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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成17年12月27日(火)

 いよいよ今年も終わりである。残された人生が本当に少なくなってきたと思う。毎日患者さんを診察して1日が終わり、あまり大したことはやっていない。生活も守りにはいってきて、チャレンジ精神が失われてきているような気がする。医学部の教授は私ぐらいの年齢でなる人もおり、これから定年まで一仕事をして、医局員の博士論文の面倒をみなければならないので、まだまだ働き盛りである。医局の教授を見ても、私より年上であるが、バイタリティにあふれている。開業してそこそこ成功したのはいいが、このままぬるま湯気分ではいけない。
 さて、今年1番の出来事は、離婚危機とマンションを買ったことである。もともと娘のことで話がこじれてしまったが、今から考えると、自分でもどうしてあれほどエスカレートしたのか不思議なぐらいである。前から書いているように、私は基本的には愛妻家なので、今は家内とは仲良くやっている。娘もまあまあである。患者さんの話を聞いていると、娘に対して絶対折れない父親もいる。私もこの仕事をしていなかったら、絶対に折れなかったかもしれない。今は臨機応変に対応し、それなりに努力はしている。娘は中学に入学してからは全国大会で入賞するようなクラブにはいり、休みの日も朝から晩まで練習に明け暮れている。たまには、家族でカニでも食べに行きたいが、それも無理なぐらいである。年明けも4日から練習で、祝祭日もびっしり予定がはいっている。せめて、劇団四季の「コーラスライン」ぐらい一緒に見に行きたいが、なかなか予定が立ちそうにもない。
 今年の外来の患者さんは去年よりまた少し増えている。落ち着いている患者さんも多いので、まだ余裕がある。同級生の立命館大学のT教授をアルバイトで雇おうかと迷ったが、あわてることはなさそうである。後半は安定している患者さんには4週間処方をどんどんと出したので、11月、12月は比較的すいていた。ちなみに、今年1番少なかった日の外来患者数は11人である。開業して5年目でも、午前診だけで20人を切ることがまだある。最高の人数は、午後診も入れて87人である。どちらも休みの関係で、極端に偏ってしまった。人数の少ない日や新患の少ない時にはまだ不安になる時もある。自営業の患者さんの話を聞いていると、みんなどこも同じである。地元の人が多いので、地域に根付いて気長にやっていこうと思う。東山区と南区と伏見区の患者さんが大半で、下京区も近いが、新患の人が来ることはめったにない。これから心療内科がどんどん増えてきたら、場所のいい所を除いて、内科や整形外科のように地元密着型の科になっていくかもしれない。
 将来のことも考えて、来年は本気で産業医の資格を取ろうかと考えたりする。前にも書いたかもしれないが、精神科医はほとんど産業医の資格は持っていない。今話題のアスベストとか塵肺などまったく精神科と関係ないので、これまで誰も取ろうとはしなかった。しかし、最近は職場におけるストレスによる心身症やうつ病で、精神科関係の産業医の必要性が高まっている。内科系の産業医では、うつ病の患者さんの職場復帰には対応できない。精神障害者の社会復帰にデイ・ケアなどで熱心に取り組んでいる先生もいるが、私は地方労災委員をしていることもあり、このあたりに力をいれて行こうかと思ったりする。医師会でも産業医の資格を取るための講習会が開かれているが、すべての単位を取るには気の遠くなるような講習を受けなければならない。私の患者さんで、50歳を過ぎて必要に迫られ、産業医大まで夏に集中講義を受けに行った先生がいる。聞いてみると、なかなかハードなスケジュールらしい。6日間あるので、来年は盆休みを取り消して、この集中講義を受けに行こうかと考えたりもしている。これくらいのことをしないと、何か新しいことにチャレンジできそうもない。
 来年は1月3日に京都市の休日待機番が当たっている。都合の悪い日に×を入れなかったら、早速この日に組み込まれてしまった。年内に書かなければならない書類はたくさん残っているのが、もう急がず、この日にゆっくりと書こうと思う。

平成17年12月20日(火)

 先週の火曜日は朝のうちにこの日記を更新したが、午後からインターネットにアクセスしようとしても、全く反応がなかった。イオ光ファイバーでは少し前に大規模なシステム障害を起こしていたので、またそのせいかと思って、この日の接続はあきらめた。翌日にまたインターネットにアクセスしようと思ったが、いくらやっても通じない。接続を削除して、また手動で設定し直したが、無理である。ウィルスとスパイウェアのチェックをしても、何の異常もない。自動案内の電話で確認すると、大規模なシステム障害は生じていないようである。近くで電気工事をしていたので、その影響かと思ったりした。自動案内にまた電話してみると、意外にもすぐに担当の人が出てきた。パソコン関係の無料相談はなかなか電話がつながらないのが相場であるが、接続に関してはすいているようである。担当の人は親切で、パソコンを見ながら1つ1つの確認の仕方を教えてくれた。すべてチェックしてみたが、どこも異常は見つからなかった。結論として出たのは、パソコンが壊れているか、LANケーブルが切れているか、光ファイバーの端末機が壊れているかであった。朝はどうもなくて、午後から急にアクセスできなくなって、不思議といえば不思議である。
 翌日早速LANケーブルを買いに行き、取り替えてみた。パソコンを起動し、接続をクリックしたが、やはりつながらない。また、接続を削除し、今度はシステムの復元を月曜日に戻してみた。それでもつながらず、段々といらいらしてきた。最近はアダルト・サイトを見ることもなく、それほどインターネットは使っていない。しかし、全く利用できないとなると、ちょっとしたことも調べられず、すごく不便である。後は、パソコンか光ファイバーの端末機の異常が考えられる。次の日に京都駅の近くのマンションからノートパソコンを持ってきた。接続を設定して、光ファイバーをノートパソコンにつなげてみたが、やはり反応はない。パソコン側の異常の場合は修理に出さなければならず、手間暇がかかり面倒臭いと思っていた。そうでないとわかって、少しほっとした。早速また自動案内に電話した。結局係りの人が日曜日に医院に来てくれることになった。
 日曜日は朝から雪が積もっていた。係りの人が2人来て、光ファイバーの端末機を調べてくれた。中を開けて、線を引き抜き、持ってきた検査機に入れると、信号が届いていることが確認できた。後考えられることは、端末機の中の回路の異常である。ここではすぐチェックできないようで、新しい端末機と取り替えてくれた。すべてつないでパソコンで確認すると、今度はやっと通じた。こんな故障の原因を見つけるのに、あちこち調べて5日間もかかってしまった。それでも、やっとインターネットにつながった喜びも数時間しか続かなかった。いざつながっても、2〜3の調べ物をしたらおしまいである。利用できない時にはインターネットに対する渇望感が強かったが、今はただいつもの生活に戻っただけである。
 家族と別居している時にも、子どもに対する渇望感は強かった。しかし、いざ同居して生活すると、そんなに感動的な家族の物語が始まるわけでない。平凡ないつもの生活が戻っただけである。別居していた時と比べると、食事の用意もしなくてすみ、便利なことは便利であるが、それほど刺激的なこともない。人は勝手なもので、ない時には一生懸命取り戻そうとするが、一旦取り戻してしまうと、それが当たり前の生活になってしまう。娘とのコミュニケーションの取り方が難しいが、うまくいっている時よりも、うまく取ろうと工夫をしている時の方がいいかもしれない。1つの出来事を別の面から違った意味を考えることを、リフレイミングというが、私にとっては何回もリフレイミングすることが必要である。学校でも私以外の人とはうまいことやっているので、考えようによっては私が娘の不満のはけ口となって、少しは役に立っているかもしれない。

平成17年12月13日(火)

 この前の土曜日は、年に2回の大学医局の同門会があった。主に近畿圏から、精神科出身の大勢の先生が集まってくる。イタリアから帰ってきた立命館大学のT教授とも久しぶりにゆっくりと話ができた。同級生でもお互いに忙しいとこの同門会ぐらいでしか話す機会がない。後輩の先生もどんどんと開業していた。最初からかなりの設備投資をしている先生もいる。自分の医院の名前を付ける時に、○○メンタルクリニックと付けている先生がいたが、どうであろうか? 患者さんによっては抵抗のある人もいるかもしれない。診断書を書く機会も多いので、どこの科かわからない名前の方がいいかもしれない。私の医院には自費で通院している患者さんが2人いる。心療内科にかかっていることを会社に知られるの極端に心配している患者さんである。大きな会社で自分の会社の社会保険を使用している患者さんでも、病名などを調べることは現在はほぼ不可能である。今は個人情報の保護がうるさいので、かなり偉い人でも、その部署に病名を問い合わせをすることは難しいと思う。私は医師国保に加入しているが、医院の受付けの女の子の病名を問い合わせることなんて、絶対に無理である。精神科や心療内科といっても、実際には大学教授から、医師、教師、警察官などありとあらゆる職業の人が通院しているので、気にすることはない。私の所でまだ診察したことのない職業の人は弁護士やスチュワーデス、タレントぐらいである。
 日曜日は娘のクラブの発表会に家内が出かけ、私は息子と一緒に昼にラーメンを食べに行った。息子は何よりもラーメンとギョーザが好きなので、安くついていい。伏見にも有名ラーメン店があり、この前は混んでいてはいれなかったので、11時半頃に行った。それなりに美味しいお店であるが、ラーメンで感動した店にはまだ出会ったことはない。どこの店も何回か行っていると、段々と飽きてくる。夜は東山医師会第4班の忘年会があった。私がまだ班長をしているので、場所選びから案内と出欠席まで1人で全部やり、16名の参加があった。場所選びは他の先生から聞いて、祇園の料理屋でやった。東山医師会なので、なるべく地元の東山区でやった方がいいようである。これまで料亭などいろいろ行っているが、今まで行った中で1番美味しかった。私はいろいろな所に行きたい方なので、めったに同じ所には行きたいとは思わないが、自分の好みの味で、何かの会合でまた使いたいと思った。
 この日は忘年会の始まる前に医院で領収書を作っていた。パソコンで既成の領収書に合わせて、額面や各先生の名前などが印刷できるように調整していたが、けっこう面倒臭い。去年も作っていたが、パソコンが壊れて新しいのに換えたので、また最初からやり直しである。やっと調整を終えて、16名の先生の名前を変えて、1枚1枚印刷していたが、全部印刷し終えて、会費の値段が間違っていたことに気付いた。自分で作った案内書であるが、念のために最後に確認をしてみたら、6000円であった。頭から5000円だと勘違いしていた。作り直すのも面倒なので、訂正印を押して5000円にしようかと思ったが、私の班には長老の先生もいるので思い直した。6000円に訂正して、また最初から作り直しである。ところが、残りの領収書を数えてみると、14枚しか残っていない。私の分は後で作るとしても、どうしても1枚足りない。近くの商店街は日曜日は休みである。この領収書は少し離れたホームセンターで買ったので、そこまでまた寒い中を車で買いに行かなければならない。うんざりしながら、車で出かけ、帰ってきてまたすべて作り直した。この日は今週の木曜日にある介護認定の審査の書類を見ておかなければならなかったが、もう書類を開く気にもなれなかった。
 きのうは仕事が終わってから、娘と話した。私が別居同然の生活をしていたこともあり、私との食事などすべて拒否である。家族との同居を再び始めてから、私も本気でいろいろ娘との関係改善を計って来た。娘にとって父親とのコミュニケーションは年上の権威的な男性とのコミュニケーションの雛形になる。今のうちに改善してやらないと、将来いろいろな場面で支障をきたす。手紙を書いたり、母親を通じてコートを買ってやったり、物心両面からの作戦である。娘の頑なな態度も少しずつやわらいできたので、この日に2人だけで3回目の会談を持った。会談といっても4〜5分の会話で、家内と息子はこの間2階で待機である。結局は、家族としての最低限のルールは守るということで、合意に至った。国交正常化であるが、これからどうなるかわからない。この年代は難しい年頃で、患者さんの話を聞いていても大変である。父親としては時にはきれそうになるが、精神科医としては患者さんのように大事に扱っていかなければならない。

平成17年12月6日(火)

 この前の土曜日はまた国際交流会館でカウンセリング・デイがあった。この時期は清水寺の前で渋滞するので、車で早めに出て、遠回りをしてぎりぎり2時に間に合った。1人英語圏の人が待っており、英語で相談にのった。日本語も少し話し、通訳なしでもそれほど不自由せず話ができた。私は東南アジアにはあちこち行っているが、英語もほとんど話す機会はない。ホテルや食堂で、それこそハウマッチ程度の会話をするぐらいである。聞くのは困らないが、久しぶりに話そうと思うと、なかなか言葉が出てこない。相談が終わった後で、ああ言えばよかった、こう言えばよかったと、反省しきりである。実際にネイティブの人と話すと、この後での反省によって会話力が身についてくる。日本の福祉制度を説明する時に、公費負担のことなどを英語で説明したが、共同作業所は英語で何というのかとか、なかなかとっさには出てこない。説明しようと思うことをそのまま直訳するのではなく、なるべく簡単な別の日本語の表現に置き換えて英語にするのがコツである。しかし、ふだんから訓練していないと難しい。帰りはとんでもない渋滞で、どの通りを通っても無理で、医院に帰るのに1時間近くかかってしまった。
 日曜日は息子とハリーポッターの新作を久御山のイオンシネマまで見に行った。最近はインターネットや携帯で予約が取れるようになったので便利である。ハリーポッターは最初から最後まで見たのは今回が初めてである。TVでやっているのを何回か見たが、私は早寝早起きなので、夜10時を過ぎたら番組途中で寝てしまう。映画は確かにスクリーンが大きいが、数日前に地上デジタル放送で見ていたハリーポッターの番組の方が、画像は鮮明なような気がした。まず始めに感じたのは、お金がかかっている映画だと思った。イギリスのお城や景色が独特な雰囲気を出していて、どのシーンも映像が美しい。思春期特有の異性に目覚めた時のとまどいも、自分のことのように思い出しながら楽しめた。息子に言わせると、少しずつ話の内容が怖くなっているという。映画としては充分に楽しめたが、いくら魔法の学校でも、こんな危険なことを生徒にやらせていいのかという疑問が頭をかすめた。少し残酷なシーンも出ていて、それこそ幼稚園ぐらいの子どもも見に来ていたので、子ども向きの映画としては行き過ぎの印象もあった。
 息子の方はサッカーの練習を見に行ったり、一緒に映画を見に行ったりしている。1番夢中になっているのはゲームであるが、最近のゲームは登場人物やオプションが多く、私にはさっぱりわからない。分厚い攻略本も出ているが、一緒にやるのは無理がある。娘は相変わらず難しく、時々こちらの方がきれそうになる。最近私の医院に思春期の女の子が立て続けに何人か来ているが、この年代は治療もなかなか難しい。それでも、高校生ぐらいになるとまだ言葉に出して話はできる。中学生ぐらいだと、まだ内省する力も弱く、自分の考えを上手に言葉に出して表現することもできにくい。大人になっていろいろな問題を抱えている患者さんの話を聞いていると、小さな頃に家族とのコミュニケーションがうまくいっていないケースが多い。家族そのものがいろいろな問題を抱えていなくても、片親が事故や病気で亡くなってしまうと、その子のコミュニケーション能力に支障をきたすこともある。例えば、あまりにも幼い時に片親を亡くしてしまうと、残された親を亡くすことを恐れるあまり、親に対して自己主張ができなくなってしまうかもしれない。実際に幼い時に両親を事故で亡くした患者さんを診察していたこともある。
 家内とは昼休みにまた昼食を一緒に食べに行ったりして、関係は良好である。家庭でのコミュニケーションがその子にとって社会での対人関係の原型になるので、今は娘との関係を改善していかなければならない。家族の中で苦手な人を作ってしまうと、社会でも同じようなタイプの人が苦手になってしまう。世の中にはいろいろな人がいるので、誰とでも仲がよくなる必要はないが、苦手な人とでも最低限のコミュニケーションはとれるようにしなければならない。将来自分の上司に苦手なタイプの人がなるかもしれないし、自分の夫の兄弟に嫌いなタイプの人がいるかもしれない。苦手な人は避けるという方法もあるが、避けてばかりいると、逃げられない状況でパニックになる。いきなりうまくやろうとしても、拒絶反応が強まるばかりである。苦手な人は無理に好きになる必要はないが、それでも最低限のコミュニケーション手段は小さな頃から少しずつ身に付けておくべきである。町内会から幼稚園、PTA、パート先、夫の両親や兄弟、親戚などいろいろな所に避けられない人はいる。こういうことはすべて理解しているが、自分の家族のこととなると、なかなか患者さんに言うようにはうまいこといかないものである。

