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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成23年12月27日(火)

 いよいよ今年も押し詰まってきた。私の医院の年末年始の休みは29日から4日までの1週間である。官公庁より1日長い。開業し始めた時には、勤務医の時の習慣で4日に医院を開けないと何となく罪悪感を感じて落ち着かなかった。それでも、5日まで休む勇気はない。今は不況なので、あまり強気で休むわけにはいかない。今年は、盆休みに長く休むと医院の収益に影響することをしみじみと実感した。明日までの診察なので、今年の1月〜12月までの正確な医院の保険収入はまだわからない。大体の予想では、去年と比べたら5%弱の減収である。震災の復興需要で元気のいい業界もあるが、ほとんどの業界は青息吐息である。患者さんの話を聞いていると、自営業はほとんど全滅である。それから比べたら、まだましである。開業している後輩の先生の話を聞くと、どんどんと患者さんの数が増えている所もある。私は借金は全部返したので、毎月の家賃がいるわけでもない。年齢も年齢なので、勤務医の時より年収が落ちなければいい。
 これからは子ども2人が大学に行くので、せっかく蓄えたお金も加速度的に減っていく。私はこの日記で何度も強調しているが、あまり遅く子どもを作ると後が大変である。私が38歳で、家内が33歳の時に結婚している。私は58歳になって、やっと娘が1浪中で、息子が高2である。こんなことを書くと怒られるかもしれないが、アラフォーで子どもを産むなんて無謀である。若い頃のイケイケ気分は、年をとると萎えてくる。ずっと専業主婦でいけるなら妻の負担はそれほど大きくないかもしれないが、ずっと稼ぎ続けなければならない夫の負担はたまったもんではない。いずれにしても、専業主婦という生き方は将来は、(その区別はよくわからないが)、天然記念物か世界遺産か人間国宝となるような類稀なる生活様式となるであろう。今は、65歳まで働くことが少しづつ定着してきている。60歳を過ぎて大幅に仕事の負担が減るなら可能である。下の息子が大学に現役で入学する時に私が60歳になる。息子が何年浪人するかわからないが、入学のめどがついたら私も少しはゆっくりしたい。
 さて、労災裁判の意見書である。23日の天皇誕生日に何とか最後まで書き上げることができた。書いた原稿はメールで送ろうと思ったら、うまく送れなかった。FAXとは違って、間違えて他の所に送ることはないと思うが、何回もやり直すのは控えた。よく考えてみたら、労働局は土曜日も休みなので3連休となる。月曜日に原稿が届いたら、金曜日に送るのも日曜日に送るのも同じである。また、日曜日に原稿を見直して、速達で直接送ることにした。この日記でもそうであるが、何回も見直すと、段々と文章が洗練されてくる。毎週火曜日に更新しているが、その週の間は一旦アップロードした日記でも、気がついたことがあったら、ちょこちょこと訂正したり書き換えたりしている。大きな間違いがない限り、週を越えて書き直すことはない。どんな原稿でも、何回でも読み直して推敲したら、見違えるようによくなっていく。この日はとにかく最後まで書き終えることが最優先であった。1日中かかって書き上げたので、自分の書いた文章を何回も見直すのはもううんざりしていた。1〜2日原稿を寝かせてまた読むと、いいアイデアも浮かんでくる。
 25日の日曜日は、朝は6時までゆっくり眠るつもりであった。ところが、目覚まし時計を6時にするのを忘れて、また朝4時50分頃に鳴ってしまった。最初はわからず、もう6時になったのかと布団の中で悶えていた。仕事のある日は布団の中での悶え時間を5分と想定している。10分悶えていたら、5時36分発の電車に乗れない。一旦目覚めてしまうとなかなか眠れず、結局5時半頃に起きた。この日は今月中に患者さんに送らなければならない自立支援医療の継続の診断書などを仕上げなければならなかった。医院に着いて朝6時半ごろからやり出したが、訪問看護指示書などたまっていた書類も書き、障害者福祉手帳の診断書もA4で2枚書き、コンビニでA3にコピーしていたら、もうお昼である。この日は午後からも忙しかった。また労災裁判の意見書も見直し、京都駅の郵便局まで行って速達で出していたら、もう夕方である。自宅でも夕食時にビール一缶飲んだだけであるが、疲れていたせいか夜9時には寝てしまった。きのうの朝は早く目覚め、朝5時8分発の1番の京阪電車で医院に出てきた。きょうは朝5時27分発の京阪電車である。私は丹波橋の北口からはいるが、きのうもきょうも改札口が準備中で、回数券がうまく通らなかった。これまで朝1番の電車でも普通に改札口が開いていたので、一体どうしたのだろうと思った。
 私が朝早いのは、忙しくて、すべて仕事だけに追われているからではない。仕事が終わってから何か勉強しようと思っても、疲れてあまり頭が働かないからである。今回は本当に忙しくて、読みたいと思っていた本がぜんぜん読めなかった。年末調整のための資料だけは何とか整え、天皇誕生日に速達で会計事務所に送った。11月分の資料はやっている暇がなく、まだ整理できていない。お歳暮も、きのうデパートから送られて来たカタログを見ていたら、22日までとなっていた。また商品券でも送るしかない。年賀状もこれからである。それでも、まだ気分はましである。この1ヶ月間悩まし続けていた労災裁判の意見書をやっと書き終えたからである。後は、労災補償課と相談しながら、細部の調整をするだけである。それにしても、苦労したわりには、若い時のようにあまり達成感がない。40代の頃は私も若かったので、困難な仕事にもどんどんチャレンジして達成感を味わうことができた。こういう仕事はもっと若い人がチャレンジすべきである。この年になると、本当に息も絶え絶えになる。最初に戻るが、60歳になったら、絶対に楽してやろうと思う。後は、息子が現役で合格してくれることを、星に祈るだけである。

 

平成23年12月20日(火)

 今年もいよいよ終わりに近づいてきた。簡単には年末は迎えられそうにもなく、まだ労災裁判の意見書が書けていない。先週の金曜日には完成させるつもりであったが、無理であった。人間の意志はコンピューターのようには制御できない。無理してやろうと思えばできないこともなかったが、そう簡単にいつもスイッチを入れたらスタンバイになるわけではない。まったくやる気がしないのに無理に起動させるのは、かなりのストレスである。締め切り日は厳密に決めたわけではないので、ぎりぎり23日の天皇誕生日までには完成させるつもりである。ここまで来ると、何を書いたらいいのかわかってくる。最後の仕上げは何冊かの裁判資料から必要な部分を書き出して考察しなければならない。よく考えたら、私の人生はいつもこんな連続である。この日記でも何回も書いているが、人生にはうんうんうなりながらなんとかぎりぎりでやっと成し遂げられることが山ほどある。本屋に行くと、啓蒙書が沢山並んでいる。それぞれの年代の応じて何をすべきかが書かれ、いかに要領よく仕事を成し遂げるかのノウ・ハウが書かれている。私は啓蒙書好きで、これまでに数え切れないほど読んでいる。すべてを参考にする必要はなく、役に立つ一部分でも取り入れて、自分のスタイルを作ったらいい。私がこの年になっても啓蒙書を読み続けるのは、何とか自分を奮い立たせるためである。
 どんな仕事でも、こういう啓蒙書を読んで、ノウ・ハウを知ったり、自分なりの工夫をすることは大事である。しかし、いくら要領よく工夫しても、すべての仕事が簡単にこなせるわけではない。特に若いうちは、のたうちまわりながら、やっとこなせる仕事も少なくない。うんうんうなりながら仕事をこなすことで、少しずつ難易度の高い仕事に挑戦できるようになる。自分は要領が悪いので、こんなに苦労すると考えるのは間違いである。困難な仕事を簡単にこなしているように見えるのは、これまでさんざんのたうちまわって経験を積んできたからである。世の中は広いので中には天才的な人もいるが、こんな人は本の一握りである。今回改めて労災裁判の意見書を書きながら思ったが、この仕事はどう考えてみても要領のいいやり方なんてない。この年になっても、うんうん言いながら書くしかない。いくら掃除しても、物を捨てても、この意見書を書くのが楽になるわけではない。まだ今月中に書かなければならない自立支援医療の診断書などが残っているが、25日の日曜日にやるつもりである。頭はあまり使う必要はないが、手間暇はかかる。職員の年末調整なども必要なので、早く会計事務所に送る資料も整理しなければならない。相変わらず、毎朝5時前には起きて、ふだんの生活にあまり余裕がない。しかし、外来で若い人たちの労働条件の悪さを聞くと、不満ばかりも言っていられない。
 さて、土曜日の午後は息子と横浜まで行ってきた。久しぶりの関東行きである。ふだんはあまりお金は使わないが、こういう時には贅沢したい。新幹線はグリーン席を使ったが、2時間ちょっとで着いてしまった。ビールを飲みながら、ふだん読まない日経新聞とグリーン席に置いてある雑誌を読んでいたらもう終わりである。あまり早く着きすぎると、買ったばかりのウォークマンに入れた映画も持っていった本も見る暇がない。もうちょっと時間がかかってもいいような気がする。しかし、のぞみがあるのに、わざわざこだまに乗る気もしない。
 ホテルはみなとみらいの夜景が見える部屋に泊まった。たまにはこういう所に泊まるのもいい。夜はよこはまコスモワールドまで歩いて行った。夜景はきれいであったが、私の年齢になるとショッピングはあまり興味はない。息子はまだファッションには興味があるようで、夕食後は1人で出かけて行った。この日の夜の予定は決めていた。最近はなかなか2人で映画を見る機会がないので、ホテル近くの映画館に行った。映画の題名は「リアル・スティール」である。インターネットで調べている時に、18歳未満の子どもは、夜10時過ぎに終わる映画はたとえ親との同伴でも見れないと初めて知った。私が学生の頃は大学入学の歓迎コンパで、お酒を飲んでもうるさいことは言われなかったが、今はどうなっているのかと思った。とりあえず、「リアル・スティール」である。雑誌や新聞などでは評判はいい。前半部分はあまり面白くなかったが、途中から段々と面白くなってきた。最初は少し違和感のあったロボットを使った格闘技も、段々と迫力が出てきて楽しめた。父親と幼い頃に別れた息子との物語であるが、子どもと見るにはいい映画であった。
 翌日は、横浜駅まで出た。近くにヨドバシカメラがあったので、カメラと発売になったばかりのPSヴィータを見た。海外でもそうであるが、大都会は行く所がなくていつも困る。豪華なホテルも高級レストランもあまり興味がない。私の行きたい所は決まっていて、カメラかデジタル製品を見て、後は本屋に寄るぐらいである。カバンも使い切れないほど買っているので、よほど気に入ったものがないと欲しいとは思わない。何か興味のある写真展や美術展があったらついでに行くぐらいである。特に関心のあるブランドがあるわけでないので、ほとんどの物は京都でも大阪でも手に入る。実際に手にとって見たら、楽天でも充分である。海に面した夜景はきれいであるが、都会ではあまり熱心に写真を撮る気にはなれない。それこそキャバクラとか風俗ぐらいしか取り得がないが、あたりはずれの大きい所にはあまりお金は使いたくない。昼食は、駅の近くの横浜ラーメンの有名店に行った。大勢の人が店から何列もの行列になって並んでいた。味の好みもあるが、それほど美味しいとは思わなかった。この後で、夜は風呂にはいっている暇がないので、スカイスパに行った。都会の高層ビルの上にあり、ゆっくりとできた。
 FIFAクラブワールドカップジャパン2011は3位決定戦と決勝が午後3時半からである。3年前には2人で10万円のプレミアム席で見たが、今回は取れなかったので、1人2万3千円の席である。記念品がつかないが、席としては悪くなかった。サッカーの試合は写真は取り放題である。マカオのシティ・オブ・ドリームズでやっている「ザ・ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」のショーを2回目に見に行った時には、1回目とは違い、写真撮影は厳密に禁止されていた。今回はソニーのビデオカメラを持って行った。30倍が撮れる小型の安いカメラである。さすがに手ぶれしやすいので、長さ25cmほどの引き延ばし式の小型一脚を持って行った。立って使うには、背中を曲げなければならないが、座ったままならこれで充分である。息子には、15倍ズーム付きのこれもソニーのコンパクト・デジカメを貸した。準備万端で決勝が始まった。サッカーの試合を1試合まるまる見るのは、3年前のこの同じ大会以来である。この大会の目玉は、前回はロナウドで今回はメッシである。素人目に見ても、バルセロナはうまかった。私はそれほどサッカーに興味があるわけでないが、息子が喜んでくれたらそれで充分である。ふだんは忙しくて、ほとんどかまってやれない。来年は高3で受験もあるので、楽しめる時に楽しんだらいい。一眼レフのカメラを持って来ている人もいたが、観客席からは遠すぎる。それこそ、20倍ぐらいの望遠レンズがなかったらいい写真は撮れない。私は30倍のビデオカメラで思う存分メッシの活躍する姿が撮れて、大満足であった。重装備で行ったが、風が吹いたら寒かった。スタジアムでは、身体を温めるためにラム酒をちびちび飲んでいた。きのうの月曜日は朝1番の普通席の新幹線で帰って来たが、二日酔いで外来が辛かった。

 

平成23年12月13日(火)

 今週の土曜日から横浜に行くが、トヨタFIFAクラブワールドカップジャパン2011の決勝が終わる日曜日はそのまま横浜に泊まることにした。月曜日の朝1番の新幹線で帰ってきたら、何とか外来が始まる8時半までに間に合う。私の医院の診察は8時半からであるが、大体7時50分頃から私が待ち合い室を開けている。この日は、代わりの人に医院を開けてもらしかない。土曜日の午後の東京ディズニーランドはあまり時間がないので、今回行くのはあきらめた。土曜日も横浜で過ごすつもりである。FIFAの決勝戦がある新横浜のホテルをネットで調べて見たら、楽天でもじゃらんでもすでに満室であった。もう少し早く予約をしておくべきだった。仕方ないので、地下鉄で15分ぐらいの市内のホテルにした。ここも何とかぎりぎり見つけることができた。朝1番の新幹線に乗るので、なるべく新横浜に近い方がいい。横浜ではどこに遊びに行くかは、これから調べなければならない。今はネットですべてのことができる。しかし、ホテルを探したり、地下鉄の路線図や時刻表を確認したり、新幹線の時間を調べたりしていたらけっこう時間がかかった。
 この前の木曜日はたまたま京都駅のヨドバシカメラに寄った。私が見るのはカメラとその関連商品ぐらいである。気が向いたら、6階の本屋にも行く。最近は新しいカメラを買っても使い切れないのがわかっているので、特に欲しい物はなかった。唯一気になっていたのは、新しいウォークマンである。iPodを持っているので、今さら買い換える必要もなかったが、Zシリーズは液晶が4.3インチと大きく魅力的であった。私はiPodにツタヤから借りてきたDVDの映画を入れているが、けっこう手間暇がかかる。ソニーのブルーレイディスクレコーダーを持っているので、ウォークマンだったら簡単にお出かけ転送ができる。(画像安定装置が必要) ウォークマンにカメラが付いていないのは残念であるが、よく考えたらiPodのカメラは1度も使ったことはない。もう1つの魅力はアンドロイドが使えることである。次から次へと魅力的なアンドロイドのスマートフォンも出ているが、ほとんど医院で過ごす私には通話機能は必要ない。毎月の固定費はけっこうかかる。私は1世代前のイー・モバイルのポケットWiFiを持っているが、実際に使う機会は少ないので、契約しているのは月900円からの従量制である。
 発売が12月10日となっていたので、木曜日は予約が必要なのか確認に行った。ところが、予想に反してすでにこの日に発売になっていた。いろいろ迷ったが、衝動買いで64GBのウォークマンを買ってしまった。10%のポイントがついて4万2千円ちょっとである。物によっては楽天の方が値段が安い時もあるが、ポイントの10%を引くとヨドバシカメラの方が安い時もある。この時点では、最安値とそれほど値段は変わりなかった。今週末の横浜に持って行き、新幹線でもホテルでも使いたいと思っている。いろいろやらなければならないことがあったが、アンドロイドのソフトを入れたり、音楽や動画も入れた。iTuneの音楽はそのままウォークマンに自動的に取り込めるので、簡単であった。動画のお出かけ転送は、PSP用に録画していたので、変換に映画と同じぐらいの時間がかかってしまった。液晶が4.3インチあるので、ポメラの代わりもできる。私はiPod用のブルートゥースのキーボードを持っているので、簡単につなげるかと思ったら無理であった。調べて見たら、HIDとSPPの方式があり、アンドロイド用のSPPには対応していなかった。アンドロイド用のキーボードも出ているようであるが、つなげるのがけっこう面倒臭そうである。ユーチューブからダウンロードしたipod用の動画も入れて見たが、画面いっぱいにはならなかった。ダウンロードの設定をiPod用からウォークマン用に変更しなければならないが、設定の仕方を忘れてしまった。これも調べるのに時間がかかりそうである。
 私はポケットWiFiを持っていたので、アンドロイド用のアプリをいくつもダウンロードできた。iPodはパソコンからiTuneでアプリをダウンロードできたが、ウォークマンではできない。光ファイバーを無線LANに変える方法もあるが、パソコンに詳しくない人には面倒である。私は海外のホテルではiPodでインターネットニュースを見るために、有線LANを無線LANに変えている。また、iTuneとiPodは簡単に同期できるが、x-アプリでは面倒である。ウォークマンに転送する時に、同じ動画や音楽が転送できてしまうので、ダブらないようにチェックするのが面倒である。動画の数が多くなると、確認が大変である。ウォークマン本体でダブった物については手動で削除ができるようになっている。しかし、少なくとも「転送済み」ですとx−アプリでお知らせしてくれると有り難い。使い勝手では、x−アプリよりiTuneの方がいい。液晶が大きくなって、カメラ機能iPhoneのように改善されたらiPodで充分である。音の方は、ヘッドフォンで何とでもなる。
 土曜日は、大学医局の忘年会があった。正式名は、京都府立医科大学精神医学教室同窓会叡修会である。午後4時からの始まりであるが、その30分前に世話人会があった。直接お世話になったことはないが、先輩の先生が何人か亡くなっていた。この日に今年度の叡修会誌をもらったが、会員名簿が28ページあり、私の名前は7ページ目に載っていた。私は昭和54年卒であるが、段々と前のページに近づいてきた。当然亡くなると、このページには載らなくなる。初めの部分は、若い先生の学術発表会である。教室の若い先生については今ではほとんど知らない。新しい准教授については、少し前の学術講演会で初めて知ったぐらいである。懇親会では、私より数年下の先生か先輩の先生と話をする。数年前に自殺された先輩の先生の詳しい事情も今回は知ることができた。私が博士号を取る時にお世話になった先生が、30歳近く若い女性と再婚したと聞いてびっくりした。私はこの年になったら、どんな理想の女性が現れても、離婚するエネルギーはあっても再婚するエネルギーはない。羨ましいような羨ましくないような気持ちである。それにしても、30歳近くも年下なんて、こんなん犯罪である。この日は私のただ1人の同級生が来ていなかったので、二次会には行かなかった。あまり飲みすぎると、次の日が使えなくなる。日曜日は月曜日にある労災判定会議に出ている6件の資料を読まなければならなかった。労災裁判の意見書もこの日には書き終えず、段々とストレスが溜まってきた。読みたい本もたくさんあるが、ぜんぜん読めていないし、CNNも見れていない。

 

平成23年12月6日(火)

 きょうの朝は寒かった。最近は1本電車を早めて、自宅は5時26分に出る。これだと医院には5時50分過ぎには着く。5時36分発の京阪電車には大勢の乗客が乗っていて、いつもびっくりする。同じ電車に乗っていると、乗客の顔も覚える。土日だけは車で通っているが、唯一安かった近くのコインパーキングが料金を値上げした。朝6時過ぎから夜8時まで駐車していても上限額が900円だったが、今では倍以上になってしまった。土曜の午前中は外来があるので、医院の前に停めるわけにもいかない。往診の時に使っているバス停の近くに格安のコインパーキングを見つけたので、土曜日だけはここに停めている。何と24時間700円である。前のコインパーキングでは朝6時より5分でも前に停めると、100円料金が上がっていた。私の医院からバス停で二停留所離れているが、歩くのには丁度いい。往診の時には何件も廻り、このバス停からさらに歩かなければならないので、医院に戻る時にはここからバスを利用している。
 土曜日の夜は久しぶりに、ゆっくりとツタヤから借りてきたDVDを自宅で見ていた。5本借りて、この日は立て続けに2本見た。まず、「モンスターズ 地球外生命体」である。この映画は封切りの時に見に行きたかったが、時間がなくて見れなかった。評判がよかったので期待して見たが、なかなか感動までとはいかなかった。話の内容としては、メキシコで地球外生命体と軍が戦っている時に、最後の米国行きのフェリーに乗り遅れた男女2人が陸路を使って脱出を試みるという物語である。このDVDを見てから、インターネットで調べて見たら、低予算でこれだけの映画を作ったということで話題になっていた。メキシコの陸路の風景は私好みで、1度は旅してみたいと思った。2本目は「レッド・ヒル」である。たまたま店頭で見つけたDVDである。あのコーエン兄弟監督の「ノーカントリー」を彷彿させるモダンウェスタンアクションムービーという謳い文句であった。思わず借りて最後まで見てしまったが、これは詐欺である。脱獄した凶悪犯が次から次へと警官を殺していく物語であるが、「ノーカントリー」とはまったく似ても似つかない作品である。ツタヤ独占となっていたが、「ノーカントリー」のような圧倒的な緊迫感や怖さはまったくない。店頭では、なかなか掘り出し物の映画を見つけるのは難しい。以前から見たいと思っていた「闇の列車、光の旅」のDVDをたまたま見つけた。100円で借りることができたので、この作品に期待しようと思う。
 日曜日は池田の妹と10時から母親の家で会う約束をしていた。名神は行き帰りともすいていて、片道1時間もかからなかった。母親はまだコルセットをしていたが、手術をしてから腰の痛みはなくなったと話していた。有料老人ホームにいる父親の所には週2回顔を出している。父親はほとんどベッドで寝ていることが多いらしい。毎日1時間は歩いていると、顔の表情も明るかった。2人の妹が少し前までは母親の性格が難しくなったと言っていたが、今はだいぶ変わったようである。父親の介護が落ち着いたことと、慢性疼痛がなくなったのがよかったみたいである。元気そうにしてくれていて、息子としてはまず一安心である。この日の目的は父親の見舞いではなく、妹とプライベートなことで話をした。内容についてはここでは書けないが、お互いに年をとってくると人生にいろいろなことが起こってくる。妹は相変わらず、忙しそうにしていた。「2人だけで話をしたい」と妹に連絡を取った時に、「離婚でもするの?」と聞かれたが、今回は私のことではない。
 12時近くに話を終えたが、父親の所は食事時だという。1時間も待っていられないので、また見舞いに来ると言って、この日はそのまま医院に帰った。大阪労働局から頼まれている労災裁判の意見書を少しでも書かないとまずい。ややこしい資料も何回も読んでいると、大体のポイントがつかめてくる。何が裁判の争点なのかもはっきりとしてきたので、後は裁判官が納得する文章を組み立てるだけである。来週の月曜日は毎月1回ある京都の労災の審査会がある。今回は6件も出ていて、またぶ厚い資料が送られてきた。しばらくは労災漬けであるが、裁判の意見書は来週の木曜日までには仕上げようと思っている。私は東京もロサンゼルスも香港も、あまりディズニーランドは好きではない。息子が好きなので、トヨタFIFAクラブワールドカップジャパン2011の前日の土曜日に一緒に行こうと思っている。午後3時から夜10時まで入場できるチケットが発売されている。17日(土)、18日(日)は何も考えずゆっくりとしたい。ディズニーランドでビールが飲めないのが残念である。
 さて、読み終えようと思っていた本がなかなか読み終えることができない。本を読まないと、この日記をもたせるのがなかなか難しい。子どもを撮ったビデオはすべてブルーレイディスク化した。ブルーレイディスク6枚になったので、合計36時間近くもある。ハイエイトのテープを見ていたら、新婚旅行のテープが出てきた。これも一旦レコーダーに取り込んだ。当時のカメラの性能が悪かったのか、映りはあまりよくなかった。日付の表示をしていなかったので、いつ撮ったのか最初はわからなかった。新婚旅行は西海岸・ハワイの旅である。途中で、1991年9月の日付が出てきた。今からちょうど20年前のことである。ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイと当時の名所はすべて訪れている。2本目は途中から途切れていた。間違えて、番組の録画用に使ってしまっていた。この時もCNNを見ていたことがわかった。まだ若かりしクリントン大統領が出てきた。(クリントン大統領は1993年からの就任なので、間違えて使ったのはその後のことである) CNNをずっと見続けていたわけではなく、途中で途切れたり、気を取り直してまた見始めたりしている。家内のビデオを見てもあまり面白くないが、子どもの成長は人生の時を刻んでくれる。私の撮り貯めた写真やビデオには将来子どもは興味を示さないと思うが、自分の写っている写真やビデオは別である。ハイエイトのテープはまだ何本も残っているので、早めにレコーダーに取り込もうと思っている。古いテープを再生していると、クリーナーが必要である。私は1本残していたので助かったが、入手は困難である。子どもを撮ったテープの中で1本だけ保存状態の悪いのがあった。再生させるとすぐにヘッドが汚れて、映りが悪くなる。何回もクリーナーを使って、レコーダーにやっと取り込むことができた。ハイエイトの録再機は、使い終わったらヤフーの競売に出すつもりである。日本全国でまだまだ需要はありそうである。

