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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成17年6月28日(火)

 この前の日曜日はいつも使っている医院のコンピューターの調子が突然おかしくなった。何をやってもピーピーとうるさい音をたてるばかりで、ディスプレイに何も出てこない。こういう場合は強制的に電源を切って、また入れ直したらいいのであるが、いくらスイッチを押しても切れない。仕方がないので、パソコンに差し込んであるコンセントを抜いて電源を切った。またコンセントを差し込んでも、起動時のうるさい音がいつまでも消えず、ピーピーと鳴り続けるばかりである。画面は真っ暗なままで、信号が全く来ていない。コンセントをまた抜いて同じことを繰り返してみるが、反応は同じである。いよいよクラッシュしたかと思い、絶望的な気持ちになりながら、しばらく間をあけて再チャレンジしてみたが、全くだめである。
 日曜日でも朝早くから出てきて書類などを書いているが、この日は午後から龍谷大学でTOEICの試験があった。TOEICはしばらく受けていなかったが、900点を目指して再チャレンジである。これまでの最高は865点であるが、今回はCNNのニュースを意識的に見るなど、それなりに努力はしていた。読む方は相変わらず何もしていなかったが、CNNは毎日1時間近く見ていたので、ヒアリングは自分でも大分向上したと思う。ところが、受験票の身分証明の写真がパソコンの中にはいっており、画像が取り出せないのである。従業員の6月分の給与も計算して、明細書も出さなければならないが、様式はすべてパソコンの中である。このホームページも毎週火曜日には更新しなければならないが、クラッシュしているなら別のパソコンを買ってでも何とか間に合わせなければならない。
 これまで、パソコンは何台も買い換えているが、クラッシュを経験したことは1度もない。ウィルスなどで調子が悪くなり、初期化して最初からソフトを入れ直したことは何回もある。新しいパソコンに買い換える時に、それまでのデータを外付けのハードディスクに入れて必要なデータだけ新しいパソコンに入れている。ある日この外付けのハードディスクの調子が悪くなり、何をやっても中のデータが取り出せなくなったことがある。業者に頼んだらなんとかなったのかもしれないが、大事なデータは取り出してあったので、この時にはあきらめた。パソコンの中にはいっているデータのことを考え出したら、めまいがしてきた。保健所などでの講演用の原稿から医院の会計、年賀状の住所、取りためたデジカメの写真などすべてはいっている。中には人に見られたくない私の秘密のデータもたくさんはいっている。特にアダルト系のお宝写真などはその人の性的嗜好が露骨に出てしまう。一般のアダルト系の写真なら見られてもいいが、中には絶対人には見られたくない画像もある。誰でも多かれ少なかれ性的に倒錯した部分もあるが、インターネットではそのわずかな部分に焦点を合わせると、どんどんと拡大していくことができる。ふだんの生活で自分でも気づかなかったような欲望が突然引き出されたりすることもある。
 パソコンには私の心の闇の部分まで含まれているので、業者に頼んでパソコンを修理してもらうわけにはいかない。医院にまで来てもらって、修理してもらってもいいのであるが、持って帰らないとわからないと言われたらおしまいである。結局、この日はTOEICを受けるのはあきらめ、すぐにソフマップまで行った。医院用のパソコンは買ってから4年近くたっている。私はいつもパソコンを買う時にはインターネットの通販で注文しているが、家まで帰って家のパソコンで注文するのも面倒である。実際に送られてくるのに1週間以上かかり、それまでの間が仕事にならない。中古でもいいと思ったが、新品も含めて気に入ったのがなかった。結局、京都駅近くのマンションに置いてあるパソコンを持って来ることにした。幅の広いデスクトップであったが、仕方がない。医院まで運んで取り替える前に、もう1度スイッチを入れて再チャレンジしてみた。すると、今度はきちんと起動して、いつも通りのように使えるのである。数時間前までは何回やっても無理だったのに、不思議である。結局、この日は公費負担の診断書や職員の残業手当を計算して明細書を作り、遅れていた税理士に送らなければならない5月分の領収書の整理をして、1日が終わってしまった。その後で重いパソコンをまたマンションまで持って帰り、どっと疲れが出てしまった。
 翌日にあたる昨日の朝、パソコンの電源を入れると、またあのいやな起動音がやまず、いつまでもピーピーと鳴って、起動しないのである。昨日の経験があるので、しばらく置いてまたチャレンジしてみた。最近は何も新しいソフトは入れていないが、パソコンにつないでいるUSBを取り外すと、偶然かまた正常に起動した。今度は大事なファイルはすべて外付けのハードディスクにコピーした。ウィルス・スキャンとスパイウェアの検索をしたが、どこにも異常は見つからなかった。原因はわからないが、このまましばらくこのパソコンを使い続けようと思う。今日は正常に作動しているので、この日記もなんとか更新できている。

平成17年6月21日(火)

 ある患者さんに、以前にかかっていた診療所から心理療法の案内が届いた。その患者さんは今は私の医院にかかっているが、その診療所に抗議に行き、警察官が出てくるほどの大騒ぎとなった。今年の4月から個人情報保護法が施行されているが、精神科や心療内科にかかっている患者さんの個人情報については、他の科にかかっている患者さん以上に慎重に取り扱わなければならない。医療専門誌などを読んでいると、患者さんを増やすためにいろいろな工夫が載っている。患者さんの病気の理解のために院内広報誌を出したり、待ち時間を少なくするため予約制にするなどいろいろある。その中に高血圧などの慢性疾患の患者さんでしばらく通院が途絶えている場合に、再来院の案内のはがきを出す方法がある。一般の病気の場合は案内のはがきが来てもそれほど苦情が出ないかもしれないが、精神科や心療内科では無理である。中には家族にも秘密にしておきたい患者さんもいるかもしれない。
 統合失調症で、この病気は治りますかと聞かれることが多い。外国では予後調査が出ているが、日本では長期の予後調査は出ていない。再発する人も多いが、そのまま治っている人はいるのかと聞かれると、なかなか答えづらい。患者さんの10〜20%が自然治癒で治るという報告もあるが、私個人としては懐疑的である。長期的な予後がわかりにくいのは、この個人情報と関係してくる。発病時に私の医院を受診しても、どこかの病院へ入院したり、引越しをしたりするので、その後のことがよくわからない。薬を中断して再発し、再び受診してくる人は多いが、そのまま治癒している人がいるかどうかは知りようがない。まれではあるが、中には5年10年と薬も飲まず再発していない患者さんもいる。しかし、これもこれからも生涯再発しないという保障はない。長期予後がわかりにくいのは、たとえ大学病院でも現在通院を中断している患者さんにアンケート調査を行うことができにくいからである。「あなたは昔統合失調症で当院に通院していましたが、現在は治っていますか」という質問は明らかにプライバシーの侵害になる。
 私はこのホームページでは大胆に自分のことは暴露しているが、昔から自分の個人情報についての管理は神経質である。以前に親しくしていた精神病院に勤めていた先生の自宅に、ある日突然アダルト・ビデオのカタログが郵便で送られて来たことがある。この先生は私とは好みが違って人妻もののアダルト・ビデオが好きだったが、地元のレンタル・ビデオ屋から借りて当直の夜などに見ていた。どこから情報が出たのか心配していたが、学生などがアルバイトで働いている場合にはこの個人のレンタル・ビデオ屋から漏れた可能性が高い。こんな案内がしょっちゅう自宅に来たら、誰でも心穏やかにはいられないだろう。運の悪いことに、借りているところを1人の患者さんにも見られた。この患者さんはふだんは大人しいのであるが、躁状態になった時には手がつけられなくなる。この先生がその後この患者さんの再発予防に熱心になったのは言うまでもない。私はたとえツタヤでも、アダルト・ビデオを借りることはできない。パソコンや携帯電話のアドレスも慎重に管理しているので、それこそ迷惑メールも来たことがない。どこか秘密クラブにはいりたいと思うこともあるが、身分を明らかにする所が多いので無理である。
 先日医療者向けのネットのニュースを見ていたら、ある公的病院の先生が開業をする際に、その病院の患者さんに開業の案内を出していて、大問題となっていた。患者さんの住所などは個人情報に属しており、病院や患者さんの同意を得ず、勝手に開業案内を送るのは明らかに法律違反である。私が開業した頃はまだ患者さんの情報の持ち出しについては、それほどうるさくなかった。私の所を受診したいという患者さんについての情報は、処方内容からこれまでの治療内容まで前もって得ておかないと、開業した医院でも勤務していた病院でも混乱に陥る。患者さんが来るたびにいちいち病院に問い合わせをするわけにもいかない。私の場合は、開業したらコピー機が必要になるので、先に買い、外来に置いた。開業案内も作り、外来の時に私の所を受診したいという患者さんだけ、カルテと処方箋をその場でコピーさせてもらった。この方法が1番手っ取り早く、患者さんの同意も得ているので、当時考えられる最善の方法だと思った。病院のコピー機は無料であったが、自分の開業のために使うのは気が引けた。しかし、1人1人の患者さんの情報をコピーすることについていちいち病院の同意は得ていなかった。最近日赤からも、過去5年間に退職した医師に対して患者さんの個人情報の取り扱いについて調査があった。これから開業する医師にとっては、たとえ主治医であっても、これまで曖昧になっていた病院からの患者さんの個人情報の持ち出しが難しそうである。<

平成17年6月14日(火)

 先日京都第一赤十字病院の創立70周年記念誌が送られてきた。各部署ごとにこれまでの歴史が書かれ、心療内科についても歴代の部長の名前が載っていた。私は3代目でわずか4年間しかいなかったが、京大系から府立医大系に代わった時の部長として、名前だけは残っていくだろう。病院はまだ建てなおしたばかりなので、よほどのことがない限りこの先つぶれないだろう。100周年記念誌が出るまではなんとか生き延びようと思う。人は誰でもある程度年齢がくると、自分がやってきたことについて総括したくなる。30年後は寝たきりになっているかもしれないが、100周年記念誌に自分の名前をみつけることが、唯一の楽しみとなっているかもしれない。
 私がいた頃に部長をされていて、現在は日赤の関連機関に行っている先生の投稿も載っていた。その先生は30年以上日赤にいて、その間に書いた筆頭論文は109編で、指導共著が63編、その他の共著が87編である。病院も毎朝6時過ぎから出勤していて、その下にいて今は部長になっている当時の副部長が嘆いていたことが強く印象に残っている。学会発表で秋田かどこか東北に行かなければならない時に、仕事が終わってから夜行で行かされ、学会発表が終わったらすぐにまたUターンし、京都に着いたらまだ山ほどの仕事が残っていたという。この部長は自分を厳しく律して、患者さんのために診療と研究を何十年と続けてきているので、この程度のことは当然なのだろう。医者の鑑といえば鑑であるが、ここまで頑張られると、私の気持ちとしては何か複雑である。
 京都ではMKタクシーの青木会長が有名であるが、この人も40年間雨の日も風の日も正月も盆も関係なく毎朝6時半から会社に出勤し、無線室のマイクを使って職員に呼びかけていたという。身障者優先乗車の導入や運輸省との運賃値下げ裁判で有名であるが、ここまでやられると、またしても私は何か複雑な気持ちになる。ライブドアとフジTVの争いで、白馬の騎士として出てきたソフトバンク・インベストメントの北尾吉孝氏がいる。TVのニュースなどでは傲慢とも思える自信たっぷりの態度で、中には反感を覚えた人もいるだろう。週刊誌でも報じられていたが、毎朝必ず5時に起きて、金融・経済に関する論文を何十年と読み続けているという。
 私が小学生の頃は薪を背負い、本を読んでいる二宮金次郎(尊徳)の銅像が校庭に建てられていた。日夜一生懸命働き、寸暇を惜しんで勉学に励んでいる姿が、ある意味で日本人の手本となる理想の姿とされていた。しかし、努力とか精進も度を超えてくると、尊敬の念から、違和感に変わり、なぜか途中から勝手にやってくれという気持ちになってくる。一歩間違えると奇人、変人の領域に達してしまうかもしれない。大分前のことなのでうろ覚えであるが、ある大学の麻酔科の助教授が独立して自分の研究所を作った時に、製薬会社との癒着で逮捕された事件があった。この助教授は大学にいる時には日曜・祝日もまったく関係なく研究室に出て、朝早くから夜遅くまで研究していたという。主任教授が心配して、少しは休んだらと注意したぐらいである。努力や精進にはルールはないのだが、睡眠や余暇を削ってまで頑張られると、何か反則ワザを使われているような気がしてくる。広い世間にはもともと頭がよく、それでも日々超人的に努力している人もおり、こんな人を相手に同じ土俵では勝てないとつくづく思う。
 世の中には浮気もせず、アダルト・ビデオも見ず、スナックやクラブにも飲みに行かず、パチンコなどの賭け事もせず、もちろんキャバクラや風俗にも行かず、雨にも負けず、風にも負けず、妻だけをひたすら愛し、父親や夫の鑑となる人もいるのかもしれないが、これも私にとっては尊敬の対象というより、やはり放棄の対象である。それこそ比叡山の千日回峰行の方がまだましかもしれない。なかなか証明するのは難しいかもしれないが、難易度の高さから考えたら、将来はこういう人物の銅像を各小学校の庭に建てるのがいいかもしれない。

平成17年6月7日(火)

