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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成20年6月24日(火)

 先週の木曜日は、藤森神社にアジサイの写真を撮りに行った。いつも第3週の木曜日の午後は介護保険の審査会がはいっているが、今回は交代で休みであった。雨が降りそうな天気で、傘をもっていくかどうか迷ったが、荷物になるので持って行かなかった。去年は宇治の三室戸寺までアジサイの写真を撮りに行ったが、敷地が広く、蓮の花も咲いていたので、写真の撮りがいがあった。ただ、観光客が多くて、少し広い範囲を撮ろうと思うと、どうしても人がはいってしまった。私の医院から藤森神社は比較的近いので、前回の日記で書いたオリンパスのカメラを持って出かけた。京阪で墨染まで行き、帰りは一駅手前の藤森まで歩いて帰るつもりであった。入場料は3百円取られたが、2ヶ所のアジサイ園にはいれる。それほど観光客はいないので、ゆっくりと写真は撮れた。しかし、広大な敷地一面アジサイが咲いている三室戸寺と比べたら、遙かに規模は小さい。あまり気合いを入れず、お散歩カメラぐらいで行くのがふさわしい。アジサイの花は誰が撮ってもきれいに撮れるので、被写体としてはあまり面白くない。完璧な花を見つけて撮るか、背景を上手に入れて撮るぐらいである。プロの人が撮ったらそれなりに撮れるのかもしれないが、カタツムリや虫が葉の先に乗っているぐらいではつまらない。私はこらえ性がないので、写真のテクニックを磨く前に、ついつい被写体の珍しさを求めて、海外に出かけてしまう。カメラは一眼レフとしては最軽量であるが、長いこと右手で持っていたら、それなりに重く感じてきた。首や肩からぶら下げるのはあまり好きではないので、ハンドストラップを使っているが、ずっと持ち続けているとけっこう握力がいる。これからは、ハンドグリップを使って握力を鍛え直さなければいけない。コンパクト・デジカメのように接写はできにくいので、花を画面一杯に写すことはできない。まだパソコンのディスプレーで細部を拡大して比較していないが、一眼レフの方が背景はぼけやすいのは確かである。これからは、このカメラを持ってあちこちに出かけ、早く身体とカメラがなじむように撮りまくろうと思う。
 土曜日の夜は、京都精神神経科診療所協会の集まりがあった。精神科の開業は増え続け、現在は京都府では72件になっている。ほとんどが、京都市とその周辺である。講演会の講師は産業医大の教授で、演題はうつ病の異種性についてであった。前にも書いたように、今話題になっているうつ病の病名の広がりや自殺者数の増加について講演してくれた。このことについては、中島聡「心の傷は言ったもん勝ち」(新潮新書)と関係してくるので、この本の紹介とともに、最後に述べる。懇親会では、久しぶりに同級生の女医さんと話をした。摂食障害の患者さんなどを診ているので、それなりに大変である。私より診察している患者さんは少ないが、手間暇がかかるので、新患の患者さんは断ったりしているという。精神科の開業医はどこもはやっているが、やはり、誰に聞いても、患者さんの話ばかり朝から晩まで聞いているとストレスはたまってくるようである。私は勤務医から開業して収入は大幅に増えたが、この女医さんは少し増えた程度だという。もともと内科出身の心療内科医なので、テナントを借りたり、看護師さんを雇ったりすると、経費はばかにならないようである。
 最近医療者向けのホームページで、医療再生についての話が話題になっている。慶応大学と虎ノ門病院の先生が討論しているが、今は医療だけでなく、教育をはじめ様々な分野でお金が足りないという。防衛費や公共事業を削って、医療費に当てればいいという話もあるが、公共事業が削減され、建設業は9年間で就業者が126万人減少したという。防衛費も諸外国と比べて、決して高くないという。実際に孫請けの建築関係の仕事をしている患者さんを何人か診ているが、経済的には本当に悲惨である。これまで公共事業が地方の社会保障をしていたのは事実である。ムダを削れば社会保障、医療を再建できるという耳障りのいい話は、夢物語に過ぎないようである。欧米の市民社会とは違う、日本独自の庶民社会の無責任さについても述べている。いい医療を受けたいが、お金は出したくないとか、文句を言うのが庶民の役割で、不満を言えば言うほど社会にとっていいことだと考えており、マスコミも同様だという。結局、低負担・高福祉はどう考えても無理な話で、EU(欧州連合)では「消費税は15%未満」の国は加盟できないことも紹介されている。
 しかし、医療崩壊や勤務医の過酷な状況を訴えても、片方ではベンツに乗っている開業医もいて、なかなか国民の理解を得られないのも事実である。私も開業して収入が増えたと書いているが、開業医は儲けすぎという意見もある。病院の医師でも開業医でも医療行為については細かく保険点数で決められていて、原則的には同じである。どうして病院だけが赤字になりやすいかというと、病院の建築費用や設備投資、大型の検査機器、看護師さんなどの人件費などがとんでもなくかかるからである。開業医の保険点数を減らして、勤務医の保険点数を上げろという考えもあるが、同じ医療行為をして、値段が異なるのもおかしい。私ぐらいの年代だったら、そこら辺の勤務医よりまだベテランだという自負もある。結局、病院の場合は入院費などを上げるしかないと思うが、財源はないのである。公的な病院の給料は安いと私も書いているが、それでも当直料などを入れたら、ほとんどの40歳ぐらいの医者は年収が1千万円を超えているだろう。前回紹介した、高橋洋一「さらば財務省!」(講談社)を読むと、40代後半の官僚の給与が同じ1千万円ぐらいだという。ただ、医者の場合は勤務先が変わると、退職金は上積みされない。私もあまりここでは書けないが、医療費のムダもたくさんあると思う。
 さて、中島聡「心の傷は言ったもん勝ち」(新潮新書)である。私は開業して8年目になるが、最近患者さんを診察していても、疲れやすくなっている。単なる年をとったせいばかりではなく、患者さんの質も変わってきているような気がする。この本では、最近の世の中の風潮を厳しく断罪しているが、内容は必ずしも同じ精神科医として同調できるものではない。国の財源については素人なので判断能力はないが、精神科の問題については専門なので詳しく論じることができる。朝青龍の問題についても、朝青龍の思うように周りが振り回されただけで、朝青龍は精神的に弱かったと断じている。適応障害という「病人アイデンティ」を与えることに対しても疑問を呈している。この本の中で、休職の診断書を求めてきた教員に対して、診断書を書くのを断った例が載っているが、私だったら書いていただろう。セクハラや理不尽な医療訴訟についても書いているが、反論もある。「傷ついたの万能性」についても述べていて、実際にそう思うこともあるが、ここに出ている例は不適切だと思う。被害者帝国主義についても書いているが、最後まで私とは考え方が合わなかった。逃避的動機がある時には疾病利得を与えることになるのはよくわかるが、単なる診断書の拒否ではなく、もっと洗練された説得力のある方法を教えて欲しかった。この本についてもっと詳しく書きたかったが、午後からヘルパー養成講座の講義があり、遅くなってしまった。もう8時を過ぎたので、きょうはこの辺で終わりにする。

平成20年6月17日(火)

 この前の木曜日は日本心身医学会に出席するために、伊丹から飛行機で札幌まで行ってきた。伊丹の空港までは京都駅の八条口からバスで行くのが1番であるが、朝のラッシュ時と重なるので、JR、阪急、モノレールと乗り継いだ。(後から患者さんに聞いたら、阪急は省けたようである) 朝7時に家を出たが、新千歳空港からまたJR,地下鉄と乗り継いで、学会の会場に着いたのはちょうど正午であった。事前登録をしていたので、参加証はあらかじめ自宅に届いていた。受付で、実際に参加しているかどうかチェックするのかと思ったら、参加証に名前を書いて胸につけたらいいだけであった。何のチェックもなく、わざわざ北海道に出てこなくても、事前登録だけで参加したことになってしまうのである。関連学会ということで、日本精神神経学会の専門医の点数も加算できるようになっていたが、専門医のカードを持って行くのを忘れてしまったので、これも加算できなかった。外来を休診にして、せっかく北海道まで出てきたのに、専門医の更新のための点数稼ぎにはあまり意味がなかった。
 学会の内容としては、やはり精神神経学会の方が面白い。会場をすぐ後にして、最初の予定通り、小樽まで行った。実は、前にも書いたように、一眼レフのデジカメは重すぎるので、これまでコンパクト・デジカメしか使ってこなかった。しかし、どうしても欲しいという気持ちを抑えることができなくて、最近この旅行に合わせて一眼レフを買ってしまった。性欲についてはかろうじて抑えることができるようになったが、物欲には時々負けてしまう。カメラは、オリンパスのE-420である。手ぶれ補正はついていないが、話題の25mmのパンケーキレンズをつけると、それほど苦にならない大きさと重さになる。お散歩カメラにはぴったりである。JRで小樽の2つ手前の小樽築港に2時頃に着き、ガイドブックに出ていた魚料理の店に行った。メニューを見ると、うに・あわび・いくら丼が3千5百円である。ここは奮発してこの丼を注文し、生ビールも頼んだ。月曜から土曜まで外来をしているので、患者さんの診察がないというのは、こんな楽なことかとしみじみと思った。料理は美味しく、外は快晴であった。海岸沿いに、カメラを持って小樽駅まで歩いて行った。青空が広がり、海の色も澄んできれいであった。やはり、ファインダーを覗いて写真が撮れるのはいい。コンパクト・デジカメの液晶は屋外では見にくく、手ぶれもしやすい。途中から観光客の多い通りに入ったが、外国人の客が意外に多かった。私はあまり土産物は買わないが、今回はビールやラム酒を飲むための器を買うつもりであった。小樽を代表するガラスショップで、気に入ったグラスを2つ買った。私はバカラみたいな重めの重厚なのは嫌いで、比較的軽いのを選んだ。
 こんなことをしていたらもう3時半過ぎで、4時過ぎの小樽駅発の快速エアポートまであまり時間がなくなってしまった。小樽運河に行き、倉庫群の写真を撮りに行こうかと迷ったが、間に合いそうにもなかったので今回はあきらめた。そのまま小樽駅まで行き、新千歳空港まで快速エアポートに乗った。ここから1時間10分で、飛行機が出発する35分前に空港に着く。国内線は搭乗手続きを出発10分前までにしたらいい。後は帰るだけなので、列車の中でまたビールを飲んでいた。そろそろ空港に着くかという時に、急に列車が3つ手前の駅で止まった。どうしたのかと思ったら、すこし先の場所で人身事故が起こったという。列車には快速エアポートと名前がついているぐらいで、ほとんどの乗客は空港行きである。飛行機の時間もあるので、みんな一斉に降りて駅を出ようとしたが、タクシーもバスもないという。また列車に戻り、動くのを待っていたが、なかなか動かない。こういう場合は飛行機が待ってくれるか心配になった。東京ぐらいだったら、新幹線に乗り換えてもいいが、ここは北海道である。次の日は外来があるので、何が何でも帰らなければならない。夜行列車を使ったらいいのか、最悪の場合を想定していろいろ考えてみた。遠すぎて、一晩中タクシーを走らせても間に合わないだろう。
 結局、5時50分の出発には間に合わず、6時10分頃に空港に着いた。カウンターで聞いたら、飛行機は定刻通り出発したという。航空会社も事故があったのは把握していたが、待ってくれないのである。どうしてこんなことを書くかというと、海外では搭乗手続きをしても、出発ゲートになかなか来ない人がいる。こういう場合は出発時間がかなり遅れても、飛行機はその乗客を待っているのである。心臓がドキドキであったが、まだ他の便があり、神戸行きか関空行きに乗り換えが可能であった。2つとも7時前後の出発であったが、関空行きにした。最後の便の場合はこんな時にはどうするのかと思った。待ってくれなかったら、3日間走り続けて戻るしかない。人身事故といっても、JRには責任はないので、台風や暴風雨みたいな扱いになるのか。実は、昔1度沖縄にダイビングに行った時に台風に遭い、運航が中止になってその日に帰ってこれなかったことがある。この時には民間の精神病院に勤めていた時で、1日遅れてもなんとか融通がきいた。勤務医の時には、なかなか休みが取れないこともあり、海外から深夜便で帰って、そのまま朝の外来をしたこともある。海外では、飛行機の乗り遅れや運航の中止に遭遇したことはないが、ぎりぎりの予定で旅行しているので、もしそんなことになったら泳いで帰ってくるしかない。今回の事故では、同じ航空会社が他の便に振り替えてくれたが、もし帰れなかったら、どこがどこまで補償してくれるのかよくわからない。この前のタイ航空の現地でのロスト・バゲージは、結局航空会社が100ドル払うことで決着がついた。こういう場合は本社の決済を仰がないといけないみたいで、東南アジアの航空会社は総じてお金に関してはしぶい。日本に帰ってくる飛行機でロスト・バゲージになった場合は、いくら荷物が遅れても補償の対象にならない。
 なんとかその日に帰れることがわかったので、ほっとして空港でお土産を買った。私はプリンに凝っているので、美味しそうなのを選んだ。関空には夜9時過ぎに着いたが、特急はるかはこの時間には1時間に1本しか出ていない。京都駅には10時45分頃に着いたが、はるかも10分ほど遅れ、本当に疲れきってしまった。今回の旅行は前半はるんるんだったが、後半はうんざりだった。私は日本人同士だと人見知りしてしまうので、外国ばかり旅行しているが、北海道は知床にも行ってみたいと思った。夜10時を過ぎると、京都駅付近ではまともな夕食がとれない。昼食は豪華であったが、結局この日の夕食は駅構内の立ち食いそばであった。
 さて、前回書いた、日本医師会から送られてきた医療施策シンポジウムの冊子、「脱格差社会と医療のあり方」である。ここでは前回にも書いたように、小泉政権が進めた新自由主義的政策については批判的である。しかし、日本経済の底割れを防いだことは評価している。日本はアメリカと並んで低負担低福祉の国であり、低負担高福祉は誰が考えても夢物語である。ドイツやフランスは高負担高福祉に近く、現実的にはわが国には中負担中福祉の道しか残されていないようである。800兆円の借金についても、国外に借金していないので、国の破綻にはつながらないという意見もある。この辺のことについては、高橋洋一「さらば財務省!」(講談社)に詳しい。著者は、東大理学部数学科を卒業し、たまたま受けた公務員上級試験で、2年に1人ぐらい採用する、変わった経歴の変人枠で当時の大蔵省に採用されている。著者は数学科卒なので、計数に強く、自分で数式をたてて、他の大蔵官僚ができない郵貯に関する金利の計算も簡単にまとめてしまう。小泉内閣の竹中平蔵のもとで、郵政民営化などの一連の改革を手伝っている。この本の副題は、官僚すべてを敵にした男の告白である。官僚主導の政策立案が実現されるように、審議会を最大限に利用することも暴露されている。著者はすべて自分で計算して検証してみないと気がすまず、猪瀬直樹の相談に乗って、国交省の数千本もある路線ごとの将来需要予測方程式の誤りを指摘している。郵政民営化に対しての財務省のスタンスは、消極的賛成であったという。郵政民営化は関係省庁の役人に関与させると骨抜きになるので、竹中チームだけで諮問会議の民間議員ペーパーとしてまとめようとしたという。反対派が持ち出してきたのは、システムの構築が間に合わないということだった。郵政公社総裁が小泉総理に3年も5年もかかると直談判してしまったという。この解決のための事務方を著者は引き受け、できないの一点ばりの郵政システムに携わる80人のSE(システム・エンジニア)を相手していく。そして、システム構築に必要な期間は1年半とまた計算するが、できるはずがないとマスコミや反対派から総攻撃される。民営化の手順も、これまでのように特殊会社にして最後に民営化する方法では、見直し法案が提出され、公社に戻されてしまう危険があったので、著者は郵貯と簡保は簡単には後戻りできない商法会社にするように提言して、実現させている。他にも、埋蔵金のことが詳しく書かれ、特別会計で重要なのは、負債を超える資産があるか否かであるという。キャッシュフロー分析というレーダー探査で調べると、大半の特別会計で剰余金が生じていることが判明している。年金は強烈な債務超過になっているが、埋蔵金候補の総額は50兆円にも上るという。日本の財政危機も、純債務で考えると、財政危機ではないということになるらしいが、詳しいことはこの本に書かれている。総選挙で小泉政権が圧勝したので、郵政民営化が実現した。その功罪については私には判断能力がないが、この本を読んで、日本の大きなシステムを変えるには、何か奇跡的なことが起こらない限りほとんど不可能なことがよくわかった。

平成20年6月10日(火)

 先週の木曜日は介護認定審査会があった。私がこの4月から合議体長になったので、司会をしなければならない。ふだんは時間がないので、毎回その日の朝6時に医院に出てきて、あらかじめ30人の資料に目を通している。2年の任期であるが、来年は誰か代わって欲しい。せっかく朝早く出てくるなら、中国語の勉強とかもっと他のことに時間を費やしたい。こういう医師会の仕事は最初から引き受けないという先生もいるが、みんな平等に交代すべきである。東山区は少子高齢化で人口も減り、最近は開業する先生はいなかったが、最近また少し増えてきた。前にも書いたが、私が開業する時は、他の医師会だと入会金が300万円もする所があったが、東山医師会は格安で60万円であった。祇園あたりで開業しても患者さんを集めるのは大変であるが、三条京阪あたりだと繁華街で交通の便もいい。私が気になるのはやはり同業者の開業である。三条京阪には精神科が2軒あったが、最近1軒開業し、計3軒になった。もう1軒開業するという話があったが、その後どうなったかわからない。私は精神科の開業については、交通の便利のいい所は将来は過当競争になるだろうと思って、競争相手の少なさそうな京都第一赤十字病院の近くにした。ところが、最近私の医院の近くでも精神科を開業したいという先生が出てきた。この件もその後どうなったかのかわからないが、その先生が借りたいと言っていたテナントはまだ募集中の看板が出たままである。こんな所で開業するより、宇治の大久保あたりで開業するのが正解だと思うが、なぜか市内で開業する先生が多い。今はあまり危機感がないが、私の医院の近くで開業する同業者が2軒も3軒も出てきたら、内心心穏やかでなくなるだろう。新規開業の先生が増えることは悪いことばかりではなく、来年は医師会の仕事を交代してもらおうかと考えたりしている。
 この日は介護認定審査会が終わった後に、京都みなみ会館に「いのちの食べかた」を見に行った。この映画についてはまったく知らなかったが、「トゥヤーの結婚」を見に行った時に劇場で知った。ドキュメンタリー映画であるが、パンフレットには、「大反響を呼び、各地で繰り返し上映された」と書いてあった。他にも上映予定の映画の案内が載っていたが、自分好みの映画を見つけるは至難の業である。しかし、一見地味なドキュメンタリーが各地で何回も上映されていたというのは、それなりに評価されている証拠である。映画は何の解説もなく、淡々と鳥や豚、牛の屠殺場面から工場内で食肉になるまで、映像が映し出され、野菜や植物の収穫場面も交互に出てくる。ふだん自分たちが口にしている鶏肉1つでも、雛から鶏になるまで大量生産されている。このドイツ・オーストリアのドキュメンタリー映画の映像は我々を圧倒してくれる。体育館より広いスペース一杯の雛の群れや機械的に工場で解体されていく鶏の姿が次から次へと映し出されていく。自動車工場のようにオートメーション化され、要所要所に人が配置され、これ以上の効率がないぐらい無駄な手間はそぎ落とされ、食肉が作られていく。この映画を見ていて、昔どこかで読んだ食肉業者の話を思い出した。食肉をただ作るだけなら、牛や豚の足や目や耳はいらず、ただ肉だけが育ったらいいのである。将来はバイオテクノロジーを使って、栄養を送る内臓とそれを動かす脳と心臓だけの牛や豚を作るのが、究極の効率を極めた生産方法になるかもしれない。
 土曜日は京都市国際交流会館でカウンセリング・デイがあり、これは府医師会の仕事である。2時から5時までの拘束で、その後相談者についての話し合いがあり、これまでは1時間近くかかっていたのが、今回は30分で終わった。相談者がいない間は時間があるので、最近京都府保険医協会から送られてきたシンポジウムの抄録集を読んでいた。題名は「STOP地域医療崩壊ーいま開業医に何ができるか」である。医療崩壊と言われても、正直言って、自分の医院が崩壊にならない限りあまり危機感がないのも事実である。この前の日本精神神経学会でも話題になっていたが、精神科の開業はどこも沢山の患者さんを抱え、大繁盛しているが、いつまでも続かないということであった。開業している精神科医はみんな内心こんな時代はいつまでも続かないと思っているが、恩恵を受けれる時には恩恵を受けていたい。私は開業して土日も関係なく忙しいが、日赤の部長の時と比べて、収入は実質的には手取りで3倍ぐらいになった。将来はだめになっても、今は15年分の収入を5年間で得られるので、蓄えられる時には蓄えておこうと小市民的に思ってしまう。それでも、医療崩壊について今何が問題になっているのか、全体を把握しておくことは必要である。基調講演はTVや雑誌でも有名な本田宏氏である。私と卒業年度は同じであるが、私は1浪しているので、私より1歳若い。抄録集では、京都が人口あたりの医師数が全国で1番多いと述べられ、世界一高齢化しているのに世界では人口あたりの医師数は63位だという。この医師数も引退した人の分まではいっているという。イギリスではサッチャーが前回にも書いたように、新自由主義で医療費を抑制して英国の医療を崩壊させ、がんの手術も何ヶ月待ちとなったという。ブレア首相になって、医療費を上げ、医学部の定員を5割増やしている。日本の公共事業がG7の中で日本以外のG6の合計より多かった時期もあるのに、医療費がG7で最低であることも指摘している。
 少し前に日本医師会から送られてきた医療政策シンポジウムの冊子、「脱格差社会と医療のあり方」もついでに読んでみた。医療・福祉について、東大経済学部教授などが討論しているが、前から書いているワーキング・プアの問題にもかかわることで、内容的には充実している。日本医師会が自分たちの利益誘導のために、都合のいいことばかり書いているかと思ったら、社会保障や福祉政策についてわかりやすく説明している。医師会の会員でまだ読んでいない人は是非とも読んで欲しいと思う。このシンポジウムでは、小泉政権が進めた新自由主義的政策については批判的である。しかし、今読み始めている、高橋洋一「さらば財務省!」(講談社)によると、この前国会で成立した公務員制度改革は小泉政権が進めていたことである。新自由主義は悪であると、簡単に決めつけられない部分もあり、この辺のことについてはこの本を読んでから自分の考えをまとめたい。今回はこの医師会から送られてきた冊子の内容だけでもわかりやすくまとめたかったが、きょうの午後は東山区のこころのふれあい交流サロンの実行委員会があり、その後で歯科に行っていたので、更新が遅くなってしまった。もう夕方7時になったので、きょうはこの辺で終わりにする。

平成20年6月3日(火)

