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もんもん日記

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平成28年6月28日(火)

 先週の土曜日は忙しかった。何をしていたかというと、日曜日にあった二級小型船舶操縦士学科試験の勉強をしていたからである。教科書は、実技の部分も入れたら3分の1ぐらいは軽く目を通していた。前日の金曜日までには、ロープの結び方をYouTubeで何回も練習していた。7通りのロープワークを覚えなければならなかった。教科書の図を見ていただけでは、なかなかわかりにくかった。
 さて、ボートライセンスの問題集はまったく読んでいなかった。車の学科試験ぐらいの感覚でいた。それほど難しい問題は出てこないと思っていた。この日の夕方からは京都精神神経科診療所協会の集まりがあった。問題集にさっと目を通して、参加できたら講演会だけでも聞いてこようと思っていたぐらいである。午前中は外来があるので、昼食を取って午後1時半ぐらいからこの問題集を見た。A4で、模擬試験まで入れたら139ページあった。
 実際の問題は、4つの中から1つ選ぶ四者択一である。1ページあたり7問が多く、記号の問題では14問というページもあった。模擬試験の部分を除いても、全部で115ページあった。この日初めて問題集を広げ、1ページ目からやり出した。ところが、どの問題も1度目を通しておかないと解けない問題ばかりであった。びっくりするほど細かい専門的な知識が求められた。1問1問解いていたら、段々と後悔し始めた。
 先週の日曜日の実技練習から1週間あった。もうちょっと早くこの問題集に目を通しておくべきであった。船に示す形象物の形もひとつひとつ覚えなければならない。船にもいろいろな種類があり、喫水制限船や乗り揚げ船などがある。全部覚えて試験に出ても、1問正解である。旗にもいろいろあり、試験問題には色がついていないので、教科書で確認したりした。四者択一の中から選ぶ場合も、どうして誤っているのかを教科書で調べていたら、とんでもない時間がかかった。
 結局午後1時半からやり出して、午後8時過ぎになっても、60ページにやっと達したぐらいである。とにかく覚えることが山ほどあった。教科書を読んでいるときに、こんな細かいことは出ないだろうと思っていたことまで出てきた。「海上交通安全法の適用海域と、その海域に設けられた航路を示した次に組み合わせで、誤っているものはどれか」で、東京湾…浦賀水道航路、伊勢湾…伊良湖水道航路などと出てくる。このあたりの他の部分を詳しく覚えても、問題に1問出てくるかどうかである。
 結局、8時過ぎに一旦勉強をやめて、琵琶湖のマンションに向かった。途中、大津京のイオンに寄り、夕飯を買った。この時間帯になると、割引になりお得である。ビールも買ったが、飲むのは寝る前である。マンションでは夕食を簡単に済ませ、9時ぐらいからまた勉強を始めた。午前1時過ぎになっても、90ページをやっと読み終えたぐらいであった。これ以上続けても、頭にはいらない。勉強したと言っても、1度問題に目を通したぐらいである。すべて覚えているとは限らない。結局、この日は1時半に寝て、朝5時半に起きることにした。この日に限って国道161号線でバイクが行ったり来たり暴走していて、なかなか寝付かれなかった。
 日曜日は、車で15分もかからないヤマハ・アリーナで午前9時からの試験である。8時半過ぎにはマンションを出なければならない。朝食をとって、朝6時からまた問題集をやりだした。どうやっても、115ページまでの問題に目を通すのは無理であった。仕方ないので、気象と気圧の問題から手をつけることにした。天気図だけではなく、海図の読み方も覚えなければならなかった。海などに浮いている灯浮標にも目を通し、最後に、エンジンについて勉強することにした。点検、特徴、各部の役割、取り扱いなど覚えることが山ほどあった。しかし、時間切れで、このあたりの問題には目を通すことができなかった。実技についても、何も用意していなかった。学科試験が終わってから時間があるので、その間にやったらよかった。しかし、朝のうちに一応目は通した。
 さて、試験問題は50問である。時間は1時間10分である。30分を過ぎたら会場を出ることができる。実際にやりだしたら、覚えたことばかりでそれほど難しくはなかった。しかし、エンジンの部分や目を通していない問題は、さっぱりわからなかった。いくら見直ししてもわからないものはわからない。37〜38分で試験会場を出た。何割で合格するのか、よく覚えていない。今問題集で調べても、わからなかった。全部で、776問収録されていた。2日経っただけでも、もうかなり忘れている。学科に関しては、落ちることはないと思った。
 実地試験は正午からだったので、時間はあった。一旦琵琶湖のマンションに戻り、早めの昼食を取った。中型の二輪免許を取るときには椅子に座ってコースを頭の中に思い浮かべ、実際に左右の確認のために首を動かしたりして、何回もシミュレーションした。本番で、うまいことやろうと思っても無理である。うんざりするほど、頭の中でコースをまわったら、大丈夫である。この時は1回で合格している。
 次はボートの実地試験である。結果的には、落ちたと思う。3人1組でボートに乗る。これからは、すべて言い訳である。二輪の時のように、1人1人1連の課題をすべてをやらせるわけではない。要領よく、課題を分けて1人1人やらせていく。考えようによっては、他の人のやっていることを見ながら、参考にできる。しかし、一旦つまづくと、その後の調子も中断してしまう。私は着岸でも失敗した。練習の時には、もっと離れていた。他にも、いろいろとミスをした。
 こういう時には、自分自身に対しても腹が立つ。実技試験が終わってからも、気持ちが収まらなかった。学科試験の解答は試験が終わってからはり出していた。一応、デジカメで解答は撮っていた。気持ちを静めるために、学科試験の点数を調べてみた。50問中5問間違えていた。点数としては90点である。間違えた3問は問題をチェックできなかった部分である。もちろん、当てずっぽうで解答して、正解になっているものもある。言い訳を続けると、やはり一晩で覚えるには無理があるほどの分量であった。専門用語も、簡単には頭になじんでいなかった。実地試験のシミュレーションも充分にできていなかった。きのうぐらいから、やっと気持ちの整理ができてきた。今は気を取り直して、次回の実地試験は完璧にしようと思っている。
 私は5月に誕生日を迎えて、今は63歳である。少し前まで、山のような裁判資料を読みながら、労災裁判の国側の意見書を書いていた。この時には、日曜日に8時間ぐらい集中してやった。しかし、1日10時間以上、ただ覚えるためだけに費やしたのは、それこそ医師国家試験以来である。今回は勉強していても、もう無理だと何回も思った。それでも、結果的にはいい体験になった。医者は医学の勉強だけが高度で高尚だと思いがちである。しかし、知識を詰め込むという点では、どの分野も同じである。集中してこれだけの時間をかけたら、スペイン語の入門書1冊ぐらいは覚えられたかもしれない。私の中国語の勉強のやり方もいかにいい加減であったかわかった。英語も同じである。ビールを飲みながら、勝手気ままにやっていたらなかなか上達しない。英国のEU離脱については、CNNを見ていても、いまだに聞き取れない部分が少なくない。

今週のトピックス 4 (160628)

菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)
菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書212)

 前から約束していた本である。きょうの朝は4時に目覚め、その後1時間ぐらいかけて読み終えた。この本は、アマゾンで5月7日に注文した。どこまで正確なのかわからないが、発売日は5月1日である。いくらで手に入れたかというと、送料257円を含め、全部で2931円であった。定価は861円である。発売直後なのに、売り切れ寸前であった。普通、こういう場合には再入荷までお待ち下さいと書いてある。ところが、そのコメントもなかった。買っておかないと手に入らないと思い、この値段でも手に入れた。新聞に出ていた週刊誌の広告では、政府が出版社に圧力をかけたという。
 今は誰でも定価で手に入れることができる。新聞を読んでいると、ずっとベストセラーにはいっている。時間がなくて読んでいる暇のない人のために、書くべき事は書いておこうと思う。日本会議についてはネットなどで話題にはなっていた。著者は、自分を「右翼であり保守だ」と自認している。しかし、「日本会議」については「右翼」や「保守」も基本的素養に欠け、奇異だと断言している。私は自分のことは保守で、右翼だとは思っていない。政治についても、きれい事では済まず、「清濁合わせ飲む」とか「水清ければ魚住まず」も理解している。舛添前都知事のことについては国民には評判が悪い。しかし、私はそれほど目くじらを立ててはいない。地方議員や国会議員の中には、同じようなことをしている人が掃いて捨てるほどいるからである。一罰百戒的な意義はあるかもしれない。しかし、こんなことより、現在進行しているもっと巨悪を追求すべきである。不倫などについても、第三者が口を出すことではない。当事者間で解決したらいい。
 著者は私より21歳若い。私はポスト団塊世代である。学生運動が吹き荒れた後の世代で、白け世代とも呼ばれている。ずーとノンポリで、学生時代はロックに浸っていた。昔の社会党などの左翼は、今から考えてもひどかった。世間の自衛隊に対するイメージも、戦争と結びついて冷たかった。どこで、昔の左翼の主張がほころびたかというと、阪神大震災の時である。私はこの時に、神戸の社会保険病院にいた。あれだけの大災害の時に、自衛隊の船が神戸の港に寄港できなかった。どうしてかというと、神戸市が平和都市宣言をしていたからである。
 一刻も早くけが人を救わなければならないのに、自衛隊のヘリコプターは勝手に校庭に着陸することもできなかった。校長か誰かの許可が必要であった。元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が後に書いていたように、自衛隊と言っても、自国の防衛さえできないほどがんじがらめに縛られていた。左翼の主張は、自衛隊の暴走を許さないである。この時の新聞記事で覚えていることは、こういう時には自衛隊が1番頼りになるとしぶしぶ認めていたことである。当時の雰囲気としては、自衛隊の存在を認めること自体が、良識のある知識人には属さないと思われていた。
 さて、第三次安倍内閣である。日本会議国会議員懇談会に全閣僚19名に占める割合は8割を超えていた。日本会議を目指すものは、いろいろ書かれている。その1部を紹介すると、皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきであるが、改憲したうえで昭和憲法の行き過ぎた家族観や権利の主張を抑え、靖国神社参拝等で国家の名誉を最優先する政治を遂行し、となる。本音は、明治憲法復活である。日本会議は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」など分化会的な別動団体を多数擁している。成功事例としては、歴史教科書採択運動と男女共同参画バッシングである。
 安倍政権を支える「日本会議」の事務総長・椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官である衛藤晟一も、政府が南京事件の記憶遺産登録を阻止すべく頼った高橋史郎も、全員が「成長の家」から出た人々である。「成長の家」本体は、1983年に政治運動から撤退している。「成長の家」の創始者である谷口雅春の説くところによれば、「天之御中主神→天照大御神=天皇」という「中心」があり、そこに一切の真理がありその真理を信じることが「中心帰一」だという。「成長の家原理主義」運動の経典となっているのが、「生命の實相」だという。稲田朋美は、「谷口雅春先生を学ぶ会」で祖母から受け継いだというこの経典を振りかざしながら講演している。安倍首相のお気に入りの稲田は在特会と密接な関係があるという。
 当時の学生運動のことが書かれている部分も面白かった。1966年10月に早稲田大学で、左翼でない学生たちが一般学生の支持を取り付け、左翼学生たちのバリケードを撤去する成果を生んでいる、この運動を領導したのが、後の「一水会」の鈴木邦雄である。鈴木も当時熱心な成長の家信徒であった。この半年後に、国立大学唯一の長崎大学自治会を左翼から取り戻したのが、これも成長の家信徒の安東巌であった。この続きは、この本をとって是非とも読んで下さい。この決して表にでてこない安東巌の話も本当に面白い。
  信仰の自由は誰にでもあるので、とやかく言うつもりはない。しかし、小選挙区制になって公認権をはじめとする党内の人事権を執行部が独占してから、自民党内からは何も異論が出てこなくなった。官僚の人事も抑え、誰も逆らうことができない。これだけの権力を一手に握る者は、常に抑制的で謙虚でなければいけない。しかし、マスコミや世論を抑えつけるような暴言が政権内から相次いで出てきている。「ヘイトデモ」の原点になる西村修平が、2001年に女性国際戦犯法廷を取材したNHKに、放送前に抗議活動を開始した。一介の市民運動家でしかない西村が、どうして放送内容を事前に知っていたかである。情報を事前にリークしたのが、現在の安倍首相の筆頭ブレーンとされている人物と言われている。私は憲法改正派である。どこの国とも対等な関係になるためである。時代錯誤の明治憲法の復活なんか望んでいない。現在は安倍首相を始め、こんな人たちが日本を牛耳っているのである。この本の帯にも書いてあるように、(このまま放置したら)「一群の人々」によって日本の民主主義は殺されるだろう。

 

平成28年6月21日(火)

 きょうは「今週のトピックス」を書くのに、時間がかかってしまった。今の時間は、午後9時前である。娘と午後7時に約束して、京都駅近くで夕食をとっていた。ゆっくりと話すのは、久しぶりである。今年4月から大阪の会社に勤めている。大学時代のことは、私はほとんど聞いていなかった。それなりに友だちも作り、楽しんでいたようである。息子より、お酒もよく飲む。今の会社の部署は、やりやすいようである。若い者にとって、これからの時代は大変である。父親として、できる限り支えていこうと思う。
 今週はあまり書くことがない。以前からこの日記でも書いているある免許である。この前の日曜日は、朝9時から午後4時半ぐらいまで実習を受けていた。免許と言ったら、阪神大震災の時に神戸で取った自動二輪の中型車以来である。今から21年前である。この免許のおかげで、400ccのバイクに乗れるようになった。しかし、実技が大変であった。クランプ・S字・一本橋などよくクリアしたものだと思う。当時42歳で、この時でももう年だと思った。
 さて、今は63歳である。何の免許かというと、二級小型船舶操縦士である。水上バイクは別の免許がいる。琵琶湖のマンショを買ったので、新たに挑戦するのは何がいいのかと思った。バス釣りが1番手頃である。ある患者さんは、琵琶湖で鯉釣りをしている。発作的に申し込んだので、後から少し後悔した。この日曜日は、1日中雨が降っていた。あまり気乗りせず、琵琶湖のヤマハ・マリーナに行った。中国・九寨溝に行った時に持って行ったゴアテックスの雨具を着た。こんな時ぐらいしか使わない。雨が降っても、すごく快適であった。
 受講者は私を含め3人であった。もちろん、私よりみんな若い。30〜40代である。釣りに使うという人もいた。私は純粋に船の運転を楽しみたい。実際にボートを使って、操船する。蛇行運転や人命救助、離岸、着岸の練習をする。天気が悪かったのに、琵琶湖には沢山の船が出ていた。京都新聞を読んでいたら、ボートから落ちて誰かが行方不明になっていた。たった1日の講習で、すべて覚えなければならない。この日はけっこう疲れた。それでも、広い琵琶湖で船を操縦するのは気持ちよかった。免許を取得したらはまりそうである。ちょっとしたボートは新品で700〜800万円もする。中古は半額ぐらいになる。買うのは無理なので、レンタルで楽しもうと思う。
 今度の日曜日が学科と実地試験がある。今週は、明日から本気で勉強しなければならない。覚えることがけっこうある。もう年なので、水上バイクより、モーターボートを走らせたい。琵琶湖では小型ボートに船外機をつけて運転するのは、特に免許がいらないという。ヨットの練習をしている人もいた。風を受けて走るのも、けっこう面白そうであった。マリンスポーツの世界も、なかなか奥深そうであった。

今週のトピックス 3 (160621)

ベトナム・ニャチャン旅行 / YouTube
ベトナム・ニャチャン旅行 / YouTube

 今回も前々回約束した本を取り上げるつもりであった。しかし、今週も最後まで読み切れないと思って、ゴールデン・ウィークに行ったベトナム・ニャチャンの動画を作っていた。ところが、けっこう手間暇がかかってしまった。こんなことなら、残り3分の1ほどの本を読み切って、このコーナーで紹介した方が早かった。
 動画の素材はすべて私がこの旅行で撮影してきたものである。今回は動画編集のソフトとして、PowerDirectorを使った。最新バージョンもパソコに入れていた。ところが、プロダクト・キーを入れるのを忘れていた。いろいろ調べてみたが、手元には残っていなかった。琵琶湖のマンションにインストールDVDがあったと思う。仕方ないので、前のバージョンを使った。ナレーションは、新しいバージョンのソフト、「かんたん!AlTalk3」を使った。テキストを書いたら、声で読み上げてくれる。古いバージョンより、一段と声の質はよくなった。ノイズリダクションをかけなくても、そのまま使えた。
 テキストは、全部で50作った。動画や写真の編集をして、ナレーションを入れていく。時間がかかるのは無理がない。PowerDirectorは直感で作っていくことができる。ややこしいエフェクトをかけなければ、簡単である。テキストを読むと、けっこう難しいことが書いてある。唯一難があるとすれば、出力の時である。出来上がった動画を見ると、一瞬光の帯みたいなものがはいってしまう。いつも同じ場所ではなく、出力のたびに変わる。今回も何回も作り直した。それでも、1箇所入ってしまった。動画のワニ釣りの部分である。新しいバージョンになったら、改善されているのかよくわからない。
 YouTubeで調べてみたら、ニャチャンに関する動画はそれほど多くなかった。今回はあまり長くならないように気をつけた。6分ちょっとである。最初は、バックグラウンドに動画の波の音を入れようと思った。ところが、風切り音がけっこううるさくて、あきらめた。ロシアのきれいなお姉さんの水着姿も入れた。ベトナム・ニャチャンの1人旅で見ることができる。

 

平成28年6月14日(火)

 先週の土曜日は、今月中に書かなければならない障害者手帳用の診断書などを書いていた。今月はいつもより数が少なかった。ふだんは日曜日にしている。今回は日曜日の負担を減らすため、書ける物は書いておこうと思った。そうしないと、せっかく琵琶湖のマンショに行っても、早く帰ってこないといけない。午後5時過ぎである。新規の患者さんの診断書を書いていたら、玄関のドアホンが鳴った。何と、平成28年経済センサスー活動調査の回答の回収に来ていた。私は中身も見ずに、そのまま放っておいた。どうしても書かないといけない書類らしい。まだ調査用紙を残しておいてよかった。水曜にまた取りに来ると言っていたので、これは日曜日にすることにした。
 私の医院には、医師会や保険医協会、厚労省、学会などからアンケート調査みたいな書類が山ほど送られてくる。最近はほとんど中身も見ず、放っておくことが多くなった。締め切りが過ぎたら、そのままゴミ箱へ直行である。毎年来ている労働保険料の申告書は放っておくわけにはいかない。7月11日までに提出しなければならない。日曜日は、午後3時頃から、会計事務所に送る5月分の領収書などの整理をしていた。前回は2ヶ月分も溜まってしまったので、やれる時にやっておかなければならない。平成28年経済センサスー活動調査の書類も見てみた。医院の経費など、私1人では書けない内容となっていた。仕方ないので、これについてはきのう会計事務所に書き方を問い合わせした。ふだんの空き時間に雑用を済ませたら、日曜日ぐらいはゆっくりと過ごせるかもしれない。長年の習慣で、ついつい休みの日に先送りしてしまう。
 来週の日曜日には、ある免許取得のための実技講習がある。私には壮大な夢があって、アマゾンに行ったらこの免許が役立つかもしれない。前にも書いたように、ブラジルでは英語がほとんど通じない。ポルトガル語が必要である。いろいろ調べてみたら、ポルトガル語の勉強をするには、最初にスペイン語を勉強した方がいいと書いてあった。スペイン語もポルトガル語もローマ帝国のラテン語の1つの方言になる。発音が易しく、ローマ字読みでいい。中国語はいつも発音で挫折している。日本から近いので、まだいつでも行ける。スペイン語は名詞に性がついている。私は大学の教養でドイツ語を勉強したので、それほど違和感はない。ただ、この年になって新しいことをどこまで覚えられるかである。65歳になるまでの、今度の正月休みか次の正月休みには旅行するつもりである。オリンピックも終わって治安が悪くなりそうなので、その対策も考えなければならない。
 最近、女性の患者さんの旦那さんが相次いでがんで亡くなった。70代、80代の夫婦を診ていると、本当に仲のいい夫婦は少ない。お互いに長生きするようになって、小さな価値観の違いなどがどんどんと広がっていく。この世代は専業主婦が多い。夫の方も、頭ごなしに妻を怒鳴りつけるタイプも少なくない。がんの末期には、わがままばかり言う夫の世話も大変である。診察していても、患者さんはちらりと本音を漏らしたりする。さて、夫が亡くなった後である。あれほど、夫に対する不満を言っていた妻に、夫に対する罪悪感が芽生えたりする。専業主婦の人に多いような気がする。夫がずっと働き続け、家族をずっと養ってもらっていたという潜在的な罪悪感があるのかもしれない。子どもは小さいうちは手がかかる。中学、高校になってきたら、それほどでもない。反対に、夫はますます仕事の責任が重くなり、忙しくなる。子どもには手がかからくても、お金がかかってくる。定年まで、ずっと働き続けである。
 その後の生活は、夫が亡くなった後の環境も影響する。娘の孫の世話などがあると、夫の死のダメージは比較的少ない。子どもが離れて生活していると、大変である。経済的には心配なく、やっと夫から解放されたと思っても、今度は孤独が襲ってくる。ふだんの生活がすべてのれんに腕押しなのである。ひっそりとした部屋で、何も反応が返ってこない。うるさい夫でも、人の気配が全くないよりはまだましである。年をとると、人生のリセットも難しい。利用できる社会的資源も少なくなってくる。体力も気力も衰えている。新たに親しい人を作るのも至難の技である。
 仲のいい夫婦は、前にも書いたように、夫が亡くなると、仲のあまりよくなかった夫婦よりかえってダメージが大きい。ついつい夫とべったりとなる分、隣近所のネットワークがおろそかになるからである。なかなか人生はうまいこといかない。長い人生の中で、老後はある程度孤独になることを折り込み済みで覚悟しなければならない。時々、患者さんの話を聞いていると、中年になる子どもの足を引っ張っている親がいる。純粋な介護というより、親のわがままである。ある程度仕方がないが、度を越してはいけない。私はなるべくそうならないように、老後を送ろうと思う。

今週のトピックス 2 (160614)

From Wishes To Eternity / Nightwish
From Wishes To Eternity / Nightwish

 今回は前回約束した本を取り上げるつもりであった。しかし、今週もまだ最後まで読み切れていない。仕方ないので、私の持っている音楽DVDを取り上げる。アマゾンで調べてみたら、新品は4万円を超えていた。中古はそれほどでもなかった。2001年発売である。日本語のウィキペディアによると、ナイトウィッシュは、フィンランドのシンフォニックメタルバンドである。オペラティック・メタルの代表的な存在であるとも書いてある。私がこのバンドを知ったのは、YouTubeである。たまたま、私の好きなバンドの曲を聴いていたら、同じ題名の曲をこのバンドが演奏していた。クリックして聴いてみたら、何と、このバンドの演奏の方がはるかに素晴らしかった。
 ゴシック・メタルとも言われているので、ジャンルとしては私好みである。日本にも4回公演に来ている。私はこの数年、CDやDVDはほとんど買っていない。ごく稀に、気まぐれで発作的に買う。このDVDもそうである。段々年を取ってくると、昔のLPレコードのように、手元に残したいという欲望が失せてくる。今では、よっぽど気に入った曲があれば、YouTubeでダウンロードするぐらいである。スクリーン・レコーダーがあれば、何でも動画は録画できてしまう。
 ナイトウィッシュの音楽活動は長いので、数々のヒット曲が生まれている。通りすがりの私なんか、昔からの熱心なファンの足下にも及ばない。とりあえず、私の持っているこのDVDの中から曲を紹介する。YouTubeで調べてみたら、何とフルDVDがアップロードされていた。しかし、1時間20分近くの動画を全部紹介されてもありがた迷惑である。「もっと見る」をクリックすると、全曲の曲名が出てくる。しかし、どこからどの曲が始まるのかわからない。ここでは、私の独断と偏見で、7曲目と8曲目を紹介する。7. Crimson Tide & Deep Blue Seaと8. Swanheartである。Nightwish - From Wishes To Eternityを開いて、30:00に合わせると演奏が始まる。「今週の愛聴盤」でも紹介した「The Snowman - Walking in the Air」の曲もライブで演奏している。この曲に関してはライブより、スタジオ録音の方がいい。沢山の動画がアップロードされているので、興味のある人は自分で検索して下さい。
 さて、私が最初に打ちのめされた動画である。「オペラ座の怪人」はいろいろなバンドがカバーしている。久しぶりに見たが、文句なしの演奏である。Nightwish - The Phantom Of The Operaで聴くことができる。実は、この曲を演奏していた私の好きなバンドというのは、スイスのゴシックメタルバンドのLacrimosaである。平成24年12月18日の「今週の愛聴盤20」でも詳しく紹介した。当時のYouTubeでの公式ビデオはもう一つであった。今回改めて調べてみたら、Lacrimosaの演奏も悪くはなかった。Lacrimosaは日本ではあまり知られていないバンドである。長く音楽活動をしているバンドの中では、第1期のキング・クリムゾンに次ぐぐらい私は好きである。何と言っても、アン(ヌ)のボーカルが魅力的である。偶然にも、フィンランド出身である。ついでに、彼らの演奏も紹介する。Lacrimosa - The Phantom Of The Operaである。

 

平成28年6月7日(火)

 先週の木曜日は、久しぶりに床屋に行った。床屋では、頭を洗わない方がいい。なぜかというと、家に帰って白髪を染めなければならないからである。私がいつも行っているのは、髭剃り付きで1,900円である。時間は30分ぐらいである。この床屋の帰りに、スピード違反で捕まってしまった。それほど出しているつもりはなかった。22kmオーバーであった。違反点数は2点で、罰金は1万5千円であった。
 私はこの10年間ゴールド免許であった。ところが、去年に往診の時に駐車違反をしてしまった。今回スピード違反である。まったく予想しない所でやっていた。今は若い時と違って本当に安全運転である。琵琶湖のマンションに行くときには、特にスピード違反には気をつけていた。きょうも同じ患者さんの往診であった。付近のコインバーキングが4ヶ所満車で、駐車場を探すのに苦労した。運の悪いことに、車の前部を石塀で擦ってしまった。私は傷ついた車に乗るのは嫌いである。今の車はずっと乗り続けるつもりでいた。修理するのがいいのか、新車に買い換えるがいいのか迷い始めている。新車を買っても、傷つけたら同じように修理しなければならない。
 最近、女性の患者さんが、長いこと籍に入らず一緒に暮らしていた男性と別れた。子どもはいない。別れたのは、男性が一緒に住んでいた家を出たからである。もう数ヶ月経つのに、女性は男性を待っている。今50代半ばである。以前は、けっこう酒を飲んで無茶をしていた。内心、よく男性が耐えているなと思っていた。女性の場合でも同じである。男性がこれでもかというほど無茶なことをしていても、じっと耐えている。これぞ妻の鏡(?)かと思っていると、ある日突然家を出てしまう。こういう形で家を出てしまったら、2度と戻ってこない。
 たまたま、患者さんにこの男性は自分で料理、洗濯、掃除をするのかと聞いた。すると、何もかも自分でするという。今の若い世代は、男性も料理、洗濯、掃除、子育てもするようになってきた。自分で何もかもする人は、こういう場合は特に戻ってこない。そもそも自分で何もできない男性は、女性に不満があっても簡単には別れない。自分で何もかもできる男性にとって(たとえ、女性が家事をしていても)、自分に対して気を使ってくれない専業主婦は、男性が一生養わなければならないのかと段々疑問に思ってくる。家事といっても、私の母親の時代とは違う。私が幼い頃は、かまどでごはんを焚き、洗濯板を使って洗濯していた。老後は、妻や一緒に同居している女性には頼らないという男性は強い。
 結婚して数年経つまだ若い専業主婦の患者さんがいる。子どもはいない。夫は安月給である。仕事のストレスがたまると、この患者さんにあたってきて、よくけんかになるという。別れたくても、実家には戻れない。パートの仕事でもしたらいいが、社会的な適応能力は低い。こういう場合、私がアドバイスすることは、夫が仕事から帰ってきたら、あなたのパートの時間ですよという。パートの仕事に行ったら、時給800円ちょっとでも、お客さんには「ありがとうございました」と何回も頭を下げなければならない。中には、意地悪な先輩もいる。夫には生活を養ってもらっているので、仕事で疲れて帰ってきた夫に対しては、暖かくおもてなしをしなければならない。いつもいつもおもてなしをする必要はない。寝るまでの、わずか数時間である。それがいやなら、さっさと別れて、自分の生活は自分で面倒をみるしかない。もちろん、理不尽なことまで、何もかも我慢する必要はない。幼い子どもを抱えている場合も事情は変わってくる。
 琵琶湖のマンションには、木曜日と週末には行くようにしている。しかし、なかなか時間がない。この前の土曜日も夜9時近くに着いて、翌日の日曜日は午後12時過ぎには出てきた。金曜日の朝は相変わらず5時起きである。医院には、6時前には着く。ある免許を取るために、証明写真ボックスで写真を撮った。ところが、2.5cm前後の顔の大きさが合わなかった。マイナンバーを取った時の写真も残っていたが、こちらの方は今度は大きすぎた。仕方ないので、ボックスで撮ってきた写真をデジカメで撮り直し、印刷の縮小機能を使って大きさを調整した。時々、銃の免許を取るために私の医院に診断書を求めて来る若い人がいる。今は、猟をする人も高齢化している。害獣の駆除に駆り出されたりしている。クレー射撃ではなく、これから猟をするという若い人はどんな人かと思う。

今週のトピックス 1 (160607)

