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もんもん日記

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平成23年6月28日(火)

先週の土曜日は、東山医師会コメディカル連絡協議会で、「在宅医療と精神疾患」という演題で講演をした。あらかじめ、A4用紙6枚でテキストを作り、それこそ授業形式で話をした。少し前までは、ヘルパー養成講座の精神保健を担当していたので、大勢の人の前で話すのは苦手ではない。これまで、看護学校の授業だけではなく、講演会でもうんざりするほど話をしてきた。まだ若くて慣れない頃は講演をするだけで精一杯で、聞いている人を楽しませる余裕はまったくなかった。しかし、慣れてくると、いかに受ける講演をするか考えるようになる。演題名は堅いが、聴衆受けするさわりの部分もいくつか盛り込んだ。与えられた時間は質問時間も含めて2時間である。終わりの方になればなるほどリラックスして話ができた。1時間20分ほどで講演を終え、質問にはそれなりに答えることはできた。こういう講演をした後は、こう言えばよかったとかああ言えばよかったと反省する。最近は講演する機会がないが、久しぶりに聴衆の反応を見ることができて楽しかった。この日記では、どこまで受けているのかなかなかわかりにくい。精神科に関する講演でも、私は綾小路きみまろのようなトークができたら最高と思っている。医院に帰ってからあれこれ考えていたら、絶対に爆笑間違いなしの最強バージョンができあがった。在宅医療に限らず使える話なので、また講演する機会があったら披露しようと思う。
 日曜日は、今月中に書かなければならない自立支援医療の診断書を書いていた。この4月からは1年間の延長が切れて、新たに診断書を書かなければならない人ばかりであった。この日は11時過ぎに医院に出たが、結局夕方6時頃まで時間がかかってしまった。頼まれている成年後見用の鑑定書も書かなければならないが、まだまったく何も手をつけていない。きのうまた京都家庭裁判所から電話がかかってきて、また別の人の鑑定を頼まれた。近くに引き受けてくれる精神科医がいないという。どちらも鑑定期間は1ヶ月であるが、最初に頼まれた人はもう2週間しか残っていない。まだ税理士事務所に送らなければならない5月分の資料の整理や従業員の労働保険料の申告などが残っており、なかなかゆっくりしている暇がない。
 それでも先週は久しぶりに映画を見に行った。題名は、「127時間」である。あちこちの雑誌や新聞で取り上げられていた映画である。ロック・クライミングに1人で出かけた若者が、落石にあって腕を岩に挟まれて身動きができなくなる物語である。何とか岩から腕を抜こうとするが、なかなか抜くことができない。時間がどんどんと経過していく。過去のことを思い出し、その中に自分の両親や兄弟が出てくる。助かる方法はどう考えても一つしかない。ありえない奇蹟を起こしても面白くない。この種の映画は、どこまでリアリティを持って、主人公と自分を重ね合わせることができるかである。自分がこんな目にあったらどうするだろうと観客を取り込んだら成功である。ややもすると、退屈になりがちな場面を何とか乗り切って鑑賞に耐えうる映画にしている。
 この種の映画では、最近ツタヤで借りた「フローズン」を思い出した。週末にしか開いていないスキー場のリフトの上に3人が置き去りにされる物語である。リフトの上ではやはりお互いの過去が話される。1人が助けを求めに行こうとしてリフトから飛び降りて骨折し、そのまま狼の餌食になる。吹雪が襲ったり、話のプロットは「127時間」とあまり変わりない。囚われの身となったリフトの上での物語が作品の善し悪しを決める。しかし、この作品では過去の思い出話があまり面白くなかった。いきなり主人公の過去の思い出につきあわされる観客の身にもなって欲しい。ここが腕の見せ所となるが、正直言って「127時間」もかろうじて乗り切ったという感じである。希死念慮の強い人はこの作品を見たらいいかもしれない。人の命は、両親、兄弟、友人などに支えられてここまできたということが、改めて自覚できる。極限状態に置かれた映画では、個人的には少し前の「オープン・ウォーター」が面白かった。ダイビングに出かけた夫婦が、サメのいる海に置き去りにされてしまうという物語である。極限状態になるのは、必ずしも海や山やスキー場だけでない。私の患者さんもこの状態から抜け出せないと思いがちである。しかし、実際に腕を岩に挟まれているわけでもなんでもない。わざわざ腕を切断しなくても、脱出できる方法もある。
 さて、この前の続きである。忙しくて、予告通りには更新できなかったので、改めてこの前紹介した本について簡単に解説したい。神田橋篠治、原田誠一他「うつ病治療」(メディカルレビュー社)である。少し前に、医者向けのホームページで神田橋篠治(敬称略)のことが話題になっていたが、私はその内容を読んでいないので、この本と関係するのかはわからない。この本はうつ病の治療について慶応大学の先生などと対談したものである。全部で4人の先生が出ているが、それぞれ現場の工夫を述べている。この神田橋篠治の本では、もう20年も前になるが、「精神科診断面接のコツ」(岩崎学術出版社)などで私も随分勉強させてもらった。ところが、久しぶりにこの著者が出ている本を読んでびっくりしてしまった。他の若い3人の先生が述べていることはよくわかるのだが、神田橋篠治の話している内容はぶっ飛んでいる。「僕は患者さんの体がその薬を好いているか嫌っているか、薬を体に近づけるとわかるの。キャラメルを体に当てて膵臓が嫌う人に、糖尿病の家族歴がありますかと聞くと、百発百中当たります」と述べている。「Oリングテストで、患者が薬の血中濃度をセルフ・モニタリングできるようになる」と自信たっぷりに発言している。この日記でも前に紹介したが、船井総研の創始者である船井幸雄が最近発言していることとどこか共通したものがある。他の若い3人の先生はこの大先輩である神田橋篠治の発言をうまくかわしている。いくらベテランの精神科医の話でも、そのまま無条件に肯定するわけにもいかないだろう。
 熟練工はわずか0.0…1mmの違いを手で触っただけで判別できるようになるという。アスペルガー障害の患者さんは、生まれつきある領域では信じられない才能を発揮する。訓練して特別な能力を身につけることができるようになるのはよくわかる。しかし、その道の大家と言われる人でも、年をとってわけのわからない領域に踏み込んでしまう人もいるようである。

 

平成23年6月21日(火)

 やることは山ほどあるが、なかなかやる気がしない。今週はこの土曜日にある東山医師会コメディカル連絡協議会の講演内容を考えなければならない。日曜日は朝6時半から医院に出てきて、大分前に送られてきた講演依頼のFAXを改めて読んでみた。どんな内容の話をしたらいいか、あらかじめアンケート調査をしていた。詳しく読んでみたら、ややこしい質問ばかりである。「アルコール依存のお年寄りで、生活自体が立ち行かなくなるケースが増えているが、どうしたらいいのか」みたいなことが書いてある。もっと気楽な内容でいいのかと思っていたら、現場からの深刻な内容の質問ばかりである。読んでいて、「そんなことを聞かれても」と言いたくなることばかりである。講演時間は1時間で、残りの1時間を質疑応答に使うと書いてあった。1時間もこんな質問ばかりされても困る。強引に講演時間を延ばして、なるべく質疑応答時間を短くするしかない。天気予報を見てみたら、この日は嵐や台風が来る予定はなく、曇時々雨となっていた。とりあえず、これまで保健所などで話してきた高齢者に関するいくつもの講演会の要旨をコピペ(コピーして貼り付け)し、アルコール依存やうつ病関連の要旨も付け加えた。長いこと看護学校で授業もして、臨床心理士の実習もやっていたので、ほとんどの病気の内容についてはパソコンに蓄えられている。日曜日は、息子と一緒に池田の両親の所に行かなければならなかったので、この日は何の整理もせず、とりあえずコピペだけして終わった。
 きのうは、東山医師会の事務局からこの講演会について確認の電話があった。参加予定者は80人という。講演の方法は、パワーポイントは使わず、講演要旨の原稿をあらかじめ用意して配布する。私は前の机に座り、授業形式で話すことにした。1時間もずっと立ちっぱなしでは、立ちくらみのようなめまいがしてきてだめである。あまりにもややこしい質問が出たときには、死んだふりをするつもりである。80部も資料を作ってもらわないといけないので、遅くとも木曜日には仕上げて、メールで送らなければならない。きょうはこの日記を書かなければならないので、明日、あさってで完成させることになる。どんな講演内容にするか、大体のめどはついたので、ひとまず安心である。私の場合は、締め切りが迫ってきてまだ何も手をつけていない時に抑うつ気分が強まるようである。一応めどがつくと、それまでの気分のうっとうしさは嘘のようになくなる。看護学校で授業している時には、私が年をとったら、この子たちは将来看護婦長(師長)になって、私がお世話になるかもしれないと思っていた。今回の講演会では、ケアマネージャー、介護福祉士、ヘルパーなどが参加する。私も年をとってきたので、将来お世話になる可能性がより現実味を帯びてきた。顔をしっかり覚えてもらって、来る老後に備えようと思う。
 池田の両親は元気にしていた。母親の話を聞くと、リハビリ病院ではいろいろな人がいたらしく、見舞いに来ても、旦那さんを車イスに座らせて、自分はベッドで寝ているだけの奥さんもいたらしい。父親は時々にこにこと笑うので、病院の受けはよかったようである。もっとショートステイを利用するように話したが、以前に利用した時の扱いはあまりよくなかったという。訪問介護に来てくれる人は親切でしっかりとしているというので、同じ系列の所でも訪問介護とショートステイでは職員の温度差があるようである。妹は大学の仕事で不在であった。妹の旦那と娘が来てくれたので、私の息子も含め外で一緒に昼食をとった。妹の所は2人の子どもは大学生で、近くであるが今は別に住んでいる。父親を見ながら、自分たちも将来はこうなるのかと妹の旦那と話をしていた。弁護士事務所は不景気で、もうひとつのようであった。最近はよく夫婦2人で中国に行っているという。西安がよかったというので、私も機会があったら行ってみたいと思った。。
 さて、今回読み終えた本である。岩崎純一「私には女性の排卵が見える」(幻冬舎新書)である。副題には、共感覚者の不思議な世界とある。たまたま本屋でこの題名を見て、私の1番好きな精神科医であるミルトン・エリクソンを思い出した。ジェフリー・K・ゼイク編「ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー」(星和書店)を最初に読んだ時の衝撃は忘れられない。私の手元には1984年の初版がある。その後、日本語で翻訳されているジェイ・ヘイリーなどによる関連の本はすべて読み尽くし、英語の原著も何冊か持っている。ミルトン・エリクソンの治療法から、リフレーミングやブリーフ・セラピー、家族療法などの理論が発展し、独特の催眠療法でも知られている。患者の無意識に働きかけて、患者の気づかない内に治したという逸話も残っている。女性の生理なども感知し、その時には髪の生え際かどこかが後退するようなことが書いてあったと思うが、もううろ覚えで、しっかり覚えていない。人の虹彩の変化や何気ない無意識の仕草を読み取り、何を考えているかもわかったという。
 私は広汎性発達障害やアスペルガー障害についてはほとんど無知である。本を手にとって、その類の本ではないかと思ったが、その内容はあたらずといえども遠からずである。著者は幼少期から、女性の月経期間や排卵を感知できたという。女性の周りの空気の色が変わり、排卵の響きも伝わったりするという。実際に触らなくても、触った感じもわかる。東大を中退し、ホームページを立ち上げると、同じような女性の性周期が感知できる男性とも大勢知り合うようになる。この能力は20代になって衰えてきて、10代の男性が多いという。やはり、アスペルガー障害の人が多いようであるが、著者はこういう人たちと自分は区別しているようである。実は、ミルトン・エリクソンは失読症であったことを告白している。この失読症は学習障害の一種で、欧米では珍しい障害ではないようである。ミルトン・エリクソンは辞書に書いてある意味がわからず、辞書が何のために存在するのかもわからなかったが、ある時に突然その内容がわかりだしたとどこかで書いていた。この失読症で有名な人にはアガサ・クリスティやトム・クルーズなどがいる。
 著者は自分の感覚について、一生懸命理論付けをしようとしている。「数字に色が見える」「匂いに色や触覚を感じる」「味に色や触覚を感じる」などを、赤ちゃんの時の五感に別れる前の状態であると述べている。そして、女性の性周期を感知する能力は古来の男性に備わっていた能力ではないかと論じている。ここではもっと詳しく紹介したかったが、もう遅くなったのでこの辺で終わりにしようと思う。実は、神田橋篠治、原田誠一他「うつ病治療」(メディカルレビュー社)にも、神田橋篠治が患者さんの診察でにわかには信じがたいことで精神状態を感知することが書かれている。前にも照会した、汁井俊太郎、倉田真由美「ダメになってもだいじょうぶ」(幻冬舎)では、女性と数多くセックスすることで、女性を見たら、セックスできるかどうか見極めるセックス・センスを獲得したと述べている。学習して備わる能力と先天的に持っている能力の区別は難しいが、時間があったらこの辺りのことについて次回の火曜日までに付け加えて更新しようと思う。

 

平成23年6月14日(火)

 先週の木曜日は午後から横浜に行っていた。目的は、日本心身医学会総会に参加するためである。当初この総会には参加するつもりはなかった。ところが、今年の3月に日本心身医学会の専門医を更新しようとしたら、私の勘違いで更新点数が5点足りなかった。学会に参加して5年間で50点集めなければならないが、45点しかなかったのである。保留期間は2年間あるが、なるべく早く点数を集めて更新しなければならない。こんなことならもっと早く気づいて、2月の近畿地方会に出ておくべきだった。地方会に参加したら足りなかった5点がもらえる。学会からは更新のお知らせは大分前から来ていたが、私は何でもいつも締め切り間際にしかやらない。3月の締め切り4、5日前に確認してみたら、5点足りないことに初めて気がついた。
 この日は外来を休むわけに行かないので、午後から日帰りで行ってきた。新幹線で往復し、参加費1万5千円を払って参加証明書をもらってきた。総会の点数は10点なので、5点も余りもったいない気がした。会場には長居せず、ほとんどトンボ返りであった。内科の学会などでは、つきあいのある製薬会社の人に頼んで、この参加証を代理でもらって来る先生もいるようである。それと比べたら、私の方が遥かにましである。本当は私もゆっくりと学会に参加したかったが、開業しているとなかなか外来を休めない。毎年この時期には日本精神神経学会総会も開かれる。今年は震災の影響で10月になったが、毎年外来を休診にして両方の学会に参加するのは無理である。
 新幹線の中ではゆっくりしようと思ったが、2時間ぐらいでは何もしている暇はない。私はこういう時には、ふだん読まない日経新聞や雑誌を買い、ビールを飲む。しかし、学会に参加する前から飲むわけにはいかない。新聞や雑誌を読み、ちょっとぼーとしていたらあっという間である。帰りは500ccのビールを買って、自宅から持って来た本を読もうとした。だいぶ前に店頭に並んでいた上野千鶴子「女ぎらい ニッポンのミソジニー」(紀伊国屋書店)である。この本はたまたま最近本屋で見つけ、気になったので買ってみた。前回の日記でも書いたことと関係してくるが、フェミニストから見た男性の性を扱っている。ところが、第1章を読み始めて、偏狭とも思える激しい男性攻撃にたじたじであった。私はこの日記では原則的に自分が最後まで読み終えた本しか取り上げない。まだ1章も読み終えないうちに、まったく読む気がしなくなった。きょう改めてあとがきを読んでいたら、とりわけ男にとって不愉快な読書経験をもたらすだろうと書いてあった。不愉快というより、思想信条に凝り固まったフェミニスト特有の頑迷さみたいなものを感じた。しかし、まだ1章も読んでいないうちから断定するのはアンフェアである。また最後まで読み終えたらこの日記で取り上げようと思う。
 私はiPodに音楽やビデオなど山ほど詰め込んでいるが、なかなか利用する機会がない。大阪に行くときでも新聞を買って読んでいたら、それだけで時間がつぶれてしまう。医院にいたら、わざわざiPodを使う必要もない。ノート・パソコンも持っているが、これもなかなか使う機会がなくて困っている。バッグなども好きで、気に入った物があるとついつい買ってしまう。とにかく、外に出かけないと使えないものばかりである。これらの品物は新幹線や飛行機、ホテルの中でその威力を発揮する。だから、日常生活がマンネリ化してきた時には、特に用事がなくても、気分転換に大阪のビジネスホテルに泊まったりすることもある。最近は不況のせいか、朝食付きでも安い値段で泊まれたりする。場所を替えるだけでも、読めなかった本が読めるようになったり、ゆっくりと音楽が聴けるようになる。仕事でも、気分転換に喫茶店を利用したり、どこでも自分のオフィスにしてしまうことが勧められている。ビジネスホテルも、値段は少しはるが、それに近い感覚で利用できる。最近では、レンタルで借りた「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」をiPodに入れて見た。2010年キネマ旬報ベストテンの外国映画部門で6位に選ばれた作品である。マカオが舞台になっているが、この類の映画は山ほど見ているので、大感動とまではいかなかった。いくら医院に防音室を備えていても、なかなかそれだけでは気分転換できないのである。
 きのうの月曜日は、毎月1回ある労災の判定会議に出ていた。今回は4件出ていて、読まなければならない資料もぶ厚かった。日曜日は池田の両親の所に行く予定であったが、息子の都合が悪かったので、来週の日曜日に変更した。その分、この資料を読んだり、障害年金の診断書などを書いていた。また少し忙しくなってきて、家庭裁判所から認知症の人の成年後見制度の鑑定書の作成を頼まれた。外来で診察している患者さんではないので、こちらから連絡して1ヶ月以内に書かなければならない。今月の25日には、東山医師会コメディカル連絡協議会の講演を頼まれているので、今からその準備をしなければならない。コメディカルとは、在宅医療などを担っているヘルパーさんなどのことである。他にも、締め切りが7月であるが、労働保険料の申告と納付がある。いつも締め切り間際にするが、つい油断してのんびりしていると、泣きながら間に合わせることになる。
 自立支援医療が2年間に延長されたが、今年の4月からは更新の診断書が必要な人が大勢いる。きのうは娘の予備校の後期授業料を銀行から降ろすために、労災の判定会議にはいつもより早めに医院を出た。私の医院の近くで京都銀行のATMがあるのは、京都第一赤十字病院の中だけである。工事で正面玄関の入り口が封鎖されたので、遠回りになって不便になった。1台を患者さんなど大勢の人が利用しているので、何件も振り込みがある時には使いにくい。インターネットで調べて見たら、烏丸御池の地下鉄駅に京都銀行のATMを設置していることがわかった。ここでお金を引き出し、2件の振り込みもした。ところが、きょう取引先から電話がかかってきた。なんと、別の会社に振り込まなければならないお金を同じ会社に振り込んでしまったのである。こんなミスは初めてである。単純なケアレスミスといったらケアレスミスである。精神科では医療ミスは起こりにくいが、外科などではこんなちょっとした手違いが大きな医療事故につながるかもしれない。
 最後に、きょうの朝刊に載っていた記事である。京都市と京都府でここ10年間で若い人の生活保護が1.5倍に増えたという。私の印象では、こういう患者さんが集積しやすい科なのか、もっと増えている。精神科をしていると、福祉事務所から生活保護を受けている患者さんの問い合わせがよくある。大きく分けて2つで、1つは自立支援医療の対象になるかならないかである。自立支援医療にすると、京都市の負担する生活保護の医療費が大幅に減らせる。これに関連して、障害者手帳や障害年金に該当するかも問い合わせがある。前にも書いたが、私は精神科の患者さんを何でもかんでも自立支援医療の対象にしてしまうのは抵抗がある。もう1つは、稼働能力である。全然働いてはいけない、軽い仕事ならできる、中程度の仕事ができる、かなりの仕事にたえられる、何をしても差し支えないで、該当するものに○をしなければならない。この問い合わせにはいつも困る。薬を服用して元気にしていても、社会適応能力とはまったく別である。風俗でしか働いたことのない女の人が、いくら元気にしていても普通の仕事がまともにできるとは思えない。パートの仕事と言っても、今は不景気でそれなりの能力が要求される。それでも、世間の目から見たら、まだ若いので苦労してでも働くのが当たり前となるだろう。ところが、不幸な家庭環境で育ってろくに学校にも通えなかった人は、集団生活など社会的にはまったく訓練されていないのである。無理に仕事に行かせても、職場の人とはうまくいかず、眠れないとか胸が苦しいとかただ症状を悪化させるだけである。かといって、このまま一生生活保護で面倒を見ていくのもおかしい。厳しい不況も重なり、福祉事務所の人がただ仕事を見つけて働けと言うのも無理がある。いろいろな矛盾を抱えていて、こんな日本に誰がしたと言いたくなる。一見自分とは関係ないことのように思えるが、私も年をとってきたので、連帯責任で「はい。それは私です」と答えなければならないのだろう。

 

平成23年6月7日(火)

 政局が混乱し、日本の危機的な状況はますます悪化している印象である。今回のような未曾有の大災害では、日本の持っている本来の強みが、すべて裏目に出ている。集団主義的な意思決定であるボトムアップは平時にはその威力を発揮できるが、今回のような非常事態にはまったく無力である。トップダウンといっても、これまで本来の意味でのトップダウンで意思決定をしてきた企業も公的機関も少なかったのではないかと思う。トップになる人はある分野では業績を上げてきたかも知れないが、組織の頂点に就くと組織の和を重んじ、下から上がってくる意見の調整役みたいになってしまう。だから、これまでも何か不都合なことが起こっても、責任の所在が曖昧になっていた。もともと「出る杭は打たれる」で、日本には強いリーダーシップを発揮する人を育てる土壌がないかもしれない。ワンマンとリーダーシップを発揮する人は別である。何の方策もなく、無理なことを部下にどなりちらして指示することは強いリーダーシップとは言わない。今回の大震災でも、関係省庁や被災地との調整をしていたら、いつまでたっても何も決まらない。今は百家争鳴の時代で、専門家や評論家は好き放題発言しているが、日本の国民性を無視したないものねだりのような気もしてくる。わが国では、トップとして調整能力に優れている人は大勢育っているが、今回のような危機的状況でトップダウンで責任を持って意思決定できる人がいないことがよくわかった。
 それにしても、つくづく不思議に思うことは、今回の大震災の規模である。死者・行方不明者が2万5千人近くいて、今でも10万人以上の人が避難生活をしている。大災害であることには変わりないが、それでも日本の人口は1億3千万人近くにも達しているのである。被災された方にはお悔やみ申し上げるが、人口規模でいうと、わずか2万5千人が亡くなり、10万人が避難生活をしているだけで、日本の経済は壊滅的打撃を受け、全国民が危機的状況に陥っているのである。不思議といえば不思議である。以前にも書いたが、ユーロ全体で占めるギリシアのGDPは本のわずかである。ところが、ギリシアが破綻したらユーロ全体が破綻してしまう危険性が高いのである。ちなみに、スマトラ沖地震では22万人の人が亡くなっている。高度に発達した社会では、本のわずかな狂いがドミノ倒しのように全体に及んでしまうのである。
 なかなかやる気が出てこなくて困っている。自分ではわかりにくいが、気分変調症で、軽い抑うつ状態にはいっているのかもしれない。先週ではないが、その前の日曜日に父親の見舞いに池田まで私1人で出かけていた。母親と妹がけんかしたということで、長男である私の出番となった。両親のことはすべて妹に任せていたので、私も申し訳ないと思っている。今年87歳になる父親は脳梗塞を起こし、今はリハビリ病院に入院している。6月半ばに退院予定であるが、その後のことについて妹ともめたらしい。胃瘻をしているが、母親は引き取って面倒を見るつもりである。妹には頑固に車イスと電動ベッドはいらないと言ったらしい。母親の言い分では、妹が母親を呆け扱いしたという。どこにでもある些細な家庭のトラブルである。この日は母親と昼食をとり、その後で一緒にリハビリ病院に行った。父親は私のことはまったくわからず、母親のこともわからないようである。足腰は弱っているが、なんとか歩ける。ただ、服を脱がせようとしたり、おしめの交換の時には激しく抵抗したりする。母親は何も答えない父親に一生懸命話しかけている。妹は経済学部の教授として忙しく、妹の子どもも大学生となり、母親は孤独になりがちである。ついつい私も忙しさにかまけていたが、今度の日曜日にはまた見舞いに行こうと思っている。
 さて、先週にすでに読み終えた本である。叶井俊太郎、倉田真由美「ダメになってもだいじょうぶ」(幻冬舎)である。副題として、「600人とSEXして4回結婚して破産してわかること」となっている。マンガ家である倉田真由美については、名前を聞いたことがあると言う程度で、医院でとっている週刊スパに載っている「だめんず・うぉ〜か〜」も飛ばし読みしていたぐらいである。「だめんず・うぉ〜か〜」では、ダメ男にだまされるダメ女が描かれているが、その倉田真由美がダメ男と結婚したということで話題になっていた。叶井俊太郎は高校生になるまで、両親が離婚していたことに気づかなかったぐらい、父親不在の家庭で育っている。その分、母親も放任主義で、高校生になってから1人暮らしを始めている。居酒屋でアルバイトし、ディスコで遊び、知り合った女の子を自宅に呼んでセックスに励むようになる。必ず週に3人とセックスをすることを目標にし、1日5人とセックスをしたこともあるという。女性とうまくセックスに持ち込むには、とにかく女性に考える時間を与えてはいけないという。「玄関をあけたら2分でセックス」で、自宅に着いたらいきなり服を全部脱いでしまう。「とにかく時間がないから脱いで、脱いで」という。どうしても拒否する子には、「残念だけど、時間がないから帰っていいよ」とあきらめた顔をして、全裸でしおしおと脱いだ服を拾う。そうすると、女の子もあきらめて「しょうがないな」になるという。夏休みには新島の民宿でアルバイトし、平均1日2人とセックスし、一夏で30人は越え、高校生活で100人以上になったという。高2の冬には、カウントしていたセックス人数が210人にも達している。
 何でもそうであるが、一つのことに熱心になって経験を積んでいくと、特殊な能力が備わるようになる。著者の場合は、「セックスセンス」というべき能力が身についたという。女の人をちょっと見れば、自分とセックスしたがっているかどうかわかるようになっている。女性の目がハートマークならぬOKマークになっていれば、ほとんどセックスに持ち込めたという。専門学校やハワイの語学学校でも、やり放題である。そして、日本に帰ってきて就職したのは、映画業界である。本人のセックスは極めてノーマルで、目的はただストレートに射精するだけである。社会人になって大分経った頃に、女性を喜ばせないといけないと気づいたぐらいである。就職した会社は洋物のポルノを買い付けていた。地方の映画館に営業で出かけているが、ある鄙びた農村地域では獣姦ポルノが人気で、映画館の支配人の要請で馬特集をしている。この時には、劇場は爺さんや婆さんで超満員であったという。
 働いて3年目に同じ会社から独立した一般ビデオを扱うアルバトロスの社員となる。ところが、当初は芸術路線を狙っていたのに、死体を肉まんの中に入れて客に食べさせるという「人肉饅頭」という映画を買い付け、大ヒットさせる。その後、死姦映画など次々と買い付けて、それなりにヒットさせていく。中にはこけた映画もあるが、最大のヒット作は「アメリ」だという。私は名前だけ知っているが、まだ、作品ができていない時点で、監督の名前からカルト・ホラーだろうと思って買い付けたという。他の配給会社は、自分が買い付けたことで、勝手にエログロ路線だと思って、手を出してこなかったという。映画の買い付けのため、カンヌやベネチアなどの映画祭に行っているが、うらやましいと思う。
  社会人になっても、編集者から他の映画会社の女性まで、手当たり次第である。なぜセックスするのかと聞かれたら、「そこにイイ女がいるから」だという。あまりにも多くの女性とセックスしているので、セックスした人も忘れ、あまりに馴れ馴れしい女性には、「以前にしたことがある?」と聞くこともあるという。その後、トルネード・フィルムを立ち上げるが、買い付けた作品はこけてばかりで、3億円の借金をする。この時に、知り合いになったくらたまこと倉田真由美に1千万円の借金をし、保証人になってくれるように頼んでいる。保証人になることは断られ、その後破産して、女児をもうけて結婚している。端から見ていると、好き放題に自由奔放に生きてきて、1人の妻と子どものためにこつこつと真面目に働いているのがあほくさくなるほどである。こういう生き方もありだと思うが、どう考えても、結婚生活には向かないような気がする。先週の週間スパでは、「嫁の劣化問題」特集で、倉田真由美が出てきて、産後体重が10kg増えたことを告白している。
 実は、うすうす感づいている女性もいるが、男性の下半身はすでにメルト・ダウンしている。理性や倫理、信仰心、名誉、家族愛などを冷却水に注入しているが、なかなか温度が下がってくれない。メインの冷却装置として、第1に妻を置かないとまずいだろう。しかし、年数が経ってくると、冷却装置としての機能は劣化してくる。時々散発的に爆発事故も起こっている。社会的に地位のある男性が女子高生のお尻をさわったり、スカートの中を隠し撮りしようとして、警察に逮捕されたりしている。男性は生理的に精子が貯まると、定期的に排出しないといられなくなる。この辺の事情については、また別の機会に詳しく書こうと思う。先ほどの著者の下半身のメルト・ダウンはかなり進行しているので、いくら倉田真由美でも収束するのにこれから何十年とかかるだろう。

