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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成20年12月30日(火)

 今度の火曜日は日本にはいないので、この日記を27日に書いている。この日記は1回ぐらい休んでもいいのであるが、私の根底にある強迫性格を反映して、聖火リレーのように火が途絶えないように、毎回火曜日は死ぬまで更新し続けようと思う。最近はまだましになったが、ムラのある強迫性格で、いいかげんな所と完全主義が混在し、オール・オア・ナシング(すべてか無か)が極端であった。私の息子は生まれつきのムード・メーカーで、私の家系では池田の妹の流れを引き継いでいる。娘はどちらかというと、顔も性格も私に似ている。同じ強迫性格であるが、私のようにムラがあるわけでなく、真面目で努力家である。勉強でもやり出すと鬼気迫るものがあるが、親としてはもうちょっと余裕をもっていいかげんにやって欲しい。途中でつぶれないかと、本当に心配である。唯一の楽しみは東京ディズニーランドなので、ミラ・コスタでもどこでも泊まっていいので、もっと力を抜いて生きてくれ。息子の性格に娘のやる気を組み合わせたら最強であるが、世の中そううまいこといかない。
 相変わらず忙しく、まだ年賀状は書いていない。印刷に出すつもりであったが、今からではもう間に合わない。この日記を更新してから、自分で書くつもりである。きょう(27日)の夜行便で日本を発ち、1日の朝に夜行便で日本に帰ってくる。今月中に書かなければならない自立支援の診断書は間に合わなかったので、正月に書く予定である。お歳暮はきのうの診察の合間にデパートまで行ったが、前日でもう終わっていた。地下食品売り場で個々に頼んで下さいということであったが、なかなかいい物が置いていない。仕方ないので、商品券を送ることにした。支払いは商品券でいいのか聞いたら、同じデパートの商品券だったらそれを箱に詰めて送るという。実際にかかる費用は送料だけである。幸い、同じデパートの商品券を持っていたので、それを渡した。係の人が商品券の後ろの番号をチェックしていて、他にも商品券がないか聞いてきた。なるべく連番の方がいいみたいである。しかし、もらう方は誰もそんな所までチェックしていないだろう。他にも調べてくれたが、連番の商品券はなかったみたいである。年賀状については、きょうの診察に来ていたある大学教授の話を聞いて、安心した。いつも忙しいので、毎年大晦日に書いているという。私も今回間に合わない分は正月に書こうと思う。
 今年最後の週の外来は忙しかった。患者さんの数は、やはり毎年少しづつ増えている。落ち着いている患者さんにはなるべく長期処方を出しているが、なかなか数が減らない。最近睡眠導入薬のエリミンを求めて受診する患者さんがいる。私は大阪の医院でこのエリミンを暴力団に大量に横流ししていた事件があってからは、もう出さないようにしている。たとえ常用量でも一旦処方してしまうと、噂を聞きつけて大勢のわけのわからない患者さんが駆けつけてくる。今週は、新患の患者さんでエリミンを出せ、出さないでもめた。結局大声で怒鳴りながら帰って行ったが、いくら脅してもムダである。今年1日の最高外来患者数は10月に80人を記録している。きのうの患者数は72人であった。最低患者数は午前中だけであるが、まだ20人を切ることがあり15人である。私が責任を持って診れる患者さんの数は限りがあるので、あまり増えても困る。来年は厳しい経済状況になることは間違いないので、受診抑制につながるのかよくわからない。1回の受診で長期処方を希望する人が増えてくるのは確かである。
 前から書くことがなくなったら書こうと思っていた題材がある。何かというと、アダルト・ビデオのことである。以前にツタヤ・ディスカスの宅配便で、ビデオが安く借りられることを書いた。大量にレンタルすると、1番安い料金は2週間で1本200円である。アダルト・ビデオだけでも3万6千タイトル以上あり、一生かかっても見きれない。他にも宅配便でやっている業者は山ほどあるが、個人情報の保護ということでは大手が安心である。自分が借りたアダルト・ビデオのタイトルが表に出ては困るし、万が一迷惑メールが来ても困る。忙しい忙しいと言いながら、今回は大量に借りて見たので感想を書きたい。ふつうの映画と違って、隙間時間に早送りで見たらいいので便利である。その分、CNNを見る時間が少なくなり、借りすぎてもいけないと反省している。医者にとって、セックスやアダルト・ビデオについて触れることはタブーである。しかし、私が患者さんの身体に直接触れるのは、血圧を測る時と採血する時ぐらいある。精神科の診察にはタブーがなく、性の問題についてもよく患者さんから相談される。
 今回料金が安いので借りまくったが、インターネットでアダルトの無料サイトを見るよりお得である。表紙を見ながら、自分好みDVDがチェックできるので当たり外れが少なく、無駄な時間を費やさずにすむ。今回本格的に見て、AVは日本の財産だと思った。女優も粒ぞろいで、そこらへんのグラビア・アイドルよりもきれいである。私は今まで女性の胸の大きさにはこだわっていなかったが、今回は本当にきれいな大きな胸には感動した。インターネットでの無料画像ではろくなのに出会わず、ただ大きければいいというものでないと思っていたからである。しかし、小さな胸だからといって、女性は悲観することはない。大きい胸は若い内は見栄えがするが、年を取ったら垂れて醜くなる。麻美ゆまなんか1番危ないと思う。こんな事ばかり書いていたら、単なるスケベオヤジの猥談にしかならない。少し真面目な話に戻すと、フェミニストの人たちはいろいろなジャンルのアダルト・ビデオを借りて男の生理的な欲望を知ったらいいと思う。手元にアダルト・ビデオについての論議を深めるために、現在持っている資料を用意した。次回に詳しく考察しようと思う。参考に、最後に資料をあげる。NHKプロジェクト「日本人の性行動・性意識」(NHK出版)、鹿島茂対話集「オン・セックス」(飛鳥新社)、河合香織「セックス ボランティア」(新潮社)、山口みずか「性交哲学」(二見書房)、三浦展・柳内圭雄「女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?」(光文社新書)

平成20年12月23日(火)

 クリスマスが近づいているが、まったく季節感がない。今年は紅葉の時期にも、カメラを持って出かけている暇は全然なかった。クリスマスと言えば、サンタクロースがトナカイの引っぱるそりに乗っているイメージが湧いてくるが、時々私がトナカイになって、大勢の患者さんをそりに乗せて走っているような気がしてくる。中にはそりから落ちてしまう患者さんもいるが、とにかく春も夏も秋も冬もひたすら走り続けて、周りの景色を楽しんでいる余裕はない。いつ死んでもおかしくない患者さんがあふれてくると、そりから落ちないように引っぱり続けるのも疲れてくる。今年の年末まではもう一頑張りであるが、しばしそりを置いて、一刻も早く日本から脱出したい。
 先週の木曜日の午後は○○視察委員会に関連した仕事に出かけていた。前日の水曜日の夜に、池田の妹から電話がはいっていた。妹の近くに住んでいる私の母親が腕のしびれを訴え、救急で脳神経外科病院に運ばれたという。しびれはその後改善したが、一過性脳虚血発作で1週間ぐらいの安静と検査入院が必要だと言われた。こういう場合は私も妹夫婦も仕事をしているので、すぐに対応できなくて困る。母親はぼけた父親の面倒を見なければならないと言って、入院を断っている。父親を一時的にショートステイに入れたくても、今まで利用したことがないので、どこもすぐには空きがない。この日は、最近開業した妹の旦那の法律事務所に母親から電話がかかってきた。妹の旦那には法律事務所を閉めて、すぐに自宅まで駆けつけてもらっている。妹は経営情報学部の教授をしているが、ここ2ヶ月間土日の休みもなかったという。この日も夜9時過ぎに自宅に帰ってきて疲れ切っており、自分は先に風呂にはいり、最初に娘に電話させているぐらいである。父親が糖尿病性昏睡で救急入院した時には、父親が点滴を抜いたり落ち着かないので、妹夫婦と妹の娘に交代で付き添いをしてもらっていた。
 さて、長男である私の出番である。私も忙しいので、いつも金なら出すであるが、そう毎回金で済ますわけにもいかない。一見アメリカと日本の関係のようである。実際、弁護士と大学教授の妹夫婦2人分よりも私の方が稼いでいるぐらいである。久しぶりに母親に電話したら、もう大丈夫だから無理に来なくてもいいと言われた。この時には年末調整のための12月の給与計算ができておらず、年賀状の印刷やお歳暮も頼んでいる暇がなく、今年中に書かなければならない労災関係の書類などが山ほど残っており、別の機会に行くことにした。妹がケア・マネージャーと翌日に会って話すという。今利用しているデイ・サービスは週1回だけなので、もう少し増やしてとりあえず通院で検査していくことになった。翌日の金曜日の午後は、東山保健所のデイ・ケアに参加した。
 土曜日の午後からは前から息子と約束していた2泊3日の旅行である。息子はまだ中学2年であるが、学校はこの日が終業式であった。最初に東京まで行き、ディズニーランド近くのホテルに泊まった。この日の息子は私が前から行きたかった所の付き合いである。家内と娘と息子はこのクリスマスにディズニーランドに来るので、今回の目的はディズニーランドではない。何が目的かというと、6時開演のシルク・ドゥ・ソレイユの「ZED」である。今回東京ディズニーリゾート内に常設館が設けられ、いつでも公演が見られるようになった。日本では「アレグリア」や「ドラリオン」などが東京や大阪で公演されている。私も行きたかったが、1人で行くわけにも行かず、ずっと見る機会がなかった。この演題名ばかりが印象に残り、シルク・ドゥ・ソレイユというエンターテイメント集団の名前は最近知ったぐらいである。私は以前からヨーロッパを中心に自分好みの音楽を買い集めている。この舞台の音楽を聞きながら、以前に輸入盤で手に入れたCDにこのシルク・ドゥ・ソレイユのアルバムがあったことを思い出した。今回は1人1万8千円のプレミアビューの席を予約していた。舞台から3列目である。会場は満員で、久しぶりに贅沢な気分を味わった。次から次へと繰り出されるスーパーサーカスの世界に酔いしれた。ロープ回しもよかったが、私が1番気に入ったのは男女ペアの2人が出てきて、スローモーションのような動きをなめらかに演じるシーンであった。火のついた松明か何かのジャグリングは少し見かけ倒しで、空中ブランコは見上げてすぐ目の前で迫力があったが、内容的にはもうちょっと工夫して欲しかった。次に「コルテオ」が来るが、お金は出してもいいので、誰か一緒に行ってくれる人がいないかと思う。
 翌日の日曜日は今度は私が息子の付き合いである。東京ディズニーランドを後にして、横浜に向かった。午前中は横浜ランドマークタワーの展望フロアーに登り、カメラで写真を撮っていた。青空が広がり、写真を撮るには絶好の日であった。昼食は新横浜まで行き、新横浜ラーメン博物館で食べるつもりであった。しかし、最大1時間待ちであきらめた。他の店でラーメンを食べ、ホテルにチェックインした。この日はFIFAクラブワールドカップ ジャパン 2008の3位決定戦と決勝が日産スタジアムであった。前売り券は、発売日にインターネットで手に入れていた。私は外来中であったが、この日は少し中断して申し込んでいた。最初は殺到してなかなかつながらず、やっと手に入れたチケットである。プレミアムのペアチケットで、値段は2人で10万円である。外はそれほど冷え込んでいなかったが、突風が吹くと寒かった。特別席は私のような父親と息子か夫婦と思われる中年の男女のカップルであった。さすがに、若いカップルはいなかった。私はラム酒を持って行き、ぐびぐびと飲み、身体を暖めた。思ったより、選手達が近くで見え、2つの試合もよかった。私はもっと調べてきたらよかったが、カメラは持ち込みが可能で、客席からとんでもない望遠レンズで撮っている人もいた。選手達の肖像権もあると思ったので、望遠のきくカメラは持って行かず後悔した。息子はマンチェスター・ユナイテッドのロナウドやルーニーを間近に見れてひどく興奮していた。私はふだん忙しくてかまってやれないので、本当によかったと思った。この日は京都まで帰ってこれないので、月曜の朝は休診にした。
 きょうは池田の妹に頼まれて、昼に母親の所に1人で行ってきた。車の中でニュースを聞いていたら、天皇が75歳になったと報じていた。母親の年齢がいくつになったのかうろ覚えであったが、もう75歳かと思った。私の年齢を引いたら、とんでもなく若い時に私を生んでいる。実はきのう妹から電話があり、母親が安静にしないので、説得してくれと頼まれた。両親の家には妹の娘がいて、父親はデイ・サービスに出ていた。妹がかりかりするほどでもなく、母親は元気にしていた。妹の旦那や息子と一緒に昼食をとり、また医院に戻ってこの日記を書いている。患者さんを診ていてつくづく思うのだが、どんなことがあっても親は子どもから逃れられないし、子どもも親から逃れられない。

平成20年12月16日(火)

 この前の土曜日は忘年会を兼ねた大学の医局の集まりがあった。昭和54年に大学の精神科に入局したのはたった2人だけで、久しぶりに同級生と会った。今は立命館大学教授をやめて明石市民病院に勤め、開業を考えているという。私の後輩もあちこちで開業しており、中には苦戦している先生もいる。前から書いているように、開業の成功の鍵は1にも2にも場所である。今年は昭和83年なので、私は精神科医になってもう30年になる。沢山の同門会の人たちが集まっていたが、若い先生たちの顔はほとんどわからない。今年7月のこの医局の集まりの時に、「精神障害の労災認定」について話したので、私は知らなくても後輩に名前と顔ぐらいは覚えてもらえたかもしれない。あまりにも人数が多いと誰が誰だかわからないが、患者さんを紹介する時など何かあった時には便利である。
 それにしても、女医さんが増えている。心理関係の女性も参加していたかもしれないが、きれいな人も多い。同級生の女医さんには悪いが、昔とは全然違う。私が医学部に入学した頃は女性は1割であったが、今は3〜4割占め、高知医大では女性が5割を超えていると聞いたことがある。女医さんは医者と結婚することが多いので、昔と違ってなかなか一般の人に結婚相手としてまわってくることは少ない。今回、大学にいた心理関係の人が2人医者と結婚したという。これだけ女医さんのレベルが高くなると、医者と知り合う機会の少ない女性は医者と結婚するのはほとんど不可能である。私の家内は大学の看護学部を出て保健師の資格を持っているが、このことを強調して家内に言いたい。もっとも、私の時代はこんなにも医学部に入学するのは難しくなく、私の同級生はみんな今の時代だったら合格できないと言っている。私の上の団塊の世代は、人数が多くて競争率も高く定員も少なかったので、この頃に医学部に入学した人は本当に優秀だったと思う。
 医局の先生方が学術奨励賞の講演している時に、少し抜け出してホテルの喫茶店で同級生と近況を話していた。5時過ぎから、大津市の坂本にある精神病院で勤めている昭和50年卒の先生の講演を聞いた。私はこの病院にお世話になったこともあるので、この先輩の先生もよく知っていた。しかし、当時はこの病院の医局では挨拶する程度であった。講演の演題は「聴覚障害者と精神医療ー聴覚障害者外来からの経験からー」である。どうして、あまり話をしていないかというと、この先生自身が完全に聴力を失って、耳が聞こえていなかったからである。この講演で聴力を失った時のことを詳しく話してくれた。大学卒業後に聴神経腫瘍で手術し、2回目の手術が終わった後、麻酔から目が覚めたら無音の世界が待っていたという。当初は、音が聞こえない世界は無機質な感じがしたという。しかし、段々と自分の頭の中で相手の聞こえない声を作りあげ、自然と聞こえるような感じになっていった。聞こえないので、一時被害妄想が出現したことも告白していた。
 以前は、医師・看護師・薬剤師になるには、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者には免許を与えないという欠格条項があった。しかし、この法律は平成13年に廃止された。現在、この先生は聴覚障害者を対象に外来を開いているが、患者さんが呼び出しがわかるように、振動でわかるように伝えたり、いろいろと工夫している。近畿一円から患者さんが受診しており、中には新幹線を使って遠くから通院してくる患者さんもいるという。日本はこの分野では諸外国に遅れ、聴覚障害者の患者さんが安心して受診できる病院はないからである。手術した時から唾液の分泌が悪くなり、声が出にくくなったという。最初は少し聞きづらかったが、その内その話の内容にどんどんと引きずり込まれていった。目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、口がきけない事に対しては、漠然と不自由だろうと思っていたが、こんなにも大変なこととは思いもよらなかった。生々しい聴覚障害者の声が聞けて、本当によかったと思う。
 精神科をやっていると、精神障害が1番重い障害のように思いがちだが、身体障害も大変である。私の医院は今はお年寄り以外の耳の悪い人は受診しないが、以前は若い人でも何人か受診していた。正直、筆談するのは面倒臭いと思っていたが、深く反省した。改めて五体満足がどれほど有り難いことか、身にしみてよくわかった。医局の同窓会名簿を見たら、今の教授と同じ卒業年度である。久しぶりにいい話が聞けて、この先生を講演者に選んでくれた教授には感謝したい。それと、ここの院長は強烈な個性があり、私がここの病院をやめて社会保険神戸中央病院に行く時に大変不愉快な思いをした。だから、院長が死んでも絶対に葬式には出ないと誓っていた。しかし、今は90歳を超えて理事長をしているが、ずっとこの先生の面倒を見、非採算部門である聴覚障害者外来を支えてきたのは偉いと思う。この点は他の病院のオーナー院長でもまねできないことで、きちんと評価すべきである。
 講演会の後の懇親会でこの先生に久しぶりに挨拶に行った。当時お世話になっていた心理の先生が手話をしてくれた。この後で、同級生と漢方の大家の先輩の先生と、二次会に行った。同級生が肉を食べたいと言ったので、京都駅のそばのテールなどを食べさせる店に行った。漢方の大家の先生が知っている店で、私は京都駅近くにマンションを持っているのに知らない店だった。美味しくて、安い値段のお店だった。たまたまこの店で、同級生が府立与謝の海病院で一緒だった先生と会った。今は府立医大の教授をしていて、医局員不足のことを話していた。私は目が悪いので覚えていなかったが、顔は知っていると言われた。この日は飲んでいるのでマンションに泊まったが、自分が患者さんに提供できる医療をいろいろ考えていた。私の志している言葉を最後に記す。
  「どんなことがあっても大丈夫」

平成20年12月9日(火)

 患者さんの話を聞いていると、不景気の波が押し寄せている。京都はこの11月は紅葉目当ての観光客が殺到していた。しかし、平安神宮近くのお土産屋さんでアルバイトをしている人の話では、売り上げが去年と比べたら5分の1ぐらいになっているという。清水寺近くでお店をやっている人の話でも全然だめだという。長いこと自動車の部品を配送する会社でパートの仕事をしていた人が、仕事が減り、いきなり解雇されている。勤めていた会社が下請けでやっていた仕事を、仕事がないので上の会社がやるようになったという。大阪にある自動車関連の大きな工場でも、今まで3ヶ月で更新していた契約社員を全員解雇するという。うつ病で休んでいる患者さんがまた職場に復帰できるか心配していた。
 まだ大企業は予想収益の下方修正をしているだけで、現実の数字が出ているわけではない。来年になったら、売り上げ減少などの実態の数字が出てくる。これから契約社員の解雇が本格的に始まり、そのうち正社員のリストラも始まる。解雇になっても、しばらくは失業保険で食べていけるが、その後は簡単には仕事は見つかりそうもない。介護職員の数が足りないと言われているが、こちらの方はまた志願者が増えてくるかもしれない。どっちにしろ、来年は大変な年になりそうである。私は暴動が起きないかと、本気で心配している。
 患者さん全員が不景気だという中で、唯一これから景気がよくなるという人がいた。少し怪しい人で、自称占い師で大々的にやっているという。不景気なればなるほど占い師が儲かるというのも、なんとなくわかるような気もする。患者さんからは、不景気になれば悩む人も増えて精神科もはやると言われるが、どうであろうか。純粋に経済的問題だけで悩んで来られても、精神科医としてはやりづらい。仕事がないとかお金がないとか相談されても、なかなか将来について明るい展望が開けない。精神科医の話より、100万円のお金の方がよっぽど効果がある。前回自殺の例で紹介したが、深刻な経済問題で悩んでいる人を精神科医が薬と精神療法ですべて救えるわけではない。社会の矛盾を全部精神科医に持ってこられても、簡単には解決できない。あくまでも、精神科医は危機的状況の中で、なんとか患者さんが頑張っていけるように支えるだけである。明るい材料を見つけようとこちらも努力するが、本当に何も見つけられない患者さんも大勢いる。今日1日だけでも生き長らえるような材料が見つけられない社会というのは、希望のない絶望的な社会である。年間3万人以上の人が自殺するのは、精神医療の問題だけではではなく、政治や社会の問題である。
 前回の日記で書けなかったが、実は11月29日(土)と11月30日(日)は日本心療内科学会に参加するために、弘前まで行っていた。行きは青森空港まで早期割引料金で航空券は取れたが、帰りは取れず三沢空港を使った。前にも書いているが、日本心身医学会の専門医の更新のためには、学会に参加して5年間で所定の点数を集めなければならない。この日本心療内科学会に参加すると本総会と同じ点数がもらえるので、休養も兼ねて参加した。参加証をもらって、すぐに八戸に向かった。三沢空港から帰るので、土曜の夜は八戸に泊まることにした。ところが、弘前から八戸までのJRは丁度各駅停車しか走っていなく、これも1時間に1本ぐらいであった。思ったより時間がかかって、八戸に着いた。八戸駅に着いて、新幹線が走っていることを初めて知った。来年は青森まで開通するという。東京と八戸間は新幹線で約3時間である。
 2時頃に遅い昼食を駅前で取った。イカと鯖の味噌煮定食が1000円ぐらいであったが、この旅行では1番美味しかった。この夜は、八戸で有名な八食センターで海鮮丼を4500円出して食べたが、ここより美味しかったぐらいである。交通の便が悪く、八戸市の中心部まではタクシーで1900円である。JRで3つ目の駅であるが、1時間に1本しか走っていないので時間が合わないと使いにくい。私はJALシティホテルにインターネットで予約していたが、間違えてクリックしたようで、八戸でなく青森で予約してしまっていた。同じ系統のホテルだったので、すぐに変更の手続きをしてもらい事なきを得た。本当は、荒らぶる太平洋の写真を撮りたかったが、とにかく交通の便が悪く、海まで出ている暇がなかった。夕方4時ぐらいから、あたりはもう薄暗くなっていた。
 翌日は朝早くからJRの時刻表を調べて、三沢駅まで行った。以前に1度学会で来たことがあるが、寺山修司記念館に行き、その後は飛行機が出るまで古牧温泉で過ごす予定であった。年を取ると、自分の青春時代を何度でも確めたくなる。寺山修司は「書を捨てよ町へ出よう」という言葉で有名であるが、私は作品としては「田園に死す」が好きである。今はDVDでも借りれるが、また見直したらあの時代と違った印象を受けるかもしれない。自意識過剰な自分探しと母親との関係がテーマになっており、今の時代に合うかも知れない。私は寺山ワールドの空気女とかおどろおどろしい世界が好きで、J・A・シーザーの音楽もお気に入りであった。後に劇団の誰かが本に書いていたが、J・A・シーザーがファンの女の子とやるまくっていたと聞いて、うらやましく思ったこともある。寺山修司記念館は駅から遠く、タクシーを使ってしか行けない。30分ぐらいそのままタクシーに待たせ、記念館で発行している本と天井桟敷のピンバッジを買ってきた。タクシー代は往復7000円近くもかかってしまった。タクシーの運転手の話では、三沢基地に住むアメリカ人はその家族も含め1万人もいて、地元の人は基地関係の仕事で生活をしているという。その後、古牧温泉に行ったが、閑散期なのか寂れた印象であった。三沢空港では、雪の関係で1時間出発時刻が遅れた。三沢空港は乗客を新幹線に奪われて、大変なようである。
 日曜日は、京都市国際交流会館でカウンセリング・デイがあった。2時から5時までで、交通費を含めて税込みで1万円である。この後で、みんなでこの日の相談について話し合いがあり、今回は35分で終わった。私の担当しているメンタル・ヘルスは、3人の米国人の相談があった。きのうは、午後から担当の弁護士と祇園まで往診に行った。認知症の患者さんの成年後見用の鑑定書を書くためである。この患者さんは長いこと診察を拒否していたので、早く鑑定書を書かなければならない。鑑定書の料金は1人5万円である。今日はこれから○○視察委員会があり、午後2時から5時まである。これは交通費も含めて、1回手取りで16470円である。明日は、午後から特別養護老人ホームに行かなければならないが、交通費を含めて1回税込みで2万8千円である。やらなければならないことが山ほどあると、私1人で暴動を起こしたい気持ちになる。

