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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成16年12月28日(火)

 いよいよ今年も残り少なくなってきた。年度末なので、去年と患者さんの数を比べると、1割弱増えている。あまり増えすぎるのも困ると思って、夏頃からどんどんと4週間処方を出したら、秋ぐらいから患者さんが減ってきて、9月、10月、12月と去年より少なくなっている。来年はもっと減るのではないかと、少し後悔している。このホームページもどんどんと本音を書いているので、仲間内からは書き過ぎと言われたりするが、あまりきれい事ばかりでは面白くない。時には患者さんの誤解を招くような内容もあるかもしれないが、ご容赦願いたい。ホームページを充実させてから患者さんが減っているような気もするが、私の信条としては誰にも媚びずに書き続けていきたい。
 たまたま1人の患者さんが洗礼を受けるという。40歳近くになってからなので、信心深い。熱心な信者の人はキリストの教えと日常の生活をどう折り合いをつけているのだろうか。キリストの教えを全部守ることは不可能である。人を憎んだり、怒りを感じるのは、人間として当然のことである。信心深い人は、憎しみを持つことに罪悪感を感じてしまう。キリストの教えはあくまでも努力目標で、すべて実行できたら、神に近づくのではなく、それこそ神になってしまう。
 同じ東山区に森田療法で有名な病院がある。私の医院から歩いて5分ぐらいで、同じ班なので時々院長ともお会いする。この先生の共著で「あるがままの世界」が続編と2冊出ている。最初の本は17年前に発刊され、この本の中で誰の作かは忘れたが、今でも私の心をとらえている歌が出てくる。私もまだ30代半ばで、自分の中の思い通りにできない部分をどう処理したらいいのか悩んでいた時である。森田療法については学生時代から知っており、その考え方については随分救われていた。あるがままを「レット・イット・ビー」と訳したら、専門家の先生には怒られるのだろうか。「朝は神、昼は人間、夕されば、心悲しき獣かな」 患者さんにできる限り優しく接しようと思ったり、時間をかけて親身になって聞いてあげたいと思っても、時には疲れたり、腹が立つこともある。年をとって枯れてきたかと思うと、むしろ煩悩だけは強くなってきているような気もする。今から考えると、40代の頃が1番枯れていたような気もする。へたにお金ができるのがよくないか。
 常に優しくと思っていても、我慢大会になってはいけない。そんな優しさは長続きしないし、他の所でいつか爆発してしまう。人間は人間という枠組みの中でしか生きられないと、つくづく思う。それでも、あるがままに欲望のままに生きたらいいというわけでもない。結局実現不可能な努力目標を追いかけているだけのような気もする。最近は自分の中の暗闇も恐れず見れるようになってきた。誰でも悟ることはできるが、持続させることはなかなか難しい。ある日突然世界の成り立ちがわかったような一瞬は訪れるが、すぐに消えてしまう。インドのグルであるラジニーシが笑気を吸いながら、いつまでも悟り続けるのは難しいと言ったのはよくわかる。
 今風邪をひいて、一晩中咳をしていて眠れない。時々蒸発したいと思うが、明日からは本当に蒸発しようと思う。こんなひどい風邪で大丈夫かと思うが、なんとか南の島にたどり着けたらと思う。スマトラ沖地震で、プーケット島などが津波に襲われ、多数の犠牲者を出している。まだ、余震の可能性が残っているが、その時にはその時でまた考えよう。カメラを持って、本格的に写真を撮ってこようと思う。あまり日本人の行っていない所に行くつもりである。もんもん写真館が更新できていないので、いい写真が撮れたらと思う。乞う、ご期待。皆さんもよいお年を。

平成16年12月21日(火)

 この前の日曜日は東山医師会第4班の忘年会があった。私が班長をしているので、会場の確保から案内まですべてやった。1人当たりの料理が1万円で、実際に徴収するのは6千円である。ふだんあまり顔を合せることのない80歳を越えた現役の先生から1番若い私まで18人集まった。会場は京都駅のすぐそばで、料理もおいしく、夜景もきれいであった。東山医師会の会長が来年交代するが、最近は町内会の会長みたいなもので、なり手が少ないという。自分の医院の診療時間をさいて、府医師会の集まりや保健所関係の行事に出なければならない。私も区の役員になって初めて知ったのだが、土日などもつぶれ、それこそ老人会の行事みたいなものまで来賓として招待される。話を聞いていたら、たとえ診察時間中であっても、こういう会の断り方も神経を使うらしい。京都府の医師会長も大変で、学会から始まってありとあらゆる会合に必ず挨拶に出てくる。全くの名誉職で、交通費は出るが、給与としては出ないという。唯一出るのは日本医師会会長で、大企業の社長並みと聞いたことはある。
 長老の先生とも話をしたが、70歳を越える人たちは医者の黄金時代を過ごしている。今やわが国は不景気の真っ只中で、どの先生と話をしていても将来は暗い。現在立木信著「地価「最終」暴落」を読んでいるが、マクロ経済の視点から面白い分析をしている。今若い人たちのフリーターやニートが社会問題となっている。若い人たちが就職したくてもできないのは、単なる不景気のせいだけでない。現在55〜56歳になる団塊の世代が会社で若い人の3倍の給料を取っているので、会社も若い人を雇いたくても雇えない。だから、後5〜6年我慢したらみんな定年退職するので、求人も増えるだろうと思っていたが、事はそんな単純なことではないらしい。高い給料を取っている人たちが大量に定年退職したら会社は身軽になるが、その後は年金などで政府がみなければならない。マクロ経済的には大変なことになり、少子高齢化がすすんでやがて土地が暴落するという。今住んでいる25坪の自宅からもう少し広い所に住み替えたいと思っていたが、ローンを組んで家、マンションを買ってはいけないと説いている。私の医院の経理関係は税理士に任せているが、毎月送られてくる賃借対照表もどう見たらいいかわからないほど会計オンチ、経済オンチである。10年後20年後の未来は今思いつかない何か大きな変化が加わると、予測とはかけ離れたものとなってしまうが、それでもこの著者の骨太のシナリオは妙に説得力がある。この本でも現在の70歳代が1番いい目をみていて、バブルの時の責任者が問題を先送りして引退し、若い人たちにすべて尻拭いをさせていると指摘している。
 確かに今の若い人は夢も希望もないと思う。安い時給で働かせられ、たとえ正社員の職を得ても、サービス残業やノルマに追われる。自分の上司を見ていても大変そうで、あまり明るい未来も見えない。たとえ彼女がいても、結婚してやっていける経済的基盤もない。毎日の診察では、1人1人の患者さんを診ているが、ある意味ではすごくパーソナルなミクロの世界しか扱っていないと思う。しかし、30歳前後の引きこもりの人たちも、現在の不景気な社会情勢と決して無縁ではない。精神科医は患者さんを変えようと思い、社会を変えようとまでは思っていないが、自分の患者さんと自分の医院の安定だけしか考えないのもまずいのではないかと思う。
 忘年会では医学部の教授のことも話題になっていた。80歳を越える先生は戦時中は将校としてやっていたので、敗戦後医局に戻っても癖のある人ばかりで、教授も医局員には遠慮していたという。その下の世代は教授はやはり天皇だったという。私の頃は学生運動が落ち着いた直後であったので、医局の人事は投票制で決めていた。入局する直前に教授が推薦した講師を医局員が投票で落としたと聞いて、驚いたことがある。今は白い巨塔のように、ある程度権力を回復している。それでも、他の先生の話を聞いていたら、これからは医学部の教授の力はどんどん弱まるという。自分の自由時間がなく、給料も安くて、言うことを聞かない医局員ばかり増え、製薬会社からのメリットもなくなったら、それこそ町内会の会長のように名誉職となってしまう。もしかしたら、将来はなり手がなくなり、順番で回すことになるかもしれないと、酔っぱらったついでに勝手な想像をしてしまった。

平成16年12月14日(火)

 先週の土曜日は年に2回の医局の同窓会があった。今回の特別講演は北山修氏であった。若い人はあまり知らないかもしれないが、もとザ・フォーク・クルセダーズのメンバーで、「帰ってきたヨッパライ」で一大ブームを起こした人である。現在は九州大学で教授をしており、精神分析の研究をしている。講演の前の略歴紹介で昭和47年に府立医大を卒業したということなので、私より7年先輩ということになる。この頃の卒業生というのは学生運動が荒れた世代で、母校に一度も戻ることはなかったが、現在は府立医大の客員講師をしている。
 精神分析については私の周りに専門の先生がいなかったので、あまり詳しくない。たまたま懇親会に、英国のクライン派の研究所に4年半留学して帰って来た後輩の先生がいた。私費留学だったので家族との生活費で年間800万円かかり、貯金のほとんどを使い果たしたという。大先輩にスイスでユング派の精神分析の資格を取ってきた先生がいる。ユング派は心理関係では河合隼雄氏が有名であるが、この先生は精神科医としては日本で初めて取った。この先生も個人で行っているので一財産費やしている。ちなみに、クライン派の精神分析の資格を取るには6年かかるという。精神分析もいろいろな派があり、本などを読んでその時にはわかったような気になっても、しばらくすると何が何だかわからなくなる。それぞれの派が他の派を批判したりしているので、門外漢は各派の名の知れた理論を知識としてつまみ食いする程度である。
 北山修氏の本は読んだことはないが、話は大変わかりやすかった。講演の後で懇親会があった。教授から指名され、乾杯の音頭を私が取ることになった。こういう場合にはふつう参加者の中の1番の長老が取るのであるが、最近は順番にまわしており、今回は私の番であった。近況報告をして、この会で乾杯の音頭を取る機会はもうありそうもないので、10年、20年、30年と生き延びて、もう1回ぐらいやりたいと挨拶した。北山修氏の話でも出てきたが、精神分析では母子関係を重視する。挨拶をしながら、医局の同窓会はいつも自分が最終的に帰っていく場所のような気がした。いつも自分を迎えてくれる母なる場所とも言えるかもしれない。もちろん、多かれ少なかれ医局に対してアンビバレンツな感情(愛と憎しみ)もある。これまでの教授や医局に反発して、頑なに参加を拒否している先生もいる。教授に挨拶に来るわけでないので、昔の仲間に会いに来たらいいと思うが、絶対来ない。まるでこじれた母子関係のようである。自分が年を取って、開業して思うのは、昔先輩が言っていたように、医局は心のハイマート(ふるさと)である。同じ釜の飯を食べた仲間という思いは若い頃よりも強くなっている。
 懇親会では北山修氏も参加したが、特に自分から話をしに行くことはなかった。学会などでも懇親会に有名な先生も参加するが、私は挨拶しに行ったり、質問をしに行くのは苦手である。中には積極的に話しかけ、学会の偉い先生に顔を覚えてもらおうとする先生もいるが、昔からそういうことはだめである。後輩が激戦区の神戸で来年開業すると話していたが、これからは開業する人も多くなるだろう。公費負担制度見なおしの話も出ていた。前にも書いたように、本来は統合失調症や躁うつ病の人たちのための公費負担がそれこそプチうつみたいな人まで適応され、財源がパンクしている。他の科では一家の主がガンに倒れても治療のための公費負担は1銭もない。法改正では、精神障害1級の患者さんか経済的に生活保護ぐらいの人しか適応されないといううわさも出ている。自分の医院の患者さん確保のため、神経症みたいな人にまでこの公費負担の診断書を書いている先生もいる。そんなことをしていたら、すぐに財源が破綻するのは目に見えていた。今度の法改正で本来必要な統合失調症の患者さんまで切り捨てられてしまわないことをただ祈るばかりである。

平成16年12月7日(火)