平成17年11月29日(火)

 この前の土曜日は京都精神科診療所協会の集まりがあった。この日は東山医師会でも会合があったが、診療所協会の集まりは年に2回だけなので、こちらの方に参加させてもらった。前にも書いたが、開業するとなかなか精神科の先生と話す機会は少なくなる。やはり他科の先生より、同業者の方が話しやすい。さて、講演の演題は、広汎性発達障害についてである。最近はいろいろな会で広汎性発達障害が取り上げられるので、だいぶ頭の中にこの疾患の概念が定着してきた。小児自閉症を最初に報告したカナーの症例では、親に精神科医が多かったとか、哲学者のウィトゲンシュタインが広汎性発達障害(アスペルガー障害)でなかったかという話は面白かった。ウィトゲンシュタインなんて聞いても知らない人も多いと思うが、精神科の中でも精神病理学が好きな人は詳しい。私は精神病理学は大の苦手であったが、昔断りきれなかった勉強会でウィトゲンシュタインの名前をよく耳にしていた。精神科のどちらかというとマニアックな研究で、病跡学という学問がある。精神医学や心理学を使って天才の狂気と創造性を研究する学問であるが、このウィトゲンシュタインはこれまで分裂病質人格障害と考えられてきたという。話がとんでしまうが、ちなみに夏目漱石については、病跡学の専門家でも意見が別れ、躁うつ病説から統合失調症説までいろいろある。
 話題は来年の診療報酬の改定で、精神科の場合は診察費に当たる通院精神療法が診療所の場合は引き下げられるという。これまでは診療所の通院精神療法の保険点数が病院より高かったので、今回統一される。最悪の場合は1割ぐらい下げられてしまうが、大半の先生の推測ではそこまではいかないという。この通院精神療法の保険点数は比較的高いが、精神科の場合は他科と違って検査代などがなく、この診察費で収入を得るしかない。落ち着いている患者さんは簡単にすんでしまうが、登校拒否の患者さんなどは時間がかかってしまう。先週の土曜日でも、1人の患者さんに1時間近くかかってしまった。再診の患者さんでも、ちょっと複雑なことを抱えている場合には、診察が長引いてしまう。ついついこちらも熱心に話を聞いているうちに、あっという間に時間がたってしまう。大勢の患者さんが待っている時には、遅れを取り戻さなければならないので、その分後の患者さんには多少しわ寄せが行ってしまう。政府の財政難で診療報酬は昔と違ってどの科も伸びるということはない。限られた予算の中で、各科での取り合いみたいになる。現在は少子化やその仕事の忙しさで、小児科と産婦人科になる医者が少なくなってきている。前にも書いたが、生まれた子に何かあった場合にはすぐ訴えられるので、お産を扱わない婦人科のみの診療所も増えてきている。来年の診療報酬改定では、この小児科と産婦人科の保険点数が上げられるという。その分どこかの科の診療報酬の点数が減らされるが、うわさでは眼科と調剤と歯科ではないかという話である。医薬分業が進んで、院外薬局で薬でもらうことが多くなっているが、この調剤薬局が下手な診療所よりも収入が多いということは聞いたことがある。
 精神科関係ではいつも思うのであるが、医療の面では精神科医は恵まれている。障害者自立支援法の改正でも、公費負担の分はほぼ現状を維持できそうである。精神障害者の医療費の負担が減ることはいいことであるが、その分診療所の収入が増えることについては私の気持ちは複雑である。精神科医は精神障害者については社会的弱者として支援の必要性を強調しているが、どこか矛盾している。なぜこんなことを書くのかというと、精神障害者ためにと言いながら、医療の方は頑張れば頑張るほど収入が増えるが、医療の下にある共同作業所などの社会復帰施設などはいくら頑張っても経済的には改善しない。患者さんも1ヶ月間作業所に通っても、収入が1万円にもならないぐらいである。ところが、民間の診療所のデイ・ケア施設では、1人の患者さんが1ヶ月に20日ほど通うとかなりの高額医療費になるが、公費負担でほぼ無料になり、診療所にも充分すぎるほど収入がはいってくる。一方で医療にはいらない共同作業所のような社会復帰施設は京都市から補助を受けていても、どこも経営的には苦しい。精神障害者の自立支援のためにはいろいろとやらなければならないことが沢山あるが、結果的にはおいしい部分だけを医療が独占してしまっている。医療と福祉で財源の出所が違っているのはわかるが、本当に精神障害者のことを考えるならば、私も充分過ぎるほど収入を得ているので、診療報酬を減らしてでも、社会復帰施設や自助組織の方にお金をまわすべきだと思っている。

平成17年11月22日(火)

 最近この前のTOEICの結果が返ってきたが、900点越えどころか、今まで受けた中で1番の最低点であった。自分ではよくできたと思っていたので、いいかげんなものである。最近はリベンジする元気もなく、中国語でも習おうかと思ったりする。中国語はこれまで何回かチャレンジしたが、毎回数時間の勉強であきらめている。最近はカルテを書いていても漢字がなかなか出てこない。患者さんが「お前は敗北者やという声が聞こえてくる」と言ったのでカルテに書こうとしたら、敗北者の「ボク」の漢字が出てこない。結局、患者さんに「北」という字だと教えてもらった。最近こんなことがたびたびあり、わからない漢字はその場で辞書で引くこともあるが、気軽に聞けそうな患者さんには聞いたりしている。こんなんで中国語の漢字を無理して覚えたら、ますます日本語の漢字を忘れて混乱しそうである。私にとっては近場の旅行では唯一残された国は中国である。なんとか旅行会話程度の知識は身につけたい。随分先の話であるが、来年4月からNHKの中国語会話をTVの方で始めたいと思っている。中国語は声調が4つあるが、ベトナム語は6つある。声調には慣れているつもりであるが、やはり漢字がややこしそうである。シャラポアに刺激されたわけではないが、ロシア語は昔から習いたいと思っていた。しかし、なかなか行く暇がないので、半分あきらめている。患者さんの中には日本のロシアン・パブで身を滅ぼした人もいるが、その気持ちもわからないではない。
 さて、きょうは比較的最近読んだ本について紹介する。中国語のことが出たついでに、まずはじめに、李文彦「警察通訳が明かす中国人犯罪 驚愕の手口」である。もうタイトルは忘れたが、昔読んだ中国の1人っ子政策について書いてあった本で今でも強く印象に残っていることがある。中国では大陸を横断する鉄道があるが、奥地の鉄道では鉄道強盗によく襲われていた。貧しい農民が村ぐるみで強盗をしているが、なかなか取り締まることができなかった。現地の共産党幹部も知っているが、村人を告発できないのである。そんなことをしたら、自分の家畜だけでなく、子どもまで殺されてしまうからである。いくら中央から取り締まるように言われても、現地で村人と住んでいる幹部にはそんな勇気はない。国外への密航を手伝っている犯罪組織の蛇頭(スネークヘッド)が有名であるが、この頃の密航にはこの鉄道がよく使われていた。ところが、せっかく大金を用意した密航者が途中でこの鉄道強盗に襲われてしまうのである。だから、強盗に襲われないように、蛇頭がボディガードとして一緒に乗り込んでいたという。この本では最近の日本への密航のことが書かれているが、船底の中での生活は凄まじい。やっと座れる狭い所に押し込められ、便器は黒ビニールで、女の人は難のある人を除いて蛇頭のメンバーに強姦される。無事日本に密入国しても、妊娠していると、健康保険がないので後の処置が大変である。日本での犯罪がいろいろ書かれているが、中国人の同郷意識の強さがよくわかる。
 次は、もんもん読書録でも取り上げた嵐よういちの2作目である「海外ブラックロード 最狂バックパッカー版」(彩図社)である。この類の本は山ほど出ているが、たまたま最近本屋でみつけた。第1作がそこそこ売れたみたいで、さっそく第2弾である。正直言って、ここで取り上げるほどの内容ではなく、あちこちの国での体験が書かれている。気楽に読み流す程度の本であるが、今回は各国の売春婦やプロの女性についてかなり詳しい。まともな旅行記では、海外での風俗体験は触れないが、2匹目のどじょうをねらってなりふりかまわずといったところである。1番面白かったのは、メキシコのバーでたかられた経験である。友人と店にはいったら、店の従業員がやって来て、いきなり友人の口と首を押さえ、ウィスキーを口に流し込んだという。こんなサービスもあるのかと思っていたら、今度は自分の所にやってきて同じことをされた。そしてその後、1人3ドル請求されたという。海外でのぼったくりにはちょっとやそっとのことでは驚かないが、このやり方には久しぶりに感動した。
 最後に、まだ終わりまで読んでいないが、石井光太「物乞う仏陀」(文芸春秋)である。カンボジアやラオス、ミャンマーなどの乞食や障害者を取材した本である。最初は読み出して、内容がもうひとつで買って失敗したと思ったが、途中から面白くなってきた。昔タイに関する本を読みあさっていた時に、タイでの障害者に対する差別で驚いたことがある。タイでは障害者は前世で悪行を行ったので、当然の報いとしてこの世で障害を負って生まれてきたと考える。今はどうなっているのか知らないが、障害者は同情どころか忌み嫌われていた。この本で出てくる乞食や障害者は総じてたくましく生きているが、ベトナムの章で本当にやるせなくなった。イラクの自爆やパキスタンの地震での犠牲者にはもうひとつリアリティを感じないが、ここに出てくるベトナムでの障害者は今すぐにでも助けに行きたくなるほど気の毒である。村1番の貧しい家で、重度の知的障害のある6歳の少年が木の板の上に全裸で横たわっている。立つことも食べることもしゃべることもできず、汚物は垂れ流しである。父親が事故で亡くなってから、16歳の長男が学校をやめて世話をしている。母親は1日中町を歩き回って、空き缶拾いである。16歳の少年は友達とも遊べず、このままずっと弟の面倒をみていかなければならない。貧困についてあまり考える機会はないが、早く国が発展して、福祉にもお金がまわってくることを切に願うだけである。

平成17年11月15日(火)

 家の跡継ぎなんて言葉は今は流行らないかもしれない。時々、父親の兄弟に子どもがおらず、自分の子どもを養子に出すという話は聞いたりする。生まれてすぐに両親の兄弟の家に引き取られ、中学生の時に実の両親でなかったと知って、言葉にならないショックを受けた人もいる。昔はこういうことも珍しくなかったと思うが、今ではやはり子どもにとってはトラウマになるだろう。本人の意志で他人の家を継ぐのは問題ないので、やはり成人してからの方がいい。私はどちらかというと、家にはこだわらず、自分の墓も作らず、遺灰は太平洋にでもまいてもいいと考える方であった。前にも書いたが、男は私1人で、下に妹が2人いる。生まれたのは今から50年以上前なので、今以上に家父長制度の考えが強く残っていた。妹以上に大事にされた分、私に対する期待も大きかった。父親からはスパルタ式の教育を受け、その分父親や「家」に対する反発も強かった。今から考えると「地震、雷、火事、親父」と父親が世の中で特別こわいものとされていたので、仕方ない面はあったかもしれない。私が小学生の時には、運動会の練習の時に列が乱れているだけでも、後ろから先生がやって来て、いきなり足払いをくらうぐらいの時代であった。
 さて、離婚である。どうして跡継ぎのことを書いたかというと、離婚になると、跡継ぎの問題が出てくる。私の遺灰は太平洋でもどこでもまいたらいいが、両親たちの墓は誰がみるかということになる。先週の火曜日に母親に離婚のことを伝えると、猛反対にあった。父親はまだ80歳を過ぎたばかりであるが、最近はもの忘れがひどく、判断能力はあまりない。早速池田の妹から電話がかかってきた。最初の言葉が、「あんた長男で、家はどうするの」であった。土曜日にやってきて、いろいろ説得された。そして、妹はそのまま1人で丹波橋の家に行き、家内と長いこと話し、また医院に戻ってきた。こういうことになると、妹はエネルギッシュで行動的になる。1人で勝手に私の離婚話を仕切ってしまう。
 これまであまり深く考えていなかったが、家を継ぐということに急に歴史的重みを感じるようになった。必ずしも男でなくてもいいが、誰かが両親の墓は見てやらなければならない。家内との離婚については強気であったが、その重大さに気づいて、少し弱気になってきた。かといって、子どもがまだ小さいので、親権を争って泥沼の戦いはしたくない。姉弟を引き裂くのも避けなければならない。
 別居中にいろいろ考えていたが、充分な養育費を出して子どもを一人前にしても、結局は家内の老後をみてもらうためにやっているようなものである。実際に別居していても、家内には子どもがついており、私が生活費を出しているので、家内にとっては別居生活というより、単身赴任生活に近い。一方私は時々それこそ身を切るような孤独感に襲われ、仕事で疲れきった後で夕食の用意をして、ますます消耗しきっていた。私の方から妻に対して三行半をつきつけたので、離婚は本気であったが、妹の話を聞いていて、段々とどうでもよくなってきた。
 翌日の日曜日にも妹は私の知らない間に朝から丹波橋の自宅にまた行き、家内と昼過ぎまで話していた。最初は息子しかおらず、娘と買い物に出ていた家内を呼び戻したという。その後私の医院に来て、家内の言い分などを聞かされた。きのうとは違い、段々と家内の味方をするようになってきた。結局、私が次の日に家内と話すことになり、池田にまた帰って行った。それこそ、はやてのように現れて、はやてのように去っていった感じである。お互いに忙しいので、妹とは1年近く話していなかったが、もう10年分ぐらいは話したような気がした。私の言い分は妹にも伝えたので、その分私の不満も多少解消された。結局離婚の話はなくなり、またやり直すことになった。
 今回別居していて、別居の功罪も考えてみた。別居することで、両親の不仲を露骨に子どもに見せることはなかった。しかし、仲直りする機会も失われたかもしれない。普通のサラリーマンとは違い、夫に経済力があると、別居でも多分離婚でも、子どもと同居している妻の方はあまりこたえないことがよくわかった。

