トップページ心の健康相談もんもん質問箱 もんもん読書録もんもん日記もんもん写真館もんもん博士紹介

もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
平成29年
NEW7月〜12月の日記NEW
1月〜6月の日記
平成28年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成27年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成26年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成25年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成24年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成23年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成22年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成21年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成20年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成19年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成18年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成17年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成16年
7月〜12月の日記
1月〜6月の日記
平成15年
7月〜12月の日記
6月までの日記

平成24年6月26日(火)

 もう半月以上前になるが、医院の待合室の蛍光灯が点灯しなくなった。2本1組の蛍光灯で、早速ストックをしてある新しい蛍光灯と交換した。最初のうちはスイッチを入れたらすぐに点灯していたが、そのうちまた点灯しなくなった。新しい蛍光灯なので、何が原因なのかはっきりしない。待合室のソファをどけ、折りたたみ式の脚立を広げ、その上に乗って蛍光灯を覆っている笠をのけ、回したり、はずしたりして、点灯を試みる。いじっている内にまた点灯するが、毎朝この作業をするのは面倒である。先週の月曜の朝は30分ぐらいつけたりはずしたりして、やっと点灯した。電気屋に修理を頼んだらいいが、まだ蛍光灯を替えたばかりなので、もう少し様子をみることにした。毎朝のストレスを避けるため、この1週間は待合室のこの蛍光灯だけは消さずにずっと点けていた。この前の土日はさすがに消していた。きのうの月曜の朝は、スイッチを入れたり消したりしている内に何とか点灯した。きょうの朝もすぐには点かず、何回もスイッチをいじっている内にやっと点いた。今は待合室のソファをどけて、わざわざ脚立まで取り出してくる必要がないのでその分は楽である。しかし、スイッチを入れてもすぐには点かず、毎朝ハラハラドキドキしてもうひとつ気分はすっきりしない。
 今月末までに書かなければならない他府県の労災裁判の意見書は何とか土曜日に書き上げた。日曜日は、別の労災裁判の資料を見るつもりであったが、この日は何もする気が起こらなかった。遅れていた会計事務所に送る5月分の資料をまとめ、事務員の今月分の給与計算をしていた。締め切りが近づいてきた成年後見用の鑑定書も早く書かなければならない。何もやる気がしないときには、最近YouTubeを見ている。私の趣味は、今は旅行とカメラと語学と読書である。本を1冊持って海外に出かけたら、この4つの趣味はすべて満たされる。青春時代の趣味はロックである。ビートルズやローリング・ストーンズに始まり、プログレ(プログレシブ・ロック)にはまり、海外の珍しいLPレコードも沢山持っている。こんなマニアックなバンドの曲はさすがにYouTubeでもないだろうと思って調べると、けっこう出ていたりする。前にも書いたが、私の老後は自分の持っているLPレコードのデジタル化である。中には、YouTubeにも出ていない曲もあるが、手間暇を考えるとYouTubeからダウンロードした方が早い。実は日曜日に京都駅近くのマンションで、1枚のLPレコードの中から気に入った2曲をパソコンを使ってデジタル化していた。その後で、医院に戻ってYouTubeで調べていたらすでに2曲ともきれいな音で出ていた。古いLPレコードではスクラッチノイズがはいるので、デジタルでノイズ・リダクションをかけている。それでも、YouTubeの音にはかなわない。YouTubeでは、「Die Partei - Ostafrika 1981 Video fom Beat Street 1984」で見ることができる。大感動するほどの曲でもないが、1981年に出たドイツのテクノ・ミュージックである。もう、30年以上前の曲になる。この曲とドイツらしからぬダンスとはあっていないような気もする。私の人生の前半はお金とエネルギーをロックに注いできた。今はYouTubeを使って簡単に紹介できるので、クリックしたらすぐ見れるように、ホームページの作り方を研究しているところである。
 きょうの京都新聞を読んでいたら、旧ユーゴスラビアでは経済的不況で自分の臓器を売りに出しているという記事が載っていた。今手元に新聞がなく、インターネットで調べてもうまいこと見つけることができなかった。経済的な破綻は深刻で、自分の子どもに十分に食事を与えることもできないようである。こういう記事を読むと、言論の自由とは何かと思ったりする。エジプトでは、初めて自由選挙で同胞団の大統領が選ばれた。言論の自由と民主化はもちろん大事であるが、それだけでは食べてはいけない。時によっては、言論の自由より、安定した雇用や収入の方が差し迫って必要な場合もある。どうしてこんなことを言うのかというと、日本は成熟してしまった社会なので、いくら言論の自由があっても何も変わらないからである。官僚が世論誘導していると言っても、これだけバッシングを受けているので、何もかも自由に操作できているわけではない。言論の自由があっても、日本ではせいぜい社会に対する不満のガス抜きの役割ぐらいしか果たしていない。政権が交代しようとしまいと、自由に何を発言しても、基本的には何も変わらないのである。政権与党も、中国のように、1歩政策を間違えたら国が崩壊してしまうという緊張感はない。
 さて、今週読んだ本である。朝倉秀夫「国会議員 裏物語 ベテラン政策秘書が明かす国会議員の正体」(彩図社)である。日本は言論の自由があるので、こういう暴露本も数多く出版されている。言論の自由がありすぎて、かえってどの情報が信頼できるのか判断に苦しむぐらいである。著者は、衆参合わせて8人の国会議員の秘書を17年間務めてきた人物である。ここでは、国会議員の悪口がこれでもかと書かれている。実際に国会議員に仕える秘書の苦労は、並大抵ではないようである。秘書給与のピンハネや政治資金パーティの抜け穴など、「ザル法」についても解説している。横領されている官房機密費のことや政党交付金のこともわかりやすく説明されている。政党交付金のいうのは金額で言うと国民1人あたり250円が支払われている。解党時の使途が決められていないので、政治家の不当蓄財の温床になっているとも言われている。国会議員が欲しがる三種の神器は、権力とカネと女で、今はスキャンダルがこわいので、女性に不自由している議員が多いという。国会議員の法律違反は日常茶飯事だという。公職選挙法や政治資金規正法などを遵守するのは至難の業で、いつも刑務所の塀の上を歩いているようなものだという。
 この本では、右翼の街頭宣伝のことが私には興味深かった。街頭宣伝はとにかくカネがかかり、下手をすると経費倒れになるという。たとえば、大型バスを使って団員を10人乗せれば、日当が1人当たり1万円でも全部で10万円かかる。1ヶ月で300万円以上かかり、他の友好団体に頼んで車を10台連ねたらその10倍費用がかかる。ある程度やったところで、経費倒れにならないように落としどころを探り、手を引くという。街頭宣伝は、国会議員の後援会長とか大スポンサーの自宅や会社の前でやるのが有効だという。賢い政治家は、「公開質問状」が送りつけられた段階で、「手打ち」してしまうという。ここでは、多くの議員が予算書を読めないということも指摘している。14回当選しているベテランの小沢一郎が「いまだに予算書が読めない」と告白しているぐらいである。他にも、議員会館の秘書と地元の秘書は仲が悪く、このことは各議員の共通の悩みの種となっている。自民党政権時代の族議員のメリットとデメリットについても書かれている。今の民主党とは違って政策に強い議員も必要であるが、弊害として予算を既得権化してしまう。当時の大蔵省や財務省がいくら予算の削減を提言しても、景気が回復したら返済できると押し切り、これだけの借金を作っている。今の日本で言論の自由がどれほどの価値を持っているか、もう1度考え直してみるのもいいかもしれない。

 

平成24年6月19日(火)

 きょうの京都新聞を読んでいたら、2011年度の精神障害の労災申請のことが出ていた。京都労働局がまとめた京都府内の精神疾患による労災申請件数は56件となり、年々増加している。このうち、労災と認定されたのは14件である。医者向けのm3.comによると、日本全国の労災申請は1,272件で、このうち労災と認定されたのは325件である。震災の影響もあり、申請の件数は最多となっている。労災認定のための「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」が当時の労働省から発表されたのは平成11年である。私はこの「判断指針」が出る前から、京都労働局からは個別に頼まれて、労災の判定をしていた。当時は年に1件も頼まれることはなく、滋賀県のケースも頼まれていた。今は、各都道府県に地方労災医員協議会精神部会が設けられ、3人の精神科医がそれぞれの申請を協議している。東京や大阪などでは申請件数も多いので、複数の精神部会が作られている。私自身は部会長としてこれまでずっと司会をしてきたが、来年の3月にはやめるつもりである。人それぞれの人生観があるが、私は60歳定年を支持している。開業は続けるが、東山医師会の仕事を除いて公的な仕事はすべてやめようと思っている。来年の5月で60歳になるので、一旦リセットして残りの人生で何ができるか本気で考えたい。公的な仕事を持っていると、この日記の内容についても当局に苦情が来たりして、あまり好き放題書けない。今は情報公開の時代なので、昔とは違って各都道府県の労災医員の名前は公表されている。
 この前の日曜日は、他府県から頼まれている労災裁判の意見書を朝からずっと書いていた。締め切りは今月末までであるが、今週中には何とか完成させるつもりである。労災裁判というのは、労災を申請して労災と認められなかった人がその判定結果について納得がいかず、裁判に訴えるものである。私は国側に立って、どうして労災として認められないのか原告側の意見に対して反論を書く。去年の12月に「認定基準」が改定されたが、労災判定会議である協議会では、なるべく被災労働者に有利になるように配慮して判定している。それでも、京都府でも全国でも労災として認定されるのは申請者の約4分の1である。震災のこともあり、今は国側につくというとイメージが悪いが、何も魂を売ってまで意見書を書いているわけではない。一般の人にはなかなか業務による心理的負荷の評価がわかりにくいが、引き受けているのはやはり労災と認めるには無理なケースばかりである。まだ他にも他府県の労災裁判の意見書を2件頼まれており、8月の盆過ぎまでには完成させなければならない。この2件の裁判資料はまだ1ページも目を通していないが、置き場所に困るほどある。この仕事も来年の3月までで、次はもっと若い先生に頑張って欲しいと思う。
 さて、先週の水曜日にNHKのクローズアップ現代で「薬浸けになりたくない」が放送されていた。副題は薬を飲むこどもである。未成年で向精神薬を服用している子どもたちの7割以上が、小学校低学年までに服薬を始めている。この番組では、その薬の副作用で子どもたちが苦しんでいることを取り上げていた。授業中に奇声を発して動き回る子や本気で力一杯同級生を叩く子を、この番組に出てきた精神科医が問題行動としてとらえるのではなく、個性や元気の証しと考え、子どもの気持ちに寄り添って対処すると解説していた。私は発達障害については詳しくないので、原則としては治療は引き受けていない。注意欠陥障害と思われる成人でも、徐放性のリタリンと同じ成分であるコンサータは処方しない。ここ10年で学校と医療機関の連携が進み、向精神薬を処方されることが多くなったという。どうして学校が医療機関と連携を結ぶようになったかというと、番組でも指摘していたように、早期発見と早期治療が叫ばれるようになったからである。どうして早期発見が叫ばれるようになったかというと、学校内で小学生同士の殺人事件などが起こったからである。発達障害の子どもが殺人事件を起こしやすいということではなく、親も気がつかないとしつけが足りないと思ってますます子どもを追い込んでしまい、思わぬ事件に発展させてしまう。発達障害についても、その程度は軽度から重度まであり、向精神薬を使わざるを得ないケースもある。番組では、向精神薬イコール悪みたいな報道のされ方をしていたが、ただ子どもの気持ちを理解しようとするだけでは対応が困難な子どもも大勢いる。精神科というのは極めてプラクティカルな科である。今手首を切っている人や死のうとしている人を前にどう対応するのか理屈ではなく即答が求められる。向精神薬を使わない方法があるなら、誰もが納得できる代替え案を示して欲しかった。
 実は今週は読みかけていた、内海聡「精神科は今日も、やりたい放題」(三五館)を読み終えた。副題は、やくざ医者の、過激ながらも大切な話となっている。NHKの番組では、ある母親がインターネットで薬のことを検索しているシーンが出てきた。この時に、「毒舌セカンドオピニオン」というホームページがちらりと出てきた。同じ人物かと思って調べてみたら、違っていた。今は、精神科の治療を非難するのは、自称「やくざ医者」か「毒舌医者」になるらしい。著者は筑波大学医学部を卒業し、内科医として東京女子医大や東京警察病院などに勤めている。漢方治療の専門家である。さて、この本の内容は過激である。至るところに、「精神疾患という詐欺」とか「精神医学の実践こそが人々の脳を破壊し、人々の精神を破壊する元凶である」「精神科というのは、いい加減極まりない主観の領域である」と述べ、ここでも向精神薬の薬漬けを非難している。ADHD(注意欠陥多動性障害)についても、子どもは誰でも動き回るのが当たり前みたいなことが書かれ、精神科医と製薬業界が儲けるために薬を処方していると断定している。ある米国精神科医の言葉も引用している。「現代社会で最も破壊的かつ広範囲な児童虐待が行われ……、それは子どもに対する精神科診断と投薬である」 ここでは、うつ病からPTSD、強迫性障害まで、誰にでも生じることと極端な一般化が行われている。統合失調症についても、100人に1人という話は数字のマジックで詐欺への誘導であると断言し、薬の投与が必要な人は3,000人から5,000人に1人と宣言している。ここでは、巨大製薬会社の陰謀についても書いてあるが、当たっている部分もあれば、いい加減な部分もある。著者によると、精神科医はみんな金儲けのために製薬会社と組んで山ほど薬を処方していることになる。専門家からみたらトンデモ本で、特に統合失調症や躁うつ病の患者さんはこの本を読んで安易に薬をやめない方がいい。文献を引用し、正しい内容も含まれているので、余計に始末が悪い。減薬の仕方や漢方については、全くこの本の通りである。
 こんな極端なことを主張する著者については、単なる変わり者かと思っていたら、同時並行読みで読んでいた〔編者〕井上芳保「健康不安と過剰医療の時代」(長崎出版)に出てきた。この本の帯には、「私たちに健康不安を抱かせる現代社会のからくりとはなにか」と書かれており、8人の著者が「健診病にならないためにはどうすべきか」などそれぞれのテーマで書いている。編者である井上芳保は、「精神医療の権力性とどう向き合うべきか」と精神医療について書いている。著者は医者でなく、専門は臨床社会学である。この中の「はじめに」で、先ほどの著者が書いている「精神科セカンドオピニオン」の本が引用されている。実際に、薬漬けになった女子大生が「精神科セカンドオピニオン」とつながりのある医師に診てもらい、薬をやめたら急速に改善したという。中にはこういうケースもあると思うが、先ほどの「精神科は今日も、やりたい放題」の内容をそのまま鵜呑みしてもらっては困る。ここでは、擬態うつ病のことやうつ病診断の激増についても批判的に書かれている。いろいろと反論したいことも山ほどあるが、面白いことも書かれている。「ストレスという概念があるために医療的な枠組みに人々は組み込まれ、治療の対象とされていく。」とか、「人間は自分自身を資本として、経営していく起業家と考えて常に自分を投資していくべきとする人的資本論系の議論の果たしている社会的機能も(マズローの自己実現の社会的機能と)同様である。」「ストレスに強く、フレキシブルな労働に耐える人間という現代社会が要請している理念的な人間像が疑われなければならない」と私もまったく同感の事も書かれている。この本についてはもっといろいろ書きたかったが、もう遅くなったのできょうはこの辺でやめておく。

 

平成24年6月12日(火)

 先週は、家庭裁判所から頼まれていた成年後見用の鑑定書を書くために、患者さんを診察していた。私は初めてのケースであるが、すでに自己の財産を管理・処分するためには、常に援助が必要であると、補佐開始相当の鑑定がされていた人である。その鑑定を取り消すために、判断能力があるかどうか新たに鑑定を依頼された。どちらとも判断ができにくい場合は、ある程度考慮してもよかったが、やはり無理であった。土日は、他府県から頼まれている前とは別の労災裁判の資料を読んでいた。続けて裁判資料を読んでいると、どんな意見書を書いたらいいか段々とポイントがつかめてくる。きのうあった労災判定会議の資料も読んだり、今月の自立支援医療用の診断書などを書いていて、休みの日でもあまりゆっくりとできなかった。
 さて、先週の土曜日に映画館で見た映画である。午後2時半ぐらいからの上映であったが、時間がなくてタクシーで行った。ところが烏丸通がなぜか混んでいて、途中でもう間に合わないとあきらめかけた。タクシーを降りてから、何とか走ってぎりぎり間に合った。題名は、「オレンジと太陽」である。この映画に出てくる出来事については、以前に新聞で読み、ずっと私の頭の中では気になっていた。何かというと、イギリスが1970年まで続けていた「児童移民」のことである。イギリス政府は13万人と言われる施設の子どもを強制的にオーストラリアに移住させていた。(実際にはカナダやジンバブエにも移住させていた) そのうちこの実態について詳しく書かれた本が出るだろうと思っていた。今回この映画を見てから調べてみると、この映画の主人公であるマーガレット・ハンフリーズ「からのゆりかご 大英帝国の迷い子たち」(近代文藝社)が、この2月にすでに出版されていた。たまたま、何か面白そうな映画がないかと調べていて、この映画のことを知った。この映画を上映していた京都シネマでは、現在一般会員を募集している。年会費4000円で招待券が2枚つく。その後は映画を1年間1回1000円で見れる。この日は先に一般会員の手続きをしてこの映画をみるつもりであった。しかし、時間がなくて1800円のチケットを買うのがせいいっぱいであった。
 土曜の午後からの上映であったが、見に来ている人は中高年の人が多かった。若い人は自分のことでせいいっぱいで、こういう映画にはもう興味がないのかもしれない。話の内容は、どうしてもインターネットに出ている内容と同じになってしまうが、なるべくコピペせず、自分の言葉で紹介しようと思う。イギリスのノッティンガムでソーシャルワーカーをしていたマーガレットが、児童養護施設から他の子どもたちと一緒に船でーストラリアに送られたという女性と会う。偶然同じような体験を持つ別の女性とも出会い、この問題について1人で調査するようになる。最初は、「自分が誰なのか教えて欲しい」という依頼を受け、手がかりを求めてオーストラリアにも出かけるようになる。調査をするうちに、イギリス政府が組織的に親にも内緒で、幼い子どもたちを強制的にオーストラリアに移住させていたことが明らかになる。
 だまされてオーストラリアに連れて来られた子どもたちは、教会や慈善団体などの施設に引き取られたりした。しかし、待ち受けていたのは、おいしいオレンジや明るい太陽ではなく、強制労働や虐待であった。この映画では、8歳から40年間床を磨き続けてきたという女性が登場してくる。こういう人の中には、社会的に成功する人も出てくる。レンという男性に案内され、マーガレットはオーストラリアの人里離れた教会の施設に行く。レンはこの教会の神父に気に入られ、性的虐待をずっと受けて続けていた。他にも、教会で性的虐待を受けていた男性が次から次へと証言している。幼い子どもに重い石を運ばせ、売春婦の子どもと罵り、棒で叩いたりしている。帰る所のない無防備な幼い子どもに対して、教会や慈善団体などの施設ではこのようなことが日常的に行われていたのである。2009年にオーストラリア政府が正式に謝罪し、2010年にイギリス政府が児童移民の事実を認めて謝罪した。オーストラリアはプロテスタン系の教会が多いかと思ったが、調べてみたらカトリック系も多い。ローマ法王は、以前に一部の神父が聖歌隊などの男児を性的虐待をしていたことで謝罪していた。しかし、神に仕える者とこういう出来事はどう解釈したらいいのか私も本当に混乱する。この映画に出てきたような閉じられた教会の施設だけではなく、一般の教会でも他の神父が気づかなかったとは信じられない。
 実は、今年の4月28日に、CNNの「アントールド・ストーリー」で、「Stolen Children」が放送されていた。私は特に教会に敵意を持っているわけでないが、ここでもカソリック教会の神父や修道女が出てくる。「盗まれた子どもたち」というのは、スペインで1990年頃まであった赤ん坊のマーケットで起きていた出来事である。ここでも、「自分は誰なのか」という人々が大勢出てくる。グーグルで「Spain Stolen children」で検索するとたくさんの記事が出てくる。この日記では私が見たCNNの内容を紹介する。私の英語の聞き取り能力では間違いもあるかもしれない。スペインではフランコ政権時代は、出生証明書には実の母親の名前の記入は必要がなかった。洗礼証明書が出生証明書の代わりにもなった。フランコが1975年に亡くなったが、この制度は10年以上残った。経済が豊かになると、子どもが欲しいという人々が出てくる。この時に、この制度が悪用され、赤ん坊のマーケットができあがった。子どもを育てる余裕のない家庭の子どもが教会や修道院の施設に引き取られた後ばかりではなく、出産した母親が病院から子どもは死亡したとうそを告げられ、その子どもがマーケットに売りに出されていた。医者は買い手の母親に偽の出産証明書を発行するばかりではなく、冷凍された赤ん坊を見せて、出産した母親に死亡したと信じこまさせていた。この問題が明らかになって、赤ん坊の墓を掘り起こしてDNA検査をしている。もっと年齢の高い子どもの骨が埋められていたりして、母親とは一致しなかった。養育能力のない母親の子どもを養子に出すのはまだ理解できるが、赤ん坊が高い値段で売れることから一部の医者は積極的に母親をだましてその赤ん坊を手に入れようとしていたようである。番組では、父親が亡くなる前に自分がマーケットで買われた子どもであると告白された人が出てくる。父親はアパート2軒分の料金を10年の分割払いで払い、自分を買ったという。スペインではこの事件は大問題となっているが、20年以上前の出来事なので、なかなか確かな証拠が出てこない。番組では、この事件に関して87歳の修道女が初めて起訴されたことが伝えられていた。
 「オレンジと太陽」の映画が始まる前に、これから公開される映画の予告編をしていた。韓国で実際に起きた聴覚障害施設の性的虐待事件を映画化した「トガニ」である。ここでは学校ぐるみで生徒への性的虐待が行われていた。この映画も生々しい描写があり、こんな映画を誰が見るのかと思った。この映画の題名の「トガニ」が思い出せなくて、インターネットで調べていたら、シネマトゥディに昨年公開された韓国では460万人を動員する反響があったと書かれていた。さて、最後はいつも中国である。中国の人権侵害を擁護するつもりは全くないが、西欧諸国などの自由主義国も決して自慢できたものではないとつくづく思った。

 

平成24年6月5日(火)