 先週の土曜日はまた国際交流会館で外国人のためのカウンセリング・デイがあった。私の担当はメンタル・ヘルスであるが、他にも法律相談や出入国管理手続き相談なども同時にやっている。前回の資料を見てみると、大学を卒業後就職が可能かどうかとか、親の在留期間を延長できるかなど難しそうな問題で相談に訪れている人が多い。私の担当は第2回目で、前回は2人相談があった。今回はというと、午後2時から5時までいたが、1件も相談がなかった。特に英語圏に限っているわけではないが、外国人にとってメンタルな問題はまだ相談しにくいかもしれない。担当の人に聞いたら、かなり広範囲にメディアを通じて広報はしているという。京都らいしいいい企画だと思うのだが、まだ中国人など東洋系の人々にとっては敷居は高いのだろう。
 前回が9月18日で、その間英語の勉強をしたかというと、あまりやっていない。3ヶ月に1回ぐらいの行事ではなかなかモチベーションが上がらない。思い切って日本語の新聞は読まず、The Japan Timesだけにしようかとかいろいろ考えているが、相変わらず英字新聞は新聞受けからそのまま新聞置き場に直行している。本屋に行くと、CNNや時事英語の月間雑誌が山ほど出ているが、勉強するならThe Japan Timesぐらいが適当である。週間誌TIMEは私には難しすぎて、気楽には読めない。結局、もうちょっと勉強しなければと思いながら、このまま年を取っていくような気もする。何人かの精神科医の先生に聞いたら、自分の医院や病院で英語圏の患者さんを診ている人もいる。それでも本格的に診ているわけでなく、1人2人の世界である。以前に雇用保険の教育訓練給付制度を利用してNOVAに通っていたが、英国人教師から外国人の患者さんを診るつもりかと聞かれた。日本の女の人と結婚する外国人教師も多く、中には家庭問題を抱えている人もいるらしい。知り合いの日本人女性の妻が自殺したとも聞いた。それなりに需要があるようであるが、口コミなどであまり増えてしまうのも困ってしまう。時間の問題などもあり、本格的にやるにはそれなりの準備と覚悟が必要である。
 話はそれるが、国際結婚のことが出たついでにいうと、たまたま雑誌の記事をみていたら、今や晩婚化が進み、いい男はすでに売れており、後はブラックマーケットとして、不倫の世界か外国人しかないと書いてあった。極端な誇張であるが、今の時代のムードを表しているような気もする。冬ソナブームで、韓国人との見合いツアーまで催されているという。こんな所に参加して本当に幸せな結婚相手が見つかると思っているのだろうか? 最近はネットで知り合って結婚する人もいるが、自分の身の周りでなかなかいい人が見つからなくて、ネットで本当にいい人が見つかるのであろうか? ネットだけのつきあいで、たまに会うぐらいなら理想の人が見つかるかもしれない。しかし、結婚となると別である。生活費もかかるし、炊事、洗濯などの家事もある。国際結婚も同じで文化の違いなどを理解して、自分からアクティブに変わっていく覚悟がないと無理であろう。単なるレディファーストで、一方的に優しくしてもらえると考えるのは甘いだろう。中には成功している人もいるかもしれないが、ネットの先にも外国にもなかなかすてきな王子様はいそうもない。結婚相手に関しては身近な現実の世界で頑張ってさがしていくしかないような気がする。
 国際交流会館では相談者がいなかったので、最初は一眠りして、その後は持って行った新書を読んでいた。今話題になっている三砂ちづる著「オニババ化する女たち」である。半分弱ぐらいしか読めなかったが、女性の生き方特にフェミニズム的な考え方に対して面白い切り口で挑んでいる。出産は女性にとって原身体体験で、女性として生きていく上で避けられない体験であると書かれている。生みたくても生めない人もいるが、陣痛を通して新しい生命を生み出すという身体感覚は、経験したものにしかわからない圧倒的な体験なのだろう。女性というのは、自分の身体を使って、セックスをしたり出産をしたりということをしていないと、自分の中の女性としてのエネルギーの行き場がなくなり、オニババ化するという。女性が本来持っている生物学的な身体性の問題は、たかだか数十年のフェミニズムなどの理論で簡単に覆されるものではないということか。男女の区別は実は差別なのだとか、わけのわかったようなわからないようなフェミニズム論を展開している人たちはこの本をどうみるのであろうか。(もちろん社会的差別は解消しなければならないと思っている) フェミニズム論を展開する人たちは女性の自立をめざし、ややもすると結果的に独身となりやすいが、1度出産を経験したらその考え方が少しは変わるのではないかとふと思った。

平成16年11月30日(火)

 先週の火曜日は東福寺へニコンの新しいデジカメを持って出かけた。私の医院から10分ちょっとの距離であるが、入口近くまで行って、サイフを忘れたことに気づいた。デジカメの用意に気を取られていて、大失敗である。最近また体重が増えてきたので、毎日30分は歩くようにして、食事も減量を始めたばかりである。しかし、また医院に戻って引き返してくるのは何か損をしたような気になる。勤労感謝の日で雲ひとつない青空が広がり、大勢の観光客が訪れていた。やっと取りに行って戻ってみると、最初の入口で電車のラッシュアワーのように前に進めない。いつもは混雑を緩和するため途中で入場券を売っているが、まだ2時半だというのに店を閉めている。聞いてみると、入場は4時までなので、もし入場できなかったら困るのでもう売るのをやめたという。拝観入口までたどりつくのに、下手をするとそれだけ時間がかかるということか。ということは、拝観入口にやっとたどりついても入場券を買えないかもしれない。仕方ないのであきらめて、泉涌寺に行くことにした。それにしても、後から次から次へと来る観光客を目にして、気の毒に思った。一番混んでいる時のディズニーランドでプーさんのハニーハントを待つぐらいの待ち時間である。
 泉涌寺は東福寺と比べたら驚くほど人は少なかった。紅葉ももうひとつで、せっかくデジカメを持って行ったのに手持ちぶさたであった。ところが、奥の方に行ってみると塀の向こう側にきれいな紅葉が見える。そちらの方に近づいてみると、別の建物が建っており、奥に庭園があるらしい。そこにはいるのに入場券の500円以外に別に300円かかった。あまり大きくない庭であるが、見事な紅葉である。東福寺は紅葉はきれいであるが、写真を撮ろうとすると人がはいってしまい、思うような写真がとれない。ここは縁側から庭を撮るので、観光客のはいらないきれいな風景が撮れる。ただ惜しむらくは、日陰になってしまい燃えるような色が出なかったことである。もう少し早い時間に行っていたらよかったと思う。
 私は気楽に写真を撮っているが、患者さんの中には20kgほどの装備をして、山の写真を撮りに行く人もいる。テントとカメラと交換レンズ、三脚までいれたら、そのくらいになってしまうだろう。山登りが好きな患者さんは何人かいるが、最近偶然にも山の写真を趣味にしている患者さんが2人受診した。1人の患者さんは冬山にも行き、ヒマラヤにも登って来たという。もう1人の患者さんはもう70歳を超えているが、つい最近写真道具を持って単独で山に登り、途中でアキレス腱を切っている。山小屋まで5時間かかってやっとたどりつき、ヘリコプターを呼んでもらって下山したという。写真とは関係ないが、チベット仏教を勉強している50歳を超えた女性でインドまで1人で行き、途中で足を骨折して帰国している患者さんもいるが、みんなすごいパワーである。ちなみに、ヘリコプターを呼んでもらうのにいくらかかったか聞いたら、救急車みたいなもので無料だそうである。
 本当にいい写真を撮ろうと思ったら、これぐらい手間暇をかけないと無理なのだろう。実際に泉涌寺で撮ってきた写真をパソコンで見てみると、手ブレがしていたり、もうひとつである。このホームページのもんもん写真館も更新しようと思うが、なかなか気に入った写真が撮れない。この写真館でマニラの写真を載せているが、正確な時期を調べてみたら、1986年3月に撮っている。マニラ空港でアキノ元上院議員が暗殺されたのが、1983年8月である。マルコス大統領が繰り上げ総選挙で勝利宣言したのが、1986年2月である。しかし、すぐにピープルパワー革命で、マルコス大統領が追われ、アキノ未亡人が大統領になっている。政権が交代して混乱の中、日本からの渡航は自粛されていたが、私が行って撮ってきた写真である。マルコス大統領の選挙ポスターであるが、白い壁にアキノと思われる名前が書かれて消されているのを何人の人が気づいたであろうか?

平成16年11月23日(火)

 今日は朝早くから医院に出てきて、この日記を書いている。毎週火曜日を締め切りと考えていると、いつものようにぎりぎりまで書かず、場合によっては夜遅くまでかかってしまう。そこで、最近は毎週月曜日を締め切りと考えて書くようにしていたが、今週はばたばたしていたり、気分がなかなか乗らなかったりしていた。作家などが毎週週刊誌や雑誌にエッセイなどを書いているが、すごいと思う。だれでも簡単に評論家になれるが、文章を書き続けるというのはやはりかなりのエネルギーがいる。
 本屋にはよく行くが、大型書店で山ほどの本を前にすると、私もいつか一冊ぐらいの本を書かなければと思う。一番書きやすいのは、メンタル系の本であろう。同級生の立命館大学のT教授も臨床心理士や一般向けの本を出している。大学の後輩も一般向けに痴呆の本を書いており、私も保健所で毎回毎回同じような内容の話をしているので、参考に一冊買った。きのうたまたま本屋に行って心理関係の本を見ていたら、府立医大と滋賀医大でお世話になった臨床心理士の先生が一般向けにうつ病の本を出していた。講演でもなんでもそうであるが、一般向けはやりやすい。以前に新しい坑うつ薬などが発売され、製薬会社から講演を頼まれたりしたが、内科などの専門領域以外の先生に話すのは楽である。その点精神科の先生の前で話すのはみんなその道のプロなので、大変神経を使う。
 最近一般向けの本をよく書いている香山リカ「生きづらい〈私〉たち 心に穴があいている」を読んだ。この人の本を読むのは今回初めてであるが、名前だけは昔から知っていた。年齢を見ていたら、この人も44歳になったのかと思った。30歳前ぐらいからマスコミに出て話題になっていたが、精神科医としてTVでコメントするのを見てあまり快く思わなかった。田島陽子がTVタックルに出演していた時に、恩師からいろいろ言われたというが、学問の世界ではマスコミに出て露出度が高くなるのを嫌う。その道の偉い人が何か事件があってコメントをするのはかまわないが、あまり若い人がわかったような顔をして解説するのは反撥をくらう。一般の人はTVに出ているから若いのに偉い先生だと思うかもしれない。いいか悪いか、医学の世界では前に書いたように、自分が専門とする分野の学会で認められて、やっとその領域について何か控えめに発言できるぐらいである。マスコミも一般向けの解説者が欲しいので、タレント学者に仕立てるが、その分野の医学論文をかなり書いていないとばかにされる。象牙の塔とか白い巨塔の世界では、自分の専門分野については常に海外の学術雑誌から最新情報を得て、自分の時間を犠牲にしてみんな必死になって恐ろしいほど勉強している。マスコミはそんな最先端の専門的な情報が欲しいわけではないが、それでもそういう先生たちをさし置いて、若いタレント学者がTVに出て何でも知っているかのように話すのは相当勇気のいることである。しかし、そういう医学界の無言の圧力の中で15年以上生き続けてきたというのは評価していいと思う。本人も一見華やかな世界とは別にかなりの努力をしているのだろう。この本については私と意見の相違もあるが、若い人の理解には参考になった。
 他に精神科医でマルチ・タレントとして、和田秀樹がいる。この人も香山リカと同じ44歳である。あまりあちこちに顔を出していると精神科医としては評価されないが、一般向けに書いた「<自己愛>と<依存>の精神分析」が面白かった。コフートの名前は知っていても、専門家でも詳しいことはあまり知らないだろう。難しい専門書より親しめ、この人の要領よくわかりやすくまとめるという才能がよく発揮されている。昔は専門の学者が一般向けに本を書くことも、学者生命にマイナスになると考えられていた。今は亡き小此木圭吾が一般向けに精神分析の本を書いている時に、仲間内からはかなり批判されていたという。専門家から言わせたら、わかりきったことの単なる解説本で、学術的には全く価値のないものということになるのだろう。(こんな本を書いている暇があるなら、もっと自分の研究テーマに勤しめということか) 秋山さと子も河合隼雄の本については「明恵 夢を生きる」の本が出てやっと評価をしている。それでも、その分野の専門家でない者にとってはわかりやすい解説書が必要である。TVは露出度が大きく、本よりも軽い印象を与えるので誤解を招きやすいが、一般向けの解説者もやはり必要となるのだろう。
 今日は休みなので、もんもん読書録を更新しようと思ったが、この日記に思わぬ時間を取られてしまった。外は天気がいいので、買ったばかりのニコンのデジカメを持って試し撮りに東福寺まで出かけようと思う。文章を書くより、写真を撮っている方が楽であるが、それではいつまでも本が書けないのも事実である。(敬称略)

平成16年11月16日(火)

