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もんもん読書録

最近読んだ本を紹介するコーナーです。

List8 「クビ!」論。

List7 Z(革マル派)の研究

List6 名前のない女たち

List5 海外ブラックロード

List4 「人を好きになってはいけない」といわれて

List3 渡邊恒雄 メディアと権力

List2 北朝鮮に憑かれた人々

List1 なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト−堕ちたユートピアの夢

 

List8

梅林浩一「「クビ!」論。」(朝日新聞社)

 外来が忙しくなってきて、なかなか書評を書いている暇がない。本当は、石井昌浩「学校が泣いている 文教都市国立からのレポート」(産経新聞社)や矢幡洋「危ない精神分析 マインドハッカーたちの詐術」(亜紀書房)を取り上げたかったが、どの本も気軽に手がつけられるほど簡単でなく、本腰をいれてじっくりと考えをまとめてから、また取り上げようと思う。この本も読んでからだいぶたってしまったが、読んでいる時には面白く一気に読んでしまった。最近は、どの企業でも年功序列を否定し、能力制の導入を謳っているが、そのやり方は欧米の企業とは似ても似つかないものだとよくわかる。筆者は外資系企業の人事部を渡り歩き、1000人以上の社員の首を切り、わが国とは全く違った外資系企業と雇用者の関係を明らかにしてくれる。
 私の身近では、日本の製薬会社に勤めていた人が、外資系の製薬会社にヘッドハンティングされたと聞くことがたまにある。その時の周囲の反応を聞いてみると、一様に外資系は厳しいのでやめておけと忠告されるらしい。その後どうなったかは知らないが、実力のある人には自分の能力をきちんと評価してくれる会社は魅力的であろう。以前に公的機関に勤めていた患者さんが話してくれたことだが、人事で給与関係も担当しているが、事務長もふつうの事務員も定年退職の時の退職金はあまり変わらないそうである。責任も重く、ほとんどサービス残業で何十年と苦労してきても、いざ退職になったらそれほど優遇されるわけでないという。この人もほとんど毎日夜中過ぎまでサービス残業で仕事をしてきたが、体調を崩して私のところを受診した。滅私奉公という言葉があるが、いくら優秀な公務員でもただそれだけで、きちんとした報酬も払わず、一生働かせ続けるのは無理がある。民間の企業の方が、まだ給与体系に融通が利き、ある程度年齢がきて偉くなったら、高給を得るのも夢ではない。外資系の会社は若くても実力があれば、いろいろな仕掛けはあるが、今からでも可能ということである。
 以前に、前田良行「実力主義という幻想ー「外資」の虚像と実像」(時事通信)という本が出版され、あちこちで探したが見つからず、インターネットのアマゾンでも売り切れであった。今回インターネットでまた調べたら、中古で売りに出されていた。内容はわからないが、たぶん今回取り上げた本とあまり変わらないのだろう。実力とか能力というのはどこで判断するのかというと難しい。しかし、どこの会社でも誰が見ても優秀な社員というのはいるだろう。これもだいぶ前に読んだ本であるが、現在もいろいろな本屋で並べられているのを見ると、まだよく売れているのだろう。安田佳生「採用の超プロが教えるできる人できない人」(サンマーク出版)では、採用コンサルティング会社を経営してきた体験から、「採った人材を育てる」のではなく、「育つ人材を採る」べきだという。できる人の見分け方を書いているが、私も同感するところが多い。本当にできる人をヘッドハンターに頼むと、一人の転職に1千万円かかるという。私も医師としていろいろな後輩を見てきたが、できる人は理屈ぬきでできると先輩たちの意見は一致するのである。
 さて、この本では、現在わが国で行われているリストラについて非難している。正しいクビ切りの本質は、「人材の流動化」と「実務の効率化」にあるという。ところが、わが国の早期退職制度では優秀な人ほどやめて条件のいいところに行くので、やめさせたい社員をやめさせず、残したい社員を残さないクビ切りになっているという。また、外資系企業のクビ切りは「解雇と採用」のセットで、不要な人材を切って、優秀な人材を常に集めようとしている。その道のプロを高い給与で雇い、その部門が将来必要なくなれば解雇し、日本の企業のように全く関係のない他の部門に移動させたりしない。また、外資系企業では、努力とか頑張りとかの過程は全く評価せず、結果がすべてだという。日本の企業以上に上司の権限が強く、ごますりが横行するという。
 ここでも面白い例がたくさん出てくるが、自分の部下のナンバー2を必ず解雇する上司が出てくる。他にも、自分の地位を守るため、自分しかできない仕事を絶対に部下に引継がせない上司も出てくる。優秀すぎても解雇の対象になり、筆者はあまりにも手際よく解雇したので、すべての仕事が終わると、社長からすぐに解雇を告げられたという。解雇に関して訴訟ケースをかかえていると、その問題が解決するまで高給のまま雇われ続けるという。今後日本の社会がどのような雇用制度を選択していくかが問われ、転職したら損をするような社会や制度の改革が必要だと述べられている。
 私は日経ビジネスを毎週とって読んでいるが、この程度の外資系企業の全体像もつかめなかった。この本でも指摘されているが、グローバリズムや成果主義といいながら、その本質を理解していない経営者も多いのではないか。

 

List7

野村旗守「Z(革マル派)の研究」(月曜評論社)