 

平成23年11月29日(火)

 この前の勤労感謝の日は、大阪労働局から頼まれていた労災の裁判の意見書を書こうとした。ぶ厚い裁判資料を朝から読み始めたが、体調もよくなかったせいもあり、すぐに嫌になってしまった。ややこしすぎて、どこから手をつけていいのかわからなかった。簡単に引き受けてしまったことをつくづく後悔した。目の前に大きな山が立ちふさがった感じである。こういう時には、あまり無理をせず、必要な参考文献などを整える。国際分類のICD−10や「寛解」についての定義などを読んでいた。それでも、なかなかやる気が出て来ず、この日はあきらめた。12月11日と18日の日曜日は東京と横浜に行く予定であったが、翌日の木曜日には早速11日の東京行きはキャンセルした。このままでは、今年中に意見書を提出するのは無理である。18日は横浜まで息子とFIFAワールドカップジャパン2011を見に行く。
 先週の土曜日は、京都精神科診療所協会の集まりがあった。夕方5時からの始まりであったが、会場はウェスティン都ホテルである。この時期は京都の紅葉の観光客がピークを迎える。特に東山区の車の渋滞は半端ではない。もっと別の会場を選んだらいいのにと思った。私の医院からタクシーに乗って行ったが、北に上るのはまだましであった。以前に、京都国際交流会館での「外国人のためのカウンセリング・デイ」に参加していた時には、夕方6時近くに会場を出ていた。この時には車がまったく動かず、医院に帰ってくるのに死ぬほど苦労した。今回も会場にたどり着くのに、大変だった先生も大勢いたようである。
 最初に、来年4月の診療報酬の改定の動向などが報告された。最近は勤務医の過酷な労働ばかりが強調され、開業医に対する風当たりが強い。厚労省が「医療経済実態調査」で、2010年の開業医の平均年収は2755万円と発表している。開業医が多い医療法人の院長の収入なので、給与として支給された所得税などの税金が引かれる前の金額なのだろう。私の医院は小規模なので医療法人にはなっていない。前にも書いたように、精神科では私が開業した平成13年5月からこの10年間に、再診の患者さん1人あたりの1回の診察料が800〜1000円も減らされている。今度の診療報酬改定では眼科などが狙い撃ちされるようである。少し前に、睡眠薬と抗不安薬を3剤以上の多剤投与した場合に、診療報酬上で何らかの制限を加える方針が出されていた。実際に、来年の4月からは3剤以上の投与は、診療報酬が減らされるようである。私は多めに出しているので、かなりの収入減になりそうである。
 今回の講演は、聖マリアンナ医科大学の准教授が「難治うつ病症例への対処法」について話をしてくれた。先週の土曜日の講演と同じで、途中からまた少しうとうとしてしまった。自分の専門分野の講演会ではあまり寝ることはないが、疲れがたまっているせいかも知れない。抗うつ薬の使用は厳密に1剤または2剤までという方針の先生で、これだけで本当に改善するのかと思った。それでも、うつ病の入院患者さんにはアナフラニールの点滴をすると聞いて安心した。精神薬理学の専門家として話をしてくれたが、抗うつ薬の作用機序とうつ病症状に対する効果はすべてうまく説明できるわけではない。私は30年以上精神科医をやっているが、これまで次から次へと仮説が出てきては変わっている。現在まで解明されている抗うつ薬の薬理学的作用についてはわかるが、、実際に脳の中でどのように作用しているかについては懐疑的である。今回の講演では、抗うつ薬の血中濃度は副作用出現の指標になるが、必ずしも臨床症状の改善とは平行しないと確認できただけでもよかった。講演会の後は、懇親会である。レセプトの審査をしている先生から、現在は100%コンピューターを使って審査していると聞いた。帰りはタクシーで医院までまた戻った。清水寺などがライトアップして夜間拝観をしていたので、行く時よりも何倍も時間がかかってしまった。
 日曜日は朝からまた労災の裁判の意見書に再挑戦である。この日は何とか意見書の最初の部分を書き始めることができた。書き始めると弾みがつき、何とか時間をかけたら書けそうな気分になってきた。午後からは、紅葉の写真を撮りに、一乗寺の圓光寺に行った。車で行ったら、いつ帰って来られるかわからないので、京阪と叡電を使った。七条から特急を使ったら、思ったより早く着いた。このあたりは、曼殊院や詩仙堂もあるので、ゆっくりと紅葉を楽しむのにはいい。時間がなかったので、今回は圓光寺だけである。今年の紅葉は去年と比べたらもう1つである。それでも、境内の中は紅葉の見所がいっぱいで、思う存分に写真を撮れた。観光客は多かったが、東福寺とは違って、人を入れずに紅葉が撮れる。ここは初めてであったが、本当によかった。京都にはけっこう紅葉の名所があるものだと、改めて感心した。いつも大勢の観光客を見ると、わざわざ京都に来なくても、もっときれいな紅葉はどこにでもあると思っていた。しかし、大自然の紅葉ではなく、手入れの行き届いた庭としての紅葉はやはり京都が1番である。、
 さて、最後に今週読んだ本である。五藤隆介「たった一度の人生を記録しなさい」(ダイヤモンド社)である。副題は、自分を整理・再発見するライフログ入門となっている。ライフログという言葉は聞いたことがあるが、どこまで記録するのか見当がつかなかった。今は自分のことを記録に残そうと思ったら、何でも電子化して、クラウドでもハードディスクにでも残せる。極端に言ったら、1日中音声録音して残すことも可能である。この本では、自分の目を通した記録に価値があるということで、iPhoneとEvernoteを利用した使い方を説明している。家計簿でも、レシートを撮影してエバ−ノートにそのまま保存する。何事もその場で記録して、1日の終わりに10分ほどかけて見直す。著者は食事の写真から何でも記録しているが、あまり意味がないような気もしてくる。記録することで、自分データを作り、振り返ることで自分の成長につなげることができるという。この部分については賛成であるが、5年後、10年後に膨大なデータをどう整理するのだろうと思う。この本では、最後の方でブログは最高のライフログと書いてある。こんな日記でも毎週書くことによって、いろいろなことを考えたり、反省したりできる。
 実は子どもの成長を記録したハイエイトとミニDVをブルーレイディスクに保存しているが、ほとんど作業を終えた。1枚のブルーレイ・ディスクに6時間ぐらいのビデオが保存できる。娘が中学生になるまでに、6枚にもなりそうである。前にも書いたが、子どもの成長はビデオで残すのがいい。写真は撮るのは面白いが、後から見ると、その時の雰囲気を伝える情報量は圧倒的に少ない。ビデオはじっとカメラを構えた時間しか記録に残らない。手間暇がかかり、写真を撮る時のような面白みもない。しかし、20年近くの前のことでも、鮮やかに記憶に蘇ってくる。今のコンパクト・デジカメは動画も撮れるので、子どもの成長記録は意識的に動画で撮るようにした方がいい。幼い頃の舌足らずな物言いとか寝ている姿とか泣いている顔など、日常の何気ない動作がきのうのことのように再体験できる。今のカメラは小さくて性能がいいので、室内でも大丈夫である。たくさん記録に残していたら、将来子どもの反抗期や夫婦の危機の時に役立つかもしれない。

 

平成23年11月22日(火)

 今年の京都の紅葉は遅い。数年前までは今ぐらいがピークであったが、今年は今度の日曜日ぐらいがピークになりそうである。タクシーの運転手に私の知らない紅葉の名所を教えてもらったので、時間があったら写真を撮りに行きたい。12月の予定表を見ていたら、11日と18日の日曜日は東京に行くので、前日の土曜日を含め、予定が詰まっている。労災の裁判の意見書を書くためには、明日の祝日を含め、休みの日は後3日しかない。いつも締め切り間際にならないとやらないので、明日から本気モードで取り掛からなければならない。実は最近、日本精神神経学会の専門医委員会から郵便物が届いた。来年の3月で5年ごとに更新する専門医の資格がきれる。更新には、600点が必要であるが、まだ360点しか取れていない。ケースレポートを書いたら、1症例あたり200点がもらえるのは知っていた。しかし、さっとホームページも見ても具体的な手続きがどこに書いてあるのかよくわからなかった。学会から直接連絡がないという話も聞いていたので、郵便物が届いてほっとした。私の場合は、ケースレポートを2症例と臨床経験レポート2症例を書かなければならない。来年の1月末が締め切りなので、この件はまだ余裕である。
 先週の土曜日はある製薬会社が主催の学術講演会があった。「京都メンタル・ケア フォーラム」という名前がついていても、製薬会社が主催なので1000円の会費を払わなければならない。最近はうつ病に関する講演会が多かったので、少し食傷気味になっていた。大体押さえ所は出尽くしたという感じである。後は、最近出た新しい抗うつ薬の手ごたえを具体的に知りたいぐらいである。今回の演者は兵庫医大の教授で、演題は「強迫の現在とこれから」であった。私自身は強迫傾向があるが、年齢とともに目立たなくなっている。基本的には完全主義的で几帳面である。その分できなかった時の苦悩も大きい。それでも最近は、随分といい加減になってきた。ある高名な精神科の先生は、不潔恐怖で今でも吊革が触れないと告白している。私は不潔恐怖はないが、今まで意識していなかったことが気になってくることがある。これからの冬は暖かい鍋物が美味しい。しかし、大勢の人で鍋をつつくと、他人のつばがたくさんはいって、気持ち悪くて食べれないという人もいる。この話を聞くと、私ももっともだと納得してしまう。強迫性障害の患者さんの集団療法ができにくいのは、他の患者さんの症状がうつってしまうからである。他の患者さんの話を聞いて、これまで気にならなかったことが気になってしまう。
 講演会では、アナフラニールがまだよく使われていると聞いて安心した。三環系抗うつ薬もよく売れていると言われている。しかし、若い精神科の先生の処方を見ると、うつ病でもあまり使われていない。最近は使い慣れていない先生も多いのではないかと思う。脳のセロトニンやノルアドレナリンを増やすSSRIやSNRIでよくなる人はそれでいいが、まだまだ三環系抗うつ薬が必要な人はたくさんいる。ここでも、うつ病の治療で注目を集めている認知行動療法についての話が聞けた。講師の先生はこれまで1000人ほどの強迫性障害の患者さんを診てきたという。私が今診察している患者さんは数人程度である。不潔恐怖の患者さんが赤色を避けるというのは全然知らなかった。他人の血液がついているのではないかと心配するからである。現在私の医院に通院している患者さんは、自動販売機のコーヒーを買っている時に、自殺したタレントの顔が思い浮かぶと、何回も買い直している。以前は電車の途中で思い浮かぶと、始発駅まで戻って何回も電車を乗り直していた。現在は、薬物療法と認知行動療法が主な治療法である。私は森田療法的な考え方が好きである。この講演会の途中で、短時間であるがついうとうとしてしまった。森田療法について解説していたのか最後までよくわからなかった。
 先週はまた映画を見に行った。見たい映画はたくさんあったが、このまま上映が終わるのではないかと心配して選んだのは、「モテキ」である。ポスターを見ると、軽薄そうな雰囲気で、初めは見る気は全くしなかった。以前に、ツタヤで「舞妓Haaaan!!!」を借りたことがあるが、ぜんぜん楽しめなくて、途中で見るのをやめて返したことがある。何となくポスターとこの映画のイメージがダブってしまった。しかし、一般の観客の評価では、高い得点を得ていた。同じ高得点を得ている「ワイルド・スピード MEGA MAX」も少し前に見に行った。この映画は派手でスケールの大きいアクションは楽しめたが、話の細部が大雑把すぎて、評判の割にはもうひとつであった。
 さて、「モテキ」である。今回は木曜の夜に行ったが、上映時間が合うのはこの映画ぐらいであった。私は早起きなので、土曜日を除いて終了時間が遅くなる映画はだめである。モテキというのは、モテる時期ということである。人気コミックが原作らしい。もてない31歳の主人公が、理想の女性とめぐり合い、どたばたとするやや遅めの青春映画である。初めの方のテンションの高さや主人公の独語「(セックスを)やりたい」には少しひいたが、映画としてこれもありかと思った。中盤から後半は内容的に楽しめた。1人カラオケを楽しんでいた33歳の女性の言動も痛い。いつの時代にもこういう女性はいる。段々と年をとってきて、たまにはこういう映画も見ないと、時代から取り残されそうである。
 最後に、きのう見たCNNである。前にも書いたように、現在CNNでは「Freedom Project」で、人身売買など現在の奴隷制についてドキュメンタリーで特集している。きのうは、たまたままたカンボジアを取り上げていた。首都プノンペンから2時間ほど離れた村に、マレーシアのハイテク工場で働く少女をカンボジアの職業斡旋会社がリクルートしに来る。それこそ、映画「僕たちは世界を変えることができない」に出てくるような何もない村である。母親はこの斡旋会社に娘を売り、大金を得る。娘はその借金をマレーシアのハイテク工場で働きながら返していく。マレーシアでは18歳以上でないと、工場で働けない。16歳でもパスポートを偽造して、18歳にしてしまう。取材班は1人の少女を追いかけて、マレーシアのペナンの工場に行く。ここではパスポートは取り上げられ、月曜から日曜まで毎日休みなしで1日12時間働かせられるという。その後、取材班はロンドンに飛び、この工場が製造しているハード・ディスクを販売している会社に行く。この会社からの申し入れによって、この工場では待遇は少し改善されたという。しかし、残っている借金は借金である。工場が直接少女たちを雇っているわけではない。少女はいつでも工場をやめることはできるが、斡旋会社に借金を返すために、そのまま働き続けなければならない。
 発展途上国では、多かれ少なかれこういうことが起こっていると思う。それでも、海外の大手の会社を相手にしているサプライヤーなので、まだましである。ついつい人権の発展した先進国の発想で考えてしまうが、どこまで許せてどこまで許せないのかその線引きが難しい。日本でさえ、過労死レベルのサービス残業がまかり通っているぐらいである。あの田舎に帰って、かんかん照りの中で、朝から晩まで畑を耕すのも工場以上に厳しいかもしれない。16歳どころか、小学校にも行けず、親の手伝いをしている子どももいる。自分たちの食べる分は何とかなっても、大した収入も得られそうにもない。少女たちは一旦プノンペンに集められ、門には鍵をかけられ、工場に出してもいいように訓練を受ける。売春宿ではないので、ハイテク工場の労働力としてある程度のレベルは求められる。この間、自由に外出もできない。番組ではそのことを非難していた。しかし、母親に大金を払っているので、まったく無防備な田舎の少女に逃げられても、都会でだまされてさらわれても困る。この斡旋会社が無知な田舎の親子につけ込んで、不当な雇用契約を結び、莫大な利益をあげていることは確かである。搾取(exploitation)であることに間違いないが、貧困問題は複雑で根が深い。これでも、カンボジアで働くより、はるかに安定した高収入が得られる。不当な雇用契約と少女たちの自由意志が全く無視されていることは強く非難されるべきである。職業斡旋会社はどこの国にもあるので、少しでもまともな会社が出てくることを祈るばかりである。

 

平成23年11月15日(火)

 先週の金曜日は、大阪労働局の労災補償課の人が私の医院に来た。大阪の精神科領域での労災請求で裁判になっているケースの意見書を、少し前に私が引き受けていた。分厚い裁判資料を受け取り、これから1ヶ月半ぐらいで仕上げなければならない。ついつい目の前の忙しさにかまけて油断していると、いつの間にか締め切りが迫り、死ぬ思いをしなければならない。係りの人の話を聞いていたら、大阪は京都と比べると、特別労災請求が多いようである。担当の精神科医はみんな労災請求の判定をするだけで精一杯である。以前に、京都の労災請求の裁判で、意見書を書くために私が推薦した先生が、今では大阪の裁判の分まで引き受けているという。私は以前に京都拘置所の視察委員会の委員になっていた。私の任期中の2年間は拘置所内に設けられた投書箱には1通の投書もはいっていなかった。ところが、大阪刑務所では刑務所内に設けられている投書箱には、毎回何百通という投書がはいっているという。その分、大阪刑務所の視察委員は、投書を読むだけで大変だと聞いたことがある。
 きのうは、毎月1回ある労災の判定会議があった。先月と今月は1件だけである。来月は6件になりそうである。私は任期が切れるさ来年の3月にやめると宣言している。さ来年の5月には60歳になるので、残された第2の人生を改めて考えていきたい。3人の労災委員の先生が比較的年齢が近く、若い先生を育てていかなければならない。ところが、きのう会議が終わってから他の委員の先生と話していたら、卒業年度では1番若い先生が、同じさ来年の3月にやめるという。この会議は午後2時から始まるが、外来が忙しすぎて、毎回昼食もとらずに参加しているという。京都の開業医の中では、トップを争うほどの患者さんを集めているので無理もない。私の所は患者さんが少なく、昼食をとっても余裕で残りの資料を読むことができる。やめる時には、代わりに同じ京大系の先生を推薦してくれるという。同時に2人の先生がやめていいのか、一抹の不安が残った。いやな予感もするが、後は残りの先生次第である。
 前々から書こうと思っていて、いつも書けなかったことを書こうと思う。ここからは、趣味の世界である。実は、少し前の週刊誌で、新しい「NHKのど自慢」の司会者が体調をこわし、司会を降板したことが載っていた。私が興味を持ったのは、この司会者が大のヘビメタ・ファンだったことである。週刊誌では、のど自慢の司会者として、お年寄りの演歌などに付き合わされ、大変だったろうと書いてあった。他にも、地方巡業の大変さも書いてあり、私も心から同情した。この日記では主に本や映画、旅行のことを書いているが、私の趣味はロックである。学生時代から、ロック一色であった。人並みに、ビートルズやローリング・ストーンズを聴き、その後はプログレ(プログレシブ・ロック)にはまり、マニアックなヨーロッパの音楽も聴くようになった。本や映画より、ロックの方が筋金入りである。
 いろいろなロックを聴いていて、当時名盤といわれたLPレコードも山ほど持っている。私にとって1番影響を与えたロック・グループは、第1期の「キング・クリムゾン」である。第1期のLPレコードすべてから、これまで体験したことのない音楽の聴き方に目覚めた。「暗黒の世界」なんて、初めは「こんなアルバム、どうやって聴いたららいいんや」と思ったが、何回も聴いているいるうちにそのよさもわかってきた。その後も、感動的な音楽にはたくさん巡り合って来た。しかし、単発的に幻の名盤を出していても、「キング・クリムゾン」を超えるグループはなかなか出てこなかった。仕事が忙しくなって、その後は気まぐれ的に新しいロックを聴くぐらいであった。以前にもこの日記でも書いたが、英国の「エディターズ」も私好みである。最近ますますはまってきたのは、これも前にも書いたスイスの「ラクリモーザ」である。日本ではあまり知られていないが、キャリアは長く、今年は結成20周年記念アルバムが出ている。もう旬を過ぎているが、過去のCDやDVDを聴けば聴くほどファンになっていく。それこそ、私にとっては「キング・クリムゾン」に次ぐ運命の出会いである。
 音楽のジャンルとしては、ロックの中では(シンフォニック)ゴシック(メタル)音楽に属するようである。サーカス音楽や教会音楽、クラシック音楽の要素が入り混じり、私の感性にぴたりとくる。他のゴシック音楽も聴いてみたが、なかなか私の感性と一致しない。男性ボーカリスト(ティロ)と女性ボーカリスト(アン)のからみあいが何ともいえない。最初の出会いは、1995年に発売されたかなりインパクトのあるジャケットに包まれたアルバム「Inferno」であった。当時は、カセットテープに録音して、精神病院の当直に持って行った。その後も気が向いたら、このグループのCDは輸入版で手に入れている。最近アマゾンで海外で発売のDVDを3枚手に入れた。3枚ともCD以上に感動した。特にライブ・ツアーのDVDがよかった。パソコンでは見れるが、日本のDVDプレイヤーでは見れない。私はリージョン・フリーのプレイヤーを持っているので、オーディオ装置を通して見ている。この「Lacrimosa」をYouTubeで調べると、なかなかいい演奏の曲が出てこない。もう20年もやっているので、現在の視聴者数の多いのがいい曲かというと、そうでもない。このグループの魅力を伝える音や画質のいい映像は、英語圏ではなく、スペイン語圏で見つかったりする。こういう時には、そのグループのことをよく知っている人に聞くのが1番いい。
 まず、誰もが聴きやすい曲である。アンの天使のようなボーカルの魅力が出て、ロックの特徴も出ている。「Not Every Pain Hurts」で、この曲はライブの方がいい。曲名だけでYouTubeを検索すると山ほど出てくるので、出品者の「NewAgeCorporation」から検索するのがいい。コピペして検索すると、再生回数が2千回ちょっとの横顔の赤っぽい画像が出てくる。私が調べた限りではこの動画が1番いい。他には、ライブで、「Lacrimosa-Kabinett der sinne (live history)」もいい。これも、そのままコピペして検索すると、最初に出てくる。(再生回数は1万7千台) 出品者の「facundogarcia91」の検索では1件しかないので確実である。2分半過ぎからの展開が息を呑むほど美しい。後半を聞いていてしんどくなったら、さっさと飛ばして、次に移ろう。これもライブで、「Lacrimosa」の魅力を伝えている。曲名からも出品者からも見つけるのが大変なので、「Lacrimosa - Stolzes Herz edgaro91」をコピペして検索すると、再生回数が6千7百台の映像が出てくる。再生回数が24万近くの動画より、こちらの方がずっといい。この曲では途中からぎんぎんのハードロック調になるが、そのままでは終わらない。バックの透き通ったアンの声もいい。
 ロック色が強い曲が苦手な人には、これもアンのボーカルの魅力を伝える曲がある。「apart - lacrimosa lapipirisnice」で検索すると、再生回数が2千回ちょっとの映像が出てくる。「Lacrimosa」という名前はモーツァルトの曲名からつけられたようである。モーツァルトと同じように、「Requiem」という曲もある。ここでは、クラシック寄りの曲として、「Tranen der Existenzlosigkeit - Lacrimosa」を挙げておく。(ウムラウトは無視) このままコピペして検索したら1番に出てくる。再生回数が11万3千回を超えている。長い曲であるが、動画が最後まで楽しめる。最後は、泣きのギターも聴ける名曲の「Ich verlasse heut Dein Herz」である。曲名だけで検索して、1番再生回数の多いのを選んでもいいが、動画はあまり面白くない。たまたま見つけた動画であるが、出品者の「Punx4eva」で検索すると、強烈な内容が出てくる。カミソリや血だらけのリストカットの映像だらけである。この映像を見て気づいたが、天使の羽というのは辛くて生きにくいこの世からの飛び立ちを意味している。久しぶりに、私の医院のトイレで手首を切り、病院で110ヶ所以上縫合した患者さんのことを思い出した。この境界性人格障害の患者さんは大量服薬で今は亡くなっている。誤解を招くと困るが、「Lacrimosa」は反社会的でも問題を起こしているロック・グループでもない。私はライブ・ツアーに出てくるティロの好青年ぶりに、すっかりファンとなってしまった。