 最近映画づいている。だいぶ前に長男と「ナルト」を見に行ってからしばらく映画館に足を運ばなかった。しかし、先週はビート・たけし主演の「血と骨」とチェ・ゲバラの医学生時代の南米の旅を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」の二本を立て続けに見た。
 「血と骨」は封切りの時に朝1番で行った。行けるのが日曜日ぐらいしかないので、朝1番が1番空いている。この小説は単行本が出ている時から話題になっていたが、文庫本になってから上下2冊買った。しかし、読もう読もうと思っている間に映画化され、映画の方が先になってしまった。上下2冊ある本はなかなか読む暇がないので、今まで読んだ本は数えるほどである。だいぶ前に「カリスマ」というダイエーの創始者中内功を書いた本を文庫本になってから上下2冊で読んだぐらいである。(この本では今話題になっている牛肉偽装事件で逮捕されたハンナンの浅田満のことが詳しく書かれている) 次から次へと新しい本が出てくるので、読み終わらないうちに他の本に手を出してしまい、今は10冊以上同時平行読みしていて収拾がつかなくなっている。
 原本も読まず映画の感想を述べると、「血と骨」はお金をかけているようで、戦前戦後の貧しい大阪の風景が上手に再現されている。崔監督の映像も美しく、構図や色は私好みである。ビート・たけしの演技も決まっている。北野武監督の映画は全部見ているわけではないが、ベネチア国際映画祭で金獅子賞をとった「HANA-BI」を含めて私にはもうひとつである。自分で作品を作って、その中で狂気や凶暴性を演じるのは無理があるような気がする。その点、崔監督の作品の中ではビート・たけし本来の演技がうまく生かされている。それでも、映画の中の強烈な個性という点では、前にも書いた原一男監督の「ゆきゆきて神軍」にはかなわない。この映画はドキュメンタリーなので比較するのは酷であるが、演技でもいいからこの奥崎謙三を越えるような人物を作って欲しい。「血と骨」ではただやたらと暴力をふるう父親で、もうひとつ人物像にふくらみがないような気もする。それと、この父親と家族の絆ももうひとつよくわからなかった。葬式の場面で表現しているのかもしれないが、一歩間違えると、ただ暴れて好きなように生きた人物を描いているだけのような気もしてくる。
 私の外来にも何人かの在日の人が来ている。この中にアル中で巨漢の夫を持ち、この映画以上の苦労をしてきた女性の患者さんがいる。子どもが3人いてみんな成人しているが、それぞれ深い心の傷を負っている。いわゆるアダルト・チルドレンである。生まれた時から、酒に酔った父親に怒鳴られたり、殴られたり、家具を壊されたりして育てられたら、それこそ大人になってからの社会生活に取り返しのつかない多大な支障をきたす。「血と骨」を見ていて、まだこ映画の中の家族の方がましだと思った。なぜなら、ビート・たけし演じる父親は愛人を囲って別宅に住むからである。たまに家に帰って暴れるだけなのでまだましである。それと、親戚や従業員など周りにいろいろな人がいるので、子ども達は父親がいなくてもなんとかサポートされている。私の患者さんは、逃げる場所がないのである。夫はずっと家にいて酒を飲んでは暴れまくり、妻も幼い子どもも毎日地獄のような生活を虐げられるのである。それに、周りに親戚、兄弟がいなかったので最悪である。患者さんとこの映画のことを話していたら、「女でもつくって出てくれていた方が、よっぽど楽だった」と言っていたが、本当にそう思う。
 「モーターサイクル・ダイアリーズ」はチェ・ゲバラが革命に目覚める契機となった南米の旅である。そこでは虐げられたインディオなどが出てくる。貧しく虐げられた人々をなんとかしなければといういう気持ちは本当によくわかる。あの時代はそれを実現するには共産主義革命しかないとみんな信じていた。共産主義革命は破綻をきたしたが、何もせずに立ち上がらない人より、立ち上がった人の方を評価したい気持ちになった。私の患者さんの中に今の自営業をやめて、山小屋を経営して管理人みたいな仕事をしたいという人が何人かいる。映画を見て、私もお金も地位もいらないから、医院をたたんで南米の放浪の旅に出たいと思った。この映画では南米の美しい風景が次から次へと出てくる。
 最後におまけであるが、レンタル・ビデオで「キル・ビル2」を見た。最近自動車のCMでゾンビーズの「二人のシーズン」が流されている。この曲は当時大ヒットしたので、知っている人も多いと思う。「キル・ビル2」でこのゾンビーズの別の曲が最後の方で使われており、なつかしく思った。

平成16年11月9日(火)

 最近、私の医院に来ている患者さんが、全く予想もしていなかった診断を他の所でされ、久しぶりにショックを受けた。その患者さんは、コンビニに行って、周りに何があるのかわからなくなり、何を探しに来たかもわからなくなるという。本を読んでいる時にも、前の内容がわからなくなるとも訴えていた。一流の国立大学4回生で、単位も取れて来年卒業できそうだという。これだけで、この病気の診断ができる人は名医だと思う。実は私は全く診断できず、てんかん領域の病気を疑い、私の信頼している先生に脳波検査を依頼した。開業すると、ほとんどの医者は検査室が必要になる脳波計までは取りそろえない。日赤など大きな病院に検査依頼するのであるが、私の医院の比較的近くにてんかんの専門の先生が開業しているので、いつも検査をお願いしている。典型的なてんかんは誰でも診断できるが、周辺のややこしいてんかんになってくると専門家でないとなかなか診断がつけにくい。脳波も判定するのが難しいケースもあり、開業した今はこの先生にすべて丸投げしている。
 以前に来た患者さんで、パニック発作みたいな症状を呈し、視覚障害を訴える患者さんがいた。夜遅くまで仕事に追われ、息苦しさなどの症状が出て、何か模様みたいなのが見えると訴えているのが気になった。前にも書いたが、ストレスによる症状に他の病気の症状が加わると見逃しやすい。念のため、この先生に紹介状を書いて脳波検査をしてもらったら、後頭葉てんかんと診断された。てんかんというと、一般の人は口から泡をふきだしてけいれん発作を起こす病気だと思うが、けいれん発作を起こさないてんかんもたくさんある。この時にはこの先生からもお褒めの言葉をいただいたが、今回は大失敗である。
 精神科の領域でも得意、不得意の分野があり、私はどちらかというとてんかんは苦手である。今はてんかんの患者さんは小児科に行くことが多いので、私のところに通っているのは2人だけである。脳波もそれほど数多く見ていないので、微妙な波形の場合はあまり自信がない。総合病院で精神科をしていると、いやでもいろいろな患者さんを診なければならず、オールラウンドプレイヤーになってくる。しかし、唯一不得意な分野がある。何かというと、児童精神医学の分野である。その中でも、発達障害については専門的に勉強もしておらず、実際に患者さんも診ていないので、見逃してしまうことがある。具体的にどんな病気があるかというと、自閉症、アスペルガー障害、注意欠陥障害などである。自閉症については幼少時に診断がすでについているが、小児科に行くので大学の精神科で患者さんを診たことは1度もない。京大の精神科は児童精神医学を専門的にやっているので、成人した自閉症の患者さんもたくさん診ているという。
 一般の精神医学でも最近注目されてきたのが、アスペルガー障害である。大学の医局でも小児科から精神科にかわってきた先生がおり、何年か前にその先生の講演を聞いたが、驚きの連続であった。実際にその先生が勤めていた精神病院で統合失調症と診断されている患者さんの中に、かなりの数のアスペルガー障害の患者さんが含まれていたという。これまで精神科の専門医でも、アスペルガー障害という疾患の概念はほとんどなかった。神戸の小学生連続殺人事件で逮捕された少年Aを精神鑑定した東京の高名な精神科の先生の講演を聞いたことがあるが、この時に質問が出て「アスペルガー障害の疑いがないのか?」と聞かれた。その時にこの先生がどう答えたかというと、「アスペルガー障害の患者さんは1度も診たことがないので」と言い、精神鑑定の時にこの病名は全く頭になかったようである。アスペルガー障害は自閉症と似た病気であるが、知能の遅れはないので、診断されにくい時がある。発達障害なので、虐待とか親の育て方は全く関係なく、生まれつきの障害である。なぜ今注目されているのかというと、長崎男児誘拐殺人事件で逮捕された少年や全日空機ハイジャック事件で機長を殺し、レインボーブリッジをくぐり抜けたかったと言った青年がこの障害であった。こう書くと誤解されやすいが、アスペルガー障害の患者さんが危険であるということではない。私も1人あちこちの病院で神経症圏の引きこもりと診断されていた患者さんを、アスペルガー障害と診断したことがある。この親御さんも以前から抱いていた疑問(小さな頃から何かおかしい)が解け、やっと納得されたようであった。
 さて、冒頭の患者さんである。結論から言うと、患者さんが持ってきた返事には「注意欠陥障害の疑い」と書かれてあった。てんかんの権威で、京大で助教授までされた先生の診断である。以前に、レストランでアルバイトしていて、いろいろな種類の食器の置き場所が覚えられないという患者さんが、注意欠陥障害でないかと自ら受診してきた。実際に診断基準を当てはめると、すべてあてはまっていた。今回の場合は、一流の国立大学に通っていたので「注意欠陥障害」は思い浮かばず、解離や離人症、てんかん領域の意識障害を疑ってしまった。早速アマゾンで注意欠陥障害の本を注文した。知っているつもりで見逃してしまう病気に依存性人格障害や自己愛性人格障害(単なる依存的とかプライドが高いとかではない)などがあるが、まだまだ勉強が足りないと思った。

平成16年11月2日(火)

 先週の土曜日は大学の同窓会があった。昭和54年卒なので剛志会という。私は一浪して入学しているので51歳になるが、みんなほぼ50歳を越えている。前にも書いたように私は学生時代は落ちこぼれだったので、あまりいいイメージは残っていないかもしれない。それでも、留年して卒業して、今は医学部の教授をしている人もいる。人数は少ないが、大学に残ってまだ頑張っている先生もいる。今回の同窓会に出席はしていなかったが、他の大学で助教授をしていて教授戦に破れ、また京都に戻っている先生もいた。でも、この年になると、卒業生の半分以上は開業している。
 たまたま私の両隣に淀川キリスト教病院と松下記念病院で部長をしていた先生が座っていた。話を聞いたが、京都第一赤十字病院の部長の給料が一番安かった。家電産業の不況のあおりを受けて、今は松下記念病院も給料が下がったが、それでももともと給料が高かったのでまだはるかに高いという。その先生は給料が下がる前にやめていたので、私の1.5倍ぐらいの収入を得ていたことになる。病院によって、同じ部長でも給与の差が大きい。お金のことを書くといやがる人もいるかもしれないが、子どもにお金がかかる時期なので、つくづく名誉だけではやっていけないと思った。前にも書いたように実は伴っていないが、京都第一赤十字病院は府立医大の関連病院の中では1番とされている。1番名誉があって1番給与が安いのは大学病院で、国公立の医学部教授の給料は税込みで年収1200万ぐらいと言われている。臨床の教授は製薬会社や関連病院からまだ副収入がはいってくるのでいいが、基礎(白い巨塔で出てきた大河内教授のような病理や解剖)で研究していると、どこかで当直をするなどアルバイトをしないと生活に余裕がない。他の国立大学で基礎の教授をしている先生に聞いたが、アルバイトは何もしていないという。その先生はその分野では世界をリードする研究をしているので、本当に生き生きとしている。中途半端にお金を稼いでいろいろ不満を言っている先生(実は私のことだが)より、遥かに幸せである。
 私は京都第一赤十字病院を4年間勤め48歳の時にやめたが、退職金は230万円であった。どういう計算をしているのか、4年で月給の4ヶ月の退職金にしては予想より少なかった。前の社会保険神戸中央病院では5年勤め、5ヶ月分の退職金をもらっている。同じ所で長いこと勤務していると退職金も増えていくが、医者の場合はかわって行くので、退職金はそのたびにぶつ切れになる。ちなみに、京都第一赤十字病院では、10年勤務して月給の11ケ月分もらえ、25年勤務して上限の50ケ月になる。たまたま話をしていた先生が、最近大学病院をやめ、15年以上いて退職金が600万円ちょっとと聞いた。今は不況でみんな生活が苦しいので、一般の人はそれでも恵まれていると思うかもしれない。大学病院は自分の時間が全くないぐらい忙しく、教授や上の先生に対してはかなり神経をすり減らすので、アルバイトの収入を含めて考えても本当に名誉だけである。(科によっては、破格のアルバイトもあるかもしれない。)
 二次会は祇園のクラブに行った。30人ぐらいで行ったので、貸切状態であった。ホステスの人に聞いたが、お客さんとしては医者は少ないという。幹事の先生がこの店を用意してくれたが、時々この店には来ると言う。その先生は外来で1日200人の患者さんを診ているので、ストレスもたまり、たまにはこんなクラブでも来ないとやっていられないだろう。いろいろな先生と話をしていて、何が幸せかわからなくなった。開業しやすい科もあれば開業しにくい科もある。麻酔科や外科、産婦人科は開業しにくい。それと、やはり開業するには借金をかかえての出発なので、かなりの思い切りが必要である。私は長いこと名誉だけを求めて仕事をしてきたので、前に書いたような事情がなかったら、そのまま65歳の定年まで部長を続けていただろう。でも、生涯賃金を考えた時に、やはり開業してよかったと思う。最近滅私奉公で名誉だけで働き続けてきた人が60歳半ばにして、ある種の空しさを感じているのを何人か知っている。その中には開業しておけばよかったとつくづく後悔している人もいる。名誉というのは、その時には大変な権力を持つようになるが、定年退職したら後は何も残らない。特に公務員の場合は、いくら優秀でも大企業と比べたら給料は遥かに安い。(極端な例を出したら、大企業の社長で年収5000万円以上の人は山ほどいるが、国を動かす官僚トップの事務次官は、その半分の収入もない。小泉首相で4000万円ちょっとである。) 私の科のテーマは「幸せって何?」であるが、話を聞くといろいろ大変そうな先生もいたので、とりあえずは幸せなのだろうと思うことにした。

平成16年10月26日(火)