《更新情報》もんもん写真館を更新しました。

平成17年11月8日(火)

 先週京都新聞の夕刊を見ていたら、個人開業医の医業収支は月227万円3千円と出ていた。来年診療報酬の改定があるので、引き下げのための判断材料として公開されたものである。医業収支は収入から医業費用を引いたもので、月収をそのまま表しているものではない。新聞にも書いてあったように、建物や設備などの投資に当てられる部分はこの医業収支から将来支払われる。調査したある月の定点的観測データであるが、年に直すと2727万円になる。医院を改築したり、最新の医療機器を入れたりしたら、この額も大幅に下がるが、それにしてもやはり多いと思う。国公立の病院は赤字で、人件費と設備投資の費用がかさむ。勤務医の給与はそれほど高くなく、前にも書いたように、私の年収は残業代はほとんど出していないが、48歳で日赤の部長で1300万円ちょっとであった。週刊誌に出ているいろいろな業界の給与を見てみると、けっこう高いところもあるので、医者はみんな安いと嘆いている。当直など他の病院のアルバイトが認められている時にはそうでもなかったが、最近は完全禁止の所も多い。医局の人事で病院の母体(国公立、日赤、社会保険、済世会、私立など)がかわれば、退職金も継続とならずぶつ切れとなる。数年ごとにわずかな退職金が支払われるだけである。
 医療者向けのホームページを見ていたら、1番高い科は眼科で318万円であった。次は皮膚科と続き、精神科は第4位で、211万円であった。収支差額の伸びでは、整形外科が1番で、2番目は精神科であった。どちらも13%台であった。内科とか外科は反対にマイナスとなっている。こんなことを書いたら同業者から怒られてしまいそうであるが、開業医に限って言えば、医者は金持ちというのは当たっていそうである。ただ、前にも書いたように、日赤もそうであるが、国公立病院では朝から晩まで死ぬほど働いても、赤字すれすれである。診療報酬を少なくしたら、余計に赤字が拡大するだけである。同じことをやっていて、開業医と大病院の診療報酬に差をつけるのもおかしなものである。
 少し前に出た本であるが、橘木俊詔・森剛志「日本のお金持ち研究」(日本経済新聞社)という本がある。京大の教授らが全国の年収1億円以上の億万長者にアンケート調査を行い、約8パーセントの465通の有効回答を得て、考察したものである。もちろん億万長者のすべてを反映しているわけでないが、その一旦はうかがい知ることができる。ちなみに、年収1億円の人の税金はどのくらいかというと、所得税は最高税率の37%で3000万円である。税金はこれだけで収まらず、その他に住民税がかかってくる。京都市の場合は、高額所得者は市民税が10%、府民税が3%で計13パーセントである。こんなに税金を取られると、年収5千万円の人とどれほど差がでてくるのかと思う。普通のサラリーマンは税金が高いと嘆いているが、高額所得者はいくら頑張っても税金で持っていかれるだけである。この本では高額納税者の調査の他に実勢調査などの資料も加えて考察しているが、企業経営者と医師が高所得者で、弁護士は意外と所得は少ない。医者か弁護士かと言われるが、収入に関しては医者の方がまだ上である。
 この本で眼科の興味深い話が出ていた。1990年より白内障手術で欠かせない人工水晶体(眼内レンズ)が保険診療で認可された。それまでは別途10万円ほどかかっていたのが、老人で一部負担金の400円ですむようになったのである。レンズや手術法の発展もあり、コストがかからず、手術の診療報酬のほとんどが眼科医の収入になった。眼内レンズバブルの到来で、全国あちこちに水晶体御殿が建ったという。しかし、診療報酬の引き下げや手術施設の増加で約5年でこのバブルは崩壊した。たった1つの手術で、入院費も含めた年間医療費の0.6%が費やされていたという。
 現在はメンタル・ヘルスの重要性が叫ばれ、精神科関係だけでなく、心理関係も含め、サイコバブルと言われている。精神科の場合は公費負担制度があるので、患者さんには費用がかからず、医者の方もややもするとコスト感覚がなくなる。一生懸命頑張った分収入が増えるのはいいが、それでも釣り合いというものがある。私の患者さんで、離婚して母1人子1人のお母さんがいる。子どもの塾の費用を稼ぐために、毎朝6時前からスーパーに行き、弁当の揚げ物を1日中揚げている。時給800円で、油が飛んで手のあちこちに小さなやけどを負っている。今ベストセラーになっている三浦展「下流社会」(光文社新書)を読んでいるが、昔以上に貧富の差が激しくなっているような気がする。こんなことを書いたら同業者から袋叩きにあいそうであるが、精神科も○○御殿が建っているのではないかと思ったりする。

平成17年11月1日(火)

 この日記はなるべく月曜日のうちに大半は書くようにしているが、ばたばたしていたり、気分がのらない時には当日になってしまう。きょうは朝早く起きて医院に出てきて書こうと思ったが、きのうは酒を飲みすぎて寝過ごしてしまった。京都駅近くのマンションに光ファイバーを入れるつもりであるが、きょうは工事日で、書くのはすべて終わってからである。NTTの光ファイバーはプロバイダー料を入れると、とんでもない額になるので見合わせていたが、マンションタイプになるとかなりお得な値段になる。自宅も医院も関西電力の光ファイバーであるが、その値段よりもずっと安い。
 さて、きょうのテーマは離婚である。日経ビジネスを読んでいたら、熟年離婚にかかるお金のことが載っていた。土曜日にコンビニの昼食をとりながら、たまたまTVをつけていたら、たかじんの番組でも特集していた。最近中高年の離婚が増えて、結婚後20年以上同居している夫婦の離婚件数は2003年には15.5%に増加したという。2007年以降に年金法の改正により、夫婦の年金分割が可能になる。最近はわずかに減少傾向にあったのが、近い将来再び急上昇に転じるのではないかと予想されている。
 この前にも書いた「離婚問題 これで安心」(小学館)を読むと、90%以上が協議離婚だという。患者さんの話を聞いていると、家庭裁判所での離婚調停が多いような印象を持ったが、全体では案外少ない。金銭的なことでは、慰謝料と財産分与と養育費をどうするかが問題となる。私もこの本を読むまでは、慰謝料と財産分与の区別さえわからなかった。慰謝料というのは、不貞や暴力など精神的苦痛に対して支払われる賠償金のことである。財産分与は離婚原因とは関係なしに、これまで夫婦で築いてきた全財産を分けることである。専業主婦の場合でも、妻の協力でこれまでの財産を築いたということで、その貢献度に応じて3割〜4割認められる。サラリーマンの場合は、将来支払われる夫の退職金も対象になる。この本を読んでいて思ったのは、それぞれの額はきちんと決まっているわけではなく、法律的解釈もいろいろで、個々の事情に応じて随分と変わるものである。
 早速私も自分の全財産について計算してみた。不動産は自宅と医院とマンションになる。医院は住宅用に出ていた物件を医院用に新しく建てた。いくらかかったのか忘れてしまったので、古い契約書を見てみたら、4900万円である。これは土地と建物代だけで、レセプト用のコンピューターや机、椅子、ソファ、看板、広告などもろもろのものを入れたら、6300万円ほどになった。住宅用にも心療内科以外の医院用にも適さない物件なので、実際の価格は4000万円にも満たないだろう。自宅は4300万円で買ったが、7年たっているので、今では3000万円ちょっとぐらいか。マンションはまだ買ったばかりなので、3400万円そのままと計算する。全部足すと1億円あるかないかである。このうち親から借りたお金や銀行の借金などの合計は5600万円である。5000万円残ったとしても、3割で計算すると、妻の取り分は1500万円しかない。専業主婦でも、夫が特殊な能力で高額の収入を得ている場合には、妻の取り分の割合は低くなる。それにしても、実際に不動産にかかった費用は1億4000万円もあり、借金が5600万円なので、すでに8400万円支払ったことになる。前にも書いたが、神戸にいる時にバブルのピーク前に買った京都の家を売って、親から借りた1000万円だけが残った。貯金もほとんどなかったので、43歳で本当に無一文になった。その時から比べると、わずかな間に自分でも本当によく頑張ったと思う。なお、別居をすると、その間に夫が稼いだお金は財産分与の対象とならない。また、別居後に他の女の人とつきあっても、離婚の原因となったわけでないので、慰謝料は請求できない。
 養育費の計算の仕方もいろいろあるようであるが、患者さんの話を聞いていると、もらっていない人も多く、公務員と離婚した人でも子ども2人で5万円にも満たないぐらいである。パートの仕事をして、児童扶養手当がついても、実際の生活は苦しい。私の場合でもわずか1500万円では、子どもと住む場所にも困るだろう。離婚になった場合には、子どもには罪はないので、現在の自宅をやり、養育費も困らないよう充分にしてやらなければならない。母親がこの子のことは私が1番よくわかっていると言っても、必ずしも最上の教育ができるわけではない。母親の愛情と意気込みだけでは無理である。子どもが大きくなるに従い、その判断に高度な知識と経験が必要になる。世の中には法律すれすれのことも山ほどあり、警察でも対処できないことがたくさんある。架空請求に始まって、こちらの小さな過失に対してヤクザまがいの請求をされたりすることもある。子どもたちが不自由しないように養育費は出す分、面接交渉権は確保し、父親としての役割は果たしていこうと思う。

平成17年10月25日(火)

 先週は労災判定会議だけしかはいっておらず、久しぶりにゆっくりとできた。今週も特別養護老人ホームと東山医師会の理事会があるが、まだ楽である。人前で話したりとか、新たに原稿を作らなければならない時はやはりストレスである。日曜日は久しぶりにTOEICの試験を受けてきたが、会場はいつもとは違って池坊短大であった。受験者は若い学生ばかりで、私のような中年の者は教室には誰もいなかった。帰り道で数人ほど見かけたが、私が最高年齢ではないかと思った。私にとってはゴルフとか囲碁みたいなもので、スコアや段のかわりに点数が励みとなっている。今回はヒアリングが以前より向上していた。答えに迷っているうちに次の問題に行ってしまうので、いくつかの問題でつまづいたが、後半はすべて聞き取れた。リーディングの問題は最初の方の楽な問題に無駄な時間を費やし、最後の2問が間に合わなかった。後1分あれがすべて解けたと思うが、適当に答えの印だけつけておいた。今回は今までと違って、問題が簡単なような気がした。うまくいったら900点はいきそうである。900点を超えたからといっても、特に何かかわるわけではない。一種の自己満足で、趣味の世界とはそんなものである。ゴルフのスコアが100を切るのとそう変わりない。ただ、ゴルフや囲碁と違うのは、共通の趣味の人がなかなか周りにいないことである。ロックの世界でもそうであるが、私の好みがマニアック過ぎて、これもなかなか同好の友が身近にいない。趣味の世界では年を取ってからはずっと孤独である。
 孤独といえば、最近は私生活でも孤独である。家内とはまた別居して、長い時間がたっている。前回とは違って、医院では寝泊りしていないので、現在の生活空間は快適である。マンションは京都駅の近くなので、自宅より便利なぐらいである。以前にも書いたことのある、リストカットで110針以上縫合した境界性人格障害の患者さんが、親同士のトラブルに関係のない子どもが巻き込まれるのは迷惑な話であると言っていたが、全くその通りだと思う。悩み相談のプロの精神科医でも自分たちの離婚を避けることができない時もあるが、子どもたちに精神的ダメージを与えることは1番の恥だと思っている。実際に両親が離婚して母親に引き取られ、経済的に困窮して、いろいろな問題を抱えている患者さんも多い。
 私も今まで気づかなかったが、精神科をやっていると、母親の愛情不足が原因で精神的問題を抱える人が多いので、子どもは母親の愛情さえ満たされていたらいいと思っていた。ところが、最近になってやっと気づいたが、これだけでは不十分である。例えば、母親が夫に素直に謝ったり、上手に甘えたり、頼んだりできないと、その子どもも父親に素直に謝ったり、上手に甘えたり、頼んだりできない。生まれた時から身近な手本がないので、子どもはそんな方法があるとは思いもよらないのである。右手が使えるのに、右手の使い方を最初から教えていないのと同じである。家庭ではいろいろなコミュニケーションの仕方を学ばなければならないが、最初から謝ったり、甘えたり、頼んだりすることが封じられていたら、子どもは言葉にならないもどかしさや生きにくさを感じるだろう。母親にも最初から健全なコミュニケーション能力が求められるのである。
 それと、母親の愛情がたっぷりあったら、子どもが社会で直面する問題が何でも解決するわけでない。言い換えると、母親の愛情と社会で生きるための知恵(問題解決能力)は全く別である。母親が子どもの相談役になることが多いが、父親の方が社会でもまれているので、社会的な問題解決能力は父親の方が高いように思えるがどうであろうか。(その分母親は隣近所とのつきあいでもまれていると考えることもできるが) 子どもの塾などの勉強でも、頭ごなしに勉強を強要するのは、その大変さを知っている父親よりも母親の方が多いような気もする。母親は子どものために最善の解決方法を提供しているつもりでも、必ずしも最良の選択をしているとは限らない。母子家庭では実際に母親がすべて決めていくので、母親の解決方法がそのまま子どもにとって解決方法の手本になってしまう。社会の成り立ちについては、不公平であるが、社会的に成功して地位のある人ほど高い所からよく見えてくる。子どもはこれから待ち受ける人生の困難に立ち向かっていかなけれがならない。子どもが社会で上手に適応していくには、実際に解決能力のある母親がふだんの生活場面で適切な判断をして、最良の手本を示していくことが必要である。母親自身に問題解決能力がないと、子どもたちは無力さを学んでしまう。もちろん家庭教育がすべてではなく、子どもは成長とともに自分を取り囲む社会からもいろいろなことを学んでいく。
 家内には離婚に関する本を渡しているが、本屋で見た「離婚問題 これで安心」(小学館)が1番わかりやすかった。50歳を過ぎて離婚するということは、自分の老後はこれからは家内に見てもらわないし、自分の両親の世話もしてもらわないということである。お互いに浮気したわけでもないが、これらのことをすべて引き受ける覚悟はやっとできた。子どもたちのこころの傷を最低限にとどめる方法もいろいろ考えている。人生はつくづく筋書きのないドラマだと思う。

