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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成21年12月29日(火)

 今年の診察は12月26日でやっと終わった。今年は早くから休みにはいるが、年明けは4日からである。患者さんの話を聞いていたら、会社は4日まで休みで5日から仕事という人が多かった。きょうは27日の日曜日だが、29日の火曜日には京都にいないので、先にこの日記を書いている。この日記を書く前には、この前の労災の意見書の添削をしていた。最後の3日間の患者数は多かった。正確には計算していないが、去年と比べたら5%ぐらいの減収で何とか収まった。これでも世の中の不景気を考えたら、まだましである。この1年の統計をみたら、今年の1日の最低患者数は12人で、最高患者数は81人であった。この最高患者数を記録したのは、12月25日の金曜日である。開業してから、1日10人を切る日は1度も経験していないが、来年はどうなるかわからない。私の医院は完全予約制にしていないので、最近は予約せずに受診する人が多い。だから、日によって大きなばらつきが出てしまう。
 この前の日記では書けなかったが、19日の土曜日に「フォース・カインド」の映画を見に行った。舞台はアラスカ州のノームで、ここはUFOがよく目撃され、行方不明者も多く、FBI調査官が何回も訪れている場所だという。女性心理療法士のタイラー博士が実際に撮影した患者の記録が映画の中でふんだんに使われ、撮影された記録を補完するように再現映像が作られている。話の内容としては、ノームで不眠を訴える患者が多く現れ、催眠療法を施すと患者たちは恐怖で大声をあげ、暴れ回る。タイラー博士が実際に撮影した映像にはそんな患者が大勢出てくる。身体を引きつらせて、気が狂ったかのように暴れている映像を見せられたら、見慣れていない者にとっては衝撃的であろう。この映画の題名になっているフォース・カインドとは、第1がUFOの目撃で、第2がUFOとの接近で、第3が宇宙人との接触で、この第4が宇宙人による拉致になる。タイラー博士も含め、患者たちは宇宙人によって拉致され、記憶を消されたという。映画の中で実物のタイラー博士がインタビューで答えているが、精神を病んでいるような印象である。映画の最後で述べていたが、現在は施設かどこかに収容されているようなので、やはり統合失調症の可能性が高い。
 この映画を見ていて、以前に読んだ八幡洋「危ない精神分析」(亜紀書房)を思い出した。今から6年前に出た本なので、すでに処分してしまったかと思ったが、運良く手元に残っていた。本はどんどんたまっていくので、思い切って捨てているが、その時の気分によってどれを残してどれを捨てるか判断はいいかげんである。今回この本を探していたら、随分とつまらない本がたくさん残してあることに気づいた。さて、この本の副題は、マインドハッカーたちの詐術である。PTSD(外傷後ストレス障害)の治療では、抑圧あるいは解離された記憶を蘇らせ、言語化するというアプローチが用いられ「記憶回復法」と呼ばれている。ところが、この方法を使うと、患者の覚えていない偽りの記憶が蘇ってしまうことがある。権威者である治療者の暗示や誘導で、再生される記憶内容は簡単にかわってしまうのである。アメリカではこの蘇った偽りの記憶で幼い頃に性的虐待を受けたと親を訴える患者が増えた。「フォース・カインド」で出てくる患者も、映画や記録映像では出てこないが、このタイラー博士の暗示や誘導の影響を受けている可能性が高い。
 この本では、興味深い事例が載っている。ある患者がたまたま悪魔崇拝カルトの本に影響されて、自分の親がカルトのメンバーでないかという疑いを持つようになった。姉妹との合同催眠療法を受けている時に、「何か毛むくじゃらな物をたべさせられたような記憶が残っている」と言うと、セラピストは「悪魔崇拝儀式でネズミを食べるように強制された」と考え、「それはネズミではないか」と聞き、患者も「そうだと思う」と答えている。そして、「悪魔崇拝儀式についての記憶が蘇り、それを話したので、カルトが報復にくるかもしれない」と述べた。その後、このセラピストは、誰かが自分の家に侵入しようとした形跡があるとか、ファイルがなくなったと警察に訴え、すっかり自分が悪魔崇拝カルトにつけ狙われていると信じこむようになってしまった。
 私は若い頃はUFOや超常現象については興味があったが、今ではすっかり信用しなくなっている。偶然の一致とか、ユングのいうコンステレーションを感じることはあるが、あまり言語化してもよくないと思う。悩み事については言語化することは大事である。しかし、頭の中で曖昧に漂っている何かを、水の中から引き出すように言語化してしまうとひからびてしまう。だから、目の前に宇宙人が現れても、私はなかなか信用しない。もしかしたら、宇宙人であるという身分証明書を見せてもらったら、信用するかもしれない。
 最後に、やっと読み終えた富岡辰一郎「なぜ、うつ病の人が増えたのか」(幻冬舎ルネッサンス)である。大分前に京都新聞の書評に載っていたが、著者はパナソニックでメンタルヘルスの健康管理部長をしている。うつ病患者が増えていることと脳のセロトニンを増やす抗うつ薬であるSSRIの登場を関係づけて解説しているが、精神科医の私でも知らないことがたくさん書かれている。きょうはこれから年賀状も書かなければならないので、次回に詳しく紹介する。年賀状ももう書く気がしないが、なんとか今年中に片付けなければならない。毎年この時期には子どもたちは東京ディズニーランドに行っている。私もすべてのことから逃れ、早くゆっくりとしたい。

平成21年12月22日(火)

 きょうの外来は久しぶりに混んでいた。どの位混んでいたかというと、午前中だけで50人であった。日常的にもっと沢山の患者さんが受診している医院も知っているが、私の医院では午前中で30人を越えたら上出来である。医療機関は不景気と関係ないという人もいるが、これだけ経済状況が悪くなると受診抑制が起きる。1回の受診で長期処方を希望する患者さんが増えたし、1日3回飲むところを回数を減らして長持ちさせている患者さんもいる。流行っている医院ではまだそれほど不況の影響はないようである。私の医院は去年までは強気であったが、今年はもろに不況の影響を受けている。自費も含めて、医療収入は去年より6%弱減っている。残された今年の外来は後3日だけである。最後の3日間で大勢の患者さんが来たら、5%ぐらいに抑えられそうである。いずれにしても、開業以来初めての減収である。来年はもっと大変な年になりそうで、毎年5%減っていったら、10年で半分である。そうならないように、来年は自分の医院の仕事に専念しようと思う。
 先週の木曜日は介護認定審査会で、金曜日は保健所のデイ・ケアがあった。日曜日は、きのうあった労災判定会議の資料読みであった。今回は労災申請が7件出ており、調査の資料が山ほど送られて来た。前回は判定会議が長引いて4時からの外来を30分以上遅刻した。今回は遅くなることはわかっていたので、午後の外来は予め1時間遅らせて始めることにした。さて、資料である。7件分を全部合わせると、1394ページである。あまりの厚さに、地中に埋めて爆破しようと思ったぐらいである。なんとか思いとどまって読み始めたが、やはりソユーズ宇宙船にくくりつけて、地球外に発射するのがいいと思った。以前と比べてややこしいケースが多く、途中で読むのがいやになった。この日曜日には他にもやることがあった。受付の人の年末調整をするために、20日締めの12月分の給与計算と11月分の会計を税理士に送らなければならなかった。こちらの方が単純作業だったので、先にやることにした。なんとか1時間ぐらいで片付けることができた。後は、京都駅の郵便局から翌朝10時便で送るだけである。さて、また労災の資料である。なかなか読む気になれず、今度は風呂にはいることにした。医院の浴室に暖房がついていることを知ったのはごく最近である。自宅の風呂には暖房がついていないので、これまでまったく気づかなかった。去年の冬までは、前日に風呂にはいれなかった時には、朝6時から医院に出てきてシャワーで頭を洗っていた。寒い時には身体が冷えて、凍え死にそうであった。さて、暖房付きの風呂は快適であった。また気を取り直して、労災の資料に戻ったが、なかなかやる気が起こらない。この日は夜に東山医師会第4班の忘年会があったので、とりあえず7件の概要だけ読むことにした。後の細かい部分については月曜日の朝6時に出てきてやることにした。
 忘年会は大きなテーブル席を囲んで、フランス料理であった。(だと思う)。最近は洋食より日本料理が好きであるが、このホテルのフランス料理(?)は美味しかった。ワインはわからないので、ビールも飲んだが、途中からチャンポンで、酔っぱらったら何でもよくなった。私の前の席には府医師会の副会長が座り、私の横は卒業年度が少し上の外科の先生であった。2人とも、小泉改革についてはぼろくそで、竹中平蔵もアメリカの奴隷扱いであった。アメリカの言いなりに製造業に派遣を解放し、新自由主義を信奉し、グローバル化を勧めて、大不況がきたとえらい剣幕である。小泉改革の功罪については、一つ一つきちんと評価したらいいと思うが、そんな議論を挟む余地がない。資本主義の暴走についてはよく理解できるが、あの時に日本だけが世界の潮流に乗らず、独自の路線を歩んで自分たちだけ都合のいいように日本製品を輸出して大不況を防げたかというと疑問である。私個人としては異論があったが、少し反論しただけでも大反撃である。先輩の先生なのである程度たてなければならない。後の方は酔っぱらってしまって、好き放題言ってしまったかもしれない。医者はみんなプライドが高く、一家言を持っているので、医者の意見をまとめるのは大変だとつくづく思った。それでも、府医師会の役員の仕事は大変で、副会長ともなるといろいろな会議にひっぱり出され、自分の医院の仕事はおろそかになるようである。府医師会会長も含め無報酬で医師が不利益を被らないように活動しているので、こういう先生に対しては会員は患者さんを紹介するなど側面から応援しなければならないと思う。ワインの話が出たついでに、最近CNNで見た面白い話を紹介する。日本でもすでに報道されているのか知らないが、地球温暖化で利益を被っている所がある。それは何かというと、地球温暖化で気候が変わり、イギリスで良質のワインが取れるようになったのである。
 きのうの月曜日は忘年会の後で家でラム酒を飲んだので、朝4時頃に目が覚めてしまい、気分も悪かった。二日酔いのまま朝早く医院に出てきたが、インフルエンザにかかったのではないかと思うぐらい体調が悪かった。いつも医院に着くとコーヒーを入れるが、コーヒーを飲むのも気持ち悪いぐらいであった。のんびりしている暇はなく、とにかく残していた労災の資料を読まなければならなかった。頭が全然働かず、最悪であった。私が司会をするので、とにかく要点だけ把握する必要があった。やはり途中から読むのがいやになり、会議は2時からなので、昼休みにすることにした。この日は死ぬほど寒く、頭の働きも凍ったままであった。昼休みもなかなか気分が乗らず、ぶっつけ本番で司会をすることにした。資料が多くて、いつものカバンにはいりきらない。毎回会議が終わった後で資料はそのまま会議室に残してくる。背中に背負ったら、それこそ二宮金次郎の世界である。なんとか袋に入れて持って行った。私は5時までに帰ったらいいと思っていたが、ある総合病院の部長が4時から患者さんの予約を入れているというので、急いでやらなければならなかった。何とか4時過ぎに終えたが、今年の大きなイベントはこれで終わりである。まだ、特別養護老人ホームの仕事が残っているが、大したことではない。労災の判定会議では、いつも他の2人の先生の意見を尊重する。しかし、裁判になりそうなケースでは私が苦労するので、最終的には私の意見を通す。私が卒業年度が1番上なので、まだ楽である。こんな会議でみんなの意見がまとまらなかったら司会としては大変である。

平成21年12月15日(火)

 この前の木曜日は京都みなみ会館に「アンヴィル」を見に行った。副題は、夢を諦めきれない男たちである。ヘヴィメタのバンドを扱った映画であるが、いくら私がロックが好きだからと言って、何でも見に行くわけでない。いつもだったら、そのまま見過ごしていただろう。私の医院では患者さん用に週間スパや週間文春などをとっている。毎回私がコンビニで買ってくるが、なるべく私も目を通すようにしている。時間がない時には、文春は飛ばしても、週刊スパだけは読むようにしている。最近は自宅で週刊ダイアモンドもとっているので、面白い特集がある時には医院の待合室に置いている。
 さて、「アンヴィル」である。たまたま週間スパを見ていたら、毎週連載をしている劇作家の鴻上尚史がこの映画を絶賛していた。友人に勧められてDVDを借りて見たら、涙が出るほど感動したという。ふだんは忙しいので、この人の文章も飛ばし読みすることが多いが、どんな映画か気になった。宅配レンタルで借りれるかどうかツタヤ・ディスカスで調べて見たが、まだレンタルのリストには載っていなかった。そのまま忘れ去ってしまうところであったが、たまたま京都みなみ会館に来ていることを知って、早速見に行った。木曜の午後からの上映であったが、観客は10人ぐらいしかはいっていなかった。
 今回この日記を書くために、インターネットで調べて見たら、この映画の評価は予想以上に高かった。ダスティ・ホフマンが「この映画を見るまで、ヘヴィメタが大嫌いであった」とか、マイケル・ムーアが「この数年のドキュメンタリーで最高傑作!!」というコメントまでよせている。内容は、1980年代に後に有名なるメタルバンドに多大な影響を与えたアンヴィルが、その後成功することなく、ロックスターになることを夢見て、泣かず飛ばずの25年間活動してきた姿を追っている。家族を養うために、バンド活動の合間に、給食の配達や建設作業員をしている。映画の最後で、ロック・フェスティバルに招かれて演奏する時に、演奏の順番が早いのを心配して、「2000人収容できる会場で5人しかはっていない時にも演奏したことがあるから」と売れないお笑いタレントみたいな情けないことを言っている。最後は見てのお楽しみだが、曲は私好みでよかった。キアヌ・リーブスが世界応援団長を買って出たというが、誰もが応援したくなる映画である。
 金曜日には、前にも書いた日曜日までにやらなければならない大変な仕事の下準備をした。何かというと、今度私が発表する講演会の抄録作りである。何の講演会かというと、京都府医師会の医療安全対策委員会が主催する医療安全講習会である。締め切りが土曜日であったが、休みの間は誰もチェックしないので、月曜日の朝までにメールを送ったらいい。内科医会や産婦人科医会、眼科医会とそれぞれの科から演題を出しあって、日常外来診療で注意すべき疾患について勉強する。それぞれの医会では、演題を広く会員に公募しているようであった。私の所属する精神科医会では募集しても集まらないのは最初からわかっていたので、委員の私がやるしかなかった。抄録は800字で、演題名だけは先に出していたので、それほど時間のかかる仕事ではない。何が大変なのかというと、この患者さんの名前も住所も年齢も忘れてしまったことである。いつ診察していたのかも覚えておらず、とにかく山ほどあるカルテの中から、この患者さんのカルテを見つけ出さなければならない。
 カルテは最近2年間に受診のあった患者さんとそうでない患者さんに分けて保存している。この患者さんは2年以上は受診していなかったと思うので、この2千冊ぐらいのカルテの中から探し出すことになる。カルテはカルテ棚に番号順に入れてある。最近来院していない患者さんのカルテは1階だけでは収まりきらず、2階にも置いている。以前に無理な姿勢で、びっしりとつまったカルテ棚から名前の部分だけ引き出してみたが、数十冊チェックするだけでも疲れてしまった。2千冊でも、最初の十冊目で当たるのと1999冊目に当たるのでは大違いである。とりあえず、2階のカルテからチェックすることにした。今回は20冊ぐらいづつカルテを全部引き出し、机の上でチェックした。男性と高齢者は省き、チェックするのに1人数秒である。40〜50分でやっと目的のカルテを見つけることができた。該当するような患者さんはカルテを開いて内容を調べたが、2〜3回ぐらいで受診していない患者さんが多いのには驚いた。カルテは自分でも感心するぐらいきれいな字でびっしりと書き込んでいる。最近は字が汚くなっているのではないかと少し反省した。カルテの保管義務は法律で5年と決まっている。しかし、精神科は障害年金のこともあるので、私はすべて保管しておくつもりである。京都駅近くのマンションは贅沢に思えるが、本来はカルテの保管場所として確保している。
 土曜日は、毎年恒例の忘年会を兼ねた医局の集まりがあった。年に2回で、7月と12月である。講演会に先立って、世話人会があった。この時に教授が話していたことが印象に残った。精神病院などに医局から医師を派遣しているが、アルバイト先でも今の若い医局員は日曜日に当直をやりたがらないという。世話人会には各病院の院長が出席していたが、医局としても強制はしにくいということであった。アルバイト先でも給与格差がありすぎると、医局員は行きたがらないという。私の時代は車を買うために日曜日や正月に当直に行っていたが、今の若い医局員は休みの日ゆっくりしたいらしい。もう日曜日に働いてまで、欲しい物はないのかもしれない。私の医局員時代は教授の言うことは絶対で、白い物でも教授が黒だと言ったら黒だと教えられた。行きたくない病院でも教授から命令されたら黙って行くしかなかった。断ったら、医局をやめなければならず、それこそ白い巨塔の世界であった。それでも、いろいろな病院を経験することができたので、今の自分があると感謝している。
 講演会では、精神病院で全敷地内禁煙を試みている先生の話が面白かった。1番禁煙率が高いのは統合失調症の患者さんで、うつ病の患者さんでは禁煙は難しく、1番成績の悪いのは病院のスタッフである。講演会の後で懇親会があったが、ふだん会うことのない諸先輩の先生と話ができて、楽しく過ごすことができた。ある病院の院長に聞いたが、今はどこの病院でも勤務医不足で、インターネットなどで公募している所も多い。ところが、今の若い医者はドライで定着率が悪く、少しでも給与が高いと簡単に病院を移ってしまうらしい。懇親会が終わってから、明石市民病院に勤めている同級生と松下記念病院から開業した後輩の先生と飲みに行った。お互いに近況を話して、久しぶりにたくさんの酒を飲んだ。次の日曜日には二日酔いで気分が悪く、わずか800字の抄録を書くだけでもせいいっぱいであった。

平成21年12月8日(火)

