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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成25年12月31日(火)

 この日記は30日(月)に書いている。明日は不在である。今から書けるだけ書こうと思う。実は先週、3月に東京ドームで公演するローリング・ストーンズの入場チケットの抽選に応募していた。チケットぴあで、第1から第3希望まで選べた。ところが、インターネットでチケットぴあに登録しようと思ったら、すでに登録済みとなっていた。うろ覚えであるが、以前に1回ぐらいは利用したかもしれない。パスワードは毎年の手帳に書いておく。ところが、数年さかのぼって調べてみても見つけることができなかった。仕方ないので、メールアドレスを入れ、パスワードの再設定をするつもりであった。ところが、今度は「登録していません」と出てくる。何回やり直しても同じである。新規の登録をしようと思ったら、「すでに登録しています」と出て、パスワードを再設定しようと思ったら、今度は「登録していません」と出てくる。一体どうしたらいいのかと困った。問い合わ先を探したが、電話番号がどこに書いてあるのかよくわからなかった。「よくある質問」を見ても何も書いてない。メールでの問い合わせ先もどこにあるのかわからなかった。
 実際の店舗先を調べ、何とか問い合わせ先の電話番号を見つけた。翌日係の人から連絡があった。何と、自宅の電話番号で家族が先に登録しているという。息子だと思うが、同じ自宅の電話番号では登録済みとなってしまう。もう、他の家族はメールアドレスが違っても登録できないのである。携帯の電話番号でもいいので、違う番号で登録しないといけない。最近のホームページは情報が多すぎて、どこに何が書いてあるのかわかりにくい。こんな大事なことはきちんとわかりやすい所に表示して欲しい。こんなことでもたもたし、抽選の締め切りの1時間前にやっと応募した。3日間の公演で、最高のGC席は8万円である。これを第一希望にして、後の希望はS席で日を変えて申し込んだ。S席は1万8千円である。抽選では見事はずれ、1万6千円のA席を先行予約した。
 私はビートルズやローリング・ストーンズなどの大御所は若い頃は一通り聴いていた。ポール・マッカートニーより、まだローリング・ストーンズの公演の方が興味がある。レッド・ツェッペリンも好きである。しかし、この時代で1番好きなのは、何と言ってもキンクスである。ローリング・ストーンズも好きなのは、私が高校生ぐらいの時までである。私はプログレに凝ったので、アルバムとしての付き合いはせいぜい1972年に出た「山羊の頭のスープ」ぐらいまでである。公演では「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」や「悪魔を憐れむ歌」が出てくることを期待しよう。この「悪魔を憐れむ歌」では、ケネディ大統領の暗殺のことも歌われている。
 安倍首相の靖国神社参拝が大騒ぎとなっている。新聞やTVを見ていても、この問題の本質について述べているコメントはひとつもなかった。評論家や政治家の話を聞いていても、本当にいらいらしてくる。京都新聞ぐらいしか読んでいないが、「京滋議員の賛否割れる」と書いてあった。「どの国も行っている慰霊であり、いい決断だ」という声と、「なぜ中国や韓国を挑発するのか」という批判の声である。こんな寝ぼけたことを国会議員が言っているから、若い世代は戦争について何も理解できないのである。こんな理解しかしていないなら、国会議員は失格である。国際的な恥である。政治評論家の竹村健一が、中国や韓国のことを何十年経っても恨みを忘れず墓石でも蹴り続ける文化であると述べていた。日本の過去を水に流す文化と対比させていた。日本は何十年反省したら気が済むのかという話である。私も長いことそう思っていた。しかし、日本は中国や韓国の言うとおり、何も反省していないのである。文化の違いではない。水に流すというのは、責任の所在を明らかにせず、相手を追い詰めないという思いやりの精神が働いているかもしれない。しかし、相手に求めるのは間違いである。
 今回の参拝はアメリカやユダヤの団体も非難していた。アメリカの非難についてはトンチンカンな説明ばかりしかされていない。ここでも何回も書いているが、何も理解していない人にはこのホームページを読むように伝えて欲しい。まず、日本は第二次世界大戦では敗戦国になった。その一方で、植民地であった中国と韓国は戦勝国となっている。今の日本人は勘違いしているが、敗戦国である日本と戦勝国は決して対等な立場ではない。沖縄と北方領土が占領されたが、日本が分断されなかっただけでも幸運である。敗戦国である日本はまず戦争責任が問われる。多くの国から天皇の戦争責任を追及する声が挙がった。主戦国がアメリカであったので、まだ助かっている。東京裁判では天皇にも国民にも責任はなく、A級戦犯が悪かったという手打ち式が行われたのである。東京裁判は茶番劇かもしれないが、すべて天皇の戦争責任を回避するためである。アメリカによる日本の戦後レジームもこの枠組みで作られている。中国や韓国は、国民の靖国神社参拝を非難したり、天皇の戦争責任を追求しているわけではない。国家の責任者である首相が、戦争責任があるとされたA級戦犯の参拝に行くことは、国際的な重大なルール違反なのである。政治外交のカードに使われるというのは関係ない。使われる方が悪い。中国や韓国から反省していないと非難されるのは当然なのである。A級戦犯に戦争責任がないなら、誰に責任があると言うか。昭和天皇を守るためにも、首相は靖国神社を参拝してはならないのである。日本人の「まあ、まあ」という曖昧な態度は、国際社会では通用しない。

外箱  1971年に日本のキングレコードから発売されたローリング・ストーンズ大全集である。ロンドンレコード時代の曲を全66曲LPレコード5枚に収容している。値段は7500円である。

中箱  上記の段ボール紙でできた外箱の中に、レコードを5枚収納できるカラフルな中箱がはいっている。この中にはデビュー曲から「ギミー・シェルター」ぐらいまでの初期の曲が集められている。

パンフレット  この大全集には80ページに及ぶ解説書がついている。1曲目が「ウィー・ウォント・ストーンズ〜カム・オン」で始まり、最後の66曲目が「リトル・クィーニー」である。

レコード  先週と今週の愛聴盤で使ったLPレコードである。下の2枚はスウェーデンとフィンランドのバンドのジャケットである。今週の愛聴盤で詳しく階説している。

レア・アイテム  私の持っているレア・アイテムである。左上は幻の「Faust」のアルバムである。私のは再発盤である。レコードも半透明で何も書いてない。右上は「PIL」のメタル・ボックスである。もう錆びついている。左下は今週の愛聴盤3(平成24年8月21日)で紹介した「Drutti Column」の紙ヤスリでできたジャケットである。本2冊はロック・マガジンの「The Bible」と阿木謙の「イコノスタシス」である。

今週の愛聴盤 75 (131231)

Detail Monochrome / Pascal Comelade
Detail Monochrome / Pascal Comelade

 きょう紹介するのはフランスのミュージシャンである。私の持っているLPレコードは1984年に発売されている。インターネットで調べてみると、このPascal Comeladeの作品を詳しく紹介している日本語のホームページもあった。(12のCDを紹介している) このアルバムは初期の作品である。今は他のアルバムとカップリングされて発売されていた。このジャッケトのデザインはもう見ることはできない。さて、この日本語のホームページと英語のウィキペディアによると、トイ・アヴァンポップの巨匠となっている。これだけでは何のことかさっぱりわからない。生楽器とおもちゃの楽器を組み合わせた実験的なアンサンブルとなっている。実際にこのアルバムを聴くと、おもちゃ箱をひっくり返したような音であふれている。さて、YouTubeで調べてみると、A面の1曲目だけアップロードされていた。B面に私の好きな曲がたくさんはいっていたが、1曲も見つけることができなかった。それでも、その後の作品の中に面白い曲を見つけたので、ついでに紹介していこうと思う。
 さて、このアルバムの1曲目である。少し整いすぎて、あまりアバンギャルドな印象は受けない。Pascal Comelade - Fragmentsである。次に、YouTubeで見つけた曲である。動画と音楽がマッチしていて、なかなかいい。Pascal Comelade - Stranger In Paradigmで聴くことができる。他にも、好きな曲を挙げると、Pascal Comelade - 4 Roses Pour Marieもいい。ここまで聴いてきて、どこがトイ・ポップスなのかと疑問に思う人も多いだろう。最後に、ライブを紹介する。音切れが何ヶ所もはいっていて、少しいらつく。しかし、こんなライブ演奏が無料で見れることについては、YouTubeに感謝しよう。Pascal Comelade - Russian Rouletteで見ることができる。
 次に、今週は北欧のバンドを2つ紹介する。私は2枚ともLPレコードを持っている。まず、スウェーデンである。以前に紹介しようと思ったら、それまで聴くことができていたのに、日本では聴けなくなっていた。久しぶりに検索してみたら、また視聴できるようになっていた。私の持っているアルバムは、Untitled / Lagnarok(1976年)である。このアルバムの中で1番いい曲を紹介する。Ragnarok - Dagarnas Skumである。レコードから録音しているので、多少ノイズがはいっている。しかし、今聴いても名曲だと思う。次はフィンランドのバンドである。Untitled / Finnforest(1975年)である。私のもっているジャケットのデザインは、上に載せた写真のように、パラシュートである。ここでは、A面1曲目の曲を紹介する。Finnforest - Mika Yoである。

 

平成25年12月24日(火)

 今この日記を書き始めているのが、もう午後6時40分過ぎである。連休の間は、「今週の愛聴盤」を書き上げるのが精一杯であった。きょうは午前の外来が終わってから、3件4名の往診に行っていた。1件は経口栄養剤であるエンシュアリキッドを2箱(48缶)持って行かなければならなかった。1番遠い所は、24号線の竹田出橋付近で、伏見消防署の手前である。この近くにもう1件往診しなければならない患者さんが住んでいた。なるべく効率よく廻るために、往診日を統一しようと思った。ところが、重症な人ほどデイ・サービスなどを利用している。往診できる曜日が異なり、結局別々に行かなければならない。最近はコインパーキングがあちこちにできているので、駐車する場所には困らない。
 少し前に、13年目になる車を買い替えようと思った。今出ている車では、トヨタのハリアーがお気に入りである。しかし、私にとってはまだ大きい。往診していても、狭い駐車場もある。結局全長4m50cm以下の車が出てくることを待つことにした。どこで傷つけたのか覚えていないが、また車に傷がついた。自宅の車庫にバックで入れる時に傷つけたのか、傷つけられたのかよくわからない。年が明けたら、この部分は修理してもうしばらく使い続けようと思う。以前にも書いた、オリンパスの高級コンデジのSTYLUS 1も買うのをやめた。よく考えたら、これまで通り、今持っているソニーのサイバーショットHX50VにRX100Uと共通の電子ビューファインダーを付けて使ったらいいだけである。なかなか私の消費が盛り上がらないのは、従来の物でも充分に使えるからである。それでも、最近はセイコーの腕時計であるブライツを買った。デザインが気に入り、実用的で重さが90gであったからである。ロレックスなど100gを超える時計は、いくらデザインが気に入ってもだめである。
 さて、往診から帰ってきてからは、この日記で取り上げるために、1冊の本を読んでいた。ところが、午後6時過ぎても最後の章だけ残った。最後まで読んでいたら、いつになったらこの日記が書き出せるかわからない。この日記の最後に、この本について書ける所まで書くつもりである。書き残した部分については、いつものパターンで26日の木曜日に書き足すつもりである。午後6時に本を読むのをやめ、何をしていたかというと、夕食を自炊して食べていた。毎週火曜日は医院に泊まる。ごくまれであるが、早くこの日記を書き終えた時には、外食に出ることもある。しかし、日記を書くのに手間取り、夜10時を過ぎても書き終えないこともよくある。自炊については私はまったく苦にならない。きょうもミソ汁からメイン・ディッシュまですべて手作りである。最近は外食の定食の方がまずく感じるぐらいである。
 先週の木曜日は歯科のインプラントが予定より早く終わったので、久しぶりに映画を見に行った。60歳になっていくら1000円になったからといって、そうたびたび見に行けるわけではない。題名は「ゼロ・グラビティ」である。新聞や雑誌で評価の高い映画である。年をとってくると、アダルト・ビデオを見ても、あまり興奮しなくなってくる。映画も、最近はあまり感動しなくなってきた。経験が蓄積され、ちょっとやそっとのことでは驚かない。自分では気がつかない感性の老化現象が進んでいるのかもしれない。悪くはなかったが、大感動とまではいかなかった。こんな評判の映画と比べるのは悪いが、ツタヤで借りてきた「遊星からの物体X ファーストコンタクト」の方が楽しめたぐらいである。オリジナルはジョン・カーペンター監督の作品である。私は気に入ってレーザーディスクを買ったぐらいである。ゾンビ物は嫌いであるが、よくできたエイリアン物は好きである。
 連休の間は、残っていた診断書の類いや会計事務所に出す11月分の書類の整理と年末調整のための給与計算をしていた。年賀状はまだ書く気になれなかった。ずっと医院に閉じこもっているのもよくないので、きのうの天皇誕生日は気分転換に午後から天王寺まで行ってきた。天気がよかったので、通天閣に上って写真を撮ってきたかった。ついでに、あべのハルカスを見て、スパワールドで一風呂浴びて来るつもりであった。乗り継いで行くのが面倒だったので、往復とも「はるか」を使った。片道45分であるが、わざわざ特急券を買うこともなかった。新世界は伏見稲荷と同じで、外国人観光客も多かった。通天閣は入場料が600円で、屋上まで上るのに45分待ちであった。スパワールドは1000円であった。この日は他にもやることがあったので、新世界名物の串カツは食べずに帰ってきた。午後1時15分発の「はるか」に乗り、帰りは京都駅に午後6時2分に着いた。観光写真であるが、撮ってきた写真を最後に紹介する。
 さて、最後の1章を除いて読み終えた本である。山田昌弘「なぜ日本は若者に冷酷なのか」(東洋経済新報社)である。副題には「そして下降移動社会が到来する」である。著者は「婚活」と「パラサイト・シングル」という言葉を作った社会学者である。この本は現在日本で起こっている社会現象を俯瞰するには最適である。前半部分は私にとっては平凡な内容であった。しかし、後半部分は知らないこともたくさん書かれており面白かった。著者によると、現代は社会が子どもや若者に対して冷たく、親が子に優しいという。大学生の子どもを持つ親の教育費負担の年収に占める割合は、およそ4割である。ここでは、生活レベルが親世代より低下する下降移動社会の到来のことも書かれている。親の間に社会経済的地位の格差があれば、学歴を介して、子どもに引き継がれる傾向が強まっている。これを階層の固定化と呼んでいる。ところが、子どもは階層の固定化どころか、親と同じレベルにさえ達しない「階層の下降移動」が始まっているという。ここからは26日(木)に追加して書いている。この本の内容は、最後まで読んでわかったが、2009年から2012年までの「週間東洋経済」に連載した評論をまとめたものである。
 ここでは、就職、婚活、新司法試験には大きなリスクが伴うことも指摘している。目標が達成できなかった時に、絶望的な状況が待っており、失敗の確率もかなり高い。著者は「希望格差社会」の中で、「希望は努力が報われる時に生じる、努力が空しいと思えば絶望が生じる」というアメリカの社会心理学者の言葉を引用している。そして、企業の新卒一括採用の慣行を強く非難している。希望する企業に正社員として入社できるのは、新卒の時期を除いてほとんどないからである。私も全くその通りだと思う。しかし、日本企業の成り立ちを考えると、本来の国民性の根幹部分に関わってくる問題である。正社員の労働市場の流動性については、異物を排除しようとする日本の閉鎖的な企業組織にとっては相容れないものがある。この本でも指摘しているように、儒教的な年齢規範が強く、下の人を先輩として従うのはいや、上の人を部下にすると使いにくいという意識も関係してくる。
 婚活が流行し始めたのは、平成20年9月のリーマンショック後で、平成22年に無縁社会という言葉が広まり、平成23年に震災が続いた。欧米では、男女共働きが進んでいるうえ、手厚い育児手当など社会保障の下支えがある。また、日本とは違い、未婚者は親と同居していないので、収入が少ないことが結婚の障害にはならない。むしろ、同棲や結婚して共稼ぎをする方が生活が豊かになる。平成22年の人口問題研究所の調査では、未婚男性の4人に3人、女性の3人に2人は恋人がいない。中高生の交際意欲も低く、草食系どころか「絶食系」という言葉も使われているという。しかし、いずれ結婚したいという男女は9割に達している。
 この本では、教育の投機化について指摘している。戦後から1990年ぐらいまでは、高等教育への投資はそれに見合ったリターンをほぼ確実に得ることができた。しかし、現在は教育投資の結果が予測つかず、利益を生むどころか教育に投じたお金や時間が無駄になる可能性が高まっている。まず、ローリスクの高等教育機関として医学部が挙げられている。ミドルリスクの高等教育機関には、法科大学院、大学院博士課程などがある。ハイリスクでは、音大や声優やアナウンサーなどの養成学校で、学生の方も覚悟しているので、かえって問題は少ない。そして、現在は一般の大学卒がミドルリスク化している。新卒一括採用試験で正社員になれないと、ずっと契約社員で終わる可能性も高い。
 近年の家族の変容を特徴づける現象として、「ペットの家族化」と「児童虐待」があるという。現在の30代前半の未婚率は男性は約50%で、女性は約35%である。現在20代の生涯未婚率は25%程度と予測されている。この日記でも指摘しているように、「結婚したら夫が家計を維持する責任がある」という女性の意識が強く、若年男性の収入が不安定になっていることが原因となっている。中高年の夫婦を外来で診察していても、この意識のずれが不和の原因になっていることが多い。日本社会では女性がやりがいのある仕事にまだ恵まれていないことなど、女性の言い分も理解できる。
 しかし、あえて男性の立場を擁護すると、日本の女性は経済的なことをすべて男性に求めて、その上で愛情を求めているのである。夫に対して「ちっとも私に優しくない」など不満が出やすい。しかし、本来の夫婦の愛情は、お互いに経済的に自立し、対等な立場になったときに、純粋な思いやりから生まれるものである。もちろん、夫も家事を分担しなければならない。一方的に経済的に頼ること自体がすでに夫から充分すぎるほどの愛情を受けている証である。子どもの塾の費用のためにアルバイトしている妻も、「どうして私が生活のために働かなくてはけないの」という潜在的な不満を募らせやすい。この本では、日本男性の小遣いは米国の半分と指摘している。退職後に、夫は趣味や旅行にお金を使いたいのに、妻はなかなかウンとは言わない。なぜなら、夫より長生きする妻はできる限りお金を残して置きたいからである。「誰のおかげで食べていけると思っているんだ」という夫の言葉は、暴言でも何でもなく、まったく正当な言い分なのである。今は収入の多い男性は同じように収入の多い女性を求める傾向がある。
 最後に、この本の題名と関係することを取り上げたい。高齢者に優しく、現役世代に冷たい政治である。子ども手当がバラまきなら、2分の1の国庫負担がはいっている基礎年金もバラまきだという。増大する高齢者の年金水準が維持される一方で、現役世代の収入が下がり続けている。高齢化が進む先進国においては、高齢者票の割合が増大するので、高齢者の既得権を削減する政策は取りにくくなるという社会政策学者の言葉も引用している。シルバー人材センターのことも書いてあり、高齢者に仕事をさせるために税金が投入され、若者には不親切で対策が不十分だと指摘している。他にも興味深いことが山ほど書いてある。是非とも手にとって読んで欲しい本である。

新世界  誰でも撮れる写真である。一昔前はこんなに観光地化されていなかった。あちこちに串カツの店が出ていた。この雰囲気は外国人には受けると思う。まだ少しディープな世界の面影は残っている。

通天閣  青空が出ていたので、いい雰囲気が出た。けっこう絵になる写真が撮れた。しかし、他の観光地のようにカメラを構えている人は思ったより少なかった。わけのわからない人がまだ立っているので、気楽に撮れる雰囲気はあまりないかもしれない。

あべのハルカス  通天閣から撮ったあべのハルカスである。2階で屋上に上がるエレベーターを待っている時に、全員記念撮影をしていた。希望者は1枚1000円で買える。私は1人だったので、写真を撮るのも断った。シンガポールでマリーナ・ベイ・サンズの屋上に上る時にも全員記念撮影を撮っていた。通天閣ではできあがった写真は断る人も少なくなかった。

展望台入り口  展望台の入り口の案内である。実際にはこの反対側から地下に行く。通天閣のビリケンさんの足を掻いてあげるとご利益があるとされている。ここでも記念撮影をしていて、足を掻くことができなかった。

今週の愛聴盤 74 (131224)

Untitled / Atlantis
Untitled / Atlantis

 きょう紹介するLPレコードは今から40年以上前のアルバムである。正確に言うと、1972年の発売である。こんな古いレコードであるが、音は今でも楽しめる。ウィキペディアによると、1960年代末から1970年代初めにかけて西ドイツに登場した実験的バンド群、およびその音楽をさすクラウト・ロック(Krautrock)に属するようである。(いわゆるジャーマン・プログレである。) このAtlantisはどちらかというと、ロック色が強い。まず、Atlantis - Big Brotherである。この曲が気に入った人は、次の曲も楽しめる。今年の10月にアップロードされたばかりで、まだ視聴者数は多くない。Atlantis-Words of Loveで聴くことができる。最後に、このアルバムの中で私が1番好きな曲を紹介する。長い曲であるが、今聴いても名曲である。同じジャケットばかり見ていても面白くないので、別ジャケットで紹介する。Atlantis - Living At The End Of Timeである。
 実はこの「Atlantis」について調べていたら、このバンドのボーカリストのInga Rumpfが「Frumpy」というバンドに属していたことがわかった。普段ならあまり気にもとめずに、別に用意したアルバムに進む所である。ところが、あまり曲の印象は残っていないが、この「Frumpy」のCDも1枚持っていた。Frumpy 2 / Frumpy(1971年)である。「Atlantis」はLPレコードを持っているが、このCDは1993年に再発されたものである。一応念のためにアマゾンで調べてみたら、何と高評価を得ていた。中古のCDでも8千円する。仕方ないので、一応全曲チェックしてみた。10分以上の曲が2曲はいっており、8分前後の曲も2曲はいっていた。長い曲は前半が悪くても、後半が信じられないほどよくなる曲もあるので、なかなか油断ができない。これも何かの縁なので、1曲紹介しておく。ここではこのアルバムの中の曲で、1番視聴者数の多い曲を紹介する。ライブであるが、スタジオ盤の方が聴きやすい。この曲も3分20秒を過ぎないと、よくならない。Frumpy - How The Gypsy Was Bornである。
 さて、初めに用意していた2番目のアルバムである。この年代で雰囲気が「Atlantis」と似ているバンドである。私の持っているのは、これも1991年に再発されたCDである。オリジナルは、Untitled / Bodkin(1972年)である。このアルバムも長い曲が多いので、調べる方も大変である。スコットランドのバンドである。まず、このアルバムの最初の曲である。この曲はパート1で、まだパート2もある。Bodkin - Three Days After Deathで聴くことができる。次に、Bodkin-Aunty Mary's Trashcanも悪くない。

 

平成25年12月17日(火)

 きのうの夜はなかなか寝にくかった。私はもともとよく寝る子だったので、不眠で悩んだことはない。授業中でもよく寝る子であった。それでも、たまには眠れないこともある。きのうは息子が1階の居間でTVを見ていた。ふだんはそのまま寝てしまうが、笑い声などが気になって目がさえてしまった。こういう時は開き直って、寝床で本を読むことが多い。昨晩はどうしようかと迷っているうちに、寝たようである。朝はいつも通り5時前に起きた。私は、幸い眠れる体質である。もともと薬嫌いなので、精神科関係の薬を服用するのは、唯一深夜便の飛行機に乗った時である。前にも書いたが、患者さんに睡眠導入薬を処方していると、ハルシオンが切れ味がいい印象であった。1度深夜便で服用したら、翌朝気分が悪くなった。それからは、エバミールを愛用している。年をとって、今はなるべく深夜便は乗らないようにしている。
 きのうは眠れず、いろいろと悪いことばかり考えてしまった。私はもともと強迫的で、人前で話すのは大の苦手であった。これまで何とか薬に頼らず、ひとつひとつ克服してきた。今では、大勢の聴衆の前でも、緊張せずに冗談が言えるぐらいである。強迫的な所はまだ残っているが、日常生活に支障をきたすほどではない。精神科の臨床をやっていると、どこまでが治療で、どこまでがアメニティの向上なのかわからなくなる。アメニティの向上というのは、住み心地のよさの提供である。例えば、悩み事で苦しんでいる時に、苦しみをやわらげるために必ずしも薬が必要であるかどうかである。パニック発作も患者さんにとっては辛いものである。しかし、放置しても生命に危険を及ぼすわけではない。初期の軽症うつ病もそのまま悪化せず、治癒する人も大勢いる。
 人前で話すのが苦痛ということで、薬を処方することがいいのかどうかの判断は難しい。いくら精神科や心療内科の敷居が低くなったからと言っても、患者さんはコンビニのように気楽に受診しているわけではない。にっちもさっちもいかなくなって、受診している。症状のために、日常生活に支障をきたしているなら、薬を上手に利用したらいいという考え方もある。とちらかというと、現在の精神科治療の流れはこちらの方である。対人緊張の強い人でも、薬の服用で緊張がやわらぎ、対人関係スキルが向上して薬を減らしていくことができる人もいる。その一方で、いつまでも薬に頼る人もいる。私は森田療法的な考え方で、薬に頼らずにすんだ。しかし、かなりの精神的苦痛は伴った。苦手なことを克服するには、どこかで苦手なことをやって克服するしかない。苦手なことを避けていくら他のことで努力しても、肝心のことは何も克服されない。
 私はこの日記でもベンゾジアゼピン系薬物を擁護をするのは、私が愛用しているからではない。大勢の患者さんが上手に利用して、生活の質が向上しているからである。最初に書いたように、神経症的な訴えの軽減は、どこまでが治療で、どこまでアメニティの向上なのかわかりにくい。治療の分かれ道は、最初に薬を使うか使わないかである。SSRIであろうとベンゾジアゼピン系薬物であろうと、薬を使うとなったら、本質的には何も変わらない。
 最初に戻ると、やはり眠れないのは辛いことである。ベンゾジアゼピン系睡眠導入薬の使用についても最近はうるさくなっている。少しでも多いと、睡眠薬中毒のように扱われる。私はよく眠れるタイプである。しかし、中にはもともと寝にくいタイプの人もいる。充分眠っているのに、眠っていないと信じ込んでいるだけだと教科書には書いてある。ここでもアメニティの問題が出てくる。私はお酒のように、効き具合は個人差が大きいと思っている。頭ごなしに睡眠薬中毒だと診断を下す前に、睡眠・覚醒リズムはどのように形成されてくるか思い浮かべたらいい。赤ん坊の時に、母親が水商売をしていて、昼夜区別なく光に当てていたら、睡眠・覚醒リズムの確立はどうなるのかとか、臨界期はあるかなどいろいろな疑問が沸いてこなければならない。特に副作用が出ず、患者さんが「よく眠れてすっきり起きれる」と言っているなら、多少多めでもいいという考え方もある。ただ、睡眠も体調のように波があるので、一旦眠れるようになったら、眠れなくなった時に合わせて、どんどんと増やすことは避けた方がいい。
 先週の土曜日は、年に2回の医局の集まりがあった。同門会にあたり、忘年会も兼ねていた。きょう診察した年輩の患者さんが、「白い巨塔」の再放送を見ていると話していた。「Doctor-X 外科医・大門未知子」は薄っぺらくて、面白くないとも言っていた。私はもともとTVドラマは見ない。しかし、「半沢直樹」を録画して見るようになってから、この視聴率の高い「Doctor-X 外科医・大門未知子」も録画していた。なかなか見ている暇がなく、最近になってようやく第2回めから3回分ほど見た。この年になって、米倉涼子のミニスカートはやめて欲しい。白い巨塔とこのDoctor-Xでは医局の描かれ方が違っている。私の時代は、ぶっちぎりの白い巨塔であった。ついついDoctor-Xを見てしまったのは、外科統括部長に仕える外科部長に哀愁とも思える共感を覚えてしまったからである。前から書いているように、人生の一時期に気難しい教授に仕えるのも、一種の修行で悪くない。
 さて、最初に医局の研究助成金および学術奨励賞受賞講演会があった。専門的な研究になると、聞いていてもさっぱり内容が理解できない。あまり本気で聞いていないのもよくない。この日参加してよかったのは、私より一回り大先輩の昭和42年卒の先生の講演が聞けたことである。私が54年卒なので、現役入学でも71歳を超える。講演の内容は、「アルコール健康障害対策基本法の制定を目指して」であった。この講演はICレコーダーでしっかりと録音しておいたらよかった。それぐらい、感動的な内容であった。この先生は三重県で長いことアルコール依存の患者さんの治療に取り組んできた。私はもともと薬物依存の専門家で、アルコール依存だけではなく、箸にも棒にもかからない覚醒剤中毒の患者さんもたくさん診てきた。アルコール依存の治療は本当に大変である。私は今ではアルコール依存も薬物依存も本格的な治療からは手を引いている。
 この先生は生涯をかけてアルコール依存の治療に専念してきた。しかし、こんなことを100年続けていても何も変わらないと思ったという。飲酒運転が社会問題になり、アルコール関連問題が世間の注目を集めるようになった。そこで、アルコール健康障害対策基本法の制定を目指して、日本全国を歩き回るようになったのである。国家議員や学会の賛同を集め、何とこの12月の国会でこの法案が成立したのである。70歳を超えてここまで頑張られると、本当に勇気づけられる。TVで、ドキュメンタリー番組を作ってもいいぐらいである。私の中には、まだ医局に対してはフラタニティの精神が残っている。同じ医局の後輩として、誇りに思う。大変ご苦労さんである。詳しいことは去年11月発行の「精神医学」に論文が載っているので、さっそく取り寄せて読もうと思う。
 日曜日は、キャンパス・プラザ前のマンションの工事があった。各部屋の玄関ドアのインターホンを録画できるカメラ付きの最新機に変えたのである。びっくりするほど、画像の映りがよかった。もともと、マンションの表玄関には防犯カメラが設置されていた。マンションの玄関を開けるには、部屋のキーが必要であった。ここからはいるための呼び出しでは、これから顔をチェックしてドアを開けることができる。ここまでくると、ほぼ防犯は完全である。今はWifiを使って防犯カメラを簡単に設置できるので、この最新式のインターホンの設置と合わせたら充分である。場所にもよるが、医院なども費用のかかる総合警備保障はこれからは必要がなくなるかもしれない。

今週の愛聴盤 73 (131217)

Under En Sort Sol / Sods
Under En Sort Sol / Sods

 今週は何を紹介しようかとレコード棚を探していた。このアルバムはジャッケトも地味で、どんな曲がはいっていたかも覚えていなかった。実際に針を落として聴いてみたら、これがなかなかよかった。さて、どこの国のバンドかジャケットやレコードを見てもよくわからなかった。バンド名もわからない。幾何学的な模様と文字が重なって何が書いてあるのか読みにくい。このアルバムは1980年に発売されている。好みの曲を選んでYouTubeで調べてみたら、デンマークのバンドであった。ベルギーなどヨーロッパのバンドは数多く知っている。しかし、デンマークのバンドはすぐに名前が思い浮かばない。ポスト・パンクにあたる音楽のようである。このバンドは当初は「Sods」という名前も使っていた。1984年から「Sort Sol」(黒い太陽)に統一している。
 さて、このアルバムのA面の最初の曲である。The Sods - Repeatureで聴くことができる。次にB面の1曲目である。Sods - Marble Stationはこのアルバムでは1番人気のようである。B面は最初から最後まで私好みの曲がはいっていた。このアルバムから最後に、B面の2曲目に当たる曲を紹介する。視聴者数はあまり多くないが、私の好きな曲である。Sods - Misguidedである。他にもいい曲がないか調べてみた。 ムーディ・ブルースの「サテンの夜」をカバーした曲もあった。ここでは、「Sort Sol」になってから、まったく曲調の変わるSort Sol - Elia Risingを紹介する。女性ボーカルは、ノルウェーのソプラノ歌手であるSisselである。この曲はSisselのボーカルが加わると、俄然よくなる。ライブを見たかったら、「Sissel Kyrkjebo ELIAH RISING live」で見ることができる。
 次に同じ1980年に発売になったアルバムを見つけ出した。実験的な音楽である。このアルバムから最初の曲を紹介しようと思った。Savings Whiz With A Wallop / Negativlandである。ところが、YouTubeで調べると、このアルバムからは何もアップロードされていなかった。他の曲はたくさんアップロードされていた。ネットで調べてみたら、同じアルバムが別のジャケット・デザインで発売されていた。曲名がついておらず、すべて番号である。私の持っているアルバムは横向きの車の絵が描いてある。グーグルで画像検索しても見つからない。このアルバム名も出てこなかった。英語のウィキペディアでは、いろいろなカバーで、全部で15,000枚発売されていたとなっていた。もしかしたら、これは超レア・アイテムかもしれない。Mark HoslerとRichard Lyonsが17歳の高校生の時に作ったアルバムである。
 上記のアルバムが紹介できなかったので、急遽ピンチ・ヒッターである。スウェーデンのインダストリアル・バンドである。私の持っているのはCDで、Lupus In Fabula / Sanctum(1996年)である。このCDには全部で15曲もはいっており、チェックするのが大変であった。まず、このアルバムの最初の曲である。インダストリアルな香りを感じることができる。男性ボーカルが希であるが、曲によってはデス声になる。この曲程度でも私は好きではない。Sanctum - Dragonflyで聴くことができる。次に、1番聴きやすい曲である。ここまで来ると、どこがインダストリアルなのかよくわからない。Sanctum - The Doorである。こういう曲はダメな人はダメである。少しでも楽しめるなら、「Sanctum - Juniper Dream」や「Sanctum - Crescens」も悪くない。

 

平成25年12月10日(火)

