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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成16年6月29日(火)

 月に2回特別養護老人ホームに行っている。仕事そのものは毎回1時間もかからないので、大したことはない。特養は医師がいないので、内科と精神科の医師が嘱託になっている。内科の方は身体的疾患を抱えている人が多いので、忙しそうである。紫野にあるので医院から距離があり、行き帰りの方が手間暇がかかるぐらいである。施設には当然痴呆の人が多く、たまたま家族から一人の患者さんの成年後見制度の鑑定を依頼された。成年後見制度といっても一般の人にはなじみがないが、痴呆や精神障害で判断能力が低下した場合、自己の財産の管理や処分を後見人が代理できるようにする制度である。そのために、本人の判断能力を精神科医が鑑定するのである。
 私は本格的な鑑定はこれまでしたことはなかったが、たまたまもう一件開業医さんから紹介された患者さんも頼まれ、気軽に引き受けていた。その二人分について正式に家庭裁判所から依頼があった。患者さんの資料や鑑定書作成の手引が郵便で送られてきたが、ややこしそうなのでそのまましばらくほうっていた。この前の日曜日にそろそろ手をつけないといけないと思い、詳しく読み出したら、ものすごく大変そうである。裁判所から電話で同意の確認があった時に、鑑定書作成の値段を聞かれた。ふだん医院の診断書料は2千円である。精神障害の障害年金診断書は初診の日付やこれまでかかっていた医療機関の名前と期間をすべて書かなければならず、けっこう面倒臭い。それでも、公費負担や障害者手帳の診断書と同じで3千円である。私が精神部会の部会長をしている労災の意見書も毎月の給料の中でやっている。後見制度の鑑定にいくら請求していいのかわからなかったので、係の人に聞いてみたら、大体10万円からで20万円を請求する医師もいるという。二人とも私が診察しているので、大きな額を請求するわけにもいかず5万円にした。5万円という金額はなくはないらしいが、この種の鑑定では安い部類に属するらしい。
 所定の用紙があるわけでなく、手引に沿って一定の様式で書いていかなければならないが、気軽に引き受けるような生やさしい仕事ではない。腹をくくって、始めにワードで様式のテンプレートを作り、書ける分はその中に書いていった。今はパソコンがあるので、便利である。全部手書きで書いていたら、10万円もらっても足りないぐらいである。ふたりとも脳出血を起こしているので、CTなどの所見もいる。改めて、かかっていた病院にも問い合わせをしなければならない。開業医さんからの紹介の人はもう一度詳しい診察が必要である。
 それでも、必要な資料の集め方や鑑定書の書き方に慣れてきたら、思ったより簡単に仕上げることができるかもしれない。診断書に比べて一般的に鑑定料が高いのは前から知っていた。以前勤めていた精神病院で院長が殺人事件に関連した精神鑑定をしたことがある。警察の依頼で拘置所まで出向いてやっていたが、鑑定料が30万円と聞いて驚いたことがある。これからは、高齢者が増えて財産の管理や処分に関わるトラブルは増えてくるだろう。判断能力が低下して、知らない間に親が高価な物に手を出したり、他人に財産を取られたりしたら、世話をしている子どもたちはかなわないだろう。詳しいことは聞いていないが、後見制度の鑑定を引き受けてくれる医師はまだ足りないようである。開業して経済的には充分すぎるほどであるが、本格的に鑑定依頼を受けようかと考えたりする。今回の2件は初めてなので大変そうであるが、最初から手引に沿って診察したらすぐに慣れるだろう。一件10万円ぐらいが相場みたいなので、金銭的にはすごく魅力的である。お金のことばかり書くと誤解を招きそうであるが、今週も土日がつぶれてしまって、取らぬ狸の皮算用でもしないとやっていられないのも事実である。

平成16年6月22日(火)

 最近パソコン雑誌をみていると、ブログについてあちこちで特集を組んでいる。ホームページより簡単に日記などを作れて、ネットで公開できるという。いくつかのぞいてみたが、玉石混合というところで、むしろ簡単に作れる分あまり内容のないものも多い。これだけはやっているということは、それだけ自己表現をしたい人が多いということか。
 きのうの診察で、たまたま女性の患者さんと話していて、「卒業式まで死にません」という文庫本を紹介された。南条あやという女子高生の日記で、ホームページで毎回公開され、当時はネットアイドルだったという。最終的には亡くなったそうであるが、本を手に取って目次だけ見ると、リストカットと大量服薬を繰り返していたようである。午後診で別の若い女性に聞いたら、この本については知っていて、自己に対して危うい感覚を持っている人たちの間ではかなり有名らしい。ちなみに、アマゾンで調べてみると、「この本を買った人はこんな本を買っています」というリストには、「リストカットシンドローム」「自傷する少女」「完全自殺マニュアル」などが挙げられている。境界性人格障害の患者さんは日常的に診察しているので、本の内容は大体予測がつくが、実際に読んだら治療者が考えもつかないことが書かれているかもしれない。それにしても、文庫本一冊になるぐらいホームページで日記を書き続け、大勢の人の共感を呼び、亡くなった今でも読み継がれているというのはすごいと思う。
 若い人が何のために生きているのかわからないとか、生きがいがないとかいうが、慢性的な空虚感は現代人が多かれ少なかれ抱えている問題ではないかと思う。(もしかしたら、こんなことを思うのは私だけかもしれないが) 前にも書いたが、開業してからはもうひとつ何かもの足りないのである。この前のTOIEC試験の結果が返ってきて、今回は865点であったが、もうひとつ燃えないのである。将来的にはこうしたいとか夢みたいなものはあるが、具体化するにはあまりにも漠然としている。
 とりあえず、今はホームページを充実させようと思っている。この年になって、ネットアイドルを目指すわけではないが、これまで撮りためた写真を公開していこうと思う。このホームページは業者に頼んで枠組みを作ってもらったので、写真と短いコメントだけを載せるホームページを別に作ってリンクさせることを考えている。なぜ、写真かというと、すでにたくさん手元にあって、いつでも簡単に公開できるからである。別のホームページを新たに立ち上げるより、このホームページの読書録や質問箱を充実させたらいいのであるが、書くのはなかなか大変で、毎週この日記でせいいっぱいである。以前から小説を書きたいと思っていたが、そんなことは夢のまた夢である。
 今から考えると、学会発表や論文投稿もひとつの自己表現であったと思う。それと、肩書きや社会的地位も自己表現の役割を果たしていたのかもしれない。今は古いポジやネガのフィルムを取り出して、いい写真がないか調べている。ポジフィルムはスライドにしているので、簡単に内容を確認できるが、かなり前のネガフィルムは写真を残していないので大変である。フィルムスキャナーを持っているので、気に入った写真だけパソコンに取り込んでいるが、取り込むのに時間がかかり気が遠くなりそうである。でも、こんなことでもしないと、撮りためた写真の整理は永遠にできそうもない。患者さんなどは気楽に自分でホームページを作っているが、新たに自分で作るのも面倒臭そうである。今書いていて気づいたが、自己表現というのはかくも手間ひまがかかるもので、リストカットは自己表現のショートカットかもしれない。

平成16年6月15日(火)

 以前にシャープのザウルスを買ったが、宝のもちぐされになっていると書いたことがある。結局ほとんど使うこともなく、値段が落ちていく前にソフマップで中古に出した。ヤフーのオークションに出したらもっと高く売れるが、いろいろな手続きが面倒くさく、いらなくなったものはもっぱらソフマップを利用している。折りたたみ式のキーボード付きであったが、やはり大きくて重く、ふだん持ち歩くのは邪魔くさい。PDAさえこうなので、ノートパソコンを持ち歩く人の気がしれない。
 カメラもそうであるが、一眼レフの大きなカメラはいくらいいレンズをそろえていても、なかなか持ち出す機会がない。以前は年賀状用の子どもの写真は一眼レフを使って撮っていたが、最近はもっぱら小型のデジカメである。背景をぼかしたりするような芸術的な写真を撮る機会もなく、処分しようかと思っている。もっとも、中古に出しても今では高級カメラ以外は二束三文であるが。
 PDAは予定表やTo Doなどを書くぐらいで、メールをやらない私にはあまり役に立たないと思っていた。前から出納帳をつけたいと思っていたが、そのためには常に持ち歩きができるぐらいでないといけない。そこで、ソニーの一番安いクリエを買った。2万円ぐらいで在庫もほとんどなくなりかけていた。解説書を探しても、もっと上位のカメラ付きのクリエについてはあるが、私の買った機種についてはないぐらいである。ヘッドホンの差込口もついておらず、音楽再生もできないが、一番薄くて軽い。パームについてはグラフィティという独特の書き方があるのを知っていたが、いざ使い出すとすごく便利である。ソフトも多く出ていて、パソコンのインターネットからあれこれ好きなソフトを入れている。インターネットのホームページから好きな部分を切り出して、ホット・シンクロでクリエに保存して見ることもできる。子どもの写真も早速メモリースティックに取り入れた。
 自分の小遣いについては、学生時代を除いて特に不自由したことはない。これは医者になったことのおかげだと思っている。サラリーマンの小遣いが22年ぶりに4万円を切ったという新聞記事を読むと、みんな大変だなあと思う。これまで、本やCDなど欲しいと思ったものはそれほど悩むことなく買っている。一番使っているのは海外旅行であるが、休みがあったらもっと行きたいぐらいである。ふだんはあまり無駄使いはしていないつもりであるが、開業してからは勤務医の時よりも自由になるお金が増えた。今まで小遣い帳はつけたことがないので、自分でも一体どのくらい使っているのかよくわからなかった。PDAのいいところは、スイッチを入れたらすぐ使えることである。車で買い物をしても、信号待ちの間に金額と項目をすぐに書き込むことができる。つけ始めてまだ一ヶ月もたっていないが、思ったよりもたくさん使っている。これからは金銭管理もしっかりしようと思う。
 他にもフリーソフトで、1インチが何センチとか、1マイルが何キロとか、簡単に変換できるソフトもある。海外旅行では通貨の変換に重宝しそうである。今まで電子ブックもばかにしていたが、安いものは300円ぐらいからダウンロードでき、さっそく何冊か入れた。丸暗記しなければならない語学の勉強などには向いている。一日のほとんどを医院で過ごすので、携帯電話はほとんど使うことはない。実際に使っているのは、京都市から嘱託の日曜・祝日の待機番ぐらいである。PDAも同じように使う機会がなさそうであるが、そうでもない。先週の土曜は京都第一赤十字病院の病診連携合同研究会があったが、あまり興味のない演題の時には電子ブックが役立つ。電車の中でも便利だし、いまやファミレスにも持っていくぐらいである。最近は何を買ってもあまり感動しないが、今年一番の買い物ではないかと思っている。

平成16年6月8日(火)