 先週は今年の流行語大賞が発表されていた。10の流行語の内全然聞いたことのない言葉が2つも含まれていた。1つはこども店長で、もう一つは歴女であった。その言葉の意味することはまったく想像もできなかった。車の中でTVの音声だけ聞いていたら、こども店長の意味はわかった。歴女については、新聞でも解説をしていなくて、何の意味かわからなかった。うろ覚えで、烈女だったかも忘れてしまった。きょうこの日記を書きながら、気になったので、インターネットで調べて見たら、歴女が正しく、歴史が大好きな若い女性マニア集団と書いてあった。この漢字だけから勝手に想像してしまうと、現代を象徴する男性経験の豊富な若い女性のようにも思えてしまう。政権交代を聞いたことがないという人がいたら、これはこれですごいと思うが、この2つの言葉も聞いたことがないというのは、何か世間から少しづつ取り残されているような気がした。年を取っていくと言うことは、今は10の内2つだけであるが、そのうち3つ4つと増え、最後は何もわからなくなってしまうことなのだろう。
 この頃は、このままずっと走り続けて人生を終えるのも何か空しい気がしてきた。これから子どもの教育にはお金がかかるが、自分のために何かパッーとお金を使いたい気分になっている。オリンパス・ペンの新しいモデルが出て物欲を刺激するが、そうカメラばっかり買っているわけにはいかない。人生を変えるにはこのレベルでは足りなく、車一台分ぐらいは必要である。今の車は8年目であるが、車にはもう興味がないので、このまま動かなくなるまで乗るつもりである。私は最近髪を染めているが、その分髪の薄さが目立ってきた。白髪が混じっていると、地肌とのコントラストが目立たないが、黒く染めると、その分薄さが際だってしまう。自分でも気づかなかったが、頭頂部の薄さはひどい。地肌を黒く染める方法はないかと考えたが、マジックとかセロテープでは無理がある。患者さんに気づかれないように、ずっと真正面を向いて診察する方法もあるが、これは不自然である。反対に、目にもとまらぬ早さで首を動かしていたら、目立たないかもしれないが、これはもっと無理がある。結局、思い切って、アート・ネイチャーかリーブ21で増毛を試みるかである。車一台分のお金をかけたら、髪の毛はふさふさになるかもしれない。これで人生を変えることができるかというと、私にとっては難しい。Mr.ビーンの世界になってしまうが、ふさふさとした髪の毛を自慢するため、診察中に突然窓の外を見たり、本を探すふりをして後ろを向いたり、落とし物を拾うふりをして頭頂部を患者さんに近づけるのもいいかも知れない。結局、髪の毛はもうちょっと禿げてから、風呂敷で隠すか、カツラにするか、そのまま放置するか考えることにした。
 次に別荘である。琵琶湖の見える景色のいい所が理想であるが、これは車一台分ではすみそうもない。いくら別荘を買っても、行く暇もないので、宝のもちぐされである。別荘に求めるのは、美しい自然と自分の隠れ家である。京都駅近くのマンションも隠れ家にはいいが、ひとつ足りない物がある。何かというと、そもそも別荘で何をしたいのかと関係する。バーベキューをしたり、帆船のモデルを作ったりするするぐらいなら、わざわざ別荘を買う必要はない。私のしたいことはただ1つである。誰にも遠慮せず、ステレオをガンガンと鳴らすことである。ヘッドホンをいろいろ変えてきたが、最近はボーズのインナーイヤータイプのヘッドホンが気に入っている。ウォークマンでもロックを聴くにはこれが1番である。しかし、ヘッドホンは所詮ヘッドホンである。1度スピーカーで大音量で聞いてみたい。最近はタイには行かないので、ゴーゴーバーの大音量にも接していないし、ライブハウスにも行く機会がない。京都ではロック喫茶といわれていた頃からの「治外法権」がまだ残っているが、早寝早起きの私には行っている暇がなく、以前に行ってから何十年と経っているので、なかなか1人でははいりづらい。
 そんなわけで、人生を変えるために防音室を作ることにした。さて、どこに作るかである。自宅にはそんな物を造るスペースはなく、京都駅近くのマンションもなかなか行っている暇がない。結局、医院の3階の院長室に造ることにした。早速インターネットで調べたが、どこに頼むかである。大手がいいのか迷うところであるが、実績のあるヤマハに頼むことにした。京都の代理店は十字屋である。係の人に来てもらって見積もってもらったが、6畳ぐらいの院長室を全部防音室にするには400万円近くかかる。広い窓やベランダがあり、大きな押し入れもついている。開口部が多いので、何もない部屋より手間暇がかかり、割り増し料金も高くつく。それに加えて、オーダー注文した防音壁や床を3階まで運ばなければならない。クレーンを使って外から入れるようであるが、今度はその資材の置き場所を確保するのが大変である。床から工事するので、院長室にある荷物は全部運び出さなければならない。おまけに、工期に最低5日間は必要である。この間、 音が出るので医院は閉鎖しなければならない。カレンダーを調べて見たら、そんな長い休みが取れるのは、来年のゴールデン・ウィークぐらいである。
 日曜日は、京都市の休日待機番であった。この日は朝5時に起き6時から医院に出てきて、ただひたすら今月分の自立支援医療の診断書や精神障害者保健福祉手帳用の診断書を書いていた。新規の患者さんの分や、介護認定の主治医意見書も書き、今月に書かなければならない書類はほぼ書き終えた。まだ大変な仕事が1つ残っているが、これは来週の日曜日である。最後にコンビニまで行って、A4で2枚に書き分けた手帳用の診断書をA3にコピーした。書類は郵送できるように封筒に入れ、すべてが終わったのは2時過ぎである。これでも、電子化された診断書が多かったので、去年と比べたら格段に早く終えることができた。その後で、久しぶりに京阪で三条まで行った。不況とは関係なしに、大勢の人で混んでいた。私の目的は三条にある十字屋に行き、楽器の練習用の防音室を見に行くことである。店には、二畳用のモデルが置いてあった。いろいろ考えたが、この不景気に大型TVなどを買いそろえて、400万円以上使うのは無謀である。展示してあるのは、組み立てユニットのピアノ用防音室であるが、思ったより広く感じた。
 きのうは運送の人も下見に来てくれた。3階の荷物を全部一時的にトランク・ルームに預けたとしても、隣の部屋のドアも狭く、院長室のドアとずれてついているので、大きな資材を運び込むのは無理ということであった。部屋全体を防音室にするのはあきらめ、組み立てユニットのピアノ用防音室を院長室に入れることにした。2畳では狭すぎるので、2.5畳用である。大型TVは無理であるが、20インチぐらいのTVは入れられ、サラウンドもできる。しかし、こんな小さな防音室を入れるのも大変である。防音室の中にエアコンをつけなければならないが、部屋についているエアコンを外して、別の所につけかえなければならない。防音室用のエアコンのために高さを調整して壁に穴を開ける必要があり、天井ぎりぎりなので部屋の照明の位置もかえなければならない。全部で費用は150万円以上である。しかし、防音室ができたら、音楽や映画だけではなく、語学の練習にも利用できそうである。今は環境的にカラオケボックス以外で大声を出すことが難しくなっている。ストレス解消のため、思いっきり大声で、「○○のオタンコナス!」とか「△△なんかトウフの角に頭をぶつけて死んでしまえ!」とか「王様の耳はロバの耳!」と叫んだら、すっきりするかもしれない。他にも防音室の利用方法をいろいろ考えているが、思ったより利用価値はありそうである。

平成21年12月1日(火)

 患者さんの話を聞いていると、今年の紅葉はもうひとつらしい。東福寺も相変わらずの観光客が押し寄せているが、ここもあまりよくないという。東福寺は私の医院からは歩いて近いが、今年は別の所に行くことにした。ひとつは長岡京にある光明寺で、もうひとつは清水寺から高台寺にかけてのライト・アップである。光明寺は毎年行っている患者さんから教えてもらった。土日に行くのは混むので最初から避けた。先週の木曜日は午後からは予定がはいっておらず、天気もよかったので、外来が終わってからすぐ出かけることにした。JRで長岡京に行き、そこからバスに乗り継いで行く。何台もの観光バスが来ていたが、境内は広いので、適度な混み具合であった。
 カメラはリコーのGX200を持っていった。ふだんよく使っていた同じリコーのCX1は、この前来ていたカルフォルニアの妹の旦那に譲ったばかりである。ところが、久しぶりにこのカメラを使ったので、メモリーカードを入れておくのを忘れてしまった。バッテリーばかり気にしていて、肝心のメモリーカードをチェックしていなかった。紅葉の目的は、きれいな写真を撮ることである。この日は天気がよかったので、絶好の写真日よりであった。最初はメモリーカードを忘れていることを知らず、どんどんと撮っていた。10数枚撮ったところで、メモリーが満杯ですと表示された。すっかり忘れていたが、このカメラには内蔵メモリーがついていたのである。それでもこの内蔵メモリーのおかげで、最悪の事態はまぬがれた。その後は、何枚も紅葉を撮りながら、消しては撮り、よく撮れたと思う10数枚だけを残すようにした。実際に、山ほど写真を撮っても、傑作だと思う写真が1枚でも撮れればいい方である。そこそこいい写真は撮れるが、自分でも感動する写真はなかなか撮れない。ほとんどが思い出用に残すだけである。
 それにしても、1億総カメラマン化である。携帯電話からデジカメまで、ほとんどすべての観光客が写真を撮っていた。この日はウィークデイだったので、観光客のほとんどが中高年である。60代や70代の人も多く、70歳を過ぎたおばさんが、重そうな望遠レンズをつけて一眼レフで写真を撮っているのを見るとびっくりする。この大きな一眼レフカメラを持っているお年寄りが1人や2人でない。むしろ若い人などは携帯電話やコンパクト・デジカメである。この日は、一眼レフカメラの購買層は若い人ではなく、定年退職した年寄り世代ではないかと思ったぐらいである。それぐらい、この元気な年寄り世代のパワーに圧倒された。働き盛りがみんなこの大不況で疲れ切っているのとは対称的である。
 この日の夜は比較的暖かかったので、そのまま清水寺のライト・アップに出かけた。京都に住んでいる人にいろいろ聞いてみたが、このライト・アップは寒くて行っていないという人がほとんどであった。カメラは、この前衝動買いしたソニーのTX1である。夜景に強いということなので、試してみることにした。ライト・アップでは、今年6月に宇治の三室戸寺までアジサイを撮りに行った。この時には夜景モードを使わず、いつものプログラムで撮影したので、一脚を使っても手ぶれだらけであった。今回は一応外付けのフラッシュを持っていった。医院からバスで行ったが、バス停からの五条坂は人通りが少なく、観光客は来ているのかと心配になるほどであった。しかし、清水寺に近づいてきたら、大勢の人であふれていた。青い光がお堂の上を貫いていたが、これもライトアップなのかよくわからなかった。昔はラブホテルで、目印となるようにこんな光を空に向けて放っていた。
 さて、紅葉である。光明寺もきれいであったが、この清水寺のライト・アップもよかった。ここでは若い人の方が多いぐらいであった。みんな写真を撮っていたが、夜景をきれいに撮るのは難しい。フラッシュをたいても、光は10m先ぐらいしか届かない。ソニーのTX1には手取り夜景モードがついている。せっかく外付けのフラッシュを持っていったがほとんど使わなかった。内蔵のフラッシュも使わず、すべて手取りで撮影した。デジカメの液晶では、思ったよりきれいに撮れていた。さすがにダイナミック・レンジは狭く、強くライトが当たっている紅葉は白飛びしてしまう。しかし、何回でもタッチして簡単に露出補正ができる。清水の舞台から京都タワーが見えるが、望遠を使っても手ぶれしない。家に帰ってパソコンで見たら、そばにあるビルの窓の照明がつぶれず、ひとつひとつ確認できるぐらいであった。少し離れた紅葉の葉のぎざぎざも輪郭がはっきりと写っている。三脚もフラッシュもいらず、この写りには感動した。こんな小さなカメラでここまで写るなら、これまであきらめていた夜景を手持ちで気軽に撮れそうである。今回撮った写真はもう少ししてから、またもんもん写真館に載せようと思う。この日は清水寺に2時間近くいたので、高台寺には行けなかった。
 土曜日には映画を見に行った。題名は「2012」である。2012年に地球破滅の日がやってくるが、都市が破壊されていく場面は大迫力である。コンピューター・グラフィクスを使っていると思うが、ここまで技術が発達すると、映画で不可能な表現はもうないような気がしてくる。主人公の家族設定は、トム・クルーズが出ていた「宇宙戦争」と共通するものがある。最後まではらはらドキドキしながら楽しめた。ストーリーを書いてしまうと、あまり複雑なことは描かれておらず、単純なストーリーに要約されてしまう。テーマは家族の絆であるが、圧倒的な映像でぐいぐいと引っぱっていく。万人向けの映画で、家族で見るにはお薦めである。この映画を見たら、自分の置かれている家族の中での立ち位置をもう一度確認できるかもしれない。
 今回はゆっくりとできていたように思われるかもしれないが、そうは問屋がおろさない。日曜日は、午後1時半から4時まで、京都府介護認定平準化研修があった。対象は京都府の介護認定審査会の合議体長である。京都府では200の合議体があるというので、その長である200人が参加したことになる。確か去年は、私は日本心療内科学会と重なり、副合議体長に代理を頼んだ。今年は介護認定の見なおしもあったので、やたらと研修会が多いような気がする。何も準備せず、ただ聞いていたらいいだけなので、実際の審査会で司会をするよりは楽である。座談会では現在の介護認定制度に対して批判的な先生の話も聞け、勉強にはなったが、誰か早く代わってくれ。

平成21年11月24日(火)

 最近人生の喜びがよくわからなくなってきた。ただ単純に自分の欲しい物を手に入れたらうれしいかというと、その時には確かにうれしい。しかし、刹那的ですぐに喜びは消えてしまう。年を取れば取るほど、時間の流れが速く感じるが、喜びを感じる時間も短くなった。反対に、忘れたいと思うことはなかなか過ぎ去ってくれない。この前の木曜日は久しぶりにうれしいことがあった。何があったかというと、いつものように朝6時過ぎに医院に出てきて、この日の午後にある要介護認定審査会の資料を読んでいた。この審査会は原則的には第1木曜日と第3木曜日にある。私はこの審査会の合議体長をしているので、毎回司会をしなければならない。いつも1人が交代で休んで、残りの4人のメンバーで審査する。私だけは責任重大なので、あまり手を抜いて資料を読むわけにはいかない。この日も乗り気がせずにいやいやながら資料を読んでいた。途中で今回の資料はいつもより薄いことに気がついた。なんといつもは30件あるのが、今回は23件である。思わず、万歳と叫んでしまった。なかなかこの喜びはわかってもらえないと思うが、しばし幸福感に包まれた。しかし、こんなことで喜んでいる自分にも驚いた。昔読んだソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」を思い出した。話の内容は忘れてしまったが、人間はどんな過酷な状況でも、日常の一見つまらなそうな些細なことに喜びを見いだして生きていると強く印象に残ったことを覚えている。こんな仕事を引き受けていなかったら、こんな喜びも感じず、不思議といえば不思議である。
 土曜日の夜は久しぶりに、久御山のイオンシネマに映画を見に行った。9時過ぎからのレイトショーなので、イオンカードを持っていたら千円である。題名は、タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」である。少し前にCNNを見ていたら、カンヌ国際映画祭でタランティーノ監督が踊っている姿が何回も放映されていた。舞台はナチスドイツが支配していたフランスで、主演のブラッド・ピットが率いるアメリカ系ユダヤ人特殊部隊がドイツ兵を惨殺していく。バッドで頭を叩き割ったり、殺した後に頭の皮を剥ぎ取ったりする。ナチスの宣伝大臣であったゲッベルスが、映画芸術をユダヤ人のハリウッドからドイツに取り戻すと言っていたのが興味深かった。ドイツ国民の愛国心を発揚する映画の上映会にナチス高官やヒットラーが参加するという情報がこの特殊部隊にもたらされた。参加者全員の暗殺を試みるが、後は見てのお楽しみである。話は思わぬ展開で進んでいくが、何となく昔見た「パルプ・フィクション」ののりを思い出した。映画はそれなりに面白かった。それにしても、ドイツ兵に恐怖を与えるためとは言え、殺し方がグロテスクである。一歩間違えると、ハリウッドを支配しているユダヤ系アメリカ人が、ナチスドイツに対する恨みを晴らすため、映画を使って散々にこけにして、最後は皆殺しにしてうっぷんを晴らしているように見えてしまう。バランスを取るために、もうちょっと苦悩するドイツ兵を出してもよかったような気がする。
 この日は映画を見てから、そのままビデオを見たり、本を読んだりして、朝4時ぐらいまで起きていた。こんなに遅くまで起きているのは本当に久しぶりである。朝4時までというのは極端にしても、12時過ぎまで起きているのは年に数えるほどである。連休だったので遅くまでゆっくりとできたが、これはこれで私にとっては贅沢な時間であった。いつもは必要に迫られて朝5時に起きているが、やはり私は夜型である。こんなつまらないことでも、ふだんはできないことなので、自分でも不思議なぐらい人生の喜びを感じた。
 翌日の日曜日は朝起きたらもう12時近くであった。昼食を取ったりして、その後は新規の自立支援医療の診断書や精神障害者保健福祉手帳用の診断書を書いたり、メールで送られてきた前回の5件の労災の原稿を添削したりしていた。夜にはTVでNHKスペシャルを見た。番組名は「チャイナ・パワー 映画革命の衝撃」である。「イングロリアス・バスターズ」を見た後だったので、面白かった。今や中国人のハリウッドスターや監督が中国に戻って映画を作っている。中国政府も映画制作については新しい産業として支援している。中国語圏はアジアだけではなく、世界にまたがり市場が広い。投資家を募り、惜しみなくお金をかけて映画を作る。黄金時代のハリウッドでは、1本の映画を作るために道路から町まで造ってしまったというが、今の中国にはそれぐらいの勢いがある。もう少ししたら、英語を話す中国人も多くなると思うが、若い人にとっては中国語の勉強は将来必ず役に立つ。私も来年の4月から雑用を整理して、中国語を勉強したいと思っている。前にも書いたように、簡単な中国語が話せたら、中国の1人旅ができ、私が年を取って介護が必要になった時には、おそらく日本に出稼ぎに来ている中国人ヘルパーとも話ができるようになる。
 翌日の月曜日はゆっくりとできたかというと、まだやることがあった。統合失調症の患者さんから頼まれていた意見書の作成である。何の意見書かというと、この患者さんは10年以上うつ病で通院していたが、働いている時にある日突然幻覚妄想状態となり、統合失調症を発病してしまった。その後、精神病院にも入院している。現在は働ける状態ではないので、所定の診断書を書いて厚生年金の障害年金を申請した。ところが、最近この申請が却下されてしまった。今は別の病院に通院しているが、長いこと主治医であった私が不服申し立ての意見書を書くことになった。うつ病で長いこと治療していて、途中から統合失調症を発病してしまった場合の診断書の書き方は難しい。特に障害年金の申請では、初診年月日が重要になる。私は労災については詳しいが、障害年金については特に詳しくなく、診断書の初診年月日はうつ病の初診年月日を書いた。そして、統合失調症の発病については、幻覚妄想状態になった10年後にしていた。ところが、統合失調症の初診年月日はこのうつ病の初診年月日となっていた。この時にはまだ働いておらず、厚生年金の障害年金の受給資格がない。意見書を書きながら、最初は統合失調症の初診年月日をどうして10年前のうつ病の初診年月日にするのか理解できなかった。この意見書の正式な題名は、厚生年金保険障害給付の不支給決定に対する意見書である。5時間近くかけて反論を書き上げたが、最後の仕上げの時にあることに気づいた。障害年金の支給では、その傷病の初診年月日に年金をかけていたかどうかが重要になる。労災のように、発病年月日は重要でない。私は障害年金の診断書にうつ病の時のことから書いてしまったが、そのことは書かず、統合失調症として受診した初診年月日をきちんと書いたらよかったのである。審査する方が判断してくれると思ったが、審査する方も統合失調症の初診年月日をきちんと書いていないと勝手に特定できないのである。だから、意見書にはうつ病の初診年月日は10年前で、統合失調症の初診年月日は幻覚妄想状態になって受診した日を書いた。最後になってこのことに気づいたが、せっかく時間をかけて意見書を書いても、統合失調症の初診年月日を書き込むのを忘れていたら、また却下されていただろう。意見書の料金は3千円であるが、書き上げた後で、また人生の喜びを感じた。

平成21年11月17日(火)