 この前の土曜日は国際交流会館で外国人のためのカウンセリング・デイがあった。今年も私の担当となり、時間は2時から5時までである。前にも書いたように、まだ外国人にとっては精神的なことを相談するのは敷居が高いのか、今回も相談者はゼロであった。在留期間とか法的な問題の方が、外国人にとっては差し迫った問題なのだろう。潜在的な需要は高いようであるが、中国を始めとしてアジア諸国の人々にとってはまだ第三者への相談慣れはしていないようである。国際観光都市京都としてはいい企画だと思うので、少しづつ外国人に根付いてくれたらと思う。
 風邪をひいたのか、体調があまりよくなく、最初の1時間はぐっすり眠ってしまった。ベッドがあればもうちょっと寝れたと思うが、椅子に座っては1時間が限度である。話はまったく変わるが、私は飛行機での深夜便でぐっすり眠ったことは1度もない。酒をたくさん飲んだら眠れるかと思ったら、ほとんど眠れず、ビジネス・クラスを使ったらもう少し眠れるかと思ったら、やっぱり眠れなかった。私は睡眠導入薬は新婚旅行の時にハルシオンを半錠使ったことがあるぐらいで、精神科領域の薬は全く飲んだことはない。最後の手段として思いきってハルシオンを1錠飲んだが、やはりまったく眠れなかった。ふだん患者さんにハルシオンを処方した印象としては、切れ味があって翌日は残らずいい薬だと思っていたが、翌日むかつきみたいなのが残って私には合わなかった。ふだん家ではよく眠れるのであるが、深夜便だけはどうしてもだめである。ファースト・クラスのほとんどベッドのように横になれるシートがあるが、乗る機会もなく高そうで試したことはない。周りを見てみると、みんな気持ちよさそうに眠っているので、どうしてかと思う。
 去年1年間やっていて、予約が入っていない時にはほとんど当日受付けがないことがわかっていたので、2冊の新書本を持って行った。読もうと思って買った本が山のようにたまっているが、その中から阿部輝夫著「セックスレスの精神医学」と最近買った藤沢秀行著「野垂れ死に」を選んだ。1時間眠ってもなかなか本を読む気になれず、しばらくけだるくぼんやりとしていた。ふだんはばたばたと忙しいので、何もせずぼんやりとすることもたまには必要である。私は外来が終わるとほとんど患者さんのことはきれいさっぱり忘れるのであるが、久しぶりに午前中に診察した何人かの患者さんのことをいろいろ考えていた。そんなことで1時間が過ぎ、「セックスレスの精神医学」の本をやっと手に取った。精神科を25年以上やっていると、なんとなく大体のことは知っているような錯覚にとらわれてしまうが、セックスの問題に関してはまだ知らないことがたくさんある。私の患者さんにも結婚して何年もたっているのにまだ1度もセックスのない女の人や40歳近くなるのに未婚で男性とのセックスが1度もない人がいる。少し前に話題になった河合香織著「セックス ボランティア」のことや金明観(キムミョンガン)氏のパートナー以外のセックスの相手をするボランティア活動のこともふと思い出した。ふだんの診察ではセックスのことはあまり掘り下げることもなく聞き流しているが、若い夫婦のセックスレスの1番の原因として、夫婦関係が母と息子の関係になってしまうことが挙げられていた。一般向けに書かれた精神科関係の本は期待はずれの場合が多いが、なかなか内容は充実している。
 それでも体調が悪くて集中力がなく、途中で読むのをやめ、今度は「野垂れ死に」を読み始めた。帯に「天才棋士と騒がれる一方、ギャンブルで作った借金は億単位、正妻と3人の子供のいる自宅には3年間も帰らず愛人のところに入り浸り、酒での乱交も数知れず」とある。著者は現在80歳を越えている。昔はこういう放蕩三昧の破天荒な生き方に憧れていたが、精神科の仕事をやるようになってからは何もできなくなってしまった。正妻や残された子供たちのことをいろいろ考えてしまう。酒での乱交も迷惑を被った周りの人のことも考えてしまう。愛人を作るのも、正妻に戻った時に取り残された愛人の気持ちも考えてしまう。不良中年になりたいと思っても、いろいろな人のことを考えると結局何もできないのである。浮気も、セックスボランティアだと考えたら、罪悪感も多少薄らぐのかもしれない。

平成17年5月31日(火)

 先週の火曜日は四条寺町の都雅都雅でアマチュア・バンドのライブがあった。ライブハウスはここ何十年と行ったことはなかったが、私の元患者さんがドラマーとして出演するので、招待されたのである。この元患者さんは自分のブログを持っていて自分のことを公開しているので、個人情報保護法に触れない程度に紹介する。自分でもうつ病にかかり生還したと書いているが、プロのドラマーを目指し、有名なドラマーの付き人をしていた人である。ところが腰を痛め、青春時代からひたすら夢見ていたプロのドラマーをあきらめ、京都に帰ってきた。その後、いろいろあるのであるが、私の医院を受診して長いこと通院していた。今はすっかりよくなり治療も終えていたが、インターネットでバンドのメンバーを募り、練習を重ね、今回の初ライブとなったのである。
 もう40歳を越え、自分のブログでも18年ぶりの演奏だと書いてあった。私も知らなかったが、アマチュアのバンドはいろいろなユニットのメンバーをかけもちしているようである。当然メンバーは若者が多く、スタジオを借りての練習でも、今の若い奴は根性がないと嘆いているらしい。きのう「TVタックル」を見ていたら、ニートの問題が取り上げられ、現代の若者気質が語られていた。企業や大学だけでなく、年上の者から見たら、アマチュアバンドのメンバーもやはり甘くいい加減に見えるらしい。あまり厳しく言ってもみんなついて来ず、これはどこの世界でも共通の悩みのようである。何が何でもプロのミューシャンになろうという根性もなく、たとえ目指していても、人の何倍も練習する気はないようである。中には女の子にもてたいと思ってやっている者もいるので、あまりかたいことを言っても仕方ないと思うが、プロのドラマーについて厳しく訓練されていた者にとっては、やはり今の若いアマチュア・ミュージシャンはもの足りないようである。
 この都雅都雅というライブハウスは初めて行ったが、大き過ぎず、狭過ぎず、かなりの迫力で音がギンギンに響き渡り、すごく気に入った。4つのアマチュアバンドが出演し、前売り券で1000円である。目的のバンドは1番最後だったので、最後の2つのバンドが聞ける時間にはいった。大音響で下手くそな演奏を延々と聞かされるのはかなわないと思ったからである。ところが、この最後から2つめのバンドの演奏がヘビメタであったが、なかなかいいのである。久しぶりに血肉湧き踊って、私のロック魂が目覚めた。よくあるどこかのコピーバンドであるが、そんなことは関係ない。ドラムの音がずんずんと腹に響き渡り、割れんばかりのギターが脳髄を突き刺し、ボーカルが叫んでいるだけで最高である。
 前にも書いたが、私はずっとロック少年であった。どちらかというとほとんどおたくのロックマニアである。私は凝りだすと徹底的に凝るので、その知識は筋金入りである。私の青春はロックがすべてであったと断言できるぐらい時間と労力、お金を費やしている。今は読んでいないが、「マーキームーン」という雑誌がある。ここの関連でヨーロッパを中心に世界中のロック(ジャンルでいうとプログレに近い)を通信販売している「ワールド・ディスク」という会社がある。ここから毎月カタログが送られてくるが、びっしりと書き込まれたアーティストの名前やアルバムはほとんど知っている。この前久しぶりにCDショップをのぞいたら、ラフ・トレイドのコンピレーション・アルバムが出ていたが、これもほとんどのバンドを知っている。ジェームス・チャンスの名前を見つけ、なつかしく思った。ブライアン・イーノがプロデュースした「ノー・ニュー・ヨーク」というアルバムの中で衝撃的なデビューをしたが、このLPレコードも持っている。インターネットで調べたらCDが出ており、早速アマゾンで注文してしまった。
 私はロックの中でも特にプログレに詳しいが、ギンギンのハードロックも好きである。最近は日本のロックが多いので、MTVは見ていないが、前はよく見ていた。スラッシュ系のアンスラックスも私好みである。MTVでは、ソニック・ユースやR.E.M.、フォール、クランベリーズなどを知り、クラッシュの「ロンドン・コーリング」のビデオ・クリップを見てもかっこいいと思うミーハーである。私の所に来ているゴスロリ系やリスカ(リスト・カット)の女の子が好きなマリリン・マンソンはちょっと好みが違う。久しぶりに大音響のロックを聞いて、また来たいと思った。クラブには昨年の大学の同窓会以来行っていないし、キャバクラもセクキャバも行ったことはないが、私にとってはそんな所よりこのライブハウスが1番あっている。でも、年をとって1人では行きづらいので、また誰か若い人が誘ってくれないかと思ったりする。

平成17年5月24日(火)

 先週に誕生日が来て、いつの間にか52歳になってしまった。この日曜日にはいろいろお世話になった大先輩の先生が71歳で亡くなられた。自分も残りの人生がいよいよ少なくなってきたと実感している。クラブに勤めていた若い患者さんが、お客さんは年寄りばかりで気持ち悪いと言っていたが、私もそんな年になったのかと思う。今年はぜひとも不良中年をしたいと思ったが、相変わらず浮気はしていないし、赤いスポーツカーにも乗らず、サングラスもかけず、髪の毛も染めていない。時々人生の幸せは何だろうと思う。自分のことより、田舎に置いている両親のこともふと心配になったりする。
 私が浮気をしたことがないと言うと、なかなかみんな信用してくれない。浮気の定義にもよるが、どこまで浮気と取るかが難しい。私の知り合いに、結婚して水着の女の子のカレンダーを部屋に貼っていたら、奥さんにボロボロにされた人がいる。女の人にとっては自分以外の女の人の写真を飾るのは浮気と変わらないかも知れない。昔遠藤周作の本を読んでいたら、「汝姦淫することなかれ」というのは、妻以外の女性を見て、欲情しただけでも姦淫したことと同じであると解説してあった。敬虔なクリスチャンであった遠藤周作もこれにはついていけないと書いていたが、私も同じである。欲情という言葉がなんとなく勃起を意味してしまうなら、セクシーに感じるという言葉に置き換えてもいい。もっともアダルトビデオでは何度も欲情しているので、浮気の定義をここまで広げたら同性愛以外の男性はすべて有罪になってしまうだろう。
 もっと現実的な浮気を考えてみよう。1番わかりやすい浮気は、妻以外の女の人と親密な関係になって性器の結合を含む性交渉を持つことである。男同士が関係を持つのが浮気かとか、オラルセックスやアナルセックスだけだったら浮気にならないかとか、高度な考察が必要であるが、今は考えるのが面倒くさいので後まわしにする。直接的な性器の結合も、挿入しようとしたが充分に勃起せず、入口付近であきらめた場合はどうなるかとか、もっと高度な哲学的思索が必要であるが、話が先に進まないので今回は無視しよう。(浮気にも未遂罪が成立するのかどうかいう話にもなってくる)
 直接的な性器の結合でも、相手がプロか素人かでも印象が変わってくる。プロでも相手がキャバクラ嬢やホステスか風俗の子かでも微妙に違ってくる。会社の女の子と親密な関係になった場合は、誰が考えても保証書付きの完全な浮気である。キャバクラ嬢やホステスでも通いつめて性交渉を持ったら、保証書は付けられないかもしれないが、やはり浮気になるだろう。風俗の子の場合は、ホテトル嬢の場合でも本番は売春になるので禁止されているが、女の子によっては値段交渉でセックスが可能である。ソープでは最初からセックスが前提である。風俗で性欲の処理のために行くのはどうなるだろうか。以前に勤めていた病院で看護婦さんと話をしていたら、仕事と小さな子どもの世話で疲れ、夫から求められても面倒くさく、たまには風俗で処理でもしてくれたらと嘆いていた。男性の性については、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞を受賞した時に話題になった一節がある。東大紛争で東大入試が中止になった日比谷高校の僕が「3日に1度女の子をレイプしたくなる」と告白する部分である。看護学校で精神保健の授業をしている時に、渡された教科書の「性の発達」の章で、男子では中学生の時には性衝動を抑えるのはかなり困難であると書いてあって、妙に納得したことがある。あるドクターが友人夫婦の家に泊まった時に夢精をしてしまったと話していたが、男性の性はかなり生物学的に規定され、ほっておくと夢精することもあり、いかに処理するかが問題となってくる。
 風俗でも、セックスは困るが、口や手なら浮気にはならないと考える人もいるかもしれない。中には、プロでも素人でも関係なく、性器や口や手も関係なく、心が他の女の人に行っていたら浮気と考える人もいるだろう。ただし、この場合は確認が難しいので、毎日ウソ発見器で夫を尋問するしか方法はないだろう。ウソ発見器も100%信用できるわけでないので、時々夕食の中に自白剤を入れる必要があるかもしれない。患者さんの中にはコンドームの数やバイアグラの数を奥さんにきめ細かくチェックされている人もいる。結局浮気の定義を考える場合は、セクハラと同じように男性側が決めることではなく、女性側が決めることだと理解されてくる。いくら素人の女の子に手を出しても、自分のことを愛していたら、そんなことは浮気のうちにはいらないと考える太っ腹の奥さんもいるかもしれない。毎日生活費を切り詰めてやりくりしている人だったら、夫が風俗やキャバクラにお金をつぎ込んだりしたら、愛の問題というより、経済の問題として取り上げるかもしれない。
 さて、私のことであるが、いつでも欲情はできるが、前にも書いたように感染恐怖もあり、ヌルヌルべたべたもあまり好きではなく、セックスそのものも疲れそうでそれほど執着心はない。だから、浮気については微妙な部分もあるが、したことがないとほぼ断言できそうである。愛人についても、始めるのは簡単であるが、終える時が難しそうで、なかなか手は出せないでいる。お金持ちになっても、不良中年になるのはなかなか難しいのである。

平成17年5月17日(火)

