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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成26年6月24日(火)

 ふだんの生活がマンネリ化している。平凡な日々の繰り返しというのは平和である。しかし、私は常に何か刺激がないと死にそうになる。開業して外来をしていると、同じ顔ぶれの患者さんが同じように診察を受けに来る。新患の患者さんもいないわけではない。それでも、以前と比べたら少なくなっている。こういう時には夏休みの過ごし方を考えるのが1番いい。これでも、子どもにはどこか行きたい所がないか毎回聞いている。受験の時は無理である。子どものクラブがあるので、今回返事が遅れた。
 結局、私1人で出かけることになった。ところが、今から盆休みの旅行を頼もうと思ったら、どこも予約で1杯である。もっと近づいてきたら、キャンセルも出てくるかも知れない。しかし、開業している場合は早めに休診のお知らせを出さなければならない。どうしても行きたい所があったので、今年は思い切って盆休みに休むのはやめた。空席のある1週間後にずらすことにした。幸い日赤のそばなので、盆でも院外処方の薬局はすべて開いている。盆は何でも高いので、同じ東山区でも早めに夏季休暇を取る医院もある。私も今年の様子を見て、来年からは見直し考えていこうと思う。外来を休むのは4日間だけである。
 少し前にカメラを買い替えた。使っていたカメラはソフマップに売りに行った。けっこう高い値段で引き取ってもらえた。このポイントを使って、新しいカメラを買った。何かというと、ソニーの高級コンパクト・デジカメのRX100M3である。このカメラは新品が出るたびに、買い替えている。デジタル一眼カメラを買うことを考えたら、安いものである。レンズに凝り出したら、1本でこのくらいの値段はする。私はファインダー派なので、この大きさでファインダーがついたのは便利である。早速あちこちに試し撮りに行った。価格コムに旧型のGARIZのカメラケースが使えると書いてあった。カメラは少し大きくなっているので、完全にピッタリというわけにはいかない。しかし、ほとんどわからないぐらいである。もうすぐ新しいカメラケースが出るようである。私はこのまま使い続けるつもりである。
 きょうは読みかけの本を一気に読み終えるつもりであった。いつものように往診が終わったのは、3時半過ぎである。今は夕食を自炊して食べ、午後8時である。他の内容についてはすべて書き終えている。今から読み終えて、感想を書いていたら11時近くになる。2週続けて気合いを入れて書いたので、きょうはゆっくりとさせてもらう。代わりに、カメラの試し撮りについて写真を交え、解説する。

ライカ1  祇園花見小路のライカ京都店である。1階にカメラが展示してあり、2階に階段で上がれる。日曜日の午後4時ぐらいであったが、客は2階に1組のカップルがいたぐらいである。外からはわかりにくく、敷居が高い雰囲気である。「ライカ京都店」で調べても、グーグルの地図には載っていなかった。

ライカ2  2階のギャラリーである。マグナムのメンバーが撮影した京都の写真が展示されていた。正直言って、あまり面白い写真はなかった。ゆっくりと写真集を見ていても、文句は言われなさそうである。1階の受付の人に聞いたら、室内の写真を撮るのはOKであった。

祇園1  久しぶりに祇園を歩いてみた。外国人観光客が多いのには驚いた。ここは少し路地をはいった祇園甲部歌舞練習所の近くである。こんな所に広い空き地があるとは思わなかった。雑草が茂り、くすんだコンクリートの壁の色などいい雰囲気を出していた。

祇園2  祇園から二寧坂、産寧坂を通って、清水寺まで歩いて行った。桜も紅葉も撮りつくした感じで、あまりカメラを向ける気にはならなかった。以前はカメラを買うと、清水寺の中にはいり、試し撮りをよくしていた。私の医院からはバスで10分もかからない。今回撮ってきた写真の中ではお気に入りである。

梅田スカイビル1  実は先週はこのカメラを持って梅田スカイビルまで試し撮りに行った。ここに上るのは初めてである。空中庭園があると聞いていたので、花畑のような実際の庭園があるのかと勘違いしていた。展望台が丸く取り囲んでおり、市内を一望できる。

梅田スカイビル2  誰でも撮れる写真である。家に帰ってパソコンで等倍にしてみたら、細部まできちんと撮れていた。私は時間の都合で、午後4時近くに行った。カメラの性能を知りたかったら、夕暮れや夜景が面白いと思う。もう終わってしまったが、近くでは放し飼いの蛍を見ることもできた。

京都タワー  キャンパスプラザ前の私のマンションから撮った京都タワーである。望遠の最高の70mmである。向かって右にキャンパスプラザがあり、左に武田病院がある。最上階でも京都タワーが見えるのは、隣の部屋と私の部屋だけである。プレミアムおまかせオートでは白飛びしてしまった。ベランダの鉄柵に両腕で構え、ISOを落として撮った。手ぶれ補正がよく効いているのか、きれいに撮れた。

今週の愛聴盤 100 (140624)

Revenge Is Not The Password / James T.Pursey
Revenge Is Not The Password / James T.Pursey

 このコーナーも100回目を迎えた。何か記念碑的なアルバムを紹介したらよかった。いつものように、きのうの月曜日に何を紹介しようかと考えていた。今回が100回目だというのは、きのう初めて気づいた。何枚かのLPレコードを選んでいた。しかし、YouTubeにアップロードされていない曲が多かった。いつも2枚ぐらいのアルバムを紹介している。なるべく音楽性も共通した方がいい。せっかく苦労して選んできた曲がアップロードされていないと、本当にがっかりである。アップロードされていても、ノイズの多いLPレコードからでもだめである。結局決まらず、きのうの夜は外来が終わってから、京都駅近くのマンションに行った。選んだアルバムがこれである。イギリスで1983年に発売されている。
 英語のウィキペディアによると、James T.Purseyは、全く印象に残っていないパンク・バンドのSham 69のリーダーである。ふだんはJimmy Purseyと記載するようである。このアルバムは適度にひねくれて、癖があって、私は好きである。ところが、YouTubeではたった1曲しかアップロードされていなかった。James T.Pursey - Die In Disneylandである。James T.PurseyとJimmy Purseyは全く別人物だと思っていた。Sham 69で検索すると、何と1991年に来日していた。パンク・ロックであるが、この時のライブがなかなかいい。Clashの「I Fought The Law」を思い出した。Sham 69 - Hersham Boysで聴くことができる。
 さて、今回はごった煮で申し訳ない。2枚目のLPレコードは、アメリカのバンドである。Guitar Beat / The Raybeats(1981年)である。ジャケットだけ見ると、ロカビリー風である。音楽はベンチャーズのようなサーフ・ロックである。現代風にひとひねりしている。しかし、ひねり方が難しい。変な風にひねると、独りよがりの曲になったりする。まず、このアルバムから聴きやすい曲である。The Raybeats - The Calhoun Surfである。今回はアメリカのギタリストと一緒にこのアルバムを紹介するつもりであった。うろ覚えで、It Happened One Night / Jody Harris(1982年)を見つけ出した。ところが、YouTubeではこのアルバムからは1曲もアップロードされていなかった。このThe Raybeatsを調べていたら、何とこのJody Harrisはこのバンドのギタリストであったことがわかった。「The Raybeats - Tone Zone」が評価されているようである。興味のある人は自分で検索して下さい。最後に、別のアルバムからThe Raybeats - Jack The Ripperを紹介する。
 いつものように、「Music Box」のVHSテープからである。私の持っているLPレコードは1980年代前後が多い。「Music Box」は1990年代初期の曲が多かった。きょう紹介するバンドはイギリスのインディーズ系である。バンド名のCarter USMは何の略かと思ったら、Carter the Unstoppable Sex Machineであった。VHSテープにはこのバンドの曲が何曲かはいっていた。今回紹介するのは1990年の発売である。Carter U.S.M. - Anytime, Anyplace, Anywhere で聴くことができる。

 

平成26年6月17日(火)

 先週の土曜日の夜は、平成26年度伏見・山科・東山医師会合同学術講演会があった。今年は東山医師会の担当である。今回の演題は精神科に関係することだったので、私が座長になった。演題は「睡眠薬の適正な使用と休薬のための診断ガイドラインー出口を見据えた不眠症治療薬に向けてー」であった。講師の先生は、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の部長であった。私よりちょうど10歳若い。あらかじめ、共催の製薬会社からもらっていた三島和夫編集「睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン」(じほう)をこの日の午後から目を通していた。前にも書いたが、今年の4月から診療報酬の改定があった。睡眠薬は2剤までがわが国では適正使用となった。こんなことを誰が勝手に決めたのかと思ったら、このガイドラインの研究班の意見に基づいていた。最近は長いこと座長をしていなかった。いつも講演会では座長のことは気にもとめていなかったので、司会進行はどうしていたのかすぐに思い出せなかった。
 話の内容は、どちらかというと一般の内科などのドクターが対象である。専門家でないドクターにはこのガイドラインで特にケチをつけるつもりはない。しかし、ここでもベンゾジアゼピン系薬物は悪者になっていた。ベンゾジアゼピン系薬物とは、セルシンなどの精神安定剤で、レンドルミンなどの睡眠薬も含まれる。この講演会では、ランセットに掲載された欧米の専門家が評価した表が示された。縦に身体的毒性、横に依存を取ると、日本で問題になったリタリンより危険な薬として評価されていた。アルコールやタバコの評価も同じである。
 アジアではまだベンゾジアゼピン系薬物はよく使われている。しかし、欧米での評価はぼろくそである。私はとっくの昔に学者生命は終わっているので、好き放題書く。ここでも何回も書いているように、必要以上に悪者扱いされるのは、欧米の製薬会社の陰謀だと思っている。世界で評価されている一流医学雑誌や高名な医学者は欧米の医学界に属している。だから、日本の医学者は最先端の医学知識として欧米のガイドラインなどを評価する。口が裂けても、ベンゾジアゼピン系薬物の擁護なんかできない。
 しかし、平成25年11月26日の日記でも紹介したイーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)にも書いてあったように、SSRI(脳のセロトニンを増やすといわれている抗うつ薬)に関して最も影響力のある研究論文の多くが、著明な研究者が書いたように見せかけて、実際は製薬会社が雇ったゴーストライターの手によるものであることが発覚している。多くの研究者が何十万ドル(時には何百万ドル)顧問料や講演料を受け取り、否定的なデータを隠したり、捏造したりした。高名な「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の編集部で20年間働いていた人物が、「公表された臨床研究の多くがまるで信用ならないうえに、医師や医学的ガイドラインに頼ることもできない」と述べ、「ゴーストライターの存在と製薬会社の研究者へのリベートは、精神医学の分野におけるSSRI研究に著明である」と明らかにしている。今日本で問題になっている降圧薬であるバルサルタンの問題と同じである。SSRIは抗うつ作用はあまり強くなく、抗不安作用もある。どうしても安価なベンゾジアゼピン系抗不安薬と競合する。SSRIもベンゾジアゼピン系薬物に劣らず、問題がある。
 さて、講演会の内容である。ここでは、不眠症に対する認知行動療法について説明してくれた。先ほどのガイドラインに書いてあることをまとめると、実際の平均睡眠時間を出し、起床時間を決める。次に、起床時間から平均睡眠時間を引いた時間を就眠時間にする。ベッドに横になるのは、眠くなった時か、設定した就寝時間になった時だけにする。15分たっても寝つけない時にはベッドを離れる。日中眠くても昼寝は避け、いつも通りの生活を続けるである。この講演会で、患者さんが再び眠れなくなり、薬を増やして、どんどんと耐性ができてしまうようような説明があった。しかし、これは説明不足で誤解を招く。誰でもある程度体調がいい時と悪い時の波があるように、睡眠も眠りやすい時と眠りにくい時の波がある。以前眠れていて眠りにくくなったのは、睡眠薬の耐性ができたからではない。たまたま寝にくい時期の波が来ているだけである。しばらくしたら、また眠れるようになる。寝にくい時だけに照準を合わせてしまうと、薬がどんどんと増えてしまう。
 最後の質疑応答で、前から疑問に思っていたことを質問した。この日記でも書いたが、生後のマウスやラットを使った実験では、睡眠・覚醒リズムの形成が光の照射実験で調べられている。詳しい実験結果は忘れてしまったが、臨界期があるようである。人間の場合、睡眠リズムは生後4カ月ほどで確立すると言われている。水商売の母親などが、生後間もない子どもを夜間でも電気をつけっぱなしにして育てた場合である。きちんとした睡眠・覚醒リズムが確立されず、その影響は後々まで残るかである。アメリカではNICUの低体重出生の子どもが調べられている。その後問題があるという報告もあるが、いろいろな要因が絡んでいるので、人間ではまだはっきりしていないということであった。
 この時に、子どもの頃から眠れない(根の深い不眠の)人もいるのではないかと質問した。すると、子どもの2%が寝づらいという。不眠は大人だけの病気ではなく、小児科でも問題になっているという。私は精神科医として診てきた患者さんはせいぜい中学生からである。中学生や高校生は引きこもりになっていて、昼夜逆転になることも多い。子どもの不眠についてはその存在さえあまり意識してこなかった。恐らく、私だけでなく、児童精神科医でもない限り、生まれつき眠れないという人の存在は認めないだろう。よく考えたら、殺されはしなくとも、極端なネグレクトや虐待にあったら、大人より脆弱な子どもは眠れなくなる。私がわざわざこのことを書いたのは、精神科医も他の医師も、若い人が子どもの頃から眠れないと言って、睡眠薬の処方を求めてくると、頭から中毒者扱いにしてしまうからである。特に、劣悪な環境で育っている人の中には、シンナーなどに手を出している人も少なくない。真の睡眠薬中毒との区別はつきにくい。しかし、小さな頃から眠れない人を頭から中毒者として門前払いにしてしまうのも気の毒である。
 きょうは、前回紹介したグレン・グリーンウォルド「曝露 スノーデンが私に託したファイル」(新潮社)を再び取り上げる。平成25年12月10日の日記で紹介した月尾嘉男「ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」(アスコム)で書かれた内容と一緒に検証していこうと思う。どうしてここまでしつこく取り上げるかというと、日本の安全保障問題に関係するからである。私は現実主義の保守派である。「清濁合わせ飲む」とか「水清ければ魚住まず」という言葉も好きである。何事もきれい事だけでは解決できないこともよくわかっている。この日記でも何回も書いているが、一昔前の左翼系知識人の主張には辟易している。
 さて、マイクロソフトは巨大企業で、日本のコンピューター産業はそのOSであるWindowsに頼っている。誰も、マイクロソフトの批判はできない。しかし、誰かがきちんと告発しなければならない。今日本は中国と尖閣諸島の領土問題で争っている。しかし、こんな問題はたいしたことはではない。現在日本でやりとりされているコンピューター上の情報はクラウドも含め、根こそぎアメリカのNSA(国家安全保障局)で収集されていると考えたらいい。「曝露 スノーデンが私に託したファイル」では、たった30日のあいだに、世界中から収集した件数はメール970億件以上、通話は1240億件以上に及ぶことが明らかにされている。前回紹介したように、アメリカの国家安全保障とは関係ない。NSAの方針は、「すべて収集する」である。
 前回の日記でも書いたが、世界最大級のインターネット会社とNSAとの間に秘密協定が結ばれていた。ヤフーが裁判で堂々と異議を唱え、PRISM計画に参加されるように強制されたと主張した。しかし、この訴えは外国諜報活動監視裁判所によって却下され、参加命令が出された。NSAは国外に輸出されるルーター、サーバー、その他のネットワーク機器を定期的に受領、押収している。それらの機器に裏口(バックドア)監視ツールを埋め込み、再び梱包し、未開封であることを示すシールを貼って世界中に出荷している。「ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」の著者である月尾が総務省にいた時に、政府の使うコンピュータはオープンソースが望ましいと検討されたことがある。この事が新聞で報道されると、マイクロソフトの副社長が面会を求めてきたということはすでに書いた。クローズド・ソースのコンピューターでは、何を仕組まれても発見できにくい。
 少し前に、NSAがフェイスブックなどから写真を集めているということが新聞で報道されていた。最終目標は国民すべてのデータを集め、プロファイリングすることだと推測できる。プロファイリングとは現在は犯罪者に用いられている。確率論的に可能性が高い犯人像を示すものである。今はデータの寄せ集めでも、将来はフェイスブックやブログ、メールなどから集めたデータを分析して、国民1人1人の特性をつかむことができるようになる。NSAの恐ろしい所は、他国の国民についても1人1人把握しようとしていることである。前にも書いたように、将来日本の首相になる人物の私生活も幼い頃から記録され続けることになる。真偽のほどはわからないが、政治家のスキャンダルを官僚がマスコミにリークすることもあるという。しかし、これはすべて国内問題である。これからは日本の政治家や重要人物のスキャンダルをアメリカが把握することになる。日本そのもの(科学技術や外交、経済、世論など)を監視下に置いたアメリカは、日本を自由に操る危険性もはらんでいる。本当に守らなければならないのは、目に見える領土ではなく、日本国民のプライバシーなのである。目に見える物は、「あっ、取られた」とわかるし、前もって対策も取れる。見て見ぬふりをするのではなく、こういう危険性を告発する者が真の愛国者である。

今週の愛聴盤 99 (140617)

Royal Bed Bouncer / Kayak
Royal Bed Bouncer / Kayak

 さて、今回は当初紹介したかったバンドを替え、オランダである。前回書いた紹介できなかったLPレコードは、The First Goodbye / Cirkel(1983年)である。そのうちYouTubeでアップロードされたら、また取り上げようと思う。最初に紹介するのは、前回オランダのバンドとして2番目に紹介しようと思ったバンドである。私の持っているLPレコードは日本盤で、1979年12月に発売されている。ジャケットの裏面を全部使って、たかみひろしがライナーノートを書いている。オリジナル盤は40年近く前の1975年の発売である。
 まず、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Kayak - Bury the Worldである。この曲はA面の4曲目で、最後の5曲目は「Kayak - Chance For A Lifetime」である。ライナーノートに書いてあるように、A面は最初から最後まで安心して聴ける。A面最後の曲も出来がいい。興味のある人は自分で検索して下さい。今回YouTubeで検索してみたら、けっこう私好みの曲がたくさんアップロードされていた。まず、プログレ色の強いのKayak - Frozen Flameである。最後に、2008年のアムステルダムにおけるライブをお届けする。Kayak - Merlinである。後半によくなる。
 さて、次のオランダのバンドである。プログレというより、ふつうのロックである。私の持っているLPレコードはMoontan / Golden Earring(1973年)である。ネットで調べてみたら、このバンドは40年以上経った今でも活躍している。このアルバムの中から大ヒット曲を紹介する。Golden Earring - Radar loveである。他にいい曲がないか調べてみた。Golden earring - Twilight zoneも私好みである。
 最後に、いつものように、私が録りためた「Music Box」のVHSテープからである。きょう紹介するバンドは英語版のウィキペディアによると、アメリカン・オールターナティブ・ロックに属する。1990年の作品である。曲名になっている7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日である。この曲も後半からよくなる。Galaxie 500 - Fourth of Julyで聴くことができる。

 

平成26年6月10日(火)

 きょうの午後はいつものように往診があった。1人の患者さんはマンションの3階に住んでいる。経口栄養剤であるエンシュア・リキッドの缶を2箱(48缶)を持って階段を上ったら息が切れた。エレベーターのついていないマンションは大変である。往診が終わって、この日記は午後3時半頃から書き出している。きのうは労災の意見書のことなどでばたばたしていた。今週の愛聴盤も書いている暇はなかった。先週約束した本は何とかきょうの朝に読み終えた。これから、夕食も自炊しながら、覚悟を決めて書いて行こうと思う。
 先週の土曜日は京都精神神経科診療所協会の集まりがあった。この日は予定がはいっていたので、この会には参加しなかった。どこに行っていたかというと、梅田芸術劇場である。ヤン・リーピンの「孔雀」を見に行っていた。S席で11,500円である。東京公演と大阪公演があり、大阪はこの土・日の3回だけであった。私は午後6時からの公演であった。ヤン・リーピンについては、たまたま雑誌で知っただけである。私好みの孔雀の特別な衣装が印象的であった。ヤン・リーピンは舞踏家で、「踊る精霊」と紹介されていた。会場で買ってきたカタログによると、もう50歳を越えているようである。舞台の端では、「時間」役の踊り子が最初から最後までくるくると廻っていた。孔雀とカラスの争いを春、夏、秋、冬と描いていく。久しぶりにこういう舞台を見て、最初から最後まで流れている音楽の役割が大きいと思った。音楽に合わせて、大勢の踊り子が踊る。踊りも音楽も楽しめないといけない。
 私は今週の愛聴盤で主にプログレを紹介している。流れてくる音楽を聴きながら、私がここで紹介している曲とあまり変わりないと思った。1時間半ほどで、20分の休憩があった。ロビーに出てみると、それなりに着飾った人が多かった。ローリング・ストーンズのコンサートでは、普段着みたいな人ばかりであった。私はこの時に、ビールを飲んだ。普通の缶ビールで、500円であった。座席に戻ったら、前の方で「神」役の人がいろいろなポーズを取っていた。「時間」役の踊り子は相変わらずくるくると舞っていた。なぜかこの時に、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちて」を思い出してしまった。この戯曲では「神の沈黙」がテーマになっていた。この公演は最後まで楽しめた。久しぶりに、本当にいいものを見たという満足感が残った。
 日曜日は相変わらず、朝から晩まで書類書きをしていた。しばらく何もやる気がしなかったので、どんどんと書類が溜まっていく。税理士に送らなけれならない資料も4月分と5月分が残っていた。まだあわてることはないが、労働保険料の申請書もある。とりあえず、優先順位の高い障害者年金の書類から書いていった。いつも思うのは、どうして、私だけがこんなに苦労して、朝から晩まで休みの日も働かなければならないかである。私が小学生の頃は、母親がかまどでごはんを炊き、洗濯板で服を洗っていた。それこそ専業主婦は家事だけで1日が終わっていた。今は、時間を持て余した妻が夫に対する不満を募らせやすい。社会適応のいい人は、家庭と自分の世界を上手に作りだしていく。結婚してから、一銭も稼がず、夫に一生面倒をみてもらうというのは、考えてみたらものすごいことである。苦労して築いた夫の財産や両親の財産をそのまま妻が半分引き継ぐというのも納得がいかない。
 さて、先週約束した本の紹介である。グレン・グリーンウォルド「曝露 スノーデンが私に託したファイル」(新潮社)である。この本は本当に面白かった。スノーデンは単なるNSA(国家安全保障局)という組織の跳ねっ返り者ではなく、著者も些細なことを大袈裟に騒ぎ立てる人権派の人物でないことがよくわかった。著者の主張することには説得力があり、スノーデンが盗み出した機密ファイルを最初に託した人物にまさに最適であった。著者は弁護士であるが、2005年にブログを立ち上げた。この中で、ブッシュ大統領がNSAを使って令状なしで市民を盗聴していことを、犯罪行為であると主張していた。
 スノーデンから著者に最初の連絡があったのは、2012年12月である。匿名を使ったEメールで、暗号化ソフトのPGPを入れるように要請してきた。このソフトを使うと、解読するのに数年かかるという。しかし、途方もない話を持ちかけてくる人間は多いので、当初無視していたという。それこそ、政府の罠の危険性もある。アメリカ政府から出入国のたびに妨害を受けていた映画監督のローラと相談し、スノーデンが潜んでいる香港に行くことを決める。最初に送られて来た20数点のNSAの機密文書を読み、PRISMというインターネット関連業者から私的な記録を収集するという計画を知る。
 著者は、これを報じるには大がかりで組織的なサポートが必要だと思った。この時に、コラムを書いていた「ガーディアン」を巻き込もうとする。「ワシントン・ポスト」は体制派メディアで政府の秘密を報道するときの暗黙のルールに従うという。まず、政府に発表内容をご注進する。安全保障担当の役人が出てきて、発表する内容としない内容についての長い交渉が始まる。報道価値の高い情報は常にもみ消される。「ニューヨク・タイムズ」も同じだという。アメリカのジャーナリズムは、どんなに馬鹿げていても(虚偽や詐欺的であっっても)政府の主張を平等に取り入れるという文化がある。また、報道機関がリーク記事を発表するときには、政府を守るためのルールがある。機密文書を1点か2点ほど公表し、そこでやめるというものである。
 「ガーデイアン」も顧問弁護士が、機密情報の公表は政府によって犯罪ととらえられ、新聞社でもスパイ活動防止法違反に問われかねないという。著者もスノーデンとの共謀罪に問われる可能性も捨てきれなかった。信頼していた「ガーディアン」の人物も記事の発表に待ったをかけた。政府に1度話を通すのは、単に法律上必要なプロセスなのだという。結局、最後はオンラインでの記事を載せることに同意する。第1弾は、NSAは外国諜報活動監視裁判所の命令書にもとづき、アメリカの大手通信会社「ベライゾン」の国内加入者数千万人分の通信履歴を収集しているである。NSAの活動を律するのは、2008年に改正された外国諜報活動監視法である。ブッシュ政権時代の令状なしのNSAの盗聴スキャンダルをきっかけに連邦議会で制定された。しかし、この改正によって、外国人に対する諜報活動は、たとえ連絡相手がアメリカ人でも、令状を取る必要がなくなった。
 アメリカとの諜報同盟国は、「ファイヴ・アイズ」と呼ばれるイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドである。A層の包括的協力国で、機密扱いの文書が配布される。日本はB層の限定的協力国になる。スノーデンとの香港での面会はさながらスパイ小説のようである。スノーデンの機密文書が明らかにしたことは、NASのプログラムの多くは、国家安全保障とは何ら関係のないものばかりだということである。経済外交スパイ活動に関わってきたこと、全国民を容疑なき監視活動を行ってきたことは疑いの余地がなかった。NSAの長官を9年間しているのは、アレキサンダー陸軍大将である。信条は「すべて収集する」である。
 NSAの職員は約3万人である。他に約6万人と企業契約を結んでいる。企業との提携を管轄するのが、極秘部署のSSO(特殊情報源工作部門)である。スノーデンはこのSOSこそNSAの心臓部だという。フェイスブック、ヤフー、アップル、グーグルなど、NSAとの間に秘密協定が結ばれている。特にマイクロソフトとNSAとの関係は密接で、スカイプやアウトルックなどのアクセスを提供している。NSAは世界中の10万台近くのコンピューターにマルウェアを混入させて、監視下においている。行き過ぎた監視へのチェック機能がまったく働いていない。外国諜報活動監視裁判所は自動スタンプ化し、アメリカ人の諜報活動への申請が却下された事例はほとんどない。すべて、極秘裏に遂行され判決文は自動的に機密扱いに指定される。ここまで読んで、日本の特定秘密保護法の最終目的はここにあるのではないかと思った。この日記でも書いているように、これまでは日本はスパイ天国で、何らかの規正が必要だと思っていた。
 私は青臭い高校生ではないので、政府の些細な不正について目くじらを立てるつもりはない。しかし、アメリカのような監視社会になることについては反対である。ここにも出てくるが、「プライヴァシーは隠しごとのある人のためのもの」とか「市民の自由はあなたが死んでしまえば、何の意味もない」というもっともらしい発言にもだまされない。アメリカ国内においてテロ攻撃で死亡する確率は、年間で350万分の1なのに、テロの恐怖が巧みに利用されている。この本では、ベンサムの「パノプティコンの原則」やミッシェル・フーコーの「監獄の誕生ー監視と処罰」を取り上げ、その危険性を詳しく解説している。眼に見えない権力によって常に見張られているかもしれないという意識を人々が植えつけられると、常に自己検閲の危険にさらされてしまう。反対意見の芽を摘んでしまう。「悪事を働いていると思われたくないなら、監視能力を振る舞う当局を挑発するような真似は慎むように」ということになる。この本の内容をここまで詳しく書いたのは、作家やジャーナリストとして生計を立てている人は曖昧にしか紹介できないと思ったからである。私も医局などの組織に属していたら、具体的に名前を挙げてまで書くことについては慎重になる。仕事を引退した人の役目は(私は開業して、大きな組織を離れている)、スポーツジムに通って、健康を保つことではない。しがらみがなくなった分、「触らぬ神に祟りなし」ではなく、若い人たちに代わって、政府側の大きな不都合を告発していかなければならない。
 〈追記〉
 私は実名でこの日記を書いている。この本を紹介してから、私のパソコンもNSAの監視下に置かれたかもしれない。この本が指摘しているように、新たな被害妄想を引き起こすのである。スノーデンの機密ファイルには、ターゲットの信用を貶めるための戦術がいろいろ書かれている。ターゲットというのは、テロ組織のリーダーではなく、当時のイラク戦争に反対した者などである。ポルノサイトの履歴や卑猥なメールやチャット、不倫などの証拠が暴かれる。ターゲットの被害者になったという偽のブログなども書かれたりする。私は過去の風俗ぐらいは否定しない。しかし、浮気をしたことがないので、何を調べても無駄である。娘の1番いやがることは、とにかくやめようと思っていた。隠れて浮気をしている人ほど(特に男性)、家庭は円満である。罪悪感があるので、相手に対しても寛容になる。私が変態サイトを閲覧するは、NSAを挑発するためである。最近のハニートラップはオンラインを使用する。私も1度実物のきれいなお姉さんのハニートラップにかかってみたい。ネットで書かれる私の悪口や私の医院に対する誹謗中傷はすべてNSAの陰謀である。日付が過去の物でも、NSAの技術を使ったら、簡単に忍び込ませることができる。

カーテン・コール1  休憩時間の間は、座席の前の方で「神」役がパフォーマンスをしていた。舞台の端では「時間」役の踊り子がくるくると舞っていた。この間の写真撮影は許可されている。最後のカーテン・コールでも写真撮影はできる。カメラを持って行かなかったので、買ったばかりのスマホで撮った。

カーテン・コール2  写真が小さいので、きれいに撮れているように見える。ドコモのXperia Z2でも、パソコンで見るとぼけぼけである。これだけ離れていて、暗いと無理である。カーテン・コールのことをすっかり忘れていた。いつも使っているコンパクト・デジカメを持って行ったらよかった。

今週の愛聴盤 98 (140610)

Album a colorier / Albert Marcoeur
Album a colorier / Albert Marcoeur

 今回はオランダのバンドを紹介するつもりであった。しかし、YouTubeでは1曲もアップロードされていなかった。ニコニコ動画では1曲だけアップロードされているようである。私は登録をしていないので、ログインをするのが面倒である。急遽、フランスのアヴァンギャルド・ミュージックを紹介することにした。私の持っているLPレコードは1979年に発売されている。その後20年以上もCDで再発されていなかった。現在ではCDも入手困難である。まず、初めに私の好きな短い曲を紹介する。Albert Marcoeur - Monsieur Lepousseである。今回いろいろ調べてみたら、このアルバムからの曲よりいい曲をいくつか見つけた。次はこちらの方を紹介する。Albert Marcoeur - Comment Tu T'Sensである。他にも、Albert Marcoeur & Anne chez elleが私の好みである。最後に、フレンチ・アヴァン・ポップの巨匠の本領発揮のライブである。Albert Marcoeur & Le Quatuor Bela :: Si Oui, Oui. Sinon, Nonで聴くことができる。
 さて、次は同じフランスのバンドである。アヴァギャルド・ミュージックではないようである。変拍子を多用した曲である。私の持っているLPレコードは、En public aux Etats-Unis d'Amerique / Etron Fou Leloublan(1979年)である。ニューヨークでのライブ盤である。音はあまりよくない。この中から、Etron Fou Leloublan - Roseを紹介する。実は、私は1枚目から5枚目までのアルバムの中から43曲選んだ3枚組CDを持っている。ここでは、43 Songs / Etron Fou Leloublan(2001年)の1曲目にはいっている曲を紹介する。。Etron Fou Leloublan - L'Amulette Et Le Petit Rabinである。
 さて、最後に録りためた「Music Box」のVHSテープからである。私はフェッティシュなところもある。しかし、あまりブーツには興味がない。踏まれてみたいとも思ったことはない。なかなかしゃれた曲を見つけたので、紹介する。Patrick Macnee and Honor Blackman - Kinky Bootsである。

 