 この日記は毎週月曜ぐらいから書き出し、火曜の外来数が少ない時には、午前中の合間に書き上げている。どうしても間にあわない時には午後から書いたり、夜ぎりぎりになってしまう。きょうは午後から歯科に行ったり、眼科に行かなければならないので、朝7時から医院に出てきて書いている。きのうは午前診と午後診の間に書こうと思ったが、外来が長引き、用事もあったので全く書けなかった。私の医院は午前診は12時半まで受付け、午後診は4時からであるが実際には3時半ぐらいから診察している。12時半ぎりぎりに新患の人が来ると、あまりゆっくりとしている暇がない。最近は診察室のベッドで30分ぐらい昼寝をする。開業して3年過ぎたが、診察室のベッドで横になるのは私ぐらいである。会社関係の人や家族の人が大勢来る時にはイスがわりになることはあるが、患者さんを診察するためにベッドを使ったことは一度もない。これまで、しんどいと言ってベッドで休む患者さんが数人いたぐらいである。小さなベッドであるが、適度な硬さですごく寝心地がいい。私も時々しんどいと言って休むのである。
 この日記に書く内容は簡単に決まる時となかなか決まらない時がある。一番書きやすいのは患者さんのことであるが、プライバシーのこともあり、あまり詳しいことは書けない。あまりにも強く印象に残ったことや、現在の日常を反映していることについては患者さんを特定できないようにして、取り上げていこうと思う。前回の日記で取り上げた患者さんについても、本質的な問題は残し、具体的なことは何も触れなかったが、どこまで書くかは難しいところである。少なくとも、患者さんと当事者が読んだら自分のことだと気づくだろう。最近は女性の浮気問題も多く、いつか取り上げてみたいと思うが、あまりにも多いので、この日記に書いたら反対に自分のことだと思う患者さんが大勢いるかもしれない。どのくらい多いかというと、思わず私も心配になって、家で家内に確認してしまったぐらいである。もっとも、私が聞いたからといって、たとえ浮気していても、「はい、そうです」と認めることはないだろう。
 毎回何かテーマは一つにしぼって書こうと思っている。1週間にいろいろなことがあるが、「噂の真相」に連載されていた田中康夫知事のペリグリ日記のように出来事の羅列も避けたいと思う。今週は日本心身医学会総会が小倉であったが、いつものように外来が終わってから日帰りで行ってこようと思って前もってのぞみの予約を入れていた。当日の朝、必要なところだけコピーしていたら、認定医の更新には午前中の講義を受けて受講証をもらわないと点数にならないことがわかった。単なる参加証では無理なのである。あわてて外来が終わってからキャンセルしたが、キャンセル料が当日なので3千円以上かかってしまった。日曜日には、また子どもの授業参観があったが、去年書いているのでまた同じようなことを書くことは避けたい。この日記もきょうの朝だけでは書ききれず、今眼科に行ってから書いているが、右目の視力の衰えはただ単に左右のコンタクトレンズを入れ間違えていたことがわかった。今回はどれを取り上げても、一つのテーマで書くのは大変なのである。
 結局プライバシーの問題に落ち着くが、最近は東山医師会でも名簿に自宅の住所や電話番号を載せることについては異論が出てきている。学会名簿でも特に自宅の電話番号を載せることについては慎重になっている。アダルトサイトの架空請求が来ることはないが、いろいろな勧誘の電話が多いのである。節税対策にマンションを買わないかとか投資をしないかとか、この種の類いの電話には自宅にいる家内は辟易としている。一度海外旅行に出る時に、搭乗手続きの所でどこかのTV局が撮影していた。別に不倫旅行しているわけではないが、これはやめて欲しいと思った。この日記では同業者を取り上げることもあるが、プライバシーには充分配慮しているつもりなので、この程度のことはどうかご容赦願いたい。

平成16年6月1日(火)

 今日は外来の時間に私の患者さんのことで警察署の刑事課の人と電話で1時間近く話していた。外来の患者さんは少ない方であったが、それでも大幅に遅れてしまった。患者さんが何か刑法に触れるようなことをしてしまうことはめったにないが、薬物依存や人格障害の患者さんではこれまでに何回か経験している。こういう場合は警察の人も一般の人も入院させたら簡単に治ると思っているが、重い人格障害の場合は治療効果はあまり期待できない。極端な例で言えば、池田小学校事件の宅間被告をいくら長期入院させても、治療的な意味はあまりないだろう。今回のケースでも私の知らない所で大騒ぎになっており、家族と本人が来ていたので、その後の対処をめぐって警察に確認を取った。地域の住民も家族も困っており、警察も刑事告発しないので、まったく打つ手がない。
 今回刑事課の人と話してわかったことは、警察としては入院治療を期待しているのである。しかし、人格障害の患者さんはどこの病院でもなかなか受け入れてくれない。ましてや、今回の事件の内容を見たら、どこの病院に紹介状を書いても断られるのがおちである。それでも、家族から書いてくれと頼まれたら書かざるをえず、当初京都市の精神保健担当の職員と受診した病院に紹介状を書いた。
 刑事事件が起きた場合には、患者さんを強制的に入院させる制度がないわけではない。二人の精神保健指定医が精神鑑定をして決める強制的な措置入院と一人の精神保健指定医が鑑定し、家族の同意を必要とする半強制的な医療保護入院がある。今回の場合はどちらも結果的には無理であった。今回どうしてここまでこじれてしまったのかというと、ほぼ100パーセント患者さんがやったという状況証拠はあるが、決定的な証拠がなく、患者さんも覚えていないと主張するからである。刑事さんの話によれば、決定的な証拠がなくても逮捕はできるそうである。しかし、いろいろな証拠を検討し、実際にやったかどうか最終的に判断するのは裁判所である。
 今回措置入院にできなかったのは、実際にやったという決定的証拠がなかったからである。逮捕した者が後に裁判で無罪になってもかまわないが、措置入院させた患者さんが後で無罪だったでは困るのである。逮捕とは違って、措置入院をさせるには最初から決定的証拠が必要なのである。
 私も京都市の臨時職員として、毎月1回ぐらい休日の待機番をしている。精神障害の患者さんが何か刑事事件を起こしたりすると、呼び出され精神鑑定をするのである。そして、そのまま措置入院や医療保護入院を決めるのである。しかし、今回のようなややこしいケースはあまり経験したことがない。京都市の方では措置入院が無理なので、医療保護入院も試みたが、この時にはいろいろな事情で家族の同意が得られず断念している。その時のチャンスを逃すと、後でいくら頼んでももうどこの病院も任意入院でも受け入れてくれない。
 今回の場合困ったことは、患者さんが覚えていないと言って全く自覚がないことである。この場合、うそをついているのか、それとも解離が起こっているのかどちらかである。覚えていても覚えていなくても、いずれにしても治療的には大変やっかいである。明日紹介状を持って受診するということであるが、断られた時には警察の方で刑事告発をしてもらうしかない。そうなると、精神鑑定となり措置入院の道も開けてくる。患者さんを待たせて警察の人と1時間近く話をしていたが、安易に精神病院に入院させることができないことをある程度理解してもらえたらと希望する。

平成16年5月25日(火)

 先週は私の誕生日であった。自分の人生が本当に残り少なくなってきたと実感している。後何年仕事が続けられるかと考えたりする。昔からアーリーリタイアメントを夢見てきたが、子ども達がまだ小さいので、後20年はやらなければならない。古くから開業している先生が、75歳を過ぎて夜10時過ぎまで診察をしていると聞いて、それだけは避けたいと思った。やはり、診療所は自分の年齢に合わせて少しづつ縮小するか、思い切って他人に任せるのがいい。
 日曜日にはまたTOIECの試験を受けに行ってきた。前回は850点をわずかにきってしまったので、再チャレンジである。やはり、過去の遺産だけで900点は無理である。今回も前日に酒を飲んでいたが、当日は体調もよく、前回の時よりも問題が易しかった。長文の読解問題も余裕をもってやれ、終わった後でも全く疲れも残らなかった。それでも時間だけは足りなく、一番最後の問題をやっている時に、終了の合図があった。たまたま同じ会場に精神科の先輩の先生が受けに来ていた。私より年上の先生がチャレンジしていることを知って、また意欲が湧いてきた。最終目標は900点越えであるが、あせらずこれからも毎回受け続けていこうと思う。
 前回の試験からどのくらい英語を勉強したかというと、CNNのニュースを前よりは見るようにした。しかし、The Japan Timesはなかなか読んでいる暇がない。これもあまり実行できていないが、結局考えついた方法は、風呂に入って寝る前に自宅で読むことである。最近はラム酒にこっていて、食事の時からかなりの量がはいっている。9時過ぎからは家内と小学校4年の息子は布団を敷いた隣の部屋に移る。居間のテーブルで、娘が塾の勉強をもくもくとしている。私がその横で英字新聞を広げながら、知らない単語を電子辞書で引きながら、勉強するのである。お互いに黙ってやっているのだが、娘が時々この漢字を知っているかと聞いてきたりする。私はラム酒をストレートでぐびぐびやりながら、一言二言交わし、やる気がしないなと思いながら、また英字新聞に目をやる。すぐに眠くなってきて、娘より先に部屋を出て二階の床につく。こんな程度の勉強なので、なかなかボキャブラリーが増えてこない。
 それでも、この勉強法に変えてから、今まで味わったことのない幸せを感じるようになった。隣の部屋で妻と息子が静かに休んでおり、私と娘がテーブルでもくもくと勉強し、ふだんはあまり話しかけてくることのない娘が、一言二言声をかけてくる。なんとなく平和でこころが和み、家族が一体になっているのを感じる瞬間である。
 私は若い頃から不幸なことがいつまでも続かないように、幸せなこともいつまでも続かないと思っている。私が神戸で心身医学会の事務局を引き受けている時に自分の科以外の先生とも話す機会が多かった。内科だけでなく、産婦人科や皮膚科、眼科の先生までいた。心身医学では名の知れたある大先輩の先生がいたが、その娘さんがガンにかかった。手術を受けたが、できた場所が悪くガンを充分に取りきれなかった。娘さんにはまだ小さなお子さんがおり、研究会の打ち合わせの時でも、ひどく心配されていた。社会的に成功していても、人生の終わりで、自分では解決できない問題をかかえてしまうのは本当に辛いことだと思う。私の所には幸せな人は来ないので、心から気の毒だと思う患者さんばかりである。いつも思うのは「幸せって何?」である。
 TOIECの試験の前に、朝早くから診療所に行って、障害年金の診断書や障害手帳の診断書などを何通も書き、相変わらず雑用の多さにはうんざりしていた。しかし、いろいろなストレスはあっても、何も大きな問題をかかえていない今がとりあえず一番幸せなのかもしれない。来年の誕生日も同じような気持ちで無事迎えられたらと思う。

平成16年5月18日(火)

 日曜日は労働保険料の確定申告書を書いていた。締め切りが今月の20日なので、どうしても仕上げておかなければならない。税務署の確定申告は税理士に任せているが、これも毎月一回領収書などをまとめて送らなければならない。年に一回であるが、従業員の給料を1年分各月ごとに調べ、手順に従って計算していくが、手間ひまかかってすごく面倒臭い。医院の仕事は保健婦の資格をもっている妻はまったくノータッチで、毎日最後のお金の取り扱いもすべて私がやっている。支払いなども診療の合間に私が銀行に振り込みに行く。自営の仕事をしている患者さんからはお金が自由にできていいと言われるが、日曜もほとんど雑用でつぶれてしまう。今は日曜でも来年中学受験をする娘が塾に行くので、その後家庭サービスである。
 今年の5月に四条烏丸の近くで精神科を開業した先生が二人いる。二人とも京都市立病院精神科の長を経験した先生で、同じ勤務医から開業した者として心から声援を送りたい。京都市には公的総合病院として大きなものは四つある。府立医大系の京都第一日赤、第二日赤と、京大系の今はややこしい名前に変わった国立京都病院と京都市立病院である。私も含めこの数年間に、この病院の長が4人開業したことになる。私の後輩にあたる第二日赤のT部長は開業志向は全くないようである。
 前にも書いたが、私は京都でただ一人精神科の労災委員をしていた。自殺や過労死の問題が増えてきて、各都道府県で新たに3名の労災委員をつくることになった。この時に労働局からあとの二人の先生を推薦して欲しいと頼まれた。一人は第二日赤のT部長に決めたが、後の一人をどうするか迷った。京都で府立医大だけですべて独占してもよくないので、誰か京大系の先生を一人いれなければならなかった。ところが、京大精神科は学生運動の時には過激派の拠点になり、その後は医局を解体して評議会をつくり、教授は評議会の人事にはいっさい口出しはできないと聞いていた。また、教授の権力の象徴である博士号を長いことボイコットし、「白い巨塔」に出てくる医局制度を完全に否定していたのである。前にも書いたように私はノンポリで学生運動のことはよく知らなかったが、先輩たちはみな泣く子もだまる京大精神科と恐れおののいていた。京大の中でも評議会系と反評議会系に分裂しているらしく、外部の者には中はどうなっているのかさっぱりわからなかった。あまり過激な人を推薦してもまずいと思い、評議会からある程度距離のある先生ということで、面識はまったくなかったが、国立京都病院のT先生を推薦した。その後京大の先生とは何人もと接しているが、府立医大よりも患者さんの社会復帰に熱心な先生が多く、いろいろと教えられる事が多い。しかし、先輩の先生方は学生運動の後に続く学会での活動がよほど激しかったのか、今でもトラウマとなっているようである。想像するに、糾弾活動が一番激しかった頃の同和団体みたいなものか。被差別部落出身の人たちが目指したのは、差別の解消と自分達の人権の回復であった。評議会が目指したものも同じであるが、対象は精神障害者であった。
 話がいつの間にかずれてしまったが、開業して一番悩むのは雑用の多さだけでなく、やはり職員の管理である。私のところは看護婦さんがいないので助かっているが、内科などの診療所は大変だと思う。自分のことをある程度理解してくれる看護婦さんならいいが、そうでないとプライドが高いのですごく使いづらいと思う。私の診療所でも受付けの人は何人か変わっているが、いくら精神科医でも人を見る能力はつくづくないと思う。日赤の看護学校では入試の面接委員もしていたが、短時間の質問でその人物の判定をするのは困難である。はやっている所の先生に聞いても、受付けの人がすぐやめてしまったり、経営とは別の悩みがあったりする。私の所は今は落ち着いているが、以前は女の人同士の仲が悪かったりして大変であった。私が以前からこの程度の規模でいいと言っているのは、職員を増やし管理者として余計なストレスを増やしたくないことも一つの理由である。