 精神的なストレスで身体の症状(息切れ、動悸、食欲低下、胃部不快感など)が出ることはわかっているが、精神的ストレスによる身体の症状(検査では何も出てこない)と実際の身体の症状(狭心症や胃がんなど)が重なっている時には、下手をすると本来の身体の病気を見逃すことがある。精神科は身体の病気には内科の先生と比べたら明らかに無知であるので、常日頃身体の病気を見落とさないように神経質になっている。簡単に精神的なものというが、本当に精神的なものかは自分たちが身体の病気に精通していない分、内科の医者より判断は慎重である。
 最近1人の若い女性が私の医院に受診してきた。話を聞いていると、大変な出来事があり、ストレスで体調を崩すのも無理はなかった。こういう時にはありとあらゆる身体症状を呈し、この患者さんも不眠、動悸、食欲低下、全身倦怠感などを訴えていた。薬を処方しても簡単には解決できそうもない問題を抱えていて、こころの整理には時間がかかりそうであった。この患者さんが最初から下腹部の違和感を訴えていたが、なんとなく腑に落ちず気になっていた。この下腹部の違和感は日によって改善することもあるが、なかなか改善しなかった。そこで、1度婦人科を受診するように勧めた。結論を先に言うと、私の予測どおり卵巣腫瘍であった。京都第一赤十字病院で手術して、現在は大分元気になっている。内科の先生にはわかりにくいが、ストレスによる症状も出やすい症状とあまり出にくい症状がある。下腹部の不快感もストレスで出ないことはないが、やはり珍しいだろう。
 私が京都第一赤十字病院に勤めている時に、心臓外科から紹介の患者さんがあった。年配の女性で、長いこと1人で商売をしていたが、最近店を閉めて、元気がないという。うつ病が疑われたが、患者さんの診察をすると、もうひとつ納得がいかない。前にも書いたように、私は強迫的なところがあるので、病歴についてはかなり詳しく聞く。1ヶ月ぐらい前に転んで頭を打ったという。めったに頭部CT検査をすることはないが、この時はすぐに検査依頼をした。結果は慢性硬膜血腫であった。直ちに脳神経外科で緊急手術となった。慢性硬膜血腫というのは、お年寄りが頭を打った時に脳の血管が切れ、じわじわと出血し、徐々に脳を圧迫する病気である。脳は頭蓋骨で覆われているので、出血すると血の逃げ場所がなく、脳を圧迫し生命の危険となる。
 もちろんはずれの時もある。おかしいと思って検査しても何も出てこない時がある。精神科領域では甲状腺検査をすることがあるが、ほとんどあたったことはない。うつ病がなかなか治らない人に甲状腺検査をするが、正確に言うとこれまで一度もあたったことがなかった。なぜ検査するかというと、甲状腺機能が低下すると、うつ病みたいな症状を呈することがあるからである。最近なかなか改善しないうつ病の患者さんに甲状腺機能検査を苦しまぎれにしたら、良性の甲状腺腫瘍が見つかった。大学病院でガンの可能性も半々と言われたが、精査でどうもなかった。この患者さんは内科にもかかっていたので、内科医が見逃している病気も稀ではあるが精神科医が見つけることもある。
 今月の30日に府立医大の同窓会がある。昭和54年卒なので今回は25周年目にあたる。25年間朝から晩まで患者さんの話ばかり聞いてきたので、何かおかしいと思う感覚は長い経験で研ぎ澄まされている。よく患者さんから、精神科医はその人を見ただけでこころの中まで見抜いてしまうと思われるが、そんなことはない。話をよく聞くことで、大体その人がわかるのである。初診の時にろくに話も聞いてくれない精神科医は信用しない方がいい。1回目ですべて解決するわけでなく、いろいろな問題を抱えている患者さんには私は第1ラウンド終了といっている。いくら忙しくても、最初の診察は最低20〜30分はかけないとまずいだろう。

平成16年10月19日(火)

 たまたま偶然であるが、先週は2人の患者さんから知り合いの境界性人格障害と思われる人について相談を受けた。私のような診療所だけでなく、これからは一般の人も接することが多いので、ここでとりあげることにした。
 1人の患者さんは不眠を主訴に時々私の所を受診するが、接客関係の大きな企業で社員の相談業務を請け負っている。以前にあるパートの女性従業員から相談を受けたことがあった。この時にはパニック発作のような体調の悪さを訴えていたという。その若い女性は職場になじめなかったのか、その後やめてそのままになっていた。そして、久しぶりに会社に電話がかかってきて、相談したいことがあると言ってきた。すでに会社はやめているので断ってもよかったが、患者さんは親切心で相談室で話を聞くことにした。ところが、部屋にはいってくるなり、「手首を切って、薬を大量服薬して、何回も救急車で病院に運ばれた」と言い、「こうなったのは働いている時に部長がいじめたからだ」と大声で興奮して怒鳴りだした。患者さんは一生懸命なだめるのだが、「部長を呼んで謝らせろ」とすごい剣幕で怒り出した。結局自分1人では対処できず、部長に来てもらい謝ってもらったが、なかなか帰らず大変な騒ぎとなった。部長もあまりの興奮に恐れをなし、改めて自宅に謝りに行くという。この話を聞いて、そもそもいじめられたということも、そんな事実があったのか疑わしいと思った。多少強く注意されたことはあったかもしれないが、単なる社員教育の範囲内のことだろう。一般の人はわざわざ部長自ら出向いて謝りに行ったらなんとかなるだろうと思うが、この元従業員には無理である。謝りに行ったら、ますます収拾がつかなくなって泥沼にはまってしまう。相手の出方にもよるが、なるべく関わりをもたないようにアドバイスをした。
 もう1人の患者さんは女子大生で、同じ学校の友人につきまとわれて困っていた。その友人はつきあっていた彼と別れてから彼にストーカー行為を繰り返し、彼も困って警察に相談したという。今はどこの警察署でもストーカー行為については取り組んでくれるので、その友人を呼びだして警告をしてくれた。ところが、その友人は今度は警察に毎日何百回と抗議の電話をするようになった。電話の回数に誇張はあるかもしれないが、こういう話を聞くと、警察も本当に大変だと思う。話は変わるが、私の患者さんで被害妄想がとれず、過去にあったことで1日何回も警察に電話するお年寄りがいるが、警察の人はいつも感心するほどきちんと対応してくれる。私の診療科には人格障害のような大変な人も来るが、警察も想像を絶するような人たちを扱っている。私の患者さんも常にこの友人にまとわりつかれ、自宅に早く帰りたくても帰れない。夜中でも何回もメールがはいってきて、すぐに返事を出さないとしつこく催促される。学生相談室に相談しても、なかなか対応してくれない。最後は両親しかないと思ったが、離れて暮らしている両親とも仲が悪いらしく、本当に打つ手がない。
 いつも境界性人格障害の患者さんについて悪いことばかり書いてしまい、誤解を招きやすいが、その程度は患者さんによっていろいろである。みんながみんな大変な人ばかりではない。一般の人にはなかなかその概念ががとらえにくいが、一昔前に「危険な情事」という映画があった。この中で典型的な境界性人格障害の女性が描かれていた。患者さんに紹介されて見たレンタルビデオの「17歳のカルテ」は、主人公のどこが境界性人格障害なのか私でもよくわからないぐらいであった。「危険な情事」では、1人の弁護士がパーティで知り合った女性と一夜の関係を持ち、たった1度の割り切ったつきあいだと思っていた。ところが、その後しつこくつきまとわれ、自宅で手首を切られたり、自分の幼い子どもまでつけ狙われるようになった。昔この映画とそっくりの女性につきまとわれている男性から相談を受けたことがある。この女性はその男性の家の前で大量の薬を飲み、車の中からロックしたため、警察が出てきて大騒ぎとなり、救急車で病院に運ばれていた。お金や話し合いで解決できるような人たちでないので、いくら精神科医でもどうしようもない。
 境界性人格障害の人でも、医療機関にかかっているのはごく一部である。時々風俗関係や水商売の人たちの中にまぎれていることがある。中には本当にきれいな人もいるので、ついつい手を出してしまいやすい。それこそバルカン半島の火薬庫みたいな人たちなので、お金を出して遊ぶのはいいが、決してプライベートなつきあいはしない方がいい。 

平成16年10月12日(火)

 先週の火曜日はある研究会があった。開業している先生は夜7時からは診察があるので参加しにくいが、私は火曜の午後は休診なので出席した。京大系の先生が中心となっている研究会なので、府立医大系の先生は少なかった。ふだんはこういう研究会ぐらいしか同じ科の先生には会わないので、なるべく参加するようにしている。久しぶりに母校で助教授をしていた後輩のK先生に会った。最近大学をやめて、今はノートルダム女子大学の教授をしている。どこの大学も臨床心理士の養成に力をいれているので、最近は精神科の先生が教授などで心理学科に行くことが多い。ただ、立命館大学のT教授も言っていたが、一般大学の教員なので給料は安いようである。京大系の先生とも話することができてよかった。私より1年ほど開業が遅かったのに、今では患者さんの数が最高で1日100人を越えている先生もいて驚いた。私と全く同じ日に今年開業した先生も順調に患者さんの数を増やしているようである。前にも書いたが、京大では長いこと「白い巨塔」に出てきたような医局制度を否定し、研究至上主義や製薬会社との関わりを極端に嫌っていた。今回の研究会もある製薬会社が主催していたが、大勢の人が集まっており時代の流れを感じた。
 前に30歳前後のひきこもりの人が多くなっていると書いたが、今はあまり人と接しなくても、場合によっては例外的にお金が稼げる。1人の患者さんはひきこもりでほとんど外出もしないが、インターネットで株のデイ・トレーディングをしている。年配の患者さんでここ何十年と1日中短波放送を聴いている人がいるが、話を聞いていると、苦労の割にはあまり利益は出ていない。しかし、このひきこもりの患者さんは多い時には月100万円を稼ぐという。毎日朝から晩までパソコンのディスプレーを見つめているわけではなく、気が向いた時だけ短期集中型でやっている。デイ・トレーディングは一日の株の動きが勝負なので、あまり経済情勢の知識もいらないようである。年配の患者さんの場合は寝る前には必ず米国の株価などを確認し、日本経済についてははるかに知識が豊富でよく勉強している。私はこれまで株は一度もやったことはないので、詳しいことは知らないが、インターネットの方が手数料も安く、刻一刻と変わるデイ・トレーディングには向いているようである。中途半端に稼いでしまうので、1時間800円程度の仕事にはつけないという。社会復帰するためには安い給料でも会社に勤めたらいいのかと患者さんに聞かれたりするが、本質的な問題は違うような気がする。例えば、会社勤めしようと、家でデイ・トレーディングをしようと、人と接したり、お金を自分のために使ったりできる人はできる。
 もう一人のひきこもりの患者さんからも、仕事についたらいいのかと相談される。この患者さんは完全なひきこもりではなく、昼間でも外出などはよくする。アパート代も含めてすべての生活費は自分一人で稼いで自立している。どこがひきこもりかというと、ほとんど他人との社会的接触がない。どうやって稼ぐかというと、唯一パチンコである。パチプロとは違って、仲間がいるわけでもなく、ほとんど自閉的な生活を送っている。この患者さんの悲劇はパチンコが大嫌いで、生活費を稼ぐためにいやいやながら朝から晩までやっている。社会的訓練もあまり受けていないので、安い給料でいろいろ文句を言われながら、会社勤めするのも大変そうである。
 ひきこもりと言うと、両親は経済的なことばかりに目が向きがちであるが、経済的に独立しても人との関わりが満たされるわけではない。社会的帰属感や仲間との親密な交流がないと、生きる喜びが湧き出てこない。こういう患者さんの場合の生き方は教科書に書いてないので、私も一緒に考えていくしかない。患者さんのことを考えているうちに、開業してからは私も自閉的な生活を送っているのではないかとふと思ったりした。
 追記:今日の日記の更新が夜8時過ぎになってしまったが、今日もすでに多くの人がこのページをクリックしてくれている。早い時には朝8時から更新する時もあるが、火曜日中には必ず更新するのでご容赦を。

平成16年10月5日(火)

 精神科医が精神的な悩みがないかというと、そんなことはない。よく患者さんから、精神科医だから悩みごとがあってもすぐ魔法のように解決できると思われやすいが、錯覚である。いくら坊さんでも死ぬ時にはやはりこわいだろう。患者さんのことが大変でも、まだなんとか処理できる。やはり、誰でも一番身近な家族のことはなかなか思い通りにならない。笑い話みたいな話で、自分の娘が家出している時に、患者さんから家出した娘の相談を受けたりする。自分が離婚問題を抱えていて悩んでいる時に、患者さんから離婚のことを聞かれたりする。もし自分が浮気をしていたら、患者さんの浮気の悩みにどう答えたらいいだろうか。患者さんの抱えている問題は、精神科医だからといって決して逃れられるわけではない。
 例えば、自分の夫婦関係は破綻していても、精神科医としては優秀な人もいる。日常生活ではちょっと変わっていても、1対1の診察では親身になって天才的な能力を発揮する先生もいる。ある高名な精神分析の先生が、眠れなかったので、イソミタールとワインを大量に飲んで2日間寝続けたと聞いて、豪快ととるよりも、正直少しついていけないと思った。離婚でも浮気でも登校拒否でも、自分がその問題を抱えていると、冷静な判断が失われ感情的になってしまうかもしれない。私もそうだが、他人のことは冷静に状況を分析して的確なアドバイスを与えることができるが、自分のこととなるとなかなか思うようにはいかない。
 よく、看護婦さんをお嫁さんにしたら、将来は自分の両親の面倒を見てくれるだろうと勝手に想像するが、看護婦さんは仕事でうんざりするほどしているので、せめて家に帰ったらそういうことから離れたいと思っている。精神科医も仕事ではどんなにややこしい患者さんでも一生懸命診るが、家に帰ってまでこまごまとしたことで悩まされたくない。その分、家庭内のことについては少し非寛容になるかもしれない。
 最近娘のことで久しぶりに切れてしまった。受験が近づいてぴりぴりしているのは理解できるが、土曜日に家族でファミリーレストランに行った時にあるでき事で怒り心頭に達してしまった。患者さんから「お前の育て方が悪いから」と夫に責められるとよく相談されるが、私も「娘のしつけぐらいしっかりしておけよ」と家内に言いたくなった。吉本隆明の本で、家族といっても、すのこ板1枚下は地獄で、急流が逆巻いていると書いてあったが、この時には本当にそう思った。私の怒りはなかなかおさまりそうもなく、こういう時には一人で医院で寝泊まりする。こんなことはめったになく、開業してからこれで2回目である。
 ふだん家族とは家族用のチャンネルで話している。患者さんには患者さん用のチャンネルがあり、自分1人用のチャンネルもある。開業してからは、同僚用のチャンネルや友人用のチャンネルを使うことがめっきりと減り、ふだんは家族用のチャンネルと患者さん用のチャンネルと自分1人用のチャンネルしか使っていない。受付けの子が2人いるが、人数が少ないので従業員用のチャンネルもあまり使わない。精神的に安定して1番理想的なのは、1日の中でいろいろなチャンネルを使うことである。最悪の場合は引きこもりで、自分1人用のチャンネルしかない。私には愛人用のチャンネルはもちろんないので、医院で寝泊りすると、自分1人用のチャンネルと患者さん用のチャンネルだけになり、長くなるとあまりよくない。それと、着替えと夕食がだんだんと面倒臭くなってくる。前回は2週間ぐらい頑張ったが、今回は1日で自宅に戻った。昔は自分で何もかもできていたが、結婚して無能化され、今では家内がいないと不便である。患者さんと話していると、大変な時もあるが、反対にこういう時にはしだいに冷静になり、家族に対する思いもまた湧き出てくる。いくら優秀な精神科医でも、皇室のように日本国民の手本となるような家族の姿を示し続けなくていいのは幸いである。