 5月29日の木曜日から土曜日までは、東京で日本精神神経学会の総会があった。専門医の更新のため、点数を稼げる時に稼いでおかないと、後で苦労する。精神神経学会の方は5年間に総会に2回参加したら、何とか更新のための点数は集められる。しかし、日本心身医学会の方が大変である。外来が忙しいので、ついつい学会の参加を怠っていたら、まだ1点も集めていないのに、残りの期間が少なくなってきた。これからは地方会にも参加して、本気で点数を集めなければならない。この2つの学会の総会は5月、6月と重なるので、あまり外来を休まないように、どちらかに重点を置かないといけない。来年の精神神経学会の総会は神戸であるので、来年についてはなんとかなりそうである。
 木曜の外来が終わってから、すぐに東京に行くつもりであったが、医師会から頼まれていた委員会に参加しなければならなかった。この委員会は今年度からで、国の仕事に関係してくる。あまり公表はしない方がいいと説明を受けたので、どんな内容かについてはここでは控える。私は医師会からの代表ということで、他にも弁護士会などの代表が参加していた。それなりに勉強にはなったが、任命書を見ると、期間が書いていない。私は前の先生から頼まれて断れなかったが、私がやめる時には私も次の人を見つけないといけないことになる。そんなに回数は多くないが、ちりも積もれば山となる。今週の土曜日に京都市国際交流会館でまたカウンセリング・デイがある。年に4回だけであるが、いろいろな用事がはいっていると、いつも土日がつぶれているような錯覚に陥る。この委員会は2時から5時近くまであった。医院に帰って、東京に行く用意をしていたら、新幹線に乗るのは7時過ぎになってしまった。ホテルの予約はしていたが、一応学会の会場の確認とホテルの場所だけは確かめなければならない。東京の地下鉄の地図も探してみたが見つからず、あわててパソコンでダウンロードして印刷した。新幹線の中ではビールを飲み、ウォークマンに録りためていた「たかじんのそこまで言って委員会」などを見ていた。ホテルには夜10時近くに着いたが、この日はそのまますぐに寝た。
 翌朝は早く起きるつもりであったが、セットを間違えたのかホテルの目覚ましが鳴らず、寝過ごしてしまった。翌日は直接モーニングコールを頼むことした。朝食がセットになっている宿泊プランで、あわてて和食セットをとった。いつもホテルの朝食はバイキングをとっているが、和食専門店の和食セットもよかった。この日は1日学会の講演会やシンポジウムに参加していた。精神神経学会は本当に久しぶりの参加であったが、専門医制度が始まったばかりなので、会場は沢山の人でごったがえしていた。広い会場でも、大勢の立ち見が出るぐらいであった。興味のあるシンポジウムは録音したかったが、撮影、録音は禁止となっていた。狭いイスにぎゅうぎゅう詰めで座り、3時間以上も聞き続けるのは無理がある。膝の上でのメモもしづらい。デジカメでスライドを撮っている人がいたが、録音ぐらいは許可して欲しいと思った。日常の臨床に役立つことばかりが取り上げられていたので、勉強になった。統合失調症の患者さんについては、もう知りつくしているような気になっていたが、参考になることも多かった。たまたま、最近私の医院に若い初発の患者さんが何人か受診したが、思うように回復してくれないと、こちらも焦ってくる。私は学会では荷物になるのであまり本は買わないが、明日からでも実践で役に立ちそうな統合失調症の薬物療法の本があったので、早速買った。
 ホテルに帰ったのは、7時過ぎであった。新聞を読んだり、調べ物をしたりしてゆっくりしていたら、もう8時であった。実は、この日の夜は予定を入れていた。写真誌か何か読んでいる時に、たまたま文字だけが並んでいるページの中にある名前を見つけた。こんなページはふつうはさっと読み飛ばしてしまうのだが、渋谷で上映されている映画のことが簡単に紹介されていた。題名は「ジョイ・ディヴィジョン」である。ジョイ・ディヴィジョンなんていっても、誰も知らないと思うが、1970年代後半のイギリスのロック・バンドである。このグループが解散になってニュー・オーダーが結成され、「ブルー・マンデイ」という曲は知っている人はいるかもしれない。ジョイ・ディヴィジョンのボーカリストがイアン・カーティスで、1980年に自殺している。アーント・サリーという日本のバンドでボーカリストのフューが「天才なんて誰でもなれる。鉄道自殺、すればいいだけ」と歌っていたが、今の時代は自殺しても誰も驚かない。そんなに強い思い入れのあるバンドではなかったが、京都では「アンノウン・プレジャー」のLPレコードは私が輸入盤で1番早く手に入れたと思っている。この名前に反応したのは、年齢を重ねて、あの時代にもう1度帰って、自分を確かめたくなったからかもしれない。映画は寂れた当時のマンチェスターが映し出され、元のバンドメンバーの証言とともに、当時の演奏などが映し出されていく。実際に演奏している場面は短く、インタビューの場面が多すぎるような気もした。私はあまりロック・バンドのドキュメンタリーは見ないが、ジャニス・ジョップリンの「ジャニス」はインタビューといい演奏といいよくできた映画であった。この映画でジョイ・ディヴィジョンという名前は、ナチス将校の慰安所の名前から取られたことを初めて知った。夜9時過ぎからの上映であったが、7割ぐらいの客がはいっており、私と同年代の人は誰もいなかった。実は、自殺したイアン・カーティスと私は3歳しか違わない。若い人が大勢見に来ていて、意味不明であるが、これなら日本の将来も明るいと思った。
 翌日もあまりにも美味しかったので、同じ和食専門店で朝食をとった。ふだんは朝食も昼食もダイエット・クッキーなどでカロリーコントロールしているので、たった2泊3日の旅行でも太りそうである。この日は朝からうつ病のシンポジウムに出ていたが、立ち見が大勢出るぐらい大盛況であった。ここでも話題になっていたが、昔だったら野坂昭如が歌うように「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」と悩んでいたようなことで、すぐに精神科を受診する人が多くなってきたという。若い人に、自己愛的で他罰的なうつ病が増えていることや遊びなどでは元気に過ごし、自分のいやな時だけうつになる選択的うつについてもふれていた。やたらとうつ病と診断してまう、アメリカの診断手引きであるDSMについても批判が多かった。確かに若い人は本来なら人生についての悩み事を自分で抱えて苦悩しなければならないが、すぐに持ちこたえられず身体症状として出してしまう。中には臨床で扱うレベルでないと判断し、治療が必要ないという先生もいるようである。しかし、実際に患者さんが困って来院する分については精神科医としても対応せざるをえない。一方では、自殺者が増えていることに対して、早期にうつ病を発見しなければならないという議論もある。本来の必要な人を救っていないという考えもあるが、自殺が必ずしもうつ病の悪化の結果生じるというわけでもなさそうである。特に、ネットを通じての集団心中や硫化水素ガスでの自殺を見ると、こういう人たちにとっては日常の生活の中で生と死が表裏一体になり、ちょっとしたことで簡単にひっくり返ってしまうような印象を受ける。過激な先生方の討論があり、有意義でとても面白いシンポジウムであった。今回の学会は入場と退場の時間で点数が決められ、2日間で充分に点数を稼いだので、午後から帰った。この学会には、総合病院に勤めていて、仕事が終わってから深夜バスで来ている先生もいた。
 日曜日に京都新聞を読んでいたら、京都府立大学の先生が貧困や生活苦を解決する方法として、ベーシック・インカム(基本所得)について紹介していた。財源確保のため、所得税率を一律50%にしたら、すべての個人に対し、最低生活に必要な所得を無条件に一律給付できるという構想である。実はこのベーシック・インカムについては、私も最近知った。前回紹介した、門倉貴史「官製不況」(光文社新書)にこのあたりのことが詳しく解説されている。この本ではGDP(国内総生産)が米国に次いで2位のわが国が、国民1人当たりのGDPは18位と先進国の中では最下位のグループにはいったことに対して警鐘を鳴らしている。著者は、年々成長力が弱まっていく日本経済に対して、政策当局の危機意識のなさを非難している。日本は規制緩和を進めないので、海外の投資マネーも日本に流入せず、日本株の低迷が続いているという。私も著者の主張がどこまで正しいのか判断能力はないが、サブプライム問題を始め、現在の社会経済の考え方を素人にもわかりやすく解説している。BRICsという言葉は聞いたことはあるかもしれないが、次勢力のVISTAも出てくる。(VはベトナムでIはインドネシアで後は推測して下さい) モノラインやデッカプリング論についても、専門知識がなくてもわかるように書かれている。
 ここでは、貧困やワーキングプアをめぐる経済の考え方について簡単に紹介する。まず始めに、新自由主義である。新自由主義というのは、小さな政府と規制緩和で、企業などに市場で自由に競争させれば、経済がうまくまわっていくという考えである。競争の結果、勝者と敗者が出てきて格差社会が生まれるが、一時的な現象で、トリクルダウン効果が出て、所得格差や資産格差が徐々に縮小するという。トリクルダウン効果というのは、豊かな人たちが消費すると、あたかも水滴がしたたるように、そのおちこぼれによって貧しい人たちも潤う効果のことである。著者はこの効果についてはまやかしだと非難している。格差社会をなくすための各国の取り組みも紹介している。ワークフェアとは、福祉を給付するにあたって、受給者に対して一定の就労を義務づけ、必要なスキルを身につけさせていく福祉政策のことである。米国ではワークフェアのプログラムの問題などで失敗に終わり、スウェーデンでは成功している。英国ではブレア政権の間に増大したワーキングプアが大幅に減少した。どういう方法を取ったかというと、最低賃金を年々上げていき、教育改革や職業訓練制度の導入を行い、若年層の職業能力を高めた。その結果、多くの人たちが意欲的に労働市場に参入するようになったという。次に京都新聞でも出ていたベーシック・インカムの考え方である。働こうと働かなくても、国民は誰でも最低限の生活を保障される。財源は働いている人の所得からの税金である。将来のための貯金をする必要がないので、消費にお金がまわり、生活のために強盗、売春、違法ドラッグの密売などの犯罪に手を染めなくてすむと書いている。しかし、犯罪を犯してでも贅沢したい人もいるだろう。ベーシック・インカムの考えを発展させたベーシック・キャピタルでは、誰でも成人に達したら一律に同額の資産が給付されるという。
 学会の帰りに、新幹線の中でニューズウイークを読んでいたら、原油の値段がこのままどんどん上がっていったら、輸送コストがかさむので、米国などは中国からの輸入は割が合わず、人件費はかかってもメキシコなどに生産拠点を移すようになると書いてあった。日本は中国は近いので、まだましである。海外旅行も近場が主になるという。医療崩壊や高齢者の医療負担が大騒ぎになっているが、これらの問題を考える時に世界を含めたマクロ経済からの視点も必要かもしれない。

平成20年5月27日(火)

 この日記はいつも朝5時に起きて、6時から医院に出てきて書いているが、きょうは寝過ごしてしまった。5時半に起きて、あわてて出てきたが、なかなか書く気が起こらない。自分のホームページを開いて、過去の日記を読んでいたら、時間ばかりがどんどんと過ぎていく。こういう時にはあまり書く材料もなく、1回ぐらいお休みしたい気分である。これまでも、パソコンの前に座って、白いテキストがなかなか埋まらないと、そのまま失踪したいと思ったことは何回もある。それでも、毎回こんな危機をなんとか乗り越えて、今まで1度も休んだことはない。まとまった文章を書くのは、気分が乗らないと苦行である。いつもこの日記を書いていて気づいたが、最初の出だしがうまくいくと、次から次へと新しい文章がわき出てくる。最初の出だしを失敗すると、次の文章のすべりが悪くなり、すぐに行き詰まってしまう。自分の頭の中にある源泉に、うまいこと最初の文章がつながると、ストローで吸い出すように途切れることなくアイデアが湧き出てくる。たまたま思いついた最初の文章が、まだ言葉になっていない私の頭の中にある何かを上手に刺激してくれる。しかし、最初からこういう文章にヒットすることは、滅多にない。
 先週の土曜日は、夕食後一人でまた映画を見に行った。題名は「ランボー 最後の戦場」である。最初は全く見に行くつもりはなかったが、たまたま読んでいた雑誌2誌で戦闘シーンが迫力あると書いてあったので、興味をそそられた。久御山のイオンシネマに車で行ったが、この夜は土砂降り雨であった。観客は少ないかと思っていたら、夜9時20分からの上映で、ほぼ満員であった。ジャスコのカードを見せたが、レイト・ショーということで千円であった。舞台は軍事政権下のミャンマーで、ストーリーの展開はシンプルである。自分が船でミャンマーに送り届けたNPOのメンバーを米国が送り込んだ傭兵とともに助けに行くと話である。都会でのギャング同士の戦いと違って、ミャンマーの奥地ということで、河の景色など私好みである。戦闘シーンは確かに迫力があり、腕や足が地雷や爆弾などでリアルに飛び散る。最後は悪者を皆殺しにして、気分がすっきりしたかというと、すっきりはするが、少し複雑な気持ちになる。手足が飛び散るシーンがあまりにも多くてリアル過ぎ、これまで見てきた戦闘シーンとは明らかに違う。血が飛び散るのを見て喜んでいるように思われるので、素直にすっきりしたとは言い難いのである。それでも、余り期待せずに行った割には、面白かった。
 11時過ぎに自宅に帰ってきて、夕食で控えていたビールを飲んだ。月曜日から土曜日まで毎日外来があるので、ゆっくりできるのは土曜日の夜ぐらいである。なかなか眠る気にはなれず、そのまま以前に録りためていたDVDを見た。去年のキネマ旬報で日本映画の第2位にはいっていた「天然コケッコー」である。美しい海が出てくるので、舞台は沖縄かと思って見ていたら、関西弁が出てくる。後で調べてみたら、場所は島根県の浜田である。年を取ると、だんだんと感性が鈍くなってくる。異性についても、ちょっとやそっとでは驚かない。インターネットでもAVでも何でも見れる時代になったし、ありとあらゆることがお金さえ払えばできるようになった。私の医院にも風俗の女の子が来るが、みんなそれなりにきれいである。話が変わるが、この前の日記で、生活保護のことを書いたが、生活が苦しくて、風俗や水商売にはいってしまう人は大勢いる。最後はみんなぼろぼろになってしまうが、一方では親と同居はしたくないと言って、若いのに簡単に生活保護を受けてしまう人もいる。離婚して子どもを抱え、風俗でなんとか生活費を稼ぎ、最後は体調を崩して生活保護を受ける人もいるが、こういう人はこれまで頑張ってきた努力賞として、生活保護を受けるのは仕方ないかもしれない。複雑な家庭で生まれ、生活するために風俗にはいり苦労している女の子を見ると、同じ若さでいとも簡単に生活保護を受けてしまう人とのギャップに驚き、何がセーフティネットなのかますますわからなくなってしまう。
 さて、話が大幅に横道にそれてしまったので、感性の話に戻る。中学生から高校生になる時の女の子の淡い恋心が、都会を離れた田舎の学校を舞台に展開する。たまたまTVで息子が見ていた「ごくせん」をちらっと見たが、ここでもテーマはこの年代の恋心であった。映画では、都会とは違う田舎の屈託のない女の子の姿が生き生きと描かれ、面白かった。しかし、私の中の青春の感性が刺激されたかというとそうでもない。特に失恋や辛い別れで終わっているわけでないので、この時代の淡い切ない気持ちが刺激されなかっただけかもしれない。私の娘や息子がちょうどこの年代なので、異性との交流はこの映画のように、いきなり肉体からはいるのではなく、プラトニックからはいって欲しいと思う。見終わったら、もう2時を過ぎており、ビールもたらふく飲んだ。
 翌日の日曜日は9時過ぎに起きたが、この日は京都市の休日待機番であった。新規の自立支援の診断書を書きに医院に出たが、今回は4件である。どんどんと新しい自立支援の診断書が増えていくが、この自立支援の診断書をどこまで書くかは、生活保護の適応をどこまでするのかと変わらない部分もある。拡大解釈したら、私の医院に来る患者さんは全員自立支援の対象になってしまう。私は「抑うつ神経症」という病名をよくつけるが、この病名は神経症とついているので、一般的には自立支援の適応にはならないと解釈してしまう。しかし、国際分類のICD-10では気分障害に属し、気分変調症に含まれてしまう。毎月山のような診断書を書くのが大変なので反対するわけではないが、何もかも自立支援医療になってしまうのは疑問である。本来は統合失調症や躁うつ病などの重い精神障害者に対して行っていた医療支援が、軽い不眠や気分の落ち込みまでも拡大解釈で適応になってしまう。ここでも何回も書いているが、一家の大黒柱ががんに倒れても、何の医療支援もない。内科でももっと大変な病気が山ほどあるが、医療支援が受けられる病気は本のわずかである。財政的にもそのうち立ち行かなくなってしまうと思うが、将来は本来必要な人までも削られるのは避けなければならない。今でも適応範囲が広くなりすぎて、手厚い保護が必要な人の分まで薄まってしまっている。こういう時に弱者を切り捨てるのかという反対運動が必ず起こるが、必要のない人のムダな医療支援は中止すべきである。この日は、他にも今月の職員の給与計算をし、会計事務所に送る4月分の資料をまとめていた。
 きょうは午後から前に書いていた成年後見をする認知症患者さんの診察をする予定であったが、本人が診察を拒否し、中止になってしまった。ヘルパー派遣をしているケア・サービスの人に連れてきてもらうつもりであったが、また予定を組み直さなければならない。代わりに往診をするつもりであったが、これも拒否である。法律事務所にまた連絡しなければならないが、鑑定書が遅れることについてはいい言い訳にはなるかもしれない。そのおかげで、この日記もきょうも書き続けることができた。今、門倉貴史「官製不況」(光文社新書)を読んでいるが、最初の部分では構造改革が遅れて、外国人投資家から日本は見放されているようなことを書いている。しかし、新自由主義を批判し、ワーキングプアについても言及している。まだ最後まで読んでいないので、結論がわからないが、次回の日記で取り上げようと思う。官製不況というのは、政策当局による適切な対応の遅れによる不況ということである。筆者は空港への外資導入規制に対しても反対の立場をとっている。政策当局がどんどんと規制緩和を推し進めないので、日本が不況になっているという主張である。納得できる部分もあれば、疑問符がつく部分もある。これだけ世の中が複雑になって解決しなければならないことが山積してくると、私も考えるのが面倒になって、すべてお上が何とかしてくれるだろうと他力本願になってくる。

平成20年5月20日(火)

 今年は学会に参加して専門医や認定医の更新のために、点数を集めなければならない。いつも直前になって詳しいことを調べるが、日本心身医学会は札幌であるので、往復の飛行機だけは確保しなければならない。行く日は6月12日で、この日は朝出発して夜に帰ってくるつもりである。今はインターネットでホテルから飛行機まで予約できる。国内線の飛行機は滅多に乗ることはないのでのんびりとしていたが、予約した日がちょうど1ヶ月前であった。行きの安い席はすでに売り切れており、もう少し早く申し込んでおいたらよかった。今月末に東京で日本精神神経学会があるが、この時には外来を2日休むので、6月に休めるのは1日だけである。たまたま薬屋さんに聞いたら、学会の代理参加を他の先生から頼まれることがあるという。薬屋さんが内科などの先生の代わりに、参加費をもらってその先生の名前で学会に登録するのである。私も以前には後輩などに頼むか何かして代理で参加登録してもらう方法を思いついたが、後で何か問題になった時に困る。特に署名して参加登録する時には、過去にさかのぼって筆跡を調べられたらおしまいである。日帰りの北海道旅行であるが、昼食だけは豪華に楽しもうと思う。
 木曜日はタイ航空にまた電話した。のらりくらりとかわされて、まだ調査中だという。自分がクレーマーになっているつもりはないが、森健/川田茂雄「社長をだせ!って またきたか! 」(宝島社)を思い出した。この本だったと思うが、ファミリーレストランの話が出てきて、食べ物に虫がはいっていてもあまり大した対応をしてくれないことに驚いた。海外をあちこち旅行していると、いろいろなことに出会う。この日記でも何回も書いているが、夜道で頭に銃をつきつけられたこともあるし、バッグを強奪されたこともある。帰りの飛行機に乗るためにタクシーで空港に向かっていたら、高架上でタクシーが故障して立ち往生したり、大渋滞でタクシーが全く進まず、途中から通りがかりのバイクに頼んで、土砂降り雨の中を全身びしょぬれになりながらぎりぎりで空港に着いたこともある。ロストバゲージも1回ぐらいだったら私も運が悪かったとあきらめるが、同じ航空会社で2回も立て続けでは納得できない。確率的に、単なる空港職員の積み忘れとは考えにくい。私が航空会社の人為的ミスと考えていることが起こりうることなのかは、タイ航空に聞いてもはっきりしない。対応している人は一見頼りなさそうに見えるが、クレーム処理係なのでプロである。小さな会社ではないので、私の電話も録音されていると考えた方がいい。のらりくらりと時間切れにするつもりなのか、私の要求を推し量っているのかよくわからないが、また今週の木曜日に電話するつもりである。ロストバゲージになっても、どの航空会社も荷物が届くまでの歯ブラシや着替えを補償するぐらいである。私自身はタイ航空のお得意さんで、今回貯まっていたマイルを調べてみたら、関西空港からプノンペンまでビジネスクラスで無料で往復できるぐらいであった。
 実は、4月28日の外来は連休前ということで、大勢の患者さんが来ていた。この時に1人の女性の患者さんの靴がなくなってしまった。誰かが履き間違えて帰っている。個人情報もあるので、むやみやたらと電話して患者さんに確認するわけにはいかない。中には家族に内緒で来ている人もいる。すぐ後で、間違えて履いて行ってしまったという患者さんから連絡があり、一件落着かと思った。ところが、患者さんが確認すると、この靴ではないという。となると、複数の患者さんが間違えていることになる。クレームが来ているのはこの患者さん1人だけなので、この患者さんの前にいた患者さんを5人ほどピックアップし、女性の患者さんだけ確認してみた。1人だけまだ連絡がつかない人がおり、朝から晩まで電話しても出ない。靴を間違えられた患者さんからは何回も医院に確認の電話があり、本当に困っている。こちらが弁償すると言っても、足の指が悪いのであの靴でないと履けないと言う。今は靴を注文で作っている所もあるので、そこで頼んでもいいと言っているが、あの靴でないとだめだと言う。私の医院で靴を間違えられた患者さんにしたら、何も悪いことはしていない。患者さんはお金が目的ではなく、ただ履き慣れた靴を返して欲しいだけである。私もタイ航空に要求しているのは、お金ではない。死に金は使いたくないが、お金には不自由していない。死ぬほど忙しい中での1日の損失は大きいが、今更時間も取り戻せない。グーグルでロストバゲージを検索してみると、けっこう悲惨なケースも報告されている。ジャンボ機1機が欲しいというのは法外な要求としても、朝と昼の歯ブラシ2本だけでもだめである。
 土曜日は、外来が終わってから見たいと思っていた映画を見に行った。京都で上映しているのは京都みなみ会館だけで、ウィークデイは午前中だけであった。映画館は私の医院からは市バスで10分ちょっとぐらいであるが、時刻表通りになかなかバスが来なかった。映画の題名は「トゥヤーの結婚」である。舞台はモンゴルのようであるが、中国語の字幕が出てきて、どういう関係なのかよくわからなかった。後で調べてみたら、中国の内モンゴル自治区が舞台になっていた。さて、内容であるが、モンゴルの風景がとにかく美しいので、どんな撮り方をしても絵になってしまう。こういう舞台を背景に、トゥヤー1家の話がたんたんと進んでいく。モンゴルの砂漠みたいな風景に原色の鮮やかな衣装が出てきたりして、映像的にも工夫されている。トゥヤーが離婚手続きをすると、あちこちから噂を聞きつけて求婚に来るが、オタクみたいな息子を一家総出で連れてきたりする。どこでも、なかなかいい嫁を見つけるのは大変なようである。トゥヤーの結婚式の時にみんなが歌う歌を聞いて、ホルガー・シューカイのLPレコード「カナクシス」を思い出した。ホルガー・シューカイなんていっても誰も知らないと思うが、ドイツのロックグループ、カンのメンバーで、このLPレコードはベトナム戦争はなやかし頃の1969年に作られている。どういう音楽かというと、遠くベトナムから、ラジオにはいってきたベトナム女性が歌う舟歌に、ホルガー・シューカイがシンセサイザーなどのエレクトロニクスを重ね合わせて作った曲である。私はプログレやアンダーグランドな音楽が好きで、この方面の曲ばかり聞いてきた。しかし、この年になって、昔からずっと歌い継がれてきたこのベトナムの舟歌やモンゴルの結婚式の歌が、心に染み入るようになってきた。京都では1館だけで1日1回の上映である。作品としては名作で誰もあまり見ていないので、密かな優越感を味わいたい人にはお薦めの映画である。
 先週はずっと忙しかった。労働保険の保険料の申請があり、毎年計算するのが面倒である。きのうは労災の判定会議があった。今回は2件だけであったが、資料が分厚く、読むのが大変であった。日曜日は覚悟を決めて、朝5時に起き、6時から医院に出て、自立支援の診断書などを書いていた。医院に着いて、コーヒーはいれず、メールもチェックせず、何も考えず、すぐに机に向かってただひたすら書き続けた。さすがに、昼12時頃にはやらなければならない仕事の目安がついてきて、ほっとした。考えてみたら、朝から6時間かかっていることになる。ちょっとした書かなければならない書類などは、油断をするとどんどんたまっていく。そのまま放っておいた京都家庭裁判所から来ていた成年後見用の鑑定依頼を詳しく見たら、締め切りが6月6日となっている。患者さんは紹介で私の医院にはたった1回しか受診していないが、1人暮らしで認知症も進んでいる。本人と連絡をとるのも大変である。頭部MRIの検査が必要であるが、どうやって検査させたらいいのか考えていたら、気が遠くなってきた。
 さて、延び延びになっていた、大山典宏「生活保護VSワーキングプア」(PHP新書)である。心療内科や精神科をやっていると、患者さんの中に生活保護を受けている人は比較的多い。よくわからないのは、まだ若く、引きこもりみたいなケースで、親と暮らしたくないという理由だけで、生活保護が適応になるケースである。この本では、東京都では自宅の価値が3000万円までは、生活保護が受けられるという。年金をかけてこず、3000万円の自宅を持っていて、子どもが面倒みれないと言ったら、生活保護で住居費を除いた生活費が支給される。親が亡くなったら、この家は親の面倒をみなかった子どものものである。安易に最初から、生活保護を受けたらいいという人もいる。この本でも、4代に渡って生活保護を受けている家族のことが書かれている。本当に必要な人が受けられないのは困るが、先週のSPA!にも、超お気楽「生活保護ライフ」の実態と、記事が特集されているぐらいである。この前に書いた、映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」に出てきた女優志願の女性も、東京に出てきたら、ちょっとした工夫で生活保護が受けられるようになる。1番問題なのは、社会適応能力が低く、人間関係がうまくいかない人である。当然仕事も長続きしないので、生活が困窮してしまう。生活保護を受けていても、すぐにお金を使い果たし、何ヶ月も家賃を滞納する人もいる。こういう人たちを国がすべて面倒見るということなら、福祉国家としてそれなりの財源の確保が必要である。今とは桁違いの所得税や消費税の値上げは避けられない。ワーキング・プアを含め、生活保護を受けやすくするのはかまわないが、すぐに自立できるようなシステムを考えないと、増大する高齢者の医療費どころの騒ぎではない。