 新聞の記事などで、過激派が成田空港反対で当時の運輸省幹部宅にロケット弾みたいなものを発射したり、内ゲバで互いに殺し合いをしたりするのをみて、これはいったいどう理解していいのかわからなかった。南米の左翼ゲリラがジャングルの中で共産主義革命を夢見るのはまだわかるが、世界の情勢が一目でわかる平和な日本で、今さら何を夢見ているのかと疑問に思っていた。過激派については、浅間山荘事件やよど号のっとり事件の赤軍派や連合赤軍ばかりが世間の注目を浴びて、革マル派や中核派については名前を聞くぐらいで私もその実態はあまり知らなかった。神戸の小学生連続殺人事件で少年Aの検事調書が当時精神鑑定を引き受けていた県立病院から盗まれた事件がある。革マル派の仕業とされたが、わけのわからないことをするグループだと強く印象に残ったことを覚えている。
 革マル派のことを少し詳しく知ったのは、青木理「日本の公安警察」(現代新書)である。「日本トロツキスト連盟」がその源流で、中核派と分裂し内ゲバをくりかえしていたが、公安警察からはおとなしい組織とみなされていたという。ところが、98年に非公然アジトの家宅捜査で、傍受が不可能といわれた警察デジタル無線が10年にわたって盗聴されていたことがわかった。この時に押収された1万4千本の鍵の中には、警察庁幹部や公安部員の自宅の鍵まで含まれ、元警察庁長官の自宅に関しては、侵入されて資料や写真が盗みだされたことが確認された。警察はその後70億円の巨費を投じて、無線システムの改修をしたが、その防御も破られ盗聴をし続けていたという。警察の中枢部に革マル派のスパイがはいりこんでいるのではないかと疑われたのは無理もない。戦前の日本や貧しい軍事政権の国の話ではなく、今現在法治国家のわが国で起こっていることで、にわかには信じられない事実である。
 「日本の公安警察」で革マル派については衝撃を受けたが、その後はそれ以上の知るてだてもなく、そのままになっていた。最近は塩見孝也「赤軍派始末記」(彩流社)を読み終え、ひき続き買い込んであった小嵐九八朗「蜂起には至らず」(講談社)を読もうとしていたが、週間新潮でこの本が宣伝に載っているのを見て、さっそくインターネットで注文し、一気に読んでしまった。前にも書いたが、同時平行読みで本を何冊か読んでいるが、面白い本については別である。2階で一人で寝ているが、暑くて夜中に目覚め、眠くなるまでこの本は読み続けた。
 私は学生時代はノンポリで、少し上の世代の学生運動がどうなっていたのか全く知らない。早稲田大学が革マル派の拠点であることを知ったのは今回初めてである。「赤軍派始末記」の最後に第二次共産同(ブント)・赤軍派関連年表がついているが、過激派マニアでないと理解できないぐらい派が離合集散し複雑である。早稲田大学の学園祭が97年に中止されたが、そのわけは革マル系学生による広告収入が革マル派の有力資金源になっていたためである。一見大学当局の学生自治会への不当介入のように見えるが、この本を読むとそんな生やさしいことでないことがよくわかる。大学キャンパス以外に根をはったのは、労働組合で、最大拠点といわれているのがJR総連である。
 私は基本的には一匹狼なので、これまで組織らしい組織に属したことはない。今属しているのは、医師会と大学の医局ぐらいで、強い拘束力を持つものでもない。宗教、政治、マルクス主義などの団体は、無防備な学生や若者を名前を変えたサークルで巧みに勧誘して、いつの間にか抜け出せなくして、その組織の色に染めてしまう。この本にも出てくるが、「現状には満足できず、漠然と今の自分を変えたい若者」が取り込まれていく。私は政治活動には全く興味はなかったが、精神世界には興味があったので、ラジニーシやグルジェフなどの本もたくさん読んでいた。オウム真理教の本も当時はたくさん本屋に並べてあり、既存の宗教でない何かを求めていたので、盲目の麻原が厳しい修行の末に悟りを開いたというのは大変魅力的であった。積極的に勧誘されることもなく時が過ぎたが、一度組織に取り込まれたら私もどうなっていたかわからないと思う。
 最初に参加する時は、その組織が信奉する教義や理論を知りつくし、納得してはいるわけではない。初めは誰も何もわからず、親切だったとか、感じがよかったとかという理由で参加し、いつのまにかプロ集団の専門的なとりこみ戦略にはまってしまう。時がたつと、印象だけで信じられそうだったからではすまなくなる。人は教義や理論で縛られるのではなく、長く所属すればするほど組織の人間関係に縛られて身動きがとれなくなる。暴力団でも間単にやめることができないように、秘密の多い組織ほど脱退するのは困難である。
 革マル派はナンバー1のKとナンバー2のJR総連系のJR東労組の委員長であったMによって独裁的に運営されてきたという。Mは「鬼の動労」の委員長から、マルクス主義に決別宣言をし、JRの民営分割化に協力し、JRという巨大組織の労組を革マル的手法で手中におさめていった。この決別宣言は偽装工作といわれ、トロツキストの加入戦術によるものであるという。JR東海で激しい労使対決が行われていた時に、Mは当時のJR東海副社長に戦闘宣言を出している。その後どうなったかというと、犯人はわからないが、副社長の不倫があばかれ、関係機関やマスコミばかりでなく、妻の大学の同級生全員にも不倫写真と手紙が送りつけられた。また、新幹線走行妨害事件が頻発し、レールにワイヤや鎖がが巻きつけられたり、コンクリートが置かれたりした。その犯行は手際がよく、新幹線が行き来する中での最短犯行時間は3分だったという。公安警察は、一連の出来事は副社長の進退問題にするために、盗聴、盗撮、尾行を得意とする革マル派が仕掛けたものであると断定している。
 「理論のK」と「実践のM」といわれ、労組からはいる巨額の組合費が革マル派に流れ、非公然活動を可能にしているという。しかし、冒頭で述べた少年Aの検事調書が盗みだされてから、ナンバー1であるKとナンバー2であるMの関係がおかしくなっているという。私は神戸で住んでいたこともあるので、少年Aの事件にも関心があったが、この本でやっと検事調書が盗み出されたわけがわかった。革マル派は何事にも権力による謀略論を打ち出していたが、理論派のKは神戸の事件をCIAによる謀略だと決め付け、革マル組織を挙げて謀略論の展開に取り組んだという。その後14歳の少年が逮捕されても、「A少年は免罪だ」として、少年宅の盗聴、両親の尾行、県立病院への侵入、窃盗、盗聴などを繰り返し、なんとしてでも「謀略説」の裏付けを取ろうとしたという。ここまでくると、オウム真理教の麻原とどこが違うのかわからなくなるが、Kの命令は絶対服従で誰も逆らえないという。(それもそうであろう。これまで内ゲバで何人も人を殺してきた集団である。) KとMの不仲説も分裂説と偽装工作説があり、何が何だがわからなくなるが、若い人にはこの本はぜひ薦めたい。以前にList3で「渡邊恒雄 権力とメディア」を取り上げたが、この2冊で社会に出る前の世間知らずがある程度払拭されるだろう。
 それにしても、この本を書き上げた著者はすごいと思う。マルクス主義は人類史上最大の信用詐欺であると述べているのも面白い。私もこの本を書評で取り上げるのに少し躊躇したが、自分が面白いと思った本は右でも左でもどんどん取り上げていこうと思う。ホームページを見ている人は今は外来患者数よりはるかに少ないが、ここで取り上げたことに不安がまったくないわけでない。私の診療所はセコムがはいっているが、革マル派が本気になったら、何の役にも立たないだろう。私には思想的背景は何もないが、体制の権力を否定しながら、自分が権力として独裁者になるのでは、より状況が悪化するだけであろう。こんな独裁者の権力より、それなりに歴史の荒波を経てきた体制の権力の方がまだましだと思っている。