平成16年5月11日(火)

 いつのまにか開業して3年が過ぎた。開業した日はゴールデン・ウイーク明けの5月7日であった。初日の外来患者数は40人であった。この遅く始めた5月のレセプトの数は323枚である。レセプトというのは、毎月保険請求する時の用紙のことで、患者さん1人当たり1枚になる。だから、5月に実際に来た患者さんは323人ということになる。中には月1回の人も2回の人もいるので、平均すると一人当たり月1.7回ぐらいになる。この数は多いかというと、これまで開業した人の中では最高記録だと思う。その後、国立京都病院のT先生が開業して大勢の患者さんが押しよせていると聞いたので、この開業時の記録は破られているかもしれない。
 開業して当初どの位の患者さんが来るかは、それまで外来で何人の患者さんを診ていたかにかかってくる。私の場合は日赤で週5日やっていたが、大体の平均を出すと、月曜80人、火曜30人、水曜80人、木曜30人、金曜60人で、1週間の外来患者数は約280人になる。正式な外来は月、水、金で、火、木は予約で登校拒否などの時間のかかる患者さんを診ていた。金曜日は隔週で午後から京都市の精神保健福祉審議会があったので、月、水より数は少なくなる。
 日赤の場合はお年よりも多く、他の科にいくつもかかっている患者さんも少なくない。だから、開業してどこまで私の所に来てくれるか予想がつきにくかった。それでも、最初から1週間で140人ぐらいになったので、およそ半分ぐらいの患者さんが来てくれたことになる。最初の好調な出だしから比べて今はどんどん増えているかというと、そうでもない。3年間やって、まだレセプトの数は1ヶ月500枚に達していない。後輩でまったく知らない土地で落下傘部隊で開業して、今では私より数多くの患者さんを集めている先生もいる。京都市内は開業する先生も増えてきて満杯気味となっており、心療内科過疎地である新田辺などで開業する方が患者さんはたくさん来る。先輩の先生が、医者の腕より開業する場所が大事と言っていたが、かなり当っているかもしれない。
 私も開業する場所には悩んだが、今の場所に決めたのは、前にも書いたように物件がたまたま出てきたことと、日赤のそばで開業するのは将来も含めて私ぐらいだろうと思ったからである。交通の便がいい所は、最初はよくても必ず将来開業医が増え、お互いに競合するようになる。たまたま四条烏丸近くで開業している先生と患者さんのことで話す機会があったが、近くで京都市立病院のF先生が開業するということで少し心配をしていた。
 外来患者数からいうと、今の数で充分である。一人の医者がそれなりに時間をかけて診れる数というのは限られてくる。よくレストランやラーメン屋が雑誌で紹介されて、お客さんが殺到し、味が落ちたと言われるが、たくさんの患者さんが来すぎて、医療の質が落ちたと言われないようにしたい。患者さんが来れば来るほど医療機関は潤うが、際限のない無理は避けたい。税金もどんどんと増え、税金対策も考えなければならない。結局設備を拡大して、職員を増やし、組織が巨大化して、最初に自分が考えた目のいき届く医療からどんどんとかけ離れていく。患者さんの社会復帰まで含めて全部自前でそろえようと頑張っている先生もいるが、私はその器ではない。
 最初からこれだけの患者さんが来てくれて感謝している。新患の患者さんは近いうちに制限しなければならないが、日赤からの患者さんやこれまでの患者さんはいつまでも大切にしたい。日赤の4年間は大変であったと前に書いたが、これまで苦労の連続で悪いカードばかりと思っていたことが、私が開業することによって、すべてのカードがひっくり返り、吉に転じたのである。すなわち、使い物にならない先生のおかげで、私の外来に患者さんがこれだけ集中し、その先生を私一人の力で追い出すことができたので、医局にも病院にも貢献でき、私がやめることで両大学のけんか両成敗のような印象を残すことができ、日赤のそばで開業することもあえて誰も反対できなかったのである。私は開業することで、日赤での苦労をすべてプラスに変えることができたのである。

平成16年5月4日(火)

 この日は京都にはいないので、今回は先に書いておく。久しぶりの連休で、蒸発しようと思う。今の仕事は自分にはあっていると思うが、ストレスがたまる時はたまる。風邪が長引いて、左腕も痛くて重いものが持てない。五十肩なのかよくわからないが、一ヶ月以上続いているので一度整形外科に行かないといけない。
 疲れきった時には何もかも捨てて蒸発したいと思う。しかし、ふだん診療がある時にはそういうわけにもいかない。あるお年寄りの患者さんが、毎日電気をあてに通っている整形外科の先生が3月に1週間休みを取ったという。盆や正月以外にも、定期的に長期の休みを取るらしく、うらやましいと思う。前にも書いたように、これ以上患者さんが増えるのもよくないので、私も定期的に春と秋ぐらいに長期の休みを取ろうかと思う。
 最近新聞やTVでよく報道されているが、中年の男性が女子高生のスカートの中を携帯電話で取ろうとしたり、手鏡でのぞこうとして逮捕されている。この時に、最近ストレスがたまっていたとか言い訳しているが、ストレスがたまっていない時でものぞきたい時にはのぞきたいだろう。ただ、ふだんから上手に性的欲求は解消されていないと、屈折した形で出やすいと思う。以前に、NHKの職員が洗濯機の中から女性の下着を盗んで逮捕されていたが、品行方正すぎてあまりにも抑圧しすぎるもよくない。自分では上手に解消しているつもりでも、いつの間にか周りの女性にセクハラまがいのことをしている可能性もある。今はインターネットでポルノは解禁状態であるし、アダルトビデオもたくさん出ている。私の医院では患者さん用にデイリースポーツを取っているが、中には裏DVDの広告もたくさん載っている。生身の人間に触れたい場合には、お金もかかり女の子の当たり外れも大きいが、風俗という手段もある。こんなことを書くと女性には嫌われそうであるが、こんなつまらないことで逮捕されるぐらいなら、もっと上手に処理したらいいと思う。リメイク版の「白い巨塔」でははっきりと描かれていなかったが、田宮次郎版の「白い巨塔」では財前が長い時間をかけて難しい手術をした後には必ず愛人のところに行き、ストレスを解消していた。
 性の問題は男性に限ったことでなく、女性にもある。高齢の女性の患者さんから、40歳ぐらいから夫と性交渉がないとちらっと漏らされたり、70歳を越える男性の患者さんから、妻から求められて要求にこたえられないと嘆かれたりと、診察では思いも及ばないことを聞かされたりする。私は愛妻家であるが、妻だけで性的欲求が満たされるかというと、世の男性と同じで難しい問題である。しかし、浮気だけは絶対しない。
 性的欲求とストレス解消の問題など、いろいろ書きたかったが、いよいよ蒸発する時間が近づいてきた。いつもより書くのは短いが、今日はこの辺でやめておく。どこまでストレスが解消できるかわからないが、連休明けにはリフレッシュして、患者さんには余裕を持って診察できるようにしたい。

平成16年4月27日(火)

 なかなか症状が改善しない患者さんが増えてきている。30歳前後の引きこもりみたいな患者さんも多い。こういう患者さんは小学校や中学の時に登校拒否があったわけでなく、大学まで卒業し、その後ずるずると引きこもってしまうのである。就職難もあり、社会参加のハードルが高くなっていることも関係しているかもしれない。今や中学や高校の引きこもりの方が、通信高校や単位制高校、大検予備校もあり、昔と比べたらまだ救い上げてくれる社会的資源は豊富である。ところが、就職浪人からモラトリアムのようにずるずると引きこもってしまった人たちについては、利用できる社会的資源がなく、社会復帰させるのは至難の業である。畑や親の自営の仕事でもあれば、手伝いをさせながらリハビリもできるが、親がサラリーマンの場合はそういうわけにもいかない。いきなり就職はハード過ぎるし、最初はアルバイトぐらいならできた人でもそのうちアルバイトさえ行けなくなってしまう。
 なかなか改善しないと、もう何年も通院しているのによくならないと親からよく相談されたりする。いつまでも家でごろごろしており、家族も患者さんの対応に困っているのはよくわかる。こういう場合はどう理解したらいいかというと、治療者としてはどんどんと悪くなっていくのを防ぐだけでせいいっぱいなのである。一見するとよくも悪くもなっていないが、大きな破綻をきたさないようにそれなりに必死で支えているのである。中には支えることも難しくなり、少しづつ悪くなっていく患者さんもいる。初めはおとなしい患者さんだと思っていたら、徐々に大量服薬やリストカットが出てきて、いつのまにか境界性人格障害と区別がつかなくなる患者さんもいる。
 あまりにも改善が認められないと、本人や家族から他の医療機関にかわりたいという要望も出てくる。私はセカンド・オピニオンを求めたり、全く違った治療法をする医者にかわるのは決して悪いことではないと思う。自分では治療的にはやりつくしていると思っているが、主治医がかわって稀ではあるがうまくいくこともある。ただ、根底に人格障害がある場合には、主治医だけでなく患者さんや家族にとっても根気のいる治療が必要である。また、こころがすごく弱っている人についても、時間がかかる。両親などは、もう少し早く起きて部屋の掃除ぐらいするように言って下さいと治療者に頼んでくるが、こころがそれこそ豆腐のようにもろく、少しでも負荷をかけると崩れそうになる人には無理である。特に負荷をかけていなくても、日常生活の何気ないことで崩れそうになる患者さんは、よくするというよりも、とにかく崩れないようにするのが当面の課題である。
 あまり自殺のことばかり書くと、やぶ医者と思われるが、また私の患者さんが一人亡くなった。内科の同級生から紹介のあった患者さんで、会社の経営者としては成功していた。強いいらいら感と抑うつ感を訴え、日中から大量の眠前薬などを長いこと服用していた。一度薬を離脱するために専門病院に入院したが、その日に逃げ帰り、大量の薬を飲んでは車を運転したりして家族も対応に困っていた。結局、奥さんとの離婚話が出て、再び専門病院に入院したが、3日で耐えられなくなり退院し、その後遺体で発見された。最後の方は同級生の所に行っていたので、入院も知らなかったが、私も同級生も治療的にやれることはすべてやりつくしていた。
 いつも奥さんが幼い二人の子どもを連れてきていた。かわいい子ども達が、私の診察室でイスやベッドの上に上がったりして遊んでいたことを思い出す。残された子ども達のことを考えると、症状が改善しないぐらいはまだましなのかもしれないと思った。

平成16年4月20日(火)

