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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成19年12月25日(火)

 めったに往診することはないが、この前の水曜日は久しぶりに往診に出かけた。1人暮らしのうつ病の患者さんで、薬を飲まなくなって精神状態が悪くなっている。近所の人が世話をしているが、なかなか言うことを聞いてくれず、限界にきているという。うつ病では悪化した時には貧困妄想が出る時がある。貧困妄想というのは、実際にお金があっても、もうお金がないと思い込み、困った困ったと深刻に悩みこむ一種の妄想である。この患者さんも「お金がない」といって、暖房もつけず、食事もせず、この寒さの中で外をうろうろしていた。入院が望ましいが、家族は誰もおらず、説得しても本人が「入院するお金がない」と言って拒否する。薬を飲まなくなって悪化していたので、とりあえず薬をきちんと服用させることにした。入院を断固拒否する1人暮らしのうつ病の患者さんを精神科病院に無理に入院させるのは、手続きを考えただけでも気が遠くなった。家に残っていた抗うつ薬などを1回1回に分けて、きちんと服用するように伝えた。
 ところが、土曜日にまた地域支援センターから電話がかかってきて、相変わらず近所をうろうろしているという。仕方ないので、外来が終わってからまた往診に行ったが、連休前の土曜の午後からは入院させてくれる病院を見つけるのは至難の技である。ましてや、1人暮らしで入院を拒否している。仕方ないので、この連休を乗りきるために、強い薬を処方することにした。私の医院はすべて院外処方なので、私が院外薬局まで取りに行って薬を用意した。患者さんの家に行くと、食事をしていないので薬はあまり飲んでいないという。すぐにその場で用意した薬を飲ませ、食事と関係なく毎回飲むように説得した。焦燥感が強かったので、鎮静効果の高い薬を処方した。少し強すぎるかと思ったが、日中に眠ってしまっても仕方がない。きょう係りの人から電話で連絡があったが、だいぶ落ち着いているという。年末に精神状態の悪い患者さんが出ると、まったく身動きが取れなくなる。なんとか解決できそうなので、一安心である。
 往診が続く時には続く。きょうは別の患者さんの母親から往診依頼があった。統合失調症の患者さんで、母1人子1人の家庭である。母親は80歳を超えている。親が高齢化して、精神障害の子どもを抱えている家庭が多くなっている。この患者さんは薬を飲もうとしないので、いつも被害妄想が強くなる。今は薬を拒否する患者さんにはわからないように投与するために、液体の薬やすぐに水に溶ける薬が作られている。しかし、なかなか食事や飲み物に薬を入れる機会がないという家族もいる。この患者さんもふだんは食事の支度をしたりしているので、わからないように薬を入れるのは難しかった。年に数回悪化した時に、私が注射を打ちに行っていた。最近の注射薬も1回打ったら1ヶ月以上効果が持続するように工夫されている。この患者さんは1回注射を打つと、数ヶ月は買い物に行ったり、家事をしたりして調子がいい。家族の人からは私が亡くなったらこの子はどうなるのと聞かれることがあるが、その時に考えましょうと答えるようにしている。統合失調症のような重い精神障害の患者さんに対しては、1人になっても福祉はまだ手厚く対処してくれる。
 話が変わるが、親というのは、いつまでも子どものことが心配である。私の同級生はみんな子どもが大学生だったりもう就職したりしている。私は結婚が遅かったので、まだ2人とも中学生である。私なんかは子どもの大学受験が終わったらやれやれと思っていたが、決してやれやれでない。患者さんを診ていると、子どもの心配は一生つきないようである。就職しても、結婚してもまだ安心できない。最近考えさせられるのは、親が定年を迎えやれやれと思っている時に、娘が離婚して小学生の子どもを2人連れて帰って来たりした場合である。娘は特殊な技能がなければ、パートに出ても大したお金にはならない。結局幼い孫の面倒をみるのは、60歳半ばを超えた母親である。経済的にも余裕がなく、これからどんどんとお金のかかる孫を抱え、悠々自適の老後は吹っ飛んでしまう。40歳を超えて娘や息子がまだ結婚しないと悩んでいる親も多いが、今や子どもの結婚は親にとってはハイリスク・ハイリターンなのである。離婚しても、母親が子どもを引き取るケースはまだまだ多い。私の娘はまだ中学生であるが、時々こんなことまで心配しなければならないのかと思ったりする。それでも、幼い孫が、小島よしおの「そんなの関係ねえよ」と物まねしていると、本当にうれしそうに話す患者さんを診ていると、ハイリスク・ハイリターンでも子どもは結婚して欲しいと思う。
 この連休は京都市の休日待機番が当たっていたり、今月分の自立支援の診断書を書いたり、年賀状の宛名書きをしたりと相変わらずやることが多かった。それでも久しぶりに少しゆっくりとできた。映画館に「アイ・アム・レジェンド」を見に行ったが、ゾンビーみたいな生き物の描き方が迫力があり、それなりに面白かった。あまり期待せずにツタヤで借りたビデオも面白かった。「スモーキン・エース」と「ラッキーナンバー7」であるが、両方とも充分に楽しめた。白輪剛史「動物の値段」(ロコモーションパブリッシング)を読んだが、作者は動物輸入商である。コアラはユーカリ以外食べないので、新鮮なユーカリの輸送費などで維持費が年間1200万円ほどかかるとか、トラは背後から襲ってくるので、後頭部に顔写真やお面をつけると、後ろからの攻撃を防げるなど面白いことがたくさん書いてある。私も老後は小型のサルでも飼ってみたいと思った。
 年明けは1月1日が火曜日になるが、この日は私は日本にいないので1日遅れで2日にこの日記を更新するつもりである。いつも新しい年を迎えると、今年こそはと思うが、あまり欲張らずピンポイントで目標を立てようと思う。

平成19年12月18日(火)

 いよいよ今年も押しつまって来た。医局の忘年会や東山医師会第4班の忘年会で話をしていたら、ドロボーにはいられたという先生がけっこういた。前にも書いたが、セコムなどのホームセキュリティを入れていても、すぐに警察が駆けつけてくれるわけではなく、到着までのタイムラグがある。ドロボーもわずか数分間に勝負をかけて、浸入してくる。ある院長は自宅の裏の窓ガラスを割られてドロボーにはいられ、隣の家は3回もはいられたという。こんな世の中なので、貴重品は自宅には置かず、貸金庫に預けているという先生も多かった。
 私の医院は建てこんだ住宅街にあり、交番も近い。セコムのホームセキュリティもはいっているので、自宅よりも安心である。自宅も同じように建てこんだ住宅街にあり、正面玄関は見通しがよく、近所の家からは丸見えである。自宅の裏も狭く入り組んでいてはいりにくい。敷地も25坪しかないので、お金持ちの家のようには見えない。今広い家を探しているが、あまりりっぱそうな家でもドロボーのターゲットになりそうで心配である。
 たまたま本屋に寄った時に、ラジオライフの別冊で「防犯バイブル」が出ていた。立ち読みしたら、面白そうだったので早速買ってきて読んでみた。毎月出ているラジオライフはめったに買わないが、12月号に面白い記事が載っていた。パソコンのセキュリティソフトで、政府のために使われるスパイウェアも検知・駆除できるのはドイツの製品だけだという。米国や中国では、国が作ったスパイウェアはマルウェア(悪意のこもったソフトウェア)にならず、FBIではスパイウェアを使ってパソコン盗聴をしているという。わが国では共有ソフトのウィニーからのファイル流出騒ぎが起こっている。もし警察がパソコン盗聴ができるスパイウェアをおとりファイルに忍び込ませてウィニーに流したら、このドイツの製品以外は検知できず、ファイルを共有している人の情報が簡単に集められてしまうことになる。
 さて、防犯である。以前に騒がれていたピッキングやサムターン回しはTVでも取り上げられ、よく知られるようになった。この「防犯バイブル」を読むと、海外での新しい住居浸入手口として、バンピングとメルティングが紹介されている。バンピングというのは、鍵穴にバンプキーを入れてハンマーで叩く。ピッキングと違って特殊な技術を要しないという。メルティングというのは、強酸性の特殊な溶液を鍵穴に入れて1時間ほど待つと、中の薄い金属板が溶け、マイナスドライバーで簡単に解錠できるという。鍵のことも詳しく書かれており、実際のプロの鍵師にピッキングさせて時間を測っている。新しい鍵でも2〜3分で開けられてしまっている。鍵もどんどんと進化しているようで、今年になって登場した最新の鍵はさすがにプロでも歯が立たないらしい。日本人は水と安全はただだと思っているが、こういう所にお金をかけるべきなのかもしれない。
 私は海外旅行はあまり治安のいい所には行かないので、ホテルに置く荷物には気を使う。1流ホテルに泊まったら安全であるが、いつも使うのは3流ホテルである。カンボジアの安ホテルに泊まっていると、従業員でももうひとつ信用できない。掃除する人からタオルを交換する人などいろいろな人が部屋に出入りするので、不安である。1番いいのは現金やパスポートを肌身離さず持っていることであるが、外で強盗にでも襲われたらどうしようもない。カバンはヨドバシカメラで買った大きめのカメラバッグを使っているが、さすがに従業員でもカバンを切り裂いてまで盗む人はいない。大事なのはカバンの鍵である。前にも書いたが、ふつうの鍵では簡単に開けられそうなので、磁気を使った鍵を使っている。以前にホームセンターで見つけて手に入れたが、最近は売っていない。何か重要な欠陥が見つかったのか、もう取り扱っていないのかわからないが、鍵穴がないので安心である。安ホテルでもセイフティ・ボックスが用意されているが、これもどこまで信用していいかわからない。まだ治安の悪かった時のカンボジアのホテルでは、財布を新聞紙で包み、その上からガムテープでぐるぐる巻きにして、自分の名前をその上からローマ字で書いてセイフティ・ボックスに入れていた。私はそれでも安心できなかったので、漢字の名前も付け加えていた。
 最近の防犯カメラは動作検知機能が備わっており、人が来た時だけ作動して録画してくれる。医院には防犯カメラは備えていないが、横の通路には動作検知のフラッシュライトをつけようと思っている。新しい家を探しているので、自宅の改造には消極的であるが、ドアホンにカメラがついていて、相手を確認できて画像を記録してくれる製品も出ている。新しい家は数年かけて探したらいいので、思い切って自宅にこの製品を取り付けようかと考えている。盗まれることよりも、家族の安全の方が大事である。この本では他にも、盗聴、スキミング、催涙スプレー、スタンガンなどのことも出ているが、防弾ベストのことも詳しく書かれている。一体この日本で誰が防弾ベストを買うのかと思う。最新流行のファッションとしては、重たそうである。そのうち、防弾ベストを着て診察する時代も来るのかもしれない。実は防犯で一番心配しているのは、医院でも自宅でもなく、京都駅近くのマンションである。マンション入り口には防犯カメラがつき、中には鍵がないとはいれず、日中も管理人が常駐しているが、ふだん住んでいないので心配である。中古のマンションなので、前の住人の鍵も大丈夫かと思う。ドアにサムターン回しの傷みたいなのが付いているのも気になる。あまり神経質になると、盗聴器がしかけられているのではないかと疑って、それこそパラノイアになってしまう。それでも、自宅に盗みにはいられている人が意外にも多いので、わが家だけは大丈夫だと思わず、ちょっとした注意が必要である。

平成19年12月11日(火)

 私の医院は京都第一赤十字病院の近くにあり、建物の影響のせいで、このあたりはTVの映りが悪くなる。最初に医院を建てた時にTVアンテナは立てず、どこから来るのかわからないが、TV受信用ケーブルを利用している。ところが、最近医院のTVの映りが悪くなり、ブースターをつけても画像が乱れる。たまたまイオ光の新聞広告を見ていたら、地上デジタルが光ファイバーで見れると載っていたので、早速申し込んだ。工事は申し込んで1ヶ月ぐらいかかり、やっと今週の木曜日に来てくれる。ふだんの日はなかなかTVを見ている暇はないが、それでもたまには見たい番組がある。家でもDVDレコーダーに録画して後から見たらいいのであるが、子どもたちが使ったりしているので、なかなか見ている暇がない。休みの日も医院で書類を書いたりしているので、ちょっとした合間に見るのには都合がいい。
 最近はTV番組などをiPodなどで見たりできるようになったが、みんな動画変換はどうしているのであろうか。パソコンにTVチューナーがついている場合はまだ楽かもしれないが、面倒くさそうである。私はアナログ放送対応の古いソニーのDVDレコーダーを愛用している。PSPに転送して持ち出すおでかけ・スゴ録が便利で、2時間番組でも数分でPSPのメモリースティックに転送できる。PSPは大きいのでふだんは使わず、メモリースティックの動画ファイルを開いて、パソコンのQuick Time Playerで見たりしている。私の使っているソニーのウォークマンにも簡単に動画を転送できる。
 前回の日記でも書いたが、先週の日曜日は京都国際交流会館でカウンセリング・デーがあり、英語圏の人の相談を受けた。久しぶりに英語を使って、自分の英語力のなさに改めて気づいた。今ベストセラーになっている古市幸雄「1日30分を続けなさい!人生勝利の勉強法」(マガジンハウス)を読んでいるが、ふだん何気なく気づいている当たり前のことをすっきりとまとめて書いてあり、説得力のある内容になっている。私はたまにCNNを見ているが、実際には録画しても見ている時間がほとんどないし、なかなか見る気も起こらない。この本にも書いてあるように、1週間に1時間ちょっとぐらい英語の勉強をしても、まったく効果がない。毎日30分でも続けることがいかに大切か身にしみてよくわかる。著者は仕事の忙しい合間に留学の勉強をして、帰国後TOEICで980点を取っている。とりあえず、私は900点を目指してまた頑張ろうと思う。皆と同じことをしていて、秀でようと思うのは虫がよすぎる。最近は自宅の居間に古い小さなノートパソコンを置いて、夕食の後子どもたちがTVを見ているそばでCNNの動画ファイルを開いて30分は見るようにしている。DVDに録画して改めて自分の部屋に移動してTVで見るよりも、この方が気楽に続けられる。ノートパソコンに翻訳辞書を入れているので、知らない単語をメモして後で調べるのも便利である。啓蒙書としては、本田直之「レバレッジ勉強法」(大和書房)も読んだが、勉強の分散投資をしてはいけないなど役に立つことがたくさん書いてある。いくらいい大学を出ていても、忙しい合間に効率よく勉強する方法について詳しいわけではない。私は何もやる気がしない時には、こういう本を読んで自分を元気づけている。もっとも前にも書いたように、「英語の上達法」の本ばかり読んでいて、実際の英語の勉強をしないのは本末転倒である。
 医院のTVを地上デジタルに変更するので、20インチの液晶TVも買った。少し前に家電メーカーに勤めている患者さんから聞いた話であるが、小型の液晶TVの方が、大量生産する大型の液晶TVよりもコストがかかるという。TVの幅が広くなるので、TV台も変えなければならない。壁に沿って直角に交わる収納棚と組合わせたTV台なので、両方の収納棚を今より広げて置いて、そこに載せるTV台を自分で作らなければならない。早速ニックへ木製の板を買いに行った。全体の長さは電動ノコで合わしてもらえるが、台形には切ってもらえない。仕方ないので、医院に帰って自分でのこぎりで切ってサイズを合わせた。なんとか両方の収納棚の金具の上にのせることができた。21インチのブラウン管TVから変えただけであるが、幅が広がった割には随分とすっきりした。
 土曜日は大学の医局の忘年会があった。年に2回あり、久しぶりに先輩や後輩と話ができて楽しかった。全部で120人ぐらいの参加者があったようである。相変わらず精神科は開業ブームで、開業した後輩の先生はみんな大成功で、来年には私の方が追い越されてしまうぐらいである。精神科は開業についてはまだサイコバブルは続いている。総合病院に勤めている先生はみんな忙しいようである。特に1人医長と言われる先生は精神科は1人なので、外来と病棟の患者さんで1日中追いたてられている。
 日曜日は宇治の精神科病院で情報交換会があった。昼食を挟んで、昼11時頃から午後2時過ぎまで、病院でやっている入院プログラムなどを聞いたり、病棟見学をした。私は総合病院が長かったので、最近の精神科病院の事情については詳しくなく、いい勉強になった。うつ・ストレス専門病床も見学させてもらったが、これならふつうのサラリーマンでも入院に抵抗はない。京都市からの依頼で一次診察に同じ宇治の府立洛南病院に行くことがあるが、予算がないのかまだ古い病棟のままである。京都市内の精神科病院はほとんど新しく建て直しており、この病院も建て替えの時にあちこちに新しい工夫をしている。精神状態の悪い患者さんを入れる保護室も従来とは違って、ふつうの個室のように作られている。医局員などがみんなで議論を重ねて、注文建築で頼んだという。老人病棟もおしめの臭いなどがこもらないように、換気を工夫している。参加者は医者はあまり多くなかったが、日赤を始め、あちこちの病院から看護師や事務員が来ていた。みんな精神状態の悪い患者さんや救急の場合に入院させてもらえるかどうかお願いに来ているようであった。あくまでも救急の患者さんだけであるが、日曜日や夜間にも対処してくれるといくことであった。この日の夜は東山医師会第4班の忘年会があったが、私は今年は班長でなかったので久しぶりにゆっくりと食事を楽しめた。

平成19年12月4日(火)