平成20年5月13日(火)

 連休の間に深夜便の往復を使ってカンボジアまで旅行してきたが、若い時と違って疲れる。ゴールデンウィークに4連休あるのはありがたいが、その前後の外来は大変である。2日の金曜日は山ほどの患者さんを診察し、夜遅くに夕食をとり、京都駅から10時前のJRに乗って、関空を目指した。関空からは夜中の1時25分発のバンコク行きの飛行機に乗る。バンコクでトランジットをして、プノンペンに着くのは朝の9時過ぎである。カンボジアで2泊3日過ごし、帰りは5日の夜8時過ぎのバンコク行きの飛行機に乗り、バンコクでトランジットして、関空に戻ってくるのは6日の朝7時半である。ふだん睡眠不足の所に、狭い飛行機の座席で往復寝ると、若い時と違って体力的に消耗する。6日の朝に帰ってきた時にはあまり疲れも感じていなかったが、7日の外来はまた大勢患者さんが来ていて、午後からは休む間もなく特別養護老人ホームに行き、その後の夕診も死ぬほど患者さんを診察し、体調が崩れてしまった。この日の最後の患者さんは連休中に状態が不安定になり、40分近く話をしていたら、最後は私の方が息も絶え絶えになってしまった。日曜日ぐらいから体調が戻ってきたが、この旅行も無理があるような気がしてきた。飛行機はビジネスクラスを使うという方法もあるが、ゴールデンウィークはエコノミーでも料金が高い。私の1人旅の原点は放浪なので、ビジネスクラスで往復して高級ホテルに泊まるというのはふさわしくない。家族旅行ではむしろ高級ホテルでゆっくりと過ごしたいし、今月末に精神神経学会が東京であるが、新幹線もグリーンを使いたい。
 上海は日本から近いが、観光地化され過ぎているようで、なかなか行く気がしない。しかし、中国は広いので日本人があまり行かない所も探したらありそうである。中国語を勉強しなければならないが、あれから全く手をつけていない。ラジオ講座の「まいにち中国語」が、「まいせいき中国語」になりそうである。全部で120回あるので、中国5千年の歴史の中で1万2千年は悠久のロマンを感じるかもしれないが、いくらなんでもかかり過ぎである。地方に行ったらあまり英語も通じそうもないので、最低限の中国語がしゃべれないと旅しても面白くない。そんなこともあり、ついつい旅慣れたカンボジアに行ってしまう。サラリーマンがついつい行き慣れた飲み屋に行ってしまうのと同じである。休みの日でも時間があったら朝から晩までパチンコ屋に行ってしまう人がいるが、本質的には私と何も変わらないと思う。私は3日休みが続いたら、家族旅行以外日本でじっとしていることはできない。1日ぐらいだったらごろごろと過ごすこともできるが、連続した休みは強迫的に何かで埋め尽くさないとだめである。放っておいたら、孤独感や倦怠感、空虚感などが果てしなく隙間から忍び込んで来そうである。前回書いていたロストバゲージについては、私の推測が当たっていたかどうかはまだわからず、タイ航空からの回答待ちである。
 土曜日は、前の京都第一赤十字病院院長の葬式に出席してきた。私がお世話になっていた時の院長である。ふつうは心療内科のような弱小の科の部長と日赤みたいな大きな総合病院の院長との接点はあまりないのだが、この院長にはお世話になった。前にも書いたが、私が部長として就任した時に、私の医局とは関係ない他大学の私より年上で卒業年度は下の先生が残っていた。この先生がいろいろとトラブルを起こすので、院長の所には何回も行って、首にするように抗議した。院長も困ったと思うが、そのたびにいろいろと話は聞いてくれた。会場には入りきれないほどの人であふれ、偉い人の弔辞が延々と続いていた。現在の院長は麻酔科出身であるが、外科の先生は手術中にも大声を張り上げる先生も多い中で、いつも穏やかに紳士的に手術していたと弔辞を読んでいたので、納得がいった。ご子息が喪主になっていたが、私と同じ精神科の医局に属している。直接話したことはないが、こういう父親を持つと世話になっている人も多いので、得だと思う。心よりご冥福をお祈りします。
 日曜日は、いつのまにかたまってしまった書類を朝7時前から医院に出て書いていた。なかなかやる気が起こらず、コーヒーを入れたり、インターネットを見たり、机の中を整理したりして、1番書き易い福祉関係の書類から手をつけた。障害年金の診断書と自立支援の診断書と進み、昼前にはまだ山ほど診断書が残っていたが、もう書く気がしなくなった。先月は自立支援の診断書が少なかった分、今月はうんざりするほどある。特別養護老人ホームに行っていると、成年後見用の鑑定書を頼まれることが多く、今1件抱え、もうすぐまた2件来そうである。優雅に海外旅行に行っているように見えるかもしれないが、もういっぱいいっぱいである。午後からは、京都シネマに「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を見に行った。アメリカで石油王になった人物の軌跡をたどった物語である。最初は自分でテントを張って採掘場所を調査したり、採掘場でも床の上で寝て、現場で事故があれば自ら率先してかけつけ、石油まみれになりながら解決している。最後は豪邸に住み、汚れ仕事はせず、指示を出すぐらいになっているが、創業者は誰でも最初は大地を這いつくばって、かけずり回って苦労しているのがよくわかる。会社を大きくするためには、ありとあらゆる手段を使い、誰も信じず、最後には殺人も犯す。殺人は別にしても、巨大な会社を作り上げた人物は多かれ少なかれ似たような心性を持っているのではないかと思わせる内容である。社会的に大成功しても、心安らかになれず、少しも幸福になれないということはよくわかる。なかなかいい映画で、大勢の観客が見に来ていた。
 最後に、この前に予告していた、大山典宏「生活保護VSワーキングプア」(PHP新書)についての感想を書きたかったが、きょうの午後からまた京都市から頼まれて、府立洛南病院に緊急入院になった患者さんの診察に行っていた。生活保護については書きたいことがいろいろあるが、まだ自分の中ではうまく整理できず、書く時間がなくなってしまった。日曜日の夜にNHKスペシャルで、「緊急報告・社会保障が危ない」をやっていたが、この中でも生活保護のことが取り上げられていた。土曜の夜に、コピーしたまま見ている暇のなかった映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を見た。この映画の中で、ボーダーラインというよりも自己愛性人格障害に近い女優志願の女性が出てくる。お金もなく、女優をめざしてまた東京に出てきたら、生活保護の対象になるかどうか考えてみた。次回にこの問題を取り上げて書きたいと思う。

 

平成20年5月6日(火)

 この前の火曜の夜は、1歳年下の妹の旦那がてんぷらが好きだと聞いたので、八坂の専門店に行ってきた。典型的な京都のお座敷で、日本人の観光客でも少し高いかなと思うぐらいの値段であった。インド人の旦那はふだんはサクラメントで忙しいらしく、日本に来たのは今回が初めてであった。異国情緒を日本の歴史的な観光地の京都で、それなりに感じてくれたらと思った。上の妹とインド人の旦那と私の3人で、庭の見えるお座敷で揚げたての天ぷらを楽しんだ。インド人の旦那は気さくな感じで、英語でいろいろと聞くことができた。カースト制度でいうとバラモンの出で、父親は一時外交官をしてロンドンに住んでいたという。私は若い頃は藤原新也の「印度放浪」に憧れて、インドに関する本は手当たりしだい読んでいた時期がある。昔読んだインドの知識が、話をしているうちに、次から次へとわき出てきた。インドの身分制度はヴァルナと言い、カラーを意味する。北朝鮮の身分も、抗日運動に関わっていたとか、在日であったとかで、生まれた時から出自が決まっており、インドのヴァルナのようだと思ったことがある。同和の人々をアウトカーストに例えることが適切なのかわからなったが、日本の差別問題についても話した。妹に言わせると、夫は映画や音楽など文化的なことには興味はなく、社会的なことには関心があるという。広島にも行きたいと言っていたので、ぜひとも行くように勧めた。
 妹はサクラメント市でコンピューターエンジニアとして働いているが、こんなんでよくアメリカに住んでいるなと思うぐらい英語が下手であった。TVドラマなど何の不自由もなく聞けるのかもしれないが、日本人丸出しの英語で、ボキャブラリーも少なかった。私と旦那が話している英語の単語もわからないぐらいである。時々TVなどでアメリカで成功している日本人が、「あまり英語も話せず、知らない単語も多い」と話しているのを聞くが、本当に謙遜ではなく、事実なのがよくわかった。それでも、何の不自由もなく暮らせるのは、英語の底力は身についているからである。私は難しい英語の単語は沢山知っていても、ドラマや映画の英語はほとんど聞き取れない。インド人の旦那が話していたが、妹は日本人の典型で、夫に対して「ノー」と言えず、いつも「I'm thinking〜」と言っていて、最初は何を意味しているのかわからなかったという。私は海外はあちこち行っているので、常に「ノー」とは言えるようになった。海外だけでなく、実は精神科の仕事でも、はっきり「ノー」が言えることが大事である。直接患者さんに「ノー」という必要はないかもしれないが、治療的枠組みの中で、自分ができることとできないことを区別することは大事である。いくら患者さんが不幸で気の毒であっても、自分のできることの範囲内では最大限の努力するが、できないことはできない。どんなに患者さんが不幸になろうとも、できないことに対して必要以上に罪悪感を持たず、てきぱきと処理していけるようになるのが、本当のプロである。
 このてんぷら専門店の後は、京都タワーのスカイラウンジ空に行った。ここは前から来たいと思っていたが、なかなか訪れる機会がなかった。京都の夜景が見渡せ、カップルで来るのが1番いいが、私には一緒に来る相手がいない。生ビール1杯千円であったが、雰囲気があってよかった。私はホステスのいるクラブは嫌いなので、宴会の後などは、こういう所で落ち着いてゆっくりと飲むのがいい。ここでは、インド人の旦那にサイババについて聞いた。一時日本ではサイババ・ブームがあり、TV番組で空中から聖なる灰を出したりしていた。今でもインドで活躍しているのか、わからなかった。サイババに関しては私も何冊も読んだが、青山圭秀「真実のサイババ」は本当に感動してしまうほど、面白かった。空中から時計を取り出したりするのはトリックであっても、言っている内容は非の打ち所のない新しい世界観を示してくれている。ロックカフェのオーナーが全財産を売り払って、サイババに帰依した話は有名であるが、人に教えを請うことと、1人の人物に帰依するのは別である。私はいろいろな人に教えを請うが、1人の人物に帰依するのは無理である。旦那の母親がサイババの熱心な信者だったという。妹夫婦は私のマンションを起点に、あちこち京都観光を楽しんだみたいで、よかったと思う。今度は機会があったらサクラメントに来るように言われたが、なかなか行っている暇がない。
 と、いうわけで、ゴールデンウィークは2日の外来が終わってから、深夜便でまたカンボジアまで行ってきた。帰りも深夜便できょうの朝に帰ってきたので、カンボジアにいたのは実質2泊3日である。家内と子供はまた東京ディズニーランドである。以前に、正月にプノンペンからバンコクでトランジットして関空に帰ってきた時に、機内に預けた手荷物が届かなかったと書いた。このことを英語でロスト・バゲージというが、今回もプノンペンの空港で関空から機内に預けた手荷物が届かなかった。ロスト・バゲージが起こることはよくあり、成田空港では1ヶ月で1つの航空会社で1万個ぐらいあるという。しかし、2泊3日の旅で、現地で荷物が届かないのは困る。ゴールデンウィークだったので、飛行機代もばかにならない。どうして、こんなに立て続けに私の荷物だけが届かないのか、初めはよくわからなかった。偶然にしても、2回重なることなんてあり得ない。前回ロスト・バゲージになった時には、意図的に手荷物の中身が調べられたのではないかと被害妄想になったが、今回は日本からである。カメラもすべて手荷物の中で、いつ届くかもわからない。空港には朝9時過ぎに着いたのに、夜6時過ぎにまた連絡してくれという。仕方ないので、先にホテルにチェックインしたが、本当に荷物が出てくるのかも心配になってきた。どうやって時間を過ごそうとか思い、まだ行ったことのないロシアン・マーケットに行こうと思った。しかし、、突然激しい土砂降り雨となり、行くのはあきらめた。仕方ないので、日本から持って来た、大山典宏「生活保護VSワーキングプア」(PHP新書)を読んでいた。この本はまだ半分ぐらいしか読んでいないが、内容は充実していて、次回には感想を書こうと思う。読書にもあまり身にはいらず、私の荷物は一体どこに行ったのかと気になって仕方なかった。バンコクでトラジットしているが、いろいろと考えているうちに、やっと思い当たることがあった。結局この日は夜8時過ぎに空港まで行って、自分の手荷物を手に入れることができた。空港で、手荷物が届かなかった原因がはっきりしたが、このことについては次回の日記で詳しく書こうと思う。バンコクで空港職員が乗り継ぎ先の便に積み忘れたわけではない。

平成20年4月29日(火)

 この前の日記で、京都で「ノーカントリー」が上映されている所がもうなくなったと書いたが、よく調べてみたらTOHOシネマズ二条でやっていた。ふだんは、家から車で行けるイオンシネマ久御山か京阪で行ける三条のMOVIX京都ぐらいしか行っていなかったので、気づかなかった。私の生活圏からいうと、二条城の近くというのは少し遠いイメージがあり、わざわざ映画を見に行くという感覚はなかった。年に2回の医局の集まりが、二条城の近くのホテルであるが、京都駅から地下鉄を乗り継いで行くと、けっこう手間暇がかかる。最終上映が先週の金曜日だったので、木曜の夜に見に行った。最初は京都駅から地下鉄で行こうかと思ったが、調べてみたらJR二条のすぐそばである。嵯峨野線を使ったら、京都駅からたった6分である。こんなに近かったら、京都駅から地下鉄を乗り継いでMOVIX京都まで行っていたこともあるので、TOHOシネマズ二条にしておいた方が早かった。2つの映画館で上映する封切り映画の内容はほとんど変わりない。京都駅近くの私のマンションは便利である。講演会や研究会の懇親会で飲んだ後は車で帰れないので、いつもここに泊まっている。自宅は丹波橋でも、娘は私の医院の近くの女子高に通い、息子は高槻の中学に通っているので、京都駅がこの3つの場所の中心点となる。私の自宅は狭いので、近い将来子ども達が友だちと遊ぶのにも便利である。
 さて、木曜日は電車の時刻を調べ、早めにマンションを出て、京都駅で夕食のカレーを食べた。ところが、改札をすると、山陰線で特急が停電し、ダイヤが乱れてなかなか電車が出ない。けっこう待たされて、ぎりぎりで映画にはなんとか間に合った。インターネットで予約して行ったが、中にはいると予約はいらないぐらいがらがらであった。夕方6時45分からの上映で、観客は10人ちょっとである。内容はというと、麻薬取引に絡む犯罪映画であるが、私には面白かった。前回の日記でも書いた「デス・プルーフ」も面白かったが、前半が少しだらだらしていた。しかし、この映画は最初からある種の緊張感をはらみ、最後まで破綻なくストーリーが展開していく。今年のアカデミー賞受賞作であるが、私は絶賛したい。アカデミー賞受賞作といっても、「アメリカン・ビューティ」みたいな映画は必ずしも私好みではない。この映画が気に入った人はクローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」もツタヤで借りて見て欲しい。こういうサイコな殺し屋の映画は今ははやらないかもしれない。「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見に行った時にも映画館の中はがらがらで、上映はすぐに打ち切られている。この題名の「ノーカントリー」は、原題では「フォ・オールド・メン」と続く。映画の中で、年老いた警察官が、ずっと昔は、銃を持たずにパトロールしていた時代もあったと語る。
 病んでいるのはアメリカだけではなく、日本も同じだと思う。日本ではこんな派手な犯罪は起こらないかもしれないが、医学の世界だけでも昔とは大分違ってきている。私が医学部を卒業してどこの科を選ぶか決める時に、外科医になったら、母子家庭になると言われていた。手術の後の患者さんの術後管理が大変で、何日も病院に泊まり込んで、家に帰る時間がないからである。それでも患者さんが亡くなっても、患者さんの家族からは一生懸命手を尽くしてくれたということで、感謝されていた。ところが、今は時代が変わって、重い合併症が出たり、ましてや亡くなったりしたら、すぐに訴えられて裁判である。医者としても阿呆くさくてやっていられないとなり、外科医になる医学生はどんどんと少なくなっている。産婦人科医も同じである。最近東京の国立がんセンターの麻酔科医が10人の内5人がやめて、手術に支障をきたしていると話題になった。ここの年収は800万円で、フリーの麻酔科医になったらこの3倍以上は稼げ、中には年5000万円以上稼いでいる麻酔科医も少なくないという。今や、安い給料で、名誉だけで働かせようと思っても無理である。日本のがん治療をリードする最先端の病院で、患者さんのために貢献して欲しいと言ってもだめである。昔は給料が安い分、他の病院にアルバイトに行くなど黙認していたと思うが、今は兼業禁止とかどんどんと規制が厳しくなり、名誉だけでは補えなくなっている。
 日本の行政についても同じである。たかじんのそこまで言って委員会で、田嶋陽子が「安い給料でも、日本のために貢献したいという優秀な官僚がきっと出てくる」と言っていたが、無責任な他力本願の発言である。官僚などの天下りなどを厳しく規制するなら、公務員の給与体系を見直さなければならない。前にも紹介した中野雅至「公務員クビ!論」(朝日新書)でも触れているが、公務員の給与体系は優秀であろうとなかろうとほとんど差がない。日本の将来を担うトップの事務次官でも年収が2300万円で、一開業医の私より低い。キャリア官僚の出世が入省時の成績で決まるとかいろいろ批判がされるが、これはこれでひとつのルールとしては仕方ないかもしれない。大学入試でも、たった1回の試験で将来の人生が決まってしまうのである。優秀な人ばかり集めた時には、何かのルールで序列をつけておかないと、お互いに自己主張ばかりで、命令系統が成り立たなくなる可能性がある。上級公務員に対してどんどんと規制を強めていくのはかまわないが、何かメリットとかインセンティブも残しておかないと、国立がんセンターの麻酔科医のようなことが起こってくるだろう。日本の将来は親方日の丸が何とかしてくれるだろうとノーテンキに考えるのではなく、国民も衆愚政治に陥ることなく、日本の優秀な頭脳がやりがいを持って国のために貢献できるようなシステムが築かれるよう支援しなければならない。各論については誰でも好き放題言えるが、国全体のチェック・アンド・バランスは生やさしいことではないと思う。いくら品行方正でも、これだけ複雑化した国際社会の中で、頭の悪い人にこの国の将来を任せるわけにはいかない。
 先週の金曜日は、私と1つ違いの妹が、インド人の夫を連れてカルフォルニアのサクラメントから来日した。土曜日に池田の妹の所に家族全員で車で行った。夕食は私の両親も連れて、みんなで近くの和食レストランでとった。なかなか両親と会っている暇がなかったが、父親の認知症は進んで、もう私のことはわからなくなっていた。上の妹とインド人の夫は両親の所に泊まっているので、私と息子はこの日は下の妹の所で泊まった。酒を飲みながらネット事業のことも話したが、妹夫婦は私が画期的と考えているようには評価してくれなかった。先週はネット関係に詳しい会社に聞きに行ったが、私の考えているビジネス・モデルをサーバーを使ってやるのは、セキュリティも含めてそれほど難しいことではないということがわかった。詳しいネット事業の内容は話さなかったが、この会社がこれまで関わってきた事業で、ネット・ショッピングで成功している所はあっても、アイデアで成功している所はないという。内容的には社会貢献できることなので、ゴールデン・ウィークが終わってから、細々と始めようかと思っている。最初はボランティアで顧客の意見を聞きながら試行錯誤で始め、ある程度様式が決まってから、範囲を広げていこうと思う。日曜日は、上の妹夫婦を連れて、京都に戻った。妹の旦那は日本が初めてなので、京都駅の私のマンションを明日まで貸せる予定である。せっかく京都まで来たので、きょうの夕食は2人のために祇園の和食料理店を予約した。妹の旦那のインド人とも英語でいろいろしゃべったが、詳しいことについては次回に書こうと思う。

