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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成18年12月26日(火)

 この前の土曜日は天皇誕生日だったので、久しぶりに池田の両親の所に行った。長野県から転居してきた9月に1回訪れただけである。近くに住むようになったが、なかなか行っている暇がない。時々母親に電話をしているが、妹がほとんど毎日顔を出してくれるので、安心である。土日などは妹の所で一緒に食事をしているという。妹の旦那には呆けてしまった父親を近くの温泉に連れて行ってもらい、お世話になりっぱなしである。娘は相変わらず午前中はクラブで、息子はこの日だけ塾は休みであった。一緒に連れて行こうかと思ったが、1月の受験が間近なので、1日ぐらいゆっくりしたらいい。年末年始も大晦日だけ休みで、後は朝から晩まで塾で勉強である。家内は今回は遠慮しておくと言い、予想外の答えであった。ふだんは一緒にランチなどを食べにあちこちに出かけている。家内は長男の嫁になるが、最近は両親とはほとんど会う機会もなく、盆暮れに挨拶の電話をするぐらいである。妹がしっかりしているので、これからも老後の世話はする必要はなさそうである。3ヶ月ぶりなので、一緒に挨拶ぐらいに行ったらいいと思ったが、この返事である。結局1人で行ってきたが、家内に対するもやもやとした気持ちは晴れないでいる。
 外来で患者さんの話を聞いていると、相変わらず嫁姑問題が話題になる。姑がすごいパワーを持っていて、お嫁さんの方が気の毒なケースも多い。こういう場合は夫がしっかりしなければならないが、たいていの場合は母親には頭があがらない。遠くに離れている場合はまだましであるが、同居していたり、近くに住んでいる場合は大変である。家族療法では世代間の境界をしっかり作ることが必要となるが、パワーのある姑にとっては、息子もその嫁も自分の家族の延長に過ぎない。息子が住む家に息子の両親がお金を出している場合には、どうして息子の家庭に口出しをしてはいけないのか理解できないようである。夫が亡くなったり、離婚していて、母1人子1人できた場合は、どうしてもパワーのある姑になりやすい。姑と同居していて、新しいゴミ箱1つ買ってきても、「私の目の黒いうちは、勝手にさせない」と言われ続け、最後は介護までさせられた患者さんがいる。もう50歳半ば過ぎているが、これからの時代はもうこんな人は出てこないだろう。今の若い世代の人にとっては少しも防波堤になってくれない夫にはつくづく愛想がつき、本気で離婚の道も考えてしまうだろう。嫁姑問題は感情論になりやすい場合もあるが、ちょっとしたミスで嫁の両親に詫び状を書かせたりする姑もいる。私は以前に看護学校で教えている時に、つきあっている彼氏がどんなに素敵でも、彼氏の後ろには背後霊がいるといつも言っていた。背後霊というのは、彼を取り巻く母親や姉などのことである。今の時代は独身者が多く、素敵な彼氏を見つけるのは難しいので、背後霊のことまで考えている余裕はないかもしれない。日本人は多かれ少なかれマザコンで育ってしまうが、私はこの仕事をするようになってなんとか脱している。それでも両親が年を取ると、マザコンとは関係なく、老後は楽をさせてやりたいという思いは強くなる。
 反対に、姑になる年代の患者さんも外来でたくさん診ている。息子しかいない患者さんは、私の両親が娘の近くで住むようになったことを聞くと、うらやましがる。息子は忙しくて当てにならないという。年を取ってしまうと、お嫁さんからもあまり連絡がないようである。遠くに離れて住んでいる場合には、どうしても疎遠になってしまう。それでも、夫が亡くなって1人暮らしになると、息子だけは母親の所にせっせと顔を出すようである。
 最近私に対する娘の態度が軟化してきて、うれしい。一時的なものかもしれないが、あまり反抗的になるとこちらの方も気分が滅入ってくる。今回の家内の態度でも、相当気分を悪くした。人間というのは他人から見たら、本当につまらない家庭の出来事で一喜一憂する。きょう発売になった週間新潮で皇室のことが出ていたが、皇太子殿下も大変なようである。仕事のことより、つくづく家庭の安定が1番だと思う。池田では、妹が相変わらずのパワーで、反抗期の息子とバトルを繰り広げているらしい。近くの和食レストランに妹家族と両親とで昼食を取りに行ったが、母親もよくしゃべる。私が幼い頃は父親が短気でうるさかったので、黙ってじっと耐えている印象であった。今は父親が呆けて、本来のパワーを取り戻した感じである。レストランに行く時には妹の車で送ってもらったが、帰りは天気がよかったので、両親と一緒に歩いて帰った。父親は足元が危なく、よろよろと側溝に落ちそうになる。母親の話では、実際に一度落ちて、血だらけになっている。家に近づいてきた坂道では、身体がよろめいて倒れそうになり、妹の旦那と私とで両脇から抱え込んだ。ふと、おんぶでもして帰ろうかと思った。この時に、もう忘れてしまったが、石川啄木か誰かの作品で、母親を背負って一歩も歩けなかったという歌を思い出した。小学校か中学校の授業で、先生があまりの軽さに驚いて歩けなかったと説明してくれた。今にも倒れそうな父親を見ていて、この年になってやっとその時の気持ちが実感としてわかるようになった。

平成18年12月19日(火)

 きょうの朝は死ぬほど寒かった。4時50分頃から目が覚めていたが、なかなか布団から出れなかった。いつも5時に目覚ましをかけているが、娘も2階で寝ているので、この頃は目覚ましで起こさないように目覚ましより早く起きている。今は学校の期末試験は終わったが、遅くまで勉強している時などは気を使う。息子と家内は1階の部屋で寝ているが、ちょうど私が寝ている部屋の真下なので、こちらの方も気をつけている。5時過ぎにやっと布団から出たが、階段を下りる途中で寒さで身体が震えてきて、トイレにもよれなかった。そのまま居間のガスストーブをつけ、5分ほどはストーブの前で身動きもできなかった。本格的な京都の底冷えのする冬がやってきたと思った。
 先週の木曜日は労働基準監督署の署長会議で、精神障害と労災認定について講演した。精神科の診断名はなかなか理解してもらえないので、そこから説明した。同じ患者さんでも、カルテの病名は、「うつ状態」であったり、「うつ病」であったり、「適応障害」であったり、「抑うつ神経症」であったり、「心因反応」であったり、「大うつ病」とつく場合もある。調査する係官は、通院している医療機関によって病名が変わるので途惑ってしまう。整形外科なら、骨折なら骨折で、後は部位を特定したら、どこの医療機関でも病名が変わることはない。身体疾患の場合は、この病気はこの病名と1対1で対応しているが、精神科関係の病名は、病気の概念がオーバーラップしていて、1つの状態像に上のようにいくつも病名がつけられる。カルテ上の病名は保険病名も関係していて、ますますややこしくなる。このあたりについては「もんもん質問箱」で近日中に詳しく説明しようと思う。現場で患者さんを診ている精神科医にとって、病名はあまり重要でなく、学会発表や労災認定の時に、国際分類のICD-10でどの病名にあてはまるか、本をひっくり返して調べているのが実情である。実際の診療ではせいぜい、うつ病圏か、神経症圏か、精神病圏かを鑑別しているぐらいである。最近は軽症のうつ病の患者さんも増えてきたので、うつ病圏か神経症圏かもあまり区別しないことも多い。
 労災請求では、上司によるセクハラの訴えも多くなっている。1番困るのは、上司は「お互いに恋愛感情があった上でのことであり、意に反した行為ではない」と主張し、女性の方が恋愛感情を否定し、「上司から一方的に行われた行為で、退職に追い込まれることを恐れ、強く抵抗できなかった」と申し立てた場合である。双方の主張が大きく異なった場合は、職場での調査も大変で、なかなか結論も出しにくいようである。携帯電話などのメールのやり取りがあり、その内容が保存されている場合には有力な参考になる。
 セクハラについては、相手の意に反した性的な言動と定義されているが、個々のケースでは曖昧な概念になってしまう。最初の性的行為はある意味で、みんなセクハラである。相手によっては、同じ行為が愛情の表現としてとられたり、セクハラとしてとられたりする。例えば、憧れのAさんから手を握られたらうれしいが、Bさんでは気持ち悪いになってしまう。最初は同意の行為であっても、別れ話が出て、女性にとって望まない関係の終了は、「捨てられた」とか「もてあそばれた」となり、過去にさかのぼってこれまでのすべての行為がセクハラになるかもしれない。また、反対に、最初は同意であっても、女性の方から別れを望んでも、しつこく関係を迫った時には今度は途中からセクハラになる。男性にとって、女性から一方的に訴えられないためには、会話の内容やメールなどを保存しておくのがいいかもしれない。女性もセクハラを受けた時には、ためらわずに早めに職場に申し出た方がいい。セクハラとは直接関係しないかもしれないが、上司に対して嫌われたくないと思い、上司とのメールとのやり取りで、誤解を招いてしまうメールを送ってしまう女性もいる。私はメールは全くやらないが、2人の間で交わされるメールの場合は、自分の思いとは別に、ただ相手に嫌われないように一生懸命工夫して文章を作っているだけで、相手に好意を抱いているような内容になってしまうこともある。
 木曜の講演が終わり、今年の大きな行事はなくなり、ほっとした。日曜日に忘年会を兼ねた東山医師会の班会があった。班長をしているので、司会と会費の徴収をしなければならないが、これも無事に終えた。今年は高台寺近くの料理屋でやった。年配の先生も多く、座敷で座ることが難しいので、掘りごたつのある所を他の先生に選んでもらった。外人の観光客も大勢来るということであったが、日本庭園にクリスマスツリーみたいなのが飾ってあり、照明がちかちかしていたのは違和感があった。料理は可も不可もないというところであった。来年は班長をかわるので、少しゆっくりとできそうである。
 さて、ダイエットである。手帳で調べて見ると、これまでの最高体重は11月11日であった。ダイエットを始めて3週間少しになるが、体重は約3kg減った。ピーク時と比べたら、4kg減っている。朝と昼とを合わせても、400kalにもならないので、多少夕食を食べても増えないようである。このままリバウンドが来ないように、目標の体重までゆっくりと減らしていきたい。

平成18年12月12日(火)

 先週の土曜日は大学の教授の就任10周年記念があった。こういう時にはふだん医局の行事にあまり参加しない先生も大勢集まる。ホテルの会場には170人を超える大学の同門会の先生が集まっていた。講演を聴きながら、今ここに爆弾が落ちたら、京都周辺の精神科医療は壊滅するだろうと想像した。それぐらい多くの精神科医が一同に会していた。教授の定年まで後8年と言っていたので、18年間医学部の教授をやることになる。前にも書いたが、この間どんなに優秀な人が出てきても、教授にはなれない。今の教授には私が京都第一赤十字病院の部長になる時に声をかけてもらった。最先端の総合病院でありとあらゆる臨床経験を積むことができ、大変感謝している。私はいつも忙しいとぼやいているが、教授の忙しさはその比ではない。後輩が助教授として就任したので、今後のますますの活躍を祈念するばかりである。
 懇親会ではいつものようにふだん会えない先輩や後輩と話することができた。大学にとっては大きな関連病院であった松下記念病院の外来部門が来年閉じると聞いた。私より5年後輩の先生が部長をしていたが、この機会に香里園で開業するという。毎日60人ぐらいの患者さんを診ていたというので、成功は間違いなしである。他の総合病院で勤めている先生の話を聞いていも、年々外来の患者さんが増えてきて、他科の病棟の患者さんも診なければならず、みんな疲れきっているようであった。ゆっくりと患者さんの話を聞きたいと思っても時間がなく、わずかな時間で打ち切って、次の患者さんに進まなければならず、日々の診療に空しさを感じている先生も多い。私もこの日記で何回も書いているが、日赤にいる時には、外来だけでも朝8時45分から始まって、午後5時まで終わらず、この間トイレに1回行くだけであった。すでに開業している先生の話を聞いていても、やはり時間的には余裕がないようである。開業する場所によって、患者さんの数にも温度差が出てきている。今は心療内科は京都市中心部では満杯になってきている。宇治の大久保あたりでは心療内科が少ないので、誰が開業しても成功すると言われているが、まだ誰も考えていないようである。
 日曜日は朝早くから、自宅のいらない物を整理していた。25坪の敷地に建っている家なので、家の中はそれほど広くない。私の部屋にはいろいろ荷物が置いてあり、寝るスペースがないので息子の部屋で寝ている。息子はまだ母親と同じ部屋で寝ているが、中学生になったら自分の部屋で寝起きしなければならない。中学受験まで後1ヶ月ちょっとになったが、私が朝5時起きなので、息子は夜遅くまで居間で勉強している。壊れたストーブや古い電化製品、パソコン関連の品物が山ほどあり、思い切って全部整理することにした。屋根裏部屋から、いらない物を全部下まで降ろし、部屋のスチールの本棚も降ろし、ガレージにすべての荷物を集めた。寒い日であったが、3時間近くかかり、汗だくであった。10時過ぎに頼んであった廃品回収の車が来て、家の中はきれいさっぱりに片付いた。後はカーペットを買って自分の部屋に敷いたら、足を伸ばして寝れそうである。
 その後は、診療所に行き、今週の木曜日にある講演の原稿書きをしていた。労働基準監督署の署長会議で、精神科関係の労災について話さなければならない。あらかじめ講演要旨を作って送らなければならず、A4用紙で7枚ぐらいになりそうである。途中まで書いたが、午後5時半から東山医師会の役員会があるので出席した。12月の役員会は忘年会も兼ねており、会場はホテルの中華料理店である。簡単な報告の後で会食になったが、隣に座っていた先生の娘さんが私の娘と同じ中学に通い、同じ学年であった。お互いに難しい年頃で、父親にはあまり話はしてくれないようである。
 さて、ダイエットである。相変わらず、昼は120kcalにも満たないダイエット・ジュースを飲み、夜はキャベツを山ほど食べている。忘年会続きになるので、カロリー制限をしなければならないが、刻んだキャベツを忘年会に持って行くわけにもいかない。教授の10周年記念の時には、立食形式だったので、ほとんどビールは飲まず、食べる物も意識的にセーブした。ところが、東山医師会の役員会では、中華料理なので丸いテーブル席になり、次から次へと料理が運ばれてくる。ビールと紹興酒を飲んでいたら、途中から酔っ払ってどうでもよくなってきた。他の人以上に山ほど料理を食べてしまった。月曜日に恐る恐る体重計に乗ってみたら、土曜日にはダイエットを始めてから2kg減り続けていたのが、また400gも増えていた。食欲中枢が変に刺激され、空腹感も出てしまった。ダイエットを始めてから、機会をみつけては歩くようにしているし、家の整理でもかなり動き回った。今週の日曜日には忘年会を兼ねた東山医師会の班会があるので、また体重が増えそうである。段々と弱気になっているが、それでもなんとか悲願の減量5kgを目指したい。

平成18年12月5日(火)

