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もんもん日記

ここではもんもん博士の日々のエピソードや思いついたことなどを日記でご紹介します。
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平成15年12月30日(火)

 27日で今年の診察はすべて終わった。去年と比べると、1割ほど増えている。来年は数を増やすより、質を充実したい。患者さんの数が増えてくると、どうしても数をさばく方に気が取られ、診察の方はおろそかになりやすい。私は前の病院では附属看護学校の委員をやっていたので、看護学校入試の面接試験も担当していた。この面接試験が1時半に始まるが、午前の外来をしてから遅れないように行かなければならない。面接日はあらかじめわかっていたので、予約の数は制限していたが、それでも新患を含めて53人を診察して面接に臨んだこともある。こういう場合にはカルテはいいかげんになりやすいが、私はまめなのでどんな人でも最低五行ぐらいは書いていた。長いこと総合病院で鍛えられているので、短い時間できれいな字できちんとカルテを書き、どんな患者さんでもそれなりの診察でさばいていくことはできる。しかし、開業の目的からはどんどんかけ離れていく。私のところは女子大も近いので、摂食障害の患者さんも多いが、来年は本腰をいれてやろうと思っている。
 精神科関係のクリニックでは、デイ・ケアなどを開いて統合失調症などの精神障害者の社会復帰に熱心な先生もいる。患者さんの置かれている境遇を改善するため、利用できる社会的資源や医療制度まで踏み込んで、熱心に行政に働きかけている先生もいる。私の専門は何かと言われると困るが、論文の数では薬物依存関係が多い。民間の精神病院にいた時には、アルコール依存や覚醒剤中毒の人などをたくさん診ている。精神科医の中で一番人気のない患者さんは、この薬物依存と境界性人格障害の患者さんだと思う。おそらく、精神科医の中でも本格的に薬物依存の患者さんを診ている人は少ないと思う。なぜかというと、民間の精神病院でも薬物依存の人は嫌って、なかなか入院させてくれないからである。私はいい経験をしたと思っているが、まったく無防備な自分の診療所で薬物依存の人を本格的に診るつもりはない。アルコール依存の人を専門に治療している先生もいるが、その大変さを知っているのでえらいと思う。
 私は総合病院が長かったので、一般の人のメンタル・ヘルスを専門にしたいと思っている。統合失調症や薬物依存の人ももちろん診察するが、それぞれを専門にしている診療所があるように、うつ病や神経症、心身症に重点をおいて診ていきたい。摂食障害については、以前から本格的にやりたいと思っていたが、あまり難しい患者さんばかりが集まってしまうと、私が消耗してしまうので、最初はあまり目立たないようにやろうと思う。パニック障害やうつ病の患者さんと違って、特殊な患者さんを専門にするのは、すごいエネルギーがいる。とりあえず、摂食障害は来年中には私の診療所の隠れ専門にしたいと思う。

平成15年12月23日(火)

 先週の日曜日は池田の妹の家に遊びに行った。今年の初めに以前から住んでいた家を建て替え、一度見に行きたいと思っていたが、なかなか機会がなかった。妹によると池田の高級住宅街だという。1年以上前の記憶を頼りに、迷い迷いながらやっとたどり着いた。カーナビは最新のDVDに入れ替えたが、個人の住宅には無力である。電話番号でも郵便番号でも検索しても範囲が広すぎて、なかなかわからない。
 大きな家であったが、家の値段そのものは聞いてみるとそれほど高くない。昼飯は幸い天気もよく暖かだったので、庭でバーベキューをした。敷地が80坪以上あるので余裕がある。子どもは一姫二太郎で、私の家族と同じ構成である。子ども部屋は私の家のリビングほどあり、大きな窓から明るい陽射しが注ぎ、娘はうらやましがっていた。妹の夫に聞いたら、借金は私よりかなりあるようである。妹のところはこの家を含め3軒持っている。昔は二人で小さな家を借り、塾を開いて質素な生活していたが、えらい違いようである。私が医者になりたての時にはどこかに出かける時は私の車を貸し、時には小遣を与えてすごく感謝されていた。
 当時妹の夫は司法試験を目指し、妹は経済学部の助手の席がなかなかあかず、本当に二人で貧しい生活を送っていた。二人で小さな塾を開きながら、司法試験に合格したら籍をいれるという約束であった。でも、夫はなかなか司法試験に合格せず、本当に何回も落ち、最後はいまさら就職もできず、あきらめて二人で塾をしながら生活をするというところまで追い込まれていた。結局ぎりぎりのところで合格することができ、今は夫が弁護士で、妹は経営学部の助教授である。
 私の長野県の実家は経済的には多分中の下ぐらいであったと思う。ただ、父親は教育熱心で、スパルタであったが、ふつうの家庭以上にお金はかけていた。中学の時は私より妹の方が成績がよかった。当時は長野高校が今以上に進学校として有名であったが、私は学力が足らず地元の高校に進学した。妹はこの長野高校に進学したが、通学には1時間に1本の電車で1時間かかっていた。冬は雪で閉ざされるので、冬の間だけ長野で下宿していた。私の地元の高校は、昔は旧制中学で進学校であったが、当時のトップクラスは千葉大の工学部に現役で入るぐらいであった。
 いま思い返しても運がよかったのは、私の学年だけ優秀な生徒が集まっていたのである。どういうことかというと、私の所よりもっといなかにとんでもない優秀な生徒がいたのである。いなかすぎて、私の地元の高校ぐらいしか通えないのである。長野まで通うのは絶対不可能であった。信じられないことであるが、この中に当時長野県の中学生のほとんどが受ける進学テストでトップテンクラスの子が二人いた。一人は本当にトップクラスの子であった。私はこの二人にひっぱられて、勉強したと思う。浪人を含めて東大には数年に一人合格するぐらいの高校であったが、私のクラスからは東大に二人合格している。1年でも学年が違っていたら、私は絶対に医学部には合格していなかったと思う。
 自分の子どもを見ていると、本当に苦労知らずで、お譲ちゃん、お坊ちゃん育ちだと思う。私は極左であろうと、極右であろうと、同和であろうと、在日であろうと、暴力団であろうと、タブーを恐れず自分が正しいと思った意見は曲げるつもりはないが、子ども達は本当に世間知らずである。妹をみていると、パワーがありすぎて、姪もかなり圧倒されている。進学校で勉強も今は大変そうである。子ども達に、私も苦労したからあなたも頑張りなさいでは無理があるかもしれない。私の娘も塾に通いだしてからは、精神的に余裕がない。妹の夫の話では、弁護士も今はよくないという。医者もこれからは大変で、将来何がいいのかわからないという話になった。河合隼雄氏の対談で、今の若い子は苦労知らずだが、実存的苦悩は知っているとあったが、本当にそう思う。私も子ども達を追い込みたくないが、進学に関しては悩むところである。

平成15年12月16日(火)

 先週は土日と忘年会が続いた。土曜日は大学の医局の忘年会で、久しぶりにふだん会わない先生と会った。同級生の立命館大学T教授と会えるのも、お互いに忙しいので、こんな機会ぐらいである。若い人は誰が誰だかますますわからなくなっている。講演会は、今度大学の神経内科の新任教授になった先生の話を聞いた。本学出身ではなく、他大学である。自己紹介を聞いていると、専門ではないので詳しい事はわからないが、とにかく研究業績はすごいらしいことがよくわかる。先週は東山医師会役員会の忘年会があったが、たまたま私の席の隣にこの教授選で敗れた本学出身の神経内科の先生が座っていた。この時にいろいろお話をする機会があったが、教授戦に敗れると後がなかなか大変そうである。ついつい「白い巨塔」を見ているか聞いてしまったが、見ていないということであった。TVドラマより現実の体験の方がはるかに生々しいだろう。
 卒業年度でいうと、私は昭和54年卒なのでよく知っている先生はその前後6〜7年ぐらいである。私は前にも書いたが、入局当初はできが悪かったので、自分の大学には3年もおらずあちこちの病院を転々としていた。だから、若い人は10年離れると、ほとんど知らない。それでも、この年になって、当時世話になっていた院長や先輩に会うと、懐かしく思う。大学に残っている後輩ともいろいろ話することもできた。医局のことや学会のことで直接教授に聞いたりするよりは、後輩に聞いたり、頼んだりする方が気楽である。開業してからは特に精神科の仲間と会うのは少ないので、久しぶりにリラックスして楽しめた。病院の院長は自分の病院に医局員、できたら優秀な人を送ってもらわないといけないので、教授にはそれなりに気を使う。私は開業していて関係ないようであるが、将来もし病気をした時などはやはり教授に頼んで、代理の医師を送ってもらわないといけないかもしれない。今回気づいたのは、テーブルを囲んでみんなで楽しく話している時に、教授がはいってくると、少しかまえてしまうことである。私の勝手な想像であるが、教授という仕事は医学部の頂点であるが、ある意味ですごく孤独なのではないかと思う。
 帰りはT教授と先輩の先生3人で、祇園に行った。日本酒専門の店で、私は秋田と山形の大吟醸酒を頼む。一杯1400円もするが、秋田の酒はおいしく、山形の酒は私好みではなかった。神戸の病院に勤めている時には、病院の忘年会などではおいしい大吟醸酒をいろいろ味わった。日本酒は好きではなかったが、吟醸酒のうまさを知ったのはこの時である。T教授は相変わらず忙しくて、給料は安いようである。もう一人の先輩も専門学校で教えているので、それほどリッチでない。おつまみを頼んだりして、結局3人で2万1千円かかった。経費で落ちるので、結局私がすべて払った。飲みに出ることもないので、接待費を使うのはこの時ぐらいである。日赤に勤めている時には、外来の忘年会があったが、受付けの子は派遣で安い給料だったので、安い会費で参加者を募った。結局この時は、足りない10万円ほどを部長の私が全部出していた。日赤の給料は安かったので、けっこう大変であった。製薬会社の中には費用を持つと言うところもあったが、私はそういう癒着は大嫌いなので断っていた。
 日曜は東山医師会第4班の忘年会があった。私が班長をしているので、幹事をした。京都駅近くでいい所を見つけ、それなりに年配の先生にも気に入ってもらえた。私は酒を飲む時には、どんどん飲んで酔っぱらってしまうので、今回だけは気を付けた。ふだんは注がれるビールを飲んでいるだけであるが、先生方にもビールを注いでまわった。久しぶりにあまり酔えなかったが、たぶん企業などで接待する側も同じなんだろうと思った。

平成15年12月9日(火)