 この前の水曜日は家に帰って1人で夕食を取っていたら、いきなり家内と息子が私に向かって謝り出した。初めは家内がこれまでの私に対する非礼で謝っているのかと思ったら、息子まで頭を下げて「父ちゃん、ごめん」という。どうしたのかと思ったら、中1の息子が携帯電話のアダルト・サイトかどこかをクリックしたら、その後何回もメールで利用料金の支払いを催促されたという。息子も最初は無視していたが、延滞料金がどんどん上がっていき、早く手続きをしないと裁判を起こすとか書いてあり、こわくなってその連絡先に電話したという。結局家にいる時にまた息子の携帯電話に相手方から連絡があり、母親を出せということで家内が電話に出た。サイトの利用料金は23秒で、個人情報データ管理料や手数料、延滞料金などを合わせ、総額が37万円になっているという。このまま支払わないと簡易裁判所で小額訴訟の手続きを取るが、電話で解決したら20万5千円にするので、翌日の木曜日にATMで金を振り込めという。家内に振込口座の番号を聞いたが、午後3時に家内から連絡場所に電話したら、所定の口座に振り込むように指示するという。家内も相手方のことを聞いたが、会社の名前はTネットで、サイトの公表は不可能で、東京の新宿にあるが、詳しい住所は教えられないという。翌日連絡する携帯電話の番号だけ教えてもらっていた。
 息子は自宅の電話番号などは話していないが、名前は教えたという。仕事で疲れていたが、とりあえず先に夕食を取った。その後でその携帯電話の番号に電話をしてみた。電話は通じたが、留守電話になっていた。私はここでは書けないぐらいのヤクザ顔負けの言葉で、罵倒してやった。長いメッセージを残したが、それでも腹の虫がおさまらなかった。どうせこんな奴らはそのうち刑務所でオカマでも掘られる運命にあるので、もっと相手をバカにした言葉を考えて罵ったらよかったと後悔した。以前に患者さんから、借金の返済を早くしろという振込み詐欺のようなハガキを見せてもらったことがある。女の人はこの種の脅しには弱いようである。今回どうして家内まで一緒になって私に謝るのかよくわからなかった。子どもが何かしでかしても、家内の育て方が悪いといって責めるつもりは全くない。これから思春期で、誰でも面白半分でいろいろなことをする。ただ、息子には相手が大人の時には自分で解決しようとするなと注意はした。こわくなって自分から相手先に電話しているが、自分で解決しようとして、かえって話がややこしくなる時がある。相手がまだいろいろと言ってくる時には、中1の子を脅迫したと反撃してやってもいい。実際、息子はこわがって自分の携帯電話を使うのをいやがり、この機会にまた新しいのに買い換えてやった。
 今回の事件で、子どもたちには日ごろの社会についての教育が大事だと思った。親としては勉強の成績ばかり気にしがちであるが、その子の年齢に応じた社会教育も必要である。万引きでも絶対にしてはならないことであるが、万が一してしまって捕まった時の対処も教えておかなければならない。もっとも私の時代と違って、今は監視カメラが発達しているので、そのことを伝えてやる方が有効かもしれない。出会い系サイトは中高生でも面白半分でアクセスするので、出会い系サイトのアクセスを禁止するのではなく、利用に潜む危険や利用の仕方(名前や住所、電話番号を安易に教えない)等を初めに教えておく方が安全である。年頃の娘を持った場合は、世間の誘惑や性に関する落とし穴もきちんと教えておかなければならない。息子は男なので安心かというと、以外に世間には同性愛者も多く、一部の大人の同性愛者の犠牲になることは避けなければならない。子どもたちは、まだインターネットはそれほど利用していないが、これもどこまで安全でどこまで危険かきちんとした教育が必要である。大きくなるにつれ、宗教団体などがそれこそ環境問題やボランティアなどの名を借りて勧誘してくるが、これも最初から知っているのと知らないのとでは大きな差が出る。関東学院大学ラクビー部の集団大麻乱用が問題になっているが、ドラッグについても教えることが山ほどある。
 以前からこういうことは少しづつ教えておかなければならないと思っていたが、ついついおろそかになっていた。今回はいい機会だったので、これからは毎週1回10分ぐらい時間をとって、子どもたちにワンポイント・アドバイスをしていこうと思う。本屋に行くと、その類いの本もたくさん出ている。これらの本や新聞の記事などを参考にしながら、毎回テーマを決めて、A4用紙にわかりやすい簡単な要旨でまとめていこうと思う。書いた物を残してやったら、そう簡単に忘れないだろう。週に1回10分程度でも、年間50回になる。同じようなことでも、何回も繰り返し聞いていたら、何かの役に立つ。看護学校の講義や保健所での講演など山ほどしてきたが、自分の子どもにも社会生活で必要な最低限の知識を講義してやらないといけない。最近風俗に勤めている若い患者さんの話を聞いていたら、父親とは仲はいいが、母親とはうまいこといっていない患者さんも多いことに気づいた。もちろんいろいろなパターンがあるが、母子関係がうまくいかず、母親に充分に甘えたという実感がない女の子も多い。いくら父親がしっかりしていても、だめなのである。この点は家内には感謝している。
 さて、先週は京都のあちこちに紅葉をカメラで撮りに行った事を書いたが、患者さんから近くにある今熊野観音寺の紅葉がきれいだと聞いたので、早速金曜日の昼休みに出かけた。泉湧寺や天授庵の庭は見た目はきれいであるが、写真を撮るのは難しい。観光写真のような面白味のない写真になってしまう。今熊野観音寺は拝観料もいらず、それほど観光客もおらず、紅葉を楽しむにはよかった。土曜日は、午後から国際交流会館でカウンセリング・デイがあった。行きは渋滞する道路は避けて行ったが、帰りはどうしようもなかった。メンタルヘルスの相談は1件あったが、法律相談ではNOVA関係が多かったようである。日曜日は朝1番から「ベオウルフ」を見に行った。それなりに面白かったが、英雄は美女には弱いのかと改めて思った。月曜日の午後はまた京都市から頼まれて、通報で保護されている患者さんを西京署まで診察に行った。久しぶりに印象的な患者さんであった。きょうは水月昭道「高学歴ワーキングプア フリーター生産工場としての大学院」(光文社新書)についていろいろ書きたかったが、これからヘルパー養成講座の講義があるので、また次の機会に譲る。

平成19年11月27日(火)

 この前の木曜日は勤労感謝の日の前日ということで、また夜に映画を見に行った。題名は「モーテル」で、道に迷った夫婦があるモーテルに泊まり、そこで命を狙われるというよくあるパターンである。泊まったモーテルがスナッフフィルム(殺人ビデオ)の撮影現場となっており、あまり期待せずに見に行ったが、予想外に楽しめた。 スナッフフィルムについては、以前に見たニコラス・ケイジ主演の「8mm」がこの世界を垣間見せてくれて面白かった。最近見た「ブレイブ・ワン」や「ディスタービア」より、私にはこの「モーテル」の方がずっとよかった。いつの間にか休みの前に映画を見に行くという習慣がついてしまったが、夜飲みに行く習慣は私には全くない。時々祇園のクラブに勤めている患者さんから、1度お店に来て下さいと誘われることもあるが、最近はいろいろな会の後でつき合いで行くのも年に1〜2回ぐらいである。たまたま自営をしている患者さんから聞いた話であるが、つき合いや接待でよく飲みに行くという。週1回ぐらいのペースで、クラブを2〜3軒廻って、一晩に7万円ぐらい使うという。飲み代が月に30万円ぐらいで、どこまで接待費で落ちるのかわからないが、すべて税理士に任せているという。
 勤労感謝の日はビックカメラで息子に出たばかりのサッカーゲームを買い、京都駅の拉麺小路で昼食をとった。その後で、医院に戻って自立支援の診断書を書かなければならなかったが、相変わらずやる気が出なかった。今月の日本カメラを読んでいたら、今年のカメラ・オブ・ザ・イヤーが特集されていた。一眼レフは重すぎて興味がないが、コンパクト・デジカメは新製品が出ると物欲が刺激される。リコーの高級コンパクトの新製品が出たばかりで、欲しい欲しいと思っていた。ところが、この本を読むとカプリオR7が意外と評判がよく、リコーのまわし者みたいな田中長徳氏も同社の高級コンパクトより、いつもこれを使っているという。28〜200mmと欲張りすぎてレンズ性能が心配になるが、価格コムのレビューでチェックしても評価は高い。早速ポイント割引などで実質3万3千円ほどで買ってしまった。つい最近ソニーから出ていた小型のスピーカーのついたヘッドホンもポイント割引で実質4万円ぐらいで買ってしまったところである。私はDVDは夜しか見ないので、ステレオイヤホンで聞くことが多い。サラウンドのヘッドホンも出ているが、耳を圧迫されるのが苦手である。このソニーの新製品は軽くて圧迫感は全くなく、DVDを見るにはもってこいである。両方で7万円超え、少し使い過ぎたかもしれないが、患者さんの1回の飲み代と同じ値段だと自分に言い聞かせている。ブルーレイのレコーダーはまだ早いし、液晶やプラズマの大型TVもまだいらない。個人的には今年はもう欲しいものはすべて買いつくしてしまった。
 さて、前置きが長くなってしまったが、この3日間は土曜日は外来で3連休とはならなかったが、あちこちに出かけて、買ったばかりのデジカメで京都の紅葉を撮りまくった。まず初めに、勤労感謝の日の午後は医院から歩いて10分ほどの泉湧寺まで行った。東福寺は死ぬほど混んでいると思ったので、わざと避けた。別料金であるが、中庭の紅葉がきれいである。何枚も撮ってきて、医院のパソコンで見たが、なかなか思ったようにきれいには撮れていなかった。次の土曜日も天気がよかったので、外来が終わってから、今度は清水寺まで出かけた。五条坂のバス停までは、歩いて15分ちょっとで行けるが、バスに乗った。ところが、今熊野ぐらいからバスが渋滞してまったく動かず、七条で降りて歩いて行くことにした。こんな快晴の観光シーズンに清水寺に行くなんて、自殺行為だと思ったが、1度紅葉をカメラで撮ってみたいと思った。清水坂を登って行ったら、途中で降りてくる人と上っていく人で身動きが取れなくなった。坂道になっているので、行く手に大勢の人の波が見えて、パニック発作を起こしそうなほど気分が悪くなった。少し離れている清水新道は人通りはまだ少なく、こちらの道を通ってなんとかたどり着いた。清水の舞台から見下ろしてみたが、紅葉は期待はずれであった。それでも、カメラの映りを見るために、望遠にして何枚も撮った。境内の中は広いので、歩いていると一部もみじに光が当たってきれいな場所もあった。医院に帰ってきて見たら、気に入った写真も何枚か撮れていた。
 翌日の日曜日はさすがに早く自立支援の診断書を書かなければならなかったので、朝7時から医院に出て、お昼までに今月分はすべて書き上げた。まだ、従業員の11月分の給与計算と10月分の会計を整理して税理士に送らなければならなかったが、やはりこの日も天気がよかったので、午後から今度は南禅寺に出かけることにした。バスやタクシーでは渋滞していつ着くかわからないので、京都駅に出て地下鉄で行った。南禅寺も人ばかりで、紅葉はもうひとつであった。ところが、そばに別料金で400円を取る天授庵があった。期待せずにはいってみたら、庭と大きな池があり、紅葉もきれいであった。観光客もそれほどいなくて、写真を撮るには充分に楽しめた。医院で見たら、よく映っていて、これからはこのカメラひとつで間に合うと思った。音は少しうるさいが、使い勝手がよく、接写にも強い。きみまろズームより薄くて軽く、私の海外旅行にはうってつけである。常に持っていたいと、久しぶりに愛着のわいたカメラであった。また、気に入った写真はもんもん写真館に掲載しようと思っている。
 実はこの日曜日は後で知ったのだが、私の外来の患者さんが急に調子が悪くなって、あちこち病院に電話したがどこにも診察を断られたという。結局、府立洛南病院まで行って、診察を受けたという。こういうことは滅多になく、ふだんの日曜日なら私は雑用で医院にいることが多いので何とか連絡がつく。今回は府立洛南病院には大変お世話になってしまった。前にも書いたが、精神科救急の拠点病院になっているので、中の先生の負担は大変であるが、開業をしている医者はいつも助けてもらって感謝している。

平成19年11月20日(火)

 女性の患者さんの話を聞いていて、いつも男女の考え方の違いを痛感する。私は男なので男性の気持ちはよくわるが、そのままストレートに女性の患者さんに伝えるわけにもいかない。男女の仲がこじれた場合、もう修復は無理だと思っても、なかなか女性はあきらめきれない。この日記でも何回も書いているが、子育てについては男性は基本的に女性の役目だと思っているのでそれ以上のことについては思考停止になる。反対に女性は生活費を稼いでくるのは男性の役目だと思っているのでそれ以上のことは何も考えない。男性には女性の子育てがいかに大変かはなかなか見えてこないし、同じように女性には男性が生活費を稼いでくることがどんなに大変かはわからない。
 たまたま女性の患者さんを診察していたら、面白い話を聞いた。夫はある大手の企業に勤めているが、いつも帰りは夜11時過ぎである。毎晩帰りの時間がわからず、帰ってきても不機嫌な顔をしているので夫に対するぼやきが多かった。ところが、ある日夫が休みの日に会社の上司から電話がかかって来た。何かトラブルがあったらしく、夫にいろいろ聞いている。夫が説明して解決したのかと思っていると、また電話がかかってきて、夫が電話でまた長いこと話をしている。そんなことが何回も続いて、夫が会社に顔を出してくると言って家を出た。その後で、また会社の上司から電話がかかってきた。今度は患者さんがその電話に出たが、その上司は会社まで1時間もかかるので、わざわざ出てくる必要はないという。こちらから連絡しましょうかとか携帯電話の番号をお知らせしましょうかと丁寧に聞いたが、番号は知っているといい、しつこくまわりくどい言い方で応対が大変だったという。その時に患者さんは、夫がこんな上司の下で毎日朝から晩まで働いていたら、ストレスもたまるだろうなとふだんの態度が少し許せる気分になったという。
 実際にふだん男性が会社で一生懸命働いている姿は見えないので、妻にとっても子どもにとっても父親は朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる存在にしか過ぎない。一方で女性は、専業主婦であろうとパートであろうと、子どもに対しては、朝食から夕食の支度までと家事をしている姿を常に見せつけているので、パフォーマンス効果は絶大である。特に専業主婦は、夫と子どもが仕事や学校に行ってしまったら、自由時間は山ほどある。ところが、子どもが学校から帰ってくる頃には、母親が一生懸命夕食を作っている姿しか見ないので、母親だけがいつも子どもたちのために頑張っているようにしか見えない。今回はたまたま上司からの電話で、この患者さんも夫の日ごろの苦労を垣間見ることができた。しかし、こんなことでもない限り、夫の大変さは妻には永遠にわからない。
 これからは妻にも子どもに対しても、父親の苦労がわかるように、家庭でも多少のパフォーマンスが必要かもしれない。前にも書いたが、私は原則的には毎朝5時に起きて、6時には医院に出て行く。私の寝る部屋が娘の部屋の隣になって、私が朝早く出て行くことに対して娘も多少自覚するようになってきた。最近は家に帰っても、特に反抗することはなくなり、お帰りなさいと言う。この前の日曜日は息子と久しぶりに昼にラーメンを食べに行ったが、その後で不動産を見てまわった。本当は自立支援の診断書を山ほど書かなければならなかったが、朝から何もやる気がしなくて1通も書けなかった。敷地面積25坪の自宅からもう少し広い家を買いたいと思っているが、なかなかいい物件がない。たまたま広告出ていた物件を2件見てまわったが、帯に短し、襷に長しである。家の近くで探しているが、これから数年かけて焦らず見つけていこうと思う。きのうの午後からあった労災の判定会議の資料も5件あったが、帰ってから3件ほど読んですぐにいやになってしまった。夕食をとってから残りの2件の資料は読もうと思っていたが、酔っ払ってしまって全く読む気になれなかった。5冊の分厚い資料を居間に置いたままその日は寝てしまった。しかし、たまには自宅の居間で仕事をするのもいいかもしれない。休みの日に自分の部屋に閉じこもって仕事をしていても、妻にはインターネットのアダルトサイトを見ているぐらいしか思われないだろう。居間で会社の資料を広げて仕事をしていたら、妻に対しても子どもに対してもいいパフォーマンスになる。患者さんの話を聞いていて、私も毎週日曜日に医院に出て行くのではなく、自宅の居間でカルテを積み上げて、1つ1つ自立支援の診断書を書いてみようかと思った。
 土曜日の夜は久御山のイオンシネマに「ディスタービア」を見に行ったが、内容はもうひとつであった。最近はこの種の映画には不感症になっている。先週ツタヤで借りてきた「SAW3」の方が、スプラッター風なシーンは私好みでないが、まだ面白かった。ついでに「硫黄島からの手紙」も見たが、それなりによかった。しかし、よく考えてみたら、妻が妊娠していて夫が生まれてくる子どもに会えないという設定はよくあり、もうちょっと何とかならないものかと思った。谷沢永一「嫉妬の正体」(ビジネス社)を読み終えたが、歴史的なことを書いた部分より、自分のことを書いた部分が面白かった。以前にも書いたが、笠原嘉先生の講演会でもけっこう遠慮なくいろいろな先生のことを批評していた。著者はまだ80歳に達していないが、この年になったらある程度好き放題言えるのだろう。自分の恩師のことも洗いざらい書いている。専任講師になったばかりの時に本を出版したが、教授や同僚は著書がなかったので、誰1人としてお祝いの言葉を言ってくれなかったという。昔の関西大学のことも、「試験は寛大(関大)、落第はせん(千)里山」と書いている。著者は語学ができないと書いているが、国文学や史学など日本のことを研究するには、あまり外国語を必要としないのかもしれない。評論家の佐高信が同じ評論家の山本七兵が亡くなった時に、氏に対する批判的な文章を朝日新聞に載せたという。佐高は著者とは正反対の思想なので、どこまで本当なのかわからないが、ろくに山本七兵の本も読まず、嫉妬から貶める文章を書いたと批判している。宗教のことも、「すべて嘘八百、デタラメ、誤魔化し、ハッタリの類です」と書いているが、ここまで書いて大丈夫かと少し心配になった。著者が書いているように、評価と人気が一致しなくて、嫉妬を生むのも確かである。歴史的なエピソードでは、芸者ではなく、女郎を娶った坪内逍遥の話が印象的であった。自分の嫉妬についても書きたかったが、スペースがなくなってきたのでまた別の機会に譲ろうと思う。

平成19年11月13日(火)

 この前の水曜日に、3年以上私が診察していた境界性人格障害の患者さんが亡くなった。以前にも書いたが、私の医院のトイレで2回タオルが真っ赤になるほど激しいリストカットをした患者さんである。最初の時には気づかなかったが、京都第一赤十字病院に縫合してもらうために紹介したら、他にも未治療の傷があり、112針縫合して帰ってきていた。すべて処置するのに研修医が2人がかりで、何時間もかかったという。いつもばたばた忙しくて、患者さんのカルテを見返している暇がないが、今この日記を書いていてカルテを見ていたら、平成16年9月の出来事である。その後の3年間は大量服薬と自傷行為の繰り返しで、生死のラインを行ったり来たりしていた。私に対しては、当初は激しい攻撃性をあらわにしていたが、3年間もつき合っていると、しだいに私を困らせるようなことは診察ではしなくなってきていた。それでも、時には激しい怒りを爆発させ、自分の持っている携帯電話を床に叩きつけ、粉々にしている。今でも、その時の傷がついたままで、診察室の床は少し凹んでいる。結婚していて夫がいたが、お互いに経済的に苦しく、最近は本人もアルバイトをしなければと、精神的には追いつめられていた。
 大量服薬をいつもしているので、夫から電話がかかってきて、病院に連れて行ったらいいかよく相談された。リストカットや大量服薬で救急病院に搬送されるのが日常茶飯事だったので、あちこちの病院に未払いの治療費が山ほど残っていた。7月にも大量服薬し、夫から電話がかかってきた。飲んだ量を調べてみたら、最低致死量にぎりぎり達していた。この時は病院に連れて行かなくても大丈夫だと思うが、誤嚥性肺炎に気をつけるように答えた。その後、案の定肺炎になって入院している。9月には京都第一赤十字病院のトイレで足をカッターナイフで縦に切り裂き、血だらけになって15針縫合している。10月になっても、リストカットや大量服薬を繰り返し、病院で胃洗浄を受けている。患者さんの言うことをどこまで信用していいかわからないが、ヒルナミンを140錠飲んだとか、ロヒプノールを30錠飲んだとか、全部で300錠飲んで、2日間寝続けたとかいう。大量服薬で診察室にふらふらになってはいってくることもあった。夫は仕事で家を留守にすることも多く、危ない量の薬を飲んだ時には、夫に「これから死ぬ」と携帯電話からメールを送っていた。カルテには「生きているのが辛い。こんなしんどい思いをしてなんで生きなあかんのかと思う」という記載もあった。
 今回も大量服薬して床に倒れているところを夫に発見されたが、意識がなく、いつもと違って顔色も変わっていた。残してあった薬のシートから量的には致死量には達していいなかった。警察の問い合わせにも、はっきりとした原因はわからなかった。検死ではうつ伏せなどによる窒息死ではないと否定されている。患者さんには、リストカットや大量服薬で死ぬことはないが、そのうち予想もできない偶然が重なって死んでしまうといつも警告していたが、現実のこととなってしまった。誤嚥性肺炎で入院している時に、内科の先生から電話があり、「何とかできないのですか?」と聞かれたが、「何ともできない」と答えた。精神科専門病院での入院治療のことを暗に示唆したのかもしれないが、境界性人格障害の患者さんは入院治療させてもほとんど効果がなく、せいぜい危機的介入で短期間利用するぐらいである。京都では長期間入院を受け入れてくれる病院もない。こんな激しい自傷行為をしながら、子どもっぽい所もあり、居場所がないので頻繁に私の医院を訪ねてきて、いろいろなことをぼやいて帰って行った。拒絶された母親と連絡が取れなかったのかと後悔も残る。この日記を書いているので、亡くなった患者さんのことをあれこれ思い出して、反省もできる。前の日記でも書いたように、手帳を使うように「書く・考える・ふり返る・気づく」が可能である。次から次へとやらなければならないことが山積みになっていると、親しくしていた患者さんの死さえ忙しい日常生活の中であっという間に埋もれてしまう。
 土曜日は午後5時から京都精神科診療所協会の集まりがウェスティン都ホテルであった。講演の演題は京都の精神科救急で、府立洛南病院の副院長が話をした。やはり前回書いたように、公的病院ということで、当直の先生の負担は大変なようである。診療所も土曜日の午後から日曜日は休みとなるので、困った外来の患者さんが大勢受診しているという。精神科専門病院でも当直の先生が必ず誰かいるのに、そこに通院している患者さんが受診を断られ、府立洛南病院を救急受診している。診療所には夜間の外来時間を延長するなどのソフト救急を求められていたが、休日はともかく、夜間に関しては私の医院は難しいと思った。住宅街に診療所があるので、あまり遅くまでは開けていられないし、院外処方なので薬も出しにくい。それぞれの立場でお互いに言い分はあるのかもしれないが、精神科救急のしわ寄せがすべて府立洛南病院にかかるのでは、やがて破綻してしまうだろう。救急で何も情報のない患者さんが来た時の病院の苦労もよくわかる。よく産婦人科の患者さんが救急でたらいまわしにされることが話題になるが、何の情報もない容態の悪くなった妊婦さんを受け入れるのは至難の技である。この日はこの後7時からホテル・グランヴィアで統合失調症の新薬発売1周年記念講演会があり、30分ほど遅れて参加した。府立医大、京大、滋賀医大の教授が参加していたので、大勢の人が来ていた。月曜日には、午後から京都府医師会館で医療安全対策委員会があった。今年の一般市民を対象にしたシンポジウムのテーマは「医療崩壊と救急医療」であった。このテーマに関する各科の話を聞いていても、有効な対策がなく、これからの医療はどうなるのかと絶望的になった。絶望的になると、自分の診療所さえ何とか持ちこたえたらと、内向き思考になりやすい。会議の途中で抜け出して医院に帰ったが、午後からの患者さんが何人も待っていた。実は、この日に他の病院から患者さんに関する問い合わせの連絡があったが、返事を書いている暇が全くなかった。早く返事を出さなければと思っていたが、結局書けたのは外来がすべて終わってからであった。