ブリキの太鼓
ブリキの太鼓

 きょうは終了した愛聴盤の代わりである。今週のトピックスでは、音楽にかかわらず、本や映画などのことも取り上げていこうと思う。私の愛聴盤では、私が現在でも持っているLPレコードなどに限定して紹介していた。このコーナーでは、もっと幅広く音楽も話題にしていくつもりである。第1回目は今話題の本を取り上げるつもりであった。しかし、きょうまでに最後まで読み切れなかった。仕方ないので、急遽、話題を変えた。
 私は、30年以上前のLPレコードもまだ残している。実家は長野県の山奥である。学生時代からの引っ越しは、これまで全部で10回である。医者になってからも、7回している。レコードや本なども、引っ越しのたびに厳選して持ち運んできた。たまたま残している物をチェックしていたら、昭和54年(1979年)の医師国家試験の試験問題が出てきた。試験日は4月7日と8日であった。当時は国試が年2回あった。日本語のウィキペディアによると、第67回と第68回である。8846人受験して、6008人が合格している。合格率は67.9%である。ほとんどの卒業生は合格していた。私は当時ダメ学生で、留年こそしなかったものの、不合格者の最有力候補であった。こんなに成績が悪いのは、溜まりに溜まった国試浪人のせいである。それにしても、まだ6千人の時代であった。現在は8,600人を越えている。他にも、大学6回生の時の学習要綱も出てきた。
 私は、人生の節目で記念になる物は平凡な物でも意識的に残すようにした。ライフログで、あまり細かいことを記録につけても意味がない。30〜40年も経って手に取ると、過去の自分をふり返ることができる。記念碑的な物は、その時にはありふれた物でも意識的に残すようにしたらいい。私はプログレについてはこだわりを持って聴いてきたので、少しうるさい。映画については、それほどでもない。今残している本についても、今では手に入らないアート関係の本が何冊もある。
 さて、前書きが長くなってしまった。今回紹介するのは、映画のパンフレットである。私は映画を見ても、ほとんどパンフレットは買わない。今残しているのは、このパンフレットと「カッコーの巣の上で」だけである。今でも、映画館でパンフレットを売っているのかと思ったら、まだ売っていた。すぐに品切れになるものは、プレミアムが付くようである。アマゾンで、このパンフレットがいくらで売られているかと調べてみた。何と、たった1円からであった。配送料が340円必要である。他にも、5円とか78円の値段である。これを見て、今回紹介するのはやめようかと思った。
 私の持っているのは、昭和56年(1981年)4月発行で、300円である。ノーベル賞を受賞したドイツのギュンター・グラスの小説が原作となっている。このぶ厚い小説を読んだ親しくしていた精神科の先生は、この映画はあまり評価していなかった。パンフレットを読むと、1979年のカンヌ映画祭は「地獄の黙示録」と「ブリキの太鼓」のどちらがグランプリをとるかで連日火のような論戦が続いたという。結局、この作品がグランプリを獲得している。映画はどんな内容だったのかは、今ではほとんど覚えていない。パンフレットには。オスカルは20年間冬眠を続けていたドイツの罪の意識の象徴として解釈もできると書いてあった。ギュンター・グラスは昨年の4月に亡くなっている。パンフレットを読んでいたら、この映画をレンタルで借りてもう1度見たくなった。

 

平成28年5月31日(火)

 先週はオバマ大統領が広島を訪れた。これはこれでよかったと思う。TVのニュースで演説の一部を放送していた。私は自分の英語力をえらそうに自慢しているようにみえるかもしれない。しかし、1回聞いただけですべて聞き取れたわけではない。プロの政治家なので、演説の内容は感動的であった。安倍首相がG7で国際的な経済情勢を「リーマン前」と宣言したのは、みっともない。増税延期のための我田引水で、G7を利用していることは、各国首脳がお見通しである。私は左翼的な思想を持っているわけではない。憲法改正派で、基本的には日本の国益のことしか考えていない。一見中国を擁護しているように見えるのは、中国に配慮しているからではない。私が安倍首相に批判的なのは、国際ルールで揚げ足を取られることを平気で発言しているからである。今年の12月の真珠湾攻撃75周年式典に安倍首相が招待されているという。(参加するかどうかは別) 戦勝国であるオバマ大統領は広島で謝罪する必要はなかった。しかし、国際ルールに従えば、安倍首相が参加した場合はハワイで謝罪しなければならない。個人的には、すべて解決済みのことについて、どうしてわざわざ首相が謝罪しに行かなければならないのかと思う。いつまでもアメリカの言いなりになる必要はない。
 先週の土曜日は、午後2時から6時まで講習を受けていた。何の講習かと言うと、ある免許を取るためである。この日は学科試験のための講習である。講習料はテキス代3千円で済んだ。実技の講習などで、7万6千円かかる。私は神戸の社会保険病院にいた時に、阪神大震災にあっている。この時に、中型の自動二輪の免許を取った。今でも400ccのバイクには乗れる。今から考えると、この時はまだ若かった。それでも、一本橋などの実技には苦労した。さて、63歳になってからの免許である。7万6千円もかけて、実技試験に落ちたら恥である。合格してから、何の免許なのかこの日記で明らかにしようと思う。
 先週は、京都市の福祉事務所から社会労務士が私の医院に来た。私がでっち上げみたいな障害年金(精神)の診断書は書けないと回答したからである。京都市は、社会労務士に委託して障害年金(精神)に該当するかどうか判断しているようである。しかし、私から言わせたら社会労務士もシロウトである。前にも書いたように、ネットで調べると、障害年金について相談したら、必ず受けられるようにすると宣伝している広告もある。成功報酬の金額も高い。中には、障害年金の診断書を書いてくれる医療機関を紹介しますと宣伝している所もあった。
 障害年金(精神)の診断書は最近変わり、仕事をしているかどうかの項目も付け加えられた。また、評価項目についても具体的な例が書かれるようになった。最近は、各都道府県での評価に4〜5倍(?)の格差があるということが問題になっている。実際には、厳密に評価している都道府県が正しい。年金の診断書はお金が税金で支払われるので、評価は厳密でなければならない。一時的な給付金ではなく、若くても年金と同じように毎月ずっとお金が支払われるのである。
 うつ病なのか、適応障害なのか区別がつかない患者さんに、過大解釈して症状を強めに書くのは、ルール違反である。ルール違反というより、書いた医師は虚偽診断書等作成罪に問われる。気の毒だからといって、症状を誇張して虚偽の診断書を書くのは許されない。この罪に問われるのは、公務所に提出する診断書だけである。交通事故などで1週間の怪我なのに、1ヶ月の診断書を保険会社などに書くことは、別の罪に問われるようである。うつ病は仕事ができなくても、日常生活に支障をきたすほど悪化した状態が続くことは、うつ病全体からみたら稀である。最初に安易な診断書を書くと、症状が当初より改善していても、漫然とでっちあげみたいな更新の診断書を書き続けることになる。一旦定期的にお金が入ってくるようになった患者さんの障害年金の給付を、更新時に中断することは至難の技である。
 私は、京都労働局で長いこと京都府の精神科関係の労災判定を部会長としてやってきた。だから、こういう診断書については厳密である。自立支援医療や障害者手帳の診断書は多少いい加減でもかまわない。この日記でも書いているように、他府県の労災裁判も頼まれて意見書を書いている。山のような裁判資料を見て、国側の意見書を何通も書いてきた。だから、うつ病とうつ状態の違い、心的外傷後ストレス障害、適応障害とうつ病の区別などについては、徹底的に文献を調べて読んできている。精神科医は自立支援医療や障害者手帳を簡単に書いてくれるので、障害者年金の診断書も簡単に書いてくれると思ったら、大間違いである。統合失調症の患者さんについては、まだまだ一生の病である。本人も家族も世間の偏見にさらされている。兄弟や姉妹、子どもたちの遺伝的影響も無視できない。だから、多少の過剰評価も許される。
 等級については、診断書の日常生活能力の判定がすべてである。具体的に挙げると、適切な食事では、配膳などの準備を含めて適当量をバランスよくほぼできるなどである。@できる、A自発的にできるが時には助言や指導を必要とする、B自発的かつ適正に行うことができないが助言や指導があればできる、C助言や指導をしてもできない若しくは行わないの4つの評価から選ぶ。自炊することを求めていない。コンビニでもかまわない。あくまでも、精神障害としての症状の評価である。不規則な生活をしている学生や私ぐらいの年齢で1人暮らししている男性のレベル程度のことを言っているわけではない。社会性では、銀行での金銭の出し入れや公共施設等の利用が一人で可能。また、社会生活に必要な手続きが行えるなどである。先ほどの4つの評価でする。
 結局、私の医院に来た福祉事務所から委託された社会労務士に、どの項目が該当するか教えてくれと言った。でっちあげみたいなことを言うので、はっきり該当しないと言った。京都市も生活保護費を減らすために、虚偽の診断書を精神科医に書かせるのはやめて欲しい。私はこの時に、和歌山のカレーヒ素事件の林真須美の夫のことを話した。この夫は、障害年金(身体)の1級をもらっていた。ところが、歩けるのにどうして障害年金1級なのか問題になった。結局、虚偽の診断書を書いた主治医に、夫に支払っていた年金の返還命令が出た。多分、主治医もこの夫に何回も強引に迫られて、強めに症状を書いてしまったものと思われる。今のところ、精神科関係の障害年金は問題になっていない。しかし、何かのきっかけで、あまりにも実態とかけ離れた診断書を書いていることが明らかになった場合には、厳しく処罰される。京都は、障害者年金の診断書の審査は甘いと言われている。他府県で審査をしている私の後輩は同じ考えなので、審査は厳密である。この差が、各都道府県の認定の差になっている。
 先週の週末は琵琶湖のマンションで過ごした。日曜日は、朝早く起きて、近くの柳が崎湖畔公園に行っていた。この日は、ここからクラシックカーやフェラーリなどの車が何かのレースで出発していた。私は今ではあまり車に興味がない。9月には、今乗っている車の16年目の車検を受けるつもりである。結局、何にお金を使うかである。詳しいことについては、写真付きで解説する。

バス釣り  私の琵琶湖のマンション前である。湖の中にはいってブラックバスを釣っている人が大勢いる。こういう写真を撮るときには、釣り人と杭の位置をとっさに判断する。スナップ写真なので、構図には時間をかけない。風景の中に人を入れたくない場合でも、せいぜい数分待ってあきらめる。

マンション  私が現金で買ったマンション。向かって左側の大きなマンションが邪魔して、琵琶湖花火は見えないという。それでも、マキノあたりに別荘を持つよりも便利である。年を取ると、どうしても足が遠のいてしまう。管理も大変である。今度琵琶湖沿いにもっと大型のマンションができる。

釣り人  マンションから歩いて5分もかからない所に、柳が崎湖畔公園がある。このあたりには、161号線沿いに王将や来来亭、さとなどがある。食事の時に酒を飲んで帰ることもできる。今回初めて、公園付近を歩いてみた。人物はもうちょっと左にした方がよかったかもしれない。その時には、右に船やヨットがいる。

庭園1  柳が崎湖畔公園内には、English Gardenがある。入園料は320円である。今の時期は、バラが咲いている。どこの植物園に行っても、花がきれいである。私はこれまでありとあらゆる物を撮ってきたので、被写体としての花には今ではあまり興味ない。

ハスの花  ハスの花は今の季節に見ることができる。しかし、池の中で咲いているので、画面いっぱいに大きく撮ることは難しい。今のカメラは高画質なので、小さく撮っても、切り抜きしたらいいという考え方もある。今回の写真は、すべて10倍の高級コンデジで撮った。

庭園2  入園したときには、お年寄りが多かった。帰る時には、大勢の若い集団がデジタル一眼カメラを構えて写真を撮っていた。どこかの、写真クラブかもしれない。最初は何でも撮って、練習したらいい。そのうち好きなテーマが決まる。何枚も撮っているうちに、偶然の傑作が撮れるようになる。

今週の愛聴盤 200 (160531)

One / Cirkus
One / Cirkus

 この愛聴盤は200回で終了する。今回が最終回である。最終回のLPレコードを何にするか、なかなか決まらなかった。きのうの夜9時近くに京都駅近くのマンションに行って選んでいた。この200回は1回も休まず、毎週書き続けた。自分でも、過去のオタク趣味であるプログレをふり返ることができて、本当によかった。この200回分は、愛聴盤の部分だけをまとめて、新たにホームページを作ろうかと考えている。なかなか自分でまとめている時間はない。元原稿はそのまま残っているので、削除されたりしている動画は一部訂正しようと思う。業者に頼むのか、現在検討中である。
 さて、きょう紹介するLPレコードは日本で発売されたものである。エジソン企画のヨーロピアン・ロック・シリーズの第1弾である。値段は2500円である。原盤は1971年に発売された。自主製作盤ですぐに廃盤となっている。このライナーノートはマーキーの山崎尚洋が書いている。いつ発売されたのか、よくわからなかった。両開きジャケットの内ジャケットには、TOKYOと書いてあった。1986という数字もあるので、日本の再発盤の年かもしれない。次に紹介するLPレコードもこのシリーズの2作目である。ここのライナーノートでは、このアルバムが好評であったことが書かれていた。古き良きブリティッシュ・ロックの香りがして、名盤である。
 まず、A面の1曲目である。Cirkus - You Areで聴くことができる。2曲目の「Cirkus - Seasons (One, 1973)」は視聴者数が1万を超えている。この曲もいいが、ここではB面の最後の曲を紹介する。Cirkus - Title Trackである。
 次のアルバムは、ヨーロピアン・ロック・シリーズの第2作目である。Fading Beauty / Faithful Breath(1973年)である。日本盤の発売がいつかわからない。オリジナル・ドイツ・プレス限定盤となっており、2800円である。このライナーノートも山崎尚洋が書いている。最もゲルマン的なミスティシズムを持つ正統的ジャーマン・シンフォニック・ロックの名作となっている。A面2曲、B面1曲の長い曲ばかりである。山崎は、A面の2曲目とB面の1曲を評価していた。
 YouTubeを調べてみたら、一見フルアルバムとB面の曲を紹介している2つの動画を見つけることができた。私個人が好きな曲は、A面の2曲目である。フルアルバムと思われた動画から、この曲の部分だけ紹介しようと思った。よく見て見たら、32分しかない。フルアルバムなら44分になる。何と、山崎が評価していたA面の2曲目とB面の1曲だけを取り上げていた。最初から始まるA面の2曲目「Autumn Fantasia 2nd Movement: Lingering Cold」は10分ちょっとである。興味のある人は、B面1曲「Tharsis」をそのまま聞き続けて下さい。Faithful Breath - Lingering Cold & Tharsisで聞くことができる。
 最後に、私が録画して今でも残しているVHSテープの「Music Box」からである。以前から、このコーナーで紹介したいと思っていた。しかし、YouTubeでは曲だけ聴けて、動画はジャケットの写真だけであった。久しぶりに検索してみたら、今回は動画がアップロードされていた。私もどんな動画であったのか、しっかりと覚えていない。この動画でなかったことは確かである。途中曲が切れるが、またしばらくしたら始まる。ポルトガルの風景を楽しむのもいい。日本語のウィキペディアによると、マドレデウスはリスボンで結成されたファドバンドである。日本で人気が高く、6回来日して公演をしている。1988年の作品である。Madredeus - A Vaca de Fogoで聴くことができる。

 

平成28年5月24日(火)

 きのうの夜は久しぶりに京都駅近くのマンションに泊まった。夜中の3時に目覚め、なかなか眠れなかった。仕方ないので、読みかけの本を読んでいた。おかげで、きょう読み終えた本については、この日記の最後に書くことができる。最近は、琵琶湖のマンションの細々とした整理をしていたので、なかなか本を読んでいる暇がなかった。いざ、部屋に家具を置いても、しっくりとこない物もある。あわててそろえることもなかったと後悔している。前から書いているように、動画の編集ができる高性能のパソコンも琵琶湖のマンション用に買った。ネットの記事によると、今や小学生の人気職業に、ユーチューバーが挙がっているぐらいである。
 ベトナムのフーコック島やニャチャンについては、動画もたくさん撮ってきたので、簡単にまとめてYouTubeにアップロードするつもりである。酒井法子や清原元選手で注目を集めている覚醒剤依存についても、簡単にまとめて動画を作りたいと思っている。私は覚醒剤を加熱して吸煙した症例を、日本で初めて論文にして発表している。他にも、覚醒剤依存の患者さんについて、これまで誰もが気づかなかった興味深い臨床の論文も書いている。
 現在、私がアップロードしている動画は、大半がLPレコードから録音したミュージック・ビデオである。1番視聴者数が多いのは、去年の9月にアップロードした「Bo Hanson - Born Of The Gentle South」である。きょうチェックしたら、16分を越える曲なのに、13,525であった。2番目はぐっと落ちて、2015年4月にアップロードした「Alaap - Pyar De Pujari」である。視聴者数は2,356である。他の動画は、ちらほらとやっと1,000を越えてきたぐらいである。私には記録に残せる物は残そうという強迫的な思いがある。だから、すでにアップロードされている曲は対象外である。CDからもアップロードするつもりはない。今のところ、これで稼ごうとは思っていない。基本的には、好みは人それぞれなので、わかる人にわかってもらえたらいいである。動画編集の技術的なテクニックをもっと学びたいと思っている。
 きょうは午後から4人の患者さんの往診があった。一人暮らしのお年寄りの患者さんが不在であった。最後に、もう1回往診に行ったが、やはりいなかった。私の医院は院外処方なので、薬を院外薬局に頼んで私が持って行く。1人暮らしのお年寄りの往診は難しい。知らないうちに入院したり、亡くなったりしている。こちらに誰かが連絡してくれたら、往診の必要がないとわかる。緊急入院の場合は、お年寄りの患者さんが当院に連絡するのは無理である。ふだん一緒に暮らしていない家族も、往診のことは詳しく知らなかったりする。
 2回往診しての不在は仕方ない。1番問題になるのは、院外処方の薬をどうするかである。訪問看護ステーションに問い合わせをしたら、少し前に緩和ケア病棟に入院したという。患者さんはもともと癌の末期であった。午前中に入院していないか電話で確認したらいいという人がいるかもしれない。しかし、他の医院を受診していて、不在の場合もある。幸い、処方は1包化(一袋に飲む錠剤だけをまとめる)していなかった。院外薬局に頼んで、何とか引き取ってもらうことができた。
 この前の日曜日は、相変わらず、細々とした書類を書いていた。障害年金の診断書の更新は、締め切りが誕生月の末になることが多い。5月20日にこの診断書を持ってきた患者さんがいた。書類は、4月中には届いているはずである。時間がないので、こちらもすぐに書かなければならない。ほとんど私の医院を受診していない生活保護の患者さんである。ふだんは近くの内科で、デパスをもらっている。他にも、新規の自立支援の診断書が3人分あった。福祉事務所からは、相変わらず、勝手に新規の障害年金の診断書が送られてくる。障害年金に該当するかどうかは、医者でもない素人の福祉事務所職員が決めることではない。前にも書いたように、いきなり患者さんに障害年金の診断書を持たせ、書いてもらってこいと言う福祉の担当者もいる。本来は最初に該当するかどうか主治医に問い合わせすべきである。素人がとんでもない失礼なことをしているという自覚がまったくない。該当すると回答があったら、それから診断書を送るなり、患者さんに持たせるべきである。
  前から書いているように、仕事ができない=障害年金ではない。実際に診断書を見ても、仕事ができるかどうかを書く欄はない。それ以前の、日常生活ができるかどうかの評価が判定の基準である。現在検討している厚労省の障害年金(精神)のより厳格な基準も、インターネットで調べるとまだ混乱しているようである。福祉事務所が生活保護者の生活費や医療費を削減したいのはよく理解できる。しかし、生活保護を申請に行った人に、精神科に通院しているなら、障害年金の診断書を書いてもらってこいと勝手に指導するのはやめて欲しい。対象にならない患者さんに説明するのに、とんでもない労力がいる。精神科医になったのは、でっちあげみたいな診断書を書くためではない。
 最後に、最初に書いたきょう読み終えた本である。溝口敦「闇経済の怪物たち」(光文社新書)である。副題には、グレービジネスでボロ儲けする人々と付いている。まえがきでは、グレービジネスにたずさわる顕著な特色として、税務署に対する過度と思われる警戒感と書いてある。ここでは、9人の人物が登場してくる。税金を納めないように、ありとあらゆる手段を使っている。
 まず、裏情報サイトの先駆者である。基本収入だけで、年収8千万円である。有料デジタル放送を無料で見られるようにBーCASカードを不正に改変して、京都府警に逮捕されている。出会い系サイトの帝王では、サクラを使わず、システムによる自動書き込み、自動返信を使っている。月の利益は2250万円である。出会い系サイトで、1年ちょっとで最高に引き出したのが、1人の女性から2億円である。男は財布に10万円あれば5万円しか使わない。女は財布に10万円あれば20万円使う。結婚など夢見ている間は、いくらでもつっこむという。しかし、夢が破れると、強烈なクレーマーになる。男は諦めても女は決して諦めないという。堅気のデリヘル王では、年商10億円で国税局の調査を逃げ切っている。
 他にも、危険ドラッグの帝王や日本一のイカサマ・カジノ・ディーラについても書いている。闇カジノを開いたからと言って、必ずしも儲かるわけでない。ディーラーによっては勝手に知りあいを呼んで、その者に勝たせてしまうからである。これをやられると、店の被害もひどい。闇カジノの売り上げも、最盛期の1割に減っているという。横浜と大阪の公設カジノについても興味深いことが書いてあった。マカオは中国人のマネーロンダリングに使われていることは大前研一があちこちで書いていた。私は統合型リゾートであろうと、カジノ建設には反対である。
 最後に、1番面白かった詐欺の帝王の新事業である。消費税の盲点を突いた「金の持ち込み」である。金は非課税が主流で、値段は世界各国共通している。1kgほぼ500万円ぐらいである。ところが、日本、韓国、インドだけが売買に消費税などがかかる。金の持ち出しに問題がないのは香港などである。日本の税関をすりぬけたら、儲けは1kgあたり30万円になる。香港人やシンガポール人など外国人を多数動員して密輸入して、月の儲けは平均2000万円だという。
 以前には、振り込め詐欺などもしていたが、逮捕歴は1度もない。ヤミ金とオレオレ詐欺で、月2〜3億円の金がはいってきた。貯金するわけにいかないので、部屋を借りて1億円の詰まった箱を山ほど保管していた。4800万円を金置き場の部屋にタクシーで運ぼうとしたら、強盗に襲われ4800万円を強奪された。通行人が通報して警察官が来たが、盗まれたお金のことはいっさいしゃべらなかったという。被害届けのできないお金を狙ったらいいのかと思う。しかし、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した「ドライブ」では、襲った人が殺されてしまっている。

今週の愛聴盤 199 (160524)

Labylinth / Kit Watkins
Labylinth / Kit Watkins

 さて、199回である。最後の200回目はどのLPレコードを選んだらいいのか、今から迷っている。最終回のためにいいアルバムを残しているわけではない。紹介するレコードが少なくなってきた分、毎回ぎりぎりになって苦し紛れに選んでいる。幸い、発売から30〜40年経っているので、原曲はぱっとしなくても、その後20年、30年経って、素晴らしい曲を残してくれている。簡単に検索できて曲が聴けるようになったのは、本当にYouTubeのおかげである。Kit Watkinsはアメリカの「Happy The Man」のキーボードをしており、一時イギリスの「キャメル」にもはいっていた。私の持っているLPレコードには、オスロとアメリカのスタジオで製作されたと書いてあった。発売されたのは1982年である。
 YouTubeにはアルバム名になっている「Labylinth」の曲もアップロードされていた。私の好きな曲は、「Kit Watkins - Spring 1980 & Mount Saint Helen」で聴くことができる。興味のある人は、自分で検索して下さい。ここでは、2001年のフィラデルフィアのライブが素晴らしかったので、2曲紹介する。まず、Kit Watkins - The Parting of Waysである。Kit Watkins - Song for Russiaも私好みでよかった。
 2枚目はイギリスからである。私の持っているLPレコードは、It'll End In Tears / This Mortal Coil(1984年)である。ネットによると、バンド名はシェークスピアの「ハムレット」の、shuffle off this mortal coil(この世のわずらわしさをなくす、死ぬ)から取られている。レーベルは、4ADである。YouTubeで調べてみたら、このアルバムの中にはいっている「Song To The Siren」は視聴者数が156万人を越えていた。しかし、あまり私好みではない。ここでは、B面の1曲目を紹介する。This Mortal Coil - Another Dayである。次は、この曲に続くB面の2曲目と3曲目である。This Mortal Coil - Wave become wings & "Barramundiで聴くことができる。
 最後に、私が録画して今でも残しているテープからである。今回もVHSテープの「Music Box」だったと思う。ここでも、いい曲だと思った曲が必ずしもYouTubeにアップロードされているわけではない。きょうは少し苦しまぎれにこの曲を選んだ。キム・ワイルドはロンドン出身のシンガーである。1988年の作品である。Kim Wilde - You Cameで聴くことができる。

 

平成28年5月17日(火)

 あさってが、私の誕生日である。満63歳になる。老人道まっしぐらの人生である。基本的には強迫性格で几帳面なので、あこがれの不良中年にはなれなかった。人生最後のチャンスである。今度こそ不良老人になろうと思う。幸い、お金はある。琵琶湖のマンションを買った後で、エアコン4台から60インチのTV、ソファ、冷蔵庫、洗濯機、食器棚、机とすべてカードで支払いをした。先月の支払いは100万円を超えた。今月末の支払いは167万円である。1ヶ月の自分のカードの限度額がわからなかった。調べてみたら、300万円であった。これはすべてのカードの合計額のようである。もちろん、こんなにカードで使ったことはない。息子の前期の授業料が払えなかったので、積立定期から支払った。娘が今年の4月から就職した。やっと娘の授業料や仕送りからは解放された。
 いつも中国語の勉強だけはかけ声だけで終わっている。残りの人生をどう過ごしたらいいのか常に迷っている。いつも送られてくるメディカル・トリビューンを読んでいたら、本の紹介が載っていた。熊本悦明「さあ立ち上がれ 男たちよ! 老後を捨てて、未来を生きる」(幻冬舎)である。この中に、「男性の平均寿命は80歳を越えるが、日常的に介護を必要とせず自立した生活ができる、いわゆる健康寿命は70歳と短く」と書いてあった。何と、後7年しかない。元気なうちにやれることは、今やるしかない。前からここでも書いているアマゾン旅行である。目標は65歳までである。外来を長期休むわけにはいかないので、正月休みを2週間使って行こうと思う。現地ではほとんど英語が通じない。1人旅では簡単なポルトガル語やスペイン語を覚えなければならない。今から少しづつ準備していこうと思う。
 私の患者さんの中に、北海道に別荘を持ち、春から秋まで北海道で過ごし、冬は京都に帰ってくる人もいる。今ぐらいに、フェリーで車を持って北海道に行く。普通のサラリーマンを引退した私より上の世代である。物価は、野菜も魚も安いという。私は完全引退できないので、琵琶湖の別荘である。私が勝手にリゾート・マンションと言っているだけである。普通に生活している人が大半である。マンションの前の琵琶湖に面した芝生で、小さな子どもを連れた家族がくつろいでいた。生活環境としては、都会のアスファルト・ジャングルよりいいと思う。滋賀県から私の医院に通院している患者さんが、私のマンションから見える向こう岸の山は、近江富士だと教えてくれた。せっかく琵琶湖にマンションを持ったので、マリンスポーツも考えている。
 こんなことを書くと、優雅な生活を送っていると思われるかもしれない。しかし、私は月曜から土曜まで外来をしている。日曜日はたまった書類を書いているので、本当に丸1日ゆっくりと休んだことはない。土曜日に琵琶湖のマンションに行くのも、夜8時過ぎである。日曜日も、午後2時頃には琵琶湖のマンションを出てくる。8日(日)は今月中に書かなければならない自立支援医療などの診断書を書いていた。この前の15日(日)は溜まってしまった税理士事務所に送る2ヶ月分の資料を整理していた。他にも、障害者年金の診断書などうんざりするほど雑用があった。看護師がいなくて、事務員が少ない分人件費は安い。しかし、その分雑用はすべて私がやらなければならない。ついついややこしい書類は日曜日にしたらいいと、先送りする私も悪い。65歳になったら、木曜は休診にしようと思う。
 さて、私が唯一ゆっくりとできるのは、海外に出かけた時だけである。前回のベトナムのニャチャンの続きである。3日(火)に参加したたった10ドルの現地ツアーの続きである。ツアーの案内はほとんどベトナム語であった。ツアー客も大半はベトナム人であった。ポーランド人の中年の男性も1人参加していた。昼食の時に、隣に座ったベトナム人と英語で話をしたら、ドイツに20年ほど住んでいる人であった。ベトナム語とドイツ語はもちろん、英語も流暢に話せ、フランス語も少し話すという。私は「successful?」と聞いた。特にエリート層でもなく、一般の市民のようであった。前日(だったと思う)までベトナムの祝日で、ベトナム人の観光客が多かったという。一昔前のボート・ピープルの影響で、ドイツではアジア人としてベトナム人が1番多いのかと思った。ここでも、今では中国人が1番だと話していた。
 4日(水)も、22ドル(2400円)の昼食付きの現地ツアーに参加した。ヤンバイ滝ツアーである。この参加者は、ロシア人家族が2組と、男性の2人組のアメリカ人などが参加していた。このツアーもよかった。緑がきれいで、1日中楽しめた。詳しいことは、写真付きで解説する。この日は、午後7時20分の飛行機で、ホーチミンまで帰り、そのまま5日(木)の夜中0時20分の深夜便で、朝7時20分に関空に帰ってきた。ツアーは午後5時前にホテルまで送ってくれた。空港までのタクシーだけが高く、安いタクシーでも1600〜1700円ぐらいはかかる。
 最後の日はタイトなスケジュールだったので、ツアーが遅れたり、飛行機が遅れたりすると、その日に帰って来れなかったかもしれない。観光地のわりに物価が安かったのは、大勢のロシア人や中国人の観光客が影響しているのかもしれない。ニャチャンのベストシーズンは年末年始ではないようである。海が荒れるみたいで、ゴールデン・ウィークが適している。実は、この時期はタイも酷暑になる。去年のゴールデン・ウィークはタイのゴールデン・トライアングルに行った。気楽に旅行しているように見えるが、死ぬほど暑かった。タイのプーケットも、この時期は本当に暑い。その点、ニャチャンは過ごしやすかった。フーコック島は年末年始がいい。施設が整って、物価が安い分、家族連れにもこの時期のニャチャンはお薦めである。他にも、見どころがたくさんある。タイのクラビもよかったが、物価が高い。