 パソコンの調子が悪く、あれこれ調整しているうちにすっかりビールの酔いもさめてしまい、この日記を書く気分もそがれてしまった。この日記も毎週火曜日の夜までには書いてしまわないといけないが、毎回毎回締め切りに追われているようで、あまり精神的にはよくない。それでも、定期的に何かを書くというのは、いいことだと思う。人間はどうしても面倒なことは避けてしまうので、意識的に何かで縛らないと、安易に毎日が流れてしまう。
 よく好きなように自分で計画を立ててしたらいいというが、何か半強制的なことで自分を縛らないと、なかなかやり続けるのは難しい。通信教育でも、好きな時間にできるので続けれそうであるが、いつでもできるということは、いつでもしないということになりやすい。むしろ、毎週特定の曜日に講習を受けに行くことの方が、面倒くさくても長続きする。
 引きこもりやなかなか職場復帰できないうつ病の患者さんに家族の人はだらだらすごさず、何でもいいから何か自分の好きことを計画しなさいというが、これは言うが易しで意外と難しい。例えば、毎朝早く起きて散歩をしようと計画して、雨が降ったり、寒かったりしてさぼっても、自分を取り囲む世界は何も変わらない。自分で計画したことは自分で中断しても誰からも非難されることはない。半強制的な枠組みというのは、友達と朝7時に約束していたりすると、いくら寒くても無理して起きていく。病院も予約してあると、雨が降っていても出かける。毎日好きなようにすごしなさいと言われると、人間はかえって戸惑ってしまう。何か半強制的な枠組みがないとやっていけない。だから、私は患者さんには、週何回か半強制的なできごとを入れるように言っている。この半強制的なことでも一回でも失敗してしまうと、だらだらと引きこもって何もできなくなる人がいる。こういう人には、いつでも診察に来て、一度仕切り直しをするようにすすめている。完全主義的で、物事をすべてか無で処理してしまう人は、たった一回の失敗でもすべて無にして引きこもってしまう。
 開業する前までは20年以上勤務医として過ごしてきて、いつかはもう誰からも命令されず、自分の好きなようにやりたいと思ってきた。多分多くのサラリーマンは、もう上司の命令はうんざりで自由にやりたいと思っているだろう。実際に独立して、自分の自由にはできるが、もうひとつ何か満たされないのである。医院も順調にいっているが、何か足りないのである。エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本があるが、難しい言い方をすると、開業している私は大病院という共同体から開放された個人ということになる。私の医院は心理の人はたまに来るが、基本的には二人の受付けの人しかいない。自分の好きなようにやっているという感覚より、どうも最近はお山の大将的な感覚に襲われてしまう。かえって大病院で仕事をしている時の方がやりがいがあったかもしれない。
 私にとって大病院という枠組みが取れた分、その中で共有されていた価値観や一定の基準は失われたのである。自由になった分それに変わるものを作っていかなければならないが、自分を超えるものを自分で作っていくのはなかなか難しい。仕事はきちんとこなしているが、開業していろいろやりたいと思っていたことがなかなかできない。それこそ通信教育みたいで、いつでもやれると思うと、安易な方向にだらだらと流れてしまう。昔と比べてハングリー精神もなくなったと思う。物質的にも金銭的にもある程度満たされてしまうと、よくない。習い事でもいいのであるが、もっと大きな半強制的なことを作らないといけない。何か仕切りなおしするものが必要である。人間はお金と自由だけでも満たされず、つくづく難しい生き物であると思う。

平成15年12月2日(火)

 最近ストレスがたまっているのか、自分でもなかなか自覚できない。開業当時の独特の孤独感などは近頃は自覚していないが、病院勤務時と比べて軽くなったかと言われると、難しい。患者さんの話を聞いていると、みんなストレスがたまると、気晴らし食いをしたり、買い物をしたり、酒の量が多くなったりしている。
 私の場合は、けっこう買い物をしたり、家族で旅行したりする事が多くなった。買い物ではパソコン関係が多く、新製品が出るとつい買いたくなってしまう。PDAのザウルスを買ったが、買ったままもう何ヶ月もたってしまった。結局買っても、説明書をよく読んで使いこなす時間がないので、スケジュールを入れているぐらいである。この日記ぐらいテキストで書こうと思ったが、これでもまだ重く、持ち出す機会もほとんどない。私はメル友はあやしい人も含め全くいないので、メールも通信販売で使うぐらいである。わざわざPHSカードを買って外出先でやるほどでもない。ホームページも外出先で見る人がいるが、医院と自宅で充分である。デジカメも新しいのが出ると欲しくなる。今は買わずに我慢しているが、映像関係はすぐに手を出したくなる。DVD付きのハードディスク・プレイヤーも買ってしまったが、見ている時間がないのであまり録画もせず、宝のもちぐされである。
 買っても使わないものが、増えてきている。よく考えたら、パソコン自身もいろいろなソフトがはいっているが、利用しているのは本のわずかである。私の患者さんで買い物癖の人がおり、高価なカメラを次から次へと買う。すべてローンで、ローンが返せなくなるとすぐに下取りに出す。高いレンズまで買って、実際に撮りに行くかというと、まったく撮りに行かない。ただカメラを眺めていじっているだけで幸せなのである。新しいカメラは次から次へと出てくるので、買っては下取りに出し、自転車操業になって最後は破綻する。患者さんの目の前でクレジットカードをハサミで切ったこともあるが、またお金に余裕があると同じことを繰り返してしまう。そこまでいかなくとも、最近はインターネットのオークションでついついいらないものまで買ってしまうという患者さんも多い。私も今週は雑誌などで見たものが欲しくなり、発作的に何点か衝動買いをしてしまった。買ってしまって本当に必要だったか考えると、1点だけ高価で失敗してしまったと後悔するものがはいっていた。
 よく、森林浴などでストレスが解消すると言われるが、散歩も森林浴もある程度効果はあるが、すべてのストレスが解消するわけでない。スポーツもおしゃべりも役にたつが、これだけではだめである。やはり、お金を使わないと解消できない部分もでてくる。じゃあ、お金を眺めていたらストレスが解消するかというと、これもなかなか難しい。どこかでお金を使わないと、満足しないのである。欲しいものが手に入って満足することもあるが、実際に買ってみて本当に欲しかったのかわからなくなる時もある。刹那的であるが、買うという行為である程度気分がすっきりするのである。
 ザウルスはこの日記があちこちで書けたらいいと思って買ったのだが、いつも書くのは医院のパソコンである。毎週この日記を書くのも大変で、気分がのらない時は外出先でと思ったが、ザウルスを買ってものらない時にはのらないのである。ソニーの薄型のクリエが出て、日記を書かないならキーボードなしでもいいかと、そっちに目移りがしてしまう。私はふだん小遣帳をつけていないが、一番必要なのは常にザウルスを持って、小遣帳をつけることかもしれない。

平成15年11月25日(火)

 日テレの視聴率買収事件が会社の調査報告で一応幕を閉じた。この事件でさかんに言われていたのが、視聴率至上主義である。どこの企業でも売り上げ至上主義とか利益至上主義とか、少し軽蔑の意味が込められて使われている。企業が人を評価する時に、視聴率一番の者や売り上げ一番の者が評価され、その人の人格そのものは二の次、三の次になりやすい。
 医学部でも企業に該当する言葉がある。それは何かというと、研究至上主義である。医学の発展のために研究が評価されてどこが悪いのかと一般の人は考えるが、視聴率至上主義と変わらない落とし穴がある。医学部では手術が上手だとか、診察が丁寧だとか、患者さんに評判がいいとかはあまり評価の対象にはならない。もちろん誤診が多いとか、手術のミスが多いとかはマイナスである。医学部では何が一番評価されるかというと、医学研究である。学会発表も大事であるが、一番は論文の数である。それもどこの医学雑誌に論文を載せたかが、重要である。
 学内で講師や助教授に教授が推薦する時には、必ず業績目録を提出しなければならない。私も大学の客員講師になる時には、これまでの学会発表や論文を書き出して提出した。昔の学会発表については記憶も定かでなく、第何回の学会で場所と日付まできちんと書き込まなければならないので、抄録の残っているものだけを書き込んだ。この時にはいきなり助教授を通じて言われたので、ゆっくりと調べている暇もなかった。それに比べると、医学博士を取る時には代表的な論文を副論文として10篇までつけるだけでいいので、楽である。将来講師、助教授、教授を目ざすものは常に自分の業績目録を提出できるよう、整理しておかなければならない。
 最近の教授選では、業績を客観的に評価しようとして、掲載した論文の医学雑誌をインパクト・ファクターとして点数化する試みも出てきている。論文の数だけではなく、掲載された医学雑誌をどれだけ権威があるかでランク付けするのである。日本の雑誌より、当然世界の学者が競っている英文雑誌の方が権威がある。「白い巨塔」で里見助教授が鵜飼教授にいろいろ意見しても簡単に切られないのは、たくさん医学論文を書いているからである。その教室(医局)の研究論文の最後にはふつう指導教授として名前をつけるので、論文が多いことはその教室の評価になるし、ひいては指導教授の評価にもつながる。論文の数が少ない者を教授が助教授として推薦すると、教授会で却下されることはないが、裏で陰口を叩かれることになる。
 研究至上主義の何が問題かというと、企業と同じでその人の人格が抜け落ちるのである。研究ばかりして、患者のことはおろそかにしても何も問われない。また、臨床研究は出しつくされたところもあり、基礎的な動物実験の方が論文も書きやすくなる。ネズミの脳を使っていろいろ調べたらそれなりに結果は出るが、果たしてそれがどこまで臨床に役立つかは別である。動物実験も技術がいるので、そちらの手技は天才的で、日常の診療は雑用ぐらいにしか考えない者も出てくる。患者さんに対する応対が悪くても、論文の数、それも下手をすると動物実験ばかりの人が評価されることになる。私もいつも悩んでいるのだが、じゃあ客観的な人物の評価はどうするのかということになる。ただ、いい人、悪い人ではだめだろう。
 医学部ではある程度やる気のある者は将来金持ちになるとかそういうことは誰も目指していない。いかにして医学者として評価を得るかみんな必死になっている。研究と人格が特別優れている人が教授になるのがいいのだが、そんな人物はなかなか出てこない。「白い巨塔」を見ていて、昔のドラマのように財前イコール悪で、里見イコール善とは言えなくなっていると思う。それだけ医学部もそれを取り囲む社会も複雑になっており、いい悪いを一面的には捉えきれなくなっている。医学部が研究至上主義からなかなか脱却できないが、TV業界は視聴率至上主義から本当に脱却できるのであろうか。

平成15年11月18日(火)