 いよいよ今年も押しつまってきた。最近は土曜日だけは夜中の2時過ぎまで起きている。TVの週間ニュースを見たり、雑誌をゆっくりと読んでいたら、あっという間に時間が過ぎてしまう。朝もゆっくりと起きて、モーニングを食べに行く。喫茶店で美味しいコーヒーを飲みながら、朝刊を読むのは、週1回の私のささやかな楽しみである。そんなことをして医院に行ったら、もうお昼近くになる。先週の日曜日は、また12月中に書かなければならない自立支援医療や障害者福祉手帳の継続の診断書を書いていた。5〜6時間かかって、全部書き終えることはできなかった。すべて新しい診断書に書き直しなので、どうしても時間がかかってしまう。油断していると、年賀状も遅くなってしまうので、インターネットで注文した。お歳暮も早く頼んで来なければならない。
 きょうはあまり書くことがなくて困っている。新聞やTVで特定秘密保護法のことが大騒ぎになっている。私はあまり関心がないので、新聞でも雑誌でも飛ばして読んでいる。内容についてもまったく知らない。おおざっぱでいい加減かもしれないが、これだけ大騒ぎになる法案は成立しても問題はないと思っている。むしろ、大騒ぎにならない法案の方がこわい。個人情報保護法ができた時にも大騒ぎになった。今となっては、むしろ法案ができてよかったと思っている国民の方が多いだろう。
 日本はずっと昔からスパイ天国と言われ続けてきた。尖閣諸島問題で中国との関係がこれだけこじれているのに、重要な国家秘密が他国に漏洩され、国家が被る損失が計り知れないのはかまわないというのだろうか。秘密裁判で漏洩した人を処罰するわけではない。個々の事例で裁判になった時に、国民が納得できない判決が出たら大騒ぎしたらいいだけである。今最優先することは、現在進行している他国への漏洩を防ぐことである。今読み終えた本では、対象とされているのは公務員だけで、一般人を対象にしていないという。世界でも珍しい例で、「スパイ防止法」にもなっていないという。この部分を読んだ時に、最初はぴんと来なかった。でも、よく考えたら、国家の機密に関与するのは公務員ばかりではない。何か重要な国家のプロジェクトを進めるには、高度な技術を持っている民間企業に開発を依頼するしかない。民間企業の職員が他国の諜報部員に漏洩しても処罰の対象とならないのである。反対派に配慮し、こんなザル法を作って、一体何を守ろうというのであろうか。
 さて、今読み終えた本である。月尾嘉男「ビッグデータとサイバー戦争のカラクリ」(アスコム)である。田原総一朗が責任編集をしており、タイトルの上には「誰も言わなかった!本当は恐ろしい」と付いている。対談形式になっていて、あっという間に読むことができる。わざわざ2時間でよくわかる!と書いてある。対談相手は東大名誉教授で、情報通信審議会などの委員をしている。最初にコンピューターが人間より将棋が強くなったことや、アメリカで開発されたセイバーメトリクスという野球データの分析手法のことが書かれている。私が興味深かったのは、こんなことよりインターネットの歴史である。当初、インターネットは軍用と大学・研究所だけで利用していた。ところが、1988年にアメリカ政府が商業利用を認め、民間企業がインターネットサービスを始めて、一般の人が利用可能になった。どうしてアメリカが商用に解放したかというと、NTTが1990年から2015年までの25年間に、日本中のすべての回線をデジタル回線に変えると宣言したからである。デジタル回線にしたら、写真、音声、音楽、映像など何でも送れる。アメリカは日本に鉄で負け、造船で負け、自動車で負け、半導体で負けていた。情報通信で逆転しようとしていた時に、日本に先手を打たれ、対抗策としてインターネットを一気に一般公開したのである。今では、インターネットをはじめとするデジタル通信の85%がアメリカ経由で世界に送られている。アメリカの情報支配が可能となったのである。
 ブロードバンドの時代を経て、次に来たのは「ユビキタスの時代」である。ユビキタスというのはラテン語で、神はどこにもいる(神の遍在)を意味し、どこでも使えるということである。今ではスマートフォンで何でもできるようになった。人同士だけでなく、物と物や物と空間が情報をやりとりするようになった。人間抜きで生み出されるビッグデータが爆発的に拡大している。月尾はクラウドの時代になって、世界中の人々がグーグルなどに委譲し始め、個人の情報管理を放棄していると指摘している。日本ではウィキペディアの信頼性はもうひとつである。しかし、意見を異にする人が議論して修正してくれるから、次第に正確でバランスの取れたものになっていくという。インターネットは叡智の集結も可能にした。書籍で最大の英語の百科辞典であるエンサイクロペディア・ブリタニカには20万項目しか載っていない。ところが、ウィキペディアには400万項目もあり、常に新しい情報が更新されている。
 この本ではビッグデータの利用についても書いてある。グーグルの翻訳が賢くなったのも、これまで人間が翻訳した膨大な文章を蓄えていて、この英語はこの翻訳に似ていると判断すると、その文章を基本にして単語を置き換えてくれるからである。航空機の運航予想サイトでは、過去のすべてのフライトの記録と何月の何曜日で気象状況はどうかといった情報を突き合わせて解析している。自分の搭乗するフライトを入力すると、時間通りに到着する確率は何%と数値を出してくれる。日本ではビッグデータの活用が遅れており、最前線はコンビニだという。どこの何を置いたら売れるかなどデータを利用している。
 この本で1番面白いのは、サイバー戦争について書かれた後半部分である。今や諜報といわれたインテリジェンスは人間が情報を収集するヒュミントから電子情報を集めて分析するシギントに移ってきたという。アメリカではCIAの仕事の中心がヒュミントで、スノーデンで有名になったNSA(国家安全保障局)がシギントである。このNSAは秘密のベールに包まれており、世界を飛び交う膨大な通信データを解析していると言われている。ここでは、モールスから始まる通信の歴史が述べられている。第二次世界大戦の時に、英米の通信傍受システムである「エシュロン」が構築された。フランス語で梯子の「段」を意味し、今でも稼働している。日本では三沢に「象の檻」と呼ばれる巨大な通信アンテナがあり、これが「エシュロン」の傍受施設と言われている。
 音声通信のIP電話は情報を分割して送るため、盗聴が難しくなった。そこで、インターネット回線を意図的にアメリカに集中させるようにしたという。ビッグデータが急速に膨らみ、NSAも急膨張した。以前に、ブラジルへの航空機の売り込みで、フランスのエアバスとアメリカのボーイングが争ったことがある。この時に、NSAがエアバスの入札価格などの秘密情報を盗聴し、ボーイングに流したという。政界や経済界のリーダーたちに、予算をつけてもらう意図もあったようである。2001年の9.11以降は、組織だけでなく、個人も対象にする必要が生じた。「アメリカ愛国者法」で捜査当局が電話、メール情報などの個人情報を集めることを認めた。2007年には「米国愛護法」で政府の情報機関が裁判所の承認なしに外国の情報を収集することを認めた。この年に、NASは「プリズム計画」という極秘監視プログラムをスタートさせている。スノーデンが暴露したことであるが、マイクロソフト、グーグル、フェイスブック、アップルなど著明なIT企業がNSAに協力していた。
 ここではオープンソースとクローズドソースのことにも触れている。リナックスはオープンソースで、ウィンドウズはクローズドソースである。ウィンドウズのソースコードを調べたら、NSAという単語がプログラムにはいっていたという話もある。そのプログラムの意味はまだ明らかにされていない。バックドアと言い、インターネット回線につなげたら、パソコン内のデータをNSAが抜き取るような命令ではないかという意見もある。著者の月尾が総務省にいた時に、政府の使うコンピュータはオープンソースが望ましいと検討されたことがある。この事が新聞で報道されると、マイクロソフトの副社長が面会を求めてきたという。私はグーグルは登録してサービスを利用している。ウィンドウズ8は使い勝手が悪いだけではなく、登録しないとサービスが利用できないというのが気に入らない。
 さて、サイバー戦争の最前線である。成功したサイバー攻撃というのは表沙汰にならないという。プロは目的のシステムに侵入し必要な情報を盗んでも、痕跡を残さない。インテリジェンスの世界では、情報を盗まれる方が悪いという世界である。90年頃、中国がボーイング社に飛行機を発注し、納入された機体を調べたら、いくつも盗聴器が仕掛けてあった。中国は黙って全部外して、その後使用している。数年前に沖縄で米国人が入居するマンションから盗聴器が次から次へと発見された事件があった。建設工事中に仕掛けられたらしく、外国人スパイの工作ではないかと言われている。サイバー攻撃はコンピュータの中の仮想世界だけのように思われるが、ソーシャル・エンジニアリング(社会工学的手法)といって、パスワードを記した付箋を盗み見たり、偽電話で聞き出したり、人間的な手法も併用される。
 サイバー攻撃というのは、実際の戦争にも使われる。事前のサイバー攻撃で防空システムを無力化し、目的の施設を空爆したりする。新種のコンピュータウィルスを開発し、感染したコンピューターから周囲の携帯電話や別のコンピューターに無線でどんどん指令を飛ばし、すべてをコントロールしてしまう。現在各国はサイバー空間を戦争空間と認める方向にある。アメリカでは武器による攻撃と同じとみなし、実際にミサイル攻撃をしてもいいことになっている。日本は憲法9条で国の交戦権を認めていないので、他国に対してサイバー攻撃ができない。例えば、役所のサイトが外国のハッカーに侵入されても、逆探知によって外国の通信網を探るのは、攻撃に当たるのではないかと政治問題になるという。空港や電力会社のシステムに他国からサイバー攻撃されても、日本側は防御や修正しかできないのである。
 他にも、監視カメラのことなども書かれている。ロンドンでは1日観光していると、およそ300回監視カメラに撮影されるという。9.11の翌年にブッシュ大統領が大リーグの始球式に登場した。この時には、NSAが開発した最新技術で、観客席をスキャンし、球場にいる全員の顔を犯罪者や容疑者などの顔と照合させた。現在ではコンピュータが発展し、わずかな時間にここまでできるのである。安全が確かめられ、大統領はどこからでも狙撃できる無防備のマウンドに立つことができた。平和ぼけで、非現実的な寝ぼけたことばかり言っている人には、是非とも読んで欲しい一冊である。

今週の愛聴盤 72 (131210)

Awake Inside A Dream / Angels Of Venice
Awake Inside A Dream / Angels Of Venice

 このジャケットからはどんな音楽が想像できるであろうか。案外、ゴシック(メタル)ロックのバンドが使いそうなデザインである。私の持っているCDは1996年にアメリカで発売されている。ジャケットの裏には、ハープやフルートを持った3人の女性の写真が載っている。アイリッシュ・ブズーキやリコーダーなど中世の楽器が使われている。ネットで調べてみたら、ケルト・ミュージックに属していた。(ネオ・ケルトと言うらしい。) ケルト・ミュージックを土台にした音楽では、ここでも紹介したアイルランドのエンヤが有名である。クランベリーズもアイルランドのバンドである。話は変わるが、今年暗殺50周年を迎えたジョン・F・ケネディもアイルランド系である。アメリカではWASPと呼ばれる、白人でアングロサクソン系のプロテスタントがエリートとされていた。当時、アイルランド系のカトリック教徒の大統領は異色であった。
 さて、古楽器の演奏を延々とされたら、辛気くさい。(グリフォンやザ・サード・イアー・バンドを思い出した。) そう思って聴いたら、これがなかなかいい。まさに、プログレしているのである。まず、最初にAngels of Venice - A Chantar Merである。次は、それこそゴシック・ロックに使われるような写真がこれでもかと用いられている。Angels Of Venice - Nanaである。このアルバムには「スカーボロー・フェア」の曲もはいっている。やはり、サイモンとガーファンクルにはかなわない。このアルバムから、最後にAngels Of Venice - The World Beyond The Woodsを紹介する。他にいい曲がないか調べたら、「Pachelbel's Canon」が視聴者数15万人を超えていた。ここでは、見たことのない動画が見られるAngels Of Venice - Queen Of The Sunを紹介しておく。他にも、動画が映っていない「Forever After」もある。曲を聴くだけでも、汚れ疲れた心を清めてくれる。
 さて、次に似たような音楽がなかったかどうか思い巡らした。うろ覚えで、1枚のCDを思い出した。To Drive The Cold Winter Away / Loreena McKennitt(1987年)である。CDの裏を見ると、カナダのトロントで製作されていた。トラッド色が強く、この人の声は私好みではなく、発声の仕方ももうひとつであった。何とか2曲ほど選び、YouTubeでアップロードされているか調べてみた。何と、エンヤに次ぐぐらい有名なカナダのアイリッシュ・ミュージシャンであった。私の持っているCDはまだ2枚目で、その後ケルト・ミュージックをベースに、洗練された素晴らしい曲をたくさん作っている。ここではこのCDは無視して、私がYouTubeで見つけた曲を紹介する。まず、Loreena McKennitt - Skellig (Lord Of The Rings)である。いい曲がたくさんあって選ぶのが困るぐらいである。次は、私の好きな曲である。Loreena McKennitt - Tango To Evoraで聴くことができる。さて、最後はライブ盤である。タイトル名を見て、サンタナのアルバムを思い出した。Loreena McKennitt - Caravanseraiである。まだ、心が清め足りない人には、「the emigration tunes」もいい。(自分で検索して下さい。)

 

平成25年12月3日(火)

 先週は大手の旅行代理店から電話があった。実は年末年始は南の島で過ごそうと思っていた。いつもは早く航空券を頼んでいた。ところが、今年はいつもより遅くなり、9月の初めに申し込んだ。すでに満杯で、予約待ちであった。それでも、年末になったら、空きが出てくるだろうと大船に乗ったつもりであった。人気の旅行地なので、気に入ったホテルも予約しておいた。ところが、この大船がひっくり返ったのである。なかなか飛行機の空きが出ず、ホテルの予約の取り消しの有効期限が迫ったのである。キャンセル料は全額100%で、この時期の宿泊料は普段の数倍の値段である。4泊で8万4千円である。ぎりぎりまで待って飛行機が取れなかったら、全額がムダになる。結局、すべてキャンセルすることにした。わざわざこんな人気の場所を選ばず、もっと別の場所にしておけばよかった。
 さて、別の場所である。12月にはいってからあわてて探しても、どこも空いていない。思い切って、小笠原諸島に行こうかと思って調べたら、この時期は1人旅は受け付けてくれない。東京からフェリーで片道25時間である。いろいろ調べてみたが、なかなか魅力的な場所である。誰もそう簡単に行けないというのがいい。ここは是非とも1度行ってみたい。他に、バングラデッシュのダッカ行きのツアーがあった。成田発である。しかし、問い合わせをしてみたが、直通がないので、シンガポールなどの中継点までの飛行機が確保できない。ここは1人でも行けるので、別の機会に航空券だけ手に入れて行こうと思う。今年の年末年始は12月29日(日)〜1月5日(日)まで休むつもりであった。旅行がキャンセルになったので、1月4日(土)は外来を開いてもよかった。しかし、もともと土曜日は京都第一赤十字病院が休診で、空いている院外薬局は少なかった。たまたま大手の院外薬局が休みにすると聞いたので、やはり休むことにした。自立支援医療では指定された薬局以外で薬をもらうことができないからである。
 ぎりぎり年末まで待ったら、キャンセルも出て、空きのツアーや航空券が出てくるかもしれない。それでも、この時期の一人旅は敷居が高い。今空いているツアーは反日の強い韓国や中国がほとんどである。大連のパックツアーもあった。イギリスや欧州は、大雪になると空港が閉鎖されるので、この時期は心配である。実際は少ないかもしれないが、CNNを見ていると、しょっちゅう閉鎖されているような印象である。とりあえず、近場で3泊4日のツアーを申し込んでおいた。
 先週の土曜日は、東京まで東京モーターショーを見に行っていた。土曜日の外来は精神症状の不安定な患者さんが受診していた。この患者さんの対応に1時間近くかかり、京都を出るのが遅くなってしまった。東京に着いたのは午後6時過ぎであった。この日はこの時間帯には美術館などは閉館になっており、どこも出かけられなかった。新宿のヨドバシカメラで、新しく出たオリンパスのコンパクト・デジカメを見たりしていた。2日前に発売になったばかりのSTYLUS 1である。実物を触って、衝動買いしそうなほど気に入った。ポイントが付くので、実質6万円ちょっとである。見やすいファインダーを内臓しているので、便利である。スマホ・カメラの性能がいくらアップしても、晴天下ではやはり見にくい。
 私はアナログ時代から一眼レフカメラを何台も買い替えたりしている。しかし、大きなカメラは結局持ち出さなくなってしまう。ソニーのコンデジは古いのも含め、全部で3台持っている。今回はシンガポールに持って行った30倍ズーム付きのHX50Vを持って行った。コンデジは気分やその場に応じて、使い分けたらいい。STYLUS 1はレンズが明るく、10倍で電子ファインダー付きなので、旅カメラにはぴったりである。私の持っている他のコンデジとはかぶらない特徴を持っている。もう1台増えてもムダにはならず、使い分けが楽しめそうである。とにかく値段がリーズナブルな所がいい。デジタル一眼カメラを本格的に使いこなすには、1本10万円以上するレンズも必要である。モニターも専用ディスプレーを使わないと、その差がよくわからないだろう。コンデジで撮った写真でも、フォトショップなどでけっこう修正ができてしまう。
 日曜日は朝から東京ビックサイトに行った。東京モーターショーの最終日で、天気がよく、大勢の人が来ていた。開催期間中、全部で90万人以上の来場者を集めている。私は東京モーターショーに行ったのは、生まれて初めてである。若い頃はいい車に乗りたいと思っていた。子どもができた時には家族で出かけられる車である。しかし、最近は車にはまったく関心はなくなっていた。単なる通勤の手段である。今乗っている車が13年目になるので、今回見物がてらに出かけてみた。会場に着いたのは、朝10時頃であった。ところが、大勢の人が会場を取り巻くように長い列を作っていた。中にはいってもすごい人である。どのくらいすごいかというと、展示してある車に近づけないぐらいである。ホンダやトヨタなどは入場を制限して順番に列を作らせていた。ホンダのS660を見るのにも長い列についた。私は最近は髪の毛が薄くなってきたので、オープンカーでは風に当たって、広い額が丸見えになってしまう。
 東京モーターショーと言ったら、キャンギャルである。もうちょっと刺激的な格好をしているのかと思ったら、案外地味であった。ほとんどの観客がスマホやデジカメで車やこのキャンギャルの写真を撮っていた。中には、とんでもない高級そうなカメラに何十万円もしそうなレンズを付けている人もいた。一般の人はなかなか女性モデルの写真を撮る機会はない。他に思いつくのは、毎年2月に横浜で開催しているカメラの祭典であるCP+ぐらいである。ところが、ここでも大勢の人がいて、なかなかいい写真が撮れなかった。会場が広く、すべて見切れなかった。モーターショーなのに、人が多すぎて目的の車がどこにあるのかわからず、途中で疲れてしまった。大体見て廻ったつもりであるが、家に帰ってから日産の会場に行っていないことに気づいた。この日は午後1時半頃に会場を後にした。東京モーターショーは一生に1度行ったら充分だと思った。

富士山  走っている新幹線の中から撮った富士山である。院内放送があったので、窓の外を見たら、本当にきれいな富士山が見えた。ソニーのコンデジでは、ここまできれいに撮れる。

スズキ  スズキのお姉さんである。私がこの日会場で見たモデルでは、この人が1番であった。スズキは大々的な展示ショーをしていて、大勢のアマチュア・カメラマンが集まっていた。

カワサキ  カワサキのお姉さんである。普段着のお姉さんが多く、大胆なミニスカートのモデルもほとんど見かけなかった。ハイレグのレースクイーンの衣装はもう過去のものになっていた。この姿には努力賞をあげたいぐらいである。

ポルシェ  ポルシェのお姉さんである。撮影する位置によって、顔に陰が出てしまう。カメラの倍率が高いと、離れていてもここまで撮れる。

スバル  スバルのお姉さんである。少しやせすぎのような気もする。他にもたくさんの会場に行ったが、混みすぎていて、なかなかいい写真が撮れなかった。

レクサス  私がこの日見た車の中で1番気に入った車である。トヨタのレクサスである。適度な大きさで、1番品があった。家に帰って調べてみたら、車種はLFAになる。日本国内では200台限定で売り出され、値段は3750万円であった。新しいスポーツタイプのモデルも展示されていたが、もうひとつであった。性能は落ちても、このモデルで量産してくれたら、値段が1千万円でも私は買う。

会場  どれだけ会場が混んでいたかというと、こんなもんである。

カメラマン  ここでも、車の展示ショーでは大勢の人がカメラをかまえていた。

今週の愛聴盤 71 (131203)

Si Todo Hiciera / Crack
Si Todo Hiciera / Crack

 今回はまたスペインに戻る。少しマニアックで、どこがスペインなのかわかりにくい。それでも、正統派のプログレの流れを引いている。このアルバムも古く、1979年の発売である。インターネットで調べたら、日本語でこのアルバムについて詳しい解説が載っていた。まず、このアルバムの1曲目である。Crack - Descenso en el Mahellstrongで聴くことができる。この曲に続いて、2曲目のCrack - Amantes de la irrealidadも悪くない。最近はプログレもフルアルバムでYouTubeにアップロードされることが多くなった。しかし、詳しくない人にはありがた迷惑だろう。名盤と呼ばれているアルバムでも、曲の出来不出来が激しい。もっとも、曲の好みは人それぞれかもしれない。最後に、Crack - Marchando Una Del Cidを紹介する。もともとこの曲はパート1とパート2に分かれている。
 次に、もっとマニアックなスペインのバンドである。YouTubeで調べたら、たくさんのアルバムが出ていた。私の持っているLPレコードは、Cuentos De Ayer Y De Hoy / Nu(1978年)である。いろいろ聴いてみたが、このアルバムが1番プログレ寄りのようである。今回はどの曲を紹介したらいいのか、迷った。とりあえず、1曲目はNU - Preparanを紹介する。同じような曲調の曲を聴きたかったら、「Profecia」もいい。次に、癖があるが、私好みの曲である。同じような曲調なら、「El Juglar」の方が聴きやすいかもしれない。フルートが活躍し、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンを思い出した。Nu - Paraiso De Flautasで聴くことができる。

 

平成25年11月26日(火)

 今は紅葉の季節なので、私の医院のある東福寺付近は観光客でいっぱいである。以前は毎年のように散歩がてらに東福寺に行っていた。最近は東福寺の紅葉も見飽きてしまって、長いこと行っていない。今年も他にどこかいい所がないかと探していた。先週の木曜日の午後は特に深く考えず、今まで行ったことのないガーデン・ミュージアム比叡に行くことにした。天候はよく、青空も出ていた。北白川から山中越えである。私は昔は滋賀県の精神病院に勤めていた。当時京大病院近くの自宅から車で毎日この山中越えで通勤していた。久しぶりに、くねくねとした坂道を運転していたら、自分で運転しながら酔ってしまい、気分が悪くなった。
 途中から有料道路にはいり、帰りに料金を払う。JAFのカードを見せると割引になり、往復で1400円である。紅葉がきれいな所もあったが、まだ早かった。ガーデン・ミュージアム比叡の中はそれなりに花は咲いていた。寒いと思ったので、着込んでいた。これはあまりよくなかったようである。花を接写するため、かなり無理な姿勢を取ったりした。写真を撮りながら、ガーデン内は一周した。帰りは、琵琶湖が見渡せる場所で車を停め、ここでも写真を撮った。下り坂になるので、かなりスピードを出して降りた。行きの時より、もっと車に酔ってしまったが、それほど気にしていなかった。
 医院の駐車場に着いてから、車を降りると気分が悪かった。医院について、早速撮ってきた写真をチェックしていた。パソコンのディスプレーを見ていたらまだ車酔いみたいなめまいがあり、診察室のベッドで20分ほど寝ることにした。いつもタイマーをかけて横になる。この時にはすぐに起きれず、1時間ほど眠ってしまった。すっきり起きれるかと思ったら、余計にめまいがひどくなっていた。座っていることもできないぐらい気分が悪かった。この日は京都駅近くのマンションで泊まるつもりであった。しかし、まったく身動きがとれなかった。それこそ、小脳出血でも起こしているのではないかと思ったぐらいである。カメラを乾燥庫に入れることもできない。目の前の物をちょっと片付けることも気分が悪くてできず、20〜30分かかった。夕食は簡単にラーメンでも作ろうと思ったが、とてもではないが無理である。仕方ないので、カロリーメイトを何とか胃に流し込み、すぐに寝ることにした。寝ていても、言葉では言い表せないめまいと不快感が続いた。
 翌朝は4時頃に目が覚めた。恐る恐る起きたら、もうどうもなかった。前にも書いたが、タイのサムイ島に行った時に、島巡りのツアーで小型船に乗った。この時に海が荒れていて、私はひどい船酔いにかかった。島についても気分が悪くてほとんど横になっていた。息子や他の乗客はみんなカヌーに乗ったりして楽しんでいた。帰りの海はもっと荒れていて、死ぬ思いで港に戻ってきた。もともと三半規管が弱いのか、遊園地のコーヒーカップにも乗れない。ぐるぐる廻る飛行機みたいなものに乗っているのを見ると、全く異次元の世界である。シンガポールのユニバーサル・スタジオの時にも書いたが、急停止や急回転する乗り物もダメである。山中越えぐらいで、こんなひどい症状が出るとは思わなかった。着込んでいたので服が身体を締め付けていたのか、疲れていたのかよくわからない。年齢とともに症状が出やすくなっている。もしかしたら、どこか悪いところがあるのかもしれない。
 土曜日の勤労感謝の日は、久しぶりに池田の母親の所に行った。日曜日に行くつもりであったが、母親の都合で急遽土曜日にした。この日は妹夫婦は不在であった。名神を使ったが、中国自動車道にはいってからは予想外の渋滞で、けっこう時間がかかった。この時間帯の京都に向かう対向車線は大渋滞であった。この日は母親と一緒に父親の墓参りに行った。母親は今年81歳で、私を21歳で産んでいる。まだ元気で、4〜5年は大丈夫である。母親については妹にすべて任せきりである。高齢の患者さんを診ていると、仲のよかった母親と娘の関係も年を取ると、おかしくなる時がある。今は妹と母親の関係は大丈夫みたいである。父親の墓参りに2人で行き、帰りは一緒に昼食をとった。母親はうれしそうに昔話をしてくれた。もうちょっと頻繁に会いに来ないといけないと思った。
 実はきょうは往診の後で、歯科にも行ってきた。前回歯科にかかった時に、担当の先生のから現在歯科では原因不明の口腔内の痛みの治療にアモキサン、トフラニールなどの三環系抗うつ薬がよく効くとトピックスになっていると聞いた。ところが、精神科の先生にお願いしても、みんな使ったことがないと治療を断られるという。昔から三環系抗うつ薬はペイン・クリニックなどでも痛みの治療に使われていた。私は総合病院に長く勤めていたので、20年以上も前からこんなことは常識であった。それでも、大手製薬会社の息がかかっていない歯科学会では、きちんと三環系抗うつ薬の効果を評価してくれている。きょうは他に書きたいことがあるので、また別の機会にこの三環系抗うつ薬とドグマチールのことについて書こうと思う。
 前回紹介したイーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)の第4章の「メガマーケット化する日本のうつ病」を読み終えて、今まで疑問に思っていたことが、パズルをつなぎ合わせるように、理解できるようになった。私は新しい抗うつ薬であるSSRIやSNRI、NaSSAがガイドラインで第一選択薬に選ばれていることはあえて反対していない。前にも書いたように、新薬の開発には莫大なお金がかかるからである。今は効果不十分な薬であっても、新薬を開発していたらそのうち患者さんに恩恵をもたらす画期的な薬が出てくると信じているからである。強引なマーケッティング手法にもある程度目をつむっていた。しかし、この本を読んで、競争相手となる従来使われていた薬まで抹殺しようとする手法には我慢ならなくなった。
 前にも書いたように、公的な総合病院で3年間SSRIなどの新しい抗うつ薬で改善しなかった患者さんが私の医院にやってきた。三環系抗うつ薬を投与したら、1週間服用しただけで見違えるようによくなった。今でも効果は持続している。他にも、SSRIなどの新しい抗うつ薬では治らず、三環系抗うつ薬でよくなった人は大勢いる。大手製薬会社の提灯持ちになって、三環系抗うつ薬の副作用ばかり強調してきた人たちは、患者さんの不利益になることに積極的加担している。セルシンやデパスなどのベンゾジアゼピン系やチエノジアゼピン系の薬が急に悪者扱いされたのも、これらの製薬会社が関係しているのは間違いない。少し前には、新聞やTVでベンゾジアゼピン系薬物などは危険な依存性があると何回も取り上げられた。セルシンが日本で発売されたのは1964年で、もう50年近く経っているのである。上手に服用してQOL(生活の質)が改善している患者さんを中毒者呼ばわりして、患者さんの不安を必要以上にあおったのである。前にも書いたように、毎晩気分よくビールを飲んでいる人をいきなりアル中呼ばわりして、大々的に反アルコールキャンペーンをはるようなものである。(嗜好品と医薬品の違いについてはまた別の機会に書く)
 どうしてこんなことが起こったのかというと、新しい抗うつ薬であるSSRIなどは従来の三環系抗うつ薬より抗うつ作用(うつを治す作用)が弱く、抗不安作用(不安をとる作用)が強かったからである。ここでも、また製薬会社の提灯持ちが登場しているのは間違いない。私もSSRIなどがよく効いたら何も文句は言わない。しかし、抗うつ薬の時と同じで、SSRIでは不安障害が改善しない患者さんも大勢いる。今の医学教育は徹底していて、ベンゾジアゼピン系の薬を使う医者は患者さんを中毒者にしているといわんばかりである。新聞で誰が何を言っていたかは調べたらすぐわかる。私の所属している日本精神神経学会は本来は患者さんの人権には厳しい学会であった。私は製薬会社からの利益供与がなかったかどうか、これらの発言を積極的にしている学者については、学会でも徹底的に追求すべきだと思う。利益相反(ここでは製薬会社から何らかの利益を受け、薬に対して公正かつ適正な判断を損なうこと)は割に合わないことだと思い知らせるには、この方法しかないと思う。
 私は何も製薬会社の主催や共催する講演会の講師になって、対価となる講演料を受け取っていることに目くじらをたてているわけでない。今までは、何百人と招待されている製薬会社の特別記念講演会には、新幹線代とホテル代まで出してもらって、東京まで参加していた。問題にしているのは、もっと悪質で、患者さんの不利益になることでも平気でやり、製薬会社から不当な利益を受けている人たちである。最後に、「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」に書いてある杏林大学の田島教授の言葉を引用しておく。「日本のみならず、アメリカや他の国でも現状をかえる必要があります。製薬会社の圧倒的な力によって、業界のオピニオンリーダーが娼婦に成り下がり、医学が疑似科学へと転じてしまう危険があるのですから」

琵琶湖  今回はあまりいい写真が撮れなかった。季節的にはちょっと中途半端であった。紅葉には少し早すぎ、ガーデン・ミュージアム比叡のバラ園は少し遅かった。季節外れになるのか、入園料も千円から5百円に変わったばかりであった。年をとったら、もっと田舎でもいいので、琵琶湖の見える所で住んでみたい。

庭園  ガーデン・ミュージアムの中である。若いカップルばかりと思っていたが、ウィークデイなので、年配の人も多かった。時々太陽がのぞいていた。それほど入場者は多くない。季節のいい時に来たら、もっと花が咲き乱れていただろう。

バラ  きれいなバラを探すのに苦労した。今回も接写を試みたが、あまりきれいに撮れていなかった。接写に慣れてくると、段々と要求水準が高くなっていく。

五月山  母親と一緒に去年亡くなった父親の墓参りに行った。池田市の五月山公園に新たに墓を造った。母親は亡くなったらこの墓にはいると言う。私は長男なので、私もここに入るのかと思った。途中、五月山から見下ろした景色である。

今週の愛聴盤 70 (131126)

Untitled / The Flying Lizards
Untitled / The Flying Lizards

 きょうはイギリスのバンドである。このFlying Lizardsは曲を聴くまでは、どんなアルバムだったかまったく思い出せなかった。同じ「F」のコーナーに置いてあるイギリスのProduct Perfect / Fashion Music(1979年)の気に入った曲はまだ覚えていた。しかし、YouTubeではこの曲はアップロードされていなかった。アルバム名と同じタイトル曲は最近アップロードされたばかりである。このアルバムは1980年に発売されている。デビット・カニングハムの名前を見て、うろ覚えの記憶が蘇ってきた。これは名盤である。私はこの輸入盤のLPレコードだけ残している。おそらく彼らのベスト・アルバムに違いない。
 まず、私の1番好きな曲である。最初の部分の動画の画質はあまりよくない。しかし、音は大丈夫である。The Flying Lizards - TVで聴くことができる。次は、わたし好みの曲である。ぶっとんでいて、ついていけない人もいるかもしれない。今回YouTubeの動画を見てみたら、この動画もぶっとんでいた。The Flying Lizards - Mandelay Songで聴くことができる。最後は、このアルバム中の大ヒット曲である。カバー曲で、確かビートルズも歌っていたと思う。(ネットで確認したら、間違いなかった。)The Flying Lizards - Moneyである。他にもいい曲がないか調べてみた。このアルバムにははいっていないが、同じカバー曲のThe Flying Lizards - Dizzy Miss Lizzieもよかった。
 さて、次は先ほどの「Fashion Music」を紹介するつもりであった。1番好きな「Bike Boys」がアップロードされていなかったので、急遽ドイツのバンドを紹介する。実は最初はDer Western Ist Einsam / Abwartz(1982年)と一緒にこのバンドは紹介するつもりであった。しかし、今度はこちらのアルバムにはあまりいい曲がはいっていなかった。同じ国のバンドで統一するつもりであったが、今週はばらばらになってしまった。私の持っているLPレコードはUntitled / S.P.Y.H.(1980年)である。Neue Deutsche Welle(ドイツのニュー・ウェイブ)になるバンドで、彼らのファースト・アルバムである。1曲目の「Zuruck Zum Beton」の方が視聴者数が多い。しかし、まずこのアルバムで私の1番好きな曲を紹介する。S.P.Y.H. - Lachleute Und Nettmenscheである。次に、S.P.Y.H. - Industrie-Madchenも悪くない。

 

平成25年11月19日(火)