 先週の木曜日は日本心身医学会の総会があったので、外来は休診にした。前日の水曜日は午前診と夕診で合計63人診察したが、昔と違って疲れた。前にも書いたが、日赤の時には外来は毎回80人ぐらい診ていてどうもなかったが、開業してからは1日60人を超えるとやはりしんどい。今から思うと日赤の時には軽い患者さんも大勢診ていたが、開業してからは密度の濃い患者さんばかり増えたような気がする。めったに1日60人を越えることはないが、1日100人近く診る先生もいるので一体どうしているのかと思う。昔からよく言われているが、落ち着いているてんかんの患者さんと統合失調症の患者さんが1番手がかからない。内科でコレステロールが少し高い患者さんを診るように、ややもすると薬だけ取りに来たという感じになる。神経症圏、うつ病圏の患者さんの中にはどうしても時間のかかる人がいるし、人格障害の患者さんも大変である。時間のかかる人がやっかいな患者さんというわけでなく、限られた時間の中では治療者側も患者さん側も不完全燃焼となりやすい。ゆっくりとカウンセリングといっても、なかなか安心して任せられる臨床心理士もまだ少ない。経営的なことばかりでなく、医者1人で責任を持って診れる患者さんにも限度があるので、患者さんの数としてはやはり今ぐらいで充分である。
 さて、学会であるが、水曜日に疲れきって家に帰り、学会誌に載っているプログラムを詳しく見た。学会長が関西医大の教授なので、大阪のどこかでやるのかと思ったら、会場は奈良であった。まだ、これはいいとして、プログラムをじっくりと読んでみたら愕然とした。学会の講習会が土曜日になっているのである。どういうことかというと、木曜日に学会に参加しても、土曜日の講習会を受けないと日本心身医学会認定医更新用の点数がもらえないのである。認定医更新のために外来を休診にしたが、土曜日にしないといけなかったのである。ふつうは第1日目に参加したら大丈夫であるが、今回はわざわざ学会の終わった土曜日に設定してある。休診のお知らせは2ヶ月近く前に出すので、今さら変更するわけにはいかない。結局この日はやけくそで9時半頃まで寝ていた。起きてからも学会に行く気になれず、スーパー銭湯に行き、そこでついでに散髪もしてもらった。さすがにこの時間は若い人は少なく、お年寄りばかりである。お湯につかっていたら、気持ちの整理もついてきたが、認定医更新のためになんとかしなければならない。確か開業の時に認定医の更新をしたので、それから5年間の間に学会に参加して50点点数をためなければならない。総会が10点で、近畿地方会が5点である。開業したばかりの時にはなかなか学会で休めなかったので、まだあまり点数がたまっていない。関連学会もあるが、後1年でそろえるのは大変である。幸い今年は世界心身医学会が神戸であるので、これに参加したら10点もらえる。でも、参加費が高く3万5千円である。7月16日には和歌山で近畿地方会があるので、この日は休診にして是非とも参加しなければならない。
 どうしてここまで認定医にこだわるかというと、もしかしたら遠い将来、認定医でなければその科を標榜できなくなる可能性があるからである。今は保健所に届けさえすれば、医者はどの診療科目でも標榜できる。例えば、私に経験がなくても消化器科とか婦人科、小児科と医院に出すことができる。日本心身医学会の場合は心療内科になるが、精神科の先生はほとんど日本心身医学会の認定医は持っていない。しかし、精神科では患者さんの抵抗があるので、みんな心療内科を標榜している。これまで日本精神神経学会では認定医制度はなかったが、最近できるようになった。精神科の場合は国が資格を与える精神保健指定医制度があるので、これまで学会認定医の資格はあまり必要とされなかったのである。二つの学会が5月に集中しているので、来年からはこの月は休診が多くなりそうである。医師免許の更新制も取りざたされているが、これだけはやめて欲しいと思う。それぞれの専門性があるので、いまさら内科の知識を問われても無理である。そのことを考えたら、専門医の認定医制度を充実させる方がまだましである。

平成17年5月10日(火)

 ゴールデン・ウィークは酒ばかり飲んで過ごしていたような気がする。ふだんは月、水、金と断酒しているが、ストレスもたまり、ラム酒ばかりいろいろ試していた。ラム酒もいろいろな銘柄があり、ハバナ・クラブの7年ものがもっぱら私のお気に入りである。酒はラテン系でも、なかなか気分は南国とはいかない。開業して4年過ぎ、この5月からは5年目にはいっている。4月の患者さんはこれまでで1番多く、このままでは保険収入が軽く年5千万円を越えそうである。たくさんの患者さんが来てくれることは有難いが、税金でがっぽり持っていかれるのはあまりうれしくない。よく、社会の不正を訴え、弱者のために献身的に捧げている人がいるが、そういう人でも税金を取られるのはいやなようで節税に励んでいる。国のために私の税金をたくさん使ってくれという人はなかなかいないようである。国に税金を納めても、正しく使われていないとかいろいろ理由付けはできるが、私も含めみんな税金はなるべく納めず、国に対しては無理な要求ばかりしているような気もしてくる。
 フリーターやニートが増えてきて、その関連の書籍もたくさん発行されている。雑誌でもあちこちで特集が組まれ、中には自分の子どもをフリーターやニートにしないための方策が書かれている。フリーターやニートが増えてきたのは、必ずしも本人たちだけの責任ではなく、取り囲む社会や経済状況も大きく関与している。それでも、なんとか自分の子ども達だけはそうならないようにとどこの親でも願っているだろう。その対策の1つに、父親の働く姿を常に身近に感じさせておくというのがある。これは他の登校拒否や非行などの問題も含め、いろいろな場合に有効だと思う。大分昔読んだ雑誌か何かで、娘が登校拒否になって、その対応に苦慮していた医学部の教授のことが載っていた。どうやって解決したかというと、自分の父親が働いているところを、医局員の協力を求めて1日中見学させたのである。教授の娘は次の日から再び学校に行き出したという。家では疲れきった顔をして、たまに口を開いても「勉強をしろ」としか言わない父親でも、会社では家族のために朝から晩まで働き続けているのである。ふだん生活をしていると、子ども達にはその姿がなかなか見えてこない。父親が家族のために働いているという実感を持てないのは、子ども達だけでなくその妻も同じである。昔田嶋陽子がTVで「安い給料しか持って帰らず、(夫は)何を偉そうにしているのか」と言っていたが、とんでもない暴言である。もちろん夫が生活費を稼いでいるから、家族をかえりみず、好きなように浮気をしても、朝から晩までパチンコをしていてもいいというわけではない。
 パートの仕事をしている妻は働くことの大変さを知っているかもしれないが、家計を支えるために働いている場合は夫の給料さえよければこんなことをせずにすむのにと、不満は残るかもしれない。問題は専業主婦の場合である。小倉千加子の「結婚の条件」を読むと、理想の結婚は専業主婦で、子どもに手がかからなくなったら趣味的な仕事をすることである。専業主婦の場合もややもすると夫の働いている後姿が見えなくなって、夫は単なる給料運搬人にしか見えなくなってくる。外来で患者さんの家族歴を聞いていると、父親が何の仕事をしているか答えられない人がいる。母親としては、父親が家族のために毎日会社で何をしているのか、子ども達にきちんと教えておくべきである。1番いいのは、子ども達が会社に行って、父親の働きぶりを見学することである。そんなことされたら仕事にならないと言われてしまうかもしれないが、そのくらいのことをしないと、家庭での父親の存在は薄く、家族の絆は保てられない。娘が高校に入学し無断外泊して帰って来ないと心配する家族も多いが、娘にとってはただうるさい父親で、これまで家族のために一生懸命働いてきたという実感が伴っていないことも大きな要因になっているような気がする。
 昨日は仕事が終わった後でガソリン・スタンドによって、久しぶりに洗車をしてもらった。けさ医院に来る前に車を見たら、右のドアの所に縦に長い線で傷つけられていることに気がついた。同じ車で小さな傷はこれまで何回もつけられたりしているが、こんな大きな傷は2度目である。昔、フィアットに乗っていて、当時規制されていなかった京大病院の敷地内に置いていたら、ひどく傷つけられ、はらわたが煮えくりかえる思いをしたことがある。今日もやはり頭にきたが、人の車を傷つけるような人は今までろくな人生を送っておらず、こちらが黙っていても自らますます不幸な人生をこれからも歩むことになる。私はよく思うのだが、こういう人には私が復讐しなくても、社会がいろいろな場面で復讐してくれるのである。トヨタに電話して修理の値段を聞いたら、やはり板金して塗装し直さなければならないということで、高くつきそうである。ベンツになんか乗っていたら、もっと神経を使うだろう。聖書に「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」「汝の敵を愛せよ」という言葉があるが、まさか次は左のドアを差し出すわけにはいかないだろう。なんとか冷静に対応できそうだが、やはり今晩はまたラム酒が増えそうである。

平成17年5月3日(火)

 連休は京都にいないので、早めであるが30日にこの日記を書いている。娘が相変わらず私を無視したままなので、家族でどこかに出かけることもできない。外食でさえ、長いこと1度も行っていない。学校とかでは元気にやっているようであるが、どうしても娘だけでなく家内に対しても腹がたってくる。前に娘のことで家内とけんかした時に、「子どものことはすべて私のせいなの」と言われたことがある。患者さんでも、夫から「お前の育て方が悪い」と責められるという人もいる。それぞれの家庭の状況は異なるので、「妻が悪い、夫が悪い」とは一概に言えないが、それでも子どもが幼い時には世間一般の人は、母親の育て方が悪いと考えてしまうだろう。こんなことを書くと、だから女は損と考える人がいるかもしれない。しかし、反対に夫がリストラにあい、仕事に行っていないと、世間からはだらしのない夫とみなされてしまう。いくら会社の都合でリストラにあい、必死で仕事を探して見つからなくても、今度は男の方が責められてしまう。夫がリストラなどにあい、パートなどの仕事で家庭の生活を支えている患者さんが何人かいる。失業保険が出て、夫がのんびりと仕事をさがしていると、時間がたつにつれ、妻の方はだんだんときれてくるようである。
 男は仕事、女は家庭というのは古い考え方で、今は女の人もどんどんと仕事をする時代になっている。それでも、私の家内は専業主婦なので、ついついもっとしっかり躾をしてくれよと言いたくなる。それと、私なりに娘はかわいがって育ててきたつもりであるが、これほどいやがられると、精神科医としていろいろ分析してしまう。娘は母親にはべったりなので、母子共生とかエレクトラ・コンプレックスとかありとあらゆることを想像する。1番考えることは、妻が私に抱いている負の感情を娘がすべて取り込んでいるのではないかということである。子どもが生まれた時には白紙の状態で、そこに母親がいろいろなプログラムを書き込んでいく。小さな頃に組み込まれたプログラムは、たとえ間違ったプログラムでも、いろいろな場面で自動的に立ち上がってくる。どんなプログラムでも多かれ少なかれ偏りはあるが、それがあまりにも大きいと、大人になってからも対人関係などに大きな支障をきたす。例えば、こんなことはめったにないかもしれないが、母親が父親を好きで好きでたまらない時には、娘もその母親の気持ちを取り入れ、無条件に父親が好きになるだろう。反対に父親の悪口ばかり聞かされていたら、父親に対する負の感情は強くなる。言葉だけでなく、母親の夫に対する日頃の態度や苦手意識などが大きく影響するだろう。これも、もちろん子どもによって影響を受けやすい子と受けにくい子がいる。今は専業主婦をしていて、夫が働いてお金を稼いでくることにどれほどの人が感謝しているだろうか? 男は仕事で女は家庭であたりまえと思っていたら、感謝どころでないかもしれない。当然、その娘もそう思って育つだろう。
 昨日娘の携帯電話がもう2年半ぐらいたっているので、新しいのにするかどうか聞いたら完全無視された。家内が注意していたが、聞いていて昔ムツゴロウこと畑正憲氏が書いていたことを思い出した。それは何かというと、子育ては理屈でないということである。今は「どうして人を殺してはいけないのか」とか本が出ているが、躾はいちいち理屈づけてこれはしていけませんと説明する必要がないのである。だめなことはだめで、理屈ぬきで身につけていくことである。子どもに納得のいくように説明するのが、民主的で正しいことだと勘違いしている人もいるが、基本的なことは理屈ぬきで覚えさせなければならない。昨日はまたきれそうになったが、今日はもっと大変なことを抱えている患者さんの診察を終え、少し落ち着いている。
 家内に関しては、外でばりばり仕事をするタイプでないので、娘のことを除いたら専業主婦が向いている。子どもが小さな頃は同じ遊びを何回も要求してきたり、同じ絵本を何回も読んでほしがる。私は2〜3回つきあっただけで、あまりにも単純すぎてすぐ飽きてしまうが、家内はしつこく何回も言われても、繰り返し繰り返し子どもが納得するまで付き合うのである。これだけは、誰もまねができないといつも感心していた。だから、2人の子どもは母親の愛情たっぷりで育っている。下の息子は天然のムードメーカーである。親の目から見ても、いるだけで天才的にその場を和ませる。この才能はそれこそ家内も認めるように生まれつきである。ところが、周りの人からはどういう風に育てたらこんな風になるのかと家内はよく聞かれるそうである。生まれつきであっても、母親はその育て方をほめられたり、非難されたりするのである。それにしても、最初から父親を嫌って生まれてくる娘はいないので、いろいろ考えていたらまた少し腹がたってきた。

平成17年4月26日(火)

 いよいよ風俗の女の子についてである。このことを書く前に森岡正博著「感じない男」の本を読んでおこうと思ったが、大きな書店に寄っている暇がなくまだ手に入れていない。アマゾンで早速注文したが、他の本はすぐに配送されて来るが、この本だけは遅れて来るので、よく売れて在庫切れになっているのであろうか? 本の内容は、なぜ制服やミニスカートに興奮するのか男性のセクシュアリティについて著者の個人体験に基づいて理論化している。この人の著書は大分昔に「宗教なき時代を生きるために」という本を読んだことがある。どんな内容であったかほとんど忘れてしまったが、今でも1つだけ強く印象に残っている言葉がある。オーム真理教信者の言葉で、「自分の内面の世界を変えたら、世界が変わる」と思ったという。よりよい社会に変えていくには、暴力革命や政党活動、草の根運動ではなく、修行などで自分の精神世界を変えていったら実現すると信じていたという。
 さて風俗の女の子であるが、私の所にも何人もの女の子が通院している。前にも書いたが、中には診察の後でそのまま予約したいぐらい魅力的な子もいる。風俗の生き方というのは、ある意味では男性を魅惑するための禁じ手を使った生き方とも言える。普通の女の子は男性の関心を引くために、ファッションやアクセサリーに凝ったり、髪型や趣味、家柄や教養などで勝負するが、風俗の女の子はいきなりルール違反の裸の肉体で誘惑してしまうのである。女性が男性に求めるものは、ボーイフレンドと結婚相手では違ってくるだろう。ボーフレンドとしては魅力的でさえあれば経済力がなくてもいいが、結婚相手となるとそれでは困る。男性も結婚相手と性の処理相手では異なるであろうが、最近はそれほど魅力的でなくプライドばかり高い普通の女の子より、風俗の女の子を相手にする方が気楽でいいという人も増えてきている。中には風俗の女の子と普通の女の子の境界が曖昧になってきたと考える人もいるかもしれない。
 学費を稼ぐために、風俗にはいり、病気をうつされて親バレした女子大生もいれば、両親にも長いこと知られず、雄琴でソープ譲をしている人もいる。たまたま最近看護学生をしていて、週末だけホテヘルに勤めている子が受診した。(名誉のために予め断っておくが、日赤の看護学生ではない。) まだ勤めて3ヶ月と言っていたが、金銭的には大変魅力的なようである。ホテヘルというのは、客が店に行って気に入った女の子を写真で選び、料金を払って一緒にホテルに行くのである。ホテルでのサービスは、セックスは売春になるので禁じられているが、全裸で口でのサービスなど何でもありである。20歳そこそこの女の子が60分1万円ぐらいの料金でいとも簡単に裸になるのである。女の子の取り分はこの料金の6〜7割ぐらいである。診察の時はばたばた忙しいので何も感じないが、今この文章を書いていて、6〜7千円のために一見真面目そうな看護学生がこんなことをしていると考えたら、急にめまいがしてきた。(別に興奮してきたわけではない)
 私は前にも書いたが、たとえ口のサービスでも感染の恐れがある。この看護学生は春休みには毎日出勤してお金を稼ぎ、実習が始まったら忙しくなるので、週末だけになるという。まだ若いので、風俗の落とし穴には気づいていないようである。風俗の仕事の一見魅力的な所は、お金が稼げる事である。居酒屋で勤めても1時間900円にもならないが、風俗ではその10倍近く稼げる。週一で20万円ぐらいになったら、なかなかやめられないだろう。特に貧乏学生の時にはお金の魅力には勝てない。私も学生時代は貧しかったが、医者になって精神病院の当直を頼まれた時には、その収入のよさに毎日でも泊まってしまったぐらいである。次に魅力的なことは、普段の生活ではあまり言い寄ってこない魅力的な男性がプレゼントをくれたり、食事などに誘ってくることである。中には本気で通ってくる客もいたりして、決して悪い気はしない。それと、控え室などで他の女の子と話をしたりしていると、みんな一見軽い乗りで、それほど悪いことをしていると感じにくい。落とし穴というのは、先ほどの感染の危険や男の人の性の裏側を見てしまうこともあるが、それ以上に失うものも大きい。何を失うかというと、未来の幸せである。人はどうしても楽な方に流れてしまうので、そのうち厳しい実習や安い給料での仕事が続けられなくなってしまう。若いうちはイケイケ気分でいけるが、年をとったら無理である。医院で取っているデイリースポーツに家田荘子が風俗の女の子のその後について書いていたが、その内容は私の予想したこととほぼ同じである。
 不幸な家庭環境で風俗でしか生き残れなかった人も大勢いる。誤解をして欲しくないのは、私が風俗の仕事を蔑んでいるということではない。一生懸命この仕事に捧げて生きている女の子もいる。私の言いたいことは、単なる小遣い稼ぎ程度ではいるには、それ以上に失うものが大きいということである。やはり、若いうちは苦しいけれど1時間800円の世界で苦労した方がいいと思う。