 先週の週末は久しぶりに何も書く書類がなく、時間がたくさんできた。何もやる事がないと、かえって何をしたらいいのかわからず、診療所で自分の部屋の片付けをしていた。日曜は天気がよかったので、のんびりと紅葉を見に出かけてもよかったが、子どもにはあまり評判はよくない。昨年は永観堂まで家族そろって出かけたが、人が多く、ゆっくりと見ている気にもなれなかった。デジカメを持って行ったが、どうしても紅葉に人がはいってしまって、なかなかいい写真が撮れなかった。家内と二人で出かけたい所はたくさんあるが、子ども連れとなると、寒くなって行く所も限られてしまう。
 診療所の3階は心理室と院長室になっている。私の部屋はふだんは本や雑誌を入れており、掃除もろくにしていない。医学雑誌はあまりとっていないが、それでも毎月送られてくるので、どんどん溜まっていく。この部屋にも古いパソコンを置いていたが、ふだんは診察室のパソコンを使っているので、ついでに処分した。医学雑誌は興味のある論文だけ切り取ったが、たぶん永遠に読まないだろう。保健所などの講演で、あまり詳しくないことを頼まれた時には資料として必要になるが、医学はどんどん発達しているので、すぐに古くなる。
 昔から自分の隠れ家を持つのが夢であったが、診療所のこの部屋がとりあえず今の私の隠れ家である。曜日を決めて毎週1回ここで泊まっている。私一人で海外に出かけたり、週1回ここで泊まったりしていると、好き勝手な事をしているように思われるが、別に浮気をしているわけでもない。私は愛妻家なので、いつまでも仲のいい夫婦でいたいと思っている。それには、お互いに必要以上に無理しない事が大切だと思う。以前に、同僚がたまに当直をするのもいいと言っていたが、本当にそう思う。時には自分一人の時間を持つのも必要だと思う。私の診療所は圧倒的に女の患者さんが多い。夫の定年退職を前にすると、どんなに夫婦仲がいい人でも、1日中家でごろごろされるのはかなわないという。夫が自営をしている患者さんの話を聞いていると、夫婦で24時間いつも一緒にいるのもよくなさそうである。家内はどうしても子どもに束縛されてしまうが、私は必要以上に縛らないようにしている。家内は保健婦の免許も持っているが、今から考えると、診療所には最初からタッチしなくてよかったと思う。
 私の隠れ家と書いたが、理想的には誰もいない田舎がいい。私の診療所は住宅地に建っているので、診療時間以外の女の人の出入りは家内でも気を使うぐらいである。昔からロックをスピーカーでがんがん鳴らしたいと言うのが私の夢であるが、丹波橋の自宅は車庫にマークUクラスの車もはいらないぐらい狭いので無理である。(敷地は80uちょっとである) 神戸ではマンションを借りていたが、「白い巨塔」に出てくる里見助教授と同じぐらいである。ある患者さんが安く山林を買って、将来は家を建てると言っていたが、うらやましいと思う。借金を返して余裕ができたら、安い田舎の広い敷地に小さな家を建て、週末は誰にも遠慮せず、がんがんとスピーカーを鳴らしたい。
 思ったよりも時間がかかって部屋はきれいに片付いた。自宅にも自分の部屋はあるが、最近は私のパソコンを上の娘が使っている。自宅の部屋よりここの部屋の方が明るく広々としている。田舎暮らしも海外旅行も私にとっては一種の隠遁生活である。今はここで週1回しか隠遁生活はできないが、日常の診療と隠遁生活を上手に使い分けれたらいいと思う。

平成15年11月11日(火)

 相変わらず、首から肩にかけて痛い。先週の火曜日の夜にヨガをやっていて、こんなに痛いのはふつうの肩凝りとは違うと思い、いろいろと他の病気の可能性を考えてみた。確か昔内科で、内臓の痛みが他の部位に出てくる事を思い出した。関連痛と言い、うろ覚えでは膵臓がんか何かであったと思い、早速インターネットで調べてみた。右首の部分では、一番に肺がんが挙げられている。肩甲骨あたりまでくると、胃がんなどが疑われる。関連痛の特徴として、突然始まり、手のしびれが出る時があり、腕の位置に関係なしに痛みがあるといい、どれも当てはまる。これはまずいと思い、次の日に日赤の呼吸器科を受診することにした。
 医者の不養生という言葉があるが、胸のレントゲンも血液検査も何もしておらず、胃の検査は10年以上前に胃カメラをしたぐらいである。開業する前に、一応念のため簡単な検査はしているが、その時には胸の方はどうもなかった。開業資金は全部借金で、保険医協会と親の老後の金を借りている。順調に借金は返しているが、まだ2年半しかたっていないので、残金がたくさん残っている。家のローンもまだある。子どもも小さいので、教育費がこれからかかる。自分の生命保険などの額を計算したが、とても足りない。布団の中でいろいろなシミュレーションをしてみたが、すぐに眠くなって眠ってしまった。20年以上いろいろな患者さんを見てきたが、なるようにしかならないというのが、私の考えである。努力して解決する事は努力したらいいが、これだけはいくら考えてもどうしようもない。
 次の日に日赤の呼吸器科に電話した。受付けは11時半までにしておき、外来で診察には遅れる事を先に伝えておいた。1時前に行ったが、私がいた頃に比べて親切で、新患の人は1時間半かかると表示されていた。今日の新患の担当は副部長で、大学は違うが私と同じ卒業年度である。聞いてみると、やはり肺がんで首や肩の凝りを訴える人はいるようである。血液検査と胸のレントゲンを2枚撮って調べてもらった。いやな予感がしたが、どうもないということであった。後は消化器の検査が必要であるが、胃カメラはどこも午前中にするので、なかなか受けている暇がない。特に胃腸の症状もないので、このまま様子を見ることにした。
 検査してから1週間近くたつが、痛みはまだ続いている。いつも忙しいので、自分の健康のことを考えている暇はないが、これからは年に1度人間ドックにはいった方がよさそうである。この時には1日休診が必要であるが、やむをえない。肺がんかもしれないと思った時に、休業補償の保険にはいっていなかったことを後悔したが、いいかげんなもので今はまた先に考えようと思っている。以前に読んだ本で、ある病理学者ががんで死ぬのが1番いいと書いていたが、私もそう思う。がんの場合は心筋梗塞や交通事故と違って、いろいろなことを準備する期間があるからである。神戸にいた時に内科の先生にどのがんで死ぬのがいやかと聞いたことがある。いろいろながん患者を見ていて、その先生は肺がんと答えたが、わかるような気がする。今はがんに伴う痛みはモルヒネなどの投与によりかなりコントロールされるようになっている。いくら呼吸しても、酸素が充分に取れないのは苦しいだろうと思う。健康な人が極端に薄い空気の中で生活を強いられているようなものである。
 私の患者さんに、痰に血が混じっていたと言い、何回も耳鼻科や内科に行って検査を受けている人がいる。便が黒ずんでいたので、大腸がんでないかと心配し、自分で試験紙を買って尿検査をし、潜血反応が出ているのではないかと不安になっている。専門的には心気症になるが、誰でも心配しだしたらきりがないと思う。本の紙一重のところで誰もが心気症にならずにやっている。私が日赤に赴任する前に、他の科で部長をしていた同級生が胃がんで幼い子どもを残したまま亡くなっている。心配しすぎてもいけないが、全く心配しないのもまずいと思う。

平成15年11月4日(火)

 先週の火曜日から右肩から首にかけて、我慢できないぐらい痛みが強い。始めは寝違いでもしたのかと思ったが、今週になっても一向に治る様子がない。私は歯が悪く、インプラントを入れてまだ仮り歯をしているが、今ごろになって急に痛みが出てくるとは考えにくい。ネクタイをすると、ますます肩が凝ってきて、診察中も苦痛である。
 もともとネクタイは大嫌いであるが、医長になる頃から勤務時間中はするようになった。診察中はネクタイをしない先生もいるが、それなりにみんなシャツは工夫している。白衣を着ない先生もいるが、前にも書いたように服装に気を使うのは面倒くさいので、もっぱらふつうのシャツとネクタイと白衣である。なるべくネクタイはしたくないので、ネクタイだけは職場に置き、行き帰りはつけない。診察が終わると、すぐに取る。肩が凝りやすい体質で、冬でも着るものが多くなるとだめである。なるべく肩に負担がかからないよう、真冬でもランニングシャツを着ている。セーターは肩が凝りやすいので着たことがない。新しいネクタイも気をつけなければならない。その時にはよくわからないが、あわないネクタイをつけた翌日の朝は、起きると肩がパンパンに張っている。だから、リスクを避けるため、慣れた1本のネクタイをぼろぼろになるまでつけることになる。同じように、シャツも上着も気をつけている。
 家ではもっぱらパジャマ姿である。家に帰ったら、すぐにパジャマに着替える。休みの日も出かけるまではずっとパジャマのままである。家内も何も言わないし、子ども達は生まれた時から父親がこうしているので、どこの家庭でもこれが当たり前だと思っている。以前に看護婦さんに聞いたことがあるが、1日中家の中でパジャマでいるのは評判が悪い。でも、この格好はすごく楽でいい。
 先週の水曜日は保健所で講演があったが、肩と首の痛みはピークでキャンセルしようかと思ったぐらいである。坂口安吾の随筆で、歯が痛いというのがあったが、本当に痛みが強い時には他のことはどうでもよくなる。ネクタイをしていると、重い鎖でもつけたように我慢できなくなる。こういう時には首に負担がかからない服がいいのであるが、まさかパジャマのままで保健所に行くわけにもいかない。結局痛み止めのロキソニンを2錠飲んで出かけた。医者はすぐに薬が手に入っていいですねと言われそうだが、私のところは院外処方なので、ホリゾンなどの注射液しか置いていない。それに、医者は保険での自家診療は家族でも認められていない。私は血圧が高いが、他の医院に行っている暇もないので、いつも保険を使わずそのまま仕入れた薬を飲んでいる。ロキソニンは歯科に行った時の残りを使ったが、なんとか効いて無事講演は終えることができた。
 その後も診察室はサロンパスの匂いで一杯であるが、悠長なことは言っていられない。学生時代からやっているヨガもやってみたが、首が痛くてなかなか無理なポーズは取れない。こういう時には、その痛みに逆らってやるのがいいが、あまりにも痛く、すぐにめげてしまう。寝る前にやろうと思いながら、結局やらずにビールを飲んでしまう。来週までには治って欲しい思うが、このまま痛みが続くようなら、今までやったことはない鍼なども考えなければならない。

平成15年10月28日(火)

 この前の日曜日には子どもと約束をしていたUSJに行ってきた。朝車で7時半前に家を出て、1時間弱で着いた。早く来すぎたと思ったが、門の前には大勢の人が並んでおり、開門も8時半からに早まった。USJは1年に1回ぐらいしか来ないが、思ったよりも混んでいる。娘が「セサミ・ストリート」を見たいというので最初に行くが、道路に人が溢れ、最後尾のプラカードを持った人がはるか離れた場所に立っている。聞いてみると、いきなり2時間待ちだという。娘も息子も待つと言うので、仕方なしに並ぶ。ディズニーランドに行った時に、ミニーちゃんの部屋を見るのに1時間以上待ち、自分達の順番が来て唖然としたことがある。スヌーピーの部屋のように遊ぶものもなく、ふつうだったら1分もあれば通り過ぎるような小さな部屋である。ディズニーランドは最近は私が休みがとれなくて、家内と子ども達だけで行っている。プーさんのハニーハントに乗るのに3時間近く待ったと言い、家内も子どももよかったと喜んでいる。今度は1番前の席に座って、ハチミツの匂いを感じたいと言い、その後も相変わらずの待ち時間にもかかわらず、毎回乗っているようである。
 私は昔から待つことは苦手である。性格にもよるが、ふだんはばたばたと忙しいので、どうしても待ち時間は無駄な時間のように思えてしまう。前にも書いたが、勤務医の時にはそれこそ大げさでなく、秒を切り詰めて診察していたので、ついついこれだけ時間があればあれができると考えてしまう。先週も比較的忙しく、月曜日は午前と午後の診察の間に労災会議があり、火曜日はヘルパー養成講座の講師で授業を3時間やり、木曜日は特別養護老人ホームに行き、金曜は診療の合間に保健所のデイ・ケアに行っていた。また、今週の水曜日に保健所から頼まれている「高齢者の精神保健について」の講演がある。相変わらず何の用意もしていなく、講演要旨だけは先に送らなければならないので、土曜日は外来が終わってから必死で原稿を作っていた。他にもいろいろ書かなければならない書類が山ほどあった。
 家族と出かけても、ふだんはなるべく待たないように、早めに昼食を取ったり工夫はしている。しかし、テーマパークだけはどうしようもない。今回USJに行ったら、早く入場できるパスカードを売っていたが、入場料を取ってまた料金を払うのは納得できない。3回だけのパスカードでも、家族4人だったら1万円を超える。それにしても、この混雑はなんとか解消できないものか。高い入場料を取って、「バックドラフト」を除いて、どのアトラクションも80分以上待ちというのは無理がある。「シュレック」は160分待ちであきらめた。子どもが最後に「ET」を見たいというので行ったが、120分待ちである。外で待っている間にまた建物にはいってあの迷路のような所をぐるぐるとまわっていくかと思うとうんざりしてきた。私一人が列から抜け出して、家内も子どももこわいといってまだ乗ったことのない「ジュラシックパーク」に行くことにした。ここでも90分待ちである。
 「セサミストリート」はクッキーの匂いはよくわからなかったが、よくできていて楽しめた。今回は見れなかったが、「シュレック」にも期待が高まる。毎回「ターミネーター」は見ているが、本当によく作られていると思う。「ジュラシックパーク」は今回初めてであったが、恐竜が張りぼてみたいで、もうひとつ迫力がない。最後の急流下りもあまりにも早くて、ぼーと乗っていたら恐怖を感じる暇もなかった。
 夜はUSJを出てすぐそばの通りで夕食を食べ、6時半ごろには車で出たが、阪神高速が途中で渋滞していた。事故があって一車線になり、8km渋滞が続き全く前に進まない。待つことだけでなく、渋滞も大嫌いである。いらいらが頂点に達して、やっと高速から降りて一般道を行こうとしたが、ここも渋滞である。いつも思うのだが、事故を起こした人はこれだけ大勢の人に迷惑をかけているので、高速代をみんなに返すべきだと思う。本当に心から反省してほしい。なんとか走り、また高速に戻ろうとしたが、どこからはいっていいのかわからない。カーナビは付けているが、USJも載っていないぐらいなので、あてにできない。道に迷って迷ってやっと自宅に着いたのは9時過ぎであった。待つことと渋滞のダブルパンチで、「セサミストリート」ぐらいでは癒されない1日であった。<