平成26年6月3日(火)

 きょうは外来で眠前薬のことなどで、40分以上うなる人がいて疲れた。障害者福祉手帳の対象にならないといくら説明しても納得してくれない。こちらの方が本当に切れそうになった。先週の土曜日は用事があって、東京に行ってきた。この用事はいろいろな手続きの手違いがあって、うまいこといかなかった。この日は新橋で一泊した。以前と比べたら、ホテル代が高くなっている。朝食付きで1万2千円ぐらいである。それにしても、こんな大都会でも昔のような茶髪の姿はほとんど見なかった。地下鉄で金髪に染めた若者を2人見たぐらいである。息子は学校でも目立って仕方ないと思う。とんがった格好をしていると、夜遅くなればなるほどけんかを売られるリスクも高くなる。
 翌日の日曜日は、いつものように恵比寿の東京都写真美術館に寄った。今は日本写真家協会のJPS展をやっていた。他には、7月に愛知県美術館と京都市美術館でも開催される。私の勘違いかもしれないが、以前はもっと大きな会場でやっていたような気がする。公募展なので、一般人の作品である。ふだんはなかなか写真展に出かけている暇はない。こういう機会に選ばれた作品に一通り目を通すと、勉強になる。入場チケットに使われている作品は会場で見た時にはもう1つであった。しかし、今改めて見直したら、味のある作品であった。他には、「佐藤時啓 光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」も見てきた。この人の作品もチケットに使われていた写真がよかった。
 美術館の隣の恵比寿ガーデン・プレイスでは、午後からBeerFes東京2014が開催されていた。写真とビールと私の好きなことがそろう。しかし、最近はお酒に弱くなったので、日中はあまり飲まないようにしている。すぐに眠くなってしまう。今週は、大阪の梅田でベルギービールウィークエンドが開催される。こちらの方が、夜でも行きやすい。土曜日は大阪に行く用事があるので、時間があったら寄ろうかと思う。
 私は最近スマホを持っていなかった。以前にはiPhoneを買ったこともある。しかし、ほとんど使うこともなかった。この時は通信費が高くつくので、すぐに手放してしまった。今回どうしても欲しかったのは、ドコモのXperia Z2であった。ソフトバンクからはソニーの製品は出していない。私だけドコモに変更した。カメラの性能がよくなり、内蔵のウォークマンにノイズキャンセルがついたからである。私は長いことウォークマンZを使っていた。今回東京に出て、ちょっとした地図アプリを見るにはスマホが便利であった。アンドロイドも使い慣れているので、自分用にカスタマイズした。ドコモのアプリはほとんど使わないので、余計なサービスは全部カットした。1ヶ月3Gまでのデータ量である。必要なアプリとYouTubeの動画と私が撮った写真はたくさん入れた。写真だけは、知らない間にドコモクラウドにアップロードされていた。まだ使い慣れていないので、同期をOffにするのを忘れていた。あっという間に、1G以上の通信量を使ってしまった。
 さて、前回予告したように、今週は読みかけの本を読み切るつもりであった。この本は東京まで持って行った。しかし、夜はビールをたくさん飲見過ぎて、すぐに眠ってしまった。帰りの新幹線の中ではアルコールが1滴もはいっていなかったにもかかわらず、眠くて眠くて仕方なかった。老人呆けして、ほとんど寝ていた。今週も間に合いそうになく、今から読み始めても無理である。本の題名は、グレン・グリーンウォルド「曝露 スノーデンが私に託したファイル」(新潮社)である。来週には必ず読み終えて、この日記で詳しく紹介しようと思う。内容は、スパイ小説のように面白い。
 グリーン車に備え付けの月刊ウェッジを読んでいたら、面白いことが書いてあった。今や結婚は人生の必需品から嗜好品に変わったという。母親である患者さんの話を聞いていても、結婚なんて無理だと思う時もある。娘がそれなりの会社に自宅から通勤し、家庭によって食費は家に納めたり、納めなかったりする。大体2〜3万円ぐらいである。中には5万円の所もある。額の多い所は、娘のかわりに貯金をしてくれているようである。女性が働くようになったので、昔の息子と同じである。息子の方は転勤で家を離れることが多い。夕食の用意から洗濯まで母親が全部やってくれる。よほど理想の男性が現れない限り、結婚して仕事もして育児もして家事もやるという選択は選ばないだろう。今まで長いこと待って理想の男性が現れなかったら、今後も現れる可能性はまずない。
 きょうは書くことがないので、最近の愛人事情についても書く。不況で、愛人の生活費が払えなくなり、愛人の生活保護申請に奔走する人もいる。会社の上司などは、女性の部下と個人的に付き合いだし、一種の愛人関係みたいになることがある。この時に、2人の関係がボタンの掛け違いで、急速に悪化するときがある。最初は同意であっても、後から女性はいくらでもセクハラだと主張することができる。どういうことかというと、もともと上司の方が立場が上で、仕事の権限を持っているからである。女性は仕事の不利にならないように、断わり切れなかったというと、対等な男女関係ではなくなる。最近、愛人関係になるのなら、1回1回きちんとお金を払った方が安全な気がしてきた。実は、そういう女性がトラブルなく職場を離れて付き合いがなくなっても、安心できない。特にお金に余裕のある人は気をつけなければならない。時間が経っているので、今さらセクハラで訴える人はいない。しかし、最近は経済事情が悪くなったので、忘れた頃に昔の愛人が経済的援助を求めてくることがある。1番危ないのは、そのまま独身であったり、その後離婚したりして、本当に経済的に困窮している人である。お金も地位も名誉もある人ほど、なかなか断ることができない。その点、お金のない人は、女の人もわかっているので、大丈夫である。

今週の愛聴盤 97 (140603)

Unknown Pleasures / Joy Division
Unknown Pleasures / Joy Division

 今回は有名所である。この日記でも何回も書いているが、このLPレコードは京都では私が1番に入手したと思う。当時、輸入盤を扱う店はいくつかあった。大阪にもよく買いに行っていた。東京に出かけた時には、必ずプログレの専門店には寄っていた。このLPレコードは入荷したばかりの京都の十字屋で手に入れたと思う。まだ雑誌にも紹介されておらず、ジャケットのデザインだけで買った。滅多にはなかったが、ジャケットだけで買うときもあった。当然、掘り出し物に出会う時もあれば、失敗もする。しかし、コレクターになろうと思ったら、失敗作をつかまされるのも、経費の内である。この買い物は大成功であった。その後、あちこちの雑誌で取り上げられるようになった。1979年の作品である。久しぶりにLPレコードを手に取ってみた。ジャケットのバックは単純な黒ではなかった。少し盛り上がりのある短い縦の線で覆われていた。
 大分前だったと思う。たまたま東京に行った時に、このJoy Divisionのドキュメンタリー映画を見た。今はDVDも発売されている。バンドはイギリスのマンチェスター出身である。少し荒廃したマンチェスターの街並みや、ボーカルのイアン・カーティスが23歳で首つり自殺をするまでの姿を、丹念に追っていた。後のニュー・オーダーのメンバーの証言や、数多くのライブ演奏も収められている。Joy Divisionの名前の由来は、この記録映画の中にも出てくる。ナチス・ドイツの強制収容所内の慰安所の名前である。
 さて、記念すべきこのアルバムの第1曲目である。Joy Division - Disorderで聴くことができる。次は、カバー曲なので、あまり知られていない。ルー・リードが亡くなった時に、このコーナーでもThe Velvet Undergroundの「Sister Ray」を紹介した。私はこのJoy Divisionのバージョンも好きである。Joy Division - Sister Rayで聴くことができる。最大のヒット曲は「Love will Tear Us Apart」である。しかし、あまり好きではない。他にも、100万以上の視聴者数を越える曲がいくつもアップロードされている。ここでは最後に、2枚目のアルバムCloser / Joy Division(1980年)から1曲を紹介する。Joy Division - Decadesである。
 さて、長いことJoy Divisionのことは忘れていた。たまたま、週刊スパを読んでいたら、Editorsのニューアルバムを紹介していた。この時に、Joy Divisionの再来という表現が使われていた。若い頃のように、CDはほとんど買っていなかった。早速取り寄せて聴いてみたら、なかなかよかった。この時に、3枚のアルバムを買った。まず、In This Light and on This Evening / Editors(2009年)からEditors - Papillonを紹介する。次に、The Back Room / Editors(2005年)からEditors - Munichである。最後のAn End Has A Start / Editors(2007年)からは、Editors - The Weight Of The Worldを紹介する。
 前回に紹介した「Music Box」のVHSテープをチェックしていたら、お宝の映像であふれていた。それにしても、このNHKの番組は今では信じられないほど充実していた。特に洋楽はヨーロッパのヒット曲を幅広く紹介していた。惜しむべきは、テープにカビが生えて、これまで何本も捨ててしまったことである。たまたまこのテープを見ていたら、マンチェスターそのものずばりの曲がはいっていた。マンチェスター出身のバンドはJoy Divisionだけでなく、あのオアシスもいる。ここでは、1990年発売の曲を紹介する。(テープは24年ほど前の物ということになる) The Times - Manchesterである。

 

平成26年5月27日(火)

 今週はあまり体調はよくなかった。ずっと無気力でやる気が起こらなかった。きょうの外来もかなり無理して終えた。その後は4件の往診である。午後3時半頃からこの日記は書き出している。いつものように、書ける所まで書こうと思う。先週は久しぶりに池田の母親の所に電話してみた。すっかり耳を悪くしたみたいで、私の言っていることが聞き取れないようであった。「ちょっと待って」と言うので、補聴器を取りに行くのかと思った。すると、カルフォルニアのサクラメントに住んでいるすぐ下の妹を呼んできた。まったく知らなかったが、母親の所にインド人の夫と立ち寄ったらしい。今回は夫のマイルが溜まったので、1週間ほど韓国に旅行してきたという。韓国は英語が通じなくて、困ったらしい。私も韓国をあまり旅行しないのは、ハングル文字ばかりで英語が通じないからである。日本語が通じるのは、日本人が行くようなごく一部の店だけである。ここも、中国人の観光客が大勢来ていたという。
 最近外来をしていると、マスクをしている患者さんが少なからずいる。風邪か花粉症か聞いたりしている。中には、化粧している暇がなく、すっぴんだからと答える人もいる。サングラスをかけるのと同じで、顔を隠すと人目が気にならないという人もいる。お年寄りの人だと、歯を抜いた後でマスクをする人もいる。中には、入れ歯が合わず、長いことつけていると痛みが出てきて、はずす人もいる。人と話さない時には、口を閉じているので、入れ歯がなくても大丈夫でる。ある舌痛症の患者さんがスポーツジムで、30分間ランニングマシーンに乗っている時だけ、入れ歯をはずしているという。つけたり、はずしたり大変そうでる。こういう場合のマスク以外の解決方法をいろいろ考えてみた。すべて解決する方法を1つ思いついた。大変かもしれないが、腹話術をマスターするのもいいかもしれない。
 今年の4月から診療報酬の改定があった。精神科関係で問題になっているのは、「適切な向精神薬の使用の推進」である。どういうことかというと、向精神薬(抗不安薬、睡眠薬、抗うつ薬、抗精神病薬)をたくさん使った場合は、処方せん料、処方料、薬材料を減らすという。救急病院などで、睡眠薬などを大量服薬して受診する人が後を絶たない。救急の現場が疲弊しているという話はよく聞く。リストカットしたり、大量服薬する人は、何回でも同じことを繰り返して、救急を受診する。こういう患者さんが大勢いるため、精神科医は薬を出し過ぎという話になる。中には、大量に薬を出さざるをえない患者さんもいる。処方する薬を制限したら解決するという単純な問題ではない。
 具体的にどう制限されるかというと、デパスやソラナックスなどの抗不安薬は2種類までで、レンドルミンなどの睡眠薬も2種類までである。パキシルなどの抗うつ薬とジプレキサなどの抗精神病薬は3種類までである。これ以上薬を使うと、処方せん料や処方料は半額以下になり、薬代も8割しか払ってくれない。100円の薬代は80円になる。後の20円を誰が払うかである。薬を減らすための猶予期間は6ヶ月ある。今回の診療報酬改定については、日本精神神経学会は反対したという。専門家が反対しているのに、誰がこんなことを勝手に決めたかである。抗精神病薬についてはイギリスのNICEガイドラインを参考にしているのかもしれない。しかし、大量投与にならざるをえない難治性の患者さんも大勢いる。
 次は、抗不安薬や睡眠導入薬として使われるベンゾジアゼピン系やその類似薬物である。ここでも何回も書いているが、今や依存性が高い危険な薬物として若いドクターには浸透している。欧米では、パキシルなどのSSRIの導入によって使用量は減っているが、わが国では処方件数が減っていないと言われている。しかし、最近になって国連が刊行した報告書では、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の処方は必ずしも、欧米諸国と比べて多いとはいえないことが明らかになっている。今日のベンゾジアゼピン系薬物の極端な悪者扱いは、私は欧米の製薬会社の陰謀だと思っている。ナイーブな日本人には考えられないほど、手の込んだマーケッティング手法を使う。製薬会社に有利なように薬などのデータも改ざんしてしまう。どうしても安価な抗不安薬とSSRIなどの薬は競合するので、必要以上に依存性を強調する。ベンゾジアゼピン系薬物の評価をおとしめる論文には多額の研究費を提供する。段々明らかになってきているが、欧米の製薬会社の資金力は、日本の医学界を買い占めてしまうほどである。
 ベンゾジアゼピン系薬物の依存を考える場合は、他の非合法薬物の依存も含めて、総合的に考えなければならない。わが国では、以前のようなシンナー乱用は減ってきている。昔は純トロといって、トルエンの乱用が流行っていた。今は暴走族が流行らないように、これらの薬物も流行らなくなった。代わりに出てきたのは、脱法ハーブである。覚醒剤の乱用は相変わらずである。欧米では、わが国と違ってマリファナ、コカイン、ヘロイン、LSDなど非合法薬物の依存は深刻な社会問題となっている。安全性の高いベンゾジアゼピン系薬物を大量服薬する方が、薬代が高くつくと言われているぐらいである。低用量依存のことばかり強調されやすいが、上手に使ったら患者さんのQOLは向上する。ベンゾジアゼピン系薬物の依存性ばかり強調する教授は、欧米の製薬会社に取り込まれた人物とみなしていい。三環系抗うつ薬の副作用ばかり強調する教授も同じである。
 さて、きょうは1冊の本を読み終えるつもりであった。しかし、最初に書いたように、どうしても気力が出ず、この日記に間に合わなかった。読み終えてから、この本のことについては詳しく紹介しようと思う。ここでは、この本の中で引用されている言葉を紹介する。現在の安倍政権にはぴったりである。1978年のトーマス・ジェファーソンの言葉である。「権力に関わる事柄で、もはや人間への信頼を語るのはやめよう。悪さなどしないよう、権力者を憲法という鎖で縛るのだ」 
 前にも書いたように、古いビデオテープの整理をしている。アダルト関係はやはり古めかしく、ほとんど処分している。もう1つは音楽関係のビデオテープである。昔、NHKの衛星放送(だったと思う)で、「Music Box」を放送していた。邦楽は一般放送でも不定期にやっていたようである。ネットで調べてみたら、著作権の関係でYouTubeにアップロードされた邦楽はすべて削除されている。私が録画したのは、洋楽である。自分の好きな曲だけもう1台のVHSレコーダーでダビングして編集している。2時間テープで30本ぐらいあった。今回たまたま見てみたら、いい曲がたくさんはいっていた。音は悪くないが、画像は悪い。念のためYouTubeで検索してみたら、きれいな動画でアップロードされていた。今週の愛聴盤の最後で、簡単に紹介する。

今週の愛聴盤 96 (140527)

Hablo De Una Tierra / Granada
Hablo De Una Tierra / Granada

 今回は久しぶりにスペインに戻る。本当はLa Huerta Atomica / Miguel Rios(1976年)を紹介したかった。私の持っている「ユーロ・ロック集成」(マーキームーン社)では、スパニッシュ・ロックも特集している。第U版は1990年に発刊され、1966〜1987年に発売になったアルバムを紹介している。この本の中では、高い評価を受けていた。このアルバムだけが、アルフレッド・カリオンなどのバック・ミュージシャンによって、プログレとなったようである。YouTubeで検索してみたら、私の好きな曲はアップロードされていなかった。
 仕方ないので、急遽スペインの代表的なバンドを紹介する。以前に紹介した「トリアナ」と双璧をなす。いずれも、バンド名にアンダルシア地方の地名を使用している。わずかな期間に3枚のアルバムしか発表していない。私は2枚ぐらい持っていたと思う。しかし、今では1枚も残していない。その後、買い直した再発のCDがあるだけである。まず、このアルバムのベスト曲である。Granada - Hablo De Una Tierraで聴くことができる。次の曲は、別のアルバムからである。Granada - Breve Silueta De Color Carminである。
 さて、次のスペインのLPレコードはAndaluza / Vega(1978年)である。スパニッシュ・ギターの名手、 トーマス・ヴェガのアルバムである。このアルバムのベスト曲を紹介する。Vega - Andaluzaである。もう1曲私の好きな曲はアップロードされていなかった。仕方ないので、Vega - Zona Rosaを紹介しておく。
 さて、先ほどの日記でも紹介した「Music Box」のビデオテープにはいっていた曲である。今聴いてもいい曲である。まず、1曲目はギリシアの曲である。この曲がはいっているUntitled / Vana Con Dios(1988年)のアルバムはギリシアでNo1になっている。この中のシングル曲である。Vaya con dios - Don't Cry For Louieで聴くことができる。もう1曲はこの曲の後にはいっていた。英国のバンドである。1989年に発売されている。こういう曲も私は好きである。こんなきれいな動画で見れるなんて、本当に便利な時代になったと思う。Jive Bunny & The Mastermixers - That's What I Likeである。

 

平成26年5月20日(火)

 どんどんと年をとっていく。きのうは私の誕生日で、いつの間にか61歳になってしまった。還暦を迎えた時ほど抵抗感はない。しかし、社会的にはますます用済みになっていくという感じはぬぐえない。自分が年をとっていくというより、目の前を時間がただ過ぎてゆくだけである。私というアイデンティティは保たれているので、自分は変わらず、ただ周りの景色だけがどんどんと変化していっただけのような気もする。
 私は開業して、今年の5月で14年目にはいった。患者さんも同じように年を取っていく。先週は、久しぶりに94歳の患者さんが診察に来た。医院まではタクシーである。医院の診察室は2階にある。なかなか上って来れない患者さんも増えてきた。こういう場合は、1階の待合室で話を聞くこともある。しかし、この患者さんはあっという間に上ってきた。頭もしっかりしている。今でも新聞やTVのニュースは見ているという。私の医院に現在直接診察に来ている人の中では最高年齢である。2人の100歳近くの患者さんもそれぞれ家族が薬を取りにきていた。そう言えば、最近見かけなくなった。この94歳の患者さんは戦争にも行っていて、「最近の中国はけしからん」と言っていた。
 先週はもう1人久しぶりに診察にきた患者さんがいた。この人はまだ若い。大型連休の時にはよく夫婦で海外にサーフィンに出かけていた。このゴールデン・ウィークにはプエルトリコに行って来たという。よくTVなどで出てくる、海水浴場に飛行機がぎりぎりで飛んでくるビーチである。今回はサーフィンの旅ではなかったようである。私がラム酒を飲むことを知っていて、お土産にわざわざバカルディの11年物を買ってきてくれた。プエルトリコにはバカルディの直営工場があるらしい。この患者さんの病状はすっかりよくなっていた。以前にクック島がよかったと言っていたので、私も1度行ってみたい。
 5月17日の京都新聞を読んでいたら、ベトナムの反中デモで中国人労働者のベトナム脱出が報じられていた。中国とベトナム国境の通過場所はいくつかある。1箇所は新聞にも出ていたベトナム側はドンダンで中国側は友誼関である。この国境はハノイからバスを使って行き、私も通過した。平成24年の年末から翌年の年始にかけての旅行はこの日記でも詳しく書いている。もんもん写真館でもドンダンの手前のランソンと友誼関の写真を載せている。もう1箇所はラオカイである。ハノイから遠いので、列車を使うしかない。現実的には、午前中に関西空港を出発して、ハノイ駅からその日の夜行の寝台列車を使って、一晩かけて行くことになる。この旅もいつかしたいと思っている。前にも書いたが、こういう所を現地の言葉もしゃべれず、1人で旅行すると、その人の持っている判断力、リスク管理能力、決断力、対処能力などすべてが試される。実際に、その日の列車の予約が取れるかどうかはハノイ駅に行ってみないとわからない。
 さて、今週読み終えた本である。加谷珪一「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)である。著者は投資ファンド運用会社を経て、コンサルタントとして独立し、現在は億単位の投資を行う投資家でもある。著者は仕事がら200人を越えるお金持ちと接してきている。その経験に基づいてこの本は書かれている。全部で3章に分かれている。「お金持ちの実像を知る」、「お金持ちの行動原理を学ぶ」、最後に「お金持ちになるために行動する」である。お金持ちの入り口は純金融資産が1億円で、本当の大金持ちは資産3億以上だという。社会的地位とお金は必ずしも一致しないとも書いてある。私も本当にそう思う。私が48歳で日赤の部長を辞めた時は、給与は年間1300万円ちょっとであった。
 この本では終身雇用の原型のことも解説している。太平洋戦争時に国家総動員法で国民全員を戦争のためにかり出した。企業も同様で、戦争遂行を最優先させるために、国家が経営に参入し、従業員の雇用も保障させたという。お金持ちのほとんどの人は時計にお金をかけ、相手の時計もチェックするという。私は小金持ちであるが、大きくて重い高級時計は嫌いである。
 次に行動原理である。お金持ちは自分の必要のないものにはお金をかけない等いろいろ書いてある。お金持ちには友だちが少ない理由を2つ挙げている。1つには、一般的な生活をしている友人とは話がしにくくなるからである。経済的な環境の違いが出すぎて、気まずい雰囲気になる。もう1つは資産が増えれば増えるほど、時間の値段が上がっていくからである。「チビ・デブ・ハゲには逆らうな!」という格言も紹介している。強いコンプレックスを持って成功している人を敵にすると怖いという。私も、出自や学歴、母子家庭などのハンディキャップを背負って成功している人は、後ろ指を指されないように人一倍気を配ってきていると思う。お金持ちになると、これらのコンプレックスは解消すると書いてある。小金持ちではだめである。
 お金持ちになれる人は、他人のせいにせず、結果のすべてを自分のせいにできる強い精神力を持っているという。お金持ちは飛行機はファーストクラスには乗らず、ビジネスクラスしか乗らないとも書いてある。私は開業してから新幹線だけはグリーン車を使う。飛行機はまだエコノミーである。学校の成績との関係は、仕事ができる人は勉強もできることが多いが、勉強できたからといって必ずしも仕事ができるわけではない。サラリーマンのように一定のレールの上で活躍するのではなく、実際にお金持ちになった人の多くは、既存のルールを無視したり、ルールを自分で変えたりしている。
 最後の章では、株式投資では8割の人が負けているという。証券会社の営業マンが抱えている顧客の平均寿命は1年である。多くの人は資金を使い果たして株式投資から撤退してしまうのである。投資で成功した人は、特定銘柄の集中だという。大きな資産を増やすきっかけになっているのは、実にごく限られた銘柄だけである。企業の長期的な成長にかけるタイプの投資で大きな財をなした人はほとんどいないという。「お金持ち脳」の年齢制限は一般に30代前半と言われている。ほとんどの人は会社にはいると、反抗的な意識を徐々に忘れ、サラリーマン生活が心地よくなり、会社に従順な社畜に変貌していく。「最近の若い奴は!」などと説教するようになったら、「お金持ち脳」に転換するのはほぼ不可能だという。他にも、お金で幸せが買えるかでは、お金持ちの答えは、「お金で幸せは買えるとは思っていないが、不幸を減らすことができる」である。
 私は開業してからは小金持ちになった。お金を増やすことより、自分の頭脳を磨き、教養を身につけることにこれまで価値を置いてきた。本来の教養というのは、歴史を学び、古典に親しんだり、クラシックを聴いたりすることである。しかし、現在は教養の意味が大きくかわってきた。オタクもりっぱな教養である。私はいい車に乗ったり、ブランド物を身につけることにはまったく関心がない。そんなことより、英語が不自由なく話せ、CNNもわかるようになる方がかっこいいと思っている。ただ、英語だけ話せても意味がない。話す内容が大事である。幅広く本を読むのは、精神科医として現在の社会の状況が知りたいからである。私はこの日記でも何回も書いているように、43歳でバブルの時に買った家を売り、一文無しになった。だから、資産運用についてはあまり信用していない。しかし、どこかでリスクを冒さないと、これ以上資産が飛躍的に伸びないこともよくわかった。

今週の愛聴盤 95 (140520)

Flashback / Eberhard Schoener
Flashback / Eberhard Schoener

 今回は再び電子音楽に戻る。このアルバムは1978年にミュンヘンで制作されている。30年以上前のLPレコードは特別なアルバムを除いて、内容のすべてを忘れている。中には、針を落として、メロディーを思い出すこともある。Eberhard Schoenerはドイツの作曲家、編曲者で、キーボード・プレイヤーである。実験的で電子音楽的なロックを数多く発表している。今回YouTubeで検索していたら、何と若かりしポリスのスティングが参加していることがわかった。早速レコードのクレジットを調べてみたら、「Sting,B -guitar vocals」と書いてあった。このアルバムでは、「Eberhard Schoener - Why Don't You Answer」が1番の視聴者数を記録していた。しかし、私好みの曲ではない。
 私の1番好きな曲を検索したが、ヒットしなかった。いろいろ調べているうちに、2枚のLPレコードから編集した再発のCDにはいっているのを見つけた。フル・アルバムがアップロードされている。しかし、1曲目にはいっているので、そのまま聴ける。8分ほどの長さである。Eberhard Schoener - Rhine-Bowである。次に、他のアルバムからいい曲がないか調べてみた。Eberhard Schoener And The Secret Society - Falling In Tranceもいい。最後に、プログレらしいEberhard Schoener - Koanも紹介する。
 さて、次はフランスの電子音楽である。私の持っているLPレコードは日本で発売されている。Oxygene / Jean Michel Jarre(1976年)である。日本盤がいつ発売されたのかはよくわからない。ライナーノートを読むと、シンセサイザー音楽の解説がしてあった。源流は、1960年代末にウオルター・カルロスがムーグVを使って制作した「スウィッチト・オン・バッハ」あたりになる。このライナーノートが書かれている時には、富田勲の「惑星」も大ヒットしていた。このアルバムは、フランスで発売されると、第1位に輝いている。曲はたった1曲で、パートT〜Yまで別れている。まず初めに、Jean Michel Jarre - Oxygene(Part T)である。このアルバムから、もう1曲私の好きな曲を紹介する。YouTubeで調べてみたら、ライブもアップロードされていた。この中からJean-Michel Jarre - Live in Monacoを紹介する。フル・コンサートなので、「もっと見る」をクリックして、「11. Oxygene 4 (49:21)」を選んだらいい。調べたら、もっといい曲がたくさん見つかるかもしれない。

 

平成26年5月13日(火)

 きょうは往診が4件あったので、この日記は午後3時半過ぎから書き出している。いつもは「今週の愛聴盤」だけ月曜日には仕上げている。きのうは雑用でバタバタしていたので、書く暇がなかった。きょうはこの「今週の愛聴盤」を書き上げるのに、思ったより時間がかかってしまった。今の時期は、自宅の荷物の整理をしている。隠していた古いVHSテープのアダルト・ビデオが山ほどある。厳選したものばかり残していたので、VHSレコーダーで再生してみると、なかなか捨てがたい。昔はこんなテープにお世話になっていたのである。画像は悪いが、中には今となっては貴重なテープもある。DVDで保存しておこうかと思っている。
 さて、プーケットの続きである。5月5日(月)はラヤ島のフル・デイ・トリップに出かけた。朝8時にバスがホテルまで迎えに来た。この日も快晴であった。スキン・ダイビングをするので、荷物は多めに持って行った。水泳パンツを兼ねたサーフ・パンツをはいて行った。着替え用にもう1ついる。グアムではシャワー室にシャンプーが置いてあった。タイではそんな物がありそうもないので、シャンプーもいる。ビーチタオルも必要である。貴重品は防水用パックに入れて常に身につけておいた方がいい。
 いくつかのホテルを廻って、船着き場近くのツアー会社の待合室に着いた。一旦集められた客はここで目的地によってふり分けられる。ここでは20〜30分待った。写真を撮っていたら、1人の30代前半ぐらいの欧米人らしき青年が前の席から私の後ろに座った。そして、自分の姿が写っていないか聞いてきた。陰になって大丈夫だと答えた。しばらく考えて、カメラの映像をチェックしてみた。まったく写っていなかったので、前後の写真を1枚1枚見せてやった。うれしそうに、安心して、私の肩を叩いた。冗談半分に「Are you running away?」と聞いてみた。どこまで本当かどうかわからないが、「Running away」と答えた。
 ラヤ島へのスピードボートには、50代後半ぐらいの日本人のカップルが現地の日本人のダイバーを雇って乗っていた。もう1人同じ年齢ぐらいの日本人が中国人らしき女の人と乗っていた。後は中国人家族など国籍はいろいろである。すべて英語のツアーである。島には30分ぐらいで着いてしまう。サムイ島の時のように、酔っている暇はない。最初にビーチに上陸した。ここではビーチ・チェアは1日200バーツであった。その後すぐに、島の裏側にスピードボートで行った。ここでボートからスキン・ダイビングをする。グアムの時の浅瀬のビーチからの時とは違う。いきなり飛び込むので、水中メガネとシュノーケルの使い勝手がうまくいかなかった。水中メガネに水がはいったり、シュノケールに水がはいったりした。ふだん料理はうす味にしているので、海水の辛さにはびっくりした。
 私は2万円ぐらいで買ったペンタックスの防水カメラも持って行った。これがなかなか便利である。思ったよりきれいに撮れていた。ところが、スキン・ダイビングをしている時に、とんでもないことが起こった。何かと言うと、左のコンタクトレンズをなくしてしまったのである。最初はレンズがずれただけかと思った。水中メガネに水ははいってきたが、直接は目に触れていなかったと思う。こんなことはありそうで、なかなかない。実際に、30年以上のコンタクト生活で、レンズをなくしたのは、今回も含め3回ぐらいである。製造業などでは、何万個かに1個ぐらい不良品が出る。日常生活で何万回と繰り返していることでも、いろいろな偶然が重なると、こういうことも起きる。ついでに、カツラを流すことはなかった。実際に、私はまだカツラを利用していない。しかし、頭頂部も大分薄くなってきたので、ダイビングの時には水泳キャップをかぶるようにしている。これからは、頭のてっぺんにイスラム教徒がかぶるような帽子が必要になるかもしれない。
 島に戻って昼食である。休憩所にはシャワー室も備えていた。鏡もあったので、コンタクトレンズが瞼の裏側に隠れていないか調べた。荷物をテーブルに置いて、バイキングの昼食を取りに行った。テーブルに戻ったら、先ほどの青年が座っていた。席を変えるのも面倒なので、同じテーブルに座った。彼の方から私に話しかけてきた。私の職業が医者だと答えると、けっこう興味を示してきた。彼はスイスから来た20代前半の青年であった。スイスの医療保険制度では、患者負担は1割と言っていた。日本では3割である。偶然にも、父親が私と同じ精神科医であった。私は自分の息子が今年私立の医学部に入学したと話した。学費のことも1ドル100円として、計算した。彼は、それだけお金をかけて、息子が卒業できなかったらどうすると聞いてきた。息子はもともと滑り止めで入学したので、予想外の質問であった。予備校の1年間、毎日12時間近く勉強したと言っていたので、親としては何も心配していない。
 この時には気づかなかったが、もしかしたら、自分のことを言っていたのかもしれない。必要以上に写真を警戒していたのは、父親が高名な精神科医であった可能性もある。しかし、セレブのように見えなかったので、単なる被害妄想? 彼はここで一泊すると言って、スーツケースを持ってきていた。パンフレットには、朝食付きで1500バーツと書いてあった。私のツアーも2000バーツと書いてあった。しかし、実際は1300バーツだったので、かなり割引になっているはずである。昼食はこんなツアーにしては美味しかった。彼も美味しいと言っていた。私とはもっとしゃべっていたかったようである。私がプーケットに戻る予定も聞いてきた。しかし、翌日はバンコクに帰る。最初は無口の愛想の悪そうな青年であった。孤独そうな旅をしていて、私には心を開いて話し相手として求めてきていた。
 昼食後は、宿泊施設のある所を覗いたり、島の裏側に行って写真を撮ったりした。この休憩所は屋根が付いてているので、日陰になっている。心地よい風も吹いてきて、快適であった。ビールも売っていたが、出来上がってしまうので飲まないようにした。のんびりするには、いいツアーであった。写真もたくさん撮ってきたので、もんもん写真館で公開しようと思う。プーケットに戻り、夜はホテルから北の方に行ってみた。ノボテルホテルまで歩いて行った。この辺りはそれほど人も多くなかった。シーフードをリーズナブルな値段で楽しめる。マッサージの店もたくさんあった。繁華街にある店とは違って、庶民的な値段であった。
 翌日のバンコクまでの飛行機は午後5時40分発であった。午前中はメガネをかけて、プーケット島の半日ツアーに参加した。エレファント・トレッキングやチャロン寺院の見学などが含まれている。値段は1750バーツが900バーツ(約3千円)であった。ホテルまで迎えにきたバスには、カメルーン人が乗っており、もう1人ラテン・アメリカの人が乗り込んできた。男ばっかりのツアーは味気ないと思ったら、最後に20代の2人組の中国人の女性も乗って来た。最初にカタの展望台に行く。前日のスイス人の青年によると、カタ・ビーチはロシア人の観光客が多いという。カシューナッツ工場も行ったが、期待以上によかった。最後に、コーヒーブレイクとなっていた。しかし、単なるお土産さんで、コーヒーもインスタントであった。カメルーン人はスイスに住んでいると言っていた。もしかしたら国際機関に勤めているのかも知れない。中国人の女性とも話したが、2人とも英語は完璧である。日本にはまだ訪れたことはなく、日本人の私にはかなり興味を示してきた。前回バンコクのテルメのことを書くと約束したが、ビールを飲みながら書いているので、きょうはこの辺でやめておこうと思う。
プーケット、ラヤ島については、もんもん写真館のタイにアップロードしたので、興味のある人は見て下さい。