平成20年12月2日(火)

 先週はいつも以上にばたばたと忙しかった。木曜日に府医師会で講演した「自殺者の心理 ー精神医学的考察ー」の準備のためである。先週の火曜日はこの日記を更新してから、ずっとパワーポイントでスライド作りをしていた。なかなか間に合いそうもなく、この火曜日と水曜日は医院に泊まってやっていた。私は京都駅の近くにマンションがあるので、そこで泊まることもできるが、往復の時間がもったいない。久しぶりに医院に泊まってみたが、便利である。今回は2日間夜中過ぎまでやっていたが、朝はゆっくりと起きれるので楽である。きょうもこの日記の更新のために朝5時に起きて6時には医院に出てきているが、やはり私は夜型である。必要に迫られて早寝早起きをしているが、夜静かな時の方が集中できるし、時間をゆっくり楽しめる。結局、全部でスライドは35枚作った。自殺について話をしたことがないので、ずべて新しく作った。自殺で亡くなった患者さんのカルテをめくりながら病歴も書いたので、字数の多いスライドでは1枚450字以上になる。とにかく、スライドだけ先に作って、後からどういう話をするのか考えたらいいと思ったが、時間が足りず、講演はぶっつけ本番であった。
 主に内科などの一般の開業医の先生が対象なので、精神科の仕事を少しでも理解してもらえたらと思った。まず、最初に、自殺はどこまで防げるかの話である。去年の7月に伏見区で父親が子どもを3人殺害して自殺を図った事件がある。その後、この父親は収容されていた京都拘置所で靴下を自分の首に巻き付けて自殺している。20分前の巡回では異常がなかったという。新聞の記事だけでは詳しいことはわからないが、前にもこの日記で書いたように、癌の末期患者さんのように、自殺を決意している人の中にはすでに手遅れの人もいる。
 次に、私の医院で診察していて自殺でなくなった患者さんの症例報告である。1例目は中年の男性で、うつ病の患者さんである。大手の会社に勤めていたが、仕事が毎晩夜11時〜12時までなるということで、早期退職制度を利用して転職した。しかし、給与が毎年下げられていくということで、別の会社に転職した。畑違いの仕事で、客のクレーム処理や会議などの準備で追われ、体調を崩して私の医院を受診した。休養の診断書を出したが、会社との話し合いでやめ、派遣会社を通じて別の会社に転職した。東京、名古屋、大阪とあちこち出張に出かけ、仕事はうまくこなしていたが、試用期間の3ヶ月が過ぎた後で、更新はできないと言われた。この理由はわからないが、新しい会社の健康保険を使っていると、かかっている病名がわかってしまう時もある。人間不信に陥ったと述べ、また派遣会社を利用して別の会社に就職した。覚えなければならない事が山ほどあり、開発の仕事なので納期があり、朝5時までやることもある。しだいに、気分が沈み込み、気力が低下し、抗うつ薬を増やしても効果がなかった。難しい事をやっているので、これ以上は無理ということで、半年ほどでこの仕事はやめた。派遣会社が他の所をあたってみると言ったが、この派遣会社もやめた。夜中に目が覚め、気力が出てこず、薬を変更してもらっても少しも効果がない。就職活動しているが、まだ仕事は決まっていない。最後の仕事をやめてから、3ヶ月後に自宅で首を吊って亡くなった。
 2例目の症例は高齢の抑うつ神経症の女性である。内科などで自律神経失調症と言われ、不眠や身体のだるさを訴えて長いこと通院していた。しかし、なかなか改善しないということで、私の医院を受診した。いろいろな抗うつ薬を試してみたが、どの薬もすぐにだるさや眠気が出て、調整が難しかった。外来では常にしんどい、眠れないと訴えていた。私の医院に通院して、4年半後に自宅で首を吊って亡くなった。3例目の症例はまだ若い覚醒剤中毒の女性である。複雑な家庭で生まれ育ち、家を出て関東圏のピンサロをあちこち転々としていた。客と結婚し、京都に出てきてヘルスに勤めていた。結婚中から時々覚醒剤をしていたが、友人が警察に捕まり、覚醒剤が手に入らなくなった。以前に処方をしてもらったリタリンを希望して当院を受診した。当院ではリタリンは処方できないと伝え、睡眠導入薬などを処方した。私の医院には1回しか受診していないが、その後警察の問い合わせで5日後に自殺していることがわかった。
 4例目の症例は30代の男性で、薬物依存である。父親が経営していた会社の支店を京都で作り、会社は大きくなったが、会社の人間関係などで夜が眠れなくなった。内科でハルシオンを処方してもらったが、1日で50錠飲んでしまう。死にたい気持ちになって、処方された抗うつ薬も14日分を一気飲みしてしまう。大学病院にも入院したが、その日に帰っている。薬を大量に服薬し、車をガードレールにぶつけて帰ってくる日もあった。妻も薬の管理ができず、子どもの前で包丁を出して死ぬ死ぬと言ったりする。薬を飲んで暴れ、他府県に住む両親が出てきたこともある。両親の住んでいる所で精神病院に入院を頼んだが、すべて無理と言われた。妻が入院しないと離婚すると言い、他府県の精神病院に入院したが、勝手に1日で退院してきている。退院後、すぐに大量服薬をして、死亡しているのを発見された。5例目は、この日記でも何回も書いた境界性人格障害の若い女性である。私の医院でリストカットをして、112針縫合をしている。夜中にリストカットをして、血が止まらなくなり、父親を起こし、救急を受診したこともある。この時には51針縫合している。その後、病院のトイレで足を切り裂き、15針縫合している。大量服薬も何回もあり、致死量を超えていた時もあるが、この時は誤嚥性肺炎を起こしている。ネットで知り合った夫がうつ伏せになって倒れている所を発見。大量服薬をし、すでに心肺停止の状態であった。
 私が以前に論文にした高知市浦戸大橋からの投身者についても話をした。私が調べたのは、橋ができた昭和47年から平成元年までの18年間である。全部で68名が投身し、6名が生存していた。橋ができた翌年とその次の年の投身者は11名、12名と1番多く、防護柵の改良工事でその次の年は1人と減っている。今は便利で、ネットで浦戸大橋の写真を手に入れることができた。他にもいい写真がないか探していたら、防護柵の上に乗り、白バイの警察官に説得されている写真も見つかった。現在の防護柵のことがよくわかり、これもスライドにした。時間があったら、ゴールデン・ゲート・ブリッジから投身する人を撮影した映画「ブリッジ」から1分ほどコピーして紹介してもよかった。その後で、一般の開業医の先生には、トリアージのことを説明した。トリアージとは、大事故や大災害の時に、救命の順序を決めるための取り決めである。患者さんにラベルを貼って、搬送や救命処置の優先順位を決める。黒は死亡、または救命が不可能なもの。赤は一刻の早い処置が必要で、救命の可能性があるもの。黄は早期に処置が必要なもの。緑は搬送の必要のない軽症なものとなっている。一般の開業医の先生は、助けられる人から助けたらいい。1番大事なことは、うつ病を見逃さないようにすることである。しかし、うつ病の概念も混乱していて、社内うつと言って、ふだんはどうもないのに仕事中だけうつになる人もいる。簡単に助けられるうつ病の患者さんについて解説した。それと、患者さんが自殺したからといって、必要以上に罪悪感をもたないことも大切である。私の医院では、診察室に入りきれないほど数多くの患者さんが自殺している。常にいつ自殺してもおかしくない患者さんを大勢抱えているので、自殺を予測するのは本当に難しい。最後に一般的な自殺についての知識を話した。
 1時間45分ほど話したが、概ね好評のようであった。初めて自殺についての講演をしたが、帰ってきてからこういえば良かったとか、ああいえばよかったと反省した。今なら強力にバージョンアップして話せるので、他でも自殺についての講演が頼まれないかと思ったりする。きょうは午後からまたヘルパー養成講座の講義に行っていたので、この日記の更新が遅くなってしまった。この講義は2時半から5時までで、何回も話をしているので今はバージョンアップできないぐらい完成の域に達している。講演料は1回税込みで2万円であるが、誰か他の先生にかわってほしい。京都市の仕事も以前は2時間2万円ぐらいであったが、今は緊縮予算で大分減らされている。特別養護老人ホームの仕事は実質1時間もかからないが、遠いので往復の時間の方がかかるぐらいである。ここは税込みで1回2万円8千円である。精神科医が診察しないと、認知症の管理料が請求できないらしく、最近他の施設からも頼まれたが断った。どこも精神科医が足りなくて困っている。お金はもういらないので、今週の木曜日にある介護認定審査会も含め、全部やめてもっとゆっくりしたい。

平成20年11月25日(火)

 この前の土曜日は外来が終わってから往診に出かけた。地域包括支援センターから往診を依頼された患者さんである。単なるぼけ症状だけではなく、人の顔があちこちに見えたりする幻覚が前面に出ている。こういう場合には、アルツハイマー病というより、レビー小体病が疑われる。この患者さんも、洗剤の入れ物がドレスを着ているとか、毎日白い帽子をかぶった人が風呂を覗いていると言ったりする。家族が軽く受け流すと、ちゃんと見てくれと怒り出す。家族も朝から晩まで患者さんに振り回されて困っている。前回出した処方は効果がなく、かえって薬の副作用が出て足がもつれたりしている。家族はもう限界なので、どこか入院を紹介して欲しいという。
 私は最初から往診を依頼されても、ふつうは引き受けない。東山医師会の先生とか保健所などから頼まれた場合は、仕方ないので引き受ける。往診の交通費は別途に請求できるらしいが、請求したことはない。この辺のことはまた詳しい先生がいたら教えて下さい。通院している患者さんについては必要に応じてもちろんする。この患者さんの家族は本当に困って、包括支援センターに相談している。そして、包括支援センターの人に往診してくれる医者を捜してもらい、今度は往診に来た医者に入院を依頼している。ただ医療者側から見ると、まったく手間暇かけず、少し省略しすぎである。最初の往診の後は、本人が受診に来れない場合は家族だけでも私の医院に来るように伝えた。しかし、前日に電話がかかってきて、患者さんの状態が悪いと言われたのでまた2回目の往診に応じた。
 精神科関係の入院はけっこう難しい。総合病院でも診療所でも精神科の病棟を持っていないので、入院が必要な患者さんは、精神科の専門病院に依頼するしかない。統合失調症の患者さんはどんなに暴れていても、ベッドさえあいていればどこの病院も受け入れてくれる。アル中や薬物依存は本人が自らやめたいと言わない限りどこも引き受けてくれない。総合病院の内科などで入院した患者さんが酒が飲めなくなり、離脱症状(いわゆる禁断症状)が出て、病棟で大暴れしている時は別である。リストカットや大量服薬を繰り返す患者さんも無理である。入院させてもほとんど治療効果があがらないからである。今回の認知症の患者さんのような場合も難しい。認知症病棟なら受け入れてくれが、こういう病棟は患者さんが亡くならないとベッドがあかない。特別養護老人ホームなどに何百人の患者さんが入所の予約待ちをしているのと同じである。普通の精神科病棟に入れてくれたらいいと思うかもしれないが、退院の見込みのない患者さんを入院させたら、ベッドが動かなくなる。
 この家族には認知症の患者さんを簡単に受け入れてくれる精神病院はないことを伝えた。どうしても入院が必要な場合は、最初から精神科の病棟を持っている病院に通った方がいい。しばらく、薬の調整をしながら様子を見て、家族がどうしようもなくなった時に入院を頼むのが近道である。何でもそうであるが、長いこと通い続けた患者さんが本当に困った時には、病院も何とかしてくれる。いきなり行って、いきなり入院を頼んでも無理である。診療所を通じて入院を頼んでも断られることがほとんどである。最初から自分の病院に通ってきている患者さんを優先させるのは当然である。この患者さんはこれまでどこにも通っておらず、たった1回の往診で入院を頼んできているが、現実はそれほど簡単ではない。精神科の病院は市内の外れにある所が多いので、通院しにくいかもしれない。中には、便利な所にサテライト・クリニックを持っている所もあるので、入院が必要になりそうな認知症の患者さんはこちらの方に通うのがいい。結局、私の医院は遠くて通いにくいということだったので、近くの総合病院に紹介状を書いた。1度頭の検査も必要である。
 最近は産婦人科などで患者さんのたらい回しが問題になっている。精神科の場合は、主治医がいる時には必ず主治医が入院先を見つけなければならない。私が京都第一赤十字病院に勤めている時に、夕方遅く、初診で躁状態の患者さんが救急を受診した。京都第二赤十字を受診するように紹介されたが、間違えて第一の方に来たという。また第二の方を受診するように伝えたが、一方的にしゃべりまくり、なかなか帰ろうとしない。いくら説得してもしゃべり続け、激しい躁状態である。時間がどんどんと過ぎていき、仕方ないのでどこかに入院させるしか収拾がつかなくなった。ところが、どこの病院に頼んでも入院は断られる。こんな人は放っておいてもいいのだが、帰ろうとしないのでどうしようもない。夜10時過ぎにやっと入院を受け入れてくれる病院を見つけた。日赤の救急車を使うので、私も同乗して行った。当直の先生は精神保健指定医の資格を持っていなかったので、私が医療保護入院にした。帰ってきたらもう夜中である。患者さんが第一と第二を間違えただけで、こちらとしてはえらい災難であった。少し前であるが、私の患者さんが家族に暴力をふるい、警察官が大勢出動したことがある。家族が交番に駆けつけている間に、自宅に立てこもり、警察官の説得にも応じなかった。夜9時頃に警察から私の所に連絡があり、患者さんの自宅に駆けつけた。患者さんを説得し、部屋の中に入れてもらい、2時間ぐらい話して何とか入院するように勧めた。これだけ大勢の警察官が出動しているので、警察もこのまま簡単には帰れない。もしまた何かあったら、警察の対応を非難されるだけだし、そう何回も出動するわけにもいかない。とにかく入院するようにこちらも必死で説得し、なんとか同意を得た。府立洛南病院に連絡を取り、入院をお願いしたら、快く受け入れてもらえるということで本当に助かった。ところが、その後この患者さんは府立洛南病院まで警察官に送ってもらい診察を受けたが、自分の飲んでいる薬が病院にないということですぐに帰ってきている。みんな簡単に精神病院に入れられると思っているが、こんな程度ぐらいでは強制入院も難しいのである。
 日曜日は覚悟を決めて朝6時から医院に出て、今度の木曜日に府医師会で話す「自殺者の心理」の準備にかかった。アマゾンで何冊かの本は手に入れていたが、手をつけるのはこの日が初めてである。私は肩が凝りやすいので、日曜日はすぐパジャマに着替える。2時間近く何を話していいのか、自殺に関する本を読みながら考えていた。パワーポイントでスライドを作らないといけないが、とりあえず1番手のつけやすい自殺した患者さんの病歴から書くことにした。自殺について講演したことがないので、最初から原稿を作っていかなければならない。5例ほど選んでカルテをめくりながら書いていたが、11時頃になったらもうやる気がしなくなった。これ以上続けても能率があがらないので、気分転換にツタヤの宅配便で借りていたAVを見ることにした。
 私は最近のAV女優についてはまったく知らない。たまたま私の医院で取っているデイリースポーツで星野あかりのことが出ていた。今回DVDを借りて見たが、久しぶりに感動した。(本当は興奮したと書きたかったが、露骨な表現は医者とわざと避けた) やはり、AVはきちんとネットで調べて借りなければいけない。芸術とAVの関係や性の問題についてはまた別の機会に詳しく論じようと思う。AVで脳が活性化するかと思ったが、下半身ばかりが活性化してもうひとつやる気が出なかった。仕方ないので、今月の従業員の給与計算や書かなければならない書類を先に書いていた。また、いやいやながら講演の原稿を書き始めたが、思ったより大変である。夕方6時過ぎまでやっていたが、なかなかはかどらなかった。家に帰って夕食を取り、明日も朝6時に出なければならないことを考えたら、このまま医院に出て書けるだけ書いてそのまま泊まった方がいいと思った。また医院に戻って、原稿を8時から12時半ぐらいまで書いていた。
 翌日の月曜日は京都市の休日待機番の当番に当たっていた。この日も朝9時から夕方4時半ぐらいまでずっと本を調べたり書いたりしていた。とてもでないが、AVなんか見ている暇はなかった。パワーポイントでスライドを30枚ほど作ったが、まだ後10枚ぐらい作らないといけない。もうちょっと早くできるかと思ったが、予想外に時間がかかった。1度原稿を作ったら、次からはいくらでも応用が利いて、自殺に関する講演はどこでもできる。この日は診察室の隣の部屋の照明が消えて、蛍光灯を換えなければならなかった。ホームセンターでは売っていない特殊な蛍光灯で、寺町まで買いに行かなければならない。しかし、こんなに観光客が多いと、バスも車も動かない。トイレの洗面所も水が流れなくなって、排水パイプを特殊ワイヤーを使って掃除しなければならなかった。警察に捕まった私の患者さんについて、弁護士から頼まれている意見書も書かなければならない。やることが多すぎて、それこそ庶民生活も満足に送れない。それでも、今回自殺についての講演を受けたことはよかったと思っている。人間はどうしても楽な方に流れてしまうので、こんな講演でも引き受けなければなかなか勉強しない。よく、マスコミで庶民感覚からかけ離れていると非難するが、常日頃から庶民感覚からかけ離れて努力している人がどうして庶民と同じ生活を送らなければならないのか、まったく理解できない。前にも紹介した竹中平蔵「竹中式マトリクス勉強法」(幻冬舎)にも書かれているが、著者は英語をマスターするために大変苦労している。規制緩和について非難をするのは自由であるが、著者が庶民の生活を送ろうと送らまいと関係ない。努力する者が報われる社会の実現については私も異論はない。しかし、現在の社会は硬直しすぎて、なかなか努力が報われないのは確かである。少なくとも、いつでも再チャレンジが保証される社会にならないと、格差は広がるばかりである。

平成20年11月18日(火)

 相変わらず、最近は早く目が覚めてしまう。朝5時に起きるために、毎晩夜10時ぐらいには寝るようにしているが、きょうは朝2時半頃に起きてしまった。それから、頭がさえてなかなか眠れず、人生についていろいろ考えていた。思いきって4時頃に起き、5時頃に医院に出てきてこの日記を早く書き上げようかと思ったが、気になることがあって、寝床でずっと考えていた。あまり眠れないわりには、それほど疲れていない。1番よくないのはラム酒をがぶがぶ飲み、睡眠もよく取れなかった時である。こういう時は最悪で、患者さんの話を聞くのも苦痛である。最近は土曜の夜も禁酒にしたので、お酒を飲むのは火、木、日の週3回だけである。日曜日は、朝6時から医院に出てきても、外来がないのでばりばりと仕事はできる。この前の日曜日は、労災で裁判になっているケースの意見書を書き、きのうあった労災の判定会議の資料も見ていた。最近は労災申請も難しいケースが増えてきた。労働組合などが支援している場合は、労災として認めないと裁判になることは避けられず、判定には神経を使う。それでも、だめなものはだめである。
 きょうは午後から府医師会の医療安全対策委員会があり、明日は京都市から頼まれている二次診察に五条署まで行かなければならない。木曜日は介護保険の認定審査会と、相変わらず予定がつまっている。気分は少しハイになっているので、今はそれほど苦痛ではない。誰でも気分の波はあるが、ゆっくりとした波だとなかなか自分でも自覚できない。何をやるのも苦痛になることがあるが、こういう時にはあの時は軽いうつ病相にはいっていたのではないかと後で気づく時がある。勤務医から開業医になったらもっと楽になるかと思っていたが、相変わらず忙しい。しかし、この不況の時に、収入は勤務医の時より実質3倍ぐらいになっているので、よしとしなければならない。
 勤務医が忙しいというのは、主に公的な病院の場合である。私立病院の場合は、最初の契約の時に週3日でも4日でも休みを取ろうと思えば取れる。以前に診察に来ていた警察官に話を聞いて驚いたことがある。警察官といえども、公務員なので労働基準法に基づいて働いている。1番びっくりしたのは、常に自分の居所を明らかにしておかないといけないことである。私が京都第一赤十字病院に勤務していた時には、毎月待機番を決めて病院に提出していた。心療内科は2人しかいなかったので、月の半分は待機番である。休みなどに病院まで呼び出されることはめったになかったが、何かあった時には指示が出せるように、いつでも連絡だけはつくようにしていた。年末年始ももちろん誰かが待機番をしなければならない。しかし、待機番でない時はもちろん好きなように過ごせた。ところが、警察官の場合は仕事が終わった後でも、常に自分の居所を明らかにしておかないといけない。自宅ではなく、他人の家で泊まる時にはあらかじめ届けなければならない。届け出なしで愛人の家になんか泊まったりしたら、処分の対象になる。家族で旅行に行く時も、今旅館に着きましたといちいち報告する。何人かの仲間の警察官とプライベートで飲みに行く場合も、今どこに飲みにきていると連絡するのである。別の店に移ったら、また連絡して、自宅に帰ってもまた連絡しなければならない。不測の事態に備えていつでも駆けつけれる体制にしているのである。私はこんなプライバシーのないような仕事は耐えられない。中にはとんでもない警察官もいるかもしれないが、自分たちの日常の治安はこうして守られているのである。
 きょうは府医師会の医療安全対策委員会が4時頃に終わり、その後はそのまま京都駅近くのマンションに行った。5時からマンションの鍵を換えるためである。医院に戻ってきたのは6時過ぎである。委員会の前にこの日記を書き終えなかったので、更新がいつもより遅くなってしまった。中古のマンションを買った時には、鍵を買い換える人が最近は多いようである。神経質な人は、盗聴器や盗撮器がしかけてないか、プロに調査を依頼するぐらいである。少し前にTVを見ていたら、京都の山村美紗の家は娘が家にはいれないぐらいあちこちに鍵をつけ、しょっちゅう交換していたという。私はふだんはマンションには住んでいないので、防犯については心配になる時がある。マンションにはいる時には鍵を使ってドアを開け、玄関には監視カメラもついていている。しかし、住人がドアを開けた時にはいろうと思えば一緒にはいれる。前の住人を疑っているわけでないが、余計な取り越し苦労をするぐらいなら、思い切って鍵を換えた方が安心である。私の防犯感覚は、カンボジアがスタンダードになっている。以前に紹介した、新川加奈子「カンボジア 今」(燃焼社)にも書いてあったが、みんな大金を家に置いておくと盗まれるので、現地の職員はみんな職場に持って来ていたという。すぐに鍵を換えなかったのは、マンションの入り口の鍵と部屋の鍵が別々になってしまうからである。きょう来た鍵屋さんの説明によると、これまで使っていた鍵は古いタイプで、バンピングで簡単に開けられてしまうという。今回換えてもらった鍵は最強で、もし鍵をなくしてしまったら、ドアを破壊するぐらいでないと開かない。そのため、複製する時のために鍵のIDがネットで登録できるようになっており、もし侵入された場合の保険も2年間ついている。値段は全部で2万4千円ほどであったが、防犯カメラなどをつけることを考えたら安いと思う。それにしても、このマンションは10年以上たっているが、ほとんどの住人はそのまま同じ鍵を使っている。この10年の間に鍵は進化しているので、古いマンションに住んでいる人は、入り口の鍵とは別になっても新しい鍵に換えた方がいいのかもしれない。
 前回ツタヤのDVDの宅配便について書いたが、利用する価値はある。初めは、キング・クリムゾンの「リザード」のCDを借りるつもりであったが、在庫になかった。大きな配送センターを用意しているので、何でも取りそろえているかと思ったら、意外にそうでもなかった。このLPレコードは持っているが、ソニーのウォークマンで聞こうと思ったら、うまいこと録音ができていなかった。一般のDVDは直接店に借りに行ったらいい。最初の1ヶ月は無料で8枚借りられるが、1本2時間のDVDをそんなに見ている暇はない。その点、AVは早送りで飛ばして、好きなシーンだけじっくり見たらいいので、便利である。作品は自分の好みをネットで選べるし、わざわざ店頭で恥ずかしい思いをしなくてもいい。後は、安全でゆっくりと見れる場所を確保するだけである。今はパソコンでも見れるので、それほど苦労はしないだろう。今回いくつかの作品を見たので、別の機会にまた感想を書こうと思う。