平成17年4月19日(火)

 今月の京都府医師会誌である京都医報を読んでいたら、この前ここでも書いた京都専売病院の副院長が手術の時の手洗いについて書いていた。私が医学生の時には手術の見学の時でも感染を防ぐために、消毒液でブラッシングして滅菌水で手を洗っていた。ところが、今年の2月に厚労省から出た通知では、手洗いは滅菌水でも水道水でも変わりないと発表された。感染を防ぐためには滅菌水で手洗いをしなければならないという今までの常識が迷信であったと書かれていたが、同じようなことが精神科領域でもあるような気がする。
 私の所では点滴は滅多にしないが、ホリゾンなどの精神安定剤の筋肉注射はよくしている。筋肉注射の時には消毒して腕の筋肉に針を刺しているが、これも無意味であると知ったのは最近のことである。たまたま糖尿病の専門の先生に聞いたら、インシュリンを打つ時にはそのまま服の上から刺してもいいそうである。ばい菌がはいったりして、感染がこわいような気がするが、全く関係ないのである。それでも、自分の医院で患者さんにいきなり服の上から注射したら、びっくりして乱暴なヤブ医者と思われるだろう。仕方ないので、全く意味がないが、セレモニーとして脱脂綿で消毒して注射している。
 そう言えば昔読んだ本に、イギリスに駐在している時に赤ん坊が熱を出し、病院に連れて行った時のことが書かれていた。医者は何も解熱剤は出さず、氷水で身体を冷やしたという。その著者は余計に悪くなるのではないかと心配し、こわくてもうイギリスの医者には連れて行けないと書いていた。自分たちが常識と考えている事が、本当に科学的に事実なのか判断は難しい。インフルエンザが流行るとみんなマスクをかけるが、本当に予防効果があるのか科学的には証明されていない。科学的調査というのは、マスクをかけている人とかけていない人を2群に分け、その発症率を大々的に調査してその効果を調べることである。これも、最近知ったことであるが、前立腺癌の早期発見のために腫瘍マーカーであるPSAという検査が用いられている。人間ドックでもよく使われる検査であるが、この検査は無意味であるという結論がある有名な医学雑誌に発表された。どういうことかというと、この検査のおかげで前立腺癌の早期発見は増えたのであるが、前立腺癌の死亡者数は全く減らなかったのである。いくら早期発見して治療しても、助からない前立腺癌は助からないのである。
 昔は風邪をひいたら、ビタミンCの服用が効果があるとされたが、大規模調査で否定された。胃酸は酸性が強いので、微生物は存在しないと信じられてきたが、胃潰瘍などの原因とされるピロリ菌が発見された。エビデンス(証拠)に基づいた医学として、これまでの医学の常識としてされてきた事が見直されてきている。精神科領域でも、うつ病や統合失調症は脳の機能不全が疑われているが、それこそ疑いだしたらきりがない。本当に脳に原因があるかどうかも怪しくなってくる。統合失調症の患者さんに坑うつ薬を出すと悪化しやすいと今まで信じられてきたが、本当にエビデンスがあるのかいろいろと疑問がわいて来る。
 最も科学的であると信じられ、人の生命を預かる医学でさえこうなので、他の領域のことについては知るべしであろう。米国からの牛肉の輸入再開についていろいろ議論が交わされている。米国人はみんな食べているのに、米国の圧力に負けて狂牛病の恐れのある危険な牛肉を入れるなという意見も根強い。こういう問題を考える時に1番大事な事は確率の問題である。わが国で毎年交通事故で死亡する人は8千人ぐらいで、日本人が1年間に交通事故に遭って24時間以内に死亡する確率は1万5千分の1である。日本人で毎年ハチに刺されて死ぬ人は30人である。確率でいうと、400万分の1となる。狂牛病は10年後20年後の発症を考えなければならないが、まだ日本人では英国で感染した恐れのある患者さんが1人見つかっただけである。私も専門家でないので詳しいことはわからないが、危険な部位を除いて食べる分についてはそれほど神経質になることはなさそうである。確率で言うと、まだハチに刺されて死ぬ方を心配した方がいいのである。
 今回も風俗の女の子のことについて書けなかったが、楽しみに待っていた人には本当に申し訳ありません。次回は必ず書くので、謹んでお詫び申し上げます。

平成17年4月12日(火)

 今は午後3時半過ぎで、5時から用事があるのでそれまでにこの日記を書かなければならない。医院の近くには京都銀行がなく、振込みの時には車で近くの銀行まで行っている。京都第一赤十字病院の中にもあるにはあるが、1つしかなく、患者さんなどが待っているといくつもの振込みの時には使いづらい。今の時期は新しい年度に変わった所なので、郵便局にも行って学会費も払わなければならない。あれこれ雑用があるので、いつの間にか時間がたってしまう。患者さんからの電話や福祉からの問い合わせ、病院からのドクターの問い合わせもあり、今日は雨も降っており少しうんざりした。
 この前の日曜日は東山医師会の役員交代の集まりがあった。2年間の任期で、今度は健康相談の担当である。料亭で飲み会をしたが、たまたま私の隣に専売病院の副院長が座っていた。専売病院は京大系の病院なので、今まで直接話す機会もなかったが、今回はゆっくりと話をすることができた。専売病院については新聞でも報じられているように、今度武田病院系に移譲されることになった。府立洛東病院が今年の3月で廃院になったが、専売病院は職員の身分も当面保障され、そのまま経営が武田病院に移ることになる。毎年何億もの赤字を出していたというので、どこの公的病院も大変である。私立病院と公的病院を比べると、ドクターの給料は一般的には名誉がない分私立の方が上である。
 私みたいな開業医が税込みで3千5百万以上稼いでいると、儲けすぎなので診療報酬を低くしろと言われそうであるが、大きな病院はこれではやっていけないので診療報酬を上げろと言う。たまたま保険医協会の雑誌を見ていたら、大病院は設備投資や人件費がかかるので、開業医とは別に診療報酬を上げろと書いてあった。しかし、これにも無理がある。私が日赤をやめた後は7年下の後輩が行ったが、部分的には負ける所もあるが、総合的な医療技術はまだ私の方が上である。同じ診療をしていて、技術力では私より劣るのに、日赤で受ける時には診療費を高くしろというのは矛盾してしまう。今はまだ働き盛りなので後輩には負けないつもりであるが、60歳後半からはどんどん若い人に追い抜かれていくだろう。
 専売病院の副院長は私と同じ年で、現役で入学したので卒業年度は私より1年上である。いろいろと話を聞いていると、外科系の先生は開業しにくいようである。整形外科ぐらいを兼ねてやったらいいと思っていたが、たまたま外科から開業した先生がそばにいて、整形外科は難しいと言う。武田病院系になったら、当然赤字を減らす方向に行くので、仕事内容は厳しくなるようである。三菱自動車やダイエー、プリンスホテルだけでなく、病院もこれから先は安心していられないようである。
 この不況でこれだけの収入があるので、少しぐらい雑用があるぐらいで何を文句言っているのかと怒られそうであるが、やはりストレスがたまる時にはたまる。今日は娘の私立中学の学費も振り込みに行ったが、私は相変わらず娘からは無視されたままである。娘にも家内にもいろいろ言いたいことがあるが、今は我慢している。人生何が幸せかわからないが、時々自分1人の犠牲の上で家庭の平和が保たれているような気がする。今日は風俗の女の子の生き方について書きたかったが、また書くスペースがなくなってきたので次回に譲りたい。風俗の女の子の生き方にも関係してくるが、家内にも娘にもまだ苦労が足りないと言いたい。2人には雑用の多さを知ってもらい、私の実際の診察を隣の部屋で聞かせてやりたいぐらいである。

平成17年4月5日(火)

 京都精神科診療所協会が今度ホームページを作った。京都府内で現在64の診療所があり、すべての診療所が簡単に検索できるようになっている。(www.kyoseishin.jp) リンクの仕方がわからないので、アドレスだけ載せておくが、グーグルなどで「京都精神科診療所協会」で調べてもまだヒットしないようである。ほとんどが京都市とその周辺である。京都市内は各区ごとに検索できるようになっており、さっと見てみたが、ホームページを持っている先生が以外と少なくて驚いた。大阪の精神科診療所は自分のホームページを持っている所が多く、私の恩師である前教授のN先生も開いている。
 京都市内でもまだまだこれから精神科診療所は増えそうで、私の後輩の女医さんが御池で開業すると聞いた。もう1人まだ知っている人は少ないと思うが、私の後輩が伏見の大手筋で9月に開業する。宇治の大久保あたりも精神科診療所が足りなくて、開業したら成功間違いなしといわれているが、なぜかみんな過密気味になってきた京都市内で開業する。大手筋近くはいくつもの精神科診療所があるが、たくさんあるとそれこそ有名ラーメン店が競うように、患者さんがたくさん集まってくるかもしれない。新田辺でもそうであるが、1つの診療所で患者さんが満杯になると、新患の予約を制限するので、近くの診療所にもたくさん患者さんが流れてくる。開業している先生は1人でやっているところが多いので、体力的にも時間的にも限界がある。たくさんの患者さんが来ると、どうしても新患の患者さんだけでなく、2回目からの患者さんもすべて予約で診ていかなければならない。ある患者さんが、急に診て欲しい時に予約がまったく取れず、融通がきかないと話していたが、昼食を取る暇もない先生なら無理ないと思う。
 私の所は1ヶ月に来院する患者さんは延べでなくて実人数(レセプト数)としては、500人をほんのわずか切るぐらいである。今日は2週間前が休診だったので、人数は少ない方であったが、それでも濃密な診察ばかりで少し疲れた。やはり、このくらいの人数が適当な気もする。今でもすべての電話は私が出て応対しているが、あまり増えてくると難しくなるかもしれない。初めての患者さんが、予約がいるのかとか、場所はどこかとか、診察時間はいつなのか聞いてくるが、受付けにまわすのも面倒なので、ほとんど私が答えている。患者さんには、電話がかかって来て診察が中断することがあってもお互い様で、自分が薬のことなどで聞きたい事があったら、手短にいつでも電話をするように伝えている。最近まで知らなかったが、内科系の保険審査をしている先生に聞いたら、電話再診も保険請求できるということであった。中には診察時間が終わった後で、30分以上電話してくる患者さんもいるが、今のところ何も請求していない。もちろんこれは例外で、緊急的な介入が必要な時だけである。土日は医院で書類を書いていることが多いが、居留守は使わず、かかってきた電話は必ず出る。中には正直うんざりするほどかけてくる患者さんもいるが、いつでも主治医が出てくれる安心感があると、かえって電話の数は少くなるものである。
 今日は、東京都立墨東病院の心臓血管外科部長が診察を装い、20人の患者さんの全裸写真を撮った事件について書きたかったが、スペースもなくなってきたので、次回に風俗の女の子の事と一緒に書いてみたい。この心臓血管外科部長は私と同じ年なので、いろいろな思いがよぎる。名誉とスキャンダル。天国と地獄。聖と俗。本能と理性。建前と本音。肉体と欲望。老いと愛など、etc。最近は風俗の女の子の受診も多くなり、中にはその場で予約したくなるほどかわいい子もいるが、風俗という仕事の落とし穴についても考えてみたい。
 京都では毎週ホームページを更新している精神科医はほとんどおらず、私ぐらいである。ホームページの名を借りて、どんどん失われていく出来事を自分のためにただ記録しておきたいだけである。このホームページを見て受診する患者さんもいるが、中には過激過ぎてひいてしまう患者さんもいるかもしれない。あまり患者さんが増えてくるようなら、書く内容をどんどん過激にして、このホームページを受診抑制に利用しようと考えている。

平成17年3月29日(火)