 

平成23年5月31日(火)

 いつの間にか梅雨にはいり、5月も終わろうとしている。先週は比較的暇であったが、あまり何もやる気がせず、だらだらと過ごしていた。連休後の外来の患者さんが多かったので、5月の外来患者数は増えるかと思った。しかし、起死回生とはならず、やはり去年より大幅に減っていた。医者向けの掲示板では、開業医の医療技術の低さが批判されている。私も開業してから10年たったので、最新の医療から取り残されているのではないかと心配になる時がある。心療内科や精神科は、他科のように特殊な設備や医療機器がいるわけでない。特殊な患者さんを除いて、来院する患者さんは大学病院や総合病院とあまり変わりない。だから、医療技術を保とうと思えば、いくらでも保てる。今流行の認知行動療法については訓練されたスタッフをそろえなければならないが、まだ大病院でも本格的にやっている所は少ない。
 実は、少し前の5月15日(日)は、京都労働局から頼まれていた労災裁判の意見書を書いていた。労災医員をしているので、国際分類であるICD−10については、細かい部分まで精通するようになった。私の世代で1番批判されるのは、睡眠導入薬の使い方である。ベンゾジアゼピン系精神安定剤も使いすぎと若い世代からは批判される。私の医院に通院している患者さんが、事故や急病で病院に入院すると、今服用している薬の照会が必ずある。この時に、ベンゾジアゼピン系の睡眠導入薬が多すぎると、あちこちから苦情が出るようになった。今まではあまり気にしていなかったが、それこそヤブ医者みたいな言い方をされるようになったので、最近は抗うつ薬などに置き換えて減らすようにしている。どうしても眠れない人には、イソミタールも少量使ったりしていたが、ある患者さんは他の精神科の病院で、「こんな毒薬はすぐやめるように」と言われている。
 確かに、現在の精神科治療の流れでは、なるべくベンゾジアゼピン系薬剤は使わない方向にきている。代わりに、脳のセロトニンを増やすSSRIやノルアドレナリンも増やすSNRIの使用が勧められている。それはそれでかまわないが、これまでの精神科治療の流れも知らず、臨床経験も少ない医者から、頭ごなしに時代遅れの治療をしていると批判されると、心外である。ベンゾジアゼピン系薬物は安全性が高く、妊娠中に服用していても、ほとんど胎児に影響しないことが知られている。ハルシオンの致死量でも、一時に10万錠以上服用しないと死ねない。副作用として、依存性(低用量依存)や認知機能障害(ぼーとしたり、物忘れをしたりする)がある。しかし、個人差が大きいので、副作用の出やすい患者さんについては量を減らしたり、使用を控えたらいいだけである。
 パニック障害では、パキシルなどのSSRIが使用される。ところが、このパニック障害は若い女性にも多く、長い間治療しているうちに、結婚して妊娠する患者さんも多い。妊娠中のSSRIの服用についてはまだ安全性が確かめられておらず、服薬を中止する医療機関も少なくない。京都市内で有名なある産婦人科では、SSRIを服用している患者さんは大学病院に行けと言われる。ベンゾジアゼピン系薬物の離脱症状(やめた時の禁断症状)が強調されやすいが、SSRIの中断症候群と比べてどっちもどっちである。私の印象では、ベンゾジアゼピン系薬物の方が、1日3回から2回にと少しずつ漸減しやすい印象もある。飲む回数が減ると、患者さんにもよくなっているという実感が得られやすい。もちろん、ベンゾジアゼピン系睡眠導入剤では、大量服薬したり、ネットなどで売買したりする人もいるので、投薬には気をつけなければならない。
 必要のない患者さんにベンゾジアゼピン系薬物を処方することもないが、中には金科玉条のごとく処方しないという先生もいる。少し加えて安定する人には、処方したらいいと思う。時々、他の医療機関から来た患者さんの中にこういう患者さんがいる。今ではベンゾジアゼピン系薬物を長期使用していると、犯罪人のように扱われかねないが、これは製薬会社の陰謀ではないかと思ったりすることもある。SSRIの薬価は高いので、安価なベンゾジアゼピン系薬物が使われると売り上げに影響する。
  SSRIやSNRIが出てくる前までは、これほどベンゾジアゼピン系薬物の副作用が強調されることはなかった。私の経験では実際に大量に使用していても、それほど困る症例もなかった。注意することは、薬が切れて急激な中断が起こらないようにすることぐらいであった。薬が効かなくなって、薬の量がどんどんと増えていくこともなかった。ただ、最近は無茶飲みする若い人が増えてきて、以前より使いにくくなってきたことは事実である。本来薬が持っている薬理作用としての依存性と無茶飲みする人が増えたきたことは実はあまり関係ない。無茶飲みする人が増えてきたことで、急に薬が持っている依存性が高くなって危険性が増すわけではない。無茶飲みする人はどんな薬でも無茶飲みする。実際に、本来のベンゾジアゼピン系薬物は、大騒ぎするほど依存性の高い薬ではないと私は思っている。それと、高齢者に多いが、患者さんは調子がいいと言っていても、家族の話によると認知機能障害が顕著な場合もあるので、注意が必要である。時代の流れに無理に逆らうこともないが、1人1人の患者さんは違うので、必要な時には臨機応変に使用したらいいと思う。どんな治療でも、理論とマニュアルだけで解決したら、誰も苦労はしない。
 さて、先週ではなく、その前の週に見た映画である。題名は「ブラック・スワン」である。前評判のいい映画であったが、幻覚のような症状が出てきて、精神科医として見ていて、もうひとつすっきりしなかった。「白鳥の湖」のプリマを演じることになり、プレッシャーがかかるのはわかるが、どうしてここで幻覚みたいなものが出てくるのか、よく理解できなかった。もともと母子関係に問題があって、境界性人格障害のような傾向があったのか、薬のせいなのかよくわからない。最後の方は現実と幻覚が入り混ざり、見ていても少しいらいらしてきた。久しぶりにバレエ映画を見たが、踊りは素晴らしかった。同じバレエ映画では、「アンナ・パブロワ」が印象に残っている。インターネットで調べたら、1984年の公開である。今では映画の内容はほとんど忘れてしまったが、「瀕死の白鳥」を踊るアンナ・パブロワには大感動した。私はバレエについてはまったく詳しくないが、巨乳はよくないようである。胸が大きくならないように、さらしを巻いたりすると雑誌で読んだ記憶がある。
 アダルト・ビデオを見ていると、時々実際の元スポーツ選手や新体操の選手が出演していたりする。元バレリーナが出てくるビデオも見たことがある。私はメイド服を見ると蹴ってやりたくなるが、このバレリーナの衣装は嫌いではない。アダルト・ビデオではモロ出しであるが、モロ出しせずに身体の曲線が強調される衣装で、踊りという表現方法でいかに人々を感動させるかである。アダルト・ビデオでも、中には肉体そのものが感動的な芸術作品のような女優もいる。以前に映画「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」について書いたが、それまでの映画の手法とは違い、カット割りせず、そのままカメラを据えて長回しをしていた。この長回しで有名な映画の題名がこの時にすぐに思い出せなかった。ギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」であったことを思い出したので、ついでに書き添えておく。よく考えてみれば、何十年と本を読み続け、映画も見続け、患者さんの悩みを聞き続けていたら、それなりに私の人生観もできてくる。
 最後に、買ったまま長いこと見ていなかったDVDである。先週に見終わったので、簡単に紹介しておく。題名は、「ドアーズ/まぼろしの世界」である。私は人並みにビートルズやローリング・ストーンズを聞き、このドアーズも聞いていた。当時は「タッチ・ミー」が好きであったが、年をとってから聞いたらもうひとつであった。最終的にはプログレ(プログレス・ロック)にたどり着き、この方面のロックについては筋金入りとなっている。私に1番影響を与えたロック・グループは、初期のキング・クリムゾンである。ハードロックでは、レッド・ツェッペリンも好きである。この当時は、フーの「マイ・ジェネレーション」など名曲がたくさん生まれている。ドアーズについては、その内の1つのロック・グループで、熱心なファンであったわけではない。
 しかし、このDVDはよかった。ドアーズというロック・グループを通して、当時の時代を語っている。1963年にジョン・F・ケネディが暗殺され、1965年にドアーズが結成されている。ベトナム戦争が泥沼にはまり、公民権運動が盛んになっていた時である。当時のジョンソン大統領が、「反戦運動はFBIの監視下にある」と宣言している。既存の体制に反抗し、カウンターカルチャーが生まれ、ヒッピー運動も起こっていた。今ある意識がすべてではなく、別の世界も存在すると、意識を変えるためにドラッグも積極的に使用されていた。ドアーズという名前は、ウィリアム・ブレイクの詩の「知覚のドアを清めれば、物事の本質が見えるはずだ」に由来する。このDVDに出てくる演奏もいい。フーがドアーズの前座をしていたことも初めて知った。父親が海軍大将で、ベトナムで空母艦隊を指揮していた時に、ボーカルのジム・モリソンはLSDとアルコールに溺れ、奇行が目立っていた。最後は、パリで恋人と暮らしていたが、アル中になって浴槽で死亡する。デビューしてから、54ヶ月目の出来事である。このDVDはツタヤでもレンタルしていたので、ぜひとも若い人に見て欲しい。50年近く前の出来事であるが、こんな熱い時代があったことを知って欲しい。アメリカはこの時代を経て、今は民主化を武器にしている。しかし、当時やっていたことは、反戦運動や公民権運動を力尽くで抑えようとしていたことである。日本も激しい学生運動を経て、現在に至っている。中国のことも、もうちょっと長い目で見ていいような気がする。

 

平成23年5月24日(火)

 先週は私の誕生日であった。私は昭和28年生まれなので、今年でもう58歳になった。昭和28年生まれで有名な人は、大相撲の北の湖である。昔は花のニッパチ組と言われていた。私は大相撲にもプロ野球にもあまり関心はないが、成人の日を迎えた時に、当時活躍していた北の湖と自分を比べ、愕然とした。北の湖は私より3日早く生まれている。私は奧信濃といわれる長野県の山奥から出てきて、医学生として京都で生活を送っていた。しかし、決して華やかな学生生活を送っていたわけではない。恐怖症や強迫症状に悩まされ、劣等感で打ちのめされていた。私は薬嫌いなので(特に精神科)、森田療法的な考え方には随分と救われた。最近はあまりアイデンティティという言葉は流行らないが、「自分とは何者か」とそれこそのたうちまわって、思い悩んでいた。最初の2年間は花園分校で勉強したので、帷子ノ辻で下宿していた。後の4年間は、烏丸今出川の同志社大学の近くで下宿していた。トイレは共同で、当時はエアコンもなかったので、うだるような夏の暑さは地獄であった。まだ立命館大学の広小路キャンパスがあった時で、学生運動の名残が残っていた。
 今こうして思い出していても、何とか社会に適応して、よくここまでサバイバルできたと思う。1歩間違えたら、社会の底辺に転げ落ちて、2度と這い上がってこれなかった。これだけアイデンティティが混乱して、社会的にも未熟であったのに、何とかやってこれたのは、医学部に進んだからである。一般の社会や会社だったら、相手にされなかったかもしれない。医者ということで、まだ大学も病院も社会も許容性が高かった。一人前に成長するまで待ってもらえた。若い頃は、「報道ステーション」の古館伊知郎が対人恐怖であったと述べているし、最近では「たかじんのそこまで言って委員会」の辛坊治郎が強迫神経症であったことを告白している。次から次へと啓蒙書を出版している明治大学の齋藤孝も大学院時代から鳴かず飛ばずで長い間苦労したようである。私はモラトリアム時代が長く、結婚も38歳の時であった。当時医局で独身はたった1人で、私より大分年の離れた先輩だけであった。私より3年ほど後輩の先生ぐらいから、独身の先生が出始め、まだそのまま結婚していない人も多い。
 この5月は開業して丁度10年を終え、今は11年目にはいっている。開業当初はこんなに儲かっていいのかと思うほど繁盛したが、今は年々厳しくなってきている。睡眠導入薬の長期処方ができるようになり、通院精神療法の保険点数も大幅に減らされた。平成13年5月に受診した患者さんの再診料、通院精神療法、院外処方箋料の合計保険点数と平成23年5月に受診した同じ患者さんの保険点数を比べると、1回当たりの診察料が1000円以上減っている患者さんもいる。最低でも、1回当たりの診察料は800円ほど下がっている。患者さんの質も、大分変わってきている。昔はもっと手のかからない患者さんが多かったような気がする。バブルの時には私は経済的には何も恩恵は受けていないが、開業当初から数年間は私の黄金時代であった。いずれにしても、年金や介護、医療がこのままやっていけるわけがない。リーマンショック後の不景気とこの大震災で、これからはますます大変な時代を迎えそうである。
 少し前に、日経メディカルオンラインで話題になっていた記事がある。大阪府で生まれ、12歳の時に米国に渡り、米国の医学生として日本で臨床実習を経験した内科レジデントの感想である。まず、日本の病院における軽症入院患者の多さに驚いている。「たくさんの患者が病院の中をパジャマ姿で歩き、コンビニに行ったりテレビを観たりと動き回っています。基本的に私の大学病院または現在勤務する病院では、1人で歩いている患者にはなかなか出会いません。」と書いている。正月に外泊する患者さんにも、本当に入院が必要なのか疑問を呈している。米国の医療者は入院日数を減らそうとしており、その理由としては、(1)不必要な入院をさせると入院費が病院負担となる、(2)入院日数が長いほど悪いこと(院内感染や事故)が起こる確率が高い、(3)軽症患者の入院は病院の限られたリソースの無駄遣いになることを挙げている。もちろん、民間や公的保険の治療制約については悪い面もある。
 きょう送られてきた日経メディカルのニュースでは、ドイツの医療事情についても書かれていた。家庭医と専門医の役割がきちんと分けられ、日本のように無制限でどこでも受診でき、何でも自由に検査できるようにはなっていない。日本の勤務医が過酷な勤務を強いられるのは、過剰な医療機関や医療設備で軽症の患者さんを奪い合い、何とか黒字を出そうと高価な医療機械やベッドの稼働率を上げようとするからである。1人当たりの保険点数は低いので、数でこなそうとして、悪循環に陥っている。医療機関を整備して、必要に応じて患者さんの医療アクセスに制限を加えたら、無駄な入院や検査、過剰投薬もなくなり、その分入院費や診察料となる保険点数を上げることができる。
 先週の金曜日は久しぶりに東山医師会の学術講演会に出席した。ふだんの講演会は内科などに関することが多く、ほとんど出席していない。この講演会は夜8時過ぎから10時までで、夕食の弁当は出る。今回の演題は、「眠りのメカニズムと睡眠衛生」で、講師は滋賀医科大学の睡眠学講座特任教授であった。卒業年度は私と同じである。睡眠のことは大体わかっているつもりであったが、この先生の話は面白かった。日本睡眠学会が出している「睡眠学ハンドブック」という25750円もする本を持っているが、1994年出版なので今ではほとんど役に立たない。この先生が今年の5月に出版したばかりの「睡眠教室 夜の病気たち」を早速買って読もうと思ったぐらい勉強になった。睡眠は脳を育て、守り、修復する役割を持っているということがよく理解できた。よく短い睡眠で十分という人がいるが、やはり7時間前後の睡眠は必要なようである。心地よい寝起きと光との深い関係もよく整理できた。昼寝も20分ぐらいがいいという。私は30分ぐらいがいいと覚えていたが、眠りすぎると睡眠物質が減り、夜寝にくくなるという。眠気を誘発するメラトニンというホルモンは、光によって分泌量が左右され、日中は外に出て太陽光を十分に浴びたら、夜になってメラトニンの分泌量が増え、睡眠の質がよくなるという。ところが、夜の時間帯に再び光の刺激を受けると、メラトニンの分泌が抑えられ、眠りの質は低下する。夜は家庭の照明を少し暗くし、夜9時以降はTVやパソコン、携帯電話をやめ、寝る前には脳をリラックスさせることが大切だという。私の妹の娘も私の娘もあまり背が高くないが、2人とも中学受験の勉強で夜遅くまで起きていた。これは、成長ホルモンの分泌が悪かったせいかもしれない。妹の息子は180cm以上あり、私の息子もそれなりに背は高いが、2人とも睡眠を削ってまで勉強はしていない。最近は、うつ病の話ばかり聞いていたので、耳鼻科医から出発している睡眠の話が聞けて新鮮であった。同じ世代として、この先生にはこれからも頑張って欲しいと思う。

 

平成23年5月17日(火)

 先週は連休明けということもあり、大勢の患者さんが来ていた。私の医院は午前中の診察は月曜日から土曜日までで、午後の診察は月、水、金だけである。月曜日から土曜日までの1週間の記録としては、開業以来の最高数ではないかと思うぐらい多かった。合計252人の患者さんが受診した。その分、今週は少なく、きょうの午前中の診察では20人を切っていた。デイ・ケアをやっていない私のような小さな医院では、どの位の患者さんが来るのか、よくわからない。医院の1ヶ月のレセプト数や延べ人数は企業秘密になるので、他の先生方からはなかなか教えてもらえない。3月と4月は患者さんの数も増えたが、去年はもっと増えている。1月から4月までの合計を比べると、まだ去年より5.3%少ない。
 先週の土曜日は、新しい抗うつ薬の発売1周年記念講演会に行ってきた。この5月からこの抗うつ薬は1ヶ月処方ができるようになった。どんな薬でも新薬の場合は、発売当初の1年間は最高2週間しか処方できない。新薬はまだ未知の副作用が出てくる可能性があるので、長期処方が禁じられている。しかし、今は日本の製薬会社が独自の新薬を開発することは難しくなっている。欧米で開発されてすでに使われている薬が、日本に導入され新薬として発売されている。新たに、日本だけで重篤な未知の副作用が出てくるとは考えにくい。どうしても長期処方を望む患者さんには倍量処方していたが、これからは最高用量まで増やすことができる。脳内のセロトニンやノルアドレナリンを増やす薬(SSRIやSNRI)は次から次へ発売されているが、なかなか思うような効果は得られにくい。患者さんを悩ませていることが何でも薬で解決するわけではなく、薬が効きにくい非定型のうつ病も増えているからである。それでも、個人的には、この抗うつ薬については久しぶりに手応えを感じている。
 講演会では、近畿大学医学部教授が、「抗うつ薬治療の現在」について話をしてくれた。いつも問題になるのが、双極性障害(躁うつ病)でうつ状態の時に、抗うつ薬が使えるかである。日本うつ病学会が今年の3月に治療ガイドラインを発表しているが、ここでは抗うつ薬の使用は推奨されないとなっている。しかし、実際の臨床ではなかなか改善しないうつ病エピソードの患者さんには抗うつ薬を使わざるをえない。抗うつ薬にうまく反応する患者さんもいないわけではない。統計処理して得られた医学的根拠と1人1人の患者さんの反応はまったく別である。また、気分が持ち上がった時の状態をどうとらえるかも難しい。薬の副作用ではなく、軽い躁状態ととらえたら、うつ病ではなく双極性障害となってしまう。この講演で、これまでのうつ病治療の知識の整理はできたが、すっきりしない部分はやはりすっきりしなかった。
 講演会の後で、若い先生とも話をする機会があった。厚労省が認定している精神保健指定医の資格取得では、18歳以下の思春期の入院患者のケースレポートが必要だという。この場合、医療保護か措置入院をしていないといけない。ところが、こんな患者さんは滅多に入院して来ないので、この思春期のケースレポートを書くのが大変だという。私は今まで、自傷行為や大量服薬を繰り返す思春期の患者さんの入院については、どこの精神病院でも断られると思っていた。こんなことなら、どんなややこしい患者さんでもこれからは遠慮なく紹介できる。しかし、精神保健指定医の資格を取ろうという若い医者がいる病院に限られる。
 きのうの月曜日は毎月1回ある労災の判定会議があった。今回は1件だけだったので、久しぶりに早く終わった。労働局のエレベーターに、5月からクールビズを始めると貼り紙がしてあった。私は座長をしているので、いつもはネクタイを締めて上着を着て行く。これまで官公庁のクールビズはもっと遅く始まっていたと思うが、今年は震災の影響か早い。こんなことなら、もっと身軽な格好で来たらよかった。職員の人は上着は着ていなかったが、まだネクタイを締めている人が多かった。夏には本格的な節電が始まるので、これまで以上に薄着ができそうである。こんな機会はめったにないので、今年は限界ぎりぎりまで挑戦してみようと思う。労災関係では個人的に頼まれている意見書にはまだ何も手をつけていない。締め切りが今月の25日なので、今から必死で資料を読んで早くまとめなければならない。
 最後に、この前の続きである。今回読み終えたのは、中島一「中国人とはいかに思考し、どう働く人たちか。」(KAWAIDE夢新書)である。著者は日立化成工業の社外取締役を経て、現在コンサルタント会社の代表取締役をしながら、中国人留学生の支援をしている。日本と中国の関係は、貿易については輸入も輸出も米国を抜き、現在第1位である。この本によると、50万人を越える日本人が中国に滞在し、30万人を越える中国人が日本で仕事をしたり学習をしているという。私は医学の世界で生きているので、中国と直接利害関係があるわけではない。今さら、中国と関係した事業を立ち上げようと思っているわけでもないので、特に中国に媚びを売る必要もない。せいぜい、怪しい所で公安に逮捕されないことぐらいである。息子も医学の道に進んだら、あまり関係ない。娘は将来一般企業に就職すると思うので、多かれ少なかれ関係してくる可能性が高い。若い人は、将来観光業や製造業だけではなく、他の業種でも中国とはまったく無縁ではいられなくなる。著者が書いているように、私もこれからは中国との相互関係が、日本人の経済的社会的な幸福の最大要件となると思う。無理に好きになる必要はないが、少なくとも理解しようとする努力は大事である。この本でも指摘しているように、日本人で中国人と私的な関係を持っている人はまだ少ないのである。
 共産党の機関紙人民日報の発行部数が、13億人の人口に対して、50万部程度だという。前回の、加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(ディスカバー・トゥエンティワン)でも紹介したように、中国人の誰もがビジネスマン志向で、政治への関心は少ないという。ほとんどの中国人は、愛国精神も持っていない。日本に留学してくる学生のことも書いているが、トップクラスは欧米の大学を目指し、日本には2番手クラスが来るという。日本で納得できる就職ができる人は稀で、毎年反日感情を持った優秀な人材を生み出しているという。1990年代までは、日本は中国の先生であったが、今では学ぶことが少なくなったと考えている中国人は増えているという。このことについては、加藤嘉一の本でも指摘されている。
  中国人の個人主義と日本人の集団主義についても詳しく書かれているが、集団主義の落とし穴は、誰が本当のリーダーか見えなくなってしまうことだという。今回の震災でもわかるように、厳しい国際競争の中で活路を見いだしていくような鍛えられたリーダーが育っていない。いつの間にか、自分の判断をいつも組織に委ねる習慣がついてしまっているのである。中国人は、日本社会のように、集団(会社)や国が自分を守ってくれるとは思っていないので、自分で道を切り開いていくしかない。中国人にとっての願望の人は、経済的な実利の探求に向かって妥協なく進み続ける強い人で、目的に達することに役立たない文化や教養は無駄とみなされる。その点、日本人は教養人願望が強い。中国人は自分の考えを正確に伝えることを礼儀だと考えているので、正直に言わないことは不誠実になる。この本では中国人の優しさについても触れている。地方では仕事にあぶれた若者たちが、工場の前で何日も雇用してくれるのを待っている。この時に、近所の人が気の毒に思って、代わる代わる食事を運んでいるという。
 中国人は初対面で自分のことをしゃべり続けるという。友情関係ができることであろうと期待して、何でも話してしまう。関係は、お金にも勝るとも劣らない社会的資産と考えている。親しさの程度により、この関係は自己人、熟人、外人(親友、仲間、外人)と分けられる。他人との関係を親疎に分け、自己中心の関係ネットワークを構築すると述べている。関係は社会的磁場を形成し、中国人はこの磁場の上で活動する。関係をもたないと、中国人社会の中で生きていくのが難しいという。
  他にも中国の歴史にも触れていて、勉強になる。儒教、道教、中庸の哲学がわからなければ、中国人との交渉は難しいという。尖閣列島問題での高官の発言も、今にも戦争になりそうな発言をしたかと思うと、平気で互恵関係を提案したりする。日本人からすると、前と言っていたこととはまったく逆のことを言うので、信頼できないとなる。ところが、中国人の固有の発想で、中庸というのは、時間差で軸を振ることによって、中間のバランスをとることだという。単に足して2で割るのではなく、時と場合によって、相手と自分のあいだで重点移動させるのである。まずは喧嘩してお互いに言いたいことを言って、最後には貸し借りの関係(今回は私の意見を認めなさい。そのかわり次回はあなたの意見をとります)で、中庸のバランスを取るのである。
  大勢の中国人と日頃から接している人にしか書けないことが沢山書かれ、70歳を越えた著者の年齢もこの本に重みを与えててくれている。それにしても、これだけ国民性が違っても、日本人は中国の映画には感動するし、中国人も「おしん」などの日本のTVドラマに感動する。韓流ドラマについても同じである。これは一体どういうことなのだろうと、まだうまく説明できないでいる。私は欧米の文化の違いについては、頭ではわかっているつもりである。「軋む車輪は油をさされる」と言われるように、自己の意見を主張することが大事である。何も言わないことは慎み深いことではなく、何も考えていないことととみなされてしまう。しかし、日本の社会にどっぷりつかって生活していると、自己主張してどうやって社会がうまくやっていけるのか、なかなか想像できないのも事実である。

