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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成28年12月27日(火)

 まだ年賀状を書いていない。ネットで注文したのが遅かった。届いたのは、きのうである。きょうはこの日記を書くのに、疲れた。住所書きは明日である。まだ何も書いていないが、先週と同じように「今週のトピックス 23」を先に書いていた。簡単に書くつもりが、書き終えたのが、夕食をはさんで午後9時前である。ビールを飲みながら書いていたので、これもこれもと書く内容に欲が出てきて長引いてしまった。いつもこの日記を書くときは、きょうは簡単に書こうと思っている。それこそ、たまには手を抜いてもいいと思っている。しかし、もともと強迫性格なので、書き出したら止まらない。私の書く内容に、反感を持っている人もいるかもしれない。それでも、こういう積み重ねをこつこつとしてきた人とそうでない人は何十年も経つと、その差は歴然となる。
 この日記だけではなく、すべてにあてはまる。古い予定表を見たら、多い月には7冊も8冊も本を読んでいた。もちろん、忙しかった時には、1冊も読めていない。それでも、何十年もこつこつと本を読んできた人と読んできていない人では差が出る。私は1度も留学はしたことはない。英語の勉強もムラがある。それでも、CNNのニュースはすべてではないが、だいぶ聞き取れる。だいぶ前に、TOEICのテストでは860点取っている。その頃より、今ではよく聞き取れるようにはなっている。複雑なディスカッションはだめである。少し前にCNNを見ていたら、「Quid pro quo」と言う単語が出てきた。トランプ次期大統領についてのニュースの中で使われていた。訳したら、代償、見返りである。最近は、代償型セクハラとして用いられる。性的な見返りが期待されるなど、取引の側面を持つセクハラである。
 きのうはこの日記でも紹介した「ビリギャル」がTVで放映されていた。私は医院で泊まる時以外は、外来のある日は毎朝5時に起きるようにしている。夜10時過ぎには寝るが、きのうはついついこの番組を最後まで見てしまった。やはり、いい映画であった。ネットで調べてみたら、この映画監督が受験生の励ましのためにこの映画のTV放映を決めたという。私は開業してから、息子が受験に合格するまでは、月曜日から土曜日の外来のある日は、毎朝5時に起きて6時までには医院に着くようにしていた。もちろん、毎朝勉強ばかりしていたわけではない。しかし、この日課は12年以上続けた。今でも、医院に泊まる時以外は原則的に同じである。唯一ゆっくりできるのは、土曜日の夜だけである。しかし、そろそろこの生活はやめようと思っている。この日記を書くのも大変で、やめようと思っているが、なかなかやめられない。

今週のトピックス 23  (161227)

ヘンリー・H・ストークス著「戦争犯罪国はアメリカだった 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄!」(ハート出版)
ヘンリー・H・ストークス著「戦争犯罪国はアメリカだった 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄!」(ハート出版)

 今回、別の本を読みきれなかったので、以前に読んだ本を紹介する。日本会議については、前回の「今週のトピックス 22」でほぼ書きつくした。この本については、改めて紹介するつもりはなかった。しかし、最近は日本会議が支援していると思われるこの類の本が山ほどあふれている。年末で忙しいので、今回は簡単に触れておく。今年の3月に第1刷が出版され、私の持っている本は9月の第7版である。新聞の広告では、ベストセラーとなっていた。著者は今年78歳になる英国のジャーナリストである。三島由紀夫ともっとも親しかった外国人のジャーナリストとして知られている。「ザ・タイムズ」や「ニューヨーク・タイムズ」の東京支局長をしていた。この本の中に出てくるが、平成26年11月に、日本会議、日本青年協議会などが主催し、産経新聞が後援して、熊本で著者の講演会が行われた。
 熊本は、三島が訪れたこともある神風連の志士たちがご祭神として祀られている桜山神社がある。神風連というのは、明治初年に政府の急激な欧米化の施策を、国を危うくすると憂慮し、廃刀令が出るに及んで挙兵し、その多くは戦死、自刃して果てた敬神尊攘を信条とする一団の集団である。著者は、神風連をたずねて、神風連、特攻隊に連なる日本的な精神性、自らの命を賭して、神国日本を護るという魂のあり方がわかったような気がしたという。三島が「市ヶ谷」で自衛隊の決起を促し、楯の会のメンバーと自決をしたのは、私が高校生の時である。極東国際軍事裁判(東京裁判)が行われた場所は、今では「市ヶ谷記念館」となっている。「今週のトピックス 4」でも紹介した菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)によると、この事件は右翼の人たちにとっては先を越されてしまった大偉業となっている。
 この本では、よく指摘される東京裁判の「平和に対する罪」と「人道に対する罪」の問題が取り上げられている。戦時中には存在しなかった罪であり、事後法にあたる。著者だけではなく、日本会議の人たちの主張は、この事後法によって戦争犯罪人を作り出したという。この本での著者の主張を簡単にまとめると、「大東亜会議70周年での演説」が参考になる。その見出しを紹介すると、「日本はアジアの希望の光だった」、「白人が世界を侵略した500年」、「日本とともに、インド独立のために戦った(チャンドラ・ボース)」、「日本は人種平等の世界を実現しようとした」、「インドネシア独立へ導いた日本」である。その主張は、先の大戦は民族平等の世界を目指した大東亜共栄圏の戦いで、日本は何も悪いことはしていないである。
 私はここでも何回も書いているように、東京裁判は茶番劇だと思っている。しかし、大事なことは、敗戦国日本が、戦勝国と手打ちをした儀式なのである。どういうことかというと、戦争責任は天皇にも国民にもなく、A級戦犯などが悪かったとした裁判なのである。これ以外に、天皇を救う方法はない。そもそも、皇軍の長である天皇は、最初から戦争責任は問われなかったのである。命をかけて戦った連合国側の兵士にとっても、どうして天皇が裁かれないのか、納得のできない茶番劇なのである。日本会議は敗戦国日本が、天皇にも国民にもA級戦犯などにも戦争責任はなかったと主張できるとでも思っているのであろうか。日中共同声明でも、同じ内容について両国が同意している。だから、中国はA級戦犯が合祀されている靖国神社の首相の参拝について抗議するのである。マスコミが真実を伝えておらず、単なる政治利用ではない。白人が世界を侵略した500年というのは事実だと思う。しかし、その欧米と侵略された国はすでに和解している。
 この本では、東京裁判後に、アメリカ上院の軍事外交委員会でのマッカーサーの証言を紹介している。「大東亜戦争は、第一義的に自衛戦争であり、侵略戦争ではない」である。しかし、日本が実際にアジアでやってきたことが正当化されるわけではない。日本は大空襲は受けているが、沖縄決戦以外、敗戦まで他国の軍隊の侵略は受けていない。自分の国に他国の軍隊がどんな理由をつけて入ってきても、その国の人にとっては侵略になる。満州では、英国と同じように、アヘン栽培までしている。きちんとした兵站も考えず、食料はどうしたかというと、武器を使って現地の農民から略奪したのである。この本を読んで、日本は何も悪いことをしていないと考えたら、それこそ日本会議の思うつぼである。
 この本でも、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)について書かれている。評論家の故・江藤淳によって保守・右派論壇に導入されたものである。「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」を意味する。戦後になって戦争を反省したのは、「占領軍の洗脳」のためだという主張である。前回のトピックスで紹介した『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日)でもこのことに言及している。東京裁判やその報道、検閲などを通じ、GHQが日本の侵略戦争や戦争犯罪についての認識を当時日本人に持たせようとしたことは事実だと認めている。しかし、アメリカ側の提示した価値観を受け入れるだけの歴史的土壌が日本側にもあったと指摘している。私の大先輩になる先生が、当時の小学生だったかで、腕立て伏せを何回も強制させられた。根性が足りないと蹴られたりもしている。言論の自由はなく、憲兵隊が国民を監視し、「欲しがりません。勝つまでは」という少女の標語が唱えられていた。当時の軍国主義に嫌悪を抱いていた国民は多かったのである。日本国内でもこれだけの生活を国民は強いられていたのである。ましてや、アジアの国々で日本の軍隊が尊敬されていたなんて、とうてい信じられない。また、日本会議は、日本の戦争責任を追及する動きをすべてWGIPに根ざした「反日キャンペーン」にすり替えてしまうのである。
 最後に、すでにこの日記で紹介した本なのかよく覚えていない。今でも手元に残している2006年10月発刊の本である。辻井喬、藤田英典、喜多明人編「なぜ変える?教育基本法」(岩波書店)である。大江健三郎をはじめとする16人が執筆している。姜尚中や尾木直樹の名前もある。私は最初から最後まで読んだわけではない。ここでは、高橋哲哉と三宅昌子の対談を紹介する。題名は、[これは『国民精神改造運動』だ]である。ここでは、歴史教科書問題で「新しい教科書をつくる会」が、日本会議のような復古的な団体を背後にしてメディアで活躍したように、「新しい教育基本法を求める会」というのができていて、これらのメンバー、役員の名簿を見ると「つくる会」の主要メンバーが軒並みはいっていると指摘している。要するに、前回紹介した「日本会議と神社本庁」にも書いてあったように、アジア・太平洋戦争を侵略戦争だとする戦争理解を「東京裁判史観」と呼び、そこからの脱却を主張したり、教育勅語の否定や「押し付け憲法」が戦後の「教育荒廃」「家族崩壊」の元凶であると日本会議は主張しているのである。この本では、「個人の尊厳」に立脚した家族政策の否定にもつながっていると指摘している。

 

平成28年12月20日(火)

 いよいよ今年も押しつまってきた。やることが山ほどあって、うんざりしている。何とかお歳暮を贈りにデパートまで行き、年賀状の印刷もネットで頼んだ。前にも書いたように、成年後見用の鑑定書を頼まれている。頭部のMRIを京都第一赤十字病院に依頼した。混んでいて来年になってしまった。締め切りが明日だというのに、司法書士、ケアマネージャー、本人の3人がそろうのに、時間がかかってしまった。京都家庭裁判所に遅れることについて連絡しなければならない。後見センターからは患者さんに関する資料が送られてきた。この中に、アンケートのお願いが同封されていた。
 後見開始等の申したてが年々増加傾向にあり、精神鑑定を引き受ける医師が足りないという。主治医の場合の鑑定料の相場は5万円である。今回のような見知らぬ人の鑑定料は10万円である。たまに引き受けると、けっこう手間暇がかかる。しかし、本気でシステム化して要領よくやりだしたら、悪くない値段である。患者さんも減ってきたので、本格的にこちらの方に手を出していこうかと思ったりする。しかし、よく考えてみたら、今年から娘の授業料や生活費がいらなくなった。この分収入が減っても、生活レベルは何も変わらないことになる。3年ちょっとしたら、今度は息子が医学部を卒業する。数字の上では、この分の収入が減っても、やはり生活レベルは同じことになる。
 沖縄でオスプレイが墜落した事故が話題になっている。オスプレイが米国本土で同じように事故を起こしているのかよくわからない。ここからは、私の勝手な想像である。どこの会社が開発したのか、ネットで調べたら詳しいことがわかるかもしれない。きょうはこの日記を書き出したのが、夜の9時過ぎである。調べている時間があまりないので、想像で書く。たとえ、欠陥の多い軍用飛行機だとしても、開発した会社は莫大な費用をかけているので売らなければならない。その利益を基に、また新たな機能を持つ軍用飛行機を開発するのである。電化製品も同じである。新しいモデルを発売して、その利益でさらに新しいモデルを開発している。
 今回のオスプレイの事故で私が想像したのは、新しい抗うつ薬(今では新しくないが)であるSSRIやSNRIである。おそらく莫大な費用をかけて、古い三環系抗うつ薬に変わる薬を開発したと思う。しかし、旧来の三環系抗うつ薬に使い慣れた私からすると、中途半端な効果の薬である。この薬で改善する人にはこの薬を使ったらいい。しかし、強大な欧米の製薬会社の宣伝により、三環系抗うつ薬の副作用ばかりが強調され、ベンゾジアゼピン系薬物が必要以上に悪者にされたのである。現在は、この巨大製薬会社は抗うつ薬の新たな開発から手を引いている。それだけ割に合わず、他の領域にお金をかけるということである。三環系抗うつ薬やベンゾジアゼピン系の精神安定剤や睡眠導入薬の薬価は10円、20円の世界である。こんな安い薬を製薬会社が宣伝するわけがない。抗うつ薬の選択肢として、この機会にドグマチールや三環系抗うつ薬を見直してもいいと思う。
 ベンゾジアゼピン系薬物についても、大部分の患者さんは上手に利用しているのである。きょう、80歳を越える女性が再受診した。前にも書いたように、他の医療機関を受診して、私の医院に来た患者さんである。直前の心療内科専門の寝る前の処方は、デパス(0.5mg)1錠、ハルシオン(0.25mg)1錠、レスリン(25mg)1.5錠、メイラックス(1mg)1錠、ベルソムラ(15mg)1錠であった。患者さんは夜11時頃に飲んで、12時頃に寝て、夜中の2〜3時に目覚めると訴えていた。私の処方した薬は、ハルシオン(0.25mg)1錠、ロヒプノール(2mg)1錠、テトラミド(10mg)1錠である。これでぐっすりと眠れ、朝も残らず、気持ちがいいと述べている。物忘れも起こらず、家族から寝てばかりいるという苦情もない。今は、ハルシオンとロヒプノールを処方したら、それこそ極悪非道の医者のように言われてしまう。もともとシンナーや危険薬物をやっているような人が容量を守らず、大量服薬することと、容量を守って上手に利用することはまったく別のことである。ごく一部の人が乱用するから、容量をきちんと守って服用する人にとっても危険な薬物だと断定するのは、それこそ言いがかりである。
 きょうは往診の行った後に、スーパーに寄ってきた。この日記を書くためである。夕食は米を1.25合炊いた。これは、私の2食分に相当する。半分は冷蔵庫に入れて、また電子レンジで温めて使う。きょうは鍋物を作った。私は自炊も、洗濯も、掃除も気にならずできる。きょうはこの日記を書くのが遅れたのは、次の「今週のトピックス22」を書くのに、手間暇がかかったからである。私は遅筆なので、もう11時になる。きょうはこの辺で終わりにする。

今週のトピックス 22  (161220)

『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日)
『週刊金曜日』成澤宗男編著「日本会議と神社本庁」(金曜日)

 またしても、日本会議について書いた本である。このトピックスで取りあげるのは、3回目である。この本も読み応えがあり、本当に面白かった。この本には8人の人が出てくる。元「一水会」顧問の鈴木邦男のインタビューも載っている。私が懐かしい名前を見つけたのは、宗教学者の島薗進である。私がグルジェフ、ラジニーシ、サイババ、オウム真理教などに興味を持っていた時に、島薗進「精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動」(東京堂出版)の本に出会った。その内容に舌を巻いた。宗教学者というのは、すべてお見通しで、こんなにも冷静に分析できるものかと、それこそひれ伏した。新霊性運動とは、New Spiritual Movementのことである。
 まず、この人のインタビューから、紹介していく。それぞれの著者で、重複した内容となっている部分も多い。まず、日本会議の主張する「伝統」である。日本の歴史上、ずっと国民と天皇が一体感を持っていたという。ところが、江戸時代の末期に至るまで、天皇の存在は多くの日本の住民には意識されていなかった。日本会議が「皇室と国民の強い絆」は「千古の昔から変わることはありません」と主張していることは、でっちあげなのである。1930年以降、天皇の犠牲になって死ぬことが、非常に高い価値を持つようになった。明治以降、権力側や権力を取りたい勢力が、天皇の権威を利用して、民衆に強制していたのである。
 「戦前の体制にこそ日本の伝統がある」という考えの人たちは、戦後一貫して神道指令(GHQが出したもので、神社神道と国家の分離、すなわち政教分離の基礎となった)を覆し、伊勢神宮の地位を高め、靖国神社を国家的施設にしたり、紀元節を復活させることに力を注いできた。日本の神道の歴史からみたら、「伊勢神宮こそが全国の神社の中心である」というのは、明治以降の話で、神道の歴史の中では1つの立場に過ぎない。靖国神社が世界の他の戦没者追悼施設とどう違うのかも書いている。天皇崇敬を鼓吹し、個々人の命を軽んじて自己犠牲させる、いわば殉教をあおるような施設になっている。それが、特攻にもつながり、捕虜になることも許さず、「玉砕」という殉教思想にもなってきた。島薗によると、靖国は、戦没者の慰霊ではなく、天皇崇敬が濃厚に組み込まれており、特定の宗教を国民に強いることになるという。この靖国神社については、他の章で、日本会議の三代目会長であった元最高裁判長官である三好達の発言を紹介している。「戦争犠牲者の追悼」を靖国神社ではなく、「国立追悼施設」で実施することに反対する理由として、「(靖国神社を創設した)明治天皇の大御心を踏みにじるもので、不遜極まりない。」と主張していた。
 神社宮司である三輪隆裕の発言も面白い。国家神道は、神道の歴史の中では極めて特殊だと同じことを述べている。天皇を頂点とした一種の家族主義的国家観、「国体」観が明治以降、国民の意識に植え付けられた。家族主義が通用するのは、せいぜい家庭内とか友人関係までである。民主主義には「人間を信用しない」という前提があり、契約と法に基づく法治社会となっている。家族主義を国家まで拡大すると権威主義や全体主義となる。良いリーダーの元に素直な人々が結集して良い社会を作るのが、1番危険なのである。こうした「国体」観を破壊した占領軍はけしからん。その占領軍が作った現行憲法も改憲しろというのが、日本会議と神社本庁なのである。私は知らなかったが、今年の正月には多くの神社で、日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲署名用紙が置かれていたという。ほとんどの場合、本庁から書類が来ているからというぐらいで、神社の人は自分の頭では何も考えていない。組織に引きずられて、主体性がないことが、全体主義の怖さなのである。
 「今週のトピックス 12」俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)で述べているように、私は改憲派である。しかし、日本会議や安倍首相の主張している明治憲法の復活を目指した改憲内容については断固として反対である。この中には、教育勅語の復活も含まれる。日本会議の歴史に簡単に触れると、明治神宮に事務局を置く右派宗教集団が集う「日本を守る会」は宗教人と文化人の集まりで、左翼との闘いで通じた大衆運動のノウハウと経験を有する一群の思想集団が事務局を担った。「日本を守る国民会議」は宗教会、財界、政界、学者などの各会の代表者の組織であった。1997年に両組織を統合して、日本会議が生まれた。元号法制化などのために、全国にキャラバン隊を派遣している。地方から中央へ、広汎で幅広い勢力の結集をし、これまで地道な国民運動を展開してきている。草の根運動と言われるゆえんである。「日本は侵略国家ではなかった」という主張を盛り込んだ「戦争謝罪の国会決議阻止」のため、全国26県議会90支障村議会で「阻止」を求める決議を可決させていた。
 この本にも書いてあるように、日本会議にとって過去の戦争は常に「聖戦」として疑問の予知なく固定化されている。「皇軍」の戦争や軍事行動が常に神聖不可侵の「現人神」で「大元帥」であった天皇の名において遂行されたということが前提となっている。それゆえに、戦死した「皇軍」の兵士は無条件に「神」、「英霊」として合祀されるべき存在となり、他国の被害などまるで顧みない自己中心主義的な「正当化の物語」に落ち着く。紀元節とは、神の子孫とされる初代「神武天皇」が奈良の橿原で即位した日であるとして、明治国家が架空の日付を創作して、初めて定めた祭日である。日本の伝統とは無縁の紀元節が、現在では建国記念日として1966年に復活して祝日となったのである。天皇の政治的発言は禁じられている。しかし、現在の安倍政権と日本会議に対しては、明らかに不快感と危機感を持っていることに間違いはない。靖国神社にA級戦犯が合祀されてからは、昭和天皇も今上天皇も御親拝されていない。
 日本会議を支持する国会議員の集まりである「日本会議連」の名簿は非公開である。しかし、この本によると、2016年2月現在で、280人いるという。これだけ加入する議員が増え続けるのは、「今週のトピックス 8」村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)で書いたように、小選挙区制度では官邸に公認されなければ当選できないからである。議連にはいれば公認されやすいし、日本会議には神社本庁をはじめ多くの宗教組織が参加しているので、その集票力も魅力である。日本会議が取り組んでいた「夫婦別姓に反対する運動」や「国旗・国歌・元号の法制化」に反対する国民はそれほど多くないかもしれない。「戦没者への追悼と感謝の表明」も特別目くじらをたてることではないかもしれない。しかし、最終目標は、明治憲法と教育勅語の復活であることは忘れてはならない。
 最後に、日本会議が「愛国者」ぶって、現行憲法を「占領憲法」と主張しながら、「日米安全条約」に反対しない大きな矛盾である。歴代自民党政権の対米従属政策に異議を唱えることもない。この本では、「自国の防衛を他国に委ねる」現実を法的に規定しているのは憲法ではなく、憲法上その存在を許すべからざるものであると東京地裁で指摘された、日米安全条約なのである。この条約の本質は、米国側が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利を持つという「全土基地方式」にある。戦後70年経っても、首都圏上空の管制権すら米国に握られ、国内での事故・事件を起こした米兵の「第一次裁判権」の確保も許さない日米地位協定がまだ存在しているのである。私は「愛国」とは戦前の復活ではなく、この問題を一刻も早く解決することだと思っている。

 

平成28年12月13日(火)

 パソコンの調子が悪い。修理に出したらいいと言われそうである。しかし、大きなデスクトップで、いつも仕事に使っている。そのうち、再起動しなくなるのではないかと恐れている。電源をつけたまま少し目を離していると、「System Thread Exception not handled」という文字が出る、ネットで調べても、直し方がよくわからなかった。強制終了して再起動しても、ディスプレイの解像度が変わる。一旦電源を抜いて、もう一度再起動すると、前の解像度に戻る。しかし、数十分ほどそのままにしておくと、また先ほどの文字が出て、何の反応もなくなる。大事なデータを念のために取り出しておいた方がいい。ソフトのアプリケーションをどうするのかとか、いろいろ考え出したら面倒くさい。結局、そのまま放ってある。この日記も、途中で消えてしまったら困るので、他のパソコンで書いている。仕事用とプライベート用のパソコンは別々にしている。最近はアダルト関係も見ないので、ほとんどプライベート用のパソコンは使っていない。
 先週の土曜日は、大学の医局の集まりがあった。いわゆる同門会で、年に2回ある。前にも書いたように、最近頭頂部の髪の毛が薄くなってきた。頭の禿の部分を目立たないようにする、黒いふりかけみたいなものを初めて使ってみた。頭のてっぺんに近いので、手鏡を使うと、よく見えず、うまいことピンポイントでふりかけることができなかった。ガバッと使ったらいいのかもしれない。使いすぎて不自然になるのもこわい。ふりかけが飛ばないようにスプレーをした。量が少なかったせいか、効果はあまりよくわからなかった。これからふりかけ人生を始めなければならないのかと思った。しかし、段々、どうでもよくなってきた。もったいないので、何かの機会があったらまた使おうと思う。
 最初に、精神保健指定医問題のことが説明されていた。大学では、なかなか措置入院の患者さんを診ることができないようである。覚せい剤などの薬物関係の症例も集まらない。関連病院と協力して、今後の対策を考えているということであった。新しい教授を含め、関係した当時の指導医の処分については、来年になってから大学が下すようである。これが決まらないと、新任教授の就任祝いもできない。医局の会員数は現在341人である。この中には、心理関係の人も含まれる。私の知っている医局員は、せいぜい平成一桁の卒業生ぐらいまでである。それ以下の人は、ほとんど知らない。反対に、若い医局員も私を含め上の年代を知らないだろう。受付で、名前を間違えられたぐらいである。
 講演は、 川人光男国際電気通信基礎技術研究所(ATR) 脳情報通信総合研究所所長の「人口知能の精神医学への応用」であった。これだけでは何をしている人なのか、さっぱりわからない。司会から簡単な紹介は聞いたが、細かいことは忘れてしまった。この所属でさえ、覚えていられない。ネットで調べてみたら、東京大学理学部を卒業し、大阪大学などを経て、現在は奈良先端科学技術大学院大学などの客員教授をしている。今年の10月には、研究所のあるけいはんな学研都市を皇太子が訪れている。私の不正確な情報を伝えるより、ホームページから引用すると、「川人所長らの研究グループは、成人の高機能自閉症を見分けるバイオマーカーを、新しい人工知能技術を用いて開発しました。自閉スペクトラム症以外に、大うつ病、統合失調症、強迫性障害、慢性疼痛などについて、脳の回路から疾患を見分けるバイオマーカーを開発しています」となる。脳神経科学を応用した「ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)」に興味のある人は、自分で調べてください。
 講演会のあとは、いつものように懇親会である。私の同級生も久しぶりに出席していた。もう仕事から引退した先生も参加していた。しかし、ほとんどの先生は高齢にかかわらず、まだ臨床の仕事を続けていた。私は国公立大学教授の定年は、学長などを除き65歳と決まっているかと思ったら、そうでもないようであった。公的な病院の部長も、定年は65歳である。私の勤めていた京都第一赤十字病院では、施設基準のこともあり、そのまま一旦退職して仕事を続けている先生もいる。前から書いているように、私はこのまま仕事を続けながら人生を終えるのがいいのか疑問に思っている。私の同級生も65歳で公的病院の部長を退職である。どうするのか聞いたら、まだ迷っているようであった。
 この前の日曜日は、たまった書類を整理していた。少し油断をしていると、どんどんと書類はたまってくる。ふだんは自立支援や障害者福祉手帳、障害年金の診断書などが多い。他のややこしい書類は後回しにするので、この日は何とか片付けなければならなかった。面倒くさがって、締め切りはまだ大丈夫だと思っていると、中には締め切りを過ぎている書類もある。自分の年金の手続きもほったらかしにしている。他にも、問い合わせをしなければならないことが山ほど残っている。しかし、日曜日に問い合わせをするわけにはいかない。
 少し前に、新聞で、アベノミクスで富裕層2割増と出ていた。野村総合研究所によると、金融資産1億円以上の国内富裕層が2015年末で121万7千世帯になったという。金融資産というのは、保有する預貯金や株式、債券などの合計額から負債を差し引いたものである。不動産などは含まれない。1億円以上、5億円未満が、なんと114万4千世帯もいるのである。平均世帯人数は赤ん坊も含めて、約2.5人である。しつこいようであるが、1億円ではなく、以上である。こんな数字はにわかには信じられない。大前研一がいつも本に書いていることは、平均3千万円を残してみんな死んでいるという。死ぬときが1番お金持ちだと皮肉っている。みんな老後が心配で、これだけ貯めこみ、お金を使わないのである。その一方で、ない人はない。私は少子高齢化で日本は危ないと思っている。しかし、まだこれだけの金融資産があるので大丈夫なのか、よくわからなくなってきた。
 きょうは、「今週のトピックス」で、日本会議について書いてある本を是非とも紹介したかった。しかし、他の本も同時並行読みしているので、最後まで読みきれなかった。代わりに、最近レンタルで見た映画について書く。昔と違って、アダルトをレンタルしても、まったく興奮しなくなった。それこそ、性的妄想もなくなってきた。表だけではなく、裏の動画も同じである。開高健がエッセイで書いていたことがよくわかるようになってきた。それでも個人差があり、患者さんの中には、70歳を過ぎても雄琴に通っている人もいる。
 さて、まず、ビリギャル(2015年)である。あまりにも有名な映画である。今回DVDをレンタルして見てみたら、本当に面白かった。親子関係、兄弟関係、夫婦関係、家族関係など、精神医学が取り扱うテーマが本当にうまく描かれていた。事実と違ってもいい。映画なので、出来過ぎだと批判するには値しない。素直に「合格できてよかったね」と感動したらいい。実際にどの親でも、子どもが志望校に合格できたら、万歳と叫びたくなる。まだ見ていない人も多いと思う。子育てをしている人や子育てが終わっている人にも大推薦の映画である。誰が見ても、父、母、兄弟、受験生といろいろな立場で、家族とは何かと考えさせてくれる。
 次に、まだレンタル料が少し高い、ザ・ウェイブ(2015年)である。ノルウェーの映画である。映画そのものは、大感動とまではいかなかった。しかし、それなりに面白かった。ここで取り上げたのは、フィヨルドのことである。岩盤が弱い所がたくさんあるという。観測所で監視を続けているので、事故に会う可能性はほとんどない。それでも、岩盤が崩落すると、水が逃げる所がなく、水位が80メートルにも達するという。水辺に接した風光明媚なホテルに滞在していたら、東北大震災の時の津波のように危険にさらされる。最近、日本は地震の多い国だと思うようになってきた。ノルウェーも同じような問題を抱えているのだと、妙に納得した。
 最後に、韓国映画のその怪物(2014年)である。この映画はキョーレツであった。日本ではこういう映画は作れないと思う。新宿スワン(2015年)も見たが、思ったよりまとまな映画であった。精神科をやっていると、この程度の人は山ほど診ている。結局、根底に韓国の貧困や経済的格差がある。今週の週刊ダイヤモンドを読んでいたら、世界の労働時間の実態が出ていた。日本は欧米と比べて超長時間労働者が多い。週49時間以上が21.3%である。米国が16.4%で、ドイツが10.1%である。韓国はダントツの32.4%である。在日ではなく、韓国に両親がいる患者さんに聞いたら、サムスンに勤めていたら、ほとんど自宅に帰れないぐらい忙しいという。しかし、給料はよく、年に1回ハワイなどに家族で招待するという。みんながみんなそうではないと思うが、日本がだめだったら、他の国に行くという変なたくましさがある。今読んでいる日本会議についての本の中から一言引用しておく。サミュエルソンの格言である。「愛国心とは、ならず者たちの最後の避難所である」

平成28年12月6日(火)

