことである。私は知らなかったが、これは明らかな国際法違反なのである。ところが、日本政府とイスラエルだけがこの殺害の支持声明を出している。英国もその他の国も国際法違反になるので、どこも支持声明を出していないのにである。そういうことも頭に置きながら、戦時中の国際法について見ていこうと思う。
 私はアマゾンで注文したので、こんなに薄い本だとは思わなかった。わずか111ページである。初版は去年の4月である。序では、最初から「北岡伸一は悪いやつだ!」と過激なことが書いてある。本章の中でも、アヤツとか北岡大先生様とか、変節漢のような強烈な批判をしている。安倍談話についても同じである。ウィルソンの民族自決という思想についてもボロクソに書いている。朝日新聞についても、アカではなくただのバカ、単なる流行通信だと批判している。著者は、歴史学会で国際法を持ち出すと、「ここは歴史学の学会だ」と何人もの人から言われたという。国際法を持ち出されただけで、自分達のイデオロギーが崩されるので、「悪魔の武器を使うな。火炙りにしてやる」ぐらいしか言えなくなるとも書いている。
 著者は1973年の生まれで、私より20歳若い。自分は国際法学者みたいなことを言っているが、研究者たちはここに書いてあるようなことはみんな知っている。私から言わせたら、それこそキリスト教の暗黒史をとくとくと得意げに語っているバカと変わりない。プロの学者の本当の恐ろしさを知らないオメデタである。私は精神科の専門家である。医学論文1つでも、新しいこと(ノイエス)を書くのは至難の技である。国際法のことを書いているが、国際法に違反しなければ何をしてもいいのかという問題もある。1番忘れてならないのは、とにかく日本は戦争に負けたことである。歴史とは、古代から勝者の歴史である。敗戦から、日本の戦後が始まっている。ここでも何回も書いているように、運動会の綱引きで負けたのではない。敗戦の重みがまったくわかっていないのが、この著者のオツムの弱さである。
 どのくらいオツムが弱いのか検討していく。まず、あちこちの本に書いてある南京大虐殺の便衣兵のことである。当時の国際法では、敗走していく敵兵を掃討するのは虐殺に当たらず、戦闘行為だと述べている。この程度のことしか、南京大虐殺についての知識がないのである。この分野ではシロウトである私の「今週のトピックス」をしっかり読んで欲しい。YouTubeで日本会議の講演がアップロードされていた。あの渡部昇一でさえ、南京大虐殺について、「私は専門家ではないですが」と前置きをして講演しているぐらいである。「日本軍全体を見ても不祥事はゼロではありません」とも書いている。満州事変のときの当時の朝鮮軍司令官の「強姦事件が二件も起きたらしい。これは嘆かわしい」という日記を引用している。支那事変も日本側が嘆かわしいと言っているのは、そのレベルだという。敗戦前の日本軍の愚行についてはほっかむりである。
 この本では、これもあちこちの本で書かれている事変と戦争の違いにも書いている。国際法での侵略についても詳しく解説している。前回書いたフィリピンのことを書いておく。ボラカイ島で泊まったホテルに、2014年のAsian Travellersが備え付けられていた。この中に、フィリピンのコレヒドール島のことが書かれていた。ここでは、日本兵の侵略k(invasion)から守ったフィリピンの兵士のことを忘れてはならないという碑のことも書いてあった。一般庶民にとっては、国際法のことは関係ない。自分たちの国に軍隊がはいってきたら侵略となる。
 私は昭和天皇の戦争責任を追及しようとは思っていない。しかし、東京裁判を非難する人は、天皇の戦争責任が最初から問われなかったことをどう思っているのか知りたい。日本人が避けてきたこの問題について、著者が納得のいく説明をしてくれたら、私も著者の主張に賛成してもいい。解決済みの過去のことを蒸し返せば蒸し返すほど、日本人だけがタブーとしている天皇の戦争責任問題が浮かび上がってくる。この本では、ユン・チュアン「マオ ー 誰も知らなかった毛沢東」(講談社)の本も引用している。ユン・チュアンの本は、題名を忘れてしまったが、原文の英語で文化大革命の批判本を半分ぐらい読んだことを思い出した。この本は本当に面白かった。著者の書きぶりは、周りはバカで、自分こそが正しいという姿勢である。ふだんの書評ではこんなことは書かない。しかし、この本の論調を真似して書く。バカは永遠にバカである。

 

平成29年1月17日(火)