 先週の火曜日はいつものヘルパー養成講座の講師があり、水曜日は紫野の特別養護老人ホームに行き、木曜日は○○視察委員会に出ていた。土曜日は、夜に京都精神神経科診療所協会の集まりがあったが、いろいろと用事をしていたら、いつのまにか開始時刻の5時近くになってしまった。会場の京都ロイヤルホテルは私の医院からも京都駅近くのマンションからも遠く、ばたばたと急いで行くのが面倒になった。出欠のハガキでは参加にマルをしたが、間に合いそうもなく欠席にした。こういう集まりや研究会は最近は交通の便がいいホテルグランビア京都でやることが多い。この場合には医院からも京都駅近くのマンションからも近く、私には便利である。きのうの月曜日はいつもの労災判定会議が京都労働局がある烏丸御池であった。きょうは府医師会の医療安全対策委員会が午後からある。あさっての木曜日には東山区役所で要介護認定の審査会である。
 これまでこれらの仕事を忙しい、忙しいと言いながらこなしてきたが、来年からは整理しようと思っている。上に書いた中には、京都市関係の仕事はあまり含まれていないが、たまたまこの2週間の中に入っていなかっただけである。○○視察委員会で、少し前に委員長の弁護士と私が本来の委員会とは別に出かける用事があった。この時に、交通費も出なかったことについて委員長が苦言を呈していた。私は、こんな仕事は一種の名誉職でボランティアだと思っていたので、まったく気にしていなかった。公的機関は予算の範囲内でしか支出が出ないことがよくある。この仕事が名誉職当たるかどうかわからないが、知り合いの先生から頼まれて引き受けただけである。形の上では、府医師会の代表となる。○○視察委員会を同じメンバーでいつまでも続けるのもおかしいので、来年は誰かに代わってもらうつもりである。引き受けている仕事をすべて雑用と言ったら失礼かもしれないが、私の本来の仕事は自分の医院で患者さんを診察することである。
 ヘルパー養成講座の仕事は来年からなくなるが、紫野の特別養護老人ホームの仕事も来年からはやめるつもりである。特別養護老人ホームは精神科医の診察がないと、認知症の管理加算か何かが取れないらしい。この仕事を引き受けたのは、うろ覚えであるが、開業した時に東山保健所の保健師さんから声をかけられたからである。ここは100%京都市が出資している。やめる時には、誰か代理の先生を捜さなくてはと思って、近くで開業している後輩の先生に声をかけみた。うまく交代できそうであったが、いろいろな事情があって最後の所でだめになってしまった。みんな忙しいので、代わりの先生を捜すのは至難の業である。しかし、今回は代理の先生が見つからなくてもやめるつもりである。私は京都市精神保健福祉審議会委員をしているが、これは日赤の部長をしている時に、京都精神病院協会から頼まれた。当時は精神保険福祉審議会審査部会といって、今の自立支援医療に当たる公費負担の審査を月に2回やっていた。この審査部会は京都精神神経科診療所協会や京都精神病院協会が推薦する枠がそれぞれ2名あり、その枠の1名である。精神障害者保健福祉手帳の等級もつけなければならず、実質的には手間暇のかかる大変な仕事であった。しかし、自立支援医療になってからは審査はなくなり、メンバーはそのまま京都市精神保健福祉審議会委員となった。
 先週は京都精神病院協会の会長をしている先生に電話をした。私が福知山にいる時にお世話になった先生である。来年はこの京都市精神保健福祉審議会委員をやめ、本来の京都精神病院協会に返すつもりである。事情を話して、快諾してもらった。後任は協会で探してくれるので、私が心配する必要はない。京都市の休日待機番であるが、まだ任期は1年あるが、これも来年からやめようと思う。精神保健福祉審議会委員をしている先生でも多忙を理由にやめている先生もいる。私の代わりに、代理の先生を推薦するつもりである。東山保健所の仕事も、来年はやめるつもりで、後任の先生はすでに私が見つけて話をつけている。要介護認定の審査会も代わりたいが、これは東山医師会の仕事で、任期は2年あるので後1年続けるしかない。京都市関連の仕事ばかりでなく、きょうある府医師会の医療安全対策委員会も来年に任期が切れるので、やめるつもりである。それぞれの医会が代表を出しているが、精神科医会だけは私が万年委員で、全く交代がない。他の医会はみんな交代しているので、今度こそ絶対にやめめなければならない。
 さて、きのうあった京都地方労災医員である。私が精神部会の部会長をしているので、司会をしなければならない。きのうは労災の申請が5件出ていた。審査に時間がかかり、午後の外来を30分遅刻してしまった。来月の21日にも部会があるが、今度は7件である。日曜日に送られて来た資料を読んでいたが、1番ぶ厚い資料は1件312ページである。1番薄い資料は117ページで、200ページを越える資料も2件ある。調査をする労働基準監督署の職員も大変であるが、読む方もけっこう大変である。この仕事は慣れてきたら誰でもできるが、裁判の意見書を書くのは簡単ではない。私はこれまで裁判資料と格闘しながら何通か書いてきたが、これは経験と能力が必要である。この仕事は部会長だけの仕事なので、私の後を引き継ぐ人は慣れるまで苦労しなければならない。しかし、労働局の職員にもとんでもない優秀な人がおり、専門家でもないのに私の書いた意見書を添削し、その見事な出来映えに舌を巻いたこともある。この仕事はお飾りではなく、その人の能力が試される名誉職と言ったら名誉職で、もうしばらくは続けるつもりである。
 昔うつ病の治療で、笠原嘉先生が不義理すれば不義理するほどよくなると言っていた。現在のようなややこしいうつ病ではなく、責任感が強く、几帳面で他人に気を使う人がなっていたうつ病である。こういう患者さんはなかなか仕事を休まず、うつ病をどんどんと悪化させていた。私はうつ病ではないが、毎日ばたばたしていて、なかなか自分のやりたいことをやっている時間がない。不義理すれば不義理するほど、本来のこころの健康が取り戻せて、もう少し余裕のある生活が送れそうである。これまで、それなりに貢献してきたので、次は若い先生にバトンタッチである。後は粛々と交代の手続きを進めるだけである。

平成21年11月10日(火)

 ストレスが溜まると、何か買い物をしたくなる。昔と比べたら欲しい物がなくなったが、それでも11月になってからいろいろな物を買ってしまった。まず、発売を楽しみにしていたPSPgoである。ポイントがたくさん残っていたので、発売日に買いに行った。私はゲームはせず、主に音楽と動画に利用している。ソニーのブルーレイディスク録画機を持っているので、おでかけ転送で1時間番組でも3〜4分でPSPに転送できる。パソコンを使っての動画変換は手間暇がかかるので、便利である。私の今の人生はほとんど医院で費やしているので、TV番組を持ち出す必要性も少ない。それでも自宅で息子がサッカーのTV番組を見ている時には、横でPSPを使って見たい番組を見ている。ソニーのブルーレイディスク録画機からはウォークマンにもTV番組を転送できる。大阪など近場に出かける時にはウォークマンを利用している。海外旅行はPSPで、その時によって、PSPとウォークマンを使い分けている。
 音楽はウォークマン用にパソコンにたくさん録り貯めているので、そのままPSPgoにも転送できた。TV番組もUSBをつないでおでかけ転送をしたが、いつものように画面では数分で転送終了となった。ところが、このPSPgoで見ようとしても番組が何も認識されない。内蔵メモリーを開いてみたら、動画データはいつもあるフォルダ内にはなく、新規のフォルダ内にある。アップデートをしたりいろいろやってみたが、どうしても再生できない。困ってインターネットを調べてみたら、この件に関する記事が載っていた。これを読んで、やっと原因がわかった。このPSPgoにおでかけ転送するには、最近発売になったばかりの最新のブルーレイディスク録画機を使わないと無理なのである。ソニーのホームページにもこのことは書いてあるが、こんな情報にたどり着くのは至難の業である。今回もこの日記を書いていて、確認のためにソニーのホームページを開いてみたが、どこに書いてあったのかたどり着けなかったぐらいである。頭に来たので、発売後1週間ほどしてソニーに問い合わせの電話をしてみた。ホームページにも載っていたが、旧録画機のアップデートの予定はいつになるかまだ何も決まっていないという返事であった。こんな欠陥商品を売る方も売る方である。私も最初からわかっていたら、わざわざ発売日には買っていない。
 ソニーの悪口を書いたが、他に買った物もソニーの製品である。何かというと、ビデオカメラである。ハイエイトの時代はずっとパナソニックを使っていたが、ハイビジョンになってからはキャノンである。ところが、暗所に強いCMOSセンサーが出てからは、ソニーのハンディカムである。手ぶれにも強く、暗所での撮影は他のカメラを圧倒している。暗い部屋でも照明がいらず、その映像は感動ものである。この新製品が8月に出たが、最初は10万円を越えていた。ところが、今ではポイント分を引くと、7万円を切る。どうしてこんなに安くなったのか、以前だったら考えられない値段である。撮影したハイビジョンの動画は、画質を落とさず、USBを使ってブルーレイディスク録画機に簡単に取り込め、そのままブルーレイディスクも作れる。もう1つ買った物も、懲りずにソニーの製品である。今度はデジカメである。歳末大売り出しで安くなったリコーのCX2を買おうと思っていたが、発作的にこのソニーの新製品を買ってしまった。これも最初は4万円ぐらいであったと思うが、ポイントを使ったら3万円を軽く切ってしまう。2製品とも初期不良品ではないかと思うぐらい安かったが、使っていて今の所何も問題はない。この最新のデジカメは薄くて小さく、やはり暗所に強い。日中の天候のいい日は他のカメラと変わりないが、薄暗い場所で本領を発揮する。
 この前の土曜日は、大学の同窓会があった。京都府立医科大学の昭和54年卒の同窓会で、剛志会という。今年は大学を卒業してちょうど30年目に当たる。参加者は30人を越えており、関東圏からも参加していた。母校の教授になっている先生は1人だけで、今では開業している先生が多い。離婚して再婚し、下の子どもがまだ小学3年という先生もいた。女医さんは、独身の人から最近離婚した人までいろいろである。50代も半ばに来ると、何が人生の成功で何が失敗かわからなくなる。私たちの世代は地位と名誉を重んじてきたが、今では世の中の流れも変わり、実質が伴わないとあほくさいと考えるようになってきた。世間全体が地位や名誉を評価しなくなった。私が以前に努めていた神戸の社会保険病院で産婦人科の部長をしていた女医さんが知り合いの先生と最近開業した。病院勤務をやめてお産を扱わないことは、こんなにも楽だったのかとしみじみと語っていた。最近、厚労省が医師の年収を発表して話題になっている。平成20年度の医師の年収は、開業医である一般診療所の院長は平均2522万円で、病院勤務医は1450万円であった。この開業医と勤務医の年収の差が1.7倍も離れていたことが、問題になっていた。中には、この数字を見て、開業医の年収の多さではなく、勤務医の年収の多さに驚いていた先生もいた。何が幸せかわからないが、開業医の生活はもうあきたという先生も少なくなかった。実は私もその1人であるが、もう1度勤務医に戻れるかというとそれも無理である。絵の勉強を始めたという先生もいて、私も何か始めたいと思った。読みたい本は山ほどあるし、前からここでも書いている中国語の勉強も始めたい。
 カメラを持って来た人は、私と名古屋第一赤十字病院で子どもの手の手術で活躍している女医さんだけであった。ここで、買ったばかりのソニーのデジカメの登場である。ところがまだ使い慣れていなく、暗い部屋できれいに撮るにはどうしたらいいのかよくわからなかった。全員集合で撮ると、かなり離れることになり、コンパクト・デジカメのフラッシュでは充分に光が届かない。何枚か撮り、医院のパソコンで見てみたが、暗所に強いのか比べる写真がないのでよくわからなかった。それでも、思ったよりきれいに撮れていた。わずかの間にソニーの製品ばかり買ってしまったが、躁になっているわけではない。前にも書いたように、長いことうつが続いていてる人が元気になった時には喜んでばかりいられない。いつの間にか躁になっている時がある。そして、時々信じられない買い物をする患者さんがいる。最近、宝飾品や有名ブランドのバッグを買い、わずかな間に1000万円以上使った患者さんがいた。本人も家族も気づいていないので、躁になっていることを指摘した。私はこの日記の書き始めは、何を書こうかといつも気分は憂うつである。終わりに近づくと、この憂うつな気分も吹っ飛んでしまう。さて、暗所に強いビデオカメラとデジカメである。何に使うのかというと、もちろん盗撮ではない。同じ東山区で開業していても、紅葉のライトアップは寒くて1度も見に行ったことはない。どこの境内でも、三脚の使用は禁止である。デジカメには手持ち夜景のシーン撮りがあるので、こういう場合にはうってつけである。今年は頑張って夜間拝観をして、写真とビデオでライトアップの紅葉を撮りまくるつもりである。

平成21年11月3日(火)

 最近はうつ病の診断書を書くことについて、神経質になっている。なかなか職場復帰できない患者さんも多く、漫然と継続療養の診断書を書いているような気もしてくる。1番困るのが、傷病手当の診断書である。大企業などでは、うつ病の治療のため数ヶ月休んでも、当初は企業独自の福利厚生や互助会などからの補填でほぼ100%の給与が保証される。休養期間が長くなると途中から基本給の6割が支給される傷病手当にかわる。しかし、最初から傷病手当になる職場も少なくない。仕事を休んでいる間、給与の代わりに傷病手当がもらえるのは問題ない。ところが、傷病手当は仕事をやめても、通算して最高1年半支給される。もちろん、通常の勤務ができないぐらい傷病の程度が重い場合に限る。一般的には、会社をやめた場合には失業手当が出る。私は知らなかったが、公務員にはこの失業手当はない。退職が自己都合か会社都合かで支給される時期も異なる。
 この失業手当はいつまでも支給されるわけではなく、何十年と働いてきた人でも最高1年である。今は不況なので、元気な人でも数ヶ月程度の期間内に新しい仕事を見つけることは難しい。もちろん、うつ病の患者さんの中には、うつ病そのものは改善していて、適当な仕事がなかなか見つからないという患者さんもいる。ところが、1度うつ病で傷病手当が出てしまうと、失業保険代わりにこの傷病手当をもらい続ける患者さんが少なくない。以前と比べたら、最近の傷病手当の診断書は書く内容は厳しくなっている。患者さんの傷病期間の間の受診回数だけではなく、何月何日に受診したかも記載するようになっている。仕事に就けない理由となっている症状についても、具体的に詳細に記載しなければならない。1ヶ月ごとに更新することが多いが、中にはその間1回も受診しない患者さんもいる。しんどくて来れなかったと言うが、一体どうやってこの傷病手当の診断書を書けというのか。傷病手当は、あくまでもうつ病が重くて働けない場合に支給されるのであって、仕事が見つからないということで支給されるわけではない。中には1年半もらい続けて、すぐに仕事を見つけて働きだす患者さんもいる。1番いいのは、主治医が、あなたはもう働けるので傷病手当は書けないと伝えることである。しかし、「しんどい」、「疲れやすい」、「仕事に就くのは無理」などと言われるとなかなか断れないのも事実である。
 うつ病の診断については、専門家の間でもいろいろ問題になっている。きょうの京都新聞に、京都市では年に300人自殺していることが載っていた。私の医院でも多い年には年間7人ぐらい自殺している。京都市こころの健康増進センターのアンケート調査では、「自殺したい」と思ったことがある人は27%にも達していた。不眠が2週間以上続いても受診しない人も、50%に達する。この調査結果をどう解釈するかであるが、それだけ世の中は生きづらくなり、うつ病として治療を受けている患者さんと元気であると思われている健常な人との距離が縮まっていると考えることもできる。自殺者数が年間3万人を越え、うつ病の早期発見が言われているが、本来救うべき人を救っていないと言う専門家もいる。うつ病は脳梗塞のように頭のMRI検査をしたらわかるわけではない。診断は患者さんの訴える内容だけが頼りで、重症度についてはもっとわかりにくい。大したことのない患者さんだと思っていると、いきなり自殺されたりする。ごく一部ではあるが、生活保護を受ける時にうつ病という診断がついていると通りやすいということで、申請前に精神科を受診してくる患者さんもいる。社会が混乱してくると、うつ病という診断名も混乱してくる。
 さて、話は変わり、先週の木曜日は映画を見に行った。今話題の「沈まぬ太陽」にするかどうか迷ったが、「パイレーツ・ロック」にした。京都駅近くのマンションからJRを使ったらすぐなので、映画館はTOHOシネマズ二条である。インターネットで予約したが、上映されるシネマ会場に行く時に、ぞろぞろ中高年の人が大勢出てきている会場があった。何の映画かと思ったらこの「沈まぬ太陽」であった。それに比べ、「パイレーツ・ロック」は観客は10人ぐらいしかはいっていなかった。舞台は、ブリティッシュ・ロックが全盛期を迎えていた1966年のイギリスで、大勢のDJが船に乗り込んで、スポンサーから広告費をとり、洋上からロックを流し続けていた。ところが、当局から目をつけられ、海賊ラジオ局は禁止されてしまう。最後は、この船のエンジンが爆発して沈んでしまうが、全編ロックが流れ続けている。見始めた時には、もうひとつこの映画の波長と合わず心配になったが、ザ・キンクスの「オール・オブ・ザ・ナイト」でふっとんでしまった。ザ・キンクスは私の好きなバンドであるが、ドルビーの音響設備で聞くと、40年以上前の曲とは思えないぐらい素晴らしい。映像と音楽がマッチしていて、「サニー・アフタヌーン」もよかった。他にも、ザ・ローリング・ストーンズの「夜をぶっとばせ」やザ・フーの「マイ・ジェネレーション」などの定番も流れてくる。全編音楽が流れてくる映画といったら、「アメリカン・グラフィティ」を思い出すが、今度の映画もよかった。ロックの映画なら何でもいいかというとそうでもなく、「スクール・オブ・ロック」は私にはまったく楽しめなかった。
 最後に、今週読み終えた本について書く。保坂隆「ひとり老後の楽しみ方」(リュウ・ブックス アステ新書)である。途中まで読みかけている本は山ほどあるが、1番早く読み終えそうだったので、今回はこの本にした。著者は東海大学医学部精神科の教授で、医学部の卒業年度は私より2年上である。本の内容を読んでいたら、最初は自分の実体験に基づいて書かれているのかと思った。著者の名前は知っていたが、インターネットで調べてみたら、まだ老後を迎える年ではなく、そんなに私と変わりない。最近の女性は、夫に先立たれた女性がうらやましくてしょうがないと書いてあり、昔から「後家楽」と言われているという。男性にとっても、家族を養うだけ稼ぎ続けることは、かなりしんどいことで、自分のお金を自分のためだけに使うことは見果てぬ夢のひとつであるとも書いている。自分流のひとり暮らしを成功させるノウ・ハウが書かれているが、自立と孤立は違うなど参考になることも多い。資産の管理の仕方まで書いているが、自分の意思が伝えられなくなった時にどうして欲しいか「意思書」を用意しておくことも必要だという。遺言に関しても、パソコンを使ったものに自筆のサインをしても無効だというのは初めて知った。私の老後は、残してあるロックのLPレコードをもう1度聞き直すことである。「パイレーツ・ロック」の映画を見た後で、ピンク・フロイドの「原子心母」のLPレコードを久しぶりに聞いてみた。ピンク・フロイドは「狂気」のような力強い演奏は嫌いで、初期のそこはかとない情緒が漂っている作品が好きである。中にはいっている解説書を見たら、1970年11月となっていた。「モア」の解説書にザ・キンクスのことが載っているかと思って調べてみたが、すでに処分してしまった「神秘」の解説書だったようである。この解説書からザ・キンクスの名前を初めて知ったことを思い出す。LPレコードの音はCDと違って、やはり暖かみのある音で、老後も充分楽しめそうである。

平成21年10月27日(火)