平成15年10月21日(火)

 先週の日曜日には東山医師会の秋の集いがあった。毎年医学とは関係ない著名な人を読んで講演を聴き、その後で懇親会がある。今回は考古学者を呼び、ポンペイの発掘調査について話を聞いた。東山医師会は開業して2年半ぐらいなので、親しい先生はあまり多くない。どうしても日赤の時の先生の方がなじみが深い。研究会や勉強会はたくさんあるのだが、内科は全くやるつもりがないので、内科系の研究会にはほとんど顔を出していない。精神科や心療内科の研究会には出るようにしているが、東山区で開業している先生は私を含めて3人だけである。他に専門病院の先生と日赤の私の後輩を含めても、精神科医は6人である。
 そんなわけで、東山区の開業している先生と会うのはこんな機会ぐらいで、なかなか名前が覚えられず困っている。今年からは東山医師会の理事になったので、毎月開かれる理事会にも参加しているが、保健所のデイ・ケアと重なることが多く、あまり参加できていない。毎回理事の先生の名前は意識的に覚えるようにしているが、1〜2ヶ月に1度しか行かないので、その時には覚えていても次の時にはまた忘れてしまっている。これは保健所のデイ・ケアでもそうであるが、1ヶ月に1回しか行かないと、患者さんの名前を覚えてもすぐ忘れてしまって、なかなか記憶に定着しない。
 昔から人の名前を覚えるのは苦手である。もともと強度の近視なのでこれも影響していると思うが、人の顔と名前を一致させるのは至難の業である。実は患者さんの名前を覚えるのも不得意である。電話で名前だけ言われても、新しい患者さんの場合はわからないことも多い。その分話していると声で思い出してきて、なんとか対応できる。他の人は人の名前はそれほど意識せずに覚えているのであろうか。私の場合は英単語を覚えるように、頭の中でかなり繰り返さないと覚えられない。いや、必死で覚えても、最近はすぐ忘れる。以前に京都で日本心身医学会の総会があった時に、座長をしたことがある。各研究発表を時間通り進行させていくだけだが、演題が終わるたびに質疑応答がある。この時に質問をする人というのが、その研究分野ではけっこう名の知れた先生が多い。挙手している人を座長が指名して質問させるのであるが、この時に「はい、どうぞ」とか、「後ろの方、どうぞ」と言うよりも、「○○先生、どうぞ」と言うのがいい。ところが、ふだんの学会ではあまり意識して偉い先生の顔を覚えていないので、名前が出てこず「○○先生」と言えない。かなり有名な先生を座長が覚えておらず、「後ろの方」ではかっこ悪い。 強度の近視はコンタクトをしていても遠く離れるとぼんやりとしてしまって、ふだんあまりお目にかからない先生の顔はうろ覚えである。
 東山医師会を含めた各地区医師会は班に分かれていて、私は第4班に属している。今年の4月から新人と言うことで、班長をやらされている。医師会から送られてくる配布物を薬屋さんに頼んで、各医療機関に送るぐらいの仕事であるが、年末には班の忘年会をしなくてはならない。参加者は15人前後であるが、日時や場所の手配が必要である。年配の先生も少なからずいて、まだ顔と名前が一致しない先生もいる。会場での会費の徴収は私がやるが、あらかじめ名前の書いた領収書を作って、会費と引き換えにそれを渡さなければならない。でも、班長が先生方の名前を知らないのではまずい。この秋の集いでは、あらかじめ名前と顔の一致しない先生については親しい先生に聞いて確認しておけばよかったが、酔っぱらってしまってそれもしなかった。手元に先生方の写真があるわけでもなく、どのようにして領収書を渡すか、今から悩んでいる。

平成15年10月14日(火)

 この前の木曜日から前に書いた通りTVドラマの「白い巨塔」が始まった。ドラマはほとんど見ないが、この番組は見た。ただ、夜10時から始まるので、ビデオで録画してから空いている時間に診療所で見た。夜はニュース・ステーションを見ることもあるが、20〜30分で眠くなるので、いつも10時半ぐらいまでには床に就いている。
 だいぶ昔のTVドラマのリメイクで、大体のあらすじは覚えているが、最新の医学をうまく取り入れて作られている。教授回診のシーンなどやや大げさなところもあるが、見ていて大体こんなものだろうと思う。私が医学生の時には、ある教授がエレベーターで上がっていく時に、医局員が下で見送り、階段を駆け上ってまたエレベーターの入口で待つということもあったらしい。番組でも出てきたが、助教授は会社の副社長とは違い、筆頭助手と言われている。医局の雑用を一手に引き受け、ただひたすら教授のイエスマンに徹しなければならない。教授が大きな学会を引き受けると、医局員は大変である。助教授以下診療や研究と関係ないところで忙殺されなければならない。
 私の身近でも助教授になり、教授選に敗れた者や次期教授候補と思われていた者が突然わけのわからない病院に飛ばされたりしている。前に書評のところでも書いたが、教授と助教授という距離が近すぎるのもよくない。番組でも出てきたが、助教授が優秀過ぎても教授の嫉妬を買いやすい。だから、愛憎半ばという関係も多い。かえって講師ぐらいの方が教授との間にクッションがあって、いい関係が保て、教授になれる時もある。人は苦労すればするほど丸くなるかというと決してそうではなく、教授に言わせれば、自分が助教授の時にはもっと大変で、お前らの苦労は苦労でないになる。だから、じっと耐えて耐えて教授になっている人が多いので、同じことが繰り返される。それでも教授になれた者はいいが、なれなかった者の挫折感は想像を絶する。教授戦に敗れたからと言って、いいポストが空いているわけでもない。名のある大きな病院のポストは埋まっており、時には地方の病院の院長として出されたりする。
 医学部の教授は大体どこも同じだと思うが、定年まで最低10年ぐらいないとなれない。なぜかというと、医局員に研究をさせて、論文を書かせ、医学博士を取らせるには最低それぐらい必要だからである。教授と5年しか違わない助教授は決して教授にはなれない。だから、どんなに優秀な人でも、現在の教授と10年以上離れていないとなれない。他の大学の教授という手もあるが、最近はどこの大学でも自学出身の教授に変わってきているので、よほど優秀でないとほぼ無理である。どこの教授も定年までやめないので、若い教授が生まれると、そこの医局では20年近く教授になれないことになる。優秀さや忍耐だけではなく、運・不運が伴うのである。
 でも教授になったら、そんなにいいことがあるのかというと、どうであろうか。名誉と医局の人事権は握っているが、金銭的には私立病院を経営している病院長よりははるかに恵まれない。下手をしたら、ちょっとした開業医よりも悪いと思う。土日も学会などで忙しく、自分の自由時間はほとんどない。そんなに研究好きでもない私にとっては、あまり魅力のある仕事とも思えない。昔とは違って、医局員も自分の意見は言うようになっている。いずれにせよ、現代にアレンジされて話がどう展開していくか、楽しみである。

平成15年10月7日(火)

 先週の日曜日に家内と二人で温習会に行って来た。温習会といってもマニアでないとわからないと思うが、祇園甲部歌舞会の井上流京舞の披露会である。今回はこの種の踊りの鑑賞は2回目である。ロック好きの私には場違いのような気がするが、たまたま患者さんから二人分のチケットをいただいた。前の方のいい席を取ってもらい、患者さんが言われるように日本の伝統芸能の勉強をしてきた。家内も日本舞踏にはまったく無知で、私も踊りといえばピナ・バウシェかスーフィーダンス、暗黒舞踏ぐらいしか思い浮かばないので、逆の立場で言えば、おじいさんがいきなりロックコンサートに招待された心境である。それでも、患者さんの言うように、食わず嫌いでいるのではなく、何でも一度は体験してみようと思う。
 一浪の時から京都に住み、途中病院の転勤で京都も出たことはあるが、長野県の実家よりはるかに長いこと京都に住んでいる。しかし、京都のことはあまりよく知らない。大学入試が日本史ではなく、世界史で受けたので今でも日本の歴史には疎い。古文が苦手な人は日本史も苦手な人が多い。谷崎潤一郎(だったと思う)が「源氏物語」は英訳で読んだ方がわかりやすいと言ったが、私もそう思う。簡単な古文でもちんぷんかんぷんである。京都には歴史的なお寺や名所などがたくさんあるが、歴史的背景があまりわかっていないので、実物を見てもあまりぴんとこない。掛け軸や絵に墨で何か字が書いてあるが、わずかに読み取れる字もあるので、かえって始末が悪い。古代メソポタミアのシュメール文字を見たらただ感動するだけであるが、古文は日本語だけにわかりそうでわからず結局いらいらしてしまう。
 祇園のお茶屋さんといえば、ちょっと前までは僧侶と大学教授がお得意さんだとある本で書いてあったが、今はどうなっているのであろうか。東山区で開業し、祇園も近いが、私には全く無縁である。一度祇園で開業している先生から往診を頼まれて、元芸伎さんの家に行ったことがある。昔は有名な芸伎さんであったらしいが、今は高齢で寝たきりに近く、地味な生活をしているようであった。踊りの合間に芸伎さんがやってきて、なじみのお客さんに挨拶しているが、今この時代にお茶屋通いするのは誰だろうと思う。格式を重んじる人には一種のステイタスになるのかもしれないが、私にはまるで別世界のことである。
 長唄なので、歌詞が長い。「君が」と言うのを、「き〜み〜が〜」と長い時には20秒ぐらいかけて唄う。日本舞踊の見方を知らないので、いわゆるテクニックもわからず、何が上手で何が下手なのかよくわからない。ただ見ていて思ったのは、扇子を持っているので、わずかな手の震えでも扇子に伝わって大きく揺れてしまう。身体の動きも同じでゆっくりとなめらかに動かし、ピタッと静止できる人はうまいのだろう。動きがゆっくりとしているので、「モーニング娘。」の激しい動きより、踊りの下手さかげんが目立ってしまうかもしれない。着物も舞台装置もきれいであったが、3時間と言うのは少しハードであった。 子どもが小さいので二人だけで出かける機会はないが、二人で出れたのはよかったと思う。京都に住んでいるが、招待でもされない限りこんなものを見れる機会はないので、貴重な体験をさせてもらったと感謝している。ただ、伝統芸能は充分勉強させてもらったので、できたら3回目はパスさせてほしい。