 最近は物事を習慣づけるということは大事だと思うようになった。毎週火曜日にこの日記を書くということも、ポジティブに考えたら、だらだら過ごしてしまいそうな人生を引き締めてくれる。毎週火曜日が締め切りで、この日記で取り上げようと思って、読みかけの本も何とか読み切ることができる。実際に本をただ読むだけでなく、要約を自分でまとめるという作業は役に立つ。どんな形であれ、記録に残すということは大事である。この日記で取り上げようと思って、気がついたことは何でもメモをするようになった。もしかしたら、海外旅行をするのもこの日記で報告するためにしているかもしれない。10年後にこの日記を読み返すことを楽しみにして書いている。私は大学医局での人生(特に中・後半)は、教授のイエスマンに徹してきた。良識のある教授だったので、まだイエスマンに徹することができたとも言える。しかし、もうこの年になったので、この日記では好き放題書かせてもらう。
 CNNのニュース番組の時間がよく変わったりする。今は朝4時半のCNNニュースセンターの番組を録画して、朝1番に見るようにしている。少し前までは午後2時に録画したニュースを見ていた。これだと、どうしてもバタバタした時に、見れなかったりする。特に毎週火曜日はこの日記を書くだけで精一杯なので、見逃していた。朝6時前に医院に着いたら、すぐ3階に上がって、録画したニュースを30分見る。これも習慣化すると、ほとんど見逃すことがない。きょうも朝6時から見ることができた。今はカナダのトロント市長のコカイン使用が話題になっている。インタビューになると、まだなかなか聞き取れない。私はCNNのニュースはもう20年以上見ている。この間、仕事が忙しくて、ほとんど見れていない時期が何年もある。昔はスポンサーがつかず、ほとんどコマーシャルがはいっていなかった。最近は日本語で外資系の保険の宣伝や、吉野屋の牛丼の宣伝もはいっていたりする。それだけ、見ている人が増えているのだろう。いきなりCNNが無理な人は、最初はNHKの二ヶ国語放送のニュースがいい。読み書きは何もしていないので、英語力がそれほど上達しているわけではない。それでも、またTOEICの900点越え目指してチャレンジしようと思っている。
 この前の日曜日は何もやる気がしなかった。京都駅近くのマンションにはいつも行っているわけではない。今週の愛聴盤で何を取り上げるかは毎週日曜日には決めておかなければならない。LPレコードは手元に置いていないので、このマンションで調べることになる。LPレコードは山ほど持っているので、種がつきることはない。ただ、どんな曲だったのか忘れているので、調べるのは大変である。アルバムやミュージシャンについて調べるのは医院でもできる。せっかく選んだアルバムでも、YouTubeではまったく曲がアップロードされていない時もある。こういう時のために、候補はいくつか選んでおかなければならない。この私の愛聴盤の原稿は月曜日には書き終えている。この日記の最後に、後はコピペするだけである。
 日曜日に今週取り上げるアルバムを決め、医院には午後1時過ぎに来た。この日はいつものように、今月中に書かなければならない自立支援や障害者手帳の継続の診断書の仕事が残っていた。しかし、そう簡単にやる気になれるわけではない。手もとの溜まっていた雑誌などをゆっくりと読んでいた。結局書き出したのは5時近くで、とりあえず、すぐに必要な新規の診断書から手をつけた。半分ぐらい書き上げて、遅くなったのでこの日はやめた。今週の土曜日は勤労感謝の日である。外来が休みなので、まだ、それほどあわてることはない。今自分でこの日記を書いていて、この日記のために習慣化していることがいかに多いか改めて気づいた。
 さて、きょう読み終えた本である。正確にいうと、すべて読み終えたわけでない。早くこの本とはおさらばして次の本に進みたいので、読み終えた部分だけ紹介する。イーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」(紀伊國屋書店)である。この本は全部で4章ある。第1章の「香港で大流行する拒食症」から読み始めたが、あまり面白くない。第2章は「スリランカを襲った津波とPTSD」で、第3章は「変わりゆくザンジバルの統合失調症」である。この部分ははしょったので、第4章の「メガマーケット化する日本のうつ病」について紹介する。
 まず、最初に、カナダの比較文化精神医学の教授が登場する。新しい抗うつ薬であるSSRIを日本で売り込もうとしていたある製薬会社から京都で開かれた会議に招待されたのである。飛行機はファースト・クラスで、最上のもてなしがされた。他にも日本の学者も招待されていた。当時、日本ではうつ病に対する一般の態度は否定的だったので、この種の薬がどこまで受けいられるか製薬会社の研究者が調査するためであった。確かに、一昔前は精神科に通院することははばかれる時代であった。この製薬会社は日本でのうつ病概念を変えるために、著名な学者を呼んで話を聞き、日本の国民性に合わせた綿密なマーケティング戦略を考えたのである。
 この本では、精神科の専門医である私でも知らない日本の精神医療の歴史についても書かれている。「養生」をめぐる伝統的な考え方が、「衛生」という概念に取って代わられたとか、柳田國男が、20世紀初頭に述べたことについても触れている。まるで、現在の拡散したうつ病概念と同じである。見過ごされてきた多くの病気が、最新の医学的知見によって浮かび上がったことで、「急に人間が病に弱くなり」、「健康の僅かな変調を終始気にかけて居なければならぬことになった」である。
 日本で新しい抗うつ薬の市場を作り出す最善の方法は競合他社が力をあわせることである。立役者となったのは業界団体の米国研究製薬工業協会である。当初、日本人だけを使っての再試験(治験)では好ましい結果が出なかった。製薬会社のマーケッティング担当者は被験者募集に見せかけて、新聞に何度も全面広告を出したり、うつ病を「心の風邪」と表現し、どこでも起こりうるあふれた病気であるという印象を効果的に与えた。患者向けのUTU- NETも製薬会社がわからないように資金援助をしていた。マーケッティング用語として、「心の風邪」という言い回しには問題が1つあった。緊急性が感じられず、風邪で医者に行く人はほとんどおらず、薬を飲まなくても自然に治るからである。そこで、うつ病と自殺の関連性を証明するための研究に資金を出すようになった。ここまではいい。
 そのうち、製薬会社は自社の薬を擁護する研究に助成金を出すようになった。研究者は顧問料ももらえることも多かった。製薬会社の役員は、強引なマーケッティングをしていても、自らを利益だけでは動いている人間ではなく、科学的進歩のために誠心誠意努力していると信じ込んでいるという。最初に出てきたカナダの比較文化精神医学のカーマイヤーは、世界最高峰の大学に属する学者たちが、製薬会社が主催する会議で、PTSDやパニック障害、全般性不安障害などすべてにSSRIを推奨しているのを目にした。ある学者に、これはある種の利益相反ではないかと質問すると、「製薬会社はいずれにせよ薬を売り込み、ガイドラインを作成しようとしている」と認めている。その後、もっとも影響力のある研究論文の多くが、著名な研究者が書いたようにみせかけて、実際は製薬会社の雇った民間会社のゴーストライターの手によるものであることが発覚するようになった。日本の降圧剤のバルサルタンと同じ問題どころではない。多くの研究者が何十万ドルもの顧問料や講演料を受け取る代わりに、否定的なデータを隠したり、捏造したりしていることが知られるようになった。
 ここでは以前に書いたように、アメリカ精神医学協会が出した「追加検証により、モノアミン仮説は裏付けられていない」ということも書かれている。イギリスの精神医学教授であるヒーリーの発言も出てくる。ゴーストライターによる著作は学術界のドーピング問題と言えると述べている。90年代半ばには超一流雑誌の研究の半分は製薬会社が雇った代筆会社によるものだという。高名な「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の編集部で20年働いたマーシャ・エンジェルは、「公表された臨床研究の多くがまるで信用ならないうえに、医師や医学的ガイドラインに頼ることもできない」と述べている.特にSSRIの研究に顕著であるとも付け加えている。否定的なことばかり紹介したが、SSRIがよく効く患者さんも大勢いる。しかし、日本でも三環系抗うつ薬やドグマチールを無視する学者は、研究者というより製薬会社から顧問料をもらっている単なる提灯持ちに過ぎない。今でも三環系抗うつ薬やドグマチールを使っている私などは時代遅れの医者だと思っている若いドクターもいるかもしれない。自分の経験不足と無知をもっと自覚すべきである。もっとも、私も70歳や80歳になったら、正真正銘の時代遅れの医者になるかもしれない。

今週の愛聴盤 69 (131119)

La Cruz Del Sur / Lito Vaitare Qualtet
La Cruz Del Sur / Lito Vaitare Qualtet

 今回はいよいよ南米である。南米といったら、サイモンとガーファンクルが歌っていた「コンドルは飛んで行く」ぐらいしか思い浮かばないだろう。このコーナーでは以前にブラジルのArrigo Barnabeを紹介した。一時、南米のプログレやロックに興味を持って、買い集めたことがある。今回調べてみたら、あまり残していなかった。私はヨーロッパと南米には行ったことがない。旅行先としては、ヨーロッパより南米の方に興味がある。日本から離れていると、なかなか訪れる暇がない。さて、今回紹介するLito Vaitareはアルゼンチンのピアニストである。私は2枚のCDを持っている。このアルバムは1993年に発売になっている。今回YouTubeで調べたら、私の持っている2枚のアルバムの曲は1曲もアップロードされていなかった。他のアルバムでは、たくさんの曲を視聴することはできる。このアルバムの中には、南米らしいフォルクローレの香りが残るプログレ風の大作がはいっている。ところが、著作権の管理が厳しい。アマゾンでは、このアルバムの中の曲をMP3で1曲ずつダウンロードできる。しかし、この曲だけはアルバム全部をダウンロードしないと聴けない。(1500円) それでも、何とかこの曲を聴けるサイトを見つけたので、後で紹介する。
 もう1枚のCDはUndia Antes De Ayer / Lito Vitare(1991年)である。このアルバムの中の曲も、YouTubeでは聴けない。何とか検索して、アルバム全体を聴けるサイトをやっと見つけた。もしかしたら、このサイトは違法で、そのうち日本からは見ることができないようになってしまうかもしれない。今回は何としても南米の曲を紹介したかった。曲だけであるが、Lito Vitare - Undia Antes De Ayerで聴くことができる。アルバムを全部聴くのは大変である。私の好きな曲は、2曲目の「La Luz Mala, En El Compo」と3曲目の「Noche De Salamanco」である。2曲とも長い曲である。他にお薦めするとしたら、7曲目の「Uvas Negras」も悪くない。最後に、最初に書いたアルバムのトリである。もしかしたら、このサイトも見れなくなるかもしれない。14分近くもある曲であるが、久しぶりに聴いたら大感動であった。2分半を過ぎないと、本格的な演奏は始まらない。Lito Vitale Quatet - Historias De La Cruz Del Surで聴くことができる。
 次はブラジルのミュージシャンである。Academia De Dancas / Egberto Gismonti(1977年)である。私の持っているのは日本で1998年に再発されたCDである。日本語の解説がついているので、紹介するのが楽である。独ECMからジャズ・ギタリストやピアニストとして知られてきた。私はまったく知らなかったが、「Frevo」という曲が超名曲とされている。このCDはプログレに近いアルバムとして、ベル・アンティークから発売されている。YouTubeでは、このアルバムから何曲か聴ける。まず、1曲目のEgberto Gismonti - Palacio de pinturasである。最初の3曲は聴きやすい。次は2曲目の「Jardim de Prazeres」を飛ばして、3曲目のEgberto Gismonti - Celebracao De Nupciasである。他にも探したら、「Cafe」など私好みの曲がアップロードされていた。ここでは、曲としては私好みではないが、印象的な動画が見つけたので、最後に紹介する。Egberto Gismonti - Palhacoである。

 

平成25年11月12日(火)

 この日記は午後7時前から書き出している。きょうは午後から往診があり、その後で歯科治療があった。今年中にはインプラントの治療が終わりそうである。他にもう1本治療しており、きょうは2時間ほどかかった。医院に帰ってきたら、もう午後6時である。夕食は自炊をして、今食べ終わった所である。ごはんは一合炊くと、2日持つ。とうふや納豆があれば、何かメインの料理を1つ作ったらいいだけである。豚汁や炒め物は時間はかからない。餃子なども冷凍にしておいたら便利である。実際に自分で作ると、下手な外食より美味しい。きょうは時間がなかったので、簡単な炒め物である。体調も万全ではないが、大分回復してきた。今から覚悟を決めて、この日記は書けるだけ書いていこうと思う。
 まず、最近発表された医療経済実態調査による去年の医師1人当たりの平均年収である。医療法人立の病院長が3100万円近くで、国公立の病院長と比べ、約1000万円高い。国公立の勤務医は1500万円前後である。医療法人になっている開業医(院長)は、2800万円弱である。私の医院は、医療法人になっていないが、この平均よりは超えている。すべての経費を抜いた税込みの給与額である。医療法人の場合は、院長の給料を決めて出しているので、法人の保留分を入れると、実質的にはもっと高いかもしれない。苦労して弁護士になってもろくに就職先もないことを考えると、今となっては突出した額である。
 もっとも、現在の所得税の最高税率は40%である。住民税10%を入れると、半分が税金になる。この最高税率の課税所得金額は、1800万円からである。課税所得金額とは、収入から経費を引いて、基礎控除、配偶者控除、社会保険料控除などの各種所得控除額を差し引いた分である。この額が1800万円あっても、900万円になってしまうのである。医療法人にすると、どれくらい税制上のメリットがあるのか、私にはよくわからない。ほとんどの精神科クリニックは診療報酬が年間5千万円を超えないので、別の税制上のメリットはある。みんな税金で持って行かれるより、ベンツに乗ったりして、経費を増やそうとする。スーツは経費で落ちないが、カルテ庫として買った京都駅近くの中古マンションは、経費として算定できる。別荘を買っても、従業員の福利厚生施設として経費で落とせるのである。
 今年の9月に、日経メディカルオンラインで、「改革が進むドイツの医療制度」ードイツの医師の懐はなぜ寂しいのかーを掲載していた。ドイツでは勤務医の給与は、病院の規模や公的、民間を問わず、全国ほぼ一律に決められている。7年目の専門医で、月3500ユーロである。今は円安なので1ユーロ135円で計算すると、約47万円である。円高の時なら40万円にもならない。勤務時間も決められており、8時間を超えると、逆に給与は減らされていく。日本では最初に示したように開業したらこれだけ収入が増える。ドイツの開業医の平均収入は月5442ユーロである。(約73万円) 規定の患者数を超えて診察すると、1人当たりの診療報酬支払い額が減らされる。ドイツでは医療費の抑制がここまで進んでいるのである。自営業で最も高収入な職業は、資産コンサルタント、会計監査人、経営コンサルタント、特許弁理士などである。以前にも書いたが、最近は医学部卒業生の4割程度が医療とは関係のない分野の仕事に就いている。昨今の日本の医学部人気では考えられないことである。その裏には、こんな事情があったのである。
 さて、官僚の給料である。最近は一時の激しい官僚バッシングも収まってきたようである。私がこれまでこの日記で書いてきたことは概ね間違っていないと思う。私は60歳になったが、少し年下の各省庁の局長クラスはまだ本物のエリート中のエリートである。当時は日本中から東大を目指して、優秀な学生が集まっていた。その中の最上部が当然のごとく官僚になっていた。現在のように、若い優秀な人の官僚離れについては、私は危機感を持っている。確かに、安い給料で仕事内容は超ハードで、沈みゆく船の機関士や船長を目指してもやりがいがないかもしれない。
 医者もそうであるが、名誉が重んじられなくなり、お金が重んじられるのはまずいと思う。私が日赤の部長になった頃はまだ名誉が重んじられていた。昔は、若くして開業するのは医者として落ちこぼれで、金儲け主義としてばかにされていた。給料は安くても、一流の病院で勤めるのが医者の鏡とされた。私が48歳で京都第一赤十字病院の部長をやめた時には、年収で1300万円ちょっとであった。こういう生き方は医者同士からも一定の尊敬を受けていた。ところが、今は苦労が多くてその割に給料の安い医学部教授より、高給の勤務医や開業医が目標である。いつの間にか名誉が軽んじられるようになった。保健所の所長でさえ、給料が安くてなり手がいない。最初は、町医者になってよかったのか悩んだ。しかし、今となっては、お金が残った分、開業したのは正解であった。退職したら、なかなか名誉は残らない。さて、各省庁の局長の給与である。課長クラスが1000〜1100万円で、局長クラスが1500万円である。退職金は400万円減らされている。このあたりのことについては官僚の給与事情を大暴露!(クリック)に詳しい。
 最後に、今週読み終えた本である。まだ、少し残っていたので、今読み終えた。藻谷浩介、河野龍太郎、小野善康、萱野稔人「金融緩和の罠」(集英社新書)である。大分前に、浜矩子「アベノミクスの真相」(中経出版)を読み終えた。きょうは時間がないので、「金融緩和の罠」の方をできる限り紹介したい。この本は3人のエコノミストと萱野稔人が対談形式で書いている。「アベノミクスの真相」では、初めの方にわかりにくい部分もあった。しかし、この本は経済学に素人の私でも最初から最後まで理解しやすいように書かれていた。最初の対談者である藻谷浩介は、私は買ったまままだ読んでいない「デフレの正体」(角川oneテーマ21) の著者である。まず、基礎的なリフレ政策である。貨幣の供給量を増やしてインフレを起こし、デフレ脱却をねらうリフレーション政策のことである。この政策の推進派はリフレ派と呼ばれる。ここでは、日本の景気低迷は貨幣の受給量の不足が引き起こしているわけではないと述べている。現役世代の人口が減るということは、需要数量が縮小するということである。デフレと呼ばれているものは、主として現役世代を市場とする商品の供給過剰による値崩れだという。ここでは「デフレの正体」で批判されたことについても反論している。対処策についても書いているが、なかなか難しいと思う。
 次の対談者の河野龍太郎は、去年の債権アナリスト・エコノミストの人気調査で1番に選ばれている。ここでも、低成長の原因は人口動態だという。労働人口の減少は必然的に成長率の低下をもたらす。個人消費が減少するので、企業が設備投資を控える。労働人口が減ると、企業の持っている工場やオフィスといった資本に余剰ができからである。ここでは面白いことも言っている。政治家は必要な構造改革をおなわずに、財政・金融政策ばかりに頼ってしまう。短期的に痛みを伴う改革が必要であるのに、国民に負担を求める事ができない。すなわち、政治家には給付の削減などの負担の分配ができないのである。これが、民主主義の弱点だという。先進国の極端な金融緩和が新興国のバブルや原油や小麦、大豆などのコモディティバブルを引き起こす。財政政策は所得の前借りであり、金融政策は需要の前倒しであるとも書いてある。
  3人目の対談者は大阪大学社会経済研究所教授の小野善康である。最後のトリとしてふさわしく、内容は本当に面白い。実は、日銀はバブル崩壊以降、貨幣供給量を増やし続けているにもかかわらず、物価は上昇せず、GDPも増えていなかった。90年代半ばに日本経済の構造に大きな変化はあったというのは、多くの論者に共通している。先の2人は、人口動態の変化が引き金となって需要が縮小したと考える。小野は、日本が「発展途上社会」から「成熟社会」に突入したと考える。「成熟社会」とは、豊かになりモノへの飢餓感がなくなり、需要が足りなくなった社会である。代わりに、モノへの欲求より、お金への欲求が上回った社会である。モノを供給する企業の競争相手は、同業他社ではなく、お金である。人々がお金を貯蓄して保有するのは、つねに安心や社会的パワーを確保しておきたいからである。私もまさにこの通りである。お金があっても、よほど気に入った車が出ない限り、もったいないと思って、13年目の車でもいい。財政拡大を主張する人たちは、財政でお金を配れば需要が増えると考える。ところが、モノが溢れた「成熟社会」では人間の欲望はモノではなく、お金に向かう。モノはありすぎるとお腹が一杯になったり邪魔になったりするが、お金はいくらあっても困らない。それどころか、気持ちに余裕が出てくる。だから、「発展途上社会」とは異なり、貨幣の実用量を増やしても、消費に向かわない。他にも、興味深いことがたくさん書かれている。今の置かれている日本の状況を知りたかったら、1度は目を通しておくべき本である。

今週の愛聴盤 68 (131112)

Zineman / Amaia Zubiria & Pascal Gaigne
Zineman / Amaia Zubiria & Pascal Gaigne

 そろそろスパニッシュ・ロックを紹介しないといけないと思っていた。延び延びになっていたのは、今ではほとんどどんな曲か忘れてしまったからである。自分の持っているLPレコードを1曲1曲チェックするのは、けっこう面倒臭い。どのあたりから手をつけたらいいのかも迷っていた。1番わかりやすいのは、「Triana」である。ネットで調べてみたら、日本語で詳しく紹介されていた。代表的なスパニッシュ・ロックの1つである「Granada」のLPレコードはすでに処分してしまった。大分昔にCDで買い直していた。このCDを探している時に、「Haizea」のCDも見つけた。スパニッシュ・ロックではないが、これもスペインのグループである。ついでに、YouTubeでこの「Haizea」の曲を調べていたら、何とボーカルがAmaia Zubiriaであった。急遽、今回は以前から紹介しようと思っていたこのアルバムを紹介する。どうしてこれまで紹介しなかったかと言うと、今まで好きな曲がアップロードされていなかったからである。今回調べてみたら、今年になってから聴くことができるようになっていた。スパニッシュ・ロックはどうなったとお怒りの人もいると思うので、最後に「Triana」を紹介する。
 Amaia Zubiriaはスペイン・バスク地方のトラッド・シンガーである。Pascal Gaigneは南フランスの作曲家である。2人のコラボレーション作品は他にもある。このアルバムがベストである。私の持っているのはCDで1995年に発売されている。まず、以前からアップロードされていた曲である。Amaia Zubiria & Pascal Gaigne - Juan y Alicia 2である。哀愁を帯びたこんなメロディーがアルバム全体に流れている。次は、このアルバムの中で私が1番好きな曲である。Amaia Zubiria & Pascal Gaigne - Tangoである。Amaia Zubiriaの曲はたくさんアップロードされている。他のアルバムの曲もいろいろ聴いてみたが、やはりこのアルバムが最高である。
 次は、マニアの世界に入っていく。Honz Gaua / Haizea(1975年)である。私の持っているのは、後で再発されたCDである。スペイン・バスク地方のトラッド・フォークバンドになる。このアルバムの中からはHaizea- Honz Gauaを紹介する。少し地味で長い曲であるが、出来は悪くない。トラッドの好きな人なら楽しめる。最後の方で、Amaiaの声を聴くことができる。
 さて、いよいよお待たせのスパニッシュ・ロックである。今回自分の持っているLPレコードも調べたので、また別の機会にゆっくりと紹介していこうと思う。きょうはトリアナで、誰が聴いてもわかりやすいフラメンコ・ロックである。私が今でも残しているレコードは、El Patio / Triana(1975年)である。この中から1曲目のTriana - Abre La Puertaを紹介する。私はこの曲がすべてだと思っている。このアルバムの次の好みは、「Dialogo」であるが、「En El Lago」の視聴者数が多いのも驚いた。トリアナは何曲も聴いていると、少し飽きてくる。

 

平成25年11月5日(火)

 まだしつこく風邪が続いている。ここまで来ると、肺炎でも起こしているのではないかと思う。結核については、比較的近くに胸部X線を撮っているので大丈夫だろう。私は階段でも2段飛びは普通なので、駆け上った後は本当に胸が苦しい。単なる息苦しさではなく、まだ肺が炎症を起こしている感じである。いつも風邪は長引きやすい。これまでにこれは危ないと思ったことは2回ある。ふだんは忙しいので、胸のレントゲンを撮りに内科を受診するなんて、よっぽどのことである。それでも、呼吸器の専門の先生に診てもらったらどうもなかった。いくら何でも来週には治ると思う。とりあえず、目の前のことをやるだけで精一杯である。身体が本調子でないので、積極的に何かやろうという気にはまだなれていない。
 今回の連休は久しぶりにゆっくりとできた。簡単な書類と会計事務所に送る9月分を整理しなければならなかった。時間はかからないが、やる気がしなかった。これぐらいだと、ウィークデイでもできる。私はふだんは野球はまったく見ない。サッカーもほとんど見ない。熱心なスポーツ・ファンに言わせたら、味気ない人生になるかもしれない。中には阪神で始まって、阪神で終わる人生を送る人もいる。考えようによっては、その分、他の趣味に時間を割くことができる。この連休は、試合の後半だけであるが、いつもは見ない日本シリーズを連続で見てしまった。ぜんぜん野球に興味のない私がTVに釘付けになった。野球には詳しくないが、歴史に残る大勝負だと思った。
 あまり家に閉じこもっていてもよくないので、きのうの月曜日は大阪の「咲くやこの花館」に行ってきた。天気予報では雨であったが、幸い晴れであった。この時期は紅葉にも早い。写真を撮るには、ちょっと中途半端な時期である。実は済州島に持って行ったソニーのコンパクト・デジカメRX100Uで、接写ができることを知った。フィルターアダプターを付け、接写レンズを取り付けたらいいだけである。前からこのカメラで接写を試してみたかった。粘着テープで取り付けリングをカメラに貼る。少し飛び出てかっこ悪いが、許容範囲内である。ふだんは三脚や一脚を使うことはない。しかし、今回はコンパクトな全長23cmの変形一脚を持って行った。変形というのは2本の小さな足が付いており、高さは14cmの三脚にもなる。ちゃちな作りであるが、伸ばしたら140cmになる。値段も千円ちょっとぐらいである。接写の場合は手ぶれも起こりやすいので、こんな一脚でもコンデジ(コンパクト・デジカメ)には役に立つ。
 「咲くやこの花館」に行くのは、数年ぶりである。花博記念公園は緑も多く、あちこちにベンチが置いてあり、ゆっくりとできる。この日は祝日にしては、あまり人出は多くなかった。小さな子ども連れもいたが、お年寄りも多かった。接写を楽しむには、花が1番である。いろいろな花の写真を撮ってきたが、この日記の最後に一部を紹介する。焦点を合わせるのが難しいと思った。一脚を持って行ったのは、正解であった。三脚用の小さな足を広げて、身体に固定させることもできる。私は旅行中は1回も一脚を使ったことがない。しかし、こんな便利なものだとは思わなかった。重さも300gちょっとなので、これからは常時携帯しようと思った。
 途中まで読みかけている本がなかなか読み切れない。体調が悪いと、なかなか本にも集中できない。きょうは11月2日(土)に放送していたNHKスペシャルを取り上げようと思う。番組のタイトルは「熟年サバイバル〜年金減額時代を生きる〜」である。熟年とは、高齢者のことを指しているのかと思ったら、中高年のことのようである。この番組では、最初に退職金のことを取り上げている。従業員30人以上の民間企業では、1997年の平均退職金は2868万円であった。ところが、2007年には2026万円になり、842万円も減っている。この原因としては、晩婚化が進み、退職する時期と教育費が重なることを挙げている。このことについてはこの日記でも何回も書いている。私は38歳で結婚したので、下の息子はまだ一浪中である。60歳を過ぎて、まだまだ教育費がかかる。これからの時代は、高齢出産する女性はのんきに構えていられない。60歳を過ぎても、子どもが大学を卒業するまでは、夫と同じように働く覚悟が必要である。
 60歳以上の世帯(2人以上)の貯蓄も取り上げていた。2012年の3000万円以上の世帯は約25%で、500万円以下は約20%である。現在は2.4人の若い世代でお年寄りを支え、2025年には1.8人でお年寄りを支えなければならない。60歳で退職後も思うような仕事が見つからず、老後の人生設計を心配する人も多かった。会社で活躍してきた人も同じである。しかし、若い世代にとったら、これまで企業に守られてきた人ということで、贅沢な悩みになる。久しぶりに、この番組で遥洋子を見た。少し構えすぎで、発言が高飛車な感じもした。上野千鶴子のもとで、一体何を学んできたのだろう。この日記でも取り上げた「タガメ女とカエル男」のことも知っているであろうか。リーマン・ショック後に整理解雇になった人も出演していた。安い給料で派遣を転々として、本当に気の毒である。
 この番組で面白いことを指摘していた。団塊の世代は人数が多かったので、就職の時に女性社員が大量解雇されたという。解雇された女性は男性社員と結婚し、専業主婦となった。妻が働かず、退職金も減らされ、この世代の世帯貯蓄は少ないという。以前にこの日記でも紹介したが、和田秀樹が女性の社会進出について面白いことを解説していた。以前は欧米でも、夫1人が働いて家族全員を養っていた。ところが、高い賃金に資本家は困っていた。そこで目をつけたのが、女性の労働力である。男性の賃金を減らし、女性を雇い、労働力を増やすことができる。安い労働力を得るために、男女平等が唱えられ、女性の社会進出が進められたのである。女性の権利が認められてきたことはいいことである。しかし、権利には当然義務も伴う。
 この番組を見ていたら、みんな老後のことを心配していた。しかし、何も心配することはない。開き直って生活保護を申請したらいいだけである。年をとったら、ステーキを食べるわけでもなく、遠くに旅行するわけでもない。みんな老後1番心配しているのは、医療費である。この部分が無料になるのは大きい。比較的若い人でも、退職金を使い果たして、生活保護を申請する人もいる。中には退職金で無謀な起業をし、あっという間に使い果たしてしまう人もいる。本当にお金のない人ほど、強い者はいない。このあたりのことをきちんとしてくれないと、何も知らず、60歳を過ぎても必死で働いている人はアホらしくなる。

コスモス  公園に咲いていたコスモスである。花の名前はこのコスモスやチューリップ、ひまわりぐらいしか知らない。認知症検査の長谷川式簡易知能評価スケールでは、野菜の名前を5つ挙げなければならない。花の名前だったらすぐに出てこないだろう。

赤い花  暗闇に赤い花が浮かび上がって、印象的であった。今回紹介する写真は、自動補正はしているが、構図は何もいじっていない。

サボテン  言わずと知れたサボテンである。種類はよくわからない。サボテンもここまで近づいて撮ると、不思議な造形物となる。

蝶  植物園などでは、花を接写しようと思ってもなかなか近づけないことがある。こういう時にコンパクトな一脚があると便利である。

青い花  接写ではピントを合わせるのが難しい。等倍にして見ると、意外な所に合っていたりする。本のわずかでも離れると、すぐにぼけてしまう。

明るい花  ふだんは見過ごしてしまうような小さな花でも、拡大してみると色鮮やかで、本当にきれいである。

赤い輪  この花はもう1枚印象的な写真が撮れた。どちらを載せるか迷った。私は今回初めて接写の写真を撮ったので、面白くて仕方なかった。もしかしたら、こんな程度の写真は誰にでも撮れるのかもしれない。

今週の愛聴盤 67 (131105)

Zero Zero / Mike Batt
Zero Zero / Mike Batt

 今回はオーストラリアのプログレである。私の持っているLPレコードでは、オーストラリアで録音されている。すっかりオーストラリア人だと思っていた。ところが、この原稿を書くにあたって、英語版のウィキペディアで調べてみたら、イギリス人であった。このアルバムは1983年に発売されている。シドニー・シンフォニック・オーケストラと共演している。このミュージシャンはイギリスでは有名で、他にもロンドン・シンフォニー、ロイヤル・フィルハーモニックなどのオーケストラを指揮している。日本ではほとんど知られていないようである。まず、このアルバムの1曲目である。LPレコードはレコードの溝を見て、曲の初めに針を落とす。最近は目が悪くなって、溝の数と曲数が合わない。私の好きな部分は2曲目かと思ったら、1曲目にはいっていた。1分50秒を過ぎないと、本格的な演奏が聴けない。Mike Batt - Introductionで聴くことができる。この曲の後で、次の曲が流れてくる。Mike Batt - System 605である。このアルバムはミュージカルとして作られているようである。12ページの小冊子が付録として付いている。Mike Batt - Love Makes You Crazyで実際の姿を見ることができる。YouTubeで調べてみると、アニマルズの「Don't Let Me Be Misunderstood」をカバーしたり、あまり好みではないが、「Lady of the Dawn」や「Bright Eyes」などのヒット曲を出している。最近の姿を見たかったら、「Soldier's Song」がいい。興味のある人は自分で検索して下さい。
 さて、次は正真正銘のオーストラリアのプログレである。このLPレコードも今でも持っている。Four Moments / Sebastian Hardie(1975年)である。YouTubeではフル・アルバムもアップロードされている。ここでは、代表的な曲を2曲紹介する。まず、TV出演と日本ツアーの映像を使ったスタジオ録音の曲である。Sebastian Hardie - Rosannaである。次は、セバスチャン・ハーディのベスト曲とも言われている曲である。Sebastian Hardie - Openingsで聴くことができる。

 

平成25年10月29日(火)

 まだ風邪が長引いていて、咳が止まらない。夜中でも一旦咳き込み出すと、なかなか止まってくれない。鼻水もひどく、あっという間にボックスのティッシュペーパーがなくなってしまう。それでも、ピークは越えたのでまだましである。ひどい時には指の関節まで痛くなるので、本当に風邪かと思ったりする。まだ、徹夜をする方が楽かもしれない。
 先週の土曜日は、梅田のソニーストア大阪まで、今度発売になるフルサイズ・ミラーレス一眼カメラを見に行った。実際に手に取ってみたが、これでも私には大きいぐらいである。こんな高価なカメラで何を撮るかである。子どもが小さかったら、いいかもしれない。前にも書いたが、写真を撮るのは面白い。しかし、子どもの記録を残したいなら動画の方がいい。10年、20年経ってから見ると、その当時の空気感がそのまま残される。ただ、ずっとカメラを構えて、動き回る子どもを撮り続けるのは苦痛である。カメラを構えた分しか、記録に残されない。それでも、動画の情報力は圧倒的である。今はわざわざビデオカメラを買わなくてもいいので、便利である。カメラ好きの中には、ただ持っていじっているだけでも幸せという人もいる。私はプラグマティックな性格なので、まだその境地には達していない。
 ついでに、今度発売になるウォークマンZX1も聴いてきた。ハイレゾ音源対応のフルデジタルアンプ搭載である。最高のヘッドホンと組み合わせると、本当にいい音である。私はウォークマンZを持っている。ノイズ・キャンセルがよく効いて、電車や飛行機の中では便利である。今度のウォークマンは音重視で、ノイズ・キャンセルはついていない。やはり、プラグマティックな性格が災いし、無理に買い替えることもないと思った。それにしても、年をとってから本当に欲しいと思う物がなくなった。
 日曜日は、午後から医院に出て、今月書かなければならない自立支援医療や障害者手帳の更新の診断書を書いていた。新規の障害者年金の診断書もあった。今月はまだ少ない方である。それでも、全部書くのに5〜6時間かかった。この間、ずっと鼻水と咳との戦いである。こういう時には楽しいことも考えないといけない。CNNを見ていたら、ミャンマーの特集をしていた。古びた列車や英国の植民地時代の建物が雰囲気があった。水辺の風景も私好みであった。こういう風景は是非とも写真に撮っておきたい。少し前には、ドバイの特集もしていた。とんでもない高層ビルばかり思い浮かべやすい。しかし、下町もあり、波止場の雰囲気もよかった。大分前には、今PM2.5で有名になったハルピンも特集していた。ここの雪祭りはすごい。まだまだ、世界には行きたい所がたくさん残されている。
 きょうはあまり書くこともないので、以前に読んだ本を紹介しておく。杉浦由美子「ママの世界はいつも戦争」(ベスト新書)である。以前に買ってまだ読んでいない「20代女性がセックスをしていない」(角川oneテーマ21)と同じ著者であった。かっての既婚女性の悩みは「嫁姑戦争」であった。しかし、現在は既婚女性の悩みは「ママ友」に変わったという。「ママカースト」という言葉も生まれている。男性は社会で自分の嫉妬や憎しみといった感情を抑える。ところが、女性はそれをストレートに出してしまうことがある。自分と違う他者について、不寛容になりがちである。著者によると、人格的に優れた女性でもママになると、途端に他のママに対して不寛容になっていくという。
 本の最初は、田園調布に住む主婦専業ママが出てくる。この人のインタービューの中でお嬢さんママが出てきたり、キャリアママが出てきたりする。結構誌面を割いているので、こんな安易なスタートでいいのかと心配になった。それでも、興味深いことも書いてある。契約社員の小学生ママたちは学費のために働いている。ところが、正社員のママは自己実現のために働いているという。田園調布は、今はキャリアウーマンのママが住みたがる街だという。かって上昇志向の強い女性は玉の輿に乗って田園調布で優雅な専業主婦になることに憧れたが、今はキャリアを志す。
 ネットでは、男性は「イデオロギー(政治)」で炎上し、女性は「ライフスタイル」で炎上するという。ライフスタイルというのは、未婚者と既婚者、子どもがいるかいないか、そして働くママと専業主婦ママである。この本では、アグネス論争などのことが論じられている。職場に託児所を設けても、東京のような所では満員電車の中を子どもを連れて行くこと自体が無理だという。私は知らなかったが、1998年に出版された「ふざけんな専業主婦」についても書いている。平成22年実施の国税調査から、「主に家事に従事している」という既婚女性は、20代と60代で高い。例えば、25歳〜29歳では42.5%で、60歳〜64歳で46.5%である。私にとっては、1番多い層でも専業主婦に近い人が半分もいないことの方が驚きであった。
 この「ふざけんな専業主婦」の論争の後から、男性識者を中心に専業主婦批判の声が高まっていく。2000年には森永卓郎が、40代サラリーマンの三大不良債権として、「専業主婦」「住宅ローン」「出来の悪い子ども」をあげている。私も同じことを考えていたが、もう10年以上前に言われていたのである。もっとも、専業主婦といってもいろいろなタイプがある。1番困るのは、もともと社会適応が悪く(対人関係が苦手)で、家に引きこもり、夫に対する不満を募らせていくタイプである。現在は女性の高学歴化が進み、「家庭に入って家族のサポートをし、夫や子どもに自分の夢を託す」ことができなくなった。女性の中での勝ちは、「社会で活躍すること」にシフトしているという。他にもいろいろ書いてある。ママたちが言われて嬉しい言葉には、「ママとは思えない」があるとか、夫を持つストレスが強い女性からしたら、シングル・マザーなのに裕福なのは許せない等である。本当は定年後の夫婦のことについて、この本と絡ませながら書きたかったが、別の機会に譲る。