 相変わらず、年明けからばたばたしている。なかなかゆっくりのんびりとしているわけにはいかない。私の医院は今は受付けが1人である。去年の秋に2回募集したが、2人とも長いこと定着しなかった。いろいろ理由はあるとは思う。家庭の都合でパートの女性がやめて、8年ぶりぐらいの事務員の募集であった。8年前とはだいぶ事情が変わっていた。面接の時間を決めても、何の連絡もなしにすっぽかす人もいた。東山区で開業している先生に聞いたら、今は医療事務の人を募集しても、なかなか集まらないという。最近は、私の医院はそれほど患者さんが多いわけでもない。今は昔からの1人の事務員さんに頑張ってもらっている。もちろん、給与も上げている。そのせいではないと思うが、いろいろと私のやることが増えたような気もする。
 先週は、会計事務所に送る2ヶ月分の資料の整理をしていた。事務員の給与計算は私である。昨年末は年末調整をしてもらうため、給与分だけは先にFAXで送っていた。障害年金の診断書など、相変わらず締め切りに迫られる診断書や意見書が多い。精神科専門医の更新の締め切りは今月末である。資料は昨年届いていた。簡単に更新できるかと思ったら、臨床経験レポートが2件もいる。今週の日曜日にはやらなければならない。去年から頼まれている成年後見用の鑑定書である。資料はだいぶ集めた。しかし、頭部MRI検査ができていなかったので、放置していた。この患者さんは昨年末に脳出血(?)を起こし、救急入院となっていた。現在他の病院に転院している。家庭裁判所に聞いたら、こういう場合の鑑定は症状が固定してからでいいという。ただでさえ締め切りに遅れていたので、裁判所のお墨付きがもらえて一安心である。
 年が変わると、医師会雑誌などの新年特集に年男、年女になる先生の文章が載っている。勤務医の先生などは還暦を迎えると、自分の今後の人生についていろいろ考えるようである。私は48歳で開業して、これはこれでよかったと思う。年をとったら、外来のコマを少しづつ減らそうと思っている。きょう新聞を読んでいたら、阪神大震災からちょうど22年目になっていた。私は神戸の社会保険病院で部長をしていた時に、この震災を経験している。神戸には5年間住んでいた。娘も息子も神戸にいた時に生まれている。毎年この日になると、神戸に住んでいた時のことを思い出す。もしかしたら、私の人生で1番輝いていた時かもしれない。
 今週は、新年に送られたきた雑誌や年報で印象に残ったことを書いておく。まず、病院の年報である。今はあちこちの病院で年報を作って、送ってくれる。この中に、私が以前にお世話になっていた精神病院の前院長の文章が載っていた。私の研究テーマの1つはアルコールや薬物依存である。病院で断酒会をやっていたこともある。たまたまあるアルコール研究会で、当時京大系の精神病院に勤めていた先生と知り合った。この時に、土日の当直を手伝って欲しいという話が出た。当時の京大精神科は医局を解体し、泣く子も黙る評議会が実権を握っていた。私はどんな病院か興味もあったので、土日や正月の当直に行っていた。この時の副院長をしていたのが、この病院年報に文章をかいていた前院長である。この病院に勤めていた先生はその後何人も開業している。現在はデイケアも併設して、地域医療に貢献している。
 文章のタイトルは、「こころ病める人たち・貧しい人たちの尊厳を守るために」である。この病院では、1970年6月から病院全体の開放化が進められたという。1984年に入院中の患者さんが病院外で自殺未遂を起こした。地域の反感が爆発し、解放医療の大幅な制限を求められた。現在は、他の病院とともに毎日午前午後の地域巡回、月1回の地域掃除が行われている。迷惑行為は徐々に減っているが無くなっていない。しかし、解放医療への反対はみられなくなったという。他にも、先生ご自身のことが書かれていた。開放化と言っても、一筋縄ではいかなく、苦労していることがよくわかった。そういえば、私が当直に行き始めた頃は、院内の医局でさえ開放化され、患者さんが床に寝ていたぐらいである。
 この病院は、当時、京大系三大拠点病院の1つであった。私の印象では、まだ穏健派であったと思う。この年になってわかったことである。極左は別としても、当時左翼系の過激派に近い人たちが社会を変えていたのである。保守系の人々も、左翼勢力に対抗するためにどんどんと社会主義的な政策を取り入れていった。これぐらいしないと、社会は何も変わらないのである。

今週のトピックス 24  (170117)

越智貴雄「切断ヴィーナス」(白順社)
越智貴雄「切断ヴィーナス」(白順社)