平成15年9月30日(火)

 最近外来の患者さんの数が増えてきている。今までは微増で、日によっては人数のばらつきがあり、 少ない日には診察室のパソコンを開いてこの日記を書いたりする暇もあった。しかし、この頃は予約の患者さんが少なく、今日は暇になりそうだと思っていても、途切れることなく次から次へと来る。初めての人は予約なしで受付け、2回目からは予約を希望する人は予約している。予定のたちにくい人や予約が窮屈に感じる人は、当日受付けもしているが、気がつかないうちに当日受付けの人が増えてきている。
 7月ごろより新患の人が急に増えてきて、一時的なものと思っていたら最近も続いている。9月分の患者数でいったら、適度な忙しさと責任を持って診れる数としては今が理想である。これ以上増えるのもあまりよくない。患者さんの数が増えれば増えるほど医院の収入も増えるが、一人一人診察するので、物を売るのとは違って限度がある。もうちょっと時間をかけて話を聞いてやりたい人でも、たくさんの患者さんが待っていると早く切り上げなければならず、心苦しく思ったりする。毎年冬になると受診者数は減って今頃が一番多いが、このまま増え続けるようなら、来年は新患の人は予約制にしてある程度制限が必要になるかもしれない。
 同級生のT教授から電話がかかってきて、7月に酔っ払って約束した心理の人の採用について話があった。すでに来ている心理の先生も女性ということで、カウンセリングを希望する患者さんもいてそれなりに需要がある。私もだんだんと忙しくなってきて、もう一人ぐらい雇ってもいいと思っていたので、今度面談をする。二人とも週1回のパートであるが、患者さんが増えてきてそれにあわせて心理の人やパートの医者を増やしていくのがいいのか迷うところである。あまり拡大路線は取ろうと思っていないので、今ぐらいの規模でいいと思っている。他の医院をみてみると、患者さんが増えてきて自社ビルを買ったり、パートの医者を何人も雇ったりし、自分自身も昼休みなしで朝から晩まで診察をしている院長もいるが、これだけはなんとしても避けたい。前にも書いたが、日赤の時は私の外来はパンクしていて、患者さんにはいつも予約時間の2時間後に来るように言っていた。こんなことを言っていて私も将来どうかわからないが、来年ぐらいから私の留守の時にT教授に代理の診察をお願いしようと考えている。患者さんがこのまま増え続けるようなら、週1回ぐらいの代わりの定期的な診察も考えなければならない。
 まだ9月だというのに、来年の6月に出るNTTのタウンページの広告受付けの人がやってきた。最近は若い人は携帯電話しか持たず、電話帳を見ない人も多いのでどこまで宣伝効果があるかわからない。患者さんも増えてきたので、思いきって広告費を削減しようかと考えたりする。一色刷りにすると毎月6万5千円が3万円になる。二色刷りも四色刷りも5万ちょっとであまり変わりない。フルカラーはもったいないのでカラーの数は落とそうと思うが、どこまで落とすかは迷うところである。きのうも新患の人がタウンページを見てきたというので、今回は四色刷りぐらいで様子を見てみようかと思う。一色刷りでもいいような気もするが、本当にこのまま増え続けるのかまだ確信がもてない。タウンページが実際に役に立っているかどうかわからないが、私の精神安定剤になっていることは確かである。

平成15年9月23日(火)

 土曜日は子ども達の運動会であったが、毎度のことながら私は外来があるので、家内だけが出かけていた。午後からは雨になったので、今年の運動会はこれで終わりかと思っていたら、日曜に午後の部をやり直すという。日曜も雨が降りそうだったが、もし雨の時は金曜にやるという。けっこうしつこく最後までやり遂げようとするのだなと感心していたら、家内はみんなこの日のために練習してきたからという。
 日曜は曇り空で、いつ雨が降り出してもおかしくない天気だった。子ども達は運動会と授業の両方の用意をして先に出かけ、親は中止かどうかは行ってみなければわからないという。小型のビデオカメラと一脚を用意して、家内と一緒に桃山御陵の遊歩道を歩いて行った。傘を持っていくかどうか迷ったが、面倒くさいので雨が降らない方にかけた。たいてい迷った時には傘は持たないが、もちろんはずれる時もある。家内がひとつ持っていくと言ったので、その時はなんとかなると思った。
 毎回学校の運動会は家内がビデオカメラを持って、子ども達を撮ってきてくれるが、望遠の倍率を上げるので、手ブレがひどくてあまり見れたものではない。三脚を据えて撮っている人もいると聞いたが、重そうで大げさになるので、一脚にした。学校に着くと、もう大勢の家族が来ていた。ロープが張り巡らしてあり、いい場所はみんなとられている。仕方ないので、子ども達が座っている後ろにまわった。自分の子どもがどこに座っているか、なかなかわからない。やっと見つけてビデオを撮るが、後姿ばかりで撮っていてもあまり面白くない。周りを見ると、みんなビデオカメラかデジカメを持って自分の子どもを撮っている。
 それにしても、みんな熱心に応援をしている。小学生ぐらいだと、ストレートに大声を出したり、手を叩いたりして、喜んだり悔しがったりしている。何かの本で、幼稚園や小学校の時にはこんなにも素直で熱心な子がどうして高校生になったりすると、非行に走ったり、無気力、無関心になるのかと嘆いていたが、本当にそう思う。息子が障害物競走に出たので、走っているところを撮ろうと思ったが、応援している人の影にはいり、なかなかうまく撮れない。娘が騎馬戦に出ているところもカメラで追いかけたが、入り乱れて何が何だかわからなくなる。最後に小学6年生によるマスゲームみたいなことをしていたが、けっこう手間ひまかけて練習しているらしく、やっぱり雨が降らずによかったと思った。
 夕食が終わった後で、家族で撮ってきたビデオを見た。前日に家内が撮ったビデオと私が撮ったビデオを比べてみると、私の方が手ブレは少ないが、あまりうまく撮れていない。私の撮ったビデオには地面撮りまではいっており、子どもに笑われてしまう。人が前後にたくさんいるところを最大の望遠で撮っているので、フォーカスが安定しない。髪型と靴下の色を頼りに、娘だと思って熱心にカメラで追いかけていたが、TVで見ると全く赤の他人である。運動会で上手に撮ろうと思ったら、別に望遠レンズをつけたり、マニュアルのフォーカスにしたり、テクニックが必要である。映像に関してはセミプロを目ざしている私としては、来年も雨が降ったらまた再チャレンジをしようと思う。

平成15年9月16日(火)

 連休は出かけ過ぎと言われそうであるが、和歌山の白浜温泉に行ってきた。昔からそうであるが、大体半年から1年ぐらい前におよその予定は決めている。この白浜もだいぶ前から決めていた。娘の塾の予定がはいっているので、重ならないようにしているが、それでも1〜2日は休まざるをえない時がある。今年の年末は冬季講習や試験がはいり、一泊二日の旅行でもなかなか調整がつかない。
 USJやスパ・ワールドも1年に1回ぐらいしか行けないが、今年もしっかりと予定を入れている。家族と出かけるのは最近多くなってきているが、行ける時に行こうと思っている。開業してからは、金銭的にも時間的にも余裕ができたのは事実である。時間的には日曜日も医院に行って、いろいろと雑用をしているので、本当に余裕ができたかどうかは疑問である。しかし、勤務医の時のような常に追い立てられるような生活からは開放されている。金銭的には勤務医と比べたら、比較にならないほどよくなっている。実質的には倍近くまで増えている。医者は高給であるというのは不況もあって、最近は正直言って実感として感じている。反対に勤務医の時は忙しくて給料は安く、名誉はあったが決してお金持ちではなかった。
 今回は贅沢をして、旅館で海側の部屋を取り、料理も特別料理を頼んだ。連休だったので、料金も高かった。白浜は本当に久しぶりで、神戸にいる時に一回子どもと一緒に来たことがある。この時にアドベンチャー・ワールドやエネルギーランドも連れて行ったのに、今回聞いてみると二人とも何一つ覚えていない。旅館には小さな子ども連れが大勢来ていたが、多分この子たちも大きくなったら何も覚えていないのだろう。親の自己満足のような気もしてきたが、楽しかったという感覚と親に大事にしてもらったという記憶が残ったら、それでいいのかもしれない。私も小さな頃に親に長野のデパートや海水浴などに連れて行ってもらったことがあるが、記憶をたどれるのはせいぜい小学生かそのちょっと前ぐらいまでである。
 天候に恵まれ、観光客であふれ、海では泳いでいる人もいた。泊まった旅館は料理の分量が少なめで、よかった。これでもかと食べきれないほど並べる所があるが、この年になると本当においしいものだけ少しづつというのがいい。特別料理は1日目はあわびのステーキと伊勢海老の刺身がついてきた。今は季節はずれなのか小さかったが、これはおいしかった。二日目はあわびの刺身と鮎の塩焼きが出てきたが、子どもの鍋物の方がよほどおいしそうに見えた。世間で高いと言われているものと、自分がおいしいと感じるのものはやはり一致しない。旅館のお風呂は露天風呂がついており、内湯も広い。アドベンチャー・ワールドの帰りに「草原の湯」に寄ったが、いくら旅館が大きな風呂や露天風呂を備えても、スーパー銭湯やここにはかなわない。旅行案内を見てみると、おいしそうな料理屋などが紹介してあるが、夜は旅館で食べるので、行く機会がない。昼食はアドベンチャー・ワールド内で食べなければならないが、味はもうひとつである。
 アドベンチャー・ワールドは子ども達はそれなりに楽しんでいた。テーマパークは圧倒的にディズニーランドが強いが、動物サファリとシャチのショーはここでしか楽しめないだろう。今回久しぶりに白浜に行って感じたことは、神戸の時もそうであったが、車で行くとけっこう時間がかかる。私の田舎でも高速道路が近くまで来ているのに、白浜までどうして高速道路が走っていないのかと思う。特に帰りが渋滞していたので、車で来るのはもうしばらくいいと思った。今回はけっこうお金を使ってしまったが、旅館やホテルに泊まる時には、安い朝食付きだけで充分だと思う。食事もお風呂も外の方が安くて格段に楽しめそうである。

平成15年9月9日(火)