平成20年4月22日(火)

 4月から医療保険の改正があり、1人当たりの患者さんからの医療収入が少し減っている。毎日外来が終わった後で、受付の人がまとめてくれた日計簿を確認し、私が翌日の釣り銭をそろえている。今度の保険改正から、10円玉が足りなくなるようになった。患者さんに渡すお釣りの関係で、これまでは500円玉がすぐなくなっていた。その前の改正では100玉が足りなかった。今回は10円玉である。私の医院では10円玉は毎日50枚そろえておくが、きのうは1枚しか残っていなかった。先週の金曜日は両替をするのを忘れており、土曜日ときのうの月曜日の10円玉をそろえるのが大変だった。コンビニなどで、買い物をしてお釣りの10円玉を集めるのであるが、なかなか思うようには集まらない。店をちょこちょこと変えて買い物をするが、けっこう面倒臭い。家族に総動員をかけるのだが、それでも集まらない。家内とけんかしている時には大変である。こういう時には家内にあまり頼みたくないので、娘と息子に声をかけるのであるが、3枚しか集まらない時もある。私の医院から歩いて1分もかからない所に信用金庫がある。しかし、いつも外来が終わった後で、翌日の釣り銭の小銭が足りないことに気づく。最近は金融機関で両替するのにもお金がかかる。この信用金庫では、49枚までは無料で、50枚〜100枚までは手数料として100円かかる。101枚〜1000枚までは200円である。500円玉の時には手数料がかからないように、1回48枚までにしていた。さて、10円玉である。今回も48枚まで両替したら手数料がかからないと思って、1000円札を持って行った。自動両替機に1000円札を入れて、48枚両替しようと思ったら、50枚からである。よく考えたら、お釣りの20円も10円玉なので、50枚両替することになる。こんなことなら、100枚両替したらよかっが、1000円札1枚しか持っていなかったので、手数料の100円の持ち合わせがない。結局、500円を10円玉に両替するのに、100円手数料がかかってしまった。きのうは、どうせ手数料がかかるならと思って、一時に1000枚両替するように受付の人に頼んだが、自動両替機は最大750枚までらしく、400円手数料がかかっている。窓口で頼んだら、200円でいけたのだろう。家族には、10円玉を集めるように言っているが、1日50枚近くも無理である。海外で両替に多少の手数料はかかるのは仕方ないと思うが、500円で100円も手数料がかかるのは論外としても、1万円で400円かかるのも高いと思う。
 この前の週末は久しぶりにゆっくりとできた。きのうの月曜日はいつものように労災の判定会議があったが、2件だけだったので、あらかじめ読んでおく資料も少なかった。1件は弁護士がついていたので、裁判になるかもしれない。こういう時には、医学的見解の文言には神経を使う。つまらない所で上げ足をとられないように気をつけなければならない。裁判になった時には、この医学的見解の一部を後から訂正したくても訂正できず、この見解に沿って主張を繰り広げていかなければならない。土曜日の夜に息子がTVで「ごくせん」を見ていたので、私も一緒についつい最後まで見てしまった。ふだん時間がないのでドラマを見ることはないが、けっこう面白かった。精神科医としても、いろいろとコメントできる番組である。昔神戸で当直の時にマンガで読んでいた、新田たつおの「静かなるドン」を思い出した。アマゾンで調べてみたら、まだこのコミック・シリーズは続いているようである。
 日曜日は家でレンタルDVDから録りためていた映画を久しぶりに見た。題名はタランティーノ監督の「デス・プルーフ」である。デス・プルーフというのは、主人公の元スタントマンが乗っている車の仕様がそうで、死から守るとか死を防ぐというような意味である。ウォーター・プルーフが水から守るとなって防水となるのと同じである。私は画像安定装置を通してダビングしているが、後半の字幕がなぜか消えていた。英語の口語なので、何を言っているのかさっぱりわからなかったが、後半はカーチェイスなどのアクションが多かったので、なんとか最後まで見れた。前半はだらだらと酒場の中での話が続いて、もうひとつであったが、途中から段々と面白くなってきた。前半はこの元スタントマンが若い女の子の集団をつけ狙い、自らも大けがをしながら、このスタント用の車で女の子が乗っている車に真正面から体当たりして全員殺してしまうという話である。その後けがが回復して、また別の女の子の集団をつけ狙う。ふつうに考えたら、今度は何かちょっとした偶然が作用して、うまくいかなくなると予想できるが、その後の展開は見てからのお楽しみである。本当は「ノーカントリー」を映画館まで見に行きたかったが、いつのまにか終わっていた。
 タランティーノ監督の作品ははずれがないので、私は好きである。作品だけでなく、使われている音楽も私好みである。この映画でも、昔のロックが何曲も流れていた。最後の字幕が出てくる時に使われている曲を聞いていて、どこかで聞いた曲だと思った。ここでも何回も書いているように、私は若い時には筋金入りのロック少年であった。20年以上年前の曲なのですぐにわからなかったが、ベルギーのハネムーン・キラーズが歌っていた曲であることを思い出した。フランス語で曲は同じでも、ハネムーン・キラーズの方がもっと攻撃的であった。今でもこのLPレコードは持っているが、今回曲名まで確認していない。映画を見ていて、ロックの曲が流れている時があるが、ほとんどの人は誰の曲かわからないだろう。ヴィム・ヴェンダース監督の作品に「ベルリン・天使の詩」がある。この映画の中で、ロックのライブをしている場面が出てくる。この時のボーカルがニック・ケイブで、ザ・バッドシーズを率いる前に在籍していたバースデイ・パーティのLPレコードを私は持っている。古い映画になるが、「クロコダイル・ダンディー2」ではイギー・ポップの曲が効果的に使われていた。イギー・ポップは当時でもおっさん臭い感じがしていて、上半身裸で踊りまくっていた。最近になってTVで江頭2:50を見ると、このイギー・ポップを思い出してしょうがない。私の患者さんの中にELPが好きな人がいて、珍しいELPの映像や曲をコピーして持って来てくれ、いつも恐縮している。
 さて、ネット事業である。前回紹介した、村形聡「日本一やさしい会社の設立と運営の学校」(ナツメ社)を読み、やる気満々になっている。司法書士に何を相談したらいいかも、大体わかった。資本金をいくらにするかとか取締役と監査役を誰に頼むかも考えたが、肝心のネット事業にいくらかかるのかよくわからない。誰かネット事業に専門的詳しい人はいないかと思う。医者と同じで、コンピューターに詳しいだけではだめである。医者でも、専門分野が違ったら、あまり素人と変わりない。がんに関しては、実際に罹っている患者さんの方が私よりも詳しい。資本金については、家を買い換えるのを控えて、その分をまわそうと思っている。会社を立ち上げるのは大変そうで、最初は小規模でやっていこうと考えている。今週は途中まで読んで中断していた、マダム・ホー「世界一愚かなお金持ち、日本人」(ディスカバー携書)を読み終えた。著者は日本人でアメリカで華僑の夫と知り合い、不動産で財をなしている。お金は貯金するものでなく、お金に働かせるという主張はこの種の本に共通であるが、不動産で成功したノウハウより、各国の融資の基準が面白かった。日本の銀行は「誰の紹介か」「日本のメインバンクはどこか」を基準にし、中国の銀行は契約書はあまり当てにせず、人相をみて信用できるかどうか見分けるという。中国人は人を基本的に信用していないので、ブランド、会社名、紹介者に対して、日本人ほど関心を示さない。アメリカでの信用は、貯金残高や現金での買い物ではなく、クレジットでの返済実績が信用を育てるという。友情とビジネスは別とも書いてあり、これからビジネスをやっていこうと思っている者には参考になることが書かれている。

平成20年4月15日(火)

 この前の火曜日は妹の旦那の法律事務所に行ってきた。淀屋橋だったので、京阪で七条からそのまま特急で行けた。結局、この日は外来が忙しくてビジネスモデルは書いている暇がなかったので、電車の中で原稿を書いていた。法律事務所はオフィス街にあり、大きなビルの中にテナントとして入っていた。妹の旦那の部屋(だと思うが)は立派な机が置いてあり、スーツを着て座っていると、いかにも法律事務所という感じがして、医院とはだいぶ雰囲気が違う。妹の旦那はこの法律事務所に雇われていて、自分が引き受けてきた仕事は自分の収入になる。すぐに弁理士の人が来て、別の部屋で3人で話した。私のビジネスアイデアを話したが、結局単なるビジネスアイデアを守る法律は何もないということであった。たとえば、インターネットでショッピングモールを作るというビジネスモデルは誰の許可も得ず始めることができる。それに伴うコンピューターのシステムの開発で何か新しい技術などは特許が取れる。アマゾンの本の注文でワンクリックがあるが、これは特許を取っているという。ここでの話し合いで、特許などについての考え方が大体つかめたが、何か技術やデザインと結びつかないビジネスモデルは法律では保護されないということである。家に帰って読んでいる暇のなかった、発明学会編「誰でもできる発明・アイデア成功マニュアル」(中央経済社)を開いてみた。アイデアを権利化するには、発明であれば特許出願、デザインのアイデアであれば意匠出願、ネーミングやサービスマークであれば商標出願と手続きが異なると書いてある。
 こうなると、早く会社を立ち上げた者が勝ちとなる。私の考えているビジネスモデルは、ネット事業であるが、セカンドライフみたいに特別な技術開発はいらない。既存のコンピューター技術で充分である。医療ビジネスとはまったく関係ないが、比較的顧客も集めやすい。会社を立ち上げるためには今度は司法書士の人に相談しなければならない。しかし、その前に今何をしたらいいのか大まかな情報の収集と必要な物を整理をしなければならない。アイデアを思いついた時に買っておいた、村形聡「日本一やさしい会社の設立と運営」(ナツメ社)と会社四季報図解シリーズ「IT・ネット業界地図2008年版」(東洋経済新報社)をまた読み出した。とりあえず、前著をさっと読んで今必要なことを整理をしなければならない。読んでいる暇がなかったり、やる気が起こらなかったりで、なかなか思うように進まない。4月から始めた中国語はその後どうなったかというと、先週は何もできなかった。2週目でもう脱落である。週5日で半年なので、全部でおよそ120回分あることになる。「まいにち中国語」の1回分を「まいとし中国語」にしたら、120年かかることになる。「まいつき中国語」にしても10年になるが、蓮池薫さんの中央大学卒業よりはまだましである。今回はこのままあきらめず、「まいしゅう中国語」にして、半年を5倍にして2年半ぐらいかけて勉強しようと思う。英語の方は、ネットビジネスが成功したら必要になるので、このまま続けるつもりである。勉強といっても、CNNのワールドニュースを毎日30分見るぐらいである。今はジンバブエの大統領選のことが連日報道されている。オバマとクリントンの民主党の指名者争いでも、何を言っているのかまだよく聞き取れず、翌日の京都新聞の記事でそんな応酬があったのかとわかるぐらいである。
 先週の水曜日の夜は、東山神経内科フォーラムがあった。東山医師会の勉強会は、画像診断や内科関係のことが多いので、私は滅多に参加することはない。いつも外来が終わってから始まり、夜8時から9時半までである。しかし、翌日外来があっても、終わるのはたいてい10時頃である。夕食を取りながらの講演会であるが、今回のテーマは認知症である。京都第一赤十字病院の部長が来て話してくれたが、ビデオを使いわかりやすかった。最近は認知症患者さんの受診も増え、1人で来院した人の中には、いくら話を聞いても要領を得ず、神経内科に何をしに来たのかわからない人も多いという。認知症患者さんは最初に頭部MRIなどの検査が必要なので、心療内科や精神科クリニックではあまり診なくなってきている。パニック障害やうつ病の患者さんを診るだけで精一杯なので、認知症についての関心も薄くなってきた。最近、認知症患者さんの問題行動に、漢方の抑肝散が効果的であると知った。最後の質疑応答の時に、詳しいことを聞いてみた。精神科領域ではこういう場合はグラマリールなどを使うが、副作用も出やすい。神経内科領域では今トピックになっているらしく、今度1度試してみようと思う。私がついこの間お世話になった日赤の部長が同じ東山区で開業すると患者さんから聞いた。この会の時に、東山医師会の会長に確認してみたら、他にも何件か新規開業の話が出ているという。
 日曜日には、6月で切れる自立支援医療更新の診断書を全部書き、税理士事務所に送らなければならない資料をまとめていた。今回は忙しくて遅れていた2月分と3月分の両方である。こんなことでも朝7時から始めて 昼12時までかかり、他にもふだんできない細々とした雑用をしていたら、日曜日の大半がつぶれてしまった。きょうの午後から夕方5時までヘルパー養成講座の講師をしなければならないので、きのうの月曜日は午前の外来が終わってから、この日記を書いていた。午後2時半頃に郵便受けに郵便物を取りに行ったら、FAXが何枚か届いていた。コーヒーを飲みながらFAXを読んでいたら、京都府保険医協会からのお知らせがはいっていた。内容は、夜間・早朝加算の届け出の締め切りがこの日になっていた。この4月から標榜診察時間が週30時間以上の診療所では、午後6時以降に診察受付けをすると保険点数の加算がつく。これには届け出が必要であるが、この前の東山医師会の総会では、今月の25日まででいいと聞いていた。私の聞き間違いか、社会保険事務局に確認してみると、やはりこの日が締め切りである。3時半には医院を開けなくてならず、会議などで遅れそうな時には事務の人に鍵を渡しているが、きのうは渡していなかった。時間を見たら、もう2時40分である。とりあえず、事務の人には電話をして、遅れるかもしれないと伝えた。あわてて届け出書類を持って、四条大宮にある社会保険事務局にタクシーを走らせた。着くと、6〜7人ぐらいの人が待っている。廊下の最後尾の椅子に座って待っていたが、なかなか順番が進まない。3時半に医院に戻るのは絶望的である。もう一旦あきらめて医院に戻り、家内に届けてもらうしかないと思ったが、見ているとそのまま事務局の中に入って行く人もいる。中をのぞいてみたら、書類をそのまま受付けの人に渡している。廊下で並んで待っている人は、届け出のことで何か質問がある人らしい。早速書類だけ渡して、なんとか3時半までには医院に帰れた。
 新しいネットビジネスの立ち上げも、中国語の勉強のように延々と遅れそうである。私には会社設立の本を読んでいるよりも、一般の本を読んでいる方が楽しい。今週読んだのは、中野雅至「公務員クビ!論」(朝日新書)である。きのうのようなことがあると、最後までは読めず、まだ3分の2ぐらいしか読んでいない。しかし、内容的には充実していて、久しぶりにお薦めの本である。著者は同志社大学を卒業して奈良県の市役所に勤務し、その後国家公務員T種行政職試験に合格して旧労働省にはいり、県庁の管理職、国の出先機関、東京の本省の4つの経験をしている。日本の官僚は優秀であるが、日本のことより自分たちの省益のことしか考えていないとよく言われている。このセクショナリズムの典型例として、情報通信産業は旧郵政省と旧通産省のどちらの所管になるのかという争いがある。国家や国民の利益のためではなく、この所管争いで官僚は疲れ果ててしまうという。その問題点として、@争いの裁定者がいない Aそのためにやたらと時間がかかる Bなんらかの結論を見た時には革新的なプロジェクトや政策は中途半端なものになっているという。官僚の接待についても、自ら進んで受けている者は少数派だという。わずかな接待で、数千万円の退職金をフイにするのは馬鹿らしいので、著者は利害関係者からの沢山の贈り物を送り返すのに苦労している。本省の課長補佐は政治的案件を処理することが求められ、○○業界の依頼だからということで、便宜をはかるために原則を何らかの形で曲げて処理しなければならないという。著者はキャリア官僚制度は残すべきだと考えているが、私もそう思う。日本を責任を持って実務的にコントロールできる官僚に代わる組織を育てていないのも事実である。キャリア官僚の再就職についても説明しているが、再就職(天下り)は制限されるべきとか、キャリア官僚もハローワークを使って再就職先を見つけろという世間の意見についても反論している。他にもキャリアとノンキャリアの関係についても書いている。旧労働省ではノンキャアリアの力が強く、労働基準局ではノンキャリアが予算を握っていたという。それに対して、経済産業省はキャリアが強く、主導権を握っているという。医療に関係する厚労省では、旧厚生省の現場意識の欠如が指摘されている。旧厚生省は制度を作るだけで、実際に現場で仕事をすることがないため、現場で起こる様々なトラブルなどに無頓着だという。この4月から始まった後期高齢者医療制度の現場のごたごたを見ていると、なんとなくそんな気もしてくる。

平成20年4月8日(火)

 きょうは午後から妹の旦那の法律事務所に行く。私が画期的なネット事業を思いついたとこの日記でも宣言していたが、その後インターネットで調べてみたら、似たようなホームページが2つほどあった。なかなかうまいこといかないものである。しかし、アイデアは似たようなものでも、まだ大事業とはなっていないようである。このビジネスモデルは積極的にいろいろな業界を巻き込まないと、アイデア倒れになる。ただ、ホームページを訪れてくる人を待っているだけではだめである。上手に軌道に乗せたら世界的規模になるが、もうすでに似たようなアイデアが出ていることを知って、気分は急激に盛り下がってしまった。新しいビジネスモデルを保護する法律についてはよく知らないが、すでに登録されているなら、使用料を払ってでもやる価値がある。今はネットのショッピングモールとしては楽天が有名である。当時日本でもネットのショッピングモールというビジネスアイデアは登録されていたのかよくわからない。患者さんの話を聞いていると、似たような店は雨後の竹の子のようにあったらしいが、今では大型ショッピングモールとして楽天だけが生き残っている。
 なかなか風邪が治らない。3月23日の朝に激しい咳が急に止まらなくなり、それから鼻がすりむけるほど鼻水が出た。今は症状は少しは治まっているが、相変わらず身体はだるい。今年の冬は風邪をひかずに行けるものと思って油断していたら、最後にかかってしまった。風邪をひこうと何があろうと、やらなければならない仕事は山ほどある。木曜日は介護認定審査会があり、合議体長として初めて司会をした。この審査会はネクタイもしめず、まだ気楽にやれる。事務局の都合で次の介護認定審査会が1回中止になり、万歳と叫びたくなった。最近うれしいことというのはあまり体験しないが、予定していたこと(あまり楽しくないこと)が中止になると、何か得した気になる。ふだんはいろいろやりたいことがあっても、なかなか思うように時間がとれない。でも、よく考えたら、こんなことしか喜びが見いだせないのかと思う。一般の人だったら、思わぬお金が入ったら万歳と叫びたくなるのだろう。私は金銭的には満たされてしまったので、思わぬ時間が入ると、万歳と叫びたくなる。
 さて、中国語である。「まいにち中国語」はNHKのラジオ放送で、週5日毎日15分勉強したらいいことになっている。私はCDを使って勉強しているが、内容的には15分では無理である。特に最初は、頭の中に中国語の発音を定着させないといけないので、1回1時間ぐらいかけないとだめである。2日目の母音のeの発音の仕方で挫折しそうになったが、なんとか踏みとどまった。それでも、木曜日も金曜日も忙しくて、勉強している暇がなく、日曜日に慌てて残りの分を勉強した。昨日の月曜日の分もまだやっておらず、第2週目でもう風前の灯火である。ラジオの進行とは別にマイペースでやったらいいのかもしれないが、6ヶ月のプログラムが始まったばかりでもうこんなに遅れそうになっている。マイペースにしたら、それこそ一生かかっても終わらないだろう。土日がはいっていないので、遅れた分は土日でカバーして、とにかく6ヶ月は続けようと思う。私はもともと語学は好きなので、新しい言葉を覚えるのは楽しい。夕食後は息子がゲームをした後で居間で勉強しているが、私もその横で中国語を勉強している。子ども達はTVの影響か、2人とも中国嫌いである。私も中国嫌いであったが、いろいろな本を読んで今は少し変わってきている。靖国問題やガス田開発の別の見方については、すでにこの日記でも紹介した。
 今は桜の季節で、リコーのR8を持って、診察の合間を利用してあちこちに撮りに出かけた。大分前から、患者さんから京都女子大学の奥の豊国廟の桜がきれいだと聞いていた。木曜日の介護認定審査会が終わった後で、帰りに早速歩いて寄ってみた。そんなに桜は多くはなかったが、それでも気に入った写真は撮れた。私の医院から歩いて5〜6分の所に剣神社があるが、そこを通り過ぎて奥の所にきれいなしだれ桜がある。患者さんの話によると、円山公園のしだれ桜の兄弟か何かにあたるという。あまり天気がよくなかったので、もう1回別の日に撮りに行った。土曜日には、医院から歩いて10分ほどの鴨川に出かけた。塩小路通とJR線の間の鴨川河川の桜が見事である。ここも撮りに行った時の光線の加減があまりよくなかったので、また日曜日に撮りなおしに行った。いろいろと桜の写真を撮ったが、1番きれいに撮れたのが木屋町の高瀬川であった。日曜日に息子は友だちと遊ぶということで、家内と娘と3人でホテルでランチを取る約束をしていた。私は医院から1人で出かけたが、一応カメラを持って行った。三条京阪から歩いて行ったが、高瀬川にかかる桜がきれいであった。写真としては、こんな繁華街の桜が1番きれいに撮れていた。豊国廟は長い階段を上って1番上まで行って写真を撮ってきたが、その写真より絵になっている。写真というのは残酷である。苦労して努力したらいい写真が撮れるかというと、そうではない。光線の加減や桜の美しさや背景によって、たまたま撮った写真が傑作となってしまう。
 土曜日は、またうつ病の研究会があった。講師の先生がうつ病概念の変遷について話をしてくれた。講演を聴いている時に、いきなり私の携帯電話が鳴った。私は家族以外には携帯電話の番号は知らせていないので、何があったのかと思った。会場を出てかけ直してみたら、息子からであった。夕食の用意をしてみんなで待っているのに、どうしたのかという。先週は東山医師会の総会があり、その時にこの日の研究会のことは家内に知らせていた。家内が忘れていて、私の夕食の分も作ったらしい。講演会の後の情報交換会は精神科の先生ばかりなので、気を使わず楽しく過ごすことができた。この講演会の前に、他科の先生との連携について発表があった。以前に医師会の理事をしていた先生がわかりやすく話してくれたが、懇親会で聞いたら、金曜日の医院の診察が終わった後で、夜中2時頃までかかってパワーポイントでこの原稿を作っていたという。私は前にも書いたように、外来で疲れ切った後は、頭が働かない。きのうは家に帰って、きょう話し合うビジネスモデルについて原稿で書かなければならなかったが、風邪のせいもあって何も書けなかった。仕方ないので、きょうは朝4時に起きて、5時から医院に出てきて、この日記を最初に書いている。ふだんは5時起きで、6時には医院に出てくるようにしているが、少し寝過ごしてしまう日もある。この日記だけは、ふだん朝6時から書き出しても、診察室の掃除をしなければならないので、朝の診察が始まるまでには書ききれない。きょうは外来の患者さんが多かったので、午後1時を過ぎてもまだビジネスモデルの原稿が書けていない。
 最後に、今週読んだ本を簡単に紹介する。山田昌弘 白河桃子「婚活時代」(ディスカバー携書)である。今や結婚するためには、就職活動のように結婚活動が必要であるという。女性は積極的に男性にアタックし、男性は自分を磨けと書いてあり、晩婚化の現在の社会情勢についても分析している。私の患者さんでも、娘さんが40歳近くなるのに結婚しないと嘆いているお母さんはたくさんいる。35歳を過ぎて、結婚紹介所にあわてて通いつめている患者さんもいる。ここでも、結婚紹介所のことがいろいろと出てくる。年齢のいった患者さんの話を聞いていると、条件のいい男性は一緒にすぐに親と同居できるかとか、いろいろ難があるようである。