 今週は風邪をひいて、まだ治らない。勤務医の時には年に3〜4回かかり、治るのに2週間近くかかっていた。開業してからは不思議とかからず、今回が初めてである。今から考えると、病院には大勢の患者さんが来ていたので、そこからうつされていたのかもしれない。毎日死ぬほど忙しかったので、身体の抵抗力も落ちていたと思う。他の看護婦さんなどはあまりかからず、かかってもみんな3〜4日ほどで治るので、風邪にはかかりやすい体質と信じていた。環境がかわるだけで、随分と変わるものである。
 これまで、病気を理由に欠勤したことはない。どんなに熱が出ても体調が悪くても、這ってでも病院には行っていた。一度外来をしている時に激しい腹痛にみまわれた。前にも書いたように私の外来は朝8時45分から始まって、飲まず食わずで夕方5時近くまでかかっていた。こういう時にはもう一人の先生にかわってもらったらいいのであるが、当時はまだ他の大学の系列の先生でまったく頼りにならなかった。見かねた婦長が、消化器の先生を呼んでくれ、ブスコパンを注射しながら最後まで診察をしたことを覚えている。
 幸い大きな病気にはまだかかったことはない。目と歯が悪く、血圧は以前から高かった。日赤の時の健診で、いつも上は200近くまで上がっていた。一度循環器の先生に薬を処方してもらったが、忙しかったこともあり、2〜3回行っただけでそのままになっていた。しかし、開業してからは借金もたくさんあるので、自分で薬屋から血圧の薬を仕入れきちんと飲んでいる。前にも書いたが、自分の所では健康保険がきかないので、薬代は実費で高くつく。自分の専門領域の病気については、もともと分裂気質のところに強迫傾向が加わり、メランコリー親和型性格も混じり、自分でもストレスに対して強いのか弱いのかよくわからない。それでも、私のところに来る大勢の患者さんのように、私も一度精神的危機に襲われ体調を崩したことがある。
 神戸の社会保険病院から京都第一赤十字病院に部長で赴任してきた時には、栄転であるが、ひとつ条件がついていた。それは、前の部長が定年退職して、もう一人の先生が残っていたが、二人とも別の大学の系列であった。各都道府県の日赤の支部長は知事が兼ねているので、府とのつながりが強く、第一も第二もほとんどの科は府立医大系統である。私が行くまでは心療内科は別の大学の系統であった。京都では大学病院に次ぐ大きな病院であったので、ふつうはそのまま同じ大学で部長を出すのだが、詳しく書けない事情で府立医大から行くことになった。しかし、私の部下として、その大学の先生は残り、卒業年度は私より下であったが、年齢はかなり上であった。私は前にも書いたようにいざとなったら、ヤクザに対しても、言ったことを言っていないとあくまでしらを切り、「頭が悪いだけではなく、耳も悪いのか」と言い返すこともできるぐらいである。その私でさえ、夏ごろから冷や汗が止まらなくなり、動悸がしやすくなり、電車の中で何回もパニック発作を起こしそうになった。毎日毎日きょうこそは教授の所に行って、やめさせて欲しいと頼もうかと迷うぐらい精神的には追いつめられていた。それでも、専門家である第一日赤心療内科部長が、うつになって半年ももたずにやめたとなると、物笑いの種になることはまちがいなかった。ここには書けないことが山ほどあったが、どんな事情があれ、周囲はなかなか理解してくれないこともわかっていた。翌年には病院が建て直しになったり、2年目の別の系列の研修医の先生がいなくなったりして、薬を飲まずになんとかぎりぎりのところで持ちこたえた。それからは、第一線の病院では使いものにならないこの先生にやめてもらうため、死闘をくり広げた。同じ大学の系列の先生なら教授が責任をもって何とかするが、他の大学で部長も出せないところではどうしようもない。いつか小説にしたいぐらいいろいろあったが、ここでは書けない理由で病院も医局も尻込みし、結果的には私一人でなんとか追い出すことができた。この先生が辞める時に、1ヶ月の年休を取った。年末の忙しい時期であったが、私はこれまで何の役にも立っていなかったことを示すために、この間は医局からの応援は一切受けず、外来と病棟その他の雑用をすべて一人でこなした。
 日赤をやめた理由の一つにこのこともあったが、白い巨塔に出てくる医局制度や学生運動で火がついた医局解体についてもいろいろ考えた。今でも教授のところにやめたいとよく頼みに行かずにすんだと思っている。なんとか1年で体調は回復したが、あの時もしやめていたらぬぐいがたい強い挫折感が一生残ったと思う。私は薬嫌いなので、薬は飲んだことはないが、うつになって仕事を休まざるをえない患者さんの気持ちはよくわかる。

平成16年4月13日(火)

 この前の日曜日には、一人で宝塚まで出かけて、宝塚歌劇の雪組公演「スサノオ」を見てきた。隠れ趣味で、熱心な宝塚ファンかというと、そうではない。宝塚歌劇を見るのは今回初めてである。どうして男一人で見に行ったかというと、また患者さんに招待されたのである。前にもこの日記で書いたが、この年齢のいかれた婦人からは、これまで祇園甲部歌舞会の京舞や南座の顔見世興行を招待されている。いつもペアで指定席を取ってもらい、チケットをいただくのである。たまたまこの日は家内が息子の塾のことで用事があり、代わりの者を探したが、見つからなかった。娘は塾があり、たとえ時間があっても、私と二人で行くのはいやがる。息子は小学校4年生で、チケットがもったいないので聞いたら、公演の間ゲームボーイをしていていいならつきあうという。宝塚歌劇に父息子二人で出かけるのも変である。一番いいのは、代わりの女性と出かけることであるが、私にはその類いの女性はいない。患者さんの中には熱心な宝塚ファンがいるが、席が隣になるのでチケットを片方だけ譲るわけにもいかない。せっかく私のために招待してくれたので、私が行かないと意味がない。パンフレットを見たら、日にちの変更や払い戻しは不可となっていた。
 当日の朝は天気がよかったが、正直言って少し憂うつな気分で出かけた。車で行こうか迷ったが、帰りにヨドバシカメラに寄ろうと思ったので、電車で行くことにした。駅に着いて、宝塚大劇場に向かうのはやはり女性ばかりである。男性も来ているが、ほとんど女性と一緒である。少人数でも、男性がいると安心する。すべて女性ばかりでは、男一人で女性下着売り場をうろうろしているような居心地の悪さを感じる。内容は、京舞や顔見世よりも面白かった。南座の時には無線のイヤホンを貸し出ししていて、進行している歌舞伎の内容を解説をしてくれたので、それなりに楽しめたが、解説なしでは無理である。その点、宝塚歌劇はわかりやすく、話や歌の内容がしっかり聞き取れる。音楽も、長唄よりもはるかに楽しめた。曲の中には、寺山修司の天井桟敷で作曲を担当していたシーザーの曲を思わせる部分もあった。
 歌劇とかミュージカルはこれまでほとんど見たことはない。それでも、約20年近く前に、本場のブロードウェイで「オー、カルカッタ」を見たことはある。当時はヘアーを出して踊るということで話題になったが、まさか宝塚歌劇でヘアーを出して踊るわけにはいかないだろう。どんなミュージカルかあまり覚えていないが、英語の内容もわからなかったので、当時でもあまり印象に残らなかった。映画では「コーラス・ライン」には感動した。この前の土曜日に子どもとレンタルビデオを借りに行ったが、「シカゴ」が置いてあり、借りたいと思った。しかし、ついつい子どもと見れる「マトリックス最終版」を借りてしまった。他にも、昔はあまりファンではなかったが、クイーンのDVDが置いてあり、「シカゴ」より先に借りてしまいそうである。話がそれてしまうが、今はカルフォルニアに住んでいる私の1歳年下の妹がクイーンの熱烈なファンであった。CMなどを聞くと懐かしく思うが、当時ヴォーカルのフレディ・マーキュリーがマンガの「こまわり君」に似ていると言われていたことを何人の人が知っているだろうか。
 患者さんには自分の知らない世界を教えてもらって感謝している。宝塚歌劇も家内と娘が一度一緒に行ったらいいと思う。最近は私と家内と二人で出かけるのに刺激され、娘は「美女と野獣」を見に行きたいと言いだしている。今まで観劇などにお金を使うことはなかったが、これからはもう少しゆとりをもって人生を楽しみたい。

平成16年4月6日(火)

 今年の4月から保健所のデイ・ケアの仕事をひとつやめた。去年は東山区だけでなく、醍醐支所も行っていたので、なにかと忙しかった。なるべく公的な仕事は少なくしたいと思っているが、どこも人が足りず、開業している東山区の仕事だけは断れない。自己紹介の所で、役職にこれまで京都府立医科大学客員講師を入れていたが、これも3月でやめた。毎年大学から、継続更新確認のファックスが来るが、引き際が大事なので、今年は断った。日赤の部長だったので、学外講師にしてもらったが、開業していつまでも続けるわけにはいかない。経歴詐称にならないように、ホームページからは早速削除した。
 この前の日記には書けなかったが、3月28日の日曜日にはTOEICの試験を受けに行ってきた。龍谷大学であり、正式に受けるのは今回初めてである。NOVAの模擬試験では1回経験しているが、やはり難しかった。言い訳になるが、前の日は土曜日で酒を飲みすぎ、二日酔いで体調もあまりよくなかった。試験と名のつくものを受けたのは本当に久しぶりであった。ヒアリングを含めて全部で200問あり、全力疾走で一応全部解いて、時間は1分ほど余っただけである。もうひとつ乗り気になれないところに、うんざりするほど英文ばかり2時間ほど読ませられ、本当に疲れた。しばらくは英語の文字を見るだけでも拒絶反応がでた。
 インターネットで個人で申し込み、自宅の丹波橋からは近かったので、会場は龍谷大学になった。学生らしき若い人ばかりが受けに来ていて、私のような中年の者は誰もいない。いまさらTOIECを受けてどうするのかといわれたらそれまでだが、次回の5月の試験を早速申し込んだ。結果は一ヶ月以内に連絡があるが、勘だけで回答しているのも多く、点数は全く予想がつかない。NOVAでの模擬試験の時には900点近くまでいったが、この時は勘がたまたま当っていただけのような気もする。ヒアリングでも、ゆっくりと考えている暇がない。迷っているうちに次の問題に進んでしまうので、あらかじめ質問を見ながら聞くなどこつが必要である。筆記問題で回答しているうちに、問題の番号と回答用紙の番号がひとつずれているのに気がついた。あわてていくつかもどって書き直したが、どこからずれてしまったのかよくわからない。
 会場にはTOIEC用の教習本を持ち込んでいる人もいたが、この問題は教科書だけでは解けそうもない。それこそ英語の総合力を要求している。一度本屋でTOIECの本を立ち読みしたが、イディオムなどを端から苦労して覚えても、どこまで役にたつのか疑問である。今回はいつもよりCNNを見るようにしThe Japan Timesも読むように心がけたが、忙しかったり、やる気が出なかったりで、あまりできていない。CNNも何を言っているのか、あまりよくわからないが、とにかく1時間でも見続けることはできる。英語が上達するには、どこかで英単語の無差別攻撃を受けなければならない。
 毎年4月になると、NHKの語学講座が始まる。中国語かロシア語を始めてみたいと思うが、英語でさえ毎日30分もできていないので、無理である。将来は一人で旅行してみたいと思っているので、中国語もロシア語も簡単な会話だけは習いたい。以前に勤めていた病院で、家での夕食時にTVは必ずNHKの語学講座を見ている小児科の先生がいた。つきあわされる家族も大変であるが、スペイン語からロシア語まで、すべての講座を見ていた。いろいろな勉強の仕方があるが、今は他の言葉には浮気せず、次回のTOIECには本気モードで再チャレンジしようと思う。

平成16年3月30日(火)