 月曜日の夜は毎週「たけしのTVタックル」を見ている。9時までは子どもの見たい番組につきあっているが、ニュース以外はそれほど見たい番組があるわけでもない。興味のあるドキュメンタリー番組はビデオで録ることもあるが、1ヶ月に1回あるかないかぐらいである。このTVタックルは昔からよく見ており、きのうは「病院の裏のウラ大公開」とタイトルがつけられ、医者や製薬会社について特集していた。
 この番組ではいろいろな業界について裏話を披露しているが、自分の業界の取り上げられ方を見れば、他の業界の報道のされ方もよくわかる。やはり、番組を面白くするためとはいえ、全体的に誤解を招く紹介がされている。医者イコール金持ち、大手製薬会社との癒着という構図を出したいのであろうが、実際はそう単純ではない。
 きのうの番組でも北海道大学の医者の名義貸しが問題になっていたが、なぜ北海道なのかまったく触れていない。もし都会で名義貸しがばれたら、大問題になるだろう。北海道の過疎地では医者の確保が大変で、基準を満たせないからといって、病院を閉鎖するわけにもいかない。札幌から通勤できる範囲内ならいいが、通えないぐらい辺鄙な所は医者も行きたがらない。そういう所でも大学は交代で医者を派遣するが、人員に限度がある。名義貸しは決していいことではないが、単なる医局の金集めみたいな取り上げ方は偏りすぎている。
 製薬会社の接待については、医者同士でも科によっても、大学によっても、病院によっても温度差があると思うが、精神科関係は私が知る限り地味である。私自身接待が嫌いなこともあるが、京都第一赤十字病院の部長の時でも、ほとんど誘いはなかった。新薬が出ると、説明会と称して製品の紹介があるが、料理屋で説明を聞いて、そのまま食事会となることが多い。別に高級料理を食べるわけでもなく、一次会で終わりである。精神科関係は新薬がそんなに出るわけでないので、こんなことも年に数回だけである。たまたま私が部長の時にSSRIなどの坑うつ薬が出て、いくつかの製薬会社から講演を依頼された。しかし、講演料をもらって講演するだけで、それ以上でもそれ以下でもない。たまたま舞鶴に講演に行った時に、国立舞鶴病院の先輩が座長をすることになった。この日は泊まり、翌日は仕事があるので朝一番の特急で帰ることになっていたが、夕食は製薬会社で接待された。(もちろん夕食だけである) この時に座長をした先輩との夕食を楽しみにしていたら、国立病院では製薬会社からの接待は一切禁止され、先輩は先に帰ったことを覚えている。国立関係は大学病院でも製薬会社の接待にはうるさく、講演や座長をする時には届出をして許可を得なければならない。先輩も当日病院の事務長にわざわざ呼び出され、夕食などの接待の禁止を再確認されたという。
 他の科でも派手な接待についてはあまり聞いたことがないが、関東や私立の大病院ではよくあるのかもしれない。むしろ、外科系の医者が手術の謝礼として、多額のお金をもらったという話はよく聞いたことがある。夫の母のがんの手術をするため、お礼に同じ病院の外科医に20万円渡したと、看護婦さんから聞いたこともある。子どもが生まれた時には、私も産婦人科の先生にお礼をしている。京都第一赤十字病院で親しくしていた外科の先生にそのことを話すと、日赤ではそんなことはないと言う。反対に、私の知っている先生に、患者さんからの盆暮れの付け届けを全部送り返す人がいたが、そこまでやる必要はないだろうと思う。
死ぬまでに酒池肉林の接待を一度は受けてみたい気もするが、おそらく今後もその機会はないだろう。

平成15年9月2日(火)

 3週連続で土日がつぶれていたので、いろいろな書類がたまってしまった。精神科関係では通院医療費公費負担制度があり、新規に申請したり、2年ごとの更新時に診断書がいる。精神障害者保健福祉手帳の場合は少しややこしい診断書がいり、障害年金の申請にはかなり神経を使う診断書がいる。
 通院医療費公費負担制度は本来は統合失調症や躁うつ病などの重い精神障害が対象になっていた。実際に患者さんは長期に渡る治療を必要とし、患者さんの医療費を減らすために役立っている。問題になるのはこの公費負担制度をどこまで適応するかである。現在京都市ではパニック障害などの神経症はこの制度の対象にはなっていない。問題になるのはうつ病や手首を切ったりする自傷行為のある人である。うつ病も最近は軽症化が言われ、うつ病なのか神経症なのか区別できにくい患者さんも多い。一方で、難治性で遷延化してなかなか改善しない患者さんも増えてきている。長期化してなかなか社会復帰できなかったり、何回も再発する人については、文句なしにこの制度は適応になる。自傷行為でも境界性人格障害といわれる重い障害の人たちについても申請できる。問題は軽いうつ状態や軽い過食や拒食、自傷行為のある人たちである。患者さんから要望があった時には、なるべく申請はするようにしているが、この頃生活保護を受けている患者さんについて福祉事務所からの申請依頼が多い。
 どういうことかというと、現在不況で京都市の財源も乏しく、どこの部署も緊縮予算が強いられている。福祉事務所も例外にもれず、生活保護に使う財源も無尽蔵にあるわけでなく、削減できるところは削減に努めている。現在生活保護を受けている人でも、働けないかどうか見直しし、新たな申請者に対してはハードルがかなり高くなっている。(子どもを引き取って離婚したので、福祉の世話になろうかというのは安易には認めてくれない) 特に東山区はお年寄りが多いので、福祉に世話になっている人も多く、財源的に苦しいのは理解できる。
 福祉にかかっている人の医療費も削減したいのはよくわかるが、最近は福祉担当者からやたらとこの通院医療費公費負担の申請の問い合わせが多い。通院医療費を公費負担にすると財源がかわり、福祉事務所からの支出が削減できるからである。うつ病の場合は一応公費負担制度の対象になるが、前にも書いたように、神経症の人でも少量の坑うつ薬を使うとよくなる人が大勢いて、保険病名としてうつ病やうつ状態とつけることも多い。神経症で坑うつ薬を使うと、保険適応がなく、保険請求しても削除されるからである。こんな患者さんは公費負担の対象にならないのだが、最近は何もかも要請してくる。明らかに対象とならない人は断っているが、中にはうつ病よりも神経症に近い人の診断書を無理して書く場合もある。この場合は、書く方としても大変なストレスである。
 もう亡くなった患者さんであるが、肺の病気で在宅酸素療法をしていた若い人がいた。家から一歩も出れず、症状は徐々に悪化し、うつ病にかかっていたが、入院していた大学病院にかかれず、私が代わりに往診していた。この時は通院医療費公費負担制度を利用していたが、家族の人から在宅酸素療法は公費負担制度がないのですねと言われた。呼吸器科の先生が往診していたが、その医療費は高くついていた。私は京都第一赤十字病院にいる時には、乳がんの再発の患者さんも大勢診ていた。末期のがん患者さんは経済的にも大変であるが、もちろん通院医療費公費負担制度はない。ちょっと眠れないとか、ちょっと気分が憂うつだという患者さんの安易な公費負担の申請は無理だということは、福祉事務所の職員も理解して欲しいと思う。毎回毎回同じ説明をしなければならず、今日も同じ説明をして大変疲れた。

平成15年8月26日(火)

 最近体重が増えてきて、腹も出てきた。ズボンがだんだんと苦しくなり、買いに行くのも面倒なので、本気で体重を落とすことにした。上着はその場で買ってすぐ着れるが、ズボンは裾上げしたりしてまた取りに行かなければならないので、ついおっくうになる。最近は裾上げしたズボンも出ているが、股下の長さをすぐ忘れてしまい、試着室で何回もサイズを確認しなければならない。体重を落とすより、ズボンのサイズを一つ大きくする方が楽であるが、鏡に映った自分の腹を見たらそんなことは言っていられない。
 昔から食べたいだけ食べて、長い人生これまで本気で減量を試みたことは一度もない。先週の月曜日から思い切ってダイエットを始めた。ダイエットといってもそんな本格的なものでなく、昼食と夕食のカロリーをできるだけ制限することである。昼食はカロリーメイトとアミノ酸ゼリーできっかりと500カロリーにした。夕食はこれまで好き放題飲んでいたビールを250ccに抑えた。ご飯も茶わん一杯にした。また、運動がわりにヨガをすることにした。こういうことはあまり最初から頑張りすぎると長続きしないので、努力目標としたが、やはり大変である。あまり空腹に耐えたことはないので、夕食後もおなかがすくのは落ち着かない。糖尿病の人の食事制限の辛さがよくわかった。ビールも浴びるほど飲んでいたので、ついつい冷蔵庫を開けてまた飲みたくなる。食事時にスポーツドリンクをがぶがぶ飲んでなんとか気を紛らわしているが、アル中の人の辛さも身にしみてよくわかった。体重計を見てもあまり減っている様子もないが、半年ぐらいかけて6〜7kgは減量したい。月から金まではこのダイエット法でなんとかなるが、週末はどうするかである。週末ぐらい好き放題飲み食いしたいと思っているが、そんなダイエット法があるのであろうか? 週末は外食する時が多いが、カロリーを計算しながら食べるのは本当に窮屈そうである。
 先週の土曜日は、家族サービスでマキノに行ってきた。医師国保の福利サービスを利用して、マキノプリンスホテルに朝夕食付きで大人が1万円ちょっとで泊まれる。ホテルの前が琵琶湖のビーチになっており、車で着いたら開放感でビールをがぶ飲みしてしまった。夕食も和洋食のコースになっており、かなりのボリュームがある。子ども用のコースも分量があり、子どもが残すのはもったいなく、ついついその分も食べてしまう。食もアルコールもからだに充分行き渡り、外には蛍が飛んでいたりして、すっかり満足してその日は眠った。
 次の日のホテルの朝食はバイキングで、あれこれ皿に取り、ふだん以上に食べてしまう。午前中はホテルの前のビーチで子ども達と泳いだ。学生時代に琵琶湖で泳いだことがあるが、汚かったことを覚えている。さすがにここまで来ると、水は澄んでいる。ホテルを出て、昼食はマキノピックランドでバーべキューを食べた。この時に一杯だけであるが、生ビールを飲んだ。牧野高原でお風呂にはいり帰ってきたが、この週末で今までの減量がすべてちゃらになるぐらい飲み食いしてしまった。それでも、気を取り直して、月曜日からまたダイエットを始めている。ふだん仕事でストレスがたまるので、週末ぐらいは少しはめをはずしたい。

平成15年8月19日(火)