 実は去年の暮れに1冊本を読み終えている。それほど厚くない本である。本来はこの本を紹介すべきであった。しかし、本の内容を要約して、評価するのはけっこう手間暇がかかる。正直言って、きょうはそのパワーがなかった。だから、今週は手を抜いて、写真集を取りあげる。この本について知ったのは、月刊保団連(全国保険医団体連合会)1月号である。巻頭写真として使われていた。私の趣味の1つは写真である。日本では撮れない写真を求めて、海外に出かけているぐらいである。ふだんは、写真集は滅多に買わない。いろいろな写真を見ている私が、久しぶりに衝撃を受けた写真集である。
 私はアマゾンで注文した。値段は2316円である。まだ2014年5月に発売された第一刷であった。どういう写真集かというと、写真にあるように、足を切断された11人の若い女性が登場してくる。この写真集に出てくる義足は、1人の義肢装具士に作られている。この職業になったきっかけは、小学校の女性担任教師である。憧れの先生が骨肉腫により足を切断し、義足をつけて教壇に立ったのである。今では、足を喪失し不安を抱えた人々の要望に応え、どんな難しい義足作りにも挑戦しているという。多数のパラリンピック選手も輩出してきた。
 この写真集に出てくる女性は、骨肉腫や事故などで足を切断している。中には、先天性の病気や壊死などで失っている人もいる。おしゃれをしたいとか、足がなくても興味はふつうの女性と変わりない。中には、少しセクシーな写真もはいっている。ヌードを撮ったらまずいのかなと、危険な考えもよぎった。今の日本社会は、本当に閉塞的で、なかなか出口が見つからない。足を切断しても、生き生きとした彼女たちの写真を見ていたら、生きる勇気が涌いてくるかもしれない。

 

平成29年1月10日(火)

 今年の出だしは患者さんが多い。いつまで続くのかよくわからない。きのうは夕方から東山医師会の新年会があった。会場のホテルに、開始時間にぎりぎり着いた。いつものように会場の席につこうとしたら、記念写真を撮るという。今年は70周年記念になるらしい。いつもは同じテーブルに、同じ斑のメンバーが座っている。今回は別の斑の先生も混じっていた。小さな子どもさんを連れた夫婦の先生も参加していた。
 正直言って、いつもホテルの料理の味はよくわからない。癖のない分、特別に美味しいとも思わない。ステージでは、ボーカルを含めた5人のグループで、スタンダードジャズを演奏してくれた。これも、素晴らしい演奏であった。ただ、癖のある音楽が好きな私としては、少し物足りなかった。最近は80歳を遥かに超える先生方がみんな参加しなくなった。その分、会の雰囲気が少し若返ったような印象もあった。しかし、東山区の住民の高齢化はますます進んでいる。祇園などの周辺部で開業している先生は、患者さんがどんどんと少なくなっているという。その分、開業する先生も少なく、会員の数も少ない。
 今年の3月で、京都第一赤十字病院の院長が70歳で退職する。私が心療内科部長として勤めていた時には、大変お世話になった。当時は病院改革をしている時で、副院長として本当に額に汗してあちこち飛び回っていた。まだ自分より上の部長がたくさん在籍していた時である。管理者会議の司会でも、古い体質の年配の先生からはいろいろ言われたりもしていた。なかなか会う機会がなかった。もう最後になるので、今回はこの新年会に参加していた院長のテーブルまで行って挨拶をしてきた。まだ次の院長は決まっていないようである。同じテーブルに座っていた先輩の先生の話では、次回の学長選などもからみ、どうなるかわからないようである。個人的には、私が一緒に働いていた今の副院長になって欲しいと思う。
 きょうは往診の前に、娘が私の医院まで来た。去年の3月に4年制大学を卒業し、4月から働いている。マフラーを買って持ってきてくれた。私の医院に来るのは、本当に久しぶりである。業種内容としては、サービス業みたいな仕事(厳密には別の業種)になる。だから、年末年始は1日だけ休みで、2日から働いている。その分、今月の中旬に6日間休みを取り、母親とシドニーに行くという。私はサービス業みたいな仕事に就くのはあまり賛成していなかった。銀行などを蹴って、今の仕事に就いている。ところが、高校時代や大学時代の友だちで、銀行など事務職に就いた人たちは今の仕事をしていて、みんな楽しいと思ったことはないと言っているという。どんな仕事でも最初はそうだと一概に言えない。将来はあまり給料は上がらず、将来性もあまりない。それでも、まだ仕事を楽しんでいるなら、これはこれでいいのかもしれない。
 先週は年賀状の整理や、早く書かなければならない診断書などを書いていた。いつものように私より6年上卒業の先生から年賀状が届いていた。医学博士を取る時に、大変お世話になった先生である。今は開業している。長年連れ添っていた奥さんと別れ、若い女性と再婚して故郷に戻っている。前の奥さんとの間に子どもはいなかった。何と、年賀状に先輩と奥さんと生後4ヶ月の娘さんの写真が載っていた。私でさえ、この5月に64歳になる。現役で合格していても68歳である。まさかとは思っていたが、本当に驚いた。最初に書いた東山医師会に参加していた子連れの女医さんに聞いたら、40歳で生後5ヶ月(だったと思う)の娘さんを産んでいる。もう1人は4歳の息子さんである。女医さんをはじめ、女性(将来の私も娘を含め)の出産時期は難しいと思う。経済的に大丈夫なら、先輩の年代でも男なら問題ないのかよくわからなくなってきた。
 さて、ボラカイ島の旅の続きである。以下に、写真付きで解説する。