 最近なかなかうつ病が治らない人が増えてきた。この3月にも職場復帰できず、病休が切れて公務員を退職する人がいる。少し前にも、3年間の病休期間が切れて、まだ定年前に退職した公務員の患者さんがいた。1年、2年と病気療養で休職していても、なかなか改善しないと、患者さん以上に治療者としても悩む。皇室の雅子さんの病名が明らかにされていないが、うつ病だとしても公務に復帰するにはまだまだ時間がかかりそうである。
 うつ病にはパキシルなどのSSRIやアモキサンなどの三環系抗うつ薬が用いられるが、いろいろ試しても効果のない時には裏ワザが用いられる。裏ワザというのは、本来うつ病には適応のない薬を用いるのである。今注目されているのは、統合失調症に用いるリスパダールなどの新しい抗精神病薬である。抗精神病薬というのは、人の悪口が聞こえてきたり、被害妄想に陥っている時に治す薬である。少量用いるとうつ病が改善する時がある。他にも、パーキンソン病の薬が用いられる時もある。甲状腺末がいいという先生もいる。電気けいれん療法も用いられるが、最近は麻酔をかけてやるので、それなりの施設がいる。日本全国でも安心してできる施設はまだ数えるほどである。
 私は電気けいれん療法以外は何でも試すが、それでも全く改善しない人がいる。この前にある製薬会社の教育講演を聞きに行ったが、講師の大学教授が「うつ病は必ず治る」というのはうそであると言っていた。みんななかなかこういうことは言わないのであるが、私も最近はそう思うようになってきた。「うつ病はこころの風邪」で軽症のうつ病も増えているが、その一方でなかなか治らないうつ病も増えている。それと、一度かかると再発しやすいのも最近の私の印象である。前にも書いたが、なかなか治らない患者さんは全体の2〜3割ぐらいである。
 なかなか治らない患者さんを抱えている場合、最後に賭けるのは二つである。一つは自然回復である。自然回復というと、日照り続きの時に空を眺めてひたすら雨乞いをしているイメージが浮かぶが、それほどばかにできない。強いうつの波が来ている患者さんは何をしてもびくともしないが、うつの波は必ず退いて再び浮かび上がってくる。どうしてうつの波が来るのかはよくわからないが、少しずつ上昇してくるのをただひたすら待つのである。1年半ほど低空飛行を続けていた女性の患者さんが、最近上昇してきて、今ではあちこちに出かけ、見違えるように改善している。この間の医者のやることは、患者さんのうつ状態に気長につきあい、希望を絶やさないことである。もう一つは、新しい薬に期待することである。新しい薬はなかなかすぐには出てこないが、5年10年単位で考えると画期的な薬が発見される可能性が高い。医学はがん治療でも10年前とは雲泥の差で発展している。過去10年間にかかった医学の発展は、知識が蓄積されて加速度的に進むので、これからは2〜3年ぐらいで達成してしまう。統合失調症の患者さんでも、いい薬がどんどんと出てくるので、それほどがっかりする必要はない。
 1番困るのはがん患者さんである。新しい画期的な治療法が出てくるのを待っていたら、それまでに亡くなってしまう。どんな病気でも、海外でよく効く薬が発売されても、日本で発売されるには時間がかかる。日本人に本当に効果があって副作用がないかどうか調べないと、厚労省も販売を許可しないのである。そのため、3回健常人や患者さんを使って大規模な臨床試験(治験)をして申請しないと、保険適応にならない。そうでなければ、実費で個人輸入して使うしかないのである。うつ病や統合失調症でも、海外でよく効く薬が発売されても、日本では治験に何年もかかり、販売されるのは気が遠くなるほど先である。先ほどのがん患者さんの場合はそんなに待っていられない。肺がんの坑がん剤であるイレッサの副作用が問題になり、厚労省の責任が問われているが、難しい問題である。副作用で亡くなっている患者さんもいるが、イレッサで劇的によくなっている患者さんもいるのである。慎重に許可していたら、その間にその薬の恩恵を受けずに何人もの患者さんが亡くなってしまうだろう。
 それから考えたら、患者さんにとっては辛いが、うつ病や統合失調症はまだ待てる病気である。患者さんより治療者が待てないと困るのであるが、設備やコストのかかる「イルカ療法」の代わりに「メダカ療法」とか、誰か画期的な治療法を早く発見してくれないかと切に望んでいる。

平成17年3月22日(火)

 この前の労災判定会議の時に京都第二赤十字病院のT部長と話をしていたら、第二日赤でも不倫の患者さんが増えてきて、外来に「不倫クリーン運動実施中」という看板を出したいぐらいと言っていた。それほど、最近の外来患者さんの中には、不倫の問題を抱えている人が多くなっている。何かの雑誌に、最近はインターネットや携帯のメールが発達して、お金持ちでなくても誰でも愛人が持てる時代になったと書いてあった。私はお金持ちになっても相変わらず愛人は持てないでいるが、今の時代を言い当てているような気がする。
 不倫の問題は一部の人の問題ではなく、結婚そのものと家族、夫婦とは何かという問題にも関わってくる。一見不倫とは直接関係してないように見える若い人の結婚問題にも影響を与えている。30過ぎの女性の話を聞いていても、つくづく結婚は難しいと思う。みんな「負け組」にならないように頑張っているのだが、婚約直前に女性から結婚を破棄する人も多い。結婚式のやり方や新婚旅行の行き先、結婚後の住む場所などで具体的な話が進んでくると、多少無理してつきあってきた彼との意見の相違がはっきりしてくる。そして、「こんなことなら、もうやっていけない」ということになってしまう。結婚直前になると、男性の方も自分の意見を主張したりする。それでも、男性の方があきらめが悪い感じがしないでもない。いくら時代が変わったといっても、まだ結婚は家と家との結びつきが強い。いくら彼を愛していても、彼には背後霊がついているのである。背後霊というのは、彼の両親や兄弟である。
 こんな面倒臭いつき合いするぐらいなら、メル友やボーイフレンドで充分という人もいるが、自分が年を取ってくると、いつまでもそんなことを言っていられない。若いうちはイケイケ気分で行けるが、人生観なんてその年代によって変わってくる。昔と違って、セックスそのものがカジュアルになったことも結婚そのものの意味を薄めているのかもしれない。このホームページで何回も書いているが、年上の男性と不倫をしてしまうと、同世代の男性が頼りなく見えてしまう。最近は30歳前後の女性と60歳前後の男性の不倫も増えてきている。まだ、私にも老後の楽しみが残されているような気もするが、患者さんの話を聞いていると何でもありの時代になっている。貞操観念なんて言っても若い人には通じないかもしれないが、昔は処女膜再生手術が流行っていた。結婚するまでは処女でなければならないということで、新婚旅行の初夜の時に出血するように手術するである。今から考えると信じられないかもしれないが、この時代はおばさんがセーラー服を着た無修正のヌード写真が裏で売られていたぐらいなので納得できないでもない。
 多感な青春時代をそういう倫理観で縛られて過ごしてきたので、今の若い子がいとも簡単にセックスしたり、アダルト・ビデオに出たり、風俗にはいるのは一体何だろうと思う。お互いのプライバシーに干渉せず、秘密が保てるわりきりのつき合いの方が楽というのもわからないではない。特に最近は女性も積極的にセックスを楽しみたいと思うようになったので、変な噂がたたず秘密性を保てるメル友の方が便利かもしれない。境界性人格障害の患者さんを診ていて思うのだが、自分の裸やセックスに対してあまり羞恥心がない。恥ずかしいと思うのは目に見える自分の肉体ではなく、目に見えない自分の内面なのである。自分の肉体に対してはどこか無頓着であるが、否定的な自己像そのものを死ぬほど恥ずかしいと思うのである。
 「不倫やめますか、それとも人間やめますか」というキャンペーンは大げさのように聞こえるかもしれないが、不倫が家族そのものの繋がりを蝕んでいることだけは間違いないようである。

平成17年3月15日(火)

 きょうはこのホームページを書くために、朝5時45分から診療所に出てきて書いている。あまり朝早く出てくると、セコムのセンターから確認の電話がかかってくる。夜は研究会などで飲みに行ったりして遅くなると、これまでにも何回もセコムのセンターから確認の電話はあった。しかし、早朝は今回が初めてである。いちいち電話に出るのも煩わしいので、朝は6時ごろに出てくることもあると伝えておいた。夜も遅くまでいるといちいち確認の電話がかかってくる。10時ぐらいまではいることを伝えおり、これより遅くなる時には予めこちらからセンターに連絡しておく。飲みに行って遅くなることは年に数回もないが、ネクタイや上着などはすべて診療所に置いてある。東山医師会関係や研究会も京都駅周辺や祇園近くが多いので便利である。着替えのために戻るが、そのたびにセコムのセンターから確認の電話があり、本人であるかどうかチェックされるのである。このくらい厳重にチェックして不審者の侵入を防がなければならないのはよくわかるが、いつも監視されているようであまり気持ちのいいものでない。
 新しいマンションは買って本当によかったと思う。院長室に置いてあったパソコンや机も夜に自分の車で運んでいる。家にある本と診療所に置いてある本はすべて自分でこのマンションに運び込もうと思う。布団も診療所から運び込んで、何回か泊まっている。両隣の人に挨拶に行ったが、値段も安くてお買い得と言われた。私の部屋の間取りと同じ物件で私よりかなり下の階の部屋が売りに出されていたが、広告を見たら3900万円であった。私の部屋は最上階で、それも最近は使用していなくて3400万円である。隣の人も3800万円ぐらいの価値はあると言っていたので、本当にいい買物だったようである。
 セカンドハウスとして使うので、応接セットや大きなワイドTVを入れた。プラズマや液晶は高いばかりで画像としてはまだブラウン管に劣るので、買ったのはブラウン管である。地上波デジタル放送も来ているので、画像はきれいである。絨毯なども自分好みで入れたので、自分の理想の隠れ家ができた。今度の連休には家内や子ども達に初めてのお披露目である。まだ運び込まなければならない物もあるが、家内も子ども達も自由に使ったらいいと思う。住んでいるわけでないので、将来的には知り合いにも開放していこうと思っている。下手な所に飲みに行くより、場所も景色もよく、ちょっとした寄り合いにも使える。遠くの別荘よりも本当に利用価値がある。
 多分私は今が一番人生で充実していると思う。いつまで続くかわからないが、最近は残りの人生が少なくなってきたので、楽しめる時に楽しんだらいいと思っている。この3400万円のマンションが税金のかからないお金で2年で払えるのである。日赤の時の給料はやめた時が48歳で、残業手当はほとんど出していなかったので、年収は1300万円ぐらいであった。人生とは何かと思う。高級官僚の天下りが批判されるが、高級官僚も同じなのであろう。大企業に勤めて出世した者より遥かに安い給料で滅私奉公で働き続け、天下りのお金でやっと生涯賃金が同じぐらいになるという。TVで官僚を批判している人たちの方が官僚より遥かにお金を稼いでいる。TVで評論家が庶民の味方のような話をしているのを聞いても、どこか偽善性を感じてしまう。TVに出ているような人は決して庶民ではない。私もいつの間にか庶民ではなくなってしまった。お金を稼ぐことは悪いことではないが、日赤の部長の時との格差に正直途惑っている。幸い子ども達も家内も今はまだ庶民の生活である。それでも、あまりうまく行き過ぎると、私の中にはどこか破壊願望みたいなものがあるので、一度どこかで崩したくなる。精神科医としてはこれから60過ぎまでますます技術に磨きがかかってくるだろう。
 今度買ったマンションはセコムがはいっていないが、管理人がいるので防犯上安心である。しかし、その分あやしい女の人はやはり連れ込めそうもない。

平成17年3月8日(火)

 最近は朝5時に起きて6時には診療所に行き、いろいろな用事を済ませるようにしている。相変わらず、書かなければならない書類が多く、なるべく日曜日は休みたいので、雑用はふだんの朝処理することにしている。
 確定申告は税理士に頼んでいるが、いろいろな書類を集めて送り、やっと去年の所得が出た。日赤の時の雑所得を含んだ額のほぼ倍である。優遇税制で半額以下になり、確定申告の書類上は日赤の時とほぼ同じ額になる。制度上優遇税制の恩恵を受けられるのは精神科ぐらいで、内科など検査が多い科や自分の所で薬を出している所は無理である。どういうことかというと、1年間の総保険収入が5千万円を越えない場合は、実際に経費がかかろうとかかるまいと、その保険収入の額に応じてある一定の額がみなし経費として認められる。内科などは検査代や院内で処方する薬代で1年間の総保険収入額は簡単に5千万円を越えてしまうので、この制度は開業時ぐらいしか利用できない。ところが、精神科の場合は検査はほとんどなく、院外処方では薬代はかからないので、保険収入はほぼそのまま純利益となる。経費というのは、建物の償却費や広告費、電話、電気代などの他に看護婦さんも含んだ人件費もすべてはいる。私の所のような小さな精神科診療所は看護婦さんは雇わないので、人件費も内科などから比べたら安い。だから、実際には経費がかかっていないが、税制上総保険収入額に応じて一定の経費がかかったことにしてくれるので、実際にかかった経費との差額が税金のかからないお金として残る。私の場合は総収入のほぼ半額が税金のかからないお金になる。今年は五千万円ぎりぎりで抑えたので、優遇税制の恩恵を受けているが、越えてしまったら今度は経費が少ない分税金ばかりかかってくることになる。どのぐらいのメリットがあるかというと、この前買った中古マンションは3千万円を越えていたが、この税金のかからない所得で2年以内に全額が払えるぐらいである。
 私の診療所はまだそれほど患者さんが多いわけでないが、デイ・ケアなどを大々的にやっている所などは軽く5千万円を越えてしまうので優遇税制は受けられないが、総収入としては私より遥かに多いだろう。何回も書いているが、日赤では私の同僚や先輩は名誉だけで必死で働き続けている。それでも、今は赤字で大変だという。私の時も心療内科の収入は全科でだんとつに低く、部長としては随分肩身の狭い思いをしてきた。大病院では最新の医療器械も入れなければならないので、特に公的病院では経営的にはどこも苦しい。今は公的病院でも各科ごとに毎年収入の目標額を決めている。患者さんの診察と医療収入の目標額は企業のセールスとは違うので、なじまないように思うが、次の年にどの医療器械を入れて、人件費や建物の償却にどのくらいかかるか予算の計画を立てなければならない。いくら公的病院でも、患者さんだけ一生懸命診察していたらいいというわけでなく、各科の部長は経営のことも考えなければならない。予算の計画を立てたら、当然医療収入の計画も立てなければならない。病院の場合の収入は診療からだけなので、各科ごとに前年度の収入を出し、翌年度の目標額を決める。月ごとに各科の収入を出し、目標額から大幅に落ちる時には各科の部長は院長と事務長に呼び出され、その対策を迫られる。医療といえども、企業と同じ収益重視の論理からは逃れられないのである。それにしても、同じ医療をしていて、私のような小さな医院の方が大きな利益を出して、公的な大病院は赤字に近いというのは不思議な気がする。
 精神科や心療内科は机一つで始められるので、高い医療器械や設備もいらない。昔は他の科に行った友人がどんどんと新しい医療技術を身につけていく中、精神科はただ患者さんの話を聞くだけで、自分の科を卑下することもあった。当直では何の役にも立たず、他の科からはばかにされている所もあった。難しい検査や手術は全くできないが、それでもこの年になってつくづく目に見えない医療技術はついたと思う。精神科は特殊な科なので、他の科からかわってきても、この技術は簡単には身につかないだろう。たまたま私の開業の時期とこころのケアを求める時代の精神が一致したので、やっと陽の目を見た感がある。今では内科などは開業しても、閑古鳥が鳴いている所も多いと聞いている。いつまでこの時代が続くかわからないが、最近になってやっと開業してよかったと思えるようになった。金銭的余裕ができるというのは、名誉以上にすごい事だと思う。ただ、私もハングリー精神は衰えていないので、朝6時から8時までの時間を利用して仕事とは別のことを身につけようと考えている。