 私はほとんどTVは見ていないが、生活保護の不正受給のことが話題になっている。私の開業している地域は生活保護を受けている人が比較的多い。劣悪な環境で育ち、社会性を身につけないまま大人になってしまった人も多い。以前だったら、こういう人たちを受け入れてくれる職場環境もあったが、今は不景気でそういう所はない。まともな職場できちんと訓練されてきていない人は、今さら働けと言っても無理がある。しかし、まだ若い人たちは今から何とかしなければならない。私の印象では、生活保護の人を減らすどころか、この大不況で、生活保護予備軍が水面下で果てしなく増えている。
 マスコミなどで生活保護のことが話題になり、行き過ぎた報道や間違った批判もある。しかし、この問題をどうしたらいいのか国民の1人1人が真剣に考えた方がいい。国民全体で60人に1人が生活保護を受けており、大阪市は20何人に1人で、京都市は30何人に1人である。1人暮らしだと、住居費も含め1ヶ月の支給額は13万円弱である。これ以外に、医療費は平均すると同じぐらいかかり、合計すると1人あたり25万円を超える。同じ家に家族で住んだりしていると、支給額はもう少し減る。この他にも、国民年金保険料、NHK受信料、公立高校授業料、保育料などが無料となる。大阪市では、市の予算の半分を生活保護費が占めるという。国が豊かだった時にはある程度大目に見てもよかったが、今は国も地方自治体も余裕がない。平成20年8月に発行された、田村宏「絶対にあきらめない生活保護受給マニュアル」(同文館出版)を当時読んでいたら、持ち家のことが書かれていた。ここでは、全国平均で2300万円以下の資産価値であれば売却の必要はないとされていた。今は、自宅の資産価値が500万円以上ある時には、自宅を担保にして生活費を借りなければならない。(リバース・モーゲージという) 以前は、高齢の母親が自宅で1人暮らしをしていても、子どもたちが面倒をみる余裕がないと言って生活保護を受けさせ、母親が亡くなったらその資産を山分けしていた。
 NHKのTV番組で「新型うつ病」が取り上げられ、「週刊文春」でも数週に渡ってこの問題を連載するようである。NHKの特集は録画するのを忘れたと思っていたら、自宅のレコーダーに録画してあった。きのうこの番組を見ていたが、「生活保護」の問題といい、「新型うつ病」の問題といい、「一体こんな日本に誰がした」と思った。私も60歳に近づいてきたので、前にも書いたように、連帯責任として「それは私です」と答えなければならないのだろう。このままでは、本当に日本が滅びてしまう。もう、個人の努力ではどうしようもない所まできている。それこそ日本国民総生活保護化である。ここまできたら、ベーシックインカムの考え方を取り入れるしかない。医者はまだましであるが、これだけ将来に対して暗雲が立ちこめていると、お金があっても楽しくない。とってもでないが、贅沢なんかできない。キャノンが国内にレンズ工場を2ヶ所作るというが、これも暗いニュースである。中国から人件費の安いベトナムやミャンマーに工場を移転しようとする動きもあるが、究極の工場はキャノンが作るような無人工場である。
 先週は、他府県から頼まれている労災裁判の意見書を書いていた。叩き台はすでに書いていたが、昨年12月に「精神障害の労災認定」の基準が変わり、新たに訂正しなければならなかった。この意見書はワードを使ってA4で10枚以上になる。労災補償課の係の人がある程度訂正してくれていたので、思ったよりは苦労せず書き直せた。それでも、この年になってややこしい裁判資料を読み返すのは身体によくない。他にも、別の他府県の労災裁判の意見書を頼まれているが、この仕事も60歳までである。これからは、もっと若い人にも頑張って欲しいと思う。
 さて、今週読んだ本である。鹿児島に行くときに、伊丹空港で見つけた本である。宮脇淳子・福島香織「中国美人の正体」(フォレスト出版)である。この旅行中に読む本を持って行ったが、こちらの方が面白くて先に読み終えてしまった。著者の宮脇は私より年上で、モンゴルやチベットの歴史に詳しく、現在は東京外語大学の非常勤講師をしている。福島は産経新聞で香港支局長を経て、現在は中国総局記者として北京に滞在している。まず、外国に中国人が行くと、そこにチャイナ・タウンができ、中国人小姐も来て夜の店ができるという。ロシア人も同じだという。ここでは男女平等のことも書かれており、本当の男女平等というのは、一緒に働かなければならないことで、中国では女の人でも道路工事の現場で働いている。日本は女が大事にされる国だと指摘している。中国で女の人が別姓なのは、何も男女同権を表しているわけでない。あくまでも、よその人という意味である。儒教の影響で、女の人は男の子を産まないといけない。先祖にお供えをするときに、女の子のお供え物は先祖の口に届かないと信じられているからである。迷信であっても何千年も続いている考え方なので、そう簡単には変えられない。中国の夫婦には一心同体はありえず、夫婦愛もテーマにならないという。妻は自分を守るために、夫の弱みを蓄えておくという。恋愛についても、中国人男性には、情感を通わせたり感情の高まりを求めたり、女性を性的に喜ばせる文化はないという。中国人女子の1番の幸せは、自分が子どもを産んで、その子がまた子どもを生み、一族が繁栄し、自分がその結節点だという気持ちを持つことである。孫の世話をしているのが1番幸せで、日本のように年をとって女同士で温泉に行ったり、食事をするのは信じられないことだという。
 この本では、中国では日本人が土地を買えず、中国人が一方的に日本の土地が買えるのは不公平だと述べている。中国の文化も北と南では違い、北は自然が厳しく、南は人間関係が大変だという。お互いに、北の方が単純でつきあいやすく(バカ?)、南の方はずる賢く信用できないと考えている。中国美女の多い所も2人で議論している。四川省の女の子はかわいいが、逆に、上海は不美人が多いという。河南省は美男美女は多いが、貧しいので、都市に出てきて最低限の仕事をしている。男ならゴミ拾いで、女なら売春婦で、差別されるので出身地を隠すという。もちろん、紋切り型の書き方で、河南省の人がすべてこういう人たちばかりだということではない。 政府や知識人が「中国人は」と言った時には、農村の人たちは最初から意識にはいっていないとも述べている。美人が得かどうかも、中国人にとってはお金に換算できるかどうかだという。国立の中国戯劇学院の女優コースなどに行くと、女優の卵は美人ばかりだという。しかし、「処女はいない」というブラックジョークがあり、みんな体を使って仕事をもらっているという。
 都市と農村の貧富の差も書いてあり、今の中国の混乱と停滞の最大の原因は、毛沢東が郷紳階級を滅ぼしたことだという。宗族というのは、たくさんの同族の構成員を抱えている。郷紳階級はその宗族の代表で、地方政治を牛取っていた。一種の社会保障の役割も担っていたが、代わりとなるシステムを作らず壊してしまった。中国の貧しさを知ったら、日本の下流は目じゃないという。日本の若者が搾取されているというが、本当の搾取はどういうものか見においでとも述べている。冒頭で、生活保護の問題を取り上げたが、中国では底辺の人を助けるセーフティネットがない。従軍慰安婦のことがよく取り上げられるが、中国(大陸)の戦争では、男を殺し、女をレイプして自分の子どもを産ませることが戦争の目的の中にはいっているという。しかし、日本の文化にはこういう精神ははいっていないとも指摘している。
 最後に、中国美人とのつきあい方についても簡単に書いておく。中国に駐在した場合に、最初に仲良くなるのが、夜の世界の小姐である。中国だけでなく、フィリピンやタイでも同じである。日本人は疑似恋愛を好む。最初は「新しいケータイ」が欲しいで、次が「弟の学費」で、次が「父親の入院」である。そのうち「日本語学校に通いたい」で、いつの間にか携帯電話がつながらなくなる。恐ろしいほど、ワンパターンだという。ただ、お金の貸し借りで絆を作るのも中国文化で、お金を貸せる時にはあげるつもりで貸さないといけない。すべて出世払いで、成功した時にはその見返りも大きい。ハニートラップについても書いてあり、北京では日本人が行くような夜の店の女の子の携帯はすべて公安局に登録されている。ある日本の大企業のトップが極秘で北京を訪問した時にも、面識のない中国企業幹部がホテルのロビーで待ち受けていたという。以前にも紹介した、加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」 (ディスカヴァー携書) にも書いてあったが、著者も中国国内で似たような体験をしている。中国や日本の世論に影響を与える人物や重要な人物については、中国国内での行動はある程度当局に把握されていると考えた方がいいのかもしれない。重要度はどこまで下がるのかは、これだけではわかりにくい。駐在員が女性のトラブルに巻き込まれた時に、日本大使館員が呼び出して事情を聞くと、95%ぐらいが「最後までやっていない」と答えるそうである。中国美人とつきあう時には、自分の領域に踏み込まれないためにまずこちら側から踏み出さないといけない。「これは嫌」「あなたはこうして」という条件を主張し、相手の主張とぶつかりあって、お互いに人間関係の中間地点を探し出す。日本人が遠慮していると、まだ中間地点に達していないと思って、どんどんと踏み込んでくる。
 著者の2人は、1人は少数民族の味方で、もう1人は産経新聞の記者である。どちらかというと、2人とも「中国にはだまされるな」という立場である。その分は差し引いて読んだらいいと思う。こんな本を男が書いたら生々しくなって女性蔑視と受け取られかねない。しかし、同じ女性の立場から書かれているので抵抗なく読める。中国美人とどうつきあうかは、中国とどうつきあうかにも関係してくる。将来的には、中国が日本の生産工場として残るかどうかはわからないが、日本の市場としては確実に残る。今以上に海外旅行ブームになるので、日本の観光産業にとっても重要である。以前にも書いたが、無理に好きになる必要はないが、お互いに理解しようとする努力は必要である。

 

平成24年5月29日(火)

 先週の金曜日の午後から、医院を休診にして学会に行っていた。ちょうど同じ時期に、私と関係する2つの学会が開催されていた。1つは日本精神神経学会で、もう1つは日本心身医学会である。開催された場所も、札幌と鹿児島である。前にも書いたように、それぞれの学会の専門医の更新には、総会や地方会に参加して所定の点数を集めなければならない。今回は、私は日本心身医学会総会に参加するため鹿児島に行ってきた。専門医の更新は5年に1度ある。今から参加して点数を集めるのは、62歳からの更新用である。日本精神神経学会の専門医はこの前に更新したばかりなので、5年後の63歳からの分である。私のメインの学会は日本精神神経学会である。精神科医で日本心身医学会の専門医を持っている者は数えるほどである。これまで日本心身医学会の専門医を更新してきたのは、将来心療内科を標榜するには専門医の資格が必要になるかもしれないと思ったからである。今は、自分の専門以外でも自由に好きな科を標榜して開業できる。段々年を取ってくると、もう必要ないかと思ったりする。今回日本心身医学会に参加しようと思ったのは、札幌より鹿児島に行きたかったことと、学会に参加しないと点数がもらえないからである。日本精神神経学会では、5年間に最低1度は総会に参加しないといけないが、足りない点数をケース・レポートで補うことができる。
 金曜日の午後は、外来が終わってから八条口から伊丹まで空港バスに乗った。久しぶりに国内線に乗ったが、国際線と違って出発時間の20分前ぐらいに空港に着いたらいい。小型のヘアースプレーや液体も1リットルまで持ち込みが可能である。ただ、カッターだけが持ち込みできず、空港で放棄した。小型のはさみは刃の長さが短かったので大丈夫であった。私は雑誌でも新聞でも、気になった部分はどんどん切り抜くので、どうしてもカッターは必要である。今回のような旅行では、現地の無料のパンフレットに載っている地図を切り抜いたりする。飛行機は少し遅れて出発し、鹿児島のホテルにチェックインしたのは、夕方の6時半頃であった。この日は、学会には参加できなかった。後で調べてわかったことであるが、この日の朝から学会に出席したら、教育講演を受けることができた。総会の参加点数10点以外に、もう10点もらえる。5年間で50点集めなければならないので、この10点は大きい。運賃は、スーパー先得で往復24,800円だったので、途中変更が出来にくかった。ホテルはこの5月に開業したばかりで、気合いがはいっていた。場所は鹿児島市の繁華街である天文館の近くで、2泊朝食付きで15,400円であった。私は東横インでもアパホテルでもかまわないが、今回はドーミーインに泊まった。最上階にサウナや露天風呂がついており、朝食も充実していてよかった。
 土曜日はゆっくりと起き、学会に参加した。最近の日本精神神経学会は興味深い内容ばかりである。それに比べ、日本心身医学会の内容は私にはもの足りなかった。参加の登録だけしてすぐ帰るわけにはいかないので、ワークショップの「摂食障害の治療の進歩」に顔を出してみた。座長は私が神戸にいた時から知っている先生である。私が心身医学会と本格的に関わりを持ったのは、神戸にいた時からである。当時、私が勤務していた社会保険神戸中央病院には心療内科の大家の先生がおられ、私は神戸心身医学会の事務局を手伝っていた。実質的には、私1人でお世話になった先生の指示に従って、会費集めから学会の開催、会誌の発行までやっていた。当時この仕事をやっていたおかげで、甲状腺で有名だった隈病院の院長などと話すこともできた。神戸を離れてからは当時の人たちとはすっかり疎遠になっていた。大学でも今では日本心身医学会で活躍している先生は少ない。この学会で活躍している私の同級生のF女医の姿は見えなかった。この先生はもともと内科出身である。このワークショップは朝9時から始まっていたが、私が顔を出したのは10時過ぎである。もう4題の演題発表は終わり、質疑応答をしていた。あまり期待もしていなかったが、その内容の濃さに驚いた。こんなことなら、9時から参加しておくべきだったと本当に後悔した。心療内科でも、生きるか死ぬかぐらいの重症の摂食障害の患者さんを診ている。ここまでくると、精神療法よりまず身体管理の方が大事である。精神科医は想像を絶する患者さんに日常的に接しているので、内科出身の心療内科医は甘いと思ってしまう。しかし、本気で摂食障害の患者さんと取り組んでいる心療内科医の迫力はすごい。重症の摂食障害の患者さんは、リストカットや大量服薬を繰り返す境界性人格障害の患者さん以上である。
 実は、先週も京都府警から、逮捕して警察署で留置している人の薬の処方を頼まれた。一端引き受けると、次から次へと頼まれるようになる。前にも書いたように、逮捕されて取り調べを受けている時には、まだ被疑者である。今は被疑者が身体の不調を訴えている時に、病院に連れて行き診察を受けさせないと、重大な人権侵害になる。何かあった時には、世間やマスコミから警察がボロクソに叩かれる。逮捕される前に飲んでいた薬は持ち込むことはできないので、新たに医療機関に処方してもらう。1番困るのが、前にも書いたように覚醒剤中毒である。山のような睡眠導入薬を要求する。幻覚や妄想を改善する抗精神病薬を処方しようとしても、頑固に拒否する。夜中に留置場で暴れると、他の人たちが眠れず苦情が出る。覚醒剤で逮捕されなくても、精神安定剤や睡眠導入薬の中毒みたいな人が多い。外来では絶対に処方しない大量の薬を出さざるをえない。拘置所や刑務所は国の管轄で、警察署の留置場は府の管轄である。拘置所や刑務所では、好き放題に薬は出してもらえない。
 先週に私の所に受診した人は、覚醒剤で逮捕された人である。私は覚えていなかったが、4年ほど前に私の医院を受診している。この時はエリミンの処方を希望したので、診察料を請求せず、そのまま帰ってもらった。今回覚醒剤で逮捕されてから他の医療機関をすでに受診し、まだ眠れないと言って私の医院を受診した。最初からエリミンを処方しろと言ってきかない。他の医院で、山のような睡眠導入薬が処方されている。私が覚醒剤による興奮が強いので、抗精神病薬を服用するように伝えても、まったく聞き入れてくれない。丁寧に説明している言葉1つ1つにつっかかってくる。私はこの前に59歳になったばかりである。30歳近くも年下に、いちいちけちをつけられて次から次へと脅し言葉をかけられると、さすがに切れてしまう。私の世代はまだ長幼の序を重んじるので、私より年上の人が無理難題を言っても、ある程度我慢する。私はこういう場合は、「自分より30歳近く年下の者にこんな口の利き方をされたらどうする」と聞く。その年齢から引いたら、まだ数歳にもなっていない。その後で、「絞め殺すやろ」と言った。
 この言葉がよくなかったみたいで、急に興奮して暴れ出した。私を殺すみたいなことを言い出した。手錠をしていても力を振り絞って付き添いの警察官を振り切ろうとする。3人の警察官で床の上で取り押さえるのが精一杯であった。パトカーで待機していた警察官も応援に呼んだ。覚醒剤中毒の人の興奮は激しい。なかなかこの場が収まりそうになかったので、私から「どうしたらいい?」と聞いた。「土下座をして謝れ」という。仕方ないので、土下座をして「すみませんでした。」と謝った。私はこういう場合は何でもできる。土下座をして「貸し」を作っておいてもいい。うそ臭い土下座と見たのか、それでもなかなか納得しなかった。午後から面会の約束もあったので、「エリミンを出してやる。」と私の方から言った。それからは、その場の興奮はうそのように収まった。暴れていた本人も取り押さえていた警察官も汗だくである。私も途中から切れてしまったのはまずかったが、本当にどついてやろうかと思ったぐらい失礼な物言いであった。こういう薬物中毒の人の対処はどうするかである。頭の悪い(もちろん優秀な人もいる)人権派の弁護士はすぐに制度のせいにしてしまうが、何の解決にもならない。同じように、精神科医も思考停止に陥りやすい。こんな人は民間の精神病院でも治療は無理である。重症の摂食障害の患者さんの治療を聞いていて、私もそれなりに苦労していると改めて思った。
 このワークショップは11時に終わり、その後は桜島に出かけた。フェリーは片道150円で24時間運航している。香港からマカオのフェリーも24時間運航していることを思い出した。私は奥信濃と呼ばれる長野県の山奥で育ったので、海が大好きである。ベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンにバスで行った時にも、途中でメコン川を渡るフェリーに乗った。フェリーも情緒があって好きである。海沿いに住んでいる人なら珍しくも何ともない風景を写真に撮るのが私の趣味である。桜島に着いてからは、軽のレンタカーを借りて、島を1周した。2時間ですべて込みで4,500円であった。雨が降りそうな天気であったが、海辺の写真が撮れてよかった。帰るのに30分以上遅れ、1時間1,000円の超過料金を払うつもりであった。しかし、超過料金は請求されなかった。港の近くの温泉にもはいれた。入湯料は300円である。真っ青な海が見れなかったのは残念であったが、桜島は本当によかった。1週間前に大噴火で市内が灰だらけになったことは新聞で知っていた。きれいに咲いている花も近づいてみると、灰が積もっていた。私は芋焼酎はあまり飲まないが、水割りにすると飲みやすい。2泊3日の旅であったが、アル中になって京都に戻ってきた。

 

平成24年5月22日(火)

 この前の土曜日に私の誕生日が来た。この年になると、めでたくも何ともない。私は大相撲で言うと、花の二八と言われた世代である。北の湖とは相撲をしたことはないが、私より3日早く生まれている。20歳になった時に、当時活躍していた北の湖と自分を比べ、自分は何をしているのかと焦ったことを覚えている。それから約40年である。来年の5月には60歳になる。当時大人になりきれないモラトリアム青年が話題になり、私も学生気分がぬけないまま、人生の選択を引き延ばしていた。大事な人生の岐路に立ち、何かを選択して決断するということは、他の可能性をあきらめるということである。大人になるということは、こういうことである。
 人生の大事な岐路というのはいろいろあるが、1番大きな選択は、学校と職業と結婚相手である。医学部にはいるように、父親には小さな頃から徹底的にスパルタ教育を受けた。私は父親には反抗ばかりしていたが、長い目で見たら医学部にはいってよかったと思っている。浪人生活も苦しく、英語が好きだったので、もっと楽な外語大に行こうかと迷ったぐらいである。反抗はしていたが、父親が納得しそうもなかったので、最後まで医学部を目指した。そのおかげで、何とか1浪でぎりぎり合格することができた。人間は弱いので、どうしても楽な方向に流れてしまう。理解ある父親だったら、安易に外語大に行っていたかもしれない。私は医学部に入学したので、職業で悩むことはなかった、どこの科に進むかも、それほど迷うこともなかった。私は昭和54年(1979年)卒であるが、当時精神科に入局したのは私も含め2人だけであった。唯一の同期は、今でも明石市民病院で頑張っている。
 大学や職業的選択ではそれほど悩むことはなかった。医局時代はいろいろあったが、それでも精神科医になったことは今でも後悔していない。最近は難しい患者さんが増えてきたが、私にはこの仕事が合っている。さて、結婚である。私が結婚したのは、ここでも何回も書いているように、当時晩婚の38歳である。若い時には、人生の決断を先延ばしすると、まだ可能性が無限にあるように錯覚できた。しかし、年齢とともに選択の幅は狭まっていく。女性は出産年齢があり、アラフォーで子どもを産むなんて医学的(産科的)にも無謀である。経済的には、家内が35歳で産んだ高3の息子を抱えている。なかなか老後は悠々自適となりそうもない。今年のサラリーマン川柳で1位選ばれたのが、「宝くじ当たればやめるが合言葉」である。私も早く宝くじに当たりたい。息子が現役で合格しても、60歳で大学1回生である。
 今から考えてみたら、私が本当に人生で唯一決断したのは結婚ぐらいである。人生の選択には間違いもあるが、その人が選んだ人生なので、その人がその責任を負うしかない。その人の人生なので他の人が選ぶことはできない。人生の選択をするのが怖ければ、その人が選び取った「選択しなかった人生」を送るしかない。誰でも選択においては自由であるが、その責任は選んだ人が負うしかない。しかし、最近はこれまで考えられてきた当たり前のライフサイクルが危うくなってきた。アラフォーでも結婚しない人が増えてきている。不況も大きく影響しているが、これからは女性は自分たちの母親のように専業主婦として生きていくことはほぼ不可能だと腹をくくるしかない。サラリーマン川柳で1位に選ばれている句のように、夫も以前とは違って、家族の生活を支えるためにとんでもない苦労をしている。
 昨日の夕食の時に、自宅でTV見ていたら、久しぶりに感動するドキュメンタリーをやっていた。番組は、「世界まる見え! テレビ」で、内容はおバカな金持ち大集合である。特捜部が世界の番組を紹介しているが、最後に出てきたインドの「家族思いの運び屋さん」がよかった。遠く離れた家族のために、朝から晩まで大きな荷物を背負って運び、わずかなお金を得ている父親が出てくる。わが国ではこんな父親は少なくなっている。わずかなお金でも、生活を支えてくれている父親や夫に感謝する家族はもっと少なくなっているだろう。見ていない人のために、どこかに動画があるかと調べたら、FC2にあった。他にもあるかも知れないが、アドレスを載せておく。http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-13581.htmlである。45分ぐらいから、このドキュメンタリーが始まる。興味のある人はコピペして見て下さい。長男が大学に合格したら、私もおバカなプチ金持ちになろうと思う。
 先週の土曜日は私の誕生日であったが、ある製薬会社が主催する研究会があった。演題は2題あり、京都にある2つの大学の教授が出席していた。メインの講演は、東京慈恵医大教授のこの製薬会社の非定型抗精神病薬についてであった。しかし、私には、最初の演題の「双極性混合状態における不安・焦燥感」の方が面白かった。双極性障害というのは、うつと躁の極が2つあるということで、躁うつ病のことである。混合状態というのは、躁とうつの2つ病像が混じり合った状態である。どんな状態かというと、なかなか表現が難しい。講演した先生はまだ若くて、昔で言うとまだ助手である。私はまだ現役であるが、これから何か新しい学術的なことをしようと思ってももう無理である、若い頃の10年はどうもなかったが、この年になると10年したらもう70歳である。講演内容はまだ荒削りの部分もあったが、内容は新鮮で若い人の勢いを感じた。50歳でも何か一仕事しようと思ったら、まだ10年ある。この研究会の後の懇親会で、75歳を超えても勤務医をしている先生と話をした。そのうち私も、まだまだ若い者には負けていられないと言う時が来るのかも知れない。
 日曜日は、朝から他府県の労災裁判の資料を読んでいた。1件は打ち合わせが終わり、6月3日までに意見書を書かなければならない。もう1件の打ち合わせは、今週にある。この仕事は名誉職でも何でもなく、がっぷり4つで取り組まなければならない。こういう仕事こそ、もっと若い人にやってもらいたいと思う。今日は書くことがなくて本当に困ったが、何とかここまでたどり着いた。先週の水曜日に新しいデスクトップのパソコンが来て、今は新しいパソコンで日記を書いている。転送ソフトのFFFTPを使うようになって、簡単に写真が貼れるようにHTMLの勉強をしようと思っている。次回からは、新しい試みも考えているので、乞うご期待である。

 

平成24年5月15日(火)