 

平成23年11月8日(火)

 先週の金曜日にたまたまTVをつけたら、皇室の儀式である「着袴の儀」を放送していた。私は特に皇室ファンではないが、悠仁さま(どう呼んだらいいのか難しい)の飛び降りる姿に自然とほのぼのとした笑いがこぼれた。この年代の子どもは何をしてもかわいい。わずか十何秒のシーンであったが、すごく絵になっていて、これなら国民の誰からも愛される。実は、先週は注文していたハイ8テープのポータブル録画機がアメリカから届いた。インターネットでアマゾンから手に入れたものである。もう日本では再生機が手にはいりにくくなっている。少し前にミニDVの整理をしていたら、ひときわ大きいハイ8テープの存在に気がついた。初めはこんなテープがあったこともすぐ思い出せなかった。カメラや録画機はとっくの昔に処分している。調べてみたら、子どもが生まれた時から、2時間テープで10本以上撮りためていた。テープが悪くなる前に、ブルーレイ・ディスクに保存しておかなければならない。他にも当時録画していたロック・ビデオが何本もあった。
 ブルーレイ・レコーダーにこのハイ8テープ録画機を繋げて、ハード・ディスクに取り込んだ。そのままにして、2時間後に録画機を止めたらいいだけである。ところが、最初の娘が生まれた時の場面を確認して見ていたら、なかなか見るのをやめることができなかった。当時はカメラで撮っても、1〜2回TVで見たらそれで終わりである。しかし、19年ぶりに見ると、ついきのうのことのように新鮮に思い出される。19年前というと、1992年である。私はいつ撮ったかわかるように、日付を入れて撮影していたのでわかりやすい。日付を見ながら、そろそろ息子が生まれて来る頃だなと思っていると、家内のおなかが大きくなってくる。ビデオは写真と比べたら、安直に何でも記録に残すことができる。しかし、写真とは違って、じっとカメラを据えて、撮り続けなければならない。けっこう手間暇がかかるのである。私は記録に残せるものは何でも残そうという主義である。2人の子どもの成長記録は、娘が反抗期にはいる前の小学生までは完璧である。子どもの成長を写真で残す親も多いが、やはり後から見るにはビデオが見ごたえがある。まだ生まれて間もないのに、笑うんだなとか今見ても新しい発見がある。2歳ぐらいの娘が一生懸命1人で着替えをする場面や、台所で食器を洗っている場面など、当時は珍しくも何ともなかった日常の記録が残されている。親バカであるが、悠仁さま以上にかわいい。まだ2時間テープを2本取り込んだだけであるが、私にとってはいい癒しビデオになっている。
 最近、医療者向けのメールを見ていたら、ある製薬会社の提供で、「妊婦・授乳婦に対する向精神薬の使い方」が載っていた。私はこの日記では、穏和精神安定剤であるベンゾジアゼピン系薬物はほぼ安全であると書いてきた。この改訂版でも同じようなことが書いてあったので、まず一安心した。いろいろな先生に聞いてみたが、中にはアメリカのFDAの基準に基づいて、穏和精神安定剤でも催奇形性の危険があると説明している先生もいた。この催奇形性の評価は国によっても違う。パニック障害でよく使うソラナックスの危険性についてもあまり気にすることはなさそうである。母乳への移行もワイパックスが少ないとされていたが、あえて薬を変更する必要もない。まだ脳のセロトニンを増やす新しい抗うつ薬であるSSRIの安全性がはっきりと確立されていないが、思ったより危険性は少なさそうである。他に論文がないからと言って、わずかな論文から早急に結論を出すのも誤りである。この新しい指針でも触れているが、セルシンは長いこと口唇裂などの催奇形性があると信じられていたが、現在は否定されている。
 さて、今週読んだ本である。最後まで読み終えようと思って同時平行読みしている本がまだ4冊ある。しかし、本屋で面白そうな本があるとついついそちらに浮気してしまう。11月5日(土)に買ったばかりの本であるが、あまりにも面白くてあっという間に読み終えてしまった。若宮健「カジノ解禁が日本を亡ぼす」(祥伝社新書)である。きょうの京都新聞の朝刊を読んでいたら、関西広域連合のカジノを含む統合型リゾート(Integrated Resort、 IR)について触れていた。記事によると、「カジノをめぐっては、大阪府が橋下徹前知事の方針で地元誘致を訴え、山田知事も京都以外での実現に前向きな姿勢をみせている一方、兵庫県の井戸敏三知事や滋賀県の嘉田由紀子知事は慎重姿勢を示している。」となっていた。私は学生時代にパチンコに大負けしてからギャンブルには一切手を出していない。著者は実際にカジノの経験もあり、40年以上も前のマカオでのビギナーズラックについて書いている。なんと勝ち続け当時で最高2千万円にもチップが達したという。ガイドの女性からこの辺でやめるように言われたが、そのままやり続け、200万円まで減らしている。それでも、200万円の儲けである。当時このガイドから、天井はマジックミラーになっており、上から銃を持って見張られていると告げられている。この著者の本には、同じ出版社から「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」がある。
 この本では、カジノの合法化を目指す超党派の「国際観光産業振興議員連盟」(カジノ議連)のことが出てくる。その表向きの目的は、国際観光の振興や地域経済の活性化、新しい雇用の創出などである。しかし、パチンコ換金合法化も目論んでいるという。現在のパチンコの現金化は、警察が裁量で黙認化しているだけなのである。だから、合法化しないと、パチンコ店の株式上場ができないという。この本では、大阪ベイエリアの活性化を進める橋下前知事についてもぼろくそである。カジノで税収を増やすというなら、著者の主張するようにパチンコに課税したらすむことである。橋下前知事は、カジノ経営は税金を使わず、民間に100パーセント任せるので民間にやらせたらいいという意見である。しかし、私は精神科医なので、著者と同じように日本でのカジノ解禁には反対である。
 シンガポールでのカジノの成功についてはこの本で初めて知った。シンガポールでは、低迷する外国人観光客の誘致を目指して、2005年にカジノを合法化した。日本では、パチンコの売り上げが20兆円近くある。ラスベガスの売り上げの4倍強あるマカオのカジノの売り上げが何とパチンコの売り上げの10分の1である2兆円しかない。著者が指摘するように、日本はすでにギャンブル大国なのである。シンガポールでは大型リゾート施設であるIRが2つできており、今年中にはマカオに次いで2位になる勢いだという。外国人観光客も激増し、2010年6月の前年同月比で、24%以上伸びている。ここでは、シンガポールのカジノ合法化による負の遺産については書かれていない。マカオでは、人口が54万人足らずで、カジノのディーラーが4万人を超えるという。若者たちはみんな収入のいいカジノで働きたがり、まともな仕事が人手不足になっているという。ディーラーになる若者はギャンブル依存になる者が多く、お金に不自由しやすいことも指摘している。この日記でも書いた「ギャラクシーマカオ」の建築費用は200億ドルかかっているが、6年ほどで回収できる見通しだという。
 この本で1番読みごたえのあるのは、1967年にカジノが解禁された韓国の事情である。外国人向けのカジノは今では半数が赤字だという。自国民をカジノの犠牲にしたくない政府は、自国民が入れるカジノは1ケ所しか認めていない。ソウルから長距離バスで2時間半かかる廃れた炭鉱の町である「江原ランド」である。ここには、車の質屋が何軒もあり、ギャンブル依存症の人たちは車を質入れしてもギャンブルに興じるのである。カジノ・ホームレスについても詳しく書かれている。韓国政府もギャンブル依存症対策のために、入場日数を制限したりしている。ここでは、何億円もカジノで負けて破産した人も出てくる。「出入り禁止者」の数も増え続け、その半数は、本人が出入りを禁止してくれと直接申し出ているという。やはり1番こわいのは、このギャンブル脳である。世の中には、ゲーム脳やタイガース脳などがあり、私はロック脳だと思っている。ギャンブル依存のこわさは本人が出入り禁止にしてくれと頼むほどコントロールできないのである。この本では、中国で流行している隠れエイズと呼ばれている「陰滋病」についても触れている。私も最初は心配したが、医者として全く信頼できない情報だと思う。

 

平成23年11月1日(火)

 9月、10月と去年より総保険点数(医療収入)が減っていた。今年は夏休みを少なめに取ったので、5%を超えていた減収が10月の時点で3.4%である。後の2ヶ月で、何とか今年は3%以内に抑えたいと思う。大企業が円高で赤字を出しているので、贅沢も言っていられない。開業して10年経っているので、今は成熟期から停滞期にはいっている。不景気の影響や東山区の高齢化に伴い、すでに衰退期に向かっているのかもしれない。まだ40代ぐらいで収入が伸びないのは困るが、私は段々と60歳に近づいてきたのでそれほど焦ることもない。
 きのうの午前中の外来は10時ぐらいまであまり患者さんが来ず、暇であった。こういう時には診察室のパソコンでインターネットを見たりしている。グーグルで「東原医院」を検索すると、31万6千件出る。もちろん私の医院だけではなく、日本全国の「東原医院」である。私は毎週この日記を更新しているので、京都とか地域を限定しなくても「東原医院」だけで必ずトップに出てくる。「田中医院」のようにありふれた名前でないのも幸いしている。ちなみに、「もんもんネット」でも検索ではトップである。初めの方のページは、各ポータルサイトの病院検索などに載っているものが多い。ふだんは自分の医院の評価はあまり気にしていないが、どこかに載っていないか調べていた。どんどん検索ページを進めていったら、2ちゃんねるの記事が出てきた。クリックしたら、「【高慢】精神科医死ね 第9話【クズ医者】」の中で、私の医院というより私のことがぼろくそに書かれていた。日付を見たら、つい最近の10月中旬である。最近このホームページの閲覧者数が少し増えたが、もしかしたらこの記事のおかげかもしれない。きょうこの日記を書いていて、もう1度内容を確認しようと思ったら、すでに「過去ログ倉庫に格納されています」となっていた。過去ログの見方がよくわからないが、それほど大騒ぎすることでもない。31万6千件の中には、もっと過激な内容が書かれているかもしれない。しかし、いちいちチェックしている暇も気にしている暇もない。
 この程度のことではあまり気にしないが、最近出た週刊誌の橋下大阪知事に関する記事はひどいと思う。私は特にファンでも、支持しているわけでもない。強引とも思えるその手法や政策について徹底的に非難するのはかまわない。しかし、その出自についてまでいろいろ書くのはルール違反である。政治家にプライバシーはないと言われるが、犯罪を犯したわけでもないのに、ここまで暴くのは個人情報の保護以前の問題である。私はこの日記を匿名で書いているわけではないので、書いたことについては逃げも隠れもしない。ところが、週刊誌では誰が記事を書いたのかもわからない。橋下知事の父親がどんな死に方をしようと現在の大阪府政とは全く関係ない。私が1番憤りを感じるのは、橋下知事に子どもが7人いるが、無防備なその子どもたちに対しても人権侵害と思われる全く配慮のない記事を載せているからである。これでは、ジャーナリスト気取りの、頭の悪いごろつきの文章とあまり変わりない。こういう週刊誌に対しては徹底的に不買運動をするなりして、絶対に書き逃げを許してはいけないと思う。
 先週の木曜日には、久しぶりに映画を見に行った。他の映画も見に行きたいと思っていたが、なかなか上映時間が合わず、いつの間にか終了したりしている。今回は先週で打ち切りになるのではないかと思って、あわてて出かけて行った。題名は「僕たちは世界を変えることができない。」である。夕方からの上映であったが、けっこう若い人が見に来ていた。私はこんな題名でいいのかと思ったが、映画を見ていたら、その後に英語で「しかし、私たちはカンボジアに学校を作りたい」と副題が出てきた。この映画は実話に基づいている。主人公は平凡な学生生活を送っている医大生で、いつも生きていて何か物足りないと思っている。たまたま郵便局で見かけたパンフレットを見て、150万円でカンボジアに学校を作ろうと決意する。そして、学生サークルを立ち上げ、クラブのイベントなどを開催し、お金を集めていく。その過程でカンボジアを訪れ、資金が貯まってからも学校の開校式にも出席している。お金を集めていく過程で、サークルの仲間から、「どうしてカンボジアに学校を建てるのか」とか「日本でも貧しい人は大勢いる」ともっともな意見も出てくる。
 私はカンボジアについてはこの日記でも詳しく書いているし、もんもん写真館でもたくさん写真を載せている。初めてプノンペンを訪れたのは、いつだったのか古いパスポートの行方がわからず今すぐには思い出せない。国連の明石大使が総選挙を成功させ、カンボジアに平和をもたらして間もなくであったと思う。町には銃があふれ、職を失った兵士がうようよいた。今は場所が変ってしまったオープンスペースのナイトクラブ「マティーニ」では娼婦があふれ、得体のしれない外国人が大勢集まっていた。クラブの外には、外国人に娘を斡旋する母親と思われる女性が何人もいた。私は海外で日本人と群れるのは嫌いなので、1人で出かけたが、日本人は誰もいなかった。このクラブの帰りにバイクタクシーに乗っているときに、強盗に襲われ、頭に銃を突きつけられている。今はどうなっているのかわからないが、当時のホリディ・インのディスコもすごかった。他にも、ホテルの名前はすぐ思い出せないが、ここの周辺の通りも無法地帯のとんでない異様な熱気に包まれていた。本当に何でもありの世界で、カンボジアでこの時代に遭遇できたのは、今でも幸運だったと思っている。私の旅行は若かったこともあり、生きて帰ったらいいで、基本的には腕や足の1本や2本失ってもいいぐらいの勢いであった。何でも見てやろう、聞いてやろうで、UNTACの派遣で自衛隊員がAIDSにかかったトゥルーコックも見に行っている。
 映画では、カンボジアの歴史について現地のガイドに説明させていた。もんもん写真館でも載せているポルポト時代のトゥールス・レイン収容所の写真とまったく同じ場所が出てくる。私が最初にここを訪れた時には、今みたいに整備されておらず、観光客もほとんどいなかった。もんもん写真館に載せている頭蓋骨でできたカンボジアの地図は供養のために、今は展示されていない。私はその後も何回かここを訪れている。日本は明石大使がカンボジアに平和をもたらし、数多くの援助をしてきたので、カンボジア人は極めて親日的である。今は当時とは比べものにならないぐらい治安は安定しているので、興味のある人は訪れたらいいと思う。ある私の患者さんは最近投資のためにカンボジアを訪れているので、時代は変わったと思う。1度訪問したら、この映画のように何か発見できるかもしれない。
 実は、CNNでは現在「The Freedom Project」を特集している。「Modern-day slavery」で、少年兵の問題から子どもに対する強制労働まで特集を組んで放送している。私は英語の勉強のために毎日30分は香港発の「ワールド・リポート」を見るようにしている。興味のありそうな特集は別にビデオにとって見ている。「Human Trafficking」といい、国境を越えた人身売買のことも放送されている。ネパールからインドの売春宿に売られていく女性ばかりではなく、先進国のベルギー(だったと思う)に売られていく女性のことも取り上げていた。この10月22日(土)と23日(日)にも特集が組まれ、日曜日の放送ではカンボジアの悪名高い売春村であるスワイパーのことが放送されていた。最初は「スワイパッ(ク、ド?)」とパにアクセントがあり、よく聞き取れなかった。念のために、CNNのホームページで確認したが、間違いなかった。このホームページに出てくる英語放送はアナウンサーが説明しているので、聞き取りやすい。英語の勉強をしている人はこれぐらいの英語は聞き取れないとだめである。特集の放送では今でも少女売春をしているようなことを述べていたが、昔の取材をそのまま放送しているようであった。ホームページでは今は地下に潜ったが、かってはそうであったと書いている。放送では、数多くの西欧人や米国のペドフィリア(小児性愛者)を引き寄せていると述べていた。この番組では、7歳で母親に売春宿に売られてきた少女などが出てくる。番組の内容としては面白かったが、こういう番組を見れば見るほど気が遠くなってくる。貧困などの複雑な問題を抱え、解決するにはどんな努力も焼け石に水のような気がしてしまう。この番組に厳しい注文をつけるとすると、ここに出てくる少女はみな顔出しである。番組の後半では保護された大勢の少女が1人1人出てくる。番組の製作者側としては、同意を得て顔出しにしたというかもしれないが、私は反対である。そもそも、子どもとの合意がどこまで成立するのか疑問である。欧米では人権意識が行き渡っていることもあり、こういう場合はモザイク処理され、成人以外顔出しすることはない。
 番組を見ていて、「僕たちは世界を変えることができない。」とつくづく思った。その後に、映画のように、「しかし、………したい」と自分でその答えを見つけなければならない。

 

平成23年10月25日(火)

 この前の日曜日に久しぶりに体重計に乗ったら、また体重が増えていた。ついつい油断をして、昼食後にアイスクリームを食べたりしていた。もうちょっと減らすつもりであったが、いつの間にか数年ぶりに65kgを超えている。また、本格的なダイエットが必要である。家に帰ってからも、夕食後についつい甘いものを取ってしまっていた。量的には大したことはないと思っていたが、やはり運動不足である。車で通勤していた頃と比べたらまだ歩いている方である。最近は往診もしているが、とにかく食べる量が多かった。最低後2〜3kgは減らさないといけない。食欲も性欲も、なかなかコントロールできないものである。
 日曜日は相変わらず朝早くから医院に出て来た。今月中に書かなければならない自立支援医療の更新の診断書などを書いていた。京都市用はすでに診断書の様式を電子化しているが、京都府用はいつも手書きで書いていた。今回は時間に余裕があったので、京都府用の診断書をスキャナーでPDFに取り込み、書き込みができるように電子化した。電子化していたら、一部を訂正するだけで簡単に更新できると思うが、そうでもない。郵送しているので、手続きの指示書を書いて封筒に入れたり、けっこう手間隙がかかる。精神障害者保健福祉手帳の更新もあるので、手続きに間違いのないように確認も必要である。最近は、患者さんの住所が変わっていたりすると、保健センターから診断書の訂正の依頼があったりする。カルテにそのまま古い自立支援医療受給者証のコピーが貼ってあると、こちらも気づきにくい。住所を正確に書いたつもりでも、誤字あるとまた訂正を求められる。最近は更新用の診断書でも誤字がないか何回も見直すようにしている。ケアレスミスであるが、女性なのに、男性に○がしてあったりする。時々、漢字の変換間違いも見つかる。電子化すると、手書きでは絶対しないようなミスをしたりする。精神障害者保健福祉手帳用の診断書は、A4で2枚に分けて書き、コンビニでA3用紙1枚にコピーしてくる。この福祉手帳用の診断書も、京都府用はまだ電子化していない。年賀状の住所と一緒で、電子化を面倒臭がっていると、ついつい毎回手書きになってしまう。
 この日曜日は、午後5時半から東山医師会の秋の集いがあった。最近は京都駅近くのホテルでやるようになったが、以前のような料亭の方が情緒があったような気がする。参加費は3千円なので、あまり贅沢は言えない。毎回医学とは関係ない講師の先生を呼んで、話を聞く。今回は同志社大学心理学部の教授で、演題は「臨床心理学から見た感性と知性」であった。年代的には私と近い。札幌医大で臨床心理の経験があり、米国にも留学している。ちょっと型にはまった講演のような気もしたが、精神医学とは切り口が異なり、これはこれで面白かった。今まで、考古学など私があまり関心のない分野の講演が多かった。講演の後は、懇親会である。同じテーブルに京都第一赤十字病院の副院長が座っていた。私が在籍していた時には、救急でお世話になっていた。他にも、テーブルには開業している私より少し上の先生が何人か座っていた。医者の不養生で、みんな何年も人間ドッグや検診を受けていないという。糖尿病の専門家でも、自分の食のコントロールは難しいと言っているので、患者さんの指導はどうしているのだろうと思った。本音と建前を上手に使い分けるのも1つの方法かもしれない。しかし、自分ができないことを患者さんに強要するのもあまり納得できない。精神科は建前だけではどうにもならない。この日記と同じで、本音の部分も取り入れなければ面白くない。
 さて、今週読んだ本である。佐々木紀彦「米国製エリートは本当にすごいのか?」(東洋経済新報社)である。著者は同じ出版社に勤め、2007年より休職してスタンフォード大学大学院に2年留学し、修士号を取得している。題名だけ見ると、軽めの内容を想像するが、全く予想を裏切る。単なる個人的な留学体験ではなく、アメリカのエリート養成や考え方などを解説し、今後の日本のあり方を含め、優れた国際政治論となっている。著者は最初に、米国は日本以上に学歴社会だと書いている。スタンフォードでも、留学生の5割以上がアジア人で、とりわけ、中国、インド、韓国が伸びている。1997〜1998年には米国の留学生の中で日本が最大勢力であったが、2009〜2010年にはほぼ半減している。著者は「若者内向き論」だけではなく、少子化や不況、日本が西欧のように成熟国家になったことが関係しているという。留学生の質は以前より向上している。
 法学部のない米国での一番人気は経済学部だという。(ロースクールは大学院にしかない) ここでは経済学の重要性についても述べているが、その内容は目からうろこである。米国流教育の強みは、「演繹的に物事を考える能力」「限られた情報から物事を予測する能力」を鍛えてくれることにある。仮説を立て、それを検証し、修正していくという習慣を毎日叩き込まれているという。エリートは大きく3つの種類に分かれる。「経済エリート」「政治エリート」「軍事エリート」で、最も力の強いのが「経済エリート」である。米国ではお金が成功の基準になるのは、封建時代を経験していないからだという。貴族や武士が君臨し、商人を統治するという伝統がないため、富さえあれば権力も名誉も自然についてくる。日本では、いくら商人が富を築いても、名声は貴族階級のものであり、権力や武力は武士階級のものであった。ここでは日本人の根強い資本主義嫌い、お金儲け嫌いも指摘している。ホリエモンの「日本は江戸時代の昔から資本主義嫌い。商売人は常にねたみの対象」という言葉も引用している。中国のことも少し触れている。中国では金のない人は確実に権力を持っていないので、尊敬されないという。金はないけれど、尊敬される人は存在しえないのである。だから多くの中国人は、尊敬されるためにはまずお金持ちになろうとなる。
 いつもこの日記で本の紹介をする時に、前半の部分を詳しく書きすぎて、段々と疲れてきて後半の部分がおろそかになる。実はこの本は真ん中ぐらいから後半がもっと面白くなる。まだ前半であるが、日本ではなぜベンチャーが発達しないのかについても触れている。純粋なお金の計算として、ベンチャーに挑戦した方が大企業で働くよりも特という社会システムを作らない限り、本当に優秀な人間はベンチャーに惹かれないという。米国ではベンチャーに失敗しても簡単に働き口が見つかるが、日本では失敗したら自己破産である。「女性が働きに出れば出るほど、忙しくて子どもを生まなくなる」という通説についても、米国のような雇用の流動化は少子化の解消に役立つと指摘している。第4章の、歴史が浅いからこそ歴史にこだわるという部分も勉強になった。「歴史を入念に分析した上でなければ、将来への向けて的確な政策は打ち出せない」というのも納得できる。歴史の教養は、今を理解するためにヒントを与え、戦略構築に役立つ。将来を見通すための助けにもなる。
 やはり 段々疲れてきたので、後半に一気に飛ぶ。経済の相互依存は決定的な戦争の抑止力ならないという。著者はリアリストとして、経済利益の保護のためには、自ら武装するか、軍事大国と手を結ぶかの選択をしなければならないと主張する。中国が領土拡大の野心を持たないような、軍事バランスを保つことが重要で、米国の力が不可欠であるとも述べている。あくまでも大事なのは、パワーバランスなのである。このあたりのことについてはこの本で詳しく説明しているが、内容としては説得力がある。ロシアと日本の人口があまり変わりないのも驚いた。こういう本に出会うと、早起きも三文の徳と思えるようになる。