 

平成23年5月10日(火)

 ふだんは、自宅のある丹波橋から東福寺まで京阪で通っている。しかし、毎週火曜日はこの日記の更新があるので医院に泊まる。京都駅近くのマンションにも週に1回泊まるので、定期券は買っていない。土日だけは車で来て、土曜の外来が終わってからは医院の前に停めている。以前は、スルッとKANSAI Kカードを使っていたが、最近は10回分の料金で1回得になる回数券を使うようになった。ところが、まだ使い慣れていないせいか、うっかり忘れをしてしまう。何かというと、電車に乗る時に考え事をしながら改札口を通ると、この小さな回数券を取り忘れてしまうのである。Kカードの時は、カードが大きいので取り忘れすることがなかった。考え事をしていると、一瞬改札口を出る時のような錯覚を起こしてしまう。今の自動改札機は、取り忘れるとすぐに切符が機械の中に取り込まれてしまう。数歩歩いて、すぐに取り忘れに気づいても、もうないのである。東福寺から丹波橋に帰る時に、この回数券を取り忘れ、この時には係の人に取り出してもらった。実はきょうの朝もぼーとしていて、この回数券を一瞬取り忘れてしまった。私は北改札口から乗るので、すぐそばに係の人はいない。連絡通話ホーンで聞いたら、そのまま電車に乗って東福寺駅で係員に伝えるように言われた。先に連絡しておくということであった。いつものように朝5時47分発の電車だったので、人数も少なく、係員の人もわざわざここまでは出てこない。東福寺駅で聞いたら、次の乗客が間違えて取らないように、乗車券は1〜2秒で機械が取り込んでしまうということであった。
 京阪電車で割引になる回数券があることに気づいたのはつい最近のことである。市バスは、3000円で回数券を買って使っている。きょうは往診の患者さんが4人いるが、すべて市バスを乗り換えて往診している。1日で3回以上バスに乗る時には1日乗車券の方がお得だと、これも最近わかった。1日乗車券は500円で、バスの中でも買える。わずかな額であるが、節約できることはなるべく節約している。しかし、いつもけちけちした生活を送っているわけではない。ふだんは忙しくて、お金を使っている暇はないが、今回のような連休の時には即日本脱出である。
 今回は中国本土の奥深くまで行って来た。英語がほとんど通じず、中国語ができなくても何とでもなるものである。旅の指さし会話帳で、十分である。ホテルも現地で見つけた。中国語は漢字に似ているので、発音ができなくても、必要ならメモに書いて渡すこともできる。なかなか中国語の勉強をしている暇がないので、今回は一夜漬けで、ニンテンドーDSの「中国語三昧DS」を使った。最低限の必要な会話しかなく、なかなか実用的でよかった。CDだと同じ単語の発音を何回も聞きたいと思っても、いちいち戻して聞くのは面倒である。ところが、ニンテンドーDSでは、スタイラスペンで「発音」の部分を押さえたら、何回でも聞ける。イヤホン端子とパソコンを音声ラインでつなぎ、同じ単語や会話を何回も再生して録音したら、完璧である。後は、iPodに入れて聞いたらいいだけである。実際に中国国内を旅行してみると、本当に必要な単語がわかってくる。サバイバル用の最低限の単語なんて知れている。せいぜいハウマッチと数字と料理用の単語ぐらいである。上海やマカオ、香港ぐらいなら2泊3日でも行けるので、月曜日が祝日の時には土曜日の午後からまた気楽に出かけてみようと思う。それまでの間は、3年前のNHKラジオ講座「まいにち中国語」で勉強である。実際に1度旅行してみると、もうちょっとしゃべれるようになりたいと強い動機付けができる。
 さて、中国の本である。現在、内田樹「増補版 街場の中国論」(ミシマ社)、加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(ディスカバー・トゥエンティワン)、中島一「中国人とはいかに思考し、どう働く人たちか。」(KAWAIDE夢新書)を同時並行読みしている。今回は、加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(ディスカバー・トゥエンティワン)は後わずかで読み終えるので、今から最後まで読んで紹介しようと思う。中島一「中国人とはいかに思考し、どう働く人たちか。」(KAWAIDE夢新書)もほとんど読み終えているが、もう酔っぱらってしまったので、次回に譲る。
 私は日本の防衛力は必要だと思っているが、こういうことを主張する人は、なぜか中国脅威論を唱える人が多い。欧米が日本の脅威ではないと思っているなら、その巧みさに気づいていないだけである。それぞれの国家は自国の最大限の利益のために国際社会で動いているし、当然といったら当然のことである。国家戦略的には、日本は欧米とも、もっと近い中国とも上手にやっていかなければならない。内田樹「増補版 街場の中国論」(ミシマ社)でも述べているように、中国政府のトップは、あらゆる国境地域で独立運動が起き、場合によっては内戦が始まるというリスクを常に勘定に入れて、外交政策を起案し実行している。14億の人民を治めるというのは、人類史上始まって以来の壮大な実験なのである。だから、日本とは違い、中国政府にとって外交政策の失敗は絶対許されない。この本でも指摘しているように、日本では、外交政策上の失策を犯しても、政治的無策が続いても、内戦が起こらず、テロリスト集団も形成されず、略奪や犯罪も横行しないのである。
 加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(ディスカバー・トゥエンティワン)である。著者は今年27歳になる青年で、高卒後北京大学に国費留学して、中国語で書いたブログが年間2500万アクセスにも達している。この本は中国語で書いて出版した本が基になっている。まず最初に、公共の秩序がないというより、重んじていないと述べている。反対に、中国人は自分の私的空間を重視しているという。家に帰ると、羽目をはずして大声をあげることもなく、物静かで礼儀正しくなるという。公共の場は社会メンバーが共有する場なので、どんな行動をしても問題にならないと考える。中国人は、世の中を「弱肉強食」の舞台と考えているので、プライベートは個人に専属した空間と考え、部屋もきれいに整え、マイライフを満喫しようとする。
 中国人女性のことも書いているが、女性の強さがこの国の将来に対するプラス要因になっているという。日本人女性は「専業主婦という地位に甘んじている、かわいそうな人たち」と思われている。一人っ子政策が産んだ現在15歳〜30歳ぐらいになる若者についても書いている。著者は独立能力が低く、まだ日本の若者の方が自立して生きていく能力が高いと評価している。八〇後(1980年以降に生まれた人)と九○後と言われる若者たちのことである。両親の寵愛だけを受け、礼儀作法や家事、人間的な修養については何も教えられていない。わがまま・幼稚で、他人と協力することを知らない人間がほとんどであるという。この文章を読むと、「中国、恐れるに足らず」と思ってしまう。中国人学生は、愛国、欧米崇拝という2つの傾向を同時に持っているという。他にも、中国では一般の国民は自由にきままに暮らしているようにみえると書いている。日々の暮らしは気楽で、しきたりやルールは無視したり意識していない。ところが、日本では自由であるようでいて、常に世間体を気にしていて、「杭は打たれる」で、自分の意見を主張することはできにくい。私も段々と60歳に近づいてきたので、この日記でも好き放題書けている。あまり若い時に自由に発言すると、年上の人からは「何様のつもりだ」とか「生意気な奴」と思われるかもしれない。多くの中国人は、西側社会の意味する政治・言論・宗教などの自由には関心を持っていない。まずは、自由より発展だと割り切っている。
 他にもいろいろと紹介したいが、書くのが疲れてきたので、この辺で終わりにしたい。興味のある人はこの本を読んで下さい。韓国や中国などそれぞれの歴史に根ざした国民性があり、日本の視点から一概に否定するのも問題である。日本は欧米の考えに近いと思っている人もいるかもしれないが、全く違う。前にも紹介した、菊池健彦「イングリッシュ・モンスターの最強英語術」(集英社)に書いているが、著者は家に引きこもって朝から晩まで英語の勉強をしていた。この時に、英語の「タイム」や「ニューズウィーク」に出てくる日本人の批判については、英語で反論して編集部に手紙を送っていた。この中で、「ニューヨーク・タイムズ」が、「日本人は夜中の2時に皇居の前で、明らかに車が通っていないのに信号が赤だからといって待っている。だから日本人はダメなのだ。自分で考える能力がない」という社説を載せていたという。 欧米人から見ても、日本人の行動はなかなか理解できないのである。

 

平成23年5月3日(火)

 きょうはまだ4月30日であるが、この日は不在なので、今回は書けるだけ書いて先に更新しておく。この日記も気が乗らない時には書くのが苦痛になる。忙しい時には、パスしたい気持ちである。しかし、ここまできたら雨の日も風の日も、毎週火曜日には更新していこうと思う。パソコンに向かって1週間の出来事を書いていくことは決して悪いことではない。私の中には、記録に残せることは記録に残そうという強い強迫観念みたいなものがある。これは写真についてもいえる。この日記では、大それたことを書いているわけでなく、単なる個人的な思いを述べているだけである。今回のような大震災があった時には、誰もが後世にきちんと記録を残しておかなければならないと思うだろう。しかし、こんな大きな出来事でなくても、個人の記録を残しておくということは大事である。単なる個人の記録でも、その時代に生きてきた人しか書けないことも沢山ある。
 大体、自分の親がどんな思いで生きてきたのかなんて、年をとって知りたいと思っても、何の手がかりもない。自分の小さな頃の記憶と古びた写真が残っているだけである。人間は年を取ると、過去のことなんてどんどんと忘れていく。今回の東日本大震災で久しぶりに阪神大震災のことを思いだした。当時の平和呆けした野党の政治家が、自己満足のために自衛隊が全く何もできないようにがんじがらめに規制を加えていたのはこの日記でも書いた。今はどうなっているのか知らないが、当時は非常事態の救援活動だけでなく、それこそ非常事態の本来の国の防衛についてもがんじがらめの規制をかけていた。敵対国が日本を支配しても、そこまではやらないだろうというぐらいである。この辺りのことも、当事者が1番詳しいと思うので、きちんと記録に残しておいて欲しいと思う。防衛ただ乗り論で、与党と野党が手を組んで、米国に任せていた時代はとっくに終わっている。
 さて、京都みなみ会館で上映していた「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」である。代々木忠なんて名前を聞いても知らない人も多いと思うが、初期のAV時代からの伝説的な監督である。今年73歳になるが、本人のインタービューを交えて、幼少期から現在まで、AV作品を交えながらその生きざまに迫った作品である。正直言って、愛染恭子の作品を撮った監督だったとは、この映画を見るまで知らなかった。この名前を知ったのは、平成4年に出版された、代々木忠「プラトニック・アニマル」(情報センター出版局)である。しかし、この本は途中まで読んで、すぐにやめてしまった。この映画にも出てくるが、セックスでオーガズムに達したら、それまでに抑圧していた幼少期のトラウマが解消するようなことが書かれていた。当時精神科医として、居心地の悪い違和感を感じたことは覚えている。
 最近インドのサイババが亡くなった。また生まれ変わるというが、その時には今度は私は亡くなっている。私の若い頃はラジニーシが有名であった。このラジニーシが笑気ガスを吸いながら、「いつも悟り続けるのは難しい」と言ったというエピソードは有名である。この映画で出てくるように、性的な至高体験ともいえるオーガズムで一瞬魂が解放されるかもしれない。単なる電気マッサージ機による機械的な刺激によるオーガズムではなく、愛と幸福感に満ちたオーガズムは自分を変えてくれるかもしれない。ただ、人はその幸福感でさえ慣れてしまう。悟りも魂の解放も、偶然的にある条件が満たされた時に起こるようである。そして、時間が経過するだけでも条件が変わってしまい、その再現性が難しい。あられもないかっこうを他人にさらすことで、これまで自分をがんじがらめに縛りつけていた何かから開放されるはよくわかる。しかし、わざわざAVに出演することもないと思ったりする。
  監督が述べているように、AVに出演する子はそれなりの幼少期のトラウマを抱えてる。風俗に行ってしまう子も、生きていくために自分が求められているという肯定感が欲しいだけである。「プラトニック・アニマル」の本は処分してしまったが、なぜかこの映画で出てくる、荒井昭「今夜から最高! 女と男の性感マッサージ」(サンデー社)は今でも残している。昭和57年5月の発行である。いつか役に立てようと思いながら、そんな機会もなく、そのまま処分せずに来てしまった。患者さんの話によると、性感マッサージについては、アダム徳永の本が実用的でエビデンスがあったという。私も1冊買ったが、こういう本はきれいなモデルが目の前にでもいないと、なかなか開く気にはなれない。
 私は育毛剤のプロペシアを飲んでいるが、副作用として性欲が衰えているのかよくわからない。私の医院でも処方することはあるが、明らかに衰えたという人もいる。AV作品を見て興奮するかというと、まだ興奮する。ただ、年齢とともに自分の好みは限られてきた。この映画は、ビニ本時代から日活ロマンポルノ、最近のAVまでたどり、私の青春時代とシンクロして面白かった。出演者も多彩で、あの村西とおる監督も出てくる。なぜか、精神科医の和田秀樹も出てくる。監督がうつ病にかかったことも出てくるが、もしかしたら主治医であったのかもしれない。インタビューの中で、監督がうつ病になった原因の1つとして、肺がんで亡くなったライターが精神的に支えていた20人ほどの女性を代わりに引き受けたことを述べていた。解離性多重人格や境界性人格障害と思われる女性で、夜中でものべつまくなしに電話がかかってきたという。映画の中で、この笠原一幸というライターが、この女性たちの相談にのることで自分が癒されていると述べている。精神科医も、同じように多かれ少なかれメシア願望は持ち、患者さんの役にたっていると信じることで癒されているのかもしれない。
 VHSがソニーのベータマックスを打ち負かしたのは、当時監督が作った「ドキュメント ザ・オナニー」を景品としてつけて販売したからといわれている。それまでの映画の手法とは違い、シナリオも何もなく、ぶっつけ本番で女の人の反応を引き出し、そのまま撮り続けたことが画期的だったという。時代が変わり、監督も認めているように、今はふつうの素人の子が簡単に脱いでしまう。私は、今の若い女の子にとっては、介護職について年寄りの便を始末したりすることも、風俗で男性に口で奉仕することも慣れたら一緒のことになるのではないかと思ったりする。他人の便のついたおむつを毎日替えて夜勤にはいっても、手取りで月に20万円にもならない。そんなことなら、最初は汚くても、風俗で口で奉仕する方がよっぽど楽で、効率がいいと考える子もいるかもしれない。人は悲しいことに、他人をひどく傷つけたりすることでなければ、何でもすぐに慣れてしまう。すさまじい家庭で育ち、風俗で生きていくしかない人もいるのは確かである。しかし、安易に風俗の道には進まない方がいい。年をとったら、大部分の人が後がないのも事実である。今は大不況なので、昔とは違って、AVも風俗もただ脱いだらいいというわけではない。この世界でも厳しい競争が待っている。
  また、最初に戻るが、この映画を作った監督には感謝したい。生きている人たちの貴重な証言を交え、そのまま忘れ去られていく日本のAV史をきちんと記録に残してくれている。

 

平成23年4月26日(火)

 単なる酒の飲み過ぎではないと思うが、最近は疲れやすくなった。医者向けの掲示板で、「医者を辞めたい」というタイトルの掲示板の書き込みが盛り上がっている。医者になって15年目で、家族がいなかったらもう辞めたいというスレッドである。この内容に、いろいろな年代の先生が答えている。私はこの4月で卒後33年目にはいっている。私も家族がいなかったら、もう辞めたいと思ったりする。勤務医も大変だが、開業医も毎日がマンネリ化して飽きてくる。しかし、長い目でみると、ちょうど10年前に開業したのは正解だったかもしれない。名誉はなくなったが、収入は飛躍的に増えた。48歳の誕生日前に開業したが、この時の京都第一赤十字病院の部長としての給料は、税込みで1200万円ちょっとだったと思う。(うろ覚えであるが、この日記のどこかに正確な数字を書いているので、暇な人は探してください。) 退職金は4年間で手取り200万円ぐらいであった。医者の場合は、医局の人事で勤務先がかわり、そのたびごとに退職金はぶつ切れになる。日赤の前は社会保険病院だったので、5年分の退職金をもらっただけである。国立福知山病院に2年間勤めた時には、退職金は20万円であった。民間の病院では2年ぐらいの勤務では退職金も出ず、すべて合わせても到底1000万円にも達しない。
 バブルの時は勤務医としては1番給与が安く、税込みで年収は900万円ぐらいであった。ここでも何回も書いているが、43歳の時にバブルの時に買った家を売り、全く一文無しになった。家を買う時に親から借りた1000万円が残っただけである。株も投資も何もやっていなかったが、4000万円ぐらいの損失であった。あのまま日赤で勤めていたら、このバブルの時の4000万円と退職金の分は永遠に取り戻せなかった。今から精神科で開業しても大変であるが、私はタイミングのいい時に開業したと思う。この10年間で、家のローンも、建てた医院のローンも、カルテ庫として買った京都駅近くの中古のマンションもすべて支払い、億まではまだいかないが、貯金もそれなりにした。これから、娘が東京の大学に行き、息子が私立の医学部に行くことになったら、この貯金も大分減ることにはなる。
 今は昔と違って独身の人も多い。私よりまだ若いのに、働くのに疲れきっている患者さんも大勢いる。50代の半ばにも達していないのに、仕事はもういいと言って退職する人も少なくない。1人なら、何とか年金が出るまで細々と生活できないこともない。バブルがはじけてから、どこの会社でも経費削減となり、こまごまとしたややこしい仕事が増えている。家族がいなかったら、もう辞めたいという気持ちもよくわかる。私も経済的には恵まれているのに、もう辞めたいと言ったら罰が当たりそうである。それでも、ふだんの生活にほとんどゆとりがなく、精神的にも肉体的にも疲れている。いつも書いているが、私は高齢出産については否定的である。結婚が遅く、私の年代に達している人はまだ少ないので、その苦労がわからないだけである。私は38歳で、妻が33歳の時に結婚した。翌年すぐに娘が産まれている。しかし、この年になっても、娘はまだ1浪で息子は高2である。開業しているので、何とか2人とも大学を卒業させることはできるが、ふつうのサラリーマンの家庭だったらかなり苦しい。
 きのう「TVタックル」を見ていたら、内容は久しぶりに充実していた。この大震災で景気をどうするか話していたが、私は消費税を上げようと上げまいと消費は増えないと思う。バブルがはじけた後でも、延ばし延ばししていたが、借金が増えるばかりで結局景気は回復しなかった。雇用については、ますます悪化している。東日本の悲惨な状況を見たら、いくらお金を使えと言っても無理である。相続税についても話していたが、税の二重取りという意見には賛成である。現在所得税の最高税率は40%で、住民税は10%で、合計が50%にもなる。1億も2億も稼いでいる人にこの税金が課せられるわけではない。社会保険料などの控除を除いて、課税所得が1800万円を超える人にかかるのである。開業医の場合は、美容整形のように自費診療をしているのでなければ、保険収入だけなので、すべてガラス張りである。その分、スーツは経費で落ちないが、カルテ庫としてのマンションは経費で落ち、往診や通勤用の車として、ベンツも経費で落ちる。この番組でも述べていたが、すべて総背番号制にして、風俗などの裏経済から政治家の資金まできちんと課税したらいい。
 生活保護と年金のことも話していたが、まったくこの通りである。前にも書いたが、今は3000万円ぐらいの持ち家を持っていて子どもがいても、別居していたら生活保護が受けられる。子どもが親を扶養する経済的余裕がないと言い、親が年金をかけていなかったら生活保護は通ってしまう。少ない年金でも、住居費が引かれて、足りない分が生活保護から補填される。親が亡くなったら、まったく親の面倒を見てこなかったその子ども達がその家の財産を分け、これまでにかかった親の生活保護費を払う必要は全くない。こんなことがまだまかり通っており、すぐにでもリバース・モーゲージを導入すべきである。
 福祉の道に進んだ人は貧しい人の役に立ちたいと思ってなった人が多いと思う。しかし、これだけ経済が悪化すると、今は矛盾だらけである。心療内科に通院していて、生活保護を受けている人はすぐに福祉事務所から電話がかかってきて、自立支援医療の診断書を依頼される。自立支援医療にしたら、財源がかわり、生活保護の医療費が減らせるからである。中には、患者さんに診断書を持たせ、書いてもらってこいという生活保護担当の人もいる。京都市の財政が苦しいのはわかるので、ある程度協力して診断書は書いている。しかし、あまりにも無神経な依頼には腹がたつ。何の相談もなく精神障害者手帳の診断書を患者さんに持たせ、書いてもらって来いという人もいる。障害者手帳の対象になる人は、食事が不規則で、風呂もはいらず、着替えもしないような人たちである。アルコール中毒で生活が破綻していても、飲酒を続けていたら手帳の対象とはならない。うつ病の概念が混乱していることもあるが、うつ病でない人もうつ病にして自立支援医療の診断書を書かされるのは、医者としてのプライドをズタズタに引き裂かれる。中には、生活保護の申請が通りやすいように、先に心療内科を受診する人もいる。こういう人の自立支援医療の診断書もすぐに書かされたりする。
 専門的になるが、病名を適応障害とつけたら自立支援医療の対象にならず、抑うつ神経症とつけたら自立支援医療の対象となる。 適応障害の患者さんも多いが、保険病名としては認められていないので、抑うつ神経症という病名をつけざるを得ない。ICD-10という国際分類に厳密に従ったら、この適応障害という病名は、最高6ヶ月の期間しか認められていないので、いずれにしても6ヶ月を越えたら他の病名に変えるしかない。企業側も、精神科医は簡単に診断書を書いて患者さんを休ませると批判するが、いつまでたっても復帰しようとしない患者さんの診断書を書かされる身にもなって欲しい。中には、会社に対する恨みを精神科医に向け、「治せるなら治してみろ」という隠れた攻撃性を感じる患者さんもいる。この前の日曜日にも医院に出てきて、新規の自立支援医療の患者さんの診断書を5通書いていた。あまり堅いことをことを言わず、利用できる制度を最大限利用したらいいという先生もいるが、私はどうも納得いかない。
 いずれにしても、今までのシステムはもう通用しない。評論家の人もこれまでのように、大衆に媚びた意見を言う必要はない。日本の経済はもうそんな余裕はない。財務省の陰謀でこの震災に乗じて消費税を上げようとしているのか、私にもよくわからない。しかし、確かなことはひとつ言える。それは、福島の原発事故と同じである。東京電力が激しく非難されているが、今回の事故は想定外であったことは確かである。世界最強と言われた防波堤が、津波で粉々になっているのである。しかし、今後の日本の復興については、もう想定外は許されない。無責任な発言をして、日本の復興を妨げるようなことをした人は将来徹底的に非難されるべきである。すべてのつけを担うのはこのTV番組に出ていた人ではなく、もっと若い人である。
  きょうは日曜日に見に行った映画のことも書きたかったが、次回に譲る。5月3日の火曜日は不在なので、何とか4月30日に更新しようと思う。京都みなみ会館で上映していた「YOYOCHU SEXと代々木忠の世界」である。面白い映画だったので、まだ見ていない人にはお薦めである。

