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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成24年12月25日(火)

 いよいよ今年も終わりに近づいてきた。今年は父親が亡くなったので、年賀状は出さないが、来年は巳年である。私は、いつの間にか5回目を迎える。この年をとるということについては、今週読み終えた本と関係してくるので、最後にゆっくりと書きたい。私の医院は月曜日から土曜日まで外来をやっているので、今回は久しぶりの2連休であった。23日の天皇誕生日は池田の母親の所に1人で行っていた。息子は大学受験があるし、娘はまだ横浜から帰っていない。昼前に行って、母親と妹夫婦と一緒に外で昼食をとった。今年80歳になる母親は思ったより元気であった。一時妹との仲もあまりよくなかったが、今は大丈夫なようである。車で行ったので、もちろんアルコールは飲めない。まだ断酒は新記録を更新中である。
 3歳下の妹は定年の65歳まで仕事は続けると元気である。忙しい忙しいと言いながら、やりがいもあるようである。今回は生き生きとしていた。仕事柄、あまり生き生きとしていると、軽躁状態ではないかと疑ったりする。妹の勤めている大学はまだ定員割れはしていないようである。それでも、今では学生を集めるために高校まで模擬授業をやりに行ったりする。現代社会と経済の入試問題担当をしていて、高校の教科書を10冊ぐらい読んだという。鎌倉幕府が開かれたのは、今は1192年(いい国)ではなく1185年(いい箱)になっていると初めて聞いた。開業すると、ほとんど医院に閉じこもって仕事をするようになる。妹のように大きな組織で、若い大学生に囲まれながら仕事をするのもいいかもしれない。弁護士事務所を開いている旦那の方は、不況であまりよくないようである。母親は長いこと田舎に住んでいたので、まだ田舎の感覚で隣近所の人には話しかけている。これはこれでいいかもしれない。都会では、隣近所で人が亡くなっても回覧板で知るぐらいである。
 相変わらず、やらなければならない雑用は多い。ものすごくややこしい障害年金の診断書を新規に頼まれており、きのうは朝から医院に出て書いていた。初診日から1年半後と現在の2通の診断書を書かなければならない。10年近くの治療期間に、医療機関をいろいろ変わっていたり、病名が変わっていると、書くのに神経を使う。カルテをひっくり返しながら、いつ何があったのか出来事も整理しなければならない。私の医院の診断書料は京都で1番安い3千円である。他にも、新規の自立支援医療の診断書を書いていた。会計事務所に送る11月分の資料を整理し、受付の人の12月分の供与も計算していた。年末調整をしなければならないので、早く送らなければならない。京都家庭裁判所から頼まれている成年後見用の鑑定の資料も読んでいた。家族は早くして欲しいようであるが、これはもう来年である。先週は救急病院から患者さんのことで連絡があった。こういう場合は外来中でも、すぐに簡単な病歴と服用している薬を書いて、ファックスで情報提供しなければならない。大量服薬して3階から飛び降り、脊髄損傷を負ったという。
 天皇誕生日の日曜の夜は、NHKスペシャル「日本国債」を放映していた。私のような素人にはわかりやすい番組であった。番組を見ながら簡単にメモを取ったが、一部内容がうろ覚えであった。自分で書いた数字も、後から見たら読みにくく、もしかしたら一部間違っているかもしれない。早速インターネットで調べてみたら、もう、この番組に対する批判も載っていた。国債とは国の借金の借用書である。国債は金利が上がると、価格が下がる。日本は長いこと国債を1%以下の金利で抑えてきた。現在日本の税収入は43兆円弱で、国債の発行額も同じぐらいである。一般会計の半分を国債という借金で賄っている。そして、この国債の総発行額は709兆円に積み上がっている。政府が発行する国債を金融機関が引き受け、この国債を日銀が買い入れている。大胆な金融緩和策をやり過ぎると、副作用として国債の金利が上がって、国債の価値が下がり、円の信用も下落する。日本は少子化で経済も停滞し借金も多額なので、近いうちに国債の金利が上がるとヘッジファンドが狙っている。現在日本は1000(1100?)兆円の借金があるが、対外純資産は265兆円あると番組では述べていた。日銀ではこれまで量的緩和をしてきたが、成果が上がっていないという。量的緩和については専門家でも意見が分かれているので、複雑なことはよくわからない。しかし、このまま次の世代に借金を積み上げていくことは避けなければならない。
 最後に、今週読んだ本である。本田健「60代にしておきたい17のこと」(だいわ文庫)である。著者の年齢は書いてないが、「ユダヤ人大富豪の教え」などベストセラーになった本が山ほどある「お金の専門家」である。私はたまたま新聞の広告で知って、アマゾンで購入した。ところが、「10代にしておきたい17のこと」から始まり、20代、30代とこの60代まで本を出している。本の帯にはシリーズ110万部突破と書いてある。こういう本は欲張りすぎていて、最初から読む気が失せた。いくら何でも書きすぎだろう。これだけ売れているというのは、一般大衆受けするということで、わかりやすいと言えばわかりやすい。大勢の60代に人にインタビューしているようであるが、それほどびっくりするようなことは書かれていない。読んでいても、もうひとつ深みがなく物足りない。私が来年の5月に60歳を迎えるので、老いることに対する反発もあるかもしれない。
 それでも、参考になることも書かれている。「60代は人生の重荷が少なくなって、もっと楽しめる年代です」とある。結婚が遅いとまだ下の子は高3である。しかし、楽しめる時に楽しもうと思う。後10年でもう70歳である。「前の会社の名刺を持ち歩かない」というのは、まったく同感である。趣味の会などで、「元○○会社の部長」という肩書きを振り回すと嫌われる。60代の心配事はお金を含めた自分の老後で、70代の心配事は自分の健康である。あなたに若々しさを取り戻させてくれるのは、若いエネルギッシュな友人たちだと書いてある。しかし、私もそうであったが、若い人はビジネスとか会社の先輩であるとか何かないと、60歳以上の人とは積極的に関わろうとしない。仕事を続けていても、第一線から退く人が多い。共通な話題もないので、どうしても関わらなければならない時には気を使って「よいしょ」しがちである。夫婦仲がうまく行っているカップルには共通点があり、それはいつも一緒に旅に出ていることだという。この17のうち1番面白かったのは、「パートナーと白黒をつける」であった。人生で決着をつけたくなる大きなものは、「仕事」と「結婚」である。結婚生活を見直す時の基準は「この人と一緒にお墓にはいりたいか」だという。男性は当然だと思っているが、女性は抵抗感を持つ人が多い。離婚の事も書いてあるが、一般的に離婚して元気になるのは女性である。
 次回1月1日(火)は不在ですので、2日(水)に更新します。

今週の愛聴盤 21 (121225)

Nowhere Girl / B-Movie
Nowhere Girl / B-Movie"

  LPレコードでも、33回転と45回転のレコードがあった。1分間の回転数で、当然早い方が音質がよくなる。昔はマキシ・シングル・レコードが沢山発売されていた。A面だけで、1〜2曲しかはいっていない。このB-Movieのアルバムもそうである。私はこのジャケットのデザインが大好きである。長いこと、B-Movieのオリジナルの写真かと思っていた。ところが、最近本屋で写真集を見ていたら、よく似た写真に出会った。もう30年近く前に79歳で亡くなった写真家のビル・ブラントである。それでも、ビル・ブラントの写真よりこちらの方が気に入っている。B-Movieは他の曲も聴いたが、あまりぱっとしない。タイトルのNowhere Girlも別バージョンの曲があるが、こちらの方が断然いい。B-Movie - Nowhere Girlで聞ける。1982年の発売である。滋賀医大にいた時に、医局の海水浴でカセット・テープに入れたこの曲を車の中で聞いたことを覚えている。
 今回は私の好きなマキシ・シングルの曲をいくつか紹介しようと思う。次は、何枚もアルバムを出しているTuxedomoonである。私の1番好きな曲がこのマキシ・シングルで発売されている。Tuxedomoon - The Cageである。発売は同じ1982年である。味も素っ気もない動画であるが、このけだるい雰囲気は何ともいえない。Tuxedomoonはもう紹介する機会がないので、ついでにもう1曲紹介する。Tuxedomoon - Ninotchkaである。最近アップロードされたばかりであるが、こちらの方が音がいい。こういう倒錯的な曲も、気分によっては新鮮に聞こえたりする。次も同じ1982年の発売である。Kevin Harrison - Flyである。日本ではほとんど知られていない。この曲は間奏のギターがいい。さて、最後にPallasである。このバンドもアルバムを何枚も出している。私はこのジャケットも好きである。このジャケットが出ている動画はあまり音がよくない。いい音で聴きたい人は最近アップロードされた方を自分で検索して下さい。Pallas - Paris Is Burningで聴ける。この曲も、プログレにつきものの泣きのギターがはいっている。1983年の発売である。

 

平成24年12月18日(火)

 アルコールはビールも含め、先週の日曜日からまだ飲んでいない。もともと月、水、金と休肝日にしていた。この日記を書くときは、途中から飲み出して最後の方はへろへろになっていた。飲み出すと量が多いので、翌日の外来は気分が乗らない時も多かった。今はやめていても、思ったほど体調はよくならない。一旦やめると、以前のように飲みたいとは思わない。このまま断酒記録を更新していこうと思っている。長いこと検診を受けていないので、来年は外来を1日休診にして受けようと思う。検診を受けても受けなくても、生存率は変わらないという報告もある。しかし、結核の流行に伴い、医療従事者の胸部X線検査がうるさくなっている。少し前に、保健センターから実施調査の紙が来ていた。来年3月までにパートの受付の人も胸部X線検査だけは受けさせないといけない。
 選挙の騒ぎで、角田美代子容疑者の自殺のことは陰を潜めている。この事件は複雑すぎるので、新聞に記事が載っていても、飛ばして読んでいた。兵庫県警本部の留置場で死亡しているが、このことはどこまで自殺を防げるかという精神科の問題と関係してくる。精神病院に入院していても、自殺する人は自殺する。病院のレクレーションで外出している時に、電車に飛び込んで訴訟問題となったケースもある。私は以前に京都拘置所の視察委員会の委員をしていた。この少し前の平成19年7月に、伏見区で父親が中学と高校生の子ども3人に睡眠薬を飲ませ首を絞めて殺害した事件が起こっている。その後、この父親が京都拘置所内で自殺し、新聞でも大きく取りあげられた。この時に、弁護士を含めた視察委員会では、この自殺について調査書を作らせて報告させている。精神鑑定書も読んだが、ここでは新聞で報道されたことしか書けない。自殺したのは角田容疑者と同じ冬の寒い時である。1回自殺未遂をしていたので、靴下など危険な物は取りあげていた。ところが、拘置所の中は暖房がないので、冬の京都は寒い。靴下が欲しいというので、家族と相談して差し入れたら、その靴下で自殺している。
 自殺を決意した確信犯の人を止めることは極めて困難である。大韓航空機爆破事件で金賢姫が護送された時に、猿ぐつわみたいな物を噛まされていた。これぐらいしないと、無理である。私はこの日記でも書いているが、死にたいという患者さんの治療にはトリアージが必要である。トリアージというのは、大事故、大規模災害など多数の傷病者が発生した時の、救命の優先順位を決める分類法である。黒、赤、黄、緑と負傷者にタグをつけ、一刻も早く処置が必要で、救命の可能性がある人(赤)から助けていく。限られたマンパワーと機材では、生きていてもほぼ助からない人(黒)は放置する。特に一般医の先生は確信犯や治療の困難な人にエネルギーを費やすよりも、助かる人から助けていくのがいい。最近、私の患者さんが自殺した。仕事も問題なくこなしていたので、まったく予想もできなかった。患者さんにとってショックな出来事があったが、ふつうはこんなことで自殺するとは考えられない。受付の人ともよく話をしていたので、受付の人も信じられないぐらいである。自殺を予測することも防ぐことも本当に難しい。
 さて、今週読み終えた本である。官僚の苦労話をわざわざ買って読んで、どこが面白いと言われそうである。しかし、ほとんどの人はマスコミに踊らされて、官僚を霞が関に巣くうシロアリと信じ込んでいる。官僚と国会議員の関係を何も知らずに、打倒官僚と叫んでいても仕方ない。官僚はふだんどんな仕事をしているかも知らず、ただ非難するだけでは何の解決にもならない。前にも書いたが、バブルの時には国家公務員も地方公務員も給料はなかなか上がらなかった。大半の人はこんな安い給料で働けるかと、景気のよかった民間の企業に就職して行ったのである。国家公務員は今では毎月7.8%給料が減らされている。(震災に伴う2年間であるが、この数値に疑問を持つ人もいる。若い人はもともと給料が安いので、ここまで減らされていないと思うが、課長級で1割削減と言われている。) 私は知らなかったが、解散総選挙前に国家公務員の退職金が400万円減らされる法案も通ったという。
 今回の総選挙では自民党が圧勝した。今こそ官僚と国会議員の関係を知り、どうしてこれだけの借金が積み重なったのか検討すべきである。そして、今後はどうしたらいいのか、国民がもう少し賢くなって考えるべきである。今週読み終えた本は、久保田崇「キャリア官僚の交渉術」(アスコムBOOKS)である。著者はキャリア官僚で内閣府にはいり、現在は越前高田市副市長をしている。この本を読むと、官僚の仕事がいかに泥臭い仕事かということがよくわかる。国会議員や関係省庁の中にはいってそれぞれの利害関係を調整をし、実際には官僚が法律を作っている。前にも紹介した、榊原英資「財務省」(新潮新書)の中にも出てくるが、日本では法律を作っているのは国会議員ではなく、官僚を中心とした国家公務員である。国会議員の役割は、立法や予算編成そのものではなく、役人が作成した法律や予算に注文をつけることである。アメリカでのロビイストに近い存在である。選挙区や業界団体の要望等を背景に、こういう法律を作ってくれと官僚に頼むのである。欧米とは違い、法律も作れない国会議員が偉くなりすぎたと暗に非難もしている。
 この本は、著者が経験した政治家や上司や部下、財務省などとの交渉から得た交渉術の啓蒙書である。政治家には理路整然と理屈で説得することは無理である。国会で法案や予算を通すのは、官僚ではなく、選挙で選ばれた国会議員である。官僚は関係議員の了解を得るために、ありとあらゆる努力を惜しまず、根回しや説得を行っている。以前に大蔵省に関する本を読んでいたら、入省のための面接時に、靴底がすり切れるほど議員の所に足を運べと言われた話が書いてあった。今でも変わりがないようである。1本の法律を作るために対象となる議員が100人以上になることもある。その議員のクラスに応じて局長や課長クラスの官僚が、議員会館の1人1人の事務所を訪れ、説明してまわる。相手を立てて感情を害さぬように、気持ちよく了解を得ることを目指す。そのためには、議員の地元ネタを話題にしたり、涙ぐましい努力をしている。議員はクレームや注文の多いわがままな顧客で、その交渉の仕方は一般企業でも通じる。
 この本では、年越し村の村長として活躍した湯浅誠が内閣府参与として政権内部で働き、新聞のインタビューに答えた内容を紹介している。「政治家や官僚は自分の利益しか考えていないから、どうせまともな結論が出てくるはずがないと思い込み、結論を批判しました。しかし、参与になって初めてブラックボックスの内部は複雑な調整の場だと知ったのです。」 ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなどによって、様々な利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算をめぐる要求がせめぎ合う場となっているのである。
 財務省との交渉のことも出てくるが、興味深い。財務省とは徹底的に理屈で闘うという。財務省は基本的には財政健全化を至上命令とする組織で、予算削減を善としている。各省庁の予算請求に対しては、「もう不要ではないか」とか「この事業の政策効果を数値で示せ」と質問される。きちんと反論できないと、「明確な回答がなかった」と予算を削る口実を与えてしまう。理屈と理屈ではどちらも正しいので、財務省はダメもとで要求しているのか、削られると本当に困るのか見極めなければならない。財務省がこれだけの権限を持つのは、入省時の成績が担保になっているからである。私がたった1回の大学入試で運良く医者になれたのと本質的には変わりない。予算請求する人ばかりでは国家が破綻してしまう。限られた予算の中で、誰か査定する人がいる。話し合いではいつまでも平行線で、何も決まらない。組織やシステムの中に明確な命令系統を確立しなけばならないことは誰にでもわかる。
 国家の頭脳を集めた財務省(少なくとも、私の時代はそうであった)でも気を使う相手がいる。それは、国会で予算案を通してくれる国会議員である。自民党時代には、族議員(道路族、農林族、文教族、厚生族など)が、特定の省庁について政策の決定権を握り、業界の利益保護に影響力を持っていた。民主党とは違い、ある特定分野の政策については詳しくなる。しかし、両刃の刃で、国の財政が悪化してきても、前年並みの予算またはそれ以上を請求していた。いくら、当時の大蔵省や財務省が説得しても、国家予算をそれぞれの族議員が既得権化していた。そして、必要もない道路や建物を作り、いつの間にか1千兆円にもなる借金を作っている。どうしてこんなムダな物ばかり造ったかというと、1番安全で効率よく政治家の懐にお金がはいったからである。医療業界でも、無理な要求をして、これだけの借金を作るのに一役買っているかもしれない。私は公共事業も必要だと思っている。しかし、国民が本当に必要としている所にお金をかけるべきである。官僚制度をなくしたいと考えているなら、欧米のように2大政党を作るしかない。しかし、これだけ政党が乱立し、すべて官僚に丸投げしていて、どうやって官僚依存から脱却しようというのか。どう考えても、まだ50年〜100年ぐらいはかかりそうである。

今週の愛聴盤 20 (121218)

Inferno / Lacrimosa
Inferno / Lacrimosa

 このシリーズもいつの間にか20回目を迎えた。きょうは記念特集として、私の好きなラクリモーザ(ドイツ語ではザになる)を紹介する。平成23年11月15日付けの日記でも、このラクリモーザについては詳しく書いている。当時は、YouTubeの曲を直接リンクすることはできなかった。これまで、単発的に奇跡的なアルバムを出しているバンドは山ほどあった。しかし、長期間に渡って私好みの曲を出しているバンドは数えるほどである。前にも書いたが、第1期のキング・クリムゾンとこのラクリモーザである。スイスのバンドであるが、日本ではあまり知られていない。音楽のジャンルとしては、(シンフォニック)ゴシック(メタル)音楽に属する。私とこのバンドとの出会いは、1995年に発売されたこのアルバムである。昨年にバンド結成から20周年を迎え、今年になってからも新しいアルバムを出している。写真のアルバムの中の「Kabinettt der Sinne」は以前にも紹介したので、今回はその後新たに見つけた動画を紹介する。私は年代の違う2枚のライブDVDと13のCDアルバム(中には2枚組もある)を持っている。どの曲がどのアルバムにはいっていたかはあまり覚えていないので、今回はアルバム名はパスする。持っていないアルバムの中の曲も含まれている。
 このバンドの売りは、男性ボーカリスト(ティロ)と女性ボーカリスト(アン)である。特にアンの透き通った声には魅惑される。まず、このアンの声の魅力が最大限に発揮されているLacimosa - sensesである。1ファンとしては、アンももう年なので、きわどい格好をしてマドンナ化はして欲しくない。次に作曲もしているティロである。ラクリモーザの曲はこれが同じバンドの曲かと思うほど、ハードロックからクラシック調まで幅が広い。私は年齢とともに、ティロのバラード調の曲が好きになっている。曲によってはデス声やダミ声に近づくが、何とか許容範囲内である。ゴスロリが好きそうな曲も多い。私はビジュアル系の格好は大嫌いであるが、今はもう慣れた。まず、Lacrimosa - Darknessである。簡単な単語ほど辞書を引かないが、darknessとはキリスト教世界における闇である。私はこの動画が1番好きである。別のバージョンでもいいのがある。Darkness (Obscuridad)で検索したらすぐにわかる。こちらの方は英語の歌詞付きである。次に、ラクリモーザの別の世界を見せてくれる曲である。Lacrimosa - Einsamkeitで聴くことができる。Einsamkeitとはドイツ語で孤独のことである。私はラクリモーザを聴くために、わざわざ電子辞書のドイツ語のカードを買ったぐらいである。ハードロックに近い曲としては、最近発売されたアルバムから、Lacrimosa - Feuerzeugを紹介する。
 今回は気合いがはいっているので、もう少しつきあって下さい。アンが歌っている曲をもう1曲紹介する。最初の曲の方がいいが、この曲も捨てがたい。Lacrimosa - A Prayer For Your Heartである。私の好きなティロのバラード調の曲もまだ他にもある。Lacrimosa - Stumme Worteで聴ける。日本語に訳したら、「口のきけない人の言葉」になるのか。最後に、平成23年11月15日付けの日記でも紹介した曲を改めて紹介する。みんないい曲であるが、今回は2曲だけに絞る。興味のある人は、他の曲も自分で検索して聴いて下さい。まず、私の持っているDVDにもはいっているライブからである。Lacrimosa - Stolzes Herzである。1番最後は、ラクリモーザの名曲中の名曲である。日本語に訳したら、「きょうあなたの心を離れる」になる。動画はいくつもアップロードされているが、ここではあえてリストカットだらけの映像をお届けする。最近は、外来でもここまでする患者さんは診なくなった。ラクリモーザの映像によく出てくるalleinは、英語ではaloneである。血だらけの映像が嫌いな人は、他の動画でも聴ける。後半はいつものように、泣きのギターである。Lacrimosa - Ich verlasse heut dein Herzで、最後の締めとする。

 

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平成24年12月11日(火)

 私は以前はiPodを使っていたが、今はソニーのウォークマンZを使っている。しかし、ふだんは医院で過ごすことが多いので、ほとんど使うことはない。医院ではもっぱらパソコンにヘッドホンアンプをつけてYouTubeを聴いている。自宅では、食事をして風呂にはいり、新聞や雑誌を読むぐらいである。使うのは、近場では大阪に行くときぐらいで、学会や海外に出かけたりする時にも持って行く。先週はこのウォークマンZにはいっているアンドロイドのソフトがやっとバージョンアップになった。これまでは、外付けのブルートゥースのキーボードが使えなかった。液晶が4.3インチあるので、ポメラ程度の画面は確保できる。早速ダウンロードして、使いやすそうな外付けのキーボードを買ってきた。最近出たマイクロソフトの携帯用である。もともとWindows8用に作られているが、キーボード対応表を使ったら大丈夫である。
 学会などに出かける時には、国内なので多少重くてもノートパソコンを持って行く。実質3泊半ぐらいの中国の旅では、なるべく荷物を少なくしたいので必要ない。通信事情も、ホテルによっては速度が遅いという人もいる。私は毎週この日記を書いているので、海外では文章を書きたいと思うことはよくある。1人旅なので、ホテルではゆっくりとできる。帰りの飛行機の中でも時間はある。ウォークマンに外付けのキーボードが使えると便利である。しかし、よく考えてみたら、実質的に使うのは海外に出た時ぐらいである。
 最近はノマド仕事術が流行っている。遊牧民(ノマド)のようにどこでも自分のオフィスにして,移動しながら働くことである。仕事で行き詰まってきた時などは、喫茶店など場所を変えてやるといいアイデアが出てきたりする。私も気分転換にノートパソコンや本を持って、静かな喫茶店に行きたいと思っている。しかし、近くに適当な場所がなく、わざわざ遠くまで出かけるのもおっくうである。結局、医院で過ごすことになる。
 私の診察室には長さ160cmぐらいの机が置いてあり、開業した時に院長用に少し高いイスを買った。当初はイスなんて何でも同じだと思っていたが、座り心地よく、1日中座っていても疲れることはない。疲れた時には、診察用のベッドに横になれる。診察室は、実は自分の書斎やオフィスとしても最高なのである。机が広いので、資料や文献をいくつも広げて置けるし、患者さん用のイスも家族の分を含め3つ置いてある。労災裁判の意見書や自立支援医療や障害者手帳などの診断書をまとめて書くときには便利である。私の診察室は2方に広く窓を取っているので、明るくて気持ちがいい。社会保険神戸中病院や京都第一赤十字病院では部長室が用意されていたが、居心地はこちらの方が断然上である。京都駅近くのマンションにも机が置いてあるが、仕事場としてはもうひとつである。これから開業する人は、診察室は自分の最高のオフィスになることを考えて間取りなどを考えたらいい。
 最近は、目的のたまに物を買うのではなく、物を買ってから目的を探す。例えば、気に入った鞄があると買うが、この鞄を使うために旅に出る。新しいカメラを買うと、写真を撮るために海外に出かける。さて、ウォークマンである。外付けのキーボードが役に立つのは海外に出た時である。前にも書いたように、日、月と連休が続くと、午前中の外来だけしかない火曜日の診察を休んで3泊4日の旅に出ることができる。来年のカレンダーを見ていたら、1月の成人の日がある13日と14日は連休である。しかし、13日は東京で精神保健指定医の更新のための講習会があり、14日は東山医師会の新年会である。2月も建国記念日がある10日、11日の連休は、9日の土曜日が息子の高校の卒業式である。この日は午前の外来は休診にして参加するつもりである。夕方から出かけることはできるが、火曜日まで休診にするわけにはいかない。3月の春分の日は水曜日なので、ここも休めない。結局来年は、連続して休みが取れるのはゴールデン・ウィークである。
 先週の土曜日は、毎年ある忘年会を兼ねた大学の医局の同窓会があった。もうひとつ体調がよくないので、11月26日からやめているアルコールはこのまま断酒記録を更新しようと思った。懇親会の前に、医局員などの研究発表があった。医局とはまったく疎遠になっていて、今は講師が誰かもわからないぐらいである。大学が今年創立140周年記念を迎えていたことは全く知らなかった。精神科は創立120年である。同窓会の会員は現在330人を超えている。会員名簿を見ていたら、全部で29ページある。私は昭和54年(1979年)卒で、前から7ページ目に名前が載っていた。段々と前のページに近づいていく。1番上の先生は昭和20年卒である。精神科といっても、最近は脳画像の研究が盛んである。開業していると、日々の臨床に関連した研究の方が興味深い。精神病院に勤めている先生の、睡眠脳波の徐波(深い眠りの時に出る)を増やす薬の話が1番参考になった。私は当時治験をしたので睡眠導入剤のアモバンのことはよく知っていた。他の睡眠導入剤ではマイスリーしかなく、三環系抗うつ薬でも睡眠時の徐波が増える。脳のセロトニンを増やすSSRIではほとんど増えない。うつ病の患者さんの回復にどこまで関係するのかわからないが、勉強になった。
 懇親会では、ビールを注いでもらったが、乾杯の音頭があっても口をつけないつもりであった。ところが、乾杯の音頭の前の挨拶が長く、「乾杯」と全員が言うと、反射的に無意識に飲んでしまった。仕方ないので、この日は付き合い程度に抑えて飲んだ。懇親会では私より少し上の精神病院の院長などと話をしていた。みんな忙しいようである。精神病院に勤めている若いドクターに聞いても、忙しいという。私の若い頃とはえらい違いである。教授は来年の3月に63歳になり、定年は65歳だという。私が博士号をお世話になった前の教授も参加していた。今年80歳になるとは信じられないぐらい元気であった。こっちの方が先に行くのではないかと思ったぐらいである。それにしても、医者は一生医者で、もっと他のこともやりたい私も同じ道を歩まざるをえないのかと思った。翌日の日曜日は、相変わらず書類書きである。この1週間で頼まれた新規の自立支援医療の診断書が5通で、4年ぶりに刑務所から出所してきた人の障害者手帳の診断書が1通である。書いても書いても書類は次から次へと出てくる。

今週の愛聴盤 19 (121211)

Live at home / Jane
Live at home / Jane

 私が学生時代には、京都市内にはロック喫茶やジャズ喫茶がいくつもあった。河原町今出川には、ロック喫茶のニコニコ亭があった。当時は寺町今出川にワンルームマンションを借りていたので、やることがないとよく出かけていた。ある雨の日に出かけたら、客は誰もはいっていなかった。かかっていたのは、このアルバムである。孤独感とこの音楽がマッチして、なぜかこの時のことだけは強く記憶に残っている。前にも書いたが、この時代はインターネットもなかったので、情報を得るのはわずかな専門誌だけである。他には、こういうロック喫茶でかかっているアルバムを直接知るぐらいであった。他には、千本中立売のドラッグストアはプログレに強かったのでよく出かけた。このアルバムは手に入れたが、その後中古レコード屋に売りに出している。今手元に残っているJaneのLPレコードはBetween Heaven & Hell / Janeぐらいである。このJaneの曲は聴きやすいが、その分少し飽きやすい所もある。阿木謙のプログレッシヴ・ロックアルバム94選では、ヨーロッパ、特にドイツを中心にと書いてあるにもかかわらず、1枚も選ばれていない。それでも、名曲は何曲もある。
 まず初めに、このアルバムにはいっているロック色の強い曲である。Jane - Windowsである。大感動するほどの曲でもないが、安心して身をゆだねて聴くことができる。次に、Janeの名曲中の名曲である「Out in the Rain」である。YouTubeでは比較的新しい(分裂後)ライブもアップロードされている。私はこれより遙かにすごいライブの演奏をCDで知っているので、今回はオリジナル曲(1973年)を紹介する。Jane - Out in the Rainで聴くことができる。次に私が持っているLPレコードからである。Jane - Between Heaven & Hellである。後半は少し飽きてくるかもしれない。最後に、私がYouTubeの中で1番気に入ったライブである。Jane - Daytimeで聴ける。1分45秒過ぎからよくなる。ライブでいい演奏が聴ける曲は、もともとオリジナル曲(1972年)がいいからである。
 今回YouTubeを調べていたら、ドラムスであったピーター・パンカに捧ぐというコメントが載っていた。私はそんなに熱心なファンでもなかったので、メンバーの名前までよく知らなかった。気になってグーグルで検索してみたが、日本語の記事ではいつ亡くなったのかよくわからなかった。私の時代は教養でドイツ語を2年やり、精神科に入局してまたドイツ語をやらされた。当時大学院に行くには語学試験はドイツ語であった。私が博士号を取ったときには英語に変わっていた。私が精神科に入局したときには、まだ精神病理学が盛んであった。日本語で読んでもよくわからない精神病理学の専門書をドイツ語の原書で読まされた。この勉強会は苦痛以外何ものでもなかった。私より上の年代の先生は、どの科でもカルテはドイツ語で書いていた。30年も前のことなので、今ではドイツ語はきれいさっぱり忘れてしまった。ピーター・パンカのことは、ドイツ語のウィキペディアに載っていた。内科を含め、今の若いドクターはいくら何でもこの程度のドイツ語はわかるだろう。5年前に亡くなっているが、最後の部分だけ紹介しておく。Panka starb im Alter von 59 Jahren an Lungenkrebs.