 先週は紅葉を見に2ヶ所行った。東福寺は山のような人が押しかけ、近所で開業している先生が自分の医院にもはいれないぐらいだと嘆いていた。昔はこんなにも大勢観光客は来ていなかったが、有名寺院がTVなどで紹介され、年々ますますエスカレートしていく。それでも、少し離れた場所に行くと、観光客も少なくなり、まだまだ充分に楽しめる。火曜日に家内と2人で曼殊院に行くつもりであった。昼食は、久しぶりに北白川の「かに道楽」に行ったが、かに釜飯がついたランチ・セットが1,800円ちょっとで、美味しくてお得であった。しかし、釜飯を炊くのに30分もかかってしまい、家内が息子を4時から整形外科に連れて行かなければならず、先に出町柳まで送り、私1人だけで行った。カーナビがなければたどり着けないような細い道が続き、途中1ヶ所1車線になり、前から来たタクシーに道を譲るために何台かの車でバックした。着いたのは3時ぐらいで、無料駐車場に停めることができた。それなりに観光客は来ていたが、大型バスがはいれないので、それほど混んでいない。紅葉は、今まで見た中では1番きれいであった。時期的にもちょうどよかったのかもしれない。曼殊院の中もよかったが、塀の外の方がもっときれいなぐらいであった。デジカメを持って行ったので、思う存分撮れた。景色がいいと、誰が撮ってもきれいな写真が撮れる。
 今年は紅葉づいたので、日曜日には前にも書いた岩倉の実相院に家内と出かけた。混むと思ったので、朝10時ぐらいに着くように家を出た。昔はこの付近の精神科病院の当直によく行っていたが、宝ヶ池からはすっかり様変わりで、カーナビがなかったらたどり着けないぐらいであった。日曜日なので車がたくさん停まっていたが、ここでも簡単に無料駐車場に入れることができた。わずか5日違いであったが、紅葉の時期としてはすっかり遅かった。床紅葉が見たかったが、部屋の中から見える紅葉は枯れ気味で、葉もだいぶ落ちていた。光の加減で床にもうまいこと映っておらず、最高の床紅葉を楽しむにはなかなか条件が厳しいと思った。曼殊院が思いのほかよかったので、少し期待はずれであった。床紅葉の室内での撮影禁止もいただけなかった。それでも、デジカメで外の風景を何枚も写真を撮った。帰ってから家でパソコンで見たら、1枚だけ傑作が撮れていた。同じ景色は誰が撮っても同じようにしか写らないが、この写真は私にしか撮れない久々の会心作である。その場では地味すぎて、大勢の観光客は誰もカメラを向けていなかった。小さな池に枯れかけた紅葉が写っているのだが、微妙なフレーミングで池に青空が写り、それこそ床紅葉ならぬ池紅葉となっている。もんもん写真館で京都編を作り、近いうちに曼殊院の写真と一緒に紹介しようと思う。
 ばたばたと忙しいが、最近はやっと京都に目覚め、家内とあちこち出かけるようになった。週に1回であるが、ランチ・セットを一緒に食べるようになって、味にもうるさくなってきた。高島屋の新しいフードコートにも何回か行っているが、今まで食べた中ではてんぷら専門店が1番美味しかった。和食セットを頼むと、必ずといっていいほど、刺身と海老のてんぷらがついてくるが、専門店で食べるてんぷらは比べものにならないぐらい美味しい。私はもともとてんぷらはそれほど好きではないが、去年、東山医師会の班会を祇園のてんぷら専門店でやり、あまりの美味しさにびっくりした。年を取って好みが変わってきているのかもしれないが、ふだんランチ・セットをホテルや料理店で食べても、また来てみたいと思うほど感動する店は少ない。みんなそこそこの味で、それ以上でもそれ以下でもない。
 週1回のランチ・セットが唯一の楽しみであるが、体重も増えてきたので、先週の月曜日から本格的にダイエットを始めた。運動をして体重を減らそうと考えたが、時間がなくて無理なことがよくわかった。運動がだめならば、摂取するカロリーを減らすしかない。楽天で1食120kcalぐらいのダイエット・ジュースを見つけたので、とりあえず2週間分購入し、昼食がわりに飲んでいる。週刊現代で、キャベツ・ダイエットも載っていたので、夕食の時には食事量を減らし、代わりに切り刻んだ6分の1玉のキャベツをノン・オイルのドレッシングで食べている。ビールもなるべく飲まないようにしているが、日曜日にはついつい浴びるほど飲んでしまった。患者さんの話を聞いていると、なかなかダイエットは成功しないようである。最初の時は空腹で苦痛であったが、今は少し慣れてきた。空腹になっても、性欲はなかなか衰えないものである。1週間で1kg体重は減ったが、ふらふらして倒れそうになる時もある。ランチ・セットを食べた時には夕食を減らすなどをして、ゆっくりと7kgの減量を目指していきたい。ダイエットは食事の量を減らすだけでいいので、時間がとられない分、中国語の勉強よりこちらの方が早く目標を達成できそうである。

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平成18年11月28日(火)

 先週は総合病院精神医学会の理事の先生から、直接医院の方に電話があった。電話が直接かかってくることは滅多にないが、今月に開催される学会の評議員会に参加して欲しいという依頼であった。私は総合病院をやめて開業したが、そのまま学会の評議員になったままである。勝手にやめていいものか、ずっと迷っている。どうしてかと言うと、何か評議員で投票で決める時には議決権が生じるからである。今までそんな機会もなかったが、医局にとっては評議員が大勢いることは学会での立場としても有利である。会費も高く、開業してしまったら総合病院はあまり関係ないのだが、開業した時に教授からしばらく続けるように言われたので、そのままにしている。もう5年以上過ぎたが、やめていいものかどうか、教授には恐れ多くて聞けないでいる。今では大学の学外講師もやめ、総合病院とは関係のなくなった他の先生も脱会しているので、大丈夫だと思うが、なかなか踏ん切りがつかない。
 電話がかかってくる前に学会から封書が届いていたが、総合病院の精神科医も忙しく、学会の各種委員会に出席するのも困難な窮状が訴えられていた。以前は学会の役員を引き受けることは名誉なことと考えられていたが、今はみんな自分の仕事だけで忙殺され、辞退する先生も多いようである。役員会のために何回も東京まで出て行くことは、本当に至難の業である。総合病院に勤めていても、うんざりするほど会議がある。私も薬事委員会や看護学校関係の委員会やリスク・マネジメントの委員会に属し、病院で何か始める時にはまた新たな委員会ができ、管理者会議もあった。毎回分厚い資料が手渡され、会議の多さと資料の多さに何とかならないものかと思っていた。
 先週の土曜日は、東山区のホテルで東山区検診事業報告会が開かれた。保健所が中心となり、小学校などで地域住民の検診が行われているが、医師の派遣は東山医師会に頼まれている。私は精神科医なので検診事業には参加していないが、東山医師会の役員をしているので出席した。東山区の保健所長や福祉事務所長、市会議員、府会議員も参加していた。私はただ出席しているだけでよかったが、地域医療を担当している先生は司会をしなければならず、広報を担当している先生は写真を撮らなければならない。私は健康相談の担当で、東山医師会での電話相談や保健所から依頼の健康教室の講師を各先生にお願いする係である。仕事内容はまだ楽な方であるが、担当する係によっては大変である。役員なので今回のような行事がある時には、毎回参加しなければならない。来年の4月に2年ごとの役員改正があるが、できたら役員の仕事をやめさせてもらえるか、あまりややこしくない係につけて欲しい。毎月の役員会でも、資料の多さにいつもなんとかならないものかと思っている。
 中には、こういう雑用とは無関係で開業している先生もいるのかもしれないが、役員の先生の頑張りによって日々の診療が成り立っている。労災に関しては、京都府の精神科関係は私が班長をしているので、自分のライフワークとして取り組んでいこうと思っている。裁判の意見書や各労働基準局から頼まれる意見書を書くのは今回は3件も重なっていたが、関心のある分野なので、労災関係ではトップクラスを目指していきたい。今週の土曜日はまた国際交流会館でカウンセリング・デイがあるが、労災関係以外の仕事は、保健所や介護保険、特別養護老人ホームなどすべてやめさせて開放してほしい。
 日曜日は延び延びになっていた成年後見制度の鑑定書作成のため、患者さんの診察をした。家庭裁判所から依頼を受けてもう1ヶ月以上過ぎているが、時間がなくて何も手をつけていなかった。最長1ヶ月半までに書かなければならないので、期限はもうぎりぎりである。私の方から往診に行くつもりであったが、親戚の人が医院にまで連れてきてくれた。重度の認知症で、誰が見ても自己の財産を管理・処分できない。しかし、裁判所に提出する鑑定書は、所定の書式がある。もう、90歳近くの年齢なのに、○○県△△市で生まれ、父親の職業は××で、大正□□年に☆☆市に転居したということまで書かなければならない。こんなこと親戚中の誰に聞いても、わからないぞ。あちこちの病院に入退院をしているので、各病院にも問い合わせもしなければならない。この日は労災の意見書と成年後見制度の鑑定書で朝から晩までつぶれてしまった。今回のケースでは患者さんが独身だったこともあり、誰が後見人になるのか親族の間でもめているようであった。自分の財産をどう処分するのかは、しっかりしているうちにきちんと書き残しておくべきだと改めて思った。
 きのうの京都新聞に男性の3割が12時間労働という記事が載っていた。患者さんを診ていても、働きすぎである。開業しても生活にゆとりがなく、みんな一体どうしたらいいのかと思う。

平成18年11月21日(火)

 先週の火曜日は家内と二条城の近くのホテルで、予約していたランチセットを取り、ついでに二条城に寄ってみた。きょうは午後からヘルパー養成講座の講師を勤めなければならないが、会場が近いので毎回車をこの二条城の駐車場に停めている。いつも大勢の修学旅行生などでにぎわっており、前から1度はいってみたいと思っていた。学生時代に1回ぐらいは訪れていると思うが、ほとんど記憶がない。あまり期待していなかったが、はいってみたらよかった。建物の中もそれなりに見所があり、京都のど真ん中にこんな広い場所があるとは思いもよらなかった。庭やお堀の周りの景色が美しく、まだ少し早い紅葉も充分に楽しめた。敷地が広いので、観光客が多くても分散され、ゆったりと楽しめる。紅葉の名所はあちこちあるが、二条城は案外穴場ではないかと思った。松やイチョウなどの木々も、緑や黄色の葉だけでもきれいで、落ち葉とのコントラストも絵になっていた。
 医院に帰ってからは、東山医師会の仕事をしていた。班長をしているので、今年の忘年会の案内を作らなければならず、東山医師会60周年記念誌のための会員の写真も集めなければならない。労災の裁判用の意見書も正式に書き直す仕事も残っており、成年後見用の鑑定書はまだ手つかずである。それでも、なんとかめどがついてきたので、夜は7時過ぎから四条烏丸に映画を見に行った。DVDが出てからレンタルで借りて見ようと思ったが、京都では上映館は1つで1日1回だったので、やはり見れる時に見ておこうと思った。題名は新聞や雑誌でも紹介されていた「ディア、ピョンヤン」である。
 京都シネマは初めて行ったが、この映画のスクリーンは小さかった。在日と思われるお年よりも見に来ていた。話の内容は、大阪の生野で生まれ育った在日朝鮮人2世のヤン・ヨンヒ(梁英姫)監督が自分の家族を10年間に渡ってビデオで記録したものである。両親は朝鮮総連の幹部で、3人の兄たちは帰国運動が盛んだった30年以上前に北朝鮮に渡っている。自分の人生を祖国に捧げ続ける父親と監督である娘の葛藤を記録したものであるが、映像には手ぶれや風の音もゴーゴーとはいり、画質もあまりよくなかった。スクリーンが小さかったわけもわかったが、それでも10年間の記録となると、そこに生き生きとした家族の人生が描かれる。題材も、今騒がれている北朝鮮と総連系の人々の生き方が映し出され、私たちの知らない珍しい映像が次から次へと出てくる。新潟から北朝鮮に渡る万景峰(マンギョンボン)号の中の風景も映し出され、人々が楽しそうに音楽に合わせて踊っている。港で船を待っている大勢の北朝鮮の人々や平壌市内の風景など、総連幹部の娘でないと撮れそうもないような当時の映像が映し出される。 
 主人公となる父親は映画のポスターにもなっているが、いい雰囲気を出し、娘が可愛くて仕方ないという感じがよく伝わってくる。監督がカメラを構え、父親に向かっていろいろと質問を投げかけるのだが、そこに母親が加わり、和気あいあいとした雰囲気で質問に答えてくれる。北朝鮮に渡った兄たちの子どもが足に凍傷を負ったと聞いて、母親が携帯カイロなどせっせと荷造りして送っている姿も出てくる。その荷物の量が年々と増えていく。兄たちが北朝鮮に渡ってから長い年月が過ぎて、やっと北朝鮮で兄たちとも再会できる。子どもたちは音楽学校に通い、自宅にはピアノも置いてあるので、上層階級に属しているのだろう。父親はカメラの前で、帰還事業に参加して、3人の息子たちを北朝鮮に送ったことについては後悔めいたことを言うが、金日成と金正日については敬愛の念を何回も口に出す。監督はそこを娘として理解できないように描いている。父親が本当にこの2人を心から敬愛しているかどうかはわからないが、3人の息子を人質に取られ、かわいい孫もいるので、口が裂けても非難はできないと思う。
 父親との和解も描いているが、最後の方で父親が脳卒中(だと思うが)で倒れて片麻痺になる。ベッドに横たわっている父親にカメラを向けて、監督がいろいろ質問するが、うまく答えられない父親に向かって無理にまとめようとしてちょっと力みすぎだと思う。もうちょっと、他の表現方法もあったような気もする。すでに撮り終えていたのかもしれないが、朝鮮総連が拉致に関与したことについてはこの映画では何も触れられていない。大部分の北朝鮮の人々や朝鮮総連の人々は核実験も拉致問題も関係ない所で、日々の生活を送っている。船舶の寄航停止処分などで親戚や兄弟、家族に荷物を送り届けられなくて困っている人も大勢いるのだろう。ここまで考えてきて、監督には申し訳ないが、総連幹部の娘だったこともあり、ふとこの映画も手の込んだ北朝鮮のプロパガンダ映画ではないかという考えが頭をかすめてしまった。そんなことはないと思うが、破綻しかけた社会主義の国は何でもありなので、こんなことを一瞬でも疑ってしまう自分もいやになった。

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平成18年11月14日(火)