 最近パソコンの調子が悪くなった。起動しても、30分以上は待たなければならない。この日記でもせっかく朝6時に出てきても、実際に書けるのは6時半過ぎになってしまう。自立支援医療の診断書を患者さんの所へ郵便で送る時でも、郵便番号をちょっと調べたいと思っても、パソコンの電源を切ってある時は死ぬほど時間がかかる。そろそろ寿命がきたのかと心配になってきた。前のパソコンは、調子が悪いと思っても使い続けていたら、ある日突然全く起動しなくなった。大事なファイルだけは外付けのハードディスクに保存していたので、致命傷は負わずにすんだ。しかし、それでも保存しておきたかったファイルがたくさん失われた。こんな場合でも、今はプロの人に頼んでリカバリーできるようであるが、人に見られたくない物もあるのでそう簡単に他人には頼めない。
 私が1番使っているパソコンはNECのデスクトップで、診察室に置いている。水冷式なのでほとんど音がせず、診察中でもウィルスチェックや動画変換もできる。このNECから1週間ほど前にメールが来た。有料であるが、このパソコンを再セットアップしてくれるサービスがあり、パソコンの中身をリフレッシュしてくれるという。いわゆる完全リカバリーである。ハードディスクの寿命がきているといわれると、物理的に寿命がきていると思いやすいが、そうではないようである。私はクリーンアップとかディスクの最適化はすでに試みているが、何の効果もない。パソコンにはあまり詳しくないので、本を買ってきて簡単リカバリーの方法を調べてみた。完全リカバリーは手間暇を考えると無理である。特に一旦削除したワードやエクセルなどの再インストールは制限があるのでややこしそうである。結局、1番効果のある方法はすでにインストールしてあるソフトを削除してスリム化することである。今回は思い切ってふだんあまり使わないソフトはどんどんと削除した。その結果どうなったかというと、パソコンの起動は大幅に改善して5分ぐらいで済むようになった。私の持っているノートパソコンは1分もかからないが、以前のことを考えたら雲泥の差である。Windows7が出たが、XPでもまだまだ使えそうである。
 先週は月曜日の労災判定会議以外は何も予定がはいっていなかったので、ゆっくりとできた。本当は木曜日に要介護認定の審査会がはいっていたが、認定の見直しがあったばかりなので延期になった。自分の医院の診療以外の雑用を引き受けなければ、余裕のある生活が送れることがよくわかった。明日は外来の合間に特別養護老人ホームの診察に紫野まで行かなければならない。何も用事がなければ、もう少し好きなこともできるが、子どもにもこれからお金がかかるので、稼げる時に稼いでおかなければならない。不景気も影響しているのか、去年と比べたら診療報酬は8%減ったままである。年末にかけて比較的患者さんは多くなるので、残り3ヶ月で5%ぐらいに抑えられたらいいと思っている。
 気まぐれ的に写真雑誌を買って読んでいるが、今月は日本カメラを買った。その時の気分で、アサヒカメラになる時もある。月刊のデジカメ本は一眼レフの特集が多いので、あまり買っていない。たまたま記事を読んでいたら、「達人達と歩く写真道楽の世界」という特集が載っていた。この特集では旅カメラなどを紹介しているが、その中に写真家の金村治が、写真をやるならこれを聞け!と12のアルバムを紹介している。制作衝動をかき立てるベスト4、暗室や部屋でリラックスしたい時に聴くベスト4、壁を打ち破るときに聴きたい曲ベスト4となっている。ところが、こんなカメラ雑誌で紹介しても誰も知らないマニアックなアルバムばかりが採り挙げられている。コルトレーンやマイルス・ディビスについてはジャズに分類されるので私はあまり詳しくない。ロック系については有名所は1つも含まれておらず、マニアしか知らないアルバムばかりである。私はここに載っているアルバムは全部知っているが、極めつけは「ザ・シャッグズ」である。3姉妹のヘタウマバンドで、私はLPレコードからパソコンに取り込み、今でもウォークマンで聴いている。紹介されているアルバムの写真を見ていたら、こんな古いアルバムでもCDで発売されている。ヘンリー・カウやザ・サン・ラ・アーケストラはLPのジャケットのようである。アレアやザ・レジデンツも紹介され、どう考えても一般向けの音楽ではない。それでも青春時代を思い出し、久しぶりに自分の知識を自慢したいような気分になった。
 最後に今週読んだ本の紹介である。吉永拓哉「ヤンキー記者、南米を行く」(扶桑社)である。著者は博多で暴走族の副総長をやっていたヤンキーで、少年院を仮退院した後、父親と教官の話し合いで、南米に武者修行に出されている。保護観察所の職員から、仮退院中に海外に行くのは恐らく初めてのケースと言われ、励まされている。最初にエクアドルの父親の知り合いの所を訪れている。スペイン語はまったくしゃべれず、語学学校に入学するが、ここでもトラブルを起こす。その後、別の日本人が経営するバナナ園で生活している。著者はここで楽しく過ごしていたが、ある日日本向けのバナナの出荷時に、労働者がバナナの寸法を間違えて出荷してしまった。バナナの寸法が少しでも違うと、出荷用のバナナの箱がすべて輸出禁止になってしまう。この日に遅く帰ってきた日本人経営者は、こん畜生と言いながら、一人部屋ですすり泣いていたという。その後、ペルーのリマに行き、ペルーの民芸品店をやっている日本人移住者の家で住み込みで働く。この時に、使用人に対する差別に対して反抗したりしている。著者はどこに行っても、下層階級の人々と仲良くなっている。南米では東洋人はチーノ(中国人)と呼ばれて日本人も差別されやすい。ウルグアイでは両替の時に無視されたことも書いている。最後にブラジルに行き、日本に戻ってくるが、日本の生活にもあまりなじめず、今度は本格的にブラジルに移住する。そして、サンパウロ新聞の記者に採用され、ブラジルのあちこちを取材する。2008年には、「ブラジル日本人移住100周年記念式典」の取材をして、この時の記事も書いている。
 この本を読んでいて、私が小学生の時にクラスの生徒がブラジルに移住したことを思い出した。大分前であるが、NHKの番組でブラジル移民の特集をしていた。今回インターネットで調べてみたが、70周年の式典の時だったか、忘れてしまった。あまりにも感動的な番組で、VHSで録画していて残して置いたが、カビが生えて処分してしまったのか今ではよく覚えていない。ラベルのはがれたVHSテープがいくつか残っていたので、確認したらよかったが、古いVHSの録画機を引き出してこなければならない。日本出航の時からからブラジルに渡った日本人を何十年と追ったドキュメンタリーである。成功している家族もいれば、巨大なむき出しの金鉱で手作業で掘っている家族もいる。想像を絶する苦労をして、ブラジルの隅々まで住みついた日本人を何人も紹介していたが、私がこれまで見てきた中で、ナンバー・ワンのドキュメンタリーである。作者の日本人移住者に対する目は温かい。私もポルトガル語を学んですぐにでもブラジルに行きたくなった。中途半端にお金を稼いでしまうので、今の生活もなかなか捨てられないのも事実である。

平成21年10月20日(火)

 この前の日記には書けなかったが、10月の初めにカルフォルニアのサクラメントに住んでいる私の妹がインド人の夫と日本に来ていた。前半は夫婦で九州や広島を訪れ、京都には8日からである。私は用事があったので、この日に会って京都駅近くのマンションの鍵を渡した。京都には3日ほど滞在し、夫の方は仕事があるので先に帰り、妹の方は池田の両親の家にその後4〜5日いた。インド人の夫は民間の建築会社のコンサルタントをしており、妹はカルフォルニア州の税務署に勤めている。カルフォルニア州はシュワルツネッカー州知事がよく知られているが、最近財政破綻をきたしたことでも話題になっている。妹も州政府に勤めているので、賃金が15%カットになり、休みが週3日になったという。こんなに長いこと休みが取れるのも、財政破綻のおかげである。
 インド人の夫とも話していたが、米国は不況のまっただ中で、みんなが節約に励んでいるという。今回の世界同時不況で、アメリカ人が借金をして消費に走り、世界経済を支えていたことがわかり、不思議な感じがした。アメリカから日本の内需拡大を言われていた理由もやっと理解できた。民間の会社の場合はいきなり解雇されることもあるので、妹は夫の将来を心配していた。今回は一緒に食事する時間はなかったので、私が使っていたデジカメやビデオカメラを妹夫婦に譲った。私は写真が好きなので、カメラもついつい新しいのを買ってしまい、古いのが残る。今回譲ったのはリコーのCX1で、最近CX2が出たばかりである。これはもう少し安くなってから買おうと思っている。ビデオカメラもキャノンの2世代ぐらい前のを譲った。日本の電化製品はパソコンを含め、次から次へと新しいモデルが出るので、2世代前といってもハイビジョン用でデジタルである。世界ではほとんど新製品で通用する。実際に海外の国際空港で売られている日本の製品を見ると、みんな少し前のモデルばかりである。カメラ好きといっても、私は重い一眼レフは買わないので、それほどお金をかけているわけではない。
 先週の土曜日は、ある製薬会社主催の講演会があった。演題は2題あり、1題目は「女性とうつ」であった。うつ病は世界各国でも女性が多く、その発症率は男性のおよそ1.5倍ぐらいである。統合失調症や躁うつ病では男女の差がないのとは対称的である。平成10年以来、わが国の自殺者数が3万人を越えていることはよく知られている。ところがそれ以前から女性の自殺者数はほとんど変わらず、男性の自殺者数がどんどんと増えて3万人を越えている。男性は景気に左右されて、自殺者数が増加しているのである。女性にうつ病が多いが、実際に自殺するのは男性の方が多いのである。この講演会では、男性は自立型パーソナリティで女性は依存型パーソナリティであるからであると解説していた。男性は独立していて、なかなか女性のように相談できる相手もおらず、一気に自殺まで走ってしまう。フェミニズムでは、女性が虐げられてきたというが、この自殺者数をみると、本当は男性の方が虐げられてきたのではないかと思う。景気に左右されて自殺者が増えるというのは、それだけ男性は重い責任を課せられてきたと考えることもできる。ついつい社会的なことからしか解釈しないが、本当は生物学的な違いもあるのかもしれない。女性の月経と精神症状との関係についても、これまでの断片的な知識がすっきりと整理できた。ふだんの診察では、患者さんにあまり月経のことは聞かないが、きちんと聞いておくこともその後の治療に役立つことはよくわかった。
 2題目は「慢性疼痛」についてである。講師の先生は、日本心身医学会の理事長もしていた先生で、内科系出身の心療内科の名誉教授である。心療内科という科は、厳密に定義すると、胃潰瘍や気管支喘息、アトピー性皮膚炎などストレスが関与して悪化する身体の病気を診察する科である。だから、本来は内科系出身の先生が多い。ところが、パニック障害やうつ病、統合失調症などを診察する精神科の先生は、開業する時に精神科と標榜すると患者さんの受診抵抗が大きいので、心療内科と標榜するようになった。内科系の心療内科の先生もパニック障害やうつ病は専門外になるが、患者さんが大勢受診するようになり、こちらも診察するようになった。実情としては、心療内科と標榜してあっても、開業している先生は精神科出身の先生が多く、内科系出身の先生は少ない。今回の講演を聞いていたら、身体の診察をまったくしない精神科批判のように聞こえる部分もあった。講演会の後で、神戸で同じ病院に勤めていて今開業している神経内科の先生と話したが、内科系の先生にはあまりにも心理的解釈に走り過ぎる話のように聞こえたらしい。それぞれの科の先生によって、受け取り方が違って面白かった。
 翌日の日曜日は京都市の休日待機番であった。12月に切れる自立支援医療の診断書を書いていたが、ほとんど電子化できたと思っていた診断書も、実はこれだけではすまなかった。患者さんによっては2年に1回書かなければならない精神障害者保健福祉手帳用の診断書があり、相変わらず手間暇がかかってしまった。きのうは1ヶ月に1回ある労災判定会議があったので、この日は前もって3件の資料も読んでいた。自殺の人も含まれていたが、医療機関にはどこも受診していなかったので、精神障害を発病しているのかもよくわからなかった。夜には、東山医師会の秋の集いがあった。有名な京都の日本画家の先生の講演をきいて、それから食事会である。病院を経営している先生は、新型インフルエンザの流行については戦々恐々であった。医療従事者から入院している患者さんに大勢うつってしまい、万が一死者を出してしまったら大変である。今はどこも病院経営は大変なようである。講演を聴いている時に、保健所から私の携帯電話に連絡があったようである。この日は午後5時まで休日待機番であったので、呼び出し音の音量は大きくしていたが、まったく気がつかなかった。講演の間、少しうとうとしてしまったので、この間にかかってきたのかもしれない。月曜の朝5時半に携帯電話の音がしたので、確認したら初めてこの時に電話がかかってきたことに気がついた。5時半の連絡は迷惑メールであった。早速月曜の朝に保健所に連絡したら、前回書いた患者さんが府立洛南病院に緊急措置入院になったという。実は金曜日も警察沙汰の騒ぎがあり、保健所には休日待機番とは別に、私の携帯電話の番号を知らせておいた。その後、2人の精神保健指定医の診察を受け、正式に措置入院になった。この患者さんについては私もどうしようかと困っていたので、これでひとまず安心した。

平成21年10月13日(火)

 今度の火曜日は不在となるので、先にこの日記を書いている。この前の木曜日は大型台風が来るということで、息子は水曜日から次の日が休みになることを期待していた。水曜の夜はTVを見ていても、大雨、洪水、暴風などの臨時警報が何回も流れていた。何十年ぶりかの勢力の強い台風と聞いて、私も翌日は大変なことになると思っていた。子どもにとっては1日ぐらいの臨時休校がいいみたいである。春のインフルエンザ騒ぎみたいに長い休みになると、夏休みが削られてしまう。私も小さな頃は台風などで学校が臨時休校になるのが、うれしかった。私の田舎は奧信濃と呼ばれる豪雪地帯だったので、大雪で休校になることはなかった。サラリーマンでも臨時で仕事が休みになるとうれしいだろう。しかし、そんなことはめったにない。私はここでも何回も書いているが、阪神大震災の時には、借りていた神戸の自宅には不在であった。一旦妹が住んでいる大阪の池田に行ったが、そこからはその日はどうやっても帰れなかった。交通がすべてストップしていたので、翌日の夜に覚悟を決めて阪急西宮から鈴蘭台まで歩いて帰った。こんな時にはいくら仕事が休めたからといって、喜んでいる場合ではない。
 翌日の木曜日は、朝は風が強かったが、午後からは青空が出て、肩すかしを食らったような気分になった。朝7時の時点ではまだ警報が出ていたので、学校は休みであった。大きな被害が出なかったのは幸いであるが、何か失望感も感じてしまう。この不況の中で厳しいノルマを課せられているサラリーマンの中には、このまま大型台風が来て、会社を吹き飛ばしてくれたらと密かに願っていた人もいただろう。それこそ世の中を覆い尽くしているこの閉塞感を台風でも何でもいいから一掃して欲しかった。台風が過ぎ去ったら、みんな警戒を解く。過ぎ去った台風がどこかに隠れていて、油断させてひょっこり顔を出すなんてことはない。前回書いていた患者さんのことでも、急展開して急に台風が過ぎ去った。いろいろな準備をして警戒態勢をとっていた私も拍子抜けである。私の求めていることは、患者さんが安心して休養に専念できることである。それ以上でもそれ以下でもない。職場復帰の時が少し心配であるが、もともと大騒ぎする気はないので、様子を見ていこうと思う。
 木曜日の午後からは、久しぶりに往診に行ってきた。以前にもこの日記で書いたことのある女性の統合失調症の患者さんである。薬を飲もうとせず、精神症状が悪化していた。家の中では大声を出して攻撃的になり、同居している年老いた父親やきょうだいさんが困っていた。この患者さんは幻覚や妄想を改善するハロマンスという薬を筋肉に注射すると数ヶ月は落ち着いていた。このハロマンスという薬は長期間効果が持続する持効性抗精神病薬である。一時90歳を越える父親が入院していた。この時に何回も往診に行っていたが、そのたびに逃げられて注射できないでいた。このハロマンスという薬は1本の薬価が3千円近くする。以前は患者さんの目の前でアンプルを切って、薬を注射器で吸い上げ、腕に注射をしていた。この春には、同じようにして薬を注射器で吸い上げていたら、いきなり患者さんに手を振り払われ、注射液もアンプルもどこかにふっとんでしまった。2回目は同じ失敗を繰り返さないように、予め車の中で注射液を吸い上げ、いつでもすぐに刺せるように用意していた。私が何回も往診するので、患者さんは警戒し、玄関の鍵を閉めていた。この日はきょうだいさんに頼んで、往診の前に開けてもらっていた。ところが、患者さんに逃げられてしまって、注射を打つことができなかった。他にも、トイレに籠もられて、いくら説得しても出てこず、手の出しようがなかったこともある。
 父親が退院してきて、自宅に戻ったが、患者さんの状態は同じである。特に近所迷惑になっているわけでないので、しばらく放置していたが、9月の終わりに民生委員の人から私の医院に電話がかかってきた。数ヶ月前から患者さんが裸足のまま外を走り回り、小学生が登校している時に裸になり、近隣から苦情が出ているという。警察や保健所に相談しても、現段階では介入できないと言われ、何とかして欲しいと主治医である私に頼んできた。普通に考えたら、こんな患者さんは精神病院にでも早く強制入院させて治療したらいいと思う。ところが、強制入院である措置入院をするには、顕著な自傷他害の行為がないと無理である。措置入院になると、治療費は国が全部面倒をみてくれるが、それだけ適応になる壁が高い。壁を低くして、簡単に強制入院が可能になってしまったら、それこそ人権侵害の問題が出てくる。やはり、いやがる人を力ずくで捕まえて、精神病院に強制入院させるには、厳格なきちんとした要件を満たさないといけない。患者さんも小学生に暴力をふるったら、警察や保健所もすぐ動いて措置入院にすることができる。しかし、裸になったり、暴言を吐く程度では無理である。家族が患者さんをだましてでも精神病院まで連れて行ったら、後は病院が何とかしてくれる。患者さんの同意はなくても、家族の同意があれば入院できる医療保護入院もある。しかし、いくら病院に頼んでも、決して患者さんの自宅までは迎えには来てくれない。法的な根拠もなく、逃げ惑う患者さんを誰がどんな権利があって捕まえて、精神病院まで強制的に運ぶことができるだろう。アル中の人でも、家の中で暴れている限りは、保健所も警察も手が出せない。唯一強制力を行使できるのは、家族だけである。しかし、今回のように父親が高齢化したら、それも不可能である。
 この患者さんは障害を持っているきょうだいさんに「無駄な人間なので死ね」と言ったり、父親に対して性的なことを持ち出して攻めていた。6日の火曜日の夜にきょうだいさんとけんかになり、どんぶりを投げつけ、きょうだいさんが頭から血を流して警察沙汰になっていた。それでも、強制入院は無理なのである。このきょうだいさんが父親の手紙を持って7日の水曜日に私の医院に来たので、翌日の往診になった。当日父親はベッドで寝ていたので、挨拶して奧の本人の部屋に向かった。今までは本人にも声をかけていた。しかし、その間に警戒され逃げられるので、不意を襲うことにした。いつも縁側の扉を開けているので、外側から行くことにした。患者さんはパジャマのままふとんを敷きっぱなしにして、ちゃぶ台の前に座っていた。名前を呼んで、相手がびっくりしている間に部屋にはいり込み、身体を押さえ、注射を出した。ところが、注射針にキャップをつけていたので、なかなかうまくぬけない。激しく抵抗され、また注射針がキャップごと手で振り払われてしまった。あわてて、また拾って注射器に差し込もうとしている間に、逃げだそうとする。足をつかみ、強引に引き寄せ、再び身体を押さえつけ、パジャマの上から注射器を突き立てて何とか注射した。前にも書いたように、米国ではインシュリンの自己注射は服の上からしている。こんなやり方でも感染の危険がないことはすでに証明されている。
 1本3000円近くする薬をこれまでに何回も無駄にしているが、使ってもいない薬を患者さんに請求するわけにもいかない。これで落ち着かない時には、精神病院に頼んで予め部屋を開けてもらい、私の車で私がこの患者さんを連れて行くしかない。赤の他人ではなく、主治医なので多少の強引なことは可能である。しかし、大暴れしている患者さんを縛ってまでして運ぶ権利は家族以外誰にもない。

平成21年10月6日(火)