 

平成23年10月18日(火)

 きょうも朝6時前には医院に出てきた。ふだんはなかなか朝早く家を出ることはできず、5時47分発の京阪に乗るのがやっとである。自宅を出るのは、その10分前である。ちょっと前に5時17発の電車にも乗ったので、朝5時台の電車は初発からすべて制覇したことになる。5時8分、17分、27分、36分、47分と大体10分に1本ぐらいで出ている。私は土曜日も外来があるので、休診日以外の月曜日から土曜日までは毎朝5時に起きている。この生活は開業してどのくらい続いているのか自分でもよく覚えていない。この日記をさかのぼって調べたらわかるかもしれない。50代も後半になると、時々、このまま自分の人生が終わっていくのかと心配になる時がある。若い時には石の上にも3年ではなく、石の上にも10年で努力もできた。しかし、この年になると、10年後は下手をすると棺桶に片足を突っ込んでいるかもしれない。今は2人の子どもが大学にはいるまではこの生活を続けようと思っている。下の息子は高2なので、後2〜3年の辛抱である。
 ここでも何回も書いているが、年齢が行ってから子どもを作るのは大変である。私と家内は5歳違いであるが、誕生日の関係で、家内が33歳、私が39歳の時に長女を産んでいる。息子は41歳の時の子どもである。今では珍しくも何ともないが、当時はとんでもない晩婚であった。最近では女の人がアラフォーで子どもを作ったりする。しかし、まだ子どもが小さく、私の年齢には誰も達していない。私は38歳で結婚したが、当時これより年上で結婚した人はほとんどいない。当時独身だった人はそのまま今でも独身である。だから、自慢ではないが、私の証言は貴重なのである。もちろん個人差や時代の違いはあるが、寿命はこれ以上伸びないと思うので、年齢的な体力や気力は15年後もそれほど変わりない。医学が発達して、年齢的な衰えをある程度カバーできても、誰もうれしくない。年金の支給が70歳になって、それまで働き続けなければならないだけである。
 まず、40歳過ぎて子どもを生むと、60歳になってもまだ子どもは成人に達していない。どうしても若い時には60歳になった時の自分が想像できないが、体力や気力は確実に衰える。次に経済的な問題である。私はタイミングよく48歳の時に開業したので、2人の子どもを大学にやるだけのお金はすでに蓄えた。老後のこともあるので、まだ働かなければならないが、本音としては早く引退したい。前から言っているように、中途半端にお金が稼げるのもよくない。開業医は定年がないので、やろうと思えばいつまでもできる。次に、子どもの反抗期である。あまり大したことのない家庭もあるが、反抗期も度を越すと、親に対する虐待ではないかと思ったりする。浮気の定義は難しいが、私が過去に浮気をしたとか、浮気をしているというなら仕方ない。母子一体となると、私も我慢の限界を超える。次に夫婦仲である。若い芸能人が結婚するのを見ると、心から幸せな家庭を築いて欲しいと思う。しかし、現実的には離婚も多い。離婚するとどうしても幼い子どもにしわ寄せが行ってしまうので、安易な出産は反対である。専業主婦は子どもが小さい時の負担は大変である。しかし、これだけ不景気になると家庭を支える夫の負担はもっと大変である。これからは、専業主婦という生き方は無理である。もちろん、共稼ぎになったら、夫も家事を手伝わなければならない。こんな言い方をすると怒られるかもしれないが、現在の専業主婦は一歩間違えると、老後は不良債権化してしまう。みんな誰も言わないが、浮気を上手にやっている夫ほど、妻に対しては寛容である。私の息子は思春期なのに両親に対してあまり反抗しない。息子1人に、ねじれた家庭の負荷がかかり、本当に申し訳ないと思っている。
 この前の土曜日は、最近発売された脳のセロトニンを増やす抗うつ薬の研究会があった。主催は製薬会社である。参加者は100人ほどいたというので、それだけ新しい抗うつ薬に対する精神科医の関心も高い。講演は2つあり、題名は「うつ病治療の最前線」と「うつ病の診断と治療」であった。新しい抗うつ薬の特徴は知ることはできたが、内容的にはそれほどびっくりするようなことは含まれていなかった。それでも、抗うつ薬が心電図に影響するQT延長について詳しく教えてもらい、勉強になった。新薬が出るたびに、偽薬(プラシーボ)効果についてのデータには毎回驚く。新薬の治験の時には、偽の薬と新薬を処方をしている医者もわからないようにして、患者さんを使ってその効果を調べる。ところが、下手をすると、偽の薬と本物の薬の効果があまり変わらないのである。偽の薬でも、患者さんの3割ぐらいに効果があったりする。最近は、有名な海外の医学雑誌に載る論文についても、製薬会社のスポンサーがついているかどうかで内容が変わってくる。抗うつ薬は山ほど発売されているが、製薬会社がスポンサーとしてついていると、当然その論文ではその会社の抗うつ薬に有利なデータが出てくる。前回紹介した、高橋章一郎「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」(講談社現代新書)の内容と同じである。複雑な統計処理をして、自分の会社の薬が最も効果のあるようにデータ処理をしてしまうのである。このあたりのことについても講演では触れていて、面白かった。懇親会では、久しぶりに後輩にあたる福知山市民病院の先生とも話ができた。10年以上も移動がないということなので、今の医局の人事がどうなっているのかよくわからない。私もおそれ多くて、教授には聞けない。現在名誉院長をして週1回病院に勤め、来年の3月に完全引退する先輩の先生とも話をした。まだ元気な先生なので、75歳で全く仕事がなくなるのも寂しいかもしれない。
 月曜日には、いつものように労災の判定会議があった。今回は1件だけだったので、それほど時間はかからなかった。この仕事は2年の任期でまだ来年の1年が残っている。この任期が終わる3月に私は59歳になり、5月で誕生日を迎えて60歳になる。京都労働局には伝えているが、この仕事も今回で引退するつもりである。次の部会長は、京都第二赤十字病院の部長に任せる。最初に書いたように、私はこれまでほとんど全速力で走り続けてきたので、60歳を過ぎたら少しはゆっくりしたいと思う。

 

平成23年10月11日(火)

 きのうの火曜日は休診にしていた。この連休は京都にいなかったので、今回の日記は1日遅れの更新になる。この火曜日は休診にせず、ふだん通りに診察したらよかった。今月は震災で延期になっていた日本精神神経学会が東京である。実は専門医の更新のための点数が大幅に足りないことが最近わかった。学会のホームページにパスワードを入力したら自分の点数が確認できるが、パスワードを忘れてしまったので、長いこと自分の点数がわからなかった。つい最近、学会の方から専門医全員にパスワードを書いた郵便が送られてきた。学会に問い合わせをするのが延び延びになっていたので、やっと確認することができた。この5年間の間に日本心身医学会にも参加しているが、会員証を忘れて行ったので、関連学会の点数はもらえない。規定の点数を満たすには、まだケースレポートを2つ書いて面接試験を受けなければならない。今から休診にするわけにも行かず、先に休んでしまったことを後悔している。
 さて、この旅行中に読んだ本である。高橋章一郎「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」(講談社現代新書)である。著者は論理学・哲学を専門にしている國學院大学教授である。去年の造幣局の桜の通り抜けをした時に、近くの本屋で買った本である。そのままにしていたが、長いことぜひとも読んでおく本だと思っていた。新しい本ばかり増えていくので、この機会に一気に読むつもりであった。題名からは難解な内容を想像しやすいが、司会者が出てきて、(架空の)大学生、生理学者、カント主義者、論理実証主義者、数理経済学者などに、討論形式で理性の限界について話し合いをさせていく。この本は3章に分かれ、選択の限界ではアロウの不可能性定理が語られ、科学の限界ではハイゼンベルグの不確定性原理が語られ、知識の限界ではゲーデルの不完全性定理が語られている。これだけでは何のことかさっぱりわからないが、会話形式なので、内容はわかりやすく、感動的に面白い。
 選択の限界では、選挙の投票について詳しく解説している。我々はふだん多数決による投票は民主的で理性的な選択だと信じているが、その限界について明らかにしてくれる。投票と言っても、何人かの候補者の中から選ぶ投票方式によって選ばれる相手が変わるのである。1番わかりやすいのが、単記投票方式である。しかし、5人の候補者がいて、票が別れてどんぐりの背比べで、1位が過半数にも到底満たない場合は決して理性的な選択とは言えない。次に出てくるのが、上位二者決戦投票方式である。他には、勝ち抜き決戦投票方式があり、1位が最も少ない候補者を除外して再投票を繰り返す方法である。5人の候補者に順位をつけ、1位は5点、2位は4点と点数化し、総合得点が最高得点者を当選とする順位評点方式がある。他にも、立候補者を1対1で比較し、総当りで決戦投票を行い、投票数の多い人を選ぶ総当り投票方式もある。パウロスの全員当選モデルでは、上記の選び方で5人とも全員が当選してしまう例が示されている。実際の選挙では、単記投票方式や上位二者決戦投票方式が用いられている。これは強いリーダーシップが求められているからだという。わかりやすくいうと、好きな人も多いが、嫌いな人も多いという人が選ばれやすいということである。学会の理事や審議会の委員などは、順位評点方式が好まれ、無難な人が選ばれやすい。アロウの不可能性定理とは、完全に民主的な社会的決定方式は論理的に矛盾が生じて存在しないということである。
 この本はどこを切っても刺激的な内容で溢れている。精神科医として興味深かったのは、現在のゲーム理論の基礎となった「ナッシュ均衡」で有名なナッシュのことである。私は見ていないが、映画「ビューテイフル・マイド」の主人公となった人物である。23歳でマサチューセッツ工科大学の専任講師となり、天才ともてはやされていたが、統合失調症を発症し、その後30年以上にわたり入退院を繰り返していた。ところが1980年代後半から奇跡的に回復し、再び研究を始め、1994年に初めて数学者としてノーベル経済学賞を受賞している。量子論については以前に雑誌などである程度知っていたが、改めて最新の知見を知ると驚く。これまで、光の速度が不変というのはどういう意味があるのかもわからなかった。地球に垂直に進む光の速度も、地球の自転の方向に進む光の速度も同じなのである。ふつうは地球の自転速度分遅くなるはずである。速度という概念は、距離を時間で割った結果として定義される。どんな測り方をしても光の速度が不変であるということは、逆に時間と距離の概念が不変ではないということになる。他にも、ミクロの物質は通常波として存在し、それが観測される瞬間に粒子になると解釈されると、二重スリット実験の結果も示されている。最後の論理学の命題の立て方も興味深い。久しぶりに、何回でも読み直したくなる本を読んだと思った。
 この旅行の間に、もう1つ別のテーマを考えていた。何かというと、男の道楽と言われる飲む、打つ、買うである。(今回インターネットで調べてみたら、今の若い男性はこの意味も知らず、これらのことにお金を使わないという。家で仲間内とチューハイでも飲み、TVゲームをして、アダルト・ビデオや出会い系で充分だという。) まず、飲むである。私は月、水、金と酒を飲むのは控えている。それでも、年のせいか飲んだ次の日は調子が悪い。外来をやっていても苦痛になるほどである。缶ビールを3本ぐらい飲むと、すぐに眠くなる。前はその後でラム酒をストレートで飲んでいたが、もうそんな余裕はない。日によっては缶ビール1本でも眠くなって、その後何もできなくなる。最近は検診は何も受けていないので、1度人間ドッグも受けなければならない。飲んだ翌日に胸やけがするのも気になる。逆流性食道炎ぐらいならいいが、食道がんだったら大変である。
 次に打つは後回しにして、買うである。古今亭志ん朝の落語を聞いていると、吉原の張り店が舞台になったりしている。今ではこういうテーマで落語をするのは、ラジオやTVでは無理かもしれない。現在の買うは、援助交際や風俗までいろいろである。不倫やセフレが全く金銭的なことが関与していないのかはわかりにくい。浮気の定義は難しいが、夫の単発的な風俗は許せても、素人の子と親密な仲になるのは許せないという妻も多い。いずれにしても、ここでは買うは、女性との性交渉である。男性は女性とは生物学的に根本的に違うので、性欲の処理には誰もが悩む。女性が1ヶ月に1回周期的に生理があるように、男性も精液がたまると定期的に放出しなければならない。あまり我慢しすぎると、かえってセクハラや盗撮など変な事件を起こしかねない。私は若い頃は酒池肉林に憧れたが、年を取ると無理なことがわかってきた。美女10人に囲まれても、性交渉を持つことができるのはせいぜい1人である。20〜30代の頃なら、60分3本勝負も可能であったが、50代も後半になるとそれこそ5分1本勝負である。縄で縛ったり、コスプレをしたら、もっと時間がかかるかもしれない。
 さて、最後に打つである。打つはギャンブルである。飲む、打つ、買うは男の欲望を表している。しかし、飲むも買うも限界がある。特に年を取ったら、酒を浴びるほど飲むことはできないし、一時に何人もの女性と性交渉を持つこともできない。その場の欲望は限度があって、比較的簡単に満たすことはできる。ところが、ギャンブルだけは違うのである。はまってしまうと、年齢や体力は関係ない。脳が活性化され、ドーパミンがどんどんと放出され、満足の限界がないのである。ある程度睡眠を取らなければ肉体的な限界が訪れるが、やめ時がわからず、何回でも勝負ができる。パチンコからカジノに至るまで、ギャンブル脳ができあがってしまうと、なかなか他のことでは満たされなくなってしまう。最近限度のない興奮はドラッグを除いて、最終的にはギャンブルしかないと思うようにもなってきた。その分破滅と隣り合わせである。私は学生時代にパチンコで大負けして以来、競輪、競馬にも手を出していない。私は何でも凝ってしまうので、適度にギャンブルを楽しむということはできない。負けず嫌いもよくない。自分でも、禁断の扉は永遠に開けない方がいいと改めて思った。

 

平成23年10月4日(火)

 この前の木曜日は久しぶりにカメラを持って、亀岡のコスモス園に行ってきた。写真をやっている患者さんから1度は行ってみるように言われていた。土日は混みそうだったので、この日にした。天気は前日ほど青空は広がっていなかった。それでも、写真を撮るには充分であった。入園料は6百円である。広い敷地にコスモスが咲いているが、時期的にはまだ早かった。人もそれほど多くなかった。受付の人が話していたが、ちょうどNHKが取材に来ていた。中央にちょっとした高台が設けられ、コスモス園を展望できるようになっていた。取材陣がここを陣取って撮影していたので、写真を撮っていても少し落ち着かなかった。私は遠景でも、TVなどに自分の姿が映るのはあまり好きではない。さて、コスモスである。誰にも撮れない写真を撮ろうと思うと、なかなか難しい。きれいなコスモスの花を見つけても、そばにはまだ多くのつぼみがあり、そのまま映りこんでしまう。なかなか満足できるような写真が撮れなかった。こういう時には何かの素材集として使えるように、花を撮りためて置く。傑作は撮れなくても、後からDVDの印刷や絵ハガキなどに使える。
 土曜日は外来が終わってから、息子の高校の文化祭に大阪まで行ってきた。高3は受験があるので、高2が中心となる。学校のことはふだんは家内に任せているので、訪れたのは今回初めてである。3時ぐらいにダンスに出ると行っていたので、2時ぐらいには学校に着くように医院を出た。駅から歩いて15分ぐらいの所であるが、場所がわからないのでタクシーに乗った。ところが、遠回りをしているのかなかなか着かなかった。こんなことなら歩いた方が早かった。校舎の中庭にステージが作られており、それぞれのチームが踊っていた。中高一貫の男子校なので、男同士で盛り上がっていた。この雰囲気は私も女子が1クラス数人の高校に通っていたので、よくわかる。遊びに来ていた女子高生もいたが、思ったより少なかった。亀岡のコスモス園にはデジタル一眼カメラを持って行ったが、この時にはソニーのコンパクト・デジカメである。いつも旅行に持って行くが、15倍のハイビジョンの動画はびっくりするほどきれいに映る。観客席で今か今かと待っていたら、1番最後に出てきた。2本のロープを使って、音楽に合わせ、縄跳びのように、中で踊ったりアクロバットをする。ダブル・ダッチというが、息子の早とびは1回目は成功し、2回目はロープに足をひっかけて失敗した。それでも、親バカで息子1人が輝いて見えた。しっかりと撮影し、自宅に帰ってソニーのブルーレイ録画機に取り込んだ。以前から書いているように、私はいつも記録に残せるものは残すようにしている。この日記もそうである。20〜30年後に私が亡くなっても、息子がこのビデオを見てこの時のことを思い出してくれたらいいと思っている。
 日曜日も文化祭があって、また息子がステージに出ると言っていたが、この日は別の用事があった。池田の妹の近くに住んでいる母親が椎間板ヘルニアの手術で市民病院に入院していた。父親はケア付きの有料老人ホームに入所したままである。ちょうど私と1歳違いの妹がアメリカのサクラメントから帰国していた。母親の面倒は、この妹にすべて任せていた。池田の妹は相変わらす忙しそうにしていた。この2番目の妹と妹の旦那には私は頭が上がらない。母親が熱を出したりすると、妹の旦那がわざわざ弁護士事務所を閉め病院まで送ってくれる。今回はアメリカに帰るまで入院した母親の面倒をみるのは上の妹である。長男として両親に対して何もしていないので、非常に肩身が狭い。この日は朝早くからアメリカから帰ってきた妹と母親を見舞いに行った。2人の妹は母親が年をとって頑固になったと嘆いていた。父親は今年87歳で、母親は76歳である。2人とも昔人間なので、長男の私には直接文句は何も言わない。母親は話好きで、私が育った奥信濃といわれる飯山のことをいつまでも話していた。池田の妹の近くに来たのは平成18年9月だというので、もう5年になる。その頃は父親はしっかりしていたが、今では私のことも母親のこともわからなくなっている。
 前にも書いたが、サクラメントに住んでいる妹はカルフォルニアの州政府に勤めている。カルフォルニア州は赤字で、給与が15%カットされたという。その分月に3日休みが増えている。ボーナスがなくて、月給は月5千ドルだという。驚いたことに、州政府でも定年がないという。年金との関係で、それほど年をとってまで働く必要がないようである。仕事は忙しくなく、むしろ楽だという。サクラメントではヒューレット・パッカーやインテルの支社があり高給取りであるが、その分厳しくて忙しいという。妹は日本で離婚し、その後アメリカのコロラド大学に留学し、そこで知り合ったインド人と再婚している。アメリカも不況で、夫は民間会社で勤めているが、いつもやめたいと嘆いているという。夫も昔は州政府で働いていたので、今はやめたことを後悔している。日本では、今は公務員バッシングが盛んである。私はバブルの頃をよく知っているが、公務員なんか給料が安く、職業としてはどちらかというとバカにされていた。みんな給料のいい民間の会社に就職していった。民間の会社ではどんどんと給料が上がっているのに、公務員の給料は人事院勧告で微々たるものしか上がっていなかった。公務員のムダを批判するのはかまわないが、バブルに踊らされて会社を傾かせた自分の会社の経営者の責任も問うべきである。そんなに公務員が恵まれていると思うなら、どうしてバブルの時にならなかったのかと思う。民間に就職した人たちは公務員よりはるかにいい給料をもらっていた。今はこれだけ世の中が不況になっているので、公務員の給与カットはある程度仕方ない。しかし、マスコミを含め行き過ぎた公務員バッシングは、バブルの時を知っている世代としてはあまり納得できない。
 母親の見舞いの後は、梅田に行った。ハービスエントのソニーストアに寄るためである。11月にNEXシリーズ最上位のデジタル小型一眼カメラが発売されるが、ここでは10月から展示されている。ソニーのカメラは暗い所に強いので、捨てがたい。新しいオリンパス・ペンも魅力的であるが、動画と暗所を考えると、どうしてもソニーのカメラになってしまう。これまでのNEXシリーズはファインダーがなかったので無視していたが、今度のシリーズはファインダーが付いている。実際に製品に触れてみたが、期待した割にはもうひとつ手にしっくりとこなかった。初めはよくわからなかったが、ファインダーが左に寄り過ぎている。最近発売された1つランク下のカメラの方が、よく手になじむ。電子ビューファインダーも取り付けができ、こちらの方が私には魅力的であった。
 さて、最後に今週読み終えた本である。内田樹「最終講義 生き延びるための六講」(技術評論社)である。この著者の本は、「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)、「こんな日本でよかったね」(文春文庫)、「身体知」(木星叢書)、「日本辺境論」(新潮新書)、「増補版 街場の中国論」(ミシマ社)を持っているが、まだ一冊も読み終えていない。著者を意識して買ったというより、本屋で面白そうだと思って選んだら、いつの間にかこれだけ貯まってしまった。作者の印税には随分と貢献したと思う。「身体知」は三砂ちづるとの共著であるが、ほとんど読んでいない。本の整理をしていて、最近この著者の本だと気づいたぐらいである。著者は東大を出て、フランス現代思想を専門にし、神戸女学院大学を今年定年退職し、現在は合気道の師範をしている。もう夜も遅くなってきたので、さわりの部分だけ紹介したい。まず、北方領土問題である。アメリカは北方領土問題に首をつっこめないという。アメリカが北方領土問題に口を出してきたら、ロシアは絶対に「じゃあ、そっちは沖縄を返せ」と切り替えしてくるという。北方領土問題が解決したら困るのは、アメリカだけなので、アメリカは日本国内で「北方領土問題が解決しない」ように世論形成を行っているという。鳩山元首相についても、沖縄の「抑止力」に関して知らなかったと発言して集中砲火を浴びたが、この「抑止力」とは軍事用語としては慣用的に核兵器についてしか使われないという。核抑止力というのは心理ゲームで、沖縄に核があるというふうに中国や北朝鮮、ロシアに思わせておくと、実際になくても経費ゼロで抑止力だけが働く。最新の戦闘機などは実際に配備して、デモンストレーションしなければならないが、核については永遠に使用されない兵器なのでわざわざ公開する必要もない。アメリカが基地を撤収してしまったら、沖縄に核兵器がないことがばれてしまうのである。これだけ沖縄県民が反対しているのに、アメリカが沖縄の基地にこだわっていると、周辺国はますます沖縄の米軍基地には核兵器があるに違いないと思うのである。著者は、毎日新聞の記事だけから「街場の中国論」を書いているが、政府の公安筋が情報源をわざわざ聞きにきたという。日本の専門家は断片的なピースから全体のピクチャーを描く能力が低いという。その点、著者のいくつかの断片的な情報から、それらを全部繋げて説明できる「ストーリー」を思いつく才能には本当にびっくりする。最後に載っている「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか」も面白かった。講演内容なので読みやすく、著者の全体像をつかむ入門書としては最適である。

 

平成23年9月27日(火)