 先週の土曜日は12時近くに大勢の患者さんが来て、ばたばたして終わったのが2時過ぎであった。3時からある病院主催の精神病理懇話会に出席するため、昼食を急いで取り、あわてて医院を出ようとした。玄関で自分の靴を履こうとしたら、女の人の靴が置いてある。受付けの人もすでに帰り、一体誰の靴かとびっくりした。一瞬まだ医院に患者さんが残っているのではないかと思ったが、遅刻しそうだったので、そのままセコムをかけ医院を出た。
 精神病理懇話会の方は、今回のテーマは「憑依現象」と「(患者さんの話を)聞く」であった。それぞれの内容は興味深かったが、2人目の女医さんは自分のクリニックで1人の患者さんに50分もかけて診察しているのには驚いた。聞くといくことを患者さんとのやりとりから真面目に考えて発表していたが、最近は何も考えずに診察している自分に少し反省した。患者さんの診察はいくら名医のやり方を真似しようとしても無理である。自分のキャラクターを生かし、自分に取って自然なスタイルでやるしかない。大勢の患者さんを診察していると、患者さんの波長に合わせて話をするのは自然と身につくが、いつの間にかひとりよがりになっているかもしれない。こういう懇話会では、発表の内容で新たな知識を得ることもあれば、自分の中の未整理な知識の部分が上手に刺激され、あれこれ考える機会も与えてくれる。
 さて、玄関の靴である。懇話会の後は席を移し、近くの居酒屋みたいな所で懇親会をした。若い人から年寄りまで集まり、ふだんあまり顔を会わすことのない先生とも酒を酌み交わしながら話すことができた。9時頃にタクシーで医院に戻ってきたが、酔っ払っていて玄関も暗かったこともあり、女の人の靴のことはすっかり忘れていた。ところが、着替えて家に帰って、ふと玄関の靴のことを思い出した。一体あれは誰の靴なのだろう? いろいろな場合を想定してみた。まず、受付けの人が履き忘れて帰ったである。まさか、こんな寒い中を裸足で帰ったとは考えられない。今回に限り2つの靴を用意していたと考えるのも不自然である。いつも外来が終わったら、受付けの人が表の玄関の鍵をかけ、裏口から出て行くが、きょうは終わった後に靴のことは何も言っていなかった。次に考えられることは、患者さんが履き忘れたである。重症な患者さんや躁病の患者さんの場合はありうるが、私のような医院には最近はそんな患者さんは受診していない。いろいろ考えていたら頭が痛くなってきたが、何か人には言えない理由があって、履き忘れて帰る場合を想定してみた。足に怪我をした。水虫が痒かった。急に用事を思い出して急いでいた。自分の靴が急に嫌いになった等。どう考えても無理がある。
 履き忘れたのではなく、医院の中に患者さんが残っていたと考えたらどうなるだろう。土曜日の精神病理懇話会は遅刻する人がいつもいないので急いでいた。出る前にすべての部屋を確認しておけばよかった。受付けの人が帰る時に待合室のトイレの電気を消し忘れていたが、もしかしたらまだ誰かがはいっていたのかもしれない。それでも、私が医院を出るまでに30分はあったので、ふつうならその間に帰っているだろう。セコムをかけて出たので、トイレから1歩でも出たら警報機が鳴る。だいぶ前に溝口敦「パチンコ 30兆円の闇」(小学館)を読んだ。中国人がパチンコ屋に忍び込んで、パチンコ台のロムを変えるという手口があるが、どうやってセコムのようなセキュリティ・システムを突破するのかよくわからなかった。この本の中でそのやり方が書いてあるが、信じられないほど原始的な方法である。電源を切るというやり方ではすぐにセコムのセンターに異常が知らされるし、侵入したという形跡も残ってしまう。まさか、その方法を使って医院の中をうろうろしてはいないと思うが、私の秘密を握られたら一大事である。セコムがはいっているということで、私の部屋には妻にも誰にも見られたくない物がたくさん置いてある。
 最後の推定は、玄関に置いてあった女の人の靴は実は私の物であったという解釈である。私には特に女装の趣味はないが、解離を起こして女装している時に靴を片付けるのを忘れたということも考えられる。最近は忙しくてストレスがたまっていたので、抑圧された人格が突然出てきたのかもしれない。多重人格としてとらえてもいいが、よく考えたらいくら叩いてもそんな人格が私の中から出てきそうもない。どうせ出るなら、もっと別の人格が出てきてもよさそうである。診察をしている時とこの日記を書いている時の私の人格は全く別であるが、お互いに交流はしている。元神戸大学教授の中井久夫先生が精神保健上望ましい能力として、「分裂する能力、分裂にある程度耐えうる能力」をあげていた。ふだん私は理性的な時には理性的な人格を、本能的な時には本能的な人格をと、なるべくストレスが溜まらないように人格を使い分け、潜在的多重人格を目指している。
 ここまで考えてきて、玄関の靴は他の人ならどう理解するのだろう。結局わからないまま、もんもんと週末を過ごした。月曜日に受付けの人が出てきた。女の人の靴のことを聞いたら、誰か患者さんが間違えて他の人の靴を履いて帰り、間違えられた患者さんがその人の靴を履いて帰るわけにもいかず、医院のサンダルを履いて帰ったということであった。土曜日の外来が遅くなってしまったので、急いでいてつい私に言い忘れてしまったと謝っていた。解離でなくてよかったが、こんな簡単なことでも、なかなか思いつかないものである。

平成18年11月7日(火)

 本屋で立ち読みしていたら、浦島太郎症候群という言葉が出ていた。どういう意味かというと、あせくせ毎日仕事に追われ、気づいたらあっという間に年老いていたということである。若いうちは思い通りに行かないことも多く、いらいらして早く年を取って死んでしまいたいと思うこともある。私の外来でもすでに人生に絶望して、早く年寄りになりたいと思っている若い患者さんも少なくない。すべての生物は生き延びるようにプログラムされているので、絶望ぐらいではなかなか自殺までには至らない。大半の人たちはのたうちまわりながら生きていくしかない。私も経験しているが、こういう時ほど時間はなかなか進んでくれない。反対に仕事や雑用で毎日追われていると、時間がどんどんと過ぎ去っていく。年を取れば取るほどそれこそジェットコースターに乗っているような感覚である。外来でこの前診たばかりの患者さんだと思ってカルテを見ると、もう1ヶ月も経っている。忙しくすればするほど人生は充実するかというと、そうでもない。目の前のことをこなすだけで精一杯で、全力疾走で周りの景色を楽しんでいる暇もない。人生の終着点で、自分の人生は一体何だったのかと思い悩んだりする。
 私もそうならないように心がけているが、なかなか思い通りにはいかない。また、いろいろと雑用が増えてきた。大前研一や和田秀樹などの本を読むと、時間を作るためには葬式や会合など不義理をすると書いている。私も行政の仕事などなるべく断ったりしたらいいのだが、頼みやすい所にどんどんと仕事は来る。医師会の仕事でももっと忙しい先生も大勢おられるが、他の仕事と積み重なってくると負担になってくる。いつも書いているが、東山医師会に託されている介護認定の審査委員は来年の4月には誰か代わって欲しい。精神科関係では障害者の社会復帰に熱心に取り組んでいる先生もいる。私はこの方面では保健所のデイ・ケアぐらいしか関わっていないが、京都市の休日待機番や緊急の診察依頼にはできる限り応じているし、労災関係の仕事もしている。これはこれで、それなりに社会貢献はしているのだろう。勤務医の時と比べると忙しくなったかと問われると、答えるのが難しい。昔は若かったこともあり、かなり無理もできていた。当時は第二日赤では完全週休2日制になっていたが、第一日赤ではまだ4週6休であった。開業したらもっと時間的余裕ができると思ったが、なかなかうまいこといかない。看護師がいない分人件費はかからないが、経営者としての煩雑な雑用が多い。自営をしたら、サラリーマンをしていた時の倍以上収入がないと割があわないというが、全くその通りである。日曜日も朝早くから出て、いろいろな書類を書いていると、ふだんはどんなに忙しくても土日が完全に休めるサラリーマンがうらやましく思えたりする。それでも、勤務医の時と比べれば収入は増えている。これからはそれほど給与も増えていかないので、勤務医として25年間働き続けなければならない収入を、このまま順調に行けば開業して10年ぐらいで得られる。幸せだと思わなければならないと、毎日無理に自分に言い聞かせているが、もっとゆっくりしたい。
 時間が取れないので、最近の楽しみは家内と2人で美味しい昼食を食べに行くことである。前回は京都のよさがわからないと書いたが、これほど多くの観光客がお金をかけて来る所なので、もうちょっと勉強して自分たちも楽しんでみたい。最近出版された柏井 壽「極みの京都」(光文社新書)を読み終えたところであるが、 4年前に出た同じ作者の「京料理の迷宮」は途中まで読みかけて、他の本に浮気してしまった。これからの観光シーズンに向けて書かれた本みたいで、京都の紅葉の名所も書かれている。東福寺や永観堂の混雑をどう避けるのか書いてあるかと思ったが、京都の達人でもこれだけはどうしようもないようである。12月初めの観光を推薦しているが、去年家内と高台寺に行った時には少し遅すぎたのか、もうひとつであった。岩倉の実相院では黒光りする床に真っ赤な紅葉を映しだし、「床もみじ」になるという。この付近には精神科の病院の当直によく行っていたが、最近は全く行っていない。11月の後半にぜひとも訪れてみたい。作者が実際に食べ歩いた京料理の店もたくさん紹介してあり、店が広告費を出して載せているのかよくわからない案内本より説得力がある。いろいろな京都に関する薀蓄も面白いのだが、京都人に関しては京都生まれの京都育ちの作者の言葉にただ頭を垂れて耳を傾けるしかない。京都人の本音が見えないこととか肯定も否定もしない言い回しとか、読んでいて精神科医と共通したものがあるのではないかと思ったりした。
 ついでに、今週の週間新潮に載っていた「私の京都」に出ていた餃子の王将出町店のことも紹介する。学生時代には私もよく通っていたが、この店では30分の皿洗いでただ飯になるサービスがあるという。古いノートにはただ飯サービスを受けた学生の名前がびっしりと書き込まれ、何回も同じ名前が出てくる人もいる。そういう人たちの中には、今では中学校の先生になったり、司法試験に合格して弁護士になっている人もいるという。私もお金のなかった学生時代を思い出し、こちらの話の方に京都の歴史を感じたりする。

平成18年10月31日(火)

 またいろいろとやることが増えてきた。労災で裁判になっている事案について、意見書を書かなければならず、日曜日は朝6時半から医院に出て、締め切りが今月末までの書類を書いていた。成年後見制度の鑑定書も頼まれており、これもけっこう大変である。前は鑑定書料は10万円だったと思うが、いつの間にか5万円になっている。1回診察をしただけの痴呆の患者さんが、1人で財産を管理したり処分をできないことを証明するために、鑑定書を作り裁判所に提出しなければならない。大きな病院だと頭部MRIなど簡単に自分の所で検査できるが、私のような小さな医院では、これまで検査を受けている病院にあちこち問い合わせをして、検査した日付けと所見を正確に把握しなければならない。また、入所している施設まで行って診察も必要である。労災の意見書も成年後見制度の鑑定書もどちらも裁判所に提出するので、神経を使う。それでも、先に提出しなければならない労災の意見書の骨子は午前中に書けた。私の意見書の骨子を労働局と担当の弁護士が検討して、その後に裁判所に提出する本格的な意見書の作成に取りかかる。
 午後からは家内と2人で知恩院に行った。車で行ったら込みそうだったので、京都駅から地下鉄で行ったが、あっという間に着いてしまった。お昼を過ぎていたので、名物の湯豆腐を食べ、久しぶりに観光客気分になった。知恩院も湯豆腐も新婚当時に来て以来である。順正は以前に何回か行っているので、別の店にした。観光客がたくさん来ていたが、人が大勢いると、大衆食堂で食事しているのと変わりない。湯豆腐のだしも美味しく、庭もそれなりにきれいであったが、何かもうひとつである。国際交流会館にはいつも車で来ているが、このあたりを歩くのは久しぶりである。紅葉はまだであるが、知恩院の山門は立派で、バックの緑を入れて写真に撮るとやはり絵になる。観光バスもたくさん来ていたが、中の庭を見ても、小一時間もいたら充分である。いつも思うのだが、京都らしさがよくわからない。何年か前に近くの永観堂に家族で紅葉を見に行ったが、観光客が多すぎて何の風情もなかった。京都の魅力が大勢の観光客で相殺されていることもあるが、これほど大勢の観光客を惹きつける京都らしさというのが、いつもよくわからない。
 私は愛知県生まれの長野県育ちなので、京都人ではない。京都の大学を出てから京都を離れたのは、高知の2年半と福知山の2年、神戸の5年である。高知に行った時には、医局での私の未熟さもあり、都落ちの心境であった。当時は医局に対してはアンビバレンツな感情があり、その感情はそのまま京都にあてはまった。高知でも秋の紅葉の時期になると、TV番組で京都特集をしていたが、それこそ私も1度行って見たいと思うほど魅力的であった。神戸に住んでいた時には、同じ大学の系列病院だったので、医師はほとんど京都から来ていた。京都より神戸の方が住みやすいという先生も多かったが、私にはよくわからなかった。神戸に住んでいる時に、年末に大学の医局の集まりがあったが、ホテルが取れず、JTBに行って頼んだが、やはりどこも満杯であった。それほど、京都は観光客でいっぱいになることもあった。
 遠くから見ていると魅力的な京都であるが、いざ住んでみると、京都のよさがわからなくなる。神戸から戻って10年目になるが、勤務医の時は忙しすぎてどこに住んでいてもあまり変わりがなかった。両親が田舎から出てきた時に東福寺まで行ったが、ふだんは誰かが来た時に有名寺院に案内するぐらいである。私の医院は東福寺も泉湧寺も近く、清水寺も歩いて15分ぐらいである。東山医師会の会合で料亭で食事をする時もあるが、いつも何が京都らしさなのかよくわからない。歴史のあるお店もたくさんあるが、外から見ているような思い入れがない分、その落差に戸惑う。最近京都新聞に載っていたが、祇園を抱える東山区は65歳以上の高齢者が人口の30%を超え、京都市の人口が横ばいの中人口減少が著しい。じっくりと日本史の勉強をして、京都の魅力を感じたいと思うが、中国語は相変わらず手はつけていないし、CNNのニュースも見ている暇がないので、まだまだ先になりそうである。息子が小学校の行事で、銀閣寺などをまわったが、竜安寺の石庭に感動したと言って帰ってきた。うそみたいな話で、大人より感性が豊かなのではないかと、家内と驚いていた。

平成18年10月24日(火)