平成17年10月18日(火)

 この前の土曜日は精神科急性期治療の研究会に参加した。開業すると、それほど急性期の治療で困ることはないが、今回のこの研究会の目玉は成田善弘先生の講演であった。リストカットや大量服薬を繰り返す境界性人格障害の治療については、この先生の著書から沢山のことを教えられた。確か神戸にいた時に1度この先生の講演を聴いたことがあるが、それ以来である。久しぶりにお会いしたが、随分と年を取られた印象であった。演題は「境界性人格障害とのかかわりー援助という視点ー」で、以前に読んだ本の内容を予測していたら、だいぶまた進化を遂げていた。現在64歳になるので、悪戦苦闘の歴史を経て、無駄なものがそぎ落とされ、悟りの境地に達したような印象を受けた。
 初めに、患者さんを治すということより、生き易いように援助をするということを聞いて、目からうろこが落ちる思いがした。海外の有名な本を読むと、人格構造を変えるといって、直すためにいろいろ難しいことを言っているが、やはり不可能に近いことなのだとわかった。境界性人格障害の予後は、熱心に治療してもしなくてもあまり変わらず、40歳ぐらいになると落ち着いてくるという。面白い例えをしていたが、境界性人格障害の患者さんは、治療者に人間関係を求めてくるという。ふつう床屋さんに行くのは、髪の毛を切ってもらうのが目的で、床屋さんと仲良くなりに行くわけでない。ところが、境界性人格障害の患者さんは、医者に自分の困っていることを相談しに行くわけでなく、医者に濃密な人間関係を求めてくる。訴えの内容も曖昧なことが多い。
 だから、境界性人格障害の患者さんは治療的枠組みを超えて、治療者にかかわってくる。どこの専門書にも書いてあるが、特に若い女性に対しては、その濃密な治療関係の中で治療者自身も足を踏み外してしまうことがある。どこまで患者さんが意図しているかはわからないが、実際に治療者が性的に誘惑されることも少なくない。少し前に医療者向けのホームページに載っていたが、ある精神科医が患者さんに対する猥褻行為で逮捕されていた。診察中に女性患者さんの胸を触ったり、いろいろなことをしていたという。詳しいことはわからないが、患者さんによっては胸が痛いと言って、診察のために自ら下着を脱ぐかもしれない。(ふつうは、こちらから指示しない限り、ありえないことだが) その時に、精神科医がきっぱりと専門でないので、循環器科に行くように言ったらいいのであるが、このあたりが痛いとか言われたら、ついつい誘惑され、胸を触ってしまうかもしれない。
 最近では学校関係で小中高の先生が、生徒と性的関係を持って新聞で報道されることが多い。未成年者と性的関係を持つことはもちろん言語道断である。米国では精神科医と患者が性的関係を持つことは、それほど珍しいことではなく、そのことに関する論文も沢山出ている。日本ではそれほど多いわけではないが、境界性人格障害の患者さんと性的関係を持ってしまう精神科医もいる。もともと不安定な患者さんなので、最初は「寂しいので外で会って欲しい」から始まり、「抱きしめてもらうと安心する」になり、その後関係はどんどんエスカレートしてしまう。しかし、彼女たちの要求をかなえてやる事は不可能なので、最後は泥沼に陥ってしまう。たぶん、見捨てられたと言って、職場や家庭に執拗に電話してきたり、抗議しに来るだろう。お金が目的でないのでお金では解決できず、リストカットや大量服薬が頻回に起こり、周りの医療機関も巻き込み、最後は地獄となるかもしれない。成田先生の話では精神科医をやめた先生もいるという。ここまで激しい境界性人格障害の患者さんでなくても、関係が切れて他の医療機関にかかった時には、前の主治医との関係が暴露されてしまう可能性は極めて高い。精神科の世界は狭いので、変な噂が立つだけでも、この世界ではやっていけない。
 ある患者さんは、絶望的な孤独感からインターネットのチャットで男の人を見つけ、会って性的関係を結んでしまうという。セックスそのものは嫌いであるが、寂しくて仕方ないので、男の人に抱かれるという。いやでいやで仕方ないが、孤独感に耐えられないという。もう1人の患者さんは、自分を好きになってくれる人から求められると、断れないという。断ることで嫌われるのが怖くて、アルバイト先の上司など誰にでもすぐに身体を許してしまう。そしてその後で、激しい自己嫌悪にかられるという。2人とも気の毒なほど小さな頃から心の傷を受けて育ってきている。それこそ都会の片隅で雨にぬれながら、打ち震えている傷ついた小鳥である。2人とも大変魅力的な女性で、なんとか助けてあげたいと思うが、治療的枠組みから足を踏み外すわけにはいかない。どうしたらいいのかと患者さんに問い詰められても、私が抱きしめてやるわけにもいかない。私も生身の人間なので、なんとか救い出してあげたいというメシア願望と性的ファンタジーが刺激されて一線を越えてしまいそうになることもある。成田先生もぎりぎりの所で、思いとどまったことはあるという。治療の原則はできることはできるし、できないことはできないである。これからも鉄の意志を持って、患者さんにとって必要な援助をできる限りしていこうと思う。

平成17年10月11日(火)

 上司にごまをすったりすることが苦手だという人がいるが、若いうちはそれで通用するかもしれない。媚を売るのが下手なのはいかにも裏表のない人間のように見えるが、ある程度年齢が来たら、お世辞の1つや2つ言えないようではだめである。露骨にごまをすれということでなく、相手を気分よくさせるのは社会生活を営んでいくのには必要である。お世辞を言うのが下手であると言って自分を許してしまうのではなく、苦手な人ほど努力と練習が必要である。他にも、謝ったり、頼んだりすることが苦手な人がいる。中には人の世話になるのを極端に嫌がる人もいる。
 以前に診ていた患者さんで、人からいろいろ親切にされるのを、必要以上に苦痛に思う人がいた。結婚していて、奥さんの実家がちょっとした季節の物を送ってくるだけでも、だめなのである。気楽に受け取って、お礼だけ言ったらいいのであるが、それができないのである。他人から何かをしてもらうと、ひどく負担に感じてしまうのである。会社でも、上司がちょっとしたことをしてくれても、素直に受け止めて喜ぶのではなく、気持ちが落ち着かず、苦痛で仕方ない。だから、他人のしてくれる親切を全部断ってしまうのである。初めからこういう性格に生まれついたわけでなく、やはり育ってきた家庭環境が影響している。この患者さんの場合は、お父さんが強烈な個性の持ち主で、小さな頃から常に恩着せがましく、患者さんを育ててきている。無条件の愛ではなく、いつも条件付きの愛である。自分が何かしてもらったら後でその何百倍もお返しをしないといけないという恐怖心が身にしみついている。前にも書いたが、子どもにとって生まれて最初に出会う世界が両親なので、家庭の中で身につけたやり方がその後の対人関係の原型になってしまう。父親と他人は違うとは頭ではわかっていても、無条件に愛されたという経験がないので、他人から親切にされると居心地が悪くなってしまう。この患者さんには小さな子どもがいた。人の親切を嫌がるのはこの患者さんの勝手であるが、自分の価値観まで子どもに押し付けてしまうと、この子どもも人に親切にされることに対して必要以上に負い目を感じるようになってしまう。患者さん1人だけが苦しむのではなく、知らないうちにその子どもにも影響を与えていることがあるので、気をつけなければならない。
 私は若い頃はお世辞も言えず、素直に謝ることもできなかった。それでも、社会でもまれるうちに、必要な時にはお世辞も言うし、きちんと謝ることもできるようになった。神戸にいた時に、私が学会で報告したことが新聞で取り上げられたことがある。私の博士号論文は「医療検査に伴うストレスとその対処について」という題目で、それぞれの医療検査に伴うストレスの大きさや検査拒否の問題、神経症の人と苦手な検査の組み合わせなどを研究していた。MRI検査に伴う閉所恐怖については、私が日本で最初に報告したのであるが、論文としては総論がK大学から私より早く出た。私はある医学雑誌に投稿していたが、ロールシャッハ・テストがしていないとか、いろいろ難癖をつけられて投稿論文を送り返されていた。仕方ないので、総合病院精神医学会誌に投稿し直したのであるが、そうこうしている間にK大から総論としての論文が他の医学雑誌に出た。私の被害妄想かもしれないが、当時は全く学会では取り上げられていなかったので、論文の審査で私のアイデアが盗まれたのではないかと疑った。
 新聞で取り上げらたのは、医療検査としては大腸内視鏡や脳血管造影がストレスの強い検査で、2回目から検査拒否の中では多いという内容であった。ところが、この記事が新聞に載ってから、私の病院でこの検査の予約取り消しが相次いだ。新聞記事を読んで、こわがる患者さんが増えたのである。大きな病院はどこも赤字すれすれで、検査で収益をあげなければならないが、検査を受ける患者さんが大幅に減ってしまったのである。部長会議でも問題になったが、中でも放射線科の部長が私に対してかんかんになって怒っていた。私としては、新聞記者の取材に応じて、自分の研究を述べただけであるが、結果的には他科の先生に迷惑をかけることになってしまった。部長の中では私が1番若い方に属していたので、関係のある部長にはひたすら謝った。放射線科の部長だけはなかなか許してくれなかったので、廊下で会うたびに頭を下げて謝った。あまりにも何回も謝るので、しまいには、いつも一緒にいる医長までが気の毒がって、部長に許してやったらと言うぐらいであった。そのうちまた検査の数も回復してきて、この部長の怒りも治まってきた。人生の中では、必要な時にはこれぐらい謝らなければならない時もある。

 追記:京都第一赤十字病院皮膚科部長の前田基影先生が血液疾患で亡くなられた。私が日赤にいる時には管理者会議でお目にかかるぐらいであったが、開業してからは病院代表として東山医師会の理事会にも参加され、京都府医師会誌だけでなく、東山医師会誌にもその闘病生活を最新号まで連載されていた。その内容は家族のことから病気に対する思いや皮膚科の裏話まで多岐にわたり、私の知っている先生も大勢登場してきたので、患者さん以上にリアリティを感じていた。よく声をかけてもらい、私の患者さんを紹介した時には、診察のその場で直接電話でお返事をいただいたこともある。心よりご冥福をお祈りします。

平成17年10月4日(火)

 先週の水曜日はこれまでの人生の中で、最大の交通事故を起こしてしまった。この頃うっかり忘れが多くなっているが、そのことも関係しているかもしれない。ばたばたと忙しいこともあって、どうも注意が散漫になっている。昼休みにどうしても丹波橋の自宅に帰らなければならず、24号線を走っていた。井出橋交差点の近くで名神に行く右折車線と直進車線、左車線と計3車線のところを走っていたが、ふと用事を思い出して、あわてて右折車線に車線変更した。この時に後ろから猛スピードで走ってきた車と衝突した。右折車線ががら空きで、ふと思いついて車線変更したので、全く後方確認ができていなかった。ドカーンという音ともに車の右車輪部分が大破した。相手側の車も左車輪部分がもっとひどく壊れた。私の車はタイヤが傾いていたが、なんとかそばの細い路地まで動かせた。相手の車は車輪の部分にパンパーなどがのめり込み、手で引き出して、やっと動いた。幸い2台とも側面から前方へ流れるようにぶつかったので、けがはなかった。事故の原因は明らかに私の不注意である。
 2台ともレッカー車がないと動かせない。こういう時には相手の人のキャラクターが大きく影響する。いくら保険会社が面倒をみると言っても、それまではこちらが対応するしかない。相手の責任で忙しい時に自分の車をぼろぼろにされたら、誰でも頭にくるだろう。仕事柄いろいろな交通事故に伴うトラブルを聞いているので、内心心配であった。しかし、この点も不幸中の幸いであった。ある大手の会社の営業車で、上司と部下らしき人が乗っていた。冷静に対応してくれて、私も本当に助かった。私は携帯電話はほとんど持ち歩かないので、この時も持っていなかったが、保険会社に連絡する時には事故相手の人の携帯まで借りさせてもらった。会社の人らしき人が迎えに来てくれ、相手の車はJAFで持ち帰ることができた。私の車は、保険会社が手配してくれたレッカー車で移動した。はじめはどうなることかと気が遠くなったが、なんとかうまく対処できて、ほっとした。午後からの外来も遅れずに始めることができた。
 大きな事故はこれが初めてである。前にも書いたかもしれないが、高知の病院に世話になっている時に、夏に後輩が遊びに来た。海に私の車で出かけたが、帰りに前から来た車が通れないので、バックした。その時に路肩を踏み外し、車が完全に仰向けにひっくり返ったことがある。大した高さでなかったので、けがはなかったが、車はぺちゃんこにつぶれ、廃車になった。今の車も、駐車場から出す時に、勢いよくバックして、電柱にぶつけたこともある。まだ借りたばかりの駐車場で、夜だったので、そんな所に電柱が立っているとは全く気づかなかった。これまで他の車と派手に衝突するようなことはなかったので、こういう時には自分でも気をつけなければならない。車の修理に3週間ぐらいかかると聞いたので、頭を冷やすにはちょうどいい。代車は長期には借りれず、レンタカーで借りると高くつく。きのうは医師会館で医療安全対策委員会があったが、急ぎの用事はタクシーである。きょうの午後もヘルパー養成講座の講演があるが、二条城の近くまでやはりタクシーである。
 ある病院に勤めている時に、整形外科から1人の患者さんの紹介があった。女性の患者さんで、腰が痛くて動けないという。よく話を聞いてみると、数日前にタクシーのドアが閉まる時に腰に当たったという。この女性がタクシーを止めて乗車したが、タバコを吸い出したので、タクシーの運転手が注意したそうである。その時にこの患者さんが怒って降りると言ったので、降ろしたそうであるが、この時にドアが腰に当たってしまった。その後痛くて、全く動けないと言って、整形外科を受診したのである。いくら検査をしても、何の異常も出てこない。医学的に考えても、数日痛みが残るような打撲とも考えられない。タクシーの運転手は会社から何回も患者さんの自宅や病院に見舞いに行かされていて、大変だと思った。もちろん、この患者さんは仮病ではないが、心療内科でも後の対処が難しいケースである。今回の事故では人身事故にもならず、つくづく運がよかったと思った。