 この日記はいつもTeraPadで書いている。きょうはほとんどの日記を書き終え、保存していた。その次に、別のテキストで「今週のトピックス21」を書いていた。「今週のトピックス21」を書き終え、初めに書いた日記にコピペしようとした。ところが、いくら探しても、この日記が見つからない。勝手に削除するわけがない。Windows10の検索機能を使ってもだめであった。
 実は、きょうの朝、Windows10のアップデート情報が画面に出た。今回初めてである。指示に従って、そのままクリックしていった。最後まで終了するのに、1時間以上時間がかかった。夜中の3時半に自動的にアップデートするかと出たので、「すぐに」を押した。その後、解像度が下がり、ディスプレーで調整しても元に戻らなかった。TeraPadを開いた時にも、本来の保存場所とは違う所が開いた。それでも、夕食をとるときに一旦ファイル名をつけて保存している。夕食後にまたこの日記を開いて、その後ほとんど書き上げていた。
 そんなわけで、きょうは夜の10時近くになり、今からもう一度最初から書き直す元気がない。安倍首相の真珠湾訪問やカジノ法案の可決について、批判的に書いていた。気が向いたら、また、追加しようと思う。
 ここからは、7日(水)から書いている。朝、パソコンの電源を入れたら、いつもの画面に戻っていた。ネットで調べてみたら、「Windows 10 Anniversary Update」で、トラブルも生じているようである。きのうのアップデートはこれだったのか、よくわからない。私はパソコンのセキュリティについては気をつけている。家の戸締まりも同じである。家の方は、鍵や監視カメラを工夫したらほぼ大丈夫である。目で確認ができる。パソコンについては、セキュリティ・ソフトを使っている。しかし、大企業や政府機関のシステムに侵入されているのを聞くと、まだ未知の部分が多すぎる。
 きょうもこの日記を書き直していた、遅い昼食をとっている間に、またデータが消えてしまった。いつものように、開いたままにして、きちんと保存にしておかなかった。3度目を書き直すのは面倒である。「最近使用したファイル」できのうどこかに行ってしまったファイルをクリックしてみた。ファイルの場所は空白である。きのうは何回もやってみたが、ファイルが開かなかった。ところが、白紙のTeraPadにファイルを置いてみたら、きのう書いた文章が出てきた。同じテキストファイルなのに、どうしてWindowsのテキストで開かないのかよくわからない。きょうも途中まで書き上げた文章が消えてしまったのは不思議である。まさかパソコンを乗っ取られているわけではあるまい。とりあえず、このまま、きのう書いた文章を載せる。
 きょうの午後は往診に行っていた。1件の患者さんの家でTVがついていた。ちょうど安倍首相の真珠湾訪問のことが取りあげられていた。私はきょうの朝刊で知った。菅義偉官房長官が「慰霊であり謝罪ではない」と述べていた。ここでも何回も書いている。オバマ大統領のアメリカは戦勝国である。だから広島を訪問しても謝罪する必要はなかった。慰霊で充分である。安倍首相の日本は敗戦国である。真珠湾を奇襲したので、謝罪なしで帰ってこれるのか疑問である。TVでは「トルーマン陰謀説」のことも触れていた。このことについては、「今週のトピックス11」でも紹介した。奇襲は予測していたが、真珠湾ということまで特定できていなかった。例え、陰謀だったとしても、はまる方が悪い。戦争とは国をかけた人と人との殺し合いである。いつまでも敗戦の負け惜しみを言続けている人は、女の腐ったような奴だと思っている。
 日本では、敗戦国の重みを自覚していない人が多い。それこそ、ゲートボールの試合に負けて、戦勝国と敗戦国が握手して仲直りしたぐらいの感覚である。北方領土はおそらく永遠に返ってこない。降伏が遅れていたら、北海道もソ連に奪われていただろう。このことは、ソ連の介入を嫌ったアメリカの原爆投下も関係してくる。韓国や台湾は国民が軍事政権を倒して、現在の民主主義を手に入れた。ところが、敗戦国の日本ではアメリカが農地改革から財閥解体まですべてやってくれ、何の苦労もなく民主主義を手に入れた。おまけに、平和憲法まで作ってもらった。東西の対立が激しくなってから、アメリカはこのことを後悔している。どうしてかというと、1954年に自衛隊を作っている。しかし、平和憲法のおかげで、韓国のようにベトナム戦争などに付き合わされることはなかった。
 ドイツとは違い、結局日本は全然反省していないのでる。だから、今頃になって日本会議や安倍政権のような歴史修正主義者たちが台頭してきたのである。英国や欧州列強もアヘン戦争を引き起こしたり、アジア諸国を侵略してきたのは間違いない。しかし、侵略された国と戦勝国である当事者との間で今では解決済みのこととなっている。中国が英国の仕掛けたアヘン戦争について今でも抗議しているわけではない。しかし、歴史修正主義者たちは、日本のアジア侵略は自分たちだけが悪かったわけでないと、現在でも正当化できると思っている。南京大虐殺や慰安婦問題をでっちあげだと言い張れば言い張るほど、国際社会の中では日本は不利になる。私は前から書いているように、日本の国益のことしか考えていない。これからの少子高齢化の日本にとって、アメリカの市場も大事である。しかし、確実に言えることは、人口の規模も違い、これからの中国の市場の方がもっと大きくなる。
 京都新聞の夕刊の見出しを見ていたら、カジノ法案が衆院を可決したことが出ていた。カジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)を作り、経済効果を期待するものである。私はラスベガスにもシンガポールにもマカオにも行っている。学生時代にパチンコで生活費を何回も使い果たし、それからはギャンブル嫌いになった。ラスベガスの場合は今はどうなっているのかよくわからない。大前研一によると、マカオは中国人のマネーロンダリングに使われているという。ワイロや麻薬取引などで集めた金を、ギャンブルで大儲けしたように見せかけるのである。当然、カジノ側が協力して手数料を得ている。特別室で勝ったといわれても、誰もわからない。純粋なカジノも、客に負けさせて莫大な利益を得ている。客が負ければ負けるほどカジノは儲かるのである。いくら統合型リゾートと言っても、レストランやショーだけではそれほど儲からない。既存のギャンブル依存の人だけでは足りない。大負けした人はお金がないので、なかなか来ることができない。次から次へと、新たなギャンブル依存の人を生み出さないと、商売が成り立たないのである。飲む、打つ、買うの買うもどうするのかと思う。健全なカジノだけでは、客は誰も来ない。

今週のトピックス 21  (161206)

クローズアップ現代「恋人いらないってホント? 出現!”いきなり結婚族」
クローズアップ現代「恋人いらないってホント? 出現!”いきなり結婚族」

 きょうはビデオで録画していたNHKの番組である。11月24日(木)に放送されていた。今週、やっと見終えた。私はこの日記でも何回も書いているように、当時最先端を走ってきた晩婚である。大学の医局でも、独身は大先輩に1人いたぐらいである。私のすぐ後の後輩には、独身がごろごろ出るようになった。それでも、結婚は38歳である。
 1人の患者さんが、45歳の男性から結婚を迫られていると話していた。その女性もアラフォーぐらいなのに、早く子どもが欲しいという。その男性は、若い女性には相手にされないので、この年代の患者さんを選んだという。きょうのMSNニュースを見ていたら、「くりぃむしちゅー」の有田が45歳で結婚するという。よき伴侶を求めて結婚するのはいいと思う。しかし、この年齢から子どもをつくるのは無理がある。お金だけの問題ではない。60歳になってもまだ中学生である。子どもを親として1人前に育てるのは、本当に大変である。
 子どもも昔とは違って、財産にはならなくなってきた。将来親の面倒をみてもらうこともあまり期待できない。下手をすると、負債になることもある。仕事などで体調をこわした子どもの面倒を年老いた親がみなければならない。娘が離婚して、幼い子どもを連れて戻ってきた場合も同じである。こんなことを書くと、親子関係を打算的に考えていると思われるかもしれない。しかし、精神科医として仕事をしていると、現実として数え切れないほどそういう親子に出会ってきている。特に非正規社員が増えてからは、どうしようもない。
 私の娘は今年から働き出している。息子はまだ医学部の3回生である。卒業するまでに、3年以上残っている。卒業したら、私は66歳で、5月にはすぐ67歳になる。60歳を過ぎて、子どもが反抗期になったら、耐えられないと思う。夫婦仲も綻び始める時である。子どもが3歳までに親孝行を終えているというのは本当である。前にも書いたが、目に入れても痛くないほどかわいらしい。しかし、大人になってから一歩間違えると、目にしただけでも、目が痛くなる。
 さて、18〜34歳で恋人のいない男性は約70%で、女性は約60%である。同じ年代で、性経験のない未婚者は男性が42%、女性が44%である。私はフェイスブックもラインなどのSNSは何もしていない。この年代の人たちは、SNS管理社会で、行動が筒抜けになるのを恐れている。恋人のことを書くと、リア充自慢のようにイヤミにとられる。責任を取りたくない逃げ腰の男性のことも触れていた。もてない女(喪女)のマンガがブームになっているという。容姿が中の下の女性がイケメンに好かれるマンガである。これにはまると、現実に戻るのがおっくうになるという。
 この番組を見ていて、みんな自己愛的になっていると思った。傷つくのもいやだし、手間暇のかかる面倒な恋愛の過程も失敗したくない。恋愛を飛び越して、いきなり結婚したいという。今回ネットで調べてみたら、この番組の詳しい内容が紹介されていた。タイトルをコピーして検索したら、すぐに見つかる。ゲストの名前を調べようとしたら、このページを見つけてしまった。ここまで書いてきて、急に、この番組の内容について書く意欲が失せてしまった。春香クリスティーンが「レンタル彼氏」が欲しかったと話していた。外来で、60歳以上の夫婦を診ていると、本当にうまくいっている夫婦はごく稀な印象である。こんなことを書いていたら、ますます少子高齢化が進んでいくだけである。不安定な雇用や決して明るくない将来も影響している。

 

平成28年11月29日(火)

 急に寒くなってきた。風邪をひかないように気をつけている。結局、近場の紅葉は見に行く時間がなかった。その代わり、23日(水)の勤労感謝の日には、滋賀県の湖東三山の1つである百済寺に行ってきた。この日は大津のインターから名神高速道路にはいり、八日市インターまで行った。青空が出ていたので、運転していても気持ちがよかった。最近高速道路を使うのは、池田の母親の所に行く時ぐらいである。車にはまったく興味がなくなっている。しかし、ドライブの楽しみは少し蘇った。16年目の車でもよく走った。
 詳しいことについては、また最後に写真付きで紹介する。駐車場は無料であった。私は昼の12時前に着いた。空くのに、坂道で15分ほど待った。琵琶湖のそばにマンションを購入したので、時間があったら滋賀県のあちこち行こうと思っている。ベッドやパソコンを置いている部屋の窓が透明であった。離れているが、窓からは隣に建っているマンションの廊下が見える。電気を点けると部屋の中が丸見えである。夜だけでなく、天気の悪い日中でも、カーテンを引いていた。磨りガラスの窓に換えるのもお金がかかる。何とかならないものかと思っていた。ネットで調べてみたら、ホームセンターで窓ガラスを見えないようにするビニールシールが売られていた。早速買ってきて、この前の日曜日に貼り付けた。
 私は今でも労災の仕事を手伝っている。毎月開かれる京都労働局の判定会議には出ていない。判定の簡単なケースの資料を事前に送ってもらい、労災補償課の人に私の医院まで来てもらっている。最近は、精神科関係の労災の申請が増えているようである。11月は3回来てもらった。今やっている公的な仕事はこれぐらいである。以前に頼まれた労災裁判の意見書とは違って、ごく簡単な仕事である。しかし、私の誕生日は5月なので、65歳になる前の3月ぐらいには完全引退したい。今、家庭裁判所から認知症患者さんの鑑定依頼を頼まれている。あまりやる気がせず、そのままほったらかしである。締め切りもあるので、明日から本気で取り組もうと思っている。
 きのうは、久しぶりにYouTubeにアップロードする動画を夜遅くまで作っていた。何かというと、音楽ビデオである。前回書いたように、自宅に残っていたハイエイトのテープにMTVを録画している。当時、気に入った曲しか残していない。たまたまYouTubeでチェックしていたら、1曲だけアップロードされていなかった。19年前の曲である。最初は著作権がうるさかった曲でも、年月が経つとおとがめ無しになりやすい。特に、私の持っているLPレコードやアナログで録画した動画からの場合は問題になることはほとんどない。幸い、MTVのマークも付いていなかった。
 ところが、テープが悪いのか、途中でキューというきしり音みたいなのがはいり、画像も乱れる。最初は、クリーニングテープをかけたり、いろいろ工夫してみた。同じ箇所でいつも起こるわけではなく、一旦テープを出して、わすかであるが、手でテープを戻したり巻いたりすると、どうもない。しかし、しばらくすると、またキューと音が鳴り出す。結局、3分48秒ばかりの曲を、6回ぐらいに分けてBDレコーダーに録画した。これをDVDに録画し、パソコンでデータを取り出した。動画ソフトで1コマ単位でカットし、1つ1つ動画をつないでいった。何とか、完璧な動画ができた。手間暇がかかったが、完成したときにはふだん味わえない充実感があった。
 動画を早速Youtubeにアップロードした。ところが、寝ようと思って、スマホをチェックしたらグーグルのメールが届いていた。まだアップロードして1時間ちょっとしか経っていなかった。著作権の関係で動画を削除したという。この動画を公開することは、世界中で認められていなかった。しかし、メールの論調は厳しくなく、不服申し立てをすることもできるとなっていた。特にペナルティもなかった。私がLPレコードからMecanoの曲をアップロードしたときには、1週間以上何ともなかった。ところが、その後グーグルから来たメールの内容は厳しいものであった。続けて著作権を侵した場合は、もうYouTubeにアップロードできないような内容であった。多分、著作権を持っている側の意向が反映されていると思う。
 そんなわけで、きょうはきのう私がアップロードした曲は紹介できない。米国盤は公開されている。私の持っていた英国版は厳しく管理されていた。同じ動画でも、少し変更を加えていたら、大丈夫のようである。ここでは、英国版と米国盤を並べた動画を紹介する。Monaco - what do you want from meである。ついでに、同じハイエイトテープに録画していた曲である。同じ1997年の発売である。The Fugees feat. A.T.C.Q, Busta Rhymes & John Forte - Rumble In The Jungleで聴くことができる。

百済寺1  ここは湖東三山の1つである百済寺である。日本の紅葉百選に選ばれている。最初は、光が山の中まで届いていない感じであった。すぐに陽が当たりだした。

百済寺2  車のナンバープレートを見ていたら、名古屋や三重、なんばなどいろいろな所から観光客がやってきていた。ここは山門になる。それほど人は多くなかった。

百済寺3  ちょうど逆光になり、光に照らされてきれいであった。枝の間から青空が見える。

百済寺4  紅葉は光が当たると、本当に見映えがする。誰が撮ってもきれいである。ただ、構図的には、木や枝の処理が難しい。

今週のトピックス 20  (161129)

大前研一「日本の論点 2017〜18」(プレジデント社)
大前研一「日本の論点 2017〜18」(プレジデント社)

 毎年紹介している大前研一の本である。ここに書かれていることは、プレジデント社で連載した記事に加筆修正して再構成したものである。Bingのニュース(MSNニュース?)にも、引用されていた内容も含まれていた。まず、世界の右傾化のことが書いてある。現在の安倍内閣も閣僚のほとんどが日本会議の下部組織である「日本会議国会議員懇談会」のメンバーである。この本にも、「日本会議永田町支部」と書いてある。今や日本会議に関係する国会議員は280人に達すると言われている。私は知らなかったが、小池百合子東京都知事も、日本会議国会懇談会の副幹事長や副会長を歴任している。日本会議については、このトピックスでも2冊取りあげた。
 こんな保守とも言えない右翼団体に日本は牛耳られているのである。この日記でも何回も書いているように、私はもともと左翼嫌いである。ポスト団塊世代に属するので、過激派も数多く見てきた。しかし、右翼も嫌いである。昔は、右翼は左翼とは違って、理論や思想がなく、ただ単に大和魂とか情緒だけで行動していると言われた。暴力団関係者と結びついていることも多かった。お国のために命をかけることもいとわないと言われると、性根がすわっているように見える。しかし、ただ為政者に都合よく利用されるだけの人たちである。誰も何の役にも立たない右翼の命なんかいらない。貧しい人を手助けすることの方が、国のために役立つ。
 今は時代が変わって来ている。日本会議は、ネットの世界でも支配を強めてきているようである。YouTubeの動画や本の書評などでも、日本会議にとって不都合な内容についてはボロクソな意見が書き込まれるようになってきた。一般の人の意見というより、末端の人たちが自分たちの運動の一環として積極的に書き込んでいるのは間違いない。もともと日本会議は草の根運動から出発している。その内容を見ると、論理的な批判ではなく、感情的な意見ばかりが目立つ。おそらく、私や私の医院についても、私の知らない所で、いろいろと悪口が書かれているだろう。もともと国民の大半はサイレント・マジョリティである。昔は左翼系の人が常に発言して世論を誘導していたという思いもあるのだろう。右翼も、今では街宣車ではなく、政権と結びついて私たちが気がつかないうちに世論誘導して、言論統制を強めている。
 私が前から指摘しているように、日本人の特徴として「長いものには巻かれろ」、「触らぬ神に祟りなし」がある。最近福島を訪問したノーベル賞作家が指摘したように、日本には抵抗の文化がないのである。それこそ、抵抗の仕方もわからない。これだけの国会議員が日本会議に賛同して、この人たちはいったい歴史から何を学んできたのかと思う。日本の伝統を守ると言っても、国際社会の中でどう折り合いをつけていくか、考えていくしかない。日本の伝統を頑なに守ろうとするのは、イスラム原理主義と本質的に何ら変わりがない。
 まず、セカンドライフについてである。日本人の平均寿命のことが書いてある。現在女性が87歳で男性が80歳である。この数値をみんな誤解しやすい。誰の平均寿命かと聞くと、ほとんどの人が答えられない。今オギャーと生まれた赤ちゃんの平均寿命なのである。だから、仕事から引退する65歳になった人の平均寿命は、男性が84歳で、女性は89歳である。大前研一が2年後になる75歳の人では、男性は87歳で、女性は90歳である。年齢がいくと、男女の差が少なくなってくる。これは何を意味するかというと、平均寿命だけで単に女性の生命力が強いとは言えないということである。これまで、女性は専業主婦が多かったので、事故に遭遇したり、職場での有害な物質などにさらされることなどが男性に比べて極端に少なかった。女性が働くようになって、これから男女の平均寿命の差はもっと縮まっていく。
 ここでは、少なくても20個ぐらいはやりたいことを持っておかないと、セカンドライフの8万時間は持たないという。1人でやること10個、仲間とやること10個である。群れるのがあまり好きではない人は(私がそうである)、仲間とやることはもっと少なくしてもいいと思う。米国におけるアクティブシニアタウンのことも書いてある。著者は、千葉県の稲尾にアクティブシニアタウンを作ったという。東京ディズニーランドに近いので、子どもたちにも好評だという。私個人は、リタイアして元気なうちに、年寄りばかりのシニアタウンにはあまり住みたいとは思わない。若くて大胆なお姉さんが住んでいる街の方がいい。
 この本で1番面白かったのは、アイドルエコノミーについてである。アイドルとは、空いているリソース(資産)、空いているキャパシティ(容量)、空いている時間や能力のことである。空いているものを取りまとめて有効活用する経済の新しいフレームワークが登場してきているという。これらの経済現象を総称して、大森はアイドルエコノミーと呼んでいる。まず、宿泊業界とタクシー業界で起きた大変革である。民泊で有名になったAirbnb(エアビーアンドビー)である。2008年創業で、現在は同社のサイトで世界3万4千都市に、合計60万室以上提供している。配車アプリ運営会社のUberは、同社と契約している個人タクシーや個人の一般ドライバーを使って、近くにいる車を呼べる。相乗りも可能である。日本では、旅館業法に抵触したり、二種免許がいる。
 エンジニアやクリエイターのクラウドソーシングサービスを手掛けるUpworkも専門家の空き時間をマッチングするアイドルエコノミーの代表である。著者が海外で講演をする際に、パワーポイントの20〜30ページの日本語のプレゼン資料を英語に直す必要がある。これを日本のエージェントに頼むと、500万円も600万円もかかるという。それが、このUpworkを使うと、10分の1程度の費用でやってもらえるという。マレー語でも何語でもあっという間である。システム開発をIBMやアクセンチュアに頼むと、1人のエンジニアが1ヶ月働いて300万円かかる。ところが、収入レベルの低い国の優秀な技術者に頼むと、高くても10万円程度で済むという。今やクラウド・ソーシングの発達によって、サイバースペースでは知的ワーカーの方が国境を飛びやすい環境になっている。
 この本では、日本企業がグローバル化に完全に乗り遅れていることも書いている。日本のビール会社が国内市場でキレやのど越し、糖質ゼロなどと熾烈な競争を繰り広げている時に、ふと気がつけば世界はグローバル競争で一変している。食品メーカーも同じである。本当の意味で世界化できた日本の消費者商品は自動車と複写機、プリンターとカメラぐらいしかないという。後の方で、ホンハイに買収されたシャープのことが書かれている。シャープで唯一利益を出していた事業が、この複写機・プリンター事業なのである。政府系ファンドの産業革新機構についても、負け組と負け組をくっつけてもうまくいくわけがないと書いている。
 日本の原子力政策についても解説している。日本では、エネルギー戦略とニュークリアレディ国になるための核戦略、この2つが表裏一体になって進められてきたという。ニュークリアレディ国とは、核兵器を作るために必要な条件がすべて揃っていて、その気になれば90日以内に核保有ができる核準備国のことをいう。核兵器を持たなくても、「核抑止力」の効果が得られる。外国が核で脅したら、逆効果(核を作られてしまう)になるのである。国際社会の中では、日本はドイツとともにニュークリアレディ国として扱われている。韓国に対しては、アメリカは明確にNOを突き付けたという。
 この本は本当に面白いことが書いてある。私は日曜日の午前中に最初から最後まですべて読み終えてしまった。是非とも、手にとって読んで下さい。ここで、すべて紹介するわけにいかない。最後に、資本主義が陥る1番深刻な病状について書く。それは、金持ちがますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏になる「冨の偏在」である。アメリカのトップ企業や富裕層のほとんどがタックスヘイブンを利用して租税回避しているので、アメリカは税収が増えない。おかげで、政府は財源不足で数年に1度機能停止に陥っている。日曜日の夜にNHKでパナマ文書のことが放映されていた。私は録画したまま、まだ見ていない。私もきちんと徴税できるシステムを構築すべきだと思う。

 

平成28年11月22日(火)

 私の医院の近くの東福寺の紅葉は去年とは違って、今年はきれいなようである。たくさんの人が来るので、ここ2〜3年は見に行っていない。きょうは午後から往診に行ってきた。久しぶりに青空が出ていた。こういう日は一際映えて紅葉を楽しめる。カメラを持って、ちょっと出たらいい。しかし、きょうはこの日記を書かなければならないので、出るのはあきらめた。ふだんのウィークデイで、天気のいい日にまた出ようと思う。去年の紅葉はあまりにもひどかった。わざわざ京都まで大勢の観光客が訪れてくれるので、今年は心配していた。今はひとまず、安心である。
 この頃、後頭部の毛が薄くなってきた。特に頭頂部は禿げてきた。エレベーターに乗ると、モニターに頭頂部が映し出される。髪を黒く染めているので、特に地肌が目立つ。こればかりは、なかなか対策が取れなかった。もう年だからと言われても、目立たないようにするにはどうしたらいいのかと思っていた。たまたま新聞を読んでいたら、黒いふりかけみたいなのを頭にかけ、スプレーで落ちないようにする商品の宣伝が載っていた。正面から見たら、まだ髪の毛が多いのでわからない。わざわざカツラをつけるのも面倒である。とりあえず、お試しに商品を注文してみた。商品は届いているが、まだ試してはいない。12月10日に大学の医局の忘年会がある。この時には頭にふりかけていこうと思う。
 昔の物を整理していたら、8mmやハイエイトのビデオテープが出てきた。以前に「私の愛聴盤」で紹介していたYouTubeの動画とは別のテープである。ビデオテープが出てきても、再生機がないとどうしようもない。私は幸いデッキを持っている。30年前(1986年)にシンガポールに行った時のテープもあった。オーチャード通りも映っていた。やはり、海の動画もあった。バタム島ではないと思う。どこの海岸であったのか、今ではよく覚えていない。30年も経つと、貴重な映像になるかもしれない。当時私は、最先端の8mmビデオカメラを持っていた。今のように、誰もが動画を撮れる時代ではなかった。TV局以外、この当時の動画を今でも残している人はほとんどいないと思う。
 きょうは書くことがあまりないので、ハイエイトに残したMTVについて書く。「私の愛聴盤」ですべてのテープから気に入ったビデオクリップを紹介したと思っていた。今回自宅にまだ数本テープが残っていた。久しぶりに聴いたら、「私の愛聴盤」でも紹介したThe Cramberriesの曲がよかった。他にも、いい曲が何曲もはいっていた。最近はあまりロックを聴いていなかった。このテープを聴き直していたら、またロックの血がたぎってきた。今回はここで1曲紹介する。1992年の作品である。厳密に言うと、ロックと言うより、ヒップホップの曲である。ロサンゼルスのバンドで、日本ではあまり知られていないようである。House Of Pain - Jump Aroundで聴くことができる。
 最後に、滋賀県の紅葉である。実は、先週の日曜日は日吉大社に行ってきた。ここには、3回行ってみたが、曇り空で天候に恵まれなかった。中にはいらず、2回ともすぐに帰ってきている。日曜日も、天候はもうひとつであった。きょうみたいな日だったら、本当にきれいな写真が撮れたと思う。大津から来ている患者さんに聞いたら、私はあまり興味がないが、パワースポットもあるという。京都の紅葉ばかり注目されている。ここの日吉大社も紅葉の名所である。交通の便が悪いかもしれない。撮ってきた写真を2枚だけ紹介する。

日吉大社1  日吉大社の入場料は300円である。うっそうと生い茂る森があり、滋賀県を代表する紅葉の名所である。前回紹介した延暦寺は入場料が700円であった。紅葉を楽しむなら、日吉大社の方が見ごたえがある。

日吉大社2  今回は紹介しないが、地面を撮っても色とりどりの落ち葉が緑の上に落ちており、絵になった。この赤い柿も見れるようでなかなか見れない。

今週のトピックス 19  (161122)

竹中平蔵「大変化 経済学者が教える2020年の日本と世界」(PHP新書)
竹中平蔵「大変化 経済学者が教える2020年の日本と世界」(PHP新書)

   私だけではなく、これからの日本はどうなることかとみんな心配している。私の上の団塊世代が70歳前である。原子爆弾の雲のように、これからどんどんと上昇し、高齢化が進んでいく。30年もしたら、この雲も消えるだろう。それまで、日本がどこまで持ちこたえるかである。夫婦とも一流企業に勤めている若い人でも、贅沢はしていない。将来子どもたちにお金がかかるので、せっせと貯金をしている。自営業などをしてきたお年寄りも、年金では生活できないので、お金を蓄えている。私は、若い人の教育費や老後の生活で苦労するような社会を提供する国家は、三流だと思っている。ムダな経費の削減や公平な増税を含めて、これまとは違った新しいシステムを作りださないと、日本は転げ落ちていく。
 さて、著者の竹中平蔵である。私より2歳年上である。小泉内閣の時に、経済財政政策担当大臣、郵政民営化担当大臣などをして、現在慶應義塾大学教授である。新自由主義者として、批判もされている。著者によると、この本は「未来の予想図」を提示しているという。「Compass over Maps」という言葉も紹介されている。地図よりコンパスが重要な時代になると述べている。地図を持っていてもすぐに陳腐化されるので、自分なりの哲学や座標軸を持っていれば、それがコンパスとなり、自分の進むべき道がわかるという。
 まず、2020年の東京オリンピックである。著者によると、東京五輪は日本が再生するための大きな、そしておそらく最後のチャンスだという。ロンドンの都市力は五輪が開催された2012年以降、ニューヨークを逆転して世界第一位になったという。ここでは、空港の整備や地下鉄のバリアフリー化などが書いてある。アジア各国で中間所得層が一気に増えることもチャンスになるという。自動車の自動走行のことも書いている。しかし、文章を読んでいても、どうして日本もロンドンと同じような道をたどることができるのか、もうひとつ説得力がなかった。
 次の章では、デジタル技術の浸透化により、世界がフラット化される時代において、イノベーションと英語の時代が来るという。経済学者のシュンペーターのことも取りあげている。イノベーションに金融家が必要というのはよくわかる。しかし、ここでも過去のイノベーションを解説しているだけである。これからの時代に過去の出来事がどこまで通用するのか疑問である。英語も大事なことはわかる。それでも、みんながみんな流暢にしゃべれるようになる必要はない。日本で住んでいる限り、日常生活に困るわけではない。英語は使う機会がないと、なかなか上達しない。私も手間暇かけてきた割には、英語力はもうひとつである。ビジネスで常に英語を使うのでなければ、コミュニケーションぐらいの英語力で充分である。それほど必要もないのに、ただ漫然と英語にエネルギーを注いでもムダである。限られた時間の中では、実際に役立つ職業的スキルを磨くことの方が効率的である。中途半端な英語力では、ビジネスの交渉では何の役にも立たない。
 リニア新幹線で、超大都市圏ができるとも言っている。東京と大阪が1時間で結ばれることで、超メガリージョンが誕生するという。再生可能エネルギーである水素プロジェクトのことも書いてある。しかし、大風呂敷を広げすぎで、あまり明るい日本の未来は見えてこない。少子高齢化の日本にとって、勢いのあるアジアの国々が厳しい競争相手となってくる。
 働き方の未来予想図では正社員という1つのレールにとらわれず、老若男女を問わず自由な働き方ができる社会が到来するという。唯一のルールは「同一労働・同一条件」である。これは、正規・非正規の区別がなくなることを意味している。この本に書いてあるように、私も終身雇用・年功序列は守るべき伝統でないと思う。金銭解雇のルールを持っていないのは、韓国と日本だけだという。しかし、そのための転職市場はまだ整っていない。「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉が出てきたのは、すでに多くの国ではブルーカラーのように、ホワイトカラーに残業代は支払われていないからである。外国人労働者をゲストワーカーとして迎え入れ、女性が働きやすいように、家事支援をしてもらうという。ここに書いてあることは、現在の日本とはあまりにもかけ離れている。何1つ実現せず、2020年を迎えるような気がする。
 規制改革後進国・日本のことも指摘している。なぜ、規制改革が進まないのかというと、既得権益を持っている人がそれを手離さないからである。いわゆる岩盤規制である。改革が遅れている農業分野では、日本の株式会社は農地を持てない。アメリカのエコノミストからみたら、職業の自由がないことになる。考えてみたら、今では正社員も既得権益になっているかもしれない。とりあえず、突破口を開くために、国家戦略特区が設けられたという。しかし、その内容を見ると、社会全体が変革されるまでに、これから果てしない時間がかかることが予想される。この本を読んでいたら、本当に気が遠くなってきた。今の日本人は既成の社会の価値観にしがみつき、何とか自分だけはサバイバルしようと必死でもがいている。社会変革に必要な過渡期の混乱に耐えうる精神的余裕はまったくない。日本のように一旦高度成長を経験した国では、破壊的な戦争や災害、大恐慌などが起こらない限り、急激な変革は起こらないような気がする。
 この本で1番面白かったのは、最後の部分である。これからのアメリカ、ヨーロッパ、中国のことなどが書かれている。ここでは、EUの問題を取りあげる。ヨーロッパは長い歴史の中で、近隣諸国との戦争を繰り返してきた。その反省から、1つの屋根の下で家族のようになろうという社会的・政治的要請が生まれた。ところが、ユーロという共通貨幣の導入は、固定相場への移行を意味した。本来調整されるべき為替ルートが固定されれば、問題が起きるのは当然なのである。経済の問題を軽視するわけにもいかず、まだ解決の糸口は見えていないという。最後に、フランスのトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」を紹介する。民主主義は多数決が原則であり、冷静で理性的な意見より、一時の感情的な意見が選択される可能性がある。それを避けるためには、国民が賢くなければいけないし、そのためにはメディアが重要な役割を果たすという。著者が指摘するように、まさに、現在の日本に求められていることである。

 

平成28年11月15日(火)