 寒かったり、暑かったりして、季節の変わり目はあまり体調はよくない。今日の午後はいつもなら往診する患者さんが2人いたが、いつの間にか2人とも施設に入ってしまった。1人暮らしで、なかなか医院まで受診できない患者さんを往診している。段々と高齢化して施設に入所する患者さんも少なくない。先週の金曜日は午後から往診が1件あった。前にも書いたが、最近はまた駐車場を借りたので、自分の車を使って行く。駐車場から車を出して、細い路地から今回は東大路を右折しなければならなかった。商店街があり、歩道はお年寄りの歩行者も多い。車の交通量も多く、左右の信号が赤になってから、この細い路地から歩行者に気をつけ、右折して東大路に出る。左右両方の信号が赤になるので、車は停車している。左を確認し、右を確認したら原付バイクが走ってくるのが見えた。十分距離があったので、手前の車線を横切って右折しようと加速して正面を向いた時である。目の前にバイクが走っており、正面衝突した。
 映画のスローモーションのように、バイクが車にぶつかって倒れるのが、フロントガラス越しに見えた。一瞬、自分の人生が終わったような気がした。あわてて路肩に車を寄せ、倒れたバイクの所に行った。ドライバーは大丈夫だと言って立ち上がったが、バイクはかなり壊れているようであった。営業用のバイクで、ドライバーは携帯電話で上司と連絡を取っていた。私の車は正面のナンバープレートの所が傷ついていた。結局バイクはサイド・ミラーがこなごなになっているだけで、車体は大丈夫であった。警察を呼んで、現場検証をしたが、どちらもけががなかったので簡単に終わった。バイクと車の衝突事故なので、どうやってもこちらに勝ち目がない。私はひたすら低姿勢で謝った。事故の賠償をどうするかは、会社で相談してまた連絡するということになった。私はそのまま往診に行った。
 この時はかなり動揺していたが、よく考えてみたらあれほど確認したのに、どこからバイクが現れたかである。左の安全を確認し、右の安全を確認して、加速と同時に正面を向いた時にはもうぶつかっていた。ミラーのガラスがこなごなに砕けていたが、手前の2車線の真ん中あたりに散乱していた。バイクのドライバーも認めていたが、対向車線の停車していた車の陰から急に飛び出てきたようである。両者の前方不注意になるが、人身事故になっていたら何を言ってもこちらの車の方が不利である。今熊野の商店街はお年寄りの歩行者が多いので、私は毎回そろそろとゆっくり細い路地から出てくる。冷静に考えたら、今回の事故はバイクの方の過失が大きいような気がした。往診から帰ってきたら、会社の方から電話があった。結局、両者の被害はそれぞれで修理することになった。今回は相手が重傷を負わなかっただけでもよかったかもしれない。細い路地から右折して大通りの対向車線に出る時には、左右の確認だけではなく、対向車線で停車している車の陰から飛び出てくるバイクにも気をつけなければならない。
 この前の日曜日は今月分の自立支援医療や障害者手帳の更新の診断書などを書いていた。今回は更新の手続きだけでいい人が多かった。それでも、朝7時ぐらいからやっていたが、午前中だけでは終わらなかった。他にも、きのうあった労災判定会議の資料を読んでいた。今回は出ているケースは少なかったので、それほど時間はかからなかった。他府県の労災の裁判を2件かかえているので、こちらの方がこれからは忙しくなりそうである。今月は2件とも個別に打ち合わせがある。それまでに裁判資料に目を通しておかなければならない。労災医員としての任期は後1年なので、それまでは責任は果すつもりである。成年後見用の鑑定依頼を引き受けたが、この日曜日に家庭裁判所から送られてきた資料を詳しく読んでいた。こんなケースは初めてで、けっこうややこしそうであった。提出期限までまだ1ヶ月以上あるが、遅れないように早めに鑑定しなければならない。毎年この時期は労働保険を納めなければならないが、まだ申請書が送られて来ていない。心配になってインターネットで調べたら、申請は6月からでよかった。
 月曜日の朝は、いつも遅れがちな会計事務所に送る4月分の資料を整理していた。私はクレジットカードは何枚か持っていて、事業用に関係しているのは1枚だけである。毎月主にインターネット回線とホームページ用のサーバー代が落ちている。たまたま今回利用明細を詳しく見ていたら、利用していないウィルス対策ソフト代が引かれていた。利用しているカード会社に問い合わせをしたら、自動更新になって引き落とされているのではないかということであった。ウィルスソフト対策会社の電話番号を教えてもらい、直接問い合わせをした。何と、契約が平成19年と20年の2台分があり、これまで自動更新で引き落とされていたという。私も自動更新になっていたとは知らなかった。クレジットカードで申し込んだ時に、自動更新になるように同意しているという。しかし、あまり詳しく覚えていない。どのメールアドレスで申し込んでいるのか聞いたが、教えてくれなかった。自動更新についてはメールで知らせているというが、この間にアドレスを変更したりしているので1度もメールを受け取ったことはない。会社としては、無効なメールアドレスではなく使われているメールアドレスと確認しているという。しかし、少なくとも2台分のうち1台は変更して使っていないはずである。大分昔であるが、私は海外のアダルト・サイトを利用する時には、クレジットカードの自動更新を止める方法を必ず確認してから申し込んでいた。恐らく、当時自動更新についてはわかりにくい表示であった可能性が高い。私の利用しているウィルス対策ソフト会社では、必ず更新のお知らせが来て、こちらから新たに継続の手続きをしないと更新できないようになっている。多分この会社では、私だけでなくこういうトラブルに巻き込まれている人が多いと思う。実際にこの会社の自動更新についてインターネットで調べてみると、ダウンロードすると自動的に更新されるように設定されていたようである。2月に7980円引き落としになっていて、気がつかなかったが1月にはもう1台分の5600円ぐらいが引き落とされていたという。まったく利用していないのに、何年間も見落としていた私も悪かった。とりあえず、今年の分は利用していないということで、料金は返金してくれるということであった。
 新しいタウンページの電話帳が届いた。同業者の広告を見ていたら、以前と比べたらみんな縮小している。特に今年は大きな広告は減っていた。今は携帯電話を利用する人が多く、固定電話を持っていない人も多い。インターネットの時代なので、段々と電話帳を利用する人は少なくなってきている。私は例年通り、東山区が含まれる京都市北中部版と南部版に広告を出した。インターネットのタウンページも合わせて、NTTに払っている1ヶ月の広告料金は66,360円である。縮小している他の医院の広告を見ていて、もうちょっと安くしたらよかったと後悔した。これだけ不況なので、来年は今の広告料の3分の2から半分ぐらいにするつもりである。

 

平成24年5月8日(火)

 中国語の勉強をしたいと思っていたが、なかなかやる気が起こらない。NHKラジオ講座の「まいにち中国語」もパソコンが壊れてバタバタしていたので、1週目で挫折である。らじる★らじるの録音も大変で、1週間で内容が変わってしまう。遅れてもいいようにまたCDを買った。このゴールデン・ウィーク中は、中国に行ったら、中国語の勉強はできるかと思って、「まいにち中国語」の4月号のテキストとこのCDの内容を入れたウォークマンを持って中国に行った。どちらかというと、滞在型のホテルで、ゆっくりと本を読んだり、お散歩カメラを持って歩いたり、青島ビールや中華料理を楽しんだ。エアコンはついているが、冷蔵庫はなしで、1泊150元である。(1元は15円弱) 歩いて1〜2分の所に、ビールやマンゴーなどの果物を売っている店もあるし、本格的なコーヒーが飲める店もある。この日記も、新しいポメラを持って行き、ホテルの中で書いている。
 前から書いているように、場所を変えると、家ではできなかったこともできるようになる。中国語はハウマッチも話せないぐらいで、知っている単語はビールとごはんぐらいである。中国では料理を頼んでも、ごはんと言わないと持ってきてはくれない。旅の指さし会話帳ぐらいは持って行くが、料理の注文は調べるのも面倒なので、行き当たりばったりである。言葉をまったく話せないと、不便極まりない。中国本土ではカタコトの英語も通じない。それでも、何とかなるものである。さて、中国で「まいにち中国語」の勉強はできたかである。結局、ほとんど何もできなかった。どうしてかというと、他にやることがあり、時間もあまりなかった。本当は4月分をホテルにこもって一気にやるつもりであった。「まいにち中国語」なので、せいぜい3日分である。日本でも中国でも思うように勉強できず、ここは発想を変えて、ミャンマーにでも行ったらできるかもしれない。
 この旅行では、カメラはルミックスLX5を持って行った。お散歩カメラはこのぐらいの大きさが1番いい。電子ビューファインダーを付けていても苦にならない。今年の夏には2年ぶりに新しいLX7(?)が出ると思うので、発売になったら買うつもりである。今のカメラでも十分であるが、動画がフル・ハイビジョンでないのが残念である。今回は中国の農村の風景も撮れたので、またもんもん写真館で紹介するつもりである。日本に戻ってパソコンで確認したが、中古の解像度の低い15インチのディスプレイではきれいに撮れているのかよくわからなかった。
 最近は旅行の時には本を持って行き、その間に1冊は読むようにしている。今回中国語の勉強ができなかったのは、以前にも少しだけ紹介した、岡田尊司「愛着傷害 子ども時代を引きずる人々」(光文社新書)をきちんと文章でまめたかったからである。ポメラを持ってきたのも、このためである。よほど長期の旅ならノートパソコンを持ってきてもよかったが、通信事情の悪そうな中国本土では必要はない。パソコンが壊れた時にこのポメラで日記を書いたが、テキストの文章を書くには便利である。どうしてもインターネットが必要な時には、Wifiが利用できる空港でウォークマンを使ったら十分である。
 さて、岡田尊司「愛着傷害 子ども時代を引きずる人々」(光文社新書)である。この本の紹介では、著者は京大医学部を卒業し、京都医療少年院勤務となっている。たまたま、同じ著者の書いた「シック・マザー 心を病んだ母親とその子どもたち」(筑摩書房)を読んでいる時にこの本のことを知り、途中からこちらの本に読み変えた。愛着というのは、子どもが生後抱っこなどのスキンシップを通じて、特定の存在(母親)に対する特別な結びつきが成立することである。子どもは母親との間にゆるぎない愛着を形成すると、基本的安心感や基本的信頼感と呼ばれる感覚を育んでいく。いつも母親がそばにいなくても、心の中に安全基地を作ることができる。どうしてこのことが大切かというと、大人になってからの対人関係全体に影響を及ぼすからである。困ったことがあると、すぐに相談したり、気軽に助けを求められる人と、親や妻や夫もあてにならず、親しい人に助けを求めても傷つけられるだけと考える人では、社会生活での行動もパーソナリティも異なってくる。ここでは最初にイスラエルの集団農場キブツで育てられた子どもや児童養護施設で育った子どもたちの「愛着障害」について述べている。大人になってから、親密な関係を持つことに消極的になったり、対人関係が不安定になりやすかったのである。複数の養育者が交代でいくら熱心に関わってもだめなのである。
 この愛着の形成には臨界期と言われる特定の時期がある。オギャーと生まれてきて、自分を取り囲む未知の世界が、自分を安心して受け入れてくれているとゆるぎない確信を作ってくれる時期である。6ヶ月を過ぎる頃から、子どもは母親をはっきりと見分け始め、この時期から1歳半までが愛着形成にとって最も重要となる。2歳を過ぎて養子になっても、なかなか養母になつかなかったり、臨界期に母親から離されたりすると、愛着が傷つきやすい。今は昔と違って、女性が働くようになってきている。晩婚化も進んでいるが、子どもにとって、生後半年から1年半は母親とのスキンシップが最も大切な時期だと自覚しておくことが必要である。もう、手遅れだという人も多いと思うが、この本では愛着障害の克服についても最後に書いてある。私の周りでは、女医さんが多くなり、看護師さんも多い。出産後にすぐに仕事に復帰する人もいるが、子どもにとっていつもそばで見守ってくれ、すぐに必要な助けを与えてくれる特別な存在が必要である。仕事が終わってから、母親としてたっぷりと子どもに愛情を注いでもいいが、疲れきっていたらなかなかそういうわけにもいかない。この本を読めば読むほど、産休よりこの時期の子育て休暇の方が大事だと理解できる。
 働いている中国人の母親は、この時期はまだ子どもは何もわからないので、母親が育てるのもベビーシッターにすべて任せるのも同じだと考えている。物心がついてから、母親である自分で育てたらいいと思っている。中国が発展してきたのはここ最近なので、こんな育てられ方をしている子どもが世に出てくるのはこれからである。考えようによっては、「中国、恐るるに足らず」である。この臨界期というのは、この時期でないといけないということである。不幸にも、この時期に母親が事故で入院していたり、うつ病になっていてもいけない。いくら後から愛情を注いでも、子どもは後の人間関係で支障をきたしやすくなる。反対に、一旦この時期に愛着の絆ができると、半永久的な持続性を持つ。自分に対する自己肯定感は高まり、親を安全基地として支えにすることにより、安心して他人との関係も生産的で前向きなものにすることができる。
 死別や離別、虐待などによる不安定な愛着状態に置かれた子どもは、3〜4歳ごろから周囲をコントロールしようと特有の方法を身につける。心理的な不充足感を補うため、大きく3つの戦略をとる。一つは、支配的コントロールで、暴力や心理的優越によって相手を思い通り動かそうとする。従属的コントロールは、相手に合わせ、相手に気に入るように振る舞い、相手の気分や愛情をコントロールしようとする。操作的コントロールは、この2つがより巧妙に組み合わさったもので、同情や共感や反発を引き起こすことで、相手を思い通りコントロールしようとする。
 虐待やネグレクトなどの深刻な問題を抱えていなくとも、実の親元で育てられている子どもでも、3分の1に不安定型の愛着を示すことがわかってきた。成人しても、3分の1が広い意味での不安定型愛着を示す。ここでは、ルソーから始まり、夏目漱石、川端康成、太宰治、ミヒャエル・エンデ、クリントン大統領など著名人の愛着障害について解説している。大人の愛着スタイルについても書かれている。例えば、愛着軽視型の人は、親に甘えようとして拒絶されたり、かまってもらえなかった子どもの頃のつらい記憶を抑圧し、「そんなものは必要ない」と思うことで自分を守ってきた。その結果、人を頼らず、自分の力だけを当てにし、独立独歩型、一匹狼のライフスタイルをとりやすい。他人に迷惑をかけないことが大事だと、自己責任を重視する。著者は、「シック・マザー 心を病んだ母親とその子どもたち」(筑摩書房)の中で自分は愛着障害だと告白している。私もこの本を読んでいて、いろいろ思い当たることがある。わかりやすくまとめられており、精神科医は精神薬理の知識だけではなく、こういう本も1度は目に通しておくべきである。

 

平成24年5月1日(火)

 医院のパソコンが壊れてから、相変わらず不便が続いている。パソコンが壊れる少し前に、Windows 7の64ビットのデスクトップをインターネットで注文していた。カスタムオーダーのため、一部の部品が手に入らず、手元に届くのが遅れている。それまでは、古いXPのノートパソコンで臨時をしのいでいる。自立支援医療の診断書は何とか更新できるが、この日記の更新が自分のパソコンからできず困っている。前回も前々回もホームページを作ってもらった会社に頼んでアップロードしてもらっている。今使っているノートパソコンはあくまでも一時しのぎのピンチヒッターである。新しいデスクトップのパソコンが来たら、簡単に更新できるホームページ用のソフトを新たに入れるつもりである。最近のソフトは1台のパソコンにしかインストールできないので、最低限必要なものしか入れていない。この日記も訂正したいと思っても簡単に訂正できず困っている。
 そこで今回、以前に一度だけ使ったことのあるフリーのソフトを使ってこの日記をアップロードすることにした。うまくアップロードできなかったときには、またホームページの制作会社に頼んで修正してもらうしかない。このソフトは、FFFTPというホームページのデータをインターネットに転送するツールである。平成18年6月に更新の仕方を書いてもらったメモが残っていた。もとの原稿の改行部にbrを入力と書いてある。この時には、係りの人が出張で私の医院まで来て、細かい設定をしてくれた。更新の仕方を説明してくれたので、この時には何とかできた。今回はこんな走り書きのメモみたいなもので、最後にうまいこと更新できるのか心配である。メモの最後の方に、何の説明もなく、pの文字が書いてある。HTML言語については、勉強する気もなかったので、よくわからない。この時には、すぐに簡単に更新できるソフトに入れ換えてもらった。
 29日と30日は相変わらず、だらだらと過ごしてしまった。今月中に書かなければならない最後の診断書なども書いていた。いつの間にかたまってしまった本や資料の整理もしていた。確定申告の申請から忘れてしまっていた2ヶ月分の資料も整理して、会計事務所に送った。29日は天気がよかったので、京都新聞にも載っていた鳥羽水環境保全センターの藤棚回廊を見に行った。京都駅から100円でバスも出ていたが、自分の車で行った。私はいつも施設の電話番号を入れてナビを使うが、インターネットで調べてもここの電話番号がよくわからなかった。グーグルの地図を見ながら大体の目安で行ったら、このセンターの駐車場にたどり着いた。ここから目的地まで巡回のバスが出ている。カメラを持って行ったが、大勢の人が写真を撮っていた。藤棚と花壇に咲いている花はきれいであった。しかし、人が入らないようにして撮るのは難しい。駐車場の隣の公園の藤棚の方が、緑の大きな木を背景に撮りやすかった。京都駅行きのバス乗り場には大勢の人が待っていた。私は施設の見学ツアーには参加しなかったが、京都市も頑張っていると思った。帰りの駐車場に帰るバスの中から、金属色の施設の建物が見えた。この写真は絵になると思った。藤棚より、この施設の写真を撮りたかった。
 きのうの振替休日は、息子が携帯電話を買い換えたいと言うので、一緒につきあった。ソフトバンクの携帯電話4台はすべて私名義になっている。買い替えの時には私の身分証明書が必要である。ディズニーの携帯電話はソフトバンクとは別の会社なので、手続きに思ったより時間がかかった。息子には、新しいiPhoneが出ても、2年間は買い替え禁止と伝えた。今は京都駅近くの塾に通っているが、帰りが遅いので、私はいつも先に寝ている。同じ塾で、小学校の同級生と会ったという。今は進学校と言われている学校でも、みんな塾に通うようである。それなりに、やる気にはなっているようなので、父親としては安心である。大学に合格したら、FIFAワールドカップブラジル2014に行けるぞと、餌はいろいろ撒いている。餌の撒き過ぎはよくないという人もいる。今は、私の時代のように「絶対に這い上がってやる」というハングリー精神だけでは無理なような気もする。
 さて、この連休に読んだ本である。今村聡、海堂尊「医療防衛」(角川oneテーマ21)である。副題には、なぜ日本医師会は闘うのかである。帯には、情報操作から医療を守れ!とある。今村聡は、この本では日本医師会常任理事となっている。インターネットで調べてみたら、現在は日本医師会の副会長である。私より2歳年上である。海堂尊は「チームバチスタの栄光」などで知られている医師で作家である。日本医師会とは、死因究明のAi導入で力になってもらっている。海堂の小説の登場人物が2人出て、今村と対談形式で話が進んでいく。私は開業して医師会にはいったが、どんな構造になっているのか、上に行けば行くほどよくわからなかった。日赤の部長の時には、府医師会に入会させられたが、ほとんど縁がなかった。この本のテーマは、「日本医師会は、開業医の利益団体ではない」である。現在日本には29万人の医師がいて、医師会員は6割弱の16万6千人である。半分が開業医で半分が勤務医である。開業医や病院長がA会員になり、私の医師会費は東山医師会も含め、月2万3千円である。年間27万6千円も払っており、決して安い会費ではない。勤務医はこんな会費は払えないので、B会員、C会員である。やはり、中核的な会員は開業医である。弁護士や公認会計士などは、国家試験に合格したら強制的に関連の組織の入会が義務付けられている。日本医師会だけは、任意加入である。
 日本の医療費について解説されている。「自助、共助、公助」の3つに分けられ、自助とは自己負担分で、共助は保険部分で、公助とは税金部分である。国の出す医療費が12兆円で、その3倍が医療費の総額となっている。ここでは、医療を市場化したら、結局コスト高になると主張している。診療報酬の値上げ要望が医者の収入アップのための運動とされるのは、意図的な情報操作とも述べている。ばらばらの健康保険の統一については、私も賛成である。開業医は金持ちかという議論もされているが、ベンツに乗っている医者がたくさんいるとつっこまれると、世間が考えているほど金持ちではないと否定している。日本医師会の試算によれば、開業医の手取りは勤務医とほとんど変わず、手取りの平均年収は1026万円だという。にわかには信じがたい数字である。つぶクリ(つぶれかけのクリニック)だけではなく、70〜80代の引退寸前の高齢医師の年収も含まれているかもしれない。私の開業した平成13年とは違い、確かに現在の医療情勢は厳しくなっている。しかし、これだけ不況になると、まだましなのは医者だけである。患者さんの話を聞いていても、中小企業や自営業はほとんど全滅である。唯一元気な業界は葬儀関係ぐらいである。
 私は知らなかったが、医療機関の消費税払い過ぎ問題があるという。具体的な例をあげると、ある病院で社会保険診療の収入が10億円あるとすると、無課税なので消費税ははいってこない。ところが、医薬品の仕入れに4億円かかったとすると、5%の消費税である2千万を納入業者に支払わないといけない。診療報酬に5%の消費税が病院にはいると、5千万円の消費税から医薬品の消費税2千万円を引いて、3千万円の消費税を納めたらいいだけである。これを、控除対象外消費税といい、現在は診療報酬の中に補填する方法で対応しているという。世間の人は開業医も勤務医も同じ医者だと思っているが、決して1枚岩ではない。日本医学会は日本医師会の一部門であるが、医師会に反発する学会の偉い先生もいると認めている。日本医師会から独立しようという先生もいるぐらいである。病院の部長クラスになると、医師会に理解ある先生は少数派になるとも述べている。医者にとっては、日本医師会よりそれぞれの所属する専門学会の方が権威があるが、政治力では日本医師会の方が上である。地区医師会では、学校医をしたり、介護保険認定審査委員をしたり、住民の検診にも協力している。この本を読んで、開業医である私でさえ、「日本医師会は開業医の利益団体である」という誤解(?)は解けなかった。副会長として苦労されているのはよくわかるが、ベンツ禁止令ぐらい出さないと国民にはなかなか理解されないだろう。

 

平成24年4月24日(火)

 パソコンが壊れて、緊急でデータをすべて取り戻したと思ったが、一部取り残した。確認したら、マイドキュメントにあるデータは大丈夫であった。しかし、独自のプログラムにはいっている分は無理であった。給与計算のデータもテラパッドのテキストもマイドキュメントには入っていなかった。デスクトップなどにあるデータをきちんと取り戻すように指示しなかった自分も悪かった。雇用保険の計算は、税理士に問い合わせするしかない。ノートパソコンの液晶では見にくいので、中古の15インチのディスプレーを手にいれた。しかし、ディスプレーにうまいこと表示できず、ノートパソコンの設定の仕方がまだよくわからない。昔はそのまま繋げたら、簡単にディスプレーに表示できたような気がする。長い文章を書くときには、ノートパソコンのキーボードでは不便である。キーボードだけUSBで取り付けて、この日記も書いている。今回、得をしたことといえば、オフィス2003のソフトを再インストールできたことである。たまたま別売のCDを持っていたので、電話での指示に従ってこのノートパソコンでも使えるようにできた。1つのオフィスのCDで2台のパソコンにインストールできる。ついでにもう1台のパソコンにもインストールしようと思った。以前インストールしたパソコンはだいぶ前に廃棄したままである。2台目の分については、自動音声の指示ではなく、係りの人が直接電話口に出てきた。不正使用をしているわけではないので、これも簡単にインストールすることができた。
 さて、この前はパソコンが故障して書けなかったことである。私は医療事務については、すべて受付の人に任せている。だから、細かい医療保険の区別については詳しくない。ほとんどの患者さんは、医院などの医療機関の窓口で、医療費の3割または1割の料金を払っている。生活保護の人などは無料である。残りの7割、9割、全額の料金は、料金を支払ってくれる2つの団体に請求する。1つは主に社会保険と生活保護を扱う支払基金で、もう1つは国民健康保険を扱う国保連合会である。医療機関が請求した医療費がすべて認められるわけではなく、審査がある。1つ1つの薬や検査は、病院で何でも自由に使えたりできたりするわけではない。すべて、決められた病名でしか適応がない。過剰な検査や高価な薬ばかりの処方も審査の対象になる。睡眠導入薬のマイスリーは1日1錠までの処方しか認められておらず、査定の対象となっていた。2錠出すと、1錠分は認めてくれるが、後の1錠分の医療費は支払ってくれないのである。患者さんに認められなかった薬代を請求するわけにいかないので、残りの医療費は医療機関が負担することになる。生活保護の患者さんでは全額である。
 これまで、各医療機関からの請求(レセプト)は、毎月ある一定額以上のレセプトだけを審査員が1枚1枚審査していた。だから、マイスリーを2錠出していても、いつも査定されるわけではなく、見逃しも多かった。安い薬については、保険では認められていない病名でも滅多に削られることはなかった。たとえば、リボトリール(ランドセン)という薬は、精神安定剤のセルシンなどと同じベンゾジアゼピン系に属する。しかし、保険で認められている病名は「てんかん」だけである。心療内科や精神科の領域では保険適用はなかったが、これまで精神安定剤として使われてきた。審査で査定されたら、残りの薬代は病院などが持たなければならない。そのため、実際には「てんかん」ではないのに「てんかん」という病名をつけることもあった。こういうのを、「保険病名」という。つい最近、同じ東山区でてんかんの人が車を運転していて大事故を起こした。これからは、保険病名で安易に「てんかん」という病名はつけられない。
 ここからが本題である。最近は保険請求(レセプト)の審査は人ではなく、コンピューターがするようになった。いくら安い薬でも、病名と一致しないものは、血も涙もなくすぐにはじき出される。院外処方のチェックも厳しくなり、少し前に生活保護と社会保険の支払いをする支払基金から、2月の点検結果の連絡書が届いた。何と、薬代が全部で7万6千6百円も削られていた。実際に薬は処方しているので、支払基金が残りの料金を支払ってくれないと、まるまる私の医院の損になる。新しい64ギガのiPadを豪華なケース付きで買える値段である。実際に中身を見たら、統合失調症で、最近の非定型抗精神病薬を2種類以上使い、1ヶ月の医療費が飛びぬけて高い患者さんが対象となっていた。新しい抗うつ薬を2種類以上使っている患者さんでは、睡眠導入薬が多いとこちらの方が削られていた。生活保護の患者さんの医療費は、一般の人の医療費と比べると2倍高いと言われている。それだけ、医療現場では過剰検査や過剰投薬が多い。私の医院は院外処方なので、薬で儲けるつもりは全くない。私も反省するところがあり、値段の高い新しい薬ばかりを、何種類も使ってしまっていた。少しは薬の費用効果も考えなければならない。3月分も同じように削られるので、2ヶ月合わせて15万円の損である。以前から睡眠導入薬を減らしたいと思っていた患者さんの薬を減らすことができたので、これはよかった。
 先週の土日は、ある製薬会社主催のうつ病に関する講演会が東京であった。実際に講演会が催されたのは日曜日の午前中である。新幹線代とホテル代は製薬会社が持ってくれる。私はもともと接待嫌いで、製薬会社の接待はことごとく断ってきた。日赤の部長の時は、今とは違って、外来の忘年会や歓迎会などの費用を製薬会社が持つとよく声をかけられた。私はすべて断り、毎回10万円以上自腹を切っていた。新薬の発売記念講演などが東京で開催された時だけは、参加させてもらっていた。今回は、こういう講演会に参加するのは久しぶりである。開業してから2回目である。いつも医院に閉じこもっているので、たまには気分転換が必要である。何かきっかけがないと、なかなか東京には出てこれない。
 講演内容は、ドラッグ・デリバリー・システムについてであった。脳のセロトニンやドーパミンがどうのこうのという話より、ためになって面白かった。ドラッグ・デリバリー・システムというのは、薬を服用したときに、体内でより安全で有効になるように薬を最適化する未来の製剤技術である。薬物体内動態の制御のメカニズムなどわかりやすく説明され、勉強になった。他にも、うつ病で休み、そのまま定年退職の最後まで休み続ける患者さんのことや、鉄道関係の運転手は薬を服用していると絶対に運転させてもらえないなど興味深い話も聞けた。昼食もかねた懇親会では、大学の同級生と久しぶりに会った。昭和54年(1979年)卒で精神科に進んだのは、この同級生と私の2人だけである。まだ明石市民病院で勤務医として頑張っている。お互いに1浪していて、もう58歳である。この年になると同級生の8割ぐらいは開業している。最近は病院も勤務医にやめてもらったら困るので、給料を上げたという。明石駅の周辺にはいくつも心療内科が開業しているという。子供はみんな大学を卒業しているので、まだ余裕である。同級生は髪が薄くなってきていたが、あまり気にしている様子はなかった。私は一旦髪を染め始めたら、やめれなくなってしまった。髪の毛を伸ばして広くなった額を隠しているが、下を向くと髪の毛がバサッと落ちる。髪の毛が落ちないように、まっすぐ正面を向いたままでは、カルテが書きにくい。正面を向いたままでもカルテが見れるように頭に鏡をつけるか、絨毯の滑り止めみたいなものを額に貼るか、現在思案中である。日本の医療を含めた社会保障が崩壊するのが先か、私の髪の毛が崩壊するのが先か、いずれにしても残された時間は少ない。