平成19年11月6日(火)

 この前の文化の日は京都市の休日待機の当番になっていた。何の待機番かというと、精神障害者の人が警察に緊急保護された時に、強制入院が必要かどうか診察するためである。詳しく述べると、24条通報といい、「警察官は精神障害のため、自身を傷をつけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見した時には直ちに都道府県知事に通報しなければならない」と法律に定められている。京都市では保健所とこころの健康増進センターが受け皿となって、当番の先生に診察を依頼してくる。拘束時間は朝8時半から午後5時までで、この間はいつでも京都市から連絡が取れるように待機していなければならない。ふだんほとんど携帯電話は使うことはないが、この日だけは常に持っている。以前は毎月1回ぐらい当番が当っていたが、最近は少なくなって2ヶ月に1回である。土日と祝日のみで、2ヶ月ごとに当番ができる日を提出する。2ヶ月で多くても合計20日ぐらいである。最初の一次措置診察で、本人や家族の意志とは関係なく、強制入院である措置入院が必要と診断された場合は、別の精神保健指定医による2回目の二次診察が必要である。1日2人の精神保健指定医が待機するので、およそ40人の精神保健指定医が必要となる。当番をする医師には報酬は出るが、基本的にはボランティアで登録制である。どうしても、連休やゴールデン・ウィーク、年末年始は志願者は少なくなるようである。この休日待機番で呼び出されることは少なく、今回も特に何もなかった。
 土日・祝日は待機番を決めてそれなりの体制ができているが、ふだんの日でももちろん警察からの通報はあり、最近は数が増えているという。この時でも、同じように精神保健指定医の診察が必要になる。月曜から金曜までは特に当番が決まっているわけでなく、京都市が都合のよさそうな先生に個別に頼んでくる。ふだんは私は外来をしたり、他の用事で出かけることもあるので、それほど多いわけではないが、たまたまこの10月と11月は診察依頼が多かった。10月18日、10月24日、11月2日と2週間ぐらいの間に3回も頼まれている。診察に行ける精神保健指定医が誰もいなくて、依頼してくるのであるが、ウィークデイの精神科医の協力体制はどうなっているのかと思う。介護保険の審査が急遽休みになり、久しぶりにゆっくりできるかと思っていたら、宇治の府立洛南病院まで一次診察を頼まれ、がっかりすることもある。私は出かける用事がない限り、できるだけ協力するようにしているが、短期間で何回も頼まれると複雑な気持ちになる。最近救急患者の受け入れが社会問題となっており、過酷な勤務で勤務医がやめ、充分な救急体制がとれない病院が増えている。京都では精神科救急は、府立洛南病院が拠点病院となっている。中の勤務医の当直の負担は、一般の救急病院と同じように大変である。今回のような行政側からの診察依頼について、自分の仕事が精一杯で、協力している暇はないという精神科医もいるかもしれない。しかし、一部の精神科医だけに負担がかかるのはよくない。私は救急も含め、今回のような一次診察や二次診察も、義務としてみんなある程度協力すべきだと思っている。
 具体的な例としては、統合失調症の患者さんが服薬を中断して、精神症状が悪化した場合や、薬物中毒や人格障害の患者さんが逸脱した行動をとった場合などである。幻覚妄想状態となり、錯乱状態となることも多い。だいぶ以前のケースであるが、鴨川に入ってずぶぬれになり、近所の人から通報があり、警察官に保護された人もいた。これまでの治療歴がわかる患者さんはいいが、他府県からやってきて、道路の真ん中で錯乱状態となり、道路が渋滞して警察官に保護された人もいる。近所の人に被害妄想を持ち、窓ガラスを割って侵入しようとしたなどのケースも多い。たいていは保護された警察署まで行って、措置入院が必要であるかどうか診察し、所定の書類を書く。夜中などに応急入院となった場合は、次の日に府立洛南病院まで診察をしに行かなければならない。私の医院からは宇治までは遠いので、車で往復したらけっこう時間がかかる。患者さんの中には、拒絶的で診察に応じない人もいれば、どうしてこんなことをしたのか要領を得ない人もいる。私は、措置入院が必要かどうかだけにしぼって、診察時間はあまりかけない。行政側としては、この後で受け入れ側の病院を探さなければならないが、民間の精神科病院の協力体制はできているようである。
 さて、11月になっていよいよ年末も近づいてきた。私は暇があると本屋に行き、面白そうな本があると買ってくる。読む速度が間に合わず、本ばかりがたまっていくが、啓蒙本のような本も好きである。野口清巳「能率手帳の流儀」(日本能率協会マネジメントセンター)を読み終えたところであるが、ふだんのスケジュール管理などはパソコンやPDAよりもやはり手帳が便利である。今の季節になると、本屋の文房具用品コーナーにたくさんの手帳が並ぶが、なかなか自分にあった手帳がみつからない。開業してからは日経ビジネスから出ている小さな手帳を使っているが、書いている内容は予定表と毎日の患者数と、インターネットの各種サービスのIDとパスワードぐらいである。手帳は、きれいに書く必要がなく、何でもその日にあったことを書いていき、「書く・考える・ふり返る・気づく」を毎日習慣化していくことが大事だという。著者は1日の出来事を翌朝手帳に書いてふり返ることを薦めている。1週間単位、1ヶ月単位でふり返ることも必要である。悩み事でも、一旦言葉に出して話すと(言語化すると)気持ちが整理されるが、いろいろな出来事を1度紙に書いて、その時の感想など付け加えると、気持ちが楽になることもある。1度紙に書いたことは後で見ることができるので、空き時間などに書き記したことを眺めていたら、またその時とは違った考えが浮かんでくるかもしれない。私も早速その日の印象に残った患者さんのことや、やり残したことなど何でも書くようになったが、小さい手帳ではスペースが足りないぐらいである。ちょっとしたメモ程度でいいので、三日坊主にならないように、続けていこうと思う。この本の中で、手帳とは関係ないが、育てるためには「ほめない」ということが出てくる。ビジネス書でも、部下の上手なほめ方とか、叱った後でのフォローの仕方などが特集されるが、著者は批判的である。多くの成功した人とのインタービューから、みんな上司から叱られたり、厳しいことを言われ、自分の未熟さ、傲慢さ、視野の狭さに気づき、他の人以上に努力してきている。私もこの部分については全面的に賛成で、どん底に落ちて這い上がってくるぐらいがちょうどいいと思っている。しかし、今の若い人はほめなかったらつぶれていく人も多いと思うので、人によって使い分けることが必要だと思う。

平成19年10月30日(火)

 患者さんの話を聞いていると、時々クリスチャンの人がいる。定年後も同じ職場で働いていて、やっと完全引退になったが、教会にはあまり行けないという。どうしてかというと、あまり熱心に教会に行くと、いろいろな役をやらされるという。昔は、好きで世話役になる人も多かったが、町内会の役員からPTAの役員まで、最近は成り手がいない。ある地方自治体主催のカラオケ教室の会計をしていた躁うつ病の患者さんが、頑張りすぎて、今回調子を崩していた。順番で当番になっている所は逃れようがないが、それでもいつもいろいろな役をやらされる人と何もしない人に分かれる。総合病院に勤めている時には、院内の各種委員会の多さに閉口したが、開業してもいろいろな役をやらされて、本質的にはあまり変わりない。スパッと雑用をやめて、患者さんの診察と自分の趣味に専念したいが、後20年は夢のまた夢である。
 この前の土曜日の夜はまた1人で映画を見に行った。家族で夕食を取って、その後で風呂にはいり、それから出て行くので、ゆっくりとできる。丹波橋から京阪三条まで10分ちょっとなので便利である。レイト・ショーなので、新作でも1200円で、インターネットで好きな座席も選べる。私が学生だった頃は休日前にはオール・ナイトの映画館がたくさんあった。しかし、今は最終の夜9時過ぎから始まる映画でも客席はがらがらである。車で行ける郊外の久御山のイオン・シネマの方がもっと混んでいる。久御山にしなかったのは、車で行ったらビールが飲めないのと、前日でないとインターネットで座席がとれないからである。MOVIX京都は館内で生ビールを450円で売っているので、私はビールを飲みながら、1番いい席で最終の映画を見るのが好きである。
 さて、今回の映画はこの日が封切りの「ブレイブ ワン」である。ジョディ・フォスターが主演で、暴漢に婚約者を殺された主人公が、強盗などを次から次へと殺していく復讐劇である。銃を持ったジョディ・フォスターを見ていると、「羊たちの沈黙」に出演していた時の姿を思い出す。内容であるが、見ていて悪くはなかったが、息詰まるような緊張感は私にはあまり感じられなかった。それなりに楽しめたが、年を取るとちょっとやそっとのことでは驚かないし、あまり感動しない。この種の映画では、前にも何回も書いているが、クローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」が面白かった。警察官が自分の身体を銃で撃つ場面もいろいろな映画で見ているので、最後のシーンもあまり新鮮味がなかった。映画が終わってから、四条烏丸まで阪急で行き、最終の地下鉄で京都駅まで帰ってきた。この日は京都駅近くの自分のマンションに泊まった。夜中12時を過ぎていたが、マンションで2時過ぎまで借りてきたビデオをまた見ていた。題名は「レイクサイド」で、小さな頃のトラウマとなった出来事で殺された友人やその犯人の霊が出てくる映画である。内容はもうひとつで、この日は2本立て続けに映画を見たが、不完全燃焼であった。
 この前の日記でもリタリンのことを書いたが、11月からリタリンをもう出せなくなると毎日患者さんに説明している。リタリンに抗うつ作用があるのかないのかここで不毛の議論をしても仕方がないが、うつ病の患者さんでQOLが明らかに改善している人はたくさんいる。自分でもあまり自覚していなかったが、リタリンを1〜2錠処方している患者さんが思ったより大勢いた。1人1人時間をかけて説明しているが、患者さんが言うことはみな同じである。ほとんどの患者さんがTVやニュースでリタリンが使えなくなることは知っていたが、どうして一部の乱用した人たちのせいで、自分たちが使えなくなるのか納得がいかないということであった。いろいろな抗うつ薬を試しても効果が不十分で、日常生活に支障をきたしていたので、うつ病に適応のあるリタリンを使用したのである。それこそリタリンが使えなくなったら死活問題である。製薬会社が説明に来て、わずか2週間も経たないうちに中止になるので、やめるための準備期間もない。睡眠導入薬や抗不安薬、三環系抗うつ薬などはいろいろな種類の薬が出ているので、他の薬に変更は可能である。しかし、リタリンに代わる薬は何もない。内科などで大量に処方されていたというが、確かに院内処方で出された場合には1人1人の患者さんの把握はできない。しかし、私の医院はすべて院外処方なので、大量処方している患者さんは1人もいない。
 今回の製薬会社であるノバルティス・ファーマと厚労省のやり方には私も納得がいかない。最近はガンの疼痛緩和にモルヒネなどが気楽に用いられるようになったが、麻薬並みの管理をしたら乱用は防げるのである。リタリンの恩恵を受けている患者さんのハシゴをいきなりはずすようなやり方ではなく、流通管理を強化して乱用を防ぐやり方は他にもいくらでもあったはずである。製薬会社の話では、精神科医でリタリンを使用している人は少ないようである。私はどんな薬でも上手に使いこなし、最大限の効果を引き出して患者さんのQOLを改善するのが、プロの仕事だと思っている。前回書いたように、過去にはだまされて処方してしまったり、失敗をした患者さんもいるが、それでも上手に利用したら難治性のうつ病の患者さんには有益である。患者さんには製薬会社から受け取ったリタリンに関するお知らせをコピーして渡している。誰がどう考えても、今回のやり方には無理がある。患者さんには東京の本社でも京都の支店でも直接電話して抗議したらいいと話している。民事訴訟に関しては、中毒になった患者さんについては、大量に処方した医者の責任が重いが、いきなり使えないようにして患者さんが悪化した場合には、今回の処置に踏み切った製薬会社の責任が重い。11月からリタリンが使えなくなって、患者さんがどうなるのか、本当に心配である。
追記:前回ナルコレプシーの患者さんの数を間違えて記載しましたので、訂正しました。

平成19年10月23日(火)

 先週の金曜日に、ある製薬会社の人の訪問を受けた。SSRIなどの抗うつ薬の宣伝には他の会社の人がよく来るが、今回はノバルティス・ファーマである。前にも書いたが、TVや新聞でリタリンの乱用が社会問題になり、うつ病の適応から外すことが報道されている。これまでなかなか治らない難治性のうつ病の患者さんに用いられていたが、今後はナルコレプシーしか使われないようになる。ナルコレプシーという病気は、睡眠障害の一つである。睡眠障害というと、夜が眠れないことばかりを想像してしまうが、1日中眠い過眠症などの症状も含まれる。最近よく知られるようになったのが、睡眠時無呼吸症候群である。眠っている間に気道が塞がれるので、一晩中何回も息が止まって深い眠りが妨げられ、日中が眠くなる病気である。ナルコレプシーは日中突然眠くなる睡眠発作が起こり、怒りや笑い、驚きなどの感情が伴った時に急に筋肉の力がはいらなくなる脱力発作が起こり、寝入りばなに金縛りや幻覚が見えたりする病気である。
 製薬会社の人の話だと、このナルコレプシーの患者さんは日本で2000人ぐらいだという。各都道府県で単純計算しても1県40人ぐらいで、それほど数は多くない。リタリンを手に入れるために、ナルコレプシーのふりをして受診する若い患者さんがいるが、私が27年以上精神科医をしていても今まで出合った人は数人いるかどうかである。前にも書いたように、京都では睡眠クリニックができたので、確定診断をしてもらうためにいつもそこに紹介状を書いている。脳波検査を含めて、きちんと診断できる医療機関は数が限られる。これからは、その医療機関を選定し、その医療機関でのみリタリンが処方できるようにする。いくらナルコレプシーでも、他の医療機関ではリタリンは処方できず、リタリンの流通管理は麻薬なみに強化される。製薬会社の説明では、リタリンは精神科だけでなく、内科でも安易に処方され、異常な数が出ている医院もあるという。そういう所は何回も訪問して、中毒の危険性を説いているが、改善されないという。
 リタリンは中枢神経興奮薬で、覚醒剤と似たような作用がある。精神科関係の専門書に、星和書店から「こころの治療薬ハンドブック」が出ている。内容的には入門書に属するので、最近は臨床心理士を目ざす人が、精神科で用いられる薬の勉強のために買ったりしている。私は外来での患者さんの説明用に購入しているが、現在は第4版を持っている。第1版からリタリンの項目を読んでいるが、内容的には変わりなく、今回社会問題となったような深刻な中毒に陥る危険性についてはふれていない。その内容の一部を抜粋すると、「リタリンは特殊な病態の薬であるという印象が強く、また依存性・耐性の問題が強調されるが、上記の症例でもみられたように、高齢者や総合病院における身体疾患合併の患者を治療していく場合に、非常に有効で、短期的に使いやすく、思ったより副作用や依存の少ない薬剤である」と書いてある。これだけ中毒の危険性が叫ばれているが、私も概ねこの内容で間違いではないと思っている。ただし、処方する人を選ばないといけない。乱用がこわいので、原則的には若い人には処方しないし、処方する時には中毒の危険性もあることを充分に説明している。個人差が大きいが、毎日服用していると、最初の効果が段々と薄れ、人によっては薬をまた増やしたくなってくる。きちんとした仕事を持っている人、社会的常識が備わり分別のある人や高齢者は、若い人のように乱用する危険性は少ない。私は必ず1日の最高量は3錠まででそれ以上は増やせないと断って処方する。理想的には、週2日ぐらいのドラッグ・ホリディ(休薬日)を設けるのがいい。ドラッグ・ホリディがあると、最初の効果をいつまでも持続させることができる。
 京都第一赤十字病院に勤めている時に、多動のある自閉症児が小児科から紹介されてきた。施設に通所していたが、最近落ち着きがなくなってきて、家族が対応に困っているということであった。リタリンを処方して劇的に改善し、ドラッグ・ホリディも設けたので、その後もずっと安定していた。リタリンは注意欠陥障害や多動障害にも用いられるが、ナルコレプシーだけに限定してしまったら、このような患者さんはどうなるのかと思う。他に新しい薬が発売されるということなので、注意欠陥障害や多動障害はまだなんとかなるかもしれない。しかし、これまで乱用もせず、1日1〜2錠で安定しているうつ病の患者さんも大勢いる。私はいきなり適応から外すとは思っていなかったが、製薬会社の話では11月からもううつ病には使えなくなるという。ふつうこういう場合には移行期間を設けるが、駆け込み需要を防ぐため設けないという。今回の処置に対する説明書には、新しい抗うつ薬であるSSRIやSNRIができて、うつ病治療の選択肢が欧米並みに増加したので、海外と同様にうつ病の適応から削除するとなっている。
 しかし、最近は難治性のうつ病が増え、7割ぐらいしか治らないと言われている。今回初めて製薬会社の説明で知ったが、リタリンの乱用を嫌って絶対に使わない精神科医も多かった。私も慎重に投与しているが、過去には嘘をつかれて出してしまったり、中には乱用になりそうな患者さんもいた。しかし、そのリスクを遥かに上回るほど、助かっているうつ病の患者さんも多い。他の薬を使ってもなかなか改善しない患者さんに使っているので、リタリンに代わる薬はもう存在しない。最近は難治性のうつ病の治療に統合失調症に用いられるリスパダールを少量使うと効果があると言われている。この前聞いた講演ではこの効果も一時的なようであるが、私は同じ統合失調症に使われるインプロメンでも同じような経験をしている。困っている患者さんを何とかしようと思ってリタリンを使っているが、わずか1日1〜2錠で安定している患者さんがほとんどである。最近企業や地方自治体でも、うつ病で長期休んだ後に、職場復帰訓練をする所が多くなってきた。大きな企業に勤めているある患者さんが、この職場復帰訓練で、最初は午前中に出勤して、1〜2ヶ月経った後に午後3時まで出勤し、また慣れてきたら5時までとやっていたが、途中でダウンして、また長期休養となってしまった。いろいろ抗うつ薬を調整してもよくならず、リタリンを土日のドラッグ・ホリディを設けて、朝1錠投与したら嘘のように改善して、長期的に職場に復帰できるようになった。うつ病は朝方に悪いことが多いので、このような使い方が有効である。抗うつ薬を大量に使わざるをえない患者さんは日中眠気を訴えることもあり、一石二鳥で眠気を取るのにも役立つ。このような患者さんが大勢いて、11月からいきなりリタリンをやめて本当にやっていけるのかどうか心配である。