 精神科の医局にはいった時に、内科に行った友人から、精神科は人が死なないからいいと言われた。確かに、脳出血や心筋梗塞などで死ぬことはない。しかし、自殺という手段でたくさんの患者さんが亡くなっている。
 先週警察から電話があった。私の診ている若い女性がマンションで亡くなっているのが発見された。これまでにも、数え切れないほど、大量の薬を一気飲みしたり、リストカットを繰り返していた。私にも両親にも攻撃的になり、なかなか対応の難しい患者さんであった。境界性人格障害の特徴をいくつか持っている人であったが、はっきりと断定できないほど、他人に対しては抑制力を持っていた。診察では私には攻撃的になるが、その場限りのあっさりしたもので、電話も2年間に1回あっただけである。毎回会うたびに死ぬ死ぬと言っていた。大量服薬するたびに自ら家族に電話し、家族がマンションにのぞきに行っていた。今回も同じパターンであったが、自殺というより事故の可能性も高いと思う。今の薬は安全でなかなか死ねず、たくさん飲んでもただひたすら眠るぐらいである。せいぜい1〜2日して目が覚める。ただ、寝ている間に食べ物をもどしたりすると、気道につまることがある。冬にふとんや暖房なしで寝入ると危険である。
 自分の患者さんが自殺などで亡くなると、悲しみだけでなく複雑な思いにかられる。患者さんが亡くなると、必ず警察から問い合わせがあるので、誰が亡くなったのかすぐわかる。私の診療所でもこれまでにも何人か自殺している。自殺する人はほとんど予測できなかった人ばかりである。ある時、自殺が2件続いたことがある。二人とも意外な人だったので、しばらくはどの患者さんを診ていても自殺するのではないかと心配になるほどであった。自殺を防ぐためにはできる限りのことをしなければならないが、それでもこぼれ落ちてしまう患者さんがいる。こんなことを書くと誤解を招くかもしれないが、どんな名医でも末期のがん患者さんを助けることができない。同じように、一生懸命治療していても、中には手遅れの患者さんもいるかもしれない。
 今回のように何回も大量服薬したり、リストカットを繰り返す人が実際に亡くなることは稀である。私の勤務していた京都第一赤十字病院には救急救命センターがあり、京都の病院では救急を扱う数は飛びぬけて多かった。だから、自殺未遂の人がたくさん搬送されてきた。それこそ、清水の舞台から飛び降りたり、出刃包丁で心臓を突き刺したり、割腹自殺をこころみたりとありとあらゆる患者さんが入院してきた。他の精神科にかかっている人で、何回もリストカットをしては、救急で縫合に来ていた人がいた。ある時大量服薬をして、経過観察のため救急病棟に入院になった。ところが、その日の夜中に処置用のレールにひもをかけ、首をつって亡くなってしまった。外科の先生は毎回毎回手首を切って来るので、全く自殺の予測ができなかったという。自殺を未然に防ぐことも、自殺未遂の後の対処も難しい。マンションの屋上から飛び降りて、全身骨折で入院してきた中学生がいた。患者さんが動けるようになると、いつも私の出番である。実際に会って話すと、患者さんはけろっとしている。そのままリハビリをして、元気に退院していった。中には救急室で意識がもどり、薬では死ねないことがわかり、退院した後すぐに農薬自殺した人もいる。いつまでどこまで、患者さんと関わっていくのか、いつも悩むところである。
 今回のように患者さんが亡くなると、今まで忘れかけていた他の自殺をした患者さんを思い出す。いろいろな思いがよぎるが、この仕事をしている限りはこれからもその重さを引き受けていかなければならない。

平成16年3月23日(火)

 「白い巨塔」が最高視聴率で最終回を終えた。連続TVドラマは昔から見たことはないが、この番組だけは録画に失敗した2回を除いて、すべて見た。細部については多少無理な展開もあったが、全体的には見ごたえがあった。家内に聞くと、最終回は悲しくなるので見ていないという。私の両親はまだ健在であるが、家内は結婚当初に父親を同じくガンで亡くしている。
 医学部だけが特殊の世界のように描かれているが、大きな企業でも官僚の世界でも似たようなことは起こっていると思う。たまたまきのう見ていた番組で、爆笑問題が司会で医学部教授を頂点とする医局を取り上げていた。大勢のゲストの医師たちがいろいろ言っていたが、もうひとつ上手に言いつくせていなくて、もどかしい思いをした。その点「白い巨塔」は無理な隠蔽工作を除いて、医学部の実態をかなり正確に示していた。
 医学部に行く学生は金持ちに見られやすいが、私が入学した頃は貧しい学生も多かった。番組では財前も里見も互いに奨学金で通ったことになっている。私は昭和54年に京都府立医科大学を卒業した。当時の府知事は蜷川氏で、革新系知事の功罪はいろいろとあるが、国立大学や他の公立大学が段階的に授業料を上げている時に、最後の最後まで授業料を上げなかった。もう25年も前の話であるが、当時の授業料は月千円であった。実習費として年間8千円取っていたので、合わせて1年間に払う授業料は2万円であった。入学金も私は長野県だったので、府内の者より少し高かったが、それでも安かったと思う。8万円もかからなかったと思うので、医学部6年間で合計20万円も払っていない。いつも教授からは幼稚園よりも安いと言われていた。当時日本で一番安い授業料で医学部を卒業できたことは私の自慢であるが、京都府には今でも感謝している。
 授業料に比べ、医学部の教科書は高かった。学生の中には教科書が買えず、先輩のを譲り受けたりする者もいた。1年後輩に母一人、子一人の貧しい学生がいた。クラシックが好きで、医者になったら月1枚のCDを買うのが夢だと言っていたのが、今でも強く印象に残っている。現在は日本も階級社会になって、ある程度裕福でないと、塾にも通えず、有名私立高校の授業料も払えないと言われている。私の家は経済的には中の下ぐらいであったので、ハングリー精神は人一倍強かったと思う。階級社会になって、ハングリー精神を発揮できない社会はまずいと思う。「TVタックル」でよく出てくる元東大助教授で今は国会議員の舛添氏は九州の極貧の家庭出身であるが、誰でも機会の平等は保障されなければならない。
 ハングリー精神と上昇志向は表裏一体であるが、最初から医学部の教授を目指すことはハイリスク・ハイリターンだと思う。前にも書いたが、医学部教授になるには、今の教授とは最低10年以上離れていないといけない。じっと耐えて教授のイエスマンに徹し、夜遅くまで論文を書き続け、やっと助教授になっても、最後の最後でひっくり返されたら、その挫折感は想像を絶する。実際に身近でもそんな人は大勢いる。それに比べたら、私は教授から離れていたので、運がよかったと思う。近ければ近いほど、愛憎半ばとなりやすい。番組では財前の義父がいつもお金で解決しようとしていたが、教授より成功した開業医の方がお金持ちである。ここが理解できない人がいるが、教授になるのはお金が目的ではない。研究者としての名誉である。官僚になる人も、安い給料で予算折衝にサービス残業で徹夜同然で何ヶ月も働くのは名誉のためである。
 それにしても、25年前の番組がリメイクされても少しも古さを感じさせない。また、20年ぐらいしたら、リメイクされて放送されるかもしれない。その時まで自分はガンで死なないでいられるのかと、ふと思ったりした。

平成16年3月16日(火)

 今週は患者さんのことでいろいろあり、かなりの神経を使った。どのくらい神経を使ったかと言うと、もう医院を閉じて廃業したいと思うぐらいであった。どんな仕事についていても、もうこの仕事をやめたいと思うことはあるが、私も精神科医を25年近く続けてきてこれまでに何回もある。弁護士でもないのに、いくら説明しても、法律的なことを根掘り葉掘り聞かれたり、毎回毎回ただ死にたいと訴えられたり、それなりに大変なことはたくさんあるが、この程度のことはプロとしてきちんと対処しなければならない。
 開業して一番大変なのは、やはり危ない患者さんの対応である。手首を切ったり、大量服薬をする患者さんも大変であるが、まだそれほどあからさまに他人を巻き込むことはない。いろいろな事件があると、センセーショナルに報道されて、統合失調症の患者さんなどが誤解されやすいが、人に危害を及ぼすことは極めて稀である。絶対にないと書けないのは、一般の人も絶対に安全とは書けないのと同じである。もともと暴力的な人がこの病に陥ることもある。むしろ、今問題になっている虐待などをする親は普通とみなされてきた人たちである。凶悪犯罪も、決して精神障害の人たちが起こすわけではない。それでも、これまで長いこと臨床をやっていると、危ない患者さんがいるのも否定できない。
 総合病院や精神病院に勤めてきて、どんな危ない患者さんにも強気で対応してきたが、開業してからは事情は違ってきた。人数は少ないが、薬物依存や人格障害の患者さんの一部にはすごく神経を使う。これまで心療内科や精神科は元手はかからず、患者さんさえ確保できれば収入もいいと、いいいことづくめのことばかり書いてきたが、本当にこちらの神経をすり減らして、ぎりぎりのところで対峙しなければならない患者さんもいる。
 私は以前にも書いたが、薬物依存が専門で、精神病院にも勤めたことがある。組関係の覚醒剤中毒の人が入院してきて、組の幹部会があるので外出させろと脅されたり、アル中の人が開放病棟からの外出で、酒の臭いをぷんぷんさせて帰ってきて、「酒は飲んでいない。証拠を出せ」と言ってしらをきり、閉鎖病棟に入れる時に殴られたこともある。総合病院でもこれまで日赤を含め、4つの病院を経験しているが、いろいろな患者さんが入院してきて、それこそ大変な患者さんはすべて私のところにまわってきた。私はいつも精神科は総会屋などを相手する診療科の総務と同じではないかと思ったりする。
  ある総合病院で、救急で腹痛を訴え、入院してきた患者さんがいた。ある地方から流れてきた元組員で、結石などの痛みに用いる強力な鎮痛剤であるソセゴン中毒の人であった。入院するなり、いきなり大量の家財道具いっさいを病院に送りつけてきた。身体中刺青だらけで、話し方などもすごい迫力であった。病院を旅館と勘違いしているのか、しばらくはここにいると勝手に決め、もちろん院内では好き放題である。ソセゴン中毒の人にソセゴンを注射するわけにはいかないが、要求するたびに私が呼び出されるのである。注射を打ってくれないとわかると、今度は近くの病院に行って、ソセゴンを打ってくれと要求する。あちこちの病院から、ソセゴンを打っていいかと電話で問い合わせがあり、この電話もすべて私のところにまわってくる。私は薬物依存の人に対しては徹底的に鍛えられ、海外では危ないところでもどんどんいくタイプなので、こういう患者さんは特にこわいとは思わない。恐喝専門みたいな人で、私にも法律ぎりぎりのところで脅してくるので、私も強気で法律のぎりぎりのところまで言い返していた。そのうち私を呼んだらけんかになると嫌って、後輩の女の先生を呼び出すようになった。最後はすったもんだして病院から追い出すことができた。私は転勤になったが、その後後輩に聞いたら、この人が流れていった次の所で殺人未遂事件を起こし、警察が病院まで事情聴取に来たという。
 今回も薬物中毒の人で、日赤から私を慕って通院してきて来ているのはいいが、院内で他の患者さんとトラブルがあった。今でも殺人未遂を起こした人についてはこわいとは思っていないが、他の患者さんとのトラブルや近所の人に迷惑をかけることについてだけは、何がなんでも未然に防がなければならない。この患者さんはすぐにきれやすく、なかなか説得してもいうことをきいてくれず、久しぶりに本当に疲れた。暴力団などの人たちはそれなりの意図に沿って行動しているが、一部の患者さんの中には後先のことも考えず、衝動的に行動し、他人を巻き込んで破壊的になり、それでも自分のしたことを自覚できない人がいる。なんとか解決したが、こちらがつぶれそうになるぐらいのストレスであった。

平成16年3月9日(火)