 

平成23年4月19日(火)

 ちょうど1ヶ月後には私の誕生日である。この4月に誓いを立てたことはほとんど何もできていない。また誕生日に新たな目標を立て直さなければならない。ただ、この年になると、今さら脳を鍛えても、ドラッカーの経営学を学んでも仕方ない。かといって、老後の過ごし方を考えるにはまだ早すぎる。本屋さんに行っても、「30代までにしておくべきこと」とか「40代からの生き方」とか、自分とは無縁の本が増えていくことは寂しいことである。とりあえず、簡単な中国語を覚えて、マカオでカジノデビューしたい。中国本土では、南京大虐殺記念館と北朝鮮との国境地帯にぜひとも行ってみたい。本来は、専門の精神医学でやり残したことを極めるのがいい。しかし、若い頃とは違って新たなことにチャレンジするには段々と垣根が高くなってきている。私の年代ぐらいでも、精神科救急の第一線で活躍している先生もいる。これはこれで頭の下がる思いである。それでも、ある年代になったら勤務医でも当直が免除されるように、その年代に応じた役割を果たしたらいいと思っている。精神科医の中には、アル中や覚醒剤中毒の患者さんを診察したことのない先生も多い。私は精神病院で、若い頃にはうんざりするほど沢山の患者さんを診てきた。だからといって、手のかかる薬物中毒の患者さんをいつまでも診る必要もないと思っている。次の若い人にバトンタッチしていったらいいだけである。今は開業しているので、日常の診療の中で工夫できることは工夫していこうと思っている。
 この前の日曜日には、新しく買ったルミックスGH2を持って、大阪の造幣局に行ってきた。いい天気に恵まれ、桜の通り抜けをするには絶好の日であった。京橋からJRで桜宮まで行き、大川の河沿いに歩いて行く。水と緑に囲まれて、この辺りの景色も気持ちがいい。堤防には屋台が沢山出ており、造幣局が近づくにつれ、人が多くなる。中は満員電車並みの混み具合であった。「立ち止まらず、前にお進み下さい」とか「写真を撮るために立ち止まらないで下さい」と放送していたが、みんな無視である。見物客のほぼ百%が桜の写真を撮りにきている。私はファインダー派なので、何の支障もなくきれいな写真を撮ることができた。南の島でもそうであるが、こんなに天気がいいと、液晶では見にくい。中国語でも何回も放送していた。英語の放送は、最後の方で申し訳程度に少し流していたぐらいである。桜はちょうど見頃であった。いろいろな種類の桜が咲いている。人が多くて少しうんざりするが、1度は来てみる価値がある。それにしても、先週の醍醐寺といいこの造幣局といい、すごい混み具合である。どちらも震災とはまったく無縁の世界であった。帰りは、OAPプラザでゆっくりとビールを飲んで昼食をとるつもりであった。ところが人が多すぎて、いつも寄るソバ屋で待つのをあきらめた。結局、JR京橋駅の構内にある吉野家にはいった。午後2時近くであったが、ここもほぼ満員であった。私はキムチクッパと生たまごを頼んだ。キムチクッパは280円で、生たまごは50円である。味はそれなりにおいしかった。帰りにサービス券をくれたが、何と50円の割引券である。店員は忙しそうにしていたが、こんなに安くていいのかと思った。
 医院に帰ってきて、撮ってきた写真を整理した。180枚ほど撮り、保存するのは70枚ほどにしぼった。街中でカメラを構えると目立つが、今回は屋台の花見客も思う存分撮れた。なかなかいい雰囲気で撮れている写真もあった。他の交換レンズもそろえたくなるが、とりあえず今のズームレンズでいこうと思う。アナログのカメラ時代は、いろいろ取りそろえても結局宝の持ちぐされになっていた。これぐらいの重さなら海外旅行にも持っていけると思うようになってきた。写真の写りも、コンパクト・デジカメとはやはり違う。旅行、写真、語学は私の趣味の3点セットである。そこに、読書が加われば、鬼に金棒である。中国に関しては、今何冊か平行読みしているので、また読み終えたらこの日記で紹介しようと思う。
 さて、きょう紹介する本は、OAPプラザの中にあった本屋で買ってきた本である。1時間もあったら最後まで読めるぐらいの分量である。香山リカ「だましだまし生きるのも悪くない」(光文社新書)である。帯には、初めて語った知らざる素顔となっている。著者は私より7歳年下である。私は精神科医としては道草を食ったが、最終的には医者としてそれまでの正統的な道を歩んでいる。医局の派遣であちこちの病院に行き、博士号を取り、総合病院の部長を経て、今は開業している。私の時代には、医者としてあるべき生き方があった。大学に残って研究を続けるか、給料は安くても一流病院で勤めるかであった。こんな書き方をしたら怒られかもしれないが、あまり早い開業は医者としては落ちこぼれの生き方であった。誰もが、お金より名誉を重んじた。ところが、時代の流れとともに、名誉が軽んじられるようになり、白い巨塔と言われた医局の影響力も弱まり、その頂点に君臨していた教授の力も絶対的なものではなくなってきた。若い医者にとっては、博士号より専門医の資格を取る方が重要になってきた。私は長い人生の中で、気難しい教授の機嫌を取りながら博士号を取るのも悪くないと思っている。このままでは、医学論文を1度も書いたことのない医者が大勢生まれてくる。前にも書いたが、うんうんうなりながら医学論文を書くことは大事である。月曜日には、いつもの労災の判定会議があった。この時に、他の科で問題になっている精神科も関係する労災の意見書を頼まれた。分厚い資料を渡されたが、医学論文を書く訓練をしてこなかった人にはこの意見書を書くのは無理である。
 著者の父親は産婦人科の開業医をしていた。医療者向けのホームページm3.comから、メールが毎日送られてくる。この中で、毎週著者の書いたエッセイが紹介されている。最近、この父親が亡くなったことはこのエッセイで知っていた。どこの学部か書いていないが、東大の受験に2回失敗し、母の薦めで受験した東京医大に進学する。大学時代は、「精神科には屈折している人が多い」と思っていたといい、精神科で学んでいる人はみんなある程度挫折感のようなものがあったと思うと述べている。私の時代は、変人の集まりぐらいである。前にも書いたが、医学部の中では、防衛庁が憲法違反の三流官庁を呼ばれていたのとあまり変わりない。松山正剛の「遊」の編集部に出入りして、執筆を始めている。著者にとっては、原稿などの執筆作業を請け負うのは、現実逃避だという。自分の恋愛体験からいろいろなことが書かれているが、親への依存度が高いとも述べている。両親と自分は災害かなにかでいっしょに全滅、とならないものかと思っていたほどと書いている。年をとると自分のことを語りたくなるが、語れないことも多くある。私もそうであるが、この本を読んでも精神科医はやはりどこか癖があると思った。

 

平成23年4月12日(火)

 きょうはいつもより早く目覚めた。だいたい床につくのが夜10時で、寝床でしばらく本を読んだりしている。朝は5時に目覚ましをかけているが、きょうは4時頃に目が覚めた。冬の寒い日は、目覚ましが鳴ってもなかなか布団から出れない時がある。きょうはすっかり眠気がとれていたので、4時半に起きた。朝食はいつもカロリーメイトである。缶も固形も1食200カロリーである。朝食には5分もかからないが、私は朝刊をじっくり読むので、出るのがけっこう遅くなってしまう。きょうは初めて丹波橋から、5時27分発の京阪に乗ってきた。ホームには私を含め7人の乗客が待っていた。5時半でも、周りはもう明るい。朝1番の列車は5時8分発なので、また早く目覚めた時に挑戦しようと思う。
 昔からよく眠れる方なので、睡眠導入薬を使うことはほとんどない。唯一、深夜便の飛行機の中でエバミールを飲むぐらいである。個人的には薬嫌いなので、精神安定剤も抗うつ薬も飲んだことはない。これまでに、人並みに精神的危機には何度も陥っている。何とか薬に頼らずにすんだのは、夜が眠れたからである。たまに眠れないことがあっても、何日も続くということはない。精神科では努力だけではなかなか解決しない病も多い。その代表的なものが、この不眠である。血圧が高かったり血糖が高い場合は、食事に気をつけたり運動をしたりすることで、ある程度コントロールが可能である。ところが、不眠は唯一努力が報われない病である。朝の光を浴びても、身体を疲れさせても、寝る前にぬるめのお風呂にはいっても、枕の高さを変えても、努力すれば努力するほど悪循環に陥りやすい。夜寝る前に「これから根性で寝ます」と言っても、頭が冴えるばかりである。なかなか寝付けない場合は、寝床を出て眠くなるのを待つという方法もあるが、誰にでも効果があるわけではない。私も何日も眠れなかったら、薬嫌いなんて呑気なことは言っていられないかもしれない。
 日本が三重苦であえいでいる。地震、津波、原発事故である。震災前は、国と地方で1000兆円以上の借金があり、国家の財政破綻も懸念されていた。若い人たちにはあまり評判のよくない団塊世代であるが、ポスト団塊世代の私としては一定の評価はしている。私たちは「しらけ世代」とも呼ばれ、団塊世代とは違って社会を変えていくエネルギーはすでに失せていた。中3の冬に東大安田講堂が落城し、高3の冬にあさま山荘事件が起きている。私は奧信濃と言われる長野県飯山市の中学・高校に通っていた。特にあさま山荘事件は同じ長野県で起こったので、今でも鮮明に覚えている。飯山市というのは、島崎藤村の「破壊」の舞台になった場所である。私は愛知県で生まれたが、今はカルフォルニアに住んでいる1歳年下の妹と池田に住んでいる妹はこの飯山市で生まれている。
 前にも書いたが、この団塊世代が戦後原子爆弾のきのこ雲のようにずっと上昇し続けている。20年後には最大の高さに達し、みんな寝たきり世代にはいる。さすがに、30年後はこの巨大な雲もほとんど消えてなくなる。少子高齢化が言われて久しいが、日本は20年後に高齢化がピークに達する。バブルがはじけてから、景気の回復が今か今かと待っていたが、私の生きている間はもう無理である。今は原発事故を起こした東京電力が激しく非難されている。しかし、今となっては、景気が回復したら借金は返せると、無責任に国の借金を増やし続けた族議員の責任も厳しく問われなければならない。現実を直視せず、そんな族議員を選んできたのは、私たち国民であることも事実である。バブルがはじけた後に、その始末に苦労したのは後の世代である。今回新たに加わることになる震災による国の借金も、若い世代だけに押しつけることはもう不可能である。定年退職して逃げ切ったと思っている人たちも、結局逃げ切れない。お金もないのに満額年金を払い続けたら、それこそギリシアと同じである。
 この前の日曜日には新しく買ったルミックスGH2を持って、醍醐寺に行った。本体はヨドバシカメラで7万7千円ほどである。10%ポイントが付くので、実質7万円を切る。レンズのついたセットでは買わず、35mm換算で28mm〜90mmの純正レンズを別に買った。望遠ズームレンズセットは私には重すぎて、宝の持ち腐れになる。大阪造幣局の桜も撮りに行きたいと思っているが、京都近辺で持って行けるのはこの重さがぎりぎりである。なるべく荷物は軽くしたいので、海外は無理である。実は、木曜日の午後にも車で醍醐寺に行ったが、どうしても駐車する場所が見つからず、そのまま帰ってきた。京都に住んでいながら京都のことはあまり知らないので、この桜の名所は1度は行ってみたいと思っていた。インターネットで調べて、車はアルプラザに停めることにした。帰りは買い物をして、足りない料金を払うつもりであったが、無料であった。この日は天気がよかったので、芋の子を洗うような人出であった。患者さんに聞いたら、東山も観光客ですごい人出であったという。醍醐寺の桜は少し遅かった。みんなびっくりするような一眼レフのカメラを持って来ている。昔のように現像に出す必要もなく、パソコンだけで安く楽しめる。桜を撮るために、こんなに人が集まるのである。海外に出かけたら、山ほどもっと珍しい被写体に出会うことができる。電子フィルターを使うのは邪道だと思っていたが、彩度を上げるフィルターを使うと桜は見違えるような鮮やかな色になる。
 毎昼は、医院で昼食を作って食べている。最近は楽天で注文したうどんとそばがお気に入りである。1食200〜300円である。ゆで卵は11分で自分で茹でている。ネギは近くのスーパーで買ってきて、必要な分だけ刻んで使っている。うどんとそばだけでは飽きるので、コンビニでサンドイッチを買ってくることもある。診察室の隣の処置室の台所を使っているので、匂いの強い鍋物や炒め物は無理である。本当は私のような金銭的に余裕のある者がもっと消費しなければならない。しかし、中の下の家庭で育った者としてはついつい節約してしまう。2万円の駐車場代ももったいなくて解約してしまったぐらいである。さて、日本の未来である。ダライ・ラマではないが、日本を救済してくれる人はすでに生まれている。私の世代ができることは、この若い人たちの足をひっぱらないことである。これまでのように、国民の総意を得て政策を決めていたら、いつまで経っても何も決まらない。強いリーダーシップとは八方美人になることではない。私は冬に寒さをしのげて、夏に暑さをしのげたら十分である。原点に帰ったらいいだけである。子ども達の未来が明るくなるなら(こんな条件をつけることさえ、すでに足をひっぱっているのかもしれない)、それ相当の犠牲を強いられてもかまわない。やっぱり、がんばれ日本である。

 

平成23年4月5日(火)

 もう4月にはいって5日目になる。今年の院外の仕事は、毎月1回ある労災の判定会議ぐらいである。正式には、地方労災医員協議会(精神部会)となる。東山医師会の理事の先生からは、また介護認定審査会の委員に戻ってくれと言われているので、これは2年間だけの休みになりそうである。以前と比べたら随分と余裕ができたようにみえるが、相変わらず忙しい。この4月からは中国語の勉強を始めようと思っていたが、まだスタートはきれていない。1番いいのは、先に中国旅行を予約して、必要に差し迫られて勉強することである。しかし、これもなかなかうまいこといかない。NHKの語学講座がまた新たに始まっている。書店に並べられているテキストを見てみたが、2008年の「まいにち中国語」の方が充実している。この時は第1週で挫折してしまったが、6ヶ月分のCDは残している。また、本気で勉強を始めようと思う。唯一勉強できるのは、朝だけである。外来が終わってからでは、疲れ切って何もやる気がしない。実践ビジネス英語のCDも買ったが、これもまだ何も手をつけていない。CNNは毎日30分は見るようにしているが、せいいぜいこれが精一杯である。外部の仕事を減らしても、なかなか思うように勉強はできないものである。
 この前の日曜日は朝6時過ぎから医院に出て、新規の自立支援医療の診断書や障害年金の診断書などを書いていた。他にも、従業員の給与計算や税理士に送る2月分の資料の整理など細々とした雑用が山ほどあった。うんざりしながら、お昼までには大体終えることができた。いつも患者さんからは見えない診察机の横に、本や資料を山ほど積んでいた。ところが、最近何回も崩れるようになった。いろいろやってみたが、小さな本棚みたいな物で整理するしかなかった。ホームセンターまで行って、組み立て式の木棚を2つ買ってきた。最近の家具はすべて自分で組み立てなければいけないので、けっこう面倒臭い。何とか2つ組み立て、いらない資料や本の整理をした。私の医院はこの5月で満10年を迎える。つい最近コピー機の調子が悪く、診断書のコピーがきれいに取れなくなっていた。紹介状を書くときに、カルテのコピーが汚くなると先方に失礼になる。今までも、何回か出張で調整してもらってきたが、出張費も高く付く。今回は思い切って買い換えることにした。
 かなり大きめのコピー機なので、大型ゴミでは出せない。問い合わせをしたら、その会社の事務所まで持っていったら、無料で引き取ってもらえるということであった。仕方ないので、先週の木曜日に何とか私1人で運んだ。新しいコピー機はA4さえコピーできたらいいので、ヨドバシカメラまで見本を見に行った。インターネットで調べたらこちらの方が安かったので、早速注文した。値段は1万7千円を切り、コピーもスキャンもできるレーザープリンターである。パソコンにはつなげず、コピー機として利用することにした。大量のコピーをするわけでないので、これで十分である。段ボール箱から出して、説明書を読みながら設置したが、これも手間暇がかかる。最初は何回やってもコピーができず、原因がわからなかった。結局、説明書には書いていない奧のプラスチック製止め金をはずさなければならなかった。
 実は、その前の土曜日には、診察室のエアコンが壊れ、コンプレッサーだけ取り替えてもらった。買って1年にも満たない洗濯機も故障しているが、説明書と保証書をどこにやったのかまだ探し出せていない。すぐに故障するとは思っていなかったので、もう捨てたかもしれない。トイレットペーパーもA4用紙も切れたら私が買いに行く。院長と言っても、診察以外の雑用が山ほどある。大勢の職員がいる診療所では、自立支援医療用の診断書などは職員に書かせている所もある。去年の2月に買った大型液晶TVなどのエコポイントの申請がまだできていない。調べて見たら、5月末まではまだ受け付けてくれるようである。早く申請しなければならないが、この日曜日にはまったく手がつけられなかった。
 さて最後に、少し前に読んだ本である。遠藤諭「ソーシャルネイティブの時代」(アスキー新書)である。この題名だけでは何のことかさっぱりわからないが、副題として、ネットが生み出した新しい日本人となっている。著者はアスキー総合研究所所長である。ここでは、酒も飲まず、車にも乗らず、休日は家で過ごし、異性にも積極的にならない20代の若者に焦点が当てられている。技術の進歩によって、より安価に生活の満足度を上げる「ビンボーハッピー」とも呼ばれるライフスタイルが広がり始めているという。その中心的な役割をはたす7つの道具が、無料コンテンツ、ファストファッション、リアルのバーチャル化、シェア(共有)、価格比較、共同購入(グルーポン)、ソーシャルメディア(ミクシィー、ツイッター)、iPhone(スマートフォン)である。ネットやゲームによるコミュニケーションを上手に使いこなしてきたこの世代を、著者はソーシャルネイティブと呼んでいる。
 アスキー総研の調査では、20代全体の休日デート率は20%ぐらいである。この本では、山岡拓「欲しがらない若者たち」(日本経済新聞出版社)から引用して、20代独身がデートをしない理由として、「面倒、金がかかる、個人の楽しみが減る」を挙げ、男女交際を面倒と思う人が3割近くもいるという。電通総研の調査も引用しているが、独身女性757人中、「彼氏がいない」が約7割で、その半分が3年以上つきあっていない。「恋愛しなくてもよい」と答えた人が6割近くもいるのである。10代より20代がマンガやアニメを消費している。今の若年層は、「モノ」から「コンテンツ」と嗜好が移ってきているという。コミュニティ性の高い「ニコニコ動画」では、20代前半の男性では63%、女性では31%が視聴している。「腐女子」についても書かれており、ボーイズラブ(男子同士の関係を描いたマンガや小説など)を読んだり、同人誌に関わったり、執事カフェに行ったりする女性ファンのことをいう。去年の3月に電通総研が行った全国15〜29歳未婚女性の調査では、自分のことを「腐女子」だと自覚している若い女性は42%だったという。アスキー総研のデータでも、本や雑誌の興味テーマとして、「ボーイズラブ」をあげた人は、20代女性が38%、30代女性が24%である。著者は、日本の軟弱系・妄想系男子の大先輩は、武者小路実篤であるといい、実際にネットでは同じ指摘がされているという。今日本人に起きている最も重要な傾向は、「デートをしなくなっていること」と「オタク化が進んでいること」と述べている。
 バブル経済崩壊後の失われた20年の間に本当に失われたのは、人々の人生設計のパターンだという。今の若者が欲しがらないのは、興味対象がお金のかかるものからお金のかからないものに転換されただけという考え方もある。この本では日本のソーシャルメディアについても詳しく書かれている。これからは、人々は自分から情報を取りに行かなくなる可能性があるという。20代の世代では、映画やマンガや商品などの情報源として、「友人、・家族・知人」を上げる人が最も多い。ソーシャルメディアでは、情報の取捨選択や編集自体をネットワークが担うようになり、リアルタイムで進行しながら活用される「集合知」になるという。他にも、オバマ政権の誕生は、ユーチューブなどのネットを積極的にフル活用した結果とか、最近のネット事情についても詳しく書かれている。この本では、情報欲求の高いネット利用時間の長い人ほど新聞を読んでいないと指摘している。
 私は、うつ病で休んでいる患者さんが携帯電話のメールでさかんに上司と連絡を取っているのをみて驚いている世代である。引きこもりの患者さんに、ツイッターで1000人のフォロワーがいると聞いて、実の世界だけでは何もわからないと実感もしている。私自身は携帯電話はほとんど使っていない。ほとんど医院で過ごしているので、使う機会もない。あくまでも、緊急連絡用である。家族で4人で使っているソフトバンクの電話代が月2万3千円ほどである。1番使うのが今度高2になる息子で、1万2千円である。次が今年浪人する娘で、8千円である。私はどんな計算かわからないが、割引を適用され、請求されるのはたった7円である。パソコンでもソーシャルメディアは全く何も利用していない。時代がどんどんと変わり、私自身がいつの間にか化石世代にはいっているのかもしれない。

 

平成23年3月29日(火)

 東日本大震災の被害が予想以上に大きかったことが、明らかとなってきている。改めて、被災を受けた方々にはお見舞い申し上げます。私は阪神大震災の時に神戸にいたが、被害の大きかった長田地区の患者さんも大勢やってきた。この時には、倒壊した家屋の中に家族が閉じ込められ、火の手が迫って来て助け出すことのできなかった人も多かった。私はたまたまこの日は不在で、家内と子どもは滋賀県の実家に帰っていた。震災のあった夜は池田の妹の所に泊まり、翌日の夜に阪急西宮から歩いて自宅のある鈴蘭台まで歩いて帰った。6畳一間の私の部屋は、天井まである大きなスチールの本棚がそのまま私がいつも寝ている場所に倒れていた。私の住んでいた北区は比較的被害は少なかった。電気、ガス、水道はすぐに復旧した。この時はダイエーのおかげで、食料を始めとする必要な物資はすぐに届けられた。
 当時神戸市は平和都市宣言をしていた。陸路がほとんど断たれているのに、救援物資を積んだ自衛隊の船舶が神戸の港に寄港することができなかった。自衛隊のヘリコプターも校庭など広い敷地に降りるには、校長か誰かの着陸許可が必要であった。こんな混乱した時に責任者と連絡がつくはずもなく、助け出すことのできた人も助けることができなかった。私は今でも当時の平和呆けした無責任な政治家たちに憤りを感じている。自衛隊が暴走しないようにある程度はどめをかけるのは仕方ないが、一刻を争う非常事態の時に何もできなかったのである。こういう大災害の時には、日頃から訓練を受けている自衛隊しか大規模な救援活動は無理である。被災地に自分の食事や寝る場所を確保する手段を持たずに大勢出かけても、現場としては困る。今回の大震災では自衛隊の救援活動がスムーズにできているようなので、ひとまず安心した。
 普天間基地問題や日米間のわが国の防衛問題については、両国の経済も複雑に関係しているので、どう考えたらいいのかよくわからない。一部分だけをとらえて米国やわが国の政府を非難することはできるが、経済などの他の分野のバランスも考慮しないと、単なる無知な意見に終わってしまう。なかなか防衛問題は防衛問題の中だけで解決することができない。沖縄県民を揶揄した米国務省のケビン・メア日本部長の発言は非難されても仕方ない。しかし、その前半部分で発言していたことは米国の本音を表していて、米国のいらだちもよく理解できる。沖縄の基地問題ではさんざん迷走したあげく、中国との尖閣列島問題が起こると、恥も外聞もなく米国に助けを求めている。そもそも、これまで大部分の日本人は自国の防衛なんて本気で考えたことはない。戦争に対するアレルギーが強いのはわかるが、これほど考えてこなかった国民は世界広しと言えども、日本ぐらいである。前からこの日記でも発言しているが、わが国の防衛を米国頼りにしているからと言って、何でも米国の言うことを聞く必要はない。しかし、結果的にはこれまで米国に守られてきたのに、かっての革新系議員のように、防衛に関して何でもだだっ子のように反対するのも大人げない。米国にわが国の防衛を任せるなら、最低限の義務も生じる。後は米国に対してどこまで予算を出して、沖縄の基地をどうするかである。米国のいいなりにも軍事大国になる必要もないが、自衛隊を含めてわが国の防衛をどうするのか、この辺で本気で考えた方がいい。
 欧米の外交は、中国のような粗野で乱暴なやり方ではなく、自分たちの作った国際ルールにのっとって建前は守り、一見洗練されているように見える。しかし、本音がわかりやすい中国とは違って、自国の利益のために陰で何を考えて何をしているのかなかなかわかりにくい。むしろこわいのは、中国も欧米のように洗練された外交のやり方を覚えて、陰でいろいろやることである。現在中国を非難している欧米諸国も決して自慢できたものではない。イラクのフセイン大統領を大量破壊兵器がなかったにもかかわらず、一方的に攻撃して逮捕し、人道に対する罪で死刑にしてしまっている。こんなことでも、自分たちの都合のいいように国際ルールを解釈して、表面上は必要な手続きを経てできるのである。
 この前の日曜日は、東山医師会の定時総会があった。この会で、平成22年度の会計報告や23年度の事業計画などが報告され、会員の承認を受けた。この4月からの2年任期の役員名簿も発表された。私はこの4月からは介護認定審査会の委員はやっと免除になった。一般の市民や勤務医の先生は開業医は楽していると思っているかもしれないが、この介護認定審査会だけでなく市民検診や校医など東山医師会としては山ほど仕事を引き受けている。開業しているA会員の先生は57名しかいないので、なかなか医師会の仕事を断ることができない。1人でいくつもの役員を引き受けている先生もいて、本当にご苦労様である。なかなか医師会の仕事を引き受けてくれない先生もいるが、順番で交替すべきである。忙しいのは、皆同じである。
 定時総会の後は懇親会があった。久しぶりに、この会に参加していた京都第一赤十字病院の乳腺外科部長と話ができた。私がいた頃は副部長であったが、再発の乳がんの患者さんばかり心療内科に紹介してきた。何回も再発して、最後は脳や骨に転移し、頸椎も骨折した患者さんがいた。離婚していて、まだ幼い子どもがいた。外来に車イスで来て、どんな言葉をかけてやったらいいのか本当に困った。それでも、今から考えるといい経験をさせてもらった。精神科医はややもすると精神障害ばかりが特別に不幸な病と考えやすい。しかし、この時にはがんのような身体疾患も同じように大変な病だと身にしみて理解できた。前から気になっていたことが、この先生と話していてやっと明らかになった。何かというと、当時の授業料である。私の自慢は国立大学がどんどんと授業料を上げている時に、当時1番安い授業料で医学部を卒業したことである。この時には革新系の蜷川知事で、なかなか授業料の値上げをしなかった。この先生は私より3年後輩であるが、この年から毎月の授業料は3千円に値上がったという。私より2年後輩までが、毎月の授業料が千円であったことになる。私は50代半ばを過ぎて、段々60歳に近づいてきた。今となって自慢できることは、この授業料のことぐらいになってきた。
 最後に、地震前に読んだ本である。これまでは、バブル(崩壊)後とかリーマン・ショック後とか表現していたが、これからは東日本大震災後である。いやでもこれ以後日本の歴史が変わる。だから、震災前に書かれた本は、震災後の現状を反映していない内容となってしまう。幸田昌則「不動産で豊かになる10年先の読み方」(日経プレミアムシリーズ)である。この題名だけを見たら、不動産で金儲けする方法が書かれているように思うが、優れた文化論となっている。現在空き家が増え続け、全国で760万戸あるという。これは戦後日本では今回のような大きな災害や戦争がなかったからである。この前の金曜日の夜は見る番組がなくて、久しぶりにKBSを見た。NHKのニュースでは原子炉について詳しく説明していたが、原子炉マニアでないのですぐにチャンネルをかえた。この時に、東山区の空き家率が2割に達し、4件に1件は所有者がわからないと伝えていた。現在の建築基準法では建て替えられない家も多い。京都市内で65歳以上が30%を越えているのも、この東山区だけである。
 東京23区では1人世帯は45%を越え、50%に近づいている。優れた文化論というのは、不動産と言ってもそこに住む人がおり、未婚の男女が増えている現在、今後必要となる住居の形態や需要が変わってくるからである。オフィスと店舗の需要の減少は、不況という一過性の要因ばかりでなく、ネット時代の到来という構造的変化による要因も考慮しないと、不動産市況の本質を見誤るという。家族構成が変化し、高齢化の進行が本格化したことで、住む場所の利便性の内容も変化してきている。この10年間で最も変化したものの1つは、「病院の有無」と「病院の場所」だという。若者が車に乗らないための駐車場の需要の変化など、目にうろこのことが沢山書かれている。不動産市況という視点から、離婚による自宅の売却など、実際に現在社会で起こっていることを分析し、今後の住宅事情や人々の生活を予測している。題名からは想像がつかないほど読み応えのある本となっている。