海上レストラン  昼食は海上レストランでとる。大勢の観光客が船でやってきた。ここの席は、私が食べた所より少し値段の高い席のようであった。私は缶ビールを頼んだ。タイガービールが1缶2万ベトナムドンで、約100円であった。

ランチ  1日のツアーが10ドルで、この昼食が付く。それほどうまいわけではない。しかし、クセのない味で充分いけた。日本人の口には合う。

ショー  昼食の後は、船が3隻囲んで、乗ってきた船から水上ショーを見る。船の上から飛び込んだり、ローカル色豊かな芸をいろいろ披露してくれる。それほど大技をするわけではない。浮き板の上で、おかま風に腰を振って踊ったり、現地のベトナム人観光客には受けていた。

島1  最後に行った3つめの島である。島に入るのにお金を払ったのか、忘れてしまった。払っても200円ぐらいである。ここの海が1番きれいであった。しかし、飲み物などの売り場がなかった。工事をまだしているようで、施設としての整備はできていなかった。

島2  これだけ、水は澄んでいる。まだ、未開発の島である。ここで冷たいビールぐらいは飲みたかった。この日は午後5時半ぐらいにホテルまで送ってもらった。水族館の入場料や入島料が別にかかった。それでも、すべて入れても2千円もかからなかった。

朝日  ニャチャン・ビーチでは、朝日が拝める。これは私が4日(水)にホテルの部屋から撮った写真である。朝5時過ぎから起きて、日の出を待っていた。海の水平線に雲がかかっていて、太陽が少し昇った所しか撮れなかった。海岸で日の出を待つ人も多い。

ブランコ  4日(水)は、ヤンバイ滝ツアーに朝9時前から参加した。ホテルまで迎えに来る。昼食付きで、22米ドルである。今回のツアーはロシア人家族が2組いた。行った先もロシア人観光客が多かった。これは、ロシア人の子どもである。緑豊かで、本当に気持ちがよかった。

ワニ釣り  ヤンバイ滝やホチョー温泉だけでなく、アニマル公園みたいな所で、ワニ釣りが楽しめたり、ダチョウに乗れたりする。闘鶏やイノシシレースや熊も見ることができた。それなりに、楽しめた。昼食も、ロシア料理が出てきて、美味しかった。

ヤンバイ滝1  ここがヤンバイ滝である。滝そのものはそれほど大きいわけでない。

ヤンバイ滝2  ここが素晴らしいのは、この滝から下の滝壺である。ここで泳いだりできる。適度な暑さなので、水を浴びると気持ちがいい。しつこいようであるが、この緑がいい。

温泉1  ここはヤンバイ滝から近いホチョー温泉である。乗り合いカートみたいな乗り物で、運んでくれる。川沿いに沢山の浴場がある。水に近い温度から、熱い温泉までいろいろである。屋外で、風景がいいので、大満足である。

温泉2  川になった温泉。中に入っているのは、ロシア人である。こんな所で、温泉に入ったら極楽である。

ビーチ  ツアーから帰ってきて、空港に行くまで時間があった。ニャチャン・ビーチをまた歩いた。ロシア人の女性は若い時には、それこそモデル級の体型である。どうして、中年になったらこんなに太るのか、よくわからない。

今週の愛聴盤 198 (160517)

Mark Glynne and Bart Zwier / Home Comfort
Mark Glynne and Bart Zwier / Home Comfort

 いよいよ今回が198回である。この「今週の愛聴盤」は前から約束しているように、200回で終了するつもりである。古いLPレコードでも、YouTubeで視聴が制限されている曲が山ほどあった。今回は、Untitled / Dome(1980年)のLPレコードの全曲をチェックした。Domeは、B.C. Gilbert & G. Lewisというイギリスのポストパンクの重要コンビが組んだプロジェクトの1つである。YouTubeでは曲がアップロードされていた。しかし、せっかく苦労して曲を選んできたのに、わが国では著作権の関係で視聴禁止となっていた。
 このLPレコードは2枚目に紹介するつもりであった。Domeがだめになったので、1枚目に昇格である。同じ1980年にフランスで発売された。久しぶりに聴いた時に、ピンク・フロイドの初期メンバーであったシド・バレットを思い出した。音楽のジャンルとしては、実験的なエレクトロニックになる。ネットの記事では、イーリーサイケデリックポストパンクと書いてあるのもあった。イーリーとは英国東部の都市名である。A面3曲、B面3曲で、長い曲ばかりである。私の好きな曲は1曲だけアップロードされていた。もう1曲の曲はなかった。時間があったら、そのうち私がアップロードしようと思う。
 まず、1曲目である。正直言って、それほど好きな曲ではない。Mark Glynne & Bart Zwier - Friends And Celebritiesで聴くことができる。次は、私の好きな曲である。静謐な曲で、4分過ぎからよくなってくる。Mark Glynne & Bart Zwier - Awakeningsで聴くことができる。  Domeがだめになったので、急遽以前から候補に考えていたLPレコードを紹介する。Untitled / Mandalaband(1975年)である。私の持っているのは、1976年にキングレコードから発売された日本盤である。ライナーノートはたかみひろしが書いている。YouTubeでは20分を越えるA面全部の曲「Mandalaband - Om Mani Padme Hum Parts 1-4」がアップロードされていた。長すぎるという人は、16分過ぎから1番の聴き所になる。ここでは、B面に入っているMandalaband - Roof of the Worldを紹介する。ネットの記事によると、このバンドは2009年に30年ぶりの第3作を発表している。初期のアルバムには参加していなかったBarclay James Harvestのボーカリストが参加している。次に紹介する曲は、このボーカリストの追悼にもなっている。Mandalaband IV - Sangrealで聴くことができる。
 最後に、私が録画して今でも残しているテープからである。今回もVHSテープの「Music Box」からである。曲はそれなりによかった。しかし、このミュージック・ビデオの雰囲気があまり好きではなかった。わかる人にはわかると思う。1980年代を席巻したユーロ・ビートの中で、ミュンヘン・サウンドと呼ばれるドイツ発信のエレクトロ・ダンス・ミュージックである。1985年の作品である。Modern Talking - Cheri Cheri Ladyで聴くことができる。

 

平成28年5月10日(火)

 先週の土曜日は、5月1日(日)から出かけるベトナムのニャチャンのホテルを予約していた。私は観光地でなければ、現地でホテルを探す。現地に夜遅く着いたり、夜行便で朝早く着いた場合は予約はしておく。最近は、昔と違ってネットでの申し込みが格段に楽になった。日本語でも簡単にできる。私の使っているのは、アゴダである。特別お得なのかはよくわからない。たまたま使っているうちに慣れてしまって、他の予約サイトに行かないだけである。値段に関しては、ホテルの予約サイトの違いより、その時の空室状況や予約のタイミングで変わってくる。
 ホテルの予約をしてから何をしていたかというと、5月2日に更新するこの日記を書いていた。けっこう時間がかかり、午後6時過ぎになってしまった。それから、次の日に出かける旅行の準備である。ニャチャンについては、この日にホテルの予約をするまで、何も調べていなかった。ホテルだけは便利な所がいいので、地図を見ながら決めた。私はネットで航空券だけ手に入れたら、本当に直前まで現地に何があるのかもわからない。ふだんはやることが山ほどあり、調べている余裕がない。結局、荷物を整えるだけで、夜9時頃までかかってしまった。あわてて荷造りしたので、忘れ物が3つあった。まず、目覚まし時計である。仕方ないので、これは関西空港で買った。カメラの小型三脚である。これも関西空港で買った。最後に、帰りの深夜便で飲む睡眠導入薬である。私は床屋でも歯科でもすぐに眠ってしまう。しかし、飛行機の中だけはダメである。エバミールを持って行くの忘れてしまった。
 この日は京都駅近くのマンションに泊まった。3月に台湾行きの飛行機に乗り遅れたので、余裕を持って特急はるかに乗った。今回はベトナム航空を使った。出発は午前10時半である。この日はまだゴールデンウィークの始めであった。それほど混んではいなかった。現地時間の午後2時にホーチミンに着いた。ホテルは、今年の年末年始のフーコック島に行った時に使った同じホテルである。時間があったので、歩いて近くの戦争証跡博物館に行った。正直言ってあまり見所がなかった。もんもん写真館で紹介している以前に行った所が、ここと同じであったのか、よく覚えていない。
 翌日の5月2日(月)は、10時20分の飛行機で、ニャチャンに行った。空港と市内は離れている。乗り合いバスで250円ぐらいであった。両替では、1,000ベトナムドンが5円弱ぐらいである。ホテルはすぐわかった。値段は安かったが、高級ホテルであった。特急はるかに乗ってくる時に、ふだんは読まない日経新聞を読んでいた。この中に、たまたま「世界の鼓動」で人気ビーチのニャチャンのことが書いてあった。「地球の歩き方」にも書いていなかったことである。実は、ニャチャンは2002年までロシアの軍港があったカムラン湾に面し、今でもロシア人に人気のビーチなのである。街中にはロシア語の看板があちこちにある。
 ところが、最近中国人の観光客がこのニャチャンに殺到している。私の泊まった高級ホテルでは、中国人が大勢泊まっていた。ホテルのフロントから中国人と間違えられて、中国語で話しかけられたぐらいである。このホテルではロシア人の宿泊客は少なかった。日本でも、中国語が話せる人が家電店やドラッグストアにいる。それ以上に、みやげ店でも中国語が話されている印象であった。
 日経新聞に書いてあったように、中国人観光客は現地では必ずしも評判がいいわけではない。ホテルの係の人が、私に対して「中国人と間違えてごめんなさい」とわざわざ英語で謝ってきたぐらいである。しかし、ベトナム政府は観光開発を進めており、中国人は最大のターゲットである。こんなことぐらいで、中国人のパワーを侮ってはいけない。どこかひ弱で内向き思考の日本の若者より、バイタリティーにあふれタフで国際感覚を備えた優秀な中国人の若者が掃いて捨てるほど育ってきている。そのうち、中国人に対して、「日本人と間違えてごめんなさい」と謝る日も来るかもしれない。
 5月3日(火)、4日(水)と現地の旅行代理店でツアーを申し込んだ。中国語とロシア語の案内ばかりで、わざわざ「English Speaking Tour」と頼んだぐらいである。ニャチャンビーチは本当に南国のリゾートという雰囲気があふれていた。ロシア人は背が高く、色も白く、びっくりするほど小さな水着を着けている。それこそ、モデル級の人が大勢いた。女性2人組もけっこういた。誰か男2人組で行った人は声をかけて、その成果を教えて下さい。イギリスやドイツ、北欧やロシアなどを含め、日本と感覚的に違うのは、太陽に対する憧れである。冬が長く、寒い日が続くので、南仏や地中海などの照りつける太陽を求めて夏のバカンスを取る。今回の旅行の前半部分は写真付きで解説します。

地図  ニャチャンはホーチミン市から飛行機で北へ1時間ほど行った所にある。地図では、黄色い矢印で示している。正月に行ったフーコック島とは違った、開放的で洗練された雰囲気があった。

ホテル  3日前にネットで予約したホテルである。値段は2泊で、22,685円であった。私は1人で泊まった。2人で泊まっても同じ値段である。1枚しか使わなかったが、朝食券が1日2人分用意されていた。部屋はオーシャン・ビューである。これだけ広くてこの値段である。

景色  ホテルの部屋から撮った写真である。ホテルはニャチャン・ビーチの中心部にある。前の写真のソファに座って、この景色を眺めながらビールを飲んだら最高である。

昼食  ニャチャンには11時半ごろに着いた。空港から市内の中心部には45分ぐらいかかる。ホテルはチェックインより早い時間に着いた。すぐに部屋に案内してくれた。ここは街中のレストランである。チャーハンは375円ぐらいで、瓶ビールは75円ぐらいであった。

ビーチ・バー  ニャチャンのビーチはロシア人も多いので、欧米風の雰囲気がある。これぞリゾート地という洗練されたビーチ・バーがあちこちにある。ベトナムなので、ハワイやグアム、タイのビーチなどと比べても値段が安い。

ビーチ・バレー  ビーチ・バレーをしている人たち。この人たちがロシア人なのか、欧米人なのかよくわからなかった。街のあちこちにあふれているロシア語の看板を見ると、ロシア人の可能性が高い。それほど、ニャチャンにはロシア人が多い。

人力車  この時期は酷暑になる。しかし、思ったよりは暑くなかった。夜は浜風もあり、快適であった。タイのように、まったく蒸し暑くもなかった。大勢の観光客が夜遅くまでナイト・ライフを楽しんでいた。ビーチでも、いろいろな催しがあった。

島巡り  島巡りの1日ツアーである。朝9時前にホテルまで迎えにきて、夕方5時半頃にホテルに送り届けてくれる。3島巡りのボート・ツアーである。料金は、昼食付きでたった10USドル(1081円)であった。ここはボート乗り場。ベトナム人や中国人観光客が多かった。

島1  ツアーは主にベトナム人が多かった。値段が安い分、ミネラル・ウォーターなどは自分で用意しなければならない。最初の島は水族館のあるミエウ島である。ここでは、水族館の入場料が450円ほどかかった。ここは、2つ目の島である。入島料は200円である。

島2  ここの島の名前がよくわからない。「地球の歩き方」には4つの島の名前が載っていた。水族館のある島以外の名前は無理である。ここの海の水はまだ感動するほごきれいとは言えなかった。観光ボートはこんな感じである。

今週の愛聴盤 197 (160510)

Valentyne Suite / Coloseum
Valentyne Suite / Coloseum

 今回紹介するLPレコードは、イギリスのジャズ・ロック、プログレッシブ・ロックのバンドである。ネットの記事によると、当時設立されたヴァーティゴの1番最初のアルバムとなる。1969年の作品である。私の持っているLPレコードは日本盤である。1972年に日本コロンビアから1900円で発売されている。日本語のライナーノートを読むと、アルバムタイトルになっているB面すべての「ヴァレンタイン組曲」は、キーボード奏者のグリーンスレイド(後のバンド名にもなっている)の才能がいかんなく発揮されていると書いてあった。
 YouTubeでは、フルアルバムがアップロードされていた。「もっと見る」をクリックして、第5曲目から聴くことができる。ここでは、同じ曲をライブで演奏している動画を紹介する。グリーンスレイドの白熱した演奏が楽しめる。Colosseum - Valentyne Suiteで聴くことができる。コロシアムは1971年に解散して、再結成されている。TouTubeでは再結成後の長い動画がいくつもアップロードされていた。ここでは、初期のライブ演奏を紹介する。Colosseum - "Debut" liveである。
 次に紹介するLPレコードは、自分でもどこの国のバンドかよく覚えていなかった。レコードはロンドンで発売されている。ネットで検索してみたら、アメリカン・ジャズ・シンガーでもあるMona Soyocとフランス人エレクトロニック・ミュージシャンのSpatszからなる男女デュオとなっていた。Try out / Kas Product(1982年)である。TouTubeでは、このフルアルバムもアップロードされていた。まず、このアルバムの中にはいっている曲である。Kas Product - Never Come Backで聴くことができる。次の曲も、同じアルバムからである。35年近く前の曲とは、信じられない。Kas Product - So Young But So Coldである。
 最後に、私が録画して今でも残しているテープからである。今回は久しぶりにVHSテープの「Music Box」に戻る。以前にここで紹介したのか忘れてしまったので、過去の日記をすべてチェックした。今回気づいたことである。「Martica - Toy Soldier」は間違えて、このコーナーで2回も紹介していた。グレイト・ホワイトはロサンジェルスのメタル・ムーヴメントから生まれたバンドである。日本語のウィキペディアによると、ボーカリストのソロユニットがナイトクラブで演奏中に火災が発生し、バンドのギタリストを含む100名の死者を出す事故にあっている。1989年の作品である。Great White - The Angel Songで聴くことができる。

 

平成28年5月3日(火)

 きょうは4月30日(土)である。明日から海外に出るので、5月3日の分をきょう書いている。「今週の愛聴盤」だけはきのうの夜遅くに書きあげた。ふだん、この日記ではあまりネットの記事は話題にしない。あまり書くことがないので、きょう読んだMSNニュースを取り上げる。私はグーグルのニュースをスマホで外食時などにチェックしている。マイクロソフトのニュースについては、Windows10に変わってからパソコンで見やすくなった。もしかしたら、今までBingをあまり見ていなかっただけかもしれない。
 どんな記事かというと、東洋経済オンラインの「大前研一『高齢者のやけっぱち消費を狙え!』理論ではなく「心理」が経済を動かす」である。家計の金融資産・現金・預金額はどんどん増え続け、今や(2015年時点で)1700兆円を超えているという。日本人は国も子どもも信用していない。いざという時のために貯金していて、死ぬときがもっとも金持ちという笑えない現実がある。なかなか貯金が消費にまわらない。大前研一は、もっと人生をエンジョイしましょうと提案している。私もまったく同感である。スウェーデンのように社会保障がしっかりしていたら、老後のためにあせくせ貯金する必要もない。
 私はこの5月で63歳になる。大前研一とは10歳離れている。後10年したら、73歳である。前から書いているように、仕事だけで人生が終わるのは寂しいと思う。私はバブルの時に買った家を43歳で売り、一文無しではなく、500万円の借金を背負った。あれからもうすぐ20年経とうとしている。この間に開業して経済的には勤務医の時より遥かに余裕ができた。この前の日記にも書いたように、最近人生最後の大きな買い物をした。
 若い時には、なかなか別荘なんて持てない。普通のサラリーマンでも、滋賀県に別荘を持ち、畑をしている人は患者さんの中にも何人かいた。私は野菜作りにはあまり興味がない。一軒家の方が、年をとってからの手入れが大変そうである。ずっと琵琶湖の見える所でリゾートマンションみたいなものが欲しいと思っていた。物件の引き渡しは今年4月である。しかし、完成前の1年以上前から予約していた。若い頃と違って、車には関心がないので、今年の9月に16年目の車検を受けようと思っている。つい最近、タッチアップペイントを買ってきて、塗装の剥げた部分に塗っていた。
 別荘でも、自宅から遠すぎるとあまり意味がない。仕事は完全引退できないので、せめて週2回ぐらいは行ける距離がいい。少し遠いと、年齢とともに足が遠のいてしまう。幸い、私の医院からは車で30分ちょっとである。駐車場もある。投資ではなく、純粋に自分の人生最後を楽しむためにお金を使った。私が死んだら、京都駅近くのマンションもこのマンションも子どもたちには残る。28日の木曜日には、最後の家具が届いた。4台のエアコンも取り付け、大きな家具も何回にも分けて配送してもらった。細々としたものを除き、この日にすべて取りそろえた。人生の最後は、ここで終えようと思う。

居間  私は5帖の部屋をつぶして、リビング・ダイニング・キッチンにした。広さは22帖以上ある。ソファセットと60インチのTVを置いている。もっともお金がかかった部分である。これを見て、早死にしたらいいのにと思う人がいるかもしれない。このご時世にごもっともなことである。

展望  きのう(29日)撮ってきた写真。琵琶湖も昔と違って、この辺りでも水はきれいである。琵琶湖の花火はここからは隣のマンションが邪魔になって見えないようである。近くの琵琶湖沿いに大型のマンションがまた建つようである。いい部屋を選びたかったら、早めの方がいい。

ベランダ  京都駅近くのマンションはローンを組んだ。今回は現金で買った。こんな景色でも飽きてしまったら、高い買い物になる。都会の生活には疲れているので、今のところ癒やされている。立体駐車場の車の出し入れが狭くて苦労した。今は慣れて大丈夫である。

今週の愛聴盤 196 (160503)

Untitled / The Golden Plominos
Untitled / The Golden Plominos

 今回紹介するLPレコードも、日本盤である。原盤は1983年に発売されている。大鷹俊一がライナーノートを書いている。当時、突然のように盛り上がったニューヨークのヒップ・ホップ・ムーブメントを、音の面で強力に支えていたのが、マテリアルであり、このアルバムを出したセルロイド・レコードだという。マテリアルのビル・ラズベルなどが、いろいろなミュージシャンとセッションしたり、新しいプロジェクトを展開した。このレコードにどんな音楽がつまっているのかというと、(大鷹によると)、ニューヨークの最新ファンク・ビート+インプロヴィジョンを主体としたロック(らしきもの)+ヨーロッパのプログレッシヴ・ロックのエッセンス、これらが渾然一体となったものである。
 ここでは、このアルバムから1曲目だけを紹介する。曲によって参加しているメンバーが替わる。この曲では7人の名前がクレジットされている。アート・リンゼイ、フレッド・フリス、ジョン・ゾーンなど懐かしの名前が出てくる。The Golden Palominos - Clean Plateで聴くことができる。YouTubeではフルアルバムがアップロードされていた。興味のある人は、他の曲も聴いてみて下さい。他のアルバムから紹介する。The Golden Palominos - No Skinである。
 次のバンドもアメリカである。フランク・ザッパは当時は有名なミュージシャンであった。しかし、個人的にはもうひとつその音楽性に乗りきれない部分があった。私の持っている輸入盤のLPレコードは、比較的聴きやすかった。We're Only in It for the Money / The Mother Of Invention(1967年)である。このアルバムは見開きジャケットである。開くと、ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のパロディのような有名な写真が載っている。日本語のウィキペディアでは、なぜかこのアルバムのことについては何も触れていなかった。
 きょうは、このアルバムから1曲紹介したかった。フルアルバムもアップロードされていた。ところが、「この動画には UMG さんのコンテンツが含まれているため、お住まいの地域では著作権上の問題で権利所有者によりブロックされています」となっていた。アップロードされていた2曲はあまり面白くなかった。仕方ないので、今回はYouTubeで見つけたFrank Zappa - Muffin Manを紹介する。
 最後に、私が録画して今でも残しているハイ・エイトテープのMTVからである。ストレイ・キャッツは1980年代に活躍したアメリカのネオロカビリーバンドである。1981年の作品である。Stray Cats - Rock This Townで聴くことができる。

 

平成28年4月26日(火)

 相変わらず、ばたばたとしている。先週の火曜日は、夕方から何をしていたかというと、名古屋に行っていた。ほとんど、気まぐれな発作的な行動である。実は、YouTubeで、さかんにパフォーミング・アーツの宣伝の動画をしていた。この公演を是非とも見たいと思って、調べてみた。尼崎でもやっていたが、金曜日の午後は外来がある。唯一行けるのが、この日であった。YouTubeでは、Las Vegas show - Shen Yun 2016で見ることができる。1番いい席が取れて、2万円であった。新幹線代1万円を加えて、それだけの価値があったかである。このことについては、最後に写真付きで解説する。
 最近、布団と枕を買った。ところが、寝心地が悪くて、困っている。昔は、ビジネスホテルの枕が合わなかった。しかし、今ではベッドでもぐっすりと眠れるようになった。私は、堅い布団が好きである。それこそ、せんべい布団が寝やすい。敷布団が豪華で厚すぎると、眠れない。枕も、最近の枕でなく、高さが調整できるそば殻やビーズ・パイプの枕がいい。ウレタンなんか使ったら、首が凝って仕方ない。布団を選ぶのは、けっこう難しい。いつの間にか、私の身体が時代遅れになっていた。
 この前の日曜日は、午後から新規や継続の自立支援医療の診断書などを書いていた。ちょっと油断すると、書類が山ほどたまる。今月はもう後がないので、この日にやらなければならなかった。やる気がしないのに、無理やり書くのは本当に苦痛である。4月はいろいろな手続きも多かった。5月の連休は、また海外に出かけるつもりである。ホテルの予約がまだできておらず、1件だけはきのうした。後、もう1件しなければならない。直前でも、海外のホテルは、けっこう空いている。ゴールデン・ウィークなんて、日本だけの連休である。
 連休は、5月2日(月)だけ休診にする。普通の会社に勤めている患者さんに聞いたら、この日は仕事があるという人が多かった。5月3日(火)は不在である。この日記の更新は、前もって「今週の愛聴盤」だけはしておこうと思う。やるとしたら、29日(金)しかない。この週末は、大津側の琵琶湖に行っていた。天気がよくて、本当に気持ちよかった。きょうは書くことがないので、また写真付きの解説で書こうと思う。読書については、同時に何冊もの本に手を出してしまい、まだ1冊も読み切れていない。

会場  ここは愛知県芸術劇場大ホールである。会場では、大きな宣伝の垂れ幕やポスターが張っておらず、これだけである。踊りは素晴らしかった。1演目ごとに詳しい解説もしてくれた。しかし、ただ単純にパフォーミング・アートとして楽しめなかった。

パンフレット  入場するときに、豪華なパンフレットを渡された。神韻芸術団はニューヨークを拠点にしている。ところが、いくつかのパフォーマンスの中で、法輪の大法とか、宗教的賛美が出てきた。法輪功と関係するのかよくわからなかった。少し興ざめであった。

琵琶湖1  最近は、時々大津側の琵琶湖に行くようになった。緑の芝生も水もきれいである。海や川や湖が好きな私には、のんびりとできていい。私の医院から、明石や淡路島は少し遠すぎる。

琵琶湖2  対岸は、草津市になる。ヨットやモーターボートが走っていた。この写真には写っていないが、ミシガンも見ることができる。

琵琶湖3  日曜日には、大勢の人が来ていた。ここは、バス釣りの名所のようである。湖の中にはいって釣りをしている人が何人もいた。

琵琶湖4  すぐ近くの芝生には、家族連れが訪れていた。今の時期は、暑くもなく、寒くもなく、気持ちのいい季節である。

マンション  私の医院からは、車で30分ちょっとで着く。私の人生最後の高価な買い物である。最近は、あまり体調はよくない。大きな病気をしたら、後10年も使えないかもしれない。

今週の愛聴盤 195 (160426)

Space Shanty / Khan
Space Shanty / Khan

 今回紹介するLPレコードは、日本盤である。原盤は1971年に発売されている。たかみひろしがライナーノートを書いている。このカーンは、英国のバンドである。スティーヴ・ヒレッジやデイヴ・スチュアート(キーボード)などが参加している。私はスティーヴ・ヒレッジのLPレコードも持っている。曲調が似てしまうので、また別の機会に紹介しようと思う。ライナーノートでは、エッグやキャラバン、ハットフィールド、ゴングなど懐かしの名前がたくさん出てきた。このLPレコードについては、高い評価をしていた。スティーヴ・ヒレッジはギタリストである。最後に、面白いことが書いてあった。ローリング・ストーンズを抜けたミック・テイラーの後釜として、メロディー・メーカー誌が2番手に予想としてランクしていたのが、このスティーヴ・ヒレッジであった。
 ここでは、まずアルバム名になっている曲を紹介する。Khan - Space Shantyで聴くことができる。ライナーノートによると、このアルバムの全曲をスティーヴ・ヒレッジが書いている。最後に、アルバムのジャケットばかりでは面白くないので、動画の方を紹介する。Khan - Hollow Stoneで聴くことができる。
 さて、2枚目のLPレコードも日本盤である。プログレでは、超大物である。日本盤がいつ出たのかよくわからない。私が大学生の時であったことは間違いない。このアルバムを聴いて、大感動したことは今でもはっきりと覚えている。Tubular Bells / Mike Oldfield(1973年)である。この曲は、映画「エクソシスト」のテーマ・ミュージックとして有名である。40年以上前の映画なので、若い人は誰も知らないだろう。今回、この超大物を取り上げるのは。日本語のライナーノートに興味深いことが書いてあったからである。
 ライナーノートは、32歳で脳出血で亡くなった間章が書いている。マイク・オールドフィールドは、ここでも紹介したケヴィン・エアーズに参加していた。航空会社の経営でも有名なリチャード・ブランソンが最初に立ち上たヴァージン・レコードの第1作目が、このアルバムである。すべての楽器をマイク・オールドフィールドが演奏し、2300回のオーバーダビングと無数のトラック・ダウンそして4回のカッティングを経て、9ヶ月で完成したのである。このアルバムは、英国でもアメリカでも第1位を獲得している。私は、LPレコードとしては、今でもOmmadawn / Mike Oldfield(1975年)を持っている。しかし、このデビューアルバムは本当に衝撃的であった。YouTubeでは、いろいろなバージョンの動画がアップロードされていた。ここでは、比較的初期の動画を紹介する。Mike Oldfield - Tubular Bellsである。
 最後に、私が録画して今でも残しているハイ・エイトテープのMTVからである。フージーズはアメリカの3人組ヒップホップ・グループである。日本では、あまり知られていないようである。1996年の作品である。The Fugees - Ready or Notで聴くことができる。

 

平成28年4月19日(火)