平成17年3月1日(火)

 少し前に日経ビジネスか何かの雑誌を読んでいたら、遥洋子が自分への御褒美のためにポルシェを買ったという。「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」という本が売れ、その印税で買ったらしい。この本は私も買って読んだが、いつの間にかポルシェになっていたのである。私も自分への御褒美が欲しくなり、今回はポルシェより高いものを買ってしまった。何の御褒美か自分でもわからないけれど、今は大変気に入っている。
 あまりにも高かったので、ローンを組んで買った。医院のローンも親から借りた分が残っているが、私は1度決断したら早い。買った後で医院の経理を頼んでいる税理士に聞いたら、経費で落ちると言う。今はあまり関係ないが、そのうち税金対策にもなるだろう。何を買ったかというと、私の隠れ家である。どんな人でもいくら安いと言っても、ポルシェやベンツより高い家に住んでいるだろう。私の場合は中古マンションである。別居生活が長かったので、その対策として買ったと誤解されるかもしれないが、そのこととは関係なく、以前からいい物件がないか探していた。琵琶湖の見える所に小さな安い別荘のようなものを考えていたが、買っても忙しいので1ヶ月に1回も行けないだろう。今は家族で住むわけでないので、思いきって場所のいい所を選んだ。
 自宅は丹波橋で、医院は東福寺なので、生活エリアはどうしても京都市南部になる。自分の生活圏で不自由することはないので、四条に出かけることも最近はほとんどない。そう考えると、京都駅周辺が便利である。ずっと不動産の広告などを見ていたが、なかなかいい物件が出てこない。ほとんど分譲マンションがないのである。たまに物件が出てきても、もうひとつ間取りや築年数、階などが気に入らない。高い買物なので、中途半端に妥協したくない。たまたまインターネットで調べていたら、1月の終わりに理想のマンションが出てきた。早速不動産屋に行き、すぐに中を見せてもらって、その場で決めてしまった。早く手付金をうたないと他の人に契約されてしまうので、取引先の京都銀行に行って融資を交渉した。自宅があるので、住宅ローンは使えない。保険医協会の融資を見たら、事業用では金利変動制で利子は1パーセントを切っていた。この時は事業用の経費で落ちるとは思わなかったので、保険医協会のその他の融資を見た。1.3パーセントである。保険医協会の融資は金利が安いが、審査に時間がかかり、急ぐ時には間にあわない。先につなぎのお金を借りてもいいのであるが、手続きが面倒である。結局京都銀行と交渉して、安い金利でお金を借りることにした。ちなみに、初めてのアコムをはじめとする消費者金融の年利率は15 〜29パーセントで、即日融資は50万円までで25パーセントぐらいになる。
 私の決断は電光石火のごとく早かったので、不動産屋はその後2回間を置いて大々的な広告を打つという。どういうことかというと、広告は大分前から準備するので、途中で取り消すことができない。買主が決まってしまってから、広告を出すのも変であるが、大きな広告で続けて済みの広告を出すのもまずいのだろう。それぐらいあっという間の手続きであった。このマンションを医院用の倉庫として使ったり、休憩室として使ったら事業用の経費で落ちるそうである。もちろん家族が居住用に使ったらだめである。いつの間にか本もたまってきて、将来的には古いカルテの置き場所も必要になる。マンションなので、本の重さに悩む事もない。最上階で築7年であるが、売りに出ていた時には価格で2番目に高かったそうである。ある会社の従業員用に使っていたが、最近は長いこと使っていなかったので、中はとてもきれいである。ベランダに出ると、京都タワーと新幹線や在来線が見渡せ、正面の建物には居住用の窓もない。東向きで、理想の環境である。値段も会社が所有していたので、適性価格のようである。個人のマンションはローンが残っていたりすると、どうしても市場には相場より高めで強気の値段で出てくる。
 こんな物を買うより、25坪の自宅を買い換えたらという考えもあるかもしれないが、経費で落とせるのは大きい。それに、将来子ども達がどうなるかわからないのに、10年ちょっとのために大きな家に住み替えるのも疑問である。4月からは午前中の診察時間を12時までに30分短縮するつもりである。午後から保健所や特別養護老人ホームに行くので、12時半までやっているとせわしい。短縮した分、休憩時間には医院から歩いてこのマンションまで通おうと思っている。この前の土曜日に大体の家具は運び込んだが、セカンドハウスとして使うには贅沢すぎるぐらいである。将来は愛人でも囲えそうな広さであるが、マンションより高くつきそうなので、これだけはやめようと思う。まさか、愛人のお手当てまで経費で落とすわけにはいかないだろう。けさ京都新聞の梵語を見ていたら、ニューズウィーク日本版の特集を引用していて、「ストレスに克つ」最良の方法は恋をすることと出ていた。今さら家内に恋をするのはかなり無理があるような気がするが、なんとか努力してみよう。中には努力そのものがストレスとなって、心筋梗塞を起こしてしまう人もいるかもしれないが、私はまだ大丈夫である。

平成17年2月22日(火)

 先週と今週もいろいろと行事がはいっていて、忙しい。それでも、最近は夜遅くまで頑張ることは少なくなった。むしろ、朝早く起きて用事をすませるように心がけている。このホームページも今日が締め切りなので、朝5時45分に家を出て、医院ですぐ書くつもりであったが、途中やらなければならない用事があり、実際に書き出したのは、7時前である。
 金曜日は毎月行っている保健所のデイ・ケアがあり、今回のテーマは患者さんに対する「ワンポイント・アドバイス」であった。ふつうは薬の話などをするのであるが、毎回毎回同じような話になるので、最近は前半は精神科に関するトッピクスを私が話し、後半は患者さんから自由に質問を受けたりする。病気のことや治療に関することで、ふだん主治医から聞けないことも答えていく。2時間すべてフリーディスカッションになるとしんどいので、最初に何か話題を考えていく。保健所の方からは何でも好きなことを話してくださいと言われるが、こちらで毎回テーマを考えるのはけっこう面倒である。あらかじめ、患者さんには簡単な要旨を書いたプリントを渡すが、ばたばたしていたので、いつものようにぎりぎりになって保健所に原稿を送った。ところが、当日まだ郵便が届いていないという。その場ですぐ私の原稿をコピーして、患者さんには配布した。間にあうように送ったつもりであるが、こういうこともあるのである。今回の話題は精神障害者の公費負担制度が見直され、「障害者自立支援法」になり今国会に提出されることと、混合診療についてであった。公費負担制度の見直しについては、他の先生のホームページにも詳しく載っているので、参考にしてほしい。混合診療についてはわかりやすく説明したつもりであったが、患者さんにとってはなかなか理解しづらかったようである。
 日曜日は午後2時から国際交流センターで外国人のためのカウンセリング・デイがあった。メンタル面だけでなく、在留資格などの法律的な相談も受け付けている。今回は1人米国人の予約がはいっていたが、途中キャンセルしたり、再び申し込んだりし、当日でも何回も予約時間の変更があり、結局来なかった。係りの人には通訳もはずしてくれと言っていたので、勝手な想像であるが、何か被害妄想のような匂いを感じ取ってしまった。今回は3回目であったが、結局この日は5時までの3時間誰も来なかった。昔精神科を開業しても偏見が強く、なかなか患者さんが来てくれなかったというので、同じように外国人にとってはまだ敷居が高いのだろう。この日法律相談などでは20件あったという。国際交流センターではまだ始めたばかりなので、気長にやっていくということであった。土日の3時間を拘束されるのはけっこう大変なので、そろそろ誰かに代わって欲しい気もする。でも、精神科診療所協会の他の先生も忙しいので、結局しばらくは私が続けるしかないと覚悟した。
 昨日は午前の診療が終わった後に、京都市から頼まれた鑑定のために、府立洛南病院に車で出かけた。精神障害者の人が警察に保護されたりした時に、入院治療が必要であるかどうか精神科医が判定しなければならない。時には患者さんの同意とは関係なく、自傷他害の恐れのある時には措置入院にする。外来で1人の患者さんの診察が50分ぐらいかかってしまって、約束の時間より大幅に遅れてしまった。先週の土曜日は学会のため休診にしていたが、私も関係して院外薬局とのトラブルでいくら説明と謝罪をしても患者さんが納得してくれなかった。50分かけて話し合ったが、結局患者さんの怒りが収まらず、薬も拒否して帰ってしまった。
 約束の時間より30分近く遅れて着いたが、診察の方は滞りなくすんだ。主治医であるM先生から症状の説明を受けた。府立洛南病院には私の患者さんも何人かお世話になっているが、どの先生に誰が診察してもらっていたのかうろ覚えであった。帰って調べてみると、前にもこの日記で書いた大変な境界性人格障害の患者さんを、やはりこのM先生に無理にお願いして診てもらっていた。府立洛南病院は京大系なので、先生の顔と名前がなかなか一致しない。挨拶をした時にお礼を言い忘れてしまったので、このホームページを借りて改めてお礼申し上げます。
 今日はこれから亀岡で60〜70人の事業所の労務管理担当者を対象にした講演に出かける。この原稿もぎりぎりまで書かなかったので、今度は届いているか確認はしておいた。労災関係の講演で、演題のテーマは過労自殺と労災認定である。ばたばたと忙しいが、それでも夜遅くまで診察をしている先生よりもまだましだと思っている。最近、過食症の患者さんが私の所に来たが、他の診療所を久しぶりに受診したら、夜7時の受付けで、診察は11時になったという。こんな診察も大変だと思う。私も最近講演に慣れてきて、いかに笑いをとれるか工夫を凝らしている。ヘルパー養成講座では主婦が多いので、夫のことや子どものことを話題にすると、笑いが取りやすい。今日の講演は聞きに来ている人が聞いてよかったという講演にしようと思う。

平成17年2月15日(火)

 昨日から自宅に帰っている。家内の方からもう一度仲良くやり直そうと言ってきたので、私も帰ることにした。今回のことを冷静に考えると、そもそも娘にきれて家を飛び出したのが悪いという考え方もある。娘の問題に対して父親としてきちんと真正面から取り組まず、母親に丸投げしていると批判されても仕方ない。しかし、私も生身の人間なので、めったにないが、きれる時にはきれてしまう。娘にも家内にもかなりひどいことを言ったので、今回はこれほど長引いてしまったような気もする。
 娘の方とはTVドラマのように、簡単に和解できていないが、時間をかけていこうと思う。家内とはもともと仲は悪かったわけでなく、火曜や木曜の午後が空いている時には、一緒においしそうな所を探して昼食を取りに行っていた。前から書いているように、私は基本的には愛妻家なので、すべては水に流してまた仲良くやっていこうと思う。娘も希望の私立中学に合格したが、目標にしていた特別クラスに不合格になり、初めての挫折感を味わっている。通っていた塾では大丈夫と言われていたが、いつも塾で自分より成績の悪い子が合格したので、まだ気持ちの整理がついていないようである。父親としては、人生は悪い事もいい事もずっと続くわけでないので、今度はいい事があると励ましたいのだが、なかなかゆっくりと話す機会がない。
 娘に関しては、親として心配になるほど、強迫的に勉強していた。高校3年になったら、死ぬほど勉強しても仕方ないと思うが、小学校6年生でここまでやるのかと思うほどであった。下の息子が恐れをなして「姉ちゃんの半分もやれないで」と早々と宣言していたぐらいである。別居していたので最後の3ヶ月は知らないが、親からみても限界まで頑張っていたので、その挫折感は大きいと思う。勉強しない子より、勉強する子の方がいいかもしれないが、娘はいくらなんでもやり過ぎである。
 最近私の所に1人の女性医師が受診してきた。職場で不適応を起こして、ある医療機関から紹介されてきた患者さんである。話を聞いていると、負けず嫌いで、勉強ばかりしてきて、あまり学生生活も楽しんでいない。いろいろな強迫的な儀式があり、それがすまないと眠れないので、結果的に睡眠不足となって仕事に支障をきたしていた。この前息子と昼にラーメンを一緒に食べに行ったが、娘はリベンジで来年特別クラスを目指しているという。大学受験はマラソンと同じで、最初は先頭集団に遅れない程度で走り、後半でラストスパートをしたらいいと私は思っている。娘を見ていたら、最初から全力疾走していて、途中でつぶれてしまわないかと本当に心配である。勉強よりも大切な事がたくさんあるので、親としては中学生活をもうちょっと余裕を持って楽しんで欲しい。
 どこの家でも子どもの受験勉強に対する態度はいろいろである。池田に住んでいる私の妹は「私も頑張ったので、あなた達も頑張りなさい」である。「勉強していい大学にはいらないと、時給800円の世界」と、子ども達にストレートに言っている。私の家内は「母さんは勉強は嫌いだったので、いい大学にはいれなかったけれど、あなた達は頑張りなさい」である。何か矛盾しているような気がするが、息子が塾の宿題をさぼったりするとけっこう厳しい。私はその中間派である。前にも書いたが、私は長男だったこともあり、小学生の間は学校の成績が悪いと、父親にはスパルタ式に殴られて育ってきた。今から考えると、私に対する父親の態度は溺愛と過干渉であった。何しろ、私の通知表の成績が悪いと、自分の感情を抑えることができず、庭に咲き乱れているひまわりを日本刀でばさばさと切り倒していったぐらいである。中学にはいってからは何も言わなくなったが、いい仲間に恵まれたこともあって、かえって自分から積極的に勉強するようになった。一浪して医学部を再受験する時には、これで落ちたら自殺しかないと追いつめられていたので、子どもの受験に対する私の態度は複雑である。
 私の所に有名私立中学に勤めている先生が通院しているが、今の女子中学生は難しいらしい。校則違反を注意しても、どうしていけないのかと反論されるし、授業中私語を注意してもうるさいと言い返されるという。付属の高校の方がやりやすいというので、娘の年代は不安定なのかもしれない。娘と仲良く話している親子を見るとうらやましいと思う。父と娘の関係を少しずつ改善していくのが、私の当面の課題である。