パトン・ビーチ  この前の続きで、夜のパトン・ビーチである。たまたま、このあたりをうろついていたら、同じバンコクからプーケット行きの飛行機に乗っていた特徴的な30代の日本人女性と会った。若い現地の男性を連れていた。昔流行っていたリゾラバかと思った。

ラヤ島1  今回の旅は5日間とも快晴であった。6日にはバンコクで昼に雨が降ったという。バンコクに着いたのは午後7時過ぎだったので、天気は回復していた。天気予報では5日間とも雨であった。予報とはあまりにもかけ離れており、まったくあてにならないと思った。雨が降っていないので、ラヤ島のビーチは透明度が高かった。

ラヤ島2  宿泊施設のある所から眺めた風景。当初行きたかったスリン島では、泊まりのツアーもあるので、いつかまた参加してみたい。

水中  ペンタックスのカメラでここまで撮れる。左のコンタクト・レンズをなくしたのは残念であった。しかし、ボートからのスキン・ダイビングは試してみる価値はあった。

カタ展望台   プーケット島半日ツアーで最初に訪れたカタの展望台である。島にはレンタルバイク屋があちこちにある。しかし、この時期は酷暑なので、要領よく廻るにはツアーを利用した方が便利である。

象トレッキング  プーケット半日ツアーのエレファント・トレッキングである。上に乗っていると、思ったより揺れる。この写真は同じツアーの中国人の女性である。私はラテン・アメリカの男性と同じ象に乗った。直接象の上に乗せてくれ、写真も撮ってくれた。

チャロン寺院  プーケット半日ツアーのチャロン寺院である。ここは緑がきれいであった。きれいな花も咲いていた。軽く立ち寄るには、悪くなかった。

今週の愛聴盤 94 (140513)

Snafu / East Of End
Snafu / East Of End

 今回紹介するLPレコードは日本盤である。英国では1970年に発売されている。日本盤は1976年にキングレコードから1600円で出ていた。当時地味なこのジャケットはよく見かけていた。しかし、どんな曲なのか、今とは違って、聞く機会に恵まれなかった。たまたま、千本中立売のドラッグストアでこのレコードを聴いた。意外な出来の良さに、早速手に入れたことを覚えている。ネットで調べてみたら、日本盤で出ていただけに、日本語で取り上げているレヴューも多かった。それでも、原盤は40年以上前のものである。バンドとしては、ヴァイオリンを用いたジャズ・ロック寄りのプログレである。
 まず、このアルバムから聴きやすい曲を紹介する。日本盤のタイトルは「半神半人の少女」となっている。ライナーノートを読むと、「6本のヴァイオリンをプレイするデイヴ・アーバスと4本のギターをプレイするジェフ・ニコルソンによってその世界へ向かい入れる」と書いてある。East of Eden - Nymphenburgerで聴くことできる。さて、次はこのアルバムで私が1番好きな曲である。YouTubeで調べてみたら、ライブ盤があった。この時代にしては画像や音質もよく、こちらの方を紹介する。2分20秒を過ぎないと、よくならない。East Of Eden - Leaping Beauties For Rudy - Marcus Juniorである。他にいい曲がないか検索してみた。East Of Eden - Jig A Jigもよかった。
 次はフルートを使った英国のプログレ・バンドである。こちらの方はよく知られている。イアン・アンダーソン率いるジェスロ・タルである。私はジェスロ・タルのLPレコードは何枚も持っていた。Thick As A Brick / Jethro Tull(1972年)が1番のお気に入りである。残していると思ってレコード棚を見たら、見つからなかった。どこかに紛れているのかもしれない。ここではこのアルバムから曲を紹介する。ところが、はいっている曲はたった1曲だけで、40分を超える。YouTubeで調べたら、素晴らしいライブがアップロードされていた。Jethro Tull - Thick As A Brickである。ジェスロ・タルは紹介していたらきりがない。最後に、これも演奏姿が映っている動画をお届けする。Jethro Tull - Living In The Pastである。他にもいい曲がたくさんあるので、興味のある人は自分で検索して下さい。

 

平成26年5月6日(火)

 この日記は5月8日(木)に更新している。連休の間どこに行っていたのかというと、タイのプーケットである。本当は去年から今年にかけての年末年始に行くつもりであった。ところが、申し込みが9月の初めだったので、飛行機のチケットがぎりぎりになっても取れそうもなかった。ホテル代が3泊で8万4千円もかかり、1ヶ月前にキャンセルしないと全額支払わないといけなかった。この日記でも書いたように、結局この旅行はあきらめて上海に行った。この時の旅行代金は飛行機代とプーケット3泊のホテル代を入れて、25万6千円ぐらいであった。バンコクでの行きと帰り2泊分のホテル代ははいっていない。年末の1番のピーク時にはこれだけかかるのである。
 さて、今年は息子の受験があったので、このGWの旅は決めていなかった。大学の合否が決まってから、息子の行きたい所に行くつもりであった。国公立の医学部に落ち、私立に行くことが決まり、改めて行きたい所があるか聞いてみた。はいりたいクラブもあるので、今回はいいということであった。GW、盆休み、年末年始の旅は早めに申し込んでおかないといけない。今回の旅行は5月3日〜5月7日までの4泊5日の旅である。若い頃のように、深夜便で行って深夜便で帰るのは避けたかった。
 GWのピーク時になるので、半分あきらめ気分で、タイ国際航空のホームページをチェックしてみた。(3月13日) こんな遅い時期なのに、10万円弱ぐらいで往復の航空券が取れた。さて、ホテルである。正月に申し込んだ同じホテルもインターネットでチェックしてみた。5月からはオフ・シーズン(雨期というより酷暑)になるみたいで、何と2泊で1万5千円にもならない。正月のピーク時には1泊2万8千円もしたのに、GWには7千5百円弱(朝食付き)である。今回こんなに簡単に航空券が取れたのは、タイの政情不安も関係しているかもしれない。プーケットにはよく覚えていないが、今回が3〜4回目だと思う。長いこと訪れていない。
 今はあまりにも有名になりすぎて、女、子どもの行く所だと思っていた。しかし、プーケットからあちこちの島に行くツアーがたくさん出ていた。私がクラビから行ったピピ島へのツアーもある。実は年末年始はスリン島に行きたかった。1人で行けないこともないが、プーケットからのツアーが便利である。今回調べてみたら、スリン島のツアーはオフ・シーズンはやっていないようであった。とりあえず、現地で適当な島巡りのツアーに入ろうと思った。グアムに行った時と同じように、スキンダイビングができる用意はした。ペンタックスの防水カメラも持って行った。前日に天気予報を調べてみたら、何とプーケットの3日間はすべて雨であった。
 5月3日(土)は関空から午前11時45分発の飛行機で、バンコクには午後3時半過ぎには着いた。(日本時間は午後5時半) 私はいつもバンコクではナナ付近に泊まる。バンコクのホテルもネットで申し込んだ。1泊1万円近くした。場所も便利で、女性の連れ込みは禁止の中級ホテルである。朝食はこれまで泊まったホテルの中では1番おいしかった。夕食はアソクのショッピングセンターに取りに行った。たくさんのレストランがはいっている。日本のココイチのポークカレーは160バーツで、野菜カレーは140バーツであった。1バーツ3.4円をかけると、値段は日本とあまり変わりなくなる。私は日本料理店にはいった。ほぼ満席であった。ポテトサラダが69バーツで、タイガービールが115バーツで、五目寿司丼が229バーツで、サービス料込みで531バーツ(約1800円)であった。日本と比べ値段はそれほど安くない。これなら、日本へのタイ人観光客が増えるのはよくわかる。
 夕食後は、ナナプラザのゴーゴーバーに行った。30年以上前は、写真が取り放題であった。いつ頃かは忘れたが、「No Photo」という看板がかかるようになり、今はそれさえ出ていない。ゴーゴーバーはベトナム戦争時のアメリカ兵が休暇を楽しむ場所であった。今は日本から若い人が大勢押しかけている。最近は旅行していても、日本人か韓国人か中国人か台湾人か香港人かシンガポール人かまったく区別がつかなくなった。それでも、私を見ると、まだ「こんばんは」と声をかけてくるので、現地の人はわかるようである。
 さて、ゴーゴーバーである。入場してシンハビールを頼むと、1本160バーツであった。昔は若くても、子持ちのダンサーが多かった。今は日本の風俗やAVと同じで、女の子の質は上がっている。飲み物の注文を取りにくる女の子に聞いたら、気に入ったダンサーの連れ出し料(ペイバー)は600バーツ、ナナプラザ内のホテル代が350バーツ、ダンサーには2000バーツと言っていた。(合計約1万円) 昔は客としては欧米人ばかりであった。今は日本人など東洋人が多い。30年前はすっぽんぽんで踊っていたが、今は水着である。私は女の子が寄ってきても、飲み物はおごらない。「Just looking」と言って、断る。もう20年以上のぞいたことはないが、パッポンのゴーゴーバーは観光地化され過ぎで、ソイカウボーイはもうひとつであった。最近は飲んだらすぐ眠くなってしまう。最後の日に、今では有名になったテルメにも顔を出したので、ここの報告もする。私の個人的な楽しみというより、時代の定点観測である。
 翌日は12時20分発のプーケット行きに乗った。1時間ちょっとでプーケットに着く。私の予約したホテルはパトン・ビーチである。大雨という天気予報であったが、快晴であった。空港を出て、タクシーで行こうとしたら、800バーツと言われた。高いので、ミニバスに乗ることにした。1人180バーツである。11人乗って、ホテルまで送ってくれる。1軒1軒ホテルを廻るので、最後の方になると時間がかかる。それでも、1時間ほどで着いた。ホテルはパトンの中心街に近かった。私1人で泊まった。ホテルは高級感があり、部屋もよかった。この日は通りに出て翌日のツアーを申し込んだ。スリン島のツアーもあったが、曜日が決まっていて日が合わなかった。結局、ラヤ島の1日ツアーを申し込んだ。朝8時にホテルまで迎えに来てくれ、夕方4時にホテルまで送ってくれる。値段は昼食付きで1300バーツ(約4400円)であった。 パトンビーチは観光地化され過ぎ、海はあまりきれいではない。しかし、海はツアーで近くの島に行ったらいい。旅行代理店やツアー・デスクも多く、ナイトライフも充実している。
 夕食はカニのカレー炒めとビール、もう一品(何を頼んだか忘れてしまった)頼んだ。1番中心地のレストランにはいったので、1000バーツ近くもかかってしまった。日曜日だったので、すごい人出であった。GWなのに、思ったより日本人らしい姿は見かけなかった。私の泊まった部屋は高層ホテルの横にある附属施設であった。ちょうどT字型の通りの突きあたりにある6階の部屋であった。この通りがゲイバー街であった。それだけなら何も問題ない。しかし、夜中まで大音量で音楽を流しているのである。どの位の大音量かというと、部屋のベッドが軽く振動するぐらいである。息子とサムイ島に行った時には、大晦日の花火で眠れなかった。それに匹敵するぐらいうるかった。ホテル代が安かった理由がやっとわかった。近所には安宿が並んでいた。それこそ住民はみんな眠れなくて大迷惑である。タクシン派か反タクシン派かわからないが、このホテルのオーナーに対する嫌がらせではないかと思ったぐらいである。この続きは次回である。

ホテル1  1泊7500円(朝食付き)で泊まったホテルである。バスタブも深くて、きれいであった。ベランダからホテルのプールが見える。

ホテル2  私の泊まった部屋は6階である。プールは2階にある。プールを取り囲むように、部屋が並んでいる。リゾート地のホテルという雰囲気が十分に楽しめる。

パトンの通り  パトンの通りはこんな感じで、あまり高い建物は建っていない。土産物屋とレストランが数多く並んでいる。

パトン・ビーチ  パトンの海はあまりきれいではない。ビーチに出てみたら、もう夕方であった。翌日のツアーでカロン・ビーチやカタ・ビーチも通った。ここも、それほど透明度は高くはなかった。

バー街1  バー街の入り口である。びっくりするほどの観光客でにぎわっていた。横の通りにカーテンで仕切ったゴーゴーバーらしき店もあった。

バー街2  通りでは、何かパフォーマンスらしきことをやっている人もいた。観光客が大勢輪になって見学している。

今週の愛聴盤 93 (140506)

Fly Away / Minotaurus
Fly Away / Minotaurus

 もしかしたら、このLPレコードはお宝かもしれない。ネットで調べてみたら、オリジナルは自主制作で600枚ぐらいしか存在しないという。どうしてお宝とわかったかというと、今出ている再発のCDャッケトのデザインが違うからである。ここに載せた私の持っているレコードの写真を見つけることはかなり難しい。YouTubeで出てくるような、ギリシア神話のミノタウロスの姿が出てくるだけである。1978年の作品である。今聴いても叙情的なメロディーは十分に楽しめる。ドイツ・プログレの隠れた名作である。
 まず、LPレコードの第1曲目である。トリの曲は1番最後に紹介する。Minotaurus - 7117である。プログレの種類としては、シンフォニック・ロックとなるようである。次の曲はそれほど私の好みではないが、視聴者数が多いので紹介する。Minotaurus - Your Dreamである。最後に、私の1番好きな曲である。アルバム・タイトルとなっているMinotaurus - Fly Awayである。
 次のLPレコードはイギリスからである。Drowning In Berlin / Mobiles(1982年)である。英語版ウィキペディアでは、シンセポップ・バンドと書いてあった。まず、1番のヒット曲であるMobiles - Drowning In Berlinである。30年以上のアルバムであるが、それなりに楽しめる。次の曲はMobiles - Fearである。YouTubeでは私の持っているLPレコードのジャッケトはまったく出てこない。最後に、Mobiles - Amour Amourも紹介しておく。

 

平成26年4月29日(火)

 先週は患者さんのことで久しぶりにバタバタした。ゴールデン・ウィーク前だというのに、まだ解決していない。5月3日からは京都にいないので、何かあったら大変である。今の所は、何とか連休を乗り切ってくれるだろうと開き直っている。いくら主治医だからといって、何でも解決できるわけではない。できることとできないことがある。この患者さんは、朝早くに「母親を殺した」と、警察に電話した。警察官が駆けつけたところ、特に何も起こっておらず、言動もおかしかった。担当地区の保健センターの人がこの患者さんを私の医院に連れてきた。母親は別居しているが、連絡は取れていなかった。どうしてこんなことが起こったのか、患者さんにいくら聞いてもよくわからなかった。幻覚妄想は否定し、何か隠しているようであった。いらいらが強く、精神病院に入院は絶対にしないと拒否した。
 こういう場合は本当に困る。専門家でない人は簡単に強制入院させたらいいと思っている。しかし、実際には条件がそろわないとなかなか難しい。落ち着く薬を何とか筋肉注射をした。無理に入院させようと思ったら、大暴れをするに違いない。今回のケースは自傷他害ではないので、入院をさせるには保護者の同意が必要である。保護者と連絡が取れず、受け入れ先の病院も探さなければならない。どう対処したらいいのか考えていたら、医院に1本の電話がかかってきた。
 患者さんと付き合っているという人であった。私は母親がいる時に定期的に往診していた。この付き合っている人のことはまったく知らなかった。その人の話では、患者さんは朝から晩まで毎日焼酎を飲んでいたという。主病名ではないが、患者さんは過去に拒食症にかかっていた。最近はやせ衰え、倒れてはしょっちゅう救急病院に運ばれていた。私はすっかり拒食症の影響だと思っていた。ところが、アル中のせいだったのである。一時は覚醒剤でもやっているのではないかと疑ったこともある。それにしても、毎回往診していても、患者さんも母親もアルコールのことは一言も言わなかった。救急病院から私の所に苦情が来ているのに、「食べれない」と訴えるだけであった。アルコール臭もまったくしなかった。今回警察に電話したのは、アルコールの離脱せん妄だったのである。母親は翌日にこの件とは別のことで警察に逮捕された。保護者の同意をどうやって取れというのか、文句の1つでも言いたくなる。
 それでも、35年間精神科医をやってきて、こんなのは序の口である。こちらがノイローゼになりそうなほど大変な患者さんも大勢診てきた。この日記でも書いているが、大型連休前では海外への出発直前に保健センターから電話がかかってきた。私の患者さんが自宅近くで暴れているということであった。仕方ないので、旅行カバンを持ってタクシーで駆けつけた。興奮を抑える注射だけしようと思った。ところが、患者さんが逃げ回っていて、なかなか捕まらない。時間だけが過ぎ、飛行機の出発時間が刻々と迫ってきた。何とか注射だけ打って、後は保健センターの人に任せた。特急「はるか」には間に合わず、関西空港までタクシーで行った。この時には注射針まで持ってきたので、空港で処理に困った。
 滋賀県の精神病院から私の医院に紹介されてきた覚醒剤中毒の患者さんがいた。ゴールデン・ウィークの時に、滋賀県の知りあいの家でトラブルを起こした。その家の人から「何とかして欲しい」と入院依頼があった。事情を聞いたら本当に気の毒なので、紹介元の精神病院に入院依頼をした。ところが、この病院で入院を断られたのである。この時も大変であった。この人は、他にもいろいろあり、いつもお世話になっている京都の精神病院に頭を下げて下げまくって何とか入院をさせてもらったこともある。トラブルを起こしているような覚醒剤中毒の患者さんはどこの病院でも入院させてくれない。
 この前の日曜日は今月中に書かなければならない自立支援医療や障害者福祉手帳、障害者年金の診断書を書いていた。こんなに遅くなってしまったのは、4月から京都市の診断書の様式が新たに変更になったからである。自立支援医療と障害者福祉手帳用の診断書をスキャナーでPDFで取り込み、ソフトを使ってそれぞれの項目に書き込めるように加工しなければならない。全部でA4が3枚である。面倒臭くて、なかなか診断書の最初のひな形を作る気がしなかった。午前11時頃から始めたが、この日は1日がかりであった。医院のコピー機の調子が悪く、コピーがかすれてしまった。仕方ないので、コンビニまで診断書のコピーをしに行った。
 さて、きょう読み終えた本である。実はきょうが祝日だったので、1日で読み終えた。常見陽平「『できる人』という幻想 4つの強迫観念を乗り越える」(NHK出版新書)である。著者は一橋大学を卒業し、リクルートに入社している。現在は著述家、人材コンサルタントとなっている。本の帯には、雇用や労働の常識を問い直し、4つの幻想から自由になると書いてある。4つの幻想(強迫観念)とは、「即戦力」、「グローバル人材」、「コミュニケーション能力」、「起業家」である。著者は、できる人にならなければならないという強迫観念が日本の若者を苦しめているという。環境や本人の能力を度外視した「頑張れ」は暴力でしかないとも述べている。
 この本では最初に、平成の入社式の訓示から、理想のビジネスパーソン像を追っている。1989年1月から平成が始まっている。この時期はまだバブル期である。1990年には「花長風月」という就職用語がよく使われた。花形企業で、休暇が長く、社風がよくて、月給が高い企業が選ばれた。平成7年(1995年)には阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった。Windows95が発売され、インターネット元年と呼ばれた。翌年の平成8年から入社式は長期雇用のスタートを象徴するものではなくなり、「会社人間になるな」とか「プロ意識を持て」などに変わっていった。平成18年には就職氷河期がこの時期に終了している。しかし、平成20年(2008年)9月にリーマン・ショックが起こり、平成21年には「内定取り消し」が社会問題となった。ここ5年間は「危機感×グローバル化」という訓示がフォーマット化されているという。
 流行語大賞に見る雇用と労働についても解説している。平成元年は「セクシャル・ハラスメント」で始まっている。平成14年(2002年)には「内部告発」が選ばれ、翌年には「年収300万円」、平成20年(2008年)には「名ばかりの管理職」、去年は「ブラック企業」が選ばれている。この本で興味深かったのは、本田由紀の「ハイパーメリトクラシー論」の紹介である。ポスト近代社会において、メリトクラシー(業績主義)は近代社会のおけるそれよりも、ある種純化(本の鈍化はおそらく誤植)された、かつ、より苛烈なかたちをとるという。これだけでは何のことかさっぱりわからない。「近代型能力」と「ポスト近代型能力」の違いを表にしているが、これを見るとよく理解できる。近代型能力で必要とされていた基礎学力、標準性、順応性、協調性、同質性ではなく、ポスト近代型能力では生きる力、多様性・新奇性、能動性、ネットワーク形成力、交渉力が求められるという。
 この本では、4つの強迫観念についてその実態を解説している。最後の「起業家は英雄なのか」では、自ら勤めていたベンチャー企業の苦労も記している。@知名度がない。Aどんな仕事も1人でせざるを得ない。B株主に気を使う。C人間関係に気を使う等、これでもかと書かれている。何も考えない努力は無駄である。努力が無駄にならないように、そして若者が迷走しないように、マネジメント層に「努力のデザイン」が求められているという。若者が疲弊しないためにも、努力の検証が必要だとも主張している。最後に、著者が勤めていたリクルートの江副浩正社長の言葉を紹介する。「10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。」「経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。」

今週の愛聴盤 92 (140429)

Macula Transfer / Edgar Froese
Macula Transfer / Edgar Froese

 さて、今回は久しぶりのシンセサイザー・ミュージックである。ドイツのTangerine Dreamのメンバーであったエドガー・フローゼのソロ・アルバムである。以前にこのコーナーで紹介したクラウス・シュルツもTangerine Dreamのメンバーであった。Tangerine Dreamはあまりにも有名なバンドなので、書くことがなくなってきたらまた紹介しようと思う。私はエドガー・フローゼのアルバムは初期の3枚を持っていた(と思う)。今残しているのは、この1枚だけである。1976年の作品である。過去のアルバムを改めてYouTubeで聴いてみたら、やはりこのアルバムが私好みであった。
 まず、私の1番好きな「Edgar Froese - AF 765」である。YouTubeではこれだけではヒットしない。フルアルバムしかアップロードされていないので、ここから探すしかない。「もっと見る」をクリックすると、幸い曲ごとに選ぶことができるようになっている。「2. AF 765 (7:51) 」の時間をクリックしたらいい。ギターの音がはいっているのがいい。Edgar Froese - Macula Transferで聴くことができる。他に、このアルバムで聴きやすい曲は、「1. OS 452 (0:00)」と「5. IF 810 (31:24) 」である。次に、最初のソロ・アルバムのAcua / Edgar Froese(1974年)からである。このアルバムからは、Edgar Froese - Uplandを紹介しておく。最後に、Epsilon In Malaysian Pale / Edgar Froese(1975年)からの曲である。たった2曲しかはいっていないので、フルアルバムを紹介する。長い曲であるが、最初から10分以上は楽しめる。、Edgar Froese - Epsilon In Malaysian Pale である。
 さて、次のアーチストである。この電子音楽に合わせて、いいLPレコードがないか探してみた。フランスのHeldonのメンバーのソロアルバムを見つけた。Iceland / Richard Pinhas(1979年)である。ところが、私の好きな曲はアップロードされていなかった。気を取り直して、次はオランダのバンドである。Autoportrait / Mecano(1982年)である。何と、こちらの方は1曲もアップロードされていなかった。仕方ないので、ベルギーから発売されたDouzieme Journee: Le Verbe, La Parure, L'Amour. / Benjamin Lew & Steven Brown(1982年)を紹介する。Steven Brownはここでも紹介したTuxedmoonのメンバーである。このアルバムでは「Benjamin Lew & Steven Brown - Dans Les Jardins」が聴き所である。しかし、他のアルバムからもっといい曲を見つけたので、こちらの方を紹介する。Benjamin Lew & Steven Brown - Etendueである。ついでに、Steven Brown & Delphine Seyrig - L'Arrivee Dans Le Jour + Aux Quatre Coins De La Vueもよかった。

 

平成26年4月22日(火)

 息子が遅い反抗期で困っている。私はもともと頭ごなしに言う方ではない。それでも、私に攻撃的になって、激しく逆らうようになった。今まで反抗期らしい反抗期がなかったので、仕方ない部分もある。予備校時代には髪の毛を染めることもあった。しかし、あまりうるさいことは言わないようにしていた。大学の入試の時には黒く染め直していた。ところが、最近また染め出し、先週は茶髪に近いぐらいであった。注意したら、それこそ取っ組み合いになるぐらいのけんかになった。息子が何を激しく責めたかというと、私たち夫婦のことである。娘は東京で大学生である。私とはほとんど連絡を取っていないので、現在の状況がよくわからない。しかし、先週は妻が東京に出かけ、何かいろいろとあったようである。
 私がどうしてこんなことを書くかというと、どんな家でも多かれ少なかれいろいろ問題を抱えている。一見幸せのように見える家庭でも、他人には言えない悩み事がある。有名人でも、柳田邦男や姜尚中は自分の息子を自殺で亡くしている。心の問題や経済的なこと、身体的病気など挙げたら切りがない。娘とは仲良くやっていると思っている父親も、いやいやながら父親に合わせている娘も少なくないことを知るべきだろう。悩み事は本当につきない。若い時には自分のことや仕事のことで悩んでいた。しかし、今は家庭のことである。先週も相変わらず雑用が山ほどあった。娘や息子のことを考えていたら、いつの間にか時間が過ぎ、なかなか仕事がはかどらなかった。
 先週の土曜日は、ある製薬会社の講演会があった。今年の第7回で終了するという。まず初めに教育講演として、「京大病院におけるECT」があった。ECTとは、電気ケイレン療法のことである。映画「カッコウの巣の上で」で出てきたように、頭に電気ショックを与え、ケイレンを起こさせて、精神症状を改善する治療法である。私が入局した頃には、大学でもやっていた。今は、より安全な方法をとり、麻酔をかけて電気ショックを与え、無ケイレンで治療する。京大ではデイ・サージェリー室を使い、麻酔科医が1〜2名付き、他にも精神科医が2名、看護師が1名付く。1人30分ぐらいかかる。週2回で計6〜16回必要である。1人の患者さんの治療に、手術室とマンパワーと手間暇がかなりかかることがわかる。適応は重症のうつ病やカタトニア(簡単に説明できないので、省略)である。性格の偏りなどは無理である。実際の治療効果について聞くこともできて、勉強になった。
 次の特別講演は千葉大学教授の「認知行動療法からみた、DSM-5における不安症(不安障害)と類縁疾患」である。認知行動療法について話をするのかと思ったら、改定になったアメリカ精神医学会の「精神疾患の分類と診断の手引き」(DSM-5)の説明が主であった。演題にもあるように、パニック障害などの不安障害が不安症という病名になり、疾患単位がこれまでとは違った分類になったりしている。最近の知見に基づいて変更されている。それにしても、改定のたびに変更があり、精神疾患の病名はいかに分類が難しいかがよくわかる。今流行のうつ病でも、どこからうつ病でどこからうつ病でないのか、判定は困難である。DSM-5についてはあまり関心はなかった。こういう機会でもないと、なかなか勉強する気になれない。不安症(不安障害)の変更点については、大体のポイントがつかめてよかった。
 さて、きのうの夕刊ときょうの朝刊に載っていた記事である。中国の裁判所が商船三井所有の大型輸送船を差し押さえた問題である。私は憎まれ役になっても構わないので、この問題について解説しようと思う。私は京都新聞しか読んでいない。たまに、夕刊フジを見るぐらいである。きょうの社説に、「差し押さえとは強引だ」と大きな見出しがつき、最後に「尖閣や歴史問題の反発から差し押さえたなら筋違いというもので、日本との溝を深めるだけではないか。」と結んでいる。日本政府は「日中戦争時の賠償請求権の放棄を盛り込んだ1972年の日中共同声明の精神に反する」と強い懸念を中国に伝えている。これだけ見ていたら、中国は国際的に非常識でけしからんとなるだろう。
 私が心配するのは、日本国民が歴史的解釈ではなく、歴史的事実をきちんと伝えられていないことである。日本は中国政府は自分たちの都合の悪いことは隠して国民に伝えていないと批判する。しかし、日本政府も同じなのである。歴史的事実を知って、それでも中国を非難するのはかまわない。一般の新聞や雑誌ではその背景にある歴史的事実がきちんと書かれていないのである。京都新聞の社説を書いている人は無知であったかもしれない。しかし、日本政府はその背景にあるものがわかっていながら、こんなコメントしか出していない。
 どうしてこんなことが戦後続いているかというと、日本国内では天皇の戦争責任問題をタブー視してしまったからである。(私は天皇に戦争責任があると言っているわけではない) 日本ではタブー視できても、戦勝国の欧米や中国、ソ連、植民地であった韓国(私の勘違いで、戦勝国とは言わない)では大問題となった。先の大戦は侵略国と侵略国の戦いであったと、田原総一朗も言っている。どちらに戦争の大義があったのかは、実際の所断定できるものではない。しかし、双方が生きるか死ぬかの戦いをして、日本は無条件降伏をしたのである。敗戦国になった日本が戦争責任を問われるのは仕方ないことである。それが戦争というものである。
 また、ここで注意しなければならないのは、いくら日本が、連合国側だって侵略国ではないかと主張しても、侵略された国がそのことについては問題にしていないのである。TVなどを見ていると、他の国だってやっていたことではないかという発言もよく耳にする。しかし、侵略された国は日本だけを問題にしているので、この主張は通らない。被害届けを出すか出さないかは、被害を受けた国が決めることである。加害国の日本がとやかく言うことではない。
 天皇の戦争責任問題は国際的にいかにして逃れたかはこの日記でもすでに書いた。日本人はすっかり忘れているが、1971年の昭和天皇と皇后の訪欧では、イギリスとオランダで天皇の戦争責任を問う抗議デモが大々的に繰り広げられた。戦後26年も経っているのに、日本軍と戦った人たちは天皇を許していなかったのである。現地の記者団から戦争責任について厳しい質問も受けていた。日本と戦った欧米の人たちにとっては、天皇は独裁者としかうつっていない。実際に戦時中は現人神としてたたえられ、日本国民は「天皇万歳」と叫んで崖から飛び降り、若き青年が天皇のために特攻隊員として敵艦を攻撃したのである。この成功率は極めて低く、単なる自殺行為に等しかった。
 東京裁判は天皇に戦争責任はなく、A級戦犯が悪かったと連合国側と手打ちした茶番劇であった。戦後26年経っても、欧州では天皇の戦争責任が厳しく問われたのである。敗戦直後の「天皇を死刑にしろ」という連合国側の殺気だった雰囲気は想像に難くない。天皇を救うには、当時これしか方法がなかったのである。さて、初めに戻って1972年の日中共同声明である。確かに、この時に中国は賠償請求権の放棄をしている。しかし、忘れてはならないのは、この時の周恩来の中国国民に対する説明である。周恩来は、天皇や日本国民に戦争責任はなく、一部の軍人がしたことであると中国国民を説得しているのである。だから、安倍首相がA級戦犯が祀られた靖国神社を参拝することは、重大なルール違反となる。それこそ、日中共同声明に反した行為を先にしているのは、中国ではなく、日本なのである。
 マスコミがこのことを伝えず、誤解を招く記事ばかり垂れ流すのは、本質的には戦前と変わりない。反中本や反韓本が本屋にはあふれている。日本の10年後、20年後を見据えずこんな本を書く人はエセ教養人である。両国でそれぞれの国民は日本人と同じようにみんな必死で生きている。ここまで中国と韓国との関係を悪化させ、日本政府こそ国内問題から国民の目をそらさせている。私は前から書いているように、自分の国を守るためには最低限の軍事力は必要だと思っている。しかし、日本の保守本流が歴史的事実を隠し、情緒に流され、いつまでも負け惜しみばかり言っている女の腐ったような人たちの集まりかと思うと、本当に嘆かわしい。しつこいようであるが、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを知ってからは、昭和天皇も現天皇も親拝されていないのである。
 私は何でも中国の言うことを聞けと言っているわけではない。手強い相手には、国家としてもっと戦略的に対処して欲しいと思うだけである。これはアメリカに対しても同じである。アメリカについては、ソ連に日本の北方領土を占領させ、中国とは尖閣諸島問題を残し、日本がどちらの国とも結びつかないようにしたという説があるぐらいである。日本の国会議員は2世、3世が多く、ほとんど世襲制に近い。中国の太子党以上である。受験の神様と言われる和田秀樹でさえ、自分の娘を3浪させても東大文三に合格させることができなかったのである。国会議員の子どもがそれほど優秀な人たちの集まりだとは到底思えない。民間の会社を息子が引き継ぐのとはわけが違う。この問題については、また別の機会に詳しく書こうと思う。最後に、たまたまインターネットで見つけたブログを紹介する。中国を非難する前に、歴史的事実として、これぐらいの知識は必要である。首相の靖国神社参拝については、私は必ずしもこの人と同じ意見ではない。後は、歴史的事実を知って、国民1人1人がどう考えるかである。興味のある人は多摩の川風をクリックして下さい。