 少し前に、中古のカメラを買った。カメラばかり買っているようにみえるかもしれない。こればかりはまだ興味を失っていない私の趣味である。新しいカメラを買っても、1年ばかりで手離すと、買った時の半額ぐらいで売れる。高級コンデジと言っても、高くてもせいぜい7〜8万円である。重い高級一眼レフカメラには興味はない。それこそ、交換レンズ1本の方が高い。今回新品で買ってもよかった。価格コムで見ても、レンズキット付きで5万5千円もしなかった。キットのレンズより、もう少し倍率があった方がよかった。アマゾンの中古で本体とズームレンズを買った。
 発売は2年前の10月である。今回は小型最軽量のミラーレス一眼カメラである。何かというと、パナソニックのLUMIX GM5である。早速、去年の3月に出版されたこのカメラの本(日本カメラMOOK)を買った。お散歩カメラには、高い評価を得ていた。これで、メインのカメラは3台持っていることになる。ソニーのα6300も持っている。買ってそれほど経っていないのに、いつまにかα6500が出てしまった。その時、その時によって使いわけしていこうと思っている。今は年末年始の旅にはこの中古のカメラを持って行くつもりである。これからは紅葉のシーズンなので少しづつ試し撮りをしている。先週の日曜日は、天気がよかった。琵琶湖や延暦寺で撮ってきた写真を最後に紹介する。
 琵琶湖のマンションには週2回行けたらいい。土曜日に精神科の講演会があったりすると、週末に行けなくなったりする。車の中では、FMこころを聴いている。いろいろな人が出てきて、昔懐かしいロックの曲がかかっている。たまたま日曜日にこのカメラの試し撮りに車を運転していたら、ばんばひろふみが司会をしていた。3時間の番組である。私は海外のプログレに凝っていたので、日本のフォークなんて軟弱だと思っていた。ところが、この人が海外のロックにあまりにも詳しかったので舌を巻いた。一時期には、民族音楽にも凝っていたという。ネットで調べてみたら、私より3歳年上で、京都の祇園で生まれている。この番組では、他の司会者も含め、みんな生き生きと昔のロックを語っている。
 東山区は高齢化がどんどんと進み、新患の患者さんが減っている。最近来たお年寄りの患者さんである。若いドクターが開業している医院に半年間通院していたという。毎週眠前薬を変更してもらっているが、夜中に何回も目覚めて眠れないという。お薬手帳を見たら、睡眠導入薬が1種類使われ、他に眠気を催す抗うつ薬などが加えられていた。今は安定剤や睡眠導入薬として使われているベンゾジアゼピン系薬物は悪者扱いである。特に、睡眠導入剤を多めに使うと、それこそヤブ医者で、犯罪者扱いである。覚醒剤中毒の人が、日中から安定剤代わりに、エリミンをボリボリかじっているわけではない。患者さんは眠れなくて困っているのである。
 特に、ハルシオンやロヒプノールの評判は悪い。このお年寄りの患者さんにはロヒプノールも追加して、朝が残らないように微調整した。きょう外来に来て、よく眠れていると満足していた。ベンゾジアゼピン系薬物の依存などが必要以上に強調され、なるべく使用しないように推奨されている。薬物依存みたいな人に処方するのはもちろん気をつけなければならない。しかし、ほとんどの人はそういう人ではない。ここでも何回も書いているが、個人差が大きいのである。眠れなくて患者さんのQOLが損なわれているなら、上手に睡眠導入薬を処方したらいいだけである。量が多くならないように、半年間も毎週調整しても、眠れない人は眠れないのである。昔は大量に処方しても、何も支障はなかった。薬が残ったりふらついたりしたら、患者さんの方から薬を飲むのを拒否する。そもそも、ぐっすりと眠れて満足している人には、副作用は何も出ていないのである。もちろん、家族が寝てばかりいるという患者さんには気をつけなければならない。
 もともとベンゾジアゼピン系薬物については、APA(アメリカ米国精神医学会)も依存性は少なく、安全であるとお墨付きを与えていたのである。それも発売数十年経ってからでもある。発売数年ぐらいだと、予期しなかった副作用が出てくることもある。数十年も何も問題になっていなかった薬が、SSRIが発売されてから、急に副作用が強調されるようになったのである。新しい新薬であるSSRIを売るために、巨大製薬会社に雇われた広告代理店がベンゾジアゼピン系薬物の副作用を必要以上に強調したからである。
 薬物依存の患者さんやリストカットをするような人がベンゾジアゼピン系薬物を大量服薬して、救急病院を受診するようになったことも悪者扱いされる原因にもなった。しかし、大部分の患者さんは上手に利用しているのである。製薬会社に踊らされて、ベンゾジアゼピン系薬物を悪者扱いするドクターは、私からみたらまだ未熟の何もわかっていない経験不足の医者である。なしで済むなら、それでいい。しかし、患者さんが困っているのに、自己満足のために6ヶ月も苦しめて、QOLを損なっているのである。これ以上、毎週薬を変えても、患者さんの睡眠は改善しない。薬の効果には個人差があるので、必要な患者さんには充分な量を投与しなけれならない。私から言わせたら、何でも脳内の神経伝達物質で説明がつくと信じている精神科医こそヤブ医者である。これから10年も20年もしたら、私の言っている意味がわかってくるだろう。
 実は、きょうは読み終えた本を「今週のトピックス」で取りあげるつもりであった。しかし、きょうはもうゆっくりとしたいので、来週にまわす。

近江大橋  琵琶湖にマンションを買ってから、時間があったら、車で周囲を走っている。ここは、近江大橋を渡った草津側である。向こう岸にびわ湖大津プリンスホテルが見える。写真の左側に近江大橋がある。この写真はイオンモール草津店の屋上駐車場から撮った。

なぎさ公園1  近江大橋を渡った大津湖岸なきさ公園である。この日は本当に天気がよくて気持ちよかった。琵琶湖周辺は散策やサイクリングを楽しむ人が出ていた。広いので、それほど人は多くなかった。この写真は立体写真の原画ように少しぶれている。もうちょっと右に人がいたらよかった。

なぎさ公園2  向こう側に近江大橋が見える。もう紅葉のシーズンが始まっている。仕事に追われていると、なかなか琵琶湖に来る機会がない。滋賀医大にいたときから、もう30年以上経っている。久しぶりに訪れたら、本当にきれいに整備されていた。開放感があって、リラックスできる。

日吉大社  この写真は、日吉大社近くの比叡山鉄道坂本ケーブル乗り場に行く道で撮った。紅葉も所々見られた。数多く撮った写真の中で、個人的にはこの写真が気にいっている。この比叡山鉄道に乗って、延暦寺まで行った。たくさんの人が訪れていた。

琵琶湖  ケーブルの終点から歩いて延暦寺に行ける。途中、木々の間から琵琶湖が一望できる。少し霞がかかっていた。ケーブルに乗る時に、帰りの坂道は歩いて1時間半かかるといわれた。ゆっくりとハイキングをするにはいいいかもしれない。

延暦寺  私はケーブルを使って上ったが、延暦寺の近くには駐車場もあり、車で来ることもできた。紅葉の写真を撮るのは難しい。毎年撮っていたら、みんな同じような写真になってしまう。ちょうど西日が当たって、きれいであった。

平成28年11月8日(火)

 最近は酒を飲み過ぎると、調子がよくない。酒と言っても、ビールである。先週の月曜日から、休肝日を増やしている。今は飲むのは週2回である。土曜日だけは翌日がゆっくりと眠っていられるので、外すわけにはいかない。毎週火曜日は、この日記の後半からビールを飲んで書いている。きょうは一滴も飲まずに書こうと思っている。いつまで続くかわからない。今回は一大決心して、できたら、旅行や休日の前日以外はやめようと思っている。
 ついでに、昼食前に軽い体操をすることにした。以前は頑張って腹筋などの運動をしていた。最近は長いことやっていなかった。腹も出てきたが、ほったらかしにしていた。ダイエットも始めている。年をとると、段々出不精になってくる。少し前までは、気分転換に大阪までよく出かけていた。バスや電車を乗り継いで行くのが、段々と面倒臭くなってきた。あまり欲しい物もなくなったせいもある。美術展や写真展、演劇、ミュージカル、風俗も以前ほど興味がわかなくなってきた。老人道まっしぐらである。まだ、海外旅行や写真に興味があるので、ましかもしれない。
 この前の土曜日は、京都精神神経科診療所協会の学術講演会があった。京都府で精神科を開業している先生の集まりである。精神科病院のサテライト・クリニックをしている先生も含まれる。今年の5月の時点では、正会員が71名であった。私は開業して16年目である。ほとんどの先生は知っている。今回の演題は「抗精神病薬多剤大量処方からの安全で現実的な減量法:SCAP法」であった。講師の先生は、国立精神・精神医療研究センターの先生であった。スライドのレジメをプリントにして配ってくれたので、本当に助かった。メモをしていても、聞き逃すこともある。
 抗精神病薬というのは、主に統合失調症の患者さんに用いられる幻覚や妄想を抑える薬である。患者さんの症状がよくならないと、ついついたくさんの種類の薬を使ってしまう。海外では、多剤といっても、単剤か2種類かである。日本のように3種類も4種類も使われることがないという。現在よく使われている薬は、リスペリドン(リスパダール)とオランザピン(ジプレキサ)である。結局、急激な減量は、脱落する人が多かった。この日記でCP換算などあまり専門的なことを書いても面白くない。減量の速度についても、個々の薬について詳しく説明してくれた。よく単剤処方がいいようなことが言われている。しかし、この先生が減量しても、単剤より2剤が多いと話していた。
 講演会の後は、懇親会である。先輩の先生に、母校の精神保健指定医問題について聞いてみた。新しい教授を含め、府立医大精神科で8名が取り消し処分を受けた。聖マリアンナ医科大では、不正をした医者は1ヶ月、指導医は2ヶ月の医業停止を受けている。教授が就任したばかりで、まだ就任祝いも年末の同門会の案内も来ていない。もうすぐ、この件に関して説明会が催されるようである。私は昭和54年(1979年)卒である。当時卒業2年目(だったと思う)で、精神衛生鑑定医の資格を取った。ただ、申請するだけでよかった。精神衛生鑑定医になったら、鑑定を頼まれてややこしい仕事が増えると言われ、なる人も少なかった。私の世代は、精神保健指定医も学会の専門医もほとんど苦労せずに取得することができた。
 今回は症例の使いまわしが問題となっているようである。思春期の患者さんなど、なかなか集めにくい症例もある。それでも、不正は不正である。教授になったばかりで、ミソをつけたので、本当にこれからどうなるのか心配である。こういう類いのことは、実は精神科では意外に多くある。私がいつも問題にするのは、障害年金の診断書である。福祉事務所は、医療費や生活保護費を減らすために、自立支援医療や精神保健福祉手帳、精神の障害年金を申請させようとする。前から書いているように、統合失調症や双極性障害(躁うつ病)の患者さんについては、ある意味でまだ一生の病なので適応になる。
 1番困るのは、適応障害やうつ病である。薬を処方する時に、適応障害の病名では保険が通らない。保険病名として、うつ病やうつ状態という病名をつけなければならない。そうすると、福祉事務所は鬼の首でもとったように、うるさく自立支援医療の申請を言ってくる。医療費が自治体から国に変わるからである。精神保健福祉手帳もそうである。仕事ができないから、精神保健福祉手帳ではない。「日常生活ができない」が、精神保健福祉手帳の対象である。1番問題になるのは、うつ病の障害年金である。うつ病のほとんどの患者さんは、治療をしたら、仕事ができなくても、日常生活には支障がないように回復する。今はうつ病の専門病棟を持っている精神科病院も多い。そもそも入院治療もせず、いきなり障害年金を申請するのはおかしい。
 ここでも何回も書いていることである。障害年金は数年ごとに更新する。そうすると、他の医院から転院してきた患者さんの中に、どうして障害年金の2級なのかわからない人も少なくない。仕事はできないかもしれないが、日常生活には支障がないのである。パニック障害みたい人に障害年金を出していたらきりがない。まだそれほど長く患者さんを診察していないので、でっちあげみたいな継続の診断書を書かざるを得ない時もある。障害年金は国からお金が出るので、それこそ実際の症状より強めに書いたら完全な犯罪になる。先ほどの、精神保健指定医の資格取得の不正どころでない。生活保護の人に限らず、健康保険を使っている人も必死である。年間80〜90万円もらえるのである。ろくに通院していない患者さんでも、更新の時期になると、具合が悪いとかいろいろ訴えてくる。
 こんないい加減な障害年金の不正がいつ問題になるかである。私はいろいろ場合を想定している。たとえば、精神科疾患とは関係ない知能犯の誘拐事件などである。誘拐した子どもを殺したとする。たまたま、その犯人がうつ病という病名で不正に障害年金2級のお金をもらっていたら、大問題になるだろう。そのうち、この様な類いのことが起こってくる。妄想とは関係なく、大事件を起こした犯人が、不正に(近所の人は元気な姿しかみていない)精神の障害年金を受け取っていた場合である。その診断書を書いた医師の責任が厳しく問われるようになる。
 懇親会では、山科で開業したばかりの先生とも話した。新患の患者さんに1時間もかけるという。開業する前に勤めていた精神科病院では、私の患者さんも大変お世話になっている。是非とも、地域の住民のために頑張って欲しい。大手筋で開業している後輩の先生に聞いたら、患者さんの数は減っているという。私の開業している東山区は高齢化が進んでいる。私の医院でもピーク時に比べたらだいぶ患者さんは減っている。後輩の先生の方が、私の医院より患者さんの数は多かった。75歳でも週5日やっている先輩の先生もいた。この会には出てこない80歳を過ぎた先生もいる。結局開業医は、それこそ死ぬまで仕事をし続けるということがよくわかった。最初に、きょうはビールを飲まないと約束した。しかし、途中から缶ビールを1本飲んでしまった。酒を飲まないと、どうも筆の走りに勢いがつかないような気がした。

今週のトピックス 18  (161108)

鬼頭宏昌「3億円つかってわかった資産のつくり方」(ビジネス社)
鬼頭宏昌「3億円つかってわかった資産のつくり方」(ビジネス社)

   この本は、滅多に読まない日経新聞の広告に載っていた。10月30日(日)だったと思う。最近の新聞の広告では、ベストセラーと書いてあることが多い。ついついアマゾンで注文してしまった。この本は、前半が面白く、実際に読んでいて元気が出てきた。後半は、内容的にはそれほどでもなかった。いろいろな本を読んできた私としては少し物足りなかった。著者は、現在42歳と若い。名古屋で赤字転落した親の会社を引き継ぎ、居酒屋を6年で20店舗にして、年商20億円の外食チェーンに育て上げた。32歳の時に、事業を売却し、現在はフランチャイザー(本部)として、活躍している。
 赤字会社を優良企業にして売却した値段は6億円である。その後、リーマンショックや福岡の飲酒運転でぶつけられた車が橋から落ちて、3人の子どもが亡くなった事件が起きる。売却した居酒屋も苦しい経営が強いられたようである。この売却益と銀行からの借り入れで、30代の約10年間で3億円を越えるお金を使ったという。最初に5000万円ほど株に投資し、半分ぐらい損をしている。
 この本では、価値の下がらないものにお金を使えという。著者は名古屋の人気の土地を200坪ほど買って、自宅を建てている。家や車など、金額の大きいものにお金をつかう際は、リセール(売却)を常に意識することが大切になってくる。資産になるものを所有するには、目利き力や売買のタイミング(相場)、有益な情報をもつ「インサイダーの有無」、そしてそれらをひきよせる「運」が大事だという。私はバブルの時に自宅を初めて買った。売った時にはローンの利子ばかり払っていたので、3〜4千万損をしている。前にも書いたように、43歳の時に本当に一文無しになった。
 新築マンションのことについても書いてある。普通の新築マンションは1年後に価値が10〜20%下がり、毎年2%ずつ下がっていくと言われている。駅近や人気エリアの物件は利便性が高いだけではなく、そのそも数が少ないので希少性が高く、価値が下がりにくい。だから、駅から離れた身の丈にあったマンションではなく、少し背伸びしたマンションを買えという。価値の下がりにくいマンションは、毎月の返済が貯金代わりになるのである。家計に占める割合が最も大きいのが家である。資産価値が目減りしない家を選ぶことが、最も合理的な資産形成になる。
 著者は飲食店の経営をしていたので、店選びのポイントの一つは、コストパフォーマンスだという。値段が上がれば上がるほど、クォリティや満足度の差が小さくなり、コスパが下がる。六本木ヒルズの賃料は高いので、いい材料が使えない分、売価が高くなる。だから、著者は客単価1000〜1500円くらいでお値打ちな店を探すのをライフワークにしている。キャバクラにはまったり、ブランド物を買い漁ったり、いつまでも欲や見栄にダラダラお金を使っていたら、金運から見放されるとも書いてある。
 他にも、新車のフェラーリの特別仕様車は、買った値段と同じ値段、もしくは高く売れるという。その点、ベンツは新車で買わずに値落ちしている中古で買った方が得だと書いてある。私は新車しか乗ってこなかった。次はレクサスの1番安い車(1番小さい車)を考えていた。この本を読んでいたら、ベンツやレクサスの中古でもいいかと思ってきた。トヨタのヴェルファイアもあまり値段が下がらないようである。お金持ちほどどんどんと借金をして買うことで、どんどんと資産を膨らませているという。そう言われても、私はもう年なので、借金を作る気にはなれない。この本を読んで、一流企業の役員より、成功している中小企業の社長の方がけた違いに大金持ちだとよくわかった。

 

平成28年11月1日(火)

 最近、朝早く目が覚めてしまう。開業しているので、昼に20分ほど寝たらどうということはない。それでも、何日も続くと、気になってくる。きのうの夜は10時過ぎに寝て、きょうは4時前に目覚めた。トイレが近くなったわけでもない。仕方ないので、寝る前に読んでいた本を読んでいた。ぐっすり眠るには、寝る前にあまり本は読まない方がいいようである。しかし、これは私の習慣である。寝ながら本を読んでいて、眠くなったらそのまま寝てしまう。きょう紹介する「今週のトピックス」は間に合わないと思っていた。おかげで、最後まで読むことができた。今回は、今朝読み終えた本を優先して紹介しようと思う。
 琵琶湖のマンションは、一通り各部屋にも家具はそろえた。しかし、半年もすると、使い勝手の悪い部分も出てくる。リビングやキッチンには比較的豪華な家具をそろえた。この部分には特に不満もない。問題は、布団やベッド、枕である。寝心地が、すごく悪いのである。10月30日(日)はこのマンションに泊まった。きのうは仕事があるので、朝5時に目覚ましを合わせた。京都駅のマンションに泊まる時にも、仕事がある時には朝5時起きている。ところが、きのうの朝は3時前に目が覚めてしまった。布団の中にはいっていても、居心地が悪かった。読みかけの本を読む気にもなれなかった。仕方ないので、3時頃に起きて、車で医院に4時前に帰ってきた。それから、医院で2時間ほど寝た。医院の布団や枕は心地よかった。
 実は、琵琶湖のマンションでよく眠れないので、敷き布団や枕は何回も換えている。ベッドは、畳ベッドである。何が悪いのか、よくわからない。ビジネスホテルのふわふわした枕はあまり好みではない。しかし、どこのビジネスホテルに泊まっても、ぐっすり眠れる。敷き布団はせんべい布団みたいな方が好きである。枕も少し低めのそば殻の安いので充分である。敷き布団については、堅め、柔らかめ、普通、厚め、薄めなどを試したが、もう一つしっくりしない。枕もいろいろ試したが、だめである。医院や京都駅のマンションで使っている布団はもう15年以上使っている。身体にしっくりくる。つい最近、値段の高い敷布団を買ったばかりである。これもだめだったので、残りの敷布団を直接床に敷き、枕の高さをもっと低くして試してみようと思う。
 家具を選ぶのは難しい。私は机の高さや椅子の座り心地、和室テーブルの高さには神経質になる。少し前に診察室の椅子が壊れて新しいのに換えた。ところが、座り心地が悪く、3つ買い換えた。今の椅子も正直言ってもう一つである。値段が高ければいいというものでもない。実際に、長いこと座っていると座り心地の違いがよくわかる。琵琶湖のマンションの和室テーブルの高さも少し高かった。横幅も120cmほどである。もうちょっと小さくてもよかった。私は和室テーブルには座椅子を使う。テーブルが高いと、この座椅子を選ぶのも大変である。1番しっくりくるのは、これも医院の和室テーブルと座椅子である。
 最近、またCNNを見るようになった。ニュースでは、シリアのアレッポやイラクのモスルのことばかりで、見ていてもあまり面白くなかった。久しぶりに、インターネットでCNNjの番組表を調べてみた。日曜日に、「潜入! アメリカ裏社会」のドキュメンタリーをしていた。早速10月30日(日)に録画して、この番組を見た。原題は、「This is Life with Lisa Ling」であった。私が録画したのは朝5時からの1時間である。この後で、2カ国語の再放送があるようである。日本語の番組を見ても、あまり意味がない。ニュース英語はまだ聞き取り易い。ややこしいディスカッションになると、私の英語力ではだめである。このドキュメンタリーも聞き取りにくかった。しかし、テーマは私の専門の薬物中毒である。最後まで、興味深く見ることができた。
 舞台はシカゴである。ここのヘロイン中毒が取りあげられていた。ヘロインの過剰摂取で、救急病院に運ばれ亡くなる人も多い。メキシコから大量の安価なヘロインがはいってくる。シカゴでは、不況で多くの黒人が仕事を失っている。ここではヘロイン中毒に陥った黒人だけではなく、24歳の白人の男性と19歳の女性も出てきた。1人は通りでヘロインを買うお金をせびり、1人は誰も住んでいない建物に住んでいる。この女性は、イヤホンで腕を巻いて血管を出し、ヘロインを注射していた。警察も、逮捕より薬を断つプログラムを導入したりしている。しかし、この少女はDetox(解毒)するために施設にはいっても、2日で出てしまっている。
 日本では、ヘロインは流行していない。深刻な薬物依存は覚醒剤である。一旦依存に陥ると、やめるのは至難の技である。番組でも出てきたように、薬物を手に入れるために、友人から借金をしたり、嘘を平気でつく。誰からも信用されなくなる。私は精神科医の中でも、覚醒剤の患者さんは大勢診察している。患者さんにはよくだまされている。覚醒剤をやっていても、そのことは隠し、体調が悪いとか夜が眠れないとか、いらいらすると訴える。再び覚醒剤に手を出してはいけないと思い、いろいろ薬を変えるが、少しも改善しない。そのうち、警察に逮捕されたと連絡がはいる。毎回その繰り返しである。ダルクやNAなどの自助組織も大事である。しかし、合う合わないもあるので、すべての人に適した治療法ではない。アルコール依存と同じで、きょうは手を出さないと心に念じ、1日1日をクリアしていくしかない。  

今週のトピックス 17  (161101)

半藤一利 保阪正康「賊軍の昭和史」(東洋経済新報社)
半藤一利 保阪正康「賊軍の昭和史」(東洋経済新報社)

   きょうの朝刊を読んでいたら、天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議のことが出ていた。11月に実施する専門家16人の意見聴取の日程が発表されていた。この中の1人が、この本での対談者であるノンフィクション作家の保阪正康である。他のメンバーを見ていたら、南京(大)虐殺はなかったと主張している渡部昇一や桜井よし子がはいっていた。あの憲法学者の百地章もである。
 保阪正康は、10月28日の京都新聞で、逝去された三笠宮殿下の100年について書いていた。私は知らなかったが、昭和天皇の弟宮である三笠殿下は、南京の支那派遣軍総司令部に赴任していた。この間に軍内部でさまざまな虐殺事件を耳にして強い衝撃を受けている。渡部昇一や桜井よし子は、南京大虐殺は戦後突然出てきた話だと主張している。パソコンで、10月29日のマイクロソフトのニュースを見ていたら、朝日新聞デジタルの記事が載っていた。産経新聞が、「今週のトピックス 13」でも取りあげた、日本テレビ系で放送された南京事件 兵士たちの遺言について、「『虐殺写真』に裏付けなし」という見出しの記事を掲載した。捕虜の殺害についても、「暴れ始めたためやむなく銃を用いた」とする大学教授の見方を紹介した。この記事に対して、日本テレビが抗議したという。この番組だけでは理解できにくい人は、清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)を読んだらいい。TVで放映できなかったことも書いてある。
 私がどうして南京事件にこだわっているかというと、この問題は単なる国内の政治家のスキャンダルとは違うからである。国内問題は国内で解決したらいい。しかし、虐殺の規模ははっきりしなくても、南京事件があったことは疑いない。それをなかったと主張するのは、国際社会の中での日本の信用にかかわることである。それと、やったことをやらなかったと主張するのは、本来日本人が1番嫌うことである。これからますます中国が力をつけていく。私は1番恐れているのは、日本が国際社会の中で恥知らずの国になることである。前回紹介すると書いたヘンリー・S・ストークス「戦争犯罪国はアメリカだった! 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄」(ハート出版)も、歴史修正主義者と同じで、日本軍はアジアを解放したと主張している。中国や韓国だけではなく、この前来日したドゥテルテ大統領のフィリピンも、戦後は反日感情が強かったのである。
 現在の中国に対して批判する人は批判したらいい。しかし、かって日本軍が中国でしたことは、決して正当化されるわけではない。日本人は他国の軍隊がはいってきていないので、特に日本会議の人は侵略されたアジアの人々の気持ちがわからない。各地で、勝手に銃で農民の食べ物を奪い、時には非人間的な振る舞いをしているのである。いろいろな本を読んでいると、時々関係のない所で日本軍の蛮行が出てくる。実は、前回紹介した安田峰俊「野心 郭台銘伝」(プレジデント社)でも出てくる。郭台銘の父親は、山西省出身で、故郷を占領した日本軍への怒りから、他の若者とともに軍事訓練を受け、抗日宣伝活動に参加するようになっている。母親は山東省青島で育っている。「日本の憲兵隊は横暴だった。あるオーナー企業家の財産を寄贈という名の下で没収するばかりか、たった1人の幼い子どもを殺したそうです」と母親から聞いた話をしている。
 さて、この本である。私は前から書いているように、幕末から明治にかけてはほとんど無知である。この本を読んで、本当に勉強になった。まず、天皇の御旗「錦の御旗」を揚げたほうが官軍で、それに反する方が賊軍になる。鳥羽・伏見の戦いで、薩長軍が立てた「錦の御旗」(実は作りもの)で幕府側に勝っている。戊辰戦争後は、賊軍は差別を受け、賊軍藩の出身だと、官僚として出世できなかった。靖国神社の起こりは、戊辰戦争の官軍側の戦死者を慰霊する招魂社である。幕府方は賊軍、薩長方は官軍というだけの理屈だけで、賊軍である西郷軍も佐久間象山も入っていない。
 その後、陸軍長州、海軍薩摩という軍閥ができ、バカでも長州出身ならば大将になれたと書いてある。ただ、この薩長閥にも、日清戦争、日露戦争で勝った功績がある。しかし、薩長閥の流れをくむ艦隊派によって、海軍は対米戦争へと向かわされていった。当時、対米戦争に反対していた条約派の流れをくむ人たちは、全部、中央から外に追い出された。半藤は、近代日本を作ったのは官軍であるが、この国を滅ぼそうとしたのも官軍の連中で、この国が滅びようとしたときに、何とか国を救ったのは、全部、賊軍の人たちだったと述べている。この中には、ポツダム宣言の受託を決め、昭和の戦争を終結させた賊軍藩出身の鈴木貫太郎首相も含まれる。
 陸軍を動かす中心は、長州閥から宇垣系へ移り、その後、皇道派・統制派と移っていく。昭和の陸軍で、皇道派と統制派ができる前の一夕会(いっせきかい)についても詳しく書いてある。昭和11年に起きた二・二六事件は、皇道派(天皇親政の強化や財閥規制などの主張した陸軍の派閥)が起こしている。永田鉄山に引き立てられた東条英機は統制派(軍内の規律統制を尊重する)で、皇道派の粛正をする。
 第3章では、賊軍出身の石原莞爾のことについて書いてある。満州事変を起こして満州国を作った人物である。この本では、思想のない東条と国家の設計図があった石原と書いてある。日清・日露戦争で勝ったということで、日本独自の軍事学を構築せず、ドイツの軍事学を輸入してしまう。近代戦に即応しない形だったのに、何も変えることなく昭和にはいってしまった。石原莞爾は独自の軍事学を持ち込もうとした。また、戦争の終わらせ方についても考えていた。面白いことに、昭和天皇は石原を嫌っていたという。
 ここでは、よく言われている昭和の軍人の暴走が、制度の矛盾に根本的原因があることを詳しく解説している。1人の天皇に、立憲君主と軍の大元帥という二つの役割を背負わせたことである。昭和天皇は「君臨すれど統治せず」の原則を貫いて、政治は内閣の決定を受け入れ、自身の意志は抑えていた。軍事も同じで、統帥権を実際に行使するのは軍人達に一任するという態度を崩さなかった。現実に天皇の代理人として統帥権を行使していたのは、陸軍の参謀本部、海軍の軍司令部の参謀たちであった。統帥権独立という名目で、軍の参謀たちが、好き勝手に兵隊と国民を動かしていたのである。陸軍では、天皇が口を出して言っていないことでも、自分たちが察して実現し、天皇を名君主にすることができるとし、「大善」と呼んでいた。
 この本では、海軍のことについても詳しく解説している。官軍派と賊軍派という区分けの他に、親ドイツ派と親英米派である。その後、イギリスが日英同盟を破棄したりして、勉強先がドイツに変わる。この本では、なぜ、海軍の連中がヒトラーに傾倒したのかについて書いている。ヒトラーのハニートラップにみんなやられたのである。ドイツに留学すると、ハウスキーパーという名目ですごい美人がついたのである。最後の章では、賊軍藩出身の今村均陸軍大将のことが書いてある。インドネシアのジャワ司令官だったときに、温情的に現地の人を扱った。インドネシアの善政はわずか1年だけだった。歴史修正主義者のように、当時の陸軍はみんなそうだったと主張するのは、今村を侮辱することだと保阪は述べている。

 

平成28年10月25日(火)

 きょうは午後から往診に行っていた。ある患者さんの所で、TVがついていた。ワイドショーをやっていて、女優の高樹沙耶が大麻取締法違反の疑いで現行犯逮捕されたことが放送されていた。私はタレントには詳しくないので、どこかで見た顔ぐらいである。この中で、高樹沙耶が大麻解禁論者であることが報じられていた。昔は、精神薬理学の小林司が大麻解禁論を唱えていた。「新精神薬理学―行動への薬理学的アプローチ」 (1968年)の本を編集したれっきとした学者である。正式な名前を忘れてしまったが、フランス国立精神保健センターかどこかから、「大麻はタバコより害がない」と発表されたこともある。それでも、わが国で大麻の使用は犯罪である。私はアンチ・ドラッグ派なので、特に大麻解禁を望んでいない。むしろ、長いことポルノ解禁を望んでいた。これも、今ではインターネットが発達してほぼ解禁状態と言えるかも知れない。もう年も取ったので、昔ほど熱心な要望ではない。それでも、死ぬまでに、モザイクが取れたアダルト・ビデオを見てみたい。
 この前の土曜日の夜は、ある製薬会社主催の講演会があった。今回は講演が2題あった。それぞれの座長を府立医大と京大の精神科教授がした。母校の府立医大教授は新しくなったばかりで、平成7年卒であった。個人的には、あまり面識のない先生である。穏やかな雰囲気の先生であった。ホームページで教室のメンバーを見たら、みんな若返っていた。こちらは、ますます年老いていくばかりである。
 最初の講演は、「統合失調症薬物治療ガイドラインとスーパー救急病棟における薬物療法」であった。演者は、昭和大学准教授であった。ときどき、外来の患者さんが急変し、精神病院にお世話になることがある。昔と違って、京都でもすぐに対応してもらって、本当に助かっている。開業する前には、土・日の精神病院の当直にも行っていた。最近のスーパー救急がどうなっているのか、勉強になった。2つ目の講演は、「ドパミン過感受性精神病の病態と治療」であった。演者は、千葉大教授である。ここでは、ハロペリドール3mg、リスペリドン6mg、クロルプロマジン600mgが、ドパミン過感受性精神病を起こさない分量の目安となっていた。この年になると、どんな仮説に対しても、懐疑的になる。どうしてかというと、私は37年間精神科医をしているが、次から次へと仮説が出ては、消えていったからである。実際に脳内で起きていることは、個人差もあり、なかなかわかりにくい。それでも、講演の内容は面白かった。
 講演会の後は、懇親会である。ここでは、ふだん滅多に合わない先生と会った。滋賀県の精神病院で院長をしている先生である。私は、若い時に2年間だけ滋賀医大に助手(現在の助教)として行っていた。この時にいた私より若い滋賀医大の先生であった。こんなことを書くと、楽しい思い出があふれているように思われるかもしれない。実際は、ここの教授が厳しく、本当に大変であった。(まだ控えめの表現で、地獄といってもいいぐらいであった) 東大卒の先生で、論文を書かなければ人でないような言い方をするタイプの先生であった。いわゆる研究至上主義である。臨床そっちのけで、わけもわからず、まったく興味のないラットやマウスの動物実験の手伝いをさせられた。しかし、どこの病院に行っても臨床の論文を書く癖をつけてくれたのは、この先生のおかげだと今でも感謝している。私の時代は、論文を書かない人はただの人(その他大勢)とみなされていたのは事実である。
 久しぶりに話をしたら、この院長の子どもは2人とも国立医学部に入学していた。私は晩婚なので、息子がまだ私立医学部の3回生なのは仕方ない。2人目は9年間できなかったということで、まだ同じ3回生であった。府立医大の同窓会で、私より年上の先生の子どもが私の息子の同級生だと聞いたときにも少しほっとした。私とそれほど年齢の変わらない先生の子どもが、私の息子と同じぐらいだと聞くと、妙に安心する。この年になっても、私だけでなく、みんな頑張っているのだという連帯感みたいなものを勝手に感じる。この院長はベンツに乗っていた。私は16年目の車である。息子が車を買いたいというので、中古車ならと許可した。体育会系のクラブでよく使う。スバルのレガシーを選んできて、値段は200万円以上する。私も1度は乗ってみたかった車である。住所変更はしたくないと言い、車庫証明をどうするかでゴタゴタもめている。車が欲しかったら住所変更ぐらいしろと言いたいが、成績は悪くないので、何も言えていない。