List6

中村惇彦「名前のない女たち」(宝島社)

 風俗に勤めている女の人についての本は、トルコ風呂がソープランドと言われはじめた時からルポタージュの単行本を読んでいる。もう20年以上前のことで、この頃は雑誌の記事に取り上げられることは多かったが、単行本は珍しく、何人もの女の人の告白が知らない世界を垣間見せてくれ、驚きの連続だったことを覚えている。自分が年をとってくると、風俗の女の人が女の子に変わってきて、この類いの本もたくさん刊行されるようになった。以前は風俗の女の子はあまり自分のことは語らなかったが、AV(アダルト・ビデオ)の時代になると、仕事の一環としてプロダクションを通じて自分のことを告白するようになった。
 インターネットのアダルト・サイトやAVを全く見ないわけではないが、今では誰もが言うように見飽きてしまって、自分の好きな本を読んでいる方がよっぽど楽しい。AV女優を扱った本では、文庫として再刊されている永沢光雄「AV女優」(文春文庫)がよく知られている。文庫本になってから私も買ったが、もう7年以上前の本なので、あまり読む気がせず、そのままになっている。AV女優の名前は最近になって何人か知ったが、人気のある女優と自分の好みは全くあわない。芸能界の人でもそうなので、他の人とは美的感覚がずれていることを再自覚している。
 さて、「名前のない女たち」は企画AV女優といわれている20人の女の子のインタビュー集である。企画AV女優というのは、単体AV女優のようにグラビアを飾る女の子とは別の世界で生きており、名前さえ紹介されることなく、日雇い労働者のように呼ばれた現場でセックスなどをして、安いギャラで生活している。ここではそんな女優たちのさまざまな生い立ちや生き方が紹介されている。読んでいて、この本はある意味で精神科症例集だと思った。ひきこもり、援助交際、近親相姦、レイプ、貧困、虐待、家庭崩壊など、ありとあらゆることが語られている。
 TVや雑誌ではふつうの女の子が援助交際したり、AVに出ているようなことが言われるが、私はふつうの女の子はしそうでしないと思っている。いろいろな誘惑は多いが、大部分の女の子たちはぎりぎりのところで踏みとどまっている。例えば、父親は会社の課長で、母親は専業主婦の場合は、世間はふつうの家庭と考える。しかし、父親がアル中に近い場合は、子どもにとって育てられた環境は決してふつうではない。両親の仲が極端に不仲の場合でも同じである。しつけも大事であるが、きちんと愛情に満ちた家庭で育った女の子は、よほどやむをえない事情がない限り、簡単には風俗の世界には入らないだろう。飯島愛の「プラトニック・セックス」(小学館)で、新宿二丁目で身体を売っている男友達が、「けつの穴をちょっと貸しただけで、何万にもなる」と著者に語っている。この時に感じる一種の違和感をどこまで共有できるかが、別れ道だと思う。
 援助交際が語られる時に、どうして援助交際が悪いのかということで、識者たちがその答えに窮している時がある。私は、「恒常的にやっていると、時給800円の世界にはもどれなくなる」でいいのではないかと思う。若さでお金になっている時はいいが、その若さも永遠には続かない。どう考えても、その先はあまり幸せになれそうもない長い人生が待ち受けている。お金がからんでいるので、「あの時は若気の至りで、今は明るく卒業」というわけにはいかないのではないか。
 内田春菊の「ファザーファッカー」(文春文庫)では、義父に性的虐待を受けた娘が描かれている。この本でも小学校3年生から性的虐待を受け、中学生で妊娠した女優が出てくる。実際に義父に性的虐待を受けた患者さんを診察したこともあるが、唯一頼りにする母親があまりにも無能すぎる。母親をここで責めるのは酷かもしれないが、その不幸を一手に引き受ける幼い娘はあまりにも気の毒である。この本でも金銭にだらしなく、娘がAVで得たお金にたかってくる母親が登場してくる。
 ここではフェミニスト達が論じるポルノ論にはふみこまないが、需要と供給があって、AV女優として消費されていく彼女たちにはその後はどんな人生が待っているのであろうか。家庭が崩壊して、若い女性が一人で生きていくには、水商売か風俗しかないことも事実である。一見自由に彼女たちが選んだ職業のように見えるが、決してそうではないことにはたして何人の女の子が気づいているであろうか。