平成20年11月11日(火)

 きのうは新聞の休刊日だった。休刊日だと、朝新聞を読まなくてすむので、医院には朝5時40分過ぎには着いてしまう。最近はもうひとつしっかり眠れなく、朝5時の目覚ましよりも早く起きてしまう。今日も朝5時半過ぎには医院に着いてしまった。私の医院はセコムをいれているが、以前は6時前にセコムを解除すると、必ず確認の電話がかかってきた。たった2〜3分前でも律儀にかかってきたが、今は5時半頃に着いても何もかかってこない。電話がかかってきた時にはいちいち面倒臭いと思ったが、何もかかってこないと手をぬいているのではないかと心配になる。今日の午後は何も予定がはいっていないので、この日記を早く書き終えて、久しぶりにゆっくりしたい。
 先週の木曜日は、午後からいつもの介護認定審査会があった。東山区の総合庁舎に行って、毎回30人分の高齢者の介護の必要度をみんなで協議する。少し前に東山医師会の会長から電話がかかってきて、来年も継続するように頼まれた。この仕事は任期が2年あり、来年3月で切れる。私は途中からであるが2期やっている。審査会そのものはそれほど時間はかからないが、あらかじめ30人分の資料を読んで審査会に出席したら、行き帰りの時間も含めて1回3〜4時間はかかる。休みの時もあるが、この審査会は月に2回ある。1人あたりの資料はB4で2枚である。慣れてきたら、1人あたり2分もかからないかもしれないが、私は合議体長をしているので、毎回司会をしなければならない。あまり飛ばし読みもできないので、2分×30人分で最低1時間はかかる。全部丸暗記をしようと思ったら、最低4日はかかる。来年は審査のやり方が変わるみたいで、この説明会にまた土曜日の午後から出席しなければならない。合議体長は他にも会議があったりして大変である。来年は絶対固辞しようと思っていたが、事情が変わってきた。
 金曜日にある大学の心理学科の先生から電話がかかってきた。来年4月から文学部の講義をひとつ持って欲しいと頼まれた。文学部全体の一般学生を対象に、1回90分の授業で通年である。テーマは医学概論で何でもいいという。私の医院の午後診は4時からであるが、実質的には3時半から開け、来た患者さんから診察している。他にもいろいろ頼まれている仕事もあるので、毎週定期的に講義を持つのは至難の業である。大学までの往復時間を1時間見込んで、授業を入れたら1回2時間半ですむ。しかし、今回初めてで、毎回授業の準備をしていたら全部で1回3〜4時間ではすまないだろう。私は介護の審査会に出席するより、畑違いの文学部の学生に講義する方が面白いと思う。しかし、どう考えても時間がない。今回私より長くやっている先生で、介護認定審査会をやめたいという先生も多いらしい。医師会にはいっていても、何もやらない先生もいるので、いつも不公平だと思っている。東山医師会ではなく、府医師会の仕事としては、医療安全対策委員会、京都市国際交流会館のカウンセリング・デイ、○○視察委員会をやっているので、まだ貢献している方だと思う。京都市の仕事でも頼みやすい所にいつもまわってくる。結局出した結論は、今回絶対にやめようと思っていた東山医師会の介護認定審査会の仕事をまた2年間続けることにした。頼まれた仕事の断り方も難しい。本当はどちらも断りたかったが、文学部の講義の方を断ることにした。
 患者さんの話を聞いていると、今回の金融危機で株で損をしている人が多い。大きな証券会社に部長として勤め、定年退職をしてから銀行にアルバイトで勤めている人がいるが、自分が売った金融商品も価値は6割ぐらいになっているという。中国株に手をだしていた人も7000万円を超えていたのが、今では1700万円になっている。毎日朝から晩まで株の短波放送を聞いてきた人が80歳を過ぎて最近株をやめたが、バブルがはじけてから1度も利益らしい利益を出していなかった。私は今までバブルの時も含め、株をやったことは1度もない。株の仕組みもよくわからず、どこで買ったらいいのかも知らない。資産の運用は、貯金、株などの証券、土地に分散して運用するのがいいと言われていたので、お金持ちは今度の金融危機でみんな損をしている。実際に、世界大恐慌に匹敵するぐらいの危機らしい。私は銀行にお金を預けているが、金利が年に1%にも満たない。そこで、この機会に大博打にでようと思う。狭い家を買い換えるつもりでお金を貯めていたが、株を買って5年間ぐらいは寝かせるつもりである。まったくのど素人なので、目先の変動で売り買いはしない。前から書いているように、私の理想はアーリー・リタイアメントである。早くお金を貯めたて、後は人でも雇ってゆっくりしたい。100年に1度の危機は、100年に1度のチャンスでもある。ここ何年かで本当の底が来ると思うので、今からネット株の入門書を読んで勉強しようと思う。一世一代の一発勝負である。まだ子どもが小さいので、失敗したら今度は90歳まで働かなければならない。
 私は啓蒙書が好きなので、何もやる気がしない時には元気づけにけっこう読んでいる。前にも書いたように、実際の英語の勉強よりも、英語が上手になれる本ばかり読んでいたのでは、本末転倒である。まだ3分の2ぐらいであるが、今ベストセラーになっている竹中平蔵「竹中式マトリクス勉強法」(幻冬舎)を読んだ。私の年になると、自分のやり方というのが大体決まっていて、こういう本を読んだ時には参考になる部分だけ取り入れたらいい。いつもこのたぐいの本を読んでいて思うのであるが、勉強法にいろいろな工夫は必要であるが、魔法のような方法があるわけではなく、最後はやはり努力である。みんな試行錯誤で死ぬほど努力して、自分の学習法を考え出している。私の後輩で、長いこと大学に残っていて、今は総合病院の部長をしている先生がいる。この先生が話していたが、前の教授の時に教授が出版社から頼まれていた原稿をよく下書きさせられていたという。教授は専門の医学雑誌などから総論などの原稿を頼まれることが多いが、先に下の者に書かせて、後から原稿を手直しして共著で載せることも多い。ところが、ただでさえ忙しい時に、いつも教授が締め切り間際に原稿を頼んできたという。最初はのたうちまわりながら書いていたが、段々と要領よく書けるようになったという。何でもそうであるが、誰でも最初からうまくこなせるわけではない。もう死ぬのではないかというぐらい訓練を重ね、やっと少しづつ慣れていく。この本では限られた時間を有効に使うため、宴会などであまり群れないようにする方法も書いてある。すべての仕事に締め切りを設定し、ゴールから逆算して計画を練るというのは私はあまり意識的にはやっていない。1日3枚の原稿を書いたら、確かに100日で1冊の本が書ける。耳学問と読み書きして学んだことの違いも述べている。政治家や評論家などは耳学問で面白いネタはよく知っているが、読み書きできちんと物事の本質論を勉強している人は少ないという。他にもいろいろためになることが書いてあるが、内容についてはまったく同感である。
 この前の日曜日はまた朝6時から出てきて、今月分の診断書はすべて書いた。来週の日曜日も朝6時から出てきて、労災の裁判事例の意見書を書くつもりである。その次の連休も朝6時から出てきて、木曜日にある府医師会の講演会の原稿とスライドを作るつもりである。今回は1時間半以上話さなければならないので、その準備も大変である。アマゾンで調べたら、自殺に関する本は簡単に手に入るので便利である。こんな生活を送っていたら、あまり精神的にもよくないので、気分転換にツタヤのネット宅配レンタルを利用して、アダルト・ビデオでも借りようかなと思う。1ヶ月送料を含めて1974円で、8枚借りられる。ネットで調べてみたら、ありとあらゆるジャンルの作品が取りそろえられ、作品の数は充実している。店頭で借りるのは恥ずかしいし、どこまで個人情報が守られるか心配である。借りたビデオ作品でその人の性的嗜好がわかるが、ネットで借りたらまず外に漏れることはない。前にも書いたが、私の知っている後輩の先生が、ビデオ屋で人妻シリーズのアダルト・ビデオを借りていたら、自分が診察していた躁うつ病の患者さんに出会ってしまった。躁になったら、みんなに言いふらされるのではないかとこの先生はその後恐れおののいていた。

平成20年11月4日(火)

 きのうの夜はビールをがぶがぶ飲み、夜の10時過ぎに寝たが、朝3時40分頃に目があいてしまった。また、うとうとできるかと思ったが、なかなか眠れず、頭がさえるばかりである。仕方ないので4時半頃に起き、医院に出てきて朝5時半からこの日記を書いている。2日の日曜日は朝6時から出てきて、まだ残っていた10月分の自立支援医療の診断書を書いていた。さすがに、午前中には終わったが、今月中に書かなければならない11月分の診断書はまだ何も手をつけず山ほど残っている。最近はパソコンを使って診断書を書いているので、来年からは少し楽になるだろう。今、どこの科でも夜間や休日の救急医療が問題になっている。開業医も救急病院の当直を手伝ったり、夜間の救急医療を担うことが期待されている。私個人はいくらでも協力するつもりであるが、行政側もこんな書類で開業医を忙殺させないように何か考慮して欲しい。職員の多い医院ではこの診断書を事務員に代筆させているが、他人の筆跡で診断書を書かせるのはもうひとつ抵抗がある。私もやっとこの診断書をPDFで取り込み、ソフトを使って診断書に書き込めるようにしたが、誰かパソコンの詳しい人がいたらもっと早く導入していただろう。パソコンの場合は、診断書に印鑑を押したら誰が書いても同じである。
 今月は労災の裁判になっているケースの意見書を書かなければならない。先週の京都新聞に出ていたが、JR西日本の19歳になる職員が自殺したことについて、両親が労災として認めるように裁判で訴えていた。今回判決が出て、両親の訴えは棄却された。インターネットで調べてみたら、毎日新聞に詳しく載っており、両親がまた控訴する方針だという。このケースは私を含め労災医員3人で協議している。息子さんを亡くした両親にはお気の毒であるが、やはり労災にするには無理がある。精神科関係の労災申請があった場合は、各都道府県で3名の精神科医からなる労災医員で協議し、医学的見解を出す。この時の結果については、労働基準監督署から労災申請した人に説明されるが、納得のいかない人は不服申し立てをする。この時に最初は京都で再審査し、改めて説明し直す。それでも納得しない場合は、今度は本庁の労働保険審査会で裁決書が出る。それでも、納得しない場合にいよいよ裁判となる。確かに、協議していても難しいケースもあるが、今回頼まれているケースでもやはり労災は無理である。こんな詳しい裁決書が出ているのに、何を付け加えて意見書を書いたらいいのかと思う。裁判になると、患者さんのかかっていた精神科のカルテがすべてコピーされ、資料として添付される。精神科の先生はいつ裁判になってもいいように、日頃から患者さんのカルテはきれいな字で丁寧に書くように心がけて欲しい。
 一般の人にわかりやすく説明しておくと、いくら仕事のストレスでうつ病になったからといって、すべて労災として認めるわけではない。ストレスの受け取り方には個人差があり、ちょっとしたストレスで体調をこわしてしまうしまう人から毎月残業時間が100時間超えても何ともない人もいる。上司に少しきつく言われただけで、傷つきやすい人や人間関係でもまれたことのない人は、過呼吸や激しい動悸を起こしやすい。専門の精神科医3人が、判断指針を用いて業務上のストレスの強さを客観的に判定し、労災として認めるかどうか協議する。よほど難しいケースでない限り、意見が別れることはない。どのくらいのストレスが労災として認められるかというと、人生で稀に遭遇するぐらいの強さでなければいけない。1番ややこしいのは、会社の不正と労災申請の関係である。食品の偽装問題などが話題になっているが、ある患者さんからアルバイトしていたお土産屋では丹波の黒豆と偽って中国産の豆を売っていたと教えてもらったことがある。他にもいろいろな不正があるが、会社の不正についてはしかるべき管轄の監督機関に訴えたらいいと思う。ところが、会社に指摘して改善されず、無視されたり、嫌がらせを受け、体調をくずしたと訴えて労災申請をしてくる場合がある。中には、どこまで体調をくずしているかよくわからず、会社に対する怒りを、労災申請で解消しようとしているように思える時もある。いくらいらいらを伴っていても、会社に対する怒りと業務に起因して発症した精神障害は別である。
 もうひとつ今月にやらなければならないのは、府医師会から頼まれている医師会の会員対象の「自殺」についての講演である。前にも書いたが、私は高知市の浦戸大橋からの投身者について調査して論文にしている。後輩の先生から頼まれて気軽に引き受けてしまったが、最近の資料についてはこれから集めなければならない。今月末だからといって油断していると、あっという間に日が近づいてしまう。通り一遍の話ではなく、専門医でないと聞けない面白い話にしようと思う。実は、この講演会は10月30日に頼まれていたが、この日はあまり公にしないように言われていた○○視察委員会がはいっていた。医学とはまったく関係ないが、これも医師会代表としての仕事である。メンバーには弁護士会代表の弁護士も含まれ、どちらかというと堅苦しい内容である。女性の園視察委員会とか秘密倶楽部視察委員会とかもっと何か楽しい仕事がはいらないかと思う。しかし、これはこれでこの日の委員会では興味深い話が聞けて勉強になった。個人情報に触れない程度で、今度の医師会の講演で引用してみようと思う。
 連休の後半は久しぶりにゆっくりとできた。CNNを見ていたら、また面白い特集をしていた。たまたまニュースの録画予約をするつもりでTVをつけたら、爆弾を身につけた女性の自爆者について放送していた。イラクでは厳しいチェックポイントをすりぬけるために、女性に爆弾を身につけさせ、人の多い市場などで自爆させる。番組では、爆弾を身体に巻いた15歳の少女が米軍に摘発されていた。1番多いのは、自分の夫を敵対する相手に殺された若い未亡人である。アルカイーダが同じスンニー派の未亡人をリクルートしたり、貧しい女性を対象にリクルートする。アルカイーダは欧州でも女性の自爆志願者をリクルートし、夫がイスラム教の原理主義者で洗脳されたベルギーの女性をイラクで爆死させている。スペインの列車爆破事件で容疑者として調べられた女性もインタビューに応じていたが、夫が同じくイスラム教の過激派である。イラクで爆弾を身につけた女性の自爆者が出てきたのはつい最近のことで、それまではチェンチェンのブラック・ウィドウが有名であった。ロシア軍に夫を殺された未亡人が爆弾を身につけ、ロシア軍の隊列に近づき自爆していた。モスクワの劇場を占領したチェチェングループにも少なからずブラック・ウィドウが含まれていた。スリランカでは反政府勢力のタミル・タイガーが有名であるが、ここの女性が身に爆弾を着け、インドでラジブ・ガンディを爆死させている。この女性はラジブ・ガンディの統治期にインド人にレイプされたという。イラクでは、統合失調症の女性患者さんに爆弾を巻き、市場に行かせ、リモコンのスイッチで爆発させ、69人を死亡させている。イスラムの世界では、女性の身体検査については宗教的な抵抗が強いので、最近では同じイラク人の女性がするようになっている。
  ワールド・ニュースでは、コンゴのゴマにおける虐殺について放送していた。以前に隣国のルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺を紹介したが、フィリップ・ゴーレイヴィッチ「ジェノサイドの丘」(WAVE出版)を読むと、コンゴではこの反対のことが起こっていたようである。この本は上・下2巻あり、上を途中までしか読んでいないが、ピグミー族について書かれていることが興味深かった。私が小学生の頃はピグミー族は世界一背の低い民族みたいなことを言われていたが、伝統的に王族の道化役として仕えていた。今回のゴマの難民問題はよく聞き取れなかったので、インターネットで調べてみたが、ツチ族の反乱軍が虐殺をしており、内情は複雑なようである。これから深刻な世界不況が訪れるという話であるが、まだまだ日本は平和でましだと思った。
 前回予告したうつ病概念の混乱については、自分の中でもう少し整理して、また別の機会に書こうと思う。

平成20年10月28日(火)

 最近遠くの物が見えなくて困っている。ふだんは医院の中で過ごしていることが多いので、それほど不自由はしない。しかし、道で歩いていても、少し離れただけで近所の人の顔もわからない。患者さんなど見かけても、挨拶もしないのは失礼になる。うつ病の研究会などはホテルで開催されることが多いが、会場の前に出ている案内も近づかないとわからない。後ろの方に座ると、講演のスライドも読めない。忙しくてなかなか写真を撮りに行っている暇はないが、よく見えないといい写真も撮れない。もともと強度の近視に老眼が加わり、焦点が合いにくい。コンタクトレンズをしているが、これだけ見えにくくなってくると、緑内障など何か目の病気があるのではないかと心配になってくる。
 東山医師会のベテランの眼科の先生から、レーシックなどの手術を含め、矯正視力にはバプテスト眼科クリニックがいいと聞いていた。早速木曜日の午後から車で出かけた。ここは土曜日も含め、午後からも新患を受け付けてくれるので便利である。北白川まで行かなければならないので、私の所から少し遠いのは難である。コンタクトを外すと、ほとんど何も見えない。私は、寝る前に寝床で本を読むことが多いが、20cmぐらいだと何もつけずによく見える。検査をしたら、乱視はそれほど問題はなく、近視は−9.5Dであった。コンタクトの度数を上げると、視力は1.2まで見える。一件落着かと思ったら、今度は近くの物が見えにくくなる。レーシックなどの矯正手術をしても同じだという。遠くを見えるようにして、近くは老眼用のメガネをかけるかであるが、人生の大半を診察室で過ごしているので、不便である。しかし、今まで通りに近くに焦点を合わせると、今度は遠くが見えにくくなる。
 私は小学生の頃から近視だったので、随分と損をしている。道を歩いていても、近づかないと女の人が美人かどうかもわからない。へたをしたら、どきどきしながら近づいたら、おばさんだったということもよくある。学生時代はダンパと言って、女子大とのダンス・パーティがよくあった。だだでさえ会場はうす暗くてよく見えないのに近視だったので、女の子を誘うのにも一苦労であった。海水浴に行っても、男性の密かな楽しみである女性の水着姿が全然楽しめない。道の傍らにきれいな花が咲いていても、見過ごしてしまう。学会などで偉い先生の名前が覚えられないのも、遠くから顔がよく見えていないからである。いつも、遠くの世界がぼんやりと見えている世界に生きていると、よく見えている人とは違う世界観を持つ。以前に、視力が良すぎて、対人恐怖になるという患者さんがいた。道でも、遠く離れていてもこちらはわかり、相手はまだ気づいていないので、近づいてくるとどう対応したらいいのかわからないという。近視でも、相手の視線がよくわからないので、どこで頭を下げたらいいのかいつも途惑う。私と会っても無視されているのではなく、全然見えていないので、あしからず。
 結局、右目のコンタクトの度数をもう少し上げることにした。左目は近くが見えるようにあまり上げない。近くを見る時に遠視用のメガネをかけるより、遠くを見る時に近視用のメガネをかける方がまだ便利である。仕事によっては、遠くが見えるようにした方がいいかもしれない。医者は手元の作業が多い。この前の日曜日も前回と同じで、朝6時から医院に出て、自立支援医療の更新の診断書などをずーと書き続けていた。途中からいやになって、新しく買ったノートパソコンにソフト入れたりして夕方5時ぐらいまで医院にいた。障害者手帳用の診断書はA3になるので、パソコンでA4で2枚書き、コンビニでコピーするため1回外に出ただけである。税理士に送る資料の整理や従業員の給与計算などいっぱい、いっぱい、いっぱい、表現に困るぐらい雑用が多かった。労災で裁判になっている分厚い資料があったが、読んでいる暇はない。あまりにもやることが多すぎると、このまま失踪したくなる。患者さんで早期退職して、最近チベットに行った人がいたが、うらやましい限りである。崑明からランドクルーザーでチベットを1ヶ月かけて旅するツアーである。私の診察室には世界地図が置いてあるので、一緒に地図を見ていたが、チベットはこんなにも広いのかと驚いた。
 中国語の勉強はしたいが、時間がない。英語だけでも衰えないように、なるべくCNNは見るようにしている。先週のアントールド・ストーリーで、コロンビアのコカインについて特集していた。コロンビアはフランスの2倍の面積を持ち、コカインの一大生産国である。ボゴタの空港では出国する人の荷物は徹底的に調べられる。持ち出す方も工夫し、段ボール紙の隙間にびっしりとコカインを詰めたりする。ボゴタ周辺のホテルでは、観光客に声をかけて運び屋を探している。報酬は1回6000ユーロである。荷物に隠して持ち出すのは危険みたいで、番組では200人収容している刑務所で、コカインの運び屋で捕まったヨーロッパ人が15人いると紹介していた。比較的安全な方法は古典的な方法で、飲み込んで運ぶ。以前はパラフィンでコカインを10gづつ包んでいたが、ガソリンの臭いがして飲みづらかったという。現在は臭いも味もしない歯科用のワックスで包み、100個飲んで1回1kg運ぶ。下痢をしないように下痢止めを飲み、ヨーロッパまでの長い飛行機旅を1回も食事しないのは怪しまれるので、食事をとるように指示される。指示する方もラテン系の気楽なおっさんという感じで、こわい感じはしない。しかし、昨年は取締りの警察官が600人殺され、取材の数日前にもジャングルを偵察していたヘリコプターが撃ち落とされ、9人が死亡している。昔は殺されたメデジンカルテルのパブロ・エスコバルが有名であったが、今は人質事件で有名になった反政府ゲリラのFARCが力を持っているようである。私は都会都会した所には興味がないので、ラテンアメリカにも行ってみたいと思う。そうなると、スペイン語も勉強しなければならないが、こんな生活を送っていたら絶望的である。ある日突然医院で失踪して、20年後にコロンビアのジャングルの中で発見されるという人生も面白いかもしれない。
 さて、最後に前にも紹介した、香山リカ「私はうつと言いたがる人たち」(PHP新書)である。私もここで何回も書いているが、うつ病の概念が変わってきて、どこまでうつ病なのかわからない患者さんが増えてきた。著者は、現代はうつ病といったら何でも許される社会といい、患者さんにとってはけっこう厳しいことを書いている。きょうはもうゆっくりしたいので、このあたりのことは次回に詳しく書こうと思う。生活保護の患者さんは自立支援医療にしたら福祉の方で医療費を払わなくてすむので、何でもかんでも自立支援医療の診断書を書いてくれと頼んでくる。私に言わせたら、福祉の担当の人は、生活保護を受けている人たちを「うつにしたがる人たち」である。

平成20年10月21日(火)