 

平成24年4月17日(火)

 今日の更新は大分遅れてしまった。どうしてかというと、外来の机の上に置いてある私のパソコンが動かなくなったからである。医療事務のためのレセコンは受付に置いてあって、これは大丈夫である。自立支援医療の診断書などの文書はすべてこの故障したパソコンの中にある。このホームページ用のデータも労災の書類も海外旅行の写真もすべてである。私のパソコンはXPプロフェッショナルで、もう8年ぐらいは使っている。たまたま先週の水曜日(だったと思う)に、ウィンドウズの更新プログラムを更新しようとしたが、何回やってもできなかった。一旦あきらめて、その日はそのまま使っていた。夜帰る時にパソコンの電源を切ろうとしたら、インストールしているので、そのままお待ちくださいと表示された。時間がかかりそうだったので、この日はそのまま家に帰った。ところが、翌朝医院に出て来ると、電源が切れておらす、まだインストール中である。仕方ないので、強制終了にして一旦電源を切った。また再起動して使っていたが、いつもとは違って少し不安定となっていた。
 この前の日曜日は朝から医院に出てきて、今月中に書かなければならない障害者年金や障害者手帳、自立支援医療の診断書を書いていた。なかなかやる気が起こらず、雑誌を読んだり、インターネットやCNNを見たりして、1日中だらだらしていた。きのうの月曜日には、毎月1回ある労災の判定会議もあったので、この分厚い資料も読まなければならなかった。夜、自宅に帰る時に電源を切る操作をしたら、またインストール中の画面が出た。今回はいらいらしていたせいもあり、強制終了ぜす、いきなり電源から切ってしまった。ところが、月曜日にスイッチを入れても、画面は出るが、すぐにフリーズして全く操作できなくなった。何回やってもだめである。別の古いXPのノートパソコンで調べてみたら、あまり起動を繰り返すと、中のデータが破壊される恐れがあると書いてあった。それでも、懲りずに何回も電源を入れたり切ったりして再起動を試みたが、だめである。以前からバックアップは取らなければならないとわかっていた。アクロニスのバックアップソフトも入れていたが、設定の仕方がよくわからなかった。ゆっくりとマニュアルを読んでいる暇もなく、時間があったらとそのままにしていた。
 パソコンが使えないと、何もできない。今月中に更新しなければならない診断書類は日曜日に書いたので助かった。給与明細がわからないと今年度の雇用保険などの申告にも支障をきたす。仕方ないので、ノートパソコンでデータリカバリーの会社を調べてみた。いくつもあって、どれがいいのかわからない。直接会社にパソコンを持って行くと、データ量にもよるが、10万円ぐらいでできるようである。出張となるとその倍ぐらいかかる。私は最近はアダルト系のネットは見ないが、だいぶ昔に集めたお宝写真がわずかに残っていた。こんなのまでリカバリーされたらかなわない。それと、パソコンの中身は患者さんのプライバシーに関する書類がほとんどである。こういう会社は個人情報の保護については厳格に守っていると思うが、それでも外部流出など万ヶ一の事故は避けなければならない。結局、往診の終わった今日の午後から、出張して来てもらうことにした。
 ところが、あれほど起動してもフリーズして動かなかったパソコンがなぜか今日は起動してしまった。いずれにしても不安定であることには変わりない。念のためデータをリカバリーしてもらうことにした。料金は出張代も含めて、20万円弱である。データ量は約80ギガである。高いと見るか安いと見るか、評価は難しい。まだ終わっていない労災の裁判の意見書もあるし、山ほどある自立支援医療の診断書もある。また最初から書き直すとなったら、気が遠くなるほど時間がかかる。今回はきちんとバックアップしてこなかった自分が悪いので、仕方ない。ハードディスクをはずし、リカバリーの作業が終わり、また調子の悪いパソコンに戻してもらった。きょうはリカバリーの前にきちんと再起動したので、今度も大丈夫かと思ったら、またフリーズした。何回やってもだめである。外付けのハードディスクにデータは入れてもらったが、ノートパソコンで確認しようと思ったら、以前に使っていたドライバーやソフトを改めて入れ直さなければならない。古いソフトで、ダウンロードしたものも多い。すべてのデータを開くには、まだまだ手間暇がかかりそうである。一喜一憂して、きょうは本当に疲れた。この日記のソフトも失われたので、今回はホームページを作成してもらった会社からアップロードしてもらっている。この会社のアドレスも失われてしまって、火曜日には更新できなかった。日記のデータは確保できているのかまだ確認していないが、しばらくは苦労しそうである。

 

平成24年4月10日(火)

 1月から3月の外来患者数は去年と比べて、また5%ほど減っていた。一時は撤退するとお知らせをしていた近所のスーパーはそのまま続けている。この前の東山医師会の総会では、東山区の人口が4万人を切ったと聞いた。京都市の人口は148万人ぐらいなので、区としては伏見区の支所よりはるかに小さい。65歳以上のお年寄りはすでに30%を越えている。私の医院は南区や伏見区に近いので、まだ助かっている。ど真ん中で開業している内科の先生などは大変である。不況による受診抑制もある。南区などにも新たに心療内科が開業したりしていて、その影響もあるかもしれない。私だけではないが、患者さんの少ない日は、インターネットで悪口でも書かれているのではないかと心配したりする。私は開業して10年間は経済的に黄金時代を迎えることができた。この4月には、親から借りていた最後の305万円を返した。今は自宅も含め、まったく借金はない。年齢も年齢なので、患者さんが減ってきてもそれほど焦ってはいない。この4月からは、私の患者さんがお世話になった2人の先生が右京区で開業する。東山区から遠く離れているからではないが、同じ仲間として心から声援を送りたい。これから開業を考えている先生には、ぜひとも成功のアドバイスを送りたい。身も蓋もない話であるが、1にも2にも「場所」である。
 この前の土曜日は、京都の2つの大学の精神科教授が代表世話人となっている学術講演会があった。前座として、私と同じ大学の若い先生が「強迫スペクトラム障害の薬物療法」について話をしてくれた。強迫性障害とは、何回も手を洗ったり、確認したり、物の対称性にこだわったりする精神障害である。物が捨てられなくなり溜め込む行為もこれまで強迫性障害に含まれていたとは知らなかった。今度改訂される米国の「精神疾患の分類と診断の手引き」であるDSM−Xでは、強迫性障害から切り離されて、溜め込み障害として独立するという。薬物の反応から、チックも含めた類縁疾患との共通性を検討していたのは興味深かった。特別講演は、帝京大学教授の「不安と自殺について」であった。講師は、自殺の研究で有名な先生である。しかし、話の内容はもうひとつであった。今回この演題で講演を依頼されたという。誰がやっても、いくらこのあたりをつついても、あまり面白い話が聞けそうもないテーマであった。今回初めて、依頼する講演の内容も大事だと思った。残念ながら、本来の講師の先生の力が十分に発揮されにくいテーマであった。
 その後の情報交換会(懇親会)では、今度の4月から労災医員になってもらえる女医さんとも話ができた。これまで2年間の任期であったが、今年からは変則的に新しい先生が2人はいる。私は来年の3月で任期が切れるので、その後はこの先生たちに本格的に引き継いでもらう。東山医師会の仕事だけは断れないが、60歳を機に公的な仕事は退くつもりである。人によっていろいろな人生観があるが、私は残り少なくなった人生をこれまでとは違った枠組みで再スタートさせたい。高3の息子が医学部でなくても、どこかの大学に合格したら、朝5時に起きるのはやめようと思う。夜型の私が毎朝5時に起きるのは、1つの覚悟である。これまで自分に禁じていたことも、最後の人生なので解禁したい。子どもたちに迷惑になるような言動はなるべく避けようと思うが、私と子どもはまったく別の人格である。基本的には私は既得権を獲得した同世代より、若い人たちの味方である。なぜなら、これからの日本の将来は若い世代にかかっているからである。
 先週の木曜日は、午後から映画を見に行った。題名は「ドライブ」である。午後3時過ぎの上映に行ったが、大勢の人がはいっていた。私はこの日は往診がなかったので見に行くことができたが、観客のほとんどが私より上の年代であった。私は開業しているので60歳なっても定年はないが、もうすぐこの人達と同じ仲間になるのかと思った。みんな元気で、一般企業はこういう世代をターゲットにビジネス・モデルを考えなければならない。さて、映画である。週刊文春のシネマ・チャートで5人の批評家が4つ星や5つ星をつけていた。他の雑誌でも評価は高かった。しかし、今回はまったく内容は知らずに見に行った。映画を見終わった後で調べて見たら、この映画はカンヌ映画祭で監督賞を受賞している。私好みの映画で、本当によかった。この日記でも紹介したが、クローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」やコーエン兄弟監督の「ノー・カントリー」に通じるものがある。この映画が気に入った人は、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や「ノー・カントリー」を、是非ともレンタルDVDで見るべきである。話の内容は、自動車工場で整備工している主人公が、裏では強盗の逃走用車両のドライバーとして活躍していた。ところが、ある仕事を引き受け、予期しなかったトラブルに巻き込まれていく。主人公の暴力シーンではほとんど銃を使わず、素手である。私が最近見た映画の中では、1番面白かった。
 さて、最後に先週に読んだ本である。先週の日記では時間がなくて書けなかったので、簡単に紹介する。山田順「本当は怖いソーシャルメディア」(小学館新書)である。著者はこの日記でも紹介した「資産フライト」(文春新書)と同じ人物である。まず、フェイスブックの生い立ちが書いてあるが、私はまだ映画の「ソーシャル・ネットワーク」を見ていないので、ここに書いてあることと映画がどこまで重複するかわからない。なぜ実名を使うかも書いてある。このフェイスブックはアメリカの大学にある社交クラブが原点で、排他的で同じアイビーの出身者やその友人でないとそのコミュニティには参加できないという。友達になれるのは同じ階層の人だけで、実はリアル社会の階層化をネットに移し替えているだけだという。
 最近日本でも、企業の採用担当者は応募者のフェイスブックの足跡を追跡しているという。就活学生などは、フェイスブックをやるなら、悪ふざけはやめてまじめにやるしかない。アメリカには、ソーシャル・インテリジェンスという会社があり、企業から依頼があると、ある特定の人物のフェイスブックやツイッター、ユーチューブ、ブログなどウェブ上にある情報をすべて調べて、履歴書ではなく、本当の人物像に関するレポートを48時間以内に提供している。アメリカでは、ネット検索による未来予測は、今後の成長市場だと言われている。ある企業や社員の未来の行動を、ソーシャル・ネットワークでモニターし、未来の出来事や行動を予測するのである。例えば、ローン会社は借り主の動向をフェイスブックで監視し、返済が滞れば担保に取れそうな資産を探しあてる。
 著者によれば、アメリカの知的エリートの特徴として、自分は世界をよりよき方向に変えるために生まれてきたと考える傾向があるという。ザックバーグCEOは、共和制ローマ帝国を理想としている。アメリカ東部の名門スクールでは今でもラテン語を教えている。なぜなら、ラテン語はヨーロッパ教養の原点であり、ラテン文学を読むことで、この世界に対する見方、世界観を作ってくれるからである。ザックバーグが熱心に読んだ本は、「アエネーイス」である。フェイスブックが目指すのは、バーチャル空間において、ローマ人のような一種のコスモポリタンを作り出し、彼らが自由に交流することである。他にも、グーグルや電子書籍のことも書いてあり、最後までびっくりするほどためになる内容である。まだ出たばかりであるが、1度は目に通しておくべき本である。

 

平成24年4月3日(火)

 4月になって新しい年が始まった。娘はきのうが大学の入学式であった。ここでも何回も書いているが、正月と4月と誕生日が1年の中で新たな出発点となる。これまでの過去をリセットして、心を入れ替えて新たな人生にチャレンジするいい機会である。開業してからは、私にとっては4月はあまり大きな意味はない。若かった頃のように、転勤したり、部下が変わったりすることもない。5月に誕生日が来るので、この時の方が老後のことなどいやでも考えさせられる。来年の5月にはいつの間にか60歳になるので、残りの人生を考え直すにはいい機会である。患者さんには、開業したら定年がないと言われるが、体力も気力も充実して、永遠に人生が続くわけではない。
 私にとってこの4月は、NHKの語学講座が新たに始まる月である。残りの人生が少なくなってきたので、中国語はあきらめて、英語だけもっとブラッシュ・アップしようかと考えた。しかし、中国はあちこち旅行してみたいので、最低限の日常会話だけは身につけたい。欲張りであるが、英語もTOEIC900点を目指して、人生最後のチャレンジである。これまでの最高点は、平成16年5月23日に受けた865点である。もっと若い時に、ある英会話学校で、TOEICのクラス分けのために、その場で私1人初めての模擬試験を受けたことがある。この時は900点を超えていて、はいるクラスがないと断られている。最近は受けていないのでよくわからないが、1回目から900点を超えていた患者さんが難しくなったと話していた。
 いつも心を入れ替えてチャレンジする中国語であるが、何とか本気モードで今年こそ始めたい。実はきのうから、NHKラジオで「まいにち中国語」が始まっている。今年から新たな決意で、ソニーのポータブルラジオレコーダーを買って、番組を録音することにした。きのうはタイマーを使い、メモリーカードに録音したと思ったら、何も録音できていなかった。もしかしたら、本体に録音してしまったのかもしれない。第1日目からつまづいているが、私は焦っていない。なぜかというと、いつの間にかインターネットで番組が聴けるようになったからである。NHKネットラジオ「らじる★らじる」が始まっていた。超驚録というソフトを使ってパソコンで録音できるかと思ったら、うまくできなかった。有料でダウンロードできるようにしているので、録音は無理かもしれない。そのかわり、ヘッドホン用の音声出力からMP3レコーダーにコードでつないだら大丈夫である。私は講演会用に安いサンヨーのMP3レコーダーを持っている。試してみたら、ライン入力できれいに録音ができた。こんなことなら、ポータブルラジオレコーダーは必要なかったかもしれない。
 今往診から帰ってきたが、とんでもない強風とどしゃ降り雨で全身びしょ濡れになった。午後2時半前ぐらいであったが、いつものように路上パーキングのチケットを買い、フロントガラスに貼った。数百メートル離れた患者さんのアパートに向かっていた時に、突然突風が吹き、傘がぺしゃんこになった。すぐに雨が降り出し、強風で一歩も進めず、何も見えなくなった。電柱からトランスみたいな物が落ちてきた。カツラをつけていたら、間違いなくふっとんでいただろう。どこかで鳥の巣か何かを見つけて、頭の上に乗せて帰ってくるしかない。破れた傘を何とか広げて、必死でアパートにたどり着いた。頭のてっぺんからからつま先まで全身びしょ濡れである。患者さんの家でしばらく雨宿りさせてもらった。医院に帰ってからは、洗濯できる物は洗濯し、風呂にはいって頭を洗い、びしょ濡れになった冬物の上着と靴は洗い物と一緒に浴室の乾燥機で乾燥させることにした。今は午後4時半になったが、先ほどの春の嵐が信じられないほど明るい日差しが射している。
 さて、3月に中国で読み終えてきた本である。八代尚宏「新自由主義の復権」(中公新書)である。新自由主義とは、ノーベル経済学賞を受賞したフリードマンに代表される理論である。ハイエク、ベッカーなども含まれる。日本では、「市場原理主義」という明確に定義されていない概念としばしば同一視され、所得格差を拡大させた主因として非難の対象となっている。世界金融危機を引き起こした元凶とも考えられているが、この本ではその誤解を解き、日本経済再生のビジョンを示している。私は経済についてはまったくの素人であるが、この日記では最初から最後まですべて引用したいぐらいわかりやすい言葉で解説されている。経済学者の中にはこの本とは異なった意見を持つ人もいるかもしれない。しかし、自分の専門領域以外のことを無知で批判することほど恥ずかしいことはないとつくづく思った。一部疑問を持った記載もあるが、私は概ね著者の意見には賛成である。「小泉改革」のことを、「郵政民営化」というどうでもいいことしかやらなかったというTV解説者がいるが、この本を読んでいて、本当にわかっていて言っているのか、頭が悪くて言っているのかわからなくなった。
 簡単に説明すると、巨大な郵便貯金や簡易生命で集められたお金が、政府の財政投資出運用され、民間企業に向かうはずの資金が官の事業にシフトさせられ、金融市場の歪みを生む要因となっていた。野放図な国債発行を手助けし、社会的効率性の低下した公共投資に向けられていた。また、巨大国営銀行として郵便局は、法人税、消費税、固定資産税などの税金が免除され、民間金融機関と比べ著しく不公平な競争となっていた。銀行法も適用されず、金融庁の監査もはいらず、身内の甘い監査だけである。このまま放置すれば、第二の国鉄となって、将来の国民負担増につながるリスクが高かった。
 フリードマンに代表される新自由主義思想では、弱者切り捨てではなく、その社会復帰を促す「福祉制度の効率化」も大きなテーマにしている。たとえば、現在の日本では生活保護を受ける人が多くなっているが、「給付付き税額控除」といい、就業して得た所得の半分の生活保護費を減らす「負の所得税」構想をフリードマンは1960年代に提案している。この本では、面白いことが随所に書かれている。ハイエクは、労働組合について「市場への最大の脅威は個々の企業の利己主義ではなく、組織された集団の利己主義である」と述べている。派遣法の規制緩和は、ILOが労働者保護のために、不安定であっても雇用機会を増やすことが必要と認識したことに基づいている。所得格差の拡大も、人口の高齢化に伴う家計構成比の変化が主因である。
 今後の日本についての対策も提案している。規制に守られた農業やサービス業などの内需型産業の改革が進まないので、外需が落ち込んだときの下支え役を果たせないという。民間ビジネスを制約をしている規制の緩和、撤廃で新しい商品やサービスが生まれれば、財政投資なしで消費や投資需要を生み出せる可能性が高い。これまでは、全国画一的な行政への信仰が強かった。しかし、人口減少と高齢化が進むわが国では、医療や介護などの社会的サービスが維持できるように、一定地域に集住するコンパクト・シティ政策が必要となる。社会保障改革についても書かれ、2023年に65歳以上が3割を占める日本では、減少する勤労者ではなく、豊かな高齢者が貧しい高齢者を扶養する「世代内の所得再配分」を基本にしなければならないという。現在の生活保護受給者の3分の2が無年金者である。現在は、免除者を除くと、きちんと納付している人は50%を割り込んでいる。現在の国民年金の方式は欠陥だらけで、年金目的消費税方式なら、40年間国内に住んでいただけで保険料を負担していたとみなすことができるという。この本では、「ウソはつかずに誤解させる」官僚のテクニックで、世論が操作されることについても触れている。
 他にも、雇用格差を縮小する方法についても書かれている。高度成長期が終わった現在では、年功賃金制度も、中高齢者が若年者を搾取する不公平な制度だという。構造的には、現在の年金制度と変わりない。最後に、私の関係する医療について簡単に紹介しておく。今年の4月から2年に1回ある診療報酬の改訂があった。日本医師会では、小泉政権と竹中平蔵は診療報酬で初めてマイナス改訂をした政権ということで、今でも厳しい非難の対象となっている。(正直言って、ぼろくそである) 日本の医療費はGDPに対する比率は8.5%と、米国の16%、フランスやドイツの11%と比べれば低い。しかし、世界トップレベルの平均寿命を維持していると日本の医療の高さを医師会などは誇る。著者によれば、これは「警察にかける費用が少ないのに、米国より犯罪が少ないのは日本の警察が優秀だから」というのと同じだという。犯罪率が低いので警察官の数も少なくてすむように、日本人の肥満度はアメリカ人の10分の1にとどまっているからである。高齢比率が2050年には40%に達するという。このまま医療費がどんどんと増大して、患者と医者の自由放任主義がいつまでも続くとは思われない。かっては、日本と同じように自由放任主義であった欧米では、とっくの昔に何らかの制限がかけられている。この本で書かれていることは、私が前から言っていることと同じである。どこの医療機関にも自由にアクセスでき、同じ検査を何回でも受けられ、医者も自由に好きな科を選んで、どこでも開業できる。家庭医、専門医、病院の機能をきちんと分化しないと、いくら予算を増やしても、医学部の定員を増やしても問題は解決されない。この本でも、家庭医からの紹介なしでは病院を受診することはできないように制限し、病院は入院治療だけで採算がとれるように、診療報酬を上げることを提案している。

 

平成24年3月27日(火)