 

平成23年3月22日(火)

 この連休は格安航空券を何ヶ月も前に手に入れ、休診の予定にしていた。ところが、この東日本大震災である。こんな時に海外旅行は不謹慎だと思ったが、払い戻し不能の航空券だったので、迷って迷って出かけることにした。本当はきのう午後5時過ぎに京都に戻ってくるつもりであった。しかし、予定の飛行機が飛ばなかった。これまで遅れたりすることはあったが、帰りの飛行機がキャンセルになったのは今回が初めてである。朝9時半に空港に着き、11時発の飛行機に乗るつもりであった。ところが、空港でさんざん待たされたあげく、夜の9時過ぎにやっと搭乗できた。しかし、滑走路で1時間以上待ち、また引き返して、夜の11時40分頃に飛ばないことが決定した。その後は、航空会社の用意したホテルに泊まったが、次の朝にあたるきょうは、代替えの飛行機を飛ばさないなど情報が錯綜した。下手をしたら、きょうも帰って来れないところだった。とりあえず別のルートで航空券を買い直し、今やっと夜11時半頃に医院に着いた。きょうの外来は開業以来初めて、予告なしで休んだことになる。
 このあたりの事情については、この2〜3日をかけて書いていきたいので、きょうはここまでである。
 さて、きょうは木曜日で火曜日の続きである。前回の日記で、排他的経済水域のことを書いたが、私の勘違いで、他国の船舶の行き来は自由にできる。何日か経って誤りに気づき訂正をした。訂正前の日記しか読んでいない人には改めてお詫び申し上げます。この日記は毎週火曜日に更新するが、その後ちょこちょこと気づいた誤字や脱字を訂正したり、やわかりやすい表現にかえたりしている。よっぽどいいアイデアを思いついた時には、追加もしたりしている。大きな間違いについては、今回のように改めてお知らせししようと思う。最初に払い戻し不能の航空券を買ったと書いたが、念のため調べて見たら、出発前までにキャンセルをしたら、高いキャンセル料を取られるが、お金は返ってくる。格安航空券はすべてnon-refundableと勘違いしていた。
 それにしても、今回の旅行は最初からついていなかった。18日(金)の午前の外来を終え、午後1時15分発の特急「はるか」に乗ろうと、医院を出ようとした時である。患者さんが利用している訪問看護ステーションから突然電話がかかってきた。なんと、前にも書いたことのある患者さんが近所でトラブルを起こし、これから訪問看護ステーションの人と保健センターの看護師さんが患者さんの自宅まで駆けつけるという。措置入院になったら、主治医の私が知らないふりをするわけにはいかない。でも、出発時間までもう30分を切ってしまっている。2〜3分早く出発していたら知らずに済んだが、もう知った以上絶対に逃げられない。このまま出発したら、訪問看護ステーションからも保健センターからも措置入院先となる府立洛南病院からもボロクソに言われる。仕方ないので、薬の効果が長続きする持効性抗精神病薬(幻覚妄想を抑える薬)のハロマンスの注射液を用意し、旅行カバンを持ってタクシーに乗り込んだ。患者さんの自宅に着き、旅行カバンはタクシーに預けそのまま待ってもらった。訪問看護ステーションの人も来ていて、患者さんが逃げているので追いかけているという。私も後を追ったが、まったく姿が見えない。いつ捕まるのかと思ったら、段々と気が遠くなってきた。患者さんの状態が悪い時には夜中でもいつでも駆けつけるが、よりによってこんな時にと思った。それでも、間もなく患者さんが逃げて自宅に戻ってくる姿が見えた。保健センターの人も駆けつけており、私も顔を出して強引に捕まえて自宅に入れた。とりあえずは、有無を言わさず腕を出させ、注射液を打った。保健センターの人は、措置入院ではなく、医療保護入院を考えているようであった。私はどうしてもこれから出かけなければならないと説明して、すぐにタクシーに乗り込んだ。
 京都駅に着いて、もう出発時間に間に合わないのはわかっていた。30分後の「はるか」に乗ったら、ぎりぎり間に合うぐらいの時間であった。ところが、春のダイヤ改正で、この時間帯は1時間に1本しか走っていなかった。1時間遅れではもう無理である。また、段々と気が遠くなってきた。動揺する自分を抑えながら、MKタクシーが関空まで走っていることを思い出した。早速、MKタクシーのある八条口に向かった。乗り合いのバンで、すぐ出発なので私1人であった。結局、高速代を含めて1万8千円近くもかかってしまった。こんな大震災の時に海外旅行する人なんて少ないかと思ったら、飛行機はほぼ満席であった。私のように後ろめたさを抱えながら、今さらキャンセルもできず、そのまま乗った人が大部分であったと思う。私がこの時に1番恐れていたのは、原子炉の爆発である。放射能が大量に漏れたら、たとえ関空でも帰って来れなくなる。現地の空港では、批判の多いアエラの表紙に載っていたような人が出迎えていて、1人1人放射線量を調べられた。
 さて、帰りである。空港ではほとんどの飛行機が出発できていなかった。霧が立ちこめていて、自分たちが乗る飛行機も着陸できなかった。たまたま雑誌で知ったプライオリティ・パスを持っていたので、今回は助かった。プライオリティ・パスとは、ビジネスクラス以上で利用できる航空会社の空港ラウンジが無料で使えるカードである。このカードを手に入れるには、年間399ドルの会費を払わなくてはならない。しかし、各クレジット会社で、ゴールドカード以上では無料で手にはいる。私は楽天のプレミアムカードを持っているので、最近手続きをして、このプライオリティ・パスを手に入れた。霧が晴れた合間に、何機か出発できていたが、自分たちが乗る飛行機がなかなか到着しない。往復4万円ぐらいの格安チケットであったが、空港ラウンジで無料で酒を飲んだり、食事を取って待つことができた。最初に書いたように搭乗できたのは夜の9時過ぎである。滑走路からまた引き返す時には、乗客の不満は最高潮に達していた。現地語と英語の説明だけで、日本語の説明がなかったのである。アナウンスの英語も聞き取りにくかった。こういう時にはまた入国審査を受けて、飛行機に預けた荷物を引き取るのである。
 乗客は携帯電話であちこち連絡していたが、空港ラウンジや携帯電話の会話の内容から意外に医者が多かったのには驚いた。実際に、土日に当直をしている先生も多いので、こんな連休ぐらいしか休みはとれない。航空会社が用意したホテルも2人の相部屋である。たまたま一緒になった人がこれも年配の開業医の先生であった。この先生には本当に助けられた。私は携帯電話は持って海外には出ないので、この先生の携帯電話を借りて夜中に家内をたたき起こした。医院の鍵は私しか持っていないので、どうやって火曜日に医院を開けるかである。結局、警備会社に連絡して開けてもらうように伝えた。精神科の患者さんの中には、どうしても薬が必要な人もいる。私の家内は保健師の資格を持っているので、医者である私の指示を受けて、どうしても薬が必要な患者さんには前回と同じ処方箋を臨時的に発行するという形にした。水曜日には、連絡の取れる患者さんには私が直接電話して病状の確認をした。私の医院はすべて院外処方なので、再診料だけは請求する。他の医院でも、こういう場合はどうしたらいいのか難しいと思う。私のやり方でも、無診察投薬にひっかかりそうである。いきなり休診にしても、受け付けの人に安易に処方箋を発行させても、問題になるかもしれない。1番いいのは、電話で患者さんと話ながら、処方箋を発行することである。
 翌日は航空会社からは何の連絡もなく、どうしたらいいのかまったくわからなかった。ツアーに参加している人は、旅行代理店に連絡したりして指示を仰いでいるようであった。私はインターネットで航空券を手に入れているので、情報はまったくはいらない。相部屋になった先生も1人で来ている。ビジネスクラスで、25万円ぐらい払ったという。この先生の知り合いの別の旅行代理店の現地の人がいたので、連絡をとって調べさせていた。結局、代替えの飛行機は飛ばさず、交渉したら同じ航空会社の成田行きの飛行機に乗れるか翌日出発の同じ飛行機に乗れるかであった。火曜日のこの日は定期便は飛んでいなかった。成田からの交通費も、ホテルの朝食代も出ないということであった。いつまでも待っていたら、この日も帰れなくなる。改めて、別のルートでチケットを買い直し、何とか日本に帰って来れた。小さな航空会社なので、対応に混乱していたことは確かである。航空会社に電話しても、つながらなかったという。最初から対処の仕方がわかっていたら、もう大丈夫である。こういう時は、航空会社が代わりの飛行機を用意してくれるだろうと甘い期待は持たず、すぐに行動を移さなければならない。私は5〜6万円の航空券も簡単に買い直せたが、中には火曜日の出発を期待した人もいたかもしれない。実際に、代替えの飛行機が飛んだかどうかについては確認できていない。それにしても、空港は春に霧がよく発生するとは、まったく予想していなかった。現地の旅行代理店の人の話では、、霧で飛行機の出発が遅れることはあっても、実際に運航がキャンセルになることは滅多にないという。北陸の大雪と同じで、一晩列車に閉じ込められることは滅多にないということなのか。

 

平成23年3月15日(火)

 京都にいると、大震災の影響はあまり実感としては感じられない。京都と東京を行き来している患者さんに聞いたら、帰宅難民だけではなく、計画停電で自宅待機となっている会社も多いという。被害の大きかった東北地方だけでなく、こんな首都圏まで深刻な影響が出ているとは思いもよらなかった。私は神戸の社会保険病院にいたときに、阪神大震災にあっている。この時には、もうこんな大地震はしばらくは日本を襲わないだろうと思っていた。ところが、あれから16年しか経っていないのに、阪神大震災を上回る大震災がまた起こった。新潟地震のような局所的な地震は起こるとは思っていたが、こんな壊滅的な大震災がこんな短期間で起こるとは予想だにしていなかった。東海大地震が来るとか、いろいろ騒がれていたが、地球規模の歴史で考えたら、40〜50年は大丈夫だろうと思っていた。私の勤務していた社会保険神戸中央病院は比較的被害の少なかった北区にあったので、災害の拠点病院となっていた。この時のことはこの日記でも詳しく書いている。メディアでは、家族を流されてしまった生存者の生々しい証言が次から次へと報道されている。こういう時こそ、改めて家族の繋がりを見直すいい機会かもしれない。この大不況の中で、ついつい家族間でお互いに不満を募らせてしまいがちである。しかし、原点に戻ったら、家族がいて、寒さをしのげて、暖かい食事ができたら幸せと実感できるかもしれない。今回の大地震で被害を受けた方には、心よりお見舞い申し上げます。
 さて、この前から予告していた、鈴木秀明「中国の言い分」(廣済堂書店)である。まず、中国の根底には、清朝の末期に欧米の列強や日本から侵略行為を繰り返し受けたことに対する根強い被害者意識があるという。日露戦争では、戦争に参加していないにもかかわらず主戦場になり、日中戦争も一方的に攻めてきたのは日本だと考えている。共産主義も激しく叩かれたことも、被害者意識をさらに強めている。「上に政策あれば下に対策あり」で、中国人はルールを疑ってかかる傾向が強いので、国際法に対しても強い不信感を持っているという。尖閣列島も、国際法上は、最初に領有を宣言した国のものになる。中国の言い分では、日清戦争に乗じて尖閣列島を中国から略奪したことになる。よくサンフランシスコ平和条約で沖縄諸島の一部として米国の統治下に置かれたと日本側は主張するが、この平和条約に参加させてもらえなかった中国はこの条約の有効性そのものを否定している。日本は国際ルールにのっとって、無主物(所有者が存在しない)と主張しているが、日本の領土であると非公開に閣議決定しただけで、清や欧米列強を刺激しないために、官報にも載せていなかった。手続きにも、不備があったのである。日中平和条約を結んだ時に、ケ小平とは、無理に問題を解決せず、棚上げ(先送り)にしている。実効支配をしていたのは日本であるが、両国は自分の領土とこれまで主張してきている。
 今回の大地震では、日本が四方海に囲まれていることが、津波の被害を拡大させた。しかし、領海と排他的経済水域は、中国よりも広い。領海とは国土の沿岸12海里(約22km)で主権が及ぶ海域で、排他的経済水域とは領海から200海里(約370km)で水産資源や天然資源がその国のものになる海域である。いろいろ議論はあるが、他国の船舶は自由に行き来はできるようである。日本は満潮時にわすか10u水面から顔をのぞかせる沖の鳥島を島だと主張し、これを基点に広大な排他的経済水域を主張している。中国も韓国も台湾も「岩である」と主張している。どう考えても今にも水没しそうな岩であるが、日本政府はコンクリートと消波ブロックで保護する工事を行い、観測所も建設した。かくも、領土問題は難しいのである。
 次にレアアース問題である。世界中に出回っているレアアースのうち、9割以上が中国産である。代表的な用途は、強力な永久磁石などである。他の国が手を付けなかったのは、非常にコストがかかるからである。採掘時にトリウムというやっかいな放射性物質がでてきてしまう。どうして世界に安値で供給できたかというと、環境保護のための規制がほとんどなかったからである。環境破壊が発生し、土壌汚染も蔓延していた。採掘業者も目先の利益だけ求め、計画も立てず、鉱山の「最もおいしい部分」だけを掘ってしまう。中国産のレアアースの価格は鉄クズ同然まで安くなっていたという。中国にとっては、米国などは自国のレアアースを温存して、中国の資源を安値で奪っていったという思いも強くある。実際に、日本や欧米は中国の安価なレアアースで潤ったのは確かである。中国にとって最悪のシナリオは、自国のレアアースが他国より先に枯渇することである。だから、輸出の制限は遅かれ早かれ必要であった。うろ覚えで申し訳ないが、大分前に週間ダイヤモンドかどこかに書かれていたことである。日本に対する中国からのレアアースの提供は、日本の技術提供が前提になっていたという。ところが、日本の企業は中国のレアアースを使いつくすだけ使いつくし、技術提供はほとんどしていなかったという。
 次にチベット問題である。清朝皇帝とダライ・ラマは互いの権威を尊重していた。歴史について解釈が分かれてしまう最大の原因は、近代的な意味での主権国家が成立していなかったからだという。チベットは独立していたと言えば言えてしまうし、中国の一部であったと言えば、それも言えてしまう。それまで、清朝はチベットやウィグル地域、モンゴル人地域を現地任せにしていたが、英国やロシアは中国を切り取ろうとしていた。そこで、清朝自身が辺境地域の軍事や政治に乗り出すことになり、結果的にこれらの地域の自治を奪い裏切り行為となってしまった。この本では、チベット民族の大多数が中国からの独立を目指しているわけではなく、ダライ・ラマも高度な自治を求めていると書かれている。独立しても、貧困にあえぐ可能性が高いからである。
 中国は56の民族から構成される他民族国家で、9割以上占めるのが漢民族である。ここでは、少数民族に対する優遇政策についても書かれている。中国では食糧事情が厳しかった時代でも、イスラム系民族のために豚肉以外の肉を配給する努力をしていたという。1人っ子政策も、少数民族の場合は2人まで認められている。入学試験にもかっての米国のようにゲタをはかせている。これまでは少数民族であることを隠す人が多かったが、「何かと得」ということで、最近は「水増し少数民族」も増えているという。民族を詐称した理由で、しばしば大学入試の合格取り消し処分が行われている。日本人は第二次世界大戦が終わるまでは、他国の人に対して露骨な優越感を持ったことがある。戦後、優越感を持っても、露骨に口にするのはよくないと、差別に対するブレーキが働きやすい。ところが、反省の機会がなかった中国人は露骨に差別感情を示すことが多いという。中央政府はチベット自治区などにさまざまな支援策を実施しているが、助成金などをチベット族の幹部が着服してしまうという。庶民は、ひどい仕打ちがこわくて告発できない。中国では、その地位に応じた権力乱用が目立ち、守衛、教師、電話交換手など、ささやかな職権を得た人が、それぞれの立場で権力の乱用を始めるという。
 他にも、改革開放の歴史も述べられ、現在の中国の政治体制と後継者のことも書かれている。ここでは日本人の関心のある靖国問題についてもふれたい。中国の愛国教育のために反日教育をすすめたのは、江沢民である。中国人市民が日本と聞いてまず思い浮かべるのは「南京大虐殺」で、65%を占めている。靖国問題についてはこの日記でも書いたが、宮台真司の述べていたこととほぼ同じである。この本では、著者は遠回しに天皇を擁護している。宮台は、事実はともかく、戦争の責任は天皇にも国民にもなく、A級戦犯などの軍国主義者にあると両国政府がとりあえず手打ち式をうって解決したという。だから、中国政府は、公式には戦争責任を天皇にも日本国民にも求めていない。すべて、日本の戦犯の責任にしたのである。ところが、日本はこの手打ち式のことを忘れ、政治家の靖国参拝批判は内政干渉だと言いだした。中国人は政治思想の表明が日本で認められていることについては、知識としては知っていても、感覚的にはなかなかわからないという。だから、毎年8月15日に旧日本軍の軍服などを着て靖国神社に集結する人を見ると、「当局から容認されているだろう」と感じ、同時に「当局の意向を反映しているのだろう」「日本人はみな、過去の戦争を賛美している」と受け止めてしまうと言う。
 ここではこれまでの中国指導者についても書かれている。胡耀邦総書記は、中国にとって絶対許すことのできない日本の戦犯に対しても、「彼らは愛国主義であったが、あまりにも狭い考え方で誤った。こういう者は歴史的にはまれではない。」と主張した。しかし、当時親しい間柄であった中曽根首相が靖国神社を公式参拝したことで窮地に立たされ、失脚したという。現在の胡錦涛も、専門家に「歴史問題については日本は十分に謝罪した」等と論文を発表させ、「日本とは経済・市場において争うべきで、歴史問題を蒸し返さない方が中国にとってプラスになる」と主張していた。ところが、小泉首相が靖国神社の参拝を繰り返したことで、弱腰と江沢民前主席の激しい非難にあい、対日強硬路線を取らざるを得なくなったという。北朝鮮についても、崩壊したら在韓米軍が中国国境まできてしまうので、それだけは阻止したいと思っている。中国人の意識についても書かれているが、よく理解できる。日本のメディアでは、中国脅威論がさかんに言われているが、この本で書かれていることについてはほとんど報道されていない。中国を非難するのはたやすいが、日本も決して自慢できる過去を背負っているわけではない。戦後でも、いろいろな混乱を経て現在に至っている。日本の常識は世界の非常識と言われていたこともある。この本を読んでいて、私も中国人の考え方についていけない部分もある。しかし、これからはお互いに上手につきあっていかなければならないことは確かである。

 

平成23年3月8日(火)