 以前にも書いた、患者さんのことで思わぬ展開になって、戸惑っている。最初は大騒ぎせず、円満な解決を求めて、大きな組織の周辺の関係部署から頼んだのだが、みんな逃げ回っている。何の解決も見いだせず、時間ばかりが過ぎていく。その間、患者さんに対する職場の仕打ちはエスカレートするばかりである。どんな理由があれ、もし患者さんに嫌がらせをするなら、ふつうはもっとわかりにくい曖昧な手段を使うはずである。ところが、明らかに人権を無視した誰もがアウトと思う方法を使ってくる。今の時代にどうしてこんなことが許されるのか、全く信じられない。この患者さんについては私の知らない何か大きな爆弾が隠されているのかわからないが、それにしてもこんなに人権を無視した証拠を山ほど残して大丈夫なのかと、逆にこちらが心配になるほどである。経営に行き詰まった小さな会社の話ではない。
 この部署だけはアンタッチャブルで、伏魔殿のようである。私は直接この部署とは話をしていないが、患者さんは私の名前を出し、主治医からは指導を受けていると何回も伝えている。ここまで来ると私が出ても、適当に鼻であしらわれるだけである。この問題を解決するためにいろいろと考えたが、私が試みた下からの接触では無理である。それこそ、トップを動かすしかない。もしかしたら、トップさえこの部署をきちんと掌握できているのか心配になってくる。トップを動かすには、こちらもトップを使うしかない。私が今所属している大きな組織は、大学の医局と日本医師会と日本精神神経学会ぐらいである。今回の件では、大学の医局は関係ないので、各都道府県にある残りの下部組織が該当する。私が労災の仕事をしている京都労働基準局も、患者さんが訴えたらそれなりの事情聴取と必要な指導はしてくれるだろう。どこに訴えるにしても、その前に事実関係の調査は必要になる。私個人としたら、あまり大げさにしたくないが、調査委員会みたいなものを立ち上げてしまったら、内々の解決は難しくなる。患者さんに何か大きな問題があるのではないかとありとあらゆることを想定してみたが、どうやってもここまで荒っぽい人権侵害は正当化できない。後は、すべて患者さんのでっち上げぐらいしか思いつかない。
 今回私が個人的に接触した人はこの部署と関わることを極端に恐れていた。まだ、全体を把握していないので、一体何が起こっているのかよくわからない。これまでは私1人で動いていたが、この前の土曜日はトップの人を動かすことが可能なのか関係する精神科の先生に相談してみた。この先生からは私の知らなかった情報が得られたが、その情報でますます混乱に陥ってしまった。今回のようにアンタッチャブルな組織と闘うのは2回目である。こういう時には私はすごく神経質になる。それこそ、完全な被害妄想になる。私のことを徹底的に調べ、何か私のスキャンダルを探し回るのではないかと本気で心配するぐらいである。私はこの日記でも書いているように、愛人もいないし浮気もしていない。ツタヤの宅配便でアダルト・ビデオを借りるぐらいであるが、最近は見ている暇もない。何を借りているかは個人情報で絶対に表に出ることはないと信じている。海外については、ホテルはいつも同じであるが、防犯のためバイクタクシーなどはホテルからは乗らない。ホテルから離れた場所で、英語も話せないような流しのバイクを停めて出かける。帰りも同じである。ホテルから離れた場所で降り、わざわざ歩いて帰る。ホテルも毎回変えたら、私の足取りは完全にわからなくなるが、新しいホテルに泊まる時には盗難に死ぬほど神経を使う。だから、いつも勝手がわかり、スタッフとも顔なじみになったホテルに常宿する。わざわざ海外に出かけるのは日本人からしばし離れたいからである。だから、たとえ日本人に話しかけられても、決して群れて行動することはない。
 この前の日曜日は私1人で大阪の中之島まで、シルク・ドゥ・ソレイユの「コルテオ」を見に行った。この日は家内が町内会で役員をしている区の運動会があり、娘は友だちと遊びに行き、息子は学校の文化祭があった。私はこの日しか都合がつかず、チケットはインターネットで手に入れていた。値段は1万3千円であった。午後4時からの開演で、会場は満杯であった。申し込んだのが遅かったのか、席は後ろの方であった。劇場に入る前に待合広場で待たされたが、大学の同級生に声をかけられた。西陣医師会の慰安旅行で来ているという。豪華な昼食付きで、最後にこの公演を楽しむ企画である。東山医師会では少し前まで同じような慰安旅行があった。しかし、もともと医師会員数が少なく、市民検診がメタボ検診に変わってそれまで収益としていた検診料が減り、ここ数年間は中止となっていた。行事としては、新年会と今月にある秋の集いがあるぐらいである。同級生は家族4人で来ていたが、以前に聞いていた京大の医学部に行っているという息子とも会った。私の息子はこのままでは国公立の医学部に合格するのは無理である。同級生と会う機会は少なく、この11月に久しぶりに昭和54年卒の大学の同窓会が京都であり、今から楽しみである。
 さて、「コルテオ」である。インターネットで調べたら、ひとりのクラウンを中心に繰り広げられる祝祭のパレードと解説されている。内容としては、悪くはなかったが、同じシルク・ドゥ・ソレイユなら、東京ディズニーランド近くの常設館で公演している「ZED」の方が面白かった。音楽は私好みである。段々と目が肥えてしまうのか、肉体を使ったアクロバティックな動きも大感動する所まではいかなかった。ない物ねだりになってしまうが、ジャグリングでも超人的な技を使うのでなければ、もっとはっとするような工夫をして欲しい。きょうはこれから見直しになった要介護認定の説明会があるので、この辺で終わりにしておく。厚労省もこの前に変更したばかりの審査基準をまた変更するので、審査する方も何回も講習会を受けなければならない。

平成21年9月29日(火)

 この前の土曜日は京滋の気分障害に関した学術講演会があった。京大、府立医大、滋賀医大の精神科が中心となり、京滋の精神科医を対象にした研究会である。製薬会社も共催し、発売になったばかりの新しい抗うつ薬について紹介があった。最近のうつ病はなかなか治りにくいので、少しでも患者さんの治療に役立つ新しい薬が出てくることは有り難い。どの薬も一長一短があり、いつも副作用がなく、誰にでもよく効く薬が出てくることを期待している。しかし、もしそんな魔法みたいな薬が出てきたら、もう精神科医は必要なくなるかもしれない。かかりつけの内科で処方してもらったら、充分である。万が一奇跡のハッピードラッグが出てきても、精神科医は困るだけである。
 今回は2題の講演があった。最初は「躁うつ病臨床の現在」である。私が若い頃は躁うつ病なんて比較的珍しい病気だと思っていた。しかし、最近は長い経過の中で軽い躁状態を示すうつ病の患者さんが多くなっている。この講演でも述べていたが、うつ病の患者さんが元気になると、治療者はやっとよくなってくれたかと喜んでしまい、軽い躁状態を見落としてしまう。患者さんも躁状態の時には調子がいいので、診察でも自分からあまり述べようとしない。うつ病になった時だけ受診して、うつ病の辛さを訴えるだけである。現在は躁うつ病という病名はあまり使わず、双極性障害と呼ぶ。躁の極とうつの極が2つあるからである。時々抗うつ薬を使っていて患者さんが躁転(うつから躁に転じる)することがあるが、この場合はもともと双極性の遺伝的要因を持っていると考えた方がいいようである。単なるうつ病ではなく、双極性のある患者さんに抗うつ薬や抗不安薬を投与すると、不安定にして、情動の振幅を大きくする恐れがあるという。しかし、一方では、うつ病が治らない時には、抗うつ薬の投与が不充分であると言われ、この双極性がはっきりしない患者さんについては対応が難しい。明らかな双極性障害のうつ状態の治療でも、米国とヨーロッパ・日本では対応が異なる。米国では抗うつ薬は効果がなく、躁転の危険があると言われ、ヨーロッパでは抗うつ薬は一定の効果があるが、躁転の危険があるとされ、日本では必要最低限の抗うつ薬の使用が勧められている。この講演では、抗躁薬(躁病を治療する薬)で最近は副作用ばかり強調されるリチウムが適した患者さんの特徴が述べられ参考になった。同じ抗躁薬であるバルプロ酸ナトリウムとの併用も必要に応じて推奨されることも知らなかった。
 2題目は産業医科大学教授の「うつ病と職場復帰後の課題」である。うつ病の患者さんを診察していても、なかなか症状が改善せず、対応に苦慮することが多い。特に職場復帰できない患者さんについては、毎回継続の診断書を書くばかりである。前にも書いたように、職場に対する拒絶反応が強い場合は特に困る。日常生活では体調は改善していても、職場に行くと登校拒否の学生のように気分が悪くなり、息苦しくなったり、めまいがする。家ではどうもないのに、職場が近づいてくるだけで動悸がしてくる。今は企業でも職場復帰訓練を取り入れるようになってきたので、以前だったらどうしようもないケースでも、何とか職場に復帰できるようになってきた。しかし、まだこの職場復帰訓練を取り入れていない所は、無駄に時間ばかりが過ぎていくことも多い。ごく一部の患者さんであるが、どこまで改善しているのかわからない人もいる。うつ病の回復の程度は、骨折と違ってレントゲンを撮ったらわかるというわけではない。残念ながら、そのことを逆手に取って、いつまでも休み続けているように思われる患者さんもいる。こういう患者さんは治療者側から見ても一見さぼっているように見えてしまうが、それでも本当は充分に回復していないのではないかという心配も捨てきれない。特に、日によって症状に大きな波があると訴える患者さんはわかりにくい。真面目に定期的に通院してこない患者さんでも、しんどくて出てこれなかったと言われると、それ以上何も言えない。ここでも何回も書いているが、家でパジャマに着替えてテレビを見ることと、映画館に行って映画を見ることと、旅行に行くことと、職場で仕事をすることでは山の高さが全部違う。夜友だちと飲みに行けて、どうして仕事に出てこれないのかと疑問に思われやすいが、夜飲みにいくことと仕事に出ることは山の高さが違う。改善度を見る時は、低い山はクリアできても、高い山はまだクリアできないと考えたらいい。しかし、会社側からは誤解を招きやすいので、患者さんには休養中は目立たないように気分転換をするようには伝えている。
 講演では精神科医と産業医との連携を強調していたが、産業医がしっかりしている会社は職場復帰も成功しやすい。私は初めて聞いたが、職業結合性精神障害が増え、職場でも我々という感情が希薄化し個人の責任が増大していることが関係しているという。他に、自殺についても話をしてくれたが、医師でも自殺者は毎年90人ほどいる。硫化水素による自殺は平成19年は2名であったのが、マスコミなどを通じてよく知れ渡るようになり、平成20年度は1000人以上に増加している。精神科医は、患者さんを診察していて意外な人の自殺を数多く経験しているので、患者さんから休養の診断書を書いてくれと言われると、なかなか断れないのも事実である。反対に、1回目の診察で、休養を勧める場合もある。みんな山ほどの仕事を抱えているので、その日すぐには休めない患者さんもいるが、いつでも診断書は書くと伝えている。7月28日の日記でも書いたように、1回受診した後そのまま自殺をしている患者さんもいる。この患者さんの自殺の方法は後から問い合わせのあった家族から聞いているが、身体に電気コードを巻きつけている。真面目で頑張り屋で、絶対に弱音を吐く子ではなかったという。
 日曜日は、相変わらず書き残していた診断書などを書き、きょうの夜にある製薬会社の社内勉強会の原稿を作っていた。1時間ほどの講演であるが、パワーポイントで24枚のスライドを作った。あちこちからカルテを探し出して書いていたが、、けっこう時間がかかってしまった。この講師はずっと断り続けていたが、製薬会社とのつき合いもあるので、3ヶ月ほど前に予定を入れた。毎回のことであるが、何ヶ月前に予定が決まろうと同じである。準備している暇はないので、結局直前の2日前にすべてやらなければならない。

平成21年9月22日(火)

 いろいろと用事があって、この日記を書き始めているのが、午後11時である。きょうは遅くなることはわかっていたので、少しでも書いておいたらよかったが、なかなか人生は思うようにいかない。ビールでも飲みながら書きたいが、疲れているので、コップ一杯飲んだだけでそのまま寝てしまいそうである。更新は夜中になっても、このまま書き上げようと思っている。久しぶりに医院での泊まりである。明日の朝9時からは京都市の休日待機番が当たっている。
 たまたま新聞のちらしにはいっていたNHK文化センターの講座を見ていたら、中国語の入門コースがあった。その次から初級、中級と続いている。前から中国語の発音の基礎だけはしっかり勉強したいと思っていたので、早速申し込みをした。期間は3ヶ月で、毎週木曜日の午後6時過ぎからで時間としては申し分はない。予定表を見てみたが、1回も休まずに行けそうである。ところが、つい最近NHK文化センターから自宅に電話がかかってきた。人数が集まらないので、このコースは取りやめになったという。私はインターネットで申し込んだので、代金はクレジットカードですでに払っている。代金を返却するので、こちらからわざわざ取りに行かなければならない。教室に行こうと思ったのは、少しでも中国語の勉強の刺激になればと思ったからである。前から書いているように、私が中国語を習いたいのは、1人で中国を旅行したいからである。特に差し迫った要求でもないので、また半年ぐらいはおあずけになりそうである。
 不況のせいか、去年と比べたら患者さんの数は減っている。落ち着いている患者さんは薬でも長期処方を望むようになった。不安定な患者さんでも、いきなり1ヶ月処方を頼んだりする。家計の節約で、以前に残していた薬を飲みながら、ちょっとぐらいのことでは受診しなくなってきているのかもしれない。患者さんの話を聞いていても、どの業界も不況の影響は深刻である。中には、少し改善してきたという患者さんもいるが、例外中の例外である。どの企業でも、出張を制限したり、経費削減に努めている。正社員だけではなく、パートをしている患者さんの話を聞いていてもすごい。高級ホテルのレストランの調理場でも、食器などの洗い物をする時には、水を流しっぱなしにするのではなく、一旦水を貯めて洗うように通達がきている。スーパーのバックルームでも照明は真っ暗で、冷房もほとんど効かず暑かったという。経済的には来年はもっと厳しくなると思うので、私もいろいろと考えていかなければならない。NHK文化センターみたいな習い事教室でも、不況はかなり影響しているのだろう。少し前に、私が借りている駐車場から現在借りている場所を移動して欲しいと連絡があった。空き駐車場が増えたみたいで、その後新たにコインパーキングを作っている。よく考えてみたら、私も中国語の勉強なんかしている時でない。英語のホームページを作り、本格的に英語圏の患者さんを集めるための備えをした方がいいのかもしれない。
 途中から我慢できなくなってビールを飲み出したが、案の定眠たくなってきた。いつもは早寝早起きで、原則的には毎朝5時起きである。夜が遅くなると、特に眠くなる。最後に、この連休の間に読み終えた本を紹介する。大屋洋子「いま20代女性はなぜ40代男性に惹かれるか」(講談社+α新書)である。ポスト団塊世代の50代の私にも何かいいことがあるのかと思ったが、私の世代は関係ないようである。そのまま10代上に上げても、時代背景があり、応用がきかないのである。著者は同志社女子大学を出て、現在は電通総研においてウェエルネス(健康・美容)市場担当のプロジェクトリーダーをしている。ウェルネス1万人調査で心の健康に焦点を合わせて分析すると、もっとも多くストレスを抱えているのが、男性では40代、女性では20代だという。20代男女の恋愛も、ABCではなく、今ではHIJKだという。H(エッチ)してからI(愛)が生まれ、J(ジュニア)が生まれ、K(結婚)するという。この調査では、恋愛は面倒臭いと考える男性は20代がもっとも高かったという。1990年代までは、恋愛のゴール=結婚というイメージがあったのに、今では恋愛のゴールがセックスでも結婚でもなく、目的を失い、結婚につながらない恋愛をくりかえすと指摘している。この本では、20代女性と40代男性の不倫などの例を数多く紹介している。
 若者に車が売れない1つの理由として、著者は若年男性の「モテたい欲」の減少を挙げている。男女平等で育った彼らは、なぜ男性ばかりが女性を口説くために頑張らなければならないのか理解できないという。ここでは、28歳の男性と24歳の女性のケースが出てくる。付き合って初めての彼女の誕生日に、彼が何も用意しておらず、「何食べたい」「ケーキはいる」と予定をすべて聞いてきて、彼女が段々不機嫌になったという。それに気づいた彼が「何? オレが全部セッティングしなければいけないの?」と一緒に不機嫌になっている。こんな同世代の男性の代わりに出てくるのが、40代の男性である。バブルが産んだ40代の魅力で、携帯もメールもない時代に磨いた抜群のコミュニケーション能力で積極的に20代の女性に迫ってくる。愚痴を言わずに自分の悩みを聞いてくれるちょうどいい相手になる。男性の回答では、「恋愛は楽しい」という回答がもっとも多いのが40代で、「恋愛は疲れる」「面倒臭い」という回答がもっとも多いのが20代である。「結婚する相手とは一生添い遂げるものだと思う」で4分の1を切っているのも、この40代の男性である。今の20代は、それまでの偏差値教育から個性化教育で育てられているので、何でも自由に自分らしくと言われてもかえって困るのである。自分が育った友だち家族とは違い、世間では厳しい不況の嵐が吹き荒れ、どこの会社でも成果主義が導入されている。
 ここでは、40代の女性についても書かれている。女性は6歳若く見られたいという願望があり、6歳若く言われると喜ぶそうである。ところが、バブル期を謳歌した経験のある40代の女性は、さらにその願望が顕著になり、10歳は若くみられるはずと強気に思っているという。他にも、興味深いことが書いてあるが、きょうはこの辺で終わりにする。私は遅筆なので、もうとっくに夜中の2時を過ぎている。朝の9時には起きれそうもないので、今晩は携帯電話を耳元に置いて寝るつもりである。

平成21年9月15日(火)

 きょうも朝6時過ぎに医院に出てきたが、やることがあり、この日記はまったく書けなかった。午後からは、府医師会で医療安全対策委員会があり、帰ってきたのは4時半である。その後も、いろいろな雑用があり、この日記を書き出したのは、夜6時過ぎである。いつもはある程度の分量を書いていたが、きょうは特別なことがあったので、短くてもご容赦願いたい。それぐらい、私が開業してから初めての出来事があった。
 私はふだんはある程度のことは我慢して、あまり波風を起こさないようにしている。いつも心がけているのは、チェック・アンド・バランスである。1つのことでも取り上げたら世の中は矛盾だらけであるが、そのことばかりに拘泥せず、いつも世間の標準に合わせてバランスを取るようにしている。こういう考え方は保守的で、世の中の矛盾を解決しようとせず、現状維持に傾きやすい。しかし、今回は私の患者さんに関することで、本当に切れてしまった。そのことで、きょうの朝は必要な書類を書くことでつぶれてしまった。ここでは詳しいことは書けないが、理不尽なことについては私は徹底的に闘うつもりである。法律的なことについては何もわからないので、大阪で弁護士をしている妹の旦那に相談したら、患者さんに対する重大な人権侵害だと言われた。何でもそうであるが、世の中にはその領域の専門家がいて、その専門家にも相談せす、素人が安易に介入してくることはタブーである。せいぜい、袋叩きにあうのが関の山である。
 今回の書類では、患者さんに対する人権侵害であることを警告したが、善処されない場合はそれなりの対処を考えている。雇用者側の組織は大きいが、日本全国の精神科医を敵にまわす覚悟があるのか、見物である。書類は医療安全対策委員会の前に提出したので、今は回答待ちである。私もばかではないので、いろいろな仕掛けはしている。こんなことを書くと、いつも権利ばかり主張しているように思われるかもしれないが、正直言って、人権派と言われる人は私はあまり好きではない。よっぽどのことがあったと、ご理解願いたい。善処されたら、大騒ぎするつもりはなく、患者さんも説得するつもりである。何があったかについては、このホームページでも明らかにするつもりは全くない。きのうはいつもの労災申請の判定会議があった。今回は2例出ていて、いずれも判定は簡単であった。毎回私が部会長として司会をしているが、今回問題になっている患者さんについては、発病に関して労災申請しても業務上として認められないことは伝えている。
 実は、きょうの朝警察からまた電話がかかってきた。私が診察していた患者さんが、首を吊って亡くなり、問い合わせがあった。この患者さんの自殺はまったく予見不能で、過去にその類の行動も認められていなかった。最近の診察でも薬を飲むように説得していたが、結局薬は飲んでいなかったようである。前にも書いたように、今年の自殺の件数は3万5千件を超えそうである。自殺については今回の患者さんのように専門家でさえ予見不能である。素人の雇用者側が必要以上に患者さんを追いつめて、何かあったら一体誰が責任をとるのかと思う。

平成21年9月8日(火)