 日曜日は家内と京都文化博物館へ「始皇帝と彩色兵馬俑展」を見に行った。出かけた時間がちょうど時代祭と重なり、近くなので地下鉄で丸太町まで行った。新しいデジカメを買ったばかりなので、試し撮りもしてみたかった。天気はよく、直射日光があたって、汗ばむほどであった。大勢の人が沿道に並び、早く着きすぎたのか、1番前に陣取ることができた。40分ぐらい待って、やっと行進が見えてきた。最近はほとんど運動もせず、診察室で座ったままなので、ちょっと立ち続けただけでも足と腰が痛くなる。道路が広すぎて、ぞろぞろ歩いているのを見ても、もうひとつ感動がない。ディズニーランドやUSJのパレードに見慣れすぎたせいか、もうちょっとメリハリがあってもいいと思う。時代祭も葵祭も大学の実習の時に、窓から鴨川沿いに見たぐらいである。地味な祭りだと思ったが、あの時とあまり印象が変わりなかった。最初の所だけ見て、すぐに目的の京都文化博物館に行った。
 昼を過ぎていたので、博物館の中にある和食の店で食事を取った。焼き魚がそれなりに美味しかった。最近は家内と昼食を取る時には、ビールの中瓶1本を注文し、2人で分けて飲んでいる。中国の西安で兵馬俑が発見された当時は、その規模の大きさから中国の歴史のすごさに驚いた。しかし、この日の予定は、初めは久しぶりに嵐山にでも出かけようかと思っていた。ところが、だいぶ寝過ごしてしまい、急遽予定を変更にして行ったので、実際に見たら感動も少なかった。歴史的発見も、時間とともに興奮も薄らいでしまう。大勢の人が来ていたが、古代中国史の好きな人には魅力的な展示会であろう。司馬遷の「史記」についても展示してあったが、昔覚えた中国の歴史に直面させられるのも、記憶が曖昧な分苦痛であった。やはり、きちんと歴史を復習して行かないと面白くない。私は大学入試の時に世界史を取り、日本史は古文が嫌いだったこともあり、昭和史以外については何も知らない。今回改めて、日本史だけではなく、考古学的興味に乏しいことに気づいた。錆びた剣など、2200年前の物と言われても、「ほー」という実感がわかない。2200万円という値段がついていたら、もっとわかりやすくて感動したかもしれない。
 最近はあまり感動することがなく、ツタヤで借りた「有頂天ホテル」ももうひとつであった。新しいDVDでは人気ナンバー1にランクされていたが、ドタバタしすぎて、あまり楽しめなかった。私が映画館まで見に行ったクローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」のDVDは、入荷してすぐ借りて見たが、やはり面白かった。映画館で感動した作品でも、「パッチギ!」はまだ借りてはいないし、「フラガール」もDVDが出ても借りることはないだろう。感動した映画でも、最初の感動をそのまま残しておきたい作品もある。ふだんは忙しいので、映画を2度見る機会はほとんどない。本も映画も1度限りということが多いが、2度見直すと、最初の時には気づかなかった細部までよくわかり、改めて1度だけの記憶のあやふやさに驚く。本の内容も、1度読んだだけでは内容も曖昧になっていく。時々この日記に書くために読み直すが、新刊を読んでいる時と変わりないぐらいうろ覚えである。娘が少し前に、クラブの友達と「ラブコン」を見に行き、「感動した」と言って、今度はクラスの友達とまたすぐ同じ映画を見に行っている。2度見たくなる映画は少ないが、カンヌ映画祭では絶賛された「ヒストリー・オブ・バイオレンス」は癖になる映画である。私のお気に入りであるが、ツタヤではいつも誰も借りていないので、気になって仕方がない。
 時代祭も彩色兵馬も感動せず、感動することが映画や本ばかりというのも寂しい気がする。年を取ると、感性が鈍くなるのと、経験が積み重なって、ちょっとやそっとのことで驚かなくなる。今から考えると、子どもが幼い頃の子育ては感動の連続であった。「おさかな」を「おかさな」と言ったり、自分の胸の茶色い小さなアザを「ウンコ」と言ったり、今思い出しても楽しかった。子だくさんの人の気持ちもわからないわけではない。これから紅葉の時期で、家内と一緒に四季の移ろいに感動できたらいいと思う。

平成18年10月17日(火)

 北朝鮮の核実験実施の発表を受けて、各国が大騒ぎとなっている。安保理制裁決議も出て、いよいよ金正日体制の崩壊が近づいていると予測する人もいる。もんもん読書録でも書いたが、北朝鮮が崩壊したら、国境を接している中国、韓国、ロシアだけではなく、日本にも多大な影響が出る。各国とも崩壊を軟着陸させたいのはよくわかるが、別の意味で崩壊したら困る人も大勢出てくるだろう。それは、北朝鮮の日本での出先機関である朝鮮総連などからこれまでにお金をもらってきた人々である。野党だけでなく、与党にもいると思うが、北朝鮮が崩壊したら、今まで表に出てこなかった政治家や文化人の名前が明らかになる可能性が高い。北朝鮮で何十万人と餓死している時に、北朝鮮を擁護し、その裏で名目は何であれ、お金までもらっていたとなったら、A級戦犯以上の売国奴になるだろう。私は個人的には必ずしもそうは思っていないが、小泉改革で社会的格差が広がったという説以上に、こちらの売国奴説の方が説得力を持ちそうである。一部の文化人などは、共産主義を擁護し、左翼思想に大きな影響を与えてきたが、共産主義が破綻をきたしても、自分の思想的未熟さを反省したとは聞いたことがない。このような文化人にとって大衆が無知過ぎたと考えることもできるが、その大衆に取り入ることができなかった文化人はやはり無能であったことに変わりない。
 今回の核実験の騒ぎでは、米国に日本でも核武装論が台頭してくるのではないかという懸念が出たと言うが、国連憲章ですべての国に保障されている集団的自衛権もないわが国で、そんな馬鹿なことを唱えるものは誰もいない。今、小林由美「超・格差社会 アメリカの真実」(日経BP社)を読み出した所であるが、各国の事情を理解するための初歩的な大事なことが述べられているので、ここに引用してみよう。人は誰でも、「他の人も同じように感じ、考え、行動する」ことを、無意識のうちに前提にし、暗黙に推測している。だから日本で育った人がアメリカの現象を理解しようとする時にも、無意識のうちに、日本社会でのルールや常識、日本人のメンタリティを重ね合わせてしまうことが多い。しかし、日本とアメリカとでは、日常生活での無意識な考え方や前提条件がかなり違う。だから、反対に米国では、日本人の核アレルギーが理解できず、アメリカ式に考えて、的外れな核武装論の懸念が出てくる。
 岡本薫「日本を滅ぼす教育論議」(講談社現代新書)では日本の教育論を論じ、目から鱗の指摘が数多くなされている。この本の中で自分たちが気づいていない興味深い欧米と日本のメンタリティの違いを指摘している。TVドラマの「水戸黄門」は日本では人気があるが、欧米人に言わせるとこんな非民主的な番組はないという。いつも、悪代官をやっつけるのは民衆ではなく、権力者である黄門様である。日本の正義の味方は、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」などのように、「権力者が民衆の視線のレベルに降りてきて、窮状を理解してくれ、権力を使って助けてくれる」という設定が多い。「弱者の味方をする権力者が大好き」という日本人の性向は、自分たちで窮状を解決するのではなく、何でも「お上頼み」という日本文化に共通したものであるという。
 さて、北朝鮮である。これほど民衆が苦しめられていたら、暴動が起こってもよさそうであるが、事はそれほど単純ではなさそうである。韓国では、特に若い人の間で金正日の人気が高まり、「金正日ブーム」というべき現象が起こっているという。韓国と北朝鮮は同じ民族なので、共通した価値観やメンタリティがあり、日本的解釈でこの現象を理解するのは無理である。少し前に、井沢元彦・呉善花「やっかいな隣人 韓国の正体」(祥伝社)を読んだが、この本の中で韓国内の反日運動や靖国問題、北朝鮮支援、日本はいつまで謝罪し続けなければならないかなどをわかりやすく説明している。これまで私が持ってきた、韓国は儒教の国で、両班思想で技術を軽んじてきたという知識だけで、これらを理解しようとしても無理である。
 韓国で金正日の人気が高まったのは、2000年に平壌で行われた南北首脳会談であるという。金大中に対して、長幼の序を守る態度を取り続け、見事に儒教の礼を示してみせたからだという。どのくらいの人気があるかというと、日本では信じられないが、南北が統一大統領選を行ったら、圧倒的に勝つのではないかと言われているぐらいである。確かに、日本や米国に頼らず、独自の路線で民族の自立を果たしてきたと考えたら、評価されるかもしれない。盧武鉉大統領による国内親日勢力や親日言論の一掃、反北朝鮮言論の弾圧、日米への離反と中ロへの接近なども大きく影響している。韓国では大きな所得格差の拡大や貧困層の増大で、過酷な市場経済に対しては否定的な見方になっているという。韓国の国民性についても述べているが、講演会で話す時でも、韓国人は「お話をしてあげます」という表現を使い、働く時でも、「働いてあげている」という。だから、援助を受けたとしても、「援助を受けてあげている」になる。自分に援助して当たり前と思えば、感謝すらしようとしないので、いくら日本が韓国に援助しようと感謝の意を示そうとしないという。北朝鮮でも韓国でも儒教の中でも朱子学の教えが国民の根底にあり、金正日が「聖人君子」となり、労働党高級官僚は「賢人」となる。韓国にはいい大学にはいれば正しい人間になれるという発想があり、ソウル大学出身者は、単に頭がいいだけではなく、他の大学出身者より、人間的に正しく立派な人たちとして、トップにランクづけされるという。だから、何事についても序列がはっきりしないと落ち着かないし、秩序がしっかり定まらない感覚になる。社会的な通念で、初対面の時には互いの出身大学を聞いて、上下関係の秩序を承認しあい、学歴が高ければ一定の尊敬を示すことが社会的な常識人がすることだという。韓流ブームで、韓国を理解したつもりになっている人はぜひともこの本を読んで欲しい。どうして金正日が拉致問題を認めたのか不思議に思っていたが、小泉首相には金大中以上の儒教の礼を示し、北朝鮮流にこれで日本国民が感謝の意を示すと考えていたのかもしれない。

平成18年10月10日(火)

 きのうの月曜日は家内と一緒に久御山のイオン・シネマに行ってきた。映画のタイトルは「フラガール」である。予めインターネットでいい席を取って行った。開演時刻が11時40分と中途半端であったが、私が50歳を超えているので2人で2千円である。この日は娘は午前中はクラブで、息子は相変わらず塾であった。中年の夫婦が大勢来ていたのは驚いた。祝日だというのに、前の方の席はけっこう空いていた。
 さて、内容であるが、昭和40年代が舞台で、炭鉱が相次ぎ閉山する中で、福島県いわき市の炭鉱会社がこの危機を救うために常磐ハワイアンセンターを作ろうとする。南海キャンディーズのしずちゃんが出て話題にもなっていたが、最初は大柄でモサッとしたキャラクターで笑わせてくれるぐらいかと思っていた。ところが、後半の炭鉱事故での場面では、このキャラクターが上手に生かされて、涙を誘う。私はもともと涙もろく、「一杯のかけそば」程度の話でも涙が出てしまう。ふだん感情はあまり出さずにしているので、その反動かもしれない。「ALWAYS 三丁目の夕日」はややもするとお涙頂戴式に流れてしまう感もあったが、この「フラガール」は自然な流れの中で上手に見せ場を作り、思わず涙してしまう場面がいくつもあった。舞台設定がうまく、さびれゆく東北の炭鉱町とフラダンスの組み合わせが何ともいえない味を生み出している。米アカデミー賞の日本代表に選ばれたのも、納得できる。私にとっては日本映画では「パッチギ!」以来の感動作であった。
 前日に娘が友達と「涙そうそう」を見に行っている。映画館でみんな泣いていたけれど、自分だけ泣かずに我慢していたという。私とはほとんど口をきかないが、家内だけにはなんでも話し、よかったという。「タイヨウの歌」も少し前に友達と見に行き、いろいろと家内に感想を述べている。難しい年頃であるが、いろいろな映画を見て、それなりに感性を磨いていったらいい。私も娘もふだん泣くことはないが、よく考えたら映画だけというのもおかしい。日常生活では本当に涙を流すことが少なくなってしまった。生の感情を出すことも少ない。怒りの感情は、ごく稀であるが、信じられないほどわがままな患者さんに接すると、感じることもある。しかし、私もプロなの決して表には出さない。
 少し前に、日本とガーナのサッカーの試合があった。息子とTVで見ていたが、最後に日本が1点取られ負けてしまった。息子はその後機嫌が悪そうだったので、「怒っているのか?」と聞いた。すると、「うるさい」と言って、泣きながらドアを乱暴に開け、風呂場にはいって行った。いつもより長い風呂から出た時に、私はあまり刺激しないように雑誌を読んでいた。すると、息子は私の周りをうろうろした後、座って「ごめん」と謝ってきた。息子は家庭の中でもムードメーカーで、めったに怒ることはない。本当にくやしがっているのはわかっていたので、「怒る時には怒っていい」と言った。頭を撫でてやると、またくやしそうに泣き出した。息子は素直すぎるところもあるので、もうちょっと両親に反抗してもいい。娘ほど反抗しなくてもいいが、両親とは違う自分を作るには誰でも反抗期は必要である。親子の繋がりは当たり前すぎて、日常生活で実感できる機会は少ないが、この時にはふだんとは違う強い絆を感じた。
 「フラガール」では、この時代の有無を言わさぬ父親と母親が登場してきた。親の言うことをきかないと、ぶん殴られるのが当たり前の時代であった。息子との件を思い出しながら、自分と父親との関係を考えて見た。小さな頃から「親孝行したくとも親はなし」とか「親の言葉と冷や酒は後からきいている」と言われてきたが、この年になってからようやく実感できるようになった。父親がぼけてしまってから、素直に和解できるのも親不孝な話である。私が息子と共有できた親子の強い絆も、私と父親の間でも何回もあったかもしれない。この映画の中でも、東北の肌寒そうな冬空が出てきた。私の中の1番古い記憶かもしれないが、父親が町外れまでごみを捨てに出かけた。寒い冬空の中、父親がリヤカーを引いて行く後を、まだ幼い私がうれしそうについて行ったことを思い出す。

平成18年10月3日(火)

 いよいよ書くことがなくて、困っている。日曜日に家内と二人で映画を見に行くつもりであったが、家内が町内会の運動会に出るというので、行けなかった。日記を書くために、無理して映画を見たり、本を読んだりしているような気もしてくる。いつもは今週は何を書こうかとその週にあったことを漠然と考えている。しかし、今週は本当に書くことがない。朝6時過ぎに医院に出てきたが、頭は真っ白である。最近はブログが流行しているせいか、頑張って書いている割にはホームページの訪問者数は減ってきている。よく考えたら、人生というのはそれこそ平凡な毎日の繰り返しである。そんなに、いつも劇的なことが起こっているわけではない。開業してからは、ますます人生が地味になっているような気がする。最近は寝過ごすことも多くなっているが、原則5時起きだし、土日の区別もなく、休みの日も医院に出てきてだらだらと仕事をしている。
 きのう久しぶりに銀行に振込みに行ったが、貯金通帳を見たらお金だけは貯まっている。京都駅近くのマンションのローンは来年の1月ですべて完済である。貯金のほとんどを頭金に使い、残った3分の2ぐらいはローンにしたが、返済期間は2年である。残りの金額を今返しても、まだ多額のお金が残る。ふだんの生活とどんどんと残高が増えてくる貯金通帳の乖離に我ながら驚いている。毎週火曜日は家内とホテルのランチなどを一緒に食べているが、ふだんは相変わらずコンビニの麺類などである。毎朝6時前に行くとあまり品数がそろっておらず、ほとんど前日の残り物である。今週も介護保険の審査会があるが、事前に資料を見るのはその日の朝6時からである。きょうは午後からヘルパー養成講座の講義があるので、ふだん子どものことなどを話している家内とのランチには行けない。研究会や学会にはなるべく参加するようにしているが、毎日が追われていて少しも余裕のある生活ではない。パートの人の都合で、2階の診察室と階段は職員が来る前に毎朝私が掃除しているし、医院の玄関前も私がやっている。
 昔はいい車に乗って、美女に囲まれ、美味しいものを食べるのが理想の生活であったが、最近はそれも空しいような気がしてきた。金銭的余裕はあるが、愛人を作るのも面倒臭そうだし、自分好みのアダルト・ビデオを見ている方がまだ楽そうである。車も今の車で充分なので、10年間は乗るつもりである。高級クラブのホステスやキャバクラ嬢を口説くのはお金や時間がかかるし、患者さんで大勢診ているので、診察だけで充分である。風俗嬢も診察しているが、過食で体型が崩れてしまう人も多い。自分が何を欲しいのかわからなくなるが、先週両親の新しい家を見て、日の当たる広い家が欲しいと思った。それでも、本当に新しい家を建てたら、それで満足するかと聞かれたら疑問である。欲しいと思っていたものがいつでも手に入ると思ったら、本来の欲望と思っていたものがどんどんと削ぎ落とされ、少しずつ自分の深い本質が浮かび上がってくる。今は基本的には物質欲より知識欲の方が旺盛なので、そちらの方で満たしていくしかない。年を取ったら名誉欲しかないが、その時はその時でゆっくりと考えたらいい。
 日曜日にTVのチャンネルを変えていたら、退職後に何をやりたいのかたかじんの番組でやっていた。出演者の少なからずの人が中国語と答えていた。実は私も最近また中国語の入門書を買い、本格的に中国語を勉強しようと思っていた。中国語の入門書ばかりたまってくるが、覚えやすそうな本が次から次へと出てくるので、ついつい買ってしまう。TOEICはこれまでの最高が865点で、900点超えがなかなかできず、英語はどうでもよくなってきた。海外旅行も最近は遠くに行くのも疲れ、近場では唯一訪れたことのない国が中国である。患者さんから上海が飛行機で2時間と聞いて、あまりの近さに驚いた。湯浅誠「中国社会のとことん深い闇」(ウェッジ)を読み終えたところであるが、反日運動といい、この本の内容といい、ますます中国が嫌いになりそうである。中国が崩壊寸前というのもよく理解できたし、14億の民を食べさせていくことが大変なこともよくわかった。マイナスのイメージばかりの中国であるが、中国が崩壊しようと中国語は残るので、勉強しようかと思う。この年になると、中華料理はしつこそうだし、何か強い動機付けが必要である。週に1回ぐらいは中国語の学校に通いたいが、なかなか時間がない。唯一火曜日の午後が融通が利くが、家内とのランチをやめたら身に危険が及びそうである。強い動機付けは中国美人でもいいのであるが、中国に愛人でも作ったら、近すぎて日本にまで押しかけられそうである。克服すべき課題は山ほどあるが、今度こそ心を入れ替え、近いうちに中国語を始めようと思う。