今週の愛聴盤 91 (140422)

Colossal Youth / Young Marble Giants
Colossal Youth / Young Marble Giants

 さて、今回もイギリスのポスト・パンク・バンドである。ウェールズの出身である。1980年に発売されている。まず、Young Marble Giants - "Music For Eveningsである。シンプルな演奏であるが、味がある。出したLPレコードはたった1枚なので、ほとんどの曲がこのアルバムからである。次は、Young Marble Giants - Final Dayである。このバンドのリズム感は捨てがたい。最後に、Young Marble Giants - Brand New Lifeを紹介する。
 次のバンドはハードロックに近いので、曲調はまったく変わる。以前に紹介しようと思って調べたら、Youtubeには1曲もアップロードされていなかった。久しぶりにチェックしてみたら、何と3週間前に新しくアップロードされていた。音源はLPレコードで、ノイズもはいっている。これなら著作権が問題にされず、すぐには削除されないだろう。アルバム名は、Whitehorn / Jeoff Whitehorn(1974年)である。私の持っているレコードは日本盤である。大貫憲章がライナーノートを書いている。第2のロリー・ギャラガーと、ブルース・ロック・ギタリストとして紹介されていた。ネットで調べてみたら、この人は晩年のプロコルム・ハルムにも参加していた。今聴いても、40年前のアルバムとは思えないほど新鮮である。まず、第1曲目のGeoff Whitehorn - Makin It Funkyである。2曲目も同じ画像で申し訳ない。向かって右側の写真が私の持っているレコードのジャケットである。それでも、今になってこの曲が聴けることに感謝しよう。このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Geoff Whitehorn - Fire Fireで聴くことができる。

 

平成26年4月15日(火)

 桜の写真を撮りに行こうと思っていたら、いつの間にか散ってしまった。今年は週末の天気があまりよくなかった。風も強かったので、出かけるのがついおっくうになっていた。それにしても、最近は外国人観光客が増えたと思う。往診の帰りに本町通を車で通る時がある。伏見稲荷神社ではいつも外国人観光客がカメラを構えている。京都駅から東福寺までJR奈良線にもよく乗る。私はあちこち海外に出かけているので、ついつい観光客の目線で見てしまう。特急も含め、すべて東福寺には停車する。院内放送で、「この列車は特急ですので、各駅には停まりません」と日本語で案内している。中には伏見稲荷に停車すると思って乗車している外国人客もいるかもしれない。日本人でも間違えないように注意しているぐらいである。簡単な英語放送ぐらいはあってもいいと思う。
 私の医院に通院しているある観光名所のお土産屋さんが話していたことである。メイン通りから少し離れた通りだと、観光客はあまり多くない。しかし、外国人客などはお店の人とゆっくりと話せるので、また来てくれるという。メイン通りだと、人が多くて、お店の人も忙しそうにしている。観光客もお土産を買うだけで精一杯である。私も海外を旅行していて、現地の人との何気ないやり取りが思い出となる。拙い英語でやりとりしている患者さんを想像して、これこそおもてなしだと思った。私は済州島、上海、グアム島、青島とすべて天気に恵まれていた。せっかく京都に来てもらって、天気が悪いと本当に気の毒だと思う。日本人は基本的にはシャイである。おせっかいになるぐらい外国人に声をかけてやるのが1番いいおもてなしになるかもしれない。
 この前の日曜日は、また自宅でWindows7のパソコン周辺の整理をしていた。プリンターのドライバーをダウンロードし、WiFiも使えるようにした。使っていない電気製品も多く、この際に整理しようと思った。カセットテープのデッキやMDデッキもある。VHSテープの録画機もある。それぞれのテープも山ほど残している。古いDVDレコーダーも何台もある。60歳を越えると、本当に必要な物は少なくなる。屋根裏部屋には、まだダイビングの道具も残していた。アナログTVやパソコンのディスプレイなどで、足場もないぐらいである。この際、引っ越しをするぐらいの覚悟で、すべて処分しようと思う。
 息子が私立医学部に入学して、早速寄付金募集の案内が来た。対象者は本学学生の保護者、同窓会員などである。この寄付金は慶応義塾大学など、すべての私立医学部であるようである。ここで詳しく書くのは、子どもを私立医学部に入学させようとしている後輩の先生に役立てたらと思うからである。もちろん強制ではなく、最後に「募金の応募は任意です」と書いてある。池田に住んでいる私の妹は同じ医学生である娘の募金は払う必要がないと強気である。実際に、払わなくても学生に何ら不利になることはない。
 1口100万円で原則3口以上となっていた。300万円×6年間で1800万円である。これだけ払ったら、2800万円+1800万円で4600万円になってしまう。息子には、地方の国公立の医学部だけでなく、シベリアでもどこでも入学してくらたらよかったと思った。正式な寄付金なので、寄付金控除がある。私の解釈が間違っているかもしれないが、300万円×40%で120万円を税金から引くことができる。実質180万円×6年間で約1080万円になる。勤務医でも、住宅ローンや他の子どもの教育費があったら、この寄付金は厳しいと思う。すぐにではないので、どこまでお付き合いをするかゆっくりと考えようと思う。思い切って開き直るのも一つの方法である。ちなみに、私立医科大学協会のパンフレットでは、医学教育費は学生1人当たり1年間1769万円かかると書いてあった。地方の国公立医学部に入学する人はそれだけ税金がかかっているので、地域医療に貢献できるように、何らかの制限が必要である。
 さて、今週見た映画である。60歳なって千円になったからと言って、そう見に行っている暇はない。若い頃のように、この映画は見ておかなくてはいけないという気負いもなくなった。映画の題名は「ローン・サバイバー」である。米海軍特殊部隊ネイビーシールズの4人がアフガンの山岳地帯に取り残され、タリバンの攻撃を受け、1人だけが生還する物語である。話は実話に基づいている。最初に出てくるネイビーシールズの厳しい訓練を見て、朝から晩まで死ぬほど勉強して厳しい関門をクリアしていくのと何ら変わりないと思った。頭脳の訓練か肉体の訓練かである。生まれつき飛び抜けて身体能力に恵まれ、人の領域を越えた精神力を備え、極限の状態に果敢に挑んでいく。選びぬかれて徹底的に訓練された兵士であることがよくわかる。アメリカの大統領が息を止めて水中に5分間も潜る必要はない。しかし、頭脳としては世界を相手に徹底的に鍛えぬかれたものが求められる。
 わが国では、2世、3世の国会議員が多いと言われる。私立の医学部でさえ、今の時代はお金だけで入学させることはできない。これからは、日本のトップに立つ人は各国首脳と英語で徹底的に討論ができ、瞬時の判断ができる人が求められる。そうでないと、日本は世界の中で生き残ってはいけない。もともと頭がよくて、血が出るほど勉強した人でないと、複雑な問題の処理能力がついていかない。これまでは事務方にそういう人が大勢いた。ところが、今の若い優秀な人は官僚になりたがらないのである。
 さて、どうして、たった1人生き残ることができたかである。パシュトゥン人に助けられたからである。パシュトゥン人の2000年(うろ覚えで間違っているかもしれません)の教えに、逃げて来た人は助けなければならないという掟がある。タリバンの攻撃を受けても、このアメリカ兵を守り抜こうとしたのである。この部分を見て、河合隼雄の父性原理を思い出した。イタリアの小説であったと思うが、逃げてきた人をかくまった息子が、追っ手の人にその人を渡してしまう。それを聞いた父親が息子を殺してしまうという物語である。少し前に、レオナルド・ディカプリオの「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見た。この作品と優劣つけがたいほど、面白い映画であった。

今週の愛聴盤 90 (140415)

The World We live In / Voice Farm
The World We live In / Voice Farm

 品のないジャッケットで申し訳ない。もう1枚紹介するバンドとどちらを先にするか迷った。2枚目は少し実験的過ぎるので、まだ聴きやすいこちらのレコードを選んだ。1982年にカルフォルニアで発売されている。CD化されていないせいか、日本語の紹介は上位検索では見つけることができなかった。英語版ウィキペディアでは、初期のシンセ・ポップ・サウンドから全体主義後の映画のようなエレクトロ・ポップに変化していると、わけのわからないことが書いてあった。このレコードはデビューアルバムである。最新のアルバムは2009年にも発売されている。
 まず、Voice Farm - "Lost Adultsである。次に、Voice Farm - Voyeurも悪くない。他に、いい曲がないか調べてみた。このバンドはサンフランシスコを中心に、ライブで活躍していたようである。曲調がまったく変わっているので、同じ名前で違うバンドかと勘違いしたぐらいである。パンツ姿に初期の面影が残っているかもしれない。Voice Farm - Hey Free Thinkerで聴くことができる。
 さて、2枚目の実験的なアルバムである。LPレコードのジャケットを見ていると、どれがタイトルでどれがバンド名かよくわからない。2つのバンドがA面とB面で分けて演奏している。Nightmare Culture / Current 93 & Sickness Of Snakes(1985年)である。ベルギーで発売されている。まず、Current 93 - Killy Kill Killyである。こういう曲は音のコラージュを楽しんだらいい。次は、B面の曲である。YouTubeでは6分を越えているが、実際は3分ぐらいしかない。(後は無音)最初の出だしはもうひとつであるが、1分を過ぎてからよくなる。Sickness Of Snakes - The Swelling of the Leechesで聴くことができる。
 このA面のCurrent 93は、ネットの解説によると、英国のインダストリアル/ネオフォーク系ユニットになる。YouTubeではたくさんの曲がアップロードされていた。ここでは、初めに紹介した実験的音楽からはまったく想像できないCurrent 93 - The Dream Of A Shadow Of Smokeを紹介しておく。曲の後半からよくなる。他にも、「Current 93 - How The Great Satanic Glory Faded」や「Current 93 - When the May Rain Comes」など私好みの曲がたくさんアップロードされていた。

 

平成26年4月8日(火)

 先週の日曜日は、自宅のXPのパソコンをWindows7のパソコンに入れ替えていた。私は自宅ではパソコンはほとんど使っていない。息子が時々使うぐらいである。大学の授業ではこれからノートパソコンが必要になる。XPからWindows8にしたら、あまりの使い勝手の悪さにみんな腰を抜かすだろう。マイクロソフトはビスタで大失敗し、もう同じような過ちはしないだろうと信じていた。今回は、パソコンを叩き壊したくなるぐらいの使いにくさである。スタートボタンを復活させたぐらいでは、誰も納得しないだろう。息子のノートパソコンはまだ注文中である。Windows7にダウングレイドしないと、それこそ勉強に支障が出るだろう。
 さて、先週の土曜日は息子の入学式があった。私は外来があったので、参加できなかった。息子によると、入学者は110名ちょっとで、何と女子が半分近く占めていた。前にも書いたように、地方の国立医学部に合格していても、息子と同じ私立医学部を選択している者もいた。今はいろいろなオリエンテーションがあり、楽しそうである。単科の医大は生徒数が少ないので、学生の結びつきは強くなる。新しく建てた校舎も本当にきれいなようである。授業料も下がっているので、今年の偏差値は去年より上がっているだろう。学生は北海道など全国から集まっているという。息子の姿を見て、久しぶりに、自分が医学部に合格した時のことを思い出した。
 それにしても、息子が6年で卒業するのは東京オリンピックの年である。その後、前期の研修医が2年あり、引き続き後期の研修がある。1人前になるのに、卒業しても最低10年はかかる。その時には、私はもう70歳になる。前から書いているように、40歳を越えてからの子は後が大変である。私は開業して娘の分も含め十分に教育資金は貯めている。それでも、目に見えないプレッシャーが肩に重くのしかかってくる。私の医院は年々つぶクリ(つぶれかけのクリニック)に近づいている。10年後は完全につぶクリである。何とか今から対策をたてないといけない。学生の半分が女子ということは、中にはとんでもないお金持ちのお嬢さんがいるということである。息子に、逆タマ作戦を提案したが、あっさり断られてしまった。
 息子が大学に入学し、私が60歳になったということで、人生のリセットを考えている。私は今年の5月で、開業して14年目にはいる。息子が大学に入学するまではと、外来のある月曜日から土曜日まで毎朝5時前に起きて、6時前には医院に出ていた。もちろん、いつも勉強ばかりしていたわけではない。開業してからほぼ13年間この生活を続けてきた。この辺で、ふつうの生活リズムに戻そうと思っている。夜はゆっくりとテレビのニュースを見て、朝はもう少し遅く起きようと思っている。もうちょっとゆったりとした生活を送りたい。しかし、雑用ばかりは減りそうもない。日曜日は、医院に帰ってから、資料を見ながら締め切り間際の労災の意見書を書いていた。たくさん残っている障害者年金の診断書は、書いている暇がなかった。つい先日、京都市からお知らせが届いていた。何と、自立支援医療と障害者福祉手帳の診断書の様式がまた変わるという。まだ、旧式の診断書から現在の診断書に書き換えをしている最中である。それなのに、また一から新しい様式に書き直さないといけない。なかなか思うように人生をリセットしている暇はない。
 さて、今週読み終えた本である。去年の9月に出版され、すぐ買っていたが、なかなか読んでいる暇がなかった。森川友義「なぜ、結婚はうまくいかないのか?」(ディスカヴァー携書)である。著者は早稲田大学教授で、国際政治学者である。私より2歳年下である。外来でいろいろな世代の夫婦を見ていて、どう考えたらいいのかいつも疑問に思っていた。この本は、私がこれまで考えていたことや、考えないでいようとしたことを気持ちがいいほど明らかにしてくれる。
 まず、うまくいかない理由を5つ挙げている。@「恋愛」して「結婚」するからでは、恋愛バブルは必ずはじけると書いてある。結婚は利己的な行為なのに、愛他的なものと錯覚する。また、今は寿命が延び、結婚後の人生が長すぎる。50年間も1人の異性を愛するのは無理だとも断定している。A結婚を生まれて初めてしたからでは、結婚は人生最大の買い物であるという。男にとって、結婚とは、1億5千万円出して妻と子どもを買う行為である。女にとって、結婚とは一種の賭けである。そんな重要なことに、練習無し、試行錯誤なしの一発勝負で決めるので、当然失敗も起こる。年を経るごとに資産価値が減少してゆくのは、結婚もマンションも同じだという。
 B男女の資産価値が変化するからでは、恋愛結婚というのは、お互いの資産価値を前提にした物々交換なので、50点の普通の男性が非常に魅力的な90点の女性と結婚することはまずあり得ない。これを「恋愛均衡説」という。結婚とは、女は男の将来性を買い、男は女の旬を買うと述べている。女性は生け花と同じように、時間とともに視覚的魅力は劣化していくので、結婚したときが女の最高の瞬間となる。ここでは経済学者のいう「限界効用逓減の法則」について解説している。消費財を消費すれば消費するだけ、満足の総量は増えても、満足度は徐々に減少していく。結婚生活でもっとも消費されてゆくものは、見かけとセックスである。夫は年齢とともに年収は増えていき、妻は容姿が衰えていく。夫側の不倫、妻の無関心と子どもへの愛情という形で夫婦の関係が変容していく。
 C夫婦の五感的魅力が減少するからでは、とくに夫が臭くなるからと書いている。D家事の独占は腐敗を招き、共同作業はただ乗りを招くからでは、主に妻側の問題だという。家庭内では市場メカニズムが働かない。夫の仕事では、市場メカニズムが働いている。ところが、家事・炊事・洗濯は、妻の独占的仕事なので、市場メカニズムが働かず、腐敗の温床になる。独占状態では客観的評価がなく、質はどんどんと低下していく。世の中の共同作業(公共財)には、ただ乗り問題が生じてしまうという。家庭内問題の解決として、共同作業は避けるべきだともいう。この本では面白いことがこれでもかと書かれている。結婚11年目以降では、妻の半数近くが夫のことを愛していないと明言している。
最後の章で、結婚生活を向上させる五つの解決策が書いてある。1番最後に書いてある、じり貧の補完より、夫婦共稼ぎで資産価値の上昇、にはまったく賛成である。どういうことかというと、夫が外に出て働き、妻が家庭を守るという補完しあう仲より、これからは夫婦ともに同じような行動をして重複する仲へ移行するのが正解だという。先に共稼ぎを規定のものとして決めておく。女性は結婚してもビジネススキルを手放さない。経済的資源の獲得を重複させておけば、リスクヘッジになり、一方が倒れても他方で生き延びることができる。この本はすでに手遅れの夫婦より、これから結婚を考えている若い人に是非とも推薦したい。

今週の愛聴盤 89 (140408)

Untitled / Klaus Nomi
Untitled / Klaus Nomi

 自分でも気がつかなかったが、残しているLPレコードはやはり1980年前後のものが多い。今回紹介するアルバムも1981年に発売されていた。ジャケットから見てわかるように、ケレン味たっぷりのキワモノ的な音楽が想像できる。実際に、派手な衣装とオペラチックな歌い方で、当時はその程度ぐらいの印象しかなかった。しかし、30年以上経って、改めて聞いてみるとこれがなかなかいい。YouTubeで当時の映像を見ると、一流のエンターテイナーであったことがわかる。英語のウィキペディによると、クラウス・ノミはドイツで生まれ、ニューヨークに移ってから活躍した。ベルリンのゲイ・クラブでは、オペラのアリアを歌っていた。このデビューアルバムを発売した2年後に、エイズで亡くなっている。
 さて、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Klaus Nomi - You Don't Own Meである。次の曲も同じアルバムからである。視聴者数が多くて、びっくりする。ゲイのファンが多いかもしれない。Klaus Nomi - Lightning Strikesである。他にいい曲がないか、探してみた。2枚目のアルバムからである。私好みのKlaus Nomi - Simple Manも紹介する。さて、最後の曲である。また最初のアルバムの曲に戻る。マリア・カラスに憧れ、ソプラノ歌手を目指したクラウス・ノミの本領発揮である。Klaus Nomi - The Cold Songで聴くことができる。
 次のアルバムは、untitled / Tubeway Army(1978年)である。イギリスのバンドで、ポスト・パンク時代に、初めてシンセサイザーを用いた曲をヒットさせている。私の持っているアルバムは、青色のレコードに赤いラベルが貼ってある。今聴くと、少し古さも否めない。このアルバムの中で私の1番好きな曲を紹介する。Tubeway Army - The Dream Policeである。次に、このアルバムの中にははいっていないTubeway Armyの最大ヒット曲である。Tubeway Army - Are Friends Electric?で聴くことができる。

 

平成26年4月1日(火)

 いよいよ4月である。何か目新しいことがあるかというと、息子の大学入学ぐらいである。前から書いているように、正月、4月、誕生日は自分の人生を振り返り、気分を一新して決意を新たにする時期である。ところが、朝から晩まで医院でだらだらと過ごしてしまい、あまり季節感も感じない。何とか最後の人生をリセットしたい気分である。
 今月最後の日曜日は、相変わらず朝から晩まで診断書や書類を書いていた。役所関係のややこしい書類が1つあり、何回も電話でせかされ、正直言ってうんざりである。時々、傷病手当の診断書をまとめて持ってくる患者さんがいる。先週11枚の診断書を持ってきた患者さんがいた。外来では書けないので、これは木曜日に書いていた。職員の今月の給与計算など、細々とした仕事も残っていた。会計事務所に送る2月分の書類の整理がまだできていない。早く送らないと、3月分も溜まってしまう。この日は晩まで書いていたと書いたが、正確には3時過ぎである。4時からは、東山医師会定時総会があった。この総会だけは、一般会計予算案などの承認があり、内容はかたい。総会の後は、懇親会である。今は東山医師会の仕事は何も引き受けていない。会員数が少ないので、私も必要なことはやらなければならない。
 さて、青島の続きである。2日目の3月22日(土)はとにかく海に出たかった。地図を見ると、あちこちに小さな島があった。島の情報がないので、どこに行ったらいいのかわからない。前日に乗るバスの番号を地図で調べていた。ところが、最新の地図ではなかったので、バス停に書いてあるバスの番号と一致しない。仕方ないので、地図とにらめっこして、何番のバスに乗ったらいいのか調べていた。結局、第一海水浴を通るバスを見つけ、これに乗ることにした。このあたりのことは、最後に写真付きで解説する。天気がよかったので、本当に気持ちよかった。小青島に行った後は、どこに行くか決めていなかった。大きな通りに出て、近くのバス停に行った。フェリー乗り場までのバスが出ていたので、とりあえず行ってみることにした。正直言って、フェリーがどこまで行くのかまったくわからなかった。
 フェリー乗り場では、貴島行きとなっていた。この時は古い地図以外何も持っていなかった。次のフェリーの出発時刻は40〜50分先であった。どうしようかと迷ったが、乗ることにした。それまで、あたりをうろうろしながら、写真を撮っていた。フェリーの運賃は7元である。中国の公共料金は本当に安い。30分ぐらいの船旅であったが、海好きには大満足であった。もんもん写真館に中国・青島の写真を載せている。フェリーの1番前の台に座っていた女の子が絵になって本当によかった。川島小鳥写真集「未来ちゃん」(ナナロク社)はモデルの女の子がすべてである。この年頃の女の子はみんなかわいい。しかし、フェリーで見た女の子は、未来ちゃんまではいかないが、不思議な存在感があった。興味のある人は、もんもん写真館を見て下さい。
 青島の繁華街は市政府の近くである。ここから東に行くと、日本人向けの店もたくさんある。フェリー乗り場からここまでは、バスで思ったより時間がかかった。もう少し先に行こうと思ったが、どこで降りたらいいのかわからない。途中、大きなイオンの店を見つけた。とりあえず、ここまで歩いて戻ることにした。急いで日本を出発したので、怪しい所がどこにあるのかよくわからなかった。中国は怪しい所に行かなかったら、安くつく。今回も、だいぶ前(1元13円)に両替したお金がまた残ったぐらいである。今は1元が約18.2円である。イオンでは350ccの青島ビールの缶が4元で売られていた。大きなショッピングセンターで、フードコートやレストランもはいっていた。やはり日本の食は信頼があり、大勢の中国人でごった返していた。吉野屋では、1番豪華な焼き肉セットが22元であった。
 翌日は自分で空港まで行かなければならない。ところが、ホテルはビル街にあり、道路は渋滞しており、タクシーもつかまえにくそうであった。仕方ないので、ホテルで帰りのタクシーは予約した。日曜日だったので、思ったよりは混んでいなかった。実際には、領収書が出て、85元ほどかかった。帰りの飛行機の出発時刻は、午後2時ぐらいであった。帰りの方が飛行時間が短く、関西空港には2時間ちょっとで着いてしまった。この日はもうちょっと早く起きて、青島の東海岸に行ったらよかった。バスに乗って、ホテルの少し先まで行って、うろうろしたぐらいである。夏は海水浴シーズンであるが、雨が多い。日本から近く、ビールも美味しいので、地下鉄ができたらお薦めである。中国語がしゃべれず、初めてでも、誰でもガイドなしでうろうろできる。私は今回の旅行で、行ってみたい島もいくつか見つけた。
青島については、もんもん写真館の中国にアップロードしたので、興味のある人は見て下さい。
 

バス停  バス停の案内。停車するバスの番号が書いてある。横に小さな字で停まるバス停の名前が書いてある。すべて、中国語である。1番困るのは、普通の市内地図ではバス亭の名前が書いていないことである。ここでは、「市政府」など目印になるバス停をあらかじめ知っておいた方がいい。

海岸1  青島は長い海岸線に面している。ホテルの近くのバス停から第一海水浴場を目指した。たくさんのホテルが海沿いに建っていた。値段は高いかもしれないが、海辺のホテルの方がリゾート気分を味わえる。大勢の観光客が訪れていた。中には、こんなに寒いのに泳いでいるグループもあった。

海岸2  海岸沿いに歩いて行くと、岩場の風景が続く。天気がよかったので、気持ちがよかった。時々、強い風が吹きつけていた。小青島公園(小さな島で歩いて行ける。入場料は10元)までは適度な運動になる。途中、海軍博物館の飛行機や軍艦などを外から見ることができる。

レストラン  海辺沿いの海鮮食堂。昼食時だというのに、あまり客ははいっていなかった。観光地値段で、高いかもしれない。牡蠣とカニと青島ビールを頼んで、90元近くした。(1元は約18.2円)

フェリー  青島には青島天主教堂や水族館など定番の観光地がたくさんある。私は島を目指して、近くのバス停からフェリー乗り場に行った。ここから対岸の黄島まで30分ほどで着く。料金は7元である。本数は多くなく、1時間〜1時間半に1本である。ここはフェリーの後ろの部分である。

黄島  ここは黄島の開発区になる。フェリー乗り場の近くを歩いてみたが、めぼしい物は何もなかった。あちこちに行くバス乗り場はあった。帰って調べたら、海と砂が美しい金沙灘(日本の白浜みたいなもの)があった。バス乗り場からは時間がかかりそうなので、半日ぐらいは必要である。

海水浴場  フェリー乗り場で、2014年青島交通旅遊図を5元で手に入れた。こちらの地図はバス停が書いてある。細かい字なので、虫メガネがいる。フェリー乗り場から市政府に行く途中で、バスを降りた。バス代は1元なので、景色がよければ気軽に降りれる。小さくてわかりにくいが、海辺に第六海水浴場がある。

今週の愛聴盤 88 (140401)

All Fall Down / The Sound
All Fall Down / The Sound

 今回の紹介するアルバムも、イギリスのポスト・パンク・バンドである。日本ではあまり知られていないようである。1982年の発売である。まず、アルバム名になっている曲である。最近アップロードされた動画の方が面白いので、こちらの方を紹介する。The Sound - All Fall Downである。次は、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。The Sound - Where the Love Isで聴くことができる。他にいい曲がないか探してみたら、けっこう私好みの曲があった。次は1981年のアルバムからである。「The Sound - Winning(HQ)」とどちらを紹介しようかと迷った。ここではThe Sound - New Dark Ageの方を選んでおく。最後に、視聴者数が100万人を越えている曲である。この曲の出来はそれほど飛び抜けているわけではない。こういう場合は、歌詞がよほどいいに違いない。「もっと見る」をクリックすると、幸い歌詞がついている。「Pent up」という単語は私も知らなかったが、「抑圧された、鬱積した」という意味になる。「pent-up stress」で積もり積もったストレスとなる。30年以上前の曲であるが、まさに現在の人々の心情を歌っている。The Sound - I Can't Escape Myselfで聴くことができる。
 次に紹介するアルバムは、同じイギリスのバンドである。曲調はかわり、パンク・ロックになる。The Crack / Ruts(1979年)である。まず、ヒット曲となった> Ruts - Babylon's Burningである。同じアルバムからRuts - Jah Warも紹介しておく。

 

平成26年3月25日(火)