 この前の日曜日は朝6時から医院に出てきたが、何もやる気がしなかった。やることはそれほど多くなく、障害年金の継続の診断書や新規の自立支援医療の診断書、介護保険の主治医意見書などが数通あったぐらいである。ところが、せっかく早く出てきたのに、気分は落ち込んでいて、何も手がつけられない。原因は全くないわけではないが、この日の抑うつ気分は強かった。こういう時には何も考えずに、いつの間にか貯まった雑誌や郵便物の整理をしたらいいのであるが、それもやる気がしない。だらだらと時間ばかりが過ぎていく。処置室の横にある私専用のトイレの掃除もできなかった。気力の低下は放っておいてもいいのであるが、何よりも苦痛なのが出口のない絶望感である。それでも、一晩寝ると簡単にリセットできるので、気分障害の診断基準は満たさない。あえて無理につけるなら、気分変調症になるのかもしれない。しかし、きのうは見違えるほど元気になっていた。私のように通常の気分の波より大きな気分の落ち込みが数時間から1日出現し、仕事などにそれほど支障をきたさない現代人は案外多いのかもしれない。
 医療者向けのホームページで、日本医師会が最近発表した勤務医の健康状態などについてのアンケート調査が話題になっている。アンケートの回答者数は3879人で、1ヶ月の休日が4日以下の勤務医は46.4%である。自宅待機やオンコールが月に8日以上ある勤務医が20%を越えていた。このアンケート調査で興味深いのは、メンタルな部分である。自殺を考えたことがあるが、6%にも達していた。気分障害の診断基準を満たさないサブクリニカルな気分の落ち込みは、世間では社会的成功者と思われている人に予想以上に多く起こっているのかもしれない。過酷な労働時間や重大な責任、想像を絶するプレッシャーなどが考えられるが、これは開業医も本質的に変わりない。私の場合は一晩寝たらケロッと忘れてしまうが、一旦気分が落ち込むと、バンジージャンプで飛び降りたように落ち込む。ロープが切れないように支えているのは、私が組み込まれているいろいろな社会システムである。私は経済的には勤務医の時より恵まれているが、家族の支えが足りないような気もする。
 日曜日はこのままでは仕事にならないと思ったので、気分転換を図るために、映画を見に行った。今評判の「ディア・ドクター」である。ところが、悪い時には悪いことが重なるものである。私も上演時間のぎりぎりで行ったのもよくなかった。満席で立ち見席しか残っていなかった。上映時間が12時半だけなので、日曜日にしか来れない。いつまで上映されるのかわからないが、この日はあきらめた。そのまま京都駅近くのマンションに帰り、大阪まで買い物に行くことにした。お中元やお歳暮の時期に患者さんから商品券をもらうことがある。私はふだんはデパートで買い物はしないので、商品券だけが貯まっていく。ディスカウント店で換金してもいいのだが、患者さんには失礼なような気もする。娘の誕生日にプレゼント代わりに少しやるだけである。ちょっと前に、カンボジアのシアヌークビルで手持ちのバッグにキーを入れたまま南京錠をかけてしまったことがある。ジッパーについている取っ手の穴に小さな南京錠をかけるのである。どうやって開けようかと思ってこの取っ手をよく見たら、支えている留め金の部分がつの字型になっていて、片方が空いているのである。この隙間にドライバーのような物を入れたら、簡単に鍵がはずれてしまう。それから気をつけて見ているが、他の旅行バッグもジッパーの留め金の部分がほとんどこのつの字型になっていて、鍵をかけても何の意味もない。暇な時に京都のデパートでいろいろ捜しているが気に入ったバッグが見つからず、梅田の阪急メンズ館に行くことにした。
 不況だというのに、メンズ館は混んでいた。1階のバッグ売り場で探していたが、ほとんどのバッグの留め金がつの字型になっている。結局トゥミのバッグを買うことにした。トゥミのバッグは頑丈かもしれないが、ビジネスバッグとしては少し重い。そんなわけで京都ではチェックしていなかったが、もしかしたら同じ物が置いてあったのかもしれない。今回買ったバッグは比較的軽く、ジッパーの金具の部分は穴をそろえて鍵をかけれるようになっている。ところが、私愛用の磁気で開ける鍵やディンプル型の鍵は太すぎてこの穴にはいらない。なかなかうまいこといかないものである。しかし、簡単に開けられるつの字型の留め金よりはまだましである。阪急百貨店の会員になっていたら、たとえ商品券の買い物でも5%ポイントがつく。医院に帰ってインターネットで調べたら、数千円のムダをしていることがわかり、また落ち込んでしまった。結局、この日は朝6時に出てきたというのに、夕食の7時に自宅に帰るまで、1通の診断書も書けずに終わってしまった。
 最後に、これも医療者向けのホームページで話題になっている精神科関係の裁判の判決について紹介する。外科などでは明らかな医療ミスがなくても患者さんから訴えられ、裁判になることが多い。精神科の医院では裁判はあまり関係ないものと思っていたら、今回見過ごすことができない判決が出ていた。どんな事件かというと、ある女性患者さんが診察室で医師と1時間余り面談していたところ、別の患者さんから「診療時間が長い」と叱責(しっせき)された。この後、女性の姿が見えなくなり、いったん発見した病院職員が目を離した隙に、屋上の出入り口付近のドアノブにハンカチをくくりつけ、自殺を図った。すぐに蘇生(そせい)措置が試みられたが女性は低酸素脳症で重体となり、今年1月に死亡した。家族が病院を訴え、今年の8月末に判決が下った。担当の裁判長は「女性はうつ病か人格障害とみられる症状があり、事故以前にも自殺を図ったことがあった」と指摘し、「事故は予見可能で、病院職員に見守りをさせるべきだった」として、約3300万円の損害賠償の支払いを命じた。恐らく境界性人格障害の患者さんであったと思うが、こんなトンデモ判決が出るなら、精神科医はこれから自殺企図のある患者さんを安心して診察できなくなる。

平成21年9月1日(火)

 毎週、何通かの自立支援医療の診断書を書いているが、新規を除いて、やっとほとんどの診断書は電子化できた。精神障害者保健福祉手帳の診断書の有効期限は2年で、自立支援医療の診断書の有効期限が1年である。手帳用診断書は自立支援医療の診断書を兼ねるので、手帳を持っている患者さんは毎年どちらかを書かなくてはならない。新規の患者さんも増えているが、毎月うんざりするほど書いていた継続の診断書は、これからは患者さんの年齢と書いた日付を訂正するぐらいで、後は簡単にプリント・アウトできる。この1年間やっと苦労した甲斐があって、万々歳だと思っていた。ところが、少し前にある患者さんが保健所から京都市の自立支援医療の診断書を持って来た。(府の自立支援医療の診断書とは様式が異なる) 自立支援医療の手続きをすると、外来負担の医療費が3割から1割になり、所得に応じて支払いの上限額が決まる。誰でも受けられるわけではなく、うつ病や統合失調症は受けられるが、パニック障害は原則適応にはならない。
 心療内科や精神科の医療機関は、毎月山ほどの更新の診断書を書かなければならない。だから、どこでもこの診断書や申請書などの書類は用意している。患者さんがわざわざ保健所まで取りに行く必要はない。統合失調症の患者さんが多いので、申請書などはこちらがほとんど書いて、患者さんは自分の名前と住所だけ書いたらいいだけにしている。さて、わざわざ保健所まで書類を取りに行った患者さんである。何気なく用意してきた診断書を見たら、いつの間にか様式が変わっている。この1年間、パソコンに古い診断書を取り込んで、ただひたすらパソコンの診断書に書き込んでいたので、まったく気づかなかった。やっと継続の診断書をほぼ電子化できたと思ったら、いつの間にか診断書の様式が変わっていたのである。ここまで来たら開き直るしかない。来年(?)あたりからこの自立支援医療の診断書の更新が1年から2年になる。京都市では、当面は古い様式の診断書と新しい様式の診断書が混在することになる。2年に1度になったら次の更新は大分先になる。古い様式の診断書がどこまで有効なのかわからないが、苦労してやっとパソコンに保存したので、このまま強引に乗り切って行こうと思う。新規の患者さんは、早いうちに新しい診断書で書かなければならない。またパソコンに取り込んで書き込めるようにしなければならないが、設定がけっこう面倒臭い。この前の土曜日は京都精神科医会があった。この時に他の先生から聞いたら、この新しい診断書に誤字があるという。昏迷が混迷になっているという。今ある診断書がなくなったら誤字を訂正するだろう。将来は、古い様式の診断書、新しい誤字がある診断書、新しい誤字を訂正した診断書と入り乱れることになる。いずれにしても、診断書の更新が1年から2年になるのはありがたい。外科なども最近は手術する前に説明しなければならない同意書などの手続きの書類が山ほどあるという。本来の診察よりも、こんな診断書の手続きで忙殺されるのでは、本末転倒である。
 先週の木曜日の夜はある製薬会社の研究会があり、土曜日はすでに書いたように京都精神科医会の集まりがあった。京都精神科医会では、森田療法で有名な三聖病院の宇佐晋一先生が話をしてくれた。三聖病院は私の医院からは近く、院長とは東山医師会でも同じ班なので、挨拶はよくしている。院長は今年80歳になるが、勉強熱心であちこちの研究会でもよくお会いする。この木曜日の製薬会社の研究会は小規模な会であったが、たまたまこの2つの会に参加していたのは、私と宇佐院長とN先生ぐらいであった。私は強迫的な所があるので、自分の治療のための森田療法については比較的詳しい。森田療法の中でも、三聖病院は禅の影響を強く受けているという。講演の前半は、最近出た「ヒポクラテスと蓮の花」というDVDを少し上映した。対人恐怖で悩む成年が三聖病院に入院してから退院までと、その1年後を追ったドキュメンタリーである。院内には、「しゃべる人は治りません」という張り紙があちこちに張られている。自分の心を言葉にすることが神経症の原因だという。このDVDの後で、美がこたえてくれるものとして、いろいろな美術作品のスライドを見せてくれた。会場でもらった案内の紙には、見ることは純粋体験であり、もっとも直接的な体験であるとか、実際の視覚体験は多くの知的な意味づけによって妨げられているなどと書かれている。DVDは2枚出ていて、もう一枚は「三聖病院 宇佐療法という宇宙」である。最初のドキュメンタリー映画のスピン・オフ作品である。最近は森田療法の入院治療をする施設は少なくなったという。宇佐先生も80歳になるので、日本独自の精神療法である森田療法をきちんと記録に残しておくことは大事なことである。前半のごく一部しか見れなかったが、最後まで見たいと思った。定価が9800円なので、値段が少し高い。ツタヤ・ディスカスでレンタルできないか調べたが、専門的になりすぎるのか在庫にはなかった。
 民主党が圧勝したことで、患者さんと話をしていたら面白いことを教えてもらった。私はけっこう本も読んでいると思ったが、初めて耳にした言葉で「満つるは欠く」だという。この表現をグーグルで調べたら、あまり使われていないので、もっと他の言い方をしているのかもしれない。「月満ちて欠く」でもうまいことヒットしなかった。どういうことかというと、月が満月になったら、後は欠けていくだけだという。だから、日々精進するために、お寺を建てた時でもわざと完成させず、最後の1本の釘は打たなかったり、一部の塗りの部分を残すという。完成させてしまうと、後は衰退していくだけなのである。耳学問でどこまで正しいのかわからないが、人生のいろいろな所で応用できそうである。圧勝した民主党も後は月のように欠けていくのかは、これからの見所である。

平成21年8月25日(火)

 きょうの朝起きたら、身体の筋肉があちこち痛かった。腕立て伏せや腹筋運動をしているので、その影響もあるかもしれない。まるで、風邪でも引きかけたような全身のだるい痛みである。熱はないので、インフルエンザではないと思うが、子どもの学校がこれから始まるので気をつけなければならない。私の医院は発熱で受診する人はいない。しかし、府医師会から送られてくるメールを読んでいると、内科の医院は大変なようである。待合室を発熱のある患者さんとそうでない患者さんとに分けるのに苦労している医院もある。それでも、インターネットで開業したばかりの先生の記事を見ていたら、インフルエンザの予防接種はまだ患者さんが少ない時には経営的にかなり助けてくれるようである。私の医院はインフルエンザの予防接種はしていないので、どの位の収入になるのか全くわからない。かなりの医業収入になるようなので、その分、こういう時には頑張ってもらうしかない。私は毎年インフルエンザの予防注射を打っていないが、今年は大変なことになりそうなので、近くの医院に打ちに行こうと思っている。
 きょうは午後からいつものヘルパー養成講座に行ってきた。二条城の駐車場に車を置いたが、二条城はきょうは休日で、知らない家族連れや外人が訪れていた。こんな所も休みになるのは、はじめて知った。それほど暑くもなく、天気もよかったので、せっかく観光に訪れた人は気の毒である。ヘルパー養成講座の精神保健の授業は60名ほどの人が受けていた。不況を繁栄して、受講者は相変わらず増えている。男性も5人いた。年代は若い人から高齢者まで幅広い。1番多いのは、いわゆるおばさん連中である。冗談を言っても、反応のいい時と悪い時があるが、きょうはいい方であった。この日記でも書いているようなことも少し交えて話すが、この前の日記でも書いたように、夫は妻に子どもを人質に取られていると話したら、意外な感じの反応であった。子育ては子育てで大変かもしれないが、普通に育てたら子どもは父親よりやはり母親になつく。何かあった時に、「お母さん」と叫んでも、なかなか「お父さん」とは言ってくれない。この講義は1回2時間半で、税金を1割引かれて、手取りで1万8千円である。忙しいと、誰かに代わって欲しいと思うが、今は贅沢は言っていられない。周りはどんどんと給料が下がっているので、稼げる時に稼がないといけない。
 この講義は午後5時前に終わった。医院に帰ってからこの日記を書き始めているので、きょうの更新はかなり遅くなりそうである。早く書いて、さっさと好きなことをしたいが、なかなか思うようにはいかない。実はきょうの朝はいつものように6時過ぎに医院に出てきたが、この日記に書くために、読みかけていた本を最後まで読んでいた。本の題名は、久郷ポンナレット「虹色の空」(春秋社)である。副題として、〈カンボジア虐殺〉を越えて 1975-2009とついている。著者はプノンペンに住んでいて、11歳の時にポルポト政権のもとで家族ともども強制退去を受け、トノート村に強制移住させられている。強制退去の時に、ラジオで「みなさんの家には、アメリカ兵が爆弾をしかけていったかもしれません。みなさんの安全を守るために、調べる必要があります。ですから、3日間だけ家を離れてください」と放送したという。そして、あらたな呼びかけをし、軍人、政治家、役人、医者…などに、国家の再建のため、政府に出頭するように求めた。この後どうなったかは、もんもん読書録にも書いたが、人民(農民)を搾取してきた知識層として全員殺されている。この本でもオンカーという言葉が紹介されているが、もともとは「組織」という意味が、「上の方」「指導者」と特別な意味になっていた。村の人々との対立も書いている。都市からの移住者は新住民で、昔からいる住民は旧住民で、配給なども格段の差があった。殺すという言い方の代わりに、「イモ栽培」「大学行き」という言葉が使われていた。「イモ栽培」というのは、殺されて埋められイモの肥料になるということで、「大学行き」は以前は大学であった所が刑務所として使われ、新住民の処刑が行われていた。著者は強制労働を強いられ、マラリアにかかるが一命をとりとめる。4年に満たないポルポト政権が崩壊し、この間に両親、兄弟4人を亡くしている。ポルポト政権が崩壊した時に、もっとも大きな変化は、それまでにらむようにしていた旧住民の目だったという。誰もが目をそらすので、何が起こったのか最初はわからなかったという。やがて大勢のベトナム兵を乗せた軍用車が村にもやってきた。この時に著者は14歳である。
 その後、日本に留学していた姉を頼り、日本に難民として移住し、16歳で日本の小学校に入学している。3年後に卒業し、そのことが日本の新聞に取り上げられた。この時に、たまたま新聞記事を見て手紙を出してくれた日本人と結婚している。日本の差別のこともかかれているが、長男と娘を生み、著者は日本でたくましく生きていく。著者が強制移住させられたトノート村では7000人が虐殺されていたという。この村に行って、母親をはじめとする犠牲者の慰霊を行っている。この時に、30年ぶりの被害者と加害者の対面も果たしている。その後、2006年には独立記念塔の近くのランカー寺に慰霊塔を建てている。現在、ポルポト時代の虐殺について国際法廷が開かれているが、両親や兄弟を奪われた著者は責任者が1日も早く法廷で裁かれることを望んでいる。しかし、ポルポト派の旧住民と新住民の関係や反ベトナム感情を知ると、なかなか裁判が進まないこともわかるような気もする。
 カンボジアでは、30年以上前のことなので、今の若い人はポルポト時代のことは知らないという。日本の若者はベトナム戦争のことも含めて、もっと知らないであろう。ここでも何回も書いているが、カンボジア人は日本人に対してはとても友好的である。その理由は、明石康・国連事務総長特別代表が総選挙を成功させ、カンボジアに平和をもたらしたからである。カンボジアの観光客は最近は日本人を抜いて韓国人が1番であったが、この経済危機でウォン安になり、また減っている。かわりに、ベトナム人の観光客が増えているという。たまたま、全国保険医団体連合会が発行している8月の月刊保団連を読んでいたら、「ベトナム戦争」にこだわるという文章を、報道カメラマンの石川文洋が載せていた。来年はベトナム戦争終結35周年になり、未発表の写真集を刊行するという。私も学生運動やこのあたりのことについては今後もこだわっていきたいと思う。

平成21年8月18日(火)

 盆休みは実質的には丸3日間は休めて、久しぶりに贅沢な気分を味わえた。この3日間は昼頃から毎日酒びたりであった。酒といっても、ビールとラム酒であるが、何の気兼ねもせず、昼からビールが飲めるのは極楽である。束の間の夢のような3日間が過ぎ、15日の土曜日は仕事の用事が少しはいり、16日の日曜日はまた朝6時から医院に出てきた。いつものように、10月で切れる自立支援医療の更新の診断書などを夕方まで書いていた。8月に私の医院に転院してきたばかりの患者さんの障害年金の診断書もあった。まだ1回しか診察していなかったので、書くのが大変だった。きのうあった労災判定会議の資料も読んでいた。今回は4名の労災申請が出ていた。1人当たりの資料は200ページを超えるが、判定に迷うような難しいケースは含まれていなかった。
 いつの間にかまた体重が増えてきたので、心を入れ替えてまた減量を試みようと思う。日曜日から昼食はダイエット・クッキーのみで、腹筋や腕立て伏せもやりだした。慣れないことをいきなりやり出すと、腹筋が痛い。あまりにも痛いので、きょうはやめようかと思ったが、気を取り直していやいやながらした。時間は午前の外来が終わってから、昼食をとる前である。まだ3日目であるが、体重を測ってみたら、500g減っていた。誤差の範囲内なのかわからないが、間食もほとんど取らないようにしている。目標はオーダーのズボンが苦しくなくはけることである。若い頃はいくら食べても太らない体質であったが、ほとんど動かず、1日中診察室で座っていると、どんどんと中年太りしてくる。ただ、年を取ってくるとあまり楽しみもなくなり、美味しい物も少しは食べたくなる。ついついプリンやケーキなどの甘い物をとってしまい、油断していたら、1度減量に成功した身体がまた元のように戻ってきていた。
 盆休みの間は、ふだん見ている暇のないTV番組も見ていた。院長室には、ソニーのブルーレイディスク録画機が置いてある。「たかじんのなんでも言って委員会」などは予約録画している。他におまかせ録画機能がついており、勝手に私好みの番組を推測して録画していく。はずれも多いが、「ガイアの夜明け」とか最近ではNHKの「マネー資本主義」など面白い番組を知らない間に録りためてくれる。おでかけ転送で、PSPに入れて自宅でも見たりしているが、ほとんどが見ずに消している。CNNのニュースだけはほぼ毎日30分は見るようにしているので、ふだんは他の番組を見ている余裕がない。久しぶりに、9日に放映された「たかじんのなんでも言って委員会」を見たら、感動的に面白かった。核廃絶を巡る議論をしていたが、政治評論家の三宅久之のコメントが1番説得力があった。どういうことかというと、今や核爆弾を作るのはそれほど難しいことではないので、世界中が核廃絶をしてテロリストの手に核爆弾が渡ったら、今度は世界中がテロリストの支配下に置かれ、何でも言うことを聞かなければならなくなるというものであった。核の抑止力のために今や核廃絶は不可能なのである。「マネー資本主義」も5回シリーズでまだ全部は見れていないが、内容は充実していた。ついつい情報源として、本ばかりに頼りがちになるが、TVも決して侮れない。
 さて、その本であるが、今回は、信田さよ子「選ばれる男たち」(講談社現代新書)を読んだ。著者は原宿カウンセリングセンター所長をしており、嗜癖問題、アダルトチルドレンなどでよく知られている。上野千鶴子との共著である「結婚帝国 女の岐れ道」(講談社)を読んだ時に、上野千鶴子がこの本で、フェミニズム運動が衰えたのは、自己責任という言葉が流行ったせいだと述べていたのが印象的であった。最初に、還暦を過ぎた著者がヨン様に夢中になっていることが述べられている。この世代の若い時に吹き込まれたロマンチックラブイデオロギー(愛と性と結婚の三位一体説)は男性にとって都合のよい価値であったことを結婚してから気づき、今になっておばさんたちが日本の男(夫)では満たされなかった守られたいいう庇護願望と対象を愛玩する欲望をヨン様に仮託しているという。ここには、圧倒的に劣位にある対象を思う存分支配したい欲求が隠れていると述べ、うぶで無垢な王子がおばさんの性的欲望の対象となることも指摘している。ここまで読んで、生まれ育った男尊女卑の時代背景が影響しているのか、単なる老いに入る前の欲望の解放なのかよくわからないと思った。中高年のおじさんが若い女の子に性的欲望を向けるのと変わりないような気もする。
 この本では、このおばさんたちが夫に虐げられてきた姿がたくさん描かれている。夫に日常の愚痴を聞いてもらおうとすれば、「結論を言え」「論理的に話せ」と言われると書いてある。この部分はよく指摘されることであるが、女性は決して問題の解決を望んでいるわけではない。解決しなくても、ただ愚痴をきいてもらったらいいだけである。しかし、ほとんどの男性は相談されたら問題を解決しなければならないと考える。だから、単なる男女の思考の違いで、決して夫は妻を虐げているわけではない。ワースト3の暴言として、「誰のお陰で食べていられるのか」「出て行け・出て行くぞ」「女のくせに」が挙げられいる。著者はDV(ドメスティックバイオレンス)を受けている女性のカウンセリングもしているせいか、この本は全体的に男が既得権を持って、不当に女性を虐げているという論調で終始している。夢の男の条件も書いており、特に異論はないが、男性の立場も言及しておかなければいけない。中国に関する本を読んでいたら、中国の女性は日本の専業主婦のことをどう思うか書かれていた。中国では結婚しても男女平等で仕事をしているので、夫だけが仕事をしていたら、夫の発言権がものすごく強くなるのではないかと心配していた。日本の女性は中国のように働きたくても働けなかったという事情もあるが、夫としては内心「誰のお陰で食べていられるのか」と思うほど、会社では苦労している。かと言って、食べさせてもらっているから何でも夫の言うことを聞けではもちろんだめである。前にも書いたように、アメリカの核の庇護のもとで日本の平和が保たれているので、何でもアメリカの言うことを聞けとならないのと同じである。夫が毎日朝から晩まで苦労して働いている姿は妻にも子どもにも見えない。昔は、地震、雷、火事、オヤジでそれなりの権威は保てたかもしれないが、今や夫は妻に子どもを人質にされ、給料運搬人として厳しい職場環境で働かされている。
 ふだんはまったくと言っていいほど小説は読まないが、今回芥川賞を受賞した「終の住処」を読んだ。新婚旅行中不機嫌だった妻との結婚生活を描いているが、主人公は次から次へと他の女性と浮気をしている。前にも書いたように浮気の定義は難しいが、私は基本的には浮気はしないので、読んでいて羨ましいような複雑な気持ちになった。11年間妻とは話さず、必要な連絡は娘を通してしているが、これは娘にとって環境的には1番悪い。最後に主人公が長い出張から戻ったら、知らないうちに娘がアメリカに行き、また妻と二人きりの生活になることが描かれている。精神科医は、娘がアメリカに行ったのは、この家庭環境が大きく影響していると考える。妻と11年間話さなかった時期をどう過ごすかで苦労しているところは、人ごとではなく、共感する部分もあった。若い頃の仕事の苦労も書かれているが、家族のためにお金を稼いでくるのは実際に大変なことである。しかし、男の私からみても、この主人公の家庭生活はまずいだろうと思った。もうひとつ妻の姿が見えてこないが、それこそ、信田さよ子から非難されても仕方のない男の生き方である。