 きょうは午後4時過ぎから出かけなければならない。今回は書ける所まで書こうと思う。今週の愛聴盤と日記の最後の写真付きの解説はきのうのうちに書いておいた。先週の土曜日は、午後1時から娘と家内と約束して、京都駅近くで会った。2人とも、スマホと携帯電話の買い替えである。私の名義からそれぞれ自分名義にする。お目当てのiPhoneは在庫がなく、いつ入荷するかわからない状況であった。2人とも、別のiPhoneにしていた。私は、その後で用事があったので、1人で医院まで帰った。京都駅周辺は外国人観光客が多くなり、最近は昼食をとるのも大変である。
 この前の日記で、女性の妊娠について書いた。女性にとっては、受けの悪い内容だったかもしれない。たまたま、前回この日記を書いた後で、送られてきたばかりの日本医師会雑誌を読んだ。特集として、Women's Healthを取り上げていた。日本医師会雑誌は、滅多に読むことはない。前回、この日記で妊娠について書かなかったら、読まずにそのまま新聞捨てに直行であった。この中に、「ライフサイクルの変化から見た女性の健康と妊孕性に関する現実」という章があった。私は、この中の妊孕(にんよう)性という漢字が読めなくて困った。意味は妊娠のしやすさである。
 産婦人科の専門医でも、20代が妊娠適齢期と書いている。現在は、第1子出産時の女性の平均年齢は30歳を越えている。妊娠の高齢化によって、妊娠・出産に関する問題が顕在化してきている。不妊症、流産の頻度はどちらも約15%である。加齢と供に上昇し、40〜44歳の妊娠で、不妊症64%、流産40%と報告されている。生殖知識の欠如も著しい。平均25歳の未婚女性を対象とした調査では、「いつまで自然に妊娠できるかと思いますか」という質問に対して、37%の女性が「45歳〜60歳」と答えている。
 現在は私の時代より体格がよくなり、初潮年齢は少し早まったかもしれない。しかし、これだけ女性の寿命が延びているにもかかわらず、閉経は50歳前後と変わりない。たまたま、日曜日に京都府医師会が出している京都医報4月号を読んでいた。京都医報はだいたい目を通している。この中に、女性医師リレートークが載っている。今月号では、京大の女医さんが「女性医師のタイプ別キャリアサポート」について書いていた。女性医師に限らず、これから働き続ける女性にとっては、共通のトピックスである。ここでは、女性医師を3つのタイプに分類している。仕事に邁進する向上心の塊みたいな邁進型、(良妻賢母)両立型、時々医師型である。この女医さんは、学生と大学院生の時に2人の息子さんを産んでいる。いずれにしても、職場や社会、家族などのサポート体制が必要である。
 前回書いたように、20代〜30代前半なんて、やりたいことだらけである。仕事のキャリアを積むこと以外に、旅行から留学、習い事、スポーツ、芸術とこの時期にやりたいことが山ほどある。20代で妊娠したら、子育てに追われ、これらのことはすべて自由にできなくなる。20代で妊娠したら、体型も変わるかも知れない。私は男性も家事や育児に協力すべきだと思っている。しかし、子どもが小さいうちは母親だけにしかできないことはたくさんある。鉄腕アトムを育てているわけでないので、そのうち子どもはあまり手はかからなくなる。それでも、最低10年間ぐらいは必要である。若い時の卵子凍結も万能ではない。私は女性の社会進出には賛成である。しかし、目の前に妊娠適齢期という、越すに越されぬ大井川が流れているのである。こう考えてくると、子育ても立派な仕事であることがよくわかる。
 少し前に患者さんと話をしていたら、卒婚という言葉が出てきた。卒婚とは、離婚や別居と違い、結婚を卒業することである。ネットによると、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚という形を維持しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむという、前向きな選択肢だという。清水アキラや加山雄三が実践していることで有名らしい。30〜60代の妻に聞いた「夫といつか卒婚したいと思いますか」というアンケート調査では、57%近くの人が「はい」と答えている。
 このアンケートの中では、比較的若い女性は、「今まで(子育てで)我慢していたことをやりたいから」とか、「1人の時間が欲しい」という意見が多かった。希望で1番多い時期は、夫の定年退職後である。外来で、70代ぐらいの夫婦を見ていると、「もう1人で暮らしたい」という妻は多い。中には、いつまでも夫婦仲のいい人もいる。しかし、こういう人は、夫がなくなってからの人生が大変である。仕事一筋の夫を持ったり、夫婦仲のあまりよくない妻は、近所に友だちや知りあいのネットワークを築いている。いつも夫とべったりの妻は、どうしてもこのあたりがおろそかになる。私は自分で洗濯や掃除もして、食事なども作ってしまうタイプなので、卒婚という生き方もいいと思っている。
 さて、最後に、先週の土曜日に娘と妻と別れて、行った所である。大阪のフェスティバル・ホールである。今回初めて行った。私の医院からは京阪を使って、1時間ぐらいであった。詳しいことは、以下に写真付きで解説する。

ステージ1  「バーン・ザ・フロア New Horrzon」のステージである。私の見たステージは、4月16日(土)午後5時の開演であった。ホールは満席である。席はステージに向かって左側の前から4列目であった。近いので、迫力があって楽しめた。しかし、その分、前の人の頭が邪魔であった。

ステージ2  写真が許可されるのは、ステージでのショーが始まる前の、会場でのパフォーマンスとカーテン・コールの後である。最後に、カーテンが降りて、すぐにカーテンが上がったので、私はすっかりカーテン・コールかと勘違いした。1枚目とこの写真はまだ本番中であった。

カーテン・コール後  この写真が、カーテン・コール後の写真である。クラシックからジャズ、ロックの曲が流れ、それに合わせてリズム感溢れるダンスを踊っていた。サンタナの「哀愁のヨーロッパ」も演奏していた。料金は、S席で1万2千円であった。

撮影会  カメラはソニーの1番小さい旧型コンデジを持って行った。公演後は、会場の外で、順番に撮影に応じていた。時間としては、実質2時間弱ぐらいであった。これぐらいの長さが中だるみしなくていい。私はブロードウェイからラスベガスのショーまで見ているので、大感動までとはいかなかった。

今週の愛聴盤 194 (160419)

Untitled / Cluster & Eno
Untitled / Cluster & Eno

 今回紹介するアルバムは、まだこの愛聴盤で取り上げていなかったと思う。1枚目のアルバムは写真を残しているので、簡単にチェックできる。しかし、2枚目については、ホームページを開いて1枚1枚チェックしないと自信がない。200回近くなると、自分でもよく覚えていない。ブライアン・イーノは、自身のアルバムだけではなく、他のアーティストとのコラボ・アルバムも多い。このLPレコードは、スカイ・レコードから出ている。アンビエントに近いエレクトロ・ミュージックである。1977年の作品である。
 まず、Cluster and Eno - Fur Luiseである。YouTubeには、フルアルバムもアップロードされていた。次は、このアルバムの中にはいっている1曲目である。アンナ・パブロワについては、映画で見たと思うが、もうその内容は忘れてしまった。Cluster & Eno - Ho Renomoで聴くことができる。
 実は、今回はフィンランドのミュージシャンでまとめようと思っていた。私の持っているLPレコードは、Atlantis / Nova(1976年)である。YouTubeには、私の好きな曲もアップロードされていた。しかし、曲が長く、少し地味であった。今手元にあるもう1つのアルバムは、CDである。Tuntematon Maa - The Unknown Country / Anssi Tikanmaki Orchestra(2006年)である。この中の「Anssi Tikanmaki Orchestra - Jyllin mamman maailma」がよかった。この曲はYouTubeにはアップロードされていた。しかし、なぜか「この動画はご利用できません」と出てしまう。
 グーグルでこのアーティストのことを調べてみた。日本語では皆無に近かった。英語でも、あまり詳しい解説を見つけることができなかった。ウィキペディアはフィンランド語である。ここでは、YouTubeで見つけた曲を紹介する。最初に、Anssi Tikanmaki - Kiutakongasである。Anssi Tikanmaki - Aamu lakeuksillaもよかった。
 最後に、私が録画して今でも残しているテープからである。今回は、久しぶりにVHSテープに残した「Music Box」からである。以前に紹介していなかったかどうか、一応チェックはしてみた。マルティカはキューバ人の両親を持つアメリカのシンガーである。この曲は、全米チャート1位になっている。1989年の作品である。Martika - Toy Soldiersで聴くことができる。

 

平成28年4月12日(火)

 最近、やたらと娘からメールがはいる。川崎から戻って、この4月から関西地区で就職である。自宅からの通勤である。今まで、私の名義で家族4人分のスマホ代を支払っていた。就職を機に、iPhoneの買い換えと名義を自分にしたいようである。この手続きがややこしく、私と娘が一緒に代理店に行かないといけないようである。日にちを合わせても、直前になって娘の都合が悪くなり、何回も変更である。就職した先はどこも同じで、厳しい業界だと思う。父親としては、自分で選んだ道ので、頑張って欲しいと思う。
 きょうは書くことがないので、しつこく晩婚のことについて書く。私は自称、晩婚評論家である。38歳で結婚し、当時妻は33歳であった。もうすぐ来る5月の誕生日で63歳になる。晩婚については、最先端の生き方をしてきたことになる。現在は、女性でもアラフォーで結婚する人が少なくない。特に、女医さんは多いかもしれない。しかし、誰も、晩婚の老後の実態については知らないのである。晩婚で、現在60歳を過ぎて情報を発信できるのは、私ぐらいである。晩婚の人が私の年代に達する時には、時代は変わっているかも知れない。しかし、年をとることは、時代とは関係ない。60歳を過ぎて、40代のようにイケイケ気分でいることは不可能である。
 娘は1浪して東京の大学にはいり、やっと卒業してくれた。息子は1浪して、まだ医学部の3回生である。卒業する時には、私は66歳である。前にも書いたように、開業してそれなりのお金は蓄えた。私の母校にB判定で受けて落ち、今は私立の医学部に通っている。前期の授業料は223万1千円である。最初の試験に正規合格している。寄付金は1銭も払っていない。息子の母校になるので、卒業して余裕があったら自分で寄付したらいいと思っている。勤務医でも、私立の医学部に入学させることはできたと思う。しかし、経済的には、卒業するまでの66歳までまったく余裕がなかったと思う。
 私立医学部は極端にしても、一般のサラリーマンが晩婚の場合である。子どもが小さいうちは、本当にかわいくて、この子のために頑張ろうと仕事の励みになる。しかし、子どもが反抗期になり、妻の機嫌が悪くなると、けっこう大変である。特に、今は不景気で給料も上がらず、会社の将来も見通せない。女性も、仕事のキャリアを積んでいこうと思うと、どうしても出産年齢と重なってしまう。私から言わせると、いくら経済的に余裕があっても、アラフォーで出産なんてとんでもない。生物学的にも、もっと早い方がいい。本来は、女性が20代で子どもを産んでも、キャリアを積んでいけるような社会にすることが重要である。
 しかし、これだけですべて解決するわけではない。20代といったら、仕事だけではなく、やりたいことが山ほどある。この時に、子育てに追われるのを避けたいという気持ちはよくわかる。しかし、残念ながら、最初から二兎追うことは無理である。晩婚で出産し、うまいこといっているつもりでも、年をとってからそのつけがやってくる可能性が高い。考えようによっては、人生の前半を好きなように楽しんだので、仕方ないとも言える。女性は男性と違って、生物学的制限が多い。50歳で生理も止まる。
 さて、私の場合である。金銭的に余裕があるので、ウハウハかというとそうでもない。年齢とともに、パワーが落ちてきた。この仕事も、けっこう大変である。このまま仕事だけで人生が終わっていくのは、是非とも避けたい。10年後は73歳である。何か大病を患わなければ、まだ元気である。それでも、今みたいに海外のあちこちに1人で行くのは、段々とハードルが高くなる。日常生活に支障はなくても、年齢とともに行動範囲は狭くなっていく。前から書いているように、死ぬまでに南米のアマゾンには行ってみたい。日本からのパックツアーではない。現地の観光ツアーに参加するか、英語のガイドの雇って、1人で気ままに旅行したい。
 本当に、人生の天井がつかえてきたと思う。人生の最後に何をやりたいかは、人それぞれ違う。私は知らなかったが、精神科で開業している先生の中には、高価なクラシック・カーを集めている人がけっこういる。私も最近人生最後の高価な買い物をした。下手をしたら、後10年も楽しめないかもしれない。この年代になると、自分のやってきたことは記録に残したくなる。清原選手などで、現在は覚醒剤中毒が話題になっている。私は専門家なので、このことについて、YouTubeでわかりやすく動画を作りたいと思っている。自分の専門分野では、すでにYouTubeではゴールデン・トライアングルとヘロインをアップロードしている。今の若いドクターは専門医の資格を取ることで精一杯である。症例報告でもいいので、オリジナルの論文を書くことは大切である。私の年になって、ただ最先端の医学を追ってきましただけでは寂しい。

今週の愛聴盤 193 (160412)

Dodens Trimf / The Savage Rose
Dodens Trimf / The Savage Rose

 私が今残しているLPレコードでは、デンマークのバンドはこのアルバムぐらいである。いつものように、1990年に第2刷が発売された「ユーロ・ロック集成」(マーキームーン社)で調べてみると、第5章のスウェーデン・ノルウェー・フィンランド・デンマークの所に分類されていた。このアルバムのレコード評を読むと、彼らの第7作目になる。初期は、ショッキング・ブルータイプのポップスであり、中期にプログレ色を強め、後期は政治色のある歌詞を使用して、民族色のあるアコースティック・サウンドを特徴としているとなっていた。1972年の作品である。
 YouTubeでは、レコードからのフル・アルバムがアップロードされていた。A面の1曲目だけは、別の動画で聴くこともできる。しかし、ジャケットの写真だけである。ここでは、2014年のライブを紹介する。演奏は、原曲とほとんど変わりない。Savage Rose - Byen Vagnerで聴くことができる。YouTubeには、他のアルバムからもたくさんの曲がアップロードされていた。ここでは、Annisetteのボーカルが素晴らしいThe Savage Rose - Planet of Paradiseを紹介する。
 次は、1994年に発売されたアメリカのバンドである。この頃は、すべてCDである。私はネットではなく、カタログを見て通信販売で気まぐれ的にプログレ関連のCDを買っていた。しかし、仕事が忙しくて、あまり聴けていない。当時、気ままに注文して買っていたCDのアルバムがまだ山ほどある。今回は、その中からこの1枚を選んだ。Howandever / Squonk Operaである。ネットの検索では、日本語の解説は皆無に近かった。それだけ、日本では知られていないようである。今ではCDの入手もできない。ピッツバーグの演劇音楽集団と書いてあった。1993年と1994年の音源をまとめたCDとなっている。
 内容はと言うと、女性ボーカルが私好みでよかった。実は、このアルバムの中にはいっている第1曲目の「Inside Height」が素晴らしかった。しかし、YouTubeでは、このアルバムからはあまり好みでない曲が1曲だけ、それも最近アップロードされていた。CDから私がアップロードするのはためらわれるので、ここではYouTubeで見つけた動画を紹介する。まず、Squonk Opera's Mayhem and Majesty - Standing Waveである。Squonk Opera's Bigsmorgasbordwunderwerkも私好みである。
 最後に、私が録画してハイエイトテープに残したMTVである。今回はサンフランシスコのバンドである。ネットで調べたら、日本語の紹介も多かった。YouTubeでも、視聴者数はけた違いに多い。私は、この曲ぐらいしか知らない。1993年の作品である。Counting Crows - Round Hereで聴くことができる。

 

平成28年4月5日(火)

 きょうは睡眠不足である。どうしてかというと、夜中2時に起こされたからである。病院に勤めているわけでないので、呼び出しの電話があったわけではない。実は、きのうの夜はキャンパスプラザ前のマンションに泊まっていた。外来が終わり、夕食をとって行くので、早くても着くのは夜8時半ぐらいである。朝5時には起きるので、夜10時過ぎには床にはいる。たまに泊まるぐらいである。気持ちよく寝ていたら、夜中の2時に玄関の呼び出し音が鳴った。最初はよくわからず、緊急の警報音かと思った。夜中の2時だったので、呼び出し音がびっくるするほど響いた。
 呼び出し音がなると、リビングのモニターにマンションに入る玄関の画像が映る。ふだんはそれを見て、玄関のロックを解除する。最初はふとんの中にはいっていた。ところが、ピンポン、ピンポンとしつこいほど鳴らす。仕方ないので、ふとんから出て、モニターを見たら頭の禿げたおっさんが立っていた。一体、誰かと思った。昔、私の患者さんがネットの通信販売で覚醒剤を買ったことがある。明け方近くに、両親と住んでいた自宅にピンポンと呼び鈴を押す音が響いた。出てきたのは、関東の県警から派遣された捜査員であった。使っていたパソコンなどすべて押収されたという。
 明け方ならともかく、こんな時間に捜査員が来るのかと思った。睡眠薬を飲んでぐっすりと寝ていたら、目覚めるまで待っていなければならない。まさか、20年前に迷宮入りとなっていた大事件の犯人が私だとばれたわけではないだろう。それとも、浮気の現場を押さえにきたのか? いくら何でも、新聞の勧誘ではないだろう。前からこの日記でも書いているように、私には娘がいる。だから、本当に浮気はしていない。若い頃は、風俗ぐらいには行った。海外でも病気がこわいので、せいぜいマッサージ止まりである。
 精神科の外来をやっていると、愛人の処理に困っている人が山ほどいる。特に、家賃を出して囲っている場合は、関係がこじれると大変である。美人はそれなりに需要はあるが、内面的な魅力がなければ長続きしない。不況で、経済的に余裕がなくなっても同じである。女性の方も生活能力がないので、男がずっと家賃を払い続けなければならない。中には、ちゃっかりと生活保護に申請させる人もいる。私は女の人をマンションには絶対連れ込まない。どうしてかというと、何かトラブルがあった時に、マンションを持って逃げるわけにはいかないからである。昔愛人であった人も安心できない。これだけ不況になると、経済力のある人は忘れた頃に頼られたりする。
 リビングのモニターは勝手に録画してくれる。見たことのない人である。私はふだんはこのモニターをまったくチェックしていない。それほど泊まらないので、他の日にも訪ねてきているのか調べてみた。今回が初めてであった。きょう、管理人に電話してこのことは報告した。また、夜中に鳴らすようなら、それなりの対策を考えなければならない。私はこんなことぐらいでは、何もビビらない。しかし、この部屋は時々子どもが使う。こんな夜中に呼び出されたら、こわがると思う。次の時には、夜中でも私が直接対応しようと思う。年をとって、生活がマンネリ化しているので、たまにはこういう刺激も悪くはない。
 3時を過ぎからいろいろ考えていたら、夜が寝にくかった。結局、朝4時半頃に起き、医院には5時過ぎに出てきた。日曜日に書けなかった自立支援医療用の診断書などを書いていた。やっと書き終えたと思ったら、午前の外来が終わってからまたややこしい書類を頼まれた。書いても書いても、次から次へと書類がやってくる。郵便受けに10通ぐらい郵便物がはいっていると、封を開けるのもいやになる。きょうは午後から歯科に行ってきた。横になっていると、ぐっすり眠ってしまうこともある。よく頬を叩かれて、起こされる。
 さて、今週読み終えた本である。西原理恵子「ダーリンは70歳」(小学館)である。文章ではなく、マンガと写真である。久しぶりにマンガを読むと、活字だらけの方が読みやすい。私は昔はインドに憧れ、手当たり次第本を読んだことがある。しっかり覚えていないが、西原理恵子のインド旅行記も読んだような気がする。旦那がアル中で、苦労したという話はTVでも見た。ダーリンは、高須クリニック院長の高須克弥である。ウィキペディアでは、美容整形を一般に認知させた立役者となっている。
 この本を読んで、医者の中でも、お金のある人はあるんだなと感心した。どんな世界でも、お金に関しては遥か天上の人がいる。国公立大学医学部の教授でも、こんなお金持ちとはほとんど無縁である。2人でチベットに行っては、ダライ・ラマに謁見し、モンゴルでは朝青龍関に案内してもらっている。チベットにもモンゴルにも多額の寄付をしている。
 この本で1番興味があったのは、高須から口止めにされているという東京タワー近くのビルであったフリーメーソンの会である。わずかしか書いていないが、本当にあるらしい。メーソンの昇進試験では、暗記本を覚えなければならない。高須は、ぶ厚いこの本を一夜漬けで覚えたという。日常生活のあちこちで普通に行動する作業ができないことなどを挙げ、西原はサヴァン症候群を疑っている。この本では、この試験に合格して、首輪みたいなのを付けている高須の写真も載っていた。

今週の愛聴盤 192 (160405)

Macchina Maccheronica  / Stormy Six
Macchina Maccheronica / Stormy Six

 今回紹介するLPレコードは、イタリアのプログレである。1980年に発売されている。毎回紹介している1993年刊の「イタリアン・ロック集成」(マーキームーン社)では、アヴァンギャルド・ミュージックの雄であると書いてあった。ネットで調べた記事では、イタリアの"反対派ロック(Rock In Opposition)"の代表バンドとなっていた。当初は政治的なアジテート・ソングを歌い、英国のヘンリーカウと出会い、より複雑化された音楽性を持つようになった。「イタリアン・ロック集成」では、このアルバムで頂点を極めたという。
 まず、アルバム・タイトルとなっている曲である。Stormy Six - Macchina Maccheronicaで聴くことができる。Stormy Sixは数多くのアルバムを発表している。YouTubeで他の曲もいろいろ聴いてみた。この中で、私が1番気に入った曲を紹介する。Stormy Six - Stalingradoである。
 イタリアの大物と言えば、フォルムラ・トレでも少し紹介したルチオ・バッティスティである。私が今残しているLPレコードはUmanamente Uomo : Il Sogno / Lucio Battisti(1972年)だけである。さすがに、イタリアン・ロックの巨匠だけあって、ネットでの日本語の紹介は山ほどあった。もっとも、プログレ寄りという評価もあった。先ほどの「イタリアン・ロック集成」では、ヌメロウーノからの再デビュー1作目となっていた。このアルバムに捨て曲は1曲もない傑作と、高い評価をしていた。
 YouTubeでは、山ほどの曲がアップロードされていた。視聴者数が1千万人を越えている曲もある。私は歌物より、プログレに近い曲が好きなので、このアルバムから2曲選ぶ。まず、A面の1曲目である。Lucio Battisti - I Giardini Di Marzoで聴くことができる。久しぶりに聴いても、メロディーは頭にこびりついている。探したら、もっといい曲があるかもしれない。次は、B面の1曲目である。Lucio Battisti - Comunque Bellaで聴くことができる。
 最後に、私が録画してVHSテープに残したのか、ハイエイトテープに残したのかわからなくなった動画である。前者はNHKBSの「Music Box」で、後者はMTVである。すべてのテープはチェックして、メモ用紙だけは残っている。バラバラの紙切れに書いていたので、曲によってはどちらだったのかわからなくなる。多分、「Music Box」の曲だった思う。ゲイリー・ムーアは北アイルランド出身のロック・ギタリストである。私は当時の音楽雑誌で知った知識ぐらいしかない。きょう紹介するのは、1990年の作品である。Gary Moore - Oh Pretty Womanで聴くことができる。

 

平成28年3月29日(火)

 きょうの午前中の外来はバタバタとしていた。午後からは、5人の患者さんの往診に行っていた。帰りは、ガソリンが切れたので、セルフのスタンドに寄って満タンにしていた。ついでに、洗車もした。最後は、きょう夕食に食べる物をスーパーで買ってきた。毎週火曜日はごはんを炊いて、おかずも自分で料理する。きょうは面倒臭くなったので、ラーメンを作ることにした。この日記を書き上げるのに、下手をすると、夕食をとって、夜10時、11時になることもある。きょうは疲れているので、手を抜いて書こうと思う。「今週の愛聴盤」の方はきのう書き終えたので、渾身作である。
 この前の日曜日は、午後4時から平成27年度東山医師会定時総会があった。会計報告や事業報告があり、内容としては堅苦しい。それでも、大事な会なので、毎年必ず出席するようにしている。東山医師会のA会員は50名である。住民の高齢化とともに、開業する医者も少なくなってきている。この会の後は、懇親会である。私がお世話になった京都第一赤十字病院の副院長なども出席していた。私は開業して、今年の5月で16年目にはいる。若い先生はあまり知らないが、上の方の先生はまだたくさん残っている。みんな頑張っているのに、第一日赤は去年も今年も大赤字のようである。
 懇親会のテーブルでは、開業の時期について少し話題になった。昭和54年(1979年)卒の同級生で母校の精神科に入局したのは、私も含め2人だけである。もう1人の先生は今でも公立の総合病院精神科に勤めている。3月13日の教授の退官記念で会った時には、65歳の定年になってからの開業はパワーはなくなってきたと話していた。日赤の副院長も定年退職は65歳である。内科系の先生は、65歳から借金を抱えて開業するのは大変なようである。医療機器など、設備投資にお金がかかる。精神科や心療内科の医療機器は血圧計だけである。看護師さんも必要ないし、採血ぐらいは自分でする。1番値段がかかるのは、レセプトのコンピュータぐらいである。精神科で電子カルテを入れているクリニックは、まだ少ないと思う。
 それでも、中には、かなりお年になってから、民間の精神病院の院長をやめて開業する先生もいる。今は閉院となった東山区にあった府立洛東病院の院長は2人とも開業している。私がお世話になったこともある院長は、精神科の先輩である。昭和33年卒で、80代半ばになった今でも続けておられる。その後に院長になったのは内科の先生である。この先生も開業して現在も頑張っておられる。80歳を過ぎて勤務医を続けている先生は、みんな病院から辞めて欲しいと言われない限り続けると言っている。
 医者になって、勤務医を続けるのか、開業するのかで人生に大きな差が生まれる。1番大きいのは収入である。これからは、開業してもそれほどメリットはなくなるかもしれない。それぞれの科や個人の差も大きいと思う。日曜日の懇親会では科は違うが、日赤の時より親しくしていた母校の後輩と話していた。それほど、給料がいいわけでない。大学の教授もそうであるが、昔はお金より名誉が重んじられていた。しかし、今は名誉よりお金という風潮が強くなった。
 私が京都第一赤十字病院の部長をやめた時には、48歳で年収が税込みで1300万円ぐらいであった。当直はしておらず、残業手当も出していなかった。外来のある時には、朝8時45分から始めて、午後5時までというのも珍しくなかった。この間の休憩は、トイレに1回行くぐらいである。外来が終わった後はカロリーメイトを食べた。その後で病棟から依頼のあった山ほどの患者さんをカルテを持って診察していた。
 ここでも何回も書いているが、43歳の時に、バブルの時に買った家を売って一文無しになった。私の手元には、親に借りた1千万円が残っただけであった。長いこと家を買うときに親に借りたのは、1千万円だと思っていた。ところが、私の母親は借用書をきちんと残していて、最近借りていたのは1500万円であったことがわかった。だから、正確に言うと、43歳の時には、一文無しになったのではなく、500万円の借金が残ったのである。開業したときに、両親からは老後の3千万円を借りた。この分はすべて返した。まだ、母親には1500万円の借金が残っていることになる。
 バブルの時に買った家は、住宅ローンの利子も高かったので、4千万円以上損をしている。最初の返済はほとんど利子だけで、元金は減らない。勤務医をしていて、バブルの時の失敗は一生返せないと思っていた。ところが、開業してこの15年間で、あれよあれよと収入が増え、この時の損もチャラにし、家の住宅ローンも建てた医院の借金も返済した。カルテ庫として買った京都駅のキャンパスプラザ前の中古のマンションも、すべて返済した。最近は、投資ではなく、自分のための人生最後の大きな買い物をした。金額としては、普通のフェラーリ1台より、遥かに高い。これはローンではなく、現金払いである。それでも、まだかなりの額の貯金が残っている。こんなことを書くと、私が開業して大成功したように見える。しかし、他科の先生でも、私より稼いでいる先生は掃いて捨てるほどいる。みんな言わないだけである。
 人生の幸せはわからない。懇親会の時に、他の先生にストレスの解消法を聞いた。学生時代に優秀であった女医さんでも、孫の世話と答える人は多い。男性の場合は、グルメ、マラソン、ゴルフなどいろいろである。さすがに、こういう会で「愛人」と答える人はいない。他科の先生からは、精神科医はストレスの処理が上手で、ストレスがないように思われている。こんなことを書くのも何であるが、精神科医なんてストレスだらけである。常識では考えられない人も大勢診察に来る。朝から晩まで、ずっと、患者さんの話を聞き続けるのも大変である。仕事以外の親の介護や子どもの問題から逃れられるわけではない。精神科医に限らず、偉い坊さんでも同じだと思う。
 この前の日記にも書いたように、私は神秘思想家にかぶれていた。グルジェフの本を読んでいる時に気づいたことは、いくら山に籠もって修行しても、滝に打たれても、現実のストレスから逃れることはできないということである。座禅を組んでも、現実のうっとうしい上司が変わるわけではない。理不尽な仕事の内容も変わらない。現実の社会の矛盾を逃れた所で悟りを開いても、あまり意味がない。一見逃れたと思ったコミュニティでも、新たな矛盾が生じてくる。現実の苦しみを克服するには現実の苦しみを味わいながら、工夫するしかない。こんな事を書くと身も蓋もないが、魔法のような方法はない。現在は、昔のように1つの宗教や1つの思想に帰依することができない。帰依とは思考停止のことである。抗うつ薬も神や宗教の代わりになるわけではない。アドラーでも何でも、その時に自分を救ってくれる考え方に一時的に頼り(アドラーの考え方だけで、いつまでも人生が救われるわけではない)、その時その時に自分の人生の意味を見いだしてくれる考え方に頼っていくしかない。1つの踏み石にすがりつくより、時代の流れとともに臨機応変に踏み石を替えていくことが重要である。

今週の愛聴盤 191 (160329)