 きょうは朝3時50分頃に目が覚めた。ふだんはそのまま5時近くまで寝るが、少し寒くてトイレに行くかどうか迷っていた。迷っているうちに段々と頭が冴えてきて、そのまま寝るのはあきらめた。私はふだんは10時には床に就く。そして、30分ぐらい本を読んで眠くなったら寝る。5時前に目覚ましをかけているが、最近は目覚ましがなってもなかなか起きれないほどぐっすりと眠っている。今は夏の頃と比べたら格段によく眠れるようになっている。それでも時々早く目覚めてしまうこともある。前々からこの日記でも書いているが、きょうみたいな日は朝1番の電車に乗るにはいい機会である。4時半まで寝床で読みかけの本を読んでいた。なかなか面白い本で、そのままずっと読み続けてしまいそうであった。この本については、ぜひとも来週の日記で紹介したい。自宅を5時前に出て、5時8分の京阪丹波橋駅発の1番電車に乗った。この時間だとあたりはまだ真っ暗である。朝の散歩をしている人もいなかった。駅の近くの飲み屋に大勢の人がはいっていたのは驚いた。朝1番の電車でも途中からけっこう人が乗ってくる。ざっと見渡しても、東福寺駅に着くまでに、1車両に6〜7人ぐらいの乗客がいた。私が毎朝2時頃に起きて、歩いて医院に行くようになったら、入院が必要である。
 この前の日曜日は医院に出て、相変わらず書類を書いていた。とんでもなくややこしい新規の障害者年金の診断書と個人的に頼まれていた労災の意見書である。他に、生活保護の患者さんの新規の自立支援医療の診断書が2通である。たったこれだけの書類を書くだけでも、5時間ぐらいかかった。それでも、秋分の日はゆっくりとできたので、今週は2本の映画をみることができた。木曜日の夜に見たのが、「世界侵略 ロサンゼルス決戦」である。最初から最後までエイリアンとの戦闘を描いている。映画の出来としては、これはこれで私には充分楽しめた。巨大な鳥の巣のような宇宙船を見て、「第9地区」の宇宙船を思い出したが、インターネットで確認して見たらぜんぜん形が違っていた。記憶とはいい加減なものである。うろ覚えであるが、昔見た「スターシップトゥルーパーズ」に近い内容かもしれない。この種の映画では、私はトム・クルーズ主演の「宇宙戦争」が大好きである。ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオには、この映画で出てくる墜落した飛行機の残骸の光景が、スタジオ・ツアーで見れる。実物大に作られた本物そっくりの広大な墜落現場の中をバスで通っていくが、そのリアリティには本当に感動した。これだけでも、ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオに行ってみる価値がある。
 土曜日の夜は、今話題の韓国映画である「アジョシ」を見に行った。久御山のイオン・シネマでイオンカードを使ったら、夜間割引で千円である。夜8時50分からの上映で、満員とまではいかなかったが、けっこう観客がはいっていた。私は映画を見るときには、雑誌や新聞に書いてある映画の内容はほとんど読まず、評価だけさっと見る。そして、自分好みの評判のよさそうな作品を選ぶ。韓国映画は、これまで見たのは「チェイサー」ぐらいである。この「チェイサー」についてはこの日記でも取り上げたが、びっくりするほど迫力があり、面白かった。「アジョシ」も子どもが出てきて、この路線に近い作品である。麻薬中毒の母親が殺されて、臓器移植のために内臓を取られる。残された母親の幼い娘も誘拐され、この家の隣に住んでいた元特殊工作員が犯罪組織と戦う物語である。この映画は私の中では今年ベストワンであった。今まで見てきた映画は何だったのかと思うほど、最初から最後まで緊迫感があり、見所満載である。私はビートたけしは好きであるが、北野武監督の作品はあまり好きでない。この圧倒的な暴力シーンは北野ワールドも凌駕する。日本の液晶TVやスマート・フォンなどがサムスンなどの韓国製品に遅れをとっていると言われている。しかし、この作品を見て、日本は映画でも韓国に負けていると思った。こんな力強く、迫力のある作品は日本では作れない。去年のキネマ旬報ベストテンで、外国映画の1位に選ばれたのが、韓国映画の「息もできない」である。ツタヤでレンタルしてコピーしたままであったが、早速見てみようと思ったぐらいである。それぐらい、韓国映画には勢いがある。韓流ドラマは見たことはないが、どうして流行るのかわかったような気がした。
 さて、最後にまた土曜日にやっていたNHKの番組である。ビデオに録画して後で見たが、生々しい特集であった。「もしも明日……わが子に虐待を始めたら」である。スタジオには、体罰肯定派のジャガー横田などのゲストが参加し、実際に子どもに虐待をしたり過去にした母親と、実際に虐待を受けた人が数人づつ参加していた。顔出しで出演している人も、上半身ぼかして出演している人もいた。みんなでこの番組のために作ったドラマを分けて見ながら、話し合っていく。このドラマも生々しく、見ているのが辛くなるほどである。ドラマの内容はよくあるパターンである。暴力的な父親から逃れるために、18歳で妊娠してろくでもない男と結婚し、その内夫の暴力や借金、浮気などで離婚する。幼い息子を抱えて働きに出るが、生活に疲れ果て、もっとお金の稼げる水商売で働くようになる。そこでもストレスがたまり、幼い子どもはいつも母親を必要としているので、子どもがぐずったりすると、いらいらして叩いたりするようになる。このドラマでは、最後は同じマンションに住んでいる虐待を過去にしていた女の人に助けられる。番組で指摘していたように、近所付き合いが苦手で、人に頼ることができない人が追い詰められいく。この番組に出演していた虐待を受けていた女性は、摂食障害やうつ病になったり、PTSD(外傷後ストレス障害)になったりしていた。男性はどうなるかというと、引きこもりになる人もいるが、非行に走って暴力団にはいったり、薬物に手を出したりする人もいる。このドラマに出てきた幼い男児は今はかわいいが、このまま虐待を受け続けて大人になったら、手のつけられない暴力男になる可能性も高い。虐待が虐待の再生産となっている。社会がおせっかいになることが大切と言っていたが、都会では隣に誰が住んでいるかもわからず、ふつうの人でも孤立化しやすい。「アジョシ」では、母親が麻薬中毒で、育児放棄されたその幼い娘が元特殊工作員がやっている隣の質屋に遊びに行くようになる。このNHKの番組の中のドラマで、幼い息子が母親に花を捧げるシーンがあったが、この「アジョシ」でもこの幼い娘がこの元特殊工作員に花を捧げているシーンがあったことを思い出した。

 

平成23年9月20日(火)

 先週の金曜日は、TVでNHKスペシャル「生活保護3兆円の衝撃」をやっていた。私は夜10時には床につくので、録画した分を土曜日に見ていた。私の開業している東山区は高齢化が進み、65歳以上が占める人口の割合は全国平均で23%にも達していないのに、すでに30%を超えている。その分、生活保護の人が占める割合も多い。隣接している南区も多い方である。標榜している科が心療内科や精神科なので、生活保護の人の割合は必然的に多くなってしまう。毎月うんざりしながら書いている自立支援医療の診断書も、ほとんどが生活保護の患者さんである。会社に勤務している人は、外来の治療費が安くなる自立支援医療をあまり申請しない。せいぜい、うつ病で長期間休んだことのある患者さんぐらいである。この自立支援医療は、基本的には神経症に属するパニック障害には適応されない。統合失調症やうつ病圏の患者さんが対象になる。
 医療費が無料になる生活保護の患者さんが、どうしてわざわざ自立支援医療を受けるかというと、患者さんの医療費を福祉事務所が払わなくて済むからである。医療費の財源が国かどこかに変わり、生活保護の患者さんの医療費を削れるからである。京都市も財政的に苦しいのはわかるが、心療内科や精神科に通院している患者さんについては自立支援医療の対象になるか必ず福祉事務所から問い合わせがある。ここで問題になるのは、うつ病という病名そのものである。ここでも何回も書いているように、新型うつ病が出現し、うつ病概念が専門家の間でも混乱している。それに加えて、今の保険制度では、抗うつ薬をたとえ少量でも使う時には、病名としてうつ病をつけなければならない。最近はいくら不眠が強くても、穏和精神安定剤であるベンゾジアゼピン系睡眠導入薬をたくさん処方することはできにくくなった。どうしても眠れないという人には、代わりに眠気のする抗うつ薬を処方したりする。あくまでも、不眠の改善のために抗うつ薬を使っているのに、保険病名としてはうつ病という病名が必要になる。
 生活保護を申請しようとする人の中には、精神科に通院していたら生活保護が通りやすいということで、先に受診してくる人もいる。確かに、不眠や抑うつ気分はあるが、どこまで深刻なのかよくわからない患者さんもいる。こういう人は、2週間の薬を出しても、2〜3ヶ月に1回ぐらいしか受診しない。そのうち自立支援医療の診断書を福祉事務所から頼まれるが、この時にはこちらの方で断ったりする。すると、生活保護の担当の人から何か言われたのか、急に患者さんがまた定期的に通院しだしたりする。しかし、自立支援医療の申請をしたら、もた元の木阿弥である。中には、長いこと通院しておらず、自立支援医療の更新の手続きを送ると、その時だけ受診する患者さんもいる。どこまでうつ病なのかわからない患者さんについては、日常生活で大きな支障がなければ無理に通院をする必要はない。生活保護の担当者は定期的に精神科を受診するようにすぐ指導するが、通院が不定期になるのは、それだけ患者さんが治療の必要性を感じていないということである。昔と比べると、生活保護を受け続けるためや就労しなくても済むように、精神科を利用する患者さんが増えたような気がする。
 さて、NHKの番組である。大阪市では生活保護の人が増え、その割合は18人の内1人である。市の予算の17%が生活保護に使われている。生活保護費は1人暮らしの場合は家賃代も含め、1ヶ月12万円前後である。最低賃金で1ヶ月働き続けても、生活保護費の方が高いという矛盾も出ている。これは年金についてもいえる。ずっと国民年金をかけ続けても、老後は生活保護の方がずっと豊かな生活が送れる。現在は不況などで派遣切りなどが行われており、若い人で生活保護を受けるケースが増えている。生活に困窮して一時的に生活保護を受けるのは仕方ないが、そのまま就労意欲をなくし漫然と受け続ける人も少なくない。番組では試算をしていたが、30〜65歳まで生活保護を受けると、1人3千5百万円が税金で支払われることになる。
 他にも、貧困ビジネスのことが取り上げられていた。この中で、生活保護の患者さんは医療費がかからないということで、必要以上に薬を出したり検査漬けにする医療機関のことも指摘されていた。あちこちの医療機関を受診し、ベンゾジアゼピン系睡眠導入薬をたくさん処方してもらい、小遣い稼ぎのために裏で売りさばいている実態も紹介されていた。ホストやホステス、風俗の仕事をしていた人が生活ができなくなり、生活保護を受けることがある。しかし、これまで9時ー5時の会社で働いた経験はないので、一般企業への就職は限りなく不可能に近い。福祉事務所が格安のホストクラブや風俗店を経営するわけにはいかない。番組でも指摘していたように、若い人には社会貢献活動の義務化など何らかの対策が必要である。私が所属している医療業界は今は山ほど問題を抱えている。それこそ、どこから手をつけたらいいのかわからないほどである。勤務医の過酷な労働も、ただ医学部の定員を増やしたら解決するという単純な問題ではない。農業などの他の産業も同じで、雇用からこの生活保護の問題も根が深い。それぞれの領域で小手先で解決しようと思ってももう無理である。ちょっとやそっと部分的に変えても、何の解決にもならない。何らかの日本全体の抜本的な改革をしなければ、近い将来国全体が立ち行かなくなるのは目に見えている。
 この連休は、自立支援医療の更新の診断書や障害者手帳の診断書、障害年金の診断書を書いていた。日曜日は朝8時から昼食時間も入れ、午後3時ぐらいまでかかった。ずっと書類を書き続けるのはうんざりするが、山のようなカルテを次から次へと処理していくのはすっきりする。きのうの月曜日は会計事務所に送る書類を整理していた。いつの間にか7月分と8月分の2ヶ月分がたまっていた。他にもややこしい新規の障害年金の診断書や京都労働局から個人的に頼まれている意見書の作成があったが、もう何もやる気がしなかった。今月は秋分の日もあるし日曜日もあるので、まだ余裕である。
 最後に大分前に読み終えた本と見た映画について簡単に触れておく。まず、佐藤優、中村うさぎ「聖書を語る」(文芸春秋)である。私の医院では週間文春をとっているので、中村うさぎの連載をたまに読むことはある。中村うさぎは、ブランド物の買いあさり、ホストクラブ通い、美容整形、デリヘル体験で有名である。中村うさぎが同志社大学を出ていることはこの本で初めて知った。佐藤優も同志社大学を出ているので、私も含め同時期に3人とも京都に住んでいたことになる。意外なことに、中村うさぎもキリスト教徒でこの分野では知識が豊富である。この本は2人の対談形式になっている。新約聖書が書かれたのは、「終末遅延問題」が動機になっているという。イエスは「私はすぐ来る」と言って消えたので、終末のときは比較的早く来るとみんな思っていた。ところが、3年待っても5年待っても来ず、40年待ったところでようやく心配になってきて、新約聖書にあたる福音書を書き著す気になったという。それで、今や2千年近くも待っているのであるが、終末はまだ訪れていない。佐藤優は大学院神学研究科を出ているので、このあたりのことになると詳しい。イスラム教では、キリスト教やユダヤ教と根本的に異なり、原罪という考えがないという。ところが、キリスト教でもカトリックだけは、マリアだけは無原罪であると認めているという。中村うさぎが、宗教=洗脳という刷り込みが強いと発言すると、佐藤優は、われわれにとって最大の洗脳は「貨幣」だと指摘する。キリスト教にとどまらず、震災や原発のことも語られ、興味深い対談となっている。
 次に、小山修三「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ)である。最近亡くなったのは新聞などで知っていた。知的生産の技術で有名であるが、どんな人物なのかはほとんど何も知らなかった。梅棹はどんな読み方をするのか、この本を読むまでわからなかったぐらいである。この本も対談形式で、弟子の小山が聞き手となっていている。内容としては、当時としては画期的であったかもしれないが、今となってはそれほど目新しいことはあまり書かれていない。内輪の自慢話みたいで、私はあまり楽しめなかった。死の直前のインタビューなので仕方ないかもしれないが、「知の巨人」といわれた人物の魅力はこの本からはあまり伝わってこなかった。梅棹忠夫については他にもたくさんの本が出ていたので、別の本を選んだらよかったかもしれない。最後に映画である。「ハンナ」は封切りになったばかりの時に見に行った。殺し屋として成長した16歳の少女ハンナの物語である。前半はよかったが、後半は逃げまわってばかりで、もう1つであった。それでも、映画としては最後までそれなりに楽しめた。

 

平成23年9月13日(火)

 相変わらず暑い日が続いている。さすがに、夜はエアコンも扇風機も消して寝ているが、朝起きたら汗だくである。夏の間は、朝起きたらシャワーを浴びるようにしている。いくら前日の夜に風呂で身体を洗っても、また汗臭くなってしまう。新しく下着を着替えて、家を出てくるが、私は早足なので、家から医院の間でも一汗かいてしまう。月曜日から土曜日まで外来をやっているので、特に夏の間は汗の臭いには神経質になる。
 先週の木曜日は、京都復職支援ネットワーク会議があった。私は産業医の資格を持っていないので、これまでこの会議には参加したことはなかった。産業医、人事労務担当者、精神科医の連携を図るための事例検討、交流会となっていた。会場は京都府医師会館で、二条駅に新しくできてから初めて行った。定員50名のところに100名が集まったという。精神科医はあまり参加しておらず、会社関係の人と産業医が多かった。精神科医は医師会関係で活躍している先生が司会をしたり、意見を述べたりしていた。宇治おうばく病院の院長が新型うつ病について解説していたが、わかりやすくまとめられていた。それでも、内科系の産業医の先生が話していたように、いろいろな会に参加して話を聞いても、なかなか理解できないだろう。うつ病概念は、精神科の専門医の間でさえ混乱している。そして、精神科医の書く診断書についてもみな病名が違っていると、産業医を困惑させている。会場から出ていた質問に医師会関係の精神科の先生が答えていたが、同じ精神科医の私でさえその意見にまったく同意できたわけではない。精神科の病気の捉え方や考え方がそれぞれの精神科医によって異なるので、特に答えにくい質問には答える人によって大きな差が出てしまう。私だったら、別の答え方をするだろうと思った。それぐらい専門外の人にわかりやすく説明するのは難しい。同じ質問でも精神科医の答えが違っていたら、事情のわからない産業医や人事関係の人はますます混乱してしまうだろうと思った。
 今は長期の休職をしている人に対して、役所や企業も復職支援プログラムを用意してくれる所が増えてきた。職場復帰する前に、同じ職場に午前中だけ、次に午後3時まで、次に定時までと出勤させて徐々に慣らさせてくれる。会社を休んでいる時でもある程度改善したら、職場復帰訓練をしてくれる医療機関やリワーク支援をしてくれる地域障害者職業センターの利用もできるようになった。ちょっと前までは、職場復帰したらいきなり通常の業務を1日8時間こなさなければならなかったので、すぐにダウンする人も多かった。それでも、職場復帰訓練や復職支援プログラムを受けても、なかなか職場に戻れない患者さんもいる。
 その中には、すべてではないが、こういう患者さんもいる。不況になって、どこの企業も以前と比べたら職場環境が厳しくなっている。これまで人並みに仕事がこなせなていなかった人でも、周りがカバーして何とかやり過ごせてきていた。ところが、段々と1人が負担する仕事量が増え、職場に余裕がなくなってくると、こういう人は仕事をこなせなくなってきて、ついにはダウンして休養となってしまう。職場復帰訓練や復職支援プログラムも、本来の能力以上の物を獲得させることは無理である。こういう患者さんが会社を休むと、会社も足りない1人分を補充する余裕もないので、周囲の人にますます仕事の負担がかかることになる。職場復帰しても、充分に仕事がこなせるわけでないので、同僚から苦情が出て、患者さんも仕事を続けることが困難となってくる。実際に、忙しくなったら必ず休むと言われ、同じ職場の人から総スカンをくらっていた患者さんもいた。いくら職場でうつ病の患者さんに理解をと言っても、毎回忙しい時に患者さんの仕事の分まで負担がかかってくると、理解は得られにくい。こういう時に、私はどう対処しているかというと、「同僚からグチを言われるのも、給料分にはいっている」と患者さんには伝えている。今の若い人と比べたら、40代、50代の人は高い給料を得て、正社員として身分も保障され、いくら休んでも給料は組合などから補填される。同僚とは給料もそれほど違わないので、仕事量が少ない分、苦情代も給料にはいっていると理解してもらっている。仕事ができない分給料に大きな差がついていたら、同僚もあまり文句は言わない。
 先週の土曜日は、夜6時からある製薬会社の主催で、双極性障害(躁うつ病)についてのシンポジウムがあった。新しい双極性障害の薬の発売を記念して催された。府立医大、京大の教授も参加し、このシンポジウムには100人ほどの精神科医が集まっていた。新型うつ病の出現によってうつ病概念が混乱しているが、双極性障害も精神科では大きなトピックスとなっている。私の若い頃は選挙になると必ず躁病になる人がいたりしたが、どちらかというと珍しい病気であった。ところが、今ではうつ病だと思って治療していた患者さんが軽い躁状態になったりする双極性U型障害の患者さんが増えてきている。双極性障害では、いくらうつ状態の時でも抗うつ薬を使うなと最近言われだし、1番ホットな話題が多い領域である。これまで、うつ病の講演会はたくさんあったが、双極性障害の専門の先生の話を聞く機会はなかった。
 今回は、大分大学の教授が「双極性障害の診断と治療」について講演してくれるということで、これだけの精神科医が集まっていた。講演会は、本当に勉強になった。最新の知見を知ることができた。講演で使っていたスライドを資料として配布してくれたのも有り難かった。ただ、うつ病として治療していた患者さんが、その後軽躁状態になったからと言って、後出しジャンケンのように、すべての患者さんに対して双極性U型障害を見逃していたと言えるのかは疑問であった。うつ病として治療していて、10年後、20年後に躁状態を来す患者さんも実際に経験している。これまで抗うつ薬もよく効いていたし、軽い躁状態を見逃していたようにも思えないケースもある。この講演会で、双極性U型障害などの双極スペクトラムの研究で有名なアキスカルが、躁うつ病であったことを初めて知った。講演会の後は、情報交換会(懇親会)があり、何人かの精神病院の院長とも話をした。京都から離れた精神病院では、医者の確保が大変だと言っていた。同じ京都市内の病院でも、若い医者の確保が大変だと言っていたので、精神病院は精神病院なりの悩みを抱えているようであった。
 日曜日は、医院の故障したエアコンを交換したり、京都駅近くのマンションのいらない机やパソコンを有料で処分したりしていた。実は、この日は午前10時からインターネットで、FIFAクラブワールドカップジャパン2011のチケットが売り出されていた。今年はバルセロナのメッシが来ると言うことで、息子が楽しみにしていた。親ばかと言われたら親ばかであるが、なんとかチケットを手に入れようとパソコンの前で必死であった。3年前には、2人で10万円という決勝戦のスーペリアパッケージを取ることができた。この時には、売り出しの初日はウィーク・デイで、外来の診察の合間に何回もアクセスしてやっと手に入れることができた。ところが、今回は売り出しの初日が日曜日ということで、なかなかアクセスできなかった。記念品もつく今回のスーペリアパッケージは、9万円であった。時間を置いて、何回も挑戦するがなかなかつながらなかった。一眠りして、2時頃にやっとつながったが、すでにスーペリアパッケージは売り切れ、1人3万円の席も売り切れていた。やっと1人2万3千円の席を手に入れることができた。決勝戦は12月18日で、横浜である。月曜日の外来を休むわけにはいかないので、新横浜から夜10時発の新幹線に乗って、最終地点である名古屋まで帰る。この日は名古屋に泊まって、翌日は外来に間に合うようにまた新幹線で京都に帰ってくる。私はふだんは忙しいので、TVをゆっくり見ている暇もなく、特別サッカーに興味があるわけでない。息子が高校に進学する時にサッカーをやめさせているので、父親としてつきあうしかない。今回は交換条件を出しているが、そのことについてはまた年末に書こうと思う。
 この日記での忙しいという言葉には聞き飽きたかもしれないが、日曜日はきのうあった労災判定会議の資料を読まなければならなかった。今回は5件出ていて、相変わらず資料もぶ厚かった。何とか1件は読んだが、2件目はややこしく、途中で読むのが苦痛になってきた。仕方ないので、残りの4件は当日の朝に読むことにした。きのうは新聞の休刊日だったので、朝早く家を出ることができた。京阪丹波橋から5時27分発の電車に乗ってきた。いくら休刊日と言っても、朝はシャワーも浴びるので、油断をすると遅れてしまう。出発時刻の7分前を切って自宅を出ると、時間に間に合わず、ずっと走り続けなければならない。こんな朝早くから、なんで走らなければならないのかと思ったりすることもある。目覚ましが鳴ってもすぐ起きれるわけではないので、ふだんの日にこの電車に乗るのは困難である。これまで何回か乗っているが、途中から大勢の乗客が乗ってくるのには驚く。医院について2件目の資料を読んでいたが、やはりややこしい。職場でのパワハラについては、上司や同僚などからも聞き取り調査もするが、今回は登場人物が多すぎる。組織図を見ながら、どこの誰がどう発言しているのかいちいち確認していかなければならなかった。私が司会をするので、あまり手をぬくわけにはいかない。何とか外来が始まる前までに読み終えることができた。今月はいつもの自立支援医療の診断書などやることがたくさん残っているが、今度の連休にすべて片付け、23日の秋分の日はゆっくりしたいと思う。

 

平成23年9月6日(火)