今週のトピックス 16  (161025)

安田峰俊「野心 郭台銘伝」(プレジデント社)
安田峰俊「野心 郭台銘伝」(プレジデント社)

 この本は先週にアマゾンで注文し、あっという間に読んでしまった。本当は、釜山に持って行き、帰ってから読み終えたヘンリー・S・ストークス「戦争犯罪国はアメリカだった! 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄」(ハート出版)を紹介するつもりであった。この本については、また延期して来週にしようと思う。私はこれでも日本会議寄りの本も読んで、参考になるところは参考にしようと思っている。もちろん、批判する所は徹底的に批判する。今回紹介する本は厚紙の表紙で、新書とは違い、いかにも単行本という感じがした。しかし、けっこう活字は大きく、上下も行間も空いている。今読んでいる戦争責任を論じた本は、わずかに厚いだけである。しかし、びっしりと活字が埋まり、内容も濃いので、読み終えるのに3倍以上時間がかかりそうである。10年前に買った本である。値段は、今回紹介する本の方が高い。
 さて、郭台銘(テリー・ゴウ)というのは、シャープを買収した台湾の鴻海(ホンハイ)の会長である。彼が経営する鴻海グループは、グローバル企業ランキングで世界26位である。ちなみにこれを上まわる日本の企業は、第8位のトヨタだけである。台湾で有数の財閥として知られている奇美グループの創業者・許文龍は、立派な人格者として知られている。しかし、会社を売るはめになったので、郭台銘の方が尊敬できる企業家として認められているという。グループ全体で100万人を越える従業員の大部分は中国で、フォックスコンと呼んでいる。もとは、1974年に約230万円で創業した町工場であった。現在は、アップルやデルが最大の顧客である。郭自身がプライベート・ジェットを使って、取引相手の子どもの誕生日のプレゼントを贈りに行くという。
 2015年の売上高は16.9兆円であるが、純利益は4000億円強しかない。鴻海は「下請け」や「組み立て屋」といった単なる受託生産企業ではない。新製品のプロジェクトや設計や試作を担当し、製造部品の調達、製造、発送、補修などのアフターサービスまでのすべての工程を担うEMS(Electronics Manufacturing Service)企業なのである。しかし、収益率の低いEMS以外に手を出した家電量販店などの事業ではあまりうまくいっていない。中国最大の工場基地は深センにある。ここでは、12時間立ち続けの仕事で、2010年には125日間の間に、工場の敷地内で13人の中国人が自殺し、10人が死亡した。この工場内では数十万人の従業員が働き、町のようになっている。自殺した従業員も、失恋などプライベートなことである。工場の待遇としては、他の工場と比べてよかった。それでも、従業員のストライキや暴動がたびたび起こった。ちなみに、1973年のトヨタの工場でも絶望工場と呼ばれ、期間工は1日10時間の立ち作業で、人間味に欠けた職場環境で、低賃金で働かされていた。
 鴻海は1988年の中国進出以来、各地の人民政府と密接なコネを築いてきた。フォックスコンの系列工場を設立することで、労働者を雇用しているのである。統治地域を不況にしないことが、地方幹部の課題である。フォックスコンは中国における企業別輸出額の第1位を占めている。経済指標の良好化に最も貢献している企業なのである。だから、中国共産党の言いなりどころか、むしろ地方政府や党の地方機関をアゴで使う強者の立ち場なのである。
 ホンハイがシャープを欲しがる理由として、液晶技術の欲しがっているというのは、とんだ見当違いだという。経産省が公的資金を使う口実として「技術流出」を口にするが、今のシャープの液晶事業は流出して困るような技術はほとんど残っていないという。この本にも書いてあるように、特に、中国への流出については、「機密保持」という顧客の信頼の源泉を損なうリスクを冒してまで、中国当局に先端技術を譲り渡す可能性はかなり低いのである。
 郭個人のことについても、生い立ちから詳しく書いている。衣食住にはあまりこだわりを持たない。シャープの買収に伴う来日時にも、吉野屋の牛丼を好んで食べていた。私も昼食は近くのスーパーで280円の鶏めしを買ってきたり、うどんやソバの具を買ってきて、自分で作って食べている。仕事以外にお金は使わず、1ヶ月1万台湾元(3万4千円ちょっと)も使わないと本人が述べている。カネで幸福は買えないとも言っている。妻は乳がんで55歳で亡くなり、後継者候補に考えていた弟も白血病で亡くしている。その後、いろいろな女性と浮き名を流し、2008年に現在の妻(当時33歳)と再婚している。この間、長女、長男、次男を授かっている。郭は現在66歳である。
 最後に、シャープの買収についてである。日本ではシャープがホンハイに騙されて買い叩かれたような報道がなされていた。2012年当時、シャープと提携交渉中に、5代目社長から6代目社長に交代し、6代目社長を差し置いて創業者一族の元社長や前社長が口を出し、社内が混乱して誰と交渉したらいいのかわからない状態であった。意思決定にも時間がかかり、責任者がころころ替わっていた。2012年3月に資本提携を合意してからほぼ1ヶ月、シャープは決算で過去最大となる赤字3760億円計上した。シャープは巨額赤字が出る予測を事前にホンハイに知らせなかったばかりか、以前に決めた1株550円の株式買い取りにこだわった。5月には390円ほどに低迷し、8月には180円台に落ちたのである。そのため、この提携が立ち消えになった。また、買収契約の調印寸前にシャープ側から出された3500億円分の「偶発債務」も明らかになったのである。今年6月に、ホンハイは国内外のシャープ社員の7千人規模のリストラという極めて過酷な人事案を提案している。現在のシャープには、優秀な人材はあまり残っていないという説もある。ここにも書いてあるように、まさに、キツネとタヌキの騙しあいなのである。

 

平成28年10月18日(火)

 油断をしていたら、また風邪をひいてしまった。15日(土)の朝から何となく調子が悪く、だんだんとひどい咳が出て、鼻水も出るようになった。私のいつものパターンは、のどがイガイガして、そのうち扁桃腺が腫れてきて、咳が止まらなくなる。私はPLは効かないので、市販薬を飲んでいる。きのうは最悪であったが、きょうは少しましになってきている。私は風邪にかかると、免疫機能が弱いのか、本当に1ヶ月ぐらいは治らない。今回はのどにこなかったので、早く治ることを祈っている。
 土曜日の夜は、新しい抗うつ薬の発売1周年記念講演会に行ってきた。薬の分類としては、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤)になる。現在よく使われているサインバルタと同じである。どうして、1周年記念講演会かというと、新薬は1年を経過しないと4週間処方ができない。どんな薬でも、発売になってから1年間は最大2週間しか処方できない。昔は倍量処方と言って、投与期間を延ばすために処方量を倍にして出すこともあった。しかし、最近は厳しくなって、新薬の倍量処方は完全な不正請求になる。だから、新薬と言っても、最初の1年間はなかなか使いづらかった。
 咳をしていたら、迷惑になるのでマスクをして行った。講演会の対象範囲は北陸も含まれていたようである。富山や神戸からも参加しており、100人を越えていたという。私は風邪をひいていたこともあり、懇親会には参加しなかった。府立医大系の先生はあまり参加していなかったようである。最初の講演は、京都駅の近くで開業している京大系の先生であった。演題名は「いまどきのうつ病は薬が効きにくいのか?ーうつ病診断治療のツボー」であった。みんなそれぞれのとらえ方があって、それなりに面白かった。2題目は、藤田保健衛生大学医学部教授の「うつ病の病態解明と新規抗うつ薬の展望」であった。この先生の話は、最初の現在の医学教育についての話が面白かった。
 日曜日は、午後から医院に出て、また障害年金の診断書などを書いていた。更新の診断書の最終届け日は誕生日月の末が多い。10月末が締め切りだというのに、15日(土)に持ってきた患者さんもいた。中には、締め切り数日前に持ってくる患者さんもいる。連休は釜山に行っていたので、書かなければならない書類がたまっていた。風邪をひいていたこともあり、なかなかやる気になれなかった。いやいやながら、とりあえずこの日に書かなければならない診断書類を2時間ぐらいかけて書いた。毎月書いている障害者福祉手帳や自立支援医療用の診断書の更新はまだである。早く書かなければならないので、本当にうんざりである。
 日曜日の午後5時半からは、毎年恒例の「東山医師会『秋の集い』」があった。今回の演者は、彦根市教育委員会事務局の課長補佐である。演題は、「彦根城の魅力 ー近世城郭を問い直すー」である。現在、姫路城が世界文化遺産に登録された。彦根城も世界文化遺産の登録を目指しており、姫路城との違いをいかにアピールしていくか、苦労されているようである。話はわかりやくて、面白かった。彦根城だけではなく、日本のお城全般についてその特徴を教えてもらった。天守にもいろいろあり、現存天守、復興天守、木造復元天守、模擬天守まである。地震の被害にあった熊本城は復興天守である。模擬天守というのは、城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したか不明な城に建てられた天守のことである。私たち素人は、お城を見たら実在していたものと思ってしまう。勝手に、架空のお城を造っていいのかと思う。
 講演会の後は、懇親会に参加した。今回は京都第一赤十字病院から参加していた3人の先生と同じテーブルであった。1人の先生は、私が在籍していた時にお世話になった先生である。副院長を65歳で定年退職し、今年の4月からも別の部署で働いているという。施設基準などで、資格を持っている先生が必要なようである。奥さんと海外旅行にも出かけていて、ハンガリーのブタペストが1番よかったという。私も東ヨーロッパには1度は行ってみたい。他には、循環器内科とリューマチ内科の部長が参加していた。
 現在の院長は70歳になり、来年の3月で定年退職である。私が心療内科の部長をしていた時には、副院長として病院改革の先頭に立って本当に苦労されていた。同じ長野県にある別の高校出身ということで、身近に接してもらった。人事の事でも、解決には至らなかったが、こちらの無理な話も聞いてもらえた。さて、次の院長である。私は現在の副院長の中から選ばれるかと思ったら、事はそう単純ではないようである。現在の院長が副院長の時には、院長は定年退職した府立医大の教授が来ていた。おそらく、この院長の強力な推薦で大学の圧力をはね返し、副院長がそのまま院長になれたと思う。それぐらい貢献し、古い体質の赤字病院を現在のような一流病院に変えた。各科の部長や当時の婦長などが集まる管理者会議では、自分より年上の各科の部長から毎回いろいろ言われていた。本当に額に汗して、改革のために病院中を飛び回っていた。
 少し前の京都新聞に、長岡京の京都済生会病院が赤字で、市の負担をどうするかが載っていた。府立医大の教授が定年退職して院長として就任したことは、この席で聞いた。府立医大系の関連病院でトップに来るのは、京都第一赤十字病院と京都第二赤十字病院である。京都医療センターと今では京都市立病院も京大系である。教授の定年退職は65歳である。今は昔と違って、退職してもあまりいい就職先がないと聞いている。京都第一赤十字病院の次の院長は、大学から定年退職した教授が来る可能性も否定できないのである。
 さて、前回の続きの釜山の旅である。10月10日(月)は前日とはうって変わって、曇り空であった。毎週月曜日は、釜山シティツアーのバスは休業日になる。自分で、目的地に地下鉄やバスを使って行かないといけない。この日は、太宗台と甘川文化村に行った。地下鉄は1日乗車券が4500ウォン(427円)で、迷うことなくどこにで行ける。問題は一般のバスである。バス代は1回1300ウォン(123円)で高いわけではない。バス停の表示がハングル語で、どのバスに乗ったらいいのかさっぱりわからない。以下に、写真付きで解説する。実は、この旅行の時に最初に持って行った本を読み終えた。今週のトピックスで取りあげようと思った。きょうは風邪をひいているので、あまり無理をしないことにした。来週はあまり書くこともないと思うので、次にしようと思う。

南浦  太宗台に行くために、地下鉄で南浦まで行った。ここから太宗台行きのバスに乗る。バス停の表示では、何が書いてあるかよくわからない。調べた番号のバスに乗るが、行きの方向なのか帰りの方向なのかもわかりにくい。この写真は、バス停近くの橋から撮った。

太宗台1  太宗台は前回の旅行の時に来た。この時には、月曜日が釜山シティツアーの休業日とは知らずにバスを待っていた。現地の民間の業者がその場でバスツアーを募っていて、それに参加した。韓国語の案内はさっぱりわからなかった。しかし、ツアーの参加者はみんな親切にしてくれた。

太宗台2  前の写真は、太宗台を巡るトラムカーである。料金は2000ウォン(190円)であった。私は前回の時には、自分がどこに来ているかもわからなかった。待ち時間も少なかったので、これには乗らなかった。途中で降りると、海沿いの遊歩道があり、こんな景色が見れる。

太宗台3  トラムカーに乗らず、歩いて1周することもできる。けっこう坂道になっていた。私はバス停からトラムカーが停まっている所まで歩いただけで息切れがした。海辺に住んでいる人には、こんな景色は珍しくないかもしれない。上にも波が来ていて、撮れそうで撮れない写真である(?)。

太宗台4  近くには、遊覧船も出ていた。雄大な景色である。たまたまTVで海外のYouTuberが来て、宮崎を紹介する番組を見た。日本の海もすごいと思った。日本の旅行は海外に行けなくなってからである。釜山ではあちこちでこんな風景が見れる。

太宗台5  ルミックスの10倍レンズの本領発揮である。この波の模様が美しい。韓国では、釜山だけではなく、済州島も推薦である。海沿いに遊歩道が設けられ、適度なハイキングや散策にはぴったりである。

甘川文化村1  韓国のマチュピチュと言われている天川文化村である。地下鉄の土城駅に行き、バスに乗り換えなければならない。先ほどの太宗台では、2方向しかなかった。今度は四つ角で、4方向である。どこのバス停から乗っていいのかよくわからなかった。遠回りをしながら、何とかたどり着いた。

天川文化村2  観光案内によく出てくる写真はあえてここでは紹介しない。ここもよくできていて、あちこちに記念撮影ができる場所がある。これは、崖の上のかかっていた鉄の網である。誰も写真を撮っていなかったので、撮った。遊び心のある芸術家の村と考えたらいい。

天川文化村3  横に星の王子様が座っている。若い女性が多く、写真を撮るために、みんな列になって並んでいた。観光地としては、それなりによくできていると思った。帰りもどのバスに乗ったらいいのかわからなかった。適当に乗ったバスがなかなか目的地にたどり着かなかった。途中で降りて、タクシーをつかまえて同じ地下鉄駅に戻った。

国際市場  ここは国際市場である。その前に、釜山の温泉場まで地下鉄で行った。広い大型温泉施設がある。料金は、8000ウォン(760円)である。いろいろな温泉につかって、本当に気持ちがよかった。釜山はまだまだ見所がある。飛行機代も往復で1万円ちょっとなので、また来てみたい。

平成28年10月11日(火)

 この日記は13日(木)に書いている。11日(火)は不在であった。何をしていたかというと、10月8日(土)の外来が終わった後で、韓国の釜山に出かけていた。3泊4日の旅である。釜山には去年の11月22日〜11月24日まで2泊3日で行ってきた。今回が2回目である。火曜日の外来は午前中だけなので、ここを休診にしたら、土曜日の午後から出かけることができる。この3日半の休みで行ける所は、韓国、台湾、香港、マカオ、中国(北京、上海)ぐらいになる。無理したら、フィリピンやタイにも行けないことはない。
 今回の旅は、LCCを使った。日本への韓国や台湾の観光客が多いということは、それだけ格安の飛行機が飛んでいるということである。土曜日は午後5時過ぎの飛行機で行った。11日(火)は関西空港に午後3時過ぎに着く便で戻った。最初は、航空会社で値段を調べたら、1万円ちょっとぐらいであった。びっくりするほど安くて心配になった。わざわざHISを介して予約したぐらいである。往復すべてで14,110円であった。
 ホテルもネットで申し込んだ。釜山駅の横にある日系のビジネスホテルである。ここを扱っているネットの会社は1社しかなかった。釜山駅でもう少し離れた所にある同じ系列のホテルは他の会社でも扱っていた。夜旅行カバンを持って、うろうろホテルを探し廻るのもいやである。ふだん利用していない会社を通じて、予約した。3泊朝食付きで、すべて込みで20,787円であった。往復の飛行機代と3泊のホテル代を含めて、3万5千円もかからなかった。実はこの期間は、毎年釜山国際映画祭が開かれる時期である。今年は、韓国のフェリー「セウォル号」沈没を扱ったドキュメンタリーの上映をめぐって政府ともめ、あまり盛り上がらなかったようである。
 京都から関西空港までは特急はるかで1時間20分ぐらいである。関西空港から釜山の空港までも同じ1時間20分ぐらいである。帰りの便は1時間ちょっとで着いたぐらいである。LCCも長時間になったら苦痛になるかもしれない。これぐらいの時間だったら、折りたたみ椅子でも大丈夫である。飲み物は、ウーロン茶か水が1杯出ただけである。飛行機は時間通りに出発し、乗り心地も快適であった。
 私の乗ったLCCはフライト・アテンダントがジーンズをはいていた。モデルと見違うほどスタイルのいい客室乗務員であった。帰りの便より、行きの便の方が私好みであった。大手の航空会社では、さすがに容姿やスタイルで採用することはできないだろう。空港の手続きなどで同じ航空会社の人が働いていた。しかし、1番みばえのいい人が客室乗務員として働いている印象であった。私は韓国の少女時代などについては、昔ちらっとTVで見たぐらいである。あんな感じで、こんなスタイルのいい客室乗務員を見たのは、いろいろな航空会社の飛行機に乗っていて、初めてである。ジーンズ姿がスタイルのよさを強調していたかもしれない。
 旅行の第1日目と2日めについては、以下に写真付きで解説する。

空港  釜山の国際空港から釜山駅までは、リムジンバスを使った。片道40分ほどで、料金は6000ウォンである。最近、急に円安になった。1000ウォンを95円で計算すると、570円ぐらいである。

釜山駅  真正面に見える建物が釜山駅である。リムジンバスは空港からそのまま釜山駅に着いた。停留所は釜山駅が見える場所とは違い、少しわかりにくかった。帰りの釜山駅から空港までのバス停は、すぐ近くにあった。あちこちのホテルに寄り、空港まで50分ぐらいかかった。

ホテル  釜山駅すぐ横の私が泊まったホテルである。日系のビジネスホテルである。海外展開をしており、最近はプノンペンにもできたようである。ネットで申し込み、3泊4日朝食付きで、20,787円であった。ベッドはセミダブルで、枕もタオル類も2人分付いていた。

上海街  釜山駅近くの上海街である。中国人やロシア人の店が並んでいる。先ほどのホテルの写真では、時計の針が午後8時37分を指していた。駅周辺では、夜9時頃でも飲食店はたくさん開いていた。

デッキ  10月9日(日)は釜山駅から出ている釜山シティツアーに参加した。私は海雲台(ヘウンデ)ビーチを廻るコースを選んだ。全部で14のバス停を自由に乗り降りできる。料金は150,000ウォン(1,425円)であった。デッキの上では、風が強く吹く時もあった。

遊覧船ターミナル  いくつかのバス停で降りて、近くを散策したりして時間を過ごす。そして、自分の好きな時にバス停に戻り、次のバスが来るのを待つ。ここは龍湖湾遊覧船ターミナルである。釜山の魅力はやはりこの海である。近代的な高層ビルも建っている。

バス停  ここはシティツアー用のバス停である。5という大きな数字が書いてある。どこのバス停がわかりにくい時には、パンフレットを見たらわかる。広安里海水浴場前である。一般用のバス停とは別の場所にある。このバスも2階建てである。

広安里海水浴場  ここは広安里海水浴場である。ここも開放感があって気持ちがよかった。雲1つない青空が広がっていた。向こうに見えるのが広安大橋である。

シネマ通り  どこのバス停で降りたのか、忘れてしまった。シネマ通りがある海辺である。今回はルミックスの10倍高級コンデジを持って行った。この倍率でもここまで大きくは撮れず、切り抜きしている。標準レンズでは物足りない時には便利である。

冬柏島  ここは冬柏島である。島というより陸続きの岬のようになっている。海沿いにぐるりと遊歩道がある。最初はこのあたりの景色だけ楽しんでいた。自分がどのあたりにいるかもよくわからなかった。思いきって、奥まで歩いて行った。

燈台  海沿いを歩いて行くと、燈台が見えてきた。ここも、望遠で撮った。海がきらきら輝いていて、本当にきれいであった。何よりも、この日は天候に恵まれたのがよかった。暑くもなく、時々吹きつけてくる風が心地よかった。

遊歩道  最初は歩いて来た道を戻らないと行けないと思った。どんどん歩いて行くと、岬をぐるりと廻り、海雲台(ヘウンデ)ビーチに出た。ここは海沿いに歩いてきた遊歩道である。雄大な景色が眺められる。

海雲台海水浴場  先ほどの写真の手前側から左にかけて、雲台海水浴場が見えてくる。釜山の代表的な海水浴場である。こういう景色だけで、私は大感動である。思う存分写真が撮れて、大満足であった。

海雲台ビーチ  海沿いをどんどんと歩いて行くと、こんな景色になる。こういう海の景色はありそうでない。ここでは遅い昼食をとった。韓国冷麺は8,000ウォン(765円)であった。さっぱりして美味しかった。バス停1つ分を歩いたので、観光案内所でシティツアー用のバス停を教えてもらった。

今週のトピックス 15  (161011)

半藤一利×出口治明「世界史としての日本史」(小学館新書)
半藤一利×出口治明「世界史としての日本史」(小学館新書)

 私は海外旅行に出かける時には、必ず本は1冊持っていく。荷物になるのはいやなので、新書が多い。今回も1冊用意していた。特急はるかに乗る前に、ふだんは滅多に読まない日経新聞を買った。この時に、新聞の広告に載っていたのがこの本である。関西空港の本屋で探したら、この本を手に入れることができた。用意した本は読まず、この本を旅行中に読み終えた。アマゾンで調べたら、この本の評判はよかった。
 最近は、日本会議の影響やその末端の人たちが書き込んでいるのか、書評や動画についても反中反韓のコメントが多い。ここでも「今週のトピックス 13」で紹介したTVで放送された南京事件 兵士たちの遺言である。YouTubeのコメントでは、オツムの足りないまともに本を読んだことのない人のコメントがずらりと並んでいた。ここでも批判として出てくる万年筆である。紹介した本にも書いてあったが、今と違って簡単にスマホのメールを送れる時代ではない。特攻隊の人たちもみな万年筆で遺書を書き残していたし、戦地からの家族宛ての手紙も万年筆で書いていた。ボールペンが使われるようになったのは、戦後である。
 私は本を読むたびに、自分がいかに無知であったのか、いつも思い知らされている。マルクス主義のように、目の前に前提として真理があるわけではない。日本会議の言っていることを何も考えず頭から信じている人は、是非ともこの本を読んで下さい。そもそも、東京裁判を批判したら、天皇に迷惑がかかる。この国際社会の中で、敗戦国の日本が、今さら天皇も国民も軍部も悪くなかったと主張できるわけがない。中国は首相の靖国神社参拝を非難して、政治的に利用していると主張する人もいる。しかし、天皇の戦争責任を追及したことは1度もない。東京裁判でも日中共同声明でも、戦争責任は天皇にも国民にもなく、A級戦犯などが悪かったとしたからである。日本では、1990年に、本島長崎市長が「天皇にも戦争責任がある」と述べ、右翼団体幹部に銃撃され、全治1か月の重傷を負った。私は東京裁判を批判することは、それぐらいの出来事に匹敵することだと思っている。日本会議は東京裁判を批判することで、昭和天皇の戦争責任を追及するつもりなのであろうか。
 さて、この本の著者である。半藤一利は今年86歳になる「ノモンハンの夏」などを書いた作家である。出口治明は私より5歳上で、団塊世代である。現在、ライフネット生命保険代表取締役会長で、「『全世界史』講義」などの本を書いている。この人は、本当にびっくりするぐらいいろいろな本を読み込んでいる。あまり頭のよくない渡部昇一や櫻井よしこに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぐらいである。竹田恒泰もいくら皇室関係でも、バカはバカである。教養も品のかけらもない。
 まず、第1章は「日本は特別な国という思い込みは捨てろ」である。どういうことかというと、日本の国家が成立したのは6世紀から7世紀で、世界からかなり遅れていた。世界史のなかで見れば、最近まで2周も3周も遅れた国だったのである。明治維新で急激に変わって、ようやく世界に追いついた。天皇という称号も唐の脅威に対抗するためにつくられたものなので、唐が滅びると、国内では村上天皇を最後に使われなくなった。日本は世界の中では田舎で、特に特産品もなかったので、長いこと他国から侵略されなかったのである。
 この章では、神風や伊勢神宮のことが書かれており、興味深い。日本特殊論で拠り所にするのは、天皇制である。万世一系の王室が千年以上続いたというのは、世界的にも珍しい。それでも、天皇家には世界でもライバルが2人いた。エチオピア皇室は紀元前10世紀からで、1974年の革命で皇室は断絶した。中国の孔子家も紀元前500年から系譜が残っている。日本の皇室は6世紀初めの継体天皇から正確な系図が残っている。天皇は権力者としては歴史の表舞台にはほとんど登場してこず、明治になって再び表舞台に出てきた。半藤は、天皇制というのは、明治政府によって急いでゼロから作られたものと述べている。出口は、現在の自尊史観は自虐史観の裏返しにすぎないと喝破している。半藤の、他国の悪口を言って、貶めているヒマがあったら、歴史なり古典なり勉強して、自分を高める努力をしろという意見には、まったく賛成である。
 次の第2章は、「なぜ、戦争の歴史から目を向けるのか」である。ここでは、司馬遼太郎の日露戦争を描いた「坂の上の雲」は日本をきれいに書きすぎていると批判している。司馬史観は歴史ではなく、トルストイと同じで、エンターテインメントであると出口は別の章で述べている、半藤も同じ意見で、半藤が言うと、左翼だと言われ、最近は格上げされて極左だと言われているという。書いていて段々疲れてきたので、後は簡単に紹介する。なぜ、日本が過去に高度成長ができたかというと、「冷戦時代」、「アメリカに追いつけ追い越せのキャッチアップモデルがあったこと」、「人口増加」という三条件がそろっていたからである。日露戦争に日本が勝ったのは、当時ロシア革命が起こっていたからである。アメリカが日本に開国を迫ってその後あれこれ干渉してこなかったのは、南北戦争が起き、フランスやイギリスもボーア戦争で艦隊をアフリカに送らなければならなかったからである。1番最後の第6章のタイトルは、「日本人はいつから教養を失ったのか」である。ろくに本も読まず、感情で物事を言っている人は、一生その程度の人生しか送れない。後は、そのことにいつ気づくかどうかである。

 

平成28年10月4日(火)

 先週は毎晩ビールを飲んでいた。夕診がある月、水、金は休肝日として酒は飲まないようにしている。最近は、なかなかこのルールが守れず、ついに先週は毎晩飲み続けてしまった。きのうは断酒するつもりであった。しかし、ついつい350ccの缶ビールを飲んでしまった。火曜日は夕方6時頃から飲むようにしている。ある程度、この日記を書いてからでないと、安心して飲むことができない。先週のこの日記は、「今週のトピックス」の読書録を書くのに時間がかかり、夜中近くまでずっとビールを飲み続けていた。きょうの日記は1件の往診から帰って、3時過ぎから書いている。先週は頑張ってこの日記を書いたので、きょうはもういいかと思って、3時半から飲んでいる。いざ飲み出したら、苦みを感じてあまりおいしくない。
 用事がなければ、土曜の夜から日曜の昼までは、琵琶湖のマンションで過ごしている。外食する場所には不自由しない。イオンやフレンドマートが近くにあるので、買ってくることもできる。大津京の琵琶湖沿いに今度大型のマンションが立つ。現在売りに出されている。ちらっとチラシを見たら、最上階の広い部屋は1億円以上するようである。ここからは琵琶湖の花火も見れる。畑をやるのでなければ、リゾートマンションとして使うこともできる。前にも書いたように、琵琶湖の奥に別荘を持っていても、年をとるとみんな行かないようになる。私の医院からは、日中の混んでいる時でも35分ぐらいで行けてしまう。あまり遠くないのも、使い勝手がいい。先週は丹波橋の自宅から直接行ってみた。やはり、50分以上かかった。これぐらいになると、行くのにちょっと覚悟がいる。
 この前の日曜日は、午後からカメラを持って、大津のなぎさ公園に行った。10倍レンズ付きの高級コンデジである。私の趣味の1つは写真である。今持っているカメラは、高級コンデジとしては、パナソニックのルミックスとキヤノンのパワーショットである。一眼カメラとしては、ソニーのα6300である。ソニーは一眼カメラ用の高級レンズを買った。しかし、やはり持ち運びが大変である。コンパクト・デジカメは高倍率か標準かで使い分けている。今回は買ってからほとんど使っていなかったルミックスを持って行った。今度の旅行の時に使う予定である。その前に、使い慣れと試し撮りが必要である。私はファインダー派なので、3台とも付いている。
 3台のカメラの中で、このルミックスが1番小さい。小さいと、持ち運びは本当に楽である。光学レンズの倍率は10倍である。最近のカメラは、デジタルズームでも超高画質処理をしてくれるので、多少画像が落ちても20倍までいける。これで写りがよかったら、何の文句もない。おまつり広場の駐車場代金は、1時間4分で320円であった。私は、京都駅八条口の近くで、日中でも1時間200円の駐車場を知っている。少し高いと思った。以下に、撮ってきた写真を載せて、簡単に解説する。