 以前は往診は面倒臭いと思っていたが、最近はそんなことも言っていられなくなった。患者さんが高齢化し、私の医院を受診できない人が増えてきた。家族がいる場合は家族が薬を取りに来てくれるが、1人暮らしや高齢の夫婦では難しい。ごく稀に、ヘルパーさんが代わりに薬を取りに来てくれる場合もある。午後からの雑用も減らしたので、多少時間に余裕が出てきた。まだ積極的に往診の数を増やすつもりはないが、往診をせざるを得ないケースが少しづつ増えてきた。私の医院はすべて院外処方なので、受付の人が院外薬局まで薬を取りに行き、私が持っていく。歩いて往診していた人が最近亡くなったので、交通手段はすべて市バスである。交通費は請求していないが、自転車で往診するのも不可能な距離ではない。往診の回数は、1人の患者さんにつき、2週間に1回か4週間に1回である。大阪では、精神科ではないが、生活保護の患者さんを頻回に往診していた医療機関が問題となっていた。精神科関係の患者さんも生活保護を受けている人は珍しくなく、受けていない人でも医療に関する公的扶助には恵まれている。精神障害者に対する福祉や医療の充実は重要である。しかし、一歩間違えると、精神科医療も貧困ビジネスに陥りやすい。自立支援医療の利用などで、患者さんによっては外来窓口での支払いはほとんど免除される。昔から、私なんかより熱心に精神障害者の医療に取り組んでいる先生も多い。しかし、これだけ世の中が不況になってくると、頻回の受診や往診がどこまで許容されるのか難しくなってくる。患者さんの負担は少なくてすむが、実際にかかっている1人当たりの医療費は莫大である。
 先週の土日は、京都駅近くのマンションの修理で、ずっと在宅する予定であった。最近は私がマンションに寄るのは週1回ぐらいで、後は息子が稀に友達と使うぐらいである。今はマンション全体が大規模修繕工事にはいっている。ドアの郵便受けにはいっていたお知らせでは、扉の塗り替えでは3回塗り直すため、1日半必要ということであった。土曜日は外来が終わってからすぐにマンションに向かった。しかし、担当の作業員に聞いたら、6時間ぐらいで終わるということであった。1日半もマンションに閉じ込められるのはかなわないので、日曜日に全部やってもらうことにした。実際の作業は扉の枠を塗り直すだけで、10分ほどで終わる。その後、乾かすために扉を少し開けて1時間以上待たなければならない。これを3回繰り返すが、朝8時半から午後1時ぐらいまでかかった。その後は、エアコンの取り外しで、これも室内のエアコンの液を抜くため、在宅が必要であった。この日はずっと拘束されていたので、久しぶりに精神病院の当直を思い出した。
 さて、この前の日記で予告したNHKの「クローズアップ現代…結婚したいのに止まらない未婚化」である。1週間遅れると、話題性が乏しくなる。しかし、娘に手紙を渡した後に、このビデオをDVDに録画して見るように伝えた。第一志望の大学は合格し、私がケチをつけて受けさせたもう一つ上の大学は不合格であった。結局、娘は浪人する道を選んだが、私の手紙よりこの録画したDVDの影響の方が大きかった。最近晩婚化が進んでいるのは知っていたが、最新の具体的な数字までは把握していなかった。番組によると、30歳未満の男性では71%が未婚で、35歳未満では50%が未婚である。女性は、30歳未満が60%で、35歳未満が32%である。年収が400万円以下の男性が75%を占め、未婚の女性は男性にそれ以上の収入を求めている。現在非正規社員は女性の5割を占め、男性では2割である。男性未婚者の3割が非正規社員である。女性は非正規社員で身分が不安定な人が多いので、高収入の男性を求め、男性は収入が少ないので女性にも働いて欲しいと願っている。番組で指摘していたが、現在女性が求めているのは「低リスク婚」である。アメリカや西ヨーロッパと違い、日本では成人未婚者の8割が親と同居していることも指摘されていた。きょうの朝、めったに見ないヤフーのホームページをみていたら、若者の恋愛事情について特集していた。詳しい数字を覚えていなかったので、確認のために見直してみたら、すでに記事が更新されてなくなっていた。過去ログの調べ方がわからないので、印象に残ったことを書く。未婚女性で男性とつきあっていない人の割合がとんでもなく高かった。女性は男性から声をかけれるのを待ち、最近では何と男性も女性から声をかけられるのを待っているのである。こんなんでは、結婚なんて永遠に無理である。この記事でも指摘していたが、恋愛を経て結婚があるのである。
 ついでに、同じクローズアップ現代で特集していた「若い世代の自殺を防げ…境界性パーソナリティ障害」である。私の日記でもリストカットや大量服薬を繰り返す患者さんのことについては過去に書いている。東京都立松沢病院に入院したことのある境界性パーソナリティ障害の患者さんでは、10%が自殺しているという。番組では、20〜30代の自殺者数は7863人と述べていた。専門家にとっては特に目新しいことは何も言っていなかったが、番組の中で1人の患者さんが顔出しで取材に応じていた。専門家としては、これはまずいと思った。いくら本人と家族の同意を得てると言っても、無理である。最低限、顔だけはぼやかすべきである。境界性人格障害(私はこちらを使っている)の患者さんは番組でも紹介していたように、情緒的には極めて不安定である。他人に対する評価も両極端に揺れ動く。中には、見捨てられることを恐れ、性的にも見境なく男性と関係を結ぶ人もいる。しかし、いくら同意を得たからと言って、簡単に性交渉を持つのは危険である。魅力的な患者さんから誘惑されて、ついつい求めに応じてしまい、果てしない自傷と収拾のつかない激しい怒りの対象になった精神科医は皆無ではない。
 最後に、中国関係の本の紹介である。まず、最初に、弘兼憲史「これだけ違う!日本人と驚きの中国人」(新潮社)である。この本は次に紹介する、鈴木秀明「中国の言い分」(廣済堂新書)とは違い、あちこちの書店で山積みされていた。著者は、私は最近は読んでいないが、漫画「課長島耕作」の作者である。取材で上海を訪れた経験を基に書いている。まず、著者は日本人と中国人を「おにぎり志向」か「チャーハン志向」かで分けている。ドライな個人主義が浸透している中国人は互いにばらばらで独立しており、日本人のようにお米が団結したようなおにぎりにはなりにくい。中国人の面子を守ることについても書いているが、文化大革命の時の自己批判は面子をつぶすリンチだったという。著者は、面子とは、場面に応じて、プライドであったり、恥であったり、見栄をさしたりすると解説している。中国式のパーティの事も書いてあるが、和して同ぜずで、真面目な話も政治の話もタブーで、酔っぱらってはいけないという。パーティの主な目的は、人間の値踏みだという。
 中国人気質を表すものとしては、「個人主義」「義理人情」「面子」がある。食事の時は年長者がごちそうするのが常識になっており、そうしないと年長者の面子が潰れるからである。現地の日本企業が世話になった中国人を食事に招待すると、支払いの時にいつも「いくらだったのですか?」と聞かれ、やむなく答えると、必ず「安かったですね」と言われるという。逆に、日本人も中国人に接待された時には、そう答えないといけない。「随分と散財させてしまいまして」と恐縮して言うと、「高いお金を払った割りには料理がまずかった」と受け取られかねないという。「安かったですね」は「あなたはお金の使い方が上手ですね」という誉め言葉なのである。中国人は困っていても、人に助けを求めない。見知らぬ他人に弱みを見せるとつけこまれると思っている。自分がそうなので、困っている人を見ても冷淡である。著者は、旅行者にそっけないのも、性格が冷たいというより、弱みにつけ込む人間と間違われないようにする知恵だという。他にもいろいろ書いてあり、本音と建て前を使い分けられないとか、「没有」(メイヨウ)のこともふれている。これは「ありません」であるが、少し前の旅行者には列車のきっぶ1つ買うにも、「ネエヨウ」に聞こえたという。私も15年以上前に中国を旅行した後輩の先生からこの言葉を聞いていたので、中国旅行はずっと避けてきた。最後の方に、政治の事も書いてあるが、税金は地方政府が独自に徴収して、中央政府に上納する。中央政府が直接徴収しているのは、関税だけである。企業には税金以外のさまざまな名目の納付金が要求され、乱収費と呼ばれる。一説には全国の財政収入の半分に達するともいわれ、かなりの額が闇の中に消えているようである。
 きのうから体調が悪く、原因はわからないが、身体がだるく、下痢をしたりしている。きょうは少しましであるが、外来中でもおなかが痛くなったりしていた。アルコールはしばらくお預けである。毎年1回は人間ドックを受けないといけないが、ずっとさぼったままである。きのうはこのまま早死にするのではないかと思ったほど、心身ともに辛かった。最後のトリである、鈴木秀明「中国の言い分」(廣済堂新書)はできるだけ詳しく書きたいが、ここまで書いてきて少し疲れてきた。こちらの本の方が内容が濃く、はるかに面白い。たまたま、アバンティで私が見つけた本である。TVの番組とは違い、新鮮さは失われないので、来週には必ず書こうと思う。きょうはこの本の紹介ができないので、これから就職難を迎える若い人には少しアドバイスをしたい。この前にも書いたように、日本人の中国人嫌いは8割近くにも達している。しかし、これからは、どうやっても中国とは付き合っていかなければならない。語学は就職してからでは間に合わない。就職したら新しい仕事も覚えなければならないし、他にもやることが沢山出てくる。私の娘も息子も中国嫌いである。こんな時ほど、中国語を勉強するのはチャンスである。中国に留学しても習慣の違いから不愉快な思いをすることが多いかもしれない。しかし、若い時の苦労は、10年後、20年後の将来には必ず報われる。その間に、中国人もある程度かわってくる。祇園で店を開いている患者さんが、中国人の観光客がやってきて、わずか400〜500円のハンカチを次から次へと出させ、「メイド・イン・ジャパン」か何回も確認していたという。「メイド・イン・ジャパン」も、中国人を相手にした商売のキー・ワードである。京都も、中国人の富裕層の観光客を取り入れなければ、将来はやっていけない。どっちにしろ、中国語の重要性がますます高まってくるのは間違いない。

 

平成23年3月1日(火)

 いつの間にかもう3月である。2月の保険収入を計算してみたら、去年と比べてまた7%減っていた。1月、2月と医院の収入が大幅に減り、このままではつぶクリ(つぶれかけのクリニック)になってしまう。去年の3月は1年間で1番収入が多かったので、今年の3月も下がるのは間違いない。開業時から、私の医院はずっと左うちわであった。これまでは経営的には順風満帆で、何も心配することはなかった。去年あたりからその兆候は出始めていたが、10年目でその陰りがはっきりとなってきた。このまま手をこまねいて、どんどんと下落していくのを放置するわけにはいかない。減収となった原因を早くつきとめ、きちんと対策を練らなければならない。
 まず、世界経済の動向である。ダウ平均株価は、2010年1月の10,067USドルから2011年1月の11,891USドルと上昇している。2010年のEUの失業率は10%前後と高止まりが続いており、25歳以下の若年層になると20%台まで跳ね上がっている。ドイツ10年物国債利回りは低下し続けていたが、今年の2月には2010年1月以来の3.24%と高水準をつけている。これだけでは、どうして私の医院の売り上げが下がったのかわかりにくい。経済指標を見る時には、一見関係ないことが深く関係していることがあるので見落としてはならない。まず、2010年のイナゴの大量発生である。オーストラリアでは、2010年に最悪規模のイナゴの大量発生が起こっている。内モンゴルでも同様である。米国ではイナゴの大量発生が最近では1985年に起きているが、今年も大量発生が懸念されている。イナゴが大量発生すると、小麦粉やトウモロコシの価格に影響する。穀物を輸入に頼っている日本にとっては他人事ではすまされない。しかし、私の所はパン屋さんでないので、今回の減少はあまり関係ないかもしれない。
 あまりマクロ経済に目を奪われると、物事の本質を見失う。この前の土曜日に開業している後輩に聞いても、例年とあまり変わりないと言っていた。次に分析しなければならないのは、私が開業している東山区の経済動向である。日本経済新聞によると、コンビニの売り上げは去年の1月に比べ5.1%増え、3ヶ月連続で前年を上回っている。気温が低かったので、暖かい飲料やおでんが好調だったという。さて、近所のコンビニである。確かに、今年はおでんを買いに行っても、ちくわが売り切れていることが多かった。タマゴについては、底に沈んでいたのかあまりはっきり覚えていない。正確を期すには、がんもどきの売り上げもチェックしなければならないが、あまり好きでないので、これも気をつけて見ていなかった。ちくわに関しては、確かに去年より売り上げが伸びているようである。どうして、私の医院だけ売り上げが減っているのかは、conundrum(謎)である。深く考えれば考えるほど、これは祟りかもしれない。手遅れにならないうちに、早速お祓いをしてもらわなければならない。
 前から書いているように、1年の間に心を入れ替える機会は3回ある。正月と自分の誕生日と4月である。今年の正月は新たな決意もなく、いつものように過ごしてしまった。この4月からは心を入れ替えようと思って、今から下準備をしている。まず、毎年心を入れ替えて勉強しようと思っている中国語である。ECCのCMで、ビートたけしが宣伝しているように、これからは中国語である。これほど中国嫌いの日本人が増えているので、就職難の若い人には今がチャンスである。優秀な人ほど英語に力を入れやすいが、20年後、30年後のことを考えたら中国語である。語学というのは、あわてて勉強しても間に合わない。これからは英語を話す中国人も増えてくるが、それだけではすまない。私は海外をあちこち旅行しているが、東南アジアではどんな安宿でもカタカトの英語は通じる。中国人旅行者が増えてくるのは間違いないので、どこの国でも英語並みに通じるようになってくる。私は今さら中国語がしゃべれるようになっても、20年後に自分の介護で中国人がはいってきた時に役立つぐらいである。中国旅行で、困らない程度に話せたらいい。
 たまたま、週間アスキーを読んでいたら、連載の対談記事で、イングリッシュ・モンスターという人物が登場していた。34歳で仕事をやめてアパートに引きこもり、1日500円の食費で7年間英語の勉強をしてきた人である。40歳を過ぎて、TOEICで990点の満点を取り、連続24回満点を記録している。つい最近、京都新聞を読んでいたら、この人が書いた本の広告が大々的に載っていた。菊池健彦「イングリッシュ・モンスターの最強勉強術」(集英社)である。きのう自宅に、アマゾンで注文していた他の本と一緒に届いていたので、最初の部分だけちらっと読んだ。小・中の頃に、よく宿題を忘れたり、物をなくしていたと書いてあったが、この部分だけ読むと、注意欠陥障害を思わせる内容である。私が初めてTOEICの試験を受けたのは平成16年で、この時は865点を取った。その後、900点越えを目指して何回か受けたが、最初のビギナーズ・ラックを越えることはできなかった。なかなか勉強をしている暇がなく、せいぜいCNNのニュースを毎日30分見るぐらいである。この4月からは京都市の介護認定審査会がなくなり、外部の仕事は労災認定の審査会ぐらいである。今度こそは、中国語の日常会話とTOEIC900点を目指して頑張ろうと思う。
 先週の土曜日は、京都市内のある精神科の医療法人が主催した懇親会に参加していた。私の医院の患者さんが入院が必要な時にいつもお世話になっている。若い頃には当直にも行っていたので、理事長を始め院長もよく知っている。毎年懇親会の前に、簡単な講演会を設けているが、今回の講演者は母校の精神科の教授である。内容は、芸術家の創造性と精神病理についてであった。今回は夏目漱石とグレン・グールド、ゴッホが取り上げられていた。音楽家のグレン・グールドが夏目漱石の「草枕」を愛読していたことは、今回初めて知った。夏目漱石やゴッホは精神科診断名では何にあたるのかよく問題になる。大家といわれる専門科の意見でもばらばらである。それぐらい、精神科の診断は難しい。
  今回の講演は学会などの講演とは違い、教授の知らない面を知ることができてよかった。特に、ゴッホについては詳しく、フランスなどのゴッホのゆかりのある地を実際に訪れて、たくさんの写真を取ってきている。講演会の後は、教授自ら各テーブルを廻って、全員に酒をついで挨拶していた。こんなに偉くなっても、いつも気配りがすごい。京都府立医大では、1番の関連病院と言われている京都第一赤十字病院の部長に私を呼んでくれたのは、この教授である。その後、私が1人で勝手な行動をとり、結果的に迷惑をかけてしまったので、後悔しているかもしれない。貴重な体験を与えてくれた教授には今でも感謝している。私が1番リラックスできるのは、精神科医に囲まれている時である。酒もはいり、日頃たまっていたストレスを発散してしまった。飲んだ割りには、翌日は調子がよかった。その分、隣の席に座っていたT先生には迷惑をかけてしまった。たちの悪い酔っぱらいにずっと付き合ってもらって、すみません。同じことを何回もしつこく言っていたと思うので、この場を借りて、お詫び申し上げます。
 さて、先週できなかった本の紹介である。鈴木英明「中国の言い分」(廣済堂新書)である。内容が濃いので、是非とも今週の日記で紹介したかったが、また酔っぱらってしまった。次回は、NHKのクローズアップ現代にとりあげられていた「結婚したいのに…止まらない未婚化」についても、詳しく紹介したい。

 

平成23年2月22日(火)

 やっと娘の大学入試が終わった。2月の初めに受けた大学の試験結果は返ってきており、合格していた。1番行きたかった学科のようである。私が少しけちをつけて、別の大学も受けているが、この合格発表はまだである。とりあえず、入学を確保するために、入学金だけ納めなければならない。娘の実力がどのくらいあるのか、これまでまったく知らなかった。どの学科を受けるのかは、受験料と宿泊費を払う時に初めて知ったぐらいである。インターネットを調べて見たら、偏差値は60から少し超えるぐらいまでである。これからの時代は、女性だからと言って、大学を安易に選ぶわけにはいかない。就職についても、男女の区別がない時代がもうすぐやってくる。
 今回合格して喜んでいる娘に、水を差すようなことを言ってしまった。でも、ここは心を鬼にして、父親として言っておかなければならない。残念ながら、今はどこの大学に進学するかで、残されている70年の人生がほぼ決まってしまう。私の若い頃の方が人生にもっと余裕があり、融通性があった。ロシア文学をやりたいと言って文学部に行っても、それなりに大企業にも就職できた。今回の受験では、私にはまったく何の相談もなかった。数学が苦手だと言って、母親と2人で最初から私学を目指している。母親が娘をよく理解して力になってくれているのはよくわかるが、娘が将来どうしたらいいのか役立つ知識や情報を持っているのかについては別である。もともと文系に行く人は、数学が苦手な人が多い。それでも、みんなセンター試験を受けて、国公立大学を目指している。最初から、数学は苦手と決めつけて、選択の幅を狭めることはない。これからの人生では、苦手なことが山ほど出てくる。それなりに工夫して、最低限のことはこなしていく態度をつけていかなければならない。数学が苦手なら、家庭教師をつけてでも、少しづつ克服する努力をしたらいい。
 浪人する選択についても伝えた。一般的には、1年浪人すると成績は伸びる。来年の入試は1年年下と競うことになるので、現役より有利である。1年浪人したからといって、その分点数が引かれるわけでもなく、就職の時に不利になるわけでもない。唯一のデメリットは、しんどい思いをしながら、また1年間勉強をし続けなければならないことである。それでも、今より1ランク上の大学に入学できたら、それだけ就職の選択も広がる。1ランク上の男性と知り合う機会も増える。また、有名大学ほど大企業でも上の地位を占めている人が多い。もちろん、どの企業も、この厳しい時代を生き抜かなければならないので、優秀な人材は出身大学とは関係なくどんどんと取り立ててくれる。しかし、大半の人はそこまで優秀なわけではない。どうしても、多少できが悪くても、自分と同じ大学出身者を後輩としてかわいがってしまう。みんな露骨には口に出して言わないが、出身大学のランクがそのまま職場に持ち込まれることもある。偏差値が同じなら、昔から名の通った大学の方が有利である。父親としての責任は、人生の選択に当たって、充分な判断材料を提供することである。この日記でも書いているように、人生を選ぶことについては人間は自由であるが、選んだ結果についてはその人が引き受けるしかない。私は個人的にはいろいろな思いがあるが、娘が納得して選んだ人生なら無理に浪人することもないと思っている。
 実は今回娘に入学金を渡すときに、上のようなことを手紙に書いて渡した。それと、もうひとつ書いたのは、反抗期のことである。私は父親にスパルタ教育で育てられたので、ある意味で一生父親には反抗して生きてきた。その中で、私が学んできたことは娘にも伝えなければいけない。娘は私にはけっこう反抗して生きている。だから、私の言うことにはなかなか耳を傾けようとしない。精神科医に成り立ての時には、非行少年がどうしてあんなに反社会的になるのかよくわからなかった。今の時代は、非行少年になる前に親が殺してしまっている。みんな慢性的な虐待ともいえる大変な環境で育っていた。思春期とともに、親とか教師とか権威的な者には反抗するようになる。この時に、問題になるのは、権威的な人が言うことは全部否定してしまうことである。中には、自分にとって役に立つことも言っているのに、大人や教師は信じられないと反抗してしまう。私も、父親の言うことにはことごとく反抗した。正しい事も言っているのに、いいなりになるのがいやで、反対の行動をとってしまうのである。だから、父親だけでなく、同じようなことをいう人にも、拒絶反応が強かった。しかし、社会に出てからそれでは生きていけないので、このことを修正するのに大変苦労した。
 娘に伝えたことは、親に反抗したり批判することはかまわないが、そういう時に失敗しやすいのが、親の言うことを何でも否定してしまうことである。嫌いな人が言っていることだから、間違っていると決めつけて、反対の行動をとったりすると、これからの人生は失敗する。大嫌いな人でも正しい事を言っていることもあれば、大好きな人でも間違ったことを言っている場合もある。判断の基準は、誰が言ったかではなく、言われた内容が正しいかどうかである。自分にとって役に立つことは、積極的に耳を傾けるべきである。嫌いな人に感情的に反発するのはかなわないが、正しい内容についてまで反発して、反対の行動を取るのはばかである。私がこの日記で、妻や娘のことについて嘆くのは、裏返すと、浮気はしていないという証拠である。浮気をしていれば罪悪感が出て、妻や娘のことについては、目をつむるようになる。ある日突然、がんの末期でもないのに、「お前には大変感謝している」と言い出したり、「わが家の偉大なる革命家でよき指導者」と賞賛しだす方が、よっぽど怪しい。昔は、妻が浮気していると、罪悪感のため、かえって夫の世話をよくすると言われたものである。最近では、浮気していても何も感じない強者が増えているかも知れない。
 今回は息子と2人で過ごすことが多かったが、日頃気づいていないことにも気づくようになった。娘のことばかり嘆いていたが、息子は恐ろしいほど勉強しない。家にいる時には、衛星TVのサッカーの試合やサッカーの本を見ている。それ以外は、TVゲームをしているかである。もうちょっと勉強しているかと思ったが、ほとんど大半の時間をこのサッカーとゲームで過ごしている。父親が目の前にいても、まったく気にしていない。ビデオで録画したイングランドのプレミアムリーグの試合を見ながら、ちょっと宿題をするだけである。息子の大学受験はマラソンと一緒で、最初の内は先頭集団からあまり遅れず、少しづつ頑張って速度を上げ、高3の受験で全力をふりしぼってゴールしたらいいと思っていた。こんなことでは、ますます先頭集団と差をつけられるだけである。娘はこつこつと真面目に勉強するタイプであるが、息子は最初からシャーシャーと「あんなに勉強できへんで」と宣言している。こんなことなら、高校に進学した時にもサッカーの部活をやらせておいた方がよかった。娘が反抗する分、ついつい息子に対しては甘くなっていた。息子には、医学部にはいったら、酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができて、72人の処女が待っていると説得しているが、いつも疲れ切っている私の姿を見て、なかなか信じてくれない。本当に、私立の医学部でも入学できるのか心配になってきた。息子は「私立の医学部には行かへんで」と大見得を切っているが、こんなんでどうやって国公立の医学部にはいるというのか。「試験前になったら勉強する」と言うが、いろいろ息子の将来のことを考えていたら、気が遠くなってきた。つくづく、子どもは思うようには育たないものだと実感した。
 最後に、きょう送られて来た「日経メディカル オンライン メール」の記事である。女医さんの婚活の話が載っていた。35歳までに結婚したり、子どもを産みたいと書いてあったが、それでは遅すぎる。若いうちのイケイケ気分ではそれでも遅くないと感じるが、年を取ったら子どもを育てるのは大変である。前から言っているように、アラフォーで子どもを産むなんて、無謀である。実は気になっている事件がある。61歳の元京都府職員が、47歳の妻と9歳の娘を殺して、伏見区で京阪電車に車で飛び込んだ事件である。まだ、動機がはっきりしていないが、遅い出産が関係しているのではないかと、勝手に推測している。

 

平成23年2月15日(火)

 2月5日から家内と娘がほとんど東京に受験に行っているので、ふだんは息子と2人だけである。朝は息子が6時に起きるのを確認して、医院に出てくる。夕食は毎晩外食である。夜診がある時には、京都駅近くのマンションで待たせて、それから夕食をとり、近鉄で一緒に自宅まで帰ってくる。10日の木曜日の夜は、1駅であるが、京阪で大手筋まで出た。翌日は建国記念日だったので、夕食時にビールを飲みたかったからである。居酒屋に息子と2人ではいり、私はビールをがぶがぶ飲んだ。その後で、ツタヤでビデオを借りた。また京阪で戻り、久しぶりに自宅でビデオを見た。私が以前に映画で見た「2012」である。トム・クルーズが出ていた「宇宙大戦争」と同じで、高1の息子と見るにはふさわしい。
 ビデオを見ている時に、ついつい冷蔵庫のビールを立て続けに飲んでしまった。映画で地球が破壊されていくシーンは迫力があり、2度見ても面白かった。夜遅くなり、床について寝ていたら、今度は急にいろいろな怒りが湧いてきた。かなりアルコールも入っていたと思うが、ふだん抑えつけていた感情がいきなり心の底から吹き出してきた感じである。自分でもコントロールができないほど激しい怒りが噴出してきた。翌朝は久しぶりに8時過ぎまで寝ていたが、今度は二日酔いがひどかった。昔、今東光が、手術で麻酔をかける時、ひわいなことをしゃべり出す人がいるともっともらしいことを書いていた。私もきのうのあの怒りは何だったのかと思った。ふだん理性で抑えていた感情が、大量のアルコールで容赦なく検問を突破してきた。すべてを破壊しつくしてしまうほどの恐ろしい怒りであった。改めて、あまりストレスは貯めてはいけないと思った。この日記でも何回も書いているが、二日酔いになると、私はうつになる。うつ病の患者さんの気持ちはよくわかる。何もかもいやになり、それこそ生きているのも辛くなる。この日は1日中死んでいた。
 この4月からの自立支援医療の更新はほとんど診断書がいらず、以前と比べたら随分と楽になった。手続きの最終的な確認は私がして、郵送している。介護認定審査会も私の交替の休みが入り、3月の任期切れまで、後1回だけである。月曜日にはいつもの労災の判定会議があったが、今回は少なく2件だけであった。この時に、4月からの新たな2年間の労災医員の継続を頼まれた。3人のメンバーはそのまま引き継ぐが、私は2年後の5月には60歳になるので、次回は交代することを伝えた。まだ急ぐ必要がないが、それまでに代わりの先生を見つけなければならない。もともとこの審査会は、京都第一赤十字病院、京都第二赤十字病院、国立京都病院の精神科の長で始まっている。私は勉強したいこともやりたいことも山ほどあるので、60歳までには自分の医院以外の仕事は整理したい。
 少し前の日記に、ローリング・ストーンズの「悪魔を哀れむ歌」のことを書いた。オルタモントの悲劇のことが気になって、アマゾンでこの時のコンサートを記録した「ギミー・シェルター」を調べてみた。なんと、DVDでデジタル・リマスター版が出ていた。値段は新品で定価が3980円が、2706円になっていた。早速注文して、医院の防音室で見てみた。1969年のニューヨークなどでのライブツアー記録したものである。私がまだ若かりし高校生の頃である。私は「ジャンピング・ジャック」や「サティスファクション」、「黒くぬれ」などを演奏していた時代のローリング・ストーンズが1番好きである。若い人には40年以上前のコンサートと言うと、日露戦争があった頃かと勘違いされそうである。オルタモントの野外会場では、ステージの前まで大勢の観客が集まり、満員電車並みの混雑である。こんな所で演奏するなんて、今の時代では考えられない。「悪魔を哀れむ歌」を歌っている時に、ミック・ジャガーの目の前で観客同士がけんかを始め、一旦演奏を止める。ミック・ジャガーが必死で観客を説得し、再び演奏が始まる。解説を読むと、この無料コンサートはウッドストックの4ヶ月後に行われている。観客の中には、バラの花を口にくわえている人もいる。このコンサートの警備を担ったのは、あのヘルズエンジェルズである。
 ウィキペディアにも書いてあったように、次の曲の「アンダー・マイ・サム」の演奏中に、ナイフを振りあげ、銃を出す人がスローモーションのビデオの中で映し出される。観客が殺されて、その一部始終がカメラに残されている。それにしても、この頃のローリング・ストーンズの演奏はすごい。「悪魔を哀れむ歌」を歌っている時のミック・ジャガーは本当に神がかっている。ライブで残されている演奏の中には時々とんでもない作品が含まれている。DVD「ジャニス」に出てくるジャニス・ジョップリンの「ボール・アンド・チェイン」にも鳥肌がたった。ウッドストックのコンサートより、この「ギミー・シェルター」の方が遥かに演奏が充実している。当時の騒然とした時代が映し出され、若い人にも私より少し年上の団塊の世代にもお薦めのDVDである。
 さて、最後に今週読み終えた本である。中原圭介「騙されないための世界経済入門」(フォレスト出版)である。本の表紙には、的中率NO.1のエコノミストが教える!と書いてある。私は結婚が遅かったので、子どもはまだ高3と高1である。開業して10年になるので、娘が東京の私立大学に行って、息子が私立の医学部に行けるぐらいのお金は貯めた。株や金融商品には手を出していないので、後は貯金の価値が下がることと銀行がつぶれないことを祈るだけである。しかし、子どもの世代が将来どうなるかについては心配である。これからの世界についても気になり、ついついこの手の本に手を出してしまう。
 第1章と第2章は米国経済のゆくえである。米国は金融から環境へと経済の柱を移すために多額の税金を投じたが、環境分野があまりにも早く成熟してしまい、太陽電池を含め、市場が拡大する前に供給過剰となってしまったという。そして、欧州も含め、環境経済から財政再建に移行している。住宅ローン担保証券はじわじと下落し、著者は今年は2番底懸念が高まると予想している。米国が直面していることは、「設備・雇用・債務」の3つの過剰で、日本のバブル崩壊後と違うのは、日本では3つの過剰をすべて企業が抱えていたのに、米国では債務の過剰を抱えているのは家計だという。当面は消費を控え、借金の返済を優先せざるをえなく、これまでのような借金をしてまで消費するという旺盛な購買欲はなくなる。住宅金融公社のフレディマックとファニーメーにも、金融のブラックホールと呼ぶべき巨額の税金が吸い込まれているという。米国の国防関連費も削減され、「安全保障は経済問題である」という視点があまりにも日本人には欠けていると指摘している。他にも、地球温暖化とCO2排出量の因果関係を裏付ける科学的根拠が何もないことなどが書かれている。
 ビールは控えないといけないと思いながら、この日記はビールを飲みながら書いている。段々と酔っぱらってきたので、日本人が1番興味のある中国のことにふれたい。よく、中国の不動産バブルがはじけると言われるが、不動産バブルが騒がれているのは、北京や上海などの沿海部の大都市に限定された話であるという。この地域のGDPは中国全土の1割程度で、GDPの9割は広大な内陸部が占めている。中国全土の住宅価格の平均は中国人の平均年収の6倍程度で、これはバブル前の日本の水準と変わらない。中国の資本主義経済は、国家統制経済なので、不動産バブルを未然に防ぐことは不可能ではない。自由主義経済の弱点である需要と供給の行き過ぎを、国の意のままにコントロールできるからである。中国は日本の成長モデルやバブルの崩壊を徹底的に研究している。成長モデルというのは、輸出を増やして外貨を稼ぎ、国民の所得をある程度まで引き上げ、内需を拡大していくことである。中国政府にとって、賃上げストは一石二鳥の出来事で、労働者の賃上げが進めば、個人消費が拡大し、内需主導型経済へと転換することができるという。中国が抱える4つのリスクも指摘している。「外資企業撤退のリスク」「インフレリスク」「国家統制経済の効果減退リスク」「民主化運動の高まり」である。それぞれについては、この本に詳しく解説されている。
 最後に、世界経済のゆくえである。世界経済が抱える2つの本質がここでは書かれている。1つ目は、不均衡累積経済である。これだけでは何の事を言っているのかさっぱりわからないが、先進国と新興国の不均衡があり、金融緩和と金融引き締めという金融政策の不均衡があり、マネー経済と実体経済の不均衡がある。EU内では、経常黒字国と経常赤字国の不均衡もある。累積した不均衡は、いずれ不均衡を解消しようとする強い力が働き、大きな惨劇が起こるという。地震と同じで、大きな惨劇が起きた時にはゆがみもゼロになるので、当分は次の惨劇は起こらない。ところが、今回の不均衡の解消は中途半端で終わったので、これからも小さな惨劇は生じ続けるという。2つめの本質は、世界経済が抱える「連鎖経済」である。この連鎖経済を証明したのが、今回のサブプライム危機である。サブプライム担保保証の規模はわすか1兆円ドルだったのに、世界全体の180兆ドルの金融資産を暴落させてしまった。ギリシアのGDPはEU全体の2%しか占めていないのに、あっという間にEU全体の問題に拡大してしまった。過去には経済破綻をきたした国は山ほどあったが、これからはたった1国の破綻が、世界経済を崩壊させる時代がやってきたという。この本を読めば読むほど、日本を含め、世界経済の未来は暗い。今の貯金を金にかえたらいいのか、本当に悩むぐらい世界を取り囲む経済は深刻である。