平成16年9月28日(火)

 盆暮れには患者さんから季節の挨拶をいただくことはあるが、この前境界例の患者さんから「くそ医者」と書いた手紙とカミソリをもらった。私が入局の時に精神科を選んだのは、血を見るのが嫌いだったこともある。だから、先端恐怖まではいかないが、先の研ぎ澄まされたカミソリなどは苦手である。読書録のところにも書いたが、初めてカンボジアで総選挙が行われ、まだ混乱がおさまらず町に軍の兵器があふれていた頃に、夜道で強盗に襲われ頭に銃をつきつけられたことがある。この時は銃に対してあまり実感がなかったのでそれほど恐怖を感じなかった。しかし、喉に先のとがったナイフを突きつけられていたらそれこそパニックになっていただろう。贈られて来たカミソリは柄が付いていて、いかにも切れそうである。新品同様に見えたので、ヒゲ剃りに使えるのかと思った。何日かして外来に患者さんが来たので、新しいカミソリか聞いてみた。手首は切ったが、血をきれいに洗い流して送ったという。感染がこわいのでヒゲ剃りに使うのはやめたが、みんな感染に対する知識が乏しいようである。
 話はそれるが、風俗などで口で処理してもらったら安全だと思っている人がいるが、医者の立場で言うと危険である。たとえボーイフレンドでも、オラル・セックスは感染の恐れはある。ついでに言うと、東南アジアをうろうろしているといつも誤解されやすいが、どこもAIDSと性病で満ちあふれている。私は不潔恐怖までいかないが、感染の怖さは知っているので、たとえ予防をしても気持ち悪く、国内外を問わずとても婚外交渉は無理である。前に浮気はしないと書いたが、妻に対する純粋な愛というより、もしかしたら単に感染恐怖があるだけかもしれない。ふだんの日常生活では不潔恐怖はまったくないが、アダルト・ビデオなどで、女の人の顔に精液をかけたりする場面があるが、気持ち悪くて仕方がない。インターネットのアダルト・サイトにBukkakeというジャンルがあり、日本でできたいきさつについても知っているが、話がどんどんとずれていくのでここではふれない。たいていこの場面で終わりになるので、もっときれいな終わり方をして欲しいとアダルト関係者には早急に善処を望むところである。(気持ち悪くて、ちっとも興奮できないぞ!)
 さて、境界例である。こんなに話がずれてしまったのはどこか境界例の患者さんから逃げだしたいという気持ちがあるからかもしれない。と言うと、それらしく聞こえだろう。本当のことを言うと、今回は書くことがなく、こんなことでも書かないと日記がなかなかうまらないのである。112ヶ所縫合した患者さんも大変である。治療的枠組みを作らなければならないが、9月は今日までに14日も受診している。今月は日曜日以外に敬老の日と秋分の日があり、1日2回受診している日もあるので、かなりの回数である。電話も受付けの人を通さず、私がいつも直接受けているので1日何回もかかってくる。診察も毎回30分以上かかり、少しでもいい方向に行けばいいが、いつも罵倒されて終わりである。「電話をしないと、手首を切ってしまう」と境界例の患者さんお決まりのセリフである。境界性人格障害については成田善弘著の本をたくさん読んだが、今だったら治せないような患者さんでも若い頃は夢中になって治したと述べている。確かに、若い頃は技術はないが、情熱にあふれて若さで治らないような人まで治したような気がする。年をとるということは、医療技術が身について知識も豊富になるが、反対に話を聞いただけで大体予後が見通せ、若い頃のようにチャレンジ精神もなくなってくる。それと、昔はこの病気については今ほど詳しい事がわかっていなかったので、試行錯誤しながら、治療者も苦しみながら患者さんとともに歩むことができた。でも、今は知識が蓄積され、治療の困難さだけが強調されているので、若い人も最初から構えて警戒し、時には必要な濃密な医師ー患者関係が深まらないような気がする。20年前の情熱にあふれた医者を探すのは、今では無理なのではないか。年を取った分いいのか悪いのか、「くそ医者」と言われても淡々として診察できるし、「いやなら、他の所に行ったら」と言うこともできる。患者さんとはいつもリスト・カットのことが話題になるが、手首を切ることだけでしか、患者さんはこの世界とつながっていられない。一本のカミソリから患者さんの物語が生まれ、時には生死にかかわってくるが、最後までこの物語の結末は見届けようと思う。

平成16年9月21日(火)

 この前の土曜日は京都市国際交流会館で外国人を対象としたカウンセリングがあった。新しい試みで、今年は9月と12月と2月の3回ある。最初に医師会に依頼があって、精神科診療所協会から医師を出すことになった。募集があった時に英会話の勉強になったらいいと思い、私から志願した。最初はボランティアということであったが、事務方で交渉してくれ、2時から5時まで1回1万円である。ふだんはCNNを見たり、「The Japan Times」を読もうとしているが、実質的には週に何回かCNNを見るぐらいである。「The Japan Times」は毎日とっているが、ほとんど読んでいない。CNNは家でDVDに録画したものを診療所で見るのだが、コンビニで買ってきた昼食を食べた後すぐ見ているので、いつのまにか眠くなりうとうととしている。見るのはぼーとしていてもできるが、英字新聞を読む時だけはやはり気合がいる。家に持ち帰っても、酔っぱらってしまうと、見出しも見ずにそのまま寝てしまう。
 英語を読んだり、聞いたりするのはなんとかできるが、会話はふだん使っていないと無理である。TOEICはインプットだけでいけるが、別にアウトプットの練習も必要である。今さら英会話学校に通っても仕方ないので、今回はちょうどいい機会だと思った。今は医学部でも研究のための留学は珍しくないが、私はどこにも行っていない。東南アジアはあちこち旅行するが、米国に行ったのはこれまで2回だけである。まだ古き良き時代に病院の費用でフィラデルフィアの学会に参加させてもらったことがある。もう1回は西海岸・ハワイの新婚旅行の時である。東南アジアでもふだん英語はそれこそ「ハウ・マッチ」も使わないぐらいである。
 翻訳家の常盤新平がニューヨークに仲間と行った時に、「謙遜でなく本当にしゃべれないんですね」と妙に感心されたというが、日本に住んでいたら本当にしゃべる機会はない。国際化時代と言われながら、英語もどこまで必要とされているかというと疑問である。大半の日本人は海外旅行の時に、せいぜい買物に使うぐらいだろう。開業するまでは、論文を書いたり学会発表するために、英語の文献を参照することはあったが、留学や海外雑誌に投稿するのでなければ、医者でも英語との関わりは少ない。自分でも引退して海外で暮らすつもりもないので、なぜここまで頑張ろうとしているのかよくわからない。もしかしたら、30年後には日本にも外国人労働者が大勢はいりこみ、自分が介護してもらう時に役に立つかもしれない。
 英語は中学から始まり積み重ねで来るので、途中で苦手意識を持つともうだめである。大企業などで課長や部長になるにはTOEIC何点以上と決められているが、英語の苦手な人は大変だと思う。パリに憧れていきなりフランス語を習い始める人がいるが、最初はミーハーでいいと思う。私も最初は国際人を目指すというよりも、かわいい金髪の女の子と仲良くなりたいと思っていたのかもしれない。トム・クルーズのようなボーイフレンドを持ちたいでもいいと思う。何でもやり続けるには最初の動機付けが必要である。今から考えてみると、小学校や中学校にあれほど毎日通えたのは、誰か好きな女の子がいて、その子に会うために毎日通っていたような気もする。英語を勉強してかわいい金髪の女の子とは知り合いになれなかったが、米国の女の人の自我の強さを知って、男の同性愛がなぜあれほど多いのかわかったような気もする。最初は憧れでもずっとやり続けるのは大変である。ずっと勉強していると、憧れとは違う面も次第に見えてくる。どこの国の人でもそうだが、英語は話せても面白い人は少ないのである。それと、語学を頑張る人はどこか強迫的な人が多く、日本からの脱出願望が根底にはあるような気がする。
 ほとんど英語をしゃべる機会がないので、「外来診療のための英会話」の本を1ヶ月ぐらい前に買った。いつものようにぎりぎりにならないと勉強できないので、前日の金曜日に初めて本を開いた。主に内科医のための英会話の本で、「シャツとズボンを脱いで下さい」というような表現ばかりである。覚えた表現はすぐに使いたくなるが、まさかカウンセリングで「シャツとズボンを脱いで下さい」とは言えないだろう。診療時間と診断書の言い方などをいくつか覚えてすぐいやになった。後はぶっつけ本番である。
 当日はものものしい体制で、英語、スペイン語、中国語、タイ語、韓国語などの通訳が控えていた。そのわりに、実際に相談に来る人は少なかった。最後の時間に日系二世のブラジル人留学生が来た。日本語がペラペラなので何の苦労もなかった。その後ぎりぎりの時間にパキスタン人の留学生が来た。英語の通訳の人も控えていたので、一応同席してもらった。しゃべりだすと、思ったよりコミュニケーションは取れたが、まだ不十分である。留学生は国民健康保険にはいっていることを今回初めて知った。もうちょっと上手な表現をしたいと充分な動機付けができたので、次回までには頑張ってまた勉強しようと思う。酔っぱらうと英語がよくしゃべれるという人がいるが、ちょっとぐらい間違ってもいいから表現することが大事である。

平成16年9月14日(火)

 きのうは同級生である立命館大学T教授の歓送会を兼ねて、10月から私の医院で臨床実習する二人の大学院生と会食した。T教授はサバティカル制度を利用して、今月末から1年間イタリアに行く。シチリアの大学で認知療法の勉強をし、休みの日にはあちこちヨーロッパを廻るという。この間大学から給料は出ているので、全くうらやましい限りである。私は月、水、金の断酒はまだ続いているが、昨晩は夜遅くまで飲みすぎてしまった。私の接待費でお金の方も使いすぎてしまったが、今度飲みに行くのは1年先なので仕方がない。今日は二日酔いで頭が使いものにならず、この日記の文章を考えるのも苦痛である。
 だいぶ前に買った平井孝男著「境界例の治療ポイント」を最近読んでいたら、境界例(境界性人格障害)の患者さんを治療する時には、治療者をピッチャーに例え、最初から一人で完投をめざすなと書いてあった。面白い例えで、治療が中断しても、次の治療者までの中継ぎの役を果たしたらいいとあって妙に納得した。それほど治療が難しく、対処が困難である。2ヶ月ほど診ていた境界例の患者さんが、きのう私の医院のトイレでカミソリで何ヶ所も腕を切った。受付けの子がタオルで腕をまいてくれたが、血だらけである。タオルを取ってみると、傷がかなり深く肉がえぐれている。今まで長袖を着ていて気づかなかったが、両腕の付け根までびっしりとリストカットだらけである。さっそく京都第一赤十字病院に紹介状を書いて、縫合してもらうことにした。幸い家が近かったので、家族が迎えにきた。この日の夕方に家族が再び訪れ、病院からの返事を持ってきてくれた。中を開けてみてびっくりした。112針縫合したという。1針というのは1回傷口に糸を通して結ぶことである。医者2人がかりで、何時間もかかったという。外科の先生が再受診をすすめても拒否しており、いったい112ヶ所も自分で抜糸するつもりなのか。治療的枠組みはしっかりしておかないといけないので、朝の診察では医院で再びリストカットした時にはここでは診察しないと伝えた。いや、むしろお願いしたかもしれない。私のところに来る前には大阪の医院にかかっていたので、先ほどの例えでいうと、ピッチャー交代で登板したが、いきなり大量服薬や激しいリストカットを繰り返され、ホームランを乱打された心境である。降板して次の投手に交代したい気分であるが、もう控えの投手がいない。私はどんなややこしい患者さんが来ても最後まで診る方であるが、これから先本当に試合が終わるかどうか心配である。
 私が初めて境界例の患者さんと深くかかわったのは医者になって3年目である。一人の少女が腕にシンナーを注射して整形外科に入院してきた。腕の切断はまぬがれたが、いつまでも傷の縫合が治らないということで精神科に紹介があった。これまでにも親戚のおばさんのインシュリンを注射して、自殺未遂を繰り返していた。手術が終わった晩に、「こんなまずい飯が食えるか」と言って食べず、隣のベッドの人に「ラーメンを食べるからお湯を汲んできて」と頼んだ。頼まれた人が「あんたは勝手過ぎる」と言うと、いきなり詰所に行き「こんなうるさいおばんのいる所は帰る」と言い出した。まだ17歳ぐらいの子だったので看護婦さんも注意したが、理屈にならない理屈を言ってくるので、つい切れて「勝手にしなさい」と言ってしまった。すると、本当に荷物を持って帰りだした。整形外科の主治医も呼び出されて説得するが、「勝手にしろといったのはお前だろ」と言って看護婦さんを罵倒する。手術の後で絶対安静が必要だったので、結局主治医が「ラーメンのお湯は自分がくんでくるから」と言ってその場はなんとかおさまった。次の日からは病棟はぴりぴりと緊張に包まれた。ベッドを離れようとすると、主治医が来て説得し、未成年なのに代わりにタバコまで買いに行ったりしていた。傷の縫合も隠れて自分で開いているのということであった。
 この患者さんからは本当にいろいろなことを学んだ。操作という概念も身にしみてよくわかった。「先生だけが私のことをわかってくれる」という言葉も警戒しなければならないと思うようになった。112ヶ所も縫合した患者さんの傷はこころの傷なのだろう。境界例の患者さんを診察するのは大変であるが、また気を取りなおしてマウンドに立とうと思う。