 ちょっと油断をしていると、障害者年金や新規の自立支援医療などの診断書がどんどんとたまっていく。新型インフルエンザの特定接種医療機関の申請も、インターネットで締め切り間際にした。日本年金機構から書類が届いていたが、まだ読んでいない。共済組合については個人で問い合わせをしないといけないようである。以前に意見書を頼まれた他府県の労災裁判の判決が近く出るようである。反論のためのぶ厚い資料が送られてきた。判決が出ていないので、まだ読んでいない。きのうは京都の労働基準監督署からも労災の意見書を頼まれた。臨時的に簡単な意見書ぐらいは引き受けることになっていた。それでも、資料を読みながら書いていたら、最低3時間はかかりそうである。いつもいつも時間に追われているわけではない。もともと締め切り間際にならないと火がつかないタイプである。最近は締め切りが近づいてもなかなかやる気が起こらず、困っている。
 やることが山ほどあるというのに、先週の週末は21日(金)の春分の日から23日(日)まで、海外に出かけていた。2泊3日の旅である。息子が国公立の医学部に落ちたので、車は買い替えないことにした。今年の9月に14年目の車検を受ける。車を買い替えることから比べたら、10万円前後の旅費はどうもない。(この不況の中、こうでも書かないと、反発を食らいそうである。) 正月やゴールデン・ウィーク、盆は早ければ半年近く前から予約をしておく。今回は連休が絡むので、3か月ぐらい前からしておいた。実は、いつも直前になると出かけるのがおっくうになる。今回行ったのは、中国の青島である。先に行き先を決めておいて、その間に簡単な中国語を勉強しようと思う。ところが、いつも何も覚えず、そのまま出発となる。自慢ではないが、これだけ中国に行っていて、中国語は何も話せない。
 青島は「地球の歩き方」には案内が載っていなかった(と思う)。仕方ないので、前日の木曜日にインターネットで簡単な地図と名所を調べ、印刷した。ホテルの場所も青島のどこのあたりになるのか調べた。今回も航空券とホテルとホテルまでの案内付きのパックツアーを予約した。予約する時には、ホテルがどこにあるのかいちいち調べるのが面倒なので、いくつかの候補から適当に選んでいる。
 21日(金)は関西空港を朝10時半の出発の飛行機に乗った。この日は大勢の人でごった返していた。手荷物検査場にはいるのに外で長い行列ができていた。飛行時間は3時間である。青島行きの飛行機は、空港の混雑から想像できないほど、空席が目立っていた。まだまだ、日本からの中国への観光客は少ないようである。空港ではホテルまでの出迎えが来ていた。私は旅行日程表もまったく読んでいなかった。帰りは空港まで送ってくれず、自分で帰らなければならなかった。ガイドに聞いたら、朝食はついていた。青島は反日デモで日本のスーパーが襲われた場所である。ガイドによると、日本人向けのホテルなどどこも観光客が戻らず、苦戦しているようであった。
 ホテルは日本人向けで、英語より日本語の方が通じるぐらいであった。まず、市内地図がないか聞いてみた。10元の地図を8元で売っていた。すべて、中国語である。出発の時に空港で調べた元の両替レートは18.26円であった。翌日にわかったが、最新の地図ではなく、バスの番号は変わっていた。青島は現在地下鉄の工事をしている。地下鉄ができたら、市内の移動は楽になる。しかし、広い市内はバスが移動の手段になる。タクシーもあるが、日中はつかまえにくい感じがした。バス代は何とたった1元である。この日は、今回の旅行の目的である青島ビール博物館に行くことにした。ホテルから目的地までバスを使わなければならない。ホテルから近くに大きな通りがあり、ここからこの方向のバスに乗ったらいいというのはわかった。しかし、この博物館の近くの道路がごちゃごちゃしていて、どこで降りたらいいのかわからない。とりあえず、中国語で青島ビール博物館と書いた紙を持って、バスに乗った。バスの番号と載ったバス停の名前はメモをしておかないと、永遠に帰って来れなくなる。
 ところが、バスに乗ってから、運転手にメモを見せたら、行かないような素振りであった。とにかく、近くまで行こうと思った。しつこくメモを見せていたら、台東のバス停で、どこの道を行ったらいいのか教えてくれた。帰りは道路の反対側から同じ番号のバスに乗り、先ほどメモしたバス停で降りたらいい。青島ビール博物館のことは最後に写真付きで詳しく書こうと思う。私はここでも書いているように、ビール党である。他にアルコールを飲むとしたら、ラム酒である。ワインは付き合いで飲む程度で、まったく詳しくない。ワインの好きな人が、フランスのワイナリーを訪れるように、ここは1度は訪れてみたかった。この日の夜はホテルの近くをうろうろしてみたが、ビル街でほどんど何もなかった。食事はホテルの横の日本食レストランにはいった。1人用鍋物とビール、一品物を頼んで、80元ほどであった。翌日からのことは次回の日記に書こうと思う。
 さて、今回の旅行中に読み終えた本である。あらかじめ持って行く本を用意していた。しかし、関西空港の本屋で面白そうな本があったので、つい買ってしまった。私は空き時間があると、喫茶店にはいる習慣はない。必ず近くの本屋に寄る。たくさんの本を買っても読み切れないので、なるべく買わないようにしている。しかし、今回のように例外もある。田原総一朗、宋文洲「君は今のままで中国人と互角に仕事ができるか?」(三笠書房)である。内容は本当に面白かった。最近の本は大事な所は太線で書いたり、各章ごとにまとめをつけたりする。ここまで親切にしていいのかと思う。この本はまとめはないが、所々太線で書いてある。私は特に田原総一朗のファンではないが、まったく同じ意見である。
 まず、後半に出てくる言葉である。宋は日本で東証一部の会社を立ち上げ、日中双方のビジネス事情に詳しい。日本の教育は嘘をつかないことに重点を置く。しかし、(ビジネスの)交渉というのは嘘をつくことから始まる。嘘と嘘とのぶつかり合いの中から本音や妥協点を探りだすのが交渉だという。日本人はバカ正直なので、損をする。仕事に正解がないのも、エリートの常識だと述べる。日本人はディベートの経験に乏しい。国際会議でよく言われるジョークに、「会議を成功させる秘訣は二つある。一つは日本人にしゃべらせること、もう一つはインド人を黙らせることだ」があるという。宋が講演会をすると、中国人は争って質問をするという。質問することが、相手を気づかう気持ちの表れになっている。日本人はなかなか質問しない。よい質問をしようと考えに考え抜いているからである。
 中国では集団になって、1人の子どもをいじめ続けることはないという。ここでも集団主義と個人主義の違いが出る。あくまでも、個人対個人である。陰でこそこそやるのではなく、あからさまに激しい攻撃をしてくる。いじめがあることを前提として、その中でどう生きるかが重要である。中国人の親は、先生には相談せず、いじめ撃退法やケンカのやり方を子どもに教える。田原は、日本人と中国人との競争意識の差について述べている。日本は資本主義なのに、日本人の半分は市場原理や自由競争が嫌いである。競争を教える教育をしていない。ところが、中国は社会主義なのに、競争が大好きである。宋は、日本の若者は夢が持てないことを国のせいにするが、中国人は国に対して何か期待することは絶対にないという。
 日本人同士の議論では、徹底的に言い合いになると、しこりを残しやすい。田原が司会しているTV討論会でも、日本人は討論が下手だという。双方が怒りをためこんだままスタジオを出て行く。番組の対立が尾を引くと、雑誌やネットでののしり合いに近くなることも多いという。中国人はケンカをすることを、仲良くなる機会と捉える人が多い。田原は、けんかのような激論をした後で握手できるのは、中国人の特質だという。他にも、宋は日本の業界の仲良しぶりは目に余ると指摘している。唯一会社が違えば敵同士というのは、IT業界ぐらいだという。中国は言論の自由がないと思いがちである。しかし、中国版ツイッターとも称される微博(ウェイボー)では政府に対する批判ばかりである。反政府デモなどは厳しく取り締まるが、微博(ウェイボー)は国民のガス抜きの役割を果たしている。日本は今後ますます少子高齢化が進んでいく。消費の旺盛な世代が減るということは、国内需要が減るということである。誰がどう考えても、中国人を相手に商売をしていかないと、日本は立ちいかなくなる。

標識  青島ビール博物館があるビール街である。この通りには、青島ビールを飲ませる店がたくさん並んでいる。青島は海に面しているので、海鮮料理も豊富である。今回旅行先を青島に決めたのは、私の好きな海とビールがそろっているからである。

ビール缶  この日は天気がよかった。実は旅行の3日間とも晴天であった。気候は日本とほとんど変わらない。外から見える青島ビール博物館の一部である。道を歩いていても、ビール好きにはわくわく感がある。

レストラン1  こんなモダンな店と昔からある食堂みたいな店が通りには混在している。今はオフシーズンになるのか、観光客は少なかった。日本でもビアホールのシーズンはもうちょっと先である。

レストラン2  店の前に大きなビールの樽が2本置いてある。向かって左側の樽は、無濾過のビールである。このビールが飲めるのは、ここぐらいである。

試飲  博物館の入場料は50元である。シニア割引では、25元である。中国では60歳からなので、パスポートを持って行ったら割り引いてくれる(と思う)。中国では歴史的な博物館でも、料金が半額になる。私はパスポートを持ち歩かないので、いつも正規料金である。ここは無料のビールの試飲室である。

バー  出口には、記念品売り場と大きなビアホールがある。ここでは、料金を払ってビールを飲む。

物売り  ビール街を抜けた路上では、日用品を売っている物売りがたくさん出ていた。テーブルの上に並べていたり、路上に直接並べているのもある。車の上にシートを敷いて売っているのは、今回初めて見た。

お土産  博物館で買ってきた記念品。空港では売っていない。値段は水筒が60元で、ペアのグラスが30元で、ウィスキーケトルのセットが80元であった。

今週の愛聴盤 87 (140325)

Thirsty / Clock DVA
Thirsty / Clock DVA

 23日の日曜日は、中国の青島から帰ってきた。特急はるかで京都駅に着いたのは午後7時過ぎであった。荷物もあるので、いつもはそのままタクシーで医院に戻る。しかし、今回はこの愛聴盤で紹介する最初のアルバムがまだ決まっていなかった。仕方ないので、そのままキャンパスプラザ前のマンションに行き、LPレコードを調べていた。いくつかの候補は考えていたが、もうひとつパンチが足りなかった。たまたまこのアルバムをチェックしたら、私好みの音であった。A面はもうひとつで、B面がよかった。英語版のウィキペディアによると、バンド名は小説「時計仕かけのオレンジ」からとっている。イギリスのバンドで、インダストリアル・ミュージックに属する。1981年の発売である。
 まず、B面の1曲目である。Clock DVA - North Loopで聴くことができる。次は、このアルバムの中で1番好きな曲である。Clock DVA - 4 Hoursである。TouTubeで他にいい曲がないか調べてみた。私好みの曲がけっこうアップロードされていた。ここではClock DVA - The Hackerを紹介しておく。他にも印象的な曲がたくさんあった。Clock DVA -- The Operatorsも悪くない。興味のある人は自分でもっと検索してみて下さい。
 さて、次のアルバムはA Thriving and Happy Land - Five or Six(1982年)である。1枚目のアルバムとマッチしたバンドを探すのは大変である。同じような年代の実験的なポスト・パンク・バンドである。以前に調べた時には、YouTubeにアップロードされていなかった。今回改めて調べてみたら、フル・アルバムが視聴できるようになっていた。インダストリアル・ミュージックというより、ノイズ・ミュージックに属するようである。ここでは、1番聴きやすい部分を紹介する。「もっと見る」をクリックすると、曲別に選択できるようになっている。Anchors [26:30]の時間の部分をクリックし、後は最後のConsider Thisを聴きたい所まで聴いたらいい。Five or Six - A Thriving and Happy Landで聴くことができる。

 

平成26年3月18日(火)

 きょうは久しぶりに東山保健センターに行ってきた。「東山区こころのふれあいネットワーク」に参加するためである。きょうの午後は往診の予定がはいっていた。変更できる患者さんはきのうの月曜日に済ませておいた。デイ・サービスに行っていて他の日に変更できない患者さんは、午後の外来が終わってから、すぐに診察をしてきた。同じ東山医師会のある院長が87歳になるというのに、この会議に参加されていて驚いた。精神科関係の講演会でも、時々お目にかかる。私は60歳過ぎて、「あー、疲れた」とか言って、半分引退モードになることもある。それに比べたら、すごいバイタリティである。東山保健協議会連合会の会長なども、私よりかなりお年である。それでもみんな元気である。年配の方の元気さにあてられ、この日記は午後3時半頃から書き出している。
 まず最初に、前回の日記で書けなかったことを先に書く。3月6日(木)は息子の大学受験の合格発表であった。前日に落ちていることがわかったので、合格発表はチェックしなかった。B判定であったが、息子がどうしても受けたいと言うので受けさせた。今から考えると無理な挑戦であったかもしれない。実はこの日は、午前中の外来が終わってから、東京に行っていた。何をしに行っていたかというと、東京ドームのローリング・ストーンズのコンサートを見るためである。私は昔からコンサートにはほとんど行っていない。学生時代や若い頃でも、小劇団の演劇を見るぐらいであった。これまでの人生でも海外のアーチストを見たのは、思い出しても2つぐらいしかない。円山公園の「スペシャルズ」のコンサートと京都のどこかのクラブでやっていた「スージー&バンシーズ」である。円山公園では、前座の「ノーコメンツ」の「ひょっこりひょうたん島」には大感動した。
 さて、ローリング・ストーンズである。これが最後だと思ったので、往復新幹線を使って行ってきた。この日には京都には戻れないので、品川で1泊した。朝1番の新幹線を使うと、京都駅に8時頃着く。何とか金曜日の外来には間に合う。私は最初の前売り券の売り出しの時に抽選にはずれ、A席を買った。その後も、もっといい席を販売していたので、あわてて買うこともなかった。値段は1万6千円である。場所は3塁席になり、かなり上の方であった。私は双眼鏡を持って行った。演奏姿はバックのスクリーンに大きく映し出される。観客は若い人もいた。しかし、そこらへんの道を普段着で歩いている私以上のおじさんやおばさんが多かった。
 最初は私の好きな「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」で始まり、最後は「サティスファクション」で終わった。ビートルズは私が高校生の時に解散したので、ほとんどの曲は知っている。ローリング・ストーンズは最近の曲はあまりよく知らない。しかし、サービス満点で、懐かしい曲をがんがんと演奏してくれた。ミック・ジャガーの声もよく出ていた。東京ドームでは音が悪いのではないかと心配したが、予想以上によかった。年寄りのおじさん、おばさんが立ち上がり、激しいロックのリズムを合わせて身体を揺らせていた。懐かしい「ルビー・チューズデイ」や「黒く塗れ」も演奏していた。この「黒く塗れ」は同じ府立医大出身の大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」に出てくる。「ホンキー・トンク・ウィメン」を聴いていて、高校生の時を思い出した。放送部か何かで、昼休みこの曲を放送していたら、「うるさいから、止めろ」と先生から苦情があった。「悪魔を憐れむ歌」もやっていた。もうちょっとパーカッションを強調してくれた方が私好みである。私は年をとって、新幹線はグリーン車しか乗らない。このコンサートにはお金がかかったが、それ以上の価値があった。
 この前の日曜日は、息子の合格祝いで、池田の妹の所に行った。母親は82歳で、近くに住んでいる。息子は今まで受験だったので、あまり顔を出さない言い訳にもなっていた。母親は父親が亡くなってから、体の調子もいいと言っていた。父親は最後の方は施設にはいっていた。それでも、目に見えない負担が常にかかっていたようである。私も仕事をやめたら、体調はよくなるかもしれない。よく考えたら、自営業だったので、結婚してからはほとんど父親に付き添っていたことになる。外来でも老夫婦を見ていると、目の前にお茶が置いてあっても、「お茶」と言う夫も多い。「言い返したら、何倍も返ってくる」と言い、黙って我慢している妻も多い。この年代になると、時代が変わったことに気づこうとしない夫も多い。
 久しぶりに、母親とゆっくりと話ができた。この日は、私が中学生の時に集めていた切手のストック・ブックを渡してくれた。昔は「見返り美人」などの高価な切手を手に入れることが夢であった。今はオークションなどで3000円ぐらいで手にはいる。1971年発売の「天皇皇后両陛下御訪欧記念」の2枚組の15円切手もはいっていた。最近知ったことであるが、この時に天皇皇后両陛下は欧州で厳しい歓迎を受けている。(興味のある人は自分で調べて下さい。) 母親は古い人間なので、長男の私や孫にあたる息子には甘い。この日は母親の家に泊まった。日中は暖かかったのに、夜は寒かった。母親は翌日は張り切って、朝食を作ってくれた。父親が私に言っていた「親孝行、したくとも親はなし」という言葉を思い出した。私は妹とは違い、毎回忙しさにかまけて、まったく親孝行をしていないと反省した。
 さて、きょう読み終えた本である。名越健郎「独裁者プーチン」(文春新書)である。私は毎晩寝る前に寝床で本を読んでいる。5分で眠くなってしまう時もあれば、30分以上読み続ける時もある。滅多にないが、夜中に目覚めて眠れない時には、明け方まで読む時もある。この本は最初の部分だけ読んで自宅に放置しておいた。読みかけの本を自宅に持ち帰るのを忘れた時だけ、代わりにちょびちょびと読んでいた。だいぶ昔の本かと思ったら、平成24年5月に出版されていた。現在、ロシアのクリミア編入が国際問題となっている。この機会に、一気に読み終えようと思った。長い期間をかけて読んでいるので、最初の方の内容はもう忘れてしまっていた。もう1回読み直したりしているうちに、段々と疲れてきた。とりあえず、書ける所まで書こうと思う。
 まず、生い立ちである。少年時代は「チンピラやくざであった」と自ら告白している。柔道に出会って熱中し、猛勉強をして最難関の国立レニングラード大学に合格している。KGBスパイとしては二流のポストにいた。KGBには16年いたが、大佐になれず中佐止まりであった。その後、ペテルブルグの副市長を経て、親しくなった新興財閥のベレンゾフスキーを介して、エリツィンと会っている。当時、エリツィン後継候補の顔ぶれはお粗末で、能力も低かった。1999年に首相に就任し、チェチェン戦争で国民の喝采を浴びた。ここでは、木村汎北大名誉教授の言葉を引用している。プーチンの統治に影響を与えたKGB流の世界観、思考法として、愛国主義、現実主義、人脈形成、忠誠心の四点を挙げている。90年代の民主化や市場経済改革を切り捨て、ロシア思想に基づく国家建設を訴えた。スラブ主義といわれる、西洋の文化、伝統とは異なるロシア固有の文化や歴史伝統が存在するという考え方に基づいている。この本では、プーチンの絶頂期は2007年で2011年から腐敗と汚職を放置したことで人気も凋落したという。
 この本で1番面白かったのは、年末の風物詩ともなったTV番組の「国民との対話」である。全部で10回放送されたという。2011年では4時間半に渡って、プーチンが直接国民の質問に答えている。この間、国民の声に真摯に耳を傾け、1回も休憩もとらず、原稿も見ず、よどみなく誠実に答えている。ここで質問される内容は、市民生活からマクロ経済、外交や安全保障、地方の問題や歴史問題などさまざまである。地方の知事や幹部、議員は戦々恐々として番組を注視する。例えば、ある年金生活者が、「私たちの村には水道がありません。予算は村に届いているのに、そのお金はどこに消えたのでしょう。村人は水を汲むために、200〜300メートル歩かなければなりません。」と質問すると、プーチンは視線をTVに向け、「現在(この地方の)知事の再任問題を審査している。この問題が解決されない限り、再任手続きをしないことにしよう。」と答えている。どうなったかというと、水道の突貫工事が行われ、軍服姿の知事が「大統領、任務を完了いたしました」という敬礼する写真が新聞の1面トップに載った。この本にも書いてあるように、現代版水戸黄門である。もちろん、周到な演出もある。他にも、プーチンに関する興味深いことがたくさん書かれており、お薦めの本である。

今週の愛聴盤 86 (140318)

Aria / Alan Sorrenti
Aria / Alan Sorrenti

 私は若い頃は筋金入りのプログレファンであった。だから、ここではわざとプログレの王道バンドをはずしている。過去の思い出を語ることは誰にもできる。私の強みは、30〜40年前の現物のLPレコードをまだ手に残していることである。有名バンドはCDなどで再発されることはわかっていた。だから、意識的に当時日本ではあまり知られていないアルバムだけを残すようにした。それでも、これまで紹介したアルバムはけっこうCDで再発されている。今回紹介する最初の2枚は、日本ではあまり知られていないイタリアのプログレである。しかし、2枚ともCDで再発されていた。今でも入手困難でないので、少しがっかりである。まず、最初のアルバムである。1972年の作品である。イタリアのカンタウトーレ(シンガー・ソングライター)で、このファースト・アルバムだけがプログレとして評価されている。その後のアルバムは、普通のポップスのようである。中身はすっかり忘れていた。ネットでも書かれているように、私の好きなピーター・ハミル(ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのボーカリスト)を思い起こさせる。今回紹介するのは、長い曲で、LPレコードのA面すべてである。Alan Sorrenti - Ariaで聴くことができる。YouTubeでは、「Completa + Testo」と書いてあるが、私の持っているレコードで調べてみたら、タイトルとはまったく関係なかった。
 次のアルバムは、Untitled / Biglietto Per l'Inferno(1974年)である。このアルバムの内容もすっかり忘れていた。今回聴き直してみたら、本当によかった。イタリアではよく知られているバンドのようである。私は「イタリアン・ロック集成」(マーキームーン社)1993年刊を持っている。1963〜1993年までに発売されたアルバムを紹介している。この本の表紙は、ここでも紹介した「Opus Avantra」のジャケット写真が使われている。1ページ6枚のアルバムが、256ページに渡り掲載されている。この中のレコード評でも高い評価を得ていた。まず、Biglietto Per l'inferno - Confessioneである。次も、長い曲である。それでも、プログレファンだったら、1度は聴いてみる価値がある。Biglietto Per l'Inferno - L'Amico Suicidaである。
 最後は、素人受けしそうなアルバムである。Untitled / Celeste(1976年)である。私の持っているレコードは、日本盤で1981年に発売されている。ライナーノートを見ると、「未完」とか「広がり自体に深みが伴わない」とかあまりいいことは書いていない。それでも、聴きやすいことは確かである。まず、Celeste - Principe Di Un Giornoである。この曲が気に入った人には、Celeste - Favole Anticheも悪くない。

 

平成26年3月11日(火)

 先週から今週にかけていろいろあった。まず、息子の国公立大学医学部の受験発表である。先週の水曜日は、不合格になった場合のことを考え、息子と今後のことをゆっくりと話した。娘は私に対する反抗期が強かったので、息子はこれまでほとんど反抗することがなかった。高3ぐらいから、時々素直に受け答えをしなくなることがあった。私も受験に関しては、しつこく聞いたり、うるさいことを言わないようにしていた。試験が終わった後に、できを聞いたら「わからない」と答えていた。この時も、まだ合格発表前だったので、実際どうなのか聞いてみた。すると、「失敗したので、落ちている」と言われた。「少しでも可能性はないのか」と聞いたら、「ない」と返事が返ってきた。もしかしたら、合格しているかもしれないと、私1人が盛り上がっていたことになる。「お前な、落ちているとわかっていたら、もっと早く言えよ」と言ったら、今度は息子が逆ギレした。
 よく考えたら、1番がっかりしているのは親の私ではなく、息子である。この日記でも書いているが、息子はもともとあまり勉強するタイプではなかった。そこそこ勉強して、サッカーやゲームに夢中になっていた。昔から「姉ちゃんみたいに、あんなに勉強できへんで」と最初から宣言していたぐらいである。娘は親が何も言わなくても、真面目にこつこつと心配になるほど勉強するタイプであった。前回の日記でも書いたが、勉強を強制してもあまり意味がない。息子にどうやって勉強させたらいいのか、私なりに工夫はしていた。高3の後半から1浪中は、息子は本当に頑張ったと思う。本人は、夏休みでも1日12時間ぐらいは勉強したと言っているぐらいである。1年間の浪人で、実際に成績は飛躍的に伸びていた。
 合格発表前に、落ちていることがわかったので、今後のことである。選択肢は3つである。まず、2浪して、志望校またはそれ以上の大学を目指すである。実は、妹の娘が2浪して医学部にはいっている。2浪目はセンター試験が94であった。それでも、志望校に数点足りなくて落ちている。この時に、センター試験の成績だけで、近畿で1番手の私立医学部と地方の国立大学医学部に合格した。どちらを選択したかというと、私立の医学部である。このことについては、息子の選択とも関係するので、後で詳しく解説する。次に、地方の国立大学の後期試験を受けるである。最後の選択は、すでに正規合格している近畿で2番手の私立医学部に行くである。
 息子は2浪する覚悟がまったくなかったわけでない。しかし、妹の娘のこともあったので、私としてはあまり2浪はさせたくなかった。話が少しずれるが、天皇陛下の心臓外科手術の執刀医であった順天堂大学医学部の天野教授は私より2歳年下である。出身大学は日大医学部で、何と3浪もしている。私が強気になれなかったのは、60歳になったことも関係している。当初は、私は地方の国立大学に行くのが当然だと思った。私の時代は、私立医学部というと金で入学というイメージがつきまとっていた。ところが、今の時代は地方の国公立大学より、東京や大阪にある大都市の私立医学部の方が偏差値が高いのである。私立はセンター試験を受けなくてもいい。だからといって、易しいとは言えないのである。実際に、昔のままのイメージを引きずっている人は、この偏差値を見て驚くと思う。(今年の分は合格発表があったばかりなので、まだ出ていない。) この医学部偏差値ランキング(2014)をクリックしてもらったらわかると思う。滋賀医大より、大阪医大の方が高いのである。奈良県立医大がこんなに高いのは、後期の定員の方が多く、50人を越えるからである。前期で京大、阪大、府立医大などに落ちた人が殺到する。3つの大手の予備校の平均を出しているので、小さな誤差はあってもほぼ間違いない。
 息子が受けようとしている地方の国立大学医学部の方が偏差値が低かった。後期の試験なので、もちろん合格するという保証はない。今はどこの大学を出ても、全国どこの病院でも研修が受けられる。地方大学の医学部出身者は大都市に戻り、地元出身者でも大都市で研修を受けようとする。そのため、地方の病院は医師不足になっている。将来は、研修先の病院も何らかの制約を受けるようになるかもしれない。そうなったら、地方の国公立の医学部はもっと偏差値が下がることになる。また、今の都会育ちの子どもはあまり地方の大学には行きたがらない。せっかく入学しても、やめて都会に戻ってくる学生もいる。結局いろいろ総合的に考えて、近畿で2番手の私立医学部に行かせることにした。
 私立医学部の偏差値が高いからと言って、授業料が安いわけではない。昔は裏の寄付金がブラックボックスで、謎に包まれていた。今は、何でも情報公開の時代である。私立医学部といえども透明性を保たなければならない。少なくとも、正規入学者については公表通りである。合格発表では、正規合格者より補欠合格者の方が多い。国公立大に入学したら、みんな抜けて行くからである。補欠入学者については、表には出ないOB枠など特別枠があるのかよくわからない。さて、学費である。最近の週間ダイヤモンドに、帝京大学医学部が学費を今年から値下げしたと書いてあった。これまで私立医学部の中では1番高かったようである。6年間の負担総額は、約3750万円である。いくら値下げしたかというと、1100万円である。まるで、売れ残ったマンションの叩き売りである。慶応義塾大学が2000万円をわずかに超える。妹に聞いたら、近畿で1番手の私立医学部で、すべて含めて3500〜600万円だという。入学してから寄付金の依頼があるが、あくまでお願いで任意である。私の息子が合格した大学は、今年から学費を値下げし、新しく校舎を建て替えている。6年間ですべて含めると約2800万円である。これからは、もっと偏差値が高くなるかもしれない。
 最近は大手の会社でも退職金が3000万円を切っている。それから比べたら、とんでもない金額である。国公立大学の授業料は6年間で約350万円である。金銭的余裕がない人は地方の医学部に行くしかない。しかし、先ほどの医学部偏差値ランキングをもう1度見てもらったらわかるように、大都市の私立医学部より偏差値は低いのである。私立医学部も定員が100名なので、関西地区に限っても、これぐらいの学費を払えるとんでもない富裕層から無理したら払えるサラリーマン層まで山ほどいる。現在の異常なほどの医学部人気と都会志向にはそら恐ろしくなるほどである。大学生の1人暮らしには、1ヶ月平均11万5千円かかる。6年間の生活費は830万円である。授業料と合わせると、国公立の医学部でも1人暮らしをしたら、最低1200万ほどかかる。もっとも、自宅通学でも食費はかかる。京都から滋賀医大でも、専門課程にはいると1人暮らしをする人が多い。私の自宅から息子が行く大学は、10分に1本出ている特急で20分である。自宅から大学のキャンパスまで片道35分もかからない。
 今はこんな風に冷静に書いているが、先週の水曜日は息子が志望校に落ちていることを知って、夜が眠れなかった。私も60歳になって、どういう風に人生をリセットしたらいいのかずっと考えていた。私がここまで詳しく書いているのは、後輩の先生を見ていても、けっこう晩婚の先生がいたりするからである。女医さんが増え、年齢の割にまだ子どもが小さかったりする。私はある意味で、晩婚の最先端を走っているのである。私が38歳で妻が33歳の時に結婚している。今年の7月に娘が22歳になり、息子が20歳になる。私は5月産まれなので、その時にはもう61歳になっている。開業して、すでに息子の授業料ぐらいは余裕で貯めている。実際に、こういう時のために、あまり贅沢もしていない。私は神戸にいる時にバブルの時に買った京都の家を売っている。この時に、金利も高かったので、4000万円ほど損をした。手元には、親から借りていた1000万円が残っただけである。43歳で私は本当に1文無しになった。その後、数ヶ月もしないうちに医局の教授から声がかかり、京都第一赤十字病院の部長として京都に戻った。あのまま開業せずに日赤の部長を続けていたら、経済的に苦しいながら何とか入学させることができたぐらいである。
 それにしても、自分の息子を母校または母校以上の医学部に入れるのは本当に至難の技である。詳しく調べていないが、同級生でも数人ぐらいしか知らない。母校の大学教授でも少ないと思う。医局でも、もう卒業しているが、京都市内の有数の総合病院の部長が子どもを府立医大に入学させている。しかし、厳密に言うと、この先生は府立医大出身ではないので、母校に入学させたわけではない。私が知らないだけかもしれないが、医局でも最近は聞いたことはない。滋賀医大とかはまだいたりする。子どもがまだ小さくても、今40代や50代前半の人はばりばりと仕事をしていると思う。しかし、60歳を越えたらけっこう大変である。時代の最先端を走っている私が実感として言っていることなので、現実として知っておいた方がいい。
 さて、今週読み終えた本である。山口真由「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある」(扶桑社)である。著者の生まれ月にもよるが、まだ30歳ぐらいである。努力してどの程度の人なのかというと、東大法学部を主席で卒業し、財務省に入省し、現在弁護士をしている。司法試験の口述試験前の2週間は、1日19時間30分勉強し、眠気と闘うために冷水に足をつけている。この時に、「蛍の光、窓の雪」という幻聴が聞こえてきたという。息子が志望校に落ちた腹いせで言うわけではないが、ここまで勉強すると努力家というより、奇人・変人の類いになるのではないかと思う。ただ、著者のいうことはよくわかり、私もただ要領がいいだけと言われると腹が立つ。ビートたけしがある番組で、東大に行っている学生の親は東大に行っていて、最初から違うと話していた。ビートたけしが誤解しているのは、たまたま持った番組では話題作りにそういう学生ばかり集めていただけである。先ほどの医学部でも述べたが、東大クラスの自分の母校に子どもを入学させるのは至難の技である。中にはとんでもない家庭もあるが、ごく一部である。お金さえかけたら、どこにでも入学させることができるわけではない。ここまで書いていて、今ちょっと気になったことがある。受験の神様と言われている和田秀樹に子どもがいるなら、どうなっているのか誰か教えて欲しい。
 さて、本の内容である。60歳になった私でも参考になることが書いてある。しかし、著者のように努力しても、東大の法学部を主席で卒業できるわけではない。苦手なことは努力してもあまり効果が出ないので、得意なことを努力して伸ばすべきだという。著者は、自分の人生の優先順位を決めている。仕事は生活の基盤で、家族は精神的な基盤である。恋人は癒やしの存在だという。著者の優先順位は、家族、仕事、恋人で、恋人は代替可能な存在で、基盤とは言えないという。ここでは、漫画「エースをねらえ!」で出てきた言葉も引用している。何のエースかというと、テニスである。「みんな、ベストな状態で試合をできることなんてないのよ。それでも、その状態でベストを尽くすものなのよ」 そっくりそのまま息子に送りたい。自分との戦いより、ライバルとの戦いにもって行くとか、いいことが書いてある。この本を読んでいたら、私ももっと努力しなければならないと思うようになってきた。しかし、年をとると、自分の能力を発揮できる場所が段々と少なくなってくる。それこそ、自分の遺書を英語で書くことぐらいしかない。

今週の愛聴盤 85 (140311)

Framtiden Ar Ett Svavande Skepp Forankrat I Forntiden / Algarnas Tradgard
Framtiden Ar Ett Svavande Skepp Forankrat I Forntiden / Algarnas Tradgard

 きょうはスウェーデン特集である。私の持っているこのLPレコードはすべてスウェーデン語である。後から再発されたCDでは、曲名に英語が使われているようである。この長いアルバム名も、1字も違えず、書き写してくるのは大変である。1972年の発売である。音楽としては、電子音楽や民族音楽が入り乱れ、瞑想的である。私は個人的には好きな音楽である。まず、1曲目である。プログレは長い曲が多い。うまくはまり込めたら、後は音楽に身を委ねたらいいだけである。Algarnas Tradgard - Tva timmar over tva bla berg med en gok pa vardera sidan, om timmarna ... alltsaで聴くことができる。次の曲は、私の持っていない別のアルバムからである。Algarnas Tradgard - Min Barndoms Tradを紹介する。
 次のLPレコードは、Svit For Elektroniskt Dragspel / Ralph Lundsten(1973年)である。Ralph Lundstenはスウェーデンの電子音楽家である。これまでに数多くのアルバムを出している。私の持っているアルバムは、A面は1968年に制作された作品で、B面は1973年である。気にいった曲を選んで、YouTubeで調べてみたら、1曲もアップロードされていなかった。仕方ないので、YouTubeでアップロードされている曲の中から紹介する。少し軟弱な曲であるが、Ralph Lundsten - The Endless Taleである。動画の中に6等分された本人の自画像が写る。これが私が持っているLPレコードのアルバムジャケットである。私はどちらかというと、初期の単純ではあるが、美しいメロディの方が好きである。その片鱗をうかがわせるのが、Ralph Lundsten - I Kika-Digga-Dingである。
 私の持っている最後のLPレコードは、Bla Vardag / Atlas(1979年)である。1番気に入っている曲は、これも長い。全部で14分を超えている。5分ぐらいの所で、もう聴くのはやめようかと思うが、6分半ぐらいでまた盛り返してくる。Atlas - Pa Gataである。