平成18年9月26日(火)

 先週の火曜日でTVドラマの「結婚できない男」が終わった。何回もこの日記で書いているが、私が結婚したのは38歳で、当時医局では独身は大先輩の先生1人除いて、私1人だけであった。今は時代が変わって、医局には50歳を過ぎても独身者はごろごろいるし、2回離婚して3回目で幸せな結婚生活を送っている先生もいる。ついつい毎回この番組を見てしまったが、自分と重ね合わせてしまう部分も多かった。この番組で妹が出てくるが、私と池田の妹との関係によく似ている。番組では母親がいつまでも結婚しない息子を心配していたが、私の両親も同じである。今回皇室に男の子が生まれ、改めてこれまで男子が家系を引き継いでいたことを思い出させてくれた。男の子が生まれるか女の子が生まれるかで日本中が大騒ぎしていたので、私の息子なんかは勝手に自分が家を引き継がなければいけないと思うようになったし、娘も息子と立場は同じだと思っていたのに、男女でこんなにも違うものかと驚いていた。私はどちらでもいいと思うが、私の両親の世代は長男に対する思い入れは想像以上に強かった。番組でも、母親が娘に対してとは違う特別の思い入れを端々にうかがわせていた。
 私は父親に反発して生きてきたので、家の細々としたことはやらず、池田の妹が代わりにすべてやってきた。池田の妹は、私がスパルタ式で育てられきたのを身近に見ているので、私のことはよく理解してくれた。しかし、今は弁護士をしている夫と学生時代に知り合ってから、「長男で本当に大変だと思ってきたけれど、まだ幸せな方よ」と言われたことがある。私はうんざりするほど勉強するように言われ続けてきたが、両親から愛情だけは充分に注がれてきた。ところが、妹の夫は本当に貧しくて食べる物も食べれず、両親も難しく、かなり大変な家庭で育ってきたようである。今でも絶縁状態が続いているのをみると、家庭環境も中途半端でなかったことがよくわかる。番組を見ていて、私も家庭で自分の感情を素直に表現できなかったので、主人公の屈折した表現も理解できないわけではなかった。
 実はこの連休前に長野県にいる両親が田舎を引き払って、池田の妹の近くに引っ越してきた。妹も大学の仕事があるので忙しかったと思うが、長野県の自宅まで行って、荷物を全部処分し、母親に代わって引越しの手続きもすべてしてきた。実家には車が置いてあるので、両親を車に乗せ、必要な荷物も入れて、池田まで運転して帰ってきた。父親はぼけてきているが、急な激しい環境の変化で一時的におかしくなったらしい。パーキング・エリアでトイレに寄った後、また車に乗って走り出したところ、妹と母親を責めるようなことを言って興奮し出した。さかんに「こんなことをして」とか「見そこなった」とか言い出し、どうも妹と母親が他人の車を盗んで運転していると勘違いしたらしい。金曜日に新しい家に着いたが、その夜にも「家に帰る」と言って勝手に飛び出している。妹から電話があった時に、1ヶ月ほど前に道で転んで地元の日赤に救急車で運ばれているので、慢性硬膜下血腫になっているのではないかと心配になった。精神安定剤や睡眠導入薬も頼まれたので、翌日の土曜日に持って行くことにした。
 土曜日は秋分の日で休みであったが、娘は相変わらず朝からクラブである。息子も午後から塾があるので、娘を除いて3人で早めに家を出た。ところが、中国自動車道でまた事故である。後わずかな距離で大渋滞である。今盛んに飲酒運転を厳しく処分することが言われているが、高速道路の事故も何千人と迷惑がかかる。高速で伊丹空港に向かっていた人の中には飛行機に間に合わなかった人もいたかもしれない。1時間近く遅れても高速料金を返してもらえないので、事故を起こした人は飲酒運転以上に厳しく処分して欲しい。そうすれば、高速で無謀な運転をする人も少しは減るだろう。私はこの世で渋滞とディズニーランドで並ぶことが1番嫌いなので、朝早々と切れてしまった。
 両親の新しい家は新築かと思うほどきれいであった。リビングが高校の自転車置き場に接しており、目の前に大きな建物がないので、広々として日当りがいい。まだ荷物が来ていなかったので、25坪の丹波橋の私の自宅より広い感じがした。古い家をリフォーム会社がリフォームして売りに出していたので、階段が急なことを除いては住みやすそうである。これで2500万円ちょっとだったというので、本当にお買い得である。両親のためにリビングを畳敷きに改装したので、実際にはもう少しお金がかかっている。どうしてこんなに安いのかと思ったが、車が2台ぐらい縦におけるぐらいのスペースが隣の家と共有地になっており、家はその奥に建っているからかもしれない。しかし、この場所に車も置けて便利である。母親も元気そうにしており、父親もぼけてはいるが、いつもの通りにこにことして落ち着いており、ひとまず安心した。

平成18年9月19日(火)

 この前の日曜日は午後2時から5時まで国際交流会館でカウンセリング・デイがあった。私の担当は外国人のメンタル・ヘルスであるが、この日の相談者は誰もいなかった。台風が近づいていたこともあり、他の部門でもいつもより少なかったらしい。前回から、相談が終わった後、一同会して交流会を持つことになった。相談内容は多岐に渡り、ビザ、法律、労働、税務問題などで、英語や中国語、韓国語、タイ語などの通訳もボランティアで参加している。在留資格の相談などが多く、行政書士の人が大勢参加し、他にも社労士や税理士、弁護士も来ていた。最近は欧米人より中国人の相談が多いという。その日にあった相談内容についての意見交換などがあり、外国人が自分の親を日本に呼び寄せる場合は70歳を超えていると比較的入国管理局も認めてくれる(短期ビザの更新は必要)など、興味深い話も聞けた。30分ぐらいの予定が40〜50分になり、相談を入れると4時間近くになる。ネクタイを締めていくので、休みの日は1日中パジャマでいたい私にとってはけっこう大変である。弁護士などは弁護士会から交代で来るので、私も医師会から誰か交代で来てくれないかと思ったりする。ついでに、介護保険の審査も誰か代わって欲しい。でも、東山医師会で実質的に動ける精神科医は私1人なので、痴呆も関係しており、永遠の指定席になりそうである。最近は審査件数も多く毎回35件続いており、前もって全部の資料に目を通しておくのも大変である。
 予約がはいっていないことは予めわかっていたので、携帯電話のW−ZERO3に9月9日に放送された関西TVの「格差社会」の特集を入れていった。2時間番組となるとなかなか見ている暇がなく、こういう時に見れるのは便利である。以前にNHKの番組の「ワーキングプア」でも特集していたが、貧富の差が激しくなっているという。「論争 格差社会」(文春新書)をまだ読み始めた所であるが、実際にはいろいろな意見があるようである。患者さんを診ていても、労災の認定を審査していても思うのだが、とにかく日本はサービス残業が多すぎる。最近来院した地方公務員の人でも、残業が月に250時間を越えて、残業手当は40時間までだという。民間企業の人も大変であるが、労災認定になるには月100時間以上の残業が何ヶ月も続かないと、なかなか認めてくれない。最近はセクハラに関する労災請求が多くなっている。セクハラに関しては、たった1回のことでも簡単に労災として認定しているような気がする。男性の審査員にとっては、セクハラで女性が受けるストレスをどう客観的に判断していいのかよくわからない。男性はかなり厳しい労働条件に長期間さらされていてもなかなか認められないが、女性に対するセクハラに関しては少し審査が甘いような気もする。
 番組の最後の方で、経済評論家の森永卓郎が話していたが、正社員の身分を手放さないことも大事である。パートばかりで働き続けると、身分の保証された正社員の道はますます遠のいていく。しかし、正社員でも条件の悪い所は考えものである。経営状態の悪い会社は経費を削りに削ってやっているので、いくら頑張っても限られた範囲内でしか給与は得られない。先週はたまたま2人の20代の女性社員の話を聞いていたが、いくら正社員でも労働条件が悪かったらやっていられない。1人の女性は各種学校みたいな所に勤め、午後1時からの出勤で夜は遅くなると話していた。しかし、先週は1週間の間に朝8時までの残業が週3回もあり、残業手当はなしだという。手取りも16万円ぐらいである。もう1人の女性は東京の出張が経費削減のため会社の車になり、出張先で上司に遅くまで付き合わされ、カラオケ代もすべて割り勘で、手取りは13万円ぐらいだという。この部分は私の医院の従業員にも読んで欲しいぐらいであるが、夢も希望もない金額である。経営が苦しい大きな会社より、経営がうまくいっている小さな会社の方が条件はいいようである。
 連休で月曜日も休みであったが、私は京都市の休日待機番に当たっていた。朝8時半から夕方5時まで、京都市から救急の患者さんの診察依頼があった時に、すぐに駆けつけれるように自宅などで待機する。この間はスーパー銭湯や映画には行けない。昼食時にビールを飲むのもだめである。京都市内から遠く離れることも無理である。すぐに連絡が取れるように常に携帯電話は身につけておかなければならない。この日は塾が休みで、息子がサッカーの試合に出ていたので、見に行った。呼び出されることはなかったが、連休の時にはなかなかこの休日待機番をする人がいないらしく、来週の日曜日にも私が入れられている。国際交流会館のカウンセリング・デイといい、それなりに社会には貢献しているのだろうが、2つの連休がボランティアみたいな仕事で拘束されてしまうと複雑な気持ちになってしまう

平成18年9月12日(火)

 先々週はすぐ下の妹がカルフォルニア州のサクラメントから1人で長野県の実家に帰っていた。今回は池田の妹の所や私の所には来なかったので、電話だけで話した。この9月の終わりに私の両親が田舎を引き払って池田の妹の近くに引っ越してくるので、上の妹にとってもこれが最後の故郷訪問である。上の妹は私とは1歳違いなので、もう50歳を超えている。よくあるパターンであるが、離婚してダイエーの管理栄養士をしていた。当時はダイエーのバレーボール部が強かった時で、スポーツ栄養学の勉強をしたいと言い、会社をやめて1年間語学学校で英語の勉強をし、コロラド大学に留学した。しかし、よほど優秀でないと、米国でもスポーツ栄養学では食べてはいけない。日本の企業も不況で運動部をどんどんと廃部している時であった。結局、大学時代に知り合った年下のインド人と結婚し、最近やっとカルフォルニアの州職員に採用された。夫が優秀で、夫のおかげでグリーンカードも手に入れ、今は市民権の資格もあるので、国籍を日本から米国に移すかどうか迷っている。これまで、幼稚園の先生などをし、一発奮起してコンピューターの専門学校に通ってシステムエンジニアの資格を取得している。スポーツ栄養学から紆余曲折し、50歳を過ぎてやっとシステムエンジニアとして州職員に採用された。月給も4000ドルというので、悪くはない。日本でも再チャレンジが話題になっているが、国籍や年齢のことを考えたら、米国の方が中途採用でも遥かに門戸が開かれている。
 夫については私は会ったこともないが、両親は米国で会っている。カルフォルニア州というとヒスパニックばかりのような気がするが、インド人も多いという。夫はPhDを持っているので、収入は妹よりはるかに多いという。MBAの資格はよく聞くが、PhDは米国ではどの程度の資格なのか私にはよくわからない。今はBRICsと言われインドの経済発展が目覚しいが、インドの企業は仕事内容が厳しく、米国の企業の方が収入も多く楽だという。食事はそれぞれインド料理と日本料理を別々に作って食べている。妹夫婦には子どもはおらず、夫は14歳年下である。誰がどう考えても、年をとってから夫にインド人の若い愛人ができて、異国の地で捨てられそうなパターンである。来年の春には2人でこちらに来るので、京都駅近くの私のマンションを1週間ぐらい提供しようと思っている。ビデオで1度夫の姿を見たことがあるが、肌が色黒く、両親の住んでいる田舎ではかなり目立ってしまう。大阪・京都でも肌の色に対して偏見まではいかなくても、心理的抵抗感はまだあるかもしれない。いずれにしても、どんな人物なのか話すのが楽しみである。妹も将来のことを考え、今回役所にも問い合わせしていたが、米国に帰化しても日本で掛けていた厚生年金は出るという。
 米国のことが出たついでに、ツタヤで「RISE」のDVDを借りて見た。京都に映画が来ている時に見に行こうと思っていたが、忙しくて見逃してしまった。舞台はL.A.(ロサンゼルス)である。冒頭に90年代の黒人暴動のシーンが出ていたが、60年代の頃のシカゴの黒人暴動を思い出した。あの頃は暑い夏になると、必ず米国のどこかで黒人暴動が起こり、毎日のようにTVで放映されていた。道を歩いているだけで、幼い子が理由もなく撃たれるサウスセントラル地区の若者が主人公である。以前にCNNのポーラ・ザーンの番組で、黒人のラップ歌手が出演していた。黒人のスラム街で育ち、幼い頃に母親が目の前で撃たれて殺されたという。人生の選択がギャングになるかダンスを踊るかの中で、若者が音楽に合わせて肉体を極限まで動かし、クランプダンスと呼ばれる踊りを最初から最後まで披露している。私は基本的にはロックしか聴かないが、映画の全編に流れているヒップホップみたいな曲も嫌いではない。出口のないゲットーでダンスに打ち込む若者は、路地裏で裸足でサッカーボールを必死で追っている若者と変わりないかもしれない。音楽もダンスも私好みで、90分という短さもあって、中だれもせず久しぶりに楽しめた。私は単純で、こういう映画を見ると妙に元気が出てくる。