平成19年10月16日(火)

 この前の土曜日の夜は1人で映画を見に行った。題名は雑誌などで評判のよかったスペイン映画の「パンズ・ラビリンス」である。PG-12指定になっていたので、子どもは見れないのかと勝手に思っていたら、12歳以下の子どもは保護者の同伴が望ましいという意味であった。グーグルで調べてみたら、PGはParental Guidanceの略である。スペインの独裁者フランコに忠誠をつくす大尉のもとに、その大尉の子どもを身ごもった母とその娘が身をよせる。おとぎ話の好きな少女が長いこと探し続けていた魔法の王国のプリンセスになる物語と内戦の後のゲリラとの血生臭い戦いが織り交ざり、ダーク・ファンタジーを繰り広げている。カンヌ国際映画祭で絶賛されたというが、私には大感動とまではいかなかった。映像も美しく、それなりに内容も面白く、よくできた映画であった。映画を見ている時には気づかなかったが、パンというのは牧神で、羊の姿を表していたのである。この映画で物悲しい子守唄が何回も出てくるが、久しぶりにスペインの音楽を思い出した。最近は忙しくてあまり音楽を聞いている暇がない。この日記でも何回も書いているように、私は若い頃からハードロックから始まり、プログレ、ヨーロッパの民族音楽を取り入れたロックなどを聞きまくっていた。スペインのバスク出身のAmaia Zubiriaという歌手がいるが、Pascal Gaigneと競演した「Zineman」というアルバムがある。このアルバム全編に流れている哀愁とこの子守唄がどことなく似かよっていた。
 きのうの京都新聞の夕刊を見ていたら、精神鑑定医が奈良の医師宅放火事件の調書や鑑定書をフリージャーナリストに見せたとして、秘密漏示容疑で逮捕されていた。私は草薙厚子「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)は読んでいないが、調書の直接引用が数十箇所あり、カバーには少年が放火までの思いを書き込んだカレンダーの写真が使用されていたという。著者は一貫して「命を差し出しても言えない」と取材源を秘匿し続けているが、鑑定した精神科医が「あんな形で出版されるとは思わなかった」と述べているように、ここまで丸写しでは取材源の秘匿もあったものではない。私は鑑定した精神科医が取材に応じたことについても、疑問を持っているが、これだけ世間を騒がした事件なので、ある程度は容認されるのかもしれない。しかし、調書をそのまま見せて、そのまま丸写しで出版されてしまったことについては取材に応じた精神科医にも責任がある。
 きのう労災の判定会議があったが、知りえた内容については当然守秘義務がある。詳しい資料は前もって渡されるが、会議の後にすべて返す。個人情報保護法ができて、最近は学会の症例発表でも個人が特定できないようにいろいろ工夫されている。研究会などでも、小さな頃からの生い立ちや家庭の事情などが詳しく述べられ、症例の検討がなされる。しかし、必ず終わった後で資料は回収されるようになった。私が労災裁判で係わったケースについては、出版されている「労災保険精神障害等の認定と事例」という労働基準局補償課が出版した本に出ていたので、ある程度触れたことはある。このホームページでは好き放題書いているようであるが、患者さんのことについては主に5年も10年も前のことを特定できないように書いているつもりである。最近のトピックスについて書くこともあり、患者さんが見たら自分のこととわかるかもしれない。それでも、年代、職業、性別などは内容によって書かなかったり、脚色したりしている。少し前に、精神保健指定医の更新のために東京の講習会に参加したことを書いたが、この時に偶然私の隣に雅子さんの主治医である慶応大教授が座っていた。つい最近のうつ病の講演会で東京から別の大学の教授が来て話していたが、雅子さんのことを聞いても、この慶応大教授は絶対に何も教えてくれないという。宮内庁の担当者泣かせぐらい口が堅いというが、精神科医はこれぐらいでないといけないと思う。
 さて、今回の精神鑑定医の逮捕について、識者から検察に対する相次ぐ批判がなされている。きょう出ていた京都新聞の社説でも、表現の自由を損なう危険があり、異例の逮捕によって、これからの取材源、情報源に与える萎縮効果は絶大だろうと出ていた。表現の自由を守るというのはよくわかるが、原則非公開の調書を丸々本に載せても許されるなら、これからは事件を起こした者は安心して鑑定にも供述にも応じられず、すべて拒否してもいいことになる。真実を知ってもらうことよりも、こちらの方の影響が大である。どうも、検察としては非公開の資料をそのまま載せたことを無視できなかったようである。いつも検察の国策捜査については批判的な私であるが、今回の逮捕は一罰百戒の意味合いが強くても仕方ないと思っている。表現の自由と言えば、18歳以上のポルノが官憲に規制されている方が私には腹が立つ。50歳を過ぎているのに、どうしてこんなことまでお上から規制されなくてはいけないのかと思う。これだけインターネットが発達しているのに、80歳になってから解禁されてももう遅すぎる。今回の事件では、やはり著者が1番悪いと思う。表現の自由はかまわないが、最低限のルールが必要である。少年の更生や人権を重くみる少年法に挑戦するなら、ぎりぎりの所で表現方法を工夫すべきである。最低限のルールも守らず、表現の自由だなんて言っても、単なる物書きの自分勝手な驕りにしか見えない。どんな業界も、むやみやたらに官憲が立ち入らないように自浄作用が必要である。こんなルール違反で検察の介入を許してしまい、今後取材源の萎縮をもたらすことになったら、責任はすべて未熟な著者にある。検察にあげ足を取られないよう、充分に注意して書いていくのもプロの仕事である。

平成19年10月9日(火)

 9月、10月はびっくりするほど連休が続く。子どもが思春期になると、家族全員で出かけることが少なくなる。家内は娘と買い物によく出るし、息子は息子でサッカーに出かけたり、友だちと遊んだりする。ふだん仕事が忙しいこともあり、たまに休みができると、父親だけが1人取り残されたような気がする。女性が強くなったというが、社会的に活躍できる場が増えたでけではなく、経済的に夫に依存していることが自覚できにくくなり、妻の不満がそのまま夫に直接向けられてくるようになってきた。男性も女性も言いたいことが山ほどあると思うが、やっぱり家庭で生活費を稼いで来ている人が1番偉いと思う。もちろん1番偉いからといって、何でも好き放題にしていいというわけではない。
 離婚した男性の患者さんを診ていると、みんな別れた子どものことを心配している。母親の母性愛だけが強調されるが、夫は自分の子どもを妻の人質にされ、妻の無理難題に耐えている人も多い。この子は私がお腹を痛めて産んだ子と、父親の存在は関係ないことのように思っている母親もいるが、離婚した後でも子どものことが気になって仕方のない父親も多い。もちろん、古典的な夫の借金、ギャンブル、浮気、酒乱、暴力などで苦しんでいる女性もいるが、患者さんの話を聞いていると、最近はどうして離婚したのかよくわからないケースも多い。前にも書いたが、男性と女性の思考法が生物学的にまったく違い、夫にとって家事と育児は妻がやるもので、妻からそのことでいろいろ言われても夫は途惑って思考停止になってしまう。反対に妻にとっては生活費は夫が稼いでくるもので、夫からそのことでいろいろ言われても同じくまったく思考停止である。
 30年前ぐらいの雑誌に載っていた2つの話であるが、男女の違いを表していて今でも強く印象に残ってる。1つ目は、妻が風邪をひいて苦しんでいる時に、官僚である夫から「今の大変な時期に僕に風邪をうつすなよ」と言われたことである。この妻は思いやりのない夫の言葉に深く傷ついている。女性からしたら、やさしい言葉をかけて欲しかったということになる。風邪に関しては、苦しんでいる時に、夫は食事の用意も手伝ってくれないという不満も多い。一方男性は、40℃の熱が出ても、這ってでも仕事に出かけなくてはならない。この官僚も予算編成の時期で、睡眠をぎりぎりまで削り、いつ倒れてもおかしくない中で気の遠くなるような仕事をこなしている。患者さんの話を聞いていると、限界になるほどの仕事を抱えている男性も多い。夫としたら、家族のためにこんなに頑張っているということになるが、妻の立場にしたら、家庭のことをほったらかしにしているということになる。中にはこんな安い給料で、私もパートに行かなければならないと不満に思っている妻もいる。男性の立場から言わせてもらうと、それこそ、人間らしい生活ができないぐらい仕事に追われていたら、疲れ果ててしまって、なかなか家庭で妻の機嫌をとっている余裕はない。もう1つの話は、自分の夫が会社の上司を家に呼んで妻と食事をした時のことである。ふだんは妻とはほとんどしゃべらない夫が、会社の上司に対しては常に笑顔で、丁寧に接し、明るく面白い話を最後まで提供していたという。家で自分に接する態度とは180度違い、この妻は腹が立って仕方なかったと訴えている。夫は、この上司ばかりでなく、クレーマーみたいなお客さんにもいつも笑顔で丁寧に接しているし、取引先のうるさい部長にも頭を下げ続けている。朝から晩まで仕事で神経をすりつぶしている夫の苦労は、昼にワイドショーを見ている妻には思いもよらないかもしれない。
 いくら夫が生活費を稼いでいるからと言って、会社での不満を家でぶつけたり、毎晩夜遅くまで飲み歩いたり、浮気をしていいわけではない。家族のことはほったらかしにして、朝から晩までパチンコにいくのもよくない。子どもの育て方については、妻の方が「お前の育て方が悪い」と夫から言われることが多い。もちろん、子育ては夫婦2人でやるものである。しかし、幼い頃から子どもに接するのは母親が圧倒的に多いので、母親の影響を受けやすいのは確かである。最初に書いたように、今は夫の給料はすべて振込みで、夫が生活を支えているということが、妻にも子どもにも実感することができにくくなっている。1歩間違えると、夫は単なる給料運搬人ぐらいにしか見えてこない。夫が家族の生活を支えてくれているということを差し引かず、現在のいろいろな不満を上乗せしてくるので、真面目にやっている夫はますますやりにくくなっている。話がころっと変わるが、米国の核の傘のもとで日本の平和が保たれているのに、そのことは無視して米国に対する不満を上乗せしてくるようなものである。実際には、米国の国債を日本が買い上げて経済的に貢献しているといわれるので、同列には論じられないかもしれない。経済的に困らず生活ができていることは平凡であたり前のことかもしれない。しかし、目に見えない所で夫は苦労して生活を支えているので、妻も子どもももっと感謝すべきだと思う。妻がそのことを自覚できなかったら、子どもはもっと自覚できなくなる。

平成19年10月2日(火)

 この前の木曜日は紫野の特別擁護老人ホームに行ってきたが、着いたとたん車のバッテリーがあがってしまった。仕事が終わってから、エンジンをかけ直してみたが、やはりうんともすんとも言わない。ふだんは携帯電話は持ち歩かないので、公衆電話を探した。近くですぐに見つけたが、ちょうど小銭を持ち合わせていなかった。コンビニでもないかと探したが見当たらず、なんとか郵便局で切手を買い、10円玉を手に入れた。早速JAFに電話したが、最近は公衆電話の使い方に慣れていないので、話しているうちに途中で電話が切れてしまった。残りの20円を入れてまたかけ直したが、残りの10円になったらまた切れるのではないかと心配になってきた。お釣りは戻ってこないが、仕方ないので今度は100円玉を入れた。やはり、外出する時には携帯電話を持つべきであると反省した。前にも書いたように、交通事故を起こした時にも、こちらが全面的に悪かったが、事故の相手側の携帯電話を借りて保険会社に電話した。ふだんはほとんど医院にいることが多いので、携帯電話は医院の充電器につないだままである。本当に携帯電話が必要になるのは、京都市の休日待機番に当たっている時だけである。これも1度京都市から連絡があった時に、ふだん使っていないので、通話ボタンと電源ボタンを押し間違えたぐらいである。
 30分ほどしてJAFの車がきて、充電してもらった。最近のバッテリーは性能がいいので、一旦バッテリーがあがると、次にまたエンジンがかかる保障はないという。このまま、エンジンを切らずにバッテリーをすぐに交換するように言われた。確かに、エンジンを切って、次にかからなかったらまたJAFを呼ぶしかなく、何回も呼び出していたら怒られるだろう。そのままトヨタまで行き、バッテリーを交換してもらった。この車もこの9月で7年目にはいったが、もう1回車検をしてもらい、最低9年は乗るつもりである。開業医の場合は車の費用は経費で落ち、償却期間は6年である。6年が過ぎたら、また新車を買っても経費で落ちるが、今の車で充分である。年をとったせいか、最近は車には興味がなく、次はコンパクトカーでもいいかと思っている。本屋に行くと、小堺桂悦郎「なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?」(フォレスト出版)が平積みされ、ベストセラーになっている。私はちらっと立ち読みしたが、結局ベンツが会社の経費で落ちるというようなことが書かれている。私も勤務医が長かったので、昔は1千万円以上のベンツに乗っている人はとんでもないお金持ちで贅沢をしている人だと思っていた。しかし、実際には会社がそれほど儲かっていなくても、ベンツに乗れるし、中には贅沢はしたくはないと思っていても、税金で収入の半分を持って行かれるので、経費を増やすためにベンツに乗る人もいる。サラリーマンは自家用車は自分のポケットマネーで買うしかないが、1千万円以上するベンツを自分のポケットマネーで乗っている人は意外に少ないと思う。
 さて、最近リタリンのことが新聞やTVで報道され、患者さんから聞かれることも多い。ワイドショーなどでどんなことが放送されていたのか知らないが、京都新聞では、製薬会社がうつ病からの適応を外して、うつ病ではもうこの薬は使えないように厚労省に申請すると出ていた。リタリンは中枢神経興奮剤で、重いうつ病やナルコレプシーで用いられている。覚醒剤の誘導体に近い薬であるが、若者に乱用され、自殺に追いこまれたり、幻覚妄想状態になって、入院を余儀なくされる人が出てきている。私は医療者向けのホームページを毎日チェックしているが、ここでは医療に関係する日本全国の記事が載っている。東京都では、最近2つの精神科クリニックが医療法違反(不適切な医療の提供)の疑いで立ち入り検査を受けている。安易に大量にリタリンが処方され、子どもが中毒にされたという苦情が絶えなかったという。きょうのニュースでも、「副作用被害 リタリン70錠飲み幻覚、義父を殺害 」という記事が載っており、ずさんな処方に対する審査の強化の必要性が指摘されていた。
 私はなかなかよくならないうつ病の患者さんにリタリンを少量出すこともあったが、最近は出さないようにしている。特に若者に対しては、出さない。最近はどこの医院でも出さないようになってきたので、リタリンの処方を求めてやってくる患者さんもいる。私の初診は、あまり高齢でない人は、小中学、高校と大きな病気や長期欠席がなかったどうかから聞いていくので、時間がかかる。やっと最近の症状にたどり着いたと思ったら、リタリンを出して欲しいという話になり、どっと疲れる時がある。急に眠たくなる睡眠発作が起こり、寝る時に幻覚が見えると訴えて受診する人もいる。ナルコレプシーを疑わせる症状で、治療薬はリタリンである。京都には睡眠クリニックができたので、安易にリタリンは処方せず、ここで脳波の検査をしてもらうようにしている。紹介状を書いても返事が返ってこないので、受診していないことになる。リタリンは適切に服用したら、特に害のない薬で、できたら週2日ぐらい薬を飲まない日(休薬日)を作るのがいい。飲んでいるうちに効果が薄れてくるので、我慢のできない若者はすぐに大量に服用するようになる。先ほどの義父を殺害の事件でも、最初は1錠から始まり、最後は1日10錠処方されている。患者さんからもう使えなくなるのかと聞かれることが多いが、適切な使用で助かっている患者さんも多いので、簡単には効能、効果からうつ病を外すことはできないと思う。
 きょうはこれからヘルパー養成講座の講師に出かけなければならず、夜は7時からうつ病の研究会がある。ベトナムーカンボジアのバスでの国境越えの写真がようやくできたので、後からアップロードするつもりである。興味のある人はまたもんもん写真館ものぞいて見て下さい。

平成19年9月25日(火)

 この連休は職員の9月分の給与計算をしたり、数人の自立支援の診断書を書くぐらいで、特に忙しいこともなかった。今回はお金にも時間にも余裕があり、たまには温泉ぐらいに行きたかったが、子ども達が行きたがらないのでどうしようもない。特に急ぐ用事ではないが、こまごまとした事はいくらでもあるので、この2日間は医院と京都駅の近くのマンションの整理をしていた。2階の診察室と処置室の横にトイレがあるが、私専用なのでほとんど掃除をしていない。床のマットレスからすべて洗濯し、ついでに風呂もきれいにした。最近CNNの映りが悪いので、配線からスカパーのアンテナの向きまですべて調べなおして、やっと原因がわかった。コピー防止を解除できる画像安定装置のスイッチが、他の機器の配線を確かめている時に偶然間違って押されていたようである。
 京都駅近くのマンションから古いパソコンを運んで、3階の院長室に置き、光ファイバーでインターネットにつなげた。無線LANではなく、コンセントを通して通信するPLCアダプタを設置したが、なかなか通じない。毎月500円でレンタルしているイオ光のサービスセンターに電話して聞いてみたが、1時間近くひとつひとつ言われるままに確認しても原因がわからない。コンセントの位置を変えてもだめで、翌日延長コードを買って来てもう1度やってみたがだめである。たまたま診察室のパソコンにつなげていた映りの悪いワンセグのアンテナを取り除いてみたら、なぜか急に通じるようになった。これが原因だったのかわからないが、院長室でもインターネットができるようになった。私の医院のレセコンはまだインターネットにつないでいないが、将来的には安全性のためにPLCアダプタでつなげようと思っている。
 京都駅近くのマンションもDVDレコーダーやVHSテープ,DVテープが再生できる機器をつないでおり、今度ソニーから出たハイビジョン用DVテープが使えるウォークマンも新たに設置することにした。映像の配線もS端子とD端子が入り乱れ、最近は画像安定装置をいれているのになぜかコピーできなくなっていた。TVはハイビジョン用のブラウン管で映りはいいが、HDMI端子はついていない。リージョン・フリーにするDVDプレイヤーはほとんど使っていなかったのでとりはずすことにした。例えば、米国だけのリージョン・コードのはいったDVDは日本のDVDプレイヤーで再生できないが、このプレイヤーを使えば見ることができる。カンボジアのプノンペンで売られていた「S21:The Khmer Rouge Killing Machine」のDVDはリージョン・コードがはいっていたので、このプレイヤーで見た。内容は、トゥール・スレイン刑務所に収容され生還した人々の証言や当時の看守などのインタビューで構成されたドキュメンタリーである。セントラル・マーケットで3ドルぐらいで手に入れたと思う。パソコンでも見ることができるが、私にはパソコンでDVDを見る習慣はない。この英語の原本も持っているが、最近日本語訳が出たので、読む気をなくしている。
 D端子のついたビデオセレクターで4台の機器をつないでいるが、ひとつひとつの配線を確認していった。すでにつながっているのを確認していくので、けっこう大変である。それぞれの機器の説明書を調べて、手だけで入力と出力の端子を確認して、間違ってつながっていないかどうか調べていく。画像安定装置にも2台通しているので、配線が複雑である。途中、D端子をつなぐコードが足りないことに気づき、新しくできたビックカメラに買いに行った。私のマンションから歩いて1分ほどである。ビックカメラができて、私のベランダから新幹線を見ることはできなくなったが、何かと便利である。患者さんから聞いた話によると、売り場面積は難波店の半分だという。これも別の患者さんから聞いた話であるが、プラッツの跡にヨドバシカメラが来るが、工事が大幅に遅れているという。どこまで本当でどこまで噂なのかわからないが、建物が古いので1部建て替えが必要で、高さ制限でまた仏教界ともめているという。いずれにしても、ヨドバシカメラができたらもっと便利である。私のマンションは少し前に耐震偽装疑惑が持ち上がり、行政機関により厳密な調査が行われた。その結果、耐震構造は100%を超えていることがわかり、かえって調べていないマンションより安全なことが証明された。秋になって各社新しいデジカメが勢ぞろいしたが、一眼レフは重すぎて持ち歩けない。キャノンのG9が適度な大きさで、紅葉の時期までに買おうかと迷っている。
 いろいろ用事をしていたら、丸2日間過ぎてしまった。月、水、金と断酒を心がけているが、いつの間にか最近は毎日飲むようになってしまった。特に連休の間は夕方からビールとラム酒を浴びるように飲み、きょうは朝2時前から目が覚めてしまった。眠れそうになかったので、読みかけていた佐藤優「国家と神とマルクス」(太陽企画出版)を明け方近くまで読んでいた。作者はこの日記でも何回も取り上げた外務省のラスプーチンと言われた情報分析官で、国策捜査といわれている背任容疑で1審、2審で有罪判決を受け、現在も上告中である。いろいろな雑誌に載せた文章と対談から成り立っているが、相変わらず内容が濃い。同志社大学の大学院神学研究科で無神論について研究したというが、共産国で神の問題を論じることができたので、ソ連の高官に取り入ることができている。オウム真理教の教祖、殺人犯、過激派、爆弾犯の弁護士を務めている安田好弘の本を取り上げて読み解いているが、なかなか面白い。戦時中に出た大川周明の本についてもとりあげ、すでに解説をつけて本にして出版している。大川周明は東京裁判で東条英機のはげ頭を叩き、脳梅毒にかかっていたが、後に治療してコーランなどを訳したことでも有名である。当時の大東亜共栄圏というのは、現在の例えで言えばEUやプーチン大統領が推進するユーラシア主義などの考え方に近いという。大川周明が重視した北畠親房の「神皇正統記」も詳しく解説しているが、日本が「神の国」であるということは、皇統が維持されることによって、権威の世界と権力の世界が分かれているということだという。権力者がどんなに財力、武力などを手に入れても、絶対に権威を取ることができないという日本独自のシステムが皇統によって維持されているという。著者は天皇制という用語は、コミンテルンが命名した呼び名で、日本の国体の内在的論理をほとんど反映できていないので、皇統とか皇祖皇宗の伝統と言った方がよいという。日の丸、君が代問題でも著者は法制化に反対している。その理由として、法律で決めるものは法律で変えられるからであると述べている。国旗、国歌というのは日本の伝統に属するもので、文化なので、それを法制化すること自体がカテゴリー違いだという。護憲についても、天皇制の擁護、国体の維持を含めて護憲が必要だという。憲法1条から8条まで絶対擁護しなければならず、その理由としてやはり日本では権威と権力を分けておいた方がいいからだという。なかなか読み応えのある本で、久しぶりに頭が目覚めた。私も月、水、金の飲酒はやめ、連休ボケを治して、ここでリセットしようと思う。