 この前の日曜日に家内と娘がハワイから帰ってきた。この間の息子の夕食は、私と一緒に外食である。学生時代は自炊もしていたが、仕事をしていると、なかなか息子の夕食の分までは作っている暇はない。そのかわり、医院にいる月曜日から土曜日の昼食は、ほとんど自炊である。うどんかそばを自分でゆがき、ゆで卵を作り、ネギを刻んで食べている。毎回これではあきるので、たまにコンビニでパンを買う。しかし、これも少なくなった。油断をしていたらまた体重が増えてきたので、時々ダイエット・クッキーだけにしたりする。後3kgぐらい減量しなければならない。患者さんの話を聞いていると、定年後、夫の食事の世話が大変だと訴える女の人は少なくない。夫は外食嫌いで、毎日朝、昼、晩と3回用意しなければならず、味にもうるさいという。この話は前にも書いたかどうか忘れてしまったが、海外に10日ほど短期の語学留学をした女の人がいる。理解のある旦那さんだと思っていたら、食事を10日分すべて作って冷凍庫に入れて行ったという。家内は娘の引っ越しでまた5日ほど留守をする。息子とは外食であるが、ふだんゆっくりと話している暇がないので、いい機会だと思っている。
 夫の定年退職後、夫婦問題で私の医院に受診した患者さんがいる。「婦人公論」を読んでいたら、今流行の「断捨離(ダンシャリ)」のことが載っていたという。「断捨離」とは、人生や日常生活に不要なモノを断ったり、捨て去ることである。アンケート調査で、1番まっ先に捨てたいものに、夫が挙げられていたという。ついでに、いつか書こうと思っていた「週刊現代」の記事にも触れておく。ふだんはめったに読まない「週刊現代」であるが、どこも休刊で、読む雑誌がなくて去年の盆休みに買った本である。林真理子と紫門ふみが「夫の秘密を知ったとき」で特別対談をしている。2人とも名前は知っているが、実際に書いたものは読んだことはない。林真理子については、ゴーストライターとして活躍していたと聞いたことはある。(調べて見たら、コピーライターの間違いでした) 紫門ふみの夫は、「課長島耕作」で有名な漫画家の弘兼憲史である。夫が渡辺淳一との対談で、「僕は60代になっても性欲は衰えない」と話をしていて、妻にとっては「初耳だった」という。林真理子の夫は大変で、家ではいつも怒鳴り散らし、できるだけ機嫌を損ねないように気を使っているという。小説の「不機嫌な果実」というのは、夫のことである。いつも行っているしゃぶしゃぶの店に友人と行ったら、店長が出てきて、家族で来た時に夫があまりにも不機嫌だったので、「何か落ち度があったかと心配していた」と言われたぐらいである。これは、私の医院で取っている「週刊文春」の少し前の「私の読書日記」に載っていた内容である。立花隆が何冊かの本を紹介していて、西舘好子「表裏井上ひさし協奏曲」(牧野出版)を書評していた。西舘好子とは、井上ひさしの元妻で、劇団員と浮気して夫とは離婚している。この本では、井上ひさしが肋骨が折れるほど日常的に妻に暴力をふるっていたことが暴露されている。
 親子関係や夫婦関係は、皇室でさえ複雑な問題を抱えている。私は以前から、高齢出産に対しては反対である。アラフォーで子どもを産むなんて、無謀である。なぜこんなことが言えるのかというと、私がそうであるからである。私はこの5月で59歳になるが、この年齢には達している人はまだ少ない。当時晩婚と言っても、結婚したのは妻が33歳、私が38歳の時である。芸能人などは50歳、60歳で子どもを作るが、子どもが小学生になったら、子どもが大変である。「あれはお前のおじいさんか」とか、友達にからかわれたりする。たとえからかわれなくても、思春期にはいると、他人とは違う自分を受けいれることが難しくなる。経済的には、前から書いているように大変である。息子は今度高3になるが、医学部に行くようなら、浪人も含めてまだ8〜9年面倒をみなければならない。それと、最近気づいたことだが、年を取ると、子どもの反抗期も大変である。私は精神科医として、子どもの成長にとって反抗期は必要だと思っている。しかし、年齢とともに段々と仕事に責任が出てきて、生きるか死ぬかぐらいの苦労している時に、あまりにも子どもの反抗期が強すぎると、精神的にはかなりこたえる。たまには、家族で旅行したり、おいしい物を食べたいと思っても、どこにも行けない。反抗期の対象が父親だけの場合は、複雑である。7年も8年も続いて、いくら反抗期が終わったからと言っても、心情的にはそう簡単には許せない。私はまだ財産分与する余裕はあるので、家内とは老後お互いにストレスにならないように過ごしたいと思っている。先ほどの対談で、林真理子は、夫から別れてくれと言われたら、すぐに判子をつくと述べている。
 この前の日曜日は、東山医師会定時総会があった。東山医師会の平成23年度の庶務や事業報告があり、出歳入決算の承認もする。内容としては、正直言ってあまり面白くない。しかし、会員としては、委任状がいるほど重要な集まりである。私は今は東山医師会の仕事は何もしていないので、役員の先生方は本当にご苦労さんである。今年の4月から介護認定委員会の仕事をまた頼まれるかと思ったが、今回は何も依頼はなかった。同じ東山医師会に京都府医師会の副会長がいるので、今度の日本医師会の会長選のことで解説があった。現在3人立候補していて、京都府医師会からも出ている。話を聞いていたら、内部事情は複雑でかなりドロドロしている。各都道府県の医師会長は、出張費などを除いてほとんど無給である。しかし、日本医師会の会長の給与は5000万円ぐらいと聞いたことはある。懇親会では、楽しく過ごすことができたが、ビールなどを飲みすぎた。きのうは、その分外来が辛かった。きょうも気分が乗らず、ビールを飲みながらこの日記を書いている。この前の日記で、八代尚宏「新自由主義の復権」(中公新書)を紹介すると書いたが、きょうは飲み過ぎたのでまた次回に譲る。読んでから時間がたつと、内容がうろ覚えになり、後にまわせばまわすほど書くのが大変である。その代わり、今週ツタヤで借りてきたビデオについて書いておく。去年のキネマ旬報ベストテンで、外国映画で1位に選ばれた映画である。題名は「ゴーストライター」である。内容は思ったより地味で、それほど絶賛するほどでもなかった。私に映画を見る目がないのかもしれないが、ロマン・ポランスキー監督ということで、かなりおまけがはいっていたのかもしれない。

 

平成24年3月20日(火)

 20日は夜11時過ぎに医院に帰ってきたので、この日記の更新が1日遅れた。実はこの連休は月曜日を休診にして、香港、マカオ、中国と旅行に出かけていた。土曜日は夜6時半出発の飛行機で関空から香港に行った。到着は現地時間の夜10時前である。フェリーでマカオに渡るつもりであったが、この時間帯になると空港から直接出ていない。一旦香港に入国し、信徳まで地下鉄で行かなければならない。ここからは24時間マカオまでフェリーが出ている。実は少し前までマカオまで直接飛んでいたマカオ航空は、今は土曜日の便はない。帰りになる火曜日は以前から飛行していなかった。土曜日で大勢の観光客がいて、入国手続きに1時間以上かかった。香港も観光に力を入れるつもりなら、係員を増やすなりもうちょっと迅速に対応すべきである。今回も珠海からマカオに戻る時も出国と入国手続きに2時間近くかかった。ここはすべての出入国カウンターを使っているので、パンク寸前である。自国民に対する1国2制度はわかるが、外国人は関係ないので、もっと手続きを簡素化して欲しい。
 今回このルートを使ってマカオに入国するのは初めてである。何でも経験だと思ったが、最初はどこから地下鉄に乗るのかよくわからない。空港の案内係に聞いて乗り場に着いたが、今度は搭乗券の自動販売機の使い方がわからない。100香港ドルを入れようとするが、どうやっても入らない。あきらめかけていたら、他の乗客がパネルをタッチして行き先を選んでから、お金を入れていた。わかりにくいタッチパネルで、そういう構造になっているとはまったく気づかなかった。地下鉄で香港駅まで行き、そこから信徳までどうやって乗り継ぐのか、これもよくわからなかった。本のわずかな距離であったので、ここからはタクシーを使った。フェリーは一晩中1時間ごとに出ている。私の乗ったフェリーは夜中の0時半出発である。エコノミーで運賃は200ドル弱であった。いつの間にか円安になっていて、香港ドルは1ドル11円ぐらいである。こんな真夜中なのに、フェリーは満員であった。意外にも、怪しい人ばかりではなく、普通の日本人の観光客も乗っていた。片道1時間となっていたが、着いたのは夜中の2時である。
 マカオのフェリーターミナルには小さな旅行代理店が3軒ほど開いていた。私はこの日のホテルは決めていなかったが、聞いてみると、どこも満杯で、1400ドル近くのホテルが空いているという。土曜日は混むことは知っていたが、本の一眠りをするだけでいい。月曜日のホテルはネットで予約していたが、朝食付きで850ドルぐらいである。いくら何でも高すぎる。とりあえず、予約した同じホテルに行くことにした。ところが、こんな夜中にタクシーは走っていない。通りがかった普通車の人が50ドルで送ってくれるという。仕方ないので、中心部のホテルまでこの料金で送ってもらった。ところが、このホテルでは満杯と断られてしまった。夜中の2時半で、どこに泊まったらいいのかわからない。近くの安い中国人用の旅館みたいな所もあたってみたが、どこも満杯である。「客満」という看板がかかっている。道端で寝るわけにもいかない。仕方ないので、またタクシーでフェリーターミナルまで戻った。市内の中心部ではタクシーをつかまえるのは困らない。結局、1350ドルでフェリーターミナルの近くのホテルを紹介してもらった。こんなことなら、自分で直接ホテルまで歩いた方がもっと安かったかもしれない。
 次の日は珠海ではなく、別の中国国内で泊まった。1泊150元であった。(1元は約13円) 帰りの火曜日は、最初に書いたように、マカオからの直通便はない。香港の国際空港までのフェリーには大勢の日本人が乗っていた。いつも航空券は前もって予約するが、今回はキャンセルしたかったぐらい気分が乗らなかった。いつも連休の時にしか行けないので、とりあえずかなり早めに予約は取っておく。最近は旅行していても、以前のようなわくわく感はなくなった。しかし、何でもそうであるが、そう簡単に趣味は変えられない。マンネリ化しても、他にやることがないので、ついつい同じ趣味に固執してしまう。患者さんの中にコアな鉄道マニアの人がいて、昭和36年〜43年に作られた列車に乗るのを生き甲斐としている。この時代に作られた列車は国鉄全盛時代のものである。まだ、日本のどこかで走っているらしく、段々と廃車になっていく分、それに乗るのがマニアの心をくすぐる。毎日走っているわけでなく、1週間に1回ぐらいなので、その日を予測して行くのも、また趣味の醍醐味である。しかし、すべての列車が廃車になったら、代わりの趣味が見つけられるか疑問である。こだわりが強かった分、いくら鉄道に関係したことでも、なかなか他のことでは満足できない。山の写真にこだわって撮り続けていた患者さんは、、山に登れなくなってからは二度とカメラを持つことはない。
 海外旅行も、日本人が誰も行かないような所に1人で行くのが、私の趣味である。国が発達して、日本人観光客が増えてくると、もうその国に行く気がしなくなる。南の島も同じである。年齢とともに、昔のように「何でも見てやろう、聞いてやろう」という意欲が薄れてきた。もう年なので、もっとリラックスして世界の観光地に行って豪華ホテルに泊まったらという考えもある。しかし、これまで私なりのこだわりの旅をしてきたので、なかなか簡単には切り替えができない。かといって、昔のようにあまり無茶な冒険もできない。前にも書いたが、最近海外に出かけるのは、ウォークマンに入れた映画見たり、音楽を聞いたり、新しく買った旅行カバンを使うためで、ゆっくりと本を読むためでもある。今回は、YouTubeで見つけた何十本というスイスのゴシック・バンドである「Lacrimosa」の動画ばかり見ていた。こんなことは日本でもできるが、なかなかゆっくりと楽しんでいる暇はない。いろいろなしがらみから逃れて、不便さの中でその価値が発揮できるのは、私にとっては海外ぐらいしかない。ビールも日本で飲めるが、南の島で飲むビールは格別である。
 さて、今回の旅行では途中まで読みかけていた本を2冊持って行った。この日記も旅行中にほとんど書くつもりであった。しかし、なかなか思い通りにいかず、本は何とか1冊読み終えたぐらいである。この日記も水曜日の朝に書き始めている。連休明けだったので、さすがに外来患者さんは多かった。なんとかここまで書き上げたが、今は夜の10時過ぎである。読み終えた本は、八代尚宏「新自由主義の復権」(中公新書)である。「週刊ダイアモンド」2011年ベスト経済書で第2位に選ばれた本である。帯には、「最も嫌われる経済思想」の逆襲と書かれている。副題には、日本経済はなぜ停滞しているのかとついている。医療についても書かれているが、医者以上によく知り尽くした内容である。是非ともきょう紹介したかったが、もう遅いので来週にその内容を詳しく書きたいと思う。

 

平成24年3月13日(火)

 車でまた医院に通い出したら、すごく便利である。朝は早いので、自宅から医院の近くの駐車場まで10分もかからない。往診しなければならない患者さんが少しずつ増えてきたが、すべて車である。今はどこにでも近くにコインパーキングがあるので、駐車するのに困ることはない。娘が東京の大学に行くことが決まって、家具からすべて取りそろえなければならない。1年目だけはキャンパスは横浜である。大半は現地でそろえるが、どうしてもこちらから送らなければならない物もある。引っ越し屋に頼むほど荷物は多くはないので、私が車で運ぼうかと思ったりする。それぐらい、車に乗るのがまた楽しくなってきた。先週の木曜日は、車の定期点検があった。今乗っているプログレは11年目になるので、ディーラーは新車を盛んに勧める。とりあえず、5月に出る新しいDVDのナビだけ交換することにした。子ども1人東京の私立大学に行かせるだけでも、びっくりするほどお金がかかる。家賃も高い。まだ息子が控えているので、とってもでないが、新車に買い換える余裕はない。
 この前の日曜日は、いつものように今月中に書かなければならない自立支援医療用の診断書を書いていた。新規の患者さんも増えており、障害者手帳用の診断書なども書いていたら、6〜7時間かかった。3階の部屋に置いてあった電子レンジを台所のある2階に移動したり、医院の中の荷物の整理をしていたら、もうこの日は終わりである。なかなかゆっくりとしている暇はない。娘用のノート・パソコンを買うつもりであったが、何でもいいというので、私が自分用に買ったばかりのあまり使っていないパナソニックのノート・パソコンをやることにした。Windows7で、ワードやエクセルなどの最低限必要なソフトだけ入れた。医院で使っているパソコンはXPであるが、AVCHDのハイビジョンの動画が扱えないのが唯一欠点である。娘は来週から家内とハワイに行くので、デジカメも買ってやらなければならない。デジカメについては何の知識もない娘には、今週の金曜日に発売になるソニーのサイバーショットで十分である。携帯電話からiPhoneに買い換えたいと言うが、6月ぐらいには新しい機種が出るという噂もあるので、それまで待ってもらうことにした。
 毎月1回労災の判定会議があるが、3月予定のきのうは開催されなかった。労災の認定基準が変更になり、今度から会議のやり方も変わった。最近は労災申請が増え、平成10年に全国で42件だけだったのが、平成22年には1181件まで増えている。審査する地方労災医員の負担を減らし、判定の迅速化を進めるために、簡単な事案については労災補償課でスクリーニングし、分担で各医員が検討することになった。これまで判定結果が出るまでに、かなりの時間を要していた。精神科関係の労災については、仕事中の怪我とは違い、申請する人にはわかりづらいかもしれない。実際には、専門家が見て、明らかに労災に該当しないと簡単に判定できるケースも少なくない。判断が難しいケースがある時には、これまでのように判定会議を開く。今月のように会議が開かれないのは楽である。私の任期は後1年残っているが、この4月からは女性の労災医員も増やすことになった。セクハラなどの労災申請が増えてきているので、女医さんの協力も必要である。最近は女医さんが増えているので、簡単に引き受けてくれるかと思ったが、他の先生に聞くとそうでもないようである。どうしても小さい子どもがいる先生は、負担になる院外の仕事は避けるようである。
 さて、最後に今読み終えた本の紹介である。途中まで読み散らかした本は山ほどあるが、この日記では原則的に最後まで読んだ本を紹介している。きょうはあまり書くことがなかったので、とりあえず途中まで読んでいたこの本を読み終えた。きょうの日記の更新が遅くなったのは、この本を読んでいたからである。最近あちこちの本屋で見かける、渡邉正裕「10年後に食える仕事 食えない仕事」(東洋経済)である。私はこの5月に59歳になるので、言葉の表現としては悪いが、このまま開業医として逃げ切るつもりである。私なんかが読むより、これから職業選びする大学生には推薦の書である。40代、50代でもこの本は参考になるが、労働市場の流動性(転職の機会)がまだ少ない日本社会では、若ければ若いほど役に立つ。
 この本では現在の職業を大きく4つに分けて、今後の10年間の将来を予測している。@重力の世界 A無国籍ジャンル Bジャパンプレミアム Cグローカルである。@の重力の世界とは、IT化で海外に移転したり、外国人に置き換わっていく職業である。例えば、コールセンターは、大連の中国人が日本語で対応するようになる。単純な財務業務もインドや中国で安く委託できる。大企業の工場労働者も付加価値の低い職業である。これから市場開放が予測されるミャンマーでは、工場を建てたら1ヶ月20ドルで工員を雇える。Aの無国籍ジャンルというのは、特殊な能力を持っている人だけが、世界を相手に生き残れる職業である。サッカーの選手やアーティストなど、一般の人には敷居が高い職業である。Bジャパンプレミアムというのは、日本人メリット(日本で生まれ育っていないと身につけづらい特殊性)があり、その特徴を生かした職業である。中国人やインド人は会社に対する忠誠心もなく、個人主義が強い。日本人ならではの高いサービス精神や職人気質、チームワークが活かせる職業を指し、同じ日本人として信頼感を活用した対面サービスなども含まれる。日本企業のメリットは、技術を組織(チーム)として蓄積し、継承していくことである。中国で日本料理店を開いても、「差不多」(大体同じ)で、味がどんどん変わっていくという。Cグローカルとは、グローバルとローカルの合成語で、地球規模の視野で考え、地域視点で行動することを意味する。この本では、日本人メリットを活かし、高付加価値のスキルを身につけ、外国人労働者が参入できない領域の職業を意味している。例えば、高付加価値の開発者として、「マイコン」や「システムLSI」を挙げている。複数のチームを率いて全体を組み立てるのは、中国人やインド人では無理である。マーケッティングのプロと人事のプロも日本人メリットとして生き残れる職業である。
 中国やインドに進出した日本の企業のことも書かれているが、その逆も同じである。商習慣や雇用習慣は国によって異なるため、現場のトップは現地人でないと成功しない。インドでは幹部クラスの年俸は毎年20%ぐらい上がるのが普通だという。その分、解雇規制が緩く、2ヶ月分の給与で簡単に解雇できる。このような人事のマネジメントは日本人では難しく、結局インド人の社長を雇うしかないという。中国でも同じである。現場の人事部長は中国人、それも党員でないと人事管理が難しい。楽天が百度(パイドゥ)と組んで中国に進出したが、まだ成功していない。その理由は、まずクレジットカードが通用しなく、チャット機能などで金額交渉をしてくる。日本の感覚で作ったサイトも、日本の商習慣やカルチャーを共有していないマーケットでは通用しない。最後に、パナソニックのプラズマTV工場の失敗やリチウムイオン電池や太陽光パネルの暗い将来などから、生き馬の目を抜くグローバル競争をしている民間企業でさえ2年後のことがわからないのだから、政治家や官僚に先が見通せるはずがないと断言している。この断言が嘘でないことが理解できるほど、説得力のある本である。

 

平成24年3月6日(火)

 毎年3月は親から借りたお金を返したり、何かとお金がいる。開業する時に、親の老後のお金を3千万円借り、10年返済で今年が最後である。後300万円ちょっと返したら終わりである。両親は来年からでも、まだ差し迫って経済的な援助は必用がないようである。今年は娘が東京の私立大学に合格したので、どうしてもお金が足りなかった。とりあえず、1500万円の定期を解約して1000万円の定期にした。1500万円を1年間預けても、利子は5千円にもならない。これからは毎月仕送りがいるので、積み立て貯金も減らすことにした。息子も高3になり、2人の子どもの教育費が本格的にかかる。しかし、よく考えてみたら、来年から親に借りたお金を返さなくて済むので、今までのように300万円を来年3月まで蓄えておく必要はない。
 最近、警察から逮捕された被疑者や留置人の薬の処方を頼まれることが多くなった。逮捕されると、これまで服用していた薬を留置場に持ち込むことはできない。新たに、税金で薬を出すことになる。私は京都府警には、昔覚醒剤中毒の調査でお世話になったので、なるべく協力するようにしている。しかし、前にも書いたように大変な人が多く、こちらの専門医としてのプライドがズタズタに引き裂かれる。精神安定剤や睡眠導入薬の中毒みたいな人が多く、こちらの説得にはまったく応じない。デパスなどの精神安定剤やエリミンなどの睡眠導入薬を山のように要求する。抗精神病薬であるヒルナミンなどを処方しようとすると、身体に合わないと言って、拒否である。精神病院ではいくら患者さんが拒否しても、治療のために無理やり服用させることができる。しかし、警察署内の留置場では、夜中にドアを蹴ったり暴れたりすると、他の留置人が眠れなくなり苦情が出る。特に覚醒剤の使用で逮捕された人は、覚醒剤が切れていらいらが頂点に達している。そもそもこんな人を留置場で治療するなんて無理がある。中には、興奮して血だらけになるほど壁を叩く人もいる。
 私は箸にも棒にもかからない覚醒剤中毒の人やアル中の人ばかり診ていたことがある。こんな患者さんばかり、2年も3年も診ていたら度胸もつく。私もまだ若かったので、組関係の人ともがんがんやり、木のイスで頭を叩き割られそうになったこともある。患者さんにはしょっちゅう脅されていたので、今では慣れっこである。精神科医の中には、覚醒剤中毒の患者さんなんて本格的に診たこともないという人も多い。それから比べたら、私の中には覚醒剤中毒の人に対する苦手意識はあまりない。それでも、無理難題をいう人には、切れそうになる。いらいらした時にリスパダール液を飲みたいという人がいて処方したが、何と1日10回も服用していた。こういう場合には、ベースとなる飲み薬を増やして、頓服の回数を減らす。ところが、説得には絶対に応じない。留置場を管理している警察官が困るので、しぶしぶ留置人の要求を飲むことも多い。中には、まだリタリンを出せという人もいる。無理な要求には応じないようにしているが、ふだんの外来では絶対に出さない処方でも出すことがある。先週は、私が処方した薬でも安定せず、午後からの休診の時に他の医院を受診した人がいる。ここで、あまりにも多い睡眠導入薬のことで説得されたが、再び夜に大学病院を受診している。留置場で「病院に連れて行け」と騒ぎ出したら、警察もどうしようもない。帰りのパトカーの中で暴れ、翌日私の医院をまた受診した。この人の処方は注文が多く、ベテランの私でもどうしたらいいのか本当に困った。こんな人を預かる警察官の仕事も大変である。
 先週の土曜日は娘を連れて、池田の妹の所に行った。娘は私とはあまり話さないが、さすがに学費や仕送りのお金は私が出すので、これまでのように無視はできない。車の中で話をしていたが、特に反抗的でもなかった。実はカルフォルニアのサクラメントに住んでいる1歳下の妹がインド人の夫と一緒に母親に所に来ていた。ニュージーランドに行った帰りで、日本の滞在はわずか4日間である。上の妹は前にも書いたように、カルフォルニア州の州職員で、毎月5200ドルもらっていた。ところが、現在州政府が赤字で、15%の給与カットである。毎月1週間休めるが、休まなかった分は3か月分まで給与として貯めることができるらしい。池田の妹の家族と上の妹夫婦、母親とふぐ料理店に行った。インド人の夫は、エンジニアとして働いているが、1番のストレスは自分の上司だという。アメリカは日本より上司の権限が強いので、日本以上にごますりが多いと言われている。私は長いこと教授や院長に対してはイエスマンに徹していた。もうこの年になったので、今は好き放題言わせてもらおうと思っている。池田の妹には、母親を温泉に連れて行ってもらったりして、本当に頭が上がらない。
 この日は私だけ母親の所に泊まった。サクラメントの妹夫婦も泊まっていたが、日曜日に関西空港からサンフランシスコまで帰るという。地図で調べたら、サンフランシスコからサクラメントまでは近い。娘が家内と3月にハワイに遊びに行くというが、関西空港から直通便があるようである。ロサンゼルスだけ直通便がないので不便である。私がこの日に母親の所に泊まったのは、翌日の午後から神戸で日本精神神経学会の指導医講習会があったからである。学会から更新の案内があったので、あまり深く考えず講習会に申し込んでしまった。ところが、会場で会う先生ごとに、開業していたら指導医の資格は必要ないと言われてしまった。私は指導医を取っていたら、自分が病気した時など臨時で手伝いに来てもらえる先生に便利だろうと思っていたが、そうでもなかった。この講演会を聞いていたら、他の先生が言うとおり、本当に指導医の資格は必要なかった。指導医の資格と書いたが、他の学会とは違い、日本精神神経学会では資格ではなく役割である。指定された医療機関で、指導している時だけ指導医と名乗れる。だから、指定された医療機関以外で勤めている時には、指導医と名乗ることはできない。最後の講演で、指導医に関するQ&Aの時間が設けられていた。精神科専門医となるために、履修項目が細かく指定され、指導医が一つ一つチェックしていかなければならない。指導医とは無縁の世界にいたので、こんなことになっていたとは知らなかった。よほどのことがない限り、精神病院に常勤医として勤めることはないので、次回からは更新はやめようと思う。5500人近くも指導医がいるなんて、学会の規模から多すぎると思った。