 

List5

嵐よういち〔海外ブラックロード〕(彩図社)

 旅行記などは昔から大好きで、藤原新也のインド・チベットの放浪記や開高健の南米大陸の釣り日誌などは夢中になって読んでいた。古い本は置く場所もないので大部分処理してしまったが、この二人の文庫本だけは何冊か残している。一時はインドにあこがれ、本屋に出ているインドに関する本はノーベル賞を受賞したナイポールの小説まで手当たりしだい読みつくした時期もある。インド哲学の本も何冊か持っているが、難解で簡単には理解できず、年をとってからまたチャレンジしようと思う。インドについて乱読していると、イスラム経についても知りたくなり、イスラム神秘主義の本まで手を出したことがある。
 インドはまだ一度も訪れたことはないが、一度は行ってみたいと思う。最近はどちらかというと、ロシアや東ヨーロッパ、中南米に行ってみたい。今は開業してこんな生活をしているが、開高健のベトナム従軍記者のような仕事に憧れている。藤原新也の〔全東洋街道 上・下〕(集英社文庫)のようにカメラを持って写真集と旅行記が書けたらいいと思うが、実際に旅行だけでは食べていけないと思う。
 あちこち世界を放浪している日本人は多いが、作家になって生活できている人は本の一握りである。みんな日本でお金を稼いで、物価の安い国を放浪し、お金がなくなるとまた日本で稼いで、旅に出て行く。最初はこんな生活も刺激的であるが、だんだんと旅で接する出来事も日常化してしまい、感動も薄れていく。年をとって今さら日本の社会にも復帰できず、かといってHISの社長のように旅の経験を生かして会社を作ることもできにくい。結局、日本で定職を持ち、少ない休みを使って旅するのが、一番幸せかもしれない。
 世界には旅行者の間で言い伝えられている難所ルートがあることを知ったのは、実際にいくつかを制覇した下川祐二の旅行記であった。この世代の作家になるとバックパッカーのはしりで、この作家ではタイに関する本について何冊も読んだ。最近ではクーロン黒沢の〔怪しいアジア〕(ワニ文庫)がシリーズで出ているが、手当たりしだい何でも気軽に読んでいる。
 今回紹介する本はたまたま本屋で手に取った単行本で、旅行記として突出しているわけではないが、世界の危険地帯を実際に旅行し、経験したことを書いている。比較的こわいもの知らずの私にはよい参考になった。海外旅行してぼられたり盗まれたりすることはよくあるが、実際に危険な目にあうことは少ない。私は米国には2回行ったことがあり、アジアはあちこち旅行している。ヨーロッパにはまだ一度も行ったことはない。基本的にはなんでも見てやろう、聞いてやろういという姿勢で、アジアの混沌とした世界が好きである。
 これまでに海外で危険な目には2回あっている。1回目は夜中にホテルに帰る時にバイクの後ろに乗っていたら、暗い夜道でバイクで近づいてきた二人組みの男に襲われた。頭に銃を突きつけられ、金を要求された。この時には小さな財布のような黒いポシェットをベルトにかけていたが、腹を押さえるように前にまわしていたら、気づかれずにすんだ。現地の言葉で、金、ホテル、と言っていたら、ズボンと胸のポケットを調べ、あきらめてそのまま去っていた。2回目はこれも夜中に肩からさげるバッグを持ってバイクに乗っていたら、停車を命じられ、奪い取られそうになった。こういう時には抵抗してはいけないと頭ではわかっていたが、奪い取られないようについ抵抗してしまう。大したお金もはいっていなかったので、そのままやってもよかったが、中には旅行かばんやロッカーの鍵がはいっていた。現地の言葉で鍵のことはどう言うのかわからなかったので、キー、キーと叫んだが、ムダであった。相手はパスポートと言って、そのまま仲間のバイクに乗って消え去ってしまった。私が必死でキーと言っているのをパスポートと受け取ったようだ。1回目も2回目も金が目的だとわかっていたので、特にこわいとは思わなかったが、2回目については今思い出すだけでも腹がたつ。
 昔からトラやライオンを相手に交渉は無理で、人間ならなんとかなると思っていたが、最近は南米などの人質事件を見てこの考え方を改めている。これまでアフリカのことを書いた旅行記はあまり読んだことはなかったが、この本を読むと一人旅は危険だとわかる。作者は40ヶ国以上を旅しているが、一番怖かったことでは、ケニアのモンバサで強盗に襲われ、石オノで殺されそうになったことをあげている。この時は恐怖で脱糞したという。この本で特に印象に残ったことは、他の旅行記ではあまりふれていない人種差別である。中南米では中国人に対する人種差別が強く、現地の人にとっては日本人も中国人も区別できないので、チーノと言って東洋人は黒人の次に差別されるという。特にひどい国として、コスタリカがあげられている。どこまで本当なのかわからないが、保険医協会の新聞などでは、コスタリカは軍隊を持たない国ということで絶賛され、ツアーまで募集されている。軍隊を持たなかったら、人種差別はいいのかとつっこみをいれたくなるが、この本を読んで中南米への旅行熱も少しさめた。
 写真家の星野道夫がカムチャッカ半島でひぐまに襲われて亡くなったが、アラスカでの経験はここでは通用しなかった。私の一人旅は基本的には生きて帰れたらいいで、ずいぶん無茶なこともしている。へんな度胸もついているが、つくづく知らない国では危険をあなどってはいけないと思う。安全すぎる国には興味はないが、危ない国を旅行している方が生のリアリティを感じるのも事実である。