 確定申告の期限が迫っている。全部税理士に頼んでいるが、今年の分は済んで後は書類を税務署に届けるだけである。収入としては去年より1割ちょっと増えている。第一日赤の時よりは実質的に軽く倍を超えている。自営でやっているので、適正な収入はわからないが、多いと思う。時々TVで、商売で大成功して、御殿みたいなところに住んでいる人が紹介されるが、あの人たちとはもちろん比較にならない。以前に開業していた同級生が、医者は小金持ちになれるが、本当の金持ちにはなれないと言っていたが、上を見たらきりがないだろう。
 私の生活はどう変わったかというと、それほど変わらない。昼は相変わらずコンビニで買ってきたものを食べているし、そんなに贅沢をしているわけでない。唯一贅沢をしたといったら、車を買い換えたぐらいである。10年間近く乗っていたカルディナは、妻が門にぶつけ、私も壁にぶつけ、最後は修理にも出していなかったが、新しい車に乗り換えた。最高級車ではないが、日赤に勤めていたら永遠に買おうとは思わない車である。前にも書いたが、自宅の車庫は狭いので、マークUやクラウンははいらないので、高い車といっても限度がある。ベンツに乗ったりしている人がいるが、税金対策で乗っている人も多い。私はサラリーマン生活が長かったのでよくわからなかったが、通勤や仕事で使う車は経費として税務署も認めてくれる。だから、中には税金で持っていかれるならといって、ベンツに乗り換える人もいる。出張などで高級ホテルに泊まるのも、経費で落とすためである。本人がベンツに乗りたいとか、高級ホテルに泊まりたいとかは別である。だから、ベンツに乗っている人に「すごい車に乗っていますね」と言ったら、「税金のことを考えたら、1千万のベンツを2千万で買っているようなもの」と言われたことがある。
 もちろん、私の収入はそこまではいっていない。商売をやっている人についてはよくわからないが、開業医の場合は美容整形などの自費診療をしない限り、収入はガラス張りである。ほとんど保険収入なので、収入をごまかすことはできない。私のところは院外処方で、看護婦さんもいないので、大きな経費としては受付けの人の人件費と建物の償却費ぐらいである。息子にも特に継いで欲しいとは思っていないので、これ以上医院を大きくするつもりはない。心療内科は高価な検査機器もいらない。その分、償却が終われば、今度は税金がたくさんかかってきそうである。その時に経費として落とせるのは、本当に車ぐらいしかないが、私にはベンツの趣味はない。そういえば、昔ジャニス・ジョプリンの歌に「ベンツがほしい」という曲があったが。
 不景気な時に贅沢な悩みを言っているが、実は私は43歳の時に無一文になっている。どういうことかというと、この時は神戸の社会保険病院に勤めていたが、京都の自宅のローンと賃貸マンションの家賃と両方を払っていた。京都の自宅は昭和63年末に購入したが、まだバブルの途中であった。この時は最初に住む所を買う年齢と重なっており、株も何もやっていなかったので、バブルの恩恵を受けることもなく、貯金と親から借りたお金を頭金にして、小さな家を買った。ところが、バブルがはじけて、自宅の価値はどんどん下がり、ローンと家賃の二重払いを強いられていた。大体医学部の出世で言うと、大きな総合病院の部長になると、双六の上がりみたいなもので、後はこのまま定年退職まで続けるか、どこか精神病院の院長か副院長の話があるか、開業するぐらいであった。京都に戻る可能性はほとんどなかったので、自宅を売ることにした。結局いろいろ計算したら、当時のローンの金利も高く、手数料なども含めたら、4千万円ぐらいの損失であった。43歳の時に売り、手元に残ったのは1千万円であった。しかし、この1千万円も親から借りた金額そのものであった。だから、家を売った時には、本当にまったくの一文無しになっていた。
 その年の年末に教授から日赤の部長の話があり、また京都に戻ったが、1年ほどは家賃ぐらしをした。今は収入は多くなったが、バブルの時の4千万円を取り戻し、診療所の借金と25坪ほどの自宅のローンを返し、まだ小さい子ども達を一人前にしたら、私の人生は終わりそうである。

平成16年3月2日(火)

 この前の週末は久しぶりに家族で鳥羽まで行った。下の息子がまだ小学3年生であるが、4年生から塾に行くことにした。上の娘は小学5年生から行ったので、1年早い。小学4年生からといっても実際には春休み前から始まるので、これからは家族で遠出するのが難しくなる。長野県の実家には、両親も年をとってきたので、年に2回は帰って欲しい。私の仕事とは関係なしに妻と子どもだけで毎年春休みと夏休みに帰っているが、二人とも塾が始まるので、今年は春季講習をそれぞれ1回休んで3日帰るのがやっとである。
 そんなことで、家族で行ける時に行こうと思ったが、今回は近鉄を使って行った。鳥羽はこれまで車で何回か行ったが、けっこう遠い。近鉄では2時間ちょっとである。車を運転するのは、実家に帰る時を除いて、2時間が限度である。あちこちまわる時には車が便利であるが、これ以上超える時には電車の方が楽である。今回の目的は伊勢エビと温泉で、スペイン村は省いた。ちょうどリニューアルか何かで休園していたが、子ども達も目がこえてきて、最近はあまり行きたがらない。USJでさえ飽き気味になっているので、アトラクションでなく、何か他のことで惹きつけないと苦しいだろう。
 旅館は豪華で、あまり高い所に泊まったことはないので、今まで泊まった中では最高のクラスであった。露天風呂がたくさんあり、部屋からは海が望めベランダにも露天風呂がついていた。いつもとそれほど変わらないパック料金だったので、お得感はあった。料理も悪くなかった。家族旅行はたまにはいいが、夜は枕があわずに困る。ふだんはよく眠れるが、旅館やホテルの枕は苦手である。固め低めの枕があっているが、どこもそんな枕は置いていない。眠れるのは眠れるが、眠りが浅く翌日は必ず肩が凝る。下の息子は相変わらず寝相が悪く、学校の泊りがけの行事が心配になるほどであった。
 翌日は大雨で、鳥羽の水族館に行った。「ファインディング・ニモ」にちなんだイベントをやっており、子ども達には好評であった。雨が降っていたのと日曜日が重なり、かなりたくさんの人が来ていた。水族館の中でスタンプラリーをやっていたが、二人ともスタンプを見つけてはうれしそうに押している。こういうところはまだ子どもである。上の娘は最近ブランドに目覚めてきて、メゾピアノに凝っているが、着るものももうちょっと子どもらしくしてほしいと思う。それなりに楽しんだが、さかなマニアでもないので、海遊館も含め水族館は年に1度でいいだろう。
 昼はメイン道路から少しはずれた料理店にはいった。観光客がよくはいっている食堂でなく、せっかく来たので少しおいしいものを食べたいと思った。海鮮丼などを頼み、伊勢エビの造りも頼んだ。一匹3800円であったが、旅館で出てきたものより大きく、刺身も倍ぐらいあった。頭の方はまだ動いており、新鮮そのものである。最後にサービスとして塩ゆでもしてくれ、大満足であった。おなかもふくれ、最後はいよいよ真珠である。私の家内は公務員の娘で、いつも安くついていいと思っている。たまたまTV番組で、20万で買ったダイヤがいくらになるかやっていたが、二束三文にしかならないのを見て、高い宝石を買うのはばかばかしくなった。この番組以降、宝石はデザインで楽しむように家内には言っている。それにしても、どこに行っても真珠だらけである。鳥羽の水族館でさえ真珠を売っており、コンビニでも売っているのではないかと錯覚するほどである。結局2万もしないネックレスを見つけてきたので、それを買ってやった。帰りの電車の中で見せてもらったが、小さなトンボを二匹あしらっていて、いいと思った。

平成16年2月24日(火)

 毎年冬は外来患者数は少なくなるが、今年は1月も2月も多い。時々ヘビー級の新患の人も来て、このまま増え続けていくのはよくない。最近は午前中の患者さんが少ない日でも夜診が増え、土曜日も以前と比べて増えてきている。心療内科は1回だけの診察で終わる事は少なく、どうしても長期の通院が必要になる。内科などと比べたら新患の数は少ないが、時間とともに着実に増えていく。
 患者さんの数をある程度制限する方法は二つある。一つは、新患の人を予約制にして入口を狭くすることである。実際に新患の人は予約制にしている医院も多い。もう一つは、安定している患者さんには長期投薬をすることである。少し前までは、精神安定剤や坑うつ剤は1回で処方できる日数が2週間までとなっていたが、今は原則的に制限がなくなっている。ただ、唯一ハルシオンやレンドルミンなどの睡眠導入薬だけは2週間という制限がついている。睡眠導入薬が1錠ぐらいの人には、1回2錠として4週間分にすることもできる。これは倍量処方といい、医療法上は違反で、不正請求になる。不正請求というのは、実際にやっていない処置などを保険請求することをいう。2週間しか処方できない薬を倍にして出しても同じである。患者さんは医療費の3割が自己負担であるが、結果的には医療機関が後の7割を保険の支払い側に不正に請求したことになる。それでも、学生さんが夏休みに家に帰る時などは、多めに出すこともある。1回の睡眠導入薬の数が多い人は、倍量処方は出しにくい。どうしても多めに出さなければならない時にはまだ裏技もあるが、ここではどんな方法か秘密にしておく。裏技でも、例えば1回しか受診していないのに、別の日にも来たことにして、2回分として出したらまずいだろう。だいぶ昔に東北大学でこれをやり、不正請求として大々的に摘発された。1回分の診察で、2回分の診察代を請求することになるので、誰がみても詐欺行為である。なぜ、大学病院でこんなことがまかりとおっていたかというと、東北地方は冬は雪に閉ざされるところが多く、患者さんはそう何度も薬を取りに来れないのである。薬が取りに来れなくなって、病状が悪化するのもよくない。不正請求といっても、その中身はさまざまである。
 開業してまだ3年にもならないので、とりあえずは新患の人を制限するのではなく、安定している人は長期投与に変えていこうと思う。ある院外薬局の人に聞いた話であるが、大病院の院外処方で、180日分の処方があったという。制限がなくなったので、何日でも出せる薬も出てきたが、1回の診察で半年分の処方は極端である。自分の担当の患者さんが多すぎて一人でも減らしたいという気持ちはよくわかる。しかし、医者として責任を持って処方できるのはせいぜい1ヶ月分ぐらいであろう。話は変わるが、院外処方と院内処方の違いは何かと言うと、薬代は変わらないが、処方料などで院外の方が高くなる。わざわざ他の所まで薬を取りに行って、値段も高くついて何が患者さんのメリットかというと、医者側は薬での利益に悩まされず、自分の思ったとおりの処方ができることである。どういうことかというと、医院の経営のために、それほど必要のない薬を出す必要もないし、知らず知らず利益の出る薬に偏ることもない。また、自分の医院で薬をそろえるとなると、数が限られてくる。患者さんの希望する薬がない場合は、院内の限られた薬の中で選択するしかない。
 きょうは患者さんの数が少なかったが、2年間のデータはそろっているので、このまま患者さんの数は確実に増えそうである。私ぐらいの医院では正直に言って、今ぐらいの人数で充分である。前にも書いたが、医院にかかってくる電話はすべて私が取って対応している。この前も、診察中にかかってきた電話を直接私が取っているのを見て、医療関係の患者さんが驚いていた。これができなくなるぐらい増えてくるのは困る。長期投与の裏技もあまり使いたくないが、あまりにも増えてくるようなら、使わざるをえないかもしれない。

平成16年2月17日(火)

 外来をやっていて、最近はなんでもありで、少々の事では驚かなくなっている。心療内科はある意味では、時代の最先端を反映しているのではないかと思う。セクハラ、不倫などは日常茶飯事である。風俗の子も来れば、舞妓見習いも来れば、大学教授も来る。心療内科と言っても、精神科の隠れ看板ではないかと偏見を持つ人もいるかもしれないが、今ではごくふつうの人が大勢受診してくる。
 心療内科だけは、大病院から開業しても唯一患者層も診療内容も変わらない科である。神戸の社会保険病院に勤務している時に、同級生の整形外科の部長が開業した。総合病院の整形外科もかなりハードな仕事で、言葉のはしはしにかなりのストレスがたまっていることが感じられた。患者さんには人気のあった先生なので、開業当初からたくさんの患者さんが押し寄せ、医院の経営も順調で当初はすっきりとした顔になっていた。ところが、しばらくするとあまりさえない表情になっている。どういうことかというと、毎日毎日腰が痛いというお年寄りばかりが来て、診察していてもあまり面白くないのである。たまに、珍しい疾患を疑っても、MRIもないので結局自分の勤務していた大きな病院に任せるしかない。これまではすぐに手術もできたが、手術の腕を発揮する場所もない。結局、簡単な病気しか扱えなくなる。これは外科の医者にもいえる。開業して、大手術をする設備までは整えられない。いくら乳がんの専門医でも、開業したらなかなか手術をする機会はない。
 ごくふつうの風邪を診察したり、血圧を測ったりすることも大切であるが、毎日毎日そんな患者さんばかりでは飽きてくる。他の科では高度な検査や治療ができなくなり、開業すると何か物足りなくなるのである。その点、心療内科は検査や手術もないので、まったく変わりない。大病院であろうと、医院であろうとすべて同じである。そして、心療内科や精神科の特徴として、薬物療法は決まっていても、精神療法に関してはその医者それぞれの治療法がある。最近手首を切るリストカットの患者さんが多いが、決まったいい治療法がない。過食に関しても同様である。浮気をして葛藤している患者さんにも、その人の納得する答えを見つけてやらなければならない。こういう奥の細道にはいるのをいやがる精神科医もいるが、私は答えのない答えを患者さんと一緒に考えていくことにやりがいを感じている。
 私はいい精神科医とは、一度自分のアイデンティを捨てて新しい自分を築き、その場その場でその患者さんになりきれる人だと思っている。どういうことかというと、これまでの自分のアイデンティを一度捨てきらないと、ただ自分の価値観を患者さんに押しつけるだけになりやすい。アイデンティティというのは、多かれ少なかれその人独自の偏見と独断が含まれている。たとえば、夫の浮気で悩んでいる患者さんが来た時に、男もたまに浮気すると考えるかもしれない。その時に、自分というものを失わず、かと言ってだだ患者さんに迎合するのではなく、その場その場でその患者さんになりきって、最善の方法を考えていくことが大切である。だから、浮気している夫に悩んでいる妻には、妻の言い分に納得するし、浮気して罪悪感に悩んでいる夫には、夫の言い分に納得する。そして、どうしたらいいか一緒に考えていく。
 年をとってくると、上手にごまかす方法だけは身についてくる。どこまで患者さんとつきあっていけるかが、その医者の器量だと思う。最初に書いたように、開業したからと言って、患者層も治療法も変わるわけでない。逆に考えたら、年をとっても決して楽になるわけでもなさそうである。ある程度年齢がいったら、あまりにも込みいった複雑なケースはパスして、腰痛や風邪の患者さんを診るぐらいがちょうどいいのかもしれない。