平成20年4月1日(火)

 きょうからまた新たな年度が始まる。1年に3回自分の人生について反省を促されたり、リセットを差し迫られる。今年に入ってから今回は2回目である。3回というのは、正月と4月と自分の誕生日である。開業してからは、勤務医の時とは違い、新たな年度の始まりは4月ではなく、正月である。所得税の申告が1月から12月までなので、どうしても1年の始まりは1月になってしまう。去年の確定申告の書類を見ていたら、自分の医院以外の収入は税込みでちょうど400万円ぐらいであった。特別養護老人ホームや労働局、大学心理学科、京都市関係などで、すべて医院の仕事の合間にやっている。臨床心理士の養成が自分の大学だけでできるようになったので、今年4月からは心理学科関係の仕事はなくなるが、他の仕事はそのままである。もっとゆっくりしたいが、1度引き受けてしまった仕事はなかなか断れない。
 4月になったからといって、特別な決意もないが、性懲りもなくまた中国語に手を出してしまった。私は東南アジアの国にはあちこち行っているが、唯一手をつけていないのが、中国である。英語だけはまだCNNを見たりして、語学力が低下しないように少しは努力している。しかし、今更英語の勉強をしても、国際ビジネスマンになるわけではないので、実質的にはあまり役に立たない。以前に、年を取ってからフィリピンからきた外国人労働者のヘルパーと英語で話せるぐらいであると書いたが、30年後は中国からの外国人労働者のヘルパーの可能性の方が高い。旅行用のためと30年後に寝たきりになった時のために、中国語を始めることにした。
 さて、教材は何にするかである。これまでに買った中国語の教科書は山ほどあるが、いつでも始められるということはいつまでも始められないということである。なるべく、スケジュールを組んだプログラムがいいので、NHKの語学講座を選んだ。調べてみたら、全くの初心者用で、毎日こつこつと勉強できる最適な番組があった。ラジオ講座の「まいにち中国語」である。月〜金まで毎日15分のプログラムで、半年で終了である。ラジオで録音するのは面倒なので、CDを買った。これを使って毎日15分ぐらい勉強しようと思う。早速きのうは月曜日で始まったが、第1日目は無事終了した。他の中国語の本には浮気せず、とにかく半年はこの講座だけをやり遂げるつもりである。私はiPodではなく、ソニーのウォークマン派なので、早速CDの内容はすべて取り込んだ。初めは、四声である。マーから始まるが、ここまではこれまで挫折せずに来た。発音に関しては最初1ヶ月かけて勉強するということなので、無理のない進行である。北京オリンピックが終わって少し落ち着いたら、本格的に中国を旅行しようと思う。私はこういうこつこつと勉強するの苦手で、通信教育でもこれまでにやり終えたことはない。自分でも自信がないが、今度こそ心を入れ替えてチャレンジしようと思う。
 この前の木曜日は午後からゆっくりしようと思ったが、久しぶりに京都市から警察に保護された人の診察を依頼された。過去に精神科病院に入院歴のある人で、措置入院が必要であるかどうかを判断しなければならない。西京署まで遠かったが、知り合いの保健師さんに頼まれると断りにくい。診察に行っても何も答えてくれない人もいるが、今回の人はしっかりと受け答えしてくれてやりやすかった。前にも書いたが、休日の待機番は月に1回当たり、今月はこの前の日曜日に当たっていた。最近は、休日に呼び出されることは滅多にない。ウィークデイの方がみんな仕事をしているので、精神保健指定医のやりくりが大変かもしれない。風邪がなかなか治らず、外来をこなすだけでせいいっぱいであったが、なるべくこういう京都市の仕事には協力していこうと思う。
 日曜日は午後4時から、東山医師会の定時総会があった。年に1回の総会で、予算などの報告があり、承認をしなければならない。内容的にはセレモニー的な堅苦しい話ばかりで、面白くも何ともない。今年から保健所から委託されていた住民の検診がメタボ検診に変わるので、収益が大幅に減少するという。そのため、来年から東山医師会の会費が2〜3倍に値上がる。メタボ検診については、専門家からも批判が出ているが、本当に医療費の削減につながるのかは疑問である。早期発見と予防はいいが、これ以上長生きさせてどうしようというのか? 頭がぼけて、元気な年寄りばかり増えてしまったら、どうするのだろう。こんな言い方をすると誤解を招くかもしれないが、適当に病気になって死んでもらわないと、若い人も困ると思う。
 総会の後は、食事会で他の科の先生と久しぶりに話ができた。実は新年会の日は会費を払っていたが、すっかり忘れていて参加できなかった。今週の木曜日に介護認定の審査会があるが、新しい年度に変わって、これからは私が合議体長として司会をしなければならない。これまでと違って、30件の資料を隅々まで読んで行かなければならない。同じテーブルに座っていた上の先生に聞いたら、人がいないのでなかなか代わってもらえず、ほぼ指定席になるようである。京都市の精神科関係の仕事はいくらでも協力するが、この介護認定の審査会だけは来年誰かに代わって欲しい。この席でも、ネットビジネスを思いついたことを話した。そうしたら、実用新案特許みたいなことに詳しい先生がいて、弁理士に頼んで申請する方法を教えてもらった。会社を立ち上げることとビジネスアイデアを考えつくことは別で、先に申請したらいいという。妹に聞いてもこのあたりのことははっきりせず、らちがあかなかったが、早速弁護士をしている妹の旦那に電話した。知り合いの弁理士を紹介してくれるということで、来週の火曜日に妹の旦那の法律事務所に行く予定である。きちんと正規の料金は払うが、身内の弁護士の紹介なので安心である。本当に新しいビジネスモデルなのか弁理士が調べるのに数ヶ月かかるという。どんなアイデアかは、今度行くまでに書類にまとめなければならないが、誰かがもう思いついているのではないかと段々と自信がなくなってきた。よく話に出てくるのがカラオケで、最初に考案した時に申請をしていたら、世界中で大流行しているので、大金持ちになっていたという。私の考えついたことも、まだ誰も会社としては始めていないだけで、すでにアイデアだけは登録されているのかもしれない。
 最後に、カメラ好きというより写真好きの私が読んだ、田中長徳「カメラは知的な遊びなのだ。」(アスキー新書)を紹介する。去年の12月に、この人の高い評価でリコーのキャプリオR7を買ってしまったが、最近発売になったばかりのR8をまた買ってしまった。子供は私が写真を撮るといってもいやがるので、古いR7は家内にやった。この春休みに私を除いて家族3人で香川県の金比羅宮に行ったが、しっかりとこのカメラで写真は撮って来ている。デジカメとクラシックカメラについていろいろ書いているが、デジカメは失敗がないので、プロの仕事としてはよく利用するようである。デジカメは容量の少ないメモリーを使うべしとか、それなりに考えさせられることが書いてある。大きなカメラを買っても、重すぎて使わないと思っていたが、オリンパスから軽量の一眼レフが4月半ばに出る。プロの目から見ると、入門機、中級機、ハイエンド機があると、中級機が一番中途半端だという。軽さからいうと、入門機で充分と書いてあるので、ますます欲しくなってくる。桜が満開で、観光客にはあまり知られていない名所をいくつか患者さんから教えてもらった。天気がいいので、このR8を持ってこれから撮りにいくつもりである。

平成20年3月25日(火)
 

 ひどい風邪をひいて調子が悪い。いつもコンタクトレンズをしているが、右目の具合が悪く、赤く充血している。炎症を起こしている可能性が高いので、コンタクトレンズを外して以前に残していたクラビット点眼液とヒアレイン点眼液を目にさした。使用期限を見たら、去年の7月となっている。眼科に行っている暇がないので、とりあえずこれで急場をしのぐことにする。開業当時は抗うつ薬などの点滴をよくしていたが、最近はほとんどやらなくなった。点滴用のアリナミンやビタミン剤なども有効期限があり、期限切れの分を患者さんに使うわけにもいかず、だいぶ前にすべて廃棄にした。前にも書いたが、私の医院は院外処方なので、内服の薬は当初臨時用として最低限の分を用意していた。しかし、実際に外来で緊急用に使ったのは数錠ぐらいであった。これもすべて有効期限が来てしまったが、簡単に廃棄できず、そのまま残したままである。患者さんから以前の古い精神安定剤や抗うつ薬はどのくらい持つのかと時々聞かれる。セルシンの有効期限は5年以上あり、トリプタノールは4年以上あり、ハルシオンが1番短く3年弱である。薬を仕入れた時の箱についている有効期限から計算しているので、製造してからどの位の期間薬の卸会社にストックされていたのかはわからない。この計算でいくと、最低2年ぐらいは大丈夫だと思うが、一時に大量の薬を仕入れている薬局やふだんあまり精神科関係の薬が動かない薬局ではこれよりも有効期限が少なくなっている可能性はある。
 風邪と目の炎症に加え、受付のパートの人が仕事をやめることになったので、求人が必要である。急いでいるので、ハローワークと求人広告の2つに出そうと思っているが、体調が悪いと手続きが面倒である。以前に私の医院で勤めていた人は家庭の事情が落ち着いたので声をかけたが、すでに他の医療機関に勤めていた。今度やめる人が以前に一時やめるという話が出た時には大丈夫であったが、今回はそれぞれの事情があってなかなかタイミングがあわなかった。私の医院は私が労働局で地方労災医員をしていることもあり、労働基準法は守り、パートの人も有給休暇はきちんと取れている。院外処方で、デイ・ケアもやっていないので、保険請求もワン・パターンで他の科より事務処理は楽である。正月や盆前などの忙しい時期を除いて、1人でもこなせるぐらいの仕事量である。常勤の人の年休の確保と、何かあった時の備えのためにもう1人必要なぐらいである。受付の人に望むことは、私には気を使わなくていいので、患者さんだけには気を使って欲しいということである。受付の人の感じが悪いと、いくら私が頑張ってもだめである。今まではパートの人の子供の都合で、出勤時間が遅くなり、診察室と階段は私が掃除していた。最初は面倒臭いと思っていたが、案外慣れてしまうものである。掃除も自分でやっていると、きれいにしているつもりでも見逃している部分に少しずつ気づくようになった。
 先週の火曜日の午後は家内といつもようにランチを取りにいく予定であった。娘はそのまま附属高校に進学するが、前から私が中学の卒業祝いを買ってやると約束していた。服とかではなく、大人になってもこの品物は父親から中学の卒業祝いに買ってもらったと残る物がいい。若い時には次から次へと欲しい物が出てくるので、こんな記念品はすぐに忘れてしまうかもしれないが、私ぐらいの年代になった時にふと手にとって思い出したらいい。前にも宝石について書いた本で紹介したが、何かの記念品はその時その時の思い出を永遠に刻んでくれる。私は長野県の田舎から京都に出てくる時に父親の使っていた電気カミソリをもらったような気がするが、今は何も残っていない。息子にもまだゲームとか消耗品しか買っていないが、中学卒業時には娘と同じようにいつまでも残る物を買ってやるつもりである。私の空き時間と娘の都合がなかなかあわなかったが、この火曜日は娘も春休みにはいったので、一緒にランチを取りに行った。町家を改造した和食店であったが、料理は美味しかった。中学にはいってからは娘と一緒に食事に行ったのは久しぶりであった。今はいろいろなことに興味があるみたいで、何でもチャレンジしたらいいと思っている。私は古文が嫌いで、大学入試も世界史を取ったので、京都の歴史については詳しくない。2人の子供は京都に住んでいるので、京都の歴史については詳しくなってほしい。ランチの後で、家内と娘はデパートで2人だけでゆっくりとアクセサリーを選ぶという。家に帰ってから、気に入ったネックレスを見つけることができたと喜んでいたので、父親としてはうれしかった。
 香山リカ「キレる大人はなぜ増えた」(朝日新書)を読んだが、それぞれの章がわかりやすいタイトルとなっている。見て見ぬふりをしない人とか泣き寝入りしない人とか、キレやすい現代の大人をうまいキーワードで捉えている。親から学校への無理難題も紹介されているが、運動会が雨天中止になったので、遠方から来た祖父母の旅費を返せとか、校則を守るかどうかは生徒の自由、注意するななどが実例として挙げられている。泣き寝入りを許さない人たちや、自己主張をしなければ国際的に生き残れないと自己主張をはき違えているエリートも登場する。最近うつ病の患者さんを診ていても、よくわからない患者さんが増えてきた。この本でも、自己主張する新型うつ病を紹介している。新型うつは、30代うつとも呼ばれ、症状が状況や場面によって変動する。特に仕事に関係した場面ではうつ症状が強くなるが、趣味などのプライベートなどの場面では軽くなる。自責感や罪悪感に乏しいなどに特徴がある。この本の記述だけでは、作者の指摘する新型うつが、ディスチミア親和型のことをさすのかよくわからないところもある。接客業に従事している人はどうしてもストレスがたまるようである。ホステスや風俗の女の子がホストクラブにお金をつぎ込んでしまうのも、何となく理解できる。私はどちらかというと怒りを抑える方である。怒りを感じても、せいぜい車の運転が荒くなったりする程度で、声に出したり行動にうつすこともない。しかし、その分想像の世界では突然切れてしまい、攻撃的になってしまうので、なるべくストレスがたまらないように工夫しなければならない。

平成20年3月18日(火)

 この前の土曜日は、ある製薬会社の後援で、京滋気分障害・不安障害研究会の講演会があった。京都だけの医療関係者を対象にした講演会はよくあるが、滋賀まで含めて合同でする講演会は珍しい。京大、府立医大、滋賀医大の3校の精神科の教授が世話人になっているので、大勢の人が参加していた。講演者は、雅子さんの主治医で有名な慶応義塾大学の教授である。精神科臨床における認知行動療法について話をしてくれたが、それなりに参考にはなった。
 私がうれしかったのは、講演会が終わった後での懇親会(製薬会社が主催なので、今は情報交換会と言わなければならない)で、大勢の滋賀医大の先生と会えたことである。京都にいると、私のような開業医はなかなか滋賀医大の先生と会える機会はない。私の母校の府立医大の先生とはよく会っているし、京大の先生とも最近は診療所協会やこういう講演会でよく会う。このホームページでも私の簡単な履歴書を紹介しているが、私は2年間だけ滋賀医大の精神科にいた時がある。母校で研修を終え、卒後3年目の9月から助手としてお世話になっている。もともと滋賀医大ができた時に、精神科は私の医局の准教授が教授となって行った。当時、助手の席を埋めないと削減されるということで、私が行かされた。それまでに、何人かの先輩の先生が交代していた。この時の私は人格的にも未熟で、滋賀医大の教授が生物学的な研究を志向する人だったので、人生最悪の日々を過ごしていた。現在のように確固たる自己のアイデンティティを確立できていたわけでなく、他の人から最低の評価を受けても仕方のない人間だったと思う。滋賀医大に2年間行った後、大学の医局には戻れず、当時は医局からは常勤としては誰も派遣されていなかった高知の精神科病院に行かされた。完全な都落ちで、この時には人生最大の挫折を味わった。医局ではすぐに他の大学からきた准教授が教授になり、誰が考えても私の医局での再起は不能であった。たとえ京都に戻ることができたとしても、せいぜい誰も行きたがらない病院を転々とするぐらいが関の山であった。
 そんな当時の私の1番悪い所ばかり知っている先生達であったが、20年以上たつと昔のことは忘れて懐かしく話ができた。初代の滋賀医大の精神科教授は府立医大の医局から出ていたが、出身は東大で、他にも阪大の先生がいたり、一時京大の先生も来たりしていた。教授はアメリカの精神疾患の分類と診断の手引きであるDSMーVを初めて日本に導入した先生である。今から考えると、当時は臨床はあまり得意でなかったので、操作的診断法がそれほど抵抗なく受け入れることができたのだろう。典型的な生物学的精神医学を目指していた先生で、その後のことは知らないが、生化学的研究を重んじ、臨床は片手間にやったらいいというぐらいであった。私は阪大の高次研を出た先生のもとで、ラットを使った実験を手伝わされていたが、苦痛以外何でもなかった。液晶クロマトグラフィを使って、ラットの脳内のポリアミンを測定するのだが、いきなりこんなことを手伝わされても、全く興味もなく、理解もできなかった。この先生も強烈な個性の持ち主であった。実験をやり出すと、何週間でも実験室に毛布を持ち込んで寝泊まりして、データを取る。無精ひげを生やし、今度の実験ではいい結果が出なかったと言って、しばらくするとまた懲りずに新しい実験に取り組む。私はラットの世話をしながら、つくづく生化学的研究には向かないと思った。今から考えると、きちんとした教育体制ができておらず、動物実験にはまったく興味がなく、私が不適応を起こしたのも無理もなかった。私は2年で放免となったが、滋賀医大出身の先生は自分の母校に残らざるをえない。現在の滋賀医大の教授は私より後輩になるが、この時に同じように生化学の実験を手伝わされていた。だから、本当に死ぬほどの苦労をして教授になったのは、誰よりも理解しているつもりである。
 それでも、当時の滋賀医大の教授には感謝している。今ではすっかり定着しているDSM診断の日本への導入の現場に立ち会えたし、医学論文を書くことの重要さも教えてもらった。研究至上主義を批判する人の言い分はよくわかるが、大学としては全く医学研究をせず、臨床に専念していたらいいわけではない。生化学や薬理学的研究をしないのであれば、何か臨床研究をしなければならない。私は前回の日記でも書いているが、それなりに1人でこつこつと医学論文は書いてきた。博士号論文を含めて、すべて臨床に関連した論文である。絶体絶命の再起不能から立ち上がれたのも、学会発表と医学論文を書く癖をつけてくれたこの教授のおかげである。労災の裁判で、長文の意見書をそれほど苦労なく書けるのも、文章を書く訓練を徹底的にしてきたからである。当時は私の後輩になる滋賀医大の教授とも久しぶりに話ができた。私がラットの実験でお世話になっていた先生は、今は滋賀県立精神医療センターの所長になり、附属の病院長を兼ねている。行政の枠組みには収まりきらない型破りの先生であったが、話をすると昔と全く変わっていない。この先生は偉ぶるところがないので、私は気楽に話ができる。この時に初めて聞いたが、北九州出身で、現在の厚労大臣である桝添要一が同じ高校で2年後輩だという。他にも、滋賀県の精神科病院の院長になっている先生や開業している先生もいて、本当に楽しく時間を過ごすことができた。自分の子供を何のこねもなく慶応の医学部に入れている先生がいたが、年間授業料は300万円だという。他にも、京阪神の私立医学部に子供を入学させている先生がいて、こちらは年間の授業料は500万円だという。前にも書いたが、私立もいれて医学部の定員7500人の所を、毎年10万人以上の受験者が受験している。こんな時にこそ、他の分野が手薄になるので、医学部を外すのが正しい選択だと思うが、ついつい子供のことを考えて私立医学部の授業料がいくらになるのか聞いてしまう。
 先週は、私の躁になった患者さんが、診察の時に一冊の本を持ってきた。春日武彦「問題は、躁なんです 正常と異常の間」(光文社新書)である。土曜日の昼食時に、ダイエットクッキーを食べながら、医院でとっている週刊文春を読んでいたら、この本の紹介が載っていた。早速土曜日にアバンティまで行って、買ってきた。この患者さんが話していたが、うつ病の本は山ほどあるが、一般向けの躁病の本はあまりないようである。躁というのはうつの反対で、気分が爽快で気が大きくなり、よくしゃべり、ハイになった状態である。この本の中で「恍惚の人」や「複合汚染」などの小説で有名な有吉佐和子の話が出てくる。晩年は躁うつ病で苦しんでいたらしく、「笑っていいとも」に出演した時には躁状態で、15分前後の出演時間を無視して40分あまり1人で延々としゃべっていたという。躁状態の時に小説も書いているが、本人が大作と思っていても、駄作でどこの出版社からも相手にしてもらえなかった。作家の中島らもの父親の話も出てくるが、父親は歯科医で、躁の時に思いついたら庭にスコップで穴を掘り、コンクリートを流して自家製のプールを作るぐらいであったという。中島らも自身の躁病エピソードも紹介している。この躁になった私の患者さんに、私が誰も考えついていないネット事業を思いついたと話したら、私も躁になっているのではないかと疑われた。土曜日の講演会の後の懇親会でも、私が画期的なネット事業を思いついたと話しても、誰も本気で相手してくれない。酔っぱらって、私のビジネス・モデルを話さないように気をつけてはいた。患者さんで、コンピューター関係の仕事をしている人に話しても、反応がイマイチである。私の考えているビジネス・モデルは、セカンド・ライフやユーチューブなどに匹敵するぐらいの世界規模である。そのうち誰か思いつくかもしれないが、私が初めての考案者であるということが大事である。この日記を読んでいる人はリアルタイムに、新しいネット・ビジネスの歴史に立ち会えるのである。今この文章を書いていて、私が完全に躁状態になったと誤解されるなと思っている。実は日曜日は1日中気分がうっとうしかったが、専門家にかかれば、躁とうつの混合状態であるとか、躁とうつのサイクルが早いラピッド・サイクラーであると診断されてしまいそうである。ここで私のビジネス・アイデアを公開するわけにはいかないが、その後の経過についてはこの日記で毎回報告する。そのうち、この日記の更新が停止し、外来も休診し、風の噂でどこか精神病院に入院したらしいということにならないよう、気をつけようと思う。

平成20年3月11日(火)