 

List4

大沼安正〔「人を好きになってはいけない」といわれて〕(講談社)

 昔から本は5〜6冊平行読みをしており、1冊を読み終える前に新しく買った本を読み出したりして、一時に読む本がどんどん増えていく。中には脱落していく本もあり、長いこと読んでいないと内容もうろ覚えになってしまう。本屋で面白そうだと思う本はついつい買ってしまうので、まったく手をつけていない本と途中で読んでそのままになっている本が山ほどたまっていく。この本も最初読み出して、小学生の作文を読んでいるようで、なかなかのらず中断してしまったが、気を取り直して読み始めると面白く、あっという間に読んでしまった。読んでから1年以上たつが、最近話題になっているひきこもりについて考えさせてくれるので、ここで取りあげてみる。
 小説を買うことは最近はほとんどなく、精神科関係の専門書かノンフィクションがほとんどである。精神科関係の本は大型書店の心理コーナーに山ほどあり、必要に迫られて買う場合が多いが、気合を入れて読まないといけないので、ついつい読みやすいノンフィクションの方に手がでてしまう。読まなければいけない専門書も山ほどたまってしまい、役に立ちそうな本がどんどん出てくるので、悪循環になっている。本を買うことでなんとなく安心してしまうが、限られた時間の中で消化できる本の数はおのずと決まってくる。後でゆっくりと読もうと思っても、結局は読めないで終わってしまうことが多い。
 さて、〔「人を好きになってはいけない」といわれて〕は、ノンフィクションであるが、その生き方は私が診察している危うい若い患者さんのようでもある。生まれた時から、両親は統一教会の信者で、小学6年生から登校拒否を続け、両親が統一教会をやめたら、登校すると言い続ける。統一教会の教えが信じられなかった理由として、教祖の子どもがどうして交通事故で死んだのかなどをあげている。小さな子どもが感じた疑問というのは、本当に素朴であるが、大人の信者が見えていない本質をついている時がある。題名にある「人を好きになってはいけない」というのは、くりかえし母親から言われた言葉で、合同結婚式まで神の決めた相手以外を好きになってはいけないという意味であった。
 中学生になって高崎で一人暮らしを始め、学校には行かず、ひきこもりの生活をする。パソコンのゲームに夢中になり、そのうちインターネットのアダルト・サイトに底なし沼のようにはまっていく。寝ても起きてもマスターベーションを繰り返し、すべてが煮詰まっていく。ひきこもりの患者さんを診ていて思うのだが、ひきこもってしまうと本当にやることがない。音楽でもゲームでも読書でもそればかりやっていても、ちっとも楽しくない。毎日目覚めても目覚めても目の前に果てしない大海原が続いているだけである。人は他人と話すことで、自分の考えや思いを絶えず修正している。ピンポン玉のように、言葉をやりとりすることで、糸の切れた凧のようにならずにすんでいる。思春期の頃は特に不安定で自分の位置を見失いやすいので、同年代の者と話すことで、絶えず軌道修正することが必要である。(こんなことを考えるのは自分だけでないとか、自分の考えすぎだったとか) しかし、一人だけでいると、いろいろな不安や心配がどんどんと発展していき、気づいたらとんでもないところにはいりこんで脱け出せなくなっている。作者も醜形恐怖や心気症を呈していく。外部からの刺激を閉ざしてしまうと、自分の内部感覚が必要以上に研ぎすまされ、過敏状態となってしまう。人を必要以上に恐れず生きていくには、絶えず外部からのいろいろな刺激(他人の視線や言葉など)をシャワーのように浴びていることが大事である。
 登校せず中学を卒業すると、山形の実家に戻り、コンビニや塾に通うが長続きせず、児童相談所に通い始める。担当者の女性とのやりとりが面白いが、性の部分をどう扱うか本当にむつかしいと思う。臨床の場面では、特に若い女性では誤解をまねくと思って、決して性の部分については触れないが、この本を読んでいると、いろいろな心理検査をするよりも、その人の持っている性的ファンタジーを聞くことの方が、よりその人の本質に迫れるのではないかと思ったりする。16歳で東京に出て、鉄筋工になり、新宿2丁目でイラン人に声をかけれら、それからは男娼として男性同姓愛者の相手となっていく。新宿2丁目で繰り広げられる人間関係も興味深い。性というなまの欲望を満たせれば、客にとっては相手のコミュニケーション能力はあまり関係ないのであろう。性という本音の部分でのコミュニケーションでは、それほど対人スキルは必要としないのがよくわかる。
 それにしても、この本を読んでいると、精神科の治療は何を目標としていいのかわからなくなる。男娼として生きることは、肯定していいのか悪いのか。家にじっとひきこもっているよりはまだましで、成長のための重いステップと考えることもできる。臨床の場面で、他人とのコミュニケーションができず、風俗に勤めたいという女の子にはどう答えたらいいのだろうか。言葉を介さず、直接肉体を通したコミュニケーションは、言葉のコミュニケーションを後から発達させてくれるのだろうか。