今週の愛聴盤 66 (131029)

Untitled / Il Volo
Untitled / Il Volo

 久しぶりにイタリアのプログレである。私はこのバンドの2枚のLPレコードを持っていた。今残しているのはこの1枚である。当時はセカンド・アルバムにあたるEssere O Non Essere? Essere, Essere, Essere! / Il Volo(1975年)の方を評価する人も多かった。しかし、私はこのアルバムがお気に入りである。1974年の発売である。同じレーベルからはPFMが出ている。YouYubeで検索していると、右側に関連したイタリアのプログレ・バンドが山ほど出てくる。私はほとんどのLPレコードを持っている。あまりにも有名所はここで取りあげるのは控えていた。しかし、このイル・ボーロも発売40年近く経ってしまうと、今では知っている人も少ないだろう。
 まず、誰にでも聴きやすいIl Volo - Calore Umanoである。次に、少し地味であるが、歌ものである。Il Volo - Il canto della preistoriaで聴くことができる。実はYouTubeにはフル・アルバムもアップロードされている。全部で30分ちょっとである。なかなかよくできたアルバムなので、最初から聴いてみるのも悪くない。
 次にまったく音楽色の違うイタリアのバンドである。フリージャズ色が強い。こちらの方が癖があり、好き嫌いが別れるだろう。私はそれほど詳しくないが、当時は何枚かのレコードを聴いていた。現在残しているレコードは、ライブ盤のAre(A)zion / Area(1975年)ぐらいである。この中から、Area - Luglio, Agosto, Settembre (Nero)を紹介する。
 きのうのCNNを見ていたら、ルー・リードが亡くなっていた。前回は風邪で調子が悪かったので、このコーナーで1曲しか紹介できなかった。きょうは、ついでに(こんな言い方は熱心なファンには怒られるかもしれない)、簡単に触れておく。ロックの大御所と言われていたが、正直言って私にはそのよさがよくわからなかった。ヒット曲の「ワイルドサイドを歩け」もピンとこない。私が唯一残しているLPレコードはWhite Light - White Heat / The Velvet Underground(1968年)である。実は以前から引用している阿木謙の「プログレッシヴ・ロックアルバム94選」のカタログにこのアルバムが取り上げられている。この中から、プログレ・ファンに評価の高いThe Velvet Underground - Sister Rayを紹介しておく。視聴者数が少ないが、こちらの方が音がいい。
 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと言ったら、ニコの名前が思い浮かぶ。私はThe End / Nico(1974年)のLPレコードも残している。懐かしい名前のフィル・マンザネラなどがサポートしている。今回はこのアルバムの中の曲をチェックしている暇がなかった。代わりに、ここではローリー・アンダーソンを取り上げる。私は今回の死亡記事が出るまで知らなかったが、ルー・リードの現在の妻である。ルー・リードはこれまで3回離婚している。1986年に出版された南條史正監修、鶴本正三編集「パフォーマンス・ナウ」(東急エージェンシー出版部)の本を今でも残している。ピナ・バウシュなどさまざまなアーテイストについて書かれている。この本の表紙を飾っているのが、ローリー・アンダーソンである。(パフォーマンス・ナウで画像を調べると、この本の表紙が見れる。) バイオリニストでパフォーマンス・アーティストである彼女の代表的な動画を最後に紹介しておく。Laurie Anderson - O Supermanである。

 

平成25年10月22日(火)

 温度の変化が激しいので、風邪には気をつけていた。しかし、先週の金曜日ぐらいから体調が悪く、今はピークに達している。この日記を書くのもしんどいぐらいである。咳と痰が出て、鼻水も鼻がすりむけるくらいティッシュが必要である。患者さんの話を聞いていると、風邪なんかひいたことはないという人や、かかっても一晩寝たら治るという人もいる。私は一旦かかると、10日ぐらい治らず、インフルエンザと区別がつかないぐらいのたうち回る。幸い、ここ数年はかかっていなかった。京都第一赤十字病院に勤めている時には、患者さんにしょっちゅう風邪をうつされ、下手をしたら冬中ひきっぱなしであった。忙しいので風邪でなんか病院を休めず、這ってでも行っていた。
 きょうも朝5時前に起きて、6時前に医院に出て来た。この日記を書いていても、すぐ横になりたくなる。若い頃のようにあまり無理はせず、書ける所まで書こうと思う。少し前に、大学の医局でお世話になった先輩の先生から1冊の本が送られて来た、「境界性パーソナリティ障害と離人症」(金剛出版)である。著者は現在京都市内の精神病院の院長をしている。大学の卒業年度は私より4年上である。境界性パーソナリティ障害とは、リストカットや大量服薬を繰り返し、情緒が不安定で、極めて治療の困難な患者さんのことである。ここでも書いているが、私の医院のトイレでタオルがぐっしょりと濡れるぐらいリストカットする患者さんもいれば、救急で受診して、縫合した部分をまたカミソリで切り裂いてしまう患者さんもいる。この先輩の先生は大学病院も含め、他の医療機関が困った患者さんを積極的に受け入れて、これまで治療してきた。私は60歳を超えたばかりで。気分的にはもう引退モードである。ところが、この先輩の先生は65歳ぐらいで、こんな立派な本を上辞している。まだしっかりと読んでいないが、自分の体験に基づいて書いた本なので、中身は濃い。
 先週の土曜日は、医院の待合室のイスを処分していた。私の医院は開業して12年半ぐらいになる。ソファが合成皮革ではなく、布みたいなもので覆われている。座り心地はいいが、表面がだいぶ汚れてきた。最近は不潔な感じもしてきたので、思い切って買い替えることにした。この日は廃品回収業者に頼んで、12の1人用ソファを処分してもらった。費用は全部で1万2千円である。日曜日には、楽天で注文したソファが運ばれてくる。今度は汚れを簡単に拭き取れるように、合成皮革にした。3人用のソファが2脚で、4人用のソファが1脚、2人用ソファが1脚である。全部で15万円ほどであった。開業した時には、業者に頼んでとんでもない高いソファを買わされた。
 この日の夜は、製薬会社と共催の講演会があった。京都の両大学の教授が座長をする。講演は、国際医療福祉大学教授の「治療抵抗性うつ病の治療戦略」であった。風邪を引き始めていたので、参加するかどうか迷った。咳が出るので、マスクをして行くことにした。話の内容は、これまでのうつ病治療をまとめたものである。私はここでも何回も書いているが、三環系抗うつ薬をよく使っている。最近はこの三環系抗うつ薬の再評価をしようという動きもあるようである。中には、製薬会社の息のかかった欧米の学者の提灯持ちみたいなことしか言わない学者もいる。この日はスルピリド(ドグマチール)のことは高く評価していた。最近話題のrTMS(経頭蓋磁気刺激法)のことも解説してくれた。このrTMSとは、脳に磁気をあててうつ病を治す方法である。治療法としては、1回40分で週5日磁気をあて、効果が出るのに4週間ほどかかる。講師の評価としては、あまり芳しくないものであった。
 この日は講演会の後で、懇親会があった。いつもは必ず参加するが、この日は風邪をひいていたので遠慮した。少し前に、三環系抗うつ薬で改善した患者さんを2人紹介した。口腔内の慢性疼痛の患者さんは、最初はよく効いていたが、今はそれほどでもなくなった。ここできちんと報告しておかなければならない。その代わり、高齢者で三環系抗うつ薬がよく効いた患者さんのことも書いておく。私は総合病院の勤務が長かったことは以前にも書いた。ありとあらゆる不定愁訴の患者さんが送られて来た。脳のセロトニンを増やすSSRIであるフルボキサミン(デプロメール、ルボックス)が日本で初めて発売されたのが、1999年である。それまでは、穏和精神安定剤や三環系抗うつ薬などで患者さんの症状を改善しなければならなかった。今回の患者さんは74歳の女性である。以前に書いた患者さんとは別の公的な総合病院に通院していた。訴えは、「夕方になったら頭がぼーとして、ふらーとする。歩いていても、ぐらっとする。」である。他の訴えは、食欲不振と気力低下である。専門科では、漢方と睡眠導入剤を処方されていた。長いこと通院しているが、症状は一向に改善していなかった。
 私に言わせたら、こんな患者さんは初歩の初歩問題である。まず、最初の1週間はセルシン2mgとドグマチール50mgを食後3回処方した。私はセルシンは半錠(1mg)にして出すことが多い。頓服の精神安定剤で眠くならなかったというので、この量にした。1週間後に「食欲が出てきが、ふらつきはまだある。夕方になると、余計にきつくなる。」と訴えていた。ここで、三環系抗うつ薬であるトフラニール10mgを食後3回に追加した。三環系抗うつ薬の副作用にふらつき、めまいがある。バカの1つ覚えで、抗コリン作用がお年寄りの認知機能を低下させると頭から信じ込んでいる医者もいる。私から言わせたら、まったくの経験不足である。魔法の薬ではないので、もちろん副作用が出ることもある。追加の薬が合わなかったら、やめるように伝えた。トフラニールの使用量は30mg〜300mgと幅が広い。1日10mgでも20mgでも効果が出る時がある。
 将来、これまでとは違った作用機序の抗うつ薬が必ず出てくる。この時に、現在使われているSSRIなどの抗うつ薬はどうなるかというと、中断症候群の出やすさや性機能障害の強さなどが強調され、新薬に切り替えるように必ず推奨されるようになる。すなわち、現在使われているSSRIなどの薬も、将来これらの副作用が強調され、「SSRIは中断症候群が出て、インポになる。」という新たな「バカの1つ覚え」ができあがるのでる。
 さて、1週間後にどうなったかというと、「大分楽になった。ふらつきも大分ましになった。肩凝りもよくなった。」と述べていた。副作用としては、軽いのどの渇きがあった。(許容範囲である。) その後、まだ2週間経っていない。悪化している時には正直に報告するつもりである。1日3回3種類の薬は多いというかもしれない。しかし、安定してきたら、1日3回を2回、1回と減らしていくことができる。ドグマチールも減らしてもいいかもしれない。最近のSSRIなどは1日1回でいい。ところが、どうやって減らしたらいいのかよくわからない。穏和精神安定剤やドグマチール、三環系抗うつ薬のように具合の悪い時に頓服的に服用することもできない。前にも書いたように、第一選択薬としてSSRIなどの最近の抗うつ薬を使うことにはあえて反対しない。しかし、効果がなかった時には、三環系抗うつ薬も使いこなせないといけない。
 ついでに書いておくが、最近は抗うつ薬のセロトニンとノルアドレナリンの再取り込み阻害作用が明らかになってきている。試験管内の実験であるが、若い精神科医はどうやって調べられているのか知っているのであろうか。何の疑問も持たず、製薬会社の垂れ流す情報を頭から鵜呑みにして、実際の脳内で起こっていることと勘違いしている精神科医も多いのではないか。ここでは詳しいことは書かないが、1度製薬会社に聞いたらいい。この問題を考えるために、去年の5月に出た本を紹介しておく。仙波純一「精神科薬物療法のプリンシパル」(中山書店)である。「SSRIはセロトニン、SNRIではノルアドレナリンとセロトニンのトランスポーターを阻害しますが、比率を見ると薬物ごとに大きな幅があります。この違いが臨床効果に反映しているはずと考えがちですが、現時点ではその意味は明らかになっていません。」。うつ病のモノアミン仮説についても、「セロトニンの低下がうつ病の要因で、抗うつ薬はセロトニンを増やすことでうつ病を治す、というのは一種の神話というべきものです。まったく誤りでないにしても、薬理学的には単純すぎる解釈であり、専門家である精神科医は真に受けてはなりません。」とある。私はこの意見にまったく賛成である。
 日曜日は、運送会社が送り届けてくれたソファを組み立てていた。最近の家具は自分で組み立てなければならないので、面倒である。色はピンク系のワイン色を選んだ。思ったより、本のわずかであるが、どぎつい感じがした。ベッドはピンク系の上品な感じであったので、同じような色かと勘違いした。2階においてあるソファなどを使って、何とかどぎつさを軽減した。この日は夕方に、東山医師会の秋の集いがあった。講演会は、三菱重工業の宇宙事業開発部長が、「宇宙産業の現状と今後の展望」について話してくれた。この会の講演は、考古学や歴史の話が多く、あまり私の興味のない分野であった。しかし、今回の話は本当に面白かった。ここで詳しく紹介したいが、風邪でダウンしているので、きょうはこの辺でやめておく。
 もんもん写真館にシンガポールの写真を23日(水)にアップロードしました。

今週の愛聴盤 65 (131022)

Earthquake Island / Jon Hassel
Earthquake Island / Jon Hassel

 この今週の愛聴盤はきのうの夜9時までかかって書きあげていた。ところが、コピペして早くこの日記を終えようと思ったら、このファイルが見つからない。間違えて消してしまったのか、よくわからない。こんなことは滅多にない。今は横になりたいぐらい体調が悪いので、きょうはこのアルバムだけの紹介である。思い出しながら、もう1度最初から書き直している。このミュージシャンについては何も知らないので、英語のウィキペディで調べた。Jon Hasselはアメリカ生まれのトランペット奏者兼作曲家である。ワールド・ミュージックで活躍している。前回の愛聴盤で紹介した、、ヒーリング・ミュージックやアンビエントミュージック、ワールド・ミュージックの区別は難しい。私はこのLPレコードを持っているが、今では入手困難である。1978年にニューヨークで録音されている。イーノと共演したり、マーティン・スコセッシ監督の映画のサントラ盤を作ったり、Tears for Fearsのアルバム制作にも貢献している。自分の音楽スタイルを「第4世界」と読んでいる。ここでは、このアルバムから1番気に入った曲を紹介する。Jon Hassell - Voodoo Windである。後半になると、よくなっていく。

 

平成25年10月15日(火)

 この日記は17日(木)に更新している。もんもん写真館の韓国、済州島の写真を新たにアップロードしました。興味のある人は見て下さい。済州島はユネスコの世界遺産に登録されている。少し前の夕刊フジを読んでいたら、この済州島のことが詳しく載っていた。タクシーの日本語ガイドが中国人がたくさん住んでいる地区を教えてくれた。最初は工場か何かの安い労働者として住んでいるのかと思った。夕刊フジによると、韓国では2010年から投資移民政策をしている。済州島では、済州島内のリゾート地、ホテルなど「休養と目的とした居住施設」に5億ウォン(約4540万円)以上の投資を行えば居留ビザが申請でき、5年投資し続けると、永住権が取得できる。だから、多くの中国人がリゾート物件を買いあさっている。記事は中国に対して否定的な内容となっていた。前回の日記で、将来日本における移民問題について書いた。世界の動きを見ていると、国際社会の中では、まだ異文化との衝突を国内で経験していない日本は、所詮井の中の蛙のように思えてくる。
 この連休は土曜日の午後11時半に関空発の飛行機に乗って、シンガポールに行ってきた。またも、週末海外旅行である。15日(火)は休診にして、飛行機の中の宿泊も含め、3泊4日の旅である。シンガポールは以前から1度は行ってみたかった。私は基本的には都会都会した所は嫌いである。しかし、シンガポールはカジノ併設型総合リゾート施設の建設で、多くの観光客を呼び集め、カジノからはいる税収入は莫大なものとなっている。観光大国として成功しているだけではなく、メディカル・ツーリズムも盛んである。東京23区よりもやや大きい都市国家で、日本より遥かに多い1000万人を超える外国人観光客が訪れている。私はラスベガスもマカオにも行っているので、シンガポールも行ける時に行こうと思った。
 シンガポールには20〜30年前に1度行ったことがある。当時は時間帯によって、道路の通行を規制していた。あまり行く所もなく、バタム島に渡って1泊したことを覚えている。今回はあまりにも有名なマリーナ・ベイ・サンズや生まれ変わったセントーサ島もこの目で確かめて来たかった。日本でもカジノ施設の建設で、経済を活性化させようという動きもある。そんなことが本当に可能なのか、考える材料になればと思った。この日記でも何回も書いているように、私は精神科医として日本でのカジノ建設には反対である。
 日本とシンガポールの時差は1時間で、現地時間の朝5時10分にチャンギ国際空港に到着した。こんな朝早くに着いて、寝不足気味でホテルを探すのも面倒である。今回もまた旅行代理店に頼んだ。現地ツアーには参加せず、ホテルまでの送り迎えだけが付いたパック旅行である。現地では7時ぐらいにならないと明るくならない。6時半ぐらいにオーチャード・ロードにあるホテルに着いた。ここで一旦荷物を預け、午後3時にならないとチェック・インできない。ところが部屋が空いているということで、そのままチェック・インできた。外は小降りの雨が降った後で、天気はあまりよくなかった。8時ぐらいまで、どこに行ったらいいのかガイドブックで調べていた。その後で、2時間ぐらい眠ろうと思って、目覚ましをかけた。目覚ましが鳴ったが、無意識に止めてしまい、そのまままた眠ってしまった。ぐっすり眠って目覚めたら、もう午後2時であった。10月15日(火)は飛行機の出発時刻は午後1時45分である。ところが、私のホテルが1番最初みたいで、旅行会社のバスが朝10時過ぎには迎えに来る。実質的にはもう1日半しか残っていなかった。
 あわててこの日に行きたかったマリーナ・ベイ・サンズに向かった。ナイト・サファリで有名な動物園を除いて、大抵の所は地下鉄で行ける。この日の夜は、男の道楽である「飲む、打つ、買う」である「買う」の場所にも行ってみた。ゲイランという政府公認の置屋街である。(あくまでも、見学である) それぞれの場所の写真は撮ってきたので、この日記の最後に写真を載せ、解説していこうと思う。この日の夜は、ホテルの近くのオーチャード・タワーにも行った。ここはライブ演奏をするクラブみたいなものがいくつもはいっている。客としては、欧米人も多い。入場料はワン・ドリンク付きで、15シンガポール・ドルであった。1(シンガポール)ドルは約80円である。飲んでいると、セミ・プロみたいなタイやベトナムの女性が大勢声をかけてくる。この年になると、ここでもあくまでも見学である。近くには、ハード・ロック・カフェもあった。
 翌日はセントーサ島に渡り、ユニバーサル・スタジオと世界最大の水族館であるシー・アクアリウムにも行ってみた。セントーサ島に入るには4ドル必要である。ここにはボード・ウォークを通って歩いても行ける。私はセントーサ・エクスプレスと両方試した。ユニバーサル・スタジオはよかった。香港のディズニーランドのように、しょぼい事はない。水族館は、大阪の海遊館の方が勝っていると思った。この日の夜は、クラーク・キーにも行ってみた。ここは川沿いにバーやレストランが並び、本当に雰囲気のいい所であった。
 マカオと比べると、街中を歩いていてもカジノ色はなく、大型の免税店もあちこちにあり、ショッピングも充実している。動物園だけでなく、他にもリトル・インディアやアラブ・ストリートがあり、狭い地域に観光地としての見所がたくさんつまっている。少し前に行った済州島のホテルにもカジノがあった。カジノだけでどれだけ収益が上がるのか、よくわからない。シンガポールのように、日本で大規模なカジノ併設型総合リゾート施設を造ることは難しいと思った。狭い地域に中途半端な物しか造れそうもない。今は円安なので、日本より物価は高めに感じた。シンガポールはカジノに行かなくても、家族連れや仲間と楽しむには本当にいい場所である。ありとあらゆるブランド物がそろっているので、愛人と行ったら高くつきそうである。日本は観光立国も目指している。しかし、アジアには競争相手も多く、本当に魅力的な場所が山ほどある。

マリーナ  言わずと知れたマリーナ・ベイ・サンズである。ここの劇場では、ミュージカル「ノートルダム」を公演していた。巨大はショッピング・センターも備えている。シンガポールが持っている立地条件や観光資源とうまく結びついて、相乗効果をもたらしている。

屋上  ホテルの屋上までは20(シンガポール)ドル(約1600円)で誰でも上がれる。ここからの眺めはすばらしく、1度は訪れてみる価値がある。屋上にプールをそなえつけ、世界的にもインパクトのある建物である。

展望バー  前の写真で見える一段上のバーである。ここの飲み物は高く、小瓶のタイガー・ビールが16ドルで、バカルディのロックが18ドルであった。サービス料などを含めて、全部で40ドルであった。(約3200円)

プール  ここの有名な屋上プールは宿泊者しか利用できない。しかし、このスカイ・パークからわずかにのぞき見ることはできる。私はこの日記で何回も書いているが、「高知市浦戸大橋における投身者の社会精神医学的研究」という論文も書いている。投身自殺はできないように、それなりの対策はしているようである。(ネット上ではすでに2人という数字も出ている。)

望遠  今度の旅行には、ソニーのコンパクト・デジカメであるHX50Vを持って行った。済州島に持って行ったカメラとは別である。中国の丹東に行った時に、北朝鮮側をしっかりと撮りたくて、光学30倍のコンデジが欲しかった。電子ビューファインダーは共通で使える。前の写真は数倍で撮っているが、30倍だと手持ちでここまで撮れる。

ゲイラン  政府公認の売春地区(ゲイラン)である。衛生管理もしている。私は「何でもみてやろう」で、スラム街でもどこでも足を運ぶ。カジノ用に作ったかと思ったら、そうではなかった。肌黒い外国の建設労働者などがたむろする場所である。薄暗い道路にゴザを広げて、ガラクタ物なども売っていた。

置屋  置屋の1つである。ここには日本語で名前がついていた。それだけ、利用する日本人が多いということか。別の置屋で何人かが入っていったので、一緒に入って覗いて見た。主人が私を見て手招いたが、すぐに出た。中国系の店のようであった。ストリート・ガール(非合法)も立っているが、この日はあまり見かけなかった。

ジュラシック  ユニバーサル・スタジオの入場料は74ドル(約5900円)であった。ジュラシック・パークはここでも人気で、80分待ちであった。ちなみに、シー・アクアリウムの入場料は34ドル(約2700円)である。

マミー  日本のUSJにはない乗り物である。この「リベンジ・オブ・ザ・マミー」はロサンジェルスで乗った。暗闇の中で急停止や急回転して、気分が悪くなった。息子は気に入って何回も乗っていた。これ以降、私はこの類いの乗り物には乗れなくなった。

自分  リバーサイドのクラーク・キーである。ここは明るい照明はなく、適度に薄暗く、びっくりするほど雰囲気がいい。たくさんのレストランやバーが川沿いに並んでいる。観光客や地元の人が大勢涼んでいる。中には、コンビニで買ってきたビールを広げて、飲んでいるグループもある。感動的なほど絵になる景色で、こんな所を日本で見つけるは難しい。

今週の愛聴盤 64 (131015)

Legionnaires / Michael Cretu
Legionnaires / Michael Cretu

 今回紹介するアルバムは2枚ともLPレコードである。そろそろ本格的なプログレの曲を紹介しなければいけないと思って、選んできた。このアルバム・ジャッケットはプログレ風である。しかし、音楽はそれほどでもなかった。1983年の発売である。このMichael Cretuというミュージシャンはルーマニアで生まれている。今回調べてみるまで、どんなアーテイストなのかまったくわからなかった。なんと、1990年にファースト・アルバムを出したエニグマの創設者であった。このアルバムは少しポップ色が強い。まず初めにMichael Cretu - I Obeyを紹介する。次に、まだ視聴者数は少ないが、動画も楽しめるMichael Cretu - We Look to the Starsである。このアルバムにははいっていないが、ヨーロッパでは「Samurai」という曲が大ヒットしている。
 エニグマについては、プログレ・ファンの私でもそれほど聴いているわけではない。音楽がヒーリング・ミュージックに属し、私の好みと少しずれるからである。もっと探したら、気に入った曲もあるかもしれない。大分昔に、バンコクの露天で、コピー品のGreatest Hits / Enigma(1991年)を買ったことを覚えている。エニグマをYouTubeで調べてみると、視聴者数が1000万人を超える動画がいくつもある。バンドというより、音楽プロジェクトで、いろいろなアーチストが参加している。ここでは、デビュー・アルバムのMCMXC a.D. / Enigma(1990年)から1曲紹介する。このアルバムは41ヶ国でナンバー1になっている。Enigma - Sadenessで聴くことができる。
 次のアルバムは日本でもあまり知られていない。私でさえ、こんなレコードを持っていたのかと思ったぐらいである。アルバム名はSleeps With The Fishes / Pieter Nooten & Michael Brook(1987年)である。Pieter Nootenはあるオランダのバンドの初期メンバーである。Michael Brookはトロント生まれのギターリスト兼作曲家で、アンビエント・ミュージックで活躍している。まず、私の好きな曲である。こういう静かな曲もたまにはいい。アルバム・ジャケットの写真が載っているPieter Nooten & Michael Brook - Searchingで聴くことができる。最後に、こんな動画をアップロードしていいのかというPieter Nooten & Michael Brook - Suddenly Iも紹介しておく。少し動いた時に何か見えるかと期待したが、何も見えなかった。

 

平成25年10月8日(火)

 開業してからは、引きこもりにならないように気をつけている。いろいろな雑用を、日曜日にやったらいいと先延ばししてしまうのもよくない。外来や往診のある日はあまりあくせくするのは避けている。昼食も、暑いと外に出るのが面倒である。ついついあり合わせの物で済ませてしまう。今は何人もの患者さんからもらった素麺を食べている。素麺の賞味期限を調べてみたら、1年以上もある。毎日素麺ばかり食べているわけにもいかない。冬の間はやめるにしても、まだ来年の夏ぐらいまでは残っている。1週間朝から晩までほとんど医院で過ごし、昼食まで医院でとっていると、完全な引きこもりになってしまう。なるべく外に出るようにはしている。しかし、年をとると、あまり出たい所もなくなってくる。動くのもおっくうな時もある。京都駅近くのマンションと医院をできる限り快適に過ごせるように整えているのもよくない。私の場合は極端であるが、時々海外に出かけてリセットすることも必要である。
 先週の土曜日は、ある抗うつ薬の発売2周年記念講演会があった。年配の先生が懇親会で乾杯の音頭を取った。この時の挨拶で話していたが、開業すると、こんな会にも出てこないと、精神科医同士で話す機会は少なくなる。特別講演会は、大阪大学保健センター教授の「最近のうつ病事情」であった。話の内容は、大体日頃外来をやっていて感じていることをうまくまとめたものである。私はまだ読んでいないが、最近改定された米国の精神疾患の分類と診断の手引きであるDSM-Xについては批判的であった。児童の精神疾患について、早期から積極的に薬を使用することが推奨されているという。こんな純粋な学術的立場で書かれている診断の手引きについても、製薬会社が大きな力を及ぼしているのである。私は小児精神医学は専門外で詳しくない。まだ議論の多い部分について、製薬会社にとって有利なように解説が書かれているのかもしれない。
 懇親会では、ふだん話せない先生とも話すことができてよかった。私より年上で開業している先生はまだ元気である。60歳を過ぎたと言っても、開業医の中では若い方である。勤務医でも、75歳近くなってもフル・タイムで働いている先生もいた。中には、80歳になっても雇われて施設長をしている先生もいる。どこまで仕事を続けるかは難しい。浪人中の息子が大学に合格したら、休診のコマを1つ増やし、毎朝5時前に起きるのもやめようかと思っている。仕事以外にも、残された人生でやりたいことは山ほどある。
 最近外来をやっていて、他の医療機関から私の医院を受診した患者さんが2人いた。1人はうつ病の患者さんで、ある総合病院に3年ほど通院していた。主治医の先生には薬をいろいろ変えてもらっていたが、ほとんど症状は改善しなかった。ところが、私が三環系抗うつ薬であるノリトレンを処方したら、1週間でよくなってしまった。もう1人は口の中の痛みを訴える慢性疼痛の患者さんである。この患者さんも市内の大きなクリニックに何年も通院していた。この患者さんにも三環系抗うつ薬であるトフラニールを処方したら、完全にはよくならなかったが、大幅に症状は改善した。2人の主治医は私より少し上の先生と少し下の先生である。2人とも三環系抗うつ薬を使いこなして来た世代である。
 最近は、脳のセロトニンやノルアドレナリンを増やす新しい抗うつ薬であるSSRIやSNRI、NaSSAが第一選択薬として用いられている。三環系抗うつ薬は副作用ばかりが強調され、若い世代の先生はあまり使わないようである。前にも書いたが、脳に作用する新しい薬が古い薬より必ずしも優れているとは限らない。今はうつ病の治療ガイドラインが出ていて、最初に用いる薬の手順も標準化されている。第一選択薬に最近の抗うつ薬が用いられるのは仕方ない。それでも、効果がなかった時に三環系抗うつ薬が使われないのは問題である。(ガイドラインには後の方で出てくる) 日本で人気のあるスルピリド(ドグマチール)はなぜか無視である。最近出た新しい抗うつ薬は高い方で1錠200円を超える。先ほどのノリトレンは発売後何十年と経っているので、10mg錠は5.6円で、トフラニールの10mg錠は9.6円である。製薬会社はどうしても高い新製品を売りたがるので、新製品の宣伝ばかりする。講演会では日本で最初のSSRIであるフルボキサミン(デプロメール)が発売されたのが1999年と話していた。もう14年になるが、製薬会社は1錠10円にもならない三環系抗うつ薬をわざわざ宣伝したりしない。今は大学でもきちんと三環系抗うつ薬の使い方を教えているのか心配である。
 今回の講演会には、製薬会社にわざわざ往復のタクシーチケットまでもらって参加している。私は個人的には、新しい抗うつ薬が必ずしも優れているとは思っていない。ここでは書かないが、使い辛い点も多々ある。その点、新しい抗精神病薬である非定型抗精神病薬の方が従来の薬より明らかに進化していると思う。かといって、安い三環系抗うつ薬ばかり使えと主張するつもりはない。新しい抗うつ薬で効果がなかったら、三環系抗うつ薬も使えということである。薬の開発には莫大なお金がかかる。製薬会社には新しい薬で利益を得て、もっと優れた薬を開発してもらったらいいと思っている。それにしても、三環系抗うつ薬の値段をもう少し高くしてもいいと思う。売り上げに貢献しないので、最初から使わない先生もいるかもしれない。私の医院はすべて院外処方である。あまり高い薬は出さないので、院外薬局には常々申し訳ないと思っている。
 さて、今週までに2冊の本を読み終えた。きょう紹介するのは2冊目の方である。京都新聞の読書欄にも出ていた、川口マーン恵美「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」(講談社+α新書)である。著者は私より3歳若く、ドイツに住んでいる。まず、最初に尖閣諸島の領有のことが書いてある。ウィキペディアのドイツ語版は、「日清戦争で弱体化した中国から尖閣を掠め取った日本」と読める内容だという。ここではドイツとフランスが争っていたアルザス地方のことも解説している。神聖ローマ帝国時代はドイツの領土であったが、三十年戦争でフランスが支配し、普仏戦争でドイツに戻る。しかし、第一次世界大戦後はフランスが支配し、ナチスドイツ時代にドイツが支配し、第二次世界大戦後はフランスが支配している。大戦後は、固有の領土であったシュレージエン地方や東プロセインも失っている。筆者が書いているように、自国と関わりのない領土問題ほど、他国にとってはどうでもいいことである。領土問題というのは実行支配したものが勝ちとなり、実効支配にはそれを裏付ける軍事力が必要だという。同じ敗戦国でも、ドイツの持っている優秀な軍事力が政治力の裏付けになっている。
 ドイツの脱原発についても書いている。ヨーロッパは電力供給ネットワークが確立しており、足りなくなったら他国から買い取ることができる。ドイツには再生エネルギー買い取り法ができ、ソーラーパネルや風力から得られた電気は買い取ってもらえる。しかし、市場の電気価格より高くなり、ドイツの電気代はフランスのほぼ2倍である。太陽光発電は採算の合うところまでは永遠に無理だという。この本では、ドイツの脱原発というプロジェクトは難航していると、具体的な例を挙げて説明している。観念的な理想ではなく、日本でも本当に脱原発ができるのか、疑問である。
 他にもいろいろ書いてあるが、最後に日本も将来避けられない移民問題について書いておく。少し前に紹介した、真野俊樹「『命の値段』はいくらなのか?」(角川oneテーマ21)では、スウェーデンの高齢化社会のことが書かれていた。2000年頃までは、スウェーデンの方が日本より高齢化率が高かった。ところが積極的に移民を受け入れ、この30年間はほとんど上昇していない。その間日本は右肩上がりでスウェーデンを追い抜いてしまった。ドイツでは2004年に新しくEUに加盟した10ヶ国の国民すべてに労働市場が解禁された。この時には同じようにイギリスの労働市場も解禁され、ポーランド人が年間60万人も移動したという。多くの医者が流出し、ポーランドだけでなく、チェコも医者不足に悩んでいる。ドイツが恐れているのは、貧しい国から単純労働者が大量に流入し、最低賃金を押し下げることである。2020年までにこれらの国からの移住者は120万人に達するという試算もある。1970年代のドイツにおける出稼ぎ労働者の数は300万人に迫った。外国人労働者を受け入れることでいろいろな問題が生じることは誰でもわかる。しかし、今の日本の若年層は人口が少ないだけではなく、結婚もせず、子どももつくらない。これから極端な少子高齢化社会を迎える日本がどこまで抵抗できるのか、これも疑問である。