 8月は盆休みの休診は3日間だけだったので、去年より保険収入は大幅に増えた。1月〜7月までの保険収入は5.2%減であったが、8月までで何とか3.3%減まで持ちなおした。12月までの残りの4ヶ月間で、このまま3%減にまで抑えることができそうである。医院によっては、患者さんが多すぎて1ヶ月先まで予約が取れない所もある。京都市内でも、患者さんの混み具合は場所によっていろいろである。不況で、他の業界(特に自営業)が全滅に近い状態なので、この程度の減収で抑えられるのはまだましだと思っている。ここでも何回も書いているが、10年前と比べたら、精神科の外来患者さんの1回あたりの診察料(診療報酬)は800円〜1000円も減っているのである。心療内科の開業は内科などと比べたらレントゲン室や高価な医療機械がいらないので、設備投資はかからない。私の医院で唯一揃えている医療機械といったら、血圧計ぐらいである。口先だけが勝負で、その分、気楽で割りのいい仕事かというとそうでもない。どんな仕事でも、隣の芝生は青く見えるものである。
 実はこの前の火曜日はこの日記の更新が遅れて、夜中の12時近くになってしまった。どうしてこんなに遅くなってしまったのかというと、1人の患者さんの入院先がなかなか決まらなかったからである。私の医院に真面目に通院していた患者さんではないが、この業界の掟として、何かトラブルがあると、最後に診察していた医者が主治医として対処しなければならない。この患者さんがあるトラブルで警察に逮捕されたが、異常な言動が認められたため、自傷他害の恐れがあるということになった。こういう時には、24条通報といい、警察から保健センターに連絡し、保健センターから連絡を受けた京都市が強制入院である措置入院が必要かどうか診察と受け入れをしてくれる病院を探してくれる。この時には、私の医院にも保健センターから簡単な問い合わせがあった。病院では落ち着いていたのか、診察を受けて措置入院の対象にならないということになった。ところが、帰されてすぐ別のトラブルを起こし、また警察に保護されてしまった。
 そして、先週の火曜日に私の出番となった。この患者さんを担当していた福祉事務所の人からも保護していた警察からも何とかしてくれと頼まれた。仕方ないので、措置入院を断られた病院に私から連絡をしたが、なかなか簡単には受け入れてもらえそうになかった。とりあえず、警察署から私の医院まで送ってもらい、この患者さんを診察をした。興奮状態でうろうろし、警察官3人が目を離せずつきっきりとなっていた。これでは、このまま帰すわけにはいかない。もう夜勤帯にはいっていたので、他の病院に頼んでも断られるのはわかっていた。しかし、こういう場合は断られるのはわかっていても、実際に連絡して断られたという実績を作らなければならない。いくつかの病院に入院依頼をしたが、予想通り全部断わられしまった。この患者さんの担当の福祉事務所の人も保健センターと連絡を取り、私の方から京都市にもう一度連絡して欲しいと頼まれた。仕方ないので、私から京都市に連絡した。結局、最初に受け入れを断られた病院とまた連絡を取り合うことになった。こういう場合は、若い頃の私だったらものすごく抵抗があったが、今はこれしか方法はないので、平身低頭でひたすら入院をお願いした。結局、緊急入院で受け入れてもらうことが決まって、一件落着となった。今回のケースでは、警察や福祉事務所などの行政を巻き込んでいたので、最終的に何とでもなると思っていた。1番困るのは、行政がまったく関与していない場合である。措置入院の対象にもならず、どこの病院にも入院を受け入れてもらえない患者さんがトラブルを起こした時である。こういう場合は、32年間精神科医をやってきた私でも、本気でもう医院を閉めようかと思うぐらい危機的な状況となる。
 前にも書いたが、精神科に通院していた患者さんが逮捕されて警察署に留置されると、これまで服用していた薬は持ち込みはできない。警察署が新たに医療機関に頼んで、国費で薬を出すことになる。これもすでに書いているが、私は酒井法子が逮捕された覚醒剤の加熱吸引(あぶり)について、日本で初めて医学論文にして発表している。この時には、まだ精神科の臨床の場でこの方法で覚醒剤を乱用している人に出会うことはなかった。私は当時京都府警の協力を得て、この方法で乱用して逮捕された人の調査をすることができている。被疑者に直接会うことはできないので、予めこちらが用意した質問に答えてもらった。他にも、医学論文にした高知市浦戸大橋からの投身者の自殺でも、当時管轄の警察署の協力を得て調査できている。今はいくら医学的研究のためと言っても、個人情報の保護があり、警察からの協力を得ることは不可能である。この時の調査では京都府警には本当にお世話になった。だから、警察署から被疑者の薬を出して欲しいと頼まれた時には私の患者さんでなくても、できる限り協力している。
 ところが、薬を出して欲しいと依頼された被疑者の中には、とんでもない人が紛れているのである。薬をこちらが出しても、これでは効果がないと無理難題を言ってくるのである。警察署も困りはてて、先週の水曜日に被疑者を1人連れてきた。こういう場合は手錠をして、何人かの警察官が付き添ってくる。最初にも診察しているが、どこの医療機関にもかからず、友人から睡眠導入薬をもらっていたという。ヒルナミンなども処方したが、これは合わないと言って、次から次へと穏和精神安定剤系の薬ばかり要求してくる。この日は、エリミンを出せと言っていくらこちらが出せないと説明しても納得しない。あまりにも横柄な口をきくので、私も最後は切れてしまって、怒鳴り合いとなった。その時に、相手も興奮して私に向かってきたので、警察官が制止した。すると、警察官が胸を押したので訴えると騒ぎ出した。結局、エリミンの処方は断ったが、2階の診察室から降りる時に、階段を踏み外し(わざとだと思うが)、転げ落ちてまた大騒ぎとなっている。この時には大勢の患者さんが待合室で待っていたが、みんなこわかったと言っていた。
 実はこの日は同じ警察署からもう1人の被疑者の診察を頼まれていた。この人は覚醒剤中毒の人であったが、処方について同じように無理難題を要求していた。この日は階段から落ちた被疑者が大騒ぎしたので、頭のCTを取ったりしていて、連れて来れなかったという。翌日の木曜日にこの被疑者が手錠をして、また私の医院にやってきた。この人もなかなか大変な人で、抗精神病薬が必要だといくら説明しても、穏和精神安定剤系の薬を山ほど出せと言って納得してくれない。幻覚妄想状態は否定していたが、覚醒剤使用で逮捕されているので、神経が立って脳の興奮がおさまっていない。1時間ぐらい押し問答して、かなり無理な処方をした。ところが、この処方でも納得せず、またきのう手錠をして私の医院を受診している。この人には、出所しても私の医院では診察はしないと宣言している。
  私の医院では、エリミンを処方してくれという患者さんについては診察料は取らず、診察の途中ですべて門前払いをしている。1回でも処方したら、裏のネットワークで知れ渡り、わけのわからない人が大勢集まってくるからである。医療機関はいざとなったら門前払いができるが、警察署は逮捕した人を門前払いはできない。名古屋刑務所暴行死傷事件があってからは、人権を守るということで、治療に関しては今は被疑者の好き放題となっている。精神病院に入院となったら、薬については希望通りにはさせないし、必要なら強制的に服用させたり、注射もする。以前に拘置所視察委員会の委員にもなっていたが、警察関係の仕事は本当に大変である。京都府警に協力するのはいいが、出所してから私の医院を受診する覚醒剤中毒の人が少なからずいる。覚醒剤を使用したら、また逮捕してくれるので困ることはないが、こういう患者さんが近所でトラブルを起こした時が大変である。また、最初に戻るが、どこの精神病院も受け入れてくれないので、こちらの方が困ってノイローゼになりそうになる。

 

平成23年8月30日(火)

 この前の土曜日は京都精神科医会があった。今回は府立医大と京大の精神科の教授を呼んで、それぞれの大学の紹介をしてもらった。2人の教授は忙しく、この会で話をしてすぐに次の予定がはいっているようであった。府立医大については、私も大学を離れて長いので、若い人がどんな研究をしているか詳しくは知らなかった。若い先生は昔と違って論文を書くことや博士号を取ることより、精神保健指定医や学会の精神科専門医の資格を取ることに熱心だと言われている。白い巨塔と言われた教授を頂点とする医局制度が今はどうなっているのか、私にはさっぱりわからない。私は2年ごとぐらいにあちこちの関連病院に行かされていたが、今の医局員は以前のようには頻繁には動かされていないようである。
 京大の教授はまだ40代半ばで、見るからに若々しい。神経画像研究をしているということで、精神科の研究内容も時代とともにだいぶ変わってきている。京大では20年間研究がストップしていたので、いろいろな研究グループを立ち上げているということであった。懇親会がその後であり、前の精神科医会の会長とも話をしていた。現在やっているクリニックは数年後に後輩の先生に譲ると聞いていたので、もう引退するのかと思っていた。ところが、新たに四条烏丸に職場復帰訓練用のクリニックを立ち上げるという。もう65歳なのに、すごいエネルギーである。私は高2の息子が大学に入学するめどがついたら、引退モードにはいろうと思っていたのに、えらい違いである。今は一浪中の娘と高2の息子がいるので、とりあえず医院の経営も大事である。結婚が38歳で遅かったが、開業して、何とか2人分の教育費は蓄えた。後は下の息子のめどがついたら、あまり採算は考えず、新しいことにチャレンジしていこうと思い直している。
 さて、今回読み終えた本である。斉尾武郎「精神科医 隠された真実」(東洋経済)である。著者の年齢などは経歴には記されていなく、本文の中で50歳手前と書いている。群馬大学を卒業し、そのまま精神科に入局し、その後やめて市中の野戦病院のような所で内科の経験を積んでいる。その後、臨床疫学と出会い、産業医の道に進み、現在は職場のメンタルヘルスを担当している。訳書に、「ビック・ファーマ 製薬会社の真実」などがある。私は読んでいないが、題名から何となく内容は想像がつく。副題には、「なぜ心の病を治せないのか」とついており、内科医・精神科医・産業医として、他の精神科医が書いた処方箋・診断書を300通以上見てきた経験から、現在の精神科医の治療に対して批判している。私は昭和54年卒で、大学院にも行っていないし、留学もしていないので、32年間ずっと精神科の臨床をしていることになる。大学病院、私立の精神病院、国立、私立、社会保険、日赤の総合病院を経験し、経験していないのは、公立の精神病院ぐらいである。医局には府庁内の行政職もあったが、これも経験していない。経験年数から何でも知っていると錯覚してはいけないといつも自分には戒めている。この類の本はセンセーショナルな内容になりやすいが、耳を傾けるべき所には耳を傾けないといけないと思っている。
 まず、精神科医はなぜこんなに大量に薬を出すのかと書き、答えとして、精神科医は薬の使い方を知らないからだという。実際に、著者が経験した処方についても具体例をあげ、著者が整理して改善した例も挙げている。今までの薬が効かない時に、足し算の発想で出されるので、最後はグチャグチャの処方になると批判している。統合失調症の薬と抗うつ薬の併用についても批判的である。また、抗うつ薬は1剤でと強調している。私は必要とあれば、大量の抗うつ薬を使うし、多剤となったりする。私の世代の精神科医は、これまでは穏和精神安定剤(マイナー・トランキライザー)やベンゾジアゼピン系の睡眠導入薬を比較的大量に使っていた。しかし、以前にも書いたが、若い先生から穏和精神安定剤の常用量依存を批判されるようになったので、最近はあまり出さないようにしている。しかし、私の本音としては、穏和精神安定剤の効果も個人差があるので、乱用や認知機能障害などの副作用がなく、患者さんのQOL(生活の質)が改善するならば、多少多くなってもそれほど目くじらを立てる必要はないと思っている。実際に、昔は乱用する人もほとんどいなかったので、大量処方でもそれほど問題とはなっていなかった。
 抗精神病薬(統合失調症の薬)や抗うつ薬はなるべく少なく1剤というのはわかるが、1番困るのはまったく薬が効いていないわけではなく、そこそこ効いていて、保険診療で決められている最高用量に達した場合である。(副作用で増量できない時もある) これまでの薬をやめて(いきなりやめるわけにもいかず、ゆっくりと減らす)、また別の薬を処方するというのは、とんでもない手間暇がかかるのである。会社を休職していて、これまでの1ヶ月〜2ヶ月間の治療がまったく無駄であったということは、治療者側にも素直に受け入れがたい。急がば回れというのはわかるが、変えた次の薬が充分に回復するほど効果があるという保証はどこにもない。時間的制約の中で、リスクを避けるために、そこそこ効いている薬にどうしても別の薬を上乗せしてしまうということはよくあることである。言葉の表現が適切かどうかわからないが、分散投資みたいなものである。これ1本でこけたら、損失は大である。
 うつ病の大家も、講演会では抗うつ薬を併用するなら、別の作用機序の薬を使うように推奨している。例えば、三環系抗うつ薬と脳のセロトニンを増やすパキシルなどのSSRIである。しかし、私はこの意見にも疑問を持っている。同じ三環系抗うつ薬でも、患者さんによって反応が大きく違うからである。基本原則はわかるが、作用機序だけから、すべてが言えるのか懐疑的である。反対に、ついつい多剤併用なってしまう処方がどこまで有効なのか、医学的根拠はないかもしれない。実際に、著者が述べているように、百害あって1利無しの場合もあるのだろう。患者さんが「もう死にたい」というと、主治医としてはついつい増やさざるをえなくなり、私も最後はグチャグチャした処方になってしまうことがある。この場合は、必ずしも薬の効果を期待するということではなく、主治医は患者さんを見捨てず、何かあったらいつも助けてくれるというメッセージも込められている。もちろん、いつも増やすばかりでなく、薬を変更したりもする。それでも、実際に効いているかどうかわからない処方もあるので、これからは意識的に整理していこうと思っている。
 この本では、双極性障害(躁うつ病)の患者さんが統合失調症として誤診されて治療されていた例も挙げられている。双極性障害では躁状態の時に、3分の2では統合失調症と同じく、幻覚や妄想が出ると書いてある。場合によっては、シュナイダーの1級症状も出る。私の世代では、最初に統合失調症として診断された場合は、その後に躁病エピソードが出ても、統合失調症として治療してしまうかもしれない。実際にそういう患者さんも経験している。どうしても、最初に統合失調症と診断を下した主治医の先生の意見を尊重してしまう。最初に典型的な統合失調症の症状を示しても、その後精神病エピソードを伴わない躁病エピソードを繰り返すだけなら、やはり著者の主張する躁うつ病の治療が必要になるのだろう。精神病エピソードを伴う躁状態については、分裂感情障害という病名もあるので、なかなか一筋縄ではいかない。
 この本では、ドグマチールに対しては批判的である。私はドグマチールは好きでここで書かれている副作用についても熟知している。精神科の診療所で下手なSSRIよりドグマチールがよく処方されているのは、やはりよく効くからである。それだけ、軽症のうつ病の患者さんが増えている証拠かもしれない。精神病理学の先生についても批判し、新しい病気の発表をしたがるという。医学的根拠(エビデンス)もないのに、もっともらしいことを言うのは、サロン精神医学で、科学ではなく、質の低い文学であるという。ここでは、文学部精神科と呼んでいる。産業医としてのことも書いているが、私は経験していないのでなるほどと思った。新型うつ病の患者さんについても具体的な例を挙げているが、これも面白かった。入社してすぐの朝会で、20代の女性がガムをクチャクチャかんでいたという。これを見咎めた上司が怒鳴ったことで、うつ病(未熟型うつ病)になったという。そして、1年以上も休職している。他にも、「精神科医の仕事の半分は患者さんの愚痴を聞くこと」と心得ているいるとか、「医者は芸者、役者をかねなければならない」とか、「もうはまだなり、まだはもうなり」とか、「見切り千両、損切り万両」と書いている。興味のある人はその意味をこの本で確かめて下さい。
 以前に紹介した、岩波明「精神科医が狂気をつくる」(新潮社)より私には楽しめた。しかし、この本の名誉のために、以前に紹介できなかった興味深い症例を最後に紹介する。痛みの原因がわからず、慢性疼痛として治療され、大学病院の内科では「繊維筋痛症」とも診断されていた女性である。激しい痛みで、抗うつ薬の投与や電気ショック療法までされたが、痛みは悪化するばかりで改善しなかった。ところが、カロナールという風邪薬にも使われている鎮痛剤が劇的に効いて、痛みは著明に改善したという。私も他の薬で似たような経験をしているが、著者はプラセボ(偽薬)効果と結論づけている。しかし、私はこの意見には同意しない。プラセボ効果と簡単に片付けるが、他の薬ではどうして効かず、この鎮痛薬だけが劇的に効いたのか説明になっていない。
  精神科医はついつい薬と患者さんの症状についてだけ注目してしまいがちである。気分が落ちこんだと言っている患者さんに詳しく話を聞いてみると、中にはパチンコで5万円負けたとか、ツイッターやブログで批判されたという人もいる。もしかしたら、不倫相手とけんかしたかもしれないし、隠れてやっている風俗の仕事でトラブルがあったのかもしれない。患者さんがなかなか話そうとしない日常の出来事に振り回されず、薬の評価をきちんとしていくことはかくも難しいのである。

 

平成23年8月23日(火)

 海外旅行ばかりして、好き放題しているように見えるが、ふだんの生活は恐ろしいほど余裕のない生活を送っている。最近は、京阪の電車も1本早くして、5時36分発に乗るようにしている。家を出るのは、5時半前である。こんな早い時間なのに、乗客は大勢乗っていてびっくりする。この前の日曜日は、いつものように8月中に書かなければならない自立支援医療の継続の診断書などを書いていた。朝7時には医院に行ったが、なかなかやる気がせず、実際にやり出したのは10時頃である。インターネットなどをだらだら見ていて、無駄な時間を過ごしてしまった。私は気分のむらがあるので、時々こういうことがある。この日はきのうあった労災会議の資料も読んでいた。今回は5件出ていた。実は、京都市から障害者生活状況の調査用紙が来ていたが、開けている暇がなくずっと放って置いた。7月の終わり頃に届いていたと思うが、いくらなんでもそろそろ手をつけなければならないと思い、この前の土曜日に初めて封を開いた。何と、家族の調査は今月中に終えなければならない。何とかめどはつけたが、冷や汗ものである。きのうの労災会議では、他府県で裁判になっている事案についての意見書を依頼された。いつも締め切り間際に間に合わせているが、今回は余裕を持ってやろうと思う。マカオや中国では、中国語が話せないと1人旅は充分に楽しめない。何とか旅行会話だけでも身につけたいが、なかなかやっている暇がない。
 さて、盆休みの旅行の間に読み終えた、エイミー・チュア「タイガー・マザー」(朝日出版社)である。著者は両親がアメリカに移民してきた第二世代の中国系アメリカ人である。ハーバード大学法学部を主席で卒業し、現在はイェール大学法科大学院教授をしている。ここでは、中国式子育てと欧米の子育ての違いを、2人の娘を通じて強調している。欧米人の母親は、「学業での成功を強要するのはよくない」と考えるが、中国人の母親は「学業での成功は子育ての成功の印」であり、子どもが学校で1位にならなかった時には、親は「やるべき仕事をしていない」と考える。親の容赦ない要求、激しい叱責、子どもの希望の無視、こうしたことにかかわらず、中国人の子どもは最後には親を敬うようになり、親が歳をとれば世話をすることを望むという。中国文化では、親に対する従順や服従は美徳の最たるものであるとも述べている。中国系アメリカ人だけではなく、韓国やインドなどのアジア系アメリカ人で優秀な人材が生まれているのは、この中国式スパルタ教育のおかげだという。子どもの自主性に任せる欧米の自由放任主義は子どもを堕落させ、親を顧みない子どもに育てると主張している。
 夫はユダヤ系アメリカ人で、同じ大学で教授をしている。2人の娘、ソフィアとルイーザ(ルル)に絶対に守らせたルールは、「お泊まり会」に行ってはいけない、友達と遊びに行ってはいけない、テレビを見てはいけない、学芸会の芝居には出てはいけない、課外活動の内容を自分で選んではいけない、成績は全教科A以上取ることなど山ほどある。実際の育て方については、まだ小さいので、著者が選んだのは学業というより楽器である。長女のソフィアには3歳からピアノを習わせ、次女のルルには最初はピアノで6歳からバイオリンを習わせている。ピアノについてはスズキ・メソッドを採用し、最初は毎日著者が付き添って90分練習し、レッスンのある前にはいつも2倍練習させている。子どものために何が最良の選択か知っているのは親で、親は子どもの希望などを無視することが重要で、子どもは反抗するので親の方に不屈な精神が求められるという。まだ幼いソフィアに対して、練習の時に「次の演奏が完璧でなければ、ぬいぐるみを全部取り上げて燃やしてしまうわよ」とも脅している。ルルが初めてバイオリンのレッスンを受ける日に、「ソファイアが初めて賞を取ったのは9歳だったので、あなたならもっと早く賞が取れるようになれるわ」と励ました。ところが、ルルの反応は「自分は競争は大嫌いだし、バイオリンなんか弾きたくない」であった。しかし、無理矢理ミュージック・スクールに連れて行き、自宅でもつきっきりで猛練習させている。
 中国人の親は、子どもにすべてのお金を費やし、自分が高齢になったときに大事にしてくれ、敬意と深い愛情を持って扱ってもらうことを多大に期待している。子どもはすべてにおいて親に恩義があり、一生かけて親の恩に報いると考えている。実際に著者は子ども達が一流の演奏家になるために、時間とお金を惜しみなく使っている。ソファイアが10歳であるコンクールで優勝して、オーケストラとの競演でピアノのソロ演奏が決まると、そのコンサートに大勢の人を招待し、大きなパーティを催している。母親の練習の厳しさを知るエピソードに、ソファイアが6歳頃にピアノの鍵盤をよく囓っていて、歯形が残っていたという。最初はルルにもピアノを習わせていたが、7歳頃にいくら練習してもなかなかうまく演奏できなかった曲がある。この時にルルは、ピアノを足蹴にし、楽譜をズタズタに引き裂いている。著者はルルのおもちゃの家をひっぱり出してきて、1つ残らず救世軍に寄付し、この先、お昼も夕食もクリスマスもなしと脅している。その後著者はルルを全米1のバイオリニストにしたいと考え、それが、ルルが唯一幸せになれる道だと信じている。欧米人の親はやたら子どもの自尊心を心配しすぎ、子ども達にあきらめを産んでいるとも述べている。ルルが友人に1日6時間もバイオリンの練習をさせられていると告げると、びっくりして同情もされている。
 ソフィアが12歳、ルルが9歳になるまでは、家族で世界中をあちこち旅行している。ロンドン、パリ、ニース、ローマと続き、東京にも寄り、都市の数は全部で40近くにもなる。しかし、この旅行の間も著者は娘達が練習を休む理由が理解できなかった。ルルの場合はバイオリンなので持ち運びができたが、海外でソフィアのためにピアノを見つけるのは困難を極めたという。ホテルのコンシェルジェに予めピアノが借りれるかどうか確認し、無理な時には近くのレストランのピアノを借りたり、何とか練習ができるように全力を尽くしている。部屋でバイオリンの練習をしている時に、ホテル側から練習をやめるように注意されたこともある。西安の旅では、夜明けとともにソフィアに2時間練習させた後で、兵馬俑を見に行っている。アテネのクノッソス宮殿では、行く前にルルにバイオリンの練習をさせたが、上手に演奏ができなかったことでけんかとなり、結局その日は宮殿は閉門となってしまっている。ユダヤ人の夫は、子ども時代は楽しくなければならないという信念を持っている。著者のせいで、休暇なのにリラックスできないといらだっているのがよくわかる。著者は、子ども時代は鍛錬を重ね、人格を形成し、未来に投資する時期とみなしているという。しかし、4歳のルルが母親の誕生日にバースデイ・カードを贈ると、気持ちがこもっていないと言って、「こんなものはいらないわ」とつき返している。7歳のソフィアのカードも同じである。「あなたぐらいの時には、早起きして、家中掃除して、母に朝食を作ってあげたものよ」と諭している。
 ルルが11歳になると、ジュリアードのプレカレッジ・プログラムのオーディションを受けさせようとする。中国、韓国、インドから受験のために飛行機でやってくる受験生もいるぐらいの超難関である。ソフィアがコンクールで優勝し、カーネギーホールでの演奏を手にするが、ルルはオーディションを受けて不合格となる。中国式子育ては失敗に直面したときにその弱さを露呈するという。なぜなら、失敗する可能性を最初から計算に入れていないからである。ルルが12歳の時に、ある有名なユース・オーケストラのコンサートマスターの地位を手に入れた。著者はもっと上を目指そうとするが、ルルは稽古をいやがるばかりか、母親に反抗しだす。バイオリンの先生に対しても、わざと下手に弾いて、挑発するようになる。13歳になると、母親に対してますますよそよそしく怒りっぽくなる。ある日、ルルがヘアカットに行きたいと言ったときに、「メンデルスゾーンの稽古もせず、ずいぶん虫がいいのね」と言うと、自分の部屋でハサミで髪の毛をぎざぎざに醜く切っている。「あんたなんか見栄を張っているだけじゃない。全部自分のためじゃない」とも言われている。そして、やがて決定的瞬間が訪れる。ロシアの赤の広場に面するオープン・カフェで、ルルは「あんたが私の人生を壊したのよ」と言って、テーブルのグラスをつかんで床に投げつけた。著者はその場を離れ、泣きながら全速力疾走する。そして、ルルの元に戻って、「あなたの勝ちよ。バイオリンはやめましょう」と告げている。
 この本を読んでまず思い浮かべたのは、河合隼雄(敬称略)がどこかで書いていた症例である。うろ覚えであるが、高度の教育を受けた母親が自分の子どもを自立させた大人にするために、甘やかさず育てたら、発達が遅れていた。充分に甘やかせて育てるように伝えたら、子どもはみるみるうちに発達の遅れを取り戻したという。3歳からピアノを厳しく習わせるのは、やはり無理がある。これだけ読んでいると、虐待に近い印象であるが、夫や著者の両親が緩衝地帯となっているので、まだ2人の娘は救われている。幼い頃は充分に甘えさせ、ゆっくりと次の成長段階に進んだらいいというのが、現在の精神科の考え方である。私は父親にスパルタ教育で育てられたので、いつの間にかルルに同情してしまった。私は長男であったので、溺愛と過干渉の中で育てられた。小学6年生までは、成績が悪ければいつも殴られていたし、1日中でも正座をさせられた。前にも書いたが、5段階評価で2の成績を取った時には、父親は自分の感情がコントロールできず、庭のひまわりを日本刀で次から次へと切り倒していった。この時代は、地震、雷、火事、オヤジでどこの家でも父親はこわかったが、私の家は特別であった。周りからもいろいろ言われたのか、中学生になってからは私のことについては一切何も口出ししなくなった。しかし、、私はその後父親にことごとく反抗し、40年近くほとんど父親とは口をきかなかった。今は私も年をとって、父親に対する思いは変わってきている。人生は長いので、まだ若いこの2人の娘は、今後どう成長していくのかは興味深い。
 最後に付け加えておくが、この本の中で、チュア家のことが語られている。私は戦後の行き過ぎた自虐史観には反対だし、南京の大虐殺があったということについてもあまり信用していない。しかし、著者の母親は2歳の時にフィリピンに渡り、日本兵が母親のおじにしたことはチュア家で語り継がれている。何をしたのかというと、日本兵はおじのあごをこじあけて水を無理やり流し込むと、水風船みたいに破裂しそうだと言って笑っていたという。どういう状況でこういうことが起こったのかはわからないが、少なくともこういうことが中国の家庭で語り次がれている事実については日本人として知っておいた方がいいだろう。