平成21年8月11日(火)

 きのうの午後は、第2、第4の水曜日に行く紫野の特別養護老人ホームに水曜日の代わりに行った。明日の水曜日から週末までは、私の医院は盆休みとなる。ところが、雨が降っていたせいか、ゴトビの影響かわからないが、道路が堀川通も五条通も大渋滞で、行き帰りが大変だった。車の中で、TVのワイドショーを聞いていたら、酒井法子の覚醒剤のことが伝えられていた。自宅からストローや吸引器が見つかり、使用方法が注射ではなく、あぶりであったことが詳しく取り上げられていた。
 ここでも何回も書いているが、私はアルコールや薬物依存については詳しく、これまでにいくつもの医学論文を書いている。この覚醒剤のあぶりについては、私が日本では初めて学会で報告し、論文にしている。今自分の手元に、「アルコール研究と薬物依存」に載せた論文があるが、発表したのは平成2年12月である。正式な題名は、「加熱吸引による覚醒剤乱用」である。この論文では、それまでの世界の覚醒剤乱用の歴史を簡単にまとめている。この時代の覚醒剤事犯の検挙者数は横ばいないし漸減傾向となっていた。そのかわりに大麻事犯の検挙者数が毎年増加していた。当時の加熱吸引のやり方は、アルミホイールに覚醒剤をのせ、下からライターであぶり、その煙をストローで吸う。中には、紙や千円札を丸めて、ストロー代わりに使っていた。
 私が覚醒剤のあぶりについて知ったのは、たまたま平成2年6月に見たNHKの衛星放送である。米国のTV番組でこの方法について特集していたが、約20cmほどの丸フラスコのようなガラスの香炉が吸煙道具として用いられていた。番組では、この方法はアジア系米国人によってハワイにもたらされたと伝えており、わが国にも外国人労働者から伝わった可能性が高い。私はこの論文で3例の症例報告をしているが、その内の1人がフィリピン人であった。このフィリピン人はフィリピンではみんなこの方法を用いていると供述していた。ハワイはマルコス大統領が亡命したように、フィリピンからの移民も多い。これらの事実から、私はこの方法がフィリピンからわが国や米国に伝わったのではないかと推測している。
 覚醒剤は、わが国ではメタンフェタミンが用いられているが、米国ではクリスタル、アイスと呼ばれていた。日本ではスピードやエスとも呼ばれている。平成2年の時には、AIDSの関心の高まりもあり、感染の危険性のある静脈注射より、この方法が若者に急速に広がっていく可能性があることを論文では指摘していた。この時点では、米国ではまだ流行はハワイだけに限定されており、将来の米国本土への大流行を懸念されていた。そして、あれから約20年である。わが国では、若者に一種のファッションとして大流行し、特別ファンでもないが、清純派女優として知られている酒井法子が覚醒剤取締法違反で検挙されるまでになっている。米国については、少し前にCNNのアントールドストーリーでこの流行について特集していた。その内容はすでにこの日記でも書いたが、ビッグ・スカイ・カントリーと呼ばれるモンタナ州では若者に大流行し、深刻な事態に陥っていた。州全体が本気で乱用防止やリハビリに取り組んでいた。ここでは、メタンフェタミンのことをメスと呼んでいた。
 車の中でワイドショーを聞いていたら、覚醒剤は日本人向きだと誰かが発言していた。どういうことかというと、日本人には俗にいうアッパー系のドラッグが好まれ、ヘロインのようなだらんとなるダウナー系のドラッグは流行らないと言われてきた。しゃきっとして、「24時間闘えますか」の薬が日本人の国民性にマッチしている。私も初めはそう信じていたが、CNNの番組を見て、覚醒剤は特別日本人だけに好まれるドラッグではないと思った。煙を吸引するということで、注射や経口摂取よりも最初の導入の抵抗がなくなるは確かである。しかし、軽く始めたタバコ感覚のノリからすぐに深みにはまり、やがて抜け出せなくなる。覚醒剤を長く乱用していると、 脳に後遺症が残って人格変化を起こし、リハビリをしてもなかなか元のようには回復しない。この点については、タバコより害がないと言われている大麻とは対称的である。
 私の医学論文は症例報告が多いが、基本的には一発屋で日本で初めてという報告も多い。症例報告は誰でも運がよければ単発でできるが、そういつもいつも珍しい症例に出会うわけではない。実はこの論文で報告した3例は私が実際に診察した患者さんではない。たまたま京都新聞を読んでいたら、覚醒剤をアルミホイールであぶってその煙を吸い、京都府警に逮捕されたと記事が載っていた。外来や入院などの臨床の場で待っていたら、いつのことになるかわからない。医学研究はとにかく最初に発表した者が勝ちである。私はもともと上の人に頭を下げて、何か頼むというのは苦手である。しかし、決断したら行動は早い。当時勤めていた私立総合病院の事務長に頼んで、警察署の生活安全課の人を紹介してもらった。この病院では救急もやっていたので、管轄の警察署とは話もよく通じていた。実際に目的は覚醒剤中毒の医学研究だったので、上の人を通すと警察署の協力も得られやすかった。他の署の生活安全課の人も紹介してもらい、何とか3例を集めることができた。被疑者とは直接面接できなかったので、こちらが用意していた質問を渡し、取り調べの時に協力してもらった。今は個人情報保護法ができたので、たとえ医学研究のためでも警察の協力は得られにくいかもしれない。20年近く前だったので、何とかできた方法である。前にも書いたが、高知市の浦戸大橋からの投身者を調べた時にも、警察の協力を得ている。他人のふんどしで相撲を取っているようであるが、この論文は今読み返しても現在の状況をぴたりと読み当てている。この時に京都府警にはお世話になったので、精神科関係ではできる限り協力はしていきたいと思っている。

平成21年8月4日(火)

 この日記を毎週書いているが、いつも毎回何を書こうかとパソコンの前で思案する。何か出来事がある時には、今回はこのことを書こうと題材も定めやすい。しかしいつもいつも何かが起こるわけではない。そう毎回映画を見に行っている暇もない。先週は7月の第5週にあたっていたので、特に予定は何もはいっていなかった。丹後労働基準監督署から、労災申請の事案について私の医院に訪問があったぐらいである。労災申請があった場合、調査をする労働基準監督署の人は精神医学の専門家ではない。難しいケースの場合は、予め専門家の助言が必要になる。私の医院には、時々こういう人が訪れてくる。しかし、丹後からわざわざ出てくるのは珍しかった。場所は峰山にあり、地図で調べたら宮津より遥かに遠い。係の人に聞くと、JRを使って4時間かかったという。私の患者さんの中には、何人か丹後出身の人がいる。私が2年間福知山に住んでいた時には、丹後までドライブに出かけたこともある。昔は丹後ちりめんであちこちに御殿が建ったと聞いたことはある。よく考えてみたら、栄枯盛衰で西陣の呉服も今ではだめになっている。人口も年々減少しているようであるが、地域の活性化というのは本当に難しいと思う。新鮮な魚介類に恵まれ風光明媚であるが、京都市内から車でわざわざ出かけるには少し遠すぎる。
 相変わらず、書かなければならない障害年金の診断書などの書類が多い。障害年金の診断書では、学歴や職歴を書く欄がある。毎週日曜日は、詳しいことを聞いていない患者さんにこちらから自宅まで電話して確認している。不在の時には、何回も電話しなければならず、少し面倒くさいと思ったりする。障害年金の診断書を依頼された時に聞いておいたらいいのであるが、いつも聞き忘れてしまう。自立支援医療の診断書でも、今月の更新分は書き終えたと思ってほっとしていても、次から次へと新たにまた患者さんから頼まれる。毎月1日は朝から晩まで診断書を書く日に当てているが、結局他の日曜日も出てこなければならない。職員の給与計算や税理士に送る書類の整理など雑用も多いので、あまり休んだ気になれない。最近私の患者さんが野沢温泉の民宿に泊まってきたと話していた。朝晩の食事つきで、6千円ちょっとである。両親がすでに引き払った実家の近くで懐かしく思った。たまには私も温泉にでもつかって、何も考えずゆっくりしたい。今回自立支援医療の診断書を書いていて初めて知ったが、住民票を京都に移していなくても、京都で自立支援医療が受けられる。国民健康保険証は他府県でも、京都に住んで京都で働いている場合は京都で申請できるのである。
 実は、この前の日曜日は一人で咲くやこの花館まで写真を撮りに行っていた。息子は中学の勉強の合宿に参加しており、家内と娘は東京まで大学のオープン・キャンパスに出かけていた。三室戸寺のアジサイから始まって、東福寺天得院のキキョウなどこの頃花の写真に凝っている。いつもリコーのCX1を持ち、手ぶれしないように一脚を用意し、シャッター用のケーブル・スイッチを使っている。手ぶれしないテクニックとしては、シャッターを直接押さず、タイマーを使う方法もある。液晶が見やすいように、このコンパクト・デジカメには遮光フードもつけている。オリンパス・ペンのデジカメが話題になっているが、ファインダーが使えないので、今回は買うのはパスした。日本カメラかアサヒカメラか忘れてしまったが、このリコーのコンパクト・デジカメで接写にして望遠で撮ると、背景がかなりぼけると載っていた。実際に撮ってみると、重い一眼のデジカメを使わなくても、満足のいく写真が撮れる。花の写真を撮るきっかけになったのは、たまたま府立植物園の温室である。偶然であるが、一枚印象的な花の写真が撮れた。晩年秋山正太郎が花の写真ばかり撮っていたが、この時には何が面白いのかさっぱりわからなかった。患者さんが勧修寺のハスがきれいだったと言っていたので、また撮りに行こうと思っている。
 さて、咲くやこの花館である。京橋から長堀緑地線の地下鉄を使って鶴見緑地駅で降りる。この日はかんかん照りで、駅からけっこう歩かなければならず、汗だくであった。館内も冷房が効いている場所と効いていない場所があり、とにかく暑かった。きれいなハスの写真を撮りたかったが、咲いている場所は離れており、いくら望遠を使っても画面一杯にはならず期待はずれであった。蘭も咲いていたが、あまり絵にならない。小さな花を接写で大きく撮ると、それなりに印象的な写真になる。若い人はおらず、何人かの中高年の人が大きな一眼のデジカメで写真を撮っていた。それほど大きな建物でなかったが、館内の職員は多かった。どの花にも白い名札が地面に立てられており、写真を撮る時には邪魔になる。写真を撮る時だけこの名札を引き抜こうと思ったが、職員がそばにいるので引き抜きにくかった。それでも、家に帰って見てみたら、満足のいく写真が数枚撮れていた。
 最後に、今週ではなく、先週に読んだ本の紹介である。昔読んだ本で、京都の陰の支配者の1つにお坊さんが挙げられていた。だから、あまり悪口は書きたくない。今回読んだ本は、ショーエンK「ぼうず丸もうけのカラクリ」(ダイヤモンド社)である。著者は、大学で経営学を学び、税理士試験にも合格している僧侶である。時給50万円と書いてあるが、これはお布施の全国平均である。私の患者さんの中にもお寺関係の人は少なくない。密教系の修行は厳しく、浄土真宗はまだ楽であると聞いたことはある。この本では西本願寺派の結婚支援サイトのことも書いてある。しかし、今の若い女性にとっては、年がら年中檀家の訪問客の相手をしなければならないのは大変である。総本山に納める上納金のことも書いているが、有名なお寺では年間五千万円になるという。誤解の招きやすい表現であるが、1本3円のろうそくを100円で売り、粗利が97%とも書いてある。副収入として、お寺が窓口になることで、料理屋さんや仏壇屋さんなどの業者から紹介料がはいるという。お寺も住職の物ではなく、住職は単なる管理人だということはこの本で初めて知った。住む家も檀家の寄付で建てるのである。しかし、その分檀家にはあまり贅沢に思われれないように、気を使わなければならない。最初に開業医も忙しいと書いたが、お寺には定休日はない。お坊さんにとって、唯一安心して過ごせるのは、火葬場が休みになる友引だけであるという。今はどこも不況であるが、日本は高齢化社会を迎え、年間100万人以上が亡くなっている。これは、毎年仙台市と同じだけの人口がお墓に入ることになる。この時のお布施を単純計算すると、50万円×100万で、年間5千億円にもなる。しかも、税金は一切かからない。この数字だけみると、やはり、ぼうず丸もうけだと思う。しかし、浄土真宗の患者さんから、檀家だけで食べていけるお寺は3割ぐらいだと聞いたことがある。ここでは、檀家数が千件を超えると、大きなお寺になると書いてある。どの業界でもそうであるが、貧富の格差が激しく、その恩恵を受けているのはごく一部の人たちのようである。

平成21年7月28日(火)

 きょうの京都新聞を読んでいたら、平成21年度の1月〜6月までの自殺者が全国で1万7千人を超えたと出ていた。平成15年の年間自殺者数は3万4千人を超えていたが、その後減少に転じていた。この勢いだと、今年はまた記録を更新しそうである。実は、きのうの午後、警察から患者さんのことで問い合わせがあった。名前を聞いても、どんな患者さんかすぐに思い出せなかった。中には、もう何年間も受診していない患者さんもいるので、すべて覚えているわけでない。名簿を調べてみたら、カルテ番号からまだ最近受診したばかりの患者さんであることがわかった。カルテを捜したが、所定の棚の位置からは見つからなかった。どこかに紛れているのか、夕方の診察に受付の人が出てきてから捜してもらうしかない。時々、カルテが他の場所に紛れて見つからない時がある。
 診察は1回しかしていないので、どんな患者さんか名前だけからは思い出せなかった。最近は年をとったせいか、記憶力も衰えている。それに、もともと人の名前を覚えるのが苦手である。私はカルテでもきちんと書く方なので、反対に安心して記憶にはとどめないのかもしれない。カルテを見たら、何でも書いてあるので、記憶に残す必要がないのである。患者さんの診察はカルテを見ながらするので、あまり覚えていなくても何も困らない。
 以前にもこの日記で書いたが、私は定年退職した日赤の部長の後任として、神戸から京都に戻ってきた。この時に、この部長の患者さんを私が全員引き継いが、カルテには処方箋以外のことはほとんど何も書いていなかった。患者さんに障害年金の診断書を書いてくれと頼まれても、カルテに何も書いてなかったので、本当に困った。月に何百人と患者さんを診察しているので、似たような境遇の人も多い。どの患者さんのお父さんが胃がんで、どの患者さんのお母さんが大腸がんだったか、すぐに混乱してしまう。夫の姉と折り合いが悪かったのか、妹だったのか、この前亡くなったのは兄のお嫁さんだったか、弟の嫁の兄だったのかも区別がつかなくなる。私は細部のことについてすぐに忘れそうになるので、患者さんから聞いたことはカルテに強迫的に何もかも書き込んでいる。ところが、私が患者さんを引き継いだ時にはカルテには何も書いてなくて、書類を書く時には死ぬほど苦労した。それでも、ここまでカルテを書かなくても患者さんを診察できたということは、全部覚えていたということになる。この時に、腹ただしさより、反対にその記憶力に感心してしまったことを覚えている。この部長の名誉のために書いておくが、昔の先生なのでカルテの記載はいい加減であったが、患者さんの診察はきちんとしていた。
 さて、警察から問い合わせのあった患者さんである。3時半に受付の人が来て、早速どこかに紛れたカルテを見つけくれた。カルテを開いたら、すぐにどんな患者さんか思い出した。仕事で行き詰まり、抑うつ的になっていた人である。軽い抗うつ薬を1週間処方していたが、予約した再診日には受診していなかった。患者さんには、休養が必要かどうか確認しているが、まだ診断書はいらないということであった。心療内科の初診の患者さんではよくあるケースで、特に印象に残ったケースではなかった。すぐに、また警察から問い合わせの電話がかかってきた。患者さんがベッドで亡くなっている所を発見し、おそらく自殺ということであった。私の出した処方では一気飲みしても死ねない。具体的な自殺の方法については、個人情報もあるので教えてもらえなかった。少し前にこの日記で自殺のことを書いたが、また自殺である。まだ若い人で、一瞬、もう少し強い抗うつ薬を出した方がよかったのかと思ったりした。患者さんが亡くなると、どうしても主治医と患者という2者関係だけで自殺を考えてしまう。たぶん、会社関係でも、上司は上司で、同僚は同僚で何か自分に落ち度はなかったかと考えてしまう。家族は家族で、自分たちのせいで自殺に追いやったのではないかと自責的になってしまう。精神科に通院していて患者さんが自殺すると、主治医の治療が悪かったのではないかと考えがちである。しかし、本当の所、自殺が起こるまでに何があったのかよくわからない。いくら専門家が治療していても、日常で起こる苦痛な出来事を何もかもコントロールできるわけではない。
 先週の土曜日は、映画を見に行くつもりであった。しかし、疲れていたので、夜出かける元気がなく、ビールを山ほど飲んで寝てしまった。何を見に行きたかったかというと、京都みなみ会館で上映している「マン・オン・ワイアー」である。どういう内容かと言うと、フランス人の大道芸人が、ニューヨークの世界一高い2つのビルに綱を渡し、命綱なしで綱渡りに成功したドキュメンタリーである。この映画についての知識は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したということぐらいしかない。今、この日記を書いていて、この映画を見てこなかったことをすごく後悔している。この映画の内容はまったく知らないが、生きるということは、命綱なしでバランスを取りながら綱を渡っているようなものである。万が一強い風が吹いてきたら、バランスを崩し、足を踏み外してそのまま転落してしまう。足を踏み外さずに綱を渡るには、今の暗い社会ではとてつもない集中力を必要とする。私の患者さんの中には、もう生きるのが面倒で、いつでも足を踏み外してもいいと考えている人が大勢いる。努力した人が努力に応じて報われる社会は悪い社会とは思わないが、普通の人が普通に生きられない社会は最悪である。

平成21年7月21日(火)