 盆休みは5日間とらせてもらった。開業してから長い休みが取れるのは盆と正月だけで、海外の一人旅ができるのはこの時期だけである。結婚する前から家内には、放浪癖があるので年に何回か海外に行かせて欲しいと頼んである。私はゴルフや賭け事は全くやらず、飲みにも行かないので、このわがままはきいてもらっている。ふだん土日は家庭サービスをしており、この期間家内と子どもをディズニーランドに行かせたりもしている。盆に私が旅行している間は、家内は実家に帰ってゆっくりとしていた。
 海外旅行も好きな人とそれほどでもない人がおり、どちらかというと家内は消極派である。池田の妹はどんどんと行きたいタイプで、今年の夏は旦那をおいて、子ども二人連れてエジプトに行った。今回のエジプトは2回目で、前回の時は確か二人の子どもを旦那に預けて一人で行ったと思う。家内もそのことは知っているので、むしろ妹の旦那に感心し、私にも理解を示してくれる。
 私は海外に出る時は往復チケットだけで、なるべく日本人のいないホテルに泊まる。だから、旅行中は日本語は一言も話さない。安いアラブ系のホテルだと日本人はあまり泊まっていないが、冷蔵庫にビールがはいっていないのが難である。もっとも最近はどこでも簡単にビールは買えるようになっているので、不自由はしない。昔は食事は現地の物を挑戦していたが、年をとってくるとだんだんとエスニック料理は受けつけなくなり、もっぱら中華料理を食べている。汗をよくかいて、香辛料などで体臭がきつくなるので、最後の日は日本料理などで調整している。
 学生の頃は数学、物理は大の苦手で、医学部は英語ではいったぐらいなので、語学に不自由したことはない。それでも、英語がほとんど通じない国もあるので、簡単な現地の言葉は覚えていく。タイは北はチェンライから南はハジャイまで行ったことがあるので、タイ語はかなり勉強した。今はつぶれてしまったレオマ・ワールドでタイ寺院の名前をすらすらと読めた時期もある。でも、最近はタイ旅行はしないので、文字についてはすっかり忘れてしまった。ベトナム語も個人レッスンで習ったことがあるが、発音が難しく、イエス、ノーのノーがなかなか言えない。カンボジア語は少し前までは日本ではなかなか発音のテープが手に入らなく、入手するのに苦労した。
 一人旅の時には安宿しか泊まらないので、盗難にはすごく気を使う。鍵穴のついた普通の鍵はプロにかかったら簡単に開けられそうで、信用できない。最近は磁気を使った鍵穴のない鍵が出ているので、もっぱらこれを愛用している。旅行カバンはヨドバシカメラで買った大きめのカメラバッグを愛用している。 3千円ぐらいの安物であるがスポンジがはいっており、このカバンに鍵をかけたら完璧である。持っていく物は下着とTシャツ1枚とカメラぐらいなので、軽くて持ちやすいのも気に入っている。
 今回帰国していつものように関西空港で税関のチェックを受けたが、挙動不審と見られたのか、初めて身体検査を受けた。特急はるかの出る時刻が迫っていたので走って駆けつけたが、息があがっていたのと、旅行以来始めて日本語を話したので、言葉が少しうわずっていたのがいけなかったようである。身体検査といっても、近くのついたての中で簡単なボディチェックを受けただけである。私はアンチ・ドラッグ派で、ナチュラル・ハイを目指しているが、あやしい男に見られたのは心外である。

平成15年8月12日(火)

 週末は久しぶりに私の実家に帰ってきた。土曜の外来を終え、一旦自宅に帰り、丹波橋から京滋パイパスを使って、名神に出た。奥信濃と言われる長野県の山奥の実家まで片道430kmである。家内が子ども達を連れてJRで先に帰っており、車で迎えに行った。日曜には帰ってくるので、無理に迎えに行くこともなかったが、両親が年をとってきており、会える時に会っておこうと思った。今年の3月に池田の妹が家を建て替えた時に両親が出てきたが、久しぶりに会った父親がかなり年老いており、もうJRを使って京都まで出てくるのは無理なのではないかと思った。頑固でしっかりしていると思っていた父親が急に老け込んで、もっと先のことと思っていた親の老後問題が身近に迫った。
 自宅を1時半に出て、実家に着いたのは6時前だった。名神では眠くて仕方なく、それこそ居眠り運転しそうであった。中央道にはいると、道が狭くカーブが多いので、あまり眠気は感じられない。自宅の近くまで高速道路が走っているので、本当に便利になったと思う。夕食を家族みんなで一緒にとった。父親は思ったよりしっかりしており、少し安心した。母親は天皇と同じ年で、しゃきしゃきしてよくしゃべる。子ども達を千曲川の土手まで連れて行って、花火をしたかったが、ビールを飲みすぎて眠くなったしまったので、そのまま寝てしまった。
 翌日はいつもの通り野沢温泉のクアハウスに行った。途中北竜湖にも寄った。ここはゴールデンウィークの時に来たことがあるが、山奥の小さな湖に菜の花が咲き乱れ、本当にきれいであった。デジカメで子ども達を撮り野沢にはいったが、日曜日だというのにあまり観光客はいない。クアハウスで温泉につかり、昼食は信州そばを食べた。一旦実家に戻り、また430kmの道を運転して家に帰った。
 「うさぎ追いしかの山」という歌があるが、実家の近くの斑尾がその山だという。高校生の時には、冬は雪に閉ざされ、こんな田舎から早く出たいと思っていたが、たまに帰ると田舎があるのはいいと思う。娘がスキーに来たいというので、また雪のシーズンに連れて来ようと思う。両親は孫に会いたがっているので、私が帰れない時でも、夏休みと春休みに子どもを連れて帰ってくれる家内には感謝している。

平成15年8月5日(火)

 先週の土曜日は、日本心身医学会の地方会が国立京都国際会館であった。朝から始まっていたが、外来があるので、終わってから地下鉄で行った。会場に着いたらもう2時近くなっていた。5時半までの特別講演とパネル・ディスカッションを聞いた。年に2回近畿地方会があるが、外来をやっているので、京都で主催された時ぐらいしか参加できない。無理に出かけることもないのだが、今回はどうしても参加しなければならなかった。次回は2月に大津で開かれるというので、これも参加しようと思っている。
 どうして無理して参加しなければならないかというと、心身医学会の認定医の更新に必要だからである。2年前に開業したが、この時に認定医の更新をして、それからはなかなか学会に参加できていない。5年ごとに更新するが、その条件として学会に参加して、所定の点数を集めなければならない。去年は総会が東京であり、この時も休診にするわけにもいかず、木曜日の午後から出かけて、参加証だけもらってすぐに帰ってきた。今年は総会が沖縄であり、半日で往復は無理だと思ったので、最初からあきらめた。その分地方会で今のうちに点数を集めておかなければならない。
 日本心身医学会の認定医はあってもなくてもいいのだが、けっこう苦労して取ったので、このままなくすのももったいない。今はどうなったのか知らないが、認定医の試験を受けるには、指定医療機関で特定の期間研修を受けなければならない。もともと心療内科は内科系の先生が作ったので、精神科の大学教授でもみんなほとんど認定医を持っていない。学会のでき始めの時には、過渡的措置で認定医や指導医を推薦で決めたが、今はたとえ大学教授でも厳密な研修と学科試験が課せられている。私は神戸にいる時に取ったが、この時は神戸でも数人しか持っていなかった。東京まで認定試験を受けに行ったが、受験者は全国から20人位しか来ておらず、面接試験もそれなりに時間をかけてやっていた。神戸にいる時にどうして取れたかというと、神戸心身医学会の事務局が私の勤務していた病院内にあり、指導医の先生がいたからである。今から考えると、実質的には私が会計から郵便の発送、学会の準備、会誌の発行まですべてやっていたので、それなりに貢献はしていたと思う。
 今回は午前中の発表で座長をしていたF女医とも話をしたかった。F女医は大学の同級生で、内科から心療内科に進んでいる。お互いに卒業後は違う道を選んだが、最近では時々この学会で顔を会わせるようになった。ふだんはあいさつ程度だが、所属がH病院から自分の名前のクリニックに変わっていたので、開業のことを聞いてみたかった。パネル・ディスカッションの時にちょうど前の席に座っていたので、終わってから声をかけてみた。テナントを借りて、7月から開業しているという。心療内科だけでは食べていけないので、保険点数の関係で精神科も標榜したという。摂食障害などの治療を女性の立場からやっていると聞いているので、女性外来が注目されている現在ますますその価値は高まってくるだろう。帰りの地下鉄の中で学会に参加していた後輩に会ったが、F女医のクリニックは医局の大先輩のクリニックの近くだという。ある意味でライバル同士となるが、同じ同級生として、また同じ開業した者として、頑張って欲しいと思う。

平成15年7月29日(火)

 この2週間はいつもと比べ、新患の人が多かった。特に先週は月曜が休みだったので、後半が忙しく、久しぶりに疲れてしまった。日によっては患者さんの数が少なく、これで食べていけるのかと心配になることもあるが、今回は一瞬ではあるがこれ以上増えるのも困ると思った。それでも今週にはいってからは反動で少なくなり、しばらくはこのペースでいいかなと思っている。どっと患者さんが増える時と少なくなる時があり、全体では2年前や去年と比べると少しずつ増えてきている。
 このホームページにカウンターを入れていなかったので、いったいどの位の人が見ているのかわからなかったが、1週間前に無料のカウンターをいれた。ホームページに訪問者数をわかるようにいれてもよかったが、途中からいれるのもおかしいので、開設者だけがわかるカウンターにした。この1週間見てみたが、思ったよりは訪問者が少なく、この日記を更新する水曜と木曜が多い。私の設置したカウンターは曜日や時間帯によるアクセス数も分析してくれるが、まだ分析するほどの数も集まっていない。
 ホームページのアドレスは電話帳に載せており、他には医療機関として他のホームページに載っていることもある。自分のホームページは患者さんには宣伝しておらず、すでに私のところに通院している患者さんは新しい電話帳を見る機会は少ないので、ほとんど知らないと思う。時々予想もしていない患者さんからホームページを見ていますと言われて、少し戸惑う時もある。新患の人で、このホームページを見て来院する人はまだ少ないが、それでも最近は徐々に増えてきている。他の医院のように、単なるPR用のホームページにはしたくなかったので、自分の医院名は前面には出していない。ストレスや心の病について聞きにくい情報をわかりやすく提供できたらいいと思っている。日記以外にも気が向いた時に更新しているが、みんなあまりチェックしていないらしく、他も更新しているのですかと聞かれる時がある。最近リンクをはったが、長いこと「ただいま制作中です」となっていたので、気づいている人はほとんどいないのではないかと思う。
 他の人のホームページの日記をのぞいて見たが、思いついたことを書き並べているのが多く、まとまった文章として書いてあるのは少ない。患者さんのことでいろいろ考えることは多いが、プライバシーに属するので、ここでは触れないようにしている。TVのニュースや番組を見ていて腹の立つこともあるが、またこの日記帳で公開していこうと思う。ホームページのアクセス数を伸ばすために、これからは読書録や質問箱を充実させようと思っている。ベストセラー本の調査では本のカバーは暖色系が一番よく売れ、寒色系は売れないという。このホームページはブルーの寒色系で、今さら変えるわけにも行かないので、中身で勝負していこうと思う。

平成15年7月22日(火)