Good Old Boys / Randy Newman
Good Old Boys / Randy Newman

 このコーナーは前にも書いたように、何とか200回までは続け、一旦終了しようと思っている。その後のことは、いろいろ考えている。紹介したかったアルバムもほぼ出尽くしてきた。きょう紹介するLPレコードは、プログレではない。本棚のLPレコードを探していたら、このアルバムを見つけた。私はニューミュージック・マガジンを今でも残している。最初は、全部残していたが、どんどんと本が増えていった。仕方ないので、前年度のベストレコードが載っている2月号だけ残していた。今でも1975年2月号から1992年2月号まで持っている。私は10回ぐらい引っ越しをしているので、その度ごとに今残しているレコードや本を持ち運んできたことになる。
 1975年2月号では、他の音楽評論家に混じって、当時の編集長であった中村とうようがベストテンを選んでいた。この中にこのアルバムが含まれている。発売されたのは、1994年である。ランディ・ニューマンのアルバムは、その後、1978年2月号、1980年2月号でもベストテンに選ばれていた。久しぶりに聴いてみたら、なかなかよかった。ランディ・ニューマンはアメリカのシンガーソングライターになる。私の持っているLPレコードは、日本盤である。野口久光が詳しい解説をしている。アメリカ南部の特異な歴史的背景、風土、複雑な人的構成、抜きがたい軋轢、そこに済む人々、とくに弱い立場に置かれている二グロやプア・ホワイト、そういう人たちを救おうと立ち上がって暗殺された政治家への深い関心をテーマにしたアルバムとなっている。
 まず、1曲目である。黒人をしいたげている貧しい白人を歌っている。レッドネックとは、プア・ホワイトのことである。コメントを読むと、歌の内容がわかる。Randy Newman - Rednecksで聴くことができる。次の曲は、1927年にルイジアナのデルタを襲った大洪水を歌った歌である。Randy Newman - Louisiana 1927である。
 次のアルバムも、中村とうようが絶賛していたアルバムである。私は長いこと探していて、やっと輸入盤で手に入れた。今回、ウィキペディで中村とうようのことを調べてみた。私は、ニューミュージック・マガジンの編集長ぐらいしか知らない。京都府の峰山出身で、京都大学経済学部を卒業し、日本信託銀行に入社していた。音楽評論家として活躍し、79歳の時にマンションから飛び降りて自殺している。今回紹介するアルバムは、歌姫として、高い評価を受けていた。Lark / Linda Lewis(1972年)である。
 次に紹介する動画の中に、彼女の声はデヴィット・ボウイやロッド・スチュアートなどの歌に出てくる書いてあった。Linda Lewis - It's The Frameで聴くことができる。私の持っているLPレコードのジャケットには、「including her hit single Rock A Doodle Do」というシールが貼ってあった。この曲より、私の好きな曲を最後に紹介する。Linda Lewis - Reach For The Truthである。
 最後に、私がハイ8テープに録画して今でも残しているMTVからである。今回は、ポール・ウェラーである。ザ・ジャムやザ・スタイル・カウンシルングを経て、ソロ活動をしていたイギリスのロック・ミュージシャンである。私は、Heavy Soul / Paul Weller(1997年)のCDを持っている。評価は高かったが、個人的にはあまり感動しなかった。今回紹介するのは、ビートルズのカバー曲である。ポール・マッカートニーも出てくる。1995年の作品である。Paul Weller / Smokin' Mojo Filters - Come Togetherで聴くことができる。

 

平成28年3月22日(火)

 この日は自分探しの旅に出ていますので、不在となります。24日(木)に更新したいと思いますので、よろしくお願いします。
 この前の土曜日は、前記のようなことを書いた。ところが、きょうはいつものように火曜日にこの日記を更新している。前回この日記を更新してから、京都駅から特急はるかに乗って関西空港に行った。着いたのは、午後5時過ぎであった。台北行きの飛行機の出発時刻が午後6時50分であった。搭乗手続きを済ませたら、航空券には、搭乗ゲートには6時半までに来るように書いてあった。この日は出発が夜だったこともあり、空港内はそれほど混んではいなかった。これから海外に出る日本人は午前便が多く、帰国する人は午後便が多い。
 搭乗手続きを済ませて、南出発出口を見てみたら、あまり人は並んでいなかった。下の階で本屋をのぞいたり、軽い夕食をとった。6時頃に南出発出口に行った。ところが、大勢の人が長い列を作って並んでいた。最近は海外からの旅行客も多くなった。年末やゴールデンウィークの時には、最後尾がどこかわからないぐらい並んでいる。この時も、ぐるぐるととぐろを巻き、人が通る通路を隔てて後ろについた。ところが、まったく前に進まない。30分経っても、荷物検査をする出発出口まではるかに離れていた。周りの人も、飛行機に遅れると騒ぎ出した。列の整理をしている人に聞いても、係が違う。航空会社のカウンターで尋ねてくれという。カウンターまで行っていたら、また最後尾に並ばなければならない。
 結局、6時40分ぐらいにやっと出発出口にはいれた。40分もかかったことになる。ここで手荷物検査も待たなければならない。どれほど混んでいるのかと思ったら、手荷物検査をしている所はたった3ヶ所だけであった。これほど混んでいるのに、もっと臨機応変に対応できないものかと思った。手荷物検査が済んでからは、出国審査カウンターで出国手続きをする。ここは4つのカウンターが開いていた。途中から、5つに増えたが、ここでも長いこと待たされた。中国人かわからないが、私が待っている間に、何人もの人が自分の航空券を見せて、先に進ませて欲しいと言ってきた。私の航空券は18時30分である。他の人の航空券は18時45分と書いてあった。結局、出国手続きを終えたのは、7時過ぎであった。
 搭乗ゲートに着いたのは、7時8分頃である。カウンターで、係の人が、私の名前を呼んで、確認してきた。何と、飛行機はすでに出発したという。遅れたのは、私1人だけである。放送で私の名前を呼び出したというが、私には聞こえていない。結局、また入国手続きをして、航空会社のカウンターに戻った。選択としては2つあった。夜11時頃出発のジェットスターを自分でネット予約するか、翌朝9時頃出発の同じ航空会社で行くかである。日本の航空会社だったので、翌日の分は無料である。結局、今回の旅行はキャンセルすることにした。航空券は、往復で50,410円であった。キャンセル料は2万円である。ホテルは自分でネット予約していた。朝食付きで、1泊8千円ぐらいである。直前なので、3泊分は払い戻しできない。
 私は多い時には、年に5回ぐらい海外旅行している。2泊3日の旅もある。1回10万円かかる時もあれば、かからない時もある。何にお金を使うかは、その人の好みである。今年の9月には、今乗っている車の16年目の車検を受けるつもりである。300万円の車を買うか、30回の海外旅行をするかである。これまでに、海外の空港で出国手続きをして、悪天候で飛行機が出発できなかったことは2回ある。しかし、飛行機に乗り遅れたのは、今回が初めてである。そのうち、1回ぐらいは飛行機が落ちるかも知れない。
 これまでに、搭乗手続きを済ませて、出国手続きを終えるのに、1時間もかかったことは1度もない。今回は、たまたま一時的に乗客が殺到しただけかもしれない。しかし、海外の国際空港では、臨機応変にカウンターを増やしたり、乗客サービスに努めている。私から言わせれば、手荷物検査場で乗客が詰まっているのに、何の手立てもしていない。出国カウンターが詰まっている時には、手荷物検査を一時控えることはある。いずれにしても、こんなに乗客を待たせるなんて、三流以下の空港である。他の便でも遅れそうになった人は大勢いたと思う。何人も遅れたら、なかなか定刻通りには出発できないかもしれない。これから関西空港から海外に出る人は、搭乗手続きを済ませた後で、手荷物検査をする出発出口が混んでいないからと安心してはいけない。今回のように、出国手続きをするのに、1時間もかかる時がある。時間があっても、なるべく早く手続きを済ませた方がいい。
 台湾旅行に行けなかった分、ゆっくりできたかというとそうでもない。土曜日は、関西空港から京都に戻ってきたら、夜9時40分であった。3月20日(日)は本を読んだりして過ごした。21日(月)は昼12時から医院に出てきた。私が飛行機に乗り遅れた翌日にどうしてまた行かなかったのかというと、今月中にやらなければならない雑用が山ほどあったからである。この日は遅い朝食をとったので、昼12時から今月中に更新しなければならない継続の自立支援医療や障害者保健福祉手帳用の診断書を書いていた。他にも、細々とした書類が山ほどあった。遅い昼食は自炊した。夕食は近くのスーパーで買ってきた。途中、CNNのニュースを少し見て、録画していた「ザ!世界仰天ニュース」を見た。貴闘力のギャンブル依存を特集していて面白かった。私の外来にも、ギャンブル依存の患者さんは稀に来る。いくら専門家にかかっても、そう簡単に治らないのがよくわかった。
 この日は、会計事務所に出す2月分の書類も整理していた。結局すべて終わったのは、午後8時半である。台湾に行っていたら、これだけの雑用を今月中のどこかでやらなければならない。気楽に海外に出かけているように見えて、旅行の前後は大変である。前にも書いたように、空港からホテルまで案内してくれる時には、どこにホテルがあるのか調べない。現地に着いてから、係の人かホテルの人に聞く。1人で行くときにはそういうわけにはいかない。調べるのは、せいぜい前日か当日である。いつもバタバタと荷物を用意するだけで、精一杯である。それでも、現地に着いたら、仕事のことは考えずにゆっくりとできる。
 さて、今週に読み終えた本である。島田裕巳「宗教消滅」(SB新書)である。著者は私と同じ年齢の宗教学者である。オウム真理教を擁護したということで、日本女子大学を退職している。まず、日本で宗教消滅の兆しがみられるということで、PL教団のことが載っている。PL学園の野球部休部については、週刊誌にも詳しいことが載っていた。ここでは、24年間で信者数が半減したことが書いてある。新宗教である天理教も、平成2年度から教団の規模は3分の2に縮小している。立正佼成会は同じ時期にほぼ半減し、霊友会になると半分以下に縮小している。成長の家は今では見る影もない。
 この本では、新宗教の代表として、創価学会のことが詳しく書かれている。1951年に第2代の会長に戸田が就任した時には、会員は1,000世帯前後に過ぎなかった。ところが、1960年には150万世帯を越えた。急速に拡大した理由として、「折伏」というかなり強引な布教手段を取ったことも挙げられている。高度成長時代には、都市部では大量の労働力を必要とした。跡取りになれない農家の二男や三男以下の人たちが都市部に流れ込んできた。経済の拡大とともに、経済格差の拡大も続き、社会的に恵まれない階層も生まれてきた。都市部に出てきて、孤立した生活を送っている人々に新たな人間関係のネットワークを提供したのが、創価学会を始めとする新宗教であった。
 次にフランスである。ここではカトリックの消滅である。60年近く前には、35%のフランス人が日曜ミサに通っていた。2011年には、毎週1度は教会に通っているフランス人は0.9%である。「教会離れ」、「カトリック離れ」、「宗教離れ」が起こっているのである。モン・サン・ミッシェルで生活する修道士はわずか数人である。ドイツでは、教会税の制度があり、所得税の8%、または10%を国家が徴収する。住民票に、宗教について記入する欄がある。教会税が教会離れの原因にもなっている。無神論は無宗教とは異なり、神の存在を積極的に否定する。
 キリスト教の信者は世界全体で20億人と言われ、人類全体の3分の1を占める。イスラム教徒は16億人で、約23%を占める。2050年には3割近くにも達するという予測もある。メキシコやブラジルでは、カトリックが多い。しかし、奇跡信仰や病気治療を宣伝して信仰心を煽るプロテスタントの福音派に転向する人も増えてきている。カトリックの危機は、ヨーロッパだけではなく、中南米でも進行しているのである。経済成長が急速に進行している国では、この福音派が勢力を拡大しているという。「反知性主義」という言葉は、もともとアメリカにおけるプロテスタントの福音派を指して使われたという。天地創造説を信じ、公立学校で進化論を教えるのを反対したり、人工中絶も批判するからである。
 イスラム教についても、興味深いことが書かれている。預言者ムハンマドは商人であり、神と人との関係を商売における取引の関係にたとえている箇所さえあるという。中東以外の地域にイスラム教を広めたのは、アラビア商人である。イスラム教は、キリスト教と異なり禁欲を重視する宗教ではない。イスラム教には出家した人間はいない。宗教的指導者であるイマームも俗人である。イスラム金融機関のもとをたどると、メッカ巡礼のための資金を貯めるために作られたものである。
 この本では、「神の見えざる手」など、経済と宗教のことについても書いている。いろいろな本にうんざりするほど出てくる、マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」についても詳しく解説している。私は長野県の山奥から京都に出てきた。大学でのクラブ活動が、人間関係のネットワークとして、唯一都会での生活を支えてくれた。それでも、何か満たされないものは解消できなかった。ラジニーシからグルジェフ、サイババまで神秘思想家と言われる人の本も山ほど読んできた。この本には出てこなかったが、当時関心のあった山岸会はどうなったのかと思った。私は1人の教祖や1つの思想に全面的に帰依することはできかった。どこか醒めたところがあり、今になって考えたら、私の強みになっているかもしれない。神や教祖に帰依したり、私より上の団塊世代のように共産主義思想に心酔することもできなかった。宗教や何か大きなコミュニティに頼るより、社会には適応しながら、どちらかというと孤独の道を歩んできた。

今週の愛聴盤 190 (160322)

It's After The End Of The World / Sun Ra And His Intergalactic Research Archestra
It's After The End Of The World / Sun Ra And His Intergalactic Research Archestra

 きょう紹介する2枚のLPレコードは、日本で発売されたものである。2枚とも、ジャンルとしてはフリージャズに属する。私は、コルトレーンなどのフリージャズについてはまったく無知である。あくまでも、プログレのジャンルからいくつかのフリージャズまたはアヴァンギャルドに近づいただけである。このアルバムのサン・ラについてもほとんど何もしらない。このアルバムは、1970年のドナウエッシンゲン音楽フェスティヴァルとベルリン・ジャズ・フェスティヴァルのライヴからである。私の持っているLPレコードは、1981年にテイチクから1500円で発売された。
 ライナーノートでは、清水俊彦がサン・ラについてびっしりと解説している。日本では、食わず嫌いや偏見によって全く無視されたままであると書いている。このアルバムは、Intergalactic Research Archestra時代の最もすぐれたもののひとつであるとも述べている。完全に演出された祭りではなく、「本当の意味で、ミュージシャンたちがしばしば失神状態に陥るのは、彼のアーケストラにおいてだけである」と言われているという。
 まず、このアルバムにはいっている曲である。Sun Ra And His Intergalactic Research Archestra - It's After The End Of The Worldで聴くことができる。YouTubeでは、沢山の曲がアップロードされていた。しかし、長い動画も多く、軽く1時間を越えてしまう。いろいろチェックしてみたが、ロック畑から近づくと、必ずしも視聴者数の多い曲がいいわけではない。私の気に入ったアルバムは。Sun Ra Archestra - Live in Delft Hollandである。1曲目もいいし、もっと見るで開いて、「We'll Wait for You」からの流れもいい。
 次のLPレコードは、東芝EMIから出ている。People In Sorrow / Art Ensemble Of Chicago(1969年)である。私がArt Ensemble Of Chicagoを知ったのは、この愛聴盤58(平成25年9月3日)で紹介したComme A La Radio / Brigitte Fontaine(1969年)で共演していたからである。1978年に書かれた悠雅彦のライナーノートによると、彼らの最高傑作として定評を得ているという。ここでも、ポストフリーのことが、あれこれ書かれていた。A面1曲、B面1曲が入っており、アルバム名の曲がパート1とパート2に分かれているだけである。ここでは、YouTubeにアップロードされていたパーツ2を紹介する。Art Ensemble Of Chicago - People In Sorrow Part 2で聴くことができる。
 最後に、私がハイ8テープに録画したMTVからである。今回紹介するのは、イギリスの有名ロック・バンドである。日本語のウィキペディアによると、1980年代前半のニューロマンティックといわれるムーブメントやMTVブームの火付け役である。1995年の作品である。Duran Duran - White Linesで聴くことができる。

 

平成28年3月15日(火)

 この日記は夜8時50分頃から書き出している。どうしてこんなに遅くなったのかというと、「今週の愛聴盤」に時間がかかってしまったからである。順番としては、「今週の愛聴盤」が1番先である。これを完成させないと、この日記が書き出せない。なるべく月曜日に書き終えるようにしている。しかし、今回のように、LPレコードから気に入った曲をパソコンに取り込んで、ジャケットなどをデジカメで撮り、動画を作るとなると、けっこう手間暇がかかる。特に、この前の土日は忙しかったので、準備する暇がなかった。
 きのうの月曜日に、外来が終わってから、京都駅のキャンパス・プラザ前のマンションに行った。パソコンに、曲を録音して、USBメモリーに入れてきた。ジャケットなどの写真を撮るときには、日中の太陽光の方がいい。夜は照明の光が反射して、なかなかきれいに撮れない。きょう写真を拡大してみたら、ジャケットに書いてある字がピンぼけしていた。手撮りだと、どうしても手ぶれしてしまう。
 きょうの午後はいつものように、4人の患者さんの往診に行ってきた。帰ってきてから、YouTubeにアップロードする動画をずっと作っていた。少し台形に撮れている写真を「ピタリ四角」を使って整え、古いフォトショップを使って画質調整をする。YouTubeにアップロードしてからは、他の曲のことについても書いていた。結局、「今週の愛聴盤」を書き上げたのは、夜8時過ぎである。夕食は自炊である。ごはんも炊いている。料理を作って食べていたら、こんな時間になってしまった。夜の12時までには更新しなければならない。書ける所まで書こうと思う。
 ふだん鏡を見ていても、頭のてっぺんは見れない。正面から見て、おかしくないように髪を整えている。1回髪の毛を染めると、なかなかやめられない。たまたまエレベーターに乗った時である。最近のエレベーターは防犯用に天井に監視カメラが備え付けられ、画面が映し出される。ショックなことに、私の頭のてっぺんが禿げていた。以前は薄くなっていた。照明が直接あたっていたこともあり、地肌が丸見えだった。東京オリンピックまで持つのか本当に心配になってきた。
 先週の金曜日は、午後から「東山区こころのふれあいネットワーク」総会があった。私は最近は2〜3年前に1度出席しただけである。今年89歳になる森田療法で有名な精神科の先生がいつも出席していたからである。ところが、最近、この先生が病院を閉院した。東山区は精神科の先生は少ない。誰かが出席しないとまずいと思い、私が自主的に参加することにした。区長や東山警察署、消防署、福祉事務所、地域包括支援センターなどの代表が集まる。
 実は、以前はこの会の司会も私がしていた。私は医師会の仕事でも、保健センターの仕事でも、こころの増進センターの仕事でも、頼まれた仕事はすべて引き受けていた。しかし、60歳になったら、いっさいやめようと思っていた。たまたま東山区で開業した精神科の先生がいたので、この先生に保健センター関係の仕事は引き受けてもらった。それでも、東山医師会の仕事だけは断れない。労災の仕事は準備期間を設け、60歳でやめると宣言していた。しかし、断り切れず、今でも続けている。会長と副会長さんは、私が副会長をしていた時と同じであった。ご高齢になっているのに、本当にご苦労様である。
 日曜日は、母校の精神医学教室教授の退官記念祝賀会があった。私は案内に午後3時受付とかいてあったので、3時前に行った。記念講演は3時半となっていた。受付は午後3時〜3時半と書いて欲しかった。東山医師会の案内はいつもそうである。こんな文句を言っても、広い会場に間違えて早く来ている人はほとんど誰もいなかった。学長や学外講師、他科の教授なども参加していた。基礎の教授になっている私の同級生もいた。今年は退官する教授も多いと聞いている。学長は大変である。最初の挨拶は学長がした。こういう会では、堅苦しい話が多い。しかし、ここでは内容を書けないが、ざっくばらんな話をしてくれて、会場の雰囲気は一気になごんだ。
 学外講師の北山修先生もお祝いの言葉を述べた。この先生もサービス精神旺盛であった。ザ・フォーク・クルセダーズをやっていた学生時代の話を披露してくれた。学生運動が華やかし頃である。若い人は北山修と言っても、知らない人もいるかもしれない。1946年生まれで、私より7歳年上である。府立医大の学生の時に、「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした。最後に、この曲の中に出てくる「天国の声」まで、マイクにエコーをかけて披露してくれた。
 この会が終わってから、久しぶりに同級生と先輩の先生と京都駅近くの店へ飲みに行った。先輩の先生は元気で、チェロまで習っている。たまたま、きょうの朝チェックしていたネットの医療ニュースで、定年前に音楽大に進学する東北大教授のことが載っていた。脳神経外科医として活躍していたのに、63歳で教授をやめ、今年の4月から音大に行くという。習い始めたチェロを学ぶためである。こういう生き方というのは、本当によく理解できる。母校の教授もそうであるが、医学部の教授は恐ろしいほど忙しくて自分の時間がない。日曜日でも、学会などの仕事が山ほどある。先輩の話を聞いていると、他の70歳近くの先生でもフェイスブックをやっているようである。私も、残された人生でやり残したことをやっていこうと思う。

今週の愛聴盤 189 (160315)

Eros In Arabia / Drahcir Ztiworoh
Eros In Arabia / Drahcir Ztiworoh

 きょう紹介するLPレコードは、アメリカからである。このアルバムはCD化されていないようである。内容は、民族音楽をベースにした実験的な電子音楽である。久しぶりに聴いてみたら、名盤であった。今となっては、幻のLPレコードとなっている。ジャケットによると、ナイというフルートのような楽器が用いられている。この楽器は、北アフリカからインド、中東で使われているようである。ネットでは、Drahcir Ztiworohの正体は、Jon Hassellの名盤などに参加したことのあるRichard Horowitzであると明かされていた。
 幸い、YouTubeでは何曲かアップロードされていた。まず、B面の1曲目である。Drahcir Ztiworoh - Eros Never Stops Dreamingで聴くことができる。2曲目は、A面の1曲目である。ところが、YouTubeにアップロードされている曲は3分にも満たない。オリジナル曲は、21分40秒である。この曲が名曲である。もしかしたら、私がこのままアップロードしたら、著作権法違反ですぐに削除されるかもしれない。削除されるのはかまわない。しかし、3回続けてひっかかると、YouTubeからペナルティがあり、アクセスに制限がかかる。私は、Autoportrait / Mecano(1983年)で1回ペナルティを受けている。それにしても、この曲がこのまま埋もれていくのは残念である。地雷を踏まないことを期待して、私が曲の前半を紹介する。このリズムに身を委ね、一時の瞑想にふけるのもいい。Drahcir Ztiworoh - Elephant Danceで聴くことができる。
 次のアルバムは、もっと実験的である。私の持っているLPレコードはWorlds Within Worlds / Basil Kirchin(1974年)である。どこでこのアルバムを知ったかというと、阿木謙の「ロック・マガジン」の付録である。ここでも、何回も紹介している「プログレッシブ・ロック・アルバム94選」のカタログである。まず、1973年のブライアン・イーノの言葉が載っている。「(このアルバムを)2、3分も聴かない内に、バジルが単に新しい領域を発見しただけではなく、ずば抜けた技術と感受性でもって、それを開拓したのだということが私には明らかとなった」とある。バジル自身のリスナーに対する要望も書いてある。「このレコードをヘッドホンで聴いたり、レコード店で視聴しないでもらいたい。そのようなコンディションでは、これはうまく聴けないだろうから。これは、本屋や映画、瞑想の1つだと思って、すべての感覚を集中して聴いてくれることを望む」となっている。
 人間の声や、動物の鳴き声などを聴いて、心の中の何かが刺激される。澄んだ池に、いろいろな音が投げ込まれ、波紋が広がっていくようである。時には、鼻の中でツーンとぬけるような思い出が蘇ってくる。こういう音楽の聴き方も是非とも体験して欲しい。YouTubeでは、フルアルバムがアップロードされていた。「Basil Kirchin-Worlds within Worlds-Part3 Emergence」も1度聴いてみたらいい。いろいろ調べてみたら、別のアルバムにはいっている素晴らしい曲を見つけた。長い曲で、23分もある。今回はこちらの方を紹介する。Basil Kirchin - Special Relativityで聴くことができる。
 最後に、私が今でもハイ8テープに残しているMTVからである。ヴァン・ヘイレンはアメリカのハードロック・バンドである。昔は、名前をよく聞いていた。しかし、どんな曲だったのか、よく思い出せない。今回紹介する曲は、私の大好きなキンクスの曲である。1978年の作品である。Van Halen - You Really Got Meで聴くことができる。

 

平成28年3月8日(火)

 この前の日曜日は、用事があって久しぶりに大津に行ってきた。用事をすませて車で帰ろうとしたら、びわ湖毎日マラソンをしていた。琵琶湖沿いの帰りの半車線は大丈夫であった。しかし、反対車線は選手が走っていた。沿道には、大勢の観客が出ていた、右折しようと思っても、道路には警察官が出ていて、なかなか右折できなかった。前を走っている車も右折できなくて、困っている様子であった。かなりの距離を走って、何とかようやく右折できた。細い道をまた引き返して来なければならなかった。すれ違いができにくく、道路は渋滞していた。翌日の朝刊で、大きな大会であったことがわかった。いつもTVでは気楽に見ているマラソン大会である。大勢の市民の協力があり、主催者側の苦労もよく理解できた。
 最近、福祉の担当者から、私の医院に通院している患者さんの稼働能力についてよく聞かれるようになった。生活保護を受けている患者さんについて、次の該当項目に○印をしなければならない。イ 全然働いてはいけない ロ 軽い仕事ならできる ハ 中程度の仕事ならできる 二 かなりの仕事に耐えられる ホ 何をしても差支えない である。以前から、この項目については回答していた。しかし、最近、精神科医がこの回答を求められることについて疑問を持つようになった。
 精神科医の仕事は、患者さんの困っている症状を治療をすることである。極端に言うと、患者さんの稼働能力については基本的には関知しないのである。こんなことを書くと、障害年金の診断書はどうなると言われそうである。障害年金の対象となる人は、仕事ができないではなく、日常生活ができないである。重い精神障害の人が対象になるので、ほとんど稼働能力がない人が前提である。傷病手当は、職場での通常の仕事が安定的にこなせるかどうかが基準となる。それ以上でもそれ以下でもない。
 さて、生活保護を受けている患者さんである。精神科の場合は、他の身体科と違って、判定が難しい。整形外科の場合は、骨折が治癒したかどうか判定したらいい。癌や心不全なども、身体症状の重症度と稼働能力の関係を客観的に判断したらすむ。ところが、精神症状は検査で客観的な数値が出るわけではない。身体的には正常でも、不安や気力低下、疲れやすさ、不眠、動悸、胸部圧迫感などを患者さんは訴える。現在の訴えている症状だけではなく、これまでの社会生活能力(適応力)を考えると、その患者さんの持っている稼働能力の判定はより複雑になる。社会適応能力というのは、これまできちんとまともな仕事についてきたかである。風俗や水商売しかしてこなかった人は、一般企業での就労は困難になる。ましてや、それさえしてこなかった人に働けと言っても、無理がある。今は、簡単に思える仕事でも、対人関係も含め、要求水準が高くなっている。介護現場のように、質の悪い労働力を無理やり労働市場に送っても、現場が混乱するだけである。
 わかりやすい例を挙げる。いろいろな事情で経済的に困窮し、生活保護を受けたとする。最初は体調もこわし、内科などに通院する。生活保護の担当者が3ヶ月に1回ぐらい家庭訪問して、生活保護者の状態を見ている。頃合いを見て、そろそろ、仕事についたらと促す。そうすると、中にはいろいろな身体的な不調を訴えてくる人もいる。内科的にどうもないと、精神科を受診しろとなる。引きこもりになっている人もおり、これも精神科受診の道をたどる。そうやって受診した人の中には、いろいろな人が含まれる。薬を調整して症状が改善する人もいれば、最初受診しただけで、すぐに受診しなくなる人もいる。
 精神科をしていると、どこまで治療が必要なのかわからなくなる患者さんが大勢いる。生活保護の患者さんではではないが、傷病手当目当ての患者さんもいる。1年半の傷病手当の期限が切れると、その後1度も受診しなくなる。生活保護を受けるために、精神科受診が隠れ蓑になっている人もいる。前にも書いたように、精神科を受診していると生活保護が受けやすくなると、生活保護の申請前に受診する。精神科を受診すると、働けないという大義名分が作れるからである。もちろん、本当に困って精神科を受診する人も大勢いる。しかし、以前と比べると、自称うつの人が多くなっている。
 生活保護の患者さんは、自立支援医療(精神)にすると、医療費は京都市が払わず、国が払ってくれる。だから、どこまでうつ病かわからない自立支援の患者さんが増えてくる。せっかく診断書を書いても、ほとんど受診しない患者さんもいる。ところが、こういう人でも福祉の担当の人が自宅訪問するとあわてて受診してくる。私は治療の必要のない人は無理に精神科を受診するなと言っている。生活保護を受けるための方便に使われるのは迷惑である。もちろん、精神症状が悪化して、ろくに食事も取れず、受診できなくなっている人も稀にはいる。
 さて、最初に戻って、生活保護の患者さんの稼働能力である。今は京都市も大赤字なので、生活保護者の就労支援に力を入れている。今まで何も言われなかった患者さんも、就労するように指導されている。私も、軽いうつ病圏の患者さんについては短時間のパートの仕事でも就くように促している。完全に生活保護を切るということではなく、少しでも働いて生活保護費を減らすということである。稼働能力の判定については、精神科についてはいろいろな患者さんが混じっているので難しい。安易に書くと、それを理由に厳しい就労指導がなされることもある。患者さんが少しでも働き出てくれれば、めでたしめでたしである。
 しかし、それだけでは済まない。これまで何も訴えていなかった患者さんが、検査に出てこないいろいろな身体的不調を急に訴え出したりするのである。症状の悪化が、働けないということを正当化するのである。客観的な検査方法がないので、これも本当にどこまで悪化しているのかよくわからない。少しでも働かせようと追い込むと、精神的な身体症状に逃げ込んでしまう人もいるのである。症状が悪化したということで、必要のない投薬が増えたりすることもある。
 働けないと訴えると、役所では安易に障害者年金を申請しろと指導する。ここでも何回も書いているが、働けない=障害者年金ではない。中には、安易に障害者年金の診断書を書く精神科医もいる。そんな患者さんが転院してくると、継続の診断書はどうしたらいいのか悩む。あまりにもひどい継続の診断書を書くのは、屈辱以外何ものでもない。障害者福祉手帳や障害者年金の対象となる患者さんはどういう患者さんなのか、同じ京都市のこころの健康増進センターが生活保護担当者を対象にきちんと講義をして欲しいと思う。いきなり患者さんに診断書を持たせて、主治医に書いてもらって来いという担当者もいる。
 さて、今週読み終えた本である。CP+の時にJR桜木町の小さな本屋で買った本である。この時に2冊買ったので、もう1冊は来週の日記で紹介しようと思う。4〜5冊の本を同時並行読みでも、読みやすい本から読んでしまう。沢木文「貧困女子のリアル」(小学館新書)である。著者は、「女性誌でフリーランスの編集者として活躍」となっていた。ここでは、貧困女子を11人紹介している。全6章で、親との問題、見栄、借金、強いコンプレックス、学歴、ワーキングプアに分類している。精神科医の中には、大勢の患者さんを診察していると、世の中のことは何でもわかっていると勘違いしてしまう人もいる。今すぐ名前を思い出せない精神病理学者が、言っていたことである。自宅の庭を見て、世界の植物がわかったような気になってしまうのである。私は本を読めば読むほど、自分がいかに無知であったのか、いつも自覚させられる。
 まず、親との問題である。精神科医が接するのは、精神科を受診した人だけである。ここに書いてあるような、精神科を受診していない人については、なかなか接する機会はない。その分、貧困女性の抱える問題がわかりやすく書かれており、興味深く読めた。中には、摂食障害などの患者さんも出てくる。母親は子離れができておらず、娘の方も親離れできていないと、社会に適応できない歪んだ価値観を持ってしまう場合もあると指摘している。39歳の公認会計士の女性が、母親に給料のほとんどを渡し、着る服さえ母親が選んでいるという。「お母さんがあれだけ苦労して頑張ってくれたのに、中学校の受験に落ちてしまってから、私はその罪を償う人生を送っているんです」と述べている。家庭という小さな共同体の中で、絶対君主として存在する親。親が常に娘を支配し、行動に制約を設け、価値観を押しつけたらどうなるか? その支配を愛情だと思い込むように親から教育された女性は、心が常に不安な状態で、自己犠牲をすることで他人からの愛情を請う道を選んでしまいがちだと、鋭い指摘もしている。
 「毒親」という言葉は、2011年に出版された信田さよ子「さよなら、お母さん 墓守娘が決断する時」(春秋社)であったというのは、この本で初めて知った。過干渉の母親をもつ娘を「墓守娘」と呼び、自分の親の介護のみならず、死後の墓の世話まで押しつける母親の支配から抜けるための実践方法が書いてあるという。この本では、見栄で浪費をする女性のことも書かれており、精神医学的にはどう解釈したらいいのかわからない人もいる。単なる躁状態ではなさそうである。浪費するのは、Facebookでリア充である自分をアピールするためで、いきなり地中海に出かけたりする。一種の病的なSNS中毒になるかもしれない。
 エピソード5では、容姿端麗でも転落と書いてある。ここでは、読モ(読者モデル)のことが詳しく書かれている。著者によると、女性にとって服を買うというのは、社会的行為であり、かつ序列を示す示威行為といえるかもしれないという。読者モデルは仕事と趣味の中間に位置している存在である。華やかに見えるが、謝礼は1回3000〜5,000円である。洋服もネイルも自前で、撮影場所の交通費も自己負担である。旬は25〜30歳までである。ここで出てくる34歳の女性は、読モの収入が1万円を切り、借金は服やバックを買ったりエステに行き、100万円ほどあるという。セレブな男性にチヤホヤされている期間は短い。正社員をやめたことも痛い。
 この本によると、年収1000万円を超える男性は、全給与所得者の6.6%しかいない。(結婚している男性も含めてである) 他にも興味深いことがたくさん書いてある。少し前に放映していたNHKEテレビの少子化を扱った番組も、録画して見た。国も団塊ジュニアの子どもで人口が自然増になると予想して、特に少子化対策をしてこなかった。少子高齢化がどんどんと進み、先ほどの生活保護の患者さんやこの本の貧困女子を見ていると、本当に「この世も末じゃ」と思う。