 車の中でテレビの音声だけ聞いていたら、形成外科医の西川史子が「お金より愛」と言って、婚約会見を開いていた。特にファンでもないが、同じ医者なので、それなりに関心は持っていた。38歳と聞いて、前にも書いたように女の38度線はなかなか越えられないと思った。この年になって、大恋愛を期待しても無理で、出産に関してもぎりぎりの年齢である。今でこそ、40歳近くで結婚する人も多いが、私の時代はこんな年代で結婚するのはそれこそ変わり者であった。この日記でも書いているように、私はこの変わり者で38歳の時に結婚したが、当時医局ではただ1人独身の大先輩がいただけである。ところが、私より卒業年度が3年ぐらい下あたりから、独身がちらほらと出始めている。医者の独身はまだ少ない方だと思うが、今や一般社会は独身者であふれかえっている。
 晩婚のメリット・デメリットを考えると、まず親が90歳を超えて、子どもは70歳という老々介護は避けられる。40歳の時にできた子どもなら、自分が90歳になってもまだ子どもは50歳である。しかし、この1番の働き盛りの時に、子どもがどこまで面倒を見れるかというとこれも不安を残す。年齢が行ってからの子育ては、若い時より人生経験を積むので、ある程度余裕を持つことができる。しかし、小さいうちは子どももかわいくて仕方ないかもしれないが、反抗期になると親も年齢が行くので、こちらのパワーが落ちてきてうまく対応ができなくなるかもしれない。私と家内が小学校の子どもの授業参観に行った時に、周りの親がみんな若いので驚いたことがある。親があまり年を取りすぎると、子どもが同級生からからかわれたりする心配もある。しかし、これからはどんどんと高齢の親が増えてくると思うので、あまり気にする必要はないかもしれない。
 1番のデメリットは、やはりお金がかかることである。今は大不況なので、若い夫婦も子どもを作っている余裕はない。今までのように定年まで、給料が上がっていくという保証もない。私は39歳の時と41歳の時に子どもを作ったので、子どもが成人した時には一般社会ではもう定年退職を迎えている。私は開業したのでまだ経済的には余裕はあるが、これからまだ高2の娘と中3の息子を1人前にしなければならない。まだまだこれからもずっと働き続けなければならないかと思うと、少しうんざりである。早く引退して、精神的にもう少しゆとりのある生活を送りたい。それこそ子どもが西川史子のように38歳で結婚となったら、もう生きているかどうかもわからない。患者さんを診ていてつくづく思うが、親はいくつになっても子どもの心配はつきない。子どもの離婚や失業、孫の登校拒否などいつまでたっても解放されない。私はとりあえず2人の子どもを大学に入れたらやれやれと思っているが、決してやれやれでないこともわかっている。
 先週は祇園祭と海の日を含めた連休があったが、私には何の関係もなかった。祇園祭に関しては、こんに忙しくて暑苦しい時にどうして大勢の人出の所に行かなければならないのかと考えてしまって、少しも心の余裕がない。連休は相変わらず、障害年金の診断書や9月で切れる自立支援医療の更新の診断書を書いていた。日曜日の午後2時頃から、裁判になっている労災の資料を読んでいた。正式な名前は、労災保険不支給決定処分取消請求事件である。会社の上司や同僚の陳述書や本人の陳述書、主治医の意見書、カルテのコピー、原告代理人弁護士の準備書面、原告側の精神科医の意見書、被告側の精神科医の意見書など時系列に並べて、今何が争点になっているのか資料を読んでいかなければならない。その後で、私が原告側の意見書について、反論の意見書を書かなければならない。アマゾンで注文していたPTSDの本も届いていたので、役に立ちそうな部分も拾い読みをしていた。
 4時過ぎに、京都市から電話がかかってきた。日曜日は京都市の休日待機番に当たっていたが、これまで滅多に呼び出されることはなかった。ある患者さんが興奮状態で警察に保護されたので、措置入院が必要かどうか診察に行かなければならない。この日は息子と焼き肉を食べに行く約束をしていたので、早く済ませたかったが、京都市の方も準備があるらしく、診察は4時45分からとなった。5時までが待機時間であるが、こういう場合は仕方ない。警察署まで自分の車を運転して行った。すごい雨で、車を停めて玄関にはいるまでにずぶ濡れである。私の診察は一次診察で、私が措置入院が必要であると診断したら、もう一人の待機番の先生が警察署まで出てきて二次診察をしなければならない。その時には当然5時を超えてしまう。私が措置入院は必要ないと診断したので、そのまま医療保護入院となった。今回の連休はどっちにしろ自立支援医療の診断書などを書かなければならないとわかっていたので、休日待機番が可能な日としていた。9月の連休も可能な日としていたら、また当番に入れられていた。年末年始やゴールデン・ウィークは私は都合の悪い日にしているので、こっちの方が当番の先生を捜すのは大変かもしれない。
 きのうの月曜日は、朝から裁判の資料を読みながら、意見書も書き始めた。段々と書いているうちに、気分が乗ってきた。しかし、連休の2日間とも朝から晩まで医院に閉じこもって診断書を書いたり、資料を読みあさっているのはよくない。予定通りにこの日に意見書を書き上げることはできなかったが、大体の書く内容は決まった。いちどきに書くより、少し時間を置いて考えを寝かせた方がいいアイデアも浮かんでくる。医学論文でもそうであるが、苦労して書いているうちに段々と書くこつがわかってくる。今回裁判所に提出する意見書も苦労しながら書いているが、これはこれで私の貴重な経験の蓄積となっていくのだろう。

平成21年7月14日(火)

 蒸し暑い日が続いている。私の寝室は2階で、6畳の部屋にパソコンやテレビ、衣装ロッカーが置いてあり、やっと一人分の布団が敷けるだけである。部屋を閉め切って寝ていたら、いくら寝る前にエアコンで冷やしていても、途中から汗だくである。部屋のドアを開けて寝てもいいのだが、家族の中では私が1番の早寝なので、うるさくて仕方ない。それと、息子と娘も2階で寝ているので、ドアを開けたまま寝ていたら、娘がいやがるかもしれない。エアコンの温度を調整して一晩中かけたらいいのであるが、去年の夏は何度に保って風量をどうしていたのか忘れてしまった。結局、夜中に暑さで目覚め、微風で扇風機をかけている。朝は汗だくで気持ち悪いので、最近は起きたらシャワーを浴びるようにしている。
 先週の土曜日は年に2回の母校の医局の集まりがあった。大学の先輩や後輩にはこの会でしか会えない人も多い。私は医局とは今は何の利害関係もないので、気楽に参加している。最初に会員の学術講演会があり、今回は認知症に関する演題が2題あった。精神医学の中では、どちらかというと認知症はあまり人気のある分野ではない。認知症の患者さんに対しては、どうしても、呆けているから仕方ないとか、高齢だから仕方ないというようについつい考えがちである。しかし、認知症の患者さんばかり診察している精神科医の先生からはまた別の世界が見えてくるようである。いくら呆けて何もわかっていないような患者さんでも、自分の子どもとは心が通じているようで、子どもも何か感じるようである。いつもではないにしても、そういう時間が所々に訪れる。私は池田の両親の所にはなかなか行っている暇がない。父親に対しても、すっかり呆けてしまって、私のこともわからずどうしようもないと思っていた。しかし、この講演会の話を聞いて、今度会いに行った時には、もう少し本気で言葉を超えた接触を試みてみようと思った。
 同じ精神科出身で、母校の初代神経内科の教授になった先生の話も面白かった。教授を引退してから、老人保健施設の所長になったが、これまで第一線で医学、看護学と関わってきて、自分の知らなかった介護学の重要さに目覚めたという。入所していたあるお年寄りが、夜中に不穏になって、明日行く音楽会のチケットをなくしたと大騒ぎになった。いくら、介護者が説明しても納得しない。この時に、ある介護者がチケットの大きさに紙を切り、手書きで入場券の再発行と書いて、このお年寄りに渡した。この時に、今コンサート会場に連絡して、特別にチケットを再発行してもらいましたと伝えたと言う。このお年寄りは、その後安心してそのまま朝まで寝ている。こういう患者さんに対しては、従来の精神科医の対応は睡眠導入薬を投与し、効果がなければ、メジャー・トランキライザーである抗精神病薬を投与していた。医学や看護学の知識のない介護者が、薬を使わずこの問題を解決している。入所間もないお年寄りが不安で落ち着かず、うろうろしていた。この時にも、看護者が付き添って何時間でも一緒に歩いていたら、次第に落ち着いてきたという。医学や看護学とも違う介護学があると教えてもらい、勉強になった。
 講演会の後は、懇親会である。労災の裁判のことで、意見書を書いてもらった先生とも話をした。PTSD(外傷後ストレス障害)については、同じ部会のメンバーである総合病院の精神科部長から役に立つ参考文献を教えてもらった。黒木 宣夫、杉田 雅彦「PTSD 医の診断と法の診断」(中外医学社)である。この本は精神科医と弁護士が書いているが、今年の1月に発刊である。ところが、アマゾンで注文してみると、もうすでに売り切れで、定価4410円の本が8820円で売り出されている。最近は、民事訴訟なども多いのか、弁護士などもPTSDの勉強のために買っているようである。PTSDについては、国立精神神経センターの金吉晴先生が有名であるが、疾患概念の範囲が広すぎる印象もある。この金先生は、私が国立福知山病院(現福知山市民病院)にいた時に、一時市内の病院に身を寄せていた。当時、京大の精神科は医局を解体して評議会を作り、あまり学術研究ができる体制ではなかったようである。今は偉くなりすぎて私のことはあまり覚えていないかもしれないが、2人だけで居酒屋に行ったこともある。これからPTSDに関する労災の裁判も増えそうなので、倍の値段であったが早速注文した。裁判の意見書は今度連休があるので、この時に書くつもりである。この会では他の先生とも話ができてよかった。私の世代では、自分の子どものことが話題となりやすい。そのうち、話題はかわって、自分の健康のことになるのだろう。
 最後に、今週読んだ本を紹介する。長谷川幸洋「日本国の正体」(講談社)で、副題には、政治家・官僚・メディアー本当の権力者は誰かとついている。著者は中日新聞の論説委員をしており、政府税調委員も務めていた。少し前に、「官僚との死闘七00日」(講談社)も著している。私は以前にも、官僚というその分野のプロ集団に、いくら国民から選ばれたとはいえ、毎回当選できるという保証のない政治家が太刀打ちできるか疑問を呈したことがある。この本では、そのことをわかりやすく書いている。たとえば、よく知られるようになった事務次官等会議である。閣議にかけられる案件は必ずこの会議で承認された案件に限られる。政策を決定するといっても、各省協議で決まった案件しかこの会議では出てこない。言い換えると、政策は議会や閣議ではなく、官僚が決めているのである。この本では、残念ながら国会議員に自ら法律案を書く能力はないとも書いている。審議会でも、政策や議論の方向性はあらかじめ決まっている。学者が審議会のメンバーになると、大変な箔付けになるので、反対はできにくい。経験を積んだ政治家は、この国は官僚が動かしているのだと現実を理解するという。そして、2つのタイプに分かれていくという。国民に選ばれた議員こそが政策づくりを主導しなければならないと考えるタイプと官僚パワーには勝てないので、官僚の御輿に乗って、自分は最後の決定をしようと考えるタイプである。
 官僚が独立行政法人の仕事を増やす真の狙いは、自分たちの領土を拡大し、天下りポストを安泰にするためだという。経済産業省には「専務理事政策」という隠語がある。どういうことかというと、新政策を立案して、政府が有望と考える産業に対して、業界団体を作る。そして、財団法人や社団法人化を目指す。基準認証制度を作り、規格試験を実施し、試験料を徴収する。新産業の育成に成功した官僚は出世し、天下り先も増えることになる。だから、独立行政法人に予算をつけるために、政策を作るという本末転倒のことも起こるという。昇進するには、先輩の天下りポスト開拓にどれだけ功績を挙げたかが有力な判断基準になっているのである。日本では官僚として優秀な成績を残しても、民間がそれを評価して高給で迎えるような仕組みがないので、結局役所の中で昇進していくしかない。
 この本では、各新聞社の特ダネ競争を利用した、官僚のメディア操作にも言及している。官僚にとって、記者に与える特ダネは、自分たちの都合のいい代理人に仕立て上げる(ポチ化)飼料のようなものだという。官僚は自分たちに都合の悪い情報は決して自ら開示しない。「自分が言いにくいことはだれかに代わって言ってもらう」は官僚の常套手段で、新聞が記者クラブを通じて、霞ヶ関の補完勢力になっているとも述べている。しかし、この官僚制度をどうするかである。代わりになるその分野の優秀な専門家は、官僚以外にいないのである。国益より省益優先で天下りの弊害が出ているなら、国家の利益のために専念できるように、それ以外のインセンティブを考えるしかない。TVタックルで評論家の三宅久之が発言していたが、たとえ民主党が政権をとっても、政権慣れしていない分官僚にいいように手玉を取られてしまうだけである。TV番組では、国会議員が威勢のいいことを言っているが、現時点では、官僚の協力なしで政策を作るのは事実上ほぼ不可能なのである。

平成21年7月7日(火)

 先週の土曜日は、年2回の精神科診療所協会の集まりが午後5時からあった。出席する予定であったが、いろいろと雑用をしていたら、あっという間に5時が近づいてしまった。時計を見ながら、今からならぎりぎり間に合うと思ったが、あわてて着替えをして、上着を着ていくのが急に面倒臭くなった。結局遅れて出席する気になれず、この日は欠席してしまった。なかなか気分がのらないと、たまにはこういうことも起こる。しかし、頼まれている用事がある時には、気分がのろうとのらまいと、這ってでも出席しなければならない。
 きのうは労災の判定会議(部会)があり、私が部会長をしているので、司会をしなければならなかった。日曜日に予め送られて来ていた資料を読んでいたが、判定の難しいケースが増えている。今回労災申請は3件出ていたが、カルテのコピーなども含めて、1件300ページを超える資料もある。今回の3件とは別に、裁判になっているケースの資料をもらい、新たに裁判用の意見書を作成しなければならない。裁判になっているケースは医院に帰ってから資料を読んだ。大分前に、この部会で労災とは認めなかったケースである。うろ覚えであったが、それほど迷ったケースではなく、ふつうに考えたら業務上の災害として認めるのは無理なケースである。裁判になると、労働基準局側から私が以前に推薦していた別の専門医の先生が意見書を出す。それに対して原告側からも専門医が出て、反論の意見書を書いてくる。その意見書に対して、またこちら側が裁判所に意見書を提出することになる。同じ精神科医同士で、裁判で闘うのはあまり気分のいいものでない。しかし、この部会で3人の精神科医が出した結論なので、そう簡単に負けるわけにはいかない。変化のないマンネリ化した生活を送っていたので、久しぶりに闘争本能に火がついた。
 CNNのワールド・ニュースを見ていたら、ミャンマーを訪れた国連事務総長が、ミャンマー軍事政権により自宅軟禁されているアウン・サン・スー・チーさんとの面会を拒否されたことが放映されていた。去年の5月にサイクロンで大被害を受けた時にも、この軍事政権は外国からの援助部隊の入国を拒否している。誰の目からみても、いくらなんでもやり過ぎと思われるが、世界中がこの独裁的な軍事政権に対して正面きって激しい非難はしていない。CNNでは、ミャンマーの天然資源のことが触れられ、その採掘に中国などが提携し、欧米の企業としてはアメリカの石油会社・シェブロンとフランスの石油会社・トータルの名前が挙げられていた。私の英語力はいい加減なので、ガスと言っている時には天然ガスだと思ったが、ガソリンスタンドのことをガス・ステーションと言うのを思い出した。念のためインターネットで調べたら、やはり天然ガスで間違いなかった。どこまで国際的な力が働いているのかわからないが、天然資源の前では民主化なんて単なるお題目に過ぎないのである。
 今週は、守谷正規「戦略の失敗学」(東洋経済)を読んだ。著者は、野村総合研究所や放送大学教授などを歴任し、現在は大学の副学長をしている。今回の世界大不況でトヨタを含め、日本の大企業が赤字に苦しんでいるが、戦略の失敗にあると述べ、その根本原因の分析や防止について書いている。国内競争では、ブルーレイ・ディスクに敗れた東芝のHD−DVDやパイオニアのプラズマテレビ、マツダのロータリーエンジンなどが取り上げられている。海外との競争では、携帯電話機や液晶ディスプレイなどが取り上げられ、なぜ競争に敗れたかを分析している。液晶ディスプレイは、シャープが初めて電卓に使い、電卓そのものを小型化した。その後、パソコンやビデオカメラに用いられれた。液晶デイスプレイの生産能力のシェアは1997年に日本は80%であったが、2006年には13%にまで下がっている。半導体でも、米国のベル研究所が発明したトランジスタをソニーが応用し、トランジスタラジオを開発した。その後、トランジスタを集積したIC(集積回路)が米国で開発され、LSI(大規模集積回路)に発展し、超LSIメモリDRAMとなる。1980年代までは、日本は半導体の世界市場の50%前後を握っていた。ところが、製造装置を通しての技術流出が生じて、DRAMでは韓国のサムスンなどに敗れ、液晶テレビでも韓国や台湾メーカーに激しい追い上げを受けている。いろいろな企業が取り上げられているが、興味深かったのは、ハイパーネットという会社である。今ではインターネット広告は珍しくないが、この会社は世界で初めてこの画期的なビジネスアイデアを思いついている。当時ビル・ゲイツでさえ気づかなかったビジネスで、ビル・ゲイツに面会を求められて事業を紹介している。米国にも進出したが、システムトラブルが続いて広告収入が伸びず、結局このベンチャー企業は倒産している。
 この本では失敗の根本原因を12に分類している。技術に優れている日本の携帯電話機が世界市場ではまったく劣勢なのは、国内市場ばかりに目が向き、市場を支配しているのは通信会社で通信会社の意向のまま機器を開発していたからであるという。最近は国内だけで存在できる特殊なものとして、ガラパゴス化という言葉が使われている。トヨタの失敗は、「流れの急変に抗せない」であるが、2008年の春に販売不振が次第に現れて在庫が増えてきたのに、生産調整に入らなかった。急な円高による収益の悪化も、実体経済に合わない異常な円安が続いていたのに、為替レートの本質を理解していなかったためであるという。カネボウやそごうなどの失敗も取り上げているが、成功の連続が失敗をもたらすなど勉強になることが書いてある。日本人は戦略をたてるのが不得手なのは、農耕民族で特に稲作であったため、狩猟民族のように戦略が必要でなかったとも指摘している。
 最後に、これから失敗の恐れがあることについても書いている。まず、取り上げられているのが、リニア中央新幹線である。投資総額が大きすぎて、英仏政府が開発した超音速旅客機「コンドル」と同じ運命をたどる可能性が高いという。利用客の数や運賃などを分析しており、説得力がある。電気自動車の事業化も失敗する恐れが強いという。エネルギーを貯める技術は難しく、40年かけて鉛蓄電池、ニッケル・カドミウム電池、ニッケル水素電池、リチウムイオン電池と開発されてきた。しかし、鉛蓄電池に比べて蓄電容量は3倍になっただけである。かわって、ガソリンエンジン補助の電気自動車であるプラグイン・ハイブリット車が将来出てくるという。電池だけで長距離を走るには高価な大量の電池を搭載しなければならず、長距離走行にはガソリンを使うのである。東京電力も、ガス会社が家庭用燃料電池の開発に必死に取り組んでおり、エネファームが普及したら、電力会社の電力販売の減少につながるという。民間放送テレビ局も今は大不況でスポンサー企業が広告費を大幅に削減するようになっている。しかし、今後も安価な大容量のHDD(ハード・ディスク・ドライブ)の発達で、みんなTV番組は録画してCMを飛ばして見るようになり、広告の価値はますます下がるようになる。最後に、インドへの企業進出である。BRICsは、ゴールドマン・サックスが投資家向けに出したリポートで、この4つの人口大国が2050年に向けて大きく発展するという見通しを立てた。しかし、インドは議会制民主主義国家で、産業発展の初期にはむしろ不利が生じるという。2000ドルで乗用車をつくると発表したタタ・モーターズの工場建設などが住民の反対にあって断念している。インフラ整備も進まず、中国のように質の高い単純労働力が豊富には得られない。中国の次はインドとする理論は、社会の本質を理解できていないという。

もんもん写真館を更新しました。

 

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