 

平成24年2月28日(火)

 私立大学の合格発表がほぼ出そろった。私の娘は1浪して東京の私立文系学部に合格した。相変わらず、私には何も相談せず受験している。去年はあれほど志望していた大学を3学部も受けていたが、別の合格した大学に行くという。私は、すっかり去年落ちた志望校に行くものと思っていた。学費を納める時になって、今回初めて知った。インターネットで詳しく調べたら、私立大学の文学部系統では1番偏差値が高かった。英文科を志望しているが、各学科は2回生になって振り分けられるようである。運が悪かった時のことも考え、最悪のことも予想していたが、ひとまず安心である。それにしても、センター試験を受けなかったなんて、あまりにも無謀過ぎる。こんなことを書いたら娘に怒られそうであるが、去年の東日本大震災とこの大不況の影響で、例年より合格しやすかったかもしれない。去年も書いたが、就職浪人するぐらいなら、1年浪人してワンランク上の大学に入学する方がいい。
 息子はこの4月から高3である。今は医学部人気で私立大学も偏差値が飛び抜けて高くなっている。私は今は医者になって偉そうにしているが、実は私が医学部に入学した時(昭和48年)は、こんなにも入学が難しいことはなかった。私よりとんでもなく賢い人が、文学をやりたいとか天文学をやりたいとか言って、大勢他の専門学部に分散して行った。今は成績が良ければ、猫も杓子も医学部である。確かに、弁護士も公認会計士もだめになった現在では、医者が最も経済的に安定している。38歳で結婚して58歳になっても、これから2人の子どもを何とか大学に通わせることができる。ここでも何回も書いているが、私は43歳の時に本当に一文無しになった。バブルの時に買った自宅を売り払ったからである。あのまま勤務医を続けていたら、娘を東京にやることも息子を私立の医学部(合格するかまだわからないが)にやることもできなかっただろう。バブルという時代の巡り合わせで私は一文無しになったが、また時代の巡り合わせでこころの時代を迎え、開業して10年間は経済的に黄金時代を迎えることができた。これからは、精神科や心療内科で開業しても、成功するのは難しいかもしれない。
 娘は私に似て少し強迫的なところもあるが、こつこつと真面目に勉強するタイプである。私もやる時にはやるが、気分のむらが大きい。息子はサッカーゲームばかりしていて、本当に大丈夫かと心配になる時がある。頭がいいのか悪いのかまだよくわからないが、こつこつと真面目に勉強するタイプではない。中学受験の時も、最初から「姉ちゃんのように勉強できへんで」と宣言していたぐらいである。負け惜しみではないが、私は息子が医学部に入れなくてもいいと思っている。なぜなら、今の医学部以外の大学教授や企業の研究者の中にはまだとんでもない優秀な人が沢山残っているからである。私と同世代か少し下の世代である。優秀な指導者の元で、医学以外の道に進むのも決して悪くない。よほどのことがない限り、医学部を出ても、医者は勤務医か開業医で終わる。他の分野の方が、世界にチャレンジできる機会にまだ恵まれている。こういう時こそ、医学部以外のどこかに黄金の鉱脈が隠れている。最近よく言われていることであるが、学力的に優秀な人材を医学部で占めてしまうのは国力の衰退につながる。今は学生の学力低下が言われているが、そのうち教授のレベルも今より低下してくる。
  今年の正月休みに、たまたまサムイ島で1人のドイツ人と出会った。飛行機が空港でキャンセルになった時と翌日バンコクの空港で荷物を引き取る時に話す機会があった。偶然にも、京都のある企業に仕事で来ている人であった。日本は30年前のドイツと同じだという。日本の社会システムも今の医学部人気もかってドイツが経験してきたことだという。医学部を出たら自由に診療科を選べ、どこでも好きな場所で開業でき、患者さんもどこの病院にも自由に受診できる時代はそういつまでも続かない。関係のない話であるが、医学部のことが出たついでに書いておく。週間SPA!を読んでいたら、今世界の注目を集めているシリアのアサド大統領はロンドンに留学し、医師の免許を持っているという。
  先週の火曜日は早めにこの日記を書いてゆっくりしていた。ところが、夜9時に救急隊から医院に電話がかかってきた。私の患者さんが救急車を呼んで、病院に連れて行けと騒いでいるらしい。いろいろ訴えるがどこも悪くなさそうだと、救急隊の人もかんかんである。警察官も何人か出動していた。外来では、患者さんからこういうトラブルの武勇伝は聞いていたが、私の医院に直接電話がかかってきたのは今回が初めてである。今から私の医院に連れて行くというが、身体的訴えの人を連れてきてもらっても困る。なかなか難しい患者さんであるが、どこかぬけた所があり、日赤時代から私には親近感を持ってくれていた。仕方がないので、電話越しに話を聞くことにした。ところが、「納得がいかない」と言って、なかなか説得に応じてくれない。強い念力を送ってもだめである。私も納得がいかなかったが、今回はどうやっても逃げられないと思った。早速医院に来るように伝えた。この日は医院に泊まるつもりであったが、私は早寝である。いくら待っても来ず、もう来ないだろうと思って寝ることにした。しかし、10時45分ぐらいにピンポーンとドアホーンが鳴った。急いで着替えて出たが、付き添いの人と来ていた。電車を使って来るものだと思っていたら、自宅から歩いてきたという。頭を冷やすにはちょうどいい。5分ほど話をして、この日はおとなしく帰ってくれた。実はこの日の朝に診察に来ていたが、新患の患者さんで時間が長引いてしまい、あまり話を聞いてやることができなかった。いろいろあったことはわかっていた。
 確定申告の時期がやってきて、毎年のようにうんざりしながら資料をまとめ、先週の金曜日に税理士に送った。土曜日は午後から日本心身医学会の近畿地方会が大阪であった。会場は中之島で、私の医院からは京阪で直通である。専門医の更新のために今のうちに点数を稼いでおかなければならない。中之島に着いて、間違えて反対方向に行ってしまったので、会場にたどり着くのに30分以上もかかってしまった。おまけに、会場は10階で、エレベーターの正面に受付があり、他に降りる手段がなかった。さすがに、すぐに帰るわけにはいかない。臨床心理士などの参加も多く、内容的には精神科医には少し物足りない。日本精神神経学会と日本心身医学会の総会は2つとも5月にある。外来をそんなに休むわけにもいかず、どちらかを選ばないといけない。今年は鹿児島である日本心身医学会に参加しようと思う。日曜日は、日本精神神経学会の専門医の更新のために、2例の臨床経験レポートを書いていた。2月末が締め切りで、申請書を書いていたら、写真がいる。写真用プリント用紙が2枚ほど残っていたので、何とか助かった。受付の人の今月分の給与計算をしたり、相変わらず雑用が盛りだくさんであった。きょうは外来を休んで、東京まで行っていた。厚生労働省で、各都道府県の地方労災医員を集めて、「心理的負荷による精神障害の認定に関する研修会」があった。新しく労災の認定基準が変わったので、その講習会である。京都には夜8時前に着いたので、この日記の更新がいつもより遅れてしまった。

 

平成24年2月21日(火)

 最近はうつ病などで休職し、そのまま職場復帰できず、退職となってしまう患者さんもいる。ここでも何回も書いているが、職場に対する拒絶反応が強いと復職は難しい。上司にいじめられたなど職場の人間関係が契機になっている場合も少なくない。どの程度のいじめであったのか、職場の人に聞くわけにもいかないので、外来では客観的な評価はできにくい。長期の休職になればなるほど、会社に出す診断書や意見書の書き方には苦労する。一般的に、休養が長びくほど、書類が増えて労務不能の理由を詳しく書かなければならない。当初は典型的なうつ病であった患者さんでも、2年も3年も経ってくると、何が何だかわからなくなってくる。体調はかなり回復していても、「あの上司の声を聞いただけで、身体が震えてくる」とか、「職場の雰囲気に耐えられない」と訴えたりする。傷病手当などの意見書に、「上司の顔も見たくない」と書くわけにもいかない。毎回少しは書く内容を変えなければならず、退職になるまで毎月1回3年間も書かされると、書く方も大変である。会社の現場からは、精神科医は簡単に休養の診断書を書くという非難もあるが、書かされる方の苦労もわかって欲しい。
 1人暮らしの患者さんは、休養が長引いてきた時には、一旦実家に帰るのが望ましい。家族が生活のリズムを作ってくれるので、療養環境としては最適である。ところが、中には家庭の事情で実家に帰れない患者さんもいる。休職期間が長引いてくると、引きこもりの状態となり、昼夜逆転の生活となりがちである。今は勤務先に復職支援のプログラムを用意していなくても、医療機関や職業センターが代わりに提供してくれる。しかし、中にはこの復職支援のプログラムも拒む患者さんがいる。私がこれまで診てきた患者さんで1番困ったのは、職場の人間関係で疲れて、休養になった患者さんである。休養と服薬である程度改善したが、絶対に元の職場には戻れないという。職場に対する怒りや不満が渦巻いており、拒絶反応が強いのである。こういう場合、患者さんのわがままと断定するのは楽であるが、実際に拒絶反応が強すぎて復職できないのである。仮病ではなく、登校拒否の子どものように身体が反応してしまう。そんなにいやな会社ならやめたらいいと思うが、今は不況なので、会社をやめたら患者さんはすぐに路頭に迷う。最初から「あの職場に復帰するのは無理」と宣言されると、こちらも本当に困る。どこまで、ずっと休養の診断書や傷病手当の意見書を書かなければならないのか、こちらの方がノイローゼになりそうになる。
 さて、職場復帰ができず、退職となった患者さんである。 中には当然のように障害者年金の診断書を持ってくる患者さんもいる。しかし、傷病手当の意見書は労務不能の人が対象であるが、障害者年金の診断書は日常生活に支障がある人が対象である。いくら仕事ができないからと言って、風呂もはいれず、歯も磨けず、コンビニに食事も買いに行けない人は少ない。そういう人はそもそも外来にもなかなか1人では来れない。最初に書いたように、傷病手当の意見書に書くことがなくなってきた時には、患者さんに仕事ができないほど具合が悪いということを書かなければならないと伝えて、具体的な支障をきたしている出来事をこちらから聞いたりする。これまであまり答えてくれなかった患者さんが、障害者年金の診断書を持って来て、ずっと寝込んでいて何もできなかったと言われても、にわかには信用できない。
 自立支援医療の診断書や障害者手帳の診断書、傷病手当の意見書はそれほど厳密なものではない。しかし、障害者年金の診断書は患者さんが考える以上に厳密である。なぜかというと、本来は統合失調症や躁うつ病などの病気が対象となっていて、公的なお金が半永久的に出るからである。統合失調症や躁うつ病は現在の医学ではまだ一生の病という認識がある。うつ病は長引くことはあっても、治る病気である。生活保護と同じで、安易に認めてしまうと、更新時にもなかなか切れなくなってしまう。上には上がいて、統合失調症で精神病院に入院歴がある患者さんでも3級になってしまうことが少なくない。最近はうつ病でも2級や3級も認められるようになってきたが、誰が見てもかなり重症な患者さんである。実際に対象とならない患者さんには、障害年金の診断書を書くことを断っている。先週の火曜日は、この障害年金の診断書を書く、書かないで患者さんとかなりもめた。精神科医は傷病手当の意見書を簡単に書いてくれるので、障害年金の診断書も簡単に書いてくれるだろうと思ったら大間違いである。本当に重症と判断したら、患者さんが言いださなくてもこちらから書く。今回インターネットで、障害者年金(精神)のことを調べたら、「うつ病で2級を取る方法」などを有料で情報提供しているホームページもあった。うつ病では、なかなか書いてくれない精神科医が多いことも指摘していた。
 最近は睡眠導入薬を転売したり、なかなか復職できない患者さんもいて、難しい患者さんが多くなってきた。私が講演会で話していて、必ず受ける話題がある。これまでいろいろな所で講演をしてきたが、おばさん達は総じてノリがいい。軽い冗談でもどっと笑いが来る。堅い職業についている人ほど、ノリが悪い。しかし、こういう集団でも必ず笑ってくれる話題がある。何かというと、「最近は難しい患者さんが増えてきて、こっちの方がストレスが溜まる」と話すと、皆どっと来る。私も意外で驚くが、どうも一般の人は精神科医は何でもストレスを上手に解消して、悩み事がないように思っているらしい。坊さんが悟りを開いて、煩悩を捨て去り、何事も悩みがないと思っているのと同じである。ここでも何回も書いているが、社会が矛盾を抱えていて、個人が社会の矛盾から逃れて生きることは難しい。私はプロとして忍耐強くはなっているが、あまり我慢大会になってもよくない。精神科医は魔法使いではないので、何でも解決できるわけではない。この矛盾だらけの社会の中で、患者さんとともにどういう風に生きて行ったらよいのか一緒に考えていくしかない。
 先週の土曜日は、ある精神病院が主催する病診連携の懇話会があった。クリニックや総合病院の医師とこの精神病院の医師との親睦会みたいなものである。先週にも書いたように、私の医院で診察している患者さんが具合悪くなった時には、こういう病院にお願いして入院させてもらっている。懇親会の前に特別講演があり、演者は最近この病院に副院長として就任してきた先生である。演題は、「北海道の精神科事情」である。卒業年度は私より3年上の先生で、出身は京都である。北海道大学を出て、直前まで札幌医大保健医療学部の教授をしていた。今は地方の医療過疎が問題となっているが、北海道は想像を絶する状態である。特に精神科は壊滅状態である。過疎地では、この日記でもとりあげたケニア並みである。ほとんどの精神科医は札幌周辺と旭川などの大都市に集中している。教授と言えども、週の大半は北海道内の病院の精神科を廻っている。紋別の病院には、札幌から4〜5時間かけて行き、朝の外来は4時間で100人診察して、その後また100km離れた別の病院に行く。冬は雪に閉ざされ、たどりつくのが大変である。ある講演会に呼ばれ、大雪の中を必死でたどり着いたら、会場には誰も来ていなかったこともあるという。紋別には空港があり、札幌から行くより、東京から飛行機に乗ったら2時間である。月に1回精神科医が東京から手伝いにきているという。他にも、過疎地では交通手段がないので、認知症の患者さんでも車を運転しているとか、凍った屋外の階段から落ちて脊髄損傷をきたす患者さんが多いなど、貴重な話を聞くことができた。62歳だというのに、北海道内の精神科をかけずり回ってきている。こういう人のおかげで、地方の医療が支えられているのかと思うと、本当に頭が下がる思いがした。こんな都会で忙しい忙しいと言っている私は、まだ甘いのかもしれない。

 

平成24年2月14日(火)

 きょうの朝はそれほど寒くなかったが、とんでもなく寒い日は患者さんの数も少ない。私の医院のある場所は夜も6時を過ぎたら暗くなり、ほとんど人通りもない。帰る時にはあたりはまっ暗で、近くにあるスーパーの光が漏れてくるぐらいである。このスーパーも不景気で近く撤退するという。このあたりの地域は私が開業した当時より、さらに高齢化が進んだ。この2月は二八(にっぱち)と言われ、自営業の患者さんの話を聞いていると、一段と不況の嵐が吹いている。この前の日記で車を買い換えると書いたが、患者さんの少ない日には、空恐ろしい考えのように思えてきた。実際に車で通勤をしていたら、今の車で十分である。患者さんの話では、10万kmを越えたら部品を交換するという。私の車は11年目であるが、まだ6万kmにも達していない。燃費は悪く、ハイオクで1リットル当たり7kmぐらいである。しかし、ハイブリッド車に乗り換えても、ガソリン代は月に1万円も節約できないだろう。トヨタのサイが400万円以上かかることを考えたら、無理に乗り換える必要もない。今は発売していないプログレであるが、乗っていたらまた愛着が出てきた。ついついストレスが溜まってくると、衝動買いをしてしまいそうになる。ここまで来たら、車の整備だけは十分にして、クラッシックカーになるぐらい乗り倒そうかと思ったりする。
 車で通勤していると助かることもある。先週の火曜日は往診が終わってから、ビールを飲みながらこの日記を書いていた。夜5時頃に、訪問看護ステーションから突然電話がかかってきた。私の医院に通院している1人暮らしの患者さんが、訪問したら倒れていたという。薬も数日切れていて、食事もとれていないようであった。こんなことは初めてである。すぐに私も往診に行ったらよかったが、ビールを飲むと私はすぐに顔に出る。もともと精神症状が急激に悪化するような患者さんではないので、次の日まで何とかもちそうか確認して様子を見ることにした。ところが、夜8時頃に救急病院から問い合わせがあった。何とか大丈夫と答えていた訪問看護ステーションの人がその後心配になって受診させている。精神症状が不安定で興奮したり、暴れたりしていたら、今から入院させてくれる病院を私が探さなければならない。何とか落ち着いているので、心配なことは脱水と肺炎ぐらいである。とりあえず、身体的に問題なければ、自宅に帰すように伝えた。睡眠薬だけはこちらの指示で処方してもらった。検査と点滴をしてもらい、看護訪問ステーションの人に夜遅く自宅まで運んでもらった。翌日の水曜日は、患者さんが入院を希望していると聞いたので、以前に入院していたことのある精神病院に入院を依頼した。何とか受け入れてもらえることができ、ほっとした。午前の外来中に、担当地区の保健センターの保健師さんが私の医院を訪ねてきた。生活保護を受けている人については、担当の人にある程度頼めるが、身寄りがなく、ぎりぎり経済的に自立している人は対応が難しい。とりあえず、保健師さんには着替えなどの入院の準備をしてもらうことにした。岩倉には精神病院が3つあるが、目的の病院まで誰が搬送するかである。きのうは訪問看護ステーションのお世話になり、きょうは保健センターの保健師さんにお世話になっている。入院先が決まった時から、私が搬送するしかないと思っていた。
 午後の外来が終わってから、保健師さんに聞いたアパートまで自分の車で行った。車で通勤していたのでよかったが、なかったら私が付き添いでタクシーで行くしかない。受付の人が3時20分に医院に来るので、それまでに帰らなければならない。これまでの経過が長いので、紹介状を書くのに時間がかかってしまった。患者さんは思ったより、しっかりとしていた。入院の荷物を車に入れたが、患者さんの足元がおぼつかず、車に乗せるのに手間暇がかかった。私はこの日は家に帰るぐらいのガソリンしか残していなかった。途中でガソリンが切れたら大変である。北白川通でやっとガソリン・スタンドを見つけることができた。病院に着いて、担当の先生がわざわざ顔を出してくれたが、午後の外来があるので挨拶程度ですぐに病院を後にした。午後の外来にはぎりぎり間に合ったぐらいである。今回は協力してもらった訪問看護ステーションや保健センター、快く入院を受け入れてもらった病院には感謝している。中にはどこの病院でも入院を断られてしまう患者さんもいて、主治医として、どうしていいのか途方にくれてしまうことも少なくない。
  車で通勤をするようになったきっかけは、デイ・サービスを利用していて、帰ってくる土曜日の午後5時に往診しなければならない患者さんがいたからである。月に1回だけであるが、市バスの利用も不便で、最初はタクシーで行っていた。他の医者はどうしているのか知らないが、生活保護の患者さんを含め、私は交通費は請求していない。土曜日だけ利用していたコインパーキングが閉鎖となったので、今回月極にした。私は土日関係なく仕事をしているので、必要な患者さんは土日でも往診する。しかし、院外処方なので、薬の準備が大変である。今は親戚の人の都合に合わせているが、また相談してなるべく月〜金の間にしようと思っている。
 この前の連休は、東京と横浜に行ってきた。目的は、横浜で開催されていたカメラと写真映像の情報発信イベント「CP+2012」を見に行くためである。今回初めての参加であるが、事前登録をしていたので無料である。11日の土曜日の午前中に新幹線でまず東京に行った。グリーン車で行ったが、車を買うことから比べたらささやかな贅沢である。日曜日のNHKのTVでうつ病の特集をしていたが、グリーン車に無料で備え付けられている月刊誌「WEDGE」でも「うつ100万人は減らない」を特集していた。「WEDGE」の方の特集は、現場のことがかなり正確によく書かれていた。うつ病についての考え方は、専門家でも意見が異なる。NHKで紹介されていた新しいうつ病の治療法や診断法については、私はまだ懐疑的である。さて、東京である。この日は、東京国立近代美術館で催されていた「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を見に行った。私は熱心な美術ファンではないが、この人の名前と作品については昔からいろいろな雑誌でよく目にしていた。もうちょっと若い芸術家と思っていたら、私が生まれて3年後に44歳で交通事故で亡くなっている。芸術というのはいつも難しいと思う。作品の解釈を言語化するのはいいのかといつも疑問に思っている。言葉にならないことを言語化する努力は認める。精神科でも、無意識を言語化して解釈することについては実はあまり賛同できていない。作品の言語化できない何かに、私の感性としかいいようのない部分が、「いいな」と反応している。音楽も同じで、後から理由付けはできるが、どうして私が感動しているのかよくわからない。私は事前にインターネットで、3900円で入場料、音声案内、展覧会案内書を申し込んでいた。精神科医としては、どうしてもその生い立ちに興味がいってしまう。若い頃からアル中気味で、うつ病でユング派の治療を受けていたという。晩年は作品の方向性を失い、それまで批評家から天才と絶賛されていたのが、駄作と批判されるようになった。新しい作品が描けず、苦悩の中で飲酒運転する自分の車で、激突して亡くなっている。
 翌日は今回の目的である「CP+2012」である。今年は例年と比べ3割以上来場者が増え、6万5千人を超えていたという。カメラ好きが集まり、とんでもないカメラを持ってくる人も大勢いた。私はソニーのコンパクト・デジカメを持って行ったが、パソコンで見るぐらいならこれで十分である。A3以上に引き延ばし印刷して見るなら、本格的な一眼カメラが必要かもしれない。カシオのコンデジなどでは、背景ぼかしも簡単にできる。今回1番見たかったのは、3月に発売される「PowerShot G1 X」であった。すでに発表されていた英語版のスペックはチェックしていた。写真の写りには期待が持てるが、ファインダーが相変わらずちゃちなのはどうかと思う。英語版の評価でも、ファイダーについては、let-down(期待はずれ)と書いてあった。私の趣味は南の島の写真を撮ることである。タイの最後の楽園と言われているりぺ島の旅行も、懲りずに考えているぐらいである。日本でも快晴の時は、液晶はまったく使い物にならない。ファインダーなしで、みんなどうやって写真を撮っているのかと思う。ソニーのコンデジでも私は液晶の明るさを最高にし、ドイツ製のかなりしっかりした遮光フードをつけて使っているが、屋外ではまったく何も見えない時がある。パナソニックから新しい防水カメラが発売されるが、これも興味があった。各ブースでは、撮影会も兼ねてモデルも出演していた。写真撮影用に照明も完備していたので、撮影条件は最適であった。こんな時に、高級カメラとコンデジの差がどこまで出るのか疑問であった。難しい撮影条件では、その差が歴然なのはよくわかる。
 帰りは、新横浜から午後1時過ぎの新幹線に乗った。帰りもグリーン車である。飛行機のビジネスクラスは今の10倍ぐらい収入が増えないと乗れないが、この年になったので、グリーン車ぐらいは使わせてもらう。新幹線の中でゆっくりとビールでも飲みたかったが、帰ってからきのうあった労災判定会議の資料を読まなければならなかったので、今回は控えた。

 

平成24年2月7日(火)