 

平成23年2月8日(火)

 この前の土曜日は、久しぶりに両親と妹が住んでいる大阪の池田に行った。ちょうど2週間ほど前に妹の娘から緊急連絡があった。父親が脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれたという。この時はすぐ駆けつけるつもりであった。しかし、その後連絡があり、病状はそれほど重くないと聞いたので、この日になった。娘と家内はこの日から大学受験で東京に出かけた。息子を連れて名神で行ったが、珍しく渋滞もなく1時間ほどで着いた。母親は天皇と同じ年だと思っていたが、1つ年上であった。元気にしていたが、相変わらず耳だけは遠い。父親はもうすぐしたら、リハビリ病院に転院する予定だという。そこでは、3ヶ月ほどは面倒をみてくれるようである。妹と電話で施設でも探さないといけないと話していたが、母親はその後自宅で引き取るつもりのようである。父親の世話は大変だと言いながら、1つの生き甲斐みたいになっている。父親は今回は大人しく入院してくれているので、夜間の付き添いは必要ない。母親は自分で車を運転し、毎日病院には顔を出していた。
 夕食は妹の所で食べた。妹も妹の旦那も忙しく、土曜日だというのに夜6時にならないと帰らなかった。妹は大学で学科長になって、ますます忙しくなったようである。休みもあまり取れないと嘆いていた。母親に聞いたら、毎朝家族4人分の弁当を作り、夜遅く帰ってきて夕食も作り、大学の仕事も忙しく、肉体的にも精神的にも限界に来ているようであった。妹が学科長になったことで、出身大学も関係して、人間関係も難しくなり、いろいろと陰で言われることも多くなったらしい。大阪府内の地方自治体の会計監査もしているので、私が見ていても疲れ切っているようであった。不整脈があり、母親と一緒に父親を見舞いに行った時に、気分が悪くなり、病院で一時安静にしていたという。妹の旦那も弁護士事務所を開業しているので、夜は遅い。妹の娘は医学部に行っているが、試験勉強で忙しいと言って、あまり家事を手伝わないこともよくないようである。
 それにしても、患者さんの話を聞いていても、最近の若い女性は家事を手伝わない。全部母親がやっていることが多い。学生でも仕事をしていても関係ない。いくら収入があっても、食費もあまり入れていないようである。これからは、苦しい経済状況もあり、専業主婦という生き方は難しくなる。妹ほど極端でなくても、女性は結婚したら、仕事も家事もやらなければならなくなる。男性ももちろん家事や子育ての手伝いもするようになるが、どうしても負担が平等になるには時間がかかる。今は専業主婦をしている女性は、この不況の中で一生懸命働いている夫と比べたら、圧倒的に楽である。しかし、これから結婚する女性は、当分は仕事も家事も育児もすべて引き受けなければならない。一時的であるが、逆に男性より負担が増える。男性もある程度は手伝うことはできるが、男性が勤めている会社や社会全体の体制が変わらなければ平等な負担は無理である。専業主婦という生き方は、これからは天然記念物的な生き方になっていきそうである。昔はそういう生き方しか選択できなかったという女性の言い分もわからないわけではない。浮気や借金ばかりする男性と結婚した女性の苦労も大変である。しかし、性交渉を数回持っただけで、男として責任を取れと言われ、ずっと働き続けて一生その女性の面倒をみなければならないといういう生き方もどこか無理がある。最近はクーリングオフ期間も認められるようになったが、私の時代は原則的には返品不能であった。これからの女性は、仕事も家事も育児もある程度こなさなければならないので、今の専業主婦の不満なんて一笑に付されてしまうかもしれない。職場での女性同士の陰口や足の引っ張り合いがいやなら、その分、自分の代わりに朝から晩まで働いてくれている夫の機嫌を、少しは取るべきである。家にこもっているより、働いている方が気分転換になっていいという女性ももちろん大勢いる。定年退職後に段々と扱いにくくなる夫については、また別の機会に詳しく書こうと思う。
 翌日の日曜日は、母親と妹の娘と一緒に父親の入院している市立豊中病院に行った。車で15分ほどで着いたが、想像していたより大きな病院であった。私の勤めていた京都第一赤十字病院は総合病院としては市内の2つの大学附属病院に次いでベッド数が多かった。しかし、こちらの建物の方がはるかにりっぱであった。病室にはいると、父親は穏やかな顔で寝ていた。母親が声をかけると眠そうにして、目を開けるが、またすぐ目を閉じてしまう。抑制のために両手はベッドに拘束されていた。母親がいる間は、母親がはずしていた。時々にこにこと笑うが、母親も私もわからないようである。大正13年生まれで86歳になるので、家に連れて帰るのは難しそうである。そのまま、息子と病院を後にして、京都の自宅に戻った。妹は生真面目で頑張り屋なので、少し心配になった。この前の日記にも書いたが、映画の「アンストッパブル」と同じである。列車に一生懸命石炭をくべて頑張っているうちに、列車がいつの間にか暴走してしまう。列車は段々とコントロールが効かなくなり、次から次へと雑用が増え、当初目指していた目的地も見失ってしまう。最悪の場合は、忙しすぎて、何のために生きているのかさえわからなくなってしまう。頑張って努力する人の成功には、常にこういう危険がつきまとう。妹は定年の67歳まで頑張ると言っていたが、片方では早くやめたいという気持ちも強い。私は少しずつ雑用を減らし、人生が暴走しないように気をつけている。
 さて、最後に、今週読んだ本である。あちこの雑誌で取り上げられていた、鈴木信元「加害者家族」(幻冬舎新書)である。内容は、被害者家族ばかりでなく、加害者の犯罪とは直接関係ない加害者家族が受ける想像を絶する受難を書いている。この日記でも紹介したことのある「誰も守ってくれない」という映画の内容とまったく同じである。この映画では、警察が幼い加害者の妹を守っているが、加害者の家族を税金を使って守ることについては批判もあるので、警察も明らかにしていないと述べられていた。映画の中では、自分の兄が近所の幼い姉妹を殺し、母親がすぐ自殺している。実際に、加害者の家族が自殺することは珍しくないという。この本では、警察が直接加害者家族を守ることについては言及していなが、マスコミから逃げるために自宅からの脱出を手伝うことは述べられている。第1章では、実際にあった加害者家族のことが詳しく書かれている。ある日突然妻に警察から電話がかかってきて、夫が殺人を犯していたことが知らされる。3時間後に報道発表があるので、子どもを連れてできるだけ早く自宅を離れるようにとアドバイスをされる。そして、マスコミが自宅周辺に殺到し、近所の家を訪問しまわる。容疑者の写真は警察が提供してくれるわけでないので、記者たちは夫の写真を探し求める。マスコミは妻の職場にもやってくる。携帯電話にいたずら電話がかかってくるようになり、留守にしていた自宅は荒らされ、人殺しの家とスプレーで書かれる。インターネットでは「子どもを抹殺しろ」とも書き込みをされている。何も知らない子どもは、ただ父親の帰りを待っているだけである。
 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の家族の悲劇も詳しく書かれている。「お前も死ね」「娘を殺してやる」というはがきと封書が段ボール1箱では足りないぐらい送られて来た。父親の家族だけではなく、その兄弟にも被害が及んでいる。この父親は4年半後に橋の上から身を投じて自殺している。ここでは、他にも、神戸連続児童殺傷事件のことなど、有名事件の加害者家族のことが書かれている。オウム真理教の麻原が逮捕されたときに6歳の幼女であった4女のことも書かれているが、その内容は興味深い。加害者家族を攻撃する2ちゃんねるのことも解説されている。「神」とか「祭り」とか私が聞いたことのある用語も出てくるが、「スネーク」は聞いたことがなかった。潜入工作員のことで、当事者の写真を撮ったり、情報取材して掲示板に書き込んでいく人たちのことである。映画「誰も守ってくれない」でも出てくる。被害者も、被害者に落ち度があったと攻撃されることもある。海外での、加害者家族に対する支援団体のことも詳しく紹介されている。新聞報道などで、幼い子どもが虐待されて亡くなったりしたことを知ると、加害者に対する憤りは私も抑えられない。しかし、加害者家族たちは私たちが考えている以上に苦しんでいるので、非難するのは加害者だけにとどめておくべきである。この本でも書かれているが、子どもの犯罪については、親に対する非難は逃れられないようである。

 

平成23年2月1日(火)

 寒い日が続いている。去年の冬は車で通っていたので、今年は余計に寒さがこたえる。車を使うと、自宅の玄関から医院の玄関まで10分ちょっとで着く。しかし、今は土日を除いて京阪を使っているので、ドア・トゥ・ドアで25分以上かかる。その分いつもと同じ時間に着こうと思ったら、自宅を早く出なければならない。毎朝5時38分頃に自宅を出るが、最近は着込んでいても寒い。途中でJR奈良線の踏切を渡らなければならないが、ちょうどさしかかる頃に電車がやってくる。踏切で、遮断機が上に上がるのを待っていると、ますます身体が冷えてくる。辺りはまっ暗であるが、こんな時間でも散歩している人はいる。車を使わない生活になってからだいぶ時間が経つ。慣れてしまうともうどうもない。京都市内は地下鉄もバスも発達しているので、便利である。きょうの午後は往診に行くが、1件はバスを使って行く。車を使うとどうしても運動不足になる。歩く機会が増えたことはいいことである。自転車はもう少し暖かくなってからである。
 1月の保険収入が出たが、去年と比べて今年は7.2%減っていた。例年1月が1番少ない。去年は例年と比べて多かったことと、まだマイナスとなる診療報酬の改訂前だったこともある。それでも、1月の記録としては開業当初を除いて、最低であった。東山区で開業している先生の話を聞いていても、あまり景気のいい話は聞こえてこない。不景気も関係しているが、住民の高齢化と人口減少も大きく影響している。この前の新年会でも、親の跡を継ぐのでなければ、東山区では開業しなかったと話していた先生もいた。その一方で、別の地域では、外来が忙しすぎて、夫がいらいらして機嫌が悪いと話していた患者さんもいる。開業は、1にも2にも場所である。医療者向けの掲示板に、3、4がなくて、5でやっと医者の腕前が出てくるぐらいである。こんなことを書いていたら、ますます東山区で開業する先生が減って、医師会の雑用ばかりが増えそうである。それでも、これから開業を考えている先生は、すでに開業した先輩の先生の話には耳を傾けるべきである。
 先週は久しぶりに映画を見に行った。題名は「アンストッパブル」である。上映前の予告編を見ていたら、マイケル・ダグラス主演の「ウォール・ストリート」をやっていた。この時に、バックにねっとりとしたミック・ジャガーの声が流れてきた。「悪魔を哀れむ歌」である。久しぶりにこの曲は聴いたが、ドルビーのいい音で聞くと、血肉沸き踊る。昔は、ローリング・ストーンズの曲もビートルズの曲も歌詞は全部覚えたものである。映画の内容にマッチした曲であるが、こういう40年以上前の曲を最新の映画で使ってくれるのはうれしい。さて、「アンストッパブル」である。化学薬品を積んだ暴走列車が住宅密集地の大きなカーブで脱線する前に止めなければならないという話である。話の内容としてはシンプルであるが、あちこちに見せ場があり、迫力があって最後まで面白かった。ここでも、暴走列車を止めようとする機関士の家族の再生の物語が出てくる。この映画を見終わってから、また「悪魔を哀れむ歌」のことを思いだしていた。オルタモントの悲劇で、ローリング・ストーンズのコンサート中に人が殺されたことがある。私はこの曲が歌われている時と覚えていたが、今回ウィキペディアなどで調べてみたら間違いと書いてあった。それぐらい、当時の騒然とした雰囲気の中では、この曲と殺人がマッチしていた。この「アンストッパブル」を見て、ついでに、ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」の曲まで思い出してしまった。
 さて、最後に今週読んだ本の紹介である。きのうの朝刊を読んでいたら、「カジノ王」巨額資産めぐりお家騒動という記事が出ていた。マカオのカジノ王、スタンレー・ホーのことで、年齢が89歳である。私の読書は何冊の本も同時並行読みで、たまたまこのスタンレー・ホーについて書いた本を半分ほど読んだところであった。急遽、きょうも朝6時3分から医院に出てきて(京阪で出てくるとこの時間になる)、最後まで読んだ。本の題名は、楊中美著、青木まさお訳「ゴッドギャンブラー」(日本僑報社)である。単なるカジノ王の伝記ではなく、スタンレー・ホーが生きてきた日本、香港、中国、マカオ、ポルトガルの歴史が語られ、久しぶりに感動した本である。
 香港で1番古い銀行が、イギリス本国に隠れてアヘンの密売で得た資金で作られたというのも驚きである。ここで、代々支配人として使えていたのが、ホー家である。名門のどら息子として育ってきたが、13歳の時に父親が株で破産し、長男、長女を連れてベトナムへ逃げた。この時、父親の弟も破産して、自殺している。貴婦人だった母親は自分たち3人の生計を立てるため、慣れない洗濯業を始める。あれほど優しかった母親が荒れ、貧しさから逃れるために、ホーは心を入れ替えて学業に専念した。トップの成績で奨学金をもらい、名門香港大学に入学した。太平洋戦争が始まった時に、ホーが大学を卒業した。当時日本軍は香港に侵攻したが、ポルトガルと相互不可侵条約を結び、マカオには侵攻しなかった。オーストラリアを攻めるために、日本軍はポルトガル領であった東チモールに侵入して、猛烈な抗議を受けた。この時に、ブラジルにいる日本人の安全を保証してもらうかわりに、マカオの中立性を保持することを保証した。戦前からブラジルには何十万人と日本人が住んでいたのである。
 マカオを歩いていると、場所によっては、ポルトガル語と中国語だけで、英語表示が全くない所もある。ホーはマカオで最大の貿易会社に就職する。将来日本語とポルトガル語も必要になると考え、4カ国語をマスターしている。商品を運搬する船の指揮官になり、海賊に襲われ、命を奪われそうにもなったこともある。マカオが食糧難になった時には、あちこちから食料を調達している。初めて、煉油工場を創業し、大成功を治めるが、マカオのヤクザ社会から目をつけられるようになる。この時代は、大陸と香港にいたヤクザまでが日本軍のいないマカオに流れ込んでいた。この時には、マカオ王と呼ばれた有力者に仲介を頼んで、なんとか逃れている。しかし、1953年にこの時のヤクザ集団からマカオを去るように最後通告を出され、殺される前にマカオを去っている。
 香港では、土地を買って、ビルを建て、利益が出たらすぐ売り、海外ではビルを建てたら貸し出しをして、莫大な利益を得ていた。記憶力に優れ、2000人の電話番号を覚え、電話するときには電話帳を見なかったという。この本では、マカオの賭博についても詳しく書かれている。清朝末には200以上の賭博露天があった。ところが無法地帯となっており、流血事件や殺し合いなども多かった。ポルトガル政府は1840年に賭博場開設の入札制度を始め、私的参入を一切禁止した。政府は賭博場から税金を徴収することができ、管理もできるようになった。この権利を得た2代目の経営者の1人はヤクザ集団と争い、誘拐されて、片耳を切り落とされて身代金まで要求されている。賭博場の経営者は命を狙われるだけでなく、プロの賭博師に大損をさせられる危険もあった。この当時、サイコロの音を聞き分けるプロの賭博集団が中国内地で多くの賭博場を破産させていた。耳を切り落とされた経営者の部下であった葉漢は、ボスに命ぜられ、サイコロの1と6を聞き分けられるようになる。そして、この集団がマカオにやってきた時に、プラスチックの芯をガラスのサイコロ盤の底に敷き、音が出ないようにし、負け集団として見事に退散させた。
 ところが、ボスにいくら忠誠を尽くしても、待遇はよくならなかった。そこで、葉漢は今度は期限がきれる賭博経営権を自ら手に入れようと試みる。そして、ホーも加え、四天王同盟と呼ばれた4人組がマカオの賭博独占経営権を得るために動き出す。1961年に第2代の経営者が息を引き取り、入札でホーが立ち上げた会社が賭博独占経営権を手に入れる。有効期限は25年である。この時に、ホーをマカオから追い出したヤクザ集団がホー達を皆殺しにすると脅してきた。しかし、この頃にはホーは大富豪となっていたので、手榴弾攻撃をしてきても反対にやり返すことができた。やがて、資金力の劣るこのヤクザ集団を退散させた。その後、モナコやラスベガスを視察し、賭博業と観光業を一体化させ、リスボアホテルを建てた。私がマカオに行った時に泊まったのがこのホテルである。香港とマカオの船舶航路を整備し、カジノ、競馬、ドッグレース、賭博船の経営権をすべて手に入れた。
 その後、ホーはケ小平とも人民大会で会っている。マカオ空港の国際化やマカオタワーの建設、マカオ大橋の開通など、マカオのインフラ整備にも貢献している。マカオへの旅行客は60年代初めは100万人あまりであったが、90年代には800万人にも達した。賭博場の税収も、60%を占めるようになっている。香港とマカオの返還についても、興味深いことが書かれている。香港の返還交渉は難しかったが、返還後に苦労は少なかった。ところが、マカオの返還交渉は易かったが、返還後に苦労が多かったという。どういうことかというと、イギリスはレベルの高い文官チームを残してくれたので、スムーズに移行してその後の香港の繁栄が維持された。ところが、ポルトガルはもともと行政能力が劣っていて、ろくにマカオを管理してこなかった。返還前のマカオの治安は悪化を極めていた。20ものヤクザ集団がおり、14Kが最大であった。ポルトガルも返還が決まってからは一層手を出さなくなって、治安の悪化に拍車をかけていた。ホーがカジノを請負制(フランチャイズ方式)にしたことで、闇組織が参入するようになっていた。中国政府は、このヤクザ組織を一掃することを考えた。第1回のヤクザ一掃作戦の対象となったのは、誘拐王と言われた趙子強である。香港の富豪の息子を次から次へと誘拐し、毎回何億香港ドルと身代金を手に入れていた。中国政府が本気でヤクザ集団を壊滅しようとしたら、ひとたまりもない。マカオ返還式典前にはヤクザ組織は退散してしまった。この本で興味深かったのは、ケ小平の「1国2制度」の構想は、もともと台湾のために考えたものだという。
 ホーが握っていたマカオの賭博独占経営権は、2001年で満期であった。江沢民も、この賭博独占経営権は中国本土の企業には渡さないとホーに約束している。しかし、中国政府は専門の研究グループを作り、ラスベガスやモナコに赴いて、現地調査を行った。そして、今までのような独占方式を改め、複数競合方式に改めた。そして、3つの賭博業の免許を与えることにした。第1号はホーである。第2号はラスベガスの父と呼ばれているスティーブン・ウィンである。第3号は国際会議、展示センター、リゾート地の開発と経営に長じているアメリカのシェルダン・アデルソンである。
  ラスベガスは今やカジノホテルが林立する通りは、世界一安全と言われている。マカオも中国政府も本気で家族連れでも楽しめる安全な観光地にしようとしている。物価や日本からの距離など総合的に考えると、私はラスベガスよりマカオの方が気に入っている。2泊3日の旅行でも、充分楽しめる。コタイ地区にシティ・オブ・ドリームスやベネチアンなど新しい建物がどんどんと建てられている。これからどのように発展していくか楽しみである。マカオはポルトガル政府が積極的に開発もせず、ほったらかしにしていたので、歴史的な建物や見所がそのまま残っている。ショッピングもできるので、女性や家族連れも1度は訪れてみる価値はある。しかし、カジノについては、雰囲気を楽しむ程度でとどめておくべきだろう。所詮素人がカジノで大金を得るなんて無理である。1999年に、枕陽市の副市長がマカオのカジノで4千万香港ドルの公金を使い果たし、死刑となっている。この本では、他にもカジノで大金を失った人々のことが書かれている。
 さて、新聞記事である。本妻はポルトガル人で、長男はポルトガルで交通事故に巻き込まれて亡くなっている。しかし、ホーは殺されたと信じている。この後、妻も亡くなっている、第2の妻は中国本土の人間で、長男は55歳の時の子どもである。70歳で引退し、本妻の賢く優秀な長男に跡を継がせるつもりであった。香港の富豪は90年代に次から次へと息子に跡を継がせたので、ホーの失意は大きかった。この本は、平成16年に発行されている。私はアマゾンで手に入れたが、中国を考える上でも参考になる。中国政府もマカオの発展に貢献したホーには、それなりに礼を尽くしている。

〈もんもん写真館でクラビを追加しました〉

 

平成23年1月25日(火)