 この連休は夏休みにはいったので、関東にある大型プール施設に泊りがけで出かけた。開業してからはなかなか海やプールに家族で行く機会がなく、海の日を入れたこの連休に行くことにしている。去年は淡路島に行き天候に恵まれたが、今年は梅雨明けも終わっておらず、どんよりとした雲に一日中おおわれていた。着いた日は遅かったので、ホテルの中でゆっくりと過ごした。夕食を屋外の鉄板焼きコーナーで食べたが、海沿いにあるので、風が吹いてきたら寒いぐらいであった。
 翌日もどんよりとした天気で、ホテルに隣接したプールに朝から泳ぎに出た。広い敷地内にいくつものプールがあり、最初は波寄せプールに行った。水は冷たく、風邪をひきそうであったが、徐々に深くなっていくので膝まででやめておいた。子どもたちは寒さは関係なしに水の中にはいっていく。いつものことで、子どもたちのビデオを撮っていたが、監視員が大勢いて、何かといろいろ言ってくる。最初はサンダルをはいて、波よせプールに足首程度入っただけであるが、サンダルを脱いで入ってくださいという。サンダルを脱いで、今度は泳いでいる娘を追いかけて行くと、ビデオを撮るのは浅いところでお願いしますという。その理由がビデオを水の中に落としたら大変だからという。
 去年淡路島に行った時に、デジカメを海の中に落としてしまったが、水の中に一旦つけたら、どんなカメラでも助からない。浅いも深いも関係ないが、話をしているうちに盗撮を心配しているのではないかと思った。波よせプールはまだ朝10時過ぎだったので、泳いでいる人も少なく、ほとんど小さな子どもだけだったが、監視員は私がずっとカメラをのぞいているのが気になるのではないか。私はカメラ暦が長いので、ビデオカメラを撮る時にも基本的にファインダーを使って撮影する。最近のお母さん方は自分の子どもを液晶モニターを見ながら撮っているが、手ぶれしやすいし、明るさがよくわからない。私は左手をぴったりとカメラに付けて手ぶれを防ぎ、カメラをあまり動かさず、一つのカットでは最低10秒ぐらいはじっとしている。また、波よせプールの水は遠浅になっているので、曇り空の中で水だけが明るく映り、露出補正が必要である。どうしても子どもの顔が暗くなってしまうので、カメラをのぞきながらマニュアル操作をしていたが、これもどうも怪しく見えたのではないか。今までどこのプールでも浅瀬で撮ってくださいと注意されたことは一度もないので、いろいろと考えてしまった。
 結局この日はカメラを撮る元気も失せてしまったが、家に帰って家内と話をすると、人が大勢の所でカメラを撮るのは危ないのでただ注意しただけではないかという。深い所では人が泳いできてもわからず、ぶつかる危険性もあるからという。それだったらそのように注意してくれたら、こちらも納得するが、全くの説明不足である。最近は携帯電話での盗撮から、プールでの盗撮も話題になっているので、撮るほうもついつい神経質になってしまう。旅行の時ぐらいしかビデオカメラは持ち歩かないが、今回は久しぶりに気分を害して、ほとんど撮らずに帰ってきた。

平成15年7月15日(火)

 先週の土曜日は大学の医局の集まりがあった。(他の医局では同門会という) 年2回あり、7月と12月にある。大学の医局のOBから現役まで集まり、講演会を聴いて、そのあとに懇親会をする。ふだん顔を会わすことのない先輩や後輩と交流できる唯一の機会である。新しい医局員の紹介があったが、他の先生と話に夢中になっていて、今年は何人入局してきたのか聞き忘れたが、ここずっと精神科の入局者が多い。前にも書いたように、大学の文系では臨床心理が人気があり、医学部でも精神科はここ10年以上毎年10人ぐらい入局してきている。あまりにも多く人が入ってくるので、若い人はほとんどわからないぐらいである。
 医学部の卒業時にどこの医局にはいるか決めるが、私が卒業した昭和54年はまだ精神科は人気がなく、あまりいいイメージも持たれていなかった。当時両親はもっとまともな内科や外科に入局して欲しがっていた。結局、現在立命館大学の教授であるT先生と私二人だけが入局した。一人で入局する勇気がなかったので、お互いに相談して入局したことを覚えている。内科などは医局員が多くて、大病院の部長になろうしたら競争も激しいが、所帯が小さい医局ではまだ比較的楽に部長になれた。実は全く伴っていなかったが、一応府立医大では一番の関連病院とされる病院の部長になれたのは幸運であった。今はこれだけ医局員がいると、人気のある病院に勤めようと思うと内科なみに競争が激しいと思う。
 TVで白い巨塔がリメイクされて放送されると聞いている。どんな番組になるか今から楽しみである。大学の医局制度はあまり知られていないが、大きな病院は各科ごとに大学の医局が人事権をもっている。病院の院長は各科ごとに医局の教授に派遣してもらう医師を頼んでいる。だから、医学部の教授は医局員の人事をすべて握ることになり、いろいろと非難が起こっている。民間の病院も医師を派遣してもらうには、医局に頼まざるをえない。事務員を雇うのと違って、医師は医学部卒業しか雇うことができないからである。いくら日赤に勤めたいと言っても、京都では第一も第二も人事はうちの医局が握っている。だから、一旦うちの医局に入局し、(人気があるので)激しい競争を勝ち抜かなければならない。(最低限教授に気に入ってもらわないといけない) それでも過疎地の病院にも医局員を出さなければならないので、教授も大変だとは思っている。
 昔はできの悪い医局員であったので、先輩にもよく怒られていたが、年をとると何のわだかりもなく、気軽に話せる。病院長になっている先生も多いが、互いにぼやいたり、本音に近い部分で話せるのはいい。
 お開きになってからは、同級生のT教授と、私の後を引き継いだ日赤の副部長であるM先生、T教授の下で臨床心理士になった女の人(酔っ払っていたので、名前は忘れてしまった)と一緒に同じホテルのラウンジに行った。最近は同じホテルのバー・ラウンジに行くことが多い。以前は先輩に連れられてナイト・クラブに行ったことがあるが、ホステス相手に話すのは疲れて苦手である。T教授とはお互いに忙しく、ゆっくりと話すことができるのはこんな機会ぐらいである。M先生は組関係の人が来て、対応に困ると嘆いていたが、そんなことでは日赤の部長になれないぞと説教し、T教授が給料が安いと嘆いていたので、もう少し患者が増えたら、週1回ぐらいは雇うと約束した。ついでにもう一人心理の人を雇って欲しいと頼まれたので、これも酔っ払っていたので、10月から雇うと約束してしまった。ここの料金はすべて私が持ったが、次の日は二日酔いで、一日中横になっていた。保健所で話す原稿を書かなければならなかったが、全く頭が働かず、いつものことであるがうつ病の人の心境がよくわかった。

平成15年7月8日(火)

 私を除いて、妻や娘、息子の誕生日は7月に集中している。息子の誕生日のプレゼントはいつも決まっており、好きなゲームソフトを一緒に買いに行っている。家内にはボーナスとして、夏と暮れに小遣いを渡しているので、この夏のボーナスが誕生日祝いを兼ねている。娘はあまり欲しいものがなく、これまで大したものも買っていなかったが、家内の話によると今年はブランドの子供服を欲しがっているという。
 同級生でも、2〜3万円もするブランドの子供服しか着ない子がいると聞いて、ブランド物には興味がない私も家内も「へー」とただ驚くばかりであった。娘はいつももったいないと言って高いものを買うのをいやがっていたので、欲しいものがあるのを聞いて親としては少し安心した。池田に私の妹が住んでおり、年齢も少し離れた姪がいる。これまではけっこう高級そうなその子のおさがりを送ってもらい、着るものには不自由していなかった。最近の少女マンガでは、人気のあるブランドの服を着て主人公が出てくるので、同じブランドの服に憧れるらしい。この前の日曜日に京都駅の近くで娘の塾の定期試験があった。帰りに一緒に家内が伊勢丹に寄り、娘の好きな夏服を買ってきた。バーゲンをしていて、スカートとTシャツで一万円ちょっとしたという。
 私自身は服には全く無頓着で、買うのは神戸にいる時にはダイエーで、今ではイズミヤかジャスコである。スーツは現在は一着も持っていない。学会や仲間の集まりがある時には同じ色の上着とズボンをはいて行く。なで肩のわりに肩幅があるので、既成の上着はなかなか合わない。かといって仕立てをしてもらうわけでもないので、よく着る服は二着だけである。ふだんは仕事服が白衣なので、ずいぶんと助かっている。物に対する執着はあまりなく、カメラやビデオが好きであるが、ちょっと高めのものぐらいで充分である。ライカのカメラやツァイスのレンズもそれほど欲しいとは思わない。
  夜、娘が買ってきた服を取り出して見せてくれた。スカートにそのブランドのキャラクターが縫いつけてあり、本当にうれしそうである。またていねいに折りたたんで、買ってきた袋の中に大事に入れている。昔は自分も欲しかったものが手に入った時はこんなんだったんだろうなと思う。それにしても、最近は本当に欲しいものがなくなってしまった。

平成15年7月1日(火)

 最近は昔のロックがDVD化されて発売されている。たまたまTVのインタビューでジミー・ペイジが出ているのを見て、久しぶりにCDショップに出かけた。いろいろな音楽雑誌を見ても(本屋での立ち読みであるが)、レッド・ツェッペリンのライブDVDの評判がすこぶるいい。2枚組6千円で、1割引で売っていたので、早速買ってきた。
 「胸いっぱいの愛を」がはやっていたのは、私が長野県の山奥の高校に通っている時であった。ロバート・プラントの鬼気迫るボーカルが好きで、少ない小遣いの中からこのシングルレコードを買ったことを覚えている。ツェッペリンの中で一番好きな曲は「移民の歌」で、買ったDVDにも収められている。30年以上前にはやっていた曲がこうしてDVDで見られるのも、不思議といえば不思議である。年をとって昔の曲を聞いても、感動を味わえない時があるが、このDVDについては全く別である。ぎんぎんのハードロックであるが、それこそ久しぶりに血肉湧き踊った。古い映像で音もあまり期待していなかったが、最新の技術で蘇らせている。
 CDショップによることも音楽雑誌を読むことももう何年となかったが、久しぶりにロック少年の心が刺激された。グランド・ファンク・レイルロードの「アー・ユー・レディ」というライブのデビュー・シングルを思い出し、映像が残っているならもう一度見てみたいと思った。(その後の曲はつまらないが) いくつかのCDショップをのぞいてみたら、マグマの「ライブ」やファウストの「ソー・ファー」などが、安い値段で再発されている。LPで持っているアルバムはCDが出ても買わないことにしているが、ついまた買いそろえたくなる。若い患者さんがカンの「フューチャ・デイズ」を買って聞いたというので、思ったよりたくさんのアルバムが再発されている。雑誌を見ていたら、今頃ジェスロ・タルのアルバムが全部再発され、いったい誰が買うのだろうと興味がわく。
 今はビデオクリップで音と映像が一緒になっているが、映像と一緒に見てその曲のよさがわかったアーティストもいる。音楽ビデオはあまり持っていないが、ジャニス・ジョプリンの「ジャニス」には感動した。大学の時には、ただでさえ暑い夏にこの人の暑苦しい音楽がAMラジオから流れてきて、ただうるさいだけという印象しかなかったが、死後何年もたって出たこのビデオを見て、ブルースの女王と言われたわけがやっとわかった。ベッド・ミドラーが「ローズ」という映画の中でこの人の役を演じたが、精神科医としてみても印象に残る人生であった。 
 年をとってきて、食べ物の好みが変わり、脂ぎったものからあっさりしたものになっている。ひとまわり上の人はエルビス・プレスリーに夢中になり、今でもその曲を楽しんでいる。TVでは美空ひばりの特集があり、美空ひばりとともに人生を歩んできた人にとっては、その曲はいつまでも忘れられないだろう。はたして、自分が70歳になった時にも、ぎんぎんのハードロックに血肉湧き立つロック少年でいられるであろうかと、ふと考えてしまった。


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