 

平成24年12月4日(火)

 先週からずっと体調が悪い。月曜日から酒は飲んでいない。1週間以上やめたのは覚えていないぐらい大昔である。これまではどんなに頑張ってもせいぜい4〜5日であった。この機会にしばらく酒を飲むのはやめようと思う。鼻水や痰が出てきて、風邪もひいたようである。
 この前の日曜日は、京都労働局から頼まれていた労災に関する行政裁判の意見書を書いていた。朝7時に医院に出てきたが、なかなかやる気が起こらなかった。仕方ないので、いつの間にかたまってしまった資料を整理していた。製薬会社が持ってくるパンフレットや医師会雑誌、学会誌などが診察室に山積みになっていた。大事な資料だから後で読もうと思って取っておくと、そのまま読まずにどんどんと増えていく。私は本を丸ごと残さず、大事な論文の部分だけ切り抜くようにしているが、それでも山積みである。このまま置いておいても永遠に読まないと思ったので、思い切って捨てた。大事な資料は捨てる前に、さっと目を通した。
 製薬会社からもらった本だと思うが、去年の「臨床精神薬理」に興味深い論文が載っていた。うつ・不安障害治療フォーラムでの、「うつ病・不安障害におけるベンゾジアゼピンの臨床的位置づけ」という講演内容である。ベンゾジアゼピンというのは、ソラナックスなどの精神安定剤やレンドルミンなどの睡眠導入剤を指す。最近は、依存性が高いということで、危険な薬として新聞などで取りあげられることがある。近年の医学教育のせいだと思うが、若いドクターのベンゾジアゼピン系薬剤に対する拒絶反応は過剰と思うほどである。この日記でも書いているが、パニック障害などの不安障害の治療に関する世界的なガイドラインでは、ベンゾジアゼピン系である精神安定剤の使用は推奨されなくなっている。私は以前から患者さんのQOL(生活の質)を改善するには上手に利用したらいいと思っている。ここの討論会でも出てくるが、医者から処方された投与量よりも少量服用している人が圧倒的に多く、高用量依存に陥る人は極めてまれであると指摘している。中には薬がなければ健全な日常生活ができない人がたくさんおり、うまく活用している人から奪い取るべきではないとも述べている。私も全く同感である。実際に長いこと使ってきて、ベンゾジアゼピン系の薬の効き方にはアルコールのように個人差が大きい。私は高用量でも充分に効果が発揮できて安定しているなら、それほど問題はないと思っている。どんどんと量が増えていくことはほとんどありえない。ただ、高用量の使用は若いドクターから非難されやすいので、時代の流れには逆らわないようにしている。
 最近送られてきた日本アルコール・薬物医学会雑誌を読んでいたら、北海道ダルクのことが書いてあった。ダルクとは、関連施設も含めて日本全国に60ヶ所近くある薬物依存症の人たちによって運営されている治療共同体である。ここでは、このベンゾジアゼピン系薬物は依存性があるので服用しないことが鉄則となっている。覚醒剤中毒の人たちも、内科でよく処方されている睡眠導入剤の服用が禁止されている。いらいらや不安を抑える精神安定剤の服用も禁止である。確かに、薬物依存の人たちは大量服薬の危険性があるが、まったく服用してはいけないというのは、ハードルが高すぎる印象もある。以前から、NA(薬物依存者の自助組織)ではベンゾジアゼピン系薬物の服用は禁じられていると聞いていたが、改めて論文を読んでいろいろ考えさせられた。ハードルを高くして、救える人から救うという考え方もある。アルコール依存の治療は、断酒が鉄則である。ここでも何回も書いているが、節酒は無理である。どうしてかというと、しらふの時には意志力を発揮できるが、酒が入った状態では意志力が発揮できないからである。(酔っぱらった状態で、きょうはここまでと止めることは困難である。)最近、刑務所ではベンゾジアゼピン系薬物は睡眠導入剤を含め、処方しないようになってきたという。中には眠れないので、人権擁護委員会に訴える服役者もいるようである。処方しないことについてはこれはこれでいいと思うが、出所してきて不眠を訴える人の対応が難しい。
 結局日曜日はなかなか行政裁判の資料を読む気になれなかった。他の雑用をしながら昼食をとり、始めたのはもう午後の2時近くであった。今回はこれまでのように、裁判資料を読みながら最初から最後まで意見書を書くという方式では無かった。質問形式の問い合わせに、一つ一つ回答していく様式になっていた。これまで書いてきた意見書の資料が山ほどあり、コピペでそれほど苦労することなく作成することができた。裁判が長引いていた他府県の労災裁判の意見書では、山のような資料と格闘し、A4用紙16枚にまとめたことは以前にも書いた。もう1件他府県の労災裁判の意見書を抱えているが、まだ保留になったままである。来年の3月には労災医員を引退するので、それまでにはすべての仕事を終えたい。
 さて、今週読み終えた本である。村田祐介「シニアシフトの衝撃」(ダイアモンド社)である。副題に、超高齢社会をビジネスチャンスに変える方法とついている。今年で、団塊の世代の最年長が65歳に達する。この本では、各章ごとに「ここがポイント」というまとめが書いてある。このまとめを要約しても芸がないので、自分なりに興味のあった所を書き出していこうと思う。本を読んで、自分で要約を作ることを何十年と続けていたら、それなりに目に見えない実力がつく。そういうことをしてきた人としてこなかった人では雲泥の差がつく。運動でも趣味でも何でもそうであるが、継続は力なりである。
 まず初めに、大人用の紙おむつが赤ちゃん用の紙おむつを逆転しそうな勢いで伸びていることを紹介している。セブン・イレブンでは約20年間の間に、50歳以上の利用が、9%から30%と伸びている。ここでは、平成22年度の家計調査報告も引用している。1世帯あたりの正味金融資産(貯蓄から負債を引いたもの)は60代で2093万円になり、70歳以上では2154万円である。60歳以上の正味金融資産は482兆円にも達する。すべての年齢階層の貯蓄額は約800兆円である。日本の個人金融資産は1400兆円あるので、1000兆円の借金があっても大丈夫だと言われるが、この1400兆円には個人が金融資産として認識しないようなものまで含まれている。ちなみに30代の正味金融資産はマイナス226万円なので、企業は従来の若者中心の顧客ベースでは時代に取り残される。しかも、シニア市場はマス・マーケットではなく、多様なミクロ市場の集合体であるので、従来の大量生産や大量流通は向かない。
 ここでは、シニア層をつかんで成功している女性専用のフィットネスクラブなどを紹介したりしている。「スリーノーM」で、ノー・メン、ノー・メイクアップ、ノー・ミラーで、30分で筋トレと有酸素運動が完結できるようになっている。身体機能の低下を解消するために、売り場には老眼鏡を置いたり、椅子を置いたり、トイレの場所もわかりやすくする。私は、トイレには自動販売の紙おむつが置かれ、いつでも履き替えられるようになるだろうと予測している。この本では、発達心理学のエリクソンの弟子であるコーエンが、50代中盤から70歳前半にかけての段階を「解放段階」と呼んでいることを紹介している。団塊世代がこの解放段階にあり、ライフステージが変わり、もう人生が長くないのだから、自分のやりたいことをやろうという気持ちが強くなる。まさに私があてはまり、来年60歳になったらこれまでとは違った生き方をしようと思う。わくわくすることや当事者になることや元気になったりすることが消費と結びつきやすい。アメリカのベビーブーマーの大移動についても書いている。3つのタイプがあり、今より税金や生活費の安い所への移動と大きな家から小さな家への移動、親子や親子孫など多世代世帯で同居する家への移動である。若い世代が不況で家を買えなくなっているからである。日本でも、若年層の所得水準が低くなるので、親と子が近くに住むゆるやかな大家族が増えていくという。きょうはこの辺で終わりにするが、興味のある人はこの本を読んで下さい。

今週の愛聴盤 18 (121204)

To The World Of The Future / Earth & Fire
To The World Of The Future / Earth & Fire

 アース&ファイアーというと、アースウィンド&ファイアーと間違える人がいるかもしれない。後者の方が圧倒的に有名で、ソウルミュージックの雄としてして知られている。今回紹介するのは、オランダのバンドである。オランダのバンドで私の時代にもっとも有名だったのは、ショッキング・ブルーである。このアース&ファイアーもほぼ同時期に出てきている。このアルバムはもっともプログレ色が出ていて、1975年の発売である。私はこのジャケットのデザインが好きである。前にも書いたように、LPレコードのジャケットは大きいので、部屋に飾っておくと見ごたえがある。YouTubeを調べると、当時のライブがたくさんアップロードされている。しかし、ポップスに近い印象であまり面白くない。このアルバムでは、アルバムと同じタイトルの曲が1番聴きごたえがある。YouTubeではEarth & Fire - To The World Of The Futureで聴くことができる。4分過ぎからプログレシブ・ロックらしくなり、5分半過ぎからプログレにつきものの泣きのギターがはいる。
 他に、オランダのプログレ・バンドといったら、フィンチがある。私の1番好きなアルバムはGalleons of Passion / Finchで、1977年の発売である。今回YouTubeで調べたら、私がよく聴いていた曲がアップロードされていた。Finch - With Love As The Motiveで聴くことができる。こちらの方が、正統派のプログレシブ・ロックである。
 今回はオランダを取りあげたので、ついでにショッキング・ブルーの曲も紹介しておく。久しぶりに聴いたらすごくよかった。日本でも大ヒットした「ヴィーナス」と「悲しき鉄道員」である。40年も前の曲なので、若い人はほとんど知らないだろう。しかし、今聴いても名曲である。YouTubeではShocking Blue - VenusShocking Blue - Never Marry A Railroad Manで聴くことができる。

 

平成24年11月27日(火)

 体調がものすごく悪い。それでも、きのうよりはまだましである。きのうの外来は最悪であった。朝食も、昼食も、夕食もほとんど食べれなかった。最初は日曜日に酒を飲み過ぎたせいかと思っていた。しかし、それだけではないようである。全身の筋肉痛があるが、咳やのどの痛みはなく、風邪ではないようである。とにかく、早く体調が回復してくれないと困る。この日記も書いているのが苦痛なぐらいである。体調が悪いと世界が閉じ、生きているだけで精一杯である。
 実はこの連休はまた中国に行っていた。土曜日は休診にした。休診にするときには、最低1ヶ月半前にはお知らせをしなければならない。年末年始の飛行機の予約は半年前ぐらいからすることもある。近場でも、連休の時にしか行けないので、早めにするようにしている。今回の勤労感謝の日を入れたら、普通の会社では3連休である。私の医院は木曜日は午前の外来だけなので、午後から出ることができる。数ヶ月前には飛行機の予約だけはするが、最近は直前になると、キャンセルをしようかと思うほど腰が重くなる。外は寒いし、大きな荷物を抱えて出かけるのがおっくうになる。それでも、気を取り直して数日前から準備をした。今回の目的地は前にも書いたように、「中国で1番美しい十大島」に選ばれている陽江市の海陵島である。いくら中国の南の島といっても、今の時期はオフシーズンである。しかし、泳ぐわけでないので、きれいな海の写真が撮れたら満足である。
 この島の情報は日本ではほとんど手に入らない。中国語に関してはまったく無知なので、いくらインターネットで翻訳してくれると言っても、限度がある。ツアーでなく、1人で行こうと思ったら、現地の地図だけ手に入れて、その場勝負で出かけるしかない。私の旅のテーマは、日本人のあまり行かない所に行くことである。今回も中国語の勉強をしている暇はなかった。それでも、中国語の単語を紙に書いたら何とでもなる。マカオに接した珠海からバスで4〜5時間で陽江市に着く。ただ、陽江市のどこに着くのかよくわからない。海陵島まではここからタクシーに乗ってもいい。グーグルでこの辺りの地図を何枚も印刷した。
 22日の木曜日は、関空発のキャセイパシフィック航空の飛行機に午後6時半頃に乗り、香港には現地時間の10時前には着いた。ここから地下鉄に乗ってフェリーターミナルまで行き、フェリーでマカオまで渡る。マカオの到着時間は夜の11時半である。何とかすぐにタクシーに乗ることができ、ホテルに着いたのは夜中の12時過ぎであった。この日はすぐに寝て、翌日6時過ぎに起きて朝食を取り、バスで珠海への越境ゲートに向かった。ところが、遠回りのバスに乗ってしまい、なかなかたどり着けなかった。この日は大雨で、いつも持って行く折りたたみ傘を忘れてしまったので、新しく傘を買った。越境手続きを済ませて、珠海のバスターミナルに着いたのは、10時ちょっと前である。9時10分発の陽江行きのバスには間に合わなかった。次の出発時刻は12時である。ところが、電光掲示板を見ていたら、まだ出発しておらず、前回上川島に行った時に乗った8時半出発の台山山咀行きのバスも出発していなかった。こういう時には、中国語が話せない私はお手上げである。簡単な中国語を紙に書いても無理である。間引き運転なのか、乗客がいないのか、何かの理由で遅れているのかよくわからない。何とか陽江市にたどり着いても、帰って来れなかったら困る。
 結局、この日は海陵島に行くことはあきらめた。オンシーズンになるゴールデンウィーク中なら大丈夫だろう。さて、どこに行くかである。珠海で3日間も過ごすことは耐えられない。マカオもそうであるが、人の多いゴミゴミした所は苦手である。結局、珠海に接している中山市に行くことにした。ところが、今回の旅行では地球の歩き方に載っていた中山の案内を持ってこなかった。私は旅行するときには、なるべく荷物を減らすため、必要な部分だけ切り抜いて持って行く。珠海の案内の3ページ分だけ持っていたが、その裏のもう1ページに中山のホテルの案内が載っていた。情報はこれだけである。バスターミナルもいくつかあるようで、このホテルの案内を頼りに選んだ。バスは1時間に2〜3本出ていて、片道25元であった。(円安で今は1元15円になっているが、私は13円弱の時に多めに両替している。) 時間は1時間ちょっとである。中山は孫文の生まれ故郷で、今年は辛亥革命100周年である。映画も作られていたが、私も含め、毛沢東と比べたら現在の日本人には関心は薄い。
 中山では結局2泊した。ビジネスホテルみたいな所に泊まったが、1泊約150元である。相変わらず、ホテルではほとんど英語が通じなかった。中国で英語が通じないのは、まだ欧米人があまり旅行していないからである。英語教育はあまり関係ない。カンボジアでは地方のどんな小さなホテルでも、簡単な英語は通じた。帰りの珠海発の香港国際空港行きのフェリーの出発時刻は12時40分である。中山に泊まって朝9時発のバスに乗っても、充分に間にあう。珠海でゆっくりと昼食もとれた。ホテルでは、中山市の地図を手に入れた。書いてあるのは、すべて中国語である。中山も広いので、最初は現在位置がよくわからなかった。観光名所も書いてあり、行きたい所も何ヶ所か見つけることができた。大きなホテルがいくつも建っていたが、地方都市のどこかのんびりした雰囲気があり、これはこれでよかった。1日目は孫文西路を歩き、ふだんは関心のない買い物をした。ノートパソコン用の革のバッグを見つけ、日本円にして5千円ほどで買った。中国のブランド製品は最近は洗練されてきている。日本ではほとんど流通していないのがいい。夕食は雰囲気のあるホテルのレストランにはいった。海鮮のグリル料理と青島ビールで100元ちょっとであった。ワインブームのようで、ほとんどの人はワインを飲んでいた。
 前日は陽が射すこともあったが、翌日はほとんど雨曇りの天候であった。朝食は前日見つけたスターバックスに行った。大雨で最初は誰も客がはいっていなかった。値段は高く、モッカコーヒーの普通サイズが30元で、アメリカンコーヒーが22元であった。パン類を頼んだら、全部で54元であった。1元15円で計算したら、800円を超えてしまう。一般の中国人には手を出しにくい値段である。それでも、英語が通じ、Wi-Fiも使え、前日のDaily Chinaも置いてあった。後から欧米人が何人かはいってきた。
 この日は、地図に載っていた長江に行きたかった。この日記でも何回も書いているが、海や大河の写真を撮るのが私の趣味である。さて、どうやって行くかである。地図を見たら、そこそこ離れている。タクシーで行ってもいいが、往復なので、値段交渉が面倒くさそうである。たまたま、バス亭の案内を見ていたら、長江水世界行きがあった。このあたりに行ったらいいと思い、このバスに乗った。バス料金は2元である。40分近く乗って、中心村という所に着いた。長江水世界の1つ手前のバス亭である。乗客がみんな降りるので、私もつられて降りてしまった。バイクタクシーの運転手がいたので、長江水世界という字を書いて見せた。5元と書いてきたが、往復でないと困る。結局10元で行くことにした。ぼられているのか、適正価格がよくわからない。長江水世界というのは、長江を見渡せる一帯のことを指しているのかと勝手に思っていた。ところが、案内された所は水遊びのできる大きな遊園地であった。今の時期は閉鎖されており、誰もいない。こんな所でバスから降ろされたら身動きがとれない。横に山を上がっていく道があったので、そこを指して上に行ってもらうことにした。何とかやっと地図に載っていた場所にたどり着くことができた。しかし、この日は天気が悪く、長江もどんよりとしていていい写真が撮れなかった。1番興ざめだったのは、遙か遠くの森に自然保護区と大きな看板が掲げられていたことである。
 夕食は、前日と同じホテルの系列のレストランにはいった。レストランというより、大宴会場という感じで大勢の人がテーブルで鍋を囲んでいた。ここまできたら恥も外聞もない。中国語が話せなくても、適当に鍋物とカニを注文した。カニは38元もしたので、大きなものが出てくるかと思ったら、直径10cmぐらいの小さなものであった。しかし、カニ味噌が絶品で、もっと大きいものを頼んだらよかったと後悔した。干しアワビを戻した料理が168元だったと思うが、ふだん食べる機会がないので、これも注文したらよかった。青島ビールの大瓶が15元であった。中国では、一流ホテルでも足浴や健康中心と呼ばれるマッサージ施設があり、町のあちこちで按摩と書いた大きな看板が光り輝いている。これはこれで、疲れた身体を癒やすには便利である。日曜日は空港で飲み過ぎ、飛行機の中でも飲み過ぎたので、京都に着いてからトイレで何年かぶりに吐いた。今は午後6時半過ぎであるが、だいぶ体調は戻ってきた。今回の旅行では、中国語が話せず、英語も通じず、地図はなくても何とでもなると変な自信はついた。次回は香港経由にこだわらず、上海や北京を除いた地方都市に直接行こうかと考えている。

今週の愛聴盤 17 (121127)

Soundtracks / Can
Soundtracks / Can

 今週はドイツのバンドの紹介である。この辺になると、ファウストやアモン・デュールなど伝説のバンドがずらりと並ぶ。今回紹介するカンは、日本人ヒッピーのダモ鈴木がボーカリストとして在籍したことで有名である。当時の雑誌で、このダモ鈴木がスタジオでレコーディング中に奇声を発して行方不明になったと伝えられていた。このダモ鈴木が在籍していた時のFuture Days / Canのアルバムがカンのベストアルバムと言われている。このLPレコードも私は持っているが、発売されたのは40年近く前の1973年である。今回紹介するのは、私の好きな曲がはいっているアルバムで、1970年の発売である。YouTubeでは、Can - Mother Skyで聴ける。最初の2分間はギターの金切り音が耳障りに聞こえるかもしれないが、その後の独特の浮遊感は今聴いても魅力的である。動画も私好みである。他にも、聞きやすいライブを見つけたので、紹介しておく。Can - Dizzy Dizzyである。
 ついでに、今回は同じ頃のドイツのバンドであるグルグルの曲も1曲紹介する。ロック・マガジンでは、異端派中の異端派として紹介されていた。私が気に入った曲は、ライブ盤の2枚組LPレコードにはいっていた「電気ガエル」である。このアルバムLive / Guru Guruでは他に「Ooga booga spezial」以外はめぼしい演奏がはいっていなかった。曲の途中から、「チーチーパッパ、チーパッパ」と脳細胞を破戒してくれるような演奏とドイツ語のボーカルがマッチし、一種の狂気を帯びた脱力系の音楽を聴かせてくれる。私はこういう音楽も好きである。YouTubeでは、最近、この「Ooga booga spezial」と「Der Elektrolurch」が続けて聴ける動画がアップロッドされた。こちらの方が音がいいので、紹介する。Guru Guru - Ooga booga spezial ,Der Elektrolurch ,live .1978で聴ける。2曲合わせたら長い曲になるので、「電気ガエル」だけ聴きたい人は12分過ぎからである。それでも、グルグルの魅力を知るにはこの2曲を続けて聴くのがいい。

 

平成24年11月20日(火)

 毎週土日にその週に溜まった書類を書き上げる。土曜日は外来があるので、実際は日曜日に出てきて書くことが多い。日曜日にやったらいいと考えるので、いつの間にか書類が溜まってしまうのか、難しいところである。この前の日曜日は、今月中に書かなければならない障害者手帳の更新の診断書や自立支援医療の診断書を書いていた。最近は運転免許証の更新で、てんかんの患者さんには診断書が必要になった。私の医院はてんかんの患者さんは少ないので、今回が初めての診断書であった。この患者さんはうつ病にもかかっていたので、こちらの方の診断書も必要ということで2通の所定の用紙を持ってきた。うつ病で運転免許の更新に診断書が必要だとはまったく知らなかった。この日は預かっていた診断書も2通書いていた。1通目を書き終え、2通目を書いている時に、診断書を間違えて書いていたことに気づいた。2通の診断書はまったく同じ様式だと思っていたら、てんかん用とうつ病(精神病?)用と微妙に違っていた。仕方ないので、月曜日に運転免許課に直接電話して同じ診断書用紙を送ってもらうことにした。今月中に書かなければならない書類は一通り書き終えたと思った。しかし、きょう新たに以前に通院していた患者さんから、障害者年金を申請するので診断書を書いて欲しいと電話で依頼があった。毎週こんなことの繰り返しである。この日は、10月分の資料をまとめ、会計事務所に送った。
 さて、今週読み終えた本である。私の読書法は同時並行読みなので、途中まで読みかけている本は沢山ある。この本も半分ぐらいまで読んでいたが、きょうの朝6時前から読み出して最後まで読んだ。少し前まで、本屋に平積みになって置かれていた本である。佐藤優「読書の技法」(東洋経済)である。この著者の本は、京都新聞を読んでいたら、佐藤優、手島龍一「動乱のインテリジェンス」(新潮新書)がある書店のベストセラーになっていた。私がこの著者の名前を知ったのは、同じ2人が対談している「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬舎新書)である。きょう紹介する本では、作家・元外務相主席分析官となっている。この日記でも何冊も取り上げて紹介している。久しぶりにこの著者の本を読んで、知的に刺激されて本当に面白かった。
 私は医者としては医学書を除いて、まだ本を読んでいる方だと思っている。しかし、著者の読書量は驚異的である。現在月300冊以上の本に目を通し、多い月には500冊を超えるという。はったりではなく、著者独自の速読法を使っている。この本では、速読法についても書いてあり、1冊を5分で読む「超速読」と1冊を30分で読む「普通の速読」のやり方について詳しく紹介している。現在の読書時間は1日6時間で、どんなに忙しくても、最低4時間は読むという。そして、400字詰用紙で月1000枚を超える原稿をここ3年間書き続けている。ここまでくると、国のために滅私奉公してきて、外務省を罪人として追われたことに対するルサンチマンではないかと思うほどである。この本の中では、外務省に入省した時のことも書かれている。著者はノンキャリアであるが、ソビエト連邦課に配属されると、仕事が終わるのは夜中の2時、3時になり、東京サミットの時には2時間の睡眠が続いていたという。京都新聞を読んでいたら、つい最近勤務医の過酷な仕事のことが記事になっていた。霞が関の職員の働きぶりはそれ以上だと思う。しかし、居酒屋タクシーのように批判されることはあっても同情されることはない。医者向けのホームページでは、勤務医の平均年収は1442万円で、開業医の年収は2156万円という統計も出ている。少し前に見たNHKのニュースでは、東京では派遣教師の月給が手取りで17〜8万円という時代である。(きょうのクローズアップ現代では「広がる派遣教師の実態」を特集するが、今はまだ午後6時半なので内容は確認できていない。) 医者向けの掲示板を読んでいても、世間知らずの医者が多くて恥ずかしくなるほどである。今は医学部志向の学生が多いので、私の頃より入学が難しくなっていると思っていた。ところが、このホームページでは、学生の学力が低下しているということが今話題になっている。
 時々、次から次へと山ほどの本書いている人がいるが、精神科医でも大学教授でも本来の仕事を持っていて、実際にこれだけの本を書けるのか疑わしい人もいる。だいぶ前に、インターネットの「Business Media 誠」でゴーストライターのことを特集していた。現在は出版業界は不況なので、どうしても新書など売れっ子の作家に本の依頼が集中する。ゴーストライターと言っても、タレント本とは違い、売れっ子の作家に企画を持って行き、インタビューにかなり時間をかけている。そして、ゴーストライターがまとめて本を作る。あまりにも短期間で大量の本を出版していると、こうして出来上がったであろう本を作者自身が読んでいるのかも疑わしくなる。著者に関してはこういう心配はまったくない。
 私は一般書は速読することはなく、けっこうまめに読む。ただ、必要に迫られて読む医学論文だけは要点だけを探し出して読むし、引用文献は関係のある部分しか読まない。開業して最新の論文をまだ読むことがあるのかと聞かれたら、イエスである。私は国から頼まれた労災裁判の意見書を書いているので、関係領域の本や文献はかなり読んでいる。労災裁判では、適応障害かPTSD(外傷後ストレス障害)かよく問題になるし、精神科医にとってはどうでもいい発病年月日も問題になる。どうしてかというと、発病6ヶ月前までの職場での出来事が、業務による強い心的負荷として認められるからである。発病してからの出来事は、当然業務による強い心理的負荷とは認められないし、6ヶ月以上前の出来事も認められない。前にも書いたが、山のような裁判資料も速読である。裁判が長引いてくると、すでに国側についた精神科医の意見書や原告(被災労働者)についた精神科医の意見書がいくつも提出されている。原告の主張や周囲の職場の人の証言もたくさん残されており、いま裁判で何が争点になっているのか裁判記録を把握するだけでも大変である。私は来年の5月で60歳になるので、3月で労災の仕事は引退する。開業医になっても第一線を退かず、緊張を持って仕事を続けてこれたのはこのおかげである。
 さて、「読書の技法」である。ここでは読書ノートの作り方も詳しく紹介している。作者は現在52歳で、人生の残り時間をもう気にし出している。私はそれから比べたらもう年なので、最近は読んでいて気になる部分は直接マーカーで本に線を引いている。昔は読書ノートも作り、大事な本だけは今でも残している。しかし、残りの人生が少なくなってきたので、最近は読み捨てでいいと思ってきた。よほど気になったことはメモを取るが、今ではこの日記が私の読書ノートになっている。この本では、消化できない基本書や専門書に取り組んで時間を浪費することを戒めている。基礎知識の欠損部分を埋めるためには、高校レベルの教科書と学習参考書を読むことを勧めている。実際に高校の教科書や参考書をあげて解説しているが、本当に勉強になる。プライドの高いビジネスマンほど基礎を無視して、いきなり高度な専門書を理解しようとする。
 ここでは、国語の大学受験参考書の「NEW出口現代文講義の実況中継」について紹介する。「現代文は数学とまったく一緒なんです。数学は、論理を記号や数字を使って表すもの。それに対して、「論理」は日本語によって表した現代文の『評論』です」、「文章の中で言葉は、無数の糸で引っ張られているのです。引っ張られて、意味が決まる。その働きが文脈の力というものなんです」、「文脈によって言葉を規定していけば、言葉は固定化されます。そうすると、言葉は揺れ動かず、数学の記号と同じになってくる。その結果、現代文は感覚の教科から論理の教科に早変わりするわけですから、数学と同じように明快に解けます」とある。著者は、ウィントゲンシュタインの「私的言語は成立するか」という言語学や哲学の極めて難しい問題を、この参考書の著者は高校生にも理解できるように説明していると解説している。私はもう少し年を取ったら、読書していると言っても、若い人からは「呆け防止ですか?」と言われそうである。この本は、ぜひとも読書に興味のある若い世代の人に薦めたい。
 大変申し訳ありませんが、きょうは遅くなって疲れてしまったので、私の愛聴盤は明日アップロードすることにします。