平成17年2月8日(火)

 私のホームページは裏にカウンターがついているが、先週はクリック数が多かった。自分のプライベートなことを書いてしまって、ひいてしまう人もいるかもしれないが、私も診察とは別に自分の進行中の物語の中に生きている。前から宣言しているように、右も左もおかしいと思ったことは恐れず批判し、プライバシーについてもきれい事ばかりでなくありのまま書いていくつもりである。生きることのヒントはどこにでもあるので、このホームページも一つの参考になったらいいと思う。
 別居生活4ヶ月目に突入したが、家内ともいろいろと話している。焦らず、子ども達のことを最優先して解決していこうと思う。田舎の母親に別居のことを電話した翌日に早速私の所に電話がかかってきた。昨晩はどうしたらいいか一晩中考えていて、一睡もできなかったという。ワイドショーではこういう場合はこう言っていたといろいろな例をあげて、解決策を教えてくれる。久しぶりに電話の奥からしゃきしゃきとした母親の声を聞きながら、いくつになっても母親にとって息子は息子なんだと思った。私は25年間朝から晩まで離婚問題を含めたくさんの患者さんの相談にのってきたプロである。一瞬小さな頃にタイムスリップしたような気分になった。そして、ふと田中角栄の母親を思い出した。国を動かしている角栄が苦境に陥っている時に心配して、「いつでも新潟に帰って来い」と言ったのは有名な話である。
 私は昔は大部分の日本人男性がそうであるように、マザコンであった。この仕事をしていて、日本の社会の成り立ちを理解するようになり、今はマザコンを脱している。マザコン男性を非難している妻たちもまた自分の息子をマザコンにしているだけなのだが、最近は理解を示すようになった。どういうことかというと、男女の平均寿命の差は7歳ある。妻が5歳下だと、夫が亡くなった後妻は12年間も1人で生きていかなければならない。将来はどうなるかわからないが、今のところ大部分の夫は妻の世話になって亡くなっていく。妻はどうなるかというと、子どもしか頼る所がないのである。妻のサバイバル術としては、息子をマザコンにすることは理にかなっているのである。
 年老いた母親には心配をかけてしまったが、少しはボケ防止になってよかったかなとプラスに考えるようにしている。これ以上心配をかけてもいけないので、安心させるように答えておいた。今は家庭サービスをする必要がなくなり、土日などは時間が余るので、映画に行ったりしている。医院で取っているデイリースポーツにも京都の映画案内が載っている。しかし、限られた案内しかなく、久御山のイオンシネマなど大きな映画館は載っていない。広告費を出しているのか、八千代館みたいな小さな映画館はある。何を上映しているか見たら、「新人バスガイドくわえ上手な唇」とか「三十路銀行員極太狂い」と書いてある。残りの1本はスペース枠が狭いので、「覗きおばさんの性」で途切れている。気になったので、八千代館に直接問い合わせしてみたら、「覗きおばさんの性態」であった。おばさんは家内だけで充分なので、先週の土曜日は「パッチギ!」を見に行った。
 井筒和幸監督の作品で1968年の京都が舞台になっている。私が中学3年の頃である。府立高校と朝鮮高校の対立を描いた青春映画であるが、長野県の山奥で同時代を生きてきた者にとってはなつかしく、久しぶりに感動した映画であった。井筒監督の作品は今まで見たことはなく、TVなどで偉そうに話しているので、あまりいい印象は持っていなかったが、この作品で見なおした。在日が出てくる映画はややもすると、強制連行のことや従軍慰安婦のことが出てきて、60年前のことをまだ言っているのと拒絶反応が出やすいが、この映画はなつかしい音楽やあの時代の空気がいっぱい詰まっており、テンポよくドラマが進んで圧倒的な感動を与えてくれる。いきなりグループサウンズのオックスが出てきて、フォーク・クルセダースの当時放送禁止になった「イムジン河」や「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの曲が流れてくる。オックスやフォーク・クルセダース、都はるみ、東九条、KBS放送、東芝など当時の舞台がそのまま実名で使われている。よく涙と笑いの感動巨編というが、この笑いの取り方がうまく感心した。私はいろいろな女性タレントを見てもあまりかわいいとは思わないのだが、主人公の相手役となる朝鮮高校の女の子は本当にかわいかった。同世代だったら私だって親兄弟祖国を捨ててでもつきあいたいぐらいである。「イムジン河」の曲は政治的メッセージが強く出そうであるが、そんなことはなくあの騒然としていた時代を背景に上手に使われている。当時どうしてこの曲が放送禁止歌になったか、今でもよくわからない。葬式の場面で政治的メッセージが出てしまうが、まあ許そう。崔監督の「月はどっちに出ている」や「血と骨」より、私にははるかに面白かった。この人の作品はいろいろ出ているのは知っていたが、「岸和田少年愚連隊」あたりからビデオを借りて見てみようと思った。

平成17年2月1日(火)

 先週の金曜日は東山医師会の理事会があった。毎月1回午後2時からあるが、議題の一つに府医師会からの伝達事項などがある。今回は火葬場から要望が来ていた。何かというと、ペースメーカーを入れている人は事前に火葬場に知らせて欲しいということであった。知らずにそのまま遺体を焼くと、ペースメーカーが爆発して、実際に職員にけが人が出ているという。あらかじめ取り出さなければならないかというとその必要はなく、その旨を伝えると、通常よりゆっくり時間をかけて焼き、爆発を未然に防ぐことができるそうである。
 1月は毎年患者さんが少ないが、去年は例年と比べ2割ほど増えていた。秋ぐらいから患者さんの数が減っていたので、今年は心配していたが、去年並みを保ったのでひとまず安心である。仕事の方は順調であるが、家庭的には危機的状況である。実は去年の10月末から家を出て、私1人で医院で生活している。もう3ヶ月も別居していることになる。きっかけは娘が私に対してたとえ親子でも言ってはいけないことまで言ってしまったからである。私の方がきれて家を飛び出したのである。娘が受験を控えていらいらしているのは理解できるし、ある程度の反抗は仕方ないと思っている。それでも親子の間にも最低限のルールがある。「きもい」とか「いやらしい」とか言われるのはまだ許せるが、今回はひどかった。こういう場合、父親と娘の間を取り持つ役目は母親である。勝手に出て行ったので、放っておけばいいという考えもあるかもしれないが、私は一家の大黒柱である。医院の銀行振り込みやトイレットペーパーの買出しなどすべて雑用も私1人でやり、家内は何もしていない。マーチの新型が出た時に、家の近くに駐車場を借りて1台買い与え、充分すぎるほどの生活費の他にサラリーマンの平均的小遣いを上回る小遣いも与えている.。ふだんは私をたてる必要はないが、本当に必要な時には私をたててほしい。家内も娘の受験で大変だったのはわかるし、私も家内を強く非難したが、この3ヶ月間1度も帰ってきてほしいと頼んではこなかった。もっとも、私は年末年始にかけて1ヶ月近くひどい風邪をひいていたので、結果的には受験前の娘にうつすことがなくて、よかったのかもしれない。
 私はというと、6畳ちょっとほどの院長室で寝泊りしている。洗濯は医院用のタオルなどを洗う洗濯機を利用している。ワイシャツも自分で洗い、アイロンを買ってきて休みの日などにかけている。昼はコンビニで買ってきたものを食べているが、夜もコンビニで済ませるわけにも行かないので、外食している。点滴などをする処置室に小さなキッチンが付いているが、ここでは簡単な料理でもやりにくい。カップラーメンを食べても、かなり匂いがこもるのである。コンビニで売っているうどん類などの鍋物でも、火にかけると後でいくら換気してもしばらくは匂いがとれない。外来が終わって次の日の両替などを済ませると、夜8時近くになる。去年までは暖冬だったので、運動がてら京都駅まで歩いてその周辺で食事をしていた。最近は寒いので車で出かけることも多い。
 娘が私立中学に合格し入学金などを送ったが、今後のことについて話すため、この前の日曜日に子ども達に久しぶりに会った。私としては娘が謝り、私も謝ってそれで丸く収めるつもりであった。しかし、家内も私がどうして怒っているのか全く理解できていないようであった。結局、娘が別居したいと言い、家内も同調し、私1人でまた院長室に戻って来ることになった。毎年春休みと夏休みに家内が子どもを連れて長野県の私の実家に帰ることになっている。別居中に帰るわけにはいかないので、母親にその日に電話した。両親も年老いて孫と会うのだけを楽しみにしているので、その反応が心配であった。私の所に来るお年寄りでも、自分の子どもや孫のことを気に病んで受診する人も少なくない。事情を説明すると、私の母は古い人間なので「一体誰のおかげで食べさせてもらっていると思っているのか」と怒り出した。へたに落ち込まれるよりはまだましかなと思っている。母は強しである。
 年末に1人で海外に出ていると好き勝手していると誤解されやすいが、家内と子どもにはいつも一緒に海外旅行しようと誘っている。しかし、家内も子どもも行くのを嫌がっている。もちろんボルネオや象牙海岸のような趣味性の高い所や治安の悪い国を誘っているわけではない。家内は子どもを連れて実家には帰りたがるが、いろいろな事情があるらしく、私が行くのはあまり歓迎しない。別居前に家内の母親が亡くなったが、葬式の参加も断られたぐらいである。
 私としては気分はすっかり離婚モードにはいっているが、子どもが人質に取られているので、北朝鮮ではないが冷静な対応が求められる。経済制裁をしてもいいのだが、子どもに被害が及ぶのを1番恐れる。このまま離婚になると、自分が原因で両親が離婚になったという外傷を負って、娘はこれから生きていかなければならない。実際は幼くて未熟な娘より、父親と娘の仲介役を果たせず、いざとなった時に夫をたてることのできない家内に腹をたてているのだが、娘は無意識の中に罪悪感を取り込んでしまう。将来どういうことが起こるかというと、自分の意見を主張しなければならない時に、わけもわからず罪悪感が生じ、自分の意見が言えなくなってしまう。争いごとを必要以上に避け、ノーが言えずすべてを抱え込んでしまう。父親が娘の男性像の原型になるので、将来年上の男性に対して父親のイメージを無意識の内にだぶらせ、どうしようもない苦手意識や対人緊張を高める。下の息子はいつも明るく元気なので、家内は全く気づいていないが、今の状況は測り知れないほど心の傷を負わせている。息子に対しては、何の関係もないのに家族の争いに巻き込み、深く傷つけていることを本当にすまないと思っている。この前に会った時には、できる限り父親としてのメッセージを伝えてきたが、私の罪悪感はますます強まるばかりである。幼いので本人はどこまで自覚しているのかわからないが、この子はしっかりしているから大丈夫と考えるのは大人の勝手な想像である。
 それにしても、娘が私に対してどうしてここまで反抗的になるのか本当によくわからない。自営をしている人の中には外面はすごくよくても、その分ストレスを抱え、家で家族にあたりちらす人もいるが、私は仕事のストレスは決して家に持ち込まない。鍵をかけているので、まさか隠し持っているアダルト・ビデオを見られたわけでもないだろう。今回東山医師会の伝達事項で、「痴呆」が「認知症」という病名にかわったことを初めて知った。司会が「すでに新聞でもご存知のように」と言ったが、全く知らなかった。別居してからは医院で取っているディリースポーツとたまに買う夕刊フジや日刊ゲンダイですませていたが、やはり一般紙も読まないと情報の漏れが生じてしまうことがよくわかった。

平成17年1月25日(火)

 きのうは労災会議があり、3件のケースについて私を含め3人の精神科医で検討した。いつも問題になるのは(心的)外傷後ストレス障害で、どこまで心的外傷(トラウマ)と認めるのかその判断は難しい。労災のケースでは患者さんの守秘義務が強いので、ここでは具体的な例を述べるわけにはいかないが、どの程度の労務上の事故が心的外傷を引き起こすのか今回のケースは迷った。例えば、高所から落下したら、心的外傷と認められるのか? 高い所に恐怖を感じ、落下した時のことをいつまでも繰り返し思い出して、夜も眠れない時には簡単に診断してもよさそうであるが、事はそう単純でない。
 労災の診断については国際分類のICD-10を用いているが、米国の診断手引であるDSM-Wと診断基準が少し異なっている。最近の流れとしては、心的外傷をそれこそ生命の危険にさらされるような脅威的な体験でないと認めない傾向にある。溶けた金属の中に誤って足を入れてしまったら、それこそ患者さんは死ぬかもしれないという恐怖の体験を味わうが、なかなか患者さんが感じた主観的体験と実際のやけどの重傷度が一致しない。生命の危険にさらされるような重い熱傷の場合は、外傷後ストレス障害の症状があったら、文句なく診断がつく。しかし、中等度ぐらいのやけどだと判断に困る。よく考えてみたら、車に轢かれる時でも出血や骨折などの苦痛を伴い死ぬのではないかという恐怖を感じるが、その時に自分の生命が危険にさらされているのか客観的な判断はできない。患者さんが恐怖を感じて、その後事故の時の悪夢を繰り返し見ても、それだけでは不十分なのである。その事故が本当に生命の危険にさらされるような脅威的な事故であったのか客観的な判断も必要となる。例えば、交通事故で骨折していても、1ヶ月ほどの入院で治ってしまった場合はどうなるのか? 外傷後ストレス障害とは診断つけにくいのである。この程度の交通事故にあう人は山ほどいるが、一過性の急性ストレス反応は示すことはあっても、ほとんどの人は外傷後ストレス障害を発病することはない。誰にでも起こりうるぐらいの激しい事故でないと無理なのである。
 どうしてここまでこだわるかというと、労働災害の場合はその事故で受けたけがなどの後遺症が等級で分類されるからである。工場で何かが爆発してけがを負っても、けがの程度が低い場合はいくら患者さんが死ぬほどの恐怖を感じて、その後外傷後ストレス障害の症状を呈していても、外傷後ストレス障害とは診断できない。外傷後ストレス障害の診断を患者さんの主観的体験だけに頼ってしまうと、その診断の適用範囲は果てしなく広がってしまう。実際に落下したり、やけどしたり、骨折したり、手足を切断したり、失明したりすることがあるが、結果的に等級の低いけがを外傷後ストレス障害とはなかなか認めがたい。それでも、予測不能の事故であったのかとか、本人の過失なのか会社側の過失なのかなどを考慮して決めていく。労災ではないが、レイプなどは身体的に大きな障害を残すわけではないが、症状が出現する時にはもちろん外傷後ストレス障害となる。以前に公衆トイレでレイプされた女性を診察していたことがある。典型的な外傷後ストレス障害になっており、外出する時には男のような格好をして、帽子を深くかぶり、男性がそばに近づくだけでも恐怖でパニックになっていた。ふつうの生活に戻るのに長い時間がかかったが、なんとか男性とも話せるように改善した。
 以前に労災認定の全国平均を見たら、京都はかなり低かった。他府県では難しいケースでは外傷後ストレス障害をどこまで認めているのだろうか。事故があってから何年もたって、とってつけたように症状を訴えても、どこかカルテに記載が残っていないとなかなか認めがたい。今回のケースでも厳密に当てはめていくと外傷後ストレス障害とは認めにくかったが、本人に過失がなく、会社の過失で突発性の予測できない事故であったので認めることにした。