花  この写真は、少し前に行ったびわ湖大津館イングリッシュガーデンで撮った。この時には、あまり花は咲いていなかった。私は花の名前に関するボキャブリーは著しく乏しい。花の名前を知らないので、紫の花としか言いようがない。

ハス  同じ場所で撮ってきた写真である。ハスの花でいいのかよくわからない。池の中央で咲いていたので、高倍率のレンズが生かされる。しかし、高画素カメラの標準レンズで撮り、切り抜きしたら変わりないという意見もわからないでもない。

噴水  ここからが、なぎさ公園である。時間は午後4時頃である。ミシガンが出る大津港の近くである。釣りを楽しむ桟橋みたいな所から撮った。岸辺には藻が浮いていて、水はあまりきれいではなかった。それでも、湖のそばは、心が癒やされる。

県立琵琶湖文化館  県立琵琶湖文化館の湖に接する部分である。私が写真を撮っていたら、自転車に乗っていたおばさんが不思議そうに、「何を撮っているのですか」と聞いてきた。西日が当たって、私はこういう造形美が好きである。よく見たら、それほど大した写真でもなかった。

桟橋  この写真も県立琵琶湖文化館近くで撮った朽ちた桟橋である。いつも見慣れている人には、何が面白くてこんな写真を撮っているのかと思われるかもしれない。こういう写真を撮るときに、なかなか湖に何か浮かんでいることはない。鴨(だと思う)が二匹いるが、わかりにくい。

鳥  左側に見える建物が、先ほどの県立琵琶湖文化館である。釣り人がもうちょっと右側にいてくれたらよかった。4〜5分待ったら、鳥はいくらでも飛んでくる。私はもともとはイラッチなので、よほどのことがない限り、10分も20分もシャッターチャンスを待つことはない。精神科の診察は商売なので、別である。

ホテル  向こうに見えるのが、びわ湖大津プリンスホテルである。小型船舶2級操縦士の免許をとるときには、この建物を目印にして、操縦させられた。右側にビールを飲んだりして休憩する場所もある。県庁所在地のある場所としては、のんびりとできる。

今週のトピックス 14  (161004)

NHKスペシャル「決断なき原爆投下〜米大統領71年目の真実」
NHKスペシャル「決断なき原爆投下〜米大統領71年目の真実」

 この番組は9月3日に放送された。私は録画したまままだ見ていなかった。読みかけの本がきょうまでに間に合わないとわかったので、急遽きのう見た。同じNHKの番組では、「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」はすでに見ていた。若い人は知らないかもしれないので、簡単に触れておく。関東大震災が起こった時に、朝鮮人が暴動を起こすというデマが広がり、大勢の無実の朝鮮人が殺された事件である。きょうのテーマは原爆投下である。この写真は、この番組からとった。解説では、広島の原爆投下で、折りそうように亡くなった親子となっていた。本当に胸が痛む写真である。
 まず、アメリカ軍の原爆計画責任者であるレズリー・グローブス准将である。このマンハッタン計画は、当時のルーズベルト大統領が急死し、副大統領であるトルーマンが引き継ぐ。トルーマンは当初からこの計画をよく理解していなかった。原子爆弾を開発するのに、22億ドルの国家予算が費やされた。グローブス准将は一旦始まったこの計画は誰もとめられないと述べている。軍と大統領の攻防が続き、人口が集中していて5km以上あり、これまで破壊されたことのない都市が候補に上げられた。当初は、1番の候補は京都であった。この候補地には大統領が反対し、次に挙げられたのが広島である。当時、34万人の人口で、報告書には日本軍の指令部があり、軍事都市であると巧みに書かれていた。軍は原爆によって一般市民の犠牲はないとも報告していた。
 この番組では、原爆を運んだエノラ・ゲイも出てきた。アメリカ軍は、広島、長崎に投下した原爆以外にも、17個用意していた。トルーマンは軍の狙いが見抜けなかったと解説していた。トルーマンは「日本の女性と子どもたちへの慈悲の思いは私にもある。人々を皆殺しにしてしまったことを後悔している」と書いている。しかし、原爆投下については、何十万人ものアメリカ兵を救い、戦争を早期に終わらせたと演説し、アメリカ国民の熱狂的な支持を得た。原爆が落とされた年だけで、21万人が亡くなっている。この番組だけ見ていたら、アメリカの方が戦争犯罪人ではないかと言いたくなる。
 さて、今週のトピックス11でも紹介した有馬哲夫「歴史問題の正解」(新潮新書)の本である。この「第3章 ヤルタ会議は戦後秩序を作らなかった」で、原爆投下はソ連の参戦前に日本を降伏させるためでもあったと書いている。このことは、キッシンジャーも言っている。どういうことかというと、アメリカは、戦勝国として日本をそのまま戦利品として手に入れたかったのである。ソ連が本格的に参戦した場合はどうなったかである。ソ連は当然北から日本を攻める。北海道を手に入れたら、日本が降伏しても戦勝国としての戦利品は絶対返さない。アメリカはそれを1番恐れたのである。原爆投下が遅れて日本の降伏が遅れたら、日本が分断されていた可能性が高い。
 そうなると、当然日本はどうしてもっと早く降伏しなかったのかということにもなる。この時には、もう敗戦は間違い無しだったのである。NHKの番組では、トルーマンが軍の狙いを見抜けなかったと非難していた。日本の場合は、トルーマンにあたるのが昭和天皇になる。日本はアメリカの原爆投下を非難するが、どうしてもっと早く降伏しなかったのかという非難も成り立つ。そもそも、原爆投下を招いた軍部を非難することもできる。降伏が遅れれば遅れるほど、一般市民の犠牲も増えていた。どうして降伏が遅れたのかというと、あまりにも不利な条件で降伏したら、軍の一部など納得のできない人々によって、昭和天皇の命でさえ危険にさらされる心配があったからである。何しろ、同じ同盟国のイタリアでは、1945年4月28日にムッソリーニが射殺されて、その死体は大勢の市民の前に吊し上げられ、同盟国のドイツではヒトラーが4月30日に自害していた。ある意味では、原爆投下が無条件降伏の大義名分を与えてくれた可能性が高い。アメリカの無差別爆撃である東京大空襲を非難する人もいる。しかし、この一般市民を含めた無差別爆撃は、日本軍が初めて中国でしたことである。
 前回の南京事件である。日本会議のお先棒を担いでいる櫻井よしこも大虐殺はなかったと述べている。中国の反日プロパガンダだという。どこにでもあった小競り合い程度で済まされたら、本当に犠牲になった人は気の毒である。たくさんの民間人を殺しているのに、あくまでもしらを切るのである。最初は、民間人の犠牲者がそんなに多くいたとは知らなかったでもいい。後から、数万人程度の虐殺があったことを知ったら、中国人民に対してこれまでなかったと主張していたことを謝らなければならない。どうしてかというと、日本のオピニオン・リーダーとして、あちこちの本で書いたり、TVで発言しているからである。現在の中国に対する非難をやめろと言っているわけではない。
 実は、その後いろいろネットで調べてみたら、こんな記事もあった。南京大虐殺はどこまでが本当でどこまでが嘘なんですか?である。櫻井よしこは知っていて、なかったと主張しているのは間違いない。まさに、日本の恥知らずである。私は前から書いているように、日本の国益のことしか考えていない。中国が南京大虐殺を世界記憶遺産として登録した時に、日本がユネスコに抗議したことはよく知られている。今回どんな抗議をしたのか、調べてみた。安倍政権がそれこそ素人集団で、世界の笑いものになりかねないことをしていたことがわかった。興味のある人は自分で調べてみて下さい。最後に、精神科医として書いておく。1度虐殺したり略奪したり、レイプした兵士は、その後の戦いでも同じことをし続ける。現在の社会でも同じである。小さな不正でもやり出したら、いつの間にか当たり前になり、どんどんと歯止めがきかなくなっていく。

 

平成28年9月27日(火)

 きょうはいつものように、午後からは往診に行ってきた。1件の患者さんの家では、たまたまクリントンとトランプの初討論会をTVで放送していた。往診はそっちのけで、ついつい患者さんと見入ってしまった。最近は、CNNのニュースはあまり見ていない。バタバタ忙しかったり、気分が乗らなかったりすると、長いこと見ない。何かのきっかけで見出すと、毎日のように見る。ここ20年ぐらいその繰り返しである。他の方法で英語の勉強をしている人も、多分そんな繰り返しだと思う。ビジネスなどで日常的に英語を使っている人でなければ、なかなかその必要性に迫られない。
 教養としての英語力を保つのは、けっこう大変である。私は留学したことは1度もない。英語の本を読むより、日本語の本の方が楽である。これだけ長いことやっていても、すべて聞き取れるわけでもない。車に乗っていると、FMで盛んに「スピード・ラーニング」の宣伝をしている。英語の勉強を始めるきっかけにはいいと思う。それでも、ずっと日本にいて、英語が不自由なく話せるようになるのは、至難の技である。
 連休の大雨の後から、CNNが見れなくなった。チューナーをリセットしたりいろいろしてみたが、受信できなかった。3階のベランダにアンテナを立てている。アンテナ線を1度確認しなければならない。ところが、ここにたどり着くまでに、荷物が山ほど置いてある。面倒臭くて、そのまま放ってあった。きょうみたいな討論会の英語はまだ聞きとりやすい。もともとニュースを伝えるアナウンサーの英語はわかりやすい。ゲストが出てきて、数人の専門家の複雑なディスカッションになると、聞き取るのは難しくなる。患者さんの家で、2人の初討論会を見ていて、早く、CNNが見れるようにしなければならないと思った。
 琵琶湖のマンションからは、バス釣りをしている人の姿が大勢見える。ブラックバス釣りの本を買って少し読んでみた。このルアーフィッシングも奥が深いようである。私は知の精神病院にいた時に、休みの日はよく磯釣りに出かけていた。須崎から渡船で磯に上げてもらっていた。魚があまり釣れなくても、1日中海の空気を吸っていたら、本当に気持ちがよかった。釣りは年をとってからもできるので、またチャレンジしようと思う。小型船舶2級操縦士の免許をとっても、なかなかボート運転の練習に行っている暇がない。これも行きだしたら、日曜日はあけなければいけなくなる。その面白さにはまったら、無理してでも、ふだんの隙間時間に書類は仕上げるようになるかもしれない。

今週のトピックス 13  (160927)

清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)
清水潔「『南京事件』を調査せよ」(文藝春秋)

 さて、今週読み終えた本である。私はここでも書いているように、もともと左翼嫌いである。だから、自分が読む本は自分が選んで読んでいる。ふだんの生活では、医者同士で政治の話をすることはない。せいぜい、保険改定の話ぐらいである。仲間同士で話す話題は、精神科に関することが多い。これまで、自分の専門領域である精神科の本以外に、この本を読んだらいいとアドバイスを受けたことは1度もない。新聞や雑誌の広告、ネットの記事、書評などで選ぶことが多い。この本もたまたま雑誌の広告で知った。読書に関しては唯我独尊で、誰の影響も受けていない。
 この本も本当に面白かった。本の帯に、「南京事件」は本当にあったのか? なかったのか?、と書いてある。私は日本人の長所は、誠実で約束を守り、嘘をつかないことだと思っている。幼い頃は、悪いことをしたら、お天道様が見ていると、徹底的に教え込まれて育った。私は知らなかったが、去年の10月に日本テレビの戦後70周年企画として、「南京事件 兵士たちの遺言」というドキュメンタリーが放送されていた。この時のTV報道記者が、この本の著者である。私より5歳若い。
 さて、いつも引用している2003年に出版された渡部昇一「渡部昇一の昭和史」(WAC BUNKO)である。この本に書いてあることを引用する。ある推定によれば(板倉由明氏)、南京での軍規違反によって起きた市民の殺傷は49件、傷害は44名であったとされるが、せいぜいこれが「南京大虐殺」の実態ではないか、と書いている。引用の本が古すぎるという人がいるかもしれない。しかし、現在も基本的には変わりなく、「南京大虐殺はなかった」と主張している。
 渡部の主張が正しいのか、この本を読みながら検討していく。もし、嘘であったなら、黒を白と言いくるめる日本の恥さらしである。このことは、前から書いている日本会議についても言える。私は自分の利害のためにこのトピックスを書いているわけではない。右からも左からもお金をもらったり、便宜を図ってもらっているわけではない。自分の信念に基づいて書いている。この日記でも書いているように、「何をされるかわからないぞ」とアドバイスを受けても、京都で過激派の左翼集団にケンカを売ったこともある。この年になったら、自分の信念に生きられたら、命も惜しくない。日本会議については、いつまでも敗戦の言い訳を言い続けている、日本男子の風上にも置けない、女の腐ったような集団だと思っている。
 まず、外務省のホームページにかって記されていた内容である。1.日本政府としては、日本の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。2.しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてはどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。3.日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたことを素直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。かってこう記されていたというのは、戦後70年の外務省のサイトが更新された時に、安倍政権のもとで最後の3が消されたからである。
 ここでは、南京事件を否定する側のロジックを明らかにしている。大事なことは、被害者人数論争と虐殺の有無は別問題だということである。一点突破型では、虐殺を伝える本や記事の中から何かのミスを見つけ出し、「だから全部嘘だ」と結論づける。司会者が南京の地名を読み間違えただけで、「いかにいい加減かわかります」になり、「全部でたらめ」になったりする。週刊新潮の記事でも、本多勝一が認めた写真の誤用が「捏造」になり、「南京大虐殺はなかった」になっていた。他にも、虐殺を見なかったからなかったという主張である。
 今から77年前の出来事である。調査するといっても、当時の人たちはみんな亡くなっている。最初に著者が頼ったのは、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)である。内容は、南京戦に参加した日本軍の兵士の日記である。著者は、筆頭編集者である小野賢治に福島まで会いに行く。小野は、地元福島から徴兵された元兵士を探しては、南京での出来事を聞き取り続けていた。断続的に、27年になる。実際の兵士の証言テープや聞き取り映像も残されていた。著者は小野が所有している日記を手に取り、実際に真実のことが書かれているかどうか調査していく。小野からは「取材協力しますが、本当に放送できるんですかね。NHKなどの放送局から何度も来ましたけど、みな一度きりでした。これを報じようとして、新聞社で飛ばされた記者も知っています」と言われている。
 ここでは、黒須上等兵の日記の内容が中心に検討されている。著者は防衛省防衛研究所資料閲覧室に行って、黒須上等兵が所属していた連隊の戦闘詳報と日記が一致するか確認している。ところが、他の連隊を含め、南京に近づくに連れて、12月以降の記録がほとんどなくなっていた。連合軍が進駐してくる前に、戦争責任の追及を恐れた陸軍は、問題となりそうな資料を連日焼却し続けたのである。別資料の海軍の「戦闘詳報」は結構残されていた。駆逐艦の上から銃殺を目撃した元海軍兵士の証言と内容は一致していた。日記で書かれている神戸から上海まで白山丸で到着した日も、当時上海に入港していた軍艦「出雲」の船長が記録していた「航海日誌」で確認された。77年前のこんな記録がまだ残されているなんて、日本は本当にすごい国だと思う。
 先ほどの、渡部の主張に戻る。「仮に南京大虐殺があったとしても、なぜ日本人は戦後まで誰も知らなかったか」で、報道規制の可能性は限りなくゼロに近いと否定している。なぜなら、報道規制が行われるようになったのはもっと後になってからであると書いている。この本でも、南京戦では、100名以上の従軍記者やカメラマンが取材していたが、当時の新聞には虐殺を伝える記事はないとしている。どうしてかというと、1909年に成立した「新聞紙法」で、検閲を受けなければ発刊できなくなっていたからである。
 渡部は、当時の国際社会で、「南京の暴虐」ということを正式ルートで非難する声は上がっていない。「ニューヨーク・タイムズ」やアメリカの地方紙の中には「大虐殺があった」と伝える記事もあるが、その内容は逆立ちしても何十万という数になるものでないと書いている。このごまかしやすり替えの表現には気をつけなければならない。さて、この本に書いてある実際のニューヨーク・タイムズの記事である。無差別に略奪し、女性を陵辱し、市民を殺戮し、中国人市民を家から立ち退かせ、戦争捕虜を大量処刑し、成年男子を強制連行した。多くの中国人は妻や娘が誘拐され、強姦されたと外国人に訴えた。別の日の新聞では、中国人死者33,000人になどと特集されていた。三流以下の学者とも呼べない渡部昇一については、日本人が1番嫌う事実を嘘で塗り固めることを何とも思わない国辱者としか言いようがない。
 さて、実際に日本兵がしたことである。最前線では武器、弾薬が不足し食料は途絶した。兵士達は、「徴発」という名による現地調達を行う。建前は軍票による支払いだが、住民側から見れば「略奪を繰り返しながらの侵略 」ということになる。先ほどの黒須上等兵の日記では、二、三日前捕虜せし支邦兵の一部5,000千名を揚子江の沿岸に連れだし機関銃を以て射殺す、其の後、銃剣にて思う存分に突刺す、(省略)年寄りも居れば子供も居ると書いてある。別の少尉の陣中日記では、捕虜数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を引き出し、射殺す。とある。なぜ、無抵抗の捕虜を撃ったかについては、機関銃隊員は、「水と食料を与えられなかったから処分したと、私はそう考えています。捕虜を生かして帰したら必ずスパイになる。日本軍の情報が漏れてしまうとも言われてました」と証言している。渡部がどんなに恥知らずの人間か、渡部の書いた文章をまた引用する。ほとんどの場合、彼ら(投降した中国兵)を武装解除したのち、「お構いなし」ということで釈放した、である。
 ここまでは、27日(火)に書き終えた。夜中の12時近くになったので、一旦アップロードした。この続きは28日(水)に書いている。大東亜共栄圏という言葉がある。昭和15年ぐらいから日本が唱えたスローガンである。昭和17年の標語には「侵略の地に、共栄の日章旗」というものもある。当時、南京市街では20万人しか住んでいないのに、どうやって30万人もの人を殺せるかという反論はある。しかし、この時、日本軍の各部隊は南京城への1番乗りを目指していた。捕虜や民間人の虐殺、強姦、放火や略奪の現場は、南京場内や中心部だけでない。南京周辺の広範囲の地域で起こったとされている。当時の南京周辺の人口は100万人である。時期も六週間から数ヶ月という期間である。実際に、この本では南京から45km離れた村で起こった日本兵の虐殺や強姦などの証言を紹介している。村人は日本兵を歓迎したが、子どもを除いて、暴虐の限りをつくしていた。中国人の証言は信用できないという人もいるかもしれない。現地での裏付け調査は難しい。しかし、私はこれまでの経過から事実だと思っている。
 実は、著者が報道記者として作った番組が、YouTubeにアップロードされていた。南京事件 兵士たちの遺言である。この番組が去年の10月に放送されてから、いろいろな意見がTV局に寄せられた。この本では、従来から否定派が主張している「自衛発砲説」や「暴動鎮圧説」などについても1つ1つ説得力のある反論をしている。中国人が日本人を虐殺した「通州事件」のことも書いてある。1番印象に残ったのは、1944年に起きた「ビハール号事件」である。重巡洋艦「利根」が捕虜にしていたイギリス商船の乗員・乗客(民間人)65人を殺害し、死体を海に投棄した事件である。著者は、先ほどの防衛省防衛研究所で「利根」の航海日誌を調べた。ところが、捕虜を処刑したはずの18〜19日の出来事が記載されていなかった。なんと、公文書の原版の部分が、切り取られていたのである。日本に残されている都合の悪い公文書というのは、こんな程度のものなのである。当然、韓国の慰安婦問題についても、疑問が沸いてくる。
 27日(火)の京都新聞に、中国に対して良くない印象を持っている日本人は、昨年と比べて91.6%に増えていると出ていた。東シナ海問題などが影響している。現在の中国を非難するのはかまわない。しかし、現在の中国がこうだから、南京大虐殺もなかったという論法には気をつけなければならない。それにしても、戦後70年間日本がアジア諸国に対して行っていた反省とお詫びが安倍政権になって消されていたことは知らなかった。アジア諸国の首脳は、日本からの経済支援を得るために、表面上は日本に合わせるかもしれない。どこの国も自分の国の国益が最優先である。しかし、歴史修正主義の安倍政権は信用されることはなく、いつでも簡単に中国側に寝返りされるだろう。

 

平成28年9月20日(火)

 きょうは台風が近づいているので、大雨が降っている。連休明けなのに、思ったより患者さんは少なかった。私の医院は完全予約制ではない。段々とローカル色が強くなり、予約しない患者さんも多くなった。近所の患者さんだと、待合室が混んでいたら、また別の日にしたりする。私が床屋に行くときと、それほど変わりない。少人数だったら待つし、混んでいたら帰る。
 連休中は、久しぶりに床屋に行った。以前行っていた所は一旦閉鎖して、またメンバー総入れ替えでリニューアルしたようである。医院からは少し遠かった。今回店を変えて、京都駅近くの10分散髪のチェーン店に行っている。10分1080円である。以前は、洗髪はなしで、髭剃りだけはやってもらっていた。年をとってからは、洗髪がない方がいい。どうしてかというと、散髪後に自宅で髪を染めるからである。染めたら、どっちにしろ髪を洗わなければならない。一旦髪を染め始めたら、なかなかやめれなくなってしまった。10分間という短い時間も気に入っている。
 連休中はゆっくりできたかというと、そうでもなかった。最初の予定では、18日(日)に雑用をすべて済ませるつもりであった。琵琶湖のマンションでゆっくりとしていたら、医院に着いたのは午後2時過ぎである。すぐに仕事に取りかかれるかというと、なかなかそういうわけにはいかない。19日(月)が祝日でなかったら、無理矢理にでもやったかもしれない。とんでもない激しい雨が降ってきて、この日はもうどこも出られないと思った。午後5時ぐらいから2時間ほど書類を書いて、後はもう酒を飲んでゆっくりとしていた。ふだんは、たまにCNNのニュースを見るぐらいである。ほとんどTVは見ない。
 時々、TVをつけると、バラエティ番組をしている。最近見たのでは、(番組名は忘れたが)、よしもとの今田耕司の私生活が本人出演で曝露されていた。今年50歳で、まだ独身である。子どもが欲しいという。自宅に行くと、きれいすぎて、後輩の芸人などはリラックスできないという。女性の患者さんに聞いたら、几帳面すぎるのもよくないという。仕事に夢中になっていて、いつの間にか50歳になっていたという。これからの時代は、30代ぐらいで結婚する覚悟を常に持っていないと、あっという間に婚期を逃してしまう。
 もう一つは、別の番組で、これも番組名は覚えていない。一世を風靡したレイザーラモンHGが取りあげられていた。多少、脚色もあるかもしれない。最盛期には、1ヶ月1100万円も稼いでいたという。ところが、足の粉砕骨折で長期間の入院となり、収入がほぼゼロになった。この時にタレントの奥さんが肌が乾燥しない石けんを開発して売り出し、これがヒットした。他の商品にも事業を広げ、現在年商5億円だという。私の主婦の患者さんが、ネットショップを開いている。旦那さんから、この番組をことは聞いたという。なかなか注文がはいらず、まだ赤字だという。
 日曜日の夜は、翌日が休みだったので、TVをつけて、面白い番組がないか探していた。しばらく番組を見ていて、面白くなかったらすぐにチャンネルに変える。たまたま「後藤ヒロミ&ガヤ芸人」をやっていた。これも面白かった。バラエティ番組はくだらないと一刀両断に非難する人もいる。それでも、中には面白い番組が紛れていたりする。2時間特集などでも、最初から最後まで面白いわけではない。1話ぐらい面白い内容が含まれている。
 前にも書いたように、私は開業してから子どもが大学に入学するまでは、10数年以上、月〜土曜日までの診察日は、毎朝5時に起きて、6時までには医院に出てきていた。今では、子どもも大学に入学したので、早起きであるが、そこまではしていない。夜遅くまでゆっくりできるのは、今も昔も土曜日の夜だけである。久しぶりに、2日間続けて夜遅くまで過ごすことができて本当によかった。早く引退して、思う存分夜遅くまで起きていたいぐらいである。私は必要に迫られ、毎朝5時に起きてきた。基本的には夜型である。
 さて、敬老の日(月)の祝日である。朝9時頃から仕事に取りかかった。昼食もとり、最後の会計事務所の送る資料を2ヶ月分整理し終えたのは、午後3時過ぎであった。結局、連休前に残っていた雑用は、7〜8時間分あったことになる。ふだんの日の隙間時間に少しずつやったら、こんなにも時間がかからない。これは私の悪い癖で、仕事がたまったら今度の日曜日にやったらいいと考えてしまうからである。実際に、外来で疲れてまた雑用をするのは効率が悪い。休みの日に何も考えずに、朝早くから雑用をするのが1番手早く進む。

今週のトピックス 12  (160920)

俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)
俵義文「日本会議の全貌」(花伝社)

 最近は、やたらと日本会議に関する本が出版されている。「今週のトピックス4」でも、菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)の本を紹介した。1冊だけでは物足りないので、改めてこの本を紹介する。副題には、安倍政権を支える極右組織となっている。本の内容としては、日本会議のこれまでの活動内容について時間的経過を追って解説し、資料的な参考文献となっている。著者は出版労連教科書部長などを経て、現在子どもと教科書全国ネット21事務局長をしている。
 安倍首相は私より1つ年下である。私の世代はポスト団塊世代で、シラケ世代とも呼ばれていた。団塊世代が学生運動で暴れていたので、過激派などをずっと醒めた目で見ていた。だから、私の世代では、左翼の発言について反発を覚える人も少なくなかった。そんな時代に育ったので、私も左翼が唱える自虐史観について、ずっと猛反発してきた。TVタックルに出演していた政治評論家の故三宅久之の発言についても、まったくその通りだと思っていた。
 私が考え方を180度変えたのは、神保哲生、宮台真司「中国―隣りの大国とのつきあいかた」(春秋社)を読んでからである。2007年の出版なので、もう9年になる。ここで指摘していたことは、大半の日本人が敗戦国であったことを忘れていることである。戦後、敗戦国である日本は、中国を含め戦勝国とは立場がまったく違った。ここでも何回も書いていることであるが、国連憲章の中に、日本に対する敵国条項がまだ残っているぐらいである。東京裁判を茶番劇だと得意げに非難する人がいる。この裁判は、一種の手打ち式なのである。細部にこだわると、本質を見失ってしまう。敗戦国日本に対して、戦争責任は天皇にも国民にもなく、A級戦犯などが悪かったとした裁判なのである。連合国側も、莫大な戦費を費やし、多大な死者を出している。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、天文学的な賠償金を課せられたことはよく知られている。敗戦とは、運動会の綱引きで負けたのとはわけが違う。
 最近、日本遺族会の古賀誠会長が、靖国参拝問題に関し「すべての国民、首相や天皇陛下も行けるような環境整備のため、私たち遺族が大きな決断をしなければならない」と述べ、靖国神社からA級戦犯を分祀すべきだと発言した。日本会議の主要メンバーである櫻井よしこは、富田メモを否定している。天皇がご親拝しないのは、A級戦犯が合祀されているからではないと発言している。しかし、東京裁判の本来の意味を考えたら、天皇がご親拝できるわけがない。靖国神社はA級戦犯が合祀されていることで、世界からはWar Shrineと呼ばれている。各国の首脳は、誰も参拝しない。
 少し前に、日本などの核保有容認論を展開していた共和党のドナルド・トランプに対して、アメリカのバイデン副大統領が「核保有国にならないと明示した、日本国憲法を我々が書いたということを学校で習わなかったのか」と発言していた。私は憲法改正論者である。しかし、安倍首相が勧める憲法の拡大解釈(憲法学者の90%が憲法違反と表明)については反対である。日本会議は下部組織にいろいろな会を発足させている。この本では、櫻井よしこなどが代表となっている「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会で、安倍首相がビデオメッセージを送っていることを伝えている。その内容の一部紹介すると、「また、現行憲法が、日本が占領されていた時代に占領軍の影響の下で原案が作成されたものであることも事実であります。憲法は国のかたち、未来を語るものです。その意味において、私たち自身の手で憲法をつくっていこうという精神こそが、新しい時代を切り開いていくことに繋がるものである。私はそう考えます」と述べている。
 この発言自体、私ももっともなことだと思う。宮台真司が述べているように、日本の左翼は平和憲法を唱えるだけで、国としての防衛をどうするか納得できる発言は何もしていない。日本の防衛は米国におんぶにだっこなのに、この事実についてはわざと無視している。これからの戦争は、局地的な紛争が起こっても、大部分はコンピューターを使ったハイテク戦になっていく。実際の戦闘でも、ロボット兵が活躍すると言われている。それでも、憲法では防衛力の保持を定めなければならない。私が憲法改正派であるのは、何でもハイハイとアメリカに協力するためではない。独立した国として判断できる国になるためである。防衛をすべてアメリカに頼っていたのでは、アメリカの言いなりになるしかない。
 さて、何が問題かである。日本会議の主張する憲法改正の内容である。日本は初代・神武天皇以来、万世一系の男系天皇によって皇統が続いてきた。これが日本の国体であり、天皇を中心とした国を作ることを基本方針としている。この本から引用すると、それだけではなく、歴史認識の問題でも、「南京虐殺はなかった」「慰安婦はでっち上げ」「中・韓の反日プロパガンダ」「東京裁判は誤り」「首相は靖国神社に参拝せよ」「植民地支配は良いことをした」「大東亜戦争は祖国防衛・アジア解放の戦争だった」と主張している。日本会議が改憲以外の「重点課題」としての国民運動は、元号法制化運動や国旗国歌法制化運動、教育基本法改正運動、皇室の伝統を守る運動で、女系天皇容認の反対、靖国神社20万人参拝運動での政府の国立追悼施設建設反対運動、家族を絆を守る夫婦別姓反対運動、外国人参政権反対運動などがある。参議院選挙で日本会議が推薦する2人の候補者の1人である有村治子はもっともふさわしくない女性活躍・男女共同参画担当大臣だった。
 私はまだほとんど読んでいない辻井喬、藤田秀典、喜多明人編「なぜ変える? 教育基本法」(岩波書店)を持っている。2006年10月6日に第1刷が発行された。今回、この本を手にとって調べてみたら、高橋哲哉と三宅昌子の対談「これは『国民精神改造運動』だ」に、日本会議の名前が出てくる。「歴史教科書問題で、『新しい歴史教科書をつくる会』が、日本会議のような復古的な団体を背後にしてメディアで活躍したように、『新しい教育基本法を求める会』というのができていて、これの役員、メンバーの名簿を見ると、『つくる会』の主要メンバーが軒並みはいっている」と指摘している。この本では、日本会議は、「国民の会」をはじめいくつもの「フロント組織」を保有し、日本の政治・経済・社会・教育・文化などあらゆる分野に浸透し、支配を進めようとしていると書いている。
 現在は、櫻井よしこなどが中国の南・東シナ海問題を取りあげ、さかんに「日本が危ない」と危機感を煽っている。TVタックルなどの番組では、日本が中国でしてきたことについては、戦争時にはどこでもあったような言い方をしてごまかす。前にも書いたように、南京で民間人を虐殺はしているし、満州ではアヘン取引もしている。無実の農民もたくさん殺している。南京や重慶などでは、民間人を含めた無差別爆撃もしている。現在の中国人の国民性を非難し、それこそ戦争時に日本は何も悪いことはしていないような主張をしている。私は国民会議については、日本が中国でやってきたことを素直に認めず、正直者の日本人なら誰もが嫌う恥知らずの卑怯者集団だと思っている。