 

平成23年8月16日(火)

 この盆休みはまたマカオと中国本土に行ってきた。13日の土曜の外来を終えて出発し、17日の水曜日に京都に帰ってきた。マカオでは午前11時出発の飛行機に乗り、関空からは特急はるかで京都駅まで帰ってきた。京都到着は午後6時過ぎである。一旦自宅に戻って夕食をとり、医院に引き返して午後8時からこの日記を書き始めている。今回の旅行の目的は、本を1冊持って行き読み終えることと、今年5月にオープンしたマカオのギャラクシーを見てくることである。私は旅行には新書版の本しか持って行かないが、今回はハードカバーの本を持って行った。エイミー・チュア「タイガー・マザー」(朝日出版社)である。エイミー・チュアは、最近出版された「富の独裁者」(光文社)でも話題になっているイェール大学法科大学院教授である。どちらを読むか迷ったが、精神科とも関係してくる「タイガー・マザー」を選んだ。タイガー・マザーとは中国系アメリカ人の作者自身のことである。2人の娘を、千尋の谷にわが子を落とす獅子のよう厳しさで育てた記録である。最後まで読み終えて、虐待とも思える中国式スパルタ教育についてはいろいろと考えさせられた。私と父親の関係だけではなく、私と娘の関係をも思い起こさせた。是非とも、きょうは最後に紹介したかったが、もう遅いので次回に譲る。
 実は、この日記の大部分はマカオの空港と飛行機の中で書き上げた。前回ポメラを持って行き、飛行機の中で使えなかったので、ノートパソコンを持って行くかどうか迷った。なるべく身軽な格好で旅行したい私としては、荷物が重くなるのはかなわない。iPodは持っているが、長い文章は書きにくい。結局、小さなノートも持って行き、ここに直接ボールペンで書くことにした。今やっていることは、このノートに書いたことを、パソコンでテキストに打ち直すことである。今回は飛行機の中でもビールは飲まずに書いていたが、途中うとうとしてしまった。特急はるかの中では、久しぶりに日本の新聞を読んでいた。
 さて、中国である。マカオと接した珠海にはいるが、私は現代風のビジネスホテルに泊まる。マカオで日本円を両替すると、1元はほぼ13円である。今回は1泊220元取られたが、いつもは200元である。豪華さを比べたらマカオのホテルとは比較にならないが、宿泊費は遥かに安くリーズナブルである。香港からの観光客が多くなる週末は、マカオのホテルはかなり高くなる。1人旅の時には、隣の部屋がうるさくなく、ベッドと枕がそこそこであれば充分である。豪華ホテルでも安宿でも、私はあまり多くの物を求めないので、その違いについては恐ろしいほど鈍感である。反対に、家族との旅行では少し豪華さを楽しみたい。しかし、去年の夏にラスガスのベラージオに泊まった時にはもうひとつその豪華さがよくわからなかった。
 珠海からまたマカオに戻って来る時に、出国手続きと入国手続きに1時間半近くもかかった。私が初めて珠海にはいったのは去年の10月で、こんなにも混んではいなかった。時期的な関係もあるのかもしれないが、わずかな間に、中国本土からマカオにはいる人が爆発的に増えた印象である。経済特区の珠海は香港に接する深センなどと比べると開発が遅れていたと言われるが、今ではあちこちに高層ビルが建てられその勢いはすさまじい。私はマカオにはいったのは昼頃であった。中国本土からマカオへの入境手続きをもっと簡素化しないと、出入国管理は殺到する中国人でパンクしそうである。入国手続きに2時間以上かかるようになったら、外国人観光客に対してはあまりにも不親切である。中国はいつまで一国二制度を続けるのかわからないが、ここまでくると香港とマカオを特別扱いをする必要もないような気がする。
 そのおかげか、マカオは観光客であふれかえっていた。マカオのベストシーズンは11月頃であるが、こんなにも青空が出ているのを見たのは初めてである。ギアの灯台に行って写真を撮りたかったが、どこで降りたらいいのかわからず、バスで乗り越してしまって結局たどりつけなかった。こんなことなら、マカオ・タワーに上って、市内一望を写真に収めたらよかった。私の行く時期が悪いのかもしれないが、それぐらいマカオはいつも曇り空で、遠くはかすんで見えなかった。巨大リゾートのギャラクシー・マカオには、夕方から行った。近くのシティ・オブ・ドリームズには無料バスが出ていることは知っていたので、これに乗った。ヴェネチアン・マカオとも接し、段々とラスベガスに近づいてきた印象である。このギャラクシー・マカオにはホテル・オークラがはいっていることでも有名である。豪華なプールが売り物のようであるが、他の2つの施設のように、劇場でショーをしているのかはわからなかった。常設館があるヴェネチアン・マカオのシルク・ドゥ・ソレイユは、写真撮影は厳しく禁じているので、中国人には受けはよくないようである。その点、シティ・オブ・ドリームズの水舞間では写真撮影にそれほど目くじらを立てていない。
 マカオを訪れるカジノの観光客数は、ラスベガスを遥かに上回っていることは有名である。しかし、ラスベガスはマカオに比べものにならないほど広くて、大小のカジノが山ほどある。このことは何を意味するかというと、もうカジノは流行らないのである。言い換えると、アメリカ人はカジノでは以前のようにお金を使わないのである。実際にラスベガス観光局の公式サイトを見ると、カジノ収入は2007年の84億ドルから2010年の58億ドルと減っている。この間、平均客室稼働率も10パーセント減っている。カジノ・ホテルがショッピング・モールや劇場、おいしいレストランをそろえても、相乗効果でカジノ収入が増えるとは限らない。
  日本では不景気の影響もあり、パチンコ、競馬などのギャンブルは低調である。よく日本に特区を設けてカジノを作るという話が出るが、成功するかどうかは私は疑問である。マカオには、経済的に勢いのある大人口の中国が控えている。日本でも限られた特区でカジノを開いたら、ギャンブル好きの日本人は集まるかもしれない。しかし、外国の観光客を呼び寄せようと思ったら、ちゃちな施設では無理である。実際にギャラクシー・マカオを見て、とんでもないお金がかかっていることはよく理解できた。ある意味で不況を経験した日本人が、特に堅実で価値観も違う若い世代が、設備投資にかなうカジノ収入を生み出すとはなかなか思えてこない。

 

平成23年8月9日(火)

 暑い日が続いている。患者さんの中には去年と比べたらまだましという人もいるが、きのうの夜は暑かった。きょうのように、往診がある時を除いてほとんど医院にいるので、日中の暑さはあまり実感できない。きのうの夜はあまりの暑さに夜中の2時に目を覚ましてしまった。私と子ども2人はそれぞれ2階の自分の部屋で寝ている。きのうは早く部屋のエアコンを消しすぎた。扇風機もかけていたが、6畳の狭い部屋で「弱」でつけていても、遠く離れて置くことはできないので、私にとっては風は少し強過ぎる。いつも扇風機とエアコンのリモコンを寝床に置いて眠るが、扇風機もすぐに消してしまったらしく、汗だくでうとうとしていた。寝床で寝返りを打ったときに、ピッとリモコンの音が聞こえた。エアコンのリモコンがいつの間にか敷き布団の上に載っており、エアコンのスイッチもはいっていた。ところが、全然冷房が効いていない。仕方ないので、一旦起きてトイレに行き、またエアコンを調整し直した。2階には6畳の部屋が3つあり、息子と娘の部屋の室外機はそれぞれの部屋のベランダに置いてある。真ん中の私の部屋の室外機は娘のベランダに置いてあり、夜中に本格的に作動させるのはすごく気を使う。部屋が冷えたら扇風機にかえるようにしているが、きのうはトイレに行った後もよく眠れなかった。私はふだんは月曜日から土曜日まで朝5時前に起きている。きょうは気がついたら5時20分過ぎであった。いつもは目覚ましが鳴る前に起きているが、きょうは無意識の内に消してしまったらしい。月、水、金と酒はまったく飲んでいない。ところが、きょう朝起きたら、二日酔いの時のようにだるくて吐き気がして、ものすごく気分が悪かった。京阪まで歩く気がしなかったので、土日しか使っていない車で医院まで来た。
 先週の土曜日は、木曜日に書けなかった成年後見用の鑑定書を書いていた。木曜の午後に書くつもりであったが、やる気がしなくて、なかなか根性だけでは書けなかった。なんとか書き上げ、京都駅の郵便局に出しに行くつもりであった。この日はいつものように車をコインパークに止めていた。朝6時過ぎから夜8時までは900円である。6時より早く着きすぎると、1000円である。日曜日は医院の前に停めるので、お金はかからない。いつものように車のドアを開けて、荷物を入れた時である。ドアが全開して、隣の白い軽の車にあたった。これまでにもドアが開いて、隣の車にあたることはよくあった。強くあてるわけでなく、そのまま自然に開いて軽くあたる程度なので、相手の車にも傷がついたことはない。ところが、この日は隣の車の白いドアに私の黒いドアの跡が付いた。ドアの開閉は2段階になっていて、全開になった時に勢いがついたらしい。何とかこすって、傷を消そうとしたが、無理である。コインパークなので、誰の車かわからない。しかし、このまま逃げ帰るわけにはいかない。私の携帯電話も医院に置いたままで、ふだん使っていないので電話番号も覚えていない。あくまでも、臨時のポケベル代わりである。こんなことでも、ふだん予測しないことが起きると動揺する。なんとか医院の連絡先だけ紙に書いて、ドアの所にはさむことにした。私の医院からコインパークまでは3分ぐらいである。歩いて来る途中でA4の鑑定書の封筒を忘れたことに気がついた。ついでに返却するツタヤ・ディスカスの宅配のレンタル・ビデオはカバンの中に入れていた。忘れないように机の上に出していても、忘れるときには忘れる。車で医院に戻ったが、あわてていたので、ALSOKの警備を解除するのを忘れてしまった。人を轢いたわけでもないのに、動揺してしまうと、ミスを連続してしまう。車の持ち主とはその後連絡がつき、販売店でワックスをかけてもらい事なきを得ている。
 日曜日はあまり書く書類もなかったので、久しぶりにゆっくりとできた。私の車はこの秋で10年を終える。燃費が悪いが、車は気に入っているので、このまましばらくは乗り続けるつもりである。ふだんは土日ぐらいしか乗らないので、特に望む物もなかった。しかし、アナログ放送がなくなってからTV放送が見れなくなった。映りは悪かったので、ラジオ代わりに音声だけは聞いていたが、ないとやはり不便である。車にはトヨタの純正ナビがついており、10年前の車なので、対応はCD、ラジオ、カセットテープである。TVのアナログチューナーは後から付けている。フルセグのチューナーが欲しくなったので、日曜日はゆっくりと寝て、オートバックスに行った。朝10時過ぎに行ったが、開店間もないのにけっこう混んでいた。後から取り付けができるか心配であったが、大丈夫であった。料金は取り付け費用も含めて、5万円ちょっとであった。
  少し前に、左前のセンサーの調子が悪く、電気系統の故障もあった。収納式のカーナビもスイッチを押してもうまく開かなくなっていた。修理代を見積もってもらったら、けっこう高くついた。カーナビは手で押したら無理に開けられるということで、モーターを交換する修理はやめて今は手で開けている。カーナビを除いた修理では、5万円以上かかっている。今回のフルセグチューナーも入れたら、11万近く払ったことになる。今回取り付け作業に時間がかかるということで、一旦医院に戻った。1号線ではタクシーがつかまえにくいので、大手筋まで出てタクシーで京阪の中書島まで行った。今はタクシー代も安くなっているので、片道1000円もかからない。11万円というのは、タクシーに100回以上乗れるということである。改めて、車を持つということはお金がかかることだと思った。それにしても、フルセグにして、こんなにきれいにTVが映るとは思わなかった。家族であちこち出かける人にはお薦めである。
 さて、今週読み終えた本である。岩波明「精神科医が狂気をつくる」(新潮社)である。著者は東大医学部を出て、現在昭和大学精神医学教室の准教授をしている。帯には、「その治療法が患者を殺す!」というおどろおどろしいタイトルがついている。しかし、その内容は思ったより平凡で、専門家にとってあまり目新しいことは書いていない。うつ病や統合失調症などの患者さんの症例が沢山書かれており、精神科患者さんの実態を知らない人には興味深い内容かもしれない。著者は私より6歳若い。精神科医を30年以上やっていると、誰でも想像を絶する患者さんには何人も遭遇するし、家族や会社など社会の裏側をいやというほど見せつけられる。私の患者さんだけでも、これまでに何十人と自殺している。
 私はあまり詳しくないが、セロトニン濃度を上昇させる食事がうつ病を改善するという著書や体内のセロトニンを増やすというサプリメントを勧める心療内科医も少ないという。高濃度ビタミンC療法で精神疾患は治癒するとホームページで宣伝している心療内科医もいたりする。「ごしんじょう」と呼ばれる純金の棒を患部に当て、痛みなどの改善をはかる治療法をホームページで宣伝したりもしている。著者は脳内ホルモンを活性化させても、人生は豊かにならないと述べている。脳科学と呼ばれるものが、多くの偽りに満ち、脳科学者が論じていることは大部分がファンタジーに過ぎないと指摘している。
 東北大学の川島隆太氏の「脳トレ」も、理化学研究所の研究者の「脳トレは単なる練習効果に過ぎず、知的能力そのものが改善したといえない」という言葉を引用している。私もこの意見にはまったく賛成である。昔大流行した多胡輝の「頭の体操」ぐらいに考えたら、あまり目くじらを立てる必用もないかもしれない。少し前にベストセラーになった、春山茂雄「脳内革命」(サンマーク出版)も痛烈に批判している。サイモン・シン他「代替医療のトリック」(新潮社)はまだ途中まで読みかけてストップしたままであるが、最初に「瀉血」の治療法について述べている。瀉血とは、皮膚に刃物を当てて血管を切開するという伝統的な治療法である。いくつもの大病を切り抜けてきたジョージ・ワシントンが67歳で風邪をこじらせた時に、この瀉血が行われた。血液を3分の1リットル流させた時に症状は少し改善した。その後、この治療法で1日もたたないうちに血液の半分を失わせ、死亡させている。当時はまだ血液が循環していることがわからず、よどんだ血液を取り除かなければならないという理論に基づいていた。精神科では、誤った治療法で統合失調症の患者さんの病状を進行させてしまうのが1番の罪である。うつ病患者さんの自殺については、問題が複雑すぎて、一概に精神科医に責任があるとは言えない。科学的根拠のない治療法については、患者さんに被害が及ばないように、精神科医も気をつけなければならない。

 

平成23年8月2日(火)

 先週の土曜日は、うつ病患者さんの職場復帰について、セカンド・オピニオンの診察をしていた。長いこと企業のメンタル・ヘルスを扱っているある会社に登録していたが、実際の診察は初めてであった。私は産業医の資格を持っていないので、これまで頼まれる機会もなかった。企業が契約しているこの会社を通じて、社員の職場復帰についてセカンド・オピニオンを求めてくる。診察は通常の外来と変わりない。診察の後で、職場復帰についてごく簡単な意見書を書いて送る。この報酬が診察代を含め5万5千5百円であった。この仕事は簡単で、日常の診察と変わりないので、何件でもこなせる。産業医の資格を持っていたら、依頼がもっと増えていたかもしれない。
 きのうの月曜日は、もう1人の成年後見用の鑑定書を書くために、認知症の患者さんを診察していた。鑑定書は今週の木曜日に根性で一気に書き上げるつもりである。これは1件10万円である。この1ヶ月間に、成年後見用の鑑定書が2件で、セカンド・オピニオンの意見書が1件で、自立支援医療用の診断書などが20件ほどあり、全部の料金を合わせると30万円を越える。もちろん、25万円分はふだんめったに依頼されることのない仕事である。これだけ副収入があると安泰かというとそうでもない。7月の保険収入は去年と比べ大幅に減って、1月〜7月までの合計では、5.1%の減収である。8月は何とか少しはカバーできそうである。なぜかというと、去年の夏休みは開業以来の長期休暇を取り、7日間休診を取っている。この日記でも書いたが、息子と2人でロサンゼルスとラスベガスに行っている。さすがにこれだけ休むと、保険収入は1年を通して1番低かった。今年の夏休みは3日間で、15日〜17日までである。もしこれで保険収入が去年より低かったら、私の医院ももうおしまいである。
 日曜日は、また池田の両親の所に行っていた。妹から電話があって、父親をケア付きの有料老人ホームに入れたという。妹と母親は仲がよいと思っていたが、なかなかそう単純ではないようである。父親は胃瘻をしていたが、有料老人ホームにはいるために取ってもらっている。母親1人に父親の面倒を見てもらうのはもう限界があった。妹の所で昼食を食べ、母親と妹で父親が入所している有料老人ホームに行った。比較的近い所で、妹がすべて手続きをしてくれた。1ヶ月の料金が電気代は別で、25万円である。他にも、30万円の所があったという。父親は87歳なので、同じ年代で会社勤めをしていた人なら厚生年金の額も大きい。ところが自営業で年金をかけていなかったので、すべて家族が面倒を見なければならない。母親に聞くと、戦前は父親は大学を出て当時の内務省に務めていたという。あまり大した大学は出ていなかったので、下っ端の役人であったと思う。当時の上司にかわいがられていて、内務省をやめた後でも、この上司が長野県の飯山に来ていた。渓流釣りが趣味で、私の家に来ると、父親が竿から糸まですべて面倒を見ていた。今でも覚えているが、中学生の時にこの上司には「マイ・ボニー」の英語訳を教えてもらったことがある。
 さて、毎月25万円である。年間にすると300万円である。今の若い人の結婚の条件は年収400万円である。この年収というのは手取りではなく、税込みのことである。両親はバブルの時には随分と稼いだようである。贅沢もせず細々と暮らしてきたので、貯蓄はあるようである。実際に私が開業した時には、親から3000万円借りたし、妹のダンナも弁護士事務所を開く時に私の両親からお金を借りている。母親も父親の貯金から支払うと言っている。当分金銭的な面倒はみなくてもいいようである。しかし、よく考えてみたら父親が亡くなった時の遺産を食いつぶしていることに変わりはない。私も妹も両親の遺産をあてにしなくてもやっていけるが、不況のこれからは両親の遺産でほっと一息つける人が少なくないと思う。妹のダンナの話では、兄弟間の遺産相続のトラブルは多いという。患者さんの話を聞いていても、兄弟間で遺産相続がこじれると大変である。妹は今は経済学部の学科長をしているが、話によると学部長の次に偉いらしい。その分私に劣らず忙しいが、今回の手続きを含め、両親の面倒はすべてやってもらっている。妹には苦労をかけているので、今住んでいる両親の家は無条件で妹に渡すつもりである。
 両親の遺産をあまりあてにしてはいけないが、竹中平蔵が言っているように、子どもに対する教育費は相続税がかからないのである。その点、私の家は当時中の下の家庭であったが、父親は教育には熱心であった。私の実家の経済状況がよくなったのは、私と妹が独立してからである。私に対してはスパルタ教育の弊害も出ているが、当時としては長野県の片田舎で異常なぐらいであった。今から考えると、戦前に内務省に勤めていたことが影響していたのかもしれない。教育熱心であったことについては、今では父親に感謝している。数年前から父親はまったく私のことも母親のこともわからなくなっている。老人ホームでも車イスに座って、時々笑顔をみせるだけである。妹は天然のキャラで、父親に向かって私を指さし、「この人はだーれ、この人はだーれ」と盛んに話しかけていた。母親からは戦時中の話はよく聞いていた。今でも覚えているのは、アメリカの大型戦闘機のB29が空を覆い尽くしていた話である。私もこの年になって思うが、他人にとって取るに足らない人生でも親の人生というのは子どもにとってはすごいことである。
 後は母親である。父親が有料老人ホームに入所したからといって、母親の孤独感が消えるわけではない。親孝行らしいことはあまりしてこなかったので、これからは長男の出番である。

 

平成23年7月26日(火)