平成19年9月18日(火)

 この前の日曜日は午後2時から京都市国際交流会館で外国人のためのカウンセリング・デイがあった。私はメンタルヘルスを担当し、今回は英語圏の人と中国圏の人の相談があった。具体的な内容は書けないが、2件とも法律的なことも絡んでおり、難しいケースであった。相談の時間は2時から5時までで、その後で法律、税務、在留資格などの担当の人と一同会して、1時間ほど相談した内容の報告や話し合いをする。1回だけの相談では解決せず、その後どうつなげていくのかが問題になっていた。言葉の問題もあり、私の医院でも英語圏の患者さんはなんとか対処できるが、中国圏の患者さんとなると誰か通訳がいる。私は医師会から派遣されているが、みんな弁護士会や税理士会などそれぞれの団体からボランティアで派遣されてきている。どこの団体でも、ここで相談を受けたケースを個人で勝手に引き受けてはいけないようである。精神科関係については、誰も積極的には引き受けてくれそうもないので、投薬などの治療が必要な人は私が引き受けている。最近夏バテのせいか体調がもうひとつで、この日も最初はあまり乗り気でなかった。英語の勉強もやる気がしなかったが、久しぶりにいい刺激を受けた。日本人同士で結婚してもお互いにうんざりすることがあるのに、国際結婚で2人の関係がこじれたらもっと大変なのではないかと思った。
 月曜日は京都市の休日待機番になっていたので、借りてきたDVDと見ていた。題名は「ブラッド・ダイアモンド」である。舞台は1990年代後半のアフリカ、シエラレオネで、激しい内戦の中で不正取引きされるブラッド・ダイアモンドをめぐる物語である。ダイヤの密売人である主人公をレオナルド・ディカプリオが演じ、反政府組織RFUが支配する採掘場に隠し埋められた巨大なピンク・ダイヤモンドをこれを埋めた漁師と一緒に探しに行く。この映画の中でTIAという言葉が何回か出てくる。医者同士の間でTIAといったら、一過性脳虚血発作であるが、ここでのTIAは「This is Africa」の略である。欧米の常識は通じず、何でもありという意味か。主人公となる密売人も9歳の時に母親がレイプされて殺され、父親も殺されている。反政府組織RUFの資金源となっているのが、ダイヤモンドである。ペルーの極左ゲリラであるセンドロ・ルミノソは資金源をコカインの密売に頼っていた。タイ、ミャンマー、ラオスにまたがるゴールデン・トライアングルのケシの栽培(アヘンやヘロインの原料)も、クン・サーや国民党の残党などが資金源にしていた。アメリカは中国の周辺諸国の共産化を防ぐため、長いことケシの栽培を黙認していた。村の人々がRFUによって殺され、小さな子どもは狩り集められ、少年兵として洗脳され訓練されていく。カンボジアのポル・ポトに率いられたクメール・ルージュと同じである。少年兵ではあるが、容赦なく人を殺していく殺人マシーンと化す。アフリカの風景がきれいで、話の内容も充実していて、久しぶりにいい映画を見たと思った。
 最近は本もほとんど読んでいなかったが、やっと1冊読み終えた。神保哲生、宮台真司他「中国 隣の大国とのつきあいかた」(春秋社)で、この本も内容が充実していて、従来の中国に対する私の見方を変えてくれた。靖国問題が中国との関係でよく取りざたされるが、宮台が説得力のある解説をしてくれている。サンフランシスコ講和体制というのは、A級戦犯14人に罪を負わせる代わりに、天皇陛下と国民を免罪にしたという。国交を回復した時の日中共同声明も、この体制のスキームにのっており、中国政府はA級戦犯あるいは戦争指導者が悪かったのであって、日本国民は悪くなかったという説得を中国国民にすることになった。わかりやすくいうと、天皇陛下と国民の責任を追及せず、処刑されたA級戦犯14名が悪かったということにして日中双方が手打ちしたということである。もちろんA級戦犯の中には政界に復帰した人もいるので、処刑された家族や親族の人々は納得できない。実際に処刑されたA級戦犯だけが悪かったわけではないが、とりあえず東京裁判でこういう形で手打ちをしたのである。このことを国民全体が理解しておらず、時間の経過とともに2つの不手際が起こったという。1つはA級戦犯が本当に悪かったのだと信じ込ませる教育が展開してしまったことと、日本政府の中にA級戦犯が悪くなかったことを認めさせようとする人たちが出てきたことだという。A級戦犯に罪を負わせたのは、彼らが悪かったからでなく、手打ちに過ぎなかったことを国民のみならず、政治家の記憶からも消えていっているという。こう言われると、日本政府は手打ちをした当事者なので、総理大臣の靖国参拝に対する中国の批判は単なる内政干渉ではないことがよく理解できる。この双方の手打ちも、お互いに納得のいくものではなかったが、天皇陛下の戦争責任を追及しないための苦肉の策だったのである。東京裁判を連合国側の一方的な押しつけ裁判で、茶番劇であると非難するのは容易であるが、しかし一方、日本に侵略されたアジア諸国にとっても、当時の最高責任者である天皇陛下の戦争責任が不問にされた東京裁判は、茶番劇に過ぎないのである。
 東シナ海のガス田問題も、ナショナリズムを書き立てられるような報道がなされているが、事実とは違うという。日本と中国の中間線で中国が勝手にガス田を掘って、地下でつながっている日本側のガスまで吸い上げられてしまうという話がまかり通っている。しかし、この本を読むと、排他的経済水域と大陸棚の問題があり、中国の主張もそれなりの正当性があることがわかる。国内法では、鉱区域から100mは離れたら、掘ってもいいことになっているという。また、試掘調査をしても、石油やガスが見つかる場合は30本のうち5本ぐらいで、深度や採掘の難しさを考慮すると経済性のある油田やガス田が見つかるのは、30本のうち1本だけだという。実際に九州や沖縄では大したガスのマーケットはないので、よほどの埋蔵量のガス田でないと、コストがかかりすぎて大阪や東京にはパイプラインで送れないという。中国に対して批判的だった私であるが、この本を読んで見方が少し変わった。宮台がいう「左右の馬鹿の同時増殖」にならないように、事実を謙虚に受け止め判断していこうと思う。

平成19年9月11日(火)

 先週は風邪をひき、まだ治っていない。医療者向けのホームページに「開業してよかった事」の書き込みが載っているが、ややこしい医局の人間関係から開放されてよかったという意見が多かった。しかし、ふだん接するのは従業員ぐらいで、やはり引きこもりがちの生活になりやすいようである。自由にできるようでいて、なかなか自由にできず、外来も好き勝手には休めず、頼める部下がおらず、全部自分でやらなければならない。盆前に、ある患者さんから聞いた話であるが、お年寄りが大勢来ている整形外科で、業務用の大きなエアコンが故障したという。今年の夏は特別暑かったので、待合室のエアコンが故障したら最悪である。盆前で、すぐに業者が修理に来てくれるかもわからず、院長は大変だったと思う。経済的にはゆとりができたという医者もいれば、借金の返済に追われているという医者もいる。医療者向けの雑誌で勤務医と開業医の収入の比較がされることがあるが、なかなかその実態は表に出てこない。本当に稼いでいる人は、アンケートには応じていないような気がする。私はこのもんもん日記では、なるべく包み隠さず本音で書くようにしているが、自分の年収についてはやはり書けない。年収といっても、税込みと手取りで大きく違ってくる。勤務医の場合は、小さな頃から普通の庶民より何十倍も努力して、収入はせいぜい中小企業の3倍もいかず、税金は10倍以上あるのではないかと思う。よく新聞で、官僚や閣僚が庶民感覚からかけ離れていると非難されるが、才能にも恵まれ庶民の何十倍も努力している人が、庶民の生活をする必要はないと思う。そんなことよりも、この厳しい世界情勢の中で、いかに日本が生き残っていくか、きちんと対応して欲しいし、国内問題も解決して欲しい。非難すべき所は非難したらいいが、どうも最近は衆愚政治に陥って、本末転倒になっているような気がする。いくら清廉潔癖でも、能力のない人に国を任せるわけにはいかない。
 話がずれてしまったが、開業してほとんど日曜日も休めていないので、なんとか休むように工夫しなければならない。今年は東山医師会の役員の仕事がなくなり、保健所のデイ・ケアも少なくなったので、去年と比べたら大分楽になっているはずである。医療者向けのホームページでは、開業して日曜日は疲れて休んでいるという書き込みもいくつかあった。結局、書類書きなどの仕事があっても、日曜日にやったらいいと思って、ため込んでしまうのがよくない。ふだんは外来で疲れてしまうので、空いている時間があってもあまり無理せず、他のことをやったりしている。この前の日曜日はいつの間にか仕事が山ほどたまってしまい、朝5時に起きて、6時に医院に出た。本当は土曜日の外来が終わってから少しでも書類を片付けたらよかったのだが、風邪をひいていたこともあり、何もやる気がしなかった。自立支援や障害者手帳の診断書が10人ほど残っており、早速書いていった。以前と違って、家族の同意書や福祉にかかっている人は受給者証明書がいるので、必要な書類をこちらで用意し、自宅に郵送している。申請書は本人の署名以外は私がすべて書き込んでいるので、けっこう時間がかかる。大体書き上げ、10時から、車の定期点検に行った。1時間ほどかかるので、そのまま車は置いて、京阪の墨染まで歩いた。この辺は歩いたことがないので、大きなマンションがいくつも建っているのには驚いた。ここで心療内科を開業しても、充分にやっていけるのではないかと思った。
 医院に帰ってから、英語圏の大学に復帰する患者さんの診断書を英文で書いた。以前に1回復帰した時に失敗しているので、今回はいろいろな注意事項を書き込まなければならない。日常会話と違って、大学に提出する公文書の作成には気を使う。その後で、きのうあった労災の判定会議の資料を読んでいた。今回は5件出ており、労災に該当するかどうか予め判断しなければならない。私が部会長で司会をしているので、あまり手をぬいて読むわけにもいかない。最近は判定が難しいケースが多くなっている。昼食を取ってからは、会計事務所に送る7月分の収支報告をまとめていた。納税振込みの領収書が見つからず、あちこち探したが出てこなかった。8月分のレセプト請求は出したところなので、ついでに8月分もまとめようかと思ったが、8月分の通帳の記載ができておらずあきらめた。京都第一赤十字病院内にある京都銀行まで記帳に行ったが、休みの日で閉まっていた。その後で、今週の金曜日に保健所のデイ・ケアで話す内容の原稿作りである。簡単な要旨をまとめて、当日患者さんに原稿を配らなければならない。薬の話などは患者さんは聞き飽きているので、毎回テーマが変わり、今回与えられたテーマは「生活リズムと睡眠」である。これまで話したことのないテーマなので、1時間半以上何を話したらいいのかと迷う。原稿を途中まで書き始めたが、気分が乗らず別の日にまた書くことにした。院長室で領収書を探している時に、いつのまにか古い本や印刷物が山ほど貯まってるのに気づいた。仕方ないので、思い切って部屋を整理することにした。2時間ぐらいかけて片付けたら、もう夜の6時過ぎである。
 来週は連休であるが、日曜日は午後2時から6時まで京都市国際交流会館で外国人のためのカウンセリング・デイがある。月曜日の敬老の日は京都市の休日待機番が当たっている。子どもたちは思春期になったら、クラブや友だちとの遊びが忙しく、親とはあまり外に出たがらない。盆休みに日本に飛行機で帰ってくる時に、機内に置いてあった婦人公論を読んでいたら、ある父親の嘆きの文章が載っていた。20歳前後の娘2人と妻が、エステとショッピングでソウルに行きたいと話をしていた。父親もその気になっていたら、娘から「えー、一緒について来るつもりなの。信じられない」と言われたそうである。信じられないのは、こっちの方である。いったい誰が苦労して生活費を稼いできていると思っているのか。こんな事をいう娘とこんな風に娘を育てた母親は即刻シベリアに送ったらいいと思う。家内とは今はもうひとつなので、1人で出かけられる所も多くない。ふだんはあまり無理をせず、日曜日もだらだらと仕事を続けている方が楽なのかもしれない。

平成19年9月4日(火)