 この前の日曜日は京都市の休日待機番になっていた。こういう時には、貯まっている書類を書く日に当てている。相変わらず、自立支援医療の診断書と障害年金の診断書が多い。木曜日の夜にラム酒をがんがんと飲みすぎ、体調を崩してしまったので、前日の土曜日は一切酒は口にせず、夜10時頃に寝た。体調を整え、日曜日の朝は5時に起き、やる気満々で6時には医院に出てきた。とりあえず、障害年金の診断書である。統合失調症は20歳前後に発病することが多い。20歳前の発病では年金をかける年齢に達していないので障害年金の対象になる。しかし、20歳を超えると、障害年金を受け取るには発病時に年金を掛けていたことが条件となる。よく裁判で問題になっているのは、大学生の時に発病した場合である。昔はほとんどの人が学生時代には年金を掛けていなかった。大学を卒業して就職したら、会社の厚生年金などに加入するが、この20歳から卒業するまでの2年間が年金を掛けていない空白期間になる。しかし、この時に統合失調症を発病する人が多い。統合失調症はまだ一生の病気で、こういう場合には死ぬまで障害年金は受け取れないことになる。
 日曜日に書いていたのは、20歳前に発病していた患者さんであるが、国民年金の場合は障害等級が2級以上でないとお金は出ない。厚生年金などでは3級から出る。私の医院で診ていた期間は長いが、他の医療機関に3ヶ所かかっていたので、その受診日などをすべて調べなければならない。この患者さんの場合はまだ若いので簡単に調べられたが、20年前や30年前のことになると調べようがない。障害年金の場合は、初めて医療機関を受診した日に年金を掛けていたどうかが問題となるので、この初診日は重要である。高度成長期の時には、現在の自立支援医療にあたる通院医療費の公費負担を申請する人は少なかった。同じように、障害年金を申請する人もほとんどいなかった。現在よりまだ経済的に余裕があったこともあるが、精神の病気に対する偏見や公にしたくないという家族の意向もあったと思う。ところが、自分の子どもぐらいは自分の家で面倒をみたいと思っていた親がどんどんと年をとっていき、経済的な余裕もなくなり、新たに申請する人が増えてきた。今から何十年前のことを調べるのは大変で、当時のカルテも残されていない。以前と比べてやたら書かなければならない書類が増えたのは、うつ病かどうかわからない人まで自立支援医療を申請するようになったことと、長いこと障害年金を申請していなかった人が申請するようになったからである。20歳前に発病すると、20歳の時の診断書と現在の診断書と2通書かなければならないので書く方も大変である。私の医院では京都第一赤十字病院にいた時にあわせてそのまま診断書料は3千円にしている。他の先生に聞くと、私の所が最低料金みたいで、どこも5千円からである。
 もう1人の患者さんは、現在障害等級が2級の統合失調症の患者さんである。更新ではなく、等級変更で1級にしてくれという。当然等級によって、支給される年金の額もかわってくる。どう考えても無理なので、何回も詳しく説明したが、頑として聞き入れてくれない。こういう場合には医者としてどう対応したらいいのか本当に困る。私は精神科のプロなので、難しいケースを除いてこの患者さんは何級に該当するか大体わかる。審査をするの人は別なので、等級変更が無理だとわかっていても、患者さんの要請に応じて、事実を書いて申請したらいいという考え方もある。しかし、プロのプライドとして最初から通りそうもない診断書を書くのは抵抗がある。和歌山のカレー砒素事件で、林眞須美被告の夫の健治が、歩けるのに不当に高額な身体障害の年金を得ていた。この時に、この診断書を書いた整形外科医が罪に問われていた。世の中にはいくら説明しても強引に診断書を書かせる患者さんもいるので、書く方もついつい実際の症状より重くして書きやすい。私は公文書偽造みたいなトラブルに巻き込まれるのはかなわないので、この患者さんについては事実だけ書くようにした。
 この後で、米国に帰国した日本人の紹介状を英語で書いていた。先日、親戚の人から国際電話で要請があった。英語でしゃべるのは少しぐらい間違っても大丈夫であるが、紹介状の場合は公式文書になるので気を使う。英文診断書の書き方を見ながら四苦八苦して書き上げた。思ったよりも、手間暇がかかってしまった。その後で、新規の自立支援の診断書である。今回は3人であるが、みんな福祉関係の患者さんである。今月中に書かなければならない自立支援の更新の診断書はまだ10通以上残っているが、その数はどんどんと増えていく。これを書き上げた後は、きのうの月曜日にあった労災判定会議の資料読みである。今回は4件出ていたが、4件ともぶ厚い資料である。私が司会をしなければいけないので、あまり手をぬいて読むこともできない。なんとか読んだ後は、7月に私が医局の集まりで話した労災認定の講演要旨を原稿にまとめて、医局に送らなければならない。締め切りまでに数日しか残っていなかったが、少しやりかけたでけでもう午後の3時半である。私は決して要領の悪い方ではないが、朝6時から始めてもこんなもんである。コーヒーを飲んだり、昼食はとっているが、なかなか仕事ははかどらない。
 この日は夜5時半から東山医師会で恒例の秋の集いがあった。最初に講師を呼んで、医学とは関係のない話を聞き、その後は懇親会である。今回の講師は大阪教育大学の先生で、テーマは「アジアの家族」であった。中国、タイ、シンガポール、台湾、韓国が取り上げられ、中国は深センだけであるが、私はすべての国に行っている。1人の女性が一生に生む子どもは少子化といわれる日本は1.27であるが、韓国やシンガポールはもっと低い。最近の韓国の男性はヨン様のように優しく、小さな子どもや女性の重い荷物をみんな持ってくれるという。しかし、結婚するとまだ儒教の影響で親戚づきあいなどが大変なので、若い女性はなかなか結婚したがらない。国連では、65歳以上が人口の7%を超えると、高齢化社会と呼んでいる。台湾では9%と多いが、他の国ではどこも7%前後である。ところが、日本はすでに20%を超えている。各国の女性の就労状況も話してくれたが、ある年代によって就労状況が変わる。中国では男性も料理が上手なことを自慢するぐらいなので、女性は50歳ぐらいまで働き続ける。日本では子どもが小さい間は働かず、大きくなるとまた働き出す。シンガポールなどでは、若い時には働き、年齢がいくごとに少なくなる。日本では子どもが小さい頃の子育てを重視し、母親が愛情を注いで育てなければならないと思っている。しかし、シンガポールでは反対で、賃金の安いフィリピン人のメイドを雇い、何もわからない内は誰が育てても同じだと考える。物心がつくようになってから、母親が仕事をやめて自ら教育熱心に育てるようになる。懇親会では久しぶりに京都第一赤十字病院の院長と話をすることができた。同じ病院の副院長が舞鶴市民病院の院長として行く話が京都新聞に出ていたが、まだいろいろともめているようである。私が在籍していた時には、今の院長は副院長であったが、それこそ毎日病院を駆けづり回って本当に額に汗していた。文句ばかり言って、何もしない人がいるが、私はそういう人は信用しない。定年退職した府立医大の教授が横滑りで来ず、生え抜きの副院長が院長になって心からよかったと思う。
 新聞を読んでいたら、世界の金融危機で株式市場が下がり、英国の女王の投資資産が37%目減りしたという。金額にして、65億円である。低金利の貯金でお金を眠らせるのではなく、株や金融資産に分散投資して、お金に働かせるという考えが賢い方法であったが、今度のサブプライム問題で株や金融資産に投資していた人はほとんど損をしている。低金利の貯金にしていた人が元金割れもなく、結局賢かったのである。私ももっと楽してお金が増やせないかと思っていたが、世の中はそんなに甘くはなかった。きのうは午前と午後の診療の合間に労災会議があり、今日は午後から府医師会で医療安全対策委員会があった。明日も診療の合間に特別養護老人ホームに行かなければならない。不景気の割には充分な収入を得ているが、もう少しゆとりのある生活ができないものかと思っている。

平成20年10月14日(火)

 この前の水曜日は東山医師会で、めまいについての勉強会があった。相変わらず夜遅く始まり、8時からである。内科系統の先生が大勢集まっていた。講師は京都第一赤十字病院の神経内科の先生であった。一般の開業をしている先生の所には、患者さんがいろいろな身体症状を訴えて受診する。何か大きな病気を見逃したらいけないので、みんな勉強熱心である。私は過敏性大腸とかめまいとか、心療内科と関係したことばかりで、自分の専門領域以外の勉強会は参加しない。開業する前は総合病院に長いこと勤めていたせいか、簡単に院内の他科に紹介できたので、ますます不得意になった。時々患者さんから、皮膚にできた発疹のことを聞かれるが、まったくよくわからない。薬疹だけは気をつけているが、心療内科以外のことは皮膚科領域のことでもふつうの内科の先生の方がよほど詳しい。精神病院に勤めていると、患者さんの胸のレントゲンから心電図、身体症状について管理しなければならないので、ある程度は詳しくなる。
 心療内科で扱う身体症状では、めまい、しびれがいつもよくわからないと思っている。めまいについては、けっこう大学病院などのめまいセンターで検査して、原因がわからないと言って受診してくる患者さんがいる。しびれも原因がはっきりしないことが多い。今回の講演では、あるめまいの調査で3割ぐらいがうつ病関係と出ていたので、納得がいった。しかし、中には、危ない病気もあるので気をつけなければならない。眼振についても話をしてくれたが、学生時代のことをかすかに思い出すぐらいで、1回さっと聞いただけでは覚えきれない。めまいによくメイロンを注射するが、全く医学的根拠のない治療だという。
 心療内科では、他の科でいろいろ検査をしてきているので、安心して心療内科領域の疾患として扱える。うつ病などではよく知られているように身体のあちこちの不調を訴えてくる。しかし、1つの身体症状をいつまでも強く訴えてくる時には、やはり身体疾患を疑う。つい最近、胃の強い痛みを訴え、ドクマチールなどを処方してもなかなか改善しない患者さんがいた。強いストレスを受けていたが、あまり改善しないと、それこそストレス性の胃潰瘍になったのではないかと心配になってくる。以前にも書いたが、抗うつ薬などで他の身体症状が改善したのに、お腹の痛みだけが取れない人がいた。おかしいので、婦人科を受診するように勧めたら、卵巣腫瘍が見つかったことがある。この胃の痛みをいつも訴えていた患者さんに胃カメラの検査をするように勧めたが、結果は異常なしであった。ストレスから来る不定愁訴では、めまい、しびれは比較的多いが、強い胃痛はほとんどない。こういう患者さんは、場合によっては詐病かヒステリーを疑う時もある。ストレスから来る身体症状でも、出やすい症状と出にくい症状があるのである。
 連休の時に、ふだんは読まない朝日新聞を見ていたら、ゲーテッド・コミュニティのことが出ていた。何のことかというと、入り口には守衛がおり、監視カメラが設置され、安心できる富裕者層向けのゲートで囲まれた街のことである。日本でも芦屋や東京などでできているという。よそ者は勝手にはこの地域にははいれないので、安全であることは確かである。私はこのゲーテッド・コミュニティのことを知ったのは、渡辺靖「アメリカン・コミュニティ」(新潮社)である。著者はアメリカで最大規模のコト・デ・カザを訪れている。広さは東京ドームの400倍で、オープン・ハウスを見学してきたら、豪華な家で値段は1億3千万円で売り出していたという。東ヨーロッパでは次から次へと壁が取り払われている時に、ロサンゼルスでは次から次へと壁が作られていたという。2001年には、全米世帯数の5.9%がこのゲーテッド・コミュニティに住んでいる。しかし、現実には理想通りにはいっていないようで、統計的には窃盗や破壊行為はそれほど減っていないという。安易な警備設備への依存が防犯に関する責任感をかえって減退させてしまうという。また、人付き合いは極めて希薄で、外界の喧嘩はこのコミュニティの中では遮断され、大多数の住民は無関心を決め込んでいる。人種や民族、階級などの住民の文化的差異は経済的共通性によって隠蔽され、共同体的なつながりは忌避されている。著者は、ゲートの中に生きる人にとって、ゲートの外の政治や社会のシステムが貢献する必要のない世界になってしまうことを危惧している。外部の貧困や社会問題など関係なく、自分たちさえよければになってしまう。ゲーテッド・コミュニティでは公的領域との関係が難しく、地域に住民たちを通わせる学校が足りなくなり、公立学校をゲーテッド・コミュニティの中に作るかどうかで内部で激しい論争が起こっている。公立学校なので、ゲートの中に作ったら、よそ者である地域の生徒が通ってくることになる。
 日本人は中学生の時から、学校で英語の勉強をさせられてきたので、なんとなくアメリカのことは知っているつもりになっている。しかし、実はその文化についてはほとんど何も理解していない。特に宗教的なことになるとお手上げである。飯山雅史「アメリカの宗教右派」(中央公論新社)を読み始めた所であるが、やはりアメリカは宗教国家である。国民の4割が天地創造説を信じており、4割の人が毎週教会に通っているという。大分前に、京都市国際交流会館のカウンセリング・デイで、米国から来た人が話していたことを思い出した。いなかの州で生まれ育ち、地方の大学を出ても、小さな町のカフェでアルバイトするぐらいで、毎週福音派の教会に通い、このまま人生を過ごしていくことに耐えられなかったという。前に福音派が関係する「JESUS FREAKS」をこの日記でも取り上げた。アメリカの保守派の宗教についてもっと知りたかったので、入門書としてはこの本は最適である。読み終えたら、また感想を書こうと思う。

平成20年10月7日(火)

 今日朝刊を見ていたら、NYダウ平均株価が1万ドルを切り、ヨーロッパも含め世界的な金融危機に陥っている。日本の金融危機はまだ限定的なようであるが、今後輸出後退でさらなる景気の悪化が危ぶまれる。増大する高齢者や格差社会、ワーキング・プアなど、これからの日本は一体どうなるのだろうと思う。医療現場では、救急医療の過酷な労働条件や地方の医師不足などが叫ばれているが、あまりにも世の中は不景気すぎるので、一般の人の耳にはそれほど深刻に届いていない。やはり、国民から見たら医者は金持ちというイメージがあり、なかなか医者の立場は理解してもらえない。これから都市部での開業は厳しくなるかもしれないが、それでもあまり場所を選ばなかったら、まだいくらでも開業する場所はある。いくら一流企業に勤めていても、独立して事業で成功させるのは、医者が開業して成功させるのと比べたら遙かに難しい。これだけ企業間の国際競争が激しくなると、若い人ほど自分の会社が定年までもつか懐疑的である。少し前までは、外資系金融会社がもてはやされ、破格の高給が得られていたが、今度のサブプライム問題で、立場が逆転して自分の首さえ危うくなっている。文系の超エリートと思われていた弁護士も、今では不況と急激な定員増加で苦境に陥っている。医療崩壊と言っても、他の業界の人たちからみたら、まだましなのかもしれない。相変わらず、ベンツに乗っている開業医も多く、それこそ医者はみんなカローラに乗るぐらいにならないと、医療崩壊については永年に理解されないかもしれない。収入の半分を税金で持って行かれるので、税金対策でベンツに乗って経費で落としていると言い訳しても、これだけ不況感が強くなると、誰も納得しないだろう。
 私の医院に来る患者さんを見ていると、一流企業に勤めていても、毎晩夜11時や12時まで働いている人も少なくない。今ではこういう会社では残業手当は全額出す。しかし、運送とか小売り関係では、同じように遅くまで働いていてもほとんどサービス残業である。公務員というと、みんなさぼってばかりの楽な仕事と思っている人もいるが、京都市でも毎月残業が100時間超える部署もある。課長補佐までは、以前はどんなに残業しても40時間までしか残業手当が出なかったが、今は全額出るらしい。公務員でも種類は2つに分かれ、できるだけ面倒なことはせず、定刻通りに帰りたがる人もいるが、夜遅くまで頑張っている人もいる。私は精神科関係の地方労災医員をしているが、恒常的に月に100時間を超える残業をしていると、充分な睡眠や休息が取れないということで、ほぼ100%労災として認められる。楽な部署では仕事内容も楽であるが、できるだけ楽して定刻通りに帰りたがる人ばかりなので労務管理が難しいという。反対に忙しい部署では、上昇志向のやる気満々の人ばかりなので、労務管理は楽であるが、仕事内容は過酷で責任の重い難しい事ばかりである。どちらの部署でも給与の差はほとんどなく、残業手当による違いぐらいである。定年になってもそれほど退職金の額も変わらない。公務員の給与体系は、あまり大した仕事もしていない人には高給過ぎ、寝る暇もないほど働いている人には薄給過ぎる。
 私はあまりTVを見ている暇はないが、先週の火曜日の夜に、みのもんたと国家議員が討論する「ずばっとコロシアムを」をちらっと見た。相変わらず、官僚の天下りを批判していた。ある事務次官の天下りで、独立行政法人などを転々として総額3億4千万円(うろ覚え?)を得ていたという。税金の無駄使いをしてけしからんという世論もわかるが、天下りをなくすなら、何かきちんとした給与体系を考えなければならない。送り迎えの車はつくかもしれないが、国家の進路を決める各省庁のトップの事務次官の給与は税込みで年間2000万円ちょっとである。(他に何か副収入があるのかは謎である) 少し前に、外来が終わった後で家に帰る車の中でTVの音声だけ聞いていたら、たかじんが芸能人の出演料について話をしていた。みのもんたの出演料も話題になり、どこまで本当なのかわからないが、年間20億ぐらい稼いでいると推測していた。ギネスブックに載るぐらいTVの出演時間が長いが、それにしてもとんでもない額である。世間に迎合して、官僚の天下りを批判していたが、自分の方がよほど庶民感覚から離れた報酬を得ている。自分で会社を興し、経営者として稼いでいるならわかるが、全国ネットの公共電波を使って稼いでいるのである。TV局も24時間TVなどでチャリティをしているが、こんなことをするぐらいなら出演者のギャラをもっと減らし、社会貢献をしたらいいと思う。官僚の居酒屋タクシーが批判されていたが、夜中まで詰めて仕事をして、タクシーの中でビールとおつまみをもらって喜んでいるぐらいである。いかに官僚の給与が低いかがわかる。医者の場合は、製薬会社からビールとおつまみの差し入れがあっても誰も喜ばない。公務員ではないが、土曜日の夜に、ビートたけしが司会をしている情報7daysを見ていたら、小泉首相の退職金が推定額で660万円で、福田首相の退職金が131万円と報じていた。
 団塊の世代が退職しだし、若い人にとっては就職状況は以前より好転している。しかし、この団塊の世代がこれから原子爆弾のきのこ雲のように少しづつ上に上がっていき、日本は超高齢化社会を迎える。こんな書き方をすると、団塊の世代を悪者扱いをしているように思われるが、私の世代ではすぐ上のこの世代に対してはむしろ一種の尊敬の念がある。若い世代の人には評判はよくないようであるが、団塊の世代は高校でも大学でも人数が多すぎて、入学にも苦労した世代である。私が大学に入学した時には学生運動は終わっていたが、どちらかというと無気力世代になっていた。社会を動かすとか、とうていそんなエネルギーを持っていなかった。事実として、日本はこれから超高齢化社会を迎えていくので、若い世代に過酷な負担をかけない社会システムを作っていかなければならない。バブルが崩壊した時にも、その始末で苦労したのは、後の世代である。政治家は自分の選挙区に何らかの利益誘導はできるかもしれないが、これからは世界の中の日本という視点も必要である。複雑な国際関係も把握せず、精神論なんか言っていても仕方ない。これまで官僚に優秀な頭脳を集めてきたので、もっと才能のある人を登用したらいいといっても難しい。せいぜい弾力のある人事登用をするぐらいである。今ではマスコミも税金泥棒扱いするので、若い優秀な人が官僚になりたがらない。いずれにしても、今現在官僚制度にかわる組織がないので、この危機的な日本の状況を救ってくれる人には充分な報酬を出したらいいと思う。

平成20年9月30日(火)

 この前の木曜日は午後から何も予定ははいっていなかったが、まったく何もやる気が起こらず、無為自閉に過ごしていた。予定としては、成年後見用の鑑定書を書かなければならなかったが、カルテと書類を見ただけで、もういやになってしまった。私は気分のむらがあって、若い頃は集中してやる時と全然やる気がしない時の差が大きかった。年を取るごとに段々とむらはなくなってきたが、けっこう忙しくしている割には、まだ無駄な時間が多いような気もする。最近の若い患者さんの中には、勉強がやる気がしないと訴えてくる人がいる。こういう時には勉強だけでなく、他のことに対する意欲の低下も認められないか確認する。しかし、中にはやはり勉強だけやる気がしないと言う人もいる。学力や適性の問題もあるが、心療内科に来てもそう都合良く気力なんか出てこない。仕事だけやる気がしないという人もいるが、何かいい方法があったら私が教えて欲しいぐらいである。 ただ、気をつけなければならないのは、友だちと飲みに行くことはできて、仕事はできないのはただのわがままだと判定してはいけない。前にも書いたが、友だちと飲みに行くことと仕事のストレスの高さは違う。家でパジャマを着て、ゆっくりとTVを見ている時と町内会の役員会に出席している時のストレスの高さも違う。人を飛行機に例えると、体調が悪くなってくると、段々と高度が下がり低空飛行になってくる。そうすると、ストレスの高い山が乗り超えられなくなる。だから、友だちと旅行はできても、仕事には行けないということも起こってくる。最初はストレスの高い仕事の山が乗り越えられず、どんどんと飛行機の高度が下がってくると、友だちと会うのもおっくうになり、最後は家で好きなTVを見ることさえできなくなる。
 誰でもやる気がしない時はあるが、何かしなければならない時にやる気がしないのが1番困る。昔は、1日中悶々としていて、結局何もできずに無駄に1日が終わってしまうことが多かった。最近は、いろいろ工夫している。1番いい方法は、とりあえず何も考えず、真っ先に書類に手をつけることである。しかし、これにも限度があり、少しでも迷いが生じると、やる気がしないという気持ちと早くやらなければという気持ちが葛藤し始める。最悪は何もせず、そのまま時間だけがだらだらと過ぎ去ってしまうことである。こういう場合には、早めに見切りをつけて、思い切って映画を見に行ったりする方がまだ有効な時間を過ごせる。しかし、毎回今日はだめだで見切りをつけていたのでは、いつまでたっても仕事が進まない。誰でも自分の気持ちに正直に生きたいと思っているが、どこかで自分をだまして手をつけるしかない。他人はつくづく自分の思い通りにならないが、自分も自分の思い通りにならないのである。
 さて、9月は2日祝日があったので、ついつい油断していた。この前の日曜日は京都市の休日待機番に当たっていたので、この日はゆっくりと書類を書くつもりであった。しかし、やることを積み残し過ぎ、予想外にやれないことも多かった。この日は覚悟を決めて、朝7時前から医院に出て行ったが、夕方5時を過ぎても、成年後見用の診断書さえ手をつける暇がなかった。労働基準局から送られて来た翌日の労災判定会議の資料も読む気がしなく、家に帰って夕食をとった後で、ラム酒をがぶがぶ飲みながら読んでいた。最近は、障害年金の診断書を頼まれることも多く、書かなければならない自立支援の診断書や障害者手帳の診断書も山ほどあり、気が遠くなることがある。どうしてこんなに忙しいのかと考えていたら、いろいろな雑用を引き受けすぎているので、空いている時間が日曜日ぐらいしかないからである。労働局や京都市、医師会などから頼まれている仕事を全部やめて、自分の医院の仕事に専念したら、もっと楽になるだろう。公的な仕事はある年齢に達したらきっぱりやめようと思っている。少しややこしそうな郵便物はどんどんとたまり、毎週日曜日ごとに1つ1つ処理している。ねんきん特別便が届いていたが、これもややこしそうな郵便物の1つである。この前の日曜日は従業員の給与計算をしていたが、たった2人分でもやることが多いとうんざりする。この日記もけっこう手間暇がかかるが、これだけはなんとか書き続けようと思う。
 きのうは朝から雨が降っていた。私は毎朝医院の外だけは掃除しているが、雨の日はやらなくてもいいので何か得した気分になる。それにしても、こんなことでしか喜びを見いだせないのかと、自分でもあきれる時がある。きのうも朝6時過ぎには医院に出てきていたが、7時半頃から医院の外に患者さんが来ていた。私の医院は朝8時半からの診察である。毎朝7時50分頃に医院の扉を開けるが、少しぐらい患者さんが早く来てもこれより早くは開けない。早く開けてしまうと、患者さんがどんどんとエスカレートしてもっと早く来るようになるからである。午後診は4時からであるが、医院は3時半に開ける。私は3時半過ぎから、来た患者さんから診察していくが、これを始めると患者さんもどんどんとエスカレートして早く来るようになる。中にはインターホンを押して、早く扉を開けるように頼む人もいる。しかし、早く来る患者さんには3時半以降しか扉を開けないと伝えている。きのうは外が大雨で、患者さんが咳をしているのが聞こえてきた。誰かすぐにわかったので、医院の扉を開けて、中に入れた。80歳近くの患者さんで、この大雨の中で外で長く待たせるわけにはいかない。それでも、次に来る時には8時前ぐらいにするように伝えた。私の所は患者さんがそれほど多いわけではないが、診察の始まりだけ患者さんがたまり、その後ピタッと止まってしまうこともある。この9月は患者さんの数はまだ多い方で、延べ患者数は901人であった。
 総選挙が近づいているようであるが、官僚と政治家という関係を考え出したら、不思議である。政治家は必ずしも毎回選挙で選ばれる保証があるわけでなく、こつこつと政治家としての経験を積めるわけではない。片方の官僚は一応全国から選び抜かれたその分野の専門集団である。こつこつと経験を積み、その分野のありとあらゆる情報を独占している。私は精神科を30年やっていて、精神科については専門家としてやっと偉そうにいろいろなことを言えるようになった。今精神科の教授になっている人でも、アメリカの精神疾患の診断基準であるDSMーV以前のことを知らない人もいる。選挙で有名タレントなどが立候補したりするが、いくら福祉や環境に興味があったと言っても、まったくの素人である。結局、情報を独占している官僚から、手取り足取り教えてもらうしかない。一般企業では考えられないことであるが、その分野の専門家の上に、国民から選ばれた素人集団がいるのである。国会議員は英語でlawmakerである。国会議員として経験を積んだらその分野について専門家なれるが、必ずしも毎回選挙で選ばれるわけではなく、その身分は不安定である。官僚、政治家、国民は3すくみの関係であると言われているが、国家に関するプロの専門集団は官僚だけである。深く考えれば考えるほど、国民から選ばれる政治家というのがわからなくなってきた。