今週の愛聴盤 63 (131008)

Star / Belly
Star / Belly

 今回紹介するバンドは、長いことイギリスのバンドだと勘違いしていた。調べてみたら、アメリカのボストンのバンドであった。このデビュー・アルバムは、1993年の発売である。この頃になると、さすがにLPレコードではなく、CDである。このバンドの魅力は、女性ボーカリストの声である。ザ・クランベリーズの好きな人なら気に入ると思う。YouTubeでは、このアルバムの曲はアップロードされていた。せっかくいい曲だと思っても、YouTubeでは聴けない曲も多い。私がこのコーナーで紹介した曲も、その後視聴できなくなっているものも多い。まず、素っ気ない写真しか映っていない曲のBelly - Dustedである。このアルバムは私好みの曲が多くて、選ぶのに困る。Belly - Angelもいい。次は、多少動きのある動画である。こういう声は本当にはまる。Belly Low - Red Moonで聴くことができる。次に紹介するプロモーション・ビデオはMTVで大ヒットしたようである。この曲も同じアルバムにはいっている。Belly - Feed The Treeできくことができる。他にも、同じアルバムから「Gepetto」というプロモーション・ビデオも見ることができる。興味のある人は自分で検索してみて下さい。
 次に、私の持っているCDから同じような女性ボーカルのバンドを紹介しようと思った。アルバム名はWithout Friends / Moving Pictures(1996年)である。スペインのマドリッドで録音されている。あまり評価は高くないが、1曲ぐらいはいい曲がはいっている。検索してみたが、YouTubeではアップロードされていなかった。仕方ないので、以前からチェックしているFleur de mandragore / Lussia(1993年)のアルバムをまた調べ直してみた。しかし、まだ鉄壁の著作権で守られていた。仕方ないので、「今週の愛聴盤61」で紹介したB Tribe(Barcelona Tribe of Soulsters)から、その後見つけた素晴らしい曲を紹介する。プログレに近く、私好みである。B-Tribe / Hablandoで、聴くことができる。

 

平成25年10月1日(火)

 先週の土曜日はある絵画展を見に行った。患者さんの家族から招待状をもらっていた。患者さんに招待されても、なかなか時間が取れず、滅多に出かける機会はない。今回はこの案内状の絵が気に入った。実際に私好みの抽象画の展覧会であった。会場は出町柳に近く、久しぶりに府立医大の前を車で通った。外来は建て直しをしたと聞いていた。しかし、大きな工事のクレーンが立っていて、どう立て直したのか、外からはよくわからなかった。病院にも大学の医局にも、もう15年ぐらい訪れていない。この日は天気がよかったので、カメラを持って鴨川に出てみた。思ったより、人出は少なかった。学生時代は寺町今出川のマンションに住んでいた。昔のことなので今はよく覚えていない。あたりの風景は当時とあまり変わっていないような気もした。
 日曜日は、午後から医院に出て、また細々とした書類を書いていた。油断をしていると、どんどんと書類が溜まっていく。受付の人の給与計算もしていた。1つ1つのことはそれほど時間がかからない。しかし、あれもこれもと重なるとかなりの分量になる。新規の自立支援医療の診断書も書いていた。6時間かかって、肝心の障害年金の診断書が書けなかった。仕方ないので、たった2通であったが、月曜の朝5時40分ぐらいから書き出し、2時間近くかかって書き上げた。この年になると、どんな書類でも手早く要領よく書けるようになる。しかし、少しややこしい年金の診断書になると、どうしてもこれぐらいの時間はかかってしまう。私の医院では、障害者年金の診断書料は京都で1番安い3千円である。
 さて、済州島の旅行の続きである。2日目の9月23日(月)は朝10時から1人で8時間1万円の貸し切りタクシーを利用した。まず最初に島の南西部にある松岳山に行った。ここは海と山の絶景が楽しめる。少し霞んでいたが、この日は天気がよかった。近くに山房山もあり、アウトドアを楽しむには絶好の場所である。私はソニーのカメラを中古に出して、RX100M2に買い換えて持って行った。(なぜか今より安い時で、10%のポイントがついて62800円であった。) 純正グリップをつけて、Garizの革ケースに入れたら、本当にかっこよくて大満足であった。1眼カメラにお金をかけるなら、これで充分である。今回の旅行では、思う存分風景を撮りまくった。近いうちにまたもんもん写真館で公開しようと思う。この日は風が強かった。その分、荒波が押し寄せ、絵になった。松岳山には海に面した絶壁沿いに軽いトレッキングコースがあり、本当によかった。ただ、この日はきょうの京都のように暑かった。小一時間ほど歩いたが、汗だくであった。もう少し涼しくなったら、もう何も言うことはない。
 日本語のガイドをするタクシーの運転手には下で待ってもらった。帰ってきたら、もうお昼である。近くの海鮮鍋の店に案内してもらった。明朗会計で、壁には中の鍋が4万ウォンで大の鍋が5万ウォンと張り出してあった。私は中の鍋を頼んで、運転手と一緒に食べた。ビールを1本飲み、甘鯛とこぶりのアワビが10個ほど刺し身で出てきた。全部で5万ウォン(5千円弱)ほどであった。鍋には2人では食べきれないほど、海鮮がはいっていた。もちろん私が支払った。美味しくて大満足であった。この後、東尋坊のような切り立った岩肌が美しい形状節理帯に行った。ここも景色がよかった。済州島には、他にも三大瀑布と言われる滝が3つある。この日は、正房瀑布という海に直接落ちる滝に案内してもらった。惜しむべきは、逆光で、写真は少し霞んでしまった。私は最初はわからなかったが、日本のTV局がこの滝の撮影に来ていた。天候に恵まれて、幸せであった。この日の夜はまたホテルの周りを歩いてみた。昼食を食べ過ぎたので、夕食はあっさりとした冷麺が食べたかった。ビール1本と冷麺で1万ウォンであった。これも美味しかった。この日は「ナンタ」のショーを見にいくつもりであったが、もう時間がなかった。
 翌日の24日(火)も朝から天気がよかった。この日は同じタクシーの運転手に朝9時から午後1時まで半日案内してもらうことにした。今度は島の東である城山日出峰に行った。海沿いに行くが、タクシーなので、気に入った場所があると停めてもらい、写真を撮った。ツアーの観光バスだとこういうことはできない。たまたま停めてもらった所を歩いていたら、荒々しい海が見えるきれいな場所に辿り着いた。道路からはわかりにくい場所である。普通の観光客では絶対撮れない写真も撮れた。城山日出峰は済州島では一大観光地である。大勢の観光客が団体バスで来ていた。それでも、ここも海と山が接していて、本当に絵になる景色であった。この日も暑くて、頂上まで登るのは途中であきらめた。私は中国人も韓国人も日本人もあまり区別はつかなかった。(正確にいうと、中国人と韓国人、韓国人と日本人) タクシーの運転手はわかるようで、リュックを背負った団塊世代のグループに日本語で話しかけていた。ホテルは午後2時まで使え、夕方にガイドが迎えに来るまで荷物を預けておける。済州島は日本からも近く、アウトドアの好きな人にはお薦めの島である。これからの季節は涼しくなって、もっと楽しめそうである。

カメラ  純正のグリップをつけ、 Garizの革ケースに入れたソニーのコンパクト・デジカメのRX100M2。どこでも持ち歩きができ、私のお気に入りである。電子ビューファインダーを持っているが、必要ないぐらいである。

海辺  海沿いにタクシーで案内してもらうと、素晴らしい景色に出会う。天候に恵まれて、本当によかった。

展望トレイル  松岳山のトレッキングコース。絶壁に沿って、緩やかな坂道が続く。適度な運動が楽しめ、アウトドアを満喫できる。

松岳山  トレッキングコースから見た海岸風景。向こうに見えている山が山房山で、ここに登ることもできる。

形状節理帯  形状節理帯では雄大な景色を楽しめる。流れ出た溶岩が急激に冷却されてできたという。

正房瀑布  海に直接流れ落ちる正房瀑布である。済州島には他にも有名な滝が2つある。

城山日出峰  城山日出峰から海を望んだ景色である。山の頂上までは往復40分ぐらいかかる。

自分  私は旅行中は記念写真のような自分の写真は撮らない。タクシーの運転手が強く勧めるので、断れなかった.後ろに見えるのが、前の写真の城山日出峰である。

今週の愛聴盤 62 (131001)

Untitled / the B52's
Untitled / the B52's

 今回はLP時代のアーティストを2つ紹介する。最初はアメリカのバンドである。少しチープな感じである。しかし、適度なポップ性があり、その魅力は捨てがたい。B52というのは、髪型のことである。LPレコードを残しているものと思ったが、探しても見つからなかった。YouTubeで久しぶりに聴いたら、なかなかよかった。日本でも一部の人には知られていたバンドである。LPレコードは1979年に発売されている。まず、このアルバムの中のヒット曲である。The B52's - Rock Lobsterが今聴いても新鮮である。同じアルバムの中のThe B52's - Planet Claireも悪くない。オリジナルの動画も悪くないが、画像と音はあまりよくない。他にもいい曲がないかと探していたら、視聴者数が1000万人を超える動画があった。一応ここで紹介しておく。The B52's - Love Shackで聴くことができる。個人的にはこの曲よりも「Legal Tender」の方が好みである。興味のある人は自分で検索して下さい。
 次はイギリスの歌手である。私の持っているのは45回転のマキシ・シングル・アルバムである。日本のアマゾンで調べてみたら、1500円で同じ中古のレコードが売りに出されていた。アルバム・タイトルはHappy Talk / Captain Sensible(1982年)である。このアーティストは今回調べてみたら、The Dammedの結成メンバーであった。アルバム名にもなっている「Happy Talk」は、同じように適度なポップ性があり、ありそうでありえない曲である。プログレとはかけ離れているが、私はこういう曲も好きである。Captain Sensible - Happy Talkで聴くことができる。

 

平成25年9月24日(火)

 この日記は9月26日(木)に書いている。秋分の日があったこの連休は、22日(日)〜24日(火)まで韓国の済州島に行ってきた。毎週火曜日の外来は午前中だけである。月曜日が祝日の日はこの火曜日を休診にしたら、2泊3日または3泊4日の旅行に出かけられる。さすがに、2日続けて休診にするわけにいかないので、土曜日は午前中の外来が終わってからの出発になる。いわゆる週末海外旅行である。タイぐらいまで行けないこともない。しかし、若い頃のように、深夜便で行って深夜便で帰ってくるという体力はもうない。TVを見ていると、台湾も人気である。私は基本的にはあまり日本人の行かない所を目指している。近場ということになると、どうしても中国になってしまう。韓国も一時はブームになって、大勢の日本人が出かけていた。私はソウルも釜山も行ったことがある。もともと都会都会したところは嫌いで、ハングルもわからず、あまり行きたいとは思わない。今回済州島にしたのは、まず私の好きな島であること。きれいな自然が残されていること。季節がよかったことなどがある。
 今回はいつもと違って、パックツアーにした。パックツアーと言っても、おみやげ屋の案内はなく、空港からホテルまでの送り迎えが付いているだけである。どうしてパックツアーにしたかというと、済州島に行くことを決めたのは比較的直前だったからである。連休ということもあり、航空券を手に入れるのが難しかった。いつものように、済州島のことを詳しく調べたのは、前日の土曜日であった。ホテルが島のどのあたりにあるかもわからなかった。島の1番の繁華街にあり、ここを拠点にして島を巡ることができそうであった。近くに、市外バスのターミナルもあった。天気予報では、22日(日)、23日(月)と晴れで、24日(火)は一時雨であった。
 22日の関空発は朝9時で、1時間半ほどで着く。帰りは24日の夜7時半発である。2泊3日と言っても、現地での時間はたっぷりある。済州島の空港では、旅行会社の係員が待っていた。同じツアーには、私と同じ年代の父親と息子のペアが1組いた。息子の年代も同じぐらいであった。私の息子は浪人中で、今はまったく身動きはとれない。ホテルまでは10分ぐらいで着いた。車の中で、父と子の会話を聞いていたが、どこも同じだと思った。この年代特有の微妙な距離感があり、それでいて親子としての繋がりがある。ホテルには11時半過ぎには着いた。そのまま部屋にチェックインはできず、荷物を預けて午後3時まで待たないといけない。私は1人でうろうろしたかったので、現地の案内係とはここまでである。もう1組の親子は、翌日の島巡りのツアーに参加し、昼食付きで2人で1万5千円と話していた。今は円安、ウォン高で、1万円が10900ウォンである。(10ウォンが1円弱である。) とりあえず、ホテルの近くで昼食をとることにした。
 天気が悪かったので、傘を持って出かけた。途中で、雨がパラパラと降り出した。免税店があったが、買い物にはまったく興味はない。繁華街と言っても、それほど大きくはなかった。かなり歩いて、海鮮鍋の店にはいった。鍋とビール1本頼んで、9000ウォンであった。韓国では食事を頼むと、白菜キムチやカクテキ、海苔などがついてくるので、おつまみには丁度いい。ホテルの周りを歩いてみたが、飲み屋街みたいな所もあった。日本語表示の店もけっこうある。一旦ホテルにチェックインし、どこに行ったらいいのか、ガイドブックで調べた。島は饅頭のような形をしており、およそ南北40km×東西70kmで、住民は60万人である。島の上(北)の真ん中あたりにホテルがあり、見所は南西部分や東部分など広範囲に散らばっている。私はきれいな海や山の写真を撮りたかった。韓ドラは見ていないので、「チャングムの誓い」などのロケ地や、お寺や博物館などには興味がなかった。
 この日の夜の食事は日本風の居酒屋にはいった。餃子が6000ウォンもするなど、値段が高かった。夜8時からは、アクションドローイング「HERO」を見に行った。会場までタクシーで片道300円ぐらいである。入場料は特別席が5万ウォン(約5千円弱)であった。同じ時間に別の会場では、ソウルでも公演している「ナンタ」もやっていた。毎週月曜日はこの「HERO」が休みになるので、こちらを先に選んだ。案内のパンフレットには、ダンスとコメディが融合したアートパフォーマンスとなっていた。男性4人が出てくるが、かわいい女性も出てきて欲しかった。男だけのコメディはもうひとつ花がない。コメディは観客には受けていた。私は韓国人の観光客ばかりと思っていたが、中国人の観光客も大勢はいっていたようである。それでも、大感動とまではいかなかったが、後半はよくできていた。
 翌日は朝早くから市外バスのターミナルまでタクシーで行った。ところが、バス代は安いが、どのバスに乗ったらいいのかよくわからない。大きな地図にはハングルと英語が書かれ、中国語の表示も一部だけ申し訳程度に小さく書いてあった。私はCNNのニュースを毎日30分見ている。中国に関するニュースでは地名がさっぱりわからない。HangzhouとかShenyangと表示されるより、杭州、瀋陽の方がわかりやすい。たとえ、バスに乗って目的地に着いても、そこから島のあちこちに移動するのが大変そうであった。結局、市外バスを使うのはあきらめた。ホテルの前で停まっていた観光バスに乗って、島のあちこちを案内してもらうことにした。また、タクシーでホテルまで戻った。時間が10時近くになっていたので、タクシーはすでに出払っているのではないかと心配した。しかし、けっこうの台数が客待ちをしていた。日本人観光客が減ったのと、ほとんどの客が旅行会社のツアーを利用しているからである。
 ガイドブックには、日本語をしゃべる運転手のタクシーのチャーター代は8時間で1万2千ウォンで、4時間では6万ウォンになっていた。タクシーに日本語、中国語と書いてある50代の運転手と交渉した。この日は8時間1万円で案内してもらうことにした。この値段は何人乗ってもあまり変わらないようである。大人4人で乗るには少し窮屈であるが、3人で乗ったら快適である。島のあちこちを効率よく案内してくれ、正解であった。私は翌日も半日同じ運転手に頼んだ。1人旅は、ツアーでは味合うことができないことを体験できる。しかし、ツアーで得られる現地ガイドの情報が抜け落ちる。運転手は日本語、中国語、英語を話し、子どもは韓国政府の奨学金でアメリカに留学しているという。韓国のお国事情なども直接聞けて、本当によかった。日本人の観光客は減っているが、中国人の観光客は増えているという。田舎くさい団体客を乗せたバスが何台も走っていた。一昔前の農協の観光客を思い起こした。(30〜40年前は日本でも同じであった。) 垢抜けない格好で、格安ツアーで来ているかと思ったら、みんなとんでもない金持ちだという。しかし、韓国でも中国人のマナーは悪いと話していた。この日は島の南西部を案内してもらった。済州島特有の景色が美しく、思う存分に写真が撮れて満足であった。この続きはまた来週にします。

済州島地図  済州島の地図である。小さな写真でわかりにくいが、上の赤い丸印がホテルである。左下と右の赤い丸印が今回行った場所である。

ホテル  中心街にあるホテルである。パックツアーだったので、正確な値段はわからない。ホテルのロビーで待っている時に、他の日本人客が話をしているのを聞いた。2人部屋を1人で使って、1泊2万5千円近くもしたという。シャンプーが別売で、私も値段が高いと思った。石けんで頭を洗ったぞ。

広告  街を歩いていると、怪しい日本語であふれている。他にも、「イメージクラプ 男性専用特別管理」とか「うまいおでんパ」とかの看板を見た。

今週の愛聴盤 61 (130924)

Les Elles en scene / Les Elles
Les Elles en scene / Les Elles

 今回紹介するのは3枚のCDである。後の2枚は気に入った曲があまりアップロードされていなかった。このCDは2001年に発売されている。フランスの4人組のバンドである。ライブ盤で、全部で19曲もはいっている。1番気に入っている曲は、別のライブ盤でアップロードされていた。正直言って、このCDの曲の方がよくできている。それでも、似た雰囲気は残されている。YouTubeでは、Les Elles - Mauvais Sangで聴くことができる。もう1曲の私の好きな曲は、このアルバムからそのままアップロードされていた。視聴者数の多い動画は、このCDにはいっている曲とは別のバージョンである。個人的には、このCDの方が好きである。Les Elles - La Chatte De Mr. Clockで聴くことができる。
 2枚目のCDは、これもフランスからである。ロリータ・ヴォイスで日本では1部のファンに知られていた。アルバム・タイトルはLa La La / Jadis Holsen(1992年)である。このアルバムの中で1番いい曲は、タイトルにもなっている「La La La」である。しかし、著作権の関係からかYouTubeではアップロードされていない。私が2番目に好きな曲もアップロードされていなかった。仕方ないので、あまりいい曲ではないが、1曲参考に紹介しておく。Jadice Holsen - Petit Amant Frimeurで聴いてみたが、やはりもうひとつであった。
 3枚目のCDはスペインからである。(録音はスペインで、ドイツのバンドでした。) スパニッシュ・ロックはまだ1枚も紹介していないので、そのうち気が向いたらこのコーナーでも取りあげようと思う。きょう紹介するのは、いわゆるスパニッシュ・ロックとは別のジャンルである。アルバム・タイトルはFiesta Fatal! / B Tribe(1993年)である。B Tribeとは、Barcelona Tribe of Soulstersの略である。1番の聴き所は、1曲目と最後の曲である。YouTubeではどちらの曲もアップロードされている。しかし、1曲目は別のバージョンで、本来のスペインらしさが失われている。このアルバムからは1番最後のB Tribe - Fiesta Fata!を紹介する。他にもいい曲がないか探してみたが、B-Tribe - Hasta Luego Goodbyeが視聴者数が多かった。

 

平成25年9月17日(火)

 きょうはいつものように往診に行き、その後で歯科に行ってきた。帰ってきたら、もう4時半である。今からこの日記を書き始めるが、あまり書くことがなくて困っている。今週の愛聴盤だけは毎週月曜日には書き上げている。
 先週は久しぶりに映画を見に行った。1回千円になっても、そんなに見に行けるわけではない。封切りにこだわらなかったら、パジャマ姿で50インチのTVでレンタルDVDを見るのも悪くない。借りてきた、タランティーノ監督の「ジャンゴ 繋がれざる者」は相変わらず面白かった。映画館で見た映画のタイトルは「パシフィック・リム」である。内容は評判通りよかった。しかし、大感動するほどでもない。年をとってくると、これまで積み重ねてきた経験や知識、山ほどの見てきた作品群が邪魔をして、若い頃のような新鮮な感動をなかなか与えてくれない。年をとって感性が鈍感になるのではない。わくわくするような未知の体験が残り少なくなって、なかなか出会えなくなってくる。「パシフィック・リム」は現代版SF映画である。私の時代の代表的なSF映画は1982年の「ブレードランナー」である。「スター・ウォーズ」は日本では1978年に公開されているが、あまり好きではない。20代後半は社会の成り立ちについて少しずつわかってくる時である。今週の愛聴盤で紹介しているLPレコードも1980年前後の作品が多い。私はこの時代に映画や音楽に対する感性が磨かれている。
 15日の日曜日と16日の敬老の日は久しぶりの連休であった。月曜日から土曜日まで外来をやっていると、あまり休んだ気になれない。15日は今月に更新しなければならない自立支援と障害者福祉手帳用の診断書を書いていた。今月はふだんの月より数が多かった。すべての診断書を新しい様式に書き直さなければならないので、手間暇がかかった。この日は7時間ぐらいかけて大体書き上げた。精神科はこの診断書の他、障害者年金の診断書もある。診察だけではなく、書類書きに時間をとられる。あちこち医療機関を転々としている患者さんについては、何年何月から何年何月までどこにかかっていたかという治療歴が必要なので、調べるのが大変である。きのうの16日は、会計事務所に送る8月分の資料を整理していた。いつも遅れ遅れになるので、こういう時に早くまとめて送っておかなければならない。
 さて、今週読み終えた本である。真野俊樹「『命の値段』はいくらなの?」(角川oneテーマ21)である。著者は内科の医師である。医学博士、経済博士でMBAを取得し、製薬企業のマネジメントにもかかわったことがある。副題には、“国民健康保険”崩壊で変わる医療とついている。タイムリーな話題であるが、著者の書き方はもうひとつ歯切れが悪い。「大胆な改革が必要かもしれない。」などと腰の引けた表現が多い。いろいろ具体的なことは例示しているが、だからどうしたらいいということがあまりはっきり書かれていない。読者に考えさせるように書いているのか、反発を受けるのを恐れているのかよくわからない。もうちょっとはっきり自分の主張をして欲しかった。
 まず、この本にも書いてある国民皆保険制度である。この制度ができたのが、1961年である。それ以前は、医者を往診に呼ぶことを「医者を揚げる」と言って、「芸者を揚げる」と同じで非常に贅沢なことであった。国民皆保険制度で、誰もがお金のことをあまり気にせず、いつでもどこの医療機関でも無制限に受けられるようになった。その一方で、2025年には団塊の世代が75歳を迎え、医療費が2009年度の36兆円から2倍近い65兆円になると言われている。国連が定義している長高齢社会とは、65歳以上が人口の21%を超えることで、日本では平成22年に突入している。私が開業している東山区はとっくの昔に30%を超えている。ここでは医療の過剰消費や老人病院のサロン化が取りあげられている。インフルエンザの特効薬であるタミフルは、世界の総消費量の7割が日本国内で消費されている。多くの国では、いつでも、どこでも、兼価に医療を受けることができない。
 ここでは具体的な命と値段の関係が書いてある。胃ガンによる入院日数は約19日で、医療費の平均は約97万円である。心筋梗塞の場合は約16日で、その平均は約206万円である。冠動脈のバイパス手術は300〜400万円である。ガンになって、最新の治療を受けて1年間生き延びる抗がん剤の費用は400万円である。日本では高額療養費制度があるので、医療費に100万円がかかっても、実際の支払いは8万7430円で済む。最先端の治療で500万円がかかったとしても、保険適用になっていたら、9万7430円で済む。残りの額を誰が払うかというと、保険料や税金である。終末医療にかかる費用についても書いている。厚労省が2002年に行った試算では、死亡前1ヶ月にかかった平均医療費は1人あたり112万円であった。
 医療費は年間1兆円をはるかに上回るペースで延びている。65歳以上の人が占める医療費は全体の55%を占め、75歳以上では45%である。高齢者が増えていることばかりではなく、高度な医療技術の進歩も医療費の伸びの原因となっている。ここでは、保険適用になった前立腺ガンのロボット手術やバイオ医薬品である抗ガン剤のことなどが書かれている。筆者は経済学者でもあるので、従来の合理的経済学と対比させて、行動経済学についても解説している。他にも、保険や社会保障のことも書かれている。アメリカのルーズベルトがニューディール政策の一環として1935年に連邦社会保障法を制定し、この時に初めて社会保障という言葉が使われた。イギリスでは、ベバリッジが1942年に「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにした社会保障計画を提唱した。
 現在のイギリスでは医療費は無料であるが、臨床上の効果や費用対効果を評価し、感情を排し、合理的に標準的な治療を推奨している。日本ではガンによっては検診をしてもしなくても生存率が変わらず、意味がないという主張もある。たとえ有効性が示されたとしても、どの程度の有意差があり、そのための費用がどのくらいかかるのか検討されることになる。スウェーデンの医療についても詳しく書かれている。私は知らなかったが、EUには加盟しているが、経済統合はしていないので、独自の通貨を使用している。食べれなくなった時が死ぬときで、PEG(胃ろう)はほとんどしない。施設の患者が発熱し、仮に肺炎が疑われても医療機関には搬送しない。高額の税金を取り、高福祉と言われているスウェーデンでさえこの程度でる。詳しいことについては、この本に書いてあるので、興味のある人は読んで下さい。日本の医療制度では、医療の値段は公的に決められているが、量は決められていない。医療費の伸びを抑えるには、過剰診療のムダを省き、患者自身も病気の予防に努めなければならない。
 以前にこの日記でも取りあげた、適菜収「日本をダメにしたB層の研究 」(講談社)では、「政治家は有権者の御用聞きではない」と書いてあった。佐伯啓思「日本の宿命」(新潮新書)では、「民意はたいてい間違っている」と書いてあった。どういうことかというと、国民は常に低負担高福祉を望んでいるからである。「保育所はタダにしろ。」、「教育費はタダにしろ。」、「電気代は安くしろ。」、「税金は上げるな。」、「医療費は安くしろ。」、「年金を減らすな。」等すべて実現していたら、借金だらけの日本は破綻する。私の世代をはじめ、年配の人は今の若い人は気の毒だという。その気の毒な若い世代にこれ以上の借金を負わせて、どうしようというのか。あまり流行語を使いたくないが、医療制度の抜本的改革などは、「いつやるか?今でしょ」しかない。

今週の愛聴盤 60 (130917)

The Last Supper / The Bollock Brothers
The Last Supper / The Bollock Brothers

 きょう紹介するイギリスのバンドは、日本ではほとんど知られていない。私の持っているこのLPレコードは1983年に発売されている。2枚組のレコードで、1面に1〜3曲が収められている。45回転かと思ったら、33回転であった。アルバム・ジャケットはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を使っている。写真ではわかりにくいが、12使徒の顔には、マリリン・モンローやジャニス・ジョップリン、ブルース・リー、ジム・モリソン、ジェイムス・ディーンなどの写真が貼られている。2枚組LPレコードなので、全部で4面ある。このアルバムでは、3曲入りのSide1が1番聴きやすい。まず1曲目のThe Bollock Brothers - Horror Moviesである。視聴者数が6万7千回を超えている動画もアップロードされているが、こちらの方が音がいい。次は同じSide1の3曲目である。The Bollock Brothers - Reincarnation ofで聴くことができる。実は、YouTubeでこのバンドの曲を調べていたら、このアルバムにははいっていない名曲を見つけることができた。こういう発見があるので、このコーナーはやめられない。The Bollock Brothers - Faith Healerである。
 さて、次に紹介するLPレコードは日本ではもっと知られていないアルバムである。曲調やボーカルが似たような感じだったので、コンピレーション・アルバムだとは気づかなかった。アルバム名はMusic For Upper Classes To Do Something To / The Class Of '81(1980年)である。この中になかなか捨てがたいバンドの曲がはいっている。YouTubeではかろうじて、何とか2曲アップロードされていた。視聴者数は恐ろしいほど少ない。しかし、2曲とも名曲である。まず、私の好きな第1曲目のVoid - Pop Loveである。3曲目のThe Troopers - Love Youも悪くない。

 

平成25年9月10日(火)

 2020年の東京オリンピックの開催が決まり、久しぶりに明るい話題となっている。今から7年後で、私はガンとかにならなかったら、まだ生きているだろう。リニア新幹線の開通は、オリンピック開催後のまた7年後である。これも、病気さえしなかったら、何とか乗ることができそうである。今70代の人は、段々と怪しくなってくる。年配の患者さんからはまだ若いといわれる。しかし、60歳になってから、今まで考えることのなかった発想で物事を考えるようになってきた。
 最近診察室の照明がすぐに点灯しなくなった。これまでは、少し待っていたらついていた。部屋の中には2本の蛍光灯を使った照明器具が2つある。この内、診察机の真上の照明だけがつかなくなってしまった。私は毎朝6時前には医院に出てくる。朝刊の休刊日には、5時半になることもある。これまでは、せいぜい10〜20分待っていたら、自然と点灯していた。ところが、先週は診察前の掃除の時間になってもつかなくなってしまった。蛍光灯の寿命が来ているわけでない。一旦取り出して、また入れ直したりして、何とか診察時間に間に合うように、何回もスイッチを入れたり消したりして点灯させていた。こんなことをいつも繰り返していたら、ストレスである。今は消灯せず、1日中つけっぱなしである。開業して13年目になるので、照明器具を取り替えようと思った。しかし、寺町通りの照明器具専門の店がいつの間にかなくなっていた。量販店は、こういう店舗用の工事はいやがる。扱っている品物はあくまでも個人用だからである。それでも、何とか関西拠点の量販店に頼んで、今週の木曜日に交換してもらうことにした。
 先週は、後輩の先生から電話がかかってきた。最近、診療所の自動ドアが割られたと言う。前回の私の日記で、先輩の先生の診療所の窓ガラスが割られたことを知ったからである。2人とも比較的近い場所で開業しており、事件が起こったのはほぼ同じ時期であった。後輩の先生は、共通の患者さんにやられたのではないかと疑っていた。前回の日記でも書いたが、精神科だけではなく、それぞれの科特有の苦労がある。いつも夜中に呼び出され、過労死寸前の科もあれば、常に訴訟リスクに脅かされている科もある。私も精神科の苦労については、この日記でもたびたび書いてきた。境界性人格障害の患者さんには医院のトイレで2回リストカットもされている。2回ともタオルがぐっしょりとなるほど、大量出血であった。精神科医として34年近くもやっていたら、いろいろなことを経験する。今思い出しても、あの時は大変だったと思うことは山ほどある。私に妄想を抱いた患者さんにも困った。私が何か秘密を隠していると思った患者さんが、朝、昼、晩とのべつ幕無し私の勤めていた病院に電話をかけてきた。私が当直している時に、いくら説明しても納得してくれず、切っても切ってもかけ直してくる。電話を受ける当直の事務の人も眠れず、私が一晩中相手にしていたこともある。白状しろと言われても、何も白状することはない。病院の業務に支障が出るほど電話をかけまくってきて、こちらがノイローゼになりそうであった。
 TVドラマの「半沢直樹」が話題になっている。私はTVドラマは見ないが、あまりにも話題になっていたので、第4回から録画して見ている。週刊誌の記事などを読むと、当の銀行員の受けもよく、思いあたるような登場人物も多いという。一昔前は、大学医学部を扱ったTVドラマ「白い巨塔」が話題になっていた。どこの業界も出世競争は大変である。医学部については、新しい臨床研修制度ができ、医局や教授の力はかっての勢いはないと言われている。私が学生の時には、教授がエレベーターに乗ると、医局員全員が階段を駆け上り、エレベーターの前で教授を待っていたという教室もあった。医局内にはいくつかの研究グループがあり、その対立も激しい。医者になったからと言って、決して安泰ではない。銀行以上にどろどろした人間関係が渦巻いている。教授の機嫌をそこねたら、誰も行きたがらない病院に飛ばされ、そのまま放っておかれる医局もあった。今はこの年になって先輩面ができるが、若い頃は本当に大変な世界に住んでいた。長いこと適応障害であった。
 「半沢直樹」を見ていて、私もかって自分がやったことを思い出した。この日記でも、その時のことは一部書いている。大学医局や教授、病院長などに頼んでも、どうしても解決できないことがあった。困っているのは私だけなので、周りはそれほど深刻さはなかった。しかし、そのまま泣き寝入りするわけにもいかなかった。詳しいことは書けないが、当時この問題を解決できるのは精神医学界の大御所である笠原嘉先生しかいなかった。しかし、どこの馬の骨ともわからない私の言葉なんて誰もきいてくれない。どうやって、この問題の解決に笠原先生に関わってもらうことができるか、死ぬほど知恵をしぼった。「半沢直樹」ではないが、この問題に関わる人が次にどう動くのか考えに考え抜いた。最終的には、笠原先生が動いてくれ、この問題は解決した。笠原先生にはこの時に大変お世話になり、今でも足を向けて寝ることはできない。この問題が解決した後に、医局の教授からはお叱りを受けた。教授が私を裏であやつっていると誤解されるのを恐れたからである。この問題は私が1番困っていた。こんな方法は私以外誰も考えつかない。私1人でウルトラCのような方法を考え出し、私1人で解決した。相手に対しては倍返し以上のこともできた。

今週の愛聴盤 59 (130910)