今週の愛聴盤 16 (121120)

Introspezione / Opus Avantra
Introspezione / Opus Avantra

 私はハードロックが好きで、レッドツェッペリンやエアロスミスなどもよく聴いていた。前からあまり名の知られていないバンドを紹介したいと思っていたが、YouTubeではEMIが著作権の関係で閲覧を禁止している。アルバムは、Seashanties / High Tideである。この中の「Death Warmed Up」が名曲であるが、なぜかYouTubeでは聴くことができない。最近の曲ならわかるが、このアルバムは1969年に発売されているのである。発売から40年以上も過ぎているのに、今でも堅く著作権で守られている。
 さて、今回はハードロックと対局にある音楽の紹介である。クラシックに近い印象であるが、ウォークマン用のX-アプリに取り入れると、CD情報ではロック(一般)に分類される。ウィキペディアでプログレシブ・ロックで調べると、女性ボーカルものの中に、このドネラ・デル・モナコの名前が出てくる。Opus Avantraの名前はあまり知られていないが、2008年には来日している。この時の演奏をYouTubeでも見れるが、内容としてはもうひとつである。このスタジオ盤のアルバムの方が遙かに感動的である。イタリアのバンドで1974年に発売されている。私の持っているCDは1989年に再発されたものである。YouTubeでは、私の好きな曲が何曲か聴ける。まず、最初に、Opus Avantra-Les Plaisirs Sont Douxである。曲の最後が途中で切れてしまっているが、これだけしかないので我慢して下さい。次は、東京公演にもあるOpus Avantra - Il pavoneである。私は他にも2003年に発売されたVenetia & anima / Donella Del Monaco - Paolo TronconのCDも持っているが、残念ながら私の1番好きな曲はアップロードされていない。ついでに、このアルバムの中のDonella Del Monaco - Paolo Troncon: Nell'eterno del presenteも紹介しておく。

 

平成24年11月13日(火)

 今年は父親が亡くなったので、年賀状代わりに喪中のハガキを送らなければならなかった。印刷はネットで頼んだらすぐに仕上がる。ところが、宛名書きが面倒で、印刷はできても出すのが延び延びになっていた。実は、住所は安い宛名書きソフトに入れていたが、今年は使っていたパソコンが壊れてそのデータが取り出せなかった。もう発売が中止になったソフトで、よく使われている新しいソフトに乗り換えた。この前の日曜日は覚悟を決めて、すべての住所を登録し直した。何とかこの日に、すべてのハガキを出すことができてほっとしている。この日曜日は他にもやることがあった。京都府の精神障害に関する労災の部会長をしているので、ある労災の件について意見書を書いていた。裁判の意見書とは違うのでそれほど手間暇はかからない。それでも資料を読んだりしていたら、仕上げるのに最低2〜3時間はかかる。
 前日の土曜日は、年に2回ある京都精神科診療所協会の集まりがあった。京都府内で精神科を開業している診療所のドクターの集まりである。今回は参加者はいつもより少なかった。定例報告会の後、講演会があった。今回の講師は東京医科歯科大学教授で、演題は「妊婦・授乳婦に対する向精神薬の使い方」であった。以前にこの日記でも紹介したが、この先生が書いた内容をある製薬会社がPDFで提供していた。壊れたXPのパソコンに保存していたが、ドキュメントに置いていなかったので、このデータも取り出せなかった。今回の講演に、製薬会社が作った演題名と同じ小冊子が資料としてはいっていた。こんな小冊子が出ているなんてまったく知らなかった。これ1冊あったら、妊娠中の患者さんに投与する薬の最新情報が得られる。精神科では、睡眠導入薬や抗うつ薬、抗精神病薬などが用いられるが、ほとんどの薬は妊娠中服薬していても問題ない。パニック障害で用いられる精神安定剤のソラナックスが他の精神安定剤より催奇形姓が高いという先生もいたが、それほど神経質になることはないようである。脳のセロトニンを増やすSSRIもほとんど問題にはならない。授乳への移行は、精神安定剤のワイパックスが少ないと知っていたが、これもそれほど神経質になる必要はない。以前から奇形発現率がら高まることが知られていた抗てんかん薬だけは気をつけなければならない。
 講演会の後の懇親会に参加する人はもっと少なかった。たまたまレセプト(診療報酬明細書)の審査をする先生がいたので、わからない事を聞いてみた。よく同業者が審査をしていて、公正な審査ができるか問題になる。しかし、いくら優秀な利害関係のない人を選んでも、細かい事情がわからないので審査には不適切である。同じ医者でも、精神科以外の者では無理である。前にも書いたように、覚醒剤中毒の患者さんは幻聴や被害妄想の症状で苦しむ。自業自得といったらそれまでであるが、深川通り魔事件のような連続殺人は未然に防がなければならない。この時に、治療として用いるのは、幻覚や妄想を改善する抗精神病薬である。ところが、この抗精神病薬の保険適用は統合失調症しかない。
 今はレセプトの審査はコンピューターでやるので、保険適用のない薬を使うと、審査ですぐはねられる。具体的に言うと、外来で薬を処方しても(院外も含めて)、患者さんが窓口で払う医療費の残りの料金が支払われなくなる。覚醒剤中毒の患者さんは生活保護の人が多いので、処方した薬が審査で認められないと、この薬代を医療機関が全額負担しなければならない。審査員の先生によると、割り切って統合失調症と病名をつけるしかないという。覚醒剤中毒の治療には保険で認められた薬がないので、この場合は保険病名として統合失調症をつけることになる。私は、主病名にまったく違った保険病名をつけることにはものすごく抵抗がある。精神病院のサテライト・クリニックに勤めている先生は、老人の夜間せん妄(夜中に寝ぼけて、夢と現実がわからなくなって大騒ぎする)には抗精神病薬を使用するが、保険審査が通らないのでこれまで全員に統合失調症という病名をつけてきたという。労災申請があった時には、保険病名が全部あがってくるので、本当の病名と保険病名が区別できない調査員は混乱をきたしやすい。
 さて、今週読み終えた本である。永濱利廣「男性不況」(東洋経済)である。著者は現在第一生命経済研究所主席エコノミストである。精神科をやっていると、ありとあらゆる職業の患者さんがやってくる。他の科とは違い、仕事内容についても詳しく聞くので、世の中で起こっていることは大体わかってしまう。しかし、社会のすべてがわかったような気になるのは戒めなければならない。この本では、男性不況とは、男性向きの仕事が減り、女性向きの仕事が増えた結果、男性の価値が低下した状況をさしている。もともとはアメリカで提唱された言葉(mancession)で、男性の失業率が女性を上回り、その差が拡大する不況下の状況を示したものである。私はバブルが弾けて、だらだらと不況が続き、リーマンショックと東日本大震災で日本の経済はとどめをさされた印象を持っていたが、この本を読んでこれまでの日本経済の実態を詳しく知ることができた。
 まず、1997年(平成9年)は日本経済を語る上でエポックメーキングな年だという。消費税が3%から5%に引き上げられ、アジアで通貨危機が起こり、大手の証券・銀行が自主廃業または経営破綻している。しかし、労働市場は過去最高を記録していた。そこから減少し始め、2002年(平成14年)以降は経済が回復し始め、2007年には就業者数も雇用者数も大幅に回復した。2008年までをいざなみ景気というが、労働者の賃金はほとんど上がっていなかったのでほとんどの人は好景気を実感できなかった。ところが、多くの企業は史上最高益を上げていたのである。
 男性不況により、たばこや酒の消費量も減り、両方合わせるとピーク時から1兆円もの税収が減っている。男性不況の要因についてひとつひとつ具体的な統計を挙げて説明している。要約も書いてあるが、@円高対策、および経済のグローバル化に対抗するため、製造業の海外シフトが進み、国内の職場が大幅に失われてしまったこと、A財政健全化のための公共投資の削減と、少子高齢化の進展による建設投資の縮小により、建設業者の職場が縮小してしまったこと。(2002年に618万人いた就業者が2011年には407万人と3割4分も減っている) B男性の雇用が増えにくい医療や介護以外に、将来にわたって需要拡大が見込まれる大きな産業がないこと。(この分野では、2011年までの9年間で178万人増えているが、大半は女性である) B男性の非正規雇用者が増えて定収入の男性が増えてしまったこと。C女性の社会進出が進み、経済的に余裕のある女性が増え、相対的に男性の立場が弱くなったこと。(女子に優秀な子が目立つという大学教授の言葉も引用している)
 男性不況を脱するための提案も書いてあるが、興味のある人はこの本を読んで下さい。最後に、この本に書かれている若い人たちの結婚について紹介する。現在年収300万円未満では、20代・30代ともに、既婚率は9%前後である。女性の社会進出や男女間の給与格差の縮小で、家庭の所得格差が広がるという。高所得女性と低所得男性の出現で、高所得男性と高所得女性が結びつきやすく、低所得男性と低所得女性が結びつきやすくなるからである。男性も女性も職業に就いてしまえば、日常生活の大部分を職場に束縛されることになる。出会いの場として会社というコミュニティの位置づけが,以前にもまして重要になってくるという。どうしても、自分たちと収入レベルが異なる人と出会う機会は限定されてしまうのである。女性の社会進出が進んだというが、出産後は専業主婦を希望する女性はまだまだ多い。この本の中で紹介されているが、東大に合格した女子学生が、「なぜ東大を選んだのか」と聞かれ、「専業主婦になりたいから」と答えている。将来性のある男性を見つけるために東大に入学したのである。

今週の愛聴盤 15 (121113)

Clara Crocodilo / Arrigo Barnabe
Clara Crocodilo / Arrigo Barnabe

 以前にも書いたように、今から30年以上前はプログレの情報はなかなか手に入れることができなかった。当初は阿木謙の「ロック・マガジン」にお世話になっていた。(先週新聞を読んでいたら、女性とトラブルを起こし、大阪で逮捕されていた。) その後、「Fool's Mate」や「Marquee」を愛読し、主にヨーロッパのバンドのLPレコードを集めていた。家庭を持ち、仕事も忙しくなり、プログレ熱もいつの間にか冷めていた。ワールド・ディスクから送られてくるカタログを見ながら、気まぐれ的に通信販売でCDを注文していた。このワールド・ディスクは日本最大のプログレ専門店である。ホームページを見ると、懐かしのアルバムが沢山再販されている。最近自宅に送られて来たカタログを見ると、1番初めにポポル・ヴー( Popol Vuh)のアルバムが4枚紹介されていた。「フィツカラルド」などの映画で知られているドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品にこのバンドの音楽がよく使われていた。このカタログでは、4枚のCDがそれぞれ3300円で販売されている。ところが、私の1番好きなHosianna Mantraのアルバムをはじめ、YouTubeでは無料でフルアルバムが聴ける。久しぶりに聴いてみたら、すごくよかった。このアルバムを別の週に新たに紹介してもいいぐらいであるが、ついでにここで紹介しておく。Popol Vuh - Ah!Popol Vuh - Hosianna Mantraなど、いい曲は沢山ある。
 さて、今週紹介するアルバムである。恐らくこのアルバムを聴いた人は、日本全国で100人もいないのではないかと思う。1999年の発売である。このCDは今では入手困難である。当時先ほどのワールド・ディスクで注文して、手に入れた。カタログはすぐ捨ててしまうので、どこの国のCDかもわからなかった。CDのパンフレットはあるが、何語で書かれているのかもわからず、発売日もわからなかった。曲もこれまで聴いたことのないような音楽である。ネットでいろいろ調べたら、ブラジルのアーティストとわかった。同じタイトルのアルバムが1980年に発売されているが、こちらはスタジオ盤で、この新しいライブ盤の方が遙かに優れている。前からこのアルバムを紹介したかったが、このアルバムの中の気に入った曲がYouTubeではなかなかアップロードされなかった。1曲目は最近アップロードされた。Arrigo Barnabe - Aventuras em um drive-inで聴ける。もう1曲は前からアップロードされていたが、動画はむつけき中年のバルナベの姿ばかり映っていて、もうひとつであった。タイトルは間違っているが、同じ曲がArrigo Barnabe - Num antro sujoで聴ける。このアルバムは女性コーラスが不思議な魅力を持っている。2曲目の2分過ぎからの展開は何と表現したらいいのだろう。

 

平成24年11月6日(火)

 私が若い頃に、お年寄りの患者さんを診ていて、長い人生の中でいろいろなことが起きるものだと思った。当時70歳を過ぎていた患者さんは、戦前の教育を受けて日本の敗戦を迎え、180度変わった価値観の中で焼け野原から出発していた。高度成長期を経て、社会や家族の価値観が変わり、女性や嫁が強くなり、時代の流れについていけないお年寄りが多かった。当時は人ごとのように、こんなに時代が変化していたら無理もないと思っていた。私は高度成長期と伴に時代を歩んできた。バブルが弾けて、長期の不景気が続き、阪神大震災や東日本大震災を経験している。私の生きている間に、私がついていけないほどの(社会の)大地殻変動を経験しそうである。それが戦争(経済的なことも含め)であるのか大量移民であるのか何なのかわからない。このまますんなりと最後まで人生は終わってくれそうもない。
 土日の連休は、私1人で長野県の故郷に帰った。父親が8月に亡くなり、両親が売った自宅がどうなっているのか見たくなった。今はカルフォルニアのサクラメントに住んでいる1歳年下の妹と池田の妹はここで生まれている。私は地元の高校に通い、京都の大学に出てくるまでここで過ごしている。両親は5年前に妹の住んでいる池田に転居しているので、長いこと故郷には帰っていなかった。前回いつ帰ったのか調べてみたら、平成18年1月である。この時はまだ誕生日が来ていなかったので、私は52歳であった。当時のノートを見てみたら、予定がびっしりと詰まっている。今続けている労災判定会議ばかりでなく、介護認定審査会や府医師会の医療安全対策委員会、東山保健所、京都国際交流会館の外国人のためのカウンセリング・デイ、京都福祉サービス協会の特別養護老人ホームの診察やヘルパー養成講座の講師、京都市の日曜・祝日の待機番、東山医師会役員会、龍谷大学の臨床心理士資格取得のための実習まで受け入れていた。働き盛りの時で、私もここまでこなしていた。若い人にはもっと頑張って欲しい。
 土曜日は朝8時過ぎの新幹線で名古屋まで行った。名古屋から長野まで「特急しなの」で3時間ちょっとである。当日でグリーン車を希望したが満席で、1本遅らせて乗った。新幹線とは違い、グリーン車には若い人はほとんど乗っていない。木曽福島や松本で降りる人が多く、長野まで行く人は少なかった。宿泊は長野でビジネスホテルを予約していた。大きな浴場があり、朝食付きで6千百円である。駅前でレンタカーを借りて私の故郷である飯山、野沢温泉に向かった。レンタカー代は6時間までは6千円ちょっとである。昼食をとって、午後1時過ぎから夕方7時まで予約した。この日は朝から天気がよかったが、高速道路を降りてから雲が出だした。飯山に寄る前に、先に野沢温泉に行くことにした。野沢温泉の手前には北竜湖がある。今は紅葉が始まっている。小さな湖であるが、春は桜がきれいで、写真を撮るにはいい場所である。雲が厚く覆っていたので、もうちょっと陽が射してくれたらと思った。野沢温泉は連休だったので、それなりに観光客はいた。外湯に入って、いつもは撮らない見慣れたお土産屋の写真を撮った。
 飯山に着いた時にはあたりは真っ暗であった。私の家がある本町通りは歩行者天国になっていた。昔はこの11月の連休はえびす講があった。厳しい冬がやってくる前の準備をするため、もっと田舎から大勢の人が買い出しに来ていた。家の前の通りは、びっしりと物売りがゴザを敷いて並び、大勢の人でごったがえしていた。今は屋台が並び、照明がつけられ、子ども連れなどが来ていた。私は自分の家の写真を撮りたかったが、家の前には屋台があり、なかなか撮りづらかった。家の裏にまわったが、真っ暗でやはり撮りにくい。今回は写真を撮るのをあきらめて、長野まで戻ってきた。ホテルでは、新しく買ったWindows8のノートパソコンでいろいろ調べていた。Windows8はタッチパネル用に作られており、普通のノートパソコンとしては信じられないほど使い勝手が悪い。使いやすいようにいろいろカスタムする方法があるが、Windows7にしておいたらよかったと後悔した。
 最初の予定では,日曜日は善光寺に行って、早めに京都に帰ってくるつもりであった。しかし、飯山には親も住んでいないので、将来いつ来れるかわからない。飯山線は相変わらず1時間に1本しか走っていない。降りてから移動するのも不便である。朝から快晴であったので、思い切ってまたレンタカーを借りて飯山に行くことにした。とりあえず、記憶用の写真で撮れる物は撮っておこうと思った。最初は母校の飯山北高校に寄った。建て直しの何の変哲もない建物である。入り口に飯山北高等学校と書いた古い大きな板がかかっていた。私がいた時と同じ看板かと思ったら、上に長野県と書いてあり、長野県立ではなかった。次に飯山城跡に行った。地元では城山と呼んでおり、この高台から千曲川が見渡せる。紅葉もきれいで、何枚も写真を撮った。
 次は飯山スキー場である。車で上って行ったが、途中で道がわからなくなった。木々に覆われた細い道があったのでそこを上ることにした。ところが、道の左側が崖になっている。誰も利用していないようで、右は山側になっており、木の枝が垂れ下がって車のウィンドウにバサバサとあたる。途中で道が途切れたらどうしようかと思うほど細い道であった。曲がりくねった道で、バックではもう引き返せない。何とかこの細い道を抜け出すことができた時にはほっとした。広い畑があり、農業用の車が入り込んでいた。別の道から下って行ったが、途中で見たことのない紅葉に出会った。山ではよく見かけるのかよくわからない。杉(だと思う)に大きな葉のついた蔦が下から上までびっしり絡まり、この葉がきれいに紅葉している。林になっているので、光が当たると見ごたえがある。今回は記憶用の写真だけではなく、この写真が撮れたので本当に幸せであった。ジャンプ台に出たが、今はスキー場としては使われていないようである。ここからは市街地がすべて見渡せる。スキー選手がジャンプの練習をしていた。
 昼食は本多のうなぎを食べた。ここのうなぎは有名で、昔は実家に帰ると、父親が出前でとってくれた。先代(先々代?)の時には、毛布で包んで出前をし、「冷めないうちに食べてくれ」と言われたという。それにしてもこんな田舎で強気の値段である。メニューはうな重が3400円で、うな丼が2900円である。吸い物は別に350円である。生ビールは600円で瓶ビールは700円である。こんな値段でも日曜日だったこともあり、満席で2階の部屋に回された。ここもすぐにいっぱいになった。美味しいのは美味しいが、昔の素朴さが失われたような気もする。ビールは飲むわけにいかないが、滅多に来れないので食べれる時に食べておこうと思った。元自宅にも寄って、写真を撮った。前日の屋台はもう出ていなかった。この建物もいつまで残るかわからない。80歳になる母親に撮ってきた写真を今度見せようと思う。2015年の春に北陸新幹線の飯山駅が開通する予定である。次に訪れる時には、長野から飯山まで新幹線である。新幹線が通るようになったら、飯山でレンタカーも借りれるようになるだろう。もんもん写真館に載せている写真は、前回訪れた時の雪におおわれた飯山駅の写真である。

今週の愛聴盤 14 (121106)

Fruits / Catherine Andrews
Fruits / Catherine Andrews

 このアルバムはレア・アイテムで、CDでは出ていないと思っていた。今から30年前の1982年の作品である。今回米国アマゾンで調べてみたら、「Fruition」というタイトルで、今年の4月に新しいCDが出ていた。中の曲を調べたらこのアルバムの代表的な曲がはいっていた。他にもアルバムを出しているので、まったく同じものなのか、今手元にLPレコードがないのでよくわからない。音楽のジャンルとしては、Acid Folkとして分類されている。何のことか私もよくわからないが、トラッドやフォークに近い。このキャサリン・アンドリュースの声は何とも捨てがたい魅力がある。バック・ミュージシャンには、ニック・ターナーやゴードン・ギルトラップなど有名どころが名を連ねている。YouTubeでは、代表的な3曲だけ聴くことができる。3曲とも、同じ人物がアップロードしており、動画は3曲とも同じで安易な作りである。アルバムの写真ももうちょっと丁寧に撮ってくれたらと思う。音源はLPレコードからで、一部ハウリングも起こしている。それでも、遙か彼方の過去に埋もれることなく、この幻のアルバムの曲を聴けるので、感謝しなければならない。まず、最初に繊細で澄み切った声が聴ける Catherine Andrews- Daygoneである。次は私が1番気に入っている曲で、 Catherine Andrews- Garden である。地味な出だしであるが、中盤からよくなる。興味のある人は残りの曲もすぐわかるので聴いて下さい。
 このアルバムのことを調べていたら、Josephine Fosterという女性シンガーのことを知った。この人の音楽もアシッド・フォークに属するようである。たまたま試聴してみたら、私の感性にぴったり当てはまった。Blood Rushing / Josephine Fosterというアルバムが今年の9月に発売されたばかりである。早速手に入れて聴いてみたが、フォークに近い味わい深いボーカルである。日本盤でも発売されている。YouTubeにはこのアルバムから何曲かアップロードされている。ここでは Josephine Foster - Sacred Is The Starを紹介しておく。

 

平成24年10月30日(火)

 最近油断をしていたら、また体重が増えてきた。先週の月曜日からまた食べる量を制限している。午後からおなかがすいて仕方がない。再び車で通勤するようになって、運動不足にもなっている。酒は月、水、金と週3日断酒しているが、他の日に飲み過ぎると調子が悪い。以前と比べると、弱くなった。年を取ってくると、物に対する執着もなくなってくる。お金はあっても、あまり欲しい物はない。性欲もまったくないわけでないが、若い頃と比べたら遙かに衰えている。ちょっとやそっとのことではあまり興奮しなくなった。段々年を取ってきて、わくわくするような出来事に会えなくて困っている。
 TVのニュースを見ていたら、石原東京都知事の辞職会見を放送していた。この中で、都知事として様々な規制を押しつける中央政府に対する批判をしていた。橋下大阪市長も中央政府の硬直性を批判し、国から地方への権限委譲を訴えている。1つ1つの批判を聴いていると、まったくその通りだと思う。私も後で紹介する本にも出てくる、中央政府の先例踏襲、官僚主義、既得権益の確保という面は強く非難されるべきだと思っている。地方分権については中央政府の監督もなしに地方に任せていたら、何をするかわからないという主張もある。しかし、先週紹介した、宇佐美典也「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)を読んでから、国から地方への権限委譲というのは、もしかしたら地方の「いいとこ取り」でないのかとふと思うようになった。
 私は地方分権は何を指しているのか全く知識はない。推測であるが、国から地方への権限委譲は、法的に簡単にできるものから難しいものまでいろいろあるのだろう。先に紹介した本でも出てくるように、新しい法律を作る場合は過去の法令との整合性を整えるため、古い資料から集め、省庁間の調整を重ねて条文を修正していく。各関係団体と条件調整を行いながら、関係省庁間の利害関係を把握し、すべての関係者が平等に不満を感じるように落としどころを慎重に見定め、方針を決める。一見理不尽と思われる法令の改正も、私たちが想像する以上に難しそうである。若手官僚がいやがる仕事として、国会答弁作成業務がある。議員から寄せられる質問の事前通告に対して、大臣や副大臣が答弁するための下書き作成である。(先の本ではカンペと書いてあり、何のことかと思ったら、カンニング・ペーパーのことであった。) 本当に手間暇がかかり、最優先の仕事なので、本来の業務が遅れがちになる。しかし、本来の業務の締め切りが延びるわけでもない。霞が関ではキャリアもノンキャリアも過酷な仕事をこなしている。
 地方自治体の長が地方にできることは地方に権限委譲しろと言うのはもっともな主張だと思っていた。しかし、もしかしたら国にとって、地方は何の苦労もせず、「いいとこ取り」だけを主張しているのかもしれない。これは私の勝手な想像なので、やはり地方に対する国の締め付けが不当にきつすぎるのかよくわからない。地方自治体でも特別忙しい部署があるのは知っている。直接住民と向き合わなければならないので、地方には地方の苦労がある。しかし、国家公務員の給与削減が行われ、地方公務員の天下りは問題にされず、現在非難されるのは中央政府ばかりである。地方から国を変えるという理念はわかるが、法治国家なのでこれまでの法律を無視して勝手にできるわけではない。法的にはどうしたのか知らないが、今から考えると、郵政の民営化はよくできたものだと思う。強力な政治的な後ろ盾があると、こういうことも可能なのかもしれない。部分的に非難することは誰にでもできるが、現状を知れば知るほどこの国は一体どうしたらいいのかと思ってしまう。
 さて、今週ほぼ読み終えた本である。保阪正康、東郷和彦「日本の領土問題」(角川ONEテーマ21)である。この本は今年の2月に出ているが、買ったまま放置してあった。中国との尖閣諸島問題が気になって、最近読み出した。ほぼ読み終えたというのは、北方四島や竹島のことも書いてあり、最初はこの部分を飛ばして読んだからである。最後の2人の対談で、この2つの領土問題について要点は触れている、また本の最初に戻って読み出したが、竹島についてはまだ読み終えることができなかった。著者の東郷和彦は外務省にはいり、主にロシア関係を中心に勤務し、現在では京都産業大学教授をしている。「外務省のラスプーチン」と言われたあの佐藤優の上司にあたる。
 北方領土のことは尖閣諸島のことで現在は陰に隠れている。今は実質的にロシア人が住んでいるので、将来の返還は悲観的だという。日本とロシアの主張を解説しているが、日本、ロシアの双方に弱点がある。サンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄したことになっているので、日本は北方4島は含まれないと主張することもできた。しかし、この時の吉田首相の受託演説では、国後、択捉を放棄したとも受け止められる発言をしている。ロシアもこの条約に署名をしないという大失策を犯したので、日本となんらかの合意をしなければならなくなった。ロシアの国力が衰えていた時に、歯舞、色丹の2島返還の機会があったが、日本政府は蹴っている。4島一括と主張して、今はどうなったかというと、ロシアがこの地域の開発に乗り出し、実質的に返還はほぼ不可能になっている。それでも、ここでは返還のためにいろいろな提案をしている。竹島と尖閣列島についは、日本の主張はTVなどで解説されている通りである。しかし、竹島を島根県に編入した1905年は、1910年の韓国併合の先駆けになっていると韓国人には信じられ、「歴史問題」となっている。尖閣諸島の問題も、「領土問題」から離れて、「歴史問題」や「政治問題」になると収拾がつかなくなるという。この本では、なぜかポツダム宣言のことについては触れていない。東郷は、「相手が武力を行使する可能性があるなら、唯一の抑止力は、自ら適切な武力を行使してたたきかえせるかということである」と述べている。保阪も自衛隊幹部などの言葉を引用し、「自衛隊は戦争をするためではなく、戦争を抑止するために存在する」と述べている。この領土問題については、他にも新書で何冊か出ているので、別の考え方もあるかもしれない。