今週の愛聴盤 188 (160308)

Trunsciant / Il Baricentro
Trunsciant / Il Baricentro

 きょう紹介するLPレコードは、イタリアからである。このアルバムはプログレファンの間でもあまり知られていないようである。1978年の発売である。あまり知られていなくても驚異的な演奏なら、幻のアルバムとなる。残念ながら、そこまでは行っていない。いつものように、1993年発行のイタリアン・ロック集成(マーキームーン社)をひもとくと、イタリアのジャス・ロックに属し、彼らの2枚目のアルバムとなる。1枚目と比べると、評価が落ちる。「1枚目の方がスリリングな演奏をしている」となっていた。
 まず、聴きやすい曲である。個人的にはそこそこの曲だと思っている。Il Baricentro - Trusciantで聴くことができる。YouTubeでは、出来のいいと言われている1枚目のアルバムも全曲アップロードされていた。ここでは、1番視聴者数の多い曲を紹介する。Il Baricentro - Sconcertoである。
 このコーナーで、イタリアのプログレを山ほど紹介しているかと思ったら、そうでもなかった。次に紹介するLPレコードはSognando E Risognando / Formula 3(1972年)である。私の持っているのは、キング・ヨーロピアン・ロック・コレクション(1981年)で発売されたレコードである。値段は2,200円であった。山岸伸一がライナー・ノートを書いている。そこから引用すると、当時スーパースターであったルチオ・バティスティが自分のレーベルであるヌメロ・ウノより、最初に育てて世に送ったロック・グループがこのフォルムラ・トレであった。A面2曲、B面3曲の長い曲ばかりである。(正確には、A面の2曲目がB面の1曲目に続いている)フルアルバムもアップロードされていた。アルバム名にもなっている第1曲目は、10分40秒もある。4つのパートに分かれているので、どこまでが1曲目なのかわかりにくい。久しぶりに聴いてみたら、やはり名盤であった。興味のある人は、そのまま続けて聴いて下さい。Formula3 - Sognando E Risognandoである。
 最後に、私がハイ8テープに録画して今でも残しているMTVからである。今回紹介するのは、ニューヨークで結成されたヘビーメタルバンドである。日本語のウィキペディアによると、日本にも来たことがある。チェックしたメモを頼りに調べているので、複数アップロードされている動画の区別がつかない時がある。たぶんこの動画だったと思う。以前にも紹介したイギー・ポップが最初と後半に出てくる。1992年の作品である。White Zombie - Black Sunshineで聴くことができる。

 

平成28年3月1日(火)

 きょうは朝5時に起き、屋外に駐車していた車で医院に6時前に着いた。車には雪が積もり、窓ガラスに凍り付いた雪をプラスチックカードでこすって落としていた。風もあり、本当に寒かった。手も、久しぶりに冷たくかじかんだ。明後日からは、また暖かくなるという。下の息子が大学にはいるまでは、覚悟を決めて、10数年間、外来のある月曜から土曜までは、毎朝5時に起きていた。息子は今年の4月からは3回生である。それでも、今でも週3回は朝5時に起きている。昔は医院に6時前に着いて勉強をすることも多かった。今は雑用をしたり、YouTubeを見たり、雑誌を見たりして気ままに過ごしている。火曜日だけはこの日記を書かなければならない。
 きょうはいつものように、午後から往診が4件あった。1人暮らしのお年寄りの患者さんのマンションに行ったら、階段の下で大きなスーツケースを抱えた若い2人組の女性がいた。どうも民泊の中国人のようである。こんな所にも、民泊の波が押し寄せていた。私も民泊には興味がある。法律の整備ができたら、研究してみようと思う。今は不景気なので、外食を含め販売関係の店を開いてもなかなか利益が出ない。民泊は現金商売になるので、考えようによってはいい小遣い稼ぎになる。亡くなった親の広い家に1人暮らししている患者さんが、興味を示していた。
 先週の土曜日は、横浜まで久しぶりに「カメラと写真の総合展示会CP+」に行ってきた。特にホテルも予約していなかったので、当初は日曜日に日帰りで行くつもりであった。ところが、この日は朝から気分がよくて、泊まりで行くことにした。当日でも、けっこうホテルは空いていた。これからは当日で予約して行こうと思う。海外旅行などの予約は半年前からすることもある。ところが、予定の日が近づいても気分が乗らないこともある。出不精になって、荷物の用意をするのもおっくうになる。それでも、一旦旅行に出たら、気分も切り替わる。
 新幹線だけはいつもグリーン車を使う。飛行機はまだエコノミーである。夕方6時頃に横浜に着くようにした。2時間で着いてしまうので、グリーン車の価値があるのかあやしくなってきた。久しぶりの横浜であった。若い頃と違って、都会の魅力というのはあまり感じなくなった。横浜の夜景も1回見たら充分である。キャバクラや風俗に行くわけでもない。あまりにも人が多いと、うっとうしくなる。海外旅行でも同じである。大都会には行ってみたいとは思わない。今は何でもネットで手に入り、物欲もなくなってきた。新幹線の中で、最新の新製品を紹介する雑誌を読んでいたら、欲しい物が1つだけあった。「EARIN」という左右が独立した耳栓のようなワイヤレスイヤホンである。これは是非とも買いたい。
 どうしてCP+に行ったかというと、ソニーのα6300が初めて展示されるのと、カメラ好きが集まる祭典の雰囲気を味わってみたかったからである。ソニーの新製品は大阪のショールームでもすぐに見れる。私の持っていたα6000は新製品の発表前に中古で売りに出した。ソフマップで、優待日のポイントがついて5万円弱になった。このポイントを使って、ゴールデン・ウィーク前に新製品を買おうと思っている。前から書いているように、私は重いカメラは使わない。デジタル一眼カメラでは、この大きさと重さが限度である。これなら、海外旅行でも気軽に持ち歩ける。カメラにお金をかけるか、撮るものにお金をかけるかである。私は、後者である。写真のできとしては、レンズの差より被写体の差の方が大きいような気がする。
 会場では、それぞれのブースで、写真家の講演をやっていた。モデルを使った新製品の試し撮りもしていた。パンフレットを配っているコンパニオンに声をかけて写真を撮っている人も大勢いた。私はキヤノンのPowerShot G5 Xを持って行った。1人、パンフレットを配っている私好みのコンパニオンがいた。会場を廻った後で声をかけようと思ったら、他のコンパニオンと一緒にいて、写真を撮るタイミングを失った。
 マウスコンピューターでは、クリエイター向けパソコンの「DAIV」を展示していた。私は動画編集に興味を持っているので、この会社の少し前のハイスペック・ゲーミングパソコンを持っている。液晶ディスプレイはIiyamaである。私が地元の高校を出た長野県飯山市に工場がある。このブースでは、比較的露出度の高い服装をしたコンパニオンがいた。大勢のアマチュアカメラマンが製品はそっちのけで、写真を撮っていた。AV嬢でも呼んで、ポロッとしたら、もっと沢山のお客さんが集まるかもしれない。私はこの日はあまり写真は撮って来なかった。会場で、写真撮影用のモデルも撮ってきたが、もうひとつであった。

会場1  会場には、これだけの人が集まっていた。趣味にカメラを選ぶ人はまだまだ多い。いきなり高級品を買っても使いこなせないので、自分に合った製品を選んだらいい。スマホのカメラも性能がよくなっている。しかし、専用のカメラを持って旅に出たら、もっと楽しくなる。

会場2  ここはニコンの会場である。新製品の試し撮りに大勢の人が並んでいた。私はこのCP+で1番興味があったのは、スマホ用電動スタビライザーである。バッテリーを含めて、わずか370gであった。私のスマホを使って試し撮りをしたが、きれいに撮れていた。カメラ用は重くなる。ここで唯一物欲が刺激された製品である。

今週の愛聴盤 187 (160301)

Ordinaries Adventures / Companyia Electrica Dharma
Ordinaries Adventures / Companyia Electrica Dharma

 今回最初に紹介するLPレコードは、スペインからである。バルセロナ出身のバンドである。グーグルで検索したら、日本語の詳しい解説が載っていた。私はここで紹介するアルバムは、ほとんどネットでチェックしている。上位に出てくる日本語の記事は、輸入レコード・CD店の紹介が多い。今回は「Gates of Dawn」というプログレ専門のホームページに載っていた。以前にも訪れたことがあるのか、よく覚えていない。1枚1枚のアルバムについて詳しく解説していた。私の持っているLPレコードは、1979年発売で5枚目のアルバムになる。最高傑作は、4枚目のアルバムとなるようである。
 YouTubeで調べてみたら、このアルバムからは2曲ぐらい(だと思う)アップロードされていた。私の好きなB面の1曲目はアップロードされていなかった。時間があったら、私がアップロードしてもよかったぐらいである。A面2曲目の「Companyia Electrica Dharma - Melic Avall」も悪くない。しかし、他にもいい曲が沢山アップロードされていたので、こちらを紹介する。先ほどのホームページを引用すると、音作りはカタルーニャ風ジャズロックとなる。チャルメラ・メロディーを聴くことができる。まず、Companyia Electrica Dharma - Algemesiである。私はサッカーについては詳しくない。2曲目は、サッカー場でのライブである。Companyia Electrica Dharma - Concert Per La Llibertatで聴くことができる。
 さて、次は私の持っている同じスペインのUntitled / Barcerona Traction(1975年)を紹介するつもりであった。同じジャズ・ロックに分類されるようである。しかし、レコードで全曲チェックしてみたが、もう1つであった。仕方ないので、スペインとは別のアルバムを紹介する。スイスのプログレである。Movin'g On / Circus(1971年)である。ネットでは、日本語の詳しい紹介が載っていた。「KING CRIMSON にまばゆいばかりの透明感を付与した狂気と戦慄の大傑作」となっていた。久しぶりにこのLPレコードを聴いてみたら、本当によかった。B面は1曲だけで、20分を越える。長い曲なので、ここではその一部を紹介する。フルアルバムもアップロードされているので、興味のある人は聴いて下さい。Circus - Movin' Onである。
 最後に、私がハイ8テープに残しているMTVからである。今回もイギリスのロックバンドである。日本語のウィキペディアによると、マンチェスター出身で、マッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在として活躍した。以前に紹介していたNHK衛星放送の「Music Box」でも、このバンドはよく取り上げられていた。1994年の作品である。The Stone Roses - Love Spreadsで聴くことができる。

 

平成28年2月23日(火)

 定年退職をした患者さんを見ていると、退職後、会社の同僚と定期的に会っている人とまったく会っていない人がいる。定年前までは、会社という組織に、みんなあちこちから集まってきて仕事をしている。会社という中心がなくなると、その周辺の人たち同志はばらばらになり、それほど交流はしていないようである。かっての仕事仲間とゴルフや釣りに行っても、せいぜい月に1度ぐらいである。嘱託の仕事をやめてからも、同じである。あまりやることがないと、家で引きこもる人もいる。
 中には、カラオケやスポーツジムなど活動的に社会参加している人もいる。会社という組織では、ある程度自分を殺して、上司や部下に合わせて仕事をしなければならない。ばりばりと仕事をこなし、社会適応能力の高い人でも、群れるのは好きでないという人もいる。私はもともと群れるのは好きではない。生きていくために必死で社会に合わせてきたところもある。この群れるのは好きでないと言う人は、話を聞いてみると意外に多い。自分なりの世界を持って老後を迎えられたらいい。しかし、こういう人は仕事をやめると、けっこう引きこもりタイプになる人が多い。
 先週の土曜日は、市内の精神科関係の医療法人主催の懇話会があった。精神科の外来をしていると、どうしても患者さんの入院が必要になる。最近もややこしい患者さんを入院させてもらって、本当に助かっている。特別講演は、京都府精神保健福祉総合センター所長の「京都府の自殺予防対策」についてであった。臨床の現場では、行政からはパンフレットが送られてくるぐらいで、自殺者数が減っているのかどうかはあまり実感はない。それでも、国や行政が積極的に自殺対策に関わることで、自殺者数が減ってきているのはよくわかった。
 講演会の後は、テーブルを囲んで会食である。大学の関連病院なので、ほとんど顔なじみである。しかし、若い先生については段々とわからなくなってきた。参加者の名簿を見ていたら、長老を除いて私が卒業年度では上の方であった。私が医局にいた頃にお世話になった院長が、この3月に引退するという。今年72歳である。本当に、ご苦労様でした。その後も、名誉院長として週4日勤める。去年の医局の忘年会で、同じ系列のもう1人の院長が話していたことである。雇われ院長と言っても、いろいろな会議や雑用で想像以上に大変なようである。私も同じ年代まで後10年間働き続けることを考えたら、気が遠くなってきた。
 21日の日曜日は、東山医師会第4斑の遅い新年会があった。場所は、同じ東山区の日本料理店である。最初の会計報告を聞いていて、驚いた。毎回この会費は5千円である。去年の新年会では、1人あたり飲み代も入れて2万5千円もかかっていた。私はワインのことはわからない。どうも、ワイン代が高くついたようである。班費もたくさん余っているので、今は積極的に使っている。今年の参加者は例年より少なく、10名であった。私の席の隣や前には、大正14年生まれ、昭和2年生まれ、昭和3年生まれの長老の先生が座っていた。今年88歳から91歳になる先生である。さすがに、この年になると仕事の方は引退している。大正14年生まれの先生は、運転はしないが、まだ和歌山まで鮎釣りに行っているという。3人ともお元気であった。最近は、若い世代のことより、自分より年上の先生のことが気になる。テーマはいつも老後の過ごし方である。
 他の参加者は若い幹事を除いて、私と同じ世代か上であった。車は経費で落ちるので、お金をかける人は多い。アストン・マーチンと言っても、どんな車かわからない。一流のレストランや料亭で料理やワインを楽しむ先生も多い。先週の木曜日は、車の半年点検に行ってきた。今年の9月で16年目の車検になる。係の人は毎回新車を勧めてくる。今は1ヶ月に200kmしか乗っていない。市内では、ハイオクでリッター6kmである。それでも、乗り心地がいいので、車検を受けてまた乗り続けるつもりである。私は昼食もほとんど医院で自炊してしまうので、一見質素な生活に見える。結局、何にお金をかけるかである。海外にはよく出かけている。しかし、使うのは安ホテルか普通のホテルである。それほどお金は使っていない。突きつめると、趣味や価値観が違うだけである。3月には、久々に高い買い物をするつもりである。
 さて、今週読み終えた本である。小林よしのり、宮台真司、東浩紀「戦争をする国の道徳 安保・沖縄・福島」(幻冬舎新書)である。小林よしのりは、「ゴーマニズム宣言」などで有名なマンガ家である。私と同じ年に生まれている。宮台真司は、首都大学東京教授の社会学者である。東浩紀は、作家・思想家である。この3人の中で、私が本を読んだのは、宮台真司だけである。この日記で何回も書いているが、私は長いこと共産主義革命を夢見ていた左翼系知識人の自虐史観に反発してきた。この宮台の本を読んで、180度考え方が変わった。東京裁判は、天皇や国民に戦争責任はなく、A級戦犯に責任があるとした手打ち式であったことが、よく理解できた。
 まず、沖縄である。沖縄には基地そのものがいらないという。米軍基地の借地料を、その国が出しているのは、日本・クウェート・韓国ぐらいで、他の国はアメリカに負担させている。沖縄の海兵隊には、占領された島を奪還しに行く、強襲揚陸鑑が装備されていない。2〜3ヶ月後に行くなら、基地は世界のどこにあってもいいのである。世界中の6〜7割に当たる海兵隊が沖縄に集中しているのは、日本政府から「思いやり予算」が出て、リゾート地だからという。
 宮台によると、戦後の対米追随は、吉田茂と白洲次郎が敷いたという。彼らは旧内務省や旧軍部に不信があった。自分たちだけで止める自信がなかった。ゆえに、アメリカに基地を使わせ、内政にも適宜介入させて、戦後にようやく手にしたリベラルな体制を守ろうとした。ところが、時間が経つと、対米ケツ舐め野郎(原文そのまま)が蔓延した。明治維新に関する私の知識は無知に近い。大隈重信は自分の片足が爆破されてなくなっているのに、自分を襲った来島を、立派な青年だと言って許した。そういう若者が日本には必要だと言ったのである。実際に政治家たちも「無体な政治をやり過ぎればテロに遭う」という恐怖心があった。小林は、今は政治家にとってテロの恐怖もマスコミもこわくなくなったと嘆き、東も、かっては言論がもっとも権力を怖がらせる装置だったと述べている。
 この本には、面白いことが沢山書いてある。中国の軍事的脅威を必要以上に強調する人がいる。宮台の言っているように、覇権争いの戦争は国家間で起こりにくくなっている。グローバル化で国家間の相互依存が上昇し、同時にそれを支える需要も上昇している。覇権争いをする場合、中国でさえ、軍事力ではなく、経済力や文化力を専ら使おうとしている。宮台によると、佐藤優に代表される「当事者主義者」は、当事者の多様性を覆い隠し、「これが当事者の総意」みたいなフィクションをでっち上げ、自分は当事者の側に寄り添うがごとく装うという。そして、誰が当事者を代弁しているのか、当事者同士の争いを始める。安倍政権の批判ではみんな一致している。しかし、細部ではそれぞれ考え方が違うのである。

今週の愛聴盤 186 (160223)

Untitled / Corte Dei Miracoli
Untitled / Corte Dei Miracoli

 久しぶりにイタリアのプログレである。キングから「ヨーロピアン・ロック・コレクション」が出ていて、このアルバムも発売されたようである。私は、Grogレコードから発売されたオリジナルのLPレコードを持っている。1976年の発売である。見開きジャケットで、GRL04と番号が付いていた。1993年発刊の「イタリアン・ロック集成」(マーキームーン社)では、「ギターにツインキーボードが絡んで」と書いてあった。まず、このレコード評でも1番評価の高かった曲である。視聴者数の多い動画より、こちらの方が音がいい。Corte Dei Miracoli - ... Everra l' uomoで聴くことができる。次も長い曲である。Corte Dei Miracoli - I Due Amantiである。  次のアルバムも、イタリアのプログレを用意していた。しかし、長い曲ばかりである。きょうは気分を変えて、他の曲を紹介する。1966年に発売された曲である。この頃には、私はまだ中2ぐらいであった。さすがに、この時のレコードは持っていない。昔のヒット曲は、安いCDのコンスピレーションアルバムで聴くことはできた。しかし、今回紹介する曲は、CDで見つけることもなかなか難しい。私の持っているCDは、Rock Classics Anthlogy ロック帝国(2006年)である。11枚組のCDで、ビクターから発売された。代表的なロックの曲は、たくさん網羅されている。6枚目のCDで20曲目にはいっている曲である。曲が終わってからも、何枚かの写真も楽しめる。Colleen Lovett - Freckle-Faced Soldier(帰らぬ少年兵)で聴くことができる。自分の国に、他国の軍隊が入ってくるのが許せないのがよくわかる。  次の曲も、レコードとしては持っていない。この曲は長いことCDで探していたが、なかなか見つからなかった。アメリカで1967年に発売されたが、あまりヒットはしなかった。日本では1969年に発売され、大ヒットとなった。私がまだ高校生の頃であった。演奏はしておらず、ボーカルグループである。ネットもなかったので、この曲のことを思い出して、長いこと探しても、記事さえ見つからないぐらいであった。やっと東芝EMIから出ていたMillion Hits Collection ワン・ヒット・ワンダーズ(2002年)の中にはいっているのを見つけた。こちらは6枚組のCDである。ワン・ヒット・ワンダーズとは、特大のヒット曲を放ち、その後消えてしまったアーチストのことである。この6枚組のCDコレクションを買ったのは、この曲を聴くためと言っても過言ではない。先ほど紹介した11枚組のCDにも入っていない。Boots Walker - Geraldineで聴くことができる。  最後に、私がハイ8テープに残しているMTVからである。今回はイギリスのロックバンドである。日本語のウィキペディアによると、日本では根強い人気があるということであった。今回紹介する曲は、ディープ・パープルのヒット曲としても有名である。別バージョンの方が視聴者数は多い。1996年の作品である。Kula Shaker - Hushで聴くことができる。

 

平成28年2月16日(火)

 先週は患者さんが少なかった。日によっても、週によっても特別少ない時がある。このままどんどんと減っていくのではないかと心配になる時もある。今週は少し持ち直している。外国人旅行者による爆買いなどで、一部の業界は潤っている。しかし、大部分の中小企業は不景気である。小さな商いで生活を立てている人は本当に大変である。そういう人たちのことを考えたら、私なんかまだましである。同じ年代の勤務医より、収入がどんどんと減っていかなければ、大丈夫である。
 私の医院は、精神科の患者さんを診察しているので、生活保護の人も多い。軽いうつ病から重い精神病までバラエティに富んでいる。生活保護の患者さんも、最近は福祉事務所の人から仕事をするように、かなり言われるようになった。必ずしも、働いて自立しろというわけではない。短時間でも働いて、家賃代も含めた1人12万円ほどの生活保護費を、少しでも減らして欲しいということである。最初にうつ病でかかっても、いつまでも症状が改善しないわけではない。生活保護を一旦受けると、これまではそのままずっと福祉の生活になる人が多かった。つい最近、京都市が大赤字だと新聞に載っていた。若い人ほど、労働習慣を身につけることは悪いことではない。
 しかし、ここに落とし穴がひとつある。福祉の担当の人は、たとえ短時間でも患者さんが働きに出てくれたら万々歳である。ところが、労働現場では、必ずしも万々歳ではない。どういうことかというと、長いこと労働習慣がついていない人は、こんな言い方をすると誤解を招くかもしれないが、あまり使いものにならないからである。今は時給800円ぐらいの仕事でも、ゆっくりとはさせてくれない。びっしりと働かせる。これまで労働現場で訓練されていない人は、なかなか仕事についていけない。私の患者さんでも、長いこと働いていなかった人が福祉の担当者からうるさく言われて、短時間のパートの仕事に就いた。話を聞いていると、患者さんの苦労もわかるが、現場の人の苦労もよくわかる。
 最近は、一般の家庭でも主婦が働くようになった。共稼ぎでないと、経済的に苦しくなったからである。同じ主婦でも、仕事で訓練されてきた人とまったく訓練されてこなかった人では雲泥の差がある。たとえば、銀行などで勤めたことのある主婦は、子育てが終わってパートに出ても、労働能力が高い。ほとんど仕事をやってこなかった人の中には、潜在的に能力の高い人もいないわけではない。しかし、「こんなこともできないの」という人も少なくない。
 現在は、どんな仕事でも昔より高い能力が求められ、職業的に訓練されていない人も大勢労働市場に入り込んでいる。数が増えた分、総じて労働力の質は低下している。数ヶ月の職業訓練ぐらいでは、実際の現場ではあまり役に立たない。介護の現場は参入障壁が低い分、労働力の質はピンからキリまでである。きょうの新聞に出ていたように、転落殺人まで起こっている。高い料金の求人広告を出しても、何の連絡もなく面接をすっぽかしたり、ウソの履歴書を書く人もいる。企業が採用して、一生懸命教えても、なかなか覚えてくれず、簡単に首にもできず、対応に困っている所もある。最初に書いたように、労働習慣を身につけることは大事である。しかし、一方でこういう現実があることも、福祉の担当者は知っておくべきである。
 この前の水曜日は、いろいろとややこしいことがあり、夜が寝にくかった。私は昔からよく寝る子で、不眠で悩んだことはない。唯一睡眠導入薬を服用するのは、海外に出た時の深夜便ぐらいである。それでも人の子で、いろいろと心配事があると寝にくい時がある。この日は寝てもすぐ醒め、買ったばかりの本を読んではまた寝、一晩中それを繰り返していた。
 翌日の建国記念日は祝日であった。朝9時頃に床に出る時には、ほとんど1冊読み終えていた。この本については、最後に紹介する。この祝日も医院に出て、更新の自立支援医療や障害者福祉手帳の診断書を書いていた。会計事務所の送る資料も2ヶ月分溜まっているかと思った。実際には、1ヶ月分だけであった。確定申告が近づいているので、この資料もまとめていた。ふだんだらだらと過ごしてしまう私も悪い。ややこしい仕事は休みの日にやったらいいと思うので、なかなかゆっくりとしている暇がない。
 12日(金)のTV欄を見ていたら、夜8時から「金曜プレミアム 池上彰緊急スペシャル」をやっていた。テーマは、なぜ、世界から戦争がなくならないのかである。番組欄には、戦争というビッグビジネスとか、湾岸戦争に導いた広告代理店の疑惑PRと出ていた。実は、一晩中眠れずに読んだ本に、この広告代理店のことが詳しく書かれていた。早速録画して、土曜日に見た。3時間もあるので、興味のある所だけである。よくTVで、ここまでアメリカを批判したものだと思う。前から書いているように、中国や韓国に対しての批判的は報道されている。ゴールデン・タイムに、正面切ってここまで批判した番組を知らない。私の知らないことまで曝露し、詳しく解説していた。私がここで主張していることが、ほぼそのまま放送されていた。ネトウヨの人は是非とも見て下さい。
 まず、イラクがクェートに侵攻した湾岸戦争である。アメリカ議会での公聴会で、ナイラという15歳の少女が、涙ながらに「イラク兵が病院の赤ん坊を殺した」と証言した。他にも、「イラク軍が石油施設を空爆し、水鳥が油まみれになっている」など、イラクに不利な情報ばかりが流された。このことによって、国連安保理もイラクへの武力行使を認めた。実は2年後に、このナイラという少女はアメリカ駐在クェート大使館の娘であることがわかった。アメリカの「ヒル・アンド・ノウルトン」という広告代理店がアメリカが湾岸戦争に参入するように、世論を誘導するPRをしていたのである。ナイラは母国のクェートに行ったこともなければ住んだこともない。リハーサルまでして、ウソの証言をしたのである。ブッシュ大統領もこのことを知りながら、演説でイラク兵の残虐性を何回も訴えた。この広告代理店は、報酬として14億円を手に入れていた。
 この日記でも書いているが、軍産複合体のことも詳しく解説していた。政治家、軍、軍需産業の癒着構造を明らかにしていた。父親の方のブッシュ大統領の時に国防長官をしていたディック・チェイニーは、長官をやめてから、油田の掘削や戦地にある油田の修復など幅広い事業をしているハリバートン社のCEO(最高経営責任者)となっている。やめる時に、株の売却益や退職金で、60億円を手にしている。そして、息子のブッシュ大統領の時に、副大統領となった。イラク戦争の時に、公募ではなく秘密裏にこのハリバートン社と8400億円の契約をしている。大量破壊兵器があると言って、イラクに侵攻し、大量破壊兵器がなかったことは周知の通りである。結果的には、石油利権を狙ってイラクに侵攻し、フセイン大統領を死刑にしてしまったのと変わりない。現在世界のあちこちでテロを引き起こしているIS(イスラム国)は、イスラム原理主義のアルカイダ系の過激派組織と旧フセイン政権の軍人がくっついて、急速に勢力を拡大していった組織なのである。
 読み終えた本は、茂木茂「ニュースの”なぜ?”は世界史に学べ」(SB新書)である。副題に、日本人が知らない100の疑問とついている。著者は、駿台予備学校世界史科講師である。この本は本当に面白かった。私はいろいろな本を読んでいるので、断片的な知識は豊富である。著者は予備校の講師なので、要領よくまとめてくれていた。久々の大推薦の本である。何回でも読んで、丸暗記したくなる。日本という安全地帯に住み、平和呆けの人は、是非ともこの本を読んで下さい。今は夜10時を過ぎたので、詳しい内容については書かない。先ほどのTVの紹介では、この本に書いてあることも書き足して補足した。ただ、書いてあることについては、すべて著者の考えに賛成というわけではない。本の最後に、上海には4万人という日本人が住んでいるが、万一に供えて準備しておくべきだと書いている。しかし、これだけの中国人が爆買いに日本に来て、留学生も多いのである。中国の危険性を強調し過ぎである。