Untitled / Suicide
Untitled / Suicide

 今週紹介するアルバムは3枚のLPレコードである。深く考え抜いて選んだかというと、実はテキトーである。共通するのは、1980年前後に発売されたぐらいである。曲調もあまり似ていない。他に共通するのは、たまたまSのコーナーを調べていたので、バンド名はみんなSがつくぐらいである。LPレコードだけは、アーチスト名でABC順に分類している。CDは整理していないので、目的のアルバムを探し出すのが大変である。どのアルバムを最初に紹介するか迷ったが、このSuicideにした。1977年にニューヨークから発売されている。メンバーはボーカルと演奏の2人だけである。少し安易な作りなので、視聴者数は少ないだろうと思っていたら、意外に多かった。まず、A面の1曲目である。Suicide - Ghost Riderで聴くことができる。B面の1曲目である「Frankie Teardrop」もかなりの視聴者数がある。長い曲であるが、歌詞が受けているのかも知れない。ここでは、もっと気楽に聴けるSuicide - Johnnyを紹介する。
 次はオーストラリアのバンドである。LPレコードにはHollywoodと書いてあったので、一瞬アメリカのバンドかと勘違いした。アルバム名はWaiata / Split Enz(1981年)である。この中からA面1曲目の曲を紹介する。Split Enz - Hard Act To Followで聴くことができる。2曲目の「One Step Ahead」は少し軟弱な感じもする。視聴者数は20万人を超えているので、興味のある人は自分で調べて下さい。
 最後はイギリスのバンドである。レコーディングの場所は、エディンバラと書いてある。アルバム名はReal to Real Cacophony / Simple Minds(1979年)である。私はこのバンドについては、このアルバムぐらいしか知らない。今回調べてみたら、全米全英チャート1位の曲も発表していた。まず、このアルバムのA面1曲目である。Simple Minds - Real to Realで聴くことができる。次に、別のアルバムの曲である。私好みの曲を見つけたので、ついでに紹介する。。曲名はSimple Minds - Theme For Great Citiesである。実はこのバンドの「New Gold Dream」は144万人の視聴者数を超え、先ほどの全米全英チャート1位の「Don't You Forget About Me」は235万人を超えている。しかし、私には何がいいのかさっぱりわからなかった。自分の感性が偏向しているのではないかと、少し自信をなくした。

 

平成25年9月3日(火)

 先週の土曜日は京都精神科医会があった。精神科関係の講演会や研究会などは最近は多く、小さなものを含めると毎週のようにある。私はこの年になって土曜日の夜が毎回つぶれるのはいやなので、今はかなり選んで参加するようにしている。今週の土曜日は前にも書いた笠原嘉先生が京都で講演する。もうお年なので、大勢の精神科医が参加するようである。私は東京で聞いてきたので、今回は遠慮する。
 さて、今回の講演会の講師は大阪で開業している先生であった。名前は聞いたことがあるような気もしたが、どんな先生だったか思い出せなかった。演題は、「うつ病の治療ポイントー長期化の予防の対策ー」であった。ざっくばらんな先生で、話の内容は面白かった。具体的な症例については、「ダラダラ休養のうつ病事例」、「パーソナリティ障害をベースにした難治性うつ病事例」、「夢を使ったうつ病事例 夢の治癒力」について治療のポイントを解説してくれた。実際に治療現場で困るような症例ばかりである。2番目の症例は、新型うつ病といわれるような自己愛の強い患者さんである。よくあるパターンで、大企業に就職したが、自分の希望する部署に配属されず、会社に対する不満がたまっていた。仕事もそれほどできるわけでもないのに、上司に対して横柄な態度をとるので、厳しく注意された。ところが、パワハラを受けたので体調を崩したと言って、会社を休むようになる。精神科医としては、こんな患者さんをどうしろというのか文句の1つでも言いたくなる。この先生はいろいろ工夫してこの患者さんを何とか職場復帰に成功させている。そのやり方を聞いて、私の好きなミルトン・エリクソンの手法を思い出した。この先生の名前は講演会が終わってから思い出した。この日記でも以前に取りあげたことのある「境界例の治療ポイント」(創元社)の著者であった。
 講演会の後は意見交換会(懇親会)があった。今回は年配の先生が大勢参加していた。昔お世話になった先生ばかりであったので、挨拶してまわった。たまたま、最近北海道で精神科の先生が診察中に患者さんに刺されて亡くなったことが話題になった。私が精神科医になった時には、往診で患者さんに殺される先生もいた。こんなことを書くと、精神病の患者さんは危険であると誤解を招きやすい。しかし、精神科の患者さんと言っても、覚醒剤を含む薬物中毒からパーソナリティ障害の患者さんまで幅は広い。本当にこわい患者さんは精神病といわれる患者さんではなく、この中の一部の人である。前にも書いたが、統合失調症などの病気は誰もがかかるので、もともと荒っぽい性格の人がこの病気になって暴力事件を起こすことはある。この場合は、病気になって暴力事件を起こすのではなく、病気がよくなって本来持っている暴力的な性格が露わになることが多い。
 今はどんな職業についても、難しい人に接することは多くなった。業界によっては、モンスター・ペアレントとかモンスター・ペイシェントと呼ばれる人たちである。そういう中で、精神科は最先端の患者さんを扱うことになる。講演会でも話していたが、精神科医はストレスをためないようにすることも大事である。これは精神科医ばかりではないかもしれない。他の先生と話をしていて、車を傷つけられている先生も多かった。ベンツに乗っている先生は一直線に線を引かれて車体に傷つけられたという。私は講演会の後は酒を飲んでいるので、医院や京都駅近くのマンションに泊まる。この時に、車は医院の近くで借りている駐車場に停める。昔はよく車を傷つけられていた。だから、13年目になる車でも、なかなか新車に買い換える気になれない。昔お世話になっていた先生は、この講演会があった日に診療所の窓カラスが割られたという。私は総合病院で勤めている期間が長かった。昔は、当直などで精神科医は何の役にも立たないとバカにされていた。検査や入院患者さんもいなかったので、売り上げも悪かった。どんな科でもそれぞれの科特有の苦労はあると思う。今でも、精神科医は楽していると思っている先生もいるかもしれないので、一応精神科医の苦労も書かせてもらった。
 さて、今週読み終えた本である。李学峻〔澤田克己訳〕「天国の国境を越える」(東洋経済新聞社)である。副題は、命がけで脱北者を追い続けた1700日である。前回の日記まで書いていた中朝国境が舞台である。著者は韓国の朝鮮日報記者で、脱北者を追って密着取材するため、自ら率いる取材チームで密入国を繰り返している。脱北者の手助けをしているのは、この中朝国境にある韓国のキリスト団体の牧師や伝道師である。私は知らなかったが、この「天国の国境を超える」というドキュメンタリー番組は、モンテカルロ・テレビ祭で最優秀賞を受賞し、NHKでも放送されていた。きょうYouTubeで調べてみたら、この番組はアップロードされていた。訳者は毎日新聞ソウル支局長で、時代背景を理解するために、訳者あとがきに書かれていることを最初に紹介する。
 北朝鮮は冷戦時代は旧ソ連や中国などから援助を受けていたので、食料危機に陥ることはなかった。ところが、1990年前後に社会主義国の崩壊が起こり、中国も1992年に韓国との国交正常化に踏み切った。1990年半ばには異常気象による凶作が続いた。そして、「苦難の行軍」と呼ばれる食料危機の時代が到来した。配給制度は完全に崩壊し、この本に出てくる300万人が餓死したといわれるほど過酷な状況が続いた。この時に、脱北者が急増した。政治的理由で脱北する人より、飢えから逃れるために脱北する人が圧倒的に多かった。ピーク時は1996年〜1997年で、2006年の時点でも3〜5万人が中国に潜伏していたと推定されている。韓国入りした脱北者は2012年の時点で、2万5千人近くいる。瀋陽での日本領事館などへの集団駆け込み事件は「企画亡命」と言われ、NGOが主導し、メディアの眼前で行われる。
 第1章では、脱北を主導する教会の牧師について、延吉から公安の監視が手薄な高速バスを乗り継ぎ、昆明に行く。途中で公安が乗り込んできて、身分証明書の提出を求められたら、幼い子どもを連れた脱北者グループは北朝鮮に強制送還される。ラオス側の国境では、密入国を手引きするブローカーに会う。中国側の警備が強化され、もっとも安全な道は18〜20時間かかる山道だという。しかし、幼い子どもがいたため危険な近道を選ぶ。ラオスに入国してからはトラックでタイ国境を目指す。タイに入国するには方法は1つしかない。警備兵が寝入っている夜明け前にワニのいるメコン川を丸木船で渡ることである。この取材では、脱北者は何とか成功してタイにある韓国の大使館に亡命している。同じ大使館でも、ベトナムでは受け入れてくれない。
 この本では、小さな木造船で荒れる海を40時間もかけて航海する成功の可能性の低い方法についても述べている。取材チームは、実際に脱北を手助けする船に乗っている。公海上で別の船で中国から来た船と落ち合うのである。しかし、船が途中で故障したりして、10時間遅れで合流地点に到着した。海上脱出は危険なルートであるが、この時は成功している。しかし、いつも成功するとは限らない。脱北者の人数が多いので、2斑に別れることになり、取材チームは先発組ついて、瀋陽から北京の夜行バスに乗った。北京から昆明までは今度は列車を使った。2泊3日の旅である。長距離を走る列車には客車ごとに公安が乗務している。脱北者たちは芋づる式に捕まらないように、別れて乗る。ところが、ある脱北者が乗っている車両で身分証の検査が始まった。客の荷物がなくなったからである。この車両に乗り合わせていた脱北者は隣の車両のトイレに隠れて、何とか難を逃れた。この先陣グループはタイにたどり着いたが、瀋陽で隠れていた第2陣は公安に急襲されていた。皆北朝鮮に強制送還である。密告したのは、同じ朝鮮族の活動家であった。
 この本では興味深いことがこれでもかと書かれている。脱北ブローカーには、まず中国と北朝鮮の国境を担当するブローカーがいる。彼らは、人身売買と覚醒剤密輸も一緒にしている。次にラオスなどの国境まで道案内するブローカーである。最後に、中国と東南アジアの国境を往来するブローカーである。もちろんそれぞれのブローカーにお金を払うので、多額の費用がかかる。ブローカーには悲劇的な結末を迎えた人も多いという。ワイロを使って北朝鮮と中国の間を行き来していても、越境した時に北朝鮮に捕まって収容所送りになっている人もいる。ある牧師は脱北者21人を連れ、中国からモンゴルを目指していた。途中で中国の公安に捕まり、極寒の劣悪な監獄に入れられた。脱北に失敗した人たちは同じように皆北朝鮮に強制送還である。この時には韓国ではなく、米国の上院の介入で、この牧師は8ヶ月で釈放されている。私は知らなかったが、ロシアのシベリアに派遣された北朝鮮の伐採作業員の脱北についても書いている。当初は北朝鮮でも伐採作業員の人気は高かった。賃金は北朝鮮政府がロシアから受け取っていたが、作業員には金券が渡されていた。ところが、先ほどの「苦難の行軍」以降、金券が無価値になってしまった。事業所から逃げ出して、ロシア全域をさまよっている伐採作業員は5千〜1万人いるという。
 最後に、韓国に亡命した脱北者についても書いておく。韓国政府は脱北者には優しいが、韓国の国民は脱北者に対して冷たいという。せっかく脱北しても、差別されるのである。だから、亡命国として、ヨーロッパや米国を目指す人もいる。差別だけではなく、韓国の生活に不適応を起こす人もいる。昔読んだ本に書いてあったが、今ではうろ覚えである。スイスでは東ドイツなどの共産国から脱出してきた人を収容する保護施設があった。自由を求めて命をかけて亡命してきたのに、西側の自由主義社会に適応できない人々を収容していた。共産国の国では、自動車を選ぶのでも1種類しかなく迷うことはなかった。ところが、西側では山ほど車の種類があふれ、いちいち考えて選ばなければならない。政府に逆らわなかったら、何とか食べていくこともできた。しかし、西側では自分で仕事を選んで、食べる分については自分で稼がなくてはならない。仕事も自由に選べるわけでもない。そういうことに慣れていない人々にとっては、自由は決して楽なことではなかった。この本では私が行った丹東のことも詳しく書かれていて、行く前に読んだらよかったと後悔した。

今週の愛聴盤 58 (130903)

Comme A La Radio / Brigitte Fontaine
Comme A La Radio / Brigitte Fontaine

 きょう紹介するアルバムは1969年に発売されている。私の持っているLPレコードは日本盤で、いつ発売されているのか、しっかり見てこなかった。ライナー・ノートには何も記されていない。タイトルは「ラジオのように」である。アート・アンサンブル・オブ・シカゴとの共演である。前衛的なシャンソンとなっており、今聴いても傑作である。ライナー・ノートを読むと、ブリジット・フォンテーヌについては蘆原英了が書いている。見覚えのある名前だと思ったら、以前にこの人のエッセイなどをよく読んでいた。この人の書いた20年近く前の、「サーカス研究 」(新宿書房)は今でも残している。フランスに留学し、バレエ、シャンソン、演劇を学び、帰国後、評論家として活躍していた。アート・アンサンブル・オブ・シカゴについては音楽評論家の間章が書いている。この人はフリージャズだけではなく、プログレについても詳しい。私の持っている日本盤のLPレコードTubular Bells / Mike Oldfieldのライナー・ノートも書いている。32歳の若さで、クモ膜下出血で亡くなっている。さて、YouTubeではBrigitte Fontaine - Comme A La Radioで聴くことができる。
 次はシャンソンとも同じ時代とも関係ないアルバムを紹介する。この前紹介できなかったので、特にスウェーデンにこだわっているわけではない。曲調はまったく違うが、雰囲気に似たものがあるかもしれない。アルバム名はUntitled / Katzen Kapell(1994年)である。この時代になると、CDである。スウェーデンのチェンバー・ロック(?)に属するのかよくわからない。ジャズやキャバレー音楽、タンゴなどの要素が入り交っている。まず、このアルバムの中で私の1番好きな曲を紹介する。Katzen Kapell - Hotell Kom & Halp Migである。このアルバムにははいっていないが、Katzen Kapell - Taxinも悪くはない。

 

平成25年8月27日(火)

 今歯科から帰ってきたところである。外はまた暑くなり出した。ビールでも飲みながらこの日記を書きたいところであるが、ある程度原稿が進んでからにする。今からビールを飲み出したら、最後まで書き上げられるか心配である。それにしても、のどが渇いて仕方ない。さて、先週の土曜日は、大学の同窓会があった。京都府立医科大学昭和54年(1979年)卒の集まりである。会場を京都駅近くにしてくれたので、便利であった。最近は精神科関係の集まりでも研究会の集まりでも、上着やネクタイをしない人が多くなった。大学の医局の集まりでは、教授もいるのでさすがにネクタイをしていくことが多い。この同窓会も記念撮影があると思ったので、ノーネクタイで上着だけ着ていった。ところが、上着も着てこない人がほとんどであった。私ももっと気軽なかっこうで行ったらよかった。
 卒業して34年にもなると、大半の人は開業しており、勤務医は少なかった。私が1浪して今年の5月で60歳になった。現役以外の人は来年の3月までに60歳を超えることになる。東山区の近く(伏見区や南区、下京区)で開業している同窓生は誰もいないようであった。私が開業前に勤めていた京都第一赤十字病院も今では同窓生は誰もいない。離婚している女医さんもいたり、人生様々である。今は医学部の偏差値が上がり、自分の子どもを母校に入学させるのは至難の技である。中には2人の子どもを入学させている同窓生もいた。二次会は同じホテルの会場を使い、久しぶりに飲み過ぎてしまった。私は外来ではふだん聞き役に徹しているので、飲み過ぎると饒舌になってしゃべり過ぎてしまう。周囲から「こんなにしゃべる奴だったか」と言われ、これからは気をつけなければならない。次回の同窓会は2年後にまた京都ですると言っていた。幹事の担当は整形外科グループである。精神科は2人しかいないので、当分廻ってきそうもない。
 さて、また中国の旅行の続きである。丹東と瀋陽で撮ってきた写真は先週の木曜日にすでにもんもん写真館にアップロードした。興味のある人はまた見て下さい。丹東7の写真は、中国と北朝鮮の間を流れる鴨緑江に架けられた橋から撮ったものである。アメリカ空軍が朝鮮戦争の時にこの橋を爆破したので、途中で途切れている。向こうに見えるのが北朝鮮である。ここからは北朝鮮を見るためのたくさんの観光船やスピード・ボートが出ている。丹東9の写真でもわかるように、北朝鮮の河岸にはここまで近づける。丹東10の写真でも向こう岸に見えるのは北朝鮮である。夜になってもここは一大観光地で、橋にはまばゆいネオンが灯される。
 さて、8月13日(火)には、瀋陽市内の観光をすることにした。行きたい所は3つあった。まず、清朝の初代皇帝と二代皇帝が北京入城以前に使っていた王宮である。現在は瀋陽故宮博物館となっている。観光写真に載っている玉座の写真ももんもん写真館には載せた。ここでは、清朝時代の衣装が貸し出され、服を着替えて記念写真を撮ることができた。子ども用だけではなく、男女の大人用も用意されていた。市内のバスは1元で行ける所が多い。しかし、冷房がはいっておらず、渋滞に巻き込まれるとけっこう時間がかかる。日中はうだるような暑さでも、夜になると20度ぐらいになるので、冷房は必要ないのかもしれない。暑いのはこのわずかな期間だけなのだろう。運転手も暑がって、風がはいるように前のドアを開けて運転していた。
 2番目に行ったのは、九・一八歴史博物館である。昭和6年に日本の関東軍が南満州鉄道を爆破し、満州事件の引き金となった場所である。もんもん写真館に中の一部を撮ってきたので、興味のある人は見て下さい。ここに書かれている内容については、誰もまったく反論できない。中に展示されている物については、フラッシュをたかずに熱心に写真を撮っていた。すると、係員の人が出て来て中国語で何か注意していた。何を言っているのかわからず、最初は途惑っていた。すると、怒ったように「写真を撮るのはやめて下さい。」と今度は日本語で注意された。他の中国人もみんな写真を撮っていたので、館内が撮影禁止だとは知らなかった。ちなみに、この歴史博物館は無料である。
 他にも、瀋陽鋳造博物館に行きたかったが、時間がなくて無理であった。「地球の歩き方」にここのことが詳しく書かれている。中国人ドキュメンタリー作家の王兵がこの「鉄西区」について、「工場」「街」「鉄路」の三部作で9時間の長編ドキュメンタリーを撮っている。このドキュメンタリーのことは何かの雑誌で読んだことがある。しかし、ここの事だとは知らなかった。午前2時間、午後2時間しか開いておらず、博物館管理者が同行して案内する。館内の撮影は禁止である。袖の下を使ってでも、廃墟となった工場跡の写真を撮りたかった。私にとっては、100元や200元の撮影料は何ともない。
 この日の夜は、中国最大のコリアタウンである西塔街で食事をとるつもりであった。ところが、瀋陽駅近くのバス停をいくつも調べたが、どこに乗り場があるのかわからなかった。瀋陽駅からはそれほど離れていなかった。仕方ないので、中山広場近くの日本食レストランに行くことにした。北瀋陽駅から瀋陽駅に行くバスに乗っていたら、日本食レストランの看板が見えた。ここでは、年配の日本人団体客が食事をしていた。味はそこそこで、ビールも飲んで100元ぐらいであった。翌日は、瀋陽の空港から成田まで帰り、新幹線に乗って京都まで帰ってきた。
 日本に帰ってきて新聞や雑誌を読んでいたら、若手国会議員などが、靖国神社参拝についての中国の態度を批判していた。大体の趣旨は共通していて、A級戦犯は日本を列強の侵略から守ってくれた英霊で、中国が首相や国会議員の参拝を批判するのは内政干渉である。中国は戦後68年も経っているのに、まだ日本は反省していないと言い張り、この靖国参拝を外交カードして利用しているというものである。私が40代の頃でも、日本の左翼系の知識人が主張するすべて日本が悪いという所謂「自虐史観」がまかり通っていた。この考えには、私も反発していた。谷沢栄一「自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状」(WAC)などを読んで、まったくその通りだと思っていた。ところが、1冊の本を読んで、この考え方が変わった。この日記でも何回も紹介している、神保哲生、宮台真司「中国―隣りの大国とのつきあいかた」(春秋社)である。この本は平成19年7月に出版されている。
 この日記では、日本人ばかりではなく、首相もわかっていないのではないかということを素人の私が整理して書く。とても大事なことで、他の部分は読まなくてもいいから、ここの部分はしっかり読んで欲しい。東京裁判は茶番劇だという人もいるが、私も別の意味で茶番劇だと思う。まず、日本は無条件降伏した敗戦国だということを忘れてはならない。決して連合国側と対等な立場ではない。どんな戦争でも、片方が一方的に正しくて、片方が悪いなんてありえない。しかし、勝てば官軍で、敗戦国の日本が戦争責任を問われることは仕方ない。この時に、まず最初に天皇の戦争責任が問われることになる。当時天皇は名ばかりの責任者ではなく、軍の統帥権を持つ国家元首、かつ大日本帝国陸海軍の最高指揮官であった。当初、英国やオーストラリア、ソ連、中華民国などは天皇の戦争責任を厳しく追及していた。しかし、結果的には天皇は東京裁判での訴追を逃れ、戦争責任は問われないことになった。天皇は軍部に利用されていただけで、戦争責任はないということになったのである。この本でも書いてあるように、天皇に戦争責任はなかったことにするかわりに、軍部に責任があったことで手打ちしたのである。実際に、私もA級戦犯にすべて責任があるとは思っていない。しかし、中国が主張するように、首相や国会議員が靖国神社を参拝するのはルール違反になる。中国は天皇の責任を追及しているわけではなく、国民が靖国神社を参拝することを批判しているわけではない。この部分については、日本が何を主張しても国際的には通らない。なぜなら、敗戦国の日本が、天皇にも軍部にも責任がなかったと国際的には主張はできないからである。
 私は昭和28年生まれの「しらけ世代」と言われたポスト団塊世代である、団塊世代の学生運動については批判的であるし、当時の左翼系の知識人も寝ぼけたことばかり言っていて嫌いである。今でも、稲垣武「『悪魔祓い』の戦後史」(文芸春秋)の本を残しているぐらいである。渡部昇一「渡辺昇一の昭和史」(WAC)は右寄りの本かもしれないが、史実については詳しく書いている。先ほどの満州事変を起こした関東軍の暴走についても解説している。ただ、亡くなった政治評論家の三宅久之やこの著者も主張しているように、中国に対して軍事力を背景に不平等条約を結ばせたことなどは当時どの列強もやっていたことであると正当化できるかである。よく引き合いに出されるのが、イギリスが仕掛けたアヘン戦争である。中国に対してはもっとひどいことをしたのに、どうして日本ばかりが責められないといけないのかという主張である。日本にしたら防衛戦争という意味合いもあったので、アヘン戦争記念館でも作って、イギリス人にも同じように反省させろと言いたくなる。
 しかし、ここで忘れてはいけないことは、中国はイギリスも含めた連合国と同じ戦勝国となったことである。被害国である中国がイギリスを非難しないことは中国の勝手で、敗戦国の日本がとやかく言うことではない。それこそ、内政干渉になる。実際に、イギリスはアヘン戦争で手に入れた香港を返還義務がないにも拘わらず返還して、この問題は解決している。中国は同じ戦勝国である連合国側にされた理不尽な出来事についてはその責任を追求していない。日本としては、日本側にされた被害届けばかり出すのではなく、連合国側にされた被害届けも出せと言いたくなる。しかし、当の被害国の中国が問題にしているのは日本だけである。敗戦国の日本が同じように他の列強もしていたと正当化できるとはとうてい思えない。
 もちろん、何でも中国の言いなりになる必要はない。土下座外交をする必要もない。尖閣諸島問題などは正々堂々と日本の主張をしたらいい。南京事件に関しても、私は中国が主張する30万人以上の虐殺はなかったものと思っている。ほとんど読んでいないが、東中野修道、他「南京事件 証拠写真を検証する」(草思社)の本も残している。証拠として通用する写真は1枚もなかったという主張は、大筋では間違いないと思っている。虐殺の写真が合成されたり、解説がたびたび変わっているというのもその通りだと思う。最後に、敗戦国の重みを述べておく。第一次世界大戦で敗戦国になったドイツは過酷な賠償金を今でも払い続けている。少し前に払い終えたというのは、米国の分だけである。第二次世界大戦後は国を分割さえされている。中国とは直接関係ないが、ついでに書いておく。真珠湾攻撃については、日本人はあまり自覚していないが、米国人にとっては同時多発テロと同等に扱われるぐらい卑劣な行為であったことは忘れてはならない。

バスターミナル  瀋陽のバスターミナルである。ここから空港や丹東などへ高速バスが出ている。空港までは50分で、バス代は15.5元(約250円)である。丹東までは4時間で、片道84元(約1400円)ある。

フェリー  丹東の鴨緑江には、対岸の北朝鮮を見るための観光フェリーやスピードボートがたくさん出ている。中には、貧しい身なりの観光客が乗ったフェリーもあった。デジカメや双眼鏡を持っておらす、丹東側に拍手を送っているフェリーもあった。よくわからないが、一瞬北朝鮮側の観光フェリーではないかと思った。

北朝鮮レストラン  世界最大の北朝鮮レストランである。私はプノンペンの北朝鮮レストランにはいったことがある。喜び組 (?)の女性が出てきて、いろいろなショーを繰り広げてくれる。

国際ホテル  瀋陽でやっと泊まることができた国際大酒店である。部屋の作りなどは少し高級なホテルとあまり変わりない。わずかに見える洗面所はかなり広い。中国のホテルではほとんどバスタブはついておらず、シャワー室である。このホテルはロビーが広く、アスレチック・ジムや大小さまざまな会議室が設備されていた。朝食付きで、1泊440元(約7200円)であった。

故宮  瀋陽故宮博物館である。清朝を築いた太祖ヌルハチと第2代皇帝が住んでいた。清朝は女真族が建国したので、漢民族は複雑な思いを持っているかもしれない。瀋陽には、張作霖と張学良の住んでいた博物館もある。

中山広場  日本人客が多く泊まるホリディ・イン瀋陽のそばにある中山広場である。このあたりには日本レストランも何軒かある。ただ、大都会ではホテルを見つけるのが至難の技である。ナビが必要である。このホリデイ・イン瀋陽は通りから少しはいった所にある。夜はホテルのネオンが輝いているにもかかわらす、なかなか見つけることはできなかった。

平壌行き  帰りの瀋陽の空港である。隣のカウンターで大韓航空の平壌行きが登乗手続きをしていた。成田行きの飛行機は大勢の中国人が乗っていた。山のような荷物を抱えている人が多く、大幅に出発時間が遅れるほど荷物検査に時間がかかっていた。

今週の愛聴盤 57 (130827)

 Children Of The Night / Nash The Slash
Children Of The Night / Nash The Slash

 いつもこのコーナーは京都駅近くのマンションに行って、山のようなLPレコードの中から今週は何を紹介しようかと、実際にレコード・プレイヤーで確認している。30〜40年前のアルバムとなると、どんな曲だったかほとんど覚えていない。今から聞き直してみると、まったく楽しめないアルバムも多い。自分では当時厳選して残したつもりである。私が残す基準としたことは、原則として1アーティスト1アルバムである。それでも、選びきれない時には、同じアーチストでも、2枚、3枚と残している。自分が気に入っていて、当時名盤といわれたアルバムが中心となっている。欧州の2度と手に入りそうもない珍しいアルバムも残すようにした。LPレコードでも、A面とB面を合わせたら40〜50分になる。もちろん、いちいち最初から最後まで聴くわけではない。しかし、1曲1曲チェックするのにけっこう手間暇がかかる。12曲ぐらいはいっているアルバムもあるので、すべての曲をチェックして、気に入った曲が1曲も見つからない時もある。こんなことが3〜4枚も続くと、どっと疲れる。せっかくいい曲を見つけても、YouTubeにアップロードされていないこともよくある。
 今週はスウェーデンのバンドである6:e November / November(1972年)を紹介しようと思った。しかし、私の好きな曲はアップロードされていなかった。前にも書いたが、同じスウェーデンのバンドである「Ragnarok」も気に入った曲はわが国では視聴禁止になっていた。LPレコードは、レコードの溝に埃がたまりやすいので、いちいちレコード面をきれいにしないといけない。レコード針にも埃の塊が付きやすい。1枚1枚丁寧にクリーニングしていたら時間がかかるので、最近はスクラッチ・ノイズがはいったままでチェックしている。愛聴していたアルバムほど、このノイズが多い。前書きが長々となってしまったが、今週紹介するアルバムは少し苦し紛れである。イギリスのバンドで、1980年に発売されている。このアルバムの中にはいっている曲であるが、ライブの方が聴き応えがある。Nash the Slash - Wolfで聞くことができる。次は、ディープ・パープルのカバー曲である。このアルバムには、ローリング・ストーンズの「The 19th Nervous Breakdown」のカバー曲もはいっている。前半はもうひとつであるが、後半はよくなってくる。smokeもdopeもドラッグ用語である。Nash The Slash - Dopes On The Waterで聴くことができる。
 さて、次のアルバムはビールを飲んで酔っ払いながら選んだ。久しぶりに聴いたら、なかなかよかった。日本ではほとんど知られていないアルバムである。私の持っているのは、45回転の6曲入りのマキシ・アルバムである。最初に紹介したアルバムと何の共通点もない。あえて、探すとしたら、発売の時期ぐらいである。ベルギーの女性歌手で、アルバム・タイトルはThe World On My Plates / Hermine(1982年)である。このアルバムの中から私の1番好きな曲を紹介する。Hermine - Waitingで聴くことができる。しらふで聴いたら、曲の出来が微妙であった。最後に、 たHermine - The Thrill Is Goneも紹介しておく。酔っ払った方がよく聞こえるかもしれない。

 

平成25年8月20日(火)

 暑い日が続いている。中国の旅の疲れがやっととれてきた。私も段々と年を取ってきて、そのうち「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」になりそうである。日曜日は相変わらず、今月中に書かなければならない自立支援や障害者手帳の更新の診断書を書いていた。新しい書式にすべて書き直さなければならないので、診断書を書いて封筒に入れて郵便で出せるようにするまでに、6時間以上かかった。これですべて終わったわけではない。長いこと通院していない患者さんについては継続の診断書が必要かどうか確認しなければならない。連絡のつかない患者さんもいて、生活保護の担当の人に改めて確認しなければならない。きょうは2人の患者さんの往診に行ってきた。なかなか難しい患者さんばかりである。
 さて、この前の旅の続きを書こうと思う。8月10日(土)と11日(日)は中朝国境の丹東で泊まり、12日(月)は瀋陽まで高速バスで戻るつもりであった。ところが、前日に食べた夕食があわず、下痢気味でおなかが痛かった。私はタイでもカンボジアでもひどい下痢になったことはある。しかし、最近なったことはなかったので、整腸剤は持ってきていなかった。症状はそれほどひどくなかった。しかし、高速バスに4時間乗れるか心配になった。来るときには、途中で1回トイレ休憩があった。何とか近くのバスターミナルに行き、午前11時前出発のバスに乗った。来る時には前の席に座っていたので気づかなかったが、真ん中あたりにトイレが備え付けられていた。長距離バスに付いているのは知っていたが、中は汚いのではないかと思っていた。今回はトイレ休憩は1回もなかった。何人もの女の人が途中でこのトイレを利用していた。私もはいったが、中は清潔できれいであった。市内に着いてからもそれほど渋滞にあわず、3時間半ぐらいで来た時と同じ遼寧省高速バスターミナルに着いた。ここは鉄道の瀋陽北駅のそばである。周りは繁華街で、大きなホテルがいくつも建っていた。
 市内をバスや地下鉄を使って行くのには便利そうであった。空港に行くのも、このバスターミナルを使ったらよかった。以前に中山で泊まったことのあるホテルチェーン店の看板が見えたので、最初はここに行ってみた。中国でも、アパホテルや東横インみたいなホテルチェーンが発達していて、リーズナブルな値段で泊まれる。ところが、受付で宿泊を断られてしまった。中国語がまったくわからないので、ここも最初は満杯かと思った。次にどこがいいかと思い、酒店(ホテル)より安い近くの賓館に行った。筆談で最初は1泊200元ちょっとと受付の人が書いてくれた。ところが、パスポートを出すと、宿泊を断ってきた。どうしてなのか聞くと、「必須身分証」と書いてきた。身分証がないと泊まれないのである。パスポートは身分証にはならないのである。しかし、この若い受付の人は親切で、わざわざ外に出て、近くの大きなホテルを指してくれた。ここなら泊まれるということであった。ところが、指さしてくれた瀋陽郵政大廈に入ったら、ここの受付でも宿泊を断られてしまった。こうなると、それぞれのホテルが自分たちの意志で宿泊拒否しているのではなく、明らかに上からの命令で宿泊拒否をしていることになる。この遼寧省だけで起きていることなのか、中国全土で起きていることなのかよくわからなかった。終戦記念日が関係していることは間違いなさそうである。今回帰ってきてネットで調べてみたら、尖閣列島問題が大騒ぎになっていた時は、北京でもホテルの宿泊拒否が起こっていたようである。
 この日は激しい夕立が降り出し、傘をさしながらとりあえず、最初のバスターミナルに戻った。瀋陽も京都以上にとんでもなく蒸し暑かった。3軒も立て続けにホテルの宿泊を断られ、最後はかなり大きなホテルだったので、どうしたらいいのか本当に困った。一瞬、泊めてくれるホテルがないのではないかと思った。激しい雨もなかなかやみそうになかった。仕方ないので、「地球の歩き方」で瀋陽のホテルを調べた。1泊1000元もするホテルにはあまり泊まりたくない。瀋陽駅近くのホリデイ・イン瀋陽が1泊600元で、日本人客も多いと書いてあった。ここなら大丈夫だろうと思い、行くことにした。最初はタクシーを使うつもりであった。ところが、なかなか空車のタクシーが見つからない。瀋陽では空車のタクシーを見つけるのは、本当に至難の技であった。仕方ないので、地下鉄で瀋陽駅に行くことにした。雨が小降りになったときに、地下鉄の金融中心駅まで行くことにした。ところが、この地下鉄の駅を探すのがまた大変であった。道を行く人に聞いても、もうひとつはっきりしない。途中からまた雨が激しく降り出し、かなりうろうろしてやっと乗り場を見つけることができた。
 地下鉄では2元で瀋陽駅に着いた。雨はすっかり上がっていた。ところが、反対側の地下鉄の出口を出てしまい、方向がわからなくなってしまった。通りには見上げるような高層ビルが建ち並び、日中にホテルを見つけるのはかなり困難である。ふだん使わないコンパスを出したが、置く場所によって方向が違って不正確であった。うだるような暑さの中で、ここでも1時間以上うろうろした。「地球の歩き方」に瀋陽駅付近の地図が載っているが、地下鉄の「太原街」から600mぐらいでたどり着けるような近さではない。この日は結局このホリデイ・イン瀋陽をみつけることができなかった。体力的にかなり消耗してしまい、結局近くにあった中国系の国際大酒店(インターナショナル・ホテル)にはいった。ここなら泊めてくれるだろうと思った。もう1泊1000元でもよかった。一流ホテルでロビーが広かった。最初から英語を使ったが、受付の人はきちんと英語で対応してくれた。ホテルを見つけるのに苦労したと話したら、8月だけではなく9月も一般のホテルには泊まれないようであった。値段は思ったより安く、朝食付きで1泊440元(約7200円)であった。もうちょっと値切ろうと思ったら、ラストプライスと言われた。それでもチェックインできたのは、夕方の6時過ぎで、この日は本当に疲れた。
 翌日は瀋陽故宮博物館や九・一八歴史博物館に行った。瀋陽は清朝建国の礎を築いた太祖ヌルハチなどが実際に住んでいた所である。また、満州事変の引き金になった柳条湖事件が起きた場所でもある。九・一八歴史博物館は南満州鉄道の柳条湖区間の線路を関東軍が爆破した場所に建てられている。このあたりのことは、また来週に詳しく書こうと思う。近いうちに、撮ってきた写真をもんもん写真館で公開するつもりである。それにしても、今回のホテルの宿泊拒否は不愉快極まりなかった。最初からわかっていたら、貴重な盆休みを誰も中国で過ごそうとは思わない。この夏休みや盆休みに中国に来る観光客は、決して反中派や嫌中派ではない。親中派までいかなくても、中国に興味や関心のある人である。そんな人たちに嫌がらせをして、どうしようというのか。それこそみんな嫌中派になってしまう。中国に関心がある貧乏学生や安月給サラリーマンがこんな目にあったら、2度と中国には来ないだろう。帰りの瀋陽から成田までの飛行機には大勢の中国人客が乗っていた。私の非難しているのは、こんなことを命令している省なのか国なのかわからないが中枢部の人間である。中国国民、特に若い世代の人はみんな親切である。いくら日中がいろいろな問題を抱えているからと言って、上からの命令で観光客に嫌がらせをするのは三流以下の国がすることである。暴動が起こっていたわけでもなく、邦人保護も理由にならない。こんなことを私が言うのではなく、中国人自身が世界の物笑いになると怒らなければならない。
 もんもん写真館の中国・丹東と瀋陽の写真を22日(木)にアップロードしました。