今週の愛聴盤 13 (121030)

Garden of Mysteries / In the Labyrinth
Garden of Mysteries / In the Labyrinth

 前にも書いたが、プログレシブ・ロック(プログレ)はジャズやクラシックや現代音楽に近づいたり取り入れたりしている。民族音楽も同じである。しかし、アラブ(イスラム)の音楽を取り入れているバンドは珍しい。私が知らないだけかもしれないが、日本に住んでいるとそういう音楽に触れる機会はほとんどない。このCDもワールド・ディスクのカタログで注文して手に入れた。1996年の発売である。アマゾンで調べてみたら、まだ手にいれることはできる。このバンドは日本ではほとんど知られていないだろう。あまり期待していなかったが、聴いてみたら予想以上によくできたアルバムであった。中東の音楽を上手に取り入れており、最後まで飽きさせない。この「In the Labylinth」について今回調べてみたら、中東とは全く関係なさそうなスウェーデンのバンドであった。YouTubeでは、ジャケットの写真だけしか写っていないが、このバンドの曲を聴くことができる。まず、最初にIn the Labyrinth - Kekova (The Sunken City) / Ali Hasan / Aslanである。最初の出だしはもう一つであるが、1分半を過ぎる頃からよくなる。次に短い曲であるが、In the Labyrinth - Moorish Waltzもいい。最後に、In the Labyrinth - Gates Of Andorraも紹介しておく。こんな感じで、全編が作られている。
 実は、これ以前にもっとアラブ色とロック色を出したバンドがあった。ジャケットの写真を載せたかったが、同じ日付の「私の愛聴盤」でどう続けて載せるのかHTMLのやり方がよくわからなかった。私はこのアルバムをLPレコードで持っている。Life at the Pyramid / Dissidenten(1986年)である。このDissidentenはドイツのバンドである。Youtubeで調べてみたら、このアルバムの中の曲も載っていた。ここでは、Dissidenten - Telephone Arabを紹介しておく。この音楽が楽しめるなら、Dissidenten - Fata Morganaもいい。それでも、最後の方は少し飽きてくるかもしれない。

 

平成24年10月23日(火)

 この前の日曜日は、東山医師会秋の集いがあった。毎年医学とは関係ない講師を招いて、話を聞く会員の親睦会である。今年は「姓は丹下、名は左膳」の演題で花園大学教授が講演をしてくれた。内容は大岡政談から始まる丹下左膳の成り立ちや作家についての話である。資料として、昭和2年10月からこの小説が連載された大阪毎日新聞や東京日日新聞のコピーもそえられていた。当時の大衆小説の時代考証はいいかげんであったという。興味深かったのは、昭和2年〜9年までの連載が載った新聞のコピーで、全部で9面あった。広告が載っているが、梅毒や淋病を治す医院の宣伝が多かった。
 東山区は祇園や清水寺を含む京都を代表する観光地である。しかし、65歳以上の高齢者は31%を超えている。人口減少も著しく、小中学の統廃合も進んでいる。京都府医師会の会員数は全体的には増えているが、この東山医師会と下京の医師会の会員数は減少しているという。ここ最近東山区で開業した先生は5年前に1人いただけである。この先生はまだ40代半ばであるが、もともと祇園のど真ん中で育ち、昔はお父さんが開業していた。今回久しぶりに東山医師会の集まりに参加した。私の年代の先生の参加が少なかったせいか、老人会かと思うほど高齢の先生が多かった。東山医師会の中で若いと思っていた私でさえ60歳に近づいてきたので、無理もない。
 開業には1にも2にも場所だと言われる。最近身にしみてそう思うようになってきた。祇園周辺で開業している先生に聞いたら、新規の患者さんはほとんどいないと言う。東山区からの患者さんはこれ以上望めそうもない。私の医院は伏見区や南区に接しているのでまだ助かっている。しかし、最近はこの地域で開業する先生も出てきた。これまで遠くから来院していた新規の患者さんが途中でブロックされてしまう。私は開業して12年目になるが、開業して最初の10年間は経済的には黄金時代であった。世の中は大不況なので、借金が残っていない分贅沢は言えない。まだそれほど危機感はないが、これからも自分の年齢に応じた診察を心がけていこうと思う。
 さて、先々週から予告していた本の紹介である。遅くなってしまったが、宇佐美典也「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)である。著者は東大卒で経産省に入省し、今年の9月で退職予定の若手官僚である。今や官僚は霞ヶ関に巣くうシロアリとして、あちこちで叩かれている。官僚の天下りなどについても、国民の税金を食いつぶしていると、激しいバッシングである。官僚について書いた本については、この日記でも数多く取りあげてきた。これまで官僚自ら過酷な仕事内容について語ることはなく、ましてや大衆受けする官僚批判の本では、その過酷な仕事内容については知っていても触れることはなかった。少し前に居酒屋タクシーが問題になったが、どうしてこれほどタクシーチケットが配布されるかというと、仕事が忙しすぎて終電が過ぎても帰れないからである。運転手からおつまみやビールなどのサービスを受けていたことが大問題となっていたが、この本を読むとそれほど大騒ぎすることではないと思う。
 著者によると、現在官僚になるのはトップ層ではなく、セカンド層がなるという。著者は一浪して東大経済学部に入学している。今ではトップ層は独立志向が強く、外資系金融機関や経営戦略コンサルティング業界を志望する傾向がある。私は昭和28年生まれであるが、私の時代は日本全国の文系のトップ層が東大法学部に集まり、そのまたトップ層が大蔵省に入省していた。だから、今より傲慢であったかもしれないが、当時の大蔵省を始めとする官僚についてのすごさはよく理解している。最近退官した勝財務事務次官は私より3歳年上である。10年に1人の大物次官と言われたが、この時代のトップは正真正銘のトップである。そのトップの中でも10年に1人と言われているので、どれほど優秀なのか推して知るべしである。47都道府県の学年トップが10人集まっても、それだけで日本全国で500人近くなってしまう。この本にも書いてあるが、官僚の多くは権力志向ではなく、「この国をよくしたい」という愛国心と公共精神から志望している。
 医学部もそうであるが、私の時代はお金より名誉がすべてであった。給与は安くても、大学に残るか一流の公的な病院で勤めることが尊敬された。開業なんて、医者としては金儲け主義の生き方としてバカにされていた。若い人にはなかなか信じてもらえないかもしれないが、私の世代では金儲けは卑しいことであるという感覚がまだ残っている。野田内閣では直勝内閣と批判されていたが、こういう人が事務方として国のために働いてくれる方がまだ安心である。現在は若い優秀な官僚がどんどんとやめているという。セカンド層だけが官僚に残って、将来日本がやっていけるのか心配である。日本は他の国と違って、エリートの養成という観点が抜けている。これからの複雑な国際社会の中で、国のために働いてくれる優秀な頭脳を集めず、どうやって乗り切っていこうとするのだろう。
 官僚組織の縦割り構造についても書かれているが、社会変革に対応した大きな問題に対して起動的に対応することが困難になっているという。省庁間の調整は「あーでもない、こうでもない」という不毛な作業が何百時間と続く。この本では出てこないが、ダイエーの産業再生機構入りを巡る財務省・金融庁対経産省の省庁戦争も有名である。流通を指導監督するのは経産省である。恐ろしいほどの不毛な労力が費やされたという。著者によると、他省庁との連携を要する政策は、政治的な強い後ろ盾がないと困難だという。
 この本では官僚の激務について自分の体験を書いている。マスコミに踊らされて官僚バッシングしている人には想像もできないが、40歳まではボロ雑巾のように働かされる。若手の場合は月の平均残業時間は100時間で、年度末や国会開会中の繁忙期は200時間で、緊急事態が発生すると担当課は300時間を超えるという。著者は企業立地促進法を作る時には、残業時間が月300時間を超えることが数ヶ月続いたという。法律をつくることが決まると、省内に「タコ部屋」と呼ばれるプロジェクト・ルームが設けられる。ここに大量のカップラーメンや冷蔵庫が備えられ、簡易ソファや簡易ベッドも持ち込まれる。著者は最年少職員として、資料のコピー、国会図書館や省庁の倉庫で数十年前の資料の発掘などの雑用をし、自分の担当する条文の修正作業をするのが午後11時過ぎである。深夜2時過ぎにチーム員が作業を終えてタクシーで家に帰り始め、3〜4時に資料が出そろい、中堅補佐のチーム長と著者が最後まで残り、力尽きた者がそのままソファかベッドに横になる。朝9時半に起き上がって、また同じことの繰り返しで、自宅には週1〜2回しか帰れない。1週間徹夜が続いてまとまった睡眠時間が取れなかった時には、資料を届けに行った帰りに廊下で転び、立ち上がれずそのまま力尽きて寝てしまったという。
 これだけの激務で著者の給与明細も公開している。平成24年6月分で、総支給額は42万5千円で、差し引き支給額は33万2千円である。幹部クラスの官僚とは違うので、省庁に近い官舎には住めない。激務なので省庁に近い所で住もうと思うと家賃が高い。公務員給与の大幅な一律削減の決定は若い官僚のやる気を削いでいる。一流企業を蹴って、日本のために働きたいと志願してきた人たちも今はどんどんとやめていく。この本に書いてあるように、「待遇も下げたし、官僚叩きも続けるけど、それでもいい人は残れ」では無理である。
 著者はキャリア官僚制度はいろいろ問題をはらんでいるが、それなりに機能しているという。公務員の仕事の評価はむつかしいので、無理に指標化してしまうと、時の権力の介入を許してしまい、行政の中立性を害してしまう可能性が高いという。しかし、今はキャリアがやめすぎて、幹部候補生が足りなくなり、ノンキャリアの抜擢が珍しくなくなっているという。ここでは、キャリアとノンキャリアの違いについても詳しく説明している。政治家と官僚の役割も書いているが、渡辺喜美議員の「日本のイギリス化」に対する反論が面白い。イギリスでは天下りがないという。まず、イギリスと比べて、政党の政策立案機能の差を指摘している。わが国ではこれまで官僚が政策立案をしてきたので、政治家にはその能力がない。2つ目は,政治に関わる人事の流動性の低さである。官僚の待遇は一流の民間企業の幹部と比べて悪いので、官僚から民間企業に移る人は大勢いるが、民間企業から行政に移る人はほとんどいない。最後に、政党に対する支持基盤の弱さで、イギリスの二大政党は数百年の歴史を持っている。天下りについてもその功罪について書いている。公務員は首にすることができないので、形の上では自主退職してもらうことになる。この時に、雇用主側が依頼してやめてもらうので次の就職先を世話することになる。政府の中枢部には選りすぐりしか残さない制度である。著者はこの本では天下りの弊害についてもきちんと書いている。日本政府の財政事情についても書いているが、段々と疲れてきたのできょうはこの辺でやめておく。バカの一つ覚えで官僚批判をするのではなく、こういう本を1冊でも読み、何が問題なのか知ることも大切である。
 最後に書いておきたいが、これだけ官僚バッシングが激しいので、代わりに政治家についても批判しておく。これだけの国の借金を作ったのは、官僚ではない。自民党の道路族や建築族などの族議員が国の予算を既得権化し、当時の大蔵省や財務省の反対を押し切って多額の国債を発行し続けたからである。このことは一時的な景気浮揚につながっていたかもしれない。しかし、ゼネコンなどに対する公共事業の口利きで、政治家が多額の謝礼を受け取っていたことは隠しようがない。当時複数のゼネコンの幹部がオフレコで発言しているが、公共事業費の何%かが政治家の懐にはいっていたという。このことについては景気が回復して借金がチャラになっていたら目をつむってもいい。しかし、これからこの多額の借金で苦しむのは若い世代である。当時の資料が残されていないではもうごまかせない。多額の借金が足かせになって、現在思い切った政策が取れないのである。もっと財政的に苦しくなってきたら、今回の原発事故のように、どうしてこれだけの借金が積み重なったのか、将来必ず検証作業がなされるだろう。今でも、国民が声を上げたらいいだけである。

今週の愛聴盤 12 (121023)

Prppaganda / Sparks
Prppaganda / Sparks

 このアルバムは今から40年近く前(1974年)に発売された。今聴いても新鮮な音作りで、最近発売されたアルバムだと言われてもわからないだろう。最初から最後までわくわくする刺激に満ちていて、私の本当のお気に入りである。私はこれまですっかりイギリスのバンドだと思っていた。今回調べてみたらアメリカのバンドで、イギリスに渡って活躍していた。私はアメリカのバンドはほとんど聴かず、ずっとブリティッシュ・ロック一辺倒である。
 このアルバムの写真にあるように、メイル兄弟のとぼけた感じが好きである。YouTubeではこのアルバムの最初の曲がSparks - Propaganda/At Home, At Work At Playで聴ける。この曲を初めて聴いた時には、頭からしびれるような衝撃を感じたことを覚えている。。私にとっては、LPレコードのA面全曲が最初から最後まで聴ける貴重なアルバムであった。Sparks - Don't Leave Me Alone With Herも刺激的な曲である。今回YouTubeで調べていたら、ライブの曲も見つかった。Sparks - This Town Ain't Big Enough For Both Of Usもいい。

 

平成24年10月16日(火)

 きょうの日記は午後5時から書き出している。朝は先週の日記で約束した本を最後まで読んでいた。午前の外来が終わってからは往診と歯科受診でこんな時間になってしまった。夕食は近くのスーパーで買ってきたので、きょうはこのまま医院にこもって、書けるだけ書こうと思う。この日記は気楽に書いているようにみえるが、私は遅筆なのでけっこう時間がかかる。いつもは後半でビールを飲み出すが、きょうは書き始めからである。あまり飲み過ぎると、本のまとめができなくなるので控えなければならない。
 きのうは毎月1回ある労災の判定会議があった。日曜日に資料を読んでいたが、難しいケースが多くなった。私は任期が切れる来年の3月で引退である。まだ半年残っているので、後6回会議がある。しかし、労災医員の数が増えたので交代制になり、私が参加するのはきのうの分を含め4回である。これまで私がずっと会議の司会をしてきたが、部会長を交代するということで、次に引き継ぐ先生が練習も兼ねて司会をしてくれた。介護認定審査委員でも、司会をするのとただ参加するのとでは重荷が違う。この日記でも何回も書いているように、来年の5月には60歳になるので、東山医師会の仕事を除いて公的な仕事はすべて引退するつもりである。これまで、東山保健所から始まり、京都国際交流会館の外国人のためのカウンセリング・デイや京都拘置所視察員会などいろいろやってきた。人それぞれの人生観があるが、仕事だけで人生が終わるのも寂しい感じがする。今まで意識しなかった人生の天井がすぐそばに見えてきた。開業は続けるが、残された人生でもう少し余裕を持って自分の好きなことをしたい。まだ他府県と新たに京都府の労災裁判の意見書を頼まれているが、来年3月までにはすべて終えるつもりである。
 さて、今週読んだ本である。まず初めは、宮崎正弘+石平「2013年の中国を予測する」(WAC)である。宮崎正広は中国ウォッチャーとして有名である。著者の「中国権力闘争」(文芸社)を買ったばかりであるが、こちらの対談の方が面白そうだったので、買い直して先に読んでしまった。石平は天安門事件を経験したTVでもおなじみの評論家である。最初から、中国はすでにバブルが崩壊した状況にあると述べている。「エコノミスト」を引用して、普通の新興国は発展する速度にインフラが追いつかないが、中国では先にインフラを作って建物を建てるが、人が来ないという。100万人都市を作って、実人口は2万8千人というバブル崩壊例をいくつも紹介している。中国ではゴースト・タウンのことを鬼城という。税制改革をして税金はほとんど中央政府に持って行かれるので、地方財政は土地で支えるしかない。不動産開発業者に土地の使用権を譲渡し、売れない住宅が山ほど作られる。つい最近までローンというシステムがなかったが、バブルが弾けて、これから99%のサラリーマン・ローンは破滅するという。独裁国家の不良債権の処理は、札を刷って注入してそれを消してしまうことだとも述べている。この本では、造幣局経済と名付けている。宮崎は中国政府の不良債権をチャラにする方法として、新札の切り替えや公共事業の拡大を挙げている。
 中国の産業は物まねと言われているが、進んでいる新産業は、バイオ、ケミカル、医薬品、石油のバイプロダクト、軍の技術だという。優秀なハイテク開発の技術者がいても、決定権は企業に派遣された共産党の偉い人が握り、国有企業でも政治委員が握っているので、なかなか新製品開発に結びつかないという。また、中国人は個人プレーに徹し、チームワークができない。だから、いくら優秀でも3人寄ればブタになると言われている。
 中国の権力闘争についても書かれている。江沢民は最初は軍を力で押さえようとしたが、軍歴がないので軍事委員会で皆に馬鹿にされた。そこで、大将の人事を乱発し、自分に忠誠を誓う連中だけを中枢に集めて、年月をかけて軍を掌握している。自分に忠誠を尽くす見返りとして、汚職や腐敗をやり放題にさせた。だから、軍隊も警察も食えている以上、人民抑圧装置として機能し、民主化運動などはなかなか起きにくいという。胡錦濤も軍を掌握できていなかった。中国共産党のトップは25人からなる政治局とその中から選ばれる9人の政治局員からなる。いわゆるチャイナ・ナインである。ここだけは民主化されていて、チベット問題やウィグル問題、外交問題などは9人の政治局トップが投票で決めている。
 天安門事件のことも書いてあり、6月4日に起こったので、六四という。鎮圧の先頭に立っていた人たちが、将来事件の評価が変わることを予測して、回想録などで自分の責任ではないと述べているという。中国の政治派閥は、胡錦濤が出身の共産主義青年団(団派という)と江沢民の上海派がある。今度国家主席になる習近平は太子党と呼ばれ,中国共産党の高級幹部の子どもである。太子党というのは政治的なPartyではなく、(Prince) Ringだという。どちらかというと、上海派に近い人が多く、江沢民派が推している。習近平は八方美人型で、急激な改革はやらないタイプで、特権階級の特権を維持してくれる人物と言われている。既得権益組の利権を維持する政権ということで、ニックネームが維持会長とついている。太子党の中には、ラディカルな民主主義改革を唱える人物もいる。
 現在の胡錦濤、温家宝は純粋な共産主義青年だったので、まだ献身する姿勢が残っているという。2人とも、この10年間正月を自分の家で過ごしたことはなく、特に総理大臣の仕事は他の役職と比べ、中国では1番大変な仕事だという。他にも、企業の中国とのつきあい方も書いてある。中国に残りたい人は、大連以北がいいという。東北三省というのは、人懐っこく勤勉で、日本に対する恨みも薄いという。この本は対談形式なので読みやすい。しかし、中国との友好を進めたい私としては、どうフォローしていいのかわからないぐらい中国人の悪口が書いてある。少し時間に余裕ができてきたので、中国語の勉強を再開しようと思っていたが、この本を読んですっかり勉強意欲も萎えてしまった。
 きょうは遅くなってしまったので、約束していた宇佐美典也「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)は来週に詳しく紹介する。わが国に関係することなので、今回紹介した本以上に面白い。

今週の愛聴盤 11 (121016)

Dolemen Music / Meredith Monk
Dolemen Music / Meredith Monk

 ECMレコードという会社がある。私の好きな初期の「テリエ・リピダル」などのアーテイストを輩出している。今回調べてみたら、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」もこの会社から発売されていた。メレディス・モンクのこのアルバムは、まず印象的なジャケットに惹かれた。髪の毛が首つりのロープのように見える。音楽は実験的で、初めてこの声を聴いた時には新鮮な驚きを覚えた。ブルガリアン・ヴォイスなどが注目を集めていたが、私はこのアルバムの方が好きである。1981年の発売である。
 いつも頭の中にはいくつかのアルバムがあり、次回の紹介はこれにしようと決めている。しかし、その時の気分で直前になって変わる。なるべく、同じ傾向の音楽が続かないようにしている。京都駅近くのマンションには、まだ200〜300枚ぐらいのLPレコードを残している。どれも厳選されたアルバムばかりである。ほとんど知られていないマニアックなバンドも多い。ここで紹介しているのは、今回も含め、まだメジャーである。週1枚のアルバムではなかなか紹介しきれず、一時に複数のアルバムの紹介も考えている。脳を刺激するにはいろいろな方法がある。音楽は聴覚を刺激し、驚きや感動、安らぎを与えてくれる。しかし、以前にも書いたように、音楽には音楽の限界がある。空腹や孤独感、欲望などを紛らわせてくれるが、満たしてはくれない。いろいろな料理の味を楽しむように、これまで聴いたことのない音に触れるのも1つの体験である。
 さて、YouTubeではこのアルバムの最初の曲であるMeredith Monk - Gotham Lullabyを紹介する。個性的な音楽もあまりにも個性的過ぎると、ついていくのが大変である。既存の音楽と微妙なバランスを保ちながら、部分的に壊したり、適度に踏み外したり、異質なものを付け加えたりするのがいい。他には、Meredith Monk - Travellingも聞きやすい。

 

平成24年10月9日(火)

 日曜日は父親の四十九日があった。娘は用事があって横浜からは参加できず、家内と息子を連れて大阪の池田まで行った。仏壇から墓石、墓地まですべて妹がやってくれ、四十九日の手筈までしてもらった。長男の私はこれまで何もしてきていない。妹は経済学部教授として会計学を専門にしているので、大阪府内の自治体の監査 をしている。今は学科長をしているので、雑用も多く日曜日も休めないぐらい忙しい。父親が救急入院した時には夜間不穏となるので、弁護士の旦那と2人で交代で病室に泊まりこんでもらっている。両親に関しては、これまで私は楽のしっぱなしである。私もやる時にはやるが、妹は何でもさっさとやってしまうので、ついつい任せてしまう。妹も妹の旦那も私にはまだ直接何も文句は言ってこない。私はその分、両親が買った妹の近くの家は妹がもらったらいいと思っている。最近は自立支援医療の継続の手続きなどは、診断書以外はすべて受付の人に任せるようにした。連休も続いていたので、その分随分と楽になり、時間に余裕ができるようになった。外来のある月曜日から土曜日までは相変わらず毎朝5時に起きて、6時前には医院に出てくる。この生活をもう10年以上続けている。息子が大学に合格したらゆっくりするつもりである。1〜2年の浪人は覚悟しているので、60歳を過ぎてもまだこの生活は続きそうである。
 日曜日は、家内も息子も用事があるので、私と母親が妹の所で夕食をとり、夜は母親の所で泊まった。今は亡くなる人も多いので、都会の分譲墓地は足りないようである。妹の住んでいる所は高級住宅地らしいが、ここも高齢化で空き家が増えてきている。りっぱなお屋敷でも1人暮らしのお年寄りが施設にはいってしまうと、子どもは遠くに住んでいるので、長いことほったらかしになる。空き家が増えてきたら、夜はぶっそうで高級住宅地どころではない。今回改めて思ったが、母親と娘の関係は難しいようである。妹は母親について私にいろいろ愚痴をこぼすし、母親は母親で妹のことで私に愚痴をこぼす。長男の私が何もやっていないこともよくないかもしれない。よく言われることだが、嫁・姑関係でも離れている方が有利である。同居して姑の面倒を常に見ている嫁ほど、姑から不満が出て文句を言われる。盆と正月ぐらいに夫の実家に帰る嫁の方は、2〜3日我慢して姑の機嫌をとったらいいだけである。姑にとって、日頃苦労している同居の嫁より、遠くの嫁の方が「できた嫁」になってしまう。同じように、妹の方が遙かに苦労しているのに、お互いにけんかしてしまうと、私の方がかわいい息子になってしまう。
 近い関係というのは本当に難しい。嫁・姑、母親と娘ばかりでなく、夫婦関係もこの法則があてはまるかもしれない。今はどうなっているのか知らないが、私の頃の教授と当時の助教授(准教授)の関係も微妙であった。当時助教授は筆頭助手と呼ばれ、それこそ名ばかりの管理職であった。教授の雑用などいくらやっても、なかなか報われなかった。かえって講師の方が距離が離れている分、教授からかわいがられたりした。私は早々と医局の競争から脱落して離れていたので、医局の複雑な人間関係から逃れていた。しかし、その後論文を書いたり学会の発表だけはしていたので、そのたびごとに新しい教授の指導を仰ぎ、覚えはめでたくなっていった。大事なポイントは医局を離れていたことではなく、「よろしくご指導をお願いします」と常に論文を書いたり学会発表をし続けたことである。何もしていなかったら、永遠に教授から忘れ去られてしまう。いつの間にか年齢的にも上になり、運良く社会保険病院や日赤の部長に声をかけてもらっている。私は教授と離れていたので、まだよかったと思う。長いこと医局にいたら、どうなっていたかわからない。先輩や後輩を見ていると、苦労の割にはあまり報われていない。
 現在何冊かの本を同時読みしているが、今回はこの内の1冊を読み切り、この日記で紹介するつもりであった。現在午後5時を過ぎている。日記を書く手を休め、なんとか最後まで読もうと思ったが、きょうは間に合いそうにない。宇佐美典也「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)である。経産省のキャリアが書いた本で、内容は本当に面白い。きょう無理して読んでも、時間が遅くなって、まとめるのがいい加減になりそうである。国の借金が1000兆円近くあるが、個人資産は1500兆円近くあるので、大丈夫だという人もいれば、危ないという人もいる。海外資産も多いというが、これからの超高齢化社会をこのまま乗り切っていくことができるのか、素人にはさっぱりわからない。しかし、これだけ借金があるので、思い切った政策がとれないことは確かである。これだけの国の借金については、バブル崩壊の後遺症とリーマンショックによる不況が原因だと国民は何となく納得してしまっている。しかし、福島の原発事故と同じように、どうしてこんなに借金が積み上がってしまったのか検証作業が必要である。来週の日記ではこのあたりのことを含め、この本を詳しく紹介しようと思う。

今週の愛聴盤 10 (121009)

Holy Ground: NYC Live With the Wordless Music Orchestra / MONO
Holy Ground: NYC Live With the Wordless Music Orchestra / MONO

  趣味でも何でも夢中になれる時というのは限られる。仕事が忙しくなってきたら、そんなことをやっている暇はなくなる。年齢的に興味を失うこともある。最近の音楽についてはすっかり疎くなり、少し前までは時々気まぐれ的に雑誌などに紹介されているアルバムを買ったりしていた。プログレ専門店のワールド・ディスクから毎月カタログが送られてくるが、あまり見ていない。今では新しいCDを買うことはほとんどない。昔のLPレコードをCDで買い直すぐらいである。このアルバムは「週刊SPA!」に載っていたので、アマゾンで注文して手に入れた。2010年の作品である。アルバムのレビューだけで買って、久々に感動したCD+DVDの作品である。
 私の音楽の原点は中学生の時のグループ・サウンズである。当時は、タイガースやテンプターズなどに夢中になっていた。私は長野県の山奥で育ったが、中学の修学旅行は東京で、この時にはジャガーズの映画を見た。高校の修学旅行は京都で、当時は旅館にジューク・ボックスが備え付けられていた。ビートルズの「レット・イット・ビー」を聴いたことを覚えている。その後、海外のロックからプログレにはまり、日本のバンドはほとんど聴いていない。唯一買ったLPレコードは、喜多郎が所属していた「ファー・イースト・ファミリー・バンド」や「アーント・サリー」、「マジカル・パワー・マコ」、寺山修司が率いる天井桟敷の「J.A.シーザー」ぐらいである。珍しいところでは、「アフター・ディナー」やノイズの「天皇」も持っている。
 さて、MONOは日本のバンドである。数多くのアルバムを発売しているが、このアルバムを聴くまでまったく知らなかった。このバンドもロックとクラシックの融合を試みている。このアルバムでは実際のオーケストラと共演している。YouTubeには沢山の曲がアップロードされているが、他の曲はもうひとつ私にはピンとこなかった。このバンドの類いとしては、「モグアイ」や「シガー・ロス」が挙げられる。「モグアイ」はまだいい曲に巡り会わず、どこがいいのかさっぱりわからない。「シガー・ロス」はCDを持っているが、それなりに楽しめた。同じバンドでも、自分の感性にピッタリくる曲に出会えたら幸運である。私の独断と偏見であるが、このアルバムでは、まずMONO - Ashes In The Snowがいい。本格的な演奏が始まるまで1分半以上かかるが、待つだけの価値はある。MONO - Berrial At Seaは1曲目の曲よりいいかもしれない。最後の途中で切れてしまっているが、NYのライブの動画が見れるのは今のところこれだけである。

 

平成24年10月2日(火)