平成18年9月5日(火)

 この前の土曜日は東山医師会病診合同学術集団会があった。案内のFAXが来た時に、時間を予定表にきちんと書き込むのを忘れ、何時から始まるのかうろ覚えであった。念のために、前日に東山医師会に確認したら、3時で間違いなさそうだったので、この日は3時に出かけた。会場のホテルに着いてみると、まだ誰も来ていない。案内の人に聞いたら、3時半からだという。プログラムの用紙をもらったら、最初の15分間は製薬会社の薬の宣伝で、実際に始まるのは3時45分であった。出る前まで、医院で書類を書いていて、途中であわてて出てきたが、こんなことならもっと書類が書けていたのにと後悔した。会場でただ1人座りながら、どうやって後の時間を過ごそうか考えていた。一般演題の発表や講演を含めると、3時間近くの長丁場である。睡眠不足なので、途中でうとうとすることは間違いない。しかし、今のうちに寝ておこうと思っても、腹ただしさもあり、頭が冴えるばかりで、そう都合よく眠れない。2番目に来たのは東山の医師会長で、役職についている人は早く来るものだと感心した。
 今回はこんなに早く出席したのは例外であるが、いろいろな集まりで何時ぐらいに着くのがいいのか迷うこともある。あまり早く着きすぎると、会場で偉い先生方と長いこと話をしなければならないし、場合によっては相手先の人に余計な気を使わせてしまう。かといって、ぎりぎりに着くようにすると、道路の混み具合で遅刻してしまうリスクもある。私は最近は定刻の直前に着くようにしている。労災の判定会議では私が司会をしているので、遅れたらまずいが、大体ぎりぎりぐらいである。東山区役所の介護の審査会もぎりぎりである。京都府医師会の医療安全対策委員会は自分の車で行くので、前の車を追い越すなどしてある程度調整が可能である。紫野の特別養護老人ホームは入所者の診察なので、医院の診療で大幅に遅れても大丈夫である。東山保健所のデイ・ケアも数分ぐらいの遅刻なら許される。そんなに多くはないが、ヘルパー養成講座の講師や国際交流会館のカウンセリングは絶対に遅刻できない。月に1度ある東山医師会の理事会も遅刻しないように気をつけている。ふだんの研究会や学会は少しぐらい遅れてもかまわないが、東山医師会主催の行事はだめである。最近は私の予見技術が発達して、会場に到着するのは定刻か1〜2分前が多い。
 さて、学術集団会の内容であるが、ほとんどが京都第一赤十字病院や東山武田病院からの演題で、私の科とはまったく関係のない内容ばかりであった。たまにはこういう会で、他科の研究発表を聞くのもいいが、最近の医学の技術や医療機器の発達には目を見張るものがある。それから比べると、精神科は医局に入局してから27年目になるが、相変わらず原始的な口と耳ばかりを頼りにしている。開業してからは、脳波も見なくなった。なかなか目に見えない技術なので、実際に技術がついているのか不安になる時もあるが、今さら他の科に変わるわけにもいかないので、後20年はこのままで乗り切るつもりである。医学の発達といったら、医師会でも問題になっていたが、胃透視のフィルムを読める人が少なくなったという。保健所などの市民検診では、バリウムを飲んで胃の検査をするがふつうである。しかし、最近は胃カメラばかりなので、的確に判断できる人がおらず、ガンなどを見逃してしまうこともあるという。そんなことなら、胃カメラに変えたらいいと思うが、感染の危険などもあり、そう簡単にはいかないらしい。最後の講演会の内容は大腿骨近位部骨折であったが、わかりやすくて面白かった。少し前に、私の医院でも玄関前で転倒して、大腿骨頚部骨折をした患者さんがいた。こんな大きな骨折でも、X線を取ってもわかりにくい人がいるとは意外であった。
 学術集団会の後は懇親会があり、ふだん紹介状でしかやり取りしていない先生とも交流ができてよかった。医療界といえども相変わらず景気の悪い話ばかりで、外科系の訴訟問題も話題に出ていた。病院の経営が大変なのは前回書いた通りであるが、京都第二赤十字病院は経営が破綻し、すでに債権管理団体のもとに置かれているという。京都第一赤十字病院も経営は苦しいが、私のいた時からかなり厳しくやっていたので、まだ体力は残っている。公的な病院は昔から赤字の所が多いが、開業医が頼りにするのは日赤のような人と設備の整った病院である。いつもお世話になっているので、なんとか頑張って欲しいと思う。
 最後に話が変わるが、今日の朝刊に「退職後過労自殺も労災」と東京地検の判決が出ていた。労災の不認定を取り消し、国が敗訴した。実はこの裁判は前にも書いたが、私が国側について意見書を書いた。きのうFAXで送られてきた判決文を読んだが、本来争うべき所で争わず、争ってはいけない所で争って負けている。被災者の方には気の毒であるが、本来の労災の認定にはやはり無理のあるケースである。裁判官に「適応障害」と「うつ病」の区別がしっかり理解されなかったことも敗因の1つにある。しかし、精神医学はファジーな部分が多層に重なっているので、精神科のプロ以外は理解するのは難しいかもしれない。いずれにしても、きのうは外来も忙しかったこともあり、敗訴の判決を聞いてどっと疲れが出た。

平成18年8月29日(火)

 この前の土曜日は京都精神科医会が夜にあり、精神病理学の大家である木村敏先生の講演があった。私が精神科の医局に入って間もない頃、京大で活躍されていた先生である。会場にはいつもと違って、同期の高齢の先生が何人か参加していた。引退してだいぶたつので、心身ともに衰えているのではないかと思ったら、顔色はつややかで、声も張りがあり、現役の教授ではないかと思うほど若々しかった。当時は先生の本に何回かチャレンジしたが、哲学的で難解すぎてあまり理解できなかった。講演の内容はわかりやすく、堅苦しくはなかったが、疲れていたせいもあり、少しうとうとしてしまった。日本の精神科医がほとんど所属する日本精神神経学会で新たに専門医制度ができ、教授も含め全員がこの試験を受けないと、専門医の資格が取れないことになった。内科とか他の学会では昔から専門医制度はあったが、精神科は国が資格を与える精神保健指定医があるので、これまで学会認定の専門医は必要とされていなかった。今は過渡的措置で臨床経験のある先生は3症例のレポートを提出して面接試験を受けたら、誰でも合格できるが、レポートの提出がけっこう面倒臭い。木村先生は75歳を超えていると思うが、もう専門医の資格は取らないと話していた。
 実は土曜日の午後は、外来が終わってから、ずっとこの専門医を取るための症例のレポートを書いていた。相変わらず、私は締め切りぎりぎりにならないとやらないので、日曜日と2日間で書き上げて郵送するつもりであった。8月末まで時間はあるが、他の日はいろいろと用事があって、もうやっている暇がない。他にもややこしい障害年金の診断書が2通あり、遅れている7月分の領収書なども整理して早く税理士に送らなければならない。細かいことでは、8月分の従業員の給与も計算しなければならず、雑用が山ほどあってうんざりしていた。
 土曜の講演会の後は懇親会があったが、たまたま私の横に病院を経営している先生が座っていた。前にも書いたが、この4月からの保険点数の改定で、私の医院でも従業員1人雇えるぐらい収入が減った。しかし、病院はそれどころでないという。経営が悪化して、何年持つかわからないというぐらい深刻らしい。世代が交代になり、私より若い先生が病院経営者として引き継いでいるが、医療費がどんどんと削除されてきているので、責任だけが重くのしかかり、全くわりの合わない仕事のようである。私が雑用が多いとぼやいている比ではなさそうである。民間病院の雇われ院長の給与の話が出ていたが、今は年収2000万円ぐらいで、2500万円まではなかなかいかないという。昔と比べたら、だいぶ少なくなった印象である。私の年収はこれよりはるかに多いので、つくづく贅沢は言っていられないと思った。診療科によっても温度差があり、精神科の開業医はまだまだ追い風が吹いている。医療者向けのホームページで、三重県のある過疎地の市立病院で、産婦人科医を年収5500万円で雇っていると出ていたが、これは例外中の例外である。
 日曜日は朝早くから診療所に出て、残りのレポートを書いていた。午後1時前には3症例とも完成した。家内は地蔵盆で出ているので、車検のために車を預けに行った。5年前に買った時には500万円近くしたが、何も不自由はないので、後5年ぐらいは乗り続けるつもりである。帰りは近鉄とバスを乗り継いで、診療所に戻ってきた。ケースレポートを書いても、表紙をつけたりといろいろと手間がかかる。なんとか明日郵送できるように準備し、従業員の8月分の給与の用意をした。雇用保険料や源泉徴収を計算するが、他にもやることが山ほどあると面倒である。障害年金の診断書と税理士に送る資料はやっている暇がなく、夕方から東山医師会の夏季役員会に出席した。祇園の高台寺にある料亭で、料理人をしている患者さんから聞いたら、有名な所らしい。去年と同じ所で、玄関までが雰囲気がある。簡単な定例理事会の後夕食となったが、料理はおいしかった。私の隣にまたきのうとは別の病院の経営者が座っていた。昔と違って大きな病院を親から引き継いでも、厳しい医療環境では勤務医や開業医の方がよっぽど気楽でいいらしい。東大病院が高度医療の対応のため、例年の3倍の300人の看護師を大々的に募集しているが、京大病院でも同じく大勢の看護師を募集しているという。入院患者さん1人当たりの看護師の数で診療報酬が変わってくるので、民間の病院では看護師の確保が大変で、引き抜きに戦々恐々としているという。都会では医者の確保より、看護師の確保の方が難しい時代になっている。土日と2人の病院経営者の話を聞いていて、私も仕事が忙しくてストレスに押しつぶされそうになるが、それでもまだましな方だと思った。

平成18年8月22日(火)

 きのうは久しぶりに寝苦しく、いやな気分で夜中に目が覚めた。暑くて眠れなかったわけでなく、自分自身を責めるような、身の置き所のない、生きていくのが苦しくてたまらないようないやな夢だった。きのうは疲れていたせいもあるかもしれない。午前中の外来は忙しく、午後からは私が司会をしている労災の判定会議があり、今回は5件出ていた。午後の外来も忙しかったが、夜自宅に帰ったら、疲れといらいらが残っていた。ふだん酒は飲みだしたら、ビールとラム酒をがぶがぶと飲むが、月、水、金は原則的に禁酒にしている。この週3日間は休肝日になるが、最近はぐったり疲れてしまうと、この日でもついついビールを飲んでしまう。きのうの夜は500ccのビールの缶と350ccの缶を飲んだが、ストレスの発散になるより、いやな夢を見る方向に行ってしまった。私はもともとほっておいてもよく眠れる方であるが、年に数回いやな夢を見る。寝ている間は死ぬほど苦しいが、朝になるとあれは一体何だったのかと思うほど、ケロッとしている。人の話を聞くのは嫌いではないが、毎日ずっと朝から晩まで聞き続けていると、知らず知らずのうちにストレスがたまっていくのかもしれない。
 少し前のうつ病の講演会でも出ていたが、最近はうつ病が治りにくい。昔は統合失調症は治らず、うつ病は治ると言われていたが、なかなかそう単純にはいかなくなっている。精神科や心療内科の敷居が低くなって、軽症のうつの人も多く受診するようになったが、難しい患者さんも増えてきた。心療内科は元手がかからず、机1つあったら始められると書いたことがあるが、患者さんの難易度が高くなり、経験を積まないと開業は無理である。パニック障害も難しいケースが増えている。昔より、簡単によくなる患者さんがどんどんと減ってきているような気がする。精神科医にとってストレスは、一生懸命やっていても、患者さんから責められる時である。めったにないが、患者さんも混乱していて、矛先を主治医に向けてくる時がある。患者さんによってはかなり気合を入れて診察しなければならず、医者と言えども神経をすり減らして疲れきってしまうこともある。しかし、患者さんは診察費を払って受診しているので、納得のいくまで相談したらいいと思う。いくら混んでいても、困っている時にはお互い様なので、長時間になっても全く問題はない。医者は充分すぎるほどの収入を得ているので、遠慮することはない。
 皇太子ご一家がオランダに2週間静養に出かけているが、マスコミでも一部非難が出ている。雅子妃が公務に出席せず、ディズニーランドに行ったり、オランダに行ったり、わがまま病ではないかという。雅子妃の正式な病名は適応障害と発表されている。この病名はストレスなどにより不安や抑うつ気分が生じるが、うつ病までは重くはなく、最大2年を超えないことと定義されている。実際の病名はわからないが、うつ病の可能性が高い。ディズニーランドやオランダに行けて、どうして公務ができないのかという非難も多い。このことはどう解釈していいのかというと、日常の出来事はストレスの強さがひとつひとつ違うということである。例えば、家でゆっくりくつろいでTVを見ている時と、大事なお客さんを相手に商談している時とではストレスの強さが違う。ストレスの強さを山の高さで表すと、町内会の役員で司会をしている時と、旅行をしている時でも山の高さは違う。よく、うつ病の患者さんが元気そうに家族と買い物をしたり、場合によっては旅行をしているのを見て、どうして会社に出て来れないのか疑問に思う人もいる。しかし、それぞれの山の高さは決して同じではない。家族で買い物に出かけるのは低い山の高さになるが、会社に出かけて仕事をするのははるかに高い山の高さになる。患者さんを飛行機に例えると、うつ病がある程度回復すると、低い山は乗り越えられるが、少し高い山になると無理である。日常生活に支障ない程度に改善しても、会社に復帰できるほどまではなかなか改善せず、いたずらに時間が過ぎていく患者さんも最近は多くなっている。

平成18年8月15日(火)