今週の愛聴盤 56 (130820)

Fall of Hyperion / Robert John Godfrey
Fall of Hyperion / Robert John Godfrey

 今週は英国のプログレである。本国では1974年に発売され、日本では1978年に発売されている。私の持っているLPレコードは日本盤である。この人物については、今回調べてみるまでは何も知らなかった。The Enidのリーダーであり、Barclay James Harvestの音楽ディレクターもしていた。このアルバムはまだCDでも再発されている。YouTubeでは、フル・アルバムが聴ける。フル・アルバムはマニアにとっては便利であるが、何も知らない人にとってはありがた迷惑である。40分以上あるアルバムのどの当たりを聴いたらいいのかわからない。幸い今回のフル・アルバムは、曲ごとにクリックできるようになっている。「もっと見る」をクリックしたら、すべての曲がわかる。今回心配なのは、公開日が2012年11月22日となっていることである。すぐに削除されないことを祈って、まずこのアルバムの1番の聴き所を紹介する。このアルバムは第1曲目がすべてである。そのままRobert John Godfrey - Fall of Hyperionで聴くことができる。曲の出来は1曲目のThe Ravenより少し落ちるが、3曲目の「Water Song」も聴きやすい。興味のある人は自分でクリックしてみて下さい。
 今回私の持っているThe EnidのLPレコードも調べてみた。アルバム名はIn the Region of the Summer Stars / The Enid(1976年)である。輸入盤のカットアウト盤であった。(大量に作りすぎたレコードを正価より安く売るためにジャケットの隅を小さく切り取ってある。) この中にはいっている私の気に入った曲はYouTubeにはアップロードされていなかった。仕方ないので、最初から紹介しようと思っていた別のアルバムを紹介する。Zygoat / Burt Alcantara(1974年)である。英国で録音されたシンセサイザー・ミュージックである。私の持っているアルバムはこれも日本盤で、1982年10月に北村昌士がレビューを書いている。今回この音楽評論家がまだ生きているのか調べてみたら、私より3歳若いのに49歳で亡くなっていた。前にも書いた当初はプログレ専門誌であったフールズ・メイトの初代編集長であった。このアルバムの聴き所はB面にある。YouTubeでは20分以上あるのでさわりの部分だけ紹介する。Zygoat - Side Bには6曲収容されている。3分過ぎから8分ほど聴いたら充分である。The Enidとこのアルバムのジャケットを見ることができないが、どちらもプログレらしい印象的なデザインである。

 

平成25年8月13日(火)

 この日記は15日(木)に更新している。盆休みの間はまた中国に行っていた。今回はなかなか体験できないことに出会ったので、お楽しみにして下さい。今回の目的地は中朝国境である。以前から、中国と北朝鮮の国境に行ってみたいと思っていた。長い休み(と言ってもせいぜい4泊5日)が取れるのは、正月とゴールデン・ウィークと盆ぐらいである。正月は中国東北地方は極寒となるので、行くとしたら盆ぐらいしかない。大分前に、いつものように瀋陽までの航空券だけ予約していた。8月10日(土)に成田発の飛行機で行くので、8日(木)の午後からどこに行ったらいいのか必死で調べていた。最初はこの瀋陽から延吉まで行き、中朝国境の町である図們まで行くつもりであった。ところが、瀋陽から延吉まで720kmあり、高速バスを使っても8時間かかる。しかも、1日1便である。飛行機も出ているが、正式の値段だととんでもなく高い。もう少し前にどこかの旅行代理店で予約しておくべきだった。
 仕方ないので、瀋陽からバスで4時間で行ける丹東に行くことにした。丹東行きのバス・ターミナルも今回はきちんと調べておいた。関空からも瀋陽行きの飛行機は出ているが、曜日が限定されているようである。10日(土)は、京都駅八条口から朝6時10分発の伊丹空港行きのバスに乗り、成田まで飛行機で行った。成田発の瀋陽行きは10時10分発である。飛行時間は3時間半もかからない。乗客は中国人が多かった。着いてから入国手続きをするのに、30分以上かかった。空港で両替したら1万円が614元(1元が16.3円)で、7月の時より少しよかった。ここからは、瀋陽市内までバスに乗る。空港内にバスチケット売り場があり、片道15.5元(約250円)であった。ただ、市内のどこのバスターミナルに着くのかわからなかった。乗車時間は50分ぐらいである。幸い、丹東行きのバスが出ている遼寧省高速バスターミナルに着いた。丹東行きのバス代は84元(約1400円)であった。結構混んでいるようで、次に出発するバスの乗車券は売り切れで、その次の午後4時発のバスに乗った。途中トイレ休憩もあった。夜8時ぐらいに丹東(鉄道)駅の近くに着いた。ここまでは何のトラブルもなく、順調すぎるほどスムーズに行った。ところが、ここからが大変であった。
 丹東ではバスターミナルの中ではなく、狭い道路で降ろされた。周囲は活気があって、大きなホテルが何軒も建っていた。ここから鴨緑江にかかる橋が見える所まで行ってホテルを探してもよかった。しかし、夜も遅くなったので、この近くで見つけることにした。まず、近くのかなり大きなホテルにはいった。若くてきれいな受付の女の人がいた。二天(2泊)と紙に書いて見せたが、宿泊を断られた。謙遜ではなく、まったく中国語ができないので、初めは満杯なのかと思った。仕方ないので、また別の大きなホテルに入った。ここは若い男性が応対してくれた。しかし、パスポートを見せると、宿泊をまた断られた。2回も同じことが続くと、8月の終戦記念日が関係しているのかといやな予感がした。
 この日は朝6時過ぎに京都を出たので、さすがにこの時間になると疲れていた。仕方ないので、丹東駅の横に建つ丹鉄大酒店(酒店というのは中国語でホテルのこと)に行った。ここでは、声をかけても最初は無視された。もう1度声をかけると、愛想の悪い30代ぐらいの受付の女の人が宿泊を断った。ところが、そばに座っていた若い20代の受付の女の子が、このおばさんに何か抗議して、やっと泊まれることになった。中国のホテルは夜になるとネオンが輝き、1泊150元などと字幕が流れている。ここも4階はこの値段で泊まれると字幕が流れていた。私が泊まったのは9階であった。値段は1泊360元も取られた。せいぜい200元ぐらいの部屋である。中国でホテルの宿泊拒否にあったのは今回初めてであった。中国だけではなく、他の国でも宿泊拒否に出会ったことは1度もない。この東北3省(旧満州)は反日感情が強いのかよくわからなかった。この日は近くで夕食を取り、ビールをかっくらってそのまま寝た。
 丹東では北朝鮮との国境は主に3つ知られている。まず、大勢の観光客でにぎわう鴨緑江断橋である。ここは中国と北朝鮮との間の鴨緑江に架かる橋で、朝鮮戦争によるアメリカの爆撃で途中から破壊されている。すぐ近くには新しく作られた橋がかかっている。私が泊まったホテルから歩いて15分ぐらいである。40km離れた所に、同じように破壊された河口断橋がある。私はここに行きたかったが、路線バスはなく、タクシーが必要であった。もうひとつは、虎山長城からで、ネットで調べたら行き方が詳しく書かれていた。結局私が行けたのは、鴨緑江断橋だけである。ここは垢抜けない中国人の観光客であふれていた。中には韓国人もいたかもしれない。たくさん写真を撮ってきたので、また近いうちにもんもん写真館で紹介しようと思う。こちらの河岸から河向こうに北朝鮮が見える。爆破された橋の途中まで行くこともできた。この橋の入場料は27元であった。この日は暑くて、汗だくであった。天気はあまりよくなく、河向こうは霞んで見えた。
 ここでは遊覧フェリーも出ていて、北朝鮮側の岸辺沿いに運航する。乗船券は60元で、乗船時間は30分ぐらいである。この小型フェリーにも大勢の人が乗っていた。幼い子どもを連れた日本語を話す女の人もいた。私はデッキの上で進行方向の右に陣取ってしまった。岸辺沿いの左側の方がよく見えた。北朝鮮側の船着き場や建物が見えるぐらいで、それほど珍しい物があるわけでもない。子どもたちが泳いでいたが、反対側になるので写真が撮れなかった。双眼鏡のレンタルもしていた。帰りはUターンして中国側の岸辺沿いで帰ってきた。この橋の近くにはたくさんのホテルやレストランが並んでいた。たまたま1軒の韓国レストランにはいった。ここはメニューのすべてに写真が載っており、値段も書いてあった。冷麺が10元であった。ビールを頼み、時価のアサリ料理を頼み、全部で58元であった。ここの冷麺は今まで食べた中で1番美味しいぐらいの絶品であった。
 食事の後は、地球の歩き方にも出ていた高台にあるテレビ塔にタクシーで行った。片道15元で、帰りは自分で歩いて大通りまで出た。ここは閉鎖されており、塔に上ることはできなかった。高台から市内や先ほどの鴨緑江断橋を見渡すことができる。しかし、もやみたいなもので霞んでおり、市内の近くのビルも見えないぐらいであった。よほど条件がそろわないと、北朝鮮を望むなんて無理である。夜は世界最大の北朝鮮レストランである平壌高麗館で夕食をとろうと思った。私はプノンペンで北朝鮮レストランにはいったことがある。しかし、言葉も通じず、私1人ではいるのはためらってしまった。結局、また別の韓国レストランで夕食をとった。魚や牛肉など焼いて食べたが、味はもうひとつであった。おまけに、ここの食事をした後、腹の調子もよくなかった。結局この日は、ホテルでビールをかっくらって、またすぐに寝てしまった。最近は、少し飲み過ぎるとすぐに眠くなってしまう。
 きょうはまだ疲れているので、この続きは来週に書こうと思う。ホテルの宿泊拒否については、瀋陽の方がもっと大変で、このあたりのことについてはまた詳しく報告する。

今週の愛聴盤 55 (130813)

The Psycomode / Cockney Rebel
The Psycomode / Cockney Rebel

 今回紹介するLPレコードは40年近くも前のアルバムである。前回の愛聴盤でも触れたが、英国のスティーヴ・ハーレイが率いるコックニー・レベルである。きょうは中国から帰ったばかりで、まだ疲れが残っている。今回だけ、少し手をぬいて紹介させてもらう。このアルバムは2枚目で、1974年発売である。1枚目のアルバムはThe HUman Menagerie / Cockney Rebel(1973年)で、2枚とも日本版で発売されている。まず、このアルバムの中にはいっている曲である。今聴いても古くさくない。Cockney Rebel - Tumbling downで聴くことができる。次に、1枚目のアルバムから大ヒットした曲である。味も素っ気もない動画であるが、この曲も懐かしい。曲名はCockney Rebel - Sebastianである。
 次に、私が持っていたLPレコードからである。今は処分してしまったので、うろ覚えである。もしかしたら、ベスト盤にはいっていたかも知れない。同じ英国のバンドである。オリジナル曲がはいっていたアルバムはAll The Young Dudes / Mott the Hoople(1972年)である。このアルバム名と同じタイトル曲も発売されてもう41年にもなる。YouTubeで久しぶりに聴いたら、今でも名曲である。Mott the Hoople - All The Young Dudesで聴くことができる。

 

平成25年8月6日(火)

 8月1日からきょうまで、車を修理に出している。故障しているサイドミラーなどを直し、2年ぐらいはまた乗り続けるつもりである。インターネットであまり大きくない新車を探していたら、年末に1番小さいレクサスがマイナー・チェンジをする。スピンドルグリルに変更になるようである。このグリルは私の好みではないが、次の買い換えの候補にはなりそうである。車がない間、久しぶりに京阪電車で東福寺から丹波橋まで通った。去年の1月から駐車場をまた借りたので、1年半ぶりである。丹波橋の北口はまた変わっていた。昔コンビニがあった所は居酒屋になっていた。長いこと続いていた美容院もいつの間にかなくなっていた。いつも通るときに、まだ若い美容師の姿が見えていた。わずかな間に、町の風景が変化していた。これだけの期間があると、人の心も様変わりするかもしれないと思った。
 盆休みはまた中国に行こうと思っている。今度こそは簡単な中国語を学ぼうと思った。しかし、まだほとんど何も勉強できていない。この前にも書いたが、日常のサイクルが決まってくると、なかなか余計な物がはいる余地がない。今はほとんど外部の雑用がなくなったので、以前と比べたら時間があるはずである。それでも、習慣化した日常に新しい物を組み込むのは大変である。ぼーとしている時間や何もしていない時間は年齢と伴に増えている。一見非生産的であるが、これはこれで何かの役に立っているのだろう。毎週この日記を更新し、毎日CNNのニュースを30分見、読書をする。ルーチン化しているのはこれだけである。日本のTV番組もほとんど見なくなってしまった。この中に中国語を組み入れようとしても、すぐに弾き飛ばされてしまう。若いサラリーマンの人は、仕事をこなすだけで精一杯である。家族サービスもあり、新しい勉強を始めるのは本当に至難の技である。あれもこれもと手をつけるのでなく、こつこつと1点集中でやるのがいい。私に仕事以外で残るものは、ほとんど使う機会のない中途半端な英語ぐらいしかない。妹の旦那はアマチュアの囲碁4段である。
 さて、以前から予告していてなかなか読み終えなかった本の紹介である。雑誌や新聞の書評にも取りあげられていた。私は自分の読んでいる最中の本の書評は見ない主義である。キャサリン・ロッシ「フェイスブック 子どもじみた王国」(河出書房新社)である。きょうは歯科に行き、修理の車を取りに行き、夕食はごはんを炊いて自炊して食べたので、今は午後7時半過ぎである。これから書けるところまで書こうと思う。1番最後の訳者あとがきに、要領よくこの本のことがまとめられている。この内容とも重ならないようにするつもりである。著者は2005年にフェイスブックに51番目の社員として入社している。当初はカスタマーサポート担当の仕事をしていた。ソーシャルネットワークの管理者として生きていくためには、マスターパスワードなどたくさんの機密事項をメモなしで記憶する必要があった。具体的な仕事内容は、サイトを常にクリーンな状態に保ち、スパムや攻撃がないかどうか絶えず監視することである。著者が入社して3週間後に、フェイスブックのユーザーが500万人に達している。フェイスブックは細かいことは気にせず、なりふりかまわず突進していく会社であった。また、創業者のマーク・ザッカーバーグについても、権力というものを疑うべきもの、警戒すべきものとは考えておらず、むしろ持つべきもの、持てたとすれば振りかざすべきものと考えていたと思うと述べている。
 2006年の春にはユーザー数が1000万人に増えている。著者はフェイスブックにハッキングして採用が決まったスラックスと友人になる。フェイスブックはマークと同じハーバード出やスタンフォード出のエリートエンジニアだけではなく、能力のあるハッカーも積極的に採用していた。著者は、シリコンバレーにはサヴァン症候群そのものではないが、それに似た能力を持つ人が多いとも書いている。ラスベガスにおけるハッカーたちのコンテストのことも紹介している。先ほどのスラックスが「ハッキングというのは、一種のアイデンティティの証明なのではないか」とも述べている。マークはエンジニア偏重で特権を与え、カスタマーサボート担当の報酬はせいぜい年3万ドル程度だったという。世界に革命を起こそうとしている会社の正当な構成員としてみなしていなかった。マークは前から「人物のウィキペディアを作りたい」というアイデアを持っていたという。
 サイトの開設3周年目となる2007年2月頃には、ユーザーは1500万人に達した。同じ年の3月の時点では、マイスペースには1億人を超えるユーザーがいた。この本ではハーバード出の人間の持つ矛盾と愚かさについても書いている。金と権力について何もわかっていないという。10代の頃から、またはそれ以前から人生に成功しているために、彼らは人生において誰もが同じだけの機会に恵まれていると考えていると批判している。著者は、フェイスブックが成長するにつれ、人間の孤独を癒やすのか、それとも新たな依存症を生み出しているだけなのかわからなくなってきたと述べている。
 やがて著者にも会社内でチャンスが巡ってくる。プラットフォームの国際化チームへの参加である。2008年1月のことである。この時のユーザー数は6000万人に達していた。2月にはスペイン語版を公開し、3月にはフランス版を公開している。2008年3月には、日本語版を立ち上げるために東京に来ている。自分がエンジニアチームに加わることで、世界征服の達成感も味わっている。そして、2008年12月にはマークの代筆者となる。しかし、そのうちマークの発言にしだいに違和感を持つようになる。著者はソーシャル・メディアは究極のインターネットゲームだという。バーチャルな世界ばかりでコミュニケーションをしていると、相手の発言の真意を理解することが難しくなる。著者が惜しんだのは、人との直の触れあいや、実際にその場に行って体験することである。2009年12月にはユーザー数は3億5千万人に達した。著者は中級から上級のエンジニアと同じ給与を得ていたが、2010年春にフェイスブックを退職する。この本を最後まで読み終えるのに、思ったより時間がかかってしまった。感動するほど面白かったかというと、正直言って微妙である。

今週の愛聴盤 54 (130806)

Dies Irae
Dies Irae / Devil Doll

 今から30年以上前は、インターネットがなかった。プログレに関する情報はすべて雑誌からであった。LPレコードもほとんど輸入盤で、聴く機会もほとんどなかった。マニアの間で名盤と言われたアルバムは、後から日本でも発売されることはあった。プログレに関する雑誌としては、この日記でもよく取りあげているように、まずロック・マガジンがあった。その後、フールズ・メイト、アーク・エンジェル、マーキーなどが出版されていた。私はすべてではないが、当時買った雑誌は今でもほとんど残している。このデヴィル・ドールについても、どこかで特集が組まれていたと思う。何枚かのジャケットはしっかり覚えている。他のアルバムをLPレコードで持っていたような気もする。今回は次に紹介するバンドを最初に載せるつもりだったので、しっかり調べてこなかった。私の持っているこのアルバムは日本版のCDである。
 今回英語のウィキペディアで調べてみると、このデヴィル・ドールは、イタリアとスロヴェニアのバンドで、ゴシック・ロック、クラシック、スロベニアのフォーク・ミュージックの影響を受けている。音楽は演劇的で、オペラチックである。こういう声は苦手な人もいるかもしれない。コックニー・レベルのスティーヴ・ハーレイやヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのピーター・ハミル、ジェネシスのピーター・ガブリエル(正確にはゲイブリエル)が好きな人は大丈夫である。このアルバムはほぼ完成していたが、1993年にスロヴェニアのスタジオが焼失し、すべて失われている。その後、再録音されて発売された。このあたりの事情については、私の持っている日本版のCDに詳しい。発売は1995年である。今回久しぶりに聴いたら、すごくよかった。2番目に紹介するバンドと急遽順番を変えて、紹介することにした。アルバム全部で1曲である。まず、Devil Doll - Dies Irae (part02,03&04)である。この曲が気に入った人は、引き続きのDevil Doll - Dies irae (part05.06&07)もいい。途中で切れてしまっているが、さわりの部分だけ楽しんだらいい。時間のある人は、フル・アルバムも聴くことができる。
 さて、次は最初に紹介しようと思ったバンドである。同じように、悪魔的で暗黒ミュージックと言ったら、ヤクラを取りあげないわけにはいかない。イタリアのバンドである。Tardo Pede In Magiam Versus / Jacula(1972年)のアルバムは長いこと探していたが手に入れることができなかった。結局、LPレコードではなく、再発のCDを手に入れた。まず、YouTubeではこのジャケットと同じジャケットが使われているが、このアルバムにははいっていない曲である。Jacula - Triumphatus Sadで聴くことができる。次は、このアルバムの中で1番聴きやすい曲である。。Jacula - Long Black Magic Nightは誰にでも楽しめる。

 

平成25年7月30日(火)

 60歳を超えて、毎日の人生が何となくだらだらと流れている。いつもの週のパターンが同じように繰り返され、新しいことがはいり込む余地がない。中国語の勉強も、いつからでも始められるということは、いつまでも始めないということである。何か新しい物を買ったら、人生が変わるかというと、そうでもない。実は先週の木曜日に、京都駅近くのマンションのTVを買い換えた。今までは42インチの液晶TVであった。今回は50インチのプラズマTVである。3Dではないので、実質的には12万円ちょっとである。無線LAN機能が付いている。画面が大きくなっただけで、それほど人生が変わるわけではない。それにしても、本当に欲しい物がなくなった。
 この前の土曜日は、午前中の外来が終わってから、池田の母親の所に行った。この日は父親の納骨があった。外は暑く、内輪だけなので、軽装で行った。6月に新しい墓ができていた。納骨の時には、葬式の時に頼んだお坊さんが来ていた。細々とした手続きは、いつものように妹がしてくれた。すべて妹が仕切って何でもやってくれるので、ついつい任せてしまう。長男の私がやることは、お金を払うことだけである。父親が亡くなって、銀行に750万円の遺産が振り込まれていた。母親は自分の貯金があるので、一銭ももらっていないようである。アメリカのサクラメントに住んでいる上の妹にも同じ額を送金したという。池田の妹は、気前よく夫に半分、2人の子どもに半分やるという。まだ20代の子どもの世代では、欲しい物が山ほどある。
 土曜日の夜は、いつもの店で妹家族と母親と一緒に会食した。妹の娘は医学生である。今は女医さんの3分の1は独身で、3分の1は結婚しても離婚し、残りの3分の1が結婚生活が続くと言われている。産婦人科志望だったのに、今では手術が大変だということで、内科志望にかわっている。妹は、経済学部の学科長から学部長の話が出ており、断ると言っていた。学部長になるともっと忙しくなる。しかし、定年が65歳から70歳になり、男性教授の場合は希望者が多いようである。同僚が病気で休んでおり、その代理の授業も受け持っており、相変わらず休みもとれないほど忙しい。私は知らなかったが、妹は、どちらかというとマイペースの、弁護士事務所を開いている夫にも切れるようである。つい最近妹のあまりの剣幕に、旦那が家を出て公園で寝ていたら、全身蚊に刺されて目覚め、夜中の2時過ぎに帰ったという。母親の話では、妹は毎朝早く起きて旦那と自分と息子の弁当を作っている。1度旦那の都合で弁当がいらなくなった時に持ってきたら、まったく手を抜いておらず、おかずの品数に驚いたという。
 この夜は母親の家で泊まった。久しぶりに、長野県の田舎での話を詳しく聞いた。母親の年齢になると、昔の思い出話をするのは好きである。当時田舎で私が診てもらっていた医者はどうもあまりいい晩年を送っていない。ガンで亡くなった夫の後を追って、妻が千曲川に身を投げ、私と同世代の子どもが2人取り残された家もある。妹の同級生は地元で医者として父親の跡を継いだが、2回も離婚している。子ども2人を引き取り、母親と同じ年代の祖母が孫2人の面倒を見ていた。医者になっているからとか、大学教授をしているからとか、弁護士をしているからといって、世間が考えているようなルンルンな生活を決して送っているわけではない。どこの家でも、いろいろある。
 月末になると、さすがに雑用も減って、日曜日はゆっくりとできた。この日は京都スバルに新しいハイブリット車を見に行った。前にも書いたように、遺産がはいったので車の買い換えも考えていた。調べてみたら、今乗っているプログレは平成13年9月に買っている。もうすぐ13年目に突入である。スバルのハイブリット車は、展示車の色が好みではなく、インターネットで見ていた印象とは少し違った。話を聞いてみると、今注文しても納車は来年の1月か2月になるという。この話を聞いて、購買意欲が急に失せた。
 来年まで待つぐらいなら、他のメーカーからもそのうち新しい車が出てくる。今乗っているプログレは燃費が悪いが、乗り心地はいい。結局今は新しい車には乗り換えず、プログレのバンパーの傷や左の電動サイドミラーなどを修理してもらい、もう少し乗ることにした。この日は京都トヨペットにも行き、修理の見積もりをしてもらった。他にも細々とした傷があちこちに付いており、新しいナビのDVDの交換も含め、19万円ぐらいであった。新しいアルミホイールはこの日にオートバックスに行って、交換してもらった。古いアルミホイールを5千円で下取りしてくれたので、取り付け費用も含め4本で2万8千円ぐらいであった。アルミホイールを変えるだけでも、気分が一新できた。今回は修理代などを含めて20万円以上かかる。しかし、このプログレはもう2〜3年は乗り続けるつもりである。いつのまにか、節約生活が身になじんでしまった。若い時とは違って、何が何でも新車が欲しいとは思わなくなった。
 きょうはまだ本が読み切れていないので、また来週に譲る。その分、この前の中国の紹興の旅をブログ風に業者に作ってもらったので、公開する。この日記は毎回HTMLで私が作って更新している。次回の旅行からは今回のHTMLを参考に、自分でも作ってアップロードできそうである。

紹興のバスターミナル  紹興のバスターミナルである。ここから中国各地への高速バスが出ている。北京とか、信じられないほど遠くへのバスもある。杭州の国際空港からは紹興の鉄道駅に着く。鉄道駅からこのバスターミナルへは、タクシーで10分もかからない。

夕食  7月14日(日)は紹興のバスターミナル近くで夕食を取った。テーブルが6つあり、定食のセットが壁にメニューとして出ていた。ファミレスの「なか卯」みたいなものである。壁に出ていた写真を指し、ビールを頼んだ。定食のセットは20元で、このビールは5元である。仕事帰りの若い女性が何人か1人で食べに来ていた。

寧波の南バスターミナル  寧波の南バスターミナルである。わざわざ南バスターミナルとつけているので、他にも、市内に中央駅みたいなものがあるはずである。バスターミナルによって行き先が違うので、気をつけなければならない。

寧波市東端のフェリーターミナル  普陀山島行きのフェリーが出ている寧波市東端のフェリーターミナルである。強風で運行が中止になっていた。しかし、ここではさほど風は強くなく、波も穏やかであった。乗客が少なくて、運行中止になったのではないかと一瞬思った。道路を隔てて、最新の住宅用マンションが建っていた。ここも閑散としていた。

寧波の東鉄道駅  寧波の東鉄道駅である。ここもわざわざ東とつけているので、どこかに中央駅みたいなのがあるはずである。バスターミナルと違って、鉄道駅はとんでもない人混みである。時刻表もわかりにくかった。グーグルの中国の地図では、鉄道路線がまったく載っていない。

紹興の鉄道駅前の豪華ホテル  紹興の鉄道駅前の豪華ホテルである。朝食付きで、1泊260元(約4800円)である。この鉄道駅の周辺にはたくさんのホテルがあり、ホリディ・インなどには150元ぐらいで泊まれる。このホテルの前から、杭州の国際空港までバスが出ている。

紹興の鉄道駅前の豪華ホテル  写真でわかるように、かなり広くて快適である。

紹興の鉄道駅近くのレストラン  紹興の鉄道駅近くのレストランである。観光客用にたくさんの食堂が並んでいる。ここのレストランは、食材を自分で選んで料理してもらう。

紹興の鉄道駅近くのレストラン  このレストランは少し高くて、大体1皿30元ぐらいである。分量はかなりある。私は4皿も頼んでしまい、3皿目と4皿目はあまり食べれなかった。この1皿目と2皿目は美味しかったが、残りの2皿はもうひとつであった。ハルピンビールを2瓶飲んで、合計160元であった。

紹興の水路  紹興は魯迅の故郷で、市内のあちこちに見所がある。時間がなくて行けなかったが、東湖など、風光明媚な所もある。こんな感じの水路が市内のあちこちにある。

今週の愛聴盤 53 (130730)

Under The Flag / Fad Gadget
Under The Flag / Fad Gadget

 自分でも気づかなかったが、私の持っているLPレコードは1980年前後のアルバムが多い。きょう紹介するアルバムも1982年の発売である。英国のバンドである。アップロードされている曲の視聴者数を見ると、あまり多くない。このあたりの音作りは私好みである。比較的視聴者数の多いライブもアップロードされていた。しかし、私にはもうひとつピンと来なかった。まず、アルバムの最初の曲である。Fad Gadget - Under the flag Iで聴ける。次は、アルバムジャケットの写真だけで、動画としては味も素っ気もない。しかし、曲の出来は悪くない。Fad Gadget - Scapegoatで聴ける。このアルバムの中で私の1番好きな曲はFad Gadget - Wheels Of Fortuneである。最後に、Fad Gadget - The Sheep Look Upも紹介しておく。
 さて、きょうは同時期のLPレコードから1曲紹介しようと思った。ところが、Seduction / The Danse Society(1982年)やOne And A Half / Flue(1981年)のアルバムを調べたが、もうひとつ決め手となる曲が見つからなかった。仕方ないので、以前から紹介しようと思っていた曲を紹介する。あまり知られていないCDアルバムである。アイルランドのバンドで、CDはオランダから発売されている。Across The Circle's Edge / Winter(1992年)の中から、プログレ風の演奏曲を紹介する。Winter - Winterで聴ける。

 

平成25年7月23日(火)