今週の愛聴盤 185 (160216)

Untitled / Spring
Untitled / Spring

 今回最初に紹介するアルバムは、懐かしのイギリスのプログレバンドである。たった1枚のアルバムしか発表していない伝説のバンドである。私はオリジナルのLPレコードを持っている。1971年の作品である。見開きのジャケットで、あのNeonから発売されている。NE6と書いてあるのは、Neonの番号なのかよくわからない。レコードのSide1(A面)は白い紙が貼られているだけである。ネットで調べてみたら、「Mellotron's Heaven」と書いてあった。メンバー3人がメロトロンを使用している。キング・クリムゾンが「クリムゾン・キングの宮殿」を発表して衝撃のデビューを飾ったのが、1969年である。この時に、メロトロンが多用されていた。
 まず、Spring - The Prisoner(Eight By Ten)である。実は、YouTubeにはこのフルアルバムもアップロードされていた。「Spring - Shipwrecked Soldier」や「Golden Fleece」など聴き所のある曲も含まれている。ここでは、オリジナルアルバムの最後の曲を紹介する。Spring - Gazingである。
 この英国の初期のプログレ時代には、たくさんの名盤が発売された。長いこと探していて、手に入れることのできたLPレコードもあれば、だいぶ経って再発されたCDで手に入れたアルバムもある。次は、私の持っている同じ時代の再発されたCDである。Paint A Picture / Fantasy(1973年)である。ネットの輸入CD店の紹介では、「リリシズム溢れるメロディアスな英ロックの傑作」となっていた。このアルバムも、フルアルバムがアップロードされていた。ここでは、まずタイトル曲にもなっているFantasy - Paint A Pictureを紹介する。同名の別バンドの曲もたくさんアップロードされている。同じアルバムの、Fantasy - Circusも悪くはない。
 最後に、私がハイ8テープに残しているMTVからである。今回はアメリカの女性シンガー・ソングライターである。ネットの上位検索では、日本語の解説が出てこなかった。ほとんど、日本では知られていないようである。1995年の作品である。Poe - Angry Johnnyで聴くことができる。

 

平成28年2月9日(火)

 先週の木曜日は、東山保健センターのデイ・ケアで、「医師の話」をした。以前は、長いこと保健センターのデイ・ケアで、精神障害の患者さんを相手に講演をしたりしていた。私は60歳になったら、東山医師会の仕事以外は一切やめるつもりであった。しかし、労災の仕事だけはなかなか断りにくい。まだ定期的にしており、今年4月からまた1年間延長になった。定期的な仕事でなければ、今回みたいな単発的な仕事は引き受けている。今回のテーマは、「調子の整え方」である。精神科医ならわかると思うが、こういうテーマで話しをして欲しいと言われると困る。睡眠や薬の話とは違う。あまりにも、漠然としたテーマである。
 1月31日の日曜日はやる気になれなかった。結局、前日の水曜日に原稿をまとめていた。これまで講演会などで話してきた内容の原稿ファイルを5つほど見つけ出した。コピペして何とかA4用紙4枚にまとめた。この原稿を患者さんに配布して、2時間ほど私の話で持たせないといけない。広い会場で、一方的に1時間ほど講演するのとは違い、これはこれで大変である。こういう仕事を得意としている精神科医は、それほど多くはいないと思う。患者さんに合わせた久しぶりの座談会形式の講演会で、少し神経が疲れた。
 この前の日曜日は、あまりゆっくりとできなかった。この日は締め切りの迫っていた仕事があった。労災の仕事で、資料を見ながら意見書を書かなければならなかった。この日の夜には原稿を送る必要があった。いつも、締め切り間際にならないとやる気が起こらない。ところが、この日は締め切りが迫っていても、なかなかやる気が起こらなかった。せっかく医院に早く出てきたのに、溜まった書類を整理したり、雑誌を読んだり、ネットの記事を見たりしてだらだらと過ごしてしまった。覚悟を決めて、午後2時頃から資料を読み出した。意見書で何を書いたらいいのか、もうひとつ依頼内容がよくわからなかった。何とか書き上げて、京都駅の郵便局まで簡易書留を出しに行った。この日の夕食は自炊した。夜10時頃まで新規の自立支援医療や障害年金の診断書などを書いていた。
 先週の土曜日は映画を見に行けなかった。その前の土曜日に見た映画である。新聞や雑誌で話題になっていた「ザ・ウォーク」である。フランスの若者が2つの世界貿易センタービルにワイヤーロープを張り、命綱なしで綱渡りする物語である。最初出てきた主人公は、チャラ男のような印象で、最初は映画の中にうまいこと入り込めなかった。しかし、完成直後の世界貿易センターに隠れてワイヤロープを張り、違法で綱渡りをするというのは、想像を絶するとんでもないことである。1974年に実際にあった話である。命綱を付けず、この2つのビルの間を綱渡りしていく姿は、人の営みを遥かに越えた崇高な行為に見え、本当に感動した。映画を見に行く暇がない人は、レンタルDVDが出たらまた見て下さい。
 さて、今週読み終えた本である。最近は、途中で本を読みかけては別の本を読み出し、読みかけの本が5〜6冊たまっている。この本は1番新しく読み出したのに、1番早く読み終えた。対談形式で読みやすかったこともある。上野千鶴子、水無田気流「非婚ですが、それが何か!?」(ビジネス社)である。副題は、結婚リスク時代を生きるとなっている。水無田気流という名前は、最初は男性かと思った。中原中也賞を受賞した詩人で、社会学者である。大学で非常勤講師をしている。同じ非常勤講師をしている夫がいて、子どもを出産している。上野千鶴子は私より5歳上の団塊世代である。最初の印象は、女性同士の対談だとこういう流れになるのかと思った。男性としての言い分も山ほどある。
 私の専門は精神医学なので、結婚、仕事、子ども、貧困などについては社会学者とは違う切り口で、患者さんには対応しなければならない。精神科の臨床は理論ではなく、その場での実際的な対応が求められる。「今すぐ死にたい」という人に対して、「自殺はいけない」とか理屈で説得してもあまり意味がない。リストカットして出血している人を診て、「よく血が出ますね」と感心しているわけにもいかない。清原元投手ではないが、すでに覚醒剤中毒になっている人に、外来でどう対応するかも求められている。夫の浮気で悩んでいる人に、いくら薬を出しても、夫の浮気問題が解決するわけではない。(精神的には、ある程度落ち着く。) こういう家庭問題には、最初から入り込まないという精神科医もいる。36年間精神科医をやってきて、社会も大きな変化をしている。この本を読んでいても、女性から見た男女に関する構造的な社会の問題点は指摘できても、即時的な解決方法があるわけではない。
 なかなかこの本を簡単にまとめることができないので、さわりの部分だけ紹介する。まず、今の若者はなぜ結婚しないかである。「パラサイト・シングル」と名付けた山田昌弘の研究結果を引用している。男女とも結婚すればソンをするからである。女は時間を失い、男はおカネを失うからである。裏返すと、女は家事と育児の責任を全部背負うという結婚観を持ち、男は一家を養うという結婚観を持っているからである。この「男性稼ぎ主型モデル」は経済状況が悪化し、実現が困難となっている。ハイレベルの労働者たちにとっては、家族はコストでありリスクである。男の選考は、「家庭を守ってくれる女」から「稼得力のある女」にかわりつつあるとも指摘している。
 この本を読んで、1番興味をひいたのは、女性の就職についてである。少し前に、新聞で総合職として就職した女性は10年間に7割が離職していると出ていた。この本でも、賢い女性は総合職より一般職を選ぶとなっていた。総合職女子は太く短くになってしまうのである。一般職の方が正社員として長続きする。私の娘がこの4月から総合職として就職する。このあたりのことについては、まったく知識がなかった。銀行などでは、地域総合職という雇用形態もある。今は正社員を一旦やめてしまうと、再就職はせいぜい時給千円ぐらいのパートの仕事しかない。前にも書いたように、一般社員でも、夫の転勤でどうするのかという問題は残される。
 愛人のことでも、上野は面白いことを述べている。略奪婚を狙わない、ナンバー2とかナンバー3に甘んじる女が出てきたという。1番つまらなくて、面倒なところは本妻に委ねて、おいしい所だけねらう。愛人を持つ甲斐性は、現在は財布の厚さではなく、コミュ力とかセックスのまめさとか別な能力がいると指摘している。水無田は、子連れ離婚は、その多くが「家族の父捨て」で、家族によるケアを失うと、男性は圧倒的に社会的孤立リスクが高まると述べている。子育ての時期の女性は本当に大変だと思う。しかし、男性の会社でのストレスはなかなか女性には見えてこない。子どもに手がかからなくなっても、結婚が生活保障財であると信じている妻を持っている夫は、本当に大変だと思う。

今週の愛聴盤 184 (160209)

Silence & Wisdom / Deux Filles
Silence & Wisdom / Deux Filles

 今回最初に紹介するアルバムは、LPレコードである。フランスで1982年に発売された。1983年に発売された「ヨーロピアン・ロック・カタログ パート2 ドイツ・オーストリア・スイス編」(マーキームーン社)には、このアルバムのレコード評が載っていた。2人の女性がルルドで出会ったことが、スピリチュアルなミュージックを作るグループを産んだと書いてあった。今回ネットでこのアルバムのことを調べてみたら、CDで再発されていた。そして、サイモン・フィッシャー・ターナーとコリン・ロイド・タッカーの2人が、フランス人女子になりすまし、82年にリリースした女装変名プロジェクトと書いてあった。
 曲の内容は、ネットに書いたあったことをそのままコピペすると、「異国情緒漂うストリングスやピアノ、アコースティックギターなどの生楽器に、2人のヴォ−カル、コラージュなどを配した、シネマティックで耽美的なアンビエントテイストのサウンドトラック的内容」となる。YouTubeで調べてみたら、私の好きな曲がアップロードされていた。だが、日本では聴くことできないようになっていた。CDで再発されているので、著作権が厳しくなっているようである。仕方ないので、好きな曲の中から1曲見つけたので、紹介する。Deux Filles - The City Sleepsである。同じアルバムの中に入っている「Deux Filles - The Letter」が視聴者数が2万を越えている。しかし、私の好みではない。ここでは、Deux Filles / L'intrigueを紹介する。
 次に紹介するのは、LPレコードではない。私の持っているのはフランスで発売されたCDである。Les Grandes Chansons De Michel Polnareff / Michel Polnareff(1989)である。14曲入りのベスト盤である。ミッシェル・ポルナレフはフランスのポップス・シンガーソングライターである。ここで紹介する「シェリーに口づけ」は1969年に発売され、日本では1972年に大ヒットした。私がまだ高3の時である。Michel Polnareff - Tout, Tout Pour Ma Cherieで聴くことができる。次に、「愛の休日」である。この曲は1972年に発売され、日本でも大ヒットした。Michel Polnareff - Holidaysである。
 最後に、私がハイ8テープに残しているMTVからである。今回はオーストラリアのバンドである。以前に紹介していたNHK衛星放送の「Music Box」でも、何曲も取り上げられていた。日本語のウィキペディアによると、1980年代から1990年代にかけてカリスマ的な人気を誇ったという。今回紹介する曲は、彼らの曲の中ではロック色は薄まっている。これまで聴いた曲は、好みとしては、悪くはないがそれほど好きでもないぐらいであった。1987年の作品である。INXS - Never Tear Us Apartで聴くことができる。

 

平成28年2月2日(火)

 寒いと、ついつい籠もってしまう。それでも、本当に寒かった時期は峠を越している。きょうは午後から往診があった。帰ってきたら、4時前である。途中、買い物もしてきた。昼食はほとんど自分で作っている。うどんやそばが多い。ネギも自分できざんでいる。たまに、コンビニなどで丼物などを買ってくる。昔はラーメンを食べに出ることもあった。最近は、寒かったり暑かったりすると、外に出るのがおっくうになってきた。往診のついでに、イオンなどのフードコートに寄る時もある。今は専業主婦が少なくなり、ウィークデイはどこの売り場も空いている。その分、暇を持てあましたお年寄りが多くなっている。以前と比べると、ウィークデイと土日の人出の差が極端に大きくなっているような気がする。
 私はシロウトなので、経済には詳しくはない。最近、株価を上げ、円安にするために、日銀のマイナス金利導入が話題になっている。日本だけのことを考えたら、株価を上げ、円安にすることは悪いことではないかもしれない。1ドル80円では、行き過ぎた円高だというのは理解できる。日銀の異次元の金融緩和で、122円まで円安になった。以前にこの日記でも書いたが、ここまで円安にすることが国際的に許されるのか疑問に思っていた。急激な円安とビザの緩和で、海外からの旅行客が殺到し、インバウンド消費が増えて恩恵を受けている人も多い。しかし、輸出や観光に頼っていた他の国は、その分、マイナスの影響を受けることになる。
 少し前に、めったに行かない本屋で、副島隆彦「最新版 世界権力者人物図鑑」(日本文芸社)を買った。最新版と書いてあったので、てっきり最近出たばかりの本かと思った。よく調べてみたら、平成25年9月刊の本であった。この人の本を読むと、何でも世界陰謀論みたいな内容になってしまう。にわかには、信じがたい事も書かれている。いつも、情報源はどこなのだろうと思う。こういう本を書く時に、偽の情報をつかまされる可能性もある。プロの諜報活動でも、情報の真偽を判断するのは困難である。国民だけが知らないことで、プロのジャーナリストなら知られていることなのかよくわからない。
 まだ、すべて読んだわけでない。この中に、アベノミクスのことが出てくる。私がずっと疑問に思っていたことが、この部分を読んで氷解した。通貨安政策は、大きくは「通貨戦争」と呼ばれている。どこの国の政府も不況に陥ると自分の通貨を安くして輸出を伸ばしたいと考える。それで、お互いに”抜け駆け”を監視し合う。1929年の大恐慌の後にも同じことが起こった。各国が一勢に自国の為替の引き下げに走った。これは「近隣窮乏化策」(周りの国を貧乏にする策)とも呼ばれる。
 実は、2013年のG20に先立つダヴォス会議で、メルケル首相を中心とするヨーロッパ勢は、安倍首相のやり方をはっきりと批判した。ところが、G20では、外国首脳たちに丸見えの、円安への相場操縦に対する非難声明は出なかった。どうしてかというと、オバマ大統領と安倍首相が会談して、「50兆円分の米国債を買う」と日米ワイロ密約をしたからである。米国債が換金できないことは以前にも書いた。米国のブレイナード次官は、G20直前に日本政府の通貨安政策を支持したのである。
 私たちの知らない所で、各国の政治の駆け引きがあるのは仕方ない。日米ワイロ密約(米国債を買うこと)をけしからんと言っているわけではない。ここからは、シロウトの私が考えたことである。日本が円安にして1番被害を受けるのは、日本以上に輸出に頼っている韓国である。日本では、慰安婦問題のこともあり、中国寄りになった韓国について批判する声も多い。北朝鮮は韓国と同じ民族である。敗戦国の日本が分断されず、東西の冷戦に巻き込まれて同じ民族が分断されたのである。同じ民族が国家として分断されているのは、今では韓国と北朝鮮ぐらいである。専門家でも、中国寄りになった韓国を一方的に非難している人も多い。ネトウヨよりこういう人たちの方が、はるかに始末が悪い。それなりの専門知識を駆使して、日本にとって都合の悪い部分を隠して、説得力のある批判を展開するからである。少なくても、日本が極端な円安にして、韓国経済を破壊していることは間違いない。
 私は反米でも、反中でも、反韓でもない。戦後の農地改革や財閥の解体など、アメリカに感謝することはたくさんある。しかし、戦後70年経っても、日本はアメリカの州以下の扱いで、属国の立場である。この本は、アメリカの日本に対する陰謀(対日工作)を必要以上に書き立てているかもしれない。それでも、日本がアメリカにこんなにこけにされているのかと思うと、無性に腹が立ってきて逆に愛国心が湧いてくる。ネトウヨや在特会に言いたいことは、敵は韓国や中国ではない。1度この本を読んで、目を覚ましたらいい。もちろん、アメリカと敵対しても何もいいことはない。それなりに、うまいことやっていかなければならない。私は憲法の拡大解釈には反対で、憲法の改正には賛成である。ここでも何回も書いているように、アメリカの言いなりになるためではない。何でもアメリカの言いなりにならないためである。
 さて、前回約束した本である。坂爪真吾「はじめての不倫学」(光文社新書)である。著者は、新しい「性の公共性」をつくるという理念の下、重度身体障害者に対する射精介助サービス、性風俗産業の社会化を目指す「セックス・ワーク・サミット」の開催など、現代の性問題の解決に取り組んでいるという。最初は興味深く読んでいた。読み進めていくうちに、何のことはない、結婚制度のいう枠組みの中での男性の性処理のことがあれこれ書かれている。とうてい不倫の予防解決策にはなりえてはいないと思った。こんな解決策では、ふつうの主婦は許してくれない。東大文学部卒という肩書きがなかったら、1歩間違えると、キワモノ扱いされかねない内容である。  それでも、前半部分は本当に面白い。「川上の問題」である浮気や不倫によるパートナー関係の破綻を防ぐことができれば、「川下問題」である貧困の問題も解決できるはずだという。人間にとっての最大の麻薬は人間だという。人間そのものが持つ魅力や中毒性には勝てない。不倫によってかき立てられる欲求や衝動、怨念や嫉妬にも勝てない。ここでは、結婚前に性的経験が多い人ほど、結婚後に不倫しやすくなるとか、不倫が起こる場所などについても、細かい分析をしている。
 日本において不倫が裏切り行為として非難されるようになったのは、家の血筋を重んじる武家社会になり、一夫一婦制や嫁入婚が基本形態とされるようになってからである。明治時代には、伊藤博文からして女遊びが激しく、不倫スキャンダルが絶えなかった。伊藤の乱行を見かねた勝海舟は、文書で鹿鳴館での乱痴気騒ぎの是正を要求している。筆者は、面白いことも書いている。性欲に勝てる人間はいない。性欲に勝てると思い込んでいる無防備な人間だけだと述べている。私も自分を含め、患者さんを診ていても、まったくその通りだと思う。
 この本では、不倫を予防する不倫ワクチンのことも書いている。まず、マスターベーションである。この方法は性欲は満たせても、性交欲は満たせない。次は、異性関係の分散・多角化である。しかし、セックス抜きの親密な異性との関係を維持することは難しい。次に妻の「エロ活」である。「夫婦間セックスを充実させたい」と考えているのは、多くの場合妻側である。妻が「エロ活」を始めたら、萎えるだけという男性も少なくないだろうと書いている。いきなり妻が赤い下着を着て寝床にはいってきたら、恐怖心に襲われるかもしれない。次に、不倫ワクチンとしての「疑似不倫体験」である。ここでは、不倫専門SNS「アシュレイ・マディソン」のことが書かれている。そして、SNSには非日常への接続機能はあるが、日常への再接続機能はない。つまり「安全装置が内臓されていない」という。性風俗は不倫ワクチンにはなりえないとも述べている。
 ここではポリアモリー(責任を持って、同時に複数の相手と恋愛関係・性関係を持つこと)やスワッピングのことも書いている。高級交際クラブのことも書いてあり、それこそ私の知らない一種の風俗案内にもなっている。不倫をどこまでとらえるのかは難しい。私は風俗ぐらいは行ったかもしれない。しかし。不倫と呼べるようなことは1度もしていない。妻に隠れて不倫をしている人ほど、妻に対して寛容である。私は精神科医をしているので、女性の不倫にも大勢遭遇している。夫は世間的には堅い職業に就いている人が多い。もちろん、夫の浮気で泣いている女性は山ほどいる。だいぶ昔の話である。夫が浮気している事を知っていて、夫が急死した患者さんがいた。夫が亡くなってから、遺品の整理をしていたら、不倫の写真が山ほど出てきた。しかし、自分の写真はすべて捨てられていたという。

今週の愛聴盤 183 (160202)

The Enlightening March Of The Argonauts / Quasar Lux Symphoniae
The Enlightening March Of The Argonauts / Quasar Lux Symphoniae

 きょう紹介するアルバムは2枚ともCDである。まず、最初の「Quasar Lux Symphoniae」は1996年に発売され、Germanyと書いてあった。すっかり、ドイツのバンドかと思っていた。ネットで調べてみたら、このバンドのアルバムについて詳しい日本語の解説が出ていた。英語の曲名が付いているが、イタリアのシンフォニック・ロック・グループであった。さすがに、この年代になるとLPレコードは出ていない。
 まず、私の持っているアルバムから、1曲紹介する。プログレの曲は長い。4分を過ぎると、曲が新たな展開を見せる。タイトルにもなっているQuasar Lux Symphoniae - The Enlightening March Of The Argonautsである。YouTubeには、他のアルバムからの曲もたくさんアップロードされていた。次に紹介するのは、それほど長い曲ではない。曲の最後の方で、女性ボーカリストの声も聴ける。Quasar Lux Symphoniae - The Lord Of Fireである。最後に、これも長い曲である。最初の部分だけでは曲のよさがわからない。Quasar Lux Symphoniae - Overture + What Rights Has My Soulで聴くことができる。
 次のアルバムは、スペインである。Canciones De Los Mundos Perdidos / Amarok(1995年)である。アマゾンと輸入レコード店の日本語の解説を読むと、現在入手できるのは、オリジナルに手を加えたボーナス曲も入れたアルバムである。YouTubeに出てくるジャケットとも異なっている。私の持っているのは、オリジナルCDである。日本語の解説では、トラッド・プログレ・バンドで、バルセロナが生んだ必聴名作で長らく入手困難だった1枚と書いてあった。YouTubeでの視聴者数はまだ少ない。それでも、私は名曲だと思う。Amarok - Homenaje A J.R.R. Tolkienで聴くことができる。
 最後に、私がハイ8テープに録画して現在も残しているMTVからである。今回はアメリカのバンドである。MTVではこのバンドの曲は何曲も聴いた。私は猟奇的な雰囲気は嫌いではない。しかし、ボーカルの化粧や衣装にはどうしてもついていけなかった。今回紹介する動画は、演劇的要素が多く、曲もいい。それにしても驚異的な視聴者数である。当時は、キワモノバンドに近い印象があった。こんなに人気があるとは知らなかった。1996年の作品である。Marilyn Manson - The Beautiful Peopleで聴くことができる。

 

平成28年1月26日(火)

 寒い日が続いている。京都の冬はこれでなければいけない。どうしてかというと、今年の冬が暖冬だと、この秋の紅葉も心配だからである。去年はエルニーニョの影響もあったのかもしれない。最悪の紅葉であった。こんな紅葉が続いたら、誰も京都には来てくれない。とりあえず、これだけ冷えてくれた方が安心である。私は最近は朝5時に起きることは少なくなった。今では週3回ぐらいである。今朝は車のフロントガラスが凍りついていた。それでも、2〜3日前よりましであった。
 CNNのニュースは年末からあまり見ていなかった。最近、また30分だけ見るようになった。長い人生で英語の勉強にはムラがある。今では唯一CNNのニュースを見るぐらいである。見始めて、もう20年以上にはなると思う。もちろん、忙しくて長期間見ていない時期もある。最初はまったく聞き取れなくても、段々とわかるようになる。昔はCMなんてまったく入っていなかった。今は英語ブームや外国人観光客も多いので、CMは多い。たまたまきのう見ていたら、日本の外務大臣からのメッセージが英語で放送されていた。内容は、日本がいかに国際的に貢献してきたかである。中国の部分では、3兆円のODA(Official Development Assistance)をして、2万3千もの日本企業が雇用を創出をしてきたと述べていた。
 私はこういうメッセージを出すことについては反対ではない。せっかくこういうメッセージを出しても、中国への侵略を否定するような発言をするとすべて台無しである。この日記でもすでに書いたが、裏話も書いておく。このODAの3%か4%だったか忘れてしまったが、旧田中派が口利き料として懐に入れていた。竹下首相と江沢民は仲がよく、軍を制御し、日本企業の進出に一役買っていた。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」と発言し、それまで1度も靖国神社を参拝したことがないのに、靖国神社を参拝した。中国の利権を握っていた経世会の利権をつぶすためである。
 先週は、京都駅の本屋で、82歳になる元東山医師会の会長に会った。私が15年前に開業したときの会長である。新年会でも顔は出されていた。「今でも本をお読みになるのですか?」と聞いたら、「目が悪くなって、最近は読みづらい」と話されていた。まだ、週3日午前中だけ外来をしているという。「最近は物忘れをして、認知症のこで先生の所に相談に行かなければ」とも冗談半分で言っておられた。年齢の割りに、少し弱られている感じであった。一瞬、20年後の自分を見ているような錯覚に陥った。
 私は食べ物や着る物には無頓着で、どちらかというと、頭を磨くことに重点を置いている。ブランド物にも興味がない。車も15年目で充分である。読書も一種の教養主義になっている。英語もしゃべれて(できれば、中国語も)、国際感覚も身につけ、教養を身につけることが私の人生最大の目的であり、美学である。それでも、「少年老い易く学成り難し」である。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」も私の好きな言葉である。
 まめに本屋に寄るのは、何十年と続いている習慣である。読んでいる暇はなくても、いつか読みたいと思う本はとりあえず買っておく。先ほどのODAにまつわる話は、すべて私が読んだ本から得た知識である。これだけの知識でも、最低3冊の本と巡り会わなければならない。本バカにならないように気をつけている。あまり日本人の行かない海外にも出るようにしている。私が他人から得た知識は、患者さんから直接聞いた皇室のスキャンダルぐらいである。恐ろしくて、ここではその内容を書けない。皇室ファンの妻にも言えない。国民に知れ渡ったら大変なことになるので、死ぬまで他人に話すつもりはない。
 さて、先週の土曜日に見た映画である。寒い夜であったが、9時過ぎからの上映であった。京都駅近くにマンションを持っていると便利である。イオンモールの映画館には歩いて10分もかからない。封切りの映画もあって、見たい映画はたくさんあった。私としては、上映時間が夜9時頃が1番都合がいい。あまり遅すぎると、マンションに帰ってから好きなことができない。実はこの日は京都精神科医会の講演会があった。いろいろと自分の好きなことをしていたら時間が来てしまった。寒いこともあって、出席することをさぼってしまった。
 夕食は外食をしに出た。土曜日のこの時間はどこも混んでいる。さすがにこの日はポルタの地下街はすいていた。見た映画は、「白鯨との闘い」である。メルヴィルの小説「白鯨」は、読んだことはないが、聞いたことのある人は大勢いるだろう。私も、白鯨の名前の「モビー・ディック」は、レッドツェッペリンの曲名で知っていた。当時、鯨油は貴重品で、灯りなどに用いられていたことは初めて知った。2〜3年かけての航海で鯨油を1500樽以上集める。大きな鯨一頭で、50樽もいかない。私はアンデス山脈で墜落した飛行機事故のドキュメンタリー「アライヴ」や日本軍のことについても知っているので、それほど衝撃は受けなかった。しかし、当時の雰囲気がよく出ていて、シニア割引1100円以上の価値はあった。そのうちレンタルビデオで出てくるので、是非とも見て欲しい推薦の映画である。
 年末に読んだ本について、毎週書こうと書こうと思いながら、なかなか書けないでいる。実は、きょうもビールを飲み過ぎて酔っ払ってしまった。夕食を自炊して食べて、今8時半に近い。年をとってくると、気合いを入れて書くのも、正言って倒臭くなる。少し前なら、ここから頑張って、本をあちこちひっくり返しながら、11時頃までにはまとめることもできた。最近は酒を飲むと、すぐに眠くなってしまう。つまらない本なら、簡単に済ますこともできる。とりあえず、来週には必ず書こうと思っているので、乞うご期待である。

今週の愛聴盤 182 (160126)