平成17年9月27日(火)

 きのう警察からまた患者さんのことで問い合わせがあった。私の診ていたうつ病の患者さんが首を吊って亡くなった。前にも書いたが、心療内科や精神科の患者さんが亡くなると、警察から必ず医院に問い合わせがある。こういうことが年に数回ある。最近は中高年の患者さんの自殺が増え、年に3万人以上の人が亡くなっている。今回の患者さんも、典型的な中高年の男性で、大手の会社をやめてから、いくつかの会社を転職していた。最後は技術職として派遣会社から派遣されていたが、労働条件の厳しさについていけなかった。精神科医はうつ病そのものはなんとか改善できても、現在の雇用条件の厳しさは改善できない。自殺を未然に防がなければならないが、絶望的な状況を抱えている人の対応は本当に難しい。よく考えたら、いつ亡くなっても不思議でない患者さんをたくさん抱えている。あまり深く考え出したら夜も眠られなくなるので、なるべくふだんは考えないようにしている。
 きのうは午後から労災の判定会議があった。今回は1件だけであった。前もって資料が送られてきていたが、日曜日はやる気が全然起こらなくて、初めの方だけさっと目を通しただけであった。会議が2時からなので、外来が終わってからでも間に合うと思っていたが、外来が長引いて資料を見ている暇がなかった。仕方ないので、タクシーの中で資料を広げて読んでいたら、酔ってめまいがしてきて気分が悪くなった。30〜40ページある分厚い資料であるが、途中読むのをあきらめて会議に臨んだ。私が座長なので司会をしなければならないが、なんとか無事に終えた。こんなことを書くと労災の判定をいいかげんにやっているように思われるが、そうではない。よほど難しいケースでなければ、最初の1〜2ページの概要を読んだだけですぐに判定がついてしまう。後は資料を使いながら、肉付けして意見書を完成させるだけである。めったにないが、ついつい忙しいと、こういうこともある。
 判定会議が終わった後、他の2人の先生と、患者さんの自殺について話をした。京都第二赤十字病院では年間6人ぐらいはいるという。重なる時には、2日で3人の患者さんが自殺したこともあったという。私が開業した年には、6人の患者さんが自殺で亡くなった。もう1人の開業している先生も、これまで精神科医になって数人しか経験していなかったのが、開業した年に3人亡くなったと言う。私が京都第一赤十字病院に勤めている時もそれほど多くはなかったので、大病院に勤めている時よりも、開業してからの方が増えたような気がする。他の先生の話を聞いていても、私と同じで、予想のつかない患者さんばかりが自殺している。京都第一赤十字病院に勤めている時には、自殺ではないが、殺人事件も経験している。これは新聞にも載ったが、私の診察していた統合失調症の娘さんがいた。いろいろ薬を調整するのであるが、なかなか落ち着かず、病気になったことについていつもお母さんを責めるのである。お母さんはどこにでもいる人で、いつも心配して娘さんの診察にはついてきた。ところが、ある日警察から問い合わせの電話があった。このお母さんが娘さんが寝ている間にロープで首を絞めたという。ここまで思い詰めているとは知らず、私も本当にショックであった。
 この日記で前に書いたことがあるか忘れてしまったが、私は大学の関連病院である高知の精神病院に2年半ぐらいいた。安岡章太郎の「海辺の光景」で舞台になった高知で1番古い精神病院である。高知は桂浜が観光地として有名であるが、ここに全長1480mの浦戸大橋が架かっている。この時に、橋ができてから18年間ここから投身自殺をした68人について調べたことがある。当時の院長が司法鑑定の仕事をしていたので、管轄の警察署から資料の調書を提供してもらうことができた。海上保安庁からも資料を手に入れた。論文にするために、自殺に関する論文や参考書を山ほど読み、自殺に関しては一通りの知識は得た。英国では家庭用ガスに致死的なコーク・ガスが用いられていたが、ある年から毒性の少ない天然ガスに切り替えられた。その後どうなったかというと、それまで総自殺者数の3分の1を占めていたコーク・ガスによる自殺者数がそのまま減少し、予想に反し縊死や入水などの他の手段への移行は認められなかった。致死的手段への機会が減れば、それだけ自殺者数が減ることが示唆された。それにしても、縊死だけはロープや紐をなくすわけにもいかないので、どうしようもない。投身自殺した人たちはまだそこまで行くエネルギーのある人たちで、高齢者は自宅で縊死というのが多い。

平成17年9月20日(火)

 3連休は勤務医の時の話で、開業したら夢のまた夢である。土曜日に外来をやっていると、もうひとつ休んだ気になれない。すっかり忘れていたが、日曜日は午後2時から国際交流会館で、外国人のためのカウンセリング・デイがはいっていた。金曜日に確認の電話があって初めて知った。前回の時に1年間の予定を聞いたのかさえ忘れてしまっている。次回は12月ということなので、今度はしっかりと予定表に記入した。いつものように医院を車で出ると、東大路通が七条ぐらいから渋滞で全く進まない。清水寺の前が観光シーズンになるとどうしようもない。川端通までまた戻って行ったが、10分ほど遅れてしまった。相談は1件あった。日本語ができる中国人なので、日本語で対応した。他に1件英語圏の人の予約がはいっていたので、少し緊張して待っていた。ふだんCNNを見ているが、英語を読んだり、しゃべったりすることはほとんどない。カウンセリングが終わる頃に、やっと少しづつスムーズに言葉が出てくるぐらいである。いつも英語で考えるということをしたらいいのであるが、そんな面倒くさいことをやっている暇がない。英字新聞のThe Japan Timesはこの9月で購読するのをやめた。それこそこの数ヶ月間1行も読んでいない。TOEICの試験の時に感じるあのストレスは、結局ふだん英文を読み慣れていないからだとわかっているが、時間と気力がなくどうしようもない。アルクの通信教育でビジネスEメール速習を申し込んだが、結局3ヶ月間1回も開かず終わってしまった。通信教育は高校の時のZ会から始まっていろいろやっているが、これまで1度も最後までやり遂げたことがない。結局この日は予約の人が直前になってキャンセルとなり、英語をしゃべる機会はなかった。
 きのうの敬老の日は、京都市から委託されている祝日・休日待機番であった。市内の精神科医が交代で、土日と祝日の待機番を京都市から頼まれてやっている。警察や一般市民から通報があった時に、保護された人が措置入院や医療保護入院が必要かどうか診察する。不幸にも精神科の治療が長いこと中断していて症状が悪化し、幻覚妄想状態となって保護される人が多い。午前中は相変わらず医院で、障害年金や精神保健福祉手帳の診断書などを書いていた。今月は公費負担や手帳の診断書が多く、今週の秋分の日はまだ残っている8件の診断書を書かなければならない。公費負担の見直しについては今国会で流れたので、そのままであるが、疑問も多い。デイ・ケアの必要ないわゆる精神病圏の人に適応するのは当然であるが、他府県ではパニック障害まで適応となっている。京都市では認めていないが、実家が京都で住んでいるのは大阪という患者さんは私の医院でもパニック障害は適応である。前にも書いたが、がん患者さんでも何の公費負担もない。年頃の娘さんがアトピー性皮膚炎で、顔が赤く腫れあがるたびに心を痛めている母親がいるが、アトピー性皮膚炎も公費負担はない。うつ病でも今ではすっかりよくなって、軽い不眠と不安だけが残っている患者さんも公費負担である。障害者自立支援法によって、本来必要な患者さんまで制限されるのは、安易に公費負担の診断書を書いてきた精神科医にも責任があると私は憤りを感じている。誰でも気分が落ち込むことはあるので、拡大解釈をしてうつ病として診断書を書いたら、私の所に通院している患者さんは全員公費負担の対象である。
 新聞を読んでいたら、民主党の前衆議院議員が覚醒剤の所持で逮捕されていた。外来で患者さんを診察していると、こんな人がと思う患者さんが若い頃に覚醒剤を使用していたりする。覚醒剤というと、ヤクザがらみで社会の裏街道を生きてきた人しか思い浮かばないが、スピードというと最先端のドラッグがイメージされ、実際に1部の若者の間で流行している。新聞ではアルミホイールで覚醒剤をあぶって吸引していたと書かれていたが、実はこの方法を日本で初めて学会に報告したのは私である。医学論文では症例報告はあまり評価されないが、初めてとなると別である。その後の論文ではいやでも私の論文を引用せざるを得ない。私の論文は特に薬物関係では日本で初めてという論文が多い。過去の栄光にしがみついているようであるが、自分の臨床研究に関した記事が載ると、やはりささやかであるが自己満足となる。

平成17年9月13日(火)

 先週の火曜日は東山救急の講演に出かけたが、2時前に会場に着いて何か様子がおかしい。東山消防署の前にも案内の掲示板がない。会場を間違えたかと思って、案内用紙で確認するが間違いない。消防署の階段を上っていくと、会場となる3階に行く階段に鎖が張ってある。どうしたのかと思って、2階の事務所に寄って聞いたら、講演会は明日だという。日付を間違えたのである。そのまま帰ろうとしたら、わざわざ課長や係長さんが出てきて、丁寧に見送りをされてしまった。それにしても、どうかしている。最近はもうひとつ元気が出ず、この日は気合を入れて行ったが、何か肩すかしをくったようである。2度も気合を入れて行くのは辛いものがあるが、次の日はまた気を取り直して行き、無事に講演会を終えた。会場が近くで本当によかったと思う。夏前に頼まれた時に、間違えて予定表に書き込んでしまい、午後から外来がない火曜日と頭から信じこんでしまっていた。私は強迫的なところがあるので、こういう間違いはめったにないが、それでも長い人生で時々とんでもないポカをする。
 この前の日曜日は、またしても集まりがあった。何の集まりかというと、京都府立医科大学柔道部再興50周年記念である。今の私のキャラクターとはミスマッチであるが、学生時代は柔道部に属していた。どう考えてもスポ魂は似合わないが、危うい青年時代は何か自分を鍛えて強くしてくれるものに憧れていた。この頃は空手の極真館を率いる大山倍達がマンガでブームとなり、ただひたすら精神的にも肉体的にも強くなりたかった。当時、大学に空手部がなかったので、柔道部にはいったのであるが、やはり激しいスポーツは私には向かないようである。理念的には心と身体を鍛えるであるが、準備体操の腹筋100回とか、腕立て伏せ100回でその日の体力のほとんどを消耗していた。柔道部でも落ちこぼれであったが、なんとかやめずに卒業した。先輩の中には2段まで取る人もいたが、私は初段である。大学を卒業してからは1度も柔道着は着たことがないぐらい、それからは柔道とは無縁であった。今回も柔道部から案内が来ていたが、会費が2万円もするので欠席するつもりであった。ところが、ばたばたと忙しく、出欠席のハガキを出し忘れていた。すると、突然柔道部の後輩から電話がかかってきた。直接出席を頼まれると、断りにくい。あまり気乗りしなかったが、出かけることにした。
 当日は学長から京都府柔道連盟の会長など、そうそうたるメンバーが出席していた。関東の方から駆けつけてきている先生もいた。私がいた頃の先輩、後輩は3人だけであった。同級生は実家のある広島に帰り、今は麻酔科で市民病院の救急部長をしている。1年下の後輩は京都第一赤十字病院で外科系の部長をしている。2人とゆっくり話したかったが、1番忙しい年代なので欠席である。私の隣には、2回生の時にお世話になった主将がいた。現在は甲子園で開業しているという。他にも、私の所から比較的近い所で開業している後輩の先生もいた。整形外科で1日200人を越える患者さんがいるというので、私の医院なんか足元に及ばないぐらいはやっている。久しぶりに、なつかしい先生と話ができてよかった。当時の師範の先生にはぜひともお会いしたかったが、欠席されていて残念であった。
 来賓の先生の話も面白かった。京都府柔道連盟の会長クラスになると、柔道愛好家であるフランスのシラク大統領やロシアのプーチン大統領とも話す機会があるらしい。先輩の方々の挨拶も聞いていたが、団体戦で負けるわけにはいかず、腕の骨が折れるまで頑張った先生とか、かなりすごい逸話が次から次へと出てきた。私にとって柔道とは青春の1コマに過ぎず、生涯柔道家としてその道を極めて1つの生き方として高められるほどにはなっていない。根性なしの部分もあったので、あまり思い出したくない思い出もあり、これまで封印してきたところもある。しかし、先輩の話を聞きながら、深草の警察学校で合宿して機動隊の人たちと練習したり、神戸商船大学で合宿したことをなつかしく思い出した。最近階段を上っても息切れしたりするので、あの頃は信じられないほど元気だったとつくづく思った。

平成17年9月6日(火)