 

List3

魚住昭〔渡邊恒雄 メディアと権力〕(講談社)

 だいぶ前の本であるが、印象に残った本なのでここに取り上げてみる。本を選ぶ時には大きく分けて、新聞や雑誌の書評によって選ぶ時と本屋で手にとって選ぶ時の二つがある。この本は雑誌の書評で知り、あちこちの本屋で捜したが、見つからなかった。大きな書店では検索の機械が置いてあるが、これまで一度も利用したことがない。店員に聞くこともほとんどない。たいていの本はどこのコーナーにあるか見当がつき、簡単に見つけることができるからである。しかし、この本だけはどこの本屋でも見つけることができなかった。小さな出版社ならともかく、講談社の話題の書である。検索もせず、店員にも聞かなかったのでわからないが、何か書店に圧力がかかっているのではないかと勝手に想像した。それぐらい読売新聞のドンである渡邊恒雄氏について負の部分も書きつくしている。
 結局この本はインターネットのアマゾンで手に入れた。これまで本をインターネットで注文することは考えてもいなかったが、この本をきっかけにどうしても見つからない時にはこの方法で手に入れている。また、過去の本で題名や出版社がわからない時にも検索機能として利用している。
 神戸に行く前に聖護院の近くに初めて家を買ったが、二階に本棚を置いてたら、本当に家が傾いてふすまも閉まらなくなったことを経験している。神戸ではマンションを借りていたので、本の重さに悩むことはなかった。(阪神大震災の時には寝ている部屋の本棚が全部倒れ、たまたまこの日は不在で下敷きにならず助かっている) 京都に戻ってからは、京都第一日赤の部長室が広かったので、本の置き場所に悩むことはなかった。ひっこしのたびに本は大量に処分しているが、開業する時には思いきって山のような本を処分した。診療所にも自宅にも1階部分で本を置くスペースがないからである。昔読んだ本の中で北杜夫氏が若い頃に買った本を処分して後に後悔していたので、なるべく残すようにしていたが、ふつうの人にとっては限度がある。ロックのレコードを集めている時でもそうであるが、どのレコードを残してどのレコードを処分するかは真剣に考え出したらそれこそノイローゼになってしまう。開業する前には、残せる本はわずかだとわかっていたので、機械的にほとんどの本を処分してしまった。今から考えると、手に入らない貴重な本もはいっていたと後悔する。
 さて、〔渡邊恒雄 メディアと権力〕であるが、2年以上前に読んだので、あまり細部は覚えていないが、権力の座につくにはここまでやらなければならないのかと強く印象に残ったことを覚えている。今回改めてひろい読みをしたが、当時全国紙としては朝日や毎日に遅れをとっていた読売新聞社に入社し、新入社員の時から社内を制覇するために、共産主義運動に参加していた頃に学んだ手法を利用して、仲間を作っていく。その一方で将来自分のライバルとなる者や非同調者は、出世コースからはずしていく。
 よく組織の頂点に選ばれた社長や教授に対して、大した能力もないのに口ばかりでうまく取り入ったとか、ただ運がよかっただけとか、人間としてはできていないなどとあまりいいことを言わないが、ぼんくらの息子が二代目の社長を継ぐのとは違って、何もないところから頂点を極めるのはそんな生やさしいことではない。その手法はともかく、なんでこんなことまでやらなければならないのかということまでやっている。自分の周囲を固めるために、せっせと内職原稿を書いて飲み代を稼ぎ、部下たちを月に1、2度焼肉店やふぐ料理店に連れて行ったり、猜疑心の強かった当時の会長に細心の注意を払って忠誠をつくし続けている。
  「独裁者が君臨する王国で権力をつかむ方法は一つしかない。独裁者の下でナンバー2としての力を蓄え、後継者として指名されることである」と述べ、「しかし、力を蓄えれば、独裁者の猜疑や嫉妬の対象になることは避けられない」とも述べている。この部分については、どこの会社でも、大学でも、政界でも多かれ少なかれあてはまるのだろう。ただ、凡人は頭でわかっていても、途中で耐えられなくなって離脱していく。すさまじい権力欲といえば権力欲だが、いつ失脚するかもわからない中で無意味とも思える労苦にじっと耐えている。人間は苦労すれば苦労するほど丸くなるといわれるが、私はいつもその反対であると思っている。苦労すればするほど、部下などからいろいろ不満を言われると、本音の部分では「わしの苦労と比べたらお前らの苦労は苦労でない」となるのではないか。
 政治部の敏腕記者として、大野判睦から中曽根元首相まで深くかかわり合い、最終的にはメディアの頂点を極め、元中曽根派の山口敏夫代議士のスキャンダルの記事を差し替えたり(直接圧力をかけたのか、部下が察して自己規制したのかわからないが)、報道にまで多大な影響力をもつようになる。本のあとがきに、取材にOBなどを訪ね歩いても、みんな恐れてあまり口を開いてくれなかったと言う。この本を読めば読むほど、こんな小さなホームページでも書評に取りあげるのはまずいのではないかと思うぐらいである。
 権力とメディアが結びついて情報操作されるのは困るが、ある意味では渡邊氏は自分の思想を伝えるために、正当な方法で読売新聞の社長になって実現していると考えることもできる。渡邊氏に対抗するには、渡邊氏以上の人物を持たないと無理なのではないか。別に渡邊氏を擁護しているわけでないが、批判する側がそれだけの力を持たないのは、批判する側もそれだけ戦略と苦労が足りないのではないかと思せるほど、すさまじい内容の本である。