 今日は午前の外来の後に、早めに往診に行った。1件だけだったので、その後洛南のイオンに行き、遅めの昼食を取った。午後1時半過ぎであったが、私のはいった和食の店は混んでいた。驚いたことに、はいっている人はほとんどが70歳前後のお年よりであった。中には私より若い人もいたが、一瞬10年後の自分の姿を想像してしまった。ビジネス街の食堂なら、現役の若いサラリーマンであふれていたかもしれない。しかし、10年後は普通の町中の食堂でも、若い人の姿を見かけるのは珍しくなるかもしれない。前から書いているように、私の開業している東山区は65歳以上のお年寄りは優に3割を超えている。近くのスーパーに行っても、若い人を見かけるのはアルバイトの店員ぐらいである。時間帯にもよるが、来店しているのはほとんどお年寄りである。これからは、日本の至る所でこういう光景が広がっていくのだろう。日本全国では今後毎年100万人づつ65歳以上の高齢者が増えていく。理想の社会としては、同じ地域でいろいろな世代が暮らし、お互いに交流を持つことだと言われている。しかし、この考え方に最近疑問を持つようになってきた。圧倒的な高齢化社会になったら、住み分けも必要になるかもしれない。家族の食事さえ、味が合わず、別々になるのである。どちらかというと、交流を求めているのはお年寄りで、若い人は家事や育児や仕事に追われてそれどころでない。将来的に唯一接点となるのは、高齢者用のビジネス関係だけに限られる可能性も高い。
 先週の水曜日にもんもん写真館を更新した。まだ、見てない人はまた見て下さい。夕食の時に見る番組がないと、録画していた関西TVの「世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?」を見ていた。何本かたまっており、先週は早送りしながら興味のある所だけ見ていた。9月でこの番組は終了したようである。まだまだ世界には行ってみたい所がたくさん残っている。この番組の中で、司会者などが「この雰囲気が自分好み」とよく発言していた。私には、中国の上川島はこの表現がぴったりである。下川島もいろいろ言われているが、もんもん写真館に載せたように、大勢の中国人観光客が訪れる海水浴場である。私は行ったことはないが、東莞の常平とはまた違う。もんもん写真館の写真はほとんど加工していない。せいぜい自動調整で色合いを調整するぐらいである。ところが、ソニーの「PlayMemories Home」と「Windows Media Player」、「Adobe Photoshop」などのソフトで微妙に色合いが違って見える。トリミングもほとんどしない。今回は、上川島22の写真で、初めて空に架かる3本の送電線を「Adobe Photoshop」を使って消してみた。簡単な操作でまったくわからないようになり、改めて加工技術に驚いた。上川島の写真はすべてソニーのRX100で撮っている。すべて手持ちで、暗い場所でもフラッシュは必要なく、小型でどこでも取り出すことができる。旅行では機動性が大事で、大きくて重い一眼ではここまでは撮れない。今回改めて見直してみたが、上川島17の写真が撮れそうでいて撮れない。
 さて、今週読み終えた本である。中村敦彦「職業としてのAV女優」(幻冬舎新書)である。同じ作者の本は,だいぶ前にもんもん読書録で紹介している。著者は、平成16年に暴走族の同行取材に関わり、静岡県警に逮捕されている。この本は今でも、いざとなったらAVに出て、お金を稼いだらいいと考えている女性に、これでもかと現実の厳しさを教えてくれる。多額の借金を返すために、一昔前のようにマグロ船に乗ってもダメなのと同じである。アダルト・ビデオ業界も大不況で、その制作費は底なしに減っている。現在はAVを発売しても、利益を上げるのも難しい状況である。ワケありでないふつうの素人が大挙AV女優を志願し、AV女優は供給過剰になっている。モデルプロダクションに採用されるのは、末端の企画女優を含めて約14%である。しかし、この企画女優に採用されても、その半分が仕事がないのである。だから、今ではAV女優は数多くの女性の中から選ばれ、容姿端麗で高学歴で、素直で協調性のある性格でないと競争に勝てない職業となっている。過去と違って、女優のクォリティがどんどんと高くなっているのである。AV女優としての寿命も短く、以前のように早くこの業界から足を洗いたいから、できる限り続けたいに変わってきている。もんもん読書録では、AV女優は精神科症例集であると書いた。しかし、現在はリストカットしたり大量服薬をするような精神的に病んだ女性はほとんど採用されないという。AV女優という仕事が女性を壊しているのではなく、もともと壊れている女性がAV女優を選んでいたという。
 AV女優にはランクがあり、「単体」「単体企画」「企画」の3つに分かれる。単体とはAVアイドル、トップスターになりうる存在である。デビューが決まると、新聞やグラビアやイベントなどで大々的に宣伝される。女優が手にする出演料は、メーカーから支払われた30〜40%だという。ここでは、いろいろな場合を想定して出演料も書いている。例えば、デビュー半年、メーカー契約が継続中の人気単体女優の場合は、10日間の稼働日数で92万円と計算している。採用はほとんどが、スカウトだという。スカウトマンは口説いた女性をモデル・プロダクションに紹介するが、その女性の売上金の15〜20%が「スカウト・バック」といって、スカウトマンに半永久的に支払われる。5〜6人持っていると、プロ野球選手並みの収入になるという。最近外来の患者数が減ってきているので、容姿に自信のある人は1度私に声をかけて欲しい。次に、現在のAV界を支える「企画単体」である。メーカーと本数や期間を契約するわけではなく、大々的に売りに出されることはないが、1本のAVで主役が張れる女優をさす。採用は、スカウトと志願の両方である。人気企画単体は、毎日のように撮影があり、月20本以上のリリースがあり、計画して作られたアイドルの単体より知名度や収入が超えることがあるという。一般的に単体女優でも価値は2〜3年で、出演料が安い企画女優になっていく。最後は、名前を必要とされない「企画」である。採用はすべて志願である。現場から現場へと渡り歩き、求められる性行為は過激だが、出演料は安いという決して成功することのない地位である。特養老人ホームの職員で、アルバイトとしての稼働日数が4日で、手取りが月15万円である。実際に4回セックスをしてAV用に撮られた値段である。仕事がなくて、実際にはこれ以下の出演料も少なくない。
 他にもいろいろ書いてあり、AVユーザーの高齢化がネックになっているという。「女は若さ」という一般論が通用しなくなっている。私は高齢化というより、単なる少子化が影響しているだけだと思う。AV業界の「失敗」「改善」「人事刷新」で労働環境も整備されたことも書かれている。年間4000〜6000人のAV女優が出て、同じ数のAV女優が消えている。政財界や外国の要人や富裕層から、「あのAV女優を抱いてみたい」という要望がモデルプロダクションにはよくあるという。以前から、○メ撮りをしたら買春は合法なのかと疑問を持っていたが、グレーゾーンである。AVは販売数が1500本を超えたら合格点で、3000本だったら大ヒットと言われ、人気単体女優でも1万本を販売するのは希だという。だから、有名芸能人がAVに出演する場合は、販売のケタが異なり、1億円単位のお金が動くという。私はこの日記でも以前から指摘しているが、自分が必要とされていると実感ができるのはAVや風俗である。この自己承認感が得られないと生きていけない人は、安い給料でモデルプロダクションに利用されているという。AV業界でも、わずかな間にこれだけの時代の変化が起きているのである。

今週の愛聴盤 9 (121002)

Prayers on Fire / The Birthday Party
Prayers on Fire / The Birthday Party

 このアルバムは阿木謙が評価していて、当時輸入盤のLPレコードで手に入れたことを覚えている。発売は1981年である。オーストラリアのバンドでパンクロックに近い印象である。YouTubeでは、このアルバムにはいっていた曲はほどんど聴ける。今回はThe Birthday party- Blundertownを挙げておく。私はメロトロンを使った幻想的な音楽も好きであるが、脳細胞を破壊してれるような攻撃的で破滅的な音楽も好きである。当時、沢山のLPレコードを買い集めていたので、このアルバムはその後そのままになっていた。
 このアルバムをまた思い出したのは、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン・天使の詩」を見た時である。この映画はカンヌ映画祭で監督賞を受賞している。この中で、この「バースデイ・パーティ」のボーカリストであったニック・ケイヴが「バッド・シーズ」を率いて出演していた。「バースデイ・パーティ」の時のニックを見たければ、「Jack the Ripper」をもじった「Nick the Stripper」を検索したら、ライブで見れる。こちらの方が脳細胞を破壊してくれるかもしれない。今回、YouTubeでこの映画の中の演奏がないか調べてみたら、見つけることができた。それほどいい曲ではないが、Wings of desire - Motion Picture - 1987で見れる。その後、ニック・ケイブとバッド・シーズは終わったかと思ったら、いくつもの名曲を出している。私の好きな曲は何曲もあるが、ここでは誰にでも受けやすいKylie Minogue - Where the Wild Roses GrowNick Cave & P.J Harvey -Henry Leeを紹介しておく。後の方の試聴回数は少ないが、歌詞が載っている。興味のある人は「The Weeping Song」など名曲はまだまだあるので、自分で検索して下さい。

 

平成24年9月25日(火)

 9月は娘が横浜から帰っていた。今はまた横浜に戻っている。父親の葬式の時にも話していたが、2年生からは英文科に進むという。キャンパスは変わるが、クラブは続けるので、このまま今の所に住み続けるようである。第2外国語としては今は中国語をとっている。中国との尖閣諸島問題がこじれており、ほとんどの国民は中国の横柄な態度に腹を立てている。領土問題で抗議するのはかまわないが、略奪は言語道断である。今回の出来事でただでさえ中国嫌いの若者はますます中国嫌いになっていくだろう。しかし、中国共産党中枢部と中国国民は別である。娘に聞いたら、中国語の試験だけは一夜漬けでは絶対に通らないと言っていた。将来必ず役に立つと思うので、英文科に進んでも中国語の勉強は続けて欲しいと思う。私も気を取り直して、また中国語にチャレンジである。私がTOEICで865点取っていることを最近娘が知って、私に対する態度は少し変わってきている。私に欲しい物を直接頼むことは少ないが、新しく出たiPhoneだけは欲しいと言っていた。親としてできることは教育だけである。教育には相続税のように税金がかからないので、留学でも何でもしたらいいと思う。高3の息子は受験勉強まっしぐらである。私は海外に出かけたりしているが、家内も娘も2人での旅行は3月にハワイに行って以来、どこにも行けていない。すべて、息子が大学に合格してからである。
 中国の上川島に行った時の写真は近いうちにまたもんもん写真館で公開するつもりである。今回は、珠海、下川島と一挙にアップロードする。連休があったので、先週はまたゆっくりすることはできた。今月分の自立支援医療の更新の診断書はなんとか書き終えた。今回一挙に公開する写真の整理もしていた。もんもん写真館は自分でアップロードできないので、また業者に頼んでいる。上川島の魅力は、新たな追加写真で充分に伝わると思う。マカオでも冬はけっこう寒いので、これからはオフ・シーズンにはいる。(業者の仕事が早く、水曜日の朝にはもうもんもん写真館の更新ができていた。興味のある人は見て下さい。)
 さて、旅行中に読み終えた本である。武田知弘「生活保護の謎」(祥伝社新書)である。生活保護に関する本は何冊か読んでいるが、すべて洗いざらい書かれているわけではない。私もこの日記では好き放題書いているようであるが、地雷は踏まないように配慮はしているつもりである。すでに地雷は踏んでいるという人はいるかもしれないが、配慮しなかったら内容はこんなもんではない。私は来年5月には60歳になるので何を言われてもかまわないが、子どもたちがとばっちりを受けるのだけは親として避けたい。
 この本では、生活保護は簡単に受けられることが書いてある。1番大事な要件は、「生活レベルが基準以下であること」と「生活保護の申請がされていること」である。生活保護は申請主義なので、「水際作戦」で生活保護を申請させないようにしたり、「硫黄島作戦」で生活保護を辞退させるという。平成16年の調査では、申請に訪れた人が実際に申請書を出す割合は、3割だったという。生活保護費用の4分の1を国が出しているが、残りの4分の1は自治体が負担している。医療費の負担は生活保護費の2分の1を占め、どこの自治体も財政的に苦しいので、何とか減らそうと努力している。私の医院は生活保護の患者さんは少なくないが、今まで働くように言われなかった患者さんも、最近は福祉事務所から言われるようになった。実は、自立支援医療の患者さんは生活保護の患者さんが多い。どうしてかというと、自立支援医療にすると、財源が国に代わり、自治体が負担している医療費を減らせるからである。この本では精神疾患を装って生活保護を不正受給していることが指摘され、障害年金をもらっている人もかなり大勢いるのではないかと疑っている。安易に診断書を書く医療機関も非難している。
 自立支援医療は本来はパニック障害などの神経症レベルでは受けられず、うつ病や精神病でないと受けられない。ところが、最近は新型うつ病などが出てきて、うつ病概念が混乱している。誰だってある程度の気分の落ち込みはある。少量の抗うつ薬でも使う場合は、保険病名として「うつ病」の病名を付けなければならない。だから、「うつ病」の病名が付いていると、すぐに福祉事務所から自立支援医療の診断書を書くように依頼される。医療機関によっては、現在ある制度を利用して、何でもかんでも書いたらいいという所もある。医療機関として診断書は書くが、審査するのは自治体であるという考え方である。私は何もかも「うつ病」として自立支援医療の診断書を書くのは抵抗がある。中には障害者手帳や障害年金の診断書を安易に書く医療機関もある。福祉事務所は、こういう診断書を簡単に書いてくれる医療機関があるので、同じように私の所にも頼んでくる。京都市も京都府も財政事情が厳しいのはわかるので、なるべく協力はするが、書けないものは書けない。福祉事務所にとっては医療費を減らせるので、安易に何でも診断書を書いてくれる医療機関は都合がいい。しかし、障害者手帳を持っている患者さんについては、安易に書いてしまったら、永遠に生活保護ははずせなくなる。前にも書いたが、障害者手帳の基準は仕事ができないではなく、日常生活ができないである。風呂もはいらず、着替えもせず、歯も磨かず、きちんと食事がとれず、自炊はできなくてもいいから、コンビニで弁当も買ってきて食べれない人が対象である。
 ここでは、生活保護予備軍が2000万人レベルいて、統計的には30年後にはこの数になるという。現在でも該当する人は1000万人はいるという。私もこの数字は決して大げさではないと思っている。私はポスト団塊世代で、1番人口の多い団塊世代が65歳ぐらいになろうとしている。原子爆弾の雲のように、これから20年間は雲はどんどんと上に上がっていく。東京では、家族4人の支給額は月30万円になり、国民年金の掛け金は払う必要がなく、医療費は無料で、NHKの受信料や高校の授業料なども免除される。1度生活保護を受けた人は、働かないことが最も経済的な効率がいいと書いてある。私が心配しているのは、自営業などの年金をかけてこなかったお年寄りである。よく言われていることであるが、40年間国民年金をずっとかけてきても、生活保護の方が夫婦で毎月7万円も多いのである。年金をかけてこなかった高齢者が大勢いて、厳しい不況で子どもが親の面倒がみれないとなると、今後とんでもない数の高齢者が生活保護になだれ込むことになる。戦前は家長制度があり、家長は家族の面倒を必ず見なければならなかった。戦後は高度成長期にはいり、日本はこれまで本気で社会保障のことを考えたことはないという。現在の生活保護制度は、まったく働けない人を基準に作られている。
 しかし、生活保護を受けている人が現在200万人を超えても、他の先進国と比べると、日本の生活保護制度は遅れているという。イギリスやドイツでは、貧困者の70〜80%が生活保護を受けているが、日本は20〜30%だという。生活保護費は自由競争の国と言われているアメリカの1割にも満たない。アメリカの公的扶助はバリエーションに富んだメリハリの効いた保護を行っており、低所得者には補助金を出したり、フードスタンプなどの食費補助制度もある。慈善事業に対する寄付も多く、充実したセーフティネットを作った上での「厳しい競争社会」なのである。欧米の失業保険制度についても書いているが、日本の制度は遙かに見劣りする。生活保護費が財政を圧迫しているというのは嘘で、財政悪化の原因は1990年代の天文学的な公共事業によるものだという。この時は、対日赤字で苦しんでいたアメリカの内需拡大の圧力もあったという。他にも、人件費削減で、日本の企業は内部保留金を平成14年の190兆円から平成20年には280兆円に増やしているという。しかし、東日本大震災があり、シャープのような優良企業が赤字に転落しているので、その後どうなっているのかはよくわからない。
 今週は、東京大学ジェントロジー・コンソーシアム「2030年長高齢未来 破綻を防ぐ10のプラン」(東洋経済)も読み終えた。内容としては、どうしたら安心で活力のある長寿社会を実現できるかで、産学が連帯してロードマップを作成している。今から20年後は、私は80歳前である。2030年には、65歳以上の国民が占める割合は3分の1で、75歳以上の後期高齢者は5分の1である。現在の社会保障制度は、現役世代がその世代を支えるという賦課方式で成り立っており、2005年には3人で1人を支え、2030年には1.7人で1人を支えることになる。現在の高齢者の金融資産は800兆円と推測されている。どうしてこんなことが起こるかというと、将来が不安であるからである。スウェーデンなどの高福祉国家では、税金は安心への投資であるという考え方を国民は持っている。消費税をアップしたら景気が悪くなると言われているが、負担が増えても、国民の将来に対する不安が解消されたら、貯蓄が消費に回るという。私もこの考え方には賛成である。これから未曾有の高齢化社会を迎えるのに、増税もせずに若い世代に借金をつけをまわすなんて、あまりにも無謀である。ただ、消費税を5%から10%に上げても、焼け石に水で安心できない。抜本的な社会保障と税の一体改革が必要である。今の高齢者は貧富の差はあるが、資産をすべて上手に使い切って亡くなるわけでない。親の遺産でほっとする家庭も少なくはない。ロードマップについてはすべて読んだが、絵に描いた餅のようで、どれも実現が難しいことばかりである。しかし、裏を返せば、この不可能と思われるロードマップをこなさいと、来るべき超高齢社会を乗り切ることができないことを意味する。

今週の愛聴盤 8 (120925)

Les Tueurs De La Lune De Miel / The Honeymoon Killers
Les Tueurs De La Lune De Miel / The Honeymoon Killers

 クエンティン・タランティーノ監督の「デス・プルーフ」という映画がある。後半から面白くなってくる映画であるが、映画の中でタランティーノ監督好みの音楽が何曲も流れている。最後の字幕のシーンで使われている曲がどこかで聞いたことがあると思ったら、この「ハネムーン・キラーズ」のアルバムの中にはいっていた曲である。歌っている人はまったく別であるが、使われている曲は同じである。このことについては、だいぶ前の日記でも書いている。このアルバムは1982年に発売され、私はLPレコードで持っている。
 「ハネムーン・キラーズ」はベルギーのバンドである。フランス語で歌われているが、私はまったくフランス語はわからない。今回アマゾンで調べていたら、「アクサク・マブール」のメンバーがいたことを初めて知った。映画「デス・プルーフ」の最後に使われていた曲と同じ曲はYouTubeで聴ける。私はこれまで2人の写真が写った方の動画を見ていた。今回新たにチェックしていたら、新しいのが見つかった。(France Gall Cover)とタイトルがついている動画の方は、今回掲載した同じアルバムの写真の上に、英語で映画「デス・プルーフ」のことが書かれている。やはり、わかる人にはわかるのである。音の方は前者の方がいいので、こちらを紹介する。The Honeymoon Killers - Laisse Tomber Les Fillesで聴ける。映画「デス・プルーフ」で使われた曲は、この新しい動画に書かれていたことをヒントに調べてみたら、death proof-chick habitで見つけることができた。この動画に出てくるチラリズムは何ともいえない。タランティーノ監督自身も顔を出している。この曲を聴いて、すぐに「ハネムーン・キラーズ」を思い出した自分を改めて褒めたい。このバンドのヴォーカリストのロリータ声はなかなか捨てがたい魅力がある。その特徴がよく出ている、The Honeymoon Killers - Histoire a Suivreもいい。30年前の曲とは思えないほどモダンである。最後に、The Honeymoon Killers - Decollageも紹介しておく。

 

平成24年9月18日(火)

 この日は不在となりますので、19日(水)に更新します。
 連休中は、また中国の上川島に行っていた。今年はサラリーマンのように、夏休みを7月〜9月の間に、短く3回取った。月曜日が祝日だと、火曜日を休診にしたら3日半休みが取れる。火曜日はもともと午前の外来だけで、午後の往診もある程度変更が可能である。土曜日の外来は休むわけにはいかないので、出かける時には午後の便を使う。香港なら、午後6時過ぎの飛行機に乗って、午後9時には現地に到着できる。ここからマカオまでフェリーに乗って1時間である。そのまま中国の珠海に入ったらいいが、入境手続きは夜中の12時までなので、マカオで1泊することになる。今回はそのまま珠海に入れそうであったが、ホテルは予約しているのでキャンセルするわけにもいかない。
 実はこの連休には前にも書いたように、陽江市の海陵島に行けないか調べていた。海陵島は中国で1番美しい十大島に選ばれている。どう考えても、珠海からバスで片道4時間ぐらいはかかる。中国語のインターネットの記事を自動翻訳を使って調べてみたが、もうひとつバスの乗り場がわからなかった。たまたま調べている時に、珠海から香港国際空港行きのフェリーが出ていることを知った。いつも香港からマカオまで乗るターボジェットのパンフレットには、珠海から香港国際空港のフェリーはサービス予定となっていた。勝手に運航していないものと決めつけていたが、他のフェリー会社が運航していたのである。午後12時40分発で、1時間ほどで空港に着く。しかし、現地でこの時間で運行しているのか確認しておかないと心配である。2日目は朝早くホテルを出て入境の手続きをし、珠海の九洲港までタクシーで行った。間違いなく運行しており、ついでに帰りの乗船券を購入した。
 いつものバス・ターミナルに戻り、10時半発の台山山咀までの乗車券を買おうと思ったら、なぜか発売中止となっていた。よく見たら、バスがまったく動いていない。このバス・ターミナルからは中国各地へバスが出ている。どこも、すべてキャンセルである。英語のできる係の人がいたので聞いてみたら、交通渋滞と言うだけで、いつになったら動くのかもわからない。1時間経っても、まったくバスが来そうにもない。払い戻しをしている人も大勢いた。高速道路で事故でもあったら、タクシーでも無理である。私は海外では日本人に声をかかることはまったくない。しかし、事情がわからないので日本人らしき人に声をかけた。もう1人日本人がおり、反日デモが街の中心部に入れないように、道路封鎖をしているという。結局1時間ぐらい待っていたが、他のバスもほとんど入ってこなかった。仕方ないので、3人でタクシーを借りて台山山咀まで行くことにした。2人とも40代前後で、1人は中国をあちこちバスを使って旅行しており、10時間ぐらい乗り続けることもあるという。もう1人の人は、中国語がベラベラで、中国で働いていたこともある。今はその会社をやめ、日本でパソコンでも出来る仕事をしており、今回は遊びに来ているという。珠海は経済特区なので、日本企業もたくさん進出している。反日デモでこんなとばっちりを受けるとは、まったく予想しなかった。
 中国語のうまい人がタクシーと交渉をしてくれ、高速代も入れて1人140元(1元は13円弱)でまとめてくれた。バスの乗車券は70元である。2人の目的地は下川島である。私は「何でも見てやろう、聞いてやろう」なので、下川島にも行ったことはある。中国各地を渡り歩いている2人にとって、下川島は何回も訪れる価値があるようである。私は目的が違うので、日本人や恐らく台湾人もいない上川島の方が好きである。島としての魅力もこちらの方が上である。タクシーに乗っていたら、高速道路の標識に、陽江市までの距離が出ていた。台山山咀からまだ80kmはあるようである。インターネットで調べても、陽江市のどこのバス・ターミナルに着くのかよくわからなかった。ここからバスに乗り換えて海陵島に行くことになる。2人には、タクシーの中で中国各地のことはいろいろ教えてもらった。フェリー乗り場で2人とは別れたが、正直言って目的地が違ってよかった。家族旅行とは違うので、海外では1人の方が気ままに行動できる。
 翌日の午前中は島の南にある沙堤港にバイク・タクシーに案内してもらった。1時間ちょっとで60元と約束したが、2時間以上親切に案内してくれた。快晴で、きれいな港の写真が撮れた。何とも言えない雰囲気のある場所で、本当によかった。もんもん写真館に、撮ってきた写真を近いうちにまた追加しようと思っている。今回の旅行では前回のような奇蹟の写真は撮れなかった。大幅な時間超過で、運転手には70元払った。海外に出ると、珍しい被写体に出遭うことが少なくない。しばらくは、国内で見慣れた風景に、カメラを向ける気になれそうにもない。もう1泊して朝8時のフェリーに乗って、その日に帰国することもできた。しかし、フェリーやバスが少しでも遅れたら、もう飛行機の出発時間には間に合わない。大事をとって、この日の午後2時のフェリーに乗って、珠海まで帰ってきた。珠海では、1泊200元のビジネスホテルである。帰りは、そのまま空港までフェリーで帰ってきたが、快適でよかった。今回の旅行では1冊の本を読み終えた。内容は面白かったが、今日は午後の外来もあるので、来週の日記でに詳しく紹介しようと思う。

今週の愛聴盤 7 (120918)

Magma live / Magma
Magma live / Magma

 今はインターネットが発達して、ほとんどのことがパソコンで調べることができる。今から30年以上前は、主に本や雑誌しかなかった。ロックの分野でも、マニアックなプログレに関する情報はほとんど手に入れることができなかった。当時唯一の雑誌は、阿木謙の「ロック・マガジン」だけである。特にその中でも、付録に付いてきた「プログレシブ・ロック・カタログ」が私のバイブルとなった。1月号の付録となっているが、年代がよくわからず、1970年代後半だったと思う。100枚近くのアルバムが紹介されているが、ここに出てくるバンドのアルバムは輸入盤のレコード屋でほとんど集めた。ファウストのアルバムだけは、なかなか手にはいらなかったことを覚えている。
 さて、今回紹介するマグマである。「私の愛聴盤」で、最初からマニアックで癖のあるバンドを紹介したら、誰も聴いてくれなくなると思い控えていた。私の持っている2枚組のLPレコードは、カットアウト盤である。カットアウト盤というのは、LPレコードのジャケットに細長い切り抜きが入れられた、在庫処分の格安盤である。マグマはクリスチャン・ヴァンデが率いるフランスのバンドである。このアルバムは1975年パリでのライブ盤である。架空のコバイア惑星のコバイア語で歌うというわけのわからない設定になっているが、呪術的で硬質な異様な音空間を作り出している。「プログレシブ・ロック・カタログ」では、「混沌とした(1枚目の)A面の持つよどむ様な空間がB面後半に於けるインター・プレイによって引き裂かれる様な恐ろしくスリリングな」と書いてある。YouTubeでは、この引き裂かれるような恐ろしくスリリングな部分だけを聴くことができる。わずか10分余りで、マグマの神髄を知ろうという、大胆で無茶苦茶な試みである。私は体調の悪い時に聴いたら、余計に体調が悪くなった。このさわりの部分だけは、、Magma - Kohntarkで聴ける。37年前の演奏とは信じられないぐらい、充実した内容である。

 

平成24年9月11日(火)