Untitled / Sandrose
Untitled / Sandrose

 私が去年の9月14日にYouTubeにアップロードした曲が、先週視聴回数が1000回を越えた。16分以上ある曲にもかかわずである。「Bo Hansson - Born Of The Gentle South」である。私がこれまでアップロードした曲では、去年の4月12日の「Alaap - Pyar De Pujari」が視聴回数を1670を越え、今のところ最高である。しかし、要した期間を考えると、「Bo Hansson - Born Of The Gentle South」の方が勢いがある。この日記やYouTubeのことは、患者さんを含め、誰にも話したことはない。
 今回紹介するアルバムは2枚ともLPレコードである。まず、最初に紹介するサンドローズのこのアルバムは、フランスのプログレの名盤としてよく知られていた。発売は1972年である。私は長いこと探していたが、なかなか手に入れることができなかった。大分経ってから、Museaの印のついた見開きジャッケトのレコードを手に入れることができた。
 今回ネットで調べてみたら、もう忘れ去られたアルバムで、上位検索では日本語の解説があまり出てこなかった。CDでは再発されている。アマゾンのカスタムレビューでは、星5つが5人で、星4つが2人であった。まず、Sandrose - To Take Him Awayである。次の曲は、ロック色が強い。もっと視聴者数の多い動画もあるが、音があまりよくない。まだ視聴者数が少ないが、音がいいこちらの方を紹介する。Sandrose - Visionである。
 次のLPレコードは、アマゾンで調べても出てこなかった。ネットでも、上位検索で日本語の解説を見つけることはできなかった。ほとんど日本では知られていないバンドのようである。レコードジャケットには、W.Germanyと書いてあった。Untitled / Iviron(1981年)である。YouTubeで調べてみたら、フルアルバムがアップロードされていた。CD化はされていないようである。
 以前に書いたが、LPレコードを持つときに、ついつい外側を指で挟んでしまう。どうしてかというと、レコードプレーヤーから取り出すときに、外側を触るためである。この時に、指の脂などが付き、A面、B面とも1曲目はレコード・ノイズが多くなってしまう。最後の曲の方が、ノイズは少ない。この部分のノイズはなかなか取れなかった。たまたま防菌用の濡れたティッシュペーパーでごしごしこすったら、案外きれいに取れた。
 YouTubeにアップロードされた曲も、同じようにノイズがはいっていた。ここでは、長い曲が多いので、1曲目を紹介する。7分以上あるが、少しずつよくなっていく。そのままフルアルバムを開いたら、曲が始まる。この曲が気に入った人は、最後の2曲もいいかもしれない。「もっと見る」をクリックすると、1曲1曲指定できる。Iviron - After The Pushで聴くことができる。
 最後に、いつものように、私がハイ8テープに録画したMTVからである。MTVはアメリカのバンドの曲が多い。しかし、今回はロンドン出身のバンドである。このバンドの曲は、このハイ8テープに何曲か残していた。日本語のウィキペディアには載っていたので、当時は日本でも人気があったのだろう。1996年の作品である。Suede - Beautiful Onesで聴くことができる。

 

平成28年1月19日(火)

 先週は久しぶりにゆっくりとできた。毎週この日記を書くことだけが、大変になってきた。あまり書くことがないので、先週起きた事件のことについて書く。「交通違反で患者成り済まし 文書偽造容疑で医師逮捕」である。私は京都新聞で知った。TVでも取り上げられたようである。医者向けのホームページでも、この事件のことについては書き込みがあった。実は、このニュースが報道されてから、私は被害妄想になっている。妄想でないことがミソである。
 南区の東寺の近くの心療内科(最近は美容整形もやっていたようである)の出来事である。私の近くの心療内科である。よく言われていることであるが、近所に同じ科の医院が開業すると、2割ほど患者さんが減るという。私の医院はそこまでは減っていないが、ピーク時の1割以上は減った。私の医院までは、バス1本で来れたので、近くに住んでいる人はここでブロックされることになる。数が減ってきたのは、新規開業のせいだけではない。私が年を取ってきたことと、東山区の高齢化も関係している。
 私はこの日記で、自分の思ったことはそのまま書いている。中には、その内容に反発する人もいるかもしれない。特に、尖閣諸島問題が起き、安倍首相の靖国神社参拝を中国が批判したときに、私も首相の参拝を批判した。新聞をはじめとするマスコミも、中国の内政干渉だと報道し、ほとんどの国民が中国に反発していた。私は患者さんが減ろうと、自分が考え抜いたことについては、遠慮なく書くつもりである。この年になって、大衆に媚びるつもりはない。
 渡部昇一や櫻井よしこなどは日本の都合の悪い歴史部分は隠して、中国や韓国の悪口ばかり書いている。中国共産党と中国国民を慎重に区別して批判しているようにも見えない。それこそ、中国人や韓国人を国民性を含め、蔑視するような書き方もしている。日本の誇りを持つことと、中国や韓国の悪口を言うことはまったく関係ない。渡部昇一は現在85歳である。櫻井よしこも70歳である。残された人生も少ないので、御用評論家としてさんざん悪口を書いてあの世に行ったら、ご本人たちは満足であろう。私が批判するのは、次世代のことをまったく考えていないからである。悪口の言いっ放しで、このやっかいな隣人たちどう付き合ったらいいのか若い人たちにまったく教えてくれない。今は、中国共産党の歴史はウソだらけと批判することもできる。しかし、将来は日本の歴史もウソだらけと批判する中国人学者も出てくるだろう。この時には、優秀な中国人日本研究者が日本の文献を丹念に調べあげ、国民の知らない日本の不都合な歴史的事実を明らかにするだろう。他国の歴史家たちの方がタブーがない分、案外正しかったりする。
 話がそれてしまった。今回の文書偽造である。パスポートも患者名で偽造していたという。ここまでくると、医療費の不正請求のような単純な犯罪ではない。プロの仕事である。プロと考えた場合、2つが考えられる。1つは、暴力団などの裏の世界で生きる人の手口である。例えば、偽造パスポートは密輸や不法入国などに使われる。免許証も身分を隠して、銀行の口座などを作れる。ここからは私の妄想ではなく、まったくの被害妄想である。ありえないことかもしれない。もう1つは、過激派の手口である。身分を隠し、裏の活動をしている場合である。普通の人は、海外に行く場合、偽のパスポートは必要ない。表面的なイレズミだけに目を奪われてはいけない。
 実は、大分前に、ある精神病院で長期入院していた患者さんの名前を使って、偽のパスポートを作っていた事件があった。日本赤軍の元最高幹部である重信房子を支援し、偽パスポートを作って日本に入国させていた。私はパレスチナ問題についてはあまり詳しくない。今もそうであるが、当時、パレスチナ人が虐げられていたことは確かである。しかし、一般人を巻き込んだテロは反対である。支援するのはかまわないが、偽造パスポートは非合法である。今回の事件とは、まったく関係ないかもしれない。私が気にするのは、逮捕された人の経歴である。
 ネトウヨの人から見たら、私はそれこそ左の人間だと思うかもしれない。この日記でも以前に書いたが、私はこの過激派のグループと関係する人たち(パスポートを偽造した病院は当時彼らの拠点病院)にけんかを売ったことがある。何をされるかわからないぞと、周囲の人からはさんざん注意された。「まともな話し合いが通じる人たちではない」とも言われた。ここでは書かないが、実際にあったことも聞かされた。私が京都第一赤十字病院に部長として赴任した時の話で、もう17〜8年前のことである。この件については、教授からも怒られた。
 当時、泣く子も黙る評議会として、精神神経学会ではみんな恐れていた。このグループに関しては、触らぬ神に祟りなしであった。同和団体が人権を守るために差別者を激しく糾弾していたように、精神障害者の人権を守るために、精神病院の人権侵害を激しく糾弾していた。一昔前は叩けばほこりが出るような精神病院が多かった。私はこの評議会に、「医局を解体して、民主的な評議会を作っているなら、私に評議会で自由に発言させて欲しい」と申し入れをした。すると、今は亡くなった別の拠点病院の院長と評議会のボスが京都第一赤十字病院まで来た。ここでの話し合いは平行線であった。
 私も身体を張ってけんかを売っているので、その後の私生活には気をつけた。もともと製薬会社の接待は嫌いである。外に女性を作るようなタイプでもない。私の被害妄想かもしれないが、スキャンダルには気をつけた。自宅や医院に不法侵入されることも恐れた。裏の実働部隊があるのかもよくわからなかった。この日記のもんもん読書録で、派閥は違うが、革マル派のことも取り上げて批判的に書いている。こんな書評でも、嫌がらせをする人がいるかもしれない。元過激派という人は、社会のあちこちに入り込んでいる。誤解を招くといけないので書いておくが、これだけ年月が経っているので、今は重信房子をかくまった病院も評議会もすっかり変わっている。同じ評議会と言っても、穏健派の人も大勢いた。
 忘れかけていた頃にこういう事件が起こると、また私の被害妄想が刺激される。以前にも書いたが、病院の口コミを載せているホームページで、この医院のことを誉める書き込みが不自然なほど多かった。私の医院については、悪口が書かれていた。もう何年も経っているので、放っておいた。久しぶりにこのホームページを開いてみたら、山ほどの絶賛の書き込みが消されていた。今はたった1件である。前から消されているのか、この事件があってから消されているのか、よくわからない。私の医院の悪口はそのままであった。こんなホームページはまったく信用できないことがよくわかる。新聞を見ていても、その後の続報が入ってこない。実際に評議会とまったく関係ないとわかったら、私もここまで被害妄想にはならない。多分、事情がわからない当時の評議会の人の中には、あらぬ疑いをかけられて、公安が動き出すのではないかと凝心暗記になっている人もいるかもしれない。

今週の愛聴盤 181 (160119)

Warmth Of Earth / Eduarud Altemiev
Warmth Of Earth / Eduarud Altemiev

 このコーナーで紹介しているLPレコードは、私が80年代初めに買ったアルバムが多い。前にも書いたように、何とか200回まで続けようと思っている。さすがに、紹介するレコードが段々と少なくなってきた。結婚して、仕事が忙しくなってくると、なかなか音楽なんか聴いている暇がない。送られてくるカタログを見ながら、通信販売で気まぐれ的にCDを買っていた。買ったCDさえ、なかなか聴いている暇がなかった。それでも、15年以上前に買ったCDがけっこう溜まっている。今回はこの中から2枚のアルバムを紹介する。
 まず、日本の「Belle Antique」から1999年に発売された旧ソ連のアルテミエフの再発CDである。1985年の作品である。日本語の解説によると、ソビエト文化大学教授で、ソビエト電子音楽作曲家教会会長を兼ねていた。モスクワオリンピックのテーマ音楽を担当していた。映画「惑星ソラリス」の音楽をタルコフスキーなどとコラボレーションしている。ブーメラン・アンサンブルを結成し、このアルバムはシンフォニック・ロックの傑作としてプログレ・ファンに知られていたようである。
 YouTubeではなかなかいい作品がたくさんアップロードされていた。ここでは、このアルバムの中の曲だけを紹介する。まず、Edward Artemiev - Finaleである。アルバムジャッケトだけで、動画としては面白くない。しかし、曲としてはよくできている。次は、Edward Artemiev- Ожиданиеである。ロシア語で書いてあるので、英語ではどの曲になるのか調べた。第6曲目の「Expectation」であった。最後に、Eduard Artemyev - Rakkansも紹介しておく。
 前のアルバムで3曲紹介したのは、次のアルバムでは1曲だけ紹介するからである。Untitled / Visitors(1974年)である。私の持っているアルバムは日本の「マーキー」から再発されたCDである。日本語の帯を残しているのに、いつ再発されたのか書いていなかった。解説を読むと、「フランス屈指のコレクターズ・アイテムと知られる1枚で、その現物を見ることさえなかなかない」と書いてある。YouTubeでは、フルアルバムもアップロードされていた。ここでは私の好きな曲を紹介する。Visitors / Dies Iraeで聴くことができる。
 最後に、いつものように、私がハイ8テープに録画したMTVからである。残しているテープは全部で8本である。一応、全部チェックした。厳選して残した曲なので、それなりにいい曲がはいっていた。きょう紹介するのは、ビリー・アイドルである。日本語のウィキペディアによると、イギリスのパンク・ロック・バンド「ジェネレーションX」のリード・ボーカリストであった。「スピード」という映画は私もみた。この映画のテーマ曲だとは知らなかった。1994年の作品である。Billy Idol - Speedで聴くことができる。

 

平成28年1月12日(火)

 先週の木曜日は、午後から成年後見用の鑑定書を書いていた。締め切りが翌日の金曜日であった。家庭裁判所から頼まれたケースである。私の外来には1度も受診していない。鑑定料は主治医の場合は5万円で、今回のように主治医でない場合は10万円である。資料集めと患者さんの診察は12月に済ませていた。1件往診に行ってから、覚悟を決めて取りかかった。仕上げるのに5時間ぐらいを見込んでいた。思ったより早く完成し、4時間もかからなかった。前回とあまり間があいていなかったので、スムーズに書けた。1年も2年もブランクがあると、書き方を忘れてしまって、けっこう手間暇がかかる。
 なかなかゆっくりとしている暇はない。私がまったく仕事をしていない日は、本当に海外に出かけている時ぐらいである。月曜から土曜までは外来があり、休みの日もうんざりするほど雑用がある。唯一ゆっくりできるのが、土曜日の午後である。映画に行ったり、ビデオを見たり、夜中の2〜3時頃まで起きている。次の日曜日は10時頃まで寝ている。ゆっくりと朝食をとり、「今週の愛聴盤」のLPレコードを調べていたら、あっという間に昼過ぎである。遅い昼食を外でとって、医院に着いたら、午後1〜2時である。それから、たまった書類を一つ一つ処理していく。
 10日の日曜日は、どんどんと積み重なっていくパンフレットや資料を整理していた。雑誌も多い。面白そうな論文は雑誌から切り抜いて取ってある。この論文もほとんど読まず、ゴミ箱へ直行である。結局この日は、書かなければならない書類はあまり書けなかった。11日の成人の日は、この日も覚悟を決め、朝から今月中に書かなければならない自立支援医療や精神障害者保健福祉手帳用の診断書を書いていた。今回は全部で16件である。他に新規で2件あった。
 京都市こころの健康増進センターから11月と12月にこの診断書の記載についてお知らせがあった。薬はなるべく一般名で書くようにとあったので、すべて書き直した。京都市としては、この診断書にすべての薬剤名と使用量を書いて欲しいようである。京都府の診断書では主たる薬剤名だけでいい。大阪市の診断書では経過がわかったらいいということで、特に薬剤名の記載は必要ない。他にも、介護保険の主治医意見書や障害年金の診断書などもあった。
 いつものように、手帳用のA4、2枚の診断書はコンビニまで行って、A3用紙にコピーした。すべて終えたのが午後4時過ぎであった。この日は、会計事務所に送る12月分の資料もまとめなければならなかった。しかし、午後5時半から、東山医師会の新年会があった。受付は5時からで、4時45分には医院を出なければならなかった。仕方ないので、新年会が終わってから、やるつもりであった。ところが、ビールやワインを飲み過ぎてしまい、この日は何もできなかった。
 そのまま寝床にはいったら、目覚めたのが夜中の3時前である。それからはなかなか眠れなかった。あまり早く起きるのもよくないので、朝5時に床を離れた。髪の毛を洗いたかったので、先に風呂にはいり、その後で会計事務所に送る領収書などを通帳を見ながら整理していた。なるべく早く送りたかったので、朝7時頃にレターパックをポストまで出しに行った。ところが、近くのポストの投函口が狭くて、レターパックが入らなかった。結局、そのまま医院まで持って帰った。受付の人によると、郵便局前のポストは大丈夫だという。
 休みの日もゆっくり休めず、山ほど雑用があると、どうして私だけがこんなに苦労しなければならないのかと、怒りがわいてくることもある。いつまで腹を立てていても仕方ないので、きのうの新年会である。会長の挨拶の後、今年の催し物は、ピアノ演奏によるテノール歌手、ソプラノ歌手の歌唱であった。曲目は、オペラの曲から「アナと雪の女王」、涙そうそうなどバラエティに富んだものであった。プロとして活躍しているので、男性、女性とも声量がすごかった。
 私の隣に座っていた先生は、母校の大先輩で80歳である。もともとは心臓外科の先生で、今でも病院で週5日勤務している。12月の医局の忘年会の時に書いた、国立舞鶴病院を65歳で定年退職してから仕事を完全引退した先生と同級生であった。いろいろな先生のことについて、ここでは書けないようなことも教えてもらった。本当にお元気な先生で、この年で週5日も働ているなんて私には想像できない。引退する先生や、新しく開業する先生もいた。京都第一赤十字病院から副院長も出席していた。副院長の定年は65歳である。私がお世話になっていた現在の院長(当時は副院長)は来年の3月に70歳で定年になる。院長は私と同じ長野県にある高校の出身である。私の隣に座っていたもう1人の先生は、大学は違うが同じ卒業年度である。従業員を20人も抱えているので、私のように好きな時に休診は取れないようである。
 さて、年末年始のベトナム・フーコック島の続きである。1月1日(金)は、ホテルから出ている空港行きのバスに午後3時に乗らなければならなかった。ツアーに参加すると、午後3時には帰って来れない。仕方ないので、タクシーをチャーターして島を巡ることにした。詳しいことについては、写真付きで解説する。飛行機は午後4時45分発で、ホーチミンには1時間で着く。ホーチミンのホテルは最初に泊まったホテルと同じである。正月は歩行者天国のようになっていて、タクシーはホテル前まで乗り入れることはできなかった。信じられないほど、とんでもない人出であった。
 私は夕食は日本料理店が多いレタイントン通りまで歩いて行った。日本人駐在員は年末年始でほとんど帰国している。たまたま通りかかった赤とんぼレストランにはいった。1人用の席もあって、落ち着いた。現地の人も客として来ていた。明朗会計で、明細書まできちんと渡してくれる。冷やし中華が104,000ドンで、104×5.6円=624円である。生ビールが32×5.6=179円で、マグロ納豆が392円である。日本料理店なので、現地では高めかもしれない。バンコクのショッピングセンターに入っている日本料理店の方が高い。翌日の2日(土)は、また台湾経由で関空に帰ってきた。特急はるかで京都に着いたのは、午後10時42分であった。

地図  フーコック島の地図。少し小さくてわかりにくいかもしれない。西側(左側)の真ん中あたりに空港がある。飛行機の印が×のように見える。少し南が繁華街のユードンである。ここから南に15分歩いた所に、私の泊まったホテルがある。場所としては、ロングビーチになる。

ホテル前  朝7時のホテル前の海岸。朝風呂ではないが、こんな時間からもう泳いでいる人がいる。1日(金)はタクシーをチャーターした。ドライバー1人で、6時間1,000,000ドン(5,600円)である。ガイドとドライバーがついた大きなバンで、1,500,000ドン(8,400円)である。4〜5人ならお得である。

町中  ドライバーはまだ若い好青年であった。朝8時にホテルまで迎えに来てくれた。午後2時まで案内してくれる。英語は最低限通じるというレベルである。それでも、行きたい所に案内してもらったら充分である。好きな所で車を停めてもらい、写真も撮れる。ここは小さなマーケットである。

サオビーチ1  ここは先ほどの地図で見ると、東側(右側)下のサオビーチである。ビーチ沿いには、こんなレストランが並んでいる。しかし、この日はほとんど観光客は見かけなかった。

サオビーチ2  この日は風が強く、波が荒れていた。こんな所で泳いでいたら、あっという間に沖まで持って行かれそうである。さすがに、この日は誰も泳いでいなかった。

国立公園  ここは北部の東側にある国立公園である。自然保護をしている森林公園みたいな所である。林の中に歩道がついている。ガイドは入り口で待っていた。20分以上先へ先へと進んだ。しかし、こんな林が果てしなく続いているだけであった。途中で道が分かれており、こんな所で迷ったら大変である。

ガンヤウ1  ここは地図では北東の岬になる。ガンヤウという。カンボジアの国境と接している。写真でも、水平線の右向こうにカンボジアの島が見える。ここは南の島の素朴な漁村という感じで、私好みの雰囲気があった。時間があったら、観光ボートにも乗ってみたかった。

ガンヤウ2  ここにも観光客相手のレストランがある。あまり洗練されていない所がいい。ほとんど同じベトナムかアジア系の観光客である。(正直言って、私には区別できなかった)。日本人らしき人も1人見た。

ガンヤウ3  ここでは缶のタイガービールを2本頼んだ。1本123円である。他にカニチャーハンとこのホタテの一品を頼んだ。カシューナッツがちりばめられ、本当に美味しかった。この一品は560円であった。高いわけでないが、いかに円安が進んでいるかがわかる。ドライバーは他のドライバー仲間と一緒であった。

ロングビーチ  2時前に着いたので、前日のナイトマーケット付近で降ろしてもらった。ここからビーチに出た。地元の子どもたちが泳いでいた。今まで行ったビーチでは、タイのクラビとこのフーコック島がお薦めである。家族連れやカップルには最適である。物価が安い分、フーコック島が穴場である。

今週の愛聴盤 180 (160112)

Metallic K.O. / Iggy Pop And The Stooges
Metallic K.O. / Iggy Pop And The Stooges

 今週の愛聴盤178で私がアップロードしたAutoportrait / Mecano(1982年)の2曲が1月7日に削除されてしまった。1月7日は忙しかったので、気がつかなかった。私宛にYouTubeで、著作権侵害の違反警告が出ていた。これを続けて3回すると、私のYouTubeのアカウントにアクセスできなくなるようである。ここでは幻のアルバムと書いた。CD化されていないので、正に幻のアルバムであった。わずかな期間であったが、動画を見ることのできた人は幸運である。それにしても、ここまで厳密に著作権が守られているとは思わなかった。何が著作権侵害なのか、よくわからない。しばらくは、曲をアップロードするのは控えようと思う。
 きょうの朝刊を見ていたら、デビット・ボウイが亡くなっていた。いろいろな著名人が追悼の言葉を述べていた。その中に、今回紹介するイギー・ポップの言葉も載っていた。イギー・ポップはアメリカのパンクロックのシンガーである。私の持っているLPレコードには、「The Stooges' last stannd」と書いてあった。ライブアルバムで、音はあまりよくない。この中からLouie Louie - Iggy Pop And The Stoogesを紹介する。私はCDのNude & Rude / The Best Of Iggy Pop(1996年)も持っている。この中から、私の好きなIggy Pop - Real Wild Child (Wild One)も紹介する。
 さて、次には懐かしきバンドである。私の持っているのはCDである。Best Hits Collection / Zombies(1990年)である。日本のテイチクから25曲入り2500円で発売された。買ったのは、ついこの間のことのようである。もう25年も経っている。実際にヒットしていたのは、1960年代後半である。
 まず、日本でもヒットした彼らの代表曲からである。Zombies - Time Of The Season(ふたりのシーズン)で聴くことができる。カーナビーツが歌っていた「好きさ、好きさ、好きさ(I Love You)」も彼らの曲である。ここでは、Zombies - She's Not Thereもいい。
 最後に、いつものように、ハイ8テープに録画したMTVからである。この作品は世界的にヒットしたようである。スペイン出身の男性2人組の歌手である。1993年の作品である。Los del Rio - Macarenaで聴くことができる。

 

平成28年1月5日(火)

 新年明けましておめでとうございます。新しい年になって、ひたすら老人道を突き進んでいる。今年の目標もまだ考えている時間がない。きのうから外来を始めたので、あまりゆっくりとできなかった。きょうはいつものように午前の外来が終わってから、往診に行ってきた。4時過ぎに帰ってきて、この日記を書いている。「今週の愛聴盤」で紹介するLPレコードもまったく決まっていなかった。夕食は自炊して、ずっとこの日記を書き続けている。何とか「今週の愛聴盤」と年末年始に行った旅行の写真付きの解説は書き終えた。今はもう夜の10時である。きょうのこの日記は、後は簡単にすまそうと思っている。
 さて、年末年始の旅行である。12月29日(火)〜1月2日(土)までベトナムに行っていた。ベトナムのどこかというと、フーコック島である。大分前にTVの旅行番組でも取り上げていた。今回は台湾の中華航空を使って、ホーチミン・シティまで行った。関空を朝10時に出発し、台北で乗り継ぎ、現地時間の夕方5時前に着く。空港で両替をしたら、1円が178ドンであった。街中では、185ドンであった。計算の仕方は、100,000ドンは、000をとって、5.6(5.5)円をかける。すなわち、100×5.6=560円になる。
 12月30日(水)は午後2時過ぎの飛行機に乗って、フーコック島に行った。12月31日は、現地の旅行代理店で申し込んだシュノーケルのツアーに参加した。詳しいことは、写真付きで解説する。

地図  ベトナムの地図。ホーチミンからフーコック島までは、飛行機で約1時間である。黒い線がカンボジアとの国境である。島の位置から見ると、カンボジア側に近い。フーコック島の北に、この日記でも紹介したカンボジアのシアヌークビルがある。

ホーチミン・シティ  ベトナムの首都であるホーチミン・シティ(旧サイゴン)。私の泊まったホテルは、グエンフェ通りの繁華街にあった。ホーチミンの大きな像が建っている人民委員会のすぐそばである。値段は朝食付きで1泊8,954円であった。年末ということで、大勢の人が出ていた。通りには派手なイルミネーションが飾られていた。

ホテル前  フーコック島のホテル前。空港から車で15分ほどである。ホテルの人が空港まで迎えに来てくれた。歩道部分の整備のために、道路沿いに掘り起こされていた。そのうちきれいになると思う。そうなる前の今が穴場かもしれない。観光シーズンとしては、今がベストである。ほとんど雨が降らず、酷暑でもない。

ホテル内  私が泊まったのは、年末の30日と31日である。敷地内にこういう棟がいくつも建っている。1棟で2組が泊まれる。右半分が私が1人で泊まった部屋である。ダブルベッドとシングルベッドが置いてある。部屋は広かった。

プール  敷地内には、プールもあった。緑の向こう側にホテルのプライベートビーチがある。ちなみに私が1人で泊まったホテルの値段は、2泊で朝食付き44,449円である。ここには、大晦日のガラナパーティ代(9,500円)も含まれていた。1人で泊まっても、3人で泊まっても、宿泊代はほとんど変わらないと思う。

夕日  ホテルのプライベートビーチから撮った沈みゆく夕日。今回のベトナム旅行は天候によく恵まれていた。翌日の夕日より、この日の夕日の方がきれいであった。

ナイトマーケット  ホテルから15分ほど歩いた所である。フーコック島1番の繁華街であるユーンドンである。ナイトマーケットでは、漁港で水揚げされたばかりの海鮮料理が楽しめる。私はここでは夕食はとらず、ホテルの近くでとった。こちらの方が値段が安いと思う。ビール2本と海鮮料理で1,500円ぐらいであった。

ツアー  31日は前日に予約したシュノーケリング・ツアーに参加した。朝9時から午後4時半までで、17USドル(2,074円)である。ホテルまでの送り迎えがある。ペットボトルの水と船上の昼食も付いている。円安とはいえ、物価の安さを実感できた。乗客は40人ほどで、ほとんどが欧米人である。日本人のカップルが2組いた。

船上  波が穏やかで、船の上では風が気持ちよかった。ガイドは英語である。カメラで写真を撮っている人も大勢いた。みんな大きな望遠レンズを付けた一眼である。すべて、日本製であった。昼食の後、別料金の缶ビール(約170円)を飲んでいたら、極楽である。

船内  船上から糸を垂らして、魚釣りを楽しみ、タートル島の近くでシュノーケリングをした。昼食は手前のテーブルでとる。私は、デンマークから来た4人家族と話をした。2人の娘はまだ幼く、西洋人形のようにかわいかった。妻はソーシャルワーカーで、夫はナラティブ・セラピーをする心理士であった。

タートル島  今度の旅行では、キヤノンの「PowerShot G5 X」と防水カメラであるペンタックスの「WG-V」を持って行った。半分水中から撮った写真である。向こうに見えるタートル島まで行って、また船まで戻ってくる。年のせいか、これだけで体力を消耗した。ライフジャケットを付けると、なかなか前に進まない。

ガラナパーティ  大晦日の夕方。年越しパーティの準備をしていた。タイのビーチでも、少し高級ホテルになると、大晦日の日だけは、値段のはるガラナパーティの費用を請求される。

夕日2  この日も意気込んで、きれいな夕日を撮るつもりであった。ところが、水平線に雲がかかっていた。

今週の愛聴盤 179 (160105)

Hex / Poison Girls
Hex / Poison Girls

 今回は忙しくて、なかなかLPレコードを選んでいる時間がなかった。本当は、まだYouTubeに出ていない曲を動画にして、私がアップロードするつもりであった。これも今からは無理なので、次週にまわす。今回紹介するLPレコードは、英国のパンクバンドである。以前にも、このコーナーでは英国の「Crass」を紹介した。同じレーベルから出ている。まず、Poison Girls - Ideologically Unsoundである。YouTubeでは、他にも沢山の曲がアップロードされていた。ここでは、私好みの曲を紹介する。Poison Girls - Cry No Moreである。
 さて、次のアルバムは、以前に選んでいたLPレコードである。きょうは厳選している時間がないので、取り上げる。アルバムの曲は、少し古すぎるかもしれない。Kingdom Come / Sir Lord Baltimore(1970年)である。ニューヨークのバンドである。とりあえず、1曲目である。Sir Lord Baltimore - Helium Headで聴くことができる。同じアルバムから、。Sir Lord Baltimore - Lady of Fireも紹介する。
 最後に、いつものように、ハイ8テープに録画したMTVからである。きょうは時間がなくて、同じ動画だったのかチェックしている暇がなかった。1992年の作品である。ネットで調べて見たら、米国のインダストリアル・メタルの重鎮であった。Ministry - New World Orderで聴くことができる。

 


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