 会計事務所から今年の確定申告の書類が送られてきた。細かい数字を見ていても、自分がどのくらい稼いでいるのか、よくわからない。数字の上では、去年とはあまり変わりなさそうである。今年の4月からは臨床心理士の実習はなくなると思うので、その分収入は減りそうである。実質的な手取り額は、借入金などがあると、私には簡単に計算できない。両親には、開業の時に借りたお金を毎年300万円プラス利子分払っている。4月にはまた今年分をまとめて払わなければならないが、払ってもまだ1200万円残っている。それでも、貯金残高はどんどんと増えているので、それなりの収入があるのは間違いない。開業して今年5月から8年目にはいるが、そろそろ税務署の調査がはいりそうである。インターネットで調べたら、税務署の調査は、7月に人事異動があり、その後夏休みにはいるので、9月から12月ぐらいが多いと書いてあった。私の所は従業員も少なく、精神安定剤などの注射以外はすべて院外処方なので、ごまかしようがない。カウンセリングなどの自由診療はまったくせず、保険収入だけなので、すべてガラス張りである。トイレットペーパーなど、私がホームセンターでまとめて買ってくる物は私物と一緒に買うので、領収書を分けて書いてもらうのが面倒くさく、経費にきちんと計上していないぐらいである。机の中も調べられることがあると書いてあったので、それまでに人に見られたくない本やDVDを処分しとかなければならない。従業員のタイムカードや給与明細書はあちこちの引き出しや箱に入れているので、これも整理しておかないといけない。医療収入はここ最近はほとんど変わらないが、これ以上の収入は望んでいない。
 前にも書いたように、仕事以外の収入の手段としては資産運用がある。しかし、自分の医院の会計さえよくわからないのに、株やFXに投資するなんて無理がある。私はバブルも経験しているが、これまで1度も株に手を出したことはない。患者さんの中には自営をしている人も多いが、景気がよくないので、みんないつも何かいいアイデアがないか悩んでいる。業者の人と契約して、インターネットでペットを売る仕事をしていた患者さんもいたが、以前とは違って、今は小遣い程度にはなっても、生活するまでは無理なようである。中には、自分の仕事が成功して、フェラーリなどを何台も持っている人もいる。私は今の収入で充分だし、あまり欲しい物もない。せいぜい、新しく出た3〜4万円のコンパクト・デジカメを買うぐらいである。もう少し広い自宅が買えたらいいが、今の敷地25坪の家でもそれほど不自由はしていない。そんなことよりも、ゆっくりする時間が欲しいし、もっと余裕をもって海外に行きたい。
 そんな無欲で守りの生活にはいっている私であるが、最近新しい事業としていいアイデアを思いついた。あることをきっかけに思いついたが、アイデアを盗まれそうなので、ここでは詳しく書けない。医療とは全く関係ない分野で、ネット関係である。まだ詳しく調べていないが、誰も手はつけてなさそうである。絶対に成功間違いなしであるが、規模が大きすぎて実現するのは大変である。こじんまりとある特定分野のサービスに特化してやれることなら、簡単に始められるが、私の考えている事業は全国規模で膨大な資金と準備がいる。将来的にも発展性のある事業である。ヤフーでも楽天でもいいから、私のアイデアだけでも買ってくれて、事業を進めてくれないかと思う。私の考えついたネット事業は、アイデアだけが勝負である。だから、アイデアだけ聞いたら、素人でも成功間違いなしと簡単に判断できる。私が開業した時には将来成功するかどうか不安もあったが、それよりも確実な事業で、莫大な利益をもたらしてくれる。
 こんなことを書くと、私も躁になって、誇大妄想が出たのではないかと考える人もいるかもしれない。私は医学論文をいくつか書いているが、最初の論文以外は誰の指導も受けずすべて自分で考えついている。大した研究論文でないかもしれないが、最初の発想は同じである。ちょっとしたことがきっかけでアイデアが思い浮かび、このことを調べて論文にしたら面白いだろうと漠然と考える。いろいろと考えているうちに、しだいに具体的な筋書きが固まってくる。実際に調査して1つの論文を書き上げるには、かなりの手間暇がかかるが、それでも最初に面白いと考えたことはほとんど論文にできている。私は二番煎じの研究は嫌いなので、症例報告などは日本で初めてという論文が多い。初めての論文は、その分野に関した研究ではいやでも引用せざるを得ない。私は基本的には一発屋なので、論文の数はそう多くはない。しかし、お笑い芸人ではないが、一発芸に終わらず、いくつもの一発を当てるのも才能のうちだと思っている。今回このネット事業を思いついた時に、久しぶりに医学論文のアイデアを思いついた時のことを思い出した。今度の一発はこれまでの医学論文のアイデアとは違って、無限の可能性を秘めている。
 私は医学でも精神医学以外のことは何も知らず、事業に関してはまったくのど素人である。今回当てた金鉱は大きすぎて、掘り出すのは大変である。しかし、このまま地中の中に眠らせておくのはもったいない。なんとか会社を立ち上げてこのビジネスを進めたいが、どんな手続きをしなければならないのか何もわからない。新しいビジネス・モデルやビジネス・アイデアを考えた時に、特許みたいに保護してくれる制度があるのかもわからない。きのうの夜に池田の妹の所に電話をしてみた。妹は経営情報学部の万年准教授であったが、この4月から教授になる。今は浪人している娘の受験のことが大変みたいで、1週間待って欲しいと言われた。妹の旦那は弁護士なので、少しだけ話を聞きたかったが、風呂にはいっているということで今回はあきらめた。家の方が落ち着いてからまた電話しようと思う。仕方ないので、土曜日に買ってきた本をさっと流し読みしてみた。澤昭人「面白いほどよくわかる会社のしくみ」(日本文芸社)である。資本金1円でも会社が設立できるというのは知っていたが、実際に会社を運営していくのは気が遠くなるほど大変である。私は決断したらやることは早いので、会社の名前はもう決めた。独自のドメインを取得しなければならないが、〜.comについてはもう海外の会社に使われていた。〜.jpはまだ使われていないので、早速申し込んで登録するつもりである。今回1番重要なことは、私の考えているビジネス・モデルは本当にまだ誰も考えついていないかである。医学論文でも、最初に間違いなしと思って文献を調べていると、けっこう先を越されていたりすることもある。
 先週の木曜日は介護認定審査会があった。あらかじめ渡されている資料を読んで、要介護1とか判定して審査会に臨む。毎回30名の資料を読まなければならないが、それでもこれまでは合議体長の司会を聞きながら、気楽にやっていればよかった。ところが、2年の任期途中だというのに、合議体長が高齢でこの3月でやめるという。代わりの医者は来るが、経験者は私しかいないので、4月からは私が合議体長として司会をしなければならない。月曜日はいつもの労災判定会議があった。これは私が精神部会の部会長になっているので、司会をしなければならない。今回は5例出ていて、前もって分厚い資料を読むのも大変である。最近は弁護士をつけて労災請求をしてくる人も増えてきたので、労災として認めない時にはすぐに裁判となりやすい。パワハラについても、両者の陳述が書いてある資料をつきあわせながら読んで判定するので、かなり時間がかかる。以前は最初の1ページを読んだだけで、簡単に判定できたが、最近はややこしくて難しいケースが増えてきた。企業側と組合側が争っているケースでは、裁判になるのは避けられないので、医学的見解の文言には神経を使う。この医学的見解の最後に部会長として私の署名だけがつけられるので、責任重大である。今週の木曜日には「東山区こころのふれあいネットワーク」の総会があり、これも私が司会をしなければならない。
 こんなに山ほどやることがあって、本当に会社を立ち上げることができるか私も少し弱気になってきた。具体的な話は何もしていないが、家内は大反対である。妹も、「稼いでいるのに、これ以上何が欲しいの」と、反対である。私はお金が目的で始めたいわけでなく、平々凡々とした生活がいやで、何かチャレンジしたいだけである。家内も息子も私が余計なことに手を出して、全財産を失ってしまうことを心配している。前途多難でこれからどうなるかわからないが、私の足下に金鉱があるのは確かである。誰かが発見する前に早く掘り出さなければならないが、その後の経過についてはまたこの日記でお知らせする。

平成20年3月4日(火)

 この前の木曜日はまた家内とホテルに昼食を取りに行った。ところが、食事をしていても飲み込むとのどが痛い感じがする。相生のかきを食べに行った時も少しのどの違和感があった。夕食時に痛みが強くなってきて、慌ててインターネットで調べてみた。去年の7月にものどが焼けつくように傷み、胃カメラを飲んだがどうもなかった。この時には逆流性食道炎の所見も見られなかった。今回は前とは違ってのどの上の方に痛みがある。手を当てると、頚部のリンパ腺が腫れている。咽頭がんで調べてみると、私の症状にそっくりである。「たけしの本当は怖い家庭の医学」でも放送されていて、のどの違和感とリンパ腺の腫れが最初の症状である。喫煙の多い人や酒飲みに多いと書いてあり、私はタバコは吸わないが、アルコール濃度の強い酒をよく飲む。働き盛りの50〜60歳に多いと書いてあり、すべて私にぴったりと当てはまる。去年の7月の焼けつくような痛みはしばらく治まっていたが、この痛みはこの咽頭がんから来ているのではないかと思った。治療の項を見てみると、下咽頭がんは発見された時にはすでにリンパ節に転移していることが多く、手術をしても声が出なくなり、嚥下も困難になる。5年生存率も悪く、生きていても普通の生活は営めそうもない。とてもでないが、医者としてはやっていけない。精神科の場合、声が出ないのは致命傷である。5年生存率といっても、みんな元気に生きているわけでなく、寝たきりの人も大勢含まれる。
 子供もまだ小さいし、開業してやっと7年たった頃で、医院の建物の借金はまだ親に全部は返していない。私が死んだらまだ60歳を超えていないので、生命保険は満額出る。しかし、子供がこれから2人とも大学に行ったりしたら余裕がない。京都駅近くのマンションはどう処分しようかとか、手術をしたらリハビリに長くかかり、今来ている患者さんは誰に診てもらおうかとか、次から次へと心配事が出てくる。思い切って医院を人に譲ったらいいのか、誰か人を雇ったらいいのかと考え出したら、夜は全く眠れなくなった。遺族年金のことも気になった。去年の7月もそうであったが、保険医協会の休業補償制度の積み立てをしていなかったこともまた後悔した。
 金曜日に医院の事務の子に京都第一赤十字病院の耳鼻科に診察の受付けだけ先にしてもらった。午前中は外来があるので、私が働いていた時に知っていた部長に直接電話をして、午後2時から診察してもらうことになった。鼻から内視鏡を入れて咽頭や喉頭を診てもらったが、どうもないということであった。私がリンパ節が腫れていると思ったのは、耳下腺だった。それでも、のどのいやな痛みがあるので、胃カメラを予約した。胃カメラの検査は日赤では午前中だけなので、今日の朝1番に入れてもらった。私の医院は朝8時半からなので、患者さんには9時過ぎまで待ってもらわなければならなかった。下咽頭がんになるぐらいなら、食道がんの方がまだましである。まだ生検の結果が出ていないが、検査してもらった先生の話では特にどうもないということであった。医療者向けの掲示板などを見ていると、開業するかどうか悩んでいる先生が多い。沢山の借金を抱えて途中で病に倒れてしまったら、悲劇である。今回だけは絶体絶命と思ったが、何とか逃れることができてほっとしている。ラム酒をストレートでがぶ飲みしていたので、これからは控えようと深く反省した。経済的に余裕ができてついつい無駄な物を買ってしまうが、今は元気に働けるから可能で、私が倒れてしまったらたちどころににっちもさっちもいかなくなる。
 最近は結婚も晩婚化し、子供を40歳前後で授かる人も少なくない。結婚が遅いと、60歳の定年までにまだ子供が成人していないと、経済的なことばかりに目が向きがちである。私もこの年になって初めてわかったことだが、まだ子供は小さいのに、親はがん年齢に達っしてしまうのである。私と同じぐらいの年代では、1番下の子供が大学生ぐらいで、上の子はもう社会人になっている人が多い。私は38歳で結婚して、子供はこの4月から高1と中2である。いくら経済的に余裕があっても、子供が最低成人に達するまでは、親として生き残ってやらなければならない。小さな子供にとっては、両親が生きていることがとにかく大事である。これからの難しい年頃に家内1人に子供を任せるのも心配である。
 私は外来でいろいろな患者さんに説明する時に、両親を2本の杭に例える。海からこの2本の杭が出ていて、他にも親戚や友だちや恋人などの杭が出ている。両親の2本の杭がしっかりしていたら、いつでも子供は安心してこの杭に足を乗せることができる。ところが、両親が離婚したり死別して杭が1本になり、この1本の杭も不安定だと、子供は足を乗せる杭がなくなる。友人だけでは重すぎて、いつまでも乗せていられなくなる。女の人の場合は、ついついつきあっている彼の上に全体重を乗せてしまう。中には、乗せる杭を選んでいる余裕がなく、どうしようもない男の上に足を乗せてしまう人もいる。つきあっている彼がまともでも、全体重を乗せられてしまうので、彼の方も段々としんどくなって、2人の仲もうまくいかなくなる。次から次へと不安定な杭の上を渡り歩いている人もいる。両親の杭がしっかりしていて、友人も大勢いたら、臨機応変にいろいろな杭にバランスを取りながら上手に体重をかけることができるようになる。小さな頃に2本の杭でしっかりと支えられたという経験が乏しいと、安心して他人に体重がかけれなくなり、全く足を乗せられないか全体重をかけてしまうか両極端に走りやすい。
 今回のどの痛みぐらいで大騒ぎしすぎだと思う人もいるかもしれない。私の患者さんでも、ちょっとした身体の不調を気にしすぎて、何回もいろいろな検査を受けている人がいる。私はいつもばたばたしているので、身体のことはあまり気にしていない。しかし、ふだん出て来ない症状が長く続くときには心配になる。患者さんの話を聞いていると、家族のがんの発見が遅れて、あれよあれよという間に亡くなってしまう人は決して少なくない。前から大腸検査だけは受けた方がいいと思っているが、外来を休診にしないといけないのでまだ1度も受けたことはない。今は3月で、4月からまた新たな年度が始まる。今引き受けている雑用などはそのまま自動的に更新となる。がんが見つかったら、この雑用をすべて断ることができ、楽になれるなと一瞬考えたのも事実である。今回がんではなかったので、またいろいろな雑用を山ほど引き継がなければならないが、「ビンゴ! 天国への招待状です」となるよりはまだましなのだろう。

平成20年2月26日(火)

 この前の木曜日は介護保険の審査会が終わってから、祇園会館に映画を見に行った。キネマ旬報で第8位にはいっていた「ボルベール(帰郷)」である。第7位に「ドリームガールズ」がはいっているが、私には「ボルベール(帰郷)」の方がはるかに面白かった。私はマイケル・ジャクソンがいたジャクソン・ファイブやシュープリームズ、ロネッツなどと同時代に生きてきたので、「ドリームガールズ」は懐かしさより、ありふれた物語にしか思えなかった。リズム&ブルースやソウル系の音楽より、ロック一辺倒だったので、あまり思い入れがないのかもしれない。昔は、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが、コンサートを終えて会場を車で出たら、ファンが山のように押しかけてきて、車の天井に何人も乗り出し、フロントガラスに血が流れ出し、メンバー全員で車がつぶれないように必死で中から支えていたと語るのを、わくわくしながら聞いていた。今から考えたら、若い時の持って行きようのない怒りや破壊力は、大音響で鳴り響くロックがうまく解消してくれたと思っている。そうでなければ、学生運動は終わっていたので、町を破壊するか、車で暴走するか、人を傷つけるか、犯罪に走っていたかもしれない。
 さて、「ボルベール(帰郷)」である。キネマ旬報を信奉しているわけではないが、それでもプロの評論家が選んだ映画ということで、参考にして見ている。後は、好みの問題である。ツタヤでDVDが置いてあったような気もするが、内容は全く知らず、上映の最終日1日前だったので見に行った。主人公の娘が義父に犯されそうになって、娘が義父を殺してしまう所から始まり、主人公やその母の秘密が次から次へと明かされる。内容的には近親相姦や殺人を扱っており、暗くて重苦しい題材であるが、スペインを舞台に、女性3代の家族が生き生きと描かれている。映画のストーリーとしてはよくできているが、一方ではやはり殺してしまうはまずいだろうという思いもあり、うまいこと自分の中では収まりきれなかった。私にとってはどう評価していいのか、久しぶりに途惑う映画であった。
 日曜日は、家内と2人でJRの日帰りプランで、相生のかき三昧に行って来た。日帰りかにプランもあるが、片道3時間近くも電車に乗るのはしんどいので、新幹線を使うかき料理にした。新大阪からこだまを使って、1時間弱である。この日は朝から吹雪いていたので、新幹線は大丈夫かと心配になった。しかし、新大阪発だったので、予定通りに出発した。ただ、相生の駅に着いてから、すぐに迎えのホテルのバスが来ず、寒風の中で10分以上待たされた。同じツアーの人は10人ちょっといた。ホテルは山の上にあり、海が見渡せ、景色もよかった。かきの養殖場も所々に見えた。大振りのかきを使った料理が次から次へと出てきて、美味しかった。今回は遠慮せず、家内と2人で中ジョッキと瓶ビールを山ほど飲んだ。私は土手鍋が好きであるが、かき本来の味を楽しむためか、薄味の鍋であった。かきといえば、私が国立福知山病院にいた時に、福知山で有名なかき料理店があった。20年以上前の話なので、今は廃業しているのかわからないが、ここのかき飯は少しわさびを入れてお茶漬けにすると、絶品であった。
 昼食の後はホテルの展望風呂にはいった。ここからも湾が見渡せ、贅沢な気分を味わった。他に客がはいっていなかったので、キャプリオR7を出して、写真を撮った。ところが、風呂から出て着替えをしていたら、ロッカーからダウンジャッケットを出す時にデジカメがひっかかり、1mほどの高さから落ちてしまった。この時には気づかなかったが、後で写真を撮ろうと思ったら電源がはいらなくなった。今年の正月にカンボジアに行った時にも、コンポンチャムでこのデジカメを同じ高さぐらいから落としてしまった。この時にはカメラケースはなく、固い石の上に落としたがどうもなかった。今回はカメラケースに入っていたが、打ち所が悪かったのかバッテリーを入れ替えても全く反応がない。去年の12月に買ったばかりなので、早速修理に出すつもりである。3月にはR8の新製品も出るので、デジカメのサイクルは本当に早い。カメラ好きの私にとっては、フジフィルムからも新製品が出るので、気になる所である。
 新幹線の中では持って行った本を読みたかった。しかし、家内と2人だけで旅行するのは子どもができてから初めてだったので、読むのは控えた。だから、まだ3分の2ぐらいしか読んでいないが、ここに紹介する。西城有朋「精神科医はなぜ心を病むのか」(PHP研究所)である。作者は関東圏の精神科病棟を持っている総合病院で勤めているようであるが、経歴は明かされていない。最初のプロローグで、精神医学の臨床薬理学に強い影響力を持っていたある大学医学部教授が自殺したことが明かされている。作者がはいった医局でも少なくとも5人の精神科医が自殺しているという。最近のアメリカのデータでは、診療科別の自殺率では麻酔科医に次いで精神科医は2番目に高い。アメリカ人医師の自殺率は一般人の2倍近くに達し、少し古いデータでは精神科医の自殺率は一般人の5倍に達している。作者の最初の部分の記述は過激である。精神科医自ら薬漬けの例を挙げている。確かに、私も精神安定剤や睡眠導入薬を飲んでいる精神科医は見聞きしている。私はもともと薬嫌いなので、精神科関係の薬は海外に深夜便で行く時にエバミールを1錠飲むぐらいである。昔は大勢の人の前で話すのは大の苦手であったが、精神安定剤は1度も飲んだことはない。アルコール依存の精神科医のことも書いているが、月、水、金と酒は飲まないのでこれも大丈夫だろう。最近は若い精神科医の中には境界性人格障害や過食症を患っている女医さんもいるらしい。この辺のことについては私も医局を離れて長いので、詳しい事情はわからない。しかし、ここに出てくる例は東京周辺のことで、私の知る限り京都ではありえない。リタリンの大量処方で精神科医が逮捕されているのも東京だし、ここで出てくるような卒後3年での開業なんて考えられない。自殺についても、私が入局して来年で30年になるが、医局関係で知っているのは長い闘病生活(身体)で命を絶った先生1人だけである。この本では認知行動療法は不安障害には効果的であるが、うつ病にはあまり効かないなど最近の知見も紹介している。だめな精神科医の見極め方も載っているが、飲酒に対しての患者指導は厳しいようである。
 ついでに、京都新聞の1面に広告が載っていた和田秀樹「精神科医は信用できるか」(祥伝社新書)である。前の本の作者はリタリンに対してはぼろくそに非難しているが、和田秀樹は一定の評価を与えている。私もリタリンに関しては発売されて50年以上経っており、使い方は難しいが、同じく評価はしている。しかし、作者は精神安定剤に対しては厳しい。日本ではそこまで依存性と耐性を強調することもないと思う。アメリカで「コンシューマーズ・レポート」で依存性が強いと叩かれて売り上げが3分の1に減り、日本に市場を求めて日本の医学部教授を接待旅行にアメリカに招き、日本で発売した薬がソラナックスであると紹介されている。しかし、ふだんこの薬を使っていても、そんなに悪い薬だという印象はない。教授になれるかどうかは、臨床の実績でなく、論文の数で決まるというのは事実である。「精神科医はなぜ心を病むのか」でも、臨床は研修1年だけで精神科の教授になった例を紹介している。最後に全国優良病院を紹介しているが、私がいた京都第一赤十字病院も載っている。しかし、勤務医は次から次へと変わるので、こういうのはあまり意味がないと思う。前にも書いたように、精神科医でさえ知っている先生がどんな治療をしているのかわからないのである。良い精神科医を見つけるのは至難の技である。
 開業してから、収入は日赤に勤務していた時よりもはるかに多くなったが、やはり私もストレスはたまる。今は確定申告の時期なので、土曜日の午後は必死で書類をまとめていた。先週は2人の福祉事務所の人が患者さんの病状調査に来たが、自立支援の診断書が新たに2人増えた。労働基準監督署からまた頼まれている少しややこしい意見書も残っており、今月中に書かなければならない自立支援や障害者手帳の診断書がまだ8人も残っている。日曜日に1日ゆっくりすると、それなりにすぐにつけはたまってしまう。

平成20年2月19日(火)