平成16年9月7日(火)

 めったにないことだが、私のミスで同じ日に予定が二つ重なってしまった。一つは来週の月曜日に労災の判定会議があり、すでに前回の会議の時に決まっていた。東山保健所のデイ・ケアは1ヶ月に1回ぐらいあるが、4月で1年間の予定日がすべて決まっている。保健所からもお知らせが届いたりして、9月の分も手帳には書き込んでいた。この前の金曜日に診察していたら、患者さんの家族から「今度保健所で先生の講演があるのですね」と言われた。私は全く覚えがなかったので、一体いつのことを言っているのかと思った。書類で確認してみても、今月のデイ・ケアでは講演の予定はない。別のことと勘違いしているのかなと思っていたら、その日保健所から郵便が届いた。中を見ると、来週の月曜日に私が家族懇談会で話をすることになっている。前日に講演依頼があってもなんとかなるが、労災の判定会議と同じ日ではどうしようもない。あわてて保健所に電話した。保健所からの依頼書を探してみると、確かに4月の時に出ている。家族懇談会は年に2回で、デイ・ケアとは別の依頼書になっていた。4月はいろいろと予定を書き込まなければならないので、すっかり書き忘れていたらしい。私は京都福祉サービス協会のヘルパー養成講座の精神保健を担当しているが、ここの係の人はしつこいほど次の講演の日を確認してくる。ここまでやらなくても、前もって一度ぐらい確認してくれたらよかったと思う。
 労災の判定会議は私が司会している。今回は4件出ていて、いつもより多い。最終的な判定の書類も部会長として私の名前で出すので、私が参加しないとまずい。家族懇談会もすでに案内がいっているので、これも欠席するわけにはいかない。人生最大の危機でもないが、困ったことになった。とりあえず、労災の方は他の先生で検討してもらって、後で私がとりまとめるという方向で考えたが、労働局も別の日にした方がいいのか悩んでいる。日にちを変更して医者を3人そろえるのは大変である。結局保健所の方で、私の代わりに京都市こころの健康増進センターのドクターに頼んでくれたので、なんとか労災会議には出れるようになった。先週は京都市の依頼で2回も七条署に精神鑑定に行っているので、迷惑をかけてしまったことについては許して欲しい。私もこれまで隠し続けた神業を使わずにすんで、ほっとしている。
 これまで仕事をしていて、他にミスをしたことがあるかというと、一度当直の日を間違えたことがある。神戸にいる時に、日曜の当直を勘違いして、家族と車で出かけていたら、携帯電話に連絡があった。あわてて病院に戻ったが、前日から泊まっていた私より上の先生が帰れず困っていた。ひたすら謝り、すごく神経を使ったことを覚えている。東京の学会発表の時にホテルで朝寝坊をして、時計を見て冷や汗が出たこともある。わずかな残り時間で、トイレにはいって顔を洗い、電車で三つ先まで乗っていかなければならないかと思ったら、気が遠くなった。必死で起きて着替えをし、走って駅まで行き、この時はぎりぎり発表時間に間に合った。私は強迫的なところもあるので、この類いのミスはあまり起こさないが、九州で学会発表があった時に、飛行機の予約日を間違えて入れてしまったことがある。信じられないことであるが、間違った予約日のチケットで九州まで飛行機で行けたのである。ホテルにチェックインしようとしたら、予約は今日でなく明日だと言われた。びっくりして日付を確認すると、飛行機もホテルの予約もすべて予定より一日後ろにずれていた。この日はどこのホテルも満杯で、結局カプセルホテルに泊まって、次の日に学会発表した。帰りも間違った飛行機のチケットで帰れるとは思わなかったので、キャンセルして新幹線で帰った。今でも日付の違ったチケットでどうして飛行機に乗れたのか不思議である。

平成16年8月31日(火)

 この前の日曜日は東山医師会の夏季役員会が祇園であった。料亭みたいな所で毎月の定例会をした後、みんなで食事をした。毎回思うことだが、懐石料理がうまいのかよくわからない。まずくはないが、もうひとつ味のめりはりが感じられない。先週ぐらいから月、水、金と断酒をしているが、調子がよくなるかというと、むしろ気分がなんとなく沈んでくる。この時もあまり飲まないようにしていたが、他の先生からビールや酒を注がれると、ついつい飲んでしまう。飲みすぎても調子が悪く、このごろ体調はあまりよくない。
 府立洛東病院の廃院について、たまたま横に座っていた管理職の先生と話をした。医療収入よりも人件費の方が高いという。早ければ来年の3月と言っていたので、プロ野球の1リーグ制への移行より早くなるかもしれない。跡地は松原警察署になるとか、いろいろなうわさが出ているらしい。今は精神科は標榜していないが、以前にはあったので、それなりに精神科関係の患者さんは抱えているらしい。廃院になる時には、また患者さんをお願いすると頼んできたので、遠慮なくと答えておいた。
 今月は患者さんが比較的少なかった。どんどん増えてきて、もう満杯かと思ったら、案外暇な時間が多かった。最近は4週間処方をどんどんと出しているので、その影響もあるのかもしれない。毎年秋ぐらいが多くなるので、数の上では今ぐらいで丁度いい。私は患者さんが少なくて、間があいてしまうと診察のリズムが取りにくく、かえって疲れてしまう。次から次へと滞りなく診察が続くと、気分も乗ってくる。自分の性格から、忙しければ忙しいほど調子が出てくる。
 盆の時には夜遅くまで起きていたが、基本的には夜型で、夜静かになればなるほど集中しやすくなる。ふだんは朝5時半に起きて朝型の生活をしているが、たまに夜更かしをするとものすごく開放感を感じる。学生時代は夜中遅くまで起きて昼ごろまで寝ていたが、やっぱり社会人になっても夜型人間だと確信する。私は結婚生活は長いが、妻が私より早く起きたことは数えるほどである。朝食も自分の分は自分で用意し、今でも私が家を出る7時頃に起きてくる。自分の両親が田舎から出てくる時は私より遅く寝ていてはまずいので、この時だけは早く起きてもらっている。私は全く気にしていないが、昔はけんかの時には有利な反撃材料になっていた。そういえば、最近は本当に夫婦げんかはしなくなったと思う。
 前にも書いたが、私は高血圧で低血圧ではないが、朝の気分はもうひとつである。医者も診察のバイオリズムがあり、軽めの患者さんからウォーミング・アップし、だんだんと難しい患者さんを診ていくのが理想である。私はまだ朝早いのでいいが、朝の弱いドクターの場合は朝一番にいきなりヘビーな患者さんが来ると辛いと思う。私の所は新患の人は予約制でないので、朝一番に新患の人が来ることもあるが、これもあまりよくない。終了時間まぎわも同じである。こちらも時計を見ながら、後一人だなと思いながら気持ち的にも終了体制にはいっている。ぎりぎりで新患の人が来ると、多分受付けの子と同じで、何か損したような気分になってしまう。自分が経営者で、雇われているわけでないので、新患の人が来るのは経営的にはプラスなのだが、勤務医の時とあまり気分は変わらない。それでも、すぐ気を取りなおして、エンジンを全開にして診察はしている。カレンダーを見ていても、やはり勤務医の時と変わらず、敬老の日と秋分の日の休みが楽しみである。
 朝一番に気合をいれて新患で来る人がいるが、朝一番はまだ医者の方は気合がはいっていないことが多い。エンジンがかかり始めた10時すぎぐらいに来るのがいいと思う。きょうもわざわざ滋賀県から来てくれた患者さんがいたが、中学生で解離症状みたいのが出ていて、学校でもものすごくややこしいトラブルとなっており、担任の先生までついて来ていた。診察にかなりの手間ひまがかかったが、私の所に来る前にかかっていた地元の医療機関にもっとしっかりしてくれよと言いたくなった。

平成16年8月24日(火)

 会社でも地位が上になればなるほど、あまり本音は言えなくなる。ワンマン社長のように好きなようにふるまえるかというと、今の時代は無理である。どうしても、部下が自分をどう見ているか意識せざるをえない。ある程度地位のある役所関係の患者さんを見ていると、なかなか弱音をはけず、ストレスがたまるようである。たまにはぼやいたりすることが必要なのであるが、ぼやける相手がいない。中には自分の奥さんを相手に夕食の時に飲みながら話しする人もいる。酒のあてを奥さんに出してもらいながら、かなり長い時間かけて飲み食いする。本人は奥さんと上手に交流をしているつもりであるが、意外と奥さんの方の評判は悪い。中には毎晩同じ話ばかりしつこく聞かされて、相手するのがたまらないと嘆く人もいる。
 私は昔から仕事のことはいっさい家庭にはもちこまない。家でぼやくこともないが、あまりにも忙しい時が続いたりすると、最近有閑マダム化している妻を見て、かなり不公平に思うことはある。人によっては、ぼやく相手が飲み屋のママさんだったりする。私の性格としては相手がだれでもあまりぼやくということができない。その分知らず知らずストレスがたまっているかもしれない。
 本音が言えないのは、自分の身元が明らかになっているからで、匿名性の高い所では地位も名誉も捨てて、本当の自分を表現できるという人もいる。私はメル友もおらずチャットもしないが、これだけ匿名性の高いコミュニケーションが発達したのは誰もが本音を言える人を求めているのかもしれない。親友にも夫にも恋人にも相談できず、ネット上の誰かに相談するなんて不思議な気がするが、それだけ親しい人を煩わせたくないのだろう。若い人は友人や恋人にはあまり重い話は相談できないという。いつも元気で明るい部分だけでつきあうのも、どこかで疲れてくるのだろう。
 精神科や心療内科では患者さんの本音の部分を扱っている。多分これからは、たとえ夫婦でも互いに苦労を分かち合い、よき伴侶として生きていくというより、本音の部分を扱う役割が夫婦とは別にそれぞれに分担されていくのだろう。あるメル友には自分の一部の本音を相手してもらい、あるチャット仲間にはまた別の本音の部分を話し、本当の親友には別の生の声を聞いてもらい、精神科の先生にはまた違った部分を専門的に相談する。配偶者に対しては子どものことや経済的なこと以外は持ち込まないようになるかもしれない。それぞれの内面のことはお互いに干渉しないという暗黙の了解のもとで、夫婦生活がうまくいくのかもしれない。いい悪いは別にして、お互いに生の感情をぶつけ合うのは大変なので、本音の部分は小分けにして処理していくのがこれからの時代にはマッチしているのだろう。夫婦一心同体を望んでも、昔は妻が夫につくすという形で実現できたかもしれないが、これからは無理である。
 本音の部分というのは社会的にはタブーとされる領域で表現されやすい。憎しみや悲しみ、嫉妬、絶望、孤独、空虚感、コンプレックス、欲望、性的欲求などである。性の部分はふだんは理性で覆いつくされているが、漏れ出た欲求が突然肥大化し、一歩間違えるとセクハラや盗撮などの事件になることもある。インタビューなどで風俗関係で働いている人が、お客さんによって望むことがこんなにも違うものかとよく述べている。確かにインターネットのアダルト・サイトを見ると事細かなジャンルに分類されている。ジャンルが同じでも、人それぞれによってまたその好みも分かれていく。自分の望む性的欲求を相手に伝えたり実行するのは、たとえ夫婦や恋人でも難しいかもしれない。
 本音はお互いに出し合ったらいいというものでもない。特に夫婦関係では曖昧にしておいた方がいい部分はそのままにしておいた方がいい。私が年をとって妻に面倒をみてもらわなければならなくなった時に、たとえ本音でも「夫の面倒をみるのはもううんざり」という言葉はあまり聞きたくない。やはりこの時には妻も誰か本音を言える人が必要になるのだろう。