 

平成26年3月4日(火)

 先週は月末だったので、往診も特別な用事もなかった。こういう時にしかできないので、13年目になる車をまた修理に出していた。修理工場に出すので、どうしても5〜6日かかる。今年の9月に14年目の車検が来る。車の傷は直してもらったが、タイヤを含め、他にも交換したり、直したりする部分があった。車検前に車を買い替えるなら、タイヤ交換を無理にすることはない。ハリアーは好みであるが、大きすぎて買う気はない。しかも、ハイブリッドは今注文しても9月に間に合うかどうかだという。最近、人気車種は注文しても半年以上先である。サイも大きすぎて買う気はない。こちらの方はモデル・チェンジしてもあまり売れていないようである。
 新車を買っても、喜びより傷つけられることの方が心配である。きょうのように、医院に泊まる時は借りている駐車場に一晩中置くことになる。今の車は別の駐車場に置いている時に、窓ガラスの枠に鋭い刃物を入れられ、雨などがはいらないようになっているゴムのパッキングみたいな部分が削り取られていた。一晩中停める時には、立体駐車場が1番安心である。コイン・パーキングも最近は監視カメラがついているので、まだましかもしれない。屋外の月極の駐車場が1番危ない。車を長いこと買い替えていないので、3泊4日の10万円前後の海外旅行は知れている。
 きょうは3件の往診があった。家族の分も含め、合計5人である。すべて車を使っての往診である。1件目は五条通りと祇園の間の一方通行の狭い路地にある。いつもは五条通りのコイン・パーキングに停める。ところが、ふだんはガラガラなのに、なぜかきょうは満車であった。仕方ないので、近くに駐車場ないか探した。ところが、どこもいっぱいであった。清水の方まで行ったが、こんな所に停めたら歩くのが大変である。結局近くの駐車場を見つけるのに、30分近くかかってしまった。3件目は24号線の竹田辺りである。これぐらいの距離になると、やはり車が便利である。
 少し前に、タクシーを停めたらクラウンであった。急いでいると、小型車と中型車の区別がつかない時がある。いつも停めてから、失敗したと思う。個人タクシーでガソリン車であった。運転手の人に聞いたら、市内ではリッター7kmを切ると言っていた。実は私の車も同じぐらいである。それでも、通勤と往診に使うぐらいなので、買い替えるよりは遥かに安くつく。息子の前期の試験は、今年は数学が例年に比べて易しかったようである。いつもは難し過ぎるので、数学の得意な人はかえって点差をつけにくい。得意な人も不得意な人も点数が取れないのである。だから、数学が苦手な人には有利であった。ところが、今年は英語が難しかったようである。娘も息子も私と同じで、数学がだめで英語が得意である。後期は英語だけの試験なので、前期が落ちたら頑張って欲しい。息子が国公立の医学部に合格したら、車を買い替えようかと迷っている。夜間だけ医院の前に停め、ついでに監視カメラを取り付けてもいい。
 さて、きょう読み終えた本である。まさきまほ「もう独りにしないで 解離を背景にもつ精神科医の摂食障害からの回復」(星和書店)である。星和書店は精神科関係の本を出版している会社である。他の医学書とは違い、値段は1800円で一般向けである。著者は滋賀医大を卒業後、京都大学精神神経科で研修を終え、大阪のクリニックで勤務しているとなっている。この本には、「一九八五年 秋 十歳」と、生まれ育った時期を書いている。年齢は、現在38歳ぐらいになる。ここまで何もかも明らかにしていいのかという内容である。摂食障害というは、拒食や過食・嘔吐を繰り返す精神障害である。難治性の患者さんも多く、治療者として無力感を感じる病である。実はきょう往診に行った患者さんの1人も慢性の重い摂食障害があった。エンシュア・リキッドを飲んでも気持ち悪くて吐くと言っていた。立っている姿を見たら、足が骨だけのようになっていた。こちらの方が気を失いそうになった。何回も倒れては、救急で京都第一赤十字病院に運ばれ、主治医として本当に肩身が狭い。本格的な入院治療はずっと拒否し続けている。
 私は最初は詳しくこの本の内容を紹介するつもりであった。ところが、両親は京都の医者で、この本の中でどこに住んでいたかも詳しく書いている。同じ京都市内で開業している同業者としては、両親が特定されそうな記述については避けたい。年齢からいうと、まだ両親は健在である。私は京都の狭い精神科の世界しか知らない。しかし、この本を読んだら、どこの誰かわかる人にはわかるだろう。著者は幼い頃から両親に虐待され、父方の祖父には4歳の時から性的いたずらを受けていた。まさきまほこという名前は、まほこは実の名前(仮名?)で、まさきは自分が逃れられない過酷な環境で作り出した別の人格である。
 父親は外では仏様と言われるぐらいの人物であった。しかし、自宅では子どもたちには理不尽なほど激しい暴力をふるっていた。著者は毎日おねしょしたり、髪をたくさん抜くようになっている。母親が台所でタワシがないと言っている時に、近くの商店街に行って自分の小遣いから80円を出して買って帰った。この時に、母親から「あんた盗んだんか?」と箒で何百回と叩かれたと書いている。5歳の時の記憶で、この時から自分は悪いだけの存在なんだと思うようになったという。
 精神科領域では、後から作られた記憶というものもある。しかし、この本を読むと、一部の歪んだ強調はあったとしても、概ね実際にあったことなのだろう。著者は医者であったので、まだ立ち直るチャンスがあったとも言える。この本にも書いてあるが、女子医大生の中には、軽症も含め摂食障害の人が少なからずいるらしい。ただひたすら真面目に勉強ばかりして、女医さんになる人も増えてきた。こころの問題を抱えている人も、意外に多いのかもしれない。私は長男であったので、小学校までは父親にスパルタ式で育てられた。溺愛はしてくれたが、成績が悪かったら、しょっちゅう殴られていた。いつも泣きながら家の中を逃げまくり、今から考えると本当に地獄であった。勉強しろと言っても効果がないことは私が1番よくわかっていた。だから、子どもたちには勉強しろと強制したことは1度もない。

今週の愛聴盤 84 (140304)

Waiters On The Dance / Julian Jay Savarin
Waiters On The Dance / Julian Jay Savarin

 本でもそうであるが、30〜40年も経つと、どんな内容であったかほとんど忘れている。LPレコードも久しぶりに聴き直してみると、一部のメロディーを思い出す時とまったく思い出せない時がある。針を落として、1曲1曲チェックしていると、なかなかいい曲が見つからず、いらいらすることもある。今回たまたま手にとったこのアルバムは、まったく内容を覚えていなかった。A面3曲、B面3曲の6曲入りである。ところが、あまりの出来の良さに、最初から最後まで全曲を聴いてしまった。こんなことは、皆無に近い。名盤と言われているアルバムでも、すべてがいい曲で構成されているわけではない。
 日本盤のLPレコードには、帯が付いている。私はほとんど帯は取って捨てている。日本の大手のレコード会社ではアルバム紹介のライナーノートがはいっていた。このライナーノートは必ず残している。このLPレコードはライナーノートが入っていなかったので、すっかり輸入盤かと思った。ジャッケットの裏を見ると、日本のエジソンから発売されていた。YouTubeなどでは、1971年の発売となっている。私のLPレコードにはYoung Blood/Birth Music(1969)と書いてあった。1986年に、5 Hours Backから再発されている。1969年といったら、今から45年前である。ちなみに、この1969年(昭和44年)の日本のヒット曲を調べてみたら、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」 やピンキーとキラーズの「恋の季節」があった。
 Julian Jay Savarinはドミニカ生まれのイギリスの音楽家で詩人で、このタイトル名と同じ小説を書いている。後にSF作家になっている。45年前の曲とは思えないほど、今聴いても新鮮である。まず、アルバムの1曲目である。Julian Jay Savarin - Child Of The Night 1 & 2である。次は、最近日本人がアップロードした動画を紹介する。まだ。1週間ちょっとしか経っていないのに、iTunesで購入できるようになっている。Julian Jay Savarin - Dance of the golden flamingoesで聴くことができる。3曲目はどの曲を選んだらいいのか迷うぐらいである。ここでは1番視聴者数の多い曲を紹介する。Julian Jay Savarin - Soldiers Of Timeである。後の3曲は「Julian Jay Savarin - Stranger」、「Julian Jay Savarin - The Death Of Alda」と「Julian Jay Savarin - Cycles」である。興味のある人は自分で検索して下さい。
 さて、2枚目のアルバムもイギリスのバンドである。私の持っているLPレコードは日本盤である。アルバム名はModern Masquerades / Fruupp(1975年)である。テイチクレコードから2300円で発売されていた。ライナーノートは森脇美貴夫が書いている。日本でいつ発売されたのかは、よくわからなかった。このバンドは、ファンタジックなジャッケト・デザインのアルバムを何枚も出している。何枚か聴いたが、プログレとしては少し中途半端で、もうひとつ乗り切れない部分もあった。やはりこのアルバムがベストである。まず、Fruupp - Misty Morning Wayである。最後の1分ほどがプログレらしくなる。次は、Fruupp - Masquerading With Dawnである。この曲も、4分過ぎてから曲調が変わってよくなる。最後に、1番視聴者数が多い曲を紹介する。Fruupp - Sheba's Songである。

 

平成26年2月25日(火)

 体調はほぼ戻ってきたが、まだ咳き込むことがある。念のために、ほとんど医院で寝泊まりしていた。私立医学部の入学金などの納付期限があったので、郵便物などは自宅に取りに行っていた。医院で仕事をして、医院で自炊して、医院で寝泊まりをしていると、気分的に煮詰まってくる。今は外食もできるが、体調が悪かった時には外に出る元気もなかった。キャンパスプラザ前のマンションにも気分を変えるために泊まりに行っていた。きょうはこの日記を書かなければならないので、また医院に泊まる。息子の国公立の前期の試験が終わるので、明日は自宅に帰るつもりである。国公立に合格した場合には、すでに収めた前期の授業料などは返ってくる。入学金だけは返ってこない。私は納入締め切り日の1日前に銀行に行って必要なお金は納めた。ところが、午後2時をわずかに過ぎていたので、送金は翌日になると言われた。もし、翌日にお金を納めに行っていたら、間に合わなかったことになる。今から考えても、冷や汗ものであった。息子はB判定の志望校を受験したので、トリプルアクセル並みの成功率になる。
 この前の日曜日は今月中に書かなければならない自立支援医療と障害者福祉手帳の更新用の診断書を書いていた。今は新規の診断書に書き直しているので、けっこう手間暇がかかる。2年ごとの更新なので、すべて書き直すのに2年かかることになる。だいぶ書き直したと思うが、まだまだである。PDFに書き込めるように、独自のソフトを使っている。2つの診断書のファイルを同時に開くことができないので、簡単にコピペできない。1度書き上げたら、次の更新は楽である。日曜日は、確定申告のための書類と1月分の資料をまとめていた。診断書とこの作業だけで、昼食をはさんで、朝11時から夕方まで時間がかかった。本当は、今月中が締め切りの労働基準局から頼まれている労災の意見書を書かなければならなかった。何とか27日(木)までに書き上げるつもりである。
 さて、今週読み終えた本である。田原総一朗「私が伝えたい日本現代史1934ー1960」(ポプラ新書)である。著者は今年の4月で80歳になり、小学校5年生の時に終戦を迎えている。少し前に、安倍首相の靖国神社参拝問題や側近や百田尚樹などのNHK経営委員の発言をめぐって、大騒ぎとなっていた。多くの人たちが知りたいのは、事実はどうだったかである。私は前にも書いたように、一昔前の左翼の知識人の自虐史観に対しては反発していた。2003年に出版された、渡部昇一「渡部昇一の昭和史」(ワック)をまだ残しているぐらいである。しかし、今ではこの本の内容については疑問を持つようになっている。
 百田は、米軍による東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」と表現し、A級戦犯を裁いた東京裁判は「それをごまかすための裁判」だったと主張した。さらに、南京大虐殺についても、「そんなことはなかった」と発言している。このあたりのことについては、田原の本を読むと、詳しく書いてある。歴史の解釈はいろいろできるが、現在明らかになっている事実を正確に伝えようとしていることは確かである。この本では靖国神社のことはまったく触れておらず、東京裁判やサンフランシスコ講和条約のこともあまり詳しくは書いていない。「渡部昇一の昭和史」は、今ではあまり詳しく内容を覚えていない。しかし、手元に本があるので、重要な歴史的出来事で比較できる記述については簡単に触れていこうと思う。
 まず、満州事変から2・26事件までである。著者が生まれる3年前の1931年(昭和6年)9月18日に柳条湖で満州鉄道が破壊された。私が去年の夏に瀋陽を訪れた時の九・一八歴史博物館は、この日にちなんで名付けられている。(もんもん写真館にすでにこの時の写真も載せている) 田原の本では、関東軍が満州鉄道を破壊し、それを中国軍のせいにしたと書いてある。渡部の本では、関東軍が満州事変を起こし、満州国を作ったとなっている。関東軍の暴走については、首相も内閣も規定されていない明治憲法の欠陥に由来すると渡部の本には書いてある。「統帥権問題」が明らかになり、軍は「われわれは政府の指図を受けなくていいのだ」と主張し始めていた。渡部は当時の日本軍が満州で軍事行動を起こしたことについては国際法上問題ないと述べ、侵略行為でないと述べている。しかし、田原は満州事変は間違いなく侵略戦争と書いている。
 この本は最初から最後まで勉強になる。この時代の知識の整理をするには本当に役立つので、若い人にはぜひとも読んで欲しい。すべてを取り上げていたらきりがないので、印象に残ったことだけ取り上げていく。次に盧溝橋事件である。この時に先に発砲したのは中国側であった。中国共産党の謀略説とたまたま偶然に起こった発砲説と両説がある。渡部は、中国共産党の陰謀と書いている。中国とは1度停戦協定を結んだ。この時に強く戦争の拡大を反対したのは満州事変を起こした関東軍の石原莞爾であった。渡部はこの石原とは同郷である。石原は東条英機にことごとく逆らったので、戦犯を逃れている。
 ここでは日本の日米開戦のことについても詳しく解説している。国務長官であったハルの4原則やハル・ノートのことも書いている。日本側の暗号は、アメリカによってすべて解読されていた。第二次世界大戦において日本の情報収集力は著しく劣っていた。トルーマン大統領は真珠湾攻撃を知っていたが、アメリカ兵の士気を高めるために放置したという。当時アメリカの戦力は日本の5倍で、鉄の生産量は日本の10倍以上あった。近衛文麿や木戸浩一、天皇は参戦に反対であった。しかし、天皇がはっきりと反対しなかったことについて、「国内が大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の命も保証できない。結局凶暴な戦争が展開され、(略)日本が滅びることになったであろう」と述べている。この本では東条英機も、戦争を強引に抑えたら、主戦派の中堅将校たちを中心とした内乱が起き、自分たちをすべて殺して無秩序に戦争に暴走するだろうと恐れていたと書いている。アメリカに譲歩することは、国民も軍も承知しなかったのである。
 この本では戦争の実態についても書いている。実際に空母として活動できるは5隻だけであった。しかし、ミッドウェー海戦で4隻が失われた。日本海軍はこのことを陸軍にも天皇にも伝えていなかった。その後のガナルカナル島の玉砕では、陸軍が3万3千人の兵士を投入し、戦死者が8000人、戦病死が1万1千人、そのほとんどが餓死であった。この戦争で犠牲になった日本の死者は310万人である。日本軍の兵站はお粗末であったので、戦死者より、それこそ戦地で餓死や病気で亡くなる者が多かった。このうち特攻作戦で若い命を落とした少年兵は海軍と陸軍を合わせ、4615人であった。
 アメリカが日本に対して原子爆弾をなぜ投下したかについても書いている。日本の敗北が決定的になると、アメリカは何とかソ連が参戦する前に日本を降伏させたいと思うようになった。ポツダム宣言が発せられた時に、天皇は受け入れるしかないだろうと述べている。しかし、軍は納得せず、ポツダム宣言を無視し、迷わず戦争を貫き進めていく方針を発表した。第2の原子爆弾は当初は小倉に投下する予定であった。しかし、雲に覆われて上空から見ることができず、やむなく長崎に変更したという。アメリカが日本に原爆を投下したことを知って、ソ連軍は日ソ中立条約を破って満州に侵攻した。著者はジャーナリストなので、キッシンジャーに「多くの一般市民を虐殺したことは戦争犯罪ではないか」と問うている。この時に、「本土決戦になったら、もっと犠牲者が増えた」という理由の他に、「ソ連が本格的に参戦していたら、日本は朝鮮半島のようになっていたかもしれない」と述べたという。この本には書いていないが、実際に、サンフランシスコ講和会議でのソ連案は日本を4分割統治せよであった。
 さて、最後に、南京大虐殺である。著者はある歴史学者の「4万人説」に同意している。南京は当時の中国の首都で、蒋介石もいた。日中戦争で南京に攻め込んだ日本軍に、食料や弾薬を補給するための兵站部隊がまったく追いつかなかった。そのため、現地での調達が必要になり、住民からの略奪行為になり、強姦、虐殺という野蛮な行為に広がっていったという。また、捕虜収容所を建てるのも兵站部の役割であった。しかし、捕虜を捕まえても収容するところがなかった。そこで、捕虜にせず、殺してしまえということになってしまった。また、中国軍が正式な降伏をしないまま、戦いをやめてしまった。蒋介石も南京が陥落する1週間前に逃げ出している。逃げそこなった兵隊は軍服を脱ぎ捨てたので、日本軍には、どれが兵隊でどれが市民か区別がつかず、大混乱の中で戦闘の続きをしてしまった。
 他にも、興味深いことがたくさん書いてある。熊本県立大学の理事長を務める五百籏頭真の「マッカーサーは昭和天皇に戦争責任ありとわかっていながら、占領統治のためにそれを問わなかった。つまり、天皇を支持したのではなく、利用したわけです」という言葉も紹介している。戦後新憲法を作る時には、極東委員会に文句を言わせないために、「平和化と民主化を劇的に示す」必要があったという。マッカーサーは、新憲法はあくまでも仮の憲法で、数年で改憲したらいいと考えていた。しかし、吉田茂はこの平和憲法を逆手にとり、国防と安全保障はアメリカに任せ、経済復興に専念することした。

今週の愛聴盤 83 (140225)

Cottonwoodhill / Brainticket
Cottonwoodhill / Brainticket

 今回はドイツから離れて、他の国のバンドを紹介したかった。いつものように、キャンパスプラザ前のマンションでLPレコードを調べていた。イギリスのバンドであるSong From The Ark / The Last Man In Europe Cooperation(1982年)は、私の好きな曲がYouTubeにアップロードされていなかった。フランスとイギリスの同じバンド名の「Asgard」は好みの曲がアップロードされていた。しかし、まったく異なるジャンルの曲で、一緒に紹介するのは無理があった。スウェーデンの「Alganas Tradgard」は是非とも紹介したかった。しかし、今回はこの曲調と組み合わせるバンドがうまいこと見つからなかった。仕方ないので、たまたま手に取ったこのアルバムを紹介する。正確にはドイツではなく、スイスのバンドである。私の持っているLPレコードにはフランクフルトで制作されたとなっている。1971年の発売である。ジャッケトには、LSDやハッシシ(固形大麻樹脂)サウンドを聴けと書いてある。
 さて、まずA面1曲目の曲である。Brainticket - Black Sandである。ジャケットしか写っていないが、こちらの方が音がいい。次は、このアルバムの中で、私が1番好きな曲である。Brainticket - Places of Lightで聴くことができる。他にも、「Brainticket (Part One)」などの曲もアップロードされている。このあたりの曲になると、あまりにも実験的になり過ぎて、最後まで聴くのは大変である。ジャケットには、脳が破壊されので、聴くのは1日1回にとどめておくようにと書いてある。他にいい曲がないか調べてみた。私の持っているのはファースト・アルバムである。セカンド・アルバムから私好みの曲を見つけたので、ついでに紹介する。Braintikcket - Like A Place In The Sunである。
 さて、このアルバムと合わせて紹介するとなると、またドイツのバンドになってしまう。Mother Universe / Wallenstein(1972年)である。Wallensteinはクラウトロックの1つである。私は何枚か聴いたが、少し中途半端な感じもした。LPレコードで残しているこのアルバムがまだ聴きやすいと思っている。まず、アルバム名にもなっている曲である。Wallenstein - Mother Universeで聴くことができる。次は、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Wallenstein - Dedicated To Mystery Landである。

 

平成26年2月18日(火)

 なかなか風邪(インフルエンザ?)が治らない。受験を控えた息子にうつすわけにいかず、ずっと医院で寝泊まりしている。私の風邪はまず最初にのどが腫れ、痰が出て、鼻水が1日1箱のティッシュペーパーでは足りないほど出る。治るのに、1ヶ月ぐらいかかる。今回は、のどの痛みも痰も出ず、鼻水も出なかった。しつこい咳と軽いだるさだけが続いている。体調がよくない割に、先週から今週にかけて出かける用事が多かった。
 まず、15日(土)である。ある京都市内の精神病院が主催した、精神医療フォーラムが夕方にあった。講演会は2つあり、まず最初に、防衛医大の教授が「不安うつ病の諸相」を話してくれた。2番目にこの病院の院長の出版記念講演である。前にも書いたように、この院長は私より4年上の卒業生である。有馬成紀「境界性パーソナリティ障害と離人症」(金剛出版)を去年の10月に上梓している。比較的よく接していた私の先輩にあたり、医局から派遣された総合病院の1人医長も2つの病院で重なる。
 今回の講演会では、この本の簡単な要旨を話してくれた。境界性パーソナリティ障害の最重度(年3回以上の入院。週3日以上のリスト・カット。筋・靱帯・神経・血管損傷。飛び降りによる骨折。放火。相手に外傷を負わす暴力。月2回以上の大量服薬による昏睡など)の患者さんも実際に社会復帰(就労)させている。これまで、自分が診察してきた体験に基づいた話なので、説得力があり、本当に面白かった。ここでは、いろいろと紹介したいが、この本を最後まで読んでからまた詳しく書こうと思う。治療の限界設定について、境界性パーソナリティ障害であったリネハンの言葉が面白かった。患者に行動の制限を押しつけるのは有害無益だという。その人(治療スタッフ)の限界の範囲内で関わるべきだという。演者は、「時間外対応は原則としてしない」という治療者の限界設定をしている。「それでも医者か、人間か」と怒鳴られても、無視してもいいという。むしろ、無視する強さが必要である。
 翌日の日曜日は、午後から東山医師会第4斑の新年会があった。最近、京都市東山区が日本全国1位で話題になった。何かと言うと、平成20〜24年の市区町村別合計特殊出生率が日本全国で1番最低であった。女性1人が生涯産む子どもの数が、0.77であった。2位以下は0.81と切れ目なく続いていく。東山区には、京都第一赤十字病院を除いて、小児科も産婦人科もない。祇園や清水寺など有名観光地を抱えているが、断トツの高齢化社会である。施設に入所したり、来院できなくなる患者さんも多い。患者さんの数は年々減ってきている。会場は、ミシェランガイド2つ星に輝く祇園の店であった。体調はあまりよくなかったので、食欲も落ちていた。申し訳ないが、味はもうひとつよくわからなかった。
 きのうは、今年度最後の労災判定会議が京都労働局であった。今年度は部会長を引退したが、年に3回だけ司会を引き受けていた。きのうは本当に最後の司会であった。4月からの1年は会議には出席せず、簡単な意見書の作成をお手伝いする。引き続き、経歴で、地方労災医員と書くのは、経歴詐称ではなく、こんな事情があるからである。きょうは外来が終わってから、また往診に行っていた。往診の後は、この日記を書き出している。いつもは、「今週の愛聴盤」を月曜日には書き終えている。しかし、きのうは無理であった。最初に、この愛聴盤を書いていたら、けっこう時間がかかってしまった。後は、グアムの続きを書けるだけ書こうと思う。
 2月10日(月)の午後は、ココパーム・ガーデン・ビーチの半日ツアーであった。バスがホテル前まで迎えに来てくれた。参加費は54ドルであった。バスには若いフランス人の女性が2人乗っていた。ここは島の北に位置する。海はきれいであった。しかし、ここもどこか閑散とした雰囲気であった。風が強かった。若い女性の2人組が多く、男性の方が少なかった。1日過ごすなら、行ってはいないが、島の南にあるココス島付近の方がいいかもしれない。ここではスキンダイビングをした。風邪の症状は強くなかった。しかし、帰ってから、夕食をとった後はすぐに眠くなってしまった。
 2月11日(火)はホテルまでツアーガイドが午後2時50分に迎えに来る。この日は朝から近くのニッポンレンタカーに行き、島巡りをするつもりであった。グアムは、日本の免許証で車を運転できる。1番行きたかったのが、イナラハン村の天然プールであった。車で50分のところにある。カローラを朝9時から6時間借りると、20ドルの保険料を含めて68ドルであった。他に、ガソリン代が約20ドルかかった。カーナビがないので、どこで曲がったらいいのかよくわからなかった。もう1度道を引き返すことも何回もあった。道を間違えて、どこを走っているのかさっぱりわからなくなったこともある。ガソリンスタンドで道を聞いたりした。海岸沿いに島の南東を行った。海沿いは感動的なほど海がきれいであった。目的地のイナラハンがよくわからず、結局通り過ぎてしまってたどり着けなかった。何とか、レンタカーの事務所に戻ったのが、2時半であった。最後の日ではなく、前日に車を借りたらよかった。
グアム島については、もんもん写真館の米国にアップロードしたので、興味のある人は見て下さい。

ココパーム1  ココパーム・ガーデン・ビーチである。手つかずの自然そのままである。少し波が荒れ、風も強かった。1日ツアーでは昼食にバーベキューも出る。ここで1日過ごすのは、少し飽きるかもしれない。

ココパーム2  半日ツアーで一緒に来たフランス人。まだ、10代ぐらいに見えた。どこまで英語が話せるのか、よくわからなかった。若い女性のグループが多い印象であった。のんびりとしたというより、少し閑散とした雰囲気であった。

水中写真  ここではスキンダイビングをした。今回の旅行では、ペンタックスの防水デジカメも持って行った。それなりに、水中写真が撮れていた。

休憩所  レストランを兼ねた休憩所。ここでは、グアムビールを飲んだ。よく冷えて、美味しかった。

展望台  レンターカーで島巡りをした。途中見つけた展望台から写真を撮った。日本人を乗せたツアーバスもここには寄っていた。海沿いのドライブは本当にお薦めである。道に迷ってもいいように、時間に余裕を持った方がいい。

今週の愛聴盤 82 (140218)

From The New Wold / Pell Mell
From The New Wold / Pell Mell

 前回ドイツのバンドを調べていたら、YouTubeの右側に同じようなドイツのバンドの曲がずらりとアップロードされていた。懐かしい名前の、今回紹介するPell Mellの名前も出てきた。早速、京都駅近くのマンションに行き、LPレコードを残しているか調べてみた。私はよほど気に入ったバンド以外は、1アーティスト1アルバムしか残していない。ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)も「タルカス」のアルバムだけである。ジェネシスは、「フォックストロット」だけである。ところが、このPell Mellは2枚のアルバムを残していた。こちらの方のアルバムが新しく、アルバムの裏には1978年にドイツのマールブルグでリミックスされたとなっていた。(YouTubeでは1973年なっているが) このアルバムでは、1曲16分以上もあるタイトル曲であるPell Mell - From the New Worldを紹介する。曲名はドボルザークの「新世界から」に由来する。私はELPの「展覧会の絵」より、こちらの方が遥かに好きである。バイオリンを弾いているのは、ゲストではなく、バンドのメンバーである。もう1枚持っているアルバムは、Marburg / Pell Mell(1972年)である。最初は、このMarbrugの意味がわからなかった。ドイツの都市の名前である。YouTubeではフルアルバムもアップロードされていた。ここでは、Pell Mell - Moldauを紹介する。
 次は同じドイツのバンドである。Pell Mellよりよく知られている。私の残しているアルバムは、Schwigungen / Ash Ra Temple(1972年)である。ロック・マガジンの付録であるプログレッシブ・ロックアルバム94選では、3枚紹介されている。このアルバムも含まれている。ここでは、タンジェリンを聴いてある種の音に限界を感じている人、ハード・ロックの持つ破壊的パワーに毒された為にもうひとつのめり込めない人、そんな人は是非ともアシュ・ラ・テンプルを体験すべきだと書いてある。私は何枚かのアルバムを聴いたが、このアルバムが1番好きである。アルバム・ジャッケトも私好みである。まず、A面の1曲目である。Ash Ra Tempel - Light: Look At Your Sunで聴くことができる。次に、B面の2曲目である。YouTubeでは編集しているが、1番聴きやすい所だけが聴けるようになっている。Ash Ra Tempel - Liebeである。他にも、いい曲はたくさんあるので、興味のある人は自分で探して下さい。

 

平成26年2月11日(火)