平成16年2月10日(火)

 きのうは医師会の医療安全対策委員会の集まりがあった。各科の代表が集まり、私は精神科の代表として参加している。遠くから参加する先生もいるため、午後2時半から始まる。私の外来は夕方は4時から始まるが、中には3時半ごろから来る患者さんもいて、なるべく早く帰らなければならない。
 この会議は大体毎月一回あり、4時までに帰れるようにいつも中途退席する。たいくつな会議も多いが、この会議は各科の事情も聞けて、それなりに参考になる。きのうは2月28日に行われる医療安全シンポジウムについて、各科から意見が求められた。医師会に寄せられる患者さんからの苦情などをこれまで検討してきたが、今回は医療裁判を扱っている弁護士や医療問題を扱っている市民団体の代表や医師会の理事が参加して、それぞれの立場から意見を述べ、パネルディスカッションをする。
 この時に、本来の医療事故と治療に伴うリスクを分けて考えるように伝えた。どういうことかというと、本来の医療事故とは、手術中に間違えて他の血管を傷つけたり、血液型を間違えて輸血したりすることである。治療に伴うリスクとは、例えばどんな手術でも多かれ少なかれ危険が伴う。薬に関しても、いろいろな副作用がある。前者の安全対策と後者の安全対策はおのずと違ってくる。前者の場合は、同室に同姓の患者さんがいたら、看護婦同士で下の名前を使うなど工夫が必要である。後者の場合は、医療事故ではなく、合併症や副作用の問題で、インフォームド・コンセントが重要になる。患者さんの場合はその区別がつかないので、不幸にも自分にとって不利益なことが起こると、医療事故と考えてしまいやすい。
 皮膚科の先生の話では、レーザー治療では、副作用として黒ずんだりすることもあるという。最初から何パーセントの危険度があると説明して同意を得ても、患者さんにとって不都合な事が起こると訴えられると言う。麻酔科の先生の話では、インフォームド・コンセントも大事であるが、麻酔は危険を伴うもので、きちんと説明したら、誰も手術は受けなくなると言う。産婦人科の先生の話では、陣痛促進剤を使って赤ん坊が死亡したら、裁判では絶対に勝てないという。そのため、訴訟も多いので、個人の医院は出産を扱わなくなり、大病院に任せてしまうと言う。
 精神科関係では、私は今まで大きなトラブルに巻き込まれたことはない。精神病院では、入院患者さんが自殺した時に問題になる。患者さんが無断離院して、一般の人を傷つけたりした場合も、病院の責任が問われる。話がそれるが、精神障害者が事件を起こすと、マスコミでセンセイショナルに取り上げられるが、精神障害者だから危険であるというわけでなく、もともと危険な人が精神障害にかかることもある。心優しい人ばかりでなく、精神の障害は誰にも等しく降りかかる。正常の人にも、危険な人物がたくさんいるように、たまたま危険な人物がこの病にかかることもある。よく言われることであるが、一般人よりも精神障害者の犯罪率は低いのである。
 「白い巨塔」を見ているが、患者さんからあんなこわいことはあるのですかと聞かれることがある。外科の専門でないので、詳しい事はよくわからないが、胸部写真の陰影を転移と判断せず、肺炎と判断して手術したことが問題になっている。隠蔽工作から比べたら、そのことは大した問題でないと思う。今は無理な隠蔽工作より、すぐ示談にもっていくのではないか。昔と比べて、大学病院でも最近は訴えられる事は多くなっている。日赤にいる時には、カルテの修正は二本線で消し、カルテの間は空けずに詰めて書くように指導されていた。検査表などを貼る時にも、必ず上の部分だけで、カルテを隠すような貼り方はしないように言われていた。訴えられた時に、カルテの改ざんを疑われないためである。ドラマとしては面白いが、細かく見ていくと、他にもいろいろな疑問点に気がつく。

平成16年2月3日(火)

 最近外来をやっていて、リタリンについて聞かれることが多い。少し前のNHKで特集をしていて、夜7時半からだったので、大勢の患者さんが見ていた。私も朝刊のTV欄で知っていたが、朝ばたばたしていて、ビデオに録画するのを忘れてしまった。だいぶ前のNHKの夜10時からのニュースではリタリンの特集をやっていたが、患者さんにとってはかなりショッキングな内容であった。
 精神科の中にはリタリンは絶対に使わない医者も多い。以前睡眠導入薬であるハルシオンの害がいろいろと取り上げられ、ハルシオンは絶対に使わないという医者もいる。私はどちらかというと、患者さんにとって有益なら、リタリンもハルシオンも使う。私が見た番組では、医者が若い男性に処方し、薬を求めて外来で押し問答になるので、ついつい出してしまったと述べていたが、医者失格である。私は前にも書いたが、薬物依存の専門である。それでも、患者さんにとって必要な時にはリタリンを処方する。
 リタリンを処方するにはいくつかの原則がある。まず、若い人には絶対処方しない。若い人は即時的な気分の改善を求め、大量に服薬しやすい。精神安定剤や睡眠導入薬でも、一気飲みするのはほどんど若い人である。次に、市販の頭痛薬などを1日に何回も服用するような人には出さない。自分から出して欲しいという人にも絶対出さない。以前に覚醒剤中毒の二十代の女性が受診してきた。仲間が警察に捕まって、覚醒剤が手に入らず、気分が落ち込んでいらいらするという。以前に受診した診療所でリタリンを出してもらったので、処方して欲しいと頼んできた。もちろん、断って他の薬を出したが、1週間ぐらいして警察からこの人のことで問い合わせがあった。自殺しているところを発見されたという。ヘロイン中毒の治療としてより害の少ないメサドンに置き換える治療法があるが、リタリンは覚醒剤の置換療法にはならないだろう。一番大事なのは、リタリンは安易には処方せず、最後の方の選択として使う。薬を出す時にも、最初は必ず朝1錠から始める。
 うつ病を治療していて、どんな薬を出しても改善しない人がいる。わずかな坑うつ薬でもすぐに眠気やだるさが出て、何をやっても改善しない。そういう時にリタリンを少量使用すると、改善する人がいる。中毒になりやすいというのは、リタリンは即効性で、飲んだらすぐ効くからである。3〜4時間ぐらいすると、効果が薄れてくる。また、ずっと飲み続けていると、だんだん効果が弱くなって、薬を増やしたくなる場合もある。それでも、個人差があり、すぐに効果が薄れてくる人と、何年も飲み続けていても同じ効果を保つ人がいる。すぐに効果が薄れる人は増量するより、やめた方がいい。また、最初の効果を持続させるには、週1〜2回ぐらい休薬日を設けるのが理想である。今は週休2日制の会社が多いので、仕事が休みの時にやめさせたり、減量させたりする。そして、リタリンはうつ病の補助的な薬で、メインにしたら中毒になるとよく説明することである。たいていの患者さんは、中毒を恐れて、自分で加減したりする。リタリンを使っても、全く効果のない人も大勢いる。効いているか効いていないかわからなくなって、やめても特に大きな反動がくるわけでもない。効果が薄れてやめても、ちょうど薬の出し殻をやめるような感じになる。
 最近電気ショック療法が見直されてきて、難治性のうつ病の患者さんに用いられている。昔と違って麻酔をかけてやるので、診療所では無理である。患者さんのQOLを改善するために、リタリンを毛嫌いするのではなく、上手に治療に役立てたらいいと思っている。現に私のところでは、リタリンを上手に利用している患者さんは大勢いる。効果がある時にやめにくいのは、安定剤も坑うつ薬も同じである。症状が改善して、自分からやめてリタリンに頼らなくなる人もたくさんいる。

平成16年1月27日(火)

 この前の土曜日は京都精神神経科診療所協会の学術講演会があった。京都で開業している精神科医の集まりである。今年の4月からの保険点数の改定などが話題になった。どこの科でも自分のところの診療報酬がどうなるか最大の関心事である。私のところはデイ・ケアはやっていないが、デイ・ケアについては回数の制限や保険点数の引き下げなどが取りざたされている。4月の改定にならないとはっきりしたことはわからないが、今の経済事情を考えたら、デイ・ケアだけでなくある程度の引き下げはやむをえないと個人的には思っている。
 勤務医をしている時には、診療報酬についてはあまり関心がなかったが、開業してからは病院にいる時とのギャップに驚いている。どういうことかというと、総合病院で心療内科は外来しかなかったこともあり、毎月の診療報酬が他科と比べてとびぬけて低かった。検査はほどんどなく、薬も安く、もちろん手術などの処置もない。病棟もなかったので、入院費もない。大きな病院では実際にどの科がどの位の利益をあげているか計算しにくい。例えば、内科で血液検査を出しても、検査技師の人もその計算をする事務の人もいて、検査をする器械代もあり、実際に内科でどのくらいの純利益があったのかわかりにくい。CT検査を出しても同じである。病棟を持っていても、そこの看護婦さんなどの人件費なども計算しなければならない。そんなわけで、純利益でなくその科全体の収益で比較していたが、心療内科の一人の医師の売り上げは病院全体の医師平均の約三分の一であった。
 私は総合病院での勤務が長かったので、精神科関係は赤字部門と頭に刷り込まれていた。しかし、実際に開業してみると、まったく別世界である。開業するのでも、必要な医療機器は血圧計ぐらいである。看護婦さんも必要なく、逆に前の病院の患者さんからは看護婦さんがいなくて話しやすいといわれる。安い安いと思っていた保険点数も決して悪くない。私は最初からデイ・ケアはスペースがいるのでやる気はなかったが、調べてみるとデイ・ケアも10人前後の患者さんが毎日来るだけで、大変な収益である。前の病院では、小児科は月4回当直があって、他にも4回待機番があり、産婦人科も月5回ぐらい当直があったり、どの科の医者もみんな多忙を極めていた。医者だけは当直をしても次の日はそのまま仕事である。そこまでやっていても、毎年病院は赤字になるかならないぐらいであった。病院の場合はスタッフや建物や高価な医療器械にお金がかかり、維持費だけでも大変である。
 東山医師会の集まりなどで京都第一日赤の先輩の部長と話したりするが、みんな今の私よりけた違いに忙しく、給与は私よりはるかに少ない。ある科の部長が生死にかかわる病気になって入院したが、部長でも個室代は同じく請求され、決して優遇されるわけでない。公的な総合病院ではこんなに頑張っていても赤字すれすれである。今の保険点数は総合病院にとっては低すぎ、少なくとも精神科の医院にとっては充分すぎるぐらいである。保険点数は基本的には総合病院も個人の医院もほとんど変わらないので、そこをどう解決するのかは難しいと思う。なぜなら、総合病院でも個人の医院でも診療内容は変わらないからである。前にも書いたが、私も開業する前は、安い給料で飲まず食わずで朝から晩まで外来をしていた。それでも、医者一人当たりの収益は低く、随分と肩身の狭い思いをしてきた。
 開業してこれほど落差がある科はないと思う。将来どういう風に保険点数が変わっていくかわからないが、下がっても勤務医の時より給与が低くならなければいいと思っている。