平成20年9月23日(火)

 この前の木曜日は「ダークナイト」を見に行った。評判はいいようであるが、私は前作の「バットマン ビギンズ」の方が面白かった。確かに、ジョーカー役はよかったが、悪と正義を巡る話の展開が少ししつこい感じがした。それと、こういう映画につきものであるが、一見不死身のようなヒーローがこんな所でと思うような場面で思わぬ怪我を負ったりする。それまでにもっと危ない場面を何回も逃れてきているので、どこかご都合主義で作られているような気もした。日曜日にツタヤで借りてきたDVDを見ていたが、「ミスト」が予想外に面白かった。スティーヴン・キング原作の映画であるが、ある種の緊張感を保ち、最後まで飽きさせることはなかった。スケールの大きさは違うが、雰囲気的にはトム・クルーズ主演の「宇宙戦争」を思い起こさせる場面もあった。ただ、細かいことを言うと、まだ危機的状況でないのに、兵士が首を吊って自殺したり、最後に銃で自殺する場面はもうひとつ納得できなかった。最近は旧作ばかり借りて、本当に面白いDVDに当たらなかったが、たまには新作を借りるのもいいと思った。
 日曜日は、午後から京都市国際交流会館のカウンセリング・デイに行った。朝に激しい雨が降っていたせいか、清水寺付近の東大路通はそれほど混んでいなかった。メンタル・ヘルスの相談では、英語圏の人が1人予約がはいっていた。一応通訳の人を入れて話を聞いたが、ほとんど助けなしで英語で話ができた。本国でもあまり社会適応がよくなかったみたいで、自分探しで日本に来たような印象を受けた。個人情報もあるのであまり詳しくは書けないが、どこの国でも1番大事なのは子どもの時の安定した家庭環境である。不安定な家庭環境で育つと、どうしても自己評価が低くなってしまい、その後の人生に支障をきたしやすくなる。相談者との話し合いの後で、最近の日本の若者についても考えてみた。今回の相談者のように、いつまでも自分探しをしたり、自己のアイデンティの確立ができにくいのは、理想的な自己と現実の自己との葛藤があり、自己愛的になっているからかもしれない。しかし、若者にすべての非を押しつけるのは酷で、環境的には現在の若者を取り巻く社会情勢は厳しく、なんとか妥協できる理想的な自己が手に入れにくいの事実である。
 さて、この前の日記で予告していた児童売春の問題である。まず最初に、新川加奈子「カンボジア 今」(燃焼社)である。私はカンボジアは何回も訪れているが、国際社会の中での現在の状況についてはあまり詳しくない。著者はカンボジアのシェムリアップでNGO現地代表として国際援助活動をしてきた人である。ポルポトについては、もんもん読書録に詳しく書いてあるので、そちらを読んでもらうことにするが、現在は極端な格差社会が広がり、ポルポト時代を懐かしむ声もあるという。ポルポト時代は大虐殺が起こっているが、理想社会を実現するためにすべてを平等にした。人々が文字を知らなければ、学力は存在せず、「勝ち組」も「負け組」も存在しない。貨幣経済を否定した社会では、所得格差も存在しない。現在のカンボジアの経済状況は、国家予算の4割が2国間援助によるODAに依存し、日本が1番多いという。国民からの所得税が存在せず、税収入は国家予算の9%である。1人当たりのGDPは年間500ドルを切り、アセアン諸国の中では最低である。法制度が整っていないので、外国企業の投資も消極的である。児童労働やストリート・チルドレン、人身売買のことも書かれている。児童売春もこの本で指摘されているように、買い手としては外国人ではなく、現地のカンボジア人や華僑が大部分を占めている。ポルポト時代は医師は虐殺の対象になったので、政権が1979年に崩壊した時には43人の医師しか生存していなかった。精神科関係では、2004年に初めてプノンペンに男女それぞれ2名の精神科用の入院ベッドが用意されている。
 次に、ヤコブ・ビリング「児童性愛者」(解放出版社)である。この本は以前に途中まで読んだが、他の本に浮気してそのままにしていた。今から読み直すのも面倒臭いので、1番最後に解説を書いている梁石日の文を参考にして紹介する。梁石日は、映画「闇の子ども達」の原作者である。デンマークでは「児童性愛者愛好者協会」という団体があり、結社の自由から法的に認められているという。この団体に著者であるデンマークのフリージャーナリストが潜入取材している。児童買春は前回の日記で18歳未満と書いてしまったが、児童性愛(ペドファイル)は今回アメリカの精神疾患の分類と診断の手引であるDSMーWで調べてみたら、対象は13歳以下となっていた。この本では4〜5歳から両親に性的虐待を受けた少女が出てくる。デンマークだけで数万人のペドファイルがおり、善良な市民を装っているという。梁石日はこの解説で、タイ、フィリピン、カンボジアまで行って買い漁っている欧米人や日本人のこともふれている。私はこれらの国に行っているが、ここまでひどい幼児買春があるとは知らなかった。短期旅行者には伺い知れないディープな世界があるのかもしれないが、梁石日の述べていることは現在のことではなく、だいぶ前のことではないかという疑念も残る。
 私も誤解を招くといけないので、現在のカンボジアについて知っていることを書く。5年ぐらい前までは幼児買春というよりも、年代でいうと中高生ぐらいから20歳ちょっとぐらいまでの買春が格安の値段でできるということで、カンボジアは外国人観光客を呼び寄せていた。実はカンボジアにはベトナム人が多く住み、プノンペン近郊に有名なベトナム人の売春村があった。最盛期には、外国の観光バスが乗り付けるほどであった。しかし、何でも目立ち過ぎると世界各国から非難を浴びるようになる。カンボジアも各国のODAに頼っているので、重い腰を上げ、徹底的に取り締まるようになった。この村は閉鎖され、今では外国人による18歳未満の買春についてはある意味でどこの国よりも厳しくなっている。テロ対策もあると思うが、どんなホテルでも外国人はパスポートの提出が求められ、常に密告の危険にさらされる。こういう国では、政府が本気でやり出すと、末端まで徹底的に伝わる。タイでタクシーに料金メーターつけたり、バイクに乗る時にヘルメットをかぶることが法律で義務づけられた時に、タイに詳しい下川裕治がこんないいかげんな国でそんなことが守られるかと書いていた。しかし、予想外に周知徹底されるようになった。どういうことかというと、末端では弱みを握られて警察に法外な賄賂を要求されたくないからである。昔はタイでもドラッグが比較的自由に手に入る時代があったが、やがて政府が本気で取り締まるようになった。密告制度ができ、売人が外国人観光客に売りつけ、それを警察に密告して報償を得ていたぐらいである。カンボジアでは18歳未満の買春を徹底的に取り締まるようになって4〜5年経つが、外国人の買春目的の観光は皆無に近くなり、今ではツアー以外でプノンペンを訪れる日本人観光客は少なくなっている。今でも現地専用の置屋はあるが、不衛生で、いつ換えたかわからないようなシーツが敷かれ、触れただけでどんな病気をうつされるかわからない女性が出てくるだけである。前から何回も書いているが、ナイトライフを楽しみたいなら、バンコクの方が遙かに充実している。4〜5年前まで熱心にカンボジアに通い、今は訪れることがなくなった人が1番怪しく、今でも通っている人は根本的に目的が違う。
 最後に、子どもの時に性的搾取を受けた人の末路である。DON LATTIN「JESUS FREAKS」(HarperOne)は買ったまま読んでいなかったが、この日記に書くためにこの前の日曜日のカウンセリング・デイの時に、拾い読みしていた。米国のアマゾンに出ている書評も調べてみた。どんな内容かと言うと、米国では1960〜70年代に愛と平和を唱えるヒッピー文化が発達し、その中から「ザ・チルドレン・オブ・ゴッド」という新興宗教団体が生まれた。時代的背景としては、ベトナム戦争が泥沼化し、ドラッグ文化も花開いていた。ドラッグについては、自分が今意識している世界とはまったく別の世界に導いてくれるということで、スピリチュアルな自己超越の手段として用いられていた。これまで世界を支配した古い体制を打ち破るということで、魂の解放のために様々な試みがなされていた。「ザ・チルドレン・オブ・ゴッド」は、デビット・バーグが創始し、性行為を通じて神の愛を共有するため、それまでタブーとされていた婚姻関係なしの同意による異性間セックスを奨励した。この異性間セックスは、成人同士だけではなく、1986年までは成人と子どもや子ども同士まで含まれていた。このカルト集団は世界の各地で反抗的なティーンエイジャーを信者にし、メンバーを集めるために聖なる娼婦として男性たちを勧誘した。後に「ザ・ファミリー・インターナショナル」と名前を変えるが、創始者のバーグは信者からモーゼと呼ばれ、飲んだくれの専制君主となり、信者や信者の子ども達と手当たりしだいセックスを持った。バーグは1994年に亡くなり、一夫多妻制の中で1人の妻が「ザ・ファミリー・インターナショナル」を引き継いだ。バーグとの間に1人の息子をもうけ、リチャードと名付けられた。このリチャードことリッキーは生まれながらにして、バーグの後継者として未来の預言者になることを運命づけられた。リッキーは生後数ヶ月で養育係の女性と性行為を持ち、1歳6ヶ月で5ヶ月の子どもと性行為を持っている。その後、カルト集団で育てられた何千人という子ども達はこの集団から逃れ、普通の生活に戻ろうとしていた。リッキーもこのカルト集団から離れたが、普通の社会には適応できず、やがて自分を性的にも情緒的にも虐待した自分の母親を殺すために、新しい巡礼の旅に出る。2005年1月にリッキーは自分の養育係であった女性を探しだし、ナイフで何回も突き刺し、のどを切り裂いて殺した。そして、その後カルフォルニアの荒れ地に行き、銃で自殺している。
 作者のDON LATTINは、アメリカの福音主義の中でこのカルト集団は理解されるという。福音主義というのは、儀式や教会よりも、罪の自覚とキリストによる神の救いを強調するプロテスタントの一派である。こんなことを書いても理解されないかもしれないが、この福音主義は英語ではevangelicalismである。アニメのエヴァンゲリオンについては何も知らないが、この福音という言葉と何か深い関係があるのかもしれない。今またスピリチュアル・ブームが来ているが、安易に乗らない方がいい。分厚い本で私は半分ぐらいしか読んでいないが、島薗進「精神世界のゆくえー現代社会と新霊性運動」(東京堂出版)が参考になる。霊性運動という言葉は英語で言った方がわかりやすく、スピリチュアル・ムーヴメントのことである。1996年の本であるが、宗教学者はここまで分析しつくすのかと、読んでひどく感動したことを覚えている。

平成20年9月16日(火)

 この前の金曜日は東山医師会の勉強会があった。内科関係の話が多いのでほとんど参加していないが、今回のテーマは「過敏性腸症候群」であった。毎回開始時間が遅いが、いつもよりもっと遅く夜8時半からであった。みんな外来が終わってから出てくるので、こんな時間だと丁度いい。私は年に数回しか参加しないが、大勢の先生が出席していた。もちろんノーアルコールであるが、ホテルの美味しい夕食の弁当を食べてからの講演会である。過敏性腸症候群は過敏性大腸とも呼ばれ、緊張した時に下痢をしたりおなかにガスがたまり、すぐにトイレに行きたくなる。ひどくなると、授業や会議などにも出れなくなり、電車などの乗り物にも乗れなくなる。パニック障害では、またパニック発作が出るのではないかと予期不安が生じるが、過敏性大腸でも同じである。もし、おなかが痛くなったらどうしようと思うだけで、おなかが痛くなりトイレに行きたくなる。
 パニック障害については、ソラナックスなどの精神安定剤やパキシルなどのSSRIである程度改善する。しかし、過敏性大腸については、専用の薬としてコロネルなどがあるが、あまり効果はない。私だけの印象かと思っていたら、内科の先生の評価も大体同じであった。講演者は京都第一赤十字病院の消化器科の先生であったが、消化器科では精神安定剤は用いないようである。話を聞いていたら、治療もあっさりとしている。ドクター・ショッピングをする患者さんが多いというのもうなづける。心療内科にも過敏性大腸の患者さんは来るが、パニック障害と同じようにカウンセリングだけでは改善しない。本人の意志とは関係なく、腸が条件反射のように苦手な場面で反応してしまう。私は精神安定剤や抗うつ薬まで使うが、なかなか改善しない人も少なくない。今回は腸のセロトニンをブロックする新薬が出るので、期待して聞いていたが、男性の下痢型だけに限定されるようである。以前に同じ精神科医の後輩から、ミヤリ散がいいというので使ってみたこともあるが、効果はよくわからなかった。今回は、参加していた内科の先生から、漢方の桂枝加芍薬湯が案外効くと聞いたので、今度試してみようと思う。ちょっとした口コミみたいな情報が意外に役立つ時がある。
 14日の日曜日には、全国の開業している精神科医を対象にしたらしい精神科医療フォーラムがあった。ある製薬会社の主催で、200人ぐらいの開業医を全国から招待しているという。こういう会が開かれるのは東京などが多いが、今回は京都である。旅費やホテル代は製薬会社が持ってくれるので、個人的にはぜひとも東京で開催して欲しかった。京都で製薬会社がこういう全国的な会を催すことは珍しく、ホテルの確保が大変だったと思う。神戸にいた時に、12月の医局の集まりに参加しようとしてホテルを探したが、どこも満杯で、JTBに頼んでも見つからなかったことがある。この日は連休だったので、東大路通りの行き帰りがけっこう渋滞していた。今度の日曜日は京都市国際交流会館でカウンセリング・デイがあるので、遅れないように気をつけなければならない。
 講師の先生は、高台寺住職の「こころのありかたー禅の視点から見た今の日本ー」であった。私はこの日記でも何回も書いているが、大学入試の時に世界史を取ったので、日本史は昭和史以外ほとんど何も知らない。講師の先生の話では、農民出身の秀吉がどうしてあそこまで出世したのかわからないという。冬に信長の草履を暖めたぐらいでは出世は無理な時代である。ねねについても、興味深い話が聞けた。今の若い中学生や高校生が食事の仕方や風呂の入り方も知らないことに苦言を呈していた。悟りについても話してくれたが、結局この世はあるがままに受け入れて生きていくしかないようである。私は講演などでよく話しているが、社会がいろいろな矛盾を抱えて、個人が矛盾を逃れて生きていくのは無理である。今や皇室でさえもいろいろな問題を抱え、世間にさらされる時代である。この日記でもなるべく本音で書くようにしているが、人の悩み事を聞いている私でさえ、個人的にはいろいろな悩み事を抱えている。正岡子規が晩年脊椎カリエスでほとんど寝たきりになり、「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた」と語っているのはまったくその通りだと思う。この日の夜はTOHOシネマズ二条まで「ダークナイト」を見に行ったが、満席で入れなかった。こんなことならインターネットで予約を取っておくべきであったが、最近私の見に行く映画は混んでいる。
 昨日は京都市の休日待機番になっていたが、さすがに連休になると少し余裕が出る。この日は会計事務所に出す伝票などをまとめていた。いつの間にか7月分と8月分の2ヶ月分がたまってしまい、あわてて整理していた。こんな作業でも1時間ぐらいはかかる。自立支援医療の診断書も相変わらず山ほどあったが、9月は秋分の日が休みなので、まだそれほど焦ることもない。成年後見用の鑑定書の作成が2人分もたまり、これは本気で早く書かなければならない。診断書を書いていたら、朝11時頃に患者さんの家族から往診依頼の電話があった。前にも書いたように、休みの日でも私は居留守は使わず、かかってきた電話はすべて出る。今は自立支援の診断書はパソコンを使って書いているが、プリンターの黒インクが切れて買い忘れていた。どっちにしろ、外にインクを買いに行かなければならないので、持続性の効果のある注射液を持って往診に出た。この患者さんは病識がなく、なかなか薬を飲もうとしないが、ハロマンスを注射すると1ヶ月以上調子がいい。
 さて、「闇の子ども達」である。木曜日に見に行ったが、ウィークデイでもけっこう混んでいた。私は映画を見る前にはほとんどストーリーは読まずに見に行くが、予想よりも衝撃的な内容で、リアル過ぎてよくここまで映像化したと思った。私は前回児童売春と書いたが、取り扱っているのは幼児売春である。どちらかと言ったら、生きた幼児を殺してしまう臓器移植に重きを置いた内容である。実際の出来事なのかフィクションなのか、にわには信じられない内容で、こんな映画に予想外に大勢の人が見に来ているのは驚きであった。臓器移植に関連することでは、解剖の授業で使われる人骨の標本がインドの生きた人間を使って作られていると聞いたことはある。健康な丈夫な骨でないと、どの部分も欠けていない完璧な標本は作れない。コロンビアなどで、一時期コカインを密輸するために、赤ん坊の内臓を取り除いておなかに入れていたことは有名である。海外ではふつうの売春と児童売春を区別しなければならない。日本も戦後は貧しく、「フジヤマ、ゲイシャ」と呼ばれていた時代もあった。韓国も一時期キーセンが有名になり、タイは米国の大統領からセックスとゴルフの国と揶揄されていた時もある。
  18歳未満の児童売春も本来は置屋制度の中で見習いみたいにいただけで、1つの置屋でベテランの娼婦まで年代的に連なっていた。しかし、外国からの観光客が高い値段で児童を買いあさるようになると、需要と供給の関係で児童売春の部分だけが発達する。外国人観光客を引きつけ、あまりにも有名になりすぎると、やがて世界各国から非難を浴びるようになる。国家予算をODAに依存している国では、国際的圧力が高まる中で、政府は重い腰をあげ、今度は悪評を払拭するために、徹底的に児童売春を取り締まるようになる。実はこのことに関連したことを書くために、あまり読んでいない手持ちの本を参考にしようと思った。しかし、きょうは午後から医師会の医療安全対策委員会があり、調べている時間がなくなってしまった。先週の火曜日も医師会関係の仕事であまり公表しない方がいいと言われていた委員会に出ていて、この日記の更新が遅くなってしまった。この委員会の任命者はめったにないことで直接大臣名となっている。最後に今手持ちの参考文献を載せておくので、次回に乞うご期待である。新川加奈子「カンボジア 今」(燃焼社)、白川充「昭和平成ニッポン風俗史」(展望社)、飯沢耕太郎「写真時代の時代!」(白水社)、ヤコブ・ビリング「児童性愛者」(解放出版社)、LOUISE BROWN「SEX SLAVES」(ASIA BOOKS)、DON LATTIN「JESUS FREAKS」(HarperOne)である。1番最後の本は精神医学的にも興味深く、衝撃的な内容である。私はCNNのアンダーソン・クーパー360°で知ったが、日本でこのハードカバーの本を手にしている人は少ないと思う。

平成20年9月9日(火)

 少し前に夕刊フジを読んでいたら、帰宅拒否症候群のことが載っていた。ずいぶんと古い言葉になってしまったが、精神科医の関谷透が提唱した概念で、この著者の「帰宅拒否―いい父親ほど心を病む」(PHP研究所)が平成11年に出版されている。当時は現代の一面を捉えている1つのキーワードとして、新聞や雑誌で盛んに取り上げられていたが、最近はあまり話題にもなっていなかった。どういうことを言うのかというと、家族の中で居場所を失った父親が、会社が終わってから、喫茶店や居酒屋で時間をつぶし、家族が寝静まってから帰宅し、そのうち外泊を繰り返すようになることである。その背景として、出世も仕事の目標も失われ、職場での居場所もなくし、家族とくに妻の期待に応えられないことが重荷になっている。時代とともに、背景や概念も少しづつ変化してきているが、ふと私も隠れ帰宅拒否症候群ではないかと思った。
 どういうことかというと、今日もこの日記を書くために、朝5時に起きて6時過ぎに医院に出てきたが、私は家族が寝静まってから帰宅するのではなく、家族が寝静まっている時に家を出るのである。確かに忙しいこともあるが、最近家の中では自分の居場所もなくなってきたような気もする。日曜日も医院に出てくるのは、雑用が山ほど残っているからであるが、雑用があまりない時にも、とりあえず医院に出てきてしまう。息子はサッカーの練習や友だちと遊びに行き、狭い家にいてもちっとも面白くない。私は原則的に毎朝5時に起きて、6時に医院に出てくるようにしているが、最近は少し寝坊したりする。前にも書いたが、外来が終わった後は疲れ切って何もできないので、とりあえずは早く寝て、翌朝にやるべきことをやるようにしている。この前の木曜日も午後から介護認定審査会があったので、朝6時に出てきて32人の資料を予め読んでいた。少しでも休みがあると海外に出てしまうのは、これも変形した帰宅拒否症候群かもしれない。長期の休みになればなるほど、家庭での自分の居場所がなくなる。しかし、何かの欠落感が人を向上させることも確かである。その欠落感を浮気などで満たそうとしても無理があるが、何か自分の人生の自己啓発に役立てることはいいことである。1つの分野で知識を深めたり、本を読んだり映画を見て、自分の生き方を点検するのも1つの方法かもしれない。帰宅拒否症候群という呼び名もつきつめて考えていくと、妻拒否症候群でもいいような気がする。仕事熱心で、あまり家庭を顧みる余裕がない人も、もしかしたら潜在的な帰宅拒否症候群かもしれない。
 この夏は患者さんからいろいろな旅の話を聞いた。ツアーでK2という山まで1人で行ってきた患者さんがいた。イスラマバートからバスで3日間かけてこの山の入り口まで行くという。このツアーは本格的な登山をするのではなく、トレッキングで荷物はみんな現地のポーターが持ってくれる。写真が趣味の人なので、天候に恵まれ、思う存分満足のいく写真が撮れたという。もう70近い患者さんが、マッターホルンに登頂するツアーに1人で参加していた。ふだんから1人で北アルプスに登ったりしているので、ベテランである。ところが、丁度行った時に天候に恵まれず、他の山を案内されたという。ガイドとザイルを結んでいくが、早くてついていけない。歩幅が違い、もう少し遅く行くように交渉してもだめだったという。ハーケンも位置が高すぎ、岩山を登るのも大変で、結局体調を崩してしまった。ちなみに、マッターホルンの登頂率は10%だという。もう1人の患者さんは、ガールフレンドと2人でペルーまで行っている。ツアーでの参加ではなく、バックパックである。格安の航空券を使って、乗り継ぎを含めて片道30時間以上かかっている。大学時代に第2外国語はスペイン語だったので、今回の旅行前にNHKの語学講座で最低限のスペイン語は覚えていったという。治安の悪そうな国では貴重品の管理に神経を使うが、パスポートなど大事な物は服の下に身につけている。しかし、カンボジアなど暑い国ではこの方法は無理である。私は身につけていて盗まれるのがこわいので、貴重品はホテルに置くが、安ホテルにしか泊まらないので、3重4重の安全策を考える。有名なマチュピチュ遺跡も訪れたが、高地で空気も薄く、昼と夜の寒暖の差が激しく、やはり体調を壊してしまったらしい。患者さんの話を聞いていると、世界の果てまで出かけ、みんなたくましい。
 この前の土曜日は、夕食の後1人で京都みなみ会館まで映画を見に行った。題名は「片腕マシンガール」である。自分の弟を殺され、自分の片腕も切断される。最後は、マシンガンを切断した腕につけ、ヤクザ組織に復讐する女子高校生の物語である。英語の字幕付きで、海外の上映を意識して作られている。話の内容としては劇画調で、悪くはなかったが、身体が電動ノコでまっぷたつに切断されるシーンや血が飛び散ったりするシーンはもう少しリアルに撮影して欲しかった。いつまでも噴水のように血が飛び散ったり、いとも簡単に刃物で頭が切断されると、私には興ざめであった。土曜日の夜だというのに、大勢の観客が来ていた。私はここの会員になっているので、リザーブチケットを使った。翌日、勢いに乗って、今度は京都シネマに「闇の子供たち」を見に行った。京都みなみ会館の会員証があれば1500円で見れる。ところが、昼過ぎの上映に行ったら、大勢の観客が来ていて、立ち見席しかないという。京都新聞で紹介されていたせいもあるのか、こんなに大勢の観客を見たのは久しぶりである。立ち見席は学生時代に「アメリカン・グラフィティ」を見て以来である。この日に見るのはあきらめて、ウィークデイに来ることにした。私は映画を見てから詳しい内容について調べるが、タイでの児童売春や臓器移植を扱った映画である。カンボジアのアンコールワットの拠点となるシェムリアップを訪れる日本人は多いが、首都プノンペンを訪れる日本人が5年ほど前と比べると皆無に近く少なくなっている。この映画のテーマと関連することなので、この映画を見てから次回に感想を書こうと思う。
 最後に、先週の週間スパに載っていた、佐藤優のインテリジェンス人生相談である。いつも飛ばし読みすることも多いが、今回は内容が面白かったので紹介する。佐藤優というのは、この日記でも何回も紹介している外務省のラスプーチンと呼ばれた人物で、現在起訴休職中である。こういう人生相談はやらせの人生相談ではないかと思うことがあるが、今回の相談は女性が男性という生き物を知るには最適である。どういう内容かというと、相談者は大学病院の乳腺外来を担当している医者で、同僚、部下、学生の女性のレベルが高く、日々悶々として風俗に通ってしまうという。佐藤優の答えは、危険地帯で働いているので、風俗に通うのは実に正しい危機管理策だという。詳しい内容ついては週刊誌を読んでもらうことにして、私もまったく同意見である。私は万が一私の医院の受付の募集で、自分のタイプの女の子が応募してきても、絶対に採用しない。女子大の先生になるのもお断りである。好みの女の子に囲まれているだけで幸せという人もいるかもしれないが、私はこの先生と同じように日々悶々とするだけである。上手にガス抜きをしておかないと、セクハラでも起こしそうである。いつも自分の中の欲望が刺激されて、常に抑えておかなければならないというのは苦痛以外何物でもない。君子危うきに近寄らずである。イスラム教徒の女性がいつも身を覆い隠さなければならない理由も少しは理解できる。風俗嬢とのつきあい方も書いてあるが、これもこの本の通りである。しかし、私は風俗に関しては不潔恐怖もあるので、このあたりの折り合いが難しい。1番安上がりなのはAVであるが、これも限度がある。実はきのうの夜は朝3時過ぎに目がさめてしまって、その後がなかなか寝つかれなかった。こういう時にはあきらめて、本を読むことにしているが、たまたまきのう読んでいたのは同じ人物の「佐藤優 国家を斬る」(同時代社)であった。ここでは、官僚のことを、資本家、労働者、地主の三階級から収奪して食べている人たちと単純に図式化して述べている。搾取と収奪は資本論の中ではまったく別の概念であるという。最後に官僚について宮崎学と対談しているが、前回の日記とも関係するので、興味のある人は読んで下さい。