 今週は比較的ゆっくりとしていた。日曜日も仕事は一切しなくてよかった。今週の連休もゆっくりするつもりである。時間がある時には、英語や中国語の勉強をしたらいいが、ずっと忙しかったせいもあり、何もする気がしなかった。TUTAYAで借りてきたDVDを、医院の3階に設けた防音室で久しぶりに見た。タイトルは「メカニック」である。映画で見た「ワイルド・スピード MEGA MAX」より遥かに面白かった。この防音室では、映画や音楽をボリュームを上げて気兼ねなく楽しめる。車1台分の費用がかかっているが、最近は忙しくてくほとんど使っていなかった。最近は何に利用していたかというと、朝のコーヒーを入れる時である。私は昔は紅茶派であったが、最近はコーヒー派となっている。自宅で朝食はとってくるが、朝医院に着くと、まずコーヒーをいれる。しかし、コーヒーの粉を切らしてしまい、電動ミルを使って手持ちの豆を挽いている。日中ならともかく、朝6時前なので、大きな音を立てるわけにはいかない。仕方ないので、この防音室を使って、コーヒー豆を挽いている。毎日10〜20秒ぐらいの利用である。前にも書いたが、防音室は語学の勉強にもいい。大声で暗誦するには最適である。重さは1屯以上あるので、大きな地震が来たらその下にある診察室は確実につぶれる。それまではせいぜい有効利用をしないといけない。
 土曜日の夜は久しぶりに、久御山のイオンシネマに映画を見に行った。店が改装中だとは知らなかった。好みのバッグがあるとついつい買ってしまう。ほとんど医院にいて、使う暇もないのにすぐに買いたくなってしまう。バッグを買うのは、これを持ってどこか旅に出たいという強い願望の表れかもしれない。インターネットで、ほとんど使わないスーツケースまで買ってしまうこともある。今は駐車場を借りたので、相変わらす朝は早いが、車で通っている。健康には悪いが、やはり便利である。きょうも往診に行ってきたが、車を使った。最近のコイン・パーキングも短時間なら安い。せいぜい20分100円である。1人暮らしで、高齢になって私の医院まで通えない患者さんばかりで、精神症状は落ち着いている。私の医院はすべて院外処方なので、受付の人に予め薬は取りに行ってもらい、私が持っていく。
 娘が一浪して、今東京の私立大学文系の受験に行っている。娘の大学入学のめどがついたら、新車に乗り換えようかと考えたりしている。車検を見たら、もう11年目の車である。私の車はずっとトヨタである。ハイブリッドのアクアが今申し込んでも車の納期は7月になるという。自動車産業も不況だと言いながら、5か月も待たされるのである。車とは関係ないが、ソニーのカメラも買いたいと思っても在庫がない。欲しいと思うレンズも欠品である。家電が赤字だというが、買いたい物が在庫がなくて買えないというのはどういうことかと思う。私は最近iPodからアンドロイドのウォークマンに替えた。ところが、先週の週間アスキーを読んでいたら、ソニーのPS VITAやこのウォークマンだけが現在発売されているブルートゥース対応のキーボードが使えない。さすがに、ソニーファンであった私もうんざりである。話を戻すと、車である。同じハイブリッドのサイは2か月待ちだという。レクサスは私の自宅の駐車場にははいらないので、3月で切れるエコ減税がどうなるか様子をみて決めようと思う。
 娘が大学に合格したら、キャバクラや風俗でアルバイトしないように、仕送りだけはしっかりするつもりである。外来をやっていると、公立の小中学の講師をしている先生が、キャバクラでアルバイトをしていると聞いてびっくりしたりする。ここでも何回も書いているが、竹中平蔵が言っているように、教育費には相続税がかからないのである。一般のサラリーマンの家庭では経済的に余裕がないのはよくわかる。しかし、私立文系の学生が親元を離れ、奨学金をもらいながら、朝から晩までアルバイトをしているのはどうかと思う。社会経験としてのアルバイトはかまわないが、大学生はやはりきちんと勉強すべきである。前にも書いたが、ドイツ語学科を卒業して、ドイツ語がぜんぜんわからないでは困る。
  いろいろと文句ばかり書いているが、さて、イオンシネマで見た映画である。特に見たいと思っていたわけではないが、時間があったのでこの映画を選んだ。題名は、「J.エドガー」である。初代FBI長官フーバーをレオナルド・ディカプリオが演じている。クリント・イーストウッド監督の作品である。フーバーについては大体のことは知っていたので、あまり新鮮な驚きもなかった。政治家のプライバシーを秘密ファイルに収め、8代の大統領が自分のスキャンダルを公表されるのを恐れて、交替させることができなかったというのはあまりにも有名な話である。FBIの歴史を知るにはいいが、映画としては個人的にはもう一つであった。年老いたフーバーが過去を振り返って、話は進む。私も段々年をとってきたので、将来はこういう風になるのかと思ったりした。
 さて、先週に書けなかったことである。私は、自分の所に送られてくる雑誌や新聞は最初の1ページから最後まで一応めくりながら目を通す。ただめくりながら、興味のある記事がないかスキャンだけしている。日本医師会雑誌だけは表紙を見て、そのまま捨てることも多い。さて、勝手に送られてくるメディカル・トリビューンである。ほとんど内科などの記事なので、そのまま捨ててもよかったが、いつものように1ページ目からさっさとめくりながら、スキャンをしていた。今回はほとんどすべての精神科医が関心を示す記事が載っていた。まったく病識のない統合失調症の患者さんに、1回も診察もせず、家族の依頼で薬を処方できるかである。ここでは、千葉地裁の判決が紹介されている。面識のない精神病患者が治療を拒んでいる場合、通院ができるようになるまでの一時的な措置として、相当臨床経験のある精神科医が家族などの話を聞いて慎重に判断し、保護者的立場の家族に副作用など十分に説明して処方することは、特段の事情のない限り医師法第20条にも反しないし、損害賠償の対象にはならないとしている。私は日赤に勤めている時に、あまりにも家族が気の毒なので、1回も診察もせずに薬を処方したことがある。ところが、この人がある時に救急受診して、本人の知らないうちに精神科を受診していることがばれてしまった。この時は大騒ぎになったが、法律違反ではないのである。
 最後に、CNNで見た番組のことについて簡単に書いておく。まず、これも先週見て紹介できなかった「アフリカン・ボイス」である。ケニアで30年精神科医をしている人物がインタビューに答えていた。経験年数としては、私と同じぐらいである。ケニアでは精神科医の数は50万人に1人である。世界各国共通で、精神疾患に対するスティグマと戦っている。この人はイギリスのモーズレーで学んでいる。司会者が、ケニアではエイズなど他にも優先すべき課題があるのではないかというと、メンタル・ヘルスは重要な課題で生産性にも大きく影響すると答えていた。ナイロビで起きたアメリカ大使館の自爆テロによるPTSDについても触れていた。この前の土曜日は、「トーク・アジア」でこの日記でも紹介したことのあるエイミー・チュアが出演していた。「タイガー・マザー」(朝日出版社)の著者である。インドのジャイプールのフェスティバルに招かれて、講演をしていた。大勢の聴衆が聞いていたのには驚いた。これとは別に、CNNの司会がインタビューをしている。著者のエイミー・チュアは若々しく、ジャイプールではユダヤ系米国人の夫と長女のソフィもTVに写っていた。ニュースや天気予報などはだいぶ聞き取れるようになったが、インタビューや討論はまだまだである。聞き取りにくい所もあったが、2人の娘たちとは友達関係で、娘たちは夫の方をこわがっていると答えていた(と思う)のは意外であった。

 

平成24年1月31日(火)

 毎朝5時36分発の京阪で通っていたが、きょうからまた車で通うことにした。車で医院まで通わなくなってどのくらい経つのか忘れてしまった。もう、2年ぐらいにはなるかもしれない。最近は鼻がひん曲がるほど朝が寒かったが、きょうは車の中でも暖房がすぐに効かず、じっとしている分寒かった。土日だけは車で通勤していたが、先週は1日700円で駐車できていたコインパーキングが閉鎖となってしまった。土曜日も電車で通勤してもよかったが、あまりけちけちして生きるのもどうかと思うようになってきた。お昼も自分で麺をゆがいて自炊し、ごくたまにコンビニでパンを買うぐらいである。往診も市バスの1日乗車券である。ふだんは毎朝5時前に起きて、夜は10時過ぎに寝る。それこそ修行僧のような質素な生活を送っている。
 実は最近、医院の近所を歩いていて、いくつも月極駐車場があるのに気づいた。以前は月2万円の駐車場を借りていた。たまたま空き駐車場があったので、いくらか聞いてみたら、月1万4千円であった。早速借りることにして、きのう契約を結んだ。正式には2月からの契約であるが、きょうから使わせてもらっている。車はもう10年乗り続けている。新車を買ってもいい気分であるが、傷つけられたりするのがかなわない。神経を使いながら新車に乗るぐらいなら、今の車で充分である。高級車でなくても、新車を買ってしばらくすると、駐車場などで傷つけられたすることが多い。こんな時にはどこに怒りをぶつけたらいいのかわからない。せっかく新しい車に乗り換えて気分も一新したのに、精神的にもよくない。10年も乗っていたら、多少の傷はあまり気にならない。電車で通勤していると、往復30分は歩くことができる。車を使うと、ほとんど歩かない。運動しなければならないと頭ではわかっていても、寒いと無理である。歩かない分、これだけは何か別の工夫をしなければならない。
 先週の金曜日は、久しぶりに患者さんとトラブルがあった。日赤の時からの患者さんで、もう10年以上診ている。もともと不安定な患者さんであったが、時々診察室で怒りが爆発して単発的にその場限りで終わっていた。去年の秋頃からいつもより不安定となり、そのうち収まるだろうと思っていた。ところが、なかなか収まらず、この日に大噴火した。患者さんの言い分だと、去年の秋頃から私の診察態度が変わり、これまで心が通っていたのに、通じなくなったという。今までは、私の診察を受けていたら、優しく接してくれ、不安や心配を取り除いてくれたという。ところが、今ではいくら私の診察を受けても、不安で仕方なく、私が以前のようにしっかりと話を聞いてくれないからだと半狂乱になった。年末から最近にかけて、あちこちの公的な相談機関や病院に電話して、興奮状態となっていたようである。この日は、診察室で1時間ぐらい激しく興奮し、大声を張り上げていた。私の医院は1階が待ち合い室で2階が診察室である。下までまる聞こえである。何とかこの辺で終わりにしようと思ったが、どうやってもだめである。他の患者さんが待っているので、最後にまた診察することにした。他の患者さんも1時間も待たされ、苦情を言う患者さんもいた。翌日にも、別の患者さんから電話で苦情がはいっていた。
 午前の診察の1番最後に、また診察をしたが、同じことを何回も言う。いくら説明しても、聞き入れてくれない。私としては、それほど診察態度が変わったつもりはないが、心が通じなくなったと言う。どうしたらいいのかと聞くと、前みたいに心が通じ合って、私の話を聞いて、不安を解消してほしいという。自分では何も自覚していないので、何をどう変えたらいいのかわからない。押し問答のようになって、同じことを何回何回も尋問されているようであった。思わず「私が犯人です。」と答えそうになった。神戸にいる時に、ユン・チアンの「ワイルド・スワン」(だったと思う)を原文で半分ぐらい読んだが、その時の内容を思い出した。20年近く前のことなので、うろ覚えであるが、中国の文化大革命の時に、昼夜問わず尋問を受け、「このことさえ認めたら家に帰してやる。」という甘言にだまされて認めると、体制がかわってもその時の罪が残り、解放されなかったという。著者はどんなに厳しい尋問を受けても、絶対に罪は認めなかった。後に知ったカンボジアのポルポト派の尋問でも同じである。日本の連合赤軍事件でも同じようなことが起こっていたのかもしれない。私はこの本で、どんなに辛くてもこういう場合は絶対に罪を認めてはいけないことを学んだ。
 さて、患者さんである。罪でも何でも認めるから、早く解放して欲しかった。この診察がなかなか終わらず、1時間半ほど続いた。保険病名はうつ病になっているが、以前から境界性人格障害というより発達障害に近い印象を持っていた。いくら説明しても聞き入れてもらえず、どんなに自分が苦しかったかを一方的に大声でしゃべり続ける。精神病を発病しているのではないかと思うぐらい、執拗であった。私は同じように接しているつもりであるが、日常のストレスが強くなって、今までの私の診察では解消できないぐらい大きくなっているのかもしれない。こちらもふらふらになりながら、何とか帰ってもらった。ところが、午後4時からの診察にもまた受診し、同じことを何回も繰り返して言う。一旦納得して帰ったと思ったら、また診察を希望してくる。こんなことがまた1時間も続いた。他の患者さんもいるので、別に住んでいる両親の所に電話して、迎えに来てもらうことにした。この日は久しぶりに、もう医院を閉じようかと思ったぐらいである。もっと大変な患者さんもいて、この人は今は刑務所にはいっている。出所したら、私の医院に来ることは間違いない。この患者さんのことまで思い出してしまい、今の内に束の間の平和を楽しまなければならないと思った。
 土曜日の夜は、京都精神科医会があった。今回の講演の演題は、「成人の発達障害:広汎性発達障害とADHD(注意欠陥多動障害)」である。講師の先生は、東海大学医学部教授である。私の世代はアスペルガー障害を含む発達障害については、きちんと教育は受けていない。開業してから少しずつ独学し、大体のことは理解できるようになった。しかし、診断能力はあくまでも「疑い」までである。特に成人の場合は、発達障害を疑うことが多いが、確定診断までは自信をもってできない。今回の講演は本当に勉強になった。発達障害の人には、婉曲的な言い方はせず、きちんと具体的な指示を出し、いろいろな場面での振る舞い方をパターン化させて覚えさせなければならない。アインシュタインが発達障害であることは有名であるが、織田信長もそうであるというの初めて聞いた。日曜日は、日本精神神経学会の専門医更新のための「ケース・レポート」を2例書いていた。ケースレポートの締め切りは1月末である。当日の消印があれば有効である。臨床経験レポートも2例書かなければならないが、この締め切りは2月末なので助かった。日本心身医学会の参加も点数になるが、学会に参加する時に登録カードを持って行かなかったので、加算されていない。きちんと登録していたら、ケース・レポートは1例で済んだ。A4用紙1枚半でいいので、1例1時間もかからないかと思ったら、甘かった。もうちょっと簡単な症例を選んだらよかった。2例で、6時間近くかかってしまった。他にも、受付の給与計算や待ち合い室の蛍光灯の交換など、雑用が山ほどあった。労災裁判の意見書についても返事があり、他にも読まなければならない資料がうんざりするほどあった。ストレスはますますたまるばかりで、なかなか解消しない。

 

平成24年1月24日(火)

 これまでは、患者さんを診察していても自分の年齢をあまり意識することがなかった。ところが、最近は「まだ、30代か」とか、「まだ、40代か」と、妙に自分の年齢と差を感じるようになった。今は、60歳で一旦定年退職とならず、そのまま62歳とか65歳までぐらいまで定年が延びている会社もある。しかし、私の中では60歳が人生の中での一区切りというイメージが強い。開業していると定年は関係ないが、60歳が近づいてくると、これまで持っていた現役世代との一体感が失われていく。まだ、1年半近くあるが、最近は何とも言えない喪失感を感じるようになってきた。55歳ぐらいまでは現役バリバリという感じで、まったく何も感じていなかった。今度の京都市市長選では、私より1歳年下の新人と3歳年上の現役が立候補している。政治の世界では、この年代でも何か新しいことにチャレンジして、世の中を変えていくことができるかもしれない。若い時には、今は実現できなくても、そのうち新しいことに挑戦して、あれもやってみたい、これもやってみたいと遥か先に目標を設定することもできた。しかし、年齢とともに、いつか実現するという遥か先がなくなっていく。いつの間にか、若い世代の応援はできても、先陣を切って何か新しいことや改革に挑むのは難しい年代になっている。
 先週の木曜日は東山区の小中一貫校へ、講演に行った。最近はどこに行っても、ほとんどみんな年下である。校長先生も恐らく私よりだいぶ若い。製薬会社の支店長や近畿地区の統括部長みたいな人でも、50代前半である。よく考えてみたら、私が京都第一赤十字病院の部長になったのが、まだ若かりし頃の43歳である。阪神大震災のあった社会保険神戸中央病院の部長になったのが、もっと若い38歳である。自分の中ではまだ本の数年前の出来事のように思えるが、もう20年も経っている。開業して、10年経っているのが信じられないぐらいである。これまで、あちこちで講演をしてきたが、最近は話す機会も少なくなってきた。もうこの年になったので、講演会では遠慮せず好き放題言うようにしている。演題は、「過労とうつ病」である。今は勤務医の過労が問題になっている。学校の先生も医者に劣らず、超多忙である。モンスター・ペイシェントが出てくるずっと以前からモンスター・ペアレンツが話題になっていた。私が日赤にいた頃は死ぬほど忙しかったが、今では心療内科の医者の数も増え、だいぶ楽になったようである。京都第一赤十字病院は、なるべく残業はさせない方向できているようである。
 地方の総合病院などでは、地域の救急医療を担い、当直の回数も半端ではないようである。しかし、2005年に滋賀医大の超勤未払い問題で、労働基準局が入り、1億円ほどの追加支払いがなされた。その後も、山梨県立中央病院や静岡県立こども病院、川崎市立病院など相次ぎ労働基準局がはいった。是正勧告がなされ、医者を含め、未払い分の1億円以上の残業手当が支払われるようになった。公的な病院は苦労の割りには、どこも赤字か黒字すれすれである。相次ぐ摘発に懲りて、大きな病院では医者をなるべく早く帰らせるようになってきている。
 さて、学校である。私は知らなかったが、教員は他の公務員より4%給与がいいので、残業手当はつかないという。昔、田中角栄が教員と警察の給与を上げたことは知っていたが、こんな形になっているとは意外であった。この4%がボーナスや退職金にどう影響しているのかよくわからない。しかし、超多忙になった時に、どこまで許されるのか疑問である。医者の世界では、残業手当の支払いということが、医者の過労防止に役立ってきている。教師では、残業手当の支払いがなされていないので、超過勤務という概念が乏しいようである。しかし、労災となると別である。1か月の超過勤務が100時間を超えると、労災として認められる。労働時間を週40時間とすると、4%というのは単純計算で1.6時間にしかならない。残業手当の支払いの義務がないといくら主張しても、今後裁判になった時にはどうなるのかよくわからない。
 開業しても、実はあまり仕事の量は変わりない。もうちょっと楽ができるかと思ったが、雑用などが多いので、かえって忙しいぐらいである。その分、勤務医の時より収入が増えたのは事実である。午後から休診の時は往診などもしているが、ある程度時間の融通が利く。疲れた時やあまりやる気がしない時には、ついつい日曜日にしたらいいと思って、先送りしてしまう。その分、日曜日や休みの日もだらだらと仕事が続く。この前の日曜日は、今月中に仕上げなければならない自立支援医療の継続の診断書などを書いていた。朝7時から昼の12時までかかっても終わらなかった。午後から用事があったので、また医院に戻ってきてすべて封筒に入れていつでも郵送できるようにした。これだけでも、1時間ぐらい時間がかかった。今月中は、前にも書いた日本精神神経学会の専門医の更新用に、ケースレポート2例と臨床経験レポート2例を書かなければならない。1例に1時間かかったとしても、4時間かかり、最低でも5〜6時間はかかりそうである。簡単に見積もっているが、もしかしたらこの倍ぐらい時間がかかるかもしれない。最後の日曜日はゆっくりとできるかもしれないと思ったが、やはり無理である。
 さて、年末年始に読んだ本である。私はまだ医者の中では医学書以外の本を読んでいる方である。現在の社会がどうなっているのか知識欲は旺盛であるが、下手をすると、単なる物知りで終わってしまう。本を書いたりしている医者も大勢いるが、何か書き残すことは大事だと思っている。この日記はあくまでも日記で、書かないよりましな程度である。常日頃、もうちょっとしっかりした物を残さないといけないと思っている。今話題の、山田順「資産フライト」(文春新書)である。副題に「増税日本」から脱出する方法と書いてある。最初に、プチ富裕層だけではなく、OLなども香港の銀行(HSBC)に現金を持って口座開設をしていることが書かれている。このHSBC(香港上海銀行)については、日本の銀行にはない沢山のメリットが解説されている。
 日本の銀行では、連名の口座を作ることができないが、アメリカなどではジョイント・アカウント(共同名義口座)が作れる。資産運用についても、日本経済が衰退している以上、海外投資に勝る資産運用はないと断言している。日本では、金融資産を1億円以上所有している富裕層は、約78万世帯で、日本の全世帯の1.65%に及ぶという。著者は究極の資産運用はヘッジファンド以外はないと書いている。個人でやろうと思えば、まず英語ができないと無理だという。香港の口座開設でも日本の業者に頼むと高い手数料が取られる。私は金融の知識はないが、本気で勉強したら、契約書や手続きなどの英語はすぐに理解できるようになる。ここでは、実際にインターネットを使った海外のヘッジファンドへの申し込み方法も書かれている。
 震災後の富裕層に対する増税については、著者と同じで私も反対である。去年の12月半ばに、消費税の増税に伴い、所得税の最高税率の引き上げが検討されていた。ヤフーに載っていた毎日新聞の解説では、現在課税所得額が1800万円では、最高税率が40%である。これを40%以上に引き上げ、40%の課税所得額を1800万から引き下げるという。課税所得額というは、いろいろな控除や経費を除いて、最終的に税金がかかる額である。雇われの病院長などは、年齢もいっているので、扶養家族は奥さんぐらいである。控除額も低く、経費も認められない。所得税が40%も取られ、住民税が10%取られたら、院長としての苦労が報われない。ところが、これ以上に増税し、相続税も引き上げるという。これだけ税金を取られ、その残りの資産もまた課税(二重課税)される。この本に載っているが、国税庁の調査では、所得1億円超の人は全体の0.1%であるが、納税額の13.6%を占め、所得5千万円超の人は全体の0.6%だが、納税額は27%を占める。1千万円超にすると、納税額はほぼ80%に達する。こんなことを書くと反発を受けそうだが、ほとんどの人は国や地方から自分が収めている税金以上の公的サービスを受けている。日本の社会は、決して金持ち優遇ではない。
 今回大王製紙のティッシュ王子のことが話題になった。当初何十億円という損失を親が弁済する話も出た。簡単に何十億円も払えるというのは、とんでもない富裕層が日本にはいるということである。この本では、上流、中流、下流のことが書かれている。中流の層がもっとも内部抗争をしているという。周囲と自分を比較し、少しでも上に行きたい、もっとお金が欲しいと嫉妬心を隠しながら、建前と本音を使い分けて生きており、醜いとも書いている。しかし、こういう中流層の上昇志向で、日本は持っているところもある。上流と下流のメンタリティはほぼ共通していて、信じているのは自分の経験したことだけであり、ほとんどイデオロギーと思想を持っていないという。銘柄やブランドにこだわるのは中間層だけで、高級ブランド品などを絶対買えない層といつでも数千万円の高級ブランド品を買える層は、そのもの自体に興味がなくなるという。日本の銀行の金融ガラパゴスについても書かれており、プチ富裕層でなくても1度は読んでみていい本である。

 

平成24年1月17日(火)