平成16年1月20日(火)

 開業して2年半を過ぎると、医院の蛍光灯などが調子悪くなる。蛍光灯だけではなく、本体の照明器具がおかしくなる時もある。去年の暮れに受付けの蛍光灯がひとつつかなくなった。予備の蛍光灯が置いてなく、新しいのを買いに行ったが、特殊な蛍光灯らしく取り寄せになるという。仕方ないので、寺町まで行き、照明専門の店でやっと手に入れた。ところが、2本新しいのと取り替えても照明がつかない。最初はすぐについたのだが、スイッチを消してまたつけなおすと、少し光ってそのまま消えてしまう。何回もスイッチをつけたり消したりしていると、運よくつく時もあるが、すごく不安定である。幸い受付けにはもうひとつの照明があったので、手元に蛍光灯のスタンドを置いて、なんとか急場をしのいだ。
 こういう場合は医院を建ててくれた所に電話して修理を頼むのだが、現場に出て忙しいのか、なかなか来てくれない。1週間ぐらいして見に来てくれたが、本体の照明器具を交換しなければならず、取り寄せにまた1週間ぐらいかかってしまった。なんとか一段落し、やれやれと思っていたら、今年になってから今度は階段の照明がつかなくなってしまった。階段の照明はこれひとつなので、消えてしまったら昼間でも暗くなる。私の医院は1階が待合室で、2階が診察室である。最初の時に取り置いておいた予備の蛍光灯を付け替えてみるが、やはり不安定である。うまいことつく時とつかない時がある。なぜか蛍光灯を1回はずして付け直すとまたつくが、折りたたみ式のはしごに上って、いちいち照明器具のカバーをはずすのが大変である。ふつう本体の照明器具はあまり故障しないと聞いていたので、またも続いて一体どうなっているのかと思った。
 外来は8時45分からであるが、私は毎朝7時には家を出て、7時半前には医院に着く。最初に階段の照明をつける時がいつも冷や冷やである。うまいことついてくれるとほっとするが、なかなかつかない時には焦ってくる。朝一回つけたらそのまま消さずに、夜診の時間までつけっぱなしにしておいたが、一度受付けの子が朝の掃除をした時に間違えて消してしまった。ところが、その後なかなかつかないのである。患者さんも来始め、なんとかぎりぎりでついたが、とんでもないストレスである。また、最初の電気屋に電話をしたが、今度もなかなか来てくれない。階段の照明なので、代わりに電気スタンドを天井からぶら下げるわけにもいかない。
 トイレの照明も暗くなり、待合室の照明も暗くなったと受付けの子に言われたので、この前の日曜日にまた寺町の照明専門店に朝一番に行った。故障している照明器具のことを話すと、照明の電気工事もしていると言うので、早速頼む。不況のせいか、その日の昼にすぐ来てくれ、新しい器具と取り替えてもらった。待合室の蛍光灯6本とトイレの蛍光灯は自分で交換した。なんとかすべて解決してほっとする。
 総合病院で部長をしている時は心療内科や精神科のような弱小の科は医者は私も含め2人で、細かい雑用もすべてやり、常々部長兼小使だと思っていた。しかし、開業してからは医院のメンテナンスもすべて私がやらなければならず、やはり院長兼小使だとつくづく思う。これまで、トイレの水が詰まったり、裏の玄関に大量のゲジゲジみたいな虫が発生した時も誰も処理してくれないので、すべて私の出番である。かさばるので、トイレットペーパーが切れても買いに行くし、もろもろの雑用が山ほどある。この日は東山医師会の新年会で、舞妓さんや芸妓さんがたくさん来ていたが、もうひとつ華やかな気分にはなれなかった。

平成16年1月13日(火)

 新しい年を迎えて、早や2週間が過ぎようとしている。ただ毎日の診察に追われて一日一日が過ぎていくのもなんとなくむなしい。今年は自分の仕事以外に本格的に語学の勉強をしようと思う。ベトナム語や中国語にも手を出したいが、ここは浮気せずにもう一度英語をやりなおそうと思う。50歳を過ぎて、仕事以外に自分に何が残るか考えてみると、最近は英語しかないと思うようになった。写真や旅行も趣味であるが、自己流で本格的に深める余裕もない。精神科の先生には囲碁が上手な人が多いが、私はまったくだめである。ゴルフもやらないし、特に長いこと続けている習い事もないので、誰にも負けない何かとなると、やはり英語ぐらいである。
 英語はずっと好きで、趣味として長いこと勉強してきた。これまでかなり熱心に続けてやった時期もあればまったく何もしなかった時期もある。総合病院に勤めていた最近の9年間は忙しく、ほとんど何もできていなかった。語学の勉強はしばらくやらないと単語などすぐ忘れてしまう。見た覚えのある単語でも思い出せないとすぐいらいらしてしまう。常に英文を読んだり、ニュースを聞いたりしていないと、語学力はどんどんと衰えていく。フランスに留学した後輩の話では、日本に帰って何年かしたら、ほとんどフランス語が話せなくなったと言う。いくら昔熱心に勉強したことでも忘れてしまってはどうしようもない。
 開業して1年半ぐらいして、英語の勉強のために伊勢丹の上にあるNOVAに行った。この時にはまだ仕事をやめて2年たっていなかったので、教育訓練給付制度が有効であった。授業料の80%、最大30万円までが戻ってきたので、毎週1回8ヶ月ぐらい通った。この時最初に自分の実力がどのくらいあるのか、NOVAでTOEICの模擬試験を受けた。勤務医で忙しく長いこと英語の勉強をしていなかったが、思ったよりいい点数が取れた。TOEICはこの時初めて体験したが、最初の方は易しく、だんだんと難しくなり、最後の方は時間がなくなってしまった。結局ビジネスクラスにはいり、毎週通ったが、授業はあまり面白くなく、どれだけ力がついたかは疑問である。やはり、合間に熱心に勉強しないと効果はない。最後の方は20万円ほどの給付金を返してもらうため、出席数だけは満たさないといけないので、大学の授業のように無理して出ていた。
 この時も英語の勉強はこのNOVAの授業だけで、もちろん復習も予習もしていなかった。気が向いたときにCNNのTV放送を見たりするが、長続きしない。新しい年を迎えて、また本気で勉強しようと思う。英会話学校はあまり役に立たないので、自分の独力で頑張るつもりである。幸いTOIECがあるので、進み具合は点数でわかる。思いたって調べてみると、次回は3月28日に試験あり、早速申し込んだ。TOEICについては書店に行くとたくさん本が出ているが、600点クラスの本でも知らない熟語ばかりである。NOVAの模擬試験では信じられないほどの高得点を取ったので、まぐれでないかもう一度確かめたい。もし、またいい点数が取れるとしたら、細かい熟語などはあまり知らなくても、総合力はあるということになるだろう。今回もTOEICの教科書では勉強せずに、CNNとThe Japan Timesで頑張ろうと思う。TOIECについては公開日記で今回のように宣言をしないと、今年もまただらだらとすごしてしまいそうである。

平成16年1月6日(火)

 去年は藤原新也の写真展を祇園でやっていたので、12月の終わりに見に行った。写真集を買って帰って来たが、やはりインドのものが一番いい。アメリカや韓国の写真もあったが、初期の頃の写真が好きである。やはりインドという国の独特の風景や人物、空気にこころひかれる。どの写真も昔本で見たものばかりであるが、こうして大きく引き伸ばされて見ると、また印象が違ってくる。雨に煙るイスタンブールの写真もよかった。昔をなつかしく思いながら、カメラを片手に放浪の旅に出たいと思った。
 そんなことを思いながら、年末年始は私一人でまた海外に出た。バンコクで乗りついで目的の国まで行った。帰りも一旦バンコクに夕方着き、次の日に大阪まで帰る予定であった。その日の夕食は冷麺と餃子を食べ、サウナにはいって、タイマッサージを受けた。(もちろんトラディショナルである) 私は20年前のタイを知っているが、今とは随分と変わっている。日本もそうであったかもしれないが、昔は素朴で情にもあつかったと思う。若い頃はゴーゴーバーに行っても、日本人は誰もいなかったが、今はインターネットでも紹介され、若い日本人が大勢いる。今はどのゴーゴーバーでも「No Photo」と張り紙が出されているが、昔は鷹揚で何も言われなかった。私は基本的には何でも見てやろう、聞いてやろうなので、今はなき冷気茶室にも行ったことがある。もちろん見学だけであるが、今から考えると牧歌的なところもあった。AIDSがはやりだした頃、タイ人気資の時間観念で10年後なんて考えられないというのがあった。「サバイ」で今さえ楽しかったらいいで、AIDSの遅い発症はタイ人の時間感覚になじまず、大流行につながったという。
 私は南の島が好きで、藤原新也ではないが、写真は随分と撮りためている。近いうちにこのホームページとリンクさせて、公表していこうと思う。有名なセブ島やプーケット島から始まり、あちこちの島に行っている。フィリピンでアキノ大統領の夫が暗殺され、旅行会社には渡航禁止が出ている時にプエルトガレラまで行ったこともある。波止場にフェリーが停泊し、観光客が投げるコインを子ども達が潜って拾っていたことを思いだす。ハンドレッド・アイランドやサメット島にも行った。サムイ島は今では有名になり飛行機でも行けるが、昔はフェリーしかなかった。ピーピー島もレオナルド・ディカプリオの「ザ・ビーチ」で有名になりすぎたが、このふたつの島は休みが長くとれず、行けなかった。あまり観光地化されていない時に行っておけばよかったと、今でも後悔する。写真は生ものなので、過去にさかのぼって撮ることはできない。
 バンコクで一夜過ごし、翌朝帰国のためにタクシーで空港に向かった。高速道路で30分ぐらいで行けるので、空港には1時間前ぐらいに着くようにホテルを後にした。タクシーをひろって、高速道路に入ったのだが、スピードが出ないのである。タイには車検制度がないのかと、初めはそれほど気にしていなかった。随分使い古した車らしく、いやなエンジン音ばかりが響いている。日曜の朝で高速道路はすいており、どの車も速度制限無視で猛スピードで追い抜いていく。遅くても、ぎりぎり間にあったらいいと思っていたが、どんどんスピードが落ちていく。運転手はさかんに首をふったり、ギアを入れ替えたりしている。いやな予感がしていると、本当に高速道路上で車が止まってしまった。飛行機に遅れたら、明日の外来に間に合わない。高架上で降りることも他の車をつかまえることもできない。どの車もとんでもないスピードで走り去っていく。外に出て、恥も外聞もなくさかんに手を振るが、何台も無視される。ふとふり返って前の方に目をやると、一台のタクシーが止まってくれている。荷物を持って、なんとか乗せてもらえた。アトランタから来たカップルで、これから香港に行くという。ぎりぎりのところで本当に助かった。このホームページは見ていないだろうが、この場をかりて改めて感謝したい。
 これまでに飛行機に乗り遅れそうになったことは、他にも1回ある。だいぶ前のことであるが、プノンペンの市内から空港に向かう時に大渋滞に巻きこまれたことがある。川か湖でカヌー大会があった時で、空港への道が大渋滞でまったく動かなかった。タクシーの運転手はもう少し行ったらすくというが、ほとんど前に進まない。時間だけがどんどんと過ぎ、これ以上待てないというところまできた。さすがにタクシーの運転手も間に合わないと思ったのか、そばのバイクに交渉してくれ、荷物を抱えてバイクで空港に向かうことになった。運が悪く、雨が降り出し、どしゃぶりの中を猛スピードで走って行った。全身びしょぬれになり、やっと空港にたどりついた。搭乗手続きの時に、空港職員から「ぎりぎり間にあいましたね」と言われたことを覚えている。


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