 先週の土曜日は東山医師会学術講演会があった。午後3時から始まって、終わったのは懇親会まで入れて8時過ぎぐらいであった。京都第一赤十字病院や9月から専売病院から名前が変わった東山武田病院などからの演題が多かった。どちらかというと心療内科とは全く関係のない内科、外科の発表会である。私の医院は血圧の薬や風邪薬ぐらいは頼まれたら出すが、インフルエンザの予防接種もしないぐらい内科の治療にもノータッチである。専門外の発表で半日つぶれるのは辛いものがあるが、東山医師会の役員になっているので休むわけにもいかない。最近土日がいろいろな会がはいっていて、たまにはゆっくりしたいと思う。それでも、各科の演題を聞いていたら、ふだん聞けない話も聞けて、それなりに勉強になった。乳がんの再発率が20年ぐらいの間に30%になると聞いて、なかなか大変な病気だと思った。最後に眼科の先生が眼科の話を一般医向けに話してくれた。私は強度の近視でいつもコンタクトレンズをしているが、矯正手術のLASIKの対象になるか質問してみた。白内障手術で近視がよくなることは知らなかった。最後に懇親会で、ふだん話す機会のない先生ともゆっくりと話ができた。
 翌日の日曜日は、11時ぐらいまで寝ていた。ふだんは朝5時半ぐらいに起きるので、唯一朝寝坊ができるのはこの日ぐらいである。医院に出て、きょうの午後から頼まれている東山救急での講演で配る原稿を作っていた。保健所などで以前にやった講演会のまとめをいくつか貼り合わせた。パソコンがあると本当に便利で、20分ぐらいでA4で2枚の原稿ができあがってしまった。その後で、土曜日に届いた郵便物の整理をしていた。その中に社会保険診療報酬支払基金から再調整のお知らせが届いていた。何のことかというと、医療機関にかかると医療費として保険証を使って患者さんは3割支払うが、後の7割の医療費はこの支払基金から各医療機関の銀行に振り込まれる。その時に不適切な検査や投薬があると、審査されてこの7割から検査代や薬代がカットされるのである。この再調整のお知らせというのは、不適切な治療があったので、本来の支払いのカットをしましたよというお知らせである。
 最近、この再調整のお知らせが多くなっている。例えば、パニック障害でSSRIのパキシルがよく使われるが、1日20mg錠を2錠出していたら、このお知らせが来た。うつ病では40mgを使用しても認められるが、パニック障害では30mgしか認められない。重症の人に40mg使ってよく効いているのであるが、10mg分がカットされ、たとえ院外処方でも私の医院がその費用を持つことになる。言い換えると、患者さんに使った10mg分の薬代の7割が支払われないことになる。うつ病でSNRIのトレドミン25mg錠を1日6錠出していたら、これも1部カットされていた。薬代ぐらいというが、中には半年分ぐらいまでさかのぼって削られるので、それなりの額になる。前にも書いたが、難治性のうつ病に幻覚・妄想を治す抗精神病薬であるリスパダールが用いられる。しかし、この薬の保険適用病名は統合失調症しかないので、この病名をつけないと使えない。ある大学病院では、この薬をうつ病の患者さんに使うために、あなたはうつ病であるが、保険病名として統合失調症という病名をつけてもいいか同意を得てから使用しているという。先ほどのパキシルの問題でも、パニック障害であるがうつ病という病名をつけたら、1日40mgの使用は認められる。こんなことをしていたら、本来の病名は無視されて、どんどんと実態からかけ離れた保険病名だけになってしまう。今回チック症で抗精神病薬であるセレネースを使用していたら、カットされていた。確かに保険適応はないが、チック症の治療にはこの薬ぐらいしかない。カットされないためには、幻覚妄想状態というでっちあげの病名をつけなければならない。この保険審査はいろいろな矛盾をはらんでおり、今ではほとんど破綻をきたしている。
 夕方からは、伊勢丹で贈り物の造花を買いに行った。私の後を引き継いだ京都第一赤十字病院のM先生が9月に開業したので、お祝いに持っていくためである。造花なんかより、本物の花の方がいいと思うかもしれないが、造花の方が案外長持ちして便利である。きのうの昼休みにできたばかりの診療所まで行ってきた。待合室は案の定ランの花の贈り物でいっぱいであった。このランが枯れてから、私の造花の出番である。開業してまだ3日目であったが、最初から沢山の患者さんが来ているようであった。この日も新患の患者さんが5〜6人来ていたというので、私の医院よりはるかに多い。場所もよく、テナントの中は工夫をこらして患者さんが来やすい空間を作り出している。M先生と話をしていて、私が開業した時の期待と緊張を久しぶりに思い出した。

平成17年8月30日(火)

 相変わらずこまごまとした雑用があり、いつも日曜日ぐらいゆっくり過ごしたいと思う。先週の土曜日は医師会の精神科医会があり、精神科の病院に勤めている先生と開業している先生の交流会があった。精神科の病院も世代交代が進んでおり、またひとつ民間病院の院長が交代する。今度引退する院長は病院の近くで開業するというので、院長を退いた後の進路も多様化してきている。これまでだと、同じ病院で名誉院長や理事長になったりすることが多かったが、精神科はまだ開業の追い風が吹いていて、院長をやめた後でもできるようになった。26年間同じ病院で勤めてきて、1度離れた所でやりたいと挨拶していたが、その気持ちがよくわかる。26年前というと、私がちょうど医者になった時である。当時当直医がいなく、赴任したばかりの院長がほとんど毎日のように当直をしていた。医者になりたての私と、同期で今イタリアに留学している立命館大学のT教授が声をかけられて手伝いに行くようになった。当時の病院の事情はよく知っているので、院長の当初の苦労もわかっているつもりである。私は当直料のよさに土日も含めて週何回も泊まりに行っていた。この時にはちょっと前の貧乏学生から考えられないほどお金を稼ぎ、この当直料で念願のトヨタのセリカを買うことができた。今はりっぱな病院に育て上げているので、院長の開業の成功を祈るしだいである。
 翌日の日曜日は相変わらず遅くまで寝ていて、起き出したのは昼前である。きょうは何がなんでもやらなければならないことがあった。いつもぎりぎりであるが、今度はかなり気が重い仕事である。何かというと、体調をこわしている先生の代わりに、急遽9月から私が京都市の介護認定審査会の委員になったのである。その第1回の審査会が9月1日にある。送られてきた資料を前もって読んで、介護認定の判定をしなければならない。介護認定のための医師の意見書はこれまでにも書いているが、要支援とか要介護2とかの判定はしたことがない。8月中旬に福祉の人が判定のための分厚い資料を置いていったが、そのままにしていた。
 私は自分の診療所以外の仕事をたくさん持っていて、これ以上の仕事を引き受けるのは無理である。しかし、東山の医師会長から直接頼まれると断りにくい。労災委員や特別養護老人ホーム、保健所のデイ・ケアなどあちこち行っているので、去年は診療所の収入以外に給与として355万円もあった。今度引き受けると、400万円近くになってしまう。正直言って、お金はいらないのですべて断ってゆっくりとしたい。この介護の話が決まってから、他の保健所から精神保健相談医の依頼があった。今いる先生がやめるので、代わりにということであったが、これは断った。開業したらゆっくりできると思ったが、医師会をはじめいろいろなことを頼まれるので、相変わらず忙しい。この介護認定審査会の委員の仕事は手間暇がかかるので、なかなかみんなやりたがらない。どの先生も口をそろえて大変だと言っている。
 さて、分厚い資料を開いて読んでみたが、まったくちんぷんかんぷんである。9月1日に審査する20名ほどの資料(今が1番少ないという)も見てみたが、いったいどこを見て審査するのかさっぱりわからない。1時間ほど読んでいて、これは無理だと思ったので、先に他の用事をすることにした。公費負担の診断書を2通書いて、生命保険会社の診断書を1通書き、従業員の8月分の給与明細を作り、遅れていた税理士に送る7月分の領収書などをまとめた。おむつ支給要意見書は今度患者さんが来た時に書くことにする。来週の火曜日は東山救急で講演を頼まれているが、この準備は介護認定審査会が終わってからである。その次の月曜日には東山保健所の家族会で話をしなければならないが、これもすべて終わってからである。この4月から介護認定審査会の委員になっている先生がいるので、夕方にある東山医師会夏季役員会で詳しいことは聞いてみようと思った。
 役員会は高台寺の近くの料亭であった。玄関までの庭がきれいで、いかにも京都らしい雰囲気であった。料理はおいしかったが、介護認定の話を詳しく聞いたらそれどころでなくなった。4月から新しく任命された先生は京都市で前もって2時間の講習会があったという。送られてきた資料はコンピュータで判定しているので、正しいかどうか審査会で判定するという。これで、わけのわからない資料の意味がやっとわかった。慣れてきても、審査会の前に下準備として2〜3時間用意しなければならないという。ただでさえ日曜日がゆっくりと休めないのに、これから隔週であるが、このために3時間費やさなければならない。きょうはこのホームページを書いてから準備に取りかかるが、初めてなので終わりがいつになるのかわからない。京都市の倍のお金を出すから、誰か他の人に代わってもらえないかと思う。

平成17年8月23日(火)

 この頃夏バテのせいか、朝起きても身体がだるくて仕方ない。酒も飲みすぎているかもしれない。この前の土曜日はとどめもなくラム酒を飲んでしまった。最近はグァマテラ産の「ロン サカパ センテナリオ」がお気に入りである。ねっとりとした甘さが口に広がり、ついついストレートで何杯も飲んでしまう。日曜の朝は二日酔いでぼんやりとしていたが、昼前に思い切って起き出した。この日は、前にも書いたように第18回世界心身医学会議が神戸であった。日本心身医学会の認定医更新のために申し込んだが、この暑い中をネクタイをして、上着を着て行かなければならない。きょうの開会式を含め6日間あるが、実際に私が参加できるのはきょうぐらいである。
 時刻表を調べたら、京都駅から三宮まで新快速で47分であった。そこからポートライナーに乗って、神戸国際会議場まで行った。以前神戸に住んでいた時には、車しか使ったことがなかったので、ポートライナーもこれまで1、2回ぐらいしか乗ったことはない。会場では、事前登録で払い込んでいた3万5千円が、日本心身医学会の会員ということで5千円返してもらった。開会式は隣の神戸ポートピアホテルであった。会場の警備はものものしく厳重であった。ふつうこんな小さな国際会議では天皇陛下のお言葉なんて望むべきもないが、驚いたことに天皇、皇后の両陛下が出席するのである。事前登録の書類と身分証明書を提示し、会場は手荷物禁止で、空港に置いてあるような金属探知機のゲートを通っていく。参加者はそれほど多くなく、後ろの方の席は大分空いていた。京都から参加している先生もほとんど見当たらなかった。私も日本心身医学会の認定医更新のための10点が欲しくて参加したが、そんなことでもなければ今回は参加しなかっただろう。もともと心身医学会は主に内科系の医師と精神科系の医師が参加している。内科系の医師は内科学会や循環器とか自分の専門領域の学会が中心になる。同じように精神科系の医師はやはり精神神経学会が中心になる。だから、心身医学会は2番手、3番手の学会になるので、お金のかかる国際学会まで参加する人はどうしても少ない。
 警備のために、30分前までに会場にはいり、開会式が終わるまでそのまま着席していなければならない。会場のあちこちに兵庫県警の人が立っている。私は1時間前から入場していたが、冷房がよく効いていて、途中トイレに行きたくなった。しかし、トイレに行こうか迷っているうちに、身動きがとれなくなった。こういう場面でパニックを起こす人の気持ちがよくわかる。開会式が始まる前の20分間は、前のスクリーンで神戸の観光名所を案内していた。私は大学病院を含め、開業するまでに8ヶ所病院を変わっている。1つの病院が2年ほどで、あちこち転々としていた。神戸の社会保険病院が1番長く、阪神大震災も経験して5年である。それまでは、当時誰も行きたがらなかった私立の総合病院と私立の精神病院に勤めていて、挫折の人生を送っていた。当時の部長が院長として私立の精神病院に転出し、私の後輩の京都府精神保健センターの所長が引き継ぐ予定であった。ところが、直前にその先生の母親が病に倒れ、急遽それまで医局の傍流にいた私がピンチヒッターとして行くことになった。石の上にも3年という言葉があるが、それなりに努力して石の上にも10年いたら、必ずチャンスは巡ってくるものである。スクリーンに次から次へと映し出される神戸の観光名所を見ながら、久しぶりになつかしく思った。私もまだ40歳ぐらいで、今から思うと私の人生はこの頃が1番輝いていて、1番幸せだったような気がする。
 天皇、皇后両陛下を拍手で迎えて、開会式が始まった。最初は日本の心身医学会関係の人がうまいのか下手なのかわからない英語で挨拶をした。天皇が出席していると、挨拶や祝辞を送る人がすごい。日本学術会議会長まで出席して英語で挨拶する。天皇陛下のお言葉はさすがに日本語で、スクリーンには英語訳が映し出された。来賓の文部科学大臣の代読をわざわざ事務次官が出席してする。最後には内閣総理大臣のメッセージまで披露された。何回もいうが、星の数ほどある国際学会で、世界心身医学会議は小さな方である。挨拶の中で、阪神大震災を経験して10年目に当たり、心と身体の治療の重要性がさかんに強調されていた。雅子さんのこともあるのかもしれないが、当事者としては過大評価で、わざわざ天皇、皇后両陛下が参加するほどの会議でもないような気がした。開会式はほとんど英語で型どおりの挨拶だけで、聞いている方もすぐに飽きてしまった。ところが、両陛下とも1人1人熱心に耳を傾けて拍手を送り、この仕事もなかなか大変だと思った。

平成17年8月16日(火)