 

平成28年9月13日(火)

 きょうは午後の往診の後、いつものように夕食で料理する食材を買ってきた。そして、20分ほど昼寝していた。最近はあまり眠れないことがある。私は、睡眠導入薬は飛行機の深夜便で、エバミールを使うぐらいである。ふだんはまったく飲んだことはない。この夏は夜中2時ぐらいに目覚めて、なかなか寝付けないことがあった。こういう場合は、読みかけの本を読む。きょうも、3時前に目覚め、ずっと本を読んでいた。まだ半分ぐらいしか読んでいないので、「今週のトピックス」で紹介することはできない。昼食後の昼寝は、いつもタイマーをかけて20分ほどはとるようにはしている。このおかげで、睡眠不足もある程度解消できる。
 先週の日記は頑張りすぎたので、今週は少し手を抜く。途中、夕食を自炊して食べたあと、書き終えるのに夜10時過ぎぐらいまでかかった。ふだんはあちこち旅行をして、暇そうに見える。しかし、月曜日から土曜日まで外来があり、日曜日もうんざりするほど雑用がある。この前の日曜日は、溜まってしまった書類を半日ほどかけて書いていた。自立支援医療や障害者福祉手帳、障害年金の診断書、福祉関係の書類などである。なかなかやる気になれず、今月中に書かなければならない自立支援医療などの診断書はまだ山ほど残っている。会計事務所に提出する書類もまた2ヶ月分溜まってしまった。幸い、来週の月曜日は敬老の日で祝日である。日曜日にすべてやりとげ、月曜日はゆっくりするつもりである。22日(木)の秋分の日もゆっくりできそうである。
 先週の金曜日の夜に、NHKで「かんさい熱視線『ずっと誰にも言えなかった〜夜の精神科クリニック〜』 」を放送していた。私は録画して、きのう見た。学生時代に脳梗塞(だったと思う)で左上肢の麻痺になった30代の精神科医が出てきた。大阪ミナミの雑居ビルで、夜間診療を午後7時〜11時まで(だったと思う。見た後、録画をすぐに消してしまったので、申し訳ありません)やり、この2年間で700人以上(新患)診てきたという。ミナミの盛り場で夜間でなくても、精神科の診療はこんなもんである。定期的に通院してくる患者さんも多いので、もう少し落ち着いているかもしれない。
 この番組を見ていて、現在の世相を反映していてよかったと思う。ただ、精神科医の立場で言うと、あまりにも貧困などの経済的な問題が大きく、診察室でどうしたらいいのか本当に困る。患者さんにとって、共感や傾聴、薬だけでは解決しない絶望的な未来が目の前に広がっている。ここでも、よくあるパターンの患者さんが出てきた。田舎で仕事がなく、都会に出てきて仕事を探しに来たケースである。最初は派遣会社に登録して働いているが、必ずしも仕事内容が合うわけではない。夜勤などのハードな仕事も多い。気に入った仕事でも、会社の都合で簡単に切られてしまう。給与もまったく上がらず、それこそ使い捨てである。ほとんどの人は都会の中で1人孤独に仕事に追われ、段々と疲弊していく。体調をこわしても、休んだら家賃が払えなくなる。私の医院にもこういう患者さんが少なからず来る。
 前から書いているように、アルバイトなどで都会で家賃を払いながら生きていくのは至難の技である。ある地方から出てきた女性は、もともと対人関係能力は低く、ふつうのアルバイトでも長続きしなかった。借金がいつの間にかふくらみ、どうしようもなくなって風俗の仕事に行った。1年ちょっとで、借金はほぼ返した。「こんな仕事は長くやるもんじゃない」と言って、最近風俗の仕事はやめた。ところが、ふつうのアルバイトはやはり長続きしない。これまでは、親元には帰りたくないと言っていた。こういう場合は、私は一旦親元に帰るようにアドバイスする。親元も大変であるが、食事は3人分作るも4人分作るもあまり変わりない。地元で働くにしても、家賃分を引いた分だけ稼いだらいい。この患者さんには、早く帰らないとまた借金がたまっていくとアドバイスしている。しかし、なかなかまだ踏ん切りがつかないようである。
 いざとなったら、戻れる家がある人はいい。中には、戻れる家のない人もいる。いわゆる家庭崩壊である。こんな若い人がすぐに生活保護を受けてもいいのか判断に迷う。生活費を稼ぐために、いやいや風俗で働かなければならないという人は、生活保護の申請をしてもいいかである。ネットカフェで泊まっている人も同じである。若い人が生活保護を受け出したら、きりがない。もっと一時的なシェルターや保護所みたいな所が充実した方がいいもしれない。しかし、これにも、財政的な裏付けがいる。番組では、大量服薬している患者さんも出てきた。私の医院では、私が年をとってきたこともあり、今では以前ほど多くはない。
 薬物依存みたいな患者さんは相変わらず多い。すでに販売中止になったエリミンを出せという患者さんもいる。素直に、納得して帰る患者さんはいい。中には、脅すような口調でそれに変わる薬はないかと、しつこく要求してくる人もいる。先週来た人は、他の医院で暴れたという。もう診察に行けないので、私の医院に来たという。こういう半ウラの世界で生きてきた人の診察は、疲れる。言葉尻をつかまえては、いちいち文句を言ってくる。言い合いになった時に、スマホですべて録音していると言ってきた。私はいつも患者さんにはすべて録音されているものとして診察している。
 先週の土曜日は、私の大学の同窓会があった。京都府立医科大学昭和54年卒業生で、剛志会という。昭和54年というのは、1979年である。ウォークマンやキャリア・ウーマンという言葉が流行った年である。卒後、37年になる。わかっている卒業生は87人で、参加者は32名であった。熊本から参加している先生もいた。会場は京都駅近くのホテルで、会費は1万2千円である。二次会は同じホテルの階上のラウンジで、5千円であった。私が1浪で、現在63歳である。この年になると、みんな子育ても終わり、テーブルを囲んでざっくばらんに話ができる。国公立の大学の教授は65歳までである。次回の3年後は、教授は誰もいなくなるかもしれない。
 最新の同窓会名簿を見ていたら、大学医学部で現在教授になっている人は5人いた。すでに、やめていた先生もいた。母校を始め、京都大学、名古屋大学、徳島大学、信州大学で、4人が基礎の教授であった。医学部ではないが、明治国際医療大学の教授も1人いた。アメリカのメディカル・スクールで、Assistant Professorをしている人もいた。雇われ院長も多く、挨拶では職員の確保が大変なようであった。開業している先生は、医院だけではなく病院も含め、わかっている87名中38人ぐらいであった。(クリニックでも雇われているのかよくわからず、およその数である) 有名病院の部長をしている人も含め、名誉のある職についている人は、総じて給料は低い。やはり、開業医が1番稼いでいる。
 最後に、自慢話である。私が卒業した昭和54年(1979年)は、どこの国公立大も授業料を月千円から3千円に値上げしていた。国公立の場合、学部に関係なく授業料は同じである。年間の授業料は3万6千円になる。ところが、当時の京都府知事は、革新系の蜷川知事であった。なかなか授業料を上げなかった。府立医大では、実習費が年間8千円かかっていた。合わせて、年間2万円である。当時幼稚園より安いと言われていた。値上げせずに、この費用で卒業できたのは、確か昭和56年卒ぐらいまでだったと思う。自慢話というのは、当時日本全国で、1番安い授業料で医学部を卒業できたことである。

同窓会  自分の子どもを医学部に入学させている人が多かった。中には、3人の子ども全員国公立の医学部に入学させている人もいた。たまたま話を聞いていたら、息子の同級生もいた。次の同窓会は3年後で、卒後40周年になる。どうなることかわからないが、次の幹事は芸妓さんを呼ぶという。

平成28年9月6日(火)

 きょう小型船舶操縦免許証(二級)が届いた。有効期限は5年間である。しかし、まだペーパードライバーである。車の免許を学生時代に取り、医者になってから車を買った。最初はおそるおそる運転していた。ある日、堀川通りに迷い込んだ。あまりにも車が多く、右折も左折も車線変更もできなかった。狭い一方通行の道路でも、一時停車をするのを忘れて運転した。今から考えたら、よく事故を起こさなかったものだと思う。いきなり琵琶湖に出ても、ボートを網などに引っかけたら大変である。幸い、免許取得者を対象に、操船レッスンもある。慣れるまで、このレッスンは受けようと思う。
 年齢とともに、患者さんの数は少しづつ減っている。7月はなぜか大幅に減った。8月は例年並みに戻った。息子はまだ大学3回生なので、卒業するまで後、最低3年半は働かないといけない。現在はどんどんと晩婚化している。私は38歳で結婚した。芸能人などをみていると、今ではちっとも珍しくない。しかし、年をとったらけっこう大変である。親として、責任を持って、大学を卒業するまで子どもの面倒をみるのは、至難の技である。
 こんなことを書くと反発を呼ぶかもしれない。授業料は払うので、後は奨学金とアルバイトでやれというのは、親元を離れたら無理である。私のように晩婚の場合は、将来65歳で定年退職しても、まだ子どもは(医学部や薬学部の場合)学生である。今の日本は、お金やマンションを持っていても、子どもの分を含めて将来が心配である。ましてや、ふつうのサラリーマンだったら、お金に余裕があっても贅沢はできない。少子高齢化や医療費の膨大な増加など、将来に対する不安が払拭されなければ、消費は絶対に増えない。
 外来で患者さんを診ていると、親子関係も時代の変化を感じる。特に、親と娘との関係である。今も昔も、息子は大きな会社にはいって、日本全国転勤になっても親は仕方ないと思っている。しかし、娘については別である。娘は親元の近くに残しておきたいという親が増えているような気がする。これは仕事に就いてからだけではなく、結婚してからもである。親にとって娘離れができておらず、娘にとっても親離れができていない。
 昔は、娘が結婚する時には、二度と家の敷居をまたがないという覚悟で嫁いで行った。ところが、いつの間にか、「いつでも戻ってきなさい」になり、今では下手をすると、夫の地方の転勤にもついて行かなくなってきた。特に親の経済力があると、子どもができても、夫は単身赴任で、娘は親と同居したり近くに住んだりする。この傾向は、未婚の娘の結婚相手にも影響する。最初から、親元の近くで住める相手が結婚対象となりやすい。なかなか最初からそんな理想の男性は現れず、晩婚化にますます拍車がかかる。何例かの離婚しているケースを見ていると、かわいい孫を引き取って、親も娘もそれほど困っている様子もない。(これは、あくまでも親に経済的な余裕がある場合である) 私も子どもが親の手を離れていくのは寂しい。しかし、子どもの人生に必要以上に干渉したらいけないと常に自分に言い聞かせている。
 先週の日曜日は、久しぶりに池田の母親の所に行った。近くに妹が住んでいるので、ついつい行くのが疎かになる。母親は今年84歳である。思ったより元気であった。耳だけは遠い。自分で車を運転して、まだ週3回市民プールにウォーキングに行っている。今は泳がないという。同じ年代の人が来ているかと思ったら、最高年齢ぐらいらしい。妹は、私立大学の教授をしているので、いつも忙しい。この日も、学生を連れて、海外から戻ってきたばかりであった。時々、夕食に呼んでくれるという。近所には、お年寄りも住んでいる。しかし、ふだんは挨拶程度である。これは、私の開業している東山区でも同じである。1人でいる時間が圧倒的に長い。幸い、妹の娘夫婦が妹が以前住んでいた近くの持ち家に転居してきた。2人とも医者同士なので、多忙である。それでも、妹の娘が連絡してくれるので、少しは寂しさが紛れる。私も、患者さんの話を聞いたり、母親の姿を見て、20年後の自分はどうなっているかと思ったりする。

土産  私は海外に出ても、土産物屋には寄らない。あまり、欲しいものもない。日月潭では、スターバックスの店もあった。しかし、夜出る所があまりなかった。たまたま土産物屋にはいってこのガラスの置物を見つけた。台は8pぐらいで、高さは15pである。自分では、気に入っている。

CD  日月潭で、船に乗って玄光寺船着場に行った時である。露天で、このCDを大きな音で流していた。あまりにも素晴らしかったので、早速350元(1165円)で買った。昔、チェンマイでタクシーに乗っている時に、流れている曲に感動し、運転手からそのカセットテープを買ったことがある。阿美族文化之旅と書いてある。

動画  今回もYouTubeにアップロードする日月潭の動画を作った。台湾をあちこち旅行している人でも、なかなか行っていない。今回この動画を作ったのは、先ほどのCDの音楽を一部使いたかったからである。このCDはアマゾンでは扱っていなかった。動画では、3曲使っている。台湾・日月潭の1人旅で視聴できる。

今週のトピックス 11  (160906)

有馬哲夫「歴史問題の正解」(新潮新書)
有馬哲夫「歴史問題の正解」(新潮新書)

 この本も夜が眠れない時に、ほとんど一気に読み終えた。作者は私と同じ年に生まれた。現在早稲田大学教授で、専門は「メディア論」である。本の帯に、「日本は無条件降伏していない」、「南京事件は中国のプロパガンダ」、「真珠湾攻撃は騙し討ちではない」、「原爆投下は必要なかった」など全部で11章に分けて、解説している。著者は、日本、アメリカ、イギリスの公文書館や大学図書館などで公開されている第一次資料に基づいて歴史的事実を書いたものであると述べている。
 まず、南京事件である。私もここで何回も書いているように、30万人も虐殺されたとは思っていない。この本では、中国の外交はパンダとプロパガンダしかないとも書かれている。ここでは、30万人ではなく、2万人説も紹介している。私はこの問題については、敗戦国である日本がどこまで反論していいのかよくわからない。ユダヤ人の虐殺も、どこまで数字が正確なのかよくわからない。しかし、ドイツは何も反論していない。もしかしたら、ここまでありえない数字ではないかもしれない。
 私は知らなかったが、日本も国民党も宣戦布告しておらず、日中間の戦いは正式の戦争ではなく、「事変」という扱いになっていた。だから、国際法規には縛られず、便衣兵(戦闘員が民間人の服を着て、民間人になりすます)は捕虜ではないことになる。蒋介石が闘いの途中で、数万人の兵士を置き去りにして逃げたことは、どこの本にも書いてある。現在の日本は、中国に対して、尖閣諸島や南シナ海問題で反中意識が強くなっている。
 しかし、ここで気をつけなければならないことは、中国は30万人という南京大虐殺をでっちあげているので、日本兵は何も悪いことをしていないと勘違いすることである。この本では、欧米人の目撃証言を取りあげ、老若男女を問わない一般市民への残虐行為と暴行が行われたことも明らかにしている。日本軍自体がそれを認めている。特に女性に対する性的暴行が目立っていて、安全区にいた欧米人もしきりにこのことを日記や手紙に書いている。
 上海の戦い以来、日本の兵士は消耗しており、交代の時期に来ていた。しかし、司令官である松井はこれを無視して闘わせ続けた。日本兵の軍規の乱れは、ここにも原因があった。松井は自らの権限と責任で命じたことなので、東京裁判で死刑になっている。日本兵は中国のあちこちで規模は違っても、同じようなことをしている。敗戦の色が濃くなってきてから、軍規の乱れはあちこちで起こっている。食料が底をついてきたら、農民を襲って奪い、殺したりもしている。南京では2万人程度でも、各地でやってきた残虐行為を考えると、南京大虐殺紀念館は日本軍がやってきた残虐行為の一つの象徴として考えることもできる。
 「真珠湾攻撃は騙し討ちではなかった」では、トムゼン報告書によって、ルーズベルトはドイツと戦争するために日本を戦争に追い込んだという事実を明らかにしている。しかし、「ルーズベルト陰謀説」にある日本の真珠湾攻撃を知りながら、被害を拡大させるために、それを現地指令官に教えなかったという説は今のところ否定している。アメリカも遠く離れた真珠湾を襲ってくるとは予測していなかった。アメリカ側の「日本は日清戦争でも、日露戦争でも、宣戦布告なしで先制攻撃をしてきた。だから、アメリカを攻撃するときも宣戦布告はしないだろうと考えていた」という証言も面白い。ここでは、日本軍強硬派のことは非難しているが、一般日本国民は加害者でもなく、被害者であり、ゆえに戦争責任はないと書いている。こんなわざわざまわりくどい書き方をしていいのか疑問である。戦勝国側の茶番劇と非難される東京裁判や中国との日中共同声明では、天皇や日本国民に戦争責任はなく、A級戦犯などが悪かったとされている。
 「ポツダム宣言に『日本の戦争は間違い』という文言は存在しない」では、もともと皇室を護り、原爆投下とソ連の参戦を防ぐために考え出されたポツダム宣言が、原爆実験成功により、皇室維持条項が削除され、原爆投下の口実づくりのために利用されたという。無条件降伏についても、皇室の維持や領土保全などを条件とした条件付き降伏であったという。この本では、一貫して天皇や国民には戦争責任はなかったと主張している。だから、悪かったのは一部の軍国主義者だけで、天皇や国民は中国やアジアの人々に謝罪する必要はないと言いたげな内容である。
 第8章の見出しは、「天皇のインテリジェンスが國體を守った」である。私はこの國體という漢字が最初は読めなかった。現在の漢字では、国体になる。ウィキペディアでは、「天皇を中心とした秩序(政体)」と書いてあった。この本では、「国の魂」という概念であると説明している。1937年に文部省が編集して教育機関に配布した「國體の本義」について詳しく解説している。要約の一部では、「大日本帝国は、万世一系の天皇が皇祖の神勅によって永遠に治めている」とある。そして、戦前の日本人にとって、このような「國體」思想を持っていない人間は日本人ではなかったと書いている。何のことはない。日本会議の主張と同じである。渡部昇一「渡部昇一の昭和史」(ワック)と同じで、こういう本は一見誠実そうに書いてある。私も騙されたクチである。しかし、こういう本を読むときには、何が書かれていないか注意しなければならない。
 それでも、この本は興味深いこともたくさん書いてある。第10章の「日韓国交正常化の立役者は児玉誉士夫だった」である。ここでは詳しく紹介しないが、児玉誉士夫も興味深い人物であった。この章でも、「従軍慰安婦」問題について、朝鮮人女性を「日本軍」が「強制連行」して「従軍慰安婦」にした記録はいくら探してもないと書いている。私は最近この事実はそのまま鵜呑みにしていない。そんな証拠を残したら、裁判で戦犯になってしまう。敗戦が決まった時に、自分たちにとって都合の悪い書類は大量に焼き払われている。言葉のレトリックで、この「日本軍」というのも、いろいろ解釈できる。日本政府はという意味では、そんなことをやるわけがない。ただ、末端の組織を含めた場合、まったくなかったとは言えないと思っている。
 この本は私から言わせると、負け惜しみに満ちた言い訳にしか読めない。戦争は人と人との殺し合いである。自分の国が勝つためには、謀略もあれば、何でもありである。日本が敗戦国であるのは歴史的事実である。歴史とは、勝者の歴史で、敗者の歴史ではない。今回の戦争だけではなく、古代からずっと同じである。今さら、先の大戦はアメリカの陰謀で、日本は悪くないと言っても、世界のどこからも相手にされない。今回この本を読んで、日本会議は、ネオナチと本質的にあまり変わりないと思った。

 

平成28年8月30日(火)

 なかなか風邪が治らない。まだ、咳と痰が出る。昔、3ヶ月ぐらい咳が続き、胸のレントゲンを撮った。この時には異常はまったくなかった。今回も気長に構えるしかない。風邪でだるいのか、暑さでだるいのかよくわからなくなってきた。いらない書類がどんどんと溜まってくるので、整理していた。盆休みに飛行機が出ずにキャンセルとなった中国・張家界のツアーの料金を、8月16日の日記で12万5470円と書いた。今回書類を見直していたら、予約金の3万円を入れるのを忘れていた。15万5470円に訂正します。
 先週の木曜日は、私の乗っている車の車検があった。取りに行ったのは、土曜日である。前から書いているように、16年目の車検である。カーステレオはCDプレイヤーは付いている。メインはカセットテープである。アルミホイールだけは、オートバックスで4本4万円もかからず、交換している。他に取り付けたのは、ECTカード挿入機ぐらいである。カーナビのDVDは3年前に替えている。今年の6月に最新版が出た。ところが、最新版は私の車のナビには対応していない。仕方ないので、去年の12月に出たDVDと交換した。前に琵琶湖の奥に行った時に、地図が古く、湖西道路と161号線がうまいこと繋がっていなかった。
 家族のスマホは全員私名義になっていた。娘が就職を機に自分名義にした。家内も昔の携帯電話からスマホに替えた。息子はディズニーのスマホを使っていた。今度このスマホが使えなくなるのでiPhoneに機種変更したいと言ってきた。私の保険証で手続きできるかと思ったら、私も直接取り扱い店に行かないといけない。土曜日に約束して、久しぶりに息子と会った。今は大学の近くに住み、平日だけではなく、土日は体育会系の練習試合がある。アルバイトもしていて、梅田の映画館で入場チケットの受け取りをしている。今年の西医体では、徳島まで家内の中古のノートを運転して、部員を乗せて行った。ガールフレンドもいるという。息子から連絡があるのは、何か遠征などで特別なお金が必要な時ぐらいである。それでも、大学の試験は1科目も落としていないというので、よしとしなければならない。2回生の時の成績は、上位2割にぎりぎりはいっていた。
 息子は家内の車を借りて使っている。夜遅く車を返しに来て、そのまま大学近くの部屋に戻る。今回の車検を機に、今使っている私の16年目の車を息子に譲ろうかと思った。駐車代がかかるだけである。ところが、車検の終わった車を見たら、また愛着がわいてきた。本当に16年目の車とは思えないほど、適度な高級感がある。買った時には、500万円ほどした。サイズは普通車とほぼ同じである。息子にこの車を譲ったら、私は別の車を買わなければならない。年をとって、特別乗りたいと思う車もない。結局、私が息子に車を譲って、新しい車を買うより、私がそのまま乗り続け、息子には中古車を買ってやることにした。
 日曜日は、二級小型船舶操縦士の実技試験があった。1回落ちているので、今回落とすわけにはいかない。前回の日記でも書いたように、先週の日曜日は丸1日かけて、実技講習を受けていた。木、金、土、日と合間の時間に何回も練習した。土曜日は4時間ぐらい復習をし、日曜日の実技試験も11時半からだったので、3時間ぐらいやり直した。ロープの結び方も7種類覚えた。ほぼ完璧に覚えて、実技試験に臨んだ。着岸では、桟橋に平行して1〜2メートル離れてボートを停めなければならない。桟橋にぶつかったら、かなりの減点である。ぶつかりそうになったが、50cmぐらいの所で何とか停まってくれた。他に若い人が2人いた。実技の終了後、3人とも大きなミスがなかったので、合格のようなことを言っていた。
 これで、間違いなく二級小型船舶操縦士の免許を取った。20mまでのボートが運転できる。私の患者さんが、1千万円のボートを昔買ったことがあると話していた.ボートも使わなくなったら、中古に出すことができる。車と同じで、中古のボートもたくさん出ている。私はそこまで凝るつもりはない。割高になっても、レンタルで楽しもうと思う。最初は、車の運転と同じで、ボートを借りて練習をしようと思う。
 さて、最後に、先週の日月潭の続きである。以下に、写真付きで解説する。今週のトピックスでは、また新しい本を紹介したかった。しかし、最後まで読み切れなかった。日月潭の動画も、作っている時間がなかった。動画の方はなるべく早く完成させて、YouTubeにアップロードしようと思っている。

船着場1  湖には、いくつかの船着場がある。私が泊まったホテルのすぐそばにあるのは、水社船着場である。ここから、あちこちの船着場に行ける。私は前日の夜に、湖を三角形のように船着場を2ヶ所廻って戻るチケットを手に入れていた。

船着場2  前日の夜遅くに、正規料金300元(約千円)を100元で売っていた。湖の楽しみ方はいろいろある。バスを使って湖周をまわることもできれば、サイクリングロードを走ることもできる。

玄光場船着場  最初に行った玄光寺船着場近くの湖の風景である。湖に浮いている(?)これは何なのかよくわからなかった。花が咲いていて、けっこう絵になる。船着場では、台湾の民族音楽が流れていた。この曲が本当によかった。露店で、このCDを350元で買った。

伊達○船着場  ここは次の伊達○船着場である。○は漢字の読み方も表示の仕方もよくわからなかった。ここは私の泊まっていた所より町が大きかった。湖沿いに歩道橋がある。この部分は一部だけである。ゆっくりと散策できる道路も走っている。

ロープウェイ  先ほどの船着場から、歩いて日月潭ロープウェイに乗った。往復300元である。頂上には、九族文化村がある。入場料がロープウェイ代も含め800元ぐらいであった。私は入場しなかった。小さな子どもを連れた家族連れにはいいかもしれない。

コンサート  最初の水社船着場に戻った。ここは船着場に降りる階段である。父親らしき人がギターを演奏し、少女が歌を歌っていた。大勢の人が聞き入っていた。私は、先ほどの台湾民族のCDが素晴らしかったので、正直言って、あまり感動しなかった。

日の出  泊まった所がそれほど大きな町ではなく、夜行く所があまりなかった。前日に滅多に買わないお土産を買ったので、この夜は本当にやることがなかった。この日は早く寝て、朝5時に起きて日の出を撮ることにした。雲が出ていて、写真はもうひとつであった。

風景  湖の風景である。観光パンフレットなどでは、ここに霧が立ちこめ、幻想的である。私は旅行で目が肥えてしまった。思ったより、観光地化されていた。これから秋の風景もいいかもしれない。私にとって、今回の旅の最大の収穫は、先ほどのCDとお土産の置物である。

平成28年8月23日(火)

 8月13日(土)にひいた風邪はまだ続いている。夏風邪は長引くという。私は冬にひいた風邪は1ヶ月近く引きずることもある。時々激しい咳が出て、まだティッシュ箱を1箱使うぐらいである。滅多に飲まない風邪薬も飲んでいる。相変わらず暑い日が続いている。これだけ暑い日が続いていると、今年の紅葉も心配である。去年は、エルニーニョの影響もあったようである。近年にない最低の紅葉であった。今年も同じような紅葉が続いたら、せっかく京都まで来てくれる観光客には気の毒である。今は夏の暑さより、紅葉の方を心配している。
 体調はあまりよくない。8月21日(日)は、琵琶湖まで二級小型船舶操縦士の実技講習に行っていた。前にも書いたように、この実技の試験には1回落ちている。再試験の前に、もう一度実技講習を受けることにした。朝9時から午後5時までである。この間昼休み50分を除き、ほとんどボートの上での講習であった。この日はかんかん照りで、琵琶湖には大勢の行楽客が出ていた。5人講習を受けにきていて、2台のボートに別れた。私は同じぐらいの年齢の人と2人で受けた。
 今回の講師の先生は、前回受けた先生とは違った。実技試験のポイントを1つ1つ丁寧に教えてくれた。本当に勉強になった。前の先生は、授業も含め、少しおおざっぱな感じがした。後は、自分で勉強しなさいというタイプである。だから、ついついこんなもんでいいのかと、学科試験も実技試験も侮ってしまった。実技試験の講習の時にも、もうちょっと厳しく脅してくれたら、こちらも必死で覚えただろう。今回の講習を受けて、前回は落ちるべくして落ちたとやっとわかった。覚えることが山ほどある。次の実技試験まで何回も自分でシミュレーションし、自然にできるように練習しなければならない。
 この日は1日中琵琶湖で出ていたので、暑さと緊張で本当に疲れた。学科試験も含め、簡単にはボートライセンスが取れないことがよくわかった。ボートの免許を取って、何をするかである。一般的には釣りが多いようである。ウェイクボードを引いたりすることもできる。どこまで可能かはわからないが、工業地帯の夜景を海側から撮影もしてみたい。とにかく、レンタルボートを借りて、練習するしかない。
 さて、最後に、当初の8月10日(水)からの中国・張家界の旅行がキャンセルとなって、代わりに急遽出かけた場所である。8月13日(土)〜8月15日(月)までのたった3日間である。行ける場所は決まってしまう。韓国か台湾、香港、上海、北京ぐらいである。実は、7月に台北に行った時に、1枚の英語の観光案内を手に取った。Sun Moon Lakeと書いてあった。パンフレットの写真がきれいだったので、ここに行きたいと思っていた。台湾好きで、台湾のあちこちに行っている患者さんもまだここには行っていないと話していた。私は中国語も台湾語もまったく話せない。張家界の旅行がキャンセルになってから、また中国語を勉強したいと思うようになってきた。黄山も都合のいいツアーがなければ、1人でも行きたい。
 日月潭は台湾の丁度真ん中あたりにある。13日(土)は、朝6時44分発の特急はるかに乗って関西空港まで行った。台北行きの飛行機は10時出発で、3時間ほどで台北の空港に着く。台北から台中まで行き、ここでバスを使って日月潭まで行く。行き方はいろいろある。空港から台北駅まで行って、ここで高速鉄道に乗り換えて、高鉄台中駅まで行く方法もある。私は結局、バスだけで往復した。以下に、写真付きで解説する。

地図  台湾の地図。台北から台中、台南と西側の海沿いに鉄道が走っている。空港から台北駅まで行くのに時間がかかる。台北駅の近くからは、直接、日月潭行きのバスも出ている。地図では台中が書かれていないが、日月潭の西側にある。

空港バス停  混雑をしている台北市内にははいらず、直接空港から台中駅までバスで行くことにした。ここは空港のバス乗り場である。料金は240元(約790円)であった。1元は3.3円ぐらい。乗客は少なく、私も含め4人であった。

台中バス停  最終の台中駅には、2時間45分ぐらいかかった。台中の市内は混んでいて、けっこう時間がかかった。ここから日月潭行きのバス停は離れていた。何人もの人に場所を聞いた。日本語が話せる人もいて助かった。バス代は往復で340元(約1120円)であった。

ホテル  日月潭までは1時間40分ほどかかった。着いたのは、夜6時(日本時間7時)頃であった。それほど、待ち時間などで時間をロスしたわけではない。朝6時44分の特急はるかに乗って、たどり着くのに1日がかりであった。ここはネットで予約したホテルである。

市内  先ほどのホテルは。場所的には便利な所にあった。値段は1泊1万1千円ほどであった。週末で高かったかもしれない。私は、部屋に小さな机でもないと不便である。ここは町の中である。気に入った置物があったので、ふだん買わない土産を買った。

食堂  私は海外に出かけても、日本食レストランがあるとそこにはいる。若い頃のように、現地の物にあまり挑戦しなくなった。町はそれほど大きくなかった。あるのは、こんな食堂ばかりである。台湾か中国の観光客は多かった。

夕食  私の入ったレストランはもっと大きな高級そうな所であった。ここでは、メニューに英語がついている。イカのホイル揚げである。値段をメモした紙をなくしてしまった。ビールやご飯を含め、550譚元(約1800円)ぐらいだったと思う。この続きは来週にする。

今週のトピックス 10  (160823)

柘植久慶「読む麻薬(クスリ)」(PHP)
柘植久慶「読む麻薬(クスリ)」(PHP)