平成20年9月2日(火)

 この前の木曜日は、午後からまた京都市から二次診察を頼まれた。今回は五条署に保護された人なので、私の医院からは近い。この日は翌日の保健所のデイ・ケアで話す内容を考えていたので、引き受けた。薬の話などはみんな聞き飽きているので、今回与えられたテーマは身体の健康についてである。A4で2枚の要旨を作ったが、何を話していいのか最初はなかなか内容が思いつかなかった。買ったままになっていた、田中平三「サプリメント・健康食品の効き目と安全性」(同文書院)も読んで、話題の1つとして取り上げた。サプリメントとしては、私は毎朝総合ビタミン剤とブルーベリーを飲んでいる。しかし、この本を読むと、ブルーベリーに関しては、目に関する症状の他すべて科学的データが不十分となっている。有効性レベルAは、効きます、またはおそらく効きますで、有効性レベルBは、効くとは断言できないが、効果の可能性が科学的に証明されているとなっている。有効性レベルCは効かない可能性が高いか効かないである。クロレラについては、科学的データが不十分で、現段階では結論づけることはできず、より多くの研究が必要となっている。ちなみにイチョウ葉は、アルツハイマー病を含む脳機能の改善に対して、有効性レベルBである。精神科関係では、セント・ジョンズ・ワートが中等度のうつ病には有効性レベルAになっている。米国の「ナチュラルメディシン・データベ−ス」が元になっているので、サプリメント・健康食品については現時点で最も信頼できる本である。
 この日は他に福祉を受けている患者さんの自立支援の診断書も書いていた。この患者さんの診断書は6月に書き、患者さんの自宅に郵送し、その後手続きをしたのか確認の電話を入れていた。しかし、この日に手続きをしていなかったことが判明した。私が郵送した診断書や申請書の紙もどこに行ったのか行方不明である。以前にも郵送したのに、届いていないという患者さんが1人いて、診断書を書き直したことがある。1番いいのは外来で患者さんに直接渡すことである。しかし、1ヶ月処方の患者さんも多いので、次回の受診が遅い人は1ヶ月近く先になって手続きが大幅に遅れてしまう。仕方ないので、患者さんが自分の住所と名前を記入するだけでいいように申請書もこちらが書いて郵送している。今回の患者さんの場合は8月31日が有効期限になっているので、継続するためには8月中に申請しなければならない。この診断書を書いて、京都駅の郵便局まで行き、翌朝の10時に届く翌朝定期を出したらもう夜の8時を過ぎていた。五条署まで行って二次診察してきた人は措置入院になったが、この措置入院の診断書をこの日に書くのはあきらめた。この患者さんが申請の手続きをしていなかったことで、担当の福祉の人とこの日はちょっとしたやり取りがあった。
 この自立支援の診断書や精神障害者保健福祉手帳用の診断書に関しては、福祉にはいろいろ言いたいことはある。この申請書は本来は患者さんが申請するもので、医療機関が申請するものではない。障害が強くて状態の悪い患者さんについては、福祉の担当の人が責任を持って申請すべきである。最近障害者手帳の申請には患者さんの顔写真が必要になった。この日記でも書いているように、福祉関係で1人で写真を撮りに行けない患者さんについては、私がデジカメで写真を撮って、本人に渡している。京都市も緊縮予算で大変なのはわかるが、何でもかんでも自立支援医療の申請を頼んでくるのはやめて欲しい。自立支援医療の申請をしたら、他の財源からお金が出るので、福祉事務所は患者さんの医療費を削減できる。福祉事務所の人の言い分では、頼んでいるのではなく、自立支援医療の適応になるのか、確認しているだけということになる。しかし、患者さんが福祉の人から書いてもらえと言われたと言って、いきなり外来に診断書を持ってくる人も少なくない。患者さんによってはかなり無理して自立支援の診断書を書いているのに、障害者手帳の診断書まで書くように要請されることもある。1度でも診断書の中身を見たらわかると思うが、適切な食事摂取や身辺の清潔保持ができるかとか、社会的手続きや公共施設の利用ができるかなどの調査項目があり、このレベルのことができない人が対象である。いくらぶらぶらしていても、1人で買い物に行けたり、近所の人と話ができるような人は無理である。本来は精神病院での入退院を繰り返しているような重い精神病の人が対象である。どうして福祉の人がわざわざ障害者手帳の申請まで頼んでくるかというと、手帳を持っていると、地下鉄や市バスが無料になり、交通費が削減できるからである。特に障害者手帳の申請に関してはだめもとで聞いてくるのではなく、どの程度の人が対象になるのかある程度知識は持って聞いてきて欲しい。いちいち説明するのも面倒である。最近、香山リカ「私はうつと言いたがる人たち」(PHP新書)が出版された。仕事の時だけうつになる選択的うつなど、うつ病概念が専門家の間でも混乱してきている。私は引きこもりみたいな人までうつ病にして、自立支援医療を申請するのはおかしいと思っている。
 土曜日は大学の同級生の勉強会があった。私は昭和54年卒であるが、同じ同級生の中から日常臨床に役立つ専門科の話をしてもらい、その後懇親会をする。今回は名古屋で泌尿器科病院をしている院長の話で、過活動膀胱についてであった。十数人が集まっていたが、久しぶりに会う先生も多かった。講師の先生も本当に久しぶりで、お互いにいつのまにか年を取っていた。私は1浪しているので、京都府知事や今度就任した京都府警本部長よりも年上である。最近はこの年になったので、この日記でも好き放題書かせてもらってもいいと勝手に思っている。集まった先生は京都、滋賀で開業している先生が多く、大学に残っている先生や病院長になっている先生もいた。講師の先生も話していたが、病院に患者さんは大勢来ても、今や看護師と医者の確保が大変らしい。懇親会では開業している先生に受付の人の時給を聞いたり、子どもはどうしているのかと聞いたりしていた。内科で流行っている先生は1日100人以上の患者さんを診ている。たまたま聞いた内科の先生が2人ともテナント料を月60万円以上払っていると言い、1人の先生は10数年やっているので、これまで払ったテナント料だけでもう1億円になる。精神科は、デイ・ケアをやっていなければ、せいぜい1ヶ月20万円ちょっとである。懇親会の後は、ホテルのバーラウンジで話を続けていたが、結婚が遅かったり、再婚している先生がいて、私と同じようにまだ中学生の子どもがいる先生もいた。卒業して30年近くも経つと、学生時代に優秀だった人が必ずしも経済的に成功しているわけではない。その代わりに、名誉を得ているかというと、それも難しい。臨床研修が必修化され、どこの病院でも研修できるようになって、医局の教授の力が衰えているという。地方の大学医学部の話かと思っていたが、わが母校でもそうだという。「白い巨塔」のような話は、これからはそれこそ江戸時代の水戸黄門のような話になってしまう可能性が高い。今や医学博士取得の時のお礼も、教授が刑事責任を問われ、医局員で教授に仲人を頼む人も10人に1人ぐらいに減っているという。私は学生時代は本当に落ちこぼれであった。その後苦労はしているが、久しぶりに同級生に会って、まだ運がいい方かもしれないと思った。
 最後に、屋山太郎「天下りシステム崩壊」(海竜社)の続きである。高度成長期には、アジア各国から日本の官僚主義は賞賛されていた。アジアでは縁故主義で、政府の中枢に身内ばかりが登用されていた。その点、わが国では東大法学部のトップクラスが毎年大蔵省に入省していた。この本でも日本の官僚制度の歴史的背景を述べているが、明治政府は広く人材を登用するために、中国の科挙制度にヒントを得て、高等文官試験を導入したという。身分や家柄は関係なく、能力のある人から採用し、私はこのことは決して悪いことではなかったと思う。今は医学部が大人気で、昔と違って官僚を目指す優秀な若い人が減ってきているという。財務省に合格しても、辞退する人もいる。官僚は優秀であるが、国のことより省益のことしか考えていないといわれる。省あって国なしである。去年の年末にコンビニで買った「別冊宝島 知らざる日本の特権階級」(宝島社)を読むと、ここではダイエーの産業再生機構入りを巡る財務省・金融庁と経産省の不毛な戦いが紹介されている。この時の省庁戦争で、無意味にロスした時間と人的コストは計り知れないという。公務員制度改革で、官僚の人事権を内閣が握ったら、この問題が解決できると「天下りシステム崩壊」では述べている。しかし、私は懐疑的である。地方分権がまったく進まないのは、中央省庁が権限を失いたくないからであるというのは、まったくその通りだと思う。しかし、権力というのは、中央から地方に移っても腐敗が生じ、省益にかわる無用な争いが必ずまた生じる。今回大分県の教員採用試験の不正が明らかになったが、地方でも中央の目を逃れた所で不正が行われている。官僚内閣制から議員内閣制にしろというが、2世3世の議員が多い中で、少なくともこれまでは日本の頭脳を集約してきた官僚たちに太刀打ちできるのか。天下り確保のための独立行政法人をなくすなら、それに変わる何かインセンティブも必要である。自分たちの省益を守るために外資規制をしたりする官僚たちにも腹がたつが、明らかに官僚より能力が劣っている議員たちにも腹がたつ。この本の中では、小選挙区制になり二大政党制ができれば、官僚制のコントロールができなくなるという官僚の発言が興味深かった。

平成20年8月26日(火)

 先週は盆休み明けで、大勢の患者さんが来ていた。その分、今週にはいってからは数は少なくなっている。少し前に送られてきた京都府保険医協会からの新聞に、開業したばかりの先生の声が載っていた。この中に先輩から教えられていた開業の成功を握る言葉が紹介されていた。私も開業してからうすうすと感じていたが、文章でここまではっきりと書いてあるのは初めて見た。多少の誇張はあるかもしれないが、私もおおむねこの通りだと思う。これから開業を考えている人は、この言葉を肝に銘じるぐらいが丁度いいかもしれない。開業を成功させるための秘訣は、1にも2にも場所で、3に人柄で4に技術だという。これまでの肩書きも腕のよさもあまり役に立たないのである。
 どうしてこんなことを私が書くかというと、私より遅く開業した後輩の話を聞いていると、みんな私より勢いがある。新しい患者さんの数も多い。前から書いているように、東山区は市内では1番高齢化が進み、人口も減少している。開業している内科の先生の話を聞いていても、どこも患者さんの数が減ってきているようである。その点、精神科関係では、伏見区や宇治市などは医療機関の数が足らず、その分勢いがある。前から書いているように、宇治の大久保で開業したら、絶対に成功間違いなしである。私が開業したのは平成13年5月で、ゴールデン・ウィーク開けの5月7日であったと思う。それまで勤めていた京都第一赤十字病院の患者さんが大勢来てくれ、この5月のレセプトの数は340枚弱ぐらいであった。レセプトというのは、患者さん1人あたりのその月の医療費の支払い請求の紙で、340人弱来てくれたことになる。患者さんによっては月に2回も3回も受診する人がいるので、実際の延べ人数はこれより多くなる。
 さて、それから7年過ぎて今年は8年目である。このレセプトの数がどの位増えたかというと、多くても月に600枚である。月によっては600枚を切ることもある。患者さんの話をじっくりと聞かなければならない心療内科としては、このぐらいの数で丁度いい。しかし、開業8年目で、開業した時と比べ、新しい患者さんは250人ちょっとぐらいしか増えていない。もし、日赤の患者さんなしで落下傘開業していたら、単純計算すると8年目で250人ちょっとしか集まらなかったことになる。これではずっと赤字続きで、8年目でやっと食べていけるぐらいである。心療内科と言っても今は地元の人が多いので、私の開業している所での需要はこんなものである。私の医院の周りは住宅が密集しているが、1人暮らしのお年寄りも多い。以前に、私の医院の近くで心療内科を開業するという話があったが、場所としてはよくない。こんな所で開業しても、よほど何か特徴を打ち出して、東山区以外からの患者さんを集めないとやっていけない。
 私の営業努力としては、医院にかかってきた電話はすべて私が出るようにしている。いつでも何かあったら、診察中でも対応している。他の患者さんの診察中の時には、診察が中断しても、お互い様と説明している。今ぐらいの数なので、こういうこともできるが、患者さんの数が増えすぎたら無理である。経営が安定すると、ついつい慢心に陥りやすい。医療者向けの掲示板などを読んだりして、いつも気を引き締めるようにしている。開業していても、これから開業する人のための開業セミナーの記事を読んだりして、開業の大変さを改めて思い知ったりしている。私の医院は、常勤の受付の人が1人とパートの人が1人で、家賃もかからないので、月々の経費は多くない。院外処方なので、この夏も常勤の受付の人は年休と土日をいれて連続8日間休めたぐらいである。人を新たに雇うほどでもないので、その分、私がやらなければならない仕事は増える。この前の日曜日は、朝7時から医院に出てきて、自立支援の診断書などを夕方5時近くまで書いていた。この日は京都市の休日待機番にあたっていたが、1日中医院にいるので同じである。9月の連休に当たっていた先生が急遽都合が悪くなり、京都市から頼まれて私が引き受けた。来月は2回休日待機番をすることになるが、それでも引き受けたのは、日曜日も雑用が多く、遊びに行くこともできず、ほとんど医院で拘束されているからである。ちなみに、京都市に協力して休日待機番をしている精神科医は24名で、精神科医全体の数から比べると少ないと思う。
 今月のアサヒカメラで、「旅と写真」が特集されていた。私の好きな藤原新也が出ていて、この2年ほど日本の地方を撮っているという。しかし、撮りたいと思うことにあまり出会わず、1日歩いて1度もシャッターを切ることもなく、徒労感にとらわれることもあると述べている。今撮っているテーマは「日本浄土」らしいが、これだけ有名になってしまうと、読者を納得させるだけの写真を撮るのは難しいと思う。私は若い頃は夢中になって、「印度放浪」などを読みあさっていたが、今から考えると中に出てくるエピソードがあまりにもできすぎているような気もする。TVのドキュメンタリーなどで、どこまで演出するかが問題になるが、これらの本も多少の脚色もあったのではないかと思うようになってきた。他にも沢山のカメラマンが出てきて、旅と写真について語っている。この特集を読んでいたら、このまま外来を放って、すぐにでもカメラを持って海外に飛び出したいと思った。
 今週は久しぶりに、CNNの「アントールド・ストーリー」を見ていたら、米国のモンタナ州での覚醒剤の流行を特集していた。モンタナ州はビッグ・スカイ・カントリーと呼ばれていたが、いつのまにか中毒州と呼ばれるようになった。西海岸から日本の覚醒剤と同じメタンフェタミンが若者に流行したのである。その対策と取り組みについて紹介していたが、治療センターを設けたり、その危険性について生々しい中毒者の姿をTV広告で放映したりしていた。この日本の覚醒剤と同じ成分の薬物は、現地ではアイスまたはメスと呼ばれ、ガラスの試験管みたいなパイプの中に入れて、あぶって吸引する。実は、覚醒剤をアルミホイルの上に乗せ、ライターであぶってその煙を吸引する方法を日本で初めて学会に報告したのは、私である。この方法はハワイで最初に流行ったが、ハワイに住んでいるフィリピン人から伝わったようである。当時は米国本土ではそれほど深刻な問題となっていなかったが、西海岸に渡り、いつの間にかモンタナ州まで行き着いていたのである。DEA(米国麻薬取締局)は従来の治療法では30人のうち1人しか治らないと述べている。本格的な治療には1ヶ月4〜5千ドルかかり、1年以上を要するという。全部聞き取れたわけではないが、1ヶ月の治療プログラムではほとんど効果ないと述べていた。今日のニュースで、わが国の覚醒剤の再犯率が55.7%に上昇したので、政府が再犯者を減らすために、薬物依存治療や社会復帰支援など「医療・福祉」政策を充実させると出ていた。しかし、薬物依存は意志だけの問題ではなく、これまでの乱用によって脳自体に害が及んでいるので、そう簡単にはいかないだろう。
 最後に、今週ほとんど読み終えた、屋山太郎「天下りシステム崩壊」(海竜社)である。私は官僚には同情的で、安い給料で過酷な仕事をこなしていると述べてきたが、この本では官僚制度の負の部分について書き尽くしている。一般の人にも安倍内閣の印象は薄かったと思うが、ここでは安倍内閣の功績を高く評価している。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票の制定、防衛庁の省昇格、そして国家公務員制度の改革である。安倍内閣で大臣のスキャンダルなどが出ていて、政権は苦境に立たされていた。私はもしかしたら官僚がリークしているのではないかと疑っていたが、ここではそうであると述べている。これまでの閣僚内閣制から議員内閣制へ仕組みを変えろと提言しているが、2世3世議員が多い中で、その分野での専門のプロ集団と対抗できるのか心配である。この本については最後まで読んで、次回詳しく書きたいと思う。

平成20年8月19日(火)

 今年の盆休みの休診は先週の火曜日から土曜日までの5日間であった。開業すると、長く休めるのは盆と正月とゴールデン・ウィークで、ずらして休みを取ることはなかなかできない。月曜日から土曜日まで外来をやっていると、ふだんあまり休んだ気になれない。ましてや、日曜日も医院に出てきて雑用をしていたら、毎日果てしなく働いているような気がしてくる。その分、稀ではあるが、ウィークデイの午後から休めることもある。今月は書かなければならない自立支援の診断書がまだ17通残っているし、来週保健所で話す内容も考えなければならない。これまで話したことのないテーマを与えられた時には、いろいろ調べたりけっこう手間暇がかかる。貧乏暇なしという言葉があるが、金持ち暇なしである。どうせ暇がないなら、金持ちの方がいいと自分に言い聞かせているが、最近は朝5時起きも疲れてきた。
 この日記を読み返していても、この頃ぼやきの内容が多い。書くことによって、ストレスを発散させている時もあるが、書く内容が思いつかない時には逆にストレスが貯まってしまう。火曜日の午後は休診にしているが、朝から書き出してもほとんど何も書けず、外来が終わってからまた書き出し、午後がほとんどつぶれてしまうこともある。筆がのっている時には、朝だけでほとんどの内容を書き終え、こういう時にはこれで午後からゆっくりできると開放感にひたれる。しかし、こういう時に限って、前回書いたような京都市からの一次診察の依頼がはいってきたりする。今日は午後からの往診とこの日記と昨日あった労災認定会議の医学的見解の文書の確認である。自立支援の診断書も今から少しづつ書いておかないと、今度の日曜日に朝早くから出てきて晩まで書いていても間に合いそうもない。
 実はこの盆休みも1人でカンボジアまで行っていた。前にも書いたように、タイ国際航空のマイレージが貯まり、ビジネスクラスで往復ができた。料金としてはサーチャージ料だけかかった。以前に1度だけビジネスクラスを利用したことがあるが、座席が新車以上に進化していた。半カプセル状のシートで、電動で身体を横にしてほぼベッドのように仰向けに寝られるのである。深夜便ではふだん飲まない睡眠導入薬のエバミールを飲んだが、快適な眠りが得られた。しかし、到着時間の2時間近く前から、本格的な朝食を用意する。私もビジネスクラスに乗り慣れていなかったので、無理に起きて朝食を食べたが、無視してそのまま到着直前まで寝ていたらよかった。こんなに快適ならこれからはビジネスクラスで旅行したいと思ったが、家に帰ってビジネスクラスの料金を調べたら、やはり高い。どの位高いかというと、1番安い時のエコノミーの約3倍ぐらいである。マイレージの使い方もいろいろあり、今回みたいに一時に派手に使うのではなく、エコノミー料金を払い、ビジネスクラスへの変更に使ったらもっとお得だったかもしれない。
 カンボジアでは毎日昼頃からタイガービールをがぶがぶ飲んでいた。日本ではふだんは月、水、金と禁酒であるが、休みの時ぐらいは好き放題したい。現地の人に聞いたら、日本人の観光客は少なくなっているという。たまには日本人から逃れたい私にとっては好都合であるが、観光に力をいれているカンボジア政府にとってはそんなことは言っていられないだろう。最後の日の夕方6時過ぎ、ホテルから空港に帰る時に、激しい土砂降り雨が降ってきた。仕方ないので、ホテルのタクシーを頼んだが、道路は大渋滞でなかなか前に進まない。また、飛行機に乗り遅れるのではないかと心配していたら、途中からいつもと違う方向に曲がった。抜け道があるのかと思ったら、またホテルに引き返していく。運転手が無線でやりとりしていたが、もう1人ホテルの客を空港まで運ぶという。全身タトゥーだらけの外国人が私の横に乗り込んできた。空港からプノンペン市内まではタクシー代が9ドルと高いが、ホテル専属のタクシー料金も同じである。ホテルの外に停めてある車と交渉したら7ドルぐらいで行けるが、たった3秒で全身ずぶ濡れになるぐらいの大雨である。タクシー1台分の料金は払っているのにわざわざ引き返し、ホテルからの道がまた大渋滞である。
 道路には水があふれ、車がまったく動かなくなった。場所によっては水没するのではないかと思うぐらい深くなっていた。帰りの通勤時間にあたるのか、バイクも横をすり抜けることができない。段々といやな予感がしてきた。私の横の外国人はスウェーデン人で、世界のあちこちを旅していた。Tシャツなど衣服を輸入して販売をしているという。カンボジアは昔アンコール・ワットを1度見に来たことがあるが、今回の旅は3日の予定を1日で切り上げたという。バンコクの方が清潔で、ナイトライフも楽しめるという。私はあまり観光地化された所は好きではないが、このスウェーデン人の言うこともよく理解できる。前にも書いたように、ついつい行き慣れた飲み屋に行ってしまうように、勝手がわかっている行き慣れた場所に行ってしまう。北京オリンピックがもうすぐ終わるので、次は中国である。しかし、中国語の勉強が進んでいないので、中国に行く時は最初はパック・ツアーにしようと思う。私の旅は1人旅が基本であるが、途中で1度だけパック・ツアーに参加したことがある。この時に、団体旅行はこんなにも楽なのかと思ったことがある。さて、大渋滞である。1人旅の時には誰も助けてくれないので、すべて自分で解決しなければならない。同乗のスウェーデン人は私とは違う航空会社でバンコクに行くが、私より出発時間は遅い。刻々と出発時間が迫ってきた。最悪の場合を想定して、いろいろシミュレーションをしてみた。バイクを停めてタクシーから乗り換える方法もあったが、激しい土砂降り雨の中をバイクで行くのは気がすすまなかった。前の時にはこんなにも降っていなかったし、外はもっと明るかった。結局、ホテルのタクシー運転手が渋滞を抜けてからかなり急いでくれ、なんとか間に合うことができた。
 今回の旅では本は2冊持って行った。丸山佑介「裏社会の歩き方」(彩図社)と武田邦彦「偽善エコロジー」(幻冬舎新書)である。最初の「裏社会の歩き方」は、現在のヤクザや非合法賭博、ドラッグ事情、風俗をルポしたものである。まだ当たり屋がヤクザのしのぎとして残っていたのは驚きであった。指を詰めることがなくなり、なんでも金で解決するというのは以前にも書いたとおりである。ただ、暴力についてはプロなので、いくら腕に自信があっても素人は絶対にけんかしてはいけないとつくづく思った。どこまで情報が正しいのか疑問符がつくが、オンラインカジノでは、日本の法律では運営者も客も取り締まることができないという。最近は風俗でも、昔と違って若い女の子がいきなりソープで働いたりするが、新宿では日本人の若い女の子が立ちんぼをしているという。「偽善エコロジー」は、同じ作者の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(洋泉社)がよく知られているが、この本の方が読みやすい。一つ一つ問題を取り上げ、わかりやすく検証している。例えば、レジ袋を使わないことや割り箸を使わないことはただのエゴと断定し、CO2削減努力では温暖化は防げないという。ダイオキシンも有害ではなく、ゴミの分別収集は意味がないという。従って、古紙やペットボトル、空き瓶、食品トレイのリサイクルも意味がなく、どの地方自治体もこのためにとんでもないお金を費やしているという。地方自治体はどこもお金がないといい、経費削減を唱えながら、こんなムダな所にお金を使っているのである。これだけ事実が明るみに出ているのに、ややこしいゴミの分別を住民に強制させ、一体誰が責任を取るというのか。