 6日あった盆休みもきょう1日だけとなってしまった。朝から何もする気になれず、部屋の掃除をし出したのは、昼過ぎからである。患者さんの中には新しいパソコンソフトを買って来ても、インストールする気になれず、そのまま何週間とほってあると訴える人がいる。しかし、休みになると私もそれほど変わりないような気がする。京都駅の近くのマンションのトイレはウォシュレットがついておらず、ウォシュレット付きの便座を買ったが、6ヶ月近くたつというのに、そのままである。電気店の人は、半数のお客さんが自分で取り付けているというので、そのまま持ち帰ったが、説明書を読むとややこしそうである。本気になって取り組んだら簡単に終わるのかもしれないが、何をするのもおっくうである。この日記を書かなければならないので、今やっと必死で医院に出てきた。医院に出てくる前に、京都拉麺小路でラーメンを食べてきたが、今回が2回目である。1回目は8月8日で、この時にはそれほど混んでいなかったが、今日はけっこう長い列を待った。別々の店であったが、味はどちらもそれなりにおいしかった。なぜ、初めて行ったのが8月8日かというと、この日が伊勢丹のお中元の最後の日だった。お世話になった人に早く送らなければならないと思いながら、いつも手元に住所を持ってくるのを忘れていた。この日は午前の外来が終わってから、車で行ったが、お中元の売り場はすっかり縮小されていた。それでも、ぎりぎりに送る人はいるもので、私の他にも何人かの人が訪れていた。
 いつもぎりぎりというのは、私の人生の基底に流れているテーマのような気がする。盆休み前に、外来が終わってから書かなければならない診断書や書類の整理していたら、精神科専門医制度の「研修施設」および「指導医」認定審査申請の手続きの書類が出てきた。大事な書類の上にはいつも締切日を書いた紙を貼っているが、8月15日となっている。ということは、明日から京都にいないので、きょう中に書いて、京都駅の郵便局から書留で送らなければならない。まだ、他にもやらなければならないことが山ほどあったが、うんざりしながら、指定のホームページにアクセスした。これまでの職歴など必要事項をすべて書き込み、印刷してから書類を書留で送らなければならない。「指導医」の分を書き終え、「研修施設」の分を書き込んでいったら、図書室が備えてあるかとか蔵書は何冊ぐらいあるかとかややこしい質問事項がある。私の医院を研修施設に認定するための申請であるが、面倒臭くなってきてあきらめた。今すぐには研修医を受け入れる予定もないので、指導医だけ取って、研修施設は次回の申請にまわすことにした。
 翌日は関西空港へ「はるか」で行った。団体旅行だと2時間前が集合時間であるが、個人旅行なので私はいつもぎりぎりである。2日前に大阪にJRで行ったが、尼崎かどこかの停電で、ダイヤが乱れ、新快速で30分かかるところが、1時間近くもかかってしまった。前の電車がつかえていると、信号停止でなかなか前に進まない。新大阪までたどり着いた時には、後もう少しと思ったが甘かった。わずか一区間が全く進まない。新大阪で地下鉄に乗り換えたらよかったと後悔したが、後の祭りである。さて、「はるか」である。この前事故があったので、もう遅れないだろうと思ったが、またまさかのことが起こった。どこかの停電と線路内に人が入り込んだとかで、途中全く動かなくなったのである。特急でも在来線を使っているので、前に電車がつかえるとどうしようもない。到着予定は最初から搭乗時間ぎりぎりなので、この時には飛行機に乗れないかもしれないと半分あきらめた。30分近く遅れて着いたが、本当になんとかぎりぎりで間に合うことができた。
 こんなことのぎりぎりは人生の中では大したことはないが、前にも書いたように人生の大事な局面でもなんとかぎりぎりでしのいできている。医学部に合格できたのもぎりぎりであったし、留年しなかったのもぎりぎりであったし、現役で医師国家試験に合格したのもぎりぎりであった。ただ、最近このぎりぎりもそろそろ通用しなくなるのではないかと思ったりする。私の中にある予感めいたものがあるのだが、その時にはまたこの日記で詳しく報告しようと思う。

平成17年8月9日(火)

 先週の土曜日は京都第一赤十字病院主催の関連医療機関との集まりがあった。各科での内視鏡を使った手術の話を聞いて、その後懇親会となった。偶然にも17年ほど前にお世話になっていた伏見区の総合病院の院長に久しぶりにお会いした。もう82歳になるということで、仕事の方は以前からの自分の患者さんが入院した時に、病室を訪れているぐらいということであった。昔はかなり強烈な個性の持ち主で、朝の朝礼の時にいきなり従業員に質問して答えられないと怒鳴りつけるようなところもあった。いわゆる典型的なワンマン院長で、みんな苦手にしていたが、私はなぜかこの院長とはうまがあうところもあり、嫌いではなかった。お元気であったが、さすがに80歳を超えると、昔のような全身からエネルギーがあふれているというわけにはいかない。自分も30年後はこういう風にして年をとっていくのかと、いろいろ考えてしまった。
 私立の病院関係者よりも開業医の先生が多く参加していた。どこの病院も生き残りに必死である。京都第一赤十字病院とて、手術や高度医療技術の必要な患者さんを開業医の先生から送ってもらわないといけない。医療の大きな流れとしては、高血圧や高脂血症などの慢性疾患はかかりつけ医で診てもらい、必要な検査や手術などは日赤でやり、落ち着いたらまた近くのかかりつけ医に戻すという方向になってきている。風邪ひとつでも、うちは代々日赤と言って、近くの医院に行くのをいやがる患者さんも多いようである。しかし、外来部門はすでにパンク状態であり、かかりつけ医に任せられるものはかかりつけ医に任し、自分たちは高度専門医療に専念したいということである。軽い症状であっても、長年病院に通っていると見放されたと感じる患者さんもいるので、京都第一赤十字病院の主治医ととかかりつけ医の主治医を二人つくり、患者さんの不安を軽減する工夫をしたりしている。
 北区で開業している同級生にも久しぶりに会った。開業して10何年にもなるので、今は趣味に専念しているようである。息子が今年京大の医学部に入学したと言っていたので、仕事以外のことでは、子育てもやはり生きがいになるのだろう。私の子どもはまだ小さいが、同級生などで子どもがどこの大学に入学したとかはよく耳にする。自分の子どもは好きな仕事についたらいいと思っているが、やはり塾の成績などは気になる。昔、お茶の水女子大学かどこかで、父親が娘の代わりに女装して受験して、大騒ぎとなったことがある。受験に対してそこまで熱心にはなれないが、私の負けず嫌いが、子どもに対しても出てしまいそうである。よく考えたら、まだ日本は平等社会だと思う。子どもが親の築いた財産で一生食べていけるはまだ本の一部である。私は今の所なんとか世間的には成功しているが、子どもの世代になったら全く別である。子どもは子どもで自分の未来を切り開いていかないと、たとえ裕福な家庭でも支えていくのは無理である。中には大きな病院を息子が引き継いでやっている所もあるが、決してこれから先も安泰してやっていけるわけではない。大企業さえ、何十年と生き残るのが難しい時代である。
 何人かの日赤の先生とも話をした。世代交代が進んでいて、部長も何人か交代していた。心療内科も私の後を引き継いだ副部長であるM先生が伏見の大手筋で9月から開業する。精神科関係は開業ブームで、府立医大の関連病院である明石市民病院の部長が10月から神戸で開業する。私が博士号を取る時にお世話になった京都教育大学教授のN先生も開業を考えているという。開業する先生が増えて、中堅やベテランの医局員がいなくなり、大学の医局も人を派遣するのが大変なようである。私が日赤の部長をやめた時に、当時の助教授が私の後を引き継ぎたいと希望したが、願いがかなえられず、今は自ら見つけた他大学で心理系の教授をしている。精神科関係は今はある程度経験を積んだら開業もできるし、他大学の心理系の教師になることもできる。大部分の医者が精神病院に勤めるしかなかった時代を考えたら、比べものにならないぐらい選択肢はある。他の科の先生と話しをしていたが、開業するのが難しい科もあったりして、つくづく科によって温度差があると思った。土曜日は午後から夕立があって、行くのが面倒だと思ったが、この日は思い切って出て来てよかった。開業すると、ついつい医院に引きこもりやすくなるが、たまにはゆっくりと同業者と話すのも大事である。

平成17年8月2日(火)

 この前の日曜日は「スターウォーズ エピソード3」を息子と見に行った。まだ小学生なのに、友達はみんな見に行って、見る前から大体のあらすじも知っていた。最初のスターウォーズは私がまだ大学生の頃だったので、もう何十年とたつ。熱烈なファンが多いのは知っているが、個人的には私はだめである。息子の方が過去の作品を含め詳しく知っている。コンピューターゲームのような宇宙船の戦いがもうひとつ好きになれない。何というのか知らないが、色のついたビーム剣での戦いも単調に思えて仕方ない。何十年前の第1作につなげなけばならないので、難しいとは思うが、もうちょっと派手な武器や技を出してほしい。とにかく息子は満足していたので、これはこれでよかったと思う。
 映画から帰って、医院で久しぶりに2ちゃんねるをのぞいてみた。ここではメンタルヘルスの部門で「京都の精神科・神経科・心療内科のお医者さん」のコーナーがある。1番新しい掲示板を見たが、いつもと変わりない内容で、京都の精神科クリックや病院の評判が書き込まれている。私の所はこれまで1度だけ書き込まれていて、話題になったこともなかった。全部チェックしているわけでないが、以前の時は、うつ病の人に診断書を書くので休養したらいいと伝えたことが、他に代理の人はいると言われ、自殺の危険もあると言われたと怒っていた。なかなか自分の伝えようとしたことがうまいこと患者さんに伝わっていないものだなとこの時には思った。大体さっと目を通して、前100の所をクリックしたら、私の医院のことがけっこう長く書かれていた。精神科の世界は狭いので、京都で開業している先生はほとんど知っている。以前にはA先生のことやT先生のことがぼろくそに書かれていた。今度の9月から京都第一日赤で副部長になるN先生もいろいろ言われていたこともある。
 ここに書かれていることが私の医院のすべてではないが、読んでいて面白かった。こちらが伝えたいと思うことと患者さんの受け取り方にかなりの差があると思った。もし受付けの評判がよくないのなら、改善しようと思う。私の所は診察室が2階にあるので、なかなか1階の受付けのことはチェックしにくい。長いこと私の所に通っている患者さんの中には受付けの態度など気楽に聞ける人もいるので、私の苦手な労務管理もきちんとしていこうと思う。開業して5年目になり、そこそこ順調に行っていると、どうしても気が緩みやすくなる。時々、接客マナーの講習会の案内があるが、これまでは医者である自分さえしっかりしていたら大丈夫だと思っていた。この掲示板では医者のことはいろいろ批判されるが、受付けのことでまで批判されることはめったにないので、気をつけなければならない。
 こんな偉そうなことを書いているが、私のこともけっこういろいろと書かれていた。1人の患者さんは私が薬の量や種類を尋ねてくるので、不安になっていた。最近の患者さんはインターネットで調べてくるのか、注文の多い患者さんも増えてきている。この薬を出してくれから始まって、これ以上薬を増やすのはいやだとか、この薬はいやだとか、高い薬はいやだとかいろいろ言ってくる人がいるので、一応聞いているのだが、余計な不安を招いたようである。病名などもあまり説明してくれないと書いてあったが、精神科関係の病名は内科の病名と違って、とてもファジーである。はっきり区別しなければならないのは、統合失調症とてんかんぐらいで、、パニック障害やうつ病、神経症、人格障害などは保険請求のための病名はつけるが、病名そのものはあまり意味をなさない。よく聞かれるのは、引きこもりやニートみたいな人に、「私はうつ病ですか」という質問である。この質問になかなか明快に答えを出してくれる精神科医はいないと思う。うつ病と言いきってしまうと、うつ病のために私は引きこもっていますみたいになってしまう。そして、私のうつ病はいつ治るのですかということになる。取りまく環境や本人のパーソナリティなどは関係なく、うつ病さえ治したら、こじれてしまった引きこもりやニートから立ち直れるような錯覚を起こしてしまう。状態像としてはうつ状態でもいいのであるが、うつ病とは違い、このあたりを説明しだすと精神医学そのものの学問の成り立ちまでさかのぼらなければならない。
 前にも書いたが、医者でも内科から精神科に来ても、このファジーさを理解しないと、精神科の治療はできない。統合失調症などを除いて、精神科では病名を付けることにはあまり意味はなく、いかに症状を改善するかが最大の関心である。内科のように、この高血圧にはこの降圧剤というように、病名が治療を決めることは少ない。人格障害の人も含め、抗うつ剤や精神安定剤をあれこれいじくっているのが現状である。ただ、病名がわからないと不安になる患者さんの気持ちもよくわかる。それと、統合失調症の患者さんの場合は、あまりはっきりと病名を言わない場合もある。ガセネタは困るが、掲示板にはいろいろ書いてもらったらいいと思う。朝から晩まで患者さんを診ていると、こちらもついついわかりきったことと思って、説明がおろそかになることもあるかもしれない。それでも、私もこの年になって、相性の問題はあるかもしれないが、私の所であまり症状が改善しなかったら、どこに行ってもあまり改善しないだろうと思っている。おそらく20年以上やっている先生は、特殊な領域を除いて、みんなそう考えているのではないかと思う。今はあちこちに精神科診療所ができているので、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを求めて自分の納得のできる医療機関を見つけたらいいと思う。

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平成17年7月26日(火)