 先週は久しぶりにゆっくりできた。こういう時に、ふだんできないことをしたらいいのだが、ついついだらだらと過ごしてしまう。年を取ってくると、本当に欲しい物がなくなってきた。カメラもソニーのRX100を買ってしまったら、他の製品には興味がなくなってしまった。新しいiPodが出たら、少しは物欲が出てくるかも知れない。人生の大半を医院で過ごしているので、スマートフォンもノートパソコンもほとんど必要ない。
 土曜日は、ある製薬会社主催の発売1周年記念講演会があった。講師は東京女子医大の教授で、演題は「現代日本のうつ病を解剖するーうつ病のトータルメネジメント2012ー」である。講師の先生はTVにもよく出演しているので、日本全国あちこちで講演を頼まれているようである。うつ病の専門家として有名になるのはいいが、難しい患者さんが大勢集まって来そうである。ある特定分野の手術の名手などとは違って、難治性のうつ病の患者さんは、有名な専門家でもそう簡単に治せるわけではない。外科などでは、いくら高名な先生でも無理な手術は断ることができる。この先生の講演は何回か聞いているが、その大変さに対するぼやきみたいな物を感じる時がある。精神科医もストレスがたまる時にはたまる。私が年をとったせいばかりでなく、開業した12年前と比べて、難しい患者さんが随分と増えてきた。講演内容は、うつ病に関してはすべて出し尽くした感じで、新しい知見はあまりなかった。現代型うつ病は若い人に多く、最近はあまり安易に休養の診断書を出さず、続けて仕事ができるようにアドバイスをしたりする。あまりにも何回も会社を休む患者さんがいたので、この先生がもう少し頑張るように伝えたら、地下鉄に飛び込んだという。
 最後に、医療者のストレスの対処法についても話をしてくれた。朝から晩まで、人の悩み事を聞き続けるというのは、けっこう大変である。患者さんを取り囲む環境が複雑に絡み合い、すべてこっちにふられても困る。治療者にとって我慢大会になってもよくない。医者だけではなく、すべての働く人にとって、やりにくい世の中になったと思う。これまで、完全主義にならず、いい加減な所で手を打つとか、グチの言える人を2人作るとか言われてきたが、内容はほぼ同じである。この講演会では、ストレスを減らす方法として、悩み事を打ち明ける習慣や数人の人と暖かい交流を持ち、孤立を避ける事や、自分の限界を知り、高望みしないこと、適度な運動をすることなどが述べられていた。偉くなればなるほど、個人的な悩み事を打ち明けるのは難しいかもしれない。頭の中のもやもやしたことを、1度言語化すると、問題が整理されて気持ちがすっきりするのは事実である。
 最近はうつ病を治療する薬として、脳のセロトニンやアドレナリンを増やすSSRIやSNRI、NaSSAの薬がたくさん発売されている。少し前にシャープが破綻寸前の話を聞いて、薬に関するビジネスモデルについていろいろ考えていた。たまたま本屋で見かけた日経ビジネスが、「クスリの未来」について特集をしていた。この中の記事は確認はしていないが、私が考えていたビジネスモデルの話と内容は多分かぶらないと思う。液晶TVやパソコン、デジカメは新しいモデルを出して、旧モデルより高い値段をつけて利益を確保している。製品の技術の向上は明らかで、より性能が高まっている。そして、古いモデルは市場から消えていく。ブラウン管のTVやウィンドウズ95のモデルが、今でも格安で売りに出されることはない。
 さて、薬である。抗菌剤などは明らかに技術の進歩が見られ、これまで効果の無かった耐性菌によく効いたりする。ところが、精神科の薬は評価が難しく、必ずしも最近出てきた薬が優れているとは限らない。新しい抗うつ薬であるSSRIなどの薬も、これまで使われてきた三環系抗うつ薬と比べて明らかに進化しているのかは疑問符がつく。副作用が少なくなったというが、重症のうつ病の人には効果が不十分な時もある。1日1回の服用は便利になったが、今度は減量がしにくくなった。副作用も、当初思っていたよりも少なくない。薬は発売当初は値段が高く、2年ごとの薬価の改定で段々と安くなっていく。そして、パソコンなどとは違い、30年も40年も前に発売された薬が今でも発売されている。今回の発売1週年記念を迎えたSSRIは1日1回の投与でいいが、1錠200円以上する。ところが、三環系抗うつ薬であるトフラニールの25mg錠は1959年に発売され、1錠の値段は10円である。新薬とは違い、古い薬ほど副作用は出つくしている。製薬会社としては、新しい薬が売れないとビジネスモデルとして成り立たない。一般企業と同じで、慈善事業でやっているわけでないので、ある程度の利益は確保しなければならない。
 最近は、ベンゾジアゼピン系の精神安定剤や睡眠導入薬の依存性が必要以上に強調され、新聞などでも危険な薬として取り扱われている。私は精神科医になって今年33年目になるが、三環系抗うつ薬とベンゾジアゼピン系薬物で鍛えられた世代である。個人的な印象では、ベンゾジアゼピン系薬物の効き方には、お酒のようにかなり個人差がある。他に薬がなかったので、散々使ってきたが、一部の乱用者を除いて、耐性や認知機能障害、離脱症状などで困った患者さんはあまり記憶にない。このベンゾジアゼピン系薬物も古い薬なので、1錠当たり10〜20円が多い。今の医学教育のせいなのか、ベンゾジアゼピン系薬物に対する若いドクターのアレルギーには驚くことがある。製薬会社の陰謀だとは思わないが、毎晩ビールを飲みたくなるのは、ビールは依存性の強い危険な飲み物であるからと言われているような気分である。SSRIなどの薬はうつ病だけではなく、パニック障害などの不安障害にも適用がある。以前とは違って、多くの国際的な診療ガイドラインでも治療薬として推奨されなくなってきている。しかし、上手に使ったらQOLが改善する患者さんも少なくない。いずれにしても、古い薬もそれなりの利益が出るように薬価を下げすぎないようにしたらいいと思う。
 きのうの月曜日は、夕方に受診した患者さんから、私の医院の電話が通じなかったと言われた。そんなことはないだろうと思って、滅多に使わない携帯電話で試してみたら、本当に通じなかった。朝は電話がかかってきたかどうか、よく覚えていなかった。土曜日のこともはっきり思い出せなかった。NTTに問い合わせをしたら、電話線は通じているので、医院の中の変換器の電源がはずれている可能性が高いと言われた。受付の人に確認してもらったら、何とかまた通じるようになった。私の医院にかかってくる電話はすべて私が直接出ている。きょうの新患の患者さんを診ている時には、電話が5〜6回もかかってきた。こんなことは開業以来初めてのことで、これからは気をつけなければならない。

今週の愛聴盤 6 (120911)

Concerto Grosso I / New Trolls
Concerto Grosso I / New Trolls

 いわゆるプログレシブ・ロック(プログレ)の代表的なバンドは、有名どころでは、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)、ジェネシスなどがある。日本ではあまり知られていないが、ドイツやフランス、イタリアなどのヨーロッパにもたくさんのバンドがある。総称して、ユーロ・ロックと呼ばれることもある。プログレシブとは、前衛的、先進的という意味で、ジャズやクラシック、民族音楽、現代音楽に近づいたり、融合したり、一部を取り入れた実験的ロックである。クラシックとの融合では、プログレではないが、1969年にディープ・パープルとロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラ が共演した。オーケストラの演奏と鳴り響くロック・ギターの音が全く合っておらず、私は失敗作だと思っている。その後、プログレのバンドはオーケストラの代わりに、演奏楽器としてメロトロンを用いるようになった。
 さて、イタリアのニュー・トロールズである。「コンチェルト・グロッソ」からして、クラシックを思わせる題名である。クラシックとロックが感動的に融合した曲はいくつかあるが、このアルバムはその1つである。私の持っているLPレコードは日本版で、1979年(?)に発売されている。その後、ニュー・トロールズについては、何枚かのアルバムを聴いただけで、ずっと忘れ去っていた。たまたま今回思い出して、YouTubeで調べてみた。昔のバンドが再結成されて演奏することがよくあるが、このニュー・トロールズについては解散になっているのかよくわからない。2007年4月に来日して演奏もしている。YouTubeに出てくるのは、最近の演奏である。正確なコンサートの時期はわからないが、アルバムが発表されてから約30年は経っている。オリジナルの演奏と基本的にはあまり変わりない。YouTubeでは、New Trolls - Concerto Grosso Iが素晴らしい。こんな演奏をアルバム発売から何十年と経って、生のコンサートで聴けるなんて、イタリア国民は幸せである。長い曲であるが、前半より後半の方がよくなっていく。

 

平成24年9月4日(火)

 先週の水曜日に業者に頼んで、もんもん写真館のリニューアルをした。これまでは、連続して拡大した写真を見ることができなかった。今回のリニューアルでは、マウスポイントを写真の上に置くと、「NEXT」の文字が現れ、ここをクリックすると連続して見れるようになった。最近はパソコンの液晶の解像度が上がり、これまでの大きさだと見劣りするようになった。今回、中国の上川島の写真では、これまでより画像を大きくしてアップロードした。写真には、作品として楽しむ部分と情報として得る部分の両方がある。もんもん写真館はどうしても作品重視になりやすい。情報としての写真は、ブログのように日記の中で気楽に使いたいが、HTMLを使って更新しているので、まだやり方がよくわからない。最近やっとHTMLを使って「私の愛聴盤」を自分で更新できるようになったばかりである。8月の日記で、上川島では奇跡の写真が2枚撮れたと書いた。こういう写真は偶然が左右するので、撮れそうでいてなかなか撮れない。ある程度情報としての写真も入れないといけないので、作品としてはつまらない写真もはいっている。わかりにくいが、生け簀の写真では、左上に剥がれかかった毛沢東の写真が貼ってある。
 先週は、8月中にやらなければならない仕事がたくさん残っていて、相変わらず忙しかった。8月中に患者さんに送らなければならない自立支援医療の継続の手続きがまだできていなかった。税理士事務所に送る6月分と7月分の資料もまだ整理して郵送できていなかった。早く送らないと、8月分ももうすぐ出るので、3ヶ月分が溜まってしまうことになる。最後の他府県の労災裁判の意見書は検討事項が多く、一時休止になっている。しかし、まだ裁判にはなっていない京都の労災の意見書を新たに頼まれていた。やることがたくさんあると、従業員の8月分の給与計算など細々とした雑用も苦痛になってくる。障害者年金の継続の診断書など、書かなければならない書類も次から次へと出てくる。油断していると、こういう書類がどんどんと溜まっていく。何とかこれらのことは8月中にやり終えたが、京都の新たな労災の意見書は間に合わなかった。官公庁は土日は休みなので、父親の葬式を理由に、2日延期してもらった。この意見書は土曜日からやり始めたが、資料を読んでいたら、思ったよりややこしかった。精神科は内科などとは違って、客観的な検査所見があるわけではない。境界のはっきりしない曖昧な部分も多い。なるべく曖昧な部分に立ち入らす、地雷を踏まないように意見書を書くのは、けっこう大変である。この日はやる気がしなかったので、資料だけ読んた。日曜日は朝7時前から医院で意見書を書き始めた。裁判の意見書とは違うので簡単でいいが、裁判になった時のことまで想定して書かなければならない。何とか不毛な議論に踏み込まないように書いたが、昼の12時までかかった。
 午後からは床屋に行き、また医院に戻って髪の毛を染めた。一旦髪の毛を染め出すと、なかなかやめにくい。その後で、久しぶりにツタヤで借りてきたDVDを見た。題名は、「テイク・シェルター」である。どんな映画かほとんどわからず、知っていることは、異変を感じた父親がシェルターを作るぐらいであった。久しぶりにゆっくりと取れた時間であるが、途中で見るのをやめようかと思ったほど、内容は面白くなかった。結局2時間かけて最後まで見たが、医師会が喜びそうなアメリカの医療保険制度のことがよくわかったことと、最後はどうなるのかと気になったぐらいである。妄想型の統合失調症の父親がシェルターを作る話だとはまったく知らなかった。最後の結末は、精神科医なら1度は想像してみることである。
 さて、今回読み終えた本である。ジョン・キム「媚びない人生」(ダイヤモンド社)である。この年になると、今さら啓蒙書の類いを読んでも仕方ないと思ったりする。私にとっては、今は意義ある老後の過ごし方などを書いた本の方がふさわしいかもしれない。著者は,韓国生まれで、アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヶ国を渡り歩き、現在慶応大学大学院の特任准教授をしている。なぜか年齢については明かされていない。個人の人生観というのは、その人の体験したことからしか生まれてこない。個人の体験を普遍化して若者に語るのは、簡単なようでいてなかなか難しい。独りよがりになってもいけないし、個人の体験に根ざさない言葉を語っても重みがない。内容は、キムゼミの最終講義で、将来に対する漠然とした不安を抱くゼミ生たちが、今この瞬間から内面的な革命を起こし、これからの人生を支える真の自由を手に入れるための姿勢や考え方、その行動指針を示したものと著者が述べている。
 「社会に革命を起こすのは時間がかかるが、内面の革命は今この瞬間にスタートできる」とか、「未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくこと」など納得できる部分と、ややもすると観念的になりすぎていると感じる部分もある。過去には、デールカーネギーの「人を動かす」や「道は開ける」を読んで、かえって出来ない自分を責めてしまう人もいた。出発点はなかなかそう簡単に人生をコントロールすることはできないである。誰でも努力したら、自分の弱さを何でも克服できるというのは間違いである。思い通りにならない自分や他人とどう折り合いをつけて生きていくのか、少しでも役に立つことが書かれていたらいい。「孤独は決して、克服すべき対象ではない。孤独とは、自分と向き合う時間である」とか「普遍的な真実はない。社会的な真実があるだけ」とか、役に立つことも数多く書かれている。私はもうこの年になったので、この本に対する批判もできる。著者は教祖ではないので、若い人はここに書かれていることがすべてできないからと言って、自分を責める必要はない。山に登るにはいくつもの道があり、すべてこの通りにする必要はない。啓蒙書との付き合い方は、著者とは生まれも育った環境も違うので、信者になることではなく、自分にとって役に立つ部分を自分の人生に生かすことである。

今週の愛聴盤 5 (120904)

 Floating Into the Night / Julee Cruise
Floating Into the Night / Julee Cruise

 今から22年前に、NHKの教育TVで「近未来写真術」を放送していた。1990年4月〜7月まで毎週篠山紀信が当時活躍していた12人の写真家にインタービューをして、その作品を紹介する。篠山紀信の作品も含めて、1回30分の連続13回の、今から考えたら贅沢な番組であった。写真家としては、今みても新鮮な魚やタコを使ったオブジェの今道子や作品としてはあまり好きではない森村泰昌やヒグマに襲われて亡くなった星野道夫も出てくる。最終回は荒木経惟である。篠山紀信の作品としては、私は「激写・135人の女ともだち」(1979年)を今でも残している。この頃は、ふつうの女の子が裸になることは珍しく、かなり新鮮であった。
 さて、この番組で出てくる篠山紀信である。タイトルは「TOKYO NUDE」である。ビルの廃墟に裸の女性を配して撮っているが、作品としてはあまり面白くない。モデルも、今のAV女優の方がすごい。この篠山紀信の特集で1番感動したのが、バックに流れている音楽であった。私好みの音楽で、どこの誰の曲か知るよしもなかった。 それから間もなく、雑誌でたまたま興味を持って買ったCDが今回紹介するJulee Cruiseである。私の持っているLPレコードやCDは輸入盤が多いが、このCDは日本盤である。まったくの偶然であるが、このアルバムの中に篠山紀信の特集で使われていた曲がはいっていた。YouTubeでは、アルバムの写真だけしか写っていないが、Julee Cruise - I rememberで聴ける。他の曲としては、Julee Cruise - Into the nightもいい。当時、デヴィッド・リンチ監督の連続TVドラマ「ツイン・ピークス」が話題になっていた。私は忙しくて見ている暇はなかったが、このテーマ曲だけは何回か耳にしていた。この曲を歌っていたのがJulee Cruiseだと初めて知ったのは、このCDであった。この人の持っている独特の浮遊感と官能的な歌い方が1番発揮されているのが、このテーマ曲 Julee Cruise - Fallingである。CDではあまり聴いていなかったが、今回新たに聴き直してみたら、やはり名曲である。

 

平成24年8月28日(火)

 先週の金曜日は池田の妹の娘から医院に電話があった。私は午前中の外来をしている時であった。病院に入院していた父親が亡くなったという。妹夫婦と私の妻と息子が病院まで駆けつけた。私は外来をやっているので、全く身動きがとれない。翌日の土曜日に葬式をすると言うが、午前中は外来である。予約している患者さんもいるので、突然休んで患者さんの薬を切らすわけにもいかない。妹に頼んで、日曜日に変更してもらった。両親が長野県の田舎から池田に出て来ても、なかなか会いに行っている暇がなかった。父親は有料老人ホームにはいっていたが、肺炎を起こし、だいぶ前から病院に入院していた。1度見舞いに行かなければならないと思っていたが、ついつい延び延びになっていた。
 父親は大正13年生まれで、まだ誕生日が来ていないので、87歳である。池田に来て、今年の9月で6年になる。年齢も年齢なので、内輪だけで葬式をすることにした。父親と母親の兄弟関係は愛知県に住んでおり、妹がすべて連絡してくれた。私は同じ愛知県で生まれているが、カルフォルニアのサクラメントに住んでいる1歳下の妹は、長野県の飯山で生まれている。私は父親が亡くなったと聞いても、なかなか実感がわいてこなかった。土曜日は横浜から娘が帰ってきて、夕方に家族4人で池田の母親の所に行った。この日の夜は、妹家族と私の家族だけで通夜をすることにした。今流行の家族葬である。妹はしばらく会わないうちに老けた感じがした。私立大学経済学部の学科長をしているが、弁護士事務所を開いている旦那より給料はいいようである。この日は父親のことはそっちのけで、ビールを飲みながら久しぶりの世間話をしていた。夜寝るときに、父親のいる部屋で私が寝ることになった。昨晩は妹が一緒に泊まったという。暑い時なので、部屋は冷房を20度ぐらいに効かせている。風邪をひかないように毛布を用意した。ビールを飲み過ぎたので、父親のことを偲んでいる暇もなくぐっすりと眠ってしまった。
 翌日の日曜日は、葬式は午後1時半からである。母親は昭和7年生まれで、今年80歳である。私を21歳の時に産んだことになる。これまでは週3回プールに行き、週3回父親の所に見舞いに行っていた。父親はほとんど寝たきりで、ほとんど反応もない。ばたばた時間に追われていると,私なら10分そばについていたら充分かと思ってしまう。それでも、定期的に病院に通い、ベッドの横について時間を過ごしていた。母親には何か代わりのことを探してやらなければならない。サクラメントの州政府で働いている妹は木曜日に帰ってくるので、しばらくは上の妹に相手してもらおうと思う。昼12時に父親を葬儀場に運び,葬儀場で葬儀が始まるのを待っていた。愛知県から両親の親戚関係が来ていた。私が会うのは、中学生の時以来である。娘はいやがるかも知れないが、私と私の娘の顔はそっくりだと言われた。昔は母親と池田の妹と私の顔はそっくりだと言われていたが、年齢と伴に変わってくるのかもしれない。
 要所要所で母親が泣くので、私も含めみんなもらい泣きをしていた。葬式の後は火葬場に行き、その後は妹の所で時間を過ごした。けっこう時間がかかり、その後遺骨を拾いに火葬場に戻る。すべてやり終えて、母親の家に戻ったのは夜6時半頃であった。何もかも妹が手筈を整えてくれて、長男として私は何もやることはなかった。それでも、葬儀代をすべて私の所に回してくるのはやめて欲しい。月末で受付の人の給与を払わなければならないし、家にも生活費を入れなければならない。まだしっかり計算していないが、定期貯金からお金が必要になるかもしれない。
 私は以前にも書いたように、子どものビデオは生まれた時からまめに撮っている。すべて、ブルーレイ・ディスクに保存したが、この中に父親も出てくる。池田の妹の子ども2人が当時住んでいた神戸に来た時のビデオも残っている。飯山の実家でも、父親とまだ幼い妹の子どもと私の子どもが一緒に遊んでいる場面もある。これらのシーンがどこにはいっていたのか探すのは大変であるが、母親のためにDVDに編集しようと思う。父親が亡くなったことについては、この日記を書いていてもまだなかなか実感がわいてこない。思い出のフタがさび付いて、なかなか開いてくれない。何かのはずみである日突然フタが開いて、鼻がつーんとくるような鮮明な思い出があふれ出てくるのかもしれない。よく、お天道様が見ているというが、父親が亡くなってもう悪いことはできないと思った。順番からいうと次は母親で、みんなあの世で待っているかと思ったら、死に対する恐怖も薄まったような気もする。
 もんもん写真館の中国を更新しました。写真内にマウスポイントを置くと、NEXTが出ます。

今週の愛聴盤 4 (120828)

Koyaanisqatsi / Philip Glass
Koyaanisqatsi / Philip Glass

 今流通している音楽や映画の記録媒体は、CDとDVDとブルーレイ・ディスクである。私の時代は、LPレコードやVHSテープがあり、一時パイオニアが日本で製品化したレーザー・ディスクもあった。私はLPレコードと同じ大きさの10枚ぐらいのレーザー・ディスクをまだ残している。この中には、ジョン・レノンが絶賛したという映画「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」が含まれている。音楽では、トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」もある。私の持っているすべてのレーザー・ディスクは今ではDVD化されている。
 さて、フィリップ・グラスである。プログレ(プログレシブ・ロック)を聴いていると,現代音楽に触れたりする機会も多い。ジョン・ケージから始まり、ミニマル・ミュージックのテリー・ライリー やスティーヴ・ライヒ、マイケル・ナイマンなどはコアなプログレ・ファンにはよく知られている。今回紹介する「コヤニスカッツィ」は1984年に公開された映画で、フィリップ・グラスが音楽を担当している。ミニマル・ミュージックというのは、パターン化された音型を反復させる音楽で、繰り返されるメロディーが微妙にずれていき、広がりのある新しい音空間を生み出す。よく考えてみたら、人生というのはミニマル・ミュージックのように、日々同じような生活を繰り返している。
 レーザー・ディスク・プレイヤーはとっくの昔に処分したので、この映画は改めてDVDを手に入れて見直してみた。フランシス・フォード・コッポラ制作となっているが、監督はゴッドフリー・レジオである。コッポラ監督は映画「地獄の黙示録」や「ゴッドファーザー」で有名である。「コヤニスカッツィ」はストリーらしきストリーはなく、全編アメリカ国内の雲や河や渓谷や高層ビル、人々の姿などが映し出され、最初から最後まで音楽が鳴り響いている。環境破壊などの文明批判の映画として評価されているが、素直にこの映像と音楽を楽しんだらいい。映像の手法については、この映画でほとんどすべて出し尽くされている感じである。このジャッケットの写真は最初はインターネットで調べても見つからず、自分のレーザー・ディスクの写真を撮った。どうしても正方形に撮れず、切り抜きで修正してもタイトルがうまく収まらなかった。たまたま後から偶然に見つけた写真を流用している。YouTubeで調べてみたら、コッポラ監督の映像管理が厳しいのか、あまりいいのが見つからなかった。それでも、映画の1番最後に出てくるPhilip Glass - Koyaanisqatsi - finaleがいい。フィリップ・グラスの作品では、Philip Glass - The Kissもよかった。映像的には面白いが、本来のミニマル・ミュージックの魅力が薄れ、それこそ一昔前のイージーリスニングとどこが違うのかよくわからなくなった。

 

平成24年8月21日(火)

 盆休みが終わって、撮ってきた上川島の写真を整理していた。旅行に出て、奇跡の写真が1枚でも撮れていたら幸せである。今回は、自己満足であるが、奇跡の写真が2枚撮れていた。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、運がよければこういう幸運に巡り会う。今回の旅では、ソニーのサイバーショットRX100を持って行った。旅行にはこれぐらいの大きさが丁度いい。暗い所に強く、夜間でもフラッシュをたく必要はない。私が先週の日記で、夕暮れの涼しい潮風に当たっていたら、身も心も洗われると書いた。私の撮ってきた写真からその雰囲気を是非とも味わって欲しい。日本で、きれいなお姉さんにスッチーの格好をしてもらっても無理である。業者には、もんもん写真館の大幅のリニューアルを頼んでいるので、今月末には公開できそうである。私は日本人がまだ誰もあまり行っていない所に行って写真を撮るのが趣味である。そのことが自分のアイデンティティにもなっている。ここでも何回も書いているように、南の島が大好きである。今出ているアサヒカメラの9月号の表紙の写真は私好みである。川の水辺の風景写真もいい。死ぬまでには、アマゾン川に行って思う存分写真を撮りたいと思っている。息子には医学部に合格したら、ブラジルのFIFAワールドカップに連れて行ってやると約束している。この時に、是非ともアマゾン川にも寄りたい。映画「モスキート・コート」に出て来たような風景は私の理想である。
 私は写真に関しては全くの素人である。謙遜ではなく、プロの足下にも及ばないのはよくわかっている。精神科医をやって33年目になるので、精神科に関してはプロであるのと同じである。素人が精神科に関していろいろ言っても勝負にはならない。それでも、国内より海外に行った方が珍しい写真が撮れるのは事実である。どんないいカメラを使ってテクニックを駆使しても、平凡な被写体はやはり平凡である。写真のテクニックやカメラを超えた感動的な写真についてはプロはどう評価するのか知りたいと思ったりする。素人でも、ごくまれに自分の感性と撮った写真がシンクロすることはある。今回は私が勝手に奇跡の2枚の写真と言っているが、もしかしたらプロの人にとっては平凡な写真かもしれない。自分でいい写真が撮れたと思うと、勢い付く。当然もっといい写真を撮りたいと思う。中国の南の島をインターネットで調べていたら、海陵島が出てきた。珠海から高速道路を使ったら、2時間ぐらいで行けそうである。私は知らなかったが、中国で1番美しい十大島の1つに選ばれている。ここは橋を利用できるので、悪天候を心配することはない。観光客が多いと興ざめであるが、私の次の目標はここである。やはり、それまでには旅行会話ぐらいの中国語はマスターしなければならない。
 今日の外来は午前中だけであったが、普段より多く36人の患者さんが受診した。国際交流会館から紹介された英語圏の新患の患者さんもいた。患者さんの英語を聞き取るのは不自由しないが、ふだん英語を話していないと、なかなか思うようには話せない。このあたりは、もうちょっと勉強しないといけないと反省した。午後は往診である。1人暮らしのお年寄りの患者さんの往診は気をつけなければならない。いつの間にか入院していることがあるからである。私の医院は院外処方である。往診の日はあらかじめ院外薬局に受付の人が行き、薬を用意する。ところが、最近私が往診した患者さんがいつの間にか病院に入院していて、往診したら不在であった。どうしてその日の午前中に確認しないのかと言われたらそれまでであるが、患者さんがその時に他の医療機関を受診していることもある。後から家族から連絡があって入院していることを初めて知った。こういう時には、院外処方の薬をどうするかである。今はコンピューターですべてチェックしているので、入院している患者さんを往診したことにして保険請求するのは無理である。なかなか患者さんに薬代を請求するわけにいかないので、結局私の医院が持つことになる。この患者さんは生活保護は受けていないが、医療費の負担はゼロである。仕方ないので、院外薬局には1万6千円以上の薬代を支払った。往診が終わった後で、最後に残っている1件の他府県の労災裁判の打ち合わせが私の医院であった。3時半から始めて、5時過ぎまでかかった。5時半からこの日記を書き出しているので、書けるところまで書こうと思っている。今週は「私の愛聴盤」も遅れず、更新するつもりである。
 先週の日記で、この旅行で本を読む機会がなかったと書いた。しかし、アンドロイドのウォークマンに入れた映画は2本見ることが出来た。1本目は、アルゼンチンの「瞳の奥の秘密」である。レイプされて殺された若妻が出てくるが、この人の死体はびっくりするほどきれいである。犯人の男が自分のペニスを誇示する場面が出てくるが、映画では当然その部分はぼかしている。アルゼンチンでそのまま上映しているとしたら、かなり過激である。この映画に出てくる女性検事も私好みである。作品自体は秀逸で、見逃さなくてよかったと思った。もう1本は、2010年のキネマ旬報ベスト・テンで、外国映画の第1位を獲得した作品である。前にも書いたことがあるが、韓国映画の「息もできない」である。今は韓国との領土問題で、韓流ドラマ好きの人でも韓国には反発している。私の患者さんでも、毎年秋に行っている韓国旅行は今年は取りやめると言っているぐらいである。領土問題については、個人的には中国も含めあまり感情的にならない方がいいと思っている。愛国心というが、本来の愛国心もっと苦労を伴うものである。さて、作品である。私は韓流ドラマは食わず嫌いで、何も見ていない。しかし、韓国映画はまだ数本しか見ていないが、いつも大感動である。この映画もケチをつけたらいくらでもケチをつけられるが、それを上回る何か(英語でいうsomething)がある。早く「私の愛聴盤」に移りたいので、内容についてはこここでは触れない。一言で述べたら身も蓋もないが、貧困が貧困を再生産をすることが描かれている。

今週の愛聴盤 3 (120821)

Return of the Durutti Column / the Durutti Column
Return of the Durutti Column / the Durutti Column

 CDのジャケットは約15cm四方で、LPレコードのジャケットは約32cmである。LPレコードのジャケットは大きすぎて持ち運びに不便であるが、気に入ったデザインのジャケットを部屋に飾っておくと見応えがある。昔はヒプノシスのジャケットアートが有名であった。さて、今回は紙ヤスリでできたLPレコードのジャケットである。私はこの紙ヤスリでできたLPレコードを持っているが、発売は1980年である。LPレコードで他にも珍しいジャケットでは、PIL(Public Image Limited)のメタル・ボックスがある。PILと言ってもほとんどの人が知らないと思うが、セックス・ピストルズのボーカリストのジョン・ライドンが結成したグループである。アルミ缶に3枚のレコードが入っていたと思うが、私のメタル・ボックスは錆だらけで、今では缶が開かないぐらいである。1979年の発売なので、無理はないかもしれない。
 さて、Durutti Columnである。30年以上前の曲とは信じられないほど素晴らしい演奏が聴ける。久しぶりに聴いてみたが、ヴィニー・ライリーのギターの音色が心に染みいる。YouTubeでは、夏にふさわしいThe Durutti column - Sketch For Summerが聴ける。再発されたCDのジャケットしか映っていないが、音はいい。他には、ヴィニー・ライリーが出てくるDurutti Column - Never Knowもいい。特に若い人には聞いて欲しい。30年以上前に、ビートルズやローリング・ストーンズとは違う世界があったのである。