バー  ビーチ沿いのバー。ここはまだ空いている。どの店も大勢の観光客でにぎわっていた。よく見ると、2人とも1人で飲んでいる。

昼食1  1月2日は前日に島巡りのツアーを申し込んでいた。800ペソ(1920円)を600ペソに値切って、翌日払いであった。朝、ホテルまで誰も迎えに来なかった。仕方ないので、ビーチで800ペソの島巡りのボートに乗り込んだ。

昼食2  最初は沖合でシュノーケリングをした。天気が悪く、船が揺れて気分が悪くなった。上の写真と同じ場所である。ここで昼食を取った。ボートで行ったので、島外の島なのか、ボラカイ島の中なのかよくわからなかった。

島1  ここはラウエル島である。クロコダイル島に行くツアーもある。私は本当はカラバオ島に行きたかった。ここは2日前からツアーを申し込まないと行けないようである。どんなにきれいな島でも天候に恵まれないとどうしようもない。

島2  同じラウエル島である。ここまで海が荒れていた。写真を撮っていても、しぶきがかかってくる。この日は天候が悪かった。しかし、その分迫力のある写真が撮れた。

市場  ボラカイ島の庶民の市場である。翌日の3日は朝から雨が吹き荒れ、島内観光どころでなかった。南の島では天候が悪いと、それこそ行く所がない。飛行場のあるカティクランまでボートで戻れるのか心配になった。

マニラ湾  最後の1月4日のマニラ湾である。この日の午後便に乗って関空まで戻ってきた。フィリピンは庶民も英語が通じるので便利である。次は、ボホール島を目指そうと思う。

平成29年1月3日(水)

 この日は不在となります。1月5日(木)に更新したいと思います。ここから、年明けに書いている。年末はいつものように、海外に自分探しの旅に出ていた。最近気がついたが、若い頃はいつも他人とどう向き合うのか苦労していた。1人旅をしていると、結局、自分とどう向き合うのかということが人生のテーマだとわかってくる。さて、南の島である。ここでも紹介しているように、タイやベトナムの島にはいくつも行った。気分を変えるために、今回はフィリピンである。たまたま見ていたTVでエルニドのことを紹介していた。ここは何十年も前から行ってみたいと思っていた。ところが、環境保護のため島にはいる人数を制限していた。
 仕方ないので、どこがいいのか調べてみた。私の旅はいつも思いつきである。セブ島は30年以上前に、大学時代の友人と行った。簡単に行ける所は避けたかった。あまり日本人の行っていない所がいい。「地球の歩き方」を見てみたら、ボホール島などがあった。結局、申し込みが遅かったので、フライトの取れる12月31日〜1月4日までボラカイ島まで行ってきた。フライトからホテルまで、いつものようにすべて個々にネットで申し込んだ。京都に着いたのは、きのうの夜10時過ぎである。年末に書類が山ほど溜まっており、そのままにしていた。医院に帰ってからも、郵便受けに書類が溜まっていた。きょうは木曜日なので、午後から外来がなかった。しかし、うんざりするほどやることがあり、この日記を書き出したのは、夜の7時過ぎである。とりあえず、書ける所まで書こうと思う。
 31日にマニラの空港に着いたのは、現地の時間で午後1時過ぎである。ここからマラテにあるホテルに行くまでに最初の関門が待っていた。飛行機の中で「地球の歩き方」を読んでいてよかった。タクシーはクーポン・タクシーを使おうと思った。ところが、空港を出ると、あちこちにタクシーの案内スタンドが立っていた。最初の所で、クーポンタクシーか聞いたらイエスと言う。ホテルの名前を言ったら、1260ペソ(1ペソは約2.4円)と書いてある印刷物を見せた。「地球の歩き方」では、500ペソからとなっていた。やけに高い。他の所を探そうとしたら、ホテルの案内係みたいな服装をした男性が1000ペソでいいという。信用できないので、クーポンタクシーを探してもう少し歩いた。今度も案内係のような服装をした女性である。クーポンタクシーかと聞いたら、これもイエスと答える。値段を聞いてもはっきりとしない。目を遠くに向けると、柱にクーポンタクシーと大きな字で書いてある看板を見つけた。ここでは530ペソ(約1270円)であった。
 ホテルはネットで予約していた。値段は1泊朝食付きで約7000円であった。まだ、日本人男性がフィリピン女性を連れ込んでもOKのホテルである。朝食券も2人分付いていた。海外(アジアしか知らない)では、基本的には1人で泊まろうと2人で泊まろうと、朝食券は2枚付けてくれ、値段は同じである。1つ通りを隔てて、歓楽街のマビニ通がある。まだ、日本名のついたクラブなどがたくさんあった。日本人観光客は少ないかと思ったら、フィリピン女性連れの中高年の男性が山ほどいた。私は「なんでも見てやろう」というタイプなので、7年前にはアンへレスまで行ってきた。ここまで行って、清く正しく帰ってきたのは、私ぐらいだと思う。帰りのホテルも同じ所に頼んだ。この時に、すぐ近くの系列ホテルに格上げして泊まらせてもらった。朝食をとるホテルのコーヒーショップでは、私を除いて、すべてフィリピン女性を連れた日本人男性であった。
 フィリピンの物価は安いのか高いのかよくわからなかった。夜に、焼肉屋にはいった。カルビが100gで500ペソ(1200円)、韓国冷麺は300ペソ(720円)で、サンミゲールのビールの小瓶が60ペソ(144円)であった。全部で1265ペソ(3030円)であった。別の日に、ロビンソン・コマーシャル・コンプレックスに行った。ココイチのカレーショップがはいっていた。トンカツ野菜カレーが440ペソ(1050円)で、簡単なタマゴサラダが100ペソ(140円)であった。ここにサービス料などがかかる。ロビンソンは高級デパートにあたる。しかし、大勢の人が訪れ、このカレーショップにもたくさんの人がはいっていた。急激な円安のせいか、あまり日本と変わりない印象であった。まだ、タイやベトナムの方が物価の安さを実感できる。
 この続きは、以下に写真付きで解説する。