 この前の日曜日は東京まで5年に1度の精神保健指定医更新の研修会に参加してきた。朝9時から午後5時半までの講義で、1日中座っていて疲れてしまった。年に何回か全国で開催され、大阪でも研修会が開催されるが、日曜日に開催されるのはこの東京だけである。開業しているとなかなか休めず、京都からも何人かの先生が参加していた。最近は新幹線に乗る時には、経費で落ちることもあり、グリーン車である。帰りの新幹線では、JR内の本屋で平積みにされていた三浦展「富裕層の財布」(プレジデント社)を買って読んだ。著者は「下流社会」(光文社新書)で名が知られているが、今回の内容はどこまで代表しているかわからないアンケート調査が中心で、表層的であまり深みがない。
 前にも書いたが、ここでもにわかには信じられない数字が出てくる。金融資産が1億円以上の人は日本には130万人以上いるという。これは世帯の資産ではない。赤ん坊も含めて日本人の100人に1人が1億円以上の貯金があるということである。やはり、開業医、病院長・理事長が多いが、大企業の社長や役員がこのアンケート調査にどこまで協力しているのかは疑問である。富裕層の生活満足度は、経済的、物質的には満たされているが、時間的満足は16.7%、文化的満足は18.3%、精神的満足も21.4%と低い。真性富裕層は、仕事が忙しく、時間的ゆとりがなく、遊ぶより仕事をしてしまう人と特徴づけている。お金持ちになるために必要だと思う要素として、「自分の努力」「仕事に対する情熱」「決断力」「一歩先を読む能力」を挙げる人が多いという。この調査では、富裕層の職業としては、男性では開業医が26.3%を占めているが、勤務医は2.1%である。勤務医でも、この特徴を備えている人は大勢いるが、勤務医の給与体系ではどんなに優秀で努力しても富裕層にはいるのはほぼ不可能である。著者は後半で富裕層のためにグリーン車をグレードアップせよといろいろ注文をつけているが、私にはこれで充分である。日曜日の夜6時頃発の大阪行きののぞみで、中はがらがらであった。
 飛行機もビジネスクラスにしたいが、エコノミーと比べたらびっくりするほど高くなる。下手をすると3倍ぐらいの値段になるので、よほどのことがない限りエコノミーで我慢するしかない。さて、盆休みのベトナムープノンペンの旅の続きである。2日目はメコン・デルタの日帰りツアーである。1泊2日、2泊3日と他にもツアーがあり、時間があったら1泊2日のツアーに参加したかった。日帰りツアーは14ドルであるが、1泊2日のツアーもホテル代込みで26ドルと安い。朝7時半に旅行代理店前に集合して、バスで近くの船乗り場に行く。それぞれのツアーごとに小型ボートに乗り込み、70km離れたミトーを目指し、メコン川を上っていく。日帰りツアーのメンバーは、男1人女2人のカナダ人とスペイン人のカップル、男2人の日本人、それと私である。私とスペイン人のカップルは船の後部にゆったりと座っていた。ボートには3時間ぐらい乗り続けるが、私は写真を撮ったり、ビデオを撮ったりゆっくりと楽しんだ。キャノンのHDVビデオカメラHV10を持って行ったが、小型で映りがよく、本当に銘機である。ハイビジョンカメラは今はどのメーカーもAVCHD方式になっているが、映像の美しさでは、DVテープを使ったこのキャノンのビデオカメラに優るものはない。今は生産中止となっているので、在庫分しか市場には出ていないが、7〜8万円で買えるのでお勧めである。新製品が必ずしも優れているわけではないという典型的な例である。AVCHD方式は圧縮率が高いので、このキャノンの映像を上回るには技術的にもまだまだ時間がかかるだろう。
 前の方に座っている人たちは結構窮屈そうである。川の上だと、いろいろな船が行き交い、ふだん目に触れることのないそれこそ絵になる写真や映像が撮れる。ガイドも船長も前の方を向いているので、途中から船尾に出てみた。振り落とされないように、屋根につかまって立ったが、四方八方の景色が見渡せ、思う存分写真とビデオが撮れた。見渡す限り青空が広がり、風を直接感じながら、本当に気持ちがよかった。私が自分の席に戻ってから、スペイン人の男が私と同じように船尾に出て立っていたが、途中ガイドに気づかれ、注意されていた。ミトーに着いてからは、もっと小型の現地のボートに乗り換え、ドラゴン・アイランドやユニコン・アイランドなどの島々に渡る。ユニコン・アイランドでは、日本人ツアーがたくさん来ていた。ニシキヘビ(だと思う)を首に巻いて記念写真を撮ったり、現地のフルーツを食べたり、帰りは手漕ぎボートに乗せられ、ヤシの葉が繁る小さな川を行き、小型ボートが待っている海のようなメコン川まで送られた。その後で、ココナツキャンディを作っている島に案内された。手作りのココナツキャンディはあまり興味がなかったが、試食してみたらびっくりするほどおいしかった。砂糖は使わず、ココナツだけの甘みで、上品な味がした。私は海外に行っても基本的にはお土産は買わない。私の医院の玄関にブリキの乗り物が置いてあるが、これは気にいったので旧いプノンペンの空港で1つ10ドルぐらいで買った。ココナツキャンディは100個ぐらいはいっている包みが1ドルで売っていたので、思わす2個買ってしまった。毎回お取り寄せしたいぐらい、この味には感動した。
 その後で、別の島に渡り、昼食である。ミトー名物の象耳魚のカラ揚げとビールは別料金であったが、それなりにおいしかった。私1人だけビール2本を飲んだが、極楽であった。この島では数時間自由時間があり、ハンモックで寝てもいいし、無料の自転車を借りて島巡りをしてもいい。私はカメラを持って島を歩いたが、楽しかった。帰りは船で港に渡り、ここからはバスで夕方6時頃に最初の出発点まで帰ってきた。観光地化されているが、料金も安く素朴さが残っており、本当によかった。日本人観光客が多かったのは私好みでないが、ベトナムはタイほど観光地化されておらず、ベトナム戦争にいろいろな思いを抱いている団塊の世代にはお勧めの国である。治安も悪くなく、ツアーで行くなら家族旅行も安心である。
 3日目はいよいよプノンペンまでバスで国境越えである。朝7時出発で、欧米人も10人近く乗っていた。バスはほとんど満員であったが、私の横は誰もおらず快適であった。バスが出発すると、乗務員が全員のパスポートを集める。私がビザを前もって取っていると言うと、驚いた顔をしていたので、現地で簡単に取れたかもしれない。この乗務員がビザの申請書をパスポートを見ながら書いているのである。現地の人で書き方がわからない人もいるので、これもサービスにはいっているのかもしれない。カンボジアとの国境であるモックバイには1時間ちょっとで着いてしまった。広大な敷地に大きな建物が建っており、荷物をバスに置いたまま税関に向かった。1人1人審査するのかと思ったが、そのまま簡単に出国し、カンボジアの入国も簡単であった。出口でパスポートを渡され、荷物はバスの中で何も調べられない。国境越えは意外にもあっけなかった。カンボジアからベトナムへの入国はもっと厳しいのかもしれない。カンボジアに入ってからすぐにパベットで朝食である。レストランに寄ったが、私はバナナを買って食べた。それから景色のいい緑の中をバスはひたすら走り続ける。途中で、メコン川をバスに乗ったままフェリーで渡るが、現地の人も大勢乗っており、これもよかった。メコン川を渡ってからしばらく道路がまだ整備されていなく、穴ぼこの道をバスが進んだ。最新のバスでも、悪路ではひどく揺れる。私は昔読んだ藤原新也の旅行記を思い出した。砂漠かどこかでバスに乗っていた時に、砂嵐が来て、バスの中にまで砂が押し寄せてくる場面である。下川裕治の世界の難所踏破の旅行記も思い出した。狭くて固いイスに座っていられないぐらい揺れ動くバスの中に半日以上閉じ込められる話である。それから比べたらましであるが、わずかな時間であるが、こんなにも揺れ動くのかと思うほど揺れ動いた。午後1時ぴったりにプノンペンに着いた。快適で安全な旅で、はらはらドキドキすることはなかった。
 はらはらドキドキすることといったら、カンボジアの内戦が収まり、平和が訪れて間もない頃に私は経験している。カンボジア人は日本人に対しては他の国より友好的である。どうしてかというと、当時の日本の明石国連大使がカンボジア和平に向けて大きな役割を果たしたからである。国連監視下において国民投票が行われ、ようやく初めて平和が訪れたのである。だから、カンボジア国民の間では元明石国連大使の名が日本人の中では1番よく知られ、みんな心から感謝している。もんもん読書録でも触れているが、この時には町には銃器があふれ、少し前にはホテルの入り口に銃器の持ち込みは禁止と看板が出ていたぐらいである。平和が訪れて兵士が大量に失業し、治安も悪い時であった。私は亡くなった小田実のように、何でも見てやろう、聞いてやろうである。当時悪名高いマティーニというナイトクラブみたいなオープンバーがあった。今もあるが、場所が変わって日本人の学生を見かけるぐらい人畜無害の安全な場所となっている。当時は外にはバイクタクシーのドライバーがひしめき、物乞いも集まり、中には大勢の娼婦が集まり、得体の知れない外国人も集まり、日本人は私1人だけであった。今から考えると、世紀末的な異様な雰囲気であった。誤解を招くので書いておくが、こんな所で娼婦を買ったら、即AIDSにかかり、わけのわからない皮膚病をうつされるだろう。ビールを飲んで待たせていた安ホテルの専属ドライバーのバイクに乗って帰ろうとしたが、途中私をつけてきたバイクの2人組に襲われた。頭に銃を突きつけられ、金を要求されたが、私はカンボジア語で「金、ホテル」と言ってなんとか難を逃れた。何も持っていないと、腹立ちまぎれに暴力をふるわれたりするので、5ドルぐらい胸のポケットに入れておく方が安全だとは知っていたが、何も小細工はしていなかった。タイやベトナムよりカンボジアの夜は濃く、私は好きである。日本でも田舎に行ったら、どこでも夜は暗いということになるが、深い暗闇の奥で大勢の人がうごめいているのである。カンボジアも観光に力を入れているが、日本人のいない所に行きたい私としてはあまり来て欲しくない。
 日本に帰ってきたのは、6日目の8月16日で、朝7時にバンコクのホテルをチェックアウトして、途中飛行機が遅れ、京都に着いたのは夜10時過ぎであった。翌日は盆休み明けで患者さんが70人ほど受診し、診察で疲れた。最初に書いた富裕層のように、好き放題しているようでなかなかゆっくりとしている暇がなく、もう少しゆとりが欲しいと思う。

平成19年8月28日(火)

 この前の土曜日の夜は京都精神科医会があった。講演会の講師は今年80歳になられた笠原嘉先生で、演題は「精神医学と私〜京都と私」であった。私の好きな精神科医は海外ではミルトン・エリクソンであるが、国内では精神医学の本で1番教えてもらったのが、この笠原嘉先生である。他にも大勢の先生方の著書にお世話になったが、笠原先生の本は精神科医になりたての私にもわかりやすく、理解しやすかった。難しいことを難しく言うのは誰にでもできるが、難しいことを誰にでも納得できるように説明してくれた。精神分析や精神病理、臨床心理などについて、思っていることをありのままに話し、面白かった。もうこの年になったら、誰にも遠慮することなく、本音で語れるのだろう。この前亡くなった河合隼雄氏のことも出てきたが、統合失調症をしっかり診ていない臨床心理士についてはやや批判的であった。精神科診療所は現在日本全国で5千軒もあり、1人開業医についても疑問を呈していた。
 懇親会では新しい会員の自己紹介などがされていた。てんかんの専門医で開業した先生がいたので、みんなの前で「てんかんで食べていけるのか」と聞いたところ、その先生の答えは「食べていける」であった。開業する時に以前勤めていた病院からびっくりするほどの患者さんを引き連れており、この患者さんたちだけで1ヶ月500人にもなるという。てんかんの患者さんは発作がコントロールされている時には3ヶ月処方も珍しくないので、その数は中途半端ではない。私が開業したのはゴールデン・ウィークが終わった5月7日で、この月の患者さんの数(レセプトの数)は340人弱ぐらいであった。当時としては新記録ぐらい多かったが、私より遥かに多く、3ヶ月間も続くことになる。次に、精神科の往診を専門にしている先生の自己紹介があったが、こちらは「食べていけない」という。「統合失調症」の名付け親としても知られている先生で、大勢のスタッフを抱えて孤軍奮闘している。私は年を取ってきたこともあり、最近は外来をやっていても守りの体制にはいっている。経済的に満たされてしまって、それこそ当初の気概が失われ、安定志向になってしまった。核マル派がいうところのダラ幹(だらけた幹部)みたいなものである。この時代に、自分の理想の医療を求めて、敢えて苦労の道を選んでいる先生には心より頑張って欲しいと思う。
 高名な笠原先生とはまったく面識がなかったが、1度だけお世話になったことがある。私が京都第一赤十字病院の部長として赴任した時に、府立医大とは違うK大系の部長が定年退職し、同じK大系の先生が残っていた。この先生は他の大学にも行っていたので、私よりかなり年上の先生であったが、医学部の卒業年度は私より下であった。前にも書いたが、大学の教授にもう部長を辞めさせて欲しいと毎日頼みに行こうと思うぐらい大変な先生であった。これまでに人生の危機は何回か訪れているが、この時には私自身が重いうつ病になったのではないかと思うぐらい精神的に追い詰められた。ぎりぎりの所で反撃に転じたが、今から考えてもよく生き残ったと思う。
 大きな公的病院は医局の関連病院になっており、実質的にはそれぞれの科の教授が人事権を持っている。教授を頂点とする医局制度の功罪はいろいろあるが、何かあった時には教授が責任を持って派遣した医師を交代していた。ところが、K大の精神科では学生運動の時に医局を解体し、当時でも教授の権限はなく、評議会がすべて取り仕切っていた。教授が病院の医師を交代させる時には、形式的にはその医師に次の病院を紹介することになっている。私の医局の教授に相談しても他大学の医師なのでどうしようもなく、院長や事務長にもかなり抗議したが、解雇については及び腰であった。K大の教授も権限がなく、評議会にもかけあったが、当事者能力はなかった。プライドの高い先生なので、開業医になる気は全くなく、ここをやめさせるには、本人を説得できる人を見つけて、それなりの別の病院のポストを用意しなければならない。ちょっと考えただけで、絶望的である。ここではあまり詳しいことは書けないが、最後の手段として、私の方から勝手に笠原先生を巻き込んで、この先生と死闘を繰り広げた。最終的には、笠原先生がどこの馬の骨ともわからない私の言い分を受け入れ、この先生を別の病院に引き取ってくれた。懇親会が終わって笠原先生が帰る時に、初めて対面して一言挨拶をした。すぐに、この時のことを思い出してくれたが、直接お礼が言えて本当によかった。
 今この文章を書いていて、病院も医局も私に感謝すべきだと思う。こんなことを書くと尊大に思えるかもしれないが、私もぎりぎりで生還している。なんとか薬を飲まずに乗り切ったが、大げさでなく1歩間違えたら挫折の大きさから私も難治性のうつ病で再起不能になっていたかもしれない。この時期にこのタイミングで私がこの先生を追い出さなかったら、絶対に定年までやめずに病院に居残っていたと思う。第一、こんな先生を雇ってくれる病院なんて他にどこにもない。ちなみに病院の定年は65歳である。私が勝手に笠原先生を巻き込んだ時には、医局の教授からは自分が裏で私を操っているように見えると怒られたが、戦略もなくただ私が何とかしてくれと頼んでも誰も相手にしてくれないだろう。私1人で全知全能をふり絞り、迷惑だったと思うが、無理やり笠原先生を土俵の上に引っ張り出した。ここでのやり取りは小説になると思うが、笠原先生も定年退職をしていたので、直接何とかするという返事はもらえなかった。しかし、最後は私の捨て身の作戦で、結果的にはこの先生は他の病院に移動となっている。私は100%不可能なことを可能にしたと思っているが、ひとえに笠原先生のおかげである。先生にはいくら感謝しても感謝したりない。私が開業する時には、院長も事務長もどれだけ苦労していたのか知っていたので、誰も反対できなかった。
 今回はこの前のベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンまでのバス旅行の続きを書きたかったが、もういっぱいになってきたので、次回にさせてもらう。

平成19年8月21日(火)

 8月10日の金曜日は外来が終わった後、この14日の日記を書き、夕食をとっていたら、荷物の用意する時間がなくなってしまった。関西空港への最終便が京都駅発の21時49分で、あわてて荷物をまとめて家を出た。大阪で乗り換えて、関空に着いたのは23時35分である。ここから夜中の1時半前にタイのバンコクへ出発し、現地時間の朝5時過ぎに着いたら、ベトナムのホーチミン行きに9時に乗り継ぎである。飛行機の中では、エバミールを1錠飲んで、なんとかうとうとした。ホーチミンまでの出発に4時間近くあるので、空港内のカフェで朝食をとった。日本ではホーチミンについては調べている時間があまりなかったので、「地球の歩き方」を開いて改めて詳しく読んだ。現地でホテルを探すつもりであったが、初めての場所で探すのは大変だと思ったので、出発の数日前にあわてて予約をした。ホテルの場所の確認や「旅のトラブル」の章を読んでいたら、こちらがびびるようなことがたくさん書いてある。到着後すぐに盗難や詐欺などのトラブルに遭うケースが多発し、近年の都市部の治安の悪化は著しいとなっている。具体的なケースが山ほど書いてあり、バイクでのひったくりから始まって、ぼったくり、レイプ、睡眠薬強盗となんでもありである。別の「ホテル事情」の章でも、盗難が多いとなっており、入国時にも不当なわいろを要求されるなどいろいろなトラブルが報告されている。
 あわてて出てきたので忘れ物も多く、目覚まし時計は忘れるし、ボールペンも忘れてしまった。入国する時に入国カードを書かなければならないので、空港内で筆記具を探したが、値段の高いブランド物しか置いていない。仕方ないので、パーカーのボールペンを買ったが、4千円近くもした。バンコク発の飛行機なので、日本人は少なかった。あっという間にホーチミンに着いたが、入国時の審査の時にはこちらは厳戒体制である。何のトラブルもなく入国し、空港を出てホテルまでタクシーである。「地球の歩き方」にはここでのトラブルが山ほど書いてあったので、こちらも慎重になる。何とかタクシーを捜し、無事ホテルまで着いた。街中を走っている時にはバイクが多く、カンボジアのプノンペンとあまり変わりがない印象であった。
 ホテルに着いてまずやらなければならないことは、プノンペンまでの運行バスを見つけて予約することである。ところが、予約したホテルがデタム通りの近くで、バンコクのカオサンロードのように世界中から旅行客が集まる場所であった。旅行代理店も多く、ホテルから歩いて5分以内の場所で簡単に見つけることができた。トイレ付きのバスで、ホーチミンからプノンペンまで6時間かかり、値段は20ドルであった。予約をしてしまったら気分が楽になり、別の旅行代理店で次の日のメコン・デルタの1日ツアーを申し込んだ。日本語通訳付きのツアーもあるが、英語の団体ツアーで充分である。値段は朝7時半出発で、夕方6時ごろ帰ってきて、昼食付きで14ドルであった。
 この日は1度行ってみたいと思っていた戦争証跡博物館に行ってきた。世界中どこにも戦争記念館みたいなものがあり、プノンペンではトゥール・スレイン博物館がある。日本でも、世界に誇るべき広島や長崎の原爆記念館がある。若い人にはわからないかもしれないが、私の世代にとってはベトナム戦争というのは青春時代そのものであった。私はノンポリで、政治にはまったく関心がなく、ロックに夢中になっていた。今から考えると、いつもTVではベトナム戦争のニュースが報道されていた。今回改めて調べてみたら、ベトナム戦争は16年間も続き、私が7歳の時に始まって22歳の時に終わっている。展示されている写真を見ていたら、映画「イージーライダー」の中で流れていたステッペン・ウルフの「ボーン・ト・ビィ・ワイルド」などの曲が頭に流れてきた。騒然としていた60年代から70年代の時代で、ドアーズやジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスなどが活躍していた時代である。サイモンンとガーファンクルの曲に「清しこの夜」があるが、後半でベトナム戦争についてのニュースが流れてくる。他にも映画でフランシス・コッポラの「地獄の黙示録」も思い出した。ヘリコプターの上から逃げ惑う農民を機関銃で掃射するシーンが蘇ってきた。枯葉剤攻撃やナパーム弾攻撃など、今から考えたらアメリカもとんでもないことをしている。私もあの頃は若かったので、「ウッドストック・フェスティバル」などのカウンターカルチャーに憧れていて、ベトナム戦争そのものの政治的意味については無関心であった。今回いろいろな展示物を見ていて、当時の自分が体験していたことがすべてでないことがよくわかった。この博物館で30年以上経て追体験することで、何気なく過ぎ去っていった青春時代が新たに発見され、意味づけされ、深化している。ピューリッア賞を取った有名な沢田教一の写真も展示してあった。昔読んだベトナム戦争の本の中で、ホーチミンの有名な言葉が引用してあった。うろ覚えで、freedomかliberteyか忘れてしまったが、There is nothing more precious than independence and freedom であったと思う。その後、ベトナム戦争に勝利し、独自の共産主義を歩み、やっとホーチミンの言葉の3分の1を達成したという。どういうことかというと、欧米からの援助もなく、9つの言葉の前半3つをやっと達成して、結局何もなくなったという。今は開放政策もあり、ベトナムの経済発展は目覚しい。
 この後で、ベンタイン市場ものぞいてみたが、プノンペンのセントラルマーケットを知っているので、思ったよりは大したことはなかった。夜は日本食レストランに行ったが、ビールを飲んだりすると20ドルぐらいかかってしまった。帰りにバイクタクシーでホテルまで送ってもらったが、途中香港のように通りが明るい場所があり、バンコクでもこんな場所があったかと思うぐらい洗練されていた。ホテルの周辺はレストランやオープンカフェなどが沢山あり、「地球の歩き方」に書いてあったような治安の悪さはまったく感じなかった。バイクタクシーも乗る前にきちんと交渉したら大丈夫である。旅の続きについては、次回の日記に書こうと思う。

平成19年8月14日(火)

 この日には、おそらくカンボジアに入国していると思うので、今回は早めに更新しておく。ベトナムやカンボジアでは蚊が媒介するデング熱が大流行している。虫除けスプレーを買いに行かなければならないが、ばたばたしていて忘れそうである。ベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンまでバスで行こうと思っているが、初めての陸路での国境越えなので、少し不安もある。今は雨季にあたるので、道路事情もわからず、万が一の大雨や洪水も心配である。以前にも書いたが、カンボジアのシアヌークビルにバスで行った時に、反対方向で1台のバスが故障して、何もない田舎で立ち往生していた。カンボジアでは、各地を結ぶ定期バスは、夜間は危険なので走っていない。ホーチミンは初めてなので、どこからバスが出ているのか1人で探すのも大変そうである。本で調べても、あまり詳しい情報が載っていない。簡単なベトナム語とカンボジア語を復習しようと思ったが、盆前に書かなければならない書類が山ほどあり、なかなか思うように勉強できなかった。ハウ・マッチと数字ぐらいはなんとか頭に入れた。今回も夜行便でバンコクまで行き、乗り継いでホーチミンには朝10時半頃に着く。1人旅で知らない空港から入国し、手続きをすませて外に出た時には、右も左もわからないので緊張する。写真はたくさん撮ってこようと思うので、無事に帰国できたら、このホームページで公開しようと思う。
 参院選で自民党が惨敗したが、地方をどう蘇らせるのかは本当に難しい問題だと思う。小泉前首相の時には公共事業を大幅に削減している。以前にも紹介した大村大次郎「国税調査官が教える なぜ金持ちが増えたのか? 税が格差社会を作った」(グラフ社)に島根県のことが出てくる。島根県は故竹下元首相や青木参議員など有力な代議員を輩し、公共事業を誘致し続けてきた。その結果、島根県の経済は公共事業にまったく頼り切った体質になってしまった。公共事業を誘致すれば一時的には経済は上向くが、一時的な痛み止めのモルヒネのようなものだという。今島根県はどうなっているかというと、人口流出がワースト10にはいり、倒産件数、失業率が激増し、県経済は瀕死の状態にある。公共事業が、県の経済の活性化に全く役に立っていないのである。じゃあ、どうやって地方の経済を活性化するかとなると、これは難問である。企業誘致も、シャープを誘致した三重県の亀山のように必ずしも成功するわけではない。昔は道路の整備など、それなりに公共事業は役にたっていたと思う。しかし、今や必要かどうかもわからない道路や橋、建物にこれ以上税金をつぎ込むのも無理がある。
 前にこの本を読んでいる時に、福祉政策も一歩間違えると、島根県のような公共事業と変わらなくなるのではないかと思った。障害者や社会的弱者に対して、福祉の充実を求めるのは異論はない。しかし、患者さんを診ていると、どこまでが社会的弱者で、どこまでが福祉の対象になるのかがわからなくなる。離婚をして小さな子どもを抱えていても、スーパーやコンビニで朝から晩まで働いている人もいれば、同じ立場でまだ若くて生活保護を受けている人もいる。離婚しても、子どもを育てるために水商売にはいる人もいれば、中には風俗にはいる人もいる。みんな生計を立てるために、必死になって働いていて、初めから生活保護を受けるという発想はない。ところが、一方では最初からいとも簡単に生活保護を受けてしまう人もいる。今はまだ不況なので、朝から晩まで派遣で働いていても、月給はせいぜい10万円ちょっとぐらいである。体調を崩して休んだりしたら、経済的にはすぐに追いつめられてしまう。引きこもりの患者さんでも、社会経験を積まずそのまま年をとってしまったら、もう働くのは絶望的である。うつ病の患者さんも長引くと、再び仕事につくのは難しくなる。心療内科の患者さんの中には生活保護の予備軍みたいな人が大勢いるが、いつもどこから対象になるのかがよくわからない。一旦生活保護を受けると、現在の厳しい労働条件を前にして、勤労意欲をなくしてしまう人もいる。社会的に訓練されていないために、言い換えると社会適応能力が低くて集団生活になじめない人に、働けないからといってそれこそ公共事業のようにいつまでも漫然と生活保護を続けるのも疑問である。いくら自分で仕事をさがせと言っても無理なので、若い人の場合には社会的訓練の場や福祉工場のような所を作って、そこで何時間か働くようにさせるなど、何か工夫が必要だろう。ぎりぎりで頑張っている人たちがもう働くのがあほくさくなり、みんな福祉になだれ込んでしまったら、福祉政策そのものが破綻してしまうだろう。年金をかけていてもかけていなくとも、最後は福祉が全部面倒をみてくれるというのも釈然としない。