 この日記は13日(木)に書いている。今はひどい風邪(インフルエンザ?)にかかり、のたうちまわっている。きのうが最悪で、身体のあちこちの筋肉が痛み、座っているのも苦痛であった。外来はマスクをして、何とか最後までやり遂げた。外食する元気もなかった。夜食べる物がなかったので、近所のスーパーまで必死で買いに行った。食欲もまったくなかった。息子が受験なので、家には帰れない。しばらくは医院に泊まるつもりである。国公立の前期の試験は2月25日である。関西の私立医学部は3校受けた。上位の3校のうち、合格発表になっている2校の学科試験は合格していた。何とか国公立の医学部に合格して欲しい。今私にできることは、風邪をうつさないことぐらいである。
 さて、この連休は何をしていたかである。実は、8日(土)〜11日(火)までグアム島に行っていた。年末年始は南の島に行けなかった。今回はサイパンに行きたかったが、うまいことツアーを見つけることができなかった。グアムでも、アシアナ航空を使うと、夜中に行って夜中に帰ってくる。この年になって、あまり無理をしたくなかった。8日(土)の午後9時に関空を出発し、11日(火)の午後8時過ぎに関空に着くユナイテッド航空を使ったツアーを見つけた。こういう小さな観光地では、航空券だけ手に入れ、現地でホテルを見つけるのはあまり意味がない。グアム島は初めてである。私は誰も行ったことのない南の島を目指していたので、グアム島は女子どもの行く所とバカにしていた。しかし、今回行ってみて、本当によかった。帰りの方が時間がかかるが、それでも片道3時間10〜20分である。今がベストシーズンで、海は信じられないほどきれいであった。私は若い時には沖縄にダイビング旅行をしたこともある。その時の天候にもよるが、今まで見た海では1、2位を争うほどであった。
 グアムの時差は日本より1時間早い。到着予定は9日(日)の午前1時40分であった。ところが、飛行機の出発時間が大幅に遅れ、実際に飛行機が滑走路を飛び立ったのは、もう夜中の0時近くであった。ツアーなので、空港からホテルまではガイドが案内してくれた。ホテルにチェックインしたのは、朝方の4時頃であった。それでも、後は寝るだけなので楽である。ゆっくりと起きて、タモン湾の海岸沿いに出た。このタモン湾沿いに一流リゾートホテルが建ち並んでいる。こういう場合は海はそれほどきれいでない場合が多い。ところが、まったく人が足を踏み入れていない所のように澄みきっていた。それぞれのホテルの前のビーチは特に制限もなく歩いて行けた。途中で、道路側に出て、大きなショッピングセンターにはいった。
 中を歩いているうちに、HISの支店を見つけた。いつものように、忙しくてグアムのことを詳しく調べている暇はなかった。何かいいツアーがないかと、中に入ってカタログで調べた。結局、この日の夜のショーと翌日の午後からの半日ツアーを申し込んだ。いずれも、ホテルまでの送り迎え付きである。最後の11日(火)はレンタカーで島巡りをする予定であった。近くのカフェで朝食兼昼食をとった。照り焼きチキンハンバーガーとラテカフェを頼んで、13ドルは超えた。グアムは日本人向けの観光地で、入国審査でもみんな日本語を話す。HISもニッポン・レンタカーも日本の会社であるが、すべて日本語である。現地の人もホテルでも日本語を話す。標記もほとんど英語と日本語である。今は円安なので、物価は日本より高い。沖縄には申し訳ないが、ベストシーズンの今なら1度行ってみる価値はある。春節では、中国人観光客も大勢来たようである。
 この日はタモン湾の海岸を端から端まで歩いてみた。ホテルのプライベート・ビーチみたいになっている所もあった。しかし、何も問題なく歩けた。海外沿いに設置しているホテルのシャワーを使ってもわからないぐらいである。それほど大勢の人が泳いでいるわけではない。全体的にのんびりとした雰囲気であった。夜はサンドキャッスルのショーを見に行った。VIP席を予約していた。ほとんどがカップルか家族連れである。それほど大きな会場でもなかった。私は上海雑伎団から本場のラスベガスのショーまでVIP席で見ている。だから、ちょっとやそっとのことでは驚かない。上海雑伎団で出てきたような演技もあった。ドリンクが1杯ついていた。しかし、調子に乗って追加注文をした。最後に頼んだラム酒がよく効いて、出る時はふらふらであった。軽い夕食をとり、一旦ホテルに戻って少し休むつもりであった。ところが、ホテルのベッドの上に横になっていたら、そのままうとうとしてしまった。一旦目覚めたが、そのまま起きれず、またしばらく眠ってしまった。この時にエアコンをつけたままにしておいたのがよくなかった。この日はエアコンを消して、また寝直した。しかし、翌日に咳が出たり、風邪の兆候が出た。
 10日(月)の午前中はDFS(デューティ・フリー・ショップ)から出ているバスに乗って、恋人岬まで行った。往復の乗車券と入場券も含め、10ドルである。乗客のほとんどが日本人で、韓国人も混じっていた。今回の旅行は天候に恵まれていたので、ラッキーであった。雨が降ったりすると、海が濁る。こんな甘ったるい名前の観光名所でもバカにできない。景色は絶景であった。入場券の3ドルをけちると、いい景色は望めない。帰ってきてからは、ホテルの周りをうろうろした。中心地から少し離れていたが、レンタカーの場所も比較的近かった。午後からは、HISで申し込んだココパーム・ビーチの半日ツアーに参加した。この後のことについては、来週に書く。

タモン中心街  タモンの中心街。向かいの通りにDFS(デューティ・フリー・ショップ)がある。日曜日の昼過ぎである。それほど人は多く出ていなかった。ベストシーズンで建国記念の祝日も重なっていたが、どこか閑散とした雰囲気であった。

サンドキャッスル  サンドキャッスルのショーの案内である。私はVIP席で125ドル払った。この類いのショーは正直言って見飽きてしまった。まだ、上海雑伎団の方が面白かった。経験を積むといくことは、目が肥えるということで、なかなか感動しなくなる。年齢が感動を鈍らせるのではなく、経験が感動を鈍らせるのである。

タモン湾1  ホテルが海岸沿いに林立するタモン湾である。海は感動的なほど透き通って、きれいであった。それほど、みんな泳いでいなかった。天候に恵まれて本当によかった。

タモン湾2  同じタモン湾の反対側の風景である。あまり海がきれいすぎると、私が今まで行ってきた南の島は何だったのかと思う。

タモン湾3  海も緑もきれいであった。私が今まで行った海で1番印象に残っているのは、沖縄の与論島(百合が浜)である。若い時に、精神科に一緒に入局した同級生と行った。今でも忘れられないぐらい透き通った海であった。

魚釣り  タモン湾の西側(南部)では、現地の人が魚を釣ったりしている。バケツには2匹の魚がいた。わざわざ取り出して、釣った魚を見せてくれた。

スキン・ダイビング  このあたりはタモン湾のイパオ・ビーチになる。スキン・ダイビングもできる。

公園  イパオ・ビーチ公園では現地の人が大勢出てきて、バーベキューなどをして楽しんでいた。のどが渇いたので、飲み物を買おうと思った。みんな山ほど食べ物や飲み物を持ち込んでいて、売ってはいないようであった。

バス  市内を走る赤いシャトルバス。窓は開放され、恋人岬にもこれに乗る。

恋人岬1  恋人岬から眺めた海岸風景。ここも1度は行ってみる価値がある。

恋人岬2  今回もソニーのHX50Vを持って行った。30倍のズーム付きだとここまで撮れる。遥か彼方から水上バイクに乗って来る人もいた。

恋人岬3  何台かの水上バイクが岬の下まで来ていた。岸に近いと、海はここまできれいである。

今週の愛聴盤 81 (140211)

Holderlins Traum / Holderlin
Holderlins Traum / Holderlin

 今回紹介するアルバムはドイツである。ドイツ語はローマ字の上に・・のウムラウトをつけなければならない。この書き方がよくわからない。コピペしてもだめである。こういう場合は、Holdelinのoの上にウムラウトをつける代わりに、Hoelderlinとoeにする書き方もあるようである。とりあえずは、このままにしておく。Traumは夢である。グループの名前にもなっているヘルダーリンは、ウィキペディアによると、1770年生まれのドイツの詩人、思想家で、30代で狂気に陥りその後塔の中で過ごした。このLPレコードは1972年に発売されている。今から40年以上前のアルバムとは思えないほど、その内容は充実している。まず、私の好きなHolderlin - Peterである。次は、このアルバムの中のベスト曲である。Hoelderlin - Requiem Fur Einen Wichtで聴くことができる。実は、この曲は演奏している実際の姿を動画で見ることができる。7万人の視聴者数を超えている。しかし、オリジナルより曲が少し短すぎる。興味のある人は「Holderlin - Requiem Fur Einen Wicht (1972)」で検索してみて下さい。
 さて、次は同じドイツのバンドである。Piktors Verwandlungen / Anyone's Daughter(1981年)である。私の持っているLPレコードのジャッケトは、YouTubeに出てくるのとは違いもっといい。音は少しジャケット負けしているかもしれない。ジャッケトの裏にはヘルマン・ヘッセのことがいろいろ書いてある。私は大学の教養の2年間はドイツ語を勉強し、精神科に入局した時には日本語で読んでも意味のわからないドイツ語の精神病理学の翻訳をさせられた。もう30年以上経っているので、ドイツ語は今ではほとんど覚えていない。このアルバムがヘルマン・ヘッセと何が関係あるのか、さっぱりわからなかった。アルバム・タイトルは「ピクトルの変身」でヘルマン・ヘッセの詩からとっている。アマゾンでは最高の評価を得ていた。正直言って、少し褒めすぎである。YouTubeではAnyone's Daughter Piktors Verwandlungenで聴くことができる。他にいい曲がないか調べてみた。プログレは長い曲が多いので、チェックするのが大変である。私の好みは、Anyone's Daughter - Anyone's Daughter (live)である。探したら、もっといい曲があるかも知れない。
 最後もドイツのバンドである。私の持っているLPレコードは日本盤である。ライナーノートを見てみたが、いつ発売されたのかよくわからなかった。Sommerabend / Novalis(1976年)である。日本語タイトルは「過ぎ去りし夏の幻影」になっていた。バンド名にもなっているノヴァーリスは、1772年生まれのドイツ・ロマン主義の詩人・小説家・思想家である。ここでは、アルバム名にもなっているNovalis - Sommerabendを紹介する。後半を聴きたかったら、パート2もある。

 

平成26年2月4日(火)

 患者さんの往診は午後の外来がない火曜と木曜と決めている。デイ・サービスの関係で、1ヶ月に1回金曜に往診している患者さんもいる。先週の金曜日は、午後から1人の患者さんから電話がかかってきた。風邪をひいて受診できないので、薬を送って欲しいであった。まだ20代の1人暮らしの患者さんである。私の医院には1ヶ月に1回受診している。こういう時には本当に困る。1人暮らしのお年寄りで、圧迫骨折をして動けないなどの時には、なるべく往診で対応している。しかし、急を要し、医院から遠く離れている場合には、やむを得ず薬を送ることもある。あくまでも、1回だけの例外的な臨時措置である。
 私の医院は院外処方なので、受付の人が院外薬局まで薬を取りに行く。夕方からの外来は受付が1人で対応しているので、外来が終わってからでないと、薬を取りにいけない。金曜日の夜は近くの郵便局は閉まり、土曜日も開いていない。実際に1ヶ月分の薬の量を見たら、郵便ポストにはいる量ではなかった。仕方ないので、私が自宅まで持って行くことにした。グーグルのマップで自宅を調べた。細い道路に面した住宅街のマンションであった。車でははいれそうもない。目印になる大きな施設を見つけ、そこを目指して走った。車を置く場所がなかったので、かなり離れた所に置いた。夜は暗いので、どこに何があるのかわかりにくい。私はスマホを持っていないので、地図を印刷して持って行く。細い路地をはいりこの辺りかとおもって進むと行き止まりであった。また戻って、細い路地を曲がって行くと、今度は明るい建物が見えた。暗いと、地図もよく見えない。近づくと、目印になる歯科医院であった。何とか小さなマンションを探し当て、薬を持って行くことができた。もう夜の9時過ぎであった。歯科医院は明かりを消す所であった。ここが消えていたら、この日は永遠にマンションを見つけることはできなかっただろう。
 きのうの月曜日は、別の30代の患者さんから、眠前薬が切れたので、1日早く往診して欲しいと電話があった。本当はきょうの往診予定であった。いろいろ複雑な事情があり、仕方ないので薬を用意して往診に行った。きょうは火曜日なので、他の往診予定の患者さんの所に行っていた。身体合併症の重い人は、他の医療機関を受診したり、デイ・サービスに行っているので、なかなか時間の調整が難しい。安定している人は、なるべく4週間薬を処方することにしている。1人の患者さんは2月18日に往診する予定であった。しかし、この日は他の医療機関を受診するということで、1週間早い11日に往診することになった。ところが、医院に帰ってから気づいたが、この日は建国記念の日であった。仕方ないので、もう1週間繰り上げてきょう往診してきた。
 最近は大手筋のツタヤにDVDを借りに行くことが面倒臭くなってきた。一時やめていた宅配レンタルのツタヤ・ディスカスをまた再開した。1ヶ月4枚で充分である。1月は映画館にも行っていたので、2枚しか借りれなかった。今回借りて見たのは、「嘆きのピエタ」である。2012年のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した韓国映画である。私は韓国映画にはまったく詳しくなく、ドラマも見たことはない。監督の名前もまったく知らない。これまで映画館で見たのは、「チェイサー」と「アジョシ」ぐらいである。この2本は本当に面白かった。実は「王になった男」もツタヤ・ディスカスで借りて見た。内容は、もうひとつであった。ところが、この「嘆きのピエタ」は強烈ですごかった。こういう発想の映画を作ったキム・ギドク監督は、まさに鬼才である。少し前に、雑誌で取り上げていたが、うろ覚えであった。最後のシーンもよかった。韓国映画を1度も見たことのない人は、連続殺人犯を扱ったクライム・サスペンスである「チェイサー」ぐらいから手をつけたらいいと思う。他にもっといい映画があるのかもしれない。この3本の映画を見るだけでも、韓国映画のレベルの高さに驚く。
 さて、きょう読み終えた本である。ムーギー・キム「世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた」(東洋経済新報社)である。夕食を自炊して食べ、読み終えたのが午後7時半である。腹がいっぱいになって少し眠たくなってきた。今から書ける所まで書こうと思う。著者は慶応義塾大学を卒業後、インシアードでMBAを取り、欧州系の大手投資銀行、米系コンサルティングファーム、欧米の大手資産運用会社、プライベート・エクイティを経験している。著者によると、ここまで経験のある人は希だという。著者の書いている東洋経済オンライン上のコラム「グローバルエリートは見た!」は、1年間で3000万ページビューを超えたという。本の内容は、タイトルの通りである。いつも本の紹介をするときに、初めの部分を詳しく紹介しすぎて、後半は疲れ果ててしまう。今回は印象に残ったことだけを取り上げていく。
 まず、序章で「世界のトップエリートに共通する7つの特徴」である。ここではいろいろ書いているが、「信頼と評判を第一に大切にする」で、誠実で信頼できるという評判こそ、パワーと人脈の源であるとなっている。私もまったくその通りだと思う。小さな医院であるが、いい加減な診断書は書かないと常に自分を戒めている。例えば、傷病手当の診断書を書くときでも、患者さんの中には1月31日ではなく、1月30日に受診して月末までの証明書を書いて欲しいと頼んでくる人もいる。公文書なので、きょうは30日だが、日付を31日にして書くということは絶対にしない。融通性がないと言われそうだが、こういう小さなことでもいい加減にすると、どんどんとエスカレートしてしまう。最初に書いたように、患者さんから依頼があって薬を送るのも、例外中の例外である。不正請求になるので、できる限り往診を試みる。これもやり出したら、どんどんといい加減になってしまうからである。実は、きのう往診した患者さんもきょう往診した患者さんも生活保護の患者さんであった。それぞれ家族2人である。薬は持って行っているが、どちらの家族も1人は往診の必要のない患者さんなので、往診料は請求していない。
 次の章からは、トップエリートに学ぶで、「投資銀行」、「コンサルティングファーム」、「資産運用会社」、「プライベート・エクィティ」とそれぞれの章で解説している。仕事内容についてもわかりやすく書いている。例えば、投資銀行は手数料ビジネスで、株式で資金を調達したり、会社を買う手伝いをしたりする。若手バンカーにとって極めて過酷な職場で、著者の周りでも激務で命を落とした人は数名いるという。平均睡眠時間は3〜4時間で、休みは週1回となっている。世界の一流MBAプログラムを卒業するエリートのほとんどが、戦略系コンサルファームで働くことを第一希望にしているという。この職場では、一流のファームほど人を育て、優秀な人にとどまってもらうのに必死だという。「資産運用会社」の章では、「軽い不正」を働く人は、いずれ「深刻な不正」も平気で働くと書いている。この本では、最強のチームを作ることの大切さ説かれている。優秀なエリートばかりが集まっているこの業界では、個人の能力なんてたかが知れている。どのようなチームを作るかが最大の差別化要因になるという。最後の特別編、プライベート編ではエリートたちの恋愛・結婚・離婚事情などが書かれている。女医さんが多くなった医師の世界にも共通するものがある。内向き志向が強く、物わかりがよくてどこかひ弱な若い世代の人には、著者のようにもっと世界に目を向け、世界のエリートの中でもまれてきて欲しいと思う。

今週の愛聴盤 80 (140204)

Vuero Quimico / Neuronium
Vuero Quimico / Neuronium

 今回紹介するアルバムはスペインである。このあたりになると、少しマニアックになる。日本でも2枚組のLPレコードが発売された「カナリオス」と違って、上位の検索結果では日本語の解説はほとんどなかった。しかも、スペインとしては異色の電子音楽である。1978年の発売である。アップロードされているか、ドキドキしながらYouTubeで検索してみたら、あることはあった。しかし、A面すべてである。最初から最後まで聴いたら、20分近くにもなる。A面は1曲が3つのパートに別れている。「El Regresso De〜」、「La Llamanda Del〜」とこの曲名になっている「Abismos De Terciopelo」である。(英語とドイツ語以外は、スペルを間違えないように気をつけている。もともと視聴者数が少ないと、1字でも違うとヒットしない。) A面全部を聴いても、悪くはない。しかし、20分も聴いていられないという人のために、聴き所を書いておく。2分過ぎから少しずつよくなり、6分過ぎでピークを迎える(数分)。12分過ぎから最後のパートが始まる(と思う)。14分過ぎから女性ボーカルがはいり、なかなかいい味を出している。Neuronium - Abismos De Terciopeloで聴くことができる。インターネットで調べてみたら、このバンドは最近まで数多くのCDを出していた。私は初期のこの作品が好きである。参考のために、その後の1曲を紹介しておく。Neuronium - In Aliens I Trustである。
 次はスペインのバンドとは違い、有名所である。何を紹介しようかと迷って、古い本を手に取った。「音楽全集 総特集 ブリティッシュ・ロック・シーン(1)」(海潮社)である。1976年に発売されている。同じシリーズのブリティッシュ・ロック・シーン(2)も持っている。たまたま、坂本龍一が書いている文章を見つけた。「ー旅するメディアの領海ープログレシブ・ロックへの一視点」である。坂本龍一が阿木謙の「ロック・マガジン」の愛読者であったことは知られている。この中で、愛聴盤24(平成25年1月15日)でも取り上げたクラウス・シュルツやタンジェリン・ドリーム、マイク・オールドフィールドのことなどが書かれていた。この原稿はアルバムを聴きながら書いていると告白している。そのアルバムとは、Evening Star / Fripp & Eno(1973年)である。Frippというのは、第1期のキング・クリムゾンを解散したロバート・フリップで、Enoはブライアン・イーノである。ここでは、アルバム名にもなっている曲を紹介する。Fripp & Eno - Evening Starである。
 さて、次はノルウェーのミュージシャンである。とりとめのない選択で申し訳ないが、曲がすべて電子音楽に近いことは共通している。Sound Of Danger / Beranek(1981年)である。すべて英語で書いてあるので、初めはイギリスのミュージシャンかと思った。ジャケットの裏に小さくOsloと書いてあった。Special Thanksとして、「Alan Parsons for not showing up in the studio」とか「Robert Fripp for making his music」となっていた。まず、アルバム名にもなっている曲である。Beranek - Sound Of Dangerで聴くことができる。次は、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Beranek - Pictures And Paintingsである。

 

平成26年1月28日(火)

 寒い日が続いている。インフルエンザやノロウィルス感染症も流行している。息子が受験生なので、まず自分がかからないように気をつけている。センター試験の結果を聞いたら、志望校はB判定だという。現役の時と比べたら7ポイント成績は伸びていた。私は最近のセンター試験のことはよくわからない。1年の伸びしろはこんなものなのか。それでも、まだ90には達していない。地方の国公立ならA判定も出ていた。親としては、リスクを冒して志望校を受験するより、どこでもいいから国公立の大学に入って欲しい。私立の学費も用意しているので、息子は強気である。志望校の選択の時期が来たら、またゆっくりと話しあうつもりである。
 先週の土曜日は、夕方から京都精神科医会があった。講師は精神病理学で高名な松本雅彦先生であった。1937年生まれなので、今年77歳になる。この会では、毎回京都にゆかりのある高名な精神科の先生を招いて、話を聞いている。同じ京大系の笠原嘉先生や木村敏先生の講演もこの会で聞いた。講師は第一線を退いた先生が多いので、ふだんあまり顔を見せない同世代やその下の先生の参加も多い。今回の演題のテーマは、「無意識の発見ーピエール・ジャネの臨床と理想ー」であった。フロイトと対比させて、ジャネの無意識を解説してくれた。今出ている症状から診断を下す、操作的な診断法である米国のDSMについては批判していた。話の中で、エレンベルガーなど懐かしい名前が出てきた。アンリ・エレンベルガー「無意識の発見ー力動精神医学発達史」(弘文堂)は上下2冊のぶ厚い本で、途中まで読んでそのままになっている。精神科医になりたての頃は、この講演の中で出てきた「記憶とは何か?」とか「忘却とは何か?」ということに興味を持ち、自分なりに勉強したつもりである。日々の臨床に追われ、今ではすっかり記憶が曖昧になっていた。
 講演会の後は、いつものように懇親会があった。私がお世話になった先輩の先生方と話ができてよかった。今は引退している先生もいれば、病気をして、診療を午後だけにしている先生もいた。私は息子がどうなるかわからないので、まだ仕事は頑張らなければならない。地方労災医員の仕事は、去年の3月で引退するつもりであった。しかし、今年度は年に3回の労災判定会議の司会と簡単な労災の意見書の仕事は引き受けていた。今年は5月に61歳になるので、完全引退するつもりであった。ところが、今年も引き続き労災の意見書の仕事だけは引き受けることになった。現在部会長をしている先生によると、4月からの新任の先生も決まったようである。これで、一安心である。この日は酒を飲み過ぎてしまった。京都駅近くのマンションに帰ってからもビールなどを飲み、日曜日は二日酔いで気分が悪かった。私の二日酔いは、うつ病と変わらない状態になる。だから、うつ病の人の気持ちはよくわかる。
 さて、先週書けなかった読み終えた本の紹介である。まず、三浦展「妻と別れたい男たち」(集英社新書)である。著者は私より5歳下で、「下流社会」(光文社新書)で名前が知られている。著者が中高年男性を対象に行った調査では、離婚の最大の原因は夫の浮気であり、16%を占め、第3位は、夫が仕事ばかりして妻を相手にしないで、14%である。しかし、第2位は、妻の金遣いが荒い(15%)で、第4位は、妻の浮気(11%)である。確かに、外来をしていても、夫がしっかりした職業に就いていても、浮気をしている女性の患者さんが増えてきた。一昔前のように、離婚の原因は男性側の借金や浮気、暴力だけではないのである。
 未婚、離別、死別の合計を「単身者率」と呼ぶと、40歳から64歳までの中年男性の単身者率は大体2割から3割あるという。また、40歳男性の平均余命は、有配偶者では約39年であるが、未婚者では30年ぐらいしかない。現在23歳になる1990年生まれでは、50歳で36%が離婚すると予測されている。40〜50代の既婚の子どものいる有職男性に対するある調査では、「自宅難民」と言われる男性が全体の5割を超えていた。「自宅難民」とは、平日家に帰っても、自分の趣味を楽しむ時間がなかったり、1人になれる時間、場所がなかったり、好きな番組が見られないなど何らかの不満を感じている父親である。別の調査では、離婚したいと思った男性は4割弱で、実際に妻から離婚したいと言われた男性は25%である。この本では、大体4割ぐらいの妻が離婚願望を持っていると推察されている。年収500万円未満の男性はそもそも結婚しにくく、離婚の可能性も高いと書いてある。
 この本では、妻の年収、夫の年収、それぞれの学歴、職歴、年齢などから離婚などについて細かい分析をしている。正直言って、この部分は細かすぎて、読んでいてもあまり面白くない。第3章では、夫婦の地域格差も解説している。東京、埼玉、千葉を居住ブロックに分けて、離婚したいと思うかなど調査の統計を出している。関西に住んでいる者にとっては、まったく興味がわかない。最後に、著者は男性の離婚願望や別居願望について、現代社会における「男性原理」の貫徹が、少なからぬ男性を苦しめているのではないかと仮説を立てている。「男性原理」とは、男らしさで、闘争心があることや、競争に勝つこと、お金を稼ぐこと、出世することなどである。「女性原理」とは、闘争を好まず、負けた人に優しく、相手との会話自体を楽しんだりすることなどである。現在の社会や会社が追い求める「男性原理」ばかりではなく、「女性原理」も取り入れる必要性を訴えている。「男性原理」を追求する女性がいるように、「女性原理」を求める男性の生き方もあっていいのではないかと述べている。
 次に、少し前に読み終えた本である。年末年始の上海に持って行った本である。西谷格「上海 裏の歩き方」(彩図社)である。本の題名からは、風俗案内のようにみえるかもしれない。この本は5章に別れており、第1章に、夜の歩き方が書いてある。比較的新しい本で、去年の10月末に出版されている。著者は5年間上海に住んでおり、まさに現在の上海の姿を伝えている。この本で、KTVが「カラオケ・テレビ」の略だと初めて知った。私は入ったことはないが、少し前のプノンペンでもこのKTVのネオンがあちこちのビルに燦然と輝いていた。ここでは上海版キャバクラとなっていた。サウナ、マッサージ店のことも書いてあり、まさに風俗案内である。なかなか信じてくれないかもしれないが、私が以前に両替した中国元が残っているのは、こういう店に行かないからである。両替といっても、せいぜい数万円ぐらいしかしていない。
 まず、上海の物乞いである。肢体不自由な人の二胡の演奏のことが書いてある。地下鉄の出入り口などで見かけたりする。プロの二胡奏者も「路上の二胡弾きはかなりうまい。」と絶賛しているという。ここでは、値段交渉のことも書いてある。値段交渉の最大のコツは「沈黙は金」だという。私は旅行しても、お土産はほとんど買わない。朱家角に行った時に、6枚入りの竹のコースターが気に入った。竹に水郷の風景や女性の姿が描いてあった。コースターはビールやコーヒーを飲む時によく使う。ビールではコップを置く分と缶を置く分がいる。最初は6枚セットで30元と電卓で示してきた。結局、2セット40元で買った。今は半額でよかったのではないかと思っている。この本では、値段は交渉するなという。いくらと聞いてきても、ぶつぶつ言いながら、帰るふりをするのが得策だという。向こうから値段を言ってくるので、ぶつくさ言いながら離れるふりをすると、もう一押し安くなるという。電卓の戦いに引き込まれてはいけないのである。誰か1度試して見て下さい。
 身近に見た中国人の事も書いてある。まず、とにかく動じないという。音や不測の事態が起こっても、反応しない。レストランなどで、ガシャーンと言う大きな音がしても、誰も見向きもしないという。人との距離が近いでは、エレベーターの中でも空いているのに、べったりとくっついてくる。中国人とマクドナルドやスタバで休憩すると、何も注文もせず、1時間ほど滞在して出て行くという。店員も何も文句は言わない。著者は上海に住み始めた3年間で3回引っ越しをしている。大家の権限が強すぎて、もっと高く借りてくれる人が見つかると、簡単に追い出されるという。どんな田舎に行っても、誰もが知っている日本語がある。何かというと、「ミシミシ」だという。TVの反日ドラマなどで、ご飯のことを「ミシミシ」と覚えているのである。中国人の反日スイッチを押すのは南京事件と尖閣問題である。しかし、生身の日本人にはみんな優しく普通の旅行者として接してくれるとも書いてある。実際に、あちこち旅行している私の実感も同じである。最後に、井上章一編「性欲の研究 エロティック・アジア」(平凡社)に書いてあったことを紹介する。2012年秋に反日デモが中国で起こった時である。プラカードにさまざまなメッセージが書かれていた。その中に、「釣魚島(尖閣諸島)はわれわれのもの、蒼井そらはみんなのもの」というメッセージがあったという。

今週の愛聴盤 79 (140128)

Crazy Rhythms / The Feelies
Crazy Rhythms / The Feelies

 ここで紹介するアルバムは、土曜日か日曜日にレコードやCDの置いてある京都駅近くのマンションで調べている。土曜日の夜は酒を飲みながら、曲をチェックしているので、酔っ払い過ぎると、何でもいい曲のように聞こえてしまう。今回はUntitled / Marc and the Mambas(1982年)のアルバムをチェックしていた。2枚組のアルバムで、1枚目は33回転で、2枚目は45回転レコードである。酔っ払い過ぎると、45回転のレコードを33回転で聴いていても、気づかない。いい曲だと思った曲をYouTubeで聴いてみたら、あまりよくなかった。中には、14曲もはいっているアルバムもある。すべての曲をチェックしても、1曲もいい曲が見つからないこともある。せっかく苦労して見つけても、今度はYouTubeにアップロードされていなかったりする。そんなこともあり、きょうは少し苦しまぎれで、選んできた。このアルバムは1980年に発売されている。イギリスのバンドかと思ったら、アメリカのニュージャージーのバンドである。LPレコードは今のCDのように簡単に試聴できなかった。1曲目は気合いのはいった曲がはいっていることが多かった。最初の曲がつまらなかったら、もう買ってくれないからである。
 さて、アルバムの1曲目の曲である。The Feelies - The Boy With The Perpetual Nervousnessで聴くことができる。次は、The Feelies - Loveless Loveである。このアルバムの最後はタイトル曲である。9曲目の曲で、チェックするのも面倒臭くなっていた。20〜30秒聴いただけでパスした。ところが、YouTubeでは視聴者数が多かった。念のため最後まで聴いたら、やはりいい曲であった。この曲は1分過ぎからよくなる。The Feelies - Crazy Rhythmsである。このアルバムとは別に、他にいい曲がないか調べてみた。「The Feelies - What Goes On」は視聴者数が14万人を超えていた。ここでは、私好みの曲を見つけたので、紹介する。パティ・スミスのカバー曲のようである。The Feelies - Dancing Barefootで聴くことができる。
 もう1枚のアルバムはイギリスのバンドである。Crumbling The Antiseptic Beauty / Felt(1982年)である。昔は、この愛聴盤3(平成24年8月21日)でも紹介したDrutti Columnと似たような印象を持っていた。ところが、今回改めて聴き直してみたら、違っていた。まずアルバムの1曲目である。Felt - Fortuneである。同じような曲調の曲が多いので、次にどの曲を紹介したらいいのか迷ってしまう。ここでは、このアルバムからではないが、ひとつ抜き出て出来のいい曲を紹介する。Felt - The Stagnant Poolである。ギターの演奏が素晴らしい。

 

平成26年1月21日(火)