平成20年8月12日(火)

 この前の火曜日は府立洛南病院に緊急入院となった患者さんの二次診察を京都市から頼まれていた。二次診察というのは、警察官からの通報を受けて、保護された人が自分を傷つけたり、他人を傷つけたりする恐れがないかどうか精神保健指定医が2回目に診察することである。この時に、最初の指定医が措置入院が必要と診断した場合は、二人目の指定医の診察が必要になる。最初の指定医の診察は一次診察で、二人目の指定医の診察が二次診察になる。最初の指定医が措置入院が必要ないと診断した場合は、二次診察は必要ないが、診察が終わるまでは待機していなければならない。2時過ぎまで医院で待っていたが、措置入院が必要ないという連絡があり、ほっとした。私の医院からから宇治の府立洛南病院までは車で往復1時間以上かかり、この日記を書いている途中だったので、二次診察があったら更新が大幅に遅れてしまう。
 ところが、2時半過ぎに別の所からまた電話がはいった。京都福祉サービス協会からで、実はこの日の2時半からヘルパー養成講座の講師を頼まれていた。会場は二条城の近くで、すでに大勢の人が私の講義を待っていた。午前中の診察が忙しい時に京都市から二次診察を頼まれ、すっかりこの講義のことを忘れていた。いきなり、京都市から診察を依頼された場合は、いつも忘れないように受付の人に伝え、帰りに診察があることを確認させるようにしている。ばたばたしていると、診察を頼まれていたことをうっかり忘れてしまうことがあるからである。特に10時頃とか早めの時間に頼まれると、危ない。このヘルパー養成講座については、手帳の予定表に書き込んでいたが、まったく頭にはいっていなかった。1週間の予定は覚えているのだが、水曜日と木曜日にいつもの定期的な用事があることだけがしか頭になかった。
 時計を見たら、もう2時40分近くになる。私の精神保健の講義が受けれなかったら、会場で待っている人はヘルパーの資格取得が大幅に遅れることになる。あわてて、二条城の近くの会場に車を走らせた。運転しながら、この日にもし二次診察があったことを考えてみた。私はそのまま府立洛南病院まで出かけていたら、京都福祉サービス協会とは連絡はつかなかった。携帯電話の番号は家族以外には教えていない。あのまま何十人と1時間以上も待たせて、連絡が取れないということで講義が中止となったら、責任重大である。次の講義を新たに組むにしても、会場の都合や研修期間のこともあり、予定を立てるのが大変である。いろいろ考えていたら、冷や汗が流れてきた。結局この日は30分以上遅れて会場に着き、なんとか講義を始めることができた。遅れた分、休憩時間は取らず、いつもより遅くまでやっていた。本当にうっかり忘れであったが、長い人生ではこういうことがたまにある。外科などの手術で脱脂綿などを取り忘れてそのまま縫合してしまったりすることがあるが、医療事故も本のちょっとした偶然が重なって起こる。ベテランの医者でも、今回の私のうっかりミスのように、たまたま運が悪く医療ミスを起こしてしまうことがあるかもしれない。
 翌日の水曜日は特別養護老人ホームに行き、木曜日は介護認定審査会があった。金曜日は午前と午後の診察の合間に少しはゆっくりできるかと思ったら、また京都市から府立洛南病院に緊急入院となった患者さんの診察を依頼された。今度は一次診察である。たまたま何も予定がはいっていなかったので引き受けたが、近くの警察署と違って、私の医院から府立洛南病院まで行くのはけっこう大変である。この仕事も休日待機番も京都市に協力してボランティアでやっているが、開業医では断っている先生も多い。今年は日本精神科救急学会が秋に京都で開かれるが、開業医としては広い意味での救急医療に貢献しているのではないかと思ったりする。どこの科でも救急医療での勤務医の過酷な労働が問題になっている。精神科では府立洛南病院みたいな公的病院にしわ寄せが行き、現場の先生の苦労は大変である。
 土曜日は外来が終わってから、息子と2人でUSJまで行った。名神でまた事故があり、途中からかなり渋滞していた。急いでいる時に大勢の人に迷惑をかけるので、事故を起こした人が高速代をに支払う制度を作ったらいいと思う。そうしたら、みんなもっと安全運転を心がけるだろう。飲酒運転をこれだけ厳しくしただけで、交通事故の死亡者数が激減したので、同じようにしたら効果てきめんである。この日はホテルに泊まるので、先にチェックインをした。遅く着いたので、ウォーターワールドにもウィケッドにも行けなかった。実はこの日はロイヤル・スタジオ・パスを用意していたので、いつでもどこでも待ち時間がなく、何回でも好きな乗り物に乗れた。ふだんはお金を使っている暇がないので、こんな時ぐらいしか贅沢はできない。しかし、着いたのは3時過ぎだったので、見れる物は限られてしまった。私はまだピーターパンのネバーランドを見たことはなく、ハリウッド・ドリーム・ザ・ライドも乗ったことがなかった。息子は友だちと何回も来ているので、広いパーク内を効率よく廻れた。日曜日は数人の診断書が残っていたが、久しぶりにゆっくりできそうだったので、生ビールをがぶがぶと飲んでいた。飲み過ぎて、バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライドの時には気分が悪くなった。最後のピーターパンのネバーランドを見て、遅い夕食をとった。この時もビールをおかわりして、大満足であった。ホテルはユニバーサル・タワーで、最上階の次の階に大浴場がついていたのでここを選んだ。汗をかいていたので、寝る前にゆったりと大浴場にはいって、久しぶりに極楽であった。
 翌朝起きると、息子がうつ伏せになってトドのように寝ていた。寝る前に枕はいらないといってベッドから床に捨てていたので、少し心配になった。あまり人とは変わった寝癖をつけてもよくない。他人の子どもだったら、朝起きたら逆立ちをして寝ていてもそれほど気にならないが、自分の子どもとなると細かいことが気になる。朝はゆっくりと起き、朝食はホテルのバイキングを食べた。半日ちょっとの旅行であったが、本当にゆっくりとできた。池田市民病院に救急入院した父親はこの土曜日に退院して、一旦自宅に帰っていた。ホテルをチェックアウトした後で、車で池田の自宅に寄った。父親はすっかりよくなり、糖尿病の薬もインシュリンは使わず、朝晩の服薬で安定していた。これからは、介護保険を使って、デイ・サービスやショート・スティも利用する。妹と話しをしていたが、この間ほとんど毎晩妹が付き添いで泊まってくれていた。都合の悪い時に、旦那と娘が代わっていた。言い訳ではないが、患者さんを診ていても、頼りになるのは娘である。今の時代、息子の嫁はあてにならない。妹には本当に世話になり、個室代は私が出すことになった。妹の旦那もこの秋に独立するという。テナントの家賃は25万円で事務の女の子を1人雇って、法律事務所を開く。弁護士は今は厳しいので、人ごとながら少し心配である。
 この日の午後は、また医院に行って新しい傷害年金の診断書を書いていた。他にも介護保険の意見書などを書き、その後借りたまま見ていなかったDVDを見た。題名は「ブリッジ」である。少し前に話題になっていたドキュメンタリーである。初めは、予告編にのっていたアクション物のDVDを探していたが見つからず、偶然このDVDを見つけた。サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジからの投身者を追った映画である。カメラを据え付けて、実際の橋からの投身者の姿も映し出されている。私はこの日記でも何回も書いているが、高知市の病院にいた時に、桂浜にかかる浦戸大橋からの投身者68名を調べて論文にしている。内容的にはあまり変わらないが、高所からの投身者では、統合失調症の患者さんが比較的多い。四季の移り変わりで、橋の景色が美しく変わっていくのはよかった。USJに行ってきたばかりなので、ジュラシック・パーク・ザ・ライドやハリウッド・ドリーム・ザ・ライドの落下する感覚とこの映画の落下シーンが変な風にシンクロしてしまった。

平成20年8月5日(火)

 この9月で車検が切れるが、これだけ世の中が不景気になると、新車なんか買う気になれない。このまま、今の車を乗り続けるつもりである。もともと10年は乗り続けるつもりであったが、今度車検を受けたら8年目になる。池田の妹は同じ車に11年乗っているので、買い換えたいと言っていた。ちょうど父親が倒れた時に、学生を連れてトヨタの工場見学に行っていたらしい。この時に新しい車に試乗させてもらったら、乗り心地がすごくよくなっていたと驚いていた。車も10年経つと、その進化がよくわかる。私は昔は長いことセリカを乗り継いでいたが、ある時にフィアットのウーノに乗り換えた。小さくて、がたがたと路面の感触がよく伝わり、決して乗り心地はよくなかった。どのくらい乗っていたか忘れてしまったが、この時に家内と結婚することになった。駐車場もないので、このウーノを処分して、家内のマーチに乗ることにした。長いこと乗り続けていたが、神戸にいる時に子どももできて、車を買い換えることにした。当時は京都の家のローンを払いながら、神戸で借りていたマンションの家賃も払わなければならなかったので、お金がなく、両親から100万円ほど援助してもらった。新車は、トヨタのワゴン車でカルディナである。セリカ、ウーノ、マーチと乗り継いできて、10年ぶりに日本の新車に乗り換えたが、こんなに乗り心地がよくなったのかと感動したことを覚えている。
 きのうは買いたい本もあったので、アバンティまで行った。ふだんは医院で昼食はダイエットクッキーを食べているが、久しぶりにぶっかけエビ天そばを食べた。ところが、前はエビ天が2本はいっていたのに、1本になり、代わりにちくわの天ぷら増えていた。患者さんが物価の値上がりを訴えていたが、これまでガソリン以外はあまり実感はなかった。エビ天1本の違いであるが、こんな所に影響が出ているのかと思った。そういえば、少し前に行った麺類中心のファミレスで、メニューが一新していたが、私のお好みのセットがなくなっていた。新しいメニューを見ても、お得なセットは消えていて、これも原材料費の高騰によるものか。少しづつ何もかもが値上がりしてくると、消費者マインドは冷えてくる。私も経済的には困っていないが、大きな買い物は控えようと思ってしまう。車は通勤ぐらいしか使っていないので、よほど気に入った車が出てこない限り、後2回は車検を受け、11年は乗るつもりである。
 車が数百万円なら、家は数千万円である。自宅は敷地25坪で、もっと広い家を買いたいと思っていたが、家内と娘は今の家でかまわないと言っている。最近はあまり無理することもないと考えだし、これもよほど気に入った物件が出てこない限り、このまま住み続けようと思っている。自宅に関しては、昔は手頃な物件があったら即買いと思っていた。しかし、患者さんの話しを聞いていたら、そう単純でないことがわかってきた。少し前に騒音おばさんが話題になっていたが、騒音とは限らず、隣近所にそれに負けないぐらい大変な人が住んでいると迷惑どころの話ではない。中には、町内会長さんや保健所の人が出てきても、まったく解決せず、泣き寝入りしている人もいる。別のケースでは、マンションやアパートではなく、若い住人が夜中に騒音を立てていて、こちらもどうしようもない。だいぶ前の話しであるが、私の家からそう遠くない所で、中古の物件が出て買い手がついた。新しい住人が挨拶にきたが、長いこと引っ越しをしては来ず、1回も住まず、そのうちまた売りに出していた。詳しいことは知らないが、その物件の隣の住人が難しい人だったらしい。幸い、私の家の両隣りは大丈夫である。建て売りで大きさも同じぐらいである。私はいつも敷地面積25坪と言っているが、片方の人はある短大の学長で、大学の先生でもあまり大きな家には住めないものだと思った。
 この日記でも何度も書いているが、私が神戸に住んでいる時に、京都の家を売った。公的な総合病院の部長になったので、医局の人事では双六の上がりで、このまま定年まで続けるか次はどこかの精神病院の副院長になるか開業ぐらいしかなかった。神戸は開業医が多かったので、開業に関しては現実的には難しい面もあった。バブルの終わりに自宅を買って、あまり住まず7年ほどで家を売ったが、売買の手数料やローンの利子分など合計したら4000万円ほどの損をした。家を売って、43歳で手元に残ったのは1000万円であった。この1000万円も家を買う時に親から借りたお金で、実質私は43歳で無一文になった。その後に医局から話があり、家を売った翌年に京都第一赤十字病院に移った。この時はお金がなく、京都では賃貸のマンション住まいであった。あれから10年ちょっと過ぎたが、今ではバブルの時に損をした4000万円は取り返している。25坪の自宅はローンは返し、京都駅近くのマンションのローンも返し、医院のローンも親の分は残っているが、返そうと思えばすぐ返せる。あのまま日赤に勤めていたら、25坪の自宅のローンを返すだけで私の人生は終わっていた。しかし、官僚のことも含め、名誉が軽んじられ、お金だけが重んじられる社会は決していいとは思わない。今は家を買うのはやめて、貯金を増やそうと思っている。子どもには大学は国公立にはいって欲しいが、いざという時のために蓄えておかなければならない。結婚が遅かった分、まだまだお金はかかりそうである。
 きのうは外来が終わって、帰りの車の中でTVの音声だけ聞いていたら、怪傑えみちゃんねるをやっていた。森三中の誰かが出ていたが、過食についてどこかの精神科医が答えていた。過食については、前回私も少し書いたが、この精神科医は小さな頃の幼児体験に原因があると断言していた。どういうことかというと、母親が赤ん坊の世話をする時に、子どもが出すサインをうまく読めないと、子どもが泣いたらなんでもかんでも母乳やミルクを与えて解決しようとしてしまう。中にはおしめが濡れて泣いたり、おなかが痛くて泣いているのに、解決方法として、ミルクを与えることしかしないので、大人になっても、ストレスが貯まった時の解決方法として、おなかを満たす方法しかできなくなるという。過食もいろいろなケースがあるので、こういう例もあると思うが、すべてこのことで説明できるわけではなく、TVで一方的に断言してしまうのはどうかと思った。リストカットの原因もいろいろあり、中には生の痛みを手首を切ってより強い痛みで緩和しようとする場合もある。私は1人で見知らぬ国を旅しているが、より強い孤独感でふだんの孤独感が癒される時もある。

平成20年7月29日(火)

 日曜日から息子は学校のクラブのサッカーで合宿に出かけ、この間は家内と娘は2泊3日で東京に遊びに行っている。この夏休みに息子はUSJに行きたいと言っていたので、合宿が終わってから私と2人で出かけるつもりである。朝早くから行くと、この昼間の暑さには耐えれそうもないので、今回は土曜の午後から出かけ、夜9時の閉園まで過ごすことにする。この間は、私もビールが飲みたいので、一緒にホテルに泊まり、翌日はまた父親の見舞いに行く予定である。よく考えてみたら、息子とはあまり一緒には出かけてはいない。たまに日曜日の昼食にラーメンを食べに行くぐらいである。今は大きくなったので、あまり父親とは出たがらないかもしれない。しかし、これまで忙しいこともあり、ふだんはすべて家内に任せてきた。息子は異常なほどサッカーばかりにのめりこんでいるが、ふと私があまりかまってやれなかったことも関係しているではないかと思ったりする。私は患者さんから失敗例をたくさん教えてもらっているので、反面教師としていつも気をつけている。子ども達には勉強しろとは一言も言ったことはない。言っても何の効果もないことは、私自身がよくわかっている。父親と思春期の息子との関係はあまり患者さんとは話題にならないが、反抗期がまったくないのも困る。娘は私にはいやというほど反抗期を示したが、今はおさまっている。父親と思春期の娘との関係は、表面上はうまくいっているようにみえても、実態は難しいようである。本当は父親をいやがっていても父親の前ではあわせているという娘も少なくない。父親の方がうまくいっていると勝手に信じ込んでいる場合もあるのである。その点、私の娘はわかりやすかった。
 以前にもこの日記で紹介した医師会から送られて来た冊子に、「イースタリンの逆説」が紹介されていた。どういうことかというと、一定の水準を超えてしまうと、豊かになるということと幸福になるということの間に相関関係がなくなるという。私もお金持ちになったら幸せになれると思っていたが、この意味することはよくわかるようになった。ライシュの書いた「勝者の代償」も紹介されていた。この本の中で著者は、この世の中で勝ち組になるということは、人間として家族と一緒にいる時間、幸せになる時間というのを大幅に犠牲にするので、幸福にならないと諭している。昔は、私も1度でいいから札束で頬を叩かれたいと思っていたが、このこともよく実感できるようになった。私は勝ち組とまではいかないかもしれないが、小金持ちになったのは確かである。しかし、毎日時間に追われ、ちっとも幸福感を感じないのも事実である。
 若い女性によく見られる過食症という病気がある。患者さんは食事のコントロールができにくく、夕食後もコンビニに食べ物を買いに行き、山ほどパンや菓子類を食べてしまう。この病気の原因はまだはっきりしないが、1つの解釈としては何かの代理行為として考えることもできる。例えば、小さな頃に母親に充分甘えることができなかったりすると、ぽっかりと胸に穴があき、この穴を埋めるために代理で食べ物で胃を満たそうとする。本当は胸にぽっかりとあいた穴を愛で満たしたらいいのであるが、それができないので食べ物で満たそうとしてしまう。幸せとお金との関係もこれと似ているかもしれない。お金のない時には、ただ単純にお金持ちになれたら幸せになれると考えてしまう。しかし、お金をいくら稼いでも、幸福感は別の物で簡単には得られない。中には、幸せになるにはまだお金が足りないと思って、ますます仕事にのめり込んでしまう人もいるかもしれない。稼いでも稼いでも、財布は満たされても心は満たされないのである。
 昔のLPレコードを時間があったら、パソコンに取り込んでいる。年を取ると、自分好みの新しい音楽を見つける時間もエネルギーもなくなる。私が高校生の時に流行っていたブーツ・ウォーカーの「ジェラルディン」を長いこと探していたが、少し前にやっとCDで手に入れることができた。曲は悪くはなかったが、さすがに音は古くさかった。山ほどのLPレコードを処分しようと思ったこともあるが、残しておいてよかった。何百枚とあるので、老後の楽しみができた。どの世代でもそうであるが、感性豊かで人生の右も左もわからない時に聞いた音楽は年齢を重ねても充分に楽しめる。45回転のジャンボ・シングル・レコードも持っているが、アマゾンで調べてみるとけっこうCD化されている曲も多い。B-MovieのNowhere GirlやTuxedomoonのCageなどCDのベスト・アルバムにはいっていて、少しがっかりする。私はウォークマンに入れて、電車の中で聞いたりしている。この前の土曜日は、日本心身医学会の近畿地方会が神戸であり、学会の認定医更新のため外来が終わってから新幹線で出かけた。大阪に出かける時にも、このウォークマンは持って行く。今はまっているのが、ピーター・ハミルのイン・カメラである。ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのボーカリストのアルバムであるが、今聞いても名盤だと思う。しかし、LPレコードから録音したので、サウンド・イフェクトを使っても、ノイズはきれいに取り除けない。人生にはこのレコードのように、絶えずノイズが流れている。孤独感や空虚感など取り除こうと思ってもなかなか取り除けない。
 ツタヤで「犯人に告ぐ」のDVDを借りてきて見た。原作は、雫井 脩介の作品である。私は読んでいないが、少し前に本屋で文庫本が平積みにされていた。内容としては悪くはなかったが、映画は淡々とストーリーを追っていくだけである。もう少しメリハリをつけて撮り方を工夫したら、もっとどきどきわくわくしただろう。犯人に告ぐ。私が幸福感をあまり得られないのは、おまえ達が関係しているかもしれない。今晩は、後悔に打ち震えて、深く反省せよ。

平成20年7月22日(火)