平成16年8月17日(火)

 盆休みが終わったが、昔から何も考えずぼんやりと過ごすということができない。頭の中では、山奥で小鳥の声を聞きながら、ハンモックで好きな本を読んだり、遠くの山や湖を眺め、のんびりと時間を過ごしたいと思うのだが、実際には無理である。性格的に何かやっていないと気がすまないのである。だから、海外に出ても、いつも疲れきって帰ってきて、盆休みが終わってからそれこそ小鳥の鳴き声が必要になる。
 患者さんに盆の過ごし方を聞くと、子どもの塾や習い事でどこにも行けなかったという人もいる。男一人で盆に国内旅行するわけにも行かないが、海外だとそれほど目立たないだろう。もしかしたら、こんなことを考えるのは私だけで、中年男が一人で海外をうろうろするのは充分怪しいかもしれない。自分一人で海外旅行する分、家内と子どもにはいつでも好きな時に旅行していいと宣言している。私は仕事があるので家族と出かけられるのはせいぜい3泊4日程度なので、ハワイとかアメリカになると無理である。前にも書いたが、池田の妹は旦那を置いて、子どもとエジプトまで行ったりしている。私も家内が子どもと海外旅行するのはいつでもOKである。来年の1月に娘の中学入試が終わるので、春休みにはどこかでゆっくり家族と過ごしたい。いつも海外ではせいぜい1500円〜3000円ぐらいのホテルにしか泊まらないので、たまには豪華なホテルにも泊まってみたい。
 きょうはもんもん写真館を開設した。最初のフィリピンの写真はたまたまアルバムが残っていたが、1984年に撮ったものである。もう20年以上東南アジアをうろうろしていたことになる。中国はまだ行っていないが、だいぶ前に仲間と行った後輩に聞いたら、列車のチケットひとつ取るのにも死ぬほど苦労したという。まだ観光のインフラが整っておらず、パック旅行以外は無理だと思った。あれからもう15年ぐらいたっているので、今では一人旅も大丈夫だろう。きのうの京都新聞の夕刊にタイのサムイ島の特集が載っていた。観光地化される前に行っておくべきだったとつくづく後悔する。休みは長くとれても4泊5日なので、当時フェリーで行くのは大変であった。今はパンガン島なども観光地化されてきたと聞くので、今度はベトナムやカンボジアの南の島を目指そうかと考えたりする。
 すべての写真はフィルムで撮っている。タイには何回も行っているが、いい写真が見つからなかった。昔は写真機しかなかったので、記録に残すにはフィルムで撮るしかなかった。初めてシンガポールに行った時に8mmビデオが出てきて、海外でもビデオカメラを使うようになった。ビデオはすぐTVにつなげて見れるので便利である。そのうちDV(デジタル・ビデオ)カメラが出てきて、デジタルカメラも出てきた。記録を残す手段が多くなった分、いつもどれを持っていくか迷う。結局DVカメラを持っていくことが多いので、写真を撮る機会も少なくなった。写真機とビデオカメラの二つを持っていくという方法もあるが、私はだめである。どっちつかずになって、どちらにも集中できなくなってしまう。旅行で子どもを撮る時でも同じである。時間帯を分けて、写真機なら写真機、ビデオカメラならビデオカメラと換えたらいいが、これも面倒である。
 旅行にはカメラを持っていかないという人もいる。カメラを持つと、いい写真を撮ろうと思って本来の旅行が楽しめないという。海外に出て最初の頃は何もかも珍しいので、手当たりしだい撮っていたが、最近は本当に気に入ったものしか撮らない。子どもだけはどんどん成長していくので、まめに撮っていこうと思う。今回改めて写真館の自分の写真を見て、またじっくりと写真機を構えたいと思った。

平成16年8月10日(火)

 盆休みが今日の外来が終わってから取れるが、その間書かなければならない書類が山ほど残っていて、今なんとかやっと処理し、後はこの日記だけである。もんもん写真館を盆前には完成させたかったが、間にあわず、来週になりそうである。今週は忙しく、最近は飲みすぎていて、暑さで睡眠不足が重なり、頭がふらふらである。
 最近は医療関係でもコンピューター化が進み、日赤や国立病院でも電子カルテが使われている。昔は処方箋も手書きであったが、やがて印字プリントされるようになり、随分と楽になった。3年前の勤務医の時にはまだ電子カルテが導入されていなかったので、処方箋も自分で入力する必要はなかった。しかし、今ではすべて自分で入力し、カルテの内容までパソコンに打ち込まなければならず、かえって手間暇がかかるようになっている。内科と比べ、心療内科や精神科は一番電子カルテに向かないといわれていた。決まった検査所見だけ記入する所定の様式を作るわけにもいかず、患者さんの話を逐語的に入力していかなければならない。実際に使っている先生に聞くと、パソコンに向かって入力ばかりしていて、患者さんの話を聞いている暇がないという。
 将来はどうなるかわからないが、私のところは後20年間紙のカルテでなんとか逃げきろうと思う。そのうち、今以上に便利な音声認識のワープロが出てきて、すべての会話内容を記録し、コンピューターが大事な所だけ要約してくれるようになるかもしれない。20年前の医者になりたての時から比べたら今は隔絶の感があるが、これから20年先は想像しなかったような出来事が起こるかもしれない。
 よく言われているのが、バーチャルな世界である。今でも重篤な病気にかかって長期の入院を余儀なくされている子どもたちに、それこそ観覧車やジェットコースターに乗っているような感覚を楽しませるベッドやゴーグルが研究されている。USJのスパイダーマンなどはとんでもないお金がかかっているが、低コスト化し、それこそ家庭でも実際に自分が体験しているようなバーチャルな世界が楽しめたらいいと思う。患者さんの話を聞いていてよく思うのだが、寝たきりになって、毎日天井ばかり見て暮らすのも辛いと思う。昔のタイガースのように人生が消化試合みたいになってもいけない。私が寝たきりになるのは30年後ぐらいであるが、それまでになんとか完成することを願っている。
 年をとってきて、あまり楽しみもなくなっている。今はサイコバブルと言われ、軒並み保険収入を下げている他の科と比べ、精神科関係だけは元気である。プチうつ病という言葉がはやり、患者さんの受診の敷居も低くなっている。いつまで続くかわからないが、3年前に開業したのは正解である。内科などは設備投資して開業しても、患者さんがなかなか集まらないと聞く。親からの借金はまだ残っているが、保険医協会から借りた3500万円はすべて返した。毎日が忙しく、生活は勤務医の時と変わず実感は伴わないが、お金だけは確実に残っている。今は府立医大の学生の4割近くが女性だという。私の頃は100人中10人ほどであったので、これからは爆発的に女医さんが増えてくることになる。精神科関係も女医さんを求める患者さんが確実に増えてきて、将来は男性医師では通用しなくなるかもしれない。
 毎日がマンネリ化してきて、こころ躍ることが少なくなってきたが、20年したら今が私にとって一番の黄金時代だったと思う時が来るのだろう。

平成16年8月3日(火)

 以前に、撮りためた写真をホームページにリンクして公開すると書いたが、結局このもんもんネットに新しいコーナーを設けることにした。リンクのコーナーはほとんど使っていないので、このリンクを削除して、新たにもんもん写真館をつくる予定である。とりあえず最初は20枚ほどの写真を載せ、順番に更新していこうと思う。
 海外に最初に出たのは香港で、医者になってから3年目ぐらいであったと思う。私の時には学生時代に海外に出るのは、まだ珍しい方であった。少し上の世代は藤原新也に刺激され、インドなどに行っている。次に行ったのはフィリピンで、最初はツアーで行き、後はすべて一人旅である。南の島に行く時には帰りのフライトは前もって航空会社で再確認しなければならない。一度再確認しているのに、帰りのフライトがキャンセルされていたことがあった。かなり抗議してチケットを手に入れたが、海外ではイエス、ノーをはっきり言い、自分のことは自分で守らなければならないと身についた。後にタイ航空で、私のミスで帰りのフライトがキャンセルされてしまったが、この時もかなり強引に抗議して席を空けてもらったことがある。いつも次の日は病院の仕事が控えていたので、遅れたら一大事である。
 カメラは常に持っていく。小型のバカチョンカメラであるが、記録に残しておくことは大切である。今回ホームページに載せる写真を見ていたが、昔の写真はけっこう周辺光量が落ちている。傷もついたりしていて、20枚選ぶのに苦労した。タイの写真で一番気にいっていたスライドが見つからなかった。何回も引越ししているので、どこに紛れたか思い出せない。今回天井裏から探せるところはすべて探したが、結局見つからなかった。
 一番撮りためている写真は子どもであるが、ホームページで公開するわけにはいかない。私の気に入った写真だけを載せていこうと思う。私の写真は全く自己流である。写真雑誌などを見ることはあるが、きちんと基本を習ったわけでない。最近読んでいる斎藤孝著「座右のゲーテ」で、独学は非難すべきもの、自分だけの師匠をもつ、ということが出てくる。結局独りよがりになっていないかと、本当に考えさせられる部分である。患者さんの中にはカメラ教室に通い、展覧会に出したりしている人もいる。私の写真は性格からスナップである。重い三脚を構えて、じっくりと構図を考えるなんて、気が遠くなる。基本も学ばず、三脚も構えず、いい写真を撮ろうなんて虫がよすぎるのかもしれない。それでも、仲間と前の晩から出かけて、朝早くから目的の風景に日の出がはいった写真を撮ってくる患者さんがいるが、苦労のわりに必ずしもいい写真が撮れているとは限らない。風景写真はどんな雄大な景色でも平凡になりやすく、本当に難しいと思う。昔は製薬会社からカレンダーを山ほどもらっていたが、載っている写真のどこがいいのかさっぱりわからなかった。プロが撮った写真だと思うが、どういう風に見たらいいのか誰か教えて欲しい。海外で撮った写真の方が新鮮で、技術を越えて印象に残りやすいのは確かである。
 考えてみたら、私の医学研究も自己流であった。学会発表や学術論文も一番最初を除いて、すべて私が考えついたものである。私は早くから医局を出されていたので、どこか研究グループにはいって何か直接指導を受けたという経験がない。滋賀医大にいた時には動物実験ばかり手伝わされたが、結局途中で挫折している。お世話になった先生は多いが、残念ながらゲーテのいう自分だけの師匠はいない。反対に、この仕事をやっていて、一般の人が自己流でカウンセリングを習えるかというと、無理である。写真も自己流では無理かもしれないが、写真機が何千枚と撮っている中に偶然1枚ぐらい傑作がまぎれ込んでいるかもしれない。結局、プロの仕事とは常にある一定の水準を保つことだと平凡な結論に落ち着いてしまう。

平成16年7月27日(火)

 いよいよ書くことがなくなってきたが、最近疲れやすくなっている。この暑さで夜も寝にくい。患者さんに聞くと、タイマーをいれてエアコンをかけて寝ている人が多い。私もエアコンをかけて寝るのだが、エアコンの音が気になって仕方がない。タイマーが切れて、リモコンをまた入れたり消したりしている。半分寝ながらやっているので、そのうちスイッチを押し間違えて、暖房に入れてしまったりする。そのたびに、いちいち電気をつけてリモコンの表示を確かめなければならない。部屋が暑くなってからエアコンを入れ直すと、音が余計にうるさい。そんなことで、最近はずっと睡眠不足である。
 毎年夏は家族と海やプールに行くが、今年は娘が中学受験でどこにも行けない。塾の夏期講習もみっちりと詰まっている。娘の方も強迫的で、最近は家族でファミレスに行くのも時間がもったいないと言い、勉強ばかりしている。もうすこしメリハリをきかせ、遊ぶ時には遊んで、勉強する時には勉強したらいいと思うが、それができないのである。私みたいに気分のむらのある一夜漬けタイプも困るが、何もかもすべて覚えないと気がすまない完全主義タイプも、将来は心配である。下の息子は家内が言わないとあまり勉強をしないが、まだ要領がよさそうである。
 夏ぐらいどこかに行かないと、私の方が気分が滅入りそうである。非日常生活を楽しむには、それこそベトナムの奥地ぐらいに行かないとだめであるが、それでもたまに家族と温泉につかり、おいしい物を食べるだけでも気分はかなりリフレッシュする。ふだん昼食はコンビニのものですまし、夜は家内のワンパターンの料理を食べているので、たまには今の生活から脱出したい。この前の日曜日も診療所に泊まり込んで、夜10時近くまで書類を書いていたが、何かちょっとした楽しみを作っておかないと、精神的に煮詰まってしまいそうである。
 海外旅行したり英語を頑張って勉強するのは、今になって考えれば、日本社会の現状からのがれたい願望が強く働いていたかもしれない。今は世界中に自分の求めるような理想の国があるとは思わないが、若い頃は世間体ばかり気にする息の詰まるような日本に対して批判的であった。アメリカに代表される自由や平等も但し書き付きの自由と平等だと見ぬけないところもあった。日本と海外を比べて日本を批判している本もたくさん読んだが、今になってこの類いの本のからくりもわかるようになった。どういうことかというと、日本の社会の成り立ちやシステムに由来するいろいろな日本の末端の社会現象は、いいことも悪いこともセットになっているということである。よく、摂食障害の患者さんが、拒食は治さず過食は治して欲しいというが、そんなことは無理である。拒食も過食もセットで治さないと治らない。私は夫婦関係でよくいうのであるが、どんなにいい旦那さんでも長いこと一緒に住んでいると、いいことがいつのまにかあたり前になってしまって、悪いことばかりが目につくようになってしまう。旦那さんを他の人と交換したら、今まであたり前だと思っていたことがあたり前でないことがよくわかるだろう。だから、海外と比較して日本の社会の一部を批判しても、話としては面白いが、コインの裏側だけを批判していることになりかねない。最近読んだ本で、アメリカでは、タクシーやバーなどで「最近景気はどう?」と聞くことが、運転手やバーテンダーのプライバシーを侵害し、相手をかんかんに怒らせると書いてあった。プライバシーの尊重はわかったつもりでも、日本人の感覚ではよく理解できない。
 とりあえず、鳥羽の海水浴場でもいいのであるが、気分転換が必要である。開業医という仕事のせいなのか、日本という社会のせいなのか、それとも睡眠不足のせいなのか、とにかく最近は狭い水槽の中の金魚のように窒息しかかっている。盆にはまた一人で海外に脱出したいと思っているが、それまでなかなか待てそうもない。