 この前の日曜日は午後からいつもの自立支援や障害者手帳の更新の診断書を書いていた。ところが、プリンターで印刷しようと思ったら、廃インクタンクが一杯になったので、修理交換して下さいというメッセージが出た。少し前からこのメッセージが出ていたが、ボタンを押して強制印刷みたいなことを繰り返していた。ところが、いくらボタンを押しても、うんともすんとも言わなくなった。修理交換なんかしていたら、毎日の仕事に支障が出る。仕方ないので、ヨドバシカメラに早速プリンターを買いに行った。
 今使っているプリンターは、よく覚えていないが、10年近くになる。店員に聞いてみたら、この修理交換に1万円ぐらいかかるという。私は写真はディスプレーで見るぐらいで、身分証明書の写真を印刷するぐらいである。インターネットの記事もそのまま保存してしまうので、印刷するのもごく希である。プリンターの上に資料やカルテを載せているので、上が平らな方がいい。8千円を切るプリンターを見つけたが、CDの印刷ができなかった。CDというより、ブルーレイ・ディスクの印刷はまだする方である。仕方ないので、2万円弱のプリンターを買った。機能はてんこ盛りで、スキャナーもついており、WiFiも使えた。プリンターも知らない間にどんどんと進化していた。
 さて、今回は映画を2本見に行った。最近行くのは、私の医院から近い京都駅近くのイオンモールである。土曜日に今話題の「永遠の0」を見に行くつもりであった。ところが、同じイオンモール内にある本屋で、目的の本を探していたら予想外に時間がかかってしまった。結局、途中で本を探すのをあきらめた。上映時間にはもう間に合わなかった。仕方ないので、少し遅れて始まった別の映画を見ることにした。「バイロケーション 表」である。この映画の中にも出てくるが、ドッペルゲンガー現象とバイロケーションは異なるという。精神医学で使われるドッペルゲンガー現象は、精神病者などに見られる自己像幻視である。もう1人の自分の姿が見える現象である。一般的には、バイロケーションではもう1人の自分がもっと能動的に働きかけてくる。この映画は、自分の近くに出没するもう一人の自分に命を狙われるという物語である。もう1人の自分は、もちろん幻視ではない。実際に存在する。ストーリー的にはツッコミを入れたくなる部分もあった。しかし、破綻なく最後まで楽しめた。夜9時近くからの上映であったが、観客は数人程度しか入っていなかった。
 翌日の日曜日は、性懲りもなく、また映画を見に行った。今度こそは「永遠の0」である。夕方6時前の上映であった。前日とは違い、館内はほぼ満席であった。どうしてここまでこだわって見に行ったかというと、原作者の百田尚樹が夕刊フジの「大放言」(1月7日)に書いていたことが気になったからである。私は百田の小説は1冊も読んだことはない。今回調べてみたたら、安倍首相との対談本も出版していた。映画はりっぱな反戦映画になっていた。内容は、本当によかった。海軍航空隊一の臆病者と言われた祖父がなぜ特攻を志願したのか、司法浪人中の主人公が姉と一緒に当時の人物を尋ね歩いていく物語である。映画館には、若い世代の人も大勢見に来ていた。
 わざわざこの映画を見に行ったのは、百田尚樹が夕刊フジの「大放言」で、先週紹介した櫻井よしこ以上の過激な発言をしていたからである。百田と親しい安倍首相や発言が問題になった側近、櫻井よしこも先の大戦については実は何も反省していないことがわかる。自分たちの言いたいことを、百田に語らせていると受け取られても仕方ない内容である。ここでは大きな見出しで、呆れかえる「靖國参拝批判」とついていた。私がしつこくこの問題を取り上げるのは、日本の若者が百田や櫻井の述べる事を信じて、国際社会の中で誤った主張をして恥をかかせないようにするためである。
 実は先週は、録画していたNHKスペシャル「日米開戦 知らざる国際情報戦」(12月8日放映)を見た。日本軍の南部仏印への進駐を契機に、連合国側の対応を情報戦という観点から迫ったドキュメンタリーである。最後に、日本は真珠湾攻撃に至る。私はこの番組を見て、気になったことがあったので、今年20歳になる息子に電話してみた。息子は現在1浪中で、センター試験を終えたところである。世界史を選んでいるかと思ったら、地理であった。聞きたかったことは、ただ一つ。真珠湾攻撃は、宣戦布告もしていない奇襲であったことを知っているかである。息子は知っていると答えて、安心した。ただ、その意味することは深く理解していないかもしれない。
 アメリカで同時多発テロの9.11事件が起こった時に、日本の真珠湾攻撃が同列に取りざたされていた。アメリカ人の心には、「Remenber the Pearl Harbor」は深く刻まれ、今でも真珠湾攻撃は卑劣なことと忘れられていないのである。この真珠湾攻撃もアメリカの陰謀説を唱える人がいる。何を甘えたことを言っているのかと思う。アメリカが真珠湾を攻撃して、自作自演をしたわけではない。生きるか死ぬかの戦争では陰謀にはまる方が悪い。
 さて、百田の「大放言」である。「戦役軍人の慰霊に対しての他国からの非難や攻撃は、完全に内政干渉なのである」というのは、まったく櫻井の主張と変わりない。今回はもうひとつおまけがついている。「A級戦犯を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)は裁判でもなんでもない。占領軍が報復のために、近代法ではあり得ない遡及法(事後法)で裁いた茶番劇である」という主張である。東京裁判の欠点について簡潔にまとめると、事後法による裁き、戦勝国が検事と裁判官を兼ねるという勝者による裁き、そして法廷での事実認定の杜撰さである。百田の主張することは間違いない。私はここでも何回も書いているが、共産主義革命を夢見ているような知識人の自虐史観に対しては、百田と同じように我慢できず、長いことこの主張を信じていた。
 しかし、私がこの考えを180度変えたのは、1冊の本を読んでからである。今はこの本を処分したので、しつこいようであるが、私が平成19年9月18日の日記で書いたことをもう1度コピペして紹介する。これまで読んだ本を残していたら、家一軒あっても足りない。
 最近は本もほとんど読んでいなかったが、やっと1冊読み終えた。神保哲生、宮台真司他「中国 隣の大国とのつきあいかた」(春秋社)で、この本も内容が充実していて、従来の中国に対する私の見方を変えてくれた。靖国問題が中国との関係でよく取りざたされるが、宮台が説得力のある解説をしてくれている。サンフランシスコ講和体制というのは、A級戦犯14人に罪を負わせる代わりに、天皇陛下と国民を免罪にしたという。国交を回復した時の日中共同声明も、この体制のスキームにのっており、中国政府はA級戦犯あるいは戦争指導者が悪かったのであって、日本国民は悪くなかったという説得を中国国民にすることになった。わかりやすくいうと、天皇陛下と国民の責任を追及せず、処刑されたA級戦犯14名が悪かったということにして日中双方が手打ちしたということである。もちろんA級戦犯の中には政界に復帰した人もいるので、処刑された家族や親族の人々は納得できない。実際に処刑されたA級戦犯だけが悪かったわけではないが、とりあえず東京裁判でこういう形で手打ちをしたのである。このことを国民全体が理解しておらず、時間の経過とともに2つの不手際が起こったという。1つはA級戦犯が本当に悪かったのだと信じ込ませる教育が展開してしまったことと、日本政府の中にA級戦犯が悪くなかったことを認めさせようとする人たちが出てきたことだという。A級戦犯に罪を負わせたのは、彼らが悪かったからでなく、手打ちに過ぎなかったことを国民のみならず、政治家の記憶からも消えていっているという。こう言われると、日本政府は手打ちをした当事者なので、総理大臣の靖国参拝に対する中国の批判は単なる内政干渉ではないことがよく理解できる。この双方の手打ちも、お互いに納得のいくものではなかったが、天皇陛下の戦争責任を追及しないための苦肉の策だったのである。東京裁判を連合国側の一方的な押しつけ裁判で、茶番劇であると非難するのは容易であるが、しかし一方、日本に侵略されたアジア諸国にとっても、当時の最高責任者である天皇陛下の戦争責任が不問にされた東京裁判は、茶番劇に過ぎないのである。
 ここまで書いて納得しない人には、先ほどのNHKスペシャルの中で気になったことも書いておく。ここでは、真珠湾攻撃も御前会議で決められたとなっていた。すなわち、形式上は天皇の同意があったことになる。「永遠の0」では、将来のある若者の特攻隊出撃について、主人公の祖父である宮部久蔵がその理不尽さについて非難していた。映画には出てこなかったが、こんな重要なことを誰が決めたかである。御前会議で決められたのか、よくわからない。当時は治安維持法があり、各学校には天皇のご真影が飾られていた。首相の靖国神社参拝に反対するのは、本来保守派が守るべき天皇の立場を危うくし、国益を損ねるからである。連合国側と解決済みの天皇の戦争責任問題がまた蒸し返される危険性もはらんでいる。百田も東京裁判の意味を理解しておらず、こんな発言をするのである。この事を国民に知らせず、東京裁判の理不尽なことばかり主張するのはアンフェアである。本質的には、寝ぼけたことばかり言っていた一昔前の左翼の知識人と変わらない。もしかしたら、もっと悪質かもしれない。
 きょうの京都新聞を読んでいたら、中国のハルピンでの安重根記念館の開館のことが書かれていた。日本政府はこのことについて抗議をしたという。日本国内に建てたわけではないので、それこそ日本が靖国神社参拝問題で主張していた内政干渉になる。中韓の歴史認識を黙認したと内外に受け止められかねないからという主張は、中国が首相の靖国神社参拝に抗議するのと同じ構造である。私は何でも中国や韓国の言い分を認めろと言っているわけではない。国際社会の中での原理原則を踏み外すと、日本がますます苦しい立場に追いやられるからである。

今週の愛聴盤 78 (140121)

Et Apres... / Memoriance
Et Apres... / Memoriance

 今週はフランスのプログレである。私はマーキームーン社刊の「フレンチ・ロック集成」の本を持っている。1994年の発刊である。ぶ厚い本で、それまでフランスで発売されたプログレ関係のアルバムがびっしりと紹介されている。今回はどこから手をつけていいのか迷った。前にも紹介したマグマはこの本では高く評価されていた。アトールも高い評価を得ていた。調べてみたら、LPレコードはまだ残していた。とりあえず、レコード棚を探していて見つけたアルバムから紹介していこうと思う。あまり知られておらず、この「フレンチ・ロック集成」でのレコード評ではいい評価はついていなかった。YouTubeでの視聴者数も多くない。それでも、私好みのアルバムである。1976年の作品である。インターネットで検索してみたら、日本語で紹介しているホームページもあった。まず、Memoriance - Je Ne San Plusである。この曲は後半からよくなる。プログレは長い曲が多い。次にどの曲を紹介しようかと迷った。とりあえず、視聴者数の多かった曲を取り上げる。Memoriance - Et apres...である。
 さて、次は有名所である。フランスのプログレには、ロック・テアトルというジャンルがある。シアトリカル・ロックとも呼ばれ、演技かかった(演劇的)ロックである。まず、ここでは私の持っているLPレコードから Le Petit Violon De Mr.Gregoire / Mona Liza(1976年)を紹介する。このアルバムの中で比較的聴きやすい曲である。Mona Lisa - Plus Loin Vers Le Cielで聴くことができる。次の曲も迷ったが、1番視聴者数の多い曲を紹介する。Mona Lisa - De Toute Ma Haineである。最後に、このロック・テアトルの大御所である。私の持っているレコードは2枚とも輸入盤であった。しかし、このアルバムは日本盤である。Au-Dela Du Delire / Ange(1974年)である。日本盤は1977年に発売されている。Angeの3枚目のアルバムで、フランスではゴールド・ディスクを受賞している。ここでは、アルバム名と同じタイトルの曲を紹介する。たまたまライブの演奏を見つけた。こちらの方がロック・テアトルの意味がよく理解できるだろう。Ange - Au-Dela Du Delireである。次に、このアルバムからは、Ange - Godevin Le Vilainを紹介する。実は私はAngeのDVDも持っている。70'S / 80'S 2 Decennies De Concerts / Ange(2003年)である。ライブ盤なので、こちらの方が当時の熱気が伝わってくる。Angeはプログレ界では高く評価されているので、興味ある人は自分好みの曲を見つけて下さい。

 

平成26年1月14日(火)

 この連休はゆっくりしていた。障害年金など、書かなければならない診断書がまた山ほど溜まった。なかなかやる気がせず、締め切りの迫った書類だけ書いていた。きのうの夜は、毎年恒例の東山医師会の新年会があった。私は出席のファックスを送ったと思っていたら、欠席になっていた。まったくこちらのミスであった。幸い、欠席した先生もおられたので、そのまま参加できた。東山区での新規開業は、久しぶりに去年は1件あった。産婦人科の若い女医さんである。こんな所で開業して大丈夫かと思うほど、東山区は高齢化が進んでいる。京都女子大もあるので、それなりに需要はあるようである。
 今年の新年の催しものは、ジャズピアニストとジャズシンガーを招いてのライブであった。私はスタンダード・ジャズにはまったく興味がない。2人とも、この分野では名前が知られているようである。ピアニストは角田浩で、京都大学を出ている。シンガーはMakotoで、去年の12月に祇園甲部芸妓を引退している。それまで、芸妓のジャズシンガーとして知られていた。内容はどうだったかというと、悪くはなかった。私は音楽の好みのジャンルは広い方である。しかし、好きなロックでも、好みでなかったら、ただうるさいだけである。正直言って、スタンダード・ジャスのよさは、少し平凡過ぎて、もうひとつよくわからなかった。
 さて、新年の雑誌などで、安倍首相の靖国神社の参拝が取り上げられていた。週間ダイヤモンドの新春号で、櫻井よしこが連載の「オピニオン 縦横無尽」で首相の参拝を支持していた。私は憲法9条の改憲派であるし、特定秘密保護法の成立にも賛成である。しかし、ここでも何回も書いているように、首相の靖国神社参拝は反対である。櫻井よしこがここで主張していることを引用すると、「靖国神社参拝問題は、日本人の心の問題であり、内政問題だ。また、首相が言うように、戦死者の慰霊はどの国のリーダーも行っていることである。」となる。年末のMBSテレビのニュースキャスターを見ていたら、電話調査で7割近くの人が首相の靖国神社参拝を支持していた。今出ている週間文春の調査では、75%が支持となっていた。
 私がここでしつこく反対を表明するのは、ここに書いてある櫻井よしこの意見を若い人がまともに受け取り、海外で主張したら大変なことになるからである。同じ号の週間文春で、春香クリスティーンが「ヒトラーの墓参り」とTVで発言したことが書いてあった。ブログに批判が殺到し、大炎上したという。北野武監督が平成9年にヴェネツィア国際映画祭において「HANA-BI」で金獅子賞を受賞した。この時に、「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」とコメントし、会場が凍りついたのは記憶に新しい。特に若い世代の人は、日本人として、海外で発言していいことと発言してはいけないことを自覚しなければならない。日本は先の大戦で、ナチスドイツと三国同盟を結び、アメリカに宣戦布告もせず、真珠湾を攻撃した。このことだけで、もうアウトである。敗戦国の日本が何を主張しても勝てない。
 当初は中国も首相の参拝を非難していなかった等、些末的なことを主張しても無理である。戦後はいつからA級戦犯が合祀されていたかも知られておらず(1978年らしい)、どういういきさつで合祀されたのかもよくわからない。このことが問題になってからも、両国とも事の重要性にあまり気づいていなかった節がある。多くの日本人は櫻井よしこの意見に賛成であろう。しかし、この意見は「木を見て森を見ず」である。中国の主張するように、日本は歴史認識が足りないだけである。ビートたけしは、先ほどのニュースキャスターで「日本は敗戦国だから」と述べ、分祀のことも示唆していた。昭和天皇は1975年から靖国神社には親拝していない。A級戦犯の合祀に不快感を示したから(富田メモ)とも言われている。富田メモの真偽はともかく、それ以来40年近く、現在の天皇も親拝していないことは事実である。
 さて、歴史認識である。私が首相の参拝に反対なのは、国際社会での原理原則から足を踏み外すと、本来謝らなくていいことまで謝らなくてはいけなくなるからである。首相の靖国神社参拝については、戦勝国になった中国や韓国の主張する批判が正しい。日本は何を理由付けしても勝てない。こんなことをするから、韓国の慰安婦問題などでも世界からの支持を得られないのである。実際に、今回の首相の靖国神社参拝に理解を示している国はない。(フィリピンなど日本の援助が欲しい国ぐらいである。) とりわけ、イギリスや欧州の反応は厳しい。靖国神社の政教分離問題や天皇の戦争責任問題など細かい議論はどうでもいい。原理原則となる世界の歴史認識が大事である。このことについては、去年の12月31日にこの日記で詳しく書いた通りである。
 敗戦国日本が、東京裁判で天皇にも国民にも戦争責任はなく、A級戦犯に責任があるということで連合国側と手打ち式を結んだのである。日本では天皇の戦争責任問題を論じることはタブーとなっている。しかし、日本と戦った国にとっては、関係ない。天皇を死刑にしろという声も、この枠組みの中で抑えたのである。だから、A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本のリーダーである首相が参拝してはいけない。中国は外交カードとして利用しているのではなく、いやでも抗議しなければならない立場なのである。ここまで中国や韓国が反対しているのに、日本はA級戦犯の分祀をするわけでもなく、政府首脳の参拝を控えているわけでもない。性懲りもなく内政干渉だと主張して、中国などが不快感を示しているにもかかわらず、平気でやり続けているのである。いくら平和を願っていると言っても、これでは実際には何も反省していないことと同じになってしまう。意図的にこの時期にずらしたと思うが、オリンピックの開催決定前だったら、逃していたかもしれない。先ほどの春香クリスティーンが日本で袋叩きになったが、海外で日本人が内政干渉だと主張したら今度は自分たちが袋叩きになる番である。
 さて、年末年始の上海の続きである。3日目の1月1日は、上海駅から蘇州まで特急の1等席で行った。上海駅では、自動販売機がたくさん並んでいた。しかし、外国人は左を行った窓口で切符を買うようにと、英語で書いてあった。私はこの左というのを、向かって左だと思った。ところが、いくら歩いてもそれらしい切符売り場が見つからない。左にある上海駅の構内にはいったらあるのかと思ったが、ここにもない。困って、駅構内の案内窓口で聞いてみた。英語が通じ、左というのは駅を背にして左であった。けっこう歩いて、別の切符売り場の建物を見つけた。窓口Iを何とか見つけることができた。パスポートを見せて、英語でやりとりして往復チケットを買った。上海のような大都会では親切に対応してくれた。英語も通じないような地方都市では、パスポートの見方もわからないような駅員は手続きを面倒くさがる。
 蘇州までの高速鉄道は南京行きに乗る。蘇州までは30分前後で、南京までは最短1時間7分である。「南京大虐殺記念館」にも、日帰りで行ける距離である。私は、この夜に中国雑伎団の予約を入れていたので、蘇州の滞在時間は3時間ちょっとぐらいであった。蘇州駅から近い「山とう街」に歩いて行った。途中道に迷ってしまった。道行く2人連れの若い女性に聞いたら、日本語で答えてくれた。2人とも近くの地下鉄駅まで行くところであった。ここまで案内してくれ、少し先にある場所を教えてくれた。蘇州は他にも見所がたくさんある。時間の都合でこの辺りしか見れなかった。元旦のせいか、観光客が多くて、少しものどかな風情を感じることができなかった。観光地化されすぎである。他に、もっと静かな穴場的な場所もあるのかもしれない。夕方は、上海雑伎団の演技を見に行った。開演は夜7時半からであった。いくつかの劇場があり、私の行った会場は日本人だらけであった。1時間半ぐらいのショーであったが、面白かった。ここではやっていなかったが、檻の中をバイクが走るショーも見たかった。夕食は、近くの地下鉄にあったフード・コートでとった。
 翌日の1月2日は午後4時にツアーガイドがホテルまで迎えに来ることになっていた。空港までは送ってくれる。この日は、上海の中心街である浦東まで地下鉄で行った。この日も青空が出て、気持ちよかった。世界第2位の高さとなる上海タワーも建設中であった。欧米人の観光客も意外に多かった。私は東方明珠塔に上った。最近は、シンガポールのマリーナベイ・サンズや新世界の通天閣など高い所に上っている。東京スカイツリーは一生に1度行ったらいいと思っている。東方明珠塔の詳しいことについては、以下の写真でも解説している。もんもん写真館でも、中国・朱家角、上海、蘇州と新しい写真をアップロードした。興味のある人は見て下さい。今回の旅行は充実してよかった。中国語はまだ全く話せないので、今年の目標として再チャレンジをしようと思っている。ここでも何回も書いているが、中国政府と中国国民は別である。若い世代の中国人は、日本人が思っているよりずっと親日的である。

チケット  蘇州への特急一等席チケット。値段は上海駅から片道59.5元であった。行きは26分で、帰りは途中2駅停まり、32分であった。バスも出ているが、2時間ほどかかる。わずかな時間なので、2等席で充分である。

水路  蘇州の小さな水路(運河)。市内を縦横に走り、「東洋のベニス」に例えられている。私は1月1日に訪れたので、大勢の観光客が来ていた。人が多すぎて、のどかな雰囲気は味わえなかった。観光地化されすぎていて、朱家角の方が私は好きである。

京劇  2014という垂れ幕がかかっていたので、元日の行事なのだろう。京劇の芝居みたいなのをやっていた。大勢の人が見学していた。

両岸  ここも小さな運河の両岸にはお土産屋やカフェ、レストランなどが並んでいた。朱家角と比べると、こちらの方がモダンである。その分、素朴さが失われている。

夜景   上海雑技団を見に行くために、上海商城劇院(ポートマン劇場)まで地下鉄駅を降りて、歩いて行った。ポートマン・リッツ・カールトンのホテルにある。ところが、大きな建物にはホテル名がついていないので、探すのが大変である。この写真は、途中で見つけた干支の馬のネオンである。

浦東  上海浦東地区の超高層ビル群である。私は左から2つめの建物の東方明珠塔に上った。今回上海の旅行で食事も含め、1回の支払いではここの入場料が1番高かった。220元である。

東方明珠塔  東方明珠塔の最高階から撮った写真である。窓ガラスに書いてあるように、351mの高さである。220元で、隙間として描いてある3箇所の展望台に行ける。窓の向こうに見える右端の建物が、現在建設中の上海タワーである。今年12月に完成予定である。完成すると高さ630mになり、世界第2位の建物になる。

空中回廊  3番目の高さの展望台の空中回廊である。入場料の220元は高いが、それなりに楽しめるようになっている。今はPM2.5で、快晴に恵まれても視界が悪かったりする。私が訪れた時は、青空が出て幸運であった。

今週の愛聴盤 77 (140114)

Untitled / Monitor
Untitled / Monitor

 今回はヨーロッパのバンドをいくつか紹介するつもりであった。このLPレコードはドイツの「ATA TAK」から発売されていた。すっかりドイツあたりのバンドかと勘違いしていた。今回調べてみたら、ロサンジェルスのバンドであった。1981年に発売されている。実験的な電子音楽的な要素も含まれ、曲調はまさに欧州風である。YouTubeで調べてみたら、何曲かアップロードされていた。まず、日本の童謡風のメロディもはいった曲である。Monitor - Pavilionである。後の私の好きな曲は、LPレコードからの録音ばかりである。ノイズも多い。インターネットで調べてみると、1曲目の「We Get Messages」の評価が高かった。ここでは、別の曲を紹介する。音はよくないが、我慢して欲しい。Monitor - Phosphoreaである。最後に、Mmonitor - Amphibiousも紹介しておく。
 次に、ベルリンの女性ばかりのバンドである。私の持っているのは、12インチの45回転マキシ・シングル・レコードである。アルバムの制作は、ベルギーと書いてあったので、てっきりベルギーのバンドかと思っていた。Untitled / Malaria!(1982年)である。正真正銘のシングル・アルバムで、A面1曲、B面1曲である。ここでは、A面の曲を紹介する。Malaria! - Kaltes Klares Wasserで聴くことができる。他にもいい曲がないかと調べてみた。けっこう自分好みの曲があった。ここでは、1番気に入った曲を紹介する。Malaria! - You Youである。最後は、3度目の正直で、今度こそはベルギーのバンドである。アルバム・タイトルは、Lunga Notte / Des Airs(1982年)である。このアルバムも12インチの45回転レコードである。全部で5曲はいっているミニ・アルバムである。このバンドの曲はかめばかむほど味が出てくる。ここでは1曲だけ紹介する。Des Airs - Lingである。

 

平成26年1月7日(火)

 新年明けまして、おめでとうごさいます。実は年をとると、新年が来ても誕生日が来ても、少しもめでたくない。今年の正月休みは前にも書いたように、南の島で過ごすつもりであった。ところが、3ヶ月前に申し込んでいたにも関わらず、往復の航空券が取れなかった。12月になってどこか空いている海外旅行がないか調べた。結局今年は南の島はあきらめ、近場で過ごすことにした。けっこう空いていたツアーは、韓国と中国である。最近の反韓、反中が影響しているのかもしれない。あまり気が進まなかったが、上海4日間の旅にした。30日の午後出発で、2日に帰ってくる。値段は朝食付きのホテル代(1人使用)も含め、全部で12万円弱であった。実は年末は、前回の日記を30日までに書くだけで精一杯であった。上海については何も調べていなかった。現地係員が空港まで迎えに来るので、ホテルの場所も確認しなかったぐらいである。
 30日は関西空港を午後4時半頃の出発予定であった。しかし、30分ほど遅れた。上海の空港には2時間半で着く。飛行機の中ではあまりゆっくりとしていられなかった。空港には現地のガイドが迎えに来ていた。出迎えは私1人であった。ホテルまでは1時間ほどかかる。ガイドは日本語がぺらぺらの30歳のハンサム・ボーイであった。ガイドとしてではなく、1人旅で京都にも何回も訪れたという。ガイドとしても、中国人の団体客を連れて、世界のあちこちに行っている。近いうちに、団体客を連れて鹿児島に行くと話していた。京都でも数人のグループで旅行している中国人をよく見かける。現在の両国の緊張とはうらはらに、日本を訪れる中国人は多い。特に若い人は片言の日本語でも覚えて来る。京都市内のレストランでも、メニューも見ながら「(うどんの)冷たい方」などと注文しているのをよく見かける。
 現地の時間は1時間日本より遅い。それでも、ホテルにチェックインしてゆっくりとしていたら、もう午後の8時過ぎである。最初はホテルの場所がわからず、大きな上海の地図を広げて、ホテルの受付の人に教えてもらった。上海の中心部からは離れており、日本の総領事館もある虹橋であった。日本人駐在員が多く住む副都心である。私のホテルから中心部に向かう地下鉄に乗るには、15分ほど歩かなければならない。ホテルの周りは暗く、日本語で書かれた居酒屋やクラブ、マッサージ店などがたくさんあった。しかし、年末ということだけではなく、この反中ムードで日本人観光客が減り、日本人相手の店は苦戦しているようであった。この日は近所をうろうろしただけである。関西空港で食事をとり、飛行機の中でも機内食をとったので、もう晩ご飯は必要なかった。この辺りのコンビニはファミリーマートが多かった。缶ビールを買ってきて、ホテルの部屋で翌日からの観光の予定を立てていた。
 私は上海のような大都会はあまり好きではない。しかし、周辺には訪れたい所がたくさんあった。上海の中心部で本格的に観光をしたのは、最後の2日(木)だけである。幸い旅行の4日間は青空が出て、本当に気持ちがよかった。気候は日本と変わりない。旅行期間中は天候に恵まれいたので、日本より暖かかった。ヒートテックの下着を着込むだけで、屋外では快適に過ごせた。2日目の31日(火)はゆっくりと起き、モーニングを取った。日本人向けのホテルで、ごはん、ミソ汁、納豆なども用意してあった。中国では国際大酒店など比較的高級なホテルにも泊まったことがある。しかし、朝食としてはここが1番充実していた。朝食後は部屋の風呂にはいり、髪の毛を洗った。この日は、水郷の古鎮(歴史のある古い街並みが残る町)である朱家角に行くことにした。まず、地下鉄Aで西の端まで行く。ここで路線バスに乗り換え、1時間10分で着く。
 中国はシンガポールなどから比べたら、物価は比べものにならないぐらい安い。今は急激な円安で、日本人の海外旅行はどこに行っても不利である。今回は以前の元が残っていたので、両替をしなくて済んだ。今は1元が18円弱であるが、手数料がかかると19円ぐらいになる。平成23年10月のレートは、手数料も含め12.4円であった。朱家角までのバス代は6元(約110円)である。中国は公共料金は驚くほど安くて助かる。午後1時過ぎに目的地に着いた。適度な田舎で、観光客もそこそこ来ていた。ふだんあまり見ない欧米人の観光客もちらほらと見た。あちこち歩くのには丁度いい広さである。今は冬なので、緑の木々を望むことはできない。やはり、春の方が見ごたえがある。それでも、水郷らしい中国独特の写真は撮れた。この日記の最後でまた紹介する。
 4時間ぐらいで、帰りのバスに乗った。一旦ホテルに戻り、この日の夜は外灘に行き、上海の夜景を楽しむナイト・クルージングに参加するつもりであった。地下鉄の豫園で降りて、フェリー・ターミナルに向かった。ところが、場所がよくわからず、最終のフェリーの時間に間に合わなかった。仕方ないので、外灘側から河をはさんで、浦東側の高層ビル群の夜景を撮ることにした。河沿いに北に進むと、大勢の観光客で見動きができなくなってきた。何とか写真だけは撮ることはできた。このまま地下鉄の南京東路まで歩こうと思った。ところが、公安の警察が大勢道路に出てきて、通行を規制している。途中から、北に進むことがまったくできなくなった。それこそ厳戒態勢である。車道に警察官が並び、道路を横切ることもできない。一時的な交通規制かと思ったら、なかなか通してくれない。この後、何があるのかよくわからなかった。誰か偉い人が道路を通ってくるのか、単なる年越しの人の機制なのか? 確かに言えることは、とんでもない人の数で、何かのきっかけで群衆がパニックを起こしたら、大事故につながるということである。
 これ以上ここで待つのはあきらめ、また来た道を引き返した。今度は西側に向かった。途中で人民広場の矢印が出ていたので、その方向に歩いた。ところが、歩いても歩いてもどこが人民広場かわからなかった。周りは大晦日でたくさんの人があふれていた。地図を広げて、何とか地下鉄の人民広場を見つけ、ホテルのある駅まで戻ってきた。時間はもう夜の11時を過ぎていた。おなかがぺこぺこで、歩き疲れてくたくたであった。駅の近くで見つけていた日本料理店は2軒とも閉める所であった。仕方ないので、ホテル近くまで戻り、1軒日本料理店を見つけた。もうおしまいかと思って聞いたら、まだ開いていた。中では、NHKの衛星放送が流されていた。とりあえず、生ビールである。メニューを見てみたら、ふだん1杯20元の生中が年末感謝サービスで10元になっていた。餃子などの料理も大体20元前後であった。先ほどの日本料理店では、ランチのサバの味噌煮込み定食が25元であった。客は私1人であった。すぐに、もう1人男性客がはいってきた。NHKの放送を見ながら、こんなに早く紅白歌合戦が終わったのかと思った。もう各地の様子などを伝えていた。ふと、気づいたが、日本では中国より1時間早く新年を迎えていた。(来週に続く)
 もんもん写真館の中国・朱家角、上海、蘇州の写真を9日(木)にアップロードしました。

ホテル  今回のツアーで用意してくれたホテルの部屋。上海への日本人観光客が激減しているせいか、サービスは満点であった。1人使用での追加料金が100円であった。部屋は広く、洗濯機や台所も付いていた。

朱家角1  朱家角は上海郊外にある水郷の古鎮である。全部で36の石橋がある。この橋は放生橋である。町全体は、ゆっくりと散歩するには丁度いい広さである。

朱家角2  町の中を水路があちこちに走っている。石畳の両岸には食べ物屋やお土産屋が並んでいる。この船も観光客用として利用できる。この程度でも、少し観光地化され過ぎていると思った。もう少し素朴なたたずまいの方が私の好みである。

朱家角3  橋のたもとで金魚を売っているおばさんである。このまま買って持ち帰るのかと思っていた。日本に戻ってガイドブックで調べてみたら、違っていた。タイなどの寺院で鳥をかごに入れて売っているのと同じであった。買って、放流するのである。逃がしてやることで、徳を積むことができる。

朱家角4  この写真は先ほどの放生橋の上から撮った写真である。 

朱家角5  町中を歩いていると、絵になる写真がたくさん撮れる。この写真も別の小さな橋から撮ったものである。近いうちに、もんもん写真館にもっといい写真を載せるつもりである。

外灘1  上海の中心地である外灘から眺めた、対岸の浦東の高層ビル群である。今回の旅行では、瀋陽やシンガポールで使ったソニーのサイバーショットHX50を持って行った。30倍ズーム付きである。高倍率の夜景は手持ちではやはり甘くなる。三脚にもなるミニ一脚を持って行ったので、もんもん写真館ではこちらの方を写真を紹介する。

外灘2  大晦日の外灘である。大勢の人で身動きがとれなかった。公安の警察官が大勢道路に並んでいた。それこそ厳戒態勢である。私は上海で新年を迎える時には、すでにホテルに戻っていた。この時に、遠くから花火の音が何発も聞こえた。もしかしたら、新年の花火を見るために大勢の人が集まっていたのかもしれない。

今週の愛聴盤 76 (140107)

Exterminating Angel / Dark Day
Exterminating Angel / Dark Day

 今回はアメリカのバンドである。「今週の愛聴盤22」(平成24年1月1日)では、ブライン・イーノがプロデュース したNo New York / Various Artists(1979年)を紹介した。このアルバムの中のDNAに属していたメンバーが作ったバンドである。音楽の分類としては、ミニマル電子音楽に属する。久しぶりに聴いてみたら、意外によかった。このLPレコードは1980年にニューヨークで発売されている。まず、動画とマッチした曲である。Dark Days - Arp's Carpetである。次は、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Dark Day - Flightless Birdsで聴くことができる。このアルバムの中から視聴者数の多い曲を挙げると、Dark Day - No, Nothing, Neverがある。他のアルバムでもいい曲がないか調べた。私好みのDark Day - Don't Botherを見つけることができた。
 次も同じアメリカのバンドである。しかし、こちらはロサンジェルス出身である。私の持っているアルバムは3曲しかはいっていない45回転のマキシ・シングル・レコードである。The Sin And Sacrifice Of Christian Death / Christian Death(1986年)である。こちらの方は、アメリカン・ゴシック・デスロックに属するようである。まず、このアルバムからはChristian Death - Between Youthを紹介する。YouTubeで私の気に入った曲を見つけたので、最後に紹介する。Christian Death - The Wind Kissed Picturesである。

 


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