  今年は盆休みを10日から今日まで取った。息子は塾の合宿に4日間行っていた。この間家内と娘は2泊3日でディズニーランドである。私も奮発して、2人のために夜景の見えるミラ・コスタを取った。私はというと、4泊5日で海外に1人で出ていた。息子の方は夜は第1日目は11時半まで勉強で、後は毎晩11時までだったという。同じ塾の中学受験の6年生が男女合わせて450人ぐらい集まっていたという。今の子どもは大変である。私の頃は医学部出身と言っても、こんなに受験戦争が大変ではなかった。無茶苦茶勉強させられて受験に失敗したら性格的に屈折するし、受験に成功しても屈折していくと思う。少し前にSPAを読んでいたら、若い女の子の理想の結婚生活として、ジャスコで衣服は買いたくないと載っていた。私の家内は公務員の娘だったこともあり、最近やっとバーゲンでデパートの衣服を買うようになった。ふだんは決して贅沢な生活はしていないが、何かあるとすぐ庶民感覚とかけ離れていると非難するマスコミの論調には反発を覚える時もある。ここまで勉強させられて、責任の重い仕事を任され、庶民感覚の生活を強いられたら、やっていられないと思う。マスコミが作り上げた、要領がよく、詰め込み勉強が得意で、物事の本質を理解するのが苦手で、人の気持ちがわからず、庶民感覚とかけ離れた人間というのが一体どこにいるのかと思う。ただ、小さな頃からかなり無理な勉強を強いられ、受験競争を勝ち抜いて来ているので、やはり素直な性格ではないと思う。時には鼻持ちならぬエリート意識として出るかもしれないが、これだけやらされてきたら仕方ない気もする。受験勉強ができても何の役にも立たないと批判する人もいるが、それだけ処理能力が優れているということである。もともと仕事というのは、つまらない煩雑な雑用みたいなことばかりで、創造的にやれることなんて本のわずかである。受験戦争に勝ち抜いて来たということは、責任の重い過酷な仕事にも耐えうるという証なのかもしれない。息子は中学に合格したら、サッカーしかやらないと言っているが、最近はそれでもいいような気がしてきた。学歴の優れた人が必ずしも幸せな生活を送っているわけでないので、やれるだけやったらいいと思う。
 飛行機の中では、PHS携帯電話付きのW−ZEROで、「TVタックル」と「結婚できない男」の動画を見た。飛行機の中で読もうと思っていた内田樹「私家版・ユダヤ文化」(文芸春秋)を家に置き忘れ、空港の本屋で柳田洋「企業するなら中国に行こう!」(PHP新書)を買った。いつも海外に出かける時にはばたばたし、今回はヘアブラシも忘れてしまった。医院の新聞を止めておくことは忘れなくなったが、目覚まし時計は忘れやすい。チェック項目を作っておいたら1番いいのだが、ついついうろ覚えで用意してしまうので、いつも何かぬけてしまう。さて、「企業するなら中国に行こう!」である。中国は成熟した日本の市場と違い、まだまだビジネスチャンスがあるという。中国でのビジネスなら中国人に負けると思うが、中国人自身ではこれまで情報閉鎖国だったので次に何が需要があるか予測できないという。むしろ日本人の方が貧しかった戦後から高度成長期を経験しているので、どんどんと発展している現在の中国にとって次に何が必要か的確に判断してビジネスを始めることができるという。北京での中国企業との取り引きや最新の中国人事情などが書かれ、面白かった。大のトイレでも扉を閉めずにするとか、何か買う時には絶対に並ばず、我も我もと大声で殺到するとか、自宅や事務所を内装する時には見張っていないと、勝手にアレンジされてしまうとか、面白いエピソードが盛り沢山である。「北京オリンピックでは、外国のお客さんに失礼のないようにきちんと並びましょう」という啓蒙活動が盛んに行われているというが、TVで伝えられている中国の靖国問題や反日運動とはどうも違うレベルの話である。日本人サラリーマンは責任感が強く、苦労も厭わないと評判が高い一方、仕事のストレスで電車の中で女の人のお尻を触ったり、裸の上にコートだけ着て夜道を歩くとか変態が多いと思われているという。一方女性は美しくて優しいといいことづくめで、変態の夫に貞淑な妻が中国人が思い描く日本の夫婦のイメージだそうである。
 きのうの夜10時過ぎに自宅に帰ってきたが、息子がUSJに行きたいという。息子もストレスがたまっていると思うので、1時過ぎまで荷物の整理をしていたが、朝5時に起きて、車で6時に家を出た。エクスプレス・パスは早く行って買わないと売切れてしまうので、7時までには着くようにした。盆休みで混んでいたが、エクスプレス・パスを使って長時間並ぶこともなく快適に過ごすことができた。しかし、帰ってからが、いろいろと用事が残っていて大変である。なんとかこの日記を書き終えたが、まだ山ほどの書類が残っている。たった5日休むのでも、前後をやりくりしても仕事がたまり、余計にストレスがかかってくる。中国人の言うように、私までもがますます変態になってしまいそうである。

平成18年8月8日(火)

 なかなか暑いと何もやる気がしない。盆休み前にやらなければならないことがたくさんあるが、日曜日もただビールを飲んでぼーと過ごしていた。最近は週末に2本ほどDVDを借りて見ているが、面白い作品にも巡りあわず、人生そのものがマンネリ化している。
 先週の土曜日はうつ病やパニック障害に効くSSRIの新薬の説明会に行ってきた。講演の後で懇親会があったが、久しぶりに同級生のF女医と話をした。女性のかけ込み寺みたいになっているのかと思ったが、すべて予約制になっているので、患者さんの数としては私の医院の方がはるかに多かった。受付けや看護師も女ばかり大勢いるので、労務管理も大変そうである。少し下の後輩もたくさん来ていたが、自分の子どものことが話題になっていた。やはりみんな子どもをどこの学校にいれるか悩んでいる。患者さんの話を聞いていても、最近の奥さんは子ども1人で充分という人も多い。夫の方はもう1人と思っても、奥さんが気乗りしないと難しい。私は1人っ子より、兄弟がいた方がいいと思っている。何回も兄弟げんかし、何回も仲直りして遊んだりすることによって、他人とのけんかでも相手を深く傷つけず、自分も深く傷かずにやる方法を身につけていく。私の家内も2人目を生むことについては最初は嫌がっていたが、下の息子は育てやすかったこともあり、今では生んで本当によかったと思っている。2人とも男の子や女の子で、3人目は別の性を希望していてもなかなかうまくいかず、3人とも男の子とか女の子という先生もいる。医局に残っている上の先生は、今では珍しく子ども5人を抱えている。まだ1番下の子が6歳だと聞いたので、晩婚の私より大変である。某タレント弁護士に6人目の子どもができると聞いたが、ここまでくると確信犯なので、それこそ子どもが子宝になると思う。子育ては大変かもしれないが、私も子どもが4人ぐらいいたら、もっとにぎやかでまったく違った雰囲気の家庭になっていたと思う。
 市内の有数な病院の部長をしている先生が、今年の4月に自分の息子を府立医大に入れ、子育てがやっと終わったと言っていた。私の年代近くでは、医局の教授も含めて子どもを府立医大に入れている先生はいない。授業料は年間54万円を切ると言っていたので、娘の行っている私立中学よりも安い。前にも書いたが、私の学生時代は、他の国公立大学はみんな授業料を上げたが、府立医大だけは革新系知事だったので、最後の最後まで授業料は上げなかった。だから、私の自慢であるが、当時の医学部では最低の授業料で卒業している。私は昭和54年卒であるが、私が卒業した後も数年続き、この時の授業料が年1万2千円で実習費が年8千円であった。それから比べると、随分と高くはなっているが、私立の医学部に行かせることを考えたら雲泥の差である。日赤の勤務医では絶対無理であるが、今の私ならなんとか1人ぐらいなら私立の医学部の授業料を払うことはできる。しかし、いくら頭が良くてもかなり経済的に余裕がないと入学は無理なので、フェアでないと思う。私の勝手な想像であるが、奈良の放火事件で父親がスパルタ式に息子にあれほど厳しく勉強させていたのは、もしかしたら、自分が私立の医学部出というコンプレックスがあったからかもしれない。お金がないと入学できないのは確かであるが、関西にある私立の医学部も最近はかなり難しくなっていると聞いている。こういう集まりの時にはまだ子どものことが話題になっているが、20年ぐらいしたら、今度は「最近ガンの手術をした」とか「最近腰を悪くして、入院していた」という自分の健康のことが話題になっていくのだろう。経団連の集まりでも、みんな日本の将来のことより、自分の身体のことが話題になっているというが、わからないわけでもない。
 パソコンがついに壊れてしまい、前回のホームページは20回ぐらい起動に失敗し、なんとかアップロードできた。しかし、それからは何をやっても、うんともすんとも言わず、もう使うのはあきらめた。京都駅近くのマンションからあまり使っていないパソコンを持ってきて、中身を入れ替えたが、スリム型のせいか音がけっこううるさい。これまで診察中にもパソコンの電源を入れておけたが、それもはばかるほどである。

平成18年8月1日(火)

 今年になってから患者さんの数が減っていたが、最近また増えだした。落ち着いている患者さんについては4週間処方をどんどんと出しているので、今まで月2回来ていた人の受診が月1回になる。全体として減るのは当然であるが、7月は開業して以来の最高数であった。しかし、この4月から診療報酬が引き下げになったので、収入としては下がっている。開業して5年は過ぎたが、これまで診療報酬の引き下げはあまり気にしていなかった。しかし、今年4月の改定では患者さん1人当たりの減少額はそれほど多くはなかったが、1ヶ月の延べ人数で計算すると、従業員を1人雇えるぐらいの額になる。開業当初は予約中心でやっていたが、サラリーマンなどの人は次回の予定が立ちにくく、当日受付けも平行してやっているので、最近は予約をする人が少なくなってしまった。だから、日によっても時間帯によっても、患者さんの数のばらつきが大きくなってしまった。時々患者さんが大勢集中して来ると、やはり疲れてしまう。自宅では2階で寝ているが、最近は暑くて寝苦しかったりすることも関係しているかもしれない。先週の金曜日は家に帰って、「ああ、きょうは疲れた」と言っていたら、息子が「おれだって、1日中塾で死ぬほど疲れた」と言っていた。2人で「ああ、疲れた、疲れた。」と言っていたが、お互いにぼやきあっているうちが花なのかもしれない。
 京都の元有名弁護士の孫が母親に切りつけた事件があったが、大学受験前の子どもには計り知れないストレスがのしかかっている。有名私立中学に入学できたと思っても、そこでもまた激しい競争があり、東大に合格してもまたそこでも競争である。今まではその中でトップクラスが官僚になっていたが、TVで「太田 光の私が総理になったら」を見ていたら、元官僚が月の残業が250時間で、残業手当が5万円と話していた。今回のライブドアや村上ファンドの検察の摘発は、若い優秀な人材の官僚離れを危機的に見ている人たちの見せしめ的な意図もあったような気もする。これからは、社会にある程度貢献しながら、国家の繁栄より個人の幸福が追求されていく時代になっていくかもしれない。偶然かもしれないが、奈良の放火事件でも京都の傷害事件でも2人とも医学部を目指していた。法科大学院ができて、需要をはるかに上回る弁護士がどんどんと誕生しそうなので、文系も理系も関係なく、経済的にも余裕があり、将来は独立もできそうな医者がますます人気を呼びそうである。
 開業して収入は増えたのはいいが、あまりにも忙しくなると、みんな医局を通じて応援の医者を呼ぶ。私の医院はまだ応援を頼むほどではないが、難しい患者さんが増えてくると、週1回ぐらいは誰かに頼みたくなる。半日の相場は1回3〜4万円ぐらいであるが、私の同級生の立命館大学T教授とは5万円と約束している。ベテランの先生なのでそれぐらい出してもいいが、5万円出して半日休むことを考えると、なかなか頼めない。患者さんの数がもう2割増えたら、私1人では無理なので、人件費がいくらかかろうと他の医者を頼むしかない。大規模なデイ・ケアなどをやっている医院は職員も何十人といて、何人かの医者も雇っているので、かえって院長としては時間的余裕ができるかもしれない。何もかも自分1人でやらなければならず、人を頼むか頼まないか迷っている時が1番忙しい時かもしれない。中途半端に収入があるので、かえって人には頼めず、なかなか休めないというジレンマが生じてしまう。NHKで「ワーキング・プア」の特集をしていたが、悪いことをしてお金を稼いでいるわけではないが、富の偏在を考えると、貧しい農民を苦しめている悪代官様になった気分である。登場人物に対し妙な罪悪感を感じてしまう。TVでは多少演出もあったかもしれないが、患者さんを診ていると負のサイクルからなかなか抜け出せない人も多い。最近は団塊世代の定年を前に大卒者の就職は好転しているが、ちょっと前の世代は大変である。日本の企業は無垢な新卒者を最初から自分の企業のカラーに染めたいという志向が強いので、よほど能力のある人以外については正社員としての中途採用は厳しいかもしれない。勝ち組、負け組みと言うが、すべての人には当てはまるわけでなく、ある特定の年代層で顕著に出てきているような気がする。
 トレンディ・ドラマや連続ドラマは「白い巨搭」以来見ていないが、たまたま「結婚できない男」を見た。雑誌を読んでいたら、夏の新番組の中では視聴率はトップであるという。私の年代ではそれなりに楽しめるが、40歳前の男女が主人公のドラマが20%を超えているとは意外であった。主人公は典型的なオタクで、腕のいい建築士でなかったらドラマも成立しないような男である。独身のわびしさや隙間風は極力排除した作りになっているが、こんな男と結婚しても味はあるかもしれないが、苦労が多そうである。前にも書いたが、私は晩婚で38歳で結婚したが、年を取ってから子どもを一人前にするのはなかなか大変である。50歳を超えて、下に中学受験の子どもを抱え、これからは2人の子どもの教育にもお金がかかる。外来が忙しくなっても、なかなか人も頼めず休みも取れないのは、生来の貧乏性もあるが、このことも深く関係しているかもしれない。

平成18年7月25日(火)

 この前の土日の夜は久しぶりに何も予定がはいっておらず、ツタヤでビデオを2本借りて見た。旧作は100円であったが、見たい作品は全部貸し出しで、それぞれ1枚だけ残っていた新作を2つ借りた。最近は山ほどあるDVDの中から見たい作品を探すのも面倒なので、深くも考えずその時の気分で目にとまった作品を借りている。なぜか複数の雑誌に大きく販売の広告が載っていた「シリアナ」と新作コーナーで見つけた「クラッシュ」である。「シリアナ」は中東の石油利権を巡ってCIAと石油会社、弁護士、王室などが入り乱れ、自分の部屋で酔っ払いながら見ていたら、誰がどちら側についているのかわかりにくかった。途中で眠たくなったので、その日は寝たが、翌日後半から見出したら、前半もうろ覚えで、何が何だかますますわからなくなった。表向き報道されていることと国家の裏で進行していることがいかに違っているのかがよくわかる映画である。国家や企業の巨大利益の前では正義とか良心とかは勝手に解釈され、人の命さえ全く無力であることを思い知らせてくれる。最近借りた「ロード・オブ・ウォー」も武器商人の話でわかりやすかったが、作品としては「シリアナ」の方が複雑で底なし沼のような絶望的な怖さがあった。ただ、映画館で見る映画は基本的にはその場1回限りである。脳を鍛えているわけでないので、もうちょっと登場人物を整理して、わかりやすく展開させて欲しかった。かなり酔っ払って見たので、私の注意不足もあったかもしれないが、1回だけですべて理解するのは無理なような気がした。
 息子が居間を使って受験勉強しているので、日曜の夕食後に自分の部屋で今度は「クラッシュ」を見た。米国の人種差別を扱った映画である。夕食の時に娘とけんかをしたので、いらいらしながら見ていたが、白人警官が黒人女性を侮辱する場面で怒りが爆発し、娘の部屋に行って怒鳴り込んでしまった。娘に対する怒りと映画の登場人物に対する怒りがシンクロしてしまった。この警官に対する怒りが後の話の妙な展開で解消されるのであるが、それほど感動する映画とも思えなかった。ところが、きのう雑誌を読んでいたら、今年のアカデミー賞受賞作品だと載っていた。各所で絶賛を浴びた作品と書いてあったが、そんなにも優れた作品だとは私にはよくわからなかった。この時もかなり酔っ払っていたので、感性が鈍っていたのかもしれない。
 50歳を超えると、若い頃と違って自分の好みがはっきりしてきて、わがままになってきたような気がする。昔は映画や音楽、文学作品についても、そのよさがわからないと、一生懸命理解しようとして、何回も見たり読んだり聞いたりした。実際にそうすることによって感性が磨かれ、そのよさがわかるようにもなった。しかし、この年になると、残りの人生も少ないので、野とも山ともわからないことにチャレンジするよりも、これまでの経験でわかっている自分の好きなことだけですませたくなる。海外に出ても、現地の珍しい料理にチャレンジするより、美味しい日本料理や中華料理で充分である。昔は食べ物の好き嫌いも直さなければと思っていたが、もういいだろう。このまま嫌いなものは食べず、死んでもいける年齢になった。人物についても同じである。勤務している人は定年退職まで我慢しなければならないかもしれないが、私は開業したこともあり、もう無理してまで合わない人とつきあう必要もない。将来息子や娘の結婚相手の両親とつきあわなければならないかもしれないが、その時はその時である。しかし、患者さんについては、プロとしてまだまだどんな人とでもつきあって行かなければならない。
 きのうは娘の誕生日であったが、日曜日のこともあり、今年は何もやらずにおこうと決心した。ジダンではないが、娘に頭突きをするわけにはいかないので、父親が怒っていることをきちんと示すつもりであった。きょうの朝はいつも通り5時起きであったが、すっかり怒りもおさまっていた。気をとりなおして、まだ眠っている娘の部屋の前に、誕生日の小遣いを置いて家を出た。