平成19年8月7日(火)

 最近医院の玄関の自動ドアの調子が悪くなってきた。患者さんがドアノブに触れても、まったくドアが開かない。手動で無理に開けることはできるが、普通のドアと違ってかなり重い。ドアの電源を切ったり、手で動かせているうちに、また自動で開くようになるが、すぐにまた調子が悪くなる。この暑い中をドアを開けっぱなしにしておくわけにもいかない。今から修理を頼んでも、もうすぐ盆になるので、いつ来てくれるかもわからない。万ヶ一自動ドアを全部取り替えることになったら、それこそとんでもない費用がかかるかもしれない。
 少し前に、診察室にはいる引き戸もだんだん閉めにくくなっていた。患者さんが閉めても、力を入れないと1回では閉じることが難しかった。診療所を建ててから7年目にはいるが、徐々に家が傾いてきたのではないかと本当に心配になってきた。一本の柱に3つの引き戸が3方向から閉じるようになっているが、3つともぴたっと閉まらず、柱との間に大きな隙間ができる。引き戸を削るわけにもいかず、一体どうやって修理するのかと不安になった。結局、医院を建ててもらった大工さんを呼んで、見てもらった。原因は、家が傾いているのではなく、家を建てた後にどうしても重みなどで床などがしなるということであった。ある程度しなるのは仕方ないが、患者さんが出入りする時に、引き戸の開け閉めができにくいのは困る。引き戸を削るわけにもいかず、下のレールを持ち上げるのも無理があり、それこそ柱を正しい方向に引っ張るのは至難の技である。一体どうやって解決するのかと思ったら、意外に簡単であった。予め、床がしなるのを予想していて、引き戸の傾きがネジで簡単に調整できるようになっていた。すべての引き戸を調整してもらって、スムーズにぴたっと閉まるようになり、ひとまず安心した。
 さて、自動ドアである。こういう場合はどこに連絡したらいいのか迷うが、とりあえず自動ドアに貼ってある連絡先に直接電話することにした。グーグルで電話番号を入れて検索してみると、大阪の会社である。ここまで修理に来てもらうのは大変そうである。自動ドアの型番も調べなければならないと思ってあちこち見てみたが、それらしい記載はない。電話してみると、担当の人がすぐにトラブルの原因がわかり、これもびっくりするほど簡単に解決できた。ドアを開け閉めする時に触れる取っ手の部分に電池がはいっており、それが切れているという。言われた通りネジをゆるめてカバーを取ってみると、中に単4電池が2本入っていた。電池を交換してみると、またもとのように動くようになった。それにしても、こんな小さな乾電池2本で6年3ヶ月も自動ドアを動かし続けていたなんて、全くの驚きである。
 2件とも気が遠くなるような費用がかかるかと心配していたが、電池代ぐらいで済んでしまった。しかし、開業して7年目になると、医院のあちこちを修理したり交換しなければならない。私の医院の職員は、正社員の受付けの人が1人とパートの受付けの人が1人だけなので、何か故障した場合にはすべて私が解決しなければならない。玄関の外の天井に大きなくもの巣ができたら、私が掃除するし、トイレが詰まっても私がなんとかしなければならない。最近ファックスの調子が悪く、きれいに印字できないようになった。修理を頼んだら、もう寿命なので買い換えなければならないという。見積もりを出してもらったら、1台17万円もする。ビジネス用のファックスなのでこれぐらいするかもしれないが、私の医院はふつうの会社と違い、送信も含めて週に10枚使うかどうかである。経費を節約するために家庭用のファックスを買ったが、交換するのも私の役目なのでまだやっていない。
 2010年のレセプトオンライン化にむけて、私の使っているレセプトを扱っている会社から最近案内が来ていた。レセプト電算オプションに40万円かかり、早期に注文すると25万円に値引きするという。ビスタが出る少し前に、レセプト用のコンピューターとソフトを買い換えたが、この時にもとんでもない費用がかかっていた。またすぐに25万円もかかり、両方合わせたら大変な額である。新しいNTTのタウンページの広告の請求が今月来ていたが、これにもまたびっくりした。電話帳も昔のように北部版と南部版と2つに分かれておらず、今は4つに分かれている。私の医院がある東山区は京都市北中版に属し、患者さんが比較的多い伏見区や南区は京都市南部版に属している。これまで医院の広告は南部版1つでよかったが、数年前から両方に出さなければならないようになった。今年は京都市北中版を同じ4分の1ページ大にして4色刷りにしたが、2冊合わせて1ヶ月の広告代が9万7千円を超えている。去年は少し患者さんが減っていたので弱気になっていたが、最近はまた増え出しているので、もう少し小さな広告でもよかった。私はいつも精神科は机1つで始められると言っているが、意外な所でお金がかかっている。
 鶴岡謙吾「新富裕層プロファイリング」(ダイアモンド社)を読んでいたら、にわかには信じられないが、主たる住居を除く純金融資産が100万米ドルを保有する日本の富裕層数は2005年で141万人に達したという。今は円安なので、当時と比べたら目減りしているかもしれないが、日本人の100人に1人が1億円以上保有していることになる。このデータの出所は、メリルリンチ日本証券などであり、それなりに根拠があるのだろう。私は開業する時に親から借りた借金がまだ1500万円残っており、今すべて返したら貯金は500万円ぐらいである。開業して7年目では、まだまだ富裕層にははいれないのである。48歳で日赤の部長をやめた時には、残業手当もあまり出していなかったこともあり、税込みの年収は1380万円であった。
 この本では、旧富裕層と新富裕層の比較をしているが、旧富裕層は世帯年収が3000万円以上で、蓄財傾向が強く、保守的で倹約志向が強いという。反対に、新富裕層の世帯年収は1500万円以上で、ライフスタイル重視で高額消費をする反面、価値を感じない物は安くても買わないという。顧客ターゲットとして、まだ多くの企業から囲い込まれていない人たちが多いという。私は現在は旧富裕層に共通する部分が多いが、にわか富裕層なので、老舗ブランドには特にこだわらない。上下そろったスーツは1着も持っていなかったが、やっと最近オーダーで作ったぐらいである。きょうも床屋に行ってきたが、値段は1900円である。新富裕層にはベンチャー企業経営者やビジネスプロフェッショナル(為替ディーラーやファンドマネジャーなど)、クリエイティブ系プロフェッショナル(独立したCMプランナーやアートディレクターなど)などがおり、開業医を含む王道プロフェッショナル(弁護士、公認会計士など)も含まれている。この本では勤務医はこの王道プロフェッショナルには含まれていない。新富裕層はこだわり消費を志向するというが、私は年をとってしまったせいもありあまり欲しいものはない。盆に飛行機でタイのバンコク経由でベトナムのホーチミンまで行き、陸路でカンボジアのプノンペンまで渡り、プノンペンからバンコクまで飛行機で戻り、バンコクから関空までまた飛行機で帰ってくる。航空券は盆料金で12万円ちょっとである。私がこだわるとしたら、こんな海外旅行と語学と読書ぐらいで、それほどお金はかからない。

平成19年7月31日(火)

 この前の土曜日は京都精神病院協会主催の講演会に出席した。この会は年に2回開催されるが、学会と違って土曜日に開催され、市内で開かれるので、毎回参加している。今回の講演のテーマはてんかんの精神症状であった。しかし、開業している先生の出席はいつもより少なかった。講演した大学教授も話していたが、最近は精神科医のてんかん離れが進んでいる。昔は精神科で学ぶ3大病は、精神病、神経症、てんかんと言われていたが、てんかんは今や小児科や神経内科が診るようになり、認知症についてもますます精神科医は診なくなってきている。特に開業していると、てんかんを専門にしている先生でなければ、わざわざ脳波室まで作って脳波検査をすることもない。
 現在京都市内でてんかんを専門として開業している先生は2人である。以前にも書いたが、私はてんかんが疑われる患者さんが受診した場合には、京都駅近くの専門の先生に紹介している。てんかんについては、大学病院や大きな総合病院の先生よりも、てんかんを専門にしている先生の方が信頼できる。どうしてかというと、てんかんの診断には脳波検査が必要で、この脳波検査の判定が難しい時がある。典型的な異常な脳波は誰にでもわかるが、解釈の難しい脳波や見逃しやすい脳波もあり、これは毎日朝から晩まで脳波を見てきた先生でないとわからない。今は昔と違って、MRIやPETなどいろいろな脳の検査が発達しているので、若い精神科医は昔ほど脳波検査をしなくなっている。
 講演のテーマであるてんかんの精神症状については、昔の知識を思い出しながら、新しい知見も得られ、いい勉強になった。パニック障害やうつ病のような症状を呈していて、あちこちのクリニックにかかっていても改善せず、脳波をとったら側頭葉てんかんであったという症例も紹介していた。こういう症例はまれであるが、外来をしていても、脳波を1度取った方がいいと思う患者さんもいる。以前にも紹介したが、どうもパニック障害とは違うと思って、専門の先生に紹介したら、後頭葉てんかんと診断されたこともある。こういう講演を聞いた後は、診察をしていても、みんなてんかんの患者さんではないかと思えてきたりする。広汎性発達障害の講演を聞いた後で、患者さんがみんなアスペルガー障害ではないかと疑うのと同じである。開業していると、てんかんはもう無縁と思いやすいが、誤診しないように注意しなければならない。
 講演会の後での懇親会では、ゲストとして参加している先生は少なく、国立大学で文系の教授をしている先輩の先生と話をした。たまたま余暇の過ごし方を聞いたら、奥さんとよく映画を見に行っているという。前にも書いた「ダイハード4.0」や「ザ・シューター/極大射程」も見ていた。「大日本人」も見に行き、つまらなかったと言い、私の見たかった「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」はちょうど監督が舞台挨拶に来ていて、内容も面白かったと言う。今年の秋に、今まで見てきた映画100本と精神医学を組み合わせた本を出版するという。本が出たら贈呈すると言ってくれたが、お互いに酔っ払っていたので少し心配である。私が博士号を取る時にはお世話になった先生なので、出版されたらここでまた紹介しようと思う。
 たまたま最近の映画で、「300<スリーハンドレッド>」が話題に出た。私は、家内が子どもの用事などで忙しい時や息子が付き合ってくれない時には最近は1人でも映画館に行き、この映画も見ていた。300人のスパルタの戦士がペルシアの大軍に負けるとわかっていても支配下に置かれることを拒否して、名誉をかけて戦いに挑む内容である。内容的にも映像的にも、大満足の映画であった。この映画を見ていて、溝口敦「カネと暴力と五代目山口組」(竹書房)をちょうど読んでいたこともあり、山口組三代目の田岡組長を襲撃した大日本正義団の鳴海清を思い出してしまった。自分の組長が殺され、その報復として山口組三代目組長を1人で襲っている。ここで、スリーハンドレッドのような戦士と弱小暴力団の組員を引き合いに出すのは不適切かもしれない。しかし、「カネと暴力と五代目山口組」を読むと、最近の暴力団員は賢くなったのかすべて金で解決である。巨大権力の前では、負けるとわかっていても戦う人は、裏の世界でも表の世界でももういないのかもしれない。話し合いになると力のある暴力団が勝つので、暴力団の世界も勝ち組と負け組みに別れてきている。総会屋の話も出てくるが、企業との結びつきについては、有森隆+グループK「新版・企業舎弟闇の抗争ー黒い銀行家からヒルズ族まで」(講談社+α文庫)に詳しい。警察も昔は暴力団員を正業につかせるのが理想であったが、企業舎弟として正業についてしまったら、一体どうしたらいいのかと思う。

平成19年7月24日(火)

 この前の土曜日は久しぶりに両親のいる池田に家族4人で行ってきた。前回いつ行ったのかは覚えていなかったが、カーナビの履歴を見たら、3月であった。いつの間にかもう4ヶ月も経っていた。今回の新潟県中越沖地震では、最初に私の長野県の故郷がTVで放映されたが、その後は何も取り上げられることはなかった。母親が地元の人に電話して聞いても、被害はほとんどなかったという。被害の大きかった柏崎などは、道路が寸断され、報道陣もすぐには入れなかったからと思われる。私の実家が長野県だと知っている患者さんからも、ご心配いただいたが、長野県の実家はすでに売り払ってもうない。あのまま両親が長野県に住み続け、もう少し被害が大きかったら大変だったろう。
 父親のボケは進行しているようで、母親がトイレが大変だと言っていた。それでもおとなしく、TVの前で一日中座椅子に座って、うたた寝をしている。時々母親のこともわからなくなることがあるらしい。私のことも名前が出てこないらしく、以前は「シゲキ」と言っていたのに、「お前か」と言う。私の子どもについては、もう何も覚えていない。家は高校の自転車置き場に面しているので、日当たりがよく、私の家よりも広く感じる。共同通路に私の車も置けて、本当に便利である。母親は相変わらず元気で安心した。今はなんとかできているが、将来のことはまた考えていかなければならない。母親も元気なうちに近くの温泉にでも連れ出したいと思っている。しかし、父親はデイ・サービスもいやがっているので、ショート・ステイの利用はまだまだ先である。
 夕食は近くに住んでいる妹家族4人と一緒に、前と同じ和食店に行った。父親を連れ出せるのはせいぜいこれぐらいの距離である。京都の私の自宅にも連れて帰りたいが、家が狭いし、あまり意味がない。旅館に泊まるのはもう無理だし、足腰が弱ってわずかな距離しか歩けない。妹の娘は医学部をめざして、現在1浪中である。私も具体的には知らなかったが、今は恐ろしいほど偏差値が上がって難しくなっているらしい。受験生にとっては私は憧れの職業に就いていることになるが、私も偉そうなことは言えない。入学した30年以上前の医学部は今から比べたらもっともっと楽であった。前にも書いたが、工学部でも法学部でも文学部でももっと優秀な人が山ほどいた。こういう時こそ、受験生は医学部を外すべきだとますます思いを強くした。他の分野で活躍できるチャンスがいくらでもある。医学部に行けないからといって、そんなにがっかりすることはない。むしろ私なんかより、妹の娘の父親の方がはるかに偉かった。昔は司法試験の合格者は全国でたった500人である。ところが、今は3000人になって6倍にも増え、弁護士になっても全員就職できるかも危ぶまれている。
 妹の旦那と話をしていたら、成年後見制度における依頼が最近は増えているという。医者の方は苦労して鑑定書を書いても、弁護士はその内容は見ないらしい。値段も決まっておらず、引き受けた時には1件30万円ぐらいだと言っていた。誰が後見人になるか戸籍なども調べなければならず、それなりに手間暇はかかるらしい。しかし、医者の鑑定書作成料の方が遥かに安いような気がした。前にも書いたが、現在は鑑定書作成料の相場がほぼ決まっていて、自分が主治医の場合は5万円で、まったく知らない人を裁判所から依頼された場合は10万円である。これまでの生活史や病歴を全部調べなければならず、これはこれで結構手間暇がかかる。弁護士仲間に医療訴訟を専門にしている人がいるらしいが、医療者側について毎回毎回負けてばかりだという。弁護士の報酬は着手金と成功報酬から成り立っているが、毎回負けていても医師会などからは重宝されていて、これはこれで食べていけるらしい。妹の旦那が引き受けた事件で、有罪を無罪にして最近新聞に載ったという。起訴された人の有罪率は99.9%なので、無罪になったら検察の人も大変らしい。村上ファンドの事件でも、法的解釈が難しい場合は、裁判官も弱いらしい。検察もある程度世間に迎合しないと、民間の捜査協力が得られなくなるという。落合博実「徴税権力ー国税庁の研究」(文芸春秋)についてはまた改めて書こうと思うが、以前に妹の旦那から聞いたある弁護士の話を思い出した。民事裁判で国税庁と税金の解釈で争っていて、最終的には国税庁に裁判で勝ったという。ところが、その後その弁護士事務所に国税庁の調査がはいったという。そして、かなりの額の追徴金を課せられている。たまたま税務調査の時期と重なっていたと解釈することは可能かもしれない。しかし、官僚は給料は安いかもしれないが、とんでもない国家権力を握っているとつくづく思った。
 食事も終わりに近づいて、妹が家族全員の写真を撮るといって、デジカメを取り出した。両親とも年を取り、撮れる時に撮っておこうと言う。実は、私もデジカメを持って行った。いつ両親が病気をしてもおかしくない年齢なので、同じように撮れる時に撮っておこうと思った。前回の3月の時には2人ともデジカメは持って行かなかったので、今回は偶然にも同じ思いであった。私が家族5人で最後に写真を撮ったのは、高校生の時である。父親が近くの写真館で撮っておこうと言い、私は反抗しながらしぶしぶ学生服を着て行った。私とカルフォルニアに住んでいる妹と池田の妹と両親である。今でも手元にあるが、この年になって撮っといてよかったと思う。太宰治の小説に私の好きな「思い出」という作品があるが、ここでも1枚の写真が出てくる。今は子どもたちは何もわからず、ちらっと写真を見てすぐ忘れてしまうだろうが、年を取ってからふと思い出したらいいと思う。TVを見ていたら、武田鉄也が出演していて、亡くなった母親の言葉を今になって思い出すという。私の両親は今はまだ生きているが、亡くなってから私もふといろいろな言葉を思い出すかもしれない。私も子どもたちには時限爆弾のような言葉をたくさん残そうと思う。
 きょうはホームページの更新が遅れてしまったが、実は大阪の堺筋本町にあるベトナムの総領事館まで入国ビザを取りに行っていた。前にも書いたが、盆休みはベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンまでバスで行こうと思っている。帰りの飛行チケットがある場合はビザはなしでも入国できるが、陸路で出国する場合はビザが必要である。インターネットで調べると、最近は陸路でもビザがいらないようであるが、はっきりしない。カンボジアのビザも必要であるが、これは郵便で受け付けているので、なんとか今からでも間に合いそうである。あまり日本人の通らないルートで旅するのが、私の唯一の楽しみである。

平成19年7月17日(火)