 この前の土日は、相変わらず雑用に追われていた。土曜日は、遅れに遅れていた5月分と6月分の会計資料を整理していた。もたもたしていると、税理士に送る資料が3ヶ月分も溜まってしまう。毎月早く送らなければならないと思っている。しかし、細々とした雑用があると、ついつい遅くなってしまう。日曜日はいつものように、今月中に書かなければならない自立支援や障害者手帳用の更新の診断書を書いていた。前にも書いたように、新しい様式の診断書にすべて書き直しである。特殊なソフトを使っているので、同時に複数の文書を開くことができない。今回は、1番書く量の多い「発病から現在までの病歴等」の項目だけコピペして、他は新たに書き直した。前回はすべて書き直していたので、7時間以上かかっていた。今回は先月より診断書の数が少なかったこととコピペのおかげで、4〜5時間ぐらいですんだ。
 さて、前回の中国の旅の続きである。目的地は中国で一番美しい十大島である普陀山島である。杭州からひたすら東に向かって海岸を目指す。ここからフェリーで渡った所が、普陀山島である。都市で言うと、杭州から東に向かって、紹興酒の原産地である紹興、寧波、舟山を経由する。第1日目は寧波まで行くつもりであった。しかし、最終の午後6時のバスに乗り遅れてしまい、紹興で泊まった。第2日目の15日(月)は朝7時半発の寧波行きの高速バスに乗った。運賃は48元である。2時間弱で寧波南バスターミナルに着いた。中国では地方都市でも、とんでもなく広い大都会である。どこも人であふれている。
 実は、旅行前にインターネットでフェリー乗り場を調べていた。もうちょっと時間があったら、場所がわかったかもしれない。旅行の前日ぐらいしか調べる余裕がないので、うまく検索しきれなかった。私の旅行は荷物をまとめるのも、いつも出発時刻ぎりぎりである。たまたま日本語のホームページで、現地の中国語で書かれたフェリー乗り場と時刻表を書いたホームページを知った。いくつかのフェリー乗り場があり、上海からも1日2便出ていた。便数の多いフェリー乗り場をコピペして、グーグルの地図で調べたが、何も出てこなかった。そもそもグーグルの中国の地図では、鉄道が通っているのもわからないぐらいである。たまたま日本人が書いた普陀山島の旅行記にフェリーターミナルの名前が書いてあったので、ここを目指していた。寧波にあるフェリーターミナルである。
 バスターミナルに案内係の人が座っていたので、このフェリーターミナルの名前を書いた紙を見せた。こういう複雑なことになると、筆談では無理である。紙に書いて説明してくれるが、さっぱりわからない。少なくても、このバスターミナルからバスは出ていないようである。寧波南バスターミナルと書いてあるので、他にもバスターミナルがあるはずである。他のバスターミナルの場所も名前もわからない。同じ市内にあるので、このフェリーターミナルまでタクシーで行こうと思った。タクシー乗り場は大勢の人が並んで待っていた。タクシーの運転手に、紙に書いたフェリーターミナルの名前を見せた。いろいろと言ってくるが、何を言っているのかわかるはずがない。私は同じ市内なので、それほど遠くないと勝手に思っていた。途中で、運転手がタクシーを止めてまたさかんに何か言ってくる。紙に中国語で「いくら」と書いて見せた。そうすると、200元と書いてきた。高速を使っての料金も含まれているようである。一瞬、とんでもなくぼられていると思った。しかし、外はうだるような暑さで、早くたどり着きたいと思ったので、しぶしぶ同意した。
 タクシーのメーターは10元からである。市内をかなり走ってもなかなか料金が上がらない。途中高速にはいり、また出ては高速にはいり、1時間以上長距離を走っていた。タクシーのメーターはいつの間にか160元を超えていた。これなら200元も無理ないと思うほど乗っていた。フェリーターミナルの入り口で料金を払い、降ろしてもらった。ところが、乗り場には人っ子1人いない。チケット売り場には、手書きの掲示板が出ていた。何が書いてあるのかよくわからなかった。ただ、強風のせいか何かで運航中止になっているのはわかった。(帰ってきてから、手書き辞書で調べたら正解であった。) この時の貴重な写真は撮ってきた。すでにもんもん写真館にアップロードしているので、興味のある人は見て下さい。今回の旅行では気に入った写真は1枚も撮れなかった。とにかくここまで行ってきたというアリバイ写真だけである。本当はブログ風にもっと沢山の写真をこの日記に直接載せたかった。この日記はHTMLを使って更新しているので、また業者から書き方を教えてもらおうと思う。
 さて、どうするかである。フェリーは1時間に1本ぐらい出ていた。ここから普陀山島までは高速フェリーで70分かかる。フェリー乗り場まで行ってフェリーの写真は撮ってきた。ここの海は濁っていた。本当に周囲には誰もいない。売店に1人店員がいて、別のタクシーのドライバーが1人いたぐらいである。とりあえず、売店で普陀山島の地図と飲み水を買った。チケット売り場には、周辺の地図が載っていた。同じ寧波市なのにどうしてこんなに時間がかかったのかやっとわかった。フェリーターミナルは舟山市と海を挟んで、寧波市の東端にあった。こんなことなら、最初から別のバスターミナルに行き、舟山市までの高速バスに乗り換えたらよかった。現地では有名な観光地なので、舟山市まで行ったらフェリーターミナルは簡単に見つけることができる。まだ、タクシードライバーが1人いてくれたので、助かった。誰もいなかったら、どうやって帰ったらいいのかわからない。今回は、運悪く行きのフェリーが運航中止になっていた。それでも、島から帰って来れなくなるよりはまだましである。
 結局、普陀山島まで行くのはあきらめた。次にどうするかである。一旦寧波に戻り、鉄道で杭州まで行くことにした。タクシーのドライバーに寧波の鉄道駅まで頼んだ。来るときと同じで、料金は200元払った。着いた駅には、東駅と書いてあった。杭州の駅までのチケットを手に入れるのが、けっこう大変である。大勢の人が並んでおり、順番が来たら身分証明書(私の場合はパスポート)を見せなければならない。次の列車の発車時刻は午後7時過ぎで、まだ5時間以上ある。他にも、鉄道駅がありそうで、ここからならもっと列車が沢山でているのかよくわからなかった。ちなみに、値段は28.5元と安い。とにかく、列車は高速バスと違い、私には使い勝手が悪かった。
 仕方ないので、また来た時と同じバスターミナルまでタクシーで戻り、高速バスで朝出てきた紹興に戻った。ホテルは最初にたどり着いた駅の近くにした。ここなら、翌日空港行きの高速バスにすぐ乗れる。この日は疲れていたので、260元払って豪華ホテルに泊まることにした。朝食付きで、部屋も広くてきれいであった。ここでも中国語の市内の地図を買った。翌日は市内バスで魯迅故里に行った。紹興は魯迅の故郷なのである。市内には水路が張り巡らされており、柳もきれいであった。他にも名所があり、時間があったらまた来たいと思った。今回は豪華ホテル以外は英語は通じなかった。中国語で苦労したので、今度こそ最低限の旅行会話は勉強しようと思った。
 さて、今週読み終えた本である。前から紹介すると言っていた本は別で、来週である。谷本真由美「キャリアポルノは人生の無駄だ」(朝日新書)である。帯には、「自己啓発書を何冊も読んでいるのに、なぜスゴい人になっていないの?」と至極もっともなことが書かれている。著者はコンサルティングファーム、国連食糧農業機関などを経て、現在はロンドンの金融機関で勤めている。この言葉の中のポルノというのは、ポルノ写真やビデオの鑑賞で満足してしまい、実際の性行為をとるわけではないことを意味する。フードポルノという言葉もあり、読んだり眺めたりして楽しんで欲望を満足させる。しかし、自分で料理したり何かを食べるわけではない。キャリアポルノという言葉は、自己啓発書を読むだけで、何の努力や勉強もせず、かわいい彼女、すてきな家、もっとやりがいのある仕事、高い給料、楽しい友だちなどを想像し、自分の求めている欲望を満たすだけの娯楽をさす。本屋に行くと、今や自己啓発書が山と積まれている。出版不況の現在では、唯一売れ筋のジャンルである。ここでは最初に、自己啓発書の分類をしている。@説教系、A俺自慢系、B変われる系、Cやればできる系、D儲かる系、E信じれば救われる系など8種類に分けている。例えば、Cやればできる系では、「全地球規模で考えろ」など、スーパーサラリーマンでも不可能で理解不能なノウハウが並んでいる。また、「交渉する時は相手から絶対に目をそらすな」等、日本でこれをやったら明らかに浮くからやめた方がいいだろうと思われる外国式のノウハウが、しらす干しのように散らしてあるという。
 キャリアポルノはドラッグのようなもので、本を読んでいる間は「何とかなるさ」という何の裏付けもない一時的な高揚感は得られる。しかし、問題の本質は何も解決されていない。自己啓発書を手に取る人は「人生の負け組」とも指摘している。恋愛指南書の熱心な読者が恋愛の敗者であるのと同じである。読者は読めば読むほど自分が向上するような気がして、繰り返し自己啓発書を買ってくれる。ここではアメリカで成功した自己啓発グルの破綻した私生活が、これでもかと紹介されている。現在は非正規雇用が増え、経済的な不安が強いので、日本では自己啓発にすがる20〜30代の若者が増えている。「ダメな自分を変えたい。人生を変えたい。」という一種のコンプレックスの克服である。
 このような自己啓発書が売れているのは、アメリカと日本だけでイギリスと欧州では本屋で見かけるのも難しい。アメリカでもっとも有名な自己啓発グルは、人気司会者のオブラ・ウィンフリーだという。カルバン主義(個人は神との契約のもとで努力すべき)を掲げる人々が国の根幹をつくってきたアメリカには、「頑張れば誰もが今よりよい生活を享受することができる」という「信仰」がある。しかし、イギリスや欧州は現実主義で、変わることは無理だという意識が強い。アメリカほど競争が激しくないので、自己啓発書には頼らず、地縁・血縁などを重視し、家族や友人に話を聞いてもらって心の安定を図ろうとする。欧州では、何か不満がある場合は、日本人のように怒りを自分の内側に向けず、デモや抗議活動を起こす。
 日本では自己実現が働くことに限定されてしまっている。働くことで自己承認欲求を満たそうとする人が少なくない。「成功事例の真似をしなければならない」という思い込みも強い。しかし、成功者として取りあげられる人々は、海外で育っていたり、特出した才能のある「普通ではない人々」である。自己啓発書をいくら読んでも成功者になれないのは、ケン玉チャンピオンがケン玉のノウハウをいくら披露しても、常人にはそれができないのと同じである。キャッチボールの練習をいくらしても、イチローにはなれないのと変わりない。以前にも紹介した、入章栄山「世界の経営学者は今何を考えているのか」(英治出版)の中でも書いてあったように、経営学者はドラッカーについては誰も研究していない。「ドラッカーの言葉は名言であったも、科学ではない」からである。その時代やその人の能力があるので、いくらドラッカーの著書を読んでも、ヘレンケラーの伝記を読むのとあまり変わりない。そんなことより、国際会計学などの勉強を地道にこつこつとする方がはるかに実用的である。私もそうであったが、英語が上手になれる本を山ほど読むより、実際の英語の勉強を山ほどする方が上達する。本の最後に、「人生を楽しむための具体的な方法」が書いてある。しかし、著者の住んでいる海外ではないこの日本で実現するのは、なかなか厳しいと思う。

今週の愛聴盤 52 (130723)

Looking for St. Tropez / Telex
Looking for St. Tropez / Telex

 今週は何を紹介しようかと、いつものように自分の持っているLPレコードを調べていた。少しマニアックで、あまり知られていないバンドを探していた。変形ジャケットのレコードで、私好みの曲がいくつもはいっていたフランスのバンドを見つけた。今週はこれで決まりと思っていたら、YouTubeにはまだアップロードされていなかった。フランス語なので、どれがタイトルになるのかよくわからない。インターネットで調べてみたら、Musique Pour Garcons Et Filles / Video-Aventuresであった。以前にも書いたが、Daniel Lentzの変形ジャケットのアルバムも、まだアップロードされていなかった。30年ぐらい前の曲なのに、まだ堅く著作権で守られているのかよくわからない。この2つのアルバムの中の曲は、私がアップロードしようかと本気で考えているぐらいである。他に何枚かのLPレコードを調べたが、これぞという曲がなかなか見つからなかった。少し軟弱なアルバムであるが、今週は苦しまぎれにこれに決めた。このTelexというのは、ベルギーの3人トリオである。1979年の発売である。
 まず、聴きやすい曲である。Telex - Ca Plane Pour Moiで聴ける。次に、このLPレコードの最初の曲である。1985年に新しいバージョンが出ているので、今回はこちらの方を紹介する。私はまったく覚えていないが、日本でもそこそこヒットしたようである。Telex - Moskow Diskowで聴ける。最後に、このアルバムから1番視聴者数の多い曲を紹介する。少し古めかしい動画である。Telex - Twist a St.Tropezで見ることができる。
 最後に、私の好きなマキシ・シングル・アルバムを紹介する。A面1曲、B面1曲の12インチ45回転レコードである。アルバム名はRain, Rain, Rain / Soundtracks & Head(1982年)である。2曲しかはいっていないので、同じタイトルになる。Soundtracks & Head - Rain, Rain, Rainで聴くことができる。

 

平成25年7月16日(火)

 この日記は17日(水)に書いている。この前の土曜日は年に2回ある大学の医局の同窓会があった。今回は医局の教授がこの4月から大学附属病院の院長に就任したので、この就任祝いも兼ねていた。精神医学教室から病院長になるのは初めてである。確か、今の教授は臨床科の教授としては、1番若くなったと思う。自分より上の教授は定年でどんどんとやめていき、新しく教授になる人は教授選で選ばれる。若い時に教授になった人ほど、大学では強くなる。しかし、今の時期は降圧薬バルサルタンの臨床データの改ざん問題が世間を揺るがしている。問題は大きくなるばかりで、なかなか収束しそうもない。私は見ていないが、TVニュースでも会見模様が放送されていたようである。本当にご苦労さんである。この就任祝いには学長も挨拶に来ていた。他にも、手術室の改築などが必要であるが、土地が狭いなど大学が抱えている問題について話していた。社会がどんどんと変化していくので、将来を見据えた大学病院の舵取りも難しいようである。
 最初に、最近の医局の診療、教育、研究について紹介があった。次に教授が、島村俊一先生と大学の近況について講演した。この島村俊一先生とは、明治27年(1894年)に京都府立医科大学の精神医学教室を開室し、第5代学長にもなった人である。この後で、記念撮影があり、引き続き懇親会があった。こういう医局の大きな行事では大勢の先生が参加していた。ふだん会えない先輩の先生とも話すことができてよかった。今年の教室の入局者は6人で、その内5人が女性である。どんどんと女医さんが増えている。この7月に伏見の大手筋で開業した女医さんとも話をした。パートに雇っているのは2人の女医さんである。私立総合病院に勤めている時には、私の患者さんも大変お世話になった。すでに大勢の患者さんが来院しているようである。心より開業の成功をお祈りします。
 懇親会の後は、私の同級生と2人で京都駅の近くの店にはいり、久しぶりに一緒に飲んだ。昭和54年(1979年)卒で精神科に入局したのは、この2人だけである。今はまだ明石市立市民病院で部長をしている。この年になると、お金をかけて今からわざわざ開業するのも難しいようである。私と同じでもうすぐ60歳になる。講演会の講師として、まだあちこちで呼ばれている。この8月には54年卒の大学同窓会がある。今回は大勢の同級生が参加する。私が社会保険神戸中央病院に勤めていた時に、整形外科の部長をしていた同級生が開業した。この時には、青山圭秀「アガスティアの葉 」(当時の出版社は忘れてしまった)が話題になっていた。私は今ではこんな話は信用しないが、当時は一大ブームとなっていた。内容は、インドのサイババに会いにいく話である。この人の著書に「理性のゆらぎ」があった。本当によくできた世界観を示した本であった。現在サイババは亡くなり、また生まれ変わってくるという。ハード・ロック・カフェの創業者が全財産を処分し、サイババに帰依したことは有名である。整形外科の同級生とはよくこのサイババの話をしていた。この同級生が2ヶ月ほど前に六甲山で亡くなったという。よくわからない亡くなり方で、今度の同窓会でまた詳しく聞こうと思う。最近は年賀状のやり取りをしていたぐらいである。突然の急死で、信じられない。心よりご冥福をお祈りします。
 日曜日は、午後2時前の飛行機で、関空から杭州に行った。この年になっても、まだ自分探しの旅である。目的地は中国で一番美しい十大島である普陀山島である。場所としては、上海から海をそのまま南に下がった位置にある。杭州からは海に行き着くまで東に向かって、海を渡った所である。前回ゴールデンウィークには同じ十大島である海陵島に行ってきた。今回行き方はわからなかったが、1番近い空港は杭州だろうと思い、チケットだけは先に予約していた。なかなか調べている暇がなく、土曜日と日曜日の朝に行き方をネットで検索していた。「地球の歩き方」では上海付近の市の情報は沢山載っている。しかし、杭州から東については紹興(紹興酒の原産地)までである。日本語のネットで調べても、どこまで行って、どこからフェリーに乗るのかほとんどわからなかった。こうなったら、ひたすら東の海岸を目指して行くしかない。帰りはきのうの火曜日で、わずか2泊3日間の旅である。
 杭州までの飛行時間は行きと帰りで違うが、2時間半前後である。空港には午後3時半ごろに着いた。飛行機の中で杭州の部分だけ切り取ってきた「地球の歩き方」を読んでいた。グーグルの地図ではわからなかったが、鉄道も走っていた。空港から杭州市内までは1時間かかる。空港から杭州の東の紹興までは高速バスで1時間10分である。とにかく一旦紹興まで行くことにした。ところが、初めての空港でバス乗り場がわからない。外は36℃の暑さで、うろうろしているうちにやっと見つけることができた。国内線乗り場の前にあった。この時には国際線乗り場と中でつながっていることはまったくわからなかった。乗車チケットは30元である。1元は18.4円である。1万円が2年前に790元に両替できたのが、去年の3月には730元になり、今は543元しかならない。激しい円安である。紹興には午後5時半ごろに着いた。駅前のバス・ターミナルで、ここから各地への高速バスが出ていると思った。近くにバス乗り場があると思って探したが、どこにあるのかわからなかった。この日はとりあえず、もっと東の寧波まで行くつもりであった。鉄道駅に行き、寧波行きを頼んだが、もう出ていないということであった。
 駅前でたむろしていた人に聞いたら、高速バスが出ているバスターミナルは別の所であった。(もちろん中国語は話せないので、紙に書いたり、踊ったり、いろいろである。) 結局三輪タクシーに運んでもらうことにした。急いでいたので10元払うことにした。比較的近くにあったので、5元でもよかった。チケット売り場で乗車券を頼んだら、もう高速バスは出ていないということであった。時刻表を見てみたら、最終は午後6時発である。着いたのは、6時20分であった。仕方ないので、この日はバスターミナル近くのホテルで泊まることにした。1泊155元で、施設の割には高かった。夕食は近くの大衆食堂で、20元の定食と5元の瓶ビール(約600cc)を頼んだ。味はそこそこであった。きょうはもう遅くなったので、この続きはまた来週に書こうと思う。

今週の愛聴盤 51 (130716)

Claro Que Si / Yello
Claro Que Si / Yello

 今週紹介するアルバムは、Ralph Recordsからである。今回調べて知ったが、このラルフ・レコードというのは、「The Residents」がメジャー・レーベルから相手されず、自分たちで設立したインディペンデント・レーベルであった。このYelloはスイスのバンドである。アルバム名やYouTubeの動画から、ラテン系のバンドかと思っていた。私の持っているYelloのアルバムはこのLPレコードだけである。1981年の発売である。まず、A面の最初の曲である。視聴者数は多くないが、曲のできとしては悪くない。Yello - Daily Discoで聴ける。次にB面最後の曲である。この曲は本当によくできていると思う。私が1番好きな曲である。今聴いてもまったく古さを感じさせない。Yello - Pinball Cha Chaで聴ける。
 今週は、このまま「The Residents」の曲に移ろうと思っていた。ところが、Yelloの曲を調べていたら、けっこう面白い曲が多い。英語のウィキペディアで調べてみると、「Oh Yeah」という曲が大ヒットしていた。YouTubeでは視聴者が450万人を超えていた。しかし、私にはもうひとつピンとこなかった。興味のある人は自分で検索してみて下さい。ここでは、私好みの曲を紹介する。まず、Yello - Desireである。この動画は、水着のお姉ちゃんで視聴者数を稼いでいるような気もする。このしゃれた、とぼけた雰囲気が好きである。最後に、もう1曲紹介する。エレクトロ・ダンス・ミュージックである。Yello - Rubberbandmanで聴ける。「The Residents」については、また別の機会に紹介しようと思う。

 

平成25年7月9日(火)

 暑くて夜が眠れなくて困っている。私はこの日記の更新がある火曜日は医院に泊まっている。木曜日の夜は京都駅近くのマンションに泊まる。1番暑くて眠れないのが、自宅である。寝る部屋のエアコンの機種は全部違う。自宅の部屋が1番狭く、エアコンも1番古い。2階はうだるような暑さで、寝ている間の温度調整が難しい。私はもともとエアコンを一晩中かけておくのは嫌いである。きのうは何とかエアコンを除湿にして、温度調整もうまくできて、久しぶりにぐっすりと眠れた。毎年のことなので、本当はエアコンの調整の仕方を覚えておいたらいい。しかし、いつも忘れてしまっていて、エアコンを上手に使いこなすのに時間がかかる。医院も京都駅近くのマンションも寝ている間はエアコンは必要ない。
 少し前に、母親から父親の遺産のことで電話があった。長男の私にもお金が入ってくるようである。あまり期待していなかったが、額としては700万円ちょっとであった。2人で自営業をしていたので、もともと母親の方にも自分の蓄えとしてかなり残しているようである。それでも、高級車を1台余裕で買えるぐらいの額である。まだ子どもの教育費にお金がかかるので、車を買うために貯金を崩すのは控えていた。これなら、来年を待たずに、今からでも買い換えることができそうである。さすがに12年も同じ車に乗っていると、飽きてくる。ストレスが溜まってくると、思い切って衝動買いしたくなる。しかし、自宅のガレージは狭いので、せいぜい車の長さは4m60cmぐらいまでである。医院の近くで借りているガレージも、幅は広いが長い車は入れにくい。高級車はあきらめて、どの車がいいのか検討しているところである。
 先週から、また昼食はダイエット・クッキーを食べている。医院に朝から晩まで閉じこもっていると、ほとんど運動をしない。ちょっと油断をすると、どんどんと体重が増えてくる。ダイエット・クッキーは5枚だけだが、それほど空腹感は感じない。体重は少し減っているが、おなかは出たままである。ビールの量が増えているので、実際何をやっているのかわからない。若い時と違って、年齢と伴にやせる部分とやせない部分が変わってくるようである。きょうみたいな日は、以前だったら夕食の弁当を買ってきて、この日記を書いていた。最近は自炊をするようになった。自炊といっても簡単なものでなく、本格的である。ごはんも炊いて、みそ汁もインスタントではなく自分で作る。学生の時や独身時代は自炊をしていたが、それ以来である。いつの間にか無洗米になり、炊飯器も蒸気が出ないようになっていた。忙しい時にはもちろん自炊なんてしていられない。最近は外部の仕事はほとんどしていないので、以前と比べたらましである。もともと料理をするのは嫌いではないので、たまに自炊するのもいい。手の運動になるのか洗い流すのがいいのかわからないが、食べた後の食器を洗っていると、気持ちがすっきりしてくる。
 この前の土曜日は、夕方から京都精神神経科診療所協会の集まりがあった。初めに精神科を取り巻く医療状勢と京都における活動報告と会計報告があった。この後で、学術講演会があった。東京都立松沢病院の名誉院長が「統合失調症の早期介入の必要性と可能性、最近の話題」について講演してくれた。私は総合病院の精神科に長いこと勤めていたので、最近の統合失調症のトピックスにについてはそれほど詳しくはない。開業してからもデイ・ケアはしていないので、統合失調症の患者さんもそれほど多くはない。この講演を聞いていて、この領域も勉強しだしたらきりがないことがよくわかった。
 うつ病の治療には、抗うつ薬などの知識だけではなく、現在の社会状況の知識もある程度必要である。この社会状況というのは、患者さんを取り囲む世界である。しかし、この部分はいくらうつ病に関する講演会を聞いても、あまり語られることはない。昔からうつ病はうつ病で、社会状況は関係なく、わずかに病像に反映されるだけと考えることもできる。しかし、新型うつ病を含め、現在うつ病患者さんが増えている。このことからも、社会状況や時代も決して無縁ではないということがわかる。従来のライフ・サイクルや価値観が崩れ、経済的状況も悪化し、男女の役割も変化している。今世界がどういう状況なのか、このあたりの勉強もしだしたらきりがない。治療者が従来の個人的価値観だけで患者さんに対応していたら、治療が八方塞がりになってしまう。指示的になる必要はないが、共感だけでは限界がある。私がこの日記で紹介しているような本を読むのは、今世界がどうなっているのか知りたいからである。読書は私の趣味であるが、一見関係ない本でも、きっと何か治療に役立っているのだろう。
 講演会の後は、いつものように懇親会である。前にも書いたが、1番リラックスできるのは、同じ精神科医と話している時である。次にリラックスできるのは、他科の医者である。自分でも気が付かないうちに、狭い業界の住人になってしまった。趣味の世界では、他の業界の人と親しくつきあっている人も多いのかよくわからない。勤務医の時には忙しくて、他の業界の人と個人的につきあっている暇なんかなかった。私と同じように、この5月に60歳になった先生がいた。死ぬまでバリバリと働き続ける先生とある程度年齢が来たらあまり無理をせず、数を制限しながらやる先生がいる。私は後者を選んで、残り少ない人生を自分の好きなこともやって楽しみたい。総会では、京都市や京都府における精神科救急が話題になっていた。私はこれまで他の先生以上に京都市には貢献してきたので、救急についてはもっと若い先生に頑張って欲しいと思う。
 日曜日にはやることがいくつもあった。まず、きのうあった労災判定会議の資料読みである。他の労災医員の先生が慣れるまで、この1年間4回の部会長(司会)を頼まれている。きのうは2回目で、来年の3月まで後2回残っている。次に、毎年ある労働保険年度更新の申請書の書き込みである。従業員は2人しかいないが、去年の4月から今年の3月までの給与を2人分合わせて計算し、書き込んでいかなくてはいけない。ところが、私のパソコンには、去年の5月からの給与明細しか残っていなかった。パソコンが故障して新しいのに代えたのが、ちょうど去年の5月だったのである。4月分の給与総額は、会計事務所に聞いたらすぐわかる。しかし、日曜日なので休みである。この時に臨時的に使っていたXPのノートパソコンは京都駅近くのマンションに置いてあった。仕方ないので、この数字だけ確認するためすぐにマンションに行った。この申請書は毎年書いているが、最初に書いたエアコンの調整のように、確定保険料額の算定の仕方もすぐに忘れてしまう。また同じ「申告書の書き方」のパンフレットを最初から読み直し、ひとつひとつ数字を確認していく。書いてしまったらどうということのない書類だが、けっこう面倒臭い。この申請は締め切りが明日なので、きょうの往診の帰りに提出してきた。
 他にも、頼まれていた新規の障害者手帳用の診断書も書いていた。今回は京都府の患者さんもいたので、新しい診断書をパソコンで書き込めるように、PDFに取り込んで加工していた。最初にひな形を作ったら、次回からこのPDFを利用したらいい。しかし、これを作るのはけっこう大変である。2人分を書き込むだけで時間がかかった。次に、障害者年金の診断書である。これも2通あった。他にも、介護保険の意見書などがあり、書類を書くだけでうんざりした。いつの間にか会計事務所に送らなければならない資料が5月分と6月分とたまってしまった。今月中に書かなければならない更新用の自立支援や障害者手帳の診断書はまだである。この前にも書いたが、更新用でも新しい診断書にすべて最初から書き直さなければならない。そんなわけで、先週約束した本はまだ最後まで読み切っていない。以前だったら、日記で約束したことはかなり無理してでも守ったと思う。60歳を超えてからは、あまり無理をせず、もういいかと思うようになってきた。

今週の愛聴盤 50 (130709)

At the Sound of the Bell / Pavlov's Dog
At the Sound of the Bell / Pavlov's Dog

 今週はアメリカのバンドである。アメリカのバンドは英国や欧州と違い、どこまでプログレなのかわかりにくい。このアルバムハはセカンド・アルバムで、発売は1975年である。当時このかん高い声がアメリカでは受けなかったと何かで読んだことがある。今回YouTubeで調べてみると、けっこう視聴者数が多かった。まず初めに、このアルバムからPavlov's Dog - Valkerieを紹介する。個人的には私はこの曲の方が好きである。しかし、ファースト・アルバムであるPampered Menial / Pavlov's Dog(1974年)の中に入っていたPavlov's Dog - Juliaの方が、はるかに視聴者数が多い。2曲とも気に入った人はPavlov's Dog - Late Novemberも楽しめる。
 さて、次も同じアメリカのバンドである。(私の勘違いで、英国のバンドでした。訂正します。) こちらの方はプログレには分類されないだろう。適度なポップ性があり、私は好きである。アルバム名はBreakfast in America / Supertramp(1979年)である。私はこのLPレコードともう1枚持っていたが、とっくの昔に処分してしまっている。このタイトルと同じ曲名の動画をYouTubeで調べたら、ライブ盤は沢山アップロードされていた。しかし、オリジナル曲を見つけることができなかった。当時はやぼったいジャケットだと思ったが、今見るとそうでもない。どうしてもこのアルバム・ジャケットとオリジナル曲を紹介したいので、YouTubeとは別のサイトの動画を紹介する。Supertramp - Breakfast in Americで聴くことができる。次の曲も同じアルバムにはいっている。こちらの方が聴き応えがあるかもしれない。再びYouTubeに戻って、Supertramp - The Logical Songで視聴できる。曲の中で「Who I am」という部分は、誰でも聴き取れるだろう。

 

平成25年7月2日(火)

 最近、土曜日は夜遅くまで起きている。場合によっては、借りてきたDVDを見ながら、夜中の2〜3時になる時もある。この日だけはビールもラム酒も好きなだけ飲む。翌日を気にせず、ゆっくりと床に就けるのは本当に贅沢だと思う。この前の土曜日は久しぶりに飲み過ぎてしまった。眠くて起きていられなかったので、夜中の1時過ぎに寝た。目覚ましは9時に合わせた。朝方目覚ましが鳴ったので、いつものように止めた。まだ眠たかったので、しばらく布団の中でじっとしていた。そろそろ起きなくてはいけないと思って起きたら、午後1時近くになっていた。自分では目覚ましが鳴ってから、20〜30分ぐらいぐずぐずとしていたつもりである。初めは長針と短針を間違えて見ているのではないかと思った。腕時計で確認しても、やはり午後1時近くであった。こんなに長い時間寝たのは、もう覚えていないぐらいぐらい昔のことである。
 この日はついでに、京都駅近くのマンションの整理をしていた。パソコン用の机を処分し、新たに本棚を置くつもりであった。本棚は180cm×100cmで、まだ組み立ててはいない。これだけあると、かなりの本が置ける。自宅や医院に置いている本も今整理していて、厳選した本以外はすべて捨てている。残す本はこのマンションに集約するつもりである。次から次へと本は出版されるので、これから先また読み直すのかは疑問である。しかし、本当に勉強になったと思う本はなかなか捨てられない。医院では本ばかりでなく、古い資料も整理している。私は労災関係の裁判の意見書をたくさん書いてきたので、この時の裁判資料が山ほどある。これは簡単には処分できず業者に頼まなければならない。注射針などの医療廃棄物もいつの間にか溜まってしまった。以前に頼んでいた業者とは連絡がつかず、これも新たに探さなければならない。1番処分が難しいのは、アダルト関係である。チリも積もれば山となるで、機密書類として処分していいのか迷っている。なぜか学生時代のビニ本も残っている。
 元CIA職員のスノーデンによる米国家安全保障局(NSA)によるスパイ活動が話題になっている。日本大使館も盗聴など監視体制が敷かれていたという。このあたりのことは、以前に紹介した、岸博幸「ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 」(幻冬舎新書)にも、書いてあった。著者は元経産相官僚なので、産業スパイのことについて詳しい。会社の重要な商品開発のことなどについては、米国のインターネット関連の会社を利用しないように警告していた。この本はすでに処分しているので、内容はうろ覚えである。しかし、この日記のどこかに詳しく書いているので、興味のある人は探して下さい。以前は、共産国に外交団が訪問した時には、滞在するホテルなどに盗聴器がしかけられていると言われていた。今回明らかになったことは、どこでも国益のために諜報活動は行われているということである。建前は、テロの被害から米国を守るである。
 しかし、iPS細胞の研究でも、すべて米国が監視していると考えたらいいだろう。どこまで安全かわからないが、メールでも国内のプロバイダーを使った方がいいのかもしれない。もちろん一般の人は気にせず、米国のサービスを利用したらいい。国内の重要な政治家や官僚も同じである。FBI長官のフーバーが政治家のスキャンダルなどを調べ上げ、秘密ファイルに納めていたというのは有名な話である。歴代大統領は誰もが恐れて、50年近くもFBI長官を解雇できなかった。これからは、将来20〜30年後に日本の首相になる人物や米国大統領になる人物の今現在のインターネット検索歴などが、個人情報の保護の基で密かに明らかにされる時代が来るだろう。いや、もしかしたら、グーグルやフェイスブックの最高責任者は、フーバー長官以上に絶大な権力を握るかもしれない。なぜなら、全世界の人々のプライバシーを何十年と渡ってほぼ掌中できるからである。ここからは私の妄想であるが、テロも諜報活動のために上手に利用されているだけもかもしれない。
 ここまで来ると、映画の世界になってしまう。ところで、先週は久しぶりに、映画を見に行った。初めてのシニア割である。映画館で身分証明書を提示しようとしたら、申告だけでいいと言う。もちろん、この映画館だけであろう。料金は千円になるので、20代でもふけ顔の人は、「60歳です」と1度試してみる価値はあるかもしれない。映画のタイトルは「エンド・オブ・ホワイトハウス」である。話の設定には無理があるかもしれない。それでも、アクション映画としては面白かった。少し前に見たアーノルド・シュワルツェネッガー主演の「ラスト・スタンド」もよかった。レンタルDVDが出たら、2作とも借りて損のない映画である。
 ついでに、レンタルして見た映画である。昨年のキネマ旬報で2位になっていた「桐島、部活やめるってよ」である。もうひとつ波長が合わなくて、20分ほどで他の映画に代えた。画像安定装置を通してブルーレイ・レコーダーにコピーしているので、また暇な時に挑戦してみようと思う。本とは違って、映画は1回みたらすべて消去である。代わりに見たのは、これも昨年のキネマ旬報で10位にはいった「夢売るふたり」である。夫婦で料理店の資金を貯めるために結婚詐欺を企む映画である。都会の片隅で生きる人々の姿が生き生きと描かれている。私の外来にはこんな患者さんばかりではないが、こんな患者さんも少なくない。
 きょうは歯科に行っていたので、単行本の残りの3分の1を読み切ることができなかった。来週には必ず読み終えて、紹介しようと思う。医院の中にある物を整理していたら、20年前に読んだ本の読書ノートも出てきた。きょうはその内容を書くつもりであった。しかし、もう遅くなったので、「夢売るふたり」の中に出てきた主演の松たか子の印象的なセリフを最後に紹介しようと思う。結婚詐欺を働く夫に心の中で語る言葉である。「この都会の暗い地面には、自分の光を失った星たちがたくさん落ちて散らばっている。」、「あなたは星たちを照らす小さな太陽になれるはず。」、「みんな寂しくてみじめな思いをかかえているのよ。立場もお金も人間関係も今あるものは人生を変えてくれない。未来も見えない。10年後の自分なんて考えるのもいや。」、「みすぼらしい人生だけど、あなたの前では笑えるの。あなたと生きていけるなら、真っ暗闇でも明るく見える。」

今週の愛聴盤 49 (130702)

200 Years After The Last War / Omega
200 Years After The Last War / Omega

 今週はハンガリーのプログレである。1974年の発売である。私はオメガについてはこのアルバムぐらいしか知らない。LPレコードを見ると、ドイツのフランクフルトで制作されている。正直言って、それほど印象に残っているアルバムではない。どうしてこのアルバムを紹介するかというと、このオメガはその後もハンガリーで大活躍していたからである。どうしても紹介したい曲があったので、このアルバムを選んだ。まず、A面で1曲の組曲である。YouTubeでは前半の部分だけで充分楽しめる。Omega - Suitで聴ける。次に、40年近く前の曲ではなく、比較的最近の曲を紹介する。この曲は大分前にYouTubeで見つけた。どこまでオリジナル・メンバーが残っているのかよくわからない。しかし、この年になっても頑張っている姿を見ると本当にうれしい。Omega - Gyongyhaju lanyで素晴らしいライブ演奏が聴ける。曲名は英語のコメントにもあるように、日本語に訳したら「パール髪の少女」になる。
 次はイギリスのプログレである。アルバム名はSpace Hyms / Ramases(1971年)である。10ccのオリジナルメンバーが参加している。私の持っているLPレコードは日本盤で、ライナーノートは1977年10月に書かれている。ロジャー・ディーンのジャケットで有名である。実は「ロック・マガジン」のプログレシブ・ロック・カタログには上記のオメガのアルバムとこのアルバムが紹介されている。まず、Ramases / Life Childである。本格的に曲が始まるまで1分ぐらいは待たないといけない。次に、私の好きなRamases - You're the only oneも紹介しておく。

 


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