平成18年7月18日(火)

 先週の土曜日は長野県の田舎に帰っていた。前にも書いたように、両親がこの9月には田舎を引き払って、池田の妹の近くに引っ越してくる。私にとってはこれが最後の里帰りである。娘は久しぶりにクラブの休みで友だちと祇園祭りに行くと言っているし、息子は相変わらず塾である。1人で名古屋まで新幹線を使い、特急しなのに乗り換えて、最後は飯山線で目的地に着いた。駅に着いたらどしゃ降り雨で、タクシーを使って帰ったが、迎えに来ていた母親と行き違いになった。父親は物忘れはどんどん進んでいるが、その場ではそれなりに話はできる。昔は「地震、雷、火事、親父」の言葉通り、本当に怖い父親であったが、今は理想的なぼけ方をしている。居間で座ったまま居眠りをし、目が覚めたらにこにこ笑っていて、それこそ好好爺という言葉がぴったりである。
 翌日は相変わらず雨であったが、これが最後と思って千曲川まで歩いて行った。デジカメを持って行ったが、傘をさしながらでは、なかなかいい写真が撮れない。背景になる山も霧に隠れてしまっている。川べりまで行ったが、こんな雨の中でもグループでカヌーに乗る人がいた。足元がびしょぬれになりながら帰り、家の車を借りて野沢温泉まで1人で行った。いつも停める駐車場に入れ、いつも行くお湯にはいった。無料ではいれる外湯もあるが、ゆっくりできるので、千円払ってスパみたいな所に行っている。風呂から出たらビールを飲んで、また露天風呂に入り、休憩室で昼寝して、久しぶりにゆっくりとできた。もうめったに来れないと思ったので、雨の中を湯釜まで行って写真を撮った。子ども達がまだ小さな頃にここで一緒に写真を撮ったことを思い出した。今では私と田舎に帰るより、時間があったら、ディズニーランドやUSJに行きたがる年頃である。
 夕方、食事の時に母親と話していたら、こんな田舎に今度新幹線の駅ができるという。滋賀県知事選で新幹線の栗東駅が凍結になる話が出ていたが、こんな人口の多い所の話ではない。母親の話では、みんなこんな所で誰が降りるのだろうと噂しているそうである。それでも、誘致の集会には母親も父親も頼まれて一緒に出ている。家の近くには開業している医院が2軒あるが、1人は妹の同級生である。もう1人は私と小学校の時の同級生の弟である。2人とも50歳手前ぐらいだと思うが、2人とも離婚しているという。それぞれが子ども2人を引き取って育てている。精神科医の和田秀樹が田舎と都会で保険点数が同じなのはおかしいと言っていたが、田舎で開業するのも大変である。確かに、土地代は安いし人件費も安いが、自分のストレス発散や子どもの教育、都会育ちの奥さんの娯楽などはいくらお金があっても解消できそうもない。子ども2人抱えているので、再婚相手を見つけるのはそう簡単でないのはわかるが、いくら医者でも田舎では不可能に近いということか。それと、田舎では代理の医者を見つけるのは至難の技である。私はいざとなったら医局を通じて同級生にも頼めるが、2人とも東京の大学を出ているので、それも無理である。救急時の往診もしなければならないので、大変だと思う。市内には日赤病院があるが、耳鼻科の医者がいなくなって、市長が大学に医師の派遣を頼みに行っているという。近くに比較的大きい北信総合病院があるが、ここも以前は東京医科歯科大学から派遣されていたが、医者が引き上げたという。母親が耳の手術を受け、その後の治療が大変である。高校も人口減少で田中知事のもとで統廃合が決められている。私の母校は残るが、その他の高校の反対運動も盛んであるという。
 今は貧富の差が激しくなり、勝ち組と負け組みに階級が2分化されていると言われている。しかし、想像以上に田舎と都会の差も広がっている。たとえ中規模の地方都市でもこれからは見捨てられ、ますます都会集中が進んでいくような気がする。こんな田舎の市でも、唯一元気な所はスキー製造会社である。今は中国に進出して、中国の工場で作っているという。1番儲かるのは、スキーのレンタルだという。修学旅行などで各学校でスキーの練習をするので、あちこちの旅館から頼まれるそうである。しかし、苦労も多く、今の若い子はスキー学校でもいやになるとゲレンデにスキーをほったらかして歩いて帰るので、その回収が大変だという。
 翌日は早く帰って、山ほどたまった書類を書こうと思ったが、大雨で特急が塩尻までしか行かなかった。結局新幹線で東京まで出て、東京からのぞみで帰ってきた。夕方5時前に京都に着いたが、疲れてしまって、結局何もできなかった。

平成18年7月11日(火)

 先週の水曜日は京都駅の近くのマンションに1人で泊まっていたら、朝4時半頃に火災報知器が鳴った。こっちはぐっすりと眠っていたので、はじめは京都駅か何かのアナウンスかと思っていた。しかし、段々と音が大きくなり、「6階で火災が発生しました。直ちに避難して下さい。」と警報音とともに何回も放送が流れている。暗闇の中で寝ぼけまなこで電気をつけたら、灯りはついた。扉を開けてみると、外はまだ真っ暗で雨が降っている。慌てて顔を洗ってコンタクトをし、着替えて、荷物を持って外に出た。エレベーターは動いていたが、万が一のことを考えて、非常階段を使った。最上階から1階まで歩いて行ったが、どこも火の手が上がっているような気配はない。大きなマンションなのに、非常階段を使って避難している人も少なかった。やっと1階にたどり着いたと思ったら、誰かが誤報だと言っている。また、最上階までそのまま非常階段を上がって行ったが、息は苦しく、身体はふらふらである。警報音は止まっていたが、ホテルや病院と違って誤報だというアナウンスはない。
 暗闇の中で最初に聞いた警報音とアナウンスは、息が止まるほど危機を感じた。ふっと、頭に死の恐怖がよぎった。つい最近、吐き気が続いていて、20年ぶりぐらいに胃カメラを飲んだ。癌だったらどうしようと思ったが、それほど死を強く意識したわけでない。ふだんの生活では死は非日常の世界に追いやられているが、火事の死は待ったなしである。数日後、エレベーターの横に、6階の住人が間違えて火災報知器のボタンを押したと張り紙が出ていた。後で最上階の火災報知器の位置を確認したが、どう考えてもうっかり間違えて押すような場所にはない。マンションの最上階は眺めがよくて静かだが、火災の時には怖いと思った。ベランダから下をのぞいても、飛び降りたら痛そうである。たとえ誤報でも、小さな子どもをかかえていたら、こんな朝早くに避難は大変だと思う。マンション全体が丸焼けになったとは聞かないので大丈夫だと思うが、久しぶりに「メメント・モリ」という言葉を思い出した。
 土曜日には京都精神病院協会主催の講演会に行った。うつ病の啓発についての話であったが、看護師などパラメディカルの人も多いので、話はわかりやすかった。うつ病に関しては、芸能人などがカミングアウトして話題になることがある。どこかのチャンネルの元お天気おじさんも自分のうつ病体験を、講演会などに出て話をしているという。たまたま話の中で、ベッカムのことが出た。うつ病ではないが、強迫性障害だという。冷蔵庫の中のビンも左右対称にしておかないと気がすまないという。ペプシなど3本はいっていると、必ず1本取り除く。ホテルでも、机の上にパンフレットが置いてあると気が散るので、すべて片付けてしまう。奥さんのヴィクトリアもこの左右対称に置かないと気がすまないことに対しては、どうにかならないのかと嘆いているらしい。有名人でいくら名声とお金があっても、つまらないことに囚われてしまって、人生は思うようにはいかないものである。
 講演会の後はいつものように会食である。席が決められていて、私の周りは開業している先生ばかりである。奈良の放火事件の少年のことが話題になっていたが、開業している先生はみんな自分の子はすでに医学部の学生か医者にしている。私は結婚が遅かったのでまだ子どもが小さいが、この頃は本気で医者にしようかと思ったりする。妹の高校生になる娘も医学部を目指すという。私立はお金がかかりそうであるが、いざとなったら1人ぐらいならなんとかなりそうである。小学6年生の息子は前からサッカーの選手になると言っているので、中学にはいってからも大学にはいってからもクラブでできると言っている。医学部ははいるまでは大変であるが、いったんはいってしまったら楽である。東大などの他の学部のように、入学してもいい成績を取るためにまた競争する必要はない。国家試験に落ちないぐらいの成績で充分である。今は卒後研修が2年あるので、本当の競争は自分の選んだ科に行ってからである。学生時代の成績がいくら悪くても、将来の出世には全く関係ない。自分の専門科に行ってからが、本当の勝負である。つい先日の息子の誕生日にプレゼントとして欲しいというので、FIFA公認のロナウジーニョのユニホームを買ってやった。毎日好きなサッカーの練習をしたいが、学校から帰ってきたら、塾の勉強である。日曜日も朝から塾に出かけ、帰ってきてからも復習、予習で追われ、受験勉強そのものが虐待になっている。決して詰め込み勉強が得意なわけでもなく、要領よく勉強しているわけでもない。
 最初にマンションに1人で寝ていたと書いたが、もちろん別居しているわけではない。家内とは今は結婚以来1番いい関係になっている。きょうはヘルパー養成講座の講師がはいっているが、火曜の午後は唯一ゆっくりできる日なので、一緒に昼食を食べに行ったりしている。平日のランチ・セットは2〜3千円も出したらお得で豪華な料理が楽しめる。最近は日曜日も娘はクラブで息子は塾なので、2人であちこち出かけている。それでも、たまには別々に過ごす日もあっていい。浮気をしているわけでないので、これからも焼け死なないようにマンションは利用していこうと思う。

平成18年7月4日(火)

 先週はパソコンの調子が悪いと書いたが、このホームページを更新した後に、XPについているバックアップ機能を利用して、外付けのハードディスクにコピーをしたら、またいつものように安定してしまった。それまでは、電源スイッチを入れるたびに途中で停止したり、やっと起動したと思ったら、マウスが全く動かなかったりして不安定極まりなかった。システムツールを使って以前の状態に復元したり、新しいソフトを削除したり、ありとあらゆることをしてもだめだったのが、今はウソのように回復している。こちらとしては、いつ壊れてもいいように、万全の体制を整えていたのに、何かかんが狂う。まるで、そろそろご臨終ですと病床に親戚一同が集まっている時に、いきなり病人が飛び起きて腕立て伏せ100回と腹筋100回をやられたような気分である。まあ、とにかくパソコンが元のように回復したのはめでたいことであるが、手放しでは喜べないような複雑な気持ちである。
 この前は久しぶりに田舎の両親に電話をした。池田の妹はよく電話をしているが、私はめったに連絡は取らない。患者さんの話を聞いていても、どこも似たり寄ったりである。娘の方はよく連絡をしてくれるが、息子の方は何かあった時に話すぐらいである。前にも書いたが、私の父親のぼけが進んできて、母親も世話が大変である。この9月には田舎を引き払って、妹の近くに家を買って住むという。前に妹と話した時には、家の近くに中古のいい物件が出ているので、妹もお金を出して母親と2人で買うと言っていた。しかし、こんなに早く話が進んでいるとは知らなかった。両親が近くに住んでくれると、私も行きやすいので便利である。しかし、田舎の家をどうするか気になった。母親に聞いたら、知り合いの不動産屋に頼んで売るという。全部で1300万円ぐらいになるらしい。実家がなくなるということは、私にとって故郷が永遠に失われてしまうことを意味する。あまりめったに田舎には帰らないが、それでもいつでも帰れる故郷があるということは、どこか心の支えになっていた。「うさぎ追いしかの山」の歌にもなっている斑尾や近くの野沢温泉などもこれから疎遠になると考えたら、急に心細くなってきた。私の娘や息子は神戸生まれの京都育ちとなるが、長野県の実家は私の原点である。
 ツタヤから借りてきてDVDレコーダーにコピーしたままになっている映画が何本も残っている。先週は「ALWAYS三丁目の夕日」を、3回ぐらいに分けてやっと見終わった。東京タワーができる昭和33年が舞台であるが、私が5歳の時である。近所の家にTVが来て、家族で見に行ったのは映画と全く同じである。電気屋の前の街頭TVに大勢の人が群がって、みんなプロレスの試合を見ていた。市のグラウンドに力道山が興行でやってきて、父親と一緒に見に行ったことも覚えている。今は私の家がある商店街はさびれて、郊外に大きなスーパーができている。私の小さな頃は、盆には千曲川で花火大会があったし、冬になる前の11月の恵比寿講では露店があふれ、買出し客で賑わっていた。映画にも出てきたが、冷蔵庫がない時代で、炊飯器もなく、母親がかまどでごはんを炊いていた。映画の方はあの頃がなつかしく思い出され充分に楽しめたが、作品の出来としては、お涙頂戴式に流れすぎで、もうちょっと一ひねりがあってもいいような気がした。
 妹に電話したら、「今度買う家は両親が亡くなったら、私がもらうで」と言っていた。私は妹夫婦2人分より稼いでいるので、両親の面倒をある程度みてくれたらいいと思っている。両親には充分してもらったので、これからは親孝行はしっかりしようと思う。それにしても、妹は高校は当時の進学校である長野高校に通っていたので、故郷に対する愛着はあまりなさそうである。私は中学の時には妹より成績が悪かったので、地元の高校に通っていたが、その分愛着は人一倍ある。盆には実家には帰っていられないので、早いうちに帰らないと、もう2度と帰れそうにもない。7月15日には医局の同門会があるが、連休なのでこの時に帰省しようと思う。実家の土地は残しておいてもいいような気がするが、両親が住んでいなかったら、ほとんど訪れることもないだろう。私が年を取って、仕事も引退し、両親も亡くなったら、今以上に故郷がなつかしく思い出されるかも知れない。


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