 

平成24年8月14日(火)

 14日は不在だったので、この日記は16日(木)に書いている。私の医院の盆休みは8月11日〜15日までで、7月と9月に別に1日夏休みを取らせてもらう。こういう暑い時には知床とか涼しい所に行きたいが、この年になると学会以外の時に国内を1人旅をするのは抵抗がある。息子が高3で受験があるので、今年はまったく身動きがとれない。今回は日本でも情報が入手しにくい中国の旅に1人で行ってきた。中国の南の島と言ったら、ベトナムに近い海南島が有名である。最近この島に行ってきた患者さんの話によると、時期にもよるかもしれないが、それほど海はきれいでなかったという。日本からけっこう遠いので、本当の南の島に行きたいなら、タイやベトナムの方がいいかもしれない。比較的日本から近い中国の南の島は、台山市の上川島と下川島がある。マカオと接する珠海からバスに乗って2時間ほどで台山山咀港に着き、ここから小型フェリーに乗って行く。どちらの島も30分ほどで着く。下川島はあちこちの雑誌でも取りあげられ、インターネットでも有名である。なかなかこの島に行ってきたとは、恥ずかしくて言えない。
 さて、上川島である。フランシスコ・ザビエルが没した島として有名である。それ以外のことは、インターネットを調べても情報らしい情報がない。グーグルの地図で調べても、どの辺りに港があり、海水浴場があるのかさっぱりわからない。「地球の歩き方」には、珠海や孫文の生まれた中山のことが詳しく載っているが、2つの島はまったく無視である。上川島は私の旅心を大いに刺激する。情報がほとんどなく、日本人もあまり訪れていないようである。おまけに、私の好きな南の島である。まだ誰も撮ったことのないきれいな海の写真が撮れそうであったが、結果的には一部マニアの期待を一身に背負って出かけたことになる。私の中国語の能力はどの位かというと、数字も言えないぐらいである。指での数字の表し方も覚えていない。いつも最初の部分だけ勉強して、数ヶ月もほったらかしにするので、また元の木阿弥でゼロに戻ってしまう。今回は労災裁判の意見書で死ぬほど忙しかったが、これだけのエネルギーを中国語に注いだら、簡単な日常会話ぐらいは話せるようになっていただろう。このままではあまりにも無謀なので、キヤノンの中国語の電子辞書だけは持って行った。後は、100円ショップで売っているノート型の架け線のないメモ帳で十分である。どんどん書いて、捨てたらいい。帰りに珠海の中国銀行で両替したが、全く中国語が話せなくても何とでもなる。関西空港での両替は1元が14円であったが、現地の銀行では13円弱であった。案内係の人が親切で、多少英語も話す。
 11日(土)は忙しくて旅行の準備ができなかったので、相変わらず朝5時に起きて、医院には6時前に着いた。香港までキャセイ・パシフィック航空で行く。出発時刻は10時5分であったが、何と最初から遅れた。初めは現地の空港の都合で、出発時間は午後3時になると言われ、気を失いそうになった。結局、出発時刻は12時になり、昼食チケットが1000円出た。香港空港からマカオまでのフェリーが日本で予約できたが、しなくてよかった。香港に着いたら市内まで出て、マカオまでのフェリーに乗る。マカオから中国本土の珠海まで越境するが、税関まで行くのが大変である。今マカオは深刻なタクシー不足である。バスは3.2パタカ(約30円)でどこにも行けるが、使いこなすのが大変である。一旦市内まで出て、越境の税関まで出たが、死ぬほど暑くて倒れそうであった。この日は珠海のビジネスホテルで泊まったが、料金は2800円ほどである。マカオは安いホテルがあるのかよく知らないが、土曜日だと1泊1万円を軽く超える。夕食は日本料理店でとったが、疲れていてこの日はそのままバタンキューである。よくなりかけていた風邪が、また患者さんにうつされたみたいで、咳がよく出た。
 12日は、珠海のバスターミナル発が10時30分のバスに乗った、他に日本人が3人乗っていた。下川島がいくら有名だと言っても、1番休みの取りやすい時期でこんなものである。2時間もかからず、台山山咀港のフェリーターミナルに着いた。この日は、休みだったのか知らないが、中国人観光客であふれかえっていた。私以外の日本人は下川島である。中国人の家族連れの海水浴客は上川島に行くのは下川島の3分の1ぐらいである。2つに分かれているフェリー乗り場で、ふと日本の昔話を思い出した。海に落とした貨幣を海の神が拾い、金貨と落とした貨幣を見せ、どちらを落としたか聞く話である。自分が試されているようで、ここはよこしまな考えを捨て、上川島を選んだ。船には、あか抜けない中国人の家族連ればかりが乗っていた。港に着いたら、ホテルのバスらしき車が何台も停まっていた。しかし、勝手に乗っていいのかもわからない。大きなバスが来ていたので、それに乗ることにした。あらかじめ、5元と10元の紙幣を用意していたが、運転手は5元の紙幣を取った。このバスもどこまで行くのかもわからない。たどり着いたのは、下川島と同じような旅遊区であった。入場するのに40元かかる。それでも、ここの海は気に入った。写真を思う存分撮ってきたので、近いうちにもんもん写真館で紹介しようと思う。
 最初に、一部マニアの期待を背負って来たと書いたが、下川島とは全く違う。中国人家族相手の全くの純粋な海水浴場である。中国のどこに行ってもある小さな按摩店は2件あったが、それだけである。需要は供給を産むが、下川島と違うのは公安の方針もあるかもしれない。男2人連れの観光客もおらず、日本人はおそらく私1人である。この島は、本当に気に入った。港も多く、海もきれいである。絵になる写真の被写体がそこら中にある。日本人が誰もいないというのは、私の旅心を満足させてくれる。中国の南の島も開放感があって好きである。海辺近くのホテルの前に屋台が並び、夕方には潮風が吹いて気持ちいい。生け簀から自分の好きな魚やカニ、エビ、牡蠣などを選んで料理してもらい、冷えた青島ビールを飲むのは最高である。ふだんは患者さんの悩み事ばかり聞いているので、都会の喧噪から離れて、身も心も洗われる。
 ホテル代は2泊で560元(約7千円)であった。最初はぼられるが、何回も利用していると安くなる。今がハイ・シーズンなので、そのことも影響しているかもしれない。最初の夜は、大瓶の青島ビールを頼み、魚と牡蠣と海老を注文し、220元(約2800円)であった。けっこうな値段かもしれないが、2日目に別の海鮮料理店で注文したら、店主が心配して、私の選んだ生け簀の魚が1キロ70元もすると教えてくれた。1.7キログラムがあったが、日本と比べたら値段は知れている。生け簀から網で魚を取りだし、飛び跳ねる魚を木の棒で叩く。しつこいようであるが、全く中国語が話せなくても、指で生け簀の魚を指したらいいだけである。後は、向こうで適当に料理してくれる。味は日本人好みで、絶品である。昼食もカニ料理とハマグリの酒蒸しとビールを頼んだら、90元ほどで済んだ。ビールはなぜか350ccの青島ビールの缶が置いてなく、バドワイザーの缶であった。売店でハルピンビールも5元で買って飲んでみたが、やはり青島ビールの方が私好みである。疲れたら、先ほどの按摩店から女の子を呼んで、自分の部屋で按摩をしてもらってもいい。
 今回の旅で失敗だったと思ったのは、ホテルに机とベッド灯がなかったことである。本を2冊用意して行ったが、ほとんど読めなかった。隣のホテルの部屋が見えたが、どうも机は置いていないようである。書き物と読書をしたい私としては、不便である。探したら、他のホテルにはあるかもしれない。島の地図を見ると、港がいくつかあり、海岸沿いも海がきれいそうである。私は、田舎の港も好きである。バイク・タクシーを頼んで、旅遊区を出て、近くの海を案内してもらった。ぼられているかもしれないが、1時間ちょっとで50元である。それでも、地元の小さな港の写真や高台からの海の写真が撮れて大満足であった。こういう島で気をつけなければならないのは、悪天候である。帰ってこれなくなったら、帰りの飛行機にも乗れない。私は香港発のCNNを見ているが、天気予報を見ていると結構台風が来たりしている。一応インターネットでチェックしているが、このあたりの天気予報はどうやって調べるのかよくわからない。もし悪天候で下川島に閉じ込められた時には、この私の上川島に関する情報を徹底的に頭にたたき込み、昔からザビエルに興味があったと言い訳しよう。13日の帰りは、10時発のフェリーに乗ろうと思って、早めにホテルを出た。フェリーが発着する港の写真を撮りたかったからである。9時5分前頃に着き、10時の乗車券を買うつもりであった。ところが、受付の人が中国語で何か書いてくれるが、意味がよくわからない。どうも、10時発のフェリーは団体客で売り切れだということらしい。あわてて、9時発のフェリーに乗った。
 翌日は珠海のホテルを朝9時に出た。マカオに入るのに、手続きが1時間ほどかかる。まだ朝が早かったのでそんなに混んでいなかったが、休みの日は殺到する中国人で2時間ぐらいかかることもある。マカオからは香港空港までフェリーに乗るが、一般席は売り切れていた。観光客が多いシーズンはこれも気をつけなければならない。香港発の飛行機は午後4時20分である。マカオのヤオハンで早めの昼食をとったが、ここはリーズナブルな値段である。味も日本人には合っている。私は空港でゆっくりしたいので、1時間早い12時半のフェリーに乗る。ところが、また飛行機の出発が遅れた。到着予定時刻は夜9時5分であるが、少し遅れただけで関西空港から京都まで帰れなくなる。午後5時近くに出発して、関空に着いたのは10時頃である。荷物の受け取りに時間がかかり、最終の空港バスはすでに10時半に出ていた。バス乗り場に着いたのは、10時34分である。最終のはるかは10時16分発である。仕方ないので、快速で天王寺まで行き、環状線で大阪駅まで行く。最終の京都行きは各駅停車で0時16分である。何とかぎりぎり間に合ったが、医院に着いたのは夜中の1時半過ぎであった。それでも、あまり日本で知られていない上川島の写真が撮れたのは、幸せである。まだ写真に撮りたい港や海岸があるので、この島にはもう一度行こうと思う。
 「私の愛聴盤」は、更新のやり方を業者から教えてもらったが、じっくりと説明を読まないと無理である。今回は自分でやらないといけないので、今週中には何とか更新をしようと思っている。

今週の愛聴盤 2 (120814)

C'est La Vie / Yu Chyi
C'est La Vie / Yu Chyi

誰でも、その日の気分によって、聴く音楽を変えたくなる。こってりしたラーメンを食べたい時もあれば、あっさりとしたソーメンが食べたい時もある。私は大音響の騒音に近い音楽から、かすかな音が鳴り響いている音楽まで幅広く聴く。しかし、音楽を聴くことは、肉体を動かすことや他人と話したり、物に触れたりすることとは違う。音楽には音楽の限界があり、他の行為の代用はできない。さて、きょう紹介するのもCDである。一昔前に、台湾や香港の女性歌手がブームになった時がある。音楽評論家の小倉エージが紹介したりしていたが、その時の歌手の名前がなかなか思い出せなくて困っている。齊豫(Yu Chyi)はこの時のブームとは別の台湾の歌姫である。このCDは2000年にミレニアム記念として2万組限定で発売されている。中には2枚のCDと3冊の本が入っている。私は中華圏の女性歌手は食わず嫌いであった。実際に、他の中華圏の女性歌手のCDを聴いたりしてみたが、もうひとつピンとこなかった。しかし、齊豫(Yu Chyi)だけは飛び抜けて魅力的である。1枚のCDは3年間のシングル曲が選ばれ、他の1枚はカバー曲集である。ところが、おまけみたいなこのカバー曲集が感動ものであった。このCDは限定盤なので、アマゾンでももう手にいれることはできない。mp3のダウンロード・サービスもやっていない。今となってはマニア心をくすぐる貴重品である。
 それでも、YouTubeを調べたらほとんどの曲が聴けるようになっている。ここでは、カバー曲としては有名な「C'est La Vie」を紹介する。興味のある人は齊豫-C'est La Vieをクリックして下さい。この曲が気に入った人は、Yu Chyi-Geordieも聴いてみて下さい。いろいろ調べてみたが、ライブでは橄欖樹 - 齊豫 演唱會清唱もいい。他にも「forever」や「走在雨中」などの名曲もあるので、是非とも聞いて欲しい。

 

平成24年8月7日(火)

 暑い日が続いている。ビールのうまい季節になったが、診察室で飲んでいてもあまりうまくない。やはり南の島である。先週の日記で、日記の最後に「私の愛聴盤」というコーナーを設けることを書いた。ところが、業者の作業が遅れていて、先週は間に合わなかった。私の個人的な趣味の世界なので、期待している人は少ないと思うが、改めてお詫び申し上げます。今週の日記の最後につけることにしたので、明日の水曜日にできあがる予定です。約束を取り付けたので、これ以上遅れることはないと思う。業者の作業が遅れたことについては腹が立つが、きょう2回目の原稿を書かなくて済んだことについては感謝している。
 真夏日が続いて、相変わらず忙しい日も続いている。立て続けに頼まれていた労災裁判の意見書である。最後の4件目の締め切りが8月19日で、盆休みはゆっくりしたかったので、日曜日は残り2日しかなかった。すでに書いた意見書の修正がまたあり、土曜日に再度原稿の訂正をしていた。夕食をとってから、最後の労災裁判の資料を読もうとしたが、ついついビールを飲み過ぎて、眠くなってしまった。TVのオリンピックのニュースを見ていたらもうどうでもよくなり、日曜の朝早く起きてやることにした。
 日曜日は朝6時過ぎに起き、7時ぐらいから資料を読み出した。意見書の締め切りは盆過ぎぐらいまでと約束していたので、私は勝手に8月19日までと思っていた。しかし、依頼書を改めて読んでみたら、締め切りは8月末となっていた。これなら、楽勝である。8月19日締め切りでも、何としてでも書き上げるつもりであった。考えてみたら、若い時にはこの程度の忙しさは日常茶飯事であった。私は大学の医局には長いこといなかったので、教授から直接雑用を頼まれることはほとんどなかった。来年の4月から私が引退した後に京都府の精神科関係の労災の部会長になる先生に聞いた話である。教授になると、いろいろな医学雑誌から総論などの原稿を頼まれることが多い。当時はどこの医局でも、教授が依頼された原稿の下書きを医局員が書くことも多かった。私の恩師にあたるこの教授はまだ良心的で、できあがった論文には下書きをした先生の名前も共著者として載せていた。ところが、教授が早めに原稿を依頼してくれたらいいのに、ただでさえ忙しいところに締め切り間際になっていつも頼んできたという。それこそ毎回必死で原稿を書き上げることになるが、こういうことが何回も続くと、徹底的に論文の書き方を訓練されたことになる。
 私はいつもこの日記で書いているが、困難な仕事を要領よくこなすことは無理である。本屋には啓蒙書が山ほどあふれているが、困難な仕事は誰にとっても困難な仕事で、うんうん唸りながらしかこなすことができない。そういうことを山ほど繰り返すことで、初めて少しずつ要領よくこなすことができるようになる。今の若いドクターは博士号を取ることより、専門医を取ることに熱心だと言われている。医学論文を書くことは私の時代より軽視されがちである。しかし、私は論文を書くことによって、医者としての能力が訓練されると思っている。専門医を取るための症例報告とは書く内容のレベルが違う。教授の機嫌を取りながら、苦労して医学博士号を取ることも、1つの試練だと思っている。これからの長い人生を生きて行くためには、決して無駄な体験ではない。医学論文を主著で書いたこともないドクターは、将来出会うややこしい書類についてはこれまでまったく訓練されて来なかったので、苦労することになる。もちろん、たくさん論文を書いている医者が患者さんを最優先して診察をしているとは限らない。過酷な労働環境の中で現場での叩き上げとして誇りを持ってやっているドクターもいれば、雇われ院長として別の意味で徹底的に訓練されてきたドクターもいる。
 労災裁判の意見書を立て続けに書いていると、裁判資料も要領よく読めるようになってくる。ただ、私はもう年なので、これが最後である。今回は自分がどこまでできるか試してみたが、もう若い頃のように無理はきかない。資料を読んでいて、疑問点も出たので、日曜日に担当の人にメールを送った。詳しい事は書けないが、月曜日に返事が来て、意見書の締め切りがまた延びた。私としては本来の闘争本能に火がついてやる気満々であったが、少しはぐらされた感じである。それでも、盆休みはゆっくりとできそうである。ここしばらく、CNNを見ることも、本を読むこともできなかった。日曜日から久しぶりに再開している。ツタやから借りてコピーしていたDVDを見ることもできた。題名は「灼熱の魂」である。レバノン出身の劇作家の原作を映画化したものである。去年の12月に日本でも公開されている。この作品についてはまったく知識がなく、他に面白そうな作品がなかったので借りてきたぐらいである。面白くなかったら見るのはやめようと思っていたが、ついつい最後まで見てしまった。母親が残した遺書を頼りに、中東まで行って母親と自分の出自をたどる映画である。作品の好みはあるが、名画であることに間違いはない。
 きょうは、読みかけていた本を最後まで読んだ。大井幸子「お金の正しい守り方」(日経プレミアシリーズ)である。著者は、米ムーディーズやリーマン・ブラザーズなど経て、投資コンサルティング会社を設立している。ここでは資産保全のことが書かれ、投資は投機(ギャンブル)ではないということを繰り返し述べている。「何が儲かるかというリターン」ではなく、「何がリスク」かを見極め、「リスクを制御することでリターンを得る」「無益なリスクを取らない」など実際の投資方法について書かれている、私は株もやったことがないぐらいなので、ここに出てくる用語や解説については完全に理解できたわけでない。分散投資についても詳しく解説しているが、この本を読めば読むほど素人が手を出せるような世界ではないと思った。リスクを減らすためには、相反する投資もする。片方が下がったら、もう片方は上がるからである。リーマン・ショックや世界同時株安のように、すべての市場が同時に下がるときは分散効果はほとんどないという。リーマン・ショックでは80%以上のヘッジファンドが損失を計上している。老後に必要な準備金も書いてあり、ある銀行は4000万円と試算している。資産運用は他人事ではなく、生活をしていく上で大切なことである。しかし、信頼できる投資コンサルティング会社を見つけるのはなかなか大変そうである。

今週の愛聴盤 1 (120807)

Mahaan / Alamaailman Vasarat
Mahaan / Alamaailman Vasarat

「Alamaailman Vasarat」といっても、どこのグループか知らない人がほとんどだろう。LPレコードではなく、1997年発売のCDである。私はワールド・ディスクから毎月カタログが送られてくるので、昔はCDのレビューを見ながら気が向いたら通信販売で注文していた。しかし、輸入盤のCDは高い時には3000円近くもしたので、自分好みでなかった時の損失は大である。輸入盤のLPレコードも基本的には同じである。ほとんど試聴できなかったので、一か八かの大勝負で買い求めていた。随分失敗もしたが、中には大当たりのレコードもあった。コレクターにとって、失敗はいつもつきものである。
 しかし、最近はどんな新しいCDでもほとんどYouTubeで事前にチェックできるようになった。無料で手に入るので、わざわざCDを買う必要もない。このCDは勘を頼りに注文して、当たったCDである。私はカタログは注文したらすぐ捨ててしまうので、どんなレビューだったかも覚えていない。このCDはウォークマンに入れてから行方不明になってしまい、どこの国の演奏集団なのかもわからなくなっていた。たまたま、YouTubeにも出ているか調べていたら、フィンランドのグループだとわかった。過去に来日もしている。このCDにはいっている私の好きな曲は、幸か不幸かまだアップロードされていなかった。あまりいい動画がなかったが、たまたま素晴らしい演奏の動画を見つけた。
興味のある人はAlamaailman Vasarat - Astiatehdasをクリックして下さい。

 

平成24年7月31日(火)

 暑い日が続いているが、まだ風邪が治らない。時々、激しく咳き込んでしまう。たださえ暑苦しいところに、他人の忙しいという話を聞いてもちっとも面白くないだろう。それでも、先週もまたずっと忙しかった。今月は労災裁判の意見書で追われ、毎月の自立支援医療の更新がおろそかになっていた。障害者年金の診断書を7月の締め切り間際に持ってくる患者さんもいて、本来やらなければならない仕事はどんどんたまっていく。月末は従業員の給与計算もしなければならず、細かい雑用もチリも積もれば山となる。会計事務所に送る6月分の資料は、この日記が書き終わったら、整理するつもりである。前にも書いたように、労災裁判の意見書を書いたらそれで1件落着とはならない。その後法務局がその内容を検討し、意見書の修正を求めてくる。先週は、以前に書いた意見書の修正の依頼があった。送られて来たメールを読むと、けっこう難しいことが書いてあり、そう簡単に書き直せれるようなことではなかった。とにかくこちらの方を先に仕上げないと、もう1件残っている他府県の労災裁判の意見書は手をつけられない。土曜日は、とりあえず残っている医院の仕事をすべてすることにした。新規の自立支援医療の診断書も頼まれており、ただひたすら今月にしなければならない仕事をこなしていた。最近は障害者年金を受給している人が多いので、障害者手帳の診断書は書くことは少なくなっている。私は以前は自立支援医療の診断書ばかりでなく、患者さんに送る封筒の宛名書きから申請書まですべて書いていた。今は事務の人に宛名書きと申請書の記入は手伝ってもらっている。来月からは、継続の手続きも含めて、診断書以外の手続きはすべて事務の人に頼もうとかと思っている。
 土曜日の夜は10時ぐらいからTVを見ていた。ビールを飲みながらオリンピックを見ていたが、こんなに遅くゆっくりとTVを見れるのは久しぶりだと思った。ついつい夜中の2時頃まで見てしまったが、こんな贅沢な時間を過ごすことができて本当に幸せだと思った。この日は京都駅近くのマンションに久しぶりに泊まった。翌日は近くの喫茶店でゆっくりとモーニングをとったが、こういう時間も私にはなかなかとれない豪華な時間である。結局、この日は医院に11時過ぎに戻った。何とかこの日の内に労災裁判の意見書の修正をするつもりであった。夕方6時半までやっていたが、時間が足りなかった。翌日の月曜日は朝6時前に出てきて、外来が始まるまでただひたすら意見書の修正をしていた。この日に何とか完成し、修正原稿をメールで送ることができた。他府県の労働局から頼まれている最後の労災裁判の意見書は明日からである。締め切りは8月19日なので、盆休みを除くと、日曜日は後2回だけである。1番集中してできるのは日曜日で、その次は木曜と土曜の午後である。土曜日だけは次の日のことを心配せず、夜中までできる。何とか盆休みだけはゆっくりとれるように、明日から頑張ろうと思う。私はこの日記を10年以上書いているので、自分のやっていることについては公にすることができる。しかし、世の中には、京都市、京都府、国の、決して楽ではない仕事を引き受けて、ただひたすら黙々とこなしている人は大勢いる。時々、こういう人たちが非難されているのを見ると、世間の人は世間知らずだと思う。私はまだお金より名誉を重んじ、ノブレス・オブリージュで社会貢献をしなければならないと信じてきた世代である。名誉が軽んじられる世の中になってきて、名誉だけで生きてきた人たちにとっては、生きにくい時代となった。私は幸か不幸か途中で開業したので、それなりにお金を稼ぐことはできている。みんな忙しいので、若い世代の人がこの仕事にどこまで責任感や使命感を感じて引き受けてくれるのか、心配になることはある。
 最近は、毎月患者さんの残りの診察料を請求するレセプトで、処方した薬が審査で認められないことが多くなってきた。どうしてかというと、すべてコンピューターで血も涙もなくチェックされるからである。前にも書いたように、薬は使える保険病名がすべて決まっている。その病名の患者さんを数多く集め、治験をして効果があると正式に認められた病名以外には使うことはできない。海外でいくら有効性があると認められていても、わが国で治験をして正式に認められないと、国内では他の病名では使えない。今までは、保険病名の適応がなくても、安い薬についてはノーチェックであった。まだチェックされていないが、最近は覚醒剤中毒の人の処方が心配になってきた。覚醒剤を乱用すると、幻聴や妄想が生じてくる。治療としては、統合失調症と変わりない抗精神病薬が用いられる。ところが、幻覚や妄想を改善する抗精神病薬は、正式には統合失調症の人しか保険適応がない。これまでは、幻覚妄想状態という病名をつけたりして、何とかチェックは逃れてきた。リスパダールやジプレキサなどの新しい非定型抗精神病薬を用いることもあったが、これからは血も涙もなくチェックされそうである。覚醒剤中毒の幻覚妄想状態に使える薬は、他には何もないのである。覚醒剤中毒であっても、統合失調症という病名をつけて、治療したらいいという人もいる。しかし、私としてはなかなか納得できない。こういうのを保険病名というが、主病名に保険病名を付けるのは抵抗がある。統合失調症の患者さんは、障害者としての福利厚生面は恵まれている。覚醒剤中毒やアル中、薬物中毒は自業自得みたいなところがあるので、統合失調症の患者さんのようには扱われない。覚醒剤中毒と統合失調症を併記するという方法もあるが、これにも抵抗がある。非定型抗精神病薬は高い薬なので、審査されて認められなかったら、とんでもない損失である。患者さんに請求するわけにはいかないので、すべて私の医院が持つことになる。特に覚醒剤中毒の人は刑務所を出て生活保護を受けていることが多いので、10割病院や医院が負担することになる。国保連合会と支払基金に問い合わせをしてみたが、適応外の処方は認めないということであった。
 さて、今週からこの日記の最後に、「私の愛聴盤」というコーナーを設けることにした。内容は、まったく私の個人的な趣味である。私の人生の前半は、ロックやいろいろなジャンルの音楽にかなりエネルギーを注いできた。その一部を紹介するコーナーである。「もんもん読書録」のように独立したコーナーを設けてもよかったが、最初はなかなか誰も見てくれないだろう。私はホームページ作りのHTMLには詳しくないので、業者の人にひな形を作ってもらっているところである。今週中にはこの日記で公開できると思うので、興味のある人はまた見て下さい。

 

平成24年7月24日(火)