 今週読み終えた本である。何曜日だったか忘れてしまったが、夜中2時頃に目が覚めて、なかなか眠れなかった。こういう時には、寝る前に読んでいた本を読む。明け方近くまで読んでいたら、けっこうの分量を読んでしまった。読みやすい本なので、簡単に1冊読める。著者の柘植久慶は、コンゴ動乱に傭兵として参加している。現在74歳である。この人の本は、だいぶ昔にたくさん読んだ。本の題名はあまり覚えていない。ウィキペディアに「傭兵見聞録」という本の題名があったので、かすかに覚えているぐらいである。この人の本でよく覚えているのは、当時まだあった香港の九龍城の見聞録である。私はずっとここを訪れてみたいと思っていた。中は迷路となった高層スラムである。何と、フランス外人部隊の格闘技教官をしていた著者が、ガイドを雇ってこのビルの中にはいっていた。それほど無法地帯で、危険だったのかと思った。
 この続きは水曜日に書いている。締め切りの迫ったレポートを無理矢理書かされている気分である。まず、ケシから取れるアヘンについてである。イギリスの東インド会社が、どんどんと増大していく清国に対する茶葉代の支払いに苦慮した。結局、インドでケシ栽培の独占権を取得し、アヘンを輸出して代金に当てた。中国大陸でアヘンの常用者が急増し、林則徐がイギリス商人からアヘンを没収し、彼らを追放した。これがアヘン戦争の始まりである。イギリスが勝利し、香港を割譲した。1878年には清国のアヘン常用者は1500万人にも達していた。1920年の上海では、より作用の強いヘロインがアヘンの地位を逆転した。
 この時代の植民地運営は、アジアの場合、どれだけアヘンを安定供給するかが問題となった。総督府の収支はイギリスもフランスも赤字のところばかりであった。この本では、満州における日本のアヘン栽培についても書いている。満州族だけではなく漢族も多く居住するこの地を支配した日本は、「アヘン中毒者」という問題に直面する。アヘンの供給が厳しくなると、大規模な反乱が発生してしまうことは、1914年のラオスの例をみても明らかであった。かくして、満州でアヘンを栽培し、製造を開始した。やがて、アヘンはビジネスとして成功し、大きな利益を生んでいった。日本軍はすぐにアヘンの販路を拡大し、ここから軍資金を稼ぎだしていった。このあたりのことについては、大田尚樹「満州裏面史」(講談社文庫)に詳しい。私は手元にこの本は持っているが、まだ読んでいない。
 私の精神科専門分野の1つが、薬物依存である。ここでも何回も書いているように、覚醒剤の加熱吸煙の症例を日本で初めて報告して、論文にしている。他にも、いくつかの薬物依存の論文を書いている。この本を読むまで、「シャーロック・ホームズ」のコナン・ドイルがコカイン中毒だったとは知らなかった。アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの父親のことについても、詳しく書いている。禁酒法時代に、秘密の酒場とヘロイン吸引場で巨額の富を築き、ボストンの名士と成り上がっていた。有名なジョン・F・ケネディ就任演説も、父親が最高のスピーチライターを使って書かせている。他にも、フラソワーズ・サガンが自身が麻薬に依存していることを告白し、サルトルも中毒者だと曝露していることも書いている。 

 

平成28年8月16日(火)

 きょうから盆休み明けの外来を始めている。体調は最悪である。どうしてかというと、13日(土)から風邪をひき始め、今ぐらいがピークになっている。私はここ4〜5年風邪にかかったことはない。総合病院に勤めている時には、患者さんからしょっちゅう風邪をうつされていた。私は風邪をひくと、2週間ぐらい治らない。中にはインフルエンザも含まれていたかもしれない。盆明けから、いろいろとスケジュールが詰まっているので、うんざりしている。この日記もとにかく最後まで書こうと思っている。
 さて、盆休みは何をしていたかである。10日から4泊5日のツアーに参加していた。この旅行は、前にも書いたように、3月に募集をしているのを見つけてすぐに申し込んだ。なかなか1人で行くのは難しい場所である。大手の旅行代理店も期間限定のツアーを時々組んでいる。しかし、自分の休暇と旅行催行日を一致させるのは至難の技である。どこに行こうとしたのかというと、中国の張家界である。映画「アバター」のモデルとなった場所である。中国には風光明媚な場所がいくつかある。代表的な所では、私が以前に行った九寨溝がある。他には、黄山とこの張家界である。ツアーには鳳鳳古城ツアーも含まれていた。値段も高くなく、食事や1人部屋のホテル代も含めて、全部で15万5470円であった。
 ツアーはまず上海に行き、そこで飛行機を乗り換えて、張家界のあるダイオンに行く。関空から上海への飛行機の出発時刻は午後2時10分であった。ところが、他の上海行きの飛行機は予定通り出発しているのに、私の乗る便は、「出発時刻未定」となっていた。あちこち海外を旅行していると、たまにはこういうこともある。あきらめて待っていたが、いつまで経っても「出発時刻未定」である。午後5時前ぐらいに、やっと出発時刻が午後7時と出た。あまり遅いと、上海で乗り継ぎができない。航空会社の人に聞いてみたら、上海に着いてから向こうでどうするか指示を出してくれるという。
 心配になったので、旅行代理店の担当の人に電話した。私は旅行の時には、スマホは持って行かない。空港の公衆電話を使った。何と、午後3時にはツアーはキャンセルになったという。連絡がつかなかったのである。他に連絡のついた人はすでに帰ったのかわからない。1組の夫婦と、もう1人老婦人がいた。係の案内で、出国中止の手続きをした。それから、特急はるかに乗って、京都に戻ってきた。朝は午前10時半の特急はるかに乗って行き、京都に着いたのは午後7時であった。盆休みの初日からどっと疲れた。
 まだ、盆休みは5日残っている。今からどこか航空券を買って、すぐに出かけるのもおっくうであった。結局どうしたかというと、13日(土)から2泊3日の旅に行くことにした。航空券もホテルもネットで注文した。以前から、1度行きたかった所である。土曜の朝起きたら、のどが痛かった。風邪をひいたらいけないと思い、関空でのど飴を山ほど買った。しかし、ムダな抵抗であった。風邪薬も買って、1日3回飲んでいた。きのう医院にたどり着いたのは、午後11時40分である。旅の疲れと風邪とで、ダウンしている。このまま日記を書くのをやめたら、どんなに楽かと思う。しかし、何とか最後まで書こうと思う。他のことを含め、こういう小さなことを何十年と続けてきた人と続けてこなかった人では、その知識や判断力に雲泥の差が生じる。
 2泊3日の旅行については、来週に詳しく紹介する。参考に、ネットから探してきた張家界の写真も紹介する。

ディスプレイ  関西空港の電光掲示板である。わかりにくいが、時刻は16:44を示している。1番上が、私の乗るフライトである。まだ、出発時刻未定/滑走路混雑と表示されている。どこの滑走路が混雑しているかというと、上海の空港である。上海の空港を出発したのかもわからない。4時間以上待たされ、疲れた。

張家界  ネットから手に入れた画像である。映画「アバター」のモデルとなったのがよくわかる。今回のツアーでは、是非ともこの写真が撮りたかった。中国では、大自然の名所がいくつかある。九寨溝、黄山、張家界と覚え、ツアーが出ていたら、是非とも参加したらいい。今回キャンセルとなった夫婦が、黄山もよかったと言っていた。

今週のトピックス 9 (160816)

朝倉秀雄「官邸支配」(イースト・プレス)
朝倉秀雄「官邸支配」(イースト・プレス)

 今週読み終えた本は、先週の日記で少し触れた本である。最後の3日間の旅行期間中に持って行った本である。帰りの空港と飛行機の中で、残りの半分を最後まで読み終えた。この本を読んで私の考えが変わったかというと、何も変わっていない。こういう本を読むときに気をつけなければならないことは、何が書かれていて、何が書かれていないかである。著者は、国会議員政策秘書として約17年間衆参8名の国会議員を補佐している。政治の裏表を知り尽くしているプロである。それでも、素人の私でも、ツッコミ所満載の内容である。序章は、”官僚支配”打破に挑む安倍官邸である。全体の内容としては、安倍官邸のヨイショ本である。実際に、著者は、安倍総理が「右傾化」しているとも「独裁者」だとも考えていないと述べている。
 私の意見と合わない所は、反論していこうと思う。まず、官僚批判で必ず言われることである。国益より省益のことしか考えていないである。これはある程度、仕方ないことだと思う。会社でも、会社のことより、自分の部署のことを優先させてしまう。これでも納得しない人には、国会議員のことを挙げる。国会議員は国益のことなんかほとんど考えていない。頭にあるのは、自分の選挙区の利益だけである。まだ官僚の方が、国会議員より国益を考えている。ついでに付け加えると、業界も同じである。建築業や製造業ばかりでなく、医療や教育も、国益よりもまず自分たちの業界の利益の方が先である。
 この本では、勉強になることもたくさん書いてある。「エリート」と対比する「大衆」についてである。「大衆」の大きな特徴は、政治に対して理性的に対応できず、期待、願望、不安などの多様な感情的要素を政治に投入することにある。特に、女性にその傾向が強い。「見た目」や「爽やかさ」といった印象に魅かれて票を投じがちである。現政権の政治の何がどう悪いのか具体的に指摘できないので、常に政治に対して不満を抱きがちである。しかし、昨年の「安全保障関連法案」に関して、国会周辺で反対デモを繰り返した学生や主婦に対して、愚かな「大衆」と決めつけることは賛成できない。政府はどこまでテレビ局に介在できるのかでは、総選挙の報道について安倍総理が「公平中立な報道を求める」旨の要望書を送ったことが取りあげられている。著者は放送事業者は、新聞や本の出版とは違い、業法である「放送法」を遵守すべきだという。しかし、「政治的公平性を欠く報道」とは、何なのかここでは説明していない。政権側にとって、自分たちに批判的な報道は、すべて「政治的公平性を欠く報道」になってしまう危険性がある。
 この本では、なぜ官邸主導でなければならないのか書いている。国民の代表が行政権を内閣に委ねた以上、国の政策の大綱はあくまでも総理が中心となって立案し、予算の手当をし、細部は官僚たちを手足のごとく使いこなし、実現していくゆくのか理想の姿だという。そして、これまで与党の実力者や官僚や業界団体と癒着した「族議員」が幅をきかしてきたことについて批判している。私も、族議員が必ずしもよかったとは思わない。しかし、著者が書いているように、現役時代は「政治家は頭が悪い」という先入観が払拭できなかったぐらいである。何を担保に、官邸のやることがすべて正しいと保障できるのか? 「官僚支配の打破」と「政治主導の実現」と言っても、今や世襲化した日本の国会議員にその能力があるとはとうてい思えない。
 この本では、自民党税制調査会のことも詳しく解説している。官僚支配の象徴である事務次官等会議についても、批判している。この会議で了承されたことが、そのまま閣議決定されてきた。官僚の幹部人事も「政治的中立性」を楯に政治の介入を極力嫌った官僚の抵抗もあって、次官を中心に省庁が決めた人事案を「閣議了解」とする追認がなされてきた。ところが、今や安倍内閣は「経済財政諮問会議」を司令塔に予算の骨格を決め、財務省からの予算編成の主導権を奪い、「内閣人事局」を機能させることで、幹部官僚に対する生殺与奪の権利を確保した。実際に、管官房長官の要求に抵抗した主税局長の佐藤について、「佐藤君は次官になれない」と周囲に漏らしているという。初代内閣人事局長案も管官房長官の「鶴の一声」で逆転している。霞が関(官僚)からは、「官邸に嫌われたら、出世できない」との嘆きの声が聞こえてくるという。
 さて、この本だけではなく、これまで紹介してきた本の内容も含めてまとめてみる。現在の安倍政権は、小選挙区制になって、大臣任命権や選挙区での自民党公認の権利を手にしている。自分の意見に逆らう者は、次の選挙で刺客を送って公認しなければいいだけである。だから、自民党員といえども、誰も首相に対して反対の意見を言うことができない。官僚の人事や予算編成についても主導権を手に入れた。今度は頭脳集団である官僚も官邸に反対意見を言うことができなくなった。「政治的中立性」が損なわれ、能力とは関係なしに官邸に気に入られた人だけが重用されるのである。
 それほど能力があるとは思えない、安倍首相や管官房長官がわが国の支配権を一手に握ったのである。官邸主導といっても、自分たちの意見に反対の者は退けるただの独裁政権に過ぎない。今や、誰も安倍官邸の暴走を止める手段はない。選挙をしても、同じことが繰り返されるだけである。官邸にすべての権限が集中してしまう今のシステムを変えるしかない。安倍首相を支えているのが、ここでも紹介した日本会議と言われている。私は憲法改正派である。しかし、安倍政権での改正は反対である。

 

平成28年8月9日(火)

 暑い日が続いている。私の医院の盆休みは明日から15日(月)までである。ふつうは、11日(木)の山の日から大文字の送り火がある16日(火)まで休む所が多い。たまたまツアーに申し込んだら、出発が明日からであった。私は海外に出かける時には、滅多にツアーは利用しない。往復の航空券を手に入れ、ホテルも現地で見つける。最近はネットで予約することも多くなった。なかなか1人では行けない場所は、ツアーを利用するしかない。4泊5日の旅である。どこに行ってきたのかは、来週のこの日記で書く。いつも募集しているツアーではない。たまたま3月に出ていた広告を見つけ、すぐに応募した。
 先週の木曜日は、また娘と2人きりで夕食をとった。娘が1度行きたいと行っていた日本料理店である。私は昔1度行ったことがある。値段が高いだけで、それほど美味いという印象はなかった。娘の高校時代の友人がアルバイトしていて、「本当に美味しい」と娘に推薦していた。料理は3つのコースがあった。値段を見て、もう2度と来ないと思ったので、1番高い1人1万5千円のコースを選んだ。祇園の料亭ならわかるが、ビルのテナントの中の店である。いつもは、自分でネギを刻んで、患者さんからもらったソーメンをゆでて昼に食べている。きょうの夕食も、近くのスーパーで買った魚を焼いて食べるつもりである。久しぶりに、別世界の料理を楽しんだ。
 娘は小6の時から、私に対してはずっと反抗期であった。大学を卒業して、やっと最近口をきくようになった。だから、中学、高校、大学と娘が何をしていたのか、私にはさっぱりわからない。娘には娘の人生があるので、基本的には好きなようにしたらいい。しかし、人生の節目である大学受験と就職の時には、父親として娘宛に手紙を書いた。どこまで私のアドバイスを受け入れたのか、難しい所である。人生の法則は単純である。人は誰でも自由に自分の人生を選択できる。しかし、選んだことについてはその人が引き受けるしかない。
 大学時代は充実していて、友人も大勢作ったようである。学部は英文科である。卒論はシェークスピアについてである。国際学科とは違い、英文科は英文学の研究が中心である。この大学の英文科だけは、卒業論文を英語で50枚書かなければならない。教授に英語を添削してもらい、苦労したという。シェークスピアと聞いた時、最初は実用からかけ離れていると思った。しかし、広い意味での教養につながる可能性が高い。すぐに役に立たなくても、これから何十年と生きていく上で、教養としてのシェイクスピアが役に立つ。将来欧米の知識人と話す機会もあるかもしれない。大学時代に金融や投資ではなく、シェイクスピアを研究していたということが、思わぬ所で強みになるかもしれない。
 息子からは最近スマホの機種を変えたいとメールがあっただけである。スマホの名義は私になっている。ふだんは大学の近くに住んでいる。家にもほとんど帰ってこない。体育会系のクラブにはいっているので、土日はほとんど試合である。時々、家内の車を借りに戻るだけである。練習や試合が終わった後で、1人1人後輩を自宅まで車で送っているという。医学部は試験などで勉強も忙しい。娘は元気で仕事に行っているのはよくわかった。息子だけは頑張りすぎて、体調をこわさないかと、本当に心配である。手をぬいたらいいのに、どんなに練習や試合で疲れていても、睡眠を削ってでも勉強するタイプである。
 先週の日曜日は、新しいカメラの試し撮りにまた出かけた。コンパクト・デジカメと違い、大きな望遠レンズをつけたデジタル一眼カメラである。持ち運びも含めて、どういう撮り方がいいのか、実際に使わないとわからない。ここまでこだわっているのは、明日からのツアーに持って行くためである。私はふだんはリュックサックは使わない。今回はリュックサックを背負い、カメラはつり下げバッグに入れることにした。それだけ、今回のツアーは気合いがはいっている。なかなか行けない場所なので、しっかりと写真や動画を撮って来ようと思う。土曜日は、琵琶湖のマンションに泊まり、日曜日は函館山のゆり園に車で行った。以下に、写真付きで解説する。

鳥居  びわこ函館山ゆり園には湖西道路を使って行った。大津京から1時間半ぐらいである。途中、161号線を琵琶湖沿いに走る。ここは高島市の白鬚神社である。湖上に鳥居が建っている。琵琶湖では有名なスポットである。しかし、不便な場所にあり、車がないと無理である。

琵琶湖  このあたりの琵琶湖はきれいである。近くに白ひげ浜水泳キャンプ場があった。ここでも十分に楽しめそうである。中にはいって写真を撮りたかった。駐車料金を取られそうだったので、通り過ぎただけである。

ゆり園  びわこ函館山ゆり園の中である。入園料は大人1人1850円である。たまたまそばにいた人が割引券を譲ってくれた。ゆり園の期間は8月31日までである。ところが、今年は気温が高かったため、ゆりは7月末でほとんど枯れてしまったという。向こうに見えるのがコキアである。

函館山  所々にまだゆりは咲いていた。ゆりの写真は難しい。花がもうひとつおおざっぱで、きれいに撮れない。函館山から琵琶湖を望んだ写真である。あまりぱっとしない写真で申し訳ない。手間暇かけて行ったわりには、あまりいい写真が撮れなかった。

 さて、今週のトピックスである。今回は、朝倉秀雄「官邸支配」(イースト・プレス)を紹介するつもりであった。ところが、まだ半分ぐらいしか読んでいない。この日記で、安倍政権を批判する本ばかり紹介するのは不公平である。本の内容は、「官僚支配打破に挑む安倍官邸」とあり、安倍政権を評価している。官邸主導を妨げてきた族議員については批判的である。先週紹介した村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)と、意見はまっこうから対立する。著者は、国会議員政策秘書として、約17年間衆参8名の国会議員を補佐してきた。この本については、単なる安倍首相のヨイショ本であるのか、最後まで読んでから改めて取りあげたい。基本的には、官僚支配に反対の立場で、現在の官邸主導を評価している。明日の荷物の準備もあるので、きょうはこの辺で終わりにする。

平成28年8月2日(火)

 きょうも今週のトピックスを先に書いていたら、夜9時を過ぎてしまった。先週は、忙しかった。「向精神薬多剤投与に関わる報告書」を書いていたからである。4月〜6月分の実績を近畿厚生局に報告しなければならなかった。7月の初めにやっておいたらよかった。しかし、なかなかやる気がしなかった。締め切りが7月末である。私の医院で使っているレセプトのソフトでは、多剤併用の月間人数が計算できない。去年は6月分の報告をどうしたかというと、6月分の処方をすべて印刷して出し、私が1枚1枚チェックして調べた。さて、今年からは3ヶ月分である。計算する新しい追加のソフトができたのは知っていた。CDが1枚5万4千円である。仕方ないので、7月27日(水)に注文して、7月29日(金)に届いた。何とか、土曜日に郵送することができた。日本精神神経学会のお知らせでは、2015年度精神科薬物療法研修会の受講もしておいた方がいいと書いてあった。これもネットで受講した。
 30日の土曜日は、外来が終わってから、岡山県倉敷市の児島に行っていた。何をしに行っていたかというと、「瀬戸内海の夕景と水島コンビナート 夜景クルージング」に参加するためである。夜7時の出発で、2時間ぐらいのクルージングである。何で知ったかというと、京都新聞の西Naviせとうちの旅(6月2日)である。コンビナートの撮影では、兵庫県の港で募集しているクルージングに何回も応募していた。しかし、すべて抽選で落ちている。夜は丸亀に泊まった。今回は、カメラとしては気合いを入れてソニーのα6300を持って行った。レンズも、実質24〜105mgの8万円以上するズームレンズを付けていった。重さは700gを超える。カメラもレンズも今回が初めての使用である。十分に使いこなせなくて、もうちょっときちんと説明書を読んでいくべきであった。
 私はふだんの旅行では、高級コンデジでそれほど不自由していない。しかし、次の旅行には、このカメラを持って行こうと思っている。首からカメラをぶら下げるのは嫌いなので、持って行くカバンや撮影スタイルがこれまでとは変わってくる。すぐに写真が撮れるように、機動性の高いスタイルにするにはどうしたらいいのか、今回の旅行でわかった。詳しいことについては、写真付きで解説する。

港  ここは児島観光港である。右に見えるのが、観光船乗り場である。位置としては、瀬戸大橋の本州側の手前になる。帰りは、丸亀から特急で岡山に帰った。1時間ぐらいである。児島は特急の停車駅となっている。

売り場  ここは児島観光港のチケット売り場である。私は電話で予約していた。値段は1800円である。児島はジーンズの有名な生産地である。乗客は50人ぐらいで、ツアーの団体客もいた。

夕暮れ  船の後ろには出ることができる。ここから大勢のアマチュアカメラマンが写真を撮っていた。観光船は瀬戸大橋の下をくぐり抜けて行く。

島  瀬戸内海には、小さな島がたくさん浮かんでいる。これと同じ風景は、翌日の特急の上から見ることができた。

瀬戸大橋  かなり暗くなってからの瀬戸大橋である。写真の被写体としては、私はコンビナートの夜景に以前から興味があった。花火にはあまり関心がない。松田優作主演の「ブラックレイン」に出てきたあの美しさを今でもはっきりと覚えている。

コンビナート  ここが水島コンビナートである。もう少し船が近づいて欲しかった。港に帰ってきて、すぐに花火が始まった。この花火に間に合わせるために、急いで帰ってきたのかも知れない。

今週のトピックス 8 (160802)

村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)
村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)

 今週読み終えた本は、この日記で話題にしたぐらいで、当初は読む気がなかった。ところが、前回紹介した本を読んでいて、是非ともこの本を読まなければと思った。前にも書いたように、メルマガの「新書ファン」に新しく発刊された本として書名だけが紹介されていた。アマゾンで簡単な内容を調べ、最近注文したばかりである。この本の帯の裏側には、「いつから、我が自民党は正しいことを堂々と言えない『不自由民主党』になってしまったのか」と書いてある。著者は、私より1つ年上の現役の自民党衆議院議員である。「おわりに」で書いているように、立憲主義、平和主義、基本的人権を守る政治を主張し、これら国民の権利が侵される危険性を指摘して、安保法制を、戦争ができる解釈改憲だと、たった1人で反対し続けている。
 私の専門は精神医学である。政治のことについては、まったくの素人である。この本を読んで、自分の中のもやもやした疑問点がやっときれいに晴れた。まず、第2次世界大戦前のドイツのことが書かれている。ドイツは世界一民主的だったはずのワイマール憲法下で全権委任法という法律を通すことにより、ナチスが台頭してしまった。著者は、それと同じようなことが日本で起こる危険すら感じているという。実は、この本を読んでいた7月27日(水)のMSNニュースを読んでいたら、「安倍首相が目指す目標、ヒトラーのナチスドイツとこんなにも酷似していた!」がビジネスジャーナル・サイゾーから転載されていた。放送界の大きな賞である第53回ギャラクシー賞で、「報道ステーション」の2本の特集が受賞した。2本目が「独ワイマール憲法の“教訓”」である。
 この時のコメントを読んでいたら、「酷似ってバカなの?」とか、ひどい書き込みが並んでいた。最近は、こんなコメントばかりである。日本会議の末端の組織の支持者が集団で書き込んでいるのではないかと、疑ったりする。前回このコーナーで紹介した 大井幸子、片桐勇治「この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体」(ビジネス社)では、安倍政権の国立大学の文系廃止について批判していた。インテリジェンスとは、極秘情報の収集ではない。公開情報などさまざまな情報の背景を探り、その本質を多角的、立体的に分析・把握する能力を身につけることである。その土台となるのが歴史を含めた知識なのである。日本の安全保障のためにも、社会科学は大事な学問である。
 自民党改憲案の「第9章 緊急事態」の99条は、ナチスの台頭を合法的に許すことになったワイマール憲法唯一の抜け道とそっくりだという。現行憲法の「集会、結社、表現の自由」に、次の条文を追加している。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない」 権力者が、「公益及び公の秩序を害すること」と判断したら、表現の自由は許されないというファシズムの台頭を示しているのである。
 過去の自民党総裁選において、露骨に推薦人名簿を集める妨害をして、政策論争さえさせないようにしたことは1度もなかったという。安倍首相は、総裁選で野田聖子おろしをして無投票で再選されている。特定秘密保護法についても、報道の自由、取材の自由、国民の知る権利が奪われる危険性が大きいと指摘している。2014年に行われた衆院総選挙においては、一部民放局は自民党本部に呼びつけられ、放送法を楯にとって放送内容に注文をつけるがごとき圧力をかけられていたという。この法案は十分な議論もされず、あっさりと官邸に追随した自民党議員によって成立している。
 小選挙区制は、1993年にできた。それまでの中選挙区では、お金がかかり、選挙違反の温床になっていたからである。ところが、小選挙区制と比例代表制ができた結果、まず政権支持率が高ければ、個人の候補者の能力が伴わなくても、小選挙区で勝てることになってしまった。この選挙制度を見事に利用したのが、小泉元首相である。郵政民営化に反対した自民党の政治家はすべて公認を取り消され、その上刺客まで送り込まれた。この時の郵政民営化賛成の新人候補(小泉チルドレン)は83人当選した。自民党が大きく議席を失い、民主党に政権を渡した時には、この83人中70人が落選している。
 派閥政治の功罪についても書いてある。昔はそれぞれの派閥で、議論がなされていた。専門性の高い知識を持った族議員も多かった。私は族議員の弊害についてはわかっているつもりである。しかし、族議員という政策集団が弱体化したことで、政策を練り上げる能力が低下したという。小選挙区制ができたため、派閥を維持するための金権体質や派閥の順送り人事の弊害は除去できた。しかし、今度は閣僚人事の評価基準が首相のみに負託されるようになってしまった。総裁への迎合や忠誠心に重きがおかれ、政治家としての理念や信条が置き去りにされる。猟官運動が激しくなり、為政者に媚びへつらう政治家が多くなった。つまり、次の選挙で党の公認を取り消されたら困るので、首相の考えに反対意見は述べる者は誰もおらず、首相に迎合する人物だけが大臣などに任命されるのである。
 今はこれだけの話では済まない。官僚についてである。私は官僚バッシングが激しかった頃から、官僚を擁護してきた。これだけでも、患者さんの数は相当減ったと思う。どうして官僚を擁護したかというと、とんでもない優秀な人たちが、安い給料でそれこそ国のために滅私奉公していたからである。この日記でも何回も書いているが、日本の国会議員(Lawmaker)は法律を作る能力はなく、それこそ米国でいうとロビイストになる。日本の政治家は中国の太子党以上に、2世、3世が多い。日本では民主的な選挙をしているといっても、ほとんど世襲制なのである。管内閣官房長官は、以前は自民党内では世襲制反対であった。今となっては、権力の座につくための方便であったことがわかる。
 小泉元首相は、財務省に企画立案を任せ、実行は政治家が判断すればいいという姿勢を貫いた。さて、安倍政権である。現在の第二次安倍政権では、公務員法改正で人事権掌握という政治力によって官僚をひざまずかせてしまう。公務員法改正は能力本位にするためだというが、政権に異を唱えるような言動をすれば、人事権をいつでも発動できるという脅しがついている。そのため、Noを言えない官僚機構を作り上げ、政権に迎合する官僚だけが官邸への出入りが許されるようになった。官僚が人事を握られた象徴的な例が、行司役に徹すべきである内閣法制局長官に、集団的自衛権行使容認派の外務官僚が起用されたことである。政治家にとって官僚は、政策実現のためのブレーンで、霞が関は永田町のシンクタンクなのである。人事権を握ったことで、政権に迎合する官僚ばかりになる恐れがある。
 自民党員と官僚の人事を掌握したのが、現在の安倍政権である。ワンマン社長の会社のことを言っているのではない。私は日本の国を任せることのできる人は、知的エリートでなければならないと思っている。学歴がなくても、優秀な人は大勢いる。しかし、日本のトップになる人にそんなリスクを冒してまで選ぶことはない。知的エリートは掃いて捨てるほどいる。これも、MSNニュースに載っていたことである。舛添前都知事は、亡くなった鳩山邦夫と東大法学部の主席を競い合っていたという。政治家には調整能力も必要である。それでも、官僚の話を1聞いて10わかる人の方がいい。安倍首相のように省庁のトップである財務省官僚を退けるのは、単なる学歴コンプレックスのためなのか、頭がついていけなくて官僚の話が理解できないのか、よくわからない。
 権力は必ず腐敗する。私はペンネームでこの文章を書いているわけでない。実名で書いている。私がこの文章を書いたからといって、何の得にもならない。むしろ、草の根運動が起源の日本会議の末端の組織から、いろいろな形で嫌がらせを受けるかもしれない。しかし、このまま安倍独裁政権を放置しておくことは危険である。今はマスコミがターゲットになっている。このまま放置したら、力をつけてきた末端の組織が、私のような一般市民に対してもそのうちあの手この手でねじ伏せようとしてくるだろう。例えば、商売をやっている人に対しては、商売先に圧力をかけるなどである。日本では「出る杭は打たれる」という言葉は昔からよく知られている。調和を重んじるのはよくわかる。しかし、ここでも何回も書いているように、「触らぬ神に祟りなし」とか「長いものには巻かれろ」は、奴隷根性以外の何ものでもない。自由を市民たちが勝ち取った西欧人から見たら、日本で人気番組であった「水戸黄門」は、典型的な奴隷根性のドラマなのである。日本は時の権力者と戦って、自分たちの手で自由を手にしたわけでない。戦後アメリカから何の苦労もなく与えられたのである。その分、言論の自由など基本的なことに無頓着である。

 

平成28年7月26日(火)

 「今週のトピックス」を先に書いていたら、もう午後9時過ぎになってしまった。ほとんどビールを飲まずに、今回は書いた。途中、夕食は自炊して食べている。私の書きたいことは書いたので、もう満足である。しかし、このまま終わるわけにいかないので、最近の診察で感じたことを書く。
 まず、アラフォーの女性である。最近、3年間付き合っていた男性にふられたという。この年齢になったら、リセットするのは難しいと考えるかもしれない。しかし、正社員で名の知れた企業に勤めている。ふと、正社員を首になることと彼にふられることは、どちらがリセットしやすいかと考えた。今の時代は、正社員をリストラされることの方が、リセットするのが難しいと思う。よほど、特殊な能力や経験がないと、せいぜい手取り14〜5万の契約社員にしかなれない。条件のいい仕事を見つけるのは至難の技である。それに比べたら、独身の男性はごろごろいる。アラフォーですぐに妊娠を考えるのでなければ、新しい彼を見つけることの方がまだ楽である。それほど、現在の経済状況は悪化している。
 私より上の世代の患者さんと話していると、それなりに定年まで働いてきた人は自分の老後についてはあまり心配していない。しかし、自分の子どもの分まで面倒を見れるかといったら、無理である。結婚式や一時的な経済的援助は可能である。しかし、一生はもちろん無理である。今の時代は、子どもが大学を卒業し、ブラック企業に就職したら大変である。1回ぐらいは正社員での転職は可能かもしれない。しかし、転職が複数回になってくると、まともな企業の正社員は遠のいていく。まだ若いのに、いつの間にか条件の悪い会社での契約社員になってしまう。今の日本の社会は、1回転落してしまったら、2度と這い上がれない。私でさえ、自分の娘の将来が心配である。引きこもりの子どもを抱えている老齢の親が、障害年金を含め、何とかならないものかと私の所に相談に来ることが多くなった。
 日曜日は、大阪の中ノ島でやっているシルク・ドゥ・ソレイユの「トーテム」を見に行った。席は前から6列目である。最近は年をとって感性が鈍ってきたのか、大感動とまではいかなかった。年齢とともに経験を積んでいくので、どうしても新鮮さが失われる。私は、ラスベガスでも息子とシルク・ドゥ・ソレイユのショーを見ている。他にも、これまでの日本公演も数回見た。実は、1番感動したのは、これも息子と見た今はない日本のディズニーランド常設館のショーである。シルク・ドゥ・ソレイユには、芸術というより、それこそ人間技と思えないアクロバティックなパフォーマンスを期待してしまう。