 2月は娘が東京に受験に行くので、前半は家内もほとんど家にはいない。全部で2大学7学部を受ける。3泊4日が2回あり、4泊5日も1回ある。受験料と交通費、宿泊費で70万円以上かかる。浪人の時はある程度すべり止めは仕方ないが、現役の時はもっと志望校をしぼるべきである。それに、どこの大学に行くかは、まったく私に相談なく決めている。私が受験料などを払う時に初めて詳しく知ったぐらいである。関西にも一流大学から三流大学までありとあらゆる大学がそろっている。親元を離れて生活することは決して悪いことではない。しかし、わざわざ東京まで行って、この程度の私立大学で4年間勉強する価値があるのかは疑問である。家内も専業主婦呆けで、この大不況の世間の厳しさからは無縁である。万が一娘が大学を卒業して就職できない時には、今度はバトンタッチして、保健師の免許を持っている家内が面倒みたらいい。
 この間は息子と2人きりになるので、私が食事からすべて面倒をみなければならない。毎朝5時に起きて、6時過ぎには医院に出てきているが、これは無理である。息子は月曜日から土曜日まで学校があるので、息子の生活に合わせるつもりである。洗濯は3泊ぐらいなら、必要ないかもしれない。土曜日の精神科関係の集まりも遠慮しようと思う。こういう時に、家で1人放って置くわけにはいかない。今月中に書かなければならない自立支援医療や障害者手帳、障害者年金の診断書がまだたくさん残っているが、休みの日は息子も一緒に医院に出てきて、勉強したらいい。
 先週の月曜日はいつもの労災判定会議があり、火曜日の午後は往診があり、木曜日の午後は介護認定審査会があった。東山医師会からはこの4月からの介護認定審査会の継続の依頼がその後なかった。東山区に4月からできる特別養護老人ホームについてはまた依頼があったが、京都第一赤十字病院の先生を推薦しておいた。この仕事は若い先生で充分である。その方がその先生がやめても、病院で交代で引き継ぎができる。どうしても決まらない時には、最後は私が引き受けるしかない。労災医員もこの4月からまた2年間の更新になる。この2年を終えたら次の人と交代するつもりである。これまで3人ずっと同じメンバーでやってきたので、1番年上の私が退いて、次の若い人も育てていかなければならない。
 この前の日曜日は、東山医師会第4班の新年会があった。例年だと忘年会になるが、今年は新年会となった。高齢の先生も大勢参加していた。中には88歳でまだ開業を続けている先生もいる。子どもさんと一緒にやっているわけでなく、たった1人である。他にも、84歳になる先生がまだ2人現役である。私は60歳になったらもう楽したいと思っていたが、88歳の先生は木曜日以外は毎日患者さんを診察している。三聖病院の院長は森田療法の大家として有名であるが、84歳になり、これまで引き受けていた特別養護老人ホームの仕事をやっと他の人に交代してもらったという。こんな年齢まで、雑用を引き受けなければならないのかと思ったら、気が遠くなってきた。私が介護認定審査会の委員になった時に、京都医療センターの院長を引退し、東山区にある病院の院長になり、そこの院長を引退するまでこの介護認定審査会の合議体長をしていた先生がいる。この時に、この年齢までこんな仕事をしなければならないのかと少し気の毒に思った。私も今回は介護認定審査会の仕事はやっと逃れたと思ってほっとしていた。ところが、この新年会で東山医師会の理事の先生から、2年したらまたやってくれと頼まれた。しばらくは大丈夫だと思ったのに、また2年後には返り咲きである。人ごとではなく、私もこの仕事は永遠に指定席にされそうである。私がなかなか断れないのは、理事の先生もみんな大変な仕事を引き受けて、文句も言わずやっているからである。忙しいのは誰も同じなので、まだやっていない先生は簡単には断らず、1度は交代でやるべきである。
 三聖病院の院長は隣の席だったので、興味深い話を聞いた。今は正式な森田療法の入院治療をしている所は他には東京慈恵医大ぐらいしかないという。今の若い人は我慢が足りないので、森田療法で有名な絶対臥褥(がじょく)期などが乗り越えられず、すぐに退院してしまうという。絶対臥褥期というのは、この間、患者さんは個室に隔離され、食事・洗面・トイレ以外の活動は禁止され、布団で寝ているように指示される。今では入院患者さんも減り、この年齢になっても院長は毎日自宅での当直である。私は強迫的な所があるので、森田療法の考え方には随分と救われた。森田療法では、「あるがままに」という有名な言葉がある。どこまでこの言葉の意味を理解しているのかわからないが、宗教ではないので、自分なりの解釈でいいと思う。私は勝手に、ビートルズの「Let it be」と解釈しているが、専門家には怒られるかもしれない。不安神経症の一部であるパニック障害は、本来は森田療法の適応になるが、最近は手っ取り早く薬物療法ばかりになっている。
 最後に、今週読んだ本の紹介である。大前研一「お金の流れが変わった!」(PHP新書)である。この類の本は本屋に行くと山積みにされており、どれを読んだらいいか迷う。評価の高い、藻谷浩介「デフレの正体」(角川Oneテーマ21)と大竹文雄「競争と公平感」(中央新書)はまたじっくり読んでからである。大前研一の本では、バブルがはじけて、なかなか日本経済が回復してこない時に、世界の経済構造が変わってきているので、以前のような日本の経済成長は望めないと書いてあった。この時には、少し回復が遅れているだけで、そんなことはないだろうと否定する気持ちと、もしそうなったらどうなるのだろうという怖さを感じたことを覚えている。その後、著者の言う通りの事が起こり、リーマン・ショック後は主要先進国も日本も経済はぼろぼろである。この本では、ホームレス・マネーのことが詳しく書かれている。ホームレス・マネーとは、投資先を探して世界をさまよっているお金のことで、リーマン・ショック後の現在約4000兆円あるという。この出所は、経済協力開発機構に加盟している国々の余剰金で、国内での運用先がなくなり、投資機会を求めて国外に出て行った。次に、中東産油国に積み上げられたオイル・マネーで、高い利回りを求めて海外の金融市場を跋扈している。3つめが莫大な中国マネーで、海外で運用されている。このホームレス・マネーは投機となるものにはものすごい勢いで集中する。原油や穀物の急騰は、このホームレス・マネーの投機対象となったからである。
 目からうろこのことが沢山書かれているが、一部だけを紹介する。所得税を上げるのではなく、下げた方がいいという。所得税を下げて税収が減った国はないという。どうして、所得税を下げて税収が増えるかというと、正直に申告する者が増えるからである。実際に、ロシアとインドネシア、サッチャー時代のイギリスでは地下経済が一挙に表に出てきて、税収が増えている。風俗とか水商売の税金はどうなっているのか知らないが、こういうのも全部洗い出したらいい。まさか、税務署職員が接待を受けて、手をぬいているのではないだろう。わが国では消費税の値上げが1番いいように言われているが、TVのクイズ番組を見ていたら、1番回収が難しく、今でも消費税を納めていない事業主が大勢いるという。他にも、わが国では原子力発電は簡単には建設できず、世界で1番技術力が高いのに、海外に売り込めないほど稼働率が悪くなっているという。また、民主党は相続税を上げようとしているが、経済活性のためには相続税を廃止し、減価償却期間を短縮し、安全な建物の容積率を上げることなどを提言している。経済にはまったく疎い私にも、なかなか説得力のあることが書かれている。

 

平成23年1月18日(火)

 先週の火曜日から風邪を引き、1週間たった。まだ咳は出るが、夜中に激しく咳き込むことはなくなった。きのうの夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。風邪薬であるPLは私にはあわない。昔は今ではなくなってしまったダンリッチを少量使っていた。もともと薬嫌いであるが、日赤に勤めている時にはそんなことは言っていられない。外来が朝8時45分から午後5時までかかり、その間休憩はトイレ1回ということも珍しくなかった。外来が終わってから数分でカロリーメイトを食べ、すぐに病棟から依頼のあった患者さんの診察である。山のようなカルテを持って、ひとつひとつの病棟を廻って患者さんを診察した。健康な時でも、けっこうハードな仕事であったので、風邪を引くとひとたまりもない。それと、一旦かかると、私の風邪はしつこい。とにかくダンリッチでごまかしながら、毎日仕事をこなしていた。治るのに2週間ぐらいはかかるので、その間ダンリッチを1日1カプセルぐらい飲み続けることになる。最後の方は1日半カプセルぐらいにしていたが、やめる時に禁断症状のような離脱症状が出る時があった。やめると、身体がしんどくなるのである。なかなかやめられず、少しずつ時間をかけて減らしたことを覚えている。その後、市販薬をいろいろ試したが、なかなかあう薬が見つからなかった。コマーシャルで宣伝しているような薬でも、飲んだらかえって調子が悪くなる。結局、プレコールが私の身体には1番あっているようである。
 私はふだんはマスクをしないが、この1週間はほとんどつけていた。外来の時も、電車の中でも、自宅でもである。さすがに、医院に1人でいる時ははずしている。自宅では大学受験がある娘だけでなく、息子からうつしてもよくない。マスクは最初はうっとうしかったが、慣れるとけっこう快適である。何が快適かというと、目だけ出していたらいいので、顔の表情を気にしなくてもいい。近所を歩いていても、匿名性が保たれるような気がする。それでも、いくらマスクをしていても、わかる人にはわかるようである。私の医院の近くには京都銀行がないので、お金の引き下ろしや振り込みには京都第一赤十字病院内のATMを利用している。正面玄関が工事のため閉鎖しているので、この寒さの中遠回りするのは不便である。先週の木曜日に娘の受験料や東京での宿泊代などを引き下ろしに行った。ところが、待ち合い室で待っている患者さんから挨拶をされた。マスクをしていても、私であるということはバレバレなのである。これでは、銀行強盗は無理である。サングラスと帽子も用意しなければならない。体調の悪い時には、私の代わりにマスクをさせて誰かなりすましを考えていたが、これも無理である。診察中のマスクは役に立っている。無理な要求をする患者さんには、「イー」もできるし、診察に飽きてきたら、ペコちゃんのように舌を出すこともできる。眠たくなってきたら、マスクを少し上に引き上げ、寝ていてもわからない。フランスでは、イスラム教徒の女性の顔を覆い隠すブルカの着用が禁止されたが、常に相手に不快感を与えないように顔の表情を気にしている現代人にはお勧めの衣装である。マスクするだけでも、日頃のストレスが大分解消することがよくわかった。
 開業していると、スキャンダルを嫌うので、ふだんは品行方正にしている。時々、開業医の先生が祇園で豪遊していると聞くが、私には無理である。同じ東山区なので、特に祇園は無理である。大阪でも、やはり人目は少し気になる。今は開業しているので、私のことを知っているのは近所の人とせいぜい外来の患者さんぐらいである。しかし、日赤に勤めている時にはどこで誰に見られているのかわからない。東京ぐらいだと、あまり人目は気にならない。プノンペンやクラビあたりになると、全く大丈夫である。最近はビジネス・ホテルでも、本名を書くのはためらう。グーグルで私の名前を検索すると、全部素性がばれてしまうからである。このホームページにアクセスしてきて、私のことを知るのはかまわない。しかし、医院とは関係ないところで、顧客の素性が簡単に調べられるのは困る。中国語会話でも、本名で申し込むので、匿名性を保って勉強したくてもできないことがある。とってでもないが、そんな所で浮気なんかできない。実際に、有名人の愛人になっていた患者さんも知っているが、女性は秘密を保つのはほぼ不可能である。よくこの秘密は墓場まで持っていくと言うが、これは男性に限られるようである。女性はどこかで誰かに話したくなる。
 実は、こんな話をなぜ書いているとか言うと、カジノゲームを教えてくれる所がないかとグーグルで検索していたからである。東京にはカジノスクールがあり、これはプロの養成所である。時々、初心者用にカジノゲームのやり方の講習会を主催している。このスクールのホームページでは、前にも書いたカンボジアのポイペトのカジノで卒業生2人が採用されたと宣伝していた。大阪では、初心者用に教えてくれる所はなく、直接カジノバーに行くしかない。会員制になっている所も多く、本名ではやはり申し込みにくい。マカオで1度カジノに入ってみたいと思ったが、1度もやったことがないのでやはり敷居が高い。実際にルーレットやカードゲームを何回か日本で経験して、挑戦してみたい。私は学生時代にパチンコで大負けして以来、ギャンブルはしていない。むしろ、今ではギャンブル嫌いである。ただ、カジノの雰囲気は1度味わってみたいので、多少の負けは覚悟である。ラスベガスで何億円も負ける人がいるが、10万円ぐらいまでは大丈夫である。また、マカオには行きたいと思うので、次回は是非ともカジノに挑戦したい。

 

平成23年1月11日(火)

 この連休にどうやら風邪をひいたようである。きのうあたりから喉の調子が悪かった。のど飴を山ほどなめていたが、手遅れであった。きょうの朝から身体の調子も悪い。患者さんから風邪やインフルエンザをうつされないように、12月から加湿器を診察室に入れていた。今回は患者さんとは関係なしに、外でうつされたようである。娘が今週の土曜日からセンター試験がある。ふだんあまり接しているわけでもないが、うつしたら大変である。私の風邪はしつこく、1度かかるとなかなか治らない。しばらく家に帰らない方がいいのか、悩むところである。
 さて、この前の続きである。12月30日は、朝8時半頃に乗り合いバスがホテルの前まで迎えにきてくれた。大きなトラックのようなバスで、荷台に3列イスが並べられ、その上に座る。水着で濡れていてもいいように、木のイスである。いくつかのホテルに寄って、アオ・ナン・ビーチの船乗り場に着く。ここで、それぞれのツアーに別れる。船乗り場と言っても、海岸にスピード・ボートが止められているだけで、サンダルを持って、そのまま水にはいって船まで行く。この日もあまり天気はよくなかったが、時々青空も出ていた。小さな子どもを連れた日本人家族も2組参加していた。帰りにガイドに聞いたら、このピピ島ツアーには全部で64名参加していたという。80人ぐらいは乗れると聞いたので、かなり大きなスピード・ボートである。ピピ島は2つの島があり、ピピ・ドンとピピ・レがある。ピピ・レにあるマヤ湾は、ブラッド・ピットが主演した「ザ・ビーチ」で有名になった所である。
 このツアーはアジア系の人も多く、欧米人と半々ぐらいであった。ガイドは英語であるが、アメリカとは違って、誰にも聞き取れる簡単な英語である。船は最初にクラビのライ・レイ・ビーチに寄り、ここでは船の上からスキンダイビングを楽しんだ。スノーケルも貸し出してくれるが、私は海にはいらず船の上から写真を撮っていた。誰かがパンを持って来ていて、ちぎって海に投げると、小さな魚が沢山よってくる。このライ・レイ・ビーチはクラビでも陸路からは近づくことができず、船でしか行けない。切り立った岩と海がきれいで、どこを撮っても絵になる。小1時間ほどで、また別のビーチに向かう。昼食はピピ・ドンで取ったが、はいったのはムスリム系(イスラム教徒)のレストランであった。ツアー・ガイドがハッサンと名前を言っていたので、ツアーもムスリム系の会社が主催している。ビールが飲みたいと言うと、ムスリム系のレストラン内では飲めないので、買ってくると他の客の注文も取っていた。FIFAワールドカップ2022年はカタールに決まったが、イスラム教徒の国でビールは飲めるのかと心配になった。ホテル内で飲むのは許されていると聞いたことはあるが、サッカーファンはそんなことで満足するわけがない。FIFAのブラッター会長が、同性愛者に対してカタールでの性的行為の自粛を発言して、物議を醸したのはつい最近のことである。
 どこのビーチや島に寄ったのか、順番は忘れてしまったが、マヤ湾は沢山のボートが来ていた。奇岩と真っ青な海が広がり、どうしてここが映画の舞台として選ばれたのかよくわかった。他にも、燕の巣があるバイキング・ケーブを船の上から見物したり、サルがいるモンキー・ビーチにも上陸した。どこか忘れてしまったが、船上からのスノーケリングは昼食後にもう1回あった。この時に天気が悪くなり、一時的であるが、小雨がぱらついたりした。最後は、バンブー島に寄った。ここは、今から7年前のスマトラ沖地震による大津波で、山の上以外の竹は全滅したという。ここでも上陸して、小1時間ぐらい休憩を取った。ビールを飲んだが、タイガー・ビールが80バーツで、ハイネッケンが100バーツであった。タイガー・ビールはすでに売り切れており、ハイネッケンの350tの缶ビールは、日本円にして300円弱であった。私は2本飲んで、酔っぱらってしまった。手つかずの自然が残され、のんびりとできたが、惜しむべきは天候であった。この時も雨がぱらぱら降ったり、やんだりしていた。
 このツアーは1800バーツで、5000円ちょっとであったが、本当によかった。パンフレットを見ると、ピピ島巡りのツアーの他、3つの島巡りのツアーがある。それぞれのツアーで行くのは、もちろん別々の島である。クラビから近いホン島では、1500バーツとなっているので、昼食付きで同じ時間でも4500円を切る。毎日それぞれのツアーに参加したいぐらい、南の島の魅力が満載であった。
 この日の夜は、クラビ・タウンで夕食を取ることにした。クラビ・タウンにはゴーゴーバーがあると聞いたからである。アオ・ナン・ビーチとクラビ・タウンにはトラックを改造した乗り合いバスがあるというので、停留所で待っていたが、なかなか来ない。仕方ないので、タクシーと交渉して、350バーツで行くことにした。クラビは、タイの中では全体的に物価が高い印象であった。それでも、30分ぐらいはかかり、唯一あるデパート前で降ろしてもらった。自分がどこにいるかもわからず、町をうろうろしてみた。あたりはまっ暗になり、デパート前以外は薄暗く、さびれた感じであった。欧米人も見かけるが、その数は少ない。たまたま米国人らしき年寄りの夫婦が入っていた店で食事を取ることにした。小さなバーみたいな所で、屋外にテーブルとイスが置いてある。ここの料理は期待していなかったが、カニのカレー炒めがびっくりするほど美味しかった。食事を終えて、ゴーゴーバーはどこかと聞いたら、指さすのでそちらの方向に歩いて行った。
 ところが、いくら探してもない。途中で、イタリアレストランなど外国人向けの店をいくつか見た。そこでは、欧米人が何人か食事をしていた。現地の若者らしき者に、ゴーゴーバーはどこかと聞いたら、アオ・ナンにあるという。アオ・ナンにないから、わざわざ来ているのである。またしばらく町をうろうろして、今度は通りに立っていた警備員に聞いてみた。ゴーゴーバーと聞くと、また指さして教えてくれる。ところが、そちらの方向に行っても、それらしき店は全くない。インドとは違って、知らないのに知っているふりをして適当に教えてくれているとは思えない。一体どうなっているのかと思った。いつの間にか、また雨が降り出して来た。ふと、気がついたのは、ゴーゴーバーというのは、英語のわかりにくい現地の人間が、バーに行きたい、ゴー、バーと勘違いしたのではないかということである。雨が激しく降ってきて、戦意喪失である。雨に濡れて、泣きながらアオ・ナン・ビーチに戻って来た。簡単にアオ・ナン・ビーチに戻って来たと書いたが、戻るのがけっこう大変なのである。タクシーなんて、どこにも停まっていない。たまたま、最初に降りたデパート近くに、ソンテウ(乗り合いバス)乗り場があり、夜9時の出発に間に合った。片道60バーツであった。翌日に地図で調べて見たが、確かにこの乗り場は地図には載っていた。しかし、あちこちの場所が細かい字でびっしり書き込まれ、最初からこの場所を老眼で探すのは無理である。
 翌日の朝も前夜から雨が降り続いていた。こんなベスト・シーズンにこんなに雨が降って、責任者出てこいと叫びたくなった。ホテルの人に聞いても、毎年こんなことはないという。この日は、午後4時の飛行機に乗らないといけない。ツアーは大体4時ぐらいまでなので、どこにも参加できない。このクラビには遊び所がいくつもあり、ホットスプリングとジャングルのトレッキング・ツアーもある。今度はいつ来れるかわからないので、個人でタクシーを借り切って、このホットスプリングと天然のエメラルド・プールに行くことにした。旅行代理店で申し込んだら、朝8時出発で、午後2時までで2400バーツであった。エメラルド色した天然プールの写真はぜひとも撮りたかった。
 朝ホテルに来たのは、女性ドライバーであった。このクラビも不況が直撃しているという。ホットスプリングは川に面した天然温泉で、見所はあった。その後で、エメラルドプールに向かったが、このドライバーが途中で道を間違えた。アオ・ナン・ビーチからは遠く離れ、飛行機に間に合うかとはらはらした。何とかたどりついたが、見学する時間がない。20分で戻らないといけないが、駐車場から歩いて片道800メートルも歩かなければならない。仕方ないので、走れメロスになった。往復走り続けたが、いつのまにか腹に脂肪がたまっている。歩いているとよくわからないが、走るとよくわかる。これでは、象に追いかけられても逃げられない。帰ってから、またダイエットをしようと思った。エメラルドプールは来た価値があったが、滞在時間はわずかに5分であった。この間に写真を撮りまくった。帰りは片道1時間半以上かかった所をどう帰るのかと思ったら、時速140kmで走り飛ばしていた。もう少し帰りの時間を遅らせて、ゆっくりと楽しんだらよかった。この日はバンコクに泊まり、翌日の深夜便(正確には夜中12時をわずかに越えるので、翌々日)で帰ってきた。久しぶりにバンコクで1日過ごしたが、元日はデパートなどどこも閉まり、開いているのはせいぜいゴーゴーバーぐらいであった。クラビにはもう1回行きたいが、バンコクはこれまでと一緒で、飛行機の乗り継ぎだけで充分である。

 

平成23年1月4日(火)

 あっという間に正月休みが終わってしまった。実は私の医院はきょうも休みだが、いろいろと雑用をしていたらもう午後4時半になってしまった。これからこの日記を書かなければならないかと思うと、少し気が重い。去年の医院の総収入は、その前の年と比べたら10万円ほど少なかった。診療報酬改定で、そのまま行くと、1年間200万円ぐらいの減収になるところであった。去年は4月からだったので、正確には150万円ぐらいである。だから、今年は去年並みでも、1月〜3月までの50万円分がまた減ることになる。世の中はどんどんと不況になっているので、今年は患者さんの受診抑制も強まりそうである。
 さて、クラビである。28日の午後5時半頃に、関西空港を出発し、バンコクには現地時間で午後10時前に着いた。この日は空港近くのホテルに泊まるだけである。翌朝8時のバンコク発クラビ行きの飛行機に乗った。マイルが貯まっていたので、この国内の移動はタダである。小さな子どもを連れた日本人家族も数組搭乗していた。クラビに着いてから、予約していたホテルに乗り合いバスで行った。クラビは初めてで、ビーチもいくつかある。どこに泊まっていいのかわからず、1番リゾート地として発達しているアオ・ナン・ビーチにした。ところが、忙しくて、ホテルを予約するのが遅くなってしまった。私はふだんホテルの予約はしない。カンボジアでは、同じビーチ・リゾートのシアヌークビルも全く必要ない。しかし、年末年始の1番ピークになるタイの場合は別である。いくらインターネットで調べても、どこも満杯である。アオ・ナン・ビーチでなければまだあるが、場所が不便そうである。それと、どこも宿泊代がとんでもなく高い。
 結局エクスペディアで1件見つけたが、宿泊代は朝食付きで、1泊11000円ぐらいであった。空港からアオ・ナン・ビーチまで乗り合いバスで150バーツであった。1バーツは3円をわずかに切るぐらいである。バスではあちこちに寄るので、小1時間ぐらいはかかる。帰りはタクシーで空港まで行ったが、片道600バーツである。アオ・ナン・ビーチで降ろされたが、最初は右も左もわからない。近くの旅行代理店にはいって、ホテルの場所を聞き、翌日のツアーを申し込んだ。「地球の歩き方 リゾート」の本を買っていたが、旅行の直前に数十分読んだだけで、ホテルがどこにあるのかよくわからなかった。グーグルで調べても、同じ名前のホテルがあちこちにいくつもあって、正確な場所が特定できなかった。結局、エクスペディアでは、ホテルの名前は「ティンバー ハウス リゾート」となっていたが、正確には「ティンバー ハウス アオ・ナン」が正しかった。
 乗り合いバスの中から周りの景色を見ていたが、薄暗い空であまり天気はよくなかった。この時期、東南アジアは乾期でベスト・シーズンになる。いつものぬけるような青空が見えなくて、少しがっかりした。走るバスから看板を見ていて、あることに気づいた。これは京都の人しか気づかない。何かというと、クラビの市外局番である。なんと、京都と同じ075なのである。京都市職員も知らないと思うので、早速現地に職員を派遣して、姉妹都市になったらいい。旅行代理店では、ピピ島1日ツアーを申し込んだ。朝8時半頃にバスがホテルまで迎えに来てくれ、ピピ島を中心にあちこちのビーチをスピード・ボートで巡る。帰りも午後4時頃にバスでホテルまで送り届けてくれる。昼食付きで、大人1人1800バーツである。
 ホテルは1泊1万円以上することもあり、広かった。各部屋の玄関前に大きなテーブルとイスが置かれ、カップルか家族連れの部屋であった。こんな部屋で1人泊まるのは、私ぐらいである。それほど、このクラビはカップルか家族連れが多かった。びっくりしたのは、アジアからの客が少なく、ほとんどが欧米人である。(南米からも来ているかもしれないが) とんでもない金髪美人が大勢道を歩いている。私の泊まったホテルから近い所に、「ブルー・マンゴー」という有名なスウェーデン料理レストランもあるぐらいで、北欧からも大勢来ているのかもしれない。私はヨーロッパにはまだ1度も行ったことはないが、アメリカの金髪美人はどことなくごつい感じがする。このクラビで、本当の金髪美人を初めて目にした。この日はビーチの近くの写真を撮ったりして過ごした。昼間からビールが飲めるのは、こういうビーチに限る。夜は海岸沿いのレストランで海鮮料理を食べた。ここでも、ほとんどカップルか家族連れで、1人で夕食を取っている者はほとんどいない。
 腹もふくれて、ゴー・ゴー・バーに行こうとしたら、何とこのクラビにはゴー・ゴー・バーもディスコもないという。対岸のプーケットとは、全く別世界なのである。数年前まではあったというが、この路線はこのクラビでは成功しているようである。ヨーロッパからも小さな子どもを連れた家族連れがとにかく多い。プーケットのようにタイ人の娼婦を連れた観光客は1人も歩いていない。いかがわしさがまったくなく、とにかく小さな子ども連れでも安心である。それと、これは住人にムスリム(イスラム教徒)が多いのと関係しているかもしれない。20年ぐらい前にタイの南部にあるハジャイに行ったこともあるが、ここは同じムスリムでもマレーシアから遊びに来る人も多い。中華系ホテルがある所はどこかいかがわしさが漂っているが、このアオ・ナン・ビーチにはないようである。
 翌日は、ピピ島を巡る1日ツアーに参加したが、素晴らしい海の景色に感動した。欧米からわざわざここまで訪れてくるぐらいである。日本からなんて、それから比べたらまだまだ近い。続きは次回の日記に書こうと思うが、本当に良かった。写真も思う存分撮れて幸せであった。


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