List2

稲垣武〔北朝鮮に憑かれた人々〕(PHP研究所)

 前回の読書録を書いてから1年近くたってしまった。この間に前回とりあげようとした大沼安正〔「人を好きになったはいけない」といわれて〕(講談社)など、数多くの本を読んだが、過去の本を取り上げようと思うとその内容をあまり覚えておらず、もう一度見直そうと思うと、どうしても筆が鈍ってしまう。時間ばかり過ぎていくので、思いきって今回は比較的最近読んだ本をとりあげることにした。読書も教養主義で読むよりも、最近はおいしい料理を楽しむようにその場限りの娯楽として楽しんでいる。おいしい料理も味覚を楽しませるだけでなく、どこかで身体の栄養分になっているように、読んだ本もその内容はしっかり覚えていないが、私の思考や行動に何か栄養を与えている。無数の活字が私の中を通り過ぎていくことで、自分も少しづつ変化しているのだろう。
 さて、今回とりあげた本はまだ拉致問題が解決されていない北朝鮮を扱っている。本屋に行くと、それこそこの手の本がずらりと並んでいるが、作家の名前にひかれてこの本を選んだ。この人の本では〔「悪魔祓い」の戦後史〕(文芸春秋)を読んだことがあるが、、社会主義や共産主義に心酔した進歩的知識人の言動や運動を批判している。私自身は学生運動が収まった頃に大学に入学し、まったくのノンポリで、ロックに夢中になっていたので、これまで政治運動に関わったことはない。労働運動にも関わったことはないし、宗教にも政党にも社会問題にも関わったことはない。だから、右でも左でも納得したことは何のこだわりもなくどんどん取り入れている。基本的立場はわからないことはわからないで、いろいろな本を読んで自分で考えるが、とりあえず今はこう考えるで、絶対的なこととは思っていない。自分を納得させる考えがあったら、いつでも180度変えられる。左翼運動の洗礼を受けた人々のように、最初に究極の理論や真理があるわけでない。
 北朝鮮問題を考える時に、今は文庫本として再発刊されている高沢皓司〔宿命ー「よど号」亡命者たちの秘密工作〕(新潮文庫)がある。拉致問題がここまで露わになる前に、北朝鮮まで出かけてよど号事件の当事者に何度もインタビューをしており、今出ている本よりよほど面白い。当初は彼らの支援者であった作者が(そうでなければ、かの国でのインタビューは許可されない)、だんだんと疑問をもって、矛盾を明らかにしていく。今回は北朝鮮問題に長年関わってきた、萩原遼「拉致と核と餓死の国 北朝鮮」(文春新書)も読んだが、核危機は意図的に米国にわかるように作り出されたもので、餓死も敵対階層に対する計画的殺人であると述べられている。
 さて、今回とりあげた〔北朝鮮に憑かれた人々〕では、具体的な名前を挙げるのはここでは控えるが、北朝鮮寄りの発言を繰り返し、拉致問題を否定したり、無視し続けてきた政治家、文化人、メディアについて批判している。私が学生時代には、韓国は朴政権で、北朝鮮は金日成であった。朴政権については軍を後ろ盾にした独裁政治で腐敗だらけの非民主的な政権として、それこそぼろくそに非難され、北朝鮮は金日成のもと独自の社会主義を歩み地上の楽園を建設していると、絶賛されていた。社会が抱えるいろいろな問題を資本主義などの現在の社会制度に問題があると考え、まだ見ぬ社会主義国家に理想の社会を託するのはあの時代はやむをえなかったところもある。現在は共産主義国家が破綻をきたし、いろいろな矛盾が明らかになり、その知識で過去のことをいろいろ批判するのはアンフェアと考えることもできる。しかし、拉致問題より以前から北朝鮮に関していろいろな問題が明らかになっているにもかかわらず、擁護し続けている進歩的文化人や一部の政治家などの神経は理解できない。理想の社会を作るには何百万人も餓死することは、仕方のないことと考えているのか。土建屋から裏金を集めているわが国の政治家にも腹がたつが、それどころの比ではない。社会が抱えている矛盾や不正は、それに対抗する何かを持ち出して批判するのが一番楽だが、すでに破綻している北朝鮮をまだ担ぎ上げてどうしようというのか。進歩的知識人がどんな理論を作りあげたのかは知らないが、理論とそれを実行する人間はまったく別である。スターリンの言葉に「美しい言葉は醜い行動を隠すための手段にすぎない」というのがあるが、それこそ、耳障りのいい平和や戦争反対を唱え、その裏で北朝鮮に軍備を拡張させていたのではないか。
 米などの支援についても、日本が大量に送ったにもかかわらず、その時期に餓死者が増えているという。構造的欠陥のあるところに、いくら援助しても無駄ではないか。よくわからないのが、日本にミサイルが飛んでくるというが、在日朝鮮人が大勢住んでいるところにあまり精度のよくないミサイルを撃ち込んだら、それこそ自国民を攻撃することになるのではないか。(裏を返したら、在日朝鮮人はわが国の人質と考えることもできる) 実際に戦争が起こったら、ソウルは火の海になるといわれているので、なんとか戦争は避けたいということはよくわかる。また、金正日の政権崩壊もできる限り軟着陸させたいというのも理解できる。いろいろな本を読んでもあまり難民のことが出ていないが、政権崩壊して何十万人という難民が日本に押しよせてきたら、人道的支援で日本がどこまで対応できるか疑問である。瀋陽の事件では激しく中国を非難したが、今度は日本が矢面に立たされることになる。何十万人というのは多すぎるかもしれないが、在日朝鮮人を頼りに親戚、家族が難民認定を求めた時に、日本政府はどこまで対応できるだろうか。いろいろな複雑な問題をかかえているので、圧力も支援も手詰まりになっているが、どちらにしろここまで金正日のことが暴露されて、今後政権維持がはかられるとは考えにくい。