 この前、他府県に転居した患者さんのことで、転居先の医院より私の所に問い合わせの電話があった。長いこと雄琴のソープで働いていて、今回普通のサラリーマンの彼と結婚となった。幸せな家庭を築いてくれることを切に望んでいるが、気がかりなこともないわけではない。以前にも風俗の女の子の生き方についてふれたことがあるが、風俗の世界にはいるのは単なるお金だけが目当てでない。中には親の借金や彼の借金を返すために働いている人もいるが、自分自身の自己評価が低く、自分が必要とされていることを確認するために働いている人もいる。自分の自己評価が低くなるのは、やはり小さな頃からの親の育て方が大きく影響している。親はこの世の中で生きていくために厳しくしつけたと言っても、小さな頃に充分な愛情を注がれて育っていないと、自己評価は低くなる。両親に充分に甘えて育ったという体験がないと、なかなか他人を信頼することができず、心もうまく開けない。そういった生きにくさをかかえながら、自分の居所を探している時に、風俗は1つの答えを与えてくれる。答えは1つでなく、とりあえず、自分が必要とされ、自分が生きていくことにOKを出し、自己評価を上げてくれるものなら、何でもいい。中には年上の人との不倫に走る人もいるかもしれない。
 病人のために看護師になるとか、貧しい人のために福祉関係の仕事につくことも1つの方法であるが、なかなかハードルが高い。否定的な自己像から逃れられず生きていくことが苦しくて仕方ない場合、手っ取り早い解決方法は、生活手段も含め、風俗がある。まず、経済的には破格のお金が手に入る。次に、ふだん言い寄られないようなお客さんからプレゼントをもらったり、デートに誘われたりする。自己評価が低いというのは、自分なんか愛してくれる人がいないという誤った信念に基づいている。お金が絡んでいるが、裸で勝負しないと男の人には相手にしてもらえないという潜在的な恐れがある。裏返すと、裸にならないところでの勝負は最初から勝てないと頭から思い込んでいる。裸にならなくても、充分に男の人に愛されるにもかかわらず、両親特に母親に組み込まれた誤った自己否定的なプログラムがいつも作動して、愛に関する問題については自信がなく不安である。風俗の世界ではお客さんと互いに裸になることで、煩わしい社会的なしがらみを一足飛びに超えることができる。案外最初からお互いに本音で接することもできたりする。目的は性的な満足なので、顧客の満足度という点では他の職業に抜きん出ているかもしれない。やりがいという点でも、目の前でお客さんに喜んでもらえるので、自分が頑張れば頑張るほどその手ごたえを直接確かめることができる。銀行などで朝から晩まで細かい数字を正確にコンピューターに入力していても、特に誰からも感謝されることはない。お客さんの中には自分を指名してくれる人もいるので、自分が求められているという感覚は自信にもつながり、これまで低かった自分の自己評価を上げてくれる。中にはお客さんに優しくしてもらえることで、小さな頃からの愛の欠落感が一時的に満たされる人もいるかもしれない。感染の恐れなどいろいろな但し書きはあるが、とにかく頑張れば頑張るほどお客さんに喜んでもらえ、収入も増えるので、自分の生き甲斐をこの仕事の中に見出す人もいるだろう。
 みんながみんなこのような人ばかりでないが、心の傷をかかえたままこの世界にはいる人も多いと思う。自分が求められているという感覚や必要とされている感覚は、両親から無条件の愛を与えられていたらそれほど必要としない。お客さんを相手にすることで、この感覚が得られ、何のために生きているのかという空しさを一時的にも薄めてくれる。この仕事から引退すると、これまで自分を生かさせてきた強烈な自己肯定感がなくなるので、それに代わる何かが必要になる。たとえ結婚しても、この何かを見つけないと、再び小さな頃に植えつけられた自己否定感が蘇ってくるのではないかと心配になる。

平成17年7月19日(火)

 この前の土曜日は外来を休診にして、和歌山まで日本心身医学会近畿地方会に出席してきた。私は難波から南海電鉄で行ったが、何種類かの特急が出ていて、どの特急が和歌山に行くのかぱっと見てもなかなかわかりにくかった。特急券も自動販売機で売っているのかと思って、少しうろうろした。JRを使った先生に聞くと、やはりけっこう時間がかかったらしい。そんなことで、連休前もあって、京都からはあまり多くの先生は出席していなかったようである。
 午後からのテーマが「ひきこもり」であった。特別講演の国立精神・神経センターの先生が、家族だけが相談に来ても本人が来なければと言って断るのは間違いと話していた。こういうことはよくありそうである。私は小学生や中学生の場合は児童を専門にしている所やパトナを紹介したりする。高校生以上は本人が来なくても相談は受けつけているが、なかなか医師1人では対応が困難である。講演では家族支援の大切さを強調していたが、1つの医療機関や医師だけではやはり無理があり、行政も含んだ多職種のチーム形成を地域で行うことが不可欠であると述べていた。こういうことを言ってもらうと、診療をしている者は少しほっとする。いつも思うのは、どんな治療でも標準化され、ある程度の平均的な医師が誰でもこなせるようにならなければならない。ところが、精神科関係の病はなかなか治療法が定まらず、過食症や拒食症、リストカット、引きこもりなどに万能な一定した治療法がない。名医と言われる先生もそんな魔法のように治せるわけでなく、こじれている患者さんの場合はほとんど役に立たない。身体の病気の場合はその患者さんを取り巻く環境はほとんど無視できるが、精神科の場合は患者さんが置かれている環境は複雑でそれに対して医師はほとんど無力である。実際に治療と言うより、悪くならないように支援するだけでせいいっぱいの患者さんもいる。何か趣味でもとか、自分にあった仕事をとか、あまり焦らずにとか、ほとんど役にも立ちそうもないアドバイスをしていることが多いような気もする。
 もう1人の特別講演は大阪大学の先生で、現代の青年期とひきこもりについて話をしてくれた。医者になりたての頃は青年期精神医学を熱心に勉強したが、今でも基本的なことはあまり変わっていないと思った。大人になることは、いろいろな可能性をあきらめて何か1つに決断することだと覚えていたが、講演では「自己愛、自己万能感」と現実との折り合いをつけることの難しさが説明されていた。かけがえのない自分の物語をあきらめられず、なかなか就職や結婚ができない人も多い。家族の中の自分ではなく、家族よりも大事な自分も強調されていた。容姿やお金、学歴なども自分の物語に必要になるが、そのあたりは精神医学はノータッチである。もちろん、そのことばかりにとらわれ過ぎるのも問題である。現代社会の青年の分析は面白かったが、実際の治療に結びつけるのはなかなか難しいと思った。
 連休は引越しで山積みになったままのレコードと本の整理を京都駅近くのマンションでしていた。レコードはアーティスト名で大体ABC順になっていたが、新しい大きな本棚にきちんと整理して入れるつもりであった。埃のついたビニール袋を拭きながら、1枚1枚確認していったが、何百枚とあるレコードを整理しながら、今まであまり意識したことのない自分の中の狂気めいたものを感じてしまった。我ながら、こんなにロックのレコードを集めて、どうかしていると思った。和歌山の講演会で強調されていたのは、現代の若者はインターネットとゲームに引きこもるということであった。朝から晩までゲームに浸る若者やネット中毒の若者がいる。今から思うと、私はロックにだけしか自分の居場所が見つからず、必死でLPレコードを聞きあさっていたような気がする。これから一生かけても聞けないぐらいのレコードの山を目の前にして、自分の危うい青年期を思った。リストカットをすることで、なんとかその場をしのいで生きている人がいる。私は新しいロック・アーチストのLPを聞くことで、なんとか1日を生き延びていたような気もする。医学部の中に精神科があったのは本当によかったとつくづく思う。内科でも耳鼻科でも麻酔科でも不適応を起こして、使い物にならない医者になっていただろう。どんな職業でも向き不向きがある。医学部の中で何とか自分の居場所を見つけ、生き延びることができた。自分の生い立ちも含め、やはりこの仕事が向いているのだろうと改めて思った。

平成17年7月12日(火)

 いよいよ書くことがなくなってきた。この日記をつけだしてからは、いつも何か話題を考えていて、気がついたらメモに取るようにしている。この前にあるテーマを思いついて、今度はそのことについて書こうと思っていたが、ばたばたしていて、メモを取り忘れ、いくら思い出そうとしても思い出せない。作家などは思いついたことは、たとえトイレの中でもすぐメモに書き残すと言うが、そうでもしないと、一瞬頭の中をかすめたアイデアはなかなか取り出せそうもない。前にも書いたが、診察室のパソコンが先週ついに壊れて、何をやっても電源がはいらなくなった。専門の人に聞いたら、電源回路が古くなるとうまく作動しないことがあるらしい。電源回路を変えても、機械との相性があり、必ずしも成功するとは限らないという。仕方ないので、また京都駅の近くのマンションから新しいパソコンを持ってきて、すべて取り替えた。外部のハードディスクに大事なものだけバックアップしていたが、それでもたくさんの記録が消え失せた。先ほどの記憶と同じように、深い闇の底に永遠に閉じ込められてしまった。
 そんなことを考えていたら、ふと、死体を冷凍保存して、医学が発達してから蘇らせる技術のことを思い出した。古いパソコンでも、技術が発達したら、中のデータを間単に取り出せるようになるかもしれない。200年後300年後に、古いパソコンを探し出して、中のデータを調べるパソコン考古学が発達するような気もする。このホームページの過去のデータはすべて壊れたパソコンの中にある。このパソコンを高性能のカプセルに入れて、自宅の地中深く埋めておくのもいいかもしれない。1000年後ぐらいに発見され、中のデータが新たに陽の目を見る日が来るだろう。沢山の禁じられた画像もはいっているので、1000年前の人類の性的嗜好がわかるだろう。私は性行為そのもの画像より、フェティッシュな画像の方が好きなので、この時代は性行為そのものの画像が禁じられていたと勝手に解釈されてしまうかもしれない。
 よく考えてみたら、本とか映画も私が若い頃のものはどんどんと消えている。100年、200年単位で考えると、今評価されている本もどこまで古典として残るか疑問である。夏目漱石や太宰治の作品は残っていくかもしれないが、武者小路実篤などの作品を読む人はほとんどいなくなってしまうかもしれない。世界の古典と言われる本も少しづつ淘汰されていくだろう。こんなことを思うのは、50歳を超えて、自分の人生が本当に残り少なくなってきたと感じるようになったからかもしれない。先週の土曜日は精神科医局の夏の同窓会があった。世話人会はみんな私の知っている先輩と後輩で構成されていた。ところが、後の懇親会ではほとんど知らない若い医局員ばかりである。昔ある院長が同窓会名簿が段々と先の方になって1ページ目になってしまったと言っていたが、それこそ次は物故会員である。いつもあと10年若かったらと考えてしまうが、人生は逆戻りできないので、60歳になってもあと10年若かったらと考えてしまうだろう。だから、年を取ってしまったと嘆いていないで、今できることは今やるしかない。
 前から書いているようにこの日記も自分の記録として残している。自分の人生の総括として何が残るかと言うと、難しい。この日記の寿命もせいぜい1週間である。死ぬまでに、半年は持つ何かをつくりたいと思っている。それでも、いろいろな雑用に忙殺され、思うように時間が取れない。今日は下京区の保健所で家族懇親会の講師をしてきたが、この原稿も日曜ぎりぎりまで書いていた。来週の金曜日は東山保健所で医師のワンポイント・アドバイスの講師を頼まれているが、今度は難しいテーマで時間がかかりそうである。精神医療という仕事やテーマから離れて、何か別のものをつくって見たいと思うが、なかなか思うようにいかないものである。

平成17年7月5日(火)

 先週の火曜日は午後からミニ引越しをする予定であった。丹波橋の自宅にある本とレコードを京都駅近くのマンションに運び、ついでに診療所に置いてある本も運ぶつもりであった。本はだいぶ整理したつもりであるが、それでもなかなか捨てられず、レコードも学生時代からの分がそのまま残っている。何枚ぐらいあるのか数えていないが、引越し用のダンボール箱に7箱あった。レコードプレイヤーはマンションに運んでいるので、時間がある時に整理しながら、気に入った曲だけパソコンに取り入れていこうと思う。昔のレコードは今はけっこうCD化されてきているが、永遠にCD化されそうもない珍しいレコードも沢山持っている。今でも熱烈なレコードファンがいるというが、わかるような気がする。レコードからCDに変わる時に、どうしてもCDの音に馴染めなかったことを覚えている。今でもそうであるが、原音に近い音をデジタルで忠実に再現しているというが、何かスカスカした音に聞こえて仕方ない。レコードで育ってきた者にとってはアナログとデジタルでは明らかに何か違うのである。本は自宅と診療所と合わせて、17箱であった。他に使っていない机やイスも運ぶ予定であった。
 京都市内で2ヶ所寄り、最終的には京都駅近くのマンションに運ぶので、2時間もかからない。引越しはどこに頼むか、タウンページで調べた。大手の運送会社から中小の運送屋までいろいろ出ていたが、最初の方の大きな広告を出している会社に電話してみた。係りの男の人が出て、今まで引越しをしたかどうか聞いてくる。明らかに値踏みしている感じがする。最初に3万円と言い、詳しくこちらの話を聞いてから、消費税を入れて3万1千5百円と訂正してくる。大体の相場は決まっているのであろうが、何かいいかげんのような気がしてくる。いつも思うのであるが、宅急便などの値段は決まっているが、引越しの値段は不透明である。京都と神戸の間を行き来した時も最初に下見に来たが、住んでいる所や持っている家具の豪華さなどで大幅に値段が変わるような気がした。
 さて、この火曜日は午後3時から5時の間に自宅に来てくれるということであった。仕方ないので、3時から待っていたが、なかなか来ないのである。事務所に電話したが、最初の所が遅れたら、どんどん遅れていくので予定時間ははっきりしないという。遅れる時には連絡するという。ところが5時半になっても何の連絡もないのである。この日は暑くて、疲れきっており、やることも沢山残っていたので、頭にきてしまった。こちらから電話すると、作業が送れて6時半から7時になるという。最初からわかっていたらそう予定をたてていたのに、あまりにも大雑把である。きれてしまって、この日の引越しはキャンセルにした。そのまま医院に帰って、残っていた書類などを書いていたら、7時半頃に家内から電話があり、運送屋が来ているという。電話ですでにキャンセルしていたので、そのまま帰ってもらった。3時からと言っておいて、実際に来たのは7時半である。いくら何でもひどすぎる。
 最初の運送屋をキャンセルしたのはいいが、狭い家なので玄関付近にダンボール箱が山ほど積み重なり、トイレに行くのも不自由である。2階にある机は1人で下に降ろせなかったので、通路に出していたが、通る隙間もない。息子に聞いたら、自分の部屋に行くのに机の上を登って行くという。早く別の運送屋に頼まなければならず、またタウンページで調べて、今度は前より広告の小さな運送屋に電話した。荷物の量は正確にわかっていたが、出てきた係りの男の人が、5万円かかるが特別に3万5千円にすると言ってきた。これもまたいいかげんな感じである。もうちょっとうまいセールス・トークがないものかと思う。ただ、こちらの都合に合わせ、朝1番で日曜日にしてくれたので、ここに頼んだ。当日は約束どおりの時間に来て、1時間半ぐらいの作業で終わってしまった。とにかく荷物が片付いて一安心である。
 今回は引越し屋の値段や時間のルーズさにはあきれてしまったが、この業界だけでなく、自分たちが属している業界についても見直してみる必要がありそうである。その業界にどっぷりとつかってしまうと、自分たちのことはなかなか見えず、他の業界の欠点ばかりが目に付いてしまう。医療の世界も決して自慢できるわけではない。病院によっては必要のない高い検査をしたり、必要のない薬を出したりしている所もあるかもしれない。金曜日に患者さんを退院させるとベッドの稼働率が下がるので、退院はなるべく週明けにする所もあるかもしれない。いろいろ考えていたら、なかなか表には出ないが、医療の世界も引越し業者に劣らぬほどあきれた問題を抱えていると少し反省した。


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