平成16年7月20日(火)

 きのうは小学4年の息子を連れて、二人だけで映画を見に行った。映画を劇場で見るのは本当に久しぶりで、神戸で「エイリアン3」を見に行った以来である。もう10年ぐらいたつが、やはり映画は大きなスクリーンで見るのが1番いい。ふだん「ドラエモン」や「ピカチュウ」などの映画は家内が連れて行くが、きのうは小学6年になる娘が家内と私立中学校の合同説明会に行ったので、私が息子を連れて行くことになった。子どもが大きくなってくると好みも違ってきて、「ハリーポッター」は二人とも見たがるが、他は娘は「シュレック2」で、息子は「スパイダーマン2」である。
 朝1番の上映を見るため、久御山のイオンシネマに息子と二人で車で出かけた。道路はすいていて、丹波橋の自宅から15分ぐらいで着いた。「スパイダーマン2」の席はすぐ取れたが、「ハリーポッター」の方はまだ朝の7時半過ぎだというのに、もう2回とも満席で午後2時過ぎからの席しか空いていない。「スパイダーマン2」は吹替え版を見たので、いい席が取れた。内容としては、子ども向きというより、カップルで見た方が楽しめそうである。最初の出だしはだらだらと平凡な日常風景が語られ、退屈しそうであったが、すぐに面白い展開になった。あまり複雑なテーマより、単純明快で非日常的な特撮の映像の方が楽しめていい。あの科学者に人工の腕が何本も合体した姿も決まっており、この類いの映画としては最高であった。
 学生時代から映画はよく見ていた。今はゲームもあるし、携帯もあるし、ビデオもあるので、わざわざ映画館まで行く必要がないかもしれない。実際に、若い人の小遣いはほとんど通信費で消えてしまうという。昔は何もなかったので、貧乏学生には映画しかなかった。私にはもう一つロックがあったが、LPレコードは高かった。かなりいろいろな映画を見たが、文学青年のように娯楽映画はバカにして、ベルイマンの「叫びとささやき」やフェリーニの「アマルコルド」などを見ていた。若い頃は私はかなり暗かったので、ロックもドイツの重い混沌としたアンダーグランドなものが好きだった。そのうちのひとつである「グルグル」のライブに「電気ガエル」という曲があるが、今でも聞くとはまってしまう。どんな曲かというと、カエルの鳴き声をエレキギターで本当にゲロゲロと演奏し、ラッパが鳴り響き、異様なドイツ語のボーカルが叫んでいるのである。混沌と退廃、狂気と屈折が入り混じり、脳細胞が破壊されるようであるが、今でも私の心の奥底で共鳴するものがある。
 映画はたくさん見ているのが、今この日記を書いていて思い出したのは、原一男監督の「行き行きて神軍」である。他にも印象に残った映画は山ほどあるが、なぜ思いついたかというと、梅田に一人で見に行った時に映画館には数人の客しかいなかったのである。後になってこの映画は有名になったが、封切りの時に自分が立ち会えたことは今でも私の自慢である。ロック・アルバムでも私は輸入版を買いあさっていたが、「ジョイ・ディヴィジョン」のファースト・アルバムは京都では私が一番先に手に入れたと思う。このグループもその後有名になったが、ヴォーカリストのイアン・カーティスが後に自殺したことでもよく知られている。他にもロック・アルバムでは、「ドルッティ・コラム」の紙ヤスリでできたジャケットや、「パブリック・イメージ・リミテッド」のアルミニウム缶も持っている。
 映画もロックも語りだしたらきりがないが、自分がその同時代に生きていたということは自分の証みたいなもので、今では大事な思い出となっている。ドイツ映画は「ヘルツォーク」の作品もたくさん見たが、他に「ドイツ・青ざめた母」も思い出す。今ではほとんどその内容を忘れてしまったが、母親が浴室に閉じこもって手首を切り、外で娘が泣き叫んでいる最後のシーンが強く印象に残っている。また見る機会があったら、精神科医になった今、違った視点からこの作品を読み解けるかもしれない。実際にあのシーンと変わらないような経験をして、こころ傷ついた患者さんに接することもある。ついつい家でレンタル・ビデオを借りて見てしまうが、実際に映画館に足を運んでみることが大事だと思う。これから何年か先何かのきっかけで、映画とともに一緒に映画館に行った時のことが鮮やかに蘇ってくるかもしれない。

平成16年7月13日(火)

 この前の土曜日は年に2回ある大学の医局の集まりがあった。冬の講演会に誰を呼ぶか話をしていたが、客員講師をしている北山修氏を呼んで講演を聞く案が出た。私は一度も会ったことはないが、年に何回か医局に来て、精神分析の講義をしているらしい。講演料の話が出ていたが、通常は1回50万円ぐらいするという。ふだんの講義は交通費程度しか出していないということで、いつもの講演料で頼んでみることになった。私は一開業医になった今はもう講演を頼まれることはないが、以前に製薬会社から頼まれた時は一回5〜10万円ぐらいであった。
 懇親会では若い人はほとんど知らないので、昔お世話になった先生などと話をした。日本心身医学会の地方会が7月の終わりにあるが、会場を借りてやるのにかなりの費用がかかるらしい。今度会長をする先生が製薬会社からの寄付も少なく大変だと嘆いていた。神戸にいる時にもある先生が近畿地方会を主催したが、赤字分は全部会長が負担すると聞いて驚いたことがある。大きな病院の院長なら余裕があるかもしれないが、医療機関に属さず、一般の大学で教授などをしている場合は大変だと思う。他の学会などのことは知らないが、参加者が多かったらその分助かるかもしれない。日本心身医学会の認定医更新のため、私はぜひとも参加しようと思う。念のため更新のための受講証は発行するのか聞いたら、地方会は参加証だけでよさそうなので、今回は外来を閉じずに行けそうである。
 二次会は同級生のT教授と後輩の開業しているN先生、心理関係の女性など8人で祇園に出た。私は全く飲み屋などに疎いので、N先生がワインなどを飲める店に案内してくれた。N先生は医師会の理事をしているので、医師会が推薦している候補者の票集めに苦労しているようである。医師会が推薦する候補者の得票数は全国でも京都が少ないと聞いていたので、執行部の方も必死である。
 T教授もN先生も子どもはみんな大学に行く年齢なので、小学4年生と6年生を抱えている私としては少し焦りみたいなものを感じた。子どもの将来は好きなようにしたらいいと思っているが、それでも中学受験が近づいてくると、みんなどうしているのかと気になったりする。N先生のところは息子を二人とも近畿のある私立の医学部に行かせている。今回初めて知ったが、医局の教授の息子も別の私立の医学部に通っていると言う。日赤に勤めていたら息子を私立の医学部に進学させることなど考えもつかないが、開業したら授業料が高くても余裕がありそうである。私立の医学部という発想は全くなかったが、今回そういう道もあるかと改めて思った。息子はサッカーとゲームばかりやって、今は何も考えていないようである。開業して、医院や病院の規模が大きくなってしまったら、無理してでも子どもに後を引き継がせなければならないだろう。その点、私のところは大丈夫だが、本人が希望した時には私立の医学部も考えなければいけないかもしれない。昔は私立の医学部なんて金持ちの開業医のボンボン息子が行くところとバカにしていたが、歴史の皮肉でもしかしたら私のところもそうなるかもしれない。私はどちらかというと負けず嫌いであるが、自分のことで負けず嫌いになるのはいいが、子どものことで負けず嫌いになるのだけは避けようと思っている。翌日後見人の鑑定書を書かなければならないので、懇親会ではあまり飲むのは控えていた。しかし、二次会ではついついいつもの調子で飲んでしまった。会計は4万2千円であったが、開業している私とN先生で分けて払った。
 翌日は飲みすぎて、新聞も読めないほど頭は使い物にならなかった。後見人の鑑定書どころでなかった。私はめったに投票には行かないが、医師会の推薦している候補者は一時同じ府立医大の医局にいた先生だったので、二日酔いをおして投票だけには行った。

平成16年7月6日(火)

 お中元のシーズンがやってきた。今は不況なので、お中元のやりとりも昔ほどではない。特に企業関係は経費削減で、接待と共に縮小しているという。私については、ここ10年間を見ると社会保険神戸中央病院にいた頃がピークであった。今はどこの病院でも盆暮れの付け届けや謝礼についてはうるさい。病棟の中でもあちこちに「謝礼は受け取りません」と張り紙がしてある。神戸にいる時には内科病棟に10ぐらいベッドを持っていたので、軽いうつ病の患者さんなどを入院させていた。その患者さんが退院の時に、病棟にお礼のお茶菓子などを持ってくることが多かった。しかし、婦長さんや看護婦さんは頑なに受け取りを拒否した。やり取りを見ていても、本当に徹底していた。仕方がないので、私が一旦受け取って看護婦さんに後で渡すこともあった。京都に帰ってくる時に、患者さんからいただいたウィスキーなどが押入れにいっぱいつまっていて処分に困った。池田の妹も夫もビールはよく飲むがウィスキー類はまったくだめで、私もこの頃はビールしか飲めなかった。(今は何でも飲んでしまうので、それだけストレスも増えて、酒にも強くなったということか) 捨てるわけにもいかないので、あちこち苦労して配ったことを覚えている。ウィスキーについては、デパートに持っていったら、他の品物と交換してくれると何かの本で読んだが、本当なのであろうか。
 私は今は教授ぐらいしかお中元は贈っていないが、ある時忙しくてデパートに行けず、家内に任せたことがある。後で何を贈ったのか聞いたら、果物セットと言い、失敗したと思った。どういうことかというと、教授クラスになると、お中元があちこちから来て、生ものの処分は大変なのである。私でさえ、果物などの贈り物が重なると、賞味期限があり、冷蔵庫にはいりきらず困ってしまう。教授に贈る時には、ズワイガニの缶詰など、かさ張らず保存の効くものを選んでいる。以前に堺正章の奥さんが贈られてきたリンゴの処分に困って、公園で浮浪者にやっていたというが、その気持ちもわからないではない。患者さんの心遣いは本当にうれしいが、4人家族でハムのセットが5つも重なってしまうとどうしようもない。結局病院に勤めている時には看護婦さんや今では受付けの人に分けたりする。
 自宅に送ってくる患者さんのついては、私はお礼のはがきは出さずに、外来でお礼を言っている。そのためには、誰から贈られてきたか、きちんとチェックしておかなければならない。ある時に、うろ覚えで覚えていた患者さんに間違えてお礼を言ってしまった。後からその患者さんからお中元が贈られてきたが、誘っているようでバツが悪かった。多い時には1日にいくつも来るので、それからはチェック漏れがないようにメモに残すようにしている。品物をあける時に、包装紙の贈り主の名前は捨ててしまうので、ついつい忘れてしまうのである。外来の時に商品券などを渡す患者さんについては、その場でお礼を言う。患者さんの中には季節の挨拶みたいなもので、やっておかないと気持ちが落ち着かないという人もいるので、私はあえて断らない。
 お中元はしておいた方がいいのかというと、私個人は診察ではどの患者さんも同じように接しているのであまり関係ない。実際に贈ってくるのは患者さんの中でもごく一部の人なので、無理に贈ることもないと思う。森田療法の創始者である森田正馬は、患者さんに贈り物などをするように張り紙を出していたという。精神科医であちこちに本を書いている和田秀樹もお中元廃止論には反対している。確かに、手術などのない内科系の勤務医にとっては、大きな小遣いになるかもしれない。私も神戸にいる時には盆暮れに毎回10万円持ってきてくれるお金持ちの患者さんがいたが、この時は安月給だったので、他の患者さんより少しサービスをしてしまったかもしれない。深く反省している。田中角栄が、相場の10倍ぐらい出さないとみんな覚えてくれず感謝もしないと言ったが、反対に考えたらそんな人は今はいないので、盆暮れの送り届けもそれほど気にすることはないということになる。


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