 この前の木曜日は池田の妹から朝早く連絡があり、父親が救急車で市民病院に運ばれたという。意識不明の昏睡状態で、緊急の検査をしたら、血糖が800を超えていたという。当直医の判断では、命が助かる確率は半分以下であった。水曜日の夜中に運ばれ、この1日が勝負のようであった。私は外来があるので、すぐ駆けつけるわけにもいかない。勤務医の時は誰か代理を頼んだらいいが、開業していると突然の休診は無理である。透析が必要になるかわからないということであった。とりあえず、付き添いをしている妹の娘に連絡を取りながら様子をみることにした。外来が終わってから連絡を取ると、比較的安定して小康状態のようであった。午後からは介護認定の審査会があり、私が司会をしなければいけない。休もうと思えば休めたが、父親の容態もなんとか持ちこたえそうなので、終わってから行くことにした。車で行くのが便利であったが、名神はちょうど帰りの通勤時間帯に重なるので、JRと阪急を使って行くことにした。
 病院に着くと、妹家族と母親がいた。個室にはいっていたが、私も含め6人いると狭い。まだ予断を許さない状態で、インシュリンの点滴が入れられ、心電図もモニターされていた。妹夫婦は2人とも働いており、夜は誰かがつかないといけない。話を聞いたら、夜11時頃に、歩いて5分ほどの所に住んでいる妹の所に母親から電話があったという。40°の熱が下がらず、様子がおかしいという。すぐに救急車を呼んで市民病院に運ばれたが、脱水もひどく、高血糖で高浸透圧性の昏睡であった。父親は認知症で、今では私もわからないぐらいであるが、いつも居間で座椅子に座ってそれほど手がかからない。母親が薬の管理をし、近くの内科に母親が薬を取りに行っていた。今回も熱が下がらないと言って、風邪薬を処方してもらい飲ませていた。糖尿病については、私は把握しておらず、妹夫婦も父親の薬に関しては母親に任せきりであった。ところが、糖尿病の薬はしばらく飲ませていなかったという。時々、父親がトイレに失敗するので、水分も制限していたらしい。母親が住んでいる所は広い高校の敷地に接していて、風通しのいい場所である。しかし、この暑さの中、冷房はまだ1回も使っていなかった。
 母親は天皇と同じ年の生まれなので、まだそれほど高齢でもない。頭はしっかりしていると思っていたが、耳が遠く、近くの開業医の説明もどこまで理解していたかわからない。補聴器をつけるのをいやがり、ふつうの声の大きさでは通じない。血圧やコレステロールを下げる薬は飲むのをやめても、すぐに命取りになることはない。しかし、糖尿病の薬は即命取りになる。弁護士と大学教授である妹夫婦と話をしていても、この辺のことはあまり理解していないようである。医学の常識と思っていることでも、健康人には宇宙工学の常識とかわらないのである。長野県の田舎から妹の近くに転居してきた時に、きちんと両親の病気を把握し、1度はかかりつけ医と話をしておくべきだった。母親がすべて面倒をみていたので、ついつい油断をしていた。介護保険のヘルパー派遣も断っていたが、週1回ぐらい来てもらっていたらよかった。第三者がはいっていたら、もっと早く病状を把握できていただろう。父親ももともと認知症があったので、妹夫婦も糖尿病による軽い意識障害との区別がつきにくかった。金曜日は家内が1人で病院に見舞いに行ったが、意識が戻り、なんとか命は取り留めた。最悪の場合の葬式のことなど妹と話をしていたが、当面大丈夫である。後はどの位合併症が残るかであるが、透析もしなくてすんだ。子ども達を連れて、また見舞いに行かなければならないが、危機は脱したのでそれほど急ぐことはない。
 この日は外来が終わって、夜8時から東山医師会の勉強会に参加した。講演の内容は、睡眠時無呼吸症候群である。前にも書いたが、東山医師会の勉強会は、夕食を取りながら毎回夜8時から10時までである。内科関係の話の時には私は参加しないが、今回は最近増えている睡眠時無呼吸症候群についてである。講師は京都第一赤十字病院の循環器科の先生である。どうして、循環器科の先生かというと、この病気があると動脈硬化が進行し、将来狭心症や心筋梗塞、脳血管障害を高率に発症させるからである。京都第一赤十字病院が積極的に睡眠時無呼吸症候群に取り組んでいるとは、まったく知らなかった。いつも患者さんをどこに紹介したらいいのか悩んでいたが、これで助かった。睡眠時無呼吸症候群は、眠っている時に気道が塞がれ、呼吸が一時止まり、大きないびきをかく。浅い睡眠しか取れず、日中眠気が取れない病気で、新幹線の運転手の居眠り運転で広く知られるようになった。日本では約200万人いると言われ、治療を受けている人はまだ7万人ぐらいである。日本人の60人に1人がこの病気ということになる。私の医院では検査する機械もないので、あまり関係ないと思っていたが、不眠と疲れやすさ、日中の眠気を訴える患者さんはこの病気を疑わなければならない。日本人の顎のつくりはこの病気を起こしやすく、うつ病だと思っている患者さんの中にも大勢まぎれているかもしれない。治療としては、眠っている間に持続性の陽圧呼吸マスクをつけなければならない。強い空気圧をかけて、塞がった気道を開いて空気を送るのである。このマスクを使った治療をCPAPというが、今回初めて見た。このマスクを作っている会社が実演してくれたが、SMでよく使われるようなマスクであった。私はSMにまったく興味がないわけではないが、こんなマスクをつけてどこが興奮するのかよくわからない。外来で、ただひたすらマゾヒスティックに患者さんの話を聞いていると、バランスを取るためにSに走りやすいのも確かである。しかし、個人的にはムチもローソクもだめである。
 土曜日の午後は、保険医協会の代議員総会があった。今年は代議員から外れていたが、代理の代議員になっていたので、欠席する先生の代わりに参加した。前にも書いたように、京都では長いこと革新系であった蜷川知事の影響もあり、医師会と保険医協会の両方に参加している先生は多い。私は開業する時には保険医協会で3500万円借り、両親には3000万円借りた。当時は最低の金利で、変動制で最高でも年1.2%であった。保険医協会の分はすべて返し、両親の分は分割で返しているので、まだ1200万円残っている。無一文で始めたが、保険医協会にも両親にも感謝している。連休の21日に子ども達を連れて父親の見舞いに行った。妹家族が交代で泊まり込みをしていた。意識は戻っても、これからどうするかが大変である。妹と話をして、個室代は私が払い、付き添いは当面妹家族に頼むことにした。母親は事の重要さをどこまで理解しているのかわからず、生きるか死ぬかわからない時に売店で父親のためにシャンプーを買いに行ったという。開業する時には両親の老後のお金を貸してもらい、これからは親孝行をしなければならない。私の患者さんを診ていても、みんな親の介護が大変である。ついつい忙しくて放っておいたが、いよいよ自分の順番が来たと思った。

平成20年7月15日(火)

 この前の土曜日は年に2回ある医局の集まりがあった。夏の会は外部から講師を呼ばず、医局のメンバーが演題を出して発表する。私は労災医員をしていることもあり、最後に「精神障害の労災認定」という演題で話をした。あらかじめ、医局にはパワーポイントのデータを送っておかなければならないので、7月6日の日曜日はこのための資料作りをしていた。実は、私はこれまで1度もパワーポイントは使ったことがなく、保健所などでの講演では、あらかじめ要約した資料を配って、それを見ながら講演している。今は学会発表などでパワーポイントを使うのが当たり前になっているが、盛んに使い出すようになったのはここ5年ぐらいだろう。開業して間もない時期に、ある製薬会社の依頼で舞鶴まで講演に行ったが、この時はまだブルースライドであった。ちょうど7年前の話で、その後1年ぐらいはまだブルースライドを使っていたような気がする。
 私はOffice 2003を持っているので、早速ガイドブックを買って、解説を読みながらスライド作りをした。今は労災認定の手引きみたいなもの(正確には判断指針)があり、専門家が判定したら大体同じ結果になるように工夫されている。とりあえず、厚労省のホームページから、この判断指針をダウンロードした。この資料はPDFでできているので、この資料を切り貼りしなければならない。ふだんはアクロバットでPDFを閲覧するぐらいなので、ベクターから編集できるソフトを購入してダウンロードした。新しいソフトを購入した場合、また解説を読んで使いこなすまでが大変である。とりあえず、切り抜きの部分だけ読んだ。結合のやりかたも書いてあったが、とばし読みしているので、やり方がもうひとつよくわからない。パワーポイントの使い方も行き当たりばったりで、これもとばし読みしているので、この切り抜いたPDFの資料をどう読み込ませたらいいのか初めはわからなかった。あちこちのボタンをクリックしている内に、やり方のこつが段々わかってきた。
 労災認定の考え方とやり方については、この厚労省の資料だけでりっぱなスライドができた。あとは、雑誌に載っていた資料をスキャナーで取り込んで切り取りし、別のスライドを作った。実際の労災申請のケースについては、個人を特定できないように加工して、簡単にパワーポイントに取り込ませることができた。以前に労働基準局で講演した時に作った資料など、山ほどワードでそろえているので、それこそコピペで何の苦労もいらない。PDFや画像も取り込めて、こんなに便利なものはないと感動した。ちょっと見には、初めて作ったとは思えないぐらい、きれいなスライドが作れた。いつもパワーポイントを使っている人にとっては、今更何をということで驚くに値しないかもしれない。ビジネスマンならプレゼンでよく使っていると思うが、私ぐらいの年齢ではあまり使う機会もない。講演する場所にもよるが、スクリーンや照明がすぐに利用できる場所で、パソコンとつなげるプロジェクターも用意しなければならない。しかし、この便利さに慣れてしまうと、動画も使えるので、これからは自分のパソコンを持ち込んでも、パワーポイントを利用したいと思った。
 実は、新しいソフトを使ってPDFを思い通りに切り取りできたので、前から考えていた自立支援の診断書もパソコンで書くことを思い立った。毎月山ほどの診断書を書かなければならないので、これだけで毎回重いうつ状態になっていた。うつになった時には、原因となった出来事を取り除くのが1番いい。1回パソコンで診断書を作ったら、来年からの更新は年齢と現在の病状と書いた日付の部分を、一部訂正したらいいだけである。PDFのソフトはいろいろ出ていて、PDFに簡単に書き込めるソフトは少し前にこれもベクターから手に入れていた。診断書をスキャンしてPDFを作り、このソフトを使って、空欄に書き込んでいったらいいのである。しかし、男女別の所に○をしたり、空欄の部分に書き込めるようにするには、また新しいソフトの説明を読みながら、細かい設定をして行かなければならない。ついつい面倒臭くなって、今月書かなければならない診断書もすでに何通かは手書きしていた。今回は思いのほか上手にパワーポイントは使いこなせたので、この前の日曜日は自立支援の診断書の電子化に挑戦した。
 私は初代のスキャンスナップを持っているので、まずこれで診断書をスキャンし、PDFを作った。スキャンスナップは当初はよく使っていたが、ここ1年ぐらいは全く使っていなかった。このPDFを新しいソフトに取り込んで、簡単に書き込めるように、テキストボックスを設定していく。ひな形ができたら、次からはこれを使って、簡単に書き込めるようになる。修正テープもあり、京都市提出用と書いてある不要な部分は消すこともできた。最初は面倒臭いかと思ってやり始めたが、これが意外に簡単にできた。何通かの患者さんの診断書を書いている内に、段々と要領がわかってきた。こんな簡単なら、最初からパソコンを使ってこの自立支援の診断書を書いていたらよかった。手書きの場合は、京都市提出用、保健所提出用、医療機関用と3枚綴りになっているので、けっこう筆圧がいる。障害者手帳用の診断書はA4が2枚分で、簡単にはプリンターで印刷できない。このためにわざわざA3用のプリンターを用意している先生もいるが、もったいない。障害者手帳用の診断書を半分に切り、A4にして別々の書き込み原稿を作り、印刷した2枚を並べてコンビニかどこかでコピーしたら充分である。大勢の患者さんが来ている診療所では、職員を使って毎回この診断書を書かせているが、パソコンで管理したら楽である。今年はまだパソコンに打ち込む作業が残っているが、来年からはゆっくりとできそうである。そうしたら、もう日曜日の朝早くから医院に出てくる必要もない。
 今回パソコンを使っていて、本当に世の中は便利になったと思った。私が利用していないだけで、もっと便利なソフトはまだ山ほどあると思う。私は音楽や動画のダウンロードもしたことがないし、ミクシーなどの出会い系も利用したことがない。最近やっと昔のレコードを、アンプとパソコンをつなげ録音し出している。ソニーから直接パソコンにつなげるUSBのついたレコードプレイヤーが出たが、人気で品薄になっているという。しかし、専門家の評価では音はもうひとつである。昔のアンプはスピーカー以外に出力端子がついていないので、どうやってパソコンにつなげたらいいのかずっと悩んでいた。ヘッドホン端子では、ノイズがはいってしまう。忙しいこともあり、そのまま放っておいたが、ある日突然テープレコーダーにつなげる出力端子があることに気がついた。テープレコーダーにはつなげず、そのままサウンド・コネクターにつなげたらいいのである。昔のレコードプレイヤーや針の部分であるMCカートリッジは高かったので、アンプにつなげるといい音を出してくれる。レコード針のスクラッチ・ノイズはソフトを使って除去しているが、完全に取るのは無理である。この前、NHKの芸術劇場でスティーブ・ライヒの演奏をしていたが、この人のLPレコードも持っている。以前に書いたアーント・サリーもCDが出ているぐらいで、昔のレコードはほとんどCD化されている。しかし、CD化されていないLPレコードもあるので、これからゆっくりとパソコンに取り込んでいこうと思っている。

平成20年7月8日(火)

 最近夜はエアコンを入れて寝る前に止めているが、すぐに蒸し暑くなって、寝苦しくなってくる。2階で寝ているので、扇風機を一晩中つけていても、汗びっしょりである。今年は梅雨だというのにまだ雨もそれほど降っていない。地球の温暖化が進むと、日本も亜熱帯にはいるというが、考えようによってはこれはこれでいいのかもしれない。四季のメリハリがあるのはいいことであるが、儒教のせいもあるのか、日本人は頭が堅くて融通性がきかない。ガソリンや食料品の高騰や少子高齢化、ワーキング・プアの増加など、真面目に1つ1つ考え出したら日本の将来はすごく暗くなってしまう。なかなか民族の気質は変えられないのかもしれないが、もう少し気温が上がったら、発想の転換も起こってくるかもしれない。ラテン系の生き方を目指したらいいのであるが、冬がこれだけ寒いと外で寝ていたら凍え死んでしまう。気温が上がって、バナナが年中実るようになったら、とりあえず飢え死にの心配はなくなるだろう。宵越しの金は持たないというような破滅的な生き方ではなく、あまりあくせくせず、少し脱力系の生き方を目指したら、日本の将来も開けてくるかもしれない。
 この前の土曜日は京都精神病院協会の講演会があった。行く用意もしていたが、ばたばたとしていたら時間に間に合わなくなり、行くのをあきらめた。少し遅刻して行ってもよかったが、看護師さんなどのパラメディカルの人も大勢参加するので、座る場所のことを考えていたら、面倒臭くなってしまった。直前に、医院とは別の駐車場で、車の出し入れのことで近所の人とトラブルがあって、遅くなってしまった。この日ではないが、その前にも医院で患者さんと大きなトラブルがあった。こういうことがたび重なると、誰でも気分が落ち込んで急に何もかもがいやになってしまう。患者さんを診察していると、こういうことはたびたび経験する。患者さんが職場の人間関係で行き詰まっている時に、かわいがっていたペットがなくなり、その後で親しくしていた友人が遠くへ転居するなどが重なると、生きていくのがいやになってしまう。私もこの日はいろいろなことが偶然重なり、講演会に遅れても参加する気力は失せてしまった。
 先週起きた医院での大きなトラブルというのは、患者さんの暴力である。精神科の外来では、組関係の人から覚醒剤中毒、アル中、自傷や大量服薬を繰り返す人など、社会的に危うい人も大勢受診してくる。私は昭和54年に医学部を卒業したが、今年は昭和83年にあたるので、医者になって丁度30年目になる。この間患者さんから直接暴力をふるわれたことは、しっかり覚えているのは2回ぐらいである。いずれも精神病院の中のことで、1回目はカルテを書いていたら、いきなり近づいてきた患者さんに首に近い後頭部をこぶしで思いっきり殴られた。長期入院している統合失調症の患者さんで、この時は幻聴が聞こえてきたらしい。大けがをしたわけでないので、この程度のことは仕方ない。もう1回は、覚醒剤中毒の患者さんである。精神的に落ちついてきていたので、閉鎖病棟から解放病棟に移していた。外出を許可した時に、他の患者さんと数人で街に出て、酒を飲んで病棟に帰ってきた。顔は真っ赤で、ニンニクを食べてアルコールの臭いをごまかしていた。病棟の看護人さんから私が呼ばれ、飲酒しているので、閉鎖病棟に移してくれと頼まれた。ところが、酒は1滴も飲んでいないと言い張る。この頃は、まだ病棟にアルコール検知器は置いておらず、患者さんと押し問答になる。この覚醒剤中毒の人はヤクザくずれで、体も大きかったが、私はまだ若かったこともあり、強気で閉鎖病棟に戻すことを伝えた。その時に、私を殴り、自分の座っていた木のイスを振り上げた。私の頭を目指してイスを振り下ろしたが、直前で止めた。他にも、抵抗する患者さんに鎮静剤の筋肉注射をする時に、蹴られたりしたことはあったかもしれない。外来では、患者さんから直接暴力をふるわれたことはなく、せいぜい胸ぐらを掴まれるぐらいであった。
 ところが、先週は外来で、初めて患者さんから暴力を振るわれた。薬のことで何回も電話がかかってくるので、私も少しいらついていたのかもしれない。患者さんとその関係者が3人診察室にはいって来たが、これまでの治療についていろいろ不満を言うので、私も強い口調で反論していた。この患者さんとは長いつきあいで、治療関係もできていたので、私はまったく警戒しておらず、むしろ関係者の1人の方がきれたらこわいと内心思っていたぐらいである。ところが、いきなりこの患者さんが立ち上がって、私の頭と首をぼかすかとこぶしで殴り始めたのである。関係者が止めにはいったが、それでも数発殴られた。私は座っていて、頭をとっさに下げていたので、それほど大きなダメージはなかった。関係者が患者さんを私から引き離し、部屋の隅に連れて行った。私も反撃しそうになったが、なんとか抑えた。私も興奮気味に患者さんに続けて反論したが、また近づいてきて、今度も座っている私の頭を殴り、関係者が止めようとしている時に、私の頭を抑え、私の左耳の後ろに膝蹴りを入れた。これは効いた。次の日に首の筋が腫れるかと思ったが、なんとか大丈夫であった。強烈な一発だったので、触ったら今でもかなり痛い。
 今回の出来事はまったくの予想外であった。判断能力もないぐらい強い幻覚妄想状態であったらわかるが、まったくノーマークの患者さんで、ふだんの診察では穏やかであった。なかなか精神的に安定しないので、周りの関係者の方がうるさいぐらいであった。先ほどの覚醒剤の患者さんでもそうであるが、いくらきれても木のイスで頭を叩き割る所まではいかず、途中で止める。興奮しすぎて抑えきれず、一発殴ってしまう人もいるかもしれないが、ふつうは一発殴った後で止める。以前にも書いているように、私は大学時代は柔道部に所属していた。毎年夏休みは深草の警察学校で合宿していた。警察学校の人と練習したり、時には機動隊の人とも練習していた。私は根性なしで柔道は卒業するまで弱かったが、試合中に左肘が脱臼したり、締め技で何回も落とされたり、いろいろな経験はしている。うんざりするほど畳には叩きつけられているので、ちょっとやそっとの暴力ではめげない。しかし、今回患者さんの暴力が予想できなかったことについてはめげた。それと、何のためらいもなく、無抵抗の主治医を殴り続ける患者さんについても、違和感を覚えた。いとも簡単に垣根を越えてしまい、これまで私が築いてきた患者観を見事にひっくり返してくれた。私が面倒を見てくれなかったら、他の医者は誰も面倒をみてくれないということが、何の担保にもなっていないのである。
 昔、ヤクザの世界では臆病と思われるほど用心深くて慎重な親分ほど生き残っていると、本で読んだことがある。まだ駆け出しの若い者が出刃包丁をかまえてヤクザの親分に向かってきた時に、「やれるものならやってみろ」と啖呵を切った親分ほど、刺し殺されている。私も状況を見て判断しているが、簡単に脅しに屈するのもしゃくである。ぎりぎりのところでやりとりし、これまで危機的状況は何度も乗り越えてきた。カンボジアで強盗に襲われ、頭に銃をつきつけられたとこの日記で何回も書いているが、この時にもそれなりに冷静に状況判断はしている。この仕事をやって30年目になるので、ベテランだと変な自信をつけてきたが、今回の出来事はそれこそ私の人生観を変えるほどショックな出来事であった。人間というのは、自分が体験した経験からしか、新しい人生観を導き出せない。ある意味で、この患者さんは私にいい経験をさせてくれたと思う。もし、今回のようなことを経験しなかったら、こういう患者さんがいることを想定外として、そのままこれからも対応して行ってしまっただろう。暴力の程度にもよるが、暴力を振るわれた場合には、次回からの診察は拒否する診療所も多い。この患者さんには、次回暴力を振るった時には、もう2度と診察しないと伝えたが、どうなることであろうか。今回、診察中に患者さんに殴られている姿は、子どもだけには見せたくないとつくづく思った。

平成20年7月1日(火)

 先週の木曜日は、梅田まで映画を見に行った。この映画はずっと待っていたが、なかなか京都では上映されそうもなかった。大阪までわざわざ映画を見に行ったのは、「ゆきゆきて、神軍」以来である。題名は、クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」である。この日記でも何回も書いているが、この監督の前の作品である「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は私のお気に入りである。今回も犯罪組織を扱った映画で、舞台はロンドンのロシアン・マフィアである。NHKの沸騰都市ロンドンを見ていたら、ロンドンが外国人投資家を受け入れ、いつの間にか世界の金融センターになっていたのには驚いた。今やロンドンの総人口の4割が外国人である。私の息子はサッカーが好きなので、いつもつきあわされて衛星放送の試合を見ているが、イギリスのサッカークラブにも外国人オーナーが進出している。プレミアムリーグのチェルシーのオーナーが、ロシア人である。ロンドンに住むロシア人も増えて、一大勢力となっている。今回インターネットで調べてみたら、ロシアからイギリスに進出しているのはユダヤ系ロシア人で、プーチンとの対立も取りざたされていた。
 こんな背景のロンドンで、ロシア人社会の裏の世界を握るマフィアの実態が描かれている。貧しいロシアの村からだまされてロンドンに送られて来た少女がマフィアのボスにレイプされ、子どもを身ごもって売店で倒れる。救急車が呼ばれ、運ばれた先の病院で少女は赤ん坊を産み、そのまま亡くなる。少女の身元はわからず、唯一残された手がかりは、少女がロシア語でマフィアの実態を克明に綴っていた日記であった。その後の展開については見てのお楽しみであるが、全編ある種の緊張感に包まれ、話が進む。イタリアとも米国とも違うロシアン・マフィアのやり方がここでは紹介されている。サウナでの血生臭い暴力シーンもあるが、銃は使用せず、これもロシア式(正確には対立するチェチェン式)なのかよくわからない。私は映画俳優については詳しくないが、病院の看護師役がナオミ・ワッツとは全く気づかなかった。もっと驚いたのは、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」の時の主人公と今度の映画の主人公が同じ役者だったことである。この日記を書くためにインターネットで調べてみて、初めて知った。前回の少しやぼったい印象から、今回は別人のようにスーツで決め、サングラスをかけるとやたらとかっこいい。最後の終わり方が尻切れトンボみたいで、もうひとつであったが、京都に来たら1度見てみる価値はある。「ノーカントリー」がだめな人はこの映画もだめである。
 土曜日の夜は、京都第一赤十字病院の病診連携や製薬会社主催の研究会など4つの用事が重なっていた。しかし、この日は前から約束していた京都市内で開業している大学の同級生の集まりに出席した。全部で5人来ていたが、ふだんは会うことのない同級生だったので、楽しく過ごすことができた。場所はフレンチ料理の店で、久しぶりに本格的な洋食を食べた。味はそれなりに美味しかったが、私はふだんはワインは飲まないので、ワインについてはよくわからなかった。本当は最初からビールを飲みたかったが、これは控えた。フォークとナイフはふだんは極力使わないようにしているので、食べるのが少し面倒であった。ホテルなどでは適当に切り分けて、箸を使って食べたりしている。1番はやっている先生は、ポルシェなど外国の高級車を持っている。毎晩9時頃まで外来をやっているというので、仕事はそれなりに大変である。子どもを関西の私立大学医学部に入れている先生に聞いたが、やはり授業料は6年で3千万円だという。私は酔っぱらうとしゃべり過ぎるので、家に帰ってから少し反省した。酔っぱらうと、注がれるままにワインを飲んでしまい、翌日はずっと二日酔いであった。ワインも沢山飲むと、ラム酒に劣らず強烈である。久しぶりに、酒を飲むのはもうやめようと思うほど気分も落ち込んだ。
 ガソリンが値上がり、野菜やパンなどもどんどんと値上がりしている。今の若い人は正社員になっても最初から給料は低く、何年勤めても微々たる給料しか上がらない。私は日本の高度成長期に生まれ育っているが、昔は女性は専業主婦が大半であった。どういうことかというと、夫が普通に会社に勤めていたら、女性は働かなくても食べていけたのである。その分、夫は亭主関白で、社会は男尊女卑で、女性も働きたくても働く場所がなかった。今は夫の給料だけで食べていくのは不可能で、共稼ぎをしないと経済的に安定した結婚生活は望めない。子どもが生まれても、いつまでも家で専業主婦をしているゆとりもない。今のお年寄りは戦争を体験しているので、若い頃は大変な苦労をしていると思うが、それでも高度成長期に働くことができ、全体で見たら今の若い人より、夢も希望もある人生を過ごしてきたと思う。実際に70歳以上のお年寄りの患者さんに年金の額を聞くと、厚生年金の場合は結婚している今の若い正社員の給与よりいい。日本の個人の貯蓄額は桁外れに多いのは有名であるが、その額の大半をお年寄りが占めているのも事実である。日本は800兆円以上の借金を抱え、少なくても団塊の世代が亡くなるまでのこれから30年はどんどんと少子高齢化が進んでいく。今は物価も上がり、タイミングも悪いが、どう考えても、消費税は上げざるをえない状況である。マスコミは戦時中に、戦争翼賛記事を書き、戦後強く非難されている。このまま、マスコミが大衆に迎合して消費税率引き上げに反対して問題を先送りしていたら、再び将来日本はにっちもさっちも行かなくなる。結局マスコミも、今の若い人が日本の将来を担う時に、非現実的な消費税率引き上げ反対翼賛記事を書いていたということで、再び強く非難される時が来るだろう。

 

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