 この前の日曜日は、成年後見用の鑑定書を作成していた。本当は7月11日までに書かなければならなかったが、延び延びになっていた。認知症などで自己の財産を管理・処分できない場合、その障害の程度を3段階で判定する。お年寄りの場合は、頭部MRIなどの所見が必用なので、これまでに検査を受けていない人は新たに受けてもらう。依頼されていた人は、近くの内科で血液検査ぐらいしか受けていなかった。こちらで予約を取り、京都第一赤十字病院で頭の検査をしてもらった。土曜日に患者さんを診察し、すべての資料をそろえて、この日に一気に書き上げた。鑑定書を完成させるのに、神経を集中させながら3時間以上かかった。正直言って、うんざりしながら書いたが、最後に鑑定料の請求書に私の銀行口座を書き込んだ。
 家庭裁判所から依頼された時には、この鑑定料をいくらにするか聞かれた。しばらく書いていなかったが、以前は5万円を請求していた。実際に請求書の書き方の例でも5万円となっている。しかし、この料金は外来などで自分が診察していた患者さんである。うろ覚えであるが、まったく知らない人については10万円と聞いたような気もする。だから、10万円と答えた。この鑑定料は自由に決めることができる。鑑定書を書きながら、10万円は高いかと思った。請求する時には5万円でもいいかと思ったが、請求書にはすでに10万円と印刷されていた。これまで、家族歴や生活歴を書くのは大変であったが、今回は予め資料を整えてくれていたので、書きやすかった。もう1件7月31日までに書かなければならない成年後見用の鑑定書がある。これもまだ何も手を付けていないので、また締め切りより1週間ぐらいは伸びそうである。この人もまったく知らない人で、請求書には10万円と印刷されていた。
 前にも書いたが、精神科はこの10年間で保険点数が大幅に減らされ、同じ患者さんでも10年前と比べ、1回当たりの診察料が800〜1000円減っている。睡眠導入薬の長期処方もできるようになったので、精神科の開業も以前と比べたら経営的には苦しくなっている。その分、これからは高齢者も増えてくるので、成年後見用の鑑定書の依頼も増えてきそうである。捕らぬ狸の皮算用であるが、鑑定料が10万円なら、週1回1人鑑定したら、月に40万円になる。通院している患者さんの場合は5万円で仕方ないが、手間暇を考えると、まったく知らない人まで5万円では割りが合わない。最初の依頼を弁護士に頼むと、かなりの手数料を請求されるようである。私の医院では、精神障害者の障害年金の診断書料は3千円である。他の医療機関では、最低でも5千円は請求されるので、京都では1番安い。成年後見用の鑑定書では割り切って1回10万円で引き受け、経営改善に役立てるのも1つの方法かもしれない。
 日曜日は苦労してこの鑑定書を書き上げたが、ゆっくりしている暇はなかった。今月中に書かなければならない自立支援医療や障害者手帳の更新の診断書が残っていた。この診断書料は1通3千円で、10通も書いたら3万円になる。毎回山のような診断書にはうんざりしているので、こちらが診断書料を払うので、誰か代わりに書いて欲しいぐらいである。障害者手帳の診断書はA3用紙になるので、パソコンでA4用紙2枚に書き出し、コンビニまで行ってA3用紙にコピーする。途中で昼食もとってゆっくりしたので、全部やり終えるのに、朝6時半ぐらいから昼の3時過ぎまでかかった。税理士事務所に送る6月分のまとめや今月分の受付けの給与計算はもうやる気がしなかった。こういう時には、CNNのニュースももう見る気にはなれないが、先週はあまり見れていなかったので、朝録画した分を見た。
 ワールド・レポートでは、ノルウェーのテロとエイミー・ワインハウスの死亡のことが放送されていた。エイミー・ワインハウスの名前は初めて聞いたが、CNNで大々的に取り上げるような有名ミュージシャンとは知らなかった。この死亡記事は京都新聞にも大きく載っていたので、知らないのは私ぐらいなのではないかと思った。グラミー賞を受賞し、酒とドラッグに溺れ、ロンドンの自宅で遺体で発見された。CNNでは、ライブで歌っている映像をわずかに流したが、味のある声を出していた。まったく声の質は違うが、一瞬ジャニス・ジョップリンを思い出した。番組を見ていたら、このエイミー・ワインハウスの死亡年齢は27歳で、他にも27歳で死亡したミュージシャンやアーティストを取り上げていた。まず、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズである。自宅のプールで溺死体で発見されているが、番組では睡眠薬と酒の飲み過ぎと報じていた。私は当時のことは覚えているが、この人が謎の死を遂げてから、早死にするミュージシャンがその後伝説化されるようになった気もする。
 ジミ・ヘンドリックスやこの日記でも取り上げたジャニス・ジョップリンとドアーズのジム・モリソンも酒やドラッグで27歳の時に亡くなっている。ニルヴァーナのカート・コバーンは27歳で自殺している。この27歳で有名ミュージシャンが大勢死んでいることについては、きのうのデイリースポーツにも載っていたので、少しがっかりした。CNNでは、「The 27s」という本の著者が出演して、インタビューに答えていた。私の拙い英語力では聞き取りにくかったが、ジャニス・ジョップリンが自伝に書いている「自分が自己破壊的になればなるほど人々は自分の音楽に夢中になる」という言葉に、エイミー・ワインハウスも同意するだろうと述べていた。今回改めてYouTubeでエイミー・ワインハウスの音楽を聞いてみたが、ライブでの「リハブ」がよかった。さて、ジャニス・ジョップリンである。最近のYouTubeでは何でも聞けるが、1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルの演奏がいくつも取り上げられている。DVD「ジャニス」にもはいっている演奏である。ここではジャニス・ジョップリンの最高のパフォーマンスが見れる。興味のある人は、「JANIS JOPLIN BALL AND CHAIN」をコピペして検索して下さい。toku1023の動画が1番画像がよくて音もきれいである。44年前の演奏であるが、私は今聞いても鳥肌が立つ。

 

平成23年7月19日(火)

 今医院に戻ってきたが、夜中の0時15分前である。台風騒ぎで、飛行機の出発が大幅に遅れた。以前にも書いたが、1度現地で飛行機が出発しなかったことがあるので、これには懲りて、絶対に帰ってこれるスケジュールを組むようにした。土曜日の夕方に関空から出発したが、飛行機がキャンセルになった時のドクターと偶然にもまた空港で一緒になった。私は海外では携帯電話は持って行かないので、この先生には大変お世話になった。翌日の外来も何とか患者さんに迷惑をかけないように、最小限に被害をくい止めることができたのは、この先生のおかげである。
 今回の旅行では、すぐにこの日記が更新できるように、キングジムのポメラを持って行った。旅行中に本は1冊読んだので、書く内容については困ることもなかった。ところが、帰りの最終の定期バスが勝手にキャンセルとなったりして、なかなか書く暇がなかった。言葉もまったく通じず、タクシーもない場所で、どうやって帰って来ようかと思ったぐらいである。前回利用したときには乗客は私1人で、大型のバス1台を何時間も走らせるには採算が合わないと思っていた。仕方ないので、帰りの飛行機の中では酒は断って書くつもりであった。ところが、飛行機の中は暗く、覗き見防止シールも貼っているので、ポメラの液晶が見づらかった。明るい所ではまったく問題ないが、暗い所ではバックライトがついていないので、使い物にならない。もう書くのはあきらめて、ビールをたらふく飲んだ。これを書いている間に水曜日になってしまったが、何とか今日中には追加の分も更新しようと思うので、今回はこれだけである。
 海外に出かけていると、いろいろな出来事に遭遇する。飛行機の遅れやキャンセル、交通機関の取り消しなどありとあらゆる事は大体経験した。ここでも何回も書いているが、強盗に襲われて頭に銃をつきつけられたこともある。まだ経験していないことといったら、それこそ乗っている飛行機の墜落事故ぐらいである。私は1人旅であまり日本人が行かない所を目指しているので、何かあった時には誰も助けてくれない。すべて自分1人で解決しなければならない。だいぶ鍛えられてきたが、天候だけはどうしようもない。日本に住んでいると、定刻通りに飛行機や列車やバスが動くものだと思ってしまう。しかし、時間にルーズな発展途上国だけではなく、ヨーロッパやアメリカでも予定通り行かないことが当たり前である。CNNのワールド・リポートを見ていると、毎回30分の番組の中で天気予報の時間がかなり費やされている。ヨーロッパでは冬になると大雪であちこちの空港が閉鎖されているし、アメリカでは山火事やハリケーンが頻発している。中国の大雨の被害もすごい。今回の原発事故があった時でも、気流の動きなども詳しく解説していた。日本ではニュースの中で占める天気予報なんて、お天気お姉さんが解説する添え物ぐらいの印象である。ところが、CNNのワールド・レポートを見ていると、世界の気象情報というのは政治や経済に劣らず、重要な位置を占めていることがわかる。南の島でも、たまたま運悪く海が荒れていたら、船で帰って来れなくなってしまう。
 さて、今回旅行中に読んだ本である。(きのうの水曜日は連休明けということもあり、74人の患者さんが受診したので、更新している暇がなかった。私は海外に出かけても、その間の日本の新聞には必ず目を通すようにしている。水曜日は自宅に帰って、土曜日の夕刊からこの日の夕刊まで2時間ぐらいかけて読んでいた。日曜日の京都新聞の読書欄に、ベストというよく売れている本の紹介があるが、この本の名前が載っていた) 藤巻健史「マネー逃避」(幻冬舎)である。本屋で山積みされている沢山の本の中でこの本だけが残り少なくなっていたので、興味を持って少し前に買っていた。著者の経歴を見ると、米モルガン銀行に入社し、当時東京市場唯一の外銀日本人支店長に抜擢されている。同行会長から「伝説のディーラー」のタイトルを贈られ、ジョージ・ソロス氏のアドバイザーも務めていた。これからの日本はどうなるのか、専門家の意見を誰でも知りたいところである。でも、こんな偉い人でも、東日本大震災の前に借金をして東京の賃貸マンションや不動産に投資しており、震災後に真っ青になっている。
 さて、まず景気動向に1番影響を与えるのは、給料や失業率などではなく、株や不動産などの資産価格だという。だから、政府の株価対策や不動産対策は、決して金持ち対策ではなく、不景気で最初に不利益を被る経済弱者対策だという。復興財源としては消費税を上げるだけでは足りないので、最も考えるべきは電気料の値上げだという。また、現在の甘すぎる課税最低限の引き下げも提案している。国債の日銀引き受けが禁じ手であることも素人にわかりやすく説明している。日銀が政府から直接国債を買い取って紙幣を渡すと、ハイバーインフレを招くが、いずれこの禁じ手を使わざるをえない所まで、日本の財政は危機的状況となっている。著者によると、国債が完売できない未達という事態が刻々と近づいているという。よく聞く「日本は対外資産が多いから大丈夫だ」とか、「日本国債は95%日本人が持っているから、市場が崩れることはない」という意見の間違いについても指摘している。
 さて、日本経済のこれからである。景気が悪いのに、インフレが起きるスタグフレーションの時代が到来するという。企業業績悪化による倒産と工場の海外移転で、失業者が激増する。そして、国債の未達が起こり、国家の破綻を防ぐため、禁じ手の日銀の国債引き受けが起こり、ハイパーインフレになるという。だから、財政が破綻をする前に、資産を守ることが大切だと説いている。この本の副題には、危険な銀行貯金から撤退せよ!とついている。日銀が国債引き受けをしたら、ハイパーインフレになって、銀行貯金も紙くずとなってしまうからである。最低限のリスクヘッジをしておくべきだという。不動産や株投資についても述べているが、今は円貯金を引き出し、外貨分散投資をするという選択だけは間違いないという。他にも、日本の景気がずっと悪かったのは、円が実体経済に比べて高すぎたせいだと述べている。東京と地方の格差問題は、為替問題で、円高になれば地方の工場は海外に移転して失業者が増えてしまう。円安とは、モノ、サービス、日本人労賃の値下げを意味し、日本企業の利益低迷は「円高」のせいだという。この本では景気が悪いのに円高が進んでしまったことについても詳しく説明している。円が暴落した後に、日本が復活するというので、いずれにしても大嵐は避けられそうにない。

 

平成23年7月12日(火)

 先週の木曜日は、毎年申告しなければならない労働保険料の計算をしていた。年に1回のことなので、毎回書類の書き方を忘れてしまう。従業員の雇用保険料などを給与から計算する。私の医院では正社員の受付が1人で、パートの受付が1人である。大きな診療所と違って事務長はいないので、給与計算から細々とした雑用まですべて院長の私がやらなければならない。去年の4月から今年の3月までの2人合わせた人件費の総額は380万円ほどであった。この中には交通費なども含まれる。正社員の人は毎年給与を上げているが、周りが不景気なので本のわずかである。きのうも労災の判定会議があった。労災医員をしているので、雇用主として労働基準法はきちんと守らなければならない。残業手当は15分単位で計算し、パートの人にもきちんと年休を与えている。吹けば飛ぶような小さな診療所であるが、借金はもうないので、このまま引退するまでなんとかやっていくつもりである。
 それにしても、ちょっと油断をしていると書かなければならない書類が山ほどたまってしまう。今月中に更新しなけれならない自立支援医療や障害者手帳の診断書を除いて、新規の診断書や障害年金の診断書が7月にはいってもう9人も出てきた。成年後見用の鑑定書も2名である。外部の仕事は大幅に減らして、今は毎月1回ある労災の判定会議だけである。今月は5件出ていたが、予め送られてくる資料は相変わらずカバンに入りきらないほど分厚い。しかし、以前と比べたらもっと余裕のある生活になってもいい筈である。外部の仕事をいくらは減らしても、精神科は書かなければならない書類が山ほど増えてきている。この書類も大きな診療所のように事務員に代行させたらもっと楽になるのかもしれない。
 木曜日は労働保険料の申告をした後に、往診に行った。前にも書いたことのあるまったく病識のない統合失調症の患者さんである。府立洛南病院に措置入院して退院した後は、私の医院にあまり受診していない。ゴールデン・ウィークぐらいまでは、まだ途切れ途切れに受診していたが、最近はまったく来ていない。1度海外旅行に出かける直前に京都市の保健センターから往診の依頼があり、危うく飛行機に乗り遅れそうになった患者さんである。この出来事には懲りたので、悪化しそうな患者さんは夏休み前に早めに手を打っておくことにした。自宅を訪ねると、患者さんは居間に座っていた。逃げられたら薬を注射器に吸入している暇はないので、玄関で先に用意した。切ったアンプルを袋に入れる時に、誤って指を切ってしまった。指から血が出てきたが、とにかく患者さんに注射を打つことが先である。まだ、精神症状はそれほど悪化しておらず、抵抗なく腕に筋肉注射をさせてくれた。患者さんは指のけがを心配してくれて、ティッシュをたくさんくれた。しかし、受診するように伝えても、相変わらず拒絶である。夏休み期間中は近所から苦情が出ないことを祈るだけである。
 さて、今週読み終えた本である。橋爪大三郎×大澤真幸「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)である。私は英語で医学部にはいったぐらいなので、若い頃は欧米の文化に憧れていた。西洋を理解するためには、聖書を読まなければならないと思っていたが、この年になってもまだ読み切れていない。今は宗教学者でもない限り無理だとあきらめている。旧約聖書も新約聖書もエッセンスを書いた本は山ほど読んだが、その時にはわかったような気がしても時間がたつとあまり覚えていない。これは物覚えが悪いということより、日本のような風土で生活していると、キリスト教のような世界観がなかなか脳に定着してくれないことも関係しているかもしれない。キリスト教に関する本はたまに読みたくなるが、年齢とともに興味を失っている。前回買って読んだ本は残しているが、2000年3月の発行なのでもう10年以上経っている。小坂井登「キリスト教2000年の謎」(講談社+α新書)である。この本で印象に残ったのは、最後に書いてある「神とは何か」である。ここでは、トマス・アクィナスの「神についてはその”何たるかを”知り得ず、ただその”何でないか”を知りうるにすぎない」という否定神学について述べている。エックハルトの「お前の認識の中にあるものが入って来るならば、それは神ではない。神はこれでもなくあれでもないからである」という言葉も紹介している。他にも、「神がいなければ人間は無である。しかしまた人間がいなければ神が無である。なぜかといえば人間の中で初めて神は神として対象になり、人間の中で初めて神が神になるからである」という興味深い言葉も述べられている。
 さて、「ふしぎなキリスト教」である。2人とも社会学者なので、遠藤周作のような信者が書いた本とは一線を画している。対談形式で書かれているので、キリスト教の知識を整理するにはわかりやすくて勉強になる。最初に、神が何を考えているのか、預言者に教えてもらい、神の考えているように行動することが述べられている。神を信じるのは、自分たちの安全のためであるという。ユダヤ教のことも詳しく書かれ、日本人にはわかりにくい一神教についても解説されている。「全知全能の神が作った世界に、なぜ悪があるのか」では、一神教では神との対話が成り立つという。この本では「神の沈黙」という観点からは特に語られていないが、神との不断のコミュニケーションが祈りだという。子どもが障害を持って生まれたり、重い病気になった時に、どうして自分の子がと思い悩む。最終的には試練と考え、神がこのような困った出来事を与えて、自分がどう行動するのか見ておられると考える。祈りの本質は神との対話だという。
 この本では、マックス・ヴェーバーの言葉があちこちに引用されているが、典型的な預言者の特徴など感動的なことが書かれている。聖書より、いろいろな本で引用されている「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に1度挑戦したくなるぐらいである。イエス・キリストを神の子だど決めたパウロについても書かれているが、生前にイエスとは面識がなかったというのはこの本で初めて知った。当然イエスの弟子の1人だと思い込んでいた。それにしても、面識もないのに、イエスを勝手に神の子だと決めていいのかと思う。パウロは新約聖書の大半を書いているが、当時はギリシア語で書かれていた。キリスト教がローマ帝国で普及して、ラテン語で書かれるようになり、マルチン・ルターの宗教改革で初めてドイツ語に翻訳されている。その点、イスラム教のクルアーン(コーラン)はアラビア語で書かれ、翻訳は許されていない。宗教的な首尾一貫性では、三位一体説を唱えるキリスト教よりイスラム教の方に分があるという。キリスト教の優位は、キリスト教徒が自由に法律を作れる点で、社会が近代化できるかどうかの大きなカギになっている。イスラム教などの律法とは異なり、キリスト教では禁止されていないことは何でもできると考えるからである。他にも、興味深いことがわかりやすく山ほど書いてあり、初心者にもお薦めの本である。

 

平成23年7月5日(火)

 今年は例年より暑くなっている。自宅では2階の6畳一間で寝ているが、暑くて夜中に目覚め、またエアコンを入れ直したりしている。きのうはまだ暑さがましだったので、朝方までぐっすりと眠れた。ビールを飲むのをやめようと思っているが、毎週月、水、金を除いては飲んでしまう。量もついつい多くなり、翌日は飲み過ぎてあまり体調はよくない。きょうは午後から3件の往診があった。あまりにも暑かったので、医院に帰ったらすぐにお中元にもらったビールを飲んでしまった。その後16分ほど昼寝して、今この日記を書き出している。往診を除いて、きょうの午前中の外来患者数は31名であった。しかし、先週の木曜日はたった9名で、開業以来の最低外来患者数を記録している。6月の総収入はわずかに去年より増えた。半年過ぎて、全体で去年より5%弱の減収である。自営業の患者さんの話を聞いていると、ほとんど全滅なので、まだましである。開業をしている精神科全体については、どうなっているのかよくわからない。医師会関係の雑誌で、各科の平均保険点数が出るが、精神科はデイ・ケアをやっている所もあるので、あまり参考にならない。初めは、どうしてこんなに1人当たりの患者さんの保険点数が高いのか理解できなかった。
 先週の土曜日は、精神科関係の研究会がいくつも重なった。大阪では日本うつ病学会も開催されていたが、外来があって参加できなかった。京都第一赤十字病院の病診連携懇話会もあったが、これもパスした。私が参加したのは、洛南精神科ネットワーク主催で、講演内容は「双極性障害の新しい薬物療法」であった。どうしてこの研究会に参加したかというと、今話題の双極性障害(躁うつ病)の新しい治療薬について勉強できるということと、講師の先生が私が滋賀医大にいた時の先生だったからである。小さな研究会で、参加者は10人ちょっとであった。司会は、一緒に精神科の労災医員をしている京大系の先生である。講師は滋賀医大を出て、今は大津市内の精神病院の院長をしている。最近はうつ病の治療をしていると、軽い躁状態になる患者さんが増えてきて、こういう患者さんをどう扱うのか問題になっている。日本うつ病学会の治療指針では、躁うつ病のうつ病期に抗うつ薬の使用は推奨しないとなっている。しかし、治療現場では、いつまでも回復しないうつ病期の患者さんには抗うつ薬を使わざるをえない。この研究会では実際の症例を提示して解説してもらい、勉強になった。なかなか安定しない患者さんには次にどの薬を使っていいいのか迷うが、講師の迷いも手に取るようによくわかった。私は迷い箸にたとえるが、もう30年以上患者さんを診ていても、どの薬を使っていいのかわからなくなり、迷って迷ってわけのわからない処方をしてしまうこともある。
 講演会の後で懇親会があったが、久しぶりに講師の先生と話ができた。京都第二赤十字病院の部長も参加していたが、3人とも一緒に滋賀医大に在籍していたことがある。私は昭和54年卒で1番上である。2人は昭和57年卒で、今滋賀医大の教授も同じ昭和57年卒である。司会の京大系の先生も加わって話をしていたが、この先生は昭和59年卒である。私が退職金の少なさを話題にしたら、みんな恐ろしいほど安かった。以前からこの日記でも書いているが、国公立の病院だけに勤めていたら退職金の割り増しがあるが、途中から日赤や社会保険病院に変わったら、退職金はぶつ切れになる。医局から民間病院に派遣されていたら、退職金は全くない。全部合計してもとうてい1千万円には達しない。私は母校で研修し、その後滋賀医大に2年間出されている。日赤の部長をやめて開業するまで、在籍した病院は大学を含め全部で8である。この間高知の精神病院にも行っているし、福知山にも行っている。私の時代はすべて医局の人事で動いていた。いくつもの病院を転々としていたが、今となってはそれなりの人脈を作ることができてよかったと思っている。実際には、滋賀医大にいた時は私にとっては地獄であった。ちょうどアメリカの精神疾患の診断基準であるDSMVをわが国に導入し始めた時で、当時の教授が中心となってやっていた。8つの病院の中では1番大変だった。現在の教授が当時「夜中に泣いている」と漏らしていたぐらいである。しかし、この時の教授には論文を書く癖をつけてもらって、今でも感謝している。人間はなかなか追いつめられないと、論文なんか書けない。私がドサ回りしながら、日赤の部長に返り咲いたのは、ずっと論文を書き続けたからである。
 この前の5月に58歳を迎えたが、中途半端な年齢だと思う。この年代だと、公務員を含め会社勤めの患者さんは何とか定年まで逃げ切ろうと必死である。みんな無事退職金が満額出ることを願っている。退職した患者さんでは、そのまま同じ会社に勤める人もいる。ボーナスが出る所と出ない所があり、平均すると大手で年収は現役時代の5〜6割ぐらいである。最初に私の医院では去年より5%弱収入が減っていると書いた。私がまだ40代〜50代初めだったら、呑気に構えていられないだろう。ところが、一般の企業だったら後2年で退職なので、正直言ってあまり深刻さもない。私が年を重ねるごとに、患者さんも高齢化していく。私の医院に1人では来れない患者さんが増えてきたので、今では往診もしている。開業している60歳を過ぎた先輩の先生は、患者さんが多少減ってきても、借金もなかったらそれほどあくせくする必要もないと言っている。何か新しいことを始めるには年齢が行きすぎていて、かといってこのまま守りの生活にはいるのも早すぎる。とにかく、中途半端な年齢である。開業して収入は増えたが、それだけでは満足できない。自分の人生を振り返ってみると、医者という狭い枠組みの中でスケールの小さな人生を過ごしてきたと思う。アーリー・リタイアメントをして、元気な内にあちこち世界を巡りたいと思うが、それほど大金持ちになったわけでもない。中途半端に収入があるので、結局このまま70歳過ぎまで開業を続けそうである。人生の先が見えてくるのも、あまりよくない。残りの人生が消化試合とならないように、何か工夫が必要である。

 


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