 前回は2回とも、サムイ島のことを書いたので、年始からのことを簡単にまとめて書いておく。サムイ島の写真についてはもんもん写真館に載せたので、興味のある人はまた見て下さい。今回はあまりいい写真が撮れず、観光写真になってしまった。唯一簡単には撮れない写真は、大晦日の夜に撮った波止場のバーである。パンガン島へのジェットボートが発着する海岸で、あたりはまっ暗であった。こんな所で写真を撮っているのは私ぐらいである。カメラはやはり一眼は重いので、去年のクラビと同じように、ルミックスLX5を持って行った。私は電子ビューファインダーを取り付けて使っている。息子にはサイバーショットHX9Vを持たせた。ソニーのカメラは夜間に強いので、この写真だけはサイバーショットを使った。
 4日は深夜便を使ったので、京都には朝9時頃に着いた。私は唯一深夜便に乗る時だけ睡眠導入薬を服用する。しかし、この時には用意していなかったので、もうひとつよく眠れなかった。4日まで休診にしていたので、飛行機がキャンセルになっても外来には影響しなかった。しかし、相変わらずやらなければならない仕事は山ほど残っていた。まず、労災裁判の意見書である。年末に何とか書き終えて送ったので、後は労働局で内容を検討し、その後で一部を修正したらいいぐらいであった。ところが、年末に労災認定の基準が変わった。数年前の裁判ケースなので何も関係ないと思っていたら、本庁からの通達で、新しい認定基準に従って意見書を書き直さなければならないという。自分の書いた意見書であるが、しばらくはもう見たくない心境であった。メールで送られてきた新しい認定基準をプリントアウトし、その内容を理解して、意見書の一部を訂正しなければならない。仕方ないので、気を取り直して、8日の日曜日に書き直していた。
 9日の成人の日は、会計事務所に送る11月分と12月分の資料を整理していた。夜は東山医師会の新年会があった。ハワイアンの演奏会の後で、会食である。私の座ったテーブルはほとんど私より年上の先生ばかりであった。マラソンやサイクリングをしている先生もいた。以前は私より年配の患者さんが、草津市から私の医院へ自転車で通院していた。琵琶湖1周をしたとか、聞いていたらみんな元気である。開業して、仕事以外の気分転換と言ったら、私は海外旅行ぐらいである。英語はCNNだけ見ていても、上手に書いたり話せないので、テキストを使って体系的に勉強し直そうと思っている。中国語はずっとほったらかしたままである。必要に迫られないと、いつまでも先延ばししてしまう。
 15日の日曜日は、朝6時半から医院に出て来て、今週の木曜日に頼まれていた講演の原稿を書いていた。同じ東山医師会の先輩の先生から頼まれた仕事である。この先生は、東山区内の学校で健康管理医をしている。今回は70〜80人の教職員を対象に、「過労とうつ病」の演題で話す。私は詳しく知らなかったが、東山区の7つの小学校と中学校が統合してできた学校である。今は東山医師会の仕事は何もしていないので、私が貢献できる仕事はこんなことぐらいである。私の講演は、よほどのことがない限りパワーポイントは使わない。予め要旨を書いた原稿を渡し、中央の演台に机と椅子を用意してもらい、要旨に沿って講義方式で話す。今回はA4用紙5枚にまとめ、コピーした資料を2枚つけた。これまでにしてきた講演要旨は山ほど残っているので、今回の講演にふさわしい内容をコピペした。今回のテーマである「過労」にふさわしい症例については、新たに書き直しをした。これだけでも、完成させるのに4〜5時間はかかった。午後からは、きのうあった労災判定会議の資料を読んでいた。今回は4件出ていた。ぶ厚い資料であるが、私が司会するのであまり手をぬくわけにはいかない。それでも、この日はいつのまにかたまった文献や本の整理をしていたら、あまり読む時間はなくなってしまった。きのうの月曜日は、いつものように朝5時36分発の京阪で医院に出てきて、この資料を読んでいた。
 今月に書かなければならない自立支援医療の継続の診断書や障害年金の診断書など、新規も含め30件ぐらい残っている。これは22日の日曜日にすべて書き上げるつもりである。新年早々、相変わらす忙しくて余裕がない。前から宣言しているように、60歳になったら少しは楽をするつもりである。今年の5月に59歳になるので、もう少しの辛抱である。さて、サムイ島に旅行している時に見た映画と読んだ本である。映画は新しいウォークマンに入れて行った。お出かけ転送ができるので、便利である。液晶が4.3インチあると、iPodより迫力のある映像が楽しめる。今回ウォークマンで見た映画は、「闇の列車、光の旅」と「八日目の蝉」である。きょう昨年のキネマ旬報ベストテンが発表されていたが、日本映画の5位に「八日目の蝉」がはいっていた。ウォークマンには他にも3位に選ばれている「冷たい熱帯魚」や外国映画で2位に選ばれている「ソーシャル・ネットワーク」などベストテンに入っている映画もけっこう入れている。この日記でも書いた「モテキ」が7位に選ばれていたのは意外であった。飛行機の中では、最初は「ダージリン急行」を見ていたが、もうひとつ乗れず、「闇の列車、光の旅」にかえた。この映画は、本当によかった。少女が父親と叔父と一緒に、ホンジュラスからアメリカに密入国するロード・ムービーである。列車の上に乗って密入国を試みるが、駅の風景など混沌とした貧しい南米の雰囲気がよく伝わり、私好みである。ストーリーもよく練られていて、大感動であった。ツタヤで誰も借りていないのを見ると、悲しくなるほどいい映画であった。
 花火が鳴り止まず、レイブの音で眠れなかった大晦日に見たのが、「八日目の蝉」である。ストーリーは、映画の宣伝でもやっていたように、自分を育ててくれた母親は、実の父親の愛人で、自分を誘拐した犯人である。最初は、過去と現在が何回も行き来し、なかなか映画の中に入り込めなかった。後半の、小豆島での誘拐犯である母親と幼い娘とのやりとりは涙が出てくるほどよくできていた。30年以上精神科医をやっていると、いろいろな患者さんと出会う。幼い頃に両親を交通事故で亡くした人や、義父に性的いたずらを受けていた人や、公衆トイレでレイプされた人など、想像を絶する心の傷を受けた人が大勢いる。神戸に住んでいる時に、阪神大震災も経験した。こういう人をどうやって救っていいのか、教科書に答えがないので、いつも悩んで接してきた。最終的には、どうやってこれから生きていくかである。中には、治療していても、途中で自殺する患者さんも少なからずいる。
  「八日目の蝉」というのは、主人公が、蝉は7日で全部死んでしまうので、8日目まで生き残った蝉は孤独だという。もう1人の心の傷を負った女性が、蝉が八日目まで生き残ることは、誰もまだ経験したことのない世界を見れることだと言う。こういう発想ができないと、精神科医としてはやっていけない。幼い頃に受けた心の傷はいくら治療を受けても、なかなか完全には癒されない。去年3月の東日本大震災で原発の事故が起こり、すべて収拾するのに30年以上かかると言われている。実は幼い頃に受けた心の傷は、収拾するのに下手をしたら一生かかるかもしれない。それだけに、幼い頃の両親の関わりは大事である。京都新聞の書評にも載っていた、岡田尊司「愛着障害」(光文社新書)にも書いてあるように、特に大事なのは生後6か月から1年半までの間である。この間は手間暇がかかっても、母親は泣いたらすぐに赤ん坊を抱いたり、充分に愛情を注ぐのが大切である。私は同じ著者の「シック・マザー」(筑摩選書)を途中まで読んでいる時に、この本をこの書評で知った。「愛着障害」の方が要領よくまとめてあり、また是非ともこの日記で詳しく取り上げたい。今回の旅行では、山田順「資産フライト」(文春新書)を最後まで読んだが、これも面白かった。きょうはもう遅くなったので、内容についてはまた次の機会に譲る。

 もんもん写真館を更新しました。

 

平成24年1月10日(火)

 さて、この前の続きである。元旦は、前日に申し込んだ「海とサファリのツアー」に参加した。料金は1人1800バーツである。1バーツは2.5円なので、日本円にすると4500円になる。時間は朝7時過ぎにホテルまで迎えに来て、夕方5時までである。実は、前日の旅行代理店でツアーを見ていたら、「アントン諸島国立海洋公園ツアー」と「ジャングルサファリ」はそれぞれ別々のツアーになっていた。このツアーは島巡りだけではなく、エレファントトレッキングも付いていた。1日ですべてをやろうという欲張りなツアーで、昔の慰安旅行みたいで、あまりいい予感はしなかった。前日はほとんど眠っていないので、ふらふらになりながら、息子と迎えに来た車に乗った。曇り空が広がっていて、天気ももうひとつであった。船が出発する桟橋には、私たち親子2人と、日本人の男性が2人、中国人と思われる家族が5人で、計9人が参加していた。明らかに欧米人を対象としたツアーではなく、アジア系の旅行者を対象とした1日ですべて見てやろうという、ハードスケジュール風なツアーであった。
 船は海岸から乗るが、クラビの時とは違って、20人ぐらいが乗船できる小型のボートであった。ここから1時間以上かけてアントン諸島に行く。近いうちにもんもん写真館でも紹介するが、ウワ・タラップ島やマエ・コ島に上陸する。ところが、船が小型で、前日はほとんど寝ていなかったので、激しく揺れ、すぐに気分が悪くなってしまった。これまで南の島の旅で、船に酔ったことは1度もなかった。しかし、今回はすぐにダウンである。気持ち悪くて座っていられないので、座席で横になった。小型船なので、真ん中には座席はなく、船体に沿って両方に座れるように作られている。それほど海が荒れていたわけでもないが、エンジン音が鳴り響き、ガタンガタンと激しく波にぶつかる。横になっていると、1分間に数回激しく座席に叩きつけられる。エンジンの轟音と叩きつけられる波音で、苦痛以外の何物でもなくなった。それこそ、北朝鮮からの難民ボートに乗った気分である。クラビの時の島巡りのツアーでは、大型の船を使っていた。これでも、波が強い時には大きく上下に揺れていたぐらいである。
 何とか島にたどり着き、ここではカヤックで近くの島巡りをする。私は、もうそんな体力は残っていなかったので、島に設けられたテーブルの上で横になっていた。40歳前後の日本人男性の1人もしんどそうな顔をしていたが、このカヤックには参加していた。息子はガイドの人とペアになり、かなりの距離を漕いでいた。息子によると、カヤックの漕ぎ方も教えてくれず、いきなり海に出たという。それでも、他の人はみんな元気そうにしていた。私は南の島の写真を撮るのが趣味であるが、体調が悪くてそんな気にもなれなかった。何とか、やっと何枚か写真を撮ったぐらいである。この後で、あたりの島の中心であるマエ・コ島に渡った。展望台やエメラルドグリーンの湖があり、ここでも写真を撮った。もうちょっと天気がよかったら、抜けるような青さの海と空の写真が撮れた。その後で、またカヤックをした場所に戻り、ガイドが用意してきた昼食を取った。いつもだったら、ビールを注文して2本ぐらいは飲むが、やはりまだ気分が悪かった。パイナップルを数切れ食べるだけで精一杯であった。ここでもずっとテーブルの上で横になっていた。その後で、船の上からスノーケリングである。パンを投げ入れると、沢山の魚が寄ってくる。息子は気に入ったみたいで、ライフジャケットを着けて1番最後まで船に上がってこなかった。
 帰りは、また1時間以上かけて戻ってくる。最初は座っていたが、やはりまた気分が悪くなってきた。すぐに横になったが、エンジンの轟音と激しく叩きつける波の音が、頭の中に残っていた昨晩のレイブの音とシンクロし、本当に苦行であった。港が近づいてきてから、激しい雨が降り出した。船室は幌みたいな物で囲っているだけなので、激しく雨がはいってくる。身体も寒いぐらいに冷えてきた。それでも、港が見えてきた時なので、まだましであった。向こうの島でこんなに降り出したら、帰ってくるのがもっと大変であった。港に着いたのは午後3時過ぎで、これからまたエレファントトレッキングである。こんな大雨の中で象に乗るのは、もうあきらめた。他のツアーの人は皆参加していたが、私と息子はキャンセルしてホテルまで送ってもらった。一刻も早く、暖かいシャワーを浴びたかった。このツアーはアジア系の観光客向けで、ガイドは親切であったが、内容は大雑把な印象であった。もう少し洗練されたツアーを望むなら、欧米人が利用するようなゆったりとしたツアーがいい。この日はホテルでゆっくりとして、夕食は海鮮バーベキューを食べに行った。このレストランは欧米人で溢れていた。料理を注文しても長いこと待たされたが、味はどれも美味しかった。夜がまたうるさくなるのではないかと心配したが、数発花火の音がしただけで、この日は静かであった。
 翌日はパンガン島に行って写真を撮りたかったが、雨が激しく降り海が荒れていた。朝は別のホテルで朝食をとった。海岸沿いのこのホテルは、家族連れが多かった。しかし、このホテルも大晦日の日はうるさい花火とレイブの音からは免れなかったと思う。ホテルは12時にチェックアウトなので、荷物を預けて、近くの大型ショッピング・センター(テスコ・ロータス)に行くことにした。せっかくここまで来たので、サムイ島と書かれたシャツやタオルを買うことにした。雨は小雨ぶりになっていた。息子にお金を持たせて、お互いに自由に買い物をすることにした。息子の話では、コンバースのスポーツ・シューズが日本の半額ぐらいだという。日本に住んでいると、ふだんの生活ではあまり円高のメリットは感じられない。昼食は日本食レストランで食べたが、ここも美味しかった。マジック・ショーのチケットも売り出されていて、あちこちでいろいろな催し物が開催されていた。こういう旅行では、現地のことが大体わかってくる頃に帰りとなる。
 サムイ島からバンコクの飛行機は2日の夕方5時過ぎの出発であった。空港で息子と待っていたら、他の便がみんな「delayed(遅延)」になっていた。私はタイ国際航空で予約していた。タイ国際航空は朝と夕方の2便だけである。バンコクエアウェイズは何便も出ていた。今回の旅行は息子と2人なので、航空券だけはHISに頼んでいた。去年1人でクラビに行った時には、すべて自分で手配して、国内の移動はバンコクエアウェイズであった。天候が悪いと言っても、フェリーではないので、飛行機が遅れていること自体が信じられなかった。私の乗る便までの飛行機はすべて「departed(出発済み)」になっていた。その後のバンコクエアウェイズの便はすべて「delayed」と表示されていた。私が乗るタイ国際航空の便は、それこそ搭乗口も「delayed」も何も表示されていなかった。いつになったら出発するのだろうと待っていたら、息子が「キャンセルになっている」と叫んだ。そんなことはないだろうと思って見たら、本当に「cancelled」になっている。こんな程度の雨でキャンセルになるとは、まったくの予想外であった。帰国は翌日3日の午前11時なので、もう間に合いそうにもない。あまりの出来事に、気が遠くなってきた。私は30年ほどあちこち海外旅行をしているが、予定の飛行機がキャンセルになったのは、ここ1年のことで今回が2回目である。バンコクエアウェイズの便は遅れても出発していたが、タイ国際航空の飛行機は小さいので飛べないと誰かが話していた。こういう時には、バンコクエアウェイズの便を予約したらよかったと考えやすいが、リスク・マネジメントの考え方からするとタイ国際航空でよかった。このことについては、後でまた述べる。
 この日は航空会社が用意したホテルに泊まり、翌日午前10時発の代替え便に乗ることになった。息子はまた切れかかっていたが、どうしようもない。この日泊まるバンコクのホテルは楽天で予約していた。ホテルにキャンセルの電話を入れなければならないが、電話のかけ方もわからないので、ホテルの人に教えてもらった。こういう時には英語ができないと困る。日本人のカップルも3組ぐらいいた。タイトなスケジュールで飛行機がキャンセルになるのは本当にストレスである。空港で飛行機の搭乗を今か今かと待っていて、いきなりキャンセルと知らされたら、心臓が止まりそうになる。ましてや、息子と一緒の時で、父親の面目丸つぶれである。それでも、今回の旅行ではふだん息子と話できないことも話せて、本当によかった。学校のことや大学受験のことなど、かなり息子の本音も聞けた。翌日は予定通りに飛行機は出発したが、バンコクに到着しても日本の帰国便はすでに出発していた。これから航空会社との交渉である。あの後、バンコクエアウェイズの便が遅れてすべて出発したのかわからない。もし、バンコクエアウェイズにしていたら、その日に帰れたという考え方もある。しかし、もしキャンセルになっていたら、タイ国際航空とは交渉できない。新幹線が雪で遅れ、成田からの帰国便に遅れたと言っても、JRは何もしてくれない。今回は帰国便もすべてタイ国際航空なので、交渉の余地がある。Eチケットのレシートを見たら、その便限りの変更不能のチケットであった。
 空港に着いて、タイ国際航空のオフィスに行ったら、大勢の人が待っていた。他の人の話を聞いていたら、やはり他の国際航空の便については何も保証してくれない。うんざりするほど待たされて、私の番である。深夜便があることは知っていたが、この時期の日本への帰国便はどこも満席である。どうしようもない時にはどうしようもないが、かなり強気で交渉した。すべて英語であるが、この時ほど芸は身を助けると痛感したことはない。何とか、この日の深夜便を取ってもらうことができた。バンコク市内に出るのに荷物を持っていくのは大変なので、空港近くのホテルを借りることにした。送り迎えがついて、800バーツ、2000円であった。値段は休憩も朝食付きの宿泊も同じであった。息子が友達へのお土産を買うと言い、タニヤで焼き肉を食べ、スクムビット通りのロビンソンで買い物をした。今回の旅行は本当に疲れてしまった。もう南の島はいいと思ったぐらいである。私も反省しなければいけないが、リサーチ不足もあった。サムイ島のベストシーズンはゴールデン・ウィークの時期で、他の島が雨期になる夏も楽しめる。しかし、家族で行くなら、やはりプーケットがベストである。私は20年以上前に行っているので、ついつい日本人があまり行かない場所を選んでしまった。ここまで苦労したので、今回は、手つかずの自然が残っているパンガン島の写真だけは撮りたかった。無理な旅行につきあってもらって、息子には感謝している。

 

平成24年1月3日(火)

 新年、明けましておめでとうございます。実は、新年早々、あまりおめでたくない出来事も起こっている。そのおかげで、本当はきのうの4日(水)にこの日記を更新する予定であったが、きょうになってしまった。新年の新聞や雑誌を読んでいても、今年はますます景気が厳しくなりそうである。私の医院の去年の保険収入は、計算してみたら、前年度より大体4.4%減っていた。今年の4月は、2年に1度の診療報酬の改定がある。私が10年前に開業してから、精神科の外来点数はずっと減らされ続けている。今では再診の患者さんの診察料は、1回あたり800〜1000円も少なくなっている。これ以上保険点数を下げられるのもかなわないが、世間の厳しさもわかっているので、贅沢は言っていられない。
 さて、年末年始の旅行である。今年は息子と2人でタイのサムイ島に行ってきた。12月30日〜1月3日までの4泊5日の旅である。今回は深夜便は使わず、行き帰りとも現地時刻が午前11時発の飛行機を使った。飛行時間は5〜6時間である。本を読んだり、ウォークマンに入れた映画を見るには最適である。息子とは12月にFIFAのワールドカップジャパンに行ったばかりである。あちこち行き過ぎのようであるが、こんなことは初めてである。FIFAのワールドカップジャパンに私がつきあう代わりに、息子にはこの旅行にはつきあってもらった。サムイ島は20年以上前に、1度は行ってみたいと思っていた島である。当時はフェリーを使ってしか行けない秘島であった。この時にはなかなか時間が取れず、サメット島であきらめている。最後の楽園と言われていたインドのゴアも行きたかったが、遠すぎてもっと無理であった。去年の年末に行った同じタイのクラビが想像以上によかったので、今年は息子とサムイ島に行くことにした。
 1日目は、朝11時に出発して、バンコクには現地時間の午後4時前に着いた。ホテルにチェックインし、スカイトレインでバンコクの繁華街であるサヤーム・スクエアに行った。今は円高なので、海外ではお得である。1バーツが2.5円である。25年ぐらい前のバンコクは、とんでもない交通渋滞で移動するのが大変であった。このスカイトレインや地下鉄ができて、本当に便利になった。この日の夕食は、タイスキである。昔のパタヤでは1人でも気楽に入れるおいしいタイスキの店があった。20年以上前のことであるが、その後だいぶ経ってからガイドブックでこの店が紹介されていた。タイスキを食べるのは、それ以来である。「地球の歩き方」に、コカという店が載っていたので、駅を降りてそこに行った。けっこう流行っている店で、帰りには大勢の人が待っていた。味は悪くなかったが、パタヤで食べたタイスキの方が感動的においしかった。食事の後は買い物である。この辺りは、大きなショッピング・センターがいくつもある。大勢の人が出ていて、きらびやかに照明が輝いていた。私はショッピングには興味ないが、息子は別である。今は日本では中国製の衣服が多いが、昔はタイ製であった。製品としては、それなりにしっかりしている。ブランド物には手が出せないので、なつかしきマーブンクロン・センターに行った。ここでは、息子のサンダルと息子が気に入った上着を買った。交渉して、値札より安く買うことができた。
 2日目は朝7時45分発のサムイ島行きの飛行機に乗った。そのためには、朝5時過ぎに起きなければならない。朝食は空港内のマクドナルドですませた。1時間ちょっとで、サムイ島に着く。飛行機の中は、私と息子を除いてほぼ欧米人であった。空港からホテルまでは、乗り合いのミニバスである。1人片道120バーツであった。天候はあまりよくなく、曇り空であった。10時頃にホテルに着いたが、チェックインは11時である。荷物を預けて、それまで海岸に出ることにした。サムイ島にはプーケットのようにいくつかビーチがある。ホテルは、島1番の繁華街があるチャウエン・ビーチである。朝10時頃であったが、通りにはほとんど人が歩いておらず、ここが繁華街かと心配になるほどであった。初めはわからなかったが、夕方から夜にかけて大勢の人が出てきたので、みんな朝は遅い。ビーチ沿いにはそれぞれのホテルのレストランが並んでおり、宿泊客がたくさん出ていた。ぶらぶらと歩きながら、写真を撮ったりして過ごした。欧米人ばかりであったが、クラビのような洗練された雰囲気はなかった。小さな子どもを連れた家族も少なかった。ビーチでたむろしていた現地のガイドと話をしていたが、日本人は少ないという。むしろ韓国人の方が日本人より多いようである。ビーチ沿いにあった旅行代理店にはいって、翌日の島巡りのツアーを申し込んだ。ところが、この日は大晦日なので、翌日の朝7時頃にホテルまで迎えに来るツアーはほとんど催されていなかった。何とか1件見つけてもらい、このツアーに申し込んだ。
 昼食はイタリアン・レストランで私はピザ、息子はパスタを食べた。レストランの中ではTVでサッカーの試合をしていたが、息子の目の色が変わった。息子にとっては、こんな島に来るより、サッカーの試合を見ている方が幸せである。イギリスでは、この時期でもサッカーの試合をやっているらしい。この日は、ラマイ・ビーチにタクシーで出かけた。タクシーの値段は高く、最初は片道500バーツと言われ、何とか400バーツにした。奇岩ヒン・タを見に行ったが、大感動するほどでもなかった。それでも、大勢の観光客が来ていた。ここは欧米人が少なく、タイ人も含めアジア系の人が多かった。夕食の後は、パンガン島に渡るつもりであった。パンガン島はサムイ島からジェット・ボートで15分ぐらいの所にある。それこそ、一昔前は大麻パーティが公然と開かれていた秘島中の秘島であった。現在はフルムーン・パーティなど、野外レイブで有名である。(レイブとはダンス音楽を一晩中流す大規模な音楽イベントやパーティーのこと) 大晦日は、京阪電車のように一晩中船が運行している。ところが、サムイ島に行く船着き場で、身体のごつい大勢の欧米人が大騒ぎして船を待っていた。併設のバーではうるさいぐらい大音響で音楽が鳴っている。船もなかなか到着せず、これではパンガン島に渡ってもいつ帰って来れるかわからない。船を待っているうちに、息子も段々切れかかっていた。結局、この日はパンガン島に行くのをあきらめて、ホテルに帰った。パンガン島で新年を迎えたという体験を語りたいために、息子を道連れにしたのは本当に申し訳なかった。
 しかし、悪いことはこれだけで終わらなかった。私の泊まったホテルは4つ星で、カップルだけはなく、家族連れも泊まっていた。ところが、海岸沿いのホテルで大晦日だったので、新年を迎える夜中の12時には花火が一段とうるさくなった。どのくらいうるさかったかというと、本当に一晩中明け方までドカーンドカーンと爆弾が落ちてくるような音であった。これだけですんだらいいが、もっとうるさい音が明け方まで続いた。海岸で、一晩中レイブをしていたのである。私の泊まった部屋はバンガロー風の棟で、海岸からは1番遠く離れていた。ところが、どうしたらこんな音が出るのかと思うほどの大音響で、部屋全体が揺れるように響いていた。私はレイブの曲はもっとましな曲を流すのかと思ったら、単純な曲を永遠に繰り返しているだけである。これまで本物の大麻を吸ったことはないが、それこそ葉っぱでもやらないと耐えられないぐらいである。息子と寝るのはあきらて、本を読んだり、私はウォークマンに入れた映画を見たりした。明け方に少しうとうとしただけである。3日目の朝はコンビニでパンを買って食べた。朝7時にはツアーの迎えがホテルに来るので、それまでに食べておかなければならなかった。今回の旅行は、このツアーといい、悪いこと続きであった。極めつきは、4日目の1月2日である。午後5時過ぎにバンコク行きの飛行機に乗るつもりであった。ところが、何と悪天候で空港で直前にキャンセルとなってしまった。翌日に代替えの飛行機が出ることになったが、出発は午前10時過ぎである。翌日の帰国便はバンコク発午前11時でどうやっても間に合わない。こんな時期に簡単に帰国便が見つかるとも思えない。息子を抱えて、本当に気が遠くなってきた。このあたりの事情については、次回の日記で詳しく書こうと思う。


前のページに戻る

www.monmonnet.com