 先週はずっと忙しかった。水曜日は遅れていたこの日記を書いていたが、午後も外来があり、夜の8時までに書き切れなかった。仕方ないので、夕食だけ自宅に戻って取り、また医院に帰ってきて書き上げるつもりであった。ところが、近くの駐車場に置いていた車のエンジンがかからなくなってしまった。中国に行っている間は、この駐車場にずっと置いていたままである。暑さでバッテリーが上がってしまったのかよくわからなかった。リモコンのキーも使えなかった。こんな夜遅くにJAFを呼んでいたら、いつになったら続きの日記が書けるかわからない。仕方ないので、とりあえずタクシーで自宅まで帰ることにした。疲れ切っていたので、この時には京阪電車で帰る元気が残っていなかった。自宅まで帰って夕食を取り、今度は京阪電車でまた医院まで戻ってきた。日記を仕上げるのに時間がかかってしまって、夜中の12時を超えてしまった。夜はそのまま医院の3階に泊まった。エアコンは買い換えてその前日から初めて一晩中冷房に入れて使ったので、うまく温度調整ができなかった。点けたり消したりしている内に風邪をひいてしまった。
 翌日の木曜日は午前中の外来が終わってから、JAFを呼んだ。こんな暑い時に外で待っているのは大変なので、来たら医院に連絡してもらうことにした。ところが、この時に1歩間違えたら私の人生が終わるぐらいの失敗をしてしまった。ここに来るのに25分ぐらいかかると言っていたのに、15分ぐらいで連絡があった。駐車場は歩いて1分もかからない。私の車は8月には11年目の車検になるので、いつ故障が起きてもおかしくない。バッテリー液は無くなっていなかった。バッテリーが上がっていたが、バッテリーそのものに寿命が来ているわけではなかった。バッテリーを充電させる電気系統が弱っているということであった。とりあえず、バッテリーを充電させた方がいいと思い、そのままイオン洛南店まで買い物に行くことにした。実際に買う物はなく、ビールのおつまみぐらいであった。最近はデフレと中国の物価に慣れてしまったので、200円越えのアスパラガスでも奮発して買うぐらいである。食品売り場でアスパラガスを買っている時である。ゆで卵と一緒にマヨネーズで食べたら美味しいだろうと思った。その時に、一瞬、顔面蒼白となった。実は医院で11分のタイマーを入れて、ゆで卵を作っていたのである。JAFが予想外に早く来たので、タイマーも鳴らず、火をつけたまま医院を出てしまった。  もうゆで卵のお湯も干上がって、鍋を焦がし、もしかしたら火事になっているかもしれない。お湯がこぼれたら自動的にすぐにガスの火が消えるのわかっていたが、鍋の空焚きの時はどうなるのかよくわからなった。車が動くようになったら医院にすぐに戻ろうと思っていたので、ALSOKの警報もかけていなかった。住宅密集地なので、火事になっていたら延焼は免れない。考えたらめまいがしてきた、とにかくすぐに医院に戻ることにした。こういう時に限って、十条通りは渋滞していた。途中、消防車が出ていないか気をつけて見ていた。医院にたどり着いたら、特に大騒ぎとはなっていなかった。急いで台所に行ったら、鍋は空焚きで火は消えていなかった。台所はもうもうとして暑かった。途中で気が付いたからよかったが、そのまま放置したらどうなっていたかわからない。世の中の事故は、いろいろな偶然が重なって起きるものだと、改めて思い知らされた。
 風邪は最初はのどの違和感であったが、段々とひどくなってきた。一晩中咳が出て、ほとんど眠れなくなってきた。しかし、前に書いたように他府県の労災裁判の意見書を日曜日までに仕上げなければならない。土曜日は腹をくくって、徹夜してもほとんど書き上げるつもりであった。夜中の1時ぐらいまで書いていたが、段々と眠くなってきた。私は外来のある月曜日から土曜日は朝5時前に起きて、6時には医院に出てくる。こういう生活を続けてもう10年ぐらいになる。毎朝医院に出てきて、いつも勉強ばかりしているわけではない。日赤の部長の時には忙しくて、こんな朝早くは起きれなかった。私なんかより遙かに才能があり、もっと努力している人はこの世の中には掃いて捨てるほどいる。前回の日記でも書いたが、庶民感覚とかけ離れて努力している人を、マスコミがその生活について庶民感覚とかけ離れていると非難するのはすごく腹が立つ。しかし、今の世の中のように、普通の人が普通に努力して普通の生活は出来ないのはおかしい。いずれにしても、この日は医院に泊まった。あまり暑くなかったので、久しぶりにゆっくりと眠ることができた。
 さて、日曜日である。いよいよ関ヶ原の決戦である。この日も1歩も外に出ることなく、労災裁判の意見をただひたすら書いていた。自宅での夕食に間に合うように午後6時半まで書いていたが、最後の一部が書ききれなかった。仕方ないので、月曜日の朝である。この日は朝4時半に起きて、5時半には医院に出てきた。何とか間に合わせようと思ったが、やはり無理であった。相手先にはメールを送り、意見書は午後になることを伝えた。外来が終わってから、午後2時頃にやっと完成した。書き上げた分量は、ワードでA4用紙16枚である。この意見書は叩き台で、法律の専門家にみてもらい、後で修正する。8月19日までに仕上げなければならないもう1件の他府県の労災裁判の意見書は、もちろんまだ何も手をつけていない。
 私は前にも書いたように、来年の5月で60歳になる。京都の労災の仕事は任期のきれる来年の3月でやめようと思っている。やめる前の最後の御奉公と思って今回の仕事を引き受けたが、なかなか大変である。最後の1件を終えたら、もう打ち止めである。労災裁判の意見書を頼まれても、後はすべて断るつもりである。立て続けに4件引き受けたので、もう充分だろう。この年になると、こういう仕事は身体によくない。次回からは、もっと若い人にお願いしたい。私は一旦風邪をひくと、インフルエンザかどうかわからないほど長引く。今は病膏肓にはいり、この日記を書くことさえ苦痛である。それでも、日曜日に意見書を書いていて、新しい発見もした。外来の時にはネクタイを締めるが、1人医院にいるときはパジャマである。日曜日に意見書を書いているときに、座った姿勢の関係でパジャマのズボンを引き裂いてしまった。仕方ないので、中国に行った時に持って行った半ズボンを履いた。前回の日記でも書いたが、中国の片田舎では今回の裁判資料を読んでいた。意見書を書いていて、青島ビールがあったら、中国にいた時と変わりないことに気づいた。これからは、Tシャツと半ズボンに着替え、青島ビールを用意し、リゾート気分で最後の労災裁判の意見書を書こうと思う。

 

平成24年7月17日(火)

 この日記は18日(水)に書いている。きのうは香港からキャセイパシフィック航空で帰ってきた。関西空港に夜9時頃に着き、飛行機に預けた荷物を取り、税関を通ったら、もう9時半近くである。京都に帰るには、特急はるかに乗らなければならない。ところが、9時24分発は出たばかりで、次のはるかは小1時間待たなければならなかった。私は関西空港では空港バスを使ったことはないが、今回は空港バスを利用することにした。ちょうど9時40分発があり、料金も2500円であった。もう夜も10時近くなので、高速道路も空いているだろうと思った。運転手に聞くと、乗車時間は約1時間半の見込みだという。案の条、高速道路はがらがらであった。予定より早くつくだろうと思っていたら、途中道路工事をしている所があった。電光掲示板で渋滞3qの表示が出ていた。3車線もあり、車もわずかしか通っておらず、どうしてこんなに渋滞になるのだろうと最初はわからなかった。途中で、バスが全く動かなくなった。3車線が1車線になり、その先で車線が合流し、1車線のままであった。思ったより時間はかからなかったが、夜間だからといって安心できない。夜間に工事をすることが多いので、運が悪いと今回のような渋滞に巻き込まれてしまう。それでも、京都駅の八条口には11時10分頃に着いた。次の特急はるかで帰るより、20分早く着いた。疲れ切っていたので、夜も遅いとこの20分は貴重である。
 今日は連休明けだったので、午前中の患者さんは多かった。午後の外来が終わってからこの日記を書き出しているので、書ける所まで書こうと思う。土曜日の天気予報では、香港、マカオあたりは大雨や強風が予想されていた。しかし、現地はかんかん照りで、京都以上に暑かった。私は基本的には香港やマカオのような都会都会した所は好きではない。どちらかというと、日本人観光客があまり行かないようなのんびりとした片田舎が好きである。土曜日の外来が終わってから出かけるので、どうしても無理無理のスケジュールになってしまう。香港に泊まることはないが、マカオや珠海には泊まらざるを得ない。珠海はマカオに接している中国本土であるが、ここも大都会であまりのんびりした気持ちにはなれない。今回はたまたま時間があったので、ここの名所の1つである海濱公園にも行ってみた。
 実はパナソニックのルミックスL5の後継機がなかなか発売されないので、最近出たソニーの高級コンデジのRX100を買った。価格コムなどのネットの評判も上々である。私は前から書いているように、カメラはファインダー派である。今回買ったソニーのカメラはファインダーはないが、液晶に工夫がしてあり、屋外でも見やすいということであった。今回の旅行はこのカメラの試し撮りも兼ねていた。最初は液晶の明るさを「オート」にしていたが、かんかん照りではほとんど何も見えなかった。これでは使い物にならないと思ったが、液晶の明るさを「屋外晴天」にしたら、見違えるようにくっきりと確認できるようになった。消費電力は大きくなるかもしれないが、これなら南の島でも大丈夫である。この旅行でこのカメラをいろいろといじっているうちに、段々と愛着が沸いてきた。純正のカメラケースを付けると、しっかりと構えることができる。評判通りのいいカメラである。珠海の海濱公園にはたくさんの中国人観光客が来ていた。私も観光客に混じって海の写真を撮ったが、それほど感動する場所でもなかった。ここから帰る時に海水浴場を見たので、こちらの方がよかったかもしれない。そこそこ広いビジネスホテルには約200元(1元は約14円弱)で泊まれる。ここは観光を楽しむというより、あくまでも寝泊まりする旅の中継点である。
 さて、今月22日までに仕上げなければならない他府県の労災裁判の意見書である。今回の旅行は出発の土曜日でもキャンセルしようかと迷ったぐらい気が乗らなかった。理由は、この意見書と悪天候が予想されたからである。結局、労災裁判の資料を一部持って行き、中国でやることにした。前にも書いたように、精神障害を発症して労災と認められなかった時には、被災労働者が納得がいかず、決定の取り消しを求めて裁判に訴えることがある。私は国側に立って、どうして労災として認定されなかったのか精神科医としての立場から医学的見解を書く。今回のケースでは、原告側(被災労働者側)から同じ精神科医が医学的意見書を2通出していた。私の役目はこの医学的意見書に対して反論を書くことである。私は土曜日までに根性でA4用紙8枚まで意見書は書いていた。後5枚ぐらい書いたら意見書としては十分である。しかし、1番肝心の部分はこれからである。今回は原告側についている精神科医の意見書2通と今回の労災と関連した他の裁判事例の資料を持って行った。日中は暑かったので、片田舎のホテルで青島ビールを飲みながらこの資料を読んでいた。ビールは2本飲むと頭が働かなくなるので、1本までである。3〜4時間かけてじっくりと読み、何とか反論の糸口をつかむことができた。
 今回の旅行ではあまりビールは飲めなかった。最後まで読めるように、薄めの本を1冊持って行った。ウォークマンに入れた映画も見たかったが、これは無理であった。行きの飛行機ではTouTubeからダウンロードをした音楽を聴きまくっていた。今はこのホームページのリニューアルも考えていて、これまで私が聴いてきた音楽をTouTubeを利用して紹介するコーナーを作ろうかと思っている。帰りの飛行機ではビールも飲まず、持って行った本を最後まで読んでいた。榊原英資「財務省」(新潮新書)である。著者は当時の大蔵省に入省し、国際金融局長として活躍し、ミスター円と呼ばれていた人物である。最近は財務省バッシングが激しく、どちらかというと、世間の誤解を解くために書かれた本である。帯には、「日本を牛耳る悪い奴ら」か「日本最良のエリート集団」かと書いてある。私は長野県の田舎の飯山北高校を卒業しているので、本当の天才といわれる人物には巡り会っていない。進学校だったら、数年に1人ぐらいは出てくるのだろう。たまたま私の学年だけもっと田舎の優秀な人物がそろっていた。私も彼らに刺激され医学部に合格することができている。それまでは高校のトップが千葉大の工学部に現役合格するぐらいであった。東大には数年に1人浪人して合格者が出るぐらいであった。私の池田の妹は当時東大にも大勢合格者を出していた長野高校に通っていた。私は中学時代は妹よりできが悪かった。それでも、私の学年だけは恵まれていて、クラスから東大には2人進学していた。
 さて、財務省である。毎年20人しか採用されない官僚のトップの超エリート集団である。局長になれるのは、この内の4〜5人である。財務省だけが予算の編成ができる。考えてみたらわかるように、他の省庁は予算をつけてくれとお願いする立場である。社会問題となっていることを解決するためにお金が欲しいと言っても、何でもかんでも認めていたら、国家予算が破綻する。財務省の役割は限られた国家予算の中で、効率的な予算編成をすることである。アメリカとは違い、予算編成をしているのは国会ではなく、実質的には財務省なのである。国会議員が実際にやっていることは、予算を編成したり法律を作ったりすることではなく、官僚が作った法律や予算に注文をつけることである。どうしてこんなことが起きるかというと、国会議員は選挙の専門家であっても、民間経済や行政については必ずしもエキスパートではないからである。英語では国会議員のことをlawmakerというが、日本の国会議員は立法者というより、アメリカでのロビイストの役割に近い存在だという。この本ではフランスのエリート教育のことが出てくるが、私も著者には大賛成である。日本でも国家を担うエリートを養成して特別扱いをしてもいいと思う。すぐに庶民感覚とかけ離れているという批判が出るが、庶民感覚とかけ離れて天才で努力している人は、庶民と同じ生活をする必要はない。この本の中では、もともと豊かな家庭で育った人は多くなく、ほとんどが中流の家庭だと述べている。ただし、入省後に政治家の娘と結婚する例は結構あると認めている。
 財務省の組織と歴代の大物次官たちの肖像も語られている。1970年代までは、高級官僚出身の総理大臣が続いたが、1993年以降は官僚出身の総理大臣は誕生していない。明治以来の政治家・官僚の融合システムは終わり、政治と官庁の関係が分離へと変わっていったという。ノーパンしゃぶしゃぶの大蔵スキャンダルを機にそれまで大蔵省のトップである次官に必要とされていた「ワル(センスとバランスと度胸)」から「クリーン」が求められるようになった。この時に次官になったのが、武藤俊郎である。スキャンダル後の処理も巧みにさばき、日銀法改正にも尽力している。財政に加え、金融や国際金融に通じたオールラウンド・プレイヤーであった。この人物を日銀総裁にしようとしたら、天下り禁止で民主党は反対し、現在の白川総裁を選んでいる。何でも適材適所があり、バカの1つ覚えで天下りを禁止にしたら、国益が損じかねない。財務省は、自らの存在を出来るだけ表に出さないようにしている。黒衣に徹することができるのは、強い自信とプライドがあるからこそ出来るという。増税については国民の評判は悪いが、何も財務省の私腹を肥やすためではない。著者が語るように、歳出の半分程度しか税およびその他の収入でカバー出来ないという状況は、このところ10年以上続いている。国の普通国債残高は676兆円で、これに200兆円の地方の長期債務などを加えると903兆円になる。健全財政のため、増税は財務省の悲願なのである。ところが、増税公約をすると、その度に与党は選挙で惨敗している。
 ここでは、増税論は財務省の陰謀か?についても書かれている。評論家の勝間和代の「インフレによって債務累積問題は解決出来るのだから増税は不要」についても反論している。高橋洋一の「霞が関の埋蔵金を使えば増税が必要ない」にも批判的である。いわゆる埋蔵金というは、ほとんどが保険・年金関係の積立金だという。著者はまずは景気の回復で、それから財政再建が当然の道筋で、今すぐに消費税を上げることについては反対である。日本は公務員天国と言われているが、先進国と比べたら遙かに数が少ないことも指摘している。衆愚政治に陥らず、国民がたかり体質にならないことを祈るばかりである。

 

平成24年7月10日(火)

 最近は滅多に起きないことが起きている。少し前に医院で使っているパソコンが壊れて、中のデータを取り出すのに20万円もかかったことはこの日記でも書いた。今度はブルーレイディスク・レコーダーである。私は借りてきたDVDは画像安定装置を使ってこのレコーダーに録画している。いつまでも残すつもりはないので、見たらすぐに消している。年を取ると、若い頃のようにいい作品は残して置こうという気もなくなる。残り少なくなった人生で見れる映画は限られてくるし、読める本も同じである。仕事を完全引退したら、じっくりと古典などを鑑賞したいと思うが、たぶんその頃には今のようには頭は働くなっているだろう。今回は電源を入れてもレコーダーが起動しなくなってしまった。VHSレコーダーから始まり、DVDレコーダー、ブルーレイディスク・レコーダーと何十年も使い続けてきたが、こんなことは初めてである。私のブルーレイディスク・レコーダーはソニー製である。録画したTV番組や映画をウォークマンに簡単に転送できるし、カメラで撮ったハイビジョン動画も簡単に取り込めることができる。録画した映画はなかなか見ている暇がないので、山ほどたまっていた。壊れたパソコンはXPだったので、デジカメで撮ったハイビジョン動画だけは保存できず、このレコーダーに保存していた。再起動のやり方をホームページで調べて試みたが、うんともすんとも言わない。システムエラーのサインが出るだけである。サービス・センターに問い合わせをしてみたら、やはり修理に出さないといけないようである。父親を見舞いに行った時に、短い動画を撮っているが、これもこのレコーダーの中である。見られて困る動画や写真ははいっていないが(正確にいうと、本の少し困る動画が数分ほどはいっている)、修理に出すことには抵抗がある。
 先週は母親から自宅に電話があった。ついつい忙しくて、私の方から長いこと連絡していなかった。有料老人ホームにはいっていた父親が軽い肺炎を起こし、同じ系列の病院に入院することになった。親不孝をしていて、父親の見舞いも長いこと行っていなかった。母親のすぐ近くに住んでいる池田の妹は相変わらず忙しく、父親に関するいろいろな手続きは妹の旦那にしてもらっていた。長男の私としては、妹夫婦には一生頭が上がりそうにない。妹とも電話で話をしたが、有料老人ホームは月に25万円ほどかかっているらしい。以前は28万円と聞いていたので、思ったより少なかった。私は親の介護などで困っている患者さんと話している時に、この有料老人ホームの料金の話をする。すると、決まったように、「お医者さんはお金持ちだから」と簡単にいなされてしまう。今のところこの料金は両親が払っている。しかし、将来の遺産を食いつぶしていることには変わりない。どうして有料老人ホームに入居させたかというと、公的な施設は大勢の人が待っていてすぐに入れなかったことと、遠くの施設では母親が見舞いに行けなかったことがある。
 前にも書いたが、私の両親は長野県の自宅を売って、池田の妹の近くに引っ越してきた。考えようによっては、この自宅を売ったお金で有料老人ホームに入所していることになる。どうしてこんなことを書くかというと、自宅を持っている生活保護受給者と関係してくるからである。前にも書いたが、自宅を持っている高齢者の場合は、リバースモーゲージといい、生活費がなくても自宅を担保にして銀行などからお金を借りないといけない。これまでは、資産価値としては、全国平均2300万円までなので、京都では3000万円(?)ぐらいまでの家(土地を含む)はすぐに売り払う必要はなく、簡単に生活保護を受けることができた。私は今ではこのリバースモーゲージがすっかり機能していると思っていた。ところが、相変わらず家賃分だけ引かれて生活保護を受けている人が多いのである。子どもたちは親の面倒は見れないと言って生活保護を受けさせ、親が亡くなってからその財産を山分けするのはどう考えても不公平である。今は未曾有の大不況なので、親の面倒どころか自分たちの生活も危ないという人も大勢いる。しかし、持ち家のある親については、生活保護を受けさせるのではなく、その分きちんとリバースモーゲージを利用させるべきである。最近自宅を持ちながら生活保護を受けた患者さんがいたので、この辺の事情に詳しい人がいたら、どうなっているのか教えて欲しいと思う。
 よくないことは続くもので、先週は新しく買ったパソコンのインターネットが突然つながらなくなった。数時間前まではつながっていたのに、どうして使えなくなったのか原因がわからない。再起動しても無理である。モデムが壊れたのか、設定が無効になってしまったのかよくわからない。たまたまノートパソコンを持っていたので、ここに有線LANをつなげてみたら、信号が来ていなかった。モデムの故障かイオ光の故障かよくわからなかった。この日はあきらめて自宅のパソコンで調べてみたが、イオ光そのものの事故は起こっていなかった。翌日の朝もインターネットが使えず、メールのチェックもできなかった。原因がわからず、いらいらしながらモデムの買い換えも考えていた。画面ではインターネットがつながらないと表示され、原因を調べるために「ここをクリック」と書いてあった。XPの時にはあまり役に立つことはなかったので無視していたが、今回は苦しい時の神頼みである。最終的にはパソコンが自己診断し、モデムの電源を1度切って、10秒ほどおいて電源をもう1度入れてみるように表示された。指示取りにしてみたら、今度はインターネットがつながった。やっとほっとしたが、滅多に起こらないことが続くと本当にストレスである。
 きのうは毎月1回ある労災の判定会議があった。今回は4件出ていて、読まなければならない資料も多かった。日曜日はこれだけで済むわけではなく、前から頼まれていた他府県の労災裁判の意見書を本格的に書き始めた。連休の間は中国に行こうと思っているので、締め切りまで残っている日曜日は後1日だけである。なぜか今月は障害者年金の更新用の診断書も多い。相変わらず、中国語の勉強はしている暇はないので、まだ何もしゃべれない。労災裁判の意見書は間に合いそうないので、中国まで資料を持って行って現地で書こうかと思っている。私は海外に出かける時には、4〜5ヶ月前には飛行機の予約をする。中国行きは取り消しにしたい気分であるが、今更キャンセルをするわけにもいかない。今日は労働保険納付の最後の日で、この計算も面倒であった。毎年1回あるが、書き方をすぐ忘れてしまう。同封してあった今年の記入の説明書はわかりにくかった。よくないことはまだ続いていて、きょうは従業員の所得税納付の最後の日であった。ところが、この納付書がなかなか見つからなかった。労働保険の納付には大丸近くの労働基準監督署まで行かなければならず、午後3時半から歯科の予約もはいっていた。おまけに、ふだん滅多に使わない健康保健証も歯科の予約の紙も、これもどこに置いたのか見つからずあちこち探していた、きょうは何とか乗り切ったが、労災裁判の意見書だけは締め切りに間に合うのか、正直言って今から心配である。

 

平成24年7月3日(火)

 最近また体重が増えてきた。それほど食べているわけではないが、運動はほとんどしていない。やはり、また車で通勤し出したのもよくない。電車で通いだしたら、往復で最低30分は歩く。駐車場も近いので、今はほとんど歩いていない。昼食はうどんやそばを自分で湯がいて、ネギを刻んで食べている。最近は、書かなければならない書類が多いので、日曜日でも朝早くから医院に出てきて、自宅に帰る夕方6時半ごろまで1歩も外に出ないことも多い。もちろん、この間ずっと仕事ばかりしているわけではない。医院には台所や風呂もついており、音楽やDVDを大音響で楽しめる防音室まであるので、それほど不自由はしない。しかし、ずっと籠もっているのもよくない。このままどんどんと体重が増えていきそうなので、また本気で減量しようと思う。手っ取り早いのは、昼食のダイエット・クッキーである。きのうから始めているが、ついついおなかがすいて、余計な物に手を出してしまう。
 この前の日曜日は6日までに仕上げなければならない成年後見制度の鑑定書を書いていた。成年後見制度というのは、認知症などの人が自己の財産を管理したり処分できるのかその判断能力を鑑定し、本人に代わって後見人や保佐人、補助人を選任する制度である。日常的に必要な買い物も自分ではできず誰かに代わってやってもらう必要がある場合は後見になる。ふだんの買い物などには支障はないが、不動産、自動車の売買や自宅の増改築、金銭の貸し借り等、重要な財産行為ができない場合は保佐になり、重要な財産行為は自分でできるかもしれないが、自己の財産を管理、処分するには援助が必要な場合もあるが、補助になる。少し前に保佐の鑑定が出ている人を、家族から取り消したいという要望があり、家庭裁判所から再鑑定の依頼があった。本人の診察は1回ですむが、これまでの病歴や経過を調べるのがけっこう大変である。頭部MRI検査などをしている医療機関や現在かかっている介護施設などに問い合わせをしなければならない。日曜日はこの鑑定書を書くのに、5時間近くかかった。鑑定書料は、自分の医院にかかっている患者さんの場合は5万円で、今回のようにまったく知らない人の場合は10万円である。
 他府県の労災裁判の意見書の締め切りが今月の22日であるが、この日は何も手がつけれなかった。やる気が起こらない時には、うんともすんともエンジンがかからない。鑑定書だけで精一杯である。こういう書類をじっくりと書きあげれるのは休みの日ぐらいである。海の日を含む連休は他の予定がはいっているので、日曜日は後2日しかない。これではまずいと思って、きのうの朝から本気モードで裁判資料を読み出した。とにかく時間があったら裁判資料である。前にも書いたが、この意見書を書き上げた後に、もう1件別の労災裁判の意見書を頼まれている、盆休みはきちんと取るつもりであるが、この意見書も8月19日までに書かなければならない。苦労してうまいこと意見書が書けた時にはそれなりの達成感はある。開業すると、ついついだらだらと過ごしてしまいやすいので、たまには締め切りに追われるのもいいかもしれない。
 先週の土曜日は京都精神神経科診療所協会の総会があった。京都府で精神科を開業している先生の集まりである。ほとんどが京都市とその周辺に集中している。全部で81施設あり、会員数は84名である。正会員は74名で、残りの10名が賛助会員である。今は精神病院も交通の便利な所にサテライト・クリニックを開いている。ここの先生が賛助会員となる。私は平成13年に開業したが、その頃と比べれば開業する先生が随分と増えた。活動報告や決算報告を聞いていてもあまり面白くないが、総会の後で学術講演会があった。今回の講師は日本大学医学部教授で、演題は「睡眠障害治療の最新知見」であった。この先生の本は持っているが、最近「睡眠障害の対応と治療ガイドライン」の改訂版が出ている。私の持っている本は10年前の本である。日本睡眠学会が出している「睡眠学ハンドブック」の本も持っているが、これは20年前の本である。値段は当時25,750円もした。私は睡眠障害についての専門家ではないが、臨床をやる上での知識は持っているつもりであった。しかし、この講演で最新知見を聞いて、知らないことが随分あると反省した。
 まず、適切な睡眠時間である。短すぎてもよくなく、8時間以上でもよくない。糖尿病、高血圧、高脂血症などが発病しやすくなる。適切な睡眠時間は6〜7時間で、8時間というのは職場で眠くならないようにという産業医学から出てきた発想で何の根拠もない。ここでは不眠の定義を述べていたが、単なる眠れないということだけではなく、日中の調子の悪さが出来てきたら臨床的な不眠とみなす。だから、不眠の治療は、単なる睡眠時間の延長ではなく、最終ゴールは日中の調子の悪さの改善になる。中国語の不眠は眠らないことで、眠れないことは失眠という。日本での不眠症の頻度は約5人に1人で、過去1ヶ月に25人に1人の人が睡眠薬を服用している。一般的には女性は50歳から飲み始め、男性は60歳から飲み始める。不眠恐怖症の人が不眠症になりやすい。
 寝床で過ごす時間も大事で、9時間以上になってくると中途覚醒が増えてくる。もうちょっと長く眠ろうと思って寝床の中で過ごす時間が長くなると、かえって睡眠の質が悪くなる。睡眠導入薬の量も増えてしまう。睡眠導入薬の容量を決定しているのが、寝床で過ごす時間だという。早く眠りたいと思って、寝床に早くつくのはよくない。年をとると、男性はどんどんと朝型になっていくので、夫婦は別の部屋で寝るのがいい。妻が夫に合わせて、早く寝床につこうとすると、不眠が生じてしまう。睡眠導入薬の習慣性はまだよくわかっておらず、むしろ否定的な結果も出ている。睡眠導入薬の使用で、頻尿や痛みも改善する。他にもためになる話が聞けて、本当に勉強になった。以前に滋賀医大の睡眠専門の先生の講演を聞いた時には、寝る前のTVはよくないと言っていた。しかし、この先生の話では、間違いだという。睡眠導入薬のハルシオンは日本では評判が悪く、頭から危険な薬だと信じている精神科の先生も少なくない。講演の内容から、睡眠の大家であるこの先生はハルシオンも使っているようである。私も必要な患者さんには使うが、副作用が出たり合わなかったら替えたらいいだけの話である。イギリスでは発売禁止になっているが、各国の薬物乱用の実態や保険制度、製薬会社の事情もわからず、一方的な情報のみを過大評価するのはどうかと思う。タミフルを飲んだら、窓から飛び降りる危険性が高いというのと変わりない。日本とは違って民間の医療保険が主になっているアメリカでは睡眠導入薬の処方は書類を書いたりしないといけないので、デジレル(レスリン)やトリプタノールの処方が多いという。
 講演会の後は、懇親会である。後輩の先生の話を聞いたりしていると、まだまだ精神科は勢いがあり、患者さんの数は増えているようである。世の中はこれだけ大不況なのに、精神科開業医はまだ大丈夫な印象である。私の医院は地域の高齢化と比較的近い所にもいくつか医院ができたので、どちらかというと減少気味である。最近はインターネットを見ていると、病院の口コミを売りにしているホームページがいくつもできてきた。患者さんが実際に受診した病院や医院の感想を書き込んでいる。こういうホームページとは違うが、私は少し前に2ちゃんねるで悪口を書き込まれたりしている。これはこれで患者さんの情報交換の役に立ったらいいと思う。しかし、書いてある内容に疑問に思うホームページもある。私は京都の心療内科について見ているが、比較的新しく開業した医院の書き込みが異常に多いのである。患者さんの少ない医院についての投稿がゼロなのはわかるが、他の評判のいい患者さんの多い医院の投稿もほとんどないのである。たまたま投稿好きの患者さんがその医院には多かったと解釈することも可能であるが、やはり不自然である。私の医院にはマンションの販売から金融商品、ホームページの作成、病院登録の勧誘などの電話がうんざりするほどかかってくる。しかし、営業はすべて断っている。こういうホームページのビジネスモデルを考えた時に、1歩間違えると食べログのようなステマ(消費者に宣伝と気づかれない形で広報を行う事)になりうる可能性も大である。

 


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