 先週の木曜日は家内と2人でスパ付きランチに市内のホテルに行って来た。京都新聞の折り込みの中に広告が載っていて、どんな所かと興味があった。リビングなどにもホテルやレストランのランチの広告が載っており、次はどこに行こうかといつも考えている。私はゴルフもパチンコも飲みにも行かないので、ふだんの楽しみといったら、家内と美味しい物を食べに行くぐらいである。レストランなど1人でははいりにくい所もあり、お金があるなら、もっと若くてきれいな女の人と食べに行ったらいいのかもしれない。しかし、この年になると面倒くさいし、例えは悪いかもしれないが、環境にも優しく(実際には違うらしいが)、古紙の再利用をした方が楽である。ここでも何度も書いているが、男女の平均寿命は7歳違っている。私と家内は5歳離れているので、ふつうに考えたら家内の方が12年私より長く生きることになる。ということは、家内に私の老後は見てもらうことになる。次から次へと新しい紙を利用しても、どこまで老後の面倒を見てもらえるかわからない。長い夫婦生活にはいろいろあっても、残りの人生を2人仲良くやっていくことに越したことはない。しかし、中にはどうやっても古女房の再利用は無理だという人もいるかもしれない。(ここでいう再利用というのは、必ずしも性交渉を意味するわけではなく、情緒的交流やスキンシップである)
 精神科の臨床をしていると、失敗例ばかり目にする。成功例の人は来ないので、失敗例がすべてみたいな世界観を作ってしまう。例えば、ストレスが長期的に続くと、身体のあちこちに不調が生じる。ストレスから来る身体症状は検査では何も出てこない。内科などで診てもらっても、せいぜい自律神経失調症と言われるぐらいである。こういう患者さんの中には漢方を使っている人がたくさんいる。ところが、精神科や心療内科を受診する人は全員漢方が効かなかった人である。そうすると、精神科医は漢方なんて効かないという評価をしてしまいやすい。実際に漢方がよく効いている人は大勢いると思うが、絶対に私の医院には来ない。最近多いのは転職である。一流企業でも私の医院に来る人はみんな転職がうまくいかなかった人である。そうすると、転職は成功しないという世界観を持ってしまいやすい。しかし、世の中には転職で成功している人も大勢いる。成功している人がわざわざ私の医院に来て、成功して困っているとは言いに来ない。さて、浮気である。私の医院に来る患者さんは、浮気でも不倫でも愛人でも、みんな失敗例である。中には、成功例もあるのかもしれないが、よっぽど太っ腹の奥さんをもらわない限り難しそうである。愛人になった人も、後が大変である。私はセフレ(セックスフレンド)の世界は知らないが、割り切った人がいたらぜひとも教えて欲しいと思う。
 家庭が修羅場になるよりも、環境(家庭)に優しい古女房を再利用する方がよさそうである。それでも、男性としての欲望は残る。この頃私と同じ世代の人が変な事件を起こしている。仕事熱心な教頭が女性の下着を盗んで集めていたとか、人の暗部を照らし出すような出来事が起こっている。この教頭は浮気はしていなかったようである。私にはそんな気持ちの悪い物を集める趣味はないが、フェティシズムの傾向はあるので、気持ち悪さと欲情は紙一重だと改めて気づいた。浮気の定義は難しいが、家内にとって不愉快なことは避けようと思っている。その代償として、下着ドロボーとか盗撮とか違法な世界に踏み込むのもよくない。思い切って、プロの人を相手にする方法もあるが、経済的なことや好みや病気のこともあって、なかなか難しい。私の患者さんで、家庭を壊さず、プロの人を上手に利用して楽しんでいる人がいるが、やはり病気が心配らしく、時々私の医院で検査を受けている。
 午後1時半に予約していたので、外来が終わってから私の医院からタクシーで出かけた。最初にランチとして、懐石料理を食べたが、料理の品数が多く、食べ終わったらもう3時半であった。料理は美味しかったが、ランチの分量としては大目であった。和食料理店の中はいつもと同じで、女の人が多く、私の年代の男性は1人もいなかった。最近はレストランなどにはいった時に、ビールの値段を見て、その店の格みたいなのを感じたりしている。いつもは中ビンのビールを1本頼んで家内と分けて飲んでいるが、値段の高い所ほど中ビンが置いていなかったりする。2人で1本づつ頼んだが、アサヒの小瓶が1本800円であった。食事の時は、子どもの話や近所の人の話をしている。息子は今度中2になるが、家内には同窓会には絶対に行くなと言っているらしい。どうもTVで母親が不倫をするドラマを見たらしい。小さな子どもにとっては、両親の仲が安定していることが最良の環境である。食事の後で男女に別れて、最上階のスパに行った。あまり人が入っていなかったので、ゆっくりと気持ちよく過ごせた。着替えてから、男女兼用の休憩室に行ったが、ゆったりとしたイスに座り、最上階から青空が広がる最高の景色を楽しむことができた。なかなか温泉に行っている暇はないので、久しぶりにのんびりとできた。
 この日は贅沢に過ごせたが、他の日は相変わらず忙しかった。土曜日はある精神科病院の懇親会があった。翌日の日曜日にはきょう医師会でやった講演会の原稿を書かなければならなかったので、アルコールで脳細胞が破壊されないように控えて飲んだ。新しく開業した女医さんや40歳を超えてまだ子どもが3ヶ月の後輩や40歳を超えてまだ3歳の子どもを持つ女医さんと話ができて、楽しかった。翌日の日曜日は朝早くから、医師会の講演で配布する原稿を必死で書いていた。午後は2時から国際交流会館で外国人のためのカウンセリング・デイがあり、6時までの拘束である。月曜日の午後は労災の判定会議があった。今回は3ケースで、分厚い資料については土曜日の午後に読んでいた。最近は、長時間労働やセクハラ、いじめについては労災として認める方向になってきているので、雇用者側は充分に注意した方がいい。タクシー乗務では、10分以上待っている間は労働時間としては算定されず、休憩時間になると聞いて勉強になった。きょうの講演会はあまり準備している暇がなかったが、無事済んでほっとしている。最近はあまり酒を飲んでいないが、飲まない方が調子がよさそうである。木曜日の午後はまた介護保険の審査がはいっているが、今度の日曜日は1日ゆっくりできそうである。

平成20年2月12日(火)

 この前の土曜日は京都精神科医会の集まりがあった。この日は京都でも久しぶりの大雪だったので、参加者は少ないかと思っていたら、大勢の人が来ていた。講演の演題は「メンタルヘルスと食事」であった。講師の先生は精神科医で、30代で糖尿病を発病してから食事療法に目覚め、全国のベジタリアンの食事を調査したりしている。肉を食べないとビタミンB12(テキストでの変換の仕方がわからず、申し訳ありません)が不足するが、日本人は海苔から摂取しているという。なかなかユニークな先生で、神主みたいな仕事もしているらしく、神事をしている時に吐血して、スキルス型の胃がんが見つかっている。2年前に胃を全摘しており、どうして胃がんになったかを陰陽学を引用して説明していた。他にも陰陽五行を使って、臓器と病気の説明をしてくれたが、1歩間違えるとオカルトになってしまうし、難しいと思った。科学的で分析的な世界観が、これまで確かに感覚として存在していたもののけや霊気に満ちた世界を排除してしまったことは確かである。世界の成り立ちを陰陽五行で解釈できたら、これはこれでいいのかもしれない。陰陽学も独特の世界を内包していて、奥が深そうである。参考文献を紹介してくれたが、1から勉強して変身するには時間がかかりそうである。
 さて、食事の話である。食とは人を良くすると書くと説明し、現代の子供の問題点と食事について話をしてくれた。現代の子供の虫歯、近視、アレルギー、低体温などの自律神経の異常、疲れやすさや切れやすさの原因を食に求めると、動物性食品と砂糖の摂り過ぎに関連しているという。特に目新しい知見ではないが、砂糖の摂取量とこれらの問題を調査した結果を見せられると、それなりに説得力はあった。日本人の戦前と現代の食事内容の比較には驚いた。米の摂取量は半分になり、乳製品は28倍になり、肉は14倍である。私は昼はダイエットクッキーを摂り、朝昼合わせても400kcalで抑えているが、夜は夕食の後もプリンやチョコレートや菓子類を山ほど食べてしまう。時々いらいらしてしまうのは、仕事の雑用の多さや一部のわがままな患者さんやあまり口をきいてくれない娘や私の仕事にあまり理解のない家内なども関係していると思うが、食事も影響しているかもしれない。禁欲的でストイックな生活に憧れるが、なかなかうまくいかない。
 懇親会の時にはかなりビールは飲んだが、京都駅近くのマンションに帰ってからも1人で浴びるほど飲んでしまった。最後の方は無意識で缶ビールが切れたらまた冷蔵庫まで取りに行って開けていたようである。気がついたら、いつの間にか半ダース買っていたビールの缶がなくなっていた。そのまま寝込んでしまったが、朝起きたら地獄であった。二日酔いで、なかなか布団から出れず、顔1つ洗うのもおっくうであった。いつもここで書いているが、うつ病の患者さんの気持ちがよくわかる。相変わらず、やらなければならない雑用がたくさん残っていたが、頭が使い物にならなかった。この日は何をするのもあきらめ、ボケーと1日過ごしていた。
 翌日は朝6時半から医院に出て、いろいろな書類を書いていた。まず始めに、労働基準局から頼まれていた労災の意見書を書いて送らなければならなかった。内容的にはそれほど難しくはなかったが、最近は意見書に不服があるとすぐに裁判になるので、いつでも裁判になってもいいように言葉を慎重に選ばなければならない。A4で1枚の意見書でも、2時間半ぐらいかかった。その後で、障害年金の診断書を2通書いた。自立支援の診断書もうんざりするほどあり、来週の火曜日にある住民を対象とした医師会の講演会の原稿もかかなければならなかった。認知症の予防の話をしなければならないが、医学的にはそんな予防法はないので、何を話したらいいのか本当に困る。自立支援の診断書については、他の先生にも聞いているが、従業員にすべて書かせている先生もいる。私は申請書から封筒の宛名書きまで全部1人で書いているので、けっこう大変である。来月からは受付の子に申請書の書き方を教えて、この部分だけでも書いてもらおうと思っている。結局この日は講演会の原稿には手をつけられなかった。今週の土曜日はある精神科病院の懇話会があるし、日曜日は午後2時から6時まで国際交流会館でカウンセリング・デイがある。一体、いつこの講演会の原稿を書こうかと思っている。最初は30分ぐらいでいいと聞いていたが、いつのまにか1時間になっている。
 この日は京都市から送られてきていた精神科診療所の調査表にも記入していた。最近は京都市も予算がないのか、この種の調査には用紙だけ送られてきて、返信用封筒や切手はついていない。診断書などで書き疲れた後で、この調査票を送り返す封筒の宛名書きをしていたら、少し腹がたってきた。住所も長いが、宛先がまた長い。京都市保健福祉局保健福祉部障害保健福祉課精神保健福祉担当である。この長さにも腹がたったが、これほどみんな汲汲と経費節約をしているのに、一方で京都市がムダ使いをしていることを思い出して怒りが新たに湧いた。少し前に本屋で平積みになっていた村上祥栄「京都・同和<裏>行政 現役市会議員が見た<虚構>と<真実>」(講談社+α新書)である。この本は全部読んだが、少し前に出た中村和雄+寺園敦史「さらば!同和中毒」(かもがわ出版)はまだ読みかけである。私は差別される側としての同和関係の本は死ぬほど読んだが、前にも書いたようにほとんど処分してしまったので、手元には何も残っていない。宮崎学「近代の奈落」(解放出版社)はまだ読んでいないので残したままであるが、もう読まないだろう。同和行政を批判する側から、初めて寺園敦史「誰も書かなかった<部落>」(かもがわ出版)が出版された時には、衝撃的であった。こんなことまで書いて大丈夫かと思うほど、同和行政の陰の部分を書きつくしていた。悪しき物取り主義とえせ同和には本当にうんざりである。この本が出版されたのは平成9年で、今はもう平成20年である。無所属の現役市会議員が書いた本を読むと、本質的には何も変わっていないようである。私は総合的には完全な保守系支持者であるが、同和問題に関しては共産党の主張に全く賛成である。保守系も事なかれ主義にならず、共産党に負けず膿を出しきって欲しいと思う。返信用封筒の恨みではないが、一般市民が苦しい生活を送っている中で、仕事もせずに給料をもらっている市職員については、徹底的に糾弾したらいいと思っている。

平成20年2月5日(火)

 この前の土曜日は京都精神病院協会の講演会があった。今回の演題は「統合失調症と長期治療のQOL」であった。臨床に即した話が聞けて、勉強になった。最近は学会誌をぱらぱらと目を通すぐらいなので、最新の知見を取り入れた総論的な話に接する機会が少なかった。開業当時はいろいろな精神科関係の医学雑誌を取っていたが、本ばかりがたまって読む時間も置く場所もなくなり、いつの間にか所属している学会誌だけになってしまった。学会誌の場合はあまりにも専門的になってしまって、日常臨床にすぐ役立つことはあまり書かれていない。以前は精神科病院に当直に行っていたので、精神科関係の医学雑誌は毎月ほとんどチェックできていた。開業してからは、もっぱら医学関係以外の本ばかり読んでいる。時代の波から少しづつ取り残されないように、こういう講演会には積極的に参加するようにしている。
 さて、話の内容である。統合失調症については知りつくしているつもりであるが、どんどんと新しい知見が増えている。以前から、統合失調症の場合はいつまで薬を続けるのかはっきりしなかったが、現在はずっと飲み続けなければならないとはっきりといわれている。中には、一時的な短期の精神病状態で治ってしまう人もいるのかもしれないが、いくら安定していても薬の中断については現在は推奨されなくなった。薬をいつまでも飲み続けなければならないということは、この病気の予後にも関係してくる。以前はこの病気の3分の1はよくなるとまことしやかに言われていた。この病気に対する偏見をやわらげるためにそう言われていたと思うが、誤った情報は患者さんや家族に誤解を与える。
 患者さんが薬で安定すると、どうしても患者さんも家族も薬をやめたくなる。幻覚や妄想を改善する抗精神病薬は効果が出るのにも時間がかかるが、やめてもしばらくは効果が持続し、すぐには悪くならない。だから、どうしても患者さんも家族ももう治ったと思って、薬を中断してしまう。しかし、数ヶ月後とか中には数年後に必ず(?)再発してしまう。再発してからまた薬を飲んだらいいと思われるかもしれないが、再発すると最初の時より薬の量が多くなったり、以前のレベルまで回復しない患者さんが多い。私の患者さんでも、発病の時に塾の講師をしていて、回復してからも塾に復帰して元気に働いていたが、仕事が忙しく、調子もいいということで薬を中断して、再発した。再び治療をして塾に戻ったが、以前よりパワーがなくなった。ところが、また薬を中断して悪化し、そんなことを何回も繰り返して、今はほとんど家で何もせず横になって過ごしている。ある人物が自分を狙っているという妄想も最初の時にはきれいに取れたが、その後いろいろと薬を調整したが、今でも妄想は残ったままである。
 講演会では、発病から早く治療すればするほど病気は重くならず、再発を予防すればするほど生活レベルも高く保たれやすいことが示された。リスパダールやジプレキサなどの新しい第二世代の抗精神病薬はいいことづくめで、ぼーとしたり、もの覚えが悪かったりする認知機能障害は少ないと言われていた。しかし、海外の研究結果ではPZCという古い第一世代の抗精神病薬が1番優れていたことがわかった。新しい薬についての評価はどんどんと変わっていくので、また第一世代の薬がもう少し評価し直される時がやって来るかもしれない。うつ病の患者さんに対しても、若い世代の医者は認知機能障害や依存性を嫌ってセパゾンやデパスなどの穏和精神安定剤はあまり使わないようになってきた。私は患者さんの症状にあわせて、臨機応変に処方したらいいと思っている。脳のセロトニンを増やすパキシルなどのSSRIばかりに頼って、ぜんぜんよくなっていない患者さんに出会うことも少なくない。
 最近は、長いことうつ病だと思っていた患者さんや境界性人格障害だと思っていた患者さんが、ある日突然幻聴や妄想が出現し、統合失調症と診断をつけざるをえないことが増えてきた。こういう場合は障害年金の診断書を書いていて、発病をいつからにするか本当に困る。この病気はそんなに珍しくはなく、100人に1人弱と言われている。昔は片親がこの病気の場合は、生まれてくる子どもは7人に1人ぐらいの割合で同じ病気が発病すると言われていた。最近の知見では10人に1人ぐらいで、一卵性双生児の発症一致率は約50%である。統合失調症の診断基準を厳密にすればするほど、この数値は当然低くなる。乳癌でも大腸がんでも一部遺伝的な要因が強い人もいればそうでない人もいる。どんな病気でも、親と同じ体質を受け継ぐ可能性は残される。これから、情報公開やインフォームド・コンセントがますます発展すると思うので、遺伝的な要因についてもきちんと患者さんにも伝えていかなければならないかもしれない。誤解を招くといけないが、統合失調症は遺伝病ではないが、遺伝的な要因をまったく無視もできない病気である。たまたま最近統合失調症を発病した若い患者さんが2人いたが、2人とも患者さんの両親の兄弟や両親の親に同じ病気の人がいた。患者さんや家族が病気のことについてすべて知る必要がないかもしれないが、改めてなかなか大変な病気であると思い知った。
 精神障害者に対する偏見はなくすべきだと思うが、この病気の重さは理解してもらい、福祉面からもきちんと支援されるべきである。自立支援医療はこういう患者さんのためにできた制度であるが、軽いうつ病やパニック障害の患者さんまで気楽に利用しているのをみると、複雑な気持ちになる。この病気は20歳前後に発病するので、まだ私の子どもはどうなるかわからない。自分の両親や兄弟がこの病気でないからといって、安心できるわけではない。発病の原因はまだわからず、親の育て方や強いストレスなどは全く関係ない。他の病気も含め、これからはますます遺伝子診断が発達し、ロミオとジュリエットではないが、将来は遺伝子の組み合わせが悪いということで、お互いに愛していても結婚できなくなるかもしれない。

平成20年1月29日(火)

 年が明けて、もう1ヶ月も経ってしまった。いつもこの日記で誓いを立てているが、何1つ実現できていない。限られた時間しかないので、分散投資はやめて1つのことに集中するのがいいが、あれもこれもと手を出しすぎて、結局中途半端になってしまう。4月からNHKの語学講座が始まるが、また中国語に再チャレンジしたい気持ちである。しかし、今の英語の勉強さえほとんどできていないので、始めてもゴールデンウィークまでもたないだろう。本もそうである。読みたい本が山ほどあるが、なかなか読んでいる暇がない。若い頃は空き時間があると、レコード屋に寄って輸入版のロックをチェックしていたが、今は本屋で過ごすことが多い。ついつい面白そうな本があると買ってしまうので、読みきれない本がまたどんどんとたまり出した。私は海外の空港でも、本屋に寄ることが多い。カンボジアのプノンペンの空港では、ポルポトやクメール・ルージュについて書かれた英語の本を何冊も買ったが、まだ全く手をつけていない。近いうちに、この内の1冊をもんもん読書録で紹介したいと思う。本気で読み出したら、他の本は何も読めなくなるし、読書以外の時間も犠牲にしなければならない。私は浮気をしない分、たまにはアダルトビデオも見たい。金融や資産投資の勉強なんて夢のまた夢である。
 若い頃は典型的なモラトリアム青年で、結婚したのは38歳である。今でこそ40歳を過ぎても独身の人がごろごろしているが、当時では異常に遅かった。昔は女の人でも、25歳を越えたら売れ残りのクリスマスケーキと言われていたぐらいである。医学部にはいったので、将来何になるかで迷うことはなかった。しかし、自分とは何者かということでは、すごく悩んでいた。最近の若者は自己愛的で、かけがえのない自分を大切にするあまり、人生における選択をひたすら延長し続けるとも言われる。大人になるには、人生において、職業的選択から結婚まで重大な局面で自己決定しなければならない。選択するということは、他の可能性をすべてあきらめるということである。あれもしたい、これもしたいではなく、何か1つ職業を決めなければならない。結婚相手でも、彼とも、上司とも、同僚ともつきあいたいではだめである。誰か1人に決めなければならない。誰でも神様ではないので、自己決定しても必ずしも成功するとは限らない。失敗することを極端に恐れたり、自分の理想ではないとただひたすら自己決定を遅らせ、まだいろいろな可能性が残っていると信じ続けても何も解決しない。目の前に何本かの道があって、どの道を選ぶか決めるのはその人しかいない。周囲の者はいろいろなアドバイスを与えることはできても、最終的に決めるのは、その人の人生なのでその人だけである。考えようによっては、人間は自由なのである。何でも自由に選べるが、自分が選択した人生は自分が引き受けるしかない。私は悩みながらも自己のアイデンティティは確立できたが、なぜ生きているのかとか人生の意味はまた別の話である。
 どうしてこんなことを長々を書いたかというと、残り少ない人生であれもしたい、これもしたいではだめなのではないかとふと思ったからである。仕事以外の過ごし方なので、人生における重大な自己決定とは違うが、なかなか選択できないでいる。他の可能性をあきらめることができないのは、今の若者とあまり違わないのではないかと思ったりする。
 先週の木曜日は久しぶりに家内と昼食をとりに行った。なるべく週に1回は家内と一緒にレストランやホテルで昼食をとるようにしている。しかし、家内も私も用事があったりして時間がなかなか合わない。最近は家族で外食に出ることがないので、たまには美味しい物を食べたくなる。ランチセットはリーズナブルな値段で、デザートまでついてくるので、お得である。2人で1本のビンビールを分けて飲むぐらいが丁度いい。子どものことを話したりするが、娘は相変わらず私とはあまり口をきいてくれない。家内には何でも話しているようであるが、息子の方は以前よりは話をしなくなったという。いつも思うのであるが、こんなウィークデイに私ぐらいの年代の男がレストランで食事をしているのは見たことがない。せいぜいビジネスマンが商用で会食をしているぐらいである。前にも書いたが、日曜日にも仕事はしている分、開業しているとある程度こういう融通はきく。
 私の医院では、レタスクラブをとっている。他の医院では待合室に雑誌などをあまり置いていない所も多いが、他に女性用としては、従業員が選んだ女性セブンやクラッシーもそろえている。レタスクラブだけは料理の本なので、新しいのが来たら古いのは家に持ち帰っている。この頃この本を家内より娘がよく読んでいる。ふだんは気にも止めていなかったが、家内から聞いて、娘が料理好きだということを初めて知った。高校に行ったら料理クラブにはいるという。今まではダンスで、休みの日でも朝から晩まで練習し、中3だというのに2月2日でやっと引退である。ケーキを作ったりして、クラブの友だちに持って行っているという。ところが、ケーキを焼くのに家の電子レンジでは時間がかかると言っていたらしい。家内は自分でも認めているぐらい料理は下手で、興味がないので、古い電子レンジでも支障がなかったのである。私が以前に買い換えようと言ったが、まだ使えるからもったいないと言い、そのままになっていた。
 どのくらい古いかというと、私がまだ独身で国立福知山病院(現福知山市民病院)にいた時に買ったものである。履歴書を調べてみたら、昭和61年頃でもう20年以上経っている。いくらなんでも、娘には気の毒である。これから料理クラブにはいるなら、もっといろいろ作ってみたい料理もあるだろう。早速新しい電子レンジを買った。今のはスチームもついているし、ヘルシー志向で油も飛ばしたりしてくれる。弟になる息子には、スパゲッティを作ってくれ、美味しかったという。神経性食思不振症(拒食症)の患者さんは、自分では食事はとらず、家族に料理を作って食べさせるのが好きである。娘のことが心配になったが、大丈夫なようである。息子については、父親はみんな大きくなったら一緒に酒を酌み交わしたいと言うが、娘については、娘の手料理を早く食べてみたいと思う。これから、ますます家内は楽をしそうである。

平成20年1月22日(火)