 5月のゴールデン・ウィークから久しぶりに海の日の祝日があり、2連休となった。私の医院は月曜日から土曜日まで毎日やっているので、2連休になるのは年に数回である。14日の土曜日は台風が近づいていたが、夜9時半から久御山のイオンシネマに「ダイハード4.0」を1人で見に行った。風も強く雨も降っていたので、映画館はすいていると思ったが、いつもと変わりないぐらい大勢の人が来ていた。駐車場もびっくりするほどいっぱいであった。前日までにネットで予約したら1000円であったが、当日のレイト・ショーで1200円であった。たくさんの人でいい席は無理だとあきらめたが、1人だったので運よく真ん中の1番いい席が取れた。さて内容である。今回は、ジョン・マクレーンがサイバー・テロに挑むが、相変わらす迫力があり、娯楽映画としては充分楽しめた。ただ、車がぶつかってヘリコプターを落とすシーンなど、少し非現実的でやり過ぎの所もある。前にも書いた「ザ・シューター/極大射程」の方がこの種の映画としては私には面白かった。
 映画館から帰ったら夜中の12時頃で、それから録画していたTV番組を見ていた。少し前にNHKでやっていた「納得してますか? あなたの働き方」である。非正規雇用、長時間労働、成果主義、すぐやめる若者の4つのテーマを話題に討論していた。みんなそれぞれ自分の体験を基に話をしているので、内容がうまくかみ合っていないような気がした。私が社会に対して感じている世界観は、実際に患者さんから聞く話や本やTVなどの情報から成り立っている。心療内科で朝から晩まで患者さんの話を聞いているので、福祉関係のことも仕事に関するストレスについても詳しくなる。しかし、私がふだん接している世界は本の一部で、患者さんが世の中のすべてを代表しているわけではない。たまたま、最近読んだ週間スパに書いてあったが、今騒がれている年金問題も自民党の問題ではなく、民主・社民党の問題だという。どういうことかというと、社会保険庁というのは旧国鉄以上の労組天国で、労働強化反対闘争の結果、なるべく労働しなくてもいいための裏協定が100項目ぐらいあるという。オンライン化反対闘争でも、キーボードへのタッチは1日平均5千以内(漢字変換も入れると、2千字以下か)とか取り決めている。実際に記載漏れを起こしているのは、厚生大臣とか社会保険庁長官ではなく、民主・社民党の支持母体である労組の人たちなのである。もちろん責任者として自民党が批判されるのは仕方ないが、民主・社民党もそんなに偉そうに非難できる立場ではない。わかったつもりで怒っていても、見当違いのこともある。
 番組の中で、精神科医の香山リカが、「自分にふさわしい仕事なんかない。所詮仕事は仕事で、そこに自分の生きがいを見出すのはおかしい」というような趣旨のことを話していた。現在の自己愛的な若者がかけがえのない自分にふさわしい仕事を求めて、次から次へと仕事を変えていくことに疑問を呈している。厳しい現実であるが、魅力的で報酬の高い仕事は競争率が高く、能力のある人たちからうめられていく。それと、現在は情報が誰にでも行き渡り、昔ほどそれぞれの仕事に対して幻想を持てなくなっている。この会社でこの仕事だったらこの程度の年収で、いくら頑張ってもこの程度とある程度わかってしまう。あまり魅力的でない会社ほど、将来に対して夢も希望も持てず、閉塞感が出てしまう。現在の医学生の偏った志望科の一因として、新研修医制度が挙げられている。2年間でいろいろな科で研修することによって、それぞれの科の現状を知ってしまう。夜中でも重症患者さんとつきあわなければならない科や、当直が忙しい科、すぐ訴えられそうな科は現場にはいる前に避けられるようになった。昔はいろいろな情報は、現場に飛び込んで初めて得られるものであった。その分、多少不利な条件があっても自分が選んだ道として引き受けていく覚悟もできた。現在はある一定の情報は誰にでも得られるため、かえって偏差値のようにすべてが見え過ぎてしまう。格差社会というが、仕事そのものに格差があることは否定しようがない。あまり人気のない仕事にも誰かがつかなくてはならない。たとえそうなったとしても、途中から頑張った分だけ上にのぼれるような社会的システムの構築が必要である。自分探しを仕事で実現できたら幸せであるが、私もあまり強く求めすぎてもいけないと思う。仕事の選択も、なかなか結婚できない若者と共通したものがある。
 今週の週間ダイヤモンドで、ハケンの裏側という特集をしていた。誇大広告で地方の若者を釣る世界のトヨタの記事も載っていた。読んでいて、こちらの方が絶望的になった。社会保険・雇用保険なしで、契約2ヶ月で打ち切りと書いてある。少し前にもキャノンの派遣社員の特集をTVの報道番組で見たが、日本の大企業が自分たちの都合のいいように派遣社員を使い捨てにしている。企業にとって使いものにならない人を無理に雇用する必要はないと思うが、たまたま就職の時期が氷河期で最初から派遣で働いていた人たちは本当に気の毒である。法人税をあげろという議論もあるが、その前に大企業に安定した雇用の義務を果たさせるのが筋である。昔は大企業や資本家が労働者を搾取していると言っていた。契約社員の教育など派遣会社は派遣会社で大変なのかもしれないが、今は派遣会社が労働者を搾取しているようにしか見えてこない。実際には、人を使って物を作って利益を得るのも、人を派遣して利益を得るのも本質的には同じかもしれない。しかし、結果的には、安定した雇用を求める人を不利な立場に置き、企業にとっては都合のいいシステムを生み出したことには間違いない。プラス面では、もともと短期のアルバイト程度の仕事を求めている人には、雇用の幅を広げたかもしれない。
 最近、急に迷惑メールが増えてきた。私は個人的なメールはほとんどしないし、メール・アドレスも楽天やアマゾンなどのごく一部に知らせてあるだけである。どこから漏れたかわからないが、1日10通以上来ると気になって仕方がない。大半が、高級婦人とか秘密クラブとか援助交際の案内みたいなものである。中味も見ず削除していたが、どんどんと増えてくるので、この連休中に思い切ってアドレスを変えた。アドレス変更のメールをあちこち出し、この手続きでも大変であった。その後で、たまった書類の整理をしていたら、ある病院検索のホームページに登録した時のFAX用紙が出てきた。何気なく見ていたら、メール・アドレスを記入する欄があった。連絡用と思って書き記したが、もしかしたらそのまま病院案内で公表されているのかもしれない。あわててインターネットで確認してみたら、やはりメール・アドレスがそのままホームページで紹介されていた。早速削除してもらうように手続きをしたが、アドレスの出所がわかって一安心である。この前の医局の集まりで、開業した先生が最近自分の医院のホームページを作ったと話していたので、のぞいて見た。よくできたホームページであったが、予約はメールで受け付けると書いてあり、メール・アドレスも記されていた。私の経験から、予約のメールより、セレブのご婦人がお供しますというメールばかりになる可能性が高い。私も一瞬気が迷って返事を出してしまったら、身元が割れているので、冷や汗物であった。この連休は年金の診断書や8月で切れる自立支援医療の更新の診断書を山ほど書いていた。開業してから経済的には恵まれているが、相変わらず忙しいし、スキャンダルも絶対に避けなければならない。

平成19年7月10日(火)

 あるパンフレットを見ていたら、医学部の定員が約7700人のところを志願者が10万人を突破したと書いてあった。今や、猫も杓子も医学部志望である。昔は、優秀な学生は文学部や経済学部、工学部などにも大勢いたが、今や多くの優秀な受験生が医学部を目指している。以前にも取り上げた橘木俊詔「格差社会 何が問題なのか」(岩波書店)でも指摘しているが、優秀な学力を持った人たちが他の分野に集まらなくなれば、日本社会にとってマイナスになる。技術者、学者、経営者、弁護士、国家公務員など、他にも優秀な人材を必要としている分野が山ほどある。
 私の周りの開業医でも自分の子どもを医学部に行かせている人が少なくない。私も息子は医学部に行かせたいと思っていたが、最近は考えを改めている。確かに、医者になったらそこそこの安定は保証されるが、将来は狭い医学の世界でなれるのは研究者か勤務医か開業医である。大企業の社長や幹部になれるわけでもないし、企業家になれるわけでもない。開業医も民間の病院も所詮個人経営の中小企業である。他の分野に優秀な人が集まらないということは、考えようによっては医学の分野以外では今まで以上に大きなチャンスをつかめるということである。私の子どもが受験する時には医学部進学熱はもっと加熱して、それこそ一昔前の東大法学部以上に難しくなるかもしれない。そんなに苦労して医学部にはいるぐらいなら、一流大学の他学部に入学し、一流企業に就職する方が世界を相手にして飛躍できるチャンスも増える。もちろん、グローバル化や産業構造の変化などを考慮して、30年後を考えた企業を選択しなければならない。たぶん、これからは日本の企業にこだわる必要もなくなるかもしれない。
 法科大学院ができて弁護士の数が増えてくるが、一時に増えすぎてみんな就職できるか心配されている。一方で、医学に関しては、地方や小児科、産婦人科領域の医師不足が指摘されている。医学部の定員を増やせという議論も出ているが、法科大学院とは違い、医師養成にはお金がかかり、少しぐらい増やしても、慢性の医師不足は解消できそうもない。これからも、医者に関しては身分は保証され、生活は安定するのは間違いない。しかし、私立の医学部に行かせるほどメリットがあるかどうかは別である。昔と違って私立の医学部も難しくなり、授業料も高く、6年間で家1件分ぐらいかかる。たとえ国公立の医学部に入学できたとしても、みんな優秀なのでそこでの競争も大変である。何でもそうであるが、今加熱している職業が将来も保障されるのかどうかは疑わなければならない。同じ苦労をするなら、こういう時こそ医学部を外すのが賢い選択かもしれない。大きな病院の雇われ院長よりも、大企業の雇われ社長の方がいろいろな面で恵まれている。
 いくら勤務医の仕事が厳しいといっても、誰でも開業できるわけではなく、都会での開業はますます厳しくなる。最近、ある医学部の卒業生の半分が眼科志望であったということが話題になっていた。現在の若い医学生の気分を端的に表した志望科目である。命に係わる患者はおらず、仕事も比較的楽で、医療訴訟を避け、将来は気軽に開業できる科を選んでいる。しかし、10年後、20年後のことを考えたら、眼科ばかり開業しても本当にやっていけるのかどうかわからない。この日記でも何回も書いているが、私が入局した頃は医学部の中でも精神科は日陰者であった。総合病院に勤めていても、科の収益は最低で、救急患者も満足に診れないということで、病院の中ではあまり相手にもされていなかった。ところが、20年以上過ぎて今や「こころの時代」で、精神科が脚光を浴びるようになった。開業するにも、それこそ机1つで始められるし、看護師さんもいらないし、院外処方で薬の管理もいらない。内科などでは、高い医療器械に設備投資して開業しても、患者さんを集めるのが大変である。しかし、精神科に関してはまだまだ需要があり、順風が吹いている。栄枯盛衰でいつまでこの状態が続くかわからないが、厚労省が年間の自殺者3万人を減らすために新たな対策をするというので、しばらくは大丈夫であろう。かといって、今からあわてて精神科に入局しても、1人前になるには20年近くかかる。
 この前の土曜日は年2回ある大学の医局の集まりがあった。若い先生方の研究発表などを聞いて、その後に懇親会である。松下記念病院の精神科外来が閉じ、勤めていた2人の先生が開業した。まだ数ヶ月しか経っていないというのに、患者さんの数(レセプトの数)は2人とも300人を超えているという。大きな病院に勤めていると、開業しても最初から患者さんを集められて有利である。若い後輩の先生の話を聞いていると、潜在的には開業志向の人も多い。ある民間の総合病院に勤めている中堅の女医さんが、仕事内容は忙しいが、週5日で定時に帰ることができて年に1500万円ぐらいだと言っていた。やはり医師という仕事は、家庭のある女性にとっては魅力的である。もしかしたら、単科の精神科病院よりいいのかもしれない。医局の集まりでも、私ぐらいの年代が1番元気である。院長も少し上の先生や年下の先生に世代交代している。ここでは書けないいろいろな情報も手にすることもできた。
 最後に、最近読んだ栄陽子「留学で人生を棒に振る日本人」(扶桑社新書)について感想を述べたい。著者は留学カウンセラーを35年以上やっており、副題は英語コンプレックスが生み出す悲劇である。大昔に読んだ本で、大事な思春期に留学するのは、日本人のアイデンティティ形成に支障をきたし、この時期に留学してしまうと日本に帰ってきてもなかなか日本の社会には適応できないと書いてあった。日本の大学生などが米国の大学に留学して、いつも日本人と群れて、英語が少しも上達しないということはよく聞く話である。世界各国の大学数は、米国で約4000校、日本で約1200校である。ところが、ヨーロッパの大学はもともと社会のリーダーやエリートを育成するのが目的で、イギリスやフランスがともに約100校しかないという。いかにまだ階級社会であるかよくわかる。米国では大学が4000校もあるので、その程度はピンからキリまである。日本人留学生がよく行かされるのはコミュニテイカレッジで、がらもあまりよくなく、社会の底辺の人たちが技術をつけるために通う商業高校のような所だという。政治家の経歴詐称にもあったが、米国の大学を卒業したと聞いても、何も驚く必要はない。よく考えたら、ろくに英語もしゃべれずに留学しても、いい大学を卒業できるわけがない。ホームステイ先も、社会的に成功している人たちは共稼ぎが多いので、どちらかというと平均以下の家庭も多いと言う。UCLAに入学したいといっても、夢見たいな話で、この本を読むと日本の一流大学に入学する方が楽である。米国では医学や法学などは大学院から始まることは今回この本を読んで初めて知った。娘が将来は留学したいと言っているが、せいぜい夏休みなどに現地の語学学校に短期留学させるのが、正解のようである。

平成19年7月3日(火)

 この前の木曜日は久しぶりに映画を見に行った。京都ではほぼ最終上映であった「ザ・シューター 極大射程」である。午後7時からの上映で、私は1人で行った。観客は少なく、1番いい席に座って楽しめた。引退した海兵隊員が狙撃の腕を見込まれ、大統領暗殺計画を阻止するように頼まれたが、大統領と一緒にいたエチオピアの司教が暗殺され、自分が犯人として追われてしまうという内容である。娯楽アクションとしては、まだ見ていない「ダイ・ハード4.0」より面白いのではないかと思うほど、よくできた作品であった。戦闘シーンも迫力があり、狙撃シーンではゴルゴ13以上に爽快感があった。たまには、こういう映画を見るのもストレスの解消になる。「ダイ・ハード4.0」も面白そうなので、近いうちに息子と見に行こうと思っている。
 土曜日は、京都精神神経科診療所協会の集まりがあった。京都府内では診療所は68あり、ほとんどが京都市内かその周辺である。心療内科と標榜している診療所も、大部分がこの精神神経科診療所協会に属している。まず、会長から自分たちの科に関係した医療情勢などについて報告があった。その中で、京都での精神科救急医療についての話題が出た。現在は精神科だけではなく、どこの科でも救急医療をどうするかについて大きな問題となっている。最近新聞でも勤務医の過酷な労働環境が話題になっているが、救急医療体制も大きく関与している。同じ勤務医でも、民間の病院は勤務日や当直などは個人の契約によってまだ融通がきくので、それほど深刻ではない。1番問題になっているのが、日赤や旧国立病院、市立病院などの公的病院である。特に地域での救急医療を担う公的病院では当直医師の負担が重くなっている。当直明けで一睡もしていなくても、翌日はそのまま朝から晩まで勤務するのがふつうである。産婦人科や小児科では少ない人数で当直をまわさなければならないので、月に5〜6回になることもある。私が京都第一赤十字病院にいた頃は心療内科は2人だったので、毎日どちらかが待機番になっていた。めったに呼び出されることはなかったが、毎月各科ごとに当番表を提出して、いつでも連絡が取れるようにしていた。今はどうなっているか知らないが、当時は携帯電話も個人持ちで病院からの援助は何もなく、待機番についても何の手当てもなかった。大きな公的病院ほど人件費や設備投資がかかるので、残業手当もほとんど出ていなかった。
 京都では、民間の各精神科病院が主に自分の病院に通院する患者さんについて救急対応をしてきた。しかし、ここも病床が詰まっていると、夜間に診てもらえる病院がなくなる。これまでは、府立の精神科病院が中心となって救急の精神科医療を担ってきた。ところが、毎晩2人体制でやっているので、ここも病院の勤務医の負担が大変だという。精神科診療所はいい所取りで、夜間や休日の救急はすべて公的病院にまかせて、開業医は楽をしているという不満も出ているらしい。このことについては、どの科でも問題になっていて、厚労省は勤務医に過剰な負担がかからないように、夜間や休日の診療も開業医が担うように対策を考えている。今回の会長の話では、開業医も当直勤務に協力して欲しいと病院長から要請がきているということであった。個人的には、私の患者さんがこの病院にお世話になっているので、翌日の外来が間に合うように朝早く帰してもらえるなら、月に1〜2回ぐらい当直してもいいとは思っている。しかし、特定の個人だけに負担がかかってくるのは困るので、協会としてきちんとした支援体制を作ってもらいたい。公的病院なので、当直代は民間病院に比べたらはるかに安い。しかし、中の勤務医はみんなそれでやっているので仕方ない。
 翌日の日曜日は、朝早くから家内と2人で宇治の三室戸寺にアジサイを見に行った。最近買ったニコンのデジカメの試し撮りがしたかった。丹波橋の自宅からは車で30分もかからなかった。拝観料は1人500円で、駐車料金も500円であった。アジサイは時期的には少し遅く、もうちょっと早く来て、雨上がりだったら、最高だったろう。それでも、中は広く、ハスも咲いており、見所が多かった。それにしても、びっくりするほどみんなデジカメを持ってきて、熱心にハスやアジサイの写真を撮っていた。カメラを見ていたら、コンパクト・デジカメだけでなく、大きな一眼レフも多い。私も何枚も撮ったが、天気がいいと液晶がわかりにくく、ファインダーが必要であった。ファイダーも近くなると、実際に写る範囲とずれが生じ、思うように構図がとれない。家に帰って見てみたが、もんもん写真館に載せるような気に入った写真は撮れていなかった。アジサイもきれいに撮れていたが、誰が撮ってもきれいに撮れてしまうので、写真としてはあまり面白くない。
 きのうの月曜日は午前中の外来が終わってから、予約していた医院で胃カメラをした。嚥下困難はないので、のどの焼けつくような感覚は逆流性食道炎が疑われる。ところが、胃体部にカメラが進んで、空気をいれても胃が充分に広がらないという。ちょうど1年前に同じ医院でやった時には何も問題はなかった。空気を入れても胃が充分に広がらないということは、胃壁が硬くなっているという証拠である。と、いうことは、スキルス型の胃がんが1番疑われる。医院の先生も念のために胃透視をしておいた方がいいという。自分よりベテランの専門の病院を紹介するという。とりあえず、バイオプシーの結果を見てから、どうするかを決めるということであった。医院に帰ってインターネットでスキルス型の胃がんを調べると、予後が悪く、5年生存率は手術ができたとしても1〜2割ぐらいである。いよいよ絶体絶命かと思ったが、冷静に検査の時のことをひとつひとつ思い出してみた。胃カメラは去年と違って最近もっと細い新しいカメラを入れたという。空気を入れる時に、おなかがぱんぱんになると言っていたが、まったく膨満感はなかった。検査後もゲップもおならも出ていない。夕方6時過ぎに医院に電話してみると、後でカメラを点検してみたら、充分に空気がはいっていなかった可能性が高いという。胃の自覚症状はまったくなく、食欲も旺盛である。これで、スキルスの方はひとまず安心である。逆流性食道炎の所見はあまりはっきりとは出ていなかったようである。後は、狭心症のような虚血性心疾患も疑わなければならない。自分の性格としては、虚血性心疾患になりやすいA型性格(血液型ではない)に似た部分もある。仕事柄、他人に対する寛容さはまだあるつもりである。最後にA型性格の特徴をあげておく。@性急で常に時間に追われるように生活している。 A負けず嫌いで、競争心が強い。 B活動的で常に行動してないとイライラする。 C短気であり、他人に対する寛容さにかける。 D常に野心的で職場のトップを目指している。 E仕事熱心で、遊ぶことに罪悪感を抱いている。 F周囲から認められたいという欲求が強い。 G周囲に対して必要以上に気を配っている。

 

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