 

List1

井上恭介 藤下越〔なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト−堕ちたユートピアの夢 〕(NHK出版)

 本当はこのページにふさわしい大沼安正〔「人を好きになってはいけない」といわれて〕(講談社)を書評するつもりであったが、まだ数ページしか読んでおらず、早く読まなければと思うとますますプレッシャーになって、そのままになっている。最近は確実に読む本しか買わないようにしているが、それでも読む時間がなく、佐野眞一〔だれが「本」を殺すのか〕(プレジデント社)はまだ1ページも読んでいないのに、もうパート2が出ている。
 最近読んだ本では宮崎学〔鉄 極道・高山登久太郎の軌跡〕(徳間書房)や木村勝美〔山口組若頭暗殺事件〕(イースト・プレス)があるが、ここで取り上げるのはあまりふさわしくないので、今回はだいぶ前に読んだこの本にする。宮崎学の本はやはり〔突破者〕シリーズ2冊が一番面白く、共感できる部分も多いが、〔アウトロー ジャパン〕の特集号を読むと、自分たちとはまったく違う世界に住んでいることがよくわかる。この延長線上で〔鉄 極道・高山登久太郎の軌跡〕は書かれているので、どこか遠慮がちで、あまり生々しい人間像が伝わってこない。その点〔山口組若頭暗殺事件〕はここまで書いて大丈夫かなと思うぐらい、オモテの世界とウラの世界の結びつきを暴露している。
 前置きが長くなってしまったが、〔なぜ同胞を殺したのか ポル・ポト−堕ちたユートピアの夢〕は、題名の通り、カンボジアでなぜポル・ポト政権が全国民の5分の1にあたる150万人以上を死に追いやったのかについて、まだ裁判で裁かれていないポル・ポト派幹部たちの取材をまじえて、真相に迫っている。だいぶ前の映画でうろ覚えであるが、〔キリング・フィールド〕の中で、人々が集められ、この国の再建のため手を貸してくれる教師の方は手をあげてくださいという場面があった。次々と名乗りあげたインテリ層がその後どうなったかというと、全員別の場所に集められ殺されてしまった。
 共産主義革命では、いつもそうであるが、都市市民、商店主、インテリ層などが資本主義の手先として糾弾され、抹殺されていく。その一方で、貧しくて気の毒であるが、とても国を動かせるような知識も経験もない農民や子供が実権を握っていく。ポル・ポトは自分に反対する者は次から次へと粛清していったので、イエスマンの幹部たちだけが残り、その幹部さえ社会主義や共産主義がどんなものかもわからず、ポル・ポトのいいなりになっていく。都市市民を再教育するために、いきなり農村に強制退去させたり、貨幣を廃止したりする。
 中国やソ連、北朝鮮と違うと思ったのは、毛沢東や金日成のようにポル・ポトは神格化されず、地方の幹部たちにもあまり詳しいことは知られていなかったようである。 本の中にも出てくるが、組織を意味する「オンカー」の命令で、すべてが決められ、その地域を統括する「オンカー」の上にまた上層の「オンカー」があり、誰もその命令がどのように決められ、どのような意味をもっているかもわからず、ただ上からの「オンカー」の命令に従うだけであった。
 また、「内部の敵をさがせ」というスローガンのもとに、次から次へと新人民と言われた以前の都市住民を殺戮していく。ここでは内部の敵とはベトナムをさすが、この政権もベトナムに後ろ盾されたフンセンによって追い払われていくのは皮肉である。
 最近ツールスレン博物館にかかっていた虐殺された人々の頭蓋骨でできたカンボジアの地図が取りはずされたと聞いた。私は以前に収容所跡にできたこの博物館を、でこぼこのぬかるみの中をバイクに揺られながら訪れたことがある。頭蓋骨でできたまだ新しい地図より、壁に貼られた大勢の人々の顔写真の方がはるかに衝撃的であったことを覚えている。


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