 時々書くことがなくて困る。母里啓子「インフルエンザワクチンは打たないで!」(双葉社)を取り上げようと思っていたが、京都府医師会のメールで話題になっていたので、あまり書く気がしなくなった。著者は国立公衆衛生院の疫学部感染症室長をしていた人で、門外漢の私には面白く読めた。内容は、インフルエンザワクチンはほとんど効果がないということを、わかりやすく学術的に述べたものである。専門家が書いているので、説得力はある。私の医院はインフルエンザの予防接種はしていない。ふだんの診察でも内科的なことにはほとんど関わっていない。うつ病の患者さんなどが風邪薬を出して欲しいと言った時に、内科の薬を出すぐらいである。私は毎年インフルエンザのワクチンを打たなければと思っていたが、なかなか他の医院に行っている暇がなかった。この本を読んで、これからは特に無理して打たなくてもいいのかと安心した。インフルエンザワクチンの効果がないということに対しては、医師会の会員の先生から異論もあったが、実際はどうなのであろうか。うろ覚えであるが、何年か前の医師会雑誌で、風邪に対するうがいの予防効果を調べた結果が載っていた。この調査では、イソジンでうがいをしていたグループが塩水や水でうがいをしていたグループより風邪に多くかかっていた。この調査結果を見て、それまでイソジンでうがいをしていた私はがっかりしたことを覚えている。頭から効果があると思っていても、実際にはあまりあてにならないこともあるのである。
 平成17年9月に出版された本であるが、浜崎智仁「コレステロールは高いほうが病気にならない」(ベスト新書)を読んだ時にも驚いた。疫学調査から、コレステロールが高い方が長生きするという。この話を内科の先生にすると、必ず健診の患者さんの中にはガン患者さんも紛れていて、発見する数年前からコレステロールが低下すると反論される。しかし、この本によると、その部分を補正した調査でも同様の結論が出ている。各地での市民健診のデータを使った複数の調査を引用しているので、その数は中途半端でない。本が出版されて2年経っているので、その後どうなったのかわからないが、最近では内臓脂肪と皮下脂肪を区別することもあまり意味がないという話も出ている。内科の先生方の営業妨害をするつもりは全くないが、毎年これほど大騒ぎして日本全国でインフルエンザワクチンを打っているのである。この本に書いてあるように、ほとんど効果がないということが事実なら、再生紙の偽装どころの騒ぎでない。一体誰が責任を取るのかと思う。この本の中でも述べているが、インフルエンザは風邪の一種で、インフルエンザと風邪は別々のものではない。
 さて、話題が変わるが、最近医療崩壊が叫ばれ、新聞やTVでも救急患者のたらいまわしが話題となっている。産婦人科に関しては、私の大学の同級生で私より遥かに優秀であった先生が今では産婦人科をやめている。産婦人科と小児科は月に何回も当直が当たるなど過酷な労働状況であるが、産婦人科の訴訟問題についてはあまり具体的なことは知らなかった。たまたま医学雑誌を読んでいたら、無過失補償制度のことが載っていた。無過失補償制度というのは、医療事故が起こっても、医師の過失の有無を問わず、患者さんを補償する制度である。この制度の導入は現在審議中であるが、補償対象は生まれてきたすべての脳性まひの子どもである。実際に脳性まひの子どもが生まれてくると、産科医が訴えられることが多く、原因の特定が難しいため裁判が長引きやすいという。障害を持った子どもに必要な看護期間も長いため、訴訟額も当然大きくなる。脳性まひの子どもが生まれた両親は気の毒であるが、原因もはっきりしないのにすべて産科医の医療ミスにされてしまうのも過酷である。大手の病院でない限り、こわくてお産なんか扱えなくなる。この無過失補償制度については、先天性の障害が含まれていないなど反対意見もあり、実現するのはまだまだ先のようである。
 精神神経学会の学会誌を読んでいたら、ここでも総合病院での勤務医の過酷な労働状況が取り上げられていた。精神科救急からも総合病院からも、開業医の協力が求められている。しかし、この文章を読んでいて、他科もそうかもしれないが、開業医は暇そうなのでもっと協力して欲しいという風に感じてしまう部分もあった。私もそうであったが、勤務医の時には開業したらもっとゆっくりできるかと思っていた。しかし、決してゆっくりとできていない。開業すると、診察だけでなく、総合病院では事務に任せていた仕事も全部自分でやらなければならない。それと、けっこう医師会の仕事などの雑用も多い。私は今は東山医師会の役員の仕事を離れているのでそうでもないが、役員の先生方はけっこう大変である。中には自分の医院の仕事以外はすべて断って気楽にやっている先生もいるかもしれない。私は先週の木曜日は東山医師会から頼まれている介護保険の審査会に出ていた。金曜日は東山保健所のデイ・ケアがあった。今週の月曜日は、いつもの労災の判定会議があった。明日も午前と午後の外来診察の合間に特別養護老人ホームに行かなくてはならない。介護保険の審査以外は全部精神科医でないとできない仕事である。精神科医も絶対的人数が足りないのである。確かに仕事をやった分は給与が入ってくるが、もっとゆっくりしたい。精神科の勤務医の場合は当直を除いて週に2日休めるが、開業するとなかなか日曜日も休めない。ふだんの日にかなり無理をしたら日曜日も休めるが、私は休みの区別なく毎日平均的に負担がかかるようにしている。

追記:やっともんもん写真館の更新ができましたので、のぞいて見て下さい。

平成20年1月15日(火)

 年末年始の休みに、暖かいこたつにはいってみかんの皮をむきながらTVを見ていたら、雪山に登って吹雪の中で遭難している人がいた。中にはなだれにあって、自分の命まで失う人もいる。せっかくの正月なのに、重い荷物を背負って、凍てつくような風が吹きすさぶ中を雪をかき分けて登って行く。ふつうに考えたら、この貴重な長期休暇を何が面白くてこんなことをするのかと思う。怪しすぎて、きっと自分たちの知らない何かいいことがあるに違いないと考えてしまう。たとえば、冬になると手の届かない滝か何か凍って、水の底に沈んでいた小判がざくざくと氷の上に出ててくるとか、実は山男の間で極秘になっている桃源郷があって、映画「ベオウルフ」に出てきたような美女が出てきて、ただでやらせてもらえるとか……。
 患者さんから正月の過ごし方を聞いたが、正月に富士山の写真を撮りに行った人がいた。ちょうど初日の出が富士山の頂上の真上に出るいい撮影場所は、大勢の人でごったがえしていたという。せっかく京都から車で出かけたが、天候はもうひとつで、思うような写真は撮れなかったという。鉄道マニアで休みになるとあちこちのローカル線に乗りに行く人もいる。今回は各駅停車で高知まで出かけたという。私は職業柄、いつも朝から晩まで建前の世界に生きているので、時々狭い水槽に入れられた金魚のように口を開けてパクパクする。窒息しそうになると、とにかくこの水槽から飛び出したくなる。どうせ脱出するなら、なるべく日本人のいない所がいい。まったく知らない東南アジアの田舎道をバスで揺られたり、現地のフェリーに乗って海や川を渡っていると、何もかも忘れて本当にリフレッシュする。それでも、まだきっと何かいいことがあるに違いないと考える人もいるだろう。少し前のカンボジアは本当に無法地帯で、危険ではあるが、何でもありの世界だった。これはこれで、適度なスリルが味わえて楽しかった。私のように海外で強盗に襲われて、頭に銃をつき付けられた日本人はまだ少ないだろう。アフガニスタンやイラクでもスリルを味わうことができるかもしれないが、その前に殺されてしまう危険も大である。現在は三流ホテルでも防犯のために監視カメラを備え付けて、宿泊客の出入りをチェックしている所もある。「ベオウルフ」のような世界を期待するなら、衛生面から考えても他の国の方がいい。
 前回この日記で近日中に撮ってきた写真をもんもん写真館に載せると書いたが、まだできていない。実はこの日記の更新などは私1人でできるが、もんもん写真館の写真の更新だけは業者に頼まないと無理である。このホームページの枠組みも業者に頼んで作ってもらっている。少し勉強したら簡単に更新できるようになると思うが、なかなか忙しくて覚えていられない。もんもん写真館の写真も増えてきたので、この際もっと見やすくなるようにリニューアルを頼んでいる。今度こそ数日中にはできあがるので、請うご期待である。コンポンチャムの写真で子どもたちの後ろに橋が写っているが、この橋は日本の援助で作られ、広いメコン川に架かっている。
 プノンペンで私の好きな場所はバサック川にかかっているモニボン橋である。ここの橋を渡ると、ローカルなにぎやかな場所に出る。ここはセントラルマーケットとは違って、外国人は誰も訪れない。露天の市場やトラックやバイクなどの乗り場があって、いつ行っても活気がある。私は毎回必ずここを訪れ、定点観測で写真やビデオを撮っている。今回はここの写真も新たに追加する。この橋から遥か彼方まで続く川をカメラで撮っていたら、下の川原で遊んでいた大勢の子どもたちが私に気づいて、手を振ってくれた。こういう時にはリコーのキャプリオR7が便利である。28〜200mmまでカバーしてくれるので、すぐに望遠にして撮れる。一眼レフで高級レンズを付けていても、シャッターチャンスを逃してしまったらおしまいである。望遠レンズまで持って歩いていたら、それこそ重くて気軽には持ち出せなくなる。これまでいろいろなカメラを使ってきたが、海外でのスナップ写真はこのカメラ1つで充分である。
 以前にプノンペンでどしゃ降り雨にあい、しばらくして空が晴れ上がってきた時がある。道路には水が溢れ、その中をたくさんのバイクが行き交っていた。私はバイク・タクシーに乗りながら、この時にカメラを持って来なかったことをすごく後悔した。この光景はどこを撮っても絵になる。少し高い所から撮ったら、写真のテクニックを超えて、傑作が撮れたに違いない。私は写真のテクニックがない分、いつも被写体の珍しさで勝負である。それでも、写真はいつも難しいと思う。今回夕暮れにモニボン橋で撮った写真はほとんどぶれていた。ビデオはただまわしていたらいいので、手振れをしないように構図だけ考えていたらそれなりにきれいに撮れる。前にも書いたが、同じ場所でカメラとビデオを同時に持って行くと、私はどちらにも集中できなくなってしまう。去年の夏にベトナムのメコンデルタに行った時には、ほとんどビデオをまわしていた。だから、写真よりも面白い動画がたくさん撮れている。最近はホームページでも動画を公開できるようになったので、将来的には考えていこうと思っている。
 さて、この連休は「エイリアンvsプレデター」の映画を見に行った。この種の映画には見飽きてしまったのか、話の筋といい、内容といい、あまり楽しめなかった。最近はレンタルビデオを含め、映画を見過ぎているのか、感動する作品になかなか出会わない。小説家の開高健が晩年、小説や文章を読んでいて一行でも感動するものに出会わなくなったようなことを書いていたが、私はまだ本の方が面白い。去年のベストテンがキネマ旬報で発表されていたが、外国部門では私の見た映画は3本だけである。日本映画で選ばれているのは1本も見ていない。第3位にはいっている「しゃべれでも しゃべれども」はPSPに入れてカンボジアまで持って行ったが、見ている暇がなかった。いつも自立支援の診断書が大変だと書いているが、連休中もどんどん増えていく山のような診断書を朝から晩まで書いていて、ストレスが溜まった。旅行から帰ってまだ2週間も経っていないのに、もう金魚のように狭い水槽の中で窒息しそうである。

追記:文章中不適切な表現があったことを深くお詫びします。

平成20年1月8日(火)

 この前の続きで、関空に届かなかった私の荷物はどうなったかである。前にも書いたように、プノンペンからバンコクに行き、空港で2時間ほど待ち、バンコクから別の飛行機で乗り継いで関空に帰ってきた。どこかで、正しく手荷物が積み替えされなかったことになる。翌日、タイ航空から連絡があり、荷物はバンコクにあり、関空に届いたという。ところが、ここでまたひとつトラブルが生じた。荷物につけていた鍵を開くキーを空港職員に間違えて渡してしまったのである。この日記でも何回も書いている鍵穴のない磁気で開ける鍵である。朝空港に着いた時に、こちらもあわてていたので、カバンに中に入れていたもう一つの鍵のキーとカバンに付けていた鍵のキーを勘違いしてしまった。当然渡したキーではカバンの鍵は開かない。私の所に宅急便で送るには、税関でカバンを開け、中身を調べてからでないと無理である。
 最初、タイ航空の職員の態度が横柄で私も頭にきてしまった。確かに鍵を間違えて渡した私も悪かったが、元といえばタイ航空がきちんと私の手荷物を運ばなかったからである。荷物が届くのは遅くなってもかまわないので、正しい鍵を送ると言っても、すぐに税関を通さなければならないという。ジッパーに付いている2個の留め金の穴に鍵を通していたが、ここを切って開くという。正しい鍵を今すぐ持っていくが、交通費は出してくれるのかと聞くと、出せないという。留め金を切ってしまったら、カバンとして使いものにならなくなる。タイ航空は保障してくれるのかと聞くと、荷物には保険はかけているが、どうのこうのと言ってはっきりしない。カバンは梅田のヨドバシカメラにも京都駅のビックカメラにも置いてあるもので、4〜5千円ぐらいである。私も頭にきたので、タイ航空のシルバー会員で、プノンペンの空港でも間違えるなと何回も確認したと怒鳴りつけてやった。私も客商売をしているので、ごく一部であるが無理難題をいう患者さんの要求にもできるだけ答えようといつも努力している。客に対して理不尽な態度を取られると、日ごろのストレスが貯まっているせいか、許せなくなる。
 私が強く抗議したせいか、「少しお待ち下さい」となり、しばらくしてまた電話がかかってきた。税関に頼んで鍵を開けてもらい、荷物検査を済まして、宅急便で荷物を送ったという。それほど時間がたっていなかったので、意外であった。税関ではどんな鍵でも開けようと思えば開けれるのである。そういえば、最近は以前と違って機内に預ける荷物の検査はしなくなった。荷物を預けてから、検査をしていると思うが、中には不審な物がはいっている荷物もあるだろう。飛行機の出発時間まで時間があり、待ち時間に時々乗客が呼び出されているので、私は本人立会いで荷物の中身をチェックしているのかと勝手に想像していた。米国への入国にはテロ対策が厳しくなり、米国の基準にあった鍵を使用していない場合は、鍵を壊されて荷物の中身をチェックされるという。どこまで乗客が立会いで荷物検査を受けているのかわからないが、日本の空港でも不審な荷物は勝手に開けられて、中身を調べられている可能性が高い。この辺の事情については、どうなっているのか乗客には知らされていない。テロ対策で荷物の中身を勝手に調べているなら、きちんと乗客に周知徹底すべきであろう。
 すぐに荷物は宅急便で届いたが、何か変な物がはいっていなかったか少し心配になった。立会いをしていないので、女の人だったら、汚れた下着など隅から隅まで調べられたらいやだろう。プノンペンでも違法のコピーをしたCDやDVDを売っているが、最近は買っていない。実際店頭で売っているので、どこまでコピーでどこまで正規版なのかよくわからない。カバンの中には酒のつまみに買っていたピスタチオとアーモンドの袋を入れていた。まさかこの中に麻薬を入れているとは思わないだろう。使用していないビデオテープとビデオカメラも入れていた。デジカメとせっかく撮ってきたビデオテープは万が一の紛失も考えて、持ち込みにした。プライベートなビデオテープやデジカメの中身を調べるのは検閲にあたるので、よほどの犯罪の証拠がない限り税関もチェックできない。しかし、立会いがなかったら、テープの中身も調べられたかもしれない。今回ビデオカメラのヘッドが汚れていて、途中から撮影できなくなって困った。こんなカンボジアでデジタルビデオ撮影用のクリーニングテープが手にはいるのかと心配になった。セントラルマーケット近くのソリヤ・ショッピング・センターで探したら、なんとか手に入れることができた。ソリア・ショッピング・センターは最近できたカンボジアで初めての大型ショッピング・センターである。当初はカンボジアで初めてのエスカレーターが登場して、現地では大きな話題になった。何十本も撮るわけでないので、こんなクリーニングテープも入れていたら、税関職員もびっくりしたかもしれない。他には、シューズ・ブラシと黒の靴磨きクリームも入れていた。黒の靴磨きクリームは怪しいかもしれない。アヘンか何か他の麻薬を混ぜて密輸しそうである。
 私は冬でもスポーツサンダルを履いて、旅行に出かける。裸足でスポーツサンダルを履いたのでは、こんな寒い冬ではおかしく見える。黒いスポーツサンダルに黒い靴下を履いていくと、目立たず靴を履いているように見える。数日中にはもんもん写真館に新しい写真を載せるつもりだが、コンポンチャムのメコン川の河原で写真を撮っていたら、スポーツサンダルが泥や埃で汚くなってしまった。帰国する前にサンダルをきれいにしたかったが、カンボジアでは靴磨きがいない。昔の貧しい日本では上野駅の靴磨きが有名であったが、ほとんどのカンボジア人は靴を履かない。みんな裸足で、サンダルみたいなのを履いている。仕方ないので、またソリア・ショッピング・センターまで行き、シューズ・ブラシと黒の靴磨きクリームを買った。スポーツサンダルをきれいに黒く磨いて、後は現地で捨ててきてもよかったが、もったいないので日本まで持ってきた。怪しい荷物は何1つ入れていなかったが、あまり治安のよくないカンボジア国内を何度も1人でもうろうろしているのは、充分に怪しいかもしれない。
 私はタイ航空のシルバー会員である。ゴールド会員になるには、毎月カンボジアまで往復してマイルを稼がなければならないが、シルバー会員でも充分である。遅く搭乗手続きをしても、カードを見せると通路側の席が取れる。夏のベトナムもタイ航空で行っている。最初に書いたように、初めにタイ航空の職員の対応が素気なくて頭にきたが、その後税関に頼んで鍵を壊さず荷物を開けてもらっている。次にまた荷物が行方不明になるのはご免であるが、今回はいろいろなことを知ることができて、いい勉強になった。

平成20年1月1日(火)

 前回書いたように、きょうは1日遅れでこの日記を更新する。関空に着いたのは本日(2日)の朝7時過ぎであった.。早く帰って寝ようと思っていたら、機内預かりにしていた手荷物がいつまでたっても出てこない。最後に係りの人が出てきて、コンピューターで調べてくれたが、行方不明である。プノンペンからそのまま乗り継いでバンコクから深夜便で帰ったので、バンコクで別の所に積荷された可能性が高い。プノンペンからのタイ航空はルフトハンザ航空との共同運航である。まさかルフトハンザまで送られたわけではないだろう。映画で出てきた「かもめ食堂」の場面を一瞬思い出してしまった。
 私は忙しくて海外は近場しか行けないので、いつも荷物はショルダーのカメラバッグと手提げのこれもやや大きめのカメラバッグである。「新東洋事情」などで有名な深田祐介が、昔読んだ本の中で、目的地まできちんと手荷物が運ばれるのは幸運なことぐらいのことを書いていた。私はその話をひたすら信じて、これまで手荷物を預けることはなかった。昔はそれほど手荷物が同じ飛行機で届かないことが日常茶飯事だったのだろう。ところが、空港内の運送システムも発達して、あれからもう20年以上もたっているである。しかも、私が手荷物を機内に預けるようになったのは、まだ数回である。こんなことは、確率でいったら、宝くじにあたるぐらいのことかもしれない。
 私が手提げカバンを機内に預けるようになったのは、空港のテロ対策で100cc以上の液体を手荷物で機内に持ち込めなくなったからである。ヘアースプレーもだめで、旅行中に飲む私の好きなラム酒もだめである。一旦荷物を機内に預けたら、広い空港内を重い手提げカバンを持ち歩かずにすみ、こんな楽なことはないと思っていた。今回は帰りの飛行機で助かった。行きの飛行機で、現地まで荷物が届かないのは困る。わずか数日間の旅行なので、荷物が届くまで待っていたら、それだけで終わってしまう。関空で荷物を紛失した時の手続きをしていたら、けっこう時間がかかった。荷物が見つかったら、自宅まで送るという。ただ、税関を通さないといけないので、カバンの鍵を預けなければならない。ふだんの税関のチェックは大勢の人がいるので簡単に済むが、鍵を預けたら立会人のいない所でカバンの中身を隅から隅まで調べられることになる。何も心配する物ははいっていないが、あまり気分のいいものではない。プノンペンと日本の間を何回も行き来しているので、マークされていて、もしかしたら麻薬の運び人か何かと間違えられたのかもしれない。私の被害妄想かもしれないが、いざとなったら国家としてはこれぐらいのことはやるだろう。いずれにしても、確率的には2回目はありえないので、これからは安心して機内に手荷物を預けようと思う。
 荷物が届かなくて唯一困ったのは、上着がなかったことである。寒くてこのままシャツ1枚で京都まで帰るわけにはいかない。係りの人に言ったら、上着をいくつか持ってきてくれ、サイズの合った物を貸せてくれた。宅急便で着払いで返したらいいという。京都駅に着いて、そのまま近くのマンションに寄った。きょうは家内と子どもは東京ディズニーランドである。今年のホテルはミラコスタが取れず、アンバサダーである。毎年家内と子どもはこの年末年始の時期には東京ディズニーランドで過ごす。去年はカウントダウンに参加したが、高い割にはもう一つだったみたいで、今年は年明けのきょうから出かけている。私としては本当はサイパン・ロタぐらいで家族とゆっくりと過ごしたかったが、却下されている。荷物の整理をして、一眠りをしたらもう午後4時である。このホームページを更新するために医院まで出てきているので、自宅には寄っていない。その後荷物がどうなったかはまだわからない。
 去年は患者さんの数が少し増えた。年末の12月26日が1番多く、86人であった。もっともこの数は最大瞬間風速で、ふだんはそれほど多くない。1番少ない日は午前診だけであるが13人で、14人という日も2日ある。今年は4月から保険点数の改正があり、精神科が狙い打ちされるという噂もある。通院精神療法の点数が引き下げられ、時間制限も設けられるという。確かに精神科の開業には順風が吹いているが、これ以上保険点数を引き下げたら、精神科病院や総合病院の精神科はどうなるのかと思う。患者さんの数ばかりこなすより、じっくり話を聞いて経営が成り立つのが1番いい。
 まだ読みきっていないが、勝間和代「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践」(光文社新書)は内容的には面白く、今年こそは資産運用を本気で考えようと思った。旅行中は、「007カジノ・ロワイヤル」などの映画やTV番組をPSPに録画して持って行ったので、こちらの方ばかり見てしまった。この本では、日本ではたとえ知識層であっても金融に詳しくないのは、その背景に「お金のことを人にあからさまに話すのは恥ずかしい」という美学があるからで、「同じ1万円を稼ぐのにも、汗を流して稼いだ1万円の方が、お金を運用することで得た1万円よりも尊い」という価値観があるためであるいう。ところが、金融の知識を上手に活用していけば、労働からの収入と金融からの収入のバランスをうまくとることができるようになる。労働力による収入を生活の中心に組み立てれば組み立てるほど、より長時間労働に頼らざるを得なくなる。これを避けるには、家計がよりリターンの高い金融資産を持ち、労働収入にすべてを頼らない収入を持つことが必要だと著者は述べている。なかなか説得力があり、政治や社会のことばかり関心を持つよりも、その何分の一でいいから金融知識も身につけることが大事である。今年の目標は欲張らず、この辺にピンポイントをあわせようと思う。
 新しい年は、メコン川を望むホテルで迎えた。プノンペンからバスで3時間弱で、場所はコンポンチャムである。往復のバスでは外国人は見かけなかったが、小さな町には欧米人がけっこう観光で訪れていた。ここから近くのメコン川沿いのクラチェが、最近になってドルフィン・ウオッチングで有名になっている。今回は前にも書いたリコーのカメラとキャノンのビデオカメラを持って行った。また、近いうちにもんもん写真館で公開しようと思う。私が撮っている何気ないカンボジアの写真やビデオは、30年ぐらいしたら価値が出てくるかもしれない。特にビデオはカンボジアではまだそれほど普及していない。内戦が終わってどんどんと発展しているカンボジアであるが、今残している映像は将来はそれこそ日本の戦後のような貴重な記録になるだろう。内心、これこそ究極の資産運用になるのではないかと考えたりしている。

 

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