平成17年1月18日(火)

 この前の日曜日は東山医師会の新年会があった。私が司会をしたが、それほどやることもなかった。府立洛東病院がこの3月で廃院になるので、院長が挨拶とこれまでの経過を報告した。京都第一赤十字病院の副院長とも話をしたが、入院患者さんの在院日数を減らしてから赤字続きで大変なようである。私の所には何人かの看護婦さんも通院しているが、正月休みは多い時には1日200人を超える患者さんが救急で来ていたという。私もそうであったが、みんな安い給与でそれこそ滅私奉公で働いている。府立洛東病院からの患者さんも受け入れ、経営的に一息つけたらと思う。
  去年と同じように、今年も祇園の芸鼓さん、舞妓さんを呼んだ。新年の踊りも披露してくれたが、今年は司会だったのでしっかりと見た。いくらぐらいかかるのか打ち合わせの時に聞いたら、1人2時間で3万5千円である。この2時間もお茶屋さんを出てお茶屋さんに到着するまでの時間である。中学を卒業して舞妓さんになるので、15歳の子もいる。20歳になって芸鼓さんになるが、今は京都出身の舞妓さんはほとんどいない。最近は遊びも多様化しているので、琴、三味線や長唄の世界にどこまで粋に感じるか難しいところである。特に着物フェチではないので、私としては伝統や格式よりも、ミニスカートのコンパニオンとかバニーガールが接客してくれる方がうれしいような気もする。
 17日は阪神大震災の10年目にあたる。私はこの時には神戸の社会保険病院に勤めていたので、中心地で被災したことになる。阪神大震災は患者さんのことについては看護学校やこの前のヘルパー養成講座でもあちこちで話をしている。この日記でもどこまで書いたか忘れてしまったが、いよいよ書くこともなくなってきたので少し触れてみようと思う。実はこの時は3連休が続いていて、家内は子どもを連れて実家に帰っていた。私は1日年休を取り、日本を離れていた。地震のあった日に関空に着いたら、大騒ぎであった。飛行機の中で地震があったとは放送していたが、大したことはないと思っていた。空港について夕刊を買って見ると、死者1000人以上と出ていて、燃え盛るビルの写真が載っていた。神戸に帰ろうにも交通が遮断され、仕方ないので池田の妹の所に行った。妹が夜中に車で神戸まで送ってくれると言ったが、いざ出発すると自衛隊の車が何台も出ていて、渋滞でまったく進まず、帰るのはすぐあきらめた。
 病院があるので、なんとか帰ろうと思って、翌日に有馬温泉経由も考えたが、土砂崩れでバスも運行していなかった。結局翌日の夜に阪急が西宮まで運行していたのでそこまで行き、後は自宅のある北区の鈴蘭台まで歩いて帰ることにした。幹線道路沿いに歩いて行ったが、あちこち家が倒れている。非常事態なので、自転車でもないかと探したが、みんな鍵がかかっており、鍵も壊れそうもない。あえて盗む勇気もなかったので、そのままひたすら歩いて行った。西宮の方に避難していく人は大勢いたが、夜も遅く反対方向に歩いていくのは私ぐらいであった。途中避難所のボランティアの人が声をかけてくれたが、かなりの距離なので休む暇もない。トンネルの中を通るのはこわかったが、車で通りかかった人が途中で乗せてくれ、最後の数kmは歩かずにすんだ。北区に住んでいたので比較的被害は少なく、マンションも倒れていなかった。しかし、家の中はタンスが倒れ、私の寝ていた部屋の本棚はすべて倒れていた。
 ポートアイランドから関空まで高速ジェット船が出ていたので、車はポートアイランドに置いたままであった。休みの日にまた歩いて取りに行った。高架の上を歩いて行ったら、途中道路に割れ目がはいっており、何十mも下に落ちそうであった。こんなにひどい地震で被害も大きく、駐車料金も無料になっているかと思ったら、管理人までおり、震災後の延滞料金までしっかり取られた。交通が遮断されていて、取りに行きたくても行けなかったので、もう少し考慮すべきだろう。それにしても、あちこちでビルがいくつも倒れているのに、駐車場のメーターはなかなか壊れないものである。
 私のいた社会保険神戸中央病院は比較的被害が少なかったこともあり、大勢の患者さんを収容する拠点病院の一つになった。長田区からもたくさんの患者さんが搬送されてきた。この大震災でこころのケアが盛んに言われたが、私が経験した患者さんのことについてはまた別の機会に書いてみようと思う。本当に大変な患者さんをたくさん診察してきたので、心より亡くなられた方のご冥福を祈る。
追記:前回の日記で生活保護の受給率を間違えて書いてしまったので、訂正しておきます。

平成17年1月11日(火)

 風邪がこじれてなかなか治らない。夜も相変わらず咳が続き、睡眠も充分に取れない。それでもなんとかこの連休で快方の兆しが見えてきて、ほっとしている。咳をしていて気づいたのだが、これは一種の腹筋運動だと思った。微弱な電流を流し筋肉を収縮させてやせるベルトがあったが、それよりはるかに有効である。なんとなく腹が引き締まったような気がする。
 今週もいろいろ用事がはいっていて、今日はヘルパー養成講座の精神保健担当の講義があり、木曜日は特別養護老人ホームに行き、金曜日は東山医師会の新年会の打ち合わせがある。毎年持ち回りで、各班が新年会の準備を担当する。今年は私の班の順番で、私が班長をしているので司会をしなければならない。毎年新年会は酔っぱらってしまっているので、司会が何をしていたのかさっぱり覚えていない。昔はこういう時には準備万端にしておかなければ気がすまなかったが、別に会場に爆弾が落ちるわけでないので、最近はなるようになるだろうと開き直っている。
 今週は相変わず、障害年金や障害手帳、公費負担の診断書が多かった。公費負担の診断書についてはこのホームページでもいろいろ厳しいことを書いているが、患者さんから新規に頼まれるとなかなか断れず、グレーゾーンの人までみんな書いてしまう。本当は書く書類の多さにうんざりしているだけかもしれない。私は他の先生のホームページも見ているが、公費負担の見直しには批判が多い。特にデイ・ケアをやられている先生は強く非難している。私もデイ・ケアが必要な人には公費負担は残すべきだと思っている。しかし、公費負担も一旦申請すると、症状がよくなってもそのまま継続してしまう。特にうつ病では初めは希死念慮が強くて自殺未遂を起こしたような人でも、充分な治療で見違えるように回復する。それこそ神経症レベルぐらいまで改善していてもうつ病の病名は残るので、薬を飲みながら元気に働いている患者さんでも公費負担はそのまま更新していくことになる。難治性のうつ病も増えてきているが、それでもうつ病全体の2割ぐらいと言われている。やはりデイ・ケアに通うぐらいの人を公費負担の対象にしないと、厚労省が言うように果てしなく対象が増え、当初の目的を達成したということになってしまう。ちなみに、この前保険医協会から送られてきた資料を見ていたら、生活保護の世帯の割合が出ていた。不況になると京都市も緊縮予算になり、生活保護の人たちを減らそうと努力するが、こんな不況では無理である。うろ覚えの数字であるが、1番多いのは北海道で22%である。大阪も20%を越えている。京都は確か17%ぐらいであったと思う。(この数字は単位を一桁間違えていたようで、‰でした。人口比率でいうと約1パーセントで、世帯率では約2%でした。改めて訂正し、お詫び申しあげます)  何でもそうであるが、一旦支給したものを途中で打ち切るのは難しい。
 精神障害者の社会復帰に自分の使命をかけている先生には頭の下がる思いであるが、精神科医はややもすると精神科の世界に閉じこもり、身体疾患の世界には無知になる。私は長いこと第一線の総合病院に身を置いていたので、身体疾患の大変さもよくわかる。お笑いコンビのカンニングのメンバーが予後のいい急性リンパ球性白血病になったが、血液疾患は重い精神病と変わらないぐらい大変である。日赤にいる時に、急性骨髄性白血病の患者さんの対診依頼があった。まだ20歳ぐらいの男性で、骨髄移植が不成功に終わり、化学療法で肺がぼろぼろになり、常に酸素吸入と点滴をしていた。たくさんのチューブに繋がれ、ベッドから半径50cmぐらいの空間が死ぬまでの彼の生活の場であった。看護婦さんのやることなすことすべてにけちをつけ、ささいなことで大きな声で怒鳴りまくるのである。気持ちが楽になるように薬を飲むように説得したが、薬で肺がぼろぼろになったと言い、決して飲もうとしない。死を前にして、彼なりに死の恐怖と戦っているのがありありとわかった。どんなに怒鳴って抗議しても、近いうちに死は確実に訪れ、意識がはっきりしているだけに過酷だと思った。前にも書いたが、外科の先生が乳がんの患者さんを私の所にどんどんと紹介してきた。乳がんの患者さんもみんな亡くなってしまったが、印象に残っている人がたくさんいる。母1人子1人の患者さんがいた。娘は女手ひとつで進学校に入れた自慢の子であったが、高校に進学してから登校拒否になった。乳がんも大変な病気で、再発を繰り返し、足の骨に転移して歩けなくなり、最後は首の骨が骨折してもギプスで固定するぐらいである。脳にも容赦なく転移していく。このお母さんが入院している時に、毎朝娘が学校に行けているか心配して、必死で公衆電話まで歩いて確認するのである。
 精神科の病気も大変であるが、決して精神の病が身体の病を上回っているわけではない。私は精神科医なので、自分たちの患者さんのことを第一に優先して考えなければならないが、心の片すみで「チェック アンド バランス」も忘れないようにしようと思っている。

平成17年1月4日(火)

 年末は1人でコンポンソムに行ってきた。コンポンソムといっても、知っている人はマニアぐらいだろう。別名シアヌークビルという。よっぽど暇でやることのない人は世界地図を出してほしい。世界地図がなく、たいくつさが極限に達している人は早速本屋に買いに行こう。関西空港からバンコクに飛び、バンコクからカンボジアのプノンペンに飛ぶ。今回スマトラ沖地震で被害の出たプーケット島や北のチェンマイに行くのとそれほど変わりない。1時間ほどのフライトでプノンペンに着く。プノンペンから南西へ約300km行った海辺の町がシアヌークビルである。セントラル・マーケットから高速バスが出ていて、所要時間はぴったり4時間であった。料金は片道3.5ドルで、50人乗りバスで欧米人が3〜4人ほど乗っていた。後はすべて地元の人である。
 久しぶりにバスの旅をしたが、エアコンもほどほどに効いていて、快適な旅であった。今はどうなっているのか知らないが、昔はタイのバスはエアコンが効きすぎていて、それこそ苦痛であった。風邪をひかないようにたくさん着込んで、各座席の上に付いているエアコンの吹き出し口にティッシュペーパーを詰めて乗っていた。カンボジアはタイと比べると埃っぽい感じで、ひさしのテントや看板などは汚れたままである。それほど多くない緑の中をただひたすらバスは走り続ける。所々に牛が放し飼いされている。途中20分ほどの休憩があり、朝早く出たのでみんなそれぞれ朝食を取っている。私はモンキーバナナを数本買って食べた。
 年末なのでホテルが取れるか心配していたが、のんびりした雰囲気の町で、私の泊まったホテルはがらがらであった。1泊15ドルで、部屋も広く眺めもいい。東南アジアの海は今がベストシーズンで、夏休みは雨季にはいってしまう。ビーチもいくつか分かれており、あちこちにホテルがあるので、客が分散している。滞在しているのは、ほとんどが欧米人である。日本人は学生らしき人に道で数人会ったぐらいである。中には日本人か韓国人か香港人か区別のつかない人もいるが、バイクですれ違った瞬間に一目で日本人とわかった。ここまで来ると、さすがにビーチはきれいである。ここから沖合いの小さな島々に出たら、もっときれいで、ダイビングも楽しめる。私は15年ほど前にPADIのダイビング・ライセンスを取ったが、長いこと海には潜っていない。ダイビング道具は一通り揃えたが、今では腹も出てきたので、ウェットスーツも合わない。無理に着込んで潜ったら、それこそ溺れ死んでしまうだろう。
 島に渡るには漁船をチャーターしなければならず、1人旅の者にとっては大げさになる。今回スマトラ沖地震の津波でほとんど壊滅してしまったタイのピーピー島のように、定期便がないと行きづらい。(もっとも、今みたいに観光地化されていない時には漁船しかなかったが) ビーチで写真も撮ってきたが、やはり小さな島にたどり着かないと、いい写真が撮れない。夜は海鮮料理を楽しんだが、カニの身も山ほどあるとありがたみがない。プノンペンへの帰り道で、途中道路でシアヌークビル行きのバスが故障して止まっていた。乗客がみんな降りて待っていたが、こんな田舎道でいつになったら修理されるのかわからない。以前にタイのサメット島にバスで行ったが、バスのドライバーがトラックと抜きつ追いつつのカーチェイスを繰り広げた。バスのサイドミラーをトラックに引っ掛け、吹き飛んでしまってこのレースは終わった。それからどうしたかというと、バスは乗客を乗せたまま近くの町に寄り、サイドミラーを買ってきた運転手が自分で修理したのである。その後、また出発である。
 今回は4泊5日の旅であった。朝に出発できたので、まだいい方である。東南アジアにはあちこち行っているが、仕事があるので米国を除いて最大4泊5日の旅である。それも夕方便や深夜便で行くことも多い。ずっと風邪が治らず、さすがに今回は疲れた。日本に帰ってきたら、鼻水も咳も前よりひどくなっている。もっと近い、今まで手のつけなかった中国にもチャレンジしようかと思った。北京語も中国人の過半数が理解できるようになったので、いい機会かもしれない。新しい年を迎えて、今年はぜひとも不良中年をやろうと考えている。


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