マニラ湾  ここはロハス通沿いのマニラ湾である。この日はそれほど快晴ではなかった。その分、暑くもなかった。観光用のカレッサ(馬車)を撮っていたら、しつこく撮影料を要求された。(もちろん、払っていない)

大統領  ドゥテルテ大統領が就任したのは、去年の6月である。だから、どこにもポスターは残っていない。たまたま街を歩いていて見つけた。タクシー・ドライバーなど、貧しい人には人気がある。

貧困  都会のビルの谷間の建物が取り壊された空き地である。ふつうは勝手に入り込まないように、管理されている。障害のある夫婦と家族が1年ほど住んでいるという。彼らにとって、ドゥテルテが最後の希望だというのもわかる。

飛行機  マニラからパナイ島のカチクラン空港までは、35分しかかからない。ところが、予約したスカイジェット航空では、いつの間にか往復の出発時刻が変更されていた。乗客も18人ぐらいしかいなかった。(帰りは満席)

空港  カチクラン空港からは、ボラカイ島行きのボート乗り場までトライシクルを使う。片道50ペソ(120円)である。15分もかからない。ここは、空港から少し離れたトライシクル乗り場である。

ボート乗り場  このボートに乗って、ボラカイ島のカクバン港に行く。料金は25ペソ(60円)である。ボート代は安いが、他に港使用料100ペソ、環境税60ペソ(計380円)がかかる。

カクバン港  ボラカイ島のカクバン港である。この日は抜けるような青空ではなかった。それでも、3日間滞在した中で、1番天気がよかった。ここから、ホテルのある所まで、またトライシクルで行く。

街中  港からホテルまではトライシクルの値段は120ペソ(約290円)である。私は100ペソに値切った。1番にぎわっている街の通りはこんな感じである。

ホテル  私の泊まったホテルである。向こう側に海が見える。値段は、1人で泊まっても、2人で泊まっても、朝食付きで1泊1万6500円であった。部屋の中は少しモダン過ぎた。

ビーチ1  私の泊まったホテルはホワイトビーチの真ん中ぐらいであった。年末年始のサムイ島よりすごい人出であった。日本人はあまり見かけなかった。

ビーチ2  ビーチ沿いの通りは、しゃれたレストランやバーが並び、大勢の人で混んでいた。今はどこに行っても韓国人や中国人観光客が多い。段々と日本人観光客の存在感は薄くなっている。

 


前のページに戻る

www.monmonnet.com