今週のトピックス 7 (160726)

大井幸子、片桐勇治「この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体」(ビジネス社)
大井幸子、片桐勇治「この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体」(ビジネス社)

 この日記はHTMLで書いている。前回の台湾の写真は「今週のトピックス7」にしようと思った。ところが、どうやってこの9枚の写真を「今週のトピックス」に入れたらいいのか、やり方がわからなかった。仕方ないので、今回を「今週のトピックス7」にする。前回の日記でも書いたように、この本は帰りの台北の空港で読んでいた。以前から、ちょこちょこと読み、空港でかなり読み、飛行機の中でも読み、京都行きの特急はるかの中で読み終えた。読み応えがあり、本当に面白かった。去年の8月に発売されている。
 私は自分で読む本は大部分本屋で決めている。書評が出る頃にはすでに読み終えている本もある。この本はたまたま偶然本屋で見つけた。最近は、面白そうな本を見つけても、以前のようには買わなくなった。読めない本がどんどんと溜まってしまうからである。この本は政府にとって国民には知らせたくない不都合な事実が沢山書かれている。恐らく、どの新聞や雑誌にも取りあげられないであろう。著者の大井幸子は国際金融アナリストで、片桐勇治は国会議員の秘書や国民新党の広報部長を経て、現在政治評論家、国際政治アナリストをしている。
 はじめにで、最初からいいことが書かれている。世界の動きという横軸と、歴史という縦軸をきちんと捉えると、一見バラバラに思える出来事が意外なほど密接に絡み合っている構図が浮かび上がってくるという。まず、戦争終結後には、兵士に関する保証金、そして賠償金というおカネがかかる。日清戦争では、清国から軍事費や賠償金をロスチャイルド系銀行から借りて支払われ、実際には戦艦三笠の建造などに携わった英国産業へおカネが流れた。日露戦争の戦費返還の完了は1986年である。
 ここでは、国際社会の本質を見る観点を3つ挙げている。@国際社会におけるおカネのやり取りは極めて長期で動く。国家間のおカネのやり取り、すなわち契約は最長で99年に及ぶ超長期的なものになる。賠償や債務を支払うための「原資」は通常国民などから徴収する税金があてられる。A1度取り決められた契約は何があろうと履行される。B国家間もしくはそれに類する組織でのおカネのやり取りの根本は金(もしくは戦略物資)で、これが国際社会を動かす。ドイツが第一次世界大戦の賠償において、連合国側に石炭を無償提供する項目もあった。ドイツが賠償の支払いを終了したのは、2010年である。
 さて、日本である。1945年にポツダム宣言を受け入れ、降伏文書にサインをした。1951年にサンフランシスコ講和条約を締結し、日本の主権が認められ、独立国になったことになっている。ところが、戦後日本は焼け野原から再出発する資金がまったくなかった。この本によると、援助資金の30億ドル(現在の30兆円)を金融財閥の「サッスーン」から借り、吉田首相が日本の国防権、電波権、航空(管制)権を米国に担保代わりに差し出し、米国が保証人になったという。また、第二次世界大戦では、第一次世界大戦の敗戦国ドイツのような過酷な賠償は日本には課せられなかった。しかし、これも、国際社会の常識では米国が放棄したとは考えられないという。片桐によると、1952年の主権回復は一種の見せかけで、60年後の2013年4月27日に戦争の代償(復興資金と金利、戦争賠償に匹敵するもの)を返済し終わり、国防権、電波権、航空(管制)権の三権が戻ってきたという。実際に、これまで政府が1度も行ってこなかった主権回復の式典が翌日に行われ、天皇も出席されている。
 この本ではバチカンのことも書かれている。欧州においては、「主権国家(君主国家)の前にバチカンありき」である。バチカンのフランシスコ法王は「グローバル資本主義と闘え」とメッセージを出している。こうしたバチカンなどの勢力と対峙しているのが、国際金融資本(石油資本、軍産複合体、金融資本)である。米国とキューバの和解をお膳立てしたのもバチカンである。
 なぜ辺野古にV字型滑走路が必要なのかについては、海兵隊はへりかオスプレイで移動するので必要ないという。辺野古沖の滑走路は、米軍用ではなく自衛隊のためと考えるのが自然なのである。日本は戦後70年間、ミリタリーコントロールはしてこなくても問題なかった。なぜなら、米軍がいたからである。先ほどの真の独立後は、違ってくる。自らを律しなくてはならない。米国では、軍人が政治的な言動を行う事に対しては、凄まじい規制をかけているという。軍人を戦争に行かせたら政治の失敗とも書いてある。TPPについても、独立した日本を、新たにな枠組みにはめておさえこむための装置だという。
 この日記でも何回も書いているFRB(連邦準備制度)のことについても詳しく解説している。FRBはロスチャイルド銀行などの民間の銀行から成り立っている。アメリカ政府にはドルの通貨発行権はない。民間中央銀行を通さず、政府ドルなどを発行したリンカーンやガーフィルド、ケネディ大統領は暗殺されている。ドルを市中に回らせるために、米国政府はFRBに対して金利分を返済時に余計払う。したがって、FRBはドルを刷ってさえいれば、寝ていても儲かる。これが、プライベートバンク・FRBのビジネス・モデルである。
 最後に、米国の「グラス・スティーガル法」のことが書いてある。1929年に発生した大恐慌の反省からできた銀行法である。金融が原因の社会不安を起こさないように、銀行業と証券業を分離することを取り決めたのがこの法律である。長らく米国の金融を律してきた。ところが、サマーズ元財務長官ら「政商」の登場によるウォール街の変化などによって、1999年に廃止された。この法律の廃止こそが、リーマン・ショックを招いた大きな原因だとされている。
 大井は、歴史を教訓として捉えることの大切さ、また、そうしたことを忘却してしまうことが、いかに悲劇を招くかという、またとない好例だと述べている。まさに、現在の安倍政権が押し進めようとしている歴史・安保論議が同じなのである。戦後、長らく時間が経って、かって起きたことに対する注意力がなくなってきていると指摘している。私もまったくその通りだと思う。他にも、満州国の建国国債の担保になったのは、「アヘンの専売益」と書いてある。自衛のための戦争という言葉に隠れて行われていたのは、アヘンと戦争利権のあくなき追求だったのである。ここに書いてあることは、すべて真実なのか私には判断能力はない。しかし、今も長崎に邸宅が残る英国人商人グラバーは、アヘン戦争に絡んだジャーディン・マンセン商会の代理人として日本に来ていて、そのグラバーの下に維新の志士たちが参集していたことを知らない人は、是非とも1度読んで下さい。この本にも書いてあるように、自分たちにとって都合のいい歴史しか見ない自慰史観の人たちにもお薦めの本である。

 

平成28年7月19日(火)

 この日記は7月21日(木)に更新している。毎週火曜日は午前中の外来だけである。この日は休診にしていた。何をしていたかというと、16日(土)の外来が終わってから、夜6時半に関西空港から台北に飛行機で出発していた。3月の時には、飛行機に乗り遅れて行くことができなかった。その代わりである。台湾には30年ほど前に1回行っただけである。
 飛行予定時間は3時間であった。ホテルは4〜5日前に、以前ネットで予約した同じホテルを予約した。他のホテルを調べ直すのが、面倒臭かっただけである。値段は前回より高かった。早めに予約した方がいいのか、直前に予約した方がいいのか、その時の状況によって変わる。空港には早く到着した。空港で両替をしたら、3万円で8808元であった。1元は3.42円になる。この土曜日から帰ってきた火曜日までの4日間に使ったお金は、1万5千円にも達していなかった。帰りの空港で、まだ4500元以上残っていた。台湾では、空港ですべてお金を両替しても差し支えない。市中とレートはほとんど同じで、場所によっては空港の方がよかったりする。
 空港から台北駅までバスを使った。約1時間ぐらいかかった。値段は125元(約430円)である。台北駅に着いたのは、夜10時頃である。3月に来る予定であったので、今回は何も調べていなかった。「地球の歩き方」の地図にホテルの場所が載っていなかった。駅にある地図を見ながら、通りを調べた。そこに行ってからホテルを探すことにした。こんなことなら、ホテルの場所だけでもチェックしておくべきであった。幸い、ホテルはすぐに見つかった。日中より、夜の方が電光板が出ているのでわかりやすい。最後の18日(月)にも同じホテルに泊まった。朝食付きで、土曜日は1万円で、月曜日は7千4百円ぐらいであった。普通のビジネスホテルである。場所がよかったせいか、他の物価と比べると、それほど安くは感じなかった。
 翌日の17日(日)は、台北の東に位置する港町である基隆(キールン)に行った。大都会である台北には興味はない。海や湖、河などの水のある風景が1番なごむ。台北駅からバスで約50分である。バスの料金は55元(約190円)である。台湾は日本と比べて、物価は安い。特に、交通費が安いのは助かる。地下鉄のようなMTRも安い。荷物は国際フェリー乗り場のコインロッカーに預けた。3時間で30元(約100円)である。翌日に、台北駅で荷物を預けたら、3時間20元(68円)であった。この日は、まず高台にある中正公園に上った。昼食は、日本料理の店で、刺し身定食(380元)とビールの小瓶(70元)を頼んだ。10%のサービス料がついて、495元(約1700円)であった。高級店のような店の雰囲気があり、大勢の客がはいっていた。港町なので、刺し身も新鮮で美味しかった。ちなみに、コンビニで350ccの台湾ビールを買うと、32元(110円)である。
 この日はホテルに午後3時過ぎに、チェックインした。Delux Family Roomとなっており、4人で泊まる部屋である。値段は1万1千円であった。予約した時に、この部屋しか空いてなかったと思う。午後4時ぐらいに基隆駅の近くから出ているバスで、九フンに行った。40分ぐらいかかり、料金は30元(100円)であった。台湾映画の「非情城市」の舞台になった場所で、「千と千尋の神隠し」に出てくる館の雰囲気が味わえる。狭い道路に観光バスや車が連ねていた。この後のことは、写真付きで解説する。
 翌日は朝早く、またバスで台北駅に戻ってきた。荷物をロッカーに預け、今度はMRTを使って、新駅まで行った。料金は30元(100円)である。ここから、バスに乗り換えて、30分ほどで烏来(ウーライ)に着く。料金は15元である。バスの中で「地球の歩き方」を読んでいたら、欄外に「2015年8月の台風により、甚大な被害を受けている」と書いてあった。もう1年近く経つので、大丈夫かと思った。しかし、まだ河川工事をしており、トロッコも動いていなかった。ロープウェイ乗り場のある所まで行ったら、急に土砂降り雨が降ってきた。なかなかやまず、傘も持っていなかったので、あきらめて帰ることにした。この決断は正解であった。少し小降りになっていたが、MRTの新駅のバス停まで来た時に、再び土砂降り雨となった。あまりにも激しい雨で、バス停から1歩も動けなかった。20分ぐらい経っても、まったく勢いは衰えなかった。
 19日(火)は、午後1時半過ぎの飛行機で、関西空港に戻ってきた。私は3月に飛行機に乗り遅れてから、トラウマになっている。出発時刻の2時間前には空港に着くようにしている。この旅行に持ってきた読みかけの本が面白かったので、早めに着くように空港行きのバスに乗った。空港に着いたのは、出発の3時間前である。地下のフードコートに行き、マンゴージュースを飲みながら、ずっと本を読んでいた。ついでに昼食もとったが、シーフードカレーが本当に美味しかった。この読み終えた本については、来週の「今週のトピックス」で紹介するつもりである。

ホテル  台北駅の南側にたくさんのホテルがあった。電光掲示板で安い値段を示していた。この時期は、特に予約がなくても泊まれそうである。ここはホテルの近くの空き地である。壁の色といい、この雰囲気がいい。

基隆  基隆の港。海はあまりきれいではなかった。もっと水のきれいな観光魚市や海浜公園がある。駅前のバス乗り場があちこちにいくつもあり、どのバスに乗ったらいいのかわかりにくかった。時間がなくて行けなかったのは、残念である。

中正公園  坂道を上っていくと、中正公園にたどり着く。ここから、基隆の港が見渡せる。お寺みたいなものが建っており、修理中であった。

九フン1  台湾の観光写真で必ず出てくる九フンである。ところが、赤い照明で照らし出されるあの旅館みたいな所が、どこにあるのかわからない。ここは土産物が並んでいる細い路地である。

九フン2  先ほどの細い路地をずっと行くと、階段がある。降りていくと、この写真が撮れる。向こうに見えるは、海である。細い階段にはびっしりと大勢の観光客が詰めかけていた。みんなスマホやカメラを構えている。日本語が飛び交い、半数以上が日本人観光客であった。

夜市  九フンから基隆に帰ってきたら、夜9時過ぎであった。もう夕食をとる所がないと思って、夜市に行ってみた。ここは、夜遅くまで大勢の人でにぎわっていた。

夕食  夜市には、土産物屋から食堂までたくさんの店が出ている。この料理は、揚げたてタラバガニである。値段は、300元(約千円)である。蒸し牡蠣が150元で、台湾ビールの小瓶が70元であった。

烏来  烏来の吊り橋である。温泉街では、休憩して温泉も楽しめる。去年の台風の影響で、ロープウェイ乗り場までのトロッコが動いていなかった。坂道を歩いて30〜40分である。タクシーで10分もかからないのに、270元(920円)であった。

滝  ロープウェイ乗り場の近くにある滝。ぽつぽつと雨が降り出し、突然、土砂降り雨となった。白い水が土色に変わって、激しく流れ落ちていた。なかなか雨は小降りにならなかった。仕方ないので、また270元払って、バス停まで戻った。

 

平成28年7月12日(火)

 少し前までは、月、水、金と断酒していた。ところが、ここ1〜2ヶ月ほとんど毎日ビールを飲んでいた。やめようと思っても、ついつい飲んでしまう。今週の月曜日からは、以前のように週3回は断酒しようと思う。酒だけではなく、患者さんからいただいたお中元のお菓子も、ついつい食べてしまう。久しぶりに体重計に乗ったら、だいぶ増えていた。今週から間食も禁止である。腹が出てきて、ズボンが苦しくなってきた。意識的に、身体も動かして、体型を引き締めようと思う。
 今週は、福祉にかかっている新患の患者さんが2人受診した。私は、医院の診察で福祉関係で利用されるのは嫌いである。たとえば、前にも書いたように、精神科に通院していると福祉の申請が通りやすいと考える人もいる。最初に当院を受診して、その後すぐに生活保護の申請に行く人もいる。今回受診した2人は、生活保護を受けていて、長いこと仕事をしていなかった。最近は、どの福祉事務所でも、生活保護を受けている人の就労に熱心である。働ける人には働いてもらって、少しでも生活保護費を減らすためである。このことについては、私は何も異存はない。
 ところが、もともと社会適応が悪く、長いこと働いていなかった人である。担当者から短時間でも仕事に行くようにいわれると、仕事に行けない理由として、あちこちの身体の不調を訴える。過去に精神科の通院歴があると、そのことを理由にしたりする。実際には、近くの内科で、精神安定剤や睡眠導入剤が処方されていたりする。仕事に行けないなら、精神科に行ってきちんと治療するように言われ、私の医院を受診することになる。本人さんたちは対人関係が苦手で、過去にいじめられたこともあると訴える。今の時代は、普通の主婦がパートに行っても、いじめられることは珍しくない。
 うつ状態が悪化していて、仕事ができない場合は、私の所で治療したら行けるようになるかもしれない。しかし、引きこもりがちの状態で、長いこと安定している人は無理である。本人さんたちも、仕事のことさえ言われなければ何も困っていない。こういう患者さんを安易に引き受けると、精神障害者があっという間にできあがってしまう。そのうち、自立支援医療の診断書を書いてくれと言われ、下手をすると、障害者手帳や障害年金の診断書も求められる。患者さんも通っていたら仕事のことは言われなくて済むと思い、必要のない治療のために通院することになる。開業している地域にもよるが、こういう人は決して珍しくない。つじつま合わせのために、精神科を利用するのはやめて欲しいと思う。
 この前の9日(土)は、年に2回ある大学の医局の同門会があった。新しい教授は、7月1日付けであった。精神医学教室に所属する先生が4題の演題について発表していた。医局から、大阪の市立池田病院に行っている先生がいるとは知らなかった。妹が池田に住んでおり、近くに母親もいる。亡くなった父親が入院していたのは、市立池田病院であったのか、忘れてしまった。新しい教授については、ほとんど面識はなかった。司会の挨拶 などでは、癖のない、穏やかでそつのない印象であった。定年まで後20年ある。20年後の医局を見届ける前に、私の方が先に逝きそうである。
 懇親会では、主に先輩にあたる先生と話をしていた。昔、お世話になっていた先生である。70代後半から80代の先生である。80歳を過ぎても、まだ海外を飛び跳ねている先生もいる。精神科の仕事を完全引退した先生も、この会にだけは参加してくる。医局の関連病院である精神病院も最近代替わりをして、院長が若返っている。外来に通院している患者さんが入院が必要になった時には、お世話にならなければならない。私の同級生は参加していなかった。私が精神科教室に入局したときには入局者はたった2人だけだった。昔の精神科医は唯我独尊の人が多く、先輩の先生でも気に入らなければ医局をやめていた。今とは違って、じっと待っていたら、チャンスが巡ってきた。日赤の部長になれたのも、ただそれだけのような気もしてきた。
 最後に、きょう気づいたことである。6月21日(火)の「今週のトピックス3」にベトナム・ニャチャンの1人旅をYouTubeにアップロードした。私は動画をアップロードした直後は、YouTubeで何回も内容をチェックしたりしない。どうしてかというと、自分の動画をクリックすると、すぐにカウンターが上がってしまうからである。こういう状態がどのくらいの期間続くのかわからない。そのうちクリックしても、カウンターは反応しなくなる。久しぶりにこの動画をYouTubeでチェックしてみたら、コメントが貼り付けてあった。ベトナム戦争での韓国兵の大量虐殺と強姦を告発する内容である。
 私は「今週のトピックス4」で、菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)の本を紹介した。この中で、在特会の活動などを批判している。ベトナム戦争での韓国兵の強姦などは、韓国の慰安婦問題に反論する人たちが必ず出してくる問題である。日本会議の組織の末端の活動家が私の動画にコメントを入れたのか、よくわからない。最初は、反論のコメントを載せようと思った。ところが、アップロードしたのは私なのに、Google+の会員でないと、コメントを載せることができなかった。こんな場で、いろいろ議論しても仕方ない。このコメントは、動画の管理者である私が削除することはできる。今回は小細工せず、そのままにしておくことにした。
 さて、ベトナム戦争での韓国兵の大量虐殺と強姦である。韓国は約5万人の兵士(延べ?)をベトナムに送っている。約5千人が死亡し、負傷者数は約8千人である。負傷者数を入れたら、4人に1人の犠牲者である。さて、敗戦国である日本は、アメリカに付き合わされず、ベトナム戦争に参加しなかった。アメリカが押しつけた平和憲法で、アメリカが参戦させることができなかったからである。沖縄の米軍基地などを提供するだけで済んだ。日本が平和を愛する国で、韓国が野蛮な国だからベトナム戦争に参戦したわけではない。国が分断されているのも、当時の地政学的理由からである。
 そんなことより、この日記でも書いたように、日本に対する国連憲章の敵国条項は何とかならないものかと思っている。日本はポツダム宣言を受け入れた敗戦国である。ここが戦後の出発点である。テニスの試合で負けたのとはわけが違う。敗戦について素直に認めず、いつまでも言い訳みたいなことをぐだぐだ言っている人たちは、私には女の腐ったような人たちにしか見えない。

今週のトピックス 6 (160712)

大塚明彦、森本志保「『心の病』の嘘と真実」(幻冬舎)
大塚明彦、森本志保「『心の病』の嘘と真実」(幻冬舎)

 この本は、勝手に送られてくる「メディカル・トリビューン」の書評で知った。私は昭和54年(1979年)卒なので、精神科医になってからもう37年になる。私が入局した頃には、精神科医は何もできないと他科の医者からはバカにされていた。実際に、総合病院での当直ではあまり役に立たなかった。内視鏡の検査ができるわけでもなく、外科のように手術をしたり、傷の処理ができるわけではない。バカにされながらも、他科の医者のいうことももっともだと納得している部分もあった。
 TVを見ていると、「モノづくりのまち」として東京大田区のまち工場が紹介されたりしている。研磨工場で、手で触りながら、金属のゆがみなどを研磨機で修正していく。手で触っただけで、0.00…1mm(もう忘れたが)の歪みがわかるという。こういうのを見ていると、誰でも職人技のすごさに感嘆する。実は、私はこの年になってきて、どんな職業でも年数を重ねたら、同じような職人技を磨いていると思うようになってきた。
 大工を何十年とやってきた患者さんでも、現場に立ったら、どの部分が難しい作業なのか一瞬でわかるという。他の職業で、材料を叩いて音を聞いただけでわかるという人もいる。私も同じである。精神科医を37年もやっていると、大体の話を聞いただけで、ほとんどのことがわかってしまう。ミルトン・エリクソンではないので、顔を見ただけで相手のことがわかってしまうのは無理である。
 40〜50代の時には、最新の医学の知識を手に入れ、ついつい自分は経験豊富で、何でも知っていると思っていた。しかし、経験で言うと、今の私より乏しい。精神疾患については、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質で語られることが多い、これらの神経伝達物質が何らかの関与をしていることは確かである。しかし、あくまでも仮説の領域を出ていない。この本の著者は、1966年卒なので、私より12〜3歳上である。はじめにで、「そもそも心の病の診断基準が、製薬業界の強い影響のもとにつくられているということは、あまり知られていないのです」と書いてある。治療ガイドラインも同じである。
 この本では、精神科バブルについて述べている。1996年時点で心療内科を標榜している診療所は全国で662件だったが、2014年には4577件と約7倍に増えている。私が開業したのは、平成13年(2001年)である。精神科で心療内科を標榜している医院は多い。しかし、必ずしも一致するわけではない。京都精神神経科診療所協会には、ほとんどの精神科開業医が参加している。精神病院のサテライト・クリニックも含まれて、京都府でその数は80を切るぐらいである。著者は、内科の医者が患者獲得のために、心療内科を名乗っているケースが多いように感じると述べている。患者さんが増えている変化のポイントは、「軽症化」と「非定型化」だという。日本の精神科医は製薬会社から与えられた操作された情報を鵜呑みにしていると鋭い指摘もしている。治療ガイドラインも同じである。
 ここまでは、いいことが書いてあると思った。しかし、「うつ病の人の脳をMRI画像診断で見ると、脳の海馬という部位が萎縮しているのが確認できます」、 「うつ病を治すことは、減ってしまった脳細胞を回復させることにほかなりません」と書いてあると、ここまで断言していいのかと思ってしまう。著者が開発したという40の質問からなる「脳ナビゲーション」も紹介している。そして、うつ病診断の決め手は、「睡眠障害」と「体内時計のズレ」にあるとここでも断言している。最後に書いてある発達障害の診断のポイントでは、「五感の過敏さ」が強調されている。受精後外胚葉が形成するのは、表皮と神経系である。神経系に障害がある場合には、表皮の形成の障害が起きている可能性が高く、五感の過敏さにつながるのではないかと推測している。こんな飛躍した説を展開している本はトンデモ本ではないかと思った。
 私がこの本で1番興味を持ったのは、著者が考え出したといううつ病のATOM療法である。うつ病の治療では、抗うつ薬であるSSRI(SNRI)とNaSSaを併用するカリフォルニアロケットという治療法がある。実際には、サインバルタ、リフレックスの組み合わせが多い。当初言われたほとには、あまり効果がない印象である。著者は、デュロキセチン(サインバルタ)とオランザピン(ジプレキサ)を組み合わせた処方をATOM療法と呼び、劇的にうつ病の患者さんが改善したという。パロキセチン(パキシル)を併用することもある。ここに書いてあることは本当のことかと疑うぐらいである。
 2010年〜2011年にかけて1年間うつ病の初診の患者さんにこの治療法を用いたら、4週間後にはほとんど症状がなくなり、治療開始後2ヶ月できれいに治ってしまうケースがもっとも多いという。3年間の追跡調査では、再受診した人はわずか6名だったという。双極性障害のうつ病にも効果があるという。ここでは、いろいろな症例が紹介されている。中には、ATOM療法でなくてもよくなったと思われる症例も含まれている。もっとも印象的だったのは、大学病院でも「うつ手がない」と言われた胃痛や摂食障害が、5日で解消である。私は最初に一瞬でわかると書いた。しかし、わかることと治療することは別である。症例を読んだだけで、どんなに難しいかはわかる。5日で解消とは信じられない。難治例の患者さんも多いので、治療法の1つとして試してみる価値はありそうである。

 

平成28年7月5日(火)

 CNNを見ていたら、安倍首相の演説をCMでしていた。YouTubeにも、(多分)同じ演説がアップロードされている。メールで送られてくる「新書ファン」を見ていたら、村上誠一郎「自民党ひとり良識派」(講談社現代新書)が紹介されていた。6月15日の発売である。今回の「新書ファン」では、本の題名だけで、中身は何も触れていなかった。興味のありそうな本は、アマゾンで調べている。アマゾンでは、読者のカスタマーレヴューが載っている。私が前回の「今週のトピックス4」で指摘していた内容とほぼ同じである。内容紹介では、「カラスは白い」という自民党幹部。派閥政治の功罪。公務員法改正の問題などである。読まなければならない本が山ほどたまっているので、今回買うのは遠慮した。自民党にこういう人もいるのかと思って、少しは安心した。
 さて、二級小型船舶操縦士の免許である。私だけ、実技が落ちていた。63歳になって、この免許を取ろうとする人は、少ないかもしれない。すぐに、追試の実技を受けられるかと思ったら、次回は8月である。合格しても、操縦の練習が必要である。もう一度、実技の講習を受けてから、実技試験を受けようかと思っている。今では、筆記試験の内容は、ほとんど忘れている。
 医局の新しい教授がやっと決まったようである。母校出身である。名簿で調べてみたら、平成7年卒であった。このあたりになると、私はほとんど知らない。これからの医学部の教授は大変である。医学部卒業生で、将来教授を目指す人は、今や数%しかいない。(正確な数字は忘れました) 教授になると、名誉はあっても、自分の時間はほとんどなくなる。日曜日も、学会の仕事などでつぶれてしまう。医局員も昔と違って、言うことを聞いてくれない。地方の病院に派遣しようと思うと、すぐに医局をやめてしまう。今回もいろいろあったようである。
 今から考えると、私は地方の病院などを転々としていたので、医局の中の息苦しさはそれほど味わっていない。しかし、そのままにしていたら、永遠に教授に忘れられてしまう。論文だけは書いて、教授の指導を受けていた。私は、同居している長男の嫁、姑の関係に似ていると思った。嫁は苦労して、何かと姑には気を使っている。しかし、何でもはいはいと聞くわけにはいかない。ちょっとしたことで、嫁・姑の関係がこじれてしまう。ところが、次男の嫁が姑と接するのはせいぜい盆や正月の数日である。この時に、意識的に気を使って優しく接したら、姑にとって日頃苦労している長男の嫁より、次男の嫁の方がよくできた嫁になってしまう。長いこと医局にいて、苦労していても、その割にあまり報われていない人も多いような気がする。私の時代は、お金より名誉を求めてきた。48歳の時に京都第一赤十字病院の部長をやめて開業したことについては、今では後悔していない。
 きょうは書くことがなくて困っている。これだけ暑いと何もやる気になれない。週末に琵琶湖のマンションを使うようになったら、京都駅近くのマンションをあまり使わなくなった。映画も、以前のようにイオンモールに行かなくなった。このマンションは、買った時より高く売れそうである。将来、子どもたちが使うかどうかわからないので、残している。
 年をとると、興味の対象や行動パターンが段々と変わってくる。考えて見たら、65歳になったら、大半の人は仕事を退いたふつうのお年寄りである。少し前には、気分転換に大阪にも出かけた。最近は、ほとんど行っていない。学会などで、若い頃のように東京にも行きたいとは思わなくなった。写真誌なども、毎月楽しみに本屋で見たり、買ったりしていた。ところが、興味が薄れて、最近はまったく見ていない。私より10歳上の患者さんが、一生懸命集めた骨董にも興味がなくなったと話していた。本当に、欲しい物がなくなってきた。車は9月に16年目の車検を受けるつもりである。8月まではボートに乗れないので、琵琶湖で釣りでもしようかと考えている。

今週のトピックス 5 (160705)

ベトナム・フーコック島の1人旅 / YouTube
ベトナム・フーコック島の1人旅 / YouTube

 今回は、今年の年末年始に行ったベトナム・フーコック島の動画である。ゴールデン・ウィークのベトナム・ニャチャンの動画を作ってから、早くまとめなければと思っていた。旅行の動画はこれまでもYouTubeにアップロードした。しかし、英語表示をしていたので、視聴者数はもうひとつであった。日本人用には、日本語がわかりやすい。解説をつけたり、地図でわかりやすくしたので、今回も手間暇がかかってしまった。使っている写真や動画はすべて私が現地で撮ってきたものである。
 私はここでも紹介しているように、YouTubeにはアップロードされていなかったプログレの動画もアップロードしている。最高視聴者数の動画は、前から何回も紹介しているBo Hansson - Born Of The Gentle Southである。丁度、アップロードしてから1年になる。今の視聴者数は16,000を越えていた。動画をアップロードすると、アナリシスが利用できる。国別に見ると、ブラジルが約4割で、米国が13%である。日本の視聴者数は上位5位にはいっていない。(5位までしか表示されない) 私が苦労してアップロードしたプログレの視聴者数は、他の曲でも日本人の占める割合は数%しかなかった。あまりの少なさに、ちょっとがっかりである。このホームページ自体が知られていないかも知れない。
 日本語表示では、やはり大半の視聴者は日本人である。(98%とか99%である) フーコック島はまだ日本人にはあまり知られていない。日本語でYouTubeにアップロードされている動画は、もうひとつであった。TVの「世界さまぁ〜リゾート」で紹介されていたニャチャンやこのフーコック島も、大手の施設が紹介されていたりする。以前にもこの日記で書いたように、私はタクシーをチャーターして島を巡った。ふつうの旅行では味わえない部分も紹介している。ニャチャンでは、キャノンの高級コンデジを使い、このフーコックではソニーのα6000を使っている。最近のカメラは高性能で、ここまできれいに撮れる。ベトナム・フーコック島の1人旅で視聴できる。
 さて、これまでにアップロードした旅行動画である。monmonTravelとしたので、視聴者数がぜんぜん延びなかった。今回はすでにアップロードした動画を削除し、同じ動画を使って新たに編集した。テキストを読み上げてくれる日本語の解説付きである。前の動画は最初から最後まですべてタイの音楽を流していた。今回は同じ曲を一部分のみ使った。音声の編集も、時間がかかってしまった。自分では、勝手に傑作だと思っている。タイ・ラノーンからミャンマー・コータウンへの1人旅で視聴できる。

 


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